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【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ2 【壬辰倭乱】

1 :日本@名無史さん:05/01/19 23:53:47
理知的に語れ

前スレ
【文禄の役】秀吉の朝鮮出兵を語るスレ【慶長の役】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1095691351/

関連
朝鮮征伐に対する軍事分析←軍板現役スレ
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/

軍版住人の李舜臣の評価は?←軍板落ちスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1076903265/

世界史に置ける秀吉の朝鮮征伐の考察その4 ←世界史現役スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034574345/

2 :日本@名無史さん:05/01/20 00:00:12
しずかに、



3 :日本@名無史さん:05/01/20 00:14:18



4 :日本@名無史さん:05/01/20 00:14:35
> 陶工が連行を喜んでたっていうソースを示して。
>
> 実は、先日のノムヒョン来日でも見かけた沈寿官(日本人)の人が、
> MXTV(東京ローカル局)の番組に出てたのを視聴したことがある。
> その人のインタビューを見る限りでは、
> 過去の歴史に対して相当に薩摩や日本に批判的な意見を持ってるようだった。
> ソウルの大学で講義をしたとき、満場から拍手をうけて感動したらしいよ。

前スレで気に掛かったので言ってみる。

この沈寿官という人は司馬の本で知ったのだけど、
どうも共感が得られないところがあるんだよ。
陶工としては立派なのかもしれないけど。

ずっと昔のNHKの歴史番組(今の「その時歴史が動いた」の前身番組)
に登場し当時の「朝鮮文化の優位性」を説いていた。
それ以後韓国から表彰を受けるようになっている。

どういうことを言っていたかというと、
文禄慶長の役で「サヤカ」(朝鮮に投降した日本兵)の話があり、
当時の朝鮮文献に記載されているのを引用して、
「日本兵はこの国の高い文化を慕って下った。それほど朝鮮は豊かだった」
と。
ちょっとおかしいんじゃないか、とその時思ったけど、
今考えてもおかしい。
これも今につながるNHKの「韓国宣伝」の流れだったんだと思うね。

沈寿官とは、そういう人であることを念頭に置くこと。

なお、その番組は細部で明らかな誤認があり、しかもそれを
意図的に強調するという二重の醜い誤謬を犯している。
それに関するNHKの訂正はナシ。

5 :日本@名無史さん:05/01/20 00:44:17
朝鮮人の発言を真に受けたりする馬鹿には、2ちゃんねるも歴史研究も難しい。

6 :日本@名無史さん:05/01/20 07:20:35
秀吉が長生きしていれば勝てた

7 :日本@名無史さん:05/01/20 10:08:31
かもな

8 :日本@名無史さん:05/01/20 17:52:09
>>4
私は以前に南日本新聞のwebコラムで先代の沈寿官氏が「沙也可」について語っていたのを読んだことがあるが
>>4さんの話とは全く正反対のことを話していたのだが。
「沙也可」は雑賀が訛った物で、秀吉にやられた雑賀衆の生き残りが朝鮮出兵でここがチャンスとばかりに
寝返ったのではないかという説を唱えていたよ。2001年頃かな。
ちなみにこのコラムは今はweb上から削除されているが
鹿児島とか東京の人なら南日本新聞縮刷版が読めるかもしれないので確認できるかと。

もしかして、勲章ほしさに転んだとか・・・いやだなあ・・・



9 :日本@名無史さん:05/01/20 18:34:41
何度も指摘されているが、また言うよ

朝鮮人は、その時その時で金儲けになると考えた言動をとる。

朝鮮人の言動をいちいち真に受けるマヌケなヤツがカモにされているだけだ。

10 :日本@名無史さん:05/01/20 18:44:31
>>8
愛と正義に目覚めたからでわ?

11 :日本@名無史さん:05/01/20 18:52:59
>>8
4
ですが、
その話は正反対でも何でもないと思いますが。

そのとおりのことをテレビで喋ってましたよ。
ただ、それに付随した話の中で4で書いたようなこと、
「朝鮮文化の優位性」
を強調し「戦乱でまみれた日本社会」の劣位
を語っていた。
もちろん「優位性」とか「優劣」と言う言葉を口にしたわけではありませんが、
そういう印象で語っていた。
また「それほど朝鮮は豊かだった」という言葉はハッキリと口にしていた。

たしかに戦乱の世と、平和の世では後者の方がいいし、
民衆にとっては当時の朝鮮の方が暮らしやすかったという見方はできるかもしれない。
今のテレビの登場する人なら誰でもそう言うだろうから、
この点は沈寿官氏に限った特徴ではないだろう。
しかし本当に朝鮮の方が「豊かだった」のかということになると「どうかな」と疑問を抱いたということです。


12 :日本@名無史さん:05/01/20 18:53:42
(上の続き)

この番組ができたのは従軍慰安婦問題の直前あたりではなかったかと思います。
しかし平成の世にはなっていて、しきりにかつての「日本の侵略戦争」への断罪が
蒸し返されて、そういう話題がマスコミの流行のようになっていた時分でもありました。
そんなムードの中で作られたものだけに、余計に「意図的な制作」を感じさせ、
沈寿官氏の発言内容もそれに則していた印象であった、ということです。

ただ、勲章(勲章だったかなんだったか忘れましたが、とにかく誉められてますよね)
欲しさに転んだということではないと思います。
もともとそういう人なんでしょうし、それに韓国側が目をつけたんでしょう。

その他、細部でこの人の非常に疑問な戦争分析があったり、
制作者側の創作的(虚述に等しい)な戦史の叙述があったりの、
なかば日本側を愚弄するような表現が目についた番組でもありました。
作ったのはNHK佐賀放送局です。

13 :日本@名無史さん:05/01/20 18:55:07
>>9
分かっていっているのかもしれませんが、
なお、この人は朝鮮人ではありませんのでよろしく。

先祖が朝鮮人ですが、れっきとした日本人です。

14 :日本@名無史さん:05/01/20 18:59:56
>>11
今ごろになってNHK教育ラジオの本『戦国争乱の群像』なんて初心者向きの本を買ってきたのだが
戦国時代は現在より平均気温が2〜3度低くて”プチ氷河期”だったと書いてある。
そのために飢饉が頻発し、戦場での人さらいや略奪も横行する原因となったらしい。

ここから推測すると、更に緯度が北にある朝鮮半島では述べるまでもなく…ということで
物質的に当時の日本より豊かかどうかとなると、確かに疑問が湧いてくるわね。

15 :日本@名無史さん:05/01/20 19:03:59
>陶工が連行を喜んでたっていうソースを示して。

連行される時は不安だったけど、思ってたより良い待遇で驚いた。
と言うのが真相では?


16 :日本@名無史さん:05/01/20 19:11:37
島津軍は戦場ではしばしば死体を集めて供養していたが、
死体の山の中から時折息のある者が見つかると手当して衣食を施した。
不安がなかった訳ではなかろうが、両班から虫ケラ扱いされ続けて来た白丁の目に映る島津軍は、
救世主以外の何者でもなかったというのが真相だろうな。

17 :日本@名無史さん:05/01/20 19:16:25
島津厨の捏造には秋田

18 :日本@名無史さん:05/01/20 19:36:01
>>12
今のNHKvsアサピー騒動にもつながりそうなネタですなw
その番組のタイトルは分かりませんか?

19 :日本@名無史さん:05/01/20 20:05:09
本当の子孫なのかな?

20 :日本@名無史さん:05/01/20 20:37:20
>>18
今回の騒動の底流にはそうしたNHKの体質があるのは間違いないですね。

ああいう番組を作る素地は、こうした歴史番組にもあったんですよ。
挙げればきりがないですが。

21 :日本@名無史さん:05/01/20 22:27:25
始祖沙也可について
ttp://www.sol.dti.ne.jp/~mihe68/sayaka.html

統一日報 沙也可の里に日本人観光客急増中
ttp://www.onekoreanews.net/20030305/bunka20030305001.htm

新しい教科書をつくる会 捏造された沙也可の事跡
ttp://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi38_text01.html

22 :日本@名無史さん:05/01/21 10:08:41
1万しかいない加藤軍から3千も率いて朝鮮へ投降するってどういうこと?
命令であっても兵や中間指揮官ががついてくるのかね?

23 :日本@名無史さん:05/01/21 10:42:23
>>19
今では
「沙也可」という固定の人物は居なくて
日本から投稿した兵や武将のエピソードを合成して
チョソ的な装飾(朝鮮の儒教に感動して投降したとか言う下り)も加えた
 架 空 の 人 物 なのではないか
という説が有力みたい
>>21のリンクにその辺りも書いてるかと思う
そのときの日本兵の子孫であることは確かなようだが

伝承では「朝鮮王に誉められて領地も与えられた」となっているが
その場所が首都ソウルから遠く離れた山の中という事実が
「沙也可」の子孫の境遇の実体をあらわしてるように漏れ的には考える。

24 :日本@名無史さん:05/01/21 13:38:53
一般的には 降倭 とよんでるな

初戦で裏切るかな亡命みたいな感じが駿河

25 :日本@名無史さん:05/01/21 14:29:30
俺の知り合いの先祖は薩摩の下級藩士だが、元々は朝鮮人だったそうな。
島津軍が死体の山の前で供養していた時に死んだフリしてたが、線香の煙か何かでクシャミして見破られて保護された。
その後来日して薩摩藩に召し抱えられたとの事だ。
真偽は不明だが、その知り合いは先祖代々そういう来歴を語り継いでいるらしい。
地元周辺では結構有名なエピソードだけどね。

26 :日本@名無史さん:05/01/21 14:51:12
文禄の役当時朝鮮軍は北方重視で南方は手薄だったと思うが、それにしても弱すぎだ。

27 :日本@名無史さん:05/01/21 15:20:18
>>25
晋州城で義兵だった「窯元の徐さん」の事ですなw
聞く所によると兵道と呼ばれるオカルト戦術を信じていた当時の島津軍は朝鮮にも多くの修験者を連れていたが、
晋州城を落とした後に有馬裕泉という山伏が城の死者を供養しると進言して死骸の山の前で盛大な護摩を焚いたとか。
その煙が余りにも凄くて死んだフリをしていた徐さんはクシャミを堪えきれずに見つかったという話。
その後は島津家に雇われ、知覧に住み着いて焼物の生産管理を任される身分になった人だね。

28 :日本@名無史さん:05/01/21 15:34:38
島津軍に関する細かいエピソードをあげると、
まるで他の大名が同じことをやっていないかのように錯覚する人が出てくるので、
あらかじめ予防線をはっとかないとね。

陰陽師・修験者を引き連れていたのは島津氏だけではない。
武田信玄や織田信長も陰陽師・修験者を戦場に連れてきていた。
矢弾に中らないよう験担ぎで大将の周りを結界を張る。
戦場では外科手術中の負傷者を結界で囲む。

29 :日本@名無史さん:05/01/21 15:45:01
当時の修験道は科学と同格だから当たり前。
アイザック・ニュートンが鋼の錬金術師だった事と似たようなもんだ。
ただ、それでも薩摩人はかなり信心深い部類になる。斉彬派が粛清された高崎崩れなんかは前漢の武帝を連想させるオカルト戦争の様相を呈していたし、
父親が高崎崩れで失脚して半分村八分状態だった当時の大久保利通の手相を見た山伏が「天下を取る手相だ」と言ったエピソードなんかも有名だ。

30 :日本@名無史さん:05/01/21 18:38:21
>それでも薩摩人はかなり信心深い部類になる

それなのに廃仏毀釈で鹿児島中の寺院を破壊したのは歴史の皮肉。


31 :日本@名無史さん:05/01/21 18:48:59
幕末の仏教は檀家制度の弊害で腐敗と堕落を極めていたからな。
幕府の保護の下で殆ど邪教化していた仏教権力が民衆の反感を買って排斥されたのは当然だ。

32 :日本@名無史さん:05/01/21 18:58:25
「信心深い」と「迷信深い」は違うからな、お前ら。
老婆心までに言っておく。

33 :日本@名無史さん:05/01/21 19:16:45
韓国で“和流”ブーム…中島美嘉日本人初ミリオン級 
「ヒップポップよりバラードが人気」 

“韓流”ブームが続く一方、昨年から日本語CDが全面解禁された韓国でも、J−POP 
ブームという“逆流”現象が起きている。 
日本人アーティスト人気ナンバーワンは中島美嘉(21)=写真=で、初のミリオン級 
セールスも記録した。 

ソウルのCD店「教保文庫」では、日本人歌手のCDを一堂に集めたコーナーを設置。 
日本の歌姫といわれる宇多田ヒカル(22)や浜崎あゆみ(26)も人気だが、ナンバーワンは 
中島だ。 

ヒット曲「雪の華」などを収録、日本で2003年11月にリリースされ136万枚の大ヒットと 
なったアルバム「LφVE」(ソニー・ミュージック)が昨春、韓国で発売。 
「インターネットの利用が日本より進み、若者の多くが音楽をダウンロードしている韓国の 
CD市場では3万枚売れれば日本のミリオン級」(韓国の音楽関係者)といわれるなか、 
年末までに日本人で初めてそのラインを突破したという。 
(中略) 

ほかではGacktが大人気で、ケミストリーや平井堅(33)が続き、宇多田と浜崎では 
宇多田に軍配。コーナーには日本では知名度がそれほど高くないデュオ「キリンジ」も 
登場している。逆に、日本で人気のオレンンジレンジやEXILEはあまり目立たない。 
(以下略) 

ソース(ZAKZAK) 
ttp://www.zakzak.co.jp/gei/2005_01/g2005012101.html

【韓国】日本語CD解禁でJ-POPブーム 人気No.1は中島美嘉でミリオン級セールス達成[01/21]
ttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1106301611/



34 :日本@名無史さん:05/01/21 19:50:01
中島美嘉も鹿児島出身だから、兵道を使って朝鮮人を幻惑したのかも知れないな。

35 :日本@名無史さん:05/01/21 19:55:19
釣り野伏せ&捨て奸ってことか?

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

36 :日本@名無史さん:05/01/21 19:58:14
兵道というのは薩摩独特の呪術だよ。
戦争の時には敵を呪殺したりする部隊が兵道者。

37 :日本@名無史さん:05/01/21 20:06:43
あらゆる信仰は全て例外なく迷信なのだがね。

つい20年くらい前までは世界中のいたる所で共産主義に対する信仰が根深かったし、
今でも民主主義を信じるような馬鹿が少なくない。

38 :日本@名無史さん:05/01/21 20:28:41
廃仏毀釈について
仏教の退廃を改革しようとした考えでいたが
藤村の夜明け前を読んでその間違いに気づいた
国学派は維新に乗じて攘夷を断行しようとして
仏教以前に戻そうとしたのだ
それ仏教も中国、つまり外国の宗教だ
太子以前の神道に戻ろうとして廃仏になったのだ
天照大神原理主義みたくなものか… w

39 :日本@名無史さん:05/01/21 20:35:41
様々な迷信の間に優劣をつけようとするのは愚かな話だ。
仏教以前も以後もない。
科学は進歩しうるが、迷信は進歩しないので時間的な座標など意味がない。
違いがあるとすれば、堕落や腐敗などという経時劣化の度合いだけだ。

40 :日本@名無史さん:05/01/21 20:45:47
宗教が迷信とするなら優劣はもうついておる
かたや仏教は廃れもはや葬式か墓場にしかない
どちらも釈迦の教えとは関係の無い儀式だ
神道は未だに新年の参拝、朝日を拝み森を拝む
たとえキリスト教徒でも日本人ならそうするだろう

41 :日本@名無史さん:05/01/21 23:00:51
創価も総理の靖国参拝止めないし

42 :日本@名無史さん:05/01/21 23:05:28
宇佐八幡神は新羅の神だった
ttp://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-51.html

出水兵児修養掟 解説
ttp://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi05/izumi22.asp

新羅(韓国)へ旅して
ttp://www.venus.dti.ne.jp/~shigerui/siragi/siragi-txt.htm

43 :日本@名無史さん:05/01/21 23:51:18
先日韓国に行ったのだが、やはり景福宮の掲示板には民衆がドサクサ紛れに焼いた王宮なのに
「日本軍侵攻によって焼失した」と書かれていたな。

さて、ソウル市の南を流れる漢江は、相当な大河。隅田川なんか問題にならないくらい。
秀吉軍はどうやってこの川渡ったのか。やはり現地の船をみな徴発したのか?

44 :日本@名無史さん:05/01/21 23:52:55
朝日にNHKが公開質問状 番組改編問題で

【記事の真偽】
 一、中川昭一氏とNHK幹部が放送前日に面会し、放送中止を求めたのは事実か。
 一、安倍晋三氏がNHK幹部を呼び出し、番組は偏った内容だなどと指摘したのは事実か。
 一、番組が政治的圧力を受けて「改変」されたのは事実か。
 一、記事で「憲法で保障された表現、報道の自由を無視したものと言える」と断定的に指摘している。現段階でもそう考えているか。

 【朝日記者の取材】
 一、松尾武・元放送総局長が9日に取材を受けた際、記者は「安倍、中川両氏からも取材している」と話している。記事によると両氏への取材は翌10日となっている。うそをついて取材したとすれば、取材倫理上極めて重大な問題。どのような見解を持っているか。
 一、松尾氏が「メモは取らないでください」と求め、それ以降、記者は一切メモをとらなかったという。2時間に及んだという証言内容をどのような方法で正確に記録できたのか。
 一、松尾氏への取材の録音テープはあるのか。
 一、記者は、松尾氏に取材した際に録音許可を得ていなかった。仮にテープがあるなら取材倫理に反していないか。
 一、記者は「証言内容について腹を割って調整しませんか」「すり合わせができるでしょうから」など(松尾氏に対し、19日に開かれた同氏の記者会見前日に)繰り返した。なぜ記事掲載後に証言を「調整」したり、「すり合わせ」たりする必要があったのか。



45 :日本@名無史さん:05/01/22 00:15:05
社説 南風録
ttp://373news.com/2000syasetu/2004/sya040728.htm

出水兵児修養掟 原文、口語訳
ttp://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi05/izumi21.asp

46 :日本@名無史さん:05/01/22 00:23:19
「すりあわせ」は、同じ左翼偏向番組、偏向報道の仲間だから、
共通の敵、「右翼」「安部、中川」「従軍慰安婦問題」
「靖国神社」「対北朝鮮敵視」といった問題で彼らに対立する勢力
の台頭(2chの世論も入るかな)を利するのはやめよう。

と手打ちをしたかったのだよ。
みえみえ。
子ズルイ、小心者の策動。

47 :日本@名無史さん:05/01/22 10:59:17
>>25
生き残ったのが奇跡的だな。晋州城の戦いでは、義兵は無論、「牛、馬、鶏、
犬まで残らず皆殺しにされた」(伊達治家記録)とある。

48 :日本@名無史さん:05/01/22 18:42:35
花糞 (かふん・はなくそ) 花糞

種子植物の雄性配偶体。
雄しべの葯(やく)の中で減数分裂によって作られる半数性の単細胞。
直接または風・虫・鳥などによって雌しべの柱頭に運ばれる。


49 :日本@名無史さん:05/01/23 01:16:14
>>18
この番組のタイトルは覚えてないです。
NHK出版から放映焼き直しのシリーズ本では出ていた。
ただし番組内容をそのまま反映したものではないので、
放映内容はナマには伝わってこない。

ビデオを撮ってないので記憶で言うしかありませんが、

まず第一に、
沈寿官の戦争分析が突拍子もない。

なぜ、日本が「敗北」したのか。
それは、当初の日本の進撃は鉄砲の威力にあったのであり、
後にはそれを朝鮮側が装備したから「敗退」した、
というのです。

どうみてもこの説には同意しかねます。珍説です。
沈説というんでしょうか(w

50 :日本@名無史さん:05/01/23 01:17:14
(上の続き)
すなわち、サヤカなる雑賀衆とおぼしき存在が大量に日本軍に降った。
かれらは鉄砲の専門集団だったからこれを朝鮮側に伝えた(これは事実だろう)。
その鉄砲を朝鮮側が装備した。
以後、日本側には朝鮮側を圧倒する軍事的要素がなくなった
(という明言はしなかったが、結局はそういう結論になるような話の流れ)。
それで日本は「敗退」した、というのです。

なぜそのようなことになったか、
背景として、前記「朝鮮の豊かさ」が彼らを導いた、
との言葉を配したわけです。

以上に関して、少し役の詳細とか知識のある人なら
胡散臭いリクツだというのは分かるはず。
しかし知らない人が聞けば納得しそうなだけに、NHKの印象操作は悪質。

51 :日本@名無史さん:05/01/23 01:19:01
第二に、制作側の創作的シナリオの問題。
蔚山の加藤清正について。
降伏して朝鮮に降ったサヤカとは誰か、という話の中で、
「岡本越後」という降伏した武将をあげる。
その越後が、落城寸前、蔚山で苦戦する加藤清正に幸福を勧告して来る。
越後は清正の配下(だったか関係者であったか)のため、
清正を説得に掛かってきた。
それを受けて清正は、

「翌日、命からがら蔚山城を脱出した」

と、説明します。
「命からがら」という表現をシナリオは書き入れたかったのでしょう。
さて、蔚山城でそのような事実はあったのか。


52 :日本@名無史さん:05/01/23 01:28:48
沈寿官の中の人を責めるな。
彼は一流の陶芸家ではあるが、歴史に関する発言に社会的責任は付随しない。
斯波遼太郎と同等な位置づけで批判するな。

53 :日本@名無史さん:05/01/23 01:32:22
たしかに岡本越後という人物が明軍の使者として清正の下に来たらしい。
ところが清正は数日後に回答することを約束しつつも
(時間稼ぎの意味があったのかもしれない)
脱出することはなくそのまま戦い、毛利軍の救援を受けている。
だから「命からがら脱出」というのはどうみてもおかしいし、
誤謬というしかない。
また、それに続くナレーションとして、
「これ(清正脱出)をきっかけに、日本軍の敗北は決定的となり…」
と続けます。

この役を日本の「敗北」というにせよ、こうした表現は適当なのか。
以後蔚山城は完成し、太閤の死によって日本軍は撤退するのですが、
それは蔚山戦より11ヶ月後のことです。
また蔚山戦そのものを「敗北」と掲揚していたような記憶(未確認)
もあり、随分と修飾の多い番組だな、と感じました。

これは歴史の解釈の問題ではなく、番組の粉飾の問題であると
今でも思います。

なお、これについては以前も書いたことがあります。

54 :日本@名無史さん:05/01/23 01:35:04
>彼は一流の陶芸家ではあるが、歴史に関する発言に社会的責任は付随しない。
>斯波遼太郎と同等な位置づけで批判するな。

随分と高飛車なものいいですな。


55 :日本@名無史さん:05/01/23 08:17:54
内容については番組作った制作会社にあって、
司馬遼太郎氏や沈寿官氏に責任はないでしょう。

どのような発言をしても、間違っていると判断したら
取り上げなければいいのだから。


56 :日本@名無史さん:05/01/23 14:07:57
蔚山で岡本越後守(この人物は清正配下で、逃亡した降倭と言われる)から降伏勧告が清正に出てたのは
こりゃ事実でしょう、だが結局は日本側の援軍が到来する事が判明し、またそれが篭城中の清正にも
知れたので“明・朝鮮軍が撤退した”のは日本・朝鮮側両方で共通して見られる事です

また、サヤカが雑賀衆かどうかも全く根拠ありませんが、朝鮮国王が“鳥銃”(火縄銃の事)の導入に重点を置き
降倭から積極的に技術を導入しようとしてたのも確かです、が、降倭と呼ばれる人々が
用済みになれば殺されると思い、協力的ではなかったので、朝鮮国王自ら
降倭に対して、生命の保証と官位の授与等を行い、慶長役には岡本越後守にあるように
軍を率いる将として扱われた人もいるようです。(岡本越後守は8000人の大将だったとあるが
朝鮮軍で8000人もの軍を率いる将となれば、軍権全てを任される都元帥並であり、これは兵数の誇張だと思われる)


57 :日本@名無史さん:05/01/23 15:49:58
歴史スペシャルビデオ 「壬辰倭乱 秘史-倭軍と戦った倭軍達-」要旨
ttp://gifukorea.net/kortest/gifukoreaforum10.htm

58 :日本@名無史さん:05/01/23 20:33:39
↑清正を含め、日本勢から逃亡者が続出してたのは確かだが、文禄役当時には書見で見られないがなぁ
慶長役に清正など、日本に帰れず朝鮮に留まった軍勢からの逃亡者が多かったはずだけどなぁ
胡散臭い事この上ない

59 :日本@名無史さん:05/01/23 23:19:26
>蔚山で岡本越後守(この人物は清正配下で、逃亡した降倭と言われる)から降伏勧告が清正に出てたのは
こりゃ事実でしょう、

誰も否定してはいないが・・・

だが結局は日本側の援軍が到来する事が判明し、またそれが篭城中の清正にも
知れたので“明・朝鮮軍が撤退した”のは日本・朝鮮側両方で共通して見られる事です

ちょっと、言っている事、意味不明。
何が言いたいのでしょうか?




60 :日本@名無史さん:05/01/23 23:23:23
>>55
別に、沈寿官の責任を問うているわけではありません。

この人の公式な場(公共放送での発言しかり)語らいは、
歴史検証証言としては胡散臭いということ。ただそれだけです。

61 :日本@名無史さん:05/01/23 23:30:38
>>67
>鳥銃の普及で、朝鮮軍の編制と戦法が画期的に変わり、
新兵器で武装した朝鮮軍は以後、日本軍と対等に戦闘を繰り広げた。

立証できるんでしょうか?


62 :日本@名無史さん:05/01/23 23:34:17
>>57

>長引く駐屯による食糧不足や過酷な労役、
>またこの理不尽な侵略行為に対する反発心、
>さらには朝鮮政府の積極的な誘引政策の結果、
>多くの兵士たちが朝鮮に投降

この文章と、

>沙也可は1592年4月、文禄の役勃発当時、
>加藤清正配下の武将として朝鮮に上陸後、
>すぐに3000の部下を率いて投降

完全に矛盾します。
サヤカは特殊な例であった、ということならわかる。
しかし、一般論の中に特殊例を混入させ、
論議を展開するのは矛盾していますよね。

サヤカは降伏日本兵のひとつではあったが、典型ではない
ということを測らずも言っているのであり、
これらは個別に検証されるべき対象。



63 :日本@名無史さん:05/01/23 23:37:21
>>61
これが「沈説」なわけですが、
誰か専門家を言って、その援用であるなら、
その例証をどなたか教えてください。
後学のために。


64 :日本@名無史さん:05/01/23 23:56:33
秀吉の朝鮮出兵は、アルマダの海戦の4年後に行われた。
日本軍は、陸上戦では連戦連勝であったにもかかわらず、海上戦では李舜臣が率いる朝鮮水軍に連敗し、このため補給路が断たれ、明まで攻めることはできなかった。
では、なぜ日本の水軍は、連敗したのか。朝鮮の亀甲船が優秀だったからか。そうではない。
李舜臣が一時失脚した時、日本の水軍によって亀甲船の艦隊が全滅している。
日本水軍が制海権を失ったのは、李舜臣に匹敵する、あるいはドレイクに匹敵する海戦のエキスパートがいなかったからだ。
信長なら、たぶん、朝鮮・中国の沿岸に詳しい倭寇を活用していたであろう。
しかし、秀吉はそうしなかった。すでに大名になっていた九鬼嘉隆は、日本国内の海賊の出身だったから、朝鮮沿岸の事情は詳しくなかった。
これに対し、李舜臣は、潮の流れの逆転を利用するなど、地元である利点を利用して、少数の亀甲船で日本の大軍を破った。


65 :日本@名無史さん:05/01/24 00:14:12
戦術運用に優れていたのは李舜臣ではなく現場の朝鮮水軍兵士だったのだと何度言えば(ry

別に李舜臣を貶めるわけではないが、かといってスーパーマンではない。
他の朝鮮士官と違っていたのはその自己犠牲的人生だろう。

韓 国 版 判 官 贔 屓

66 :日本@名無史さん:05/01/24 00:37:38
>>59
ごめんごめん、日本の史料にも朝鮮の史料にも
「これ(清正脱出)をきっかけに、日本軍の敗北は決定的となり…」
と読み取れるような内容なかったから不思議やね〜と思ってね
逆に、明軍は戦意喪失し、敗軍の責任を朝鮮に押し付け、明の皇帝に上奏したり
朝鮮は明の皇帝への弁明に必死になってたりで、敗戦ムード真っ只中なんですけどね

67 :日本@名無史さん:05/01/24 07:06:58
>>64
言いたい事は分かるが、
「制海権」の定義、用法については正しくないと思う。

李舜臣による「制海権」の動揺は限定的。
それによって「補給路が断たれた」ということはありえない。
史実を見たら判明する。
これまでのスレ、検証してみ。

68 :日本@名無史さん:05/01/24 12:39:26
何で晋州城を捨てちゃったの?

69 :日本@名無史さん:05/01/24 14:56:57
>>68
筋道立てて主張しないと、
意図は伝わらないよ。

70 :日本@名無史さん:05/01/24 15:18:17
ベニクラゲ、それは地球上で唯一の、不老不死の生物

ベニクラゲとは?
 イタリアの国土はブーツのような形をしていますが、そのちょうどかかとのあたりをサレント半島といいます。
ここの海岸付近の海底洞窟に不思議な生物が生息しています。
それは体長が1センチにも満たない小さなクラゲで、ベニクラゲと呼ばれています。
ベニクラゲといっても、映像や写真で見るかぎり紅色ではなく、半透明の美しい体をしています。
 このささやかな生命は、数年前に不老不死であることが発見されたのです。
不老不死といっても絶対に死なないというわけではなく、老衰で死ぬ寸前にさなぎのような状態になり、その中でぐんぐん細胞が若返り、
やがて生まれたばかりの姿に戻って、再び成長を始めるということなのです。
 人間でいえば、天寿を全うして亡くなる直前の老人が赤ちゃんの時代にまで若返り、また新しい人生を始めるということです。
まるで魔法のような話ですが、この地球上にはその魔法を実現した生物が確かに存在しているのです。



71 :日本@名無史さん:05/01/24 16:29:08
第一次晋州城攻略に失敗し、ほぼ全軍を投入した第二次攻略でようやく成功。

でも後半は捨てちゃった。朝鮮1、2の堅城らしいし順天城みたいな突出した根拠地など捨てて晋州で戦えば良かったのに。


72 :日本@名無史さん:05/01/25 01:09:01
第W報 波多三河守没落の考察
ttp://kikkawa.myhome.cx/matsuuratou/%E5%AF%8C%E5%B2%A1HTML.fin/%E6%A8%AAHTM/h4.htm

五三 (文禄二年)二月九日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai53.html

73 :日本@名無史さん:05/01/25 02:30:05
四二 (天正廿年)十一月十日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai42.html

五五 (文禄二年)二月十八日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai55.html

74 :日本@名無史さん:05/01/25 02:39:39
中川家文書
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/nakagawa.index.html

75 :日本@名無史さん:05/01/25 04:46:22
>>71-74
で、お手前の言いたい事は?

76 :日本@名無史さん:05/01/25 06:40:30
>>75
サル吉は糞
侵略者

77 :日本@名無史さん:05/01/25 12:50:35
>>71=76
力攻めで落とされるような城は駄目なんだよ。

78 :日本@名無史さん:05/01/25 13:11:26
>>73
>当初予定した全羅道沿岸を航海して漢城・平壌付近で兵糧を荷揚げする計画は不可能となった。
こんな計画ってあったの?

79 :日本@名無史さん:05/01/25 13:35:11
>>78
何故兵糧を海から荷揚げしなかったのかな?

80 :日本@名無史さん:05/01/25 13:53:32
検証・石田三成 石田三成名誉回復論
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/kaifuku.htm

韓国 (文禄・慶長の役) 両国講和に尽力した三成
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knkk/kankoku.htm

石田三成のホームページ
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/

81 :日本@名無史さん:05/01/25 16:17:53
中川家文書(天正十九年)八月十二日〜(天正廿年)五月廿七日(31〜40号文書
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/nakagawa31-40.html

三十五 (天正廿年)三月十三日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai35.html

三十六 (天正廿年)四月十五日 豊臣秀次朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai36.html

三十七 (天正廿年)五月八日 西尾光次書状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai37.html

三十八 (天正廿年)五月八日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai38.html

三十九 (天正廿年)五月十二日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai39.html

四〇 (天正廿年)五月廿七日 豊臣秀次朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai40.html

神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/dlib/index.html

82 :日本@名無史さん:05/01/25 16:38:49
中川家文書 (天正廿年)九月八日〜(年未詳)九月廿二日(41〜50号文書)
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/nakagawa41-50.html

四二 (天正廿年)十一月十日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai42.html

四三 (天正廿年)十二月六日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai43.html

四四 (天正廿年)十二月六日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai44.html

四五 (天正廿年)十二月六日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai45.html

四六 (文禄元年)十二月八日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai46.html

83 :日本@名無史さん:05/01/25 16:53:26
中川家文書 (年未詳)十月七日〜文禄二年閏九月十三日(51〜60号文書)
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/nakagawa51-60.html

五三 (文禄二年)二月九日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai53.html

五四 (文禄二年)二月九日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai54.html

五五 (文禄二年)二月十八日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai55.html

五九 (文禄二年)七月六日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai59.html

84 :日本@名無史さん:05/01/25 17:07:47
中川家文書 文禄三年八月廿五日〜(年未詳)十月十七日(71〜80号文書)
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/nakagawa71-80.html

七四 慶長二年二月廿一日 豊臣秀吉高麗陣陣立て書写
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai74.html

七六 (慶長二年)八月廿六日 宇喜多秀家他二七名連署状写
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai76.html

七七 (慶長二年)十一月廿九日 豊臣秀吉朱印状
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai77.html

85 :日本@名無史さん:05/01/25 17:33:00
天下統一期年譜 1592年(天正20・文禄元年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho26.htm

天下統一期年譜 1593年(文禄2年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho27.htm

天下統一期年譜 1596年(文禄5・慶長元年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho30.htm

天下統一期年譜 1597年(慶長2年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho31.htm

天下統一期年譜 1598年(慶長3年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho32.htm

天下統一期年譜
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho0.htm

Household Industries 歴史館
ttp://www.cyoueirou.com/_house/index.htm

86 :日本@名無史さん:05/01/25 18:48:17
天下統一期年譜 1594年(文禄3年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho28.htm

天下統一期年譜 1595年(文禄4年)
ttp://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho29.htm

87 :日本@名無史さん:05/01/25 20:01:57
中途半端な壁貼りでつね

88 :日本@名無史さん:05/01/25 20:02:51
何かストレスでも感じているのかな。

89 :日本@名無史さん:05/01/25 20:04:27
午後1時〜午後7時。

この人何をしているんだろ(w

90 :日本@名無史さん:05/01/25 21:29:00
足利義昭は名護屋に布陣してますが、役に立ったのでしょうか?

91 :日本@名無史さん:05/01/25 22:09:47
>>90
行ってみただけだと思うw
半島にも渡ってないし、その後病気で京に戻って病死していたかと。

92 :日本@名無史さん:05/01/25 22:12:52
秀吉のおしゃべり相手務めてたんでないの?

93 :日本@名無史さん:05/01/25 22:19:50
秀吉を猶子にするのを断ったくらいだから、渋々名護屋入りでしょう。
兵士は揃ったのかな? 毛利軍を借りたとか。


94 :日本@名無史さん:05/01/25 22:22:07
>>90
こんなもんが出てきますた。

公方さま書簡集 足利昌山(義昭)→小早川隆景
ttp://homepage3.nifty.com/yoshiaki/gozasyo/letter.html

95 :日本@名無史さん:05/01/25 22:33:59
鹿苑日録 足利義昭、文禄の役に出陣
ttp://homepage3.nifty.com/yoshiaki/gozasyo/rokuon.html

公方さまの御座所
ttp://homepage3.nifty.com/yoshiaki/gozasyo/gozasyo.html

96 :日本@名無史さん:05/01/25 22:40:46
地図で見る義昭様の生涯その3
ttp://homepage3.nifty.com/yoshiaki/gozasyo/map/map3.html

97 :日本@名無史さん:05/01/26 11:54:47
>>64

秀吉の朝鮮出兵はなぜ失敗したか
ttp://www.nagaitosiya.com/lecture/0145.htm

ネタはこれか…。

98 :日本@名無史さん:05/01/26 17:58:51
「『征伐』とはなんだ!『侵略』と言え!!」

しかし、虎は文句を言わない。
「『虎退治』とはなんだ!『動物愛護の精神に欠ける加藤清正によって
無惨にも虐殺された』と言い換えろ!」
と言ったりはしない。



99 :日本@名無史さん:05/01/26 18:19:07
朝鮮出兵
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8151/chousennshuppei.html

菜根道場
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8151/saikondojomon.html

100 :日本@名無史さん:05/01/26 20:22:08
国民の三大義務。
(1)子女に普通教育を受けさせる義務(26条)
(2)勤労の義務(27条)
(3)納税の義務(30条)。


101 :日本@名無史さん:05/01/26 21:53:18
【淫欲奴隷】男達の欲望を満たすためだけに餌食になっていく少年たち…嫌がりながらもその若い身体は次第に反応し、快楽を求める奴隷へと堕とされていく…。男たちに弄ばれて淫乱に開発されていく男の子たち。「僕、オカシクなっちゃう…」



102 :日本@名無史さん:05/01/26 22:08:30
>>101
今でも多いですからな。
朝鮮人の男の子。

103 :日本@名無史さん:05/01/26 22:55:07
文禄の時は降倭皆殺
といって朝鮮側は日本軍の捕虜を取らなかった

104 :日本@名無史さん:05/01/26 23:26:20
>>101
朝鮮の美少年をさらって帰る(ハアハア

105 :日本@名無史さん:05/01/26 23:45:45
つまり朝鮮退治と呼べと?

106 :日本@名無史さん:05/01/26 23:59:49
征伐という美しい日本語があるのだから、朝鮮征伐のままで全然問題ない。

107 :日本@名無史さん:05/01/27 09:39:27
屯田兵をやっていれば勝てたな

108 :日本@名無史さん:05/01/27 11:59:53
被害の大きかった大名家はどこ?

109 :日本@名無史さん:05/01/27 14:09:52
>>108
戦功はみんな過大なぐらいに喧伝するけど
被害はあまりいわないからね・・・

島津氏なんぞは後継者の久保が文禄の役で客死したのが原因で
ずるずると寛永末期まで後継者争いを引きずっているから
隠れた被害が大きかったと言えるかも

110 :日本@名無史さん:05/01/27 14:22:28
脇坂安治は海に飛び込んで逃げているけどその後も従軍しているんだよな。
関ケ原にも動員しているしダメージのほどはどうよ?

111 :日本@名無史さん:05/01/27 15:30:47
動員するだけでもかなりの負担があった。

112 :日本@名無史さん:05/01/27 19:55:12
取り潰された大友家が最も被害大

113 :日本@名無史さん:05/01/27 21:00:09
鍋島やら加藤清正なんて咸鏡道からソウルに帰って来た時には
逃亡やら病死、戦死で半数近く減っていたそうな

114 :日本@名無史さん:05/01/27 21:29:17

はい、国旗掲揚。
            o__________
            / 旗国麗高 属国清大 /
           /  /// ̄ ̄\\\ /
           /    /   / ̄`|    /
          /    |\_/   /    /
          /  \\\__/// /
         /               /
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


115 :日本@名無史さん:05/01/27 21:29:59

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ┃ ▼よく分かる朝鮮の歴史
   ┃
   ┃有史以前 : 黒い山葡萄原人が生息。熊と獣姦の結果朝鮮ヒトモドキ誕生。
   ┃2世紀 : 漢軍の駐屯地になる。
   ┃4世紀 : 日本の属国になる。
   ┃7世紀 : 唐の属国になる。
   ┃13世紀 : モンゴルの属国になる。
   ┃14世紀 : 再度中国(明)の属国になる。
   ┃17世紀 : 明が滅亡し、清の属国になる。
   ┃20世紀 前半 : 日本の属国になる。
   ┃20世紀 後半 : 北半分がソ連の、南半分がアメリカの属国になる。
       ∧_∧   。
      (  ´∀`) / <これでテストは満点        E[]ヨ
      (つ  つ      ━━━━━━━━━━━━━━━━
     | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
     |          |           ((⌒⌒))  ((⌒⌒)) 
     |          |             | |     | |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|       ∧_∧  ∧_∧
 歴史教科書でこんなに教えるニカ?><`Д´# >  <`Д´# > <再び勉強するニダ!
                        と  ⊂ )⊂  ⊂ )  \
                     ______| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|


116 :日本@名無史さん:05/01/27 21:40:44
書評・中野等「豊臣政権の対外侵略と太閤検地」
ttp://www.rc.kyusyu-u.ac.jp/~hatt/syonak.html

書評 中野等「豊臣政権の対外侵略と太閤検地」 その2
ttp://www.rc.kyusyu-u.ac.jp/~hatt/syonakk.html

学問そして遊び 服部英雄のホームページ
ttp://www.rc.kyusyu-u.ac.jp/~hatt/HOME.HTM


文禄・慶長の役 農民も動員された高麗の陣
ttp://www.e-obs.com/heo/heodata/n650.htm

大分歴史辞典
ttp://www.e-obs.com/heo/heohome.htm


伏見城について
ttp://homepage2.nifty.com/and-/writing/fushimi.htm

And's room
ttp://homepage2.nifty.com/and-/index.htm


13.有浦文書に見る名護屋陣
ttp://kikkawa.myhome.cx/matsuuratou/富岡HTML.fin/横HTM/h12.htm

吉川陽三のHOMEPAGE
ttp://kikkawa.myhome.cx/index2.html

117 :日本@名無史さん:05/01/27 21:41:23
<ヒト属>
 ┃
 ┣ホモ・ルドルフエンシス━━(絶滅)
 ┃
 ┗ホモ・ハビリス━┳ホモ・アンテセッサー━━(絶滅)
              ┃
              ┣ホモ・エルガスター━━ホモ・エレクトス
              ┃                    ┃
              ┃                    ┗桓雄(黒い山葡萄原人)━━(絶滅)
              ┃                     ┃
             ┃                     ┃
             ┃     <ネコ目>         ┣━━檀君=ホモノイド・コレアネシス
             ┃       ┃             ┃     ┃ (チョウセンヒトモドキ)       
             ┃       ┗<クマ科>.      ┃      ┃    
             ┃            ┃        ┃      ┣南北コリアン━━(火病)
             ┃            ┃        ┃      ┗在日コリアン━━(火病)
             ┃            ┃        ┃
             ┃            ┃        ┃
             ┃            ┗━━ウルスス・コレアネシス(チョウセングマ)
             ┃
             ┃
             ┃
              ┗ホモ・ハイデルベルゲンシス━┳ホモ・ネアンデルターレンシス━━(絶滅)
                                     ┃
                                     ┗ホモ・サピエンス━━(現生人類)


118 :日本@名無史さん:05/01/27 21:50:43
>>116訂正

13.有浦文書に見る名護屋陣
ttp://kikkawa.myhome.cx/matsuuratou/富岡HTML.fin/横HTM/h13rv.htm

119 :日本@名無史さん:05/01/28 06:42:01
引用も結構だが
だからなんなんだ?

