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【石田】 関ヶ原の戦い 五 【三成】

1 :日本@名無史さん:04/12/13 19:51:14
過去スレ
http://academy.2ch.net/history/kako/1029/10297/1029702262.html  (消失)

【石田】 関ヶ原の戦い 弐 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043182426/

【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1056815897/

【石田】 関ヶ原の戦い W 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1084261407/



2 :日本@名無史さん:04/12/13 19:52:45
新スレたてました

3 :日本@名無史さん:04/12/13 20:24:42
監督・脚本・演出・主演。ま、すべて家康のシナリオ通りに
進行し、見事フィナーレを迎えた、希有な戦争芸術だな。

4 :日本@名無史さん:04/12/13 23:31:52
>>1
乙あげ

5 :日本@名無史さん:04/12/13 23:41:01
>>1

【石田】関ヶ原の戦い【三成】
http://web.archive.org/web/20040123193649/http://academy.2ch.net/history/kako/1029/10297/1029702262.html



6 :日本@名無史さん:04/12/14 00:50:03
>>5
ありがとう!元スレはそこにあったのか♪

7 :日本@名無史さん:04/12/14 03:29:53
俺も今、関が原に向かってる

8 :日本@名無史さん:04/12/14 03:37:02
test

9 :日本@名無史さん:04/12/14 04:51:19

【韓国】「大麻の合法化を」文化人が立ち上がる ソウルで公開討論会開催 [12/13]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1102944916/

10 :日本@名無史さん:04/12/14 22:00:11
>>3
権現様史観、乙。

11 :日本@名無史さん:04/12/14 23:31:16
あげ

12 :日本@名無史さん:04/12/18 10:20:05
hozyu

13 :金吾秀秋:04/12/21 02:45:44
風邪なおったよ(´・ω・`)

14 :日本@名無史さん:04/12/23 11:52:20
よかったね。僕はまだ風邪ひき。

15 :日本@名無史さん:04/12/27 14:10:14
大野治長のバカヤロウ!
関ヶ原のときに、なんで東軍で宇喜多隊を攻めたのか?


16 :日本@名無史さん:04/12/27 14:44:11
大野よりも小早川の裏切りと毛利一族の日和見が全ての元凶

17 :日本@名無史さん:04/12/27 20:25:26
Q:関が原で一番多く首級を上げたのは?
A:福島隊の可児才蔵で27個
あまり多いので、とりあえず殺して口に笹の葉を差し込んで目印にした
あとでゆっくり首を落とした

18 :日本@名無史さん :04/12/27 22:02:46
>>15
淀君・家康内通説というのがある。
その中身は、仮に関ヶ原で西軍が負けても淀君と秀頼の責任はいっさい
問わない代わりに、毛利輝元を大坂城に足止めしておくというもので、
実際そうなっている。
また、本来なら西軍の諸将は関ヶ原で敗北しても、難攻不落の
大坂城に落ちのびて徹底抗戦することだってできたはずだし、
そうなれば家康にとっては不利になり、勝利したからといって
うかうかしてられなかったはずだ。
にもかかわらず、勝利後の家康の行動はのんびりしすぎている。
また島津義弘ら西軍の有力武将が大坂へ落ち延びた際、大坂城への
入城を打診したが、淀君はこれを黙殺しているなど不可解な点も多く、
淀君・家康内通説もまんざら根拠のないものでもなさそうだ。




19 :金吾秀秋:05/01/01 07:44:05
まったく大野も淀君もひきょうなやつだなぁ(´・ω・`)

20 :日本@名無史さん:05/01/01 20:15:41
>>19
おまいの次にな。(w

21 :金吾秀秋:05/01/02 18:42:46
この輝ける勝者の漏れ様を祝福してくれているようないい正月だな(´・ω・`)

22 :日本@名無史さん:05/01/02 18:50:08
戦わないで逃げた島津隊も卑怯なり!

23 :日本@名無史さん:05/01/02 22:16:32
>>22
2番手として準備させられたのが、
その前に三成軍初めとする本体が崩れたから
孤立して逃げるしかなかった
と言うだけの話じゃないのか?

24 :日本@名無史さん:05/01/03 00:32:41
>>23
島津が二番手だと書いてある文献には、
三番手は宇喜多隊と書いてあるそうですが、
三番手が戦っているのに戦わない二番手っておかしくないですかね?

25 :金吾秀秋:05/01/12 03:25:49
外はさむいね。
ホットカルピスおいしいよ(´・ω・`)

26 :日本@名無史さん:05/01/12 07:38:43
>>25
まったりしてないで、さっさと山を下れ。

27 :日本@名無史さん:05/01/12 22:09:59
真田太平記には真田親子のどちらかが関が原にいたら家康の命が無かった
ようなこと書いてあるけどそんな可能性あったの?
などと余談はともかく
関が原で西軍が勝ったら上杉、毛利などただでさえ領地が大きいところに更に石高増やしたら
もはや謀反を起こさせられて豊臣の天下崩壊するのも結局時間の問題じゃない?

28 :七誌:05/01/12 22:25:33
>>27しょうがないんじゃない。あの豊臣じゃ、未来より現状維持
を考えることしかできなかったんだから。元から、豊臣には譜代が
いないから危うい。

29 :日本@名無史さん:05/01/12 22:29:22
>>27
大局に影響なし。連れて行く兵隊も少ないし、大名としての序列も
低いから大谷あたりの与力として活動するくらいが関の山。

30 :日本@名無史さん:05/01/12 22:30:59
>>25
金吾かわいいな

31 :日本@名無史さん:05/01/12 22:32:36
もし、この時代まで
秀長が生きていたのなら
家康といえども、そうやすやすと
戦いには勝てなかったろうし、戦えなかった
んじゃないかな


32 :七誌:05/01/12 22:33:35
>>30ホットカルピスってとこと顔文字がな、なんとも言えん。

33 :七誌:05/01/12 22:35:24
>>31よく考えられるIFだな、秀長がいれば、朝鮮出兵止められて
豊臣家も兵力温存したのにな。

34 :日本@名無史さん:05/01/12 22:40:08
>>32
しかも秀秋が言うってところがかわいいね。
>>33
いくら秀長でも発狂した秀吉を止められたのかな?
それとも秀長が死んでなかったら秀吉は狂わなかった?

35 :日本@名無史さん:05/01/12 22:42:43
>>34
まぁ、狂わなかった保障はないけど
ただ、後継者問題で頭を悩ます必要のなかった
ことは確かだな
その分の負担がなくなるというのは、秀吉にとって
どれだけ精神的に楽になったかは測りしれないし
もしかしたら、ああまで狂わなかったかもしれない


36 :七誌:05/01/12 22:43:31
>>34微妙だな、あの禿鼠じゃ、秀長を自害にさせる可能性も一応はあるか。
鶴松っちゃんが死んだのも大きいからな。

37 :日本@名無史さん:05/01/12 22:46:57
秀長のほうが他大名からの信頼がありそうだから暗殺されたかも

38 :七誌:05/01/12 22:48:01
やっぱり、IFの話はやめよう!!時間と体力と妄想力を使うから。

39 :日本@名無史さん:05/01/13 21:27:41
>>27
室町幕府のような形で、以外に長く続いたかもしれん。

40 :日本@名無史さん:05/01/14 00:56:29
毛利は領地はでかくとも天下は狙えないだよ

41 :日本@名無史さん:05/01/14 14:30:02

吉川広家の心情とかけて
「カイジ」の鉄骨綱渡りととく
その心は「俺は戦いたくない(押したくない)。」



42 :日本@名無史さん:05/01/14 21:02:23
高松城水攻めのときの、毛利軍の陣の配置を見ると
吉川が先陣、小早川が後方だな
関が原でもおそらく同じ配置だろう
吉川が動かないと、その他の軍勢は動けないという軍律でも
毛利にはあったのかな
金吾は小早川の養子だが、毛利との連携はどのくらいだったか?
金吾が動かず、東西両軍が疲れ果てたところを毛利軍が襲い掛かる
毛利の天下取りの作戦も金吾の早や動きで不発に終わった
大阪城は毛利軍が占拠、毛利大将軍の夢も破れたり
すべて、金吾のビビリが原因

43 :日本@名無史さん:05/01/14 21:22:17
小早川はもう連携はなかったのじゃないだろうか?隆景時代の家臣は
引退後三原についていっているし、家老級は大半は秀吉がつけた者だか
ら。
朝鮮、関が原ともに毛利と行動していない。元就がやったように乗っ取られ
たと考えていたのかもしれない。
長束が戦闘したという記録も残っているけれど真実はどうなのだろう。

44 :於義丸:05/01/14 21:33:53
小早川家は可愛そうだな。毛利家に乗っ取られ、豊臣家に乗っ取られ
あげくの果てには、断絶!!

45 :日本@名無史さん:05/01/14 21:47:34
>>44
逆だな。
乗っ取られたから家名が存続し有名になった。
もしそうでなかったら、無名のまま滅亡していた。

46 :日本@名無史さん:05/01/14 21:52:40
毛利に乗っ取られなかったら長州藩士として残った希ガス。
小早川の子孫が足守藩かどこかで残っていると別板で読んだ記憶が
あるのですが本当でしょうか?

47 :於義丸:05/01/14 21:56:30
たしかに、あのまま乗っ取られなかったら、無名のまま滅亡か。
元は、小早川氏は、土肥実平の子孫か。

48 :日本@名無史さん:05/01/14 22:39:08
広島県では、土肥を「とひ」と呼ぶ。
毛利に、養子を押しつけられた、天野氏の家臣にも土肥氏があるが、
多くの土豪がそうであるよう、あるじと別れの杯をかわし、山口県に
移住せず、安芸国に残った。養子でない血流は安芸国(広島県)に
多く残っている。

49 :日本@名無史さん:05/01/14 23:34:34
>>42
鋭い指摘です。
小早川家は代々智将であり勇将ではなかった。安芸国人の中でも
瀬戸内水軍の多い弱兵で、吉川家は応仁の乱での武勲、活躍で経基以降
「鬼吉川」とも呼ばれ、(駿河期も関東武士から吉香と恐れられたが)
「鬼平賀」と並ぶ安芸国屈指の強兵で、勇将の誉れ高い。

それ故に毛利元就は、元春を吉川氏に、隆景を小早川へ養子に出した。
加藤清正も朝鮮の役おいて、吉川広家の勇猛なる救援に感謝している。
秀吉が中国征伐で一目置いた吉川(秀吉嫌い)を、家康が懐柔したとも
いえる。

50 :日本@名無史さん:05/01/15 01:23:41
小早川秀秋は常勝の不敗神話を持っているのでは?

51 :日本@名無史さん:05/01/15 02:13:34
>>50
秀秋は、朝鮮の役で秀吉から軽卒な態度について責められ、
筑前33万石を召し上げられ、越前北之庄15万石に減封されたが
ちょうど秀吉が亡くなったので、筑前にとどまったのだが。

52 :日本@名無史さん:05/01/15 02:33:27
>>51
それの背景は、
小早川秀秋の名声を恐れた豊臣秀吉が石田三成に頼んで陥れたんですよ。
豊臣秀次の切腹の時と同じ様に金吾が邪魔になってきましたからね。

53 :日本@名無史さん:05/01/15 03:04:02
>>52
疑問として、秀秋が朝鮮の役において立てた武勲はあるのか?
秀吉ほどの名将が、そのような感情に左右されるのか?
秀次も小牧長久手において、将として余り評価出来ないが。

54 :日本@名無史さん:05/01/15 03:25:31
>>53
唐入は特に調べていないので詳細は誰かに任せますが、
小早川秀秋の具体的な失態を聞いたことがない。
それに不敗神話を突き崩すような大敗も聞いたことがない。

秀吉は晩年、感情に左右されまくっているように見えるが私だけかな〜?

秀次は紀伊・四国征伐で汚名を返上していますし、
小田原城包囲(天下統一)にも参加しています。
九戸の乱も手際よく鎮圧を成功させています。
これらを評価してくれませんか?
ダメなら諦めます。

55 :日本@名無史さん:05/01/15 06:49:14
尉山救援?

56 :日本@名無史さん:05/01/15 08:38:33
>>54
秀秋は>>55かな。匹夫の勇で、上に立つものとしてふさわしくないとか。

秀次は、やっぱり小牧長久手。負けたことより、恒興・長可その後平気な顔で次の
武将よこしてくれと言った(と伝えられてる)のが人としてどーよと言う感じではある。

が、それほどの失態じゃないよなー。
やっぱり秀吉晩年はぼけ始めてたんかね。
秀秋は若すぎてよくわからんが、秀次は武勲もあるし、公家との関係もいいし、
大名に恩売ってるし、内政だってそれなりでそ。

秀次がそのまま関白で秀吉の後継いでいたら、徳川幕府はなかったかも知れない。

57 :日本@名無史さん:05/01/15 10:36:51
>>56
小早川秀秋が国を治める器があるかないかは、
私も無いと思いますよ。(若過ぎますからね。)

豊臣秀次は尾張派(北政所)ですからね〜。
石田三成の近江派(淀君)とは仲が悪そう。
最上家と上杉家も仲悪いし。

たぶん、豊臣家の内紛は起こるでしょうね。

58 :於義丸:05/01/15 12:16:48
ですよね。秀吉が感情に左右されなければ。
小早川秀秋って以外に勇将だったのか?

59 :没個性化されたレス↓:05/01/15 12:23:20
>>56
秀次切腹の際、側室なんかも惨殺されてるよね。
いくら秀頼がかわいいからって普通そこまでするか?
また秀吉がボケたとか言われてるが、それも疑問だ。実際秀次の父は
死を免れてるし、
秀頼に対する脅威というのであれば秀秋、(宇喜多)秀家も同様だが
彼らは別に何もされてない(秀秋は小早川の養子に出されたが)。
秀頼が生まれたからといっても、例えば秀次の娘と秀頼を婚約さすなど、
秀次の面子を潰さない形での円満な解決策はあるし(かえって
豊臣家の基盤は強化される)、秀吉もはじめはそのように考えていた
だろう。
前にどこかで読んだのだが、秀頼が生まれた際秀次が、あれは秀吉の
子ではないと諸大名に言いふらしてたという。もちろん、関白職を
失いたくないという気持ちもあっただろうが、ほんの軽い気持ちで
言ってたのだろう。ところがそのことがたまたま秀吉の耳に入り、
彼のプライドを大いに傷つけ、結果あのような凶行に
及んだのではなかろうか?



60 :日本@名無史さん:05/01/15 13:41:28
>>57
つーか
秀秋は北政所の甥、秀次は秀吉の甥。(血のつながりに注意)
秀次失脚は、北政所の策謀って見方もできる。(あるいは、故意に失脚は目論ん
でいないが悪意的中立をとって、形式的な助命嘆願しかしなかったとかね)
東軍に北政所(高台院)の縁者がひしめいているのを見れば、北政所は事実上反
秀頼派で、このことから秀吉の血縁秀次失脚に北政所が心を痛めることは、ない
気がする。(秀吉の血縁を嫌った節がある)

実子がない高台院(北政所)にとって最優先なのは、養家浅野家と生家木下家の
安泰。
秀吉亡き後の豊臣家は他人の物なので、秀吉存命中の「秀吉と自分で築いて存在
している豊臣家」にしか執着心がなかった。
他人が「棚ぼた」的に豊臣家を継承するのを好まなかった様な感じがする。(秀次も
北政所から見れば他人)

家康がそこに目を付け、「浅野謀反疑惑」をでっちあげ、高台院の反応を見て確信
を持ったに違いない。
一歩間違えると高台院中心に「反家康勢力」が結集してしまう危険があったが、高
台院の目は、棚ぼた成り上がり者三成に向いた。(九分九厘そうなると予想していた)

北政所(高台院)は、秀吉の血縁と仲が良くなかったのではないだろうか?
そのことが、豊臣家の没落に強く関係している気がする。


注記 北政所と高台院の混用は、記述中に名乗った時代にあわせて入れ替えた。

61 :於義丸:05/01/15 16:36:47

テレビでミター!

62 :日本@名無史さん:05/01/15 16:50:00
>>59
大事なことを忘れている。二代目関白は秀次ですよ。
秀吉自ら作り上げた秀次の地位が一番の脅威。
もし秀吉が先に死んだら秀頼を関白にする保障は無い。
それに仙千代丸、百丸、十丸、土丸がいるしね。

宇喜多秀家は宇喜多家があるから関係ない。
小早川秀秋は書いてあるとおりですね。

秀次の父・・・関白候補にならないでしょうw。

63 :日本@名無史さん:05/01/15 17:15:26
>>60
東軍に北政所(高台院)の縁者がひしめいているのを見れば、・・・

これって加藤清正(熊本在)や福島正則のことなの?(豊臣家縁者)

木下勝利や木下利房はどう解釈するんだろう?

64 :日本@名無史さん:05/01/15 19:19:58
関ヶ原と秀次事件に関して言えば、
当時秀次派と見なされた大名は東軍についている。
(伊達・浅野・細川・最上など)
秀次と関係の深い東海筋の大名も全部東軍だ。
(池田・田中・中村・堀尾・山内など)

こうして見ると、秀次事件が東軍勝利の布石になったのかもしれないな。

65 :日本@名無史さん:05/01/15 19:40:42
>>64
それならわかります。
私も同じ意見です。

66 :日本@名無史さん:05/01/15 21:01:44
高松城水攻めで、毛利軍の城主の清水宗治が溜まった池の中に小舟を出して
切腹して、決着したらしいんだが、高松城と吉川が陣を敷いた山はほんの
目の先なんだよ 秀吉方が土手を築いて池みたいなのを作ったらしいが
毛利軍がなぜ邪魔をしなかったか?また土手が完成しても土手を壊すことくらい
簡単なことだと思える 土手つくりに秀吉が土一升と米一升を交換して
百姓を動員したらしいが、案外、毛利軍の兵隊がアルバイトで工事してたりして、、
結局、本能寺の変以前から秀吉と毛利は案外親密だったのではないか?
毛利軍が本気で土手を壊す気なら簡単に壊せたはず
本能寺の変のあと、秀吉軍が姫路に向かって退却するのに、毛利軍は
まったく抵抗せず、見逃している
小早川秀秋が陣を敷いた山からは、秀吉軍の退却路は一目瞭然の位置にある
結局、毛利軍が土手工事のアルバイトで一番儲けたとか、、、ちと、うがち過ぎか?

67 :日本@名無史さん :05/01/15 21:38:57
>>57

>豊臣秀次は尾張派(北政所)ですからね〜。
>石田三成の近江派(淀君)とは仲が悪そう。

単純にそうとも言い切れないようなんですよ。
北政所・石田三成親密説を唱える人もいます。
三成が北政所に自分の娘を養女として差し出してる事実もあるとか。

だいたい上司の妻をないがしろにするような部下が、
上司の信頼を得られるでしょうか?
私が思うに、北の政所・武断派VS淀・文治派の構図はなかったのではないか
と。のちの徳川の時代に作り上げられたフィクションにすぎないのでは?
おそらく、みんな北の政所派だったんですよ。武断派も文治派といわれる
人たちも。淀君に対しては、三成すら軽んじてたふしがある。
天下が統一されると、必然的に文治派が重用されてくる。そのことが
清正や正則らは面白くなかったのでしょう。北の政所にたしなめられれば
その怒りの矛先は当然三成らに向かう。彼らにあったのは、自分たちよりも
有能な新参者に対する嫉妬だったのでしょう。

北の政所は、養子の秀家をわが子のように大変かわいがったといいます。
養女豪姫?との結婚にも大変喜んだとか。秀家のほうも北の政所を大変慕って
いたようです。
その秀家は、秀吉死後三成が武断派諸将らに襲撃されたとき、まっさきに三成
救援にかけつけているのです。

68 :日本@名無史さん:05/01/15 21:48:29
>>67
別にないがしろにしていないでしょう。
北政所をたてるか、秀頼をたてるか、普通に考えて秀頼をたてると思うのですが。

この考え方は間違いなの?

69 :日本@名無史さん:05/01/15 23:39:07
>>66
厳島合戦の頃は小早川隆景が苦戦を、吉川元春の救援で危機を乗り切る
こともあったが、中国征伐時は元春の意向を隆景が悉く無視し、
天正十年高松城戦後、元春は家督を元長に譲り隠居している。
隆景は秀吉と親密となるが、疑わしいのは信長の死を予言したという、
安国寺恵瓊が、秀吉の意向を毛利方に伝えた。これが黒幕かも。
天正十年で確執があり、毛利家は一枚岩ではなかった。

後に九州征伐でも元春が小倉の陣中で亡くなった直後、
吉川勢は島津攻めに武勲を立てたが、隆景が吉川勢を最も困難な
三の獄攻撃に行かせたことに吉川家主従は憤慨している。
それと関が原合戦の直前にも毛利輝元が、安国時恵瓊の言動に
惑わされ、愚かな決断をした。

70 :日本@名無史さん:05/01/15 23:40:12
「信長と秀吉」← 主従 そっくり 関係 →「秀吉と三成」

「秀吉」 ← 性格 そっくり 人格 → 「三成」


だったら楽でいいのになあ。

71 :日本@名無史さん:05/01/16 00:10:33
>>66
つーか、毛利は基本的に戦意が無いから。
仮に土手を壊して、秀吉と全面戦争したところで、信長、光秀たち本隊が来たら、どうにもならないし。
秀吉だって馬鹿じゃないから、信長の本隊が到着するまでの1ヶ月くらいは余裕でなんとかするでしょ。
毛利としてはなんとか有利に講和を持っていこうとしている最中だったんだよ。

72 :日本@名無史さん:05/01/16 01:03:48
>>67
すごい妄想ですな。
第一全員北政所派だったのでは、というのがおかしすぎ。
どうして秀吉の正妻を中心とした派閥を考えねばならんのだ。
もし67のいう「全員北政所派」ならどうして北政所がばらばらの譜代をまとめないのだ。
たとえ閨閥があったとしても>>68のいうように、北政所と秀頼(淀)という図式なら普通秀頼をたてるだろうが。

北政所、淀の対場から関ヶ原の配陣を考えると東軍西軍どちらにも親しいものや縁者が存在している。
結局関ヶ原ではこの2人の女性は個人としては武将を動かす力などはないよ。
つまり女性に絡んだ派閥などは存在していない。

>淀君に対しては、三成すら軽んじてたふしがある。
って、そんな根拠はない。
秀吉の妻たちに対しては、譜代武将も○○派というわけではなく北政所、淀のどちらに対してもある程度の敬意は払っていたと思われる。
ましてや淀は秀頼の生母だろ?軽んじられないだろう。

三成−北政所親密説を唱えている集団もいるようだがこれも根拠がなさ過ぎる。
養女に出したから=親密とははなはだおかしい。当時の風習から考えて政治的な養子縁組なんてあふれかえっているよ。
どうしてそこまで三成−北政所派説を考えたがるのかわからない。

73 :日本@名無史さん:05/01/16 01:53:58
>>71
毛利は基本的に戦意が無いとは。中国征伐の長期に及ぶ戦闘で
どこの部隊が戦意が無かったのか。具体的に述べられよ。
信長、光秀たち本隊が来たら、どうにもならないと、どうしていえるのか。

秀吉は「畿内や東国では、一城を攻め落とせば、近くにある城どもは、
攻めずともおのずから退散する。馬野山で元春を対陣したとき、
とても攻めずして落ちようとは思えなかった。攻めてさえ容易に落ちず、
まして攻めずしては、いささかも落ちるべき様子はない。わが四万の軍に
対し、元春六千をもって死地にありながら、少しも引こうとしなかった。」

「中国勢は、わが思い入った一念を晴らすまでは、死んでも後に引かぬ。
ことに少勢で城を守り、少をもって対陣すること、何百日、何千日と
士気衰えて引くとは無い。このように畿内、坂東より優れた中国勢を
退治する為に、柴田、滝川を始め、諸将多き中、この秀吉を選ばれたこと
からみても、信長様が、よく人を知る名将であること、明らかであろう。」

74 :日本@名無史さん:05/01/16 02:01:44
とにかく吉川は裏切り者



75 :小早川隆景:05/01/16 02:10:36
裏切り者はこの俺
宗治を見殺しにして秀秋を養子に迎えた

76 :直江兼続:05/01/16 02:25:04
同じ同じ
貴方の影響と言うよりマネをしました。

77 :伊達政宗:05/01/16 02:41:24
みんなもっとクリーンに行こうぜ(・∀・)

78 :日本@名無史さん:05/01/16 02:43:44
大崎・葛西の郎党が怒っていますぞ
ついでに蒲生の郎党もw

79 :木村吉清:05/01/16 09:47:31
>>77
お前だけは絶対に許さん!

80 :日本@名無史さん:05/01/16 09:55:36
木村吉清って、あの雑魚か(w

81 :明智光秀:05/01/16 10:00:49
>>79
裏切り者は許さん!

82 :日本@名無史さん:05/01/16 10:27:26
そういえば最近直江が活躍して天下を取りそうな火葬が出版されたが・・・


83 :日本@名無史さん:05/01/16 11:30:56
地盤が上杉では直江が天下を取るのは無理だろう。

84 :金吾秀秋:05/01/16 12:18:01
>>81
自分のことを棚にあげて、他人のことを批判するようなヤシは、
大嫌いだよ(´・ω・`)

85 :日本@名無史さん:05/01/16 12:32:46
秀吉の数少ない譜代家臣の毛利勝信・勝永父子が豊前小倉6万とは少なくない
かい?
毛利勝永は伏見城攻略で活躍したし、大坂の陣でも奮戦し最後は秀頼と一緒
に死んだらしい。
20万石くらいだったら西軍もよかったのにねぇ。

86 :於義丸:05/01/16 12:36:48
やはり、秀吉は糞だな。

87 :松野主馬:05/01/16 15:53:23
>>84
それを、あなたが言うか?

88 :日本@名無史さん:05/01/16 17:25:01
>>85
まあ、そんなもんでしょう。
加藤清正の25万石と、石田三成の20万石だけが別格。
福島正則は10万石、大谷刑部は4万石、蜂須賀小六も20万石程度、
七本槍の片桐勝元なんて1万石だし。

89 :日本@名無史さん:05/01/16 17:47:50
>>85
私も>>88と同意見です。
大谷吉継の越前敦賀の場合と同様、
毛利勝信・勝永父子も豊前小倉という交通の要所を抑えていますから、
豊臣秀吉に信頼されていると思います。

大谷も毛利も一国の大大名なら良かったのにねw

90 :日本@名無史さん:05/01/16 18:32:50
>88
清正は蔵入地込みだが、正則は蔵入地抜きじゃん。比較になってないよ。

91 :日本@名無史さん:05/01/16 18:56:24
浅野、生駒、堀尾、中村、池田、田中、ついでに山内はこぞって東軍かw

92 :日本@名無史さん:05/01/16 20:27:51
結局、本能寺の変にしても関が原の戦いでも黒幕としての毛利軍の
安国寺エケイの動きが大きいように思える
関が原にしても西軍の主犯格とされる石田三成は最初は小さな争いを
想定していたのを、東西決戦のようにスケールの大きな戦いに持っていったのは
安国寺エケイだろう 関が原で金吾が早く動かずじっと我慢していれば
山上から一気に毛利、小早川が攻めかかれば、東軍は袋のネズミ 全滅だろう
本能寺の変も信長が死んで一番助かったのは毛利、裏で安国寺エケイが
暗躍したように思える
坊主だけに本能寺とも関わりがあったのではないか?と推測している
関が原の戦いの後も、本願寺に隠れていた安国寺エケイを必死で探索して
殺している
関が原の戦いのあと、毛利をとりつぶす予定だった家康は、毛利の企みを
知っていたから厳しく処断したものだろう
吉川広家の泣きでようやく防長二州だけは残ることになった


93 :日本@名無史さん:05/01/16 20:54:58
>>92
関ヶ原合戦での安国寺恵瓊の軍事行動はお粗末過ぎるように見えますがどうなんでしょう?

本能寺の変については暗躍できるほどの権力はないと思います。
羽柴秀吉にいいように利用されたという見方が無難でしょうw

安国寺恵瓊って日蓮宗なの?

94 :日本@名無史さん:05/01/16 21:21:07
>>93
安国寺のみならず、毛利秀元すら関ヶ原合戦でやる気まんまんだったのを
吉川元春の通せんぼのせいで合戦に参加できなかった。
それなのに安国寺だけ動いてもしかたないだろう。
池田隊すら抜く事ができないぞ。

あと関ヶ原前にも毛利輝元を担ぎだして西軍総大将にまつりあげてしまったのは大きい。

95 :日本@名無史さん:05/01/16 21:33:37
>>94
あなた間違っていますよ。
吉川元春ではなく吉川広家でしょうw

私が言いたいのは、
そんなにすごい安国寺恵瓊が吉川広家一人に押さえ込まれたことですよw

96 :日本@名無史さん:05/01/16 21:39:47
>>95
う・・・・
元春の件はほんのミスだ・・・・

そうだなあ。
安国寺の凄い仕事がたかだか吉川広家の
通せんぼごときに破綻するんだから世の中おもしろいね。

でもそんな事言ってたら信長ですら明智ごときの乱心に全てが破綻したんだし・・・
徳川だってたかだか真田ごときに別動隊をおさえこまれ、たかだか小早川秀秋ごときにじらされたんだし。
そういうことはよくある事。

97 :日本@名無史さん:05/01/16 21:47:04
ついでに言うと毛利輝元が秀頼を連れて出陣しようとしたら、
増田長盛に止められて出陣をやめたという話しがある。

秀頼出陣では東軍に勝ち目はないわけで、
関ヶ原の最大の功労者は実は増田だったという皮肉な結果なわけだ。
歴史ってのは案外つまらない小物が動かすもんなんだね。

98 :日本@名無史さん:05/01/16 21:50:00
>>96
吉川の件・・・よくあるミスです。

よくあること・・・それは同感です。

それより、毛利秀元(兵15000)と安国寺恵瓊(兵1800)は連携してないのですか?
吉川広家(兵3000)などどうにでもなりそうですが。(両川の立場がすごいのかな?)

長束正家や長曾我部盛親は他家だから仕方がないですが。

99 :日本@名無史さん:05/01/16 21:52:46
>>98
いや、いくらなんでも吉川広家を殺してまで参戦する意志はなかったという事だよ。
特に秀元は・・・
秀元も随分、広家に動くように働きかけたようだが、頑として動かないので
ついにあきらめたという話しが残ってる。

100 :日本@名無史さん:05/01/16 21:57:58
>>99
別に殺す必要はありません。
毛利軍は安国寺軍の方と合流して池田軍や浅野軍に突入する。
戦が始まれば吉川軍も動くしかない。

それがでなかった時点で毛利秀元と安国寺恵瓊の負けかと。

101 :日本@名無史さん:05/01/16 22:01:50
>>100
どうなんだろうね。
通せんぼして通さないようにしたらしいという話しなんだけどね。
山道をかきわけてでも軍を進めるという事ができた地形かどうかわからないしね。

あるいは吉川が動かないのなら自分たちが動いても仕方ない、毛利家が足並みそろえないとダメだと秀元は考えたのかな。

102 :日本@名無史さん:05/01/16 22:10:57
>>101
毛利秀元は若いから諦めも早いでしょうが、
妖僧とまで言われた安国寺恵瓊の方はどうなんでしょうね?

103 :日本@名無史さん:05/01/16 22:22:04
東軍はいざという時のために
後方に池田、山内、有馬、浅野の1万3千もの軍勢を配置してる、
それを安国寺だけで突破できるわきゃない。

104 :日本@名無史さん:05/01/16 22:31:20
関ヶ原の戦後に
毛利秀元が一旦、毛利の全軍勢を大阪城に集め、一応、家康との対決の姿勢を示したうえで交渉に入るべき。
という提案をしたが吉川に反対されて大阪城をあっさり退去した。
あとは家康の思うがままに毛利は料理された。
この時も毛利秀元は西軍派という事で立場が弱く押し切られたのかもね。

105 :日本@名無史さん:05/01/16 22:35:12
>>103
そんな当たり前のことわざわざ書かなくてもw

106 :日本@名無史さん:05/01/16 23:13:42
>>93
> 安国寺恵瓊って日蓮宗なの?

