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  長  江  文  明  

1 :出土地不明:03/11/25 17:13 ID:7gtOkzGs
世界で最も早く王朝を興していたかもしれない長江文明について語れ

2 :出土地不明:03/11/25 17:20 ID:KHQK0TQR
生まれながらにして2ゲッターとしての素質を持っている親父にとって
俺はたんなるお荷物だったのかもしれない。

とうとう親父が生きているうちに2をゲットすることができなかった。

病院でいつ事切れるかも解らない親父のそばで
必死にF5キーを連打していたあの日から5年。
今ではF5キーも2キーも磨り減ってしまっている。

親父が天に召された後、偶然書斎で日記を見つける。
そこで俺は親父と血が繋がっていない事を知った。

もう2をゲットする必要すら無くなった 
そう、俺は元々2ゲッターの素質なんて無かったのだ。

しかし俺はこうしてまた2をゲットしようとしている。
血が繋がってなくとも、俺の親父はあの人しかいない

今日は親父の命日だ。
墓には一人前の俺の姿と花を供えよう。

今、天国にいる親父と一緒に宣言する

「2」


3 :出土地不明:03/11/27 18:16 ID:FFcCoKX3
殷初期から殷と交易していたんだよな。
たまに戦争したりして。
加工技術は殷以上だったんだっけ?

4 :出土地不明:03/11/28 05:25 ID:HG+flolq
ながえ ふみあき

5 :出土地不明:03/11/28 06:59 ID:VY9+wAEr
殷王朝とよく言われるが、当時の実際の王朝名は商。
殷というのは、商の首都の名前の一つ。
商は都市国家の連合体で、商の王はその共王としての存在だった。
商は、占いによる神権政治が行われており、商の王はその代表だった。

6 :出土地不明:03/11/28 17:29 ID:0te/EGFj
周朝の頃に殷(商)の遺民が物を売る仕事を始めたから商人と呼ばれるようになった。
商という国号で実に良かった。
変とか奇だったら紛らわしい。

7 :出土地不明:03/11/28 18:32 ID:2cZEZY1Z
>>6
白川静が否定してなかったっけ?

8 :出土地不明:03/11/29 23:07 ID:ZD0pI0W5
紀元前3300年くらいには王国もあったようですね。

9 :出土地不明:03/11/30 00:09 ID:zRCls6Xh
>>8
全部洪水が呑み込んでしまった。

10 :出土地不明:03/11/30 11:38 ID:5RtVqyu0
大きな河の流域には何らかの文化を持った集団がいた形跡がある。
黄河にしたって、上流、中流、下流でそれぞれ違った形状の土器や青銅器が発掘されてる。
夏、殷、周と統一王朝が出現するにつれて、その被征服民の文化は失われただけだろう。
長江文明もその一つ。

11 :出土地不明:03/11/30 13:02 ID:olf9yjXh
紀元前5000年ごろには都市国家ができはじめたそうな。

>>8 良渚ですね。良渚にあった王国は北に軍隊を送って領土を拡張したりも
   してました。
   宮殿趾はどうなったのかな?

12 :出土地不明:03/11/30 22:07 ID:8NZY3yaO
>>10
そのへんって、「統一王朝」って言っちゃっていいの?

13 :出土地不明:03/11/30 22:31 ID:z83Z0Exz
ドナウはどうした。
マスターキートンファンとしては兆候よりドナウがいいのである。

14 :出土地不明:03/11/30 23:24 ID:8NZY3yaO
キートンスレに逝けばいいやないか

15 :出土地不明:03/12/01 00:09 ID:BwRVxjHn
>12
中華文明という観点からの統一ということならOKでないかい?

16 :出土地不明:03/12/01 00:18 ID:QTjWsbDz
>>15
だけど、周朝までは長江流域(すくなくとも南側)は「中華」に入ってないし、
必ずしも(秦以降みたいな)一つの制度のもとに支配を行ったわけでもないんで
しょ?>>10みたいな推測は早計じゃない?

17 :出土地不明:03/12/01 01:33 ID:BwRVxjHn
だから
>出現するにつれ
になるわけだ。

実際に夏・殷の頃は中華という考えは無かっただろうが、
中華思想の歴史は夏や殷を文明の祖として考えており、
周初期までは長江流域や、黄河下流域文化圏でさえ異民族扱いされてた。

でもまあ、楚なんかは長江文明の名残のようなものを戦国時代頃までは持ってたみたいだけど。

18 :出土地不明:03/12/01 10:03 ID:QTjWsbDz
>>17
それでも問題になるのが「その被征服民の文化は失われただけだろう」という記述。
「被征服民」なの?文化は本当に失われてるわけ?

やっぱり認識として粗すぎるというか、予断入りまくりな気がするぞ。

19 :出土地不明:03/12/01 13:20 ID:hTt5MDaV
征服される以外に土地の文化が消え去る理由って、住民全てが大移動するしかなさそうだけど?
仮に文化が融合されていったとしても、主となるのは征服者側だろ?
実際に失われてしまってるから、文献にもなにも残ってないわけだし。

20 :出土地不明:03/12/01 15:54 ID:QTjWsbDz
単純な歴史観してるなあ。
文化も文献も何ものこってない?本当に?

その言い方だと、後の中国文化を決定しているものが黄河域起源のもの
だけであるということを言わないといけないけれど、その根拠は?

21 :出土地不明:03/12/01 17:45 ID:7EClpe8b
>20
10で>大きな河の流域には何らかの文化を持った集団がいた形跡がある。
と書かれているし、
>19の>実際に失われてしまってるから、文献にもなにも残ってないわけだし。
も発掘しなければ見つからないような文化だから失われていると言えるのでは?

そりゃ小さい民族単位では古代からの文化が受け継がれているかも知れないが、
本人達も、それがどれほど前からのものかは分かってないんじゃない?