120 :日本@名無史さん:05/01/28 11:46:23
小早川辺りも大消耗しているのでは・

121 :日本@名無史さん:05/01/28 12:09:30
清正は会寧とか清津まで行ったんだろ。
足軽は大変だよなぁ。


122 :日本@名無史さん:05/01/28 13:34:23
会寧あたりはチョンというより女真の勢力圏だから、ヌルハチがチョンに援軍を送ろうと言ったのもわかるな。

123 :日本@名無史さん:05/01/28 15:26:00
文禄・慶長の役
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/korea.htm

世界戦史のページ 猛牛の角
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/index.htm


「文禄・慶長の役と北陸大名-肥前名護屋陣と熊川倭城を中心に-」に関する調査研究(中間報告)
ttp://www.nihonkaigaku.org/i030410/t3.html

日本海学推進機構
ttp://www.nihonkaigaku.org/

124 :日本@名無史さん:05/01/28 18:51:46
平成の秀吉「小泉」


125 :日本@名無史さん:05/01/29 01:16:55
>>112
ならば領内に名護屋城おっ建てられた上に改易された波多家や、お家再興を賭けて従軍し
たのに徒労に終わった宇都宮家も負けてはおらんぞ。

126 :日本@名無史さん:05/01/29 04:10:47
何を目的に引用しているんだろうかね。
だいたいそのくらいのことは概論としてみんな知っているはずだが。

127 :日本@名無史さん:05/01/29 04:14:40
引用したがる人間の動機

1)その知識の優位性を表現したい。
2)他者(2ch)を説得したいのだが自信がないので事大的な態度をとる。
3)なんでもいいから人に相手にしてもらいたい。(ラブコール)
4)表現したい主張があるのだが、自分の言葉では表現出来ないので持って回った態度をとる(2の類型)

128 :日本@名無史さん:05/01/29 04:17:40
いいわすれた。

127のつづき。

5)として、
宣伝工作。
啓蒙主義。
旧左翼的行動。

129 :日本@名無史さん:05/01/29 09:41:32

詳しいね。経験者ですか?

130 :日本@名無史さん:05/01/29 14:42:24
益無き戦い

誠に空虚なる御陣なり

131 :日本@名無史さん:05/01/29 15:25:29
>>125
それは、全てあなたの思い込みです。

132 :日本@名無史さん:05/01/29 20:16:19
>>129
いえ、生まれて初めて熟考した事柄です。

133 :日本@名無史さん:05/01/30 10:14:50
尉山が落ちていたらだいぶ歴史が変わっていたろうね

134 :日本@名無史さん:05/01/31 13:49:09
小早川大活躍さ

135 :日本@名無史さん:05/01/31 16:17:01
でも自分で切り込むなよな

136 :日本@名無史さん:05/01/31 17:58:13
内藤如安に関する年表
ttp://www.town.yagi.kyoto.jp/gyousei/skyouiku/kyoudosi/kyoudosi5/112.htm

Eco-town やぎ
ttp://www.town.yagi.kyoto.jp/index.htm


相国寺物語 37
ttp://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/history/shokokuji_story/shokokuji_story_37.html

相国寺
ttp://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html

137 :日本@名無史さん:05/01/31 18:42:26
小西は朝鮮出兵のダメージが関ケ原まで影響したらしいけど
俗説?

138 :日本@名無史さん:05/01/31 21:26:13
むしろ、秀吉死後に朝鮮から引き上げてきた大名達で
ダメージがなかった大名はいないのでは。

直接戦力となる武将・兵士の被害はもとより、
国元の政治もおろそかになっているだろうし。


139 :日本@名無史さん:05/01/31 22:38:43
肥後ってやばくねぇ?
戦国時代はド貧国、佐々のときの一揆、無謀な朝鮮侵略、関ヶ原、分不相応な熊本城・・・

140 :日本@名無史さん:05/02/01 13:53:47
佐々成政と肥後国衆一揆 中世から近世への歴史的転換点
ttp://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/magazine/narimasa/sasa0205.html

とやまTHEねっと
ttp://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/index.html


せいしょこさん 名君・肥後熊本城主・加藤清正
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/rensho/seishokomain.htm

読売新聞西部本社
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/index.htm


加藤清正 熊本城築城と治水 本妙寺
ttp://www1.bbiq.jp/web416/newpage02.html

九州熊本の地域、観光(旅)の足の情報 個人大野タクシー
ttp://www1.bbiq.jp/web416/index.html

141 :日本@名無史さん:05/02/02 12:21:22
こだわり歴史考(降倭沙也可、島津の秀吉討伐計画、他)
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/series04/rekishikou/fr_rk_main.htm

読売新聞西部本社
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/index.htm

142 :日本@名無史さん:05/02/03 13:46:25
phase817 website
ttp://www.lu-tokyo.ac.jp/~phase817/contents.cgi

震災鎮魂へ「清正の赤鬼面」登場 大宮八幡宮
ttp://www.kobe-np.co.jp/chiki/miki05/0117lb14220.html

神戸新聞WEB NEWS
ttp://www.kobe-np.co.jp/

143 :日本@名無史さん:05/02/03 14:09:34
>>142訂正
phase817 website
ttp://www.l.u-tokyo.ac.jp/~phase817/contents.cgi

震災鎮魂へ「清正の赤鬼面」登場 大宮八幡宮
ttp://www.kobe-np.co.jp/chiiki/miki05/0117lb14220.html

144 :日本@名無史さん:05/02/03 14:14:55
>>142-143更に訂正m(_ _)m
震災鎮魂へ「清正の赤鬼面」登場 大宮八幡宮
ttp://www.kobe-np.co.jp/chiiki/miki05/0117lb14200.html

145 :日本@名無史さん:05/02/03 22:04:41
>>137
参謀本部の推定によると
平壌から逃げてくるときに2/3いなくなったらしいからね

146 :日本@名無史さん:05/02/04 07:03:24
韓国はもちろん世界レベルでも当然として、日本の教科書の中でも、

李舜臣>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>東郷平八郎

は確定しています。


▼日本で50%以上のシェアを持つ、東京書籍発刊の中学校教科書 「新しい社会 歴史」の「朝鮮侵略」の条

>李舜臣の水軍が日本の水軍を打ち破り、日本軍の自由な行動をうばいました。
>このため、いったん休戦して明と講和の交渉が行われましたが、
>その内容に不満を持った秀吉は、再び出兵を命じました。 

しかもこのページには李舜臣提督の銅像の写真も掲載。


比べて東郷提督は…………銅像どころか教科書内に名前すら登場しないw
七社ある日本の教科書の中で名前を出しているのは一社だけwwwwwwwww

まあ本人が李舜臣提督に及ばないと認めているんですし当たり前なんですけどね。


147 :日本@名無史さん:05/02/04 07:24:42
>>146
李舜臣の発掘は、明治期になって日本の学者によって行われたわけだが。(島津の文書から判明)。
討ち取った武将(李舜臣)のことは、島津としてもきっちり記録しておいた。

148 :日本@名無史さん:05/02/04 13:00:53
祠堂−旧顕忠祠
ttp://www.kgom.net/korea/view.php?id=yugyo&page=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=29

祠堂−顕忠祠
ttp://www.kgom.net/korea/view.php?id=yugyo&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=28

シンボルコリアネット
ttp://www.kgom.net/

149 :日本@名無史さん:05/02/04 13:38:39
李を知っているのは朝鮮人とマニアの日本人ぐらいだな。
中国人も知らないし西洋人ならなおさらだ。

150 :日本@名無史さん:05/02/04 13:50:51
普通に授業で習ったが。

151 :日本@名無史さん:05/02/04 14:02:45
6.豊臣秀吉の天下統一
ttp://www.amaki.okayama-c.ed.jp/tirek_ka/nihonshi/print/H12-jh-10.htm#6.豊臣秀吉の天下統一

岡山県立倉敷天城高等学校
ttp://www.amaki.okayama-c.ed.jp/index.htm

152 :日本@名無史さん:05/02/04 14:10:34
>>151訂正
6.豊臣秀吉の天下統一
ttp://www.amaki.okayama-c.ed.jp/tirek_ka/nihonshi/print/H12-jh-10.htm#6.豊臣秀吉の天下統一

153 :日本@名無史さん:05/02/04 14:15:20
>>145
参謀本部のような歴史素人の軍人ずれが書いた本など
信用出来ない。桶狭間奇襲説など後世に残した罪責は重い。

154 :日本@名無史さん:05/02/04 14:42:17
釣り堀。

155 :日本@名無史さん:05/02/04 17:41:32
>>146
そうだよな。

日本国中が認めるMS-IMEという優れた日本語入力ソフトにしても、
「李舜臣」は一発変換だが、
「東郷平八郎」は出ないものな。
俺が使っているのは2000で、その後は知らんが。

これからしても格が違うよ。

156 :日本@名無史さん:05/02/04 18:12:53
ハン板に行け。

157 :日本@名無史さん:05/02/04 18:45:41
しかし単語登録している在日使用のワープロではな

158 :日本@名無史さん:05/02/04 19:45:19
MSで日本語IMEを組んでるスタッフに頭のおかしなチョンが紛れ込んでるだけ。
漢字の朝鮮読みが一発変換しまくりなのに、肝心な日本語変換が馬鹿過ぎる時点で気付けよ。

159 :日本@名無史さん:05/02/04 20:01:46
>>158
それはIMEに限った事ではないし、
特別アタマのおかしなチョソではなく、
一般的なチョソのやり口じゃなっか?

160 :日本@名無史さん:05/02/04 20:06:31
「安国寺恵慶」
と出すのに一分くらいかかる。

「檀君」
と出すのに何分かかる?

>MSIME


161 :日本@名無史さん:05/02/04 20:15:47
恵瓊が間違っちょるよ?

162 :日本@名無史さん:05/02/05 00:45:24
>>161
IMEだと出んぎゃあ
>えけい殿の「けい」の文字(秀吉)

163 :日本@名無史さん:05/02/05 07:20:46
「とうしょうへい」ぐらい一発で変換しろや。

164 :日本@名無史さん:05/02/05 17:08:46
まったく

165 :日本@名無史さん:05/02/05 19:02:46
秀吉の朝鮮お仕置き

166 :日本@名無史さん:05/02/05 19:48:03
暴支ようちょう


167 :日本@名無史さん:05/02/05 20:27:10
膺懲は漢字使おうよ


168 :日本@名無史さん:05/02/05 20:56:39
一発変換しないIMEの馬鹿っプリを指摘してるんだよ。
漢字を廃止した朝鮮での読み方を一発変換するような仕様なんかよりも遥かに重要な語彙がさっぱりサポートされていないのは実に困ったもんだ。

169 :日本@名無史さん:05/02/06 01:09:08
>>162
本物の秀吉なら「最初に思いついた字でも書いとけ」とでも言うかも試練。
「醍醐」の字を度忘れした祐筆に「大五」とでも書いておけと言ったお人だから。

170 :日本@名無史さん:05/02/06 01:57:24
プププッ
倭猿は無教養だな(アザワラ

171 :日本@名無史さん:05/02/06 02:05:39
やっぱ2ちゃんはこんなもんだな…。

172 :日本@名無史さん:05/02/06 08:20:56
>170
猿が猿に向かって猿とはこはいかに・・・欧米人から見たらアジア人は皆猿なんだよ馬鹿チョン


173 :日本@名無史さん:05/02/06 09:26:39
>>172
鮮人>>170の無礼は言うまでもないが、バナナは黙っとれ。

174 :日本@名無史さん:05/02/06 09:37:41
MSIMEによる日本語変換の稚拙さを指摘するのは日本人の勝手だ。
漢字を正式に捨てた朝鮮人にこそ関係ない話なので、黙ってろよ。

175 :日本@名無史さん:05/02/07 13:39:13
朝鮮人は味方殺し杉

176 :日本@名無史さん:05/02/07 15:36:26
数学の推論体系
 数学理論はすべて命題と呼ばれる文字列によって記述されます。したがって、まず命題とはどういう文字列のことなのかということをきちんと定義しなければなりません。
 そこで、まず最初に、文字列の構成要素である文字について、これを次の a ~ f のいずれかのことであると定義します:

a 変数と呼ばれる文字。通常はラテン文字やギリシャ文字が使われますが、それらにいくつかダッシュを付けたものも使われます。
いずれにせよいくら文字列を書いても、そこに現われない新しい変数があるということが本質です(このことを“変数は無限に用意されている”ということにします)。

b 文字 £。

c 関数記号と呼ばれるいくつかの文字。それぞれの関数記号には引数の個数というものが決まっていて、ゼロの場合もありうるものとします(ゼロの場合を定項と呼ぶこともあります)。

d 述語記号と呼ばれるいくつかの文字。それぞれの述語記号にも引数の個数というものが決まっていて、ゼロの場合もありうるものとします。

e 論理接続詞と呼ばれるいくつかの文字。それぞれの論理接続詞にも引数の個数というものが決まっていて、ゼロの場合もありうるものとします。

f 量化記号と呼ばれるいくつかの文字。これらは、項型と呼ばれるものと命題型と呼ばれるものの2種類があり、そのそれぞれに対し、引数が項であるものと命題であるものがあります。

177 :日本@名無史さん:05/02/07 15:58:32
マジ、お前らどうすんの?




178 :日本@名無史さん:05/02/07 16:21:48
ここまできたら やるっきゃないよ

179 :日本@名無史さん:05/02/07 16:48:29
秀吉が築いた城 倭城
ttp://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/wazyo.html

倭城の保存をめぐる近況
ttp://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/wjho.html

倭城の保存をめぐる近況(その2)
ttp://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/wjhoo.html

学問そして遊び 服部英雄のホームページ
>>116


倭城調査隊が行く 尉山城の篭城戦
ttp://hokuriku.yomiuri.co.jp/bunka/bun0307/bun0307.htm

倭城調査隊が行く 西生浦城
ttp://hokuriku.yomiuri.co.jp/bunka/bun0606/bun0606.htm

倭城調査隊が行く 洛東江に日は落ちて
ttp://hokuriku.yomiuri.co.jp/bunka/bun1004_9/bun1004.htm

焼き物との出会い 古唐津
ttp://hokuriku.yomiuri.co.jp/bunka/bun0227/bun0227.htm

読売新聞 北陸発
ttp://hokuriku.yomiuri.co.jp/home.htm

180 :日本@名無史さん:05/02/07 16:58:18
韓国倭城の築造方法と今後の課題
ttp://www.nakaseki.com/new_page_13.htm

韓国倭城の築造方法と今後の課題 Page2
ttp://www.nakaseki.com/new_page_14.htm

中村石材工業株式会社
ttp://www.nakaseki.com/index.htm

181 :日本@名無史さん:05/02/07 17:37:57
中世・近世に使われた「のろし」
ttp://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/noro.html

学問そして遊び 服部英雄のホームページ
>>116

182 :日本@名無史さん:05/02/07 17:39:16
完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ。
打たれるのを嫌がるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ。

野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある。
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ。

家族でたのしく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー。
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて球を揺らすのがホモ

アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。

タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。

野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。


183 :日本@名無史さん:05/02/07 21:07:22
文禄の役の時、朝鮮の王子を捕らえていたのだから、彼を王(傀儡)にして
すみやかに親日政権を樹立した方がてっとり早くない?
満州国みたいに。

184 :日本@名無史さん:05/02/07 21:21:44
朝鮮の民衆も王朝軍に反乱している

185 :日本@名無史さん:05/02/07 22:17:23
厚遇協議をネットで公開 大阪市の職員厚遇問題

 大阪市は7日、職員厚遇問題で先に打ち出した総額180億円の経費削減案をめぐり、
組合員の大半が加入する「大阪市労働組合連合会」(市労連、約4万人)との間で4日夕から5日早朝にかけて行った団体交渉の主なやりとりを市のホームページで公開した。
 労使癒着との批判を受け、透明化を図るための措置。自治労によると自治体が労使交渉を公開するのは全国的にも珍しいという。
ホームページによると、市は福利厚生や特殊勤務手当の一部など総額180億円に上る経費削減案について「この内容でぜひとも合意が得られるよう説明しなければならない」と決意表明したが、
同時に「今後の委員会の中で福利厚生事業、手当があらためて必要となれば、再構築もある」と述べ、減額幅が縮小する可能性を示唆した。
 市労連は「給与制度のどこが厚遇なのか」と反発。市は「市民の理解を得られる給与制度でなければならない」「正確かどうかはあるが、見方によっては過剰・厚遇と言える」と述べた。
市労連側は「頑張って仕事をしている職員への言葉がない」「手当の性格や歴史を否定している。すべて廃止なんて断じて許されない」などと市の姿勢を批判した。
 関淳一市長は1月28日の記者会見で、労使交渉を公開する方針を表明していた。
市労連は「市が一方的に発表した180億円の削減案だけが一人歩きし、われわれの主張を訴える手段がなかった。交渉の公開は、市民に主張を正しく理解してもらう上で非常に意義がある」としている。(共同)

186 :日本@名無史さん:05/02/08 00:14:12
>>183
朝鮮方でも逃げ出した王と、王太子が勝手に王名乗って二派に分かれてますた

187 :日本@名無史さん:05/02/08 06:19:06
日本軍も小西と加藤でいがみ合ってますた。

188 :日本@名無史さん:05/02/08 07:01:45
荒らされている?

189 :日本@名無史さん:05/02/08 12:41:04
その王子はのちに、加藤清正を代表格に言ったのだと思われるが、
日本人を誉めているね。
さらわれたにもかかわらず。
「気宇壮大で礼儀正しい」
と。

文禄慶長の役はまさに人と人との交流。

190 :日本@名無史さん:05/02/08 16:56:05
近世城郭の源 倭城を訪ねて
ttp://www.kohgin-syohji.co.jp/juta/wajyou/wajyou01.html

城鑑賞の旅・二人で城ある記
ttp://www.linkclub.or.jp/~juta/castling/


城と戦い
ttp://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index56/tatakai.html

朝鮮軍陣図屏風(前近代の侵略戦争であった文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)の尉山(うるさん)城攻防を描いている)
ttp://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index56/chosen.html

国立歴史民俗博物館
ttp://www.rekihaku.ac.jp/index.html

191 :日本@名無史さん:05/02/08 19:08:33
>>189
捕らわれた二王子と、王世子は違います

192 :日本@名無史さん:05/02/08 19:11:23
光海君は粛正されました

193 :日本@名無史さん:05/02/08 19:29:39
これからは朝鮮仕置と呼ぶべき

194 :日本@名無史さん:05/02/08 19:37:36
囚われた二王子って誰と誰?

195 :日本@名無史さん:05/02/08 19:42:53
順和君と臨海君

196 :日本@名無史さん:05/02/09 07:07:35
おいおい分朝は王の命令で正式なものだぞ

197 :日本@名無史さん:05/02/09 15:52:52
歴史紀行 朝鮮通信使への道を拓く (景轍玄蘇)
ttp://www.jyofukuji.com/11-tyosen/tyosen.htm

安延山 承福禅寺
ttp://www.jyofukuji.com/index.html


鎖国政策の功罪
ttp://www.dupuy.jp/sakoku.html

The Dupuy Institute East Asia
ttp://www.dupuy.jp/index.html


朝鮮王朝系図
ttp://www.geocities.jp/nkks437758/chohsenkeizu_frame.html

朋党政治概説と人物一覧
ttp://www.geocities.jp/nkks437758/hohtohseiji.html

大河の釣り人
ttp://www.geocities.jp/nkks437758/index.html

198 :日本@名無史さん:05/02/09 19:13:05
征伐

199 :日本@名無史さん:05/02/09 23:18:51
魚釣島の灯台は国有財産 「当然の行動」と首相

 細田博之官房長官は9日午後の記者会見で、沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島(中国名・釣魚島)に日本の政治団体が建設した灯台について、
所有者が所有権を放棄したため国有財産とし、海上保安庁が保守、管理すると発表した。
海上保安庁は同日、灯台を「魚釣島灯台」と命名、位置などを船舶関係者に知らせる地域航行警報を出した。
 小泉純一郎首相は9日夜、官邸で記者団に「民間人が手放した灯台を国が引き受けた。国としてやるべきことをやった。日本独自の当然の行動だ」と強調した。
細田氏は灯台が船舶の安全航行に役立っている現状を指摘し「機能を維持することが適当だと判断した」と述べた。
 灯台は日本の政治団体が設置、石垣市の漁業者が形式上の所有者となっていた。細田氏は魚釣島が本来、
上陸禁止になっていることもあって所有者側から「保守、管理は国でやってほしい」と申し出があったと明らかにした。
ただ、所有権放棄の詳細な経緯について公表は控えた。
 具体的な海上保安庁の作業は、灯台が太陽光発電装置で点灯するため、電球の交換や汚れの除去などが中心になる見通しだ。
政府は今後、公式の海図や航路図への記載についても検討する。(共同)

■尖閣諸島 明治政府が無人島であることを確認した上で1895年に日本の領土に編入。
第2次世界大戦後は米国の施政下に置かれたが、沖縄返還に伴い同諸島も返還された。
政府は「中国、台湾は70年代後半に東シナ海で石油開発の動きが表面化して領有権を問題にするようになった」との見解を示している。(共同)


200 :日本@名無史さん:05/02/09 23:39:16
スレ違い。

201 :日本@名無史さん:05/02/10 00:48:34
最近、義兵について調べてみたんだが、全然民衆じゃないんだね
在野の両班が自分トコの家来や親戚縁者掻き集めての集団なんだね
日本で言うところの国人って感じがした

202 :日本@名無史さん:05/02/10 02:24:54
>>201
ほほう。

203 :日本@名無史さん:05/02/10 16:29:22
義兵も色々

204 :日本@名無史さん:05/02/10 16:34:09
島津義弘等連署全羅道海南定傍文
ttp://reimeikan.pref.kagoshima.jp/kgs02_s7_4.htm

中世の鹿児島
ttp://reimeikan.pref.kagoshima.jp/kgs02.html

黎明館
ttp://reimeikan.pref.kagoshima.jp/index.html

205 :日本@名無史さん:05/02/10 16:35:43
だいたいは失脚両班が飢えた民衆を扇動した一揆

206 :日本@名無史さん:05/02/13 15:17:38
>>183
秀吉的には海外の国家も国内の大名の領国も一緒だから、「朝鮮藩」改易程度の認識しかなかったから代わりの国王などという発想が無く、公儀に収公されるのが当然だと思っていた。
例え仮に相手がオスマントルコ「藩」やスペイン「藩」だったとしても…。

207 :日本@名無史さん:05/02/13 16:05:47
>>206
さすが土人、愚劣の極みだな・・・。

208 :日本@名無史さん:05/02/13 17:13:56
二階建ての建物も作る事ができない嘗糞土人の癖に国王とか言ってる方が笑い草だ。

209 :888:05/02/13 17:56:11
大体、義兵という言葉が近代のイデオロギー的な要素を含んでいるような気がする。
なんでこの言葉が、16世紀の出来事に使われるのか前から不思議なのだが。


210 :日本@名無史さん:05/02/13 18:01:02
秀吉は朝鮮を琉球と同じ程度に考えてますた
しかも宗氏に従属してるという認識だったんです

211 :日本@名無史さん:05/02/13 18:56:31
>>210
馬鹿だね、秀吉って。
実際は宗が朝鮮に忠誠を誓い、朝鮮のお慈悲で細々と命脈を繋いでいたというのに。
どうやったらそんなトチ狂った発想ができるんだろうね?

212 :日本@名無史さん:05/02/13 19:09:55
降伏を勧告する相手(政府)がいないのに降伏勧告の使者をだすた位だからなあ、秀吉は。

213 :日本@名無史さん:05/02/13 20:04:34
当時の朝鮮なんて、本州と同程度の面積の国土にかかわらず、5千人しか軍隊が存在しない極貧国だよ。
朝鮮みたいな弱小国には宗氏をどうこうする事なんて不可能。



214 :日本@名無史さん:05/02/13 21:14:17
秀吉が倭冦を取り締まるまでは海賊稼業・・・対馬一国で半島軍とやりあったりしてなかったっけ?

215 :日本@名無史さん:05/02/13 21:16:57
ウリは生粋の対馬軍ニダ!!

216 :日本@名無史さん:05/02/13 21:28:58
>>213
でも対馬は人口自体が少なすぎて…。

217 :日本@名無史さん:05/02/13 22:48:26
宗氏を制圧できる程の兵力を対馬に集中させてしまったら、ただでさえ希薄な朝鮮半島の軍事力がほぼ完全に空洞化するだけ。


218 :日本@名無史さん:05/02/14 00:58:03
朝鮮の正規軍(官軍)が異常に少ないのは正しいが
両班の私兵やらがいるんだぞ、空洞化なんてする訳ねー

対馬制圧するぐらいで、空洞化するような軍事力持ってなかった国に
16万も送って制圧出来なかった朝鮮征伐は何なんだとなっちまう

219 :日本@名無史さん:05/02/14 01:12:45
両班の私兵=倭寇である件について

220 :日本@名無史さん:05/02/14 01:20:28
>>219
両班の私兵が倭寇やってたのは知らなんだ
奴婢がやってたりしてるのは知ってるが
詳細plz

221 :日本@名無史さん:05/02/14 02:01:28
両班に雇われた私兵なら、その私兵の身分は両班じゃなくて下っ端の白丁に決まってる。
まあ、和光を自称して強盗を働いていた朝鮮人が白丁だけに限られていたという根拠はどこにも無いので、
両班でありながら犯罪に手を染める者も少なくなかったと考えられる。

222 :日本@名無史さん:05/02/14 04:11:08
倭人は韓半島から逃亡してきた犯罪者白丁の子孫だと教わったのですが本当ですか?

223 :日本@名無史さん:05/02/14 04:41:17
>>222
よくご存知ですね。どちらでお調べになったのですか?

224 :日本@名無史さん:05/02/14 06:45:14
日本人よりも朝鮮人の方が人口あたりの犯罪者の数が多いので、日本人が犯罪者白丁の子孫だというのは例によって朝鮮人が吹聴しているいつもの嘘だろうね。

225 :日本@名無史さん:05/02/14 08:42:20
調べれば調べるほど、李舜臣将軍の偉大さがわかるな。
数ヶ月で数百隻もの軍船を沈められる人間なんてほかにいないだろう。
しかも、支援が無く、味方に足を引っ張られながら。
東郷が「ネルソンや自分以上」といった気持ちもわかる。
これほどの稀代の英雄が朝鮮にいたことが秀吉の不幸だね。
アジアの人間が西洋に誇れる人間だな。

226 :日本@名無史さん:05/02/14 09:45:30
調べるほどに捏造が発覚する李神話。

それより秀吉が長生きしていたら勝っていたのでは?
日本化した民衆も多かったみたいだし、長期化すれば飢えるのは敵の方。

227 :日本@名無史さん:05/02/14 11:19:58
我々は一人の英雄を失った。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
地球連邦に比べ我がジオン軍の国力は30分の1以下である。
にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!
諸君!我がジオンの戦争目的が正しいからだ!
一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年、
宇宙に住む我々が自由を要求して、何度連邦に踏みにじられたかを思い起こすがいい。
ジオン公国の掲げる、人類一人一人の自由の為の戦いを、神が見捨てる訳はない。

私の弟、諸君等が愛してくれたガルマ・ザビは死んだ、何故だ!
戦いはやや落ち着いた。諸君等はこの戦争を対岸の火事と見過ごしているのではないか?
しかしそれは重大な過ちである。地球連邦は聖なる唯一の地球を汚して生き残ろうとしている。
我々はその愚かしさを地球連邦のエリート共に教えねばならんのだ。

ガルマは、諸君等の甘い考えを目覚めさせる為に死んだ!戦いはこれからである。
我々の軍備はますます復興しつつある。地球連邦とてこのままではあるまい。
諸君の父も兄も、連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも怒りも忘れてはならない!
それをガルマは死を以て我々に示してくれたのだ!

我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得る事が出来る。
この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。
国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!ジオンは諸君等の力を欲しているのだ。
ジーク・ジオン!!

228 :日本@名無史さん:05/02/14 11:34:02
>>225
朝鮮人も最近は2chで覇気がなくなったねえ。
自分らの素性がばれてしまった事、
考えれば考えるほどみじめな自分らの歴史。
中国様を表に出して日本に対抗して見せたりで
やっと精神のバランスを保とうとしている。
ま、頑張ってくれたまえ。

229 :日本@名無史さん:05/02/14 11:44:13
我が忠勇なるジオン軍兵士達よ、今や地球連邦軍艦隊の半数が我がソーラ・レイによって宇宙に消えた。
この輝きこそ我等ジオンの正義の証である。
決定的打撃を受けた地球連邦軍に如何ほどの戦力が残っていようとも、それは既に形骸である。
敢えて言おう、カスであると!

それら軟弱の集団が、このア・バオア・クーを抜く事は出来ないと私は断言する。
人類は我等選ばれた優良種たるジオン国々民に運営管理されて、初めて永久に生き延びる事が出来る。
これ以上戦い続けては、人類そのものの危機である。地球連邦の無能なる者どもに思い知らせてやらねばならん。
今こそ人類は明日の未来に向かって立たねばならぬ時であると!
ジーク・ジオン!!

230 :日本@名無史さん:05/02/14 14:44:15
ここは秀吉の朝鮮征伐を討論するスレではなく、底辺が罵り合うスレです。
間違えてここで真面目に討論などしようとしない様に。

231 :日本@名無史さん:05/02/14 14:59:46
>>230
つーか、日本史板自体がそーいう板だろ。(w

232 :日本@名無史さん:05/02/14 17:42:27
嘆かわしいことにもう駄目ぽいネ。

233 :日本@名無史さん:05/02/14 17:49:21
普通に話できる場所は2chにはないよ
嫌韓厨やらがスレ潰すだけ

234 :日本@名無史さん:05/02/14 18:45:03
>>233
事実を語るとすぐに「嫌韓厨」のレッテルですか。
嘆かわしい。

235 :日本@名無史さん:05/02/14 20:03:24
>>234
事実を語れば別に嫌韓厨じゃない
ただ朝鮮批判をしたいが為に、何ら根拠もなくひたすら自身の思い込みで語る人がそれ

ていうか、どのレスとも指定してないのに(ry

236 :日本@名無史さん:05/02/15 01:26:41
>>235
そりゃ、褒めるところがなければ批判的な評価をせざるを得ない場合もあるだろう。
それでも褒めようとするのは単なる「贔屓の引き倒し」じゃないのかな。
党派争いの煽りで秀吉の意図を読み違えて防備準備を怠ったことを褒めろとでも?
それとも、切り取り強盗が当たり前の帝国主義時代に、「侵略はいけないことだから、それ
だけの軍事力はあるけどしない」という国是の結果ならともかく、国力がないという理由で外
国を侵略できなかったことを褒めるんですか?

237 :日本@名無史さん:05/02/15 02:25:58
>>235
>ひたすら自身の思い込みで語る

そりゃ、あんたにも言えることじゃないかな(w

238 :日本@名無史さん:05/02/15 09:27:40
>>235
同意。

239 :日本@名無史さん:05/02/15 12:58:36
>>236
黙れ、嫌韓厨。おまいには歴史を語る資格はない。

240 :日本@名無史さん:05/02/15 13:37:18
沙也加は有名になったけど
日本側についた数倍の朝鮮人にも話を向けなきゃね

241 :日本@名無史さん:05/02/15 14:47:09
サヤカってどうみても名前が武士っぽくないんですけど


242 :日本@名無史さん:05/02/15 14:48:22
>>240
黙れ、嫌韓厨。おまいには歴史を語る資格はない。

243 :日本@名無史さん:05/02/15 15:08:42
そもそも一人の名前なのか?

244 :日本@名無史さん:05/02/15 15:11:37
そのへんの女子高生みたいな名前なのが怪しい

245 :日本@名無史さん:05/02/15 15:32:59
音訳だからな
日本へ来た朝鮮人の中には深入りして残れずに亡命的に来た奴も多かったのでは?

246 :日本@名無史さん:05/02/15 17:21:13
朝鮮の文献でサヤカの名が出て来るのは、当時から100年位経過した後世の空想文学が初出だからね。
普通は真に受けない

247 :日本@名無史さん:05/02/15 17:31:56
沙也可なる降倭が実在した事は、信頼できる朝鮮側の史料(正史 李朝実録)で確認できる。

こだわり歴史考(降倭沙也可)より
>>141

248 :日本@名無史さん:05/02/15 17:45:07
それは徴兵された韓国人が軍隊で学ぶといわれる「大朝鮮帝国史」と同様の幻想文学のタイトルですから、残念

249 :日本@名無史さん:05/02/15 17:47:51
>>236
褒めろとも批判するなといも書いてない、批評結構
検証し事実を追求するのが、学問板での事じゃないのか?と書いてる

というか、書いてもない事を勝手に決めつけ、さも俺がそう主張したかのように
思い込んで、「褒めろとでも?」と書き連ねる・・・
会話が出来ない


250 :日本@名無史さん:05/02/15 17:55:45
安養寺
ttp://www.us.oct-net.jp/~iwao/anyo1.html

中津浦 HIRAMATU75歳のHP
ttp://www.us.oct-net.jp/~iwao/index.html

251 :日本@名無史さん:05/02/15 18:07:02
つか俺は全然検証も会話もする気ないから。
ストレス発散のために荒らしているだけ。
朝鮮人相手なら日本人であるだけで叩けるからな。
ハッハッハ。

252 :日本@名無史さん:05/02/15 18:24:15
248>「李朝実録」「承政院日記」の記述から、沙也可の実在を明らかにした中村栄孝・名古屋大教授(>>141降倭沙也可より)

253 :日本@名無史さん:05/02/15 19:31:24
幻想文学を実在の根拠だと錯覚したマヌケな先生が居たんだね

254 :日本@名無史さん:05/02/15 20:55:20
5000人の立て篭もる城を10万の兵で半年も落とせなかったんだから
秀吉が死ななければ逆に九州を占領されていたと思うよ。
苦労して落とした城でさえすぐ奪還される日本兵の弱さwww
何百回も海戦をして一度も勝てなかったし、秀吉が死んでホント良かったよ。
そんな中でも薩摩兵は無敵だったけどね!

255 :日本@名無史さん:05/02/15 21:16:16
秀吉は負けたが、朝鮮の李舜臣なんて怪しい奴に負けたわけじゃなく、
朝鮮と戦って疲弊した頃にのこのこやって来た、明の援軍に負けたんだよ。
実際、和平交渉は朝鮮でなく明としている。

日本からも明からも朝鮮はアウトオブガンチュー。

256 :日本@名無史さん:05/02/15 21:24:00
日本が朝鮮を眼中になかったのは正しいが
明は違うだろうに

257 :日本@名無史さん:05/02/15 21:38:22
朝鮮相手に疲弊なんてしてないよ。いきなり朝鮮領を抜いて女真族とやりあってるし。

258 :日本@名無史さん:05/02/15 22:04:52
文禄・慶長の役
>>123

259 :日本@名無史さん:05/02/15 22:18:46
>>256 の言う通り明と朝鮮は連帯していて三次倭乱に対して六項目ぐらいの指令を朝鮮にだしてるよ。今は訳ありで資料出せなくて申し訳ないけど。

260 :日本@名無史さん:05/02/15 23:11:09
朝鮮は明の属国なんだから、両国を対等視しているかのような連帯という表現はおかしい。

261 :日本@名無史さん:05/02/16 00:57:48
朝鮮王朝実録の降倭の記録

倭賊万余名、雲峰より咸陽に踰え入り、直ちに山陰三嘉等の処に下るを聞き、応瑞、即ち軍兵を率い、
降倭と与に、或いは経路に由り、或いは直路に由り、分道馳進す、則ち本賊、山陰より、直ちに宜寧に下り、
半ば鼎津を渡る、天兵数十人、適ま至る、戦士降倭等及び前県監李瀞の軍と合勢し、一時に突入薄戦す、
矢を射ること雨の如し、賊多く箭に中り、甲を棄て退北す、我軍酣戦し、襲没するを覚えず、賊、
馬兵を以て趕至囲抱す、我が軍兵、天兵数十人と並びに囲中に入る、幾んど脱するを得ず、降倭及び戦士天兵等、
血戦して囲を潰す、出身楊淵、力戦して死す、副正鄭夢星、満身逢剱し、左右の手掌、皆な逢刀し、
一指断絶す、降倭「孫時老」逢丸し、左乳より貫きて右膝下に出ずるも、命、時に絶えず、降倭「延時老」落馬して逢剱し即死す、
副正林青玉、逢剱暫傷す、天兵と降倭等、斬する所多きこと七十余級に至る、しかるに奔遑進退の間、
幾んど尽く散失す、天兵二級を斬す、倭僉知「沙古汝武」二級を斬す、訓練副正李雲降倭同知「要叱其」僉知「沙也可」降倭「念之」、
各々一級を斬し、倭旗紅白黒白大小三面槍一柄剱十五柄鳥銃二柄牛四首馬一匹、我が国の被虜人百余名を奪い来る

だそうで

262 :日本@名無史さん:05/02/16 02:05:11
沙也可を朝鮮語ではサヤカと読む事から、
その頃行方不明になった雑賀孫市の事だという説があるが、
そもそも雑賀孫市本人が降倭となって朝鮮に渡ったのであれば、
朝鮮の公式記録では沙也可ではなく雑賀孫市と表記されてる筈。

雑賀孫市本人の正しい漢字表記が残っておらず発音が近いだけの当て字しか伝わっていない時点で、
単なる伝聞を記載しただけに過ぎない証拠。


263 :日本@名無史さん:05/02/16 02:35:26
降倭「孫時老」まごじろう
降倭「延時老」えんじろう
倭僉知「沙古汝武」さくえもん
降倭同知「要叱其」よしち
僉知「沙也可」さやか
降倭「念之」ねんし

>沙也可を朝鮮語ではサヤカと読む事
ハングルではなく漢字です

>朝鮮の公式記録では沙也可ではなく雑賀孫市と表記されてる筈
例えば鳴梁で戦死した来島通総は馬多時と表記され、小西行長は行長とそのまんまの場合もあり
上記の降倭の名前の例もあり、一概に日本名そのままとは言い切れません
が、雑賀孫市本人かどうかと言えば、雑賀孫市自体の特定すら難しいので
雑賀孫市である限りなく可能性は低い

264 :日本@名無史さん:05/02/16 07:28:16
漢字を共有していた日本人の姓名を公文書に記載する際に当て字で書く時点で、
当時の朝鮮の文化水準が推し量れるな。
日本でなら李舜臣をりしゅんしんと読むが、その日本語読みに変な漢字を当てたりしない。


265 :日本@名無史さん:05/02/16 07:52:26
問題はサヤカと金忠善と慕夏堂文集の関係でしょ?
創作説もあるじゃん。
雑賀孫市だろうが原田信種だろうがそんな教養があるのかよ?

年齢とか交渉したのかな。
俺は日本蔑視のためのミエミエのプロバガンダだと思うが。

266 :日本@名無史さん:05/02/16 07:55:36
当時の武士が自分の名前の漢字表記を知らないという事はありえない。


267 :日本@名無史さん:05/02/16 08:00:40
戦役前の記録だけを残さないのは不自然だよな。
漢籍で文書を残すほどの教養人じゃないと文書が残せないのでは?

268 :日本@名無史さん:05/02/16 08:56:40
幻想文学ってのは名前の表記の事か?

269 :日本@名無史さん:05/02/16 09:25:55
もし秀吉が朝鮮半島を征服したとしても、実際は要らないよね。
後世のひとは失敗してくれた秀吉に感謝しなくちゃ。

270 :日本@名無史さん:05/02/16 09:41:30
天兵(明軍)

271 :日本@名無史さん:05/02/16 10:12:58
日本に帰化した有名人のほうが逆の何十倍もいよな。
名前も朝鮮時代の経歴も記録されている。
なかには大名に殉死した人も。

なんで帰化日本人は名前まで奪われたり北方の戦場で消耗したり、あるいは大多数が処刑されたのか?

272 :日本@名無史さん:05/02/16 10:37:21
七七(慶長二年)十一月廿九日 豊臣秀吉朱印状
>>84


踏みにじられた朝鮮の人々の涙
ttp://www.jyofukuji.com/11-tyosen/2002/02.htm

歴史紀行 朝鮮通信使への道を拓く
>>197


安養寺
>>250

273 :日本@名無史さん:05/02/16 12:32:00
秀吉のおこなった強制連行は酷すぎるね。
植民地時代も何百万って人間を強制連行してるし・・・。
古代からさまざまな技術・文化を教えてもらいながら、
仇で返す事しか出来ないなんて情けない話。
韓国の皆には感謝の気持ちと謝罪の気持ちを持って接しないとダメだね。

274 :日本@名無史さん:05/02/16 15:58:05
>>273

朝鮮のSF歴史ファンタジーの教科書で教育を受けるとこうなるんだよなww

植民地時代も何百万って人間を強制連行してるし・・・。

日本の輸送力と国土は無限大ですね!!

275 :日本@名無史さん:05/02/16 16:24:09
関係ない話だけど植民地時代の台湾でも強制連行はあったの?それとも朝鮮だけ?

