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神武天皇を無視した日本古代史研究に喝だぜ!

1 :マタ〜リいこう!:05/01/30 18:43:27
1 名前:イハレヒコホホデミ 投稿日:04/07/09 10:24
『神武天皇をまともに研究しようとしない学者は、学者とは言えません。
結局戦後の記紀無視は、戦前の記紀盲信の裏返しで、全く同じ態度に過ぎません。』
で02/08/30に始まったスレも代替わりで新スレです。
また〜り1000を目指しましょう、目標は06/06/06でど〜だ! <- 未完!

1000 名前:狭野 投稿日:05/01/29 19:38:08
1000!

前スレ:
神武天皇を無視した日本古代史研究に喝!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1030710295/
神武天皇を無視した日本古代史研究に喝だ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1089336257/

2 :日本@名無史さん:05/01/30 18:56:17
人食い天皇が2代目ゲット

3 :日本@名無史さん:05/01/30 19:10:58
オカルト板では昨夜深夜から
1月31日午後2時頃から各テレビ局いっせいに
重大発表するとリークされました。「1月31に発表される件について」スレです。
そこで問題なのが、
○玉音クラスの驚愕な事らしい。
○日本の歴史上、3度目
○「鉄砲」というキーワードをスレを立てた1が書いてます。
○神武天皇が絡むらしい

以上です。
「神武天皇」「鉄砲」「日本史上3度目」「玉音クラスの驚愕な事」が
キーワードですが、
スレ住人の予測では
○皇太子夫婦の離婚又は皇太子夫婦の皇室離脱
○遷都
○皇居移転
色々推測が出てまずか、
パート2スレでもパート1スレの1が
神武天皇が絡んでいると書いてます。

ここのスレ住人にぜひ、オカルト板の1月31日の件について予測して欲しいのです。
この話題はニュース実況板でも立ってます。
ネタでないと思います。オカ板ではパート1すれがまだ下の方に存在してますので
パート1から読んで下さい。
神武天皇が絡む事で、明日テレビでいっせいに放送する事です。
宜しくお願い致します。m(_ _)m

4 :日本@名無史さん:05/01/30 19:13:31
オカルト板にある1月31日に関するスレパート1です↓
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1107011266/l50

5 ::05/01/30 20:14:17
遷都、皇居移転はない。あったとしても、一時的でいずれ挫折となろう。
遺跡から何か出たのかい?

6 ::05/01/30 20:24:42
愛子さまが天皇に即位することは、これもない。
なるとすれば、神功皇后さまのような行き方になりましょう。
日本に再び女帝が即位するのはおおまかに、153代以降です。

7 ::05/01/30 20:28:32
ジンムテンノウ→テムジンノウン(鉄木真の運)
このことかな?

8 :狭野:05/01/30 22:08:10
>>1
スレ立て乙!

>>3
大体だよ、神武天皇と鉄砲じゃ接点が全然無いじゃないか。
遷都や皇居移転は何回もやってるから違うし、女帝(に愛子内親王が将来即位されることに決定)も5人以上いる。
やはり皇太子関連か?
わかった! 神武東征と鉄砲伝来に次いで3度目、つまり核武装だ!w

だが最も可能性が高いのは・・・ガセネタ、都市伝説の類。

9 :狭野:05/01/31 19:50:43
というわけで、ガセだったわけだが・・・

10 :日本@名無史さん:05/02/01 00:05:18
やはりガセでした。お騒がせしてすみませんでしたm(_ _)m
オカルト板でもみんな白けきった状態です。
本当にすみませんでしたm(_ _)m


11 :日本@名無史さん:05/02/01 20:53:21
>>3によれば
○玉音クラスの驚愕な事らしい。
○日本の歴史上、3度目
○「鉄砲」というキーワードをスレを立てた1が書いてます。
○神武天皇が絡むらしい

→無茶な設定だったなあ〜

12 :日本@名無史さん:05/02/01 21:03:53
で、2倍暦はいつまであったんですか?

13 :日本@名無史さん:05/02/01 21:07:07
廃止したのいつ?

14 :日本@名無史さん:05/02/02 11:52:37
大祓いと春分秋分だけで、2倍暦があったとは笑止千万片腹痛しw。

15 :日本@名無史さん:05/02/02 19:18:33
じゃなんで年二回やるのかと小一時間・・・

16 :日本@名無史さん:05/02/02 21:18:45
いつからいつまでが2倍暦なんですか?
年2回とは関係ないと思われるが?

17 :日本@名無史さん:05/02/02 21:23:47
別に2倍だけじゃないだろ。2倍だけに固執するな。
またなんで1倍になったんだ?

18 :日本@名無史さん:05/02/03 15:26:55
おいおい、2倍暦はネタだよ。
ネタとして楽しむために書いてるだけだろw。

19 :日本@名無史さん:05/02/03 15:28:58
延喜式ができたときには2倍暦があったといって、
奈良時代には2倍暦は忘れられていたといってる人がいるのはここですか?

20 :日本@名無史さん:05/02/03 16:00:10
つーか2倍暦論争するのはいいけど、それなら前スレ使い切ろうよ…

21 :日本@名無史さん:05/02/03 16:43:43
前スレどこいった?ウップしてくれ。

22 :日本@名無史さん:05/02/03 17:29:15
2倍暦は電波。これ常識。

23 :日本@名無史さん:05/02/03 18:41:23
前スレ1000までいったじゃん。

24 :日本@名無史さん:05/02/03 18:46:03
>>16
以前どこかのスレにあったが日本書紀の
崇峻紀までは記事に出てくる日付がほとんど1〜15日
つまり15日で1ヶ月の暦(今の半年が1年)ではないかと
超長命な天皇の多くが120歳程度までで死んでいることや
継体の没年齢が記紀で倍くらい違うことも理解できる
ただし神武紀・崇神紀・神功紀・応神紀は例外らしいので
これらの紀には奈良時代の史官による筆が入っている
当然記紀編纂の時点では1ヶ月は30日あったわけだからね


25 :日本@名無史さん:05/02/03 19:23:13
>>24
崇峻天皇即位前紀6月「21日」に尼たちが百済留学を願い出ているが?

26 :25:05/02/03 19:40:50
漏れは個人的には2倍暦否定派なんだが、
2倍暦派は、それを編年にどう使うつもり?
たとえば、日本書紀の年代を単純に二分の一にすれば正しい編年になるとでもいうのか?

27 :日本@名無史さん:05/02/03 20:32:01
まあ、記紀間における天皇の寿命の齟齬を
説明することからだな>否定派

28 :日本@名無史さん:05/02/03 21:47:24
>>27
2倍暦なら説明できるってw?

29 :日本@名無史さん:05/02/03 22:41:16
どうやって説明するんだよ。言えんだろw

30 :日本@名無史さん:05/02/04 09:51:09
全てが捏造、もしくは長寿の家系だった。

31 :日本@名無史さん:05/02/04 10:54:53
>>30
ワラタヨ。
捏造を認めれば、それで説明はOK.
意地を張ってる人が苦し紛れの2倍暦。
いつ終わったのか言えもしない2倍暦w。

32 :日本@名無史さん:05/02/04 12:36:46
二倍暦は5世紀末に消滅

33 :日本@名無史さん:05/02/04 13:19:58
全てが捏造っていうのも一つの立場だが、
なんでああいう風に不自然な捏造をしたのかを説明しなきゃならん。

なんらかの伝承があってそれをそのまま記載という立場なら、その説明は不要だが。

34 :日本@名無史さん:05/02/04 15:17:42
>>32
電波ハッケーン!
ソースは?

35 :25:05/02/04 16:20:11
>>27-29
日本書紀の詳細な年紀・編年はいくつかの例外を除いて基本的に後世のもので、
古事記のような素朴なものだったろうというのが通説かと思うんだが、そこは賛同するよな?
ただしだからといって古事記が一方的に正しい、とは学界の通説にはなってないが
漏れはプロの学者ではないので個人的な説としては、寿命や在位年数は古事記に拠るべきと思う。
この場合、2倍暦を一律にあてはめると、確かに神武や雄略の寿命はいい具合だが、
半面やけに寿命が短くなる例が多すぎないか?
それに(むろん日本書紀の年代にもところどころ古い伝承と思われるものもなくはないが)
2倍暦を使おうが何を使おうが、日本書紀を全体的に構成する編年という、基本的に
信用できないものをいくらいじくってもあんまり意味ないと思う。

>>30-31
漏れは「捏造説」も「2倍暦」説もとらない。誤伝や訛伝ならありうるとは思うが。

>>33
>なんらかの伝承があってそれをそのまま記載という立場なら、その説明は不要だが。

漏れはその立場。
しかし、実際の歴史とのズレが生じた経緯は説明できたらなおよいだろう。
あまり欲をださず不可知論で打ち切るべき部分も残さないとならんが。

>>32,>>34
漏れの印象だと雄略までは寿命の長さを問題視しうる天皇が時々いるが
清寧以後はとくに問題ないように見える。むろん2倍暦云々とは関係なくね。

36 :日本@名無史さん:05/02/04 16:35:36
2倍暦は合わないよね

37 :日本@名無史さん:05/02/04 16:49:45
ところで、BC660な理由は、那珂通世の讖緯説で鉄板なん?

38 :日本@名無史さん:05/02/04 17:48:25
質問します。
http://rongo.jp/kaisetsu/rongo012.html ←ここで
「聖徳太子の十七条憲法の第一条に、「以和為貴・和を以て貴しと為す」とありますが、
これは太子オリジナルのものではありません。論語のこの箇所から採ったものなんです。」

こんな意見がありましたが納得できません。

論破したいのですが、この意見を黙らせる資料がありましたお教えください。(ぺこり)
中国のパクリと言われ悔しくてたまりません。協力してください。


39 :日本@名無史さん:05/02/04 18:14:09
つか、憲法は漢文でほとんど中国語だったのだが。

40 :日本@名無史さん:05/02/04 19:33:42
>>37
那珂通世の讖緯説は、詳細な論証で否定されてるよ。前々スレにあったかな。

41 :日本@名無史さん:05/02/04 20:40:09
>>37
前々スレのそれはインチキくさいよ。
素人の範疇を出てない。

42 :日本@名無史さん:05/02/04 21:11:01
その否定も否定されてたがなw

43 :日本@名無史さん:05/02/05 01:49:25
>>41-42
へー。そうか?
那珂通世への反論、どこがダメだったのか教えてくれ。

少なくとも2倍暦電波を相手にするより面白そうだ。

44 :日本@名無史さん:05/02/05 10:55:54
過去スレに出てたよ
探してみたら?

45 :日本@名無史さん:05/02/05 11:02:51
2倍暦はどこが電波なのか?

46 :日本@名無史さん:05/02/05 11:17:00
これのことか。

87日本@名無史さんsage02/10/14 06:36
>>77,>>56
那珂通世の讖緯説だって間違ってるよ。
那珂通世は一元のめぐりを1260年としてるけどもとの一運(60年)を加算し忘れてる。
正しくは1320年、だから起点になってるは天智朝のAD660なのに那珂通世は推古朝のAD660としてる

47 :日本@名無史さん:05/02/05 11:17:34
88日本@名無史さんsage02/10/14 07:03>>77,>>56
神武即位のBC660は奈良時代に讖緯説によって推算された(悪意でいえば捏造)
という説は、あくまで仮説の域を出ない。
第一の理由は
中国に伝わっている讖緯説は「戊午革運・甲子革令・辛酉革命」のいわゆる三革説であって
1320年周期の話(那珂通世は誤解して1260年とする)は
平安時代に菅原道真を失脚させるための詭弁として突然でてきたものであって中国にはない。
これは平安時代に政治的理由によって急遽捏造された日本独自のもの。
従って奈良時代の日本書紀編纂者が「讖緯説(の1320年周期説)によって神武即位年をきめた」
ということはありえない。
第二の理由は
日本書紀は天武天皇皇子舎人親王が編纂責任者であって、父のライバルだった天智天皇には
冷淡であって近江令ほか数々の功績についても明言をさけたり、天智紀は時代が近いのに
原資料がいい加減で年代が錯綜したりしている。
神武即位がもし讖緯説(の1320年周期説)によるのならばそれは天智朝を
神武即位に次ぐ日本史の重要事件と認めることになるが、
このような日本書紀の特色からはかなり不自然に思われる。

第三の理由は
讖緯説の1320年周期説が中国由来だとする立場では、
その起点がAD184(黄巾の乱)だとされている。
讖緯説は、当時の人にすればそれは現代人にとっての科学のようなものであり
万有引力の法則と同じく大陸・半島・列島の区別なく作用する。
勝手に起点をずらしたら讖緯説そのものを否定することになる。
讖緯説を信じていたなら勝手に起点を変更することはありえず、
信じていなかったのなら讖緯説にもとづいて神武即位を推算することはありえない。

48 :日本@名無史さん:05/02/05 11:18:53
>>38
日本書紀等を信じるなら、当然中国の文献は日本に伝来していたわけだから、太子にとっては論語なんて一般教養だろう。

49 :日本@名無史さん:05/02/05 11:19:13
で、それに対する反論が、これ。

679日本@名無史さんsage03/09/18 21:34
>>88
>1、奈良時代の日本書紀編纂者が「讖緯説(の1320年周期説)によって神武
>即位年をきめた」ということはありえない。
辛酉革命できめました。60年の倍数。奈良時代以前から中国から伝わってた。
易姓革命も伝わってた。
>2、神武即位がもし讖緯説(の1320年周期説)によるのならばそれは天智朝を
>神武即位に次ぐ日本史の重要事件と認めることになるが、
>このような日本書紀の特色からはかなり不自然に思われる。
不自然でない。自然なこと。天武の目的は、自らの皇位天孫の正当化。
神武が天孫ということが必要であって、天智は別にあがめる必要がない。
>3、讖緯説は、当時の人にすればそれは現代人にとっての科学のようなもの
讖緯説の神秘な予言を最初に利用したのは、前漢を簒奪した王莽である。上円
下方の白石に〈安漢公裸,皇帝と為れ〉という符命が朱で書かれていたといい、
多くの瑞異、白い雉とか金匱図とか、吉讖が各地から奉られた。
一連の図讖が劉漢の命数の終りを告げ、代わるべき聖人の出現を予言したのである。
簒奪者の陰険な策動やどす黒い野心は、すべて神秘のベールにおおわれ、しくま
れた禅譲劇が天命の名のもとに行われた。王莽は予言に導かれ、聖なる託宣に
したがって帝位に登ったわけである。後漢の光武帝も讖緯説の異常な信者であった。
つまり、暦は、支配者の利用するもの。天文・暦は完全に政治の道具です。

50 :日本@名無史さん:05/02/05 11:26:15
んー、なんかそのほかにもいろいろ書いてあるが。
とりあえず讖緯説への反論と再反論は上の三つでいいのかな。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1030710295/l50

51 :日本@名無史さん:05/02/05 13:33:38
あんた、よく見つけるねぇ。偉いねぇ。
どうやって探すの?

52 :日本@名無史さん:05/02/05 14:19:01
どうやってって、過去スレ見て検索しただけだけど。

53 :日本@名無史さん:05/02/05 15:12:28
再反論の方が論理的だな。

54 :日本@名無史さん:05/02/05 16:37:00
>>53
そうか?

1は単に干支(60年周期)がありました、易姓革命が知られていました、ってだけで
讖緯説に対して賛成にも反対にもなってないような気がするが?

2は「反論側」が「讖緯説だと日本書紀が天智朝をもちあげるのはおかしい」といってるのに
「再反論側」が「天武自身が重要であって天智がどうでもいい」というのでは再反論じゃなくて
むしろ賛同してるような内容になってる。

3については科学であることと「権力者の道具」であることは別に矛盾しない。道具であるから
には正確に使わなくてはならないだろう。権力者だからデタラメに使ってよいという理屈はない。
仮に、日本書紀の編纂者が讖緯説をまったく信じていなかったにもかかわらずこれを利用
しようとした、と仮定しよう(この仮定自体かなりむりがあるが)。日本では当時、讖緯説が隆盛
したという気配はまったくないので、日本人向けに作っても意味が通じない。中国向けの脚色という
ことになるが、思いっきり起点のずれた讖緯説など、中国の知識人からすれば「そんな讖緯説
はねぇよ」と物笑いの種にならないか?
あとこれはオマケだが、後漢の光武帝が讖緯説の信者だったとはいえ、正統な経学から
はずれた異端説として歴代王朝はたびたび禁止している。それでも讖緯説は中国では民間
で流行した。しかし歴代王朝がまじめに讖緯説を採用することはなくなった。日本の知識人
が讖緯説を使おうと思い立つ理由は見当たらない。

55 :日本@名無史さん:05/02/05 17:07:22
道具なら使い方しだいだよ

56 :日本@名無史さん:05/02/05 17:53:33
初代スレに以前一度書き込みましたが、再度。

山本武夫が、「日本書紀の気候記事と、年輪から再現された古気候が全く一致しない
しかし、雄略以前が二倍年歴であったと仮定すると一致する。」という論文を出しています。

初出は忘れましたが(初代スレには書き込みました)、
朝倉書店『気候と文明』シリーズの監修者であり、古気候学の第一人者です。

57 :日本@名無史さん:05/02/05 17:56:37
電波ではないのですが、発表当時は「気候を根拠にする」事自体にアレルギーがあった時代で
また、歴史学会とは別の世界での発表と言うこともあってか、黙殺されてきましたので、
知らない人も多いかも知れませんが、電波ではないですよ。

58 :日本@名無史さん:05/02/05 18:11:54
なぜ、無理やり2倍暦をねじ込んでまで記紀を真実としたがるのか?
不思議なことだ・・・

59 :日本@名無史さん:05/02/05 18:13:40
古事記はどうするんだ古事記はw?

60 :日本@名無史さん:05/02/05 18:17:36
>>58
>>59
記紀が偽書でなきゃなんか都合悪いのか?
退官間際の三流研究者乙。

61 :日本@名無史さん:05/02/05 19:03:59
今上天皇を無視した日本古代史研究に喝だぜ!

62 :日本@名無史さん:05/02/05 19:19:40
>>56-57
山本武夫は漏れもリアルタイムで読んだよ。反論も前スレだか前々スレで書いたと思う。

63 :日本@名無史さん:05/02/05 21:35:11
311日本@名無史さん02/12/01 19:15
あのー、「二倍年歴は古田信者の妄想」だから否定する人が多いようなので、一言。

古田と関わりなく、古気候学の研究者ではかなり有力な説です。二倍年歴。
山本武夫が「雄略以前は二倍年歴」と仮定しないと、年輪年代法で出てきた古気候と
記紀の古気候記事が一致しない(二倍年歴なら一致する)という論文出してますわ。
今人に貸してて、正確な内容は上げられないけど。

朝倉書店の『気候と文明』シリーズの監修している人ですから、電波ではないですよ。

7092倍年暦03/09/29 03:02
過去ログに書きましたが、古気候学の山本武夫が
『年輪年代法で検出された古気候と、記紀の古気候記事が一致しない。
しかし、雄略以前を2倍年歴と仮定すると一致する』という論文を出しています。
1978刊行: 『気候と文明・気候と歴史』(気候と人間シリーズ)に収録。

朝倉書店『気候と文明』シリーズの監修者であり、古気候学の世界では認められた学者です。
歴史学でも、「いわゆる2倍年歴について」という論文があったはずです(今掲載誌確認できず)。

神武の時代が二倍年歴か?と言う問題と、
二倍年歴が実在したか?と言う問題は別なのに、意図的に混同しているようにしか見えません。

64 :日本@名無史さん:05/02/05 21:36:32
↑前々スレより 

↓前スレより

938日本@名無史さん05/01/27(木) 00:47:49
気候考古学って分野があってそこの大御所は2倍歴論者ですな。
ただ、書記の年代は無茶苦茶で信用できるもんじゃありませんね

65 :日本@名無史さん:05/02/05 22:09:55
山本武夫は2倍暦「も」御都合主義的に使ってるだけで、
彼の年代改訂には一貫性がないよ。
それに日本書紀の数字をいじれば正しい歴史がでてくると
決めつけてるところは完全に電波だろう。

66 :日本@名無史さん:05/02/05 22:18:05
記紀が正しくないと、なにか都合悪いのかw?

67 :日本@名無史さん:05/02/05 22:33:00
オタには都合悪いだす!

68 :日本@名無史さん:05/02/05 22:33:33
その前になんで2倍なの?
せっかくだから5倍くりゃいやいいのに。


69 :日本@名無史さん:05/02/05 22:41:40
山本武夫ねぇ。1970年代ねぇ。
記紀に関しちゃ電波だねぇ。

70 :日本@名無史さん:05/02/05 22:59:45
そうだねぇw。

71 :日本@名無史さん:05/02/05 23:59:46
>>66
おいおい、漏れは2倍暦否定派ではあるけれど、
基本的に記紀の古伝承を疑ってはいないよ。

でも年代に関しては古事記と日本書紀に大きな違いがあっるだろ?
日本書紀の詳細が日付を藻前はそのまま信じるのか?
2倍暦で半分にすればそのまま史実だとでも?

「記紀は捏造」派を叩きたいなら
讖緯説派や神武以下諸天皇架空説や王朝交代説や征服王朝説を叩けよ。

記紀の古伝承を擁護するのは歓迎だが
2倍暦みたいな電波で擁護されてもちょっと迷惑。


72 :日本@名無史さん:05/02/06 00:33:39
理由なき否定と電波呼ばわりで満足しましたか?

73 :日本@名無史さん:05/02/06 00:38:03
どうやら>>66の頭の中では
「記紀の正しさ=2倍暦の正しさ」ってことらしい。
こんなおかしな発想を「電波呼ばわりすんな」と言われても・・・・

74 :日本@名無史さん:05/02/06 01:36:51
神武ってほんまにおったん?

75 :日本@名無史さん:05/02/06 02:13:25
架空だったら、もっとマシなストーリーにしたと思う。
兄が戦死して敗走するヘタレ神武はみっともない。

76 :日本@名無史さん:05/02/06 13:00:02
>75

現代の価値観でかたるな

完全な架空と当時の物語のパターンと伝承の間に線引きするのは、完全に不可能かはともかく、むずかしい

77 :日本@名無史さん:05/02/06 14:21:34
何か物語を作るのに必要だったのだろう。

78 :日本@名無史さん:05/02/06 15:38:03
>>76
むしろ否定派のほうが現代の価値観で見てるんじゃないのか?

79 :日本@名無史さん:05/02/06 16:04:48
でも家を古く遡らせて架空の王名を造作するのって世界的にあることみたいだし
神武〜開化間が架空っていうのは一番わかりやすいってのはあるけどね


80 :日本@名無史さん:05/02/06 16:22:13
架空の王はそれほどないだろう。古代朝鮮半島ぐらいのもんだ。

81 :日本@名無史さん:05/02/06 16:30:59
でも古いのはやっぱりそう考えてしまうね

朝鮮は百済が紀元前までかなり遡らせてたっけ
あれは高句麗になんとかつなげようとしたのかね
新羅高句麗はさほどでもないんじゃないの

82 :日本@名無史さん:05/02/06 17:56:22
高句麗は実際に古いようだが、三国の中じゃ一番新しいはずの新羅は、百済と同じぐらい古いと言ってる。

83 :日本@名無史さん:05/02/06 18:15:33
なぜ、ハツクニシラススメラノミコト?が必要だったのか?
そっちの方が問題か?

84 :日本@名無史さん:05/02/06 18:43:15
「必要だった」と考えることこそが問題だ。

85 :日本@名無史さん:05/02/06 22:05:03
なぜ記紀に矛盾があるんだい?

86 :日本@名無史さん:05/02/06 23:32:34
>>35
亀レスだが清寧以後のこと
顕宗・仁賢が子供からいきなり中年になって死ぬのも
2倍だと解決できると思うぞ
武烈の姉の手白髪皇女が継体の子を産むのもな
もちろん継体の年齢が記と紀で倍近く違うのも

87 :太国玉:05/02/06 23:39:00
億計尊

88 :日本@名無史さん:05/02/07 02:14:55
>>75
迂回ルートについては、黛弘道氏の研究があった希ガス

89 :日本@名無史さん:05/02/07 10:42:36
まだ、2倍暦電波がいるのか・・・

90 :日本@名無史さん:05/02/07 22:01:30
>>86
それは日本書紀だとおかしいというだけで、
古事記だと、仁賢・顕宗が少年で発見された後、即位まで何年たっているのか
明確でないのだから、「いきなり中年になって」いるわけではない。
戦前の論文で飯豊皇女の摂政期間を22年とする説もあったし。
古事記によると顕宗天皇は宝算38歳で在位8年だから即位した時は30歳。
発見された時少年でもすぐ即位したとは限らない。

91 :日本@名無史さん:05/02/07 23:19:36
考古学的には崇神が最初なんて電波説となっていることをしらんのか?

92 :日本@名無史さん:05/02/08 00:34:22
考古学会の主流はどうなってるん?

93 :日本@名無史さん:05/02/08 11:29:25
考古学の進歩は著しい。
しかし、神武や2倍暦に関しては何も出てこない。

94 :日本@名無史さん:05/02/08 12:12:59
考古学会では応神天皇が最初なのか?

95 :日本@名無史さん:05/02/08 16:40:31
応神なのか?

96 :日本@名無史さん:05/02/09 16:31:55
ともかく2倍暦は電波ってことだな

97 :日本@名無史さん:05/02/09 19:12:22
遺物に文字が彫られてなければ証拠にはならないから
せいぜいワカタケルからだろうな>考古学

98 :日本@名無史さん:05/02/09 22:02:43
雄略なのか

99 :日本@名無史さん:05/02/10 01:34:57
夜も眠れなくなっちゃう

100 :日本@名無史さん:05/02/10 02:52:52
結局2倍暦でないと説明がつかんな

101 :日本@名無史さん:05/02/10 11:20:11
2倍暦はもうやめよう。話がこける。

102 :日本@名無史さん:05/02/10 16:38:56
>>100
頼む。やめてくり。

103 :日本@名無史さん:05/02/10 17:35:12
>>97
ワカタケルの鉄剣には、
開化天皇の兄貴(と思われる)の名前があるんだったっけ?

104 :日本@名無史さん:05/02/10 18:22:05
開化なのか?

105 :日本@名無史さん:05/02/10 21:00:33
>>103
オホヒコ(意富比跪)のことだね?
記紀に拠れば、大彦命(大毘古命)は開化天皇の
同母兄。阿倍氏族の祖で、四道将軍の一として
北陸に派遣されたと。しかし、直ちに孝元や開化
の存在を示す証拠と成り得ないことは明らか。

子のタカリノスクネを田心命(姓氏録・紹運録)に、
孫のテヨカリワケを豊韓別命(紹運録)に充てる説も。

106 :ゴジンム:05/02/10 21:09:05
春日の伊邪河宮 皇紀504

107 :日本@名無史さん:05/02/10 21:37:37
いったい誰なんだ

108 :日本@名無史さん:05/02/10 21:38:45
明日が、建国記念日ということで、よその板もキチガイが暴走中です

革命的名無しさん

109 :日本@名無史さん:05/02/10 21:50:56
英皇太子の事務所によると、結婚によりカミラさんは「コーンウォール公爵夫人」
の称号をもらう。チャールズ皇太子が国王に即位した後はクイーン(王妃)
ではなく「国王夫人」と呼ばれることになる。

110 :日本@名無史さん:05/02/10 21:55:23
なんか変な掲示板のスレ見つけた。DQNが大杉・・・

http://shizu.0000.jp/read.php/seikei/1093665630/

111 :日本@名無史さん:05/02/11 01:03:37
>>105
記紀の系譜伝承の信頼性を高めたことはたしかだよ。

112 :日本@名無史さん:05/02/11 02:09:25
>>111
「系譜伝承が強ち否定されるべきものではない」
とは言っても、やはり観念的な同族意識かも知れない。
特に王統譜に関しては注意を要するだろう。

実は吉備氏族の祖かも知れない大吉備諸進命、
阿倍氏族の祖という大彦命、日下部氏族の祖という彦坐王など。
彼らは系譜伝承成立の過程で帝紀に組み込まれたのだろう。

113 :日本@名無史さん:05/02/11 02:12:37
記紀の伝承はともかく、系譜だけはある程度信用できるとか
読んだことがあるけど、どうなんですかね?
古代の系譜って結局、後の世代にとっては、カギは名前ですよね。
で、人間ってふつう記憶力って、人の名前から忘却していくものじゃないだろうか。
「ああ、あの人ね、なんて名前だっけ? 顔は浮かんでるんだけど」みたいな



114 :日本@名無史さん:05/02/11 11:52:30
>>111
だよな。

115 :日本@名無史さん:05/02/11 13:58:10

今日はこの人の日だけど、すっかり忘れられているナ。俺ファンでないから、まあ、いいけど。

116 :日本@名無史さん:05/02/11 14:00:53
本当はいなかった予感

117 :日本@名無史さん:05/02/11 15:24:56
いたよ。絶対にいたはず!

118 :日本@名無史さん:05/02/11 16:55:28
>>117
なぜ、そう思うのか?

119 :日本@名無史さん:05/02/11 18:38:21
いないよ。絶対にいないはず!!

120 :狭野:05/02/11 18:54:57
系譜に関しては一考の余地はあるだろうが、基本的に信用していいと思われる。
なぜなら、物部氏の祖であるニギハヤヒノミコトを、「同じ羽羽矢、歩靫を持っていた」という形で、
御皇室と同族であったことを認めているからだ。
この持って回った書き方から、「認めたくないことでも伝承ならば尊重する」という態度が見て取れるので、
皇統譜は基本的に信用していい。

121 :狭野:05/02/11 20:39:41
ところで今日は、日本の建国を祝う愛知県民の集いに行ってきたが、来賓の民主党議員が、神武紀元を讖緯説で説明していた。
しかも推古9年逆算説で。
まあ、一般の認識はこんなもんだ。

122 :日本@名無史さん:05/02/11 22:32:29
神武天皇の墓掘っても、魚の骨も出てこないゾ。
それは、水たまりで魚釣りするようなもの。

123 :日本@名無史さん:05/02/11 22:36:54
>>121
バカウヨはたくさんいましたか?

124 :日本@名無史さん:05/02/11 22:43:03
欠史八代はともかく、神武帝はいたんじゃないかな。
流石に百年以上は生きてないだろうし、神通力もなかったと思うけど、
モデルになったオオキミはいたっしょ?

125 :日本@名無史さん:05/02/11 22:50:36
神武は、後世になってから過去にさかのぼって
「初代王」に祭り上げられただけで、
生前はショボイ小領主。

126 :日本@名無史さん:05/02/11 23:35:58
大和盆地にイワレビコとトミビコが戦ってイワレが勝ちました。みたいな伝承があったんだろ。
武神イワレビコ伝説みたいなのが、それを後の大王家が利用しただけじゃねーの?
(東征は適当に別の伝承をくっつけた感じで)

後世の源氏幕府からみた八幡太郎のようにさ。

127 :日本@名無史さん:05/02/11 23:52:06
インベーダーとしての征服王の支配力が安定してくると、王化に従わぬ先住民族や、
反乱者征伐の物語が、王の英雄伝説として物々しく語りだされる。
やがてそれらの伝説や物語は国家の正史に取り入れられて、政治的、文化的統治の
一環として大いに活用される。

征服王が君臨すると、その血統は、古くから、その土地に伝わる神話や伝承や説話
を寄せ集めて、麗々しく美化される。

内外から寄せ集めた材料を下地にして、皇祖による国土創生神話がまず作られる。
そして無理矢理こじつけられ巧妙に偽造された王統譜によって、王権の正当化がは
かられる。

天武天皇によって編纂を命じられた、我が国の「古事記」「日本書紀」が、大筋で
はそのような経過をめぐっていることはあらためて述べるまでもないだろう。

その支配の安定をはかる為に、宗教的儀礼、身分制、位階勲等など、さまざまな装
置、パフォーマンス、道具立てが考案され、社会体制がしだいに秩序化されてゆく。

時間は人々の心に次第に作用して、人々に権威を納得させ、それを正当で理性的な
ものと思わせる。

128 :日本@名無史さん:05/02/12 00:46:51
>>125
>小領主

記紀を頭から否定することなく普通に読んだらそんな風に読めるよね。
初代だというのに過度に装飾されることなく語られてる。

宮殿のあった場所や后の出身を見ても、
徐々に領地を拡大して行った様子がよくわかる。

129 :サガミハラハラ:05/02/12 09:47:48
>>101
>古代に2倍暦が使われていたのは間違いありません。現在論証の最中です。
くわしくは「東アジアの古代文化を考える会」のHPの討論室の「古事記天皇没年干支
2倍暦はなりたつのか」をごらんください。
http://homepage2.nifty.com/e-asia/

130 :日本@名無史さん:05/02/12 11:21:38
>>122
じゃあ今度、丸山にコッソリ魚の骨埋めてきてやるYO!

131 :日本@名無史さん:05/02/12 11:40:33
2倍暦はありえないね

132 :日本@名無史さん:05/02/12 12:26:27
>>121
バカウヨはたくさんいましたか?

133 :日本@名無史さん:05/02/12 18:21:22
神武大王はいなかったのか?

134 :日本@名無史さん:05/02/12 19:02:27
>>130
修陵の際、神武陵に御神体が埋められたとか云う

135 :日本@名無史さん:05/02/12 21:28:07
何を埋めた?

136 :日本@名無史さん:05/02/13 01:28:22
>>135
関係者で内密に行われたため、何が埋められたか確かなことは不明らしい。
ましてや、「埋めた」ことが記録に残っておらず、彼等の子孫や友人が伝聞した
段階に留まるので、事実かどうかも分からない。当時において、「御神体を
埋めた」と公言したら、神武陵が捏造だということが広く一般にもバレますしね。

137 :サガミハラハラ:05/02/13 10:16:03
>>130
丸山というのは、元洞部落の上の「宮」と刻印のある6本の石柱でかこまれているところですか?

138 :日本@名無史さん:05/02/13 11:00:07
>>129
これ↓かね?サガミハラ反論されてるじゃんw

ttp://hpmboard2.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=NQH21129&disp_no=181&log_no=181&msg_per_page=10&def=10

139 :日本@名無史さん:05/02/13 11:02:18
>>134-136
御神体を埋めることがなぜ捏造になるのかさっぱり意味がわからん。
つーか「御神体を埋める」なんて発想がそもそも神道にあるのかどうかもかなり疑問だがw

140 :日本@名無史さん:05/02/13 11:24:35
>>112
>彼らは系譜伝承成立の過程で帝紀に組み込まれたのだろう。

「系譜伝承成立の過程」っていつ?いつなのか指定できないなら
いつ帝紀に組み込まれたのか言えないってことだろ。
「過程」の中でのことだから時期は指定できないのか?
「系譜伝承成立の過程」ってことは系譜そのものの成立過程なんだから
いわば最初からそう出来てきたというのと意味に大差ないんじゃないのか?

>>113
事績が名前になって残ってる例もあるし
系譜は我々が古伝承を切り離した上で系譜と読んではいるが
実際には純粋な名前の羅列じゃなくて事績や物語と一体のもの。

>>124
>神武帝はいたんじゃないかな。モデルになったオオキミはいたっしょ?