22 :出土地不明:03/12/01 18:14 ID:QTjWsbDz
>>21
いや、そうじゃなくて、
- 文化が失われたというが、「中国文化」の本流にとりいれられた長江流域起源の文化は
ないと言えるのか?黄河流域の「中原」を中心とする歴史記述は儒家の伝承に大きく
依存したもので、そこだけを無批判に「本流」と考えるのは適当ではないのではないか。
- 文献にないというが、本当か?私も詳しくはないが、黄河流域の影響の濃い「楚辞」だけを
とってもずいぶんと違う印象があるが。
- 被征服民というが、征服されたのか?征服されなくても文化が失われることだってあるし、
楚・呉・越が北方からの征服の結果成立したという伝承もないように思うが。
- 征服されたとして、それは夏〜周の時代のことだったのか?もっとあとの、たとえば
漢代あたりに文化・伝承が整理された結果だったりしないのか。
あたりが疑問としてあって、そのへんを知ってる人がいるんじゃないかと思って尋いてるわけ。

そのわりにはちょっと態度が悪かったかもしれんので、それについては陳謝。

言いかえると、「黄河文明」のみを中国の直系の先祖とすることへの疑問があって、
黄河文明-中国という系統とは別の「長江文明」を考える、というのがそもそも
正しいのかが知りたい。

23 :出土地不明:03/12/16 17:32 ID:Ozik2x8x
>>22
メソポタミアの伝承は周辺国によってなされているのに、長江文明の記録は漢民族にない。
始皇帝の焚書坑儒とはこれらの王朝を中国の正史から抹消することにあったのではないか?

24 :出土地不明:03/12/17 00:44 ID:oougsfx6
たぶん考えすぎ

25 :出土地不明:03/12/17 00:48 ID:oougsfx6
しまった途中で出してしもた。

もしそうだったら楚に関する記録なんてまっさきに焼くはずだが残ってる。
また、黄河中心の歴史記述は主に儒家の手によるもので、長江流域の
記録を消すのに儒家を殺すというのは辻褄があわない。

また始皇帝の全土支配は記憶・記録を完全に消しされるほど長いものでもなかった。

26 :出土地不明:03/12/17 12:49 ID:72qf0jDS
殷が長江文明と交流があったとは何から言えること?
甲骨文字の記録にあるわけ?匈奴の前身に関する記述はあるらしいが。

27 :出土地不明:03/12/17 17:23 ID:oougsfx6
>>26
子安貝の産地(ベトナム方面)とは交流があったのに、長江流域とはなかった、
というほうが不自然じゃないかな?
周公旦が一時楚に亡命したなんて話もあるから、黄河流域からみて長江流域がまったく
未踏の地ということだけはなかったと思われ。

「長江文明」(特に古代の蜀がどうこうというアレ)があったかどうかはまた別の話。

28 :出土地不明:03/12/18 17:43 ID:wGQCQlHd
長江文明がどれぐらい遡及できるのか、
しらないが、はっきりすれば、沖縄周辺海底遺跡も
なんらかの関係が浮上しそうな気もする。
ほんとうに、エキサイティングになってきたな。


29 :出土地不明:03/12/18 19:05 ID:tEUeHNGX
ただの自然地形>沖縄海底遺跡

30 :出土地不明:03/12/18 19:26 ID:Eo/piAuE
龍馬古城遺跡って一体どーなったの?
何年か前に見て以来音沙汰なしだけど

31 :出土地不明:03/12/18 23:59 ID:wGQCQlHd
>>29
東大教授がそんなことを逝って失笑を買ってたな。


32 :出土地不明:03/12/19 01:13 ID:oajOzj7o
>>28,31
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066277888/l50

33 :出土地不明:03/12/19 01:40 ID:5/2xfcyj
>>32
ありがとう。
長江文明は、日本の起源に関連するから興味を持ったんだが。
あったのね、こんなスレ。
ちゃんと読んでみようと思うが、
日本には、16.000年前の縦穴住居跡(神奈川県)も、12.000年前の
土器も発見されているらしいから、12.000年前に今は水没した
海底遺跡があっても矛盾はないな、と思っただけ。
まあ、よんでからのことだな。


34 :出土地不明:03/12/19 11:30 ID:wt1eB641
>>31
実は逆で、琉大の教授が嘲笑をあびてる、ってのが真相です。

>>33
自然現象で説明できないものがひとつもなく、
人工だとするとあまりに杜撰としかいいようのない構造が多く、
大衆向けに発表されている内容は捏造だらけ、という話ですな。

35 :出土地不明:03/12/19 16:46 ID:bDtnroR7
焚書坑儒で消失した歴史書の内容ってどんなだろう?
それとも、長江文明が記録に残っていないのは実は大したことなかったからだろうか?

36 :出土地不明:03/12/19 19:23 ID:4MURff+o
>>35
文字がなかったから記録のしようがない
黄河流域で発生した文字で記録されるには
時間的にも距離的にも離れすぎてまともな記述は期待できない

37 :出土地不明:03/12/20 09:21 ID:83l5Fu0Z
ながえふみあき って誰よ?

38 :出土地不明:03/12/20 13:59 ID:N4idYHwD
そういえば碁の今村文明さんて、いつも長考してたわね

39 :出土地不明:03/12/20 17:56 ID:dRZJVqxv
>>37
音読みです。
ちょうこうぶんめい と読みます。


40 :出土地不明:03/12/20 20:18 ID:obtu2val
>>25
>もしそうだったら楚に関する記録なんてまっさきに焼くはずだが残ってる。

楚王朝のころで既に長江文明は古代文明となっていただろうから、自分達の出所の記憶はなかったのでは?


41 :出土地不明:03/12/20 21:55 ID:vn3wP4eJ
>>37 チャンチャンウェンミンと読みます。

42 :出土地不明:03/12/21 03:04 ID:33T2C619
>>40
もしそうならばわざわざ始皇帝が焼く必要はない。
どっちにしても 23 の仮説は成立しない。

43 :出土地不明:03/12/25 04:45 ID:nrKzms5y
長江文明の発掘って、進んでるの。
日中共同なのかな?


44 :出土地不明:03/12/29 10:45 ID:oWF/KlER
>>37
チャンガンムンミョンと読むニダ!

