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【邪馬台国】畿内王権の謎を解く【畿内説専用】

1 :日本@名無史さん:04/12/31 00:09:53
3世紀初頭ごろに畿内に誕生した可能性が高い古代王権
その成立と発展についてはは諸説入り乱れ、まだ定説化していない

このスレでは邪馬台国が畿内にあったとの前提で議論展開し
最新の発掘状況と史料解釈を以ってして、その正体の謎に迫るものとする!

果たして邪馬台国が大和朝廷になったのか?
それとも権力の断絶があったのか? 中国史書・記紀の信憑性や如何に?
考古学成果が物語るものは何か? 根拠を明記してマターリと議論しよう。

*ローカルルール
1)自説発表及び反論はコテハン&トリップが条件。無い場合スルーされます。
2)邪馬台国の位置論争や九州説は別スレにて語る事。
3)畿内説の定義とは、3世紀中葉には畿内に邪馬台国が出来ていたか
  2世紀以前に外部勢力(九州など)が東征・東遷したのいずれかである。
4)荒らしはスルー!迷い込んだ九州説は別スレに誘導!邪馬台国の位置問題も他に誘導!

前スレ ◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART15
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1103469956/l50


2 :日本@名無史さん:04/12/31 00:10:35
過去スレ
PART14 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1101872567/
PART13 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1100065905/
PART12 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1097632577/
PART11 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1096179195/
PART10 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1095042260/
PART 9 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1092815302/
PART 8 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1091455684/
(ただし、スレッド名間違いでPART7となっているので注意。本PART7は以下参照。)
PART 7 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1090293717/
PART 6 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1088171034/
PART 5 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083108954/
PART 4 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1078618831/
PART 3 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1077874356/
PART 2 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1076418632/
PART 1 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1045719732/

関連スレ
(単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ)
「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか14)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1093794804/

(初心者または両説の論争はこちらでどうぞ)
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1094919829/l50

邪馬台国九州説の考察は、専門スレを立てて存分にやって下さい。


3 :日本@名無史さん:04/12/31 00:32:26
このスレでは、弥生時代に、どのようにして畿内に王権が誕生し、
4世紀までに、どのように大和朝廷に発展していったのか?
そのプロセスを検証する場でございます。

4世紀の畿内王権が連続して大和朝廷になったのは確かです。
結果論として、3世紀中葉の王権=邪馬台国が畿内にあったことを前提とします。

3世紀末に九州などから畿内へ東征があったという主張は、
畿内説を挑発などせずに、別スレで自説を展開してください。

なお、2世紀以前に九州勢力が東征した可能性は議論の余地があると思われます。


4 :前スレ940 ◆7PRx1i10AM :04/12/31 00:34:14
乙!心からありがとうと言わせてオクレ

ここで念の為前スレの九州説コテにメッセージ
豊前説さん、一応九州王朝説さんをはじめとする九州説の方へ。
決して締め出しを狙ったものではないです。
ただ一部の心無い荒らし(九州説、畿内説両方とも)を排除するための住み分けなんです。

文献や由緒を根拠とする九州説と考古成果を基本とする畿内説が、平行線のまま交わらないのは当前。
同じ議論の繰り返しなだけだし、結局自ら荒らしを呼び込むだけだからなのです。
住人協議の結果、お互いに接点が見つからない以上住み分けは必要だとの結論に達しました。
どうかご理解お願いします。

5 :日本@名無史さん:04/12/31 00:38:11
九州説派は、コテハンでの参加は認めていいのでは?
自説の垂れ流しは困るが、畿内説への質疑応答という形式でなら荒れないだろう。



6 :日本@名無史さん:04/12/31 00:43:01
>5
そうだね。
コテハンの九州説諸氏は、良識ある人達と思えるので、スレが荒れるようなことはないかと。

7 :日本@名無史さん:04/12/31 00:49:17
前スレの

>700 :老教授@畿内説纏向派 :04/12/27 00:05:47

>考古学の提示した連合成立プロセスと変遷の過程には、期せずして記紀、特に日本書紀との一致点がそこかしこに見られるのです。
>景行、垂仁両天皇の権力主体の地が纏向であることや、欠史八代の婚姻記事が初期連合の構成メンバーと微妙に被さる点など実に示唆的な内容に満ちています。
>神武紀や神功紀も然り、更には倭王武ことワカタケルがそれまでのヒメ・ヒコ制を再構築したと見られる点や
>「隋書」に見られる夜の兄王(祭祀王)と昼の弟王(為政王)の2元制など、話題には事欠きません。

この中身が非常に聞きたい。このスレでなら、十分話題になるだろう。
よかったら聞かせてください。>老教授


8 :日本@名無史さん:04/12/31 08:44:37
>>石津丘(現履中陵)
>それそれ、それが仁徳天皇陵だと思う
現在の伝反正陵が小さ過ぎることから、仁徳・履中・反正の三陵を、大仙・上石津
ミサンザイ・土師ニサンザイに当て嵌めるのが妥当。「仁徳陵=百舌鳥耳原中陵」
(延喜式)と書かれている。真ん中の陵は上石津ミサンザイ(伝履中)となり、
仁徳陵と推定できる。事実、円筒埴輪の分析から、伝履中の方が伝仁徳より築造年代が
古いとされている。

みたいな説だったっけ?
個人的には、仁徳以降も、皇統が余り正しく伝わっていない印象。吉備の造山の被葬者
もきっと大王位にあったと思うし。
ただ、仁徳の「オオサザキノスメラミコト」というシ号が、大きな御陵(ミササギ)
に葬られた天皇という意味で解釈するなら、大仙古墳=仁徳陵とするのが妥当な気も
するが。

9 :日本@名無史さん:04/12/31 10:17:54
天皇陵って、天皇が生きてる間に作るのでしょうか?

10 :日本@名無史さん:04/12/31 10:45:42
仁徳天皇の在位は、313〜399
履中天皇の在位は、400〜405
反正天皇の在位は、406〜410
允恭天皇の在位は、412〜453
と、されてますよね。

一方、仁徳天皇陵建設の工期は、古代工法で15年強、一日2000人の労働力が必要と試算されてます。
ttp://www.obayashi.co.jp/kikan/ouryo/index6.html

仁徳天皇が死んだ後に、仁徳天皇陵が作られたとすると、
履中・反正の御世も工事中で、允恭天皇の代でやっと完成したことになります。
履中・反正も、生前か死後に天皇陵を作っていたとすると、
同時期に3基の古墳を作っていたとも考えられますが、
考古学的にはどれくらい裏付けされてるのでしょう?

同時期に3基の古墳を作るにしても、
非生産的な人員が一日2000〜3000人動員されていたということですよね?
当時の畿内の人口が10万人として、
それ以外にも小さい古墳を作っていたとすると、
働き盛りの成人男子の5人に一人は古墳作りに従事していたとなりますが、
でも、それではクニの経営が破綻しますよね?

古墳はもっと古い時代(3世紀初頭とか)からゆっくり造営されていたんじゃないかなと、
そんな気もするんですが。


11 :日本@名無史さん:04/12/31 11:30:17
畿内の人口が10万人という前提が間違い。古墳時代中期の列島の人口は400万人前後と考えられ(奈良時代で600万人以上)、畿内は少なくとも50万人以上(100万人に近い)いただろう。
なお、伝承上では仁徳陵は生前から作ってますし、大型古墳はそういうものが多いだろうとはむしろ通説。
なお、仁徳陵は分かりませんが、現応神陵(誉田御廟山)の場合、布留「式(初期須恵器直前の土器型式)が墳丘外堤下から出ているようなので、築造はそれ以後で、埴輪の型式から築造終了はTK73〜TK216の間。
半世紀はかかってない。20〜30年か。5世紀前半ないし中頃で築造期間がおさまります。
他の5世紀の諸古墳も同じでしょう。
ちなみに各天皇の在位は、日本書紀と古事記でもそれぞれ違うし、そもそもどちらも正しいか怪しいし、倭の五王の遣使年代とも合わないのであてにならない。



12 :日本@名無史さん:04/12/31 12:05:08
そういえば、日本書紀は魏志倭人伝を引用してるけど、
倭の五王については知らないみたいだね。

倭の五王は、倭人なんだろうか? 名前も倭人伝に比べて日本人ぽくない。
朝鮮半島南部の古墳を作った朝鮮系の王じゃないのかな?
時代もだいたい一致するし、朝鮮半島の経営権を要求してるし。


13 :日本@名無史さん:04/12/31 12:23:26
最近の学校教育では、任那日本府は無かったと教えてるみたいだけど、
朝鮮半島南部の古墳の存在はどう説明するんだろう?
古墳を作ったということは、そこに領地があったというわけだからね。

倭国と同盟を結んだ、朝鮮系豪族のものだったんだろうか?(=倭の五王)


14 :日本@名無史さん:04/12/31 13:25:05
スレ立て乙です。

今晩三輪神社の繞道祭に行ってきます。
新年に三輪山から神様に下りてきてもらう火の祭典ですが、
ひょっとしたら火巫女の時代から繋がる祭なのかな?

15 :冬ソナファンのおばさん:04/12/31 18:03:48
卑弥呼=日巫女=天照大神 です。
248年の日食事件という科学的根拠もあります。
天照の子供の天忍穂耳命の妻は万幡豊秋津師比売命。
宇佐は豊の国といいますよね。宇佐神宮に祭られている
神は応神・神功とその上にたつ比売大神ですよね。
万幡豊秋津師比売命=台与の名前をよく見てください。
その子供の二二ギが日向に降臨していますよね。
日向に遷都したことを示してますよね。これから4代後が
神武で東征してますよね。4世紀末の応神東征と時代的に
一致してますよね。宇佐神宮に台与と一緒に応神が祭られてる
理由もここでわかるでしょう。神武東征の経路をよくみてみてください。
日向〜宇佐にたちよって土地の神の饗宴を受けていますよね。
さらに筑紫の岡田宮に1年たちよってますよね。ここは邪馬台国連合の
外交を担当した伊都国があった縁の深いところですよね。
この2つにたちよったのは偶然でしょうか?さらに仁徳天皇の
妻は日向の姫君です。これも偶然でしょうか?
巨大古墳も九州勢力と畿内勢力の併合と考えれば
筋が通りますよね。真実が見えた。

16 :佐賀県佐賀市十七歳 ◆ypURG809QA :04/12/31 18:51:47
>>10
大山古墳(伝仁徳天皇陵)については未完成説が有力。

17 :率善:04/12/31 18:54:50
>>16

少なくとも前方部の石棺は明らかです。
墳丘の乱れは、後の大地震による崩落との見方が今は有力(寒川旭説)

18 :日本@名無史さん:04/12/31 19:01:17
>>15
う〜ん、ジンギスカン=義経説と変わりませんね。根拠はないでしょう。

>卑弥呼=日巫女=天照大神 です。

19 :日本@名無史さん:04/12/31 19:40:23
>>15
>>248年の日食事件という科学的根拠もあります。

この時の日食は近畿を通らなかったという人もいますが
実際のところどうなんでしょう?

20 :日本@名無史さん:04/12/31 20:24:12
>>19
九州〜奥州〜北海道にかけて観測された日食は、すべて「部分日食」
「皆既日食・金環食」ではない。

欠け具合は、九州〜畿内は三日月程度で、奥州では一日月程度に欠けている。
たいした違いではない。
もちろん、この程度の日食は、日本でも数年置きに観測されるもので、
政変の原因とは考えられない。


21 :日本@名無史さん:04/12/31 20:25:48
ステラナビゲータVer.7で確認すると、
248年9月5日の日食は、皆既日食とは呼べません。
日本で最も欠けて見えるのが奥州です。

247年3月24日の日食は、日本では地平線下で見られません。チベットの方で観測される日食です。
247年9月17日の日食は、オーストラリアで観測される日食です。

日本で2年続けて日食があったという説は間違いです。


22 :日本@名無史さん:04/12/31 20:26:37
部分日食は数年おきにみられる。首長(卑弥呼)が殺されるほど、珍しい現象ではない。

大きく半分以上欠ける部分日食を取り上げてみても、以下の通り頻繁に起きている。
皆既日食も(卑弥呼在任中でも)結構な回数が起きている。
日食が原因で卑弥呼が死んだという説は、いまや迷信にすぎない。

200年9月26日午前9時に皆既日食。
201年3月22日午前11時に部分日食。
210年3月13日午前10時に部分日食。
221年8月5日午後6時にかなり皆既日食。
222年7月26日午前8時に九州で完全な皆既日食。
232年1月10日午前11時に部分日食。
233年6月25日正午に部分日食。
248年9月05日午前8時に部分日食。(卑弥呼以って死す)
254年10月29日午前8時に皆既日食。
261年6月15日午後7時に部分日食。(266年、壹與が普に朝貢)
271年11月20日午後1時に部分日食。
275年9月7日午後5時に部分日食。
276年8月27日午後7時に部分日食。
283年4月15日午前10時に部分日食。
286年2月11日午前10時に部分日食。
298年6月26日午前6時に部分日食。
298年12月21日午前8時に部分日食。

最近では2002年6月11日午前7時に部分日食が起きていたが、気がついた人はどれほどいただろうか?
そういうわけで、卑弥呼をアマテラスと結びつけるのも根拠が薄弱だと思い知りなさい。


23 :日本@名無史さん:04/12/31 21:28:16
>>15
卑弥呼=天照大神は良いとして
卑弥呼=日巫女は有り得ません。
「卑弥」は「日女」とおもわれます。
「呼」は、ハ行音で「ホ」の可能性が高い。
おそらく古代語で「王」と言う意味であろう。

24 :日本@名無史さん:04/12/31 21:34:25
「卑弥呼以って死す」
とは、その前に戦いの事が書かれているので
「戦いで以って死んだ」という事だろう。

25 :日本@名無史さん:04/12/31 21:38:02
以は“すでに”と読むのがやはり自然だろう。

26 :日本@名無史さん:04/12/31 21:43:24
「戦いで以(すで)に殺されていた」と言う事か。

27 :日本@名無史さん:04/12/31 21:51:23
どうして戦いが出てくるんだ?死因に付いては何も書かれていない。
書いてないものは分からない。

張政がナシメに詔書と黄幢jを渡したときには、もう(既に)死んでいた、ということだろう。

28 :日本@名無史さん:04/12/31 22:00:30
死因を書いていないと言う事は、
その前に戦いの事が書いてあるので
読んだ人が「戦いで死んだんだな」と
普通に考えられる為、あえて死因(「その
戦いで死んだ」と)を書かなかったのだと
思われる。

29 :日本@名無史さん:04/12/31 22:06:46
読み手が中国人であることを考えれば、
“読んだ人”は王が戦いで死ぬなんてことは“普通”は考えない。

中国人にとっての王は、城の中にいて命令するだけ。

30 :日本@名無史さん:04/12/31 22:52:23
戦いで城が落城すれば死ぬでしょうがよ。

31 :『卑彌呼以死大作冢徑百餘歩犬旬葬者奴婢百餘人』:04/12/31 23:10:06
卑彌呼の死をもって大いに冢を作る。径100余歩、殉葬者奴婢100余人。

「以死」は「作冢」に係り、寿墓ではないこと説明じゃないのか?

32 :日本@名無史さん:04/12/31 23:12:06
戦死ではないでしょ。
戦中にて陣没。
後世の武田信玄のようなもの。

33 :日本@名無史さん:04/12/31 23:29:18
>>31が正解。

34 :日本@名無史さん:04/12/31 23:42:00
>殉葬者奴婢100余人

これ読むと、百体神社を連想するけど、
下にあるように、「百個の隼人の首」なんだよね。

ttp://www.usajinguu.com/A_Yuisyo/Hyakutai.htm

35 :日本@名無史さん:05/01/01 01:03:39
>>30
王は国都にいる。王が落城で死ぬとしたら、国都が陥落したときだ。
それは普通じゃない。

>>31
文法上成立しない。

>>32
王となってから会ったものがほとんどいないという卑弥呼が
戦場に出ていって陣没するはずないだろ。

36 :日本@名無史さん:05/01/01 01:13:34
>>35
>王は国都にいる。王が落城で死ぬとしたら、国都が陥落したときだ。
>それは普通じゃない。

卑弥呼の死んだ後に男王(卑弥弓呼)が即位しているんだから、
邪馬台国国都の陥落はあったはずだが。

37 :日本@名無史さん:05/01/01 01:20:49
国都の陥落がなくても、前王が死ねば次王が即位するのはあたり前。
なんの根拠にもならんよ。

それと、邪馬台国が卑弥呼の統べる倭国の国都。

38 :日本@名無史さん:05/01/01 01:24:01
卑弥呼の次に敵対国の王が即位していると言う事は、
邪馬台国国都の陥落があったと考えられるでしょう。

39 :日本@名無史さん:05/01/01 01:36:12
>>38
あほか。
トヨが即位して朝貢してるだろ。

40 :日本@名無史さん:05/01/01 01:39:00
でも、クナ国と邪馬台国がその後和解したことはありうるな。

四方突出型墳=投馬国
前方後方墳=クナ国系
前方後円墳=邪馬台国系

だろうな。

41 :日本@名無史さん:05/01/01 01:46:13
>36  
 おい、おい。 
 「更立男王」とは書いてあるが、「狗奴国男王卑弥弓呼」がとは書いてないぞ。
 「更に立つ」んだから、当然別人だろう。

42 :日本@名無史さん:05/01/01 02:01:29
ちなみに卑弥弓呼は卑弓弥呼の聞き間違いで、彦皇なのではという考えがあったな

43 :日本@名無史さん:05/01/01 02:15:40
>>39
>あほか。
>トヨが即位して朝貢してるだろ。

あほか。
トヨの前に男王が即位しているんだよ。

1代、卑弥呼−2代、男王−3代、台与

44 :日本@名無史さん:05/01/01 02:25:40
卑弥呼が死んだ年だけど、248年は、すでに死んでいたという意味だろ?
その間に男王が立って、内紛起こして、さらにトヨが共立されてんだから、
4,5年は経過してるんじゃないか?


45 :日本@名無史さん:05/01/01 02:29:02
>>41
邪馬台国(女王卑弥呼)と狗奴国(男王卑弥弓)が戦った。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
その後に女王卑弥呼が死んだ(国都陥落により死亡と考えられる)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「更立男王」(戦いに勝った男王卑弥弓が即位したと考えられる)

46 :日本@名無史さん:05/01/01 02:29:05
しかも、その内紛で1000人死んだのだから、ただごとではない。

47 :日本@名無史さん:05/01/01 02:34:32
>>45
日本書紀のどこを読んでも、政権交代をにおわすような記述は無いぞ。


48 :日本@名無史さん:05/01/01 02:39:28
>>47
「古事記」にはありますね。
アマテラスの国を分捕りに、弟のスサノオやってきて、アマテラスが死ぬ
その後に、今度はスサノオが他の神々により手足をもがれて追放される。
というお話。
ここで言う、アマテラスは、卑弥呼。スサノオは、男王・卑弥弓呼である
事は、明白だ。


49 :日本@名無史さん:05/01/01 04:49:59
スサノオは出雲の神様と違うの?


50 :日本@名無史さん:05/01/01 06:26:34
スサノオは、吉備を支配していた渡来人の大王でしょ。
四方突出墳墓のどれかにスサノオが眠ってるはず。

51 :日本@名無史さん:05/01/01 10:01:41
卑弥呼の後の男王が狗奴国王とは何処にも書いていない。
妄想はやめれ。

52 :日本@名無史さん:05/01/01 11:48:37

書いてないから、絶対に無いと言えるのかアホ




53 :日本@名無史さん:05/01/01 12:05:27
あのね、郡使の張政も滞在してるのだし、魏が肩入れしている国の王が敵対する国に乗っ取られたら一大事で、そんなことあったら普通明記するだろ。
書いて無いけど、あるかもしれないとかいいだしたら何でもありだろよ。
何か他のことで検証できるなら別ですが。
阿呆はどっちか、、トホホホ、、、

54 :にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :05/01/01 12:19:39
>>51
>卑弥呼の後の男王が狗奴国王とは何処にも書いていない。

「有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王」
前文で「女王卑弥呼」(女王は卑弥呼)と言っている事から
この文の「女王」は「卑弥呼」である事は明白だ。

と、すれば、「更立男王」も前文で「男王卑弥弓呼」(男王は卑弥弓呼)と
言っているので、「男王」は「卑弥弓呼」の事だと考えられる。

55 :にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :05/01/01 12:40:55
「更立男王」が「男王卑弥弓呼」の事でないとしたら
「更立男王ナニガシ」と言う風に「男王」の後に
固有名詞を付けるはずなのだ。

56 : 【小吉】 【1948円】 :05/01/01 12:51:03
なんか電波御用達になっちゃったな〜

57 :日本@名無史さん:05/01/01 12:51:45
小吉か・・・・_| ̄|○

58 :前スレ940 ◆r/GWjbEaHA :05/01/01 16:34:13
倭人伝解釈は別スレでやってくれませんかねー
つか文献史料だけで古代史を語ろうとする香具師がまだ居るんだね
完全否定された日蝕まで登場してるとは驚きだ…

みんな前スレ読んでるはずだろう?
とりあえず考古学事実を踏まえた上で文献を絡めてくれよ
狗奴国が勝ったと言うのなら、その場所と根拠を考古&文献の両面から語ってくれ
ちなみにこのスレでは3世紀の東遷や東征は考えていないので、それも他でやっておくれ

59 : 【大吉】 【1695円】 :05/01/01 16:41:32
邪馬台国に群れる連中に、スレの使い分けを期待する方が無理なんだよ。
まだ悟らないのか?

60 :日本@名無史さん:05/01/01 17:22:30
( ゚ Д ゚ )/まったくだ。

61 :日本@名無史さん:05/01/01 17:30:15
>>58

無理。無理。そんな事言ったて誰も聞きやしないって。

62 :日本@名無史さん:05/01/01 17:53:34
おみくじ引いたら大大吉だった。


63 :日本@名無史さん:05/01/01 17:56:29
おらは「吉」。

64 :日本@名無史さん:05/01/01 18:18:20
>>1のローカルルールは細かいな、特にここ↓

>3)畿内説の定義とは、3世紀中葉には畿内に邪馬台国が出来ていたか
>  2世紀以前に外部勢力(九州など)が東征・東遷したのいずれかである。


65 :日本@名無史さん:05/01/01 19:07:47
だから東遷も東征もないんだって。
邪馬台国はもともと大和にあったんだ。

66 :日本@名無史さん:05/01/01 19:09:37
宇佐!!宇佐!!宇佐だよん。

67 :日本@名無史さん:05/01/01 19:12:08
宇佐でない事は確かだ。

68 :日本@名無史さん:05/01/01 19:12:36
( ゚ Д ゚ )/まったくだ。

69 :日本@名無史さん:05/01/01 19:15:15
当方素人なんで的はずれな事言ってるかもしれませんが、前から疑問な事を質問。
初期の畿内政権の大王位は万世一系とかじゃなく、有力豪族の持ち回りか王朝交代が
あったのなら、大王家(後の天皇家)より大きな勢力を持っていたとされる豪族、
葛城とか平群とかは何で臣下にとどまっていて大王になっていないのでしょうか?
そもそも大王位が交代ありじゃなく特定の家系に独占されるようになったのは、何世紀頃なんでしょうか?
またそれまで諸豪族の第一人者というかまとめ役でしかなかったこの家系(皇室)が、万世一系というタテマエ
が出来て神聖な血統とされるようになったのは、何がきっかけなんでしょうか?

70 :日本@名無史さん:05/01/01 19:15:27
だって井沢元彦大先生が宇佐だって言ってたもん。
卑弥呼は、日向(ひむか)だって言ってたもん。

71 :冬ソナファン:05/01/01 19:22:27
井沢元彦大先生がそういうならそうなんでしょう

72 :日本@名無史さん:05/01/01 19:31:26
↑有り得んて。

73 :日本@名無史さん:05/01/01 19:38:20
>>69

ここに来る連厨はほとんどしろーとだ
そうゆう事は学者様が沢山来る様な別サイトで聞けば
たとえば大○争とか

74 :日本@名無史さん:05/01/01 19:40:30
>>69
それはね、武力とか土地とか所有してなくても、
大勢の尊敬を集めるほどの人心掌握力をもっていたからだよ。
つまり「祭祀王」というわけ。

渡来系とか、特別の知識や技能を持ってたわけじゃないよ。
魏志倭人伝には「鬼道」と記されて、珍しがられてるから。



75 :日本@名無史さん:05/01/01 19:40:41
皆様、もうちょっと真面目に議論しようよ。

76 :日本@名無史さん:05/01/01 19:45:12
早くもスレが崩壊気味だな

老教授のいない畿内説なんて所詮この程度か

77 :日本@名無史さん:05/01/01 19:57:47
>>42
>ちなみに卑弥弓呼は卑弓弥呼の聞き間違いで、
>彦皇なのではという考えがあったな

某辞書には、はっきりと「卑弥弓呼は卑弓弥呼の聞き間違いで彦御子の事だ」
と書いてあるから恐ろしい。


78 :日本@名無史さん:05/01/01 20:00:00
間違いは誰にでもある事だよ。

79 :日本@名無史さん:05/01/01 20:09:48
>>78

「20時00分00秒」だって。凄い!!

80 :日本@名無史さん:05/01/01 20:45:15
畿内連厨はザコばっか。プッ

81 :冬ソナファン:05/01/01 22:03:07
神武から崇神王朝までは普通に共立王を擁立してただけだろ。
邪馬台国王の応神から世襲化されたんだよ。

82 :ずっとROMってた日和見:05/01/01 22:10:17
畿内説専用スレなのにご覧の通り
九州説らしき荒らしが跋扈し、スレ汚しに余念がない。

対して九州説専用となったスレでは、畿内説の荒らしが見当たらない。
既存の2つもPART16も…

どちらの説が正しいかは別にして
人間の屑がどちらの説に多いのかは十分理解した。

そう言えばきちんと根拠を示して仮設提示していたのは
畿内説に限られていたっけ…
それが正しいのかどうかは知らんが
少なくとも人間的には畿内説論者のほうがはるかに上だな。

83 :日本@名無史さん:05/01/01 22:12:50
んだんだ。


84 :日本@名無史さん:05/01/01 22:14:00
( ゚ Д ゚ )/まったくだ。

85 :ずっとROMってた日和見:05/01/01 22:24:54
だからといって今までこのスレに書かれた内容はひとつも支持しないよ。
それまでのまともな畿内説とは明らかに質が違うから。

前々スレあたりから畿内説よりの発言をすると
自作自演だと決め付けてくる、とてつもなく頭のおかしい奴が粘着していたから
きっと俺の発言や>>83-84も自作自演に見えるのだろうな。
哀れだ、正月早々から本当に哀れだ。

だが老教授とかの一部のまともな人間が登場しないと
このまま荒れる一方なのは間違いないだろう。
誰か替わりになるような論者は居ないのかねえ…。
前スレのラスト近くに登場した何人かの名無史さんあたりの再登場を希望するよ。

86 :日本@名無史さん:05/01/01 23:07:50
968 :日本@名無史さん :04/12/30 22:18:03
私は畿内説ですが、弥生後期までの鉄器普及は十分でなかったことを認めます。
補足すると、
無かったわけではないが、鉄器の質も悪く、実際鉄斧の形状などからみて、また鍛冶技術の未熟さもあり、少ない鉄器を後生大事に使っていた、ということです。
問題は、少なくとも布留0式(箸墓古墳やホケノ山古墳の時期)には爆発的に集中するようになることです。
「庄内式」の時期の間に、なぜか急に畿内へ集中することになったのです。
「なぜか」はともかく、それもまた考古学的事実です。
ちなみに鏡も同様ですね。弥生後期にすでに入っていて「伝世鏡」となったというのは牽強付会で、妄想的な予定調和説と思います。
この点では、鏡ばかりやってる一部の研究者にはついていけませんね。
なお、卑弥呼の墓は箸墓古墳かもしれないけど、もう少し前の纒向の石塚や勝山あたりかと。
その中身がどうなっているかが問題ですね。(石塚は削平されているのですが。)
三角縁神獣鏡は、「銅鏡百枚」そのものか疑問も有りますが、3世紀中頃の鏡を多く含むのは間違い無いので、その分布中心は意味が有ると思います。
一応、少なくとも型式的に初期の一群は中国鏡でしょう。まあ中原で作っていないかも知れませんが。
あと、九州説に加担できないのは、伊都国(糸島)や奴国(福岡平野)と同等かそれ以上の遺跡群が、おそらく存在しないことです。
これは重要なことで、実は九州説の最大のネックです。
吉野ケ里とて、三雲や須玖には見劣りします。
邪馬台国が盟主なら、伊都国や奴国に言うことを聞かすだけの実力があったと思うので、それに見合った遺跡がないと納得できません。
倭人伝の行程記事だけを見た、考古学的情報を全く無視した脳内九州説は話にもなりません。



87 :日本@名無史さん:05/01/01 23:13:16
968 :日本@名無史さん :04/12/30 22:18:03
私は畿内説ですが、弥生後期までの鉄器普及は十分でなかったことを認めます。
補足すると、
無かったわけではないが、鉄器の質も悪く、実際鉄斧の形状などからみて、また鍛冶技術の未熟さもあり、少ない鉄器を後生大事に使っていた、ということです。
問題は、少なくとも布留0式(箸墓古墳やホケノ山古墳の時期)には爆発的に集中するようになることです。
「庄内式」の時期の間に、なぜか急に畿内へ集中することになったのです。
「なぜか」はともかく、それもまた考古学的事実です。
ちなみに鏡も同様ですね。弥生後期にすでに入っていて「伝世鏡」となったというのは牽強付会で、妄想的な予定調和説と思います。
この点では、鏡ばかりやってる一部の研究者にはついていけませんね。
なお、卑弥呼の墓は箸墓古墳かもしれないけど、もう少し前の纒向の石塚や勝山あたりかと。
その中身がどうなっているかが問題ですね。(石塚は削平されているのですが。)
三角縁神獣鏡は、「銅鏡百枚」そのものか疑問も有りますが、3世紀中頃の鏡を多く含むのは間違い無いので、その分布中心は意味が有ると思います。
一応、少なくとも型式的に初期の一群は中国鏡でしょう。まあ中原で作っていないかも知れませんが。
あと、九州説に加担できないのは、伊都国(糸島)や奴国(福岡平野)と同等かそれ以上の遺跡群が、おそらく存在しないことです。
これは重要なことで、実は九州説の最大のネックです。
吉野ケ里とて、三雲や須玖には見劣りします。
邪馬台国が盟主なら、伊都国や奴国に言うことを聞かすだけの実力があったと思うので、それに見合った遺跡がないと納得できません。
倭人伝の行程記事だけを見た、考古学的情報を全く無視した脳内九州説は話にもなりません。



88 :日本@名無史さん:05/01/01 23:14:10
890 :日本@名無史さん :04/12/29 16:23:18
老教授氏へ
畿内の鉄器の出土の少なさを、低湿地遺跡が多く酸化したとか言ってますが、
低地の青谷上寺地などでも残っていますが、、九州でももちろん低湿地なら出てますよ。
平塚川添で出てないとか言ってますが、あるんですけど。板付でも出てますよ。
畿内の弥生後期までの鉄器量については、最近「見えざる鉄器」について大阪府の藤田憲司さんが明解に否定していますが。
大体、鉄器の出土量も問題ですが、今は庄内式期までの鍛冶技術の地理的勾配は認めざるをえないでしょう(村上恭通氏の一連の研究)。
鉄器は質/量ともに九州から東へ向かって地理的勾配があったのは事実ですよ。
畿内への集中は、布留0式期以降でしょう。(ホケノ山は布留0式期と考えます。)
みなさんにはふつうに入手できる本として、『倭人と鉄の考古学』村上恭通 著 (青木書店)をおすすめします。
あと、畿内系土器の九州への展開の実態とその解釈についても、老教授氏は実は良く分かってないかと、、、
この前の大阪の弥生文化博物館の展示と図録の論文集が良かったですね。




89 :日本@名無史さん:05/01/01 23:14:36
891 :890 :04/12/29 16:36:52
念のため言っておきますが、私は畿内大和説です。(九州説の皆さん、すみません。)
ただ、次の4点を問題としています。
1、邪馬台国が初期ヤマト政権に連なるとしても、この成立は畿内諸勢力の糾合だけで自生的になされたものではなく、外からの何らかのインパクトがあった。
2、一度、成立した「倭王の都」として邪馬台国は、しかし、一方的な覇権を西日本、九州に及ぼしたわけではない。
3、「邪馬台国」を盟主とする倭国体制下であっても、北部九州の勢力が急激に衰退したわけではない。
むしろ、外交、交易において未だ、無視できない勢力を保持していた。
4、「邪馬台国」の前史となるような、畿内地域における中心的勢力母胎は、弥生後期までは存在しない。
唐古鍵は奈良盆地のセンターだったと思われるが、例えば近江や河内、ましてや河内などに覇権が及んでいたか甚だ疑問である。
みなさんはどう考えますか?


90 :日本@名無史さん:05/01/01 23:16:23
888 :日本@名無史さん :04/12/29 14:00:23
老教授の仮説で弱いところは
(1) 「緩やかな連合」程度の組織が、共同で遠隔の地に恒久的施設を持てるか
(2) 陸上施設である「纏向」以外にネットワークを形成する拠点はあるのか
(3) 「纏向」のような拠点が必要だった「交易物」とは何か
等々、まだまだあると思うが・・・

(2)。(3)については、今後の研究の進展により解決するかもしれない。
しかし、(1)については、甚だしく懐疑的に為らざるを得ない。
「纏向」は、畿内を含む西日本と東海・関東方面との陸上交通の拠点であろうが、
その地を九州他の各勢力が、あたかも共同経営していたかのように思われる「解釈」。
この点についての論拠は、当該地方の土器の出土以外に具体的なものが無く、
更なる説明が必要かと思われる。
ブラジリアやキャンベラの場合とは違うであろう新造都市「纏向」を倭人の首都として認めるには
「大乱」前後のパワーバランス変化の理由についても検討が必要でしょう。




91 :日本@名無史さん:05/01/01 23:18:33
918 :日本@名無史さん :04/12/30 01:43:18

そもそも3世紀初頭にイト国が衰退したから、九州に邪馬台国は無く、
畿内の王権に支配されていたという短絡思考は許せんな。

クニの歴史から見れば、繁栄もすれば衰退もする。
だが、衰退したことで独立が保てなくなり、他国の支配を受け入れたというようなケースは
世界的に見ても稀なほうだ。
ヨーロッパを見れば分かるように、どんな小国でも独立は保たれているし、
逆に連合を作るほうが試行錯誤の連続で失敗続きだった。
独立が保てなくなったというのは、侵略を受けるような場合に限る。
そして、2世紀の日本の力関係で優位だったのは、北九州だ。
九州は、中央に何度も反乱を起こしているという歴史が実際にある。
交易に縛られて、気がついたら畿内に権限までを奪われていたというアホな理屈があってたまるか。

それでも、畿内説は、畿内が北九州を支配したという結論が欲しいのだろう。
他国への武力制圧というシナリオが作れないために、
「原始共産制」などという存在の証明もされてない珍奇な理屈を持ち出し、
畿内説を強弁しているだけだ。「祭祀王」というトンデモ説が、ただ言葉を変えただけ。

なぜ畿内説が、弥生時代の戦争の証拠を無いものとしようとするのか?
他国への武力制圧というシナリオを導入すれば、優位に立つのは東征説になってしまうからね。



92 :日本@名無史さん:05/01/01 23:20:55
935 :日本@名無史さん :04/12/30 17:39:25
魏の使者は瀬戸内海を通っていない
通っていれば瀬戸内海の描写があるはずだがまったく無い
中国人が現代の瀬戸内海を見て、これはどういう河ですか?
と聞いたそうだが、波静かで中国人には河か湖に見えるらしい
もし、魏の使者が瀬戸内海を通っていれば印象深いから記述があるはず

3世紀ころの関門海峡はひょっとして陸?それとも倭国防衛のことを
考え教えなかった?魏の国は魏志倭人伝の他国に比べ量が多いことからして
倭国に領土的野心を持っていた だから詳しく調べ記録に残した
おそらく、魏の使者は日本海側を東行したものだろう
そうすると、パズルが解けてくる


93 :日本@名無史さん:05/01/01 23:36:42
>ずっとROMってた日和見
いやね、君もその荒らしの中の一人な訳だが

94 :日本@名無史さん:05/01/01 23:38:40
簡単にまとめれば、
交易による緩やかな連合が自然に形成されたなら、
邪馬台国の大王は、周囲のクニの尊敬によって選ばれたので、
武力で威嚇する必要が無いのです。

したがって、畿内で鉄が発掘されないからといって、
「酸化したから見つからない」などと、
畿内にも鉄が大量に搬入されていたかのように強弁するのは滑稽に見えます。
畿内王権ありきの考え方です。
考古学的姿勢ではありませんし、事実をねじまげるものです。

鉄を持たなくとも、畿内に王権が生まれ、九州を抱き込んだことは考えられるはずです。


95 :豊前説:05/01/01 23:51:21
ちょっと、こちらにも失礼しますね。

>>94
いくら経済的連合で形成された国家であれ、連合内は武力闘争の
必要性はないかもしれませんが、西に鉄器を有する九州勢力が
存在し、仮に畿内勢力が支配下に置いていたとしても、経済的に
は更に興隆していたのであれば、いつ反旗を翻すかもしれず

>邪馬台国の大王は、周囲のクニの尊敬によって選ばれたので、
>武力で威嚇する必要が無いのです。

といいきるのは、疑問を感じます。

では失礼。

96 :日本@名無史さん:05/01/02 00:12:00
>>95
九州が畿内よりも経済的に栄えていたという証拠はないですよ?
北九州は朝鮮半島と交易していただけですが、
畿内は西日本すべての交易の中心だったのですから、出来高は畿内の方が上です。


97 :豊前説:05/01/02 00:14:55
>>96
九州は畿内から遠かったわけで、反乱を起こすに何も畿内を上回る
経済力を持つ必要はなかったと思います。

98 :日本@名無史さん:05/01/02 00:25:32
九州説者を除去して畿内説者だけで話し合いをしようなどとは、作る食事の中に
「塩を除いて砂糖を沢山いれてお食事しましょう。」と言っているようなもの。
まああまりためにはなりませんなあ。嵐は塩をどかっといれこむ奴だ。これも困る。
辛いのも多少ないと良くは無い。ここは甘党のスレ。

99 :日本@名無史さん:05/01/02 00:27:02
>>97

1世紀の倭国大乱で、畿内勢力が北九州へ討伐に行ったのでしょう。
そこで勝利した畿内王権に、北九州は服従することを余儀なくされたのです。
日本人は、伝統的に相手への服従は敬意に変わります。
その敬意が、3世紀まで続いたのです。

トヨが十三歳で即位したのは、宗教的にというより、
王族の系統だったトヨへの敬意であったでしょう。


100 :日本@名無史さん:05/01/02 00:41:03
>>69
これは私の解釈とは違うのですが、あえて「持ち回り説」で論述するなら、
こう書きますね。
<葛城や平群も大王を出していた>
後の天皇家が各大王を自分達の祖先としたため、各氏族の系譜から大王は
外されてしまいました。
でも、そのままパワーバランス上、放置するわけにはいかないから、例え
ば孝元天皇後裔タケシウチノスクネというような人物を編み出したのです。
とまあ、こう書きますね。私は持ち回りではなく、初めから祭祀や行政の
中心となる一族がおり、一部母系等を通じてでも、現在の皇室につながっ
ていると考えています。

101 :日本@名無史さん:05/01/02 00:58:31
奈良にある三古墳群、大和、佐紀盾列、馬見は、やはりそれぞれが
大王家を輩出する豪族の本拠地だったのでしょうか?