「聖徳太子はいなかった(でも厩戸王はいた)説」みたいなもんで詭弁じゃないのか。
明治天皇と睦仁は別の存在、松田聖子と蒲地法子は別の存在というようなもんだろ。

>>126
じゃ東征してきたのは何者でなんという名前で、大和入りした後はどうなった?
トミヒコと戦ったイワレヒコはどこからきてなんで戦うことになった?
東征してきた者とイワレヒコはぜんぜん時代がちがうのか?じゃ子孫か?
そうやって入れ替わった?それともどっちも史実と無関係な神話だから整合性なくていいのか?
後の大王家が二つの伝承をくっつけたのはいつ頃?
あからさまな捏造で権威が保てるのか?
その二つの伝承をつなげると何かいいことがあったのか?
とするなら、伝承の原型は天皇家に都合わるいものだったのか?それはどんな話だ?

141 :日本@名無史さん:05/02/13 11:32:02
稲荷山鉄剣の「意富比跛」が記紀のオオヒコと関係ないとすれば
なんで恭しく始祖として掲げねばならんのか。
「ハァ?誰それ?」といわれて終わりだろう。
当時の人間にとって「意富比跛」が何者であるか自明であり
少なくてもなんらかの偉大な人物としての伝承がすでに存在したと考えるのが自然。

基本的に>>120に賛成。もう学界じゃ伝承に捏造認定するだけのアホ論文なんて
めっきりなくなってるのに、いまだに安易な捏造説に乗ってしまう奴が大杉る。

142 :日本@名無史さん:05/02/13 12:09:51
全部真実とも、言えまい

143 :126:05/02/13 14:15:50
>>140
別に捏造だとはいっていない。
だが、伝承・伝説の類をガチガチの事実として受け入れる必要もあるまい。
大王家の祖先伝承に、筑紫の日向の方から来たのと
イワレビコとトミビコの争いが別々の伝承としてあってもおかしくはないだろう。

イワレのリーダーとトミのリーダーの争いは単なる大和盆地の覇権争いだろ。
なにムキになって食いついてんだ?

で、イワレのリーダーという名には、西から東遷したきたという印象が薄い
というオレの主観だ。

ちなみに系譜に関しては、積極的に肯定も否定もしない。

144 :日本@名無史さん:05/02/13 16:21:08
>なにムキになって食いついてんだ?

ムキになってるかどうかは関係あるまいよ。湧いてきた疑問を並べたまで。

「…としてもおかしくはない」
というだけなら、全部真実でも100%捏造でもおかしくはない罠。
わずかな可能性でも可能性としてあり得るだけなら
なんでも「おかしくはない」。その程度の「おかしくはなさ」。

問題はそういうことではなくて「蓋然性」なわけだが。
捏造なら捏造でじゃ真実はどうだったんだという推測もなく
捏造されるべき必然性なり経緯もまったく空白のまま
思いつきを垂れ流して「…としてもおかしくはない」。

>イワレのリーダーとトミのリーダーの争いは単なる大和盆地の覇権争いだろ。
>イワレのリーダーという名には、西から東遷したきたという印象が薄いというオレの主観

名前の一部に地名が入ってることから、その土地同士の戦いだったと思いつき、
その思いつきを生かすために「東からきた」 って部分はバッサリ切ってみましたってわけだろ。
しかし畿内の内側での戦いだけみても、磐余(磯城郡)の方が富(生駒郡)より南にあるのに
さらに南の吉野から越えてきて攻め入ったというようなことになるんだが?






145 :日本@名無史さん:05/02/13 16:52:18
ま、2倍暦は電波なわけだ

146 :日本@名無史さん:05/02/13 19:08:17
>>139
ミサンザイは幕府がデッチあげた遺跡だ(実在したかどうかはともかく)。
御神体でも埋めなきゃ、タダの土壇を拝んでることになる。 ということか?

147 :日本@名無史さん:05/02/13 19:17:16
>>144、おまえおもしろいなぁ。

>全部真実でも100%捏造でもおかしくはない罠。

そうだよ。だから、なにをムキになってんだかと。
オレは捏造だなんて思ってないし。
大王家に伝わっていた、事実を基にしたさまざまな伝承のうちの二つだと。

イワレ vs.トミの伝承と東遷の伝承を別で考えるって言ってるじゃん。
「東から来た」というのは、日向からくる太陽神を投影した伝承つまり東遷伝承の終部だろ。
度々だが、主観ではイワレ vs.トミの伝承とは別。


148 :狭野:05/02/13 19:29:06
>>143
> イワレのリーダーという名には、西から東遷したきたという印象が薄い
> というオレの主観だ。

「カムヤマトイハレヒコ」は後世のおくり名ですが何か?
大和から吉備に派遣されたヒコイサセリヒコも、「偉大な吉備のリーダー」という別名を持ち、「大和から派遣された」という印象が薄いですが何か?


149 :日本@名無史さん:05/02/13 19:52:25
>>148
だから、東遷伝承と大和盆地覇権争い伝承は別に考えるって・・・
種々の伝承を一つのストーリーとしてすりあわせたんだと思ってるんだからさ。

>吉備のリーダー
実際そうだったかもしれないじゃん。

箇条書きのように種々雑多の伝承を一つのストーリーとしたんだろうし、
当時の正確な史実といわれるものなどわからないのに力入りすぎ。
しかもこんな場なんだから、自分はこう思う的なやりとりで十分だろ。

150 :狭野:05/02/13 20:08:16
いや、大吉備津彦命が吉備のリーダーだった(になった)のは実際そうだったわけだが・・・。
そうじゃなくて複数ある名前のひとつだけで判断はできないってこと。
まあ「種々雑多な伝承をひとつのストーリーにした」事に関しては同意だが、大筋に関してはそのまま信用してもいいと思うぞ。
記紀間で一致してるし。

151 :日本@名無史さん:05/02/13 20:24:59
オレはどちらの伝承も否定してないよ。
ただ、ふたつの伝承が同一人だったかはわからん(個人的には可能性が低い)と
思っているだけ。

吉備のリーダーの話は
・吉備に偉大なリーダーがいました。
・大和から吉備に将軍が派遣されました。
が別の伝承だったかもね、ということ。


152 :狭野:05/02/13 20:43:00
じゃあ東遷して来た人はどうなったの?

153 :日本@名無史さん:05/02/13 21:50:38
何でいたのが前提なんだ?

154 :日本@名無史さん:05/02/13 22:15:41
語り部の正確性を考慮した方がいいのでは?
複数いるなかで辻褄が合いそうなのを繋ぎあわせたんだろ?
幾ら暗記に優秀な人だからってDVD−ROMじゃあるまいし。

155 :151:05/02/13 23:08:39
>>152
知らない。
別にオレは全てのことを詳らかにしたいとも思ってないし。
そのくらい適当にいいかげんで良いと思ってる。


156 :日本@名無史さん:05/02/14 04:21:03
>>149
>種々の伝承を一つのストーリーとしてすりあわせたんだと思ってるんだからさ。

それは旧来の捏造説と大差ないね。だから一応問いつめてみたら何か出るかな
と思ってるんだけど、こっちは。

>箇条書きのように種々雑多の伝承を一つのストーリーとしたんだろうし、

薮から棒にそんな前提だされても困る。そういう仮説もありだとは思うからこそ
そんな前提が成り立つ理由を説明してくれ。
語り部ってのは伝承=物語=ストーリーを物語ったわけだろ。
相互に無関係な箇条書きの単独の5分ほどの短い話を100話ほど語ったのか?
世界の神話みてもあんまりそういうイメージではない罠。

>当時の正確な史実といわれるものなどわからないのに力入りすぎ。

「わからない」 と逝ってる割りにはずいぶん自由闊達に想像の翼を広げてるようですが。

157 :日本@名無史さん:05/02/14 04:21:35
>>151
「イワレヒコとトミヒコ」にしろ「キビツヒコ」にしろ、なんでその名の地名のリーダーとだけ
認定してそれにまつわる伝承は切り捨てることが妥当なのか、さっぱりわからん。
その発想の根拠が不明。>>147で主観といってるけど、
「いや、単に漏れの思いつきで深い意味ないから」という意味? それならそれで納得するが。

>>154
そんなことをいったら文字資料だってDVD−ROMじゃないわけで正確さの限界はある。
しかし、DVD−ROMのある今の世の中じゃ単語レベルの辞書的な意味の解説を決まり文句
として検索するには便利だが、それって安易にわかった気にさせるだけでドキュンふやす以上の
意味はないな。2chでも論争の途中で辞書を引用するとてつもない馬鹿が後を絶たないし。
真実が明確化してるわけでも何かが正確にわかりやすくなってるわけでもない。

>>155
適当でいい加減じゃダメだろって話をしてるんだよ。チラシの裏に書けって言われたいか?

158 :サガミハラハラ:05/02/14 09:08:38
>>138
あれは反論というより否定でしょう。彼は独自の年代論を持っていて本を出しているので、私の説を認めるわけにはいかないのですよ。

159 :日本@名無史さん:05/02/14 11:09:07
2倍年暦を使わないと説明できないようなのは、もとの話が問題だからだ

160 :147,149,151,155:05/02/14 13:41:48
>>156-157

>ずいぶん自由闊達に想像の翼を広げてるようですが。

ワカミケヌが東遷した話もイワレヒコが戦った話も別にオレの創作ではないぞ。
両者の伝承のどちらも切り捨ててるつもりはないし。

>「いや、単に漏れの思いつきで深い意味ないから」という意味?

そういう意味。別に自説の正当性を周りに認めさせたいわけじゃないし。
 
>適当でいい加減じゃダメだろって話をしてるんだよ

ここは2chだし、むしろ良い意味でいい加減で気楽な場だと思っているが?
このスレ自体がチラシの裏じゃないか?

161 :サガミハラハラ:05/02/14 19:11:51
>>159
もとの話の年代が普通暦でなく2倍暦であらわしたから、2倍暦を使わないと説明できないということですか。

162 :ゴジンム:05/02/14 21:00:49
イナヒ王とミケーヌ王 エジプト??

163 :日本@名無史さん:05/02/14 21:30:58
2倍暦はありえない
でたらめ話をごまかす電波

164 :日本@名無史さん:05/02/14 22:09:07
窓のIMEは綏靖、安寧、懿徳・・・と変換して出てこないからサヨク
ATOKは出てくるので愛国
Macのことえりも変換できないのでサヨク

165 :日本@名無史さん:05/02/14 22:17:30
バカ・・・

166 :サガミハラハラ:05/02/14 22:32:15
>>163
でたらめ話ってどんな話ですか?
初心者なので初歩的な質問をいたしますが、電波ってなんですか。
ほんとに初歩的で恥ずかしいのですが。

167 :ゴジンム:05/02/14 23:12:40
稲氷命と御毛入野命か・・・。

168 :日本@名無史さん:05/02/15 11:12:40
打倒!2倍暦信者!

169 :日本@名無史さん:05/02/15 14:13:57
信仰の対象じゃないだろ

170 :日本@名無史さん:05/02/15 15:46:30
>>160
そんないい加減な話なら、真面目に議論している人間に「必死」とかいうなよ。
ふりだからって誤魔化すな卑怯者。二度と来るな。カス。

171 :160:05/02/15 19:06:10
>>170
そのレス内容では、真面目な議論にならないなぁ、残念。
オレは「必死」なんて言ってないし、二行目は意味不明だし。
子供さんかな?ここは2ch、来るも来ないも自由・自己責任で。

それでは最後に言わせてもらおうか、170必死だな。

172 :日本史@名無しさん:05/02/15 20:07:37
世界中の古代人がやたらと長寿な件について

2倍年暦が正しいのか間違ってるのか知らないが、それにそんな説明をつけるかが
大事なわけで

173 :日本@名無史さん:05/02/15 22:05:14
なぜ2倍暦を使ってまで記紀を正しいと言い張りたいのかという
発想が問題なわけで

174 :日本@名無史さん:05/02/15 22:59:31
なぁ、記紀よりも古い日本の文献が今後見つかる可能性ってあるの?

175 :日本@名無史さん:05/02/15 23:19:44
記紀を電波と決め付けるまえに、2倍年暦で誤解を解くことが出来るわけで

176 :日本@名無史さん:05/02/15 23:31:22
暦が変わったのならそれを大々的に誇る香具師がいてもよさそうなのに
なんでコソーリ変わってんの?

177 :日本@名無史さん:05/02/15 23:47:09
明治維新でも変わったが、忘れ去られてる。
西洋時計を見た和時計職人は言った、「こんな時計なら誰でも作れます」と。
和時計は、毎日日の出と日の入りを変えて、その間を等分するという
高度な動きをさせていた。しかしあまりこんなことは、知られていない。

178 :日本@名無史さん:05/02/16 00:00:49
暦とかの細かい点では疑問もあるかもしれないけれど、昭和期の代表的古代史家の坂本太郎氏(1901〜1987)は、
戦後、共産主義の勃興した歴史学会でもこんな事を書いているよ。

「神武天皇の東征は、おおむね事実といってよく、その時期は大略、西暦紀元前後ではなかったか」



179 :日本@名無史さん:05/02/16 00:40:34
>178
そりゃ間違い。
倭王権の成立は2世紀末(石野博信等)
この権力の東遷については賛否両論あり。


180 :日本@名無史さん:05/02/16 00:51:27
57年に金印をもらってるのに2世紀末?
第一、東遷でなくて、東侵でしょう。
単に有力武人が東で小領土を得ただけだから東侵。
国も都も国王も引っ越してないんだから「遷」じゃない。

181 :日本@名無史さん:05/02/16 01:20:17
昭和を代表する古代史家・坂本太郎氏に対して、同じく
昭和を代表する古代史家・岸俊男氏の意見をぶつけてくるなら、まだ話はわかる。
石野博信程度の学者と比較しないでほしい。



182 :日本@名無史さん:05/02/16 13:14:46
>>177
明治維新で暦が変わったことは小学生でも知ってるよ
2倍暦?ありませんw

183 :サガミハラハラ:05/02/16 13:36:14
2倍暦については、従来は、行事が年2回あるとか、古代天皇の年を半分にする普通の年になるとかの
推測や憶測でしか論ぜられたのであるが、古事記天皇没年干支が2倍暦であらわされているとすれば、
それが物証となるのです。詳細は「東アジアの古代文化を考える会」のHPの討論室にのせてありますので
是非1度ご覧ください。http://homepage2.nifty.com/e-asia/


184 :日本@名無史さん:05/02/16 13:36:32
たたき台として、終止符スレ162からコピペ

一世紀:委奴国(九州)
 ↓
二世紀:桓霊の頃、倭国(九州)大乱。その際、一部が東(吉備,畿内)へ遷移。
これが大和朝廷の祖となり銅鐸の文化から古墳の文化へ発達していく刺激となる。
記紀では神武朝か。
 ↓
三世紀:邪馬台国に代表される倭国(九州)。畿内勢力は発達をつづける。
記紀では崇神朝か。
 ↓
四世紀:倭国(九州)朝鮮半島で戦(好太王碑)。畿内勢力は極大期(巨大古墳)。
 ↓
五世紀:倭の五王(九州と畿内の勢力が拮抗のためどちらの王か不明)。
 ↓
六世紀:イワイ(九州)対オオド(畿内)で畿内の勝ち。
 ↓
七世紀:日処出天子(これもどちらの王か微妙?)。白村江(これは畿内勢力の戦だよな)。
 ↓
八世紀以降、日本(畿内)は倭(九州)の別種。太宰府に遠の御門としての記憶が残る。
銅鐸文化の記憶は残らず、銅矛の記憶は記紀に残る。



185 :日本@名無史さん:05/02/16 14:03:29
干支が物証w?

186 :サガミハラハラ:05/02/16 16:31:55
物としては古事記で、それに載っている干支で記載されている天皇の没年のことです。

187 :日本@名無史さん:05/02/16 16:42:33
記紀の不一致はどうするのかねw?

188 :日本@名無史さん:05/02/16 19:19:42
>187
古事記には天皇の在位年数も年代も記載されておらず、比較することはできないのです。

189 :日本@名無史さん:05/02/16 21:41:20
なぜ古事記で日本書紀でないのか?

190 :サガミハラハラ:05/02/17 08:23:04
一案ですが、元々この干支は書紀の編纂のために集められたのであるが、不採用になったため(書紀では2倍暦を普通暦として編纂したため、古事記天皇没年干支はあわなくなった)
すてられるところであったのを誰かが、古事記を写本する時に割注として潜りこませ、それが残ったと考えています。

191 :日本@名無史さん:05/02/17 13:47:01
>書紀では2倍暦を普通暦として編纂したため、

なぜ、そんなことがわかるのか?

192 :日本@名無史さん:05/02/17 15:34:57
バカなやつだな、古事記天皇没年干支はあわなくなった理由に
2倍暦以外の合理的な説明がないな、という今までの流れを
突然チャラにするなよ。


193 :狭野:05/02/17 18:20:15
書紀には、古代の天皇の在位年数が60年を基本数として書かれている。
雄略帝までの18世代の平均が63.3年であり、崇神帝までが63年、垂仁帝から雄略帝までが63.5年と、
どこで切っても60年を大きく上回ることはない。
その理由としては2倍暦が有力だと思うと前スレで述べたが、
ただしこれは、「そのように在位年数を決めた」ということであり、「2倍暦で倍に伸びた」ということでは全く無い。



194 :狭野:05/02/17 18:26:17
物証ということを言うなら、魏志にある倭人の寿命が、当時の人骨から見出される平均寿命の約2倍だという事実がある。


195 :狭野:05/02/17 19:07:58
要は書紀編纂者が「昔の人は寿命が今の倍であった」と思ったということだ。


196 :サガミハラハラ:05/02/17 19:28:13
>192
2倍暦は大分議論されていたのですか。新参者で失礼しました。
そもそも2倍暦は殷の文化で箕氏朝鮮からつたわったものとかんがえます。
ただ、紀編纂時に2倍暦のことが全く忘れ去られていたとは思えないので
結局は年数の水増しを目的としたとしか思えないといいたいのであるが、そ
れなら思いっきりでたらめでもいいと考えるのですが、どうなんでしょうね。


197 :日本@名無史さん:05/02/17 21:03:59
畿内在来王統から九州系王統に変わったから
その辺の伝承が曖昧だったんでしょう。

198 :狭野:05/02/17 21:10:55
そもそも年代記載のない古事記の形式が本来の伝承だろうからね。

199 :日本@名無史さん:05/02/18 02:50:14
>2倍暦は殷の文化で箕氏朝鮮からつたわった

すぐそういう思いつきをいう。だから2倍暦論者はトンデモくさいんだよ。

200 :日本@名無史さん:05/02/18 12:11:08
なんでも説明放棄してれば、学問は進まないがな

201 :日本@名無史さん:05/02/18 12:11:44
>2倍暦論者はトンデモ

全く同意

202 :日本@名無史さん:05/02/18 12:16:30
説明放棄君だらけダナw

203 :日本@名無史さん:05/02/18 14:33:51
>2倍暦は殷の文化で箕氏朝鮮からつたわった

ソースは?

204 :サガミハラハラ:05/02/18 19:29:28
>203
安本美典氏は、次のような論文を紹介した。
「貝塚茂樹氏編集の『古代殷帝国』(みすず書房刊)には、次のように記されている。
ーー卜辞では、われわれの『今年』『来年』と同じ使い方で、『今歳』『来歳』ということがある。
この『歳』を、陳氏は年のこととせず、半年の『季』をさしていると考えるのだ。一年は、陳氏によれば、禾季
(上半年、すなわち後世の春夏)と麦季(下半年)とにわかれる。−−−卜辞の『春』『秋』は
それぞれ禾季と麦季にあたる。そして『今歳』や『来歳』は今季、来季のことで『歳』
は半年単位のシーズンをさしているのだと。−−−」
というわけで、殷の時代の中国では2倍暦が使用されていたらしい。殷末に箕氏が朝鮮に行き、
殷の文化を伝えたのである。
ところで古代の日本は中国や朝鮮からの文化や文明を輸入し使用していたのである。
よって2倍暦も輸入され使われていたと結論づけられるのである。

205 :日本@名無史さん:05/02/18 20:12:56
>>204
それは1年が雨期(春)と乾期(秋)の二つの季節に分かれていた
という以上のことは意味しない。
実際に殷代の歴史を年代的に半分に計算して
何かが合理的に説明できるかというとそんなことはない。

これを2倍暦が存在した根拠にするのはこじつけ。

206 :日本@名無史さん:05/02/18 20:17:20
表面的に合理化できればそれで解決というのはただのこじつけ。
学問はパズルごっこではない。

わからないことはわからないとするのが誠実な学問的態度。
「現時点では未解明」なんてことは学問の世界では普通にあること。

病原体が発見されてないからといって
「病気は悪霊のしわざ」とするのが正しいわけではない。



207 :日本@名無史さん:05/02/18 20:59:16
すべては闇とするのが学問だとさw

208 :日本@名無史さん:05/02/18 21:00:57
根拠なく断言しちゃうわけね。根拠なしという学問かw

>それは1年が雨期(春)と乾期(秋)の二つの季節に
>分かれていたという以上のことは意味しない。


209 :日本@名無史さん:05/02/18 21:18:51
そもそも箕子朝鮮の実態さえ怪しい

210 :天皇は泥棒の親玉:05/02/18 21:26:28

「こそ泥は牢獄へ行き、大泥棒は王になれる。」

211 :日本@名無史さん:05/02/18 21:52:29
>>207
わかってもないのに「すべてわかった」と称するのは電波の特徴。
2倍暦否定派は「すべてが闇」なんていってない。そういう捏造癖も電波の特徴。

212 :日本@名無史さん:05/02/18 21:59:18
>>208
「古代殷帝国」ってもうかなり古い本だけどな。
その中でいわれてるのは1年が禾季=春、麦季=秋の二つの季節に
わかれていて「歳」というのはその季節のことをさす、という内容だと思ったが。
べつに2倍暦がありました、なんて話はでてこない。

殷の時代に2倍暦があったとか箕子朝鮮で2倍暦があったとか
それこそ根拠なしの妄言だろう。


213 ::05/02/18 22:00:51
>>210
美猴王 この者、金丹泥棒だという。幽囚五指山

214 :日本@名無史さん:05/02/18 22:01:34
>というわけで、殷の時代の中国では2倍暦が使用されていたらしい。
>殷末に箕氏が朝鮮に行き、 殷の文化を伝えたのである。 

まぁ、100万歩譲ってここまではいいとしよう。ところが

>ところで古代の日本は中国や朝鮮からの文化や文明を輸入し使用していたのである。 

全ての文化や文明が輸入されたわけではないし、仮に殷の文物が輸入されているとすれば、
周以降の文化や文明も輸入されてる。

>よって2倍暦も輸入され使われていたと結論づけられるのである。 

なんで2倍暦だけ生き残るのか全く根拠がない。何が一体「よって」なのかさっぱり説明されてない。
例えば、殷末の文化が、古代日本に息づいていたのなら、暦と密接に関連する甲骨文字の卜辞が
出土しないのは何故?

215 :日本@名無史さん:05/02/18 22:01:45
2倍暦派は矛盾のない一貫した方法で2倍暦を援用して
具体的に歴代天皇の在位年代を示せるのか?
その場合、元データは古事記を使うのか日本書紀を使うのか?

216 :日本@名無史さん:05/02/18 22:05:14
しなけりゃ解明できるのかw

217 :日本@名無史さん:05/02/18 22:09:28
あいかわらず2倍暦は電波だな

218 :日本@名無史さん:05/02/18 22:09:43
合理的に説明できない説が正しいとは、すごい電波ですね。

219 :日本@名無史さん:05/02/18 22:11:09
2倍だけじゃないんだけど、どうして2倍年暦だけ攻撃するんだろう。
オツムが弱いのかな?

220 :日本@名無史さん:05/02/18 22:25:51
>>219
そこを詳しく・・・・語れないよなw 電波ぶりがますます露呈するだけだし。

221 :日本@名無史さん:05/02/18 22:36:27
否定派の電波連呼に飽きたよ。過去レスでも読んでれば?

222 :日本@名無史さん:05/02/18 22:45:28
1から全部よんでますが、ますます2倍暦否定派です。何か?

223 :日本@名無史さん:05/02/18 22:48:24
2倍暦派は「2倍暦があった」と連呼するだけで、具体的な真編年を解明してみせたことはないね。

224 :日本@名無史さん:05/02/18 23:13:05
否定されたこともないな

225 :日本@名無史さん:05/02/19 03:49:01
そもそも根拠がないのに、その無いものを否定しようもない。

226 :日本@名無史さん:05/02/19 12:01:34
否定する根拠もなく電波呼ばわりだけか・・・

227 :サガミハラハラ:05/02/19 13:19:26
>205
204では要約したので説明不足でしたが、原文では更に「禾季は禾類(黍・くろ黍等)
のできるとき、麦季は麦類(麦・来等)のできるときだ。卜辞の『ハル』『秋』はそ
れぞれ禾季と麦季にあたる。」とあります。つまり穀物の収穫をもって季としている
というわけである。魏略に春耕秋収とありますが、これは本来は春収秋収であったの
であるが、日本では、麦作が発達しなかったために、米の栽培の春耕秋収と表現される
ようになったと考えます説明不足ですみませんでした。
>215、223についてですが、具体的な真編年について、東アジアの古代文化を考える会
のHPの討論室(かなり前の方に)にまだ試案ですが提案してあります。
もとデータは古事記天皇没年干支です。そして年代は日本書紀の年代です。
私の文章表現がへたで、あるコンピューターソフトでは達人といわれる人
にみてもらったところ、難しくてコメントできないといわれました。
かなりへたな文章ですが、一応ご一読くだされたら幸いです。
http://homepage2.nifty.com/e-asia/

228 :日本@名無史さん:05/02/19 14:18:40
2倍暦で合理的な説明はみた事がない。残念!

229 :日本@名無史さん:05/02/19 15:06:06
マトモな否定が1度もない。残念!!

230 :日本@名無史さん:05/02/19 15:24:42
たしか神功皇后の遠征が200年とされたけど七枝刀の年号から
四世紀とされたんだっけ?

そこから議論してみたら?

231 :日本@名無史さん:05/02/19 15:26:51
2倍暦って思いつきの域を出てないね

232 :日本@名無史さん:05/02/19 15:53:37
思いつきで否定されてもデタラメなんだよね

233 :日本@名無史さん:05/02/19 15:58:20
>>232
否定されたくなければソース出せよ
みんな思いつきばかりじゃないか
それとも、否定のソース出せと開き直りかw?

234 :日本@名無史さん:05/02/19 16:09:55
何も判明していない初期天皇家の記述中、
2倍年暦だけに証明証明と連呼するやつは池沼。

235 :日本@名無史さん:05/02/19 16:39:37
>>234
そうだね。だから2倍暦なんていわないほうがいいね。

236 :日本@名無史さん:05/02/19 18:43:20
解明放棄するか、×倍暦で説明を試みるかのどっちかだろう

237 :サガミハラハラ:05/02/19 19:33:59
神功皇后の新羅遠征は355年の秋年です。
成務天皇没年は351年秋年で2倍暦での乙卯年です。
仲哀天皇即位は352年春年で2倍暦での丙辰年です。
仲哀天皇没年は355年春年で2倍暦での壬戌年です。仲哀七年です。
355年秋年新羅遠征です。仲哀八年です。356年春年に逢坂の戦いがあり、忍熊王入水です。仲哀9年です。
神功皇后摂政元年は356年秋年です。2倍暦での乙丑年です。
仲哀天皇は355年に没していますが、その後は空年を作らずに、次の天皇が即位するまで年を続けます。
よって仲哀天皇没年355年春年で末年は356年春年となり、在位9年となります。
古事記天皇没年干支では、成務天皇没年は乙卯年、仲哀天皇没年壬戌年とあります。
よって古事記天皇没年は2倍暦で記されていると考えました。
東アジアーーにはこのように書いていますがいかがでしょうか。

238 :日本@名無史さん:05/02/19 22:33:05
>>237
パズルとして楽しいのはわかる。
しかし、記紀に書いてあることは丸のみですか。
神功皇后は実在でいいのか?

239 :日本@名無史さん:05/02/20 00:17:33
>>237
しかも書記引用の百済関係史書や、三国史記などの韓国側文献と全くあってないw

240 :日本@名無史さん:05/02/20 00:22:52
こうやって学問の足を引っ張る悪い例>238−239

241 :日本@名無史さん:05/02/20 01:24:52
>>238-239のつっこみはもっともだと思うが。

古事記の崩年干支を採用するのはわかるが、
日本書紀の年代を信用するのはどうなのか?

>>237
351年は辛亥のはず。「2倍暦での乙卯」ってなんだ?
2倍暦だけでも十分アレなのに、干支を半年で回していたなんて
パズルごっこも甚だしいんじゃないのか?

242 :日本@名無史さん:05/02/20 01:37:27
古代は闇だと言ってれば済む人は、楽でいいね。

243 :日本@名無史さん:05/02/20 01:44:11
>>239
三国史記はさすがに後代すぎるから、合わなくても原則としては
記紀の方に信を置くべきだろう。

244 :日本@名無史さん:05/02/20 02:37:15
>>242
そんな奴は否定派にもいない。いい加減、バカな煽りはやけとけ。

245 :日本@名無史さん:05/02/20 02:40:23
>>242
三国史記の評価は全体的一律に高いの低いのいってもしょうがない。
歴史の前の方は評価低く後代になるほど相対的に高いし、
百済本紀や高句麗本紀は比較的低いが新羅本紀はかなりまし。
内容も個別にいろいろいえる。年代などは暦制のズレが指摘されてるけど
意図的な改竄は(年代に関しては)ないようだが。

246 :日本@名無史さん:05/02/20 03:02:05
おage

247 :サガミハラハラ:05/02/20 09:17:47
記紀は丸のみしておりません。かと言って創作であるとして否定もしていません。問題は記紀の
中に、どれほどの真実があるのかということです。書紀の年代(干支に換算できる)は、在位年表
ができあがってから、機械的に下からわりふっていったと見ていいほどのものであり、信憑性は
ありません。(欽明天皇以前)
しかし在位年などについては、古事記天皇没年干支2倍暦を考えれば、仲哀帝の所のように
あてはまることがわかります。もしこれも後世の編者の創作であるとすれば、まさにそれはかミ技
である、いや神以上の技の持ち主であるといえる。またなんでそんなパズルをつくる必要があった
のかということにもなります。また、偶然にあてはまったということも考えられません。
神功皇后の実在はもはや決定的です。三国史記にのっていないのは、編者が自国にとって不名誉で
あるからのせなかったのです。
351年は国際的には辛亥年であります。2倍暦では前半が甲寅で後半が乙卯年です。
なぜそうなのかは、2倍暦の数えはじめがいつなのかによってきます。
ちなみにいうならば、崇神天皇没年は318年戊寅ですが、2倍暦では、318年前半が戊申です。
2倍暦では、303年前半が戊寅年です。
他の天皇はどうなのかについては、東アジアの古代文化を考える会のHPの討論室をごらんください。


248 :日本@名無史さん:05/02/20 10:04:47
>>238
今は年代の整合性が問題になってるのであって事実の有無は別の話だよ。

>>241
それで整合性が取れるなら一考の価値有りと思うけど?

249 :日本@名無史さん:05/02/20 14:15:12
ありえん、完全にありあえない。
では、2倍暦はいつ終わったのか?理由は?

250 :日本@名無史さん:05/02/20 14:46:21
だからほとんど解明できていない古代において
>>249みたいな証拠証拠の問い詰めしてるやつは大馬鹿だろ

251 :日本@名無史さん:05/02/20 15:18:30
>>249
じゃあ、悪いが縄文から記紀までの、年暦変遷史を証拠を挙げて語ってくれる?

252 :日本@名無史さん:05/02/20 16:02:58
>>247
>しかし在位年などについては、古事記天皇没年干支2倍暦を考えれば、仲哀帝の所のように
>あてはまることがわかります。

? 当てはまってないでしょ?>>237は単に2倍歴での換算結果を並べてるだけじゃん。

>もしこれも後世の編者の創作であるとすれば、まさにそれはかミ技である、
>いや神以上の技の持ち主であるといえる。またなんでそんなパズルをつくる必要があった
>のかということにもなります。また、偶然にあてはまったということも考えられません。
>神功皇后の実在はもはや決定的です。

針小棒大に煽ってるだけじゃん。もしくはあなたの思い込み。
論証も検証も含まれないキャッチコピーのみからなる4行ですね。

253 :狭野:05/02/20 18:28:43
>>247のような考え方は流石に恣意的に過ぎるが、といって>>238のように、初めから疑ってかかる態度もいかがなものか。
「実在でいいのか?」ではない。そうやって神武帝も神功皇后も聖徳太子も否定して行ったら、日本史には誰も残らない。
そもそもこのスレ自体、そのような態度に異を唱えるものなのだから。

254 :日本@名無史さん:05/02/20 19:09:25
最後に言うのだろう、すべては闇と。学問の否定だ。

255 :日本@名無史さん:05/02/20 20:49:54
だから、2倍暦はいつ終わったのかと聞いている。
その理由があるのなら書いてみてみ。

256 :日本@名無史さん:05/02/20 20:53:28
>>254
誰もそんなこと逝ってないし逝う予定もない。

257 :日本@名無史さん:05/02/20 20:56:52
>>255-256
じゃあ、縄文から記紀までの、年暦変遷史を証拠を挙げて語ってくれる?


258 :日本@名無史さん:05/02/20 21:15:22
神武天皇〜開化天皇(架空)
崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇(実在)
成務天皇、仲哀天皇(架空)
応神天皇以降(実在)

259 :日本@名無史さん:05/02/20 21:22:51
>>257
なぜ、そんなに2倍暦に粘着するんだい?
架空が混ざると、何か都合悪いことでもあるのか?
質問に一度も答えてないじゃない

260 :日本@名無史さん:05/02/20 21:23:34
応神天皇、仁徳天皇(同一人物?)
履中天皇以降(実在)
清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇、武烈天皇(架空)
継体天皇以降(実在)

261 :狭野:05/02/20 21:34:34
>>259
横スレだが、全て実在だと都合の悪いことでもあるのか?

262 :狭野:05/02/20 21:45:46
×横スレ
○横レス
何書いてんだ俺・・・

263 :日本@名無史さん:05/02/20 21:51:05
>>261
神武天皇以降全ての天皇を実在と考えると
皇位継承形態や国風諡号の点で矛盾が生じる

264 :狭野:05/02/20 21:55:42
国風謚号は後からつけたものだし、皇位継承形態と矛盾するというなら皇位継承形態のほうを疑うべきじゃないか?