276 :日本@名無史さん:05/02/16 16:42:57
朝鮮人は朝鮮征伐当時の李氏朝鮮の人口が約300万人だという事も教わらないのか。

本当に次から次へと出鱈目ばかり喚く連中だ。

277 :日本@名無史さん:05/02/16 17:25:57
戦乱と平和
ttp://homepage2.nifty.com/mazzn/719722.htm

いすとわーるど
ttp://homepage2.nifty.com/mazzn/

278 :日本@名無史さん:05/02/16 23:54:15
朝鮮人を連れ帰って奴隷として売ったり、農業させたりってのはあったが
そりゃ「朝鮮人」だからという訳じゃなく、戦国期では当然の行為だったしなぁ
ただ何百万という数字はわかんねーけど、ファン・ガルシアというポルトガル商人の
「遥かなる高麗」という記録では、朝鮮人売買の話が詳しく書いてあったりする

つか、ホント何も知らん嫌韓厨と、>>273のようなあからさま煽りしかおらんな

279 :日本@名無史さん:05/02/17 00:16:40
五九(文禄二年)七月六日 豊臣秀吉朱印状
>>83

280 :日本@名無史さん:05/02/17 00:44:12
七章 菅文書
ttp://homepage2.nifty.com/H-Suga/kan8.html

八章 秀吉の朝鮮侵略
ttp://homepage2.nifty.com/H-Suga/kan9.html

十章 菅平植衛門達長の子弟・一族
ttp://homepage2.nifty.com/H-Suga/kan11.html

辛酉夜話
ttp://homepage2.nifty.com/H-Suga/index.html


淡路沼島水軍史考
ttp://www.awaji-is.or.jp/numa-jhs/11sougou/2002/13saihakken/16siryou/14suigunnsikou/suigunshikou.htm

沼島中学校ホームページttp://www.awaji-is.or.jp/numa-jhs/00menu/index.htm

281 :日本@名無史さん:05/02/17 07:13:01
同じリンク張るなよ荒らし屋奴

282 :日本@名無史さん:05/02/17 13:50:59
今、堺の子供が危ない 見直そう歴史教科書
ttp://www.seisaku-center.net/archives/kyoukasyo/sakai-koenroku/itou-sakai1.htm

日本政策研究センター
ttp://www.seisaku-center.net/index.html

283 :日本@名無史さん:05/02/17 18:09:50
リンク針のキチガイが一人いますね。

284 :日本@名無史さん:05/02/17 19:57:48
もっと盛り上げてきちくするか?

285 :日本@名無史さん:05/02/17 19:59:44
ねいばーの韓国人はこの頃の朝鮮人口を千七百万とのたまっている。
反論どうよ?

286 :日本@名無史さん:05/02/17 20:34:41
当時の朝鮮は800万石程度と計算してる>朝鮮役時の日本
だから、6〜800万人程度ではないかと思うが、こればっかりはわからんね

287 :日本@名無史さん:05/02/17 20:48:23
>>286
っていうか、過小評価してたから「道貸せ!」とか抜かした挙句
当然のごとく拒否られて侵略、惨敗したんでしょ?

その予測は大ハズレだとおもわれ。

288 :日本@名無史さん:05/02/17 20:53:57
>>287
全く意味がわかりまへん

仮途入明は秀吉の意図ではないし、この朝鮮の石高の数字は文禄役中に出されたものなんだけどね


289 :日本@名無史さん:05/02/17 21:05:01
ついでなんで

高麗国八州之石納覚之事

慶尚道 288万7790石
全羅道 226万9379石
忠清道 98万7514石
江原道 40万2289石
京畿道 77万5113石
黄海道 72万8867石
咸鏡道 207万1028石
平安道 179万4186石

総計 1191万6176石
うわ、全然800万石ぐらいじゃなかった・・・すまんね
数字の信憑性は言うまでもないけど(笑

290 :日本@名無史さん:05/02/17 22:05:27
朝鮮の帳簿からでも算出したのかね?

291 :日本@名無史さん:05/02/17 22:28:04
国土面積から言えば朝鮮領全体で日本の本州と同程度だから、
1千万石超〜2千万石くらいの推測になるんだろうが、
気候や社会的な条件が日本に比べて劣悪過ぎるというのが当時の実態だ。
実際には300万人くらいの人口に留まるという試算だ。

292 :日本@名無史さん:05/02/17 22:32:55
平地は日本より更に小さい?

293 :日本@名無史さん:05/02/17 22:34:28
>>289は日本の史料なんだがねw

294 :日本@名無史さん:05/02/17 22:35:36
検地したわけで無し

295 :日本@名無史さん:05/02/17 22:37:20
相変わらず、何も知らなずに思い込みで語ってるのが笑えるw

296 :日本@名無史さん:05/02/17 23:24:16
朝鮮国租税牒はどうやって作られたんだろうね


297 :日本@名無史さん:05/02/18 00:01:24
>>294に言わせると、指出は検地じゃないらしい・・・こりゃ大変

298 :日本@名無史さん:05/02/18 00:54:19
【文禄慶長】 秀吉の火星征伐スレ2 【壬辰倭乱】

299 :日本@名無史さん:05/02/18 00:58:29
咸鏡道ってたしか朝鮮の最北部だよね?
(清正が最大進撃したところ)
あの緯度のとこで200万石ってことはないだろうから、
朝鮮南部はともかく北部の石高は信用できないでしょうね。


300 :日本@名無史さん:05/02/18 01:18:02
咸鏡道は最も統治が成功し最も検地が厳しかった場所ですが

301 :日本@名無史さん:05/02/18 01:24:43
憶測でしかものを言わないのがよくわかるね。

302 :日本@名無史さん:05/02/18 07:02:37
秀吉の奉行衆がした検地はないし
加藤や鍋島の税帳簿をみてもほとんど米のとれない痩せた土地に思える
日本の一石が朝鮮升の四石三斗だったり四石五斗だったりと統一されていない。

気候と土地に換算すると関東東北北海道ぐらい?
なにしろ平安道には行っていないのだからね、
どういう見積もりなんだか?

303 :日本@名無史さん:05/02/18 09:32:15
統治ったって四ヵ月くらいでしょ?

304 :日本@名無史さん:05/02/18 11:01:21
>>302
検地は検地、奉行衆以外の検地は検地じゃないとでも?

>加藤や鍋島の税帳簿をみてもほとんど米のとれない痩せた土地
咸興府二三社各穀
下造米558石、田米3961石、唐米332石、太5886石、稷1万2149石
旧麦6万1590石、租3327石、粟39石、小麦32石、春牟501石、木麦32石
意味わかる?朝鮮国租税牒を持ち出して語ったんだから、意味わかると思うが

>日本の一石が朝鮮升の四石三斗だったり四石五斗だったり
これは物凄い語弊がある書き方だな、意味わかってんのかいな?
日本の一石(いっこく)が朝鮮升の四石三斗(しせきさんと)だったり・・・
と読み方変えないと勘違いするな
九鬼文書には四石五斗とあるが、四石三斗はどこから持ってきたの?
付け加えるならば、朝鮮国租税牒の数字は、日本の石高表示だから

305 :日本@名無史さん:05/02/18 11:12:21
日本と朝鮮の違い
日本:1石=10斗=100升=1000合=10000勺
朝鮮:1石=15斗=195升=1950合=19500勺(経国大典)

日本枡の一石が朝鮮枡の四石五斗ってのはよーく考えた方が良いよ

306 :日本@名無史さん:05/02/18 12:01:28
秀吉と朝鮮侵略
ttp://www.ne.jp/asahi/kami/asi-pon/hideyoshi.html

Asi-Pon
ttp://www.ne.jp/asahi/kami/asi-pon/index.html


加藤清正 意外な不遜と揺るぎ無い忠義
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8151/zaichoushoshou.html#kiyomasa

朝鮮八道 それぞれの激戦
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8151/hachidou.html

朝鮮出兵
>>99

307 :日本@名無史さん:05/02/18 12:11:29
それが人口1700万の根拠には全くならないわけだが。

検地は日本人が行ったが、実際に日本の1900万石に対応する
1200万石の生産力があったかどうかは不明。

308 :日本@名無史さん:05/02/18 12:22:44
>それが人口1700万の根拠には全くならない訳だが。

人口や朝鮮の検知の話は手元に資料がないから分かりません。
資料のある方が語って下さい。
資料を元にした話に異を唱えようとは思わない。

309 :日本@名無史さん:05/02/18 12:37:53
>>307
NEVERで朝鮮人が主張してんだろ?んなの知ったこっちゃない
逆に人口300万の根拠も全くないがね

検地は日本人がやったのは間違いない、指出検地だがね
それと江戸期の石高制と混同してるように思えてしょうがないが
まさかそんな初歩的な事を勘違いしてるヤシはいないよね?

310 :日本@名無史さん:05/02/18 13:00:51
ググれ。

311 :日本@名無史さん:05/02/18 13:14:20
ググっても、人口300万の論拠わかんねーぞ!!>>310
つか、ググれって言うヤシってのは知ったか鵜呑みか、単なる言い逃れ多いからな・・・

つかNAVERをNEVERって書いてる・・・アイタタタ


312 :日本@名無史さん:05/02/18 13:27:15
ググれと言うのは検地の事です。

313 :日本@名無史さん:05/02/18 13:27:52
日本軍が足を踏み入れていない平安道や全羅道をどう検地したと?咸鏡道だって完全制覇したわけでない。

314 :日本@名無史さん:05/02/18 13:29:21
人口の話は分かりません。
分かる人が資料を元に書いて下さい。

315 :日本@名無史さん:05/02/18 13:38:50
土地台帳を指し出す。

316 :日本@名無史さん:05/02/18 13:44:02
人口人口騒いでる人が人口について調べて書いて下さい。

317 :日本@名無史さん:05/02/18 13:59:59
終戦時の朝鮮人が約三千万。これは確実。植民地時代に人口が倍になったらしいから逆算で李朝末期で千五百万くらい。李朝期は人口がほぼ変わってないから大ざっぱに千五百万ぐらいじゃない?

318 :日本@名無史さん:05/02/18 14:05:02
>>313
足を踏み入れてないのか、そうか、それは知らなんだ

揚げ足取りはおいといて、平安道は殆ど侵攻さえしなかったし
徹底されてた咸鏡道以外は、かなり厳しい統治だったので
検地の実行が徹底されなかったのは事実
だが、ソウル陥落の際、刑曹は焼かれたが、戸曹が焼かれた話はないが
景福宮が焼かれたりもしたが、吉野日記にはソウル侵攻後に宮中内で
かなりの略奪行為があったとあるので>>315のいう土地台帳を見れたか
どうかは謎、ここら辺は微妙で曖昧

というか朝鮮国租税牒をもっと調べてください、お願いします、話になりません

319 :日本@名無史さん:05/02/18 14:20:55
>>317
200年前には1000万人いなかったんじゃ。800万人くらい?

320 :日本@名無史さん:05/02/18 14:59:52
>>317
韓国の人ですか?
李朝末期にしたがい人口は増えてるはずですよ。

18世紀ごろの李朝の人口は500万〜600万というのが定説。
日本の江戸期の人口について書かれた中公新書(?)に指摘してあった。
秀吉の時代はそれを超えることはなかろう。

よく秀吉の侵略で人口が1/3になったというのから逆算しているのだろうが、
その1/3という根拠がまったくない。

1700万とかいっているのは韓国の一部の学者が誇大に算定しているだけで
電波に等しい。

321 :日本@名無史さん:05/02/18 15:01:57
江戸期の日本には西洋にもないしっかりした人口調査結果がある。
もとより朝鮮にそんなものはない。
推定しかない。

322 :日本@名無史さん:05/02/18 15:04:19
李朝の1900年代初頭の人口は
1200万人未満だった。(朝鮮辞典)

323 :日本@名無史さん:05/02/18 15:06:45
建国時で五百万人といわれているんでしょ?

324 :日本@名無史さん:05/02/18 15:21:27
統治ならずっと居座っていたプサンからは何万石獲れたの?

325 :日本@名無史さん:05/02/18 18:54:50
>>323
速水博士あたりは日本に於ける奈良時代の人口700万人。
安土桃山1000万人ということだから、
日本における1000年近い長期間の人口の伸びはわずか。
朝鮮においても同様でしょう。
(李朝の建国は何時でしたっけ?)

ただし速水博士の安土桃山1000万というのは少なすぎるというのが
近年の定説。

326 :日本@名無史さん:05/02/18 18:57:53
>>322
1200万人未満?
1100万人未満だったような・・・

まあどっちでもいいか。

327 :日本@名無史さん:05/02/18 20:04:48
いい流れ揚げ

328 :日本@名無史さん:05/02/18 20:12:04
プリンストンカーブを使いな

329 :317:05/02/18 22:30:28
>>320 すみません。半島人認定だけは勘弁してください。植民地時代に人口が倍になったとか李朝時代は人口の変化が無かったとかは自分で確かめたわけじゃなくて2ちゃんの受け売りです。不確実だったんで断定調さあえて避けてますんでゆるください。

330 :日本@名無史さん:05/02/18 22:37:40
>>329 (訂正)>>317の文章はそのような理由により断定調はあえて避けてるんで許してください。

331 :日本@名無史さん:05/02/19 21:29:26
二度に渡る大虐殺があったのいだから人工が減ったのが当たり前です。
1500万人いたのが本当です。悪の子孫の事を否定しても惨めだけだよ。
俺は日本人だけど思うよ。過去を忘れ優しい朝鮮人は心広いですね。

332 :日本@名無史さん:05/02/19 21:31:56
>>331
俺もそう思う。朝鮮人は心が広くて優しいね

333 :日本@名無史さん:05/02/19 21:55:43
>>331-332
朝鮮人の言う事をいちいち真に受けてると、朝鮮人並みのアホになるから気をつけろ。


334 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

335 :日本@名無史さん:05/02/19 23:24:40
虐殺で人口減にはならんよ。
朝鮮人同士が殺し合い、秩序を回復することが出来ずに
食料分配と生産の効率を下げ、将棋倒し的に飢餓を広げたのは
朝鮮の社会性が低かった故。

いわば自己責任。
守りたければ自分を守れば良かった。
それをしないのは朝鮮人が怠けた責任。

336 :日本@名無史さん:05/02/20 00:55:22
>>321
>もとより朝鮮にそんなものはない。
嘘はよくない、人口調査は朝鮮にもあるぞ
良民を扱う戸曹と、奴婢を扱う刑曹掌隷院とが人口調査みたいなもんです
ただ文禄役のソウル陥落の際に、刑曹掌隷院は焼かれてるんですよ
よって当時の人口は不明、朝鮮側には詳しい史料は存在しないんですね

>>320
>18世紀ごろの李朝の人口は500万〜600万というのが定説。
すまんけど、こんな定説は初見なんですが、何の本ですか?

あんまり定説って言葉使って欲しくないなぁ
定説と言えばそれで思考停止して、「何の根拠でそうなってるか調べなくていい
否定するなら、否定する材料もってこい」っていう風潮になるから
せめて定説というなら、それなりの過程を説明して欲しい

337 :日本@名無史さん:05/02/20 03:20:10
>>336
で、あなたは朝鮮は素晴らしく人口が多かったと言いたいわけかどうか分からないが、
結局どのくらいの人口があったといいたいわけ?

338 :日本@名無史さん:05/02/20 03:28:04
>>336
文禄慶長の役以後の200年間の資料(18世紀頃)まではどうよ。
残ってないじゃないの。
それを言ってるんだよ。
まさかニッテイが焼却したとか言うんではないだろうな。

339 :日本@名無史さん:05/02/20 06:12:28
>>338
正解。日帝が焼いた。
日帝は悪逆だ・・・。

340 :日本@名無史さん:05/02/20 08:37:58
>338
戦後の復興を見ればよく分かるよ。日本のように朝鮮戦争で卑しく貪欲に
汚く金儲けをせず、自力でアジアNO1になったのだから。
いかに朝鮮民族が優れているかがよく分かる。
文禄、慶長での大虐殺後にも国力を復活できたのは地盤があったからだ。
人口調査がない?馬鹿言うな、あったが日本に不利な証拠は償却されたんだよ!
10万点もの歴史的美術品を泥棒し、優秀だと表す証拠は全て焼却したんだ!
その事を忘れるな!
海外のサイトを自分で調べてみろ!お前らが認めない証拠が色々と見つかるぞ!
右翼共よ!いいかげん歴史歪曲をするな!!


341 :日本@名無史さん:05/02/20 08:39:07
どこを立て読み?


342 :日本@名無史さん:05/02/20 09:32:59
朝鮮人の発言にはいつも根拠が無いよな

343 :日本@名無史さん:05/02/20 11:11:47
>自力でアジアNO1になったのだから。

キムチの食べ比べか?

344 :日本@名無史さん:05/02/20 23:58:21
>>337-338
戸籍帳籍というのが残ってるが?残ってるはいるが、数地方の戸籍帳籍しか
現存してないらしく、全体数を把握出来てません
もしかして一冊に纏められてるとでも?
あと、李朝実録にも記載されてるらしいが、この数字は自分は見た事ないので知らない
だから明確な数字は出してない、根拠も何も知らないのに、嘘八百で数字言う訳にはいかないからね

俺は知らない事は知らないと言うし、判らない事は判らないと答える
このスレによくあるような、嘘と出任せ、思い込みで語りたくないから

345 :日本@名無史さん:05/02/21 01:57:34
>>344
何をグダグダ言ってるのおまいさん。

だから、朝鮮にはまともな人口調査の資料はない。

それだけの話だろ?

346 :日本@名無史さん:05/02/21 10:57:32
戦前四百七十万結
戦後一百五十万結

これが王朝の把握していた生産力。
隠し田とか統治漏れや逃れが無ければ人口三分の一だな。
日帝調査時では三割も隠し田があったが。

347 :日本@名無史さん:05/02/21 17:11:32
>>345
「まともな人口調査の資料」とは?
李朝実録に記載されてる数字をまともじゃないと断定する根拠は?

348 :日本@名無史さん:05/02/21 17:16:29
朝鮮の戸籍帳籍では3年おきに戸籍調査してるのがわかっている
これによって李朝実録にある人口の数字は、この調査を元にしての数字と考えられてる
これをまともな人口調査の資料はないと言うのだから、理論だって立証して欲しいね

349 :日本@名無史さん:05/02/21 19:27:09
朝鮮人の挙げる数字を無検証で鵜呑みにはできない。
3年おきの戸籍調査なる事業が公正に実施された根拠が出て来なければ、
信用に値しないというだけ。


350 :日本@名無史さん:05/02/21 19:58:19
>>349
君が信用しなくても一向に構わんよ、史学でも鵜呑みにされてないし鵜呑みにしろとは誰も言ってないし
日韓併合後の調査で、李氏朝鮮時代の数字との差が結構あったように、絶対的な数字ではないから
でもある程度の目安には出来るしね

戸籍帳籍には、名前の通り戸口毎の自己申告で書かれてる
書かれてる内容は、戸長の名前・戸長の二親等と妻の二親等・奴婢等の使用人・住所・年齢・
職業・出身地
現存する戸籍帳籍では、記載が3年毎だから3年おきとなり、1630年代のが残ってたりしてる
この当時としては立派な「まともな人口調査の資料」だと思うがね
で、この「公正に実施」とは何をどうやって証明しろっての?
宗旨人別改帳が公正に実施された根拠を証明してくれと言われたら
>>349はどう証明すんの?

つか朝鮮人の挙げる数字だから無検証で鵜呑みに出来ないって、単なる嫌韓厨丸出し
普通に無検証な数字は鵜呑みに出来ないと言葉変えとけ

351 :日本@名無史さん:05/02/21 20:10:21
朝鮮人が数字を記録することに関しては出鱈目極まりない実例を挙げれば、
歴史研究にあたって朝鮮人の主張が鵜呑みにできない事くらいは議論の余地もなくなるだろう。

端的な一例を挙げれば、34年11ヶ月の事を36年とほざいたりしてる事が知られているな。
そんな丸め方があるかよ。

352 :日本@名無史さん:05/02/21 20:16:29
>>351
朝鮮人の主張じゃなく、記録ですが何か?出鱈目と言い切るなら、立証すりゃいいじゃん
朝鮮人の主張が鵜呑みに出来ないのは、裏付け・論拠が存在しないから、否定できる論拠が存在するから
「朝鮮人だから」という理由じゃない

史料批判したいなら、それなりの物証や傍証をだしなさい

つか>>350に何一つ答えてない、単なる朝鮮人批判したいだけか?
それならハングル板に行け、ここは学問板だから

353 :日本@名無史さん:05/02/21 20:22:47
>>350
どうしてそう必死になるのか理解に苦しむ。
朝鮮の推計人口の推移の不自然さをどう説明してくれるの?
それを「まともな人口調査」というあなたの主張は逆立ちしても解せない。

朝鮮はもっと人口が多かった、ということを言おうとすれば、
李朝の調査結果を否定しなければならないし(大幅修正の推計値!)
李朝の調査結果を「まともな調査」とすれば、
みすぼらしい人口しか出てこない。
大変なのは分かるが……。

354 :日本@名無史さん:05/02/21 20:31:11
>>353
人口推移の不自然さは確かにあるけど、
「まともな人口調査」=「正確な人口調査」ではない
だから絶対的な数字ではない、有る程度の目安と答えてる

では問うが、この当時でいう「まともな人口調査」とは?

つか、李朝実録の数字知っていそうですね、自分はググって調べてみたら
有る程度の数字を見つけたが、それが李朝実録に記載されてる数字かどうかの
判断が出来なかったので諦めてたんですが、朝鮮征伐以前とその後の数字を
知っているのなら挙げて欲しいのですが


355 :日本@名無史さん:05/02/21 20:34:59
朝鮮人が数字の取り扱いにだらしない事は、>>351できっちり説明済みだ。
朝鮮人が実施したとされている調査の結果として挙げられている数字については、
数字をいい加減に取り扱う習性を備えた朝鮮人とは別な誰かによって検証されなくてはならない。

356 :日本@名無史さん:05/02/21 20:36:13
>>355
朝鮮人の主張が鵜呑みに出来ないのは、裏付け・論拠が存在しないから、否定できる論拠が存在するから
「朝鮮人だから」という理由じゃない

史料批判したいなら、それなりの物証や傍証をだしなさい


357 :日本@名無史さん:05/02/21 21:50:06
朝鮮人の言動を鵜呑みにできないのは、朝鮮人が裏づけを伴う数字を挙げないからだ。
つまり、「朝鮮人だから」なんだよ。

358 :日本@名無史さん:05/02/21 21:51:40
朝鮮ではまともな歴史教育がなされていないということだろう。

359 :日本@名無史さん:05/02/21 23:36:29
とりあえずここは学問板です

それだけ

360 :日本@名無史さん:05/02/22 00:17:45
学問板住人の矜持として、
朝鮮人が口走る数字を無検証で信用する愚を犯す事は控えようね。

361 :日本@名無史さん:05/02/22 00:21:47
無検証で否定する嫌韓厨も(ry

362 :日本@名無史さん:05/02/22 00:28:13
あらゆる不明点について検証前の段階では疑ってかかるのが学問的態度というものだ。
学究の徒として当然の態度に終始する者に対して嫌韓厨などという的外れなレッテルを貼って誹謗する者は、
朝鮮人並みに愚劣なだけだ。


363 :日本@名無史さん:05/02/22 00:32:55
朝鮮人の発言を信じるな。
それは朝鮮人を知る全人類が実体験に基づいて掴んだ叡智。

364 :日本@名無史さん:05/02/22 00:34:24
>>362
戸籍帳籍のどういう部分を検証して、「まともな人口調査」ではないと断定し
李朝実録の数字の何を不明点といい、どう検証してるのですか?
検証前の段階というなら、何の科学的根拠をもって検証に値しないとするのでしょうか?


365 :日本@名無史さん:05/02/22 00:36:33
疑うのは構わんが、否定する根拠が「朝鮮人だから」
たいした学究の徒だこと。


366 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

367 :日本@名無史さん:05/02/22 00:41:45
34年11ヶ月の事を36年などと丸める連中の挙げる奇怪な数字を鵜呑みにできる方がおかしい。

朝鮮人は、そういう数字の操り方をする特殊な習性を持つ。
つまりそういう習性を備える朝鮮人であるがゆえに、朝鮮人の挙げる数字は信用に値しないのだ。


368 :日本@名無史さん:05/02/22 00:45:05
>>367
34年11ヶ月と証明出来るから、36年が奇怪な数字となったんです

朝鮮人の主張が鵜呑みに出来ないのは、裏付け・論拠が存在しないから、否定できる論拠が存在するから
「朝鮮人だから」という理由じゃない

史料批判したいなら、それなりの物証や傍証をだしなさい

369 :日本@名無史さん:05/02/22 00:48:31
●荒らし・煽りは『完全無視』+削除依頼しましょう。
それでも駄目な場合は、↓に報告汁。
ttp://qb5.2ch.net/sec2chd/


370 :日本@名無史さん:05/02/22 00:51:14
34年11ヶ月の事を36年などと丸める習性を持つ朝鮮人が奇怪な数字の操り方をする連中である事には変わりない。
35年と丸めるなら分かるが、36年と丸めるのはマトモな思考力のなせる業ではない。
俺は日帝35年と言ってる朝鮮人を見た事も聞いた事もない。
つまり、朝鮮人だからこんな風に異常な事を言うのだ。

371 :日本@名無史さん:05/02/22 00:56:57
>>369
そーします

372 :日本@名無史さん:05/02/22 01:02:41
>>364
勘違いしとるようだが、キミが相手しているのは一人じゃないよ。
誤解もはなはだしい。

373 :日本@名無史さん:05/02/22 01:09:23
>>372
勘違いしてるようだが、ここは学問板で歴史の話をしてる場所で
朝鮮征伐の話をするスレであり、朝鮮人の話をする場所でもスレでもない
誤解も甚だしい

朝鮮人の主張が鵜呑みに出来ないのは、裏付け・論拠が存在しないから、否定できる論拠が存在するから
「朝鮮人だから」という理由じゃない
史料批判したいなら、それなりの物証や傍証をだしなさい

朝鮮人批判したいならハングル板に行け

という事


374 :日本@名無史さん:05/02/22 02:10:21
朝鮮人の言動が信用に値しないという話ならきちんと筋道を立てて説明済み。
根拠もなく朝鮮人の世迷言を真に受けるヤツが学問版にへばりついてるから、
日本史の研究が今まで朝鮮人に蹂躙され続けてきた。


375 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

376 :日本@名無史さん:05/02/22 07:24:46
>>373
あんたはどうしようもない。
嘆かわしい人だ。

その一文を読んであんたの人となりが分かった。

377 :日本@名無史さん:05/02/22 07:56:03
日本の統治時代になってようやく信用の於ける
人口数値になった。
李朝時代に「それ自体」で信用の於ける資料は残っていない。
そんなのは「まともな人口調査」とはいえない。
結局は日本時代以降の正確な数値を基礎に逆算・推定しているだけじゃないの。

378 :日本@名無史さん:05/02/22 11:51:09
34年11ヶ月が36年ってのは単に1910年8月22日から1945年8月15日までが
足かけ36年になるってだけの話だろ

日本にも3年8ヶ月1週間の太平洋戦争を5年と数える人はいるしな

379 :日本@名無史さん:05/02/22 16:52:33
>>376
今までの根拠のない君のレスで、こちらも十分そちらの人となりが
理解できてますので

>>377
>李朝時代に「それ自体」で信用の於ける資料
この指摘は正しい

では君の言う「まともな人口調査」とは
「それ自体」で信用の置ける史料という認識でよろしいか?

380 :日本@名無史さん:05/02/22 17:39:54
>>379
日本の江戸時代にはそれがあるよね。>まともな人口調査。

381 :日本@名無史さん:05/02/22 17:53:01
>>380
宗旨人別改帳が「それ自体」で信用の置ける史料で、「まともな人口調査」と
いう事でしょうか?

382 :日本@名無史さん:05/02/22 20:39:03
日本のほうが一桁か二桁は精度のよさそうな数字がだせるな。

383 :日本@名無史さん:05/02/22 20:42:47
>>381
7代将軍吉宗の時(18世紀半ば?)、緻密な全国調査がなされ幕末まで続いている。
武士などは除外されているが定数を当てはめればほぼ正確な数字が出る。
このような調査は当時ヨーロッパ最高の文明を誇っていたフランスにもない、
ということらしい。

384 :日本@名無史さん:05/02/22 20:44:06
武士の人口は具体的にどうやって推計しているの?

385 :日本@名無史さん:05/02/22 21:57:03
>>7代将軍吉宗の時
なんだ?

386 :日本@名無史さん:05/02/22 22:06:25
    __∩____
    ミ( ((θ ノ\
 三§ミ(  ―З=§ )秀吉ですが何か質問でも?
   ミ(__((θ_ヽ/
      ∪


387 :日本@名無史さん:05/02/22 23:18:46
嫌韓厨が乱入して一気に糞スレになったな

388 :日本@名無史さん:05/02/22 23:22:56
>>387
それは、全てあなたの思い込みです。

389 :日本@名無史さん:05/02/23 00:02:07
>>383
>緻密な全国調査がなされ幕末まで続いている。
>武士などは除外されているが定数を当てはめればほぼ正確な数字が出る。
帳外者と呼ばれた存在は?本百姓以外の人々(名子や水呑の貧農等)は?
どういう定数を当てはめるのですか?ほぼ正確な数字とは?

宗旨人別改帳は地方地方で行われ、後期には毎年実施と言われつつ
実態は3〜6年と様々で、しかも飢饉等の被害後、幕府へ報告した被害数が、宗旨人別改帳で
報告受けてた人数近くになって修整した盛岡藩の例があります
そのように曖昧なもので、「緻密な全国調査」とはとても思えない代物です
それを上記のように「緻密な全国調査」で「ほぼ正確な数字が出る」のなら
実例を示して頂けませんか?

390 :日本@名無史さん:05/02/23 04:41:53
>>389

ハッキリ聞きたい。

李朝の人口調査と
日本の江戸時代の人口調査と
信頼性に置いて、また正確性において
あんたはどっちを取るんだ?

「学問的には等価」?
ああ、そうですか。
勝手にしてください。

391 :日本@名無史さん:05/02/23 05:28:05
>>390
戸籍帳籍は朝鮮の、宗旨人別改帳は日本のですよ?
李朝実録と宗旨人別改帳での数字が、同じ地域の調査結果を出していて
それでの信頼性を比べてるなら、君の問いは間違いではないでしょうし
比較検討して答えは出るでしょう

しかし比較検討しているのではなく、戸籍帳籍の調査を「公正に実施」されてなく、
「まともな人口調査」ではないと断定し否定しながら、宗旨人別改帳を
「緻密な全国調査」で「ほぼ正確な数字が出る」とするなら、傍証や実例を示して欲しいと
書いた訳だが

それがどうして比較し、どちらの信憑性をとるのかと言う問いになるのか?
どちらかの優劣判定ではないんですよ?
しかも論拠や傍証を問うても、今だ何ら回答すら出してない
それにも飽き足らず、勝手な結論出して勝手にしてください?
何がしたいのかな?

392 :日本@名無史さん:05/02/23 12:28:50
>>391
君こそ何がしたいのかな?

393 :日本@名無史さん:05/02/23 12:33:13
日本のに比べたら「緻密ではない」ということなのだから、それでいいだろうに。


現在の国勢調査ならその時点での「ほぼ」完全な数字が出るのだろうが、
日本統治下での調査をもってしても「絶対的な」正確な数字とはいえない。

物事は何事も相対的なものだよ。

394 :日本@名無史さん:05/02/23 14:32:42
>>393
> 現在の国勢調査ならその時点での「ほぼ」完全な数字が出るのだろうが、

公務員板を見ている限りでは、これからは李朝の戸籍帳籍以上に不完全なものになってい
くだろうな〜、と思われ。
「こいつら絶対協力しないだろうな」って確信が持てそう。

395 :日本@名無史さん:05/02/23 16:31:29
>>393
ここで日本のと比べる意味がわからん、同時期に同地域の数字を出しているのではないのに
宗旨人別改帳が「緻密な全国調査」で「ほぼ正確な数字が出る」という傍証も一切無し

>物事は何事も相対的なものだよ。
では「まともな人口調査」「公正に実施」「緻密な全国調査」で「ほぼ正確な数字が出る」これは
日本の宗旨人別改帳基準という事ですね、日本のに比べたら「緻密ではない」ということなのだからと
述べておられるのだから、そうなんでしょう
それなら、戸籍帳籍と宗旨人別改帳とを比較して、どうぞ双方の書かれてる内容を挙げて
それ等の実例挙げてくださいね
内容も知らずに比較なんて出来る訳ないのだし、勿論出来るはずだが


このスレは言い逃げする連中ばかりだしなぁ
自身のレスの傍証・立証全く無し、他人にはそれを求め、他人の論拠や出典には
傍証・立証一切なしで即否定、もちろん内容には触れることなし
>>393氏がそうでない事を願ってやまない

396 :日本@名無史さん:05/02/23 16:52:01
>>395
あんたが結局何が主張したのかわからない。
自分で勝手に問題提起をしてそれを他人に応えろと言って騒いでいるだけじゃないかい。

「李朝も立派な人口調査をしていました」
結局それが云いたいわけ?
だったら云いなさいよ。
誰も止めない。

397 :日本@名無史さん:05/02/23 16:52:39
結局統治システムの強弱がもろに出る。
腐敗した朝鮮では税逃れに人や田畑を隠そうとするし隠しおおせる。

398 :日本@名無史さん:05/02/23 17:26:54
朝鮮国租税牒の指出は朝鮮の地方役人や農民に書かせている。
土地を実測する余裕はなく指出方式をとった。

399 :日本@名無史さん:05/02/23 17:59:13
>>396
主張は、最初に述べたとおり
戸籍帳籍や李朝実録での数字は絶対的な数字はないし、そのまま信用できる数字でもない
だが有る程度の目安にはなると、それを否定したのはそちら
宗旨人別改帳持ち出したのもそちら、全部問題提起したのはそっち

そっちは主張する割に、何ら史料的根拠の提示すらなく
勝手にこっちの意図を決めつけて話逸らすだけ
何をどうしたいのかわからないのは、こっちの方なんだが?

忌み嫌う朝鮮人と同じ論法、主張するだけして議論になれば
一方的な断定で語り、論拠求めれば話逸らして有耶無耶にしてる
ここは学問板、それでは話にならない

>>397もそう、戸籍帳籍は>>397の主張に間違いはないが
宗旨人別改帳にも当てはまる内容、実際、宗旨人別改帳は寺の役割だったが
本百姓負担で行われていた為、貧農等の記載漏れがかなり多い
だから飢饉等の天災被害後にはかなり修整されてる、これが事実

>>398
指出で地方役人の署名提出は見られるが、農民に書かせてるの?
実測は無理でしょうね、支配期間があまりに短すぎるし
何より加藤・鍋島勢を各地に分散させた為、指出にせざるをえなかったんでしょう


400 :日本@名無史さん:05/02/23 18:58:38
高麗日記の天正20年7月18日
一、十八日、六伯めしいたし、当郡物成の員数等尋ね極め、銘々人質を取りくつろけ
籠ニ押し入れ、当毛物成等、次第次第ニ催促候ヘは、形の如く相調うニ付て、
番衆かて続き候、(中略)隠れ居り候唐人(朝鮮人の事)共、をきめ御法度等稠ク
仰せ付けらるニつゐて、皆な本家ニ帰り、城内にきわひ候事

これは朝鮮国租税牒の作成過程を示してるもので、この田尻鑑種がいた高原の租税牒は
7月20日付で作成されてる事から、人質を取って朝鮮の役人を使い指出させた事がわかる
これは鍋島直茂家譜でも同様の事が書かれてる

401 :日本@名無史さん:05/02/23 19:18:50
>>399
>宗旨人別改帳持ち出したのもそちら、

へえ、初耳だが。
キミがが勝手に言い出しただけだろうが(w

「歴史人口学で見た日本」(速水融)あたりを読んでみたら?



402 :日本@名無史さん:05/02/23 19:19:12
>>398
すみません。訂正します。
黒田長政が1592(天正20)年7月初旬黄海道の首都海州を陥し、
黄海道の農民に租税の指出を出させた、とあります。

鍋島直茂は八カ所の六伯(地方役人)を呼び出し、
年貢や特産物の指出(朝鮮国租税牒)を書かせた。
そして朝鮮農民を人質にとって牢に入れ、
人質を引きかえに兵糧米をとった、とあります。

403 :日本@名無史さん:05/02/23 19:22:22
>>401
380 :日本@名無史さん :05/02/22 17:39:54
>>379
日本の江戸時代にはそれがあるよね。>まともな人口調査。

江戸時代に、宗旨人別改帳以外での人口調査と見られる史料とは何ぞや?

404 :402:05/02/23 19:25:29
>>398ではなく、>>399-400

>>401
「歴史人口学で見た日本」は手元にありますが、そのどこの何を見たら何が分かるのでしょうか?

405 :日本@名無史さん:05/02/23 19:26:33
>>402
細かいが鍋島直茂ではないよ、鍋島平五郎とあるから鍋島茂里です

406 :日本@名無史さん:05/02/23 19:30:58
江戸時代の人口について教えてくれる史料は「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」であ
る.戦国時代から江戸時代初期には,大名たちが必要に応じて人口調査を行った.しかしこれは臨時的な
ものであり,戦力と生産力を確保することが目的だったので,女性,子供,高齢者についてはあまり詳しくな
い.江戸時代初期にはキリシタンを取り締まる目的で,宗門改めが行われた.これが人別改めと合体して全
国的に実施されるようになるのは,1671(寛文11)年に出された幕府の法令によってである.明治になって
戸籍が作られるまで,200年にわたって戸籍の代わりをはたしていた.
宗門人別改帳は町村ごとに作成されたが,そのすべてが現在まで残されているわけではない.全国人口
については,8代将軍吉宗が全国の所領に人口を報告させた1721(享保6)年から知ることができる.幕府
の全国人口調査のはじまりである.その後1726年からは6年に一度定期的に調査することになった.子午
改めという.現在,幕末の1846(弘化3)年までの125年間に,全国人口は19年度分,国別人口は12年
度分が知られている.

407 :日本@名無史さん:05/02/23 19:33:55
>>402
黒田長政の指出の話は知らなかったです、大変参考になります
家譜でしょうか?黒田家譜の朝鮮陣記は全く目を通してないもので・・・

408 :日本@名無史さん:05/02/23 19:46:25
>>404
もう忘れたが。
マクロ統計による人口調査は近代以前は日本だけ、
見たいなことが書かれているはず。

409 :日本@名無史さん:05/02/23 22:59:15
ということのようです。
>>399
さん。

410 :402:05/02/23 23:19:26
>>407
すみません。そこまでは書いてありませんが、
「各章の典拠文書」の中に「黒田長政記」「黒田家譜 朝鮮陣記」とあります。

411 :日本@名無史さん:05/02/23 23:23:35
嫌韓厨が
自分より詳しい人に噛み付いて
一瞬で切られているのに
それに気づかず背後霊になって噛み付いてるだけに見える

412 :日本@名無史さん:05/02/23 23:30:25
>>408-409
「歴史人口学で見た日本」は読んだ事ある
その中で、著者の速水融氏は日本は人口調査の史料が多い国とは述べてるが
マクロ統計による人口調査は近代以前は日本だけというニュアンスは一切ない

何故なら彼自身が述べてるが、歴史人口学を欧州で学び、著書でも紹介されてるように、
教区簿冊というマクロな人口調査史料を紹介している

違ってるなら、「歴史人口学で見た日本」の原文を引用なりすればいい
自分が「歴史人口学の世界」と混同してるかも知れないから

413 :日本@名無史さん:05/02/23 23:42:50
>>406>>403に対しての反論なのかな?
だとしたら、答えは簡単
>8代将軍吉宗が全国の所領に人口を報告させた
さて報告する為に、統計の基にしたのは何でしょうか?

>>410
ありがとうございます、「黒田長政記」「黒田家譜 朝鮮陣記」と名前がわかれば
どうにかなりますので、感謝

414 :日本@名無史さん:05/02/23 23:53:09
>>412

>自分が「歴史人口学の世界」と混同してるかも知れないから

「自分」って誰のこと?

>マクロ統計による人口調査は近代以前は日本だけというニュアンスは一切ない

あったような気がするが。
18世紀になって幕府が行った全国調査をマクロな統計と記し、
資料的な価値を高く評価している。

同書は手元にないが、同書を紹介したサイト。
「近代的な国勢調査が行われる前の時代の人口動態を、ヨーロッパの「教区簿冊」、日本の「宗門改帳」などの基礎資料を使ってミクロなレベルで解明していくという学問である…」
つまり「教区簿冊」、日本の「宗門改帳」というのはミクロな統計資料。
幕府の調査を世界でも希な(唯一だったか)のマクロな統計資料というふうに述べていた(ように記憶する)








415 :日本@名無史さん:05/02/24 00:26:49
速水は「日本にはイングランドにもフランスにもないマクロな人口史料がある」
とだけ述べている。

それから史料的限界について

「さて、藩別の調査だが、いままでそれぞれがやってきた方法でいいわけだから、
調査は統一されたものではなく、ある藩では十五歳以下、別の藩では八歳以下は
カウントしていないなどばらばらである。さらに武士はカウントされていないので、
結果の二千六百万人という数字はかなり低い数値であると思われる。そこで学者は、
これにどれくらい追加すればいいかということをいろいろ論議しているが、私は
だいたい五百万人くらい追加すればいいだろうと考えている。」

と述べることも忘れていない。

416 :日本@名無史さん:05/02/24 00:27:58
朝鮮人による数字がまるで信用できないという事実をいくら隠蔽しようとしても無駄に終わってるだけ。


417 :日本@名無史さん:05/02/24 00:38:19
>>415
P56〜57にそう書いてありますね。

418 :日本@名無史さん:05/02/24 00:43:35
>>415
速水は「日本にはイングランドにもフランスにもないマクロな人口史料がある」
とだけ述べている。

で、イングランド、フランス以外に、
マクロな人口史料がありそうな国ってどこ?

