5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

考古学的見地から邪馬台国を探る

1 :出土地不明:04/03/01 12:49 ID:bz09EtEc
邪馬台とはすなわちヤマトの事?
纒向は邪馬台国の都、箸墓は卑弥呼の墓なのか?
3世紀日本列島の状況とは如何なるものか。西日本に統一政権はあったか?
倭国大乱の実体、そして狗奴国はどこだ?

最新の発掘状況と資料解釈を元に、古代王権の正体をを推理する!


2 :出土地不明:04/03/01 12:49 ID:bz09EtEc
関連スレ

日本書紀はどこからが史実なんでしょう?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/988620461/l50

■◆最初の天皇はどうやって天皇になったか◆■
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1003669384/l50

倭王権の起源を語ろう
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1021204387/l50

弥生時代の遺物と漢字
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1027923448/l50

「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか12)
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1064621137/l50

【江上】騎馬民族説は今。。。【波夫】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1068492251/l50

※九州王朝はあったか?※ 8
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1074276043/l50


3 :出土地不明:04/03/01 12:50 ID:bz09EtEc
前スレ(PART 2)

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1076418632/l50


4 :出土地不明:04/03/01 12:50 ID:bz09EtEc
邪馬台国畿内説
@基本的には畿内発祥の勢力との解釈(必ずしも畿内生まれでなくとも可)
A部族または首長連合が正体(UAE みたいなものか?)
B連合の理由としては経済ネットワーク、宗教統一、安全や平和への求心力、技術革新、大陸との交易権(鉄その他)、VS九州などが仮説。
C巨大化の過程として、軍事力、技術力、交易権などをちらつかせ、謀略と圧力で出来るだけ戦争を回避して勢力拡大したと考えられる。
D3世紀前半頃には、老舗の北九州勢力を圧倒し傘下においたか、少なくとも圧力を掛けていたと思われる。

5 :出土地不明:04/03/01 12:51 ID:bz09EtEc
E狗奴国については議論中。東海、近江、関東などの説あり。
F銅鐸消滅については、小部族祭祀から権力者祭祀へと変遷する過程で失われたものとの説あり。
G倭人伝、記紀については発掘事実を絡めて説明することが必須。
H自説に矛盾が生じたり更なる改善説が出た場合は潔く撤回し、再構築する。デムパにならない宣言!

6 :出土地不明:04/03/01 12:52 ID:bz09EtEc
@に追加訂正します。
倭国連合とは畿内、瀬戸内、東海、吉備、上越、山陰、関東までを含めた共同体であり、従来考えられていたよりも巨大な存在であったことが考古学的資料から導き出されている。
かつての畿内説や九州説、東遷説とは一線を画す。

ネオ畿内説と言っても良いのだが、なんとなくオカルトっぽくなるので、何か善い呼び方ありませんか?

7 :出土地不明:04/03/01 13:17 ID:wn5Ec7xj
この期に及んで、まだ畿内説なんて存在してるのか。
もう、アホかと。

8 :出土地不明:04/03/01 14:14 ID:JLVh3vK5
なんで古臭い畿内説から先に説明されてるんだ?

それはともかく、邪馬台国畿内説論者は
畿内の考古学的発見をなんでもかんでも
「魏志倭人伝の邪馬台国」につなげようとするのが気に食わない。
(年代をとにかく古くもっていこう古くもっていこうとする)

日本神話の記述が九州・出雲偏重となっていることに対しても
いつまでも「神話など虚構だ」などと徹底無視してはおれないだろうし。

9 :出土地不明:04/03/01 17:42 ID:05HrcJcg
日本書紀・古事記・古語拾遺・風土記を読んでも、
九州出雲偏重とは思わないけどな。 本当に読んだの?
まさか古事記の地名で九州が近畿より多いというのを
聞きかじっただけじゃ…
日向神話も景行紀と矛盾してるし、出雲神話も記紀のと
風土記では矛盾してるし。
神話が虚構というのが間違ってる、それには賛成だけどね。

10 :出土地不明:04/03/01 19:24 ID:bz09EtEc
>>9
記紀の話は基本的にスレ違いということで

>倭国連合とは畿内、瀬戸内、東海、吉備、上越、山陰、関東までを含めた共同体であり、
>従来考えられていたよりも巨大な存在であったことが考古学的資料から導き出されている

この論拠は大和の3世紀の遺跡からこれら全ての地域の土器が出土しており、
それらがこの地で暮らした外来の人々が運び込んだ物品である可能性が高い
という考古学的成果を元にしているんです。
つまり、江戸の武家屋敷よろしく参勤交代で集まって来た諸国の豪族達が
軒を列ねていた可能性が高い。とすれば、極めて広大な範囲に影響力を持つ
統一政権が3世紀の段階で樹立していたのではないか、と。まぁこういう案配ですな。
電波だと思うなら何か根拠出して反論しては?
単に「3世紀にそんな巨大な国家があるわけない」って意見はとっくに論破されてるので
それなりの根拠がいりますぞ。

11 :出土地不明:04/03/01 20:29 ID:9XG9pttD
>>7
>>8
説得力ゼロのむなしい反論だねえ。って、反論にもなってないか、ただの泣き言だな。
で、君の妄想邪馬台はどこにあるのかな?沖縄の海底遺跡かな?
所在地論争がしたいなら、「マキムクよりここの方が邪馬台にふさわしい」という場所を
具体的にあげてもらわないと話にならない。


12 :出土地不明:04/03/01 22:16 ID:vaKzEB7s
>沖縄の海底遺跡かな?
九州説にもいろいろあるから一まとめにしないでいただきたい。

>倭国連合とは畿内、瀬戸内、東海、吉備、上越、山陰、関東までを含めた共同体であり、
>従来考えられていたよりも巨大な存在であったことが考古学的資料から導き出されている

畿内にそのような強力な王権が存在したとしても、それが魏志倭人伝に書かれた
「邪馬台国もしくは女王国を中心とした王権」であるという証拠はない。

「邪馬台国」の出典が魏志倭人伝であることは言うまでもないがイコール
「日本列島でもっとも強力な王権」だという断定している記述はどこにもない。

考古学的発見に限って述べられるに値する結論は
>倭国連合とは畿内、瀬戸内、東海、吉備、上越、山陰、関東までを含めた共同体であり、
>従来考えられていたよりも巨大な存在であった。
>ただし邪馬台国を中心にしたものかは不明である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これ以上踏み込むことは考古学だけでは無理。

13 :出土地不明:04/03/02 23:40 ID:U397CgJK
漏れは清水義範の「偽史日本伝」の説を採る。

要するにどこかが邪馬台国を名乗り、
それを日本中至る所の小国家がパクった、
だから日本中至る所に邪馬台国は存在していた、という説。

14 :出土地不明:04/03/03 07:59 ID:i/2VLxwd
このスレはね。元々日本史版の邪馬台国スレってのがありまして。
考古学的成果を元に成立過程や位置を検証しようって趣旨で始められたのだが、
途中で考古学成果を無視して、独りよがりな電波を飛ばす日食厨(bz09EtEc)が暴れまして。そいつが
「考古学を持ち込むな!お前らは俺の考えにはむかうな!俺に逆らう奴はどこかに行け!」とばかりに立てやがったんです。

古代史板の皆様、ご迷惑をおかけしました。
1=bz09EtEcは心から反省しろ。

15 :出土地不明:04/03/04 23:14 ID:mLJmjfQv
でも,邪馬台国の時代=3世紀の社会について
考古学的見地から語られる情報は,邪馬台国論争にとって
非常に有意なものとなるんでないの?

纒向の話しとかは日本史板の方で散々ガイシュツなんだけど,
北部九州の凋落ぶりとか大陸系文物の流入状況なんかは
あんまり語ってもらえてないいんだよね…

ということで,以下は「3世紀の社会を考古資料で語る!」に変更でどう?

16 :出土地不明:04/03/05 01:11 ID:9l9luaTD
あってもいいんだけど・・・・・
考古プロパーの人って、図の書き方とかしか興味ないみたいなんで、
電波化するだけだと思うんだよね・・・・

なんとなく、研究レベルというより、現場レベルの話が多いみたい。
いや、もちろん大事なことなんだけどさ、僕らのように現場を踏まないものにはどうでもいいことばかり。

C14の話でもほとんど閑古鳥だし。

17 :出土地不明:04/03/06 02:22 ID:ojHkCQMv
出土物で信憑性の高い邪馬台国関連物は、金印だけだね。

18 :出土地不明:04/03/06 13:52 ID:m1XhUMC9
>>17
ただしそれは「漢委奴国王」であって時代が幾分さかのぼる。
それこそ「親魏倭王」の金印が出てくれば一発なんだろうけどね。

あと銅鏡などの銅製品もあまりアテにはならないし、
当時のクニの跡だと言われる「環濠集落」の跡だって、
随所で出ているしな…

正直、弥生時代遺跡を総合的に発掘した一番最初の事例が登呂だったのが、
運の悪い話だったのかもしれないな。
弥生晩期の登呂のイメージが、弥生時代のイメージと定着してしまった感がある。
だから「内戦状態」という記録があっても、どうしても現実味がわかないな。

19 :出土地不明:04/03/06 14:25 ID:ZKZeEDeX
>>18
>それこそ「親魏倭王」の金印が出てくれば一発なんだろうけどね。

悪いけど、甘いよ。
どうせ、あとで簒奪されたものだとか何とかいい出すに決まっている。

>あと銅鏡などの銅製品もあまりアテにはならないし、

やっぱり電波化するオカン・・・・
ま、詳しい話を聞かないとわからんが・・・

>当時のクニの跡だと言われる「環濠集落」

やっぱり電波化するオカン・・・

20 :出土地不明:04/03/06 15:44 ID:ojHkCQMv
>>19
>どうせ、あとで簒奪されたものだとか何とかいい出すに決まっている。
ありそうな反論だが
遺跡でもなんでもないところから出土しない限り、
金印の出土状況にいろいろな情報が含まれているから
どんな状態かによるだろうと思う。

21 :出土地不明:04/03/06 18:11 ID:MJFNpM4w
ところが「漢委奴国王」の金印は発掘場所や経緯があからさまに
怪しいにもかかわらず、未だにあそこの周辺(福岡市近辺)が
奴国の所在地と推定されている始末。
墳墓でも古墳でもなく、ただの石の下から発見されたんでしょ?
持ち運び可能なんだから少なくともあそこが魏志時代の奴国で
あった証拠にはならんと思うが・・・?

22 :出土地不明:04/03/06 18:34 ID:ojHkCQMv
江戸時代の発見であり、骨董品的観点だけだから学術的な話ではない
そもそも、もっと裏話があったのかもわからない>ただの石の下から発見された


23 :出土地不明:04/03/06 20:38 ID:dfoeUxxZ
>>21
金印だけが決め手になってるわけじゃないからな。
福岡平野一帯の中期〜後期にかけての集落遺跡の密集度、須玖岡本みたいな厚葬墓の存在etc...
なども加味して考えて、奴に相当すると判断されてるわけだ。
文献史の上でも末廬国や奴国の位置については一致している。
なんでもデムパ扱いするのはどうかと思う。

24 :出土地不明:04/03/06 20:44 ID:dfoeUxxZ
>>22
その辺りの経緯については、
福岡藩の事情聴取が残っている。
志賀島の百姓甚兵衛(だったかな?)、溝を切りなおしてるところ、
大きな石が出てきた。邪魔だったので、梃子で石を取り除いたところ
金印が出てきた。庄屋に相談したところ、藩の奉行所に届け出たほうが良いと言われ、
届け出ました云々・・・

で、結局藩に献上することになった、らすい。

25 :出土地不明:04/03/07 08:24 ID:h3AMEoXe
縄文と弥生の関係を成長曲線的に1系統で理解せずに
異文化の攻防と捕らえると、邪馬台国は弥生文化と固定する
必要はなくなる
マイナーかもしれないが(真実はマイナーに明かされてる場合もある)
青森の三内丸山遺跡を見てると、原日本人の首都は東北にあったのではないか
とマジに思う。機内、九州説が当たり前かしてるが
東北説もはずせない。朝鮮半島からの渡来人が乱入する前の
日本統一体制が実は東北中心にあったんではないか
渡来系の天皇系が力を持つにつれ史実は権力により書き換えられてきた
鯨さんの小説じゃないが、いわれひこのくに=いわれ県、
邪馬台国=やまたい=やわたい=八幡平・・・魏志倭人伝の倭国の
記述は方角が間違っていただけで、距離と日数は正しいとすれば
「女王国の東、海を渡ること千余里、また国あり、皆倭の種なり
又、朱儒国有りて、その南にあり、人の丈、三四尺」は東北に
隣接した北海道のアイヌとコロポックルの話ということになる
原日本人の文化の中心地は東北にあり、邪馬台国は縄文文化から発展し
首都は東北にあった。日本書紀等の記述と合わないのは
天皇系は関西以西を制圧した外来系の征服民族系で
歴史を捏造した後の文献しかないためだ・・・
とだんだん本気で思うようになってきた



26 :出土地不明:04/03/07 08:42 ID:V0O/rBW2
考古学では、畿内説が有力ではなかった?
そもそも、考古学界で九州説をとっている人ってどれくらいいるの?
MORIKOさんくらい?

27 :出土地不明:04/03/07 10:40 ID:DPPRcaQB
>>25
その話を突き詰めていくと、
東北政権と天皇系の対立は平泉滅亡まで続いたことになる。
無論、対立と融和を繰りかえしながらね。

28 :出土地不明:04/03/07 10:52 ID:eMjF0TTp
>>26
モリコーって九州説?シンパであることは確かだけど、一応不明説だと思う。
他には、高島忠平ほか、吉野ヶ里関係者の何人か。
それから、本当に考古学者に含めていいかどうかわからないけど、奥野正男。

29 :出土地不明:04/03/08 13:40 ID:W8DrVn/U
九州説の人って、畿内説批判と旧帝大=官学=学会権威主義
批判がごっちゃになっている気がする。空虚な権威を批判す
るのは理解できるが、考古学的な事実を積み重ねて支持を得
ている畿内説を「権威ある学者が言っているから主流のよう
に聞こえるのだ」と否定するのはどんなもんか。

あと、最近気になるのは、九州説の文献研究者が考古学に対
するネガティブキャンペーンを張っている点。たしかに捏造
問題の原因が考古学界の体質にあるのは認めるが、だからと
言って記紀の記述をろくに史料批判もせずに読んでいる人間
に「考古学者は自分に都合のいい部分だけ記紀の記述を引用
するので信用できない」と言われてもなあ。

30 :出土地不明:04/03/08 14:21 ID:U/f1DY49
出土物に邪馬台国なんて、どこにも書いてないの。
邪馬台国は考古学じゃないの。文献学。

31 :出土地不明:04/03/08 20:27 ID:VLQIP0ZC
初心者の質問なんですが
鯨氏の小説では
裸族、黒歯族はインディアンとなってます。
これはどうなんですか?
少なくとも今の日本圏内ではないのですか?

32 :出土地不明:04/03/08 20:52 ID:pQqfeGIR
小説の話を考古学スレに持ち込むのはどういう了見?

33 :出土地不明:04/03/08 23:30 ID:VLQIP0ZC
>>32
失礼しました。
おっしゃるとおりです。
出直します。

34 :出土地不明:04/03/09 23:45 ID:z6q1O8Mb
何故神武東征なのか、ヤタガラスは何を意味するか
東に居るのが蛮族ならあえて東征などとはいわない
東に一大勢力があっったればこその「東征」だ
鬼道とは、イザナギがイザナミを探しに行った
死者の国黄泉は、やはり恐山を指すのではないのか
日本の源流文化の源泉はやはり東、東北にあるのが
日本旧史における事実なのではないか





35 ::04/03/09 23:54 ID:xenZfVQ+
マルチポスト

36 :出土地不明:04/03/10 10:45 ID:cabHAUPP
九州説唱えてるヤツなんて、もう精神病院か徳用老人ホームにしかいないと思ってたよ

37 :出土地不明:04/03/10 12:47 ID:eO+WN1zm
なるほど。畿内説は妄想の世界で遊んでたわけだ・・・

38 :出土地不明:04/03/10 13:36 ID:9WSGasaz
アフォなけなしあいで考古学板に迷惑かけるなよ
日本史板に逝け

39 :出土地不明:04/03/10 23:36 ID:pFU2kb5A
こらー35
マルチポストで何が悪い
ゆーてみい
糞名ことゆーてると
キャン言わすど
まじで

40 :出土地不明:04/03/11 00:37 ID:s2dYy9bn
播州人の恥

41 :出土地不明:04/03/11 20:02 ID:EK/tvZqa
邪馬台国のネタになると基地外だらけになるな。
ローカルルールで邪馬台国ネタは禁止にしてほしいものだ。

42 : 出土地不明:04/06/20 08:08 ID:0LIEYF79
そういう断言はおしまいだよ。このスレを立てた精神は立派なものであって電波の
混入は技術的にある程度はやむをえないところがあるんだ。但し投稿者も九州説
という古い電波からだけは脱皮してほしい。これくらい反生産的なことはない。で、
邪馬台国時代の倭国は鹿児島から新潟にいたる当時の稲作可能地帯全域だ。
これは当時の世界としてはローマ帝国とは行かぬものの相当の大国には間違い
ない。魏などより政治、経済的には安定していたと思う。その北部境界は磐越自動車
道路の南側に沿ったものであったと考えている。オオビコとその子ヌナカワワケが
会津で合流し、キタガタでそばでも食べている姿を想像したい(w

43 : 出土地不明:04/06/20 08:22 ID:0LIEYF79
卑弥呼に擬せられる崇神のおば、ヤマトトトビモモソヒメだけど去年のことだが
桃やナシを入れた甕(かめ)5個を十字形に埋めて、まじないを行ったとみられる
類例のない遺構 http://easyclub.web.infoseek.co.jp/knews13.htm
これってモモソという意味じゃないかと思うんだが、トトビというのは「鳥人」つまり
ビッグバード(スクナヒコ)かね。

44 : 出土地不明:04/06/20 08:35 ID:0LIEYF79
難升米という意味不明の言葉も呪術に使用する梨を生産する「梨部」かな。
都市牛利は「十市」、イシゴリトメに出てくる「ゴリ」。

45 :出土地不明:04/06/21 00:40 ID:QnT6wsWx
>>25

東北に首都があったかどうかは知らないけど
三内丸山って1つの遺跡として見たら相当でかいけど
何世代にも渡って定住(?)していたからあれだけでかいだけで
1世代というか、1つの時代だけで見たらそんなにでかくないって
昔ゼミの先生が言ってたけど・・・
あくまで私がまだ学生の時(2、3年前)の話で
現在の三内丸山に対する理解ってどうなってるのか知らないんだけどね〜
とりあえず、東北首都説、面白いね〜
亀ヶ岡の土器(大洞式だっけ?)とか見るとあながち間違ってもいなさそうだよ

スレの趣旨と違うカキコですんませんm(_ _)m

前のカキコ見てて、邪馬台国が1番でかかったとは限らないってのに大いに納得
邪馬台国かどうかは置いといて、畿内に巨大な組織があってそれが大和政権になったってのは
それで間違いないんじゃないでしょうか?

とりあえず、吉野ヶ里って観光上の邪馬台国なんでしょ?(^^)



46 : 出土地不明:04/06/21 17:15 ID:TH1TVdX6
率善中郎將(銀印青綬)難升米=梨埋(鬼道専門家)、率善校尉都市牛利
(銀印青綬)=十市凝(鏡作技師長、銅の精錬については禁止令が出てい
たが鋳物加工は許可されていた)、率善中郎將(印綬)伊聲耆=伊太祁曽、
率善中郎將(印綬)掖邪狗=伊夜比古、載斯烏越=帥升大兄->素盞嗚尊
(これは国内にあっては面土国(伊都国の西、松浦国)出身、後に出雲に
移り、倭国弁辰総督府、薩摩、肥前、出雲、越の海岸線警護も担当しており、
馬韓と薩摩方面の密貿易の監視、当時琵琶湖東岸、関が原近辺の狗奴国
反乱鎮圧も管掌していた。当時新たに帯方郡太守に着任した王キに対し、
倭国と馬韓の間に馬韓の反乱を助けるような動きのないことを確認した。)

金印は仏像に使っただろうが、銀印は何につぶしただろう。神社の鏡などに
いいみたいだが、一寸勿体無いよなー。綬、1尺10丈、を貰って者はタラシが
つくアマテラス、諸天皇になっていることもあろう。

47 :霹靂:04/06/21 18:28 ID:WiEn1DSc
鏡が一ヶ所に大量に発見されたのはなんでだっけな? そんなにもらってきたんだっけ?

48 :霹靂:04/06/21 19:17 ID:WiEn1DSc
で倭国大乱の実態ってなんなの?卑弥呼から変わって治まったんでしょ 変な事言いすぎたんだろかね卑弥呼ちゃんが 最期は殺されておさまったんだろね あっ電波って言われる

49 : 出土地不明:04/06/21 19:44 ID:U5M1Gcqr
全国の古墳と鏡を持ち合っているのが京都の椿井大塚山古墳。
奈良県の黒塚も相当なものらしい。

50 : 出土地不明:04/06/21 21:34 ID:8q6Uvyme
AD147-188年倭国乱、暦年王なし、卑弥呼を共立し、王とする。ヒミコちゃんなんてのは
なまえでなく女王様ってなもんであり、日本の古代は姫だらけではっきりとした話には
なっていない。要するに現代の雲南省にあるような女系社会ということ。文字とか、紙とか
まったくなく全ては語り部が伝えた。ところが、AD238年頃のヒミコと出土する鏡の量が
一致、日本初の巨大古墳も出現する。また、この頃銅鐸が消滅する。

51 : 出土地不明:04/06/21 21:44 ID:8q6Uvyme
銅鐸製造を担当する神カグツチは生まれるときに母の産道に火傷を負わし、
母がその傷で死んだので父がこのカグツチを切り殺し、その血から様々な
神が生まれたという風な異常な掲示板の書き込みにも似た古代史になっている。
そこでそんなことにどうしてなったのかその前後関係を考えてみるのが重要なんだ。

52 :霹靂:04/06/22 06:40 ID:6/2Zh6a3
実際 文字がなきゃ語りようがねえんじゃねえの?どうやって語る?

53 : 出土地不明:04/06/22 06:50 ID:VwtJEn9Z
丸暗記だから暗記しやすいようにエッチやホラーな話が所々に入っている。
眠気覚ましみたいだ。オーバーな表現が多い。浪花節のようになるんだと思う。

54 :霹靂:04/06/22 07:04 ID:6/2Zh6a3
(‐◆‐;なるほど

でもって 産道を…痛いな

55 : 出土地不明:04/06/22 07:32 ID:VwtJEn9Z
素人だからわからないんだけど、もともとそういう独自の神話があるんじゃなかろうか。
お産っていうことは人類にとっては大変な苦痛だからナー。

56 : 出土地不明:04/06/22 07:57 ID:VwtJEn9Z
中国古代史はマック、日本古代史はウィンドウズ、日本のはデバッグが
悪かったり、ユーザーがイジクルツール、AUTOEXEC/CONFIGSYSでい
じくれる。

57 :霹靂:04/06/22 08:13 ID:6/2Zh6a3
(―◆‐;)深い…

あの…倭の五王ってのも皆女性なんだろか?
連合国を裏付けるのだろか?
あと銅鐸ってなんの為に使われたのかな?
何年か前 西日本の傾斜地で大量の何かが発見されたよなあ…銅鐸だっけ鏡だっけ

58 : 出土地不明:04/06/22 08:16 ID:VwtJEn9Z
日本神話の強いところは神社の分散制御システム。
死んだはずだよ、お富さん、生きていたとは、お釈迦鮫でも、
知らぬ仏のお富さん、エーサヨー、ゲンヤーダナー。
こういったことが随分起こる。元伊勢の系図とかだ。

59 : 出土地不明:04/06/22 08:29 ID:VwtJEn9Z
そういわれると神功 、仁徳后あたりが女系時代で〆の武で完全に男性って
感じだよな。銅鐸は輸入当初は鳴らすことでの五穀豊穣、見る銅鐸に入ると
定置して鋳型の穴から太陽光線を覗き、季節的天文観測(オスズミ、伊佐
須見にある見という言葉)、出雲荒神谷(中国地方用広型銅剣)、加茂岩倉
(東瀬戸内と持合のある銅鐸)・・・出雲と北部九州が矛鏡独占体制樹立を
巡って対立していた感があるナー。

60 : 出土地不明:04/06/22 10:25 ID:aCydgMJ0
銅鐸には、銅鐸を舟の上で秋田の竿灯さながらに、烏賊釣り船のように、
ぶら下げたのではないかという絵があるが、こうだとしたら不安定で水上
での実行は不可能に近いだろう。しかし、秋田の竿灯のような曲芸に近い
方法で陸上で演出することは可能。秋田の梵天様は江戸の纏持ちに似た
ものであるが、古墳時代のソッテ(鳥)を振るのに似ている。銅鐸の禁止後、
矛と習合したのか、或いは、別の系統なのかは不明だがこういうのがある↓
http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/hp/hp675.htm
銅鐸でこういうことができるのは初期の朝鮮小銅鐸時代のことではなかろうか。
近畿では2000年前の池上曽根遺跡の近辺のことであろう。

61 :霹靂:04/06/22 19:50 ID:6/2Zh6a3
ところで耶馬台って 読みはヤマタイでいいのかな?ヤマト ヤバタ やぼったい じゃまだ やんばるたい ジャワティー などいかがですか?詳しいかた

62 :出土地不明:04/06/22 19:57 ID:mh00i1s8
ジャワティー嫌い・・・

63 :出土地不明:04/06/24 21:21 ID:Xde233iw
>>49
面白いなお前の考え方、数十年前の破産した説を立てた人とそっくりだ。

64 :せいじ:04/06/27 00:35 ID:gwS4vrr6
はじめて来たんだけどもう誰もいないのかな   http://www.h6.dion.ne.jp/~itokoku

65 :出土地不明:04/06/27 01:22 ID:X/sW+Nit
過疎板ですから 
1レス/1日もあればいいほうかと・・・

66 :出土地不明:04/07/04 19:36 ID:Zm5cnDe+
考古学者で九州説は、森浩一と高島だけ。
絶滅希少種だね

67 :霹靂:04/07/04 20:53 ID:YE6rwusc
公庫学者は縦社会 そもそも資格すらない!大先輩から若造までのつながり勝手なことは言えません!仕事もまわしてもらってるしな で?九州だと思うね宮崎〜高千穂周辺

68 :出土地不明:04/07/05 06:21 ID:5zQIe9W/
畿内説の最大の弱点は大きく3つある。
答えて頂きたい。
1狗奴国の位置
邪馬台国の南にあってその首領は菊池彦。
菊池という姓は菊池郡とみるのが素直だ。
2銅鐸文明の滅亡
そんなに強大な政権が畿内にあったのならどうして銅鐸文明
が滅ぶのか?
3神話記紀との関係
神話はある程度事実を反映しているとみるべき

69 :出土地不明:04/07/05 09:21 ID:rCTN4UrO
ま、邪馬台国は九州だと思うよ。
ただこれが認定される事は絶対に無いけど。
近畿か九州かで謎のままでないと困る方々が一杯いるからね。

70 :出土地不明:04/07/05 18:18 ID:PCQrPMrf
そもそも、中国の史書に残ってるかどうかが何故そんなに重要なんだ。
魏に朝貢したということが、日本で最も強大な政権である証なのか?
エロい人教えてくんろ。

71 :>68:04/07/05 22:51 ID:mGmwcTYL
1.たまたま発音が似ているだけ。
2.3.意味不明だが、「邪馬台国」畿内説とそれがどう
矛盾するんだ?



72 :>69:04/07/05 22:52 ID:mGmwcTYL
考古学者で九州説の奴はほとんどいない。
学問としては終わった説だ。

73 :出土地不明:04/07/05 23:34 ID:pIBzNmAL
>>72
んなアホな。

74 :出土地不明:04/07/05 23:47 ID:cygeNhSd
俺も九州ではないと思うけど、別に九州であってもいいよ
ただその場合、邪馬台国も結局は後の大和政権に食われちったってこと


75 :出土地不明:04/07/05 23:55 ID:lEyeMg9U
>>74
銅印

場所捜しよりも、日本史的意義をしっかり考察した方がよろし。
特に、弥生時代終末の組織論の手掛かりが、書き込まれてるんだし。

76 :d:04/07/14 03:07 ID:puIVlIjQ
トヨタ尾行自動車ですか トヨタ交尾自動車ですか
トヨタ社員によると三菱車は放火だろうと 
トヨタ社員でなければいいが。

77 :霹靂:04/07/16 08:19 ID:JzghL15U
耶麻台=仙台で良いですか?

78 :出土地不明:04/07/16 09:47 ID:IXd0R6Hy
>>77
仙台は卑弥呼に頼らず伊達正宗で町おこししろよ

79 :霹靂:04/07/16 19:47 ID:JzghL15U
なんだと 伊達さまを呼び捨てにしやがて ただじゃおかねえ 珍凹とか縦社会を出せ!あったまきたぞ、大体な 八幡平や仙台をなめてると なめかえすぞ!阿弖流夷に何万もの兵を使ってあほか!西のアホーか

80 :出土地不明:04/07/17 04:48 ID:tWoHjlUx
わかったわかった
卑弥呼を正宗の嫁として認めてやろう
ちと年長大だが正宗と卑弥呼はうまくやっていくだろう

考古学上は卑弥呼は伊達正宗の嫁ということで
ヤマタイコク
セマタイコ
センタイ
センダイ
仙台 はい完成。

81 :霹靂:04/07/17 07:13 ID:slYT3upd
やったあ伊達卑弥呼だあ日高見国家の王オムスビいわゆる高御産巣日が愛人に産ませた子・日弥子が九州を追われ辿り着いた故郷・仙台。後方でしのぐ族長阿弖流夷とかの提案基準で良いか?局長あて

82 :出土地不明:04/07/17 09:12 ID:AFXqmvJP
ネーム欄にアンカーつけてる奴は無視しとけ。日本史板でも悪口しか書かないから
浮いてる。

83 :霹靂:04/07/17 18:48 ID:slYT3upd
>無視しとけ。
はい親方アンカーって何?
つうかオマエは単なる名無しじゃねえか名を出すものにからむな荒らしがアホじゃねえのか?名無しで吠えやがて弱虫小僧か?ナヨナヨしてんのかガキ!名前出せ荒らしが

84 :出土地不明:04/07/18 08:05 ID:iR2cGW4/
( ´,_ゝ`)プッ  

85 :sage:04/07/18 14:24 ID:jFs1Nfyc
「霹靂」って他のスレも荒らしてますが何者でつか?