45 :出土地不明:04/01/04 22:17 ID:MployvTf
三星堆の遺物の最上層には大量の象牙がばらまかれていたみたいだが
当時は四川盆地に象がいたんだろうね。
「象」という象形文字も明らかに象を見た人が作ってるぽいから
黄河流域にもいたのか。

46 :出土地不明:04/01/04 23:00 ID:c1c8OQxA
>45
華南までは広く象が住んでいたらしいゾウ

47 :出土地不明:04/01/12 02:44 ID:AaJEkriX
【海南】跪いて謝罪する「東条英機像」を製作(写真)
ttp://www.people.ne.jp/2004/01/10/jp20040110_35732.html

海南省のあるホテルに8日午前、日本のA級戦犯である東条英機が中国の人々に
跪いて謝罪する彫刻が登場し、市民の注目を集めている。

彫刻は、ホテル側が「現代の若者が歴史を忘れず、中華民族の再興という使命を
担っていくように」との願いを込めて特注したものという。(編集UM) 

「人民網日本語版」2004年1月10日


48 :出土地不明:04/01/18 17:47 ID:wVIswPpx
ちなみに私の彼女は青銅器フェチです。

49 :出土地不明:04/01/31 12:28 ID:scaRb/Ou
 ここ参照
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/shinpo/hakari.html

 あと平凡社から出ている「新中国の考古学」(関野雄 監訳 1988 平凡社刊)を大きな図書館で探すといいかも。





50 :出土地不明:04/01/31 13:16 ID:y96mDqE8
>>49
> ttp://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/shinpo/hakari.html

なんだか懐かしい感じのする文章だ。社会・経済上の矛盾による体制の崩壊。
弁証法的唯物論だね。別に悪い意味で言ってるのではないので、誤解無きよう。

51 :出土地不明:04/02/17 22:57 ID:kSxQzt6g
何年か前、世田谷美術館で三星堆の青銅器遺物、縦目仮面や巨大な神樹を見て、
びっくり仰天。ところで「長江文明の発見」(角川選書)を書いた若手の
学者「徐朝龍」先生は今何処で何をしてるのでしょうか?


52 :出土地不明:04/02/17 23:22 ID:TF84Wu6d
京セラのサラリーマンだよ

53 :51:04/02/18 18:51 ID:W2tGq6zm
>>52
よく判りませんが、京セラから援助を受けて研究してるという
ことでしょうか? 京セラは太っ腹な企業なので、そのくらい
平気かなと。
先生には、是非研究を続けてもらいたいものです。

54 :出土地不明:04/02/18 19:14 ID:0UESLW0H
普通にサラリーマンやってるだけだと思うよ

55 :出土地不明:04/02/19 13:40 ID:30b46LnK
>45
そういえば「象」という漢字に訓読みがあるのはどうしてでしょうねえ。
日本にも象がいたんでしょうか。なうまん象とか昔のことではなく。

56 :出土地不明:04/02/19 14:40 ID:AMljW7Us
>>55
あれはもとの発音と似つかないぐらい変遷した結果、「訓読み」ということに
なった、ってだけの話だ。

57 :出土地不明:04/02/20 14:14 ID:Xslw8KBL
象の訓読みって「ぞう」ですか?

58 :出土地不明:04/02/20 15:44 ID:EVzNWiz5
>57
 「ぞう」は音読みで(何音かは忘れた〜)、訓読みは「かたち」とか「かたど・る」とかでなかったけ

59 :出土地不明:04/02/20 17:58 ID:Xslw8KBL
>>58
>>56もそのつもりで書いたのかな。
「かたち」、「かたど・る」なら完全に訓読みだと思うけど。

60 :出土地不明:04/02/23 00:35 ID:Gs7P4UY3
呉越を立てた長江人が海を渡って日本にも居住した
これが日本人である。
長江域に暮らす中国人と日本人は遺伝子的にも近いし、
魏志和人伝でも触れられているように和人は長江から東南アジア
日本と非常に幅広く住んでいた事でもわかるように
長江文明を樹立していたのは日本人だと断定して間違いないと思う。

61 :出土地不明:04/02/23 10:59 ID:2vlrFrES
日本人の先祖には、長江流域から流れてきたのも居るだろうけど、
ウリナラマンセー発想の60の祖先はきっと半島からやって来たんだろうなぁ

62 :出土地不明:04/02/23 11:01 ID:TltuVZ2S
>>57-59
最近の流れとして「ぞう」を音・訓両方に載せてる辞書がでてきてるみたいよ。
大字源とか。

「訓読み」の意味が問いなおされているようで。



63 :出土地不明:04/02/23 11:02 ID:TltuVZ2S
>>60
論理にかなりの飛躍があるな。

64 :出土地不明:04/02/23 11:43 ID:VQ8eL8zK
縄文人が長江の祖、これどうよ。

65 :出土地不明:04/02/24 12:46 ID:Y6YCdV0O
>>61
だよね。

66 :出土地不明:04/03/16 22:01 ID:S7FrgwY/
だよねじゃなく、二種類だろ、大きなルーツ的流れは。

67 :出土地不明:04/03/23 15:43 ID:PntyG3/W
>>64
縄文人が川になったのか・・

68 :出土地不明:04/03/24 19:05 ID:Z215Z/Nz
夏の時代に会稽に諸侯が集まったというのは舜の時だったっけか?

69 :出土地不明:04/03/25 00:59 ID:ze48H1hJ
禹のとき

70 :出土地不明:04/04/01 09:47 ID:ygw1CmmH
>>55
物凄く亀レスなんだがふと思い出した。
象の訓読みの話題なんだが地名に「象潟」があるよね。
これのことかな?でも「キサ」って何だ?

