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【男子禁制】大 奥【女の園】
- 1 :日本@名無史さん:04/10/06 18:47:52
- 大奥の制度や
将軍の正室・側室、女中などについて語るスレです
- 2 :日本@名無史さん:04/10/06 19:07:10
-
- 3 :日本@名無史さん:04/10/06 19:15:56
- 大奥は女の牢獄でございます…
- 4 :日本@名無史さん:04/10/06 19:34:15
- 大奥でのセックス技は正常位と後位だそうです。
松葉崩しもあったという説があるがこれは嘘。
ところで将軍は女のあそこを下で嘗め回すことはしなかったのだろうか?
まじめな書き込みですよ
- 5 :日本@名無史さん:04/10/06 20:36:34
- 大奥物のポルノでは、将軍は白の寝巻を着たままでセックスしていたが、
あれは史実に即しているのか?
- 6 :日本@名無史さん:04/10/06 20:37:58
- 【女子禁制】大 大 奥【男の園】
- 7 :日本@名無史さん:04/10/06 20:41:31
- つーか、嘗め回す行為はいつ頃から始まったのか知りたい
- 8 :日本@名無史さん:04/10/06 22:56:56
- ,. -- 、
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/ \ > '´ `´ `<´ ̄`ヽ
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ハ / , ' / \ |
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`ー‐ァ'∧ V il / /リi///`ヽ./ l| l i ! i .i
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/ ん'/ //il il l| li | /r';:;:'/ , ' , ' l|
. レ'' ん ん!! il l| li | , ゞ-'イi / /レル'
从リ l| li | r.ァ ""彡' イレ'´
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「 ̄ ̄ `ヽ.八 li | / ̄ \ リ il i| f´i
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/ \ ヽ j i \! / .| ァ----rr─‐'
- 9 :日本@名無史さん:04/10/06 23:17:56
- >>7
クンニリングスをしている様子を描いた艶本は、私の見た限り安土桃山時代にはあります。
将軍がクンニリングスをしていたかどうかまでは分からない。
フェラチオをしている様子を描いた艶本は、江戸時代に入ってもありません。
つーか、一般化したのはここ80年代以降(AVの普及による。70年代半ばに、
トルコ風呂(今のソープ)で「売り」になり、ビデオデッキの普及→AVの普及により
一般化)。
ちなみに、ちょん切ったことで有名なかの阿部定は、フェラチオしまくり
→変態である(色情狂)という学者の鑑定が出たことにより、殺人+死体損壊にも拘わらず、
懲役5年で済みました(昭和11年の話)。
- 10 :日本@名無史さん:04/10/06 23:18:25
- 四十八手にもクン二やフェラ、69という前戯もあるし、
この頃からあったんじゃない?
- 11 :日本@名無史さん:04/10/06 23:21:03
- 昔はフェラやアナルセックス=子種を無駄にする行為
とされてなかったっけ?
- 12 :9:04/10/06 23:24:48
- 江戸時代の艶本で、男同士のアナルセックスの様子を描いたものは、
見たことがある(歌舞伎の女形と大名。香油を使って・・・)。
男女間のは無い。
- 13 :日本@名無史さん:04/10/06 23:36:01
- 男同士の艶本・・・今でいう薔薇族みたいなもんか
- 14 :日本@名無史さん:04/10/07 00:10:45
- 俺は思うにアイスキャンデーが売り出された時代だと思うな
それとも子供の時を思い出して・・
- 15 :日本@名無史さん:04/10/07 04:20:21
- むしろ武将のお小姓の性事情のが気になる年頃。
- 16 :日本@名無史さん:04/10/07 12:24:18
- >>15
やっぱオナヌーじゃない?
女中に手をつけるわけにもいかないし。
将軍付きだと余計に辛かったんじゃない?
主君に男色の気がある場合は、相手させられたりしてたんだろうけど。
- 17 :日本@名無史さん:04/10/07 12:57:46
- 家光に生涯ほとんど相手にされなかった鷹司孝子タンは
どうやって性欲を解消してたのだろう。
やっぱ女中と睦み合ってたのかな・・・
- 18 :日本@名無史さん:04/10/07 21:19:54
- 鷹司孝子は大奥に入る前に大勢の人の子供を宿している
- 19 :日本@名無史さん:04/10/07 21:58:45
- 孝子の輿入れは22歳だからな
- 20 :日本@名無史さん:04/10/07 22:04:05
- >>1は大奥の制度や正室など歴史的なことを語るように
望んでいるのに、やっぱり大奥とくればセックスの話に
行ってしまうのかあ。
- 21 :日本@名無史さん:04/10/07 22:47:15
- 家康は名古屋弁だったの?
- 22 :日本@名無史さん:04/10/08 15:46:12
- 岡崎弁。
- 23 :日本@名無史さん:04/10/08 16:01:44
- 神尾某の娘、静
- 24 :日本@名無史さん:04/10/08 16:38:08
- 殿は侍女にも手をつけ放題なのか
うらやましい
子供の養育費払わなきゃいけないっていっても、
どっちみち公費だし。
- 25 :日本@名無史さん:04/10/10 01:32:36
- >>24
殿じゃねーよ
上様だ
- 26 :日本@名無史さん:04/10/10 08:20:23
- 春日局の後任の大奥総取締役は
誰なんだろうか?素朴な疑問。
- 27 :日本@名無史さん:04/10/10 08:52:08
- >>26
家光側室のお万の方じゃない?
ただし家光が逝去するまで。
家綱世代になると、家綱乳母の矢島局が
実権を握るようになります。
- 28 :日本@名無史さん:04/10/10 10:36:59
- 歴代の大奥総取締役の一覧は
あるのだろうか?
- 29 :日本@名無史さん:04/10/10 10:59:17
- 大奥の実力者といえば、
春日局にはじまり、
慶光院主・お万の方、
四代家綱の乳母・矢島局、
犬公方綱吉の生母・桂昌院と愛妾お伝の方、
上臈御年寄・右衛門佐の局、北の丸殿、
六代家宣の御台所・天英院と
七代家継の生母・左京の方(月光院)云々と
続くが、彼女らが必ずしも大奥総取締役では
ないと思うのだが。
- 30 :日本@名無史さん:04/10/10 11:40:11
- >>29
右衛門佐って綱吉時代の大奥総取締役だよね?