86 :鷂@アク禁中(泣:04/07/18 17:19 ID:mZkleyVt
もう見てらんないので横レス

>>83
~~~~~←これがアンカー。
>>82氏は、霹靂氏を皮肉ったのではなく、
おそらく>>71-72氏のことを言ってると思われるのですが。

87 :霹靂:04/07/18 18:34 ID:+5AXdnaH
ああ それがアンカーかありがとね
霹靂が誰って何処そこに努めるサラリーマンとか公務員とか知ってどうする
まずはヤマタイ国についてやりあおうじゃないか俺は西都原を経過とし祖を東北としている そして秦のユダヤの血をおりまぜ研究しているものだ

88 :霹靂:04/07/18 18:35 ID:+5AXdnaH
ああ それがアンカーかありがとね
霹靂が誰って何処そこに努めるサラリーマンとか公務員とか知ってどうする
まずはヤマタイ国についてやりあおうじゃないか俺は西都原を経過とし祖を東北としている そして秦のユダヤの血をおりまぜ研究しているものだ

89 :鷂@アク禁中(泣:04/07/18 18:54 ID:mZkleyVt
>>88
その前に、>>82氏に何か一言どうぞ。

90 :霹靂:04/07/18 18:58 ID:+5AXdnaH
要は議論しようがしまいが文化庁のアホが金だしゃ明日にでも ある場所掘って卑弥呼の名札付きの服、人骨、墓、キドウセットなど今日は特別に良く切れる卑弥呼ナイフなどを5点セットで見せてやるよ今金ねえからスロでもやるか


91 :霹靂:04/07/18 19:03 ID:+5AXdnaH
>82の方、また誤解を指導いただきました皆様に深くお詫び申し上げます。
これでよろしいでしょうか?霹靂一族代表

92 :鷂@アク禁中(泣:04/07/18 19:12 ID:mZkleyVt
こちらこそ、差し出がましいことをして失礼しました。
スレが盛り上がることを期待しつつ、退散します。

93 :82:04/07/18 21:29 ID:iR2cGW4/
いいえ、どういたましてw

スロって北斗?辞めた方がいいよ・・・。余計金がなくなる。

94 :霹靂:04/07/18 22:16 ID:vUGwqd3C
?わざわざ どうも
そおそお北斗か吉宗  確かに負け気味
 ではまた 釣りに行く時間なので



95 :出土地不明:04/08/16 18:16 ID:V4wsny5w
邪馬台国って近畿と九州にどっちからかどっちに
お引越ししたんだよね。

96 :出土地不明:04/08/22 11:21 ID:RxbHGXvP
>>95
邪馬台国は最後まで九州だよ
そこから政権を奪った大和朝廷は近畿だけど

97 :出土地不明:04/08/22 18:08 ID:fLy4Yz4/
…という説もありますがあまり有力ではありません。

98 :出土地不明:04/08/22 23:15 ID:FtKS48R2
>>97
確定されれば不利益を受ける(正しくは利益を受けない)団体と
馬鹿教授が抵抗してるだけで
古墳から出る当時(弥生時代)の鏡等が九州なのをしつかり裏付けてる
九州からはチャンとした漢の鏡が発掘されるが
近畿からは国産の鏡以外全然出てないしね

99 :出土地不明:04/08/23 01:15 ID:08yPuNLV
古墳から出るなら古墳時代だろう。なんで弥生時代なんだ?
支離滅裂だね。
そしてそのような考古学的同定がなんで96のような歴史観に直結するのか
というのもギモン。電波の香りを感じざるをえないのだが。

100 :出土地不明:04/08/23 01:45 ID:ZmmgTq3U
弥生時代の遺跡ですね

101 :出土地不明:04/09/07 23:38 ID:6bxpyVAA
>>68
>邪馬台国の南にあってその首領は菊池彦。

原文を読むと奴国の南にあると読めるが。



102 : 出土地不明:04/09/08 09:19 ID:8W5zsdJZ
近畿説は鏡、古墳文化が「天の鳥船」でどこからか纒向に着陸したと
いうまるでスプルバーグの映画のようなことを立証している。が、それは
因果律を無視した話だ。鏡を配布し、地域を統括するのは北部九州が
吉野ヶ里など筑後を含む地方に対して行なった政策だ。誰かがそれを
近畿に持ち込んだはずだ。ところが、箸墓で始まる大型前方後円墳に
深くかかわるのは吉備であって筑紫ではない。問題はこの辺に潜む
大きなトリックだ。吉備よりも更に背後にあって歴史上から姿を消したもの、
例えば妻木晩田の高台の文化のようなもの、吉備に抹殺されたとされる
温羅等はどうなのだ。

103 : 出土地不明:04/09/08 09:25 ID:8W5zsdJZ
更に言わしてもらえれば、肥前、肥後に流れていた弁辰の鉄が山陰
に流れが変わるのはなぜだ。これは魏の三韓地方に対する政策変更、
弁韓の宗主国である馬韓に対する攻撃、又、魏の公孫に対する攻撃と
関係があるのではないか。

104 : 出土地不明:04/09/08 10:34 ID:8W5zsdJZ
都市牛利は町名変更のようなことで十市(刀奈)己利となった鏡作り家
の御当主、難升米は吉備に多い銅鉱石精製業の生部といった苗字で
あり、鏡を鑑定評価する知識を持ったもので、公孫の政情不安と魏の
政策を見越して当時倭国の鏡分配による統治システム、箸墓等の
古墳建設の必需品であった鏡の調達のために倭国鳥飛百石日巫女
大王(トトビモモソヒミコ大王)の勅命により、訪韓訪中したのであろう。


105 : 出土地不明:04/09/08 11:03 ID:8W5zsdJZ
御座=近衛師団長、糠田(抜田)=鏡作長官、御垣=首都防衛軍司令官、
生目=北西防衛軍司令官(かって長髄彦の職責)、総務国土神社本庁
長官=佐士布都(載斯烏越)、商社的なものは弥彦(液邪拘)、イセキ、
イタキソなど製鉄造船用の木材輸出を担当していたような感じのもの
がある。

106 : 出土地不明:04/09/09 12:01 ID:7ROSVzyA
陳寿の倭人伝では伊都国から邪馬台国、狗奴国等にポイントがあり、
倭国全体を描いていない。この倭人伝のみを基に議論するとどうしても
九州、近畿の二元対立になる。従い、倭人伝の裏を探るためにはどうし
ても近畿、九州以外に山陰、東海以東に目を向けなくてはならない。
ところで、ヤマトトトビモモソヒメの解釈であるが鳥飛は神武にある鳶を
銅鐸、記紀にあつアキツ(トンボ)が太陽崇拝、国土把握の国家事業に
関連する神の象徴が鳥トーテム文化の到来と共に鳶に置き換えられた
と考えてみたい。


107 : 出土地不明:04/09/09 15:53 ID:jyef6jjg
神武が福岡に立ち寄った後瀬戸内海北岸を時間をかけて近畿に入る
東遷はまるで弥生文化が伝播する有様とか、倭国乱がドミノ式に動く
様子だとかを歴史学的に縮小して表したようである。現代人が弥生
化の伝播等を論じるのならばともかく、古代人がこうした話をするのは
極めて奇妙である。これは後の倭姫の巡幸の如き何らかの意図を
持った集団的な動きと解釈するのが最も順当であろう。銅剣、銅矛、
銅鐸といった青銅器祭具の形式に大きな地方差がある時代から、
それらの統合の時代に入る時代を背景としていたが、おりしも、後漢
の政情不安から朝鮮半島からの積石墳文化を持つ渡来人集団が
流入し、九州北部に入ってきた。ここで新たに新天地を求め、国の
首都を決める必要が生じ、(1)甘木朝倉(2)出雲(3)吉備(4)大和という
風に適地を求めて移動が行われた。神武記はその一端であり、
特に太陽崇拝、岩戸神事、鏡の神話に力点があるようである。
一方、出雲は出土品から見て
銅鐸に鏡以上に力点を置いていたようである。神武記に言う安芸
への移動のあと、出雲グループは独自路線に走ったのではない
だろうか。出雲グループは神武グループより一足早く大和、東海を
席巻した。神武グループは一応武力で大和を制圧したが、すぐに、
出雲系の北陸グループ(北陸のことをクガチというからクガチ、
或いは狗奴国グループ)が政権を奪い、尾張がのし上る。その後、
瀬戸内海北岸を東進した一団は吉備において近畿勢力と抗争するが
次第に勢いを増し、首都を求めて大和に入ってくる。これが孝霊帝、
モモソヒメ(卑弥呼)の時代であり、
陳寿の描く
邪馬台国と狗奴国の構想とはこの時代のことだと思う。

108 : 出土地不明:04/09/10 17:02:21 ID:81XOfXPb
伊都国、奴国、宗像には立ち寄らず、比較的後代に開発された対馬-瀬戸内海
最短コースの沖ノ島ルートの重要なポイントである。三種の神器の八咫鏡等が
伊都国、奴国にあったのであれば、又、金印に興味があるのであればこれは
おかしい行動である。しかし、神武が待っていたのは父 アマツヒコ ヒコ ナギ
サタケ ウガヤ フキアエズの統治下にあった狗邪(クサ)国、狗邪韓国(日下の
国)からの援軍の到来であったとすればうなづける。ウガヤには阿蘇の草(火の
本)の草香から、多数の労働者が鉄資源取得のために訪韓していた。というか、
古来より交流があり国境はなかったのだろう。彼らは阿蘇の国のことを火の本
といっていたが、日の本とも読んでいた。ウガヤにはた狗邪国(クサのくに)、
狗邪韓国(クサカのくに)という名前をつけ阿蘇の草の香りを懐かしんでいた。
神武も若い時は父と一緒にウガヤで暮らしていたが、阿蘇に帰りその後は日向
でシャーマンの道に励んだのであろう。後に朝廷が日本という国を勝手に使用し
たので大問題となり、新唐書を賑わしたのであろう。後に讃岐から阿波に納まる
大麻比古は多分この狗邪韓国の阿蘇出身者であり、阿蘇は古墳時代を通じて
石棺の供給者、忌部として名を残す。東部瀬戸内海に積石墳の広がるころのこと
であろう。

109 : 出土地不明:04/09/10 17:04:03 ID:81XOfXPb
失礼。 最初が抜けていました。

神武は遠賀川の河口、洞海湾に面した岡田の宮で1年滞在する。

110 : 出土地不明:04/09/11 08:46:08 ID:M2LK2628
神武は高句麗鄒牟、長髄彦は松譲王のストーリーであるにせよ、バックに
日本列島が入っているのであるからキャラクターとか重複部分を抜き取って
考える必要がある。筑紫の日向というのは背振山から東方の国土という意味
であろう。日向の岩戸は天然の奇勝であるが、熊野のようなもので古来からの
宗教的対象物であったのであろう。神武というのは神武球団といった感じのもの
でその選手については先代旧事本紀にある物部クルーの方が正しいのであろう。
しかし、強調しておきたいのは現代の対馬海峡的な文化の違いは楽浪、
ワイと三韓の間にあったということで三韓と倭を加えた集合体のフレーム
ワークで倭人伝の頃の世界を見る必要があるということだ。神武球団の他に
出雲球団も三韓にキャンプを張っていた。弁辰走漕馬國の馬と言うのはハリマ、
タジマ、投馬等の国名後置詞と出雲の須佐を含む。

111 : 出土地不明:04/09/11 09:42:03 ID:M2LK2628
神武記とはカムヌナカワミミといういかにも出雲系の初代天皇の頃に瀬戸内海を
東進してくる物部集団があったということか。そしてそれが具体的に纒向に入るの
は孝霊の頃だろう。この物部集団が始皇帝の封禅も多少意識し建国の記念に
造営するのが箸墓。箸というのは聖徳太子もご存じなかった代物だから、これは
橋墓であろう。橋で刺すというのは橋の部分が境界であると同時に日光に感応する
思想に基づき円墳頂上から刺す日光を身に受ける秘儀を行ったと解釈するのが
順当。こう考えると卑弥呼の存命中に箸墓が完成していた。すなわち最近の炭素
14年代測定法による布留1式の土器編年の見直しと整合する。

112 :出土地不明:04/09/11 11:17:32 ID:31YO8BUl
考古学的見地?

113 : 出土地不明:04/09/11 12:07:00 ID:NXMw5SmQ
カムヌナカワミミだって神器(レガリア)なしに倭国王にはなれない。そこで、
倭国王権はウガヤのクサ国が握っており、その国王をクサナギ、そのレガリ
アをクサナギの剣としよう。弁辰走漕馬國にはスソノ王というのがいたが武力
でこのクサナギの剣を奪ったとする。そして、スソノ王の子孫のオオクニヌシが
倭国のヒスイ玉を得るためヌナカワ国に接近、その国の女王ヌナカワヒメにこ
のレガリアを渡したとする。ちなみに弁辰には
難彌離彌凍國 (富山県滑川御津)、古資彌凍國(越御津=敦賀) 方面の国が
揃っており、ヒスイ輸出とバーターで鉄製品を輸入していたことが伺われる。
初代王カムヌナカワミミは中部山岳(諏訪、上越、高山(鉛産地)等)の要地を
傘下に入れる大王であったのであろう。広域的には広島三次盆地から福島に
かけての四隅突出墳の広大な地方の王国の一部であで、これが後に狗奴国
となって邪馬台国と戦う。


114 : 出土地不明:04/09/11 15:53:32 ID:HYy6eLED
馬韓の月支国は突厥系の大月氏の一部であり、後漢から倭国と並んで金印を
授与されていた国らしい。これが三韓の地において半島系倭系諸国に様々な
文化的痕跡を残している。
(1)瀬戸内海東部に残る中円双方墳であるが、これは概念的にカザフスタンの
ヒゲクルガンと同じである。
(2)欧州から半島南部、大和に残る亀石、ロシア語ではカーメンナヤ・バーバと
呼ばれる。風習としてはミシャクジ(諏訪)、石神井など東国にまで伸びる。
(3)伊勢、高山のダビデ、菊紋。突厥が仲介したのであろう。弁辰接塗國(愛知県
瀬戸)か、一難國(伊那国)、卑彌國(富山県氷見国)が仲介したのか。
(4)ヤマタノオロチはヴェーダの神話。弁辰彌烏邪馬國(これは大和川水源の山、
水脈山=三輪山)辺りが吸収したのか。ツヌガアラシトの兜などはスカンジナビア
のゲルマン族のものであるが、スサノオか。スサノオは牛頭蘇民将来とか倭人
ではついていけない話が多い。
(5)黄泉の国などのギリシャ神話はアレクサンダー大王の大月氏国建設があって
こそ伝来したのであろう。
(6)タミール語はシュメール語と同系統の膠着語らしいが、大月氏の領域を通って
インドに入る。
(7)インドからはガンダーラ文化として「フツ」の宗教が入る。後漢書では後漢で
大流行し、韓国のソッテを見て「フツ」ではないかなどといっている。長丞(ジャン
スン)と卒塔婆を取り違えたのか。いずれにせよ石上神社、鹿島、香取などの
「フツ」も当時のキーワードであった可能性はある。

115 :25歳♂投馬国王の子孫:04/09/12 23:53:47 ID:hBS+OqXP
すでに結論は出てると思いますが、
なぜゆえまだこれほど議論がなされているのでしょうか?
邪馬台国の場所は宇佐周辺。倭人伝の水行20日陸行1月は
邪馬台国へといたる全日程の合計。卑弥呼は天照で
弟のスサノオとの不和と日食が重なり殺された。
スサノオが第一に東遷、その子孫が大国主。4世紀前半に
狗奴国の圧迫により、天照一族の祟神が第2次東遷。大国主より
国を譲られる。これにより大和朝廷成立。しかし九州に
残っていた邪馬台国の王族の一派が、九州の勢力をまとめあげ
第3次東遷。これが応神天皇となり河内王朝成立。神功皇后は
万世一系の建前を守るためのでっちあげ。これでほぼ間違いないでしょ?
間違いだと思う人はどこが間違いか指摘してみてくださいよ。




116 :出土地不明:04/09/13 00:57:07 ID:qS9wUEjw
およそ「考古学的見地から」の説ではあり得ないけどな(藁

117 : 出土地不明:04/09/13 07:47:37 ID:UD5xhQqu
文献学的見地に縁遠いものが必ずしも考古学的見地にはあらずという御指摘だね。
アイディアを羅列し、その間に脈絡を発見する努力をするための資料と見ればいい。
しかし、話は変わるけど銅鐸圏とは言うが、大和などは「見る銅鐸」の経験がないようだ。
銅鐸圏の破壊は大和自体が引き起こしたのでないかとも思われる。↓これ参照。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/dotaku/dotaku.html
それと出雲というのは生産者的であり、後には三角縁神獣鏡5枚(600枚あるというやつ)
配布を受けているから面従腹背、狗奴国が戦争を起こしても付和雷同するような腰の
軽いところではないね。しぶとい国のようだ。

118 : 出土地不明:04/09/13 08:10:52 ID:UD5xhQqu
崇神が出雲の宝を見たいと言い出すと、丹後辺りのフィクサーがあれは出雲族の
大事にしているもので、沢の底のようなところにあるもので、表ざたにしない方が
いいという。イクメイリヒコ(これは倭人伝のミマカキ-イキマという同等の閣僚)も
やめろという。そこで逆に国費を投じて警備の神社を作って守らせたという。
これこそ荒神谷遺跡だろう。卑弥呼の没年当時荒神谷で強い火が燃やされた
痕跡があるという。出雲と大和は強い絆があるようだ。崇神が丹後の人間に弱い
ということから奥さんはさておき本人の出身もその辺臭いナー。

119 : 出土地不明:04/09/13 10:07:21 ID:hx2NJo8k
神武、ニギハヤヒのモデルは高句麗鄒牟王、松譲王であり、コピペされた箇所は
(1)イワレ彦の両親、天神の子ウガヤフキアエズ、海神の娘タマヨリ姫。
(2)九州から大和への遠征。
(3)亀に乗って案内する椎根津彦。
(4)先住の王者として天下った玉璽を持つニギハヤヒ。
(5)ニギハヤヒの神器奉献、勢力保持。
ということなので神武記からこれらを消去してみると、イワレ彦の河内征伐までは
コピペということになる。
しかし、熊野征伐などの部分はコピペではなく本来のイワレ彦の功績であろう。
すると磯城の豪族を征伐したのは丹後出身の大和宿禰命(椎根津彦)の可能性
が強い。


120 : 出土地不明:04/09/13 10:16:55 ID:hx2NJo8k
初代女王元首(職名をヒミコとしよう)はイスケヨリヒメで初代首相は丹後の椎根津彦、
第2代首相が越中のカムヌナカワミミ、こういう線でどうだい。元首がのさばっている
もんだから欠史時代。吉備出身の2代目ヒミコのモモソヒメが死んでやっと男性時代
に入った。おめでとう崇神天皇。

121 : 出土地不明:04/09/13 12:14:51 ID:vTzThxJT
大和宿禰命の宿禰は古来官位として用いられる。「楯並(な)めて 伊那佐
の山の木(こ)の間よも い行きまもらひ 戦へば吾はや飢(ゑ)ぬ 島つ鳥 
鵜飼(うかひ)が伴 今助(す)けに来ね」のスクというのは助くであり、少彦
名命 と大己貴(おおなむち)神(大国主神)の関係が示唆するのは助役的
関係である。根子というのはその地のヒコ祭祀王に対する世俗王であり、
スクネというのは副祭祀王となろうか。そして、オオクニヌシが倭国王であり、
副祭祀王が多分出雲タギシの小浜のタギシミミとするという出雲構想での
建国が着手されたがこれに対して各国の反対が強く、タギシミミはカム
ヌナカワミミのクーデターによって倒され、一応出雲色の取れた政権が成立し
た。陳寿は昔は男王を立てたが国中服さず遂には女王を共立したと述べる。
欠史とはスカートの下に入った歴史であろうか。


122 : 出土地不明:04/09/13 12:25:47 ID:vTzThxJT
あれ、椎根津彦を忘れてた。多分県主家に養子にでも入ったのかな。

123 :出土地不明:04/09/13 13:41:01 ID:+G3NX0fk
学会では九州説=電波という流れなんですか。
九州人としてはちと残念・・・


124 : 出土地不明:04/09/13 14:01:53 ID:vTzThxJT
弥生はBC1000年頃まであがるのでしょうが、前半はほとんどは九州中心だもんね。
特にわれわれ素人に興味のあるのは八咫鏡、岩戸神事等の太陽崇拝カルトが
何故出雲に行かず、又、吉備でも止まらず、和歌山方面から大和に入ってきたか。
この辺はUFOのような感じで、甘木、日田、香春、宇佐から海路紀伊、紀ノ川辺りに
入ったものと思われるのだが、その実態が全く不明。今後の考古学的発見に頼りたい
ところ。

125 :出土地不明:04/09/13 15:01:21 ID:RKeDTcbo
>>124
なんかこう、考古学的、という言葉が妙に浮きあがって見えるのだけれど。

126 :出土地不明:04/09/13 17:13:21 ID:U/Np+/oX
 >124みたいな言説をみてると、ここは2ちゃんだから、実害はないとは言え無責任な素人の、こういう言いぐさが「何か発見しなくては
いけない」というワケのわからない重圧になって考古学を真面目に学問として研究している人たちの重荷になってるんだなぁ、等と
おもターリ。

127 : 出土地不明:04/09/13 17:37:33 ID:XKlkYWCX
消費者サイドは無責任なもんだよ。考古学を志す、役務提供者サイドに対しては
フアン見たいなものだね。重荷に感じていただけるのは極めてありがたい。わが国は
周辺外国環境と国内環境が劣悪なもんだから欧米に比べるとハンディーがあるが
技術とか方法論とかは大きな潜在力があると思うけどね。ところで、弥生土器を調べる
には縄文突帯文の時間空間輪郭が有効だということが判りながら何故鏡出土と銅鐸
出土を同様に対比する系統的アプローチがないのかなー。鉄器と石器は酸性土壌で
難しいのは判るけど。

128 :出土地不明:04/09/13 18:26:15 ID:Z3EB8Rge
魏志倭人伝に出てくる狗奴國の男王が天皇家の祖先、
というのが今のところ最も矛盾の少ない説だね。

129 : 出土地不明:04/09/13 18:54:10 ID:3wNUI1sd
後の日本史でもよくある話の一つか。結末をはっきりさせるほどのことでは
なかったのかって感じ。

130 :25歳♂投馬国王の子孫:04/09/13 23:49:20 ID:pS5jNYWu
狗奴国が天皇家の祖先なら
のちに大和朝廷がしきりに
熊襲を征伐しようとするはずがないだろw

131 :出土地不明:04/09/14 00:02:50 ID:PqS6R1wK
おチンチンびろーん
   ∩___∩     
   | ノ      ヽ/⌒) 
  /⌒) (゚)   (゚) | .|  
 / /   ( _●_)  ミ/
.(  ヽ  |∪|  /
 \    ヽノ /   
  /      /  
 |   _つ  /    
 |  /UJ\ \       
 | /     )  )       
 ∪     (  \    
        \_)

132 : 出土地不明:04/09/14 08:06:21 ID:QRMJxadI
>>130 
ということは狗奴国とは熊襲の近辺ではないってことさ。熊本県は古墳時代を通じ
ピンク石の石材で供給では倭国No.1のお国だ。リッチな国なんだなー。鉄は潤沢に
輸入するしね。タケイワタツノミコトというのが石材会社の社長だろうな。

133 :25歳♂投馬国王の子孫:04/09/14 13:00:00 ID:1ESIp5aj
邪馬台国は2つあったんですよ。
3世紀に卑弥呼の弟が九州から
東遷して畿内を中心としたもう一つの邪馬台国を
打ち立てています。本家邪馬台国は
九州の宇佐近辺にあり4世紀に入ると
弱体化して九州を追われ、畿内に東遷して
卑弥呼の弟の子孫から国を譲り受けたのです。
これがいわゆる国譲りの神話として伝わっているものです。

134 :( ’ ⊇’)裸眼ちゃん:04/09/14 15:32:32 ID:8A+vLdWN
。。

135 : 出土地不明:04/09/14 16:41:14 ID:k2nUTeRZ
九州には耶馬溪、八女、山門等ヤマという地域名称が多い。だから、奈良県のやつも
九州の真似をして付けたのかもね。ただ、筑紫の日向というのは背振山脈東方に広がる
国土じゃないかって気がする。そしてこれが山門という風に呼ばれていたんじゃないかな。
中国語では邪馬台国だね。この女王は伊都国の平原に墓があってもおかしくない。ただ
何らかの理由で、例えば、辰韓から入ってきて、奈良県の方角に向かった渡来人集団などが三種の神器を奪って奈良県に持ち込んだのかな。スサノオ、アマテラスの関係はアネサ
ン、弟分といった盃の関係だと思うんだけどね。

136 : 出土地不明:04/09/14 16:55:53 ID:k2nUTeRZ
あるいは、高天原というのは平原の近辺にあり、ここから命令を出して出雲(属国として
奈良県を保有していた)に国譲りを命じていたのかも。筑紫の邪馬台国の影響下にあった
三韓の外人部隊に出動を命じ、吉備、大和を制圧したということもありえるね。

137 : 出土地不明:04/09/14 17:01:48 ID:k2nUTeRZ
天のなんとかっていうのは「海の=韓国駐留の」という意味かもしれない。鳥越の
言うように辰国は倭人国と考えるのがいいのだろう。

138 : 出土地不明:04/09/15 08:24:28 ID:X6930jZn
高天原は久留米の高野から丹後の高野に移り、大和葛城に移った頃に高天原と
変化したのだろう。丹後籠神社内行花文昭明鏡の分布で筑紫日向国というか筑紫
王国が見える。同神社の内行花文長宜子孫鏡は伝ホケノ山(三輪神社)、椿井
大塚山(これは日子坐の墓でないか)出土との関係がある。

139 : 出土地不明:04/09/15 08:31:03 ID:X6930jZn
在韓倭国形成は「三国史記、新羅本記新羅第4代脱解王(在位西暦58〜80年)
の条にはこのような記述がある。
 脱解王は日本(倭国)の東北一千里にある多婆那(タバナ)国で生まれた。
そして海を渡って新羅で立派な大人に成長してとうとう新羅の王になった。
また大輔(大臣)は瓢箪(ひょうたん)をぶらさげて海を渡り新羅にやってきた
日本人(瓢公と呼ばれた)であった。」こういうのが典型的なパターンだろう。

140 :25歳♂投馬国王の子孫:04/09/15 08:59:21 ID:qNOJMoiP
隋書には邪馬台国の延長上に大和朝廷があると書いてあるけどな。
「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。」


つまり可能性は2つ。九州にあった邪馬台国が東遷して
大和朝廷になったか、邪馬台国が畿内にありそのまま
大和朝廷へと発展していったかのいずれか。私は前者を採る。



141 : 出土地不明:04/09/15 09:20:28 ID:X6930jZn
弁辰安邪國、讃岐経由で阿波に納まった忌部大麻比古は鳴門萩原1号墳の
被葬者であり、渡来人であった。これがナクサトベを殺して死体をバラバラにし、
紀州南部のイザナミの墓所の近辺でニシキトベを誅殺したものと考えたい。
例えば、丹後の椎根津彦などはおそらく倭人であり、女王のような存在をそう
残虐に殺せるわけがない。外国人犯罪的だよなー。このファミリーのゴッドファーザー
がホケノ山であろう。

142 : 出土地不明:04/09/15 09:30:57 ID:X6930jZn
吉備のウラとか、天日槍とか当時は戦闘的渡来人集団の移動はあったであろうが
牧歌的な物部の東遷のような話はあくまでも先祖の伝承であり、実際的には住吉、
安曇などの半ば海賊的なプロの海人族が跋扈していたものと思われる。問題は
八咫鏡の移動にあったのではないかな。つまり、人は動かず、海人族が鏡を運んだ。
勿論、トップのシャーマン、鏡作りは移動したであろうが。(領民は動かず。)
これでどうすかね。

143 :25歳♂投馬国王の子孫:04/09/15 10:40:18 ID:qNOJMoiP
あてずっぽの推論ではなく確実な事実から
真実を暴き出していきましょう。
@魏は長里制ではなく短里制をとっていた。
A隋書には大和朝廷は邪馬台国と同一のものだと書いてある。
B3世紀にはすでに畿内・吉備を中心とした勢力があったことが
 考古学上証明されている。

これら3つの確実な情報から判断するとAとBからだと
邪馬台国は畿内でいいんじゃないかという結論になりますが、
いかんせん、魏は短里制だったので畿内では遠すぎます。
しかも方角も合わない。こうして考えていくと、3世紀後半から
4世紀前半に九州にあった邪馬台国が畿内政権から政権を
譲り受けたという仮定が予測されます。そうです。あの国譲りの
神話のようにね。

144 : 出土地不明:04/09/15 11:46:30 ID:X6930jZn
よく似たことだが、随書に信を置くより、国書、伝承から想像をめぐらす方が生産的だね。
畿内政権の不安定は既に2-3世紀からあったのでしょうが、それは九州を除外した
中部日本、近畿、吉備あたりの問題であり、九州が関与する証拠は皆無でしょう。
逆に、これより前の時代については記紀の国譲りは九州中心に解釈しないと、意味が
通らない。又それは金印の時代であるし、筑紫王国の時代ですね。このころ九州から
フミ国以東、特に出雲に対する強烈な国譲り要求が行われた。そして南部九州及び
駐韓倭国勢力が実際に動員された。・・・・こう読みたいところ。
考古学者でもないんだから細かいことは辞めましょう。

145 :出土地不明:04/09/15 13:04:21 ID:nwYj+a1B
日本史板に行けよ。
ここは考古学板なんだからお門違いも甚だしい。

146 :出土地不明:04/09/15 15:52:01 ID:0+xt+kZM
結局、邪馬台国を考古学的見地から語るのは不可能なのかな。
もともと文献に載っているものだし。

147 :出土地不明:04/09/16 23:11:08 ID:wR1yzoN1
>>146
それ言い出したら、このスレは「終了」ですよ。

148 :出土地不明:04/09/17 01:55:25 ID:2X0ZYqfa
結論が出ました。終了です。
以後書込んで、考古学板の皆さんに迷惑をかけないように。

関連スレは日本史板に消化しきれないほどあるんですから、
そっちで好きなだけネ!

149 :出土地不明:04/09/17 17:09:22 ID:D1eIXPpc
今のいままで怖くて聞けなかったんだけど
安本美典って電波扱いなんですか?


150 :出土地不明:04/09/17 19:54:21 ID:ONiv1FwL
「K考古学研究所副所長の歴史捏造を糾す」とか、
このスレを受け皿に削除依頼出されたのがいくつかあるんだよ。
きちんとした考古学的データを示して語る人の降臨を待ってもいいんじゃないか?

>>149
 まさに「電波扱い」されてる。文献史学のほうでもそうだろ。

151 :出土地不明:04/09/17 20:11:52 ID:SZcu7pN7
>>150
このスレを踏み台にクソスレ増産体制に入った、が正解。
日本史板で出た護美は日本史板で処理してくれよ。他板に迷惑かけんな。

152 :出土地不明:04/09/17 23:25:21 ID:BDD3cYsM
考古学的見地からは、畿内です・・・ってだけだろ。
考古学者でそれ以外はいないんだからさ。

153 :出土地不明:04/09/17 23:42:10 ID:H14NNkVs
>>150
がーん。
あの方の著書購入に結構お金使ってしまってます orz


154 :中学3年生@不登校児:04/09/18 00:39:06 ID:s3MhJ83K

邪馬台国はほぼ間違いなく九州です。
理由は帯方郡から邪馬台国までが12000里。
帯方郡から倭国入国までが7000里。
ゆえに100%畿内には届きません。
この時点で畿内説など本来ならありえないはずなのに
考古学上の発見やら皇国史観やらに歪められて
畿内説を採る人が多いだけです。以下僕が本来あったであろう
正しい歴史を記していきます。

155 :中学3年生@不登校児:04/09/18 00:48:53 ID:s3MhJ83K
3世紀に九州の国々がたがいに戦争しあい
これを収拾するべく、各国が話し合い、
1人の巫女を王とする連合国家をたちあげます。
この連合国家の中枢がすなわち邪馬台国であり
王が卑弥呼です。そして邪馬台国とは大和国の
当て字であり、大和、すなわち大いに和すという
言葉からも連合国家の中枢であったことが窺い知れます。
3世紀の後半、イヨの時代に入ると狗奴国からの攻撃に
より邪馬台国は衰退。さらに畿内・中国勢力の台頭により
倭国は畿内から九州にかけた西日本全体の領域における
連合国家の樹立を図ります。そして、連合国家の中枢部、
すなわち邪馬台国=大和国は衰退した九州から、畿内へと
移されることになるのです。そしてもっとも力の強かった
一族、すなわち神武東征により畿内を支配していた一族が
連合国家の王となる大和朝廷支配の時代に入るのです。
この時の大和朝廷の王が崇神天皇であり、こうした意味で
神武ととともにハツクニシラススメラミコトと呼ばれているのです。

156 :出土地不明:04/09/18 01:35:58 ID:/3X76pS0
板違いなんだし、無理して書かなくていいよ、別に

157 :出土地不明:04/09/18 08:09:25 ID:GN0j3ST4
>>154
>考古学上の発見やら皇国史観やらに歪められて
考古学者立つ瀬なしだな
皇国史観が邪で入れ墨入りの国を大和に比定するわけないでしょ。
邪馬台国が九州にあったころ、大和には神の蓬莱王朝があったのでした。


158 :出土地不明:04/09/18 10:51:15 ID:+WXGFY14
>>153
ネタとしては楽しめるからイイよ。
今度は庄内式土器関係の本を勉誠社のシリーズから出すんだっけ?

159 :出土地不明:04/09/18 18:04:06 ID:Y9JoZMF5
>>158
まあそうなんですが、、、できれば電波じゃなくて
ネタ的にも楽しめる良本を教えていただければ幸いです。
もう邪馬台国関係はネタ、電波だらけで何がなんだか・・・


160 :出土地不明:04/09/23 03:42:24 ID:gYacJzsS
>>142
 吉備のウラとか、天日槍とか当時は戦闘的渡来人集団の移動

いや実際、吉備から大和に政務中心は移動してる。里帰りも多いが
吉備(3世紀後半最大)→大和箸墓 →造山古墳(4世紀後半最大)
中円双方墳?→ 古墳 →前方後円墳
亀石(道教的四神獣・玄武石)、特殊器台→特殊器台型埴輪 →埴輪
卑弥呼、吉備三輪のシャーマン巫女集団→大和三輪の巫女祭事 →応神天皇?
楯築遺跡からは女性の歯もでたらしいね、卑弥呼の歯?


161 :出土地不明:04/09/23 03:50:28 ID:gYacJzsS
それと水銀30キロ相当もハケーン! 
楯築遺跡のよりしろとなる四方の磐座等にべっとり朱をぬっていたらしい
通常、数グラムが相場だから、いかにその権力が強大だったか
鬼道といえば、道教の不老不死思想。魏志倭人伝どうりなのに
何故岡山県は邪馬台国宣言をしないのだろう。鏡がないからか?

162 : 出土地不明:04/09/23 09:09:12 ID:ER56RP/x
岡山では夫婦の営みを「お開帳」という。仏教伝来によって伝えられた表現かもしれ
ないが更に古へより、お開きとかいう言葉があったのかもしれない。卑弥呼がホトに
射し込む陽光を受ける秘事を行なっていたのは岡山ではなかったのかな。

163 : 出土地不明:04/09/23 09:41:14 ID:ER56RP/x
>161 水銀、30キロ数グラムが相場

ニニギノミコトとは何か、神武はニシキトベ、ナクサトベを征服、水から壷に薬物を
入れて川に流し、魚を殺すマジックを行なっている。これと関係がありそうだ。

164 : 出土地不明:04/09/23 09:42:26 ID:ER56RP/x
自らが水からになっていた。スマソ。

165 :出土地不明:04/09/23 11:16:37 ID:9LuXg/q0
>158

考古学者でもないのになぜ土器の本を出せるわけ?

166 :出土地不明:04/09/23 21:32:39 ID:Vf5wSCvK
邪馬台国って佐賀県の吉野ヶ里遺跡で間違いないと思うよ。

167 :出土地不明:04/09/23 22:39:46 ID:pdTuHXeX
>>163
ほほう、生物化学兵器が使われていたとは驚き。
山中で大熊に出合った神武軍が全員気を失って倒れ込む話もあるが、
それなんかもガス性の毒だろうか?

168 :出土地不明:04/09/24 00:44:01 ID:UdRSlHct
水銀30キロ というのは、魏志倭人伝にあるように卑弥呼の鬼道つまり道教
の不老長寿のための材料ですよ、金丹つくりね。
あと死体の腐敗防止とか。当時国内ではとれてなかったから、魏か呉かから
の輸入。その量だけでも注目すべき権力存在の証拠になるな。
ちなみに楯築遺跡は、大きさで吉野ヶ里遺跡の4倍規模です。
埴輪の源流の特殊器台の故郷でもあり、独特の「縛り模様の亀石」の存在も
大きい。

169 :出土地不明:04/09/24 19:13:12 ID:jv+dTQyN
>>165
売れるからだろ

170 :出土地不明:04/09/24 23:43:32 ID:qoC7SLEo
>170
誰が買うの?
素人のかいた土器編年の本なんて読んでも意味ないじゃん。

171 :出土地不明:04/09/25 11:31:54 ID:MZoDmN9M
むろん「邪馬台国の会」会員w
http://yamatai.cside.com/
あと甘木市民。

172 :寛恕不如意背反網倫理:04/09/25 13:15:49 ID:RcZcRDsw
九州に強い方、伏して御教示願います。

(1)吉野ヶ里の銅鐸が出雲に移行する経緯。
(2)帥升、イソシ、一大卒、葛城の襲津彦、権の帥、大宰府・・・載斯烏越、佐士布津・・・
スサノオ・・・これらは倭奴国の世俗王、王権とは無関係なのか。
(3)伊勢と志麻、紀伊に残る伊都、那賀の地名、斯摩の宿禰、伊都とシマ→糸島、磯城と
島、浦島(ウラの島子)、シマコ、へクコ(辺津子)・・・九州王権の制度と関係ないのか。
(4)八咫鏡は平原遺跡、大形鏡は日田からも出土している。この太陽崇拝カルトはその
後どのように発展するのか。
(5)帥升の率いた北部九州と魏、公孫、呉、三韓の関係は帥升の後漢訪問以後はどの
ようになるのか。
(6)肥前、肥後の先進鉄器文化は古墳時代初期にどのように発展するのか。
(7)久留米、丹後の竹野、浮橋、葛城の武内、竹内、高天原は関係ないのか。

173 :出土地不明:04/09/25 13:28:08 ID:cLcgaV5O
つーか、考古学者なんて馬鹿バッカリなの?
論文読み度に、「ああ、なんでこんなに馬鹿なの、こいつ?」って思うよ。
はっきり言って学問じゃなく妄想だよな。
おまえらは物質面だけ語っとけ。それを元に歴史を語るな。


174 :出土地不明:04/09/25 15:58:04 ID:5Zo2wJGt
文献史学者も妄想度では似たりよったりだろ。
あれもこれも信用できん、後世の偽作だ、で記紀や何かを切り捨てた結果だから自業自得。
結局、考古学に頼らざるをえなくなる。

175 :出土地不明:04/09/27 12:23:15 ID:5NXB1TqV
文献史学は発掘調査の成果を引用するときは、
引用元ぐらいは明記してほしいもんだな。
引用のやり方も知らんの?って言いたくなる論文、著書を結構見かける。
考古学だから甘く見てんのかもしれんが。

176 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/09/27 21:22:49 ID:kkvSM3AT
>>175
激しく同意、です。

177 :出土地不明:04/09/28 19:43:36 ID:NvSQunYA
>>173
たしかに白石太一郎はヒドイが・・・

178 :出土地不明:04/09/28 22:04:21 ID:EV/DofH2
>>173、174
我田引水ということで。

179 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/01 10:09:03 ID:ROfEPviM
畿内で見つかってる遺跡って
邪馬台国じゃなくて実は物部王国のものでしょ?
なんでみんな邪馬台国にしちゃうわけ?

180 :出土地不明:04/10/01 10:53:30 ID:KaHiDyDo
安本美典も鳥越憲三郎も谷川健一も電波だからです。

181 :出土地不明:04/10/02 17:52:38 ID:vSUxhe7e
まあ、どうみても北九州だろうね。
隋書には
「ヤマトは昔の魏志倭人伝に出てた邪馬台国じゃね?でも音は訛っちょるよ」
ってあるんだから全く同じものとは彼らも思ってなかったろうね。
上古音中古音甲音乙音とかいろいろ出して「同じじゃ」と言う自称学者は多いけど。

ちなみに近畿の学校は畿内説で、ここ播磨の遺跡でみつかった三角縁神獣鏡を遠足の時に
「これが女王卑弥呼が魏から貰った鏡です」って先生が説明してた。
嘘つくなよ。


182 :出土地不明:04/10/02 22:30:49 ID:RSUrV6j8
考古学的には畿内しかないだろうね
この時代には他にろくな遺跡がないんだから。

183 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/03 00:14:54 ID:D0qCsYE7
伊勢神宮も天照ではなく実は大物主(ニギハやヒ)を
祭ったものらしいです。そして、天皇即位の大嘗祭の
しきたりもほとんどが物部氏が決めたものとのこと。
つまり、邪馬台国王である神武(崇神)を畿内に招き
傀儡王として擁立して実権は物部氏が握るというシステム
だったのでしょう。皇后は出雲から出すことで物部氏の
地位を確保するという確約もあったように思います。
邪馬台国王を畿内に招いたのは、九州勢力との衝突を
回避する目的があったのだと思います。九州の裏には
中国がついているので戦争になったらやっかいですしね。
ならばいっそのこと形式上の恭順を示して実権は物部氏の
ものとするほうがいいわけです。日本独特の和の精神が
この時代からあらわれているのですね。極力戦争は避け
話し合いで妥協点を見出す思想がね。




184 :出土地不明:04/10/03 09:22:16 ID:oeuDK6e/
九州の男王を近畿に招いて傀儡政権にするっていうのは面白いね。
普通は娘を娶って「親戚付き合い」になるけど。
物部氏が実は九州出身だとか?

185 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/03 14:51:32 ID:eqfm1PiF
物部氏は九州出身でしかも
天照一族とは元同族です。
神武神話見てもらえればわかります。
邪馬台国時代より前に出雲経由で
畿内に入り王になっています。
そして前王であったナガスネヒコを
殺して神武に恭順しています。同族同士で
争うのはやめにして王位は譲るが、実権は
渡さないことで合意したことが伺えます。

186 :出土地不明:04/10/04 23:10:13 ID:iOTSNPPi
投馬国って何て読むの?
沖縄あたりにこういう地名があったような気がするけど。

邪馬台国の邪馬はヤマだよね。台はタイ・・・だよね。
今でも中国語では「○イ」って発音するし。
タイは東南アジアで昔は人っていう意味に通じる。
山の人の国という意味でイイかな?よく山の入口の国って言われるけど。
邪馬台と大和は全く別物の国、でFA?
邪馬台国は九州の奥地だと思う。まだ発掘されてないだけ。

187 :出土地不明:04/10/04 23:30:05 ID:jZZMmM6x
前田晴人の「桃太郎と邪馬台国」はなかなか面白い。
邪馬台国大和説で、狗奴国を吉備としている。
投馬国を、出雲とし、邪馬台国へのルートを日本海ルートに
している。方角はともかくとして、旅程は完璧だ。

188 :出土地不明:04/10/05 00:11:21 ID:1IEcIg5c
日本海ルートは怖いけどねー。
穏やかな瀬戸内がいいよ。
でも住んでる人達は怖いかも。


189 :広島県民:04/10/05 00:39:00 ID:LXZKYRn2
>>188
失敬な。

190 :夕焼けにゃん:04/10/05 14:05:40 ID:gC9b47Zp
皇族のdna検査すれば、古代史の解明にものすごく役立つと思うんだけど



191 :出土地不明:04/10/05 21:43:14 ID:H5gNj5Dl
>>190
最近になって、遺伝子解析がかなり面白い結果をだしているので、
たしかに皇族のDNAは面白いと思う。
1)世界のマクドナルドさん(男性)のY染色体DNAをしらべたところ、
ちゃんと共通のパターンがあった。さらに、それ以外のいくつかの家系
が、マクドナルド一家と結びつくことがわかり、伝説的にしられていた
それらの家系の共通祖先の一人の男性にいきついた。伝説では、名前
からして、ケルト系の勇者だったが、実際には、スカンジナビア系の
遺伝子をもつ、アイルランド系の勇者だった。それぞれの家系の、
現在の当主も、まぎれもなく子孫であることがわかった。

2)チンギスハーンの支配したモンゴル帝国の領土内とされるところ
から頻繁にみつかるY染色体のパターンから、このパターンが
チンギスハーンのものである可能性が高いことがわかった。

というわけで、日本の皇室の場合、男系、女系ともに濃いですから、
ミトコンドリアDNAもY染色体も面白いでしょう。
ただ、それで半島からとか、中国から、とかそういうことはなかなか
わかりませんが。

192 :出土地不明:04/10/06 00:03:50 ID:hdPM1M9e
>>189
でも鬼が島・・・
ところで水軍って何?

193 :出土地不明:04/10/06 00:05:48 ID:q+zNQaES
不審船だよ。

194 :出土地不明:04/10/06 01:11:07 ID:7lfRGGH+
っていうか 海賊

195 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/06 08:52:55 ID:teIbzG5f
つうか我々も元皇族の子孫だろw

196 :出土地不明:04/10/06 16:49:52 ID:iGvqj1X9
>>194
じゃあやっぱり怖いんだね、瀬戸内の住人。

197 :出土地不明:04/10/06 20:32:38 ID:7lfRGGH+
北欧のヴァイキングのような人だと思われる

198 :出土地不明:04/10/06 22:31:01 ID:ZhNRsBfC
>>192
鬼ヶ島こそが、狗奴国らしい。

199 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/07 00:48:09 ID:ID7HEDLi
邪馬台国=北九州
投馬国=出雲
狗奴国=熊襲

でほぼ間違いない。

200 :出土地不明:04/10/07 00:59:54 ID:RG8baj2w
>>199
残念ながら、九州には3世紀中葉の遺跡は、ろくなのないし、
短里説をとっても、百余歩の径のある古墳はないし、
今の考古学者は、基本的には、邪馬台国は大和で決まりなんです。
で、書店にいくと、いかにも九州説な本がいろいろ出ていますが、
そういう著者は、ほとんど定年退職後の道楽で書いている人ばかり
で、定年退職前にどこぞの会社で偉かったとか自衛隊だったとか、
学校の先生だったとかいますけれど、、。

前田晴人氏の本は、結構前から注目で、一部トンデモ的要素があって
もちろん、氏も、アマチュア研究者ではあるんだけれど、目のつけ
どころはよろしい。まあ、講談社現代新書よんでみし。
伊都国、奴国は、従来どおり。投馬国を出雲とし、出雲経由で、
丹後に至る。そこから、陸行で大和まで。太田五号から、青龍三年
の鏡も出ているし。しかも、丹後には、浦島伝説がある。
でもって、狗奴国は、吉備で、これを討伐したのが桃太郎って。
つまり、魏にいったのが、官職名が「しまこ」の「島子」つまり、
浦島子(浦島太郎の万葉集などでの呼び方)。
以上。完璧で、水も漏らさぬ論理展開。すばらしい。
邪馬台国九州説は20世紀をもって壊滅しました。

201 :寛恕不如意背反網倫理:04/10/07 10:27:35 ID:+fyfGB/G
「桃太郎と邪馬台国」私も買いました。
第1章「一寸法師」と住吉神話
第2章邪馬台国vs吉備国、そして丹後半島
第3章桃太郎と吉備国平定伝承
第4章「浦島太郎」と卑弥呼の特使。
私も丹後を旅して元伊勢伊根から出石に入り、印象の深いものを持っています。
今年だったか、伊都国の虹ノ松原の旅にも参りました。博多の陸繋島、志賀島、
古代のそれオノゴ島、そして伊都国の虹の松原、その後平戸から九十九島巡りをし
熊本に入りました。その前に別府、湯布院、草千里、高千穂、更には鹿児島上野原
から薩摩半島開聞岳を巡り、エナ山稜などにも廻りました。また、吹雪の中妻と二人で
いずも荒神谷の沢、妻木晩田に上り、飛行機が飛ばず米子の空港で足止めを喰らい、
添乗員がもたもたしているものだから、吉備に向かえと戦国の武将よろしく命令し無事
に新幹線で帰京したこともあります。三輪山には参拝し、箸墓の通り吉野に入ったことも
あり、熊野は那智大社から白浜、関空と廻りました。今日は昔行った沖縄を思い出し
「赤椀の世直し」を再び紐解いていました。皆さんよろしくお願いします。



202 :寛恕不如意背反網倫理:04/10/07 11:04:12 ID:+fyfGB/G
ご照会いたしたいHPとして
「土器が所有するデザインの共鳴について」
http://agatazin.jp/niwazin/sji/doki2002.html
ここでいう「共鳴」ということですが、これは似通った波長を持つ複数の文化圏が
偶発的に同一波長に転じるという現象かと思います。近畿、北陸、東海の諸地域において
弥生時代の終わりに2回にわたって大規模の共鳴があったようですね。
(1)「軽量薄甕」と「小型化・低脚化」の動き、おおむね廻間I式や庄内式の誕生に
まつわる時代
(2)山陰系口縁を有する甕の到来によってもたらされた布留型甕 AD240頃か
下記編年がすばらしいのですが、それでもって考えてみた下さい。
http://agatazin.jp/niwazin/sji/2003-11/2003-11.html

203 :寛恕不如意背反網倫理:04/10/07 11:22:39 ID:+fyfGB/G
中国は既に真の始皇帝で広大な国土統一を終えており、歴史的、風土的に日本列島と
並べるわけには行かないが、後漢末に末世の世相に転じた。生活の苦しい庶民には黄巾
の乱 、五斗米道が広まった。日本列島はニュアンスがより明るく、銅鐸の閉鎖集落を
開放し広域が手をつなぎ、町村合併を勧めることによる、又、鉄器の普及による農業生産
力の変化が時代の激動を告げていた。つまり、事情は異なるが民衆には世直しの期待が
あった。幕末、黒船の時代に非常に似ている。神武、天日槍、アカルヒメ等西方からくる
ものが皆河内で撃退され、丹後経由ビザを再発行した貰って入獄する話のようなものが
多い。

204 :寛恕不如意背反網倫理:04/10/07 11:36:15 ID:+fyfGB/G
基本的には(1)近畿圏統一、庄内土器時代。(2)出雲による布留式土器、邪馬台国、時代。(3)国譲りによる出雲勢力の排除の時代。これは古墳の佐紀盾並への移動と関係するか。
こうした歴史があるような感じがしますね。

205 :革 新一:04/10/07 16:56:11 ID:PvzxXW8u
邪馬台国は邪馬壱国では?して山に存在するから山、壱の国だから山一。
一の国の一の入り口だから、(入り口を戸ちいう)一戸・壱戸となる。
 山の入り口は小戸も、羽戸も岩戸もある。漢字は音から、あてつけたもので
漢字そのものは、当てにならない。たよりは音のみ。



206 :寛恕不如意背反網倫理:04/10/07 18:04:24 ID:htScghfw
綏靖の兄、ヤイミミというのが九州の王様のようなのでヤイっていう国があったんじゃ
ないかな。ヤマイのマがぬけてますけどね。

207 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/07 18:22:39 ID:xpBsZqRp
倭人伝の、邪馬台国まで12000里や南という
方角や道鏡事件のとき、宇佐にいったことを
全部無視して、桃太郎と邪馬台国を絡めて畿内説を
主張して金儲けしてる人がいるんですか?
だったら僕も本でも出してみようかな。
「邪馬台国はアメリカに東遷した。」どうですか?w

208 :出土地不明:04/10/07 19:27:47 ID:qfR/ri5X
なんで狗奴国が吉備かな?
邪馬台国の南にあるんじゃなかったっけ?
倭人伝には本州の国名地名は全く出てこないが。
だいたい水行って海を行くばかりではあるまいに。
殆どが獣道なんだから川しか通れない。
にしても中国人曰く「二本にしては大きな川」である瀬戸内海の
記述が全く無いね。

209 :出土地不明:04/10/07 19:28:32 ID:qfR/ri5X
おっと、二本じゃなくて日本だったー。

210 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/07 22:12:58 ID:4fSWm6GA
金儲けするためならなんでもあり状態ですねw
しまいにはムー大陸が邪馬台国だったとか、
出てくるんじゃないですか?

211 :出土地不明:04/10/07 23:08:37 ID:UydHbhvp
>>208
実はこのあたり、歴史的な錯誤があると考えております。
まず、奴国が金印をもらったころ、あるいは、帥升(等)が
後漢に遣使したころの日本の姿は、玄界灘沿岸を中心とした
国家群であり(まあ、集落群でしょうな)、その当時は、
ほぼ、玄界灘沿岸の奴国あるいは伊都国からみて、おおむね
南にむかって日本が広がっていました。これはほぼ九州を
さします。とうぜん、吉野ヶ里もあったころですし、また、
甘木だとか、宇佐とか、いわゆる九州説のみなさんが、さかん
にいうような国々がまさに栄えていた時代ですね。
で、現実に、一応、噂ではありますが、平原墓などからは、
女王の存在の可能性すら指摘されています。平原墓などは、
概ね3世紀初頭かあるいは2世紀末ごろでしょうか。
とすると、それが女王なら活躍年代は、2世紀中葉。
このころは、伊都国の絶頂期であり、女王を中心にして、
そこから南にいくつかの国をたばねていたという記述が
おそらく、後漢末の資料にあったのでしょう。
ところが、その後、政権は伊都国から大和に移りました。
よって、このことが交錯すると、まさに魏志倭人伝の記述に
なるわけです。

212 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/07 23:17:15 ID:4fSWm6GA
>>211
言ってることがめちゃくちゃです。
実際に魏の張政という人が邪馬台国に
数年滞在しています。それをもとに
倭人伝が書かれたのですからかかれていることは
すべて真実です。

213 :出土地不明:04/10/08 00:36:25 ID:IKXen5/g
>>212
そこが鬼門。張政は来たかもしれない。
で、それなりに詳細な報告書があったかもしれない。
ところが、それよりも、数十年前の資料に書いてあったことが
ある。それはそれでまたかなり貴重な資料だったとする。
さあ、どうする。
文献学的には、両方の資料からつじつまの合うような表現を
考えて、どちらでも読めるようにする。そうでないと、過去の
資料を完全否定したことになる。ましてやその間の事情がよく
わからない場合は、そうするしかない。
そういうことです。

なにはともあれ、九州にはなにも遺跡がないのだから、どうしょーも
ない。

214 :出土地不明:04/10/08 01:06:07 ID:yK2ovZjU
漏れは大和説だが、
「九州にはなにも遺跡がない」ってのはちょっと待て、、、、

215 :出土地不明:04/10/08 04:59:20 ID:I4SjfDL2
>>213
> さあ、どうする。
普通に考えれば、新しい方の資料を参考にする。

216 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/08 09:55:29 ID:zP+BsZzx
考古学板なのにファンタジーあふれるスレになってますねw

217 :出土地不明:04/10/08 13:16:31 ID:OgIfW/di
>>216
お前が一番ファンタジーだろがw

218 :出土地不明:04/10/08 14:16:13 ID:KCiBdcBY
大分県の宇佐神宮には一対の神が祭られており、一方は女性だ。これは他の
神社には見られないことである。またその女性神にかかれていた名前と思われる
古代文字を韓国の古代文字研究家に発音してもらったところ、あきらかに、
「ヒミコ」と発音した。

私は、朝鮮半島の騎馬民族が日本に上陸し土着の勢力を征服し、現在の日本人を
形成したと思う。

全国にある神社は、その征服騎馬民族の代表である、皇族を神格化するため、
また滅ぼした土着民族の鎮魂のため、という2つの意図があって建立されたと
思う。

そして滅ぼされた土着勢力の代表が卑弥呼、邪馬台国だと思う。

日本のルーツを探る考古学は、天皇神話を守る為、阻害され、真実が明らかに
なっていないと思われる。

219 :出土地不明:04/10/08 15:56:25 ID:IEWk0jtf
宇佐神宮に一対の神が祭られている事から
そこまで推測して断定するのかw

しかも古代文字、某国の古代文字研究家、騎馬民族って…電波ゆんゆんw

220 :出土地不明:04/10/08 17:43:57 ID:lleQ7N43
>>219
かの国に古代文字が存在したと言う時点で驚きなんだが。
中国への事大の限りを尽くし、以前の独自文化を破壊してきた民族だと言うのに…
…ん?
『韓国の古代文字』研究家ではなく、韓国にいる『日本の古代文字』研究家なのか?

221 :出土地不明:04/10/09 00:50:20 ID:a47MIKNA
>>214
九州においては、最近の土器編年などの詳細、および、年輪年代
など(九州では無理だが、近畿との関連、併行関係から)から、
なーぜーかー、3世紀前半から中葉という一番邪馬台国の時代に、
なにもない。
たとえば、吉野ヶ里。2世紀中は栄えているようなのだが、3世紀
にはなにもない。そして、4世紀ごろになると、どうやら、近畿的。
実は、3世紀前半から中葉になると、九州で出る土器はことごとく、
近畿系。つまり、3世紀のちょうど邪馬台国の時代には、九州は、
近畿の人たちであふれていたことになる。もちろん、伊都国もふく
めて。

ってわけだから、
1)邪馬台国の時代を3世紀前半とした場合、九州には独自の遺跡は
  まったくない。
2)その時代、九州には、近畿の人々であふれている。
3)九州説の根拠となる遺跡は現在の編年ではことごとく2世紀中
  のもので、邪馬台国以前。
4)どーあがいても、卑弥呼の墓になりえるものはありえない。
  (短里説なんぞで、1歩が25センチだなんだとかいったところ
   でだめだよーん)。

以上。

222 :出土地不明:04/10/09 07:53:09 ID:8Mzb8qi/
>>221
>なーぜーかー
>どーあがいても
>だめだよーん

w


223 :出土地不明:04/10/09 19:30:26 ID:NfynzPCn
>>221
あんた知ったかぶりだな。
九州は確かに近畿系土器に変容していくが、その過程は時間がかかっている。
また3世紀前半は近畿系土器のみの遺跡は無い。早い遺跡(福岡平野の一部など)で3世紀中頃からだ。
伊都国なんかは近畿系への変容がむしろ遅い方だが。
3世紀前半から中頃でことごとく近畿系の土器の遺跡の実名あげてくれ。