>マクロ統計による人口調査は近代以前は日本だけというニュアンスは一切ない

「ニュアンスは一切ない」?
ってことはないわけだ。




419 :日本@名無史さん:05/02/24 00:56:06
宗門改帳や諸外国の「ミクロ史料」は人口を推計するための史料にはなるが、
国の人口調査という目的意識によって行われたものではない。
後年の研究者によってその史料価値が認められたわけだ。
幕府の調査は当時の人間がその意識を持って行ったところが違う。
人口の実態を示す史料価値を判断するなら、
この違いを押さえておくのは当然だと思うがね。

420 :日本@名無史さん:05/02/24 00:59:30
>>418
うろ覚えですまんが、全数調査の人口統計を最初に集計したのは
スウェーデンじゃなかったっけ?

421 :日本@名無史さん:05/02/24 01:29:08
>>420
なるほど。
ためになった。

422 :日本@名無史さん:05/02/24 02:07:43
>>419
アホらしい反論なんで書く気にもならなかったが、きちんと説明しとかないと
勘違いして覚えそうなので

寺の僧が行っていた宗旨人別改帳の記帳が、なぜ村の役人に替わったのか?
大名と名主が持つ2部に分けられたのか?
答えは簡単
宗旨人別改帳が当初の寺請制度の役割を変え、人口調査の役割を果たしたから
幕府の調査とは、各藩が行った宗旨人別改帳の統計を収集して出してるもの
速水氏も集計資料だと述べてるはずだがね

よって、人口調査という目的で作られたもので相違ない

>>414
自分とは自分の事、>>412の事

ヨーロッパの「教区簿冊」、日本の「宗門改帳」などの基礎資料を使ってミクロなレベルで解明していく
                    ↓
つまり「教区簿冊」、日本の「宗門改帳」というのはミクロな統計資料。

基礎資料を使ってミクロな解明が、どうしてミクロな統計資料に変換するんだ?

423 :日本@名無史さん:05/02/24 02:14:27
>>422の訂正
宗旨人別改帳が当初の寺請制度の役割を変え、人口調査の役割を果たしたから
よって、人口調査という目的で作られたもので相違ない

幕府の調査とは、各藩が行った宗旨人別改帳の統計を収集して出してるもの
速水氏も集計資料だと述べてるはずだがね
どこからかコピペして、こちらへの反論に使った>>406にも人口を報告させたと
書いてあるだろうに

424 :日本@名無史さん:05/02/24 02:24:39
よく分からんけど、トリップ付けてやってみてくれないかな?

425 :日本@名無史さん:05/02/24 03:50:14
>>422
文体が乱れに乱れているな。

> ヨーロッパの「教区簿冊」、日本の「宗門改帳」などの基礎資料を使ってミクロなレベルで解明していく
>                     ↓
> つまり「教区簿冊」、日本の「宗門改帳」というのはミクロな統計資料。
>
> 基礎資料を使ってミクロな解明が、どうしてミクロな統計資料に変換するんだ?

意味不明。
何を焦っているんだか……。

426 :日本@名無史さん:05/02/24 06:11:56
どっちでもいいよ。

当時の朝鮮人口は五百万から八百万ぐらいが妥当では?

税調の田畑の面積からどれぐらいの生産量があるかでだいたいわかるのでは?

427 :日本@名無史さん:05/02/24 16:54:10
自身が書いたレスが、如何におかしいかすら理解できんのか・・・

>>425
「教区簿冊」「宗門改帳」などの基礎資料を使ってミクロなレベルで解明というのは
「教区簿冊」「宗門改帳」がミクロなレベルでの解明に使える基礎資料という事
それが、どうして「教区簿冊」「宗門改帳」はミクロな統計資料にされるんだ?
その紹介文を懇意的に捻じ曲げて解釈した理由がわからない

世界史に詳しくないので「教区簿冊」はわからないが、少なくとも宗旨人別改帳は
村単位から藩規模まである、これを「ミクロ史料」と一括りにするのか?
村単位で作られたのも、藩が纏めたものも、宗旨人別改帳と呼ぶのだよ?

428 :日本@名無史さん:05/02/24 17:10:32
日本史なんて怖くない 織豊政権(6)秀吉の政策(1)
ttp://melma.com/mag/41/m00010441/a00000271.html

melma!
ttp://www.melma.com/


歴史人口学から見た京都
ttp://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_14/no14_e01.html

ミツカン水の文化センター
ttp://www.mizu.gr.jp/index.html


ニッポン米知識(7)武士の給与
ttp://www.citydo.com/rice/column/02g.html

CityDo!
ttp://www.citydo.com/top.html

429 :日本@名無史さん:05/02/24 17:50:39
>>427
かけ出しの「学問屋」のようでみっともないぜ。

>教区簿冊というマクロな人口調査史料を紹介している

自分(キミ)が「マクロな資料」だと教区簿冊について言ったのを
(オレ)にそれはミクロな統計資料だよ、
と指摘されたの受けて、
言葉の揚げ足を取っただけじゃないか。

>その紹介文を懇意的に捻じ曲げて解釈した

どうしてそうひねくれたるかね。

教区簿冊とか宗門改帳とかいうのは
「ミクロ史料」というふうな呼び方がなされているらしいから
「ミクロな統計資料」
と言ったのがどうしていけないのか。
それとも言いがかりが趣味なのか。

一度自分の書いたものを全部振り返ってはどうだ?
人の言ってないことまで言ったと勝手に解釈して
自分の土俵で相撲を取りたがっているだけじゃないの。

430 :日本@名無史さん:05/02/24 17:54:07
>懇意的に捻じ曲げて・・・

これも意味が分からん。

431 :日本@名無史さん:05/02/24 18:50:25
>>429-430
>それはミクロな統計資料だよ、 と指摘されたの受けて,言葉の揚げ足を取っただけ
だから、どう「ミクロな統計資料」なのかと聞いてるんだが?
君が紹介した文には「ミクロなレベルでの解明が出来る資料」とは書かれても
「ミクロな統計資料」とは書かれてない

教区簿冊は教区毎の仕事の年代記であり、だからマクロな人口調査史料と書いた
それをミクロな統計資料と捻じ曲げてるが、これはどうなのか?
宗旨人別改帳については>>427
見当外れな指摘であり、それを揚げ足取ったとしか解釈出来ないのは
中身を知らずに上辺でしか見てないから

>「ミクロ史料」というふうな呼び方がなされているらしいから
“らしい”から?らしい? 誰も史料に対して「ミクロ史料」という呼称なんて使わない

知らないなら知らないでいいのに、どうして無理して知ったように語ろうとするのか?
言葉の意味・使い方さえわかってないようにしか見えんな

432 :日本@名無史さん:05/02/24 18:53:45
ことば遊びはいいから朝鮮人口と誤差の大まかな数字でもあげてくれ

433 :日本@名無史さん:05/02/24 19:01:38
地球連邦軍、並びにジオン公国の戦士に告ぐ。我々はデラーズ・フリート!
所謂一年戦争と呼ばれた、ジオン独立戦争の終戦協定が偽りのものである事は、誰の目にも明らかである!
何故ならば、協定はジオン公国の名を騙る売国奴によって結ばれたからだ。
我々は些かも戦いの目的を見失ってはいない。それは、間もなく実証されるであろう。

私は日々思い続けた。スペースノイドの自治権確立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者達の事を。
そして今また、敢えてその火中に飛び入らんとする若者の事を。
スペースノイドの心からの希求である自治権要求に対し、連邦がその強大な軍事力を行使して、
ささやかなるその芽を摘み取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる。
見よ、これが我々の戦果だ。このガンダムは核攻撃を目的として開発されたものである。
南極条約違反のこの機体が密かに開発された事実を以てしても、
呪わしき連邦の悪意を否定出来得る者がおろうか!
省みよう。何故ジオン独立戦争が勃発したのかを!
何故我々がジオン・ズム・ダイクンと共にあるのかを!

我々は三年間待った。最早我が軍団に躊躇いの吐息を漏らすものはおらん。
今、真の若人の熱き血潮を我が血として、ここに私は改めて地球連邦政府に対し宣戦を布告するものである。
仮初めの平和への囁きに惑わされる事なく、繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉の為に、
ジーク・ジオン!!

434 :日本@名無史さん:05/02/24 19:51:27
>誰も史料に対して「ミクロ史料」という呼称なんて使わない
そこまでどうして自信タップリなのか。
実際使われているじゃないの。

突っかかるのは結構だが、
話の発端からの流れをもう一度振り返ってくれ。お願いだから。

435 :日本@名無史さん:05/02/24 20:45:28
だんだん反論してくる箇所が減っていくな

>>434
速水氏が「ミクロ史料」と書いてるから実際使われてるという事なのだろうが
よく調べてモノを言うべき
「ミクロ史料」という呼称は、速水氏の造語である、だから彼の著書で
彼は「ミクロ史料」という呼称を使った際には、必ず「ミクロ史料」とは何なのかの解説をしている
何故なら一般的ではないし認知されてる訳でもなく、彼の著書以外で見られてない
だから使われてるのではない、彼が使っているのであり、彼が使う理由は
言葉の簡略化・史料分けの為

また、彼は「ミクロ史料」とは
行政単位で、連続して長期にわたり行われた詳細な内容の史料と述べてる
だとすれば教区単位(教区≠行政区)の教区簿冊は当てはまらないし、
宗旨人別改帳に至っては、それぞれなので、全てが当てはまる訳ではない

知らないなら知らないでいいのに、どうして無理して知ったように語ろうとするのか?
という言葉すら通じないとは・・・

436 :日本@名無史さん:05/02/24 21:20:34
>>435
>知らないなら知らないでいいのに、どうして無理して知ったように語ろうとするのか?
>という言葉すら通じないとは・・・

つまりキミの言いたいのはそのことか。
情けないと自分で思えよ。

速水氏が言っているとしたら立派なものじゃないか。
それを
>何故なら一般的ではないし認知されてる訳でもなく
と言い切るキミは何物なんだ?

何か守らなければならないプライドの用のものがあるらしいが、
空しいと思えよ。

速水氏以外の人でも使っているよ。
簡単に調べられるから「クグ」ってみな。


437 :日本@名無史さん:05/02/24 23:09:13
>>436
内容に関しての反論はないし人格批判しか出来ないのなら、もう止めといた方がいいぞ
それ以前のには全く触れずに、「つまり」と決め付けて人格批判・・・
今までにもあったパターンだなぁ、他人には揚げ足取りと言う割にねぇ

速水氏が使ってるから立派なもの?速水氏の造語だから彼が使うのは当たり前

君の言う通りググった結果は下
ttp://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E5%8F%B2%E6%96%99&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
速水氏主宰の研究メンバーに名前連ねてる浜野氏の論文にあったね
これでは確かに速水氏以外は使わないと言うのは間違いだね、素直に謝っとくよ

すいませんでした

これでいいですか?

438 :日本@名無史さん:05/02/24 23:41:29
>内容に関しての反論はないし人格批判しか出来ないのなら、

何かというと「嫌韓厨」と言う言葉を吐きたがる御仁が・・・

439 :日本@名無史さん:05/02/24 23:59:20
>>438
んー、2回しかないが、それでも君に言わせると
>何かというと「嫌韓厨」と言う言葉を吐きたがる
という事らしい、よっぽど気に障ってたんだね(笑

まぁ人格批判“しか”出来ず、書いた内容には責任持たず、書きっぱなしの
主張しっぱなしよりマシかと思うから勘弁してね

440 :日本@名無史さん:05/02/25 00:06:29
>>273-278
>>285-326
>>329-331
>>335-338
>>344-365
>>367-374
>>376-385
>>389-432
>>434-439

441 :日本@名無史さん:05/02/25 00:15:07
>>439
二回言えば十分じゃないの(w

ここは、
「学問板」
だぜ(苦笑

442 :日本@名無史さん:05/02/25 00:22:23
ホリエモン並みに煽り耐性がないやつが一匹いるな

443 :日本@名無史さん:05/02/25 00:27:42
今時「嫌韓厨」なんて恥ずかしい言葉を使いたがるのは朝鮮人だけ。

444 :日本@名無史さん:05/02/25 01:15:54
>>441
そーだね、学問板のはずなんだがねぇ、論拠のない主張の多い事多い事
一生懸命揚げ足取ろうとしたり、否定の為の否定したがったり(笑
まぁそういう輩は、だんだん内容に対しての反論はなくなって(ry

日本史板がID制になるといいねぇ

445 :日本@名無史さん:05/02/25 01:18:30
相手にする奴もどうかしている。

446 :日本@名無史さん:05/02/25 06:55:58
荒らしと朝鮮人には協力するな

447 :日本@名無史さん:05/02/25 10:32:29
どっちもコテ付けてくれ

448 :日本@名無史さん:05/02/25 16:26:10
>>444
おいおい、否定のための否定はお前だろうが。

449 :日本@名無史さん:05/02/25 17:56:51
東アジアから見た清正
ttp://kumanichi.com/feature/renaissance/rena002/det05.html

築城/熊本ルネッサンス 400年への旅
ttp://kumanichi.com/feature/renaissance/index.html

くまにち.コム
ttp://kumanichi.com/index.htm

450 :日本@名無史さん:05/02/25 20:24:09
それで両氏は何万人何万国が妥当だと思っているのさ?
逃げんな。

451 :日本@名無史さん:05/02/26 00:19:35
>>450
一万人一万国で一人一国。みんなが独立国。

452 :日本@名無史さん:05/02/26 16:08:07
>>444
> 日本史板がID制になるといいねぇ

そうならないうちは、三戦板にすら蔑まされてる状況は継続していくだろうね。
三戦板ならともかく、日本史板で「信長の野望ハンドブック」とかに準拠して書き込むのヤメレ。

453 :日本@名無史さん:05/02/26 16:30:41
歴史群像程度だとどうなるんだろう。
そんなに悪くは見えない。
初期のものはかなりいい加減なのもあったが。

454 :日本@名無史さん:05/02/26 18:17:17
逆説の日本史もいそうだな。

455 :日本@名無史さん:05/02/26 18:29:40
日本史板のレベルとかいう以前の話だな。

456 :日本@名無史さん:05/02/27 01:57:39
人権擁護法が成立するまでの辛抱だよ。

法が施行されると「嫌韓厨」も身の置き所がなくなるから。

457 :日本@名無史さん:05/02/27 14:49:55
>>453
歴史群像の場合は引用記事の著者によりけりだね。ベテランだから信頼できるわけでもな
いし、若手だから信用できないわけでもない。まさに闇鍋状態。
あと、誰とは言わないがある事実を否定するために一見すると肯定しているかのような読者
を試すような書き方をする人もいるから取り扱い注意。(w

>>454
個人的にはアンチテーゼとしての存在なら許容。主流になるようではちょっとね。

>>456
逆に、「売国厨」「自虐厨」「外国の工作員」も身の置き場がなくなるから相殺だな。

458 :日本@名無史さん:05/02/27 16:13:40
>>450
ちょっと調べてみました
1636年 152万1065人
1690年 695万2907人

李朝実録の数字です
なぜこんなに少ないかには理由がありまして
朝鮮役・役後による混乱、戸籍帳籍の消失、刑曹掌隷院の焼失、清の侵攻等で
調査が出来なかったという事で、情勢が安定してきた1690年の数字がそれを証明しているものと
思われます

また、この数字がどれだけ信頼性があるかと言うと、それもまた微妙なもので
1904年の大韓帝国と名を変えただけの李朝が最後に行った調査では
592万8800人とあり、1910年の日韓併合での調査結果は1312万8700人と、
2倍の差があります
これは奴婢や白丁等の「賤民」に対する調査が、かなり曖昧だった事が伺われ

これを踏まえて見れば、推測である程度の数字は出せるものと思われます
自分は800万程度と考えてましたが、800〜1000万程度と考えた方がいいかもしれません

459 :日本@名無史さん:05/02/27 18:03:31
もう少し詳しく説明して欲しい

460 :日本@名無史さん:05/02/27 19:07:55
>>459
長々と書くのもあれなんで、簡潔に書いたんですけど
どの辺を詳細に説明すればいいですか?
それを言ってくれれば、説明し易いです

461 :日本@名無史さん:05/02/27 19:24:24
戦前、戦後直、戦後暫く後での変移と引用元の説明です

462 :日本@名無史さん:05/02/27 20:14:05
>>461
戦前、戦後直というの朝鮮役の事だと思うので、見ての通り自分が調べた限りではわかりません
李朝実録に記載があるかすらわかりません

1636年と1690年の数字は、講義のノートに書いてあったのを使っただけで
1904年と1910年のは「データから見た日本統治下の台湾・朝鮮+フィリピン」からの引用です

1636年は清に降伏した年で、朝鮮役以降の朝鮮の様々な混乱の大きな節目で
これ以降の朝鮮は、清の属国として国内情勢の安定に向かいます
また文禄役のソウル陥落の際に、「乱民大いに起こり 先ず掌隷院刑曹を焚く ニ局は公私奴婢の文籍在る所を以て也」
と李朝実録にあり、賊民の訴訟・籍簿を管轄する刑曹掌隷院は奴隷階級だった
公私奴婢によって焼かれ、戸籍帳籍も同様に、日本軍占拠の際に紛失したか
賊民によって焼かれたかしたのではないかと思われます
これらによって、以前から蓄積されてた記録が失われ、再調査するにも
慶長役後の明軍による蹂躙、朝鮮役以前から続く党争の再燃に伴う後継者問題、
、清(後金)への抗戦から降伏という内外での問題が続き、そのような状態での
調査結果が1636年の152万1065人と考えます

463 :日本@名無史さん:05/02/27 20:35:27
>>462続き
その後、党争と呼ばれる政争は続くものの、比較的安定した統治は続き
よって調査も進み、1690年の695万2907人という調査結果になったと思われます

1636年と1690年の僅か54年で、人口が4倍強になる事は有り得ず、
また朝鮮人の主張のように、朝鮮役で人口が半減したが、その後の復興で倍増した
というのも有り得ず、単なる以前の調査記録の消失・調査の不徹底ではないかと考えます

付け加えれば、日韓併合後の調査で倍増した要因に、朝鮮での「賤民」が税の対象にも関わらず
両班の所有物であったり、特定の住所を持たない者であったり、そもそも「人」として
扱われてなかったりと、戸籍帳籍に記載されない、又は記載されなければならないが
脱税対象として隠蔽された等、李氏朝鮮の政治統制の弱さもあり、徹底されなかった為と思われます

これを考えれば、調査結果より人数が多いと考えるのは当然であり、
農耕民族の人口の増加が毎年0.1〜0.2%前後と言われているのを考え
1636年当時でも600万人以上の人口があったと考え、また、記載漏れを考えれば
(日韓併合時は2倍あったが、それは李氏朝鮮の弱体化、賄賂・汚職等の
脱税目的による記載逃れが横行した為)800〜1000万近い人口はあったのではと考えるものです


464 :日本@名無史さん:05/02/28 01:53:37
人権法。

薄気味の悪い法律だ。
暗い世の中になるよ、きっと。

壁に耳あり、全国2万の人権擁護委員に怯える社会が来る。

465 :日本@名無史さん:05/02/28 17:00:40
一千万は過大だな

466 :日本@名無史さん:05/02/28 18:28:26
第一部 伝家の宝刀-権力者の日本統治(豊臣秀吉の経済政策・他)
ttp://wwwhou1.meijo-u.ac.jp/housei2/semi/soturon/2000soturon/2000soturon1.htm

名城大学・法制史研究会
ttp://wwwhou1.meijo-u.ac.jp/housei2/index.html

名城大学
ttp://www.meijo-u.ac.jp/index1.html


信長・秀吉の経済政策
ttp://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_17.htm

貨幣博物館へようこそ
ttp://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm

467 :日本@名無史さん:05/03/02 00:43:26
立花宗茂のヘキテーカンや、島津のシセン、清正のウルサンのこととか教えてください。

468 :日本@名無史さん:05/03/02 06:48:37
しかし食料生産からいって朝鮮人口一千万人は大杉ではないか?
四百万から六百万ぐらいが妥当でしょうな。

469 :日本@名無史さん:05/03/02 07:02:39
まあ300万だろ。
朝鮮人が出してくる出鱈目な数字に惑わさなければ。
日本の本州全域に匹敵する広さの国土にもかかわらず、
朝鮮はわずか定員5000人の貧弱な軍隊しか養えない貧乏国だった。
人口300万だとしても軍隊の総兵力が5000人では事実上の無政府状態であり、
朝鮮は無法地帯だったと考えられる。

470 :日本@名無史さん:05/03/02 10:25:14
三百万は低すぎ。

471 :日本@名無史さん:05/03/02 10:35:22
何故そう思う?
官軍が5000人程度では、
300万でも治安維持は不可能な位だが。

472 :日本@名無史さん:05/03/02 10:52:20
ちなみに李朝末期には人口1300万人で官軍2000人。
日本が併合する前の朝鮮が国家としては完全に崩壊していた事が分かる。

473 :日本@名無史さん:05/03/02 11:04:56
>>469 
いったい人口あたり何人の兵力がいれば治安が良いと考えてるの?
そんなこといってたら、日本の平安時代も無政府状態か?
正規軍なんてほぼ0だぞ。




474 :日本@名無史さん:05/03/02 11:13:57
>>473
キチガイ右翼になにいっても無駄。

475 :日本@名無史さん:05/03/02 11:24:55
朝鮮の正規軍は宗主国から定員を低く抑えられてたような....

476 :日本@名無史さん:05/03/02 11:41:09
警察力は兵の数とは無関係ではないがイコールではなかろう。
道徳とか宗教とか法律とか環境によってもかわるし。

477 :日本@名無史さん:05/03/02 11:51:57
当時の軍隊は警察を兼ねてる。
治安維持は基本的に24時間体制なので、休日無しの2交代制だとしても5000人なら常時展開されている人員は2500人。
中学校2つ分程度の人数が本州に匹敵する広大な面積を警備する事になる。

どう考えても無政府状態だろ。

478 :日本@名無史さん:05/03/02 12:03:15
日本が官軍をほぼ全廃した平安時代には無政府状態に陥り、各地で治安維持の為に武士が自然発生した。

朝鮮では単なる盗賊団が各地を荒らし回る段階に留まったまま数百年が経過し、
最後には国家全体が機能しなくなって滅亡した。

一方日本では高度な精神性を育んだ武士が支配層を形成する武家社会が始まり、
強力な秩序と平和を構築した。

479 :日本@名無史さん:05/03/02 14:43:40
慶長二年十二月二十二日
未明(午前六時頃)、総構えの外の陣所(宍戸元続)が明軍の奇襲を受け炎上、多くの死傷者が出た。

急報を受けた浅野幸長、太田一吉らが出動したが、小競り合いの後、明軍が大軍で反撃に転じたため、
日本軍は総崩れとなり、総構えまで押し戻された。
退却の際、負傷した太田一吉らが総構えの門から入れず、
自ら柵を壊して城内に逃げ込む程の混乱ぶりであった。
浅野幸長は、総構え門口の守備を清正家臣、加藤与左衛門に任せてから、自らの陣所
(出丸、主郭部から500m離れ、東川に望む標高20数mの小丘陵上の曲輪)
に向かい、明軍を撃退してどうにか面目を保った。

480 :479:05/03/02 14:56:07
一方、西生浦城で尉山からの急報に接した清正は、
釜山城に救援の使者を派遣するとともに、自らは側近の
わずかな人数を率いて西生浦城から海路尉山に急行した。
これが戦闘終了までに城に入ることができた唯一の援軍であった。

清正は入城後、ただちに幸長の出丸に赴き、
櫓に登って敵情を見ながら幸長から状況を聞き、
明軍の兵力の多さと城内の兵糧が、二、三日分しかないという、
容易ならぬ事態を知り、西生浦城の主力を呼び寄せるように命じた。

481 :479:05/03/02 15:17:41
十二月二十三日
未明、明軍は総構えの三方から攻撃を開始した。
日本軍の守備は、東側の曲輪を浅野幸長が、北側を加藤与左衛門、宍戸元続らが、
西側を太田一吉がそれぞれ受け持ち、加藤清正が主郭部で全軍の指揮をとった。

幸長が守る出丸は、主郭部から八町(幸長手記には大手口まで六町余)
離れているので、清正から再三主郭部に来るようにとの使いが来た。

午前十一時、北西の総構えが破られそうになったので、ようやく幸長も主郭部に移った。
昼近くに総構えの北西の隅が破られた。
明軍は大挙して城内になだれ込み、本丸、二の丸、三の丸の真下まで迫るという、
危機的状況に達した。

482 :479:05/03/02 15:38:40
明、朝鮮軍は、明将楊?が、主郭部北方の古鶴城山に拠り全軍を指揮し、
大砲、火箭の援護下に一万二千余の歩兵、騎兵が一斉に鬨の声を上げ殺到し、
打鉤、木梯子など用い城壁に取り付いて来た。

これに対し日本軍は清正自ら鉄砲を射つなどして果敢に防戦した。
明軍は石垣に登ることができず、死傷者が続出したので撤収した。
この日の戦闘は、尉山城の総構えである二重ないし三重の柵が突破され、
明軍が肉薄し、日本軍が主郭部のみに立て籠もることを余儀なくされ、
辛うじて死守するというまったくの苦戦であった。

一方、西生浦からの援軍は、船二、三十隻に分乗して太和江を遡って
城の付近に達したが、明軍に遮られて、城内に入る事はできなかった。

483 :日本@名無史さん:05/03/02 16:53:39
若い幸長だけだったら危なかったかもな?
清正でさえ降伏を覚悟したぐらいだし。

484 :日本@名無史さん:05/03/02 17:53:03
>人口
10数年前までの速水説ですら安土桃山1000万未満とさえ言っていたのに。
800万〜1000万なんて過大もいいところ。

李朝末期は1000万〜1300万などの説があるが、
いくら300年間、李朝が停滞していたからといって
それと比較したとき説明にならない。
むしろ李朝300年の無能を明らかにしているようなもの。

16世紀末は日本の半分(現在に至る迄のほぼ恒常的な比率)
500万〜600万と見るのが妥当か。

485 :日本@名無史さん:05/03/02 17:53:45
過大→誇大

486 :日本@名無史さん:05/03/02 18:46:08
>>484
>10数年前までの速水説ですら安土桃山1000万未満とさえ言っていたのに。
以前の速水氏は1200万説では?人口1000万未満説なんて聞いた事がない
現在では、当時の日本の人口は1800〜2000万以上と推定されているはずですけどね

>李朝末期は1000万〜1300万などの説があるが
なので、1910年の日韓併合の調査記録で書きましたが?
併合直後に1312万8700人で、16世紀末に5〜600万とすれば
300年の間に人口が2倍に増えてる
とすれば、李氏朝鮮は世界でも稀な発展となりますよ?
日本の江戸期ですらそこまで爆発的に人口増えてませんが・・・

というか、長々と説明しても、何ら資料的根拠もないのに否定されて
何ら傍証すらないのに出した数字を妥当とか言われてもなぁ
自分の書いた数字が正しいとは言わんけど、せめて否定するにも自論を言うにも
まともにして欲しいねぇ

487 :日本@名無史さん:05/03/02 20:02:00
>>486
厨の相手をするのは時間の無駄。

488 :日本@名無史さん:05/03/02 20:10:32
人権擁護法が可決される公算が強まっています。

ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20050204/mng_____sei_____003.shtml
人権擁護法案、今国会成立 与党が方針 メディア規制部分を凍結

メディア規制が凍結されているので一見安全に見えますが、この法律には「差別的言動禁止規定」が含まれており当局が在日や部落を批判する正当な言論を差別として
恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります。
また、何をもって「差別」とするかが曖昧であるため、あらゆる日本の伝統文化を行政やマスコミや企業などで取り扱うことがタブーになる危険性も大いにあります。
さらに在日朝鮮人の圧力により捏造された日本史を事実として強制され、それらを事実と異なると反論したり、正しい日本史を研究することは「差別」として禁止される
ことになるでしょう。
学問の水準の低下は必至です。
そして、そういう研究を発表した学者や作家は差別者として処罰され、情報をさらされて在日団体のリンチの危険に直面することになります。
学問の自由と我々の名誉を守るために人権擁護法に反対しましょう。



489 :日本@名無史さん:05/03/02 20:32:56
まぁ李朝のへなちょこぶりはいかんともしがたいわけで。

490 :日本@名無史さん:05/03/02 22:23:21
>>486=487
と言ってみたりする、

まっいいか。

で、
>以前の速水氏は1200万説では?人口1000万未満説なんて聞いた事がない

ありますよ。
よく調べてね。
ネットでくぐってもないかもしれないけど。
国史辞典には載ってかな?(未確認)

今は病気で顔を見ないけど栗本慎一郎なんて元議員は
その説を著書にも書いたりしている
(当時からヘンな誤解してるなと思ったけど、個人的には)
かなり有名な説だと思う。

491 :日本@名無史さん:05/03/02 22:26:00
490

それは別にして、
>現在では、当時の日本の人口は1800〜2000万以上と推定されているはずですけどね
これも過大のような気が。
これこそ根拠、通説を聞きたいですね。
当時とはあく迄、秀吉の乱の時期としてです。

> 300年の間に人口が2倍に増えてる
> とすれば、李氏朝鮮は世界でも稀な発展となりますよ?
> 日本の江戸期ですらそこまで爆発的に人口増えてませんが・・・

秀吉の時代、今良く言われているのは
1200万プラスマイナス200万(速水説=たしか)
最大で1800万(個人的にはこれを取りたいけど=江戸初期の人口と比較して)

もし1200万としたら江戸時代の通説3000万というのは李朝の2倍(その話で言うと)
と変わらない。

李朝も同じように日本と同等の人口伸び率はあったのではないかと思いますが。
(根拠なし=なにせ合理的に推測できる人口調査の資料がない)
たとえば清服属化した当時、朝鮮の人口が停滞した理由も分からない。
秀吉の乱から以後は順次、自然的成長を見せたことを否定する
有効な(説得力ある)理由がみあたりません。
あるなら知りたい。

492 :日本@名無史さん:05/03/02 22:30:21
江戸時代は最初の百年で人口が倍になっているよ
三百年で倍なら驚かない

493 :日本@名無史さん:05/03/02 22:55:14
朝鮮は事業としての国土開発をしていませんから。
新田開発もしないし治水治山それから街道整備もしない。
儒教原理主義でひたすら搾取と既得権の維持に奔走した停滞社会。

494 :479:05/03/02 23:11:54
十二月二十四日
午前八時頃に明軍は攻撃を開始したが、明将の楊?は兵を進める際、
尻込みした部下を斬首したり、耳を切り取ったりして、
全軍の見せしめにし、攻城の決意のほどを示した。

そして、東西北の三方面のうち、東側からの攻撃に兵力を集中し、
城壁をよじ登ること七回に及んだが、日本軍の抵抗も激しく、
城内からの鉄砲・弓矢・投石などによる死体が山積みし、
城壁を突破することができなかった。
また、ほかの二方面においても目的を達せず、午後四時頃に兵を収めた。

この戦闘は、遊撃将陳寅が銃弾に当たり、ソウルに護送されるほど激戦であった。

495 :479:05/03/02 23:20:45
夜半になると明軍は、打鉤、木梯子を用意し、
全軍が再び本丸、二の丸、三の丸に総攻撃を掛けてきた。
この時も日本軍は殺到する明軍に集中銃火を浴びせて撃退した。

この戦闘を機に明軍は強襲を避け、城から四〜五町の間隔を置いて
四周を包囲し、城から水を汲ませないなど、持久策を採るようになる。

496 :日本@名無史さん:05/03/02 23:25:13
>>490-491
>ありますよ、よく調べてね
出典さえ言わないのか・・・正気ですか?

>これも過大のような気が。 これこそ根拠、通説を聞きたいですね。
自分の主張には一切根拠書いてないのに、他人にはそれを要求と
話にならないけど、それは置いときましょう

太閤検地の結果、日本の総石高が1800万石超え、(江戸初期の人口と比較してと書いてるが、
初期の人口が中期の調査結果から推定で出されてるのに、どうやって比較するのか謎だが)
1721年の人口調査結果が2606万5000人、速水氏はこれに500万ほど加算して
3100万人説(ちなみにこれは速水氏の説であり、通説でもなんでもない、勝手に通説にしないように)
で人口増加率からの逆算、総石高の兼ね合いで1800〜2000万人となってます

これが君のいう通説かどうかはわからないが、主流ではある(正しいかどうかは別)

それと、速水氏の説は、歴史人口学というのを欧州から取り入れて、
大変面白いが、絶対ではないし、これが主流という訳でもないんですよ?
最近になってようやく始められたものであり、これからなんです
何でもかんでも速水氏基準で、勝手に通説扱いもどうかと思いますが

497 :479:05/03/02 23:36:46
十二月二十五日には大規模な攻撃はなかった。
ただ、朝鮮軍と降倭が、楯と乾いた柴で火攻めをしようとして、
日本軍により撃退されている。

また、太和江に現れた援軍の船が明軍の火箭を受け、
一隻が砲火により破壊された。

二十六日には、三の丸の加藤与左衛門の持ち場に竹束を持って押し寄せ、
二十八日にも三の丸の櫓を焼くべく柴を用意して
攻撃を掛けてきたが、いずれも撃退している。

498 :日本@名無史さん:05/03/02 23:49:57
>>490-491続き
それと>>492が書いてる江戸初期の人口激増の論拠は宗旨人別改帳からなんですが
簡単にいうと、調査当初というのはかなり曖昧、慣例化していって数字が落ち着いてくる
のですが、それを史料そのままに受け取ると人口が爆発的に増えたとなるんです
逆に江戸後期の人口増加の方が現在では説明ついてませんね、こちらを調べては?

>たとえば清服属化した当時、朝鮮の人口が停滞した理由も分からない。
停滞はしてないですよ、きちんと人口増加率を書いて、その上で自然増加はしてますと書いてますよ?
逆に貴方は何の根拠もないのに、稀に見る人口増加だった江戸期の日本と同等の人口増加を
李氏朝鮮がしたと主張している訳です、わかりますか?

何でも自分の思い込みのみで書かない方がいいですよ、自演指摘のようにね

499 :日本@名無史さん:05/03/03 00:00:41
蔚山戦のレス主、ガンガレー。

500 :日本@名無史さん:05/03/03 00:05:10
併合後の朝鮮は日本で言う江戸初期のキャパまでの開墾と産業革命の二段爆発をしているようなもんだ。

何の努力をしていなくても、品種改良や農業技術の流入で生産量が増えて人口増加にはなるのだろう。
しかし、基本的な国家事業としての開発が成されていない朝鮮だからこそ、冒頭のような人口爆発となったといえるのではないか?


501 :479:05/03/03 00:11:52
以上七日間にわたり、具体的な攻防戦を見てきたが、
その間の城中の様子はどうであったのか。
まず守備配置だが、浅野幸長が出丸を引き払って
主郭部に入城した二十三日正午頃の状況について、
幸いその配置の記録が残っているので引用しよう。

一 本丸は幸長様、太田飛騨守殿、中国衆物頭も二三人御座候、
本丸とハ申候得共、東北塀一重に御座候、

一 二ノ丸をハ肥後守殿御持被成候、是も西南塀ひとへニ?御座候、

一 三ノ丸をハ中国衆、肥後守殿御衆として持申候、是も西北塀ひとへニ?御座候、
(浅野幸長家臣某尉山籠城覚書)

とあり、各部将の部署の概要が知られる。

502 :479:05/03/03 00:24:42
また、籠城軍の人数について、それを明確に伝える日本側の史料はないが、
韓国側の史料「宣祖実録」に二千余名と記録されている。
この数字は、普請完了を目前にして、築城部隊の一部が撤収しており、
また、守備担当の清正の主力が到着していない状況であれば妥当な数字であろう。

それにしても主郭部内にこれだけの人数が籠城したのであるから、
立錐の余地がなく、生活空間などまったく無きに等しかったことが想像される。

しかし、後に述べるように明・朝鮮軍の兵力(約三万人)と較べて
絶対的な少数であったことは間違いない。

503 :479:05/03/03 00:48:25
また、城内には籠城のための食糧も準備されていなかった。
このことは、年が明けた慶長三年の元旦に、
清正と幸長が救援の諸将に宛てた連署状に

「毎日よせ候処に手前〜に於いて人づかをつき候、
其に付?、敵勢殊之外うすく成申候、
?然兵糧無之候て、数日を送り候故、
敵陣をきりすて候事も難成候、
当城御普請、今少不出来に付?、
兵糧丈夫に不入置候」
(浅野家文書)

と記し、兵糧の準備不足のために、せっかく、
攻城軍に死体で人塚を築くほどの損害を与えながら、
城内から何日も出撃ができない状況を伝えている。

普請中に一定程度の搬入あるいは備蓄はあったにせよ、
物資の集積、貯蔵場所の多くは総構え内の平坦地であり、
開戦早々にその地域を奪取されたことによる兵糧と水の欠乏は、
籠城戦を惨憺たるものにした。

504 :479:05/03/03 01:13:32
この間の状況について、太田一吉に従軍した僧慶念の日記「朝鮮日々記」をみると、
籠城三日目の十二月二十四日条に、
「味方ハいよ〜水ハなし食物もなき事なれハ、
軍兵ふせくへきやうハあらし、
必定明日ハ城落候ハんと心ハかりに存候」
とある。

翌二十五日条には、一時雨が降った際、飢渇していた喉を天に向けて
「城中諸人くちをぬらし」
とあり、二十六日条には、
「こく(穀カ)水にかつえて死せん事は必定なり」
と慶念も死を覚悟し、
「此城の難儀ハ三ツにきわまれりさむさひたるさ水ののみたさ」
と記されている。

この「寒さ、ひだるさ、水の飲みたさ」という言葉に
籠城の将士たちの心境が代弁されていよう。

505 :日本@名無史さん:05/03/03 01:22:09
>>ありますよ、よく調べてね
>出典さえ言わないのか・・・正気ですか?

あると言ったらあるんですよ、(ドウシヨウモネエナコノヒト

速水氏の以前の著作にもちゃんとある。
図書館で調べてみな。

随分と気力があるようだから調べられるはず。

ま、日本1800万〜2000万という説が現在の通説=主流?ならそれで良。
(通説と聞いたことはないが)

朝鮮の800万〜1000万と対比的にバランスがとれるだろうよ。
よって当該スレを観察するに当っての判断材料にはなる。

要諦はそう言うことだな。


506 :日本@名無史さん:05/03/03 01:29:36
蔚山之御城出来仕目録 慶長二年一二月二三日
合石垣 七百六拾六間弐尺 本丸ニ三丸
合居矢蔵 大小拾二 但 門矢蔵共ニ
合塀 参百五拾壱間弐尺 本丸ニ三丸
合惣搆塀 千四百参拾間 同間ニ土手有
合柵 千八百六拾四間半 本丸惣搆共ニ
合冠木門 四ツ ニ三丸
合惣搆木戸 七ツ
合仮小屋 大小四ツ 城中ニ有

吉川家譜
二十七日ノ黎明ニ敵陣ヨリ騎馬ノ兵二人城近ク来リ 日本ノ言語ニテ我等ハモト岡本越後守ト称シ
加藤殿ノ家人 一人ハ田原七左衛門ト称シ浮田家ノ人ナリ 先年ユヘアツテ明ヘ遁ル 
加藤殿ハ明朝鮮ノ人皆其勇ヲ知ルトイヘトモ 今城兵計リニ二万ニ過ス
寄手ハ明朝鮮ノ兵合セテ百万ニ余リ 何ソ城中利ヲ得ル事アラン
我等両人ハ昔ノ好ミニテ来ル 早ク和睦シテ城ヲ明渡サハ城兵悉ク帰スヘシト告ケ

507 :日本@名無史さん:05/03/03 01:36:31
>>505
自分の主張の論拠は自分で提示するのが常識だと思ってたが、他人に自分の論拠を調べろとはねぇ

というか、何も資料的根拠ないのに「対比とれる」とは・・・
以前から主張がコロコロ変わったりしてたし、本当に面白い人ですね(笑

508 :日本@名無史さん:05/03/03 02:38:48
>>507
アホってのは面白い生き物なんだよ。


509 :日本@名無史さん:05/03/03 07:02:59
もしかして日本より朝鮮のほうが生産性が高かったと思っている奴がいるのか?