102 :日本@名無史さん:05/01/02 02:00:04
yes

103 :日本@名無史さん:05/01/02 02:56:36
やっぱり、畿内における有力豪族の政権闘争を考慮せずして、初期ヤマト政権を
語ることは出来ないでしょう。

つまり、古代、奈良にはヤマト国とカヅラキ国が並存していて、4世紀末、葛城地方に
前方後円墳が築かれる頃に、二つの王統の融和、一本化がなされた、と。
それ以前のヤマト(邪馬台)国は、瀬戸内海航路よりむしろ、山辺の道から北、
遠く淀川水系豪族、丹波豪族と通じ、親交を深めていた。
概略すれば、大和川水系豪族(葛城)VS淀川水系豪族(三輪)の対立、緊張状態が
あった。
いやむしろ、その方面の豪族が、そもそも葛城の地盤であった大和盆地に進出、マキムクを建設した
のではないでしょうか。
3世紀半ば、瀬戸内海航路は完全に掌握されてなかったため、倭人伝の邪馬台国への行程記事は、
日本海航路、丹波(投馬)経由で書かれている、と解釈します。

104 :日本@名無史さん:05/01/02 11:37:57
>>69
>葛城とか平群とかは何で臣下にとどまっていて大王になっていないのでしょうか?
後代の政権を見れば判ります。栄えれば必ず衰える盛者必衰の理。転落した
最高権力家には、復権を果たす人材子孫が出ない。


105 :日本@名無史さん:05/01/02 14:49:32
>>69
>そもそも大王位が交代ありじゃなく特定の家系に独占されるようになったのは、
>何世紀頃なんでしょうか?

記紀を読む限り、大王位が一氏族に独占されるようになったのは、応神以降でしょう。
応神以前、父子相続が連綿と続いていたというのは、当時の医療や衛生状態から考えて、
到底信じることが出来ません。恐らくは大王位は持ち回りされていて、新王は有力豪族たちに
共立されて即位し、前王の息子に擬制されたのでしょう。
応神による大王位の独占は、恐らく、半島での高句麗との戦争は無関係ではないと
思います。つまり外圧の高まりにより、挙国一致で外敵に当たるため、強力なリーダー
シップが要請された、ということなのでしょう。
以降、大王家は中央集権化の道を突き進み、その一つのピークが大悪大王・雄略であった、と。
吉備や葛城の反発は相当であったようで、反乱伝承が記紀に記載されています。

106 :日本@名無史さん:05/01/02 17:20:52
>>99
「1世紀」の倭国大乱って何だ??何処にそんなこと書いてある?
いくら何でも1世紀はないだろう。根拠は何だ?
まあ、文献上と通説では2世紀後半か末なんだが、2世紀末に九州が衰退したという根拠も意外と怪しいンだよね。
庄内式併行でも九州の拠点集落はそのまま継続しているものが多く、鉄器の出土が減るわけでもない。
少なくとも庄内式前半までは、奴国の須玖・岡本遺跡群の青銅器工房群が存在している。
三雲遺跡群の繁栄もしかり。
畿内の影響が土器とか「古墳」の成立に見えるのは3世紀中頃以降で、実は少し時間差がある。
もっとも「古墳」の成立自体が、九州を含む西日本の諸首長墓の要素の統合なので、その成立と拡散はあっという間と思うが。
ただ、伊都国や奴国と同じかそれ以上の勢力も無さそうなので、3世紀中頃には「邪馬台国」が畿内にあり、西日本の盟主となっていたということには同意。
問題は「倭国乱れる」の実態の解明。単純にどちらかがどっちかを武力で抑えたのとはちょっと違う気がするが。
なお私は前スレ引用の>>87-89です。

107 :日本@名無史さん:05/01/02 17:38:39
>>54
強引な読みだなあ(藁)
「女王に属さず」の国王が、「女王国」(文脈的に「倭国」の別名)の王になるわけがない。
クナ国は親魏倭王の敵であり、魏からも敵国。その王に征服されたらもっとはっきり書くだろうよ。
男王の名前が無いとか言うが、卑弥呼共立前の男王も、伊都国王も名前が無い。こいつら名前が無いから唯一名前のある男王のクナ国王か?
どういう文の読み方してるんや?
「倭国王」としての男王は一時的に即位したが、すぐ廃されたので、特に記さなかっただけとするのが素直な見方だろう。
だからこそ、「女王国」という別称で通しているのでは?
クナ国と、邪馬台国(女王=倭国王の都する所)の場所が確定して、ある時期にクナ国の影響が強い短い期間があったとかが考古学的に証明できるとか言うなら別だが、それは無いだろう。
文献のみの、しかもあまりに強引な読み方はやめれ。

108 :>>87-89:05/01/02 17:53:53
>>96
近畿は西日本だけでなく、東日本を含めた交易の要ですよ。
ただし、北部九州は朝鮮半島とだけ?はいただけない。なぜなら中国ともしてますし(楽浪経由ですが)、南島の貝などの交易もありますし、大体が韓半島の物資をまた西日本相手に売り捌いている(中継交易)ので、西日本全体も交易相手ですよ。
その意味で「出来高」云々はナンセンスかと。
3世紀後半には博多湾に長距離交易の拠点が出来、西日本一帯が交易対象となるようです。(弥生博物館の最近の展示)
その前はやっぱり伊都国に交易拠点がありますが、西日本への交易は間接的で、瀬戸内ルートと日本海ルートに交易ルートが分かれています。
ただむしろ畿内は、瀬戸内ルートの終点で、東日本への鉄等の物資の流通で権力を掌握したかとも思います。
このあたりの変化過程に「邪馬台国」を盟主とする「倭国」成立の鍵があると思います。


109 :日本@名無史さん:05/01/02 19:09:42
>>108
>ただむしろ畿内は、瀬戸内ルートの終点で、東日本への鉄等の物資の流通で権力を掌握したかとも思います。

なるほど。それで、畿内は東日本で王権を築き、吉備を味方につけることで、
九州も抑えることが出来たというわけか。わかりやすいな。


110 :日本@名無史さん:05/01/02 22:39:28
大学受験全国模試で1位をとったこともある
日本でも屈指の知能の持ち主の私が言ってるんです。
畿内なわけがない。馬鹿大卒文系の歴史マニアが
ああだこうだ言ってもろくな知恵もでてこないから
議論するだけ無駄ですよ。

111 :日本@名無史さん:05/01/02 22:55:39
>>110
どこの模試か、どこの大学学部に進んだか言え

112 :日本@名無史さん:05/01/02 23:00:38
河合塾第一回全統マーク模試。
京都大学農学部

113 :日本@名無史さん:05/01/02 23:04:36
>>110
要するに文系出身の日本史の先生のその先生の解釈のままに
丸暗記したのね。それってただの劣化コピーですよ(w

114 :日本@名無史さん:05/01/02 23:07:06
そうか、112が言うんだから畿内じゃないんだろうな

115 :日本@名無史さん:05/01/02 23:09:43
<ここ要注意・要マーク>
>>110は「屈指の知能の持ち主」と自称しているが
「屈指の頭脳の持ち主」とは言ってはいないことに
注目すること。

116 :日本@名無史さん:05/01/02 23:38:23
>>115
違うよ、要点は京大の人間が「畿内なわけがない」と言っていることだ

117 :日本@名無史さん:05/01/02 23:48:23
さすが農学部だけあって鋭い考察を持ってると思うよ。
3世紀の畿内は、農地が少ないってことを言いたいんだろう。

118 :日本@名無史さん:05/01/02 23:49:09
記紀にある、成務時代が卑弥呼の時代じゃないのか?
弟王が記紀でいうところの成務に当たる人物。
それ以前の乱世の王が、景行と後にいわれた人。戦の記述が豊富。
卑弥呼後の乱世の王が、仲哀と後にいわれた人。短命政権。
台与は記紀に伝えられる神功皇后。
その嫡子が誉田別大王。

119 :日本@名無史さん:05/01/02 23:51:48
>>110さん、人気者ですね。早速>>116さん>>117さんという
ファンが出てきましたよ。大事にしなくちゃね。

120 :日本@名無史さん:05/01/02 23:52:11
でも、畿内王権の主な輸出品目は「奴隷」だと思うんだよ。
他に輸出できるものなんて無いからね。

東の方から奴隷を狩ってきて、鉄と交換。
巨大墳墓も奴隷の存在無くしては語れない。
奴隷文化が、畿内に王権を生み出したんだ。



121 :日本@名無史さん:05/01/03 00:05:44
北九州も、奴隷が畿内から輸入されなくなると困るから、
畿内には逆らえなかったんだよ。

奴隷貿易こそが、畿内王権を生み出した根源だったんだね。

122 :日本@名無史さん:05/01/03 00:10:59
だけど、さすがに老教授も、奴隷貿易には言及し難かったみたいだね。
交易品の内容も、お茶を濁してたみたいだったけど、
穀物とか、自給自足できそうな物品の交易という理由だけじゃ、
西日本広範囲を掌握できない。

奴隷貿易は、古代社会では普通の交易品だったんだから、恥じることはない。
魏へ朝貢したときも、メインの輸出品は奴隷だったわけだし。




123 :日本@名無史さん:05/01/03 00:14:54
祭祀王とか、原始共産制とか奇妙な事を言い出すから、皆の反感を買うんであって、
最初から「奴隷貿易が畿内王権の礎」といえば、皆納得するよ。

これで、九州説は完全に終わったね。
九州だけで奴隷を自給自足するのは無理。


124 :日本@名無史さん:05/01/03 00:15:59
百済から輸入したでしょ、奴隷。

125 :日本@名無史さん:05/01/03 00:22:34
>>124

九州に、鉄と奴隷と、両方買い入れるだけの国力は無いですね。


126 :日本@名無史さん:05/01/03 00:24:28
鉄は買うんじゃなくて、自分の領土から採掘するから、儲けがでるでしょ。

127 :日本@名無史さん:05/01/03 00:24:29
九州は、畿内から奴隷を買い入れ、朝鮮から鉄を買っていたのです。
これで、すべてが説明できます。

128 :日本@名無史さん:05/01/03 00:28:54
九州は、朝鮮から輸入した鉄を売って、畿内から奴隷を買い入れ、
朝鮮へ奴隷を売って、鉄を買っていたのです。

これで、すべてが説明できます。


129 :日本@名無史さん:05/01/03 00:31:06
巨大古墳造営も、下働き労働者は、奴隷だったのです。
ですから、あんな途方も無い巨大な墳墓も設計できたわけです。

奴隷の多さ=古墳の大きさ=古代王権の権力の証

130 :日本@名無史さん:05/01/03 00:36:50
奴隷の調達方法ですが、戦争とは限りません。
家族の中で、一人くらいを奴隷として供出することがあったでしょう。
奴隷を出した家族は、代りに王から食料などの分配を受けることが出来たでしょう。

こうした人身売買は、江戸時代でも、明治になっても普通に行なわれていたことです。



131 :日本@名無史さん:05/01/03 00:41:12
農地の拡大が人口を増やし、余剰人員は奴隷として売られ、
最終的には、朝鮮、魏へと売られ、鉄や鏡と交換されていったわけです。

魏も、奴隷交易は歓迎していました。
その証拠に、大量の鏡を日本に輸出しました。
日本製の粗末な絹製品とかだけで、鏡が簡単にもらえるわけはありません。
倭人の奴隷は、主人に忠実で働き者で、とても高値で売れたことでしょう。




132 :日本@名無史さん:05/01/03 01:02:46
考古学博物館も考古学本もデンパ本も、弥生時代の奴隷については、
ほとんど記述がないみたいだけど、おかしなものだね。
奴隷のいない古代社会なんて存在しないんだよ。

奴隷貿易の考察を無視しようとするから、
畿内説が認知されるまで、こんなに時間がかかってしまったんだな。

133 :日本@名無史さん:05/01/03 01:06:30
畿内は九州邪馬台国の奴隷生産工場だったのか、なるほど。

134 :日本@名無史さん:05/01/03 01:07:46
奴隷というとかなり卑しいイメージがあるけど、
万葉集にもある防人も奴隷の一種。

彼らなりに、クニを代表して公共のために尽くすという、
誇りはあったことと思う。

135 :日本@名無史さん:05/01/03 01:18:04
生口=奴隷

136 :日本@名無史さん:05/01/03 01:29:33
まけまして おめでとうございます。
平成17年
第64代横綱 まけぼの 太郎
              __,,,,,,
         ,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
      ,.-,/        /::::::::::::::::::::::!,,  \
     (  ,'          i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
      `''|          |:::::::::::::::::::::}     ``ー''"
        !       '、:::::::::::::::::::i
        '、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ 
         \_/     ヽ--く   _,,,..--┴-、 ヽ
                     ``"      \>


137 :日本@名無史さん:05/01/03 01:36:17
テクニック全然なし。
しかも動きのろいし。
まずはゼイニク落とす事だな。


138 :>>87-89:05/01/03 01:55:08
<奴隷>=「生口」の問題は重要。
2世紀初頭の倭国王は160人もの生口を後漢に献上しているが、この時の倭国王は伊都国王の可能性が高い。
ちなみに卑弥呼も生口を献上するが、景初3年に10人、正始4年に人数不明、また台与は正始8年以降に30人の生口を魏に献上している。
少なくとも中国向けには生口が重要な輸出品だった。
この生口が、戦争奴隷なのか、倭国内でも通常の交易品だったのかは分からない。
倭人伝で、刑罰が重いものの場合、その門戸や宗族を滅するとされる記述があり、これらは生口(奴婢)身分にされた可能性もある。
ただし、身分の記述としては「大人」と「下戸」の2大別なので、奴隷身分が例えば古代地中海世界のように多くいたものではないと思われる。
ちなみに、世界システム論的に言えば、普通、交易品で奴隷を輸出する方は従属的な側。
倭国の中国に対してがそうであり、仮に鉄等の輸入交易品の対価として(北部九州が中継交易しているとして)、生口が九州より東からもたらされているとすれば、東方はむしろ従属的なことになると思いますが。
もちろん、これは文献上の記述を無理に当てはめているので、何らかの検証が必要でしょう。
これからの課題と思われます。

139 :松田生口(福岡出身):05/01/03 01:57:57
早く解明して!!

140 :>>87-89:05/01/03 02:02:15
ちなみに歴史学会では、日本を含めた東アジアでは、典型的な奴隷制は一般的ではなかったとの見方が通説です。
ただし、「アジア的生産様式論」は文化人類学会では破たんしていますが。
このあたり、まだまだ研究の余地はありそう。
私自身は奴隷身分(生口)は実在しても、人口比では少数だったと考えるので、例えば奴隷が古墳を築造したとする考えには反対です。
奈良時代でも奴婢身分は人口の数%以下とされていたと思いますが(これはうる覚えですが、誰か訂正して下さい)。

141 :>>87-89:05/01/03 02:07:15
>>134
防人が奴隷身分とするのは違うと思うが。
律令で定められた軍役で、主に東国の一般民衆(主に農民)から徴発されたはずでは?

142 :日本@名無史さん:05/01/03 02:25:38
>>140
>奈良時代でも奴婢身分は人口の数%以下とされていたと思いますが(これはうる覚えですが、誰か訂正して下さい)。

正しくは「うろおぼえ」ですね。
ttp://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%86%E3%82%8D%E3%81%8A%E3%81%BC%E3%81%88&match=beginswith&itemid=01910500

>>141
徴発されても給与が無い、見返りがなければ強制労働=奴隷では?

143 :日本@名無史さん:05/01/03 02:32:36
>>138
>生口が九州より東からもたらされているとすれば、東方はむしろ従属的なことになると思いますが。

東方は、畿内ではなく、蝦夷でしょう。
九州は中継地にすぎないと思われ。

144 :日本@名無史さん:05/01/03 02:38:01
3世紀ごろの蝦夷とは、東北地方じゃ無いだろう。
「えみし」と読むなら神武歌謡に出てくるが、どう考えても九州だ。

145 :日本@名無史さん:05/01/03 02:39:46
>>138
>ただし、身分の記述としては「大人」と「下戸」の2大別なので、奴隷身分が例えば古代地中海世界のように多くいたものではないと思われる。

手足に枷をつけて使役するような古代西洋の奴隷ではなく、
他人に所有された就業者ということでしょう。
奴隷解放直前のアメリカの黒人のようなもの。

146 :日本@名無史さん:05/01/03 02:43:08
古代日本の奴隷が、身分が低かったというのも単純思考だろう。

船の安全のために生贄にされる人もいるのだから、
献上品の生口は、むしろ一応の身分があったかもしれない。


147 :日本@名無史さん:05/01/03 02:45:40
江戸時代の、丁稚などは、身分制の中に組み込まれてはいない。
奴隷という言葉に違和感があるなら、奉公に近いものと考えればよい。

148 :日本@名無史さん:05/01/03 02:49:17
魏への朝貢品目として「生口」が存在したのだから、
倭国内でも「生口」が流通していたはずである。
古代では貨幣価値があったものと思われる。

149 :日本@名無史さん:05/01/03 02:57:54
さらに言えば、魏に供出された「生口」が、
使い物にならないグズでは困るわけである。

ある程度の使命感、従順性、技能を備えていなければ、貢物として価値がない。


150 :日本@名無史さん:05/01/03 02:59:45
奴隷を現代の感覚で捉えてはいけない。
古代社会において、奴隷は、ひとつの職業でもある。

151 :日本@名無史さん:05/01/03 03:05:24
奴隷貿易を念頭におかなければ、畿内王権が西日本を制圧できたことを説明できない。
纏向こそ、畿内に設けられた奴隷流通センターだったのだ。

152 :日本@名無史さん:05/01/03 03:06:44

その職業の中には、偉い人に「オモチャ」にされる女性の生口もいるのか。

153 :日本@名無史さん:05/01/03 03:11:30
生口島
ttp://leo9ball.kt.fc2.com/ikuchi2.html

神峠(かんどき)遺跡から出土した石槍や鉢形土器の形態・技法的特徴から北四国や吉備を含む沿岸部の交易ルートの存在が想定されています。

154 :日本@名無史さん:05/01/03 03:11:39
野朗でもオモチャにされる場合もあるんじゃねの

155 :日本@名無史さん:05/01/03 03:12:54
こうゆう風に貼れや

    http://leo9ball.kt.fc2.com/ikuchi2.html

156 :日本@名無史さん:05/01/03 03:14:49
オモチャにされる少年のことを、なんていったっけ?

157 :日本@名無史さん:05/01/03 03:15:54
3世紀にモーホーは居ねーだろ。

158 :日本@名無史さん:05/01/03 03:20:04
小姓

159 :日本@名無史さん:05/01/03 03:21:25
九州派の皆さんは、窮地に立たされたからといって荒らさないでください。


160 :日本@名無史さん:05/01/03 03:26:00
( ゚ Д ゚ )/まったくだ。

161 :日本@名無史さん:05/01/03 03:29:19
投馬国は、この辺。

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.17.33.673&el=133.8.10.604&la=1&fi=1&skey=%c0%b8%b8%fd%c5%e7&sc=7

162 :日本@名無史さん:05/01/03 03:29:59
>>151
真面目に根拠は?
言うのはたやすいが、証明はどうするよ?

163 :日本@名無史さん:05/01/03 03:34:50
考古学的な裏付けはないでしょうよ。
という事は単なる妄想でしかありません。

164 :日本@名無史さん:05/01/03 03:36:02
>>162

他の理由で畿内説を論証するのは無理。
九州説はトンデモなので、消去法で奴隷貿易制度に行き着いたまで。

165 :日本@名無史さん:05/01/03 03:40:47
少なくとも、祭祀王説や原始共産制説よりは信憑性がある。



166 :日本@名無史さん:05/01/03 03:40:59
>>161
いんや、投馬国は、この辺。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.21.55.618&el=133.22.42.568&la=1&sc=6&skey=%F0%DD&prem=0&CE.x=250&CE.y=230

167 :日本@名無史さん:05/01/03 03:44:29
前スレの流れをよく眺めてみればいい。

--------------------------------------------
796 :日本@名無史さん :04/12/27 22:49:15
>>794
そうなんです。
西日本全体を制覇したような畿内初代王権=邪馬台国を妄想しておいて
原始共産制みたいな夢の古代社会から徐々にそう変容していったことを
何の疑問も無く前提にしちゃってる。

--------------------------------------------
849 :老教授@畿内説纏向派 :04/12/29 00:07:21
疑問点2:商業を王が管理したと言うと御幣がありますね。
その当時に近世的な自由経済(独立した商人)を想定するより
原始共産制によるいくつものクニが交易を行っていたと考えてください。
--------------------------------------------

老教授は、796氏の言説を受けて、894で「原始共産制」という単語を初めて使っている。
「原始共産制」は、考古学的な常識ではなく、場当たり的な思いつきにすぎなかったってことだ。

168 :日本@名無史さん:05/01/03 03:49:10
>>164-165
消去法といっても、最初に検討されれば先に消去されるだけ。
それ自身に根拠が無いと、、、
2世紀初頭には伊都国の倭国王が大人数の生口貿易やってるようだが(その点で生口貿易の存在そのものは畿内説の根拠にもならない)、邪馬台国段階ではむしろ人数が減っている。
生口の交易は確かに文献上認められ、重要な交易品としてあったが、それのみにこだわると見えなくなると思う。
>>163の言うように、あやふやな想像に基づくなら、妄想であり、トンデモ九州説と五十歩百歩。
交易を論じるなら、全体的に論じるべき。論証困難な生口のみに基づくのは愚の骨頂かと。

169 :日本@名無史さん:05/01/03 03:51:57
( ゚ Д ゚ )/まったくだ。

170 :日本@名無史さん:05/01/03 03:52:58
>>168
畿内王権が北九州を掌握したのは事実だろ。

どうやって、鉄交易を独占していた九州から、
利権を奪うことが可能だったのか説明してくれよ。
鉄と同等以上の魅力ある交易品を、畿内からの輸出品として想定しないと無理だろ。
もしくは、武力制圧だが、その証拠も無いのだからな。

171 :日本@名無史さん:05/01/03 03:53:45
( ゚ Д ゚ )/まったくだ。

172 :日本@名無史さん:05/01/03 04:01:31
>>170
畿内による九州の「掌握」にも段階があると思うが、、、
畿内が利権を「奪った」のかは別。
九州から鉄が流れる核がまずあり、次に東日本にまで流す核が出来た。それが畿内王権ではないか?
そう結論を急ぐな。餅つけ。


173 :日本@名無史さん:05/01/03 04:07:28
>>172
そんな甘ちゃんだから、プラムごときにツッコミ入れられるんだぞ。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1094919829/848-

174 :日本@名無史さん:05/01/03 04:09:15
奴隷貿易説は、一考に価する。

175 :172:05/01/03 04:12:00
卑弥呼が(倭王として)「共立」されたこと。
邪馬台国は女王(倭王)の都であること。
また、初期前方後円墳の諸要素が、畿内内部での自生要素はきわめて少なく、九州を含めた西日本各地の弥生後期首長墓の諸要素の統合であること。
このあたりにヒントがあるかと。
ちなみに、「共立」については、少なくとも前代(2世紀まで)の倭国は北部九州中心と考えられるので、共立の主体の諸国中に北部九州諸国が初めから入っているはずだと思います。
続きはそのうちに。

176 :172:05/01/03 04:13:35
>>174
一考に値することは否定しないが、論証が必要。いきなり結論的に言うのはここでは無しかと。

177 :日本@名無史さん:05/01/03 04:15:38
北九州勢力が、2世紀に東征したわけか。
それも悪くない考え方だな。
老教授は納得しないだろうが。

178 :172:05/01/03 04:16:18
>>173
ではあなたの意見を聞きたいですね。ぜひ。
また、あなたならプラム氏をやり込められるのでしょうか?


とは言ってもプラムは何言ってもしょうがないですがね。

179 :日本@名無史さん:05/01/03 04:18:54
175氏はいわゆる東征説とはかなり違うような、、、

180 :日本@名無史さん:05/01/03 04:19:19
絹製品も鉄みたいに溶けてなくなるものなの?

181 :日本@名無史さん:05/01/03 04:26:38
まず、鉄はそう簡単に溶けて無くならないのが本当。もちろん銹は進行しますが、土中では銹の状態で逆に安定したりします。低湿地で溶けるとい人もいますが、実際はも鉄器は出るところでは出ます。
ただし鉄の場合には、再加工等の問題がありますので。
絹は有機物だから甕棺みたいにパックされるか、金属製品の銹に付着して残るか、低地で水漬け状態で安定しているかではないと、普通は腐食・崩壊して分からなくなるでしょうね。
その点では他の織物類も同じ。

182 :日本@名無史さん:05/01/03 04:30:43
んじゃ、畿内からあんま出ないのは
腐食・崩壊して分からなくなったからか。

183 :日本@名無史さん:05/01/03 04:38:08
>>182は絹についてですね。
いや、最近は畿内でも弥生後期あたりの鉄剣などが僅かだが出て来ているが、付着している例が無い。
なお古墳初頭以後は、畿内を含む西日本一帯で、銅鏡や鉄剣・刀に付着して絹が検出される。
丹後(畿内ではない)では弥生後期から終末の墳丘墓に鉄剣や大刀がかなり出て来ているが、絹が付着していたという例を知らない。
(このあたり少し自信が無いが、絹があったらこれまでの状況から大ニュースになると思うが、それは無いので、、)
ただし、九州では弥生の甕棺での出土例が多いことは注意される。甕棺の場合、人骨等もそうだが、比較的残りやすくなる確率が多くなる(残らない場合が多いので面倒な言い方ですが)。

184 :日本@名無史さん:05/01/03 04:38:16
畿内は、もともと鉄が少なかったわけか。

185 :日本@名無史さん:05/01/03 04:39:19
>>182にプラムハッケーン

186 :日本@名無史さん:05/01/03 04:46:21
絶対量的には、畿内の弥生後期の鉄器はまだ相対的に少なかったとみてもいいかもしれないが、石器がとくに後半ではほとんど無くなること、木製品の加工痕が鉄器のものがほとんどとなることから、
生活に困らないほどの鉄器は流通・使用されていたとみるべし。
ただし、墳墓等に蕩尽的に消費できるような量的保障は無かったことも明白だろう。
それができるのは庄内式以降。
また、鍛冶技術も比較的低レベルで、鉄器の厚みなど質的にも劣っていたとも言われている。

187 :日本@名無史さん:05/01/03 04:57:31
鉄器による木製品の加工痕といっても、木製品が輸入品かも知れない。

近畿の後期における石器の一気の減少・退化と後半には無くなると言う現象も(これを鉄
器の普及の結果として結び付ける考え方もありますが)、鉄器の普及とは無関係で、むしろ
後期に激増する砥石と出土する石器の性状・形状から推察出来る、石材供給の不足が原因
と考えられます。

188 :日本@名無史さん:05/01/03 05:17:20
>>187
>むしろ後期に激増する砥石と出土する石器の性状・形状から推察出来る、
>石材供給の不足が原因と考えられます。

このあたりを詳しく聞かせて下さい。


189 :日本@名無史さん:05/01/03 05:37:44
畿内が東国の夷を徴発して、北部九州に圧力を加えたのは間違いないだろう。
鎌倉時代に至るまで、基本的に朝廷のやり方はまるで変わっていない。
奴隷というより、東国諸国に発令した軍役、と言った方がいいのではないか。
防人も同じ。

ただ北部九州の奴や伊都が中国皇帝から承認を受け、畿内に対して優位性を
示していた頃、九州が畿内に対して、鉄の対価として求めたのは、恐らく
奴隷であったというのは、そうだと思う。
穀物と違って足が生えているから、運送の手間がかからないし、当時は
労働力さえあれば開墾できる低湿地が、日本全国に無数にあったのだから
(労働力>土地)。
穀物は運送の手間賃を考えれば、わざわざ遠方より運ぶ意味が無い。というか
割に合わない。
これは奈良時代以降の律令制も同じである。朝廷の重要な財源は租ではなく、
労働力や特産品であったのだ。

九州の強引な人狩りに対する反発が、畿内、吉備、丹波、東海諸国の倭国連合
を誘発→北九州王からの倭国王位簒奪に繋がったとすれば、
心情的に理解できるところである。

190 :日本@名無史さん:05/01/03 07:00:26
奴隷に代る言葉ないかな?
生口は、日本語でどういう言葉で呼んでたんだろう。

191 :日本@名無史さん:05/01/03 07:25:17
「ぬひ」

192 :日本@名無史さん:05/01/03 10:12:56
>畿内が東国の夷を徴発して、北部九州に圧力を加えたのは間違いないだろう。
これを考古学的に3世紀頃で示せるかな?
「間違いない」と言っても根拠が無ければね。
そもそも、「畿内」の中心勢力が弥生時代からあったのかが怪しい。
奴隷交易を一気に引き受ける主体者の証明をしてほしい。

>九州の強引な人狩りに対する反発が、畿内、吉備、丹波、東海諸国の倭国連合
>を誘発→北九州王からの倭国王位簒奪に繋がったとすれば、
>>心情的に理解できるところである。

「心情的」に想像して分ったら楽です。何度も言うようにこれらを考古学的に論証しないと意味が無い。


193 :日本@名無史さん:05/01/03 10:18:37
>>187
>木製品が輸入?
材木は地域地域で違うのが多いですが、、、木製品も各地で特色があり、各地に木製品を製作した遺跡があります。
思いつきですね。
>砥石、、、
弥生後期以降の砥石は鉄器用のものが多いともされてますけど。
また石材供給の不足自体、鉄器流通で石器流通が衰退したとも考えられますが。


194 :日本@名無史さん:05/01/03 10:54:42
>>192
魏志倭人伝に「生口」と書いてるのに、なぜ否定するのだ?

195 :日本@名無史さん:05/01/03 11:54:48
>194
 イエローカードだな。(もう、一枚で退場ね)
 >192には「生口」の存在を否定するようなこと書いてないよ。

196 :日本@名無史さん:05/01/03 12:02:29
>>192
>>畿内が東国の夷を徴発して、北部九州に圧力を加えたのは間違いないだろう。
>これを考古学的に3世紀頃で示せるかな?

邪馬台国=畿内の前提に立てば、倭人伝の一代率の記述より、畿内の監督官が
伊都に駐留していたことが分かる。
まあ、東国兵を率いていたかどうかは分からんがw 少なくとも、東夷が剽悍なのは、
歴史的事実であり、それは戦争で重宝されただろう。

>「心情的」に想像して分ったら楽です。何度も言うようにこれらを考古学的に論証しないと
>意味が無い。

そうか? 考古学的に、3Cに畿内に王権があって、吉備東海丹波と交流があった、
と。考古学で言えるのはここまでが限界だろ?
コウコガクだけでは限界があり、それ以上に言及するつもりなら、記紀などの
文献や、後世の歴史などにも触れつつ考察するしかないと思うが。

197 :日本@名無史さん:05/01/03 13:18:23
だから交流があったことが、即、この時期に畿内が東日本から徴発してた、生口を大量に収奪してたことにはならない。
生口の存在そのものは文献から言える。
しかし、それがどの程度の規模で、ここで言う王権の基礎であったかどうかは別の論証がいると言うこと。
その責務はあなたにあります。

198 :日本@名無史さん:05/01/03 14:35:57
伊支馬(イクメ):垂仁天皇(イクメイリヒコイサチ)
彌馬升(ミマシ):考昭天皇(ミマツヒコ・カヱシネ)
彌馬獲支(ミマカキ):崇神天皇(ミマキイリヒコイニヱ)

倭人伝に見える邪馬台国の官名が古代天皇の名と符合するのは、どういう解釈になるんでしょうか?

199 :日本@名無史さん:05/01/03 14:57:39
漢籍を見ながら、過去にさかのぼって畿内国の天皇におくり名したから。
大和朝廷は、倭国を滅ばしたのだから倭国≠日本国なのに
中国に対しては倭国=日本国と主張したので、こんな羽目になった。

200 :日本@名無史さん:05/01/03 15:05:52
>>199
九州王朝派ハッケーン

マジレスすると、漢籍と関係なさそうな名前が大半と思うが。
>>198はかなり合ってるのは最初だけ。後は無理矢理。しかも代が違うのだが。





201 :日本@名無史さん:05/01/03 15:13:34
>>200
マジレス返すと、卑弥呼・壱与という女王が漢籍に出てくるので
記紀の天皇年代を古い方にむりやり引っ張って推古天皇に
あてたりしているわけで、おくり名に力を入れたのはわずかだ。


202 :日本@名無史さん:05/01/03 15:31:48
そしたら漢籍から取ったとは断言できないのでは?

203 :日本@名無史さん:05/01/03 15:32:38
とりあえずこの話題はスレ違いかと思うが

204 :日本@名無史さん:05/01/03 15:40:01
>197
192じゃないので、何なんですが、
確かに、文献的には、倭での「生口」が貴重な「財産」であることは、認められますよね。
魏へ「貢物」や「持衰」への「褒美」にも為ってます。
問題は、その規模だと仰っしゃるわけですが、
例えば、卑弥呼の奴婢千余人や殉葬者百余人程度の記述だけでは、
主たる「交易物」になりうることの例証としては、認められないと言うことですね。

当時「生口が、貴重な財産」であったとの推論を更に進めると「労働力」の不足も推定されます。
土地や食料よりも「労働力」が貴重な財産なのです。
人口に宛がうべき食料や、今後の蓄財の為に必要な開発可能な土地は、充足されているわけです。

「纏向」が、予想されるような巨大な都市であれば、かなりの規模の「交易」量が必要なわけですが、
東側から輸入すべきものは、西日本には無いものですよね。
「翡翠」等の稀少物以外に一番可能性の有るのが「人」なんですが、満足の行く資料は無さそうですね。

ところで、倭人伝に出てくる「奴婢」と「生口」と言うのは同じような意味で使われているんでしょうかね。
本来、「生口」とは戦争捕虜を意味するものでしょうが、「奴婢」とは異なる身分を示しているのいるのかな?
何方か、ご存知でしょうか?

205 :日本@名無史さん:05/01/03 15:54:08
卑弥呼の周りは「奴婢」ではなく、ただの「婢」(はしため)。
各国から集められた巫女との説がある。
殉葬者は生口身分だったかどうかは分からない。卑弥呼の葬儀に関して、各国や各村から宗教的理由で選ばれただけかもしれない。
まあ、纒向で在地さんの東海系土器が多いのは、生口かはともかく、巨大古墳の労働力との説がある。
これはありうるかと。桜井茶臼山の近くにも、東海系土器と木製品(鋤)を多数廃棄した遺跡があり、造営キャンプとされている。
ただし、東海あたりの人々が労働力として大和に来た(連れられた)可能性はあるが、じきに帰る徴発(徭役)の可能性も捨てられず、ましてやこれがさらに九州や半島まで連れられる生口とするのは根拠が無い。


206 :日本@名無史さん:05/01/03 16:00:34
後の時代を考えても、単純に米がありうるし、織布やその他各地の特産物がありうるだろうよ。
土器そのものが動く場合(甕や壺)、そういう特産品を入れてきたのと違うのか?
生口でなければならないというのがおかしい。
後の時代だが、租庸調を考えろって。

207 :日本@名無史さん:05/01/03 17:53:54
昨日も言ったはずですが、
全国模試トップの私の見るところ
邪馬台国は北九州で決まりですよ。


208 :日本@名無史さん:05/01/03 18:49:19
二日続けて同じネタ使うなよ。
二度目は、ツマラン。


209 :日本@名無史さん:05/01/03 18:50:12
>>207
それで決まるなら楽だな(藁)
その頭の良さで、何が根拠でそう言えるのか、順を追って説明してくれ(W
突っ込んであげるから(WW

210 :204:05/01/03 19:19:24
>206
そりゃそうだね。
でも、米だとすると西から東へか、それとも逆の移動かな?
3世紀初頭であれば、西日本は「水稲生産>人口」、東は「水稲生産<人口」のように思える。


211 :日本@名無史さん:05/01/03 19:30:58
>>210
弥生終末段階では東日本もかなり大きな(広範囲で生産性の高い)水田遺構が検出されている。
単純にそうは言えない。むしろ、西日本で人口が飽和状態となり、その時点の技術での耕地開発が限界に達し、食糧が流通していた可能性もアル。
交易を主体とするような大集落自体、食糧がある程度外部依存化したいたかも。
倭人伝では、対馬や壱岐は、南北に市擢(ホントは米偏)すると書いているが、それだけでは無かった可能性もアル。
また、灌漑などにより生産強化できる水田の普及は、食糧としてというだけでなく、交易品や租税として扱い易かったということも考慮すべき。
ただ、他にも特産物はあるのではと。後の律令時代での各国の調の原型はすでにある程度で来ていたのではないだろうか?

212 :老教授@畿内説纏向派:05/01/03 20:08:05
謹賀新年、皆様の御多幸をお祈り致します。

こちらが実質的な本スレでよろしいのですね。
あとトリップは半角#と任意のアルファベットでしたか?

まずは皆様から多くのご指摘があった事項から始めます。
「原始共産制」との言葉は撤回させていただきます。
私自身が完全に言葉の使い方を間違えております。
このためスレそのものに混乱を生じさせたことを深く反省し、またお詫びいたします。
ご指摘及び助言を下さった方々に謝意を表します。

213 :日本@名無史さん:05/01/03 20:20:15
わかればよろしい。

214 :日本@名無史さん:05/01/03 20:20:55
トリップの付け方教えて下さい。

215 :日本@名無史さん:05/01/03 20:21:36
トリップの付け方教えて下さい。

216 :老教授@畿内説纏向派:05/01/03 20:25:56
弥生後期のクニについて基本的に主張したかった事は
任意の王権の元に分業型手工業による工人集団がいくつか内包された集団であり
また主産業としての稲作を始めとする農業、それと漁業、採集などが行われていたのであろうという事です。

それもひとつのクニで全てを賄っていた訳ではなく、近隣のクニ同士で補完しあっていたと言うのが正しい見方かと。
その小規模な交易ですが、食料のやり取りもさることながら石包丁・石鏃などの石器製品や木製農耕器具なども含まれるかと考えます。

また生口を工人として捉えられた視点は大変興味深く拝見させていただきました。
そういった特殊技術を持つ人材(素潜りにて魚介を獲る技術なども考えられます)を輸出「品」としていたとの可能性は有りそうですね。
ただモノが人材である以上、過剰な輸出は集団の維持に致命傷となる恐れがある為、それを主な輸出品目にしていたとは考えにくいのですが
朝貢時の生口を構成する重要な要素であったとの見方には賛成します。

217 :日本@名無史さん:05/01/03 20:26:07
老教授氏へ、
鉄器の遺存について有力な反論が来ていますが、如何?

218 :217:05/01/03 20:31:33
>>87-88,>>181

219 :老教授@畿内説纏向派:05/01/03 20:42:26
これは>>86-88の事ですね。
これまた反省しきりですが、勿論鉄器流通量そのものの地理的勾配は認めております。
ただ九州以外には全く無かったかごく少量であったとの言説が多かったために、それを否定するつもりで述べた内容が
同等かそれ以上の鉄器が畿内にあったとの印象を与えたのかも知れません。
86氏が鉄器について述べられていることに対しては、私自身も同意権です。
ただ低湿地遺跡にて「全く」見つかっていないとは書いていない筈なのですが
そういう誤解を与えてしまったようですね。

正直なところ前スレにおいては少々的外れな反論が大勢を占めたせいもあって
やや感情的になり筆が滑ったきらいがあります。
現在参加されている方々は、考古資料についてよくご存知だと見受けられますので
そういった方々にしてみれば「何を焦っているのか?」と取られたでしょうね。反省しきりです。
今後は先走りせずに落ち着いて論ずる所存ですので、御理解願います。


220 :ROM九州説:05/01/03 20:48:40
>>219 反対陣営ですが、応援してますよ。

221 :老教授@畿内説纏向派:05/01/03 21:11:45
もうひとつ反省。
私過去に「平塚遺跡では鉄器は発見されていません」と書いてますが、大間違いです。
たしか甕棺墓内において鉄剣らしきものが確認されていましたよね。とんでもないミスです。
そのことも別のレスで書いていたはずなのに、やらかしてしまいました・・・。

これらで本当に言いたかった事は、甕棺墓と言う比較的保存力の高い墓式から出土する遺物そのものが特殊なケースであると言う事です。
またホケノ山(私も布留0式期と考えます)以降爆発的に増加するのかどうかは、今のところ保留しておきます。
ホケノ山の鉄鏃の形式そのものが北九州の出土例よりも、より半島型に近いと見受けられる為です。
それと副葬品文化が、国内では一時期の北九州に特化して発達していることからも
生活具とは分けて考えるべきではないかと思います。そういう意味ではホケノ山の副葬品が示唆するものは大きいのですが。
この流通ルートが具体的にどこを経由したものかが判明してから、もしくは推論が立てれる状況に至ってからでしょうね。
再利用に関しては、その可能性は極めて高いのですが、いつどこで再鋳造したかが古墳中期以前では現在不明ですので証拠を出せと言われるとちょっと苦しいですね。
酸化につきましては前節にて主張致しましたとおりです。
特に生活具が残存する可能性は極めて低く、威信具にしても状態良く出土するのは後世でもまれですので。

とりあえず大方の意見の一致したところでは、鉄器加工跡のある木製品が本州各地で確認されている事と
弥生後期後半の畿内における石器の急激な減少を傍証とすると。当たり前の意見で申し訳ないですが。




222 :日本@名無史さん:05/01/03 21:31:38
トリップの付け方はそれでOKっす。

223 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/01/03 21:40:03
とりあえずトリップを付けてみました。
PART16にもいくつか質問があるのですが
ほとんど文献解釈に起因するものばかりなので私に聞いてどうするんだろう?と思うのですが・・・。
一応顔を出しておいた方がよろしいですかね?

