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元弘の乱〜建武の親政〜南北朝合一まで

1 :日本@名無史さん:04/12/07 21:26:22
この時代って全然人気ないけどなんで?戦前の影響?もともとこの時代ってつまんないの?

2 :日本@名無史さん:04/12/07 22:36:54
2げっと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!

3 :日本@名無史さん:04/12/08 02:03:39
3GET

4 :日本@名無史さん:04/12/08 18:43:26
4様

5 :日本@名無史さん:04/12/09 01:27:07
吉川英治の私本太平記読んだけどいまいちだった
ライバルの楠木が早めになくなるから焦点がぼやけちゃってるんだろうな

南北朝はにらみあいでもりあがりに欠けるしね

6 :日本@名無史さん:04/12/09 21:40:30
太平記の原文は面白いぞ。
俺は現代語訳でしか読んだことないけど。

7 :日本@名無史さん:04/12/09 21:50:58
北方謙三の一連の本のほうが良いぞ
南朝アゲ

8 :日本@名無史さん:04/12/11 15:31:01
age


9 :日本@名無史さん:04/12/11 15:31:53


10 :日本@名無史さん:04/12/11 16:10:19
>>5
楠木のライバルって名和?

11 :5:04/12/11 20:17:24
楠木のライバルでなくてライバルの楠木
当然主役=足利尊氏 ライバル=楠木



12 :日本@名無史さん:04/12/11 20:22:51
やっぱ新田義貞でしょ。馬鹿扱いされてるけど名将だと思ふ。
新田次郎さんの小説は面白かった。
贔屓の引き倒しの感もあったけどね。

13 :日本@名無史さん:04/12/12 00:03:38
>>11
足利と楠木は格が違いすぎて全然ライバルになんか成り得ないよ。
足利のライバルになりうるのは新田だけ。
足利は倒幕時から新田軍に息子を押し込んだり、鎌倉から早々においだしたりと新田潰しをしている。鎌倉で挙兵したときも朝敵として新田を名指ししている。
楠木なんてアウトオブ眼中。
当時は家格や血統が人望と直結していたから楠木が泣こうが叫ぼうが手勢は一族しか集まらない。血筋がいい足利や新田が一声かければ数多の武士が参集する。当時将軍になり得る武士は足利か新田ぐらいしかいなかったからな。
北畠の言うことに従ったのも血筋のため。得宗被官が零落して悪党に成り下がった楠木なんかの言うことは誰も聞かない。
新田の戦死後、宮方の勢力ががた落ちした事実がこれらのことを証明している。

14 :日本@名無史さん:04/12/12 00:49:36
後醍醐も尊氏牽制のために義貞を無位無官から一気に官位を引き上げたし、尊氏離反後は左中将まで昇進させて肩入れしている

15 :日本@名無史さん:04/12/12 01:38:28
この時代の一番の英雄は誰?候補としては後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成、北畠親房、新田義貞、北畠顕家、楠木正行、菊池武時、児島高徳くらいか?もっといたら教えて。漏れは護良親王が最大級の英雄だと思ふ。

16 :日本@名無史さん:04/12/12 01:42:48
佐々木同夜

17 :5=11:04/12/12 04:26:49
>>13
私は吉川太平記の内容を踏まえてレスしたよ
歴史的事実ではなく

吉川太平記はつまらんかった→ライバル誰?で
(吉川版では)楠木だったよと返したまで

楠木が一地方の豪族で名門足利家に比肩しうるはずもないのはここにくる
人であればわかりきっていること

私本太平記を読めばわかるが吉川英治は新田をあまり重く扱ってなかった
私に突っかかるならこの本の内容を踏まえてしてね


18 :5=11:04/12/12 04:37:17
11に当然が入ってたからいけんかったのかな

あと戦前の天皇崇拝による楠木持ち上げと江戸時代の演義物の影響から
この時代の代表的名前として尊氏と正成が両巨頭でしょう
(ただ有名だという話でしかないが)