510 :479:05/03/03 11:10:45
一週間にわたる明・朝鮮軍の日夜を分かたぬ
圧倒的な攻撃に対して城方も果敢に戦ったが、
城中での実態は、戦闘による死傷者だけではなく、
このような常軌を逸した飢餓、厳寒などにより、
餓死者、凍死者が続出し、包囲を破って脱出する事も検討された。

一方、明・朝鮮軍側においても、
たび重なる人海戦術による攻撃で大損害を受けた上に、
真冬の寒天下の野陣で兵力の消耗も甚大であった。

そこで、日明間の交渉も行われるのであるが、
慶長三年正月二日に、西生浦城で戦備を整えた
日本の援軍の先鋒がようやく太和江の南岸に達するに及んで、
交渉は自然に打ち切られた。

城は元来、自然の要害を利用し、あるいは徹底した
人工の力で自然の要害性への依存を克服し、
人知を尽くして築かれ、かつ防御されるものである。
しかし、いかに堅固に築かれ、守ったとしても、
その城に対する援軍(後詰、後巻という)がなければ、
落城は避けられない宿命を持っている。

そこで、城兵が待ち望んだ援軍の様子はどうであったのか、
若干記しておきたい。

511 :日本@名無史さん:05/03/03 11:17:32
日本語のおかしなやつもいるな。

512 :日本@名無史さん:05/03/03 11:22:38
日本の人口1800〜2000万が「主流」とは初めて聞いてぶったまげたよ。
学問板か?
ここ。

513 :479:05/03/03 11:37:24
開戦の翌日、慶長二年十二月二十三日以降、
西生浦城の清正配下の部隊が船で来航し、入城できなかった事は前述したが、
この西生浦城には、二十六日以降に諸将が到着し始めた。
正月二日、毛利秀元は尉山援軍の部署を定め、水陸から西生浦城を出発した。
清正軍の主力は同日に太和江の河口に到着し、
翌三日には陸行した先鋒が尉山城南方の高地に達し、陣を張った。

援軍の兵力は、毛利秀元(釜山城、三千九百)、山口宗永(同、三千)、
鍋島直茂(金海竹島城、千六百)、黒田長政(梁山城、六百)など、
諸城から駆けつけた諸将の兵一万三千人と、
加藤清正の主力を合わせた総数二万人に近い軍勢である。

籠城軍が、援軍の陣地に翻る旗を眺めて
生気を甦らせた事は想像に難くない。

514 :479:05/03/03 12:02:57
この日本軍の援軍に対応して、明軍は兵を出すとともに、
正月三日の夜半に援軍の到着以前に城を落とすべく、
三方面から総攻撃を開始した。

明将自ら戦場に臨み、最後の攻撃を敢行したが、城側も必死に防戦し、
四日の明け方まで続いた戦闘で、これを撃退することに成功した。

ついに明軍は、慶長三年正月四日、十四日間にわたる攻城戦において、
尉山城を攻め落とせないことを知り、
また、日本軍の援軍によって背後を断たれることを恐れ、
囲みを解き、逐次、退却を開始した。
同日四時には、古鶴城山
(尉山城の北方200mに立地する。標高60mほどで城より高く、
山腹からも北側の曲輪は十分に見渡され、
ここを拠点にされる事は、城側にとって最大の障害になる。
明将は開戦直後にここに拠り、全軍を指揮した)
に拠った本陣も撤退を完了した。

その間、援軍約一万人は明・朝鮮軍を追撃し、明軍も暫時戦ったが敗退し、
その夜のうちに諸将は尉山城に入城した。

515 :日本@名無史さん:05/03/03 12:52:08
>>479
イイヨーイイヨー!勉強になります。

ところで、朝鮮の役の経緯や分析をキチンとまとめた本ってありませんかね?
調べてみてもデムパな本やサヨクな本しか見つからない・・・。

516 :日本@名無史さん:05/03/03 14:53:15
学研の歴史群像シリーズの文禄慶長の役はどうだ。
朝鮮寄りの部分もあるが

517 :日本@名無史さん:05/03/03 17:14:34
いいよいいよぉー。

518 :日本@名無史さん:05/03/03 17:40:08
>>515
はっきり言ってないと思われ

何をもって左翼や電波と言うかは知らないが、こと朝鮮役に関しては
著者の主観が思いっきり入ってる本しかない
ので、左翼本や電波本でも良いので読んで、その中にある出典を探し
自分の目で確かめて判断するがヨロシ

歴史学会編集の本でさえタイトルが「豊臣秀吉の朝鮮侵略」となっとるし・・・
内容はやけに朝鮮寄りだし・・・

519 :日本@名無史さん:05/03/03 20:56:19
>>514
で、双方の損害(死傷者)は?

520 :日本@名無史さん:05/03/03 21:07:51
>>486=>>487=>>507=>>508

521 :日本@名無史さん:05/03/03 21:53:57
ウルサンの話の出典は?

522 :日本@名無史さん:05/03/03 22:50:47
秀吉の碁盤や重文発見 元古物商ら逮捕

奈良県警捜査一課などは3日までに、窃盗などの疑いで
大阪市城東区、会社員福田信三容疑者(61)、
韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)ら5人を逮捕.
京都市北区の大徳寺で昨年4月、盗まれていた碁盤や火縄銃などを発見、押収した。

グループは福田容疑者ら2人が盗んだ品を高容疑者らが買い取り、転売するなどしたとみられる。
捜査一課などはグループで貴重な文化財を狙って盗み、売りさばいていたとみて追及する。

>韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)
>韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)
>韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)
>韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)
>韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)
>韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)

523 :日本@名無史さん:05/03/03 23:00:27
高成一
こう・せいいち?
たかなり・はじめ?

どっちだろう??と思ったら、ちゃんと韓国籍ってかいたるやん。
俺ってダメな奴だなぁ。

524 :日本@名無史さん:05/03/03 23:42:08
なんだかなぁ。共犯が日本人だってのに何がうれしいんだ?

525 :日本@名無史さん:05/03/04 00:20:57
自演指摘したければUNIX板へどうぞ


526 :日本@名無史さん:05/03/04 00:49:30
朝鮮日々記

正月三日
此ほと四五日ハから人もあつかいになし候ハんとて、いろいろ加藤殿につき候て、
あつかい申候へ共も今日ハはやはやあつかいもきれけれハ、とりもあへすに、此ほとハ
日本からの和談とてあつかいなれとけふハやふれぬ

正月四日
あかつきより、又せめすかりて、火水になれと「てつはう」「いし火」をはなちかけ、
「のほりはし」にて「石かき」へのほらんとしける所を、「たへまつ」をなけ出して、
のほる物をはきりおとし、いおとして、はやはや夜も明ぬれハ引のきたる躰也


527 :日本@名無史さん:05/03/04 02:22:21
日本国関白秀吉 朝鮮国王ニ答ヲ奉ル 雁書薫誦シ 巻舒スルコト再三ナリ
仰モ本朝六十余州為リト雖モ 比年諸国分離シ 国綱ヲ乱シ世札ヲ廃シ
シコウシテ朝政ヲ聴カズ 故ニ予感激ニ勝エズ 三四年ノ間 叛臣ヲ伐チ
賊徒ヲ討チ異域遠島ニ及ビ 悉ク掌握ニ帰ス 竊カニ按ズルニ 予ノ事蹟ハ
微陋ノ小臣也 然リト雖モ 予 托胎ノ時ニ当リ 慈母 日輪ノ懐中ニ入ルヲ夢ム
相士曰ク 日光ノ及ブ所 照臨セザルハ無シ 壮年必ラズ八表仁風ヲ聞キ
四海威名ヲ蒙ルハ 其レ何ンゾ疑ワン乎 此ノ奇端有ルニ依リ 敵心ヲ作ス者
自然摧滅シ 戦ワバ則チ取ラザルハ無シ 既ニ天下大治シ 百姓ヲ撫育シ
孤独ヲ憐愍ス 故ニ民富ミ財足ル 土貢ハ千古ニ万倍ス 本朝開闢以来 朝廷ノ盛事
洛陽ノ壮麗 此ノ日ニ如クハナキ也 夫レ人ノ世ニ生マルルヤ 長生ヲ歴ト雖モ
古来百年ニ満タズ 鬱々トシテ久シク此ニ居ス 予 国家ノ山海ノ遠キヲ隔ツルニ屑ケズ
一超 大明国ニ直入シ 吾朝ノ風俗ヲ四百余州ニ易シ 京都ノ政化ヲ憶万斯年ニ施スハ
方寸ノ中ニ在リ 貴国先駆シテ入朝スルハ 遠キ慮リ有リテ近キ憂イ無カラン者乎
遠邦小島ノ海中ニ在ル者 後レテ進ム者ハ許容スベカラザル也 予 大明ニ入ルノ日
士卒ヲ将イテ軍営ニ臨マバ 則チ弥ヨ隣盟ヲ修ムベキ也 予ノ願ハ他ニ無シ
只ダ佳名ヲ三国ニ顕サンノミ 方物 目録ノ如ク領納ス 珍重保嗇セン不宣


528 :日本@名無史さん:05/03/04 07:54:34
荒らすな

529 :479:05/03/04 16:15:20
この籠城戦を通じて動員された兵力は、籠城軍二千余名(おもに水軍)、
これに対して直接の攻囲軍は、明軍水陸合わせて二万七千人、
これに朝鮮軍二千五百人を加えて、
じつに日本軍の十数倍に当たる約三万人であった。
(宣祖実録、両朝平壌録)

また、双方の人的損失は、明軍の死者一万三百余、
そのうち城廻りにあったもの四千七百(浅野家文書)とあり、
明、朝鮮側の史料にも相当の死者・負傷者を出したことが記録されている。

日本軍の損失は、初戦の二十二日、四百六十人の戦死者が記録され、
籠城期間による戦死、餓死、凍死者を加えると
相当数の死傷者を出したと思われる。

以上が尉山城攻防の顛末である。

530 :日本@名無史さん:05/03/04 16:19:14
中国側の記録では遺棄死体二万となっている。

531 :479:05/03/04 16:25:21
この戦いで、日本軍が準備不足のまま戦闘に入り、
また絶対的な兵力の差があったにもかかわらず
長期の籠城に堪えることができたのは、
侵略地における異民族との戦闘という特殊な条件は別としても、
西生浦以西からの援軍が期待できたこと、城そのものの堅固さ、
そしてそれに拠ることで発揮された鉄砲の威力に負うところが多い。

532 :479:05/03/04 16:45:29
浅野幸長が戦後直後の正月十二日付けで、
「何之道具も入不申候間、鉄砲少も多候やうに被仰付可被下候」
と国元に書き送っているほどである。

籠城中、どれほどあったかは確定できないが、
加藤清正が普請の途中に一時西生浦に帰城した際、
三百挺を奉行の太田一吉のために付け置いたことが記録されている。
(大河内秀元陣中日記)
浅野幸長以下の諸将も所持していたであろうから、
少なくとも数百挺はあったと推測される。

このように、戦闘自体は日本軍の勝利に帰した。

だが、西生浦城から行程わずか七里(30km弱)の
尉山城を救援するのに十二日間を要したこと、
また、明・朝鮮軍の圧倒的兵数と果敢な行動は、
実際に尉山城の惨状を見聞した諸将の多くに強烈な動揺を与えた。

533 :日本@名無史さん:05/03/04 18:30:21
鉄砲が弓矢に対して持つ最大の優位性=致死力
当時の玉は鉛性だから命中すれば肉はちぎれ内部は広範に破壊される。
たとえ命中個所が四肢であっても重篤な状態に陥り、
まして当時の治療技術、衛生状態を考慮すると予後は不良、
すくなくともその兵の再起は不能、

ということだろう。

534 :日本@名無史さん:05/03/05 17:06:00
補給がないと鉄砲の戦力維持ができないというデメリットもお忘れなく

535 :日本@名無史さん:05/03/05 17:10:14
>>533によると信長は死んでるなw

536 :日本@名無史さん:05/03/05 19:15:41
>>533
いやー、それよりも命中させる為の技量の習熟のしやすさのほうが大きいんじゃないか?
弓矢も結構な威力あるし。


537 :日本@名無史さん:05/03/06 04:24:06
>>536
よく出来ました(w

内心(アホー

538 :日本@名無史さん:05/03/06 05:06:17
>>537
ぼくちゃん頭弱いからやさしく教えて?
何がアホーなの?

539 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/06 19:50:26
本やHPで日本側の戦死者をある程度リストアップしたのですが、
今一重要人物なんだか分からない人があるので批評をお願いします。


■日本側の要人戦没リスト
●戦死大名 日本
1597.9.16 鳴梁の海戦
 来島通総(伊予鹿島1.4万石,動員700人)
1592.10.24 陽智にて狩猟中に襲撃受け死亡
 中川秀政(播磨三木14.0万石,動員3000人)

●戦死属将・家臣 日本
1592.06.05 唐項浦の海戦
 得居通年(来島通之,伊予風早300石直臣,来島通総の兄)
1592.06.14 大同江渡河前の戦い
 木村智清(宗義智家臣,侍大将)、黒田次郎兵衛(黒田家)
1592.06.? 順安城攻撃
 志佐純高(松浦鎮信家臣,志佐純意の嫡子)
1592.07.07 閑山島の海戦
 脇坂左兵衛(脇坂安治家臣)、真鍋左馬允(脇坂安治家臣)
1592.07.17 平壌城守備
 日高喜(松浦鎮信家臣,甲斐守)、松浦源次郎(松浦家臣)、
1592.09.29 咸鏡道
 西村半右衛門(鍋島家臣)
1592.10.上旬 咸鏡道
 江口与左衛門(鍋島家臣)、三浦左右衛門允(鍋島家臣)
1592.12.? 
 竹内吉兵衛(小西家臣、講和使を明軍が処刑)
1592.? 阿波
 光富権助(長曽我部成親家臣,戦傷が元で阿波で死亡)

540 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/06 19:51:03
1593.01.08 平壌城の戦い
 小西ルイス?(小西行長の弟?)、小西アントニオ(小西行長の従兄弟?)、
 日比谷アゴスト(小西家臣,日比谷了珪の孫)、
 小野木又六(小野木重勝家臣,重勝の弟)、太田弾正(五島家臣)、
 太田江十郎(五島家臣)、青方新八(五島家臣)
1593.01.26 碧蹄館の会戦
 十時連久(伝右衛門、立花宗茂家臣)、池辺龍右衛門(立花宗茂家臣)、
 横山景義(小早川秀包家臣)
1593.01.28 吉州城の戦い
 山口与三右衛門(加藤清正家臣)
1592-1593○ 咸鏡道撤退までに陣没した鍋島家家臣
 諸岡彦右衛門、永田源左衛門、横尾十五左衛門、
 中島九郎兵衛(病死)、納富六郎、武藤主嘉允、
 馬渡相右衛門、武藤新九郎、乙咸五兵衛、
 高木内蔵助、姉川平右衛門(中務大輔)、水町平右衛門(丹後守)、
 鹿江太郎左衛門、公文六郎兵衛、緒方牛之介、
1593.02.12 幸州山城攻め
 明石与右衛門(宇喜多家臣)、戸崎彦右衛門尉(毛利家家臣)
1593.03.12 京城の西三里の戦い
 中屋善四郎(毛利家家臣,青原尾中山城主)、
1593.06.22-29 第二次晋州城攻め
△松井興之(細川忠興家臣、重臣松井康之の嫡男)
 戦傷が元で1593.06.29死亡
1593.?熊川?
 桑名親勝(長曽我部成親家臣,1200石)

541 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/06 19:51:48
1597.02.22 蔚山
 柳生久三郎(浅野幸長家臣,厳勝の長男,宗厳の嫡孫,500石)
1597.09.16 鳴梁の海戦
 菅正蔭(菅達長の子)
1597.12.27 蔚山籠城戦
 冷泉元満(毛利輝元家臣)、阿曽沼元秀(毛利輝元家臣,)、
 都野家頼(毛利輝元家臣)、
 原田信種(加藤清正家臣,病死説有り)、貴田統治(加藤家臣,孫兵衛)
??
 和田頼国(堀内氏善家臣、勘之丞、数十人を率いた水軍の将)


●病死大名 日本
 羽柴秀勝(美濃岐阜16.0万石,1592.9.9巨済島)
 加藤光泰(甲斐府中24.0万石,1593.8.29西生浦)
 五島純玄(肥前福江1.4万石,1594.7.28熊川)
 戸田勝隆(伊予大洲7.0万石,1594.10.23帰国途中)
 長谷川秀一(越前東郷槙山11.0万石,1594.01.29?,生還説有り)
 池田秀雄(伊予国分8.0万石,1597?)
 牧村利貞(伊勢岩出2.6万石,1593.07.02?)
 足利(喜連川)国朝(?,1593?)
 伊東祐勝(伊東祐兵日向飫肥5.7万石,?,1594?帰国中日向)

542 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/06 19:52:08
●病死属将・家臣 日本
 島津久保(義弘の子,1593.9.8巨済島)
 原田宗時(伊達家臣,対馬,原田城主,山嶺源一郎の子)
 戸沢光盛(戸沢家当主,肥前名護屋途上)
 色部長実(上杉家臣,重臣)
 岡 利勝(宇喜多家臣,重臣)
 松浦定(松浦家臣,1593,元宗家筋)
 伊東義賢(伊東家臣,伊東義益の子)
 北郷忠虎(島津家臣,加徳島,時久の子)
 平田歳宗(島津家臣,1598,平田光宗の子)
 伊勢貞真(島津家臣,1593,有川貞則の子)
 島津朝久(島津家臣,1593,巨済島,豊州島津家当主)
 島津忠辰(島津家臣,薩州島津家当主薩摩摩出水領主)
 桑折政長(伊達家臣,1593,釜山浦,宗長の子,石母田重長の父)
 乃美宗勝(毛利家臣,重臣乃美賢勝の子)
 香宗我部親氏(長曽我部家臣,1592,香宗我部親秦の嫡男)
 伊与木国安(長曽我部家臣,幡多郡伊与木郷の伊与木城主高康の子)
 江原親次(宇喜多家臣,1598,釜山浦,宇喜多秀家の娘婿)

●戦死−病死 未分類 日本
 1592明石右近(宇喜多秀家重臣、明石全登の子?)
 1592梶佐古道尋(長曽我部成親家臣,柳瀬五郎兵衛の三男)
△1593加藤重正(加藤清正家臣,加藤可重[清左衛門、右馬允]の嫡男)
△1594吉見元頼(毛利輝元重臣、吉見広頼の嫡男)
 1597土持久綱(高橋元種家臣,土持久綱の嫡男)
 1597須佐美甚太郎(加藤清正家臣,須佐美紀伊守の養子)
 1599? 平田宗正(島津義弘家臣,重臣平田豊前守宗祇の子)
 文禄? 木付直清(大友吉統家臣,木付統直の嫡男,鎮直の孫)
 ? 江上家種(鍋島家臣,竜造寺隆信の二男,蓮池城主)
 ? 小原信忠(宇喜多家臣)
 ? 牧源之丞(宇喜多家臣,江原親次の義父)
 ? 深水頼蔵(加藤清正家臣,西生浦,?)

543 :日本@名無史さん:05/03/06 21:35:19
誰が大物なの?

544 :日本@名無史さん:05/03/06 21:43:44
島津久保はそこそこ大物だな。
死ななければ島津家の次期当主になる筈だった人物だし。


545 :日本@名無史さん:05/03/06 21:59:06
大名クラスもだけど、各家中の重臣クラスも結構死亡してるね。
やっぱり、戦病死が多いのかな。当時の衛生状態だと。


546 :日本@名無史さん:05/03/06 22:31:45
兵糧の補給が滞って、栄養失調みたいなのも多かったのではないかと。
(つд`)

547 :日本@名無史さん:05/03/07 00:04:14
百戦練磨の戦国武将たちがバタバタ病死するだなんてかなり汚染の酷い土地なんだな。

548 :日本@名無史さん:05/03/07 00:36:02
羽柴秀勝もここなんだよな

549 :日本@名無史さん:05/03/07 01:17:09
ウロウロ
  /⌒ヽ
 /´_ゝ`)
 |   /
 | /| /
 // ||
`U U
     ウロウロ

550 :日本@名無史さん:05/03/07 01:24:56
すごいなぁ。そうそうたる面々が討ち死にしてるじゃないか。
完敗だね。

551 :日本@名無史さん:05/03/07 06:09:35
そうそうたる面々が討ち死

そんなに死んでないだろ?
誰のことを指している?

552 :日本@名無史さん:05/03/07 06:42:42
戦死は李氏朝鮮が激しいわけだがな

553 :日本@名無史さん:05/03/07 09:03:58
李氏朝鮮側では有能な人材が枯渇していたから、
単に無名の愚将と雑兵が大量に討ち死にしていただけだ。

554 :日本@名無史さん:05/03/07 13:19:51
東海道の昔の話 稲富流砲術ものがたり
ttp://www6.ocn.ne.jp/~kameyama/bungei/aichikogan/tokaido74.htm

電子版 市民文芸のページ
ttp://www6.ocn.ne.jp/~kameyama/bungei/index.htm


企画展 天下統一と城
ttp://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG427.HTM

四百三十五人がくれた旅行券
ttp://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTM


豊臣秀吉朱印状 秀吉〜行長
ttp://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/tr/tr_room/syuinjo.pdf

八代市立博物館
ttp://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/index.html


弓・鑓・鉄砲
ttp://museum.city.fukuoka.jp/je/html/221-230/228/228_01.htm

福岡市博物館
ttp://museum.city.fukuoka.jp/index.html

555 :日本@名無史さん:05/03/07 13:45:07
羽柴秀勝
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/retuden/retu00156.htm

豊臣秀勝
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/retuden/retu00142.htm

よろパラ 文学歴史の10
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/index.htm

556 :日本@名無史さん:05/03/07 15:15:56
病死が多いのは水が原因かな?

557 :日本@名無史さん:05/03/07 16:07:25
病死が多すぎるのは不自然だな。


558 :日本@名無史さん:05/03/07 16:12:25
>>557
禿同。きわめて不自然だ。
公衆衛生の概念がなく、貧しく劣悪な日本ですら暮らしていられた日本人が
清潔で文化的な韓国で病気になるとは考えにくい。
本当は戦死だと思われ。

559 :日本@名無史さん:05/03/07 16:16:52
正しい歴史認識だな。
己の歪んだプライドを維持するために戦死を病死と歪曲して
歴史を捏造した・・・。
三つ子の魂百まで、とはまさにこのことか。
倭人の歴史に対する不誠実さは昔から不変だ。

560 :日本@名無史さん:05/03/07 17:10:11
ハン板に行け。

561 :日本@名無史さん:05/03/07 18:37:31
朝鮮半島が清潔?
韓国名物の寄生虫入りキムチやゴミ餃子を食い過ぎて熱でも出たんじゃないか?

562 :日本@名無史さん:05/03/07 20:31:42
朝鮮は不潔で不毛

563 :日本@名無史さん:05/03/07 20:35:53
不毛はお前の禿頭

564 :日本@名無史さん:05/03/07 20:39:21
禿山だらけで不潔な未開地として悪名高い朝鮮半島の実体を知った外国人たち→http://homepage2.nifty.com/ikaruga/new_page_356.htm

565 :日本@名無史さん:05/03/07 21:06:20
それで他の誰が討ち死にした大物なんだ?
病死以外で討ち死にした大物は誰なんだよ。

566 :日本@名無史さん:05/03/07 21:08:10
李舜臣

567 :日本@名無史さん:05/03/07 21:12:35
日本で戦場で討ち死にしたのは小物ばかりだな

568 :日本@名無史さん:05/03/07 21:34:45
李舜臣のどこが大物なんだよ。討ち死にしてるけどな。

569 :日本@名無史さん:05/03/07 21:36:24
韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。
高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、
未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、
旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた。
宣教師 ラッド博士


570 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/07 22:15:47
相手先の戦死関係も挙げときます。

■明軍・李氏朝鮮の戦没要人リスト
●要人戦死 李氏朝鮮
文禄の役(壬辰倭乱)1592〜
1592.04.14釜山の戦い
 鄭撥(釜山鎮僉使,従三品)、尹興信(多大浦僉使,従三品)
1592.04.15東莱城の戦い
 宋象賢(東莱府使,正三品)、洪允寛(助防長,正三品?)、
 趙英珪(梁山郡守,従四品)、宋鳳寿(代将)、廬蓋邦(教授)
1592.04.26聞慶の戦い(尚州戦直後)
 申吉元(聞慶県監,従六品)
1592.04.28忠州の戦い
 申[石立](三道都巡辺使,?)、金汝[山勿](前義州牧使,?)
 李宗張(忠州牧使,正三品)、
1592.05初 漢城入城前
 張智賢(義兵将)
1592.05.18?臨津江の戦い
 申[石吉](咸鏡兵使,従二品)、劉克良(助防将,?)
 金百寿(義兵将,?)、金光鋏(義兵将,?)、洪鳳祥(軍官)
1592.06.05龍仁の戦い
 白光峯?(先鋒将,?)、李之詩(助防長,?)、
 李光仁(古阜府使?)、鄭淵(咸悦県監,従六品)
1592.06.19江原道金化
 元豪(?牧使、助防将,正三品)
1592.07.全州熊峙の戦い
 鄭湛(金提郡守,従四品)
1592.07.10錦山の戦い
 高敬命(義兵将,?)、趙憲(義兵将,?)、霊圭(義兵僧侶,?)、
 高因厚(義兵,?)、柳彭老(義兵,?)
1592.07.18磨天嶺の戦い
 元喜(富寧府使、正三品)

571 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/07 22:16:23
1592.07.末 安城
 洪彦秀(義兵,?)
1592.08.02彦陽攻め
 金虎(義兵将,?)
1592.09.01釜山攻撃
 鄭運(鹿島万戸,正四品)、尹思恭(前万戸,?)
1592.09仁同の戦い
 張土珍(義兵将,?)
1592.10.10第一次晋州城の戦い
 金時敏(晋州牧使,正三品)
1592.10.末 鉄原
 沈岱(京畿観察使,従二品)
1593.06.28第二次晋州城の戦い
 崔慶会(慶尚右兵使,従二品)、黄進(忠清兵使,従二品)、
 徐礼元(晋州牧使,正三品)、李宗仁(?,?)、
 金千鎰(義兵将,?)、沈友信(義兵将,?)
 金俊民(巨済県令,?)、姜希輔(義兵将,?)

慶長の役(丁酉再倭乱)1597〜1598
1597.06.10安骨浦・加徳島攻撃海戦
 金軸(平山万戸,正四品)、安弘国(宝城郡守,従四品)
1597.07.16漆川梁の海戦[巨済島の戦い]
 元均(三道水軍統制使,正三品?)、李億祺(全羅道右水使,正三品)
 崔湖(忠清道水使,正三品)、斐興立(興陽県監,助防将,従六品)
1597.08.16南原城の戦い
 李福男(全羅道兵使,従二品)、任鉉(南原府使,正三品)
 金敬老(助防将,?)、申浩(別将(蛇龍山城),?)
 呉応井(防御使,?)、李徳恢(南原判官,従五品)
 李春元(求礼県監,従六品)、呉応鼎(順天府使,正三品)
 鄭期遠(接伴使,?)、閔濬(接伴使,?)

572 :日本@名無史さん:05/03/07 22:17:11
>>558
縦読み出来ないが・・・

573 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/07 22:18:10
1597.08.17黄石山城の戦い
 郭[走歉(前 安陰県監,?)、趙宗道(前 咸陽郡守,?)
 白土霖(前 金海府使,?)
1598.10.02順天城攻撃海戦
 黄世得(蛇渡僉水使,従三品)
1598.11.18露梁津の海戦
 李舜臣(三道水軍統制使,正二品?)、李英男(加星浦水僉使,従三品)
 方徳龍(楽安郡守,従四品)、高得蒋(興陽県監,従六品)


○捕虜 李氏朝鮮
 臨海君(朝鮮国王の王子,李d)
 順和君(朝鮮国王の王子,李[王土]ジク)
 李弘業(鏡城判官,従五品)
 柳永立(咸鏡道観察使,従二品)
 韓克誠(咸鏡北道兵使,従二品)
 李彦誠(蔚山郡守,従四品)1592.04.15東莱城の戦い


●明軍戦死
1592.07.17平壌攻撃
 史儒(遊撃)、載朝弁(督戦右参将)、
 張国忠(?)、馬世隆(?)
1598.11.18露梁海戦戦死者
 ケ子龍(明水軍副将)

574 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/07 22:18:32
●その他&未整理戦死者 李氏朝鮮
 金練光(淮陽府使,正三品)1592.05.中
 李[王玉](慶尚道左兵使,従二品)1592.05.12?李朝により処刑
 申格(副元帥,?)1592.05.18李朝により処刑
 洪汝諄()1592反乱民により処刑
 李渾(咸鏡南兵使,従二品)1592.07反乱民により処刑
 宋儒真(反乱将,?)1593.01.?反乱により漢城攻撃前に処刑
 李山謙(?)1593.02.?反乱により漢城攻撃前に処刑 
 (反乱将,連座 呉允宗,金千寿,李春福,金彦祥,宗万福,李秋,金永)
 金悌甲(原州牧使,正三品)1593.06.29戦死
 禹性伝(義兵将,大司政正二品)1593.07.?慶尚道で追撃中疲労死
 緒沫(星州牧使,正三品)1593戦死
 李夢鶴(反乱将,?)1596.07.?忠清道で反乱後に処刑
 金徳齢(反乱将,?)1596.07.反乱の罪で処刑
 孫仁甲(?前僉使,?)


575 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/07 22:20:15
未完成なので、添削があればお願いします。

日本側の戦死者ですが松井興之なんかは細川家の万石取りの家臣の嫡男で
来島以上に大身なんではないかと思うのですが、如何でしょうか?


576 :日本@名無史さん:05/03/07 22:33:51
2千人しかいない軍隊で正二品だの釜山鎮僉使だのと言われても、ママゴトみたいにしか聞こえんなw

577 :日本@名無史さん:05/03/07 22:42:24
>>570-574
そんなのがまとまってる資料もあるのね・・・

578 :日本@名無史さん:05/03/07 22:45:46
当時の朝鮮官軍は5000人。2000人に縮小されていたのは李朝が滅亡する寸前の19〜20世紀頃の話。

579 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/07 23:00:56
>>577纏まってませんよ、あちこちからの書き抜きです。
間違いも多いと思われますので添削をお願いいたします。

580 :日本@名無史さん:05/03/07 23:23:06
朝鮮に潜入して国情を調査していた別府晋介が「3個中隊で制圧可能」と言い放っただけはある衰退ぶりだな。

581 :日本@名無史さん:05/03/08 00:34:52
王均閣下

582 :日本@名無史さん:05/03/08 05:54:12
病死が多いのに驚くやつは厨房。
スレ嫁。

583 :日本@名無史さん:05/03/08 06:42:30
元均?

584 :日本@名無史さん:05/03/08 11:20:08
気候も厳しいよね

585 :日本@名無史さん:05/03/08 13:59:28
徹底歴史研究同盟
ttp://www.tetsureki.com/home/index.html

586 :日本@名無史さん:05/03/08 17:32:04
日本ってかなり損害受けたんだね。

587 :日本@名無史さん:05/03/08 19:24:16
>>586
そりゃ、朝鮮全土を制圧した戦争だったものね。
2,30人ってわけにはいかんだろ。

588 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/08 20:55:57
と言うわけで戦闘中の死亡で一番の大身は来島だと思うのですが、
他の大名の家臣で万石取りの重要人物は居るんでしょうか?

上のリストでも ナントカ家「四天王」とか「十六将」とかそういうような
重臣は居ないように思えます。

ご指摘をお待ちしております。

589 :日本@名無史さん:05/03/08 21:00:40
朝鮮征伐と太平洋戦争をダブらせる人間って多いけど、
太平洋戦争より、朝鮮戦争の方が適切なんじゃないだろうか?とふと思った。

590 :日本@名無史さん:05/03/08 23:11:20
太平洋戦争と?

591 :日本@名無史さん:05/03/09 00:02:18
>>589
>朝鮮征伐と太平洋戦争をダブらせる

それを言い出したのは当の韓国人(朝鮮人?)であることをお忘れなくね。
(ゼンゼンチガウダローガw

592 :日本@名無史さん:05/03/09 07:30:06
基本的な知識が不足しているのかな?
人も集まらないしあまり盛り上がらない。

593 :日本@名無史さん:05/03/09 08:08:09
朝鮮征伐は日中戦争と似ているとおもう

594 :日本@名無史さん:05/03/09 09:21:02
李舜臣は今だと海軍中将ぐらい?

595 :日本@名無史さん:05/03/09 09:28:05
政治的に失脚して二等兵扱いだった筈。

596 :日本@名無史さん:05/03/09 11:15:22
物語 来島水軍 四
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/6788/kuru8.html

来島水軍と来島城
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/6788/kuru.html


久留島氏
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kurusi_k.html

風雲戦国史
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/index.html


水軍衆
ttp://masanari.gozaru.jp/suigun.html

防長将星録
ttp://masanari.gozaru.jp/retsuden.html

防長戦国
ttp://masanari.gozaru.jp/index.html

597 :日本@名無史さん:05/03/09 11:21:50
チョンはスレ埋めに必死だな
朝鮮の恥ずかしい歴史を研究されたら困るのかね?

李は少将〜中将ぐらいだろ。戦隊司令官〜艦隊司令長官程度。

598 :日本@名無史さん:05/03/09 11:54:29
朝鮮王朝官職表
ttp://www.geocities.jp/nkks437758/chohsenkanshokuhyoh.html

大河の釣り人
>>197

599 :日本@名無史さん:05/03/09 13:23:57
戦略目的の達成度の観点から見る限り、
文禄の役も、慶長の役も、
日本が敗北し、明や朝鮮が勝利したのは
軍板コテに指摘されるまでも無く、自明の理だ(一部ウヨ除外)。
そして三国に多くの死傷者をばら撒き、
豊臣政権の衰退を招いた点もまた、同様。
おかげでサヨクたちには、散々叩かれてきた。


しかし百年単位の長いタイムスパンから認識した場合、
日本の敗北とは必ずしも判断しえないのではないか?
社会の長期的発展の点で、朝鮮や中国は日本から受け取るものは些少だが、
日本は大いに生かしてきた。
その意味合いでは、決して日本は
「最後の勝利者」


600 :日本@名無史さん:05/03/09 13:25:39
>その意味合いでは、決して日本は

>その意味合いでは、決して日本は
 惨めな敗北者にあらず。
 「最後の勝利者」だったのだ。

601 :日本@名無史さん:05/03/09 13:50:11
政宗の手紙 一
ttp://bb.laox.net/~abckato/masamune1-1.html

abcKATOのHANA通信
ttp://bb.laox.net/~abckato/index.html

602 :yasoshima ◆MX5aLZxivU :05/03/09 16:37:39
数字遊びでも


朝鮮半島の面積から気候の似ている同時代の東北地方に換算してみる。

 東北地方(6.7万km2,山地62.0%,太閤検地199万石)
 ↓
 換算→朝鮮(約22万km2,山地60-80%,●653万石)

(参考 気候が温暖な中部地方の場合は(6.7万km2,山地70.9%,太閤検地517万石)→1698万石

結構、いい線行っているのではないかと思います。

603 :日本@名無史さん:05/03/09 17:14:47
朝鮮は寒いみたいだけど寒くても育つ穀物を食べていたの?
生産性は?

604 :日本@名無史さん:05/03/09 17:25:43
>>599
もういいよ、そんなレッテル貼りは。

お前軍板なの?
あそこは半島人が多いからな。

605 :日本@名無史さん:05/03/09 17:45:44
レッテル貼りに、レッテル貼り。( ´,_ゝ`)
目糞鼻糞


606 :日本@名無史さん:05/03/09 20:24:31
朝鮮征伐が日本の負けだと錯覚してるような政治音痴には、歴史を読み解く資質が根本的に欠けている。

日本側は豊臣家の安泰を目的とする秀吉の意思に従って戦国時代に蓄積された過剰な軍事力を放出する処理場として朝鮮を攻略していたが、
その最中で当の秀吉が死去した為に、朝鮮へ送り込まれていた部隊が戦闘を打ち切って引き上げただけ。

ゆうゆうと引き上げていく日本軍が居なくなった背後から朝鮮人が「勝った勝った」と喚くのは、

あたかも急用を思い出した為に強姦を中断して立ち去った男の背後から、
被害者の女が自分は強姦魔に勝った勝ったと大喜びしているようで滑稽な話だ。

607 :日本@名無史さん:05/03/09 20:40:33
あらら?平和国家の朝鮮に押し入ったものの、
半島南端に追い詰められてアップアップだったのはどこのドイツだ?

>強姦

禿同。倭人は野蛮で下劣極まりない。

608 :日本@名無史さん:05/03/09 20:55:58
朝鮮が平和国家だなどと錯覚してる歴史音痴には、朝鮮征伐の意義を理解する資質が根本的に欠けている。
当時の朝鮮は儒教的価値観による悪政が長引き、
数百年間にわたる衰退の過程で必要な防衛力も維持できなくなっていただけに過ぎない。
本州ほどの領土に数百万の人口がひしめいているにも関わらず、
治安維持に務める官軍がわずか5000人しか居ない当時の朝鮮というのは、
国家とは名ばかりで盗賊が国中いたる場所を荒らし回る未開の無法社会に他ならない。

609 :日本@名無史さん:05/03/09 20:57:56
秀吉は日本で言うと奈良時代以前の段階に留まっていた野蛮な朝鮮半島を文明化しようとしていたんだよ。

610 :日本@名無史さん:05/03/09 21:00:04
たしかに日本人は高麗人のように
対馬の民の手のひらに穴あけて紐を通して連行するような
人を家畜扱いする発想は持ちえません。
さすがですね。



611 :日本@名無史さん:05/03/09 21:51:34
>>610
当時は、それがグローバルスタンダードだったんだよね。
生きてる人間の鼻を戦果と詐称するために、切り取るのもそうだ。


612 :日本@名無史さん:05/03/09 21:55:27
>>599
日本が敗北していないのは、
その観点からは当然だろうな。
第二次世界大戦に敗北した日本は、
ベトナム戦争に勝利した北越と異なり、
敗北を必須の条件(ただし十分ではないが)とした
東西冷戦の勝利者となった。
ご主人様転じて盟邦と共に。

613 :日本@名無史さん:05/03/09 21:58:45
当時のグローバルスタンダードで鼻を切り取っていただけなら、日本人がとりわけ野蛮だったというのは嘘だという事だな。

614 :日本@名無史さん:05/03/09 22:16:24
>613
その通りだろう。
前近代での残虐性を比較しても生姜ない。
そもそも残虐概念自体、多義的で数値化を拒むものなのだ。


615 :日本@名無史さん:05/03/10 00:18:15
官軍が少ないと語るステロタイプは世界史勉強した方がいいな

616 :日本@名無史さん:05/03/10 00:20:18
朝鮮のように極端な中央集権国家で官軍が少ないというのは、無政府状態の同義語なのだが、そんな事も理解できない奴は勉強不足だな。

617 :日本@名無史さん:05/03/10 00:32:35
無政府状態だったのか、どうやって確かめたの?>>616


618 :日本@名無史さん:05/03/10 00:33:14
官軍が少ないのもどうやって確かめたんですか?

619 :日本@名無史さん:05/03/10 00:36:33
第2話 必殺残悔拳!! 不毛の荒野に明日をみた!!
ttp://sazankurosu.web.infoseek.co.jp/story/02/title02.html

第3話 光なき街に狐拳が燃えた! 爆殺五指烈弾
ttp://sazankurosu.web.infoseek.co.jp/story/03/title03.html

サザンクロス
ttp://hb2.seikyou.ne.jp/home/Ryo.Saeki/index.html

620 :日本@名無史さん:05/03/10 00:37:59
朝鮮征伐時の朝鮮が保有していた官軍の兵力について興味があるなら、自分で調べろよ。

621 :日本@名無史さん:05/03/10 00:41:42
>>620
少ないんだろ?無政府状態なんだろ?それ、何で知ったの?

あ、答えられないんだね、脳内ソース乙。

622 :日本@名無史さん:05/03/10 01:00:04
KING軍団

623 :日本@名無史さん:05/03/10 01:12:46
「李朝はもはや経済的破産と崩壊の寸前であった。軍事力はほとんど
なく、政権の分裂と内紛で行政は麻痺状態となり、慢性的百姓一揆の
機運に脅かされていた。」

         朝鮮史家 グレゴリー・ヘンダーソン(アメリカ人)


624 :日本@名無史さん:05/03/10 01:16:26
池沼

625 :日本@名無史さん:05/03/10 01:19:43
なるほど、1890年代後半か。
戦国時代を語るのに明治初頭の話をあてはめるのか。

626 :日本@名無史さん:05/03/10 01:20:33
>>621
朝鮮史の基礎知識を予習してから、またおいで。
李氏朝鮮が無政府状態で官軍も極めて少ない未開社会であった事について根拠もなく疑問を抱く理由が分からん。


627 :日本@名無史さん:05/03/10 01:21:42
グレゴリー・ヘンダーソン

628 :日本@名無史さん:05/03/10 01:22:26
>>626
李氏朝鮮が無政府状態で官軍も極めて少ない未開社会であった事について根拠すら言わない理由が分からん。

629 :日本@名無史さん:05/03/10 01:22:39
クソバカ

630 :日本@名無史さん:05/03/10 01:22:54
20世紀になっても朝鮮は日本の奈良時代以前の未開社会だった訳だが。
進歩の無いヤツラなんだよ。


631 :日本@名無史さん:05/03/10 01:24:19
>>628
お前がその程度の基礎知識も予習してないのは、お前の問題だ。
俺が知った事か。

632 :日本@名無史さん:05/03/10 01:25:13
チンカス

633 :日本@名無史さん:05/03/10 01:25:49
その程度の基礎知識ね。
その基礎知識とやらは、何を基にしてるのだろうね?

さて報告報告。

634 :日本@名無史さん:05/03/10 01:26:12
グレゴリー・ヘンダーソンが朝鮮史家に認定されてる
あな恐ろしや

635 :日本@名無史さん:05/03/10 01:28:49
アホ

636 :日本@名無史さん:05/03/10 01:30:03
>>634

637 :日本@名無史さん:05/03/10 01:31:48
>>634
いったい何が疑問なのかね?
グレゴリー・ヘンダーソンといえば朝鮮史の大家ではないか。
まあ、朝鮮の駄目っぷりを再確認できるここでも見てなごめや↓
http://plaza.rakuten.co.jp/mrascal/3003

638 :日本@名無史さん:05/03/10 01:31:56
>>633
放置しとくが吉
まともに議論出来るスレあるから、そこを探しなさい

639 :日本@名無史さん:05/03/10 01:32:28
>>633

640 :日本@名無史さん:05/03/10 01:34:04
時代が違うんだよ、タコ

641 :日本@名無史さん:05/03/10 01:34:06
     韓国の英雄的作家 李光洙が指摘した民族の衰退原因8ヶ条

一、虚言と人をだます行為。韓国人同士は、お互いに嘘とだます行為のため相互に信
  じられないので「外国人は信用しても、韓国人を信用しない」奇妙な現象あり。

一、空想と空理。韓国人は美辞麗句を 連ねるが、実行が伴なわない。他人の行動や
  話の語弊、問題点を探すだけで、空論に陥ることが多し。

一、表裏不同。人の前ではへつらい、人の背後では批判し、悪口を言う。恥知らずの
  態度。
一、怯懦、卑屈。物事におじけ恐れる。臆病である。他人のことを気にして決断する
  意思弱し。
一、非社会的利己心。社会的公益には無関心だが、自己と家族、私党のための極端な
  利己主義。
 あとの3項目は省略


642 :日本@名無史さん:05/03/10 01:36:32
相手にするとこうなる

643 :日本@名無史さん:05/03/10 01:37:00
ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より
「ソウルは汚いことと臭いことでは世界一である。」

細井肇 著「漢城の風雲と名士」(『政治史』第77巻、豚犬的生活五より)
「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が
場所も構わず にあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく

元京城控訴院判事 山口真昌氏の1908年6月の証言
「道路は非常に狭く、しかも糞尿は至るところ道ばたに落ちているという有様でした。
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi28.htm

「路上に脱糞するなかれ!」

「商家などは一定の便所がないので、屋内に鉄筒あるいは木器をおいて放尿し、
それを自家の門前路上に棄てるので通りがかりの警官は打水かと信ずるという具合である。」
これは1911年6月8日付の「毎日新報」の社説の一部であるが、「路上に脱糞するなかれ」は
日韓併合後の一大社会運動であったが、この悪習はなかなか直らなかった。

朝鮮軍司令部1904〜1945 古野直也著 国書刊行会より抜粋 (P25)
http://ime.nu/f13.aaacafe.ne.jp/~fabyon/upnider/neta/kr176


644 :日本@名無史さん:05/03/10 01:38:44
19〜20世紀の時点でこれほど野蛮な朝鮮が、朝鮮征伐当時にどれほど発展していたと妄想できるんだね?