3世紀後半以降なら分かるけどね。
さらに、近畿系土器への時間をかけた(半世紀)変容が、全て近畿の人であふれているというのはいかがなものか?
すると明治維新の日本は、ヨーロッパの人であふれていたことになるのだろうか?
あと、吉野ケ里は北内郭なんかは3世紀前半に下るが。出土土器からそれは言えるぞ。221の言う近畿系の土器も伴うんだが。
もっとも、九州で最も重要で、吉野ケ里以上に大きい遺跡は伊都国や奴国に集中していて、その意味では邪馬台国は九州以外の方がつじつまがあうのだが。


224 :出土地不明:04/10/09 22:56:26 ID:QPPC2ZPH
横レスですけど・・・

>明治維新の日本は、ヨーロッパの人であふれていたことになるのだろうか?

↑どのような考古学的状況からそう言えることになるのか教えてくれ。

225 :出土地不明:04/10/09 23:02:20 ID:OCNCQNBN
>224
されに通りすがりの世界史晩住人ですが、、、
例えに突っ込むなヴォケ!!!

226 :出土地不明:04/10/09 23:30:55 ID:EOKD43ZP
ホントに近畿系の土器が九州で見つかったの?
九州系の土器が近畿で見つかったんじゃなくて?

近畿系の土器は他にはどこで見つかってるのかな?

また、どうして近畿系の土器が九州で見つかるんだろう。
九州の支配者が近畿の人を使役していたとは考えられないか?
近畿中心主義はやめよう。(近畿に住んでるわけだが)w

227 :出土地不明:04/10/10 01:41:42 ID:7K8fkZIz
>>226
九州系の土器が近畿でみつかることもある。
しかし、近畿はもともと、日本各地の土器がみつかる。
ようするに、日本の中心ってこった。

228 :出土地不明:04/10/10 03:15:50 ID:Pxa3s812
>>227
古墳時代初め頃の各地の拠点集落遺跡では、日本各地の土器が出ます。
近畿に限らずね。
九州の拠点集落遺跡では韓国の土器もよく出ます。
それらは全て日本の中心ていうことですね(w)

>>226
古墳時代初め(3世紀後半)以降、近畿系の土器様式が伝播し、影響が各地(特に西日本)に強くなるのは事実です。
ただ、近畿の人が各地に大量に移住したとか、各地を征服したとか、逆に上の人が書いてるように各地で使役されたとか、単純な説明もできない状況です。
理由は、各地での受容の仕方がまちまちで、また時間がかかっているからです。
それに、同じ時期に山陰系の土器も西日本各地に影響しますし。
そもそも、近畿の庄内式や布留式の生成過程での諸要素には、吉備系、山陰系の影響が強く、一部には東海系の影響もあります。
また、東海系の土器なんかは東日本に影響します。これについては、東海の将軍が東日本を征服したとか、東海が狗奴国で邪馬台国と戦争した結果、難民が東へ大量に流出したとかいう説もあります。
そんな単純ではないと思いますがね。


229 :出土地不明:04/10/10 09:53:47 ID:nOMrVlfl
ここでは、近畿説・九州説ばかりですが、四国説というのを聞いたことがあります。
卑弥呼の墓の描写に近い墳墓が発見されたとか書いてあったと思うのですが
もう否定されているのでしょうか?

230 :出土地不明:04/10/10 12:14:53 ID:gs1msHcf
>>228
ふと思ったけれど、ミトコンドリアDNAによるタイプ分類と、Y染色体
によるタイプ分類してみると、人類の祖先が、mtDNAだと、15万年前
だが、Y染色体だと6万年前とか出るでしょ。ぜんぜん時代が違う。
なんか、土器伝搬ってば、ミトコンドリアっぽいよね。なんか別の指標
でY染色体っぽいのを考古学的に持ってくる必要がありそうなんだが。
言っている意味は、土器製造は女性的っていみで。

231 :出土地不明:04/10/10 14:00:47 ID:FPpiGUkr
>>230
例えがよく分からんのですが、、、、
例え話しするならもう少し分かりやすいようにしてほしい。
>>229
あれはトンデモ説ですので、そもそも誰も相手にしてません。
って書くと、真性厨房が来るかもね。

232 :出土地不明:04/10/10 16:35:39 ID:CjONJiva
大分県の宇佐神宮の女性神にかかれていた古代文字を韓国在住の中国古代文字研究家に発音してもらったところ、あきらかに、「ヒミコ」と発音した。

朝鮮半島の騎馬民族が日本に上陸し土着民族の勢力を征服した。

全国にある神社は、その征服騎馬民族が自らを神格化するため、6世紀にアマテラスノオオミカミ等の神話と共に、さらには滅ぼした古代日本土着民族の鎮魂のため、建立された。

征服騎馬民族とは天皇皇族の先祖である。そして滅ぼされた古代日本土着民族の一つが卑弥呼、邪馬台国である。現代日本人とその文化のルーツは中国大陸、朝鮮半島である。

日本のルーツを探る考古学は、天皇神話を守る為、主に宮内庁により阻害され、真実が明らかにされていない。

邪馬台国の所在地は判然としないが祭られたのは大分宇佐神宮であるのは間違いない。

233 :完全理論武装論者:04/10/10 17:25:04 ID:sbv2G5v2
        邪馬台国は中国大陸にあった1(完全理論武装論者作)

古代国家邪馬台国は中国大陸南部にあったのです。
邪馬台国の場所はほぼ特定できますが、詳細な位置は現地に行かないと判明しないでしょう。

古代国家邪馬台国を知ろうとするには、過去の文献や遺跡発掘に頼る考古学のみで
知るには到底無理です。
邪馬台国を知るには、「紅海方位の法則」と「万里の長城理論」を学び、さらには
理法書の「理法理論」と「理法軍事学」と「理法歴史学」等を学ばなければ到底無理でしょう。
※「紅海方位の法則」「万里の長城理論」「理法理論」「理法軍事学」「理法歴史学」は
この板にて書き込み中です。http://jbbs.livedoor.jp/music/6270/

上記の法則や理論を知らない人にも、邪馬台国がなぜ中国大陸にあったのかを大まかに説明しましょう。
邪馬台国誕生の歴史には、雑種民族である日本人誕生のルーツと古代中国大陸での歴史に密接に関わっています。
なぜ邪馬台国が忽然と消滅したのかも、中国大陸での国家間の覇権争いと大きな関係があるからです。

234 :出土地不明:04/10/10 17:41:59 ID:Gs4Gbc7q
>>232
騎馬民族説は受け入れられないけど、卑弥呼が宇佐神宮に祭られてるのは
その通りだと思う。
近畿の政権担当者達もその事はよく分かってて、だからわざわざ九州から
来たと書記に書いてるんだろうね。お参りもするし。

ところで日本の古代史がPCのソフトになってたりするのはないかな?
日本地図に1世紀頃からの墓や銅鐸やらが年代別に分布してゆく状況が
出てくるようなもの。
本でもいいけど、CGでそういうのが見れたら嬉しいな。
同志社って、そういう学部が去年あたりに出来たよね。
羨ましいー

235 :出土地不明:04/10/10 17:42:12 ID:xhRZ5O2b
>>232
>>233
基地外逝ってよし

236 :完全理論武装論者:04/10/10 17:46:01 ID:sbv2G5v2
 邪馬台国は中国大陸にあった2(完全理論武装論者作)

1では古代国家邪馬台国は中国大陸南部にあったと書きましたが、厳密に言えば
邪馬台国は中国大陸南部から台湾、琉球列島、九州へとつながる広大な国家だったのです。
東シナ海を挟んで東西に広がった海洋国家といっていいでしょう。

しかし国家といっても完全な統一国家ではなく、各地域が複数の集落としてつながり
それらの複数集落がそれぞれ小さな国家として成り立ち、その小さな国家の集合体が邪馬台国なのです。
つまり現在でいう共和国制みたいなものです。

現在の州ごとに独自の法律があるアメリカ合衆国や、かってのソビエト連邦共和国とよく似た形態の
国家だったのが古代の邪馬台国だったのです。
そしてその邪馬台国の政治の中心となる場所(アメリカ=首都ワシントン・ソビエト=首都モスクワ)が
中国大陸南部にあったということです。

共和国制邪馬台国の政治の中心は中国大陸南部にありましたが、ここはあくまでも政治の中心であり
経済の中心や軍事力の中心ではなかったということです。
アメリカの経済や軍事力の中心が首都ワシントンにないのと同じことです。

さらに中国大陸南部のある地域が邪馬台国の政治の中心といっても、その政治は
宗教と一体化した政治であり、宗教を司る者が政治の指導者として共和国制邪馬台国に
君臨していたに過ぎません。


237 :出土地不明:04/10/10 18:08:37 ID:xI42Shvg
「完全理論武装」って、「ぬるぽ」で「がっ」てされないためのアレを思い出す。


238 :完全理論武装論者:04/10/10 18:10:54 ID:sbv2G5v2
邪馬台国は中国大陸にあった3(完全理論武装論者作)

2で書いた、宗教を司る者が政治の指導者として共和国制邪馬台国に
君臨していたに過ぎません。

これはキリスト教を崇拝するバチカン司教を政治の中心として、成り立っていた
中世の西ヨーロッパ諸国や、イスラム教を崇拝する指導者が政治を司っている
近世や現在のイランに代表されるイスラム国家にもあてはまります。

つまり古代の邪馬台国は宗教指導者を政治指導者にもした共和国制国家だということです。
この宗教指導者は政治も司どることはしても、経済や軍事力を掌握はしてはいませんでした。
あくまでも宗教的政治を通してのみ、邪馬台国内各共和国に経済力や軍事力を依存していた
ことになります、これはイタリアのローマにあるバチカン司教国と同じです。

ヨーロッパ中世の各国はこのバチカン司教の司る政治によって、強大なキリスト教
集合国家として誕生しました。

なぜこんな強大なキリスト教国家が誕生したかといえば、当時西アジアや中東地域で爆発的に
広がったイスラム教とイスラム教指導者を政治指導者にして、イスラム教を崇拝する各国が
強大なイスラム統一共和国国家を誕生させたからで、そのイスラム統一共和国国家の
ヨーロッパ地域へのイスラム勢力拡大を防ぐために、独自の国家のみで防ぐことができずに
同じキリスト教を崇拝する国家同士が連携しあい、イスラム勢力へ対抗するために
バチカン司教を政治の中心とした強大なキリスト教集合国家が誕生したわけです。

239 :完全理論武装論者:04/10/10 18:44:40 ID:sbv2G5v2
邪馬台国は中国大陸にあった4(完全理論武装論者作)

古代邪馬台国もまた3で書いたことと同じ時代背景で誕生したわけです。
古代中国大陸や朝鮮半島、日本列島の西半分を含む東アジア地域は、それぞれ地域ごとの
小さな集落国家として成り立っていました。

しかし「万里の長城理論」によって大きな圧力の発生した地域は次々と小さな集落国家が消滅していきました。
やがてその圧力はどんどん拡大して大きくなり、「紅海方位の法則」によって民族大移動が発生しました。
その民族大移動に巻き込まれた小さな集落国家の中には、消滅していく国家もあれば民族の流入を受けて
より大きな集落国家へ発展していき、民族流入による紛争や争いから防衛力を高めるための軍事国家へと
成長していく国家もありました。

また「紅海方位の法則」によって莫大な富を蓄えた経済集落国家も数多く誕生しました。
その集落国家の中から、さらに経済的にも富にも軍事的にも発展していった国家が生まれ
それらの国家は経済力と軍事力を背景に「万里の長城理論」による混乱から収束を図るために
平和と生活の安定を大義名分にして、周辺の集落国家を侵略したり併合したりして
次第に大きな国家が生まれていくようになりました。

もちろん大きな国家を誕生をさせようとするな勢力に対抗する、既存の集落国家も数多くいました。
「万里の長城理論」による大きな圧力を真っ先に受けた中国大陸北部地域では、小さな集落国家は
すでに消滅するか侵略による併合によって、複数の大きな統一国家誕生への流れとなっていました。
それによって複数の大きな統一国家同士の侵略と併合も活発化していきました。
魏志倭人伝の書かれた三国志でも有名な三国時代につながっていく大規模戦争時代の突入です。

一方、朝鮮半島や中国大陸南部は、「万里の長城理論」による民族大移動の力を受け始めたばかりで
小さな集落国家が消滅していくか大きな集落国家へと発展していく最中でした。
そのころの日本列島はといえば小さな集落国家全盛の時代で、まだ「万里の長城理論」による
民族大移動の圧力もそれに伴う争いや混乱からも無縁の地域だった。

240 :出土地不明:04/10/10 19:05:40 ID:CXjNkIls
 というか、この完全理論武装って、体の前面だけ完璧に装甲されてるけど、背中は素っ裸という裸エプロン状態のような希ガス(笑)

241 :完全理論武装論者:04/10/10 19:08:40 ID:sbv2G5v2
邪馬台国は中国大陸にあった5(完全理論武装論者作)

しかし小さな集落国家全盛の日本列島も、「万里の長城理論」による圧力から
逃れることができずに、次第に朝鮮半島経由や琉球列島経由や東シナ海を
直接渡ってくる民族大移動の波に巻き込まれていきました。
やがて日本列島西半分(特に九州地域から)でも、民族流入によって
小さな集落国家が消滅したり混乱や紛争に巻き込まれて、その圧力から
防衛するためにより大きな集落国家へと移行する流れとなりました。

そうした混乱が発生しだした日本列島西半分の中で、勢力を急激に
拡大しだしたのが、北部九州地域に勢力を置く集団(現在の福岡市中心部付近)で
この勢力は「紅海方位の法則」によって経済力が高まり、その経済力を使って
軍事力をも高めていきました。

一方民族の大移動は琉球列島経由や東シナ海を直接渡ってくることで、たどり着く先の
九州南部地域や九州西部地域にも「紅海方位の法則」が、北部九州地域に比べれば
小さいながらも発生しており、その力によって九州南部地域や九州西部地域にも
経済力や軍事力が発展していった。

242 :完全理論武装論者:04/10/10 19:40:30 ID:sbv2G5v2
邪馬台国は中国大陸にあった6(完全理論武装論者作)

やがて時代が経つにつれて、中国大陸では各地の小国は大国となった魏、呉、蜀の国へと
併合されていき、三国が治癒動く大陸での覇権を争う三国時代の幕開けとなっていった。

そのころの日本列島西部地域でも、ようやく小さな集落国家の時代に終わりがきて
次第に三大勢力による覇権争いの時代に突入していった。
三大勢力とは、九州北部地域を支配する奴、九州中部地域を支配する熊襲、
九州南部地域を支配する隼人で、この三大勢力が経済的にも軍事的にも日本列島西部
で最も勢いがあった。

やがてこの三大勢力による九州の覇権争いが、大規模に活発化していき
(これまでも小さな勢力争いはたびたびあった)この紛争が活発になっていった
この九州地域からも、平和と生活の安定を求めて逃れる者が増えて、日本列島内でも
さらに東へと移動していく者が多くなっていった。

この日本列島内の民族移動圧力のたどり着いた先が、出雲地方や近畿の大和地方で
ここでもまた「紅海方位の法則」の力が発生して、この地域は経済的に豊かになっていった。

一方九州での三大勢力による覇権争いは次第に二大勢力による覇権争いへと移行していった。
元々九州中部勢力の熊襲と九州南部勢力の隼人は、

なんか書くのと考えるのが疲れてきた。もうやめた、今日はここまで

243 :出土地不明:04/10/10 19:55:18 ID:YhkzEZ89
スレタイすらも読めねぇ妄想だらけの基地外は相手にしないのが一番。
よって以降スルーに決定。

244 :出土地不明:04/10/10 19:56:22 ID:aXB+B53Q
>>234
宇佐神宮ってば、姫大神だっけ?漢字わすれたけど。比売大神か。
あれは、神功皇后だろ。もちろん、こっちも伝説だが。

>>242
あー、でたらめ書く前に、ここは考古学板なんだから、そういう観点
で書くこと。いってよし?

245 :出土地不明:04/10/10 21:30:20 ID:Mt/43RgO
>232>234
電波ユンユンな理論を鵜呑みにする前に
宇佐神宮の歴史学ぼうな。


宇佐神宮の創建は和銅五年
現在地に移転は神亀二年
比売神の祭祀は天平五年から
神功皇后はずっと遅れて弘仁14年・・

全部8世紀だ。おまえの言う6世紀ではない。
おまけに比売神の方が後付なんだよな。

246 :出土地不明:04/10/10 21:32:50 ID:9wVEmz8K
完全理論武装??
「理論」という名の脳内妄想だけで、一切証拠が無いな(W)
考古学的証拠は?
文献的証拠は?

大体、東夷の倭の話しが何で、中国大陸なのよ。中国南部は当時、呉の領域だろうが(藁)

247 :出土地不明:04/10/10 21:48:06 ID:HaXNsK5y
神功皇后こそ伝説のデムパでは?

248 :25歳♂投馬国王の子孫:04/10/10 22:00:09 ID:KzLc1tSS
職業:古代史研究家。とかいう
やつをたまにテレビでみかけるが
そんな職業で生計が成り立つのか
疑問でしょうがないw

249 :出土地不明:04/10/10 22:16:02 ID:cJsDcjyi
>>248
ほとんどは、定年退職後の道楽組だ。
もと大企業の役員、もと新聞社の編集長などの肩書きで、
実際はたんなる趣味人なのだが、定年退職してから、
寺巡り、神社巡り、古墳巡りをして10年もたつと、70前後
で「古代史研究家」になれるらしい。
もともと、退職金がたくさんありそうな肩書きがあったので、
道楽だろう。

250 :出土地不明:04/10/10 22:27:24 ID:CjONJiva
古代史研究家>大学の研究員ですよ。

251 :出土地不明:04/10/10 22:36:17 ID:CjONJiva
大分県の宇佐神宮の女性神にかかれていた古代文字を韓国在住の中国古代文字研究員に発音してもらったところ、あきらかに、「ヒミコ」と発音した。

朝鮮半島の騎馬民族が日本に上陸し土着民族の勢力を征服した。

全国にある神社は、その征服騎馬民族が自らを神格化するため、7-8世紀にかけてアマテラスノオオミカミ等の神話と共に、さらには滅ぼした古代日本土着民族の鎮魂のため、建立された。

征服騎馬民族とは天皇皇族の先祖である。そして滅ぼされた古代日本土着民族の一つが卑弥呼、邪馬台国である。現代日本人とその文化のルーツは中国大陸、朝鮮半島である。

日本のルーツを探る考古学は、天皇神話を守る為、主に宮内庁により阻害され、真実が明らかにされていない。

邪馬台国の所在地は判然としないが祭られたのは大分宇佐神宮であるのは間違いない。

252 :出土地不明:04/10/10 22:39:32 ID:9wVEmz8K
古代文字?
何処にそんなの書いてあるの?
中国の研究員って誰よ?
ソース出せや、こら

というか、 >245に答えなさいって。

253 :出土地不明:04/10/11 00:23:43 ID:zyIvwmx/
古代文字って宮島の鳥居の裏にも書かれてるよね。
いくつかの種類を知ってるけど、ホントにこんな文字使ってたの?

254 :完全理論武装論者:04/10/11 02:13:04 ID:V8fd38O4
>>246
>大体、東夷の倭の話しが何で、中国大陸なのよ。中国南部は当時、呉の領域だろうが(藁)

あなたは考古学には詳しいけど軍事的なことはさっぱりのお方ですね。
中国大陸の地図をよーくご覧なってください。
中国国内では県ではなく省に分かれていますね、その省の中に
何々自治区という文字を発見しましたか?
その何々自治区となっている省は中国大陸のどこに多く分布していますか?

自治区と省の違いは何でしょうか?どうして昔の呉の国や蜀の国があった地域に
何々自治区が多く点在しているのでしょうか?
また戦争による侵略とか併合とかの軍事行動はすべて面制圧ではなく点制圧で行われます。

これは古代の戦争でも近代の戦争でもまったく変化はありません。
面制圧とはすべての集落に対して軍事制圧することで、点制圧とは制圧したい地域の
重要な拠点や都市集落などのごく一部を軍事制圧したに過ぎません。

続き

255 :完全理論武装論者:04/10/11 02:31:22 ID:V8fd38O4
>>246
>大体、東夷の倭の話しが何で、中国大陸なのよ。中国南部は当時、呉の領域だろうが(藁)

続く
古代の呉の国が中国大陸南部を軍事制圧した場合も、当然重要な拠点や集落のみを占領する
点制圧だけだったのです。
ところが文献や地図上では中国大陸南部全域が呉の領土になったかのようになってしまします。
実際には点制圧しかしていない歯抜けだらけの呉の領土なのです。

これは第二次世界大戦の大日本が軍事占領した領土の地図を見ても同じことです。
地図上では日本の占領した領土は北はアリューシャン列島のキスカ島から、
西太平洋全域、東南アジア全域、インドシナ半島全域、中国大陸の東半分、朝鮮半島
となっていますがこれらのすべてを面制圧したわけではありません、ところどころの
重要な拠点や島、都市などを軍事制圧しただけで、すべての地域を軍事占領したかのように
なっているのです。

地図上では日本の占領領土となっていても、実際には日本軍など一度も来たことがなく
日本の支配下に置かれていない集落は数多くありました。
昔の呉や蜀の国もそうだったのです。
文献や地図上では呉の領土となっていても、実際には漢人の軍隊は一度も来なくて
現地の少数民族が独自に支配している地域が数多くありました。

その名残が現在の今でも何々自治区や自治省という形で残っているわけです。

続く

256 :完全理論武装論者:04/10/11 02:50:19 ID:V8fd38O4
>大体、東夷の倭の話しが何で、中国大陸なのよ。中国南部は当時、呉の領域だろうが(藁)

続き
次に東夷の話ですが、邪馬台国は東夷だけの話となっていますが実際はそうではなかったのです。
当時の中国大陸と密接に関わりあっていたのです。

このことを詳細に説明しだすと本1冊書けるくらい長文になるので、ヒントだけでやめときますが
三国志の時代、日本列島の中の一地域の小国に過ぎない奴国が、はるか遠くの大陸の魏に使者を
わざわざ派遣して金印を授かる必要があったのか?

なぜ大陸の魏の力をバックに頼ろうとしたのかを、考古学的見地だけではなく
軍事的見地や歴史的見地で考えれば、私のいってることが理解できると思います。
この魏と奴国の関係を現在にあてはめれば、魏がアメリカで呉がロシアで
蜀がドイツに例えて、奴国をポーランドに例えればよくわかるでしょう。

現在のポーランド国が何の関係もないイラクに、軍隊を派遣してアメリカ軍の
占領統治の手助けを必死でやっていますね、なぜでしょうか?

257 :出土地不明:04/10/11 12:06:54 ID:p8HC6fvT
>>256
妄想やめれ
あなたの脳内理論だと、邪馬台国は中国大陸内の軍閥かよ?
軍事史云々以前に中国史を勉強しなさいって。
それにあなたの言っているのは近現代のこと。
3世紀のことを当時の文献や考古資料で言いなさいって。
頼むから、本1冊外で書いていいから、ここに書くのはやめれ。

258 :出土地不明:04/10/11 12:16:37 ID:p8HC6fvT
板およびスレの趣旨上、脳内理論武装論者はあぼーん対象と思うのだが。


259 :完全理論武装論者:04/10/11 16:15:33 ID:j2ElpaxI
生物であり動物でもある人間の行動は、「理法理論」によってすべて予測可能です。

よく「完全理論武装論者」の書き込んだ文章を、妄想だとか脳内とか言う人は多いですが
これらはすべて、「理法理論」に基づいて人間が次にとる行動を予測しているのです。

「理法理論」の「理法」とは「理にかなった法則」のことで、自然界のありとあらゆる現象は
すべて「たったひとつの理にかなった法則」によって発生しています。
その「理にかなった法則」のことを「理法」と呼び、その「理法」を使って理論を
組み立てたものを「理法理論」と呼びます。

さらに自然界のすべての現象を理法理論で組み立てて、それらを1冊の本に
まとめたものを「理法書」と呼びます。

人間は動物の中に含まれます。
その動物は生物の中に含まれます。
さらに生物は物質の中に含まれます。 物質>>>生物>>>動物>>>人間
そして生物、動物、人間にはそれぞれ役割を持って活動しています。

つまり役割を持った人間が次に行う行動は
物質的行動、生物的行動、動物的行動、人間的行動の4つで構成されています。
そうした4つの行動を「理法」で解析して理論づけしているのです。

260 :完全理論武装論者:04/10/11 16:52:08 ID:j2ElpaxI

さらに私はその「理法書」を使って、世界民族が共有できる新しい憲法草案
「生産者第一主義・女性中心社会」を作って、「生産者党」によって
万民に普及させようと考えています。

261 :完全理論武装論者:04/10/11 17:57:07 ID:j2ElpaxI
「ののたん」ですよ

さらに私はその「理法書」=『ののたん』を使って
世界民族が共有できる新しい憲法草案
「ののたん第一主義・ののたん中心社会」を作って
「ののたん党」によって万民に普及させようと考えています。

∋oノハヽo∈
  ( ´D`)
  (⌒)つつ  ののたん党れす てへてへ
    (__ノ


       ┌─┐   ┌─┐
       │の│   │の│
       └─┤   └─┤
          ∩       ∩ ののたん!
    ( ‘д‘)彡  ( ´D`)彡  ののたん!
 ┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡
 |た|    |ん|
 └─┘    └─┘

262 :出土地不明:04/10/12 02:26:52 ID:utUPqx7p
>>261
このレスがなければ大量に釣れたかもしれないのに・・・

263 :出土地不明:04/10/12 10:52:41 ID:L1r6wmKu
ののたん?某マンガのキャラですか。
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/comic/1066766249/

264 :出土地不明:04/10/12 12:51:39 ID:UuqgajZ1
大分県の宇佐神宮の女性神にかかれていた古代文字を韓国在住の中国古代文字研究員に発音してもらったところ、あきらかに、「ヒミコ」と発音した。

朝鮮半島の騎馬民族が日本に上陸し土着民族の勢力を征服した。

全国にある神社は、その征服騎馬民族が自らを神格化するため、7-8世紀にかけてアマテラスノオオミカミ等の神話と共に、さらには滅ぼした古代日本土着民族の鎮魂のため、建立された。

征服騎馬民族とは天皇皇族の先祖である。そして滅ぼされた古代日本土着民族の一つが卑弥呼、邪馬台国である。現代日本人とその文化のルーツは中国大陸、朝鮮半島である。

日本のルーツを探る考古学は、天皇神話を守る為、主に宮内庁によって阻害され、真実が明らかにされていない。

邪馬台国の所在地は判然としないが祭られたのは大分宇佐神宮であるのは間違いない。

265 :出土地不明:04/10/12 13:03:52 ID:Dpom0EMQ
>>264
どんな形状の古代文字でしょうか?
女性神のどんな箇所に書かれてありましたか?
いつ頃読んでもらったんですか?
そのとき、神宮等の関係者もいたんですか?
とにかく、有効な情報なようです。


266 :出土地不明:04/10/12 13:46:49 ID:Yz9yJOUw
大分人ですが、御由書によると、御祭神は
誉田別尊(ホンダワケノミコト)
多岐津姫命(タギツヒメノミコト)
市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)
多記理姫命(タギリヒメノミコト)
息長帯姫命(オキタラシヒメノミコト)
です。女神様が多ございます。
245さんの言われるように造立は神亀2年です。
それ以前に墓らしきものがあったとしても
証拠は無し、まさか例の裏山を掘って確かめる
わけにも行かず、卑弥呼やら邪馬台国と即関係
付けるのは無理だと思います。

が、聖武天皇はなぜこの地に立てたがったのかが
多少不明であります。恐らくは代々女系の土着の
シャーマンが居たような背景もあるかもしれませんが、
憶測の域を出ませんね。



267 :出土地不明:04/10/12 21:10:52 ID:LFrF1aOA
>>264
つまらんなあ。もっと笑える話はないのか。

268 :出土地不明:04/10/13 21:53:17 ID:QrktIgAE
基地外をスルーできない馬鹿と考古学に関係しないレスをする馬鹿は完全理論武装論者と同じレベル

269 :出土地不明:04/10/14 12:05:38 ID:lapqsn+V
>>264
>大分県の宇佐神宮の女性神にかかれていた古代文字を韓国在住の
>中国古代文字研究員に発音してもらったところ、あきらかに、「ヒミコ」
>と発音した。
ということは、中国系なんだよね?

どうして
>朝鮮半島の騎馬民族が日本に上陸し土着民族の勢力を征服した。
と繋がるのかわからん。当時の日本人の特徴は華北系に近いと聞いた
ことがあるし「朝鮮半島の騎馬民族」とは関係ないのでは?

270 :出土地不明:04/10/14 22:09:05 ID:bO0zsJXv
渡来人の形質は、顔はのっぺり、中頭、シノドント、長身。
これは現在でも華北北部人の形質そのもの。
満州人や蒙古人はほとんどが短頭であるし、シノドント率も低い
のでははいか?あまり長身でもなさそうだ。

決定的なのは渡来人は酒に弱い遺伝子(下戸遺伝子)を持っていると言う事。
華北人は酒に弱い遺伝子を持っているが、モンゴル人や満州人は酒に強い
と聞いている。

271 :出土地不明:04/10/14 22:12:48 ID:bO0zsJXv
それに朝鮮はまず初めに華北人に征服されている。

272 :出土地不明:04/10/14 22:13:52 ID:bO0zsJXv

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

273 :やすらい:04/10/16 00:44:33 ID:D6ICx7hC
 私は九州出身で、邪馬台国論争を陰ながらチェックさせてもらった
敬意を持っています。その私はいまや出雲にきて15年、邪馬台国は
九州or畿内どちらでもOK。ただしそれ以前の出雲王朝の影響力のつよ
さときたらもっとも有用な都市を風土記が出来る前に、頑張っていた
ということになるが・・・・

274 :出土地不明:04/10/16 01:00:00 ID:mBqhcSG0
妻木晩田遺跡だっけ?島根県じゃないけど、あれって、すごいよね。
やっぱり、出雲あたりはなんかあったと思うけど、、、たぶん、
投馬国だと思うけど、でも、今の出雲の中心ってば、結構新しいし。

275 :出土地不明:04/10/16 07:23:22 ID:m9srfloR
土井ヶ浜弥生人は日本海沿いに北海道南部まで広がった事が分かっている
から、魏志倭人伝に出てくる地名は日本海沿いの場所かもしれないね。

276 :出土地不明:04/10/16 15:57:36 ID:n9Abktih
>>266
多岐津姫命(タギツヒメノミコト)
市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)
多記理姫命(タギリヒメノミコト)
は、宗像3神と呼ばれますが、これはヒメ大神の素性が分からないため
古くとも、江戸時代に宗像3神に結び付けられた可能性が高いようです。
宗像3神である証拠は実はないのです。

あと、神宮の亀山は60年程前になりますが、改修時、石棺が目撃
されているようです。許可が出なくて調査はされてないみたいですが。

建立時期も、神宮としての時期が分かっているのみで、イコール宇佐の
歴史ではなく、ヒメ大神は更に古くから信仰されていたと思います。
宇佐神宮は古代より(いつからかははっきりとは分からないですが)
九州一円18箇所に広大な荘園を所有しており、何故たかが一地方の
神社がこれほどの土地を保有していたか、大和朝廷に多大な影響力を
及ぼしたかの説明は、通説では不可能です。

277 :出土地不明:04/10/18 04:17:54 ID:DflRyTGb
自分の中では堺市らへんだと思うのですが

278 :出土地不明:04/10/18 21:30:39 ID:A9IUcgn4
>>277
考古学的見地から、もう少し詳しく語れ。

279 :出土地不明:04/10/18 22:47:33 ID:msZ79z9U
日本人種は古代華北人と多少の混血はあったが、形質、DNA、HLA、YAPなど、
どの測定から調べても、完全に確立された独立した人種ですよ。
世界のどこにも日本人種と同じ人種など居ない。

それと異種との混血は肉体的に形質障害が出やすい事が徐々に
分かってきている。

1つ例に挙げれば、朝鮮人と日本人種のHLAは6割も違う。

つまり、朝鮮人は異人種という事です。


280 :出土地不明:04/10/19 11:05:23 ID:9b49Y3am
古代九州には「熊襲」とよばれる人たち、原住民が住んでいた事、そして彼らを
全国制覇をもくろむ中央の大和朝廷が「征伐」した事が『古事記』と『日本書紀』
にある。

同様に織田信長以外の徳川幕府までの歴代将軍の肩書きは「征夷大将軍」であり、東北以北の原住民
である蝦夷と呼ばれる人たちを征伐したという朝廷にかしづく存在である。

はたして、現在の皇族に直接繋がる、その元々の「大和朝廷」なるものの実態は何か。

それは朝鮮半島から渡来した騎馬民族だと推測される。以降の蒙古来襲と同様だ。
彼らは自らの権威を広く日本中に影響させる為、7-8世紀に神道神話を創造した。

閑話休題、詳細は日本では天皇家のDNA鑑定を含め考古学調査が出来ない。
現在でも朝廷古墳などの考古学的発掘調査を宮内庁が阻害するのは、
神道神話の伝説を守り、神社の神格を維持し、天皇制の権威を維持する為である。

天皇制で特権階級にあるのは天皇家だけではない。むしろ天皇家は現在では
生贄的存在かもしれない。宮内庁、官僚、政府自民党、もっとも憂慮したいのは国民の間に民主主義
を醸成する事を著しく妨げさせている部分である。また排他的独善的でグローバリゼーションとは
程遠い。

話はそれてしまったが、やはり邪馬台国は九州にあったとみるのが自然ではないか。

卑弥呼は大分県宇佐神宮に祭られていると思われる事。神社大社に祭られたのは
大和朝廷より征伐された熊襲のような原住民である事が多い事。
地理的にも中国大陸や朝鮮半島は非常に近い事。
また、「カンノワノナノ国王」金印が出土したのも福岡県である。

281 :完全理論武装論者:04/10/22 00:49:11 ID:c3wIAE6v
>>268
歴史を史料でしか語れない人か
もっと心理学や深層心理を勉強した方がいいよ

名探偵コナンやシャーロックホームズを見たまえ
現場に残された証拠だけで犯人を探し出したりはしない、被害者の置かれた状況や心理
加害者と思われる人物の状況や心理など、ありとあらゆる面から推理して犯人を捕まえる

日本人に欠けているのは物証(文書史料・発掘史料)でしか、推理できないチャチな脳みそだ
いいかげん史料だけで推理するのはやめたまえ
名探偵コナンやシャーロックホームズたちに笑われるよ

282 :完全理論武装論者:04/10/22 01:18:32 ID:c3wIAE6v
私は小さい頃からシャーロックホームズの本を何十冊も読みあさった

シャーロックホームズの難事件で犯人を特定する推理はすばらしかった
現場に残された証拠はもちろんのこと、ほんの小さな現場の変化でも見逃しはしなかった

また、事件の関係者全員のささいな言動や細かい仕草などや、服装から履いている靴、さらには
靴についている泥や洋服に付着している花粉、ありとあらゆる面から推理して犯人を特定していった

私はシャーロックホームズの本を読めば読むほどはまっていった。
物証や証拠がなくても現場の変わった様子や変化、関係者の言動や態度などの心理で
犯人を特定することができるのだと、私は多くのことをシャーロックホームズの本で学んだ

あなたたちも一度シャーロックホームズの本を読みあさってはどうだろうか?
史料だけで歴史を判断することはきっとなくなりますよ

283 :出土地不明:04/10/22 01:24:27 ID:WhyXttg/
痛すぎるな・・・・・・・・・・・・

284 :出土地不明:04/10/22 02:03:23 ID:6keDk8gP
そういえば、大分県に「耶馬溪」という地名があるけどいつからそう呼ばれてるんでしょうな。

もう邪馬台国は大分近辺にあったに断定していい?w

285 :出土地不明:04/10/22 08:53:30 ID:8mJyNl+r

江戸時代からでつ

286 :出土地不明:04/10/23 11:40:07 ID:xp0hKHtH
おーい!コナン/ホームズ---創作物・小説だぞ〜。読者を楽しませるエンターテインメントと
歴史を一緒に語るのはヤメレ。

287 :出土地不明:04/10/23 17:01:45 ID:cYiXBSOa
コナンとホームズを同列に並べるのもやめてほしいのだが・・・

288 :出土地不明:04/10/24 13:33:47 ID:kGUMr7EM
コナンといえば、1万年くらい前だろ。
だったら、ホームズは200年前。邪馬台国は3世紀。
なんで、こんなに時代があく?

289 :sage:04/10/24 19:44:12 ID:EdkMcIDY
弥生文化博物館の特別展示なかなか面白かったよ。

290 :出土地不明:04/10/25 14:36:16 ID:BApwg+30
288様
おーい間違ってるぞ〜(勘違い?)。コナンは1万年前じゃないぞ。名探偵コナンはホームズ等の作家アーサ−・コナン・ドイル(英)
からとってるハズですが...。
それに時代の違いをいっているのじゃなくて、もっと想像力を働かせろという意味だと思いますが。

291 :出土地不明:04/10/25 15:48:02 ID:+RDRt/xC
今やってる弥生博の特展って邪馬台国ネタなの?

292 :出土地不明:04/10/25 22:27:48 ID:unSRFNV0
1万年前のコナンなんて、マニアックすぎて誰もつっこめないじゃないか。
俺も必死でぐぐってようやくみつけたYO

293 :完全理論武装論者:04/10/26 02:37:17 ID:rpbON6ea
日本史板の◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART12のコテ九州王朝大好きさんの
大和朝廷誕生のいきさつはほぼ正しいですが
でもその説だと鹿児島県や宮崎県南部に天皇家の墳墓があることは説明つきません。

大和朝廷を開いた天皇家開祖の出身地は高千穂伝説などから宮崎県南部と断定できます。
しかし、天皇家代々の顔立ちや風習、しきたりや田植えの儀式などから判断して、
宮崎県南部に移住(正確には移住ではなく邪馬台国支配者からの命令による転封)してくる
前は、朝鮮半島の現在の韓国中部地方出身(古代の百済地方出身)でしょう。

そして邪馬台国崩壊へとつながる九州北部の権力闘争のごたごたに、天皇家の一族も巻き込まれて
天皇家の王自らが率いて九州北部へ兵士を派遣するものの、結局敗れて邪馬台国は崩壊消滅。
邪馬台国の主家は金印を志賀島に埋めて船で祖国朝鮮半島に逃た。
一方天皇家の王は戦死して残った兵士たちも宮崎県南部の領地には戻れず、現在の大分県宇佐地方に
一時的に避難する。

続く

294 :完全理論武装論者:04/10/26 02:39:46 ID:rpbON6ea
続き

また宮崎県南部の領地は邪馬台国崩壊によって反乱と、邪馬台国を崩壊させた部族の
兵士たちが熊本県側から攻め寄せてきたために、わずかに残った守備兵と共に天皇家の一族は
逃れるために国を捨てて九州東岸を船団で北上していった。
その時の船団のリーダーが天皇家の王の妻であったのは日本書紀を読めば推測できるでしょう。

そしてなんとか宇佐の地にたどり着いて、戦いに生き残った兵士たちと合流
今後の方針を宇佐の地で話し合った。
その時に邪馬台国本国ゆかりの王の一人(女王卑弥呼の一族の中の誰か?)が、
戦争の際のケガが元で死去したので宇佐の地に埋めた。(それが宇佐神宮の由来か?)

そして天皇家一族の出した結論は、このまま下関の海峡を通り敵一族の占領している
九州北部沿岸部を船団でつたって祖国朝鮮半島へ戻るのは船団壊滅の危険が多い。
かといって領地であった宮崎県南部地方を残った兵士たちで奪い返すのも無理で、
このまま宇佐の地にとどまっても、ここにもいずれ敵一族が攻めてくる。

瀬戸内海を船団で東へと逃れよう、東には我々と同じ半島祖先の一族がすでに
新天地(奈良県明日香地方)で領地を開拓しているので、その一族に世話に
なろうという結論が出た。
こうして天皇家一族はわずかの兵士とその家族(総勢千人余りか?)と共に
宇佐の地を後にして船団で東上していった。

295 :完全理論武装論者:04/10/26 03:03:28 ID:rpbON6ea
続き

船団で東上した天皇家の一族は、邪馬台国を滅亡させた敵一族に、協力的な他部族に
瀬戸内海の各地で襲われたり迫害を受けながらも何とか河内までたどり着いた。
ここで船を捨てて陸路、奈良県明日香地方までようやくたどり着いたが(四、五百人程度?)
同じ半島一族の血を持つ同士である、明日香地方の豪族たちの態度は冷たかった。

なぜなら邪馬台国につながる天皇家一族を受け入れれば、今度は自分たちが
九州地方をほぼ制圧した邪馬台国を滅ぼした一族から、攻められる恐れがあるのと
新しく開拓したばかりの奈良県南部や明日香地方だけでは天皇家一族全員数百人を
一度に養っていくだけの領地の余力がなかったからで、やむをえず天皇家一族の
本家たち(三百人程度?)だけが明日香地方に領地を貰ってとどまることを許され、
その他の分家の一族たちは自分達を受け入れてくれる新天地を求めてさらに
東上(二百人程度?)していった。

三重県松坂地方に天皇家ゆかりの伊勢神宮があるのも、この地に天皇家の一族が
新天地を求めて移住して開拓した名残りだと言える。
また最初に上陸した河内地方にも百人程度がとどまったらしい
これらは船頭や船のこぎ手の一族ばかりで、捨てていった船団の警護と
船団を使っての輸送仕事を新しく新天地で開拓したため

296 :完全理論武装論者:04/10/26 05:21:45 ID:rpbON6ea
他民族、共和国制邪馬台国(多民族国家を宗教で取りまとめる女王は中国大陸南部に、
邪馬台国の経済と軍事を取りまとめる代表国は九州博多の地にあった)が邪馬台国
国内をとりまとめる女王が死去すると、邪馬台国の経済と軍事を取りまとめる代表国の
男王が、女王の後継者として名乗り出てためにそれに反対する邪馬台国内他部族との
内戦に発展した。
邪馬台国内の内戦によって女王の後継者として名乗り出た、九州北部の男王が倒されて
新たな女王を立てることで邪馬台国内の各部族はまとまり内戦は集結した。

しかし数十年後、また女王が死去すると、その間また軍事力を蓄えてきた九州北部の
男王の子孫が邪馬台国の後継者へと名乗り出た。
そこでまたその男王に従わない他部族との内戦が勃発、男王の邪馬台国後継に
反対する他部族の方が勢力に勝って、九州北部の男王の領地を取り囲むまでの激戦になった。
(邪馬台国の後継者は宗教を司る巫女が王だと支持する部族の部隊を女王軍と呼ぶ)
(一方邪馬台国の後継者は邪馬台国内の重要拠点で軍事経済を司る、九州北部の国の男王が
ふさわしいと支持する国たちの部隊を男王軍と呼ぶ)

女王軍の主力は中国大陸から琉球列島を島伝いに、九州南部と西部に移住してきた民族と
九州に古くから住み着いている土着民族(縄文人)たちの国
男王軍の主力は朝鮮半島から開拓目的の渡来によって、九州北部に住み着いた民族たちの
国で、この女王軍と男王軍の民族たちは邪馬台国ができる以前から領土の拡大争いで
戦争を繰り返してきた。

集落人口と兵士の数で見れば女王軍が圧倒的優勢だが、男王軍は集落人口と数の上では
劣勢だが最新の武器(馬)と装備(盾と鉾)で装備して力はほぼ互角だった。
馬を使える平地では機動力に勝る男王軍が優勢で、馬の使えない湿地帯や山間部の
ゲリラ戦では女王軍が優勢だった。

297 :完全理論武装論者:04/10/26 05:22:52 ID:rpbON6ea
女王の死去と後継者に名乗り出た男王によって、邪馬台国二度目の大規模な内戦が勃発した。
最初は馬と盾と鉾で装備した男王軍優勢だったが、数の力で圧倒するのと山間部のゲリラ戦を
得意とする女王軍の前に、男王軍は次第に領地内への戦いに追い詰められていった。

筑後川流域南側地域の山すそに点在する女籠石の石塁跡は、女王軍が男王軍を攻める際に
砦として築いた跡である。(その地域にやたらと女と名のつく地名が多いのもそのせい)
やがて女王軍は各地で男王軍を撃破して、筑後川を越えて男王軍の同盟国領地内へと
なだれ込んでいった。

天皇家の一族は邪馬台国内での内戦が勃発すると、同じ半島地域出身一族で主家である
男王軍の側についた。
天皇家の一族は半島から九州北部に渡来した後、九州北部を支配する男王の先祖王から
宮崎県南部の開拓を命ぜられて、宮崎県南部に住み着いた。
この地域(都井岬に今でも野生馬の放牧地がある)に、朝鮮半島からの野生馬(馬は当時最新の兵器)を
持ち込んだのも天皇一族の先祖たち。

男王の命令で天皇一族の王自らが兵士を率いて、内戦の激戦地である筑後川流域に赴いた。
(推測だが兵士は千人程度で、馬は百頭前後かと)
しかし次第に戦局は男王軍に不利になっていき、女王軍は筑後川を越えて男王軍の同盟軍の
領地内まで侵攻してきた。
ついに男王軍の中心部落のある博多の地にまで女王軍は押し寄せてきた。
最後の決戦にも敗れた男王軍は敗走、男王と男王軍主力部隊と家族の一部は
船で、博多湾から志賀島経由で朝鮮半島の祖国地域へと逃れていった。
(この時、国が消滅して持つ必要がなくなった金印は、再び兵士たちを率いて
博多の地に戻って国を再建する時のために志賀島に埋めた)

298 :完全理論武装論者:04/10/26 05:24:49 ID:rpbON6ea
一方数少ない船に乗れず取り残された男王軍の残存部隊と家族たちは、まだ女王軍に
支配されていない東の地域(昔の豊前国で筑豊地域の遠賀川流域も含む)へと
逃れていって、そこでまた態勢を立て直して女王軍と戦った。
豊前国行橋地域の山中にも女籠石の石塁跡があり、そこにも女王軍が国の中心部落へと
包囲して攻め込む際に砦として築いたのだろう。

天皇一族もまた豊前へと逃げながら女王軍と戦った。(いつどこで天皇一族の王が戦死したかは不明)
行橋の少し北に「みやこ」という知名があるが、ここに男王軍が新たに都を移して本陣を構えたのでは?
行橋平野の部落は豊前の国の王の中心であったために、それより少し北側に敗走した男王軍が集落を構えたのでは?
一方天皇一族は豊前国宇佐地方の防衛を任されてそこに着任したのでは?

一方男王軍の中心の国が女王軍によって陥落したという知らせは、宮崎県南部の天皇一族の支配する
領地の国にも届いた。
その知らせによって天皇一族の国でも女王軍に味方しようと、反乱を起こす先住民族たちもいて
そらには熊本県球磨地方からも女王軍の勢力が宮崎県南部へと攻め込んできた。
天皇一族は裏切らなかったわずかな兵士と家族たちを乗せた、小型船の船団で国を脱出して
沿岸づたいに北上していって、天皇一族の主力部隊のいる宇佐地方へと向かった。

宇佐地方に天皇一族がたどり着いた後はもう述べたので省略して、その宇佐神宮には
誰が死去して祭られたかといえば、やはり男王の一族で男王軍の中の有力王だろう。
その王は沿い五の防衛拠点であった行橋の北の「みやこ」と、行橋中心集落が陥落したので
宇佐まで逃れてきて、そこで戦争のケガか何かが原因で死去して宇佐神宮に祭られたのでは?

だから天皇家と直接縁のある伊勢神宮(天皇家一族の分家が死去して祭られた?)とは違い、
直接的に宇佐神宮と天皇家とは縁がないのに、なぜか宇佐神宮を特別視した古代の天皇家。
やはり宇佐神宮には古代天皇家の主家の一族が葬られていると考えられるが、当時は邪馬台国内で
女王軍と男王軍の内戦中であったために、豪勢な墳墓を作る余裕もなく埋められたのだと推測する。

299 :完全理論武装論者:04/10/26 06:03:25 ID:rpbON6ea
では女王軍が勝利したのになぜ邪馬台国は消滅したのかは
元々邪馬台国というのは男王を中心とした半島勢力と、中国大陸南部から渡ってきた
民族と、九州に古来から土着している民族(縄文人)の三大勢力が、九州のでの
領地拡大と領地死守を巡っての長年に渡る争いをやめて、平和的に解決する手段として
九州以外の地に住む巫女を、女王に立てることで九州内の各民族の国が納得して
共和国制の邪馬台国が誕生したのである。

九州以外の地に住む巫女を女王にした邪馬台国は、九州での各国の領地争いを平和的に
解決する手段としては最も効果があったが、女王が年老いて死去すると後継者問題で
共和国内は紛糾した。
なぜかといえば新しい巫女を女王に立ててもよいが、先代の女王と血がつながって
いないことや巫女としての能力に疑問があったからで、これをきっかけに九州内の各国は
邪馬台国後継者への主導権争いの内戦が勃発した。

しかし度重なる内戦によって九州から土地を失った難民や、平和を求めて瀬戸内海地方や
畿内へと九州を脱出していく住民が激増して内戦をしている各国勢力は弱まっていった。
そこで再び新しい女王を立てて、平和的に治めようとする動きが強くなって二代目女王が誕生した。
そして二代目女王の死去によって三代目の女王を立てようとする女王軍と男王が治めようとする
男王軍の内戦が勃発、男王軍の国家が滅亡して女王軍の勝利に終わった。

300 :完全理論武装論者:04/10/26 06:05:22 ID:rpbON6ea
邪馬台国内で女王軍が勝利したのに三代目の女王が立てられなかったのは、
もう女王を立てる必要がなくなったということで、元々邪馬台国内では
半島渡来勢力と土着民勢力と中国大陸移民勢力の、三大勢力の領地争いが
激しかったために平和的に解決する手段として、外部の女王を立てて
邪馬台国が生まれた。

しかしその三大勢力のうちの半島勢力が敗北して消滅したら、九州内に
領地拡大の争いをする片方の勢力が消えたということで、九州内で
領地を巡って大規模に戦争する国も民族もいなくなった。
こうなればもう外部の巫女を女王にする必要がなくなったわけで、共和国制の
邪馬台国は自然に消滅していって、女王軍の中心で指揮して戦った熊襲族の
国の王が自動的に共和国制の九州王へと昇格した。

だから邪馬台国は滅んだのではなく時代の流れの中で必要がなくなって
住民の記憶から消えていったというわけ

301 :出土地不明:04/10/26 09:29:52 ID:LLa+Fonr

完全なスレ違い。
妄想もいい加減にしろ!

302 :出土地不明:04/10/26 12:56:21 ID:kDk5vHxY
小説?

303 :出土地不明:04/10/26 17:41:15 ID:F0z3sSTH
完全に隔離スレになっとるなw

304 :出土地不明:04/10/26 20:27:07 ID:kUWjicNF
日本史板で相手にされないから
ここに書き込んで自己満足してるんでしょ。

305 :出土地不明:04/10/26 23:37:05 ID:zCJC6bch
>>300
失礼かとは思いますが一言。
ご自身でおっしゃっておられるように
極めて恣意的な理論展開を是とされていることを
自覚されていますでしょうか。
作者によって用意された範囲での論証をそれと気づかせずに
構築されているお話を、その理論の展開を
面白いと感じるのは間違いではないでしょう。
私も同じです。

しかし、それを学問としての理論展開の手本とされるのはいかがな物でしょうか。

読ませていただいた、書き込み内容は小説のプロットとしては
とてもよいものだと思います。
それを学問的に検証されるもいいでしょうし、
小説として完成されるのもよろしいかと思います。
いかがでしょうか。

306 :出土地不明:04/10/26 23:56:02 ID:VrwcaCxQ
>>305
火魅子伝萌え!これ絶対面白い。

307 :出土地不明:04/10/27 00:33:20 ID:axHCZhqy
>元々邪馬台国というのは男王を中心とした半島勢力と、中国大陸南部から
>渡ってきた民族と、九州に古来から土着している民族(縄文人)の三大勢力が、


このあたりが特に恣意的だね。
中国南部から渡来人なんか来てやしない。
渡来人は朝鮮を征服して日本に渡来した古代華北人。

半島勢力って何??楽浪の事か?
古代華北人とっては楽浪は縁の地だがなw

308 :完全理論武装論者:04/10/27 05:31:31 ID:YCqNjxCM
>>305
ご丁寧にありがとう
>>307
>中国南部から渡来人なんか来てやしない。
いいえ中国南部から渡来人(というか南下してきた漢人に土地を奪われて難民として)は
九州に船で渡ってきたのですよ

かってベトナム戦争の時、ベトナム人が戦火を逃れて難民として小船で東シナ海をさまよいました
その難民船の中には黒潮海流に乗って日本近海まで流されて、日本の漁船に救助される場面が
数多くありました。

ベトナムからでも黒潮海流に乗れば、エンジンも帆もない小船で日本にたどりつけるのですよ
中国大陸南部から土地を奪われて戦火を逃れた民族が小船で九州にたどり着いてもおかしくないです。
これは紅海方位の法則でも証明できます。

かって日本人が台湾を植民地にした時、台湾人や台湾の原住民と争いごとを起こさなかったのも
元々日本人と同じ祖先でつながっているから、すぐに同化したのです。

また南京大虐殺が起きたのもこの古代時代からの因縁です。
南京に住んでいる漢人の祖先たちが遠い昔、この地に住んでいた日本人の祖先たちを
武力で虐殺したり大陸の南の地へ追い払ったりしたために、その因縁の血が騒いで
今度は日本人が遠い昔の故郷南京の地で漢人たちを虐殺したのです。

309 :完全理論武装論者:04/10/27 05:55:24 ID:YCqNjxCM
>>307
>半島勢力って何??楽浪の事か?
そんなに広範囲の地域でなく古代の百済のあたりです。

私は元々直観力に優れているタイプで、ほんの少しの文章や言葉だけで
すぐに全体の流れをつかめてしまう能力を持っています。

ですから高句麗から攻められて滅亡寸前の百済に、大和朝廷が大軍を率いて
救援に向かい結局大敗北を喫した書物を読んだ時にピーン!きたのです。

戦ごとでは、普通勝ち戦の時は書物などにはでに記して後世に
語り継がせようとしますが、大敗北を喫した負け戦などは書物に載せないか
軽く記述しただけで済まします。

ところが大和朝廷の百済救援のために大軍を率いたが、結局大敗北を喫したにも
関わらず書物にはこの戦の模様を事細かに記しています。
これはこの両国には切っても切れない大きな関係があると直感で感じたのです。

そこで百済と大和朝廷との切っても切れない関係とは何か?を考えたら
現在でもそうだが、昔は家柄、主家、従家、本家、分家といった一族の中で
生まれた家によってその人の身分が決まります。
一族は家の身分を大事にするのです。

当然大和朝廷内にも百済国内にもそれぞれ家の身分があり、主家や本家の命令には
従家、分家は絶対に従わないといけません。
なぜ大和朝廷が半島のはるか遠い地にまで、大軍を率いて救援に向かったかという理由は
1,百済が大和朝廷の従属国家だった。2,百済と同盟関係を結んでいた。
3,百済の王が大和朝廷の王より主家であり本家であった。
の3つの理由しか考えられません。

そこで私は3の説を取ったわけです。

310 :出土地不明:04/10/27 08:14:50 ID:cevlqAv/
ピョン( ゚д゚)ヤン

311 :出土地不明:04/10/27 09:06:22 ID:eHFuW69b
お前、創作板か日本史板に逝けや
削除依頼出すぞ

312 :出土地不明:04/10/27 20:20:53 ID:C+E6GQtv
>>306
火魅子伝なんてカス。
Kishin姫神のほうがいい。

313 :完全理論武装論者:04/10/27 21:30:49 ID:ww4CBlUP
>>311
負けて悔しい花いちもんめ

314 :出土地不明:04/10/27 22:22:44 ID:z6KCio5x
しかし、ここまで正々堂々と妄想を書き連ねて自己満足に浸っている輩も
いないだろうね。

悪いけど君の創作には何一つとして共感する部分はなかったよ。


>私は元々直観力に優れているタイプで、ほんの少しの文章や言葉だけで
>すぐに全体の流れをつかめてしまう能力を持っています。


確かに、そうみたいだね。
元々妄想力に優れているタイプみたいだよ。
君は本当に素晴らしいよ。素晴らしい。

315 :出土地不明:04/10/27 22:38:12 ID:ruUxNwKf
あまい。いるんだよ、沢山。
掃いて捨てるほど。

316 :出土地不明:04/10/27 23:42:33 ID:v5I5wAnP
>しかし、ここまで正々堂々と妄想を書き連ねて自己満足に浸っている輩もいないだろうね。

2chにはウンザリするほどいるよ、むしろそんなのばっかり。

317 :出土地不明:04/10/28 00:41:54 ID:8K/Xedlz
理論さん、
ここは考古学板なのですから、
あなたの説を考古学的に証明した上で自説を展開してくださいな。
出来ないなら、しかるべきスレッドに移動してください。

318 :出土地不明:04/10/28 00:57:58 ID:x/rPXctT
考古学と歴史学の区別がついてるといいんだけどね・・・・・・・・・
おそらくは・・・・・・・

319 :完全理論武装論者:04/10/28 01:02:34 ID:UGuUSGon
畿内には魏志倭人伝に記されたような大規模な内戦の跡は発掘されましたか?
明日香地方から古代の砦や柵や空堀の跡が発掘されましたか?
巨大な古墳を作れるということは、その地方が長い間平和だったという証明ですよ
畿内に大きな古墳が多いということは、畿内は戦乱の時代がなかったということです。
よって畿内には内戦状態だった邪馬台国の領地はありませんでした。

内戦で混乱している地方には古墳など作ってる余裕はありませんので
古墳を作るぐらいなら砦や柵や空堀を作っていますよ

320 :完全理論武装論者:04/10/28 01:09:54 ID:UGuUSGon
>>318
発掘したものでさえきちんと分析もできない輩が何をほざく
邪馬台国畿内説を唱える者ほどバカな輩はいない

戦乱の最中、巨大な古墳を造営できると信じているのだからバカにもほどがある
畿内に巨大な古墳が多いから、ここに邪馬台国があったと短絡的に考えるバカ

古墳というのは平和の象徴だということさえ知らないバカ
遺跡を発掘しても自分たちの考えに都合のよいように解釈するバカ
考古学の人間はバカばっかり
そしてそのバカたちがいまだに考古学会で権威をふるう

321 :出土地不明:04/10/28 11:08:58 ID:FHTAg9E2
まぁ、ちょっとおかしいのが居ても、相手にせず放置というのが、基本やね。