>>15
一番ではないがこの中に足利直義も入れてもいいんじゃないだろうか


19 :日本@名無史さん:04/12/12 08:12:31
>>18
江戸時代の演技物っていうと、太平記読みとか日本外史みたいなやつか?
あれらは正成を持ち上げるあまり、義貞を馬鹿扱いし過ぎているけどな。
三国志でいえば、諸葛亮孔明を美化するため周瑜を1ランク落ちる人物として描くようなもの。
まあ、物語なんてそういうものといえばそれまでだが、
意外に著名な学者や作家までがその図式をそっくりそのまま受け入れて人物論を書いたするのは
正直何とかしてほしい。

20 :日本@名無史さん:04/12/12 08:59:11
>>13
足利と新田も相当格差があったと思うよ。
新田義貞の鎌倉攻めは足利尊氏の軍勢催促に支えられていたという説もあるしな。

21 :日本@名無史さん:04/12/12 20:23:26
足利と新田では、幕府最末期の差がありすぎだね。
高氏が一手の総大将だったのに対し、義貞は動員数せいぜい二百の小物。
これでものちに互角の戦いしてるんだから、
義貞の能力は捨てたもんではないと思うよ。

22 :日本@名無史さん:04/12/12 20:32:17
政治家としての能力と軍人としての能力とは別物だけどね。
新田義貞は軍人ではあっても政治家ではなかった。

23 :日本@名無史さん:04/12/12 20:39:09
>>20
それはどうかな?
足利尊氏が軍勢催促状を各地に発したのは丹波に入ってから。
つまり六波羅攻め直前。
新田義貞の旗揚げは確か六波羅が陥落した日だったか、その前日。
催促状が関東の豪族まで行き渡る時間的余裕は無いと思う。

24 :日本@名無史さん:04/12/12 21:02:56
>>23
丹波に入る以前から足利尊氏はこっそり反得宗政権の方向で根回しをはじめてますが・・・


25 :日本@名無史さん:04/12/13 01:20:24
>24
反得宗政権の方向で根回し?
まあ、それなりの根拠があって言ってるんだろうけど、
じゃあ尊氏は、いつから、どのような根回しを、
どこの誰々に対して始めていたのかを教えてくれ。

26 :日本@名無史さん:04/12/13 13:33:41
高氏の催促というより、足利千寿王の加勢が新田を後押ししたと考えられる。

27 :日本@名無史さん:04/12/15 08:32:33
>>22
尊氏も決して優秀な政治家だったとはいえないけどね。
門地のよさから立場上人の上に立っただけで、
政治家として決断すべき時に出来ない弱さは、ちょっと現代日本の総理大臣にも通じる。
直義、師直を御し切れず対立させてしまうあたりにもそれが顕著に出ているな。

28 :日本@名無史さん:04/12/15 10:51:36
尊氏がイマイチな時が多いのは、それは鬱の状態だったから。
倒幕時は躁だったんだって。
もしも躁鬱病でなかったら、よい為政者であったのかもしれん。

29 :日本@名無史さん:04/12/15 14:40:30
>>28
躁鬱云々てのは尊氏の気質を例える時によく使われるけど、
どう考えてもホンマモンの病気じゃないだろ。
本当の躁鬱病だったらそもそも政治なんて無理だし
ましてや戦場になんかとても出られない。

30 :日本@名無史さん:04/12/15 17:27:00
1に戻ってなぜ人気ないかを考えると
ここまでに出ているように登場人物が小粒で無名だからなのが一因だろうか

無名だから人気ないのか人気ないから無名なのかはどっちともいえないだろうがね

31 :日本@名無史さん:04/12/15 21:22:37
太平記の原文でも、尊氏の死後は主人公がいなくなって焦点がぼやけますな。
また京都、関東と舞台がばらばらで筋が見えないことも、
読む人に展開をわからなくさせ離れさせる原因かも。
戦国時代だって信長登場までは興味持たない人多いし。