224 :>>87-89:05/01/03 21:44:29
いや、酸化も怪しいかと。この点、村上氏が土中環境での変化について研究中とも聞きます。
「再鋳造」って、鉄の鋳造は弥生では無いはずですが。
精錬の間違いでしょうが、弥生後期までは技術的に九州以外は厳しいでしょう。
あと、平塚川添では集落からちゃんと鉄器出てますよ。最初の頃出た概報に記述しています。
竪穴住居から鉄斧1、ノミ1、鋤先1が出てます。
集落同志で比較しても同じですね。
これらのことはすでに語り尽されているのですが、老教授氏は、ホントに知らないのでしょうか?
ホントに地理的勾配を認めているのですか?ホントは分ってないように感じます。
九州では、別に甕棺にあるのですが、それは副葬品だからあるのであって、有機物と違い、甕棺だけに残り易いわけではないですよ。
箱式石棺でも土壙墓からでも鉄器は出ますよ。
もちろん、集落も、立地に限らず出ます。
沖積微高地(低段丘)の三雲遺跡なんかかなり出ますね。またさらに低地の雀居遺跡でも結構出てますよ。


225 :220:05/01/03 21:50:31
老教授さん、トリップおめでとうございます。
気が向いたらで結構ですからPART16にも
その他のスレにも遊びに来てください。
不快になったら、引いてしまうおつもりで
ストレスためないようにしてください。


226 :>>87-89:05/01/03 21:54:33
ホケノ山の鉄鏃が半島に近い?そうは思えませんが。九州の方がよっぽど共通型式が多いですよ。
それと、ホケノ山のバリエーションに、類銅鏃(有稜系定角式)が見られないのはなぜでしょう?
この時点でさえ、厚みのある鉄器の製作技術(九州〜中国地方には存在)がまだ移入されて無かったからでは?
これが副葬品に反映するのは次の時期からかと。

227 :日本@名無史さん:05/01/03 22:11:02
>>197
>だから交流があったことが、即、この時期に畿内が東日本から徴発してた、生口を大量に収奪してた
>ことにはならない。

まあ、おれも
>奴隷というより、東国諸国に発令した軍役、と言った方がいいのではないか。
>防人も同じ。
と書いてるので、良く読んでくれ、と。

>しかし、それがどの程度の規模で、ここで言う王権の基礎であったかどうかは別の
>論証がいると言うこと。
労働力が当時かなり貴重であったことは認めるだろ?
問題は、北九州の先進文物や鉄に対する対価として、畿内や東国が支払う
ことの出来る特産物を、生口以外に持っていたのか、ということだ。
だから、奴隷貿易に対する反発で畿内以下諸国が団結した、というシナリオ。
なにも、初期ヤマト政権が奴隷商人の親玉だったと言うつもりはない。あくまで
大王は諸国間の利害調整役だったと思うし。

生口の収奪というのは、「なぜ3Cに倭国連合が出来上がったのか?」という疑問
に対する一つの答えとして書いたまで。あくまで推論で強弁する気はないよ。

228 :日本@名無史さん:05/01/03 22:18:24
生口」以外に、、、普通に他にもあるのかと。>>206が正解かと。
老教授氏も言うように、過度の生口の輸出は、実際はちょっと考え難いですね。

229 :日本@名無史さん:05/01/03 22:48:52
>>221

>とりあえず大方の意見の一致したところでは、鉄器加工跡のある木製品が本州各地で確認されている事と
>弥生後期後半の畿内における石器の急激な減少を傍証とすると。当たり前の意見で申し訳ないですが。

すいません。それ嘘でした。
ごめんね。てへ。


230 :日本@名無史さん:05/01/03 22:51:11
>>229は老教授??

231 :日本@名無史さん:05/01/03 23:02:15
>>229
別にそれ、別に嘘じゃないと思いますが。
問題は、その事実が質・量での潤沢な鉄器の存在を証明するかということ。

232 :229:05/01/03 23:14:41
元はネットのソースだけど、素人のサイトだから本当かどうかもわからん。
他に信憑性のあるソース探したけど、結局見つからなかったよ。

233 :日本@名無史さん:05/01/03 23:18:07
『倭人と鉄の考古学』でも読んでね。

234 :日本@名無史さん:05/01/03 23:27:47
何が書いてあるの?

235 :日本@名無史さん:05/01/03 23:31:08
まず読んで見なさい。大きな本屋か図書館には多分あると思うよ。

236 :スレ主1様:05/01/03 23:31:25
井沢元彦大先生の言うことがすべて正しいです。完

237 :日本@名無史さん:05/01/03 23:35:08
>>236
「終止符を打つ」スレに帰ってね。

238 :日本@名無史さん:05/01/03 23:35:10
>>229
ウソというか、弥生後期の話なら、鉄器そのものが本州各地で確認されてますが?
北限がどのあたりかは確認しておりませんが、関東にはあるです。

量的な問題はあるとしても。

239 :日本@名無史さん:05/01/04 01:19:53
確かに、鉄に地理的勾配があった、と。
でも、鉄の差が決定的な戦力の差にはならないだろ?
後年、倭国は、鉄が潤沢にあった半島にも攻め入っている訳なんだし。

「鉄が豊富な北部九州が畿内に負けた筈がない。だから北部九州が東征(遷)して
大和朝廷になったんだあ」とか、今更短絡発言されると興醒めだな。

240 :日本@名無史さん:05/01/04 01:27:11
半島鉄の確保が半島での最大国策でしょう。
その国が列島のどこだったのか、
それと矛盾しないように考えるわけです。

241 :日本@名無史さん:05/01/04 01:52:40
>>239
>後年、倭国は、鉄が潤沢にあった半島にも攻め入っている訳なんだし。

それはない。(老教授)


242 :日本@名無史さん:05/01/04 02:00:27
>>239
北部九州は鉄が豊富だから畿内に負けるはずがなかった
しかし、意外にも畿内は強かった。
だからだよ、北部九州は団結して卑弥呼を立てたんだよ

243 :日本@名無史さん:05/01/04 02:12:16
半島に攻め入ったかどうかは、現在は否定的。
考古資料上も難しい。
百済や金官伽耶と同盟して、傭兵を送り込んでいたことぐらいが正解。
金官伽耶(任那)にまあ代表団(ヤマトミコトモチ)ぐらいはイタだろうが。
>>239
必ずしも東征説は採りませんが、中国から輸入の大刀が十分にあり、鉄剣を自ら作れる北部九州が(近畿の鍛冶技術では弥生後期末まで無理)、
鉄剣さえ少ない近畿に武力制圧されたと考えるのは、やっぱ無謀かと思いますが。

「共立」の意味をもう少し考えましょう。

244 :日本@名無史さん:05/01/04 02:49:43
鉄剣よりも、鍬のような普通の農具のほうが、実戦では実用的なんですけどね。
振り下ろせば殺傷力も高い。

一人の武士に二人の農民が襲い掛かれば、武士はひとたまりもありません。

245 :日本@名無史さん:05/01/04 02:50:37
一人の武士=九州
二人の農民=吉備・大和

246 :日本@名無史さん:05/01/04 02:57:38
>>243
>近畿に武力制圧されたと考えるのは、やっぱ無謀かと思いますが。

畿内が北九州を武力制圧した、とまでは言えないだろう。
せいぜい、吉備や東海、北陸と語らって、北九州に圧力をかけ、屈服させた程度。
畿内は、瀬戸内海交易で畿内と関係が深かった宇佐あたりから切り崩し工作を
仕掛けたのではないか。
北九州も小国が乱立していて一枚岩ではなかったから、意外とあっさり事は決した。
畿内は一代率を派遣して、北九州を監視、大陸との交易権=倭国王の座を奪取した。
このあたりの事は、後世、景行紀として記されたのだろう。

大体、北部九州の旗頭である伊都国と奴国を風下に置ける程の勢力を、北部九州の中から
見出すことが出来るのか?と逆に問いたい。

247 :日本@名無史さん:05/01/04 02:58:48
老教授だったけ?
前スレで、鉄製の刀よりも投石の方が有効だったみたいなこと言ってた希ガス

248 :日本@名無史さん:05/01/04 03:03:31
武力制圧とか屈服とかまではいかなかったんだろう
だから「共立」が成り立つわけだ

249 :日本@名無史さん:05/01/04 03:10:08
>>243
>「共立」の意味をもう少し考えましょう。

おいおい、北部九州が中心になってヤマト朝廷をつくったとでも言いかねない勢いだなw

もしそうだとしても、なぜ、畿内なんて遠方に本拠地を移すんだよ。
全く理由がない。鉄なんかより、余程リアリティの無い話だ。
統一国家ならまだしも、倭国はまだ緩やかな連合体制であって、まだまだ政争は
何世紀も続いていくんだぜ。
主導権を握った国が、自国の近くに本拠地を置いたと考えるのが妥当。

250 :日本@名無史さん:05/01/04 03:10:26
「投石」は高地性集落のばあいだったような・・・

251 :日本@名無史さん:05/01/04 03:20:06
竹やりもバカに出来ない。
手軽に手に入り、刃こぼれしても削りなおせる。
古代では一番有効な武器だったろう。

刀剣ってのは、目の前に連れて来られた捕虜の首を切るくらいしか用途は無い。
鉄剣が無いから、戦争が無かったというのはナンセンス。


252 :日本@名無史さん:05/01/04 03:38:34
>248
>武力制圧とか屈服とかまではいかなかったんだろう
>だから「共立」が成り立つわけだ

それはそうなんだけど、連合参加が遅れた国は、それだけ発言権が無かった
と思うぞ。
少なくとも、古墳時代以降、畿内からの鉄出土が爆発的に増え、北部九州の
利権が失われた(奪われた)と考えていいのでは?
「北部九州が東遷したから」とか言わないでね。

253 :日本@名無史さん:05/01/04 03:41:28
大和は丹で栄えたとか聞いたような気がしますが
そんなことはないのでしょうか

254 :日本@名無史さん:05/01/04 06:32:57
北部九州が2世紀に東征したことはありえる。

高地性集落の動きがその証拠。

認めないやつはバカ。


255 :日本@名無史さん:05/01/04 09:38:00
>>216

>分業型手工業による工人集団

クニごとに違った輸出品があって、連合国内で補完しあっていたということですね?

まあ、残念ながら、そういう証拠もないですね。
石包丁は、わざわざ輸入しなくてもいい。
土器だってクニに一つくらい工房はあるだろう。
あとは、穀物くらいだが、前スレから言われてるように、
老教授は交易品の中身について具体的な論証が無いので評価しようがない。

生口輸出説のほうが評価できる。




256 :日本@名無史さん:05/01/04 09:50:46
魏に献上された生口は、健康で若くて従順に訓練された人材が集められただろう。
そのへんの浮浪者を寄せ集めたわけじゃあるまい。

つまり、当時の倭国には生口養成所と言うべき施設があったはず。
そこでは、中国語も教えられただろう。
言葉が通じなくては即戦力にならないからね。
当時の生口は相当のエリートだったと言えるだろう。

エリートの下に十倍の生口がいたと思えば、
十分、クニの間で売買の対象になる。
卑弥呼の下にも婢が百人仕えていたのだから、
他の官僚も数人の婢を雇っていたはずだ。
魏志倭人伝の、一夫多妻制のような記述は、そのことを言っていたのだと思われる。

257 :日本@名無史さん:05/01/04 10:51:10
>>254
高地性集落が東征の証拠ねえ。倭国大乱の証拠にはなると思いますが。
馬鹿とか言わずに、>>249の疑問に答えてね。

258 :日本@名無史さん:05/01/04 11:51:02
卑弥呼に仕えていた婢は千人
一緒に埋葬されたのは奴婢百人
婢は奴隷でしょうか
下戸は半奴隷でしょうか



259 :日本@名無史さん:05/01/04 11:55:14
東遷ではなく植民とか入植とかも考えられるのでは


260 :日本@名無史さん:05/01/04 15:35:30
>>256
宦官のようなものかな。
不自由身分というより職業的なものだったと思うが。

261 :日本@名無史さん:05/01/04 18:08:11
>>257
249には何か疑問があるようには読めないが?
ただ、自分が勝手に妄想したことに「なぜ」などと言っているようだがね(←自分で考えろっつーの!)

262 :日本@名無史さん:05/01/04 20:14:14
機内や吉備や東海の連合vs北九州の対決で、連合国側が勝ったというのは分かるが、
その連合で畿内が抜きん出てきて、他を従えた経緯はどうなってんの?
そこら辺が国譲りの神話とかに反映されてるのかな。

263 :日本@名無史さん:05/01/04 20:53:29
>>261
>249には何か疑問があるようには読めないが?

だから、
>もしそうだとしても、なぜ、畿内なんて遠方に本拠地を移すんだよ。
って書いてるだろ。

自分の勝手な妄想って、「統一国家ならまだしも、倭国はまだ緩やかな連合体制であって、
まだまだ政争は何世紀も続いていく」は事実だと思うが。

まあ、人のことを平気でバカとか言う奴に、まともに話をしても無駄か…

264 :日本@名無史さん:05/01/04 21:03:41
まあ、>>243
韓国の学者も否定できなくなっちゃった好太王碑文の
倭人高句麗侵略譚をいまだに「日本軍の改竄」なんて
叫んでいるんだろ。

265 :日本@名無史さん:05/01/04 21:21:12
>>260

転職や休暇の自由は無かっただろうね。
男も結婚の自由は無かっただろう。
去勢は無かっただろう。なぜなら、日本は、馬も去勢する文化が無い。

男は、肉体労働、女は、繁殖用に豪族の王に召されていただろう。



266 :日本@名無史さん:05/01/05 00:15:27
>>263
>おいおい、北部九州が中心になってヤマト朝廷をつくったとでも言いかねない勢いだなw
↑これがおまいの勝手な妄想(決めつけといった方が正しいだろう)で、それに対して
>もしそうだとしても、なぜ、畿内なんて遠方に本拠地を移すんだよ
つまり、この「なぜ」はおまいが自分の作った文に対して聞いているものだ。
自問自答の自答が抜けているわけだよ。

267 :日本@名無史さん:05/01/05 01:03:57
>>266
そういうことなら分かったが、揚げ足取りみたいだな。
不毛な…
お前の自説を具体的に書かないと、話が出来ないだろ。

北部九州とヤマト朝廷成立との関わりについて、お前の意見はどうなんだよ。
北部九州は畿内と対等に連合したって意見か?

268 :日本@名無史さん:05/01/05 01:13:07
北部九州は畿内と連合する意味がない。
むしろ、古墳時代以降、畿内の鉄出土が増加することなどから、
対外交易という既得権益を、畿内に奪われたのではないか、と思われる。

一代率を置かれて、北部九州は監視されていたみたいだし。

269 :日本@名無史さん:05/01/05 01:18:56
百済の王族と親戚関係だった九州国と
新羅と蜜月なため遅れて鉄が入った畿内国が
権力は九州国>畿内国、経済力は畿内国>九州国
だったので不穏な情勢だったと見た。


270 :日本@名無史さん:05/01/05 01:30:32
畿内王権の範囲っていうのは、地理的にはどの辺?
奈良盆地だけ?
どこからどこまでか具体的に決めてほしい
それから、どの辺とどの辺に国があったかも決めてほしい


271 :日本@名無史さん:05/01/05 01:45:28
少なくとも播磨には支配は及ばない

272 :266:05/01/05 01:52:22
>>267
何かやたら絡んでくるが、俺は254じゃないんだぜ



273 :日本@名無史さん:05/01/05 02:26:06
>>266
ひとつ言えることは、
「お前もたまには建設的な意見を書け」ってことだ。

274 :266:05/01/05 02:29:19
>>273
はいはい

275 :九州王朝説:05/01/05 21:10:41
みなさん、もっと語ってください。どうしちゃったんでしょうか?
「老教授 ◆DaLsTNW7DE」氏もお忙しそうですね。

276 :204:05/01/05 22:12:17
三世紀、大和を中心とした王権は存在した。
しかし、それが何故成立しえたのかは、現時点では判らない、ってことでFAかな。

277 :日本@名無史さん:05/01/05 22:15:12
2世紀、東国の生口貿易で、畿内に交易センターが出来、
九州を通じて朝鮮から生口と交換で鉄を買っていた。

3世紀、畿内を中心に連合王国が出来た。それが邪馬台国だった。
生口貿易総元締めの卑弥呼は、生口千人を婢として従えていた。




278 :277:05/01/05 22:18:13
三世紀、大和を中心とした王権は存在した。
それが何故成立しえたか、現時点の最も有力な仮説。



279 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/01/05 22:36:24
>>276
判らないつーか決定打は出てないと言うべきだろうね。
ただしそれを推理するための有力な材料はいくつか報告されている。
ひとつは老教授が言う各地域ブロックごとにおける石器形状の個体特徴の違い。
これによって弥生後期後半の流通ブロックがある程度判明している。
また墳墓建設に必要な土木技術も、時期的勾配が吉備・出雲・讃岐から畿内に向かっていることも大筋判明している。
木造建築技術に関しては今のところ池上曽根と唐古・鍵が中後期あたりには相当な水準にあったことが判っているが
他の地域にどのように波及していったのかは調査待ち。
今後同等の遺構が各地で確認される可能性は十分にある。
これらの技術を有した工人を奴隷と言うよりいわば技術指導者として派遣し、外貨を稼いでいたとの考え方は注目に値する。
もちろん元の知識は渡来人からもたらされたものだろうが、次世代の職人が養成されて各地に伝播したと考えるのは面白い仮設だと思う。
こういった傾向は北九州あたりから始まったものだと思うが
徐々に列島中に広まっていったのではないだろうか。

大和に中心を置いてからの方がその傾向が顕著になることからも
当たらずとも遠からずぐらいには考えられるんだけどね。

280 :日本@名無史さん:05/01/05 23:11:34
記紀に二度登場する国譲りの描写、何を意味するのか?
大国主、大物主、ニギハヤヒ、彼らは何者なのか?
大和朝廷はそれに先立って存在した何かから、王権を譲られてあるいは簒奪して成立したのだろう。
そこにどんな秘密が隠されているのか。

281 :日本@名無史さん:05/01/06 01:37:28
何故、古墳が流行ったのかも気になる
何かメリットがあったのか?
あまりにも数が多いので、人手もあまり掛からず結構簡単に作れたのでは
ないかと思ったりもする


282 :日本@名無史さん:05/01/06 02:49:33
想像で言うけど、死後の霊魂観(特に偉大な人物の霊魂)が
変わってきたんじゃないだろうか?

旧・・・遺体の腐乱から感じとられる穢れ思想(屈葬などもその例)
新・・・供養することで山や丘(や古墳)に棲みつく守護霊思想

簡単かどうかは?

283 :日本@名無史さん:05/01/06 03:00:50
単なる中国の墳墓の影響。

中国の墳墓は、方墳の円墳を築いていらが、
日本では方墳と円墳を並べた。

284 :日本@名無史さん:05/01/06 03:23:40
中国に近い九州が甕棺墓ってのはどうなん

285 :日本@名無史さん:05/01/06 07:54:02
九州の巨大甕棺が、輸出されなかったのは不思議だな。

棺以外に利用価値はあったろうに。


286 :しばらく:05/01/06 19:10:11
>280

>記紀に二度登場する国譲りの描写、何を意味するのか?
>大国主、大物主、ニギハヤヒ、彼らは何者なのか?
>大和朝廷はそれに先立って存在した何かから、王権を譲られてあるいは簒奪して成立したのだろう。
>そこにどんな秘密が隠されているのか。

これって記紀に対るすごい設問。個人的意見に過ぎないのですが言えることは、天孫(邪馬台国がそう
らしい)とは前方後円墳/鏡文化で、地祇とはそれ以外のものだが、出雲系のスサノオ・大国主であり、
天孫に大政奉還したのは大国主。大和を追われて紀州熊野、出雲、関東などに散らばっている。銅鐸
文化時代からの銅鐸文化地方の政治宗教的実権者であった者と考えるのが自然。出雲系というより
大国主系といったほうがいいのかもしれない。(出雲には追放された後で社を建ててもらったんだからね。)
天孫の実態は謎めいている。纒向建設には東海、吉備などが大勢参加しているようであるが、特に吉備の
特殊器台が重要である。一方太陽観測、兵主神社等は辰韓系ではないかと思う。倭人伝には投馬国という
人口の大きな地域を描いているので吉備、播磨、出雲、伯耆、讃岐辺りに渡来人を含む天孫族がいたのでは
ないかと思う。
天孫と地祇の対立は三輪山周辺からの大国主勢力の駆逐であったと思う。天孫が陣取ったのは葛城山系で
尾張もその中にいたのではないか。辰韓系はアメノヒボコとして最終的には出石に安堵された。この辺じゃ
ないかな。タギシミミ事件の示唆するのは九州が纒向建設後真っ先に討たれ他ということと考える。もちろん
三種の神器の一部を奪われたのだろう。こういうことじゃないかな。

287 :しばらく:05/01/06 19:24:51
こういうのも、神武の攻撃の最終ターゲットは三輪山南麓の出雲辺りであること。神武稜の後ろの方の葛城山に
高天原らしき地名が残っていることなどからですが。

288 :しばらく:05/01/06 19:52:53
レッドパージなんていうが、特に見る銅鐸などを作っていた集団を懲罰するために
イザナミがカグツチを生む時の火傷で死んだなどという憲法改正を行いこれを根拠
狗奴国勢力として討伐した。クガミミのツカサの誅殺等は倭人伝にあるクガチヒコ
のことではないかと思う。要するに近江の南で見る銅鐸を作っていた工人の連中が
血祭りにあげられたのが狗奴国の乱と見ている。

289 :日本@名無史さん:05/01/06 20:07:37
>>287
らしき というのはどんなんだ?

290 :しばらく:05/01/06 20:55:07
高間だったかなー。高天原の候補地としては有名でネットをくぐれば出てくるはず。
ごめんね。この程度しか記憶にないんだ。

291 :日本@名無史さん:05/01/06 21:21:54
>>289
金剛山(旧葛城山)は高天山と呼ばれ、
中腹にタカミムスビを祀る高天彦神社がある。
鳥越憲三郎氏は、「葛城山中腹の台地が高天原だった」みたいな説を
唱えていたような…

292 :日本@名無史さん:05/01/06 21:48:12
>>289 だが
>>291の回答はよいとして、>>290の回答はおかしいんじゃないか?
なぜなら、高天原をタカマノハラと読めと言ったのは、本居宣長式の本居宣長
だから、これは江戸時代のことだ。古事記は高天原から推古以前を記述して
いるから、江戸時代にできたようなのと似た「高間」というのは高天原とは
あまり関係がないんじゃないだろうか?高天原はタカアマハラと真は読むそうな。


293 :日本@名無史さん:05/01/06 21:58:32
高天原は壱岐です。

294 :日本@名無史さん:05/01/06 22:21:30
>>284-285
北九州の墓制が甕棺墓から石室に移行したいきさつなんかは
3世紀の全国的な墓制の変化を解き明かす良いヒントになるかも。

共に半島情勢が悪化した時期に当たるし
後の百済や新羅からの渡来人だけでなく
高句麗系の影響も見られると石野博信の本で読んだ覚えがある。

295 :しばらく:05/01/06 22:23:53
会議をするとjころなんだから本当は湯布院温泉とか、食事、宿泊、水の潤沢な
ところがいいと思うんだがね。それとも、下界で審議を尽くし高天原ではしゃんしゃん
の手打ちだけだったのかなー。

296 :日本@名無史さん:05/01/06 22:28:00
高天原の概念は西王母=崑崙が元になってるだけじゃないのかな。
つまり架空の神仙であって、実際の土地に当てはめる必要もないと思う。

297 :日本@名無史さん:05/01/06 22:38:47
高天原を一カ所と思うのがそもそもの間違い。
常に王(皇祖)がいたところが高天原。

298 :日本@名無史さん:05/01/06 23:40:51
夏目漱石の父がよく通った坂は「夏目坂」
天(あま)族が良く展望した高台は「高天原」=壱岐の高台

299 :しばらく:05/01/07 07:12:32
天孫と大国主の交渉におけるタカミムスビ決定はきわめて具体的(書紀の一書)であり、
議会の討議を経ずに出るような代物ではない。すなわちインフラ建設的土木工事、製造
計画(造船)等が含まれている。こうしたことは集団の意思決定でしか出せるものでは
ない。一方、近江の伊勢遺跡などは円形の議会を想起させるし、出雲神社には神々の
会議場がある。いくら神様でも寒風吹きすさぶ阿蘇の草千里とか、可愛山稜のようなと
ころでのまず食わずに集まるわけはない。おそらく、岩戸神事などは伝えられるとおり
ストリップショーなどのアトラクションの入るものであり、相当の出店などもあったのでは
と思う。

300 :しばらく:05/01/07 07:21:16
蒙古においてはクリルタイという合議制度が残っているが、徳川幕府などでも一応
殿中で議論をしている。スイスとかゲルマン民族も直接民主主義につながる会議制度
はあったようだ。こうしたものが否定されるのは中央集権の強い殷商、エジプトなどの
古代奴隷制の影響だろう。日本は早くから民主主義的であった、つまり、中国ほどに
貧富とか身分で差をつける考えはなく、桜の花の下には上下はないといった考えが
古くからあったものと考えている。

301 :しばらく:05/01/07 07:34:26
フツ主などが武力を背景に大国主に譲歩を迫ったところ、国王のところについでに立ち寄るとは何事かとどやされ
すごすごと退散、その後にタカミムスビ案を下げて出直してくる辺りにリアルなネゴシエーションを感じる。まー、
邪馬台国には大国主に代わる政治家はおらず、皆で渡れば怖くないといったのが天孫の実態であったのでは
ないか。当時の日本人と黄巾の乱の時代の中国人との間にさほどの差をつけるべきではないだろう。

302 :日本@名無史さん:05/01/07 07:36:55
…畿内説はうんこだな

303 :しばらく:05/01/07 08:25:39
武士のことをモノノフ、武具のことをエモノなどという。一方物の怪、化け物という怪異
なものもモノという。物部という言葉と大物主という言葉の間にもこの2つの意味がある
ようだ。物部は直接農業生産に従事するのではなく、工業生産でもなく、武具による
警備という第3次産業を意味する言葉であろうと思う。こういうものは武具の渡来の早
かった銅矛圏において誕生したものと見たい。他方化け物のほうであるが銅鐸等の
青銅器自体に超自然的な霊力を感じていた地方の言葉ではなかろうか。そうだと
すれば武具、物部の石上神社と三輪山の大物主とは物は物でも言葉の意味は違う。
武具と神、後には化け物、という風に相当古い昔から分かれてい他のかなーと考える。
言葉を変えると国譲りとは大物主と物部の戦いともいえる。物々しい話だ。

304 :しばらく:05/01/07 08:40:25
北朝鮮のテレビの女性アナウンサーの「大本営発表」というような言い方は日本の
統治時代の考えを脱却していないが、「タカアマガハラ」というようなはったりをかました
発表方式も「大本営」といったように人を脅すのには都合がよかったのかもしれない。

305 :しばらく:05/01/07 08:44:13
ほげほげ「ネッコバッテ」おならコイデウンチもらすんでねーぞなんていうが、
昔の人は腰が座っていたのかね。

306 :しばらく:05/01/07 09:09:30
九州の物部が東遷したような形跡は全くなく、吉備のシャーマンと東海の人夫が作業して
マキムクが作られている。しかし、中国の兵器の神様シユウを祭る兵主神社と関連付けら
れる箸墓が建設されるというのはなぞだ。吉備のシャーマンの傘下にその警備員として
辰韓から渡来したアメノヒボコの第一波があったということを想定してみたい。

307 :しばらく:05/01/07 09:25:15
東海の尾張のヒメを皇后に持つ孝昭はミマツヒコだったはずだが、ミマツとは王室の港
と解釈できるからこれは丹後の宮津の王ではないかな。この辺からは新羅の王になった
人物もでている。浦のシマコという伝説がある。ウラは吉備では首を切られてしまうので
あるが丹後、出石方面では由良川なんて地名もある。籠神社に伝世後漢鏡がある。
帥升(一大卒、ゴンノソチ、卆ヒコに出てくるソチ<ソシ)なる人物も丹後出身じゃないか
思っている。失われた投馬国の重要な一部であったのではなかろうか。海流の関係で
玄界灘の隣は投馬国、その南は大和にセヤタタラヒメなどを出している三島があり、
船旅(水行)では隣接している。

308 :しばらく:05/01/07 09:36:28
倭国王は半島南部に直轄地、王の国、ミマナ任那を保有し鉄資源を占有していた。
その一部が何らかの理由で属民の秦の末裔を率いて帰国したと考えてもいい。

309 :しばらく:05/01/07 10:12:30
阿蘇海、竹野、天の浮橋なんて丹後も九州も共通である。さらに共通しているのは
鉄製品が豊富に出土することである。これは筑紫も丹後も弁秦で鉄を取っていたが
後漢の凋落とともに丹後のほうにウェートが移ったと考えるのが順当だろう。筑紫の
カラユキさんと秦の末裔を連れて帰国してきたのだろうか。

310 :しばらく:05/01/07 10:29:40
王権の移転はヤタの鏡の移転を伴う。すると九州から鏡を受け取っているタラシナカツヒコ
は時代的に怪しい。神功、タケシウチ(筑紫討)共々神武の頃の話でなくてはならない。
カットアンドペースト、コピペの作為が読み取れる。するとタラシとは紫綬を着用する漢に
よって金印を与えられた国王、その遺風が現在の皇室儀礼に残ると考える。

311 :しばらく:05/01/07 10:32:19
そうするとオモイカネの命というのは金印を手にもつ補佐官ということになるが
これはかながね主張しているところである。

312 :しばらく:05/01/07 11:05:20
神功の征韓論に対してタラシナカツヒコ(博多港国王)は熊襲征伐優先を唱えて対立した。
そして最後の奴国王は失脚し、鏡は神功の手に渡り東遷。これを神武の時代にすればよいのだ。

313 :しばらく:05/01/07 11:12:30
妊娠十何ヶ月の女性が魚に担がれて玄界灘を渡り三韓を制圧とか、タケシウチと
不倫をしたとか言うのは社会現象を人格化した古代の表現の理解ができなかった
後世の人の解釈で実話が神話になるプロセスだと思う。だからといって神武の時代
に三韓が倭国によって制圧されていなかったともいえない。

314 :しばらく:05/01/07 11:24:59
古代の女性に長旅はできない。おそらくオキナガタラシヒメというのが最後の
倭の奴の国の女性シャーマン、倭国王でその墓が平原古墳だろう。王権の
レガリアであるヤタの鏡サイズのものが割られて出土している。彼女が
勤めたであろうシカ島の畑からは金印が出土している。


315 :日本@名無史さん:05/01/07 11:26:22
おまいら京大生?

316 :しばらく:05/01/07 11:28:45
近畿に初代王が出現したにせよ時代的にその上限は平原古墳をさかのぼり得ないで
あろう。神武は3世紀初頭の人であろう。

317 :日本@名無史さん:05/01/07 11:32:18
>>316
根拠は何?何を元に発言した?

318 :日本@名無史さん:05/01/07 11:33:39
もしかして、ここが有名な知ったか板か?

319 :しばらく:05/01/07 11:46:29
三種の神器の一つ、ヤタの鏡が九州を出て、大和に到着しないことには天皇になる
資格がないってことだ。まだ神代ってことだね。

320 :しばらく:05/01/07 11:49:26
天皇という表現はやばいなー、まだ女でなくてはトップに立ってない時代だから。

321 :日本@名無史さん:05/01/07 11:49:43
おまいらがいくら討論しようが畿内説は厨説に過ぎないんだが

322 :しばらく:05/01/07 11:56:03
初代の天皇というのは崇神天皇じゃないの?格好がついているし、女性に斎王を
やらせているからね。それ以前の天皇というのは倭国のローカルな国王のうちの
チャンピオンであり、女王の配下にあったと考える。

323 :日本@名無史さん:05/01/07 11:56:35
ピカチュウ!

324 :しばらく:05/01/07 12:01:58
古墳とか鏡には民力というか、労力の目安が入っている。それを統計的に集計すると
倭人伝、記紀とうまく話があっているというだけのことだ。東北地方とかまだ開発の進ん
でいない地方は各所にあり、断言はできないがね。九州だけは可能性は少ないと思う。

325 :しばらく:05/01/07 12:05:55
九州は弥生時代からの最先端地域であり、考古学的研究が進んでいるようだが、
出雲なんかではまだまだ未開の地方が多いということ。

326 :日本@名無史さん:05/01/07 15:03:30
>>325
一度行ってみればお分かり頂けると思いますが、大分県は未だに高速道路などの
計画が進んでおらず、広大な田園風景が広がっています。
開発が進めば、吉野ヶ里あるいは纏向を遙かに凌ぐほどの大遺跡が発見される可能性も
十分にあると考えられています。

327 :しばらく:05/01/07 15:36:08
吉野ヶ里時代のものが出てくる可能性はあるでしょう。九州は先進地ですから。
鹿児島の上野原博物館もすごいものですね。火山灰の下の層の土器なんていうのも
あります。


328 :日本@名無史さん:05/01/07 17:27:19
九州は東側が未開の地になってるからなあ
新幹線や高速道路の整備が進んでない。
首都圏からなら飛行機やカーフェリーがあるからアクセスは早いけど。
江藤隆美にはがんがってもらいたい(もう御隠居?)。
中山成彬でもいいや、ちょっと大分、宮崎の土地をひっくり返してもらいたい。
大変な発見がきっとあるだろう

329 :日本@名無史さん:05/01/07 18:41:59
崇神から世襲化された王朝を
応神がのっとったんだろ

330 :しばらく:05/01/07 18:43:47
吉野ヶ里なんかの古い時代に九州北部を除いて王権はなかったと思い込んでいたら
こんなのがあった↓
http://www.tangoweb.co.jp/johogura/report2001-.html
なかなか立ち上がらないHPではあるが こんなことが書いている:
時代 ‥ 弥生中期中葉〜後半(紀元前100〜紀元後 数10年)
主な出土物 ‥
     方形貼石墓、周溝、管玉(460個以上)、朱(水銀朱)
     竪穴住居跡、環濠、石器、土器、鉄器片、炭化米(35粒以上)
特徴 ‥ 方形墳墓と住居跡が一部重なり合っている
     貼石墓では最大、弥生中期後半の墳墓としても3番目の大きさ
     住居跡から玉・水晶の加工クズが出たのは工房跡と考えられる
     鉄器片・鉄塊の出土は、大陸交易の証左か?
    (弥生中期、鉄の鋳造は中国だけが可能で、周辺国では加工しか出来なかった)

広瀬氏 ― 丹後から弥生中期という最も早い時期の王墓が出たことに驚く。
弥生中期から古墳時代、各王国の経済基盤は米と考えられて来たが、野田
川流域の耕地面積は狭く、丹後の王の経済基盤は鉄の交易だったと考えら
れる。
宇野氏 ― 日吉ヶ丘遺跡は、丹後王墓の形態的な転機である。中国前漢時代
の長安では、墓地に付属して村が造られる「陵邑」があった。日吉ヶ丘遺跡に
見られる墳墓と集落の近接は、中国的な影響を最も強く受けているのでは
ないか。
野島氏 ― 丹後の墳墓は、弥生時代中期以降わずかな間に、丘陵地
(日吉ヶ丘)― 稜線上(入谷西)― 墳丘(赤坂今井)と立地や形態を変えた。
今後は墓地だけでなく、生活遺跡の解明に期待する。」
この辺に有力者がいたとすると海部氏の「勘注系図」をマジで検討しなくては
ならない。神武東遷はなくなり、倭スクネの南遷に御宗旨を変えなくてはなら
なくなる。そうするとヤタの鏡はどんな経路で朝廷に入ったのかな?

331 :しばらく:05/01/07 19:04:48
勘注系図では第10世ヤマトトトヒメ=オオヤマトヒメであり、これは卑弥呼だろう。

332 :しばらく:05/01/07 19:41:56
丹波は言われるようにタニワではなく、新羅も「タナバ」と聞き、魏使が「トウマ」と
聞いたように倭人によって呼ばれていたのだろう。トウマ国とは丹波国ではないか。
播磨ではなく京都府のようなものであったのではなかろうか。日本は京都に始まり
奈良に移り、京都に帰り、江戸に移った。宮津の意味は都の港でなかったのか。

333 :日本@名無しさん:05/01/07 21:53:28
82 名前: ずっとROMってた日和見 投稿日: 05/01/01 22:10:17
畿内説専用スレなのにご覧の通り
九州説らしき荒らしが跋扈し、スレ汚しに余念がない。

対して九州説専用となったスレでは、畿内説の荒らしが見当たらない。
既存の2つもPART16も…

どちらの説が正しいかは別にして
人間の屑がどちらの説に多いのかは十分理解した。

そう言えばきちんと根拠を示して仮設提示していたのは
畿内説に限られていたっけ…
それが正しいのかどうかは知らんが
少なくとも人間的には畿内説論者のほうがはるかに上だな。

↑ こんなこと言って勝手にスレタイまで変えてからに・・・。
九州スレきっちり読んでから言えよな。ここ(つうかなったのかスレ)と同時に粘着が涌いてた
つうの。そんな風に捏造する奴が最も悪質なスレ汚しではないのかな?

334 :日本@名無史さん:05/01/08 00:29:38
>>333
もうとっくに荒らし認定されてるよ↓


93 日本@名無史さん sage 05/01/01 23:36:42
>ずっとROMってた日和見
いやね、君もその荒らしの中の一人な訳だが



335 :日本@名無史さん:05/01/08 02:03:09
丹波=投馬国

投馬国から、水行十日陸行一月で邪馬台国だから、
今で言うと、やっぱり考古学的・地政学的にも濃尾平野に邪馬台国があったと見るべきか。


336 :日本@名無史さん:05/01/08 03:41:43
投馬=丹波なら、なぜ途中にあっただろう出雲王国の記載がないのか疑問。
日本海ルートはいいとして、やっぱり投馬=出雲と考えた方が、
「水行十日陸行一月」の説明にはいいように思う。

邪馬台国=倭国連合(畿内、吉備、東海、丹波、北陸の大同団結)だと見れば、
宮津か小浜あたりで上陸、陸行一月で、女王国=畿内に至ると。

なぜ、一般的な瀬戸内海航路を利用できなかったかと言えば、
恐らく、狗奴国(熊野)との対立が表面化したため。
紀州水軍により一時的に大阪湾近海の制海権を押さえられたからであろう。

337 :日本@名無史さん:05/01/08 03:48:45
邪馬台国が奈良盆地だとすると、
丹波から奈良盆地へ行くのに、「水行十日陸行一月」はおかしい。
投馬国が日本海ルートで、邪馬台国が瀬戸内海ルートというのもおかしい。

日本海ルートで、水行二十日→投馬国(丹波)
投馬国(丹波)から、水行十日陸行一月→邪馬台国(濃尾平野)

いわゆる放射状説は、成り立たない。
中国人学者が否定している。



338 :日本@名無史さん:05/01/08 03:54:03
>邪馬台国が奈良盆地だとすると、
>丹波から奈良盆地へ行くのに、「水行十日陸行一月」はおかしい。

いや、だから、投馬=丹波という前提がどうなのか、と。
投馬=出雲と見れば、奈良盆地でもおかしくないだろう。

339 :日本@名無史さん:05/01/08 03:55:45
なぜ出雲が投馬国でないかといと、
「いづも」は、古代でも「いづも」という発音だったわけで、
「投馬(とま)」では、語頭の「い」を聞き逃したことになる。
倭人伝に出てくる他の国の地名ではそのような取りこぼしは無い。

考古学的に、出雲には大きな王国を匂わす遺跡は無い。
3世紀の当時は、ただの小国のひとつだった。


340 :日本@名無史さん:05/01/08 04:05:02
>>339
四隅突出型古墳とか、荒神谷、加茂岩倉遺跡とか知りません?