反論書いたりして、えさやったら、余計お祭りになるだけ。

322 :出土地不明:04/10/28 21:05:47 ID:Hi/nq/GJ
でも彼の場合はもう有害物質というかガン細胞と化しているからな。
彼に賛同する輩などもう誰一人としていないのに。

323 :出土地不明:04/10/30 03:01:20 ID:Jon6ePM4
…どうでもいいけど、一人よがりなスレだなw

324 :出土地不明:04/10/30 05:15:55 ID:tMCL7vhl
魏志倭人伝を盲目的に信じる人が多いやね。もしくは都合のいいところだけ抜き出したり。

>>319
戦争が終わったから古墳をつくりはじめたんじゃないの?
卑弥呼の墓はどうなの?大きくないの?

325 :出土地不明:04/11/02 23:38:43 ID:kx9nMQMP
>畿内には魏志倭人伝に記されたような大規模な内戦の跡は発掘されましたか?

九州でもそんなもの発掘されてません。
「倭国大乱」そのものの定義が未だ曖昧なのが現状です。

326 :出土地不明:04/11/03 01:18:04 ID:TJiqLIwq
>>325
箸墓古墳は、卑弥呼の墓としては、5%の狂いもないぴったりの
大きさ。作られた年代も、現状で、3世紀後半。ほぼ卑弥呼が
死んだとされる247,8年から10年あるいは20年後という
ことになる。もちろん、20年というのは考古学的な誤差の範囲。

九州では、短里説を用いても、大きさが100余歩に対応する
墓はない。

327 :出土地不明:04/11/03 14:31:28 ID:CrMKwQOB
作るのにも10年はかかるだろ。

328 :出土地不明:04/11/03 14:36:03 ID:sLs/d5dY
100余歩くらいの大きさの丘ならいくらでもある。
「ウチの裏山が卑弥呼の墓だ」と言ってる人もいくらでもいる。

329 :出土地不明:04/11/03 17:16:21 ID:fCPP6H9i
大和を建国したのは徐福だと思う人↓

330 :出土地不明:04/11/03 20:54:42 ID:jT05ufGd
↑キミ。

331 :出土地不明:04/11/03 21:13:07 ID:IYeSAHiG
>>328
そんなこといったら日本国中にあるよ。
きちんと考古学的見地から語りましょう。

332 :出土地不明:04/11/05 11:22:43 ID:uKTRn/7L
考古学的見地からみて、三世紀に人の手が加わった
100余歩くらいの丘も探せば結構ありそうな

333 :出土地不明:04/11/06 00:46:41 ID:kA2jtE0l
とりあえず土器が出ないと年代を云々できないですよね?
三世紀の土器が多数出るような丘で100余歩ぐらいのものっていうと限られてきませんか?

334 :出土地不明:04/11/06 20:09:03 ID:FkYww7Mb
纒向の初期って卑弥呼と重なるよな。
あの辺から、なんか証拠が出てこないかなとちょっと思う。


335 :出土地不明:04/11/06 20:57:32 ID:FkYww7Mb
纒向遺跡は3世紀初から4世紀後半ぐらいで、突然廃棄された人工都市と言われている。
崇神−垂仁−景行の3天皇だけでは、150年以上の年月で少なすぎるような気がする。
ちなみに、成務天皇は突然大津に遷都し、纒向が廃れたと考えると、成務天皇即位は、
4世紀前半ぐらいか?


336 :出土地不明:04/11/06 21:03:53 ID:FkYww7Mb
ちなみに、崇神天皇が4世紀前半ぐらいという説もあるが、それだと、
纒向遺跡は崇神天皇即位後、急速に衰えたことになりおかしいと思う。


337 :出土地不明:04/11/06 23:02:43 ID:FkYww7Mb
纒向の搬入土器は東は関東から西は北九州まで広範囲にわたる。
つまりこれが邪馬台国の支配の及ぶ範囲とすると、論理的に考えて、
狗奴国は南九州、つまり熊襲ではないかと思う。
畿内説では狗奴国は東海地方みたいなことが言われているが、
それはやはり違うと思う。


338 :出土地不明:04/11/07 00:27:42 ID:PvqT3jeP
↑マルチウザイ

339 :出土地不明:04/11/07 03:49:46 ID:9LYY0TdP
マルチってコピぺしていくつものスレに張ることなので、
この場合は連投じゃないですか?

340 :出土地不明:04/11/07 05:38:23 ID:PvqT3jeP
日本史板のスレにも同じもんが貼ってあるんだよ。

341 :出土地不明:04/11/07 08:24:47 ID:9LYY0TdP
そうなんだ。知らなかったよ。
考古板には1つしかないのなら大目に見てあげたらだめか?

342 :出土地不明:04/11/08 15:01:24 ID:DfFOzgXQ
宇佐から畿内へってのは、自分の知っている知識とも一致して、
結構、納得も出来るのですが、疑問に思うことが一点。
なんで畿内に遷都したんだろう。
東方……畿内へと征服していくのは、国の常として分かります。
そして畿内が都として適していたのも事実でしょう。
ただ、遷都となると、精神的?に決断させる理由がある様に思えるのですが。
古事記/日本書紀辺りを読んでも、事実のみで、その理由がピンと来ないんです。
# 東方への征服の果て、肥沃な土地にたどり着いただけなのかなぁ?

343 :出土地不明:04/11/08 19:31:20 ID:JJc8Lff8
歴史は、必然の法則によって展開しているのではない。
時代が人をつくり、人が時代をつくるのである。
たとえば、モンゴル帝国を築いたジンギスカンなどのように、
卓越した英雄や天才は、時代の流れを大きく変える。
歴史の探究において「英雄性」も無視できない。
ジンギスカンや秦の始皇帝などのように、新しい権力者は、
しばしば生産力の低いところからおきて、
肥沃、温暖な地を支配するにいたっている。
工夫しなければならないことが多く上昇への願望が熾烈なためであろう。
神武天皇が東に向かった理由の一つとして、
このような「神武天皇の英雄性」も考えなければならない。

344 :342:04/11/08 20:34:21 ID:DfFOzgXQ
あー、段階を経るからこそ国譲りが意味を持つのか。
史実はともかく、自分的には納得した。
自己完結スマン。

345 :出土地不明:04/11/08 20:53:41 ID:3ZdBcB+g
宇佐にはどんな遺跡や遺物があるの?
それは本当に都であるといえるようなものなの?

346 :出土地不明:04/11/09 08:28:59 ID:VEWE5M/b
>>342
この時代になると、日本の国土が少なくとも東海地方までは
広大な平野があり農耕に適していることが情報として入るように
なり、その中間地となる畿内を根拠地としたのではないだろうか?

なお、始皇帝の元来の地、秦は関中とよばれ、自然の城砦に
囲まれた上、肥沃な土地であった。
だから、漢の高祖は、項羽に勝てたともいえる。
始皇帝の場合、征服欲が強く、飽き足りなかったのであろう。


347 :出土地不明:04/11/11 15:52:56 ID:eZgEzPy7
フーン § ´_ゝ`§

348 :完全理論武装論者:04/11/15 10:04:29 ID:aEiVzIq2
こんにちは歴史愛好家のみなさん。そしてさようなら歴史愛好家のみなさん。
私はこのスレから撤退することにしました。でもロムったりはしますけど。

ずっと自分なりに考えていました、そして答えがわかったのです。
歴史の真実が私の理論で明らかにされても、なぜ歴史愛好家のみなさんは頑としてその真実を
認めようとしないのかがわかりました。

歴史愛好家のみなさんは永遠のミステリーハンターたちなのです。
あなたたちは謎を見つけて謎を追い、謎を究明することなく死んでいく人たちなのです。
謎を研究して楽しんだり、自らの知性を向上させようと謎を利用しているのです。

ですから謎が解明されては困るのです。
謎が解明されてしまえば、謎を研究する楽しみがなくなります。
謎が解明されてしまえば、自らの知性を向上させるための新しい謎を
歴史の中からまた新しく見つけ出さないといけないからです。
邪馬台国以上に興味をそそられる歴史の謎なんてそうそうありません。

ですから邪馬台国の謎を解明しないように、真実には目をつむり黙殺して
みんなでだらだらと同じ議論をしつくすのです。それが楽しいからです。

ですからひとつの歴史の謎を解明させて、また次の歴史の謎を解明してやろうと
考えている私と、永遠のミステリーハンターでいたいあなたたち歴史愛好家の、
みなさんとでは目的が全く違うのです。

というわけで私はこのスレから去ることにしました。
ではみなさん今日も知性の向上のためにがんばって議論して励んでください。さようなら

349 :出土地不明:04/11/15 12:31:37 ID:7pY3A7qD
おお、ついに去りますか。ありがとう。
まぁ、自分自身が納得できたんなら良かったね。

350 :出土地不明:04/11/15 12:48:03 ID:wyuCsI5h
最後までヘンな理論武装だったね。。。
お疲れ様でした。

351 :出土地不明:04/11/15 20:27:26 ID:nGKA3y5L
>こんにちは歴史愛好家のみなさん

つーか、こいつ、
最後の最後までここが考古学板だと言う事に気がつかないまま、
逝ってしまったなww
慶賀のいたりというべきか。

352 :出土地不明:04/11/15 20:42:04 ID:TqYCNIuY
あの〜

天皇陵の発掘調査を宮内庁に認めさせるスレ

で暴れてるみたいですが・・・

353 :出土地不明:04/11/16 18:30:32 ID:JqxtlQv5
つうかあちこちコピペしまくってるから、また来るよw

354 :出土地不明:04/11/17 16:41:00 ID:BZPhZTUt
畿内で決まりでしょ。
・邪馬台=ヤマト=大和
・隋書曰く「邪馬台国=大和朝廷」
・3世紀時の畿内の銅鐸・古墳・鏡が
 中国地方・九州地方・朝鮮に渡り存在。
 すなわち3世紀時に瀬戸内ルートが存在しており
 九州〜畿内までの連合国家体制が成立していた。
・7万戸を収容できるのは当時畿内だけだった。

355 :出土地不明:04/11/17 16:47:37 ID:BZPhZTUt
・東征は狗奴国の存在があったから実質的に不可能。
 東征した証拠もない。大和朝廷により吸収併合された
 伝説も残っていない。
・倭人伝の12000里は朝鮮〜倭国入国までが7000里、
 倭国入国から島々の連なりは5000余里に及ぶと書かれてる。
 つまり最終目的地の邪馬台国までが倭国入国から5000里。
・明代の地図には本州は九州の南に書かれている。
・卑弥呼の時代の年号が入った鏡が畿内で大量に出土。
 国内産かどうかは不明だか、卑弥呼に縁がなければ
 こんなものはでてこない。


ここまで言ってもまだ邪馬台国は九州だったと言えますか?w

356 :出土地不明:04/11/17 17:08:40 ID:Z1KRV425
>>354-355
>・3世紀時の畿内の銅鐸・古墳・鏡が
> 中国地方・九州地方・朝鮮に渡り存在。
>・卑弥呼の時代の年号が入った鏡が畿内で大量に出土。

考古学関係はこれだけかな?
いま、卑弥呼の頃の年号の入った鏡は何枚出てるんだっけ。

357 :出土地不明:04/11/17 19:21:44 ID:FLXfPFZf
>>354-355
景初4年の鏡があるから、邦製鏡だっていう事ではなかったっけ?
 ↑しょってコレだっけ?ごめん。
周旋すること5000里だから九州をぐるりと周ったんでね?という事では
なかったっけ?
隋書には「何か昔、邪馬台国ってのがあって、今ヤマトって言ってるのは
訛ったんでね?」って書いてあるだけだよね。
ヤマまではあってるけど、昔はタイっつってたんだよなー変わったんだなー
って意味でしょ?
ところで近隣のはずの邪馬や蘇は近畿のどのへんにあたると思われます?

358 :出土地不明:04/11/17 23:46:40 ID:GpjmVn9u
考古学板なので考古学から邪馬台国の場所を
言うとやはり畿内です。7万戸を収容できる
場所はその当時畿内しかありませんでした。
北九州では無理です。

359 :出土地不明:04/11/17 23:47:32 ID:B2l60DN/
>>357
>周旋すること5000里だから九州をぐるりと周ったんでね?という事では
なかったっけ?

同意

360 :出土地不明:04/11/17 23:56:31 ID:GpjmVn9u
九州をぐるりと回って5000里ではすまされんだろw
佐賀あたりから伊都国までで3000里って書いてあるんだぜ。

361 :出土地不明:04/11/18 00:04:40 ID:Uu0ROVaq
たしかに九州を回れば5000里では足りないと思います。
しかし女王国まで1万2千里と断言しているのですから、
1万2千里は九州に間違いないと思います。

>佐賀あたりから伊都国までで3000里って書いてあるんだぜ

これはどういうこと?
唐津は佐賀だけど伊都国までは500里だよ。


362 :出土地不明:04/11/18 00:17:36 ID:VipkOgQX
倭国入国から伊都国まで3000里くらいでしょ。
九州回って5000里には遠く届かない。
っていうかさ、現代の地理感覚で考えちゃだめだよ。
当時は本州が九州の南にあると思ってたんだからさ。
つまり九州から瀬戸内を通り四国・中国地方をめぐって
最終的に邪馬台国までいたる道のりを5000里だと
解釈していたわけさ。

363 :出土地不明:04/11/18 00:23:55 ID:VipkOgQX
投馬国も南に水行20日って書いてあるだろ。
邪馬台国が九州なら投馬国も九州。
いったいどこになるわけ?5万戸も収容できる場所が
あったわけ?

364 :出土地不明:04/11/18 00:31:50 ID:Uu0ROVaq
>>362
>倭国入国から伊都国まで3000里くらいでしょ

どこから3000里がでてくるのかなあ

>っていうかさ、現代の地理感覚で考えちゃだめだよ。

たしかにそれはいえてると思う。対馬から壱岐まで南と書いてる
けど実際は南西なんだよね。これは唐津から伊都国にもいえるけどね。

>最終的に邪馬台国までいたる道のりを5000里だと
解釈していたわけさ。

繰り返すけど、5000里は倭地を一周した距離だからね、
女王国までは一万二千里とはっきり書いてあるんだから、
足さないで頂戴。お願いします。
一万二千里は唐津ですでに一万里なんだからそう遠くはないはずだから
九州のしかも北部九州に限定されるはずだよ。


365 :出土地不明:04/11/18 00:36:12 ID:VipkOgQX
>>364
つまり魏の使者は伊都国までしかいってないんだよ。
そこからさきは何里とは書かずに水行だの陸行って
書いてあるだろ。つまり伊都国で邪馬台国までかかる
日数だけ聞いて、その日数から里数を割り出したわけさ。



366 :出土地不明:04/11/18 00:43:06 ID:Uu0ROVaq
>>363 邪馬台国が九州なら投馬国も九州。
いったいどこになるわけ?5万戸も収容できる場所が
あったわけ?

邪馬壱国が北部九州であるなら投馬国は南九州でしょうね。
しかし邪馬壱国の七万余戸といい、投馬国の五万という戸数は
指摘される様に一点に集中していたというのでは無理ですよね。
だから結局七万余戸や五万という戸数は国全体の戸数かもしれないですね。
それだったら可能性はあるし、説明ができます。
また卑弥呼が特定の場所(都、首都)に居たとするなら
邪馬壱国より女王国がふさわしいと思います。
思います。

367 :出土地不明:04/11/18 00:49:27 ID:VipkOgQX
ヤマトタケルが4世紀前半に熊襲征伐に出ている。
つまりこの時点ですでに北九州は大和朝廷の支配下。
3世紀後半まで北九州に邪馬台国があったなら
どこへ消えたの?狗奴国(熊襲)か大和に滅ぼされたなら
なんらかの形で伝説なり民話で残ってるはず。
東征しようにも狗奴国が健在なのにできるわけがない。

368 :出土地不明:04/11/18 22:18:38 ID:s5Nrud/D
一夜明けて冷静に考えてみるとやっぱ九州だわw

369 :出土地不明:04/11/18 23:45:40 ID:gugV2mS6
しかしイトやらシマやらを国と呼んでるあたり、使者達もちゃんと見たのかよって
感じ。(確かに戸数は少なく書いてるが)
いくら倭人に「コレでも国ですぜ」って言われたとしても、そのまま国と書き記す
なんてなあ・・・
これじゃあ水行何日とか7万戸とかも怪しくて仕方がない。
東西南北は更に怪しい。てゆーか、あんな地図や方向音痴ではヤマトまで来れないな。
まあ貼り付ける時に90度回転させちゃっただけのふざけた地図だけど。

ヤマトタケルが4世紀前半とかって確たる証拠でもある?
狗奴国が健在だから(て言うか強いから)東遷せざるを得なかったのでは?
☆邪馬台国近畿説だと・・・
狗奴国が九州にあるんなら、そこにずっと苦戦を強いられてたヤマトって
大した国でも無いのでは。結局、負けたんだか負けそうになったんだかで卑弥呼は
檄によって殺されるわけだし。
つーか、女王国連合を敵にまわしても強い狗奴国って何!
狗奴国が近畿にあったなら・・・367を真似ると伝説でも残ってるよなあ。

370 :出土地不明:04/11/19 01:15:25 ID:xJYdMisz
お前ら文献ばっかやってんじゃねえよ!
遺物や遺構から騙りやがれ!

371 :出土地不明:04/11/19 02:27:45 ID:ELmsIDLU
そうですね。
七万余戸の位置がどこか分からない現状なのに、伊都国は千余戸にも
関わらず三種の神器や日本一大きな鏡が出てきてます。
これってある意味皮肉ですよね。
やっぱり七万余戸は首都が七万余戸ではなくて、国全体が七万余戸
でしょうね。また邪馬壱国と投馬国だけが距離ではなくて、日数で
表現されている点からしてもこの二つの国は単にある程度広い地域を
まとめて七万余戸と五万余戸と表現しているにすぎないと思います。
伊都国を検索するとイイと思うよ。


372 :出土地不明:04/11/19 10:27:13 ID:WzmPsCr+
日本一の大鏡が埋葬されていたのは
女性(巫女?)の墳墓ではないかといわれているそうですが、
本当ですか?

373 :出土地不明:04/11/19 17:23:27 ID:ws8nm3Xm
平原遺跡は間違いなく女性の墓です。鏡の大きさも枚数も日本一です。
武器は太刀しかなく、ネックレスやブレスレット等の装飾品がたくさんでてき
ました。

374 :出土地不明:04/11/19 17:31:36 ID:ws8nm3Xm
もし卑弥呼の居た首都が七万余戸ある邪馬壱国ではなく、女王国だったら
女王国を探すのは簡単です。
世有王と書かれ歴代の王が居た国
唯一、一大率が置かれた国
この二つは伊都国です。其国七八十年男王と書かれている其国とは
卑弥呼の国ですが、七八十年男王というのは伊都国の世有王(歴代の王)
のことではないでしょうか。
卑弥呼の首都とした国が女王国とするならば女王国は伊都国と
説明できます。

375 :出土地不明:04/11/19 23:10:11 ID:WysEt7Jf
一大率と卑弥呼が同じ場所にいたの?
途中の行程はどうなるの?
まあ、考古学と関係の薄い話ですが。

376 :出土地不明:04/11/19 23:53:48 ID:ws8nm3Xm
考古学では>>373が分かりやすいと思います。
七万余戸の戸数が一点に集中していると
考えるのは考古学的には日本中どこもあてはまらないのでは
ないでしょうか。
福岡市や春日市は弥生銀座と呼ばれて集中している地域ですが
それでも二万余戸でしかありません。七万余戸が必要とする
面積は福岡平野を3から4倍した面積が想定されます。
これでは考古学的に七万余戸の場所は比定できないのではないでしょうか。
七万余戸を探すのではなくて女王国をさがした方がうまく説明できると
思います。一大率は首都機能そのものだと思います。

377 :出土地不明:04/11/20 01:27:57 ID:IIGs7c2Q
>>372
平原墓の被葬者は、たぶん、卑弥呼の一人だと思います。
伊都国の女王だと思いますけれど、魏に遣使したのは、
大和の卑弥呼でしょうが、伊都国も、以前は女王国で、
大和の女王国に統属するにいたったということでしょう。
でも、そんなややっこしいことがあったら、中国の歴史家
は確実に迷うから、一人ってことにしちゃったってことで。
伊都国を卑弥呼の国とすると、南のほうにいろいろな九州
の国があって、まさに南北に広い倭という概念ができます。

378 :出土地不明:04/11/20 01:49:33 ID:d6sm6ZpU
>>370
卓見。

379 :出土地不明:04/11/20 02:29:02 ID:aI9qWS/H
>>378
考古学的にみるかぎり、邪馬台国は、奈良県桜井市の、
纏向遺跡で、卑弥呼の墓は、箸墓古墳で、ってことになる。
魏志倭人伝の面倒な記述はさておいて、確実な線で、考えれば
これ以外にはあり得ない。

380 :出土地不明:04/11/20 11:47:11 ID:h3UFUP2/
卑弥呼=日巫女=天照大神で決まりでしょ。
こう仮定するとすべてが一本の線につながる。
天照の子供の天忍穂耳命の妻は万幡豊秋津師比売命。
この名前の中に入ってる、豊=トヨ=台与。比売=宇佐神宮の比売大神。
その4代後が神武。年代的に見て応神と一致。
仁徳は日向の髯長媛を妻に娶っていることから日向との関わりも深い。



381 :出土地不明:04/11/20 15:00:15 ID:oczi5Okg
>>380
神話伝承学的にいえば、天照大神は、比較的新しいし、
また、イザナギ、イザナミも新しい。
天照大神の登場は、おそらく6世紀ごろだろう。
イザナギ・イザナミも5世紀までは遡らない。
4世紀ごろまで遡り得る神とか人物とかになると、
おそろしく限られてしまう。だから、基本的に、神々の
物語と、邪馬台国の話はつながらないとみる。

382 :出土地不明:04/11/21 00:44:17 ID:v//EPkBr
平原遺跡の話は興味深いなあ

383 :出土地不明:04/11/21 16:01:24 ID:7PJkVb8D
女王国の東千里に海を渡ったところに国があるとありますが、
女王国が伊都国だとしたら千里=短里76キロとすると
ちょうど山口県下関あたりの九州に最も近い場所が
伊都国の前原市から76キロぐらいになります。
ただし方角が東でなく北東になってます。

384 :出土地不明:04/11/22 00:27:36 ID:gGAyqo8j
>>383
これは私の仮説なんだが、
1)そもそも最初に記録として「奴国」の朝貢があった。だいたい1世紀
この時代は、倭国は、ほぼ九州中心で、近畿圏などには、九州からの
「おさがり」程度にしか中国系文物は入っていない。ってことは、この
時代、近畿圏は北部九州にとって、ど田舎の辺境で、倭国の領域では
なかった。
2)奴国から、伊都国に勢力がうつり、帥升(等)が朝貢。これが、
2世紀初頭。この時代も概ね九州中心といえるが、一方、近畿圏も
ある程度の勢力を持ち始めた時代でもある。

この1)と2)の状態では、倭国は、南北に長く、そのもっとも北
に、伊都国や奴国があった。中国の歴史書における倭国のイメージは
この段階でできたので、「南北に長い倭国」というものが定着
3)伊都国の政権が、最終的にど田舎だったはずの大和(奈良県
桜井市)に奪取されたころの最後の伊都国の王は、平原墓の被葬者で
これが、「女王」だった。
4)大和の卑弥呼は、もちろん「女王」だ。で、二人の活躍年代は、
多少重なる。平原墓の女王は3世紀初頭に死んでいる。卑弥呼は、
魏志倭人伝からすれば、3世紀中葉(247年ごろ)死んでいる。
魏からの張政とかが来たときは、当然、大和に来ているわけで、
道程などもその数値が利用されている。

しかし、そもそも1)、2)で作られた「南北に長い倭国」という
イメージが定着していたので、方位を考える上で、かなり混乱した。
それでも九州内部の国については、問題なかったので、そのままに
したが、長い、水行と陸行による道程について、従来の南北に長い
倭国のイメージを尊重して、これを南にもってきた、というのが
おそらく正しいだろう。

385 :出土地不明:04/11/22 09:55:01 ID:RLM7LeHx
>最終的にど田舎だったはずの大和

纏向遺跡はどれくらいの時期に栄えてたの?

386 :出土地不明:04/11/22 19:11:38 ID:NWimCu4p
七万余戸は首都ではない。
卑弥呼の首都は女王国というサイトはこちら
伊都国女王卑弥呼


387 :出土地不明:04/11/22 21:18:07 ID:jH6PZOB/
こちらです
ttp://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/kimura/kim_yama.html

388 :せいじ:04/11/22 22:23:21 ID:NWimCu4p
伊都国女王卑弥呼はURLを記載しておりません。
コピーして検索サイトをご利用下さい。
またご指摘いただきましたが、
伊都国女王卑弥呼と387のURLは関係ございません。
誤解を招き対応が遅れましたことは深くお詫び致します。

389 :出土地不明:04/11/22 23:25:42 ID:EF3XsUt5
>>381
>天照大神の登場は、おそらく6世紀ごろだろう。
イザナギ・イザナミも5世紀までは遡らない。

素人なのですまぬ。この5世紀、6世紀てな時代比定は
簡単にいうとどのあたりから導きだされるの?

>基本的に、神々の 物語と、邪馬台国の話はつながらないとみる。
気分として同意。


390 :出土地不明:04/11/22 23:38:30 ID:ySZItuoH
>>386
基本的に残っているのは、古事記、日本書紀の記述と、
そのほか、なんだけど、イザナギ、イザナミは、どうやら
古事記などの記述からは、淡路島の神様らしいのね。
で、仁徳天皇(ってか、オホササギかな)は、イザナギを
結構なにげにあしらっていて、とても皇祖神としてあつかって
いないのよね。まあ、仁徳天皇はいたら5世紀前半くらいだろう
から、そういう意識があったろうと。
それから、天照大神についても、皇室の本来の祭祀にはあらわれ
ていないとかいうのがあって、どうやら、6世紀ごろに、伊勢
から入ってきた女神信仰があったらしい。現実に、神武東征の
ときも、神武が伊勢から入ることになっているよね。
というわけで、古事記、日本書紀の話の中で、それぞれ古い順に
ならべると(成立の早い順ね)、どうも、天照大神も新しいし、
イザナギ、イザナミも新しいということがわかると。

卑弥呼と結び付きそうなのは、崇神天皇のところで、ようするに、
ヤマトトトビモモソ姫(神大市姫)の話があるけれど、あそこは、
非常に単純な大和三輪山祭祀なので、そこには他の神様っていう
のもほとんど出てこなくて、オホモノヌシのみ登場。ってことは、
これも古いだろうっていうけれど、懐疑的な人はこの物語の成立も
5世紀ごろだろうという。地域的な関係とか、考古学も駆使して、
いろいろ議論はされていて、いろいろな本を読んだりするけれど、
一応専門家の間ではあるていどのコンセンサスはあるみたい。

391 :出土地不明:04/11/22 23:58:20 ID:EF3XsUt5
>>390
ありがとうございます。
イザナギ・キ神話についてはえらく納得しました。
アマテラスについては「6世紀頃に伊勢から入ってきた」あたり
まったく知らないので、これをヒントに探ってみます。

ややスレ違いぽいので申し訳なかったが
ホントにありがとう

392 :出土地不明:04/11/22 23:59:30 ID:Zp0awLoM
内容も文章も無茶苦茶ですね。悪いが意味がわからない・・・・・。

393 :出土地不明:04/11/23 00:22:32 ID:gXEIqruW
いやいや

394 :出土地不明:04/11/23 00:23:46 ID:enCg578r
>>385
纏向遺跡は、ある意味で、突然始まるようなところがあって、
2世紀後半くらいに遡るとみられるかな、、石塚古墳とか。
#あれ、ときどき見にいくけど、かなしいぐらい真っ平らで、
#古墳とはおもえん。
でもって、4世紀まで至るかどうか怪しいって感じじゃないかな。
もちろん、その後、巨大古墳が現在の国道169沿いにてんてん
とあるから(崇神陵のあんどん山古墳、景行陵の渋谷向山古墳など
の300メートル級)、まあ、纏向遺跡そのものはどういう具合
かおいといて、桜井市北部から天理市にかけて、は4世紀前半
までは続いているね。その後、4世紀半ば以降は、佐紀に移る
けど(平城京の北側くらい)。
面白いのは、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳で、これがサイズも、
魏志倭人伝の記述にぴったりで、築造年代も概ね3世紀後半、
たぶん、西暦の260年から270年ごろと思われるが、この
全長270メートルの前方後円墳は、もちろん、当時最大で、
それ以前は150メートル級以下だから、とつぜん倍のスケール
でつくったことになる。体積で考えれば10倍近いね。
で、この古墳のあと、しばらく70年くらいは大きい古墳はつくら
れていない。あんどん山が320年とかそれくらいだろう。
なんか、「偉大なる王(かなりの確率で卑弥呼)」の古墳を作ったら
その後、すくなくとも、その築造を知っている人が死ぬまでは新しい
巨大古墳は作りたくなかった、っていう感じがする。

395 :出土地不明:04/11/23 00:36:07 ID:EmZN0bfq
>>394
>#あれ、ときどき見にいくけど、かなしいぐらい真っ平らで、
>#古墳とはおもえん。

まじなはなし、前方部は丸々地下にある。


396 :出土地不明:04/11/23 01:02:17 ID:9wXi/W6P
卑弥呼、卑弥呼っていうけど、何がそう偉大なの?
中国の文献に名前が載っているが、業績が特段すごいとは記していない。
朝貢してきた事、安定的に治めている事、それくらい?
大きな戦に勝ったとか、領土を広げたとか、都造りを大々的にやったとか、
そんな話しはない。
シャーマン的に君臨しているので彼の国には少し絶対王的に映っただけで、
国内的には王の中の王という程では無かったと思う。
少なくとも、人物評は記してないね。その程度の王。
「死して大いに墓を作る」と記しても、前例なき格別の規模で造ったとは書いてないし、
葬儀が特別大々的だったとも書いてない。
それなのに、初期の最大級の箸墓に結びつけたがるのは可笑しい。


397 :出土地不明:04/11/23 01:29:26 ID:FpuCo3rV
 ちなみにイザナミの御神陵は出雲安来(現;島根県)に
あると聞いたが。


398 :出土地不明:04/11/23 09:08:18 ID:GZefzRNq
もし卑弥呼の居た首都が七万余戸ある邪馬壱国ではなく、女王国だったら
女王国の東千里に海を渡った所にまた国があると書いてあります。
もし女王国が伊都国ならば、前原市から下関の最も九州よりの地点まで、
75キロ程になります。千里が短里(76キロ)の場合ピタリと一致します。
方向が東ではなく北東にずれています。
計算方法については伊都国女王卑弥呼の「伊都国の東」に詳しく書いています。

399 :出土地不明:04/11/23 09:11:41 ID:GZefzRNq
398の「伊都国の東」は間違いでした。
「女王国の東」に訂正します。

400 :出土地不明:04/11/23 10:28:06 ID:9ENwBAh2
>>396に勝手に俺的補足
その時代の記述からして相対的に王であると読めるだけで、
確かに絶対的な強権を有していたかどうかまでは分からない。
中国では「確かに王である」と確認しないと国王の称号を与えないのだが、
三国時代の大混乱で少しでも味方が欲しい状況の中、たまたまやってきた
それっぽい女王を安易に国王として認めてしまった可能性も考えられる。

401 :出土地不明:04/11/23 14:20:14 ID:aHFclDY8
>>396
そりゃ偉大だろう。日本人(ってか日本列島人)として、
最初に歴史に名を残した人の一人だと思うぞ。
#帥升(等)のほうが古いか。

402 :出土地不明:04/11/23 15:20:28 ID:4BqyT6Lw
>>396
お前よりは断然すごいw
2000年あとになってもこれだけの話題を提供できるなんてすごいじゃない。

文献の解釈的な話は他所の板ですることにして、
考古学的に3世紀前後の列島の様子はどうなのか語ってください。

403 :出土地不明:04/11/23 15:27:19 ID:fmlYaPQm
名前と言っても実名かどうかわからないわけだが。

404 :出土地不明:04/11/23 22:42:39 ID:xbmn4lzQ
>>397
比婆山。他に花の窟神社とか。

405 :出土地不明:04/11/24 23:56:00 ID:DtQ8p52B
>>402
ざくっと語ろうか。
だいたい、北部九州、山陽、山陰、四国、近畿、東海くらいに
ブロックとして分かれるけど、北部九州がすごいのは、概ね
2世紀半ばくらいまで。その後3世紀後半くらいには、近畿
系土器と思えるものが、山陰経由で入ってくるらしい。
片田舎の集落を除くと、九州は近畿系の人たちがたくさんきて
いた可能性がある。近畿では、大和(現在の桜井市あたり)が
中心で、そこへは、ほぼ全国の土器があつまるが、東海系
の勢力がかなり入り込んでいた可能性がある。これは、大和の
独特な状況。九州系が直接入り込むことはないが、一方、鹿児島
の土器が入ったりしている。
九州は、卑弥呼の時代とされる3世紀前半からだんだんと近畿
系に浸食されて、3世紀後半くらいには、九州の王国のような
集落、吉野ヶ里とかそういうところが放棄されて、のちに、4世紀
になって、復活する。ちなみに、九州説で多く出てくるものは、
ほとんどが、2世紀中の遺跡で、3世紀はかなり規模が小さいか、
あるいは、放棄されているものが多く、その中で唯一残っている
っぽいのが、伊都国とされる、前原市あたりの遺跡だ。
これがざくっとした考古学的な結果だから、結局、考古学者の目と
しては邪馬台国九州説はほとんど無理だということになる。
卑弥呼の時代は、ほぼ完全に九州は近畿系に席巻されているし、また
主立った遺跡の年代は2世紀ごろまでで、3世紀はあまりぱっとしな
い。ところが、大和の纏向遺跡などは、3世紀後半から本格的なもの
になり、発展し、4世紀半ばまで続く。4世紀半ばといえば、大和
の政権はある程度確立しているし、部分的には、歴史文献資料と
付合するものも出てくる(あやしいが)。

406 :出土地不明:04/11/25 00:24:00 ID:87rzHZ8B
>北部九州がすごいのは、概ね2世紀半ばくらいまで。その後3世紀後半くらいには、近畿
  系土器と思えるものが、山陰経由で入ってくるらしい。

その前提が土器編年だから間違っている。遺跡なども放射年代測定によって3世紀から7世紀まで
ずっと続いているらしい。らしいというのは、九州考古学研究所が隠蔽しているから。今は小出しにし
ているが、測定精度が格段に向上した現在、いずれは隠しきれなくなるのは明白。



407 :出土地不明:04/11/25 01:24:05 ID:2byHFttK
>>406
で、邪馬台国は九州にあったといいたいわけ?

408 :出土地不明:04/11/25 12:09:17 ID:k4Tnz+1I
>九州考古学研究所が隠蔽しているから。今は小出しにし
>ているが、測定精度が格段に向上した現在、
>いずれは隠しきれなくなるのは明白。

隠蔽しているのに、あなたは何故知っているの?

409 :出土地不明:04/11/25 23:02:08 ID:6WZMKkP7
いや、それより「九州考古学研究所」の存在そのものが隠蔽(ry

410 :出土地不明:04/11/26 05:55:12 ID:6l+ir42L
邪馬壱国七万余戸。
七万余戸の集中する地域は考古学ではどこにもあてはまらない
よね。
七万余戸の集中するという意味は七万余戸イコール首都
という意味でしか現代では考えてないけど、そろそろこの固定観念、
常識は捨てる時がくるんじゃないかな。
そんな七万余戸が集中する地域が見つからないのは七万余戸が集中する
地域がなかったからではないでしょうか。まだ見つかっていないと
考えることはできるけど、巨大な戸数からすると見つかっていないのでは
なくなかったと考えるほうが現実的だと思うよ。
女王国の東に国があると書いてあるけど、邪馬壱国の東とは
書いてないよね。ということは女王国は何らかの重要な意味を持って
いたはすだから、女王国が卑弥呼の首都と考えたほうが分かりやすい
んじゃないかと思う。女王国が首都で、邪馬壱国七万余戸が国全域
の戸数としたほうが、理解しやすいんじゃないかな。

411 :出土地不明:04/11/26 10:09:14 ID:WVPf9fCr
東夷伝の他の国の戸数から考えても、邪馬台国だけでそれだけの戸数があったとは信じられないよな。
それだけあれば全部併合して統一王国ができるちゅうのw



412 :出土地不明:04/11/26 18:43:17 ID:Izaj57CZ
だから戸数が数えたければ他所でやれやw

413 :出土地不明:04/11/26 21:54:05 ID:6l+ir42L
七万余戸は首都でなかった。
だから首都は女王国でいいんだよ。
女王国以北という書き方が二回でてくるし、
女王国の東という書き方もでてくる。
これらは邪馬壱国よりもはるかに多く使われているんだ。
陳寿が説明したかったのは卑弥呼の場所をいいたいわけだから、
女王国が首都とするほうが自然なんだけどね。


414 :出土地不明:04/11/26 22:02:52 ID:6l+ir42L
伊都国には唯一一大率が置かれました。
一大率の役割は使いを送る、女王に送られたものを
検査し女王に届ける等であって、
これらの役割は首都機能そのものだと思います。
また使いが留まるのもこの伊都国です。
伊都国までしか使いは来なかったのです。
だから伊都国は女王国であって首都であったのです。


415 :出土地不明:04/11/26 22:05:40 ID:yGjP3khx
>405
難しかったんですけど、土器研究からの論説
すばらしいですねん。
勉強になりまちた。

近畿説っぽい感じ。

416 :出土地不明:04/11/30 23:43:46 ID:l85+ClTo
まあワシントンはNYより小さいけど首都だからね。

近畿の勢力が当時、一番大きなものだったとしても中国と国交を結んでたのは
九州の邪馬台国って事じゃあいけないの?≫近畿派
別に近畿の大勢力(と言われてる国)が中国へ貢物を捧げてたとしてもイイけどね。

倭人伝について日本人が初めて知ったのはいつなんだろ。
近畿説の人は「方角ちゃうで」とか言わなかったのかな?

417 :出土地不明:04/11/30 23:51:17 ID:8UchB0br
>>416
だめ。当時、北部九州が、あるいは南部もふくめて、
近畿圏の支配下にあったことは、考古学的に明らか。
よって、九州が主導的立場で魏と国交をもったはずは
あり得ない。

九州が栄えていたのは、邪馬台国卑弥呼の時代の100年
前なんだよ。古いのだ。
なお、倭人伝については、日本書紀にも記述があるんだから、
#そこでは、神功皇后にあてている。
日本では、文字が入ってきた段階から、中国の書籍として
入ってきたのは間違いない。

418 :出土地不明:04/12/01 14:03:25 ID:BLiiC5Sy
なあ、頼むから土器編年だけで物事を断定するの辞めてくれないか。
金かかるとかいいわけせず、ちゃんと放射年代測定やれよ。全部なんていわないっちゅうの。
そんなの学問じゃないって。

419 :出土地不明:04/12/01 23:42:08 ID:4ZpLiSzW
>>418
紀元前後以降だと、放射線はどうせ誤差の範囲だろう。
土器編年の誤差は20年程度に絞り込めるから、
年代測定の基本は、結局は年輪年代+土器編年で
いくと思う。ただし、やっかいなことは九州では、
年輪年代を決定することができないんだよなぁ。

420 :出土地不明:04/12/01 23:53:50 ID:rVNjXv6X
>>419
九州には木が出ないのですか?

421 :出土地不明:04/12/02 00:16:18 ID:V6WDP2xZ
>>420
解決しているかどうかしらないけれど(もう3年以上前の
技術を語っているので)、九州の年輪は、なぜかでたらめ
だそうだ。近畿とかをふくめて、本州の木は、気候パターンを
おおむね反映した年輪の幅になるのですでに紀元前3000年
くらいまでは、パターンができているんだが。
気候の問題かな。

422 :出土地不明:04/12/02 01:47:56 ID:HrJNRRcW
>紀元前後以降だと、放射線はどうせ誤差の範囲だろう。

何年前の話だよ。
それに土器も放射年代と全然違ったりするから問題になってるんだが?


423 :出土地不明:04/12/02 02:02:36 ID:oa+6EDVR
誤差の範囲というか、C14は幅が広すぎて使えない。


424 :出土地不明:04/12/03 20:40:04 ID:8lXYp0Lw
卑弥呼=日巫女=天照大神で決まりでしょ。
こう仮定するとすべてが一本の線につながる。
248年の日食は天照の岩戸隠れ。
天照の子供の天忍穂耳命の妻は万幡豊秋津師比売命。
この名前の中に入ってる、豊=トヨ=台与。比売=宇佐神宮の比売大神。
その4代後が神武。年代的に見て応神と一致。
神功皇后は邪馬台国の巫女。応神は名前のとおり
崇神王朝の血統が絶えたので大和朝廷の大王になることを
要請されこれに応じた。ゆえに応神天皇。
仁徳は日向の髯長媛を妻に娶っていることから日向との関わりも深い。




425 :出土地不明:04/12/03 21:45:43 ID:ckQVDtCd
奈良のような所で早くから全国をまとめ上げる程の勢力権力をもつのは
大変だったんじゃないかな?
えらい僻地だし、これといった産業は無いし。(米作りかな?)
九州の沿岸部の方が自由に大陸と国交を結べそう。
ある時期、何かが奈良に起きて大陸や各地から才能を持った人々が
集まり始めたんだろうね。
それは九州邪馬台国の東遷。神武天皇の東遷。
出雲や吉備や九州や東国を統べる程の力が金印の頃に奈良にあったとは
思えない。(邪馬台国が近畿なら奴国の頃にはもう一大勢力だよな)
デムパスマソ。

426 : :04/12/04 00:15:24 ID:jhqmdugf
>>424
 それで宇佐神宮のある大分あたりを
 豊の国って言うんだね。
 今でも豊前、豊後って使うし。

427 :出土地不明:04/12/04 01:14:41 ID:vkhIUT/S
宇梶さんて、弟宇迦斯の末裔かもしれないね。

記紀に伝える神武の東征時点の大和情勢はニギハヤヒが一応王として立っていて、
その下に長脛彦が強力な軍を擁して構えている。
しかし盆地南部で戦う相手は宇迦斯や磯城でそこそこ手強い。
その防御陣が突破されるや早々ニギハヤヒが投降してくる。
これで旧政権が崩壊したはずだが反抗勢力も残拠していて各個撃破を経て平定される。
大和入りの経路上には、踏み潰した和泉の小集落、熊野の山賊や協力者、
異様な風体をした見慣れない種族を見いだす。
まさに八百万の神々がばっこする世界だ。
そこに統制のとれた行動は見られない、侵入者に対して散発的な自己防衛的な反抗に過ぎない。
やはり弥生の大和は、不均質で未熟な小勢力が乱立する新大陸の開拓地の様な状態だったと思える。

428 : :04/12/04 02:22:06 ID:zvoHLB6E
宇梶はアイヌ子らしいぞ。

429 :出土地不明:04/12/04 21:03:23 ID:lk81sBWs
とりあえず
どこの(九州からのだけど)馬の骨とも知れない神武が奈良で
「ワシ、神様の子孫じゃけん」
とか言っても
「それはそれは」
と、それまで王として戴いていたニギをあっさり殺して乗り換える
ナガスネヒコって・・・奈良って・・・

430 :出土地不明:04/12/04 23:17:10 ID:3ELPRaGq
>ワシ、神様の子孫じゃけん
なんか広島弁みたい

431 :出土地不明:04/12/05 09:09:44 ID:V0KdhdFJ
>>429
逆だろ。
二ギがナガスネを殺して
神武に恭順したんだろ・・

432 :出土地不明:04/12/05 21:31:41 ID:VHfYR57p
>>431
あれっ・・・ごめんなさい・・・ぺこ。

433 :石切:04/12/05 21:56:16 ID:3emb0OV1
おまいら天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊をニギと略すなんて失礼きわまりないぞ。
きちんとフルネームでお呼び申し上げろ。

434 :出土地不明:04/12/05 22:02:53 ID:ESadsSbO
まあ、奈良の大勢力が九州出身のぽっと出の男に乗っ取られたのは
間違いない。(日本書紀依拠)
九州の方が奈良より強かった、でFA?
で、それはいつの時代?
邪馬台国より後?前?

しかし、あんな地理感覚と書物で中国人はよく中国から奈良まで辿り着けたね。
「アレッ!?南に行くんとちゃうん?何処に連れて行く気?水先案内人!」
と、暴れなかったろうかと老婆心。


435 :出土地不明:04/12/05 22:06:06 ID:ESadsSbO
>>433
ごめん、あまてらす・・・くにてら・・・す・・・?ひこ・・あめ・・・

436 :出土地不明:04/12/05 22:31:34 ID:PHZfVVut
そんな長い名前を普段使えないぞ 
ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレ・・・・

437 :出土地不明:04/12/05 23:17:45 ID:mpQhSCZj
地図では大和の国は南に南に・・・
船は東に東に・・・
「このままでは太平洋(という認識があったかどうか・・・)にッ!
 つーかアメリカ(なワケ無いよな)にッ!!」

438 :出土地不明:04/12/05 23:21:45 ID:mpQhSCZj
ところで「石切」ってイエス・キリストの事だと昔々読んだ「学習」という本に
書いてあった。
ちなみにその本には十字架で死んだのはイエスの弟で、イエスは日本に逃げて
来たと書いてあった。
小学校の推薦本。ほぼ強制的に買わされていた。大昔。

439 ::04/12/06 00:14:46 ID:qwGx0Njg
なにこれ、コピペ?

440 :出土地不明:04/12/06 18:26:59 ID:NVaWKqJn

≫なにこれ、コビペ?

コビペに見える?なんで?他にもどこかに書いてあったの?
本当に昔、学習って本にそう書いてあったんだけど・・・

441 :出土地不明:04/12/06 19:50:59 ID:id5paQ9M
竹内文書とかの話は、ここではやめておこうよ。
最近、物部氏を東北地方に結びつけようとする人が多いけど
高橋克彦の小説の影響なのかな?

442 :出土地不明:04/12/06 20:59:05 ID:I7VrDbTp
もののけ姫のせいじゃないかなぁ

443 :出土地不明:04/12/06 21:06:12 ID:b6rjLdoj
もののけ姫って石切神社やイエスと関係あったっけ?

444 :出土地不明:04/12/06 22:33:50 ID:WW54qO8s
石切ってけっこう全国にある名前だね。
単に石を切り出す所だからでしょ?
でも「学習」って本、デムパが多かったのかな?

まあ、ところでここまで読んだ感想は邪馬台国九州説に一票。

445 :出土地不明:04/12/06 23:23:19 ID:b6rjLdoj
もののべ姫?

446 : :04/12/06 23:50:28 ID:L56uq2CK
イエス・キリストの弟がイスキリっていう名前だって聞いたことある。

447 :出土地不明:04/12/07 22:58:40 ID:YnxRslzk
プロジェクトX、見ました?
なんか久し振りに感動したなあ・・・


448 :出土地不明:04/12/07 23:33:54 ID:GNNEk2sr
吉野ヶ里(・∀・)イイ!!
YAMA対は筑後川周辺で決定だな

449 :出土地不明:04/12/07 23:44:23 ID:Y247LU9m
ちなみに奈良には吉野ヶ里規模の
「オオッ!邪馬台国についての記述と同じ!!」(年代違うのは知ってるよ)
な集落跡はございましたでしょうか?

450 :出土地不明:04/12/07 23:46:27 ID:Y247LU9m
まあ七万余戸はあったんだろうけどね。

451 :出土地不明:04/12/08 01:20:18 ID:1mX06mMq
>444
ここまで読んで九州説になるとは・・・俺は真逆だがなあ。

452 :出土地不明:04/12/08 02:49:13 ID:hcKOFTw0
吉野ケ里がヤマタイ国? はっ!卑弥呼も見くびられたものだな。
環濠シューラクだろ、ただの農村の中心。
カンゴウだって防衛施設と言うには貧弱すぎ、村と周囲とをわける輪郭に過ぎないという意見もある。
濠は雨や生活廃水を処理する水路であり、部外者や害獣を防ぐ柵ていどと言うわけだ。
環濠集落をコアとして周囲に農地、その周りに山菜や薪を拾う森、それが一単位の生活圏。
その外は狩りに入るか木材でも切り出すための林野で、自然が優勢を占めていた。
そんな村落が照葉樹林の原野に点々としてあり、半ば自給自足、半ば交換経済で補われていた。
個々の集落はクニによって束ねられ、さらに大きな活動へと関わる。
つまり鉄など外部との交易でしか得られない物の供与、その対価として税や労役・兵役だ。
そう言う構成がクニだとすると、王都は環濠集落とは別の姿である可能性がある。
周囲に農地を持たず、一般民の住居も含まない中央機関専用の集落とかあっても良い。
少なくとも農具より武器や奢侈品が多く出る遺跡でないと。

453 :出土地不明:04/12/08 12:48:08 ID:oEA6nqhM
やっっぱり九州だな
近畿なんて大部分は4世紀以降の遺跡ばっかりだし
2〜3性器は九州北部に圧倒的だ


454 :出土地不明:04/12/08 14:05:03 ID:L3cTq+V3
>>453
イケガミソネもカラコカギもマキムクもスルーですか。
信者ってこれだから。

455 :出土地不明:04/12/08 14:16:11 ID:LRj2NDXR
量がぜんぜん違うよw
今でも日本中の大きな都市にはビルヂンングが立ち並んでるけど
圧倒的に量が多いのは東京だ
首都とはそうゆうものだよ

456 :出土地不明:04/12/08 19:10:54 ID:q17eI1HP
大阪をばかにするな。東京なんてクソだろ。

457 :出土地不明:04/12/08 21:04:21 ID:SD1h6n9c
>>456
読解力不足。

458 :出土地不明:04/12/08 21:19:49 ID:Y4fC19aq
韓国ちんをパカにするな。日本なんて皆ウソつきた。

459 :出土地不明:04/12/08 22:38:42 ID:nEru9ZMt
>>455
ビルヂングが立ち並んでいるわりには、よれよれの魏に貢物ですか。
まあ経済大国となった今も米国のポチである日本の体質はこの頃から
形成されているのかもだ。
でも遣唐使やら遣隋使やらが描かれている中国の絵を見たけど、他国に
比べて圧倒的に圧倒的に貧相だ。
奈良が吉野ヶ里に比べて、どう凄いのかさっぱりわからん。
どう違いがあるのかさえわからん。
目くそ鼻くそにしか見えない。
ホモ・エルガスターとホモ・エレクトスくらいには違うのか?
あきる野市と神戸市くらいには違うのか?


460 :出土地不明:04/12/08 23:37:04 ID:YLbYKVHb
邪馬台国は北九州だな。
のちに日向地方へ移動するけどな。
そこから、4世紀後半になり仲哀天皇を殺して
いっきに東征して王朝簒奪。継体天皇からは
万世一系だが、継体が応神5世を名乗ったために
応神が始祖化され応神東征が神武東征として
神話の中に投影され、応神の先祖である卑弥呼が
天照大神として皇祖神になった。

こう考えるのが一番しっくりくるな。


461 :出土地不明:04/12/09 00:16:39 ID:+4tem/yt
九州説なんてもう死んでると思ったのに。

462 :出土地不明:04/12/09 11:35:33 ID:pDpCa9Uq
邪馬台国は都市伝説

463 :出土地不明:04/12/09 23:39:52 ID:oJ2ZU6vh
昔の中国の本に奈良のへんは秦国のように中国人が多いってあったけど
南まわりで来た人々らしい。
呉の国の流れ人。
魏に朝貢したわけ?
節操ないやん。

464 :出土地不明:04/12/10 22:58:20 ID:LuBtt22b
>>461
いや、実際には一部を除いて死んでいます。
考古学者では、ヨシノガリストというべき人たちが多少そういう
ことをいっているだけ。
マトモな文献学者の中にも、「両方あった」説などを唱える人が
多少いますが、基本的に学術的には邪馬台国九州なんてちゃんちゃら
おかしいのです。
あとは、趣味人、文化人、定年退職後の道楽人の中に、九州説ロマン
の人がいるだけです。ただし、マトモな学術的な人たちにくらべて、
書籍とかの量でいうと、趣味人、文化人、定年退職後の道楽人の人
の書籍のほうが多いので(内容はしょーもないものばっかだけど)、
しろーと的には、九州説がまだまだ可能なような気がするだけです。
>>460
ほとんどの神話伝承の類が、がんばっても5世紀までしかさかのぼ
れないので、これを邪馬台国とくっつけるのは無理。
そもそも、8世紀段階、まだまだあっちこっちに5,6世紀ごろから
の豪族の伝統があった人たちがいた時代において、邪馬台国の卑弥呼
がだれなのか、わからなかったわけで、しかたなく神功皇后とくっつ
けていますが(日本書紀の神功皇后のところ)、それも本文と関係
させるのではなくて、たんに、魏志倭人伝とその類書を引用している
だけです。かりに神功皇后が実在としても、年代は合いません。
これは、大和説、九州説ともに同じで、崇神記の三輪山伝承とて、
せいぜい5世紀ごろの話らしいし。
魏志倭人伝にある地名と後の日本の書籍からわかる地名も、対馬、
一支(壱岐)、末廬(松浦)、伊都(糸島)、奴(博多近辺)、
および、邪馬台(大和)の対応がほぼ完璧な以外は、非常に対応
がつけにくいので、よーするに3世紀ごろの地名は、おもだったところ
(歴史的に意味があり、由緒ただしいもの)以外は、残らなかったと
いうことでしょう。あるいは、逆に大和近辺の十数カ国については、
その後、政治的中心地であることで、新しい豪族がつれてこられたり、
行政上の問題などで、地名が変更されて8世紀ごろに残る地名になった
と見るべきではないでしょうか。

465 :出土地不明:04/12/11 00:29:27 ID:Ga40NfUK
>>464
好古都(博多)もあるでよ。

466 :出土地不明:04/12/11 00:31:37 ID:Ga40NfUK
倭人伝の地名には蘇が多いのだが
近畿地方で蘇が付く地名はあまりないね。
九州は多いけどね。

467 :出土地不明:04/12/11 00:41:53 ID:fjJa0F51
ところで邪馬台国のタイという言葉は東南アジアでは人という意味ってのは
もうガイシュツ?
だから山の人の国という意味だね、邪馬台国は。
字は違えど魏志にはよくタイが付く地名が出るね。
まあ特に今の地名に照らし合わせなくても古代の言葉から土地を探り当てれば
いいと思う。
吉野ヶ里近辺でない事だけは確かなようだ。


468 :出土地不明:04/12/11 02:24:57 ID:v6WR+xF1
>>465
好古都 は、「好」は、中国ではH音。8世紀以前の文献で、
日本語にH音があったとは思えないし、あったとしても、それは
は行音とは結びつかない。普通「まとも」な研究者は、この
「好古都」を、「をかだ(岡田)」と考えている。
岡田という地名は、あっちこっちにあるので、推定不能。
「台」というのは旧字のほうと発音が違って、dO のような発音
なので、乙類の「ど」を表している。「タイ」などというのは、
現代の発音であって、古代には通用しない。
邪馬台は、YaMaDO であり、文字で書けば「山処」を意味すると
考えられる。山門を表すならば、他の文字の使用例からして
「邪馬都」だろうね。

469 :出土地不明:04/12/11 11:40:23 ID:KGDSdryn
>> 463
秦国ではなくて多分“秦人(はたひと)の国”ですね。 新羅系渡来人と
言われている秦氏系が住民の大部分だという記述だと思います。聖徳太子の
頃に勢力を伸ばした氏族ですね。たしか「吉備郡誌」の記述だったと思います。
大和の住民の大多数は漢(あやし)氏族で、こちらは百済系渡来人と言われて
います。韓国の国家は中国からの人の流れが多いので、あるいみ中国系
といえないこともないですが、、、


470 :出土地不明:04/12/11 11:59:43 ID:KGDSdryn
>>466
倭国はもともと韓国南部の国家のようなので、地理的に近い九州の方が
関わりは深いでしょうね。 蘇氏は百済系氏族ですね。 特に百済が
滅亡してから、多くの百済人が海を渡って移住してきているので、これら
の人が九州のあちらこちらに定住したのでしょうか。

471 :出土地不明:04/12/12 00:35:33 ID:6nIy7Omx
>>470
百済系の人たちは、当初近畿圏内で、
そりゃもうすごい数いたので、そのうちに、
長野とかあっちこっちに移動させられている。
貴族は、一族郎党みなつれてきちゃったので、数万とも
数十万とも。
7世紀ごろには、日本でもオンドル式住宅が大量に
発見されているので、こりゃどうも百済人だわな。
九州はそれほど多くはないんじゃないかな。
で、倭国は、韓国南部とは明確に異なる。
これは、縄文時代から弥生時代、ずっとずっと違う。
土器の形式が違う。しかも、制海権はつねに倭の側に
ある。斉州島(タムラ国)を除くと、韓国が現状でも
全く島をもっていないというのはそういうこと。
対馬も壱岐もそのほかすべて、倭系の土器。そして、
半島南部にも「進出」はしている。

472 :出土地不明:04/12/12 11:22:46 ID:kmHZSvcA
>>471
倭国に関しては、特定の地域・主権ではなく、半島北部や中国から見て
半島南部以南の勢力をひとくくりにしていたのではないかと考えています。
日本での統一国家が出来る以前に、倭は半島でかなり大規模な軍事介入を
していますが、九州又は大和の倭がそれほどの勢力を持っているとは
考えにくいです。ただ、半島南部の倭と、日本の倭にどのような関連が
あるのかはよくわかりません。

473 :出土地不明:04/12/12 20:39:37 ID:iBv/ZNRN
>>468
台がdoであるとか昔の日本にH音は無かったとかって
どこまで証拠があるのかな?
学者でも甲音乙音上古音中古音とかに拘らずに柔軟に
考えるべきだと言ってる人もいるし。
だってあくまで文献依拠だからね、音は。