東福寺の住持をやってるんだから臨済宗(禅宗)だと思うんだがどーよ?


107 :日本@名無史さん:05/01/16 23:42:56
>>106
私もそう思いますが、
>>92のレスで、
『坊主だけに本能寺とも関わりがあったのではないか?と推測している』
と書いてありましたので確認しました。

108 :日本@名無史さん:05/01/16 23:49:43
つーか、安国寺ってそんなにスゲー奴なのかね?
司馬遼太郎は高く評価しているようだけど。
もし、そんなに有能なら消極派だった吉川広家を関が原につれていかないって。
毛利輝元が動けなかったのは予測外だったとしても、秀元を総大将、自分は参謀で
関が原に出兵しているはず。
消極派を戦場に連れていかない、連れて行くと陣が乱れるってのはいろはのいだぜ。
所詮安国寺はアタマでっかちの生臭坊主にしか過ぎんよ。

109 :日本@名無史さん:05/01/16 23:54:15
>>108
家中の格の問題だろう。
重要局面での広家の参陣の有無を自分が決定できるほどの事実上の権力は無いってことだ。

110 :日本@名無史さん:05/01/17 00:02:32
宗家の輝元を西軍の総大将にすることができたのに、
傍系の広家の参軍を阻止できないなんてあるか?

111 :日本@名無史さん:05/01/17 00:04:00
冬厨の残党の会話かとオモタ
ここは日本史板だよな?

112 :日本@名無史さん:05/01/17 00:16:22
>>110
普通にあるだろう。


113 :日本@名無史さん:05/01/17 00:28:19
別に安国寺の外交折衝で輝元が西軍の総大将になった訳じゃ無し
家格や立場、序列、実績、経験等から
西軍に参加した中では輝元以外総大将足りえる人間が居なかったからでは?

上杉景勝は会津で軍に参加できず、宇喜多秀家は若年
誰もがある程度納得するのは輝元だけ

114 :日本@名無史さん:05/01/17 00:42:29
>>106
それは、全てあなたの思い込みです。

115 :日本@名無史さん:05/01/17 01:24:14
>>113
宇喜多秀家ってそれほど若輩ではないような気がする。
関ヶ原合戦の時って29歳ですよね。

たしかに毛利輝元、上杉景勝よりは年下だけどw
お家騒動が無かったら総大将になれたのかな?(無理ですねw)

116 :日本@名無史さん:05/01/17 01:46:45
田中邦衛(青大将)や鼻水たらした柔道馬鹿でも大将になれたんだから
なれたと思う

117 :日本@名無史さん:05/01/17 03:24:45
関ヶ原に布陣した西軍武将のその後

生命 +100 財産 +100 名誉 +100 屈辱 -100

石田三成 - 400
小西行長 - 400
安国寺恵瓊 - 400
長束正家 - 400
--------------------死辱線
大谷吉継 - 300
--------------------生命線
宇喜多秀家 - 200
長宗我部盛親 - 180
--------------------再起線
小川祐忠 - 150
赤座吉家 - 100
毛利秀元 -80
朽木元綱 0
脇坂安治 0
--------------------愚痴線
吉川広家 0
小早川秀秋 +60


118 :日本@名無史さん:05/01/17 04:52:47
>>117
意味が分からない。

119 :日本@名無史さん:05/01/17 21:27:24
南宮山に陣を敷いた長宗我部盛親、長束正家などがなぜ動かなかったのか
別に毛利軍ではあるまいに
東軍の池田などが陣をしいてるほうに降りなくても、反対側に降りれば
戦場に行けたはず 安国寺は毛利とのしがらみで動けなかったのだろうが
長宗我部盛親、長束正家はしがらみはないはず、、、わからんな

120 :日本@名無史さん:05/01/17 21:38:54
>>119
そもそも長宗我部盛親と長束正家にはやる気があるのでしょうか?
二家とも戦後御取潰しになる運命なのに、ここ以外に何所でやる気を見せるというのでしょうW

121 :日本@名無史さん:05/01/17 21:44:08
長束は戦闘したという記録があるけれど、実際はどうなのだろう?
長宗我部も榊原と戦闘した記録があるが、榊原は秀忠に付いていた
のでこれはおかしい。小荷駄隊を戦闘前に戦場から離脱させているし、
東軍につきたかったけれどつけなかったという事情もあるので戦い
たくなかったのではないか・・・・・




122 :日本@名無史さん:05/01/17 21:54:47
>>121
長宗我部盛親は東軍につきたかった話はよく聞きますね。
でも西軍にいる以上、行動をするべきでしたねw

長束正家の方は戦闘があったとしても小競り合いぐらいでしょう。
安国寺恵瓊と歩調を合わせて戦闘するべきですねw

123 :日本@名無史さん :05/01/17 21:57:56
9月15日夜から9月16日夜の話

安国寺恵瓊、バラバラになって離散、敗走。
吉川広家、中山道を下って東軍と合流。
毛利秀元、伊勢街道を下って西に退却。

  秀 元 さ ん ア ン タ は 戦 国 少 女 ク ラ ラ か !



124 :日本@名無史さん:05/01/17 22:26:37
まあ両川である小早川秀秋と吉川広家の行動が致命的ですね。

戦後、この二人の行動は家康に高く評価されています。
小早川家・・・備前・美作50万石
吉川家・・・周防・長門37万石(辞退し毛利家が存続)

ある意味、見事な出世ぶりです。正直すごいわ!

125 :日本@名無史さん:05/01/17 22:40:02
毛利の両川も足ひっぱる存在に成り下がったわけだ。

126 :67:05/01/17 23:49:48
>>72
遅レススマソ。
レス拝見して、あなたと私の考えはそう大差はないと思えるのだが。

>秀吉の妻たちに対しては、譜代武将も○○派というわけではなく北政
所、淀のどちらに対してもある程度の敬意は払っていたと思われる。
>結局関ヶ原ではこの2人の女性は個人としては武将を動かす力などはな
いよ。
つまり女性に絡んだ派閥などは存在していない。

私は
武断派=北の政所派
文治派=淀君派
という一般的な分け方に疑問を持ってるわけで、その点では考えは一致
してるのでは?
ただ、北の政所は内政・外交にと夫秀吉を助け、豊臣家の発展に尽くし
て武将たちの尊敬を集めていただろうが、淀殿がたまたま子を産んだか
らといって一朝一夕に北の政所のように尊敬を集めることが出来たので
あろうか? ましてや今でもしばしば秀頼が秀吉の子ではなかったので
はないかとよく言われる。当時の武将も当然疑念を抱いていたのではな
いか? 秀吉が秀頼を自分の後継であると宣言した以上、血のつながり
がなかったとしても武将らは秀頼に忠誠を尽くすのは当然と考えただろ
う。が、それがその母への敬意にまで結びついたかは疑問だ。



127 :67:05/01/17 23:51:30
おそらく豊臣政権内で淀君は孤立してたんだと思う。
そこに目をつけたのが家康だったんじゃない?
豊臣政権で勢力を拡大したい家康と、強力な後ろ盾のほしい淀君。
やがて両者は結びつきを強めていったのではなかろうか?
こう仮定すれば、後の関ヶ原の戦いにおける疑問の答えも導き出せる。

なぜ武断派は豊臣を危機に陥れると分かっていながら家康に組したのか

実はおそらくそれが認識できる状況になかった。淀君と家康は緊密な
関係を築いていたため、家康が豊臣家の家臣として豊臣をもり立てると
いうことに彼らは何の疑問も抱かなかった。逆に、三成−淀君の同盟
関係が実際には存在していなかったために、三成への攻撃が即ち豊臣家
への反旗とは考えられなかった。
福島正則らが、妻子が人質に取られてまで家康側に付くと宣言したのも
、淀君が家康と親しい間柄なので、人質に危害が加えられることはない
と踏んでいた。
毛利輝元が出陣しなかった。−−−→家康に内通してた淀君が、輝元を
足止めした

西軍は関ヶ原で敗北しても、一時大坂城に撤退して、体勢を立て直す
ことが出来たはずである。しかも大坂城には毛利輝元の軍勢が無傷で
残っていたのである。にもかかわらず、三成は大坂へ向かうそぶり
すら見せていない。関ヶ原の戦いにおいて、三成と淀君の間にまったく
連携が見られない。これだけでも三成と淀君の不仲を疑うに十分では
ないか。


128 :日本@名無史さん:05/01/17 23:54:02
上杉征伐についていったらそのまま東軍、大坂にいたら西軍にさせられた
気が付いたらそんな状況になってしまったので、いつでも勝つ方に転ぼう
と考えていた大名は結構いたのじゃないだろうか?


129 :67:05/01/17 23:54:47
>>72

>三成−北政所親密説を唱えている集団もいるようだがこれも根拠がな
さ過ぎる。
養女に出したから=親密とははなはだおかしい。当時の風習から考えて
政治的な養子縁組なんてあふれかえっているよ。

注目すべきは、三成が北政所のもとに娘を養女に出したのが秀吉の死後
であるという点。
秀吉の生前のことであれば、両者の融和を図るために秀吉が画策したも
のと片付けられるだろう。
だが、秀吉の死後、政治的影響力を失った北の政所に養女を出すことに
、もはや政治的になんの意味も持たなかったのは明白だ。にもかかわら
ずこのようなことが行われた背景は?
これも想像の域を超えないが、考えられることとしてはおそらく、
養子たちも巣立ってしまい、政治の世界から身を引き、年老いてひとり
さびしくしている北の政所への、三成の気遣いではなかっただろうか?





130 :金吾秀秋:05/01/18 00:39:40
>>124
すごいだろ(´・ω・`)

131 :日本@名無史さん:05/01/18 00:48:39
>>130
遺領相続したときの事を思えば。
マイナス。

132 :日本@名無史さん:05/01/18 09:48:22
信長の家系は呪われているね 信長は本能寺で焼き殺し
妹のお市の方もしずがたけで柴田権六と焼き殺し
お市の方娘の淀君も大阪城の山里くるわで焼き殺し
坊主や門徒を焼き殺したむくいかな

133 :日本@名無史さん:05/01/18 14:35:13
>>132
呪われた家系なら松平徳川家だって負けてないw

134 :日本@名無史さん:05/01/18 16:46:15
関ヶ原合戦の時、松平忠吉、井伊直正、本多忠勝は島津義弘、島津豊久と戦い始めたはずなのに、
すぐに両軍とも兵を引いています。茶番試合なのでしょうか?

石田、小西、宇喜多、大谷は東軍を相手に激戦を展開しているのに。

135 :日本@名無史さん:05/01/18 18:44:41
>石田、小西、宇喜多、大谷は東軍を相手に激戦を展開しているのに。
むしろこいつらが異常
ほとんどが傍観者や内応者

136 :日本@名無史さん:05/01/18 19:35:05
>>135
むしろこいつらが異常・・・ワロタw

137 :日本@名無史さん:05/01/18 19:37:05
島津、小早川、吉川は『同じ穴の狢』ということですかねw

138 :日本@名無史さん:05/01/19 02:03:26
内府は戦略上手で戦下手。

139 :日本@名無史さん:05/01/19 02:29:48
>>138
若神子対陣、小牧・長久手合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣などの戦略は見事でございます。
この家康にとって真田昌幸のような言いなりにならない人物はかなり厄介であります。

140 :日本@名無史さん:05/01/19 03:41:15
家康にとって真田昌幸の存在は戦略上のイレギュラーだったのでしょう。
その影響もあり、陣立て自体は西軍方が有利だったようです。
全てを持つ家康に対し、何も持っていないとすら言える三成が合戦当日に
ここまで漕ぎ着けた事自体、凄い事のような気がします。
一般的に言われるほど戦下手ではなかったのかもしれません。
なにせ相手はあの家康ですから・・

141 :日本@名無史さん:05/01/19 06:10:03
>>140
石田三成の戦下手ではないには賛成。
忍の水攻めも秀吉がこだわった結果という話も最近よく聞きますからね。

関ヶ原合戦の際、岐阜城−大垣城の木曽川を利用した防衛ラインは悪くはないと思います。
ただ大垣城に石田三成、宇喜多秀家、小西行長、島津義久などが守備したのに対し、
岐阜城には織田秀信だけにしたのはミスと考えます。

あと関ヶ原への迅速な移動と陣立もなかなか見事なものと思います。
ただ病気と称して動かない小早川秀秋を松尾山に入れず、
大津城攻めの援軍にでも飛ばしてしまえばよかったと思います。(もしくは使わないで兵力温存部隊w)
松尾山には9月2日に関ヶ原に布陣していた大谷吉継に任せるべきでしたね。

結論は石田三成の人選ミスが目立つかな?(仕方がないですがw)

その点、徳川家康の方は豊臣恩顧の家臣を効率よく使っていますよね。

142 :日本@名無史さん:05/01/19 07:32:22
>>141
松尾新城に金吾が入ったのは、三成の指示か。
そいつは新説だな。

143 :日本@名無史さん:05/01/19 08:12:54
>>142
金吾が自ら進んで入ったというのも考え難いが。

144 :日本@名無史さん:05/01/19 08:18:25
松尾新城って誰に指示で改修されたのかな?
やはり石田三成かな?

145 :日本@名無史さん:05/01/19 08:19:36
×誰に指示で→○誰の指示で

146 :日本@名無史さん:05/01/19 09:10:24

徳川幕府は敗者を「西軍」と呼び、太平の世を築いた。

明治政府は敗者を「賊軍」と呼び、歴史を捏造した。



147 :日本@名無史さん:05/01/19 09:43:03
>>146
ハイハイ会津スレへお帰り

148 :146:05/01/19 10:52:28
会津スレ? はて何の話でしょうか。





149 :日本@名無史さん:05/01/19 11:10:02
捏造でも誰も傷付いていないので(*^ー゚)b OK!!

150 :日本@名無史さん:05/01/19 12:47:03
>>146
スレタイ
【石田】 関ヶ原の戦い 五 【三成】


151 :日本@名無史さん:05/01/19 22:41:54
もしも…(家康が上方に西上後)

・伊達政宗が百万石手形に疑念を感じて、上杉と和睦。
・背後に憂いのない上杉軍は、南下し小山で秀忠軍を撃破そして追撃。
・手薄の江戸城を佐竹義宣が強襲し、占拠。
・江戸に退却してきた秀忠軍を佐竹軍が迎撃、秀忠軍は散り散りバラバラ。
・秀忠軍壊滅を知った真田昌幸は、幸村に半分の兵力を与えて美濃に向かわせる。
・幸村隊は舅・大谷吉継と合流、関ヶ原で共に陣を構える。
・東軍に内応を確約した小早川秀秋だが、松野主馬の忠言により思いとどまる。
・小早川陣において、内通したと視られる平岡・稲葉両家老が謀殺される。
・大津城を攻略した立花宗茂をはじめとする一万の軍勢が関ヶ原に到着。
・墨俣攻防戦で三成が島津勢を賞賛、感じ入った義弘は当初よりヤル気満々。
・増田・前田両奉行が淀殿を説き伏せ、秀頼出馬に成功。
・総大将・毛利輝元が秀頼を伴い関ヶ原に着陣、瓢箪の馬印が立つ。
・輝元着陣により、南宮山の毛利軍先鋒・吉川広家が傍観の姿勢を改める。
・関ヶ原の霧が晴れ、いざ開戦。瓢箪の馬印を見た福島・黒田などは尻込み気味。
・朝鮮の役で活躍した立花・島津が先陣をきり、宇喜多・小早川がこれに続く。
・南宮山の毛利軍が池田・浅野に襲いかかり、桃配山の背後をつく。
・大谷勢と合流した幸村も奮戦、家康本隊に突入の機会を狙う。

いかがでしょうか?

152 :日本@名無史さん:05/01/19 22:52:17
関ヶ原で戦をしたこと自体で豊臣の負け
出来レースでしょ どう転んでも勝ち目なし
だから家康はタヌキ

これ常識!

153 :日本@名無史さん:05/01/19 23:04:35
>>152
当然根回しはあったが、「関ヶ原」はどちらが勝っても
おかしくない大接戦だったと思うよ。


154 :日本@名無史さん:05/01/20 00:18:11
>>151
伊達と上杉は和睦していたのだが。
結果は最上攻め。

155 :日本@名無史さん:05/01/20 00:54:48
>>151
そこまで『もしも』があれば西軍の完全勝利でしょうw

156 :日本@名無史さん:05/01/20 03:30:05
話を関ヶ原合戦に戻しますが、
よく『徳川秀忠は上田城攻めを放っておいて関ヶ原へ行くべきだった』という指摘を聞きますが、
私的には『毛利元康、毛利秀包、立花宗茂らも大津城攻めを放っておいて関ヶ原に行くべきだった』というのもありなのではと思います。

やはり東軍の出方がつかめない以上、西軍にとっては無理な注文になるのでしょうね。
また大垣城−南宮山の西軍と赤坂の東軍が決戦の地と考えていたのかもしれませんし。

157 :日本@名無史さん:05/01/20 03:36:42
あと徳川家康率いる東軍が大垣城包囲策を選択していたら、
西軍は南宮山毛利軍、松尾山小早川軍、山中村大谷軍、大津城攻略軍から後詰を派遣するのかな?

158 :日本@名無史さん:05/01/20 08:50:10
>>129
亀ですまないが、
三成が北政所に娘を養女としたのが秀吉死後?
養子縁組しちゃいけなかったんじゃなかったっけ。

秀吉が死ぬ前でも死んだあとでも結局政治的なものでしょ。
ちなみに秀頼の周辺(秀頼、淀、秀頼側近)は表向きは中立を保ってたよね。
淀は篭城してる京極家に「西軍に味方して」って侍女を使者に出してるので完全に西軍だろうけど、北政所も西軍なのか?

159 :158:05/01/20 09:30:46
訂正

後半部分説明抜けた
中立っていうのは表向きで個人的には淀−三成ということ。

160 :日本@名無史さん:05/01/21 01:55:31

全ての道は関ヶ原に通ず
関ヶ原を学ぶは日本史を学ぶことなり


161 :日本@名無史さん:05/01/21 02:03:58
そんなものは結果論。

162 :日本@名無史さん:05/01/21 02:30:49
↑>>152

163 :日本@名無史さん:05/01/21 10:20:00
石田三成は決戦当日は前日雨だったから、生米を食って下痢腹で
ピーピードンドンだったよ 実戦不足だな
その点、家康は生米を食うなとの指令を出している
石田三成の経験不足は否めない、頭デッカチの秀才官僚というところだろう

164 :日本@名無史さん:05/01/21 21:22:54
家康が実戦豊富なのは確かだ。








三成に糞を漏らすような無様な真似は出来んだろう。

165 :日本@名無史さん:05/01/21 21:46:24
関ヶ原で落ちるときに沢山漏らしたんじゃないかな

166 :白戸則道:05/01/21 22:29:02
東軍の中村一忠は関ヶ原で何をしてたんですか ?

167 :日本@名無史さん:05/01/21 22:55:43
朝鮮の役、蔚山城で加藤清正や毛利勢の一部は籠城していたが、
救援の吉川広家は黒田長政らが躊躇するなか、渡河し明の大軍を
撃破した。
加藤清正等は感謝したが、これを石田光成や安国時恵瓊は軍法違反とし、
秀吉に讒言したと吉川広家はのちのちまで怒っている。
毛利家の籠城激戦した家臣(というより国人領主)には秀吉から
朱印状を貰っているのに、広家が功績を認められなかったと。
広家は、恵瓊に坊主に戦がわかるかといったが、後方にあって
前線を知らぬ光成も同じくと思ったであろう。

168 :日本@名無史さん:05/01/22 00:44:49
役目、権限からすれば軍令違反は違反で報告するしかないんだよね。
それを、この場合はしょうがないとか斟酌するのがトップ=秀吉の役目なわけで。

つーか三成な。

169 :日本@名無史さん:05/01/22 10:24:32
広家の愚痴の話題か。

あいつが一番怒っているのは、太閤が娘を謁見しなかったことと
形見分けに預かれなかったことだ。

広家という人間の器の小ささは、古今随一かもしれん。


170 :日本@名無史さん:05/01/22 14:29:10
 宇喜多のお家騒動がよくいわれてるけど、島津家も内紛があったそうですね。
もちろん東軍の武将でもお家騒動はあるだろう。つまり西軍が敗北したから宇喜
多の内紛が強調されている気がするんだけど。
 それより大坂の陣での徳川の旗本のだらしなさはどうなの?真田・大野兄弟み
て逃げまくりだったそうじゃないの。

171 :日本@名無史さん:05/01/22 17:17:23
関ヶ原の合戦があった頃は
中世の戦国大名が秀吉の天下統一などの圧力で近世の幕藩大名に変革していく過渡期

西軍に付いた大名に古くからの有力戦国大名が多い=中央集権が進む中で殿様と家臣の対立激化
東軍に付いた大名は織田・豊臣の取り立て大名が多い=殿様も家臣も新参者ばかりだからお家騒動が起こりにくい
ために西軍大名のお家騒動が目立つのでは無かろうか?

172 :日本@名無史さん:05/01/22 17:26:12
西軍に外様が多い理由
戦国時代の再来を期待していた

173 :日本@名無史さん:05/01/22 20:16:53
ほとんどの大名は関が原がわずか半日で片付くとは思っていなかった
その後、大阪城でも一戦あって長期化、戦国時代に逆戻りすると読んでた
それが証拠に黒田官兵衛は九州で暴れてるし、加藤清正も九州で小西領に
攻め込んでいた 前田も自領で戦っていたし、上杉も様子見だった
誤算は毛利のあまりのヘタレぶりが、どの大名も誤算で読み違えた
おそらく、家康自身もこうあっけなく片付くとは思っていなかった
長期戦に備えて、秀忠軍を温存していた
毛利のヘタレぶりが、みんな大誤算だった

174 :日本@名無史さん:05/01/23 01:03:01
>>171
古くからの有力大名の動向
宇喜多家は豊臣家の親族ですから西軍側。
毛利家、上杉家、佐竹家はそれまでの経緯を考えると西軍側の方が自然の流れ。
長曾我部家、島津家は徳川家の東軍側に属したかったが失敗。
津軽家、南部家、伊達家、秋田家、戸沢家、最上家、里見家、はそれほど豊臣家に恩義を感じていない。
(反上杉家の伊達家、最上家は徳川家の東軍に属した方が得策。)

東軍・西軍とも古くからの有力戦国大名は同じくらいいる。
中央集権が進む中で殿様と家臣の対立激化は、
関ヶ原合戦においてはあまり関係無いと思いますが。(どうなんでしょうw)

>>173
毛利家の自壊は誤算でしょうねw

175 :日本@名無史さん:05/01/23 14:29:24
毛利は自壊してないと思うが
長期化を考えるから、主力を温存してただけかと

安国寺恵瓊と吉川広家の両方を使って、東西両軍のキャスティングボードを握ったまでは良かったが
誤算は関ヶ原が1日で終わり、西軍が1日で瓦解したのが運のツキ
本国空にしてるので大坂篭城なんて出来る訳もなく、あっさり引き渡して
後はまな板の鯉


176 :日本@名無史さん:05/01/23 16:09:20
>>175
毛利輝元が長期戦を考えているなら
関ヶ原合戦で敗退しただけで大坂城を退去するのでしょうか?
やはり徳川家康が怖いのかなw

所詮、石田三成の駒に過ぎないような気がしますw

177 :日本@名無史さん:05/01/23 20:01:02
>>176
大坂城が落ちなくても、毛利本国はもぬけの殻なんですけど
それとも毛利に本国捨てて、豊臣家の大坂に篭れとでも?
内憂外患でどれだけ保てるか・・・家康から豊臣家に対して懐柔策を弄し(実際、関ヶ原は豊臣家の内乱な訳で
家康としては豊臣に弓引いた訳ではないと確実に言うでしょう)毛利引渡し要求されたら
豊臣家は毛利を庇い城内に留めおくでしょうか?

西軍が総崩れで瓦解してしまい、味方がいない以上、これ以上の抵抗のしようがありません

178 :日本@名無史さん:05/01/23 20:13:48
やっぱり吉川からも密かに話聞いてたんでないかな?
罪に問わないって誓詞もらってますよって。
そこを、知らぬ振りして色気だし関が原で勝てばよし、
負ければ、こりゃ見込みないなと誓詞を楯にさっさと収拾を
図ると言う方針だったのでは

179 :日本@名無史さん:05/01/23 20:22:35
毛利輝元、自分で動くことを知らないのか?
大大名にしては狡猾さに欠けるなw
小早川隆景は何を教育したのか!

180 :日本@名無史さん:05/01/23 20:26:52
小細工弄して策に溺れたって感じですな
どっち転んでも毛利は損をしないという算段でやってたんでしょうけど
120万石超える(内部では通じていたとはいえ)敵対した側の総大将の大大名を
家康が見逃すなんて世の中甘くなかったって事ですね>>178-179

181 :日本@名無史さん:05/01/23 21:41:45
やっぱり祖父の「天下を取るな」ってのが効いていたんでは
しかし>>180のように家康が見逃すはずないんだからな。
賭けるべきだった。
吉川が本家に領地譲らなければ毛利はあぼーんだったんだし。

182 :日本@名無史さん:05/01/23 23:11:29
毛利輝元に天下を取る気があったかどうかは知りませんが、毛利家を潰す気は全く無かったと思います。
大坂まで来たのは安国寺、石田に唆されたと言いますが、その口車に乗ったのであれば何か考えていたと思います。
その考えは『東軍が勝っても西軍が勝っても毛利家は安泰する』程度なのでしょうか?

誰か毛利輝元をかっこよく弁護してやって下さい。(無理そうw)

183 :日本@名無史さん:05/01/23 23:51:25
家康が吉川に30万石を与えた時、本当に主筋のことを思うなら、
一旦は毛利に渡す形にして、そのあと裏工作で取り返して
広家が大名になるべきだったと思う。無論、ある程度の
非難は覚悟の上でさ。

無能な国主に忠義誓うは、真の不忠義なり

結局中途半端なんだよ、広家は。


184 :日本@名無史さん:05/01/24 02:01:19
>>183
逆。
無能な国主に忠義を誓ってこそ、真の忠義なんだよ。
有能な国主なら誰でも従うからな。

赤穂浪士は馬鹿殿様のために敵討ちをしたから、忠義の士と呼ばれるのだ。

185 :金吾秀秋:05/01/24 03:25:17
まったく輝元はだらしないやつだなぁ(´・ω・`)

186 :日本@名無史さん:05/01/24 08:01:53
>>184
戦国時代を江戸時代の価値観で推し量るのは・・・


187 :日本@名無史さん:05/01/24 13:14:14
>>186
ちょうど「主は七度変えてこそ」から「君、君たらずとも」に価値観が替わろうとする時期だっ
たからねぇ。
三成は少し早く生まれすぎたのかも。
西軍が勝って三成が政権の最高実力者(最高権威者や家臣の最上位ではなく)になって
いてもこの辺だけは史実と変わらなかったろうね。

188 :日本@名無史さん:05/01/24 20:57:39
>>186
微妙に江戸時代みたいなものだしなあ、
マジな話>>183みたいなまねしたら油断のならない者、
不忠者とされてその後ろくなことにならなかっただろう。

戦国時代的な価値観が江戸時代的なものに変わったのは、
幕府が、そしてその創始者の家康もそれを望んだからだろうからね。

189 :日本@名無史さん:05/01/24 21:31:48
>>187
それは、全てあなたの思い込みです。

190 :日本@名無史さん:05/01/24 22:48:38
要するにだね。
輝元と秀元は自らの失態に見合う、責任を取ってないじゃないかなと。




191 :日本@名無史さん:05/01/24 22:57:42
こういっちゃなんだが、吉川は先鋒という立場で秀元が関が原に参加するのを邪魔しただけ。
もし輝元がじきじきに出てきて徳川攻めたら従うしかなかった。
毛利が負けたのは吉川のせいではなく中途半端な輝元自身のせいと言うしかない。


192 :日本@名無史さん:05/01/24 23:07:45
そもそも毛利家は、安芸国衆(国人領主)で、傘連判状にあるよう
国衆の連署者は対等であり、身分的には同格の存在である。
対等の盟約を結ばなければならないほど、国人の独立性が強く、
広島城下にも外様の家臣達は余り集まらず、輝元も家臣の
いいなりになっていると秀吉からしかられた。

国人領主も同じで、家臣(小豪族)が領主のゆうことを聞かず、
朝鮮の役において武勲を国人領主に認められなかった為、
自分の領地に戻り、出仕しなかった者もいる。

信長や秀吉のように、強引に城下集住や兵農分離が出来ず、
豪族の家臣らの主体性を尊重しなければならなかった。
忠義を含め、戦国大名はその土地柄や風土で成り立ちが違う。

193 :日本@名無史さん:05/01/24 23:15:05
毛利家の事情

毛利輝元
 混迷する時代において当主の器を持ち合わせていない哀れな大名

吉川広家
 阿呆な当主を蔑ろにし徳川家と通じる獅子身中の虫

安国寺恵瓊
 言葉巧みに当主を担ぎ豊臣家と通じる獅子身中の虫

小早川秀秋
 備前・美作50万石を築き上げる不敗の名将
 しかし後世に汚名を残し賞賛されることが無い悲運の武将

これでいいですか?

194 :日本@名無史さん:05/01/24 23:21:17
>>192
北条家、今川家、武田家、長尾家といった戦国大名のほとんどが国人衆の独立性が強い。
名将(北条氏康、今川義元、武田晴信、長尾景虎)が当主の場合は求心力が強くなります。

195 :日本@名無史さん:05/01/24 23:27:06

後ろ暗い過去を持つ国主が治めた土地は、腐敗の温床。


196 :日本@名無史さん:05/01/24 23:50:06
>>194
西国(ここでは中国地方の一部)と東国での社会制度の違いも
あると思う。一人の名将の力で、求心力が強くなるというのは
将の立場からの見解という感があるが。

197 :日本@名無史さん:05/01/25 00:03:19
>>196
今川家の場合
今川義元個人の求心力+強者への従属で領国運営が成り立っていますが、
桶狭間合戦以降、松平家、菅沼家、井伊家、飯尾家、天野家は離反行動を起こし、
その対処が不十分であった今川氏真は国人や家臣の多くに見捨てられています。
武田家と徳川松平家の策謀も大きいと思いますがw

東国と西国で社会制度が違うに賛成です。

198 :日本@名無史さん:05/01/25 00:05:18
追加
桶狭間合戦で多くの家臣を失ったことも大きいですね。

199 :日本@名無史さん:05/01/25 01:02:59
>>197
つまり傘連判状という、一揆契約において西日本的であるということで、
東国に傘連判状のような例を聞いたことがなく、知らないのです。

東国の方が鎌倉以降、主従関係という意識が強いのではないかと思う。
それで主君である一名将で、家臣の支配服従関係が成立するのかと。
どうも一個人の英雄崇拝というのが、東国的思惟方法とも思えるので。
むろん安芸国人も鎌倉御家人の末が多いですが、その風土により
傘連判状の如く、西日本的に横の共同体となっている。

東国の親方小方制度と西国の横連合体には違いがあり、
思惟方法にも違いが出てきたのだとも思います。

200 :日本@名無史さん:05/01/25 01:36:20
>>199
それでは清水宗治も浮かばれますまい

201 :日本@名無史さん:05/01/25 01:46:06
>>199
東国に傘連判みたいなものは無いですよw

家臣の話?
国人の話?