341 :日本@名無史さん:05/01/08 04:09:55
ちなみに、「丹波」の発音は古代では「たんば・たにわ」ではなく、
「たば・とば」だったろう。「とば=投馬」。

「やわらか」が「やんわり」
「たまる」が「たんまり」となったように、
「たば」が「たんば」になった。
日本語ではよくある変化形である。


342 :日本@名無史さん:05/01/08 04:13:40
では、「邪馬台国」は、実際にどういう発音だったのか?

「馬」は「ば」の音を写していたのだから、
「やばたい」だったはずだ。

そして、尾張には「矢場(やば)」という地名がある。


343 :日本@名無史さん:05/01/08 04:25:33
>>339
基本的なことを言えば、3世紀当時、出雲地方が本当にイヅモと呼ばれていたのかどうか
が分からない。
むしろ、出雲国造家が出雲一国を支配するに至った時に、出雲国と称するようになったと
一般的には解釈されている。

地名からの類推は、老婆心ながら、止めておいた方がいいと思うよ。

344 :日本@名無史さん:05/01/08 04:32:32
ttp://inoues.net/ruins/asahi_iseki.html

朝日遺跡からは、環濠集落、ト占の骨などが見つかっている。
邪馬台国を推定するのに十分な証拠がある。

345 :日本@名無史さん:05/01/08 04:44:32
>>343

すると、貴方は、魏志倭人伝の主要国の中で、
出雲だけが「トマ」から「イツモ」に音が変わったと言うのかな?

ツシマ・イキ・マツラ・イト・ナ(那の津)・フミ(宇美)は、同じ地名を残しているのに?

投馬(タバ)=丹波(タンバ)(古代の日本語は「ン」が無い)
邪馬(ヤバ)台国=矢場(ヤバ)(濃尾平野)


>地名からの類推は、老婆心ながら、止めておいた方がいいと思うよ。
どのみち、「投馬=出雲」も成り立たないわけだが。

346 :日本@名無史さん:05/01/08 04:53:15
九州説ではないが、出雲=投馬と考えるくらいなら、

薩摩=投馬としたほうが音韻が近い。

347 :日本@名無史さん:05/01/08 05:21:53
>>345
>どのみち、「投馬=出雲」も成り立たないわけだが。
音韻以外の根拠を言ってみて。

>ツシマ・イキ・マツラ・イト・ナ(那の津)・フミ(宇美)は、
>同じ地名を残しているのに?
まあ、倭人伝の地名は他にも記載されてるけど、それは無視?
その多くは現在失われていると思うけどね。

地名からの類推は、牽強付会、自説の都合のいいようにどうとでも解釈できる。
まあ、邪馬台国までの行程解釈自体がそうなんだけど。

地名の類似自体は根拠とはならないよ。せいぜい自説の補強材料くらいかな。
不毛な言葉遊びは止すようにw

348 :日本@名無史さん:05/01/08 06:10:17
よほど悔しいらしいが、投馬国は丹波に間違いないよ。

349 :日本@名無史さん:05/01/08 07:39:39
大分にはそのものズバリ「耶馬渓」とか「本耶馬渓」とかあるよ






でも違うわな。不毛だわ、こんなの


350 :日本@名無史さん:05/01/08 07:52:48
地名で語呂合わせしてるわけじゃなくて、
丹波には巨大集落遺跡があるし、豪族もいたし、
記紀神話でも朝廷と縁が深い。

出雲はショボイ。
大分はいわずもがな。

351 :日本@名無史さん:05/01/08 08:12:41
投馬国は海沿いだろうから出雲では?
丹波は山の中だし。

352 :日本@名無史さん:05/01/08 08:28:31
>>350
そうそう、地名はあくまで補足的資料であって、
地名を主な根拠に、論を組み立てられると、読んでいて
おいおいと思ってしまう。

以後、そのあたりを気をつけるように。

353 :しばらく:05/01/08 08:33:31
出雲は三角縁神獣鏡時代だと4-5枚程度の地方。ところが荒神谷や賀茂
遺跡の銅剣、銅鐸は日本一というように邪馬台国時代に冷や飯を食らわ
されている。出雲に隣接するムギバンダという遺跡は出雲より古いようだが
途中で切れている。一方出雲は大国主命の左遷先、流刑地的な認識がある。
反面スサノオ、大国主命の神社は全国的にある。また最古の四隅突出墳がある。
島根半島は古代島であったといわれるがその北部にはなぞの金属加工
渡来人遺跡があるし、加賀の潜戸等がある。ということでなんだかよくわからない
が邪馬台国には縁の薄い感じがする。狗奴国の秘密司令部かな。

354 :しばらく:05/01/08 09:05:26
ヒミコに擬されるヤマトトトビモモソヒメのあとハツクニシラススメラミコトとなった
ミマキキイリヒコは出雲に隠匿された神宝を見たいという。このとき丹波の有力者から
イクメイリヒコに夢のお告げの形で「あれは出雲族の宝で沢(荒神谷の所在地)に埋ま
っているがこれを供出せよとすると大きな政治問題になるのでおよしなさい」とたしな
まれる。さすがは初代天皇、荒神谷の周辺に国費を投じ神社を建設する。初代天皇の
大物政治家の実存を感じさせられるとともに、大和から追放されたものではなく本来的
に邪馬台国時代に出雲に出雲族がいたのではないかと思わせる。崇神が丹後族である
事も示唆されている。

355 :しばらく:05/01/08 09:10:48
このことからして投馬国とは丹波乃至は但馬に近いものであろうが、政治的に
九州、尾張方面とともに丹波、但馬、吉備政権に対して野党に回っていた駒奴国
勢力の一部である出雲は魏使の来朝時に意図的にスキップされたと見てもお
かしくはない。

356 :しばらく:05/01/08 09:20:37
狗奴国というのがよくでていなくてスマソ。ところで今も「タンタン」道路とか言う
標識があったような記憶があるが、丹波と但馬が古来合併していたような名前が
「投馬」であると思うと不思議な感じがする。現在の行政改革は復古主義なんかね。

357 :しばらく:05/01/08 09:28:06
イクメイリヒコは「新しい形の御公務」を勤めていたと見るより、倭人伝の伝える「イキマ」
として「ミマカキ」と合議制で政権の座にあったと見たいのだがね。

358 :しばらく:05/01/08 10:09:26
ついてだが「ミマシ」は広辞苑に「み‐まし【御席・御座】
天皇または貴人の御座所。また、その座に敷くもの。
おまし。神代紀上「新宮(ニイナエノミヤ)の―の下に」という
解釈がついている。「ナカテ」というのは痴呆老人の介護
でもやっていたのかな。

359 :日本@名無史さん:05/01/08 10:12:04
出雲には農地が無いから王国は作れないんだよねえ。
どちらかといえば、辺境だろうな。
オオクニヌシは左遷されたと見るべきだね。

360 :しばらく:05/01/08 10:13:35
広辞苑にはこんなのもある↓

「みず‐がき【瑞垣・瑞籬・水垣】ミヅ‥
神霊の宿る山・森などの周囲に木をめぐらした垣。
また広く、神社の周囲の垣。たまがき。いが
き。→〓―‐の【瑞垣の】ミヅ‥」

361 :日本@名無史さん:05/01/08 10:25:24
「ミマカキ」とは。「御御垣」のことです。
「カキ」とは、物を立てて防衛することを表す言葉で、「人垣」と同じ意味。
「ミマカキ=防人」と同じ意味で、尊称を重ねてることから、位の高い防衛長官でしょう。
「ミミナリ」も、「御御成」のことで、位の高い豪族の長を表す言葉です。

362 :日本@名無史さん:05/01/08 10:36:16
ミマカキ・ミミナリともに、投馬国に置かれた長官です。
邪馬台国の盾(垣)として防衛を担っていたわけで、
丹波は、首都を防衛するのに丁度よい。
出雲ではダメなんです。


363 :しばらく:05/01/08 11:00:58
終戦前、二宮金次郎、楠正成の銅像、鉄製品がなくなり、砲弾、弾丸、銃砲
に姿を買え、戦後には電力網再編に不可欠な銅が不足しカネヘンブームがあった。
銅鐸、銅剣の秘匿又は国家備蓄の積上げにも同様の動機があったのではと考える。
つまり邪馬台国構想とは鏡の独占配分による国家支配であった。銅の国家独占に
違反するカグツチの神の生産活動は最も厳しく処断されるべき原罪であった。
国家運営の大義からこのことは成文化される必要があった。各地の青銅製品は
隠匿されるとともに邪馬台国に対する根強いレジスタンスとなった。その最先端は
出雲であった。出雲の神は追放されるべき邪教に落としいれ変わりに天照が
最高神とされた。しかし世論には勝てず伊勢に左遷の運命となった。こうじゃないかな。


364 :しばらく:05/01/08 11:05:46
ハツクニシラススメラミコトはその辺のことはお見通しであった。星霜幾百年奈良の都に
東大寺の大仏を建立するという大義の下に往古の夢は平和を祈願する仏や鐘に姿を変
えた。祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。・・・ゴーン(サッカーじゃないよ)。

365 :しばらく:05/01/08 11:12:17
ハツクニシラススメラミコト「出雲が隠すならそれを守らしめよ。
出雲とてわが国のうちじゃ。」崇神は神になりつつあった。

366 :日本@名無史さん:05/01/08 11:15:54
宇摩志麻治命の銅像は戦中にも供出されずの残ったらしいんですが、
www.h4.dion.ne.jp/~munyu/umasizou.htm
銅鐸銅剣には隠匿されずに伝世したものは無いんでしょうか。

367 :しばらく:05/01/08 11:26:05
出雲の荒神谷遺跡の表土はヒミコの没年の頃強烈な炎の焚き火が行われた
形跡があるという。「地に眠る出雲の神々よ、汝らの時代来たれり。」こういった
歌声が伝わってくる。

368 :日本@名無史さん:05/01/08 11:32:15
地名は為政者の都合で変えられる事が多いからあてにはならない。

江戸なんて地名は江戸じゃない所に残っている。

369 :しばらく:05/01/08 11:36:28
ニギハヤヒは丹後のホアカリが河内で全国制覇をしていた頃の別名というのが
勘注系図からの説明のようです。ウマシマジはその頃の現地妻との子供らしい。
ウマイ話だなー。

370 :しばらく:05/01/08 11:39:41
というのも倭人伝では奴の官、県主だったか「ニキ」というのがあり、ニニギを含め
きわめて九州的なんだな。

371 :日本@名無史さん:05/01/08 11:47:38
一大率=伊都国の官ニキ=降臨前の饒速日

372 :しばらく:05/01/08 11:49:14
あの頃の系統図なんていうのは万世一系の思想なんかなくパソコンのレジストリー
といったもので九州の大物が大阪に来ればそれは野球殿堂入り的感覚で系統を
作っていた。相撲や野球での歴代優勝者、チャンピオンリストでなかったのかと
疑ってみる必要もあるかと。

373 :日本@名無史さん:05/01/08 12:08:50
「ニキ」というのは「ニギミタマ(和魂)・アラミタマ(荒魂)」の「ニキ」と同じ意味です。
荒々しい性質で無いもの、「豊穣」を意味する有り難い言葉です。
「ニニギ・ニギハヤヒ」の「ニギ」も同じ語源です。

「ニキ」とは、豊穣を意味すること、つまり大農園を持っていた豪族の名前です。
農作地に適した平野を中心に作られたクニの王と思われます。


374 :しばらく:05/01/08 12:21:37
ミマ=王室の
ミマナ=王室直轄領
ミマシ=玉座(女王)補佐官
ナカテ=最高行政官
ミマ垣=国防大臣・近衛師団長
イキマ=ミスター・イキマ(これクイズ、イケメンの男で、女王の相談役?ウッソー)

375 :しばらく:05/01/08 12:40:11
「邪馬台国タイムス」某・某・某年月日
政府は昨今の巻向への各地の人々の集中に伴う性犯罪、偽造通貨事件、寄生虫
(マジ)の発生等にかんがみ、都の盆地西北部「イキマ」への移転を検討中であり、
新都建設担当大臣を任命した。今後のオオヤマトにおける古墳建設も今後30年
以内に禁止し、新しい古墳は沙紀盾波方面とするように施行令が発布された。

376 :しばらく:05/01/08 14:07:35
奴国のニキであるが、狗奴国、邪馬台国のような独立国の要件を
和(ニキ) 
幸(サチ) 生命保護幸せ/ ローカルな宗教
奇(クシ) 霊妙不可思議/ 青銅器土器古墳等を除くその他物品役務ローカルな製造、
実施
荒(アラ) 進取、動的/ 収税 高倉持 海運 防人 物部 
からなるものとして、このうちの最後の荒の権限を中央政府に取り上げられては
いるものの、ニキのローカルな権限だけ残されたものという行政用語である可能性
がある。奴国は九州王国、古代倭国の首府であったからでしょう。そしてニギハヤヒ
ニニギなどの神名との関係は全くないとも考えられる。

377 :日本@名無史さん:05/01/08 14:35:42
しばらく、って言うのが出てからまともな意見は無くなったな。


知ったかぶりで、間違い多いし。



378 :日本@名無史さん:05/01/08 15:31:33
コテハン叩きは荒しと同じ。

379 :日本@名無史さん:05/01/08 22:08:23
↑コテハンにもよるわなー
独りよがりの誰も読まない文章を延々とうpし続けるのは、荒らしとは言わんのか?

誰も同調も突っ込みも入れずに放置している状況に
心が病んでいるのでなければ気づいて欲しいものだ。
つーか普通に空気嫁。

380 :日本@名無史さん:05/01/08 23:47:18
畿内って一括りにされている事が多いけど、
実際、奈良盆地には大和、馬見、佐紀盾列の三古墳群があり、それぞれが大王を
輩出する豪族であっただろうし、大和川水系以外でも、淀川水系や紀ノ川水系
にも王権は発生していたと思う。

大和川水系と淀川水系は山辺の道で結ばれていて、両勢力の緩衝地帯である神南備・
御諸山(三輪山)に王都マキムクが建設された。
これら畿内の豪族と吉備の豪族が共立したのが卑弥呼であったのだろう。
畿内・吉備の豪族は持ち回りで大王を出していたのだが、後世、応神が大王位を
独占するに至り、皇別氏族とされ、臣というカバネが与えられた。

381 :日本@名無史さん:05/01/08 23:48:36
皆、おおむね同意してるからだろう。


382 :日本@名無史さん:05/01/09 00:28:22
してねーだろw
まあツッコミいれとくか

しばらく氏の元ネタは関裕二の一連の本だろう
残念だが彼自身が自分の著作内容を信じちゃいないのだ
本質的な彼の主張は寺沢畿内説そのものなのだが
それでは出版社がOK出さないので
その時々によって出雲や九州を絡めているといったところ

結構マメなひとらしく、よく埋文関係に取材に来るが
そのときに愚痴としてそういう話を聞いた。
だからといって関氏を責めるつもりはないよ
出版業界も大変だなと思っただけでね。

383 :日本@名無史さん:05/01/09 00:55:28
関裕二氏に失礼なこと言うな。

「自分は九州説の本を書いてるんですが、取材させてください。」
「自分は畿内説なんですが、出版の事情で九州説も絡めないといけないんです。」

どっちが、取材しやすいかと考えれば後者だろう。



384 :日本@名無史さん:05/01/09 01:09:46
関氏って畿内説なのか?
「検証 邪馬台国論争」の206ページに
「筆者は邪馬台国は北部九州の福岡県山門郡の周辺にあったと考えている」
とはっきり書かれているが。

385 :日本@名無史さん:05/01/09 01:12:18
失礼ってアンタ、関氏の著作をちゃんと読んでるの?
氏は決して九州説ではないよ、強いて言うなら大和岩雄氏と同じ二都説であって
トヨの頃に九州邪馬台国と畿内ヤマトが連合したというのが著作での趣旨。

取材しやすい云々は素人考え。
どんな説の持ち主でもちゃんとした手続きを取ればきちんと答えるし
その後著作が送られてくるのだから、何を書いたのかも一目瞭然。
もちろんこちらも礼状と簡単な感想を添えて返信する。

必要以上のヨイショはかえって氏に迷惑ではないかな。
「ボクの論文を読んでください!」なんて痛い読者も多いそうなので、迷惑だけは掛けないでね。

386 :日本@名無史さん:05/01/09 01:19:33
>>383
382氏は、取材のしやすさではなく、出版のしやすさについて
述べていると思われ。
382氏は、どっかの史跡関係者か役所の文化財担当者みたいだね。

387 :日本@名無史さん:05/01/09 01:55:28
>>385
>トヨの頃に九州邪馬台国と畿内ヤマトが連合したというのが著作での趣旨。

なんだデンパか。

1、九州勢力が畿内と連合する意味は無い。
2、トヨの頃に九州勢力が畿内と連合したような考古学上の証拠は無い。
3、畿内中心の銅鐸祭祀が神道の起源。九州は銅鐸文化圏ではない。

トヨの頃に、九州邪馬台国が畿内大和連合に滅ぼされたと言うなら支持してもいい。



388 :日本@名無史さん:05/01/09 07:11:24
老教授カムバック希望…
教授以外のちゃんとした人たちも帰ってきてほしい…

でもこんな状態ではまともな人はもう来てくれないかも知れない…
2ちゃんの邪馬台国スレを覗くのもそろそろ潮時か…


389 :しばらく:05/01/09 08:00:55
邪馬台国を纒向に同期であり、同一場所とする点で本スレの趣旨に沿い、またそれが自然な考えと思う。しかし、銅鏡を
分配し集中管理するシステムの構想は寺沢氏が克明に描く九州北部で成立したものだないかと思う。このシステムの東遷
について同じ寺沢氏の王権誕生を見ていると平原、西谷、楯築、ホケノ山、箸墓などという風に移るのではないかと思われる。
神武のスレでこういうことの鍵はないかと模索してみたが、神武という存在はイスケヨリヒメのアイシャドウのようなものだ。
美人コンテスト、神婚のために必要な当て馬のようなものではないかとの気がする。また脱線が始まったので、元に戻すと
何故銅鐸では国土統一はできず銅鏡が古墳建設になるのかを考えるとそこには太陽光線、月光光線に被爆するものには
租庸調の義務があるという発想がある。アマテラスは左遷されたのではなく、東国からの租庸調の確保のためアクセスしやすい
場所に意図的に配置されたのだろう。浦和市の、ゴメソ、さいたま市の調神社に鳥居がないのは関東甲信越国税局であり、
米の取れない麻布、調布などからは布を納めさせたのではないか。いつもながら、間違い多く、知ったかぶりで恐縮であるが
またいっちゃった。

390 :しばらく:05/01/09 08:08:31
ローマ帝国は増税反対の衆愚で滅びたのだろうが、大和の国は歳入確保策で誕生した。

391 :しばらく:05/01/09 08:21:52
丹波出身新羅脱解王が倭国との国交を深める頃に奴国王に金印が渡されるのは偶然か。九州と近畿のつながりはこの時点
とこれら地方に求められるべきではないのか。丹後の宮津に阿蘇海があり、竹野姫がいるのはなぜか。筑紫の磐井が叫ぶ
近江ケヌとは昔同じ釜の飯を食ったというのは三韓での共同産鉄事業への参加ではないのかと思う。磐井とはヤイミミ、ヤマイ
ヤイと関連する言葉のような気がする。ほかのスレで勉強させてもらうかもしれない。

392 :日本@名無史さん:05/01/09 10:26:22
>>385-386
物部氏と蘇我氏の同族説みたいな突飛なこと言ってるのも、
消費者の目を引いて本を売るためのものなんだよね。結局。

393 :日本@名無史さん:05/01/09 11:12:19
邪馬台国が畿内でしかも後のヤマト朝廷だとしたら、クナ国というのはどこに当たるの?
すでにその当時に北九州さえ押さえ込んでるほどの連合国家を、ただ一国で苦戦させるような
大国ってどこなんだろうか?


394 :日本@名無史さん:05/01/09 11:25:43
東海なんだろう。畿内説では南→東だから

395 :日本@名無史さん:05/01/09 12:09:52
>>394
前方後方墳(東海)vs前方後円墳(畿内)ってことか

396 :日本@名無史さん:05/01/09 12:50:56
携帯電話は通話中だけでなく待機中も、位置情報を近くの中継基地局と交換するため、
電磁波を出している。

(朝日新聞 2002/06/03)


397 :日本@名無史さん:05/01/09 13:44:28
>>394
いや毛野国ですよ。群馬栃木。

398 :日本@名無史さん:05/01/09 15:41:17
邪馬台国って畿内説では確か桜井の箸墓古墳の周辺という説が高いんだよね。

399 :日本@名無史さん:05/01/09 17:53:50
>>393
狗奴国=紀ノ国だろう。
日前国懸神宮を祀る紀氏は、水軍を率いて瀬戸内海の制海権を握り、
やむなく、ヤマト政権は日本海経由で魏使を迎えた。

紀国造家は出雲国造家と同じく、代替わりの時、朝廷に呼び出されていたみたいだし、
かなり警戒されていたと思われる。

400 :日本@名無史さん:05/01/09 19:42:15
紀氏が瀬戸内を抑えるのは、5世紀の対朝鮮軍事のときじゃね?
雄略紀に紀小弓の話とか載ってるよ。

401 :日本@名無史さん:05/01/09 19:55:39
畿内説専用にしたら、九州説がいたとき以上に電波なスレになりはてたな。
責任とってなんとかしろや、スレ立てしたヤツ。

402 :日本@名無史さん:05/01/09 20:14:00
もう、老教授は、戻ってこないと思う。
教授説は、それなりに可能性のある話なんだが、如何せん論証可能なものでは無いからね。
これ以上、ここで持論を披露してても、弱点攻撃への対応に窮するだけだと考えたのでしょう。
スレタイは「老教授の話を素直に拝聴するスレ」とかにしとけば良かったね。
やはり、「議論をする」となれば、不明な点について追及しない訳にはいかなかったからね。

403 :日本@名無史さん:05/01/09 22:35:19
関裕二って単なるアマチュアじゃないの。
詐欺師古田とかわらんじゃん。



404 :日本@名無史さん:05/01/09 23:07:22
詐欺師は橿研でしょ。

405 :日本@名無史さん:05/01/09 23:26:39
村上恭道の本も読んでない奴が老「教授」とは笑えるねえ。

406 :日本@名無史さん:05/01/09 23:28:55
>384
九州説は、基本的に素人電波向けだから。


407 :日本@名無史さん:05/01/09 23:29:19
見方によっては、クナ国が南九州だとしたら、クナ国が大和朝廷の前身で
、大和にあった邪馬台国を滅ぼし乗っ取った可能性もあるかも。

で、イト国はクナ国を監視するために一大卒を置かれていたのかも。

408 :日本@名無史さん:05/01/09 23:31:04
>>400
5世紀はいくらなんでも言い過ぎだろう。

応神東征の時、紀州水軍を率いた武内宿禰が寝返り、大王位簒奪の協力をした
のが4世紀末。葛城に馬見古墳群が築かれるのも、この頃。
これは神武東征の時、紀の国の豪族が馳せ参じ協力したのと、似通っている。

409 :日本@名無史さん:05/01/09 23:34:36
老教授の「畿内の鉄は溶けた」という今から見るとかなりトンデモな説は
昔はかなりまともに議論されていた説だよね。

今では九州説と一緒に学問史の世界に消えたけど。

410 :日本@名無史さん:05/01/09 23:44:04
このスレッドには小林恵子と某国工作員、西都厨=古田信者=アズマ
の立ち入りを禁止します。

(西都厨=古田信者=アズマ隔離スレッド)
九州王朝はなかったのか?※ 9
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257

(小林恵子と某国工作員隔離スレッド)
【古代史電波】小林恵子の妄想を語ろう
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087908201/l50
朝鮮人が日本を作った可能性は
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1057493325/l50














411 :日本@名無史さん:05/01/09 23:46:22
紀州水軍なくして、3世紀ヤマト政権の瀬戸内海制覇はあり得ない。

そして、4世紀末、畿内王権を裏切り筑紫と手を結んだ紀州水軍が
畿内に攻め上り、河内王朝が生まれた。
高句麗南下による半島情勢の激化がトリガーとなったのであろう。

412 :日本@名無史さん:05/01/09 23:54:11
九州王朝説ってどうなんですか。
評価を教えて下さい。

413 :日本@名無史さん:05/01/09 23:55:33
畿内説非隔離まではしない。

414 :日本@名無史さん:05/01/10 00:21:05
3世紀初め、淀川水系豪族の奈良盆地侵攻により、葛城王朝は紀の国に逃れた。
記紀における開化天皇の時である。

葛城王朝は銅鐸をレガリアとした呪術王朝であったため、
紀の国では比較的後代まで銅鐸祭祀が受け継がれた。

415 :日本@名無史さん:05/01/10 00:26:21
>>402

老教授の話を素直に拝聴したいのは、おまえ一人だろ。

416 :日本@名無史さん:05/01/10 00:27:13
紀の国は古くより、太陽神信仰が盛んであったと思われる。
日前神宮では日像鏡(アマテラス)が祀られ、熊野の神使は三足烏である。
カラス=太陽の黒点のことであるらしく、洋の東西を問わず、
太陽神の使いはカラスであると相場が決まっている。

417 :日本@名無史さん:05/01/10 00:27:43
>>412
スレ違い。九州王朝スレは別にあるからそっちに行くべし。

418 :日本@名無史さん:05/01/10 00:36:19
>>412
そういう言い方はどうかな?
それぞれの専用・隔離スレに入れば、その説に有利なことばかり持ち寄って
結局は自己満足で終わる。
切磋琢磨なんてあったもんじゃないし、正当な評価もなされない。
だから412はこっちに評価を求めたのでは?
しかし、門前払いならこのスレも終わりだね。
結局ここも隔離スレにすぎないってこと。

419 :日本@名無史さん:05/01/10 00:51:23
>>418

同じ畿内説でも、王権の成り立ち過程を探ろうとすれば、
畿内に鉄があったか無かったか、
どちらの前提を取るかでも違ってくる。

考古学的物証に従えば、「畿内に鉄は無い」という前提で論ずるべきだが、
老教授は何を血迷ったか、「鉄は溶けて消えた」などと主張している。
そこが反発の要因なんだよ。




420 :日本@名無史さん:05/01/10 00:56:07
>>415
氏が九州説・畿内説を問わずに支持されたのは
その豊富な知識もさることながら、やはり「人格」の面じゃないのか。
確かに鉄の件については賛同しにくいし、氏の説もこれ以上証明不可能なのだが
少なくとも質問に真摯に答える律儀さと、スレ正常化を第一に考えた態度は立派だよ。
だからこそ多くの人から立場を超えて好かれたのだろうし
良スレ化の最大の功労者であったことには異存はないだろう?

氏を必要以上に叩いて貶めようとする意図がよく判らん。
いわゆる「誰からも好かれる人」に嫉妬しているのではと勘ぐられても仕方あるまい。

421 :重複:05/01/10 00:59:53
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50

422 :日本@名無史さん:05/01/10 01:02:02
人柄が良ければ事実を捻じ曲げて良いとは言えない。




423 :418:05/01/10 01:09:50
>>412 ではなく>>417ね。

419は俺に絡んでいるのか?
俺もあんたの言い方はまずいと思うぞ。
論否定と人格否定は別物だろ。
「血迷った」なんて言い方はよくないだろ。

424 :日本@名無史さん:05/01/10 01:13:56
>>422 名無しで"事実"とか"捻じ曲げて"なんて書いても説得力がない。
かなり前から言われていることだが、コテにして持説をまとめたらどうだい。
君の言いたいことは分かるのだが
執拗な粘着を繰り返すだけでは誰も君を支持してはくれないだろうから。

ところで>>418-420のアンカー先と議論が噛み合ってないような気がするが
CGIに不備でもあったのかな。

425 :日本@名無史さん:05/01/10 01:40:41
>>424
自説をまとめろ?

老教授みたいな強引なまとめかたするくらいなら、しないほうがマシだ。

現時点では「わからない」が正しい認識なんだよ。

426 :日本@名無史さん:05/01/10 01:50:12
>>425
他人の説を執拗に貶めておきながら、
反論が怖いから自説も述べず、コテハンにもならない。

人間として最低の部類に属するな。

427 :日本@名無史さん:05/01/10 01:56:00
>>426

他人の太鼓持ちになるよりは、批判精神を持ちつつ、真実を探りたいね。


428 :日本@名無史さん:05/01/10 01:59:34
>>426

前スレで老教授がほざいた「原始共産制」も、
批判があったからこそ、本人自ら間違いを認めたということも忘れるなよ。


429 :日本@名無史さん:05/01/10 02:00:03
>>425
「わからない」…ナルホドそれは正しい見方かもしれない。
だがそれなら君は何をしにここに来ているのだ?
コテハンを叩くのが目的かい?君がスレ自浄に何か貢献したか?
君のやっていることは指摘でもツッコミでもなくて「茶々を入れている」に過ぎない。
しかも他の参加者が顔をしかめるような口汚い言葉でね。

邪馬台国やら古代史についてより、まず礼儀を学んでほしい。
はっきり断罪しよう。今の君は「荒らし」そのものだ、しかも相当たちの悪い。

430 :日本@名無史さん:05/01/10 02:07:01
>>427
>他人の太鼓持ちになるよりは、批判精神を持ちつつ、真実を探りたいね。

真実なあ。
偉そうに言う前に、コテハン化したら?

431 :日本@名無史さん:05/01/10 02:07:44
>>429

まだわからないのか?
誰かが老教授の唱えた「原始共産制」を否定しなければ、
老教授は調子に乗って強弁を続けただろう。
そして、畿内説は捻じ曲げられていっただろう。
おまえが畿内論者なら、俺に感謝すべきだな。

おまえは、「原始共産制」を真に受けたのか?
疑ったなら、そのことを指摘したのか?



432 :日本@名無史さん:05/01/10 02:07:50
>>428
あんたもちょっと形の違う老教授マニアみたいだなw
しかし老教授が間違いを認めたのは君の手柄じゃないぞw
あんたはそれほどたいした存在じゃないw
漏れもあんたのこと荒らしだと思ってるよ、あんたに自覚は無いみたいだがねw
思い知ったらそろそろ消えてくれないか、あんたは本気でウザイ。

433 :日本@名無史さん:05/01/10 02:08:16
>>427

批判精神というより、狭量、嫉妬心と言った方が近いと思うが。

434 :日本@名無史さん:05/01/10 02:11:09
俺に噛み付く前に、まともな批判精神を持つべきだね。


おまえは、「原始共産制」を真に受けたのか?
疑ったなら、そのことを指摘したのか?

答えられまい。



435 :日本@名無史さん:05/01/10 02:13:53
>おまえが畿内論者なら、俺に感謝すべきだな

や は り ま と も な 精 神 の 持 ち 主 で は な い な

おまえが指摘したって証拠はどこにある?
名無しで何言ってんだか。
おまえがいなくても、いやおまえがいなくなれば議論は正常化する。
だから安心して消えてくれや。

436 :日本@名無史さん:05/01/10 02:13:55
>>431

あんたの場合、反論の仕方が余りも人間性を欠くようなものだったから、
批判されているんだよ。

自説に誰も見向きしないからって、人気者に絡むなんて、
正直、見苦しいよ。

437 :日本@名無史さん:05/01/10 02:15:52
俺に噛み付く前に、まともな批判精神を持つべきだね。


おまえは、「原始共産制」を真に受けたのか?
疑ったなら、そのことを指摘したのか?

答えられまい。



438 :日本@名無史さん:05/01/10 02:18:40
【畿内説専用】?
なんじゃこれは

439 :日本@名無史さん:05/01/10 02:22:08
ついにコピペ荒らしにまで堕ちたか…
あんたの世界の中心でアイでもなんでも叫んでいろ(藁
ただしココじゃなくて世間の隅っこでひっそりとな
プラム以下だな、あんたは

440 :日本@名無史さん:05/01/10 02:24:10

おまえは、「原始共産制」を真に受けたのか?
疑ったなら、そのことを指摘したのか?

イエスともノーとも答えられない太鼓持ちこそ、議論の邪魔なんだよ。


441 :日本@名無史さん:05/01/10 02:29:54
>>440 もしかしてあの温厚な教授に無視されたのってオマエ?
>議論の邪魔なんだよ
笑止!だれもオマエと議論なんかしたがらないって
それどころか意見だとも認められていないくせに楽しいやつだな
頼むからコテハンにしてくれや、オマエを魚地して楽しませてもらうからさ。

442 :日本@名無史さん:05/01/10 02:37:04
おまえは、「原始共産制」を真に受けたのか?
疑ったなら、そのことを指摘したのか?

本当に、イエスともノーとも答えられないようだな?
老教授の話を聞きたいだけなら、自分で専用のスレ立てればどうだい?

「老教授と語ろう!」とかさ。




443 :日本@名無史さん:05/01/10 02:39:40
>>441
いや他人だと思う
こいつは議論とか真摯とかの言葉を持ち出して単に荒らしている香具師だから
しかしほかの名無しの意見をパクってコテ批判するとは
見上げたつーかあきれた香具師だ。
名無しで書いてながらどれが自分のカキコなのかどうやって証明するつもり?
畿内説スレが迷走する一因は明らかにこいつだわ
そっちのほうが九州説には都合がいいのだが

もしかしておまえ九州説側の新手の荒らしか?

444 :日本@名無史さん:05/01/10 02:44:44
>>441

前スレのこれか?
そうだよ。「原始共産制」のウソ臭さを真っ先に指摘したのは俺だけど?

----------------------------------------------------------
860 :日本@名無史さん :04/12/29 01:26:21
>>849

>その当時に近世的な自由経済(独立した商人)を想定するより
>原始共産制によるいくつものクニが交易を行っていたと考えてください。

こういう説も聞いたことがないのですが、
誰の説なのか、老教授個人の説なのか教えてください。
考古学者の間で定説ならば、それに関係した論文・書籍・著者名を教えてください。
年明け早々に図書館で調べますので。

------------------------------------

他人の指摘をスルーした挙句に、これだ。>>212

老教授は、お礼を言うだけ、おまえよりは人間が出来てる。

445 :日本@名無史さん:05/01/10 06:54:13
嫉妬が粘着の原動力だったのか・・・
ストーカーって怖いね

446 :日本@名無史さん:05/01/10 08:32:48
老教授ファンの方は別スレ立てて盛り上がってください。

447 :日本@名無史さん:05/01/10 10:22:02
こんなスレ、つまんねーから早く埋めようぜ

448 :日本@名無史さん:05/01/10 10:34:32
老教授<
畿内説よりのミスリードがちょっと目に余るところはあったな。

449 :日本@名無史さん:05/01/10 10:46:52
>>447=445=443=441

(・∀・)ニヤニヤ



450 :日本@名無史さん:05/01/10 11:00:34
とりあえず学会で滅亡しちゃった九州説は無視ってことで。

451 :日本@名無史さん:05/01/10 11:31:24
>>450は尊師の妄言

452 :日本@名無史さん:05/01/10 11:36:57
考古学会で九州説が滅亡したのはまぎれもない事実だよ。

453 :大本営発表:05/01/10 11:38:53
橿原学会では死滅。

454 :日本@名無史さん:05/01/10 11:44:07
考古学会で滅亡した九州説哀れ

455 :日本@名無史さん:05/01/10 11:51:28
>453
大学にも九州説なんかいないよ。



456 :日本@名無史さん:05/01/10 12:08:10
狭いローカルな学閥内で

 圧 勝 お め で と う

457 :日本@名無史さん:05/01/10 12:09:59
>>449
イコール厨立ち入り禁止

458 :日本@名無史さん:05/01/10 12:14:21
>456
狭くないよ。
地方埋文を含め考古学者はことごとく畿内説だからね。


459 :日本@名無史さん:05/01/10 12:27:54
まだ掘ってない所がたくさんあるだろーが、九州に
さっさと許可もらって来い
あ、力のない、ローカルな学閥だから無理か
だったら偉そうにことごとく畿内説とか言ってんじゃねえ

460 :日本@名無史さん:05/01/10 13:33:25
>>459
やっとやり始めたみたいだね

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041217-00000081-kyodo-soci

461 :罵倒スレになっちまったので:05/01/10 14:00:10
※※※※※※※※※※※  このスレは終了すますた。  ※※※※※※※※※※※※※

462 :日本@名無史さん:05/01/10 15:06:23
再開

463 :ROMってたプラム:05/01/10 15:53:09
>>439
俺を、比較の対象に使うな!
もう、迷惑掛けてないはずだよ。

464 :畿内説ウォッチャーの九州王朝説:05/01/10 15:59:55
プラムさん今日は。気にしないでゆっくりROMりましょう。

465 :日本@名無史さん:05/01/10 17:09:04
まあ気を取り直して、マターリ行きましょう。

マキムクや大和古墳群は、外部勢力が奈良盆地に侵入して作ったのだとすれば、
それはいつ頃のことで、その勢力とは、北部九州か吉備か、それとも東海か?

466 :日本@名無史さん:05/01/10 19:51:46
上田正昭は邪馬台国は九州からの東遷だと考えるようになったらしい。
もちろん卑弥呼の時代には、すでに畿内にあったということなんだが。

467 :日本@名無史さん:05/01/10 20:36:37
※※※※※※※※※※※  このスレは終了すますた。  ※※※※※※※※※※※※※



468 :日本@名無史さん:05/01/10 20:39:32
学会で滅亡した九州説を議論する意味あんの?

469 :日本@名無史さん:05/01/10 20:41:51
>459
わからん奴だな。
むろん考古学会に派閥はあるが、そのすべてが畿内説を採用している。
ローカルじゃなくて「全部」。

安本とか古田ってのはアマチュアにすぎず、学者としてはカウントされてないの。


470 :日本@名無史さん:05/01/10 20:44:08
っていう信仰が畿内説

471 :日本@名無史さん:05/01/10 21:30:38
金印を偽物とすりかえる手口が畿内説です。

472 :日本@名無史さん:05/01/10 23:36:20
>>469
もちつけ、史学会が畿内説を支持していることは常識だ。
それは九州説論者も日和見ギャラリー十分認識している。
きょうび学会の陰謀や偏見で九州説を排他しているなんて
実社会で言ってる奴などいない。
もしいるとすれば何かおかしな宗教に毒されているだけだ。

俺には470-471なんかは煽りか、九州説を貶めるための騙りか
もしくは真性にしか見えない。無視しとけ。


473 :日本@名無史さん:05/01/11 00:02:08
最近はやりの寺澤説は、つまるところ九州説の根拠を大幅に採用したわけで
九州説は滅びたが、邪馬台国論争が無駄だったわけではない。


474 :日本@名無史さん:05/01/11 00:22:39
>九州説は滅びたが、邪馬台国論争が無駄だったわけではない
それには同意。
騎馬民族説にしても反証作業の積み重ねが
4〜6世紀の解明に大いに役立った。
議論は決して無駄ではない。

475 :日本@名無史さん:05/01/11 00:56:09
邪馬台国は畿内で決着なのでしょうが、
その場合、倭人伝の「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり」
はどう解釈するのでしょうか。
また狗奴国はどこになるの?