71 :出土地不明:04/04/01 12:28 ID:DzriNyDJ
>>70
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~koremaru/chimei/nenpoxx/nenpo10/KISAKATa.htm

72 :70:04/04/01 20:44 ID:81gNbitL
>>71
サンキュ

73 :出土地不明:04/05/10 12:55 ID:ehymmxml
a

74 :出土地不明:04/05/29 23:36 ID:pBMNAjwj

◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半
 
国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学
協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化
物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は
紀元前十世紀後半」と発表した。

 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め
のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。

75 : :04/05/29 23:36 ID:pBMNAjwj
今回の発表によると、佐賀県の菜畑遺跡から出土した「山の寺式」土器
(早期初め)の炭化物は、前930―前800年。福岡市の板付遺跡の「夜臼1式」
(早期前半)は前900―前790年だった。その結果、早期初めは前945―前915年
と推定されるという。

 また水田稲作が各地に広がった弥生前期の始まりは、北部九州が前九世紀末
だが、高知県の居徳遺跡や高松市の東中筋遺跡などの土器の測定から、四国や
近畿は前8―7世紀ごろとみられるという。〔共同〕 (07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040524AT3K2302C23052004.html

76 :出土地不明:04/05/29 23:37 ID:pBMNAjwj
弥生期の渡来人と水田稲作による弥生時代の始まりとは全くの無関係。

水田稲作は前10紀後半に北九州から始まり、前8世紀には奈良まで伝わって
いた事が分かっている。

ただし、渡来人の渡来時間が早まるという発表は一切無い。

つまり渡来人は日本の稲作とは全然関係のない人々。

77 :出土地不明:04/05/30 13:29 ID:fETWxs98
>>76
稲だけやって来たわけ?
日本に於ける稲は帰化植物だったわけか。

78 :出土地不明:04/05/30 21:18 ID:UU2i9wW+
稲作自体は約6500年前から縄文人はやっている。
縄文海洋民が江南方面で持ち帰っただけでしょう。
水田も縄文海洋民が約3000年前に同様に持ち帰っただけでしょう。

縄文人は8000年位前の縄文早期頃は、人類初のヴァイキングと言っても
良いくらい、それはそれは大変な海洋民だったらしい。

朝鮮や江南はもとより、ミクロネシアやポリネシアなどの太平洋、はたまた
北アメリカや南アメリカまで、太平洋を股にかけて海を行き来していた
トンデモな人々だったらしい。

それほど全人類に先駆けて航海術に長けていた人達だった訳です。
「海を渡った縄文人」という本を参考に読みなされ。

79 :出土地不明:04/05/30 22:23 ID:jWU7Cf3P
「らしい」と「である」の間に横たわる懸隔のいかに大きいこと。

80 :出土地不明:04/05/30 22:59 ID:77uHNfT1
>>79
全く同感。
まさに「超えがたいヒアタス」ですな。

81 :出土地不明:04/05/30 23:20 ID:0Jhc+tSF
サヨック発想者は、中国朝鮮から来るという発想ばかりが得意で
日本から行くという発想が全くできない、ある種の障害者だからね。

82 :80:04/05/30 23:52 ID:77uHNfT1
>朝鮮や江南はもとより、ミクロネシアやポリネシアなどの太平洋、はたまた
>北アメリカや南アメリカまで、太平洋を股にかけて海を行き来していた

この範囲に縄文時代遺物の、類似品ではない確実な搬入品が存在していると
いう訳ですね。。。
大したものだ。。。

83 :出土地不明:04/05/31 08:34 ID:+VaVZ+ED
 もっと絶句しちゃうのは、確たる証拠もないのに、声がでかいやつが>78みたいなことわめきちらせば
それが「既成事実」になっちゃう現状ですワナ。

84 :出土地不明:04/05/31 17:30 ID:Q2sL35B1
まるで中国共産党の政策と同じですな

85 :80:04/05/31 17:48 ID:3OFcc105
こっちはもっと激しいですよ。。。

■■■弥生人は朝鮮を経由していない■■■
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1068266612/l50

86 :出土地不明:04/06/01 01:46 ID:R+rEO6uB

>そもそも、揚子江下流域に発生した稲作技術と渡洋能力を備えた人々が、
>大陸の戦乱を避けて、北九州〜半島南部一帯へ植民したのが倭人だろ。
>別に半島人が文化的優位性を背景に日本を侵略したってわけじゃない。
>でもって日本人は多かれ少なかれこの当時の倭人の血を引いてるわけだ。
>半島に残った連中はその後新羅に制圧されちまったけどな。
>だから現在の朝鮮人の一部と近畿やそれを代表する天皇家とが近縁なのは
>ある意味当然だろ。


いやあ、久々に江南デムパを見かけて、懐かしいので貼っておくw
みんなで腹の底から笑いましょう。


87 :出土地不明:04/06/01 05:45 ID:3MbV6JU2
隔離列島日本の住人の生成法

1・静的期間  大陸側沿岸国に民族戦乱のない期間
常時、少数の移民が日本列島に入植し続け、先人集落に埋没し続ける。
先人集落が発展し続ける期間。
数万年のスパンで日本人を形勢
土着豪族化 (オリジナルの日本象)

2・動的期間  大陸沿岸国に民族戦乱のおきた時期
第一期 秦の始皇帝の東征による、呉越民の滅亡
第二期 五胡十六国、異民族により中原から漢民族が四散
第三期 南朝の6度の王朝易姓 陳においては漢のエリアが極小化
第四期 大陸から非漢王朝化 隋による

それぞれ、列島内の先人集落に脅威となる規模にて入植。
場合によっては豪族化に成功。
第二期以外は、長江周辺の文明像を 日本に移植




 


88 :出土地不明:04/06/01 21:01 ID:oDVIWtTg
いつもソース無しの妄想だけ。

89 :87:04/06/01 21:21 ID:/FJPcLfp
ソース? ここは考古学だろ

地理的状況を論理的に絞っただけだが?
文献などある時代は少ないのが考古学な。

ポイントは、大陸沿岸部で民族戦乱が起きた時期だけ、
大規模難民が出る可能性がある。ってことだ。


90 :出土地不明:04/06/01 23:49 ID:EMfJiSOx
どうみても「地理的状況」を「論理的に」書いたものには見えんが。

「歴史上の事件および状況」を「恣意的に」関連づけた、というならわかるけれど。

91 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/02 00:07 ID:5t5Us25p
>>89
>文献などある時代は少ないのが考古学な。

??
遺構や遺物などの物質資料を使う方法が考古学だが…
文字記録の有る無しや多少とは、関係ない。

92 :87:04/06/02 01:01 ID:FAlqED6o
大陸沿岸部で民族戦乱が起きた時期だけ、
大規模難民が出る可能性がある。

これが先にあるんだよ。 次に正史の中で 
それに該当する事件をあげてみた。恣意的でもなんでもない。
北方でも南方でも何でもいい。 他にあるかい?