265 :日本@名無史さん:05/02/20 22:17:36
神武はショボイ集落の長。その小領主の後継者もたいしたことはない。
天武あたりで過去に遡って「天皇」としただけだろう。
継体あたりは領主権簒奪して、立派な豪族になったが、じつは一種の断絶だ。

266 :日本@名無史さん:05/02/20 22:22:46
>>264
記紀の記述における皇位継承形態の矛盾点は井上光貞が指摘し
国風諡号の矛盾点は水野祐が指摘している

267 :日本@名無史さん:05/02/20 23:09:57
>>266
いや国風諡号を云々したのも水野じゃなくて井上が本家。
水野はそれを王朝交代説として肉付けしただけ。

継承云々にしろ諡号云々にしろ井上の説には田中卓から反論がでているが
井上からの再反論はない。

268 :日本@名無史さん:05/02/20 23:10:46
>>265
継体については継体スレにドゾー

269 :日本@名無史さん:05/02/21 01:06:24
>>267
井上の皇位継承説学説の基本は
「傍系相続の原則」+「次世代においては大兄の子の優先権」
です

井上は、応神王朝や継体王朝における皇位継承に関する
記紀の記述から分析して上記の学説を構築しました

そして自分の学説から見て、神武〜開化までの単純な父子相続は
現実の歴史の反映ではなく、架空なものであるという結論に達したのです

270 :日本@名無史さん:05/02/21 01:28:04
神武〜開化までは数十町歩程度だったんじゃないか?
だから小金持ち地主程度の相続をふつうに父子相続した。

271 :日本@名無史さん:05/02/21 03:31:13
>>267
大兄制はまぁ後代だからさておいて。「傍系相続の原則」ってなに?兄弟相続のことか?

初期の継承については「中国式の長兄相続ではなく末子相続。中国式の単純な父子相続
だから後世に中国的な発想が根付いてから創作されたとはいえない」
というのが田中、安本ら実在説側の主張。

272 :サガミハラハラ:05/02/21 12:27:50
2倍暦はいつ終わったのか?理由は?については、私は古事記天皇没年干支について論じておりますので、この質問は
別問題ですのでお答えできません。
>>252については、仲哀帝の部分はこれで実証できたと私はみております。
論証検証とおっしゃいますが、ようは納得できないという心情の問題でしょう。

273 :日本@名無史さん:05/02/21 12:31:21
きっと「2倍暦など有り得ない」という信仰なんでしょう。

274 :日本@名無史さん:05/02/21 12:33:57
わからないってことだね。

275 :日本@名無史さん:05/02/21 12:35:41
>>261
バカかおまえは

276 :日本@名無史さん:05/02/21 14:58:00
>>271
神武天皇からから開化天皇までは、単純な父子皇位継承だったのに
応神天皇以降、皇位継承形態が複雑化した点を重視すれば
井上光貞の指摘通り、神武から開化までは架空の天皇と考えるのは
当然の帰結です

277 :日本@名無史さん:05/02/21 15:22:28
仁徳天皇の皇子である、履中、反正、允恭が皇位を兄弟(傍系)継承して
次世代では允恭の皇子たちが皇位を継承した点

継体天皇の皇子である、安閑、宣化、欽明が皇位を兄弟(傍系)継承して
次世代では欽明の皇子たちが皇位を継承した点

上記の皇位継承形態から井上光貞は
「傍系相続の原則」+「次世代においては大兄の子の優先権」
という皇位継承学説を構築しました

278 :日本@名無史さん:05/02/21 20:34:49
愛子さまから複雑化するだろう皇位継承をみると、昭和天皇までは実在しない架空の天皇です。

279 :日本@名無史さん:05/02/22 00:06:00
>>277
「次世代においては大兄の子の優先権」については
大兄去来穂別皇子(履中天皇)の皇子が即位しなかった点から
誤りと言える。(履中天皇の孫は即位しているが…)

したがって日本書紀の記述から言えることは
皇位継承は傍系(兄弟)相続が原則であり
次世代に関しては原則と言うほどの皇位継承法が
確立していたとは言いがたい。

そして次世代に関して、皇位継承の原則が確立して
なかった事が、て皇子達による皇位継承に関する
争いを生じさせたと考えられる。

結論としては、古代日本の皇位継承は傍系相続が原則であるから
直系相続ばかりが続き、原則である傍系相続が行なわれなかった
神武から開化までの天皇は架空の存在であると言える。

280 :日本@名無史さん:05/02/22 01:19:15
>>272
心情の問題?
あなたの説明じゃ実証とはいえない。にもかかわらず「実証できたと私はみております。」
といえてしまうあなたこそ信仰告白にしかみえないが。

>>276-277,>>279
井上説そのものについての理解はそのとおりでいいが、
井上説は>>271の疑問に答え得ているとは思えないな。


281 :日本@名無史さん:05/02/22 02:03:30
>>280
田中卓の指摘通り、神武から開化までの皇位継承が
長子相続でなかった点は、日本書紀の記述で示されている
しかし例え末子相続であっても、親子の間で皇位が継承されているので
直系相続である

私は皇位継承に関しては、同世代間では傍系(兄弟)相続が原則であると
認識しているから、長子・末子に関らず直系相続が行なわれた
神武天皇から開化天皇までの天皇は架空という学説を支持する。

282 :日本@名無史さん:05/02/22 02:26:48
>>281
末子相続は架空説の根拠にならない。
神武以前の神話・律令以前の各氏族系譜・モンゴルなど騎馬民族などにも
みられるもので、中国文化の影響うける以前の古い風習と考えられる。

兄弟相続はかなり特異で、応神・仁徳以後に出てくるのは
儒教的な長子相続と伝統的な末子相続との折衷とみることもできる。
また兄弟相続は、十分に成長した子供がいなかったため弟が立った例が多く
大兄制ができるまでは必ずしも制度や理念として確立していたのか疑わしい。


283 :日本@名無史さん:05/02/22 02:44:43
>>282
長子、末子に関らず親子の間で皇位が継承されれば直系相続

また仁徳天皇以降推古天皇まで、直系相続より傍系相続によって即位した
天皇が多い以上、傍系相続が原則で、直系相続の方が特異であると言える

直系相続で即位した天皇
仁徳、履中、安康、青寧、武烈、安閑、敏達 7名

傍系相続で即位した天皇
反正、允恭、雄略、顕宗、仁賢、宣化、欽明、用明、崇俊、推古 10名

したがって神武から開化まで一度も傍系相続がなかったのは
非常に不自然であり架空の存在だと言えます

284 :日本@名無史さん:05/02/22 02:46:31
傍系相続で即位した天皇
反正、允恭、雄略、顕宗、仁賢、継体、宣化、欽明、用明、崇俊、推古 11名

285 :日本@名無史さん:05/02/22 03:06:05
>>283-284
長子相続も末子相続も直系相続にはちがいないが、その差は大きい。
大兄制ないし皇太子制の確立した後世に捏造された系譜なら、
長子相続としておけばよいのに、古い伝統のうかがえる末子相続となっているのは
系譜伝承の信憑性が高いと考えられる。

あなたは「同じ直系相続にかわりない」として
長子相続と末子相続の差異にあえて目をつぶろうとしているが
そんなやり方が通用するなら「直系相続も傍系相続も同じ男子相続にちがいはない」
という論理も通用するねw

(それに兄弟相続がでてからの歴史の方が長いのだから代数(人数)が多くなるのは当たり前。
父子相続と兄弟相続が混在している場合に多寡を比較するなら意味があるが。)

286 :日本@名無史さん:05/02/22 04:58:10
>長子相続と末子相続の差異にあえて目をつぶろうとしているが
>そんなやり方が通用するなら「直系相続も傍系相続も同じ男子相続にちがいはない」

長子も末子も親子間の相続だから直系相続
兄弟間を中心とした傍系相続とは概念がまるで違います

直系相続と傍系相続とを男系相続だから差異がないと考え方は
余りにも飛躍し過ぎです

それと神武から開化までの皇位継承が全て末子相続ではありません

安寧天皇は綏靖天皇の嫡子(皇后出生)
懿徳天皇は綏靖天皇の第ニ子(皇后出生)他に弟が一人居ました
孝昭天皇は懿徳天皇の嫡子(皇后出生)
孝霊天皇は孝安天皇の嫡子(皇后出生)
孝元天皇は孝霊天皇の嫡子(皇后出生)他に弟が5人居ました
開化天皇は孝元天皇の第ニ子(皇后出生)他に弟が3人居ました

上記のように特徴として、皇后が生んだ嫡子か第ニ子が
即位するという皇位継承形態を取っており、末子相続が
行なわれていたとは言えません

また応神天皇以降の複雑な皇位継承と比較すると、
余りにも単純明快であり、後の時代に創作されたものだと言えます

287 :日本@名無史さん:05/02/22 05:06:59
皇后が生んだ嫡子か第ニ子が皇位を継承する皇位継承形態を
末子相続と呼ぶのはかなりの無理があります

288 :日本@名無史さん:05/02/22 05:11:43
>>286
(誤)
懿徳天皇は綏靖天皇の第ニ子(皇后出生)他に弟が一人居ました

(正)
懿徳天皇は安寧天皇の第ニ子(皇后出生)他に弟が一人いました

289 :日本@名無史さん:05/02/22 10:05:32
直系で相続してるから架空か。なんかあまり説得力を感じないんだが。
はじめに結論ありきというか。

290 :日本@名無史さん:05/02/22 12:27:55
>>289
いや、普通に考えれば架空だろう。相続の問題は大きい。

291 :日本@名無史さん:05/02/22 12:53:50
社会が変われば、相続も変わるのは当たり前。
架空の傍証に使うならまだしも、これだけではなんとも・・・

292 :日本@名無史さん:05/02/22 14:54:58
系図が単純すぎ

293 :日本@名無史さん:05/02/22 15:09:09
>>291
架空の証拠
・皇位継承形態が直系相続
・天皇の名前が持統以降の国風諡号と類似
・古代においては信じられない長命
神武天皇 127才
綏靖天皇 84才
安寧天皇 57才
懿徳天皇 77才
孝昭天皇 113才
孝安天皇 137才
孝霊天皇 128才
孝元天皇 116才
開化天皇 111才

当時の食料事情から言っても、妥当な年齢は安寧天皇だけ
100才を超えた天皇はもはや論外で架空の天皇

294 ::05/02/22 15:17:00
ならば、何で安寧だけを太安万侶、稗田阿礼は妥当としたんだい?
師木津日子玉手見命も百歳を大幅に上乗せするよう、記に書けば良いではないか?

295 :日本@名無史さん:05/02/22 15:23:33
架空天皇だったら、常識的な寿命に設定して、ドンドン捏造するだろう。

296 :日本@名無史さん:05/02/22 15:25:33
そんな事は分かりません
しかし100才を超える天皇を実在と言われても、古代の食料事情による
栄養面や、公衆衛生面、医学の面から言っても信じられません

現代の日本ですら100才を超えるのはそう簡単な事ではないのですから

297 ::05/02/22 15:27:09
すると、架空天皇で無かったならば、常識的でない寿命を設定するというんだな?

298 :日本@名無史さん:05/02/22 15:29:54
BC660年(辛酉)1月1日という日を、神武即位の日に設定した為に
起きた年代の辻褄合わせによって、異常に高齢な天皇が続出した

299 :日本@名無史さん:05/02/22 15:31:50
実在がほぼ確実視されてる応神以降の天皇の中に
100才を超える天皇は居ません

300 ::05/02/22 15:32:33
『西遊記』によると、天上の1日は地上の1年に設定。
天皇の1歳には、何か特殊な短縮があるとも考察されうる。

301 :日本@名無史さん:05/02/22 15:40:45
まぁそうだろうね、大王の名前だけを連続で暗唱するような伝承があっただろうし、
(だから、初期の系譜がまっすぐ?)
その中でも有名人にはそれに併せてエピソードもあっただろうし。

いつ史実とすりあわせたか?だよな。
雄略のあと武烈までが辻褄合わせッポイから、やっぱり欽明からなのかな。

302 :日本@名無史さん:05/02/22 15:44:36
蘇我氏が大王でした
つじつまが合う

303 ::05/02/22 15:44:50
>>301
いささか、貴下のは論が核心に近くなって来ている。
余はどこからかは知悉している。それ、古神道の機密なり。

304 ::05/02/22 15:49:48
>>296
>信じられません。
ごもっとも。
貴殿の持つ時計は寿命がどれくらい?
余は幾回も故障させて、駄目なるダメージ(駄目意時)破損をせせている。
世界時計はすごく長寿だよ〜ん。
愚理日時の時計は多いに権威があるみたいだが?

305 ::05/02/22 15:52:15
訂正
誤 愚理日時
正 具理日時

306 :日本@名無史さん:05/02/22 17:05:35
>>290-305はすっとばして話を元に戻すが。

>>286
>直系相続と傍系相続とを男系相続だから差異がないと考え方は余りにも飛躍し過ぎです

そうだよ。「同じ男系だろ」と言ってみせたのはあなたのフレームアップを気づかせるためなんだが。

>長子も末子も親子間の相続だから直系相続
>兄弟間を中心とした傍系相続とは概念がまるで違います

そういう枠組みの立て方が長子相続と末子相続の差異をあえて
無視しようという態度でしょう。>>282,>>285での指摘・疑問に対して
「いやそれはどうでもいいからw」と言ってるだけで答えてない。(続く)

307 :日本@名無史さん:05/02/22 17:08:12
>>306からの続き)
>それと神武から開化までの皇位継承が全て末子相続ではありません

いやあなたの作った一覧は正確じゃないね。正しくはこう↓

○神武はウガヤフキアエズの【末子】(四人兄弟)
○綏靖は神武の【末子】(四人兄弟)
○安寧は綏靖の一人っ子だから【問題にならない】。(長子でもあり末子でもある)
△懿徳は安寧の三人の子のうち第二子。(末子でも長子でもない)
×孝昭は懿徳の長子(二人兄弟)
○孝安は孝昭の末子【末子】(二人兄弟)
○孝霊は孝安の末子【末子】(二人兄弟)
○孝元は男子は五人兄弟だが同母兄弟がいないので出生順は不明。
    しかし皇后腹だとすれば一人っ子だから【問題にならない】。
○開化は五人兄弟だが二人は異母なので出生順不明。同母の三兄弟の中では【末子】。
○崇神は四兄弟だが同母兄弟がいない。 孝元の例と同じく【無問題】。

いいかい、ここで重要なのはあなたが事前に決め込んでる兄弟相続の有無ではなくて
大兄制や皇太子制が自明になった後世に捏造された(少なくとも井上は
「だから兄弟相続でなくなっている」といっていたはず)という割りには
長子制が反映されてないということなんだよ。

>上記のように特徴として、皇后が生んだ嫡子か第ニ子が
>即位するという皇位継承形態を取っており、末子相続が行なわれていたとは言えません
>また応神天皇以降の複雑な皇位継承と比較すると、
>余りにも単純明快であり、後の時代に創作されたものだと言えます

まだ同じこと言える? 史料を読み解く力がないとしかいえないね。

>>287
嫡子という言葉の使い方まちがえてるよ。

308 :日本@名無史さん:05/02/22 18:01:08
きっぱりと言えるね。
創作!だよ。

309 :日本@名無史さん:05/02/22 18:51:26
安寧天皇 綏靖の皇后所生の皇子
懿徳天皇 安寧の皇后所生の皇子
孝昭天皇 懿徳の皇后所生の皇子
孝安天皇 孝昭の皇后所生の皇子
孝霊天皇 孝安の皇后所生の皇子
孝元天皇 孝霊の皇后所生の皇子
開化天皇 孝元の皇后書生の皇子

皇后所生の皇子が直系相続している皇位継承形態は
実在が確実視されている、仁徳以降の皇位継承形態である
傍系相続と著しく異なるから、架空であり創作であると言えます

310 :日本@名無史さん:05/02/22 18:52:54
天皇家に関して嫡子とは、皇后所生の第1子に使われる用語

311 :日本@名無史さん:05/02/22 18:59:41
>>308
原典批判したことがある人ならば、そこできっぱりなんていう語は使わない。


312 :日本@名無史さん:05/02/22 19:30:47
>>310
皇后所生の第一皇子=嫡子だろう。

313 :日本@名無史さん:05/02/22 19:33:59
>>311
神武天皇 127才
孝昭天皇 113才
孝安天皇 137才
孝霊天皇 128才
孝元天皇 116才

この6天皇の没年齢はきっぱりと創作だろう
古代日本において100才を超えて、なお生き続けられたとは絶対に思えない

314 :日本@名無史さん:05/02/22 19:34:46
>>313
5天皇でしたw

315 :日本@名無史さん:05/02/22 19:42:52
>>205>>307説を支持します。
で、家来の系譜も参考にしながら考えてみましょうよ。
主人と家来はともにあるもので、その主人が実在したのかどうかという証には
ならないまでも、考察する手がかりにはなるでしょう?

316 :日本@名無史さん:05/02/22 19:49:54
傍系相続が皇位継承の原則
井上光貞学説を支持します

317 :日本@名無史さん:05/02/22 19:53:42
自作自演を支持しますw >315-316

318 :日本@名無史さん315:05/02/22 20:07:10
>>317
勝手に俺を>>205>>307と同一人物にするな。何ならひろゆき氏に確認して
もらってもいい。今日一日の中で一番気分が悪い。

319 :日本@名無史さん:05/02/22 20:08:12
傍系相続!万歳!!

320 :日本@名無史さん:05/02/22 20:18:55
>>205は訳わからん。
>>307は井上説に鋭い批判をしている。
直系(父子)継承と傍系(兄弟)継承を両立させるには王朝交代論がベスト。
直系継承が原則だった神武王朝を、
傍系相続が原則の応神王朝が打倒した、
という風に考えれば筋が通る。

神武王朝
応神王朝
継体王朝
の三王朝説。

321 ::05/02/22 20:48:43
ここは、明智探偵シリーズの浪古史警部のようなスレ人が多いのう。

322 :日本@名無史さん:05/02/22 21:26:00
>>320

これはいい!!他の分野でも、説明が
つけやすい説ではないだろうか?

>神武王朝
>応神王朝
>継体王朝
>の三王朝説。


323 :日本@名無史さん:05/02/22 21:30:33
架空は架空w

324 ::05/02/22 21:32:00
浪古史理論が多く徘徊しておる。

325 :日本@名無史さん:05/02/22 21:32:27
三王朝を女系できわどく繋げてるところが、よくできてるなと思う。

326 :日本@名無史さん:05/02/22 21:32:58
津田左右吉のぽっと出の思いつき>>>>>>欠史八代説>>>>>>この説が一人歩きで大騒ぎ

327 :日本@名無史さん:05/02/22 22:09:36
いないものをいるというから無理がくる

328 :日本@名無史さん:05/02/22 22:55:54
捏造するなら、いくらなんでもこんな年齢にしないだろう。

>神武天皇 127才
>孝昭天皇 113才
>孝安天皇 137才
>孝霊天皇 128才
>孝元天皇 116才


329 ::05/02/22 23:03:51
結局、捏造したならば、3桁才記述は見破られやすいことになって、こういう故意なる
捏造の仕方は叔母加算だということになる。
捏造ならば、通常の人間の頭ならもっとわからんようにやるではないか?
だから3桁才は別の考察をしないと、真実が見えてこないのだよ。

330 :日本@名無史さん:05/02/23 00:17:36
欠史八代をまとめて処理するから無理が来る。

331 :日本@名無史さん:05/02/23 01:03:57
>>322

日本書紀を編纂したのは継体王朝になってからだから
神武王朝の天皇たちの没年齢は適当で良かったし
天皇の名前も自分達の国風諡号と酷似させた

また応神王朝の最後の天皇である武烈は基地害として
描写しても何の問題もなかった

そして王朝交代を隠して万世一系を維持するために
>>325の指摘とおり女系で繋げた

神武王朝は実在したが仲哀天皇で断絶
応神王朝も実在したが武烈天皇で断絶

現在の皇統は継体王朝

332 :日本@名無史さん:05/02/23 01:08:37
>>331
2代目がキチガイなのは、架空だから適当でいいということなんだろな。

333 :日本@名無史さん:05/02/23 01:21:03
神武朝最後の天皇である仲哀が無能
応神朝最後の天皇である武烈が基地害
という風に描写されたのは、史記の夏の傑王や
殷の紂王の描写の反映だと考えられる

つまり神武王朝も応神王朝も徳を失い滅亡したと言う事を
暗に示したものだと言える

334 :日本@名無史さん:05/02/23 04:23:24
兄弟相続(傍系相続)などという制度は無かった。

允恭→反正から皇位継承のルールが変わったようにみえるけど、
それは日本書紀を読んでいれば説明可能なこと。
応神の皇子は、論語を伝えた王仁を家庭教師にしているから、
儒教の素養があったわけで「長幼序あり」という儒教の教えや
大陸の長子相続のことを知っていただろう。だから応神の後、
先帝に指名された宇治若郎子とその兄の仁徳とで皇位継承の問題が
起こったわけだし、仁徳は自分の長男の履中を太子にして、倭国における
長子相続を創始するだけの十分な背景があったってことだよ。

しかし倭国で儒教が一般的になるのは継体朝からで
この頃はまだ宮廷でも諸豪族にも受け入れられてなかった。
だから履中即位に対して早速、反乱があったわけだが、これは次男の
墨江中津王が自分で天皇になろうとしたのではなく允恭を擁立しようと
したのだろう。反正の策略で反乱は鎮定されたが、その功績で
反正は世継ぎに立てられたのであり兄弟相続という制度があったからではない。
履中も反正も男子がいるのに継承できなかったのは皇子が幼かったことも
考えられるが、豪族たちの世論が最初から末子の允恭を待望していたからだろう。
允恭の後は長男の木梨軽王がスキャンダルで失脚。
次男の安康天皇は暗殺。だから末子の雄略に皇位がいったわけで
兄弟相続制という制度のおかげではまったくない。
こうしてみると仁徳が儒教思想によって
「よーし、パパ、中華式に長子相続はじめちゃうぞ!」と言い出してからは
皇位継承はしっちゃかめっちゃかになったというだけではないのか。
「単なる兄」と「功績ある弟」のどっちが優先かという仁賢・顕宗の議論も
「単なる兄」と「先帝から指名された弟」のどっちが優先かという
仁徳・宇治若郎子の議論の変奏曲にすぎず、この間は、伝統的な末子相続が
破壊されただけで、確立した兄弟相続「制度」などという永続的なものは
なかったのです。(大兄制ほか継体以後の皇位継承の問題については継体スレでよろ)

335 :日本@名無史さん:05/02/23 04:24:46
>>309,>>316
悔し紛れにすでに論破された同じネタを繰り返し口走って逃走。
壊れたテープレコーダーのようですね。
かつて井上光貞は田中卓の反論にまったく答えられないまま逃げてしまった。
2chの中に井上光貞の代理がつとまるような椰子がいるとは思えないね。

>>320
漏れは>>205>>307なのだが、そういうなら2倍暦問題は一時的に棚上げして
(ということは長命だから云々も一時棚上げという意味だが)他の論点を一緒に
かたずけようではないか。王朝交代説の可否はまたその後でね。
>>322
それはえらく古い説だよ。井上光貞と同時代の水野祐の説。
>>331-333はすべて反駁可能。
ただし話が拡散してしまうので、武烈と継体の間のつながりについては
継体スレでやってもらえないだろうか。

336 :日本@名無史さん:05/02/23 04:25:18
>>293,>>313
>架空の証拠
>・皇位継承形態が直系相続
>・天皇の名前が持統以降の国風諡号と類似
>・古代においては信じられない長命

(長命については>>294-295,>>328の反論、>>296の再反論で終わってるが)
今は「皇位継承形態が直系相続」という点についてまだいい足りないので
他のネタは棚上げさせてくれ。順次、解明していくつもり。

>>298
讖維説は俺の中では終わってる。過去スレでも那珂通世を批判したのは漏れ。
何年か前だけどハン板や極東でも紹介してくれる人がいて嬉しかった。

>>317-318
漏れは>>205>>307と同一人物だが>315-316でも>>318でもないよ。

337 :日本@名無史さん315:05/02/23 06:09:01
>>336
1ヶ所だけ違います。私は>>316の方とは別人です。
(どうしても確認したかったらひろゆき氏に尋ねていただいて結構、
ただし、個人情報保護の問題があるので、本人か別人かの判定結果
だけの通知になる公算が大きい・・・私もその方がいいけどw)
なお、さっきも言ったとおり、>>205>>307>>334-336に賛同します。
オオサザキ大王が儒教概念を持ち込もうとしたあたりは、記紀のエ
ピソードを彷彿とさせますね。その伝承により、後に「仁徳」と謚
されたと。

338 :日本@名無史さん:05/02/23 07:07:43
>>337

>>315-316」という表現は >>317へのレスのために
便宜上引用した結果そういう書き方になりました。
もちろん私が>>315>>316と思ってるわけではないです。
誤解招く書き方申し訳ないです。


339 :日本史@名無しさん:05/02/23 07:35:33
柱=神だし、そう簡単に、まして後世の人間になぞらえて捏造など、呪術世界に於いては
もってのほかであり、よほどの事情がない限り(実名が伝わらない、等)捏造はあり得ない。
戦後天皇制の全否定と共に造作説が主流になったが、天皇制が死んだかと言えばそうでは
ないのと同じで、頭の中で否定しても実在を無視できるわけではない。まして古代では死後
はもちろん生前も神に祀られた権力者のあからさまな捏造はかえって権威を損なう。宗教的
土壌の希薄な日本だけらしいね、そんなのって。骨がらみで宗教と共にある外国では、逆に
それなりの科学的な視点が確立しているそうだから。

ただ、八代全てを二倍年暦とするには、寿命や即位年など全て明瞭に疑問が晴れるかといえ
ばそうとも言い切れない。まあ範囲内といわれればそうかも知れないし、3倍や4倍でもいいの
にそうなっていないのも事実だけどね。

他のギリシャやインドや中国など世界中の古代人も、やはり2倍の範囲であって5倍でも10倍
でもないのは大事な部分かなとは思うよ。

340 :日本@名無史さん:05/02/23 07:45:12
>>336
皇位継承形態に関して直系相続が原則という考え方たは興味深い。
実在が確定している応神王朝や継体王朝で、なぜ傍系相続が
多いかについても解明してもらいたい。

341 :日本@名無史さん:05/02/23 07:52:25
>>339
応神王朝最後の天皇である武烈の外道な所業は
新王朝である継体側の捏造だろう。

342 :日本@名無史さん:05/02/23 08:07:42
仲哀天皇に関しては応神王朝の正統性を示すための記述
武烈天皇に関しては継体王朝の正統性を示すための記述
これらの記述は「史記」の影響を受けているからだと考えられる

343 :日本@名無史さん:05/02/23 08:49:03
本居宣長説、皇位継承に原則は無し
井上光貞説、皇位継承は傍系相続+次世代における嫡長子の皇子に
         優先権の原則
336説、皇位継承は直系相続の原則

344 :日本@名無史さん:05/02/23 12:34:48
俺は2倍暦=すべて事実説が出てこなければそれでよい

345 :日本@名無史さん:05/02/23 12:49:06
2倍暦じゃなくて、季節暦、月の満ち欠け暦などさまざまあっただろうということだろう。
何で2倍暦だけ否定するのか、さっぱりわからん。

346 :日本@名無史さん:05/02/23 13:04:03
月の満ち欠けの太陰暦はあるよ。太陽暦もある。太陰太陽暦もある。
2倍暦はありえません。

347 :日本@名無史さん:05/02/23 14:43:27
太陰暦でない月の満ち欠け暦を無視しちゃ、学問とはいえないな。

348 :日本@名無史さん:05/02/23 16:57:19
>>340
だから直系相続っていってもいろいろな種類があるのよ。
末子相続もあれば長子相続もあるし兄弟の優先順位が不定な場合もありうるでしょう。
ただ「直系相続」といっても形態を特定できないから何もいってないのと同じ。
そもそも直系相続とか傍系相続という言葉がおかしい。父子相続とか兄弟相続というべき。
応神以後に兄弟相続がふえた理由は>>334
継体以後の兄弟相続は継体スレでやろうというのが俺の提案。(簡単にいえば大兄制だけど)

>>345-347
>季節暦、太陰暦でない月の満ち欠け暦、太陽暦、太陰太陽暦

「季節暦=原始的な太陽暦」ってことかな。それはもちろんあったろう。12か月の旧名も
季節を表わしてるようだし。しかし日付を特定するような意味での暦制ではないでしょう?
「太陰暦でない月の満ち欠け暦」も、目視だけで朔・上弦・望・下弦をめやすに
七日単位の時期はわかるし、上旬・中旬・下旬と組み合わせたりして慣れてくると
月をみてるだけで誤差1日程度には何日がわかるようになるという。
「太陰太陽暦」は継体〜欽明朝のあたりに暦博士が百済から交代制できていたから
当時の最新の暦が行われていただろう。しかしそれ以前から中国の古い暦の影響は
あったかもしれない。後漢の四分暦を劣化したまま使っていた可能性もなくはない。

ただ2倍暦というと、歴史に明徴のある中国の暦でもなく、原始的な自然暦でもない
のだから、これらと同様に安直に「あっただろ」とは言いにくい。2倍暦は論点が
ひじょうに広くて深いので、専用スレを立てた方がいいかも。民俗板でもいい。


349 :日本@名無史さん:05/02/23 17:24:56
>>334
つまり皇后所生の末子相続という従来の皇位継承原則と
仁徳天皇が始めようとした皇后所生の長子相続という皇位継承原則
ぶつかり合った結果、皇位継承自体が滅茶苦茶になって
その結果として兄弟継承が多かったという事ですか?
つまり結果としての兄弟継承と理解して良い訳ですね

350 :日本@名無史さん:05/02/23 17:36:34
2倍暦だけはないようだな

351 ::05/02/23 17:38:57
仁徳天皇の『仁』の字は、2(二)の人と読めるのだ。

352 :日本@名無史さん:05/02/23 17:57:12
>>349
だいたいそのとおりでいいと思うのだが、最初にあったのは「末子相続制」というような
掟・決まりとして認識されるような「制度」ではなく、なんとなくやってる風習のような
ものだったと思われ。仁徳が長子を立てようとしたのも長子相続制度の創始というより、
日本も中国式にやらんといかんかも、という共通の思いが仁徳と三人の息子に共有されて
いたというだけ。その後は「制度」とは無関係にそれぞれの政治的な経緯で継承している
ので、継承のあるべき形がどうだったのかは表面化しない時期が続く。表面的にみれば
兄弟相続が多いので、結果としての兄弟相続とはいえるが、「兄弟相続制」という掟・決まり
が存在したわけではない。そのへんを意識化した結果、でてきたのが継体朝の大兄制。
大兄制がでてきた経緯や大兄制の構造についてはできれば継体スレでやりたい。

353 :日本@名無史さん:05/02/23 18:02:56
>>349
それと仁徳の嫁さんの石之日売命は「太后(おおきさき)」として
はじめて他の女性より格上の地位についたが、この嫁さんたちに上下の格付け
するのも中国式の後宮を真似たもので、それ以前はイスラム教やモルモン教みたいに
嫁さんたちには上下の差はなかったんじゃないかと思う。
ただし特定の家柄から出た女性の所生が後継者として
いくらか優先されてる感じはなくもないが。

354 :日本@名無史さん:05/02/23 18:32:44
>>353に関係して。つか関係ないかも知れないけど。

普通は一世代が約30〜40年くらいと考えられてきた。漢字の世は「三十」だし
親・本人・子供の3世代が「1世紀間」で一代あたり約33年。聖書にも「40年」「44年」
が一世代の経過を表わす数字としてでてくる。しかしこれらは長子相続のケース。

末子相続だと一世代がかなり長くなる。妃が複数記録されている場合、
同時に複数いたとは限らず、若い頃の妃と老いてからの妃がいたケースもあるだろう。
妃が別の女性を天皇に推薦する話が垂仁紀や允恭紀にでてくる。

まぁこれで編年問題が解決するわけではないが、ちょっと参考までに。

355 :日本@名無史さん:05/02/23 18:39:35
>>353に関係して。つか関係ないかも知れないけど。

普通は一世代が約30〜40年くらいと考えられてきた。漢字の世は「三十」だし
親・本人・子供の3世代が「1世紀間」で一代あたり約33年。聖書にも「40年」「44年」
が一世代の経過を表わす数字としてでてくる。しかしこれらは長子相続のケース。

末子相続だと一世代がかなり長くなる。妃が複数記録されている場合、
同時に複数いたとは限らず、若い頃の妃と老いてからの妃がいたケースもあるだろう。
妃が別の女性を天皇に推薦する話が垂仁紀や允恭紀にでてくる。

まぁこれで編年問題が解決するわけではないが、ちょっと参考までに。

356 :狭野:05/02/23 19:36:47
>>342
万世一系を主張しながら新王朝の正当性? 矛盾も甚だしい。


357 ::05/02/23 19:37:37
菟道の稚郎子は若きころ、なかなかの美男できらきらに輝いていた。
一方、大鷦鷯尊は体裁のよいと云えない不細工に近い風体で、髪を後ろから両脇に
左右に束ね、現代の女高生風の髪留めをした変わり者で無口に日々を凡々とすごしていた。
この二人を眺めてみれば、皇位に上らすのは稚郎子と思うのは例外なく誰でもで
あっただろう。大山守命はいささか豪傑のような男で、先の二人の関係の内輪の
ひそひそ話が宮廷の隅で起こっているのをたびたび耳にして、あまり面白くは
思っていなかった。
父の誉田別尊も、すでに皇位に登らせる者は稚郎子にすることを心の奥に固めては
いた。事実、稚郎子と大鷦鷯尊を呼び寄せて稚郎子に皇位継承の件を話したが、
大鷦鷯尊は黙って素直にこれにうなずき真面目に引き下がって行った。
大山守尊は内心面白くなかったであろう。
しかしながら、稚郎子は気の弱い、精神力が薄いひ弱な一面を持ち合わせていた。
誉田別尊の期待に受けこたえられない、政治には不向きの男子であったのだ。
起こりうる宮廷の葛藤には絶えられない稚郎子は、他に方向打開の手が見当たらず、
ついには、自殺にまで追い込まれてしまった。哀れ。可愛そうなお方であった。
若いころ、容姿不端麗な出来損ない、宮廷の誰からも並み以下との評価なあった大鷦鷯尊は
弱肉強食の試練を乗り越えられる、政治の判断に適正さを保有する才が次第に強く外部に
見えるようになって来た。稚郎子の自殺によって、初めて自己が登極の運命に
あることが順次自覚していったに違いない。
そのころから、大鷦鷯尊には若年のころとは、まるで打って変わったように、
天皇の御位に上がる威厳がなりふり容姿ともに滲み出て来た。まさに、
天皇のなる威厳が身から浮き出てくるようになった。宮廷の臣民の驚きは
その変貌さに頂点に達してきたと云っていい。そして16代天皇として
ついに大鷦鷯尊が即位したのである。


358 :日本@名無史さん:05/02/23 20:45:45
>>356
万世一系を標榜しつつ前王朝最後の天皇に関しては
無能、外道扱いにして、暗に自分たちの正統性を誇示してるのかも。

359 :日本@名無史さん:05/02/23 20:48:50
日本書紀自体が天武天皇の近江朝転覆と弘文天皇弑逆を
正統化するために編纂された史書とも言えるし。

360 ::05/02/23 20:52:03
弘文天皇は伊賀者。簡単には弑逆されない。月読命と強い縁あり。

361 :狭野:05/02/23 21:03:03
>>359
皇族同士、豪族同士の血みどろの争いが散々書かれてるのに、今更正当化もへったくれも無かろうに。

362 :日本@名無史さん:05/02/23 21:08:46
>>361
しかし日本書紀は弘文天皇の即位を認めていない
逆に大日本史は大友皇子の即位を認めて天皇大友紀を著述した
大友皇子が即位してなければ皇子同士の争いだが
大友が即位していたら大海人皇子は、天皇と戦い自殺に追い込んだ
事になる

天皇VS皇子と皇子VS皇子ではその重みが全然違う

363 :狭野:05/02/23 22:02:10
>>362
そうかも知れんが、それはしかし、天武紀のみで完結していることではないのか?
書紀全体に敷衍できることではあるまい。


364 :日本@名無史さん:05/02/24 00:04:23
>>363
弘文天皇の即位が天武天皇側の恣意的意志で否定されたとしたら
天武の祖先である継体天皇の即位にも疑問を持たざる得ない
天武の簒奪を否定したように自分達の直接の祖先である
継体の簒奪も隠した可能性あり

365 :日本@名無史さん:05/02/24 00:07:38
>>359-364
天智と天武については関係スレがいくつもあるんで、そっちでやってもらえませんか?

