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四川省について語ろう

81 :名無的発言者:04/02/22 04:49
東チベット(カム)というのは、もともと諸侯や寺院が支配する
小国がたくさんあった。

1639年ホシュート部グシ・ハーンが、カムを含むチベット全土を
制圧しダライ・ラマ政権に献納した。

1717年にジュンガル部がラサに入って、ホシュート部勢力を掃討した。
ホシュート部から援軍を要請された清朝が、1720年にアムドとカムから
チベットに進軍した。この際カムに進駐し現四川省西境までを占領。
カムの諸侯や寺院は清朝の宗主権を認め、実質独立を保持。

19世紀には清朝は混乱し実質的に支配力を失った。ニャロン(テレビで
お馴染みのペマ・ギャルポの出身地)王がカム全域を制圧したが、
1863年にラサ軍に掃討され、カム全域が実質的にチベット領に戻った。
清朝は太平天国の乱でグチャグチャで、それどころではなかった。

82 :名無的発言者:04/02/22 04:50
20世紀初頭は、カムの領有をめぐって清朝〜民国の四川軍とチベット軍で
紛争が続く。中華民国は1910年に勝手に西康省を設置したが、省全域を
制圧できず一進一退の攻防が続く。1933年に現四川省西境で停戦。
西康省といっても実質的に省として機能したことは一度もなかった。

1950年の人民解放軍がチャムドを制圧して、やっと西康省全域を支配下に
収めたが、西康省は1955年に解体。ラサ政府の息がかかったカム西部は
チベット・チャムド地区になり、諸侯の小国が多かったカム東部は、
四川省に併合された。

ここに線を引いたのは、1720年の協定や1933年の停戦を支配実績として、
ここまでは絶対中国領だ、と主張したかったんだろう。分割支配で
民族分断を図ったわけだが、成功はしていないな。1950年代の
反中国闘争もカムから始まった。

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