御台所鷹司信子付きの女中から
綱吉に見初められて側室になり大奥総取締役になったという。
- 31 :日本@名無史さん:04/10/10 11:42:59
- エンペラー吉田
「天才・たけしの元気が出るテレビ」で有名な素人。
「偉くなくとも正しく生きる」の座右の銘と入れ歯をはずすその技で、お茶の間を沸かせた。
- 32 :日本@名無史さん:04/10/10 22:03:49
- >30
そうなんですか?
大奥総取締役の辞令ってどうやって
するのかな?どんどん疑問がわいてくる。
29より
- 33 :日本@名無史さん:04/10/11 05:17:00
- >>32
辞令なんてあるのかな?
将軍さまに一番影響力を及ぼしているであろう女が総取締役になるんじゃないの?
だれが一番影響力があるかは、お互いそれなりに分かるのかなぁ〜っと
- 34 :日本@名無史さん:04/10/13 12:33:51
- 月光院お付だった江島は総取締役だっけ?
- 35 :日本@名無史さん:04/10/22 01:23:02
- 保守age
- 36 :日本@名無史さん:04/10/22 12:20:43
- 女って、集まれば自然とリーダーが浮かび上がってくるんじゃないの?
今でもOL集まれば、かならずお局がいるじゃないw
- 37 :日本@名無史さん:04/10/22 19:58:08
- 大奥の実力者の後期は
姉小路→瀧山→天璋院って感じか…。
吉宗から家斉あたりまでがよく分からん…。
- 38 :日本@名無史さん:04/10/22 20:26:53
- >>37
吉宗の頃は天英院。
- 39 :日本@名無史さん:04/10/22 20:56:21
- 天英院が八代将軍に推したのって、
尾張継友とも紀州吉宗とも言われてるよな。
確か大河吉宗では天英院は吉宗を推挙して、その後も大奥で君臨していたけど、
尾張家を推していたとしたら、そこまで発言権はなかったのかもな。
吉宗も大奥の人員削減とか断行してるとこみると、容赦はしなかった訳だし。
- 40 :日本@名無史さん:04/10/22 22:08:46
- 【歴代大奥実力者】
春日局(お福。三代家光乳母)
↓
お万の方(三代家光側室)
↓
矢島局(四代家綱乳母)
飛鳥井(四代家綱御台所・顕子の侍女)
↓
桂昌院(三代家光側室・五代綱吉生母)
お伝の方(五代綱吉側室)
右衛門佐(五代綱吉時代の大奥総取締)
↓
近衛煕子(天英院。六代家宣御台所)
お喜世の方(月光院。六代家宣側室・七代家継生母)
↓
お久免の方(八代吉宗側室)
↓
お幸の方(九代家重側室・十代家治生母)
お逸の方(九代家重側室)
↓
お知保の方(十代家治側室・世子家基生母)
松島(家治時代の大奥総取締)
↓
お楽の方(十一代家斉側室・十二代家慶生母)
お美代の方(十一代家斉側室)
↓
お美津の方(本寿院。十二代家慶側室・十三代家定生母)
姉小路(家慶時代の大奥総取締)
↓
瀧山(家定時代の大奥総取締)
実成院(紀州斉順側室・十四代家茂生母)
天璋院(篤姫。十三代家定御台所)
- 41 :日本@名無史さん:04/10/22 22:29:41
- >>40
家定乳母の歌橋や家定側室のお志賀の方も
かなりの権力を持っていた。
家定の最初の正室鷹司任子、2番目の正室一条秀子も
彼女の仕業ではないかと噂されてた
- 42 :日本@名無史さん:04/10/22 22:32:36
- >36
会社で働いた事ないお前が言うなw
- 43 :日本@名無史さん:04/10/22 23:31:36
- 初代家康 生母…水野氏於大(伝通院) 御台所…今川氏瀬名姫(西光院)、豊臣氏旭姫(南明院)
2代秀忠 生母…西郷氏於愛(龍泉院) 御台所…浅井氏於江与(崇源院)
3代家光 生母…浅井氏於江与(崇源院) 御台所…鷹司孝子(本理院)
4代家綱 生母…青木氏於楽(宝樹院) 御台所…伏見宮浅宮顕子(高厳院)
5代綱吉 生母…本庄氏於玉(桂昌院) 御台所…鷹司信子(浄光院)
6代家宣 生母…伏見氏於保良(長昌院) 御台所…近衛煕子(天英院)
7代家継 生母…勝田氏於喜世(月光院) 御台所…霊元天皇皇女八十宮吉子(浄淋院)
8代吉宗 生母…巨勢氏於由利(浄圓院) 御台所…伏見宮真宮理子(寛徳院)
9代家重 生母…大久保氏於須磨(深徳院) 御台所…伏見宮比宮増子(証明院)
10代家治 生母…梅渓氏於幸(至心院) 御台所…閑院宮五十宮倫子(心観院)
11代家斉 生母…岩本氏於富(慈徳院) 御台所…近衛寔子(広大院)
12代家慶 生母…押田氏於楽(香琳院) 御台所…有栖川宮楽宮喬子(浄観院)
13代家定 生母…跡部氏於美津(本寿院) 御台所…鷹司任子(天親院)、一条秀子(澄心院)、近衛篤子(天
14代家茂 生母…松平氏於美佐(実成院) 御台所…仁孝天皇皇女和宮親子(静寛院)
15代慶喜 生母…有栖川宮登美宮吉子(貞芳院) 御台所…一条美賀子(貞粛院)
- 44 :日本@名無史さん:04/10/22 23:55:23
- 家治と家茂の母親は側室でも家柄が良さそうだね。
他の生母はどういう家柄なんだろう?
- 45 :日本@名無史さん:04/10/23 00:06:20
- >>44
家治生母のお幸の方は公家の出だよ。
前権中納言梅渓通条の娘。
元は御台所比宮増子お付きの女中。
家茂生母おみさの方の父は紀州藩士松平六郎右衛門晋。
徳川松平家の血筋かは知らないけど。
- 46 :日本@名無史さん:04/10/23 00:24:22
- >>39
吉宗は大奥のリストラを行ったが、自分を将軍にしてくれた
天英院には、何も要求せず(倹約等など)今まで通りの生活を
してもらったそうだ。
ただ、吉宗が将軍職を引き受ける条件として大奥の経費削減を
上げていて、天英院もそれを呑んでいたので、リストラにも
同意していたらしい。
- 47 :日本@名無史さん:04/10/23 00:29:43
- 大奥のリストラ・・・
美人はみんな里に返され、大奥はbusuで溢れかえったってやつか・・・
でもそれによって乱れまくってた大奥の風紀はかなり改善されたみたいだけどね。
- 48 :名無しでよか?:04/10/23 00:35:43
- >42
360degどの方向から見ても会社員ですが、何か?w
- 49 :日本@名無史さん:04/10/23 01:50:01
- >>46
吉宗を将軍にしたのは月光院では?