32 :日本@名無史さん:04/12/16 04:15:29
>>30
>登場人物が小粒で無名
誰と比較して言ってるんだ?
楠木正成なんてある時代まで最も日本人に好まれた英雄だろ。
他にも後醍醐、護良、義貞、尊氏、師直、直義、道誉、高時などキャラの立った人物ばかり。
しかも太平記は戦国〜江戸時代の武士が最も愛読していた軍記物の一つで、
江戸の庶民も太平記読みなどの講談で熱狂した。
現代では、そりゃ戦国や幕末に比べれば馴染みは薄いかもしれんが、小説の題材として結構取り上げられているし
人気が無いとまでは言えんだろう。

33 :日本@名無史さん:04/12/16 07:59:24
やはり明治時代に南朝が正統で北朝は偽と決めたからだろう。
偽天皇の子孫が自分の先祖を偽物としたんじゃね・・・

34 :日本@名無史さん:04/12/16 09:13:09
鎌倉の稲村ヶ崎は神奈川百景に選ばれてるだけあっていい眺め。
というか鎌倉自体がいいね。さすが文教族の多い高級住宅街。


35 :30:04/12/16 16:03:21
>>32
ある時代まで そのとおりある時代まではみんな有名だったんだよね
江戸時代の講談→真田十勇士で現代で佐助や根津甚八が十勇士だったこと
なんて現代人の何割が知っているでしょう
それらと同様現代では無名だと結論付けしました

この時代のことが詳しい我々にはキャラが立っていることは有名なんだろうけどねえ
比較したのは個人個人の誰某ではなく時代として比べました

36 :30:04/12/16 16:16:40
比較する時代としては論題の時代を含め4つあると思います

平安末期〜鎌倉幕府成立前後←鎌倉
鎌倉末期〜建武の新政〜室町・南北朝←室町
戦国末期〜安土桃山〜江戸幕府成立前後←江戸
江戸幕府末期〜明治初期←幕末

鎌倉以前は比較対象として扱わなくても問題ないでしょう

37 :30:04/12/16 16:59:52
平安末期〜鎌倉幕府成立前後

天皇中心の貴族社会から将軍中心の武家社会へ(朝廷から幕府へ)一大転換
牛若丸と弁慶の五条大橋 壇ノ浦 安徳天皇と徳子入水
平泉義経絶命など絵になる名場面多数

真偽のほどはべつにして見出し・タイトルになりやすい言葉が探しやすいですね
ほかにも源平合戦とか

38 :30:04/12/16 17:02:56
鎌倉末期〜建武の新政〜室町・南北朝

幕府から幕府へ 易姓革命にすぎない
最終的に勝利者がいない 32の人物すべてが勝者とはいえないでしょう
見出し的には建武の新政と南北朝が有名でしょうか
南北朝はまた複雑でわかりにくいしね

39 :30:04/12/16 17:09:04
戦国末期〜安土桃山〜江戸幕府成立前後

大分裂期から統一へ
キラ星のごとく群雄割拠の多数の英雄や信長・秀吉・家康と勝者がいる
まあ時代が近いせいもあるが有名人は多いですね


40 :30:04/12/16 17:14:04
江戸幕府末期〜明治初期

武家社会から天皇中心の近代国家へ
身近で資料も多く親しみがあり、現代と比べて地続き感がある
登場人物は他時代とくらべると小粒かもしれないが最も近い時代のため
歴史的理解がしやすい・理解者が多い

41 :30:04/12/16 17:20:03
勝手な比較ですが室町期は他時代に比べて見出しにしにくい感じがします
南北朝など複雑すぎて理解しにくいですしね(一般的な話としてね)

端的にいって他の3つの時代に比べ 売り が少ないのは事実でしょう
人気がない原因を探すためにわざと室町期を貶めている感もぬぐえないですが
大河ドラマなどに使いにくい時代なのは確か
有名な故地も少ないのも一因でしょう

42 :日本@名無史さん:04/12/17 21:00:16
菊池武光なんて、ドラマ化したら面白そうだな。

43 :日本@名無史さん:04/12/17 21:29:44
赤松円心則村と白旗城を観光地にしよう。
もっと有名になっててもいい人間だと思う。

44 :日本@名無史さん:04/12/18 01:31:56
>>15
菊池武光公もだろ

45 :日本@名無史さん:04/12/18 01:52:48
結論。
この時代の最も偉大なる人物は、結崎座の観世。
つまり清次。つまり観阿弥。

次席は検校明石覚一。


46 :日本@名無史さん:04/12/20 04:39:38
>>15
新田義興公の御名が無いぞ。
近所に公をお祀りした神社があるが、
こんなうらぶれた町中に、なぜこんな威厳のある神社が!?と驚くほどイイ雰囲気だ。
特に夕方はちょっと鬼気迫るものがあるな。