366 :日本@名無史さん:05/02/24 00:24:10
スレ違いはそのとおりなんだが、
最近天皇関連スレは↓これが多いね。

>数字 名前:停止しました。。。 投稿日:停止
>真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ


367 :日本@名無史さん:05/02/24 00:52:56
【暗殺?】天智と天武【兄弟?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1045471651/
壬申の乱の謎
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1033233848/



368 :日本@名無史さん:05/02/24 01:02:23
>>365
了解した。
ただ天武側が弘文即位という史実の抹消という捏造を行なったとしたら
自分達の直接の先祖である継体の簒奪を否定するための捏造を行なった
可能性は否定は出来ないだろう

369 :日本@名無史さん:05/02/24 01:03:42
>>367に追加でつ。

スーパー  中 大 兄 皇 子  ヒーロー
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1073766541/l50

大化の改新
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104466938/l50

おまえ日本っていう国号の意味知ってるか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1057662627/l50

370 :日本@名無史さん:05/02/24 01:07:16
>>368
大友皇子が即位したいたかどうかは曖昧でよくわからないね。
即位はしていないという説もいまだに根強い。個人的には
「即位はしていないが称制していた」だから天皇ではないが
天皇格(即位前の天智)、くらいな感じじゃないかと思うが。

371 :日本@名無史さん:05/02/24 01:19:46
>>370
天智や持統も称制を行なった時期があったから称制=天皇格という
見解に同意

そこでスレ違いだけど称制していた大友皇子を武力で倒すこと自体が
皇位の簒奪に当たると思えるが

372 :日本@名無史さん:05/02/24 01:25:54
>>371
いや、称制していたというのは漏れの個人的な意見ですから。
続きはこちら↓でどうぞ

【暗殺?】天智と天武【兄弟?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1045471651/
壬申の乱の謎
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1033233848/
スーパー  中 大 兄 皇 子  ヒーロー
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1073766541/l50
大化の改新
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104466938/l50
おまえ日本っていう国号の意味知ってるか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1057662627/l50

373 :日本@名無史さん315:05/02/24 02:23:25
ある伝承の集大成に対して、異質のものをあまり極端に書き加えることはできないと思う。
一般論としてね。
それよりは、事実を無視して記録する方が少しは楽かと思う。
一般論としてね。
とはいえ、これも極端なことは出来ない。
結局ね、一昔前の史学界の大御所が「記紀には捏造が多い」という論調で学説を展開して行っ
たのを、そのまた後の人が拡大解釈して、更にその後の人が拡大解釈して・・・という風に、ど
んどん拡大解釈が横行して、なんだか歯止めが利かなくなってきていたのでは?と思うね。

374 :日本@名無史さん315:05/02/24 02:42:18
ごめんなさいね。唐突な書き方で。

そこで、以前にも日本史板で誰かが紹介されていました、(欠史)八代
の伝承が全くないわけではなく、記紀とは別の伝承にクーデターのエピ
ソード含まれていることについて。
あくまで学術的な手法をぶった切って、視線を変えて考えてみました。
記紀編纂当時の語り部の中にも、この伝承を語った者がいると思います。
(記紀の出典になってしまうが、允恭帝の「氏正常化令」や天武帝の紀
正常化令等、なんども伝承の整理をしている)
では、なぜ採用されなかったか。
大王家の伝承と異なっていたという要素も考えられますが、それこそ、
天武帝や舎人親王に何か「都合が悪い伝承」だったので、「無視」したと
も考えられます。
ただし、全てを改造することは出来なかったので、代々の大王と兄弟に
ついてはそのまま載せたのではないかと。
なお、クーデターの事実があったかどうかを語っているわけではありません。
数々の異なる伝承を取捨選択する中で、都合のいい部分を繋いだことは
あるにせよ、全くの創作は様々な意味で困難と思います。

375 :日本@名無史さん:05/02/24 12:26:18
クーデターに限らず都合の悪い記事はすでに記紀の中にたくさんあるわけだが。
大友皇子が称制していたことに触れないのは日本書紀の曲筆だが、あえてふれない
というだけで積極的な捏造ではないだろう。本当に隠蔽する気なら
万葉集とか懐風操とかぜんぶ改竄できただろうけど、そこまではしてないし。



376 :日本@名無史さん:05/02/24 12:31:42
ここは2倍暦が電波ということを確認するスレです

377 :日本@名無史さん:05/02/24 13:05:39
上げ荒らしや煽りはスルーでよろ。

378 :日本@名無史さん:05/02/24 14:56:36
2倍暦派は降参ですかw

379 :日本@名無史さん:05/02/24 19:03:07
否定派が降参したそうです

380 :日本@名無史さん:05/02/24 19:26:11
先日、橿原研究所は
古代豪族の大型住宅を発見したそうだ。
館は古代有力豪族葛城氏のものとみられ、
紀の記述どおり焼け跡も見られたそうだ。

381 :日本@名無史さん:05/02/24 19:47:52
本物の葛木氏の邸宅なら半島出兵、百済寺、法隆寺の火災、武寧王に続き、記紀の記述が確認されたことになるな。

382 :日本@名無史さん:05/02/24 20:31:03
山田寺や多賀城など
紀記の記述は次々に
考古学によって
裏付けされてますよ。
かつて紀記を偽書扱いして葬ろうとした左翼アカデミズの連中は
どこに消えたのやら。

383 :日本@名無史さん:05/02/24 21:33:54
その記紀にも2倍暦は書いてないね

384 :日本@名無史さん315:05/02/24 22:57:38
>>375>>380-382
おっしゃるとおりですな。


385 :日本@名無史さん:05/02/24 23:27:22
>>383
哀れな奴。

386 :日本@名無史さん:05/02/25 01:01:43
>>380
もともと応神天皇以降の、天皇の実在を疑う歴史家は居ないだろう。
「宋書『倭国伝』」でも、倭の5王の事は記述されている。
それと葛城氏は、応神王朝と婚姻関係で深く結び付いた豪族。

387 :日本@名無史さん:05/02/25 01:10:30
う〜ん、畿内は倭国じゃないが・・・

388 :日本@名無史さん:05/02/25 02:20:20
>>386
顕宗や武烈の実在を疑う史家もいるし。
五王は九州王朝だという電波もいるし。

389 :日本@名無史さん:05/02/25 02:45:27
金印も阿蘇山も畿内じゃないが

390 :日本@名無史さん:05/02/25 04:45:14
>>386
応神以降というか仁徳以降でそ。もともと仁徳以降まで実在を疑う説はなかった。
(倭の五王が仁徳王朝だという前提だけれども、まぁそれはともかく)

稲荷山鉄剣以来、神武〜応神の実在を積極的に主張してきた一部の学者は勢いづき
それ以外の学者も「実在否定論」をひるがえしこそしなかったけど
積極的に主題にすることもめっきりなくなった。左翼的には「結論でてるから」
という言い訳だろうけど、>>384のいうように学界では日増しに記紀の伝承に
信頼が置かれるようになってきてるのが事実。この風潮に便乗して、崇神〜応神
の実在説は一時は影が薄かったけどまた以前のように三輪王朝論・河内王朝論と
のからみで容認されてる雰囲気。ただし明確な議論はなく「この天皇は実在だが
この天皇は捏造」という具体論はさけられる傾向。>>388のいうとおり顕宗や
武烈の実在を疑う説もあるけど今現在それほど有力だとは思わない。
しかし神武〜開化については、まだ多くの学者は様子見であんまりふれない。
人間としての実在は認めないが後世の捏造ではなく実在した神話として認める
というヒネった説も出てきてるが、過渡的な現象だと思う。

それと単に本人が実在かどうかという問題と別に王朝交代説の問題もある。
伝承が信頼できるということは系図が信頼できるとほとんど意味が同じ。
まず継体天皇の系図の肯定論が早くからいわれてきていた。しかし顕宗・仁賢の
兄弟の出自や仲哀と応神のつながりなどは詳細には論じられてはいない。
仲哀とのつながりを論じるのはとりもなおさずそれ以前の王朝の実在性
(否定するにしろ)にふれざるを得ないからめんどくさい。


391 :サガミハラハラ:05/02/25 10:31:08
2倍暦が存在したことは、もはや確定的といっていいでしょう。
古事記天皇没年干支が2倍暦をもとにしていることは既に論じました。仲哀天皇の年代が2倍暦にあてはまることも論じました。
続く応神天皇紀も三国史記(主に百済紀)や好太王碑文も、2倍暦でかいすると、見事に接合することも、「東アジアの古代文化を考える会」の旧HPの古代学入門のコーナーで解説しました。
(旧HPは、現HPに切り替えの際消去しています。)
2倍暦が存在したこと、記紀の年代はそれをもとにして構成されていることは、間違いありません。
尚、紀での天皇在位年数は安康天皇までが2倍暦です。

392 ::05/02/25 10:33:51
なかなかいい線か。

393 :日本@名無史さん:05/02/25 10:36:50
確かに日本に来るのに何年もかかる大陸の書にしか出てこない卑弥呼が載ってて
日本人が、記録した書に載ってる神武天皇を無視するのは、おかしい。

394 :日本@名無史さん:05/02/25 13:45:45
なんで日本にだけ2倍暦があったの?
適当なパズル合わせはやめてくれ

395 :日本@名無史さん:05/02/25 14:26:02
二倍歴とやらを肯定するつもりはないけど日本にしかないない古俗の類はたくさんある。地域独特の習俗の存在は、他地域と交流の少ない太古時代において特に顕著となります。日本にも唐風に改めたものは多いいけど唐と交流する前は日本のものしかなかったでしょ?

396 :日本@名無史さん:05/02/25 15:27:35
は?神話の多くは東南アジアや北東アジアやらと共通してるけど?
縄文期も弥生期も交流しまくりですが?

397 :日本@名無史さん:05/02/25 17:29:27
いや、そう言うと思った。勿論、唐の前にも隋とか百済とかとも交流してます。携帯なんで行数があまり使えないので省きますが地域交流が断絶、ないしは限定的だとよくある現象です。

398 :日本@名無史さん:05/02/25 17:49:17
>390
すばらしい

399 :サガミハラハラ:05/02/25 18:55:04
2倍暦は日本以外にもあります。古田武彦氏関係のHPに古賀達也氏の研究がのっています。
http://www.furutasigaku.jp/

400 :日本@名無史さん:05/02/25 21:46:12
>>399
全部ありえません
2倍暦はありえません

401 :日本@名無史さん:05/02/25 22:22:06
もう思い込みはやめような>>400

402 :日本@名無史さん:05/02/26 08:34:05
>>391
再反論がないが?
それに旧HP削除されたままなら見れない。見れないものをソースにされても困る。

>>399
古賀達也氏の研究って、あれ研究なの?
歴史上のいろんないろんな年齢数値を単に2で割って
「これって2倍暦だったんじゃ?」と妄想してるだけじゃん。


403 :348:05/02/26 08:34:56
>>348
>歴史に明徴のある中国の暦でもなく、原始的な自然暦でもないのだから、2倍暦は論点
>がひじょうに広くて深いので、専用スレを立てた方がいいかも。民俗板でもいい。

と書いたんだがどうかね。2倍暦否定派を装って、定期的に煽ってるやつがいるけど、
釣られるなよ。2倍暦論争を始めればスレが荒れるか糞スレ化することを学習したブサヨが
このスレの神武天皇実在説を隠蔽するために煽ってるんだから。


404 :サガミハラハラ:05/02/26 11:28:50
見れないものについては、再びかきこむのも大変なのでその内ぼちぼちとやるかもしれまん。
専用スレについては、私、たてかたをしりませんので、よかったらどなたかお願いいたします。


405 :日本@名無史さん:05/02/26 12:34:55
>>403
だいぶ苦しそうだな。
2倍暦の証明ができないのにパズルだけで言ってるのが
おかしいといっている。

406 :日本@名無史さん:05/02/26 14:09:25
これだけ騒いでも2倍暦の否定論が展開できない池沼は、
もう出る幕はない。肯定派に完全に論破されちゃってるね。

407 :403:05/02/26 17:48:40
>>405
いや、漏れは2倍暦否定派だよ。

408 :日本@名無史さん:05/02/26 17:51:00
>>406 ←これが>>403で指摘した例のもの。早速登場。



409 :日本@名無史さん:05/02/26 20:01:18
だから2倍暦否定できてるやつはいないって

410 :日本@名無史さん:05/02/26 21:43:02
2倍暦は、思いつきの域を出てないね

411 :日本@名無史さん:05/02/26 21:46:22
何回証拠をだしても、全然見る気ないだろ?
お前だけ見なくていいよ。

412 :日本@名無史さん:05/02/26 22:10:47
どこが証拠かと、小一時間・・・

413 :日本@名無史さん:05/02/26 22:22:46
>>412
宗教なんだよ。マルクス主義と同じw

414 :日本@名無史さん:05/02/26 22:33:34
アンチ九州王朝教ですねw

415 :日本@名無史さん:05/02/27 00:31:28
九州王朝は関係ないだろ。
「九州王朝派で2倍暦否定派」とか「アンチ九州王朝だけど2倍暦は肯定」とか、
いろんな奴がいていい。このスレの論点は神武天皇だ。

しかし・・・>>405-414 ←このへん本当に無駄なスレ流しだな。


416 :日本@名無史さん:05/02/27 16:33:27
神武天皇のためには2倍暦は必要だ
だから2倍暦はなければならない!

417 ::05/02/27 16:41:50
倍四時陰 光陰矢の如しか〜? コンボジヤ?寺院?


418 ::05/02/27 16:48:31
間違えたか。カンボジャだよなぁ?

419 :日本@名無史さん:05/02/27 16:51:21
2倍暦を否定すると、
即座に興奮するのはなぜだ?

420 :日本@名無史さん:05/02/27 16:54:11
もう話題変わっているのに、上げて粘着続けてるのは
二倍歴反対派の粘着荒らしだろ。

今の話題は、欠史八代と応神朝以降の系譜の信憑性と相続関係です。

421 ::05/02/27 16:57:29
2回 アンコール?4回?

422 :日本@名無史さん:05/02/27 16:59:31
いくら荒らしても、後でまともな議論張り直すからね。

がんばれよ。ウジ虫。

423 ::05/02/27 17:07:22
ここは「4、3退く2」(黄泉の国)のスレか?

424 :日本@名無史さん:05/02/27 17:34:26
>>422
いくら苦しくても言葉遣いが汚い人は、スレから出て行くべきだね

425 :日本@名無史さん:05/02/27 18:02:45
>>424
言葉遣いはあやまる。

でも別に苦しくはないけどな。俺ただのロムだし。

勝手に他人にレッテル貼る厨も出て行った方がいいんじゃないの?

426 :日本@名無史さん:05/02/27 18:19:11
おう、熱いなぁ
趣味や嗜好は完全に大人になりきれないデヴヲタ君だがその熱意は買うぞ
昼夜問わずヲタ嗜好全開なのは感心しないがな

427 :日本@名無史さん:05/02/27 22:36:48
2倍暦肯定派だろうが否定派だろうが、煽りとその相手する奴はみんな荒らし。
無駄なスレ流しが進むだけ。

誰か2倍暦以外のネタふってくれないかな。

428 :サガミハラハラ:05/02/27 22:49:24
神武天皇の故郷は宮崎県ではなく、福岡県の室見川流域の日向であると思う。
その南の背振山地が高天原であり、二二ギノ命の降臨地も博多湾沿岸であることから
従来の宮崎県拙は日本書紀の編者の誤解である。
尚、室見川の流域は山門という地名であり、奈良県の大和は神武天皇が移住した際の
地名の移植である。

429 :日本@名無史さん:05/02/27 22:51:19
ここの議論誰かまとめてくれないか?

430 :日本@名無史さん:05/02/27 23:05:57
まとめると、話題が減る。

431 :日本@名無史さん:05/02/28 00:59:41
高千穂の伝承地については古来、2カ所が候補にあげられており
その優劣についても様々な議論があるが、北九州には伝承地はない。

そもそもニニギの天孫降臨神話は、天から高千穂峰という「山」に降りたという神話。
博多湾では山ですらない。

432 :日本@名無史さん:05/02/28 01:05:26
高千穂って普通名詞でしょ。「急坂」なんていうのとおなじ。
筑紫の「ひなた」の「高千穂」の「くしふるだけ」に降臨したんだから
宮崎県などありえない。

433 :日本@名無史さん:05/02/28 02:29:32
数年前、日向高千穂の槵触神社に行ったな

434 :日本@名無史さん:05/02/28 05:09:39
「高い山」を意味する普通名詞だとしても、けして「湾」ではないだろうね。

435 :日本@名無史さん:05/02/28 05:12:02
筑紫の日向の高千穂

筑紫(=九州島)
日向(=今の宮崎県と鹿児島県を合わせた範囲)
高千穂(=「高い山」を意味する普通名詞)

・・・ってことは、今の九州山地のどこかだろうね。

436 :日本@名無史さん:05/02/28 06:02:58
>>432
博多に高千穂なんて聞いたことないよw


437 :鴨禰宜:05/02/28 07:09:53
神武が遠賀川に向かうところから英彦山が高千穂かも。

438 :日本@名無史さん:05/02/28 12:24:04
>>436
昔の言葉で、「草ぼうぼうの高い丘」という形容じゃなかったのか?

439 :日本@名無史さん:05/02/28 13:30:02
>428は、博多湾沿岸地域(狭義の筑紫)にあるんじゃないかと言っているだけで、
博多湾に降臨したとは言っていないが・・・

440 :日本@名無史さん:05/02/28 14:37:48
2倍暦の議論は論破されるので逃避かw

441 :日本@名無史さん:05/02/28 16:52:02
春秋暦=2倍暦の話。

春秋年(暦)は我が国に元嘉暦が渡来する以前に使われていたと考
えられる。これは春分・秋分のころの満月の日をもって「年の初め」
とするもので、「魏志倭人伝」に見える裴松之注に「魏略に曰く、其の
俗正歳四節を知らず、但、春耕秋収を計って年紀となすのみ」[16]と
あるのは、三世紀ごろの我が国の春秋暦のありさまを述べたもので
あろう。太陰暦が導入されて以降、春と秋の「年の初め」の儀式は次
第に正月と盆(七月)の行事に吸収されていった。民俗学者の柳田國
男は「盆と正月とは春秋の彼岸と同様に、古くは一年に二度の時祭」
[17]であったと言っている。春秋年の豊富な例は記・紀に見えている
古代天皇の宝算である。そのいずれも四五歳から一六八歳であるか
ら、一年に二回歳を取ったと考えれば、合理的な数値であろう。こうし
た考えは、すでに明治十三年にイギリス人ウィリアム・ブラムゼンが表
明している[18]。『日本書紀』は安康三年以降に元嘉暦を使っている
ので、それ以前の紀年には春秋年(暦)が使われていたと思われる。

http://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/kodaisi02htm.htm

442 :日本@名無史さん:05/02/28 17:28:05
ちょっと論拠しては厳しいね。
春秋暦というのも思いつきの域を出ていない。
盆が7月になったのって、明治からじゃない?

443 :日本@名無史さん:05/02/28 17:52:12
史上変化なしというのも思いつきだなw

444 :日本@名無史さん:05/02/28 19:10:55
>>443
そんな事言ってるやつは否定派にもいないと思うが。>>440といい、どうして煽ってばかりなのかな。
>>441みたいに中身のあること書けよ。つーか2倍暦は他にスレ立てようって。


445 :狭野:05/02/28 20:20:00
>>434
「高千穂」が普通名詞でも固有名詞の「日向」があるからね。宮崎以南のセンは動かせない。

446 :日本@名無史さん:05/02/28 22:44:17
>>445
固有名詞「ヒムカ」は北九州にもありますが・・・

447 :日本@名無史さん:05/02/28 22:45:15
訂正「ヒムカ」→「ヒナタ(日向)」

448 :日本@名無史さん:05/02/28 22:50:21
元々の伝承が、

チクシのヒナタの・・・

だったのか

チクシのヒムカの・・・

だったのか、だな。

逆に、「常陸」とかの例もあるし、「東に向かった土地」の意味なら「ヒムカ」や「ヒナタ」は
あちこちにあったのかもね。わざわざ「チクシの」と付けないと混乱するくらい。
手元にないからわからないが、倭名類聚抄には載ってるんだろうか?

449 :日本@名無史さん:05/02/28 22:54:53
「高い山」なら、大和三山クラスの平地からそびえる山の方が
「神山」としてはふさわしい気もする。

日本書紀の地名比定が間違っている可能性を指摘しているって説だから、
できたら何故そうなったのかとかの説明を。
反対派は、日本書紀の比定が正しいとするならどこまで信用するのか表明して欲しい。

450 :日本@名無史さん:05/02/28 22:59:32
高千穂は高い山じゃないんだが・・・
だいいち大和三山は低山ですね。

451 :日本@名無史さん:05/02/28 23:15:17
>>449-450
古事記・日本書紀だけからは九州山地のどこかとしかわからない。
有名な2カ所の比定地(候補地)は現地の伝承だけど平安時代くらいまでしか溯れない。

あと高千穂は十分高い山だよ。

452 :日本@名無史さん:05/02/28 23:22:19
高千穂という語に、高い山という意味は含まれていないですよ、ということ。
現実の高千穂が、海抜ゼロメートルでも、標高5000mでもかまいません。

453 :日本@名無史さん:05/03/01 01:25:26
チホというのは地(つち)の穂先・陸地の波の穂
つまり山のことという解釈。で「高」がついてるから大山脈。


454 :日本@名無史さん:05/03/01 01:29:31
背の高い穂がたくさん生えている地=高千穂

455 :日本@名無史さん:05/03/01 02:51:03
>>450
100mクラスでも平地からいきなり生えてりゃ神山になるし
大和三山はあの程度にも関わらず、「大和の主」扱い。

「高千穂」の意味が、神話解釈からの逆算でしか示せないなら
「大山脈」説以外にも少しは目配せしてみては?

>>453
もしそれが確定できるのなら、ソース教えて下さい。

高千穂=宮崎県or鹿児島県or福岡県
速吸瀬戸=豊後水道or鳴門海峡

ではどうぞ


456 :日本@名無史さん:05/03/01 04:59:30
>>455
ソース?一解釈を提示しただけだよ。
確定?高千穂が低くてもいいというなら日向(宮崎県+鹿児島県)のどこかとしか言えないな。
でも大山地にこだわるなら宮崎と熊本の県境の九州山地のどこか、
そして伝承地はまさに九州山地の一角にあるのだから妥当じゃないか。

457 :日本@名無史さん:05/03/01 12:11:48
>>456
チホというのは地(つち)の穂先・陸地の波の穂

の解釈の元となるソースですが・・・
他に事例があるかとか、語源研究のソースとかがなければ
「高い山と解釈されるようになってから、それに見合った漢字が当てはめられ、
その漢字に解釈が引きずられている」可能性がありますから。

458 :日本@名無史さん:05/03/01 13:01:41
2倍暦は根拠がないね

459 ::05/03/01 13:07:08
しつこい釣り100回目

460 :日本@名無史さん:05/03/01 16:52:08
そりゃそうだ論破されて、もう根拠がない

461 ::05/03/01 17:19:36
しゃれのセンスもない粘着厨

次の粘着厨はこちら
      ↓

462 :日本@名無史さん:05/03/01 17:39:46
逃げまくりですかw?

463 ::05/03/01 18:14:28
オチがないな。ハイ、つぎ!
        ↓

464 :サガミハラハラ:05/03/01 19:11:47
神武天皇は熊野川から奈良盆地に入ったと記紀にかいてありますが、これは紀ノ川が本当だったのではないでしょうか。
紀伊山地縦走は可能だったのか。

465 :457:05/03/02 04:22:36
>>459
>>461
>>463

これは矢印使ってますけど、別人ですので。
私が煽りと喧嘩して荒らしているように見えたので一言。

466 :457:05/03/02 04:26:10
>>464
紀ノ川と書かなかったのは何故でしょうか?

個人的には、東征が事実なら敗残の神武軍が、地元の勢力もいるはずの紀ノ川流域なんて
危なくてさかのぼれない気もしますが。
吉野突破の奇襲作戦だからこそ、敗残の部隊で勝てたのかも?
アルデンヌとか、一の谷みたいなもんかな。ただの根拠のない妄想ですけど。

467 :日本@名無史さん:05/03/02 04:43:46
福岡県前原市の「伊都歴史民俗資料館」はオススメ。場所は田んぼの真ん中だけど。

ここの目玉は「やたの鏡」ともいわれる、直径46センチの鏡(4枚)。

日本最大の鏡で、伊勢神宮のご神体と同型、という話もあるほどです。

468 :鴨禰宜:05/03/02 10:09:08
↑この鏡については↓
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/iseki/hirabaru.htm
を参照。
ここで「1号墓の東側には直径70cmの大柱が立てられていました。この柱は
長さが20mにも及ぶと推定される巨大なものです。この柱は長野県の諏訪大社
の御柱と同じ方法で立てられていたことがわかっています。 ところでこの大柱が
何のために立てられたのかは、今のところはっきりとわかっていません。大柱は
王墓から見て東に位置するところから、日の出の方向を意識していると考えられ、
太陽信仰に関係するものとみる専門家もいます。平原遺跡に新たな謎が生れま
した。」とあるが、これこそ天照大神、タカミムスビの関係を明確に表しているので
はないか。つまりこの墓の被葬者はタカミムスビを祀っていた・・・天照大神ではな
いのか。

469 :鴨禰宜:05/03/02 10:31:29
ここから東に行くと香春岳、英彦山、日田にあたる:
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=33.32.14.696&el=130.14.1.886&la=1&fi=1&skey=%c1%b0%b8%b6%bb%d4%c2%e7%bb%fa%cd%ad%c5%c4&sc=8
「香春岳三山には古くから三所権現の神々が祀られてきた。まず南瑞の一ノ岳(南端)には辛国息長大姫大目尊(からくにおきながのおおひめおおめのみこと)、ニノ岳は天忍穂耳命(「紀」の天忍骨尊)、三ノ岳は豊比口羊尊(とよひめのみこと)といった神々である。」
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor461769
神武はこの地方を北に流れる遠賀川の下流の岡の港訪れた後で東遷する。

470 :鴨禰宜:05/03/02 10:38:25
↑「まず南瑞の一ノ岳(南端)には辛国息長大姫大目尊(からくにおきながの
おおひめおおめのみこと)、ニノ岳は天忍穂耳命(「紀」の天忍骨尊)、三ノ岳は
豊比口羊尊(とよひめのみこと)といった神々である。」
この一ノ岳(南端)には辛国息長大姫大目尊(からくにおきながの
おおひめおおめのみこと)、三ノ岳は豊比口羊尊(とよひめのみこと)がその後
天照大神、豊受大神となり、皇孫は大和に君臨することになるのだと思う。

471 :日本@名無史さん:05/03/02 12:54:04
荒らしてるのは2倍暦を論破されたから?

472 :日本@名無史さん:05/03/02 12:55:05
論破できなかったから。

473 :日本@名無史さん:05/03/02 13:36:45
2倍暦って宗教だからねw
ブサヨク・バカウヨと同じ

474 :日本@名無史さん:05/03/02 14:01:03
紀年解読によって、第十代崇神天皇から第十八代反正天皇までの歴史が
最初にまとめられた可能性が高まってきた。この期間は治世年数・宝算共に
春秋年で一貫しているからである。
http://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/kodaisi02htm.htm

475 :日本@名無史さん:05/03/02 14:16:22
「考えられる」「思われる」だけの推測
パズルごっこはオカルト板へ
春秋年なんてないよ

476 :日本@名無史さん:05/03/02 15:47:26
春秋年がなかったとするのも、勝手な妄想

477 :日本@名無史さん:05/03/02 18:09:21
あったという根拠がない

478 :日本@名無史さん:05/03/02 18:31:14
>>471-477
やめれ。

479 :サガミハラハラ:05/03/03 08:36:49
どなたか新しく2倍暦のスレッドをたてるかたはいらっしゃらないのでしょうか?
なければ2倍暦の話はこのスレッドと誰か倭の五王を確定してよのスレッドに書きこむことになります。

480 :日本@名無史さん:05/03/03 15:23:00
二倍歴よくわからないから、論点まとめたテンプレ作ってくれたら建てるよ。

481 :日本@名無史さん:05/03/03 16:38:36
このスレでは2倍暦を前提としようとするのか?
偽善だなw

482 :サガミハラハラ:05/03/03 19:46:10
古代天皇を論ずるとすれば、2倍年暦を避けて通るわけにはいかないのです。

483 :日本@名無史さん:05/03/03 20:16:11
>>480
最初のスレなんだから、中立性を感じさせる表現にして、
煽り口調はやめてくれさえすれば、あとは適当でいいんではないでしょうか。

484 :日本@名無史さん:05/03/03 21:12:13
>>482
では、神武スレにこそ2倍暦を語る意義がある

485 :日本@名無史さん:05/03/03 22:58:26
ちなみに1781年に藤貞幹が「衝口発」で神代の年代を疑って日本の紀元年数を600年減じなければ中国・朝鮮の年紀と符合しないと発表したのに対して本居宣長が「けん狂人」で反論している。220年も前の話だ。こう考えると真相はともかく凄い事になってるよね。

486 :日本@名無史さん:05/03/04 10:18:34
>>484
二倍暦は他の地域の事件ともリンクするし、結構直接詳記に関係ないのも
出るから、独立して論じてもいいんじゃないか?

その上で、姉妹スレにすればいいんじゃないかな?

487 :日本@名無史さん:05/03/04 10:27:08
テンプレートはまずは>>441でいいんじゃない?

488 :日本@名無史さん:05/03/04 10:34:37
2倍暦派は降参か

489 ::05/03/04 10:47:29
お前、もっとマシな釣りができんのか?

490 :日本@名無史さん:05/03/04 10:51:17
釣り?マジだが、何か?

491 ::05/03/04 10:53:25
単なる荒らしか。出て行けよ。

492 :日本@名無史さん:05/03/04 11:08:10
2倍暦派はすぐこれだ。
根拠に詰まると荒らし扱い。
自分が出て行けばw。

493 :日本@名無史さん:05/03/04 11:18:30
>>488-492
やめれ。煽りはスルーでよろ。

494 :日本@名無史さん:05/03/04 15:13:10
2倍暦派は、月の半分しかないとか妙なことも以前に言っていた。
これがまともか?

495 :日本@名無史さん:05/03/04 20:01:41
2倍暦、別におかしいとは
思わないが、
おかしいていうならちゃんと論拠を挙げて反論せよ

496 :日本@名無史さん:05/03/04 21:09:56
パズルごっこの2倍暦は、もう、たくさんや
根拠があらへん

497 :日本@名無史さん:05/03/04 21:44:12
>>496
同感。
2倍暦なしの古代史があるべき

498 :日本@名無史さん:05/03/04 23:52:50
考古学もパズルごっこだけどなw

499 :日本@名無史さん:05/03/05 00:59:47
2倍暦て具体的な内容伴っているのか?
2倍暦での暦を例示してもらいたい。

500 ::05/03/05 01:29:26
また否定粘着か。もういい加減に白よ。

501 :日本@名無史さん:05/03/05 03:20:28
神武天皇って縄文人?

502 :日本@名無史さん:05/03/05 04:14:20
たぶん卑弥呼よりあとの人物。

503 :日本@名無史さん:05/03/05 07:32:46
>>494-500
こっち↓でやってください。

【存在?】「2倍年暦」の真実【虚妄?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50


504 :日本@名無史さん:05/03/05 13:30:05
記紀は一字一句が真実
疑う奴は非国民なので国外追放すべし

505 :日本@名無史さん:05/03/05 21:59:41
いま、みんなの前を闇(>504)が通り過ぎました。
見なかったことにしましょう

506 :日本@名無史さん:05/03/05 22:35:00
二倍暦スレに行かずに、こっちで荒らすなら、もうアク禁対象として報告してよいかと。

個人的には、末子相続と兄弟相続の差とか、高千穂の意味とかの話題をもっと聞きたいのだが。

507 :日本@名無史さん:05/03/06 00:17:55
俺も古代における皇位継承についてのレスが読みたい
通説である兄弟相続説に対して、論理的整合性のある反論を
した人のレスは勉強になった

その人に継体朝以降、皇位継承において兄弟相続が多くなった点に
ついても説明してもらいたい

508 :日本@名無史さん:05/03/06 02:53:32
>>507に同感。

兄弟で王位が移ってしまう背景については、私見だが、王家ならびに家来の揉
め事が絡んだ結果だと思う。
ちなみに、世界中の王権に共通に見られる特徴として、滅亡前に枝分かれ現象
が起きる、という、そういうものがある。全てにはあてはまらないが。
政権基盤が不安定になると、どうしても派閥抗争が激しくなるんだね。
ムガールや、確か、マルムークもそうだったと思うし、鎌倉北条政権もそうだし、
室町幕府の末期なんて、完全にそうなんじゃないんですか?

と、通説に論理的整合性のある反論をした人に問い掛けてみたい。

509 :日本@名無史さん:05/03/06 04:36:35
>>506
せっかく2バウ暦スレできたので、論者の方々にはがんばってもらいたいです。
盛り上がれば私もいいたいことはたくさんあるので。

相続制の話は(継体以前については)すでに言い尽くしました。

高千穂云々は、ニニギの降臨地は神話の世界なので、一応、史的実在としての神武とは
切り離して純粋に神話としてみています。なので山奥の高山の山頂で問題ないと考えています。
民俗・神話板でやるのなら個人的には歓迎。

>>507-508
>その人に継体朝以降、皇位継承において兄弟相続が多くなった点に
>ついても説明してもらいたい

以下のスレでよろdesu。

★★★継体天皇は順帝だ★★★
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1066224900/l50
欽明天皇と周辺環境
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083350482/l50
大伴金村の生まれ変わりは誰だ?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1048230256/l50

510 :日本@名無史さん:05/03/06 05:53:07
>>509
「山奥の高山の山頂」とする根拠が聞きたいんです。
よければお願いしますです。

511 :日本@名無史さん:05/03/06 06:50:02
>>509
提案があります
例えば飛鳥時代における皇位継承というタイトルで
継体天皇から天武天皇までの皇位継承形態に関して
議論を行なうと言うのはどうでしょうか?