- 50 :日本@名無史さん:04/10/23 03:11:56
- 徳川家斉が羨ましいこの頃
- 51 :日本@名無史さん:04/10/23 06:27:01
- フジTVの時代劇「大奥」の第2章は家斉の時代を希望。
- 52 :日本@名無史さん:04/10/23 08:17:56
- 家斉って何人くらいとやったんだろう?
好きな女を選べたのかな?
- 53 :日本@名無史さん:04/10/23 11:10:50
- 『少年嗜好6』レビュー
◎>○>△>▲>×の5段階評価
<表紙>
カスカベアキラ ◎ 今までで一番の出来では?どっちのキャラに萌えてもGJ!
ぽ〜じゅ ◎ いつもながらの出来栄え。服の材質までわかるのはこの人の絵くらい。
きりがくれたかや △ いつものギャグ漫画はどうなったんでしょう?
<カラーイラスト>
さそりがため ○ 隣のきりがくれの絵と構図が被ってるのが気になります。
犬丸 △ 犬丸氏っぽい塗り。カラーのほうが栄える絵に見えます。
有頂天 △ 連載は休止?影のつき方がおかしいのが気になる。
かにばさみ ▲ 雑です。他のイラスト陣がいいだけにスルーしそうな絵。
<漫画>
鬼窪浩久 ○ 可も無く不可もなく普通の作品です。絵は◎。
諸汰鎮孝 ○ この人が短いとちょっと物足りないです。せっかくエロイの描ける人なんだから。
星逢ひろ ◎ 話が暗すぎるけどやっぱりキャラが可愛いし乱交がエロかったです。
かげちん ◎ 痴漢電車モノ。台詞回しや床への射精がエロいと思いました。再登場希望!
田倉まひろ × 次回から女×ショタは没にして欲しい。絵柄は可愛いので男の子同士で再登場希望。
鬱之宮鸞次郎 ○ 前回のモロケモよりは読みやすい感じ。書き込みの少なさは気になりませんでした。
Macop. ◎ 今回一番暗い話。評判悪そうですが今までのまこぷ作品の中では一番完成度が高いと思いました。
谷はじめ ▲ 悪くは無いですが可もなく不可もなくという感じでコメントがつけづらいです。
蒼隆行 ◎ 絵柄や体型がOKなら激しく萌えます。個人的には今回一番実用的だったかも。
みにおん △ 悪くは無いけど同じく夢オチは萎えます。御大の次に期待。
カスカベアキラ ◎ 言う事のない出来栄えです。ただし実用度は低いかも。
坂本ハヤト ▲ これ大丈夫なんですか?
<カバー裏>
坂本ハヤト ◎ 普通の漫画なのでお得感があります。
- 54 :日本@名無史さん:04/10/24 00:00:45
- >>49
月光院は肉体関係があったとされる、側用人間部詮房と共に
尾張藩主徳川継友を推していたとされる。
間部の側用人政治に反感を抱いていた、老中などの幕閣や譜代大名は
紀伊藩主徳川吉宗を推していた。
また大奥でも家継の生母だった月光院と家宣の正室だった天英院が
勢力争いで対立していた。月光院が継友を推すのなら、天英院が吉宗を
推すのは想像できる。
天英院は文昭院(家宣)が「家継にもしものことがあるのなら、吉宗を
後見にせよ。」と遺命を残した(実際の遺命は吉通を後見人、その子
五郎太を家継の養子に、五郎太にもしものことがあったら吉宗の長男、
長福丸(後の家重)を家継の養子にとされる)と言いはり、水戸藩主
徳川綱条も「文昭院の遺命なら紀伊殿を後見にすべき」と主張して
吉宗が家継の後見人に決まった。
吉宗は最初、後見人を固辞したが天英院が同じく、家宣の遺命を出して
吉宗に後見人になるように言い、その時吉宗は後見人になる条件として
大奥の経費削減を天英院に認めさせた。
- 55 :日本@名無史さん:04/10/24 02:40:12
- >>54
それはどこからの情報?
漏れが読んだ本(徳川妻妾記)には、
天英院は当初、家宣の弟で松平清武を将軍に推挙したけど、
既に越智という別家を立て、甲府徳川家の家臣となっていたことから、
ふさわしくないと月光院や間部詮房が反対し、
ついで天英院が尾張継友を推挙したので、月光院一派は対抗上、
紀州吉宗を擁立。結局、神君家康から血筋の近い吉宗を、
家宣(文昭公)の遺言として将軍としたと書かれていた。
その後、間部は失脚したが、月光院は吉宗に取り入り、
二人は愛人関係だったとも言われる。
大奥の給料カットを断行した吉宗も、
月光院の住んでいた吹上御殿だけは例外にしたそうだ。
いろいろググってみても、いまいち天英院か月光院かどっちか分からなかった…。
諸説色々あるんだろな
- 56 :日本@名無史さん:04/10/24 14:32:41
- >>52
家斉の妻妾は記録にあるだけでも41人
実際はもっといたと思われ。
- 57 :日本@名無史さん:04/10/24 17:12:10
- >>55
幕府の公式記録書の徳川実記では、天英院が吉宗を推したことに
なっているし、ほとんどの歴史解説書は>>54の通りとなっている。
吉宗を舞台にしたドラマ「大奥」や大河ドラマの「吉宗」も
天英院が吉宗を推したように描かれていた。
- 58 :日本@名無史さん:04/10/25 00:18:49
- 大河吉宗の天英院は思慮深い家宣のよき妻って感じで書かれてたな
68年版の大奥ではかなりの基地外ぶりだったが
どっちが実像に近いんだろう。
まだ家宣(綱豊)に嫁いだばっかの頃は毎日和歌だの物語だのに
どっぷり浸かってたらしいが。
- 59 :日本@名無史さん:04/10/25 00:21:41
- >58
お前、武田だろ
- 60 :日本@名無史さん:04/10/25 00:37:18
- 武田は時代劇専門チャンネルと下ネタが大好き
でも童貞なの
時代劇板&大河ドラマ板&三戦板&日本史板の荒らし武田信玄ちゃんに
有志一同でダッチワイフを贈りませんか?
_
/,.ァ、\
( ノo o ) )
)ヽ ◎/(.
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- 61 :日本@名無史さん:04/10/25 00:40:05
- >>59
ハァ?
ちがいますが何か?