47 :日本@名無史さん:04/12/22 04:22:38
>>34
現在の稲村ヶ崎は道路による景観&史跡破壊の顕著な例

48 :日本@名無史さん:04/12/29 04:55:16
後醍醐天皇はどこでも糞味噌に言われているな。
再評価の動きは無いものだろうか?

49 :日本@名無史さん:04/12/29 05:10:38
>>48
どう贔屓目に見ても我利我欲の暗君だろ。

50 :日本@名無史さん:04/12/29 06:03:22
从 /し" /ガガガガッ!!!
 :   ,;'"<(( ̄_─_( ̄= ─_    ∧∧ ォワタタタタタ
  "` ∵:,.`と ( ==-_ _( ̄─    と(∀・ )つ
    ;:" ゙、 .;。 | ( ̄_  ̄     ̄─    r
    :,:` ゚:`* =-(__- ̄_(─ -_´─   __  )〜
  ,:,,.´';`´゚ `´   (二-_  ̄─  ̄  (_/
::`;,、.`´/ /W ヽ\ ←>>逝ってよし!




51 :日本@名無史さん:05/01/05 03:12:20
>>49
そうでもない。後醍醐天皇の朝廷に対する「構造改革」は
沈滞していた公家政治に明らかに新風を吹き込むものだった。
既得権益を手放したがらず、現状意地を希望した公家が猛反発したので
改革は失敗に終わったが、結局その既得権さえ武家の勃興で失うはめになるわけで
その意味では、公家たちこそ先の読めない間抜けだった。

52 :日本@名無史さん:05/01/05 05:47:47
そういや新貨幣発行なんかもしてるな、兼務の申請。

53 :日本@名無史さん:05/01/05 06:01:29
先の読めない間抜け=坊門清忠か?

評価はともかく歴代天皇中もっともインパクトはあるかと。

54 :日本@名無史さん:05/01/05 06:29:50
疑問なんだが元弘の変と元弘の乱は違うのか?教えてくれ。

55 :日本@名無史さん:05/01/13 20:23:51
>51
理想はともかく、実務能力ゼロだった。
同一の土地を異なる者に安堵しちゃったりとか不手際連発。

56 :日本@名無史さん:05/01/13 21:49:40
>>52
ネッシー、イエティー、ツチノコ、乾坤通宝、

この辺はみんな似たようなもの。

57 :重複です:05/01/18 22:34:49
太平記について熱く語るスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1059646052/l50

58 :日本@名無史さん:05/01/23 07:21:15
>>51
当時の朝廷は何ごとも「家」が独占していたからね。
朝廷の役職も世襲なら、国司までが世襲で
半分その家の荘園みたいなものだったから
後醍醐天皇ならずとも、気骨のある天皇なら何とかしたくなるのは当然だよ。

59 :日本@名無史さん:05/01/23 20:30:42
>>51
>>58
実は北畠親房などはその抵抗勢力の代表格の様な奴で「神皇正統記」は>>51さんが指摘された見識があちこちで見られる。

60 :日本@名無史さん:05/01/31 01:35:24
>>59
でもどうなんだろう?
実際には協力することにをなったわけでしょ(そこはまぁ、政治の世界だからね)。
親房のイデオロギーというのは、ある意味後醍醐天皇以上に特殊で
非現実的な気はするな。


61 :日本@名無史さん:05/01/31 17:14:30
>>60
小泉改革に反対だと言いながら自民党を出ない政治家もいるからな…。

62 :日本@名無史さん:05/02/01 05:14:15
親房は南朝の軍事的支柱だったと聞くけどどうなんだ?
正平一統後の京都、鎌倉同時奪還は親房の発案だったと聞くが。

63 :日本@名無史さん:05/02/03 12:18:32
>>60
後醍醐天皇…醍醐・村上両帝の政治が理想、家柄よりも実務重視
北畠親房…藤原道長・頼通の藤原摂関家と村上源氏の協調政治が理想、政治は「貴族の責務」(英語で言うところの「ノーブルズなんとか」という奴、英語は詳しくないのですまん)

64 :日本@名無史さん:05/02/03 12:38:22
ノブレスオブリージュのことか?