93 :出土地不明:04/06/02 01:25 ID:BF8igLMQ
考古学におけるソースは遺構や遺物。
少なくとも報告書くらいは出せ

94 :出土地不明:04/06/02 18:09 ID:zIv5tiTL
>>92
つまり、自分の考えにあいそうな事件(だけ)をピックアップした、ってことだろ。
そういうのを「恣意的」と言うんだよ。

95 :出土地不明:04/06/03 22:19 ID:bRLKZ6Yf
しっかし、江南渡来人妄想者は、稲作くらいしか まともなソースが
ないのに、よくもまあ、こんなにも妄想のアイデアがこんこんと
涌き出てくるよねw

なんか想像するだけでも可笑しくなってくるw

96 :出土地不明:04/06/03 22:20 ID:9BvHAqX/
民族移動とか伝播とかが好きな人が多いね。
なんで?
ワシは文化変化のモデルケースとしては弥生時代の始まりに興味はあるが、
渡来人がどっから来たのか、それが現在の中国人とか韓国・朝鮮人の直接の祖先かどうかなんてどうでもいい。
極端な話、イギリスにおける新石器時代の始まり、でもいいわけだし。
英語の論文読むのがマンドクサイから弥生に関心持ってるだけでさ。

97 :出土地不明:04/06/04 00:50 ID:V+sY1bkN
>>95
朝鮮半島経由がほんの一部だけでもありうると認めると自分のアイデン
ティティが完全に崩壊するような気がして、ついつい必死になるんだろ。
軟弱な話だよ。

98 :出土地不明:04/06/04 01:05 ID:fC2GgjYD
朝鮮を経由してても、渡来人の正体は朝鮮の原住民でなくて、
その支配者だった華北人なんだし。

99 :出土地不明:04/06/04 10:52 ID:an1N1YfD
朝鮮の原住民とやらが少しでも渡来していたと認めると自分のアイデン
ティティが完全に崩壊するような気がする人ですか?

100 :出土地不明:04/06/04 11:58 ID:6HQa0HGJ
>>98

華北人
朝鮮原住民(倭人?縄文?)
 
どっちにしても、北方系の現代朝鮮人とは無縁


101 :出土地不明:04/06/04 23:25 ID:j78EuT2N
無縁な訳が無い。
歴史の通り、現代朝鮮人は縄文人、満州人、華北人など、
しっかりそれらが混血したもの。

ただ分からないのは、華北人(弥生人)が来る前には、
既に満州人などの北方人種が朝鮮半島に侵入し、それまでの原住民と
混血していたかどうかである。

3世紀頃には朝鮮半島の原住民であった韓人は既に扁頭、
つまり超短頭〜短頭人種であり、中頭人種の華北人や倭人とは
形質を著しく異にしている。

また、最も北方系は実は倭人。古モンゴロイドだが。

102 :出土地不明:04/06/05 09:13 ID:L44pYdTF
倭人が、「太白(周王家の初代長兄)の後裔で、大夫(王の血を引く家臣)
である」というのを、呉国王の後裔とか、江南とか、長江に無理矢理こじ付け
る人がいるようだが、やはり彼らの先祖は華北の黄河流域のどこかから、
黄河を下って、渤海より朝鮮南部を経由して日本に入った渡来人だったのだろう。

103 :出土地不明:04/06/05 09:35 ID:EZ6zQ2C5
アホ、太白=呉国の祖  史記読め

104 :出土地不明:04/06/05 15:18 ID:9e62ZmuB
周の血を引くという点では、華北系である事に間違いないのだが。
倭人は呉の原住民ではなくて、華北から来た呉の支配階級の枝分かれ
だったのかもな。

いずれにせよ吉野ヶ里弥生人骨は華北型。

105 :出土地不明:04/06/06 10:57 ID:f68Fy/kg
>>104
それは、多いにありえるね。
と言うのは、600年頃大陸では漢人がほぼ全滅したと言われ、
現代の呉の民族と、紀元前の呉の民族は全く違うかもしれない。
もしくは、 春秋等民族内戦乱期で、大移動するのは、百姓ではなく
貴族のみ。 そして秦帝は中国史初めて、地方の諸王貴族を廃止した。
(それまでの春秋戦国は、周王家ゆらいの1000年貴族が土地を支配は変わらず)
秦帝の中央政権政策で、貴族は大陸から逃げるしかなかった。

106 :出土地不明:04/06/06 13:45 ID:8HuovGdI
黄河人である征服者華北人たちの容赦無き江南への大量流入。
それは長きに渡り独自性を保ってきた長江世界の終わりを告げる時でもあった。

長江人たちの血と汗と涙の結晶であるはずの稲作だけが、
容赦無き征服者たちを満たすために引き継がれていった・・・

107 :出土地不明:04/06/06 21:00 ID:QJ046qMn
>106

どこからそういう香ばしい妄想が沸いて来るんだ…?

>と言うのは、600年頃大陸では漢人がほぼ全滅したと言われ、
おい、隋の統一時に漢民族ホロコーストが行われたと言う記録が在るのか?
魏晋南北朝における北方騎馬民族との融合による混血により、漢人の混血が進んだ
のは事実だが、漢人全滅なんていう電波はどこから出てくるんだ?

>もしくは、 春秋等民族内戦乱期で、大移動するのは、百姓ではなく
貴族のみ。 そして秦帝は中国史初めて、地方の諸王貴族を廃止した。

詩経に出てくる民衆流浪の記録はスルーか?一説には、春秋戦国の時流浪した民衆が
日本に渡ってきたというがね、その説にかんしてはどう思うのかね?

>秦帝の中央政権政策で、貴族は大陸から逃げるしかなかった。
大変だ!韓の公子張良は日本に逃げてきていたんだね!