武田って誰だよ。
- 62 :日本@名無史さん:04/10/25 03:30:22
- >>56
ほえー
名前を覚えられるのかな。
- 63 :日本@名無史さん:04/10/25 05:05:45
- 大奥っていゃあ、トイレが怖い。
深ーい穴を掘って一生汲み取らない。
いっぱいになったら埋めちゃう。
何が落ちても判らない。
火事やなんかで男の人が救出に入ったきり
行方不明になる事件があったらしいが、
まさか…と思ってしまう。
ありえないか(^^)W
- 64 :日本@名無史さん:04/10/25 12:27:59
- >>63
御台所や位の高い御年寄、中臈なんかは
一生汲み取らなくてもいいような深い厠使ってたらしいね。
ただ落ちないよう金網が張られていたらしいけど。
もちろんお目見え以下の女中は汲み取り式。
ある日そこに赤ちゃんを産み落とした女中がいて、
半月後、下掃除人が汲み出しにきた所
真っ白に水ぶくれした女の嬰児が汚物まみれで出てきたという事件があったらしい。
- 65 :日本@名無史さん:04/10/25 12:35:20
- >>64
めしどきに素敵な話をありがとう
- 66 :日本@名無史さん:04/10/26 19:24:01
- 燃え
- 67 :日本@名無史さん:04/10/26 20:31:40
- 183 :< ◆fVLzn.IZwY :04/02/28 00:26
檀上寛『永楽帝 中華「世界システム」への夢』241ページより
彼は父朱元璋と同様、多くの女性を後宮に集めることに、並々ならぬ熱意を示した。特に朝鮮に対
しては、永楽六年以来、たびたび美女の献上を命じており、朝鮮王朝はそのたびに屈辱的な思いを味
わった。永楽六年などは、わざわざ婚姻を禁止して選抜を行ったが、明側の使者の宦官の意にそわず、
あらためて美女の選抜をやりなおしたほどだ。彼女たちが中国に向かう日、二度と会えぬ子を思う両
親や一族の哭声が、いつまでも道にあふれていたという。
- 68 :日本@名無史さん:04/11/02 15:15:54
- あげ
- 69 :日本@名無史さん:04/11/02 22:14:08
- 毎日が日曜日の奴って暇でいいよね
- 70 :日本@名無史さん:04/11/05 22:14:19
- 第四話に出てきた木下ほうか演じる岡田淡路守は架空の人物?
誰かを参考にして作られたのか?知恵伊豆とか…。
- 71 :日本@名無史さん:04/11/06 00:13:14
- 大奥の話といえば
スーパージャンプ連載中の「おしとね天膳」が
なかなかバカ話を連発してくれて面白い、
ちなみに5代綱吉のころの話
- 72 :やし:04/11/06 13:05:56
- 大奥って何何ですか?
- 73 :日本@名無史さん:04/11/08 11:20:22
- >>72
徳川将軍の後継ぎを生産する場所。
妻妾を一括管理するために、江戸城の深奥に設けられた御殿。
将軍と、その子供以外は男子禁制。ペットの犬や猫も♀のみとされる。
- 74 :日本@名無史さん:04/11/08 11:25:36
- 大奥の中で産まれた子供が、公方様のお胤以外である可能性を排除するための仕組み。
- 75 :日本@名無史さん:04/11/08 17:33:22
- 6 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/11/06(土) 03:49
自分の立てたスレとバッティングするもんだから
荒らしたり>>2誘導したり>>4大変だねぇ、武ちゃんも(笑)
7 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/11/06(土) 04:13
>>6
バレたか・・
オマエするどいな
- 76 :日本@名無史さん:04/11/08 18:49:00
- >>73
御三家は許可があれば、男性でも大奥に入れたらしい。
実際にまだ、紀伊藩主だった徳川吉宗は大奥で天英院に接見している。
- 77 :日本@名無史さん:04/11/08 19:54:54
- 武田も陰湿だよなw
自分の糞スレのために、他のスレを荒らすなんてよ
- 78 :重複:04/11/08 19:56:38
- 大奥について
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1099603011/
大奥の話題はこちらでどうぞ
- 79 :日本@名無史さん:04/11/08 20:34:15
- >>47なぜ美人を返してブスだけにしたんだ?
- 80 :日本@名無史さん:04/11/08 20:51:50
- >>79
暇を出しても(くび)、美人ならすぐに嫁のもらい手があり、
路頭に迷うこともないが、ブスだと今、暇を出して大奥から
出されると嫁のもらい手がなく、路頭に迷うからと言うのが
吉宗のリストラの理由。(誰でもいいから、とにかく人数を
減らしたかったが、大奥女中に納得できる理由づけが必要だった)
- 81 :日本@名無史さん:04/11/08 20:53:11
- ジサクジエン乙
- 82 :日本@名無史さん:04/11/08 21:34:00
- >>81
自作自演?
俺はそんなことはしていないぞ。
79氏とは別人だ。
- 83 :日本@名無史さん:04/11/09 12:33:23
- >>81
自演だと思う根拠を述べよ
- 84 :日本@名無史さん:04/11/09 12:54:54
- >>80
吉宗ブス専説もあるけどな
- 85 :日本@名無史さん:04/11/09 18:53:04
- >>84
それだ!!
- 86 :日本@名無史さん:04/11/09 21:33:25
- 吉宗側室のお古牟の方はブスだったつーな。
顔よりも元気な子供を産めるかで見たんだろうな。
正室真宮理子や家重生母のお須磨の方も流産で亡くしてるし。
- 87 :日本@名無史さん:04/11/19 15:43:04
- 初心者として質問します。
大奥の組織体制ってどうなっているのでしょう?
どういう人事体系であったんでしょう?大奥法度とかってあったんでしょう?
大奥法度とかの条文ってみれますか?
- 88 :日本@名無史さん:04/11/19 16:06:57
- >>87
http://www.fujitv.co.jp/m/oh-oku/terms2.html
- 89 :日本@名無史さん:04/11/23 08:33:12
- >お添い寝(おそいね)
>夜、将軍の隣で聞き耳を立てる仕事。寝床での「おねだり」から将軍を守るのが役目、という微妙な役目。
「おねだり」から将軍を守るってどういう意味?