512 :日本@名無史さん:05/03/06 09:34:08
>>510
高千穂についての漏れのレスは>>431,>>434-435,>>451,>>453,>>456


513 :512:05/03/06 09:34:56
>>457氏へ
語源学的な根拠はないのでまぁ>>457は電波でもいいや。語源学的にはね。
しかし>>451,>>435,>>431でいったとおり九州山地のどこかは確実。
さらに根拠をあげると日向国風土記逸文の「知甫郡」(現在の宮崎県臼杵郡)の条
があったのを忘れていました。なので高千穂の位置については漏れの中では確定で
議論終結。語源学的には根拠なくても位置が決まれば情況から「高い山」である
ことには変わりない。むろん「語源的にそうなる」という主張は撤回してもいいです。

>>511
だから、このスレでやらなきゃいけないの?
ここは神武の実在説vs架空説を議論するところなんだし
継体以後はの継承形態なんてネタは>>509のスレでやっちゃだめなの?

514 :日本@名無史さん:05/03/06 09:48:04
それにしても2倍暦スレ、せっかく立てたのに。威勢のよかった論者は誰も来ない・・・・。

515 :日本@名無史さん:05/03/06 12:04:45
威勢が良かったのは、粘着否定論者だけだったが。

516 :514:05/03/06 13:58:13
威勢のわるかった論者も誰も来ない・・・・。

517 :日本@名無史さん:05/03/06 17:57:51
2倍暦はこのスレでこそ学問的に意義がある。
2倍暦はありません。根拠がない。

518 ::05/03/06 18:40:42
過去レス100回読んでから、回線切って首吊れ

519 :狭野:05/03/06 18:44:44
2倍暦だけじゃネタとしては弱いからな。

520 :日本@名無史さん:05/03/07 02:02:32
2ch弾圧! 人権擁護法案のガイドライン
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/gline/1110125487/

521 ::05/03/07 02:13:22
マルチ

522 :あっちのスレ主:05/03/07 05:14:22
>>515-518
こっち↓にきてください。

【存在?】「2倍年暦」の真実【虚妄?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50

サガミハラ氏への反論でました。
そろそろ激論勃発のヨカン。皆様ふるってご参加を。
盛り上がんないんで当面は煽りでも釣りでも歓迎しまつ。

523 :日本@名無史さん:05/03/07 14:56:01
神武に該当する人物がいたかどうか知らんが
結局東征したのは南九州で力を蓄えたトヨ一派って事だろ?
時期は三世紀前半かと
ヒミコ以降グダグダの北九州とトヨ一派の帰還で畿内での支配力を失った
出雲勢力を尻目に畿内ヤマト政権は西に東に大活躍

524 :日本@名無史さん:05/03/07 16:23:14
2倍暦はでまかせ。だからスレを分けようとしている。

525 :日本@名無史さん:05/03/07 16:25:44
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/soccer/1110155179/

526 :日本@名無史さん:05/03/07 16:38:28
>>524
こっち↓でやれ。

【存在?】「2倍年暦」の真実【虚妄?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50





527 :日本@名無史さん:05/03/07 17:36:30
力を蓄えたグループが移動したのなら、安芸や吉備で時間とりすぎでない?
九州から出て行ったのはかなり小さなグループではなかったかとも思う。
根拠レスだから電波でいいが、九州から追い出された亡命グループだったのかも。

528 :日本@名無史さん:05/03/07 21:33:06
2倍暦抜きで神武が語れるのかなw?

529 :日本@名無史さん:05/03/08 13:06:09
やはり2倍暦はこのスレで

530 :日本@名無史さん:05/03/08 18:02:22
そうだな

531 :日本@名無史さん:05/03/08 18:28:13
こっち↓でやれ。

【存在?】「2倍年暦」の真実【虚妄?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50

532 :日本@名無史さん:05/03/08 22:23:59
いや、このスレでこそ学問的意義がある

533 :日本@名無史さん:05/03/09 11:18:27
古田武彦の神武実在説について、学問的評価を教えてください。

534 :日本@名無史さん:05/03/09 13:09:27
世界史板でも
ID表記強制にしろっていう意見が今まで通らなかったのはなんでなんだろうな

535 :日本@名無史さん:05/03/09 18:21:33
>>533
電波扱い

536 :日本@名無史さん:05/03/10 00:10:37
>>533
電波連中が無視。真実が怖いらしい。

537 :日本@名無史さん:05/03/10 01:51:49
>>533
根拠が電波。さらに歴史学の方法論をふまえていないし、学会での議論も無視しているから。
違う方向からは、神武再評価の兆しもあるが、例え実在と明らかになっても先駆者とは言われないと思う。

昔はそうでもなかったのだが。

538 :日本@名無史さん:05/03/10 02:16:16
歪んだ学会に媚びる必要があるんだろうか?
どうせ津田信者でしょ?

539 :日本@名無史さん:05/03/10 05:50:22
>>538
「信者」「媚びる」なんて言葉使っている時点で客観性がない証拠。
客観性がないものが学問になるわけがない。
第一、津田っていつの時代の話よ?30年近く全然進歩がないね。
その間の議論もまったく無視。逆に言えば、取り入れ検証する能力不足。

だから電波といわれるんだよ。
結論が正しくても、証明方法が間違っていたらそれは学問ではないし、「史実」にもなれない。

540 :日本@名無史さん:05/03/10 06:50:26
>>533は釣り。

2倍暦荒らしと同一犯だろう。肯定派と否定派の自演煽りが
通用しなくなって新手の釣りを考えたな。

学界は津田系と古田派しかないような前提を勝手に作るな。
どっちが出てきても煽ってやろうという魂胆だろう。

神武実在説はべつに古田が言い出したわけでもないし
古田が実在論になにか論証をプラスしたこともない。

>>534-539は釣られんな。



541 :533:05/03/10 09:56:03
ちゃうちゃう。
せっかくスレができたのに、またこのスレが二倍暦派とアンチ二倍暦派の応酬で
荒らされそうな気配があったから、話題を変えてみたかっただけ。

「学界は津田系と古田派しかないような前提」なんて作ってないよ。

542 :日本@名無史さん:05/03/10 21:30:02
2倍暦を使って記紀を現実化するなぞキチガイ技だ

543 :日本@名無史さん:05/03/10 22:07:48
理解を超える記紀の記述について、それが自己の分析能力に起因するにもかかわらず、
これを安易に偽造捏造とか作り話として捉え論じる傾向。これは、思考の責任転嫁であっ
て問題が大きい姿勢であり、決して科学的・合理的なものとはいえない。記紀の合理的な
解釈なしには、その合理的批判や原型探索はできないことをしっかり銘記すべきである。

544 :日本@名無史さん:05/03/10 22:18:42
>記紀の合理的な 解釈なしには

ここが間違いのもとだね
前提が狂ってる

545 :日本@名無史さん:05/03/10 22:21:10
古田のような優れた学者を無視しつつけたことが
学界の堕落を招いたんだろ。
反省しろよ

546 :日本@名無史さん:05/03/10 22:27:37
>>544
おまいは魏志倭人伝なしに、邪馬台国を語れるのかw

547 :サガミハラハラ:05/03/10 22:58:48
邪馬台国と大和朝廷はつながりはありません。邪馬台国は東遷しておらず、290年頃には自然消滅しております。
記紀の解釈については、科学の進歩とともに、かって荒唐無稽とされていた説話が現実的であるように見なおされてきており、さらに2倍暦による年代解釈により、紀記の記述はかなり信憑性のある(まるっきりの捏造ではない)とされつつあると思います。

548 :日本@名無史さん:05/03/10 23:06:30
1.神武天皇は完璧なフィクション
2.神武天皇は史実を捏造したフィクション
3.神武天皇は史実を踏まえたフィクション
3.神武天皇はどこまで史実で、どこからフィクションか分からない
4.神武天皇は史実そのもの

結局どれ?

549 :日本@名無史さん:05/03/10 23:08:38
>>546は単なる例えだと思われ。
記紀を無視して大和朝廷の成立を語るのは、
倭人伝なしに邪馬台国を語るくらい無謀だと。

550 :サガミハラハラ:05/03/10 23:09:28
私は3で考えています。

551 :日本@名無史さん:05/03/10 23:12:09
番号を間違えていたので再掲します。すみません。

1.神武天皇は完璧なフィクション
2.神武天皇は史実を捏造したフィクション
3.神武天皇は史実を踏まえたフィクション
4.神武天皇はどこまで史実で、どこからフィクションか分からない
5.神武天皇は史実そのもの

結局どれ?

552 :日本@名無史さん:05/03/10 23:28:30
4と5の間に「フィクションもあるがほぼ史実」を入れろ。
なんでフィクションにだけ段階があって
史実説には100%信者みたいな選択肢しかないんだ?
誘導尋問かよ。おかしいだろうが。↓こうしろ。

−3、神武天皇は完璧なフィクション
−2、神武天皇は史実を捏造したフィクション
−1、神武天皇は史実を踏まえたフィクション
・0、神武天皇はどこまで史実で、どこからフィクションか分からない
+1、神武天皇はかなり神話化されてるが史実が濃厚
+2、神武天皇は伝説的であるがほぼ史実
+3、神武天皇は完璧な史実

553 :サガミハラハラ:05/03/11 08:35:00
金色の鳶が弓のさきっちょに止まって輝いたとありますが、鳶が弓の先にとまるのは無理でしょう。
これは鳥見の地名の語源俗解でしょう。

554 :日本@名無史さん:05/03/11 13:27:02
>>547
2倍暦で年代解釈はできません。パズルだけ。

555 :日本@名無史さん:05/03/11 13:38:41
>>552
元になる史実があって、それを神話化したと考えてるから、+1かな。
もっと細かく分ければ、+0.5ぐらい。

556 :日本@名無史さん:05/03/11 14:08:41
明治天皇は明治維新の前、京都御所の壊れた塀の穴からもそもそっと出て来て、焼き芋を買っていたのは有名な話だ。
どうせどっかの馬の骨だと思っていたが、寅之助とはね。
ここまで具体的に出て来るとは思わなかった。

http://homepage3.nifty.com/konacs6p/page007.html

557 :ゴジンム:05/03/11 17:13:37
プ プ プ プッ (w


558 :日本@名無史さん:05/03/12 15:12:09
いつもROMしています。
>>547
> 邪馬台国は・・・290年頃には自然消滅しております。
で、電波が着ました。
この邪馬台国とは、ハード(場所、統治、等)であって、何らかの理由で邪馬台国に居
れなくなった各階層の人々が、周囲に浸透するように、そこから離れるように各方向
に四散して行った。それなりにソフト(知識、生活習慣、等)は携えていった。行った
先で、元階層が上だった者は政治に巻き込まれ、元階層が下だった者は生活に組み込
まれていった。階層が上だった者ほど軋轢が強かったが、生き残るのに役立ったのが
邪馬台国から携えてきたソフト。たぶん、そのままではなく、多分に柔軟に改定した
バージョンだった。階層が下だった者ほど、草の根のレベルでの浸潤、浸透だったか
らこそ、ごく自然に溶け込んでいった。そして、邪馬台国のソフト(知識、生活習慣、
等)は残っていった。ハードは失われたが、別の場所にソフトが残った。
これは、邪馬台国が移動した事ではないのか?

559 :日本@名無史さん:05/03/12 16:07:30
畿内に攻め込んだときの兵士その他は九州から連れてきたのか?
もし、人間全員が九州人なら「九州勢力の東征」でいいかもしれないが
瀬戸内の海上勢力がスポンサーとなって、神武兄弟は御輿なら
「神武の東征」ではあっても、「九州勢力の移動」ではない。

個人的には、事実だとしたら
プロデューサー・台本=瀬戸内・吉備、
主演=神武(に当たる人物)と思っているのだが。

560 :サガミハラハラ:05/03/12 18:33:45
大和朝廷の勢力が九州におよんで来たのは、290年頃からだと思います。この時期に九州勢力が東遷したり、東征したりということはありません。

561 :狭野:05/03/12 23:08:39
>>559
あくまで主力は九州勢で瀬戸内勢はサポート程度。
ただ
> 「神武の東征」ではあっても、「九州勢力の移動」ではない。
この意見には同意。
「邪馬台国の東遷」と言うには軍勢の規模が小さすぎる。


562 :日本@名無史さん:05/03/13 21:10:46
2倍暦こそ電波の真骨頂

563 ::05/03/13 21:34:55
否定厨は何で必死なの?弱みでもあるの?

564 :サガミハラハラ:05/03/14 08:16:59
私の2倍暦論について電波、電波といいますが、新参者につき電波の意味がわかりません。誉め言葉ではないようですが、電波の意味を説明してください。

565 ::05/03/14 11:52:32
<て>から引いてください
http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?IndexPage

566 :日本@名無史さん:05/03/14 22:32:29
機器の架空の部分を、2倍暦で整合させようとするのはまずいよ。やはり。

567 :サガミハラハラ:05/03/14 23:07:32
2倍暦で整合するものは架空ではないことになります。

568 :日本@名無史さん:05/03/15 10:27:41
神武天皇に該当する大和豪族連合の長が存在した事を否定しませんが
BC660年一月一日に即位したというのは、余りにも出来過ぎで
日本神話の一部だと考えています

大陸から漢字が伝来するまでは、文字を持たなかった大和民族が
紀元前660年に起きたことを、正確に伝承できたとはとても思えません

569 ::05/03/15 10:47:16
『卜』相。

570 :日本@名無史さん:05/03/15 10:57:19
日本人が文字を持ったのっていつ頃からなん?

571 ::05/03/15 11:02:19
神代(ジンダイ)に『イ段字』(イダンジ)あり。

572 :サガミハラハラ:05/03/15 12:25:57
BC660年一月一日に即位したというのは日本神話ではありません。日本書紀編纂時に
案出されたものです。

573 :日本@名無史さん:05/03/15 15:44:55
>>568
「神武天皇に該当する大和豪族連合の長」の事跡が、記紀に伝えられている伝承にどれくらい反映されているか
(記紀がどの程度反映しているか)を語るスレだったと思いますが、

紀元前660年なんて紀年まで正しいとは誰もいっていないでしょう。
系譜と東征が事実の反映か否か程度の問題のはず。

いままでの歴史が「紀年が嘘だから、系譜も東征も大嘘に決まっている」という余談に対する異議申し立てスレです。

574 :訂正:05/03/15 15:45:38
いままでの歴史学の「紀年が嘘だから、系譜も東征も大嘘に決まっている」という予断に対する異議申し立てスレです。

575 :日本@名無史さん:05/03/15 17:21:10
系譜も東征も大嘘に決まっている

576 :日本@名無史さん:05/03/15 18:31:38
私は邪馬台国畿内説を支持しており、天照大御神は卑弥呼の投影
だと思っていますから、神武の東征は架空だと考えています

つまり神武天皇に当たる人物は、初めから畿内に居たと認識しています

577 :サガミハラハラ:05/03/15 19:03:49
現在の研究は、仲哀天皇以降の系譜と年代はほぼ正しいことまでわかっています。
あとは、それをきちんと読み解ける人がいるかどうかということです。

578 :日本@名無史さん:05/03/15 19:09:19

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm

579 :日本@名無史さん:05/03/15 19:12:19
HLA遺伝子から見ても東征(?)はあったと思われ。

渡来人たちは九州北部から山陽、近畿に広がっている。

580 :日本@名無史さん:05/03/15 19:24:00
>>577
応神天皇以降の「日本書紀」の記述が
基本的に史実だという事は
従来から言われてきたことです

581 :日本@名無史さん:05/03/15 19:27:13
>>579
邪馬台国は畿内にあったとしても、それの基となった人々が
大陸から渡来して来た可能性はあるでしょう

582 :日本@名無史さん:05/03/15 20:17:46
弥生人の事でしょうか?さすがにそこまで遡ればアフリカ人になってしまいますよ?

583 :日本@名無史さん:05/03/15 21:46:38
エチオピア? ブルンジ?

584 :太国:05/03/15 21:50:13
アフリカ+ル→フルアカリ(古明かり→古代文明)
ブルンジ−ル→ジンブ(→神武)


585 :太国:05/03/15 22:31:06
フ→ブ
アフリカ+イ→(イブアリカ)イブ有りか?

ブ→フ
ブルンジ+イ→フジンルイ(不人類)

否人類発生地のようだ

586 :日本@名無史さん:05/03/15 22:33:19
>>581
大陸と言うと中国を思わせるので、モンゴル以北と誤解の無いように。

ちなみに西日本人に飛び抜けて高頻度のB52-DR15(B52-DR2)の
中国の頻度は、山東半島までの華北の北半分でもたったの1%ほど。
華北の南半分以南からはほとんど無くなってしまう。

つまり倭人が中国から渡来した可能性はほとんど無いって事。


587 :日本@名無史さん:05/03/16 03:16:00
また糞スレにもどりつつある?

588 :日本@名無史さん:05/03/17 17:11:18
要は、2倍暦を無くすと語れないということだな

589 :日本@名無史さん:05/03/17 21:20:35
んなこたぁない。

590 :日本@名無史さん:05/03/19 18:12:27
2倍暦なしには証明できないからなぁ

591 :日本@名無史さん:05/03/19 18:24:31
原典批判の手法を身につけないまま、不逞な皇民扱いされても
独自の方法で懐疑をぶつけた津田左右吉。

戦後、価値観の逆転のなかで、津田は神となる。
しかし彼の原典批判の手法そのものが正しかったのではない。

2倍暦は彼が取り上げることは無かった。記紀神話信仰と戦うのが
精一杯だったからである。


592 :日本@名無史さん:05/03/19 18:37:02
2倍暦は電波だね

593 :狭野:05/03/19 20:48:31
記紀をどこまで信用するかという問題だが、神武帝が九州から来たという話の大筋ははずせない。
それ以外の瑣末事を全て否定しても、これだけは否定できない。

594 :日本@名無史さん:05/03/19 20:58:16
漢風諡号を神武を与えられ人物が居たことは否定しないが
その人物は初めから畿内大和に居た

つまり神武東征はフィクション、これは譲れない

595 :日本@名無史さん:05/03/19 21:04:52
>>594に原典批判の能力なし

596 :日本@名無史さん:05/03/19 21:17:08
邪馬台国は畿内大和にあり、そして邪馬台国が大和朝廷に発展
したがって、神武東征は記紀が作り上げたフィクション

597 :日本@名無史さん:05/03/19 21:26:19
なぜ そのフィクションを作る必要があったと思うのですか

598 :狭野:05/03/19 21:37:49
邪馬台国は九州にあり、高天原神話はそれを投影したもの。
神武東征は史実。

599 :日本@名無史さん:05/03/19 21:46:46
出雲の神、大国主神に国を譲らせたのに天照大御神の子孫が
出雲ではなく日向に降臨した事じたいがまず大きな矛盾を起こしている

出雲において弥生時代に巨大な勢力があった事は、大量の銅鐸や
銅剣の出土で考古学的に証明されているが、弥生時代の日向に
強大な勢力があったという考古学的な証明がない

したがっ、て日向への天孫降臨は日に向うというフィクション的意味付け
しか持たない

つまり天孫が日向に降臨したこと自体は一種の言葉遊びであり
それが前提となった神武東征もまたフィクションである

600 :日本@名無史さん:05/03/19 21:48:39
神武が東に侵入する前は、彼が王だった形跡がない。
侵入後、大領土を支配した様子もない。
つまり彼は「大和朝廷の開祖」ではなく、
九州邪馬台国の王族の一部が都落ちして
のちに畿内大和朝廷の王統となった人であり、
彼自身は栄華に無縁の苦労人だった。


601 :日本@名無史さん:05/03/19 21:57:44
弥生時代に畿内に巨大な勢力があったことは考古学的に証明されている
したがって大和朝廷は初めから畿内に存在していた

602 :狭野:05/03/19 22:14:32
神武帝乃至天孫族が強大な勢力であったとは、記紀には一言も書いていない。
むしろ天孫族は農作もできないやせた土地に住まざるを得ない、弱小勢力であったように見える。
また、「強大な勢力」=大和朝廷ということにはならない。問題は遺物。
主要な遺物が銅鐸なら、大和朝廷とは関わりがない。

603 :日本@名無史さん:05/03/19 22:53:06
太陽神である天照大御神の子孫が、日向いの地に降臨するという
フィクションを優先させた為に破綻しただけです

604 :日本@名無史さん:05/03/19 22:55:52
神武天皇は畿内にあった邪馬台国の女王卑弥呼の子孫

605 :狭野:05/03/19 23:03:20
邪馬台国が畿内にあったという考古学的な裏付けはない。
九州には魏鏡という物証がある。
魏鏡の分布が九州から近畿に移るのは、古墳時代になってから。
つまり東征を裏付けている。

606 :ゴジンム:05/03/19 23:37:28
神武天皇は邪馬台国女王の子孫に非ず。時代が転倒しており滅茶苦茶論である。

607 :日本@名無史さん:05/03/19 23:39:26
フィクションにしては兄が戦死するなど、みすぼらしい記述が多すぎる。
捏造神話なら矛盾無く、完全無欠な神話で破綻など一切無いはず。

608 :日本@名無史さん:05/03/19 23:51:06
サッカー日本代表は神武天皇の申し子。
胸につけた3本足のカラスこそ、神武天皇の傍らにいたのだ。

あれを日本代表の証とした人は、なかなかの人だね。
知ったら市民団体や日教組はどう思うだろ。
あのカラスは侵略の証である。
即刻変更せよとサッカー協会に殴りこむか。


609 :日本@名無史さん:05/03/20 00:36:20
あのカラスは中国の伝説上の神獣(神鳥?)で、実際にそんなカラスは存在しないし
日本独自の鳥ではないし、別に侵略の象徴でもない。

610 :日本@名無史さん:05/03/20 07:10:25
だから、別に日本独自とか、存在するとかいってないじゃん。
あのカラスが神武天皇の大和までの東征の道案内したんだろ。
今日の神国日本の国体は、あのカラスの賜物であろうが。

あのカラスを日本代表のマークにしたやつはやはりえらい!

611 :日本@名無史さん:05/03/20 07:15:55
侵略云々とは、神武天皇ゆかりのものだから、
サヨクが騒ぎそうだと言ったまで。

彼らは皇祖皇宗より脈々と受け継がれた神国日本を
糾弾してるからだ。

612 :日本@名無史さん:05/03/20 13:44:52
受け継がれてないよ

613 :太国:05/03/20 14:04:46
継体天皇。実体は継続するという御名。

614 :日本@名無史さん:05/03/20 14:06:44
日本は神国ってのは中世では、仏の守る国という意味

615 :太国:05/03/20 14:09:53
どうしてだ?

616 :日本@名無史さん:05/03/20 14:34:48
む、知らんのか???

617 :日本@名無史さん:05/03/20 14:39:04
天照大神は大日如来の化身

618 :太国:05/03/20 15:03:11
逆かも知れんぞ?

619 :日本@名無史さん:05/03/20 15:15:38
・・・

620 :日本@名無史さん:05/03/20 15:23:54
天皇家は真言宗の檀家だった

621 :日本@名無史さん:05/03/20 21:52:05
んなこたぁ常識だ

622 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:27:53
八呎(これでいいへらー?)烏よりも,金鵄の方がふさわしいデツ。

623 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 23:59:24
その字チョトちがう。

 八咫烏

624 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 02:08:19
厨房時代、美術の時間に出た課題 「鳥を描く」
みんなは外で観察したり、鳥類図鑑とにらめっこしたり。

そんな中、漏れは想像に任せて金鵄を描いていた orz

625 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 21:45:35
>>624
バカだったんですか?

626 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:45:03
どこが?

それより神武に話題戻せw

627 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:57:45
九州から畿内への移動はあったが、それは縄文末期か弥生初期のこと。
邪馬台国がどうたらという頃とは時代が離れすぎていてほとんど関係ない。

よって、邪馬台国畿内自生説と神武伝承は両立する。

628 :サガミハラハラ:2005/03/24(木) 12:53:58
西から東への移動は数多くあったようです。
神武一党の畿内への移動は、120年ごろではないかと思います。記紀に邪馬台国やそれを
匂わせるような記述がないのは、倭国大乱以前に移動がおこなわれたことを意味すると
思います。

629 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 13:18:13
韓国の歴史は半万年(もしかしたら9000年) ← 捏造

日本は約2600前、神武天皇(127歳で死去)から歴史が
始まり、現在の天皇は125代目の天皇 ← 真実

これでおk?

630 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:29:01
>>629
いいよ。
ただしバカウヨ専用ねw。

631 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:42:35
古田武彦説によるいわゆる欠史十代の解釈はこのスレでは案外肯定的みたいだね


632 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:32:03
>>631
そんなことは全くない
あれは電波

633 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:34:40
2倍暦は電波
ありえようがない

634 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:35:40
古田の語に脊髄反射する否定派って、ダボハゼみたいによく釣れるな。

635 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:58:56
神武は日本に移動する時の初代オオキミ??

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度


本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%


日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm

636 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 22:02:04
>>634
おまえのことかw>ダボハゼ

637 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 22:29:08
ジンムって響きは確かにモンゴルっぽいがな。

638 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 22:43:56
というか、神武というのはずっと後になってから付けられた漢風諡号だがな。

639 :ゴジンム:2005/03/24(木) 22:48:54
『後』か〜?

640 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:03:48
ジンム=モンゴル語ってのは新説だな
騎馬民族到来説の傍証にはなるかもw

641 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:05:24
ジンムギスカン

642 ::2005/03/24(木) 23:06:42
ジンムテンノウ(神武天皇)→テムジンノウン(鉄木真の運)

643 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:25:12
「ム」がつけばモンゴルなのかよ
成務・天武・文武・聖武・桓武みんなモンゴルかい?

644 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:17:45
電波でもせめて本名ぐらいは調べてくれ。神武はカムヤマトイワレヒコ。神+大和+彦な。

645 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:35:08
神武天皇は、カムヤマトイワレヒコノミコトの他に、ハツクニシラススメラミコト・
ワカミケヌマノミコト・サヌノミコト・ヒコホホデミとの名もあり、
カムヤマトイワレヒコという名自体あとから付けられた可能性が高い。

646 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:36:58
このスレの人たちに質問です。
ウィキペディアの神武天皇の表記について、どう思いますか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

647 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:52:20
ようは神武はモンゴル人

648 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:08:48
>>645 天智天皇だって後付けの「天智」のほか「アマミコトヒラカスワケ」や青年期の「中大兄皇子」、少年期の「開別皇子」なんてある。どれも本物だろ?

649 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:17:32
名前が本物かどうかじゃなくて、
カムヤマトイワレヒコ
といういかにも初代天皇っぽい名が後付けじゃないかということ。
神武天皇が実在してたとしても、自分が初代天皇って意識はなかったでしょ。

650 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:34:11
>>646
>紀元前711年1月1日
wikiに限らないのだが、神武を元日生まれとする典拠が未だに解らない

651 :鴨禰宜:2005/03/25(金) 11:47:52
細かいことは抜きにして、日本列島で伊都国(ハヤヒワケ)、奴国(オシロワケ)など
の国々で初めて王中の王の制度ができたものが近畿地方に応用された。そのとき
に王権の象徴である神器とか儀式の移動が行われたと言うことはありえるね。それ
はどうも応神王朝のような感じだ。それ以前の大和のイワレ地方などは邪馬台国で
卑弥呼が兵主神を祭る東夷/倭の集団だ。この裏にいたのが半島から帰還乃至は
渡来したスサノオ系集団だ。この出雲勢力から大和を開放するのが神武だと思う。
ただこの実体は近畿の政治的な女系社会豪族連合であり、神武は担がれた英雄で
はなかったんじゃないか。豊、すなわち、トヨヒワケ国の出身者だろう。継体のように
ヘッドハントされたんだろうな。


652 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:14:39
元旦即位も2倍暦で語るのかもよw

653 :狭野:2005/03/25(金) 17:59:26
>>645
> カムヤマトイワレヒコという名自体あとから付けられた可能性が高い。

可能性も何も、和風謚号ですよ?

654 :日本@名無史さん:2005/03/25(金) 22:15:04
ずっと後ということだろう>記紀編纂期

655 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 02:38:55
>>653
和風諡号が始まった推古天皇からでは?

漢風諡号 推古 和風諡号 とよみけかしきやひめ 本名 額田部

656 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 05:22:59
>和風諡号が始まった推古天皇

この根拠は何?

657 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 09:08:49
日本史辞典(岩波や角川)で、漢風諡号 推古、本名 額田部だったから
「とよみけかしきやひめ」は和風諡号だと思っただけ(根拠は薄い)

658 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 11:31:57
皇帝だ天皇だ国王だなどと言っている時代ではない。
これからは、世界は一つの時代。

一人の人間或いは一つの家族に、赤の他人が「へェー」ってひれ伏してるのって頭悪い。

659 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 11:35:44
>>658
お前はアナキストかw

660 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:20:07
>>328
そっから60ずつ引け

661 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 18:35:54
継体天皇の崩御は古事記AD527、百済本記AD531、日本書紀或本AD534
と三説あるがこの八年間に絞り込める。
安閑から推古までは、MAXで数年のズレがあっても、ほぼ大差なく
舒明天皇から後は年代の問題はない。
そこで神武(BC660)から継体没までの20世代1193年間が問題になる。
単純に2倍暦説で半分にすると596.5年であり1世代約30年になる。
2倍暦説を否定した場合は1世代が59.65年(約60年)となる。

1世代というのは昔からほぼ30年と考えられてきた。
漢字の「世」は「三十」からできている。
百年1世紀は3世代でこの場合1世代33年づつ。
聖書では40年あるいは44年が一世代を暗示する数字として使われる。
しかし古代イスラエルにしろ中国にしろ長子相続の伝統をもった社会である。
男性は、嫁さえ若ければかなりの高齢になっても生殖能力がある。
長男は人生の初期に儲け得るが末子は相当の晩年にも生まれ得る。
1世代が30年ということは、人生の初期と晩年とで30年の開きがあるということだ。
長子相続の場合で1世代30年ということは、末子相続の場合には1世代60年に
なり得るということだ。そうすると日本書紀の神武から継体まで20世代で
約1200年という推算は、まったくあり得る数字といえよう。

むろん日本書紀の数字がそのまま正しいといいたいのではない。古事記との
相違がある以上、日本書紀を信じることはできない。しかし、日本書紀が
真実の年代を一方的に縮めたと決めつけることはできない。ある部分は引き上げ、
またある部分は逆に引き下げている可能性だってあるのだ。



662 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 19:07:54
BC660年に神武王朝が成立

倭の奴国の国王が、後漢に朝貢して光武帝から
「漢委奴国王」を授けられたのはAD57年(後漢書)
邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送り
「親魏倭王」を授けられたのはAD239年(三国志)

神武王朝と奴国や邪馬台国との関係を説明してくれ

663 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:35:45
>>662
神武王朝が神武の朝廷という意味なら奴国とも邪馬台国とも関係ないだろ。
だって時代がぜんぜん違うんだから。

664 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:41:56
>>662
神武が王朝の主になったことはない。小領土の村長レベル。
漢籍にあわせて神武以下の皇統年代を無理して遡らせたが
実際は神武は紀元後の人物(たぶん3〜4世紀)。
奴国は邪馬台国の傘下の国。

665 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:43:48
>>653
私はあまり詳しくないのですが
「ムヤマトイワレヒコ」とかは本名ではないのですか?

アメトヨタカライカシヒタラシヒメという人は2度天皇になっていますが
642〜645年は皇極天皇、
655〜661年は斉明天皇と漢風名は二つあります。
和名の方は幼名などもありますが
アメトヨタカライカシヒタラシヒメ一つで統一されています。
和風謚号と漢風謚号は運用のしかたが違うのでしょうか?

666 :ゴジンム:2005/03/26(土) 20:46:28
>>664
武茶苦茶!

667 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:13:16
天皇の名前

1・ 神武 カムヤマトイワレヒコ
2・ 綏靖 カムヌナカワミミ
3・ 安寧 シキツヒコタマデミ
4・ 懿徳 オオヤマトヒコスキトモ
5・ 孝昭 ミマツヒコエシネ
6・ 孝安 ヤマトタラシヒコクニオシヒト
7・ 孝霊 オオヤマトネコヒコフトニ
8・ 孝元 オオヤマトネコヒコクニクル
9・ 開化 ワカヤマトネコヒコオオヒヒ
10・崇神 ミマキイリヒコイニエ
11・垂仁 イクメイリヒコイサチ
12・景行 オオタラシヒコオシロワケ
13・成務 ワカタラシヒコ
14・仲哀 タラシナカツヒコ
15・応神 ホムダワケ 及び オオトモワケ
16・仁徳 オオサザキ
17・履中 オオエノイザホワケ
18・反正 タジヒノミズハワケ
19・允恭 オアサズマワクゴノスクネ
20・安康 アナホ
21・雄略 オオハツセワカタケ
22・清寧 シラガタケヒロクニオシワカヤマトネコヲケ


668 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:13:38
23・顕宗 ヲケ(弘計尊)
24・仁賢 ヲケ(億計尊)
25・武烈 オハツセノワカサザキ
26・継体 オホド 及び ヒコフト
27・安閑 マガリノオオエヒロクニオシタケカナヒ
28・宣化 タケオヒロクニオシタテ
29・欽明 アメクニオシヒラキヒロニワ
30・敏達 オサダノヌナクラフトタマシキ
31・用明 タチバナノトヨヒ
32・崇峻 ハツセベ 及び ハツセベノワカサギ
33・推古 ヌカタベ 及び トヨミケカシキヤヒメ
34・舒明 タムラ 及び オキナガタラシヒヒロヌカ
35・皇極 アメトヨタカライカシヒタカラシヒメ
36・孝徳 アメヨロズトヨヒ
37・斉明 アメトヨタカライカシヒタカラシヒメ
38・天智 アメミコトヒラカスワケ
39・弘文 
40・天武 アマノヌナハラオキノマヒオ
41・持統 オオヤマトネコアメノヒロノヒメ
42・文武 ヤマトネコトヨオオジ
43・元明 ヤマトネコアマツミシロトヨクニナリヒメ
44・元正 ヤマトネコタカミズキヨタラシヒメ

669 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:16:42
2倍暦がないと説明できないのかw

670 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:00:56
>>669
オナニーレスのお前は、誰に向かって粘着してるんだ?

671 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:15:56
>>655 和風諡号が始まった推古天皇からでは?

昭和48年に熊本で発見された江田船古墳(5末〜6世紀)には
ワカタケル大王の名が記されています。
同じく昭和53年に埼玉で発見された稲荷山古墳(5末〜6世紀)の鉄刀にも
ワカタケル大王の名が記されています。

稲荷山古墳の鉄刀の銘文には辛亥年と記されており、461年か531年に造られたものであることは確実です。
記紀では461年は雄略天皇の時代、531年は継体天皇と安閑天皇の時代ですから、
オホド・ヒコフト(継体)
マガリノオオエヒロクニオシタケカナヒ(安閑)
オオハツセワカタケ (雄略)
の諸天皇の和名から考察するすると、雄略天皇の実名であるワカテケとワカタケル大王の名が酷似しているので
461年の製造物である可能性の高いです。

このことから推古天皇の以前の製造物に和名が用いられているので
推古天皇の151年前(雄略)あるいは、最低でも61年前(継体、安閑)には和名があったことになります。

672 ::2005/03/26(土) 22:22:19
>>668
弘文は『イガ」

673 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:23:30
訂正

>>671

×雄略天皇の実名であるワカテケ
○雄略天皇の実名であるワカタケ

674 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:29:02
ワカタケとワカタケル大王は同一人物なの?