202 :日本@名無史さん:05/01/25 01:47:36
>>200
清水宗治、安国寺恵瓊と仲が悪かったと聞くが?
本当なんですかねw

203 :日本@名無史さん:05/01/25 02:52:52
小早川秀秋、
この人ですべてが変わった。

204 :日本@名無史さん:05/01/25 02:54:58
>>201
傘連判状は、対等の関係で国人領主間に交わされたもの。
国人領主の家臣(国衆)も独立性をもち、複数の領主に仕えた者もあり、
例えば坂元祐や桂元澄は、毛利家の家臣でありながら、
国人領主の平賀家の家臣でもあります。したがって軍事編成も
領主に直属するのでなく、国衆部隊の連合でした。

205 :日本@名無史さん:05/01/25 03:27:08
代表例
関東の場合は成田家が北条家に独立性を維持しています。
東海の場合は葛山家が今川家に独立性を維持しています。
甲信の場合は小山田家が武田家に独立性を維持しています。
北陸の場合は揚北衆を中心に独自に動いています。(守護派・守護代派)

下剋上の風潮が強いですから東国・西国に関わらず、
力のある国人を治めるのは至難の業ですねw

206 :日本@名無史さん:05/01/25 12:40:12
ヴァカな>>187が寝言を昼間から垂れ流すスレはここでつか?

207 :日本@名無史さん:05/01/26 00:21:41
>>205
独立性の一字をもって勝手に解釈されておられますが、
傘連判状の様な横の関係と違うと思います。
それに下剋上といわれますが、安芸国人領主は大半が鎌倉御家人
(地頭)出身でした。それ故、野心に欠けているとも思いますが。
国人領主も国衆によって、かつがれている面もあります。

マルクス史観のように、この時代は下剋上とか時代の発展段階説で
とらえるより、わしは同時代でも風土、地域の違いから歴史を
考えているので、見解の相違はあるでしょう。
あなたは、統治者の立場から現代の経営学と領国を混同しておられるのか、
または統治者の個人崇拝、独裁体制がお好きなのか、わかりませんが。

208 :日本@名無史さん:05/01/26 00:32:33
>>207
傘連判状とは関係ありませんよ。

安芸のことは知りませんが山梨県、埼玉県、静岡県に行って調べれば分かって頂けると思いますよ。
成田家、葛山家、小山田家の所縁があるところに行ってみて下され。

209 :日本@名無史さん:05/01/26 00:37:20
あと、文章には敬意を表してね。

210 :日本@名無史さん:05/01/26 03:17:08
関ヶ原って実際にいくとわかるが
養老山脈と伊吹山の中間で
近畿と中部の文化がぶつかるとこなんだけど
あそこで戦争があったのは当然だなと思うよ。

養老山脈を縦走できる道があるが
あそこから関ヶ原を見ると納得できるかな。


211 :日本@名無史さん:05/01/26 03:35:36
>>208
甲斐の武田氏においても、武河衆など甲信の土豪も独立性が強いで
あろうが、横の関係とは違うのでないか、ゆうことです。
東西の集団構成の違いをゆうておるのです。

東日本は惣領制で、その一族下に非血縁の下人が従属。譜代、
被官、名子など。本家を中心にして大体その周辺に小方が集まる。
下人の従属度も強かったが、一方西日本では東国ほど本家が特に
高い地位になく、対等意識が強く各家族が対抗的に立ち現れ、
お互いの結合を強める為には合議が尊重されたという違いです。

調べれば分かって頂けると思うといわれておられますが、
具体的に何が分かるのでしょうか?

212 :日本@名無史さん:05/01/26 03:44:58
>>210
岐阜城−大垣城の防衛ラインを突破されてしまった場合、
南宮山(毛利軍)を前衛に山中(大谷軍)を後衛にし、
東山道を押さえる防衛システムは最善かと思います。
笹尾山(石田軍)に陣を敷いて北国街道を押さえているのも理想的です。
しかも低い位置にある東軍の動きは全て見渡せられます。

西軍にしたら杭瀬川での決戦よりは理想的な戦場でしょうね。
東軍にしてみれば関ヶ原は最悪の戦場になりますが、
虎穴に入らずば虎子を得ずという心境でしょうね。

213 :日本@名無史さん:05/01/26 03:51:09
>>211
ああ、なるほど、論点がずれていますね。

私の言っていることは横のつながりは入っていません。
あくまでも国人衆の独立性だけですよ。
東日本に西日本の風習は無いので、
横のつながりは意味がありません。

これでいいかい?

214 :日本@名無史さん:05/01/26 04:42:07
横槍スマソ
>>211に聞くが、何故、横のつながり(傘連判状)にこだわる?
>>208で関係ないといっているが?
東国の国人も実力があると思うのだが認めてはくれんのか?

あと、ここは関ヶ原スレだから激しくズレている
横連判状は関係ねーぞ

215 :日本@名無史さん:05/01/26 19:36:00
>>214
傘連判状と関ヶ原の関係だが、整理するとこういうことなんじゃないか。

東国の戦国大名は独裁政権、西国の戦国大名は連立政権の傾向が強い。
毛利家は典型的な西国大名だったので、何をするにも合意形成に時間がかかり、
関ヶ原で西軍が勝機を逃したのもそのためであった・・・と。

216 :日本@名無史さん:05/01/26 19:53:52
>>215
毛利輝元が大坂城に入る時も合意形式で時間をかけたのかな〜?
吉川広家は上杉討伐軍に参加するために軍事行動を起こしている最中なのにw

217 :日本@名無史さん:05/01/26 21:21:49
大坂城に入るだけなら大老なんだから問題ないだろ。

218 :日本@名無史さん:05/01/26 21:48:42
毛利勝永・真田幸村の関ヶ原への単独参戦し、先陣にし、大奮戦。
そして、西軍の士気が揚がる。小西・島津もやる気を出す。
小早川秀秋も毛利秀元(吉川広家を叱り飛ばす)もこれに呼応する。
さらには、東軍から西軍へ内応する者続出する(田中吉政など)。
徳川家康ら東軍は壊滅し、関ヶ原の戦いは西軍の大勝利であった。
石田三成や宇喜多秀家は大坂城に返り会心の笑みで秀頼に報告する。
となると後世にどう語り継がれていくのかな?


219 :日本@名無史さん:05/01/26 21:51:53
>>217
入るだけなら問題は無いが、
7月17日に毛利輝元が大坂城に入り、
7月18日に伏見城の明け渡しを要求し、
7月19日に攻城戦を開始しているのですが、
これも大老だから問題が無いと言うことですか?

220 :日本@名無史さん:05/01/26 22:27:48
>>218
そのまま世が治まるなら、西南戦争みたいな扱いかと。
誰か一人がずばぬけて英雄のようには伝えられないだろうな。
忠臣伝でも作られれば三成は確実に載るだろうが。

221 :日本@名無史さん:05/01/26 22:30:54
>>219
少なくとも輝元と広家は「実戦に参加しなければ問題ない」と思っていたんだろ。
「輝元は家康に敵対する意志はない」という申し開きが通用すると思っていたようだし。
大坂城を明け渡したあとで問題にされてしまったのは皮肉だがね。

222 :日本@名無史さん:05/01/26 22:50:21
>>221
毛利輝元の名での伏見城明渡しと毛利軍の伏見城直接攻撃に、
「実戦に参加しなければ問題ない」と思っていたんだろ・・・って一体!?
徳川家臣の鳥居元忠を攻め殺しておいてそれはないでしょう。

どこまでも坊やですなw

223 :218:05/01/26 22:54:12
残念だが石田三成や宇喜多秀家では英雄にはなりませんか、やはり。
ところで三成は秀吉に九州で100万石を与えられる話もあったようだが?

224 :日本@名無史さん:05/01/26 22:59:31
>>222
>どこまでも坊やですなw

輝元と広家には酷だが、そう言われても仕方ないな。
海千山千の家康にまんまと手玉にとられたということだ。

225 :日本@名無史さん:05/01/26 23:13:29
>>223
三成に与える話があったのは筑前・筑後の小早川秀秋の領地だから、
当時の石高で35万石程度。100万石というのは作り話だな。

226 :日本@名無史さん:05/01/26 23:20:25
>>224
毛利元就、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景らは、
草葉の陰から歯軋りしているでしょうねw

毛利家は黒田家に感謝しないといけませんね。

227 :日本@名無史さん:05/01/27 00:15:29
>>226
その後キッチリ復讐できたから石田・加藤よりは浮かばれているだろう

228 :日本@名無史さん:05/01/27 00:22:40
秀忠を上田城で封じ込めた、真田を一番とりあげるべきだ

229 :日本@名無史さん:05/01/27 00:47:08
まあ、三成の血は尾張徳川家に入ってるんだけどね。
宗家じゃないのがちと悔しい。以外に水戸には入ってないのな。

230 :日本@名無史さん:05/01/27 01:01:36
>>214
東西の集団構成を語るのが、関が原においてズレているとは思わない。
東国の方が、縦の従属関係が強いので、兵力動員においても有利であり、
逆に西日本は、天下を取る資格に欠けていたとも、いえるわけであるが。
>>215
そのとうりです。要約していただき、ありがとうございます。

元々毛利氏と安芸、備後、石見などの国衆とは、連合政権のように
同格で、支配力の弱さが中国征伐も含め動員の遅さ、少なさとなった。
石高に見合った軍役を負担させることによって軍役を定量化出来るが、
毛利氏の領国全体の検地を行うことが出来たのは、天正16年。
この時でさえ輝元は国人領主をなだめすかし、「殿下の御下知」と、
秀吉の権威をかりてものをいう、なさけなさ。九州出兵時も、
兵力動員に時間がかかり、輝元は秀吉に「諸事手遅」と怒られているので、
地元にも、殿下にも顔がたたず、かわいそ過ぎるともいえます。

231 :日本@名無史さん:05/01/27 01:07:11
>>230
毛利はどうでもいいが同じ中国地方の宇喜多はどうなの?

232 :日本@名無史さん:05/01/27 01:30:42
浮田は八丈島だじょ。備前中納言は裏切らないな。憎きは金吾なり。

233 :金吾秀秋:05/01/27 05:02:21
輝元も、この輝ける勝者の漏れ様のように、
冷静にして正確な判断力と決断力と行動力があればなぁ(´・ω・`)

234 :日本@名無史さん:05/01/27 09:45:32
>>230
毛利家は表高120万石で実習はその倍近くあったと
なんかの本で読んだンだけど、国人達が過小申告したのかな?

235 :234:05/01/27 09:47:11
実習×
実収○

236 :日本@名無史さん:05/01/27 11:04:40
しかし、関ケ原で西軍が勝っていても毛利家はどーだろう。秀元が反乱を起こすとは考えられないか?当然のように秀就←(輝元の息子の名前なんだったっけ?)に嫡男の権利を譲っているが、実子じゃないだけに不満爆発だと思うが。

237 :日本@名無史さん:05/01/27 13:48:53
>>236
そのうち誰かさんが頓死するから(時・場所が違ったとしても)、K早川家に送り出してあげ
ればいいんじゃね? そちらへは再度秀包を送り込むとすれば、裏工作がばれた広家を引
退させてK川家へ入れてもいいし。
秀元は個人レベルではそんなに評判悪くなさそうだし、新・毛利両川の一翼を担えるのでは?

238 :日本@名無史さん:05/01/27 16:56:55
広家は父と兄に比べれば実にできが悪いな。

239 :日本@名無史さん:05/01/27 17:51:36
涙も出ないような情けない広家
涙も出ませんむしろ笑いが先に来ました
もうあきれはててここまでひどいとは思いませんでした
誓詞一つすら守らない 世界中に言いたい、黒田にはだまされるな!
広家を頼らないほうがいい、と毛利本家の人に言いたい
広家を信じるということは、家康にだまされることです
若造としか扱われない
涙も出ない、笑いが先に来る哀れな武将だ

240 :日本@名無史さん:05/01/27 19:57:56
これは間違いなくあの世で元春に叱責くらうな広家。

241 :日本@名無史さん:05/01/27 20:11:53
>>240
広家だけではなく輝元、秀包、秀元の毛利家全員だなw

242 :日本@名無史さん:05/01/27 20:41:44
広家の子供たちは怨んだだろうな。どうせなら本家つぶしとけって。
岩国藩、ずっと支藩扱いで冷遇されたから。

243 :日本@名無史さん:05/01/27 21:32:51
家康も吉川広家や黒田長政や家臣がなんといおうと、毛利をつぶして
トドメを刺しておくべきだったな
トドメを刺していれば、明治維新も起こらなかっただろうに。

244 :日本@名無史さん:05/01/27 21:57:23
>>243
幕末の毛利は暴走しすぎで水戸の二の舞になるはずだったから正直眼中に無い存在。
島津の方にトドメを刺しておけば明治維新は起こらなかったと思うが。

245 :日本@名無史さん:05/01/27 22:14:46
>>243>>244の両名、続きは下のスレでどうぞ

徳川幕府は何故薩長などを取りつぶさなかった?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083303580/

246 :日本@名無史さん:05/01/27 22:20:24
直家も泣いてるだろうな。八郎がうまいことつぶされたから。いくら優遇されても家をなくしたらしまいだな

247 :日本@名無史さん:05/01/27 22:21:01
広島に幕府ができていれば、福山、岡山は今頃、新都心だたのに
残念!

248 :日本@名無史さん:05/01/27 22:27:56
>>247
広島、福山、岡山に新都心の資質は無いよw
関東平野か濃尾平野などの広い平野の方が有利!

さらに岡山は静岡や浜松にも負けてるしなw

249 :日本@名無史さん:05/01/28 00:13:40
>>231
宇喜田氏については、岡山人が意見をいえばよいと思う。
広島人と岡山人は、歴史的にも確執があるので。
>>234
その説は、読んでないのでわかりません。
のちに安芸ではサツマイモが飢饉を救い、平野に恵まれず、
耕地が少ないので、明治以降広島県は、海外移民が多かったという事を
考えると倍近くあったかどうか?
>>247
広島に幕府はいらんわい。明治から戦争が終わるまで軍都じゃったが、
福山も41連隊があったし、不満に思うことはなかろう思うん
ですがのう。天下や中央に色気を出すのは、大内氏以来山口人の仕事。
毛利も山口県に移り、風土から山口県の歴史で安芸に残った国衆等は
広島人じゃ。都会になる必要があるんかいのう。平野の少ない風土が、
わしらの歴史を作くったんじゃし、備後地方を含め、誇りをもちんさいや。

250 :日本@名無史さん:05/01/28 03:33:28
>>247
平野の少ない風土がわしらの歴史を作くったんじゃし、備後地方を含め、誇りをもちんさいや。

誇りを失ってしまったら歴史も失われてしまいますね。

251 :日本@名無史さん:05/01/28 10:07:04
島津は対明貿易のこともあり、つぶせなかった
また辺境の地の鹿児島まで出陣して戦争が長引くと家康体制が揺らぐ可能性があった
島津軍の強さは関が原で見ているだけに簡単には片付かないと読んでいた
長州藩は幕末には財政破綻していて、ヤケクソになって維新を起こすしかなかった
毛利は当時の時代状況からして、つぶすことは可能だった
江戸時代に長州藩の藩士が、足を東に向けて寝ていたというのは有名な話
倒幕は長州藩が動いて、それに薩摩が乗ったという図式だから長州藩、毛利を
殲滅しておけば明治維新は起こらなかった可能性が強い

252 :日本@名無史さん:05/01/28 13:16:17
幕府の体制自体が揺らいでたからどの道何かが起こってるよ

253 :日本@名無史さん:05/01/28 17:52:10
>>215
言っていることおかしくないか?

毛利は吉川を見殺しにしていることになるじゃんw

254 :日本@名無史さん:05/01/28 18:42:02
まだ大垣で時間をつぶしていればいいものを

255 :日本@名無史さん:05/01/28 20:16:05
でも、吉川広家が関が原に時には東軍に内応して不戦してたというが
(それもあったろうが)そんな理由だけで不戦かどうかは疑問だ。
一応あれでも戦国武将でやってきてるわけで黒田や家康が信用しきれる
とは思ってないだろ。

万が一吉川が積極的に西軍に協力して関が原で勝てたとしてもだよ・・
その場に毛利輝元はいない訳で・・
その戦を企画し指揮した副将の宇喜多秀家や三成が立場を強める訳だ。
そして、その場にいたのは輝元の元養子の秀元だ。
 戦後には戦功といった意味で秀元の立場も高まる。
そうなると輝元が宙に浮く。毛利は亀裂を起こす恐れもあったんでは?
三成あたりが必要以上に秀元を持ち上げ、輝元をお飾りで軽視して
毛利内紛を煽る恐れも出たろう。
その際には吉川自身は独立大名にされてしまっていたろう。
 まかりまちがうと徳川を潰した後に今度は宇喜多や三成が毛利を潰そうと
しないとかぎらんだろう。
なんせ毛利は大阪京都の近くで戦後には西軍総大将として加増されでもしたら
徳川以上に危険な外様になりますから。
 あの場では毛利は積極的に動かず宇喜多や三成に必要以上の戦功をあげさせず
なおかつ疲弊させて程よい西軍勝利が理想だったんではないかな。

 そういう観点からは単純に吉川広家は東軍に加担しただけといえるのかどうか。

256 :日本@名無史さん:05/01/28 20:24:50
 関が原で吉川広家、毛利秀元が宇喜多秀家や三成とともに戦功をあげては
戦後輝元が丸裸にされてしまう危険もあったし・・
 吉川広家としては関が原は東軍敗走ぐらいで収まれば御の字かも。
そうすれば、今度こそ輝元を引っ張り出すのでは?
 当時から噂のあったといわれる小早川秀秋の裏切りの危険が無くなり
三成と宇喜多秀家がうまく消耗し、そして家康を一度敗走させれば、
本腰を入れて輝元を西軍総大将として担ぎ出せれば
戦後、毛利の立場は本当の意味で安泰でしょうから。


257 :日本@名無史さん:05/01/28 20:31:58
>>255
>  あの場では毛利は積極的に動かず宇喜多や三成に必要以上の戦功をあげさせず
> なおかつ疲弊させて程よい西軍勝利が理想だったんではないかな。

ここらへんがよくわからん。毛利があまり動かず、宇喜田や三成があまり戦功あげられない
状態って、もはや負け状態な気が。
何とか勝ったとして、動かなかった毛利はいずれ潰されると思う。

258 :日本@名無史さん:05/01/28 22:10:55
毛利輝元と吉川元長は幼少の頃から確執がありそうだけど
吉川広家も毛利輝元に疎まれていたのかもしれないw

259 :日本@名無史さん:05/01/28 22:14:24
 確かに文章めちゃくちゃでしたね。すみません。
毛利があまり動かずとは、最初から毛利軍が激しく動いては東軍が壊滅してしまう
可能性があった訳で、そうなっては輝元が浮き上がって逆に毛利が不安定になるので
「東軍が上手に逃げられる程度に西軍を勝たせる」
ようは家康が逃げてくれれば秀忠の徳川主力は健在なので戦争は継続されますから。

 関が原で宇喜多や三成が激しく戦って結果勝てても、家康が生きていれば戦争は続くわけで
毛利の出番はいくらでもあるかと・・
その次の戦い以降に輝元を引っ張り出して総大将として下知させて、そこで徳川を破れば
論功行賞は輝元が口火を切る事も出来たんじゃないでしょうか。

そういうつもりだったんですが。

260 :日本@名無史さん:05/01/28 22:27:20
>>259
毛利軍の活躍で東軍を壊滅させて不都合なの?
佐和山19万4000石の石田三成やごたついたばかりの宇喜多秀家がそんなに怖いかな〜?

合戦が長引けば体力の無い西軍の方が厳しいと思いますが。

261 :日本@名無史さん:05/01/28 23:48:58
吉川広家は、勇将であっても知将ではなく、小早川隆景が急死したおり
「せめてあと五、六年ながらえてくれたら」と輝元に手紙を送っている。
その輝元も口が軽く、判断力があるとは思えん人物。

秀吉は、養子の関白秀次から官職を剥脱したあとも、「東国は家康、
西国は輝元、隆景が支配し嫡子秀頼に奉公を」と毛利家に求めた。
隆景がいれば毛利氏は、家康に対抗出来て勢力均衡となると思い、
楽観的に考えていたのであろうが、一族のまとめ役隆景を失って、
毛利家は、他者に依頼心をもつ者ばかりとなった。

262 :日本@名無史さん:05/01/29 01:35:33
>>259
なるほど。しかしたとえ家康が逃げられても野戦の名将家康に勝ったという
実績は大きいように思えます。毛利ががんばらず石田や宇喜田が奮戦して
勝ってしまうとなおさら石田、宇喜田の戦功大となり、その後の毛利の発言権が
低下してしまうのでは。
どっちにしろ関が原で家康に勝てば輝元は出てくるでしょうし、元から西軍の
総大将に担いでいた訳ですから輝元は粗略には扱われないでしょうが、
発言権は少なくなるのでは。
さらに広家・秀元は、関が原が祟って、その後奮戦して戦功上げてもだいぶ
割り引かれてしまうかも。むしろ西軍諸将の冷たい視線の中、身の証を立てる
ために奮戦せざるを得ないかも。

263 :日本@名無史さん:05/01/29 10:02:57
>>260
普通に考えて事が長引けば、秀頼を擁する方が圧倒的に有利と思われ

264 :日本@名無史さん:05/01/29 11:03:27
ここは三戦版か?

265 :日本@名無史さん:05/01/29 16:31:59
今の三戦をなめてもらっては困る。

関ヶ原スレの酷さはこんなもんじゃないorz

266 :日本@名無史さん:05/01/29 17:24:54
光成は義満の大内と山名に対する政策を踏習したかもしれないな

267 :吉継:05/01/29 17:47:45
ギンゴザーン
ナズェナゼェボゥガンシデルンデェズゥ
オンドゥルラギッタンディスカー

268 :日本@名無史さん:05/01/29 18:26:07
>>263
豊臣家が西軍と思っているとはめでたいなw

269 :日本@名無史さん:05/01/29 18:40:39
家臣同士の争いなのにな。秀頼が西軍にいたら東軍の豊臣恩顧の武将はたまげるだろうな。 家康と三成の対立ぐらいに理解していただろうから。

270 :日本@名無史さん:05/01/29 18:50:48
西軍=豊臣方
は明治以降、薩長政府が捏造した虚構

271 :日本@名無史さん:05/01/29 19:40:22
関が原に豊臣直属の黄衣隊が3000、三成後方に参陣してるよ
かなり積極的に支持していたものと思われ
ただし、負けても豊臣に類が及ばぬように細工してたとは思うが。


272 :日本@名無史さん:05/01/29 19:48:56
ようするに広家は、来るべき徳川政権も現状の豊臣政権同様、中世的な大領主が
生き残る政権だと思っていたわけだよな。ただまぁそれを持って先見性無しとして
責めるのは無理だけどね。この時代で近世的な中央集権政権構想を持っていたのは
家康と三成だけだから。
結果論から見れば、毛利小早川などは三成側に付いた方が高く売れたはず
(江戸幕府の伊達や前田のような扱いになっただろう)だが、この時点での
三成と家康のどちらに自家を託すかといったら…

あと、基本的に小早川は東軍でしょ?
一瞬、関白職に色気が出て揺らいだだけで。
だいたい、関が原で野戦しなけりゃならなくなった原因は、東軍所属である
小早川が西軍の留守居を追い出して松尾新城に入ったからでしょ?

273 :日本@名無史さん:05/01/29 20:20:52
>>271
石田も福島も大野も黄母衣衆も、秀頼の家臣という意味では同じなのだ

274 :日本@名無史さん:05/01/29 20:21:50
>>271
豊臣秀頼に御出座を拒否されて積極的と語るとは恐れ入ります!
君はもう少し知恵を補給しなされw

275 :日本@名無史さん:05/01/29 20:32:59
>274
おまいにだけは、言われたくないよ


276 :日本@名無史さん:05/01/29 20:38:56
>>271
豊臣家は関ヶ原合戦を家臣間の争事と見ていますので西軍に加担はしていませんぞ

277 :日本@名無史さん:05/01/29 20:51:49
表向き、家臣同士の争いということにして、どっちが勝っても
影響が及ばないようにしただけだろう 自家保存策だろう
軍資金をひそかに三成に渡しているだろう
あれだけの戦争するには大金が必要、とても石田19万石ほどで
調達は不可能だ
家康には、上杉征伐の名目で大金を渡してるしね

278 :日本@名無史さん:05/01/29 20:53:47
黄母衣衆?七手組のことを言っているのか?

279 :日本@名無史さん:05/01/29 20:56:16
ホロホロ鳥が鳴いている。

280 :日本@名無史さん:05/01/29 20:58:11
駄スレになったな。

281 :日本@名無史さん:05/01/29 21:08:42
>>280
2chらしいと思うがなw
良スレを求めている君はヒッキー君!

282 :日本@名無史さん:05/01/29 21:23:59
黄母衣衆だ  黄母衣衆
七手組は城番だから出てこないさ




283 :日本@名無史さん:05/01/29 22:12:39
城番?七手組はもともと親衛隊だぞ。 役割は黄母衣と変わらん。豊臣家に黄母衣衆なんて存在するのか?

284 :日本@名無史さん:05/01/29 23:59:24
もし西軍から東軍大名に裏切りを要請する文書が見つかったら面白い
けれど、勝敗の決した時点で廃棄している筈だから無理か・・・・・

285 :kk:05/01/30 00:09:56
>284
そんなのいっぱいあったに決まってるでしょ。

286 :日本@名無史さん:05/01/30 00:26:31
お手紙攻勢はどっちもしてたよな。
三成からもらったのはやっぱ家康にすぐ差し出すか捨てちゃうか

287 :日本@名無史さん:05/01/30 14:19:55
てか、
三成はほんとはやる気なかったんだろ?
7武将に襲撃されて責任取るという名目で奉行職をあっさり引退して
しまったけど、たぶん自分が奉行職にとどまってたら、豊臣家臣団の
分断を招き、豊臣家を危機に陥れると考えたんじゃない?
それをみて慌てたのが家康。豊家の内紛にかこつけて権力を奪取しようと
覗ってたが、その野望は三成の引退であっさりかわされてしまった。
そこで、西軍が挙兵するようしむけるため、わざと「上杉討伐」の名目
で大軍をを率いて東に向かった。
これに宇喜多や安国寺らがまんまと乗せられて、いまこそ家康を倒す
チャンスとばかりに兵を挙げてしまったんだろ。
まあ、三成は彼らに、無理やり大将に担ぎ出されたってとこだろうな。

288 :日本@名無史さん:05/01/30 14:57:48
だとすると宇喜多秀家の夜襲案、大垣城での籠城案を通るのではないかね。

289 :日本@名無史さん:05/01/30 15:00:07
間違えた
籠城案を → 籠城案が

290 :日本@名無史さん:05/01/30 23:13:24
家康は福島とかが敵に回って三成とかが味方になってくれた方がよかっただろうな。
勝てるなら。

291 :日本@名無史さん:05/01/31 01:14:39
その根拠はなんだ?

292 :日本@名無史さん:05/01/31 01:46:50
10万石ちょいの官僚奉行<<<<<<<<<<<<<<<<<20万石超える秀吉の従兄弟の武闘派大名

293 :日本@名無史さん:05/01/31 02:34:31
三成は異質だよな
封建体制下の人間というよりも明治大正あたりの有能な官僚って感じ。
ああいうのが政権中枢でその後も活躍してれば日本は違った国になってたんだろうなぁと

294 :金吾秀秋:05/01/31 05:11:20
まったく異質なやつだぜ(´・ω・`)

295 :日本@名無史さん:05/01/31 06:04:45
>>275
負け犬の遠吠えになっているぞw

296 :日本@名無史さん:05/01/31 06:13:35
>>290
それはダメだろう。
五大老の上杉家、毛利家、宇喜多家が敵に回らない。
五奉行の石田家、増田家、長束家が敵に回らない。

豊臣家の力や協力者を効果的に一度で削ぎたい。
2回、3回といちいち小規模合戦はやってられない。

297 :日本@名無史さん:05/01/31 06:21:33
福島正則や加藤清正、加藤嘉明、浅井長政、蜂須賀家政、黒田長政らは後でどうにでもなる。
前田利家亡き後の前田家は徳川側に取り込んだ方が得策。(できれば国替したいけどw)

298 :日本@名無史さん:05/01/31 06:24:07
>>297
訂正
×浅井長政→○浅野長政

すまない!

299 :日本@名無史さん:05/01/31 18:00:57
>>296
どっちにしろ家康が専横続ければ上杉・宇喜田あたりは三成いなくてもおもしろく
思わなかったと思う。
で、三成・長束らが家康について、三成嫌いの両加藤・福島が上杉・宇喜田・毛利
と組んで家康に反抗、とか

天下人家康としては手に入るなら三成・長束の方が欲しかったと思うんだ。
福島の利用価値だった「豊臣家の忠臣」というお題目は三成でも代替効くと思う。



300 :日本@名無史さん:05/01/31 19:20:05
>>299
宇喜多秀家は唐入の際は石田三成、大谷吉継、増田長盛と同じ編制部隊ですから仲が良いし、
上杉景勝も配下の直江兼続が石田三成と仲が良いですから厳しいと思いますよ。

福島正則&加藤清正は上杉家&宇喜多家と接点があるのかな?

301 :日本@名無史さん:05/01/31 20:53:26
だめかー。あの段階で三成が家康についちゃうと、関が原起こりそうにないね・・・

302 :日本@名無史さん:05/01/31 21:48:20
三成は今でいうと、メガネをかけた青白い顔した財務官僚みたいなもんだろう
人気はないわけよ


303 :日本@名無史さん:05/01/31 22:14:23
>>302
そうとも言い切れんようです。
彼には人望がなかったとよく言われますが、
交友関係はとっても広かったようですよ。
肖像画もよく見ると気さくな感じがします。
みんなに頼りにされ、けっこう人気者だったんと
ちゃいます?

304 :日本@名無史さん:05/01/31 23:41:07
>>302
人気が無かったのは福島正則や加藤清正などの武闘派だけで別に全員に人気が無かったわけではないですよ。
石田三成の政治上の立場が問題なだけでしょう。(目立つ武功が少ないですからね。)
人気が無いというなら、今でこそ京阪で人気のある豊臣秀吉ですが、当時は虫けらの様に嫌われていますよw

305 :日本@名無史さん:05/01/31 23:42:45
>>301
ダメという訳ではないですよ。
接点が欲しいところですね。

306 :金吾秀秋:05/02/01 00:09:31
>>303
実は、漏れ様も、そうだったんだぜ(´・ω・`)

307 :日本@名無史さん:05/02/01 01:16:19
>304
大谷ですら三成の人格を問題にしているのに・・・

つか↓のソース キボンw
>京阪で人気のある豊臣秀吉ですが、当時は虫けらの様に嫌われていますよ

308 :日本@名無史さん:05/02/01 01:36:59
>>304
大谷の問題
刑部の指摘は治部の権力者のような指示の仕方、妥協の無いところだと思います。

秀吉の嫌われよう
十首→犯人の十七人は残虐に処刑されています。


これではダメですか?


309 :日本@名無史さん:05/02/01 01:38:58
>>308
スミマセン。
レスアンカーは>>307です。

310 :日本@名無史さん:05/02/01 02:59:45
>>308
漏れのソースは↓
「貴殿は諸人に対して礼儀作法ともに横柄がある、と諸大名をはじめ下々の者までが取り沙汰しているようだ。
人の上に立って事を成すには世の人気を得なければならない。そのことをよくわきまえ、このたびの大事も
安芸中納言殿(毛利輝元)と備前中納言殿(宇喜多秀家)とを上に立て、貴殿はその下について事を進めるように
しなければ上手くいかないと思う。それと貴殿は知恵才覚については並ぶ者はないが、勇気の点では欠ける様に
思われる。企てには安芸中納言、備前中納言殿のほか諸大名も一味するだろうが、根本は貴殿なのだから、
そこは人より先に身命をなげうつ覚悟を決めていただきたい」
>全員に人気が無かったわけではないですよ
↑のソースはなんでしょうか?