- 90 :日本@名無史さん:04/11/23 08:59:39
- >>89
例えば、
「弟に役職を与えて〜ん」とか
「父の領地を加増して〜ん」とか
- 91 :日本@名無史さん:04/11/23 09:22:01
- >>89
柳沢吉保の側室染子が綱吉の褥にあがった際
吉保の領地の加増をおねだりしたのが始まりといわれている。
ただしお添い寝は御台所にはつなかい。
- 92 :日本@名無史さん:04/11/23 19:45:10
- >お添い寝(おそいね)
>夜、将軍の隣で聞き耳を立てる仕事。寝床での「おねだり」から将軍を守るのが役目
側室がおねだりを声に出さずに、たとえば肌の上に愛液で文字を書いておねだり
すれば打つ手はなかったろうな。拭けば証拠は残らないし。
- 93 :日本@名無史さん:04/11/26 00:04:06
- >>92
おまえキモイね
「愛液」だってよw
- 94 :日本@名無史さん:04/11/26 01:38:40
- 六条有純age
- 95 :日本@名無史さん:04/11/26 20:10:06
- ドラマ大奥毎週見ています。
お万の方様や正室の孝子様、とてもかわいそうなのですが
その後彼女達はどのような運命をたどるのですか?
- 96 :日本@名無史さん:04/11/26 20:17:19
-
愛 液
恥 ず か し い ヤ ツ
- 97 :日本@名無史さん:04/11/27 14:54:12
- >>95
鷹司孝子・・・家光死後落飾して、本理院と称し引き続き中の丸に住み72歳で没。
御台所としては六代家宣夫人天英院に次ぐ長寿。
葬儀はひっそりと行われ、義子にあたる家綱は喪に服そうともせず、
死んでもなお寂しい生涯だった。
お万の方・・・春日局死後、大奥総取締役に就任。
かなりのスパルタで春日以上に恐れられたとか。
家光没後も落飾せず於梅局と称し大奥で引き続き重きを成す。
六代家宣の代まで生き88歳という高齢で天寿をまっとうする。
お楽・・・四代家綱生母として権勢を振るえたはずだが、病弱ゆえ表舞台に出る事はなかった。
家光が薨去した同年、家光の後を追うように32歳の若さで亡くなる。
お夏・・・家光没後落飾して順性院と称す。息子綱重は甲府城主となる。
綱重を病弱で子の無い家綱の跡継ぎと召され、綱吉生母のお玉と火花を散らしたが、
綱重が若くして没したため、お玉へ軍配があがる事となる。
お夏は失意のうち、61歳で亡くなる。
お玉・・・いわずと知れた桂昌院。綱吉が将軍に就くと大奥で絶大な権力を振るう。
将軍を意のままに操り、悪名高い生類哀れみの令を出すきっかけを作った。
また女性としては最高位の異例の従一位を賜った。玉の輿の語源となった人。
栄光のうち、81歳で没する。
- 98 :日本@名無史さん:04/11/28 22:46:46
- >>97
「玉の輿」の「玉」とは、お玉のことだったのかあ。
一つ、トリビアになった。
- 99 :日本@名無史さん:04/11/29 19:58:38
- おおおく
- 100 :日本@名無史さん:04/11/29 20:04:16
- 100!
- 101 :日本@名無史さん:04/12/07 13:36:51
- >玉の輿の語源となった人
へえへえへえへえへえ
知らんかった
- 102 :日本@名無史さん:04/12/07 16:57:38
- >玉の輿の語源
俗説です。
- 103 :日本@名無史さん:04/12/07 20:04:20
- >>102
時代劇板でもさんざん否定されてんだけど
根強い俗説みたいだね。お玉・桂昌院とは無関係。
「氏が無くても玉の輿」
- 104 :日本@名無史さん:04/12/08 21:50:28
- お玉がお万の方に仕えてたのは史実なの?
- 105 :日本@名無史さん:04/12/09 00:07:56
- >>104
お万がまず大奥に入り、後からお玉を呼び寄せた。
- 106 :日本@名無史さん:04/12/09 15:51:33
- http://www.pia.co.jp/gentei/oem/sagami/hatsu_html/11200311280205.html
お玉説が有力説みたいですが、ちがうんですか?
- 107 :日本@名無史さん:04/12/09 19:18:32
- >>106
「輿」というのは貴人の乗り物です。「玉」は今でいう宝石かな。
「玉」で飾り立てた「輿」に乗る様な身分になるというのが本来の意味です。
お玉説は元々八百屋の娘から将軍生母まで登りつめたことを「玉の輿」と
世間で言うようになり、お玉の「玉」にもかかっていることからできたんじゃないでしょうか。
- 108 :日本@名無史さん:04/12/24 00:18:53
- 御三家が大奥に行くてのは読むけど、将軍のおてつき以外の
女に手を出してたの?将軍とも穴兄弟?
- 109 :日本@名無史さん:04/12/24 12:32:53
- >>108
大奥の何千もの女はみんな将軍様の所有物だからね。
御上の物に手をつける事はさすがにないでしょ。
大奥に来るって言っても、御台所様に挨拶とか公務の一環だろうし。
大奥程じゃないにしても自分らの居城の奥向きにもそれなりに女はいただろう。
- 110 :日本@名無史さん:04/12/25 19:15:30
- “革命戦士”長州力がちゃんこパーティーでつかの間の休息
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1103968945/l50
- 111 :日本@名無史さん:05/01/02 23:35:26
- いいやね
- 112 :日本@名無史さん:05/01/17 22:28:18
- age
- 113 :日本@名無史さん:05/01/17 22:29:37
- 明日久しぶりにTVKで15時から大奥あるね!
- 114 :日本@名無史さん:05/01/17 22:30:22
- >>107
むしろ「お玉」の名前が後付けだったりする可能性はない?
- 115 :日本@名無史さん:05/01/24 19:02:44
- 大奥に上がる前は光子って名前だったらしいよ。>お玉タソ
- 116 :日本@名無史さん:05/01/24 20:01:20
- 大奥になるにはどうすればいいですか。大奥になりたいです。
- 117 :日本@名無史さん:05/01/25 00:46:50
- >>116
テレビ神奈川で火曜15時から再放送やってるから見れ
- 118 :日本@名無史さん:05/01/25 01:05:51
- じゃあ、玉の輿に乗ったから「お玉の方」とお呼びしたという可能性あるね
- 119 :日本@名無史さん:05/02/20 21:51:22
- 家光の寵愛を受けてた頃は秋野っていう候名で呼ばれてたみたいだし
- 120 :日本@名無史さん:05/02/22 07:34:48
- しじゅうはって しじふはつ― 4 【四十八手】
(1)相撲の決まり手の総称。数多くの技があるところから四八手といったもの。
現在は日本相撲協会が七〇手にまとめている。
(2)あることをするための様々な手段や駆け引き。
「商売の―」
――の裏表(うらおもて)
(1)相撲の手の総称。四十八手にそれぞれ表と裏があるとされていること。
(2)手段にはいろいろ変化のあること。人を操る法や処世術のすべて。
関取は皆テクニシャンですか。
- 121 :日本@名無史さん:05/02/28 19:09:29
- 裏表紙にチェリオの広告が載ってる様なムックでエロ特集してるやつ(出版社
書名ともに失念)に江戸時代の大名の性生活が載ってたんだけど、そこに
13〜14歳ぐらいになったら包茎手術(無理やり包皮を剥く?)と筆下ろしを行う
とか書いてあったんだけどこれ本当かな
- 122 :日本@名無史さん:05/03/19 19:40:24
- >>121
筆下ろしはやっぱ乳母?