675 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:31:37
ヤマトタケとヤマトタケルも同一です

676 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:35:34
というか獲加多支鹵という漢字を強引にワカタケルと読んで
雄略天皇に結びつけただけだから

677 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:46:09
ヤマダタケオもヤマイチタケシも同一人物ですw

678 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:49:00
強引とは強引な。根拠も書き込んでくれ。

あと辛亥年はどう読む?
ワカタケルが天皇に該当するかどうかは疑問の余地があるにせよ
461年か531年に関東と九州を服属していたワカタケルなる人物の存在は否定できない。

679 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:01:21
加多支鹵=かたしろ でしょ?

680 :日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:04:29
辛亥年は471年すよ

681 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:07:29
修正乙。
471年の雄略15年です。

682 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:12:24
33・推古 額田部 
34・舒明 田村 
35・皇極 宝
36・孝徳 軽
37・斉明 宝
38・天智 葛城・中大兄
39・弘文 伊賀・大友
40・天武 大海人
41・持統 鵜野讃良
42・文武 珂瑠
43・元明 阿閇
44・元正 氷高

683 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:14:29
>>668
和風諡号と本名とを混同してます

684 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:52:39
和風諡号として確実なのは持統からだろう。
神武〜天武の中に諡号はない。ぜんぶ生前の尊号。

685 :狭野:2005/03/27(日) 19:59:21
確実というのは確認できるという意味で、それ以前に諡号がないというわけではない。
アメノヌナハラオキノマヒト(天武帝)も諡号ではないのか?

686 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 21:13:41
じゃ、もうちょっと正確に。

和風諡号というのは、持統天皇以後は確実に諡号だが、
天武以前のは慣習的に諡号といっているだけで
実際には生前の尊号であったものが多いと思われ。

これでどう?

687 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 21:19:13
「天渟中原瀛真人」がたぶん天武が生前に自称したんじゃないかと思うが・・・。
道教からとったネーミングだし天武以外にこんな名前を思いつく人間が当時いたかな?
諡号なら「渟中原」じゃなく「浄御原」、
いやそれ以前に「瀛真人」なんて道教的なネーミングは発想されないだろう。

688 :狭野:2005/03/27(日) 21:57:43
遺諡(生前に自ら決めた追号)じゃないの?

689 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 22:45:26
>>688
うん、その可能性もなくはないが、生前尊号と道諡は史料に明記ない限り区別が難しい。

690 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 13:30:08
2倍暦を使わんことには話が進まないなw

691 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:08:19
二倍歴スレが出来てたから、そっちで話たほうが良いよ。

692 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:12:18
2倍暦はこのスレで必要不可欠

693 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:49:08
2倍歴説は無理があるような気がする。
たんに、昔の人は寿命が長かったという半分神話のような伝承があり、
それを、記紀編纂時にそのまま記述しただけじゃないかな。

694 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:24:44
神武天皇 BC660年一月一日即位〜BC585年三月十一日
綏靖天皇 BC581年一月八日即位〜BC549年五月十日
安寧天皇 BC549年七月三日即位〜BC511年十二月六日
懿徳天皇 BC510年二月四日即位〜BC477年九月八日
孝昭天皇 BC475年一月九日即位〜BC393年八月五日
孝安天皇 BC392年一月七日即位〜BC291年一月九日
孝霊天皇 BC290年一月十二日即位〜BC213年二月八日
孝元天皇 BC214年一月十四日即位〜BC158年九月二日
開化天皇 BC158年十一月十二日即位〜BC98年四月九日
崇神天皇 BC97年一月十三日即位〜BC30年十二月五日
垂仁天皇 BC29年一月二日即位〜70年七月十四日
景行天皇 71年七月十一日即位〜130年十一月七日
成務天皇 131年一月五日即位〜190年六月十一日
仲衷天皇 192年一月十一日即位〜200年二月六日
応神天皇 270年一月一日即位〜310年二月十五日

695 :サガミハラハラ:2005/03/31(木) 18:45:45
>693そのまま記述したのではありません。例えば、外国の資料と合うように調整しています。
それが正しいかは(卑弥呼神功皇后説)別ですが。

696 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:41:31
2倍暦以外で長寿の説明ができないと神武実在は無理

697 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:45:23
神武陵を発掘調査させろよ
古田説だとそれが本当に神武陵である可能性が高いんだろ
学問のためには皇室の尊厳云々は二の次だろうが

698 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 22:37:44
>>697
古田はそんなこと言ったか?

>古田説だとそれが本当に神武陵である可能性が高いんだろ

699 :日本@名無史さん:皇紀2665/04/01(金) 00:20:52
記念カキコ

700 :日本@名無史さん:皇紀2665/04/01(金) 00:21:33
皇紀記念700ゲット

701 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 00:52:39
2ちゃん的には神武は実在って事ですね。

702 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 00:53:10
といってる間に慶長だし

703 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:20:23
test

704 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:49:22
>>701
慶長になってるやんw

705 : ◆PdYt/xd..I :慶長410/04/01(金) 08:49:04
記念カキコ

706 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 11:14:19
慶長410ってどういう意味?

707 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:09:42
慶長という元号が改元されずに410年間続いてるってこと

708 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 15:09:21
>>699,>>700
皇紀で書き込めたのね。
今となっては貴重だな〜。

709 :日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:29:42
http://www.77bank.co.jp/museum/okane/0814.htm

710 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 09:55:00
西暦1年=神武元年
西暦20年=綏靖元年
西暦52年=安寧元年
西暦91年=懿徳元年
西暦126年=孝昭元年
西暦149年=孝安元年
西暦191年=孝霊元年
西暦207年=孝元元年
西暦263年=開化元年
西暦264年=崇神元年
西暦272年=垂仁元年
西暦311年=景行元年=成務元年
西暦312年=仲衷元年
西暦321年=神功元年
西暦330年=応神元年
西暦373年=仁徳元年
西暦400年=履中元年
西暦406年=反正元年
西暦412年=允恭元年   
西暦453年=安康元年   

711 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:35:02
>>710
どういう計算? 2倍暦か?

712 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:02:33
http://nippon-shinwa.com/nihon.html
http://nippon-shinwa.com/change.html

この説を元に換算した

713 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:24:56
>>697
神武陵はいくつか説があり、そのうちの1つ、神武田を明治時代に埋め立てて築造したもの。


714 :狭野:慶長410年,2005/04/02(土) 21:25:53
ぐわーっ! 皇紀で書き込む好機を逃したあっ!

715 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 08:30:23
やはり2倍暦がないとダメなのか?

716 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 18:21:47
>>712の年代推定は賛同できないが、2倍暦によるものではないようだね。


717 :日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:33:10
なぜBC660年なの? 那智の説が間違いならどこから出てきた数字なの。

718 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:10:48
昨日は橿原神宮で神武天皇祭だったっけ・・・?

719 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:13:44
>>717
那智じゃなくて那珂。
どこからでてきたっていっても、もともとそういう言い伝えだったんだろう。

720 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 06:11:40
>>661に書いてあるとおり。べつに年代を縮める必要などまったくない。よって2倍暦は不要。


721 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 10:12:51
>>720はウヨ

722 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:12:01
ウヨですが何か?

723 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:19:06
2倍暦が使えないとめちゃくちゃだな

724 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:51:14
使ったらもっとめちゃくちゃだろ。

725 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:05:15
使わなかったら、妄想街宣車行き

726 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:15:13
わけわかんないこと逝ってんじゃねーよw

727 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:34:19
と、極左は叫びます

728 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 12:51:27
ともかく2倍暦は電波ってこった

729 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:31:44
728もウヨ

730 :日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:32:13
ウヨサヨ言うな。
「2倍暦なんて電波を使ってまで架空の天皇を実在に仕立てる奴はウヨ」
だともいえるだろ。


731 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:20:20
其の人の寿考。或いは百年、或いは八,九十年。(魏志倭人伝)
多くは寿考、百余歳に至る者甚だ多し。(後漢書倭伝)

100歳の人間が実在することに疑いはない。
100歳を越える天皇については別に議論が必要だが
100歳以下の天皇については問題ない。

732 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:53:13
>>731の引用は、漢籍が倭人の2倍暦を証拠だてたもの。

733 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:07:52
>>732
そうとはいえない。もし2倍暦なら百歳は実際には五十歳、
八十歳は四十歳になる。四十歳の人間が「八十歳です」と名乗ったからって
中国人が真に受けて「すげー」って言うか?
すぐおかしいと気づくだろ。中国人はそこまでバカではない。

734 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:20:40
讖緯説、2倍暦、単なる勘違い、いろんな説があるけど、

B.C.600年は縄文時代だからとか100歳以上生きられないからとか言って、
神武天皇は架空の人物!と主張するのはさすがにアホだな。


735 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:46:30
そもそも架空説って、誰が言い出したんだ?

その根拠は何?

736 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:27:16
>>734
弥生編年はこないだ大幅に繰り上がって世間で大騒ぎしたろ。
最近の説ではBC660年はもう弥生時代だよ。

737 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 18:39:27
>>736
騒ぎすぎ

738 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:08:53
>>735
津田左右吉じゃないかね。

739 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:31:50
>>738
この人は確かに否定してたが、その理由が大和朝廷自然発生説を唱えるため、だったような。
だから東征説が邪魔だったという…

戦後の否定説はあれだろ、皇国史観への反動だろう。で、マルクス主義者が大喜びw

740 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:51:46
依存できなくなって非難するようになったのか


741 :日本@名無史さん:2005/04/06(水) 23:13:09
過去ログの議論により、BC660年というのは讖緯説による
ものではないことが判明している(少なくともこのスレ的には)。
かといって、日本書紀の編年が信憑性うすいので
BC660年が実際に神武元年だったと認めるわけにもいかない。
ではBC660年説はどこからでてきて日本書紀に採用されたのであろうか?

【その1、秦氏の起源である年代が混同された説】
BC660年は、秦の穆公の即位した年でもある(踰年称元法により穆公元年はBC659年
だが即位はBC660年)。秦の穆公は始皇帝の先祖で、秦の第九代。(諸侯としては9代目
だが秦氏としては14代目)BC623年に西戎を討って十二国を併せて、後世でいうと
隴西郡から北地郡まで一千里の地を開き、西戎の覇として周王朝からみとめられた
(春秋五覇の四人目)。この秦の穆公が即位したのがBC660年。
これがたとえば秦氏などに伝承されていて、そのうちに伝承が失われて単に秦氏の
はじまった年くらいの言い伝えになっていたのが、どこかで国の始まった年として
誤って伝えられていたのではないだろうか。それで日本書紀編纂の際に採用された、と。
(続く)

742 :741:2005/04/06(水) 23:14:07
>>741の続き

【その2、斉の桓公の「東征」が混同された説】
春秋五覇の最初の斉の桓公は、BC664-663に、今の北京あたりにあった燕国を
救援するため南満洲の遊牧民「山戎」を征伐し、孤竹(今の遼西地方)に進軍した。
この斉の桓公の「東征」の年代が、神武天皇が九州から大和へ入った「東征」と混同
されたとも考えられる。
西周期には今の遼西地方には箕子の系統を引く箕侯という国があり、早くに滅びて
その子孫の箕という姓をもった人々が燕の士大夫の中にいたが、百済の答本氏らは
朝鮮王箕準の子孫と称しており、遠い先祖は燕の士大夫の中にいた箕姓の中国人
だったのだろう。彼らが斉の桓公の「東征」についての言い伝えをもっていたのではないか。
百済滅亡後、日本に帰化した答本氏は724年に麻田連氏(あさだのむらじ)となったが、
その過程で、斉の桓公の「東征」伝説と神武天皇の「東征」伝説が混線して
「神武天皇がBC660頃に東征した」という話になっていて、それが日本書紀編纂の
際に採用された、と。

【その3、両方とも認める説】
どちらか一方ならば、日本書紀の修史官僚も、根拠薄弱として却下したかも
知れないが、秦氏と答本氏の二つの氏族からBC660年頃をさす伝承が提出
されたので採用に踏み切ったのではないだろうか。

743 :742:2005/04/07(木) 00:23:41
【その4、本当にBC660年だった説】でもべつにいいわけだが。
お遊びでオマケ。

日本書紀だと東征は7年間だが古事記だと20年ちかくかかってる。
するとBC680年頃になる。
この頃の中国は、西周王朝が壊滅して洛邑に東遷(BC771年)し、
求心力が失われ諸侯が割拠。北は白狄・赤狄・山戎、
西は犬戎・羌・テイ、東は淮夷・莱夷、南は荊蛮(=楚)と
強大な異民族に侵入され、中国はこれらに対抗するため
諸侯のリーダーを必要としていた。そこで、
BC679年は斉の桓公がはじめて覇者になった年。
中国の周辺の異民族が勃興していたのと同様、日本でも
縄文晩期の爛熟した文化の上に弥生草創期が花開いていた。
そこへ戦乱の中国から逃れてきた難民が入り、治安が悪化。
治安を回復するために強力な王権が必要とされた。
神武の統一運動は安芸に7年、吉備に8年というようにのんびりしていたが
戦闘記事はない。ここまでは征服より交流・親睦を主としていたのだろう。
ところがBC664年に斉の桓公が覇者として山戎を討伐。斉の桓公に救われた燕
の中にいた箕氏の一部は斉軍の軍事力を背景にさらに東方の朝鮮半島に進出
した可能性もある。この動乱のニュースが伝わると平和に進んでいた日本
統合運動が変調をきたす。すでに中国からの難民もいただろうし、互いに併呑
しあう戦乱の中にあるという緊張した世界観によって、単なる融和連帯ではなく
誰が主人になるかという問題が生じてきた。そこで大和のニギハヤヒは敵対して
突然、戦争になったのではないだろうか。つまり神武東征とは中国を中心とする
東アジアの大動乱の一環だったのである。統一後に発せられた八紘一宇の詔勅
には諸部族・諸民族の統合という精神がある。神武の兄・稲飯命は半島に渡り
新羅王になったというが、南下してきた箕氏に抵抗して防波堤となる意味も
あったのではないか。あまりに古いことで伝承は失われ詳しいことは何もわからないが。

744 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:14:13
漢籍にあわせて、畿内の大王の歴史を、倭の王に偽装したために
BC660年になっただけで、このBC660年という数字には、何の意味もない。

745 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:29:56
>>744
漢籍にあわせたらなんでBC660年になるんだ?何の説明にもなってない。却下。

746 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:43:36
戦後の共産主義者の陰謀だ

747 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:08:08
>>746
なりすましの上げ荒らしは氏ね

748 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:48:35
>>743
>神武の兄・稲飯命は半島に渡り新羅王になったというが、
神武元年は新羅建国以降じゃね?


749 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:17:51
>>748
いわゆる「新羅」というのは、学問的にはAD377年が史料上の初出であり、
この頃から一つの国としてのまとまりをもったと考えられている。
しかしそれ以前にも辰韓十二国の盟主としての「斯蘆国」としては
存在しており、三国史記の新羅本紀の伝える伝説上の建国=BC57年も
一概に否定すべきではない。実際には真番郡が廃止されたBC82年が
新羅(というか当時は斯蘆国)の独立の年なのであって、BC57年は
朴氏王朝の初代が即位した年ということであろう。
BC108年からBC82年までは漢帝国の領土だった時期であり、
それ以前には真番の真と番に訳された2大勢力が存在したらしき痕跡が
あるだけで詳細はわからない。しかしその中国人によって真と番に漢訳
された2大勢力なるものが後世でいうシラキ(斯蘆=辰韓)とハヘ(半跛=弁韓)
に相当することは容易に想像できるであろう。
つまりBC108年以前に、すでにシラキないしシラないしそれらに近い国名
をもった勢力は存在したのである。これを、BC57年に建国したいわゆる新羅と
区別して「古シラギ王朝」または「先シラギ国」と呼びたいと思う。
スサノオが渡ったという新羅、神武の兄・稲飯命が王になったという新羅、
天之日矛が弟に王位を譲ったという新羅は、この先行シラギのことであり、
上古の倭人が半島そのものをさす地名として最初に使った固有名詞でもあったのであろう。

750 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:49:09
う〜ん香ばしい

751 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 23:02:11
まぁ神武が実在とかほざいてるスレだからそりゃ香ばしいだろ。

752 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:55:31
まぁ神武が架空とかほざいてるレスだからそりゃ香ばしいだろ。

753 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:38:04
2倍暦なくば、実在をいえないとは困りものだ

754 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:18:36
2倍暦なんてなくても実在はいえるだろ。

755 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:00:29
二倍暦どころか、3倍暦、4倍暦ぐらいで補正して丁度良いぐらいだな

756 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:41:08
>>749
賛同。調べれば調べるほど、そうとしか思えなくなってきた。
倭人とそれ以外の境界線が、時代とともに南下してゆき、
最終的には現在のラインになったと考えても不思議ではない。

757 :日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:52:01
>>755
あのね・・・40代や50代で死んでる天皇もいるのに
そんなことしたら矛盾百出して支離滅裂になるよ。

758 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 01:14:52
シラギ-真-斯蘆-新羅
委奴-倭面土-邪馬台国-大和

759 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 05:51:51
委奴も倭面土もどっちも奴国=灘県(なのあがた)=那津屯倉=今の博多だろう。
邪馬台国=大和とは別の場所。

>>750
具体的な反論もできずに1行レスでレッテル貼りしくやつの方が
別の意味で香ばしいよ。

史記正義(唐代の注釈)に真番二国とあるが、真も番も中国人が中国風に一字表現
にしただけで何らかの現地語を写したものだろう。
80年代からは真番とは三世紀の「弁辰」(つまり辰韓と弁辰)のこととする説がでている。
さらに最近では、辰韓は斯蘆国(後の新羅=しらき)を中心とする韓、
弁韓は半跛国(後の大加羅=伴跛=はへ)を中心とする韓の意味だという説がでている。
そして日本書紀が「新羅」を「しらき」と読んだり「伴跛」を「はへ」と読んだりしてる
のは古訓に従ったもので古い地名を残したものだろう。
ということは結局、「真番」とは「しらき・はへ」の併称ということになるのではないか。
これのどこが香ばしいってのか?

760 :鴨禰宜:2005/04/11(月) 07:53:12
筑前のことをシロヒワケといったが、シラギというのはシロヒワケの一部という意味では
なかろうか。

761 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 08:10:07
>>760
理由は?

762 :鴨禰宜:2005/04/11(月) 08:19:34
対馬、すなわち縄文時代からの日本、に近いから交易の関係で日本人、つうか、
縄文人の子孫が滞在するところといった意味でシロヒ>シロとなったということもあり
えるんじゃないかな。逆ということは朝鮮族は海洋性民族ではないことからちょっと
考えにくい。

763 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 11:24:17
朝鮮沿岸や南部、サイシュウ島などは海洋民族では?

764 :鴨禰宜:2005/04/11(月) 12:12:19
鳥越憲三郎「古代朝鮮と倭族」に詳しく説明されている。

765 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:27:59
韓系の国には羅が付く
白日別のシロ
末盧のラ
クダラ
シラギのラギ
葛城のラギ

766 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 18:11:44
>>765そもそもジンム(神武)って発音も北方系だしな

767 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 21:33:19
>765
∞÷2=∞だろ。
n/2でn→∞に収束させるとn/2全体も∞に収束するじゃん。
つまり半永久も永久も同じ。

768 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 22:14:01
>>766
釣り?

>>767はコピペだからスルーでよろ。


769 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 01:05:31
古文書に奇妙な年齢記録がある→2倍暦、あるいは不正確と知りつつ記述、
の2つの可能性があるんですよね?どちらがより真実に近いと云うには、
どのような要件が必要なんでしょうか。それぞれのご意見を伺いたいです。

770 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 01:11:26
>>769
2倍暦なら、奈良時代の書物なんだから換算しなおすだろ。

つーか2倍暦スレ↓に逝ってください。
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50

771 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 01:14:55
換算しなおす知恵がなかったんだろ

772 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 01:26:11
>>771
もまえのいるところはこっち↓
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50

773 ::2005/04/12(火) 02:03:23
傀儡偽装スレ

774 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 02:36:51
お前は何がいいたいんだ? 単に神武実在説が気に入らないから荒らしたいわけか。

775 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:50:22
神武らしきのはいたけど神武はいなかっただろう
2倍暦は電波

776 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:37:07

当然神武のモデルはいたろう。複数の人間かもしれんが・・
2倍だの3倍だのという発想自体、古代的でない


777 :日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:39:05
じゃ、古代的な発想って何だYOw

778 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 00:54:35
國學院資料室でヤバイのが閲覧できます。背筋が凍りました。

779 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 01:14:29
どんなの?
http://www.kokugakuin.ac.jp/info/lib/riyo/dtrm.php

780 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 04:06:29
>>778
何を見たの?教えて。
鮫の絵の装飾の鎧をつけた神武天皇の写真でもあるのかな?
ちなみに私は神武天皇に当たる人物は実在したと思います。

781 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 04:07:57
>>775-776
モデルといっても、二通りの意味がある。

甲)カムヤマトイワレヒコという名ではなかったが、
似たような経歴をもつ人物が、神武天皇がいたと推定される時代にいた。
乙)神武天皇は、後世の人物(崇神天皇とか天武天皇とか)をモデルに
して創作した虚像。

甲の場合は、神武は虚像ではなく実像に該当する実在Xの痕跡ということになる。
これはしかし、それは記紀の伝承の影に正確な本来の神武天皇が実在したという説
であり、結局のところ神武実在説と五十歩百歩だろう。

乙の場合は、70年代風のありふれた神武架空説でいまさらなんだもないが。


782 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:14:03
立太子の年齢=生年

これだ!!!!!

783 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:18:25
神武天皇陵ってホントは畝傍山そのものだろ

発掘調査した方が良いよ


大和三山の残り2つも陵墓だぜ

784 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 18:07:55
大阪市、厚遇調査委に市民派弁護士、人選も一任
 
大阪市は12日、カラ残業の原因や、公金304億円を投じたヤミ年金・退職金制度の導入の経緯を解明する特別調査委員会の責任者に、市民グループ「見張り番」代表世話人の辻公雄弁護士を起用すると発表した。
市が行政監視団体に協力を求めるのは異例。同委員会は外部委員主体の独立組織とし、人選や調査手法などは辻弁護士に一任する。
 辻弁護士は「見張り番」がヤミ手当の返還を求めて大阪地裁に提訴し、市が1998年に「不適切、不透明な給与・手当は支給しない」として和解した住民訴訟の原告側代理人で、
市の議員接待が問題化した89年の公費乱脈事件以来、公金の使途を追及してきた。
 外部の有識者らでつくる福利厚生制度等改革委員会(委員長・大平光代助役)は今月1日、カラ残業やヤミ年金・退職金が98年の和解以降も続いてきたと批判し、調査委の設置を提言。
大平助役は12日、会見で「カラ残業もヤミ年金・退職金も根は同じ。(和解)当時の代理人の辻弁護士に調査を任せる」と述べた。
 辻弁護士は「(他の委員は)当時の弁護団を中心に見張り番や市民オンブズマンの公認会計士などを検討したい」としている。
一方、改革委は12日、外郭団体の福利厚生事業の見直しにも着手した。5月中に改善策をまとめる。


785 ::2005/04/13(水) 19:29:52
>>781
そうすると。平城天皇は後世の人物なる平成天皇をモデルにして創作した虚像なのか?

786 :日本@名無史さん:2005/04/13(水) 22:04:00
>783
邪馬台国の会のホームページに神武天皇陵の詳細がのってるよ。
それから2倍暦の解釈の仕方もね。ちょっとこじつけっぽいところもあるし、
真偽はともかく結構分かりやすい。
漏れも天照大神=卑弥呼説信じてるけど、一般にはオカルト、電波扱いだろなあ。
アマテラスの五代あとの神武天皇の時代からで現在皇紀2660年と言うのはちょっと無理で、実際は大体皇紀1800~1900年くらいのもんだと思う。



787 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:08:29
>皇紀1800~1900年くらい

「天照大神=卑弥呼説」から、この結論が導かれる過程が分からん。

788 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 01:54:40
>>781
丙)神武天皇だけでなく祟神天皇、四道将軍、建埴安彦も、
後世の人物をモデルに して創作した虚像。

祟神は信長の焼き写しで四道将軍は
北陸:柴田=大彦
山陰:明智=丹波道主
山陽:秀吉=吉備津彦
東海:滝川=武淳川別なのは明らか

柴田→鬼柴田→おにひこ(いろはで、「に」の次は「ほ」)→おほひこ→大彦
明智→ミンチ(音読み)→ミチ→道+明智といえば丹波→丹波道主
秀吉→サル→桃太郎のサル(前田→犬千代→イヌ、丹羽→にわ鳥→キジ?)→吉備津彦
滝川→たきがわ→たけかわ(武川)→たけぬなかわ→武淳川別

徳川家康→建埴安彦
  
徳:TOKU
母音を一つずらす(A→I→U→E→O→A)
健:TAKE
建=徳川

『いへ』やす=《はに》やす
『い』ろ《はに》ほ『へ』  『いへ』→《はに》
埴安=家康
  
本能寺の変=建埴安彦の乱

本能寺の変の首謀者は徳川家康であることも分かる

789 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 04:50:45
>>788
それは過去スレの傑作レスのコピペですな。

70年代に流行した反映論(おもな主導者は直木とか井上とか水野とか
あのへんの戦後古代史学を引っ張ってた大家・巨匠の方々)は
神武天皇の事績をばらばらにして「ここは天武の事績、このへんは斉明の
事績、どこらは誰それの事績・・・」と分解してそれらを切り貼りして
作った虚像だといったもんだ。
「でもそんなに分解して切り貼りしたら歴史上のほとんどの人間は作れ
てしまうだろ」といったのが鯨清。(70年代の実在派のひとり)
おかしなことに同時期に架空説では「神武は軍事、崇神は内政のことしか
出てこないからこれは一人の天皇の事績を二つにわけたんだろう」などといっていた。
事績が似てても架空の証拠、事績が違ってても架空の証拠。
やはり60年代や70年代の「左翼にあらずんば人にあらず」の時代の空気が
すべてを狂わせていたとしか思えないね。

790 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 17:30:01
神武は架空だな
似たような奴はいただろうが

791 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:09:40
神武架空説は架空だな。妄想が根拠。

792 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:49:21
天孫降臨した場所が日向の高千穂だとしたら、
天皇家の祖先=隼人系なんでしょうか?
魏志倭人伝にもあるように邪馬台国の人達は
刺青をするという記述からも南方系の民族なんでしょうか?
それとも一部の人が言うように半島から(北方から)
渡来したんでしょうか?
古墳が似ているとか、壁画が似ているといっても
それは朝鮮南部限定(旧百済地域)限定であって
源流というのは違うと思いますが。


793 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:49:43
今トピックスになってる矢口真里のスキャンダル写真がこれです!
おもいっきり抱きあってます。これは確かにモー娘引っ張れないね。

http://kigyoukaameba.ameblo.jp/

794 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 21:59:47
>>792
シュメール人が発祥の一族でペルシャの滅亡などの動乱期にメソポタミヤ地方を船で去り、
インド・マレー半島沿岸を数百年かけて移動、
その間にインド・東南アジア・南方系の技術民を配下に入れ自らも混血して行った。
紀元前50年ころ華南地方に到達し内陸経由の文化と再合流したが再び東に移動、
紀元前後には南九州を経て倭族の居住していた九州北部に進出遠賀川流域に定着した。
この集団は鉄器文化とくに優れた刀剣技術をもち、
配下に造船・機織・工芸など技術系従属民を含む2000名ほどの一団で、
各地で文化的指導者となりながら東に移動して来た。
弥生後期ふたたび移動が開始される、
その中の500名弱が北九州を去り福井の敦賀湾付近に上陸、
日出る方角に美味し土地ありとて大和を目指した。
率いたのは長老達だが血統的中心人物はまだ幼いトヨという少女であり、
十三歳頃になって巫女的統治者となった。
後にアマテラスと呼ばれたリーダーであり、
その甥が「ハツクニシラス」と謚された崇神である。

795 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 00:40:55
アマテラスなんて国粋主義の読みであり、後世勝手にデタラメに読んだもの。
現地ではアマテル。
ハツクニシラスとは、新領地を統治するの意。最もハツクニシラしたのは継体。

796 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 12:53:33
神武は架空だろ。族長くらい。

797 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 14:50:50
>>796
>族長くらい。

あなたはある意味実在論者だ。

798 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:25:20
丁)神武東征神話は明治維新をモデルにして創作した虚像。

神武天皇=西郷   
饒速日命=勝海舟
長髄彦=徳川慶喜
河内の青雲白肩の津の戦い=鳥羽・伏見の戦い

799 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 21:55:12
族長だと実在なのか?

800 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 22:49:20
神武は実在だが、絶大な権力をもった王朝の創始者というのは大嘘。
単なる小集落の首長。

801 :狭野:2005/04/15(金) 22:54:42
>>795
> アマテラスなんて国粋主義の読みであり、後世勝手にデタラメに読んだもの。
> 現地ではアマテル。

現地ってどこよw
アマテル神とかアマテルミタマノカミを祀る神社はあちこちにあるけど、一番あてにならないのが神社の祭神だからね。

>>800
王朝の創始者=絶大な権力の持ち主、というわけではないし、初期大和朝廷が広域を支配していたとは記紀には一言も書いていない。
始めは小国であっても、それが発展して広域統一国家になれば、その初代を王朝の創始者と呼んで少しも差し支えない。


802 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 22:57:33
王権神授説の起源は神武

803 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 23:15:35
>>801
現地も知らんのかw
対馬だよ対馬。
記紀に書いてあるんじゃなくて
みんなが妄想しちゃった固定概念なんだが。

まあ、日本語の勉強からやることだ。

804 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:21:44
なんで対馬が「現地」なんだよ。それが偉そうにふんぞり返るほどの知識かw
太陽神を祭る神社なんてあちこちにあるし、アマテルという名も珍しくもなんともない。


805 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:26:17
はあ?後世作られた神社など問題にする方が池沼>>804

806 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 02:16:44
はて。もれは別に後世に作られた神社など問題にしていないが。

807 :2倍暦スレから転載:2005/04/16(土) 22:33:04
72 名前:転載くん :2005/04/16(土) 22:28:43
160 名前:日本@名無史さん :2005/04/16(土) 20:30:05
武内宿禰は日本書紀によると成務天皇と同年に生まれたというが、
日本書紀の編年には矛盾が多く、成務天皇と武内宿禰の誕生年も
AD82年・AD84年・AD93年の三通りによめる。また日本書紀によると
早くても仁徳50年(AD362年)には生きていたが
遅くても反正天皇の殯(もがり。允恭5年=AD416年)より前に死んでいる。
これらから計算すると270歳から335歳までの間(組み合わせに
よっては281歳から324歳までの間)ということになる。

ちなみに水鏡・紀氏家牒は280歳、扶桑略記に282歳、公卿補任に295歳、
宋史日本伝引用の日本王年代記に307歳、愚管抄に380歳とする。

これらの伝説のうち水鏡、紀氏家牒、扶桑略記の三書の数値は日本書紀の編年に基
づいて推算したことは明白であり、その伝える年齢数値は古伝承として信用できない。

逆に、愚管抄だけが日本書紀と計算があわないが、日本書紀の編年は奈良時代の作為である
のに対し、不自然な長寿伝説は合理化を意図した捏造の類いではないから古伝承なのであろう。
よって公卿補任、王年代記、愚管抄の三書のうち、
愚管抄の380歳説だけがとくに間違いということではない。

73 名前:日本@名無史さん :2005/04/16(土) 22:29:30
武内宿禰は280歳以上だが、台与は13歳であり、武烈は18歳という説もある。
これらに2倍暦説ではまったく役に立たない。
100歳をはるかに越える天皇もいるが、40代、50代の天皇もいるわけで
これを2倍暦などで一律に計算するのはひじょうに具合が悪い。

808 :807:2005/04/16(土) 22:34:52
>>807から続き
【2倍暦によらない初期古代天皇長寿の謎解き・第1案】

メソポタミアの粘土版のシュメール王名表は異なる地層からいくつも出ているが、
下の地層つまり古いものと上の地層つまり新しいものでは内容が少しづつ食い違って
きている。何代か置いて似た名前の王がいると、それが混同されて一人の王と
誤認されてしまい、その間にいたはずの王が消失してしまったり、親子2代の王の
名前を誤ってつなげてしまい一人の王に誤認してしまったりして、だんだん王の数が
少なくなってくる。しかし建国から何年という年代はかわらないから、ところどころ
不自然に在位の長い王が出現することになる。
このように古い時代の王名表から新しい時代の王名表までを順に並べると
時代によって系譜関係が段階的に簡略化していくさまがわかるという。
初期天皇のうち異常に長寿な天皇も、似たような系図の簡略化がおこっていると
考えられる。つまり100歳をこえる場合は、系図の誤写・粗漏・錯簡によって、
数代の天皇を一人の天皇と混同したという可能性である。
とくに、記紀ともに清寧天皇以後については問題がなく、不自然に長命の天皇は
雄略以前にしかあらわれない。雄略崩御の直後、星川皇子の乱があり、
星川皇子は大蔵官を占拠したのに対し、大伴氏の軍が包囲して焼き殺したとある。
この時、大蔵だけでなく近隣の様々な施設も類焼したのではないか?
その中には古来からの伝承を記した古記録の文書倉庫などもあったのだろう。
そのため、系図の誤写・粗漏・錯簡による不自然に長寿の天皇は
雄略以前にしかあらわれないのである。(続く)


809 :807:2005/04/16(土) 22:42:20
>>808から続き
【2倍暦によらない初期古代天皇長寿の謎解き・第2案】

日本では、江戸時代まで富豪や商家では代々襲名の習俗が残っていた。
僻地や下層に古い習俗が残ることが多いから、これは起源の古い習俗であろう。
上流階級では「通字」の風習があり、これは中国や韓国にはない日本独特のものだが、
これは大昔の襲名の風習の名残りと考えられる。
つまり100歳をこえる場合は、何代かの襲名ということが考えられる。
とくに、記紀ともに清寧天皇以後については問題がなく、不自然に長命の天皇は
雄略以前にしかあらわれないが、雄略天皇は帰化人を寵愛し、大陸の文化を取り
入れた開明君主としての側面をもつので、雄略が「襲名という古俗・倭俗」を廃止した
という可能性は十分にある。言霊信仰との関連から推測すると「名を継ぐ」という行為は
前代の魂=人格=命を引き継ぐという意味があり、襲名する子孫がいる限りその人は
死んでいないという信仰が基礎にあったのではないか。記紀の雄略天皇巻は、道教的・
神仙郷的な特徴の濃い伝承で彩られているというのが通説だが、これは雄略以前には
人間の寿命は長かったと古くから人々に認識されていたことを示しているのだろう。

(雑考1)ざっとみたところ景行以前には平均して3代か4代、
成務から雄略までは2代か3代くらいの年数だろうか。)
(雑考2)新たに名を起こすのは明らかに個性的な人物と自他ともに認識し
た時なのだろう。人間誰しもめざましい個性をもつというのは現代のイデオ
ロギーで、実際には大衆に埋もれた平凡な人間が多い。よほど自信過剰でな
い限り、昔は親の名を継ぐのが平均的な生き方だったのではないだろうか。
その結果、伝説に名が残るのは個性的な人間ばかりに見えるのだろう。)

810 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 22:43:18
【2倍暦によらない初期古代天皇長寿の謎解き・第3案】
いや、本当に長生きでもべつにいいけど。


811 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 22:49:46
>>809
>(雑考2)

襲名するのは名前の一部で、後世に単純に混同されたとも考えられる。
つまり>>808説と>>809説の折衷案。


812 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 00:16:08
>上流階級では「通字」の風習があり、これは大昔の襲名の風習の名残りと考えられる。

出鱈目

813 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 09:55:53
>>812
生産的な議論のために、反論・批判は具体的にお願いします

814 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 11:57:22
つまり、2倍暦はもうなしってことで進めるのかな?