観桜の宴等の、金銀ばら撒き政策&人気取り(w)で太閤在世時を偲んだという話はありますが、
秀吉が現在の京阪限定で人気があるという書き込みには、たいした根拠はなさそうですね。

311 :日本@名無史さん:05/02/01 03:54:04
>>310
>全員に人気が無かったわけではないですよ
もう一回スレを読んで下され。

そうですか。
今でも豊臣秀吉は人気がないのですかw

312 :日本@名無史さん:05/02/01 17:13:41
司馬が書いた(関ケ原)なんかあてになるのか。 あれはしょせん空想の話だ。手紙ならば信頼できるが。

313 :日本@名無史さん:05/02/01 17:53:20
そうだ!三成本人に聞こう!という事で霊媒師を呼んだ歴史ムックがあるのは
本当だ。(群像じゃないよ)

314 :310:05/02/01 21:46:05
ソースと言っておきながら典拠を書き忘れているな漏れ・・・スマソ>all
『名将言行録』巻之三十三

315 :日本@名無史さん:05/02/01 22:46:39

35歳/男性/既婚/年収500万/パートナー有

>>310 歴史上の人物像を探るとき、文献は頼りになりません。
人物像は主観の入り込む余地が多きすぎるのです。考えてみて
ください。同列もしくは、格上の武将に対して「貴殿は勇気の
点では欠ける」と大戦を前に言えると思いますか。おそらく思
ってても言えないと思いますよ。


316 :310:05/02/01 22:51:05
もう漏れ、おちるから・・・
ゴキゲンヨウ

317 :日本@名無史さん:05/02/01 23:44:33
>>315の信じられるモノは自身の脳内ソース

318 :日本@名無史さん:05/02/02 21:20:17
ところで、
関ヶ原で東軍圧勝とはいえ、それでもなお西軍が圧倒的有利な
状況は変わらなかったと思える。
西軍諸将が大坂に落ち延びて篭城戦に持ち込めば、その後の展開は
どうなったか?
後の大坂冬の陣であれだけ徳川方を苦しめた、当時国内最大の防御力
をほこった大坂城。もし、おそらくは秀吉の腹心として大坂城の特質を
知り尽くしていたであろう三成が指揮をとり、篭城戦を展開していたなら
東軍は万が一にも勝ち目はなかったのではあるまいか?
西軍側には毛利輝元の2万とも4万とも言われる大軍が無傷のまま
残っていた。
また西軍が秀頼を擁して戦えば、東軍についた豊臣系大名の士気はおおいに
そがれたであろう、さらにいまだ彼らの妻子は西軍に人質に取られていた。
大坂城を攻めるのに、秀忠の軍勢を足してもなお東軍は兵力が少なすぎた。
冬も迫りつつあり、やがて東軍は戦を継続するのが困難な状況に直面する。
飢えと寒さで餓死者が続出。
東北では伊達政宗が謀反の動きを見せ始めていた。大坂の戦争が長引けば
上杉、伊達、佐竹の連合軍が江戸侵攻を開始する可能性もあった。
東軍は行き場を失い、自壊するのも時間の問題だったような気がする。

319 :日本@名無史さん:05/02/02 21:47:39
何がところでなのか、よくわからんが
三戦板に帰っとけ>>318

320 :日本@名無史さん:05/02/02 21:53:33
石田三成はあまり勝つ気がなかったのではないか?
勝つつもりなら、関が原決戦の前に島津義久の進言を入れて
岡山に到着したばかりで疲れている家康軍に夜襲をかけるべきだった
または関が原で決戦をせずに大阪城まで後退しながら東軍を
引っ張り込む作戦もとれたはず
むしろ、家康の天下にするために不平分子を集めて挙兵して
ぜんぶまとめてゴキブリホイホイにしたという感じもする
家康の晩期の言に「わしが天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげ」
ということもいっている
けっこう、敵対したように見せて、ア・ウンの呼吸での大芝居だったかも
しれない
戦争時期も長く遅らせて、稲の刈り取りが終わってから決戦したようだし
なんだか、出来すぎているような気もする

321 :日本@名無史さん:05/02/02 22:15:08
まるで陳舜臣的な考えだな

322 :日本@名無史さん:05/02/03 00:55:24
まず大阪城に立てこもることは不可能。あくまで豊臣家の家臣同士の争いだから。第一秀頼が島津と八郎は着陣直後の家康に夜襲をかけると三成に進言しています。退けられ島津は気を悪くしています。

323 :日本@名無史さん:05/02/03 00:58:17
妻子なんか殺してもマイナスになるだけだ ガラシャが自害し怒り狂った忠興君を知らないの?

324 :日本@名無史さん:05/02/03 01:06:59
>>323
これこれ!
細川ガラシャを自害したとか捏造しないで下さいw

325 :日本@名無史さん:05/02/03 01:32:16
自害したんじゃないの?どーやって死んだか教えてください

326 :日本@名無史さん:05/02/03 01:43:32
>>325
検索されよ!

327 :日本@名無史さん:05/02/03 08:16:51
確かに自害ではないな。











どーでもいいことだが。


328 :日本@名無史さん:05/02/03 11:53:16
>>327
それでは西郷隆盛も楠木正成も自害ではない。

329 :日本@名無史さん:05/02/03 13:00:47
秀吉の人気とか光成の人気とか、いいかげんやめれ。

330 :日本@名無史さん:05/02/03 19:48:24
>>310
それ有名でよく目にするけど、けっこう怪しいもんだな。
関ヶ原における毛利輝元のへたれぶりを見るにつけ、
彼に三成ほどの勇敢さがあったのか、人望、カリスマが
あったのかも疑問。
宇喜多秀家公にしても、確かに彼は豊臣一門に準ずる扱いを
受けていて、豊臣系大名は彼にとってはいわば家来のような存在。
にもかかわらず福島正則などは、関ヶ原では彼をためらうこともなく
真っ先に攻撃している。けっこう軽く見られてたのでは?
結局太閤の威光あっての秀家だったのでしょう。むしろ
彼が三成を頼る立場にあったのではないか?

大谷が
「安芸中納言殿(毛利輝元)と備前中納言殿(宇喜多秀家)とを上に立て、
貴殿はその下について事を進めるように 」
などと本気で言ったとしたとすれば、彼はボケてたと思うね。


331 :日本@名無史さん:05/02/03 20:42:10
三成は領地が小さいからね。
大大名の毛利・宇喜多の看板を借りろ、神輿に担げってことでしょ。

332 :日本@名無史さん:05/02/03 20:56:52
福島正則は、清正より石高少なかったときに、俺のほうが
親等が低いのになんでだと秀吉に文句言ったからな。
むしろ反感持ってたかもしれん。

大谷の忠告は、そいつら表に立てて、お前は逃げ道用意しとけ
って事だったりして

333 :日本@名無史さん:05/02/04 01:46:03
関ヶ原が豊臣家の家臣同士の争いというのは
東軍が勝ったからそう見られるのじゃないのか
(最終的には、逆賊三成を秀頼の後見人である
家康が討ったという形になるが)
普通に考えれば、総帥輝元以下10万以上の軍勢
が大阪城に集結した時点で中立なんて言ってられない。

334 :日本@名無史さん:05/02/04 02:09:52
前田利長、浅野長政は家康に圧力かけられて屈服した形に
なっていたから西軍に味方しても不思議じゃないんだが。
あと、あまり出てこないけど増田長盛こそ最低の男なんだよね。

335 :日本@名無史さん:05/02/04 02:33:42
確かにそうだ、毛利輝元が動かなかったのも増田や前田の工作
の可能性がある。
金吾は最初から家康側だったと言えなくもないが、増田長盛
は首謀者の一人でありながら不穏な行動を起こしているあたり
は弁護の余地がない。
いったい何がやりたかったのか?


336 :日本@名無史さん:05/02/04 03:23:06
そんなもんだって

337 :日本@名無史さん:05/02/04 04:50:16
>>334
浅野幸長は石田三成と仲が悪いから西軍に味方するかな〜?

338 :日本@名無史さん:05/02/04 07:34:59
>>337
石田三成は、福島正則でさえも味方につくと勘違いしていたから、
三成の妄想の中では何でもあり。

339 :日本@名無史さん:05/02/04 08:27:11
三成がもう真田とかに連絡取るだけで後はまったく中立装って
兵も出さなきゃ、果たしてどれだけ東軍から西軍に鞍替えする
だろうか。なんならまったく中立でも。
あまりいないような希ガス
福島も清正も反三成は、それでそうなんだけど、それに関係なく
親家康の要素あるんだよね。
いっそ三成が東軍にいても、東軍にいたかも。

340 :日本@名無しさん:05/02/05 09:33:45
三成が挙兵しなきゃ、家康が上杉を攻略してお終い。
東軍も西軍もないと思う。
家康が一時政権を握るけど、関ヶ原がなければ豊家の石高は変わらないし、
幕府は開けないだろう。
家康死後は淀君派の小西あたりが政権を動かす。
清正や福島は三成を排除しても五大老はおろか、五奉行にもなれない希ガス。

341 :日本@名無史さん:05/02/05 15:00:07
豊臣の石高が変わらない?それ言ったら関ヶ原もだろ?景勝一人だけが相手だろーと家康は勝手に豊臣領地をばらまいたはずだ

342 :日本@名無史さん:05/02/05 15:30:12
まあ340は反徳川勢力の総力といいたいんだろう。
しかし三成は断が早すぎた。ジリ貧を恐れてドカ貧を招いたわけだ。

343 :日本@名無史さん:05/02/05 16:03:44
三成は戦わなかった方が自分の目的を達成していたかもな

344 :日本@名無史さん:05/02/05 16:08:41
>>342
上杉が滅ぼされてからでは状況は悪くなる一方だろう。

345 :日本@名無史さん:05/02/05 16:39:47
確かにじわじわ天下乗っ取られる方が豊臣家は残ったかもな。
上杉・毛利・宇喜多の3大老がちゃんと組んで家康を掣肘できなかった
時点で豊臣の天下はもうだめぽ

346 :日本@名無史さん:05/02/05 20:06:48
>>344
上杉の蜂起自体三成の決起が前提にあっての行動じゃん。
家康にも寿命はあるわけだし。


347 :日本@名無史さん:05/02/05 20:15:01
一番の打撃は前田家が徳川家の傘下に組み込まれたことだでしょう。

348 :日本@名無史さん:05/02/05 21:03:39
>>342,>>343
まあ、三成が積極的に家康打倒を推し進めようとしたかは疑問だな。
彼も、家康などどんなに強い態度で他の大名に接しようが、
せいぜい豊臣の家臣としてしか振舞えないことは分かっていたし、
家康ももう年だしそう遠くない将来死ぬだろうと考えてたと思うよ。
兵を挙げたのは、「親友」直江兼続の危機を放って置けなかったか、
はたまた宇喜多あたりに挙兵をせがまれたから・・・?
三成も、自分が敗れ処刑された後、徳川が将軍となり、豊臣が
圧迫されていくだろうとはよもや夢にも思っていなかったと思う。
秀頼を差し置いて天下人としての役職を得ることには大義名分
がないから。関ヶ原に勝利しても所詮豊臣の家臣としての
行動であり、今後も豊臣の家臣として生き続ける、そうせざるを
えないと思ってたんじゃないか?
そこが甘かったわけだ。

349 :日本@名無史さん:05/02/05 21:31:45
戦国時代は実力主義の時代だから、実力のある者が天下を治める
諸大名もそう考えていただろうし、家康も当然そう考えていた
だから、ごく当然として天下一の実力のある家康が天下を取った
そのあたりのことが、淀君が女のあさましさでわからなかった
大阪城という巨城に住んで、頭がボケタのではないか?
「雌鳥鳴いて、国滅ぶ」の見本みたいなケースだね

350 :日本@名無史さん:05/02/05 21:47:06
>>348
そんなことを言い出すと秀吉の天下自体、名分がないけどな。

351 :日本@名無史さん:05/02/05 21:57:39
家康は寿命負けするだろ

352 :日本@名無史さん:05/02/05 22:04:03
>>348
三成も、自分が敗れ処刑された後、徳川が将軍となり、豊臣が
圧迫されていくだろうとはよもや夢にも思っていなかったと思う。

それはないでしょう。
天下は力ある者が手にするものという論理を持つ家康の行動は露骨です。

353 :日本@名無史さん:05/02/06 02:22:29
まだまだ戦国の気風が色濃く残ってた時代だから
それに秀吉自身信長の臣下だったのに天下取っちゃったんだから


354 :日本@名無史さん:05/02/06 09:27:52
>>346
そうは言い切れないと思うが、
仮に決起をしなかったなら、謀反を企んだ罪で減封するだけでしょ。

355 :金吾秀秋:05/02/06 10:59:27
そしたら、この輝ける勝者の漏れ様が、
余計もらっちゃうじゃないか(´・ω・`)

356 :八郎秀家:05/02/06 11:43:07
金吾。俺も豊臣家捨てるわ 国元の家臣が暴れてんだよ

357 :金吾秀秋:05/02/06 13:13:23
政治力無いヤシは、お家騒動で取り潰しになるからね(´・ω・`)
そしたら即セプークだからね。
散々逃げ回ったあげく無様な姿さらして八丈島に行くほうが幸せだよ。

358 :日本@名無史さん:05/02/06 13:18:07
秀家は待遇いい方だよな。気候はいいし、敬われるし。
前田家から色々届くし。

359 :八郎秀家:05/02/06 13:24:57
そうそう。 豪がいろいろ送ってくれてるよ あいつ意外といい奴だなちなみに今島津にお世話になってんだけどここもなかなかいいとこだぞ 金吾もくるか? 最近、悪夢よく見るんだろ

360 :八郎秀家:05/02/06 13:35:36
そうそう豪はまだ何も送ってくれてないや あいつが送ってくれるのはまだまだ先の話だ

361 :日本@名無史さん:05/02/06 17:24:13
その前に福島正則の酒

362 :日本@名無史さん:05/02/06 19:49:53
秀秋は梅毒で死んだの?それなら西軍について関白になっても
長くはなかったって事だね。むなすぃ


363 :日本@名無史さん:05/02/06 21:07:20
秀秋は関が原の後、父隆景以来の家臣に見捨てられて逃げられた
あげく、城下町を通行中に、町民だか農民だかにチンコ蹴られて
悶死した、というのを何かの本で読んだことがある。

364 :日本@名無史さん:05/02/06 21:16:01
>>363
色々荒唐無稽な説が多すぎて、ぶっちゃけ真相は不明。

365 :日本@名無史さん:05/02/06 21:19:27
金吾は農民を無礼討ちにしようとして、農民に逆襲されて
クワで殴り殺されたという説もある
ろくな死に様ではなかったのは確かだろう
ほかに、あまり乱行がひどいので家臣に殺されたという説もある

366 :日本@名無史さん:05/02/07 01:22:33
>>363-365
真相はともかく、そんな悲惨な伝説ばかりとは
相当嫌われてたことだけは確かだな。
そう考えると、秀秋の行動は当時から
かなり評判悪かったということかな。



367 :日本@名無史さん:05/02/07 08:08:08
そりゃ宇喜多の旧領に封じられるんだもんなー
領民の印象は悪いわな


368 :日本@名無史さん:05/02/07 08:37:57
徳川が金吾ひとりを悪者に仕立て上げたと思われ。





おまけに西軍にも嫌われてるから救いがない。



369 :日本@名無史さん:05/02/07 21:35:07
家康と黒田長政がせいぜい数百石くらいの器量しかない金吾を
数十万石の太守にして、二人で腹を抱えて大笑いしたという
逸話もある 行く末は見えていたのだろう

370 :日本@名無史さん:05/02/07 21:55:15
長生きしても機会見つけてつぶすつもりだったろうしねぇ
乗り換え技能を持ってないやつが裏切るとろくなことがないという
見本だな。

371 :日本@名無史さん:05/02/07 22:47:48
長生きしても宇喜多秀家のように八丈島で行き晒しというのもなw
小早川秀秋はいい時期に死んだと思うよ!

372 :日本@名無史さん:05/02/07 22:53:02
確かに小早川秀秋はあれ以上生きても幸せにはなれなかったろう

373 :日本@名無史さん:05/02/08 13:42:23
>>344
はたして上杉が滅ぼされてたか解らんよ

374 :日本史@名無しさん:05/02/08 14:25:23
んだな。管領になって武門の頭領(自称)だし、厳封されてあんなところにやられたけど、
野心もあればそれ以上に戦で一戦したい気持ちはあったろう。

それに全土が要塞化してるから易々とおちることはなかったはず。

375 :日本@名無史さん:05/02/08 19:55:44
>>374
易々と落ちることがなかったとしても、味方が全くいなけりゃ
そのうち滅びるよ。
北条氏がいい例だ。


376 :日本@名無史さん:05/02/08 20:25:45
最上領を取って長期持久って構想もあっさり頓挫してたしな

377 :日本@名無史さん:05/02/08 21:38:30
>>330
福島正則らは宇喜多を軽くみていたのではなくそれだけ家康を重く見ていた
のでしょう。
宇喜多は準豊臣一門だし秀秋はバリバリの豊臣一家ですが
彼らと比較しても・・

 関が原に出陣していた中で唯一大名として伝説の武田信玄とか織田信長と
同じ時代を同格の大名として渡り合ってきた、しかも小牧長久手では
あの無敵の主君秀吉すら破っており、あの秀吉ですら実の母を差し出して
頭を下げて家臣になってもらったなる逸話が残るほどの人物で
 石高は豊臣家すら凌ぎ、しかも家臣は堅忍不抜の結束を誇る三河以来の譜代
 しかも、秀吉から自分亡き後の天下政務の差配を依頼されたのは家康であり
これだけの事例を挙げればねぇ。
結局、秀吉は主君だけど身内でも実力の無い奴らにまで遠慮している必要は
感じなかったのでしょう。

378 :日本@名無史さん:05/02/09 03:30:40
それに当時家康はまだ律義者としてのプレミアがあったしね

379 :日本@名無史さん:05/02/09 18:44:52
>>375
表面だって策動しなければ問題ないでしょ。
政権構成勢力なんだから。北条とはぜんぜん違う。

380 :日本@名無史さん:05/02/09 20:35:10
>>379
>表面だって策動云々
の主語は誰だ?上杉か?三成か?
上杉征伐にあたっては秀頼の名で諸大名に動因かけてるから
すでに政権構成勢力とは言えないと思うが。


381 :日本@名無史さん:05/02/09 20:38:55
>>380
動因でなく動員でした


382 :日本@名無史さん:05/02/09 20:46:58

なんで動員かかってからの話になるのかね?


383 :日本@名無史さん:05/02/09 20:49:24
つまり、前田家同様に服従すべきだったってこと?


384 :日本@名無史さん:05/02/09 21:00:04
>>382
>>380は動員が好きなんだろw

385 :日本@名無史さん:05/02/09 21:25:47
あほくさ。
服従と反抗の単純な2分割でしかものを考えられないのかい。

386 :日本@名無史さん:05/02/09 23:36:24
あの時代はその2つが全てでは?


387 :日本@名無史さん:05/02/09 23:46:47
家康を挑発する直江状なんてださずに、秀頼様にさからう気なんかないよと
他の大老その他有力大名に根回し攻勢して家康が攻めにくい、無理押ししたら
浮くような手は取れなかったものか

388 :日本@名無史さん:05/02/10 03:30:05
>>387
直江状は、後世の創作であるという説が有力なんだが・・・
まあ、それはともかくとして上杉がそういった工作を全くしなかった
とは思えない(上洛を拒んだのは確かだが)。
そもそも、そういう裏工作は家康のほうがはるかに上手
上杉は政略で敗北したと見るべきではないだろうか?

389 :日本@名無史さん:05/02/10 03:58:01
っていうか、景勝は、呼ばれたらさっさと上洛しとけばよかったのにね。


390 :日本@名無史さん:05/02/10 08:37:46
豊臣秀吉は会津国替を上杉家にしないで佐竹家に命じるべきだったな。
置賜地方は最上家に与えておく。上杉家はそのまま。

堀秀治は越後を治めるほどの力量があったのか?

391 :日本@名無史さん:05/02/10 10:50:11
そうしたら猿の勢力均衡の構図が崩れるでしょ 義理深い上杉の家風に頼み大封を与えたんだよ。一大事があった時は豊臣を助けてくれるように。山崎以来の堀や北条後の最上よりは頼りになったんだろう。

392 :日本@名無史さん:05/02/10 11:11:47
文禄四年の事件がなければ最上家も頼りになっただろうに。
蒲生氏郷と豊臣秀次の死の影響は大きいな。

>>391
山崎合戦以来とは言っても堀秀治はその時まだ子供だからな〜。
関ヶ原合戦の際も上杉側の一揆と戦っていたが頼りになるのか疑問だ?
まだ、大谷吉継や小西行長、毛利勝信、立花宗茂の方が頼りになりそう。(真田昌幸は却下!)

393 :日本@名無史さん:05/02/10 11:23:42
うまく伝わらなかったみたいね。 堀や最上よりは上杉の方が頼りになったんだろうってことを言いたかったんだ!

394 :日本@名無史さん:05/02/10 11:25:09
>>391
猿の勢力均衡の構図が崩れるでしょ

何で?

395 :日本@名無史さん:05/02/10 11:28:00
>>393
越後の話じゃないのね。

佐竹家はダメか?

396 :日本@名無史さん:05/02/10 14:45:23
秀長と氏郷がいれば…

397 :日本@名無史さん:05/02/10 15:11:10
義宣は暗くないか?領国平定した時のように何するかわからん。

398 :日本@名無史さん:05/02/10 18:49:23
福島正則が合力してくれるなんて家康は不思議でしょうがなかっただろうね。w

399 :日本@名無史さん:05/02/10 19:05:44
>>398
別に不思議ではない。

秀吉に任された徳川家康は豊臣家になくてはならない存在。
福島正則にとっては徳川家康は豊臣家を守る仲間にしか見えていないかもしれない。
豊臣家の奸臣に見える石田三成は福島正則にとって一番の最大の敵でしかない。。

400 :日本@名無史さん:05/02/10 19:15:02



401 :日本@名無史さん:05/02/10 19:17:23
>>394
小早川隆景、直江兼次、堀直政

402 :日本@名無史さん:05/02/10 19:44:48
つーか秀長生きてたら関ケ原起こらないと思うが? 起きても豊臣恩顧揃って家康を血祭りにあげてるよ

403 :日本@名無史さん:05/02/10 19:58:10
とりあえず徳川家康に対抗できる人物としては(生きていれば)
豊臣秀長、小早川隆景、前田利家、あとは蒲生氏郷、堀秀政
がどうかというところでしょうか。
全員関が原の時点で死んでいたしなww
誰か1人でもその時点まで生きていれば関が原も起きなかったろうに。

404 :日本@名無史さん:05/02/10 20:59:24
>>403
堀秀政ってそんなにすごいのか?
長曾我部元親の方がマシに思えるがw

小早川隆景を入れて吉川元春が入っていないというのもな〜

405 :日本@名無史さん:05/02/10 21:08:33
秀吉の子飼いの福島正則や加藤清正が、家康に味方するとは家康は
幸運だった 後年、そのことを部下に「肝が冷えたわ」と述懐している
家康の目が黒いうちには、福島、加藤を処断しないが、「死んだら
始末しろ」と、ひそかに土井利勝に命じている
両家とも哀れな末路をたどった 石田三成も死の前にそれを予言している

406 :日本@名無史さん:05/02/10 22:06:27
確かに秀政は名将じゃないな。元春、元長は入れたい。

407 :日本@名無史さん:05/02/10 22:35:11
長曾我部元親はいてもいなくてもねーまだ堀秀政の方がましでしょう。
吉川元春の場合は豊臣家自体に良い感情を持っていないので、
これまたいてもいなくてもどういう行動取るかわかんね。

 ということで、【この武将が生きていれば関が原はないだろう】は
豊臣秀長、小早川隆景、前田利家、あとは蒲生氏郷、吉川元長でよろしいか?



408 :日本@名無史さん:05/02/10 22:39:10
豊臣秀次といってみるテスト

時点、羽柴秀勝、豊臣秀保

409 :日本@名無史さん:05/02/10 22:46:54
秀次は重要だな!

410 :日本@名無史さん:05/02/11 03:23:12
池田恒興、森長可、丹羽長秀

411 :金吾秀秋:05/02/11 05:17:01
 |
 |ω・`)
 |

412 :日本@名無史さん:05/02/11 14:29:25
>>403
家康も当時としてはすでに高齢だったし、あせりはあったと思うよ。
もし健康を害してたら、敢えて戦にうってでるようなことはせず、
三成に頭下げて秀忠や徳川家の将来を頼み込んだと思うね。頼れるのは
彼しかおらんから。
まあその場合も家康の死後徳川家は100万石程度に減らされてただろうがな。


413 :日本@名無史さん:05/02/11 14:58:36
まさに丹羽家、筒井家のようにか むしろ改易かもよ

414 :日本@名無史さん:05/02/11 15:36:59
つーか
豊家を立てようとする有力者が居たら、三成と内紛になってる(w

415 :日本@名無史さん:05/02/11 19:52:46
>>加藤・福島両家とも哀れな末路をたどった 
>>石田三成も死の前にそれを予言している
詳しく教えてたもれ


416 :日本@名無史さん:05/02/11 20:18:11
>415
福島正則は存命中に城の普請に因縁をつけられ、改易
小大名に落とされ悶死している 担当は本多正純だったか?
加藤清正は没後、後継者の次の代に後継がいないという理由でとりつぶし
石田三成が両名の行く末を予言したのは、関が原の後 捕らえられて
諸大名の前に引き出されたときに、とくに福島正則だったと思うが
福島にあしざまにののしられ
逆に三成は福島の不忠をなじり、行く末を暗示するようなことを述べたという
たしか、黒田長政は三成に情けをかけて羽織をかけてやったと聞いている
家康は「いやしくも三成は大名だ 縄目をはずしてやれ」と命じたという
まさか、秀吉も加藤と福島があそこまでノータリンだとは思っていなかっただろう


417 :日本@名無史さん:05/02/11 21:34:07
>>416
教えてくれてありがトン(・∀・)!

418 :日本@名無史さん:05/02/11 21:45:18
火葬戦記だと大抵加藤・福島がいい目を見て黒田は悲惨なんだが
三成への対応見るとかわいそうだな。

419 :日本@名無しさん:05/02/11 22:22:15
秀吉からみれば、清正や正則は不忠者だけど、
三成が政権を握ってるかぎり、武断派が憂き目にあうのは目に見えてるしな。
関ヶ原では家康に付くしかない。
黒田官兵衛あたりを五奉行にさせて武断派の機嫌も失わないように
してれば良かったんだよな。

420 :日本@名無史さん:05/02/11 23:42:06
官兵衛が諸大名に人気あったのかよ?

信者は吉川広家だけじゃないのか?

421 :日本@名無史さん:05/02/12 04:26:43
>>416
黒田はそのあとで三成のことを自害できずに生き恥をさらしている、
と諸将に陰口を言っていたが、それを聞いた福島は、大将は最後まで
戦いを諦めてはいけない、最後まで生き残る努力をするべきだ。と
石田三成を誉め、黒田長政を諭した。

422 :日本@名無史さん:05/02/12 07:47:57
>>421
尊敬する兄貴分にそうたしなめられたら長政の立場がねーな。

423 :日本史@名無しさん:05/02/12 10:20:29
氏郷も文化人だし秀長は温和だが、文官との融和という意味ではむしろ利休を
殺してしまったのがなあ・・・。

つうか、まだ文官というまでシステムが成熟していなかったから、やはり三成に
大国を無理にでも与えとけば良かったんだよ。加藤や福島を厳封しても結果は
変わらなかっただろうし。

424 :日本@名無史さん:05/02/12 11:41:31
秀長が利休を殺した?秀長が死んだあとに利休は処罰され死にましたが

425 :日本@名無史さん:05/02/12 13:23:40
むしろ秀長の死が利休自害の遠因になったのではとも言われている

426 :日本@名無史さん:05/02/12 14:54:27
>>424
>>423
文化人との融和という点では氏郷や秀長が死んだことより
利休殺したのが痛かった・・・と言いたいのでは

427 :金吾秀秋:05/02/15 03:32:52
実は、漏れ様も、長政を諭したんだぜ(´・ω・`)

428 :日本@名無史さん:05/02/16 14:54:06
関ヶ原の戦いを「豊臣政権」を売買した相場に例えてみたい。
便宜上、西軍を買い方、東軍を売り方とした。


小早川秀秋は、最 も 高 値 で 売 り 抜 け た 。


429 :日本@名無史さん:05/02/16 22:35:09
>>428
だが、その巨利に有頂天になった挙句気が狂って頓死した。(w

430 :日本@名無史さん:05/02/16 23:30:54
本人にその気はなくとも売ったとすれば清正・正則
しかしあたかも賭け場で偶然サクラにされた客のように
後でしっかり儲けを取り上げられちゃった。チャンチャン♪


431 :日本@名無史さん:05/02/17 00:12:06
福島正則の場合は、広島城無断改修となったから、改修した場所を破却せよって命じられて
命じられた場所じゃなく、それ以上に重要な場所を破却して、敵対する意思はありませんよ
俺って男気あっていいでしょ?って幕府にお伺いたてたら、命じた場所破却してねーじゃんと怒られ
改易とあいなりました・・・・・・・


432 :日本@名無史さん:05/02/17 01:53:07
福島正則は大阪城に入って豊臣家と命運を共にすべきだった

433 :日本@名無史さん:05/02/17 10:46:56
>>432
福島正則にそんな度胸は無い!
武将としての気構えは石田三成よりも劣る!

434 :日本@名無史さん:05/02/17 11:19:00
最初は東軍に付くつもりだった長宗我部盛親の方が
気概があるな

435 :日本@名無史さん:05/02/17 11:34:43
>>434
目覚めるのに遅すぎましたが同意!

436 :日本@名無史さん:05/02/17 16:31:45
福島正則は泉下で太閤殿下に激しく叱責されたに違いない

437 :日本@名無史さん:05/02/17 21:02:50
>>436
福島正則がそっぽ向いた程度で、天下がひっくり返るような状況
(朝鮮出兵と関白秀次族滅、千利休死罪とかね)
を生み出した秀吉の方が責任大だ。
 
 どっちかというと秀吉の方が泉下で主君織田信長に激しく叱責されたに違いない

438 :日本@名無史さん:05/02/17 21:07:52
福島正則に誰か、「頭の良くなる薬」をつけてやってくれ

439 :日本@名無史さん:05/02/17 21:09:48
>>938
福島正則の頭には効かないような気がするw

440 :日本@名無史さん:05/02/17 21:11:03
スマソ
× >>938 → ○ >>438

441 :日本@名無史さん:05/02/17 21:11:42
正則の頭にドリルで穴を開けて「頭の良くなる薬」を流し込んでやりたい。

442 :日本@名無史さん:05/02/17 21:23:51
福島正則と小早川秀秋はどちらのほうが智恵足らずですか?

443 :日本@名無史さん:05/02/17 21:25:14
正則に近づける強者がいない。薬があっても、結局ムリ。

444 :日本@名無史さん:05/02/17 21:30:53
そりゃ、亀とスッポン どちらが知恵足らずですか?
という質問と同じできわめて回答が難しい質問だな

445 :日本@名無史さん:05/02/17 21:43:19
>>441
そこでトレバネーションですよ
http://x51.org/x/04/12/1035.php

446 :金吾秀秋:05/02/18 02:18:53
まったく、正則の知恵足らずぶりにはあきれたもんだぜ(´・ω・`)

447 :日本@名無史さん:05/02/18 02:32:38
>>446
金吾殿の場合は「足らず」ではなくて「ない」ですからな。

448 :日本@名無史さん:05/02/18 03:28:04
>>416

遅レスで申し訳ないが、それはあくまで小説での話じゃないの?
実話??

449 :日本@名無史さん:05/02/18 04:14:47
福島君は酒が切れると駄目ですから。

450 :日本@名無史さん:05/02/18 04:22:01
>>448
うん。司馬さんの「関ヶ原」ですな。これはずばり創作です。
が、ここら辺の逸話は、当たらずも遠からじ、だと思いますよ。

451 :日本@名無史さん:05/02/18 06:40:20
>>432
福島はともかく加藤清正あたりが生存していたら
大阪城入りもあるいはあったかも・・・!?

452 :日本@名無史さん:05/02/18 16:06:40
>>442
織田秀信や小川祐忠も歴戦の知恵足らずです。
福島や小早川ごときに負けはせん!