余りにも痛々しいのでさらしあげ

108 :出土地不明:04/06/06 21:36 ID:0r1YUUf2
>>107
あなた、番号を間違えてますよ。

109 :出土地不明:04/06/06 21:49 ID:f68Fy/kg
>>107
頭悪いのに、必死すぎ。プッ。

隋統一時の漢民族の推定 わずか500万人だろ。 調べてみろ
 春秋時代百姓の移動は、トピックとして特異な現象だな。
史記を読んでみよう。 一度の戦乱でも占領下の農民を虐殺した事や
排斥した事はない。(民衆が逃げたのはある)
大陸から、大陸外へ逃避するだけの歴史的な事件といえば、
秦の中央政権政策だ。
なぜなら、全国の1000年貴族を廃止したからだよ、各貴族の財産も奪われた。
これは、共産革命と同じ事。 大陸に貴族の生きるすべなどなくなった。
大陸外に退避する必然性は、有史以来この一回だけだというくらいである。
さらに、始皇帝宣言後、最後まで抵抗したのが東の辺境である。


110 :出土地不明:04/06/07 20:36 ID:E7gmzXwH
>隋統一時の漢民族の推定 わずか500万人だろ。 調べてみろ
あなたの推計の根拠が分からないのですが?
当時の史書・杜佑の『通典』巻七によれば隋の人口は4601万9956人です。
このうち南朝陳の戸数は50万で、安本美典の推定によれば当時の1戸あたりの
人口は約4人ですから約200万となります。
この当時の漢民族と言う概念は宮崎市定らが指摘するように非常にあやふやなのですが、
一応南朝のひとびとを正統な漢民族だとすると200万人となりますし、
北方のひとびとを含めれば漢民族の人口は4601万9956人+αとなります(朝鮮や日本へ移住した
漢民族も多数いる)。
この当時500万人という推定をどなたがなさったのか
わかりませんが、何を根拠としてそういう数字をはじき出したのでしょうか?
根拠不明な数字を挙げるのはやめて、証拠があるのなら出していただけませんか。
あ、言っておきますが岡田英弘の中国意外史のような証拠と数字のはじき出し方が
わからないような本を、博学なあなたがまさか根拠としてあげるとは思えませんが、
ああいうのはやめてください。そこまで強く言い切ったのですから、
当時の戸籍などからきちんとした数字を出してね。

111 :出土地不明:04/06/07 20:56 ID:E7gmzXwH
>109

>史記を読んでみよう。 一度の戦乱でも占領下の農民を虐殺した事や
排斥した事はない。(民衆が逃げたのはある)

始皇帝が邯鄲で占領下の民衆虐殺を行ったことが他ならぬ史記に出てくるのですが。
>なぜなら、全国の1000年貴族を廃止したからだよ、各貴族の財産も奪われた。

そんなこと史記のどこにも書いていないのですが。天下の豪族12万を移住させたと言う
ことは書いて有りますが、貴族廃止ということはどこにもありません。秦は功績のあった兵士に兵爵を
与えあちこちに封建領主を作ったり、民衆に位を与える民爵を行っていたようですがそれらを全部
始皇帝が剥奪したという記録がどこかにあるのでしょうか。また新出土資料にそのようなことが
あるのでしょうか。わたしが以前睡虎地の秦簡を読んだ限りでは、そのようなことはなかったのですが。
わたしは浅学でそのような史料を存じませんのでご教示賜りますよう宜しくお願いします。
また、千年貴族と言うのは日本や中国の史学ではわたくしが見聞する限りに於いて聞いた事が無い単語ですが、
朝鮮半島ではそのような言い方をなさるのでしょうか。

>大陸外に退避する必然性は、有史以来この一回だけだというくらいである。
じゃあ、隋書の「百姓の自ら抜して南に奔る」とか、そういうのは捏造か何かだったのでしょうか。
日本にやってきた有漢氏とかはどうだったのでしょうか。
いやあ、史書ってどこまで本当なんでしょうね!!

112 :出土地不明:04/06/07 21:13 ID:TnU7bRW2
>>111
> わたしが以前睡虎地の秦簡を読んだ限りでは、そのようなことはなかったのですが。
> わたしは浅学でそのような史料を存じませんのでご教示賜りますよう宜しく
> お願いします。

きっと里耶秦簡を読める立場の人なんだよ、うん。

つうか、夏殷スレもここも滅茶苦茶。何もレスがないよりは良いのか…


113 :出土地不明:04/06/08 11:16 ID:WJ6QpsLe
>>111
日本語を解せないのかい?
春秋時代に百姓の虐殺などの記述はなく、
秦帝の時のトピックのみに、1000年貴族が廃止になったとかいたろ。
1000年貴族というのは言葉どおり、解せないならば、君は
中国史を理解してないという事だよ。
BC1200年以前を含めて、中国史では土地は常に、
王朝始祖ゆらいの豪族などの封建制。全土が1000年続く土地の貴族の
所有土の制度だった。 

>>都に豪族を12万移住させた
この意味が理解できないなら、歴史のセンスそのものがないってことだよ。
土地を奪われた貴族は滅亡と同じ事。
この秦帝の代において、はじめて大陸外に逃避するしかない豪族が発生した。
1000年変わらずの領土が喪失させられた
歴史的稀有の事由を書いている。

電波もの等ではなく、中国正史をしっかり勉強したほうがいい。

114 :出土地不明:04/06/08 11:22 ID:WJ6QpsLe
ちなみに、続く漢は、秦の中央直轄郡制度にプラスして、
元の皇族による封建領土制をミックスさせ、
領土貴族主義が復活する。

漢の劉邦が中国史初の百姓出身の帝というのは、秦帝の貴族破壊により
地方の豪族が消滅したゆえとされている。

115 :出土地不明:04/06/08 12:16 ID:K1OCZyiR
http://ime.nu/lint.s1.x-beat.com/up/img/up5176.jpg
この土器なんかちょっとそそるね

116 :111:04/06/08 23:05 ID:qdVWP0Va
>113

まず、わたくしが質問した事項に誠実に回答していただけませんか。
また、史料の提示を全くなされないのはどういうことでしょうか。

>春秋時代に百姓の虐殺などの記述はなく、
史記をあなたは当然お読みになっているはずですが、殷の帝辛の事跡
についていかが思われるのでしょうか。自らの主張に都合の良い
春秋時代にのみ言及されるのかわかりかねます。

>秦帝の時のトピックのみに、1000年貴族が廃止になったとかいたろ。
1000年貴族というのは言葉どおり、解せないならば、君は
中国史を理解してないという事だよ。

わたしは中国史を理解できておりませんので、もう一度ご説明をお願いします。
1000年貴族とはどの学者がいつ頃言い出した説なのでしょうか。また、根拠となる文献の提示を
再度お願いします。中国史を理解されているあなたさまなら、もちろん御提示願えると確信しております。