815 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:30:02
アダムは930歳
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/musou3.htm

本気で今の暦だと信じてるのか?

816 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:22:48
>>814
2倍暦については専用スレがあるのでそちらで。
あっちのスレでは、漏れは個人的にはまだまだ書きたいことはあるし。

>>815
そのHPは結局なにがいいたいのかよくわからんな。
ついでに815のレスも誰に向かっていってるのか不明だし。
まさかアダム900歳が2倍暦だとでも言いたいわけじゃないだろうし?

817 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 19:53:05
おいおい、オマエは450歳生きる気かよ>>816
月の満ち欠け齢だろw

818 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 21:19:01
また新たな電波がきたようだ・・・しかも日本語読めないやつがw

819 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 00:08:07
900歳は2倍暦ですって勘違いしちゃった馬鹿がいるよ .>>816>>818
450歳まで生きてみろよwwww  

820 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 04:36:18
朝っぱらから厨房にマジレスもあれだが・・・

>>816はべつに聖書が2倍暦だとはいってない。
>>815は何がいいたいのだ?聖書が2倍暦だといいたいわけじゃないだろ?」
と問いかけているだけ。
それなのに>>817はあたかも>>816が2倍暦説を主張しているかのように揶揄
(=つまり日本語よめてない)その上、月の満ち欠け暦という電波を発している。

>>819は訳も分からず>>817の鸚鵡返しで恥の上塗り。


821 :サガミハラハラ:2005/04/18(月) 07:59:40
バイブルやヘロトドスの著書の数字は誤訳によるものだとの説をきいたことがあります。

822 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 08:22:30
>>820は皮肉のわからぬ池沼でした。

823 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 13:12:35
へたくそな皮肉もあったもんだなw

824 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 06:52:58
文献に、忠実になれ。神武は日向の土豪の子。難民つれて移住先で
近畿物部王朝ニギハやヒ大王の宰相ナガスネ彦にクーデター起こして
日本国を建国した人物だぞ。日本書紀古事記をよく読め。

北九州の倭国は筑紫の君として百済と同盟して、高句麗・新羅と抗争する。
古事記にも日本書紀にも出てこない中国文献の倭の五王は筑紫の君だ。


825 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 09:46:12
>>824
それが「文献に忠実」な読み方とは思えんな。

>神武は日向の土豪の子。難民つれて移住先で

土豪の子だの難民つれてだの、そんなことがどんな文献に書いてあるんだよ?
東征開始以前の神武はとりあえず
1、日向にいたこと
2、天から降りてきた神の子孫という信仰をもっていた
3、3人の兄の存在
しかわからない。東征軍を組織できるほどだから弱小な
マイナー勢力ではなかったと思われるが詳細は不明。

>近畿物部王朝ニギハやヒ大王の宰相ナガスネ彦にクーデター起こして
>日本国を建国した人物だぞ。日本書紀古事記をよく読め。

神武侵入以前の大和の首長はニギハヤヒで、ナガスネヒコはその配下に
すぎないことは記紀からわかるが、べつに神武はクーデターおこしたわけではない。
大和のニギハヤヒと九州の神武は、どっちも天から降りてきた神(またはその子孫)
という意味では対等だったらしいことがわかるだけ。日本書紀古事記をよく読め。

>北九州の倭国は筑紫の君として百済と同盟して、高句麗・新羅と抗争する。
>古事記にも日本書紀にも出てこない中国文献の倭の五王は筑紫の君だ。

神武とは時代がちがいすぎるのでスルー。
とりあえず九州王朝信者は専用スレがあるのでそちらへドーゾ。
倭の五王スレでも可。もれはあっちにもいるよ。

826 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 13:03:38
天空から地上に降りてきたように読んだら誤りだろ。
神武の祖先が「あま」の都から遠ざかって定着しただけ。
実態として東征軍を組織したことなんか書いてないな。
久米の子らを引き連れて各地を流転、最後に畿内に侵入しただけ。


827 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 13:26:00
古代の天皇の長寿は、神仙思想に基づいている。天武・持統天皇は神仙思想
のファンだから、古代の天皇を神仙として扱ったのだ。神武なんて創造の人
物で、崇神が神武だ。

828 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 13:30:33
神仙が、戦闘で傷を受けた兄を戦士させるわけが無い。

829 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 13:53:27
神仙思想に憧れたというだけで、本当の神仙である筈がないだろう。なにを
考えている。崇神天皇は本名優寿、三韓を支配していた辰王の弟、出自は夫
余族、もともとは草原の民、匈奴に追われ朝鮮半島にきて北夫余国、東夫余
国を建国した。崇神天皇は馬韓にあった東夫余国の方の出身だ。その頃の日
本は、縄文人は少数で、どちらも元は中国にいたツングース民族と倭(越)
族の弥生人の世界だ。


830 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 01:00:49
神仙思想が、戦闘で傷を受けた兄を戦士させるわけが無い。

831 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 01:27:34
>>829
でむぱ氏ね

832 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 01:47:12

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html


B44-DR7はタイから中国人に多いHLAハプロタイプ。
朝鮮半島には河姆渡→山東半島→遼東半島→楽浪・帯方、
やはりこのコースで、楽浪郡の華北人を通じて入ったハプロタイプと思われる。

この東南アジアから朝鮮にまで広がるパブロタイプが
日本人にはほとんど無い。

という事は、弥生人はやはり華北人ではないどころか、
中国大陸とは全く関係が無い人種という事になる。

833 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 01:51:47

CHLAーA24−B54−DRB1*0405(DR4)

 本土日本人 3,1%、 沖縄人 6,1%、 韓国人 1,2%、 
中国朝鮮族 0,9%、 中国満族 1,2%、 シベリア・ブリアート人 1,3%

このハプロタイプは、文献(a)では、国内では、南方に偏っており、
沖縄での最多ハプロタイプであり、南九州・南四国・東海・神奈川でも
比較的多いとされ、中国南部でも多いとされていましたが(つまり江南
などの南方出自を窺わせる)、文献(c)では何とシベリアのブリアート・
モンゴルや、中国満族(満州族)でも、認められ、このハプロタイプの
起源も南方系とはいえなくなりました。以前は、このハプロタイプを、
江南出自の百越の一派で、あるいは水稲耕作をもたらした集団とも考えて
いたのですが、とりあえず、不明とせざるを得ません。「夏人」のハプロ
タイプである可能性も含め、いろいろと考えていますが、周辺諸民族の
頻度、特にチベット族などのそれが解らないと決定困難だと思われます。

834 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 01:54:18




何とシベリアのブリアート・モンゴルや、中国満族(満州族)でも、
認められ、このハプロタイプの起源も南方系とはいえなくなりました。以前は、このハプロタイプを、
江南出自の百越の一派で、あるいは水稲耕作をもたらした集団とも
考えていたのですが、とりあえず、不明とせざるを得ません。





835 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 02:52:54
なんだか、いきなり糞スレ化が進行してるな。

836 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 17:50:18
元凶は833、844だ。

837 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:03:50
824は現実的だ。谷川健一氏の物部王朝は実在だな。河内日下が古日本の発祥の地
825はなんにもわかっていないな。倭王武は半島を海北といっているし
、中国の文献には倭国は北九州の国として書かれているぞ。
神武天皇は日向市に伝承がたくさん残っている。日向の土豪で海岸地方の王の
ナギサタケルの一族で、阿多隼人の王族とも姻戚の北九州の倭国の辺境の朝貢国さ



838 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:37:43
古日本を倒した日向氏は物部氏にかわって大王になり、新日本建国。
崇神天皇の時に同盟国の吉備とともに出雲に攻め込んで東出雲を併合。
ケイコウ天皇の時に、凶暴な王子オウスは、父の命令で、鹿児島の王・熊襲
タケル暗殺、出雲タケル暗殺、常陸制服、東北制服。巨大国家建設。


839 :狭野:2005/04/24(日) 19:07:14
物部氏が物部氏になったのは、大和朝廷が出来て以降なんだけどね。

840 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:38:39
>>837-838
まぁ谷川説だろうが古田説だろうが何を信じようが勝手だが、
それならそうといえばいいのであって「文献に忠実」などと
中立を装うのはやめれってこったw

841 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 15:56:34
>>838 オウスは女装はしましたが常陸制服や東北制服なんてものは着ていませんよ。

842 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 09:38:19
初代新羅王統と神武が兄弟説からすると、神武東征は一世紀だろ

843 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 09:42:36
初代新羅王統の神話って、倭人がその辺で拾って来た餓鬼を初代王にした、って話なんだろ

844 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 09:54:33
新羅には倭人の王脱解がいるだろ。
それか?
だとすれば4代目だな。

845 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 09:56:27
倭人王脱解は4代目。
その重臣でありこれまた倭人の瓢公が発見したのが
慶州金氏の祖閼智

846 :ラオス人も海人族系倭人だった!!!:2005/04/27(水) 12:08:16
 ラオス人の伝承では、ラオス人は、瓢箪の中からぞろぞろと発生したと言われている。
いろんなストーリーがあって内容に多少の違いがあるが、瓢箪から多くの人が生まれ出るところは同じだ。
  『Kingdom of Laos』(France Aisa,1959年)では、以下のように伝えている。

 天にいる神の王バニャテーンが、地の王に水牛を贈り、
水牛の助けを借りて水田を作り始めていたが、3年後にその水牛は死んでしまう。
するとその鼻の孔から一本の蔓が伸びてきて、3つの瓢箪をつけ、
その実は途方もなく大きくなった。そのうちにその瓢箪の中から大きな物音が聞こえ、
地の王が真っ赤に焼いた鉄を瓢箪に突き刺して穴を開けると、人間があふれ出てきた。
人間が余りに多いため、出口が狭すぎると思った王は、のみで新しい出口を開けた。
これがラオス人の二民族の起源で、鉄で開けられた穴から出てきた人たちがカーで、
肌の色は浅黒く髪をゆっている。のみで開けた穴から出てきた人たちは、
タイ 族(ラオで、色白であり、短髪にしている。

  一方、『ニターン・クンブロム・ラーサーティラート』(ラオス宗教省、1967年)では、
大きな木にはびこっていた蔓に、大小の瓢箪が2つなっており、のみでつくと、おびただしい数の人間だけでなく、動物、金銀、布地、果物、野菜まであふれるように出てきたとされている。

  ≪以上、『ラオスの民話』黒潮社、1994年)参考≫
 
 カムカム族など先住南亜語族が、その身体的特徴を伝えながら、
タイ族(ラオ族)より先に出てくるところが興味深い。

  上記の話では、瓢箪が非常に重要な役割を担っている。日本でもおなじみのように、
瓢箪は古来より縁起の良いものとされ、瓢の音をかけて、「3つ揃えば三拍(瓢)子
そろって縁起が良いとか、「6つ揃えば無病(六瓢)息災」などと言われて重宝がられてきた。また戦勝のたびに馬印の瓢箪を増やしていった豊臣秀吉の千成瓢箪は有名であり、古事記でも登場する。

   『照葉樹林文化』(上山春平、中公新書)でも瓢箪に言及しており、
瓢箪はかなり古くから日本に入っていたことが発掘で明らかになっており、一番古いものは縄文後期とされている。

http://www.mekong.ne.jp/directory/culture/legend02.htm

847 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 12:21:55
瓢箪から高麗

高麗も瓢公がつくりマスタ

848 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 12:28:49
>新羅には三姓の他に、六部の長達がそれぞれ所有する
>李、鄭、孫、崔、裴、薜の六姓の記録が残っている。

-----------------------------------------------
※三姓(朴、昔、金)


つまり

三拍子(三瓢子) 揃うとは=朴、昔、金
6つ揃えば無病(六瓢)息災=李、鄭、孫、崔、裴、薜


と云う事なんだよ!!!!!!!!!

                               Ω、ΩΩ  な、なんだってーーー!!!?

849 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 12:42:39
日本語のヒョウタンも旧仮名では「へうたん」とつづり、普段は「へう」と呼ばれていました。
古代日本では清音は濁音で発音されたことから「へう」は「べう」となり、
はからずもベトナム語に近くなります。ビルマ語の「ブー」とベトナム語の「べウ」と日本語の
「へう」が結びつくとしたら、おもしろいことになりそうですね

日本に容器としてのヒョウタンをもたらしたのは、海人族ではなかったかと思います。

新羅の国の建国神話には、ヒョウタンを腰にゆわえて海を渡ってきたホゴンという倭人が、
大臣となって始祖王バルコヌイ(赫居世)を助けたというはなしがあります。

また『日本書紀』には、吉備の国の大蛇を退治に出かけた勇者が、
ヒョウタンを水に浮かべて「これを沈めたら自分は引き下がろう、
しかし沈めなかったらお前を斬ろう。」と言って、
ヒョウタンを沈めえなかった大蛇を斬ってしまうはなしがあります。
海人族は救命ブイとしてのヒョウタンの浮力をよく知っていたようですね。

海人族はヒョウタンを浮きとして使っていた人たちで、どうも新羅や『魏志倭人伝』の
魏の側の人々が文書に書きつけた「倭人」とは、倭国に住んでいたいろいろ変わった
人たちのうちでも、とくに「海人」を指していたように思われます。韓国語のパカチ、
日本語のヒサゴは、ともにヒョウタンを指す言葉ですが、これらももとは海人族の
言葉だったのではないでしょうか。 

http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi2.htm

850 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 12:45:30
>>842
記紀で「新羅」と書かれている国は、後半の方では確かにいわゆる「新羅」をさしているが
前半の神話・伝説の部分では語り部が「しらき」といったのを漢文教養の筆録者がそのまま
「新羅」のことと即断して書いただけだろうと思う。
そもそも海の向こうの半島の国を日本人は「しらき」(地名)といっていたのであって
いわゆる王国・王朝としての新羅王国・新羅王朝の創立年代とは関係がない。
なぜといって、新羅王国の創立にあたっての「新羅」という国号は、それ以前からある
古地名としての「斯蘆」に由来するのは明白な史実だから。

・新羅のはじまりの方ははっきりしないが
三国史記に記された半島側の伝説ではBC57年(朴氏王朝のはじまり)。
日本では、スサノオが渡っていったなどと神話時代からあるが、
伝説では神武天皇(BC660-BC585)の兄・稲飯命が新羅の王になったという。
漢籍史料による史実ではAD377年が史料上の初出。その前は辰韓の諸国の中の
「斯蘆国」といい、辰韓とは斯蘆国を中心とする韓の諸国の意味。
辰韓の史料上の初出は魏略にAD21±1年の出来事として説話があり、
AD286年に辰韓十一国が晋に朝貢したのが最後。よってAD286年から
AD377年までの間に辰韓の斯蘆国が新羅国に改名したと考えられている。
真番郡(BC108-BC82)の名はそれ以前の「真」「番」に由来し、
「真」は後の斯蘆の音写とみられ、単なる地名としての新羅の起源はかなり古い。
>>759,>>749参照)


851 :吉備の国の大蛇:2005/04/27(水) 12:47:40
温羅伝説の史実

 お伽噺「桃太郎」の原典となった温羅伝説は、備中国の一の宮である
吉備津神社に「吉備津宮縁起」として伝えられている。

 崇神天皇の頃、異国の鬼神が飛来して来た。その名は温羅、
吉備冠者(吉備火車)とも称し、もとは百済の王子であった。「鬼の城」
(きのじょう)に拠って吉備の国人を苦しめたので、人々は大和朝廷にその討伐を要請する。
大和は孝霊天皇の皇子五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)を派遣する。

 ミコトは吉備の中山に陣を敷いて対戦し、激烈な戦闘が繰り広げられる。
温羅は遂に捕らえられ、吉備冠者の名をミコトに献じて誅殺されるが、
その首は髑髏となってもなお十三年間唸り止まぬので、
吉備津神社の釜殿の地下八尺に埋めた。これが伝説の粗筋である。

 この伝説の背景となった史実は何であったのか。一般には、これは大和による
吉備征服の歴史が描かれたものであると考える。暴戻な支配者に苦しむ人々を救うために、
それを討ったとするのは侵略者の常套的口実に過ぎず、要は、大和が吉備を攻めて、
その版図の下に置いた歴史を述べたものと考えるのである。私も以前はこの考えであり、
このシリーズの中の「桃太郎論議」も、その考えの下に書いたものであった。

 もう一つ別に、物語のストーリーにもっと忠実に従った解釈もある。ここでは、
温羅を製鉄技術集団の長と考えて、吉備国内における、山地の製鉄民と
平地の農耕民との争いに大和が介入し、その機会に大和は吉備の王権をも
手に入れたと解釈する。これは、かの出雲神話におけるスサノオノミコトの
大蛇退治について行われた解釈と同じである。

 しかし、私は最近、これらとは全く異なる解釈を持つようになった。

(以下略)
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/ura.htm

852 :おしり太郎:2005/04/27(水) 15:09:40
記紀には播磨の加古川地方にいた吉備津彦が吉備を平定したと出てくる。
ことむけやはすという言論平定として。また播磨風土記にはアシワラシコオと但馬人
が激突。播磨一宮の伊和神社はオオクニヌシの化身とされている。出雲トミ氏の伝承
では「吉備津彦が山陽の領地を奪った」ことが出てくる。印南と加古の国造は吉備氏
の一族。吉備の楯築遺跡は特異な遺跡。高祖の吉備モロズミは天皇家の一員とされる
。「仮説」 吉備には特異な文化をもった人々がいた。だが倭国の力が卑弥呼の死後
衰えて、また近畿は物部大王家残党と大和天皇家の抗争と混乱の中、無主の状態。
出雲ではトミ家スサ家の旧王族が勢力回復し、逆臣ホヒ氏(のちの大社国造)を抑え
出雲王朝回復し、中国地方を治めていた。あるとき吉備人が土豪同士、鉄や農業用水
をめぐって争い始める。そこに加古川地方の土豪の養子の大和王子の吉備津彦が調停
にやってくる。知謀を買われて。またたくまに事をおさめて大王に推された。山陽地
方はことごとく彼に服した。これが吉備のはじまり。

853 :おしり太郎:2005/04/27(水) 15:13:26
そこにソウルの百済王子の夫余温羅がやってくる。

854 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 15:32:34
温羅は吉備津彦に仕え、華北式大量製鉄・馬韓式土木に、功績を立て、諸侯になる。
そして鬼ガ城を築く。ところが小王になった温羅は女をあつめて享楽生活。年貢が
財産がたらなくなると、土豪が中山王宮にはこぶ税を荷車を襲いはじめる。
おどろいた吉備の家臣は吉備津彦と会議「吉備団合」そして犬飼一族「犬」を先鋒
として、温羅の城をせめて、彼を討ち取り、女を田舎に帰し、温羅の首をかまゆでに。


855 :おしりたろう:2005/04/27(水) 15:42:26
吉備はやがて、日本と名乗る大和朝廷と同盟。出雲攻略をミマキ天皇と
吉備津彦が共同戦線。日本武尊の東征に王子ミスキトモミミタケヒコを
参加させる。ミトモワケ大王の時、ツクリ山古墳350作る。
このとき、同盟締結に神武たすけた吉備の楯築文化の土豪が活躍した
可能性がある。

856 :おしりたろう:2005/04/27(水) 15:46:06
吉備津日古のはなしと中世の瀬戸内海の水軍話が合体し、桃太郎伝説。

857 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 17:03:38
此処にジャポニカ米原種伝来期=ひょうたん伝来期説を提唱しゅる!

858 :鴨禰宜:2005/04/27(水) 17:54:12
温羅は延烏郎、浦島子などににており、楯築の帝王は「葦原志挙乎命」は地理的に
この辺のような気がする↓(投馬国王のスサノオと見たい。)
「播磨国風土記から
 韓国から来た天日槍命が宇頭の川底(揖保川河口)に来て、国の主の
葦原志挙乎命に土地を求めたが、海上しか許されなかった。天日槍命は
剣でこれをかき回して宿った。葦原志挙乎命は盛んな活力におそれ、国の
守りを固めるべく粒丘に上がった。
  播磨揖保  粒坐天照神社「天照國照彦火明命」兵庫県龍野市竜野町日山463
  播磨揖保  中臣印達神社「五十猛神」兵庫県竜野市揖保町中臣字宮ノ下1360

  播磨飾東 白國神社「神吾田津比賣」兵庫県姫路市白国5-15-1 新羅系神社 
中公文庫朝鮮と古代日本文化
 葦原志挙乎命と天日槍命が奪いあったので、奪谷と云う。
  穴禾郡比治里奪谷
 葦原志挙乎命と天日槍命が国を奪い合った時、馬がいなないたので、伊奈加川
と云う。
  穴禾郡柏野里伊奈加川
 伊和大神と天日槍命が国を争い、天日槍命が先に占拠した。「度[はか]らずに先
に・・」と云ったので波加村と云う。 」
http://kamnavi.fc2web.com/ym/hiboko/

859 :鴨禰宜:2005/04/27(水) 18:03:29
楯築の神面石にはラモスのような顔がある。ああ言って顔が醜男、つまり、ちょっとした
シュワルツネガーの時代であり、鬼という風に呼ばれたのではなかろうか。

860 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 20:16:57
>>851,>>856
吉備征伐(温羅の話)は孝霊天皇(または崇神天皇)の時のこと。神武天皇じゃないね。

861 :鴨禰宜:2005/04/27(水) 21:43:03
勝ったほうは鬼の首を取ったような話を残すが、楯築出土の水銀30kgだったか、と
秦の始皇帝にも似たその埋葬形態はその後の古墳時代のものとは桁外れであり、
倭人伝に言う卑弥呼以前に男王があったが国が乱れというのは倭国乱の中心が
投馬国にあり、これが東進して纒向の邪馬台国に移ったと考えてみたい。

862 :鴨禰宜:2005/04/27(水) 22:01:13
このスサノオが紀州で名草戸畔、熊野ではイザナミを征伐し、自己の神社と秦の徐福
伝説をばら撒き、吉野では辰砂を使った呪術を行い、三輪山を占領し、子孫に与え、
銅鐸文化を駆逐して初代王となったといった神話がなかったとは言い切れないよね。

863 :鴨禰宜:2005/04/27(水) 22:09:51
ワカタケルなどの河内王朝の大義名分は征服されたヤマトを吉備から開放し、
新王朝を作るといった独立運動的な思想があったように思われる。

864 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 06:02:51
>>861-863
神武天皇の話をどうぞ。

865 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 07:44:42
河内王朝が豊後、豊前と婚姻関係を結び九州の海人族を駆使できる実力を持ち、三韓
を版図にいれ古墳時代の最盛期を迎えた。このときに、高天原から高千穂の峰に降臨
した天孫、その正統な子孫という光り輝く神武が誕生した。古い邪馬台国は地祇として
葬られ出雲、熊野等に引退を迫られ、スサノオは徹底的に糾弾され九州の天照を最高神
とする国教とも言うべき体制が考案された。こうした政治の流れが闇の4世紀にあったが、
各地の神社、伝承には記紀の裏を物語る大きな真実が隠されているのではないか。
とまー、こういう風に考えています。しかしながら、古代人は邪馬台国時代の実際の歴史
を生かしながら新しい歴史を作っているので神武天皇の話もほとんどは真実であり、
神武の時代、邪馬台国の時代に筑豊方面から大和を含む東瀬戸内海に文化の流れが
あり、神武にも数多くのモデルはいたのではないかとも思うのですが。

866 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 08:43:59
ご参考まで:
「スサノウノ尊の行いがひどかったので神々が天から追放した。このときスサノウノ尊
はその子の五十猛神を率いて、新羅の国に降りた。そこで「この国には私は居たくな
い」と不服を言って、船を作り東に渡り、出雲の国に到った。初め五十猛神が天降た
時に、たくさんの樹の種を持ってきたが、韓地には植えないで大八洲の国の中に播き
増やした。」続・神話に秘められた古代史
http://www14.plala.or.jp/nnakamur/new_page_2.htm

867 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 09:56:41
>>864
 吉備は王権との関わりが多く語られる。
神武天皇 東征中高島宮に三年間滞在(古事記は八年)
崇神天皇 四道将軍
成務天皇 和珥部の比古汝茅に吉備と播磨の国境を定めさせる。
日本武尊 吉備の穴海で悪ぶる神を討伐 吉備武彦が東国遠征に共する 
応神天皇 前述
仁徳天皇 黒日売を追い吉備に御幸
雄略天皇 吉備下道臣前津屋を誅殺 吉備臣小梨新羅救済に派遣さる 新羅討伐の将軍紀小弓に吉備上道釆女大海を賜う
清寧天皇前紀 吉備稚媛の子の星川皇子らの反乱したが焼殺される。吉備上道臣らが救援に向かうが間に合わず引き返す
 これらを見ると河内王朝との深い関わりが感じられる。王権のルーツではないかとすら思えるのである。少なくとも吉備海人は紀州海人と同様に瀬戸内海を牛耳っていたのだろう。紀伊海人や物部氏ですら吉備国には遠慮しているようだ。
 また古墳も河内泉州に匹敵するほどの大きさであり、他国を圧倒している。ただならぬことである。

868 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 10:27:41
貴重なご指摘です。河内の神主なんですか、オオタタネコは自分をスカウトしてくれた
崇神の辺りだけを特に丁寧に描くものだから、あのおばさんが卑弥呼らしいって感じが
しますね。成務、仲哀辺りから腰砕け。実際実験は鎌倉幕府みたいなタケシウチにに
うつり邪馬台国は形骸化していたのかな。

869 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 14:41:08
多分初代王は大国主、引退したかどうかも疑わしい。これを神武にしてしまった。
名前を変えたんですね。ひょっとしてこの人の墓ってホケノ山古墳あたりかなー。
大国主改めのイワレ彦。倭人伝でも女王制になったというんだから、このイワレビコも
邪馬台国の閣僚をやっていたのかもしれない。崇神なんかの先輩。高天原ってのは
モンゴルのクリルタイみたいだったのかな。

870 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 14:53:24
>多分初代王は大国主、引退したかどうかも疑わしい。これを神武にしてしまった。

なんでそんなことがいえるのか論証してくださいよ。


871 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 15:30:52
つまりですね、神武天皇を含む歴史は邪馬台国時代には作られておらず、後世の人
が編集したのですが、日向に国から別府航路のような旅行をして河内に上陸と言う
話のうち、大阪までの部分は点と線。これは現実的には神武とされるような時代には
投馬国という大きなくにがあり、河内のほうはそれほどパワーは無かった。まー、
当時の丸木舟の兵站と言うのは浦賀から金屋に渡るのでも姫を海に投げ込まなければ
ならない程度のものですから、壇ノ浦の戦いのような時代背景には無かった。

872 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 15:36:06
一方奈良県東南から発生した古墳は記紀にほぼ対応するように順調に発展している。
そしてその始まりは纒向であり、そこに新都を建設するには政治的な実態がある必要
がある。つまり神武東遷のような建国神話が無いほうがおかしい。

873 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 15:42:29
しからば、実際のところ纒向を建設したのは誰かと言うと丹後と深いつながりを持つ
尾張、吉備、その他当時の倭国全体が参加している。しかし、箸墓の墳頂部をの
仕上げ儀式を行った政権中枢は吉備であり、箸墓は秦氏の兵主神社に向かい、
この近所が穴師であり、オオナムチ、大大和国魂神社もある。三輪山は大物主、
オオナムチ。

874 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 15:47:18
C14の土器編年から箸墓建設は邪馬台国時代に終了していた。魏使を迎える
場所を纒向をおいて九州に求めると日数的にも合わなくなる。何らかの理由による
方角の間違いがあるが、纒向が邪馬台国、魏からの銅鏡はここで集配したと言う
考古学的発見は動かしがたい。

875 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 15:56:30
オオナムチは出雲、吉備との関係も深くスサノオの子孫であり、初代の大和の
国王としては呼んで名の如しであるというのが私の理論です。雑なので申し訳なし。
ただし、狗奴国の乱などを見るに決して安泰であったとはいえないかもなーって気もし
ているんですが。

それと神武に出てくる金のトビというのはちょっと大国主では真似ができないだろうなと
思うし、久米などとの連係プレーも神武の独自性があり私としては悩ましいところですね。

876 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 18:59:03
第二代天皇カムヌナカワミミ、ヒスイの産地上越の黒川近辺の大王だと思いますが、
この人は初代が大国主であってこそ指名されるのであり、日向出身の名誉天皇では
困るわけです。いろんな人に迷惑がかかるので神武の連れ子、タギシミミ、は殺して
あります。タギシと言うと隼人のことも指すようで隼人の乱などにかこつけたのでしょうか。
大国主がヌナカワミミを必要としたのは鏡、鉄などの決済手段、輸送の際の運賃、通行税
等のための国際決済手段としてヒスイが必要であったからであり、決して大国主の色欲の
ためであったのではないでしょう。例えば魏帝に献上されるのが産業スパイの生口数人で
あったにせよ、その道中で落とす費用は膨大ものであったはずです。弁辰に越御津、
滑御津と読める地名のあることは青銅器の添加合金資源として高山神岡の鉛が輸出
されていた可能性もあると見てエいますが。

877 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:17:11
当時倭国がもっとも必要とした技術は銅鐸を銅鏡に改鋳する際の鋳型製造
技術であったと思う。生部(なしべ)とは青銅精錬部、トシゴリとは十市の鋳型
製造業者という意味ではないか。かれらが生口に託した夢は鏡の国産化であ
ったのかもしれないと思うゆえん。

878 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 01:10:17 ?#
「任那日本府(ミマナのニホンフ)」を最近の教科書は記述していないと言う。不思議なことだ。
歴史は歴史的文献を土台にして事実を書くものであり、高句麗・百済・新羅という古代朝鮮半島諸国
の存在も日本書紀の記述に基づき記載されているのであるが、反日捏造を是とする韓国では任那日本
府は隠蔽されており、日本の教科書でも以前は記述があったのに、最近は記述がなくなっている。
任那日本府に関しては、高句麗の広開土王の業績が書かれている「広開土王碑」にもその記述がある。
現在の中国と北朝鮮の国境近くに存在する高さ6メートルの巨大な石碑が「広開土王碑」である。
要約すると「もともと百済・新羅は高句麗の属民で高句麗に朝貢していた。ところが、倭が辛酉の年
(391年)以来、しばしば海を渡って百済を破り、新羅を(判読不能)し両国を倭の臣民としてし
まった。そこで広開土王は(396年)に自ら水軍を率いて、倭の臣民となった百済を討伐した。」
「大軍をもって新羅城を奪還すると、撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」などと
任那の存在がそこには書かれている。
また中国南北朝時代の「宋書」には倭の五王についての記録がある。讃・珍・斉・興・武の五王であ
る。武は神武天皇ではないかと言われている倭の五王であるが、宋書にはこれら五王の官位・爵位の
記録があり、五王のうち、斉と武には「倭国王」の他に「都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6
国諸軍事」の肩書きがあり、宋書での年代(421〜478年)から見て4世紀から5世紀頃、朝鮮
半島には任那日本府があったことは確実なのだが、ウリナラマンセーの半島史観により隠蔽されてい
るようだ。あったことを隠し、なかったことを宣伝する半島史観など百害あって一利なしなのだ。

879 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 07:49:44
倭人伝によると魏の帯方郡、魏の出先機関だから魏国府にでもあたるんですかね、
これが狗奴国との戦闘につき「サイシウエツ」殻説明を受けているが、この人はしょっ
ゅうでてくるナシメ、トシゴリ、ヤヤコなどの外交官とは違うようで、行政官的に処遇さ
れている感じです。多分、一大卒クラスの行政官ではなかったかと思うのですが、
システム的にこうした人が常駐するものとして今も韓国には倭館と言う地名がありま
すが、大宰府の別館の総督府的なものがあったはずです。もちろん、馬韓月支国とか
土着韓族、北方のワイ族なども夫々の代表部をもっていたでしょうが、倭国の潜在的
鉄需要が大きいので倭国総督府はダントツであったのではないかと思います。当時
朝鮮族は帯方郡の領民として隷属する存在ですから自由は許されていなかったと思わ
れますね。


880 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 07:53:16
この土着の韓族の中には非合法な帯方郡からの逃亡者などがいてアングラ社会であった
ので倭族を含めた異民族が大きな顔ができたのでしょうね。

881 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 08:04:04
当時は対馬あたりでも商業が盛んなようであり、特に鉄のようなものとなると価格決定
上、市場が形成されるはずで、弁辰の弁というのは商売すると言う意味ですから、この辺
が倭国からすればオフショアの市場でもあったのでしょう。

882 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 08:04:36
>>858-880
この板にはテーマごとにいろいろなスレが立っているので、
そうなんでもかんでもブチ込むんじゃなくて
スレごとのテーマに分けて書いたらいかがだろう?