453 :日本@名無史さん:05/02/18 20:51:07
 加藤清正は毛利輝元の「西軍においでよ」勧誘に対し
西軍参加に関心を示しており、実際有る人物の横槍(三成ではない)が
なければ西軍参加してたというから
清正にはまだ見る目はあったと思う。
大阪の危急に備え自分の城に秀頼を亡命させる縄張りしてというし・・

 が福島正則は救いようが無いな・・

454 :日本@名無史さん:05/02/18 22:10:18
>>453
「ある人物」って誰々〜(・∀・)キョウミシンシン

455 :日本@名無史さん:05/02/18 22:51:00
>>454
毛利輝元
( ´∀`)ノ <ねーねー清正タン西軍に入らないか?
加藤清正
( ´・ω・)ノ<恩賞なにくれるの?
毛利輝元
( ゚∀゚)ノ <清正タンは何がいいのかい?
加藤清正
( ゚Д゚)ノ <んなら西軍勝ったら肥後一国にしてくれ。
毛利輝元
( ´・ω・)ノ<んー恩賞に肥後一国を保障したら西軍に加勢してくれるんだね?
      うちの三成タソとは大丈夫?
加藤清正
( ゚Д゚)ノ<もっちのろーん。全然OK、三成への個人的恨みなんぞより恩賞の方が大事(ハート)
     それ相応の恩賞くれるんなら三成に協力しちゃうよ。     
     あ、もち豊家の御為になるのもついでにね。  
毛利輝元
( ´・ω・)ノ<よーし、んなら西軍総大将として肥後を与えちゃおうかな。
加藤清正
( ´∀`)ノ<ほんと?ラッキーそれなら漏れ西軍しちゃうよ。
       家康がのさばって漏れや豊家が大丈夫な保証ないもんね。


456 :日本@名無史さん:05/02/18 22:52:48
小西行長
ヽ(`Д´)ノ <ノワァァーン、ちっと待てやゴルラァー人んちの財布を
      かってに弄くりり回すなよ。
毛利輝元
( ・∀・)ノ <まあまあ行長タン今は西軍増やす方が大事だよ。
    こっちがかったらもっといいとこにしてあげるからさ。
小西行長
ヽ(`Д´)ノ<だめだー漏れは納得しねーぞ。
毛利輝元
ヽ( ´,_ゝ`) <だめだこりゃ。
加藤清正
ヽ(゚听) <ケッ行長のやろーがそこまでいって協力する気はないね。

て感じだったそうな。


457 :日本@名無史さん:05/02/18 23:08:18
で結局東軍が勝っても加藤清正は肥後一国になったものの
加藤家は後々取り潰しを受けてる・・・
しかし清正の場合は堂々とこんな逸話が残ってるのだからしょうがないかも。
 
 他にも「群雲、関が原へ」に伊達政宗が毛利輝元、増田長盛らと密会した
証拠がほんのひとつだけ残されていたと紹介してるのだから
案外西軍も家康まっつぁおな手紙勧誘工作はしてた気がする。


458 :日本@名無史さん:05/02/18 23:15:10
>>457
>  他にも「群雲、関が原へ」に伊達政宗が毛利輝元、増田長盛らと密会した
> 証拠がほんのひとつだけ残されていたと紹介してるのだから

えーと、この小説以外で何かの本(非小説)にも書いてあった・・・・。
小説見ないで記憶だけで書くけど確か茶会とかでなかった?
会席者が記された書状が出てきたという話題だった記憶が。

> 案外西軍も家康まっつぁおな手紙勧誘工作はしてた気がする。

どうせ後難を恐れて処分しちゃってるだろうから、真相は藪の中ですな。

459 :日本@名無史さん:05/02/18 23:28:41
関ヶ原合戦で東軍敗北というシナリオは容易に想像できるんだが、
最終的に徳川方が負けるってシナリオは想像しにくいんだよなぁ。

460 :日本@名無史さん:05/02/18 23:32:05
>>451
加藤家が既に改易されていて、清正が牢人してたらあったかもな。
家臣に対して責任を負う立場なんだし。
もし強硬に大阪入りを決めたら、家臣に謀反起こされただろうね。

461 :日本@名無史さん:05/02/19 00:04:35
>>459
豊臣政権が安定する所が想像できないからね
三成や淀が生き残ってるてのがさらに。

462 :日本@名無史さん:05/02/19 00:13:17
「軍ははや勝色みゆるぞ。この時南宮山の毛利が一勢、
長束・安国寺等、一同に内府の旗本へ横合から突てかからば、
天下の事定りぬ」

改正三河後風土記によれば、三成はほぼ勝利を確信してた。

463 :日本@名無史さん:05/02/19 00:14:35
>>461
それもあるが、家康は戦場で負けても後があるからな。
関ヶ原で負けても関東で割拠することは可能だった。
大阪方が、すぐに東征軍起こせるようだったら、上杉佐竹と
連携して、国道十六号あたりで大規模な包囲線を構築できた
かも知れないけど、そこまでうまくいっても長引くのは間違いないし。

東軍勝利→戦役終了
西軍勝利→泥沼化
こんな感じだ。

家康が高齢だってのが、大阪方にとっては一縷の望みだな。

464 :日本@名無史さん:05/02/19 00:26:57
>>462
戦場を見れば、あそこに布陣した総勢三万の軍が動かないなんて
考えられないしな。
航空写真があったら広家も動く気になったかな。

465 :日本@名無史さん:05/02/19 00:43:10
毛利、吉川、島津は、小早川以上の裏切り者。

466 :日本史@名無しさん:05/02/19 00:55:38
んなもん、空から見んでも後ろから押し込めば一発だって誰が見てもわかるって。
東軍はどっち向いてもアウト。つまり死地。

>航空写真があったら広家も動く気になったかな。

ない。広家だけは絶対無い。秀吉嫌いだから。
んでもって、こいつの恨みがなければ弟分の金吾が裏切ることもなかった。よって
関ヶ原は毛利両川全軍出動で家康アボーン。毛利は晴れて200万石のNo2に大躍進。

だって東軍は基本的に裏切り者だから全部改易されてもしょうがないんで、もの凄い
石高になるよ。んでもって淀馬鹿にそんな差配は無理だから、勢い三成自身の後見
役として自由に差配できる。だからお望み通り九州なと播州なと取り放題な罠

つうことで、役後の漏れの予想

豊臣宗家・・・400万石
毛利・・・中国4カ国+播磨+豊後   250万石(金吾は関白)
石田・・・70万石
小西・・・50万石
大谷・・・30万石
島津・・・70万石
上杉・・・150万石、念願の関東やるよ
伊達・・・維持、文句言ったら改易
佐竹・・・70万石
立花・・・維持(いねーもん)
宇喜多・・・50万石
長曽我部・・・40万石





467 :日本@名無史さん:05/02/19 01:29:38
>>464
吉川広家は、家康と約束した以上動かぬであろう。
広家は知将ではないが、そこまで落ちぶれてはおるまい。
もし動かば、中国(地方)武士の恥、汚名となる。
広家は、当時高く評価された気風である、
「中国者の律儀」を守ったといえる。

468 :日本@名無史さん:05/02/19 01:46:12
>>467
吉川の行動が毛利にとって、果たして吉と出たか?
結果論で済ませるのではなく…
「中国者の律儀」は元就と小早川隆景の専売特許だぁよ

469 :日本@名無史さん:05/02/19 01:48:36
清水宗治も入れてあげて

470 :日本@名無史さん:05/02/19 01:54:20
>>466
かなり酷いな…どんな漫画や小説読んでんだ?

何か主張したいんだったら、もう少し、ちゃんとした「資料」読め?

ちなみに司馬とか子母沢のは「資料」ぢゃ無いぞ!w

471 :日本@名無史さん:05/02/19 01:58:14
>>466
かなり中学生?(あるいは小学生?) あっはっはっ

472 :日本@名無史さん:05/02/19 02:00:05
>>464
お前はメッケルか?

473 :日本@名無史さん:05/02/19 02:04:27
>>466
用語、炸裂しとるなぁw

最近PC手に入れた小六(11歳・放送部)と見たが、どぉ?w

474 :日本@名無史さん:05/02/19 02:38:00
家康は不自然なくらいに長生きのような希ガスんのですが

475 :日本@名無史さん:05/02/19 03:38:33
>>474
別に不自然には見えないが。

476 :日本@名無史さん:05/02/19 06:33:02
陰の功労者は、やっぱり細川幽斎だな。
人質となる事を拒んで死んだガラシヤの功績も大きい。
てか忠興怒らせた石田三成はアホ。

477 :日本@名無史さん:05/02/19 07:59:38
鷹揚に人質を解放したらこれさいわいと秀吉に付かれちゃった例もあるからなぁ
三成がガラシャ開放したって細川は味方しないしょ

478 :日本@名無史さん:05/02/19 10:16:10
家康が西上してくるまでの間、劣勢な兵力にも関わらず濃尾平野の
西軍側の殆どの城を制圧した福島正則が、その手腕を少しでも西軍
のために使ってくれたら、西軍が勝てたのに。

479 :日本@名無史さん:05/02/19 12:03:12
>>478
福島正則は小山から直接に江戸城に特攻をかけるべきだったなw

480 :日本@名無史さん:05/02/19 12:36:58
>>468
家康の構想は、毛利家取りつぶし、広家に37万石だったんだよな。
両川残って本家潰れるってところだった。
戦後、岩国五万石の吉川家は、毛利本家にかなり冷遇された。

481 :日本@名無史さん:05/02/19 18:31:34
>>468
「中国者の律儀」はその地方の人柄を言っているので、
元就や隆景の専売特許ではないのだが。

吉川広家の行動が毛利家にとって、というより国衆分家等にとって
毛利家始め領主、本家等神輿に担ぎあげたものが、失態を演じ
山口県に移った。しかも故郷を懐かしがり、愚痴ばかりいう。
愚痴をいわず、帰農すればよいものを、よほど身分、格式に執着心が
強いのか。まあ本家達が消え、より広島らしい気風が安芸国に残り、
結果的にはそれでよかった。

482 :日本@名無史さん:05/02/19 20:42:15
小早川秀秋は阿呆だからもうしょうがないけど
福島正則にはほんとガッカリです

483 :日本@名無史さん:05/02/19 21:38:35
いくさの目的が本領安堵とはのぉー、吉川広家よ。
乱世の武将としては、三流と言われても仕方がないかもな。
無論、毛利家のかたを持つつもりは微塵もないが。

484 :日本@名無史さん:05/02/19 22:52:42
秀秋に討たれた大谷吉継にはワラタ

485 :日本@名無史さん:05/02/19 23:18:10
大谷吉継は関ヶ原に出張った武将の中で、俺が一番好きな武将なんだが・・・・・
きっとこの武将を評価するのは日本人だけなんだろうな
「義」なんて、西洋人には理解できないだろうし


486 :日本@名無史さん:05/02/20 00:10:40
>>485
大谷吉継には義だけじゃないぽ。
ちゃんと欲もあったぽ。
名誉欲という欲がね。あるいは武士としての本懐といおうか。
余命いくばくも無い自分が、太閤秀吉ですら倒せなかった戦国最後の怪物
を打ち破るというきらびやかな名誉、しかも友の為に不利を承知の戦を挑む
勝てば間接的にながら織田信長、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉といった
連中に近い立場で後世に武名を残せる・・
これほど名誉欲をくすぶられる事は無いだろう。

487 :日本@名無史さん:05/02/20 00:44:11
エェ━.∧━━.∧━━!?
    /,_ ┴─/ ヽ      , 、  ,、
   (・_.,》.'(・_,》)ミ ヽ    . / L--/ l、エェーーーー!?
  / ,,__,ニ、、 ノ( |    (・;;》 (・;;》 |    /L--/l、 エェーー!?
  | Y~~/~y} `, ~ |   |y-,‐vi`ノl |   (・.》 (・.》 l   /L--/l、エーー!?
   | .,k.,.,!,.,.,r| ,! く    |, kl r| i ^<   | 'fT~ヲ x |  (・〕_(・〕x|   /L/l エーー
 / <ニニニ'ノ    \ / (二二‐ ' \ / l==_」 <  ,l fmヨ ! L 〔゚fヲ゚.〕 


488 :日本@名無史さん:05/02/20 00:59:04
>>485
西洋にも「友情」って言葉があるだろ?

489 :日本@名無史さん:05/02/20 03:00:36
ドイツ人の友情という言葉はある。

490 :日本@名無史さん:05/02/20 03:08:56
吉継は不気味な病気にかかってるから気持ち悪くてヤダ
だから本人もヤケクソになってたんじゃない

491 :日本@名無史さん:05/02/20 03:29:11
宇喜多秀家が流刑で小西行長が晒し首ってのは、
常軌を逸した不公平さだと思うのだが。

492 :日本@名無史さん:05/02/20 04:18:45
秀家がいつ、どこから幕府に身柄を移されたか知ってますか? 行長のように関ケ原後、落ちている途中すぐ捕まったわけではないです。 あと島津と前田が働いたんじゃないか?

493 :日本@名無史さん:05/02/20 04:48:06
関ヶ原処分で、家康はかなりの要求・要望を丸呑みしている。
(毛利処分の軌道修正、上杉佐竹の家門安堵、島津に至っては旧領安堵)
豊臣家の奸臣を討つって名目で始めた戦役だから、宇喜多や真田みたいな
外様系よりも秀吉取り立ての連中に対する処分の方が厳しいのは、公平か
どうかはともかく政治的には正しい。
行長は三成と並んで、「奸臣」代表ってことになったんだろ。

494 :日本@名無史さん:05/02/20 09:06:23
>>485
アメリカ人の事を言ってるのか?

確かに彼らは自由のためには戦うが、正義のためには戦わないな。

495 :日本@名無史さん:05/02/22 20:29:26
毛利勝永が毛利秀元隊に組み込まれてた?だとしたら西軍にはもったいない事だ
それから田辺城攻略の小野木公郷は強いのか?関ヶ原に到着できたら西軍も頼り
になったかな。家康を討伐しようという武将は三成、秀家くらいか。
宇喜多のお家騒動も家康がけしかけたんだろ。お家騒動がなかったら戸川あたりが
吉川広家みたいなことをしそう。明石全登、長船吉兵衛、本多政重、延原土佐
がいる宇喜多隊は強いんです。


496 :日本@名無史さん:05/02/22 20:39:43
>>495
毛利勝永は関ヶ原合戦の時は鍋島勝茂と一緒に長島城じゃないのかな?

497 :日本@名無史さん:05/02/22 20:57:04
>>495
当時の宇喜多はお家騒動から立ち直ってなくてガタガタ。
重臣全員参加状態の宇喜多だったら、
三分の一の福島と互角なんて無様な戦はしない。

498 :日本@名無史さん:05/02/22 21:11:48
>>495
小野木公郷が田辺城でもたついていなかったら、単純に考えても1万人は
余分に西軍に荷担していたはずだから、関ヶ原もどうなっていたかは解らなくなる。
小野木がへたれではなくて、相手の細川幽斎が策士だったんだろうね。
ちなみに、小野木公郷の内室は島左近の娘。
小野木が切腹する前後に自らも自害している。

499 :日本@名無史さん:05/02/22 21:41:22
小野木は、ヘタレ。丹波の山猿。

500 :日本@名無史さん:05/02/22 22:12:13
500get!
後半戦に突入w

501 :金吾秀秋:05/02/25 04:14:33
小野木は、ヘタレ(´・ω・`)

502 :日本史@名無しさん:05/02/25 09:01:23
もし関ヶ原決戦がなく、もっと長期化してたら、なんて呼ばれてたんだろうね。
慶長の争乱?

もし西軍が勝ってたら徳川の乱か。

503 :日本@名無史さん:05/02/25 22:50:25
家康の根回しの勝利
三成の根回し足らず
謀略戦で家康が勝った

504 :日本@名無史さん:05/02/26 00:26:58
なぜ日本には、釜本以来本物のストライカーが現れないのか。



505 :日本@名無史さん:05/02/26 00:46:30
大久保長安一派を取り込んで徳川家に内紛を起こさせれば
よかったのに。

506 :日本@名無史さん:05/02/27 09:08:45
徳川家では武断派と文治派のものすごい確執とか無かったんかな。
豊家でいうとこの三成VS加藤・福島etcみたいな

507 :日本@名無史さん:05/02/27 09:11:23
宇都宮釣り天井事件

508 :日本@名無史さん:05/02/27 10:02:06
>>506
本多正信と武断派の反発はすごかった。
「はらわたが腐った奴」扱いなんかは三成・清正の舌戦と比べても遜色ない。
ただ、豊臣は安定する前に秀吉が死んだが、
徳川は安定するまで家康が健在だったら破局にいたらなかっただけ。

509 :日本@名無史さん:05/02/27 13:30:39
>>508
うんそうだね。
あと、時代の流れというか、その頃には世の中が統一されて戦いが無くなる
ことを願う風潮が一層強まっていて、当時は徳川家が第一の権力者。徳川家
の配下になることで平和と自家の安定が得られるというふうに流れていった
のかなという気がする。
一度は豊臣秀吉によって作られたものが壊れました。関が原、大阪の陣を経
て徳川家康が作り直しました。まあ一部の大名に異論があるようですが、大
多数の大名が徳川家の配下として統一された世の中を維持しようという感じ
になっていますよ・・・ってな具合かな。
豊臣家によって、一応は統一された世の中というものを諸大名が経験してお
り、ある程度は大名の官僚化が進められていた。豊臣政権に直に関わらない
大名も、自分の立場を今の県知事か市長みたいな認識になってきていた。
一昔前だと諸大名は「自家以外の権力には屈しない」という感じだったのが、
豊臣政権によってある程度は飼いならされていた。
そういう背景があって、徳川政権の安定が実現したのではないかなという気
がする。
もし豊臣政権が無くて、徳川家が足利家以来の統一政権になっていたなら、
もっと不安定になっていた気がする。
また、豊臣家が統一政権としての枠組みを完成させないうちに政権の座を
追われてしまったので、諸大名には「次は自分だ」というよりも「次は誰
の配下になればいいのか」という気持ちになりやすかったのではないかな。
豊臣家がせめて3代くらい続いて政権としての枠組みが整って、その上で
政権が崩壊する事態になっていたら、仮に徳川家康のような実力者がいて
も全国が戦国時代に戻ってしまっていたような気がする。

510 :日本@名無史さん:05/02/27 14:49:08
>>509
ようするに隋と唐の関係みたいなもんだ

511 :日本@名無史さん:05/02/27 15:33:34
本多忠勝や榊原には福島・加藤らを見習って
正信・正純親子を襲撃するような腐れ根性が欲しかった。

512 :日本@名無史さん:05/02/27 16:18:10
>>511
家康が死んでいたらやったでしょ?
逆言えば、加藤福島も秀吉が生きていればあんなことやらなかっただろうし。

513 :日本@名無史さん:05/02/27 18:01:30
>>508
というか、武断派の第一世代が家康より先に死んでるからな。



514 :日本@名無史さん:05/02/27 18:37:19
それにしても家康は長生き

515 :日本@名無史さん:05/02/27 19:04:30
まあ途中で死んだらオーディションで新しい家康を補充すればいいだけだしな。

516 :日本@名無史さん:05/02/27 21:17:55
本多政重は、本多正信の次男。
関ヶ原では宇喜多秀家の軍勢にて、井伊直政と激闘。
徳川の譜代でも西軍にいる男がいたとは、驚きです。
薩摩に隠れてた宇喜多秀家が見つかり徳川家康の処分を待つとき、
政重は秀家に殉じようとしていた。



517 :日本@名無史さん:05/02/27 23:02:11
>>516
西軍ファンは政重を評価するけど、
大坂の陣で主君の前田利長の制止を鼻先で笑って振り切って
真田に突撃して大打撃を受けた失態を見ると
どうにも晩年は虎の威を借りる小人物に成り下がった感がある。

518 :日本@名無史さん:05/02/27 23:27:31
本多正信だって元は一向一揆で家康に反乱して・・・・

519 :日本@名無史さん:05/02/27 23:32:26
>>517
それ小説の話だから。
独断云々は、主君を庇う常套手段です。

520 :日本@名無史さん:05/02/28 12:00:25
>前田利長

その時点でもう死んでなかったか?


521 :日本@名無史さん:05/02/28 22:48:26
肖像画でみるかぎり宇喜多秀家はかなり男前。

522 :日本@名無史さん:05/02/28 23:42:00
確かに。スポーツマンって感じ

523 :日本@名無史さん:05/03/01 19:28:18
島津は島津の戦をする

524 :日本@名無史さん:05/03/01 21:35:59
輝元が関が原に出陣していたら、勝敗に影響はあっただろうか?

525 :日本@名無史さん:05/03/01 23:55:30
>>508
本多正信は三成よりは武断派に気を使ってたと思うが。

526 :日本@名無史さん:05/03/02 09:12:58
そりゃ元反乱の首謀者なんだから色々気を使うだろ

527 :日本@名無史さん:05/03/02 23:05:48
仮定の話は、こちらのスレでやってくれ

関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/l50

528 :日本@名無史さん:05/03/02 23:07:26
>>524
小早川、吉川の両者が傍観や裏切りをさせないまで影響あったかによると思う
あと、輝元みずから裏切り傍観をしたら本末転倒だけど・・・。

個人的には、むしろ輝元が秀頼を大阪から引っ張ってきてたらどうなるか気になる

529 :日本@名無史さん:05/03/02 23:13:48
>>527
スレどころか板が違うじゃねえか
却下

530 :日本@名無史さん:05/03/02 23:14:29
日本史板でIFを語るべきじゃないだろ

531 :金吾秀秋:05/03/03 04:55:21
ないだろ(´・ω・`)

532 :日本@名無史さん:05/03/03 13:26:13
家康に内通した前田玄以が所領安堵で増田長盛は改易なんだけど
どうしてこんな扱いの差になったのでしょう。

533 :日本@名無史さん:05/03/03 14:50:39
>>532
官位の差じゃないの?

534 :日本@名無史さん:05/03/03 20:10:36
>>532
増田は秀吉の子飼いだからか。
前田はもともと織田家の家臣だし。元々の身分が差がある。
公家衆と親しかったからとかもあるかも?

535 :日本@名無史さん:05/03/03 22:55:42
前田玄以は細川幽斎の友人だからって理由もあると思われ

536 :日本@名無史さん:05/03/04 22:37:48
トホホ人物伝見るの忘れた鬱
どなたか見た方、内容教えてくれないかね?


537 :日本@名無史さん:05/03/05 12:58:30
>>536
金吾が悲劇の人として描かれてたよ

538 :金吾秀秋:05/03/05 19:29:40
よくわかってるじゃないか(´・ω・`)

539 :日本@名無史さん:05/03/05 19:39:24
みさくらなんこつの描く金吾をみてみたいなw

「んあっ!! んあおっ!! つっ強いよおぉたま蹴りつよいのおっ!!!」

540 :日本@名無史さん:05/03/05 22:50:14
>>539
「みさくらなんこつ」で検索してみた。
コーヒー吹いた。

541 :日本@名無史さん:05/03/06 02:33:55
>>534
それは大きいと思う。
いわゆる「豊臣恩顧の大名」も秀吉の子飼いか、そうじゃないかで、その後の扱いが違うように思われ。
加藤(清正)家、福島家、加藤(嘉昭)家、田中家などは、もともと秀吉の子飼い。
それゆえ徳川家は主君たる豊臣家を裏切ったことを許さず、言いがかりで取り潰し。
一方、前田家、細川家、黒田家、山内家、伊達家などはもとから大名ないしは秀吉の同僚。
よって、豊臣家を裏切ったことにはならず、お家は安泰という感じ。

なんでもありのような戦国時代だけど、主君を裏切ることと、同格の人を裏切ることでは、
後者は許されても、前者はやはり許されなかったように思える。
今で言えば、「賄賂」と「政治献金」の違いか。 

542 :日本@名無史さん:05/03/06 03:25:50
あのねそれだったら木下と浅野、蜂須賀はどーなるのよ。

543 :日本@名無史さん:05/03/06 07:11:17
木下はまた別問題っぽい

544 :日本@名無史さん:05/03/06 11:20:00
一度改易されながら、御家再興なった加藤嘉明、福島正則の家系
も別扱いかな。加藤嘉明はもともと松平の家臣だった説もあるし、
家康の人質時代の傅役、福島正資が正則の縁者だった説もある。


545 :日本@名無史さん:05/03/06 19:27:22
増田長盛は改易するのにさほど遠慮がいらなかったんだろうな。
戦直後であり、敵でもあり。念のためにと。
前田玄以は念のためにと軽い気持ちで処分するにはあちこち
コネがあって煩くなりそうだったからやめた。
関が原で味方になったやつでも清正・正則はいづれ敵に回る危険度
高いので処分しますた・・・てな感じ?

546 :日本@名無史さん:05/03/06 20:11:25
正則はヘタレだから改易しなくても無問題だったような気もするが・・
念のためってトコでしょうか・・

547 :日本@名無史さん:05/03/06 22:05:45
>>546
大坂の陣でも指をくわえて見ていただけだものなあ。

548 :日本@名無史さん:05/03/06 22:35:30
家康にとって細川なんかはツッコミどころ満載で潰そうと思えばいつでも
潰せた筈なんだがな・・・・
やっぱり知識が身を助けたのか?

549 :日本@名無史さん:05/03/07 13:54:58
>>541
蜂須賀家は秀吉の家来ではなくて、信長の直臣。
黒田と一緒。
あと、親は秀吉に恩があるということで西軍につき、
息子が家康の養女を妻にしているということで東軍。
つまり家康の天敵真田家と同じ。

浅野家も信長の直臣。
秀吉結婚当時はむしろ浅野家の方がはるかに格上。
秀吉から見ればねねとの結婚は「逆玉」。
ま、徳川家にとって、ねねは大恩人でもあるし。

550 :日本@名無史さん:05/03/07 17:38:49
前半は西軍が優勢だったという話は真実なのだろうか?

551 :日本@名無史さん:05/03/07 18:10:40
これは
http://www15.plala.or.jp/blue-g/oam05_0007.html

552 :日本@名無史さん:05/03/07 23:23:07
田辺城包囲戦の時に幽斎の教養を惜しんで
朝廷が助けたと言う逸話は
ほんまですか?

553 :日本@名無史さん:05/03/07 23:28:11
>>552
ほんまです。

554 :日本@名無史さん:05/03/08 00:04:02
確か幽斎には御落胤伝説があったな


555 :日本@名無史さん:05/03/08 17:16:01
>>554
細川幽斎は細川氏の御落胤という説がある。

556 :日本@名無史さん:05/03/08 18:49:10
足利氏の間違いでは?

557 :日本@名無史さん:05/03/08 18:59:25
いや、天皇だったはず

558 :金吾秀秋:05/03/09 01:13:48
昨日は小春日和でポカポカ暖かかったよ(´・ω・`)

559 :日本@名無史さん:05/03/09 22:31:36
>>558
お前、本当はこんな奴だったのか・・・(*´Д`)ハァハァ

http://sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1083853391/541-542

560 :日本@名無史さん:05/03/12 23:00:54
宇喜多秀家が大坂城にて秀頼を護る、あるいは秀頼とともに関ヶ原へ出撃する。
秀家・前田利家の2人が秀吉から秀頼の傳育するよう頼まれてたから可能性あり?
実際は関ヶ原で宇喜多秀家隊を攻撃したのは福島正則・大野治長なんだが。
つぎに
秀吉に仕えた仏の茂助こと堀尾吉晴も東軍になった。家康と三成ら5奉行の対立
の仲裁した人物なんだが、のち徳川派に。でも家光のとき堀尾家は断絶してしま
った。
どちらにしても物事はそう簡単にうまくいかないなぁということです。


561 :日本@名無史さん:05/03/13 09:51:34
>>560
吉晴が問罪使に立った時には、既に家康から加増された後。
それに、笑兌以外の3人は何もせずに、ひたすら恐縮してただけなのでは?


秀吉子飼の武断派が雪崩を打って家康についた理由は何なんだろう?
雑兵物語では小山会議の際に「西方についてくれるよう」下々の者たちは願っていたとあるから、疑問に感じます。


562 :日本@名無しさん:05/03/13 19:59:23
朝鮮出兵のときの待遇で豊臣政権に見切りをつけたんじゃないのかな。
三成が政権握ってるなら、もうやってらんねー、て感じ。
黒田細川あたりは天下人が豊家じゃなくてもと思ってそうだし。

563 :日本@名無史さん:05/03/14 00:06:07
黒田細川あたりは朝鮮出兵でぶち切れて、その怒りの矛先が全部
三成に向いたんだよなぁ

564 :日本@名無史さん:05/03/14 00:16:04
単細胞なやつらだ

565 :金吾秀秋:05/03/14 01:42:53
まったく単細胞なやつらだぜ(´・ω・`)

566 :日本@名無史さん:05/03/14 03:24:55
そういや黒田細川は三成本隊に対峙しているな

567 :日本@名無史さん:05/03/14 07:46:14
>>563
そんな単純な理由だけで家康につくか?
(特に黒田と細川みたいな奴が)

568 :日本@名無史さん:05/03/14 11:28:28
長期戦になったら大半の者はどっちへでも転んだのではないか?
一族で東西に分かれたのはその保険だったのだろう。
生駒、九鬼、蜂須賀、真田、他にいたら教えて下さい

569 :日本@名無史さん:05/03/14 11:35:38
宇喜多

570 :日本@名無史さん:05/03/14 11:36:18
鍋島

571 :日本@名無史さん:05/03/14 11:36:38
前田

572 :日本@名無史さん:05/03/14 11:37:15
島津

573 :日本@名無史さん:05/03/14 11:38:40
三成づれからすれば、関が原に起てただけで評価しないとね。
どのみち安楽死はできないし。
秀吉が家康やるべきやったね。
それにつきるね

574 :日本@名無史さん:05/03/14 22:08:07
石田を討ち取っていたら一番手柄になっていたのかねえ?

575 :日本@名無史さん:05/03/14 22:22:48
そうそう。んだから三成は人間的な魅力で家康に劣ってたから
負けたとか言う歴史学者はそれだけで評価落としますw


576 :日本@名無史さん:05/03/14 22:25:19
毛利勝信はもとから三成派だったのかな。豊臣家ではどのくらいの武将?
三成の名参謀になりえたかな?
年齢的には真田昌幸と同じくらいかと。
勝信が福島・加藤を西軍に勧誘したのかな?

577 :日本@名無史さん:05/03/14 22:52:07
>>568
毛利と徳川
東西両軍の総大将自ら双方に保険を掛け合ってる。
ただし徳川の方が上手だわな・・徳川が西軍に保険かけてたことも
あまり話題にものぼってないことを見ると。

578 :日本@名無史さん:05/03/15 00:14:17
福島正之の兄の別所というやつも西軍に付いている。

579 :日本@名無史さん:05/03/15 07:47:28
本多正信も親子兄弟で、東西両軍に分かれて・・・

580 :日本@名無史さん:05/03/16 11:26:22
関ヶ原の戦いって○○○○年ですか?ホントに教えてくらはい

581 :日本@名無史さん:05/03/16 13:20:49
けっきょく予定戦場が大垣から関ケ原にかわった瞬間、三成はもう完全に負けた。

582 :日本@名無史さん:05/03/16 22:14:00
結果的に三成にとって関が原で戦った事は敗因の一つになりましたが、
三成が負けたから三成の敗因ばかりが目立ちますが、家康が買った理由に
「偶然」という要素がある事を忘れがちです。
もちろん家康の策が成功した点もあります。
あの時大津城にいた立花宗茂、伊勢戦線に残った鍋島勝重など関が原に
合流できなかった軍勢が約4万いた事にも注目すべきです。
そうなると秀忠の軍勢も忘れてはいけないでしょう。

つまりどっちが勝ってもおかしくなかったということです。
どっち有利とかはあったにしても。
好調のミランと調子イマイチのインテルが試合しても
インテルが勝つことは当然あるのです

583 :日本@名無史さん:05/03/16 22:16:34
田辺城に釘付けになった西軍1万5千も考慮すべきだな。

584 :日本@名無史さん:05/03/16 23:01:21
全部隊結集したら関ヶ原では収まりきらんだろ

585 :582:05/03/17 00:05:36
>>584
確かに関が原は狭いです。確か直径3キロくらいの盆地みたいな所です。
しかし西軍は笹尾山、松尾山、天満山に布陣しました。これならば十分です。
関が原に布陣したのは東軍です。
西軍の基本戦術に関が原に東軍をおびき寄せて、退却路を狭くして
有利に戦うというモノがあったのか。
それともただ福島正則が無断で出撃してしまったためだと考えることも
できます。
私は関が原が決戦の場所となったのは西軍の理想の形だったと思います

586 :日本@名無史さん:05/03/17 00:23:53
大垣包囲してくれなくて、大坂方面に移動したのを受けて
慌てて先回りして街道塞いだ形になっただけの状況を理想の形?