- 123 :日本@名無史さん:05/03/19 21:50:38
- 美人をリストラして敢えてブスを残した吉宗はやっぱり名君だと思ふ
普通の男にできることじゃあない。
- 124 :日本@名無史さん:05/03/19 22:27:34
- 単に趣味が悪かっただけだろう ゲテモノ趣味
- 125 :日本@名無史さん:05/03/19 23:30:56
- >>124
だから普通の男じゃない
- 126 :日本@名無史さん:05/03/20 11:56:04
- まぁ、ブスしか残らなかったおかげで、
僻みや妬みから来るいがみ合いは殆どおこらなかったというし、
若い子は大量解雇されてベテラン中心になったから、
仕事などもスムーズに行ったというし。
まぁよかったのでは。
- 127 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 12:38:48
- あげ
- 128 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:18:34
- 宦官がいないだけマシだったage
- 129 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 03:04:28
- 世の中を見ろ!ブスの方がさっさと結婚していくぞ。ブスはチャンスが少ないから
必死だ。吉宗はいい将軍だ。美人を世間に解放し、ブスをはべらしたんだからな。
将軍のブス専は許す。
どこかの将軍もブス専なら面白いのにな。
- 130 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 14:19:35
- ,. -- 、
. / ヽ. \ _ _
/ \ > '´ `´ `<´ ̄`ヽ
. i / / . 丶 i
ハ / , ' / \ |
/ ∧ , ' , ' , ' `ヽ
/ ∧ ∨ / / / / / . ',
〈 /∧∨ /_/__/_. / /il ト. l l ',
`ー‐ァ'∧ V il / /リi///`ヽ./ l| l i ! i .i
// //´| li |r====くリ ハl l| l l ! l !
/ / /八.{| li |{r';:;:;::// リ リ `7メ./ / /
. / // // l`| li |ゞー ' /=く/ ハ , ' , 'i
/ ん'/ //il il l| li | /r';:;:'/ , ' , ' l|
. レ'' ん ん!! il l| li | , ゞ-'イi / /レル'
从リ l| li | r.ァ ""彡' イレ'´
. / リ li |\ __ __.. イ li i|
「 ̄ ̄ `ヽ.八 li | / ̄ \ リ il i| f´i
. | \トv \ \ ルl l| ___/´〉 / /
. 〉、 \ ヽ. ヽ i!. リ , '´ _ (´ ̄ `Y
/ `ー 、 \ ヽ リ / _/ (´ ̄ `>´i
. / \ ヽ ', V//i /7 ´  ̄`ー‐'´ |
/ \ ヽ j i \! / .| ァ----rr─‐'
- 131 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 07:41:22
- >>122
それは足利義政と今参局の関係だな。
乳母だったのを側室にした。
- 132 :岡田淡路守:2005/05/02(月) 19:41:39
- 「大奥 第一章」に出てくる岡田淡路守は、吉屋信子「徳川の夫人たち 上」
にも出てきている。「大奥」はこれから引用したものか?
岡田淡路守という人物は実在したか?
「大奥」に登場した人物かどうかは不明だが、私の先祖伝来の家系図に出てく
る。私の先祖は、代々加賀藩前田家の家来であった。江戸の旗本である岡田
淡路守(名は重治)は、親戚として出ている。
それでは、岡田淡路守重治は、実在したか?
寛政重修諸家譜や干城録などの古文書でその名を確認することができる。
それらによれば、
慶長15年台徳院殿(秀忠)に拝謁し、のち大猶院殿(家光)につかえたて
まつり御書院番をつとむ。寛永9年11月5日より進物の事を役す。10年正月
17日御膳番に転じ奥に候す。8月9日御徒の頭にすすみ、11年閏7月29日
従五位下淡路守に叙任す。慶安3年5月3日、これよりさき内藤石見守信広が
与力をめし加えらるるのとき、重治かねてしれるものなりとて、耶蘇の徒たる
事をしらずして、処士渡辺宗左衛門某を吹挙せしむこと、其罪軽からずといへ
ども、いとけなきより奉仕せし事をおぼしめされ、死刑一等を宥められ、妻子
共に保科肥後守正之にめしあづけられ、寛文3年7月20日ゆるさる。
とある。
- 133 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 20:56:55
- 素朴な疑問なんですが、制度として後宮を持っていた幕府は江戸幕府だけなんですかね?
鎌倉、室町にはそんな物なかったような気がするんですが。
- 134 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:23:40
- もしそんなに奥さんいたら毎日ハーハーできる。
いいなー。キャバクラ行かなくていいし。
- 135 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:30:26
- >>133
そうみたいだね。
ただ、江戸幕府以前にも有力大名も「奥」があり、江戸時代は
各藩に「奥」があった。「奥」は大名、「大奥」は幕府だけが
使えた名称。
ちなみに嫁のことを「奥様」「奥さん」と言うが大名の
妻や側室が「奥」に住んでいたのが語源らしい。
- 136 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 00:00:33
- どこらへんの階層から一夫一妻制になるんだろう?
有力者は大名はみんな一夫多妻だったのか?
- 137 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 12:28:11
- 正確には一夫一婦多妾だね
正室はひとりだけ
- 138 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 14:46:57
- 一夫一婦多妾なら今でも続いてはいる
ただそれがおおっぴらに出来なくなって表向きは恥ずかしい行為にされたのは
やはり西洋文明が流れてきた明治以降だろうな
- 139 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 00:05:16
- >>133
考えてみると江戸幕府は異常だな。家と政治が分離していない。
どちらかと言うと、京都の王朝に近い。
- 140 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 12:45:19
- 『大奥の犬将軍』 筆内幸子著 北国新聞社 を読んだ。
桂昌院の話だが、今まで聞いていたのとはぜんぜん違う。
*草むらでいきなり犯されたのが亮賢との出会いだった
*お万の部屋子だったが、子のできないお万に頼まれて家光と寝て
綱吉を生むが実は同じ頃亮賢と密通していて、本当の父親はどちらか
分からない
*兄の綱重が囲っていた女、お夕に手を出した(生まれた子が後の柳沢吉保)
それが元で綱重が狂人化
*桂昌院は亮賢が忠長の子ではないかと疑っている
えええええええ〜〜〜〜〜〜〜!!