645 :日本@名無史さん:05/03/10 01:40:17
★1905年、米ジャーナリストのジョージ・ケナンによる報告
日本から朝鮮に行った旅人がまず驚くことは、
日本の清潔、秩序、勤勉、繁栄に対して、
朝鮮の不潔、混乱、怠惰、荒廃との間の著しい差異である。

1897年、ソウル南大門路
http://www2.nhcc.go.kr/photo/img/bmp/S1437.JPG
日本統治前と日本統治中の南大門路。
http://japanese.joins.com/transboard/upfile/Ko_120.jpg
日本に統治される前の朝鮮の市場
http://www1.harenet.ne.jp/~dandy/img-box/img20030104233924.jpg(着色)
参考比較 幕末の江戸パノラマ写真(上記写真の30年以上前)
http://www.mid-tokyo.com/18/photos/07.html
≪1864年、イギリス人のF・ベアトにより撮影された江戸のパノラマ写真≫
愛宕山という20メートル位の小さい丘から撮影されました。

韓国では50年代まで、跡継ぎを産んだ母親の女性はオッパイを出して外を歩いていた。
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_13/6000/5978.jpg
http://japanese.joins.com/transboard/upfile/5178.jpg


646 :日本@名無史さん:05/03/10 01:41:20
すいませんでした。>>642>>638
きちんと報告してきますので、お許し下さい。

647 :日本@名無史さん:05/03/10 01:42:20
荒らし・煽りは完全無視+削除依頼しましょう。
煽りにはsageでもレスしないこと。無視できない貴方も荒らしです。

648 :日本@名無史さん:05/03/10 01:42:47
朝鮮征伐時の朝鮮の人口と兵力について予習もせずに煽ってた馬鹿が逃げ出したようだな。善哉善哉。

649 :日本@名無史さん:05/03/10 02:06:46
例えばだ、
「朝鮮の家は皆瓦葺で、祠の拝殿迄もさうである。
又万事不潔であり、殊に蠅の多いことは非常なもので、
地も見えぬ程群ってくるから閉口して居る。
水も悪い。家の周囲には石垣を廻らして居るが、
石は細く日本にある練塀に石を混ぜたやうなものである。
又築地も多い。朝鮮人は牛を食ふから臭い。
今でも牛は沢山居るが、皆飴牛のみである」
毛利輝元 星州 五月二十六日 厳島文書

なら当時の様子がわかり、荒らしではないんだが。

650 :日本@名無史さん:05/03/10 02:18:49
もとはといえば
>>599
の煽りからだろ。
あほらし。

651 :日本@名無史さん:05/03/10 02:32:23
学問板で百科事典にも載ってるような常識を予習してこないで煽る方が悪い。

652 :日本@名無史さん:05/03/10 03:05:45
一、朝鮮は日本より広いといはれて居る。今度の人数では朝鮮を治めることは困難である。
その上言語が通ぜぬから一所々々に通詞も物識も多数必要であって殊の外難しい処である。

明は弓矢にかけては朝鮮よりも弱いといはれて居るが、恐らく人が足らぬであろう。
それは朝鮮に渡海せらるれば推量せられることが出来る。

朝鮮人は我々を奪掠を事とする八幡(ばはんしう)とのみ心得、
山中に逃げ退き、我々が少人数にて通れば半弓を以て殺傷する。
そこでまた来たなと心得て攻撃すればあさましくも逃散する。
十万の朝鮮人を五十人の日本人を以て追崩すのであるから大体御推量下されたい。

又城の数多きも申す迄もない。これは皆そこの代官所といはれて居る。
惣国は皆王の所務であるから、そこの兵糧その他多きことは限りなき程である。
されば秀吉の法度を出す衆迄も悪い物は焼き捨てて居る。
後のことはいざ知らず今は兵糧には全く事欠かぬ。(中略)

一、秀吉が京城に動座するとなれば大普請を行はねばならぬ。
如何にするか自分も分からぬ。
八月には秀吉?下の衆も打入の予定といふが唯今の処その沙汰はない。
この儘明に入らんには中々人数が不足であるから不可能である。
これ少々のことに非ず、お察しの外である。
毛利輝元(厳島文書)
>>649は追書。

653 :日本@名無史さん:05/03/10 06:57:19
倭寇は内陸部でも頻発していたんだから治安は悪く取り締まりは甘かったんだろうね。

654 :日本@名無史さん:05/03/10 17:01:40
>>650
>>599は馬鹿ウヨだろ?
朝鮮に攻め込んだところで、
そんなもの日本の江戸時代の発展に何ら寄与しないまま、
むなしく帰ってきた国賊や秀吉の所業を批判しないで、
ありえない日本勝利説でもって皇国マンセーしているのだからな。
豊臣政権に痛めつけられた庶民の痛みも分かってないようだし。
少しは頭を使え。

655 :日本@名無史さん:05/03/10 17:12:13
日本の従軍僧の慶念の「朝鮮日日記」でも「わが国の武者の暴れようは、全くすさまじいものだった。
民の家々は申すに及ばず、野も山も燃えるものはすべて焼きたてて進んでいく。白衣の〈朝鮮服の〉人が
目に映れば、老若男女の区別なく叩き斬り、あるいは捕虜にして、くさり竹の筒であごを縛って引っ立て
来た。親は子を探し、子は親を求めて嘆き悲しむ有様は、いかなる地獄図にも描かれていない悲惨さだ。
――今日もまた見た。何するつもりか、朝鮮人の子供を縛りとるのを。その侍に手を合わせて嘆願する
両親を、その場で討ち斬って子供を連れ去った.・・・」と。


656 :日本@名無史さん:05/03/10 17:32:18
>>654

>>599
の自作自演にしか見えないが。

657 :日本@名無史さん:05/03/10 17:37:43
>そんなもの日本の江戸時代の発展に何ら寄与しないまま、
>むなしく帰ってきた国賊や秀吉の所業

ここんところの解説頼む。
まだ江戸時代は始まってませんが・・・

658 :日本@名無史さん:05/03/10 20:34:50
成果が無かったわけでもないしな
損失と見合うかは別問題

ただし朝明は損失が膨大なのは確か

659 :日本@名無史さん:05/03/11 00:20:07
韓国では秀吉の朝鮮征伐も批判の対象らしいね。
こんな数百年前の話を持ち出すなんて、普通ではありえん話だ。
秀吉の行いは間違っていなかったな。

660 :日本@名無史さん:05/03/11 00:30:01
>>659
そういうのを政治的、思想的なレベルに上げるから
彼らがバカに見えてしまう。

日本人も彼らの調子に合わせているだけじゃなく、
自分らの視点で堂々と史的評論を展開すべきだろうな。

661 :日本@名無史さん:05/03/11 02:33:22
正解なら>>606で既出なんだがね。

662 :日本@名無史さん:05/03/11 03:43:20
あほらし

663 :日本@名無史さん:05/03/11 05:19:32
しかしこれだけ大損害を受けて、よく李朝はこの後300年も王朝を維持できたもんだな。

664 :日本@名無史さん:05/03/11 07:02:15
もともと焦土でしたから

665 :日本@名無史さん:05/03/11 16:58:45
秀吉の西成征伐スレ

666 :日本@名無史さん:05/03/11 17:56:06
>>655
大坂の陣でも徳川方が同じようなことをやってるから事実っぽいね。

667 :日本@名無史さん:05/03/11 19:18:59
>>655
何と野蛮な・・・
想像を絶するね。

668 :日本@名無史さん:05/03/11 19:34:09
朝鮮半島では昔ながらの日常風景だから、
想像する必要も無いんだけどな

669 :日本@名無史さん:05/03/11 20:00:46
次の関東大地震は、関東人を大虐殺する絶好のチャンス

670 :日本@名無史さん:05/03/11 20:20:03
阪神では関西人の大虐殺が行われたからな。
大喜びした連中がいるそうじゃないか。

671 :日本@名無史さん:05/03/11 21:00:51
朝鮮人も降倭を大虐殺しているが何か?

672 :日本@名無史さん:05/03/11 21:38:31
文禄のときは降倭は皆殺しにされています

673 :日本@名無史さん:05/03/11 22:15:05
>>672
サヤカの話と矛盾するのは何故?

674 :日本@名無史さん:05/03/11 22:15:01
493 :マンセー名無しさん :05/03/09 20:28:06 ID:aCyVQID3
数年間交際したのですが、色々とありまして、別れることになりました。
別れの原因は、先方の国籍は関係ないところです。
別れを切り出したのは当方でして、少し揉めましたが、それはどこの国の人でも変わらないと思います。

まだ完全に別れられてはいないある日、電話がありました。
先方のお父様(心情的に様をつけたくはないのですが・・・記号だと思ってください)とは、何度も先方のお宅に
お邪魔したことがあるので当然面識があり、何かとかわいがってくれていたのです。

電話の内容は、「息子から、別れるという話は聞いた。自分は、あなたが嫁に来てくれるものと思っていたので
残念だ。一度話がしたいから来てくれないか」というものでした。

675 :日本@名無史さん:05/03/11 22:16:46
507 :マンセー名無しさん :05/03/09 20:42:59 ID:aCyVQID3
(493です。続きです)

当時は全く無防備でした。それに、別れるとはいえ彼氏のお父様ですから、あまり深く考えずに、
先方の言われる日時にお宅にお邪魔したんです。
私の方から別れると言い出したので、ご迷惑を掛けて申し訳ないな、という気持ちもありました。

当然、先方(わかりにくくなりますので、仮にAとします)と先方のお父様(以後Aの父とします)と
3人でお話するのだろうと思って訪問すると、Aの父しかいませんでした。

家に通されて、Aの父の話があったのですが、要約すると
「自分はあなたのことが気に入っている。
だから、息子と結婚するのを楽しみにしていのたのに、別れると聞いて悲しい。
どうせ息子の方が悪いのだろうから、自分から叱っておくから、どうかよりを戻して欲しい」という内容でした。

当方は、「お気持ちは嬉しいですが、これはもう決めてしまったことですし、Aさんを叱って元に戻るという
話ではありません。よりは戻しません」と、お伝えしました。

だんだんAの父は話すうちに感情が高ぶってきたらしく(でも、火病というほどではありませんでした)
「あんなによくしてやったのに」とか、「在日だからってバカにしている」とかいろいろと仰っておりましたが、
当方の主張は変わりませんでした。

676 :日本@名無史さん:05/03/11 22:17:34
510 :マンセー名無しさん :05/03/09 20:48:29 ID:aCyVQID3
(493です。続きです)

Aの父は、どう話しても当方の意志が変わらないということがわかったのか、

「わかった。それでは、あなたはもう関係がなくなるわけだから」

というようなことを言うと(あまり覚えていません)、いきなり押し倒されました。

ずっとうわごとのように「息子と付き合っているときから好きだった。悪くはしないから、今度はこっちと付き合え」
とか言っていたような気がします。

当方は、全く想定外の出来事に身動きが取れない状態でしたが、下着に手がかかった時にむらむらと怒りが
湧いてきて、必死で抵抗しました。

677 :日本@名無史さん:05/03/11 22:18:17
524 :マンセー名無しさん :05/03/09 20:55:41 ID:aCyVQID3
(493です。続きです)

必死の抵抗の甲斐あって、なんとか未遂のまま逃げ帰ることができました。

それからはもう怖くて、Aとも接触をしないようにして、結果的に別れることができました。

ところが、Aと別れてから後、友人関係から(当方とAの仲は周知のことでした)
「Aから逃げているって?ちゃんとしなさいよ」というようなことを言われるようになりました。

最初は、逃げていないでちゃんと別れろということなのかと思いましたが、実はそうではありませんでした。

Aが、友人周りに「金を貸したままで連絡が取れなくなった」と吹聴してまわっていたのです。

身に覚えの無かった当方は、友人に(この友人は、もともとAの友達で、交際していくうえで親しくなった人です。
仮にBとします)真偽のほどを尋ねてもらうよう頼みました。
自分ですればよかったのでしょうが、当方としてはこれ以上関わりたくなかったのです。

678 :日本@名無史さん:05/03/11 22:19:03
540 :マンセー名無しさん :05/03/09 21:04:10 ID:aCyVQID3
(長くなってしまって済みません。493です。続きです)

Bに追及されたAの話(なので、伝聞です)

「自分は、あの女にいろいろと奢ってやったり貢いでやったりしたのに、恩を仇で返すようなことをされた。
交際した数年間にあの女に使った金が○○○万くらいだから、それを返させたい。
最近では自分からは連絡がつかなくなったから、周りに頼んでいるだけだ」

当方はBを通じて、
いくらなんでも7桁も使わせたはずはないし、もし使わせたとしても当方は支払うつもりはない。
あまり周囲にそういうことを言いふらさないで欲しい。

ということを伝えました。
同時に、周囲には当方から事情を(といっても、Aの父のことは話せませんでした。上記のAの言い分のことを)
説明し、この件は収束したかのように思いました。

話が前後してしまって申し訳ないですが、間に入ったBという人は親の代で帰化した人です。

679 :日本@名無史さん:05/03/11 22:21:11
555 :マンセー名無しさん :05/03/09 21:13:05 ID:aCyVQID3
(493です。続きです。)

もともと、Aが、「当方が借金を踏み倒して逃走」話をしても友人達は「(当方が)そんなことをするはずはない」と
信じていなかったので、当方が友人達に事情を説明したらそれで終わるはずだったのです。

そんなある日、Bから連絡がありました。
「A絡みのことで話がある。出て来てくれ」

行ってみると、
「Aが君に使った金は自分から弁償しておいた。
これで君は自由の身だ。
だから、自分と付き合って欲しい」
と言われてしまいました。

当方は、味方だと思っていたBのあまりの言動に、文字通り固まってしまいました。

680 :日本@名無史さん:05/03/11 22:22:28
595 :マンセー名無しさん :05/03/09 21:26:53 ID:aCyVQID3
(お言葉に甘えて続けます。493です)

あまりのことに固まってしまったのですが(今なら「斜め上」という言葉で理解できるのですが、当時は本当に無知でした)
気を取り直して、何を言われてもBとはおつきあいするつもりはないことを繰り返し続けました。

思い起こしても、火病という感じでは無かったのですが、かなりしつこかったです。
何とかその場は、「付き合う気はない」ということを伝えて帰ることができたのです。が・・・

数日後、他県に住む当方の父から電話がありました。
「お前、AとBに金を借りて逃げているって?本当か?」

どうやら、当方に付き合う気がないとわかったので、お金を取り戻そうと、実家の方に連絡したようなのです。

当方は、父にこれまでの経緯を説明しました(が、ここでもAの父の話はできませんでした)。
事情を呑み込んだ父は、「おまえでは対処のしようがなかろうから、自分が出て行って話をつける」ということに
なりました。

実は当方の父は某地方公務員で、法律関係やトラブルの処理にも慣れているのです。
当方としては父の手を煩わせたくなかったのですが、事態がここまで進んでしまったので、頼ることにしました。

数日後、父が他県から出て来て、某ファミレスにAとBを呼び出して話をするということになりました。

681 :日本@名無史さん:05/03/11 22:23:33
611 :マンセー名無しさん :05/03/09 21:40:22 ID:aCyVQID3
(493です。続きです。)

(ネタではありません。信じてもらえないかもしれませんし、いろいろとぼかして書いてあるところもありますから
疑われても仕方がないですが。ずっと、誰にも言えずにいたので、ちょっと聞いて欲しかっただけです。
それと当方、それほど美形でもありません。なぜA達がこだわったのかは謎です)

当日、ファミレスで会談する前に、父から事実関係をもう一度尋ねられ、父はそれを文書にしていました。
それと、一応レコーダも用意し、更に何か騒ぎが起こったときのため、少し離れた席で母が他人のふりをして
様子をうかがうということになりました。

約束のファミレスに少し早く到着し、当方がスタンバイを済ませたところでAとBがやってきました。
最初は「お宅の娘のお陰でひどい迷惑を被った。借金の返済もあわせて○○○万円用意しろ」
という感じで居丈高だったのです。(ちなみに金額は、当初Aが言いふらしていた額よりも1.5倍ほど増えていました)

しかし、父が身分を名乗り、冷静に事実関係を確認していくうちに、むこうの勢いはみるみるうちに減速していきました。

最終的には、金のやりとりはしない、これ以上請求しない、周囲に言いふらさない、これ以上当方に近づかない、
という形で決着しました。その旨書面にし、AとBのサインももらいました。

これでやっと解放されると思ったのです。(いつもこんな続き方で申し訳ないです。あと一回だけです)

682 :日本@名無史さん:05/03/11 22:24:26
627 :マンセー名無しさん :05/03/09 21:51:22 ID:aCyVQID3
(493です。もう終わりです。)

AとBが書面にサインした後、父が
「A君もB君もまだ若いんだから自分の力で頑張りなさい」的な説教をし、軽く雑談して会談は終了したのです。
その雑談のなかで、
父「遠方から出て来たから疲れた。今日はこっちに宿を取っているので、明日帰る。ついでに久しぶりに会うので
娘も宿に泊める」というようなことを言ってしまったのです。

翌日、自宅に戻った当方が目にしたのは、空き巣に入られて荒らされた我が部屋でした。

即通報し、暫く後に犯人が捕まったとの連絡があったのですが、犯人はAとB(と仲間)でした。

父の手前、金のことはもう要求できなくなったし、大人しくしていたが、やっぱり考えたら賠償させなければ
収まらないので、うちに侵入したらしいのです。

幸いというか何というか、現金を少し取られただけで済んだのですが、実際の被害以上に精神的なダメージを
受けた当方は、実家の支援を得て引っ越し、電話番号等も変えました。

それ以後、何もなくなりました。

長々と聞いてくださってありがとうございました。
ずっと、一人で抱えていたので、ちょっとすっきりしました。

683 :日本@名無史さん:05/03/11 22:25:20
663 :マンセー名無しさん :05/03/09 22:04:57 ID:aCyVQID3
(493です。)

皆さま色々とコメント下さいまして、ありがとうございます。

今まで、空き巣に入られたことがもう怖くてしかたがなかったのですが、もし当方が外泊しなかったら、
そういうことまで起こっていたかもしれないですね。今更ながら恐ろしくなりました。

補足しますと、Bとしては
「Aの借金(?)があって当方が別れられないでいる→自分が肩代わりしてやる(本当に、AとBの間には金銭の
やりとりがあったようです。いくらかはよくわかりませんが)→これで当方と付き合う」

と行くはずだったのに、ここで当方が交際を断ったので、
「恩知らずにひどい目に遭わされた者同士、結託しよう→本人からはたいした額はとれないだろうから、
実家に連絡してやろう」となったようです。

AもBも、Aの父のしたことは知らないはずです。
本当は、会談する前に両親に打ち明けるべきだったのかもしれませんが、とても言えませんでした。
実は現在に至るまで、そのことは両親にも伝えていません。

684 :日本@名無史さん:05/03/11 22:27:09
696 :マンセー名無しさん :05/03/09 22:44:55 ID:2RLqCbaF
最近のネット右翼は巧妙なやり方で大衆を煽動しているようだな
私は一見しただけで493が嘘をついているのがわかった

493が嘘をついているという根拠
1.一度朝鮮民族男性と付き合った日本女は朝鮮民族特有の魅力と猛々しく野太いゾンドゥーに魅了されるので
  分かれることが無い

2.朝鮮民族男性はその民族的優越性故に平均収入が日本人より大きく優越し
  尚且つ気前が良いので奢った金を返せなどと言うはずが無い

以上の理由から493は嘘をつき朝鮮民族と日本人を仲違いさせ
アジアの団結を妨害する国粋極右工作員であることがわかるのだ

685 :日本@名無史さん:05/03/12 00:08:53
>朝鮮民族特有の魅力と猛々しく野太いゾンドゥー

何これ?
大声で泣き喚き、日本人が来るといそいそと逃げ回っていた
というイメージしかないのだが…

686 :日本@名無史さん:05/03/12 00:15:01
どうやら陰茎を意味する俗語らしい。

687 :日本@名無史さん:05/03/12 00:20:52
どうやら493氏は元彼とその友人である朝鮮人によって空き巣泥棒に入られたばかりか、元彼の父親に強姦されそうになったという事だが、
朝鮮人は493氏の災難に対しても、>>684のように下品極まりない誹謗中傷で応じる事しか出来ないのかね。


688 :日本@名無史さん:05/03/12 00:39:43
ここは朝鮮出兵を語るスレであって、くだらない自演をするスレじゃないから。


689 :日本@名無史さん:05/03/12 01:00:22
>>687
まるで従軍慰安婦にされたオモニたちに対する極右の活動家そっくりの反応だね。
最低だ。

690 :日本@名無史さん:05/03/12 01:18:06
最低なのは朝鮮人の方なのだよ。

691 :日本@名無史さん:05/03/12 01:22:54
軍人相手の商売に励んだ賃金で豪邸を建てた朝鮮人売春婦の老婆がどうしたって?


692 :日本@名無史さん:05/03/12 01:39:28
看羊録とは、犬や羊の群れのような日本と日本人を観察した記録という意味である。
ところが、その犬や羊の群れによって朝鮮民族がいかに侮りを受け、
悩まされたことか、考えさせられる問題である。

敵を罵り、侮ることが愛国であり、民族を愛することにはならない。
進んで虎穴に入る者こそ真の勇者であり、誠忠の士ではなかろうか。

と、朝鮮人が壬辰戦乱の史料に書いている。

693 :日本@名無史さん:05/03/12 01:44:13
脱線しすぎですよ。最近この板、変な対立を挟んでしか話ができなくなってきている気がする。

694 :日本@名無史さん:05/03/12 01:52:07
外国人の事を犬だ羊だと見下すような未開人は、
そういう品性下劣な習性を持つ事を軽蔑されてしまうというだけだ。


695 :日本@名無史さん:05/03/12 01:53:10
このスレに来ることもない朝鮮人に対する高尚な説教かよ。
どうでもいいよ、彼らの体質改善なぞ。

朝鮮を人蓄無害になるように弱体化させるほうが、
よほど今の日本にとって現実的・建設的だ。
戦前とは違うのだよ。
日本と欧米の信頼感が醸成されていなかった時代の
朝鮮に改革を促すような民族主義・国際主義は捨てろ。

現実には、朝鮮人がいかに悲惨な生活に陥っても
日本人は何ら損害をこうむるわけではない。
ただただ、朝鮮人が中世の闇に堕ちていくのを見守っておればよいのだ。



696 :日本@名無史さん:05/03/12 02:02:26
民主主義思想を利用して朝鮮人を家畜化するという政策ならば必ずしも協力するに吝かではないが、
俺は別に民主主義を信奉する程のマヌケではないぞ。


697 :日本@名無史さん:05/03/12 02:03:00
第一次平壌城戦闘の結果、日本軍は尚更意気揚々となり、
宣祖に送った書信には

「羊の群が、虎を討とうとした」

の一句があったほどで、祖承訓の軍を羊の群に例えて嘲笑した。

と、朝鮮人が壬辰戦乱の史料に書いている。

698 :日本@名無史さん:05/03/12 02:19:11
まあ、本物の羊は案外攻撃的な性格で、怒ると見境なく体当たりをかますけどな。
弱者には残虐非道の限りを尽くす一方で強者には媚びへつらうばかりの朝鮮人の事を羊にたとえるのは、
羊に対して失礼というものだ。


699 :日本@名無史さん:05/03/12 02:25:00
>>696
朝鮮人を家畜化する政策は戦前と同じじゃないか。
日本社会に異分子が入り込むのは大変な迷惑なのだ、と何度言えば(ry

700 :日本@名無史さん:05/03/12 02:29:47
家畜として扱ったのは李朝。日本は少なくとも二等市民として扱っている。

701 :日本@名無史さん:05/03/12 02:30:46
戦前の日本は、朝鮮人を日本人にしようとしていたんだよ。
その程度の日本史知識も無いくせに訳の分からん寝言を書くなよ。

702 :日本@名無史さん:05/03/12 02:31:21
スレ違いだからハン板に行け、と何度言えば(ry

703 :日本@名無史さん:05/03/12 02:38:47
戦前の日本は、むしろ朝鮮人を異様に甘やかしすぎ。
嘘だと思うなら「朝鮮軍司令部」で検索してみろよ。

704 :日本@名無史さん:05/03/12 02:43:09
ここは秀吉の朝鮮征伐を語るスレだ。

と、書いてみよう。

705 :699:05/03/12 02:45:33
>>701
>戦前の日本は、朝鮮人を日本人にしようとしていたんだよ。 

彼ら朝鮮人にとっては、日本人になることや
日本的価値観で判断・行動すること自体が家畜なんだよ。
朝鮮人にとっては働かずに他人に命令するのが理想。
せっせと汗を流して働くのは家畜そのもの。
我々日本人は朝鮮人に日本的価値観を押し付けてしまった。
「労働は美徳である」などというのは高貴な精神の持ち主である朝鮮人には通じない。


我々日本人は反省しなければならない。
彼らを放置する冷厳な判断力を持てなかったことを。

706 :日本@名無史さん:05/03/12 02:50:32
朝鮮人の考える家畜の定義など知るかボケ。

707 :日本@名無史さん:05/03/12 02:58:45
日本人=家畜だとすれば、従軍慰安婦にされた方たちは、けだものに強姦されたということか?
さぞかし悔しい思いをしたんだろうなぁ。
日本人は早急に誠意ある対応を取るべきでは?

708 :日本@名無史さん:05/03/12 03:01:18
日本人は朝鮮人を日本人として扱っていたので、朝鮮人がそれを不満に思う事の方が狂っているだけ。

709 :日本@名無史さん:05/03/12 03:01:56
>>706
異文化に対する謙虚さが足りないな。よくないよ。

「謙虚な気持ちで、朝鮮人の排除・追放」というのが今後の日本のとるべき道。
親日派朝鮮人はかえって邪魔だ。日本の決断を鈍らせてしまう。
改善するのではないか?という身勝手な期待をする日本人が増えてしまうのも問題だ。

710 :日本@名無史さん:05/03/12 03:05:49
家畜に過ぎない朝鮮人に対して謙虚である必要などない。

711 :日本@名無史さん:05/03/12 03:11:44
>>708
だから、それが傲慢なのだと何度言えば(ry

彼らは好き好んで不衛生な環境で居住していたのだから、
朝鮮の価値観を尊重しなければならない。

「日本が良いと思うことを勧めることが善である」とする傲慢を捨てるべきだ。

712 :日本@名無史さん:05/03/12 03:29:34
>>708
家畜並の劣等人種、小倭人と一緒にされちまったら、土人でもぶちきれるだろ。

713 :日本@名無史さん:05/03/12 04:35:11
慶長三年五月、尉山城の重修成るや、秀吉は、
小早川秀秋・宇喜多秀家・毛利秀元・浅野長慶等以下
その兵約七万余人に帰朝、休養をさせた。
その後の諸城の配備は概ね下の如し。

尉山城 兵一万人 加藤清正

西生浦城 兵五千人 黒田長政

釜山ノ本城 兵五千人 毛利吉成等(島津忠豊、相良頼房、伊藤祐兵、高橋元種、秋月種長)

同 丸山城 兵一千人 寺澤正成

竹島城 兵一万二千人 鍋島直茂、勝茂

昌原城 同上

見乃梁城(巨済島) 兵数未詳 柳川調信(宗ノ部将)

固城 兵七千人 立花統虎等(小早川秀包、高橋統増、筑紫廣門)

四川城 兵一万人 島津義弘

南海城 兵一千人 宗義智

順天城 兵一万三千七百人 小西幸長等(松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、五島玄雅)

兵力合計六万四千七百人

714 :日本@名無史さん:05/03/12 04:38:01
延々とスレ違いのコピペを貼り続ける馬鹿って何を考えてるんだろう。
これじゃ嫌韓厨と馬鹿にされても仕方ないっていう事がわからないのかね。
ハン板に行っても馬鹿にされるぞ、これじゃ。

715 :日本@名無史さん:05/03/12 06:03:31
無駄にスレを消費させて妨害しているのはチョンでしょう


716 :日本@名無史さん:05/03/12 07:03:48
日本国民の事を日本国民として扱う事を家畜扱いだと考えるような蛮族をどう扱おうと、それは文明人たる日本人の決める問題だ。

717 :関東人=朝鮮人:05/03/12 07:08:47
蝦夷征伐の足ががりとして、関東に多くの人を移住させ、開拓に当たらせた。
その移住民とは、主に奴婢、浮浪人、蝦夷征伐軍に従軍した兵士、百済など朝鮮半島からの移住民、
朝廷軍に降った蝦夷「俘囚」などである。

この後の戦いでも同じですが、将軍などの幹部は別として、蝦夷と直接鉾を交わす下級
兵士たちは板東(関東地方)から動員されていきます。
都からくるのは罪人・賤民・などでした。

http://www17.cds.ne.jp/~stray/yokohama/yurai.html
胸刺の刺は朝鮮語の で矢が胸をさすことをいい、朝廷の先兵として入植した朝鮮人の開発するさまをあらわした。

http://www5.tok2.com/home2/okunouso/0111.htm
武蔵・相模の地は、高麗・高句麗・百済・新羅など朝鮮半鳥系の帰化人によって開拓され、
武蔵の区域は二分裂し、互に本系を表示する「宗国」「主国」の意を古朝鮮語の訓で称え「ムネサシ」と云い、
一は「胸刺」の字をあて、一は「ネ」が略された「牟邪志」の字をあてて表わしたもので、
これに対して相模の地域の方は、本系を表わすのに「真」を用いて「真城(マネサシ)」(真倉)といい、
これが後に相模の枕言葉になったものである。

718 :日本@名無史さん:05/03/12 07:52:39
>>715
オレもそう思う。

719 :日本@名無史さん:05/03/12 12:53:26
>>673
日本側の資料で裏切った人(岡本越後とか)は大体慶長なんだけど
サヤカは実在しないという傍証?

720 :日本@名無史さん:05/03/12 13:39:13
街宣右翼には朝鮮人が多い。
竹島問題を放置する連中は国賊。

721 :日本@名無史さん:05/03/12 17:36:38
ついに数え切れない数の王氏族が朝鮮半島から追い落とされるように、
>>717

「すでに拠点を持っていた倭国に逃げ渡ってきたからである。
クニを奪われた怨念は1400年たったいまなお、日本の王氏族の中に血脈となって流れ、
それが中国、韓国への頑なな反中国、嫌韓国の排他主義を育てるようになったのである。」






あは。



722 :日本@名無史さん:05/03/12 17:42:51
>>717

>「彼らの狙いは倭奴(weadoo・蝦夷)を征し、
>失った百済を建設することであった。
>802年、坂上田村麻呂のアテルイ征伐でその第一歩が始まったのだ。
>その果てに「もとイル(日本)」の倭奴文化を乗っ取り、アテルイの死を待って百済王権は国号を『日本』と唱えるのである。
>下に付記したがアテルイ(蝦夷)から日本という名前を「これ幸い」とばかりにのっ取り「其ノ號ヲ冒」したということだ。
>日本が成りすまし国家というゆえんだ。」


スレ違いだけど勉強になるなあ。

723 :日本@名無史さん:05/03/12 17:50:24
>>722  百済王権は国号を『日本』と唱えるのである。

百済ヤマトですね。常識ですよ。

724 :日本@名無史さん:05/03/12 20:51:03
朝鮮人は本気でそういう寝言を真に受けるような馬鹿なのかな?

725 :日本@名無史さん:05/03/12 21:55:07
反論があるんならしてみろよ。
どーせお前らウヨ厨などには無理だろうけどねw

726 :日本@名無史さん:05/03/13 01:56:55
>>717
とてもファンタジーですね。
それにしてもよく思いつくわ(w

727 :日本@名無史さん:05/03/13 16:38:59
朝鮮方は軒並み高官が戦死しているな

728 :日本@名無史さん:05/03/13 16:43:01

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm

729 :日本@名無史さん:05/03/13 16:44:34
反論もへったくれもない。
朝鮮人が吹聴するSF伝奇小説には史料による裏付けが無いという現実を見失わなければ別に問題無いのだ。

730 :日本@名無史さん:05/03/13 20:50:57
毛利輝元は文禄の役の経験に徴して、
到底慶長の役も成功すべからざることを承知して居られたから、
北九州下向は兎に角、再度朝鮮に出征することは非道なりと信じて居られた。
そこで厳島神社に下の願文を捧げて渡鮮に及ばぬやう祈願せられた。

今度高麗渡海御?、申方角之儀候間尤存候、然処内々病を被成御分別、御相違候段之事
一、上様之儀、かけうしろなく有かたく存候、正直を守、無よく心信候むね、あいちかい不申候、
重?渡海は身上の迷惑ニ相極候、?は以神力、縦壱岐まてハ罷渡候共、其さきへ之儀無渡海
御守此時候、奉取憑候、惣別御弓矢も非道候、?は以道理、所仰たてまつる也、?立願如件
(慶長二年)八月吉日 輝元(花押) (野坂文書)

即ち領分の方角である西方の戦場であるから、
之に従軍する為に輝元が再度渡鮮せらるべき筈であるが、
病気の起ることを気遣って秀吉も渡鮮を留めている。
渡鮮は身上の迷惑であって仮令壱岐迄は罷渡ることありとするも、
それより先へは渡海の要なきやうこの際神力を以て守られたい。
大体今度の再征は非道であるから、
道理を以て斯く立願するのであると祈念せられたのである。
これ輝元が慶長の役も結局効果なきことを予想して居られたからである。

731 :日本@名無史さん:05/03/13 21:40:44
尉山城攻撃に対し、秀吉は慶長三年正月に、
増援部隊として輝元を始め長盛及び因幡・但馬・紀伊・大和の国衆
その他九鬼嘉隆以下を朝鮮に派遣するに決した。
(長府毛利文書、正月十七日、秀元充秀吉朱印状、秀元充輝元書状、吉川家文書、同日広家充秀吉朱印状)

されど間もなく秀元等の救援によって尉山城の囲も解け、
明鮮軍も遠く退却したので、秀吉はこの部署を撤回した。
そこで長盛は二十五日に在鮮中の恵瓊に、
「重?之御注進ニて不罷立候、太慶此事候」
と申し遣ったが、奉行たる長盛さへが、
出征せずして済んだことを喜んで居る程であるから、
他の諸将の間に既に闘志がなかったことは推察に難くない。
(閥閲録原本、宍戸丹後)

732 :日本@名無史さん:05/03/14 01:03:28
>「重?之御注進ニて不罷立候、太慶此事候」

よくわからんが、闘志云々じゃなくて、
状況に関して、自分が出陣する必要もなくなったので
めでたいことだ、と言っているだけじゃないの?


733 :日本@名無史さん:05/03/14 01:16:48
経理楊高は(1597(慶長二)年)五月、豊臣秀吉に書を送り、
盟約に背いて再侵した罪を叱責したばかりでなく、
直ちに撤兵帰国するよう諭した。
彼が豊臣秀吉に送った諭書の大要は次の通りである。

「勅使 経理朝鮮軍務都察院右?都御史楊高は、汝平秀吉に諭す。
大明皇帝は朝鮮国王が汝に代わって封位を請いたるによって汝の恭順を嘉し、
両国の相争うは天和を傷つけるものと憂い使臣を遣わし渡海させたり。
よって汝を勅封して日本国王たらしめ、汝に名号を授けて諸島に君臨するよう取り計らいたり。
かくして自ら皇恩を奉り、干?を収めて徳を修め、
汝の余年を安泰にし、汝の幼子も慶事あるよう深慮したり。
これただに将来の為の計画なるに、如何にして使臣一度帰国するや、
畏れ多くも敢えて盟約に背き、朝鮮の礼文を口実に再度釜山と機長の間を占拠するや。
朝鮮がこれを皇帝に告げるや、皇帝震怒され、既に和講の使臣を逮捕譴責したり。
かくして再び兵部総督を任じ、経略と経理に命じて、問罪の師を海上に起こしたり。

734 :733:05/03/14 01:41:26
汝は汝の力の程を省みて朝鮮に対抗して必ずや勝ちがたきを悟るべきである。
天朝汝の島国日本を六十六島中の一島にしかざると見るのみ。
況んや汝は既に王封を奉じ臣属するところなるに於いてをや。
しかるに臣たるものが君王に抗へば、天理これを赦さず神明また斥けるところなり。
先年汝の国の大地震はこれまさに兆しなり。
しかるに尚も福を受けず無闇に干?を動ずるは何事ぞ。
汝の齢既に六十余なれば余命幾何ぞ。汝の子十歳未満なれば孤独を如何せんや。
聞けば各島の酋長すべて汝の座を窺い、復讐と雪辱の挙を狙うとの事なれば、
干?を撤して和平を求めざれば、安んぞ国情を安んじ得んや。
ここに悍将をして軍兵を朝鮮に遣わしたるに、
一度諸島に内乱おこり、骨肉攻伐の禍いおこれば如何せんや。
且つ清正と諸将ら競って王たらんとするに於いてをや。
理を論ぜば、汝速やかに軍兵を撤収して朝鮮と修好し、
天朝の威を借るならば、諸島の?睨を圧すことも可能であろう。

735 :733:05/03/14 01:56:12
先日、朝廷に請いたる内容と、
汝との交渉内容が如何なる由であったかを明白に上奏すべきなり。
天朝においては度量を以て天地を同視するものなれば、
汝と朝鮮を総て臣子として偏ることなし。
汝若し悔いずに汝の数十万・百万軍隊を以て朝鮮を制圧するに使えば、
天朝の仁恩必ず弱きを扶け、義に依りて逆を伐つであろう。
遠からずして大兵を発し、馬軍と歩軍十万を以て釜山を討ち、朝鮮の順理を救わんとす。
福?水兵十万は両道に分かれ、
楼船を以て南海を渡り汝秀吉を大阪で捕らえ京都で問罪するであろう。
汝何処に隠れんとするや。慎んでこれを熟考すべし。
万歴二十五年五月十六日」

736 :日本@名無史さん:05/03/14 06:48:04
明も腰が引けてるな

737 :日本@名無史さん:05/03/14 07:12:13
蒙古人支配を必死に転覆してやっとの思いで元を追い払った明は、
元をアッサリ撃退していた日本を怒らせるのを警戒していたんだよ。


738 :733:05/03/14 07:54:23
>>736
その頃の明の実情は、毎年の軍旅のため国庫が底を尽き、
再び出征するとしても、四、五万の軍勢だけでは不十分であり、
しかも朝鮮からは、先ず南兵三、四千人を火急、
要害地に進駐し、救援されたいと要請して来たのである。

この度の封王の一件が原因となって、既に東征軍は悉く撤退しており、
劉延の軍兵も四川に帰っていたばかりでなく、
天津と東來(登州と來州)を守っていた南兵らも、
総て帰国した後であった。

南兵は、平壌奪還の際、約束をたがえて賞金を与えなかったので、
(李如松が平壌を攻撃した時、先登者に五千両を
与えると約束した所、南兵が先登した)
石門?に集まって騒動を引き起こしたが、
総官王保は南兵に対する感情も手伝って、ついに軍内変乱と報告したので、
南兵千三百人が誅殺された惨事もあった上、
地理的感情も作用して、召募に応じる者は少なかった。

739 :733:05/03/14 08:07:38
>>738のその頃=慶長二年二月頃の状況

740 :日本@名無史さん:05/03/14 15:04:44
>>734
>>735
昔も今も倨傲と恫喝だけは天下一品。
これだけは変わらないな(w

741 :日本@名無史さん:05/03/14 19:28:00
朝鮮侵攻での日本軍の強さを目の当たりにした経験から、鄭成功ら明の遺臣達は清に対抗するために日本に支援を求めた。
非常に残念なのは、そのときに徳川幕府は参戦を拒否したことだ。
もし鄭成功の要求を受け入れ参戦し、清と戦っていたならその後の日本の歴史も大きく変わっただろうな。
日本はこの狭い列島から大陸へ向ける目が出来て、盆栽文化と揶揄される国民性にも変化が現れたかも知れない。

秀吉の朝鮮征伐は、確かに余りにも計画性が乏しかったが、日本の歴史上、白村江での敗北以来、初めて大陸への野望に燃えた戦いだった。
この戦いで朝鮮を討伐したのであれば、日本はその後は列島を拠点にしながらも、明治維新より二百数十年も早く大陸に目を向けることが出来たかも知れない

このような妄想をすれば、秀吉の朝鮮征伐もなかなか面白いとは思うよ
まあ、失敗した以上は何の意味もないけど

742 :日本@名無史さん:05/03/14 19:30:34
そんなん普通に考えてお断りだろ。

743 :日本@名無史さん:05/03/14 19:30:45
>>741
誰がそんな妄想するかよ、朝鮮の寄生地主じゃあるまいしw

744 :日本@名無史さん:05/03/15 11:49:48
>>741
でも色々略奪できて後々助かった。
歴史オタにエンタメを提供した。

745 :日本@名無史さん:05/03/15 12:32:53
何が助かったって?
解説しろや

746 :日本@名無史さん:05/03/15 21:36:06
まったくだ

747 :日本@名無史さん:05/03/15 21:39:26
文禄・慶長の役

慶長2年秀吉逝去


748 :日本@名無史さん:05/03/16 03:55:41
大蒙古帝国でも海を越えての遠征は十万が限度
ナポレオンなんか一万程度だ
鄭和の南海遠征も五万人
ハンニバルのローマ遠征も最大で十万程度
これは海を越えての遠征が陸路の遠征より輸送に格段と困難が生じるために
どんな大国でも、十万単位の遠征は国の総力を発揮しないと出来なかったことだからだ

しかし日本は十五万の大遠征が出来た。
これは当時の日本の航海技術と船舶の建造技術そして国力が世界史的に見ても
特筆するべきものだったと断言していいだろう
しかも徳川秀吉など遠征に反対した大名も多かった中で、それだけの遠征が出来たのだ。

秀吉の朝鮮出兵はこの意味で世界史的な評価に値する面もあるな

749 :日本@名無史さん:05/03/16 08:35:53
秀吉が生きていたら領土を切り取っていたろうな

750 :日本@名無史さん:05/03/16 13:37:15
>>748
というか、組織力はたいしたものと思う。
封建諸将をまとめあげ、動かした秀吉の力量もさることながら、
参謀役の三成の手腕は買える。三成の戦況報告や事実認識、客観認識、
提言も的を得ている。
情報収集の難しいあの時代でよく現実を把握していた。


751 :日本@名無史さん:05/03/16 20:25:19
だから、日本の統一に必要だった組織(軍事、兵站)
の逝き場がなくて矛先が朝鮮へ向ったのだろう?