しかも松尾山城の小早川なんて、以前から東軍内通の疑い強くって
とても信頼出来る状況じゃなかったのに・・・

587 :582:05/03/17 00:38:59
いや、やはりおっしゃるとおり思い描いてた最高のシナリオ
ではなかったはずです。当時の見解も大垣城を出撃したのは失策だったでしょう。
小早川の内通も三成は感じていたはずです。
しかしあの状況に至っての西軍としては、三成の領国の近くで土地感も
ある場所で戦えたことは不幸中の幸いだったはずです。
大谷吉継が合流後すぐ一帯に防御陣地を築いており
やはり家康が大垣からおびき寄せたのではなく、西軍は置かれた状況で
ベストの戦いをするために出撃をしたと思います

588 :日本@名無史さん:05/03/17 01:07:14
大垣城をでなかったら沢山が落とされる。
田辺城方面軍、大垣城は裏切り者が続出する。

輝元が出馬して初めて勝ち負けだろう。


589 :日本@名無史さん:05/03/17 01:14:58
まぁ秀頼が出張ってくれば西軍勝利で間違いなかったんだがな

590 :日本@名無史さん:05/03/17 01:24:07
それはまぁ、秀頼がいれば福島なんかは攻めるのやめるかも知らんが、
こそーり事故の振りでもして秀頼の命狙うやつがいそうだ。
徳川は家康死んでも家臣まとめていけそうな代わりはいるもの。
秀頼は死んだらもう担ぎ対象がいない

591 :日本@名無史さん:05/03/17 02:55:39
>>587
あぁ、なるほどね
そういう捉え方で言えば、確かにそうだねぇ

確かに家康は誘き寄せたと考えるには、あまりに東軍の配置は悪いもんね


592 :日本@名無史さん:05/03/17 07:42:38
東軍は菩提山に退路を確保していたとする説に一票。
少なくとも家康だけは落ちられる。

593 :日本@名無史さん:05/03/17 12:30:01
>>590
>徳川は家康死んでも家臣まとめていけそうな代わり

   誰?

594 :日本@名無史さん:05/03/17 15:08:40
本多正純

595 :日本@名無史さん:05/03/17 15:40:02
影武者

596 :582:05/03/17 21:22:23
>>591
そう思います。東軍の布陣は家康の退却路に重点を置いて配置されています。
それに家康もあんな短期で決着がつくとは思っていなかったと思います。
秀忠の行動の日程を見ると遅参したというより、戦いが早く終わりすぎたと
言うほうが的確でしょう。真田にてこずったから遅れたのではなく。
三成も家康も持っているカードを出せないうちに戦いが終わってしまった事は
家康にとっては計算外の幸運だったはずです。
出していないカードでは三成のほうが強力なカードを持っていたからです。

597 :日本@名無史さん:05/03/17 21:41:00
>>593
家臣が担げるやつって言う方がいいかな。
単純に子供。
豊臣は秀頼死んだら家臣がすんなり担げそうな
人材がいないし。

598 :日本@名無史さん :05/03/17 23:17:45
悔しいが子だくさんな家康に歩があったのは確か。
秀吉は農民上がり、家康は武士の子。
後継しっかり考えといてくれよな。
最後に家康に弱みを見せた時点で豊臣は終わってたね。

599 :金吾秀秋:05/03/18 02:33:43
担がれてやろうか?(´・ω・`)

600 :名無しの古参 ◆VpKHzOu04Y :05/03/18 03:45:46 ID:??? ?
いまなら
豊田とかあそこらへんが戦場だろうな。

なぜに関が原なんだろ?

地形的にはわかるけど
あのとき
清洲城はどうだったんだろ?

601 :日本@名無史さん:05/03/18 07:40:04
>>600
清洲城はどうだった・・・って、質問なのか? 違うよな? 知ってるよな?

602 :日本@名無史さん:05/03/18 08:01:54
>>600
釣り

603 :日本@名無史さん:05/03/18 09:56:47
>>600
島津得意の「釣り野伏」ですか?

604 :日本@名無史さん:05/03/18 14:38:14
>>600
関が原は主要街道が集中しており、またここを突破されると
京都大阪まで一気に攻められてしまうことから、
京都方にとっては絶対守らないといけない地点、
一方京都を攻める側にとっては絶対突破しないといけない地点。
そのため歴史的になんども大きな合戦が起こった。

西軍 大友皇子    東軍 大海人皇子  壬申の乱
西軍 北朝…足利軍  東軍 南朝…北畠顕家  青野原の戦い





605 :日本@名無史さん:05/03/18 22:47:30
>>599
西軍勝ったら関白として担がれてたのに(;´Д`A ```

606 :日本@名無史さん:05/03/19 00:18:08
秀秋を関白にってのは嘘嘘
三成に、んな権限ねーし、第一秀頼を否定する事だ

607 :日本@名無史さん:05/03/19 01:05:18
>606
ちゃんと秀頼が15歳になるまでという制限付きじゃん。<関白職



608 :日本@名無史さん:05/03/19 01:44:21
>>607
申請してないんだから制限つきも減ったくれもない。

609 :日本@名無史さん:05/03/19 12:24:37
>>605
ここしばらくの間、金吾が華麗にスルーされててワロてたんだが
ようやくレスが・・・よかったね

610 :日本@名無史さん:05/03/19 15:22:28
三成らが関が原へ転進した時に大垣城に7500人もの部隊を残したのは
なぜですか?
勝って東軍を赤坂、菩提山まで押し戻せれば良いけれど、持久戦に持ち込またり、
史実負けた場合は取り残される危険があるから裏切り者がでても当然と言える
のですが・・・

611 :日本史@名無しさん:05/03/19 16:07:19
大垣城の時に島津を救出するためだけに兵を出せば、それだけで三成の株は
暴騰したんだけどな。軽微な損害に止められるように島左近にうまく計算させて。
鬼島津が戦場で死ぬ気になってくれるだけでも局面を変えられる連中だし。

そのあたり、武将としての実績がないことをもっと自覚するべきだったよ。
真面目だし、秀吉の国家経営の能力は受け継いでいても、その成功の最大の
根拠だった、演技者として魅せる部分には欠けていたと思う。損と言えば損な性格
だが、秀吉がプライドを何度でも平気で捨ててきたということは学ばなかったのか
知らなかったのか。

612 :日本@名無史さん:05/03/19 16:17:21
そうだね。軍事へたを自覚してるから島左近抱えたんじゃなかったのか
軍事は任し切ればいいのに。もったいない


613 :日本@名無史さん:05/03/19 17:16:24
>>610
大垣に戦略的価値を認めていたんでしょ。
でなければ放火して城から出たでしょう。

まあ相手が家康なんだから互角に渡り合える武将なんて
そうそういないでしょう。


614 :日本@名無史さん:05/03/19 20:27:57
家康の陽動作戦にひっかかって、大垣城を出た時点で三成の負けだな
大垣城水攻めなんて、成功しそうにない、大雨でも降らない限り成功しない
時期は秋で大雨はないだろう
南宮山の毛利軍も大垣城の西軍と連動すれば、威力を発揮する
関が原移動を毛利軍は了解してなかったのかもしれない
家康は城攻めは苦手で野戦が得意だ
三成の経験不足、気の小さいところが最後の土壇場で出た
しょせん、武人ではなく文人だろう 三成は
生米食って下痢腹のピーピードンドンでは気力もなえるだろう

615 :グーフィー:05/03/19 22:36:45
>>614
結果だけ見すぎ。
三成は家康におびき出されたのではないです。
実際の戦がどのように行われたかをしっかり考えれば
このような考えはでてこないはずです


616 :日本史@名無しさん:05/03/19 23:09:08
まあ野戦なら決戦場が関ヶ原になるのは当然だったからな。

617 :日本@名無史さん:05/03/19 23:10:26
長松城はともかく、大垣城は東軍の拠点にされると困るだろ。
清洲まで引くのと、大垣に居座られるのでは天と地だ。

それと岐阜落城の際に、島津勢だけを前線に残して撤退したと
いうのは間違いらしい。
石田勢も同様だったと何かの本で読んだ。

618 :日本@名無史さん:05/03/19 23:58:46
西軍の総大将が誰なら勝ち目があった?

619 :日本@名無しさん:05/03/20 00:05:10
前田利家

620 :名無しの古参 ◆VpKHzOu04Y :05/03/20 00:23:37
ここはりょうスレだな。
しばらくここで勉強させてもらおう。



621 :日本@名無史さん:05/03/20 00:27:11
総大将なー
よく秀頼が前線に出てくれば・・・とか聞くけど、>>597とか
考えると出さなくても無理ないなと思っちまう。

622 :日本@名無史さん:05/03/20 00:52:36
>>618
福島正則。
これで東軍方の大名の殆どが西軍になる。
清洲城主という立場を考えると、秀吉も対徳川戦の総大将として、
福島正則に期待していたと思われる。

623 :日本@名無史さん:05/03/20 01:57:05
>>622
正則はどう見ても大将の器じゃないだろ。
秀吉も正則にそんな戦をさせたこともないし。
清洲ってのはあくまで防衛の拠点の1つでしょ。

あえて言うなら、加藤清正の方がまだ大将の器じゃねーの。

624 :日本@名無史さん:05/03/20 02:03:15
せんなりびょうたん戦場に持ち込むだけでも
ちがったと思うんだけどなぁ。

625 :日本@名無史さん:05/03/20 02:28:23
武家清華であり、五大老の一員でもあり、秀吉の養子でもあった
宇喜多秀家を名実ともに総大将にすれば良かったんだよ
朝鮮出兵でも総大将だったしさ、やる気満々でしたし

626 :日本@名無史さん:05/03/20 03:18:30
だよなー

627 :日本@名無史さん:05/03/20 04:21:13
>>625
そうなったら毛利はますます動かないだろう。
下手すれば中立を宣言してヒキコモリ。
そして毛利が動かなければ西軍のかなりの数が
右に倣えして動かなくなる。

628 :日本史@名無しさん:05/03/20 07:20:23
というか福島が西軍ならそもそも関ヶ原にはならない。

対家康用の東海道の要塞群や物資を踏みつぶして徳川が出てくるのは無理だし、
せいぜい頑張っても決戦場が遠近江、その頃には西軍は中部地方も制圧している
だろう。結局北条の二の舞になって関東を包囲・封鎖されて  終  了   。

ただ武将として強かっただけではなく、豊臣の戦略配置も熟知していたんだよ。
こんな奴が裏切っておいて「秀頼様大事」なんて抜かす神経が理解できない。どういう
精神構造をしていたんだろうか。

629 :日本@名無史さん:05/03/20 09:04:37
今この瞬間に武士を束ねる力がない幼児が
天下の諸権力を保有していることがまず悪なのだよ。
「秀頼が成人するまで重要な政治判断は全部ストップ」なんて
いう秀吉遺言のマイルールは迷惑そのもの。
65万石あげるからガキは引っ込んでなさい、は武士としては正当な処置。
むしろ力もないのに権限を占有していた
「悪の支配者」に対してはすごく寛容な処置ともいえる。

630 :日本@名無史さん:05/03/20 09:55:07
>>629
三戦板ならともかく、日本史板では意味不明。

631 :グーフィー:05/03/20 10:48:20
総大将の問題はより、西軍は秀頼の為に戦っている事をもっとアピールすべきだった。
三成が西軍の顔になったのも家康が、秀頼の下で豊臣組がまとまる事
を恐れていたから、狡賢い三成に秀頼は騙されているという構図が欲しかったから。
三成も負けたときの事を考え秀頼に影響が出ないように前面に押し出せなかった。
西軍には五大老の毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝他には島津義弘、佐竹義宣、鍋島勝茂
小西行長、小早川秀秋、立花宗茂、真田昌幸、丹羽長重などがおり戦力は十分
足りそうだと思ったのだろう。逆に東軍は主力を担う部隊が親秀頼反三成という
非常に不安定な部隊だった。
だからこそ家康は小山評定で裏切れないようにしたかったのね

632 :日本@名無史さん:05/03/20 11:01:47
秀頼を押し出したって家康が何も出来ないことはこの時点では明白だったのにな。

633 :日本@名無史さん:05/03/20 12:38:06
>>631
いや、西軍が秀頼を前面に押し出せなかったのは、
負けたときのことを考えてではなく、
大坂城の秀頼側近らに反対されて出来なかったからだろう。
大坂城には親家康派・日和見派が沢山いたからね。
その段階の裏工作で西軍は既に負けていたってことよ。

634 :グーフィー:05/03/20 15:51:43
>>633
確かに裏工作では、東軍に分がありましたね。人を扱うのは家康の方が
何枚も上手ですね。
三成には能力うんぬんではなく経験が足りなかった。
しかしそれが直接の敗因ではないでしょう。
大きな要因の一つではありますけど。

635 :日本@名無史さん:05/03/20 16:05:21
>>633
淀殿は侍女を京極氏に派遣して高次の変心を思いとどまらせようと
したそうだから実質西軍に肩入れしていたのでは?




636 :日本@名無史さん:05/03/20 16:43:47
西軍の工作なんて多くは抹消されてるだけで実際はあったと見た方が良いと思うのだが

637 :グーフィー:05/03/20 19:05:02
>>636
そうだと思います。
小早川秀秋には関白にさせるとか真田昌幸など各地の大名に
三成直筆の書状送ってるし。
基本的に西軍のやった事は失敗というイメージ。
客観的に見ると勝つ要素だって結構見つかる。

638 :日本@名無史さん:05/03/20 21:21:11
野戦ならいざ知らず、当時寝技で家康に勝てるヤツは居なかっただろ?

639 :日本@名無史さん:05/03/20 21:59:28
毛利秀元が大将だと何か問題有る?

640 :日本@名無史さん:05/03/20 22:09:37
小早川関白ってのは信用できるの?

641 :日本@名無史さん:05/03/20 22:43:15
江戸時代中期以降ならともかく、秀頼出馬など意味ないよ。
三成が動けば、それが即ち豊家の意思。

毛利本隊が動けばインパクトがあったと思うけど、既に伊勢制圧や
大津攻城に出ているから、兵力数以外には関係ないかもしれない。

>>640
贋作というのが定説だと思われ。


しっかし、日本史版のレベル低下は嘆かわしいな。

642 :日本@名無史さん:05/03/20 23:18:04
秀頼自ら出陣→福島、黒田ら豊臣恩顧武将戦意喪失→退却→東軍大崩れ

643 :日本@名無史さん:05/03/20 23:35:54

そうなったら一旦は崩れるが秀忠本隊の到着で東軍が持ち直すと
思うがどうよ?

644 :日本@名無史さん:05/03/21 02:49:10
秀頼出てきてもそれほど変わるかなって気がしてきた。
秀頼にほんとに忠誠誓ってるのがどれだけいるか?
福島とかは戦線離脱くらいはしてくれるかな。混乱はするかな。
不利になった東軍はいったん引いて秀忠と合流
西軍にも他方面より立花宗茂らが合流。
で、膠着状態になりそう。

645 :日本@名無しさん:2005/03/21(月) 04:13:39
そもそも秀頼出陣を淀君に説得できるやつはいるのかな?

646 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 05:37:58
乱波を使って淀君を事前に殺しておけばいい。

647 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:18:21
輝元が出陣しても、結果は変わらなかったと思う?

648 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 16:21:32
淀君なんて呼び方するなよ。

649 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 16:50:26
秀頼は出陣しないだろう。まず家臣同士の争いだ。秀吉VS勝家の時、三法チャンは出陣することはなかったでしょ。年齢が関係しているが政治的に利用されただけで、さして秀頼とかわらない。信長死後の秀吉の行動を家康は踏習し+αしただけじゃないかな。

650 :ななしのこさん:2005/03/21(月) 18:02:52 ID:k9ww7IBb ?#
きょう福島正則の菩提寺に行ってきました。


651 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 03:48:13
晩年の正則は、三成や関ヶ原の合戦に対してどう思っていたんだろう・・・

652 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 21:38:07
正則は馬鹿だから何とも思ってないよきっと。

653 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:26:16
>>651
はめられたなと思っていたんじゃないか

三成に対しては、おまえさえいなければ・・・

654 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:03:51
正則の場合は、単純に家康が次の天下人と判断したのだろう。
三成憎し云々は大権現様を(ry

655 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 02:00:28
あの細川が東軍についたって事は、客観的に見て東軍優勢だった
って事なのでは?

656 :金吾秀秋:2005/03/23(水) 02:19:33
はめられたな(´・ω・`)

657 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 02:20:50
というか、普通に考えれば東軍優勢

もっとも小山会議以降ということで

658 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 02:30:17
ところが、秀忠が上田城攻めで思いもかけぬ失態を演じたため、やむなく家康はその主力の八万をもって、
石田三成ら西軍十二万と、関ヶ原の戦場狸に苦戦したのである。


659 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 03:07:16
福島は,大阪の陣に豊臣側に参加してれば漢として評価高かっただろうね
どうせ最後はしょぼーんな未来だし
最後に一花咲かせて欲しかったな

660 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 04:09:17
楽勝とは言えないが、必勝体制を組み上げた


661 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 15:28:39
>>659
そんな男気があれば、あんなに三成を憎まなかった
だろうし、関が原で家康側につくこともなかったよ
香具師は単なるヨタ公


662 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 16:43:53
>>661
男気があったけど、家康についた
というか、大局は見れなかった
大局は、三成排除にあると信じた

663 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:18:28
秀忠の遅参と小早川の寝返りが、結果的に相殺されてしまったわけ?

664 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:32:09
相殺されていない

調略で既に弱体化されていた

家康は、秀忠抜きを織り込み済みで、決戦を指向
戦闘を回避する方法はいくらでもある

665 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 21:07:54
福島正則は三成が殺されたことで大満足。
もうそれ以外は何も望んでなかった

666 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 21:30:48
>>665
やっぱりただのヨタ公だなw
とても、一国をあずかる大名の取るべき
態度じゃない


667 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 21:56:27
正則は豊家の安泰だけを望んでいた

668 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 22:19:06
福島左衛門大夫は戦後の展望なし。
さっそく矛先を徳川官僚と激突し、爆裂している。伊奈図書切腹強要、「もうこれ以上手伝普請嫌だ」、家康・秀頼の二条城対面の際、枚方〜京を一万の軍勢で固めるなど、尽く徳川と対立する火種を撒き、本多正純、土井利勝ら徳川官僚団と対立

669 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:18:12
これこそ、まさに正則が保身など考えていなかった証拠である

並の盆暗であれば、天下様に対して無用な争いは仕掛けない

670 :金吾秀秋:2005/03/24(木) 03:50:16
まったく、正則のヨタ公は戦後の展望もなくて、
一国をあずかる器でもなかったわけだな(´・ω・`)

671 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 03:55:38
今川氏真>>>>>>福島市松

672 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 08:38:56
まったく、清正が正則と一緒にされるのは
迷惑だよな。だから、関ヶ原の戦場に出なかったの
かもしれないがw


673 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 08:41:56
清正は目立つ武功がないので、当時から「コネだけ男」と呼ばれていたのは有名な話だ。
ホタル大名以下だな。

674 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 14:21:15
>>673
そうなの?
個人的なイメージだとかなり立派な人物だけど



675 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 15:06:11
コネだけ男とかいうと藤堂高虎あたりが思い浮かぶ

676 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 15:41:13
おまえら日本史選択してるの?

677 : ◆GUNBOYdbqE :2005/03/24(木) 18:04:28 ID:??? ?#
初心者な質問でスマソ

福島正則って
清洲城の城主でしたっけ?


678 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 20:38:40
>>677
そうだね。関ヶ原当時の城主
秀吉は、家康が東に攻め込んで来るさいの
最後の砦としようと目論んでいたんだがw


679 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 20:42:58
藤堂高虎は一度引退したけど請われて呼び戻されたんですぞ。
こいつは秀吉が死ぬより前に家康にすりよってたからな。
それはそれで賭けとも言えるし、確信犯で、正則みたく馬鹿じゃない。

日本史取っててもここら辺は詳しくやらんからな。
俺は世界史でした。

>677
ですよ。秀吉は、家康を食い止める要になって欲しかったんだろが…

680 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:17:11
>>674
イメージってどこから湧いてくるんだよ。
日本史に疎いな。

681 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:18:27
>>679
その家康を最も信頼して、政権を預けたのが秀吉。

682 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:55:46
また家康の後ろから食いつく役目を背負わされたのが上杉景勝では。
家康を信頼しているのかしていないのか。
互いに牽制させるつもりが、どうも中途半端でいけませんねぇ。

683 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:16:04
野戦というより攻陣戦だった?

684 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:20:02
>>682
中途半端とは思えない

どうすれば良かったと?

685 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:31:55
>>681
そこなんだよな。俺は信頼はしてなかったろうなと
思ってるんだが、徳川幕府が外様の大藩に対するような
中央の政治には触らせないよな扱いはできなかった物か

686 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:41:08
>>685
秀吉としてみれば、無視するよりは、取り込んだ方がいいと考えたんだろう

結果論的には裏目に出たのだが、死後を全て見通せるかというとそれは

687 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:15:59
あのね、秀吉が死ぬ直前までは、前田利家も健在で
五大老が微妙にバランスとって成り立ってた訳で。
家康一人が独走しようとしたら、他の四人が牽制出来るシステムにはなってた。

問題は、前田討伐に対し誰も止められなかったのと前田利長の屈服、
これが致命的、普通は他の大老が歯止め効かさなきゃならんのに、これを容認したので
家康独裁が決定的になった。

688 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:40:18
秀吉も馬鹿じゃないから、天下は家康に流れるってことくらいわかっていたでしょ。
自分だって幼い三法師を使って、織田の天下を横取りしているんだし。
ただ、できれば飾り物でもいいから秀頼には相応の地位を保って、
徳川家は北条執権みたいな感じになって欲しかったんでは?
前田利家があっさり死んでしまったため、秀頼の守護役がいなくなってしまったが。


689 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:42:38
利家がすぐ死んだのが痛い
もし前田利家が秀吉より先に死んでたらどうか
利長が当てにならんと見て利政に家督を譲らせたりしてたかもな。
前例があるし。そうなったらおまつさまが余計なことしなきゃガチ
できたかも。

690 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:50:12
秀吉は家康の天下だとは思っていなかっただろう
もしそうだとすれば無理矢理に家康を攻めたはずだ
そうなると天下大乱になるが

691 :日本史@名無しさん:2005/03/25(金) 07:20:34
寺の鐘でも難癖つけて、北条と同じように滅ぼしてしまえば良かったんだよ。朝鮮出兵なんて
やらずに。

692 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 07:40:23
だから小牧と長久手の合戦やってるでそ

693 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 11:59:58
>>687
内府ちかひの条では上杉討伐にかこつけて前田から人質
をとったことだけを非難せざるを得なくなってますね。w

前田討伐の時点で奉行衆は立つべきでしたね。
檄文で擁護した浅野長政、前田利長は東軍についてしまっているし。


694 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 14:51:22
>>690
家康が秀吉より先に死んでいたら、難癖つけて徳川家をつぶしていただろう。
丹羽長秀のように。



695 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 16:11:33
利政って。あれは前田家が西軍、東軍どちらが勝った時も生き残るための保険だろ。利政が本当に豊臣家に忠実ならば大阪の陣の時は入城するでしょう。

696 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:03:43
秀吉自体が忠臣とは程遠いから
部下も恩義に薄い香具師が多いのも当然の結果。
全て自業自得。

697 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:20:08
>>693
浅野長政、前田利長は、転ぶと踏んだのかも

だとすれば、恐るべき洞察力
天下を取るぐらい力か

698 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:21:39
>696
家康に内通した小早川の重臣、稲葉、平岡も秀吉恩顧の武将。

699 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:21:56
>>695
利政は、あの時点では、勝てると考えて西軍についたのかも

700 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:26:09
関ヶ原自体は、実体はともかく、豊臣家が反乱軍を討った正当な戦いだ
だから、表面的には、裏切りではない

701 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 20:08:18
こうなってみると秀吉の辞世の句はなかなか味わい深いな

「露とおき、露と消えにし我が身かな、難波のことは夢のまた夢」

秀頼の種が自分ではないということを知っていたのだろうな


702 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:55:35
響きはいいしストレート。好きなんだが、内容は無きに等しい辞世だな。


703 :日本史@名無しさん:2005/03/25(金) 22:40:41
難波のこと「も」じゃなかった?

704 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 23:41:15
洩れもそう記憶してる。
福島正則氏ね

705 : ◆GUNBOYdbqE :2005/03/26(土) 00:12:48 ID:??? ?#
ここの真髄は築山姫かな?
駿河の。



706 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 07:39:35
>>704
むしろ秀吉の最後の意志を忠実に実現したのが正則だと思うが。

707 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 10:32:07
間違いは2箇所。訂正するのも馬鹿らしい。
こんな有名な句など、記憶しとけ。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

708 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 12:25:42
>>636
そりゃああっただろうが、
結果的に失敗した、だから抹消されてしまっただけ。

>>635
妹を危険な目に合わせたくなかっただけなんじゃないの?
仮に妹の旦那が逆に東軍の真っ只中で西軍につこうとしたなら、
淀殿も逆に東軍に降るように説得したのでは?
いずれにしろ、秀頼を前線に出すほどの肩入れではないだろうね。

亀レス失礼。

709 :金吾秀秋:2005/03/26(土) 18:09:55
男なら前線で活躍しろ(´・ω・`)

710 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:46:13
秀吉にとっては
秀次切腹事件
朝鮮征伐
なりふり構わぬ色ボケ
が家臣の忠誠心を削ぐ結果となってしまったな。

711 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:10:47
秀秋はもうちっと前線に出ないくらい臆病だったらねぇ

712 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:14:46
>>711
その反動のせいか、関ヶ原ではいつまでもどっちつかずだったな

秀秋に言わせれば、「総大将は軽々しく動くなって叔父さんに言われたから」ということなんだろうw

713 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:24:28
>>711
大坂の陣の塙団衛門と同じだな

714 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:33:24
背中の鎌が泣いてるぞ

715 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:05:48
このスレ司馬とか歴史小説読んでそれが事実と勘違いしてるヤシ多いな

716 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 03:28:22
たまに出てくるこのスレのマスコット、金吾のおかげで
秀秋がかわいく思えてきた・・・orz

717 :日本史@名無しさん:2005/03/27(日) 08:31:01
まあいずれにしても、徳川の勝利で陰湿な日本的体質がねっとりと定着させられた
ってのは間違いないな。中世は結構豪快でからっとしてたのにね。

特に秀忠の頃の陰湿な大名攻撃は、日本中の名城を全部怨霊のすみかにしてしま
ったといってもいいぐらい。姫路城、岡山城、名古屋城、松山城、熊本城・・・・・。

718 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:46:57
秀吉最大の失敗は、上杉を会津に移したことではないか?

719 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 11:28:56
いっそ東北はくれてやるつもりで伊達を会津にw

720 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:47:51
>>717
豪快でからっと、って・・・・
戦国史を勉強しなおすか?

721 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 17:55:18
しかし釣りと煽りがいつになってもなくならない
スレだなあ。
歴史関連のいいHP知っている人いませんか?

722 :とりあえず日本関係:2005/03/27(日) 18:44:35
http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/top.htm

http://www9.ocn.ne.jp/~senyou/index.html

http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu.shtml

http://www.m-network.com/sengoku/

http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/

http://bakumatu.727.net/index2.htm

http://www.geocities.jp/since7903/rekidaiNaikaku.htm

http://www.tanken.com/


723 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 19:46:51
それにしても、ネネの一族で誰も
ネネに似てなくて愚物ばかりというのは
恐ろしい


724 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 20:19:27
人格形成期が秀吉の権力が膨張期だったからかな。
伝統的な教養、教育の機会もないうえ、苦労知らず。
秀吉の系統にもいえるかことだね。
優れていたのが苦楽を共にした秀長だけなのも偶然じゃないだろう。

725 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 21:55:11
小説とかTVで刷り込まれて、それが真実だと思い込んでしまうことは多い
というか、ほとんどの人間はそうだろ

少なくとも歴史群像レベルを基準にして話たいものだ
ここにもおかしな話があるが、小説に比べればマシ

726 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:29:57
歴史群像レベルは三戦板でいいだろ・・・









と2〜3年前までは言えたが、今や立場逆転

727 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 22:37:08
はっきりいって戦術的や配置関係からいって
普通にやってれば西軍は負けるはずがなかったんだよなぁ・・。

なんせ家康軍はおもっくそ囲まれてるんだし
しかも光成軍 大谷軍 宇喜田軍 だけでも手まどってる連中なのに
小早川の裏切りと吉川の裏切りさえなければ圧勝してたろうに・・・。

728 :日本@名無史さん:皇紀2665/04/01(金) 00:17:02
>>727
>はっきりいって戦術的や配置関係からいって

その「戦術的や配置関係」という点を詳しく教えてよ。
回答によっては三戦板にお引取り願いたいので。

729 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 00:40:54
>728
逆に聞きたいんだけど日本史板に何故 関ヶ原の戦い があるんだ?
てか何を語ればいいわけ?

史実はこっちでIFは三戦板ってこと?



730 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:30:11
>>729
石田、大谷、宇喜多に手こずったという妄想に問題があるのでは?

731 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 02:38:49
その3つの軍が主力になっての戦いは小早川が裏切るまで拮抗してますが。


732 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 07:12:43
「はっきりいって戦術的や配置関係からいって
普通にやってれば西軍は負けるはずがなかった」

と決めつける前に、本当にそうだったのかを検証するのが学問板だろ?
それが出来ない輩が増えたから、書き込みのレベルが極端に低くなった。
司馬遼信者なら書籍板、そうじゃなければ三戦板の住人になるべきだ。

733 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 11:09:21
ttp://haruna.on.arena.ne.jp/military/travelogue/sekigahara/main.html

見てくれれば解るけど家康軍はおもいっきり囲まれてる。
光成の戦術にはまってるんだよ・・・この時点では・・・。

普通にやってれば秀忠が真田に足止められてる以上まず負けてない。


734 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 11:29:55
>>733
ええっと、囲まれていれば、負けなの?

吉川は西軍で攻撃に参加したの?

735 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 11:42:18
>>734
挟み撃ちに出来れば、ほぼ勝ち(だから川中島の合戦で武田信玄はきつつき戦法をとった)。
囲んだら普通は圧勝。

吉川は関が原の前の戦いでは攻撃に参加しているよ。
だから、この時点では疑いはあっても、裏切るとまでは思ってなかったのでは?
まして、毛利軍は形の上では西軍の総大将だし。

736 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 12:16:38
>>735
裏切ると思ってはいなかったが、実際に裏切ったから
挟み撃ちにはできないだろ

それに出口は部隊で塞いでいるから簡単には挟めない

737 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 12:22:40
>>735
挟もうとする側が各個撃破される可能性もある

それから通常野戦で、挟み撃ちが成功する確率はほとんどないだろ

738 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 12:26:25
日本史板といってもこの程度か・・・。
全然この形の有利さがわかってない・・・。

逆に聞きたいんだけど
小早川と吉川が普通に動いてたとしてどうやって西軍は負けるられるんだ?