65 :日本@名無史さん:05/02/03 14:15:28
後醍醐天皇も北畠親房もどちらも理想だけで、実務能力が追いつかなかったから混乱したんだろうね。
その理想も当時の要請にあってなかったし。

66 :63:05/02/04 12:34:16
>>64
それです、ありがとうございます。


67 :日本@名無史さん:05/02/07 16:48:55
ひとつ質問なのですが、
後村上天皇の子供に、女の子は存在しているのでしょうか?
男の子が2人いる事は判明したのですが…。

もし知ってらっしゃる方がおられましたらご教示くださいませ。

68 :日本@名無史さん:05/02/09 22:20:04
吉川・北方・山岡
ほかにおすすめの小説はありませんか?
ちなみに,おいらは北方>山岡>吉川でした

69 :日本@名無史さん:05/02/24 03:25:21
>>68
やっぱり太平記あたりがイイと思います。
リアルな躍動感が一品です。

70 :日本@名無史さん:05/02/25 01:52:29
>>68
北方のは歴史に題材だけ借りた似而非ハードボイルド小説。
文章下手だし考証ダメダメで、ゴルゴ13でも読んでいる方が100倍マシ。

71 :日本@名無史さん:05/02/25 03:53:56
南朝もの以外は無いのかね、道誉くらいか?

72 :日本@名無史さん:05/02/25 21:05:24
須佐之男命との関係は?>南朝

73 :日本@名無史さん:05/02/25 21:55:47
足利尊氏


74 :日本@名無史さん:05/03/08 21:40:40
尊氏も相当な田楽好き
実は高時とは話があったかも

75 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 18:18:38
直義は田楽嫌い
この兄弟は同じDNAがあるとは思えないほど正反対

76 :日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:11:15
足利は北条との血縁関係が深いから、尊氏は高時と話あったかもしれない。
足利兄弟の母方の従兄弟で、関東管領になった上杉憲顕は直義タイプの堅物みたいだから
直義は母方の気質を継いだのかも。
義詮の弟の基氏も田楽嫌いだったはず。これは直義の影響もあるらしいが。


77 :日本@名無史さん:2005/03/29(火) 17:11:06
森村誠一の太平記,やっと揃ったね。
思わず全館一気買いしてしまった

78 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 04:48:03
>75
兄弟の性格が正反対というのは現代でも時々見かけることで
DNAどうのという話じゃない、とマジレス

79 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 21:26:44
神護寺の平重盛像(伝)だが、尊氏の木像に顔が似ているな。
特にたれ目なところと、いかにもぼーっとしたところが。

80 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 18:45:30
すると、伝頼朝像はやっぱり直義なのか?

81 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 21:12:10
直義の肖像画や木像とかいうのがなにか残ってないのかな。

82 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 00:10:48
>>67

亀ですが。
北畠親房の娘・顕子との間に娘がいたはず。


83 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 02:36:00
以前尊氏だと言われていたおかっぱ頭は、今では師直じゃね?とか言われているし‥‥。
肖像画って、「この人はどこの誰誰です」なんてこと、どこにも書かれていないものなのか?

84 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 01:43:33
そういえば直義の墓ってどこにあるんだ?
やっぱり死んだ鎌倉か?

85 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 19:18:04
>>84
http://www.ksky.ne.jp/~atrbdg/siseki/tadayosi.htm

86 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 20:47:40
雑誌のスレにも書いたのですが新人物往来社の『歴史研究』の168号と169号に載ってる三浦孝太郎氏の高一族に関する論文が見たいのですが、どこかの図書館にないですか?

検索しても該当しません。

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