台はいつからタイって読むようになったの?
中国では北京語でも広東語でもタイ、トイだよね。

昔の倭って九州、韓国がメインの自由貿易主義海洋国家連合だから
奈良はかなり遅れていたと思う。
神武が奈良に行かなかったら日本てどうなってたんだろうなあ。
まあ坂上の田村麿だとかがアテルイを殺しに行く事は
なかったろうな(´ω`)・・・


474 :邪馬台国はどこだ:04/12/13 21:47:04 ID:Z9tPenfu
↑ そのとおりだ。

大和朝廷の言うこと地方が聞くのは
AD600年に千葉に蘇我氏が来て大和同様に
前方後円墳止めて大型方墳に切り替え
次に白鳳寺院や薬師寺に変えるころだ。

それまでは
前方後方墳も前方後円墳も円墳も
さらには方形周溝墓でも何でもござれだ。

東海や四国も一緒だ、出雲は7世紀まで前方後方墳だ。

6世紀でも大和朝廷の言うことなんぞ聞かなかったんだよ


とすると、
その程度の畿内が3世紀に中国に朝貢するなんぞ噴飯ものだ。

邪馬台国の候補は、
AD57年に金印もらっていた北部九州しかないんだよ。


475 :出土地不明:04/12/13 22:47:51 ID:GQ3YjA2r
はんがあ〜
でつか。

476 :出土地不明:04/12/14 21:41:31 ID:4lMnWGBs
板違い承知で考古板の専門家の方に質問です
日本史板の「邪馬台国は大和朝廷になったのか」というスレで
考古学関係者らしき人が畿内説を展開していますが
この人が書いていることって専門家の目から見てどうなのですか?
これが正しいのなら甘木市あたりだろうと考えていたオイラは
根本から考え直さなければならなくなります。
専門家の目から見た意見をどうか教えてください。

オイラは市井の一ファンなので判断がつかないのです。


477 :出土地不明:04/12/14 21:43:11 ID:bWhWYl6j
板違いとわかってるなら書くな

478 :出土地不明:04/12/14 21:52:41 ID:VvhCJ3Qs
倭人の条には「倭にはアレが無いコレが無い」と書いてあるが
これは中国からの使いが九州までしか来てないからって事になってる。

でも女王国に関しては城柵や楼観やらについて伝聞だけとは思えない
記述である。

奈良まで来てたなら方角がおかしい。ひたすら東と書く筈だ。
女王国の東を海渡ったらまた国があるとは書いてるけどね。

奈良が西日本だけでも平定してたなら瀬戸内航路をとる筈である。
だが奈良説の場合、日本海航路をとっている。

近畿に倭国大乱の痕跡はあるのか?
(瀬戸内から中国地方、九州にはあるけどね)

479 :出土地不明:04/12/14 21:54:38 ID:VvhCJ3Qs
>>476
ちょっと、その人に「こちらにおいで・・・」と
言ってみてください。

480 :出土地不明:04/12/14 22:23:59 ID:ypCi4f/A
>>476
専門家っていうか、ここは考古学板だから、
考古学者から考えるならば、間違いなく、
邪馬台国は大和としかいえません。
九州説というなら、それこそ岡山説でも、
出雲説でも、九州説よりはもっともらしい
です。
理由は、この板の上のほうに書いてあります。

まず、遺跡としては、奈良県桜井市の纏向遺跡があります。
時代は、まさに邪馬台国時代というべき2世紀末から3世紀
さらに、4世紀近くにかかるものです。
卑弥呼の墓としては、サイズ的に、魏志倭人伝記述のものと、
寸分違わぬ160メートルの後円部をもつ箸墓古墳があります。
この築造時期は、卑弥呼の死亡したとされる247年か248年
と比べて、ほぼ完全に一致する3世紀後半です(築造は死亡後と
考える)。
纏向遺跡は、現在知られているかぎりにおいては、3世紀中葉
のものとしては、最大級の都市遺跡といってよいものです。
九州は3世紀段階ではほとんどの環壕集落が消滅、あるいは大幅
縮小しており、また、九州の重要拠点には、近畿系土器が山陰を
経由して入っており、当時の九州において近畿圏からの移住者が
いた、あるいは圧倒的な文化的影響があったとみられています。
一部、山間部などに九州伝統の要素は残りますが、非常にさびれた
状況です。九州が再び発展するのは、4世紀ごろに入ってからの
ことでしょう。

魏志倭人伝の記述と比べた場合、大和説の問題点はただ方角のみ
です。ほかには全く問題ありません。よって、考古学者は、一部
の(2名程度か)をのぞくと、ほぼ全員が大和説です。

481 :476:04/12/14 22:58:07 ID:4lMnWGBs
そうですか、考古学が畿内説支持なのは間違いないようですね。
その人は箸墓古墳かどうかはわからないと書いてましたが、可能性高いんですね。
昨日の読売新聞の特集でも畿内でほぼ決まりと書いてました。
どうやら考え直さなくてはいけないようですね。
九州説の本が圧倒的に多いので、それが主流だと思ってました。
板違いごめんなさい、そしてありがとうございました。

482 ::04/12/14 23:12:45 ID:KqQpLudv
>>480 おっしゃるとおり考古学研究者の間では邪馬台国=大和で決着済みです。

483 :出土地不明:04/12/14 23:36:00 ID:OjqOoYqI
>>481
九州説の本は圧倒的に多いですが、読むときには、まず、
著者の略歴のところから読みましょう。

1)いわゆる作家。本業の文学でどうもイマイチな人。
2)一応大学などの教授とかであるが、経歴からして考古学や歴史学
  の専門とは思えない、たとえば、数理言語学とかそういう人
3)有名大学卒、有名企業で部長とか役員をして定年退職した人
  よく、神社仏閣巡りをしているうちに、邪馬台国九州説にめざめた
  とか、特別な「法則を知った」とかひらめいた人。
4)なにやら、経歴的によくわからないフリーターっぽい人とか
  世界を旅して、なにやら特別な民族とふれあったとたんに、
  邪馬台国論争がわかった!とか思った人もいるかも。
5)一応、大学などで歴史学や文献学などをやっているとか、あるい
  は、文化人類学とかそういう人文系の教授とか助教授ではあるが、
  なんか、よくみると、その人の「軽め」の本があっちこっちに
  おいてあるようなようするに「邪馬台国ネタで稼ごう」としている
  文化人。
6)他の文化系の研究者として御大と呼ばれるべきで、しかも、
  マスコミなどで名が知られているが、決して考古学や歴史学の
  専門家とはいえず、ネームバリューで「邪馬台国本」を書けば、
  それなりに売れる、という感じの人

だいたいこの6種類くらいの人が「九州説」の本を書いております。
で、前にも書いたように、1)とか2)とか5)6)のような人たち
は、マスコミとしても「売れる本」がかける人たちなので、書籍の
量はかなり多いです。

かならずしも、学界の通説が正しいとは限りませんが、多くの研究者
のコンセンサスがどのようなものであるかをきちんと知った上で、
邪馬台国論争を知るべきでしょう。また、最近の考古学は日進月歩です
ので、1995年以前にかかれた本は、かなり現在の最新の成果とは
違っています。土器編年も大きく変化しました。実際のところ、
1990年代の初頭くらいまでは、考古学の専門家の間でも、九州説
の人がかなりいたわけですが、最近の土器編年、年輪年代などと、
さまざまな整合性の検証をした上で、九州説をとる学者はほとんど
いません。まあ、狂信的な人が数人いますけれどね。

484 :出土地不明:04/12/14 23:57:15 ID:NMA3GzJP
ついでですから、「邪馬台国大和説」の注意点も書いておきましょう。

一応、考古学の専門家や、考古学関連博物館の館長とかいう肩書きの
ある人で、考古学者の間で違いに「XX氏の研究では」などと引用され
ている人たちがいて、かなり考古学の分野では御大であるような人でも、
今度は、歴史学、文献学、とくに中国歴書に関する文献学の知識や、
文献解釈などの点で、ぼろぼろで、とてつもなく古い「倭面土国」を、
「倭の伊都国」とか、「わめんど」は「やまと」だとかいう文献学的
にみれば、先史時代的解釈をしているような「考古学だけの人」が
います。

本当の考古学者は、「邪馬台国は、文献資料によるものであるから、
考古学によって場所を比定したりするには困難がつきまとう」という
判断基準により、明確に「大和説」などとうったえることはしません。
ただし、土器編年から、いついつの土器はどのような分布であるとか、
そういうことを丹念に研究していて、その結果から、邪馬台国とは
無関係に2世紀末から3世紀、さらには4世紀ごろまでの考古学的
に判明する、考古学的な意味での歴史を語るだけです。
ただし、こういうまじめな先生方でも、ときに「シンポジウム 邪馬台国
のなぞにせまる」などというものに専門家として呼ばれ、さらにパネル
ディスカッションなどになって、そのあとそのシンポジウムのテープおこし
が本になっていたりすると、そこで、文献学や歴史学の知識がないのが
ばればれで、とんちきな議論をしていたりします。
文献学のほうでも、非常に丹念な研究がありますので、そっちもしっかり
読んで(かなずしも邪馬台国とは結びつかないものも多い)、その上で、
自分なりの考えをもつべきでしょう。

485 :476:04/12/15 00:11:39 ID:UxAoQPMO
>>483-484
僕のような素人に丁寧に教えていただいて感激しています。
かなり奥の深い世界のようで、よけいに野次馬じゃなく興味がわいてきました。
本当にありがとうございます。

ただ483と484のIPが違うんですけど、同じ方ですよね?

486 :出土地不明:04/12/15 00:25:30 ID:eWIho9Y+
>>485
ほかの板で、書き込みとかしていたら、なぜかIPが変わるなぁ。
不思議だ。一応、数年かけて、邪馬台国本をでっかい本棚一つ
分くらいは読んだのだが、私自身は専門家ではないので、、、。
ちなみに、480も私。

487 :476:04/12/15 00:35:08 ID:UxAoQPMO
丁寧にありがとうございます。
僕もなぜかIPが変わっていますw
そういう仕様なのでしょうかw
2ちゃんなのに親切な人に出会えてうれしいです。
がんばって僕もでっかい本棚一つ分読んでから、また質問させてください。

488 :出土地不明:04/12/15 00:37:11 ID:3/BBmqGL
<邪馬台国は近畿か?>
奴国は二万戸の国。
弥生遺跡の人口密度から考えると、今の福岡県全域くらいの規模。
博多だけじゃ済まない。おそらく筑後川流域をほぼ含むと考えられる。
北九州説の多くは、この奴国の亡霊を追いかけているものと思われる。
狗奴国は奴国のすぐ南だから、熊襲の熊本でよい。
弥生遺跡から見ても、この地域だけ独特である。
奴国の一番東端おそらく現在の大分県の日田付近から
東方面へいった中津・宇佐付近が不彌国。
船で不彌国へ行かないのは関門海峡が船で行くのは難しいため。
中津付近から瀬戸内あるいは四国方面へ行くには
最初進路を南方面にとらなければならない。
魏志倭人伝にも南へ水行とある。南有投馬国ではない。
同様のことは邪馬台国にも言えるかもしれない。

あと邪馬台国=大和朝廷とするならば、象徴は銅鏡であって銅鐸ではない。
銅鐸はそれ以前の出雲系の祭器であり、大和では銅鏡の材料としたに過ぎないと
考える。


489 :出土地不明:04/12/15 00:53:22 ID:eWIho9Y+
>>488
邪馬台国時代を2世紀末から3世紀中葉とすれば、考古学的には、
拠点として考えられるのは、まず大和(これは桜井市のあたり)、
それから、岡山のあたり、それから四国讃岐とかそのあたりか、
あと、東海地方もそれなりに。そして九州については、おそらく、
平原墓のある伊都国とされる前原市あたり。山陰の出雲はだいぶ
新しい(もちろん古い場所もあるし銅鐸などは古いところからでる)
ので、案外、妻木晩田遺跡なんかもおもしろそう。
地名については、対馬、一支(壱岐)、末廬(唐津近辺の松浦)、
伊都(糸島に名が残る、前原市あたり)、奴(博多近辺としようか)
はほぼ誰でも一致するところなので、こればっかりはすごい古い名前
ということだろうし、たぶん、邪馬台国時代以来の重要拠点だった
とみるべきか。ほかの国の名前は、対応するのは邪馬台が大和に
対応する以外は、はっきりとした対応はない。地名も失われている
とみるべき。
今後の論争は、北部九州から邪馬台国への経路が日本海経路なのか、
瀬戸内海経路なのか、それから、狗奴国はどこか、などだろう。
私的には、狗奴国を吉備とする前田晴人氏の説は「おもしろい」と
思う。魏志倭人伝と後漢書では、解釈を変更しているので、同じような
ことが、魏志倭人伝のベースになった書籍との間でもあった可能性
がある。魏志倭人伝はほかの東夷伝の中では非常に詳しいけれど、
かなり内容は慎重に読まないといけないかも。

490 :出土地不明:04/12/15 00:58:47 ID:eWIho9Y+
ついでにいえば、魏志倭人伝にでてくる人名の類を、
神話伝承や記紀の内容などと結びつけるのはほとんど「遊び」
の世界であって、学問にはならない。
ましてや、天照大神と卑弥呼を結びつけたりなどするのは、
大間違い。記紀の成立年代において、魏志倭人伝を神功皇后と
結びつけているのだから、当時、「ほかに見当がつかなかった」
とみるべきだろう。年代からさかのぼると、ヤマトトトビモモソ姫
(崇神の叔母か)が非常に対応するし、箸墓の被葬者だったりする
が、これも、ほとんど無関係だろう。せいぜい箸墓が「高貴な女性
の墓」という伝承が残った可能性が示唆される程度。
記紀の内容が信頼性がでてくるのは、せいぜい雄略のころからだろう
なぁ。仁徳天皇のやったこととされるのがほとんど聖徳太子時代
の推古朝のことだったりするのだから、文献ものこる7世紀初頭の
ことも、記紀の時代に正確には伝わっていなかったのだ。

491 :488:04/12/15 07:52:19 ID:oFMqkSw6
伊都国や奴国を日本海側に比定すると、方角や水行しない理由等矛盾も多い。
個人的には伊都国を佐賀の吉野ヶ里あたりに比定するのが興味深い。
しかしながら3世紀の北九州の衰退の理由はよくわからない。

投馬国は岡山、讃岐平野のあたりを中心とする瀬戸内の国か?
魏志倭人伝にいう倭国大いに乱れるを高地性集落と関連づけると、
瀬戸内周辺が一番気になるところ。
大和・九州連合と出雲の争いと見ると青銅器の変遷等おもしろい。
2、3世紀の出雲は少し蚊帳の外という気配もある。
記紀の信頼性はわからないが、古事記では孝霊天皇の時代に
吉備方面に進軍していることが書かれている。(投馬国?)
稲荷山の鉄剣を考えると、記紀もあながち信用ゼロとは言えない。


492 :出土地不明:04/12/15 23:38:14 ID:pHuhAo2k
>>488,>>491
とまあ、考古学について最新情報を追いかけず、20年近く
前の本を読んで、現状であると考えているような場合には、
このような内容を書いてしまうわけだね。

>>487さん
このようなことにならないように、しっかり考古学を勉強し、
現在どのようにわかっているのかをちゃんと理解した上で、
邪馬台国論争をみてみると、非常に深いものであることが
わかりますよ。

493 :邪馬台国はどこだ:04/12/15 23:42:51 ID:3LhDK1hg
邪馬台国は九州奴国だよ。

金印の委奴国王以来中国側は
一貫して倭国で変わらない。

それが変わり畿内の記述が出るのは
旧唐書の日本国伝からだ。
倭国伝と日本国伝と2つ出てるから
両国は別なのが明確だ。



494 :出土地不明:04/12/16 00:06:41 ID:atzGxkYz
>>487さん
>>493がテンプレの5または6の典型的見本です。
一種の宗教みたいなものですから
こういったものにも気をつけて勉強してください。

495 :出土地不明:04/12/16 00:39:52 ID:75hgTuSf
>>491
記紀の記述も、雄略からはある程度なんらかの歴史を反映
しているかも、って上に書いたのに、、、。
稲荷山鉄剣は、まさに、雄略の時代。これは5世紀
邪馬台国時代は、さらにそこから200年さかのぼる。

496 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 01:17:14 ID:W1Wa/rQP
雄略がAD450年?
馬鹿ではないか。

実在しない天皇でなんで
歴史を反映する?

仁徳天皇陵は6世紀だぞ。
その末裔の雄略がなんでAD450年なんだ?

497 :出土地不明:04/12/16 02:08:19 ID:x5Z9LHno
>>496
またまた。
まず、雄略天皇がいたとしても、仁徳天皇がいたことではないので、
話がそもそもでたらめだよね。だから、仁徳天皇陵が6世紀だとして
も、雄略がその子孫だから7世紀ってことはないよね。
もうちょっと考古学的な話にしようか。
基準は、応神天皇陵かな。これが、須恵器直前の布留5式くらいだろ。
ざくっとこの編年だと、5世紀初頭か前半。仁徳天皇陵は、その後で
あるから、おおむね5世紀中葉くらいに編年されるのが通説だと思う
が、いかがかな。6世紀まで下る話は聞いたことがほとんどないぞ。
どこのトンデモ本なのかしらないが。
推古天皇の時代は、一応推古朝として、聖徳太子の時代とされるが、
これが、隋書などとの関係も含めて7世紀初頭からってことになる。
一般には、推古9年をたしか西暦600年ごろにするとかじゃなか
ったっけ?まあ、そうなると、天皇家の系譜からして、一応、欽明
から以降はかなり信憑性があるので(逸文なども残っている)、そう
すると、欽明が6世紀中葉から後半くらいにはなるだろう。継体天皇
については、もちろん、この天皇以前とは切れるとされるが、一応、
6世紀前半くらいだね。雄略はその以前とされるから、5世紀後半
から末と考えられる。おおむね倭王武と整合する。
仁徳天皇陵の時代はまさに倭王賛とか、なんちゃらという五王の時代
に相当するので、その時代があの仁徳天皇陵のあたりの百舌古墳群
あたりだろ。巨大な古墳ね。だからまあ、通説では仁徳朝を当てる。
ただし、仁徳天皇の業績とされるものがほとんど推古朝の時代だったり
するので、仁徳天皇の実在性は乏しいと。
さて、邪馬台国時代は3世紀前半から中葉(もちろん台与の時代も
含むが)とすると、対応する土器編年は庄内式から布留0式、1式
くらいか。まあ、布留2式は4世紀前半くらいに編年されているので
あるが、うーん、三角縁神獣鏡の年号つきのが240年ごろのちょうど
卑弥呼の魏にいった時代に対応するので、この鏡が入り始めるのが
布留1式の古墳ぐらいから(黒塚とか)。ってことはまあ、布留1式
は卑弥呼時代(240年ごろ)から遅れて50年ってところだろう。
3世紀末から4世紀初頭。土器形式1つが20年換算として布留5式
が5世紀初頭かそのあたり。これで一応応神天皇陵が5世紀初頭か
前半にはなる。そっからあとは須恵器だからね。だいたい計算は合う。
ちなみに、仁徳の名前は、「おおさざき」だっけ?意味からすれば、
「でっかい墓」っていう意味だから、でっかい墓天皇がでっかい墓に
埋葬された、というのは実に正しい。だから仁徳天皇陵が仁徳天皇の
墓というのは、正しいが、系譜上の位置、業績などはでたらめだから
伝説上の天皇ってことになる。

498 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 02:18:05 ID:W1Wa/rQP
長々と馬鹿だな。

記紀の雄略天皇条を読んでみろ。
まるで手品で皆殺して天皇になり、
子孫は清寧天皇1人で断絶。

末裔を後からはたどれないようにできてるんだ。

こんな天皇の実在を信じる馬鹿が
やってるから日本考古学は2流学問なんだよ。

そのうち韓国から笑われるな。
あっちは送れた分最初から自然科学ベースの編年をしているから
明治時代の編年ベースの日本よりはよほどましだ。
弥生を500年繰り上げる様な恥もかかないだろう。



499 :出土地不明:04/12/16 02:23:10 ID:YE6S+HLV
だから、なぜに記紀の記述の信憑性をここで問うのかな。
雄略のやったことエピソードなんてほとんどでたらめにきまっておろう。
そのあたりに信憑性がでてくるのは、それこそ天智以降くらいだろ。
系図が信憑性がでてくるのは、欽明以降とさっきからいっているだろう。

考古学は馬鹿だなんだといいつつ、結局、記紀の内容をまるごと信憑性
ありとした上で、それが考古学とつながらんとかいうあほは、早い
とこ寝ろ。

500 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 02:28:08 ID:W1Wa/rQP
誰が記紀にまるごと信憑性有りと言った?

そういう散漫な脳みそだから
笑われるんだよ。

記紀が駄目なら中国史書しかない
つまり、
金印の委奴国以来邪馬台国も倭国も九州ということなんだよ。

501 :出土地不明:04/12/16 02:28:28 ID:atzGxkYz
仁徳信じる奴がどうして雄略は架空なんだろうか?

>記紀の雄略天皇条を読んでみろ

なんだ皇国史観かw
稲荷山鉄剣の銘文読んでから書きなさい。
あと江田船山の分もね。

暮れも押し迫ると、いろいろな奴が出るなぁ。

502 :出土地不明:04/12/16 02:35:28 ID:atzGxkYz
>>500
頼りの後漢書の阿蘇山のあたりをもう一度よく読んでごらん。
誰かの本の受け売りじゃなくて、自分で勉強してからね。

何よりも考古板で文献を語ろうとする
自らの節操のなさを恥じてから書き込もうね。
みんな年末は忙しいんだから、あまり手間をかけさせないように。

503 :出土地不明:04/12/16 02:36:00 ID:YE6S+HLV
>>501
そうだねぇ。499ですけど。
土器編年については、古墳のすれで質問しました。
一応、今世紀はじめまでは土器編年関係の書籍も
読みあさっていたので、仁徳天皇陵が5世紀中葉
から後半くらいまでかぶるというのはだいたいの
目安としては正しいと思うが。
で、こういう編年もふくめた根拠を書いても、
それを個別にきっちり批判できないから、
適当に批判するしかできない。
まさに素人のたわごとだな。宗教。

で、501さん、稲荷山鉄剣の銘文の「わかたきろ」は、
雄略ですか?継体ですか?私は雄略とする通説に従いますが。
#雄略っていうよりも、「わかたけ」大王と「わかたきろ」を
#一致とみるという立場です。でもって、これを倭王武とする
#のはそんなに変じゃなかろうと。

504 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 02:41:38 ID:W1Wa/rQP
馬鹿だらけだな。

稲荷山の鉄剣?

その稲荷山古墳はどう言う古墳か
周りの古墳含め勉強するんだな。

たんなる尖兵に剣くれるわけないだろうが
馬鹿もん。

まったく、
もう少し出来るのはいないのか?

505 :出土地不明:04/12/16 03:10:40 ID:atzGxkYz
ワカタケル=雄略=武の通説に沿ってで良いと思いますよ。
今のところ有力な反証は出ていませんし。

ただ讃(賛)=仁徳はちょっと危険ですね。
古墳築造編年からすると百舌鳥と古市が同時期に当たりますから。

スレ違いですのでこのへんにしましょう。

506 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 13:57:50 ID:W1Wa/rQP
AD502年に鎮東大将軍の称号を得た武

AD489年に死んだ雄略天皇
を通説?

馬鹿もいいかげんにしろ。

7歳の目弱王は56歳の安康天皇を殺し、
敵を討たない兄2人を殺し、
目弱王も殺し、
市辺忍歯皇子を殺し、
奇術のような具合に天皇になり、
子孫は清寧天皇1人で断絶し後からはたどれない。

こんなのを畿内に実在した天皇というのは
馬鹿だよ。

歴史なんぞやれるレベルではない。



507 :出土地不明:04/12/16 23:36:00 ID:OliLHADN
>>506
やっぱり、この人、統合が失調しているな。
「実在した」「実在しない」に注目するのに、
なぜ、記紀などの記述の年代やら、細かいエピソードを
全部信用するのかな。全部否定する前に、否定する細部を
全部信じるというのは、やっぱり、統合が失調しているとか、
認知だな。

ふつう、文献批判をしつつ考古学や中国の文献と結びつける
ときには、まず、せいぜい、天皇なり大王の数くらいは
ある程度史実を反映しているとしましょう、というふうにやる。
そうすると、倭の5王と年代的に対応するのは、いわゆる
仁徳朝と呼ばれるところなので、この対応を考える。
そうしたあとで、5王の中で、名前、系譜、エピソードという
順番で、信憑性をさぐっていくと、
倭王武については、名前が「わかたけ」で、さらに考古学的に
「わかたきろ」とかかれた鉄剣がでて、さらにその年代が、
6世紀初頭かせいぜい中葉かぐらいだから、そうすると、
倭王武を仮に「わかたきろ」で、「わかたけ」とすると、それぞれ
の史料(記紀、鉄剣銘文、中国史料)がそれほど多くの矛盾をふく
まず、対応するので、信憑性「かなりあり」と考える。でこれを
糸口にして、ほかの4人の王についても、いろいろ検討していくと、
中国歴史書内の系譜と、天皇系譜は整合しないので、やっぱり5世紀
の系譜は「王がいたというのはたぶん正しくて、5人かそこらだろう
けれど、そしてその最後が倭王武で雄略なんだろうけれど、ほかは
信じられないや」という形ではなしが決着する。
となると、エピソードの類は基本的にはでたらめだろうとみる。
で、あと、古墳の数をかぞえると、雄略天皇陵なんてでたらめだろう
けれど、百舌の古墳群の大型のものが、やっぱり5,6はあるから、
おおむね数も対応すると。その程度の話だよ5世紀は。
7世紀になるとかなり話ははっきりするが。

508 :出土地不明:04/12/16 23:39:37 ID:XCnQvMJu
>>504
大王から貰ったなんて銘文に書いてないぞ。
都で親王将軍(ワカ・タケル)に仕え軍務を補佐したのだ、
そして記念に剣を造り墓に入れてもらった。


509 :出土地不明:04/12/16 23:45:38 ID:5gYklxuG
>>505
いや、邪馬台国論争をやっていると、どうしても、別すれの
古墳の年代の問題になる。土器編年が絡む。
そこは、ある程度はっきりさせないと、布留1式を4世紀後半
とか、5世紀だとかかってなこといいだすやつもいるかもしれ
ない。日本の古墳時代は、まあせいぜい50年からがんばって
30年のスパンでの話しかできないくらいまだまだ怪しい部分
はあって、C14年代だってホケノ山のとき1世紀初頭から、
2世紀末とかいう結果がばらんばらんにでてきたから、解釈
のしようがなくなる。
ただし、重要なのは、ホケノ山からは三角縁はでてこないと
いうことで、ホケノ山は布留0式相当か庄内式末とみてよい
から、ほかの布留1式併行から三角縁がでてきて、しかも、
三角縁には、初期のものには年号が入っているから、年号
より「後の墓」であることは間違いない。
三角縁が中国のものか、日本で作ったものか、半島のものか
はひとまずおいておくが。
とすると、50年ずれていようが、九州には3世紀中葉って
いうのは空白期なので、3世紀前半までは伊都国とされる
前原近辺の遺跡群があるが、吉野ヶ里なんざうち捨てられた
状況なので、これを30国の中の有力なものに当てるなんざ
統合が失調しているぜ、ということになる。
通説っていうのは、かなりきちんとできているので、そう
簡単にゆらぐような説をたてることはできない。

510 :出土地不明:04/12/16 23:51:44 ID:5gYklxuG
>>508
あの鉄剣の内容で、鉄剣を作った(か、つくってもらった)本人
とされる、ヲワケオミだっけ?が、嘘八百言っているかどうかは
わからないが、系譜上、その祖先を「オホヒコ」としていて、かつ
その後の系譜から「オホヒコ」が3世紀かそこらにさかのぼりそう
なことを「主張」しているので、あの内容が嘘だとしても、重要な
ことは、
1)3世紀ごろの「オホヒコ」は5世紀末か6世紀初頭段階で、
  伝説的で実在性はともかく、祖先にするとはくがつく程度
  に重要な人物だった可能性あり
2)稲荷山は関東で、記紀によると「オホヒコ」は、崇神の時代
  に関東方面にいった将軍ってことになっているので、まあ、
  3世紀ごろの有名人(伝説上のっていう意味)はそんなに数
  はいないから、同名別人とは考えられず、結局、記紀ができた
  ときも、またヲワケオミがあーだこーだ言ったときも、ともに
  重要な人物としてしられていたのだ、ということがわかる。
ってなことだな。もちろん、稲荷山古墳がヲワケオミなる人物の墓
であるというのも、かなり無謀な話なのだが。

511 :邪馬台国はどこだ:04/12/17 12:54:15 ID:BE8/MZXo
稲荷山は主体部は盗掘でなにも無く、隣の家来の墓から象嵌した剣が出たわけだ。
周りの埼玉古墳群の中で一番古い6世紀初の古墳だ

この古墳前後から埼玉南部から大型古墳が消え
群馬では210mの大田天神山以降低調になり北西と南東(栃木)に分裂する。
毛国は上毛国と下毛国に分裂したわけだ。

埼玉古墳群は笠原直の墓、埼玉古墳群の北の7世紀中期の八幡山古墳は
物部氏の墓と想定されるから、稲荷山古墳はその大和朝廷の最初の尖兵だ。
いちいち尖兵の家来に大王が刀くれるわけは無い。

とすると、
隣に眠る単なる尖兵の王からもらったと考えるのが自然だ。

座市豪族と異質な横穴墓を通常墓し、
鉄剣に象嵌の技術を持っていた江田船山古墳同様の日置氏だな。

尖兵:日置氏
中継:笠原直氏
仕上:物部氏

ということだ。

512 :邪馬台国はどこだ:04/12/17 12:59:34 ID:BE8/MZXo
これに対し千葉は

稲荷台古墳から象嵌の剣が出ている。
5世紀後半で稲荷山よりは新しい。

これも尖兵だ。
こちらは仕上げが巨大方墳の蘇我氏だ。
前方後円墳の葬制は滅び方墳を造り、次に山田寺系の瓦の龍角寺に変わるわけだ。


513 :邪馬台国はどこだ:04/12/17 13:01:36 ID:BE8/MZXo
したがって、

剣をくれたのが雄略とする馬鹿説は成り立たない。
雄略が実在の畿内の大王でないことは既に記紀のでたらめ伝承で明らかだ。



514 :邪馬台国はどこだ:04/12/17 19:43:04 ID:BE8/MZXo
ついでに、

仁徳も成り立たないからね。
523年死亡の武寧王陵と同じ副葬品がボストン美術館に
あるからね。

日本の考古学者に任せなくて本とに良かった。



515 :出土地不明:04/12/17 21:34:28 ID:ozVQ7CHz
 日本の考古学者さんは信用ないね。これもそれも
出雲での考古学的大発見が続いたあとの、伊勢神道系
の考古学者群があせって捏造事件を引き起こしたから。
 なぜ純粋な考古学的探求ができないんだろうね。

516 :邪馬台国はどこだ:04/12/17 21:48:33 ID:BE8/MZXo
そりゃ
現職を失いたくないからだろ。

沈設立てれば勲章はもらえる可能性も
実証済みだしな。

517 :出土地不明:04/12/17 22:43:25 ID:svBHQbWn
邪馬台国はどこだ 。の偏執狂的な曲解と根拠のない自信はどこから来るのだろうか?
なんか古田武彦の影響を受けているようだけど
よくあんな電波本読んで信じられるものだ、幸せなやつだ。

たぶんこの人の頭の中では
ユダヤが世界を裏から支配しているのだろうし
相対性理論は間違っているのだろうし
金星人がUFOに乗ってきてアメリカと密約しているのだろうし
「買ってはいけない」か「戦争論」を愛読してるんだろうなあ、きっと。

518 :出土地不明:04/12/17 23:03:20 ID:74Si42pp
>>512
どうして古墳をやめてお寺をつくるようになるのかしら?
初歩的な質問でごめんなさい。

519 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/17 23:30:58 ID:tCR0VtQJ
>>518
横レスですが…

>どうして古墳をやめてお寺をつくるようになるのかしら?
そうした地域は,ごく稀だと思われますよ.
最終末の前方後円墳やその後の大形墳の分布に重なる初期(氏族系)寺
院は,全国的にはあまりありません.
何かの表象としての古墳から寺院への転換は,一般的な現象ではないと
思われます.

古墳とセットになった初期寺院は,菩提寺として古墳造営後に建立され
たものが多いような気がします.
富田林市のお亀石古墳のように,建立と同時かそれ以降と思われる例も
ありますが…

520 :出土地不明:04/12/17 23:53:23 ID:gN0pmspW
>>517
そうだよね。だいたい、誰の墓とも、誰の剣とも
なんともいっていないのだから。そうじゃなくて、だいたい
どの時期にどのような遺物があって、それには嘘かもしれない
が、これこれとかかれているというぐらいのところから、解釈
をするのが考古学的には正しい。文献と結びつけてもしょうがない。

521 :邪馬台国はどこだ:04/12/18 00:24:30 ID:ni6I/KGE
前方後円墳の後の氏寺は

龍角寺跡、水窪廃寺、馬庭東遺跡、
護国神社遺跡、田端廃寺、新保廃寺、
山王廃寺、・・・・・・

まあ調べてごらん。

522 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:17:51 ID:L92BNBR5

より親しみやすい固定名に変えましたのでよろしく

完全理論武装論者→韋駄天はふと考えた



523 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:19:15 ID:L92BNBR5


ここから書くのは邪馬台国の位置を特定するのに、当時の制度の側面から
発見してみようという、遺跡や遺物に頼らない画期的な手法です
ぜひ参考になればうれしいです




524 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:20:03 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている

邪馬台国が生んだ制度とは、それは争いや紛争が発生したら
問題解決を時間をかけて引き延ばしにすること
時間をかけて引き延ばすことで争いや紛争の当事者たちは熱が冷めてあきらめる

525 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:21:00 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている2

現在の裁判や政治で見られる、裁判の長期化や問題の先送り方法は
すべて、邪馬台国の時代に生まれた制度であり、この制度を必然によって
邪馬台国が取り入れたことにより、古代の倭国でも争いや紛争が静まり平和になった


526 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:21:39 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている3

邪馬台国がなぜ裁判の長期化や問題の先送り方法を制度として取り入れたのか?
それは邪馬台国の位置に深く関係していて、その邪馬台国の位置によって
裁判の長期化や問題の先送り方法の制度は必然となった


527 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:22:19 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている4

裁判の長期化や問題の先送り制度を取り入れれば、なぜ争いや紛争が
静まって平和になるのか?

それは当事者たちが争いや紛争の解決を第三者に委ねるからで、
第三者に委ねた以上当事者たちは結果が出るまで武力による行動を起こせない


528 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:22:57 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている5

邪馬台国ができる以前の古代倭国もまた、武力による支配地域拡張と
縄張り争いが活発で、いたるところで戦争が起きて倭国住民は
稲作や狩猟での食料、砦と兵士用の人員の略奪によって困窮していた


529 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:23:40 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている6

その倭国住民の困窮を救ったのが邪馬台国の位置による必然の制度だった

武力による縄張り争いの解決を邪馬台国に委ねることによって、女王卑弥呼からの
裁決が届くまで、争いの当事者たちは武力行動を起こせないので、紛争地域は
その間砦作りや兵士として略奪されることなく、平和的に稲作などの生産活動ができた


530 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:24:13 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている7

紛争当事者たちが女王卑弥呼に裁決を仰ぐまで、邪馬台国の位置が
紛争地からはるかに遠かったために、裁決が出るまで数年の時間を要した
そのために紛争地では、数年間という確実な平和を手に入れることができた


531 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:24:44 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている8

紛争地では女王卑弥呼の裁決が出るまでの間、数年間の平和を手に入れて
倭国の住民たちは戦争で荒廃した国土の復興に取り組むことができた
稲作での食料の生産と貯蓄ができ、権力者たちは砦の補強と兵士の訓練に励めた


532 :韋駄天はふと考えた:04/12/18 03:25:39 ID:L92BNBR5
邪馬台国で生まれた制度は現代の日本の社会にも引き継がれている9

やがて数年間の時を経て、邪馬台国から女王卑弥呼の裁決のが言い伝えが
紛争地に届く頃には、倭国の住民たちは領地拡張による争いの憎しみも消えうせて
平和な時間に酔いしれていた、結果邪馬台国は武力によらず倭国を治めることができた


533 :出土地不明:04/12/18 09:34:50 ID:BLPjFOY2
妄想乙

534 :出土地不明:04/12/18 10:18:55 ID:YnCp7o3c
卑弥呼はともかく、「男弟」の墓はどれかってのは考えられていないんすか?

535 :出土地不明:04/12/18 23:01:25 ID:28IMmxCy
男弟・・・
そうだ、実際に政治を行っていたのは弟なのだから
さぞかし立派な墓があることだろう。
名前は何だろな。

536 :出土地不明:04/12/19 00:47:37 ID:O5XB1D8K
倭人伝にでてくる<男弟>と、
卑弥呼に仕えてた<男子>は同一人物なのだろうか。
別人の気が最近しているんだけれど、どう考えられてるの?
いずれにしても、卑弥呼の古墳の近くに、
彼等の古墳もあるんじゃないかなと思う。


537 :出土地不明:04/12/19 00:50:43 ID:O5XB1D8K
伊都国の場合はどうなっているの?
祭祀をやってたとおぼしき女王?の近くに、
卑弥呼の<男弟>みたいな男の奴の古墳はやっぱりあったのかな?

538 :出土地不明:04/12/19 01:19:27 ID:3F+L8Ny0
>>534-537
考古学的には、「よくわからん」でおしまい。
文献学的、文化人類学的にはあーだこーだいえて
楽しいだろうが。

539 :邪馬台国はどこだ:04/12/19 10:16:59 ID:uWzhXB5s
考古学的には金印でおしまい。
それ以後の王権が平原弥生古墳や三雲や岡本にうかがえるので
3世紀の王権は九州に存在したまま。

540 :出土地不明:04/12/19 21:52:59 ID:j7SP+R9/
「正始」年号の鏡って云われてるのってホントに「正始」なんだろか?

541 :出土地不明:04/12/19 22:32:08 ID:se0A8t/7
>>540
まあ、「□始元年」鏡と「景□三年」鏡の字体、鏡の形式などが
ほとんど同じなので、年代として近いものを考えると、景初三年
と正始元年にいきつくというのが通説だが。

542 :邪馬台国はどこだ:04/12/19 22:40:58 ID:uWzhXB5s
600枚のうち、
4世紀の古墳のは九州倭国が配布した本物、
残りは大和朝廷の配った偽物だ。

大和朝廷と言っても九州倭国の出先だったから
使い方もわかっていたんだな。

しかし鋳造技術は平原遺跡の46cm鏡のレベルには及ばない。
畿内で作られた偽物だと言う証明だ。

九州本国ならコピーでも数段優れたものだったろう。

技術の断絶は畿内説の致命傷だね。

543 :出土地不明:04/12/19 22:54:36 ID:1r4r+D0/
>>542
残念だが、鏡の原料の銅の成分、鉛の同位体測定から、
中国産の、しかも、徐州産銅が使われたことが確実なので、
三角縁鏡が、日本で作られたものだというのはほとんど
あり得なくなってしまった。これは考古学的な成果だ。
ついでにいえば、日本の青銅器の原料の銅は、基本的に、
弥生時代までは、半島産であり、この場合、混合される
鉛の同位体測定から、非常に顕著なデータが出てくる。
このようなものは、三角縁鏡にはない。
ちなみに、対馬方面での調査では、対馬の人たちは、半島から
青銅器のスクラップを輸入して、九州などに送ってその交易で
稼いでいたことがわかっている。まあ、弥生時代の後期とかの
話だが。
よって、三角鏡について、よくある話は、数トンの銅を中国
から輸入して作ったという説なのだが、だいたい、中国内部
がむちゃくちゃ混乱している状況で、未加工のインゴットを
輸入したという話もどうかしている。
また、同じころの呉の年号がついた赤烏七年だっけ?の鏡など
は、銅の成分が三角縁鏡とはちょっと違うことがしられている。
三角縁鏡が、それまでの漢鏡とくらべて粗悪なのは事実だが、
しかし、考古学的な成果としていえることは、間違いなく、
中国産の銅を用いた魏鏡だということだ。形式として、半島で
流通してた魏鏡と近いので、魏としても半島向けに近い位置づけで
作ったのだろう。なお、中国の皇帝が周辺民族に与えた下賜品は、
その多くは、中国では見つからず、周辺民族のもとでのみ見つかる
場合が多い。北方民族向けには、ライオンなどの動物でかたどった
意匠のものがあるが、そのようなものは中国では出てこない。

544 :出土地不明:04/12/20 00:04:41 ID:bprqryYo
楽浪郡あたりで作られたのが輸出されたんじゃないか?

545 :出土地不明:04/12/20 00:32:42 ID:gOZCan0I
>>544
楽浪郡ってどうなってたっけ?あの時代。
いえることは、どこで作られたかはわからんが、
「半島向けと同じような仕様で作られた」ということ
だろうね。それだけは確実。

それと、技術の伝搬というのは案外難しくて、
まあ、大昔の殷代とか周代では、殷の王朝が、技術を
独占しているわけね。周代でも文字を書いた青銅器の
文字なんて周王朝が独占していて、それが普及するのは
戦国時代になってから、っていうのがある。

北部九州から40センチ以上もあるでっかい鏡がでて、
これは中国人はつくらんだろう、っていうことからして
倭鏡であるのは間違いない、っていうのはおおむね理解
したとして、この鏡の技術とはかなり違うのが三角縁鏡
だ。とすると、あの倭鏡を作った倭人なり倭人+半島やら
中国からの倭を拠点にした倭の鏡作り集団が三角縁鏡を
作ったとは思えないし、また、そういう技術は、現状では
3世紀以前の近畿にあったとは思えない、とすると、
作った場所が九州でも近畿でもなく、たぶん、日本列島の
外で、だったら、半島か、魏の本土ってことになるだろう。
材料の解析からすれば、やっぱり魏の本土で半島向け仕様
と同じ形で倭にむけて作られたもの、と解釈するのが、
一番自然だ。まあ、粗悪品だというのは、たぶん、魏自体
が技術を喪失しつつあったんだということだろう。
ローマ時代の芸術が、4世紀5世紀となるとどんどん粗悪で
だんだんみすぼらしくなるのと同じで、漢の技術がどんどん
すたれてきた、っていう状況が考えられる。
だいたい、当時の中国本土に相当するところからもろくな
鏡出てないでしょ。

546 :出土地不明:04/12/20 00:51:51 ID:uvPDo0SK
倭人の間で中国の鏡がファッションというかインテリアとして
流行っていたんだろうね。

547 :出土地不明:04/12/20 00:56:13 ID:AOr2DTy2
>>546
弥生時代末ごろだと、近畿圏では、割れた鏡であろうが、
穴あけて、ひもとおして、ペンダントにしていたらしいので、
ようするに、スレイヤーズに登場のブラックドラゴンみたいに
青銅製のものでぴかぴか光るものは、なんでも身につけるのが
ファッションってことだろう。
鏡として認識していたかどうかもあやしい。
そういえば、アフリカのとある種族はフィルムのパトローネいれる
透明ケースを、耳の穴につっこむのが流行だとかいうのがあるが、
それと同じだったりして。

548 :出土地不明:04/12/20 01:05:52 ID:uvPDo0SK
鏡に付いてる漢字がまた当時の倭人にとって
ファッションだったと思いますよ。

549 :出土地不明:04/12/20 01:46:33 ID:bprqryYo
行灯山古墳の陪塚の天神山古墳出土の鏡は、
ほとんど不良品じゃなかった?(穴が空いてたりして)
黒塚とかと違って三角縁はほとんどなかったはず。
大王墓(たぶん)の副葬品なのにどして不良品ばっかだったのかな?

550 :出土地不明:04/12/20 02:00:50 ID:oYJ49lLi
>>549
天神山古墳ってば、ちょくちょくいくけど、あの荒れようは、、
なんか悲しいね。最近整備されたかしら、ここ1年くらいいってない
けどさ。たんなる神社の盛り土状態だし、形わかんないし。
で、鏡は、一応、あやしさ爆発すぎるので、こればっかりは、
倣製鏡とされておりますです。
ただ、行灯山とか渋谷向山は布留2くらいじゃないかな。
で、天神山古墳もその時代だろうから、そうすると、もう中国
からはまともな鏡がこなかったってことで、まともなものは、
みな墓の中、とか。

551 :邪馬台国はどこだ:04/12/20 20:42:35 ID:Z566iTWh
まあ、
上記は皆駄目だな。

中国では鏡は1品製作だ。

技術の劣った踏み返しの三角縁など
作るわけが無い。

材料はどっちみち外国だ。
和銅元年まではね。
考えるまでも無い。

552 :出土地不明:04/12/20 23:28:48 ID:x5G803yN
邪馬台国はどこだ、をスルーします。

553 :出土地不明:04/12/25 17:25:36 ID:F7Qz2VWD
 邪馬台国研究家は日本人の恥。
保身のために、真実をわざと隠す。
いつまで、九州だの畿内だのいって
いるのか?目を醒ませ!

554 :出土地不明:04/12/25 20:15:05 ID:3k8xRGSL
>>553
まあ、邪馬台国研究家っていうのには、専門の考古学者も
いないし、専門の歴史学者もいないのだから、いわば趣味人
だわな。オーパーツとかいうのと同じようなもので。

555 :出土地不明:04/12/25 20:28:02 ID:3BQFr1Ah
そもそもほんとにあったのか?

556 :出土地不明:04/12/25 20:45:01 ID:3k8xRGSL
>>555
魏志倭人伝に書かれた内容がすべて正しいはずもないので、
「なんかいた」「どっかにあった」ってな具合だろう。

557 :スレ主1様:04/12/26 17:18:13 ID:eW7Y5NNZ
卑弥呼=日巫女=天照大神 です。
248年の日食事件という科学的根拠もあります。
天照の子供の天忍穂耳命の妻は万幡豊秋津師比売命。
宇佐は豊の国といいますよね。宇佐神宮に祭られている
神は応神・神功とその上にたつ比売大神ですよね。
万幡豊秋津師比売命=台与の名前をよく見てください。
その子供の二二ギが日向に降臨していますよね。
日向に遷都したことを示してますよね。これから4代後が
神武で東征してますよね。4世紀末の応神東征と時代的に
一致してますよね。宇佐神宮に台与と一緒に応神が祭られてる
理由もここでわかるでしょう。神武東征の経路をよくみてみてください。
日向〜宇佐にたちよって土地の神の饗宴を受けていますよね。
さらに筑紫の岡田宮に1年たちよってますよね。ここは邪馬台国連合の
外交を担当した伊都国があった縁の深いところですよね。
この2つにたちよったのは偶然でしょうか?さらに仁徳天皇の
妻は日向の姫君です。これも偶然でしょうか?
巨大古墳も九州勢力と畿内勢力の併合と考えれば
筋が通りますよね。ここまで言えば真実がわかるでしょう。





558 :出土地不明:04/12/26 18:52:52 ID:mShby3IV
それでは駄目だ。

畿内の陵戸・守戸・雑戸・公奴婢・私奴婢の奴隷はどこから生じた?
併合ならなぜ記紀は真実を書かない?

仁徳天皇?
武寧王と同じ6世紀の副葬品の出た古墳の主か?
架空と言う証明ではないか。

そんな適当なご都合主義では何も見えてこないよ。

559 :出土地不明:04/12/26 19:46:14 ID:qkNezz3a
仁徳陵で崩御の2百回忌をやったとき、副葬品を埋めればそれは出て来るさ。
そんなの証明になるまい。

560 :出土地不明:04/12/26 22:05:42 ID:eW7Y5NNZ
邪馬台国一派は南アメリカからきた移住民族。
南方系のにおいがぷんぷんする

561 :出土地不明:04/12/26 22:47:42 ID:SMPf8Vu1
>>560
逆だっちゅうに、何度も言わせんな!

562 :出土地不明:04/12/26 23:02:31 ID:mShby3IV
馬鹿ではないか。

200回忌だと。

563 :出土地不明:04/12/27 00:20:58 ID:eW0R3+hQ
その前に、仁徳陵から武寧王陵と同じ年代を示す資料は出ていない。
脳内醸造するなよ、珍説を。
確かに200回忌はプ だが。

564 :出土地不明:04/12/27 01:48:26 ID:29rJNNqi
>>557
たしかに、卑弥呼の死亡とされる時期に日食があったらしいのは
事実。もちろん、死んだ日に起こったのか、日食があったから
卑弥呼が死んだのかはわからない。
で、その要素が、なんらかの伝承に残った可能性もある。
ただし、天照大神伝承は、文献的にみても、また天皇家の伝承
などを考慮しても、きわめて新しく、6世紀以前にはさかのぼらない。
おそらく、イザナギ、イザナミよりも新しい。
よって、過去のさまざまな伝承や、女王伝説のようなものをいろいろ
総合した結果としての天照大神伝承と、そのごく一部の要素として、
卑弥呼伝承のようなものがからんだ可能性はないとはいえないが、
非常に間接的なものである。
学問上は価値なし。
ちなみに、8世紀段階、天照大神の伝承が、しっかり記紀に残った
段階で、日本書紀の編纂者は、卑弥呼を神功皇后に当てている。
よーするに、8世紀初期段階で、卑弥呼がだれなのかも、全く
伝承にも残っていなかったし、また、中国の文献を読んだ上で、
それに対応しそうな女王伝承も無かったと見るべきだ。
日本書紀では、卑弥呼も台与もいっしょくたにしていて、しかも、
引用文献は、魏志倭人伝以外にも晋の起居注なども参考にしている
からもっと文献はいろいろあったはずなのに。

565 :出土地不明:04/12/27 08:22:47 ID:anNQm8/n
>>562
伊勢神宮は20年ごとに品物を地に埋めている。
これを繰り返している。10回やれば200年経つ。
伊勢神宮がB.C.5年にはじめて成立したのなら、仁徳崩御のあとに数十年に1回ずつ
○回忌をやった行事があってもおかしくはない。6Cの副葬品が出ても直ちに矛盾
とは言えない。はは〜ん、君の所は親族等の○回忌等はしないのか?


566 :出土地不明:04/12/27 10:01:18 ID:P5ml4Uxw
馬鹿だな。

仏教が渡来して以降は33回忌で
位牌上げになるんだよ。

神道でも死んだ翌年は祖霊と一緒だな。

それ以前はいきなり埋葬後は祖霊になるんだ。

何も知らんのだな。


567 :出土地不明:04/12/27 10:46:17 ID:anNQm8/n
伊勢神宮はお前様のいうとおりに従っちゃあいないよ。
うそだというなら、神宮に聞いて見ろよ。
同様に、仁徳陵のようなどでかいものがなぜ、そんなことに従う必要があるのか?
おまけにご陵は佛伝552以前のA.D399だ。お前様仁徳崩御が佛伝以降だとでも
言うのか?相当の電波だぞ。

568 :出土地不明:04/12/27 11:00:13 ID:P5ml4Uxw
その仁徳天皇陵が6世紀の武寧王陵と同じ
副葬品が出るのはどうする、
と聞いているんだよ。

まったく、
馬鹿だな。

569 :出土地不明:04/12/27 11:07:43 ID:anNQm8/n
ならば、問題はないではないか。仁徳陵から神武の世の品が出てきたというんなら
ここで問題となるんだ。

570 :出土地不明:04/12/27 11:29:12 ID:anNQm8/n
まさかとは思うが、もしもエジプトのピラミッドあたりの地面下から、
江戸時代の日本の武者の印籠とか刀が出てきたとしたって別に驚くこともあるまい。
当時の日本の侍とピラミッド、スフインクスとか一緒の写っている写真があることからも
どうっていうことはない。当たり前だ。ピラミッドは仁徳陵のごとくどでかく
B.C.2000ころ建造されたのなら、仁徳陵より古い。それでも武士との写真がある。
ご陵からそんな品が出てもおこりうることだろうが。あきらめろ。



571 :出土地不明:04/12/27 12:14:03 ID:P5ml4Uxw
副葬品は掘りや裾部から出るわけではないんだな。

だから古墳の築造年代推定に使えるんだ。
常識だ。

あきらめろ。

572 :出土地不明:04/12/27 12:49:07 ID:anNQm8/n
PuPu !(w じゃあ武寧王国が畿内にできたと、おおいに推定説を主張しろよ。
聴いてあげるよ〜。記紀のどこに載っているの。それともまさか記紀の作者が王国記述
を隠匿したと言い出すのじゃああるまいね?

573 :出土地不明:04/12/27 13:04:53 ID:P5ml4Uxw
隠匿?
馬鹿だな記紀の作者は切り貼りだ。

結局渡来人の国になったではないか。
遣唐使も渡来人だしな。

誤魔化しとらんで
先祖を変える祭りを
桓武天皇が2回やった理由を書け。

574 :出土地不明:04/12/27 13:22:28 ID:anNQm8/n
えらく時代の降下した質問をし始めたな。50代のほうはどうでもいい。
いまは16代のことを言っているのだ。
記紀がご陵を武寧王墓だという記載がないのは当たり前だ。そんな王国は
畿内に無かったからだ。後代の6Cに仁徳陵の奥に何かの理由でその品々を
注入したわけだよ。非常に合理的ではないか。
お前様はま〜だ大仙陵が武寧王陵だと思っているのか?大デムパではないか?

575 :出土地不明:04/12/27 13:44:44 ID:UVEWwprV
>>573
井沢本やら高橋本を根拠に考古板に迷惑かけるのはヤメテクレ
あの連中には元ネタの梅原先生でさえ迷惑しているのだから

576 :出土地不明:04/12/27 14:42:09 ID:P5ml4Uxw
馬鹿だらけだな。
仁徳天皇陵が武寧王陵だとどこで言った?

武寧王陵と同時期の出土品が主体部から出た仁徳陵は
6世紀の古墳なんだよ。
常識だ。

井沢本?高橋本?梅原?
そんなボンクラといっしょにするな。

577 :出土地不明:04/12/27 23:09:51 ID:rrbr8gB+
pu!あの前方部の長持形石棺が6世紀!激しくワラタ!

578 :出土地不明:04/12/27 23:20:04 ID:P5ml4Uxw
↑ こいつも無知だな。

長持型石棺では年代はわからんのだ。
馬鹿め。



579 :出土地不明:04/12/27 23:45:59 ID:rrbr8gB+
1.長持形石棺は6世紀には存続しない。
2.大山古墳出土と伝えるボストン美術館蔵品は単鳳環頭大刀で武寧王陵のは単
 龍環頭大刀だ。ボストン美術館蔵品のほうが文様構成と技巧から見ても武寧王
 陵のものより明らかに先行する。
3.細線式獣帯鏡は年代幅の広い遺物だ。同じものがあれば即ち同時期の古墳
 と言うことにはならない。

無知で煽るしか能のないバカはおまえだよ。
 

580 :出土地不明:04/12/28 02:59:17 ID:01g6cX8k
↑ 馬鹿。

考古学では現在存在しないのは証明にならないのだ。
特に天皇陵が発掘されていない現状ではな。

文様構成で明らかに先行するだー?
当時の文様・技術など時代推定に使えるほど進んではいないんだよ。
馬鹿ではないか。

鏡は年代幅が広い?
じゃ仁徳陵が5世紀と言うには余計駄目ではないか。

さすが無知無知君だね。



581 :出土地不明:04/12/28 10:46:57 ID:XYYU/8a+
ところで、ボストンの展示品は大仙古墳出土に確定していいんですか?
出所に胡散臭い話もあるようだけど。

582 :出土地不明:04/12/28 13:19:52 ID:iv1U9NBQ

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067984367/55-66

583 :出土地不明:04/12/28 14:12:29 ID:UMlh7MkV
>>576
ならば、それでいいではないか。仁徳陵であって武寧陵じゃあないといってるんだから。
あんたの話だと、物が出て、6Cに造ろうと1000年後に造ろうと仁徳陵は仁徳陵だ。
これから1000年経ったって、伊勢神宮は品を埋めるのさ。なにも不審はないこととな〜る。

584 :出土地不明:04/12/28 15:16:50 ID:UMlh7MkV
そうだろう。武寧王の墓などというのはこれこそ架空の、証明までするほどでもない
デムパ説なわけだ。あれが「6Cの品だ。」か。だから架空だとはなりっこない。
6CになればA.D.552頃の仏伝あたりだ。ならば百済と関係が出るし武寧王の副葬品が出るのは
むしろ当然起こりうる事項であって、異になるべきことでもない。
要するに、6C後代にそんな物を陵内に差し入れたわけだ。
事はいろいろ考えられる。たとえば盗掘だ。抜かれて中がガランドウ。これでは
先帝に面目ない。ならば、代わりに、真副葬品をいれて何とかしよう。
となれば6C当時のものを入れることとなる。こうなれば仁徳世ころの品でないに