>BC1200年以前を含めて、中国史では土地は常に、
王朝始祖ゆらいの豪族などの封建制。全土が1000年続く土地の貴族の
所有土の制度だった。 

いやあ、わたくしが以前中国史をかじった時には郭氏が提唱された殷(商)代奴隷制というものが
定説になっていたのですが、随分定説も変わったものですねえ。三皇五帝の頃からずっと
封建制だったとは眼からうろこが落ちる思いですが、根拠はなんでしょうか。

>この意味が理解できないなら、歴史のセンスそのものがないってことだよ。
わたしは歴史のセンスがこれっぱかしもございませんので…センスをお持ちのあなたがうらやましいです。



117 :出土地不明:04/06/09 06:56 ID:JpvsZzQa
呆れる程にセンスないね(笑)
1・春秋時代に百姓・・・ 
質問にセンスがない。俺の主張は春秋の話でそれが正しいならOKだろ?
何聞いてるのかさっぱり?

2・1000年貴族・・・
1000年貴族は、俺がこの2chの記載の中で創作した表現だが?
それが何か不満なのかな? 表現センスあるだろ(笑)
なぜ秦帝の施策で滅せられた貴族を1000年貴族と評したか
続く3で説明しよう

3・いいかい王朝の全領域に対しての地方の土地の状況を見て
貴族の存在を比較するんだよ。

秦: 全領域が非封建制の直轄地となり(領土を与えられる諸豪が不在となり)
   12万の貴族が都に移される、それぞれの土地を所有していた金持が
   土地を奪われる。 つまり全領域での在地の貴族死滅

周: 全領域が封建制 周朝由来の諸王が領土を与えられ、
   それぞれの領土内にはその土地由来の貴族が古来からの家業を継続
   周朝由来の貴族でも約900年、在地の貴族社会はさらに古来から

殷: 君のセンスのなさは、ここで奴隷制を持ち出した事からも明白。
   それは殷の中央の話。
   この時代は、地方に殷朝由来の諸王を封じる事すらできなかった
   全国800諸豪と4大諸豪があったとされ、もちろん、土地の支配権は
   それぞれのもの。   封建制以前といっても良く、800諸豪というくらい
   それぞれの土地に貴族いた。 (貴族存在度100)

結論: 秦帝が中国史ではじめて王朝全域で、その土地の諸豪を壊滅させた。
    この事件は、それぞれ1000年貴族というべき周においての900年、
    さらにはそれ以前の殷代から続く、土地に根ざし続ける貴族達が
    有史以来はじめて中国王朝から逃亡しなければならなくなる事件である。

いいかい、三皇五帝なんて時代は封建制どころか地方には王由来の統治者が
不在なんだよ。 テーマ判ってる? 爆笑すぎて話しにならんな




118 :出土地不明:04/06/09 07:41 ID:1eAk4Wlx
117が本物の厨房であることだけは確かだな。

>つまり全領域での在地の貴族死滅
ヨコミツの史記のまんがも読んだ事がねえのか?死滅した貴族がなんで秦滅亡後
ボコボコボコボコ出てくるんだ?つうか藻前ゲームしかやったことねーだろ?
中国全土ってどんだけひろいのかわかんねーか?ヒッキーだから知らないのか?

>全国800諸豪と4大諸豪
はいはい封神演義しか読んだ事の無い厨房は三戦板へお帰り。

>爆笑すぎて話しにならんな
>(貴族存在度100)
>俺がこの2chの記載の中で創作した表現だが?

藻前、マジで馬鹿だな。隣の国へ帰れよ。

119 :出土地不明:04/06/09 08:04 ID:XWBqWUrK
>俺がこの2chの記載の中で創作した表現だが?
コンセンサスのない言葉を使うというセンスのなさ。呆れる程にセンスないね(笑)

殷: 征服した異民族の宗教拠点等に王子を派遣して支配。
周: 軍事的拠点に一族を移封して支配。諸侯同士で領土の割譲がおこなわれることもあった。
秦: 統一後も封君が存在していた。

はたして、戦国の世に旧来の地を保ちえた者などいたのだろうか?

120 :出土地不明:04/06/09 08:11 ID:JpvsZzQa
>>118
秦滅亡後、皇帝になったのは、百姓出身の劉邦なんだよ。
彼が、封建制貴族社会を復活させた。良かったな〔笑
たしかに殷の記述は16世紀の封神演儀の表現をそのまま持ち出したのだから
突っ込まれても仕方ないな(笑)  で? だからなんだといいたいんだい?
地方に貴族が存在できた時代って意味は判るね?
申し訳ないがゲームをやるほど若くないんだよ

スレ関連に戻すが、始皇帝の時の中央政権制度によって全国の貴族は
貴族としての力を絶滅させられたんだよ、これは有史以来はじめての大事件であり
諸豪や貴族が、王朝以外に逃避せざるをえなくなり朝鮮半島や日本に大量に
移動するだけの可能性が生まれたのは、この時がはじめてなんだよ。

121 :出土地不明:04/06/09 08:19 ID:JpvsZzQa
>>119
殷;
周に比較した場合として、殷が封建制と分類されていないが、確かに
殷もまた地方に殷王朝の皇族を置く事はあった。 でそれがどうした?
周:
春秋時代も農民虐殺や貴族廃止等の記載はなし。 諸侯は元は周王室ゆかりで
遠戚のようなもの。 で?諸侯の争いで各地の貴族が存続できなくなったってのは?
君の脳内妄想以外にソースはあるのか?