476 :日本@名無史さん:05/01/11 01:03:12
>最近はやりの寺澤説は、つまるところ九州説の根拠を大幅に採用したわけで

あ、そうなんですか。是非、そのあたりを詳しく教えて頂ければ。

寺澤薫って、なんか特殊器台→円筒埴輪から、吉備主導の倭王権成立を
言っていた人だよね。

477 :日本@名無史さん:05/01/11 01:05:00
ふと思ったんだけど、ここって日本史板の畿内説専用スレだよね?
だったら、考古学で物を語るのは板違いなのではないかと

478 :日本@名無史さん:05/01/11 01:05:46
>女王国の東
「山海経」の故事を推定で当てはめたものと考えられている。
これは畿内説のみの主張ではなく、文献史学界の通説だが。
>狗奴国
上の方でも同じ質問があったぞ。とりあえずスレを読んでから書き込もうな。
東海、伊勢、中部、関東、紀伊などが候補だが
最近では濃尾平野西部から伊勢湾東部あたりの説が有力視されている。

479 :日本@名無史さん:05/01/11 01:10:09
結局古代は
考古学にとどめをさされるのか文献史学は
やっぱ考古学にしといたおうがいいか>進路

480 :日本@名無史さん:05/01/11 01:11:13
>九州説の根拠を大幅に採用したわけで
寺澤説は柳田康雄との共同作業によって成立しているからじゃないかな。
あと奥さんの影響も大きい。

481 :日本@名無史さん:05/01/11 01:13:28
>>478
前半はウソだろ。デマはやめろ。

482 :日本@名無史さん:05/01/11 01:19:01
>>479
マジレスしとく。
考古は9割が現場の地道な作業だぞ。
夏はくそ暑いし冬は凍え死ぬかと思うほど。
体力資本の面がけっこうあって、体育系というよりガテン系w
某教授なんかどこぞの親方にしか見えない。
また何かにつけて酒が出てくるので、アルコールに弱いとちょっとつらい。

考古と文献、どっちにしても金儲けとは縁のない分野だから好きなほうを選んどけ。

483 :日本@名無史さん:05/01/11 01:23:21
>>481
うそじゃねーよw
三品説や佐伯説もこの点については一致している。
所在論争とは別の、純粋な文献史学からの提示だよ。

484 :日本@名無史さん:05/01/11 01:30:08
>>483
女王国の東の倭種だぞ。

485 :日本@名無史さん:05/01/11 01:30:14
>上の方でも同じ質問があったぞ。とりあえずスレを読んでから書き込もうな。
あ、すいません。みなさんは、何処だと思っているのか気になって。
「【倭人伝を読む】狗奴国はどこですか」のスレを立てましょうかw

>最近では濃尾平野西部から伊勢湾東部あたりの説が有力視されている。
でもマキムクの外来土器で一番多いのは東海なんですよね。
畿内王権と対立していたとは思えないんですが。
あなたは何処が可能性が高いと思います?

486 :日本@名無史さん:05/01/11 01:36:00
>>482
なんちゅうか、ごめんなさい。

487 :日本@名無史さん:05/01/11 01:37:19
東海といっても広うござんす。
纏向T期に最も多く搬入&作成されたのはS字型甕を基本としたもので
パレース式などはU期以降になる。
そういう成果もあって
>濃尾平野西部から伊勢湾東部あたりの説が有力
と書いたわけで、俺もほぼ同意している。
ただ三遠式銅鐸を奉った集団がどの程度関与していたのかは、今はわからない。

488 :日本@名無史さん:05/01/11 01:50:46
>>484
>女王國の東海を渡る千余里。また國あり皆倭種なり。
また侏儒國その南にあり。人の長三、四尺。
女王を去る四千余里。また裸國、黒齒國あり
またその東南にあり。船行一年にして至るべし。

これのことだろう?
それとも1行目とその後を分けて考えているのかな?
分けたとしても倭種(倭人ではなく)が住んでいるといった以外に深い意味はないし
実際の場所に当てはめるのは、それこそ21カ国の位置を決める作業と同じく徒労に過ぎない。

489 :日本@名無史さん:05/01/11 01:55:43
>>487
凄い詳しいですね。是非、コテハンになって、自説をまとめて頂ければ。
それとも、前の方のレスで既に書かれています?

まあ、煩わしいと思われる気持ちは分かりますが。

490 :日本@名無史さん:05/01/11 01:58:12
>>488
>それとも1行目とその後を分けて考えているのかな?

当たり前。
1行目が山海経からきてるという説があるなら、
ソース出してごらん。

君は、

>その場合、倭人伝の「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり」
>はどう解釈するのでしょうか。

という問に、

>「山海経」の故事を推定で当てはめたものと考えられている。

と答えたのだからね。明らかなデマだね。

491 :日本@名無史さん:05/01/11 02:08:49
>>489
遠慮しとく、スマソ。
粘着に付きまとわれるのヤだし、さっそく変なのが出てきたみたいだから。
ただ埋文関係者と思われる者は結構多みたいなので、質問があれば書き込むといいよ。
(ほとんどは考古に対するいわれ無き誹謗中傷が書かれたときに登場するみたいだが)


492 :日本@名無史さん:05/01/11 02:57:42
>>490
>1行目が山海経からきてるという説があるなら、
ソース出してごらん。
ちゃんと読んでから突っ込んでやれよ
>三品説や佐伯説もこの点については一致している。
483は思いっきりソース出してるじゃん
三品彰英と佐伯有清だろ?両者とも古文献の大家だがや

493 :日本@名無史さん:05/01/11 03:18:50
>>492
だからね、佐伯と三品がどこでそうかいてるのかってことよ。
素直に間違えを認めればいいものを、見苦しい言い訳を。

だいたい出典も予想がつく。
説とか御大層なことを書いているが、三品彰英は総論の頭の解説だろ。
佐伯有清は歴史文化ライブラリの二分冊のヤツだろ。

どちらにも書いてないよ。
東の倭種と小人国以降は、いずれも別項目になっているし、
東の倭種については後漢書との比較が主な検討項目だな。


寝ようと思うのだが、なぜか寝つけん。あした早いのに。
もう寝たい。。。。

494 :日本@名無史さん:05/01/11 06:58:36
>>493
俺やっぱアンタの性格は問題あると思うな
最初から493で書いたような指摘をしたなら
この人は博識なんだなんて思われて尊敬もされるのだろうが、アンタの手法は

>前半はウソだろ。デマはやめろ
>女王国の東の倭種だぞ。
>当たり前。
>ソース出してごらん。

一行レスと汚い言葉遣いでまず雰囲気を乱してから、最後に
俺は知識があるんだぞ!とばかりに必死でアピールする芸風は正直気持ち悪い
結構博識なようだしそれはそれで素晴らしいことなんだが
それを誰も認めてくれないが為に歪んでしまい、嫉妬や粘着に走るようになったのだろう
どうせ実生活でも同じ調子なのだろうから思い当たる節があるだろ
問題は投稿の内容ではなく、アンタ自身の心にこそあることに気付かないと取り返しのつかないことになるぞ。

これは物のついでだが
どうだい粘着される気分は?
嫌だろう?気持ち悪いだろう?俺のレスだって荒らしと同じだろ?
それを少しでも感じたなら心を入れ替えてガンガレ!


495 :日本@名無史さん:05/01/11 08:07:05
>>494は、人格攻撃が好きなようだな。
罵倒もディベートのテクニック。けしてルール違反じゃない。
それ以前に、議論が出来ないならどっかいけ。


496 :日本@名無史さん:05/01/11 21:57:58
>>493は、老教授に執拗につきまとった、粘着九州説と同一人物なの?
そうだとすれば、正直見直しました。博識じゃないですか。

老教授の説に粘着などせず、もっと自説を展開してくれれば、
凄く建設的なスレになるのではと思います。

497 :日本@名無史さん:05/01/11 22:33:18
>>493
三品彰英は「総論」も良いけど「基本論文集1〜3」が役立つよな。
文献史学中心の頃の邪馬台国解釈が網羅されていて非常に便利。
佐伯有清の歴史文化ライブラリ上下は比較的手に入りやすい良書だと思う。
岩波やネット訳文など比べ物にならないほど詳細かつ正確な解説がありがたい。
この2冊(5冊か)は邪馬台国マニア必携の書なのでおすすめ。
>>495
しかしあまりネガティブキャンペーンを張るのもどうかと思う。
アメリカ大統領選挙じゃあるまいし、2ちゃんだから何でもありでもない。
議論を進めたいのなら罵倒テクは封印したほうがいい。
スレ参加者のほとんどはそう思ってるみたいなので、マターリ行こうよ。


498 :日本@名無史さん:05/01/11 23:04:09
>>497
ごめんな。総論じゃなくて総覧の間違い。寝てた。
基本論文集は佐伯編だよ。

ま、どっちも必携本。古本屋回るしか入手できないけど。
総覧はけっこう見かける。

499 :日本@名無史さん:05/01/11 23:08:16
>>498
こっちこそごめんな、いま本棚確認してきた。
基本論文集は佐伯編でした。訂正。

500 :日本@名無史さん:05/01/12 00:07:43
>>最近はやりの寺澤説は、つまるところ九州説の根拠を大幅に採用したわけで
>あ、そうなんですか。是非、そのあたりを詳しく教えて頂ければ。
>寺澤薫って、なんか特殊器台→円筒埴輪から、吉備主導の倭王権成立を
>言っていた人だよね。

かつて考古学会の主流だった(今でもかもしれんが)小林行雄、佐原眞
都出比呂志らの邪馬台国畿内説というのは、かいつまんで言うと、
「倭王権(大和朝廷)は、弥生期からの畿内権力がそのまま成長したもの」
「鉄の流通の掌握のため畿内勢力が北九州を制圧した」
というもので寺澤氏の畿内説とは全く似て非なるものです。
考古学主流のこの畿内説に対してどちらかというと傍流だった森浩一や原田大六らは、
・弥生期の畿内文化といわゆる古墳文化との断絶
・弥生期の北九州文化と古墳文化との共通性
・弥生期においては、王権を象徴する考古学資料(個人墓、副葬品等)
 が北九州以外見られないこと。とりわけ畿内は乏しいこと。
・記紀など文献資料
などから邪馬台国東遷説を唱えました。

寺澤氏は、マキムク遺跡の年代などから邪馬台国は畿内に存在した
としつつも、上記畿内説への反論を大幅に取り入れる形でその在地性
を否定し、北九州、吉備、出雲などの外来の連合が畿内にうち立てた
ものとしています。

こういう次第なので、はっきり言って寺澤氏の畿内説というのは、
倭王権の成立過程という観点からは、同じ畿内説の佐原眞よりも
九州説の森浩一により近いものです。


501 :日本@名無史さん:05/01/12 00:14:41
ただし、寺澤氏は森氏らと違い、吉備の特殊器台がマキムク遺跡に
流入している事実などから北九州よりも吉備を重視し、これが倭王権=邪馬台国
成立の主導を行ったと推測してます。
近年では、このスレッドにも名前が出た村上恭通氏などにより(従来の)畿内説
の有力な根拠であった「弥生期の鉄器の採一的普及」がほぼ完全に否定されつつあ
ることから、中堅、若手にこの立場をとる人が増えているようです。



502 :500:05/01/12 00:34:01
失礼。
原田大六は、単なる東遷説です。
訂正→
「などから邪馬台国東遷説(原田は、プレ邪馬台国東遷説)を唱えました。」



503 :日本@名無史さん:05/01/12 00:39:33
なんで素人には学会で滅亡しちゃった九州説が人気なの?


504 :日本@名無史さん:05/01/12 00:46:39
>結局古代は
>考古学にとどめをさされるのか文献史学は
>やっぱ考古学にしといたおうがいいか>進路

死んでも旧帝、100歩譲って岡大くらい行けないと
苦しいよ。
一生フリーターの覚悟ありゃ別だが。


505 :日本@名無史さん:05/01/12 01:37:31
>>504
別にそれで食っていこうとは思わない。頭たぶん悪いし
一生の趣味としてでいいです。

というか、考古学とか歴史学とかいくと一般の就職口は
絶対的なハンデなのでしょうか。

506 :日本@名無史さん:05/01/12 02:07:25
古墳にも公共事業的な性格があり
膨大な雇用を生み出していた
各地から人々が集まり
大きな町が出来ていた

507 :日本@名無史さん:05/01/12 02:32:05
>>501
>の有力な根拠であった「弥生期の鉄器の採一的普及」がほぼ完全に否定されつつあ

やっぱり、畿内には鉄は無かったのか……

508 :日本@名無史さん:05/01/13 00:33:40
邪馬台国ハ、九州ニ有リマシタ。
場所は、宇佐デス。


509 :日本@名無史さん:05/01/13 00:37:14
>507
なくはないが、西日本では最底辺に近いな。

510 :日本@名無史さん:05/01/13 00:41:24
畿内は、極東大戦争を回避した国家ではなかったか。
鉄は畿内にあまり入ってこないし、
畿内に鉄が絶対必要ともいえない。

511 :日本@名無史さん:05/01/13 00:52:42
特殊器台が、畿内に登場するのは布留期以降。
なので吉備を過大視するのは間違いだよな。

512 :日本@名無史さん:05/01/13 21:52:48
吉備が重要な構成メンバーだったことはそうなんだろうけど、
吉備主導で初期ヤマト政権成立、っていうのはどうなんだろう。
欠至八代の頃に、吉備が婚姻関係にあったのは読み取れるけど、吉備地方が天皇家の
故地だったとは、記紀を読む限り思えない。日向なら分かるけど。

>・弥生期の畿内文化といわゆる古墳文化との断絶
についても曖昧だなあ、と思う。
垂仁の野見宿禰の記述のように、大王の葬送儀礼に携わった人間が、
必ずしも政権の中枢だったとは、思えないのだが。
畿内大王は、出雲や吉備、北九州の先進葬送技術を取り入れただけなのではないのか?

吉備の古墳が巨大化するのは3世紀末以降だし、その頃に、葛城古墳群も営まれる
ようになる。3世紀末、高句麗南下に伴う政治的混乱、ヤマト政権内の政権交代
のようなものがあり、三輪→河内への大王墓移動。協力した吉備・葛城が
勢威を増した、みたいな事があったのではないだろうか?

513 :日本@名無史さん:05/01/13 22:07:16
>>512
>吉備の古墳が巨大化するのは3世紀末以降だし、その頃に、葛城古墳群も営まれる
>ようになる。3世紀末、高句麗南下に伴う政治的混乱、ヤマト政権内の政権交代
>のようなものがあり、三輪→河内への大王墓移動。協力した吉備・葛城が
>勢威を増した、みたいな事があったのではないだろうか?

×3世紀末 → ○4世紀末、ね。

514 :日本@名無史さん:05/01/13 23:32:25
西日本で吉備が主導的立場にあったのは、大和王権誕生の少し前くらいじゃないでしょうか?
三韓系土器の出土状況の時間的ズレが多少あるように思われるので、

交易ネットワークの変遷の課程で、

 二世紀前半 北九州>吉備>畿内 から 二世紀後半 北九州=吉備>畿内 

そして 

 三世紀前半 北九州<吉備=畿内 さらに 三世紀後半 北九州<吉備<畿内 

と言う感じに解釈できないでしょうか?

515 :日本@名無史さん:05/01/14 00:22:57
>吉備が重要な構成メンバーだったことはそうなんだろうけど、
>吉備主導で初期ヤマト政権成立、っていうのはどうなんだろう。
>欠至八代の頃に、吉備が婚姻関係にあったのは読み取れるけど、吉備地方が天皇家の
>故地だったとは、記紀を読む限り思えない。日向なら分かるけど。

ホケノ山、勝山からは特殊器台のカケラもでてない。
吉備を過大視したのは箸墓が最初の古墳と想定された時代の産物で
今では時代遅れですね。
日向なんてもってありえませんが。




516 :日本@名無史さん:05/01/14 00:27:20
>垂仁の野見宿禰の記述のように、大王の葬送儀礼に携わった人間が、
>必ずしも政権の中枢だったとは、思えないのだが。
>畿内大王は、出雲や吉備、北九州の先進葬送技術を取り入れただけなのではないのか?

葬送技術以前の問題として、弥生期の畿内には、そもそも権力者の個人墓
というのがないです。
つまり社会のあり方からして倭王権の母体とは思えないというのが最近の
若手の傾向じゃないでしょうか。





517 :日本@名無史さん:05/01/14 00:34:29
>514
そういうのが怪しいってのが、村上恭通の研究じゃないの。


518 :日本@名無史さん:05/01/14 04:30:15
>>511
>特殊器台が、畿内に登場するのは布留期以降。


>>515
>ホケノ山、勝山からは特殊器台のカケラもでてない。

え〜?
そうだったんだ?
寺沢氏や森井氏の土器編年では、布留期は3世紀末だから、
卑弥呼の時代には、吉備と畿内は密接な関係が無かったことになるが。

>>516
>弥生期の畿内には、そもそも権力者の個人墓というのがないです。

墳墓を作る習慣は、九州・吉備のほうが古かったってこと?



519 :日本@名無史さん:05/01/15 01:05:17
>え〜?
>そうだったんだ?
>寺沢氏や森井氏の土器編年では、布留期は3世紀末だから、
>卑弥呼の時代には、吉備と畿内は密接な関係が無かったことになるが。

ないね。箸墓直前のホケノ山でもない。
まきむく石塚〜箸墓まで50年はあくから当初から
密接とは言えないだろうね。

>>516
>弥生期の畿内には、そもそも権力者の個人墓というのがないです。

>墳墓を作る習慣は、九州・吉備のほうが古かったってこと?

古いつーか畿内には家族墓しかない。




520 :日本@名無史さん:05/01/15 01:51:58
安本と古田どっちが電波なの?

521 :日本@名無史さん:05/01/15 01:56:28
寺澤って弥生時代の九州の卓越をやたら主張しまくってるのに
最後は吉備ってよくわからんよね。
楯築って墳丘がでかいだけで副葬品とかたいしたことないんだよね。
平原なんかと比べたらお話にならんよね。
広域的な王権だったって証拠もないしさ。


522 :日本@名無史さん:05/01/15 08:34:19
邪馬台国=畿内とした場合、北部九州の代表である伊都王や奴王は一代率に監視
されるという立場に追いやられている訳で。
やはり北部九州の東遷→ヤマト政権というのは説得力がない。

523 :日本@名無史さん:05/01/15 08:40:26
あと、北部九州から畿内へ王都を遷す理由がない。
女王共立による大同団結だったにしろ、イニシアティブを取った国の近くに
王都を置くのが普通の考え方。

北部九州は遠過ぎるし、ぎりぎり吉備くらいなら、みたいな考えが、
寺澤氏にはあるのではないのか?

524 :日本@名無史さん:05/01/15 08:45:37
>古いつーか畿内には家族墓しかない。

巨大な墓は巨大王権発生の証拠ではあるけれど、巨大な墓が無いからと言って、
王権が無かったということにはならない。
池上曽根でも、巨大な神殿跡が見つかっている。

525 :日本@名無史さん:05/01/15 08:59:01
出雲、吉備に倣って、青銅の神々を遺棄し古墳築造を始めた奈良盆地の人々。
吉備、東海、丹波、越らとの大連合が成り(崇神の四道将軍の記述)、
その象徴であるトトヒモモソ媛の墓には、特殊器台や葺石などを取り入れた。
トトヒモモソ媛が吉備に縁が深いのが、それらの要素を採用した理由なのかもしれない。
以降、この形式が前方後円墳のスタンダードになる。
箸墓=土師の墓。円筒埴輪に囲まれた異様な古墳というのが、付近に住む人々が
最初に箸墓を見た時の素直な印象だったのだろう。

526 :日本@名無史さん:05/01/15 09:47:14
まあ、ちょっと待てよ。

ホケノ山、勝山から特殊器台が出て無いということは、
畿内に王権があっても、吉備を巻き込む大きな連合は無かったという証拠だろう。
事実は事実として認めて、倭王権の発展過程を探ろうじゃないか。


527 :日本@名無史さん:05/01/15 10:50:52
>ホケノ山、勝山から特殊器台が出て無いということは、
>畿内に王権があっても、吉備を巻き込む大きな連合は無かったという証拠だろう。
>事実は事実として認めて、倭王権の発展過程を探ろうじゃないか。
それはありえない。
マキムク型の古墳は、西日本一帯にあって、



528 :日本@名無史さん:05/01/15 10:55:35
>ホケノ山、勝山から特殊器台が出て無いということは、
>畿内に王権があっても、吉備を巻き込む大きな連合は無かったという証拠だろう。
>事実は事実として認めて、倭王権の発展過程を探ろうじゃないか。

それはありえない。
マキムク型の古墳は、西日本一帯にあって倭王権
が誕生した後の産物であることが明らかだから。
ほとんど北九州にあるんだが。
寺澤氏は、「マキムク型前方後円墳体制」という用語でこれが
広域にひろがったことをもって倭王権誕生の証明としている。








529 :日本@名無史さん:05/01/15 10:59:49
>523

話が逆だ。
文献は知らんが、物証から理由を推測するのが考古学。
寺澤がそんなことを言うわけがない。

一昔前の枠組みから抜け出せずに吉備を過大視している
だけだろ。



530 :日本@名無史さん:05/01/15 11:54:00
>>528
>ほとんど北九州にあるんだが。

邪馬台国が三輪山麓で発生した王権(前方後円墳体制)だとすれば、
倭人伝を読む限り、北部九州は一代率の監視下にある訳で、
北部九州<畿内であることが分かる。
北九州の小規模前方後円墳は、前方後円墳体制に参画した証に、
畿内大王より前方後円墳築造を許可されたのだろう。

531 :日本@名無史さん:05/01/15 15:18:07
邪馬台国は、宇佐にありました。
それが、東遷し大和朝廷になったのです。


532 :日本@名無史さん:05/01/15 18:31:45
前方後円墳築造前の畿内王権の首長たちは、山間部の岩窟に葬られた。
三輪山、葛城山、日下山など。

って考えはどうでしょうか?

533 :日本@名無史さん:05/01/15 23:26:37
畝傍山の周りとかな

534 :日本@名無史さん:05/01/15 23:59:10
唐子の首長の墓は何処に・・・

535 :日本@名無史さん:05/01/16 00:31:44
邪馬台国は、宇佐にありました。
それが、東遷し大和朝廷になったのです。
ですから、邪馬台国が畿内に有ったと
仮定して議論する事など無意味な事です。
卑弥呼=比売大神であり
卑弥呼の墓は、宇佐神宮の本殿の下に
有ります。

536 :日本@名無史さん:05/01/16 00:54:22
”巨大”好きは伝波だろう

537 :日本@名無史さん:05/01/16 06:23:26
女王の前には男王が70〜80年
だいじょうぶか

538 :日本@名無史さん:05/01/16 14:17:52
>>537
言葉足らずで、言ってる意味がよく分からない。

539 :日本@名無史さん:05/01/16 14:29:27
「其國本亦以男子爲王、 住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年 乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼」
の事だろ。

540 :日本@名無史さん:05/01/16 14:47:32
いや、だから、「だいじょうぶか」の意味だよ。

541 :日本@名無史さん:05/01/16 15:15:17
解釈はいろいろあるけどだいたいそれで大丈夫なんじゃないか。

542 :日本@名無史さん:05/01/16 15:36:06
何か、お互い、揚げ足取りを恐れて、余計なことを言わないでおこう、
みたいな雰囲気だな。
一部の輩が、ディベートと称して名無しで粘着反論をした結果が、
この体たらく…

>北九州の小規模前方後円墳は、前方後円墳体制に参画した証に、
>畿内大王より前方後円墳築造を許可されたのだろう。
という意見に反論はないのか?

543 :日本@名無史さん:05/01/16 15:46:39
反論すれば怒る、スルーすれば不満、
どうしろと言うのだろうね?

544 :日本@名無史さん:05/01/16 15:52:05
誰か揮発性の高い燃料を投下してください
投下後はそのまま立ち去って結構です



545 :日本@名無史さん:05/01/16 15:53:19
女は氏ね

546 :日本@名無史さん:05/01/16 16:06:58
女って誰のこと?

547 :日本@名無史さん:05/01/16 16:12:21
>>546
おまいの事だよ。

548 :日本@名無史さん:05/01/16 16:15:52
>>547
おまいの事だよ。


549 :日本@名無史さん:05/01/16 16:19:38
>>548
おまいの事だよ。

550 :日本@名無史さん:05/01/16 16:20:46
>>549
おまいの事だよ。

551 :日本@名無史さん:05/01/16 16:21:24
>>545
おまいの事だよ。

552 :日本@名無史さん:05/01/16 16:22:07
いい加減にしろ。

553 :日本@名無史さん:05/01/16 16:28:38
>>543
要は反論の仕方だと思うよ。
もっと自説を展開した上での建設的な反論を期待。

554 :日本@名無史さん:05/01/16 16:48:30
じゃあまず>>553から自説を展開してもらおうか

555 :日本@名無史さん:05/01/16 17:09:28
じゃあまず>>554から自説を展開してもらおうか

556 :日本@名無史さん:05/01/16 17:10:02
じゃあまず>>555から自説を展開してもらおうか

557 :日本@名無史さん:05/01/16 17:10:48
じゃあまず>>556から自説を展開してもらおうか

558 :日本@名無史さん:05/01/16 17:11:08
じゃあまず>>557から自説を展開してもらおうか

559 :日本@名無史さん:05/01/16 17:11:45
いい加減にしろよ

560 :日本@名無史さん:05/01/16 17:33:48
じゃあまず>>559から自説を展開してもらおうか

561 :日本@名無史さん:05/01/16 17:58:51
邪馬台国は、宇佐にありました。
それが、東遷し大和朝廷になったのです。
ですから、邪馬台国が畿内に有ったと
仮定して議論する事など無意味な事です。
卑弥呼=比売大神であり
卑弥呼の墓は、宇佐神宮の本殿の下に
有ります。

562 :日本@名無史さん:05/01/16 18:11:00
「女」と書いただけで悔しがってすぐ反応。
荒らしまくり。
生理か?プッ

563 :日本@名無史さん:05/01/16 20:08:57
結局、邪馬台国探しは、考古学的手法を基本にすると迷いまくりだ。

564 :日本@名無史さん:05/01/16 22:16:23
久しぶりに来てみたらひどい状態だね。相変わらず電波飛び交ってる
考古学的手法を基本にすると迷いまくりですか、そうですか。楽しいね〜

565 :日本@名無史さん:05/01/16 22:30:23
つまり、文献がベースで、考古学はそれを証明する手段に過ぎないってことかな

566 :日本@名無史さん:05/01/16 22:58:15
邪馬台国は文献に載っているだけなわけだが

567 :日本@名無史さん:05/01/16 23:55:33
>>562
あなた勘違いしてますよ

568 :日本@名無史さん:05/01/17 00:02:09
>>562
ザコがぁ、史ね!

569 :日本@名無史さん:05/01/17 01:12:04
古代史を語る時に、考古学的手法が基本なのは当たり前なのだが、
考古学だけでは、踏み込んだ発言が出来ないことも確かで。
3世紀初頭にマキムクに畿内王権が発生していた、
ってことだけで終わってしまうだろ。

570 :しばらく:05/01/18 22:27:47
>>569 おっしゃるとおり。
邪馬台国、巻向畿内王権、大和朝廷はなぜできたのか、倭国統一はなぜ必要であった
のかということは考古学のみならず、あらゆる角度から検討が必要ですね。
まず結果から先に見てゆくと倭国大王クラスのものをはじめとする古墳文化が始まり、
各種青銅器のうちの鏡に中心が移った、ということがポイントでしょうか。そうすると鏡を
中心として国家を運営するのは九州北部の習慣であり、出雲、吉備ではないので
政権中枢部には北部九州で政権を担当した者がいなくてはならない。筑紫地方とい
いますか。巻向で出土する土器を見ると東海のものが多く、祭祀関係には吉備が多い。
こうしたハード的部分を動かせる要に位置するのは丹後であり、崇神天皇も丹後との
関係が強い。大和の南部葛城近辺まで勢力を伸ばした丹後、投馬国が筑紫から王権を
招聘し、簒奪したとするのが当たらずしも遠からずといえましょうか。
こういうことを念頭において細かいことを見ていってはどうですかな。

571 :日本@名無史さん:05/01/19 01:07:13
>>570
簒奪したなら天孫降臨の場所を丹後にしなかったのはなぜ?

572 :日本@名無史さん:05/01/19 03:38:25
だから考古学派は本質的に電波なのだ

573 :しばらく:05/01/19 08:33:33
>>571
>>簒奪したなら天孫降臨の場所を丹後にしなかったのはなぜ?
当時すでに関東から九州にいたる倭国各地首長との合意によって新都建設
が決定された。全国的に見て重心は巻向当たりと見られたが出雲からの
横槍によって盾筑に「天津磐境」が建設された。当時倭国は半島南部に倭国
構成国がそれぞれの植民地を保有し、会議は金海、豊、出雲などで行われてい
たと考えている。・・・証拠はないが。

574 :しばらく:05/01/19 08:59:51
新都決定の時代の倭国最強の勢力は豊の天孫族と出雲族であった。天孫族
は本来出雲族の支配下にあった筑紫の渡来人を掌握しつつあった。しかし、
最終的に近畿に移ってからは巨大な投馬国という丹波勢力に寝技で伏せこまれた。
とまー、こんなことを。

575 :しばらく:05/01/19 09:20:09
基本的に東夷諸国は中国の拡張主義、覇権主義に対して独立、団結
して抵抗しようとして従来の村落集合体を脱却し広域の独立国建設を
目指すようになったということかな。

576 :しばらく:05/01/19 09:38:47
豊の天孫族というのは本来伊都国、奴国にあった王家の末裔が清和源氏のように
東国である豊の国、及び遠賀川下流域に天下りをするプロセスで発生したものと思う。
後の世の東国武士のように神武達も武人であったのだろう。その伊都の国に女王がいた
ということは歴史は繰り返すで、その後近畿に伝えられたのではないか。

577 :しばらく:05/01/19 10:19:25
海部勘注系図ではオシホミミの子はニギハヤヒが遠賀川-丹後の裏日本、
ニニギは日向などの九州東岸、その他二柱あるが、これらを九州西岸、
南岸に割り当てるとアマテラス政権の四道将軍乃至は邪馬台国の四官
の原型となる。すると、出雲はニギハヤヒへの下克上か、それとも、それより
格が上なのかとなるが、多分格が上だったんじゃないかな。わからん。

578 :しばらく:05/01/19 10:25:15
アマテラスとスサノオは姉と弟。スサノオは追放されて出雲に落ちるわけだから
出雲は九州の一の子分的な物か。

579 :しばらく:05/01/19 10:31:48
なんかいってよ。マイクもつ手が疲れたよ。

580 :しばらく:05/01/19 10:50:09
神武の父は五伽耶地方の風待ち港で港長を務めたこともある
倭国連合のえらい官僚であったといえるかもね。神戸の葺合区
と関係があるかどうかはわからないけど。

581 :しばらく:05/01/19 11:20:21
青銅、鉄製品で喫水ぎりぎり満載の倭国の大船団が六甲颪によって第一速、
ヨーソロ、状態になるのを待機するのは遊女のたむろする生田区ではなく
山の真下の葺合区のような急斜面に面した金海の港であったのかも。

582 :しばらく:05/01/19 11:27:25
韓国の学者は倭国が労働力提供の見返りに鉄を取っていたとするが、漏れは
倭国は現地でタタール系月氏人などを雇用していたと思う。ただし、山のオーナーは
秦系流民であり、のちに新羅へとなるのだが、一部は倭に従属したものもあったので
はないか。

583 :日本@名無史さん:05/01/19 12:52:18
ここは、畿内説専用だぞ。

巣に戻れ!

584 :しばらく:05/01/19 13:43:47
畿内に邪馬台国が何故発生するかを考えるときには国際的歴史的論証が必要。
話は非常に長くなる。

585 :日本@名無史さん:05/01/19 15:45:45
手短に説明しようという努力はしないという訳か?



586 :しばらく:05/01/19 15:46:12
三輪山周辺には巻き向くの穴師とか、磯城の金屋とか鉱山関係の遺跡と兵主神の神社
が多い。箸墓は兵主神(中国山東省の兵器の神シユウ)礼拝システムの一部で巻向
の一部。ホトタタライスキヨリ姫というのはフツ(徐市)タタラ(タタール)を斎き祭る姫と
解釈する。タタールとは馬韓月氏出身で秦の遺民とともに秦韓で鉄の発掘を行っていた
のであろう。スサノオとともに筑紫に馬を持ち込み農業畜産をしようとしたが大反撃を食らい
出雲に追われ、その後盾筑遺跡に巨石、狼の彫刻を残して秩父、安達太良方面へと移動
したと見ている。アダタラとはアタチュルクと同じ文法構造のタタール・トルコ語であろう。
熊野というのもタタール後で人の入らない土地という意味である。

587 :しばらく:05/01/19 15:52:24
こうした渡来人、天孫族(豊)、出雲族、投馬国(丹後、尾張、葛城)、紀州、河内
が入り乱れての倭国乱であるが、これを手短に天孫vs出雲とするのが記紀である。
手短に見ないで分析してゆく必要がある。

588 :しばらく:05/01/19 15:58:54
ギリシャ神話(黄泉の国)、ヴェーダ神話(ヤマタノオロチ)等が月氏に入るのは
アレクサンダーの故地バクトリアであろう。ヒミコと同様に金印をもらっている。
これが馬韓の月氏とどのような経路で接触していたかは不明であるが、インド
アヨダヤから三韓に王妃が嫁に入るのであるから何らかの交流があったと
見なくてはならない。九州北部にこの結婚の引き出物のようにガラス製品があるという。

589 :しばらく:05/01/19 16:06:11
タタール人というのは王様と私のユールブリンナーがそうであるが、なんだか
足が長い。ナガスネヒコというのはこんなんじゃないのか。あるいは土井が浜人
も足長という。どうなっちゃってんの。

590 :しばらく:05/01/19 16:22:04
フツというと徐市のフツが頭にくるんだが、当時中国で大流行していたナウいフツ
というのは仏のことで徐福も勉強していたとか言う。倭国では刀の神様みたいに
なっているが、当時の国際的キーワードのフツかもしれないという不安がある。

591 :日本@名無史さん:05/01/20 19:22:43
いくらなんでもひど過ぎる。
このまま野放し状態が続くと日本史はおろか世界史まで書き換えられてしまいそう。

しばらく氏
自分でスレ建てて、そこで自己主張してみたら。

592 :しばらく:05/01/20 19:29:21
神武凧揚げ仮説がひらめいた。↓でやる。

◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/


593 :しばらく:05/01/21 07:38:14
漏れ、畿内説なんだけど。箸墓の鐙はスサノオ乃至は大国主が投げ込まなかった
という立証ができない限り、布留時代より新しいという主張をするなという立場だ。
これとは無関係だが、橿原とか、歴博よりは名大の先生赤塚次郎先生のほうがよく
わかる、旗色鮮明だよ。

594 :しばらく:05/01/21 08:03:11
つまりじゃ、楯築で建設に参加したであろう出雲系の下請けにいたと思われる
タタール(ホトタタライスケヨリヒメの拝んでいたものじゃ)、これはスサノオが
月氏国(馬韓)からつれてきたものの子孫だろうが、馬は九州で没収されたにせよ
鐙は遺品として持っていた可能性があるということじゃ。タタール族はライオンの顔
に似た彫刻を楯築に残している。秩父神社の辺に集合したのだろう。アダタラというのは
アタチュルクがチュルクの父というのと同様に、タタールの父という意味と解釈する。
おっとっと、ライオンとは狼のことよ。三輪山にはオカミというイワクラもあるでのー。
どうも話が長うていかん。この辺にしとくかのー。(古事記の真似)

595 :しばらく:05/01/21 08:06:39
して狼とタタールはとなるとこれは世界史じゃ。しかし、これはシャーないこっちゃ。
それは学校で同じ学科でないとか言ってはおれんのじゃ。

596 :日本@名無史さん:05/01/21 08:13:29
>>92
以前に中国板で中国人に聞いてみたけど、瀬戸内海を河だと思う中国人は
いない、という事だった。
それは「嘘吐き」か日本人の考えたジョークだろう、
という答えばっかりだった。

597 :しばらく:05/01/21 08:31:16
割り込んで失礼します。干満と潮流の複雑性を考えると裏日本の親潮
に対馬・沖ノ島あたりで乗れた場合、下関へ入るより、丹後半島で上陸
保津川下りで山之辺の道に入るのが最短という感じがしますね。瀬戸内は
シオマチガ大変だった思われます。ただし急ぐ必要のない帰路においては
逆に瀬戸内が安全であるし、ゆれも少なかったのではと。

598 :しばらく:05/01/21 08:41:49
それと船隊に貨物船がある場合、重量物である銅鏡などを積載した場合、
どうしても最短コースを取る必要があろうし、繊維製品、ヒスイ勾玉等の
軽量物の場合は瀬戸内航路のほうがセキュリティー面から、避難のしやすさ
から見てもよかったかもしれません。

599 :しばらく:05/01/21 09:43:19
なぜ邪馬台国は畿内になったのかを手短に語ると東海、近畿、播州、岡山平野の
農業生産に伴う政治的な道具としての鏡への需要が福岡平野におけるものよりも
大きくなった結果、傘の形をし、虹の松原を持つ糸島半島から、同様の天橋立を持つ
丹後半島が表玄関に選ばれ、その後背地の中央である朝倉・甘木に匹敵する巻向
に邪馬台国が建設されたということだろう。傘とは天球の半円を意味し、干満の奇異を
見せる橋立とは天地を結ぶ場所、そしてそこは大陸への表玄関というきわめて込み入った
引っ掛けだ。

600 :しばらく:05/01/21 09:56:03
出雲は2つの傘と砂洲のシンメトリーの中心だが島根半島もまた傘である。そこに
加賀の潜戸があり、佐田の大神がいる。私が感じるのは古代海人族の雄大なコズ
モロジーであり、わたつみのとよはたぐもに・・・と歌った天智天皇などはその流れの
子孫ではなかったのかなーということ。

601 :日本@名無史さん:05/01/21 12:34:27
>>597
しばらく氏
日本海ルートを航海するにせよ、当時夜間の航行や海上停泊は、なるべく避けたと思われますが如何でしょう?
それに、
往路が日本海ルート
復路が瀬戸内海ルート

使用した船はレンタルシップでしょうか?
自前の船は置いて来ないと思いますが
それとも、その頃から海運会社があり不定期航路が確立されていたとか?

602 :しばらく:05/01/21 13:10:09
人間が一日又は二日職業として往復で漕げる距離単位程度でリレーしたのだと
思うんですが、急流が何マイルも続く関門とか、明石はちょっと違ったでしょう。
明石には六連のような検問所があったようですね。神武もヒボコ、アカルヒメも
引っかかっている。ビザみたいなのもあったのか丹後に回されるケースもありますね。
自家用の船を持てるような階級は王様を含めてなかったのではないでしょうか。
大国主の助けたのは宇佐あたりの人間でしょうか、雲助になま肌をはがされたと
いいますからちょっとした海賊みたいなものじゃなかったのでしょうか。会社なんていう
よりのような連中であったと思うのです。丹後の伊根というところにはいまだにそういう
感じの古代の船宿があります。
半分海賊

603 :しばらく:05/01/21 13:31:25
船中泊は、たとえば、沖ノ島から隠岐へと向かう流れなどの場合は、低気圧の
サイクルを読んで、水、食料を満タンにし、風を選んで強行したと思うんですが。
丹後では竹を密に編んだ波浪を弾くような材料がありますから、油でも塗れば
相当の航海には耐えられたことと思います。いずれにせよシーレーンをガード
する高地性集落の狼煙とか、鏡による光通信による敵味方の選別とかのインフラ
があったのかもしれません。

604 :日本@名無史さん:05/01/21 15:14:27
>>603

そうかなー?
夜間海上泊の危険侵してまで交易をするだろうか?
それに、航海技術がそこまで進歩しているのなら 魏志には記載されないけど、かなりの数のふねが
魏から直接東シナ海を通り九州に入って来ていても不思議じゃないはずですよね

605 :しばらく:05/01/21 15:27:56
おっしゃるとおり、夜間海上泊がやれるのは季節的にほとんどないでしょうが、
絶対ないとはいえないといったところでしょうか。距離にしてはせいぜい新潟-
佐渡程度。昔は四国へは一晩かかりましたが、その半分程度かな。

606 :しばらく:05/01/21 15:39:10
五島列島-済州島は不可能だったと思います。対馬-壱岐経由が精一杯でしょう。

607 :しばらく:05/01/21 15:43:06
青函連絡船をわたるときなど太平洋を渡るほどの時間を感じましたよね。
ハワイのほうがはるかに近いと思います。

608 :日本@名無史さん:05/01/21 15:45:05
そうすると
基本的には、日中の沿岸航海と考えてよろしいのですね。

609 :しばらく:05/01/21 15:57:26
日中間の直接航路というものは後に遣唐使の時代沖縄の南から福建省に
島伝いに入る航路ができるまではなかったと思います。しかし、この航路は
一年中台風が襲いますから生存の確率が低かったと思うのですが。

610 :しばらく:05/01/21 16:05:43
いま、岡山の人が高知にタクシーでカラオケに行ったりしますが、
昔の宇高連絡線の沈没事件などを考えるとなんともいえない感じです。

611 :日本@名無史さん:05/01/21 17:28:19
しばらく氏

仮に、マキムクの遺跡が現在に至るまで発掘調査されなくても(何らかの遺跡は存在する)畿内説を主張しますか?