きまっている。それが 6C品が出た=ご陵は6Cに出来た
こういうのは単純、読みのまったく無い無謀な考察であって、常識などの語で結論
すべきでない。こんなのは将棋で、5間の所6間に出た王(中盤)を観た。だから
王の置き方は6間からだ。にはならない。やつはことの中盤を序盤と考えているんラシイ。
そういえばA.D.399仁徳崩御。400履中即位。翌401年タジヒ立太子で5Cが始まる。

585 :出土地不明:04/12/28 16:53:03 ID:XYYU/8a+
だから、その副葬品は仁徳陵の出土品かどうか分からんってのに。

586 :出土地不明:04/12/28 20:04:16 ID:UMlh7MkV
>>584 スマソ
訂正 (誤)真副葬品    (正)新副葬品

587 :出土地不明:04/12/28 23:42:35 ID:N0JKLTxq
>>580
お前は巧みに話をすり替えたつもりだろうが馬鹿だな。ずっとそうやっ
て自分と周囲を欺いて生きてきたんだろうな。だが周りは既にお前の正体は知っている。哀れむべきやつだよ。

俺はな、お前が仁徳陵を6世紀に下ることの拠り所にしたボストン美術館蔵品が武寧王陵の型式よりもむしろ先行することを述べたに過ぎない。
つまりボストン美術館蔵品は6世紀には下らなくても十分理解可能だと言っているんだよ。
そして>>581の言うとおり、あれは出自が明らかではない。
そんなものに頼らなくても、大山古墳は中期のうちに収まる古墳であることは火を見るより明らかなんだよ。
まだやる気なら逐一記してやろうか?


588 :出土地不明:04/12/29 00:00:28 ID:UMlh7MkV
とにかく、
(1)武寧王の副葬品が出た=武寧王の陵墓だ
(2)6Cの副葬品が出た=6Cに出来た陵墓だ
という結論をストレートに、常識とか云って断定するのは大間違い。(ピラミッドの件)
>>576 はそういう頭脳の持ち主のようだ。
さすが記紀にそんな記事がなく、やつも(1)は間違いだと気付いているものの
(2)のほうは単純に決め込んでいる。ちょっと目がくらめば(1)も常識
とか言いいだしたであろうが、さすがに明確で誤説と気付いたのだろう。
ならば、慎重に頭脳を回転させれば(2)の結論も早計だと気付きな!!

589 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

590 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

591 :出土地不明:04/12/31 03:16:28 ID:zg857pNz
一橋大

592 :出土地不明:04/12/31 23:29:43 ID:ubM6Zu3D
?考古学の講座は開講されていないようですが、何か?

593 :出土地不明:04/12/31 23:31:17 ID:ubM6Zu3D
文学部もないようですが、何か?

594 :韋駄天はふと考えた:05/01/02 23:59:20 ID:ImrOCkDC
私にとって哲学とは自然の現象や事象を情報として記憶、脳内でシュミレーション実験
(架空実験)をして、結果や正解を導き出そうとする学問と考えています

一方科学(医学・物理・化学・生物・数学)は実際に動物実験や実験器具(電卓・コンピューターも含む)
などで実験を行い、これらの実験結果を踏まえて結果や正解を導き出そうとする学問と考えています

また歴史学(考古・世界史・日本史)は過去の文献や遺跡発掘、事件記録、事故記録・戦争記録などの
証拠品を元にして、歴史上での結果や過ち(正解も含む)を導き出そうとする学問と考えています


よって哲学が高度な知能を最も必要とし、すべての最高位の学問であると考えています
私の考えは間違っていますか?


595 :出土地不明:05/01/03 00:05:34 ID:SYr+cMPV
歴史は、楽しむためのエンターテイメントだよ。
だって、知りたいだろ、昔、どういう人たちがいて、なにしていて、
どういうふうにして現在につながるのか。
そういう人類の知りたがりさんがいるから、考古学者や歴史学者が過去
の歴史を調べようとしている。
それと、古いものは、「時間がたっている」っていうだけで希少価値が
ある。だから、古い骨董品はお宝になる。だから考古学者はお宝を
掘ろうとする。
どちらにせよ、エンターテイメント的な学問が歴史学であり考古学だ。
だから、もっとトンデモ、たのしく歴史をすればいいのだ。
さらにそこに、ねつ造もあったりすると、よりミステリー性がたかまり
お茶の間にはたくさんの娯楽を提供する。


596 :出土地不明:05/01/03 01:57:08 ID:2MpEJVfD
>>594 哲学と歴史学は扱う原理のレベルが違うので比較できないよ。
   哲学は根本的な原理、歴史学は中位的な原理。両者は補間関係
   にある。

597 :出土地不明:05/01/03 02:01:57 ID:2MpEJVfD
ちなみに文化人類学も中位だな。

598 :韋駄天はふと考えた:05/01/03 02:15:46 ID:jj0qlElL
>>596
ではお聞きするが、科学や歴史学は物証がないと正誤の判定はできない学問
だからこそ遺跡を掘り返したり、文献を探ったり、動物実験や様々な研究実験をする

しかし物証の出てこない事象については、正誤の判定どころかどうすることも
できなくなるという欠点が、科学や歴史学にはある

具体的に言おう、スケールの大きい事象の場合、例えば宇宙外部や地球内部の構造を
知るのに実験で知ることはできないから、正誤の判定は哲学的(脳内での空想実験)な
考えに判定を委ねることになる

また歴史においても物証が出てこない事例の場合(対象物が古すぎたり、
海底に沈んでいて発掘が困難な場合)は、これまた正誤の判定はできなくなるので、
正誤の判定は哲学的(脳内での空想実験)な考えに判定を委ねることになる

したがって実験や物証による正誤の判定が困難な場合は、最終的に哲学的な
思考でもって判定することになるので、哲学が最高位の学問となる

599 :出土地不明:05/01/03 02:44:50 ID:JK8WRoZK
ぴろそぴあだから、たんにそぴあがぴろなだけだ。
哲学ってだれが訳したんだろう。

600 :出土地不明:05/01/03 02:45:48 ID:JK8WRoZK
ちなみに、邪馬台国論争は、れっきとした産業だろう。
「邪馬台国論争産業」が存在し(最近かなり廃れた産業だが)、
そこには、邪馬台国論争オタクという市場が存在する。

601 :出土地不明:05/01/03 12:53:20 ID:tgqqChaA
>>598
たとえば、哲学は「人が生きる意味」、歴史学は「人の生き様」を研究の対象にする。序列を付ける必要があるのかね?
それぞれの学問には個別の方法論はあるが、歴史学にも哲学的思考は不可欠だし、哲学にも歴史学の裏付けが必要だ。
要は貴殿の言う「脳内での空想実験」の素材や裏付けは他の人文・自然・社会科学に基づくものだと言うことだよ。

602 :出土地不明:05/01/03 23:47:02 ID:l6PnZP5u
このスレに関しては>>480およびその人物が言っていることが今の考古学会の常識だ。
「×さん」は考古学会の常識を知らずに「脳内での空想実験」をしているとすればそれは哲学ではないよ。

603 :出土地不明:05/01/03 23:53:45 ID:vxUA7B0D
480です。
ってなわけで、1999年ごろからさんざん議論したけれど、
専門書を大量に読みあさった結果、邪馬台国のあった場所は、
大和(桜井市から天理市にかけて)で決まってしまったので、
私的には、問題はすべて解決。
あとは、邪馬台国オタク的興味として、魏志倭人伝の経路が、
瀬戸内海経路か日本海経路か、という問題と、狗奴国の所在
くらいしかないです。
一応、考古学的にみて、日本海経路をとります。狗奴国に
ついては、方向は魏志倭人伝とは違いますが、吉備あたりを
考えます。(前川説ですかね)。
ちなみに、箸墓の前方部を掘ると、たぶん、台与ちゃんの
ミイラが発掘されると思います。それを蘇生すると、たぶん、
現代の女子高生としてよみがえると思います。ぜったいにかわいい
です。関西弁の原初の姿をしゃべります。漢字も書けますが、
楷書でなくて、隷書です。
「倭倭倭倭」とかいうのは、子供だからです。

604 :出土地不明:05/01/04 00:08:03 ID:csFnVMHl
pu!あなたでしたか。
考古学研究者の最大公約数的見解は瀬戸内経路。共立の背景が重視されています。狗奴国は東海。
台与は単独の前方後円墳でしょう(桜井茶臼山やメスリ山など)

605 :出土地不明:05/01/04 00:25:18 ID:csFnVMHl
訂正:瀬戸内経路
そういえば神戸市・西求女塚古墳には山陰系土器が顕著でした。近年は布留式土器にも
「山陰系」の概念が導入されつつあります。
ついては、卑弥呼の共立は西日本全体の合意によるものとの解釈で如何でしょうか?

606 :出土地不明:05/01/04 00:27:29 ID:PcU4qceU
>>604
すんません。2ちゃんねる読みながら、結局ワイン一瓶あけて
しまったので、酔っています。
考古学者の最大公約数はわかっていますです。
でも、東海ってば、ぱっとしないねーって思うです。
まあ、大和の位置関係からして、大阪湾と東海との交通の要衝で
あったことは事実なので、それに、纏向遺跡自体が、かなり東海
系なのも事実なのですが、が、が、。私としては、東海は僻地
な印象がありまして。
ついで、経路ですが、投馬国を、妻木晩田遺跡あたりと考えます。
そこから、丹後、若狭あたりに上陸後、陸行ですと、ちょうど、
大和がよかろうかと。だって、大阪湾から纏向遺跡は近いですもの。
現在は、佐紀古墳群のあたりに住んでいますので、ときどき箸墓
参りには行きます。関東出身なので土地勘はありませんが。
佐紀古墳群あたりの自宅から、箸墓まで歩いてみたりしました。
近いです。5時間で歩けます(国道169とか)。
台与の墓は、でも、メスリ山だと、時代が後になるので、入っている
遺体は、中年のおばさんです。やっぱり、蘇生復活のときに、16歳
くらいにしてほしいので、箸墓に入っていることにしたいです。
たんなる願望ですが。

607 :出土地不明:05/01/04 00:28:38 ID:9gBcvi1O
>>598
勝手に「私にとって」ろ。

608 :出土地不明:05/01/04 00:31:26 ID:PcU4qceU
>>605
一つ重要なことは、九州北部に近畿系土器、布留式などが入るときに
それが、山陰経由だという話があることです(ちょっと史料が古い
かもしれないです。最近2年か3年、チェックしてません)。
それから、あの、景初4年鏡でしたっけ?太田5号だかの。あれ?
ちょっと混乱していますが、あれも一応山陰の古墳ですよね。
まあ、4世紀の古墳と思われるものからは、三角縁鏡出ていて、
それらは、どっちかっていうと、瀬戸内海よりなんですが、それ以前
の年号のはっきりしたやつは、どうも、奈良、京都(椿井大塚山とか)
それから山陰(太田5号)という系統で、奈良から北に抜けている
と思うんです。瀬戸内海経路でいくなら、大阪湾岸から兵庫の瀬戸内
海よりにもっと出てよさげです。

609 :出土地不明:05/01/04 00:34:09 ID:csFnVMHl
前方後方形の墳墓は重いです。

610 :出土地不明:05/01/04 00:36:23 ID:PcU4qceU
>>605
卑弥呼の共立についてですが、うーん、まず、私的には、
平原墓の女王っていうのがいたと思うんです。きっと美人で
中国にも知れ渡っていたような人で、って関係ありませんが。
女王なのか、たんなる高位な巫女なのかしらないけど、そういう
のがいて、これが、中国における女王国という概念ができた理由
でしょう。この段階で、近畿圏は無関係なので、伊都国を中心
とした、九州、つまり南北にながい倭という概念が中国で形成
されたと思います。その後、大和の勢力が九州より強くなった
としても、この伊都国の女王はそれなりに強い勢力があった。
うーん、この女王の娘とかが、共立されたとかそうい概念で
いくと、西日本全体の、それも、私の考えでは、西日本の
中でも瀬戸内海沿岸をのぞくところで、の共立の感覚ですかね。
瀬戸内海は、讃岐と吉備の連合みたいな勢力があって、それが、
狗奴国だったとか。まあ、このあたりは、ロマンです。
それに、台与ちゃんは、16歳でお墓にとりあえず入っていただ
かないと、女子高生台与ちゃん復活の日という私の小説のモチーフ
が崩れますので、、、。「倭倭倭」


611 :出土地不明:05/01/04 00:37:08 ID:csFnVMHl
↑狗奴国

612 :出土地不明:05/01/04 00:43:21 ID:csFnVMHl
錯綜しました。冷たいようですが、ロマンは私の関知するところではありません。あしからず。
ただ、共立の背景に東瀬戸内の前方後円形墳丘墓(萩原1号やI尾神社4号墳)などと、吉備の特殊器台や特殊壺を
イメージしているのも事実。

613 :出土地不明:05/01/04 00:49:35 ID:csFnVMHl
箸墓古墳はこれらを総合した記念碑として威容を誇っているというのが最大公約数と思われます。

614 :出土地不明:05/01/04 01:05:01 ID:pG4aUcZH
前にも書いたけれど、箸墓の築造年代が3世紀後半として、
その後、箸墓を上回る墓ができたのは、渋谷向山古墳とか
行灯山古墳でしょう。この時代までの空白は短くても50年。
長くみつもれば、80年。記念碑的っていうのは正しくて、
たぶん、いったん箸墓を作ったあと、しばらく(その間に
3代くらいの王墓が作られてもよいのだが)は、箸墓をしのぐ
墓を作れないような状況があったのだろうと思います。
たぶん、箸墓を作ったときを知っている人が生きている間は、
とてもじゃないが、箸墓を越えるのは、なんかタブーみたいな。
で、特殊器台とかであろうと、東海系土器であろうと、どっちにせよ、
狗奴国っていうのは、案外、邪馬台国(っていうか卑弥呼の女王国)
とは、近親憎悪的関係の国であった可能性が高いですね。
けっして、邪馬台国からみて利害関係がない遠い国ではない。
たぶん、祭祀などが共通性が高く、それで利害が非常に衝突しやすい
という意味で、吉備系、讃岐系、あるいは、東海系ということになる
んではないかと。前方後方墳の東海地方はちょっと違いすぎませんか?
むしろ、東海地方は、大和の後背地のようなイメージです。

615 :出土地不明:05/01/04 01:22:12 ID:csFnVMHl
どうして「案外、邪馬台国(っていうか卑弥呼の女王国)とは、近親憎悪的関係の国であった可能性が高い」と読めるかなー。精査してみます。

616 :出土地不明:05/01/04 01:25:29 ID:pG4aUcZH
「もとより和せず」みたいな一文があるじゃない。
ながーいおつきあいで、ずっと仲良くなかった、ってことが
魏志倭人伝にあるのが理由。

617 :出土地不明:05/01/04 01:30:29 ID:csFnVMHl
「敵対する」というニュアンスとはかなりちがう。まー明日仕事だから寝ます。

618 :出土地不明:05/01/04 03:11:37 ID:qosdObEP
インカって凄いよな
前15世紀に石の巨大建造物がいっぱいあるんだもん
たぶん倭人も黒潮にのって流れ着いたんだろうな

619 :出土地不明:05/01/04 13:09:16 ID:QUG7LMis
>>618
インカは紀元後14〜16世紀前半。
それ以前のはインカとはいいませんので、あしからず。

620 :出土地不明:05/01/04 20:35:32 ID:uA7s91M5
東海地方はサンカの本場だ
大和朝廷の後背地のわけがないだろうが。

621 :出土地不明:05/01/05 00:48:03 ID:JhzwZF3p
東海をクナ国説ととる人って、どこの地域の古名を「クナ」とみて
議論してます?なんか聞いたんですけど、忘れました。

622 :出土地不明:05/01/05 01:34:16 ID:FV1MuQGW
「久野」とかいう地名がどこぞにあったような。

623 :出土地不明:05/01/05 12:28:00 ID:zSMxEjhH
桑名だって説もあったような

624 :出土地不明:05/01/05 13:41:59 ID:XkIYSSmj
>>621
久努(くぬ)国造というのが遠江国に置かれていたそうだけど。

625 :出土地不明:05/01/05 18:25:40 ID:SsmclNaw
日本中で2文字の地名は3万くらいある
そのうち「く」では始まるのは千以上ある
もうわかるよな

626 :出土地不明:05/01/05 22:24:05 ID:Zo6h6XOH
>>625
ところがだなぁ、魏志倭人伝に出てくる、旁21ヶ国を
ふくめた30ほどの地名とされているものを、いろいろ
見たところ、マジで、日本の地名に対応しそうなのって
ないのだね。
対馬(対馬)、一支(壱岐)、末廬(松浦)、伊都(糸島)、
奴(難の県)が、かなりきっちり言ってしまうのであるが、
あとは、邪馬台(大和)があるだけで、他は、本当に対応
しない。上古音も中古音も、さらに母音の対応もいろいろ
工夫したけれど、対応しない。あれって、漢字コードを
ずらしたとかそういうのじゃないの?

627 :出土地不明:05/01/06 00:20:57 ID:j4wtR0qn
地名というのは果たして学問の対象にして良いものなのだろうか。
いつそれがそのように呼ばれるようになったかも多くの場合検証不可能だ。
我々の姓と同様に。
楠葉は糞袴・・・最古の例に近いだろうが如何?

628 :出土地不明:05/01/06 00:47:56 ID:j4wtR0qn
もっとも、大和の中ではそれなりに利用価値はあるとは思うのだが

629 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :05/01/06 00:48:47 ID:+UILqLwj
>>627
歴史地理学は〈地名〉を対象の一つとしていますが,〈地名〉が残存するプロセスを説明してくれないのでフラストレーションが溜まりますね.

630 :出土地不明:05/01/06 00:49:59 ID:yWXCIcet
地名はヒントにはなるが証拠にはならない、でいいんじゃない?

631 :出土地不明:05/01/06 00:52:33 ID:j4wtR0qn
本来は畿内中枢部(大和・河内・摂津)と言うべきではあるな


632 :出土地不明:05/01/06 00:53:21 ID:1LGFmFRA
地名は古いものが残りやすい、なんてのもでたらめで、
たとえば、邪馬台国九州説の安本説などでは、九州地名
が大和の近辺の地名と同じ、ってのがあって、これぞ、
九州が元祖とかいうのだが、実際に考古学的に見ても、
あるいは、歴史時代以降の資料をみても、大和の勢力が
九州に入っていったことのほうが多いので、九州に
大和の地名があるっていうのは、たんに畿内からもちこ
まれたと考えたほうが蓋然性が高いってことになる。
逆はふつうにはあり得ない。

633 :出土地不明:05/01/06 00:56:16 ID:j4wtR0qn
>>629>>630
良レスうれし

634 :出土地不明:05/01/06 01:11:40 ID:j4wtR0qn
すまんが>>632はようわからん

635 :出土地不明:05/01/06 01:20:10 ID:1LGFmFRA
わかってくれ!

636 :出土地不明:05/01/06 01:31:21 ID:j4wtR0qn
畿内→九州はもはや動かしようがない、という意味では判りました。
しかし<<630「ヒントにはなるが証拠にはならない」という意味では
見解の相違。50/50%では「すまんがようわからん」としか・・メンゴ

637 :出土地不明:05/01/06 01:55:35 ID:EWmJH+56
っつうか、歴史的な文献とか、考古学的な分析とかの
結果として、地名が説明できるのが本来であって、
地名から、歴史を探るってのは、無理じゃないのか、って
思うってことで、さらに、地名だけから、考古学や歴史学
的なものを無視して、歴史をつくっちゃうのはトンデモだろう
って思うっていう意味です。はい。

638 :出土地不明:05/01/06 10:11:40 ID:8N1J7wGW
>>634
安本の本に載ってる地名一致の図に、平城京と大宰府も書き加えるとよく分かるって話。
奈良時代に畿内から九州に同じような地名が持ち込まれたと。

639 :出土地不明:05/01/06 18:07:12 ID:3p62FHIQ
馬過どもだな。

弥生時代の文化は西から東へだ。
地名も当然西から東へだ

京都の出雲路や奈良の出雲郷はどうする?
常陸の那珂川はどうする?

地名は大和朝廷より遥かに古いから
嘘言っても駄目なんだよ。


640 :出土地不明:05/01/06 20:41:40 ID:RnZRLnJT
>>638
奈良時代の可能性もあるし、もっと前、というなら、
それこそ、卑弥呼時代に近い布留式土器の伝搬の時期(3世紀末
から4世紀初頭)というのもあり得る。どっちにせよ、逆の動きは
全くといってよいほどなかった。その意味では神武のことも伝承
でしかないな。

641 :出土地不明:05/01/06 22:29:11 ID:Grbd6OJb
平城京も大宰府も、三笠山(九州では御笠山)や春日の近くの
一致する位置にある。偶然のはずはない。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm
大伴旅人のような万葉歌人も含む、畿内から派遣された官人たちが
九州にも同じ地名を名づけていったんだろ。

物部氏東遷説に出てくる地名一致も、
普通は逆に畿内から遠賀川あたりの九州に移ったと見られてるらしい。
5世紀後半から6世紀前半ころの対朝鮮外交・軍事との関係で。
こっちは物部氏が没落したために下限はハッキリしてる。
上限は5世紀中葉に物部氏が勃興したという、
あまり根拠の無い通説がもとみたいだから何とでもいえそうだが。

642 :出土地不明:05/01/06 23:00:59 ID:bScnXjg5
>>639

 大和の出雲・吉備などの地名は、政権に仕えるためにやってきたその
地方の人々が居住させられたところ、というのが文献史学の常識だ。

 それにしても、もう馬鹿などというのはやめたらどうかね。哀れなる人よ。

643 :出土地不明:05/01/06 23:02:20 ID:bScnXjg5
追加:大和と京都

644 :出土地不明:05/01/07 01:06:10 ID:yFD/4nJI
島伊都子西南大学助手の研究によれば、
九州の宮崎周辺と熊野から伊勢にかけた紀伊半島東南部にも
地名の一致がみられる。

645 :出土地不明:05/01/07 02:37:28 ID:xwEBza02
きっと、紀伊半島の人がいったんだよ、九州に。

646 :宮崎出身者:05/01/07 02:40:04 ID:K0sAOWIt
そういえば橿原市と宮崎市は姉妹都市なんだよなあ
仲良くしようね

647 :出土地不明:05/01/07 08:03:33 ID:MHDO0deH
紀伊半島の人が九州に行くか馬鹿。

徳島・紀伊・伊勢の忌部氏は千葉だろうが
安房や勝浦や白浜があるではないか。



648 :出土地不明:05/01/07 09:07:02 ID:lGbotadU
>>647
おちついて論理的にしゃべれ

649 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :05/01/07 09:42:36 ID:DjWk/00u
今に残る〈地名〉を元に、1500年ほど前のことがらを議論されているようですが…
地名が伝わり残るプロセスとメカニズムは、如何なるものでありましょうか?

歴史地理学は、その点を説明してくれません。

シコ名に類するような地域呼称は、その地域における開発によって更新され、新たな開発が行われない限り残存するのでは考えていますが…

650 :出土地不明:05/01/07 10:58:10 ID:MHDO0deH
シコ名でなくても残存するではないか。

対馬国も壱岐国も松浦国も伊都国も奴国も

魏志倭人伝の通りではないか。

651 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :05/01/07 12:09:12 ID:DjWk/00u
>>650
いや、文字記録に現れる〈地名〉と現世の地名との類似性は確かに認められますが、そのプロセスとメカニズムの説明が無いのです。
だから、フラストレーションが溜まるのですよ、歴史地理学に対して…
アプリオリに残存するとは思えませんしね。

652 :出土地不明:05/01/07 15:49:19 ID:MHDO0deH
プロセスとメカニズム?

そんな説明が出来てれば
邪馬台国の位置はとうの昔に解決だ。

プロセスとメカニズムの説明など無くても
1800年前の魏志倭人伝の地名が続いてる事実は
どうしようもないだろうが。

ざまーみろ。


653 :出土地不明:05/01/07 16:51:29 ID:ok9v2Zu0
>>650
うん、そこまでは合っているとみて間違いは無いよ。

654 :出土地不明:05/01/07 23:26:07 ID:YJ4qzb+/
考古学者で畿内説でない人なんかいないじゃん、

655 :出土地不明:05/01/07 23:32:47 ID:PEI+nlfC
そこまでいうとウソになる。

656 :出土地不明:05/01/08 00:10:52 ID:PqqEtIcm
ここ10年ほどで権現山51号墳・西求女古墳・安満宮山古墳と古いタイプ
のみの三角縁神獣鏡及びその他の鏡式で構成される例が相次いで見つ
かり、それぞれに特殊器台や布留式古段階併行の山陰の土器などが伴った
ことにより、三角縁神獣鏡の出現(景初3年と正始元年)と土器をはじめ
とする他の考古資料がリンク(現実には極めて近付いてきた)してきたこ
とがなんと言っても大きい。

657 :出土地不明:05/01/08 00:15:43 ID:PqqEtIcm
中山大塚古墳、黒塚古墳、ホケノ山墳丘墓の調査ももちろん大きい。

ところで、あす(もう日付が変わったか)は滋賀県立大で学会があり
私も行きます。

658 :出土地不明:05/01/08 00:29:54 ID:PqqEtIcm
はい。Fです。ここになら書き込める~~

659 :出土地不明:05/01/08 02:17:38 ID:T4Iz6Ic/
ってことで、方向性としては、箸墓は、卑弥呼の墓の
可能性が非常に高いってことでいいですね。
もう、卑弥呼の都は纏向遺跡そのもので、
箸墓ほったら、かわゆい台与ちゃんのミイラが出てくる
ってことで、決着しましょう。
はい。九州説はスルーします。

660 :出土地不明:05/01/08 07:23:58 ID:/Ci9hKQg
>>659
ごめん、その話には乗れないや

661 :出土地不明:05/01/08 11:08:59 ID:7muluIZB
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066924880/98-104
これもあなたが?

662 :出土地不明:05/01/08 14:30:41 ID:QqzU1xFT
659です。>>661 その通りです。
これは、数年前の夢のお告げなのです。
マジで、箸墓の発掘現場にいる夢で、しかも、そこで、
包帯ぐるぐるまきの座禅した姿のミイラが発掘されて、
しかも、その包帯の顔のあたりをほどいたら、まるで
生きているような美少女が登場、っていうシーンを夢
で見たのです。で、そこから先は夢のほうがおぼえていない
けど、あとは想像だが、お湯をかけたら復活したんじゃあいか
っていうのは冗談として、電気ショックとかしたら復活。
で、病院から逃げ出して、とある家族にかくまわれ、で、
本屋にいったときに、魏志倭人伝(岩波文庫版)を発見して、
「これ、私の生まれた国のことが書いてある!」とかいって
驚くシーンまで想像しちゃったよ。

663 :出土地不明:05/01/08 19:30:13 ID:6+GWzmSs
あーあ、
とうとう畿内説は妄想の箸墓説に堕したか。

ま、
順当なところかな。

そもそも高度成長期に散々掘り返して
高速道路も作って
3世紀の王権の跡が一つも出ないのは
すでに
畿内説の馬鹿さ加減の傍証なんだがな。


664 :出土地不明:05/01/08 21:16:11 ID:oDbRQhx6
鞭な人はいいね。考古学をなにもしらなければ、
>>663のような発言も可能になるってことか。
あまりにくだらないのでスルーします。

665 :出土地不明:05/01/08 21:16:59 ID:e/UI2MXa
>>662
おもしろい。
どうせなら、ここであらいざらい妄想をぶちまけませんか。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1093526288/
過疎地みたいだから誰も文句はいわないと思いますよ。

666 :出土地不明:05/01/08 21:26:44 ID:6+GWzmSs
ほんとだ
考古学も知らないと664のような
ボケた投稿もできるんだろうな。

667 :出土地不明:05/01/08 21:32:04 ID:LMa7C5Dj
まずは、666番までの投稿を全部読んだ上で、
議論したら?

668 :出土地不明:05/01/08 21:36:26 ID:LMa7C5Dj
>>665
実は、すでに小説として、その妄想はすべて書いているのだが、
で、実際に、つい最近まで、その草稿をWEBに公開していた
のだが、最近、ちょいと恥ずかしくなってやめたわけ。
なぜかというと、自分で書いた小説なのだが、あまりにもつまら
ないので、もう、こりゃだめだと思うくらいしょーもない話
だったわけ。だから、才能のある人にでも、このアイデアから
小説をお願いしたいと思っているわけだが。
いや、実際に、3世紀の日本語を話したりすると、かわいいのよ。
ちなみに、現代での復活時は16歳ってことで、ロリ対象じゃないよ。
よーするに、じょしこーせーものに仕上げたかったんだが。
13歳即位は、数え年で11歳か12歳だから、これはやばいけど。

669 :出土地不明:05/01/08 22:24:41 ID:l4oWFIDj
その文章力ではやめて正解だと思う。
なんにしろ句点が大杉。

何よりも完全な板違いなので
創作板あたりで募ってはくれないか。

670 :出土地不明:05/01/08 22:28:53 ID:6+GWzmSs
板違いじゃないな。
畿内説なんてそんなもんだって。

671 :出土地不明:05/01/08 23:26:00 ID:2j/rHFCy
今じゃ九州説なんて学問史の遺物だよね。


672 :出土地不明:05/01/09 00:31:50 ID:kxc0KacG
初心者ですが質問します。
ここが間違いなく邪馬臺国だ!
と、決めるときの決定的な出土品とか、考古学的根拠とはなんですか?

673 :出土地不明:05/01/09 01:18:15 ID:+VvnAJwY
「封泥」だよ、プラム君。

674 :出土地不明:05/01/09 01:29:41 ID:tLMrZ/NL
うーんと、中国から、どこぞのお墓をあけたら、
「倭人記」とかそういう書物がでてきて、それが、魏志倭人伝の
基礎資料みたいな感じだと、もっと迫力があるかな。
たとえば、卑弥呼とか台与が贈った生口とかあるいは使節団で
一部魏に残留したひとの日記とかさ。
「ふうでい」はたしかにあったらすごいけどね。
あとは、金印そのものとか「親魏倭王」って書いたやつ。
もっとも、金印は捏造の可能性もでてくるから、ちょっと
問題かな。「漢委奴国王」印をまねすると、それっぽいもの
できるでしょ。金のお値段だけで。
あとは、台与ちゃんのミイラの復活。これはもうすごい証拠になる。

675 :出土地不明:05/01/09 02:17:30 ID:kxc0KacG
>>673さん
ありがとうございます。

解りましたか?
ちゃんと考古学も勉強してますよ。

676 :出土地不明:05/01/09 09:57:51 ID:GVmdYmvz
親魏倭王の金印だな。
金印が盗掘に合わずに見つかる場合は
金印だけでなく他の副葬品も出るから真偽は誤魔化し様は無い。

陪臣がもらった銀印でも同じ効果がある。

しかし、
3世紀までの王権の遺物が九州に出土し、
畿内には1つも無いのを見れば、
すでに邪馬台国は9割方九州で決まりなんだよ。

卑弥呼の墓だけうまいこと畿内にあるというのは
ありえないんだ。

677 :出土地不明:05/01/09 10:20:14 ID:zBwoBSp5
金印が畿内から出ても九州説の人は「東遷したときに持っていった」とかいうんだろな

678 :出土地不明:05/01/09 11:15:51 ID:HuEpx9kc
「親魏倭王」の金印は魏の皇帝が「仮した(=貸した)」こととなっている。
一方「漢委奴国王」の金印は光武帝から「賜った」こととなっている。
つまり「親魏倭王」の金印は卑弥呼の死後、返却された可能性がある。

679 :出土地不明:05/01/09 13:01:56 ID:GVmdYmvz
東遷して金印が畿内にあることは無い。

金印のAD57年以来の倭国についての記述で
都が移ったと言う記述は無いからだ。

都が移った記述は旧唐書に
日本は元は小国で後に倭国を併合した
という中国側の認識が出るまで無いんだ。

680 :出土地不明:05/01/09 13:26:09 ID:86U54kMw
返却の時期は、倭女王が、晋に朝貢したときかな。たしか、
魏から晋に変わったあと、1年か2年で、倭女王(おそらく台与)
が朝貢している。

681 :出土地不明:05/01/09 15:00:02 ID:V8juzm8K
>>677
流石に三角縁神獣鏡伝世説を思いつく近畿説の人は発想が豊かですね。

Idea is cheap

682 :出土地不明:05/01/09 19:38:17 ID:IXyzSkUN
逆に九州から出た場合、畿内側の言い訳はどんなものになるんだろ?

683 :出土地不明:05/01/09 19:43:45 ID:K9GvrDiv
1)魏(晋)に返すつもりで、九州へいって、そこから船で
でようとしたら、九州の山賊に襲われた。
2)時空をこえて3世紀にきた九州論者に奪われた。
3)捏造だ!金印は現代のものだ。漢委奴国王印をまねして作った。

684 :出土地不明:05/01/09 19:53:43 ID:IXyzSkUN
「3」はマズイでしょ。考古学不信をますます助長しちゃうw

685 :出土地不明:05/01/09 21:55:43 ID:ooOpNxj8
でも、マジで、九州説命!なやつなら、百万円くらいかければ、
金印くらい作れるだろう。まあ、完璧な純金とかにするとばれる
から、そこは、そうだな、銅鐸の銅でもまぜれば、古代っぽいし。
で、前原のどこぞにでも埋めといて発見されれば、いかにも、って
ことだ。よくある、「地元の自称考古学者が発見しました」って
やつ。だれかやりそうだな。

686 :出土地不明:05/01/09 22:40:37 ID:+VvnAJwY
難升米の率善中郎将とか牛利の率善校尉の銀印青綬も出土していないし
今後見つかる可能性も限りなく低いよな。
晋の時代に返却したというのが一番妥当な説なのだが
そこで封泥が出土する可能性はどうなんだろうか?
石野サンなんかは本気で提唱してるけど、伊都国の役割からして前原で見つかるかもしれない。
もし出土しても魏のものか晋のものかによって解釈も変わるし
それどころか親魏倭王の金印を以って封泥した朝貢の実績があったかどうかも疑わしい。
宮内庁管轄陵を調査できない限りは、決定打は見つからないのじゃないか?

687 :出土地不明:05/01/09 23:42:43 ID:HxG69yPe
にしても、日本の考古学が優秀なのか、また、本質的に
日本人が、過去2000年近くにわたってものを保存するのが
すばらしいのかわからないが、とにかく、日本って、決定的な
ものがみつかるよな。漢委奴国王の金印もそうだし、七支刀も
そうだが(あれは、一度も埋もれていない)、あと、正倉院も
すごい。あそこの床下には長年(そりゃ1000年以上も)
ルンペンがたむろしていたらしいが、火災とかにならなかった
わけだし、あと、一緒に伝わっている系図は怪しいが海部氏系図
にくっついている漢代の鏡も埋もれていないわけだろ(ちょっと
あやしいかな)。そのほか、中国では散逸している書籍がのこって
いたりと、まあ、よく1500年とかそれくらいものを保存して
これたものだ。
こうみてみると、どこぞで、卑弥呼の一派の子孫とかいうのが、
山奥の寒村にでも暮らしていて、親魏倭王の金印をひそかにもって
いたりする、とかいうことも可能性としてゼロではないな(いや、
ゼロだが、ミステリー小説の題材に成り得る程度に信憑性がある
だろ)。

688 :出土地不明:05/01/10 01:40:38 ID:E+sb6Amd
>卑弥呼の一派の子孫とかいうのが
たぶんね、千代田区千代田にいるんじゃないかな

689 :出土地不明:05/01/10 03:32:23 ID:cHC2T8hz
まさか時空警察がからんでるんじゃないだろうな?

690 :出土地不明:05/01/10 10:16:05 ID:31iVepb0
近代日本は破壊もすごい。
七支刀も宮司がヤスリで磨かなければ、今読めなくなっている文字も
もうすこし判別できたかも。

金印、皇室で保存していたんだとしたら絶望的だね。
貧乏した時代に潰して売っぱらってるよ。

691 :出土地不明:05/01/10 14:32:04 ID:CL1nRJYr
皇室に金印は無い。

あれば記紀の証拠でアマテラスか神功皇后の
遺品として正倉院から出して記録・宣伝して
それから高く売り払ったはずだ。

692 :出土地不明:05/01/10 15:46:09 ID:5jzB2dih
なぜ売る???

693 :出土地不明:05/01/10 16:25:01 ID:CL1nRJYr
証拠隠滅に決まっているだろうが。

ご用記録は残す、
証拠は消す。

これが大和朝廷の基本だ。

694 :出土地不明:05/01/10 20:06:35 ID:yjkT4nrZ
戦国時代あたり、貧乏で御所もボロボロだったらしいよ。

695 :出土地不明:05/01/10 20:17:32 ID:oUtYrbYz
初心者の質問ですが。

マキムクからどうして『絹』が出土しないのですか?

696 :出土地不明:05/01/10 22:18:42 ID:l25EER4d
>>695初心者とは思えないが釣られてあげます。
 たぶんホケノ山古墳の銅鏡や銅鏃にベッタリと絹織物(の痕跡)が付着
していると思いますよ。

697 :出土地不明:05/01/10 22:29:40 ID:l25EER4d
ある意味纒向と同地域といえる下池山古墳の「倭文」が有名ですね。

698 :出土地不明:05/01/10 22:32:14 ID:oUtYrbYz
>>696さん。
餌に食いついてくれてありがとうございます。

年代などは解りませんか?

699 :出土地不明:05/01/10 22:38:26 ID:u7MKfnwc
>>698  年代などは解りませんか?
ホケノ山古墳と書いてあるだろ。

700 :出土地不明:05/01/10 22:41:52 ID:l25EER4d
ホケノ山墳丘墓の画文帯神獣鏡とリアルタイムに考える人が多いようですね。詳細は概報(学生社刊)

701 :感想:05/01/13 17:54:03 ID:jheayPVm
巨大な九州勢に
負けないための
最後の賭けの
大同盟&外的権威化
じゃないの?
ヨクシラナイ
・・)>ごめんね

702 :出土地不明:05/01/13 18:59:12 ID:GTbLEBc/
うふふ、

がけっぷちの畿内説は
そんなところだろうよ。

ホケノ山を立てれば
萩原が立たず

画紋帯を立てれば
三角縁が立たず

ああ。あわれ畿内説の松浦やいかに・

703 :出土地不明:05/01/13 22:11:52 ID:gLS2Ilgk
確かに考古学者が何と言おうが
一般の古代ファンの間では九州説が圧倒的に人気があるものなぁ…
年配の人が多くて、考えを変えにくいってのもあるかもしれない。

704 :出土地不明:05/01/13 23:22:50 ID:/FEB6iAN
>>703
まあ、書店にいって、邪馬台国に関する書籍をかたっぱしから
みてみるといい。
前にも書いたように、1998年以降出版のものがあったら、まず
著者の経歴をみればわかる。
九州説とわかるものは、文化人(専門家ではない)と、定年退職後の
道楽で邪馬台国研究を始めた人(定年前は結構な大企業で高い役職
にあった人が多い)、などが大半をしめ、そうでない人で、専門家
のような大学教授などだった場合は、Y、Tなどくらいだろう。
一方で、九州説とあからさまにかかれていないものは、かなり専門的
なものが多い。話も土器編年とか、地味なものも多い。考古学者が
書いているものだ。神話伝承との関係も語らず、ひたすら、3世紀の
日本を考古学的に記述しようとしている。そして、そういう人たちは
結論などいわない。邪馬台国オタクどもは、基本的にこのあたりの話
にはついていけないので、ミーハー向けな九州説本で感動、感激して
おしまい。ちょっと詳しく勉強すれば、九州説などは全く成り立たない
ことはすぐにわかる。だから、多少専門よりのYやらTの書いている
ことをよむと、むちゃくちゃ苦労している。どうやって考古学的な
事実をねじ曲げるかに終始しているのだ。

705 :出土地不明:05/01/13 23:24:02 ID:DFF8wY0p
>>702だから何の矛盾もなく、非常に整合的に理解可能だと何度も言っているだろ。

706 :出土地不明:05/01/13 23:30:20 ID:/FEB6iAN
>>705
考古学的な専門的な成果をすべて無視すればな。

707 :出土地不明:05/01/13 23:39:39 ID:fKHChXzJ
考古学がそこまで進んでいながら、
なぜ、犯人を探し出せないのでしょうか?

708 :出土地不明:05/01/13 23:50:04 ID:rQ8ZEQyV
>九州説とわかるものは、文化人(専門家ではない)と、定年退職後の
>道楽で邪馬台国研究を始めた人(定年前は結構な大企業で高い役職
>にあった人が多い)、などが大半をしめ、そうでない人で、専門家
>のような大学教授などだった場合は、Y、Tなどくらいだろう。

つまり、九州説の方が何にも縛られずに自由な発想で、
邪馬台国問題に取り組めるわけですね。
専門家って自分のフィールドだけしか知らないから、結論らしいものを
何も疑わずに結論と決め付け、そこから抜け出せない。
ちょうど、うなぎ捕りの罠のように。

709 :出土地不明:05/01/14 00:03:38 ID:m/iuJC4b
>>708
そういいたければ、そういえばいい。
その代わり、歴史学、考古学の成果をすべて無視する方向に
はしる。現行の考古学的な通説、歴史学における通説などを
どれも完全に否定するだけの根拠がある九州説ならば、是非
とも、だしてほしい。
1)短里説でも、九州に100余歩を越える巨大な墳墓はない。
2)3世紀ごろから、九州には布留式土器が山陰を通じて流入
  し、事実上、文化として近畿圏のものに席巻されている。
3)考古学的にみて、3世紀中葉以降、九州では、多くの
  大集落(環壕集落など)が廃絶されている。復活は4世紀
  中葉ごろ。
4)卑弥呼が魏に遣使した239年240年ごろの銘文をもつ
  三角縁神獣鏡の初期のものは、主に、近畿圏と瀬戸内海沿岸
  また、山陰地方の一部などの地域の布留1式以前の墓から
  出ている。
5)邪馬台国は、考古学的には、奈良県桜井市の纏向遺跡を中心
  とした地域とされるが、ここは、2世紀後半ごろから始まり
  4世紀前半ごろまで続く遺跡である。また、庄内式土器は、
  このあたりを中心として、発達し、3世紀後半からは布留
  式土器が普及する。さらに、纏向遺跡には、西日本から、
  東海地方を含む広い範囲の人々があつまっていたことが、
  考古学的に判明している。中には、北部九州や、薩摩のもの
  も含まれる。このような大規模遺跡はほかにはない。
6)九州では、漢鏡の時代(漢代)の遺跡は数多く存在するが、
  3世紀初頭まで続くのは、伊都国(前原)などかぎられており、
  これらは、魏志倭人伝に登場する伊都国と考えられる。

710 :出土地不明:05/01/14 00:16:21 ID:8EtmhbNa
>>706哀れじゃのう

711 ::05/01/14 00:17:33 ID:91epkCnf
わが日本には九州王朝と大和王朝が当時連立していたのだ。
邪馬台国とやらが畿内にあったのならば、なぜ魏志倭人伝に
ワカタラシヒコ、タラシナカツヒコとかホムダワケの活動の記録がないのだ?
大和説はこれだけでも破綻を来たしているのだ。

712 :出土地不明:05/01/14 00:25:23 ID:gYbcKdqR
>>711
もちろん、日本の神話伝承の類のほとんどは、6世紀から7世紀、
あるいは、8世紀に成立していることが「専門家の間」では常識だ。
これは、魏志倭人伝が書かれた以降のことである。
次に、神話伝承の中で、いくつかの話は、5世紀ごろにはさかのぼり
えるかもしれない。
また、稲荷山鉄剣銘文などから、一部の系譜たとえば、オホヒコなど
が、4世紀初頭くらいまでさかのぼりえるかもしれない。
しかし、卑弥呼時代にさかのぼるものは、まず、皆無だ。
定年退職後の道楽で邪馬台国研究をしている人の多くは、神社や
仏閣などを、ご老人としてごくふつにおとずれ、そこで聞いたはなし
縁起などの伝承で、どうやら、邪馬台国との関係を「はっけん!」
と思って始める例が多いが、噴飯ものだ。
自分で絶対に正しい説だと思えるものがあったら、それを強くもった
上で、最新の邪馬台国関連の考古学歴史学の書籍を20冊くらい読んで
みろ。それでも、自分の考えが揺らがないなら、是非是非出版でも
してくれ。

713 :出土地不明:05/01/14 00:30:00 ID:8EtmhbNa
はぁ?ヒコとワケの活動の記録?そんなもの魏志倭人伝にあるわけない
だろ。三国志は晋代の成立とはいえ魏朝の正史だぞ。どういう併行関係
を想定しているのだ?まさか単純に・・・

714 ::05/01/14 00:35:34 ID:91epkCnf
邪馬台国に関し関接的ではあるが、内々で出版ならとうの昔にやってはいる。
さて、それより後代の天皇の記述に目を移してもまったくと言ってよい位
伝には記述がない。畿内に邪馬台国とやらが無いから後代の天皇の
記述も伝に載っていないわけだよ。余の考えは揺るがないぞ。

715 :出土地不明:05/01/14 00:39:33 ID:zr1FbhNZ
最新の邪馬台国関連の考古学歴史学の書籍は20冊も出てるのか?
てか、日本語おかしくねえか?

716 :出土地不明:05/01/14 00:40:57 ID:8EtmhbNa
辛酉革命節、欠史八代>>711にはこのあたりから勉強を始めてもらう必要がありそうだ。

717 ::05/01/14 00:44:28 ID:91epkCnf
その勉強ならこれもとうの昔にやっているよ。
お前様も、前619年1月3日から洗い始めたらどうだ?

718 :出土地不明:05/01/14 00:47:17 ID:8EtmhbNa
>>おれは712ではないが概説書も含めれば確かに出てる。その全てが畿内
説もしくはそれ寄りだ。「余の考え」は早く撤回してください。

719 ::05/01/14 00:47:32 ID:91epkCnf
>>716
お前様は前3113年8月11日から太古の研究をしなおすとよい。
眠いのう。以後明けてからな。

720 :出土地不明:05/01/14 00:51:42 ID:8EtmhbNa
BC619を資料的価値があると信じてる時点で辛酉革命説の本質を知らないことが露呈されたよ。バイチャ

721 :出土地不明:05/01/14 01:02:45 ID:8EtmhbNa
年寄りの冷や水。やめておかれるのが無難かと思われ。お願いですから
明日以降は考古学の成果も少しは理解した上でカキコしてくださいね。
あまりにひどいとスルーします。

722 :出土地不明:05/01/14 01:03:54 ID:M4UcQkFE
うーん、704,709,712 です。
実は、私も、以前は、熱心な、九州説だったんだよね。
で、これを実際に立証しようと、必死で、考古学から、暦の問題から
天皇系図から、神話伝承から、いろいろいろいろ調べたよ。
そうしたら、完全瓦解したね。九州説は、結局無理だって。
実際、九州説時代からの書籍をいれると、100冊以上はよみまくった。
最初はかなり怪しいのも読んだ。トンデモとそうでないのの区別が
つかなかった。定年退職後の道楽でかかれた本も、ずいぶん読んだ。
そうすると、おもしろいことがわかった。
1)九州説は、各人各様。どこにも共通点がないといってよい。
2)大和説は、一つ貫かれたコアがあって、細かい点は違うが、
  大筋で、ほとんどの人のものが一致する。
九州説の人は、反大和説でかたまっているようにみえるが、みな
それぞれ違う。結局、基盤がなにもないから、すべて妄想に近いもの
なんだね。各人の妄想が、そのまま説になっている。だから、
九州説のひとたちどうしで議論させればおもしろいのだ。
反大和説なので、大和説がだめだということではおおむね一致するので
その意味で、大和説批判で団結できるだけなんだ。
半専門家のようなYやTの本も、内容はまるで違うが、反大和説では
一致しているところが多い。大和説を突っつく方法については、互いに
情報を共有しているからね。とりあえず、大和説抜きで、「九州統合説」
をだしてみたら、どうだろう。たぶん、全くまとまらないだろう。
肥後説もあれば、宇佐説もある。九州説の人たちがいう邪馬台国の中心
は九州各地に分散している。でも、大和説なら、桜井市の纏向遺跡という
ところに99%収束している。

723 :出土地不明:05/01/14 01:16:56 ID:8EtmhbNa
スルーしか無いですね。

724 :日本史板住民:05/01/14 01:18:31 ID:T7UoUS9X
キティちゃんのお相手、ご苦労様です。
こちらで、末永く可愛がってあげてください。
エサは、鹿島や古田辺りを与えておけば満足するみたいです。

日本語は通じません。 あ、それと結構凶暴です。
弄くりすぎると、暴れますので適度に突っついてあげてください。


725 :出土地不明:05/01/14 01:27:57 ID:zr1FbhNZ
百聞は一見にしかず
たくさん本を読みすぎて混乱するとこうなるんだな
今度纏向とか宇佐とか行ってみようかな
俺的には西都原古墳群に興味がある。
なんか宮内庁の許可が出たらしいし

726 :出土地不明:05/01/14 01:39:49 ID:8EtmhbNa
>>724
おれしらね

727 :出土地不明:05/01/14 02:06:29 ID:5PPK8rCf
ちなみに、まともな研究者や、アマチュアでも大和説の人にとって
九州説は、「批判しようがないし、反論のしようもない」説なのだ。
なぜかといえば、722で書いた通り、九州説は一人一人の説がみな
ぜんぜん違う。しかも、主流となる説もない。したがって、特定の
説を批判しても、「俺のは違う。その問題は俺の説ではない」とか
いって、モグラたたきになるので、やる気もおこらない。
一ついえるのは、考古学的にみて、九州に邪馬台国があった可能性は
1%もない。1億歩譲って、伊都国とされる位置の近傍にあてる
程度だろう。
ちなみに、1990年ごろまでは専門家の間でも九州説はかなりいた。
ところが、1990年代前半ごろから旗色が悪くなると、邪馬台国
は二つあったとか、邪馬台国東遷説などになってきた。ようするに、
卑弥呼は九州にいたが、台与の時代に、大和に移ったという説だ。
まあ、これが最後のあがきだ。ちなみに、1990年代後半まで、
東遷説や、二つあった、説を唱えていた人は、そんなにひどいトンデモ
やさんではなかったこともいえている。でも、もうだめだ。土器
編年の精緻化と、年輪年代による時代考証をへて、いまでは、九州
説は専門家の間では、だれもいない。1人くらい歴史学者でいるかも。
あとは、YとかTくらいだろう。Tは歴史学者ではある。Yは数理
言語学屋だ。
いまでは、九州説のことなんかよりも、もっと邪馬台国っていうか、
近畿の政権誕生の仕組み、その姿などをどうとらえていくのか、その
時代の経済、さらに地域をこえた交流などのほうが重要だ。これが
解明していくべき課題だ。

728 ::05/01/14 07:28:23 ID:91epkCnf
纏向にあるなら、卑弥呼と天皇との交流、朝貢、戦争、邪馬台国とやらの国政、産業
風俗等が記紀に具体的に記述されますよ。邪馬壹国は九州にあったのだ。
九州に墳墓がないだと?虱潰しに九州を駆け巡てからそういう語句を吐きな。
それでもまだ早い。無いとはお前様の独断。これが誤りの始まり。


729 :725:05/01/14 09:54:12 ID:zr1FbhNZ
俺が行ってみたいのはこれ
ttp://www.pmiyazaki.com/saitobaru_om/

一応大きな墳墓はあるぜ(ないとかいったのは>>709かな)
確か三角縁神獣鏡も出てるよな

730 :出土地不明:05/01/14 11:48:19 ID:mzxsKitt
「定年退職後の道楽」と十把ひとからげにするのはどうだろ?
邪馬台国関係じゃないけど、継体天皇とかの論文を発表してる住野勉一は
60歳で定年退職してから史学科の大学に入りなおして院にも行ったんだよな。

731 :出土地不明:05/01/14 14:27:39 ID:2tGvnufP
大学も出てないアマチュアの言うことなんか信用できるか!
>相沢忠洋の悲劇

大学を出てなくても、現場に何百回も足を運んだアマチュアの方が、
象牙の塔から出ない学者よりも遺構がよく見えるわい!
>藤村新一の悲劇

アマチュアだからいい、悪いと決めつけるのはイクナイ。

732 :出土地不明:05/01/14 15:32:36 ID:CxMRrD4P
ま、
今時畿内説を唱えるのは馬鹿だね。

大和朝廷と邪馬台国は断絶してるんだ。
記紀に書いてあるだろうが。

つまり
邪馬台国の中心が巻向なんて可能性は100%無い。

邪馬台国とは別の渡来人が畿内を侵略し巨大古墳を作らせた。
別系統を考えれば良いだけだ、単純な話だよ。

733 :出土地不明:05/01/14 15:37:06 ID:91epkCnf
その巨大古墳とはどれだ?仁徳陵か?

734 ::05/01/14 15:40:12 ID:91epkCnf
失礼、コテハンが抜けた。
そのとおり、100パーセント無い。ここは同意見です。

735 :出土地不明:05/01/14 19:52:08 ID:OJttX9FY
マキムクに、注目する気持ち少しだけ解りますよ。 でも、他の場所で大規模遺跡など発見されたら マキムクも、ただの遺跡として忘れ去られるんだろうな!
その遺跡から銀印なんか発掘されたら 今までマキムク中心に組み立てられた理論はどうなってしまうのか 興味津々。

考古学研究の最大欠点『付和雷同型理論』

まぁ
どんなに優れた学問も、使用方法間違えると危険

736 :出土地不明:05/01/14 20:01:53 ID:2tGvnufP
考古学研究の最大欠点『付和雷同型理論』

こんなもん、考古学だけの問題でもなければ日本だけの問題でもない。

737 :出土地不明:05/01/14 20:19:37 ID:CxMRrD4P
邪馬台国論では巻向など既にこっぱ微塵だよ。

銅鐸祭祀の中心部落ではどう考えても
鏡祭祀の卑弥呼の都とは無理だろうが。

常識で考えなよ。

738 ::05/01/14 20:24:57 ID:91epkCnf
>>720 信用革命説かぁ?おっほん!(w

739 :出土地不明:05/01/14 20:48:12 ID:OJttX9FY
>>736

考古学研究には、まだまだ未発掘の無限に広がる可能性があるから 一喜一憂しないでほしいと、言ってるの。

それとも、今の研究が最高レベルなんですか?
俺は違うと思う。
将来、もっともっと進歩するんじゃないかと

740 :出土地不明:05/01/14 22:23:04 ID:tyzPvQZd
日本の考古学は優秀かどうかは別にして、とにかく、かなり
の発見がある。基本的に狭いところに人口密度が高いので、
ほっくり返す密度が、すごい。ってことで、邪馬台国論争に
関連しそうな遺跡群の多くも、かなり以前から発見されている
ものばかりだ。新発見は、本当に20年に一度もないだろう。

まあ、考古学を完全無視して、妄想するなら勝手にやればいい。
西都原古墳群は、邪馬台国時代にさかのぼるものではない。
前方後円墳であること自体が、3世紀末期よりもあとであること
を示している。基本的なことがわかれば、多くの九州説は、
大間違いだというのはすぐにわかる。
せめて、マトモな九州説の研究を読むように勧める。
まあ、いってもしょうがないと思うが。
まあ武光誠、安本美典あたりのものでも、ここで戯言いっている
やつらが読むには、十分にまともなものだから、まあ勧めておく。

741 :出土地不明:05/01/14 22:37:44 ID:CxMRrD4P

基本的な認識が駄目だな。

畿内の
3世紀の王権の考古学遺物を出してみろ。

何も無いだろうが
さんざんほっくりかえしてな。

これが何を意味するかわからんようでは
邪馬台国は無理だ。

742 :出土地不明:05/01/14 22:53:55 ID:/bb3/Mhk
太は辛酉革命説に代表される記紀のマジックを理解しようとしないのでスルーします。

743 :出土地不明:05/01/14 22:56:25 ID:ae3DCpNJ
奈良説で入門者に分かりやすい本っていうと何になりますか?
白石太一郎のを読んでみたんですけど、
安本に簡単に否定されてしまうようなことしか書いてなくてガッカリしました。

744 :出土地不明:05/01/14 22:59:06 ID:/bb3/Mhk
>>737
どうしてそのようないい加減な認識を自信たっぷりに語ろうとするのだ?
纒向遺跡からは破壊された銅鐸の飾耳部分が単独で出土している。銅鐸祭
祀が完全に否定された>>741「3世紀の」巨大集落、それが纒向だ。


745 :出土地不明:05/01/14 23:05:28 ID:/bb3/Mhk
追記:・・・銅鐸が単独で「河道から単なるゴミとして」出土している・・・

746 :出土地不明:05/01/14 23:13:13 ID:C15lneny
>>743
白石の本の内容が、安本美典に簡単に否定されてしまう、と
思うのは、勉強が足りないからです。大和説の根拠となるもの
はどれも、非常に地味なものばかりです。
神話伝承とからめて、古代史ロマンを語るわけでもなく、ただ
単に、「布留0式土器は、このような構成からなり、これが、