122 :出土地不明:04/06/09 09:13 ID:XWBqWUrK
>>121
>土地に根ざし続ける貴族達が
自分で書いといてつっこまれると知らん振りですか?www
周王の意向で三方国替えのようなことが行なわれたり、晋は同姓の国を滅ぼしまくったり、
貴族と土地は切り離せないという主張そのものが嘘だということがわかる。


さて、?の文公は土地を遷ることを考えた。
占った結果、民にとっては利だが君主にとっては害であると出た。
しかし、?の文公は「民の利益こそが私の利益である」として移住を決行した。
?の文公はその後まもなく亡くなった。
ただ、面白い話を紹介しただけ。

123 :出土地不明:04/06/09 22:46 ID:1eAk4Wlx
うーん

124 :出土地不明:04/06/09 23:05 ID:1eAk4Wlx
あ、途中で送信しちまったよ。すまないね、本当に…

>秦滅亡後、皇帝になったのは、百姓出身の劉邦なんだよ。
彼が、封建制貴族社会を復活させた。良かったな〔笑

あのね、漢の高祖を「劉邦」というのはかなり問題が有るんだけど、そういう基礎的な話からしなければいけないのかい?
あとさ、漢の高祖が行った漢初の郡国制のどこが「封建制貴族社会の復活」なのかな?
諸侯王の権限が大幅に狭められている(極端に言えば名目だけの統治で、領国統治の
実権は官僚に委任されている)とか、旧秦の地域では封建が行われていないとか、
復活と言うことができるとは思えない、秦の制度を色濃く遺した制度なんだけど。

>たしかに殷の記述は16世紀の封神演儀の表現をそのまま持ち出したのだから
突っ込まれても仕方ないな(笑)  で? だからなんだといいたいんだい?

「フィクションを史実と混同するのはおかしい」と言いたい。
ここまで単刀直入に言えば、わかるだろうな?

>諸侯は元は周王室ゆかりで
遠戚のようなもの。
へえ、長江文明の楚国って周王朝の遠戚だったんだね?!初耳。

>諸侯の争いで各地の貴族が存続できなくなったってのは?
君の脳内妄想以外にソースはあるのか?

春秋左氏伝の至るところに、滅亡した貴族についての記載が有るんだが。

125 :出土地不明:04/06/10 17:29 ID:87CWNAX9
あー。双方そろそろ落ちついてくれんかね。


126 :出土地不明:04/06/17 23:39 ID:Bt0mSDjo
長江文明は
梅干・納豆などに違和感のない、醗酵食が豊か。
倭人の食文化に影響しなかったとは思えない。

127 :出土地不明:04/08/10 02:31 ID:+EER9rNw
今日から東京都美術館で三星堆をやるね

128 :出土地不明:04/08/10 02:52 ID:bL1mpKNv
鳥越先生の調査報告はおもしろいけど、
なんでもかんでもテキトーに「倭族倭族」と
呼ぶのはやめて欲しい。民族なのか文化圏なのか
使い方が曖昧。

129 :出土地不明:04/08/10 08:12 ID:iAEfVqiS
 裸族萌え

130 :貝塚マニアと楚蛮文明:04/08/17 02:33 ID:0uRvSMu7
>>127
先日の日曜見に行きました。
十二楽坊使って、いやらしいなと思いつつ、それに釣られるヤツが
学術的かつ学問的なこの展覧会で一体何が判るんだろう?

十二楽坊が最後に締めとして「中国は多様」と括ったが、
「もう中華じゃないじゃん」というつっこみはさておき、
これは結論を急いで他に求める最近の中国の短絡的な商業主義が前面に出たって感じ。

隣の松坂屋デパートで同じ中国の展覧会も併せて見に行ったんだけど、
殷周の括りとしてその巨大な青銅仮面を展示して如何なものかな?

殷も周も中原の都市国家じゃん。
しかも巴蜀(楚蛮の地、今の四川)すら支配していた証拠など無いのにも拘わらず。

かの展覧会(都美)は黄河も長江も同じ源流だとよ。

出た!
中華の強引な正統主義!
川の本来の名前からして違うじゃん。
北は「河」南は「江」と呼んでいたはずだろうに!

131 :出土地不明:04/10/02 18:34:09 ID:8mj8Zjdf
昔は揚子江と読んでいたのになぜ最近は長江なんだろ?

132 :出土地不明:04/10/03 15:03:10 ID:afWl/OjR
読みやすいし呼びやすいからだと思う。

133 :出土地不明:04/10/04 02:55:14 ID:P+hJckw1
中国ではもともと「長江」の方が一般的だったんだよ。
最近は日本でもそれに従っただけ。

「揚子江」という名は、最下流部の揚州あたりの流域だけを
指すローカルネーム。毛唐が長江全体を揚子江というのだと
勘違いして、それが広まった。欧米追従の日本でもそうなった。

134 :出土地不明:04/10/06 09:57:18 ID:WS/L2sqQ
長江文明って漢族か。


135 :出土地不明:04/10/11 22:50:51 ID:nDUHkqM0
いや、塗仏の宴

136 :出土地不明:05/03/19 09:13:47 ID:mOKE/+GG
『中国の歴史01神話から歴史へ』(講談社)
誰か読んだ〜?

137 :出土地不明:05/03/19 14:13:15 ID:IDJWul2k
>>134
難しいね。よくわからない。漢民族が北方的なのは南方的なのかは、
なんともいえないと思う。長江流域の稲作民はなんとなくだけど、
漢民族でないのが、漢民族になったようなケースが多いし、だから、
ちがうんじゃないか。

138 :出土地不明:05/03/20 06:29:08 ID:Fsp8KIWv
江 南 は B 5 2 - D R 1 5 が カ ラ ッ ポ !

例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。

http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm

中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人


139 :出土地不明:2005/04/07(木) 02:51:31 ID:GicueZXU
>>138
だから、そこからの解釈としてもっとも蓋然性が高いのは、
日本で10%で、モンゴルで5%しかいないんだから、日本から、
モンゴルにどどっと人がでていって、モンゴルの半数が日本系の
人になった、ということだろうが。どうして、モンゴル人が日本に
来るっていう結論になるんだよ?

140 :出土地不明:2005/04/07(木) 09:22:15 ID:u1/z3an1
モンゴルコピペうざいな。専用スレ立ててやって欲しいぜ。

141 :出土地不明:2005/04/07(木) 13:04:06 ID:YE5yPQaS
むしろチラシの裏で・・・

142 :出土地不明:2005/05/15(日) 12:32:44 ID:kOo0ryXR
 ┏━┓┃┏━┓  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ┃      │  我が名は饕餮!彝器に我が尊顔を見出した
  ●   ┃   ●  <  る者、おそれおののきひれ伏すがよい!
       ┃       \___________________




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