大谷 光成 宇喜田 相手だけでも拮抗しちゃってるのに。

739 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:15:37
>>738
吉川が動かず小早川が動いたから負けたんじゃん

740 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:58:58
なんか話がずれているような。
あくまで合戦開始前の配置の問題では西軍が勝って当然って話のはずでは?
だが、本来勝てるはずなのに、吉川、小早川が裏切ったために負けた、ってことだろ。

>>737
挟み撃ちにすればほとんど場合勝てるよ。
でも、相手も馬鹿じゃないから、なかなか挟み撃ちにさせようとはしないけどね。
義経の一の谷の大勝利も、搦め手から例の奇襲で挟み撃ちにしたわけだし、
姉川の合戦でも浅井朝倉軍が織田軍をコテンパンにしてたところ、徳川軍が後ろに回りこんで
挟み撃ちにしたから、圧勝したわけで。
戦力が倍以上違うならともかく、同程度の戦力ならいかに相手を挟み撃ちにするかが勝敗のポイント。

逆に言えば、徳川家康という歴戦の軍人がこういう不利な配置に追い込まれたことを
なぜ三成も左近も不思議に思わなかったのか。
それほど吉川小早川の裏切りは三成ら西軍にとって意外な出来事だったのだろう。
社会党がまさかの自民と組んでの村山政権みたいなもので。

741 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 15:04:59
>>739
だからもし裏切らなくて普通にやってれば勝ってたのに という話なのに意味わからんこといわんでください。

742 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:06:08
>>738
でも、一応毛利や長曾加部や吉川に対しては
その抑えとして山内、有馬、池田、浅野と逝った
歴戦のつわもの達が、兵力を温存して布陣していた


743 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:38:29
この陣形の凄いところは東軍全体を囲んじゃってるところ。
つまりどこにいようが常に左右の毛利・吉川・長曾加部 そして小早川
前方に光成・大谷・宇喜田 軍がきてることを考えつつ戦わなきゃいけないこと。

三つの大隊が同時に前や左右からきたら恐怖だろうね。
もちろんある程度の兵力は必要だけど3方向とも万単位だから問題もないし。


あと・・・山内、有馬、池田、浅野 で 毛利 長曾加部 吉川
を抑えられるの?

744 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 18:37:59
742さんは全然戦争の常識がわかっていない。743の言うようにこの西軍
の布陣はほぼ完璧。普通に戦えば負けることはおそらくない。

745 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 19:02:46
>>742
それでもメッケル少佐は西軍が勝つと判断したんだよ。
陣形(配置)・兵数だけで判断した場合、西軍負けると
結論した軍事関係者いる?少なくとも俺は知らない。


746 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 19:39:44
メッケルは部隊配置を見て西軍の価値と断定した。
でも東軍が勝った理由を説明されると、十分に納得したという。

小早川は松尾山に陣取っていた西軍の部隊を無理矢理追い出して布陣したり、
軍議にも参加しなかったりと、東軍寄りの立場で参戦していたのは間違いないと思われる。
それは大谷勢が松尾山に向けて軍勢を配置していたことからも証明できる。
また、南宮山方面の中立化も確定的な状況だった。

以上のようなことから、関ヶ原での布陣を以って優劣を語るのは、
余り意味のない行為であると思う。
事前の調略の成功によって、関ヶ原での開戦の時点では
家康はかなり有利な立場にいたんだよ。
それが石田・大谷・宇喜多の奮戦や小早川の参戦が遅れたために
五分五分の状況になったわけだ。

747 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 19:46:46
そりゃ納得するよ。
三方向からの進軍を想定してたのに要の左右が裏切って、動かないandあの戦力が完全に敵に回った

しかも両家とも総大将ゆかりの者ときたもんだ。

なんでこうピントはずれなこというかな・・・。

何度もいうけど仮に裏切らずに普通にやってれば圧勝してた って言いたかっただけなんだから。


748 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 19:56:47
>>746
それは違うと思われ。
確かに大谷の陣を見れば、小早川の裏切りも予想はされていたかもしれない。
だが、朝霧が晴れて、陣形を見渡してみれば、あっと驚く東軍の「袋のネズミ」。
この時点で西軍は勝利を確信し、家康は恐怖を感じたはず。

戦が始まってしまえばシズが岳の前田利家をはじめ、裏切るなんて当時日常茶飯事。
あの状況で小早川が「予定通り」裏切るなんて期待は一気にうせたことだろう。

もしというなら、福島隊の3倍近い宇喜田隊がもう少し早く福島隊を撃破していたら、
勝負は決まっていたように思われる。
宇喜田隊の手間取りが勝負を決めたというべきか。

749 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:01:42
>>727
> はっきりいって戦術的や配置関係からいって
> 普通にやってれば西軍は負けるはずがなかったんだよなぁ・・。

何でその布陣になったのかという前提が思考から抜け落ちている
まずはそれを考えてくれ

750 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:08:07
>>749
・・・・じゃあ何か?
家康が絶対小早川と吉川は裏切るって解っているから安心してあの布陣の中に飛び込んだって言いたいのかい?

あの慎重に慎重を重ねた家康が?
てかわざわざあの布陣に飛び込む利はあるの?

ぜひ 教 え て く  だ さ い 。

751 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:23:32
>>750
同意。
あの家康が小早川が裏切って、西軍に雪崩れ込むまで期待していたとは思えない。
そもそも小早川が本当に雪崩れ込むこもとまで予定されていたのだろうか。
合戦場での裏切りは確かに多いがそれでもせいぜい中立、日和見までが普通。
矛先を180度変えることはさすがに許されなかったのでは。
例えば厳島の戦いでは元就の腹心桂元澄は作戦上陶方に着いたが、
陶を裏切るにしても、最後まで不動であり、陶を攻めようとはしなかった。

小早川が最初から西軍に雪崩れ込む、ということ自体フィクションじゃないかと思うし、
あの慎重派の家康が開戦前からそんな危険なばくちを撃つとは思えん。


752 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:28:23
それにしても、宇喜田と小早川の配置は逆だと思うが
三成はどうにも出来なかったのか?

753 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:31:25
>>750
極端な奴だな

布陣の時点で既に「普通にやってれば西軍は負けるはずがなかった」なんて状態じゃなかったってこと
小早川毛利が信頼できないから、大垣城からわざわざ出陣したんだろうよ

754 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:32:18
>>752
小早川は独自に動いて松尾山を占拠したのだから、それは無理

755 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:39:13
>>753
関ヶ原の戦い だけをみて普通に戦ってれば圧勝していたのにと何度もいってる。
IFなのはこっちも解ってる
このスレはなんだ?関ヶ原の戦いでしょ。

あと小早川と毛利が信用できない?
光成は疑いをもってなかったのは確か。

疑ってたら毛利をあんなところに配置しない。
というか毛利は総大将でしょう・・・総大将疑ってどうするよ・・・。

それに毛利は事実裏切ってないし。
裏切ったのは毛利の分家の吉川、毛利は裏切る気はなかった。


756 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:49:49
光成ってだれよ(w

757 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:51:40
本当に誰だろね・・・w

三成でした・・ごめんなさい orz

758 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:52:44
>>755
あんたのいう「普通に」って何よ

759 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:55:06
>>758 さぁ・・なんだろうね。
ご勝手に想像してください。相手疲れた・・・。

760 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:59:34
おつかれさん

761 :日本史@名無しさん:慶長410/04/01(金) 21:16:28
おそらく吉川とは常時通じていたのだろう。

でなければ、慎重な家康がこんな“死地”にわざわざ入ってくるはずがない。
自分から仕掛けた陽動だとしても。

ただ、安国寺、それに毛利の本体の攻撃の可能性もゼロではなかったから
温存の口実として後詰めにしたんだろう。ただ、毛利における吉川広家の位
置と布陣から、毛利勢が動くことは九分九厘あり得ないと踏んだわけで、ま
あ鶴翼半月の陣と言ってもその翼の片方ははじめからなかったに等しい。

問題はやはり小早川の所で、大人の事情も政治向きの事もわからない洟垂
れ小僧がなんでここにいたのか。西軍を追い出したことは評価できても、代
わりがこいつなのは心中穏やかではなかっただろう。

従って、この布陣は、東軍にとってはやはり極めて危険なものであったことは
間違いない。寡勢である正面の西軍が五分に戦ったのも、狭隘な斜面での
迎撃であるから当然で、まあ家康にすればそれまで完璧な政治工作で悠々と
対徳川防衛ラインである駿河・遠近江・三河・尾張を戦費や貯蔵物資をおいしく
頂戴しながら突破して、本来敵とすべき秀吉子飼いの連中を三成と戦わせるこ
とが出来た、すなわち上手くいきすぎたことの反動がこのていたらくか、やはり
石橋を叩いても渡ってはいかん、などとほぞを噛んだのは間違いない。

762 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:35:11
おしえて君で申し訳ないけど、関ヶ原では鉄砲以外の火器は使われなかったの?
大砲や石火矢が使われたとしたら、単純に数がそのまま力とはならないと思うんだ
けど。
細川幽斎が田辺城で使ったような鉄砲のかんしゃく玉が関ヶ原に持ち込まれていた
ら、それだけで戦況は一変したと思うんだけどどうだろう?


763 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:37:08
8時ごろの開戦から、12時ごろの小早川の裏切りまで約4時間
小早川の裏切りも、勝ちそうなほうに味方しようということだろうから
意外な西軍の善戦を見て、迷いに迷ったことだろう
10時ごろまでは西軍優勢で推移していたのが、10時半ごろ家康が最前線近くに
陣地を移動してからは東軍優勢になったのだろう
11時半ごろは東軍が勝ちそうだという形勢を見てから、西軍陣地に突入した
のだろう 西軍が勝ちそうであれば当然、東軍陣地に突入しただろう
やはり、野戦が得意の家康の采配がさえたということだろう
実戦不足の三成は指揮能力で家康に負けていたと見るべきだろう
島左近が早々と黒田の銃弾で負傷したのが三成にとっては痛かった

764 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:15:17
精神薄弱児を主力の大将に置いている以上
西軍の負けはやる前から分かっていたであろうにw


765 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:18:13
>>763
家康が前線に出たのは彼の性格だろうが、それだけで優勢にはなっていないだろ。
もし、東軍が勝ちそうで、単に小早川が勝ち馬に乗っただけなら、あそこまで小早川は
諸将の顰蹙を買わなかったと思われ。
彼の裏切りは西軍はもちろん、東軍からも眉をしかめられたようだし。

俺の予測はあくまで吉川も、小早川も日和見の予定だったと思う(日和見も十分な裏切り)。
が、思いのほか苦戦となり、家康としては慌てて西軍に突っ込めと例の銃撃をしたのでは。


766 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:34:50
一、関ヶ原に於いて「東軍は囲まれてなどいない」

二、メッケルのエピソードは作り話というのが定説

三、鶴翼などの陣形の優劣は後世の作り話

四、「普通にやってれば西軍の勝ち」と世迷言を書いている人は
   島津の敵中突破をどのように解釈するのか?

五、頼むから三戦板に帰ってくれ

767 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:00:32
765さん的には東軍はどうやっても圧勝で家康は最強であって欲しいみたいですね。
とりあえずそういえるソース希望で、口だけ君。

768 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:08:32
神君マンセー!

769 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:42:54
766おまえはきちがいか。島津の敵中突破は関係ない。

770 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:54:05
ごめん。今きがついた
767の765は間違いで766のこと。

771 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:23:52
>>747
裏切らずに普通にやっていればっていう前提がそもそもおかしい。

どうも分かっていない様だが、戦争というのは二国間の政治関係がもつれた際に
それを解決するための最終手段なのであって、そこに至るまでにはさまざまなプロセスがあるわけだ。
君は駒を並べてからよーいドンで始めるのが戦争だと思っているようだが、
戦争で勝利するためには相手の飛車や角を味方につけておいたり、
相手の歩を半分に減らしておいたり、戦略段階において勝利をモノにできるような
策を十分に講じていかなければならないわけだ。
家康はこの段階ではるかに三成をリードしていたっていうことなんだよ。

わかると思うけど、戦略面の不利を戦術面で覆すのは非常に難しい。
信長が今川義元に勝ったのは、非常にレアなケースだ。
関ヶ原の結果が示すとおり、西軍が東軍を包囲する形で布陣していた、
などという優位性は、まったく有効に機能しなかったわけだ。
「包囲していた」とはいっても、穴だらけだったんだから。

772 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:48:23
>>771
総論はその通りだが、その戦略は秀忠がまさかの遅参で大幅に狂ったのでは?
秀忠がいくら若造だとしても、本多正信、大久保、榊原といった徳川家臣団きっての有能者を
参謀につけておきながら、間に合わないなんてまさか家康も思わなかっただろう。
総戦力の3分の1が欠けては戦略も事実上崩壊。
少なくとも三成に「はるかに」リードなんてありえない。

773 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:55:15
戦術レベルの話してるところに戦略・政略レベルでどうこう
ちゃちゃ入れないで欲しい。
何度も配置だけ見ればとか定義してるじゃないか。
そこをなんで無理やり話し捻じ曲げるかな?
身長で順位つけてるところに体重計持ち出して俺のほうが
重いから一番とか言うようなもんだ。

774 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:00:41
771だ。
なるほど。秀忠遅参に関しては君に譲るべきだな。
まあ、
>間に合わないなんてまさか家康も思わなかっただろう。
とあるが、家康自身ひょっとすると間に合わないかもと思っていたかはしらんが、
実際間に合わなかったことが大きな誤算であったことは、疑う余地はないと思う。

>少なくとも三成に「はるかに」リードなんてありえない。
その通りだ。訂正しよう。
家康は開戦の時点において、三成を「かなり」リードしていた。

だがひとつ言っておくと、たとえ秀忠のボーンヘッドがあったとしても、
家康の戦略は崩壊しなかったし、優位性も覆されてはいないよ。

775 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:04:34
「普通にやっていれば、」東軍が勝っていただろ

西軍はいわば烏合の衆でまともな野戦指揮官はいない


それから、普通にと言っても、味方を敵だとするのが普通なのか?

じゃあ宇喜田が東軍だとして、普通にやれば東軍が勝ち
島津が三成を奇襲すれば、普通にやれば東軍の勝ち
豊臣恩顧が一斉に西軍になれば、普通に西軍の勝ち

仮定の話でも良いけど、無意味だな

776 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:07:18
>>772
家康の負ける要素が、ほとんどなかったという点で
はるかにリードしていたと言ってもいいんじゃないか

南宮山の無力化

松尾山の調略

これで負ける要素は激減

小早川の逡巡も一応想定内だろ
最後は脅しだ

777 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:07:29
>>773
だから関ヶ原の戦いを戦術レベルのみで語ろうとすることに
そもそも無理があるんだって何度言えばわかるのさ。
もっと言えば――というか――はっきり言わせてもらうと、
関が原の戦い当日のみを切り出して、「これが関ヶ原の戦いです」
なんていう意見を展開するのは、はっきり言って無意味だよ。

どうしても戦術レベルでの議論がしたいのであれば、
史実に即した意見を展開してもらいたい。

778 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:11:53
>>773
そもそも、西軍が善戦できたのは、何のお陰かわかっているのか?

779 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:21:38
>>762
石田三成が大砲を運用したという記述が何かの書物に残っているはず。
しかし当時の日本にあった大砲は、命中しても炸裂はしません。
簡単に言うと、でっかい鉛のカタマリが飛んでいくだけ。
これではあまり影響ないでしょう。

780 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:27:14
>>777
無理かどうかは知らんよ。
しかし実際戦術レベルでどうこう話してる間に割ってその議論自体に
ケチつけて議論つぶすのはやめてくれ。

781 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:45:21
>>780
君の言ってることは、学術的に殆ど無意味だって言ってるのがわからんのか?
「普通に戦っていれば西軍が勝っていた」と言うが、戦争に普通もクソもないの。
石田三成が持っていた飛車は、敵じゃなくて自分の方を向いていたの。
角はそっぽを向いていたの。
どうしても戦術レベルでの話がしたいのであれば、
南宮山勢力の中立化&小早川勢の東軍参加、以上を前提にしての意見を述べてみてください。


やはりあんたには三戦板に書き込みすることをお勧めする。
たぶん三戦板でも批判くらうだろうが・・・。

もう寝る。君も寝ろ。

782 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:09:36
>>759以来もう書き込みはやめようと思ったんだけど・・・。
だから何度も何度もいうようだけど

「はっきりいって戦術的や配置関係からいって
普通にやってれば西軍は負けるはずがなかった」

この言葉について変に反論がついたのでそれに対して返答したまで


何度もいうぞ?
I f な の は 解 っ て る

小早川や吉川やその他の面々に宇喜田並のやる気があれば勝ってたのにもったいないって言いたいだけ。
なんでか偉く大げさになってるが

三成が人望なくてそのまま裏切りにあい負けちゃったのも解ってる。

だが三成がやった関ヶ原の戦いでの対家康攻略自体は間違ってなかったって言いたいだけなんだって。
Ifなのは解ってる。もう一度いうIfなのは解ってる。

家康に人望があっただから皆家康にいったから関ヶ原で負けた。
それは何度もいうが解ってる。これでもまだ戦略云々いうなら知らん読解力なさすぎるとしか思えん。


ちなみに760さんとは別人です。


783 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:12:00
↑ 
○780
×760

784 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:40:21
うん。君の言いたいことはわかった。
でもIFは三戦板だから・・・ってもう止めにしよう。すまん。

785 :金吾秀秋:慶長410/04/02(土) 05:08:15
漏れ様も、わかったよ(´・ω・`)

786 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 08:11:07
関ヶ原の対陣図をみて、西軍絶対有利と判断できる
理由が知りたいのですが・・・

毛利勢が山を降りても、東軍には対陣図に出てこない
後詰勢がいるし、菩提山城も控えている。

隘路の大軍が正面の敵を個別撃破するのは難しいこと
ではない。
だから、福島・田中・寺沢などの軍勢が寝返っても同様。

三方が原と同様、家康はヒステリーでも起こしていたんだ
ろうけど、巷間言われているような西軍必勝・東軍必敗の
形ではなかったと思うよ。

787 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 09:22:50
大体、毛利本隊が山を降りるまで2時間はかかるだろうに
西軍有利と逝ってる人たちはそういう事を計算して
いってるの?



788 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 09:55:37
>>782
小早川は宇喜多並みのやる気はあったと思うぞ。
石田三成に対して恨みがあるしな。

789 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 10:55:06
>>782
ここはお前の妄想を書き込むところじゃないの。
わかったんなら三戦板へどうぞ。

790 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:03:33
まだやっとったのか(w

だいたい、小早川・吉川にやる気があったら、関ヶ原で戦いは無かったかもしんねえしなー

791 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:16:41
戦略などを考えずにただ地図だけ見ると、関ヶ原で西軍が勝てた。西軍の何より
も問題なのは指揮をとったのが三成だったこと。もし毛利がきちんと指揮を執って
いれば裏切りもなく勝てた。


792 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:53:19
三成は指揮を執りたかったのさ。それで負けたわけだから本望ではないの?

793 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:54:26
三成いわく
「(宇喜多)秀家殿は一歩も引かぬ決意、一命を棄てる覚悟で臨んでいる。」

宇喜多が福島正則隊に圧倒できなかったとあるが、秀家は大垣城でのろう城
を主張してたんで、関ヶ原の戦いは本意ではなかった?そしてそのことが微
妙に影響してたのかとも思ってしまうがどうだろう?関ヶ原でも奮戦してい
るが。




794 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:58:06
家康は福島、池田等の一軍だけよく先発させましたね。
大軍とはいえ三成が早々と美濃に戦力を集中していたら
どうなるか分かったものじゃない。むしろ負ける可能性が
大きい。
増田の内通で戦術が知られていたとはいえ・・・




795 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:59:54
明石全登はキリシタン

796 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 17:03:10
>>193
宇喜多は善戦してるよ。
小西隊が崩れるのが早すぎた。

797 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 17:12:00
>>794
家康が許可したというか福島が勝手に突出したと解した
方が自然。



798 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 17:41:41
>>787
山の下と山の上どっちが有利かわかってるのかな
山の上から弓をひたすら射続けられるんだよ
しかも山の下にいるほうからみたら空から降ってくる&重力にのって威力倍増してるから防ぎようがない。

それにむかついて敵が山登ってきたら鉄砲をうちかける
これであっさり壊滅するだろう

無視して前進をすればそれこそ後ろから奇襲できる
山を登るのと下っていくのではどっちが速いか解るでしょ?常識的に考えれば

そういうことも計算していってますか?

799 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 17:46:31
アホらしいが、一応指摘しておく。

三成が指揮を執っていたという説に根拠はない。

増田が内通していたという説の根拠は、家康への書状一通と
大阪城内の噂(これも城内に内通者がいるというもので、増田
云々ではない)。
この程度であれば、西軍側にも大勢いたと推定できる。

三成に人望がなかった、増田・長束らが唯の文官で戦闘力が
低い、輝元が出陣すれば金吾の寝返りはなかったなど、
空想歴史小説のような前提で歴史を語るな。


800 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:22:34
>>794
東軍は一枚岩ではない。猪突猛進して暴走し続ける福島を、止められる
者は東軍にはいない。

801 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:51:05
>>799
何が言いたいの?
批判するだけなら猿でも出来るぞ。
小説話だと思うならスルーしろ。
それが出来ないなら回線きって(ry



802 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 20:43:07
799三成が指揮を執っていないなどという、歴史の根底を覆すようなこと言うな。
それなら本当に関ヶ原で戦争があったかどうかもわからない。

803 :金吾秀秋:慶長410年,2005/04/02(土) 21:16:31
今年は桜が咲くの遅いね(´・ω・`)

804 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 21:31:53
最初は西軍の大砲などが火を噴いて、大谷軍、宇喜田軍などの善戦で
西軍優位に進んでいたが、東軍が石田三成軍を集中して攻撃
西軍の島左近が山城にいたときに、黒田軍が山を迂回して側面から銃撃
これで島左近が重傷を負った
このあたりは朝鮮の役で鍛えた黒田軍の戦巧者ぶりが光る
そのころから、石田軍は山城に篭るようになり東軍が攻め込む態勢にはなるが
膠着状態、家康は一か八か本陣を最前線近くに持っていくという積極策に出た
それで東軍の諸将が奮い立ち、勢いが出た
それを山の上から観望していた小早川軍は東軍の勝ちだなと見極め
西軍の大谷軍を攻撃した 小早川陣地に黒田軍の大久保猪助を常駐させていたので
それも秀秋への圧力になったことだろう
おそらく、大久保猪助はもし秀秋が西軍に味方するようなら秀秋と刺し違えろと
黒田長政から密命を受けていたのだろう
東軍の諸将には戦なれしたツワモノが多かったようだ
家康が最前線に本陣を移動したのは小早川軍に東軍優勢を印象付ける作戦だろう
鉄砲を小早川軍に射掛けたというのは眉唾ものだな
少々射掛けたところで、誰が撃った物やら混戦状態ではわからんだろう
だいたい距離が遠すぎて松尾山まで銃弾はとうてい届かない

805 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:35:14
吉川も非常にやる気があったよ

身を挺して東軍系中立であることを示し、数万を無力化した
これほどのやる気はなかなかないだろ

806 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:36:16
>>793
いや彼は頑張ったと思うけど

問題は軍事的才能は低い
家臣は主力が離間

結果的に戦力としては弱い

807 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:37:52
>>797
家康が煽ったと見るべきだろ

福島はしばらく傍観していたから

808 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:39:06
>>798
だから西軍は強かったんだよ
わかってるの?

809 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:41:00
>>804
本陣を前に持っていくぐらい、大したことではないと思うが

三成や西軍は全員イチかバチかだったということか?

810 :奇兵隊:慶長410年,2005/04/03(日) 02:17:18
関が原の戦いの折、

7連発のライフル銃もった鉄砲隊1000名、大砲10門の俺の軍が
西軍についたら勝敗は変わってた?

811 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 02:32:10
大砲の性能によりゃいきなりいきなり家康本陣集中砲火じゃん


812 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 02:48:00
奇兵隊は事実三千で事実幕府軍5万に勝っちゃってるからねぇ

まぁ指揮官が凄すぎたってのもあるにはあるけど
大村益次郎など

813 :奇兵隊:慶長410年,2005/04/03(日) 03:07:54
大将  晋作  参謀 益次郎
鉄砲隊1000名(ライフル銃) 抜刀隊2000名

この一軍が島津維新軍に剛力。

これならどうだろう。

814 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 08:18:31
家康が西軍なら普通に勝っていた!

秀頼が東軍で出馬すれば、東軍楽勝!

815 :日本史@名無しさん:2005/04/03(日) 08:24:55
そんなもんがいたら、東軍+小早川+毛利でも楽勝

816 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:11:23
>>810
残念ながら国友一貫斎が7連発空気銃を開発するのは天保年間だ。
諦めろ。

817 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:25:22
>>807
徳川御用史家の創作。
西軍の蜂起を徳川家康は予想していたが、せいぜい2,3人の小大名と
思って(最初に届いた報告も石田、大谷の二人)油断していたところ、
大老二人を含む大勢力であることが判明し、怖じ気づいてしまった。
さらに難攻不落と思っていた伏見城があっさり落城したことで、仮病を
使って江戸に引きこもってしまった。その弱腰に激怒した福島正則が、
怒りの矛先を岐阜城へ向けて八つ当たりした。

818 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:32:54
813さん実際は7連発のライフルは1発1発弾込めしなきゃ撃てない銃です。
もし大砲がアームストロング砲なら勝てたかも。


819 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:03:53

>難攻不落と思っていた伏見城があっさり落城したこと

( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` ) 

820 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:28:10
516 :長門守 :05/01/16 23:54:37
関ヶ原遅参時に真田軍と戦った秀忠軍の主な武将。
本多正信・大久保忠隣・榊原康政・牧野康成・酒井重忠・酒井忠世・青山忠成・
土井利勝・仙石秀久・真田信幸・森 忠政・他
このメンツで真田昌幸・幸村相手に、真田の地元で勝てる訳がない。

関ヶ原後に康政、忠勝、直政が飲む機会があったという…。自然、話は関ヶ原の話に及び、
忠勝と直政が、康政に、
「何故、あのとき、本多・大久保といった戦下手の意見など入れて真田攻めをしたのか。
関ヶ原後に大殿(家康)に対して諌言した程なのだから、中納言(秀忠)を諌めて、
関ヶ原に先行させればよかったのに」
と言うと、康政は
「そう言われれば、その通りだ」
とだけ言ったといいます。

518 :無名武将@お腹せっぷく :05/01/17 00:26:56
>>516
榊原康政は小牧長久手で少数の手勢で秀吉の大軍を破った名将だぞ。
それをなんの実績も残せなかった幸村以下と?

519 :無名武将@お腹せっぷく :05/01/17 00:32:01
上田城の攻防戦は後世で言われるほど大規模な戦闘はなかったって話だがな。

821 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:28:42
521 :長門守 :05/01/17 21:14:46
>>518
残念ながら秀吉の大軍は敗っていません…。
敗ったのは羽柴秀次軍です。舅の大須賀康高軍と一緒に奇襲。これを壊滅させます。
しかし、そこに駆け付けた羽柴軍副将堀秀政軍により壊滅・敗走します。
このとき、康政の首には秀吉から10万石かけられていましが、無事、家康の元に帰還しています。
516では幸村ごときより康政が下といったのではなく、康政以外の秀忠軍メンバーの陣容を見て欲しかっただけです。
いかにも、軍事に関しては足を引っ張りそうな連中ばかりでしょう?
康政は控えめなだけなんです。

522 :無名武将@お腹せっぷく :05/01/17 21:29:18
>本多正信・大久保忠隣・榊原康政・牧野康成・酒井重忠・酒井忠世・青山忠成・
土井利勝・仙石秀久・真田信幸・森 忠政・他

このメンツでどうやって戦えというのかと言いたくなるような軽量級の
布陣ですなあ。小大名を寄せ集めた混成部隊よりも
統制の取れた大大名の部隊の方が強いのですが、
本多・牧野・酒井・青山・土井といった1万石クラスの小大名ばかり、
多少戦力に成りそうなのが榊原(10万石)と大久保(12万石)というのは
ちょっといただけないですね。
一応強いのが仙石と牧野ですが、他はどっちかといえば文官ですしねえ。
榊原以外で頼りに成りそうな真田信幸も親と戦うわけですから信頼は
置きがたいですしねえ。

822 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 17:24:27
>>821
牧野って福島正則の岳父だね。

823 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 17:33:06
「日本、資格なし」 韓国国連大使、常任理入り反対表明

 韓国の金三勲国連大使は三十一日、日本の国連安保理常任理事国
入り反対の立場を表明した。日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・
独島)問題や歴史教科書など歴史認識問題などで、盧武鉉政権が日本
への“対決色”を強めた結果だ。今後韓国が日本の常任理事国入りに
対して「阻止外交」を展開するのは確実で、日韓関係険悪化が懸念されている。

 韓国の通信社、聯合ニュースによると、金大使は同日、ニューヨークで
韓国人記者団に、日本について「周辺国の信頼を受けず歴史を反省しない
国は国際社会の指導的役割を果たすことに限界がある」と述べ、「日本に
理事国入りの資格はない」と明言した。
 韓国は常任理事国拡大に反対する十余カ国などと今月十一日に協議の
予定で、日本などが求める常任理事国の増加案ではなく準常任理事国増設
の支持を各国に働きかける方針だ。また韓国の与党ウリ党は一日、超党派
で日本の常任理事国入り反対の決議案を国会に提出することを決めた。
決議案には「戦犯国の日本は過去の戦争犯罪に心からの謝罪と反省を行っ
ていない」などとして、「アジア代表の理事国の地位に反対」と表明する方針だ。

 盧武鉉政権はこれまで、表向きは「国連改革の行方を見守る」として日本
の常任理事国入り問題への直接の言及を避けてきた。だが島根県の「竹島の日
」条例案が発端で盧政権の対日政策は過去史の清算に集中、常任理事国問題が
過去史とリンクした格好だ。
 三・一独立運動記念日には盧大統領が、日本は過去の清算なくしては
「どんなに経済力が強く軍備を強化しても国際社会の指導的な国家になるの
は難しい」。三月十七日の「対日政策方針」でも「隣国の信頼を得ることが
国連など国際社会で指導的な国家の第一歩」として、「正しい歴史認識」な
くしては「常任理事国の資格なし」との主張を示唆していた。
 竹島をめぐって韓国は「日韓に領土問題はない」との立場で、日本の竹島
編入は「一方的で不法な韓国植民地化の一環」との主張だ。盧政権は歴史問題
の対日強硬政策で20−30%台に低迷していた支持率が50%に肉薄、急上昇中だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050402-00000008-san-pol     

824 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 17:59:42
逆に徳川のトップクラスって誰よ?
四天王の他は実績あるの?

825 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 18:57:55
馬鹿すぎてむかつくが東軍で味方したという意味で福島正則はバチだろうね。
加藤清正に比べればこれほど目の前しか見れない馬鹿なやつも珍しい

秀吉子飼いのくせに大坂冬の陣・夏の陣もなにもしなかった

826 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 18:58:31
ミス バチじゃなくてガチ。

827 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 19:05:29
秀忠隊は烏合の衆だったのか

828 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 19:58:25
俺は秀忠遅参さえも家康の策略だったんじゃないかと思ってる。
この情報は西軍を釣るエサになるからね。
三成本隊に三河武将が対峙していないのもなんか変。
家康は秀吉恩顧の武将同士をつぶし合わせて、弱ったところを秀忠
本隊で叩くプランも持っていたのかも知れない。
となると福島・黒田・細川・加藤あたりは捨て駒か?

829 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:19:35
それはない。勝てば何とでも言えるさ。
では西軍の毛利秀包や小野木公郷の遅参は三成の策略だといって納得するか?