752 :日本@名無史さん:05/03/16 22:14:01
参謀っつーか兵站担当だろ>三成

753 :日本@名無史さん:05/03/16 22:39:22
軍監として渡海しているから、任務は兵站に限定されないのでは。
実際、清正達と不仲になったのも兵站上の問題ではないですよね。


754 :日本@名無史さん:05/03/16 23:33:18
別に石田三成だけが軍監で渡海した訳でなし。

渡海した奉行はそれこそ黒田如水もいれば長束正家、大谷吉継、増田長盛、前野長康
浅野長政、岡本重政、牧村政吉、毛利高政、一柳可遊、藤堂高虎、長谷川秀一
といれば、軍目付の竹中隆重、太田一吉、熊谷直盛、早川長政、垣見一直ってのもいますが。
三成が仕切ってた訳ではない。

つか、三成は逆に秀吉の渡海を推し進めようとして家康・利家と対立してたり
蔚山以降に、宇喜多や小西、島津らが戦線の縮小を連署で三成ら奉行3人に仲介を
願い出たのを、秀吉の意向にそぐわないとして蹴られ、挙句に蜂須賀家政と黒田長政は
臆病者と秀吉から叱責受けるハメになってる。
蜂須賀家政や黒田長政なんて、戦線縮小の嘆願の連署に名前連ねてるだけなのにね。


755 :479:05/03/17 08:45:50
>>532の続き
一方、秀吉はこの戦いの経験から、
一月十七日に各城の普請と兵糧の貯蔵の強化(浅野家文書など)、
さらに二十七日、西端の四川城の島津義弘に城普請とともに
十分な偵察の実施を指令している(島津家文書)。
この間の普請の実施については、西生浦城の主郭部に見られる改修の跡
(とくに虎口の閉鎖時期に推定される)
が好例であろう。

しかし、これらの指令と相違して、
渡海の大方の諸将の思惑は、戦線の縮小であった。
それは、突出した尉山・順天・梁山の三城からの撤退を内容とする
石田三成らの奉行に宛てた連署状(島津家文書)に表れている。
また、それに対して秀吉は二月十三日、
(右三ヶ所引取之由申候段、曲事共候、但、梁山ハ不入所ニ候間、
かとかい(亀浦城)へ可引入之由、被仰遣候事」
(立花家文書)
と矛盾した回答をしている。
このように、戦局は秀吉も認めざるを得ない状況に悪化しているのである。

以降、さらなる戦線縮小と明・朝鮮軍の反攻による絶望的な戦局の中で、
慶長三年八月十八日、秀吉が大阪城に没し、喪を秘しての撤退が始まり、
足掛け七年にわたったこの役も終焉を迎える。

756 :733:05/03/17 09:48:09
(慶長三年)一月二日、毛利秀元ら日本の援軍が
西生浦方面に接近するという情報がもたらされ、
経理楊高は三日、夜襲を試みたが、遂に尉山を抜くことができず、
四日には副総兵呉惟忠、遊撃将?国器らを現地に残留させ、
慶州を経て漢城に帰ってきた。

観察使陳?は、「備倭八議」を明国朝廷に上申した。
(二月二日頃)経理楊高は、接伴使李徳?を通じて
朝鮮朝廷につぎのような意見を伝えてきた。
「朝鮮の救援のためには、水陸十万余の軍勢を必要とする。
そのためには兵糧輸送が焦眉の急務である。
速やかに船舶を造って海運の便をはかるようにし、
慶尚道には観察使二人を派遣して慶州、星州を確保すべきである」

三日、経略??は、次のように兵馬を各駐屯地に分遣させ、防備にあたらせた。(略)
遊撃将李金は本営に帰って新手の軍兵を募らせるようにし、
藍芳威および李寧と?賽は、新手の軍勢が到着次第交代させる事にした。
一方、漢城駐留兵は、八日に出立するよう命じた。

757 :733:05/03/17 10:14:36
(慶長三年二月)四日には、董漢儒が銀一万五千両
および布地をもって兵糧を買い入れた。
二十四日、明の監軍梁祖齢は、使者を遣わして、
銀一万両を宣祖のもとに届け、これをもって軍馬を購うよう要請した。

二十九日、提督麻貴は、日本軍が大丘の兵糧庫の掠奪をはかっているとの報に接し、
副総兵解生に精兵一千を与えて、日本軍を撃退することを命じ、
遊撃将王国棟を尚州に移駐させた。

三十日、楊高は接伴使を通じて(朝鮮)朝廷にたいし、つぎのように要請した。
一、軍用食塩を市中で求めることができるようにするか、
あるいは定量を配給させよ。
二、各軍の弓矢を新製品にとりかえよ。
三、南方要地に築城し、将兵を配置すべし。

三月二十九日、経略??は経理楊高と相談し、四路並進方略を通達した。東路−提督 麻貴
中路−副総兵 李如梅
西路−提督 劉延
水路−都督 陳燐
この日、小西行長が和を乞うてきたので、
指揮呉宗道がこの旨を経理楊高のもとに伝えた。

758 :733:05/03/17 10:44:55
四月二日、楊高の意見にしたがい、銅銭の鋳造を試みたが思わしくなかった。
八日、竜山倉庫の兵糧千百八十石を忠州に向けて輸送し、
十日には明軍から兵糧輸送の催促があった。
副総兵朱佑徳から自分の指揮する兵が、旅順口に滞留中であるとの通報がきた。
兵糧にたいする保証がない限り来援はできかねるということであった。
(朱佑徳は遂に来援しなかった)
四月には、中路大将である李如梅を提督董一元と交替させた。
兄の如松が遼東で?子と戦い敗死したため、
その後任に李如梅が起用されたのである。

五月十四日、提督麻貴は南下して
新寧県(永川郡)駐陣中の副総兵呉惟忠の陣に入ったが、
日本軍が南下退却した事実を知り、再び北上した。
これより先に、小西行長は和約のために
配下の部将要時羅を使者に立てて送ってきたが、
副総兵李芳春は、任実県で要時羅を捕え監禁した。
十三日、指揮黄応?は宣祖に拝謁し、
「提督劉延が入京するのを待って、南下して日本に和を許し、
敵が兵力の半ばを引き揚げた頃を見計らって、一挙にせん滅すべきでございます」
と、楊高の和戦方策を伝えた。

759 :日本@名無史さん:05/03/17 18:33:56
>>754
に質問。
> (右三ヶ所引取之由申候段、曲事共候、但、梁山ハ不入所ニ候間、
> かとかい(亀浦城)へ可引入之由、被仰遣候事」
> (立花家文書)
> と矛盾した回答をしている。
> このように、戦局は秀吉も認めざるを得ない状況に悪化しているのである。

どうして「矛盾した回答」なのでしょうか?
守備範囲の縮小は許さない。
しかし梁山については不要だから
「かとかい」まで後退しても良い、といっているわけで。
梁山は蔚山〜順天のラインから突出しているという
戦略上の合理的理由と思いますが。
>
> 以降、さらなる戦線縮小と明・朝鮮軍の反攻による絶望的な戦局の中で、

「以降の更なる戦線縮小」とは何ですか?

結局、蔚山も順天も退かず、戦線を維持したから同年後半の明の攻撃も分散し、
確固撃破に成功したわけだから、
秀吉の判断を誤っているとは言えないと思いますが。

760 :日本@名無史さん:05/03/17 20:15:03
同意。

761 :日本@名無史さん:05/03/17 21:23:41
>>759
あまり朝鮮人や左翼の受け売りを偉そうに写しているやつの揚げ足を取るなよ。
かわいそうだろ。

762 :日本@名無史さん:05/03/17 22:38:08
>>532

>だが、西生浦城から行程わずか七里(30km弱)の
>尉山城を救援するのに十二日間を要したこと、

これなんですが、似たようなことを書いた解説本を見た事があります。
よく言われるこのソースは何でしょうかね。
教えていただけると有りがたいのですが。
つまり12日間を要したという事実についてではなく、

その所要日数の重大さを当時の人が指摘したソースです。

救援要請があって各地から西生浦まで集まってきた日数は十日ほどでしょう。
釜山からの直線距離だけで50キロくらいはある。
実行程はもっとあるはずだし、
集まってきた諸将は他にもいろんなところから来ている。
それらがすべて西生浦に集まってきた日数が10日というわけで、
これを評価しなければならない。
素人目には十分そのくらいの日数はかかると思うんですけど。
戦備の時間、相談の時間などを入れれば
実質的な行軍時間はもっと少なかったと思いますが。

763 :日本@名無史さん:05/03/18 06:16:57
蔚山がキッカケで戦線縮小したと言われるけれども、
もし「戦局は秀吉も認めざるを得ない状況に悪化しているのである」(>>755
ならば、なぜ
兵力の半数を撤退(>>713
させる必要があったのか。
戦争を終結させる意志があるにしては、
シッカリと定めの城には守りを固めさせ、
何年も持ちこたえるだけの兵糧まで送っている。
まったく辻褄が合わん。
危ない上に兵力を削減すれば余計危なくなるだろうに。
一体秀吉は何を考えているのか。

つまりこれは予定の行動で、
蔚山がどうのこうのという問題じゃないような気がする。


764 :日本@名無史さん:05/03/18 14:12:17
一つ質問があるけど、秀吉の朝鮮出兵を日本史上初めて世界に目を向けた戦いだったと
そんな形で捉えてみたいのだが、そのような歴史観で朝鮮出兵を検証した書物や小説って
あったかな?
俺の知る限り、朝鮮出兵は韓国側は日本に勝ったと持ち上げることは多くても、日本側から
持ち上げるのはほとんどないからよく分からないのだが

765 :日本@名無史さん:05/03/18 16:31:00
>>759
慶長三年五月二十二日の秀吉書状にはなんと書いてありますか?

>>762
慶長三年一月二十六日の連署状にはなんと書いてありますか?

>>754
連署状に黒田長政は名前を連ねていますか?

766 :日本@名無史さん:05/03/18 18:44:20
>>765
もったいぶったイヤな性格。
皆に分かりやすく答えたら?

767 :日本@名無史さん:05/03/18 21:35:36
>>766
はっきり言ってしまうと叩かれるかもしれない。
それが怖いからもったいぶったふりしてネチネチやってるんだよ。
かわいそうな人だからスルーしてあげて。

768 :日本@名無史さん:05/03/19 09:11:50
核心に触れたくないだけのチキンかよ

769 :日本@名無史さん:05/03/19 11:21:53
蔚山のあと確かに在鮮諸将は戦線縮小を提案したが、
秀吉はそれを封じると共に、
守りを堅固にする処方について細かく指示している。
秀吉は内地にいたので現状が分からなかったと言われるが、
実際は情報を正確に感知して適切な指令を送っている。
このあたりが非凡なところだ。

さて同時期に秀吉は
翌年あたりには大軍を差し向けるので、機を見て遼東半島を狙え、
と檄を飛ばしている。戦線縮小とは逆だ。
程なく兵力の大半を帰国させ、守勢を固めたのだが、
その段階でも穀倉地帯の全羅道を制圧するため、
そのうち大軍を派遣するといっている。

それから数ヶ月して秀吉は死ぬのであるが、
戦争終結に至る段階でも単純な流れではなく、
流動的な戦局であったということだろう。

770 :日本@名無史さん:05/03/19 13:40:48
>秀吉は内地にいたので現状が分からなかったと言われるが、 
>実際は情報を正確に感知して適切な指令を送っている。

常識で考えて、無茶な秀吉の命令を、大老・奉行が越権覚悟で改竄したとは思えんのか?
・・・思えんのなら別に良いが。

771 :日本@名無史さん:05/03/19 18:00:40
物資を補給し、城の補修を終えてから五月に兵力の大半を帰国させ、
「かとかい」を守っていた黒田長政に城を破却し、西生浦に移動せよと指示している。

戦線を縮小している。

772 :日本@名無史さん:05/03/19 18:10:31
マジレスなんだが
朝鮮軍が会戦形式で日本軍にかった戦いはあるの?

773 :日本@名無史さん:05/03/20 04:44:14
>>770
それはチト妄想ではござらぬか。

>>771
「かとかい」から西生浦に移動せよと言っているのが
「史料」なるものの読解の勉学に励まれたゆえの御教示とは承れど、

「かとかい」よりも「西生浦」のほうが、
はるかに重要度No1補給基地釜山よりも遠く離れており
かかる方面に移動せよとの秀吉の命令があったとすれば、
それは縮小どころか「前線強化」という積極防御態勢というべきではござらぬか。

774 :日本@名無史さん:05/03/20 06:57:17
>>773
かとかいを守っていた黒田長政を西生浦に移し、
西生浦にいた毛利吉成等を釜山本城に、
釜山本城の寺澤正成を釜山丸山に入らせたのでござるよ。
西生浦の兵数は、五千人のままでござる。

775 :日本@名無史さん:05/03/20 12:19:52
それを「戦線縮小」というのでござるのかのう。
兵数に見合った再配備というほうが適当かと存じ上げ候。

776 :日本@名無史さん:05/03/20 12:32:52
ようやく分かったよ。
>>755
>以降、さらなる戦線縮小
という意味は例の兵力大半の引き上げのことを指しているわけか。
だったらそう具体的に書いてくれたら分かりやすかった。
その場合「さらなる」という形容詞は不要と思われるが。

777 :日本@名無史さん:05/03/20 18:42:15
ダメだコリャ。

778 :日本@名無史さん:05/03/21 01:50:18
ダメだコリア

779 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 04:45:13
Doronpa's Page 不思議の国の韓国
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/doronpatop.htm

780 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 19:12:41
>>744
ttp://city.hisai.mie.jp/machi/rekishi/tachibana/
橘南谿が苗代川を訪れてのこと。
『西遊記』「高麗の子孫」
「‥‥この村半分はみな焼物師なり。朝鮮より伝へ来たりし法を以って焼く故に、
 白焼などは実に高麗渡りの如くにて、誠に見事なり。日本にて焼きたる物と見えず。」
窯業の発展には寄与したようだ。


781 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:38:34
まあ、別名「焼き物戦争」だからねぇ。

782 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:44:05
米軍がベトナムから撤退したのは、反戦運動のせい。
日本軍が朝鮮から撤退したのは、秀吉逝去のせい(名目上)。
でも両国を戦勝国扱いなど、到底、できはしない。



783 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 05:03:08
>>782
だって悔しいじゃないか…

784 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 06:44:39
>>780
よかったね。

785 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 06:52:21
焼き物戦争なんていっているのは半島人だけだろ

786 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 07:07:16
「焼き物戦争」は完全無欠な日本語だろ。
オール・カタカナじゃない限り、外国の言葉とは言えんな。

787 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 07:21:55
コリアは騙されたと思って、ココ一度全部読んでみなよ。

http://homepage3.nifty.com/khf11063/ss/key/KGnayu1.htm


788 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 12:36:03
韓国人は「かつての自分達は大国であった」つまり
「今の小国の姿は本来の姿ではない」
と言うことを本気で信じているらしい。
これは在日でもそう。
それが未来への夢を託すエネルギーになっているのだろうが、
疲れてくるし、空しい話だ。
秀吉の時代でもせいぜい1/3くらいの国力しかなかった。
背伸びする無理が今のあの国の悲惨な姿を作ってしまっている。
本来の姿に目覚め、分相応にやればイイ国になると思うのだが。

789 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:44:01
>>788
> 本来の姿に目覚め、分相応にやればイイ国になると思うのだが。

それは既に「韓国人・朝鮮人ではない別の何か」ではないか。(w

790 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:53:19
半島はどちらも戦前レベルですから

791 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:24:27
>>788
ずっと中国の属国だったわけで大国もくそもないのでは
と思ってる半島人はいないのか?

792 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:55:35
焼き物戦争の出典は?
まさか日本軍が朝鮮の文化を根こそぎ奪い去ったというフィクションをデッチ上げる為に日教組や朝鮮総連あたりが考案した造語というオチならもう聞き飽きたぞ。

793 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:03:48
蔵王で遭難の韓国人一行、捜索費用の支払い拒む
http://yamagata-np.jp/kiji/200503/15/news00816.html

山形市の蔵王温泉スキー場で韓国人客5人が遭難した事故をめぐり、
一行が捜索費用の支払いを拒否していることが14日、分かった。
一行は実名報道されたことを理由に、損害賠償を請求する姿勢もちらつかせている。
文化の違いが根本にある問題とも言えそうだが、外国人誘致に力を入れている県や山形市を含め関係機関に波紋が広がっている。

関係者によると、一行が支払い拒否を告げたのは、5人全員が救助された12日当日。
関係機関が宿泊先のホテルに集まり、ホテルからの通報や捜索の経過、費用などを説明した際、
一行は「捜索依頼してない」「マスコミに名前を出された」と強く抗議した。

県警は遭難時、家族らの強い要請を受け不明者の実名発表は避けたが、
新聞やテレビで実際に報道されたことをめぐり、一行の警察に対する不信感は強く、
本国に戻って損害賠償訴訟を起こす考えも示しているという。






一行はその後も、日韓両国の懸案でもある「竹島問題」を持ち出して、支払い拒否の姿勢を変えていない。

794 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 05:01:14
>>792
昔から言われているよ。
まずいのかなこういう言い方は。
(ソースソース出せだせって言われそうでw

795 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 06:49:38
戦争なんて言葉は近代用語だよな?

796 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 11:10:57
支那文化圏で長年使われた分類

対外戦争→役
内戦→乱
クーデター程度の権力争奪戦→変
文明圏を武力で拡大する戦い→征
悪者を懲罰する戦い→伐

だから秀吉が朝鮮に攻め込んだ戦争を「朝鮮征伐」と呼ぶのは少々自画自賛になる訳だが、
朝鮮が同じ戦争を「壬辰倭乱」と名付けるのは、倭を自国内の勢力として扱っている事を意味する事になり完全な誤用。

797 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 22:59:52
日本で戦争という呼び方の一番古い例は阿片戦争かな?
それ以前は◯◯の役とか××の乱といったネーミングだろう。
朝鮮征伐当時の日本人が「焼き物戦争」と呼んだかどうかは甚だ疑わしいな。

798 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 23:31:03
>>792
朝鮮半島に行ったら向こうの磁器の陶工を日本に連れ帰ったのは事実だけど。
日本では自分の窯を持たせてもらい、優れた人間は名字帯刀まで許された。
徳川時代になると帰国も認められたのに日本に残ったわけだし、つれて来られた人たちも不幸とばかりは言えまい。

799 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:26:09
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/7398/rekisi1.htm
焼き物戦争の由来あり、>>795の言うとおり近代用語。
嫌韓厨はすぐに日教組とか騒ぐが、名付けた人には他意はないようなのでバッシングも程々に。

陶工が帰国を認められたなんてのは知らないけど、連行された陶工が不幸だったとは一概に言えない。
待遇が李朝とは雲泥の差だったし、それでも故郷が良いと思ってたのもいたとは思うが。

800 : ◆GUNBOYdbqE :2005/03/28(月) 01:38:28 ID:??? ?#
朝鮮の役でつれてこられた陶工は
いわゆる
エタ、ヒニンなどと呼ばれる扱いを受けたらしい。
村からの出入りを禁止とかも。


801 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 03:17:32
>>800
そんな話はどこで聞いたの?
名字帯刀が許された人間も多かったようだし。
また、現在までその血筋が続いている陶工もある。
歴代の大名に保護されそんなに粗末には扱われなかったはずだ。
だからこそ今なお、窯が残っているわけでね

802 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 06:12:23
東郷茂徳とかな

803 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 06:41:56
まー秀吉が悪いのは確実だな!
チョンを絶滅させなかったんだからな。

804 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 07:03:03
考えてみると「倭乱」ってネーミングは、朝鮮側の苦しい言い訳に聞こえるよな。

805 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 12:44:31
別にチョソにとっては言い訳でも何でもないだろう。後金の属国になる直接の原因すら「胡乱」と呼んでるからな。

806 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:09:16
>>805
すべては中華様の目を通しての世界観。
今ではそれが
「国際社会」
という代物。
「それでは国際社会に通用しません」
正直な日本人は世界中のことかと思ったらそうではなかった(爆笑
もう誰もだまされなくなったけど。

807 :日本@名無史さん:2005/03/29(火) 19:19:17
東郷茂徳は改名する前は朴茂徳だったからな。

ハルノートの前文tentative and without commitmentを
この男が削除させたともいうから、朝鮮系日本人が大日本帝国を崩壊に導いたんだから
安重根のようなチンピラテロリストよりよっぽどウリ民族に貢献してるなw

808 :日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:13:16
本来の定義から言えば壬辰倭乱という名称は明らかに誤用だ。
しかし、女真族や日本軍が自国で散々暴れ回って悠々と立ち去って行く後姿を茫然と見送る事しか出来なかった悔しさの現れと思えば憐れなものだ。


809 :日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:56:34
朝鮮は明の属国。日本も明の属国(と朝鮮と明は考えてた)。
その属国が宗主国様に反して、属国の朝鮮を攻めた。
よって倭の乱と朝鮮は認識した。

ただそれだけ。

810 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 20:37:57
朝鮮人は昔からそんなにアホだったのか。

811 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 20:55:37
朝鮮王族の権力闘争につけこむか地方豪族でも味方につけてやればよかったのに。

812 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:24:57
秀吉の目的は百年間の戦国時代に蓄積された膨大な軍事力を海外に放出して豊臣政権の安定を図る事なんだから、
そういう効率的な侵略は本末転倒なんだよ。

813 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 22:30:21
>>812
それが理由で、非効率的な軍事作戦を実施したらマイナス面だけじゃないですか。
(実際、渡海大名達の豊臣家に対するモチベーションは明らかに下がったと思うし)

最初から勝って領土拡大を考えてなかったってこと?




814 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:28:54
勝っても負けても益

815 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:41:58
本気で支配圏の拡大を考えていたなら、琉球、台湾、呂宋方面への進出を考える所だろ。
そもそも織豊政権とは、南蛮貿易がもたらす利害を最も正しく認識している連中だぞ。


816 :日本@名無史さん:2005/04/01(金) 00:07:17
俺が織豊政権のトップとして天下人になったらそうする罠。
当時から琉球が貿易の要衝として繁栄していた事は有名な事実だし。
琉球を放置して不毛の荒野が広がる朝鮮半島に向けて進出するのは、
国仲涼子や仲間由紀江をシカトして辛淑玉に求婚するような奇行だ。

817 :日本@名無史さん:皇紀2665/04/01(金) 00:13:30
琉球方面も考えてたみたいと言う話を何かの本で読んだ
一寸どの本かが思い出せないが・・・
琉球方面の折衝は島津氏が当たったが、
琉球貿易の権益を秀吉に取られることを恐れた島津氏によって話が微妙に変わっていき、
最終的に琉球から「あや船」が来たことで琉球方面から明に攻める理由が無くなってしまい、
このルートは立ち消えになったらすぃ。

818 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:14:30
慶長の役

819 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:26:54
>>816
おぬしやるな。

820 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:38:02
>>788
韓国内のサイレントマジョリティはこんな感じだよ。
http://japanese.joins.com/html/2005/0315/20050315155458200.html

821 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:39:16
一瞬皇紀(神武紀)になって
慶長年暦??

822 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 03:48:51
>>820
そんなことよりも、

>> 日本人の自負心は、芸術(3位)、科学(6位)の分野で高いほうだ。
> 韓国人は、芸術で32位、科学で27位。「国力指数」で2、3位だった日本とドイツが
> 、歴史分野の自負心では、それぞれ27位、33〜34位(ドイツは東ドイツ地域・西ドイツ地域を分けて調べた)で、韓国(24位)より低かった。
>
> キム教授は「第2次世界大戦での敗北と恥ずかしい国家的蛮行が、それらの意識に反映されたもの」だと解釈した。

このキム教授の意見が笑える。
日本人がそのように「教育」させられたりしているからだが、
そのように「恥ずかしい国家的蛮行」を自覚しているなら、
過去の歴史に向きあって、いささかでも歴史の反省をしている証拠ではないかと
思えるのだが、
この教授の頭はそこまで回らないのか。

823 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:17:28
日本史板だけ違うのな
何故か慶長記念真紀子

824 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 07:10:42
 韓国国際政治学会が25日に主催した国際学術会議で、ダグ・ベンド米カント研究所研究員は、
「米国において韓国は莫大な費用と犠牲を注ぐほどの死活的な利益の対象ではない」とし、
「韓米両国は友好的な決別を準備しなければならない」と述べた。

 先日、「韓国は敵が誰なのかハッキリさせるべき」と要求した米下院外交委員長の特別補佐官は
「米議会で米日修交150周年記念決議案は圧倒的多数で可決されたが、韓米同盟50周年の
決議案は推進する議員が存在せず廃棄された」と話した。

 ブルース・ベクトル米空軍参謀大学教授は「大韓帝国が日本によって併合されたことや韓国戦争が
勃発したのは、すべて韓国が同盟戦略で失敗したため」と分析した。

以下略
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/25/20050325000070.html

日韓併合は韓国が愚劣だったからだってさ。
アメリカがいよいよ日本を侵略する為に捏造した反日史観を捨てる時が来たな。


825 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 07:21:26
英オックスフォード大学が韓国学課程を廃止へ
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/30/20050330000002.html

韓国人が嘘しか言わない事にイギリスの学者も気づいて見限ったらしい。

826 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:08:35
>>824
> ブルース・ベクトル米空軍参謀大学教授は「大韓帝国が日本によって併合されたことや韓国戦争が
> 勃発したのは、すべて韓国が同盟戦略で失敗したため」と分析した。
アメリカつれないな。
それじゃ、あまりに可哀相・・・

827 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:11:51
>>825

>韓国人が嘘しか言わない事にイギリスの学者も気づいて見限ったらしい。

おまえ、韓国人か?
そんなことどこにも書いてないぞ(w

828 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:46:59
>>822
キム教授って日本へ謝罪と賠償とを求めているの?

829 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:53:49
秀吉が朝鮮征伐と同時に高山国や呂宋に
日本の属国となるように書状を送ったが、
返事は来たの?

830 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:10:30
オクスフォードでは韓国学なんかに価値を認めなくなったが故の廃止だろう。
韓国学を学び、教える価値を認めているなら、韓国学が廃止になったりはしない。

すると、何故韓国学はオクスフォードでは無価値なのかが疑問となる。
韓国人の言動が虚偽に満ちている事実は韓国人の習性を詳しく知る全ての人間の常識であるので、
オクスフォードの関係者がそれに気付いて無駄を削減したという推理には極めて説得力があるのだよ。

831 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 17:29:16
財源が取れないから廃止と書いてあるが、気狂いには読めないらすぃ。

832 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:23:00
財源がとれないのは、価値の無い学問だと判断されたからだという事が理解できないのかね?
物理学や日本史が財源を理由としてオクスフォードから無くなる事は有り得ない。
分かるか?
韓国学は予算と時間の無駄だと思われてるから廃止になるんだよ。


833 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:31:32
そこまではいわんがあまり重要でない分野ということだな

834 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:15:15
韓国も周辺国の国情に翻弄され続けた国だからな
結局は韓国を研究するには、それ以前に中国や日本の研究が必要な訳で
どこかの学科を切らなければならないのなら妥当な選択だろうな

835 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:18:16
東洋史や東洋文化の履修者は日本か中国の方に流れてしまうからしかたがないかもね。クムドとかテッキョとかもっと他地域にない文化を作っていく必要があるな。

836 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:00:01
日本の大学にマリ学・ギニア学・ルワンダ学が無いのを思えば理由は簡単。
「興味が無い」から

837 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:22:39
マリ学・ギニア学・ルワンダ学
あるのか?

838 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:34:43
韓国学と同様に、本来有り得ないカテゴライズだわな。

839 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 01:01:09
韓国学というと、大韓帝国から日韓併合までと大東亜戦争敗戦後の独立してからの間なのかな?

大韓帝国以前は中国史に含めてもおかしくないしなぁ

840 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 05:31:17
>>825
>他地域にない文化を作っていく必要があるな。
「作っていく」のでなく正しくは「捏造していく」ですよね(w


841 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 06:46:35
人が悪いなあ。せっかく迂遠に書いているのに。

842 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:31:53
秀吉が朝鮮征伐と同時に高山国や呂宋に
日本の属国となるように書状を送ったが、
返事は来たの?




843 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 12:31:04
台湾は部族ばっかで交渉相手である統一政権がなく使者が何もできずに帰国。呂宋の総督は返書の件はわからないけど秀吉の侵攻に備えて防備を固めている。

844 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 13:28:40
>>843
何でそのときに台湾を攻め滅ぼさなかったのか残念でならない
台湾は地理的にみて日本列島の一つと言えなくもないし
複数の部族が混在する台湾なら屈服もたやすかっただろう。
朝鮮の前に台湾を屈服させるべきだった

845 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 13:32:02
>>844
台湾を攻め滅ぼすってw
オランダがやったようにするのが精々だってば。

846 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:06:24
でも朝鮮を攻めるくらいの兵力があったら
台湾とフィリピンを占領して欲しかったな。

かなりでかい日本列島になったのにな。

847 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:10:30
沖縄をなんとかするのが先だろうね。ちなみに異朝(琉球王朝)を征服した先に手付かずの開拓地がいくらあろうと近場の蝦夷地ですらフロンティアしてないことを鑑みると特別に勿体無いということはないかと。

848 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:19:29
まあ、侵攻も開発も貿易も移民も明治まではストップてことよ。

849 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:42:40
>>844
台湾を武力で制圧するのはある意味で朝鮮より難しいかもしれない。
ルソンになるとまた状況は違うかもしれないが。

というのも台湾は日本本土からあまりに離れすぎている。
ここに朝鮮と同じ15万の兵隊を送るのは並大抵の事業ではない。
しかもこの地は朝鮮よりはるかに疫病が蔓延する瘴癘の地である。
明治維新後の台湾征伐でも死者の90%以上は病死であった。
15万送ると14万は疫病で死んでいたかもしれない。
(もっともそんな数は必要ないかもしれないが)

当時まではどんな帝国でもこのような大兵力による長躯海上征途は不可能だった。
鄭成功のような交易を前提で就航し、かつ当地の地理人脈に明らかならともかく
秀吉の場合は有無も言わさぬ武力制圧が前提だから、
台湾に近い大陸から微弱ながらも(位置的に大陸からも大兵力動員は不可能だが)
間断ない抵抗があれば、
時間とともに秀吉軍は消耗しただろう。疫痢、マラリア・・・。
いくら戦闘能力に優れていようと朝鮮役を見ても分かるとおり
当時の衛生では処置しようがない。
加えてこの地には戦略的利としては朝鮮以下。

後年家光の時代、幕府軍が10万出兵計画を思いとどまったのはけだし賢明であった。

850 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:03:16
精強!!
李氏朝鮮軍 17万2千4百人
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/index.html#3-2

851 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:21:38
どこへ行ってもそれじゃ負けるよな

852 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:58:25
朝鮮の軍隊は五万もいないとおもうが?

853 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:19:10
官軍・正規軍は少ない、代わりに両班の私兵はイパーイ
それが通称「義兵」
何が侵略に抵抗した民衆だっての


854 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:32:15
宗氏の動員すげえな。
対馬から五千人って成年男子根こそぎじゃねえのか?
>>849
家光の十万出兵計画についてもう少し教えてくださいな。

855 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 06:46:09
島原の鎮圧軍規模でしょ?

856 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 09:52:48
>>849
鄭成功はわずかな明の敗残兵で台湾を支配しましたよ。
台湾侵攻は琉球を押さえれば簡単ですって、その琉球は日本の薩摩藩に後に押さえられましたし
加えて、台湾には統一国家はないの各個撃破すれば容易だ。


>>850
朝鮮軍は公称・20万だが、実体は陸軍・6万人・海軍2万人に過ぎず
しかも機動部隊を持たず、各地域の守備隊のみだった。
これでもまだマシってとこだな、明治の日本が朝鮮へ派兵した頃には治安維持に当たる部隊があっただけで、実働戦力は数千単位の兵力しかなかったのだから
いまの日本と同じように泰平の時代が長く続いたもので、軍部を軽視していたのですよ。

857 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 09:57:09
>>853
明治に日本が朝鮮出兵した際にも義兵の乱があったが、日本の侵略に抵抗した民衆による反乱と韓国は例によって美化しているが
実態は生活に困窮した百姓一機のようなものだったらしい。
だから組織的な軍事行動は皆無で数十・数百単位の少数の暴徒が騒乱を繰り返しただけに終始して、そのためわずかな数の日本の守備隊に一方的に叩きのめされた。

858 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:06:05
アア。つまらんことを思い出した。
李朝朝鮮時代に宗主国に頼りきりで軍隊を軽視したために、簡単に朝鮮が滅ぼされたことを指摘して
日本もアメリカへの事大と武力軽視の風潮を改めるべきだと主張したら、
「日本を侵略するとしたらアメリカでしょうか?日本はすでにアメリカの属国ですから今更のような気がします」
何てケロリと言った奴がいてね
あん時は心底頭に来た
なんと言ってもその人物はくどいほど日本は中国を侵略した韓国を植民地にした、悪いことをしたのだから謝罪しないと駄目とか
過去を贖罪し、アジア諸国の理解を得なければ日本に何があっても誰も救ってくれない何て言っていた人間で、私のことを再三に渡って非難していた人間だったからね
彼の主張は日本は外国に支配されるのは当たり前で従わねばならないが、日本が外国を支配するのは絶対に駄目で外国には従えって言っているようもんだ。

この考えは結局のところ、マンガで三流悪役の言う。・強い奴が弱い奴を支配するのは当たり前だとの発想とまるで変わらん。

859 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:32:55
あなたは有名人の方ですか

860 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:51:56
ただの皮肉じゃねーの?

861 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:00:23
台湾を占領する動機が欲しいな。
貿易地点としてなら琉球で必要十分だし。

862 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:22:40
>>849
鄭成功=鄭和の間違い。

863 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 14:16:59
俺もハン板でアメリカに事大する連中の事を朝鮮人並に見苦しいと指摘したらファビョられた。
あそこの連中は自分が朝鮮人同様のダブルスタンダードに陥ってるようだ。
馬鹿というのは伝染る病気なんだね。

864 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:38:11
【教科書検定】 目立つ韓国迎合 [04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112753502/1

中学教科書検定

 五日発表された中学教科書検定結果は、歴史・公民では神話時代の「古朝鮮」
から朝鮮出兵、先の大戦など近現代史、外国人参政権に至るまで一貫して韓国に
迎合した記述が目立つ。また、教科書の内容の基準である学習指導要領の指示を
満たしていない記述や史実に反した記述、明らかなミスも次々パスするなど検定
制度の欠陥を浮き彫りにしており、採択の段階で日本人の教科書として適切な
ものを選ぶことが求められる。

・日本神話はなおざりで「古朝鮮」記述

・朝鮮出兵は「侵略」で元寇は「遠征」

・抗日の英雄紹介

・歴史上の人物「シャクシャイン」「阿弖流為」「姜」「藤原惺窩」「植木枝盛」「柳寛順」

・大和朝廷「政権」「王権」で皇室の祖先を否定

四月六日産経新聞朝刊より抜粋

関連スレ
【教科書検定】「従軍慰安婦」写真で復活[04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112747931/
【教科書検定】拉致、「強制連行」で相殺?[04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112748477/

865 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:11:39
文禄の役では、中国支配目指して半島で宣戦膠着。
慶長の役では、前の役で随分、当初の目論見から後退した
講和条件すら達成できぬまま、撤退。
民力疲弊、豊臣系西国大名も戦力消耗。
勢力を温存した徳川は相対的に実力、声望向上。
豊臣家は二代目でアボーン。

琉球遠征、さらにはルソン遠征へチャレンジしてた方が、
たとえ失敗したにせよ、コストは安くついたのかな。
信長の妄想は、夢幻のままにしとくべきだった。

866 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:27:28
>>865
明に勝とうとしたら、30年計画ぐらいじゃないと無理。
7年ではどうにもならん。
それでも、明は打撃を受けたようだが。
ヌルハチはおいしいとこもっていきやがって。

867 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:28:40
>>862
鄭和は確か、1400年代に南海遠征を行った宦官だろ。
台湾を支配したのは鄭成功で正しかったはずだ。

868 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 06:50:31
支那の軍隊は士気と錬度が異常に低いから、人口や経済力を比較しただけで怯える必要は無い。
モンゴルも満州族も、わずかな兵力で圧倒的な支那の大軍を撃退してたちまち支配した。
支那の将兵は伝統的にわずかでも戦況不利と見るやたちまち潰走したり降伏し始めるので、
明が生き延びたのは秀吉の寿命に救われただけ。

869 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 09:41:59
>>867
そうではなくて、
「長躯海路」を経ての外征の難しさを述べている。

琉球を拠点に台湾遠征とはいうが、それをやるにしても
朝鮮海峡の20倍もの距離の海上兵站輸送が必要。
これは元の江南軍が博多に遠征してきた距離に等しい。

しかも台湾の経営自体には何の意味もなく、中国交易の
拠点としての役割しかない。
つまりリスク(資材=舟、気象条件、現地の衛生など)は大きく、
得るものは少ないということ。

870 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:20:20
だれか琉球と薩摩藩ってどれぐらいの距離があったか知っている人いませんか?

871 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:40:10
>>868
中国歴代の侵略王朝が如き手際を当時の日本ができると思うか?

そもそもあの時代の軍隊がちょっとした打撃で壊乱しやすいなんてどこの国だろうとデフォだろ。

872 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:15:32
秀吉が長生きしていたらどうなっていたのでしょうか?

873 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:41:08
>>868
>明が生き延びたのは秀吉の寿命に救われただけ。
慶長の役では、文禄のような快進撃どころじゃなかったけどな。
夜郎自大って、このこと。

874 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:55:11
>>871
中国歴代の征服王朝だって最初から上手くできたわけではないよ。

875 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:28:51
民族や宗教に基づく対立というのは、日本人が考えているよりずっと根が深い
例えば商朝の時代に弾圧を受けた少数民族の中にはいまでもその話を語り継いでいるのもいる。
実際、民族間の抗争が激しい地域ほど大量虐殺の歴史も長いだろう
明治に朝鮮を併合した日本はそのことがわかっていなかった。
近代化すれば日本の国民となりひとつとなると考えていた節がある。
其の点、異民族支配になれたイギリスなど徹底していたな、支配民族である自分達と被支配民族を厳密に区別していた。
フランスも搾取の対象として植民地を位置づけ、植民地の発展の余地を徹底的に摘み取ってしまっていた。
こうした異民族との抗争のすさまじさを知らないことが、いまの日本人の致命的な弱点のように思えるのですよね。
秀吉時代に大陸に出てそれを知っていれば、日本の近代化はもっと進んだのではないだろうか?
そんなことを考えることがあるな

876 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 03:57:58
夜郎自大というのは、朝鮮征伐が秀吉の死に伴って中断され、
悠々と立ち去る日本軍の後ろ姿を見ながら勝ち戦だと勘違いする朝鮮人の事だろうよ。

877 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 05:37:17
>>873
夜郎にしてはやられたことがでかすぎやしないか。
まともな戦いで一度も勝てなかった相手を夜郎と呼ぶほうが、
本当の夜郎というんだろうな。

878 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 06:33:08
まともに戦うことさえしなかったのは朝鮮人

879 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 18:43:55
南岸の城にひたすら立て籠もり続ければ良かったのに。

880 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:02:29
われもの戦争

881 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:26:47
>>879
それもいいが「飯が無いだろ」

882 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:42:49
>>876-877
慶長の役、経過調べろ矢。
海戦大敗、篭城戦、兵員撤退、戦線縮小の末、秀吉死去後、追撃戦くらって、逃走。
どうせ匿名でしか、発言できないヘタレだろうし、
ついでにベトナムでアメリカが敗北した理由も
項羽が劉邦に敗北した理由も分からんのだろう。
やられたことがでかすぎで、まともな戦いで一度も勝てなかったベトナムが
糞というなら別だけどな。

ttp://homepage2.nifty.com/H-Suga/kan9.html
>秀吉軍は冬に向い陸上の戦線を縮小したが、
海戦の敗北、明軍の蔚山城加藤清正包囲などあり、
翌慶長三年(1598)年三月、宇喜多秀家らは蔚山・梁山・順天を放棄して釜近地に移る事を請う。
秀吉は徐々に、諸将の撤去帰国を命じ、宇喜多秀家・毛利秀元・蜂須賀家政らは
五月二十九日帰国した(中公文庫『日本の歴史』巻十二「天下一統」林屋辰三郎・四八二頁・参照)。

慶長三年(1598)八月十八日秀吉没、こののち五大老連署状(鳥取県立博物館保管「菅文書十一」)により、
菅平右衛門達長は朝鮮から撤退した。



883 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:28:41
>882
韓国と違って得たものを戦後に役立ててるから、決して惨めな敗北じゃない。

884 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 03:33:58
>>882
香ばしい人ですね。

どうしてそこで
項  羽  と  劉  邦
が登場するのか!?