確かに外来土器が三割超には驚かされます。

612 :しばらく:05/01/21 17:55:14
私も何十年も前、鏡、古墳などの発掘の著作のあまりない頃邪馬台国とは
九州の山門地方だと思っていました。それが鏡、古墳、土器、青銅器の分類と
それらをプロットした分布図のに中心が近畿に変わるにつれ、苦い薬をかむ思い
で近畿説に変わって来ました。そして歴史とは文献ではなく土石の量で判断する
ものだなーと思うようになりました。また、考古学者、研究者が発表した研究報告
は全て事実に基づくことを原則にするものですが、すでに発表され多くの段階の
承認を得た事実をひっくり返すことはいくらたくさんのコンピュータを使ってもできない
と思います。ですから、推測でしか語れないる部分のあろうかと思います。考古学者
の地道な研究をおもちゃにするのはいいことではないかもしれませんが、ある程度
批判的に見ていかなくてはしょうがないと思います。宮内庁が天皇陵の発掘を
管理しているおかげで近畿に古墳が集まっています。しかしその外観からも近畿
の古墳は中心的だといえるのではないでしょうか。これらが邪馬台国時代ではない
とするのが九州説だと思います。ですから古墳、土器編年、C14年代測定の信頼性
に対する見方です。彼の寺沢薫さんでも歴博より半世紀ほど遅い見方をされ、九州
に片足を残したスタンスです。ですからど素人の私がどうのこうのいえる問題では
ないのです。所詮私は野次馬です。

613 :日本@名無史さん:05/01/21 19:31:11
しばらく氏

初心者のしょうもない質問に、答えていただきありがとうございます。

確かにおっしゃること良く解ります。
それに、少し斜めに物を観察することは大変重要なことだと思います。
考古学は正にミクロの世界、大変な苦労だと感じます。しかし、いざ大局となると私達素人の方が、実生活を応用して専門家よりも真実性高く表現出来るのも真実かと

私などは、まだ歴史を勉強し始めてからまだ、半年弱のド素人
ド素人だから何色にもまだ染まって無いのが
私の自慢です。
失礼しました。

614 :日本@名無史さん:05/01/21 20:27:55
かんのわのなのこくおうの金印は
やっぱりどこかの歴史家が文献読んで埋めたんですか?
あれが九州説の一翼を担ってますが…

615 :日本@名無史さん:05/01/22 15:47:17
>>613
>いざ大局となると私達素人の方が、実生活を応用して専門家よりも真実性高く表現出来るのも真実かと

>ド素人だから何色にもまだ染まって無いのが
私の自慢です。

お前が底抜けの馬鹿だって事はよく分かった。
分かったからもう来るな、な。

616 :日本@名無史さん:05/01/22 15:51:47
>>615
俺には613が底抜けの馬鹿だとは分からなかった
説明してくれ

617 :日本@名無史さん:05/01/22 16:01:02
>>616

それでは試しに聞いてみようじゃないか。

>>613よ、おれが>>615で引用した藻前のレス、
>いざ大局となると私達素人の方が、実生活を応用して専門家よりも真実性高く表現出来るのも真実かと

これの根拠を言ってみろ。


>ド素人だから何色にもまだ染まって無いのが
私の自慢です。
ex.私はサッカーはど素人ですが、ロナウド流にもベッカム流にも、ロベルト・カルロス流にも染まっていないのが自慢です。←こんなのが自慢になるか?

618 :日本@名無史さん:05/01/22 16:09:33
>>617
俺は613ではないから、前者には答えられないが、そんなのに根拠を要求するのは
おかしくねえ?むしろ、「意味わからん、説明せよ」の方がいいと思う。
後者は俺もちらっと思ったが、それだけで底抜けの馬鹿と決め付けられるの?

619 :日本@名無史さん:05/01/22 16:17:19
>>618
じゃ、藻前に言うが、藻前の言ってる、
>そんなのに根拠を要求するのはおかしくねえ?

の意味がわからん。
しかも藻前はその直後に、
>むしろ、「意味わからん、説明せよ」の方がいいと思う。

すなわち、藻前にとっての説明とは、根拠のあるものでなくて構わないという事でよろしいか?

説明せよ。

620 :日本@名無史さん:05/01/22 16:25:47
>>619
>>そんなのに根拠を要求するのはおかしくねえ?

の意味がわからん

わからんのなら、無視していただいて結構

>藻前にとっての説明とは、根拠のあるものでなくて構わないという事でよろしいか?
よろしいです(笑  あの文章にお前の期待する「根拠」などないのだから(爆

621 :参考資料1:05/01/22 16:28:00
649 名前:プラム 投稿日:04/12/26 15:31:55
>645
まだ、印に刻まれてる文字について、意見のまとまりがないうちに、勝手に決め付けちゃうんだ。
君達高レベル組には、新しい発想は無いのかね。

656 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:04/12/26 16:23:49
「何故>>646のように推測できるのか?」という質問の回答に全くなっていない。
従って、お前さんが示す本命・対抗・穴など信頼出来る状況にないと判断せざるを得ない。

657 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:04/12/26 16:42:09
なんだか、予想通りのレスだな、656は。
漢委奴国王の金印は遺跡ではなく、畑の石の下から出てきたんだっけ?
十分不自然ではないか
それ以外の盗難や捏造なんかはプラム氏の個人的な想像(妄想とまではいかないか)なので知らん。

658 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:04/12/26 16:51:17
>>657
根拠を示さなければ>>647への回答にならないし、実のある議論にもならない。

622 :参考資料2:05/01/22 16:29:54
670 名前:プラム 投稿日:04/12/26 18:01:56
別に、このスレ荒らすつもりでカキコしてるわけじゃない。
高レベルな議論を繰り返し、低レベルな意見非難すれど、結局何も解決してない状況をみて ここなら参加できると思いレス書いてみた。
君達に足りないのは、枠からはみ出した発想なんだよ。

674 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:04/12/26 18:58:01
プラムが自身「荒らし」であることを自白したようだな。

>君達に足りないのは、枠からはみ出した発想なんだよ。
みんな、「日本史板」・「このスレッド」という「枠」の中で議論をしている。
従って、個人の勝手な判断により「枠」をはみ出す=荒らし

>別に、このスレ荒らすつもりでカキコしてるわけじゃない。
つもりがあろうとなかろうと、荒らしは荒らし。

>高レベルな議論を繰り返し、低レベルな意見非難すれど、結局何も解決してない状況をみて ここなら参加できると思いレス書いてみた。
事実認識が間違っている。
前半と後半のつながりが訳わからん。
ひとまず、>>664,665からすると、自説>>646の根拠となるものが無いため、それを妄想で補っているに過ぎないようだ。

>枠からはみ出した発想なんだよ。
などと大層なことを抜かしてみたところで、自説の根拠すら提示出来ず、論理的思考ができないことの言い訳をしているに過ぎないとしか思えない。

623 :日本@名無史さん:05/01/22 16:41:42
>>621-622
ははーん、なるほど、いま俺もそのレスに見覚えがあるから行ってみた
そこではプラムが選択肢を4つ出して、このどれかだと言ったところに
「そう思う根拠は?(1〜4それぞれについて) 」と反射レスが付いたんだな
選択肢だから当然その中に間違いが含まれるのに、根拠などあるはずないもんな
こいつか、根拠厨は

624 :日本@名無史さん:05/01/22 16:44:35
>>620
捨て台詞のつもりかも知れんが、これも馬鹿を白状してるに等しいな。
しかもつまらん。

625 ::05/01/22 16:47:42
それを捨て台詞といいます

626 :日本@名無史さん:05/01/22 16:50:49
>>623
>「そう思う根拠は?(1〜4それぞれについて) 」と反射レス
>根拠厨

初歩的な印象操作ですな。
持論を書きつつも、その中で根拠を提示していないプラムに対して、根拠を問うのは当然の事。
>反射レス
でもなければ、
>根拠厨
でもない。

むしろ、このような印象操作をする藻前の行動は、藻前自身がプレッシャーを感じていて、それを漏れに転嫁しているように思えるのだがな。
心理学的には代償といったか。

627 :日本@名無史さん:05/01/22 16:55:40
>>625
漏れが>>624で馬鹿と書いた根拠。

>あの文章にお前の期待する「根拠」などない
根拠なく人を批判した(つもりになってる)証拠を、自ら暴露しているから。

根拠ない批判=馬鹿の行動
よって>>620は馬鹿。

628 :日本@名無史さん:05/01/22 16:57:48
俺はプレッシャーなどないぞ。どこからそんな言葉が出てくるんだか
(つまり、自分がってことでしょう)

>持論を書きつつも、その中で根拠を提示していないプラムに対して、根拠を問うのは当然の事。
もちろん、プラムの自説には根拠が示されてなかったから、その自説に根拠を求めるのは当然だろう
しかし、そこではなくて、選択肢のように当然根拠のないところに根拠を求めるのはおかしいだろ

629 :日本@名無史さん:05/01/22 16:59:06
さて、プラム類を晒したところで一言。

藻前ら良スレの邪魔だから失せろ。

630 :日本@名無史さん:05/01/22 17:04:27
>>628
>選択肢のように当然根拠のないところに根拠を求めるのはおかしいだろ

そうか、選択肢には根拠が無くても良いどころか、根拠が無いのが当然なのか。
初耳だ。
良い事を聞いた。

試しに藻前の説に従ってみるとしよう。

>>628は…
1.馬鹿
2.阿呆
3.餓鬼
4.低能
どれだか選んでくれ。
当然ながら根拠は聞かないよな?

631 :日本@名無史さん:05/01/22 17:06:08
>>630
もちろん!
なぜならそこに答えはありませんから!

632 :日本@名無史さん:05/01/22 17:06:36
>>631
その根拠は?

633 :日本@名無史さん:05/01/22 17:08:49
じゃあ例題

日本の首都は?
1東京
2ホノルル
3網走
4平和の海

2〜4には日本の首都である根拠はないだろ

634 :633とかいろいろ:05/01/22 17:13:10
ごめん、これから呑み会があるので去ります
スレ汚し失礼しました

635 :日本@名無史さん:05/01/22 17:20:33
>>633
馬鹿。
もう一度言うが、馬鹿。

プラムの場合は、金印があの場所で出土した理由を複数提示したのであって、読んでいる側がそもそも「根拠が提示されていない段階では選択すべきないようではない」のだ。
プラムが自分で複数の見解を示したのだから、根拠も見解の数だけ提示するのが当たり前であり、その根拠が「1つも」示されていないからこそ、
>そう思う根拠は?(1〜4それぞれについて)
という聞き方がなされているのだ。

ちょっと藻前が
>選択肢のように当然根拠のないところに根拠を求めるのはおかしいだろ

などと枝葉の部分で馬鹿抜かすから晒したまでの事だ。

調子に乗って、
>じゃあ例題

とか抜かしている場合では無く、藻前は根本的な理解が出来ていない事を自ら晒したのだ。

636 :日本@名無史さん:05/01/22 17:48:04
根拠のない議論(もどき)など、罵倒合戦か妄想合戦でしかない。

古代史は不明な事が多いが、だからと言って無根拠であることは許されない。

根拠の有無こそが推測と妄想の違いである。

妄想ならお花畑板か創作文芸板にでも逝け。

637 :プラム:05/01/22 17:54:21
プラムの話題になると俄然ハリキリだすんだねー
別に構わないけど

金印についての『根拠』云々
じゃ、教えてくれないかナー?
金印が何故、あの場所でみつかったか 真実を知ってるからこそ『根拠』無い説に、あれほど過敏に反論するんだろう。

でも、思うんだが
いくらそれっぽい『根拠』提示しても『真実』じゃなかったら
『メクソ、ハナクソを笑う』
の、時限だよ

真実を提示出来なければ
プラム=専門家
ま、同等だね

638 :ROM:05/01/22 18:04:47
呑み会いったんじゃなかったのか?
過去スレでジサクジエン常習&荒らし認定されたプラムタソw

639 :プラム:05/01/22 18:22:19
>>638

こいつ昼間から酔っ払ってるのか?
それともシャ〇中か?
頭テンパってるわな

誰が書いたのかも解らなくなっている

640 :日本@名無史さん:05/01/22 18:26:40
639ほそく

昼間から酔っ払ってる ×
昼間からズート酔っ払ってる 〇

641 :ROM:05/01/22 18:27:27
まああれだ、過去の実績と状況証拠だなw
ネタは挙がってるんだyo!

642 :日本@名無史さん:05/01/22 18:33:09
641

苦しい、言い訳だね
君じゃないか?
荒らしの専門家は

643 :日本@名無史さん:05/01/22 20:54:53
>>615
『根拠』好きだネー
あんたには、聞き流すとゆうことが出来ないのかね!そんなことじゃいつまで経っても、大人になれないよ
ま、あんたの場合『根拠無き発言』には幼稚園児にも食って掛かるそうだから

644 :日本@名無史さん:05/01/22 21:04:25
>643

プ ラ ム 必 死 だ な (藁


645 :日本@名無史さん:05/01/22 21:06:41
ミクロな根拠は数学や物理学でのはなし。
古代史においては
「少ない仮説で多くの実態が説明・解明できる」
ことを示すことによって帰納的に有力説となるわけで、
短絡的な「根拠を示せ」の連呼はまことに虚しい。

646 :日本@名無史さん:05/01/22 21:09:26
仮説は根拠がなくてもいいんですってかpu

647 :日本@名無史さん:05/01/22 21:16:28
つか、根拠の裏付けがない仮説って
それ、妄 想 で す か ら!!!
残念!

プラム自作自演斬り!!

648 :日本@名無史さん:05/01/22 21:38:55
仮説を立てるときには何かきっかけはあったろう。
それにいくつもの根拠という肉付けをしてはじめて仮説が定説となる。
つまり、仮説には根拠の裏付けがなくてもいいんじゃよ。

649 :日本@名無史さん:05/01/22 21:47:50
先生、1つも根拠の肉付けをしていない仮説をこのスレで発表されても迷惑なだけです!

650 :日本@名無史さん:05/01/22 22:11:30
違うんだなあ〜
「少ない仮説で多くの実態が説明・解明できる」ことを示すこと
・・・・が根拠なんですよ

651 :日本@名無史さん:05/01/22 22:27:00
先生!
スレを斜め読みした限り、プラムとかいう奴にはあてはまっていません!

652 :日本@名無史さん:05/01/22 22:31:07
>仮説を立てるときには何かきっかけはあったろう。
そのきっかけというものをプラムが提示してないか
ら責められてるんだと思うんだが。

653 :日本@名無史さん:05/01/22 22:31:33
そもそもプラム氏は九州説

654 :プラム:05/01/22 23:05:26
>>653

確かに去年までは、九州説だった

現在、伊都國や九州上陸の所で引っ掛かってしまい先に進めない状態
(……説)などと言えない状態です。

あえて言うならば
非畿内説かな。

655 ::05/01/22 23:07:36
>>654
なに?これは畿内と九州以外を求めた説か?

656 :日本@名無史さん:05/01/22 23:12:47
>654,655
>非畿内説かな。
そうですか、それではスレ違いですので他スレでどうぞ。

657 :日本@名無史さん:05/01/22 23:17:51
>>656
×他スレ
○電波板

658 :プラム:05/01/22 23:19:21
>>655
違うよ!

たぶん、九州だと思うが比定地が見つからない。
今は、邪馬〇國の前に伊都國攻略が先だから

659 :プラム:05/01/22 23:22:05
ごめん
お騒がせしました

660 :日本@名無史さん:05/01/23 00:35:20
>654
九州説なんて学者じゃ全くいないよ。

661 :日本@名無史さん:05/01/23 00:38:27
890 :日本@名無史さん :04/12/29 16:23:18
老教授氏へ
畿内の鉄器の出土の少なさを、低湿地遺跡が多く酸化したとか言ってますが、
低地の青谷上寺地などでも残っていますが、、九州でももちろん低湿地なら出てますよ。
平塚川添で出てないとか言ってますが、あるんですけど。板付でも出てますよ。
畿内の弥生後期までの鉄器量については、最近「見えざる鉄器」について大阪府の藤田憲司さんが明解に否定していますが。
大体、鉄器の出土量も問題ですが、今は庄内式期までの鍛冶技術の地理的勾配は認めざるをえないでしょう(村上恭通氏の一連の研究)。
鉄器は質/量ともに九州から東へ向かって地理的勾配があったのは事実ですよ。
畿内への集中は、布留0式期以降でしょう。(ホケノ山は布留0式期と考えます。)
みなさんにはふつうに入手できる本として、『倭人と鉄の考古学』村上恭通 著 (青木書店)をおすすめします。
あと、畿内系土器の九州への展開の実態とその解釈についても、老教授氏は実は良く分かってないかと、、、
この前の大阪の弥生文化博物館の展示と図録の論文集が良かったですね。




662 :日本@名無史さん:05/01/23 00:43:05
ド素人だけが主張する「学者は全員畿内説」論か・・・

663 :日本@名無史さん:05/01/23 00:47:40
>662
考古学者では高島氏と森浩だけです。九州説は。
法隆寺非再建説と同様、既に学問史の対象とされていますね。

古田某とか井沢某は、学者扱いされていませんので。



664 :日本@名無史さん:05/01/23 00:50:18
九州説の論拠自体は、若手の考古学者に継承されているから論争自体意味
がなかったわけではないんだけどね。


665 :日本@名無史さん:05/01/23 00:56:04
>>663
佐古先生も九州説だよ。プロジェクトXの七田氏も。
他にも何人かいるだろう、多分。


>>664
>九州説の論拠自体は、若手の考古学者に継承されているから

もうちょっと具体的に。
個人的には何も継承されていないと思うけど。

666 :日本@名無史さん:05/01/23 00:57:48
畿内邪馬台国は、文化水準の低い九州から
法隆寺を持ってきたっていう説を全学者が唱えてるんだ?
畿内説ってずいぶん電波なんだね、ふ〜ん。

667 :日本@名無史さん:05/01/23 01:00:29
↑ これは笑うところ?

668 :日本@名無史さん:05/01/23 01:08:00
>665

「古墳時代像を見直す」(村上恭通ら)
「王権誕生」(寺澤薫)
を読んだら。前者は難しいけど、後者は素人でも大丈夫だね。



669 :日本@名無史さん:05/01/23 01:09:20
>667
バカなんでしょ。
九州説ですから。

670 :日本@名無史さん:05/01/23 01:10:25
七田氏なんてのは単なる高校教師で学者とはいえません。

671 :日本@名無史さん:05/01/23 01:13:54
話がループしてるぞ。
↓読め。

500 :日本@名無史さん :05/01/12 00:07:43
>>最近はやりの寺澤説は、つまるところ九州説の根拠を大幅に採用したわけで
>あ、そうなんですか。是非、そのあたりを詳しく教えて頂ければ。
>寺澤薫って、なんか特殊器台→円筒埴輪から、吉備主導の倭王権成立を
>言っていた人だよね。

かつて考古学会の主流だった(今でもかもしれんが)小林行雄、佐原眞
都出比呂志らの邪馬台国畿内説というのは、かいつまんで言うと、
「倭王権(大和朝廷)は、弥生期からの畿内権力がそのまま成長したもの」
「鉄の流通の掌握のため畿内勢力が北九州を制圧した」
というもので寺澤氏の畿内説とは全く似て非なるものです。
考古学主流のこの畿内説に対してどちらかというと傍流だった森浩一や原田大六らは、
・弥生期の畿内文化といわゆる古墳文化との断絶
・弥生期の北九州文化と古墳文化との共通性
・弥生期においては、王権を象徴する考古学資料(個人墓、副葬品等)
 が北九州以外見られないこと。とりわけ畿内は乏しいこと。
・記紀など文献資料
などから邪馬台国東遷説を唱えました。

寺澤氏は、マキムク遺跡の年代などから邪馬台国は畿内に存在した
としつつも、上記畿内説への反論を大幅に取り入れる形でその在地性
を否定し、北九州、吉備、出雲などの外来の連合が畿内にうち立てた
ものとしています。



672 :続き:05/01/23 01:17:33
501 :日本@名無史さん :05/01/12 00:14:41
ただし、寺澤氏は森氏らと違い、吉備の特殊器台がマキムク遺跡に
流入している事実などから北九州よりも吉備を重視し、これが倭王権=邪馬台国
成立の主導を行ったと推測してます。
近年では、このスレッドにも名前が出た村上恭通氏などにより(従来の)畿内説
の有力な根拠であった「弥生期の鉄器の採一的普及」がほぼ完全に否定されつつあ
ることから、中堅、若手にこの立場をとる人が増えているようです。





673 :日本@名無史さん:05/01/23 01:18:41
なんで九州説は滅びたんですか?

674 :日本@名無史さん:05/01/23 01:21:08
>>668
読んだけど、どこにも九州説の論拠なんて見当たらないですが。
何ですか?九州説の論拠って?

675 :日本@名無史さん:05/01/23 01:22:39
>>670
息子の方ですが。

676 :日本@名無史さん:05/01/23 01:29:16
>>671
なんだ、まさかそんな古い話とはおもわなかったよ。
それならまあいい。

けど、大六って畿内説じゃなかったけ?

とりあえずこれ。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/2setu.htm

677 :日本@名無史さん:05/01/23 01:33:13
>>671-672をみると
結局「邪馬台国は九州だ」という畿内説が主流なワケね。


678 :日本@名無史さん:05/01/23 02:43:15
何々、
結局の所 たいそらしいこと言ってる割には
(…教)が、良いとか
(…教)は、学会でダメ
(…教 …教 …教)

ようするに 教祖選びしているだけ
ただたんに、誰かの説や研究に乗っかっているだけか
子供の自慢大会ですな

679 :日本@名無史さん:05/01/23 03:47:46
1世紀頃、出雲や吉備、北陸で始まった古墳築造が畿内に伝わり、
3世紀、畿内で最初の前方後円墳が造られる。
いわゆる、初期ヤマト政権、古墳時代の始まり。

初期ヤマト政権は、中国王朝の権威と思想を体現している三角縁神獣鏡を
地域支配の鍵としていたが、晋の滅亡に伴う4世紀の東アジアの激動で、
初期ヤマト政権は弱体化する。

680 :日本@名無史さん:05/01/23 04:14:25
初期前方後円墳とされる、黒塚や桜井茶臼山などは、葺石や埴輪を用いられていない
けど、あの椿井大塚もなんだよね。
初期前方後円墳の分布で、ある程度、その当時の畿内王権の勢力範囲みたいなものを
推測できるのかなあ、と思う。

681 :日本@名無史さん:05/01/23 15:51:21
初期ヤマト政権=邪馬台国で、畿内、吉備、丹波、東海、越の大連合だったとする
なら、吉備=投馬、東海=狗奴とするのは、どうだろう。吉備、東海は、
あくまで大ヤマト連合の構成員なのだから。
投馬=出雲と見て、やはり魏使は日本海航路でマキムクに至ったのではないだろうか?


682 :日本@名無史さん:05/01/23 15:56:13
記紀の欠史八代で、畿内王権と吉備、東海、丹波らとの婚姻政策が記述されているが、
筑紫や豊などの北九州は出てこない。マキムクの搬入土器で北九州が殆ど出てこない
のと一致する。
3世紀初め、北九州や出雲に対抗する意味で、畿内らは団結し伊都王から倭国王位を平和裡に奪取。
中国皇帝から倭国王位継承の承認を得るため、遣使したのだろう。

683 :日本@名無史さん:05/01/23 16:15:42
北部九州東遷論者が良く言う、
「鉄の潤沢な北部九州が、畿内らに遅れを取る筈が無い。だから後世の大和朝廷に
連なる畿内王権は北部九州勢力が打ち立てた」という話。

反論すれば、北部九州勢力が必ずしも一枚岩であった、とは言えない。むしろ先進地域に
ありがちな小国乱立状態があったのではないか。少なくとも倭人伝には多くの小国が
記載されている。北部九州にマキムクのような、搬入土器が多くを占める大遺跡が発見
されれば別であるが。

684 :日本@名無史さん:05/01/23 16:18:01
更に言えば、北部九州がそのような強大な競争相手だったからこそ、畿内は吉備や東海らと
団結する必要があった訳で。もし北部九州がその圧倒的な鉄、先進技術で連合のイニシアティブ
を取ったとするなら、本拠地は自国近くに置く筈で、また女王を共立という妥協などをせず、
倭国大乱以前のように、中国皇帝のお墨付きのもと倭国王として君臨すればいいのだ。

倭人伝で、伊都国に一大卒が設置されていることからも、倭国連合への参加表明が遅れた
北部九州の発言力が弱まり、また畿内王権から警戒、監視されていたことが窺える。

685 :日本@名無史さん:05/01/23 21:19:45
>>683
比恵那珂遺跡群、博多遺跡群、西新町遺跡、三雲遺跡群があるが。
奴国と伊都国だけですがね。

686 :日本@名無史さん:05/01/23 21:26:24
>>679
椿井大塚山、桜井茶臼山、黒塚は葺石あったはずだが、、

687 :日本@名無史さん:05/01/23 21:45:03
>>685
でも、倭人伝を読む限り、奴国も伊都国も、邪馬台国に首根っこを押さえ
られている。
奴国、伊都国以外に北部九州に大国があったとは思えない。ていうか、そんな
遺跡はないし。
3世紀の畿内王権=邪馬台国と見る方が妥当。

688 :日本@名無史さん:05/01/23 21:57:07
>683
そりゃ間違い。
考古学的に弥生期に広域の王権が証明できるのは、北九州だけと
されている。



689 :日本@名無史さん:05/01/23 22:00:39
ところでなんで九州説って滅亡しちゃったんですか?


690 :日本@名無史さん:05/01/23 22:04:30
>676
おい、詐欺師古田匹敵する電波安本のサイトなんか紹介するなよ。
荒れるじゃないか。

691 :日本@名無史さん:05/01/23 22:10:32
>初期前方後円墳とされる、黒塚や桜井茶臼山などは、葺石や埴輪を用いられていない
>けど、あの椿井大塚もなんだよね。
そういうのは、最初期の古墳じゃないよ。
最近の考古学の本をちゃんと読んだら。

692 :日本@名無史さん:05/01/23 22:14:16
>>690
なんで?荒れてないじゃない。
グルグルで一番上にリストアップされたのをとりあえず貼っただけだよ。

693 :日本@名無史さん:05/01/23 22:16:30
>677
>>>671-672をみると
>結局「邪馬台国は九州だ」という畿内説が主流なワケね。

考古学会の状況を正確に言うと、今のところ、
「「プレ邪馬台国は北九州」という畿内説が「傍流」」
という言い方が正しいです。




694 :日本@名無史さん:05/01/23 22:19:01
>692
ここは畿内説のスレ。
電波九州説の最たる安本のサイトなんか出すな。

695 :日本@名無史さん:05/01/23 22:21:28
なんで素人は九州説が好きなの?

696 :日本@名無史さん:05/01/23 22:25:38
>>694
リンク先見た?誰が何説かっていう表があるだけだよ。

大六が畿内説であることを示すのに
見た中で一番わかりやすかったんだけど。

697 :日本@名無史さん:05/01/23 22:26:41
実は、私も、以前は、熱心な、九州説だったんだよね。
で、これを実際に立証しようと、必死で、考古学から、暦の問題から
天皇系図から、神話伝承から、いろいろいろいろ調べたよ。
そうしたら、完全瓦解したね。九州説は、結局無理だって。
実際、九州説時代からの書籍をいれると、100冊以上はよみまくった。
最初はかなり怪しいのも読んだ。トンデモとそうでないのの区別が
つかなかった。定年退職後の道楽でかかれた本も、ずいぶん読んだ。
そうすると、おもしろいことがわかった。
1)九州説は、各人各様。どこにも共通点がないといってよい。
2)大和説は、一つ貫かれたコアがあって、細かい点は違うが、
  大筋で、ほとんどの人のものが一致する。
九州説の人は、反大和説でかたまっているようにみえるが、みな
それぞれ違う。結局、基盤がなにもないから、すべて妄想に近いもの
なんだね。各人の妄想が、そのまま説になっている。だから、
九州説のひとたちどうしで議論させればおもしろいのだ。
反大和説なので、大和説がだめだということではおおむね一致するので
その意味で、大和説批判で団結できるだけなんだ。
半専門家のようなYやTの本も、内容はまるで違うが、反大和説では
一致しているところが多い。大和説を突っつく方法については、互いに
情報を共有しているからね。とりあえず、大和説抜きで、「九州統合説」
をだしてみたら、どうだろう。たぶん、全くまとまらないだろう。
肥後説もあれば、宇佐説もある。九州説の人たちがいう邪馬台国の中心
は九州各地に分散している。でも、大和説なら、桜井市の纏向遺跡という
ところに99%収束している。



698 :日本@名無史さん:05/01/23 22:27:35
一ついえるのは、考古学的にみて、九州に邪馬台国があった可能性は
1%もない。1億歩譲って、伊都国とされる位置の近傍にあてる
程度だろう。
ちなみに、1990年ごろまでは専門家の間でも九州説はかなりいた。
ところが、1990年代前半ごろから旗色が悪くなると、邪馬台国
は二つあったとか、邪馬台国東遷説などになってきた。ようするに、
卑弥呼は九州にいたが、台与の時代に、大和に移ったという説だ。
まあ、これが最後のあがきだ。ちなみに、1990年代後半まで、
東遷説や、二つあった、説を唱えていた人は、そんなにひどいトンデモ
やさんではなかったこともいえている。でも、もうだめだ。土器
編年の精緻化と、年輪年代による時代考証をへて、いまでは、九州
説は専門家の間では、だれもいない。1人くらい歴史学者でいるかも。
あとは、YとかTくらいだろう。Tは歴史学者ではある。Yは数理
言語学屋だ。
いまでは、九州説のことなんかよりも、もっと邪馬台国っていうか、
近畿の政権誕生の仕組み、その姿などをどうとらえていくのか、その
時代の経済、さらに地域をこえた交流などのほうが重要だ。これが
解明していくべき課題だ。



699 :日本@名無史さん:05/01/23 22:29:15
電波安本イッテヨシ

700 :日本@名無史さん:05/01/23 22:33:14
考古学関係者で畿内説以外なんて若干の例外を除いて居ないのでね。
考古板で語る場合は当然「畿内説」になるのだよ。
ちなみに九州説の拠りどころである文献史学の世界も
現在ではほとんど畿内説に傾いている。
嘘だと思ったら近くの大学でも考古資料館でもいいから訪ねてごらん。

現在の争点は、2世紀末から3世紀に畿内で発生した王権を構築した勢力はどこなのか?
そのメンバーと参加した順番はどうなのか?
またそのまま大和朝廷の礎となったのか、或いは政権交代が繰り返されたのか?などであって
邪馬台国の位置問題は決着したといって良い。

もしこの流れが気に入らないというのならば
堂々と九州説を学会誌やジャーナルに発表して、専門家を見返せば良い。
楽しみにしているよ。



701 :日本@名無史さん:05/01/23 22:37:57
九州王朝説と九州説どっちが電波?

702 :日本@名無史さん:05/01/23 22:44:44
>675
息子も自治体のしがない埋文のおっさんにすぎず、そんなのが
何をわめこうが、九州説がほぼ滅亡した現状を変えられるわけ
がない。


703 :日本@名無史さん:05/01/23 22:47:03
言えば、東遷説は考古学で証明のしようがないものだし、
記紀を読む限り、北九州を除く畿内、吉備、丹波、東海の連合が先行して
(欠史八代〜崇神)、出雲征伐(崇神)、景行による九州征伐を経て、倭国の
版図が大体決定したのかなあ、と。

704 :日本@名無史さん:05/01/23 22:47:32
藻れ、思うんだが
当時倭国の地図を見て、奈良盆地を指差し出来る人いたのかなぁ?
藻れ殆どいないと思うけど!

705 :日本@名無史さん:05/01/23 22:51:30
>703

北九州からかはともかくとして考古学者に東遷説はいる。
北九州は、マキムク型前方後円墳が畿内以外で最初にできた地域だから
そこを除外したというのもおかしい。


706 :日本@名無史さん:05/01/23 22:55:29
実際には実施邪馬台国の位置論争は畿内で片がついてるんだけどね。
アマチュアが金儲けのためにいまだに論争があるように言ってるなんだよ。
しかしこれが案外各地の遺跡保存なんかには役にたつわけ。
マスコミ対策なんかに一番利くのが「邪馬台国」って一言なんだよね。

707 :日本@名無史さん:05/01/23 23:04:03
では、畿内王権が九州発でないのなら、何故、記紀に日向三代やら神武東征の
記述があるのか?

私は、応神の時に政変があり(三輪→河内王朝)、その時に日向が建国神話に
付け加わったのではないか、と思う。
高句麗南下による半島情勢の激化により、日向王であった応神が、北九州豪族
やら葛城王らの支援のもと、畿内の大王位を簒奪した。日向は対熊襲の前線基地
であり、軍事力はそれなりにあったのだろう。
その時の記憶が神武東征になったのではないだろうか?
河内王朝は北九州豪族の利益代弁者であったので、積極的に半島政治に介入
していく。

708 :日本@名無史さん:05/01/23 23:16:35
>707
河内王朝説なんて今じゃほとんどいませんよ。
もともと考古学者は否定的でしたが。
今唱えている人が死んだら消える学説ですね。

709 :日本@名無史さん:05/01/23 23:40:33
>>708
河内王朝や王朝交替という言い方に語弊があったのかもしれないが、
政権内の権力闘争までを否定はしないだろ?
まさか、万世一系を信じている訳ではないだろうし。
後世の継体の時のような、地方の有力豪族を大王に迎える、みたいなことが
あったとしてもおかしくない。

応神の頃に政変があったのは記紀にも記されていて、
その頃に大王の奥津城が河内平野に移った。
日向国造が応神の時に任ぜられ、仁徳の妃が日向出身であり、
応神が西都原の日向氏と関係が深かったのは確か。

八十島祭なんかは、内陸部の奈良盆地の王権の祭りとは思えないのだが。

710 :日本@名無史さん:05/01/23 23:51:28
>>708
>今唱えている人が死んだら消える学説ですね
だから何?

711 :日本@名無史さん:05/01/23 23:51:49
>>706
専門家やその他大勢が、殆ど畿内説で一致しているし、99%大和で決まりなんだよね。

でも、その割にはいつまでも邪馬臺國スレに畿内説論者がウヨウヨいるわなー
もう、揺るぎ無く決定したならもういいじゃん。引退しても
邪馬臺國比定出来たんだからよかったね。
『畿内説はマキムクあるしいいなー』

でも、不安なんだよね。
強引に理由付けしたとこあるし マキムクは何も喋ってくれない
精神的に九州説がいるから成り立ってるとこあるもんな

712 :日本@名無史さん:05/01/24 00:03:23
>711
>精神的に九州説がいるから成り立ってるとこあるもんな
だからそもそも学者には九州説はほとんどいないんだって。




713 :日本@名無史さん:05/01/24 00:05:09
>709
継体新王朝説なんてのは河内王朝以上に終わっちゃった学説ですよ。
ちょっと参照しているのが古すぎなんじゃないですか。

714 :日本@名無史さん:05/01/24 00:06:02
>711
おい、古田信者。
いいから隔離スレッドに消えろよ。


715 :日本@名無史さん:05/01/24 00:14:05
>>713
最近の学説はどういう傾向なんですか?

716 :日本@名無史さん:05/01/24 00:17:17
>>712

そりゃ、最初からバリバリの畿内説もいるけども、結構いるんじゃないの
最初九州、今、雲行き悪いから無理矢理畿内にくら替え組
皆必死なんだよね。
折角築いた多数派グループ

717 :日本@名無史さん:05/01/24 00:21:56
>715
考古学者は、ほとんど畿内説。
90年代に九州説だった連中もほぼ全員転向。


718 :日本@名無史さん:05/01/24 00:26:58
>>717
継体王朝説については?

719 :日本@名無史さん:05/01/24 00:31:01
誰が畿内説でも九州説でもいいじゃない
そんなに他人に寄り掛かっていたいの?

720 :日本@名無史さん:05/01/24 00:38:25
>>717

こんどはどこへ引っ越すんだその連中
一度転職すると癖になる。これ、社会の常識

721 :日本@名無史さん:05/01/24 00:43:50
>>697
井沢氏の著作は読まれたのですか?
比売大神の存在をことさら無視しても説得力ありませんよ?

722 :日本@名無史さん:05/01/24 00:51:34
マキムクをみて、慌てて転向、腰軽・軽率畿内説
飯の種なら、全国どこでも転向しまっせ、カメレオン

723 :日本@名無史さん:05/01/24 00:55:08
>>713
だから〜
初期ヤマト政権の大王が有力豪族による持ち回り、共立であったとするなら、
九州から応神、近江・越から継体が大王として迎え入れられた、ってことは
あったかもしれないだろ?
ていうか、継体はそのまんまなんだけど。

まさか、万世一系とか信じている人?
君が自説を主張しないことには、話にならないよw
君は、何故、日向三代や神武東征が記紀に書かれたと思っているわけ?

724 :日本@名無史さん:05/01/24 00:56:44
ふるっ!

725 :日本@名無史さん:05/01/24 01:10:47
>>722
まあ、考古学が新しい発見で塗り替えられていくことはある意味宿命であって、
その新しい発見を前提に、自説に修正を加えていった結果、九州説→畿内説と
なった訳。

記紀の記述とも整合性があり、落ち着くべき結論に落ち着いた印象。
予想以上に古代の歴史家は正しい歴史を書いていたんだなあ、と。
当時の政治の影響は当然あっただろうし、取捨選択はあったのだろうが、
明らかな捏造とか偽作はしなかったんだろう。

726 :日本@名無史さん:05/01/24 01:17:42
九州説は「畿内中心史観に物申す」という立場であって、戦後の古代史研究
の発展には意義があったのだろう。
おかげで、筑紫や、出雲、吉備、丹波などに王権があったことは、
いまや当たり前のこととして言われている。
そして、その存在意義は失われた訳だ。

727 :日本@名無史さん:05/01/24 01:30:40
>でも、不安なんだよね。
>強引に理由付けしたとこあるし マキムクは何も喋ってくれない
>精神的に九州説がいるから成り立ってるとこあるもんな

いや、古代史は邪馬台国=マキムクであることを前提にして、
3世紀のヤマト政権が如何に発生、展開していったかを論議していかなければ
ならない。筑紫、出雲、吉備との関わり。
特に、4世紀の造山など、大王墓クラスの巨大前方後円墳が、何故吉備に築造されたのか?
など。
その時に有効なのが、記紀などの文献解釈なんだよ。

728 :日本@名無史さん:05/01/24 01:40:44
>>726
特に東大でさかんだったんだっけ

729 :日本@名無史さん:05/01/24 02:02:39
>>727
当時畿内に纏向があったからといって、それが邪馬台国と結びつけるには
根拠がなさすぎだよ。
文献的には、畿内は全く矛盾。まず、その矛盾を解くか、畿内説のより
どころとなる決定的な遺物を提示しない限りは、決着しないな。
今まで、畿内説において、まっとうな文献解釈を見たことがない。

畿内説の根拠は、
纏向に巨大な遺跡があったこと、
そして、邪馬台国が九州であったならば、纏向が記載されていないと
おかしい、
ただそれだけしかない。

纏向は纏向であり、それ以上でもそれ以下でもない。

730 :日本@名無史さん:05/01/24 02:14:16
考古学者が、畿内説を唱えようが、九州説を唱えようが、自分で思うのは
勝手だが、今の根拠がない状態で、学説として唱えているのであるならば
考古学は所詮、その程度の学問ということになる。

731 :日本@名無史さん:05/01/24 02:18:23
>>729
あなた、倭人伝に呪縛され過ぎ。
3世紀の畿内王権がヤマト政権になったことは間違いなく、
最早、重要議題は「邪馬台国はどこですか?」ではなく、
畿内王権がどのようなプロセスを経て、発生・発展していったかの話に
移っている。

大体、
>でも、倭人伝を読む限り、奴国も伊都国も、邪馬台国に首根っこを
>押さえられている。
>奴国、伊都国以外に北部九州に大国があったとは思えない。ていうか、
>そんな遺跡はないし。
という指摘に、あなたはどう答えるつもりなのか?
宇佐や西都原は止めてねw

732 :日本@名無史さん:05/01/24 02:31:09
マキムクも突然滅亡してるし

733 :日本@名無史さん:05/01/24 02:33:04
>>732
滅亡?遷都じゃねーの?