布留式傾向となって、定着するのは布留1式期に入ってからで
あるが」みたいな説明がえんえんとあって、そして、その結果
として、土器の交流の全体像がわかる。鏡の問題もそうです。
古墳の形状の問題もそうです。こういうことをしっかりわかる
ようになってみると、安本美典(まあ、このクラスになると、
かなり考古学もセミプロ以上だから、手強いのだが)のいう
ことはかなりこじつけであることがわかります。それを知らない
で、白石の本を読んでも、うわっつらだけみていると、よくわから
ない。主張していることの根拠もわからないのです。ベースが、
考古学ですから。

747 ::05/01/14 23:15:04 ID:91epkCnf
卑弥呼のいる邪馬台国が畿内にあるのならば、当然日本の記紀に天皇、大和朝廷
との交流があり、どんな国なのか魏志倭人伝の書かれた中国よりも豊富な記述が
満載されているはずではないか。もしそれでも畿内説をごり押しするのならば
忍びの本拠地伊賀甲賀よりも外部へ国の情報が漏れない畿内のある位置に女王国
が存在しなければならないということだ。となると、
女王国が前人未踏の秘境が畿内のどこかにあらねばならぬということになる。
それはだ、卑弥呼という人的UMAが畿内の一定地域に、外部の者が入りこめない場所に
あることになり、考古学を持ち出して一見学術的に畿内説を通した者が架空動物の女王
のUMA=UMQ(QはQeenの略)オカルト畿内説学術論者となることを
意味すると言われてもしょうがないんだよ。>>742君よ。

748 :出土地不明:05/01/14 23:15:32 ID:C15lneny
そういえば、西部警察だっけ?で有名な俳優の苅谷俊介の本とかも、
でているけれど、アマチュアとはいえ、読み解くには、ちゃんとした
考古学の知識がないとわからんだろうしなぁ。もうだいぶ前の本ですが。

749 :出土地不明:05/01/14 23:21:09 ID:/bb3/Mhk
>>743「簡単に否定されてしまう」わけないだろうが。
記述していないことが多くの研究者(この場合は読者と言うべきか)の前提と
してあるにも関わらず、安本はその前提をあえて無視して言葉尻をとらえて逐一
否定するという手法を採っていかにも自分に利があるように誘導しているに過ぎない。
718でも記したように概説書を読んでみな。貴方が完全に否定されたといった白石太一
郎は『倭国誕生』(『日本の時代史1』)、吉川弘文館、2002年でも同様の主張を
行っているよ。

750 :出土地不明:05/01/14 23:29:16 ID:VTXhuk3r
>>747
すばらしい主張だね。うーん。たいしたものだ。
ってことで、邪馬台国を研究しようと思うと、日本のまとまった
形で残る最古の文献である、記紀(ともに8世紀だが)がかかれた
時期の歴史を勉強しなければならなのだ。そして、記紀の内容は
基本的に、まあ、欽明記のころからのものでないと、ほとんど史料と
して使えないことがよくわかる。いわゆる仁徳朝とされる時代は、
でっかい古墳もたくさんあるのだが、その時代の話とて、記紀では
きわめておぼろげにしかかかれいない。さらにいえば、仁徳天皇の
やったこととして知られる、河内あたりの干拓事業などの多くが、
実は、推古朝の時代に行われたもので、あり、たぶん、聖徳太子が
がんばった話が、仁徳天皇の話にされちゃったんだな、ってことが
考古学的には立証されている。


751 :出土地不明:05/01/14 23:29:41 ID:VTXhuk3r
>>750のつづき
日本では、考古学的には、文字が本格的に使用されるようになった
のは、7世紀で、そのころから、木簡がかなり見つかるし、政治
の中枢では、文字による管理事務が行われていたことがわかる。
記紀もふくめて、まとまった文献は8世紀以降しかないが、推古
朝(6世紀末から7世紀初頭)の時代のことは、逸文として残って
いるものもあるので、この時代は、文字が使われていたことは確実
だ。しかし、5世紀ごろになると、よくわからない。古墳を調査
しても、墓標がでてこないし。ってことで、卑弥呼の時代の3世紀
の文書記録が8世紀の段階で残っていたとは思われない。
結局、記紀も仁徳朝以前の話は伝承を記述する形式になっている。
で、それを、部分的に、朝鮮半島の書籍や中国の書籍からの引用で
補うかたちを取っている。こうしてみると、多くの伝承が、さかの
ぼって、5世紀ということになる。ただし、民俗学や、文化人類学の
研究から、系図はかなり口承で残るものであることがしられている
ので、天皇家の系図は、崇神ぐらいからあとについては、断片的に
史実を伝えている可能性がある。もっとも、かなりでたらめをつぎ
たしたものであることも明白なのだが。稲荷山鉄剣で系譜がでてきて
ヲワケという人の祖先が、オホヒコとあったが、これも嘘かもしれ
ないが、たどると4世紀初頭くらいにオホヒコという人物がいた記憶
が6世紀初頭くらいにあったと思われるふしもある。これが記紀に
でてくるオホヒコである可能性はかなりある。ま、しかし、4世紀初頭
が限界だ。3世紀にはとどかない。

752 :出土地不明:05/01/14 23:43:57 ID:VTXhuk3r
ちょっとだけ、トンデモ系に入るが、系図については、
先代旧事本記などにいろいろな系図があって、それらの
中で、尾張氏系図がある。古代の豪族である。それから、
これと非常に近い系図として、漢鏡二つとともにつたわる
海部氏系図がある。ま、どっちかがどっちかのコピーで
あるが、この系図には、天皇家の系図(記紀に基づく)の
崇神記近辺のものとおもわれるものがあり、そこで、なんと
卑弥呼と台与が登場する。で、その別名として、天皇家の
系図にある神大市姫(ヤマトトトビモモソ姫)が、この卑弥呼
と思われる名前のところの別名として登場する。
ミマキイリヒコ(崇神)の叔母、あるいは大叔母にあたる人で、
これが、もちろん、箸墓の被葬者として伝わる人だ。
という意味で、記紀には直接現れないが、卑弥呼は、先代旧事
本記とその関連の系図には登場し、それは、箸墓の被葬者と
して、記紀に伝わる人物と一致する。
まあ、こういう話は、考古学を勉強するだけの頭のない人でも
楽しめるのではないかな。この種のかなり古い系図で、九州
説と関連するものはあるかな?かなり怪しいものでもいいから
出してみたらよい。海部氏系図は怪しいが、一緒につたわって
いる漢鏡二枚は(沖つ鏡、辺つ鏡)はまったく本物の漢鏡だ。

753 :出土地不明:05/01/14 23:56:15 ID:/bb3/Mhk
>>747
ご指名なのでお相手します。貴方は邪馬台国云々のことを考えるより前
に、三国志(いわゆる魏志倭人伝を含む。念のため。)が扱っている時
代が倭国のどの時代に併行関係を持っているかをじっくりと検討し直し
て下さい。
 この場合、記紀から単純に実年代を遡ることがある程度可能なのは雄
略天皇までで、それ以前は大いに注意が必要、というのが戦後の歴史学
の常識です。もちろん、それ以降にも欽明と安閑・宣化の二朝並立説な
どもあることは注意が必要だ。
 そして実在の天皇として認めて良いのではないか、と比較的多くの研
究者が認めている限界は崇神だ。ちなみに応神が限界だという人も多い。
 とりあえず崇神は認めるとして、その直前の欠史八代の天皇の記事は
極めて貧弱であることからこれを実在という人はもはや貴殿だけだろう。
 神武の即位年は辛酉革命説に寄っている。貴殿がこのことを理解でき
るまでできる限り貴殿の相手はしたくない。ちなみに

754 :出土地不明:05/01/15 00:03:36 ID:3Ul/0scK
>>717のBC619年は最近のAMS法によっても弥生時代前期のうちに収まり、
>>719のBC3113は完全に縄文時代だ。
顔を洗って出直してこい!

755 :出土地不明:05/01/15 00:14:28 ID:33IEMOAX
>>753
崇神を認めるとかいうのも、系図として認める話であって、
記紀の崇神記の内容が事実と(と関係するかもしれないとか)いうの
とは違います。崇神記の内容なども、基本的には5世紀ごろの豪族
との関係がいわれているので、まあ、エピソードで信じられるのは、
伝承としても、やっぱり、欽明記以降だろうなぁ。
推古朝の話は、隋書との内容でだいたいわかる。もっとも、推古
天皇という女帝がいたかどうかは、隋書からはわからないので、
聖徳太子が大王だった可能性もあるとか混沌としているわけで。
ただし、推古朝逸文はあるので、まあ、ある程度信じてよかろうと。
記紀は、天武朝からの肝いりで始まった事業だから、まあ、天武朝
の話からは、いろいろ信じられることも多いでしょう。
これが、学問的な文献学での歴史ってもの。
記紀のよいところは、日本書紀については、とくに、関連しそうな
文献を引用している点。とくに、現在では伝わらない、中国の書籍や
半島の書籍、とくに、百済記などが引用されている。そこが重要。
半島との外交関係などは、記紀でかなりわかることも多いが、それは
神功皇后がどうのこうのではなくて、日本書紀引用の百済記などの
話が信憑性があるため。

756 :出土地不明:05/01/15 00:19:08 ID:3Ul/0scK
>>755当然ですね。753

757 :出土地不明:05/01/15 00:29:12 ID:3Ul/0scK
>>732貴様の記述は煽りの馬鹿と、自分勝手な解釈による渡来人のオンパレードだな。

758 :出土地不明:05/01/15 00:32:39 ID:7gf7Cc5B
>ID:VTXhuk3rさま
だらだらと文章を書いているので読みづらいのですが、初心者の私にも分かるように
お願いします。
まず、>>750の「考古学的には立証されている」はここでは立証できませんか?
さらに、考古学以外では立証できないのでしょうか?

759 :出土地不明:05/01/15 00:38:16 ID:7gf7Cc5B
次に、>>751に関して
文字が5世紀以前にあったかどうか分からない、というのはどういうことでしょうか?
魏志倭人伝には景初二年に詔書を送ったとの記載があります。

760 :出土地不明:05/01/15 00:43:09 ID:7gf7Cc5B
そして、>>752にいう系図は具体的に何という書物ですか?
卑弥呼や台与という人名ががどこに出てくるのか知りたいです。

761 :出土地不明:05/01/15 01:06:21 ID:3Ul/0scK
おれはID:VTXhuk3rではないが、全部このスレの中にあるだろうが。

762 :出土地不明:05/01/15 01:11:37 ID:3Ul/0scK
それから魏志倭人伝にいう景初二年は景初三年の誤りだ。
曹叡が正月一日に死去したことにより、魏書に伝える年代がこの時期、
少し混乱している。

763 :出土地不明:05/01/15 01:13:31 ID:NoPNAOP2
>>758
まず、仁徳天皇の事業が、推古朝のものであることは、当時の
干拓された場所の遺跡の発掘から、その造成時期が判明し、7世紀
中葉くらいと出ているわけ。仁徳天皇の時代は、まあ、5世紀初頭
から中葉くらいであると推定されているから(巨大古墳の時代だから
巨大古墳の年代からそう推定されている)、時期が合わないわけね。
ちなみに、仁徳天皇陵とされるものも、仁徳天皇の時代とは合わない。
中国の歴史書との対応により、仁徳王朝(履中とか允恭とか雄略とか)
は、5世紀に対応していると考えられる。
>>759
魏志倭人伝において、卑弥呼が文書を魏の皇帝宛に送ったというので
あるが、まあ、現代でも、未開地域にNGO の人がいっているように、
中国の商人などが、卑弥呼の宮廷に出入りしていたってことだろう。
しかし、木簡などは全く出てないので、日本列島の原住民(ようする
に卑弥呼女王が治めていた人々)は、文字を使っていなかったという
ことだ。
>>759
あの、「先代旧事本記」って書いているじゃないの。あと海部氏系図
とも書いているでしょ。「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」と
いうのは、一般的には物部氏の歴史を語ったものとされている。
物部氏は、蘇我氏との抗争にやぶれて滅び去ったが、支流となった
一族は、その後も残っていて、現在の奈良の石上神宮などとも関係
しているわけ。で、成立時期は体裁として古そう、なのであるが、
どうやら、平安時代に物部氏の支流の子孫が朝廷に提出した先祖に
関する書物では、とされている。まあ、平安時代ごろの偽書だろう
といわれているが、現在に伝わらない書籍からの孫引きみたいな
記述もあるので、歴史文献学の中で、「参考程度」に使われている。
海部氏系図は、籠神社に伝わるもので、どうもこれも江戸時代ごろの
もののようだが、神社の系譜をそれ以前の書籍から写しとったもの
ではないか、といわれている。まあ、どっちも怪しいものだ。
尾張氏系図では、卑弥呼は、「日女命(ひめのみこと)」として登場
する。また、台与は、「小止与姫」として登場する。どちらも、系図
の中では、傍系で、日女命の直系の子孫は伝わらないが、魏志倭人伝
に登場する、男弟王ではないか、とされる弟彦命が登場し、これが、
日女命の兄姉関係にある。
以上、「謎解き 日本古代史の歩き方 徹底ガイド」彩流社より。

764 :出土地不明:05/01/15 01:22:24 ID:NoPNAOP2
すまん。先代旧事本「紀」の間違い。
なお、先代旧事本紀にせよ、海部氏系図にせよ、まともな文献では
ないので、まあ、ホツマツタヘだの竹内文書だのというのにくらべる
と、デタラメの度合いは小さい可能性があるが、でも、基本的には、
偽書だ。よって、これらをマトモに信じて古代史を構築なんていうのは
それこそ、定年退職後の道楽の人の書いた本くらいにしか出てこない。
まあ、そういう定年退職後の道楽のひとが神社仏閣をまわって、
邪馬台国論争などをしようという場合のガイドブックが、
「謎解き 日本古代史の歩き方 古代史はミステリーより面白い!」
なんていう本だ。1998年に出ているから、どこぞにあるかも。

765 :出土地不明:05/01/15 01:24:51 ID:NoPNAOP2
>>762
それを、YK2問題っていうんだよ。Year Keisho 2 ってことで。
ってことは、そういう論争は、5、6年前にさんざん素人たちが
やっていたわけだ。

766 :出土地不明:05/01/15 01:31:37 ID:3Ul/0scK
論争にもなってないよ。歴史学の常識だ。

767 :出土地不明:05/01/15 01:32:47 ID:NoPNAOP2
それが、景初四年の鏡とからんで、なかなか面倒なんだよね。
正始元年のほうは、YK4 問題と呼ばれている。

768 :出土地不明:05/01/15 01:34:30 ID:CY/oUUce
つかぬ事をお訊ねしますが、
国宝指定されている海部氏系図も偽書なんすか?
天平頃のものだと言われてるけど・・

769 :出土地不明:05/01/15 01:40:07 ID:3Ul/0scK
>>767まあ可能性は探っておくれ。おれは近藤喬一『三角縁神獣鏡』
up考古学選書の理解が現状では最も妥当であろうとおもふ。

770 :出土地不明:05/01/15 01:43:15 ID:NoPNAOP2
>>768
おそらく、もとは、かなり古いものかもしれないが、
どうも、文字の筆跡などもふくめた鑑定で、江戸時代
中期に、書き写されているのでは、という話だ。
それも、もとのものを見ながら写本したものではなく、
どうも、籠神社の中で、記憶に基づいて写したもので
はないか、といわれている。まあ、諸説あるけれどね。

771 :出土地不明:05/01/15 01:44:49 ID:3Ul/0scK
>>768文化財としての価値と記述内容の真偽は別物だ。

772 :出土地不明:05/01/15 01:56:14 ID:3Ul/0scK
769は景初四年問題限定だ。念のため。

773 :出土地不明:05/01/15 01:59:40 ID:NoPNAOP2
>>722に書いたように、トンデモから考古学から、文献学から一通りを、
数年かけて、やったので、まあ、ここで出てくる妙なやろうにはたいがい
対応はつくと思うが、結局のところ、どうもこのスレのわけわからん
やつは、トンデモ本すら読んでないということのようだ。
とりあえず、九州説のひとには、まず、九州説の生き残りの武光誠の
本を読むことを勧める。それから、歴史書についてのことは、これまた
九州説の、安本美典をしっかり読むことを勧める。
そうすると、まあ、ここで、大和説の人たちがいうことに対して、
ある程度「マトモな反論」が可能になる。
ってことで、今日は、このあたりで、寝る。

774 :出土地不明:05/01/15 08:15:27 ID:7MHpBoTU
大和説は何も根拠を示さないから無理だよ。

いまどき邪馬台国畿内説なんて馬鹿だよ。

根拠を言ってみな。
虐めてやろう。

775 :KANSAS ◆iL8OKfslp2 :05/01/15 08:30:22 ID:dwGEAi7V
はじめまして!
邪馬台国に関しては..当時それ相応の人口が居た..その人口を支える食料が取れる地域であった..
海外(半島、中国)と連絡を取れる海路が近くにあり..何かしらの歴史伝承地であり
その付近にそれ相応の墳墓があること..
また魏志倭人伝中の距離は別にして何故に船から下りて歩いてまた船に乗ったのか..?
私としては一応宮崎の西都を押させて頂きますが..


776 :出土地不明:05/01/15 08:43:30 ID:7MHpBoTU
奴国鏡祭祀族:20000戸
投馬国銅鐸祭祀族:50000戸
合計
邪馬台国:70000戸

首都は伊都国、宮殿は高祖山だよ。

これで全て解決だ。

777 :出土地不明:05/01/15 09:20:29 ID:avoYjt5l
7マンコか…
1戸あたり3人としても21万人の大都市だな

778 :KANSAS ◆iL8OKfslp2 :05/01/15 09:36:40 ID:3vaOIbsz
>776さん

はじめまして!!
伊都国伝承地には確かに付近の丘陵には中小の墳墓があるけど..
大規模な物と成ると少し説得力が弱いと感じるが..
高祖山に付いては私は知識が皆無ですので少し教えて頂ければ嬉しいです!!


779 :出土地不明:05/01/15 10:58:26 ID:ANxFSacK
>>190-191
皇族のDNAを調査しようとすると問題が起きるので
ここは戦後GHQによって解体された旧・宮家のDNAを調べればいいと思うのですがどうでしょうかね?
いくつかの旧・宮家のDNAを調べれば、皇族の傍系なのでかなり絞り込めると思います。

780 :出土地不明:05/01/15 11:07:53 ID:dkGn+HTO
>>774
相変わらずだな。ここに全ての論文を引き写して記せとでも言うのかね。
概略は十分にこのスレで示されているだろう。
せめて、たとえば>>749の白石論文のこの部分が納得いかないと言った
示し方をせよ。

781 :出土地不明:05/01/15 11:08:10 ID:s/8mthR/
>>763
激しく板違いで申し訳ないのですが
旧事紀が「朝廷に提出」されたものとする根拠をご存知でしたら教えていただけますか。
あと、尾張の乎止与命が台与と同一人物と解釈できるのはどうしてなんでしょう?
美夜受比売や建稲種命の父親というイメージがあったもので…

782 :出土地不明:05/01/15 13:31:35 ID:wTZBx1hU
まずは、九州説のみなさんに、統一九州説を作ってもらおう。
九州のどこに邪馬台国があったのかについて、きちんと決める。
そうしたら、議論にのってやろう。
さあ、このスレで、考古学的に、統一九州説を作れ!

783 :出土地不明:05/01/15 14:13:38 ID:avoYjt5l
>>782
おまいは馬鹿か?
何故に二者択一に拘る?

784 :出土地不明:05/01/15 14:21:45 ID:7MHpBoTU
いまどき邪馬台国畿内説なんて馬鹿だよ。

誰でも良いから畿内説の根拠を言ってみな。
虐めてやろう。




785 :出土地不明:05/01/15 14:48:59 ID:L+lrvBpo
議論のならないやつとは議論はしたくないから、スルーする。
さて、本論だが、北部九州から、大和にいたるまでの経路として、
日本海沿岸経路と、瀬戸内海経路(まさか、四国太平洋沿岸経路はない
だろうが、わからんか)が考えられるが、どちらだろう。
それと、狗奴国論争もちゃんとやってみたい。
九州説はスルーします。

786 :出土地不明:05/01/15 15:09:51 ID:GpzNpaf6
>>781
だから、トンデモだといっておろーが。

787 :出土地不明:05/01/15 17:50:14 ID:kSVtV8cw
>>785

つーか!
反対意見が出ない議論して楽しい?

考古学『畿内説専用スレ』にするつもりなんだ。

788 :出土地不明:05/01/15 20:05:09 ID:bgYCxaoJ
>>784
何度言わせる気だ!>>780だ!

789 ::05/01/15 22:11:24 ID:m87TSc4f
>>753
もともと指名したのはお前様ではないのか?コテハン無きお前様じゃぁこっちは指名はやりにくい。
お前様がそんなことをぬかすんならば、お前様が大好きなありもしない邪馬台国をだ
邪馬壹国と記述した誤り偽字をやらかした魏志倭人伝は偽書ではないか?ということになるでは
ないか?お前様のやり方では古代の多数の天皇が架空、実在でないと言うのと同様にだ、
この女王も架空ではないのかと何故疑わんのだ?それとも女王にあこがれて
卑弥呼女王は擁護するのかいな?女王は実在で天皇は実在でないのか?
それでは勝手だと言われても仕方があるまい。
欠史八代の記事は極めて貧弱だと?プププ!ならばなおのこと言うが、
それには女王の記事も極めて貧弱ではないのか?それで実在だと言う人
の君は大矛盾ではないか?
よく考えてみい。八代の間安寧で書くべき記事がとりわけ必要もなかった
ので記述しなかったわけだよ。君の持っている手帳も記載されてないスペース
の日々があるだろう。だがその日がまるで無かったのではない。それと同じ
ではないか。記述の少ないのにとりわけ矛盾があるもんでもない。しっかりしろい。

790 :出土地不明:05/01/15 22:22:10 ID:vBQZltDq
>>787
考古学関係者で畿内説以外なんて若干の例外を除いて居ないのでね。
考古板で語る場合は当然「畿内説」になるのだよ。
ちなみに九州説の拠りどころである文献史学の世界も
現在ではほとんど畿内説に傾いている。
嘘だと思ったら近くの大学でも考古資料館でもいいから訪ねてごらん。

現在の争点は、2世紀末から3世紀に畿内で発生した王権を構築した勢力はどこなのか?
そのメンバーと参加した順番はどうなのか?
またそのまま大和朝廷の礎となったのか、或いは政権交代が繰り返されたのか?などであって
邪馬台国の位置問題は決着したといって良い。

もし君がこの流れが気に入らないというのならば
堂々と九州説を学会誌やジャーナルに発表して、専門家を見返せば良い。
楽しみにしているよ。

791 ::05/01/15 22:26:23 ID:m87TSc4f
外野になろうが、まあそういう方法もあるだろう。
ただこの外野は前人未踏の秘境に決着したとみなさざるを得ない。

792 :出土地不明:05/01/15 22:32:33 ID:vBQZltDq
>>789
そんなに自信があるのなら、本でも出してみればいかが?
ちなみに出版業界では畿内説はウケないのだよ(w
だから九州説や東遷説の方が圧倒的に出版しやすい。
たま出版とか変なところじゃなくとも、例えば講談社なんかも
そういうネタは大好きみたいなのでお薦めしますよ。

2chに限らずネットの掲示板に書くだけでは
学会内の畿内説優位はびくともしない。
だから九州説が何を言おうがこちらは気にもしないし、安心して読んでいるのさ。
本気で定説を揺るがせたいのなら、然るべき場所で信を問うべきだな。


793 :出土地不明:05/01/15 22:37:19 ID:kSVtV8cw
>>753

やれ、歴史学の常識とか
やれ、研究者大多数の意見 とか
やれ、学会はこうだとか

はっきし言って、み〜んな他人の意見じゃん
自分の説とか意見はねぇーのかよ。

よっぽど『妄想説』や『トンデモ説』の方が、ずーと立派だよ!
自分の考えで、物言ってる
スレ違い失礼しました!

794 :出土地不明:05/01/15 22:38:37 ID:cogpJoMu
いや、スレちがいじゃないよ。
板ちがい。

795 ::05/01/15 22:38:54 ID:m87TSc4f
まあそういうこともいずれはやろう。
余のほうもびくともしない。オカルトUMA女畿内学会ではあんたも笑っていい。

796 :出土地不明:05/01/15 22:41:33 ID:7gf7Cc5B
>>790
第2段落について
「現在の争点は…(略)…などであって」は同意なのだが、
何故そこから「邪馬台国の位置問題は決着したといって良い。」となるのか?
それでは畿内王権を構築した勢力が邪馬台国となって、
争点になってないではないか
畿内に大きな勢力があったのは確かだろう。そしてそれが邪馬台国であったかどうかを
調べるのが、考古学の役目ではないのかと思う

797 :出土地不明:05/01/15 22:45:32 ID:7gf7Cc5B
その前に>ID:NoPNAOP2さま
質問に答えていただいてありがとうございました
(なぜか丁寧語)

798 :出土地不明:05/01/15 22:47:08 ID:vBQZltDq
他人の意見ちゅうか。
確かに相対性理論の正しさなんてのも他人の意見だし
地動説なんてのも他人の意見には違いない罠。

しかし何が正しいのかを判断するには
客観的事実ともうひとつ自己判断能力だよね。
>>793 自分の考えで物言っても、それが『妄想説』や『トンデモ説』だったら話にならない。
それは決して立派な行為ではなく、ただひたすらに愚かなだけだ。
名無しになったからと言って荒らしはイカンよ、プラム君。

799 :出土地不明:05/01/15 22:57:58 ID:L6FA5nq9
>>796
790ではないが、畿内の勢力といってもいろいろあるわけだ。
のちの天皇につながる王朝がどのようにできたのか、というと
たぶん、3世紀の邪馬台国の卑弥呼とその政権がすんなり、
5世紀の仁徳朝(これも便宜上の名前だよ)につながったとは
思えないし、さらに、それが、歴史的にかなり信憑性のある
欽明朝(まあ、ちょっと信憑性のない言い方なら継体朝かな)に
すんなりつながったわけでもない。
内部には政権交代もあっただろうしね。
葛城の勢力がどうのこうのとか、物部氏とは、みたいな話もいろいろ
ある。もっとも、こういう話は、地域性に結びつかない場合は考古学
とはあまり関係ない。文字史料がでてこない限りは、なにもいえない
からね。ただし、たとえば、纏向遺跡は、できる段階では、東海地方
との関係が深いように思われるが、特殊器台なんてものが登場する
前方後円墳の時代に入ると、吉備地方との関係も考えないといけない。
また、布留式土器が西方展開するときには、山陰地方との関係もとりざ
たされている。これらは、土器の移動などと絡んでいる。

畿内の勢力が邪馬台国であることを立証する、、、、責任はないと思う。
まあ、それは、圧倒的な証拠となるものがでてきたときに万歳すれば
いいと思うんだ。

800 :出土地不明:05/01/15 23:18:37 ID:7gf7Cc5B
>>799
なるほど、納得しました
こんな簡単な文章でスマンが、納得しますた

801 :出土地不明:05/01/15 23:32:13 ID:kSVtV8cw
>>798

アラシになってたらすいません。
決してアラスつもりない

貴方の考えが聞きたかっただけだよ 色々参考になるとこあるから

考古学ド素人にとって、このスレ役にたっている。
貴方みたいな専門家には解らないと思うけど

またしばらくROMります。あと、
プラムは出さないように、周りに迷惑かかるから

802 :出土地不明:05/01/15 23:42:04 ID:q0gy7H/z
通説っていうのは、やっぱり、さすがにおおかたの研究者
の合意事項からなりたっているから、スキがないものである。
で、妄想はしてもよいし、トンデモもよいが、それらの中で、
通説と十分渡り合えるだけの根拠なり証拠なりがあって、
というなら、通説擁護の人々と議論もできるだろう。
通説の都合の悪いところは、「馬鹿、あほ、そんなのが、
信じられるか」ですべて切り捨ててしまうような態度なら、
全くあいてにもできないってことだ。
いっておくが、考古学の専門家や歴史学の専門家のいう邪馬台国
大和説も、けっして盤石ではない。おおくの矛盾をかかえている。
とくに、かなり大物で偉い先生でも、考古学者が歴史学の成果を
引用する場合に、むちゃくちゃ古い話をもちだしたりして、アフォ
な発言をしていたりする。このスレの前のほうで、F氏との関係
でその話をしているけれど。だから、どんな説も、注意深く吟味
しないといけない。一方で、九州説をまじめにやっている人たち
もいる。考古学的にいかに否定されようが、とにかく九州説を
信じて、そのために、地図とにらめっこして、いろいろな距離を
計ってみたりして、仮説を出すとかやっている人もいる。それは
それえもしかしたら発見があるかもしれない。大和説が覆ること
はないにしても、その発見がなんか大きな流れを作ることもあり
える。

803 :出土地不明:05/01/16 00:16:50 ID:e51xQUlI
>>802さん

貴重なご意見ありがとうございます。
十分理解できました。
これからの参考と、させていただきます。

804 :出土地不明:05/01/16 00:34:45 ID:b0un0Bse

基本認識が間違ってる。

考古学的に否定されてるのは畿内説。
考古学的資料が多いのとそれが畿内説を裏付けるかは別。

むしろ、
さんざん発掘されて今までかかっても
邪馬台国と証明できない畿内説は
もう可能性は無い。

805 :出土地不明:05/01/16 00:49:13 ID:tFPYBxhS
>>804
形式・型式・様式の概念を述べよ。それぞれ10点で合計30点だ。これを完璧に答えられたとしても60点には届かない。もし20点を取れたら次の問題を出してやる。

806 ::05/01/16 01:06:42 ID:tFPYBxhS
805はFを指名して解答せよ。

807 ::05/01/16 01:13:13 ID:tFPYBxhS
期限は1週間後の1月23日午前0時だ。それほど考古学のことが判っているのなら
明日にでも解答が来ても良いと思うが、まあ猶予を与えてやろう。

808 ::05/01/16 01:18:24 ID:tFPYBxhS
>>804
お前は「不可」だ。

809 :出土地不明:05/01/16 01:24:54 ID:BuQwiRsr
802です。私も、基本的に「孵化」にしてください。

810 :出土地不明:05/01/16 12:01:35 ID:b0un0Bse
なんだ反論なしか。

畿内説などその程度のものか。
ま、予想されたがね。

畿内説哀れ
うぷぷぷ。

811 :出土地不明:05/01/16 14:36:58 ID:BbuqyFrM
>>810 さすがに、ID:0un0Bse の最後 BSEってだけあって、
脳がいかれているな。

ただし、一言いえば、たしかに、邪馬台国大和説は、それを
確実に立証する証拠は一つもないといってよい。その証拠
となると、たとえば、漢字で、「邪馬台国女王宮殿」などと
書いた石碑のようなものが出るとか、「親魏倭王」の印、
あるいは、その印と一緒にされていた可能性のあるもの、
まあ、木札のようなものとかそういうのだな。あとは、魏の
皇帝からの刀が二本あったはずだが、まあ、このうちの一本は
東大寺山古墳出土の刀がそうではないか、という話もあるが、
そういうのだな。もちろん、そこに、皇帝の銘文がないと証拠
にはならないだろうな。あとは、「封泥」ってのもあるな。
まあ、そう簡単にこういうのは出ないだろう。

では、なぜ大和説が一般的かといえば、それは、細かい考古学的
に得られた状況証拠による。3世紀中葉段階で、西日本全体に
関わる政権があったとしたら、それは、大和以外にはあり得ないと
いうことがある。おもに、土器伝搬からわかる。また、その時代の
最大の都市の遺跡として纏向遺跡がある。また、古墳時代のスタート
ポイントとして、布留0式期の古墳の分布は、大和、つまり、桜井市
と天理市あたりが最初のものだ。
もちろん、考古学を完全に無視すれば、これらの状況証拠はいっさい
意味がないから、勝手に九州説していればいい。九州には、3世紀に
遺跡はほとんどない。空白期だ。

812 :出土地不明:05/01/16 18:55:35 ID:f2BFqs9D
あとは考古学界がどうやって信頼回復していくかが問題。
安本あたりが「4世紀の遺物も意図的に卑弥呼の時代に遡らせている」とか言うと
ああ、旧石器の捏造を許した業界なら、
マスコミを利用してそういうセコイことする人もいるんだろうな、
と一般人は信じてしまう。

813 :出土地不明:05/01/16 21:26:30 ID:b0un0Bse

幼稚な嘘を付くな。

>>>
なぜ大和説が一般的かといえば、それは、細かい考古学的
に得られた状況証拠による。3世紀中葉段階で、西日本全体に
関わる政権があったとしたら、それは、大和以外にはあり得ないと
いうことがある。おもに、土器伝搬からわかる。また、その時代の
最大の都市の遺跡として纏向遺跡がある。
>>>


北部九州の岡本〜平原の王権の遺跡はどうする?
3世紀まで連続している王墓をどうする?



814 :出土地不明:05/01/16 23:18:34 ID:eSQh63im
>>813
平原は、魏志倭人伝に出てくる伊都国だろ。
そこには、卑弥呼の女王国に統属する、地方政権があったわけだ。
しかも、大倭なる名称の総督が大和から来ていたと。
だから、連続するのは当然だろ。

ちなみに、私見だけど、平原墓の被葬者が女性なら、それも女王だ
ろうな。卑弥呼以前の女王だろうが、彼女のことと、卑弥呼のことを
魏志倭人伝の作者は若干混同しているきらいがある。

815 :出土地不明:05/01/17 00:02:24 ID:b08sxkmD

馬鹿ではないか。

2世紀も3世紀も王権の考古学遺物が無い畿内が
魏志倭人伝の頃の地方政権とするのが常識だ。

816 :出土地不明:05/01/17 00:31:30 ID:D3EhmiMg
>>812
まあ、マスコミももう安本、古田の説などを大々的にとりあげる
状況なんてあり得ないと思うがな。
ただ、これからも、現状としては、なんつうか、本屋の古代史
コーナーに並ぶのは、基本的に、定年退職後の道楽人の九州説
本だよね。初心者はどうしても、これを読んでしまう。それで、
九州説は正しいと思うようになる。
そこから先、さらに専門的な考古学の本や、考古学資料センター
の報告書などを買い込んでまで読むのは、かなりのオタクだし。
まー、しょーがねーかー。

817 :出土地不明:05/01/17 00:44:37 ID:FFbOGTfM
>>810>>813>>815
下らんこと言ってないでさっさと807の解答を寄こせ。

818 :出土地不明:05/01/17 00:55:03 ID:XgmHaDxG
>>817
なぜか807前後があぼーんされているんだが、何かやらかしたのか?

819 ::05/01/17 01:06:31 ID:FFbOGTfM
俺のせいじゃないよ。

820 :出土地不明:05/01/17 10:02:19 ID:b08sxkmD
807?
なんの質問だ、あまり幼稚な質問だと駄目だぞ。

こんな基本的な見解に畿内説など何の反論も出来ないようだしな。

>>>
2世紀も3世紀も王権の考古学遺物が無い畿内が
魏志倭人伝の頃の地方政権とするのが常識だ。
>>>



821 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 22:52:50 ID:b08sxkmD
質問はどうした?

やっぱり幼稚な質問だったか?
うぷぷぷぷ。

822 ::05/01/17 22:59:10 ID:QPWBum0E
>>802
大和説は確実に覆るのさ。

823 :出土地不明:05/01/18 13:40:34 ID:IVfL9n9y
本当に大和説を覆すような発見があったら楽しいな。外野としては。
でも、福岡にしても奈良にしても、そんな発見がありそうな場所はあんまり
発掘されない(今後も震災>再開発でもなければされそうにない)のがちょ
っと寂しいね。

まぁ、文献の研究で決着することはまずありえないとだけ言っとこう。

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/18 14:10:24 ID:ji3iRChn
結局、考古学遺物という事になるが、
邪馬台国関連は畿内では何も出ていないんだ。

時代の違う偽物三角縁でごましている恥ずかしい歴史しか無い。

825 ::05/01/18 19:22:33 ID:wKpMPo9A
>>821
質問ではない。試験問題だ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1078112966/l50/805-807


826 ::05/01/18 19:24:24 ID:wKpMPo9A
間違えた。
http://academy3.2ch.net/archeology/#1/805-807
これだよ。

827 ::05/01/18 19:27:08 ID:wKpMPo9A
805 :出土地不明 :05/01/16 00:49:13 ID:tFPYBxhS
>>804
形式・型式・様式の概念を述べよ。それぞれ10点で合計30点だ。これを完璧に答えられたとしても60点には届かない。もし20点を取れたら次の問題を出してやる。

806 :F:05/01/16 01:06:42 ID:tFPYBxhS
805はFを指名して解答せよ。

807 :F:05/01/16 01:13:13 ID:tFPYBxhS
期限は1週間後の1月23日午前0時だ。それほど考古学のことが判っているのなら
明日にでも解答が来ても良いと思うが、まあ猶予を与えてやろう。


828 ::05/01/18 19:28:24 ID:wKpMPo9A
825、826はうまくリンクしなかった。すまぬ

829 ::05/01/18 19:34:56 ID:wKpMPo9A
>>820
お前の言うことは全く判らぬ。
「王権の考古学的遺物」は811あたりでガイシュツだろうが。
そんなもの基本的には墓にしかない。

830 ::05/01/18 19:44:17 ID:h9FsfRo8
>>811
状況証拠と言ったって、女王国が前人未踏の秘境としなければ畿内説は成り立たん。
それが、畿内からほど遠い中国の古書に女王国の記述があるということは、伝書鳩に
準神代文字を書き込んで飛ばすか、よほどの腕前の忍びの者を使って大海を渡らせる
としか極端を考えるほか殆どあり得ない。皇紀899年に忍者がいたのかいな?

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/18 20:47:36 ID:ji3iRChn
墓にしか王権の遺物が無いなどとうのは
そもそも田舎なんだよ。

王がいれば同等品を下賜された臣下もいる。
それを作る工藝課もある。
現に東奈良や唐古では銅鐸の鋳造所が出るではないか?

なんで次ぎの王権にはそういう遺跡が出ない?
3世紀の畿内が田舎だからだ。

832 ::05/01/18 21:04:09 ID:h9FsfRo8
畿内の秘境から伝書鳩を飛ばして中国へ到達出来れば、それは魏志倭人伝に女王国の
記述がなされて記紀に無記述ということがありえるわけだ。
女王国が畿内の外部と隔絶する前人未踏の秘境にあれば、それは大和朝廷に見聞
出来ずかつ女王国の実態が感知できないからだ。
こうなれば記紀に卑弥呼の記述がなくてもおかしくはない。それはそーだということ
になるわけだ。確かに当時ならばまだ未知の未開の地が畿内のどこかにあってもおか
しくはない。しかしそれだけ大和朝廷に卑弥呼自体が知られてはまずい何らかの重大な理由
があったのだろうか? 隔絶されてなくては畿内の住民にすぐ知られてしまうし、
当然記紀に女王の存在が少なからず載るはすだ。
と考えると、こんなことはま〜ずありえないだろう。だから畿内には女王国は
無かったわけさ。女王国は九州にあったからこそ日本の記紀に書かれておらず、
外国の伝に詳細に記述があるわけなのだ。わかった〜ん?

833 :出土地不明:05/01/18 21:37:58 ID:5+90sHWs
で、三角縁神獣鏡って本当に卑弥呼の時代の物なんですか?
もう少しあとの物じゃないかという話もありましたが…

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/18 21:51:20 ID:ji3iRChn
600枚のうち
卑弥呼のもらったのも100枚は当然あるな。

他は後の下手なコピー鏡だ。
論理的にな。

畿内説によると下手なコピー鏡を配布したという畿内は
当然、邪馬台国ではない。

九州の邪馬台国は
46cmの国産鏡を作れるからな。

835 :出土地不明:05/01/18 22:35:08 ID:GMrHN7pa
考古学における時代や区分する方法を教えてください。

836 ::05/01/18 23:03:19 ID:ZZlObICB
>>831
墓にしか王権の遺物が無いなどとうのは
そもそも田舎なんだよ。

王がいれば同等品を下賜された臣下もいる。
それを作る工藝課もある。

>そういうものは権威の象徴、いまはやりの用語では威信財といってな、
 ほいほいとコピーして数を作るものではない。そして宮内庁が治定する
 陵墓は言うに及ばず、そもそも古墳は明治時代から保護の対象になって
 きたために、大和東南部の前期古墳のうち、内部主体の状況まで知られ
 る古墳は未だわずかである。
  早くに調査された例では柳本大塚、桜井茶臼山、メスリ山、最近では
 中山大塚、下池山と大きく盗掘を受けていた。
  でもまあ、いずれ出土するだろ。

>>831
現に東奈良や唐古では銅鐸の鋳造所が出るではないか?
 銅鐸鋳造は渡り職人と考えられていることは佐原ファンのお前なら承知だろ。

なんで次ぎの王権にはそういう遺跡が出ない?
3世紀の畿内が田舎だからだ。


837 :出土地不明:05/01/18 23:05:02 ID:UWuWibCQ
>>833
まず、三角縁神獣鏡ってのは、年号を書いたものがある。
それらが、非常に初期型に分類されている。そこで、
その年号は、景初三年とか、正始元年など、西暦の240年
ごろに集中する。で、面白いことに、景初四年っていうのが
ある。景初は三年までで、景初四年はあり得ないわけだから、
あり得ないことを知ったあとで、作られることはないだろう。
ってことで、この景初四年の盤竜鏡というもの(三角縁
神獣鏡ではないが)は、やっぱり240年ごろに作られたと
みるべきだろう。
そして、最近では、Spring8をつかって、鏡の成分分析を
行っている。その結果は、同時代の中国の鏡と同じもので
あるという結果がえられた。ただし、どうみてもまがい物
と思えるものについては、違う分析結果だった。
以上からいえるのは、製作地はどこであれ、三角縁神獣鏡
は、240年ごろから以降に作られ始め、その原料は、
いくつかの鏡の銘文「同出余州(=銅出徐州)」の通り、
魏の領域内の徐州のものであり、かつ製作方法も、それまでの
日本で作られた白銅鏡に近いもの(九州の巨大な鏡など)とは
違うものなので、中国の工人の製作であると考えられる。
ただし、枚数が枚数なので、部分的には、半島で作られた可能性
が強く示唆されている。
中国の皇帝からの下賜品が、中国本土から出土していないことは
多く、北方遊牧民向けにつくったものなどは、中国ではあり得ない
ような文様(たとえば、スキタイ文様などに似た獣をあしらった
ものなど)を用いたものなどがあるが、製作方法などから、これら
も、中国のものとされている。その意味では、三角縁神獣鏡が、
中国や半島から一枚も出ないという理由で、これらを国内製品と
考えるのは間違いである。
ということで、考古学的には、現在、三角縁神獣鏡は、中国で
製作された中国人の工人の手によるもので、卑弥呼の時代のもの
であることがほぼ確定している。

838 ::05/01/18 23:10:04 ID:ZZlObICB
>>831
なんで次ぎの王権にはそういう遺跡が出ない?3世紀の畿内が田舎だからだ。

>工房跡のことか?


839 :出土地不明:05/01/18 23:14:58 ID:UWuWibCQ
Fさん、引用と主張がごっちゃで読みにくい。

840 ::05/01/18 23:21:40 ID:ZZlObICB
青銅製品の場合、石型は遺存しやすいが、粘土型は唐古遺跡の銅鐸鋳型と見られる1例があるくらいで、極めて遺存しにくいということもある。
それから、碧玉やグリーンタフ製石製品の例から類推するに、そろそろ特産品としての工芸品は地方で生産していた可能性も考えられる。このへんはまだ今後の課題だ。むろん九州地方が突出しているわけではない。

841 ::05/01/18 23:22:32 ID:ZZlObICB
839すみません。まだなれぬもので。

842 ::05/01/18 23:34:19 ID:ZZlObICB
>>835貴方向けのスレッドがあるよ。一度戻って探してみてね。でも、概説書くらい読んだらどう?

843 :出土地不明:05/01/19 00:17:41 ID:13meBJZM
三角縁神獣鏡についてここまで分かってきたのか…。
日本が世界に誇るSpring8様々ってトコか。

やっぱ畿内説が有望だと思うんだけどねー。問題は記述された方向だけ。

844 ::05/01/19 00:52:31 ID:pvy6kVE2
 おそらく、名前:邪馬台国はどこだ=804ほか=名無しさん@お腹いっぱい。
なんだろうな。
 とにかくお前は、考古学概説(概論)の最初の授業で学ぶ>>804-806にさえ
未だ答えられないんだから、考古学上の議論について断定口調で書き込む
のはやめろ。まったくお前のレスはどれもこれももいい加減な認識ばかりだ。
 大人気ないから試験は免除してやるよ。

845 ::05/01/19 01:10:49 ID:pvy6kVE2
844の続き
 それから一時は直っていたと思うけど、またすぐに他のスレでも「馬鹿」「無知」
を連発しているな。もういい加減にしたらどうだね?

846 :出土地不明:05/01/19 01:52:23 ID:go7evsMc
>>843
方位については、中国側での認識の問題。
邪馬台国出現までは、おそらく中国は九州の玄界灘沿岸の人々
と交流があった(漢委奴国王印をもらった奴国とか、倭王帥升(等)=
伊都国王と考えられる)。その時代の北部九州玄界灘沿岸の人々の
活動範囲は、おおむね九州に限られていたので、九州が南北に長い
ことが中国に伝わっていた。1世紀ごろの段階では、近畿地方は、
中国の文物がそれほど入っていない。まあ、ないことはないが。
そこで、九州の南北に長いというものから、さらに遠方の邪馬台国も
南にあると解釈されたものと思われる。
もし、平原墓の被葬者が女性であるならば、これまた伊都国の女王で、
卑弥呼と若干年代が重なりそうな人物である。よって、この伊都国
女王と、卑弥呼が混同されている可能性も高い。よって、女王国など
という表現の際には、注意が必要だ。
なんせ、遠方の国だ。信憑性のある情報であれば100年前のものでも
利用してしまうだろう。実際、魏志倭人伝や後漢書の倭国に関する
記述内容は、その後の中国の史書のベースになって、かなり後まで、
同じ内容がかかれ続けている。とすれば、陳寿が、倭人伝を書くに
あたっては、後漢代やそれ以前の史料も用いたと思われ、そこには、
九州を中心とした倭国で、南北に長く、かつ、後の史料では、伊都国
女王の話などもかかれていたのだろう。卑弥呼はもちろん、大和に
いたわけだが。平原墓は3世紀にかぶるくらいの時期だから、卑弥呼
とも年代的には重なっている。

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/19 09:17:31 ID:DNciMQNj


駄説だな。
肝心の畿内に卑弥呼がいる根拠が書いてないが?

銅鏡100枚や親魏倭王の金印を届け
告諭した魏が畿内と九州南部を間違えた根拠も無いが?

馬鹿ではないか。


848 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/19 13:55:06 ID:DNciMQNj
ほれ駄説投稿者、はよ答えろ。

みなさんお待ちかねだぞ。

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/19 23:42:57 ID:DNciMQNj
逃亡か?

これだよ、
ちょっと虐めると逃げる
畿内説ってやつは。

850 ::05/01/20 00:00:58 ID:lQPuo9nd
畿が塚内んだろう?

851 :出土地不明:05/01/20 00:46:24 ID:pXuPDwD5
ワラタ

852 :出土地不明:05/01/20 01:10:18 ID:6p4LKxP4
DQNのせいでサーバーに規制がかかっているかも知れませんね。
気長に待ちましょう。

853 :出土地不明:05/01/20 02:29:50 ID:ty/EjJrS
>>852
いや、基本的な議論がないので、かきこみする気がないんだよね。
スルーしているんだけど。
もう一度、邪馬台国への経路問題、日本海航路か瀬戸内海航路か、
っていうのをはじめてみようかな。もっとも、このスレももうすぐ
おしまいだが。あと150ないし。

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/20 09:15:06 ID:XToHgMg4

嘘付け。

新種の逃亡の言い訳か?



855 :出土地不明:05/01/20 11:25:29 ID:qODJFJ+q
がんばってるね。上向き矢印嘘付き馬鹿君。

856 :KANSAS ◆iL8OKfslp2 :05/01/20 12:12:46 ID:XHPEtzeZ
魏の使いからしてみれば..半島〜北九州方面の交流は以前からあったので
多少知識も入っていた..南方地域の沖縄近辺の島に対しても其れなりのルートが
あったので知識は無しでも無かった..
会稽からの交流も示唆されてますが..
で..その北九州から方角は間違えないと思うが..船〜陸行で着いたのが
邪馬台国..人口も其れなりに多く(小規模の墳墓が多いでしょう..)そして
その人口を支える食料とその環境..水利等..まあ、私も夢・ロマンですから..


857 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/20 19:14:23 ID:SzjR4v3f
形式・型式・様式の概念について【3:227】★初心者歓迎 考古学板質問スレッド その2★
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1097250390/218-226
で次のようなやり取りがあり、都合によりこちらに引っ越して参りました。
皆様方にはご迷惑かもしれませんが、元々ここで出た話題なので、ご寛恕下さい。

218 名前:F :05/01/20 00:51:56 ID:6p4LKxP4
では質問していいですか?(岩屋山亜式様、この形ならいいですね?)
形式・型式・様式って何?

219 名前:F :05/01/20 00:57:02 ID:6p4LKxP4
できるだけわかりやすく答えてくださいね。
>>217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
:05/01/20 00:35:19 ID:XToHgMg4 様

220 名前:F :05/01/20 00:58:59 ID:6p4LKxP4
こういう場合、スレをたてるべきなのでしょうか?
ここは初心者なのでよく分かりません。

221 名前:岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :05/01/20 01:10:48 ID:ZyB6iW+D
>>220 Fさん
型式学関係のスレッドは,現在のところ重複スレではありませんので,よろしいかと…

ただし,単発質問スレは御法度と云うことで,よろしくお願いしますです.

222 名前:F :05/01/20 01:18:27 ID:6p4LKxP4
ではとりあえず>>217様の御説明を待たせていただきます。

223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :05/01/20 01:32:45 ID:XToHgMg4

馬鹿だな。
出てきたものを同質・異質で分け
同質の程度によって分類するだけだ。
簡単に言えば
様式>形式>型式の順にしましょうと言うことだ。
ま、日本古物学のたわごとだ。
時間概念を無視しているからな。
224 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :05/01/20 01:42:23 ID:XToHgMg4
ほれ、
さっさと応答せんかい。
恒例の逃亡かな?
225 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :05/01/20 09:16:11 ID:XToHgMg4
まったく、
このざまだ。
子供は投稿不可、ROMに徹すること。


858 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/20 19:16:48 ID:SzjR4v3f
223には
223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :05/01/20 01:32:45 ID:XToHgMg4

馬鹿だな。
出てきたものを同質・異質で分け
同質の程度によって分類するだけだ。
簡単に言えば
様式>形式>型式の順にしましょうと言うことだ。
ま、日本古物学のたわごとだ。
時間概念を無視しているからな。


とあり、採点は言うまでもなく0点です。

今度は23時頃来ます。

859 :出土地不明:05/01/20 19:37:38 ID:37o+y6+3
Fさん、相変わらず読みづらいです。
引用は行頭に”>”を付けてください。

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/20 22:11:35 ID:XToHgMg4
て、言うより基本が駄面なんだよ。

何の反論にもなっておらん。

恥ずかしくないのかな?
岩山亜流、責任取れ。

ばしっと決めてみろ。
100年目前のチョンボを。



861 :出土地不明:05/01/20 22:23:37 ID:Ffgtb1Qd
>>856
魏志倭人伝記載の倭国の地理と、後漢書記載の倭国の地理では、
微妙に違っていて、魏志倭人伝は、ようするに、どんどん南に
いくような形でかかれていて、最後に、狗奴国は、その南って
いう感じ。ところが、後漢書のほうは、狗奴国は、邪馬台国の
東ってことになっている。ここには、4世紀、5世紀の知識が、
どうも、3世紀の知見の解釈にへんな要素を入れ込んだ結果と
なっているようだ、というのは、一般的に知られているところで、
で、じゃあ、後漢書の記述はただしいか、っていうと、てんで変
なもので、むちゃくちゃな解釈ってのが実際のところ。
だとすると、2世紀中葉くらいの段階の魏志倭人伝記載の男王が
治めていた倭の時代の記述が、より詳細に記述されたような歴史書
なり記録が、陳寿のもとにあったとしたらどうか、ということになる。
考古学的知見と一緒にすれば、この2世紀段階では王と呼べる存在
は、伊都国王だろう、とかいうわけで。それ以前の1世紀段階なら
奴国王だろうってことになる。ようするに、九州北部玄界灘沿岸に
酋長がおさめるような小規模な「くに」が存在したわけで、それら
を中心に、100くらいのちいさな砦に基づく環壕集落があったの
かもしれない。その分布範囲は確実に九州内が中心だから、当然
南北に長い倭ということになるわけで。じゃあ、この記録があった
なら、それと魏から倭につかわされた張政などの記録がまざったら、
ちょうど、魏志倭人伝のような記録になる。で、さらにいえば、それを
再度解釈しなおして、4世紀から5世紀の知識を埋め込むと、後漢書の
ような書き方になる。だって、隋書にすら、卑弥呼のことがかかれて
いるわけでしょ。周辺諸国のことは、もう昔の記録と新しい記録を
つきあわせて、適当につじつまがあうように勝手に書くというのが
中国の伝統だということもよくわかる。

862 :出土地不明:05/01/20 22:34:38 ID:+onXEHlp
馬鹿とか何とか書いてる愚図についてだが
ヤフーの掲示板によく似た芸風の基地外がいるな。
もし同一人物なら早く巣に帰ってくれんかね。
ここは専門家が多いから、ヤフーみたいに嘘書いてもすぐばれるんだよ。

863 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/20 22:48:06 ID:JOXzHEzd
>>860
「岩屋山」「亜式」さんは私とは別人物だ。お前>>860「名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/20 22:11:35 ID:XToHgMg4」の言っていることはさっぱり判らん。

864 :出土地不明:05/01/20 22:50:29 ID:njjkXljM
夜風にいれなくなって逃げてきたんでそ。
夜風のお友達は投稿が減って寂しがってるよ。

865 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/20 23:05:23 ID:JOXzHEzd
>>859
はいです。ここは考古学より難しい・・・かも

866 :出土地不明:05/01/20 23:42:55 ID:Ffgtb1Qd
九州説カルト系は、どうにもならない。
カルト系ではないようにみせようとすると、武光とか安本
みたいになるが、彼らは、もう、必死。どうにかして、
大和説を覆そうとしている。
武光の理論
邪馬台国は九州の佐賀県から長崎あたり。三角縁神獣鏡は、
魏鏡ではないが、邪馬台国の宝物だった。しかし、近畿大和
の野蛮な連中は、九州邪馬台国を滅ぼしたあと、墓からなにから
ぜんぶ暴いて、邪馬台国の証拠となるものを全部近畿にもって
いってしまった。そのとき、貴重な宝だった鏡もすべて大和に
持ち去られた。
#なんか、こういう説を読んでいると、悲しくなる。

安本説 言語学的にみて、邪馬台国は九州です。以上。