て、この作者何者?
フィクションなのかも。
とっても混乱しているが、とりあえず
下巻へダイブ!
- 141 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 21:41:59
- 『大奥の犬将軍』 下巻
*柳沢吉保(文中では主に保明)は、順成院からそなたの本当の父は綱重であるから
綱吉を暗君に仕立て上げ将軍の座から引き摺り下ろせとの遺言をうける
*堀田正俊刺殺事件、生類憐れみの令の黒幕は吉保
*綱吉の世子徳松に青梅を食べさせて死なせたのは右衛門佐の差し金。桂昌院は
その仕返しに懐妊している右衛門佐に細工した脚立を差し向けて流産させる
こわいよ〜こわいよ〜
- 142 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 22:28:39
- >>139
江戸幕府も「表」と「奥」を公式には分けていて、原則的に
奥は政に口出すことは許されていなかったんだけど、どうしても
その辺の分別が出来なくなるわな。
中国の宦官の政治介入に通じる物がある。
- 143 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 12:22:03
- 将軍家が代替りとなって新しい将軍になるときに、
大奥女中も総入れ替えするのはなぜなんでしょうか?
お半下のみならず、御中臈などの身分の高い人も解雇されるのですか?
- 144 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 13:04:53
- >>143
将軍の手のついた人は尼さんになる。
総入れ替えが建前だが、実際には「これまで通り」と言い渡された人は留任
- 145 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 13:37:22
- 江戸幕府は大奥やら側用人や中国の王朝みたいな奴らがいるから嫌い
質実剛健の鎌倉幕府が良い
- 146 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 14:28:32
- >>144
その、建前でも「総入れ替え」をしなければならない理由はあるのですか?
その時代の将軍のための大奥(例:家光公のための大奥・・・など)が終わりを迎え
新しい将軍のための大奥を作り出さなければならないためですか?
- 147 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:20:39
-
奥付の役人は男の場合でも将軍が死ぬと総入れ替えが原則。
表の役人と違って、将軍個人の使用人という感じ。
奥医師でも奥六尺でも「これまで通り」がないと辞任。
(奥付でなくなるだけで、幕府からクビになるわけではない)
実際には留任も多い
- 148 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 08:58:10
- >>147
男の場合はともかく、女のほうは表では使えないから本当に解雇だな
女の留任組は「御残り人」というらしいぞ
『江戸奥女中物語』 畑尚子 講談社現代新書
- 149 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 10:53:10
- ほほう
- 150 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 10:18:19
- >>148
それ読んだよ。
資料のとり上げ方は面白かった。
ただ、氏家幹人みたいな文体で展開してるんだけど、
まだ書き方がこなれてなくて少し読みにくかったかな。
- 151 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:10:39
- ふうん
- 152 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 12:41:02
-
- 153 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:05:24
- 殉死・・・とまではいかなくても建て前上、操をたてる(たてさせる?)と言う形を取る。
- 154 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:18:31
- 将軍に対するフェラはご法度のようなキガス
万が一にも
将軍のナニを食いちぎろうものなら、御世継ぎ問題に発展する一大事
暗黙の作法かと
- 155 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:30:33
- 専用、もしくは一部の女性には歯を抜いた人もいるのでは?
- 156 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:47:54
- フェラなんて習慣は近代以前の日本にはないから
- 157 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 15:02:42
- 四十八手に「尺八」なるものがあると聞いた。
- 158 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 15:04:41
- 昔の身分の高い人のセックスはいきなり合体と聞いたが。
(潤滑油みたいなのは使ったかもしれんが)
まぁ、将軍様のセックスは公務の一環ですから。
- 159 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:27:11
- >>156
クンニしている艶本は、見たこと有るけどな
- 160 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 19:19:47
- 映画などでは、将軍は寝巻を着たままで全裸の側室とセックスしてるが、
あれは本当だったんだろうか?
- 161 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:40:13
- オンナだけ裸にするのは近代日本の異常性ゆえぢゃ。
- 162 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 00:52:16
- いや、サービスシーンのつもりなんじゃない?女が裸なのはw
- 163 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 09:37:35
- 倭人は淫らだなw
- 164 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 11:57:09
- オンナだけ裸にするのは近代日本の異常性ゆえぢゃ。
ヘテロセクシュアルの男どもの助平心に阿諛迎合した下司な作品群に過ぎぬ。
- 165 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:17:30
- じゃあ、江戸時代は男女とも着衣のままセックスしてたのか?
確かに春画には着衣のままの絵が多いが。
- 166 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 18:45:51
- いろいろ荷台所の人がその後どんな生活おくったかくらしく知りたいな!
- 167 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:40:11
- >>166
御台所のこと?
- 168 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 03:50:13
- そうそう!漢字間違ってましたね、ごめんなさい
- 169 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 20:28:29
- 大概の御台所は、夫に相手にされず床の間の飾り物扱いで
普通に寂しい半生を送ったと思われますが…
よく下劣な読み物にある将軍夫人の御乱行なんて
実際はあの厳格な奥向のシステムじゃ成り立つ訳がないしね
- 170 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:37:11
- 幸せかどうかってのは本人にしか分かり得ないが
端から見て幸せな御台所生活と思えるのは五十宮倫子くらいじゃない?
- 171 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:38:12
- その人はどんな人だったんですか?
- 172 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:21:00
- >>171
十代将軍家治夫人。
幼い頃に江戸に下向し、家治と結婚を前提に何年か交際し愛を育んでからのゴールイン、
しかも家治自身、朝から晩まで女色に耽っていた父家重とは違って真面目で実直な性格だったから
正室の倫子とはすごく仲が良かったんだよ。二人の娘も設けてる。
側室もいたにはいたが、正室との間には女子のみで世継ぎがいなく、
倫子や周りの勧めもあって仕方が無く持ったって感じみたいだし。
それだけじゃなく、側室の産んだ男子を倫子に養育させたり、
(まぁ嫡子を正室の育てさせるのは天英院以降の慣例なんだけど)
大奥の外に遊びに連れてってあげたりと、側室持った後も基本的には倫子一筋だったよう。
姑にあたる前将軍夫人比宮培子や生母お幸の方もすでに亡くなってたし、
側室との確執みたいなのもなかったから女の戦いは無縁だった。(そりゃ最大の後ろ盾が夫だし)
旦那に打ち捨てられ寂しい生涯を送った多くの御台所の中では珍しいケース。
- 173 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 11:01:02
- 禁裏の後宮−−−つまり奥−−−と表とを隔てる場所ないし門扉
(江戸城大奥で云えば、お錠口、お鈴口に相当する箇所)
は何と呼ばれて居たのでしょうか?