734 :日本@名無史さん:05/01/24 02:58:09
>>731
>宇佐や西都原は止めてねw
なぜ?

あなたこそ考古学の呪縛にかかりすぎ。
日本中が畿内と同じように掘り返されていると思っているのか?

735 :日本@名無史さん:05/01/24 03:00:14
それから倭人伝のみでなく記紀を初めとする多くの日本の文献も
九州の由縁を残しているが。

736 :日本@名無史さん:05/01/24 03:41:13
まずは金印と阿蘇山を畿内で見つけてくることだ

737 :日本@名無史さん:05/01/24 10:06:29
>>734
日本全国で掘り返されずに残ってる平地なんて北海道にしかないよ。

738 :日本@名無史さん:05/01/24 11:31:51
はあ?

739 :日本@名無史さん:05/01/24 15:09:19
>>737
豊前地方は広大な田園地帯が広がっています。
開発が進めば、大規模な遺跡が発掘されるはずです。
高速道路さえ開通すれば、邪馬台国も発掘されるのに。

740 :日本@名無史さん:05/01/24 20:54:29
九州派必死だな。
もはや擬似科学・オカルトの類なのに。

741 :日本@名無史さん:05/01/24 21:19:44
マキムク信仰にすがって生きるの 楽しいの?

742 :日本@名無史さん:05/01/24 21:22:01
>>741
このスレッドは畿内説専用なんだから言いたいことがあれば別に
九州説スレッドでも立てたら?

743 :日本@名無史さん:05/01/24 21:36:24
誰が九州説と言った?

744 :日本@名無史さん:05/01/24 22:29:15
九州王朝スレってあったなw

745 :日本@名無史さん:05/01/24 22:37:57
大和郡山だよ。邪馬台国物部王朝。

746 :日本@名無史さん:05/01/24 22:39:56
>718
継体新王朝説は、もともと文献の連中が言い出したんだが、
当初より息長古墳群などのショボさから考古学者は、河内
王朝よりもさらに否定的。
文献の世界でも継体の出身氏族が単なる真人でしかない
ことその他諸々などからほぼ否定されている。





747 :日本@名無史さん:05/01/24 22:47:01
>>746
継体天皇の父王は息長氏系王族だよね。
息長古墳群ってあるんだー。近江高島郡の三尾の別業(なりどころ)ってそこかな?

748 :日本@名無史さん:05/01/24 22:47:44
>726
そのとおりだよね。
その批判が実ったのが寺澤史観なんだからさ。

749 :日本@名無史さん:05/01/24 22:56:14
>747
滋賀県の近江町。大きくて50メートルくらいの古墳しかないです。
それから、その当時「息長氏」ってのはいません。あくまで皇族ですので。
後に継体天皇の子孫が「息長真人」性を与えられました。



750 :日本@名無史さん:05/01/24 23:01:38
>>749
応神天皇の5世孫・息長真手王(おきながまてのみこ)が息長君の祖じゃないの?


751 :日本@名無史さん:05/01/24 23:03:32
応神天皇の孫の意富々杼王が息長の坂君、酒人君、三国君らの祖、らしい

752 :日本@名無史さん:05/01/24 23:22:24
>継体の出身氏族が単なる真人でしかない

単なる真人って、天武八姓の筆頭だろ

753 :日本@名無史さん:05/01/24 23:22:49
>741
詐欺師の和田が作った偽文書にすがる古田信者よりマシだろ。

754 :日本@名無史さん:05/01/24 23:25:40
最近はアマチュアでも畿内説ばやりだよ。
高城修三とか関裕二とか。
学者は聞かれりゃ「畿内で決まった」というからね。


755 :日本@名無史さん:05/01/24 23:29:40
>当初より息長古墳群などのショボさから考古学者は、河内
>王朝よりもさらに否定的。
>文献の世界でも継体の出身氏族が単なる真人でしかない
>ことその他諸々などからほぼ否定されている。

まあ、継体が息長氏出身というのも、あくまで仮説に過ぎないのだが。

756 :日本@名無史さん:05/01/24 23:31:04
>752
わからん奴だな。
「継体の出身部族が新たな王族とならず、真人でしかない。」
というのが新王朝説が否定される理由とされてるの。


757 :日本@名無史さん:05/01/24 23:33:15
>740
疑似科学つーか商売だろ。
古田や安本の。

758 :日本@名無史さん:05/01/24 23:35:14
>初期ヤマト政権の大王が有力豪族による持ち回り、共立であったとするなら、
>九州から応神、近江・越から継体が大王として迎え入れられた、ってことは
>あったかもしれないだろ?

回り持ちかどうかなんてことは、考古学では証明しようがないし、
文献には全く証拠がない。

だから議論する意味なし。

759 :日本@名無史さん:05/01/24 23:41:39
>>746
継体の妃の出身地は畿内のほか、近江・尾張にわたる。
越前・近江地方を地盤とした継体が中央に進出したことは十分に考えられると
思うが。
まあ、上宮記逸文をそのまま信じられるあなたは、幸せだとは思うよ。

760 :日本@名無史さん:05/01/24 23:50:39
>759

「考えられる」なんてのはお話にならない。
文献か考古の証拠があって初めて成り立つわけだから。

761 :日本@名無史さん:05/01/24 23:51:46
九州説はなんで滅亡したの?

762 :日本@名無史さん:05/01/24 23:58:18
761 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/01/24 23:51:46
九州説はなんで滅亡したの?




こればっか言って煽ってる馬鹿、いいかげんウザいんだが。

763 :日本@名無史さん:05/01/24 23:58:31
で、結局、考古学では邪馬台国の証拠はないの?
金印だけ?

764 :日本@名無史さん:05/01/24 23:58:41
>>758
>だから議論する意味なし

まあ、あなたの言っていた「北九州東遷→ヤマト朝廷」も五十歩百歩だと
思いますが。
感情的な人ですね。


765 :日本@名無史さん:05/01/25 00:01:06
一応、継体王朝説の学者はまだいるよ。その連中が死んだら消えるけど。
邪馬台国九州説→河内王朝説→継体王朝説の順にアカデミズムから
消えていくんじゃない。


766 :日本@名無史さん:05/01/25 00:06:15
天武の時、継体以後の皇親氏族に八色の姓の最上位・真人を与えたという事だけでも、
同じ皇別氏族でも継体以前・以後で、後世の人々の認識が違うというのが分かる。

つまり、継体は、それまでの大王は輩出していた幾つかの血縁集団とは、
全く違う出自であったということなのだ。

767 :日本@名無史さん:05/01/25 00:07:28
古田信者の悪あがきは見苦しいね。

768 :日本@名無史さん:05/01/25 00:08:41
>766
アホかお前は
真人なんていっぱいいるぞ。


769 :日本@名無史さん:05/01/25 00:09:27
>>761,767

770 :日本@名無史さん:05/01/25 00:10:42
>>768
子門

771 :日本@名無史さん:05/01/25 00:12:27
>>760
あなた、自説に都合の悪い説には、証拠証拠と言って批判するから、
自説が発表出来ないんだよ。

まあ、俺としても、あなたの批判は自説を軌道修正する意味で活用させてもらい
たいけど、「消える」とか「最近の若い学者は…」とかの内容の無い批判では
正直、何と言っていいか分からないな。思い込み、激し過ぎない?

772 :日本@名無史さん:05/01/25 00:13:08
>>754
関裕二はもうちょっと複雑だよ。卑弥呼が九州で二代目卑弥呼(台与)が大和(出雲)出身だったかな

773 :日本@名無史さん:05/01/25 00:15:05
だれか>>770いじってやれよ

774 :日本@名無史さん:05/01/25 00:17:12
>>756
>>752
>わからん奴だな。
>「継体の出身部族が新たな王族とならず、真人でしかない。」
>というのが新王朝説が否定される理由とされてるの。

まあ、継体以前の大王家の血縁集団も、王族にはなっていないんだけどね。
むしろ、真人にもなれなかった。

775 :日本@名無史さん:05/01/25 00:17:21
>766

真人が新王朝の証拠とは笑える説だね。
新王朝だらけじゃん。
ここも九州王朝スレ並の低レベルスレッドだな。



776 :日本@名無史さん:05/01/25 00:19:22
>>754
関裕二はもうちょっと複雑だよ。卑弥呼が九州で二代目卑弥呼(台与)が大和(出雲)出身だったかな

>>754
>関裕二はもうちょっと複雑だよ。卑弥呼が九州で二代目卑弥呼(台与)が大和(出雲)出身だったかな

そういうふうにしないと出版させてもらえないんでしょ。たぶん。


777 :日本@名無史さん:05/01/25 00:19:50
>>775
おいおいw 自分で勝手に結論を出して、一人で悦に入らないように

778 :日本@名無史さん:05/01/25 00:21:53
>771
妄想九州説じゃないんだから自説に証拠を出すのは当たり前。


779 :日本@名無史さん:05/01/25 00:26:15
関裕次は学者なんですか?
井沢元彦みたいな電波ですか?

780 :日本@名無史さん:05/01/25 00:36:45
関裕次なんて人はいません

781 :日本@名無史さん:05/01/25 00:45:48
持ち回りについては少し言いたい。

倭人伝の女王共立の記述。また大王は比較的後世まで、臣下に推戴される形式
であったと思われる。継体が大伴金村に推戴されたように。

初期ヤマト政権が緩やかな連合であったとするなら、一つの王家が大王位を独占した
とは考えにくい。奈良盆地にも葛城、大和、佐紀盾列と三つの古墳群があり、それぞれ
が大王家を輩出する集団であったのだろう。
私は、大王を輩出することが出来る豪族は複数あったのではないか、と思う。

782 :日本@名無史さん:05/01/25 00:48:19
>>778
だから、あなたは自説を語らないんですね。
なるほど。

783 :日本@名無史さん:05/01/25 02:10:34
2世紀後半の畿内の状況はどうなのでしょうか
プレ邪馬台国というか
それなりの痕跡があるのでしょうか


784 :日本@名無史さん:05/01/25 02:27:39
突然できて、突然消える、マキムクが、なんで邪馬台国?

785 :日本@名無史さん:05/01/25 08:28:05
纏向からはすぐに遷都したんだろう

786 :日本@名無史さん:05/01/25 15:03:47
纏向の次の都って、どこか遺跡はあるんですか?

787 :日本@名無史さん:05/01/25 21:27:39
一日一回見てるけど、老教授来ないな

788 :日本@名無史さん:05/01/25 22:06:53
老教授?

何か考古学的に新発見があれば、いさんで報告しに来るだろう。
来ないってことは、知識をひけらかせるような新発見が何もないってことだ。


789 :日本@名無史さん:05/01/25 23:41:33
>奈良盆地にも葛城、大和、佐紀盾列と三つの古墳群があり、それぞれ
>が大王家を輩出する集団であったのだろう。

馬見古墳郡は、葛城氏など豪族の陵墓が主体で大王墓
の古墳群とは想定されてません。
佐紀は、先行古墳がほとんどなく、倭王権が交通路の非生産地に
単に陵墓の場所を移したにすぎないとされてますが。

790 :日本@名無史さん:05/01/25 23:45:49
韓国105代天皇尊影集
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/emperor.htm

「韓国105代天皇尊影集」は「大朝鮮帝国史」の作家、卍夢 金珊湖(キム・サノ)先生が
5年余りにわたる刻苦の努力と、我々の歴史を正しく知らせて民族の精気を正しく立て直そうという熱望で、
渾身の力を尽くして100点余りの絵で描き出したご先祖様たちの姿を盛り込んだ「画集」である。

失われて歪曲された歴史を復元し、画家としての霊感を足して描き出した、
韓民族の国々を起こしたご先祖たちの姿は、どきっとするほどの衝撃的な感動を与える。
我々が見てきた率去の1000年余り前の檀君像は、
国を起こした方としてはどこか不足した部分が多かったのが事実だ。
神話的な要素がより多く見える神仙のような姿ではなかったか?
しかし、金珊湖画伯の霊感で描き出した始祖 檀君の姿は、国を建て起こし、
性通光明,理化世界,弘益人間を理念とする桓因の国である桓国と
倍達帝国を継承した大朝鮮帝国の始祖として、
「やはりそのようなお姿だっただろう」という感嘆を自然に醸し出させる。





791 :日本@名無史さん:05/01/25 23:55:00
日食という科学的根拠のある唯一の説、邪馬台国宇佐説が
議論されないのはおかしいというしかない。
橿原一派も本当は脅威を感じているはず。

792 :プラム:05/01/26 00:01:33
『金印』に付いてのコメント
超、遅いコメントですいません。

志賀の島で発見されたきん印が奴國が賜った金印と仮定すると

倭国大乱(狗邪韓国内乱)により狗邪韓国にいた奴王が乱を避けるため九州に逃れた。
しかし、九州でも邪馬臺国の勢力が増大し内乱を起こし、奴國王の居場所が無くなり志賀の島に、幽閉又は追い込まれた。

こんなもんでいいかい。

根拠と言われても資料が余りにも少な過ぎて
あとは、そうぞうしか出来ない。

793 :日本@名無史さん:05/01/26 00:06:44
「委奴国」が受け取った金印は、肥後勢力が強くなっていく九州で、
旧博多湾岸勢力が渡すまいとして、志賀島に埋めたと思う。

794 :日本@名無史さん:05/01/26 00:10:17
安本美典は、学者の間では評価が高いのですか?

795 :日本@名無史さん:05/01/26 00:18:42
>792
単なるキティな妄想ですね。

796 :プラム:05/01/26 00:37:11
>>795
妄想とする根拠は。

妄想とするいじょう。
真実又は真実に限りなく近い自説があると、みましたが
いかが!

797 :日本@名無史さん:05/01/26 00:40:45
やっぱ一番ロマンがあるのはウリナラ説だよね

798 :日本@名無史さん:05/01/26 00:45:00
記紀に女王国卑弥呼の記述がないのは、記紀の作者が遠隔にある九州の情報を
入手困難のために記述できなかったものであり、中国側に属国扱いされるから
畿内にある女王国の記述を隠匿したなどというのは、畿内説弁護的言い訳であり、
日本側が嫌で避けたければ、記紀に中国の当時の各国を滅茶苦茶に言葉、文章で
こき下ろせばいいことである。黙って隠すことはなかろう。
邪馬壹国は畿内から遠隔の九州にあったからこそ、殆ど情報が書けなかったのだ。



799 ::05/01/26 00:49:09
>>798 (畿内説スレのため)
は,余の九州王朝スレの文ですが、ここは余が書き込んだのではありません。

800 :日本@名無史さん:05/01/26 01:08:22
畿内の王権の発生時期は幾つくらいの説に分かれてるのでしょうか?
・弥生の始めの頃から
・銅鐸を宝物としていた頃から
・銅鏡を宝物としていた頃・・・は既に倭国大乱とかの記事があるか。

801 :日本@名無史さん:05/01/26 15:04:58
>馬見古墳郡は、葛城氏など豪族の陵墓が主体で大王墓
>の古墳群とは想定されてません。

また決め付けか


802 :日本@名無史さん:05/01/26 15:51:05
>>798

九州にあった邪馬台国は、百済と同様、中国の属国だった。
だから、畿内王権はその件を無視していた。
無論、大和朝廷の祖先は畿内王権である。邪馬台国ではない。


803 :日本@名無史さん:05/01/26 23:12:01
コピペに答えても虚無・・・

804 :日本@名無史さん:05/01/26 23:54:04
>>802
そのへんが真実だろ。
邪馬台国が宇佐にあろうがどこにあろうが、
倭王権は一貫して畿内に存在し、大和朝廷に発展していったわけだ。

805 :日本@名無史さん:05/01/27 00:03:28
邪馬台国を都とした女王が倭王なのだが・・・・・

806 :日本@名無史さん:05/01/27 00:10:07
>801
ウソだと思うなら橿考研にでも聞いてみろよ。


807 :日本@名無史さん:05/01/27 00:35:43
宇佐しか科学的根拠のある候補地はないと思う。

808 :日本@名無史さん:05/01/27 00:48:57
騎馬民族説ってどうよ。

809 :日本@名無史さん:05/01/27 10:46:29
宇佐神宮の主神は応神天皇や神功皇后ほどの偉大な大王を両脇に従える比売大神。
道鏡事件で皇統の承継を左右し、大仏建立時には天神地祇の頂点に立つことを宣言し
まさしく日本の頂点にいるこの偉大な神こそ卑弥呼であろう。
そして、宇佐神宮の鎮座する亀山こそ卑弥呼の眠る墓であり、これが前方後円墳の原型。
百体神社の存在がこの事実を証明している。
さらに九州一円に広がる宇佐神宮の荘園は宇佐王権がかつて九州を支配していたあかし。
そしてこの宇佐王権こそ邪馬台国である。
宇佐説こそ最も矛盾無く科学的に邪馬台国を説明できる。

810 :日本@名無史さん:05/01/27 15:51:40
今日の日経の記事。これは近畿に大きな王朝が続いていたことの
証拠じゃないか。

水田の下から全国最大級の古墳群(六世紀後半―七世紀前半)
奈良県天理市の和爾(わに)遺跡
ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050127AT1G2602H26012005.html

* 墳丘は削られ残っていないが、円墳などの痕跡が29基密集。
* 金銅製馬具など副葬品も多数出土。
* 装飾付き太刀や耳環(みみわ)、ガラス玉などが出土。
* 17基に横穴式石室の床面などが残っていた。


811 :日本@名無史さん:05/01/27 15:54:37
>810
あ、ごめん。 あの時代、近畿に大きな王朝が続いてたのは
当たり前だった。
「横穴式石室」とか「金銅製馬具」「耳環」などが面白いね。

812 :日本@名無史さん:05/01/27 16:09:37
>>809
逆説の日本史ネタ?

813 :日本@名無史さん:05/01/27 20:36:21
宇佐は邪馬台国を滅ぼした主勢力で、邪馬台国とは別>>809

814 :日本@名無史さん:05/01/27 23:02:08
井沢先生は、アカデミズムでも非常に評価が高いらしい。
軽やかで柔軟な思考がアカデミズムをも感動せしめるのだろう。


815 :日本@名無史さん:05/01/27 23:24:23
高木彬光の影響で若い頃は宇佐説を支持してたけど、どうなんだろうなあ最近は

816 :日本@名無史さん:05/01/27 23:29:32
沢山いるなぁ
自説無き有力学説代弁者軍団

817 :日本@名無史さん:05/01/27 23:29:54
畿内説スレッドなのになんで電波スレになったの?

818 :日本@名無史さん:05/01/27 23:35:24
老教授なき畿内説なんてこんなもんです。

819 :日本@名無史さん:05/01/27 23:45:28
結局、自説を持たずにゼミで覚えたことや 本読んで著者に恋しちゃった派が多いからさ。
必ず二言めには
『学説ではこうなっている』
『この問題は解決済み』
『根拠だせ』
『妄想だ』
『九州説は電波だ』
そうゆうヤジ飛ばしておいて、結局自説なき〇〇教授の太鼓持ち、出てくる言葉は有力学説の引用
これじゃスレ荒れるよ

820 :日本@名無史さん:05/01/27 23:47:05
>そうゆうヤジ飛ばしておいて、結局自説なき〇〇教授の太鼓持ち、出てくる言葉は有力学説の引用

と、古田信者は、言うのであった。

821 :日本@名無史さん:05/01/27 23:53:29
>>819
>『根拠だせ』

これは別にかまわないだろ。
って言うか、結論だけのカキコに対しては言うのが普通。

その他に付いては全く同意見。

822 :日本@名無史さん:05/01/27 23:59:21
>>821
そうだな
『根拠出せ』
は、消去

823 :日本@名無史さん:05/01/28 00:01:16
>820はずいぶん古田に怯えてるのかな

824 :日本@名無史さん:05/01/28 00:10:37
古田信者に怯えてるんだよ。
やつらの為に、この板の良スレが、いくつ駄スレに成り果てたことか・・・

825 :日本@名無史さん:05/01/28 00:15:23
古田なんて学者じゃないだろ。
単なるアマチュア

826 :日本@名無史さん:05/01/28 00:22:49
こうなるからスレ荒れるんだ
いつの間にか個人の人格非難
あんたら古田氏に直接危害くらったのか?
ただのネタならもうヤメレ

827 :日本@名無史さん:05/01/28 21:23:49
古田氏の説は非常に説得力があって、様々な影響を与えたと思うが、
近年の考古学的成果から、流石に九州王朝説はないよなあ、という流れになっている。

むしろ、戦後、否定的に語られていた記紀の記述が割りと信憑性があるのかな、と。

欠史八代にしろ、名前は残っているけれど事績は残されていなかったから、
あえて捏造などはせず、そのまま欠史で書いたのだろう。

828 :日本@名無史さん:05/01/28 22:58:23
>古田氏の説は非常に説得力があって、様々な影響を与えたと思うが、
>近年の考古学的成果から、流石に九州王朝説はないよなあ、という流れになっている。

全然、与えていない。

>むしろ、戦後、否定的に語られていた記紀の記述が割りと信憑性があるのかな、と。
そんなことは森浩一や原田大六のようなまともな学者が既に言っていること。


829 :日本@名無史さん:05/01/28 23:11:03
ずいぶん、怯えてるね。

830 :日本@名無史さん:05/01/28 23:20:14
学者が古田みたいな素人を相手にするわけないじゃん。

831 :日本@名無史さん:05/01/28 23:52:04
内容の正誤はともかく、自分独自の説を持ってる人は相手に対し反対意見はぶつけても、誹謗中傷などはしない。
お互い自説を完成させるための苦労を知ってるから。
誹謗中傷を唱えるヤシはたいがい 有力学説代弁者や〇〇教信者ぐらいなもんだ

832 :日本@名無史さん:05/01/29 00:23:10
>>828
こいつはアンカーと言って、自説の「伊都国東遷→ヤマト朝廷」以外を
病的に否定する人間です。

以前、九州王朝説の人らが大挙して押し掛けた時、
「九州王朝説は電波」という内容のコピペを延々と貼り続けて
アラシ認定されてました。

老教授に嫉妬して執拗に貶めた奴もこいつ。

833 :日本@名無史さん:05/01/29 00:43:13
科学的根拠のある説は宇佐説のみだと思う。

834 :日本@名無史さん:05/01/29 00:47:52
あらゆる論争は無駄ではないです。
否定されたとしても。


835 :日本@名無史さん:05/01/29 00:51:01
偽書オヤジは誹謗中傷されて当然だろ。

836 :日本@名無史さん:05/01/29 00:53:05
東日流外三郡史偽書事件で当初昭和薬科大学教授(当時)古田武彦に師事して
東日流外三郡史真書説を支持していた。
後に季刊邪馬台国の編集責任者産能大学教授(当時)安本美典の影響を受け、
偽書説側に転向。当然の結果として薬科大学助手の職も辞することになる。
その後古今東西の偽書に関する著述活動を行なっているが、
資料の要約の域を出ず、彼の著述物からは誰かの説を代弁する以上の内容は期待できない。自らに深い考えがなく、常に有望な学説を追いかけているだけにも見える。これは専門的な深い知識がない素人集団であると学会のメンバー全般に見られる傾向でもある。

http://yamayangi.s27.xrea.com/pukiwiki/%B8%B6%C5%C4%BC%C2.html



837 :日本@名無史さん:05/01/29 00:57:51
九州王朝じゃなくて畿内王朝の話しようよ。

838 :日本@名無史さん:05/01/29 01:22:09
古田信者荒らすな

839 :日本@名無史さん:05/01/29 01:28:01
電波作家のリストです。みなさんも電波作家を見つけたら教えて下さいね。
【買ってはいけないアマチュア著述家等一覧】
武光誠(騎馬民族説)
安本美典(邪馬台国九州説、関川編年と柳田編年を組み合わせ驚異の土器編年を編み出す)
井沢元彦(邪馬台国九州説、卑弥呼殺人事件w)
古田武彦(九州王朝を妄想、詐欺師和田に荷担)
小林恵子その他在日工作員(将軍様の夢でオナニー)
藤本由香(万葉集は韓国語で読める)
金達寿(古代日本人は全員在日)
関祐二(旧事本記でオナニー)
藤原明(旧事本記偽書説でオナニー)
黒岩重吾(邪馬台国九州説の妄想作家)
大和岩雄(同上)
大山誠一(聖徳太子はいなかった(驚)
梅原猛(法隆寺五重塔は、飛鳥寺の移築だった)




840 :日本@名無史さん:05/01/29 01:34:07
自説が脆弱だから、びくびくしてるのね?

841 :日本@名無史さん:05/01/29 01:58:47
>>839
そういう発言は、とりあえずコテでもつけてからにしろ

842 :日本@名無史さん:05/01/29 12:23:37
東日流外三郡史偽書事件で当初昭和薬科大学教授(当時)古田武彦に師事して
東日流外三郡史真書説を支持していた。
後に季刊邪馬台国の編集責任者産能大学教授(当時)安本美典の影響を受け、
偽書説側に転向。当然の結果として薬科大学助手の職も辞することになる。
その後古今東西の偽書に関する著述活動を行なっているが、
資料の要約の域を出ず、彼の著述物からは誰かの説を代弁する以上の内容は期待できない。自らに深い考えがなく、常に有望な学説を追いかけているだけにも見える。これは専門的な深い知識がない素人集団であると学会のメンバー全般に見られる傾向でもある。

http://yamayangi.s27.xrea.com/pukiwiki/%B8%B6%C5%C4%BC%C2.html



843 :日本@名無史さん:05/01/29 18:08:13
結局畿内の王権はいつ頃発生したのよ?
定説は無いようだが、自説は持ってるんだろ?

844 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/01/29 22:20:44
>>843
仰るとおり定説には至らないのですが
@2世紀中葉頃。初期主体は奈良盆地南東部、讃岐、播磨、摂津、伊勢など。
A3世紀初頭。吉備、出雲、河内、濃尾平野西部などが参加。
B3世紀中葉頃。伊予、阿波、安芸、南関東、豊前、北部九州などが参加。
上記@〜Bの順に広域化したとの考えが有力視されています。

尚、このうち吉備と北部九州の参加をもう少し早く見る向きと
北部九州は中南部九州より遅く、しかもやや消極的な参加だと見る向きもあります。
いずれにしてもスレ内で多くの方が提唱するように
奈良盆地の首長が主体となって発生したと見る、いわゆる「畿内自生説」を採る研究者は年々少数派となっています。

845 :日本@名無史さん:05/01/29 22:32:45
2世紀中葉にそんな連合ありうるか?
どう言う考古資料で言ってるのか言ってみい

846 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/01/29 22:40:43
>>845
申し訳ありません、記述ミスです。
正しくは「2世紀末」。さらに正確に言うならば
倭国乱と称される時期が収束に向かう
首長部族達のクニグニが流通ルートを確立したあたりの頃ですね。

久々の投稿で少々ボケております。

847 :日本@名無史さん:05/01/29 23:30:26
古代日本人は全員朝鮮人だった。



848 :マジレス→スルーしてください:05/01/29 23:37:40
朝鮮民族が出来始めたのは、7C新羅の統一以降。
それ以前に朝鮮民族はなかった。

849 :日本@名無史さん:05/01/30 00:18:14
>>846
じゃあ、2世紀末でのその連合の根拠は?
あと「首長部族」って何?そんな用語初めて聞いたが。

850 :日本@名無史さん:05/01/30 00:28:08
>843
>結局畿内の王権はいつ頃発生したのよ?
>定説は無いようだが、自説は持ってるんだろ?

畿内の王権という用語が何を意味しているか不明だが、倭王権の前
というならそもそも弥生時代に畿内に王権が存在したかということ
について意見が分かれているよな。
倭王権の成立という意味なら早い学者で2世紀末、遅い学者で3世紀
前半だな。


851 :日本@名無史さん:05/01/30 00:31:37
東日流外三郡史偽書事件で当初昭和薬科大学教授(当時)古田武彦に師事して
東日流外三郡史真書説を支持していた。
後に季刊邪馬台国の編集責任者産能大学教授(当時)安本美典の影響を受け、
偽書説側に転向。当然の結果として薬科大学助手の職も辞することになる。
その後古今東西の偽書に関する著述活動を行なっているが、
資料の要約の域を出ず、彼の著述物からは誰かの説を代弁する以上の内容は期待できない。自らに深い考えがなく、常に有望な学説を追いかけているだけにも見える。これは専門的な深い知識がない素人集団であると学会のメンバー全般に見られる傾向でもある。

http://yamayangi.s27.xrea.com/pukiwiki/%B8%B6%C5%C4%BC%C2.html





852 :日本@名無史さん:05/01/30 00:35:36
>844
>上記@〜Bの順に広域化したとの考えが有力視されています。

これまでの有力説の考えとしては正しいと思うが、現在の学会の状況
では「有力視されてました。」といった方が正確ですな。


853 :日本@名無史さん:05/01/30 00:36:43
歴史論争に勝敗を持ち込んでる馬鹿がいるな。




854 :日本@名無史さん:05/01/30 00:37:59
また、何も知らない畿内説コヴァ信者が現れた(藁)




855 :日本@名無史さん:05/01/30 00:47:59
>848
まだデタラメを言っているな。
少なくとも新羅百済は朝鮮民族の国だ。
扶余系民族も朝鮮民族の一種であることは証明されている。

856 ::05/01/30 01:03:50
今とはまったく違う朝鮮民族か・・・朝鮮民族っていくつあるんだろ

857 :日本@名無史さん:05/01/30 02:52:00
>奈良盆地の首長が主体となって発生したと見る、いわゆる「畿内自生説」を採る
>研究者は年々少数派となっています。

では、 3Cの畿内王権を作ったのは、吉備? 東海? 北部九州? 丹波?

858 :日本@名無史さん:05/01/30 10:35:16
>857
>奈良盆地の首長が主体となって発生したと見る、いわゆる「畿内自生説」を採る
>研究者は年々少数派となっています。

それは、事実に反してますよ。
畿内主導説は今でも有力です。大物教授クラスではほとんどこれ。
中堅クラスでも京大系、つまり主流派は同様です。


859 :日本@名無史さん:05/01/30 12:53:16
>>858
古墳研究者と鏡研究者(ただし京大系)は確かにその通りだな。
ただし、弥生時代研究者は、畿内が主導してヤマト王権を作ったというのには自信が無くなってきている。
大体、「畿内」の大和を中心とした統一性なんて弥生時代ではかなり怪しくなってるし、「畿内」の優位性なんてあまり言う人は少なくなっている。
むしろ、後代(布留0式以降)の大型古墳や銅鏡の集中性からその前からあったはずと根拠なしに(同時代資料を見ずに)言ってる人が未だにいるのが問題。
特に京大系の銅鏡をやってる人は、若手でも伝世鏡論を捨てていないのが痛い。


860 :日本@名無史さん:05/01/30 13:17:28
>>859
近藤義郎でさえも吉備東遷説を言い出したよね。

861 :日本@名無史さん:05/01/30 14:35:56
>>860

 >>515
>ホケノ山、勝山からは特殊器台のカケラもでてない。
>吉備を過大視したのは箸墓が最初の古墳と想定された時代の産物で
>今では時代遅れですね。
と言ってますが、どうなんでしょうか?

862 :日本@名無史さん:05/01/30 14:53:50
>>861
勝山や矢塚は調査がまだ限定的。
石塚は特殊器台はないが、向木見型特殊器台と近い文様パターンの弧文円板がある。
何より、纒向古墳群の多くを箸墓古墳より前と見ても、その祭祀や墳丘築造の発想が奈良盆地内から自生した根拠がほとんどない。
箸墓段階には広く西日本の墳墓祭祀が統合されているのも事実で、その中に畿内自生のものがほとんど無いのもまた事実。
また近藤が言っている疑問に、宮山型が吉備で一例で、ほか(後続型式)が大和に集中しているのをどう解釈するかという問題がある。
吉備東遷説もまだ甘いが、自生説よりなんぼかマシのような気がするが。

863 :日本@名無史さん:05/01/30 15:46:02
>>862
吉備が主導して、東海、丹波、越ら西国諸国が、勢力の緩衝地帯である聖地・三輪山麓
にて女王を共立。王都マキムクを築いた、と。

ただ、それまで奈良盆地の支配者であった唐古・鍵遺跡の人々は何処へ行ったの
でしょうか?
私は、彼らが葛城氏の祖先ではないかと思うのですが。

864 :日本@名無史さん:05/01/30 16:15:55
奈良も古くは大和国と葛城国の二つに分かれていて、
葛城の奥津城である馬見丘陵に前方後円墳が造られ始めるのは4世紀後半。
この時期に、葛城国は漸く初期ヤマト政権に参加した、と思われる。

ヤマト政権の勢力拡大を語る時、畿内と一括りにするのは問題だ。

865 :日本@名無史さん:05/01/30 17:26:53
>>863
吉備主導の初期ヤマト政権=邪馬台国だとすれば、
倭人伝に出てくる投馬国はどこになるのだろう?

吉備・東海・丹波連合=邪馬台国だから、投馬≠吉備。
出雲あたりが妥当か。

吉備津彦神社に孝霊の皇子皇女(あのトトヒモモソ媛も)が祭られているのも
意味深だな。

866 :日本@名無史さん:05/01/30 18:29:13
東海が連合に入っているかは微妙だな。


867 :しばらく:05/01/30 21:05:53
>ただ、それまで奈良盆地の支配者であった唐古・鍵遺跡の人々は何処
へ行ったの でしょうか?

桜井市データを見てると、農地を投げ出し山之辺の道、つまり、商業地に移っている
のが相当あるようです。


868 :日本@名無史さん:05/01/30 22:25:05
老教授帰還を契機に一気に建設的なスレに変貌したか。
やっぱりあなたは偉大なコテですわ。
一部の粘着嫉妬君はさらりとかわして
この調子で皆で盛り上げましょうよ。

>>866
東海は一枚岩じゃなく、伊勢湾寄りの一派と濃尾平野と関東が
それぞれ独立した主権を持ってたとしたらどうだろうか。
でもって狗奴国は濃尾平野と関東の一派という説は成り立ちませんか?


869 :日本@名無史さん:05/01/31 00:02:16
老教授の腰巾着もスルーよろ。

870 :日本@名無史さん:05/01/31 00:07:55
2世紀末から3世紀前半位で王権が成立したとして。
この王権は銅鐸文化の王権と見てよいのでしょうか?

871 :日本@名無史さん:05/01/31 00:41:52
>>868
成り立たんことはないがそこまで研究が進んでいないのではないか。
東海や関東が文化的に一枚岩ではないのはとりあえず正解だが。
>>870
銅鐸文化とはまったく別、断絶している。
なぜか銅鐸祭祀が終焉を迎えた後に突然畿内に発生する。
その理由はいろいろ考えられるが
今のところ首長霊信仰に移行したためというのが通説。
そして移行させた勢力はどこなのかが当面の問題となっているのさ。
またほぼ同時期かちょっと早いくらいに銅矛文化圏も同様の変化を果たしている。



872 :日本@名無史さん:05/01/31 00:42:09
銅鐸を捨て去ったのでそれは違う。
また畿内自生説は矛盾が多いこともこれまでの指摘の通りかと。

873 :日本@名無史さん:05/01/31 22:07:52
>銅鐸文化とはまったく別、断絶している。

青銅の神々からの決別が、必ずしも外部勢力によるとは限らない。
出雲が銅祭器を加茂岩倉や荒神谷に埋めたのも、外部勢力の侵攻だと
考えているの? 私は、出雲の人々が自主的に棄てたと思うけど。

突然の変化を外部勢力の侵入と考えるのは至極簡単で、飛び付きたくなるのは
分かるんだけどさあ。もう少し厳密な議論が欲しいよね。

874 :日本@名無史さん:05/01/31 22:09:13
>ホケノ山、勝山からは特殊器台のカケラもでてない。
>吉備を過大視したのは箸墓が最初の古墳と想定された時代の産物で
>今では時代遅れですね。
>ホケノ山、勝山からは特殊器台のカケラもでてない。
>吉備を過大視したのは箸墓が最初の古墳と想定された時代の産物で

全くないです。
なので、特殊器台のある箸墓などと吉備の墳丘墓の関係を
強調していた近藤氏などは、箸墓以前の石塚、ホケノ山など
は古墳でなく「弥生式墳丘墓」だと言い張ってますね。

ですが、橿原考古学研究所は、「ホケノ山は古墳以外の何者でもない」
と主張しています。まあ、妥当な判断ですな。



875 :日本@名無史さん:05/01/31 22:13:53
>でもって狗奴国は濃尾平野と関東の一派という説は成り立ちませんか?

関東はともかく、東海は成り立たないのでは。
あそこの外来土器のうち一番多いのが、東海系だから。




876 :日本@名無史さん:05/01/31 22:19:43
>出雲が銅祭器を加茂岩倉や荒神谷に埋めたのも、外部勢力の侵攻だと
>考えているの? 私は、出雲の人々が自主的に棄てたと思うけど。

いろんな意見があるが、出雲勢力が九州や瀬戸内などの外部勢力の
僻邪のために埋設したという説が唱えられている。

877 :日本@名無史さん:05/01/31 22:25:32
>871
>銅鐸文化とはまったく別、断絶している。
>なぜか銅鐸祭祀が終焉を迎えた後に突然畿内に発生する。

断絶してないですよ。配布行為にかぎっていえば、銅鐸の畿内王権
による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡などの配布にスライドしたと
見るのが適当でしょう。
また、機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移行を見いだ
すのは容易なことです。
銅鐸は消えたのではなく他の祭器へ発展したというべきです。




878 :日本@名無史さん:05/01/31 22:31:51
>869
腰巾着野郎がまた来るんじゃないか。
自分で考えろよってかんじ。

879 :日本@名無史さん:05/01/31 22:39:31
>何より、纒向古墳群の多くを箸墓古墳より前と見ても、その祭祀や墳丘築造の発想
が奈良盆地内から自生した根拠がほとんどない。

巨大な古丘や豪華な副葬品などに代表される特定個人への富や権力の集中を生
ませない共同体による強力な規制が働いたため、畿内王権が先進地域であった
九州を制圧し、倭王権の母体となりえたことは都出比呂志によって論証されて
いますよ。少しは先学に学んでほしいですね。


880 :日本@名無史さん:05/01/31 22:48:04
>古墳研究者と鏡研究者(ただし京大系)は確かにその通りだな。

寺澤氏も北條氏も古墳屋ですが。。。。

881 :日本@名無史さん:05/01/31 22:51:56
K考古学研究所副所長の歴史捏造を糾す

大学に所属する考古学者は大学に所属していない考古学者を素人とか言うけど、例の史跡捏造事件でわかるとおりどっちが素人ですか。
捏造を見破ったのはあなた方が言うところの素人でしょ。
明確な根拠もなしに勝手に方向を南から東に変えたり、勝手に聞き間違いにしたりとか、自分の説に都合が良いような捻じ曲げた解釈は止めてください。
邪馬台国が畿内にあったというなら、みんなが思っている疑問に答えて、ちゃんとした根拠を示してください。
の歴史捏造を糺したい方、どんどん書き込みをお願いします。そしてみんなで歴史の捏造を糺しましょう。





882 :日本@名無史さん:05/01/31 22:53:26
みんなどこに行ったのかと思ったら、ここにいたんですね。
九州説派は出入り禁止ですか。残念です。

883 :日本@名無史さん:05/01/31 22:55:13
巻向遺跡には、扶余系文化の影響が見られるよ。
箸墓の堀からも騎馬民族の馬具が発見されているよ。
そろろそ江上波夫を再評価すべきだね。


884 :日本@名無史さん:05/01/31 22:57:10
>882
ここは、負け犬畿内説コヴァのたまり場だよ。

885 :日本@名無史さん:05/01/31 23:00:50
東日流外三郡史偽書事件で当初昭和薬科大学教授(当時)古田武彦に師事して
東日流外三郡史真書説を支持していた。
後に季刊邪馬台国の編集責任者産能大学教授(当時)安本美典の影響を受け、
偽書説側に転向。当然の結果として薬科大学助手の職も辞することになる。
その後古今東西の偽書に関する著述活動を行なっているが、
資料の要約の域を出ず、彼の著述物からは誰かの説を代弁する以上の内容は期待できない。自らに深い考えがなく、常に有望な学説を追いかけているだけにも見える。これは専門的な深い知識がない素人集団であると学会のメンバー全般に見られる傾向でもある。

http://yamayangi.s27.xrea.com/pukiwiki/%B8%B6%C5%C4%BC%C2.html





886 :日本@名無史さん:05/01/31 23:06:20
コヴァって何ですか?