邪馬台国スレ、倭の五王スレ、吉備スレ、高天原スレもあるよ。

883 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 08:12:31
オフショアーというのは倭国全域の国々が個別の出先機関を出し、それらの間においても
貸し借りを含めた取引があったということです。貸し借りについては海彦山彦の話では
釣り針を沢山やり取りしていますが、紛争もあったようです。ラスベガスのカジノのチップ
の貸し借りがもとでの紛争みたいなものであったのでしょうか。

884 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 09:21:07
このスレは神武を最優先で考えるスレ。漏れは初代天皇の問題を考えるスレと
広義に解釈したい。考古学的に倭国が始めて統一されるのは纒向であり、3世紀
初頭である。このときの初代元首は倭人伝では卑弥呼、その前にあった男王は
不評で長続きしなかったって言うんだからこれは吉備、楯築被葬者。神武の代わりに
大国主はと考えたが神様のほうがすっかり定着している。卑弥呼が初代とすると
イスケヨリヒメ、または、モモソヒメということになる。高天原推薦のモホツヒメだったか、
そういう神社も三輪神社の付近にあるが新しいものであろうか、境内には祀られた
形跡は無い。卑弥呼は非常に高齢であったようなので2人もいてはおかしい感じもする。
イスケヨリヒメは摂津の人だから、河内政権のにおいが強い。箸墓」が吉備特殊器台
などで吉備とのつながりが強いことを考えるとモモソヒメが卑弥呼だったのかなーという
感じである。女帝モモソヒメをもって日本国初代天皇とするか。みなさんご意見を。

885 :カモネギ:2005/04/29(金) 10:21:32
カモネギ君、私の意見を言うよ。877には、失笑を禁じえない。
鏡の製造技術が当時の倭国においてもっとも重要なことだ。ハアーーア。
青銅器より、鉄器の製作技術に決まっているじゃないか。鉄器の広い有用性
を考えたことはないのかね、まったく。
鉄器は武器にもなるが農具にもなる。田畑の作物も鉄の農具なら生産力を高く
できる。どうして、鏡なのかい。カモネギ。
倭が渡海して高句麗の広開土王と戦うにしても、鉄の武器が要るだろうが。
それとも、カモネギが最重要霊験あらたかな鏡から、奇跡のレーザービーム
でも使って戦ったというのか。
スレの浪費だよ。内容がないよ。カモネギのスレには。
にもかかわらず、皆さんご意見を、というんだから呆れるよ。

886 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 11:14:56
先生ご指摘の通り鉄器と石器では稲刈りをするにしても沢山の田んぼでは
何十倍もの差が出ることはわかります。鉄器を使えば石像、石棺、神社、住宅
等の製造時間何十倍も短縮され、立派なものができるでしょう。しかし、それは
鉄器が十分に簡単に手に入るかどうかということであって、鉄の製造技術のない
時代では非常に難しい。鉄が潤沢に出回るのは多分こんな時代が終わってのこ
とだと思います。逆説的に言えば、鉄が使えることで神社、お寺、などができ古墳
のようなわずらわしいものは必要がなくなったのと違いますか。

887 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 11:21:13
一方鏡と言うものは現在でも会社などでサラリーマン、学校などでは先生
にお給料、出世する際の雇用者側が与える飴玉、勲章のようなもの。これが
欲しいために首長に従い、首長は大王に従います。これをシステムと言いま
すが、このシステムがあってこそ国家があるわけです。鏡つくりとは大蔵省
(財務省)造幣局です。これが銅鐸の祭りに変わったら国は下の木阿弥にな
ります。

888 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 11:29:15
このシステムは経験者でないとつくれない。これを豊前から大和に持ち込んだのは
秦系の集団であり、出雲とはいささか対立するものであった。ここに天孫と地祇の
差があるのだと思うのです。そして天孫の源流は前原、平原遺跡の大型の内行
花文鏡であり、天照を含む日本神話の原点は「おのご」島の付近にあるというのが
私の持論です。

889 :カモネギ:2005/04/29(金) 11:38:48
カモネギ、奥野正雄氏の鉄の古代史と川越哲志氏の鉄器総覧の鉄器出土の
史料くらい読んでいるのか。
わかったようなことをいいたのなら、まずは、基礎的なことを学べ。
ここは、学問スレなのだからな。鉄器の出土数量も知らずに、安易安直な
反論反問は、カモネギ自身を自ら貶めることに、早く気づくべし。


890 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 11:55:07
奥野さんの↓
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page019.html
ここにある熊本が阿蘇の石棺の製造に使われたのではと読んでいた。
健磐竜だったかな。それと、大分の分が纒向地方に向かう前の秦氏の
実勢と見ている。

891 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 11:57:54
漏れはこの後沖ノ島航路の開発で山陰、丹後向けの直送時代に入ると見るんだがね。

892 :カモネギ:2005/04/29(金) 12:08:31
カモネギ。カモネギの話はいつもいつも要領を得ていないなー。
身内や他人からも、きっと、そういわれたこと、アルダロ。
ナニガ、見ている、見るんだがね、ダ。

893 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 12:14:47
きびしいなー。丹後の考古学調査が進行中で何が出てくるか予断が許せないんだ。
でも福永なんかの本では相当鉄が多い感じだね。

894 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 12:42:40
九州神話の大和朝廷への取り込みは河内王朝と漏れがいったが、すると崇神が何故
天照の鏡を持っていたのだ(これは仲哀が伊都県主から受け取ると言う話もあるが)
皇女トヨスキイリヒメにをれを祭らしたのはうそと言うのかということになる。崇神と
おばの関係はよそよそしい。崇神は丹後との姻戚関係がある。一方鏡は紀州から
入ってきている。紀州は葛城、葛城は丹後と関係がある。そうすると神武の国見とか
柏原の即位とか言うのは崇神の記事からのカットアンドペーストか。皆さんどう思われ
ますか。




895 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 13:11:22
モモソヒメが箸でホトヲさして死んだと言う伝承だが、箸は聖徳太子の時代に
実用が始まるのでこれは「橋」なたは「土師」、ホトタタライズズ姫等と言う神名
もあるのだから古代には女性性器の意味はとは別の意味があったと考えたくなる。
フツの御霊とは石上神社に祭られるから鉄剣のような感じであるので、鏡辺りでは
ないかと思う。平原遺跡でも鏡が割られているので、モモソヒメが箸でホトヲさして
死んだと言うのは、モモソヒメが崩御し、その埋葬儀礼において、古墳の中央の橋
の部分で鏡を割る儀式が行われたという原伝承があったと仮定したい。もしこんな
儀式が行われたとしたら岩戸神社で再生儀式もあったことであろうし、鏡つくりが
同はん鏡の製作も行い、崇神はこれを持たされていたのかもしれない。


896 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 13:32:33
2倍暦は、なかったでいいのかな?

897 :カモネギ:2005/04/29(金) 13:42:30
カモネギ君を誰も相手にしてくれないで、寂しい思いをしているだろうから、あえて
みかねて、つきあってあげるよ。そもそも、アマテラスを本気で信じている訳ではな
いだろう。神武だって同じだろ。崇神以降が実在の大君といくらかの関係が認められる
ていうところまでは、異存ないんだろうな。そこでだ、そこで、このスレの意義が
出て来るんだよ。つまり、神武は大和政権が成立するはるか以前に居て、東征したと
神話伝説が天武天皇のご意向に一番かなうからだ。それも、西から九州から東征とたと
するのが最適だったのさ。その理由を尋ねたいんだろ。答えてやるよ。
卑弥呼の邪馬台国は魏の帯方郡庁の属国統治にあったことは、もはや通説だよな。
だからこそ、卑弥呼邪馬台国の九州に天孫降臨は必然よ。カモネギ、知ってるか。
天津神で最初に天孫降臨して国津神なった神を。知ってるだろな。ここはカモネギの
専門スレだもんな。宗像三姫神だ。大和政権の記紀からすれば、半島の鉄器搬入の
重要地点だよ。関門海峡にも近い。宗像姫神はアマテラスの娘になるよな。それが
鉄器搬入ルート要衝地に天下っている。もう、わかるだろ。記紀編纂の目的の一は
卑弥呼と親魏倭王の記憶を消すためよ。そうでなければ、卑弥呼がアマテラスとして
でなく卑弥呼として大和に祀られてしかるべきだろ。神武もアマテルと本質は一緒。



898 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 15:36:09
>>884
呆れたやつだな。ひとりで連投しまくって「みなさんご意見を」もあったもんじゃないだろ。

通常オマエみたいのは荒らしというわけなんだが。

899 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 18:18:19
スマソ、連発が始まったらブレーキかけてくれ。またな。

900 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 18:20:17
>>897 学問的だな。また教えてください。

901 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 18:29:54
>>897 記紀編纂に外交上の配慮が無いとはいえないだろうな。漏れは遣唐使なんかに
持たした可能性もあると思ってる。

902 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 18:36:06
倭王武、ワカタケル辺りは相当立派な三韓征伐の歴史が必要だっただろうね。
馬韓は前方後円墳とすべし・・・なんて勅令を出したのかな。

903 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 18:40:31
つーか、朝貢を命じ、鏡を支給、倭風の葬礼を命じたというところか。

904 :狭野:2005/04/29(金) 18:59:07
>>902
> 倭王武、ワカタケル辺りは相当立派な三韓征伐の歴史が必要だっただろうね。
なんて言いながら、
> 馬韓は前方後円墳とすべし・・・なんて勅令を出したのかな。
>>903
> つーか、朝貢を命じ、鏡を支給、倭風の葬礼を命じたというところか。
ってことは事実と認めるってことでは?


905 :カモネギ:2005/04/29(金) 19:07:35
カモネギ、諦めがわるいなー。勉強して出直せ。
当分は、カモネギの名前は使うな。馬鹿にされるだけだ。
カモネギのためを思って忠告しとく。せめて、名無しで行け。

906 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 19:52:39
ワカタケル三韓支配は中国も認めることだからこれは事実。馬韓地方の前方後円墳は
流行だったのかなー。ワカタケルが神功 の三韓征伐を作ったのかどうかはわからない。
だが日本人の場合、中韓と違うところは歴史の捏造はしないというところであり、脚色した
にせよ何らかの史実に基づくものだろう。

907 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 19:57:10
例えば神武にしても多少考古学的時系列とは外れるが、地理的にはちゃんと話が
通っている。ただ、メドレーじゃないかなと思うけどね。

908 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:01:11
>だが日本人の場合、中韓と違うところは歴史の捏造はしないというところであり

おいおい、国定教科書をしらんのかw?

909 :狭野:2005/04/29(金) 22:07:21
>>908
国定教科書は捏造などしていない。
戦後の教科書は扶桑社以外は捏造しまくりだが。

910 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 22:23:45
話変えましょう。
神武の話で抜けている肝心な点は鏡(後はどうでもいい)であり、これは神代の方に
入っているのだが逆に地理的には神武のようにはっきりしない。纒向を首都とする
に国ができたのなら鏡がなくてはおかしい。卑弥呼が鏡なしに即位したとするなら
厳密に言えば無効で、悪く言えば謀反の罪に当たる。しかし崇神はちゃんとかが鏡
を持っている。神武が岡港で鏡を貰おうとして失敗したのならこれは卑弥呼と同様だ。
この辺で色々悩んでいるわけですなー。


911 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:26:50
>>909
おいおい、それじゃ、ただのバカウヨだぞ

912 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:33:18
神武の話を事実の反映とする説って結局九州王朝説になるのかい?

913 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 22:42:13
漏れは神武が鏡を持っていないはずはないと考えた。八咫烏と言うのがおかしい。
そんなカラスがいるはずは無い。これはタケツヌ身と言う人間であると言う。これもおか
しい。タケツヌミが八咫鏡をもって神武部隊を先導して初めて意味がある。カラスは太陽
八咫鏡は太陽神天照のシンボルである。この辺が神武の話の合点のいかないところ。
初瀬川の出雲の付近、いなさ、での戦闘というのは相手が大国主軍であることが分かる。
ナガスネヒコ、ウマシマジなんていうのはなんだかくさい。

914 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 00:12:41
神功皇后の朝鮮討伐ももっと見なおされていい。

現に中国や朝鮮側の資料でも日本が朝鮮を支配していたことが明記されてるんだから、彼女の朝鮮討伐も事実だった可能性が高い。

3か国の歴史資料が一致するのにこれを全部捏造とするのは学問的態度とはいえない。

具体的な歴史資料を見るとまず中国では「宋書倭国伝」で倭国王を「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王」としており、明確に日本が朝鮮を支配していることを認めている。

朝鮮側の資料でも「好太王の碑文」で「倭が百済や新羅を破り支配した」と明記している。

日本側の資料でも「古事記」や「日本書紀」で神功皇后が百済、新羅、高句麗を破ったことが記されている。

それぞれ異なった人物によって書かれた歴史資料に同じ捏造や誤記があるとは考えられない。

もし、神功皇后の朝鮮討伐を捏造とするなら「好太王の碑文」に「高句麗が倭を破った」とあるのも捏造と考えるべきではないか。

高句麗としては「自分は負けけてない」といいたいだろうから、本当は負けていても「勝った」と書いた可能性がある。

同じく「宋書倭国伝」でも中国としては朝鮮は自分のものという意識があるから日本が百済や高句麗を支配していても意図的にそれを記載しなかった可能性がある。


915 :狭野:2005/04/30(土) 01:05:52
>>911
そう感じること自体、戦後教育に犯されている証拠。
国定教科書は別に新しいことは言ってないからそもそも「捏造」ができるわけがない。
また記紀の正しさは近年どんどん証明されつつある。

916 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 04:09:58
鴨禰宜さんはすぐ朝鮮と神武をむすびつける。神武は宮崎県人。
筑紫の橘の小門のアマテラスの筑紫神話と、 海サチ山サチの隼人神話、
ウガヤフキアエズの日向神話。神武天皇はどうみたって、北九州の和国人
じゃないし、熊襲でもない。ましてや新羅の王子には見えない。中国文化
の少ない辺境の人間だ。古事記見れば


917 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 04:20:53
鏡は船のへさきにつけてももっていけた。神武は倭国の王族の血と阿多隼人の血と
両方もっていたのか。
神武の従者の大伴氏は倭国人系の移住氏族、久米氏は隼人系の移住氏族なのか。

918 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 04:34:03
トヨタマヒメは漢の倭奴国王の志賀島の安曇氏と関係アル神。
天孫降臨の神話のヒテイ地は福岡の高祖山と宮崎北西の高千穂と桐島山の
3箇所。神武の出生ヒテイ地は延岡方面の佐野と小林方面の佐野。
塩ヒルタマの神話では隼人の先祖が兄。神武の妻の阿多氏は日向国内の阿多
か鹿児島の阿多かはっきりしない。

919 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 04:47:49
高祖山、志賀島は筑紫和国中枢。銅剣と鏡愛好の地。玉は出雲や越が本場だ
が、列島住民全体の神宝。
出雲大社上官神主トミ氏の伝承では「勢力回復した我々は長門で神武軍と
戦った」とある。和国大乱の難民つれた神武は、長門の土豪と出雲の援軍に
攻められたのか。脱九州難民の盗みに手を焼いていた土豪の八つ当たりで。
また、安芸では「神武は何年かそこに住み地元民のために盗賊退治した」
という伝承がある。

920 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 06:48:39
歴史って思想でも宗教でも無くて、「調査・分析・検証」が全てだと思う。
だから、「調査・分析・検証」されているものについては「正史」としていいけど、
「調査・分析・検証」が未完であるものは「〜との説もあるが、未検証である」とすべき。
(未検証であるものを検証済であるかのようにとらえて賛美したり批判したりするのは問題外だし、
無知を曝け出している様なもの。)

現在2chで議論されているものは、「調査・分析・検証」が未完であるものが大半だと思うから、
まず「〜との説もあるが、未検証である」との前提を共有したうえで、
各々の「調査・分析」結果を提示して「相互検証」するプロセスを経ないと信頼に値する結論は出ない。

ただ、ここで問題になる事は、各々が「調査・分析」する対象の情報ソースに漏れが生じる
(又は、自説を裏付けるソースばかりを探して自説に不利となるソースを無視する)可能性が高く、
不充分な「調査・分析」結果に基づき、誤った「検証結果」を導き出しかねない事である。

不特定多数の匿名書き込みを許可している2chでは、この問題点による弊害が顕著である。

921 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 07:58:31
ウガヤ・フキアエズのウガヤと上伽耶または、五伽耶、大伽耶、フキアエズ
と吹上、津、つまり、気圧配置が好転し、雲の吹き上がるのを待って出向する
港、こうしたものを結びつけて、ウガヤ・フキアエズには金海、すなわち、対馬との
最短距離にある釜山付近の港の総督府長官程度の官職かなとは考えてみたこと
はあるが、ウガヤ・フキアエズの子供が日向と言うのは厳しいと思っていた。
他方、日田のほうに吹上という地名が残っており、大型鉄鏡も出土するのでこの辺が
旧伊都国・奴国政権が何らかの事情で外敵から逃れ、臨時政庁としていたのかな
とも考えてみた。すなはち、オオシ・ホ(全九州)ミミ(王)、すなわち、倭国王の聖都
である。倭国乱時代にはこのオオシ・ホをオシオなどとなまって付ける国々が続出し、
物部系図などにも入った。とまー、旧九州王国の末日の模様をイメージしてみたことは
あるものの神武が韓国からとはの考えは到底思いつかない。スサノオが北方から韓国
を経由して南下する際に植物の苗等を持ってきたが、韓国には住みたくないので与えずに
日本に持ち込んだと言う話があったり、扶与、百済、高句麗だ最終的には韓国にとどまら
ず皆日本に逃げ込んだと言う歴史的事実は、弥生時代の日本はどちらかと言えば
韓国より満州に近い感じであったのではないかと思う。

922 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 08:18:58
上田正昭、日本の神話を考えるでは高句麗の日本亡命の頃その始祖スーム
の話からジンムを作ったのではというのがあるが、平壌の高句麗遺跡の壁画
をNHKが放映したのを見てのの文化の高さには目を見張った。あれだけの文化
人が流入してくると国史編にも影響を与えたのかもと考えられる。。

923 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 08:25:04
漏れは現在の北朝鮮、韓国人はワイ人などの子孫で、高句麗とは特に支配層の血は
逆に日本人の血の中にしか、残っていないじゃないかと思う。

924 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 10:06:15
>>912
そんなわけあるはずないだろ。

>>922
ただし、鄒牟(すうむ)も実在じゃなくて神話上の存在だけど。

925 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 10:36:42
夢のまた夢か。さて、これでは話が進まないので、長ったらしいウガヤフキアエズ、
その先祖とくに途中で割り込むニニギ、更にはニギハヤヒこの辺が東遷したことも
検討の余地がある。出雲、吉備、播磨方面への東遷はということなしに大和に突然
東遷はおかしい。スサノオの追放ということで大体のことは分かるが、楯築の莫大な
水銀朱(丹)の集積はニ・ニギ(丹を使うシャーマン)を彷彿」させ、また、神武が吉野
で見せる丹を使う呪術を想起さす。ニギ(シャーマン)・ハヤヒ(佐賀、長崎、熊本)という
のは阿蘇、竹野などの地名と共に丹後に来て、天のホアカリ、天の香具山となり、
吉野ヶ里、甘木・朝倉で出土する鏡が沖津鏡/辺津鏡として丹後に祭られることは
安曇海人族の介在による文化伝播があったことを物語るようだ。で、ウガヤフキアエズ
と言うのは瀬戸内海、近畿の朝鮮式積石式古墳の出現と関連がないのかということが
気になる。



926 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 10:47:54
いずれにせよ正統な天照の子孫の血筋は結局は九州を出ることはなく、渡来系の
秦・北方民族(出雲)などの流動的な分子が中国地方の南岸(秦)・北岸(出雲)を
東進し、奈良盆地あたりで合流する時点で天孫・地祇の対立に発展したのではないか
ということが考えられる。両勢力共に鏡を持ってきていなかったが(神武と長髄の手の内
オープンの際に分かる)、天孫側が急遽豊後香春山近辺殻取り寄せたのではなかろうか。

927 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 10:59:32
欠史八代では神武の後は越、地元、尾張、吉備などの政権になるようで、渡来系は
播磨、吉野、出雲などに封じもめられたような感じだが。

928 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 12:05:31
>>912 >>916
ヤイミミ、ヤマイ、八女こうしたものとか熊本から延岡方面に突破していく
考古学的遺跡の進出、四国南西部への銅剣銅矛文化の影響、他方韓国を見ると
馬韓、狗邪韓国(現代韓国語でくそと言うのは隅という意味だから半島の隅、日本語
で言えば大隈のようなものか)、この辺は支石墓、甕棺時代からつながりがあり、
後世磐井、島津、薩摩などが遠心的な動きを示したように素地があるが、それは
甕棺、支石墓それらの背後にある鳥(鳥が支石墳、甕棺が卵)の文化があるようで、
神武、モモソヒメの鳶の起源、中国鳥夷文化の流れかとも思われる。こうした勢力に
皇統図のポストを残す政治的配慮が必要な局面は十分にあったのではないだろうか
と思う。国が不安定になるとそれこそ古田さんの言うように日本代表として中国と
交渉していたのかもしれない。

929 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:35:54
古田は電波

930 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 13:32:46
津田のほうがよっぽど電波

931 :カモネギ:2005/04/30(土) 14:15:08
カモネギも進歩がないなーあ。
かと思う
と考えられる
じゃないかと思う
と気になる
ではなかろうか
感じだが
かもしれない
以上すべて直近のカモネギのスレの語尾だ。このスレの住人カイソウニと
同情するよ。記紀とはそんなもんだ。カモネギ。

932 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 17:25:28
つうか、2chの利点でもあり、欠点でもあるってことね。

933 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 18:42:42

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm

934 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 20:34:46
3世紀以前の日本から馬の骨は出土しない、だから、日本には3世紀以前に馬は
いなかったと言う主張は間違いだ。日本の全土が発掘されることは先ずないからだ。
3世紀の中国語は中国で出版される中古音の辞書の通りだと断言するのは間違いだ。
中国の辞書が世界的に検証されるはずがないことと、一切は推定であって断定は
できないからだ。漢籍は全て真実だと言うのも誰も立証できないことだから無意味だ。
この馬鹿な漏れでもこの程度の断言はできるぜ。史書の事実をあげつらっても始まら
ない。史書の個々の矛盾を解きほぐしているうちに新しい仮説が展開できる子脳性は
あると思う。

935 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 20:49:07
中国の人で日本人のお葬式にでてお経を聞いたら全部分かった
と言う人がいた。お経の読み方は古代中国語の発音に忠実らしい。

936 :金友仁正いろいろ:2005/04/30(土) 20:54:58
すべては中国。

937 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 21:03:04
記紀神代のことも例えば岩戸神事についてはプロジューサがオモイカネであると
ちゃんと書いてある。伊勢の天照にまでちゃんとオモイカネ、天照の作家と言う意味
だと思うんだが、が出ている。登録商品名であり、オモイカネに知的財産所有権がある
ような感じだ。日本人と言うのはこんな民族だ。嘘がつけるわけがない。

938 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 21:06:56
つまり、記紀と言うのは週間大衆、週刊現代に近く、聖教新聞的な整然としたところが
ない。しかし、情報の確度からするとこれほど高いものはないと思うんだ。

939 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 21:22:08
漏れはこのオモイカネにシステム工学、つまり、番地の長城のような大物インフラ、
都市計画等の秦氏のインテリ階級を感じている。多分彼の活躍したのは香春山
その後は纒向でなかっただろうか。彼ならコンピュータソフト程度は難なくできた
はずだ。

940 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 21:52:30
>>932
おまえみたいな空気よめない荒らし同然の奴が2chの利点・欠点について語るとは笑止。

941 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:17:11
記紀は捏造の宝庫w

942 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 22:24:48
空気読むのは大事だね。ゲームが好きだとか色々あると思うんだ。
その感覚でこのスレに関連することを何か頼むぜ。

943 :鴨禰宜:2005/04/30(土) 22:46:36
人間というのは自分が悪意あるカキコすると同時に自分の一生消えない心にもその
悪意が残るし、また、その反対も真実なんだ。どちらを選ぶかは人の自由なんだ。

944 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 23:50:52
ともかく連投をやめたまえ
レスがつくまで投稿は控えなさい
スルーされたら「お呼びでなかった」と思い知るべし

それが最低限のマナーですよ

945 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 05:58:32
なんと賀茂神社24代に鴨社禰宜がおられた↓
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_kamo.html
一字違いとはいえこのハンドル、ニアミスだったんだなー。神国はうかつになると神罰。
またぞろ、道祖神。

946 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 06:07:16
松平も葵のご紋を勝手に使うから「そのとき動いた」という遅い番組をやらされているのか。
あなおそろしや。

947 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 06:47:08
>>945
>>946
ともかく連投をやめたまえ
レスがつくまで投稿は控えなさい
スルーされたら「お呼びでなかった」と思い知るべし

それが最低限のマナーですよ

948 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 07:40:33
漏れが連投にならないよう合いの手を入れてくれたんだね。感激のあまり絶句。

949 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 07:54:41
>>940-943
自分が迷惑かけてることにはまったく無自覚なくせに
見かねて口を出せば悪意にとる。
こういうタイプはたまにいるよな。嫌われ者で友だちもいないだろう。

950 :タイムマシンで見てきた:2005/05/01(日) 07:57:59
神武大王なんて居なかったよ

951 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 08:11:44
偽悪的だなー。確かにでしゃばりは敬遠されるのは事実だね。さて、神武大王、
倭人伝では初代王は卑弥呼だとしている。ただ、伊都国の一大卒の権限が
異常に大きかったようで、権限から見るとこの人って大王クラスじゃないの?
ただし鏡などは纒向辺りに集中しているから首都は纒向だろうが。鏡が多くても
戦闘能力があったとはいえないよなー。

952 :南関東・東海・東関西だけが中央大都市圏:2005/05/01(日) 10:44:41
日本神話の冒涜したがる ってたこやきか朝鮮か西関西の人間?

953 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 11:16:07
このスレは初代天皇問題を神話扱いにして日本の歴史をがたがたにするような
古代史ではなく、初代天皇から始まる天皇制を明確にして、諸外国にも納得の
行く形にする古代史研究を望んでいるものであると解釈。神武天皇については
古事記も神の面があると」いっているように複雑なところがある。やはり女王共立
であったのかもしれない。漏れとしてはそれならそれでずばり教科書に書きたい
んだね。万世一系とか高望みはしたくないが古墳がちゃんとあるんだからあれだけの
天皇、皇族がいてもおかしくない。記紀のほうがちょっと抜けてるんじゃない?
この辺がはっきりしないと日本人はカルト集団じゃないかなんて思われると思うんだ。
小泉さんの靖国に内政干渉するなんて国はけしからんが、小泉さんも漏れぐらい
潔癖なところがあればなーとおもう。漏れなら靖国の分社を首相官邸に建てるけどね。

954 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 14:14:34
倭≠日本


卑弥呼=倭人

神武=日本人

955 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 14:58:19
日本人はかつて神として天を支配していた。やがて高天原へと下り地上も支配することになった。これが日本人のルーツである。

アフリカの猿を起源とする朝鮮人や中国人とは全く格が違うのである。


956 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:13:05
なお、天はアマと読み、アマの中心地は対馬であり、高天原は壱岐にある。
このアマ族の起源は、アフリカで直立歩行を始めた猿である。

957 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:13:16
バカか?

958 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:21:20
【あま】
海人
海女


亜麻

959 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:55:36
神無天皇だから、当然無い。

960 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 17:20:01
ご参考までですが↓
http://www9.plala.or.jp/juraku/bsoki1_1.html#bs1
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/index.htm
われわれ日本人はこのように夢の多い歴史を楽しむことができ、歴史の勉強
をされる方は自説を発表することで有名人になれるんですから、結構なことでは
ありませんか。中国とか、韓国、その他の国も早くこうなって貰いたいものです。

961 ::2005/05/01(日) 18:19:09
>>956
高天原は壱岐とは言いがたい。記紀には壱岐島等の国生み前に高天原の記述がある。
従って、両者は別物であると観るべきである。
>>959
神武天皇であって神無天皇では無い。だから当然無いという主張は勝手な理屈であり
承服できない。

962 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 18:33:32
高天原は壱岐にあるが壱岐そのものじゃないだろう。
原の辻だと思うが。

963 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 19:23:37
姓は阿毎【あま】

「開皇二十年、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、阿輩弥と号(な)づく。
使いを遣わして闕(けつ)に詣(いた)る。上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。
使者言う、倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。
天未(いま)だ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く跏趺(かふ)して座す。
日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと。
高祖曰く、此れ大いに義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。





964 :唐書卷二百二十 列傳第一百四十五 東夷 日本:2005/05/01(日) 20:04:42
 日本,古倭奴也。去京師萬四千里,直新羅東南,在海中,島而居,東西五月行,南北三月行。

國無城郛,聯木為柵落,以草茨屋。左右小島五十餘,皆自名國,而臣附之。置本率一人,檢察諸部。

其俗多女少男,有文字,尚浮屠法。其官十有二等。

其王姓阿毎氏,自言初主號天御中主,至彦瀲,凡三十二世,皆以「尊」為號,居筑紫城。

彦瀲子神武立,更以「天皇」為號,徙治大和州。

次曰綏靖,次安寧,次懿コ,次孝昭,次天安,次孝靈,次孝元,次開化,次崇神,
次垂仁,次景行,次成務,次仲哀。
仲哀死,以開化曾孫女神功為王。

次應神,次仁コ,次履中,次反正,次允恭,次安康,次雄略,次清寧,次顯宗,次仁賢,
次武烈,次繼體,次安閑,次宣化,次欽明。
欽明之十一年,直梁承聖元年。次海達。

次用明,亦曰目多利思比孤,直隋開皇末,始與中國通。
次崇峻。崇峻死,欽明之孫女雄古〔一〕立。

次舒明,次皇極。其俗椎髻,無冠帶,跣以行,幅巾蔽後,貴者冒錦;婦人衣純色裙,
長腰襦,結髮于後。至煬帝,賜其民錦線冠,飾以金玉,文布為衣,左右佩銀?,長八寸,以多少明貴賤。

965 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:11:57
九州王朝は32代続いたのか?

966 ::2005/05/01(日) 20:19:27
恐らく、倭五王は別としてそのくらいだと考えますが?35代あたりかな?
極小解釈として32の半分くらいだったのではないかな?とも考察し、
余の頭中には二通りの考えがめぐっています。

967 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:29:41

■神話は盗まれたよ派
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html

■「日出ずる処の天子」はやっぱり九州王朝だよ派
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/zuisho.htm

968 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 07:23:44
滋賀はいらん

969 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 12:22:08
2倍暦は捏造

970 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:59:43
古代から暦上でに1年(歳)が、今の1年と変わっていないと断定しちゃった奴は池沼。
倍暦を用いて解ける謎は無数。

971 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:36:58
2倍暦で整合性を持って解けた謎はない

972 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:37:59
次は通算でPart4?

973 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 17:09:25
だいたい二倍暦使ってたのは倭人側の話で、日本人はそうじゃないだろ

だから二倍暦じゃ話が合わない


それと『日本の苗字7000傑』のサイトにも在った話だけどさぁ、

兄弟を親子関係に置き換える手法の話があったけどさぁ

その為に、寿命や在位が二倍暦じゃ合わなくなったんじゃねぇーの?

974 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 23:51:18
>>973

すべては>>808-809にかかれているってことだよ。

975 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 03:19:19
かもねぎ君は朝鮮民族かい

976 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 05:46:22
朝鮮の話が出ましたね。朝鮮語と日本語は基本的にアルタイ語族の膠着文法、テオニハ、
的なものをとどめるが、極めて似ているのは文法に社会的身分関係を内蔵していること
ですね。こうした文法は背景に儒教などの文化的基層を想定しないと成立が考えられない。
日本国内で考えてみると、方言レベルではこうした文法は十分に発揮できず、都言葉の
ような洗練された環境で生きてくる。そしてどうも京都あたり、あるいは、東京だと山の手族
が誕生して生まれるのであり、フーテンの寅さんとは縁がない。

977 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 06:00:11
漏れの考えだがこうした言語の成立するのは楽浪・帯方における漢族による東夷
の教育、すなわち、王化の所産ではないかと思うのだ。日本で大分県は教育県と
言われるほど、教育が盛んなところだが、ここは歴史的に秦氏を初めとする渡来系
の痕跡が残る。北部九州、北四国にはr(n)-d/tの韓国語によく似た相互変換とか
リエゾンが見られる。こうしたことは楽浪・帯方、すなわち、満州、朝鮮半島西岸を
南下する東夷集団、典型的なものに高句麗などがあるが、彼らは漢の時代に始まる
中国の身分制度的社会ルールとか、韓国的な子音変換ルールを躾として身につけた
のではないかと考える。

978 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 06:11:52
もしこの仮定が立証されるのであれば印欧語の伝播においても何らかの共通神話的
なものがあったのではないかと思うのであるが、大事なことは、現在キリスト教の習俗に
習合されてしまっている礼拝、サンデースクール的なものが存在したのではないかと
みているが、これは、米国系の騎馬民族遺跡発掘隊によるボルガ河方面における
アーリア系遺跡の発掘報告で今から4000年ほど前の社会構造が伺えるのであるが
いわゆる後世のブラーマン階級と不可触選民的シャーマン、すなわち、ダリウスなどが
消耗品として占いなどに使用するマギ(魔術者)等が出てくる。この特権階級の集落は
発掘されず、マギ的集団の井戸が発掘されているのだが、犬を骨ごと叩き潰して食べた
らしい。

979 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 06:25:20
大きく脱線したので話を神武に戻すと、神武の大きな特徴は鳶とか、鴨、烏、鴫など
にあるようだ。これは日向ではなく近畿、中国、中部近辺に広がる鳥形木製品の葬送
儀礼、ヤマトトトビモモソヒメに出てくくるトトビなどに関係があるんじゃないかと最近は
この線での検討の必要性を感じている。ヤマトタケル、スクナヒコナの白鳥なども鳥が
絡んでいる。天皇家ではいまだに鳥類研究所、鴨猟との縁が深い。

980 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 06:31:36
漏れも朝鮮語は勉強したが、基本的な語彙が似ているとは考えられない。縄文人、
朝鮮人というのは非常に古い時代から隣接はしていたが共存関係にあったんじゃ
ないの。

981 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 12:06:57
2倍暦が語れなくなったら、一段と狂ってきたな

982 :カモネギ:2005/05/03(火) 12:31:03
朝鮮半島西岸を高句麗が楽浪郡を南下しただと、まだ相も変わらずそんなこと
言っているのか。
346年、百済に近肖古王立つ
371年、百済、高句麗の平壌城を囲む。
そしてその年、高句麗王の故国原王は戦死している。
いいかげんなことを言うな。
高句麗の南下はもっともっとずっとずっと後だ。反論してみろ。

983 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 12:32:47
歴史歪曲のカモネギは生粋の百済差別

984 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 13:22:26
高句麗も、百済も皆日本に亡命して帰化してしまった。日本人としかいえないじゃないか。
昨日の敵は今日の自分たちだ。逆に、現地に残ったのは偏差値の低いのばかりと違うか。

985 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 13:34:20
血統なんてものは今の世の中で糞の価値もない。ソフトバンクの孫さんだって
チョンだけど日本人よりは金を持っている。つまり、この点ではえらいんだ。
人生それでいいんだよ。いけないのは、日本人が中国や韓国で絶対孫さん
のようにはなれないこと。しかし、これは先進国の宿命だ。彼らもいつかは分かる。

986 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 13:50:10
日本で食い詰めたウスノロのカスが半島へ渡り朝鮮人となった。

つまり古来より朝鮮は日本の一地方であった。

したがって朝鮮人のDNAが日本人と同じなのは当然であり、もともと日本の領土なんだから日本が朝鮮を併合しようが、支配しようがなんの問題もない。

朝鮮は日本に支配されて当然なのである。

同じく日本で食い詰めた別のウスノロの集団が大陸へ渡り中国人になった。

つまり古来より中国は日本の一地方であった。

したがって中国人のDNAが日本人と同じなのは当然であり、もともと日本の領土なんだから日本が中国を支配してもなんの問題もない。

中国は日本に支配されて当然なのである。


987 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 14:07:45
韓国経済は日本企業によって支配されている。これは古代朝鮮を日本が支配していたのとなんら変わらない。

何千年たっても朝鮮は日本に支配される運命にあるのである。

988 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 16:08:43
神武は宮崎県人だ。和国人じゃない隼人でもない。大王ではない。土豪の子。

989 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:38:12
>>986
>>987
くだらん

990 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:02:15
お願いだから連投はよしてくれ。マナーを守ってくれ。

991 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:09:50
2倍暦抜きでは語れない神武

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