さておいて、過去レスよめや。

>翌慶長三年(1598)年三月、宇喜多秀家らは蔚山・梁山・順天を放棄して釜近地に移る事を請う。
結局これは秀吉が却下し、結果的に奏効したわけだ。
戦線縮小ではなく予定の行動。兵隊を半分引き上げたのも予定。
明年には大軍を再編し繰り出す計画もあった。

随分古い本を見ているようだが、その本はダメだよ、文禄慶長の役に関しては。
李舜臣への評価が無批判に称揚されている。
まだまだ貫井博士のほうが価値がある。

885 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 09:11:03
>>882
>海戦大敗

よせばいいのに、日本軍を追撃した李舜臣が無様に返り討ちされた件か。

886 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:34:35
>>885
どんなに優勢であっても決して深追いしてはならない
これ戦術の基本だな

887 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 15:34:09
>>882
ニートに餌を与えるな。

888 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 18:58:37
李舜臣を惨めに敗死させたのは、同国人の元均(巨済島で朝鮮水軍大敗北)
の背信も遠因にあるだろう。

889 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:07:53
ないない全く関係ない。

890 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:10:42
韓国の捏造教科書では李舜臣は敗死しなかった事になってるよ。


891 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:05:44
>>890
偶然勝ってるのに死んじゃった
ネルソンって言う例があるから
捏造もしやすいのでしょう

でも明・朝鮮がわ名のある大将が死にすぎだけどな

892 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:23:31
ネルソンと言えばアレだ、キスミーハーディってどう言う意味?ホモだったん?

893 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:20:17
逸話 立花統虎(宗茂)の知謀

文禄の役当初、釜山に侵入した諸将はみな漢城に直行するつもりであった。
この時、宇喜多秀家が「先ず太閤の裁可を仰いだ後、釜山から北上すべきか、
それとも、直ちに漢城に向かって進撃すべきか」と問うたが、
福島正則と加藤清正の意見が一致しなかったので結論が出なかった。

小早川隆景が立花の意見を問うたところ、統虎は再三辞退したが、止むなく答えて
「拙者の知るところによれば、将軍たる者戦陣に臨めば、
たとえ君命と雖も聞く能わざる事ありという。
今、将に海外に出兵したるに、万事を悉く報告し、
然る後進退を決するとすれば戦機を逸する懼れあらん。
今、漢城の防備整わず、各地で軍兵を召募中という。
軍勢未だ集まらざれば、則ち長駆して速やかに王城を攻め落とすべし」と。

894 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:43:09
隆景が「王城の防備整わず、軍兵の召募振るわざるを如何にして知りたるぞ」と反問した。

統虎はこれに答え
「若し、この国の防備整いたりとせば、釜山と東?のかくも容易に崩壊することなし。
釜山、東?の防備無きを見て、王城も又防備無からんと察知したり。
且つ吾、王城への道程を地方民に問いたるが、途中艱峻要害地、数処有りという。
若し、我が軍遅滞して速やかに進軍せざれば、
敵必ずや要害地を分守するか、然らざれば明国に援兵を請うなり。
かくの如くなれば我が軍の勢いはそがれ、進撃し難し。
よって、果敢にして迅速なる進撃あるのみ」
と卓見を述べたので、並み居る諸将はすべて感歎し、遂に進撃に移ったという。

時に二十六才で、柳川城十三万石の領主であった。
この場合の情勢判断は老成の域に達したと評されよう。

895 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 06:41:50
ウェキの記述もそうだけど何で戦死なのに李舜臣は 流れ弾に当って 死んだことになっているんだ?

896 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:02:47
現代戦であっても、スナイパーライフルで将官が狙撃された時に、
狙撃手の狙撃位置が特定できない場合は、流れ弾扱いされる罠。

897 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:13:57
討ち死にしたという事実を率直に記述すると、日本に負けた事が明白だから面白くないんだろう。
そこで流れ弾に当たって死んだという物語を強調する。
そうすれば李の死は戦いの勝ち負けから切り離されるので、史実を歪曲しやすい。
ホレイショ・ネルソンみたいに勝ち戦の中で死んだかのように思わせる為の詐術だろう。

898 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:24:13
お前はそれでいい。

899 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:26:53
鉄砲隊が充実していた島津軍と衝突してる最中なんだから、
斉射を浴びている中で射殺されたのは明白。
亀船はどうしたんだよって感じだな。
装甲板からひょこっと首でも出した所を狙撃されたか?

900 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:28:56
お前はそれでいい。

901 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:28:58
最後の戦闘は明軍の艦だからかな?

902 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:30:26
何か湧いたようだ。

903 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:31:10
誰か答えてくれているぞ。
よかったな、チンカス。

904 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:44:45
チョンは黙ってろ。

905 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 07:46:29
誰がチョンじゃい。

906 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 08:39:01
隆景の全羅道に入るや、占領地の韓民の?撫に努め、官穀を分給し、
逃亡者を召集したから、一旦逃げ去った韓民も自ら還り来たるようになった。

熊?の戦には敵の死傷するもの多かったが、
隆景はその死骸を集めて路傍に埋葬せしめ、数個の塚を築き、
その上に標木を立て、「朝鮮国忠肝義?弔」の八字を書し、篤くその霊を弔うた。

これ韓史に伝うるところで、
隆景が敵兵ながらも君国のため倒れた義勇の英霊を慰めた風懐は、
蓋し士林の美談とすべく、韓人をしてその人と為りを欣慕せしめたのである。

907 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 09:06:21
文禄の役に於て隆景と行動を共にした立花宗茂が島津忠恒に語るところによれば、
諸将の朝鮮にあるや、各意を用いて兵士の休養を図り困苦を憂えたが、
殊に隆景は部下の疲?せんことを虞れ、
絶えず陣中を巡同して、下賤の僕隷に至るまで仔細に注意を加えた。

その軍を行るに、諸将の五六里を進むる時にも、
隆景は三里前後に過ぎなかったから、
福島正則の如きは隆景に対して頗る不平であった。

然るに明の大軍南下して平壌を陥れ、京城に迫るに及び、諸将皆狼狽の色があったが、
隆景は従容としてあたかもこれを予期していたように見えたので、
宗茂、正則の如きも初めて明・朝鮮の大軍と戦うには、
正に隆景の如く慎重な態度を取らなければならぬことを悟ったという。

908 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 16:33:55
隆景は全羅道で権慄に敗退したんだっけ?

909 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:45:09
この朝鮮の役で秀吉は衰えたがそれ以上に明が衰えた
もし家康に秀吉のような野心があれば、日本が明を滅ぼし、
新興の清と対峙することが出来たのではないか

いや台湾の鄭成功への援軍を送り、清と戦うなんて未来図も面白いのではないか
何て未来図を予想したりするな

910 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:52:03
でも確か清も同盟の使者をよこしてなかったか?

日本の大名が明側と清側に分かれて戦ったりして。

911 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:47:41
>>908
李舜臣と同じで、
少数で行動していた足軽共を大勢で待ち伏せて勝ったと言っているだけだろ。

912 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 11:07:31
だろ。

か?

913 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 15:40:37
野戦の規模と言えば最大は碧蹄館?
あとは禝山ぐらい?

しらんのだが小早川隆景は全羅道で野戦やっていたのか?

914 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:51:54
ヘキテイカンは日本の大勝だったが、
ショクサンというのはどうだったのか。

チャンコロは自分らが勝ったといっているらしいが、
日本はこの戦場に暫しとどまっているので、
チャンコロを追い払った結論が出ている。


915 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 23:13:22
忠州の戦いは?

916 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 08:45:29
日本軍と朝鮮軍で野戦をやったケースってあるの?

917 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 11:26:59
当時の李朝朝鮮と日本では陸軍は軍事力が違う。
日本は百年に渡る戦争を繰りぬけてきた歴戦の猛者揃いで、練度も装備も世界的に見てもかなりのものだっただろう
一方、李朝朝鮮の方はその逆で泰平の世に惰眠を続け、おまけに伝統的に武官を軽んじていた。
頭数だけ揃えた兵士より、戦いなれした兵士がコンビネーションを組んで戦った方が強いのは当然のことだ
準備不足とか他にもいろいろあったようだが、陸戦では李朝朝鮮は日本側にひとたまりもなかっただろう。

918 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 11:51:17
>>916
龍仁戦闘

919 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 22:56:10
臨津江の戦い

920 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 06:46:09
5万の兵がわずか1000の脇坂勢に蹴散らされるとはどういうことなんだろう。

921 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 09:19:42
>>920
きっと5万のうち4万9500は小荷駄隊だったんだろ。(w

922 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 11:05:25
後方支援が充実していたわけだ。近代的だな(フーン

923 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:08:38
806 :名無し三等兵 :04/12/17 17:40:12 ID:???
朝鮮の三道勤王軍10万が壊走した龍仁戦闘での
日本側戦力について知ってる人いる?

あまりにも屈辱的な敗戦だったので
韓国では、ほとんど教えて無いらしいが。

808 :名無し三等兵 :04/12/20 11:30:31 ID:???
>朝鮮の三道勤王軍10万が壊走した龍仁戦闘

10万じゃなくて、13万だろう。

日本軍に占領された漢城を奪還する為に
全羅道、忠清道、京尚道の正規軍兵力をかき集め
13万の大兵力で三道勤王兵を編成して漢城目指して
進撃する途中、龍仁で脇坂安治の軍勢に惨敗した戦闘だな。

戦闘の展開は、まず山に立て篭もる少数の日本軍に対して
朝鮮軍の攻勢で始まったんだけど、返り討ちにあってしまって
助防将2人と古阜郡守、咸悦縣監が戦死し多くの兵力を失ってしまう。

そして次の日の朝に、日本軍の騎馬隊に宿営地を急襲され
本隊も敗走してしまい、総指揮官だった全羅監司も騎馬隊の追撃を
受けたが、兵士達が逃げながら放棄した兵器と荷物が日本軍の追撃を邪魔したので
なんとか逃げ延びたと記録に記されている。

圧倒的な兵力を持ちながら、少数の日本軍に負けるという
誠に情けないケースなので他の戦闘とは違って韓国では
あんまり話題に上らない感じだよ。



924 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 19:03:04
当時の漢字文化圏の軍隊が補給を重視していた訳が無い。
何故なら漢字文化圏においては漢籍が重要な教養科目となっており、
軍の指導者にとっては孫子を初めとする兵法書を学ぶのが常識だからだ。
その孫子では補給を明らかに軽視している。
敵から略奪して獲得する物資は、自前で用意する同じ量の物資に比べて20倍の値打ちがあると説いている。
補給の軽視どころか、むしろ略奪のススメという方が正確だ。
支那の軍隊が歴史的にそういう思考様式に固執していた事は、日清戦争でも現れている。
属国である朝鮮を日本から守るという口実で朝鮮に進撃した支那の軍隊は朝鮮各地で略奪を繰り返し、
孫子が兵法書を著した2000年前から何も改善されていない事を証明した。

925 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 19:04:13
竜仁戦闘

朝鮮軍側
全羅監司(巡察使) 李洸(兵力二万)
助防将 李之詩
光州牧使 権慄
古阜郡守 李光仁
忠清兵使 申翌
助防将 李世?
慶尚道巡察使 金?
羅州牧使 李慶福
全羅道防禦使 郭?(兵力二万)
助防将 白光彦
?悦県監 ?淵
防禦使 ?沃
忠清道巡察使 ?先覚(兵力八千)
総勢 約五万人

日本軍側
水軍将 脇坂安治
兵力 約一千六百人

926 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 01:08:07
ようするにやる気まんまんの猛犬が、
羊の群れの中に牙をむき出して襲い掛かったというわけだな。

927 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 14:01:04
そもそも総員で五万いようがそいつらが戦闘正面全てに回れるわけじゃないし。

928 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:07:18
いったい何の史料をもとにしてるのか謎

929 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 03:52:36
こういうのを聞くと、
鈴木信者は絶対に「捏造」と言うに決まっている。

930 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 04:46:31
鈴木って誰?

931 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 10:49:13
全羅道巡察使李洸は始め我軍京城に向かふを聞き
其の兵を率いて全州を発し北上して錦江の畔に達せしか會
国王出奔し京城既に陥るの報を得
乃ち兵を収めて途より還れり道の士民
李洸が戦わすして?へるを憤?するもの多し

李洸自ら安んせす更に兵を募りて四萬人を得、
兵使崔遠を留守と為し防禦使郭?をして其兵を分領し
?山の道を進みて北上せしめ自ら爾余の兵を率い
林川の路を経由し進みて郭?と?山に會す

忠清道巡察使?国馨兵一萬余人(当人の著書「聞?漫録」には八千)を以て来たり
慶尚道巡察使金?亦部下の軍官数十人及兵数百人を率い南原より来たり會す

是に於て三師相約し日を刻して進み水原に陣し
衆十萬と号し?重数里に連続す


龍仁には脇坂安治の部将脇坂左兵衛、渡邊七右衛門、
歩卒五、六百人を以て小塁を北斗門の山上に築きて之を守備し
安治は兵千人許を以て京城に在り

六月五日鮮将白光彦等衆を合せて来り囲む
左兵衛乃ち急使を馳せて援を安治に請ふ

932 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 21:50:11
つづきは

933 :鈴木信者:2005/04/19(火) 09:01:08
捏造

934 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 10:28:54
>>933
やはりな。

935 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 11:53:49
安治急を聞き自ら手兵を率いて京城を発し
山岡右近を先鋒と為し其夕龍仁に著す
塁兵其旗を望見し志気大に振ふ

安治乃ち令して敵陣を突撃せしむ
塁兵亦門を開きて出撃す
鮮兵大に敗れ走る
我軍追撃して(先鋒)白光彦、李之詩(及び李光仁、?淵)
以下一千余人を斬り二百余人を生?す

三道の軍之を望みて大に驚く
李洸等素より文人にして兵事に習わす先を争うて出奔す
全軍潰ゆること崩山の如く軍資器?を委棄して四散し
李洸等は全州に、権慄は光州に、
?国馨は公州に、金?は慶尚右道に還る

936 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 12:41:40
>>931補足
…衆十萬と号し?重数里に連続す

時に六月初旬にして我軍既に臨津江を?るの後なりき
李洸乃ち先鋒の勇将を選ひ龍仁の我営を攻撃せしめんとす

光州牧使権慄之を諫めて曰わく
「京城遠からす大敵前に當れり兵を小塁の下に頓す可らす」と

李洸聴かす先鋒将白光彦、助戦将李之詩、
古阜郡守李允仁、?悦縣監?淵等をして
精兵数千人を選抜し進んて龍仁の我営を攻撃せしむ。

龍仁には脇坂安治の部将…

937 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 13:43:20
戦前の小説?

938 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:18:36
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/

921 :名無し三等兵 :05/03/18 10:47:54 ID:???
327 :名無し三等兵 :04/05/21 15:25 ID:???
>>319
>実際は宇喜多はじめ諸隊が逃げ送れた兵を襲ったり追撃を仕掛けたりしてる。
>にも関わらず敗残兵の掃討すらできなかったわけで、

そのソースは何よ?
根拠は?

855 :名無し三等兵 :05/01/13 17:02:12 ID:???
>碧蹄館の戦いの際にも先陣の予定だった
>立花勢をさし置いて、毛利と宇喜多が先陣争いをしたらしいし。

これが本当なら、2万の明軍を1万8千(小早川・立花)で破ったどころではない。
日本軍は総出動で迎え撃ったということではないか。

939 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 16:18:07
秀吉の朝鮮征伐の結果、明も滅んだんだよな。

940 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 16:20:20
朝鮮のライバルは日本ではなく満州なのでは?

朝鮮→白虎
満州→黒龍

古代からの戦い
高句麗、渤海、清など

941 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 18:34:11
そりゃ、千回の侵略された内の九割九分は大陸からだからな。

942 :小島ユタカ:2005/04/19(火) 21:04:57
朝鮮と琉球の関係を捏造する中核派支援サイト
http://www.gusuku.sakura.ne.jp/ocean_of_gusuku_index.htm

943 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:00:57
>>942
単なるメルヘン馬鹿サイトだろ?

944 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:15:27
>>942
なんで、日本の左翼ってこういうことするの。

945 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:34:21
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1113912158/l50

韓国】親日派の財産を没収して独立功労者に与える法案
1 :番組の途中ですが名無しです :2005/04/19(火) 21:02:38 ID:cpls3sag0 ?
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/19/20050419000051.html

可決は時間の問題

946 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 12:06:56
補傳 脇坂安治龍仁の戦功

日本の諸勢湊(釜山)より都へ往来の道にて
敵数多打出て此所彼所にて味方二百三百討捕けれは
船手の大将各相談して都より湊までの通路
五里七里の間に傳の附城を拵へける

脇坂安治も家臣脇坂左兵衛、渡邊七右衛門に歩卒三百人差し添へ
五月中旬に都より七里口の山陰(龍仁)に傳の要害をは拵へける

?る所に六月五日曙より敵数萬にて彼要害を取囲み緊しく攻めければ
城中小勢にして叶い難く見えにけり急き此旨都に注進しけり

947 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 12:41:01
安治取るものも取敢えず都にありし手勢ばかりにて初夜の時分より打立ける
都より彼の要害までは僅に七里なれども
其間に大川ありて船にて渡しければ
兎角のしつらいに時刻移りて明る卯の刻に馳着ぬ

敵兵数萬小高き山に陣を張りて控へたり
安治敵の間十七八町隔りたる山陰より旗を繰出し
私従山岡右近を先駆として一騎打に押出しければ
敵陣之を見て案に相違し少し色めきてこそ見えける
城中よりも安治の旗を見て喜ひ駆出し内外の味方一つになり
惣掛りに敵陣に切て入けれは
敵陣こらへずして後の山に引退くと見えし所に
安治敵の陣取りし山に乗上げ幣を振りければ
惣勢我先にと乗上げ四方八方に駆廻り切立てけれは敵即時に敗軍しける
谷山路に追詰めて或は切て捨るもあり或は生捕にするもあり
半時の間に数萬の敵陣を小勢にして討敗りしこと
勝れたる戦功なりと朝鮮国中にありし日本の諸勢風聞しけり
斯くて生捕のもの二百人余、頸数一千余彼の山本に懸置きける

折節日本より片桐主膳正貞隆、藤懸三河守永勝御使として渡海しけるが
此合戦の翌日に安治の要害に来たり
戦場に掛置ける頸数生捕の者を見て大に感しける

948 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 18:57:39
鈴木説は立つ瀬がない。

949 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 19:49:53
なんで出典元を書かないのだろうか?

950 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 02:47:02
>>949
書くと不都合があるか、単にどこかの本の孫引きで出典を知らないだけと思われ。

951 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 08:42:23
徳富蘇峰あたりでは?

952 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 12:00:28
竜仁付近戦闘(一五九二年 自五月二十八日 至六月六日)

関連諸将および交戦兵力>>925

戦闘前の概況
本役初、全羅道巡察使李洸は、道内の兵力八千を率いて、王城守護のために、
急拠北上して公州まで到着したが、国王は既に蒙塵され、
漢城も敵に占領された由を聞き、仕方なく本道へと引き返した。
追って国王と朝臣らが行在所で?無く政務に励み、
その上、全国至る所で義兵が蜂起するのを聞き、
内心不安を押さえきれず、悶々と日々を送っていた所、
道内の士民が口々に、戦いを避けて逃げ帰ったと、彼の卑怯な振る舞いを責めるばかりか、
義烈心に燃える志士らは、等しく憤激しているとの囂々たる非難に、
益々身の竦む思いに駆られた。

時に彼の助防将であった白光彦が彼に向かって
「国王蒙塵せしにも拘わらず、公は重兵を?下に擁しながら、
戦いを避けて退いたのみか、敢えて出撃の意志も無しと見受くるに、
これはそもそも何故でござるか」
と、剣を擬し、双眼を怒らして詰め寄った。
李洸は驚き恐れて、ふたたび北上することを約して平に謝り、
辛うじて事なきを得た。

953 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 12:31:04
李洸は再び軍勢を集め、みずから二万の兵力を率い、
防禦使郭?にも二万の軍勢を分けて率いさせ、
五月二十日を期して、再度の北上出陣を敢行した。
時に忠清道巡察使?先覚も八千の兵力を率いて来た上、
慶尚道巡察使金?も、百余人の軍官及び基幹兵を率いて来たので、
ここに三道の総勢五万が温陽に集結した。

そこで行在所に、「臣らは歩騎合わせて六万を率い、初日には水原に留陣し、
陽川の北方渡船場で漢江を渡江すべく、備えつつありますが、
こうなれば漢城の敵を前後から挟撃する事ができますゆえ、
今ここで早急なる朝廷の指揮を仰ぐ次第でござりまする。
臣らはまた諸道巡察使韓応寅にも書を送り、
その回報を待っている次第でござります」と上啓した。

当時、忠清道の軍勢は、既に温陽を発って水原に馳せ向かったが、
全羅道軍は兵力・物資ともに豊富で、軍勢の隊列及び兵器・兵糧、
その他の物資を満載した?重が延々と長蛇の列をなし、
優に四、五町に亘るその隊列は、水原と竜仁の中間を目指して北上した。
このような噂を伝え聞いた士民らは、欣喜雀躍、日本軍のせん滅間近きを信じた。

954 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 13:08:06
当時、先鋒将白光彦は李洸に、
「わが軍がよしんば多勢とは雖も、これ総て各郡から寄せ集めた烏合の衆なれば、
兵力の多寡に関わりなく、各々その本邑の守令らに指揮させて、
ある邑は先鋒となし、ある邑は中軍にする一方、
一か所に集結させるよりは、十余か所に分けて駐屯させるならば、
仮に一陣が敗れたと雖も、二陣、三陣が側面で支援し得ましょう。
このように次々と相助ければ、敵の全軍をせん滅にまで追い込むことは無理と雖も、
万一の場合、敗戦になるとも、惨敗の憂き目には会うまいと存じます」と言上した。

しかし、李洸は前日、幕将に過ぎぬ彼から受けた辱しめを忘れられず、
「その方の意見は、余の方策と違うゆえ聞きいれることはできぬ」
と、拒絶し、全軍を纏めて先鋒と中衛の二つに分けたが、
このような大軍勢の進軍は、
?も群羊を追うが如く規律も秩序も無く、首尾を判じ難かった。

当時、敵将脇坂安治は、水軍一千六百余を率いて、陸上警備に当たっていたが、
その中の主力一千人は漢城に駐屯し、残りの六百余は、
部将脇坂左兵衛および渡辺七右衛門らが率いて、
竜仁付近の北斗門山と文小山に小塁を築いて駐屯していた。

一方、国王はこの時、平壌の行在所で、玉浦、泗川海戦での勝報に喜んではいたが、
内陸において日本軍が既に臨津江を渡っていたので、慌てていた折りから、
たまたま三道巡察使の上啓が届くや、
今度こそは敵の主力を粉砕するであろうと、
ひたすら勝利を信じ、勝報を待つのみであった。

955 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 14:30:10
つづききぼう

956 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 19:55:58
朝鮮の史書には、
「○○が正しい諫言をしたが聞き入れられず、結局は負けてしまった」
というのが以上に多いとは思わないか。
しょっちゅう耳にする感じがする。
元寇のときにもなかったか。


957 :聖女 ◆9RaBw0NoLw :2005/04/23(土) 01:30:25
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1113747240
仮想戦記スレどうぞ。ついでにスレアドの流布もきぼん。

958 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 03:50:53
しね。957

959 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 21:58:31
戦闘状況の概要
忠清道軍は先ず、振威県に集結して、作戦を練った後、
北上する全羅道軍と温陽で合流する計画をたてた。
一方、全羅道軍は、次のような陣立てで北上を開始した。

右縦隊ー総指揮官 防禦使 郭? 中衛将 光州牧使 権慄 先鋒将 助防将 白光彦
進路は全州ー?山ー公州ー温陽道

左縦隊ー総指揮官 巡察使 李洸 中衛将 羅州牧使 李慶福 先鋒将 助防将 李之詩
進路は全州ー竜安で渡江ー林川ー温陽道

総勢五万に満たない軍勢ではあったが、彼らは勤王軍十万と称しつつ、
温陽で四、五日間駐屯した後、六月四日、
その主力の全羅道軍は竜仁県城の南方一里の地点に進出した。
そこで北斗門山上に、日本軍の小塁が築かれているとの注進に接した李洸は、
直ちに山上の敵を討てと郭?に命じた。

この時権慄が、「倭賊は既に天険の利を占めて布陣しているゆえ、
我が軍が攻めるには甚だ不利でござる。
そのうえ、漢城すでに陥ちたいま、一道の兵馬を、
悉く出撃させた公の一挙一動は、直ちに国家の存亡に関わる重大事なれば、
公は須く自重して、万全を期すべきでありましょう。
思うに、この時に当たって、まず漢江を渡河して臨津の賊を防げば、
西路は自ずから全うされ、糧道もまた安全を保ち得ましょうほどに、
その間、わが軍は鋭気を養いながら、敵の隙を狙い、
また一方では、行在所からの王命を待つのが妥当であろうかと存じます」
と、意見を述べた。

960 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:38:04
しかし、李洸はこの意見には耳も貸さず、我を張った。
郭?は先鋒将白光彦に命じて、進撃路を偵察させた。
白光彦は直ちに偵察を終えて帰り、
「前方は木立が深く、道も狭いので、
大軍を軽々しく進めるのは再考を要します」と、言上した。
しかし、李洸は大いに怒り、全軍将兵を叱咤号令して進撃させた。
郭?は憤懣やるかたなく、
「李公のように我を張るにおいては、この度の師行、?幸順ならんや」
と、嘆じながらも、仕方無く軍兵を号令し、
生い茂った木立ちの中に分け入った。

白光彦は先鋒となって進撃する途中、
北斗門山の小塁から水汲みに下りて来た敵兵十数人と遭遇し、
瞬く間に、敵の首級十余をあげた。
この結果、全軍は敵を軽んじるようになった。

当夜、(四日)野営していた朝鮮軍は、直ちに敵の?塁を攻撃する計画をたて、
白光彦を先頭に敵陣へ突入し、塁柵を躍り越えて、
立ち向かう敵兵を右に左に斬り、瞬く間に敵首十余級をあげた。
この時、折しも夜霧が深く立ちこめ、視野が利かなかったので、
生き残りの敵兵は闇に紛れて逃げ落ちた。
白光彦とその手兵は深追いはせず、塁柵を焼き払って帰った。

一方、竜仁方面の警備に当たっていた守将脇坂左兵衛は、
急報に接すると直ちに漢城へ早馬を飛ばして救援を乞うた。
日本軍は山野に満ち溢れる勤王の大軍を見て戦う前に気を呑まれ、
小競り合いで抵抗しながら、漢城方向へと退却する一方、
主将脇坂安治へ撤退の援護を要請した。

961 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:06:08
翌五日、李洸は、竜仁県城の北方に位置する
文小山の?塁を攻撃する作戦計画であった。
先鋒将白光彦が日本陣を望み見ると、敵勢は甚だ孤弱であり、
その上、彼は前日の勝利に酔い痴れ、敵を侮り軽んじていたので、
李洸に、「歯牙にもかからぬ小賊なるゆえ、機を逸さぬがよろしいかと存じます」と、言上した。
李洸も、これを容れて出撃を命じた。

その時、権慄は再び諫めて
「小敵と雖も侮るは危ういゆえ、軽々しく進撃するを暫し措き、
中衛軍の到るを待って、攻めるが穏当でござりましょう。
先鋒将李之詩の軍勢だけで、孤軍奮闘させるのは慎むべきでありましょう」
と、引き止めたが、李洸は聞き入れず、
先鋒将李之詩に、早急に敵を討てと命じ、
一挙に文小山を攻略しようとした。

しかし日本軍は、朝鮮軍の軍勢が強大なのを見て討って出ず
?塁の中に立て籠もり、卯の刻(午前六時)から巳の刻(午前十時)に至るまで、
ただ救援軍の到着だけを待ち?びていた。

962 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:55:26
韓国人の書いた「日露戦史」のようなものがある。
市販されていないが、図書館に行けばある。
全1000ページ以上地図入りの大書。
出版は40年位前だったか。
まあ、おどろくべき「文禄慶長の役」の戦史だよ。

963 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 00:04:46
日本軍主将脇坂安治は救援の要請を受けると、
直ちに手兵を率いて漢城を発ち、幕将山本右近を前衛に立たせ、
急拠、竜仁を目指して南下した。
救援隊は正午頃、小北山に到着し、
?塁に立て籠もった敵軍と旗幟で合図の信号を取り交わしたので、
籠城軍の士気は大いに振るい立った。

一方朝鮮軍は、左右縦隊の区分も整えず、
両縦隊の先鋒白光彦と李之詩が先頭に立って進撃中であったが、
意外にも?塁東方の木立ちの中から、色とりどりの旗幟がはためき、
法螺貝の音が響きわたり、金鼓の音高く轟き、
?も数万の軍勢が突如現れたような?の声が上がった。
意外な敵の出現に気を呑まれた朝鮮軍は戦意を喪ってわれがちに逃げ出し、
人馬とも阿鼻叫喚の混乱に陥った。
白光彦は大刀を振りかざし、馬上で叱咤しながら踏み止まらせようとしたが、
浮き足立った烏合の卒を立ち止まらせる術はなかった。

このような形勢を見た敵の救援軍は、
ここぞとばかり、前後左右から襲いかかり、
?塁内の日本兵も鉄砲を乱射しながら討って出た。

964 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 00:21:04
勢いに乗じた日本軍は怒濤のように竜仁の野原を席巻し、
防戦に身を投じていた李之詩・白光彦二人の助防将および、
古阜郡守李光仁と?悦県監?淵らも、乱戦の最中で戦死した。
こうして左右両翼の先鋒軍は立ち所に敗走したが、
逸早く逃げた軍兵らは辛うじて李洸の本陣に収容された。

李洸は申の刻(午後四時)光教山の西方に進出し、
木立ちの繁み深く、視野も利かない谷間に布陣したので、
軍勢は不利な立場に追い込まれていた。

この時、忠清道軍は水原に進出し、
まず付近の敵を撃退した後、連絡線を確保しようとしたが、
敵は立ち向かうこともなく、四日早朝、竜仁方面へ退却したので、
再び方向を転じ、全羅道軍と合流した後、この地に陣取ったのである。

しかし、当日の敗戦に依って軍兵の士気は振るわず、
夜中にはしばしば根拠の無い敵襲の噂が乱れ飛び、
徒に驚き恐れて混乱の度を深めた。

965 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 01:10:41
六日の朝、朝鮮軍は李洸の命で一斉に朝食に取りかかっていたが、
まさにこの時を狙って、日本軍の騎兵一隊が不意討ちを敢行してきた。
これは、前日の勝戦に勝ち驕った主将脇坂安治の軍勢が、
朝鮮軍を侮って奇襲したのである。

奇襲隊の先頭には、五人の敵兵が金色に輝く仮面をつけ、
白地に?竜を染め抜いた旗を背負い、
白馬にうち跨って、太刀を振り回しつつ突入してきた。

全軍が何ら警戒もせず、食事に夢中になっていた矢先、
このような奇襲を受けた李洸の主力部隊は、
大混乱の末、忠清兵使申翼を先頭に、われ先にと逃げ出した。

敵の主力一千余の軍勢は、鬼面を被り猛獣の皮を羽織った奇怪な装束で、
朝鮮軍の度肝を抜き、弾丸を浴びせながら押し寄せたので
朝鮮軍は立ち所に浮き足立ち、たがいに踏みにじり、
自らの剣戟によって傷つく等、正視に耐えない惨劇を演じた。
国王から授かった勅書・印綬はおろか、
旗差物・弓矢・刀剣・戦服・兵糧器材など、一切を投げ捨てたまま敗走した。

しかし、このように潰滅し去った五万の大軍中、
ただ権慄とその?下の軍勢だけは、整然と隊伍を乱さず退却した。

李洸は軍勢を立て直すことなどは思いもつかず、
素早く平服に着替えて姿を暗ました。

日本軍は怒濤のように追撃したが、やがて深追いを思い止まり、
一里四方の山野をおおう遺棄物資を集めて焼き捨てた。

966 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 01:17:52
このように、笑うにも笑えない一場の茶番劇の一戦で、
三道勤王軍十万と称した五万の軍勢は、
朽ち果てた巨木の倒れるように、空しく崩れ去った。

李洸は、辛うじて敗残の軍勢を寄せ集めて全州へ帰城し、
権慄は光州へ、李慶福は羅州へ戻り、
忠清道軍は唯一度の戦闘もせず、
?先覚は公州へ、金?は慶尚道へと各々退却した。

この敗報に接した行在所では、尚更平壌死守の自信を失い、
君臣ともに天を仰いで溜息をつくばかりであった。

967 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:11:38
脇坂はそんなに優秀だったっけ?

968 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:18:31
>>967
いや、日本ではちょっと強い足軽レベル。

969 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:41:19
訳の分からん、出典元も明かさないものを延々書かれてもなぁ
近世日本国民史の朝鮮役?

970 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:59:08
朝鮮側の記録なんだな

971 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 22:17:27
朝鮮王朝実録?それとも増補文献備考?

972 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 23:06:18
>>968
七本槍だろ

973 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 07:22:27
七本槍ベスト4の脇坂タンです

974 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 18:17:36
倭軍の敗戦隠蔽はひどいな
皇国史観の弊害の産物

975 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 18:31:38
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_16&nid=1347097&work=list&st=&sw=&cp=1
 韓 : 日本人皆さんおめでとうございます.."'もうちょっとたくさん死ねば良いのに w""
 韓 : キムチを食べながら NHK SHOWを見物中です w
 韓 : 猿はもっと死ななければならない
 韓 : ない兵庫 のり巻きわき腹裂けたパーティー
 韓 : 世の中に正義が存在するという明確な証拠
 韓 : 日本人たちはもっと死ななければならない
 韓 : よく死んだ プヒヒヒヒヒヒ
 韓 : 列車事故で涙が出る T,.T とても嬉しくて wwwwwww
 韓 : 今日の大当りだ...日本 200名死傷...
 韓 : kita! 兵庫県オコノ−ミヤキパーティーwwwwwwwwww

976 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 19:23:01
>>974
何か反論があるなら、ちゃんとした根拠を出せよな。
ひとつ教えてやるが、お前らが受けた歴史教育はデタラメだぞ。


977 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:05:46
>>975
民度を良くあらわしていますね。
いつになったら日本に追いつくのでしょうか。
日本人の犠牲者遺族、被害者の抑制された感情の美徳。
世界最先端の文明度を感じさせます。

978 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:11:30
思うのだけど。
民族性とか伝統とか言うものはそう簡単に変わるものじゃない。
日本も戦後人柄が変わったというが、
根本的には変わっていない。
これは明治維新の境界においても断層はなかった。
断層があったというのがむしろ幻想に思える。

だから秀吉の出兵の際も上記脇坂の戦い、
蔚山の清正、シマズの泗川などなど、

日本人はきわめて感情に抑制的で目的意識を明確に持ち、
効率的に戦ったのじゃないのかな。
でないとああいう万事不利な環境にかかわらず連戦連勝の理由がわからない。

対する中国人、韓国人というのはやたら騒ぎ、状況が激変すると大混乱に陥り
指揮不当性となり、前後の見境がなくなる。
言ってることとやっていることが出鱈目。
今と変わりない。

文禄慶長の役の真実とはそういうことなのだろう。

979 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:52:33
↑嫌韓厨もここに極まれり↑

980 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:50:46
脇坂安治は龍仁の陸戦後敵の舟師??なるを聞き
龍仁の守備を宇喜多隊に委し六月十九日熊川に到り其水軍を統率す
二十八日秀吉の命令書(此書傳はらす)釜山に著し
九鬼嘉隆、加藤嘉明、及安治等をして其船艦を集中し敵船を掃蕩せしむ

安治此命に接し嘉明、嘉隆の来會を待たす
其手下の艦船六十余隻を率い熊川を発し巨済島に向かふ

李舜臣、李億?の船隊は五日(明歴六日)
元均の水師七隻と露梁に會し相共に昌善島に?泊す
翌日東風大に起り船を行る可からす?かに唐浦に到る
土民来たりて我か艦船約七十見乃梁附近に泊する旨を告く
舜臣乃ち諸将を戒め七日早朝艦を発し之に向かふ

981 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:52:42
反論があるなら根拠を出せよ。
悪態をつくだけではお前が受けた歴史教育の間違いをごまかせないぞ。

982 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:54:48
↑まず、おまいが主張してる事を根拠だしてくれよ

俺には根拠いらん、否定するなら根拠だせって
おまいはどこの人間だw


983 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:14:45
否定する時には、否定する為の根拠が必要なんだよ。
朝鮮半島以外の文明圏ではな。

984 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:20:45
見乃梁は巨済島の西端に在りて
固城半島に対し狭長なる海峡を成す
安治は敵艦を認め均しく帆を揚け之を追ふ

元均等進んて之を攻撃せんとす
舜臣之を止めて曰わく此地挟?にして暗礁多く艦船を操縦し難し
如かす之を閑山島の洋中に迎へ以て之をせん滅せんにはと
乃ち板屋船五六隻を出して之に向はしめ且つ戦ひ且つ走る

脇坂の兵勢に乗し追撃すること三里許、閑山島の西北洋中に出つ
舜臣等鶴翼の陣を張りて之を激撃し激戦すること多時
我艦船火箭の為に焚毀せられ大小艦船三十九隻を失ひ
部将脇坂左兵衛、渡邊七右衛門等戦死し安治亦殆んと危し
部下奮戦して重囲を脱し北に去り金海に還る

部将眞鍋左馬允一大艦に長たり其艦を焚毀せられ
部下二百余人と閑山島に上り憤慨して曰く
艦を喪ひ士を損し吾何の面目ありて再ひ人を見んやと屠腹して死す
部下の兵筏を編み敵船(元均)の監視を?み巨済島に去れり

985 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:23:33
>>983
肯定する時には、肯定する為の根拠が必要なんだよ。
朝鮮半島以外の文明圏ではな。


986 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:29:19
はぁ?
一体何を肯定する時だ?
根拠なら説明済みで、今はそれを否定する理由だけが出ていないだけだぞ。


987 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:46:05
>根拠なら説明済みで
どこ?根拠だよ?君の思い込みではなく、立派に証明されてる根拠ね

988 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:56:10
>>966の続き
戦闘後の概況
行在所では、直ちに李洸の職位を取り上げたが、
追って権慄を全羅監司兼巡察使に任じ、
忠清監司申翼は兵卒に格下げして従軍させた。
七月二十七日には李洸も兵卒に格下げされたが、
十一月四日には、改めて碧?へ流配された。
又、忠清監司?先覚は、九月九日に罷免し、
後任には公州牧使許?を任じた。

行在所では、この敗戦から五日目にあたる五月十一日、
平壌を退いて義州へ蒙塵することになった。

海上では唐項浦、栗浦でひきつづき大勝を博し、
また内陸地方でも茂渓での勝利等があったが、
この一戦の敗走で、五万にのぼる大軍が崩れ去ったのは痛恨の極みである。

<宣祖実録巻二十七 宣祖二十五年六月己酉 丙辰、春?堂日月録巻八、
紫海筆談、白沙集巻二十一、聞?漫録、朝野会通巻十六 宣祖紀、
再造藩邦志巻一、寄斎史草下 壬辰日録三朝野記聞巻四、宣廟宝鑑巻八、
穏峯全書巻六 記事 壬辰記事、同巻八 記事 湖南義録白?事光彦、壬辰録上>

989 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:02:36
>>893-894は朝鮮の史料にわざわざ紹介されていた逸話だが、
宇喜多秀家が上陸した日と、
日本軍が漢城に入った日を調べると面白いかもね。

990 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:02:38
根拠ならこのスレで説明されている。
無根拠にそれを否定する気かね?


991 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:18:35
>>990
だーかーらー、どこ?

992 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:21:34
ここの過去ログ嫁。


993 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:30:45
なんだ、やっぱただの妄想嫌韓厨か
レス番さえ言えないw

994 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:35:03
文献研究
朝鮮側の戦闘記録が確実性に欠けている点は学者達の等しく認める所である。
五万の大軍が敵の銃声一発も聞こえぬ前に、
又、十数騎に過ぎない敵兵の奇襲に驚き、
瞬く間に潰走したこの恥辱的竜仁敗走の記録も、
不明な点が多いのは遺憾である。

第一に、兵力においても紫海筆談では十二万と記され、
李洸の全羅軍だけでも八万となっている。
しかし寄斎史草では総勢八万と記され、
懲?録、再造藩邦志、白沙集、朝野記聞巻四など、
数多の文献には総勢五万となっている。
ここでは李洸の全羅軍を四万と見て、
忠清道軍は、?国馨巡察使の著書である聞?漫録に
八千と明記されている点からみて、
多くても五万を越えなかったであろうと思われる。
通称三道勤王軍十万と称したが、これは誇張と看?される。
竜仁平野に十万の大軍が集結したとは、どうしても頷けない。

995 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:42:47
根拠も出さず無闇に否定するキムチ野郎の分際で一体何を勝ち誇ってるんだ?


996 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:43:28
根拠も出さず無闇に肯定する妄想嫌韓厨の分際で一体何を勝ち誇ってるんだ?


997 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:49:40
泗川に二十万もいたのだから竜仁に十万もいても不思議ではない。

998 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:51:37
第二に、敵の奇襲時間にしても、再造藩邦志巻一には「昧爽」と記され、
早朝又は所謂、払暁の戦闘として取り扱っているが、
寄斎史草下では「?暗」と記され、夜間戦闘であったと見て居り、
朝野会通巻十六でも「日晩」として、黄昏時の戦闘と記されており、
春?堂日月録巻八では「午後」と明記している。

当時、その戦場に居合わせて敗走した?国馨の聞?漫録では、
この戦闘が終わって、主力軍が光教山の方に本陣を移し終わったのが
「申時」であったと記しているのを見れば、
奇襲されたのは早朝と見るのが妥当であろう。

999 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:54:11
次のスレはたたったの?

1000 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:54:34
第三に、奇襲を受けて潰走した場所においても…終

1001 :1001:Over 1000 Thread
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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