とくに江戸時代〜明治時代にかけて何か特別の名称がつけられて
居たのでしたら、教えて下さい。 よろしく。
- 174 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 21:26:11
- ドラマの大奥では、御台所は髪はお長下げで打ち掛を着ていることが多いけど、
御台所の大半が皇族出身ということを考えると小袿姿でおすべらかしっていうのが、
御台所の姿のように思う。天英院や家重の正室(名前忘れた)はガンとして
京風にこだわったという話もあるし。
お長下げは上臈の髪型だったようだ。ちなみに武家出身だった篤姫はおまた返しという
髪型だったらしい。
- 175 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:25:44
- >>174
そうだったらしいねぇ。
武家出身の茂姫(家斉夫人)、篤姫、
子供の頃から江戸に下向していて武家文化にも比較的順応を示した五十宮(家治夫人)、楽宮(家慶夫人)はあたりはともかく、
大奥を牛耳った飛鳥井、姉小路の主人、家綱正室浅宮顕子、
公家文化に理解を示し、側室も公家出身が多かった綱吉の正室鷹司信子、
実家から実父を呼び寄せ、女中たちに京風の礼儀作法を叩き込むほどの徹底振りを見せた天英院、
降嫁の意識が強く、日常用品にはすべて菊の紋が施されていたという家重正室の比宮培子、
言わずと知れた和宮あたりはおそらく御所スタイルだろうね。
- 176 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:36:41
- 記録はないの?
- 177 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 01:02:38
- 「和宮様御留」のなかに十三代将軍の二番目の正室一条秀子は小人だったってあるんです。
『ふすまの引き手ほどの背の高さで』
なんか資料ないですか?
- 178 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 06:43:15
- >>177
それ『天彰院篤姫』では?
- 179 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 10:57:36
- >>178
自分は『篤姫』読んだことないんですよ
自分で見つけちゃいました
150 :世界@名無史さん :04/07/20 15:34
上の方で出てたけど、徳川家定の継室 一条家の明君
立っても襖の取っ手に届かない程の低身長で、両足の長さがっていた。
本物の一条の姫ではなく、見せ物小屋から買った奇形の芸人という噂があった。
また一説によると、次の家茂の正室和宮は左手が手首から無かったとか、
足が不自由だったとか、さらにそれは替え玉とか、こちらも様々な説がある。
- 180 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:06:06
- 和宮の「左手首がなかった」説は増上(だっけ)の銅像に左手首から先が見えない
から流れたうわさだときいた。でも正式な女房装束では手が見えない(扇にそえるだけ)
が普通なのだからうわさはうわさである。という説も聞いた。
足が不自由だったというのは「家茂と庭に出るときぴょんと庭先におりた」という話しを勝海舟
がしていたので、これもうわさの粋を出ない。
あんまり変な事いうと有吉佐和子みたいに角田文衛センセイに叩かれちゃうぞw
- 181 :ワリコミヲトメ:2005/08/17(水) 02:42:18
- 180
足の件は定かじゃないけど、左手首から先は『骨は語る 徳川将軍・大名家の人々/著:鈴木尚』の巻末にちょっと書かれてるよ。
『和宮の遺骨には、刃の跡その他の病変部は認められなかった。ただ不思議にも左手首から先の手骨は遂に発見されなかった。』だそーです。
でも『和宮の左手が、幼少の頃からなかったとは考えられない』ってあるから…何らかの事件セイ(字度忘れ)が考えられるかも。
ワリコミスマソ(・ω・)ノシ
- 182 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 07:02:07
- >>179
明君を斡旋した姉小路の失脚の一因になったとも言われているね。
- 183 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 11:55:55
- 一条秀子が奇形の小人だったという記述は
吉屋信子の続・徳川の夫人たちにも書かれていますね
身長三尺弱で駕籠の上にやっと頭が出る程度だったとか
- 184 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:12:05
- 「箱入りの京人形連れて来て 一丈(一条)あるとは 無理な姉さま(姉小路)」
という落首が読まれたり、
歌川国芳が有君の背の低さを皮肉った浮世絵を描いているから、
真偽はともかく、少なくとも一条秀子の小人説は町人の間で実しやかに囁かれていたよう。
島津の篤君が輿入れしてきた際、
家定は彼女の(当時の女性としては)大柄な身体に驚愕して首を横に振りながら喚いたというから、
前夫人秀子とのあまりにもの体格差に驚いたのかもしれん。
てか寛永寺に秀子の墓があったと思うが、遺骨は残ってないのか?
増上寺のように発掘調査できなかったのだろうか。
- 185 :184訂正:2005/08/17(水) 23:14:58
- >>184
国芳が皮肉ったのは有君じゃなくて、明君(秀子)ね。
有君は第一夫人の天親院の事だったね。
- 186 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:31:42
- >>184
増上寺の発掘調査は、墓地移転のついでにやった物だから
寛永寺はやらんでしょ。
- 187 :177・179:2005/08/19(金) 19:54:22
- いろいろありがとうございます。
『徳川十五代将軍のカルテ』というのを読んで、ちょっと興味を持ったので。
今度『続・徳川の夫人たち』読んでみます。
- 188 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 00:48:29
- 家光側室お万の方が主人公の「徳川の夫人たち」も面白いよ。
「続・〜」は駆け足で代々の大奥を書いてる感じで、少し忙しくはあるかも。
- 189 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:25:16
- 『徳川の夫人たち』の、単行本の挿絵が、好きだった。文庫本では、省略されているが。
同じ吉屋信子の著作で、『徳川秀忠の妻』を、読んだ人は、いないのかな。
『徳川の夫人たち』(正・続)よりも、あとの著作だけど、
単行本だけで、とうとう文庫化されなかったのかな、今は絶版。
- 190 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 14:03:11
- >>189
『徳川の夫人たち』と『徳川秀忠の妻』、挿絵を書いてたのは同じ人ですか?
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