867 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/21 00:13:02 ID:B+CW0ql6
なるほど
>>627-638
ですね。

868 :出土地不明:05/01/21 00:34:50 ID:tblDvKkU
九州にあった、邪馬台国の人々は、後の時代に、
邪馬台国がどこにあったか、という論争が起こることを
期待していたようだ。それで、苦労して、邪馬台国の
遺物を九州から、近畿に運び、そこで埋めたのである。
その結果、1700年近い時をへて、なんと、邪馬台国
論争ビジネスという業界がうまれ、ここには、かなり
多くの人々が食っていけるだけの産業にまでなった。
九州邪馬台国の人々は、まさに先見の明があったという
べきだろう。

869 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/21 00:55:44 ID:B+CW0ql6
ワラタ   かな

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/21 12:41:07 ID:O0GhTlLC
おい、
岩山亜流式は逃亡か?

871 :出土地不明:05/01/21 13:43:13 ID:lCvStkbJ
いや、考古板で文献+妄想話ばっかされてるのに愛想がつきたんでしょ。

872 ::05/01/21 14:43:44 ID:e0hg++TC
>>866
現今の学会のお説こそオカルト論だ。記紀も覚知できなかった邪馬台国という
前人未踏の秘境に住むことになる人的UMA卑弥呼を肯定しているからだ。→>>747

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 12:37:03 ID:KrtCj+2J
ところで様式試験馬鹿はどうした?

様式知識0点とばれて、
逃亡のままだが。

874 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/22 13:54:11 ID:Bs3dtqIB
仁徳陵6世紀DQN説に続いてまたすり替えか。哀れなやつ。

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 16:28:07 ID:KrtCj+2J

意味不明
典型的馬鹿。

おい、様式試験馬鹿はどうした?

876 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/22 16:50:10 ID:Bs3dtqIB
私ですが

877 :出土地不明:05/01/22 20:15:17 ID:T42DmftT
>872

こいつ、こんなところまで来て同じ戯言を繰り返してるのか!
日本史版を荒しまくって、さんざん危地扱いされた挙句の完全スルー状態に耐えかねて
隣りの板で「かまってちゃん」を始めたのあ。

例えば「記紀も覚知できなかった邪馬台国という」とかプププなコピペ。
恥ずかしいとは思わんのかなあ、もう少しツッコミようのある新ネタでもだしゃ良いのに。

878 ::05/01/22 20:22:55 ID:VypBMXCD
自己の論を書きこめ!

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 20:54:16 ID:KrtCj+2J
おい様式試験馬鹿
様式も知らんくせに投稿なぞするな。

ROMに徹しろ、ボケ。

880 ::05/01/22 22:15:31 ID:VypBMXCD
>>877
ならば、記紀に邪馬○国の記述のない納得できる説明書きをここへ出しな。

881 :出土地不明:05/01/22 22:47:41 ID:T42DmftT
>880
説明は、他の板でさんざん提示されてるだろう。
オマエが、納得しないのか、理解出来ないのかは別にして、
たいていの日本人は納得してるのだが・・・

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 22:48:47 ID:KrtCj+2J

じゃ御託並べないで書け。

883 ::05/01/22 22:56:45 ID:VypBMXCD
>>881
お前様の話は具体性がないではないか?
お前様の方を聴きたいわけなんだよ。

884 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/22 22:58:17 ID:u492LTmy
>>879名無しさん@お腹いっぱい。へ

#0点を採ったのは貴殿であり、私は試験官だ。
 そんな簡単なことも理解できないのかね?

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 23:01:09 ID:KrtCj+2J
答え言われて逃げ出した
無知試験馬鹿が何を言う。

ぶわっはっはっは。

886 ::05/01/22 23:03:20 ID:VypBMXCD
>884氏と>885氏 仲良くやってくれ。


887 :出土地不明:05/01/22 23:14:48 ID:T42DmftT
>883
そう言うことは、オマエが先ず「記紀も覚知できなかった邪馬台国という」論理を説明してから言え。
その内容に見合ったレスをアンカーしてやるよ。

888 :出土地不明:05/01/22 23:27:38 ID:QzmlJRDv
>>887
ただ単に、記紀に邪馬台国の文字がまったく出てこないからなんじゃない?

889 ::05/01/22 23:29:27 ID:VypBMXCD
>>753
余の相手をしたくないだとさ。欠史八代の天皇の記事が極めて貧弱だからどうのこうの
と言っているが、おかしなことを申してるな?
欠史八代の天皇の記事が極めて貧弱とはいえ、少なくとも即位等や皇后立后の話は載って
いるわけだ。貧弱は0ではない。よーく考えてみろ。そうならば、その貧弱の記事
が書かれている記紀にだ、邪馬○国、卑弥呼の記事が貧弱以下の0に近い状態にあるわけ
だが、そうなるとだ、欠史八代の天皇が貧弱記事で非実在だというならば、貧弱以下
の 記事→0 なる卑弥呼とその女王国も、もっと非実在ということになるではないか。
どうだな?君は卑弥呼と女王国を、貧弱以下で実在しないというのか?返答してみい。

890 ::05/01/22 23:32:06 ID:VypBMXCD
>>887
若い数字の所に論を張っているではないか。読んでないのか?
ぼーっとしてるな。

891 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/22 23:41:41 ID:u492LTmy
>>885
おまえは0点だ。
形式・型式・様式を、犬はdogと幼稚園児並に英訳できたらそれぞれ1点ずつやろう。


892 ::05/01/22 23:53:43 ID:VypBMXCD
>>887
長考だな?眠いか?余もだ。待ってるが・・・?

893 :出土地不明:05/01/23 00:59:24 ID:Q7TswF0X
>890
アンタの文章は要点がわかりにくい。
具体的にレス番教えれ。

894 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 01:55:25 ID:T47FJHmy
>>885
どうした?和英辞書の引き方も知らんのか?

895 ::05/01/23 09:45:58 ID:PuYHdDAb
>893殿

>>711 から714 717 719 728 (733 734) 738 747 789 791
795 822 830 832 850 872 889 等です。

ただし応答形式ですので、その前後の他の方の書き込みを読まないとわかり難い
所があります。それで>711 以降を流し読みすると分かりがよいと思います。
コテハンですからすぐ見つけられます。

896 :出土地不明:05/01/23 10:32:04 ID:Q7TswF0X
>895
斜めに読んだだけだが、言わんとするところは、「九州王朝」か?

別に「記紀も覚知できなかった邪馬台国」を明証できるような部分は無いじゃないか。
神功紀注の存在を否定できなければ、所詮戯言だわな。

日出る処の天子のご先祖様が、魏だの宋だのの皇帝の臣下じゃ、朝廷的には都合が悪いんだよ。




897 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 10:44:47 ID:guLkoy4K
 お前が慌てて買ってきた『日本考古学を学ぶ(1)』の形式・型式・様式
の記述は間違っているわけではない。
 ただ、著者にその本質がいまいち見えていないために、非常に難解な文章
にはなっている。
 だがそれをどう読んだら、お前の解答
「出てきたものを同質・異質で分け同質の程度によって分類するだけだ。
簡単に言えば様式>形式>型式の順にしましょうと言うことだ。」
  になりうるというのだ。読解能力も0点の証明だ。
 逝になさい。


898 ::05/01/23 10:52:01 ID:nuVnNbE5
>>896
だから、明確に記紀に載っているならば、そこを具体的にここへ示せ。

899 ::05/01/23 11:27:10 ID:ZajhEjh5
だいたい確実な証拠がでりゃぁ、ここのスレと日本史板の邪馬台国のスレも
もう終わっているよ。はっきりしたことになるからだ。
それより、自分の論説を述べてみられい。
こちらが指手をしているのに、お前様は役にも立たない批判ばかりで指手がまだ無い。

900 ::05/01/23 11:49:39 ID:ZajhEjh5
>>896
戯言だと言うのなら、畿内でこんな国が真近にあり女王が統治して習慣はこうだ、風俗は
こうだとかいう記事が記紀に無い具体的(推理小説探偵小説的でない)理由を言え。

901 ::05/01/23 12:06:20 ID:ZajhEjh5
>>896
臣下じゃ都合悪くたって、女王国が畿内にあるならば、畿内周辺の住民に
大和朝廷の隣の地域あたりにある、仮説の卑弥呼とその国のうわさはすでに拡
がっており、記紀に隠しとおせるわけがない。臣下がいやなのならば国威高揚
をやったり、隠さなくても他に手段があるはずだ。
記紀に女王国の記述のない最も合理的な理由は、記紀の作者が知悉されにくい
土地に邪馬○国があったということがストレートに主張できるのだ。
ということは、邪馬壹国は九州にあったことが帰着されるのだ。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/23 12:34:37 ID:qGL1Ksxr
間違っているんだよ。

そもそも分類というのをやったことが無い人の
説明だだから難解になる。

それ整理したわしは
ある工業製品の分類作成・登録の経験があるからな。

それわからない様式試験馬鹿は
たぶん分類とか形式の概念自体がわかってないな。


903 :出土地不明:05/01/23 13:41:32 ID:Q7TswF0X
>898-901
何で「神功紀注」をスルーするんだ?
一切無視かね。

で、俺は、オマエに「「記紀も覚知できなかった邪馬台国」の説明を願ってるんだな。
 『>711 から714 717 719 728 (733 734) 738 747 789 791
   795 822 830 832 850 872 889 等』のレスには、その説明は無かったぞ。

 三国志や宋書、芸文類聚等が日本書紀編纂の時点で大和朝廷の蔵書目録に無かったことの証明でもしてるのかな。

 『畿内周辺の住民に大和朝廷の隣の地域あたりにある、仮説の卑弥呼とその国のうわさはすでに拡
 がっており、記紀に隠しとおせるわけがない。』
 
 『わけがない』って・・それは、オマエがそう思うだけだろう。
 書紀は、卑弥呼だけじゃなくて倭の五王についてもシラをきってるわけだが、これは国民向けじゃないよ。
 相手は隋の皇帝なんだよ。対等外交を挑む相手に対しての建前なんだよ。
 こうのスタンスを崩さないから、隋は、日本に対して、激怒したり、疑ったりするわけだろう。

 『記紀に女王国の記述のない最も合理的な理由は、記紀の作者が知悉されにくい
 土地に邪馬○国があったということがストレートに主張できるのだ。』

 要するにオマエのネタは、これだけなんだが・・・これが説明なのか?

 卑弥呼時代の朝貢をしらばっくれる日本書紀の手法と神功紀注を無視するオマエの手法はそっくりだな。
 都合の悪いことは全てスルーだからな。
 
  


904 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 14:02:29 ID:7PaZLqwp
>>885
どうした?和英辞書の引き方も知らんのか?

905 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 14:33:12 ID:NqUGph4X
>>902
 ここは人文科学のうちの歴史科学を協力に補佐している「考古学」という
学問について語る板だ。
 工員さんはさっさと逝ってくれんかね。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/23 15:37:07 ID:qGL1Ksxr
様式試験馬鹿に教えてやるか。

いいか
土器を分類したいなら
大分類は時間・空間・技術・外観だ。

Age、Area、Technology、Formだな。
互いに重なり合わない大分類にしないと
範疇・カテゴリーは矛盾を起こすのだ。

日本考古学は似てますねーそうですねー
という幼稚園レベルと言うことだ。


907 ::05/01/23 15:46:31 ID:6/wOtj4D
>>903
その神功紀注とやらの胡椒のような少粉を具体的にここへ書き出せよ。
どのように畿内に女王がいたかを聴いてやるよ。どうだな?

908 ::05/01/23 17:02:55 ID:6/wOtj4D
(太の論) 卑弥呼の女王国が非常に遠方のため記紀の作者に情報が入らず
      それで記紀に記述がない。
(903の論) 日本書紀は卑弥呼の記述をシラを切っているんだ。

この両方の論を並べて読んで、>>903は、紀の作者が女王国の黙秘を続けて
いるとの、探偵小説の真犯人の白状しないような状態を肯定している。
そうならば、とうに、畿内の住民に畿内近隣の女王国の存在情報が漏れて
いるのに違いないことを、記紀の紙っぺらで保秘出来ると空想のような
論を支持している。日本史は探偵小説ではない。ププププッ!(w

909 :出土地不明:05/01/23 17:09:41 ID:mPuZWXkH
記紀に書いてある古い情報って、どの程度考古学的に立証されている
のかな。基本的に、6世紀以降のことはかなり立証されている部分も
ある。それから、5世紀のことも一部は、っていう程度かな。
で、3世紀のことはどうかな?

実際のところ、海部氏系図と先代旧事本紀には、卑弥呼と男弟王、
および、台与が、登場し、それが日本書紀などの系譜の、ヤマト
トトビモモソ姫に対応するとかかれているのだから、まさに、卑弥呼
が日本書紀にきっちり書かれていることの傍証ではあるわな。
ようするに、崇神記のあたりの話の一部が、魏志倭人伝にかかれている
ってことだわな。九州についてはどうかな?

910 ::05/01/23 17:12:13 ID:6/wOtj4D
日女命じゃあないのか?

911 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 18:11:49 ID:WnqkL36p
>>906
英訳は1つだけ含まれているけどどれだか判るかね。
様式はどうした?美術史と考古学にとって最も重要な概念だ。
>「技術と外観だ」ぁ・・・笑わせてくれるね。
形式と型式の概念の中に含まれているよ。




912 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/23 19:37:03 ID:qGL1Ksxr
おい、
固まるなよ。

ゆっくり虐めてやる。

913 :出土地不明:05/01/23 21:29:10 ID:0TlEP4Fo
>908
悪いが、俺は今晩は出先だ。
神功紀注はセルフで出して、それに対する持論を披露してくれ。

914 ::05/01/23 21:31:54 ID:ALhWy1Tc
>>913
それならば今宵はいいとして、余の批評もいいが積極的に自論をいずれされよ。

915 :出土地不明:05/01/23 21:52:52 ID:9eGLRYwN
>>910
日女命 Pi mia + mikOtO
卑弥呼 Pieg MierHag -> Pimia
完全一致だな。
小止与 wo(接頭辞)+tOyO 母音調和からして、wo は、tOyOと連続しない
台与  dEd Yag -> dOyO -> tOyO (万葉仮名での音韻推定より)
完全一致だな。
弟彦命 wOtO + piko + mikOtO
男弟王 男の弟の王
完全一致だな。
これほどの完全一致が系譜の上でも完全に一致するのだから、これは
卑弥呼系図と見て間違いなかろう。しかも、これが、崇神記の系図とも
対応する。
ようするに、ヤマトトトビモモソ姫(神大市姫)が卑弥呼であり、
三輪山の祭祀に関わる巫女であった。そして、その後の系譜で、
崇神が登場、また、その娘にあたる豊鍬入姫(とよすきいり姫)が、
台与だということをそのまま表している。たしかに、豊鍬入姫は、
のちに巫女となっているのだからな。
エピソード的にも、ほぼ完全に一致するとみてよいだろう。
ようするに、日本書紀の崇神記に、卑弥呼に関わることがしっかり
とかかれている。

私は、系譜は、アフリカの未開民族でも、20代程度は確実につたわ
っているとか、あるいは、ポリネシアの人々の系譜は考古学的な内容
とほとんど一致するなどの例があるので、ほぼ、伝わっているとみら
れる。ただし、多くのエピソードは、一般にかなり後のものが入り込む
ことがしられている。このような一般的な文化人類学的な成果も考慮
すれば、卑弥呼は、伝統的な首長の家柄で(これを欠史八代と
考えればよかろう)、その欠史八代のそれぞれは名前も残らず、
ただ、その卑弥呼以前に八人程度の王なり首長がいたということを
表すだけだが、(なぜなら、欠史八代の王の名前は、すべて神様と
しての名前しかないからだ)、そこに卑弥呼が登場し、その通称は、
日女 であり、それが、当時の中古音になりかけた漢字音では、みご
とに、卑弥呼と表現できることが音韻論的にわかっているわけで、
そして、その系譜に、卑弥呼後の王として崇神が登場する。
ミマキイリヒコという名前からして、魏志倭人伝に登場する「ミマワキ」
と対応するだろう。巫女王につかえる、総理大臣のような立場で、
崇神が存在したのだ。そして、崇神の娘が、「豊鍬入姫」であり、
これが、「台与」だ。ヤマトトトビモモソ姫をついだことになる。
これほどの中国の記録と日本の記録が一致する例は、古代ではない
だろう。倭五王(5世紀ごろ)でもこれほどの系譜上の一致はみせ
ないし、隋書の内容と推古朝も、部分的に登場人物が一致するもの
の、系譜とは合わない。

916 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 22:54:19 ID:+geK/bM5
>>906
まあ、これでお前が考古学で用いる形式・型式・様式の概念を知らず(0点だ)、
加えて理解しようともせず、自分の勝手な思い込みのみに基づいてレス
を汚していることが証明されたわけだ。
 お前の挙げたのは形式と型式を構成する要素に過ぎない。
 技術・外観(幼稚な言い回しにかなり笑えるが)という
「要素」は911で記した通り、形式・型式の両者がレベルの違う位相で
既に有している。
 また、お前の挙げた時間・空間は○式(おしえてやらねーよ)の本質的
な「要素」の一つだが、
この形式・型式・様式論において鍵となる重要な「要素」が2つも抜けている。
 それは「機能」「文化」だ。
 
 この程度の考古学の基礎概念も知らずに、「考古学的には云々」などと断定口調で
二度と書き込むな。

917 ::05/01/23 23:00:42 ID:xb7MpOV/
>>915
ま〜だ結論が早い。モモソヒメが卑弥呼ならば同姫に対して記紀は超大々的に
彼女が何をしていたかの一生を記述しているはずだ。
それが地味でパーッとしていない記録では、魏志倭人伝の多数詳細な記述と
不釣合いだ。推理作家の高木彬光氏も小説の中でイメージに合わぬように言っている。
ヒメとかトヨとかいう名は古代には多数現出している。だから合っているぞ
とは云っても邪馬○国の卑弥呼にはならんのだ。

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/23 23:04:32 ID:qGL1Ksxr
又釣れた。

機能、文化は複合概念だ。
そんなもの分類の要素にはならない。

分類で明らかにされるものだからだ。
やっぱり
分類とは何かわかってないな。
哀れ。


919 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/23 23:10:59 ID:qGL1Ksxr
ついでに、
ヒミコ・ヒミカなどという後世の畿内の日本語が
3世紀にあると思ってんのかね?

頭のネジが
狂ってないか?

920 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 23:26:07 ID:+geK/bM5
 どうしようもないやつだな。全くその厚顔無恥さにあきれてしまうよ。
 壺・甕・鉢・高杯・・・トラック・乗用車・軽自動車・・・
 この分類は「機能差」以外の何者でもない。どこが複合概念なのだ?
 そして文化は複合概念ゆえに○式がその背景の要素として有しうるのだ。
 度々言うが全く判っていない。

921 :出土地不明:05/01/23 23:30:34 ID:+raDd5/m
>>917
そうかな?文化人類学的にみても、そのような形で外交的な話が
伝承などに組み込まれるとは思えないのだがね。
おそらく、卑弥呼が直接関わったことではないしね。たんに、卑弥呼
の名において、いろいろな外交的なことが行われただけだろ。
卑弥呼はたんに巫女王として、君臨しただけだ。だから、しっかりと、
その部分については、記紀に残る。

ただし、記紀に関する研究者や、伝承学などの研究者の考えたとして
「系譜は残るがエピソードは残らない」というのはしっかり認識して
おく必要がある。それと、記紀にかかれた話題は6世紀以降のことが
ほとんどで、それ以前のことは、さかのぼって5世紀のことだ。
ポリネシアの例などでは、系譜として、口承で、誰の父親は誰で、
というのが、20代くらいかなり正確に伝わっている。で、それらの
多くが、特定の島、たとえば、タヒチ島ならタヒチ島に至って以降の
系譜が語られる。それで、その系譜が、タヒチ島の多くの人々のもの
について、みると、おおむねたとえば18代ぐらいとかになる。そこ
で、18代なら、1代を25年とすると、ざっと500年弱、と思う
とそれが、考古学的な話と一致する、というようなことだ。
もちろん、系譜は、たいがいの場合、だれもが偉そうな祖先をつくりた
がるので、尾張氏や、海部氏などは、そうやって天皇家の系譜から途中
を借りてきたりしているわけだ。稲荷山鉄剣の8代にわたる系譜で、
最初の祖先を、「オホヒコ」としているのもそれだ。しかし、この
オホヒコ、だいたい4世紀初頭か3世紀末くらいになる時期だが、
記紀の系譜から考えても、これが崇神記に対応する。いえることは、
記紀の編纂時においても、また6世紀初頭かそのあたりの鉄剣の製造時
においても、オホヒコという名の偉い人が3世紀末ごろ活躍したという
話は、「有名だった」ということだろう。ただし、なにをした人なの
かはわからない、というのが実際のところだろう。
記紀では、予定調和的に日本の国がどうしてできたかを、明確にくみ
たてているので、ちょうど四道将軍というものを考慮して、日本全国
支配を始めたのが崇神の時代で、そのときの将軍としてオホヒコを
「あてている」に過ぎない。

922 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 23:31:11 ID:+geK/bM5
 この程度の考古学の基礎概念も知らずに、「考古学的には云々」などと断定口調で
二度と書き込むな。


923 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 23:45:14 ID:+geK/bM5
>>918
こんな投稿を開き直ってしてしまう自分に嫌悪感を覚えないかね?
まあ貴殿は常にそうやって自分と周囲を欺いてきたか。哀れな人よ。

924 :出土地不明:05/01/23 23:46:54 ID:+raDd5/m
Fさん、たまには、気分転換で、ネアンデルタール人についてでも
語ろうよ。

925 ::05/01/23 23:46:58 ID:xb7MpOV/
>>921
女王国の記述がだ。魏志倭人伝のほうが欠史八代のように記紀的単純記述になっていて
記紀の記述が魏志倭人伝のように女王国の詳細、習慣人口風習等が多大に記述されて
いれば、貴殿の思っているだろうが、のとおり、畿内に女王国があってもおかしくは無い。
ところが、事実は逆だ。野球でいえば王、長島、松井らがマスコミで大々的に取り上げ
られるのは当たり前であり、無名に近い活動も少ない選手が大々的に取り上げられること
はま〜ず無い。貴殿は後者に相当する地味なモモソヒメを大選手だと肯定してるようで
おかしいではないか?むしろその可能性はあまり無いと否定すべきではないのか?

926 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/23 23:52:17 ID:+geK/bM5
>>924どもです

927 :出土地不明:05/01/23 23:53:26 ID:+raDd5/m
>>925
ヤマトトトビモモソ姫の伝承は、よーく読むと非常に偉大な
巫女の存在が隠れているのだよね。それがわからないとしたら、
あんたは、記紀をまともに読んでいない証拠だ。
さらに、崇神記全体は、崇神が偉大な王であったようにかかれて
いながら、世の中が非常に荒れた時代であったことも語っている。
これは、卑弥呼即位の事情や卑弥呼没後の混乱などとうまく対応
している。豊鍬入姫の話なども、まさに台与の話と非常にうまく
符合するわけだ。よいか、ヤマトトトビモモソ姫は没後、箸墓
に葬られたとされているが、その箸墓は、神が作った墓だとかかれ
ているのだ。おそらく、さまざまな戦乱、混乱の末に、自らの
命をたつことで、戦乱や混乱を収めようとしたのがヤマトトトビモモソ
姫であったのだろう。そして、それをいたんだ人々がまさに巨大な
古墳をつくり、それは、非常に短時間にできて、夜は神が作った
というのだ。このような古墳築造の話題が神懸かりでかかれている
のは、この姫だけだ。いかに偉大な姫であるかわかるだろう。
日本の歴史に伝承として残ったのは、この国内において戦乱を沈め、
そして、それをまとめ上げるにあたって自ら命をたって神との対話に
成功した偉大な巫女王の存在なのだ。回りの取り巻きが魏に使いに
でようが、それが、一般人の生活とは無縁であれば、その伝承など
残るはずがない。まさに三輪山信仰の中枢となる巫女王の話なのだよ。

928 ::05/01/24 00:00:23 ID:xb7MpOV/
葬った話も大切だが、いまはそれはどうでもいい。
そんなことでは女王国という国自体が出来上がっていたことにはならない。
偉大だからといって女王国の卑弥呼にはなるまい。
それを超えて超偉大ならば、記紀に(偉)大々的に活動記録が載るではないか。
無いということは貴殿の妄想なのだよ。

929 :出土地不明:05/01/24 00:12:23 ID:4ke1al4C
>>928
神が作った墓に葬られたほどの偉大な王が、記紀において
他にいるかい?こちらは妄想は一つもいってないぞ。すべて、
記紀の記述と、そして、考古学的な内容と、そして、魏志倭人伝の
内容を、たんに、きわめて整合的に結びつけているだけだ。
そちらが、卑弥呼=ヤマトトトビモモソ姫説を否定できないからと
いって、相手を妄想というのは、まったくもって、レベルが低い
ことをさらけだしているな。
悔しかったら、九州邪馬台国の伝承を、説話だろうがなんだろうが、
だしてみろ。なにもないなら、伝承もあれば、考古学的にも立証
され、さらに、記紀にもしっかりと記録がのこる大和説を否定する
材料はなにもない、ということだな。すこしは、勉強してこい。

930 ::05/01/24 00:21:35 ID:LWjhjIzg
神が作っただと?プププ!古代の人間が作ったんだろう。
よくよく考えてみろ。記紀にまるっきりといっていい位記述が0に近いのに
遠方の魏志倭人伝に詳細に女王国の状況が書かれている。
貴殿はこの重大な矛盾を無視したため、結論を誤ったのだ。
当時、邪馬壹国と大和朝廷とは並行して存在し、前者は九州にあったのだ。
実にこれが真なのだよ。今夜はこれが最終だ。問いを重ねられれば回答は後日に。

931 :出土地不明:05/01/24 00:29:13 ID:4ke1al4C
おっと、逃げか。でもって、九州邪馬台国はすっかりほろぼされた
ので、記録もなにも残りませんでした、ちゃんちゃんでおしまいか?
中国に名をとどろかせた、偉大なる王国があったなら、その話は、
なんらかの説話などに残っておろう。実際に、桃太郎伝説と邪馬台国
について論じているかなり本格的な(トンデモとはいえない)話が
あるくらいだ。あるいは、浦島太郎伝説もまた、魏にいった難升米の
話だという説もある(桃太郎の話も浦島太郎の話も前田氏が論じて
いる)。まあ、その信憑性はさておいて、こういうことがあるのに
九州邪馬台国の話は記紀にも、伝説にも、説話にもなにものこって
いない。当たり前だ。3世紀は、九州にいたのは、大和の人間だった
ことは考古学的に立証されている。大和の人間が、「僻地の山間部など
をのぞけば」ほとんどの平野部の集落にみちみちていたのだよ。
邪馬台国時代とされる3世紀段階、九州はたんに、近畿人の植民地
でしかなかったことは明白だ。もし、九州に邪馬台国があったという
なら、むしろ、それは台湾だとか、琉球にあったというほうがはるかに
もっともらしい、っていうじゃない。残念、九州邪馬台国 斬り!

932 :出土地不明:05/01/24 01:06:10 ID:KFwayX33
>ID:4ke1al4C
紛らわしいので、コテつけてくんない?
では俺も寝るとするか

933 :出土地不明:05/01/24 02:08:53 ID:rtUKMbkc
そろそろ邪馬台国スレからは撤退するので、おしまひ。

934 ::05/01/24 10:02:23 ID:LWjhjIzg
>>931
コテハンをつけてくれ、面倒なときがある。
お前様のこの説明は、まるで古代の当時、新幹線が走っていたように、簡単に
九州の情報が畿内に流入したような内容ではないか?
九州にいたという大和の人間は新幹線並のスピードなのか?
大和人で九州が埋まっていれば、なおのこと記紀に女王国の内容が載るのさ。
仮にそうならば、多大に記紀に女王国の情報がもっともっと書けるではないか。

935 :出土地不明:05/01/24 13:18:52 ID:ivOx0LdM
>太

 『記紀の作者に情報が入らずそれで記紀に記述がない。』
 この事実をどのように考証したのか説明してくれ。
 『神功紀注』の魏志に曰くをオマエが知らないハズもないし、
 原文だってググレば簡単に確認することが出きるだろう。
 
 いったい、何時まで、シラを切り続けるつもりなのかな?
 全く、チンカスみたいな野郎だ。
 まあ、オマエは所詮その程度の男でしかないんだろうが。

936 ::05/01/24 13:56:18 ID:LWjhjIzg
お前様も出せないのはどういうわけなんだ?笑わせるなW
余は今日は忙しい。明日の夜以降話相手になってやる。

937 :出土地不明:05/01/24 17:15:33 ID:9a3cj5J0
太氏からでた
当時の情報スピード
いったいどのくらいの速さで伝わるのか?

考古学で何か解らないものだろうか

938 :出土地不明:05/01/24 18:28:42 ID:ivOx0LdM
>936
『出せない』んじゃないだろう。
誰でも知ってる部分だから、敢えて『出さない』だけだろうが(怒
 下に適当なWebのURLを上げとくからこれでよいな。
 ttp://world-reader.ne.jp/time-slip/m-maeda990830.html

 わかったら、さっさと「記紀も覚知できなかった邪馬台国」ってのをちゃんと説明してもらおうか。
 オマエが「思う」だけじゃだめだからな。

 それから、『臣下がいやなのならば国威高揚をやったり、隠さなくても他に手段があるはずだ。』
 こういうからには、高天原から天下った天孫の末裔で、百済・新羅を朝貢させた日の出る処の天子様が、
 一端、魏や宋の臣下に成り下がり、蛮夷呼ばわりされるような『遠回り』をやってもかまわない『手段』も
 ご披露願おう。

 しらばくれてばかりだと、どんどん宿題が増えるぞ。

>937
北史倭國伝などによると倭地は『東西五月行』とさているので
端から端までだと情報の伝達も5ヶ月かかる計算ですね。

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 21:35:54 ID:4bP1cHUg
まあ、
記紀には出てこないよな。

魏志倭人伝読んでも
神宮皇后の頃に間違えるくらいだから
大和朝廷は赤の他人だな。

940 :出土地不明:05/01/24 22:49:50 ID:6gHCB8tz
>>939
あのなあ、文字を頻繁に使用していたことがわかっている
中国の場合でも、殷虚発掘の甲骨文字から判明した殷王朝の
系譜と、司馬遷の史記の記述が、一致(一カ所をのぞき)した
のは奇跡的とすらいわれている。しかし、そこで、系譜は
残ったものの、殷代のエピソードとして史記が残している
話が、本当に正しいかどうかについては全く分からない。
最近の詳しい分析では、かなり間違っている可能性もあると
いう。
魏志倭人伝記載の卑弥呼に関することは、3世紀中葉までの
ことだ。記紀がかかれたのは8世紀前半から中葉だ。500
年の開きがあることをよく考えよ。
それから、記紀の編纂当時は、推古朝における暦の計算から、
神武紀元を紀元前660年としていた。そこで、ちょうど、
神功皇后のころが、卑弥呼に当たると考えざるを得なかった。
実際には、記紀の系譜が正しいとした場合には、崇神の直前
にあたるわけだが。ようするに、もし、記紀において、卑弥呼
を神功皇后ではなく、ヤマトトトビモモソ姫や男弟王を、
崇神とするようなことをしたら、記紀の基本的な暦体系を全部
変更する必要があるわけだ。紀元前660年から約900年後
の卑弥呼時代を、9代の天皇でつなぐのは、無理だったわけだ。
そのつじつまあわせができない以上、ここは神功皇后(実在すれ
ば4世紀後半から末に相当か)にしたということになる。
それから、神武から欠史八代については、その陵墓の多くは、
自然丘か、あるいは、6世紀ごろ築造の古墳であることがわかって
いる。これが意味するところは面白い。おそらく、6世紀ごろに
それなりの権力があって、さらに記紀編纂段階に近いころに、
朝廷の中枢にいた一族が、自分たちの祖先(6世紀ごろの)を、
神武と崇神の間に埋め込んだというのが、どうやらかなり真相に
近いらしい。

しかし、面白いのは、世代的に欠史八代に入るヤマトトトビモモソ
姫は、なぜか、崇神記に登場する。このヤマトトトビモモソ姫や、
豊鍬入姫まで関係する三輪山祭祀の話の多くは、考古学や伝承学
から5世紀ごろに成立した伝承である可能性が高いが、ただし、
箸墓は3世紀後半から末に築造されたことは考古学的にたしかめ
られている以上、ストーリーの最初のものは、4世紀はじめに成立
したと思われる。崇神陵自身は、4世紀前半の築造であるから、
このあたりも、非常に面白い。系譜として、ヤマトトトビモモソ姫
と崇神の間は2世代だが、これは考古学的にみて、ちょっと短い。
崇神がより古いか、あるいは、崇神記にヤマトトトビモモソ姫伝承
がまぎれこんだか、どっちかだろう。
日本古代史の文献史学の分野では、とにかく、記紀の中で崇神記が
もっとも古いものであることについては、おおむね合意されている。
その他の多くが、考古学的にも伝承学的にも5世紀ごろまでしかさか
のぼらないのに対して、これだけは4世紀初頭段階までさかのぼる
可能性のある話だとされている。

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 23:48:57 ID:4bP1cHUg
変更すれば良い。

編纂当時なのになんで変更しなかったんだ?
大和朝廷は変更のし方が分からなかっただけだ。

そもそも
アマテラスでなく神功皇后に比定した時点で
卑弥呼に付いて何も知らなかったということだ。

942 :出土地不明:05/01/24 23:49:35 ID:/vMz8TqE
good job!

943 :出土地不明:05/01/24 23:54:36 ID:/vMz8TqE
942は>>940に対して感銘を受けてカキコしたものです。スマソ

944 :出土地不明:05/01/25 00:02:31 ID:zDrVv4Q7
>>941
だいたい、記紀編纂がどうやって行われたのか、そのあたりの
7世紀後半から8世紀にかけての歴史、わかっているのか?
邪馬台国論争をするには、3世紀から8世紀までの歴史を網羅
的にやらないとだめだぞ。4世紀以前のことは、ほとんど考古学
になってしまうがな。
だいたい、天照大神なんぞ、伝承学的にも記紀の分析からしても
6世紀ごろまでしかさかのぼれないのに。そういうこともわから
んから、トンデモは困る。初期段階での天皇家の祭祀には、
天照大神なんて登場しないのだよ。それは現代でも変わっていない。
天照大神はあくまでも伊勢神宮の神様であって、それ以前には存在
しない。ちなみに、イザナギ・イザナミのほうがもう少し古くて、
これは、5世紀後半くらいの淡路島の神様だ。もちろん、5世紀段階
では、天皇家の神様になんぞなっていない。
いつごろ、いつの神様がどのようにして天皇家の伝承にとりこまれた
かについては、系統的な分析でかなりコンセンサスがとれているんだ
がな。文献的にも、考古学的にもな。
それでいくと、天皇家について、もっとも古い伝承としては、なんと
いっても、三輪山祭祀が残る。これは考古学的にも、纏向があるし、
また、あきらかな大規模古墳(箸墓もふくめて)が、3世紀中葉から
4世紀前半まで続く。で、崇神記を読めばそこには、天照大神もない
し、イザナギ・イザナミも出てこない。ただし、これもストーリー
の骨格のかなりの部分は5世紀ごろのものとされている。

なんだかなー、記紀を全部史実として信じているような連中が多すぎ。
もう、面倒だから、勝手にしろ、ってことで、そろそろ、このスレ
からは撤退して、ネアンデルタール人一本に絞る。

945 :出土地不明:05/01/25 00:14:49 ID:DjBaW76l
>>941
そーだなー、なんか変だと思った。

>アマテラスでなく神功皇后に比定した時点で
>卑弥呼に付いて何も知らなかったということだ。

よいか、神武元年が、紀元前660年だぞ。それでいけば、
天照大神は、それ以前だ。これは、記紀編纂者の認識として
それ以前だ。たしかに、神武即位の段階でも天照大神は
登場するが、実体として登場するのは、紀元前660年より
も遙かに以前のこととされる。つまり、まあ、紀元前800年
ごろとでも考えればよいか。あるいは、神様だからな。
紀元前1000年とか、記紀編纂者は、1260年周期を
考慮しているから、天照大神は、紀元前1860年ごろと
でも考えればよいだろう。推古9年(西暦600年)を
一つの基準として、そこから、1260年前を神武元年に
おいたことはすでに各種の検証からわかっていることだ。
さて、その時代紀元前1000年以前の天照大神と、
卑弥呼をくっつけたらどうなる?その子孫である、
神武のほうが先になってしまうだろうが。記紀の中の
系譜は、数々のおかしな点があることは周知であるが、
ただし、時間的前後関係は、「ばれない程度」でしか
ない。まあ、スサノオが新羅なんつう紀元3世紀ごろまで
しかさかのぼれないところにおいているのは、おかしな
話だが、これは、まあ、新羅の地域くらいに考えれば
「ばれない程度」だ。当時の新羅もめっぽう古いことを
主張していただろうしな。
ってなわけで、卑弥呼を天照大神にすることもできない。
もちろん、ヤマトトトビモモソ姫は記紀編纂者の考え方では、
紀元前後かそれ以前になる。これも、はっきり年代のわかる
卑弥呼(もちろん、景初3年とかがいつごろかなのは、記紀
編纂者もしっかりわかっていた)とくっつけられるのは、
どう考えても神功皇后しかいなかったわけだ。これもかなり
苦しい解釈だがな。

946 :出土地不明:05/01/25 00:23:14 ID:RGMZ9jci
卑弥呼マンセーなトンデモちゃん達にはわからないいだろうな。
日本書紀は、卑弥呼のことを九州の一女酋に過ぎないといっているんだ。
万世一系の我皇統に「卑弥呼」なんてーのは、お邪魔な存在なんだから。
紀の編者は、日本最初の邪馬台国九州説論者とも言えよう。
これをまともに受け入れちまったのが新井白石。
そして、その末裔が、現代の九州電波ちゃん達だな。

947 :出土地不明:05/01/25 00:29:17 ID:DjBaW76l
>>946
神功記の注はよめばよむほど面白い。
まず、
1)けっして、神功皇后を卑弥呼だとは言ってない。
2)卑弥呼の後に即位した台与についても、言及している。
3)現在残っていない晋起居注も引用している。
この三つで、記紀の編纂者も、卑弥呼と台与が別人であることは
承知だろうから、まあ、
「魏志倭人伝をみると、卑弥呼って女王がいたようだが、時代的には
神功皇后にあたるようだ」
という認識を示しているだけだ。もし、卑弥呼を神功皇后に比定して
いるのなら、台与に対しても、だれか適当な女性を当てたはずだが、
それはしていない。
まあ、そういう意味では、九州説とはいわないまでも、ここんところ
は無関係を装いたいが、一方で、年代考証の都合上、同じ時期に、
日本には女王がいたんだ、と主張して、年代の整合性を示したかった
というのが実際のところだろう。

948 :出土地不明:05/01/25 00:29:25 ID:1Vwgawvh
>>946
あのう、質問なんですけど、
「九州の一女酋に過ぎない」とは日本書紀のどの辺に書いてあるんでしょうか?
前にも聞いたことがあって探したんですが、見つからないのです。

949 :出土地不明:05/01/25 00:41:17 ID:DjBaW76l
>>948
書いてないっす。

950 :946:05/01/25 00:41:53 ID:RGMZ9jci
>948
 日本書紀には、直接書いてないよ。
 神功皇后の名を騙った「九州の女酋」とは、新井白石他の読解だね。
 俺もそう「読む」ので、そのまま書いただけだ。
 具体的な編集方針は947氏の解説のとおり。

951 :出土地不明:05/01/25 00:54:46 ID:1Vwgawvh
>>949-950
d楠

952 :出土地不明:05/01/25 00:56:56 ID:DjBaW76l
ちなみに、一つ忘れていたが、記紀編纂者ってのは、
基本的に、「日本万歳!」な人たちだから(天皇の方針)、
天皇家の位の高い女性(まあ、巫女でも女王でもいいが)が、
中国の皇帝に対して、朝貢したなんてのは、もってのほか。
記紀編纂当時は、天武朝の勢いが強いわけで、白村江の戦い
の後でもあって、とにかく、「日本は中国なんかに朝貢する
国ではない!日本は強い!立派だ!」というのを徹底的に
主張するために記紀を編纂したわけで、ってつまり、日本には
立派な史記にも匹敵するか、さらに神様からの万世一系の
天皇がいる!っていうことをしめした歴史書があることを
しらしめるために日本書紀を作ったわけだ。
ってなわけで、だから、天皇、女性であれなんであれが朝貢
するのは困る。ただ、かろうじて、神功皇后は正規の天皇では
ないから、まあ、いいか、ってところもあったが、、。
その意味では、ヤマトトトビモモソ姫であれ、天照大神
であれ、それを卑弥呼とするのは、国辱ものだったわけだな。
だから、「太」あたりが叫んでいることは、全くの無知蒙昧な
発言だということがわかる。

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 09:07:52 ID:KXYrxCOW
それなら
注にも書かなければ良いんだよ。

卑弥呼書くなら
聞き編纂のたった200年前の
倭の五王の朝鮮出兵はますます書かなければならないんだよ。

そうなっていない。

書けば出兵した倭国は畿内でないことが
ばれるからな。

954 :出土地不明:05/01/25 16:35:32 ID:gInJKDCL
神功記の注釈は後世に書き足されたものなんだよ。

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 17:16:03 ID:KXYrxCOW
誰が書き足した?

956 :出土地不明:05/01/25 23:31:06 ID:EGaZyIXE
>>953
 我は952ではないがね、
 任那日本府は既存という設定になってるし、朝鮮諸国からたびたび朝貢に
来たことになっている。
 出兵を記録するのはかえってまずいだろ。

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 23:47:49 ID:KXYrxCOW
出兵の記録はまずいって、
神功皇后は出兵したろうが?

桓武天皇の言う外戚の百済を滅ぼした新羅と
戦争した記録残して何がまずい?

958 :出土地不明:05/01/26 00:06:34 ID:RSCp7vFf
 神功の記事は仲哀がらみのエピソードと応神出生に重きを置か
れている。それで勝利したんだから以降は触れる必要はない。
 任那加羅(金海)は日本の植民地とする編者の意図からすれば、
半島情勢の混乱はできるだけ隠匿しておきたいということでしょ。

959 :出土地不明:05/01/26 00:17:09 ID:RSCp7vFf
なにしろ「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦漢・慕漢六国諸軍事、
安東大将軍、倭国王」を武は宋に認めさせたのだからな。

960 :出土地不明:05/01/26 02:05:44 ID:2DTnAPw0
>>957
おい!桓武天皇はいつの時代だ?

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/26 09:28:31 ID:9552ob2S
桓武天皇は最終の記紀を作った頃の天皇だが、
なにか?

962 ::05/01/26 09:52:11 ID:t7zftbma
>>952
どういうことが無知なんだ?

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/26 10:49:44 ID:9552ob2S
>>>
任那加羅(金海)は日本の植民地とする編者の意図からすれば、
半島情勢の混乱はできるだけ隠匿しておきたいということでしょ。
>>>


無駄だな。
新羅関係は白村江で負けるんだから。
記紀の50年前では新羅も皆知っているので
誤魔化し様も無い。

つまり
途中だけを平穏に誤魔化しても無意味なんだ。


964 :出土地不明:05/01/26 11:41:52 ID:ac6TtJCq
文献学だか伝承学だか知らないけど、それによると一番古い神は
いつ頃に成立した誰になるんですか?

965 :出土地不明:05/01/26 19:35:36 ID:zj1bSMmV
確かこのスレ考古学だったよね。
日本ばかり掘らないで、狗邪韓国は掘らないの?
あそこ掘らないと
邪馬台国の謎解けないと思います。

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/26 19:56:17 ID:9552ob2S
サエノ神だな。

縄文遺跡としては石神となる。

967 :出土地不明:05/01/26 23:07:03 ID:s/B5SIgI
>>963
無意味とは言えない。

神功紀では襲津彦が新羅の草羅城を抜くとあり、また、所引の百済紀で
もそこに止まったとあることから、緒戦は倭・百済の勝利に終わったと
見られる。

 しかし内容の白髪三千丈的なところはともかくとして、好太王碑が建
てられたということはこの王の時代、全体として高句麗・新羅が押し気
味だったことの現れであろうし、その後の百済と倭の状況は言うまでもない。

 負け続けたなんて書けないだろ。

 それと、これは別の視点になるが、複数の王や人物の事績が一人の人物(この場合は
神功)に集約されて記されることは記紀の常套手段だ。

968 :出土地不明:05/01/26 23:09:25 ID:KNPNc5do
>>965
金海近辺は掘っているはずだが。いろいろ出てきて居るんじゃ
ないの?金官伽耶だよね。狗邪韓国の狗邪は、一応「伽耶」
だろうってことになっているが。

969 :出土地不明:05/01/27 00:03:05 ID:ylo/lIav
残りあとわずかになって、ようやっと考古板のスレっぽくなってきたなあ。

970 :出土地不明:05/01/27 00:05:21 ID:ylo/lIav
>962の太
コテ復活かい?
宿題の提出がまだだよ(プププ

971 ::05/01/27 00:08:44 ID:xXwbmGAW
民族神話板の九州説スレを拝め

972 ::05/01/27 00:32:05 ID:xXwbmGAW
>>971 失礼!
(訂正) 日本史板です。 眠いので間違えました。

973 :出土地不明:05/01/27 00:34:17 ID:bQn6W24L
どっちにせよ、邪馬台国は畿内から出てこないな。

974 ::05/01/27 00:42:08 ID:xXwbmGAW
>>973
そのとおり。ロズウェル事件のUFO、宇宙人をNASAが隠匿していると言うよう
に、記紀の作者が前人未到の女王国人的UMAの筈の当体を隠匿しているの主張
を畿内論者は言っている。(ロ事件の正否?は別としてこれを言う)

975 :F ◆dUzYUJ1WrI :05/01/27 00:48:48 ID:u2oBjYfL
貴殿の希望に過ぎぬ。

976 ::05/01/27 01:01:54 ID:xXwbmGAW
>>975
貴下は大和説なのか?
戦艦大和と同じ結末になるよ。おやすみ。

977 :出土地不明:05/01/27 01:18:08 ID:GQ7eEbaV
九州説なんて信じているのがまだいるのか。
呆れるねえ。

978 :出土地不明:05/01/27 01:24:40 ID:GQ7eEbaV
最近寺澤薫などの中堅どころの考古学者が大御所達の畿内中心主義に
反旗を翻しているようですね。
どこまでこれが広がるか見物ですな。


979 :出土地不明:05/01/27 01:27:07 ID:bQn6W24L
狂信ならマキムク信仰が一番妄想

980 :出土地不明:05/01/27 01:29:58 ID:GQ7eEbaV
>976
狂信ってあんた、考古学で九州説なんか片手で数えられるくらいしか
いないのよ。

981 :出土地不明:05/01/27 01:36:58 ID:GQ7eEbaV
考古学的にいうと邪馬台国の候補となりうるのは博多湾岸だけで、
そこは奴国、伊都国なんだから、九州説ってのはもともと成り
立ちようがない説だよな。


982 :出土地不明:05/01/27 02:14:41 ID:SrnkxewL
>>980
近畿出身で、唯一の九州説の森浩一氏によると、二人とかそういう数
だったと思うが。門脇禎二氏が、突然九州説に変わったというのは
変な話なんだけれどね。その理由もなんだかよくわからない。
>>981
たぶんそうだね。まともに3世紀前半くらいまでたどれるのは、伊都国
だけだろう。で、これは、魏志倭人伝にかかれているのだから、
卑弥呼の時代にも港湾国家のような形で邪馬台国中心の体制の中に
組み込まれていたということだね。だから、これが3世紀に存続して
いるのは当然。じゃあ、その南?とかその東南?とかでどういう遺跡
があるか、っていうと、基本的にいろいろいわれているものは、
すべて、2世紀末までにはすっかりなくなっているんだね。復活は
4世紀近くなってからだし。そのころは、土器は布留式一色に染まる。

983 :出土地不明:05/01/27 02:20:49 ID:bQn6W24L
金印の委奴国と邪馬台国とで、漢籍じゃ別な土地のように書いていないがな。
てことは、畿内じゃないな。

984 :出土地不明:05/01/27 02:30:12 ID:SrnkxewL
>>983
遠い国のことはよーわからん、という前置きがあるのだが。

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/27 08:19:23 ID:zYH6OwYC
>>>
門脇禎二氏が、突然九州説に変わったというのは
変な話なんだけれどね。その理由もなんだかよくわからない。
>>>


簡単だよ。
本人が書いている。
古代出雲の方を研究していたわけだ。

で、銅剣358本・銅鐸が出たあたりから
もう畿内説は無理だと悟ったわけだ。



986 :プラム:05/01/27 10:55:08 ID:4QuHlY2v
>>981さん

>邪馬台国に…博多湾岸だけ

それでいいじゃないですか。
無理に伊都や奴にしなくても、貴方の探した女王国!きっとありますよ、そこが邪馬台国であるきちんとした理論が。

987 :出土地不明:05/01/27 12:50:32 ID:iEjRpBuP
寺沢氏も「邪馬台国=大和説」だけどね。マキムク=女王国首都論者だし。

ただ、卑弥呼をシンボルに立てて寄り集まった「首長連合」は、畿内以外の
地方の土地ボス(吉備や北部九州など)が仕切っていて、在地の首長はそれ
ほど重要な立場ではなかった、という意見。いわば薩長が京の天皇を立てて
江戸で新政府をつくった明治維新の古代版をイメージしているようで、ある
意味「東遷説」の現代版とも言える。説得力はともかく、魅力はある。

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/27 15:09:08 ID:zYH6OwYC
説得力無いんだよ。

畿内には
2、3世紀の王権の跡が何も無いからだ。

せめて江戸幕府くらいの跡があればともかく。
何も無いんだよ。

989 :出土地不明:05/01/27 15:15:53 ID:Q43I8M9M
お前の言うことは判らん。どういうものがほしいんだよ?

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/27 15:31:04 ID:zYH6OwYC
王権の跡だ。

出雲並の大建築でも、
平原並の46cm鏡でも良いぞ。

991 :出土地不明:05/01/27 16:00:08 ID:Q43I8M9M
 出雲並の大建築って出雲大社のことか?あんなに高くする必要はない
から3本組の柱はないな。

 纒向の王宮のある場所は既に目星が付けられ、発掘調査に向
けて調整中だと聞いてる。

 でかい鏡が汝の好物なら柳本大塚の39.7cm,下池山の37.6cmな
どがあるが、鋳造技術の点で言えば銅鐸の方が遙かに難しい。

 おまえのいう王権の跡ってその程度のものかいな。

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/27 18:14:24 ID:zYH6OwYC
巻向に王宮など無いよ。
銅鐸しか出ないんだからな。

39cm?
そんなへたくそ国産鏡は逆に畿内は九州より
劣っていた・技術の連続性も無い証拠だな。

ほら、
畿内には何も無いではないか?

993 :出土地不明:05/01/27 18:53:39 ID:Kh/rtiIi
全く論理性のかけらもないやつだなw

(46cm-40cm)÷2=半径の差=3cmで並べてどれほど目立つというのかね。
掘れていない古墳や墳丘墓も多いし盗掘の影響もある。桜井茶臼山の鏡片
は復元直径30cmを優に超える。

 そもそも内向花文鏡は文様が平板なので鋳造が楽なのだよ。大きければ
いいってもんじゃ無かろう。

 銅鐸は壊されたのが出てますが何か?


994 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/27 19:51:42 ID:zYH6OwYC
あーあ、
鋳造が分かってないな。

大型化するほど収縮率も響くので
平原の薄肉で研磨も要る46cm級の内行花紋鏡は
薄肉の後期銅鐸と同等以上の難しさだ。

そもそも46cm鏡のエッジの鋭さや平面性が
へたくそ三角縁と全く違うのが分からんのかな?


995 :出土地不明:05/01/27 23:14:18 ID:T09g0BLA
>988
王権の空白地帯だった畿内に北九州や吉備が新首都を作ったってのが
寺澤とか北條の畿内説なんだけど。
ちっとは勉強しろよ。

996 :出土地不明:05/01/27 23:20:50 ID:bQn6W24L
事実上の「非畿内説」ってワケね。

997 :出土地不明:05/01/27 23:24:26 ID:z7k4geMy
>>995
あの纏向は、近隣の弥生文化とちょんぎれている印象があるらしい。
あと、場所としては、弥生時代末期、どっちかっていうと大阪湾近辺
のほうが栄えているのだが、あの、桜井市あたりの地勢は、東海地方
との交通の要衝だったということらしい。上に登れば山背、西にいけば
河内方面、東にいけば、東海方面ということで、かなり便利なところ
だったというわけだ。かなり計画的な都市らしい、と寺沢とかいうて
はるな。

998 :出土地不明:05/01/27 23:25:11 ID:T09g0BLA
>996
畿内説だっつーの
弥生期の畿内勢力(なんつーものがあったとすれば)
と倭王権の連続姓(ないし主導)を否定しているだけ。

999 :出土地不明:05/01/27 23:25:54 ID:z7k4geMy
>>994
そりゃ、半肉彫りしてないと、楽だよ。

1000 :出土地不明:05/01/27 23:27:05 ID:bQn6W24L
邪馬台国は畿内じゃない勢力だ、という非畿内説。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

382 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)