830 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:33:39
それが策略だったらえらく合流がおっそいですな。
関ヶ原の戦から数日後に参戦って
仮に時間差で三成軍の後ろから挟み撃ちにするならわかるけど
後ろから大隊がきても行進が遅くなるだけでいいことない。

831 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:57:03
関が原で東軍が勝って、家康が黒田長政の右手を取って
勝てたのは黒田殿のおかげじゃと感謝した
その報告を黒田長政がおやじの黒田官兵衛にした
すると、官兵衛は「そのとき、おまえの左手は何をしてた?」と聞いた
黒田長政はさすがに唖然として声が出なかったという
(左手でなぜ、家康を刺さなかったのか?)と暗に叱った

832 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:14:06
>>830
家康本隊が一旦引いて秀忠と合流ってのはダメか?

833 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:15:08
違う。キリシタン大名の如水は、
「右手のした事を左手に知らせるな」
(自慢は禁物)と息子に諭したのじゃよ。

834 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:16:44


835 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:30:12
。kljn

836 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:44:51
官兵衛がキリシタンを利用することはあっても
キリスト教を信じるなんてことは間違っても無かろう


837 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:26:01
どうして?

838 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:03:49
純粋にキリスト教を信奉していたキリシタン大名って、実は少ないんじゃないか?
ほとんどが西洋の進んだ技術・文化を自国に摂り入れようとするための
政策の一環として改宗したのではないかと思う。

839 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:57:44
>>817
じゃあ家康は何で戦場に出てきたの?

840 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:59:43
>>817
福島は清洲でしばらく動かないが
怖じ気づいて引きこもったのか?

841 :日本史@名無しさん:2005/04/04(月) 06:51:00
>>839

政治工作が上手くいきすぎたから。

本来は秀忠と合流してからのつもりだったが、予想を遙かに超えて
東海道の西上が速やかに出来たのと、福島が予想以上に頑張って(藁)
くれたから、勝負をしようと言う気になってしまった。

しかしながら、一方の秀忠は、滞在費や補給にも事欠く資金不足で、
真田の妨害がなくても遅れがちだった。戦後の八つ当たりは気の毒な
話で、それだけ関ヶ原がやばかったんでしょうな。せっかく優勢裏に事
を積み上げたのに、それでも瓦解の危機に直面したので、当たるところ
が欲しかったということでw

842 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 11:52:34
>>841
福島は、しばらく動いていないが?
彼はやる気があったのか?

福島さえ、頑張れば全て帳消しになると家康は思っていたのか?

秀忠は、不運な面はあったが、やはり総大将としての力量、判断を問われたんだろう
八つ当たりするなら、欽語とか寝返り4将とか色々あるだろ
わざと後継者の評価を下げる意味はない
それとも徳川を瓦解させる目的があったのだろうか

843 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 18:35:27
>>840
その間に、濃尾における西軍側の拠点を調略でかなり取っている。
岐阜城攻略戦前日に陥落させた竹ヶ鼻城は、二の丸、三の丸が内応
を約束していた。

844 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:20:57
三成はキリスト教についてはどんなスタンスだったんだろ?
なぜなら小西行長が関ヶ原で戦意あまりなかったから。
小西が宇喜多隊の応援頼んだって本当?
だとすると福島隊の3倍の人数で宇喜多隊がやや優勢にしか戦えなかった
のが、説明つくよな。
宇喜多秀家なみに小西が頑張ってくれたら戦いもどうなることやら。
小西は島津と違って、西軍として働く十分可能性あったはずだし。
ただ単に小西が関ヶ原へ行くこと反対してたためなのか?
小西が獅子奮迅の働きがあって、小早川も東軍に寝返らず、
西軍勝利なら、小西にとってもいいはずだが。
のちに秀頼もキリスト教容認してたし。




845 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:38:55
>>844
小西って戦意なかったの?知らなかった。
やっぱ実際に見た人が言うと説得力あるな。

846 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:07:40
> 小西行長が関ヶ原で戦意あまりなかった

ソースは司馬遼の「関ヶ原」w

847 :843:2005/04/04(月) 21:19:36
司馬じゃなくて戦国武将を採点した本(題名忘れた)とか諸々。
もしやる気満々だったら、俺は土下座、打ち首もんだな。



848 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:24:26
それをいうなら、おれも家康相手に本気で戦ってるのは
石田・小西・宇喜多・大谷だけだっていうのを読んだぞ。
たしか宇喜多秀家を主人公にした小説。

849 :843:2005/04/04(月) 21:29:32
うーん本や小説に書いてあることとと歴史を分けて考えてるつもりでも、
知らず知らずのうちにごちゃごちゃになってしまう。
気をつけなければ。


850 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:36:34
ていうか、実際、当時の武将がどう考えてたなんてわかりっこないからな。
それを言っちゃおしまいなんだが。
だからこそ、それこそが歴史家・小説家の腕の見せ所なんだよな。
どいつがどういうシチュエーションでどう言ったとか。


851 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:06:53
ガラシヤ自刃事件はキリシタンにとってかなりの衝撃だったと思うぞ。

852 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:16:09
信長のしてもキリシタンの宣教師から外国の情報を得ていた
その他の大名も情報収集としてキリシタンを利用していた
伊達政宗なども「キリシタンは言葉の遊びや」と割り切っていたが
支倉常長などをヨーロッパに派遣したりしている
他の諸大名も似たり寄ったりだろう
秀吉、家康は清国のキリスト教の宣教師の活動地域とアヘンの拡散地域の
重なり具合から、キリシタンをかなり警戒していた
秀吉、家康のキリスト教の布教禁止は賢明な策だろう
ほっておくと、日本も清国みたいになってしまった可能性が強い

853 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:23:32
布教していいから代わりにそちらで一向宗布教させろと言えば

854 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:29:56
宣教師の資金源は?なんだろうか?まさかお祈りしたら
天からパンがふってくるわけでもあるまいに、、、、
表の顔と裏の顔を持つジキルとハイドみたいな宣教師が
暗躍していたのだろうな


855 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:12:41
>>843
福島が単独で調略したのか?


856 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:14:05
>>848
それは通説では?

857 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:29:55

自作自演厨 乙

858 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 01:52:33
小西は先鋒じゃなかったという説がある。

島津と同様だったのではないだろうか?

859 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 03:47:30
予備隊ね。

860 :金吾秀秋:2005/04/05(火) 03:50:20
主力(´・ω・`)

861 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:41:40
>>858
合戦図を見る限りでは前線にいる
前線にいる以上は攻撃対象になるので、予備にはならないのでは?

家康の本隊はどう見ても予備だろうが

862 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 12:46:07
小西がキリシタンだから戦意がなかったと言う書きこみがあるが、
ならば宇喜多隊の明石全登の激闘ぶりをどう説明するのかね。

863 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:17:38

             /ヽ       /ヽ
            /  ヽ      /  ヽ
  ______ /     ヽ__/     ヽ
  | ____ /           :::::::::::::::\
  | |       //       \  :::::::::::::::|
  | |       |  ●      ●    ::::::::::::::|    ・・・・・・・
  | |      .|             :::::::::::::|   
  | |       |   (__人__丿  .....:::::::::::::::::::/  
  | |____ ヽ      .....:::::::::::::::::::::::< 
  └___/ ̄ ̄       :::::::::::::::::::::::::|
  |\    |            :::::::::::::::::::::::|
  \ \  \___       ::::::::::::::::::::::::|



864 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:23:56
キリシたん(はぁはぁ)

865 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:47:02
竹中が郵政で叩かれているようだが
三成もあんな感じだったんじゃないか

866 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:59:39
三成は時代の智嚢だったんだから、竹中レベルではないだろう。


867 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:32:11
竹中だって文芸に優れていたみたいだぞ。 「豊鑑」とかで有名じゃん


868 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 12:07:38
>>866
時代の智嚢かもしれないが、敵をつくりすぎたな

残念・・・・

869 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:04:45
三成って、福島、黒田、細川達に命を狙われて
徳川屋敷に逃げ込んだんだよな?

870 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:36:24
そだよ。
家康の意向にそった襲撃でも、
大老として中立を保つ必用から直接殺されることはないと踏んだんでしょ。

871 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:57:24
>>869-870
最近、なんかの本でその話が実は創作ではないかという説があった
誰かその説詳しく知らないかな〜

872 :日本@名無しさん:2005/04/08(金) 21:15:41
細川と池田も朝鮮で三成に怨みを持ったの?

873 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 21:32:19
細川の場合は秀次自害事件と利休事件で豊臣方に愛想が尽きていたのかも
知れない。


874 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:12:22
いや、どう見ても忠興は、妻が秀吉に寝取られそうだった
ことに対しての仕打ちだろう


875 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:18:34
どちらにしても三成は嫌われものに違いない。家康より。

876 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:24:53
ただ家康に人望があったとも思えんが(゚Д゚)y─┛~~

877 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 23:26:36
いや家康には人望があった

これは人格者であったとか、尊敬に値する人物という意味ではない

つまり、天下を奪う力があるかどうかという点で人望があった


878 :日本史@名無しさん:2005/04/08(金) 23:31:37
>871

地理的に言っても、離れている家康の屋敷にわざわざ逃げ込むより
自分自身の屋敷に入る方が遙かに近いので、家康の所にかくまって
貰ったというのは有り得ないそうな。

879 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:02:37
三成襲撃が成功して彼が殺されてたら
関ヶ原も起きなかったのですかな?

880 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:44:45
開戦劈頭に石田三成が東軍に寝返っていれば、黒田・福島・浅野・池田らが西軍に寝返る
ので西軍の圧勝だな。

881 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 09:26:02
自爆テロだ

882 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 09:32:24
>>880
そんなこと思い浮かべるあなたが好き!

883 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:06:30
>>878
自宅に逃げ込んでもそのまま襲撃されて死亡ではないかい?

884 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:37:16
石田三成って、竹中平蔵のようなタイプだったかもしれんな。

885 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:55:41
>>880
ありえない
彼らが徳川からそっぽむくとは思えない。
ましてや黒田は徳川四天王の一人だぞw

ただし福島はガチw
あいつは感情で動くんで。

886 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 13:02:46
一体何の四天王だそれは?

887 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 14:47:55
日本史版で「三成が徳川屋敷に逃げ込んで助けられた」などという
珍説が罷り通るとは思わなかった。

お前ら、歴史好きなら少しは調べろよ。

888 :日本史@名無しさん:2005/04/09(土) 15:54:02
>883

伏見城の外郭をなす屋敷群の中でも最大の三成屋敷を簡単にどうこうできるとでも?

889 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:58:18
>>887
禿同。三成が家康の屋敷に逃げ込んだなどというヤツは三戦板へ
行くべき。

890 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 18:24:27
885が一体何を言いたいのか分かりません…


891 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 18:31:37
>>887-889
状況証拠だけで何でそんなに断言できるんだ?

892 :金吾秀秋:2005/04/09(土) 18:47:12
まったく、三成の行動は理解できないな(´・ω・`)

893 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 20:36:42
>>891
だからきちんと調べればわかるんだって

894 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:52:12
きちんと調べてわかったようなので>>893にはきっちり証明してもらいましょう


895 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:34:39
七将による三成襲撃(という事件自体が無かったという説もある)の際、三成は伏見屋敷に移動している。

向島の徳川屋敷という記述は同時代はおろか、その後300年以上に渡り存在していない。

そもそも>>888が書いている通り、伏見で身を守る為には伏見城の治部少丸に篭るのが一番。
豊家の拠点から離れて徳川屋敷に逃げ込むという選択は疑問が多い。

以下、笠谷和比古氏の著書から引く。
『慶長見聞書』
「何とそ無事に仕るべきよしにて伏見へ赴く。(略)伏見にて治部少輔屋敷は御本丸の次、一段高き所なり」

『板坂卜斎覚書』
「治部少、西丸の向の曲輪の屋敷へ参着」

『関原軍記大成』
「三成は伏見の城内に入りて、我屋敷に楯籠もる」

100年後に書かれた『岩淵夜話』で、家康の屋敷に匿われたとしているが、著者の後年の改訂版である『落穂集』では
1.三成は自分の屋敷に着到
2.義宣が向島の家康屋敷に出向いて事件の説明を行った
としている。

陸軍参謀本部編纂の『近世日本国民史・関原役』で「佐竹義宣、(略)三成を擁し伏見に還り家康に投ず」という曖昧な記述が出現。

この資料を参照した徳富蘇峰が誤認をし、著書『関原役』で巷間信じられている有名なエピソードを作り出してしまった可能性が高い。

徳富蘇峰以前の資料・書物には窮鳥云々の記述は存在しておらず、事件から300年以上経って突然出現した話である。


896 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 08:52:56
また陸軍参謀本部か

897 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:34:41
徳富蘇峰の著作のせいで、石田三成や大谷吉継、福島正則や加藤清正
達の間違った固定イメージが出来てしまって、関ヶ原の真相がかなり
歪曲されてしまっているな。

898 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:57:07
ではその関ヶ原の真相や間違ってない石田三成や大谷吉継、
福島正則や加藤清正のイメージとはどんなものなんでしょう?

899 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 15:37:47
実は蘇峰も徳川屋敷に逃げ込んだとは書いていないんだがな。

900 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:25:48
驚くべき結果だ

吉良も綱吉も悪人じゃなかったのか?

901 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:38:15
家康が三成側に味方する可能性は無かったのか?

902 :金吾秀秋:2005/04/10(日) 18:56:00
実は、漏れ様も、歪曲されているんだぜ(´・ω・`)

903 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:05:19
>>901
無いと証明はできない

しかし、一般的にはない

明日、中国が日本に味方するようなもんだろ

904 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:06:49
>>895
陸軍参謀本部編纂の『近世日本国民史・関原役』

おいおい(笑)

905 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 20:45:47
>>間違ってない石田三成や大谷吉継、
>>福島正則や加藤清正のイメージとはどんなものなんでしょう?

三成が実はものすごい人気者だったとか?

906 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 21:16:44
三成は今の時代でいえば、竹中屁蔵みたいなもんか?憎まれ役だな
アルツハイマー上司、同僚に囲まれて苦労ばかりだな、三成も


907 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 14:42:26
三成と本多正純はどっちのほうが嫌われものですか?

908 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:35:09
三成です

殺したいほど憎んで、実際行動に移されました

909 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:18:01
織田家だと誰の役回りかな?

910 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:19:19
殺されたんだから信長だろ

911 :ガンボーイ@:2005/04/12(火) 20:31:35 ?
家康…「弁慶のような部下はいないな」
本多…「義経のような上司のほうこそいません」

と読みマスタ。


912 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:55:45
>>909
秀吉じゃないの?
秀吉は結構、同僚から嫌われていたし


913 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:58:57
所詮三成は秀吉の劣化コピーだったって事か

914 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 22:04:38
>>912
秀吉は嫌われていたと言うよりも嫉妬ではないか
才能・出世に対する嫉妬

無理矢理今風に例えると中卒なのに東大卒よりも仕事ができるみたいなw

915 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 22:22:04
蘭丸じゃね?

916 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 02:25:10
>>914
中卒なのに東大卒を押しのけて官庁で出世したようなもんだな

917 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 02:45:46
三成は秀吉一筋って感じだな。
やはり時代なのか、織田家で似てるのってなると難しい
徳川の方が見つかりそう

918 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 11:40:42
織田で内務官僚的役割を果たした武将って誰なん?
徳川で言えば板倉勝重、松平信綱な。

919 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:22:05
>>918
まぁ、内務官僚的って逝ったらやっぱり森蘭丸に
なっちゃうだろうな。まわりのみんなは信長を
恐れる以上に蘭丸の信長への讒言を恐れた当たりは似ている


920 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:51:22
>>919
じゃあ、「水戸黄門」に出てくる(リアルのじゃなく)柳沢吉保だな。
何かと言うと「また、柳沢吉保めの悪巧みじゃな」と黄門様に決め付けられているから。(w

921 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 19:33:23
森乱より菅屋長頼っしょ

922 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 19:47:38
万見仙千代とか

923 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 21:31:08
万見仙千代は信長の生涯最愛の小姓とよく云われるよな。

森乱丸がオヤジの七光りを背負って登場したのより、
出自もよくわからんらしい万見の方が確かに寵愛されてた気がする。
勇壮にしてあっけない最期が惜しまれる。信長もさぞ嘆いたことだろう。
乱丸の同時期だったら猪子高就とか、秀吉達司令官が気を遣って、
手紙だのなんだの送ってた官僚は他にもいるわな。

924 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 21:59:29
>>918
村井貞勝を忘れてもらっちゃ困る。

925 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:23:39
>>909
明智光秀

926 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:25:07
石田三成は豊臣秀吉に対する忠誠心が強く、
福島正則、加藤清正は豊臣氏に対する忠誠心が強かったのかな。

927 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 06:28:52
秀吉も本能寺の変の際に殺されてたとすれば、信長への忠誠心が
異常に強かった武将として評価されたんじゃないか?

やはり、自家保存が行動基準だと思う。

928 :金吾秀秋:2005/04/16(土) 05:25:43
ちゃんと見てるからね(´・ω・`)

929 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 05:39:37
  _
 |●|
 | ̄
 |
 |
∧_∧  
<=@ш@><大日本帝国バンザーイ


930 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/17(日) 01:19:38 ?
しずがたけの七本やりは
どう考えても
当時最強だな。


931 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 00:53:10
(´・ω・`)町村金吾の息子GJ!

932 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 19:05:30
>>930
確かに最狂だ

933 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 20:44:38
豊臣秀吉=劉備
石田三成=馬謖
福島正則=魏延


934 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 23:00:47
俺を殺せるものがいるか!

935 :金吾秀秋:2005/04/22(金) 02:38:05
実は、諸葛亮の再来と噂されてるんだぜ(´・ω・`)

936 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:40:34
>>934
顔貸せやw

937 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 22:09:01
魏延>>>>>>>>>>福島正則

938 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 16:07:09
>>933
軍事目標達成に失敗した文官と理解するなら、
孔明=三成

939 :金吾秀秋:2005/04/29(金) 05:45:33
軍事目標達成に成功したエリート中納言(´・ω・`)

940 :日本史@名無しさん:2005/04/29(金) 07:46:00
豚福島や猪加藤は、身内に甘かった秀吉のスタンスを誤解して甘えていた
印象があるな。
身内が少ないので自分たちもさんざん甘やかされたもんだから、最早馬鹿
が不要になって三成を重用し出したのを見て嫉妬したんだろう。

いくら勇猛でも内面は女の腐ったような奴らだったと思う。結局豊臣を滅ぼし
て自分たちも滅びたギャグのような奴らだし、仕事でやってた三成にすれば
もうやってられねーよって感じだっただろうね。

941 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:37:44
秀吉も福島や加藤があれほどバカだっとは、想定外だったろう

942 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:57:12
意外に山之内あたりがしたたかだったりするんだよな

943 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 20:20:58
>>940
清正と福島、世間一般と比べてどうかは分からないが秀吉の一門の中では優秀なほうだったんじゃないの?

944 :金吾秀秋:2005/04/30(土) 19:17:21
漏れ様の次にな(´・ω・`)

945 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:55:11
>>940
>女の腐ったような奴ら

女に失礼ですよ。

946 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 14:16:30
関が原の戦いは、序盤はどちらが優勢だったの?

947 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:07:29
>>946
散々言われているが、最初は西軍のほう。

948 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 18:05:29
>>946
金吾の裏切りがあと30分遅ければ藤堂隊が大谷隊に
破れていたかもね?

949 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 18:19:38
金吾君の裏切りは想定内だった。
脇坂安治・朽木元綱・赤座直保・小川祐忠の裏切りが決定的だった。

950 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 19:14:22
俺の妄想だが・・・

金吾だけの裏切りだったら、15日は対陣したまま日が暮れていたと思う。
そして、夜間に両陣営の書状が飛び交い、眠れぬまま迎えた16日朝には
誰が味方で敵なのか区別がつかず、鉄砲を打ち合うだけで時が過ぎたのでは?

951 :日本史@名無しさん:2005/05/01(日) 23:59:27
うーん、逆落としだからなあ・・・。でも、脇坂らが裏切らなかったら大谷隊が壊滅することもなく
逆に小早川が敗走した可能性も大きいから、膠着した可能性もかなりあると思う。
そして膠着すればするほど死地にいていずれは退却せざるを得ない東軍は不利だよな。
14日夜には大津を落とした立花ら1万5千の方が秀忠より早く来れるし、秀忠はとりあえず数騎
で駆けつけたものの、本隊は一日以上後方にいて、戦費も食料も不足していた。よって秀忠隊
がどれだけ即戦力になったかあやしい。いずれにしても、関ヶ原に全部展開できるのは早くても
2日後ということになるし。

さらに大津が落ちたから大坂の毛利本隊も2日あれば来れるし、そうなれば吉川も勝手なことが
出来なくなって家康の背後を襲わざるを得なくなる。もちろん完勝できる確証があれば吉川も家
康を裏切るのに何のためらいも必要ないわけだし。いくら家康の直参部隊が奮戦しても、所詮多
勢に無勢、山から逆落としに退路を塞がれたら家康以下全員が首を献上せざるを得ない。

そう考えると、そもそも西軍は焦って攻めずにはじめから膠着を想定して簡単でも土塁や柵で防
御陣地を作るべきだったかもな。坂の下側の東軍からは攻めにくい。段々に細くなる隘路で大軍
も展開できず、各個撃破されて損耗していくという、最悪のパターンに突入せざるを得なかっただろう。

952 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 00:25:01
大谷勢が小早川勢をどれだけ防ぎきれたと?
脇坂らが寝返らなかったとしても、彼等は傍観してたんだしさ

大谷勢が崩れるのは時間の問題
しかも小早川が裏切ったというのが広まって、兵の士気にどれほど影響でるか
というか、ここは日本史板なので三戦厨はお帰り下さい

953 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:41:35
大谷別働隊は藤堂・京極勢を圧倒していたといわれている。
小早川隊は大軍ではあるが、あの狭い場所では人数の多寡は
大きな問題ではない。
2度3度小早川勢を敗走させた大谷本隊であれば、少数なれど
対藤堂・京極勢と同様に終日防ぎきる可能性はある。

954 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:45:06
それと、南宮山の諸隊が道を塞げば徳川本隊が全滅するという
説を唱える人がいるけど、それは小説の世界だけで実際に万を
越える軍勢を殲滅するのは不可能と考えるべき。

家康は大垣方面か、最悪でも菩提山城に逃れると思う。

955 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 11:25:20
大谷隊は本隊が3000、別働隊が1500 別働隊が小早川用だったようだが
いかんせん兵力が少ない
小早川の裏切りは想定内だったが、小川や赤座、朽木などの裏切りは想定外
心理的なショックが大きかったのだろう 山から下った小早川軍には
勢いがあるだろうし、大谷軍の壊滅は仕方のないところだろう

956 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 11:35:05
大谷なんて強くないだろ。不破の関の狭い山間部を押さえていたから
善戦できただけ。広い平野部で藤堂、京極と正面から戦っていたら、
もっと早くに崩れていた。

957 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 12:13:07
大谷軍は決戦の2週間前くらいに着陣して山城を作っていた
だから結構強かった 序盤の西軍優勢は大谷軍の奮闘によるところが
大きい

958 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:45:44
>>954
全滅というか総崩れだから、不安が不安を呼んで兵が逃げるってことでしょ。

最悪でも菩提山城に逃れるのは同意。

>>956
そういうのを強いっていうんだと思うよ。

959 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 16:19:36
秀元は何でまた広家を先鋒にしてしまったんだ?
他の奴ならば大きく歴史が変わっていたのでは?

960 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 16:29:55
>>959
何も確認しないで書いてるんで全くのでたらめかも知れんが
たしか吉川が先陣というのは元春時代から決まりじゃなかったっけ?

961 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 19:51:27
大谷勢が布陣してた場所には、松尾山城方面への遺構は見つかってないぞ
小早川の松尾山城占拠が11日なので、秀秋の東軍加担は予測していても、
松尾山城まで占拠することは考えてない

だから秀秋が大谷勢襲った時点で勝負は終わってたんだよ
あとの脇坂などの裏切りはオマケだね

962 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 20:59:15
本とは松尾山に信頼できる武将入れたかったんだけどコバが
無理に入ったから次善として赤座、脇坂とかといっしょに
いざと言うときは支える方針にしたんでないの?

963 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 21:05:41
松尾山城は毛利勢が入る予定ですた
中国衆と書いてあるからね

つか、輝元が入る予定だという解釈のようで

964 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 21:16:51
中国衆というと宇喜多では?

965 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 23:31:38
>>961
小早川が逆落としをかけた時は大谷勢は単独で踏みとどまったんでないの?
余力のあった宇喜多勢が兵をそちらへ割いたようだし大谷宇喜多の連携で
藤堂や京極との戦闘を維持しながら小早川の攻撃を退ける可能性は否定で
きないと思うけど?
脇坂、赤座らが裏切らず大谷勢に加勢すれば尚更なのは言うまでもないね
だから毛利がその時点で動けば別だが動かなかった場合、夕刻までの家康旗本の
行動次第では翌日へ持ち越す可能性も否定出来ない
三成勢も左近を欠き苦戦を強いられるだろうが新たな兵の投入がない限り
総崩れは考え難い

966 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:01:20
>>965
小早川、弱兵に同意
だいたいどうして史実であんなに簡単に撃退されるかわからない
まあ陣地への強襲だからかな

ただ膠着になった場合、家康が本体を投入するから結果は同じではないか

967 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:04:18
可能性の話したら、何でもありだ馬鹿者
宇喜多が余力あったとか、何なのだ?
ここは日本史板だぞ?

968 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:08:23
単独で踏みとどまったといってもただの一二度のことでしょう、所詮は多勢に無勢。
小早川裏切りは正午くらいだから、日没まで5・6時間は戦える。
朝から激戦を繰り広げていた大谷隊がその間ずっと持つというのは、
あまりにも現実味がない。

まあ、仮に西軍崩壊が数時間遅れれば逃げ延びる西軍残党の数は多少増えたかも知らないが、
その程度の影響しかないでしょうよ。

969 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:56:37
>>968
大谷隊は小早川勢を3度押し返している。
それに小早川に当たった大谷本隊は、それまで戦闘に参加していないよ。

970 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 02:51:52
>>967
>>961のレスと空気を読め馬鹿者
ここは日本史板とかいちいち当たり前のことを持ち出すな

971 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 11:42:58
>>969
二回が三回だったからといってどうだと言うのよ?
仮にその大谷隊が温存されていたなんて話は知らないが、
当然全軍ではないだろう?
そんな10分の1にもなるかならないか部隊でどうしようというの?

972 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 12:32:41
sage

973 :日本史@名無しさん:2005/05/03(火) 13:08:31
どうやっても小早川の裏切り=東軍の勝ち、にしたい馬鹿がいるようだが

単なる結果論なんだよ。その全面の各部隊の裏切りがあって初めて東軍の勝利が
確定したのは明らかだろ?小早川軍自体は立場上裏切りのインパクトは大きくても、
決して強兵ではなかったということも明らかだし

974 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 13:24:20
>>971
三戦版に帰ることを勧める。









バカに日本史板は無理。

975 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 18:14:44
強兵という言葉を使ってる時点で三戦厨
強弱判断は何を基準にしてんだろか?

976 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 18:44:16
大谷勢が三度追い返した、小早川勢を松尾山城で追い返したなどというのは
何の史料にあるのだろうか?
虚実混同するなら、赤座・脇坂・朽木・小川は全員藤堂高虎通して、戦前から東軍に内通してる事なって
小早川と同じ合戦前からの裏切り者となりますけどね。

>>975
たぶん、大谷勢への攻撃したのを押し返されたのを言ってるのでは?
これだけで強兵ではないとか弱兵だったとか、兵の質を決めるというのは黄金週間特有の傾向です。

977 :日本史@名無しさん:2005/05/03(火) 19:16:22
どうやら>>974が一番馬鹿っぽい件について



978 :金吾秀秋:2005/05/03(火) 19:16:56
漏れ様は強いんだぜ(´・ω・`)

979 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 19:51:59
最近はどの板も974みたいな小言幸兵衛やら
牢名主みたいなのが増えてるようだな

980 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 20:14:45
>>976
藤堂に通じていたのは脇坂だけだろ。
だから他の三人は改易になっている。(ただし朽木のみは旗本で復活)

981 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 20:33:30
講談話を信じて、
大谷が小早川を押し返したなんていってる段階で、
なんと言うかお話にならない。

982 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:04:24
やはり、清正さえ生きていればと思わずにはいられないな。

983 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:14:58
>>982
関が原には関係無いでしょう。

984 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:16:10
清正が死んだのが秀吉にしては痛かった・・・

985 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:17:18
訂正
×清正が死んだのが秀吉にしては痛かった・・・
○清正が死んだのが秀吉としては痛かった・・・

986 :日本@名無史さん :2005/05/03(火) 23:25:51
島左近が思ったより大した事無かった

987 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:44:11
>>975
全軍が同じ強さだったということか?

988 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:46:18
>>976
史料については不明だが、4将の一部が戦前から内通していたと考える方が状況的に妥当だろう
小早川と同じ、もともと東軍ということでいい

大谷隊に押し返されて散々に打ち破られていても強兵ということなのか?

989 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:47:10
島は早くやられすぎた

990 :日本@名無史さ:2005/05/04(水) 00:32:13
清正は卑怯者だ

991 :福島正則:2005/05/04(水) 00:45:07
清正、おまえはアフォか?

992 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 02:19:14
でも糞成の方が清正より卑怯で汚いよ。
で、人望もないよ。

993 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 02:23:31
>>992
ワシの何処が卑怯者なのか言ってみい!!
戦国時代では何でもアリなんじゃいヴォケっ!!

>>993
お前みたいな猪武者には言われたくわ正則っ!!

994 :福島正則:2005/05/04(水) 02:31:32
>>993
清正は馬鹿だなぁw

995 :金吾秀秋:2005/05/04(水) 06:48:15
まったく、馬鹿で卑怯な清正と三成には、あきれたもんだぜ(´・ω・`)

996 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 07:12:13
>>988
だから、そもそも「大谷隊に押し返されて散々に打ち破られてた」というのは、
何を根拠にしているのよ?

997 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 08:26:52
とりあえず時系列に。

主馬の説得に失敗

小早川隊、松尾山をおりて大谷行部の陣に殺到

大谷本隊600が迎撃、戸田・平塚隊も帰陣して側面攻撃

小早川隊、500m後退、士30名討ち取られ、奥平貞治も戦死

秀秋自ら本隊を率いて再進撃

再び撃退され370名以上が死傷、大谷側も180名が死傷

平塚・戸田隊が平岡・稲葉隊を追撃

藤堂・京極・織田隊と脇坂・朽木・小川・赤座隊が平塚・戸田隊を攻撃

小早川勢も大谷・平塚・戸田隊に反転攻勢

重政、為広が討ち死

吉継、自刃

大谷吉勝・木下隊が本隊の支援に向かおうとするが、隊が崩れて敗走

吉勝・頼継、自刃を諌められ、越前に落ちる

小西隊、宇喜田隊の順に崩れる

998 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 10:12:23
>>996
んーー

では何の史料にもとづいて大谷と小早川の戦いを判断するのか?

999 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 11:48:45
>>996
「関ヶ原御合戦当日記」「関ヶ原軍記大成」「名将言行録」あたりかな。
関ヶ原については、誰が誰の首をとったとか、軍功の記録はたくさんあるけど、
具体的な合戦の経過については信頼できる古記録が皆無に近く、
いわゆる軍記物に頼らざるを得ない。
大谷と小早川の戦いについては、兵力が大谷600小早川8000、
戦死者が大谷180小早川400などと他の戦線に比べて具体的な記述があり、
ある程度は信頼できるのではないか。

>>997
吉勝・頼継については、一般に言われているように吉継自刃まで踏みとどまって戦っていたとは思えないな。
もしそうなら、三成・行長・秀家のように伊吹山を彷徨するか、義弘のように敵中突破するかしかなくなるが、
2人ともそうした形跡はなく無事に越前に逃げているので、かなり早い段階で戦場を離脱した可能性が高い。
吉勝・頼継の2500の部隊については、本隊救援のため引き返すことを敗走と早合点して壊滅したと言われており、
この不甲斐ない戦いぶりが全軍崩壊の引き金になったのではないかとも思える。

1000 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 11:54:40



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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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