887 :日本@名無史さん:05/01/31 23:07:49
コヴァ=バカ
こいつらは理論的に畿内説が破綻していることに気がつかない。


888 :日本@名無史さん:05/01/31 23:14:00
>882
畿内説って宗教だから、排他的なんだよ。
○○先生が言っているとか人の意見をあれこれ
言うだけの自分の考えがない奴らだよ。

889 :日本@名無史さん:05/01/31 23:17:46
電波作家のリストです。みなさんも電波作家を見つけたら教えて下さいね。
【買ってはいけないアマチュア著述家等一覧】
武光誠(騎馬民族説)
安本美典(邪馬台国九州説、関川編年と柳田編年を組み合わせ驚異の土器編年を編み出す)
井沢元彦(邪馬台国九州説、卑弥呼殺人事件w)
古田武彦(九州王朝を妄想、詐欺師和田に荷担)
小林恵子その他在日工作員(将軍様の夢でオナニー)
藤本由香(万葉集は韓国語で読める)
金達寿(古代日本人は全員在日)
関祐二(旧事本記でオナニー)
藤原明(旧事本記偽書説でオナニー)
黒岩重吾(邪馬台国九州説の妄想作家)
大和岩雄(同上)
大山誠一(聖徳太子はいなかった(驚)
梅原猛(法隆寺五重塔は、飛鳥寺の移築

890 ::05/01/31 23:23:31
単なる畿内信仰の敵リスト。畿内信者よりずっとマトモ。

891 :日本@名無史さん:05/01/31 23:31:25
>890
詐欺師の古田信者も立入り禁止。


892 ::05/01/31 23:35:24
まずは自分から汁

893 :日本@名無史さん:05/01/31 23:35:39
いや、畿内説は懐深い人が多いですよ。
一部、狂信的な人がいるのは事実ですが(老教授に絡んだアンカーなど)。

邪馬台国にしても、九州説を完全否定出来ないのは百も承知。
だから邪馬台国ではなく、あえて3C初頭の畿内王権の発生、発展を
議論している訳です。
正直、倭人伝による邪馬台国所在地論争は堂々巡りで辟易しており、
一旦邪馬台国論争は棚上げして、邪馬台=大和と仮定。
そこから、不明な点が多い古代倭国のダイナミズムを少しでも解明できないかな、
と。

ただ、九州説の人の説得力のある反論なら、甘んじて受けます。
畿内説側の人間でも、九州説からの転向組が多いですしw

894 :日本@名無史さん:05/01/31 23:43:27
>近藤氏などは、箸墓以前の石塚、ホケノ山など
>は古墳でなく「弥生式墳丘墓」だと言い張ってますね。

ちょっと酷いな。
自説に目が眩むと、こんな事を喋ってしまうんだね。

新しい発見にも混乱せず、柔軟に発想したいものです。
反面教師にさせてもらいます。

895 :日本@名無史さん:05/01/31 23:49:22
>>876
>出雲勢力が九州や瀬戸内などの外部勢力の
>僻邪のために埋設したという説が唱えられている。

書いてる意味が分からないです。
外部勢力の僻邪→外部勢力からの隠匿、では?

896 :日本@名無史さん:05/01/31 23:50:06
>894
近藤氏だけじゃなくて、そういうまだ人多いよ。
ホケノ山発掘でだいぶ減ったけど。


897 :日本@名無史さん:05/01/31 23:52:31
>895
いや違う。
いわば敵に向かって呪詛するとかそういう類の宗教的な行為
であるとされている。


898 :日本@名無史さん:05/01/31 23:57:59
893は噂の老教授の腰巾着。
老教授とやらはアマチュア著述家の関裕二の
コピペ野郎にすぎんのだが。




899 :日本@名無史さん:05/02/01 00:02:21
>配布行為にかぎっていえば、銅鐸の畿内王権
>による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡などの配布にスライドしたと
>見るのが適当でしょう。

まったく同感です。
唐古・鍵で銅鐸を生産していた、という仮説はどうなんでしょう?

で、銅鐸を配布した祭祀王こそ、葛城氏の祖先=欠史八代の大王たちだ、
と私は思っているのですが。
銅鐸と加茂族との関わりも指摘されていることですし、銅鐸=水神信仰の祭器
とすれば、各地に残る沈鐘伝説とも符合します。

更に筆を滑らせれば、馬見古墳群の巣山古墳の水神祭祀跡なども、その流れを汲む
のでは?、と。鴨の埴輪とかも出土してましたよね。

900 :日本@名無史さん:05/02/01 00:06:10
>>898
アンカーさあ…
お前は結構知識もあるんだし、もっと建設的な意見を書いてくれないものか

901 :日本@名無史さん:05/02/01 00:11:47
 >899

考古学的に言うと銅鐸と鏡は全く性格が違いますね。

鏡は権力者の「威信財」ですが、銅鐸はそうではあり
ませんよ。
畿内がその類の威信財をまったく欠いているという
ことが「断絶」の証拠とされているのです。

全く位置づけが異なるものを平行して論ずるのは
馬鹿げていますね。考古学的に言えば銅鐸に対応す
るのは銅矛などです。


902 :日本@名無史さん:05/02/01 00:13:17
>900
関裕二が学会に相手にされない電波野郎であることは
事実だろ。


903 :日本@名無史さん:05/02/01 00:13:38
残り100切ったけどPART2も、【畿内説専用】つけるん?
意味無いと思うが。

904 :日本@名無史さん:05/02/01 00:20:50
まっとうな批判を排除するスレッドなんかちゃんちゃらおかしいぜ。
古田氏など学者ではないが、財野の優れた知性を見ようともしないとはな。
このスレッド建てた奴は黴の生えたの化石学者を信仰してる童貞オタク
野郎なんだろう。

905 :日本@名無史さん:05/02/01 00:24:55
>唐古・鍵で銅鐸を生産していた、という仮説はどうなんでしょう?
仮説じゃなくてしてるよ。
知らないの?


906 :日本@名無史さん:05/02/01 00:36:43
>鏡は権力者の「威信財」ですが、銅鐸はそうではあり
>ませんよ。

まったくその通り。
銅鐸が古墳に副葬されていないことからも明らか。
精霊崇拝→首長霊崇拝へと変化したために、銅鐸が廃棄されたのもそうだろう。

ただ、初期ヤマト政権が三角縁神獣鏡配布システムの上に成り立っていた
のも確かで、また、それ以前の畿内在地勢力が銅鐸生産の中心地で、
全国各地に銅鐸を配っていたのも確か。

この事実をどう見るかだと思うよ。

907 :日本@名無史さん:05/02/01 00:38:57
>>905
ごめん。
銅鐸の生産センター、って意味で。

908 :日本@名無史さん:05/02/01 07:31:34
銅鐸は、共同体の信仰に対するシンボル。
鏡は、個人レベルの魔除けの道具。

909 :日本@名無史さん:05/02/01 17:35:45
>>906
ずいぶん断定的な物言いだが、銅鐸と鏡の出土分布状況は
全く異なるのだから、まるで時と共にスライド移行したかのような理解には
問題があるのではないか。

魏鏡とされる三角縁神獣鏡よりも公孫系の画文帯神獣鏡のほうが
格上の扱いをされているのはなぜか?また、鏡の出土が「本貫地」である
畿内に集中しているのはなぜなのか。倭王権が全国に展開するためには、
むしろ周辺の地方政権への配布が中心になるのが自然ではないか。

鏡は宗教的流行により畿内を中心に出土するに過ぎないと考えられる。
鏡(とくに三角縁神獣鏡)の分布を根拠に、分布の稠密地帯を中心とした
広範囲の政治システムが存在したかのように述べる仮説は、説得力をもちえない。

910 :日本@名無史さん:05/02/01 21:53:44
畿内説諸氏に問う。
郡から大和までの旅程を理論的に説明してくれ
尚、方位の変更有るときは一部の変更でなく全て同率にて変更するべし

911 :日本@名無史さん:05/02/01 22:04:23
理論てなあに?

912 :日本@名無史さん:05/02/01 22:13:30
>>931 訂正
旅程を理論的に説明(誤)旅程を説明 (正)

913 :日本@名無史さん:05/02/01 22:18:14
>>912 再度訂正
931 (×)
910 (〇)

914 :日本@名無史さん:05/02/01 22:25:14
>>910
君に付き合う義理も暇もないのだが・・・しょうがない。
文献学のイロハを教えてやる。まずは

>理論的に説明
不可能。この世にあるどの説も理論的には説明できない。
何故ならば入力すべき情報が明らかに不足している状態だからだ。
邪馬台国の位置問題にあてはめるならば
「魏志倭人伝」しかも12世紀の写本とわずかな逸文のみが手掛りであり
有効となる批判資料が皆無に等しいため、およそ正確なデータとみなす事ができない為である。
それが文献学の基本中の基本である。
倭人伝記事を始めとする中国史書のみを基に位置を割り出す作業など
証拠不十分のまま冤罪を被せる行為に等しい。
記紀を採用するにしても明らかに証拠不十分である。

それはそうと・・・方位云々にこだわってるあたりで
お前がプラムだってのはミエミエなんだよ。
いい加減にしないと本気で潰すぞ。

ここは「畿内王権」の成立と後の「大和朝廷」との関係を討論するスレであり
邪馬台国の位置など議論していない。それは他スレで思う存分やればいい。
無関係な質問でスレを荒らすなかれ。君だけでなく九州説諸氏にも釘を刺しておく。


915 :日本@名無史さん:05/02/01 22:29:11
>>1によれば

>このスレでは邪馬台国が畿内にあったとの前提で議論展開し

>>914よ、ちょっとずれてるぞ

916 :プラム:05/02/01 22:46:49
>>914
潰すなら潰せ

それに、このスレでプラムのコテハン使うと迷惑かかると思いあえて使わなかった。
それに、あやふやな文献に記載ある邪馬台国の名前何故使う。
自説と君達の自説を照合するために、このスレに来たまでだ!
>>1から邪馬台國の文字が消えれば二度と来ないよ。

917 :日本@名無史さん:05/02/01 22:50:58
>>915
ずれてるかもなあ。
もういい加減、位置問題に関わるのが煩わしいって気持ちがあるから。

本来邪馬台国の位置の重要性というのは
3cに西日本一帯をカバーする勢力が存在したのか
それとも九州内の支配にとどまるのかを考察する一点にあったものだろ?
もう現時点で西日本はおろか東海・関東にまで広域連合
(それがいわゆる王権とは別のものだったにせよ)が発生していたことが
あらゆる出土物からも明白になっている以上、最大の争点はすでに終わっているのではないか?

あとは首都である「邪馬台国」はどこかという
先の命題に比べれば些細としか言いようのない事象のみが謎なだけで
だからこそ次のステップである「大和朝廷との連続性」を問う時期に入ったと見るべきだと思う。


918 :前スレの980番くらいの男:05/02/01 22:56:25
だからスレタイからは、邪馬台国とか畿内説とかは外したほうが良いって言ったんだよ。
無用の輩を引き寄せるだけなんだから・・・

919 :日本@名無史さん:05/02/01 23:01:42
>>916
藻前2chいや掲示板の最低限のルールを判っているのか?
ハンドルを名乗ったり名無しに変わったりするのは重大なマナー違反だ。しかも

>自説と君達の自説を照合するために、このスレに来たまでだ

何だコレは?俺たちは藻前のダシか?
藻前の自説なんぞ漏れたちに何の関係がある?
教えて欲しい事があるのなら「ご教授ください」と断わるのが普通の人間だろうが。
藻前は一般社会でもこんな態度で人に接しているのかよ。
あぁ、違うだろ?2chだから何でもありだと勘違いしてないか?
匿名掲示板に甘えてないか?
自分の考えをまず(チラシじゃなく)ノートにまとめろ。
ここをノート代わりに使うな。
きれいにまとまったら要約を根拠つきで述べろ。それが世間の常識だ。
藻前があちこちから責められるのは、その社会的常識に欠けるからなのだ。肝に銘じろ。


920 :日本@名無史さん:05/02/01 23:02:26
>>918の言うことはもっともだ
言い換えれば>>917>>916はもっともだ

1000逝くまえに、次スレ構想がぼんやり浮かんでくるな>1

921 :プラム:05/02/01 23:04:12
あいよ!

922 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/01 23:08:29
>>918
>1の文面を作成したものとして、心から反省している。
PART2立てるならスレタイから「邪馬台国」と「畿内説専用」は外してくれないか。
スレタイについては十分な議論ができないままの見切り発車だったので。


923 :プラム:05/02/01 23:12:38
>>919さん

確かにルール違反だな
スマソ!

チラシの裏からノートに昇格出来て光栄だ。
それじゃ巣に帰るよ

924 :920:05/02/01 23:13:31
>>922
そういえば、前スレの最後は展開が速かったから、
見切り発車は仕方がなかったと思い出した。
次スレでも、きっと老教授氏やしばらく氏は花を添えてくれると思う。

925 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/01 23:43:15
>>924
前スレのラスト近くでスレタイ変更の話が出たのは
ひとえに荒らし対策以外の何者でもなかったはずだったよね。
決して他の説を排他する意図など無かったよね。。。
結局「邪馬台国」を入れると一緒だったってのが判ったよ、悲しい話だが。

俺が老教授氏を支持するのは持説の内容もさることながら
スレを荒らさないように必死で踏みこたえてくれるその態度によるところが大きい。
嫉妬が理由で粘着なんぞされたら、普通キレるか見限られるぞ。
俺も散々腰巾着だの自作自演だの書かれたてキレそうになったが
老教授氏はもっと忸怩たるものなのだろうと思い辛抱してきた。

もう氏に嫌な思いはさせたくないのさ。
俺も古代史に関してはプラム氏以上のド素人だったし、今でもそうだが
歴代スレで紹介された本はどれもこれも充実した内容のものばかりで
10冊も読めばレス内容も理解できるほどの厳選良書だったことに本気で感謝している。

そんな流れを取り戻すためにも、変な粘着や荒らしは排除したい。
スレタイと1から「邪馬台国」と「畿内説」を外すことを強く希望する。
このスレも俺が立てるつもりだったが弾かれたし
次回も同様となる可能性があるので、スレタイと1の修正版を
今夜中に責任もってアップするよ。

926 :日本@名無史さん:05/02/01 23:44:16
>ただ、初期ヤマト政権が三角縁神獣鏡配布システムの上に成り立っていた
>のも確かで、また、それ以前の畿内在地勢力が銅鐸生産の中心地で、
>全国各地に銅鐸を配っていたのも確か。

前段は正しいでしょうが、後段は違うでしょう。
可能性を全く否定するわけじゃありませんが、銅鐸の配布なんて
考古学的に全然実証されてないじゃないですか。
弥生時代において同類の行為が考古学的に実証されているのは、
北九州地域を中心とするにおける鏡など威信財の配布だけですよ。




927 :920:05/02/01 23:49:23
要は、考古学を中心とした畿内王権史(2?3?世紀〜)ですね。
【畿内説専用】【邪馬台国】は「邪馬台国の比定地論争」になって
泥沼化するので、スレタイからはずしていいと思います。

928 :日本@名無史さん:05/02/01 23:51:00
魏鏡とされる三角縁神獣鏡よりも公孫系の画文帯神獣鏡のほうが
>格上の扱いをされているのはなぜか?また、鏡の出土が「本貫地」である
>畿内に集中しているのはなぜなのか。倭王権が全国に展開するためには、
>むしろ周辺の地方政権への配布が中心になるのが自然ではないか。

前提が間違いでは。
画文帯は、四国や九州からも出てるんだけど。


929 :日本@名無史さん:05/02/01 23:54:25
またまた電波関裕二@腰巾着野郎のお出ましだな。

930 :日本@名無史さん:05/02/01 23:54:29
>>926
同感、しかし前段部分も怪しくなっている。
発売中の季刊考古学の石野博信氏を始めとする前方後円墳特集は必読だよ。
あの石野氏までもが三角縁神獣鏡配布と政治システムを結びつけるのに、疑問を呈し始めた。
弥生時代開始の繰り上がり問題に匹敵する大ネタになるかもしれない。
>>925
あまり自分を責めるなよ。
>>1は短時間で作った文章とは思えない出来だよ。
邪馬台国の四文字は外すのに賛成するからガンガレ

931 :920:05/02/01 23:55:51
失礼しました。かぶりました>>925
同感です。荒らし対策ゆえの工夫でした。
実際、自説に固執しない、フェアな優れた論客がちらほら集まり
いい感じだったわけです。
最近の考古学の成果に、各種文献も援用しながら浮き彫りに
していくのがいい。結果としてそれが「何説」と呼ばれようと
どうでも良いこと。

932 :日本@名無史さん:05/02/02 00:09:32
>930

だよね。

庄内期に出ない△は倭王権成立とは関係ないし、ついでに
特殊台器も関係ないわ。ホケノ山発掘の最大の成果は、これら
布留期の物を王権成立時と錯覚した小林行雄、近藤義郎らの
学説に最後のトドメをさしたってことにあるわな。
だいたい△なんてショボイ方墳からも出ているしさ。

となると共立=倭王権成立って常識も怪しい・・と思うのは俺だけかな。


933 :日本@名無史さん:05/02/02 00:14:30
>899,>>906
銅鐸の場合は、大和(奈良盆地)に明確な中心は無い。雑駁に畿内(+近江)に多いおいうだけ。
唐古で後期に銅鐸を作っていたのは確かだが、厳密には後期前半までの資料が出土。
むしろ、近江では後期後半(下限は庄内式初めまで下るかも)の鋳造関係資料が多く、突線鈕段階の分布をも考えると、むしろ末期の銅鐸祭祀の中心は近江かもしれないありさま。
だから祭祀主体、配布主体も連続してるか疑問。
>>894
ホケノ山は箸墓と時期が変わらない可能性もあるが、石塚や勝山は古い可能性が大。
箸墓の「定型化」をもって古墳時代の始めとし、ここから「古墳」と呼ぼうというのは立場としてはありうるし、むしろわかりやすい。
その前の前方後円形墳墓を「墳丘墓」するのはその立場ならありうる。
ただし、前方後円墳・前方後方墳が一定程度成立・波及し、マキムク型や四国北東部などのように「半定型化」しているのも事実なので、この段階から古墳時代「早期」とし、「古墳」とする説も説得力あるし、漏れもその方がいいかなと思う。
ただ、前者の近藤などの理解はむしろ今も通説だが。
なおホケノ山は、土器の理解と鏃の型式などから、箸墓より古いかというとかなり疑問がある。

934 :日本@名無史さん:05/02/02 00:14:46
平原の内行花文鏡とホケノ山の内行花文鏡の関係ってどうなの。
画文帯神獣鏡ばっかり騒いで全然論じられてないけど。

935 :日本@名無史さん:05/02/02 00:16:50
>>917「本来邪馬台国の位置の重要性というのは
3cに西日本一帯をカバーする勢力が存在したのか (略)
もう現時点で西日本はおろか東海・関東にまで広域連合
(それがいわゆる王権とは別のものだったにせよ)が
発生していたことが、あらゆる出土物からも明白になっている以上、
最大の争点はすでに終わっている」 
    ↑
烈しく同意。

936 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/02 00:23:31
【成立と】畿内王権の謎を解く【発展】


2世紀末から3世紀初頭にかけ畿内に誕生した可能性が高い古代王権 。
その成立と発展については諸説入り乱れ、未だ定説化には到らないなかで
最新の発掘状況と史料解釈を以ってして、その正体の謎を推理するスレです。

この王権を成立させた勢力の主体はどこなのか?連合形成の理由と契機は何か?
果たしてそのまま大和朝廷になったのか? それとも権力の断絶があったのか?
考古学成果が物語るものは何か? 根拠を明記してマターリと議論ましょう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論はコテハン&トリップが条件。
2)邪馬台国などの位置論争は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。

前スレ【邪馬台国】畿内王権の謎を解く【畿内説専用】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104419393/l50
前々スレ ◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART15
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1103469956/l50

937 :日本@名無史さん:05/02/02 00:28:47
>>880 寺沢はもと古墳屋ではないが。土器論、集落論がむしろ専門だが。
また北條は、もともと近藤や都出とは師弟関係にあり、畿内派の論説だったが、四国に逝って違う視点で見始めてから、反主流派となったいきさつがある。
>>879
都出の「農業共同体と首長権」だろ。知ってるよ。ただ、古墳出現前の畿内の実態が明らかになる前に書かれたもので、
当時でさえ九州より劣勢と言わざるを得なかった畿内の弥生からどうやって古墳の成立中心になったかを無理やり説明するために「共同体規制力」云々の論理を持ち出したに過ぎない。
古墳に畿内自生の要素が無いことの説明は一切していない。またなぜそれが九州を抑え込むことができたのか、どのようなプロセスでそうしたのかということについての説明は無い。
むしろ「共同体規制力」云々で畿内の弥生までの劣勢を逆説的に王権の主体成立の要因としたことについて、
まったく実証的ではないとうことがすでに寺沢により痛烈に批判されている。(古代学研究に15年前に載った論文)
また、「古墳時代像を見直す」における北條や村上の立場も、都出のような非実証的な畿内自生説を検証・批判することが一つのテーマだと思うが。
鏡台あたりの院生か知らんが、学史をもう少し勉強して下さい。


938 :日本@名無史さん:05/02/02 00:29:24
>>936
>4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。

これはこれまで、ほとんど守られていないがどうよ。
だいたい、これ書いた前スレ940はコテハンで通してるのか?

939 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/02 00:35:57
意識しておとなしめにしたのだが、意味は通じるだろうか?
訂正するにしても「邪馬台国」は外して欲しいので、そこのところ頼みます。
>>930
さっそく明日買ってきます。>季刊考古学
しかしあの本2500円くらいするんだよな。。。

940 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/02 00:42:18
>>938
出来れば守って欲しい。。。それと
>だいたい、これ書いた前スレ940はコテハンで通してるのか?
俺も守ってなかった。正直皆のレベルについていくのが必死で
自説形成にまで至っていない。
それと名無し発言もあった。。。
素直に反省するので頼むから協力してくれないだろうか。


941 :920:05/02/02 00:57:28
みんなで前スレ940さんを応援しよう!
>>936の加除推敲をよろしく!!>917>930>935>938

942 :日本@名無史さん:05/02/02 00:57:53
>934
いろんな立場があると思うんですけど、一応、ホケノ山報告書では、

・従来古墳の開始は、根拠なく3世紀末とされ、三角縁神獣鏡が伴うとされてきた。
・しかし、中山大塚のように三角縁神獣鏡がともなわないものがその前にある。
・ホケノ山は埋葬施設以外は古墳と変わらない。
・ホケノ山と中山大塚をつなぐ古墳があるだろう。
・また、ホケノ山の前の古墳も存在するはず。

としています。これが現在の橿考研の立場でしょう。
もちろん異論はあるでしょうが、妥当なものだと思いますね。


943 :日本@名無史さん:05/02/02 01:03:42
>>942
安満宮山なんかは中山大塚あたりと同じ時期でもよい。那珂八幡の第2主体もその可能性が高い。
福岡の藤崎の三角縁盤龍鏡は箸墓と同じ時期の土器と最新の報告書にある。
中山大塚の場合は乱掘激しくあてにならない。
ホケノ山は周溝の土器や主体部に落ちた小型丸底から、中山や箸墓より古いとは思えないのだが。



944 :日本@名無史さん:05/02/02 01:11:08
庄内期に西日本を統一した倭王権の成立が確実視され
ている昨今に箸墓=最初の古墳に固執する意味がよく
分からん。
柳田康雄も言っている通り、箸墓以降も典型的な古墳
の特徴を供えているとは限らんよ。


945 :日本@名無史さん:05/02/02 01:15:41
>943
もちろん、いろんな意見があると思います。
おそらく橿考研としては、土器だけではなく埋葬主体の形式や鏡の種類
などを考慮に入れて、時代を上げているのではないでしょうか。
ちなみに櫻井市の埋文の方も同様の立場のようです。



946 :日本@名無史さん:05/02/02 01:28:28
>937
>むしろ「共同体規制力」云々で畿内の弥生までの劣勢を逆説的に王権の主体成立の要因としたことについて、
>まったく実証的ではないとうことがすでに寺沢により痛烈に批判されている。(古代学研究に15年前に載った論文)
>また、「古墳時代像を見直す」における北條や村上の立場も、都出のような非実証的な畿内自生説を検証・批判することが一つのテーマだと思うが。
>鏡台あたりの院生か知らんが、学史をもう少し勉強して下さい。

ずいぶん、大きく出ましたね。
寺澤が都出をどう非難しようが、あなた自身が北条を「反主流派」と呼んでいる
とおり、今のところ「東遷説」とやらは、ローカルな福岡の埋文あたりでしか通用
せんでしょう。K研でも石野氏や川上氏歴代副所長は、倭王権畿内発生説ですよ。
今のところ寺澤の単なる私説にすぎないじゃないですか。


947 :日本@名無史さん:05/02/02 01:31:05
>>943
桜井の人もホケノは箸墓と同じくらいと書いていたと思うが、、、、
橿原の人も、去年か一昨年の橿考博の展示では、ホケノはそんな古くないというような図録の書き方だったが。
ホケノについては、橿考研全体の公式見解というより、一部の(調査団)の考えかと

948 :日本@名無史さん:05/02/02 01:35:04
>937
村上の研究だって、ほとんどの考古学者が認める北九州の墓制
の衰退や舶載鏡の減少について、「北九州は文化の発展によって
そういうものを必要としない段階になった」なんて説明にもなら
ん言い訳をしてますけど、こんなの考古学者が言っていいのかと
思いますよ。
「畿内の鉄器が溶けた」を馬鹿にしている割には、ずいぶんと
ずさんな考察ですよね。

949 :日本@名無史さん:05/02/02 01:40:45
>947
桜井市の橋本輝彦氏は、私案として庄内3〜布留0として箸墓より前に
置いた表を作ってましたな。その上の方はどうかは知りませんが。

前としてもせいぜい、十年、20年の単位でしょうが。


950 :日本@名無史さん:05/02/02 01:42:47
>>946
ほほう、大きく出たのはそちらかと。
>>寺澤が都出をどう非難しようが、あなた自身が北条を「反主流派」と呼んでいる
、、、 具体的に反論しないと意味ないが。寺沢の反論の方が後に出ていて、影響があるのに、それを隠して古い説を言うのはアンフェアではないでしょうか?
寺沢に反論してくださいな。ちなみに都出はこの件では寺沢にまともな反論しているか疑問です。
何かあったら教えてください。
>>あなた自身が北条を「反主流派」と呼んでいる
しかし、その「反主流派」が力を持ちつつあり、今までの主流説がやばくなってきているのも事実ですが。
だからこそ議論が盛り上がっているのですがね。
それと、古墳の諸要素の起源が畿内に少ない点についての説明もよろしくね。

>>ローカルな福岡の埋文あたりでしか通用せんでしょう。
はぁ?
そうと言えるのかな?このスレの流れはそうでないかと。
北條や寺沢や村上は福岡の埋文でつか?
大体、単純に「東遷」と括ること自体が、前時代的発想ですな。
冗談で書いたが、鏡台の、、といったところがあたってたりして。
だとすれば、イタイ、な。


951 :日本@名無史さん:05/02/02 01:44:16
考古学では過去の説がずいぶん批判にさらされているんだね。
九州王調説や騎馬民族説なども再評価されつつあるかもしれないね。

952 :日本@名無史さん:05/02/02 01:45:16
畿内説論者は、女王国卑弥呼の記述を記紀が隠匿したから書いてないのだ云々の
解釈をして、記紀の作者が畿内の真近に隣接して存在したことになる畿内2政権
の同時存在を積極的にはあまり論じないものの、結果的にはそうなるべきことを
これに関し、消極的に肯定しているようになるが、まるでNASAがロズウェル事件の
UFOと宇宙人を隠匿しているような記紀作者への弁明を余に対しての説明としている。
まあ遅かれ早かれ、大和説は言いにくいが、戦艦大和の沈没の如く崩れるだろう。



953 :日本@名無史さん:05/02/02 01:49:00
>>948
弥生後期の墓制の衰退だが、
これは実は畿内でも同じなのだが、分かる??
時期ごとの方形周溝墓の造営数を数えてみ。
九州の場合、村上の言うように鉄器や、集落の状況(三雲や須玖)からは「衰退」と言えないのは今やこれも認められている。
一方で、最上位の王墓は続いているのだが。
社会の価値観が変質したという説明は、墳墓以外も含めたトータルな説明としてはありだと思う。
村上の説明の仕方に全て同意ではないですけどね。


954 :日本@名無史さん:05/02/02 01:50:11
>>951
>>九州王調説や騎馬民族説なども再評価されつつあるかもしれないね。

それはない。


955 :日本@名無史さん:05/02/02 01:52:32
>>948
前期古墳がいっぱいあるから、弥生時代から中心だった(はず)、という
ずさんな考察がまかり通っているのが問題。

956 :日本@名無史さん:05/02/02 01:57:52
>、、、 具体的に反論しないと意味ないが。寺沢の反論の方が後に出ていて、
>影響があるのに、それを隠して古い説を言うのはアンフェアではないでしょうか?
> しかし、その「反主流派」が力を持ちつつあり、
>今までの主流説がやばくなってきているのも事実ですが。
>だからこそ議論が盛り上がっているのですがね。

影響力っていいますけど、あの3羽ガラス以外のどんな学者が寺澤に追随して
いるんですか。教えていただきたいですな。

>それと、古墳の諸要素の起源が畿内に少ない点についての説明もよろしくね。

前にも言ったとおり、配布行為の連続性や銅鐸の特殊器台への連続性
(これは他ならぬ寺澤も言っている。)

>大体、単純に「東遷」と括ること自体が、前時代的発想ですな。
いやたいしてかわらんでwしょう。吉備やら讃岐で飾っているだけでね。
だいたい、寺澤が北九州について言っていることはアノ電波チックな原田
大六や柳田とほとんど同じじゃないですか。
先学を無視して、こんな連中に同調するとはね。

957 :日本@名無史さん:05/02/02 02:08:08
>955
かならずしもそうではない。
権力は、社会の発展による階層化の進展によってその階層間の調停
のために生まれると考えるべきものであり、大和朝廷の発生について
安易に権力の移動を想定すべきではない。それは神武東征神話の亡霊
復活につながる危険な道だと思う。



958 :日本@名無史さん:05/02/02 02:08:55
関東が倭国に統合されたのはかなり時代が下ってから、
6世紀末から7世紀初頭と思います。
西暦600年前後までは関東勢力は独立していたと思われます。

古田氏が紹介した「筑紫の舞」にそのことを暗示するようなものがあります。
翁の舞があるのですが、3人立、5人立、7人立と3種類の翁の舞です。
3人立は筑紫の翁、出雲の翁、肥の翁の構成で、
5人立は上記3翁に難波の翁、越の翁の構成に、
7人立は上記5翁に尾張の翁、夷の翁となります。
そこで、7人立の成立が西暦600年前後と推定しています。
5人立の成立は難波の翁がでてくることから応神の頃(5世紀)になりますね。
応神は九州王朝の征東将軍のようなものでしょうか。

そして畿内への北陸反乱勢力である継体が九州に対して反乱。
継体の死後、欽明により畿内を九州王朝傘下に。


959 :日本@名無史さん:05/02/02 02:12:29
>>956
配布行為の連続性って、銅鐸と古墳前期の鏡とでは同じと言えるのか?
銅鐸は必ずしも大和中心じゃないぞ
あと、鏡の配布行為はむしろ弥生の北部九州で始まったものだが。
原田大六って、特に晩年電波だったけど、学史上は重要で、いいことも結構書いてるが。
ちゃんと読んでる?
柳田も、解釈がやや極端なところもあるけど、遺物からの実証的なところは重要な指摘が多々あるが。
あと、寺沢の北部九州の墳墓の論は、確かに柳田の影響があるけど、それそのものは独自の意見で、実証的と思いますが?

あと特殊器台はあくまで吉備で生まれたので、文様や祭祀が銅鐸の要素を引き継いでるとしても、大和からみたら外来要素であることに変わらない。
大体、共同体の祭器から首長墓祭祀の道具になった段階で別のものと言ってよい。

>>あの3羽ガラス以外のどんな学者が
わからんのか。中堅(仮に40代とする)より下の世代の最近書いているものは、寺沢に追随ではないが、畿内自生説に疑問の立場を持つ人が多いが。
それが分からないのはよほど空気が読めんのかと思う。
どこの第樂か知らんが、いろんな立場の論を読み込んで、自らの通説的立場が本当に大丈夫か検討・自省してみてください。
自説に合わない論者の説を電波と決め付けるのはいかがなものかと。
空気

960 :日本@名無史さん:05/02/02 02:20:19
>>957
>>それは神武東征神話の亡霊 復活につながる危険な道だと思う。
????
レッテル貼りこそ危険だと思うが。「右だ」「左だ」と言ってどうするよ。
説明に窮すると、そう言うのは反則かと思うが。
それとも、古くより永劫に続く王権を認めたいのかい?


あと権力の(国家のといってもよい)の成立については、
そのようなマルクス主義的発想ももちろん有力ですが、
それだけじゃないこともまた人類学などでは論じつくされているのです。
特に日本列島のような2次的国家では>>955のような説明だけでははなはだ疑問。
具体考古資料に基づいて、どうして畿内大和に中心的な王権ができたかを説明するのに、
そのような一般論では何も説明していないに同じ。




961 :960:05/02/02 02:22:36
>>特に日本列島のような2次的国家では>>955のような説明だけでははなはだ疑問。
ここでの「955」は「957」でつ。

962 :941:05/02/02 02:23:14
>>936を改造してみました>>940
【古墳から】畿内王権生成史の謎を解く【律令へ】

2世紀末から3世紀初頭にかけ畿内に誕生した古代王権 。
この王権から律令国家=大和朝廷へ推移していく生成過程の解明は、
最新の発掘成果をどう解釈し、組み立て肉付けしていくかに
かかっています。

この王権を成立させた勢力の主体はどこなのか?
西日本全体の姿はどうだったのか?
連合形成の理由と契機は何か?
果たしてそのまま大和朝廷になったのか?
それとも権力の断絶があったのか?
考古学成果が物語るものは何か?
願わくば根拠を明記してマターリと議論ましょう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。

前スレ【邪馬台国】畿内王権の謎を解く【畿内説専用】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104419393/l50
前々スレ ◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART15
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1103469956/l50


963 :日本@名無史さん:05/02/02 11:44:56
それでいいから、誰か次スレ立てて。

964 :日本@名無史さん:05/02/02 13:04:45
帯方郡(朝鮮)

狗耶韓国

対馬国(対馬)

一支国(壱岐)

末ら国(松浦)

伊都国(伊予?知らん)

奴国(知らん)

不弥国(広島県福山市?)

投馬国(山口県周南市徳山?)

邪馬台国(福岡県山田市?)

965 :日本@名無史さん:05/02/02 13:10:30
不弥国
ふ○や○国=ふくやま国

投馬国
と○○ま国=とくやま国

邪馬台国
やまたい国=大和伊賀国

966 :日本@名無史さん:05/02/02 13:13:19
やまといがこく
↓ やまたいこく

なまってやまたい国と名付けられたと考える。よって近畿にきまっとろうが。

967 :太国玉:05/02/02 14:14:00
伊賀にあったというのか?

968 :日本@名無史さん:05/02/02 14:44:03
>>976
伊賀は、もともと甲賀を含んだ地域であったゆえに、参謀(スパイ)の発祥地である。平安以降、忍者が活躍したのも伊賀からである。
邪馬台国が未だ発見されないのは、当時の魏に対して日本側が警戒して記述をあやふやにしたとみえる。それが伊賀、甲賀のスパイの作戦といえる。
邪馬台国の遺跡は、伊賀市内にあるのでは?

969 :日本@名無史さん:05/02/02 14:49:21
邪馬台国って池上曽根遺蹟じゃないの?

970 :日本@名無史さん:05/02/02 15:03:24
和泉市ですか。その後の仁徳は堺に墓があるからこのころには畿内統一してたとみえるが、その線もありうるかもしれない。勾玉や鏡、銅剣がまとめて出てくれば決定的な証拠になるんだが。

971 :日本@名無史さん:05/02/02 15:16:24
邪馬台国の場所の話題は別スレでお願いします。
そう言ってるスレにわざわざ集団で来て、その話ばかりする
のは、荒しと同じです。


972 :日本@名無史さん:05/02/02 15:21:29
>>971
何おまえ勝手にでしゃばってんの?調子にのっとったらあかんよ。

973 :日本@名無史さん:05/02/02 19:30:24
邪馬台国は宇佐だって何度も言ってるだろ。

974 :日本@名無史さん:05/02/02 19:37:15
次スレまだ?

975 :ホストアク禁中962:05/02/02 19:47:24
誰かスレ立てヨロ

古墳から◆畿内王権生成史の謎を解く◆律令へPART17

2世紀末から3世紀初頭にかけ畿内に誕生した古代王権 。
この王権から律令国家=大和朝廷へ推移していく過程の解明は、
最新の発掘成果をどう解釈し、組み立て肉付けしていくかに
かかっています。

この王権を成立させた勢力の主体はどこなのか?
西日本全体の姿はどうだったのか?
連合形成の理由と契機は何か?
果たしてそのまま大和朝廷になったのか?
それとも権力の断絶があったのか?
考古学成果が物語るものは何か?
願わくば根拠を明記してマターリと議論ましょう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハン推奨。

前スレ【邪馬台国】畿内王権の謎を解く【畿内説専用】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104419393/
前々スレ ◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART15
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1103469956/


976 :日本@名無史さん:05/02/02 20:42:09
ちなみに今dionではスレを建てられない

977 :日本@名無史さん:05/02/02 20:43:04
>969
それを言うなら、久宝寺の方がジャストフィット。

978 :前スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/02 22:36:10
新スレ立てました。
>>941さん加除推敲ありがとうございました。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1107349906/l50

979 :941:05/02/02 23:03:14
>>978
お疲れ様でした。土俵が据えられて安心しました。
完璧さなど、望むべくもありませんが
次のスレはブレの少ない論議になるでしょう。
これからが楽しみです。

980 :コピペ:05/02/05 20:45:01

501 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/01/12 00:14:41
ただし、寺澤氏は森氏らと違い、吉備の特殊器台がマキムク遺跡に
流入している事実などから北九州よりも吉備を重視し、これが倭王権=邪馬台国
成立の主導を行ったと推測してます。
近年では、このスレッドにも名前が出た村上恭通氏などにより(従来の)畿内説
の有力な根拠であった「弥生期の鉄器の採一的普及」がほぼ完全に否定されつつあ
ることから、中堅、若手にこの立場をとる人が増えているようです。


981 :日本@名無史さん:05/02/05 21:30:05
このスレ、まだあったのか。

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