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【古墳から】畿内王権生成史の謎を解く【律令へ】2

1 :日本@名無史さん:05/02/02 22:11:46
2世紀末から3世紀初頭にかけ畿内に誕生した古代王権 。
この王権から律令国家=大和朝廷へ推移していく生成過程の解明は、
最新の発掘成果をどう解釈し、組み立て肉付けしていくかに
かかっています。

この王権を成立させた勢力の主体はどこなのか?
西日本全体の姿はどうだったのか?
連合形成の理由と契機は何か?
果たしてそのまま大和朝廷になったのか?
それとも権力の断絶があったのか?
考古学成果が物語るものは何か?
願わくば根拠を明記してマターリと議論ましょう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。

前スレ【邪馬台国】畿内王権の謎を解く【畿内説専用】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104419393/l50
前々スレ ◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART15
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1103469956/l50



2 :日本@名無史さん:05/02/02 22:13:14
過去スレ
PART14 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1101872567/
PART13 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1100065905/
PART12 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1097632577/
PART11 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1096179195/
PART10 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1095042260/
PART 9 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1092815302/
PART 8 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1091455684/
(ただし、スレッド名間違いでPART7となっているので注意。本PART7は以下参照。)
PART 7 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1090293717/
PART 6 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1088171034/
PART 5 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083108954/
PART 4 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1078618831/
PART 3 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1077874356/
PART 2 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1076418632/
PART 1 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1045719732/

3 :日本@名無史さん:05/02/02 22:22:05
関連スレ
(単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ)
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

(初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ)
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

(主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ)
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50

4 :日本@名無史さん:05/02/02 22:29:26
スレ立てにトライしたら成功しました。
前スレの941さん、推敲ありがとうございます。

ちなみに現在の流れは
畿内王権自生説と他地区干渉説が激論を交わしています。
非常に高度な議論を展開されていますので
この流れをぜひ大切にしましょう。

5 :前々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/02 22:51:03
参加者の皆さんにお願いなのですが
成立に他の地区(吉備など)が影響を与えたとの説については
寺澤薫氏、柳田康雄氏、村上恭通氏の著作等が紹介されていますが
自生説論者で参考になりそうなものがありましたら紹介してください。
今のところ石野博信氏、白石太一郎氏ぐらいしか思い浮かびませんので。。。
なお現在発売中の「季刊考古学第70号」の「特集:前方後円墳を見直す」はずいぶん参考になりました。

それと1〜4は俺でつ、コテ入れ損ねました。。。

6 :日本@名無史さん:05/02/02 23:31:50
>あと権力の(国家のといってもよい)の成立については、
>そのようなマルクス主義的発想ももちろん有力ですが、
>それだけじゃないこともまた人類学などでは論じつくされているのです。

先生、よくわからないので詳しく教えて下さい。

>特に日本列島のような2次的国家では>>955のような説明だけでははなはだ疑問。
>具体考古資料に基づいて、どうして畿内大和に中心的な王権ができたかを説明するのに、
>そのような一般論では何も説明していないに同じ。

2次的国家ってなんですか?どうして2次的国家とそれ以外では権力の形成が異なるのですか?





7 :日本@名無史さん:05/02/02 23:40:19
959 :日本@名無史さん :05/02/02 02:12:29
>>956
配布行為の連続性って、銅鐸と古墳前期の鏡とでは同じと言えるのか?
銅鐸は必ずしも大和中心じゃないぞ
あと、鏡の配布行為はむしろ弥生の北部九州で始まったものだが。
原田大六って、特に晩年電波だったけど、学史上は重要で、いいことも結構書いてるが。
ちゃんと読んでる?
柳田も、解釈がやや極端なところもあるけど、遺物からの実証的なところは重要な指摘が多々あるが。
あと、寺沢の北部九州の墳墓の論は、確かに柳田の影響があるけど、それそのものは独自の意見で、実証的と思いますが?

あと特殊器台はあくまで吉備で生まれたので、文様や祭祀が銅鐸の要素を引き継いでるとしても、大和からみたら外来要素であることに変わらない。
大体、共同体の祭器から首長墓祭祀の道具になった段階で別のものと言ってよい。

>>あの3羽ガラス以外のどんな学者が
わからんのか。中堅(仮に40代とする)より下の世代の最近書いているものは、寺沢に追随ではないが、畿内自生説に疑問の立場を持つ人が多いが。
それが分からないのはよほど空気が読めんのかと思う。
どこの第樂か知らんが、いろんな立場の論を読み込んで、自らの通説的立場が本当に大丈夫か検討・自省してみてください。
自説に合わない論者の説を電波と決め付けるのはいかがなものかと。
空気




8 :日本@名無史さん:05/02/02 23:44:01
>>>あの3羽ガラス以外のどんな学者が
>わからんのか。中堅(仮に40代とする)より下の世代の最近書いているものは、寺沢に追随ではないが、畿内自生説に疑問の立場を持つ人が多いが。
>それが分からないのはよほど空気が読めんのかと思う。

そんなのいたっけ。
少なくとも京大とか一流大学出身にはいないんじゃないの。

9 :日本@名無史さん:05/02/02 23:54:06
>寺澤薫氏、柳田康雄氏、村上恭通氏の著作等が紹介されていますが
>自生説論者で参考になりそうなものがありましたら紹介してください。

小林行雄→畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した。
佐原真 →畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い。
     原田大六のようなド素人が唱える東遷説は、「皇国史観の亡霊」だ。
近藤義郎→銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに違いない。
都出ヒロシ→個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
      となった。威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタ
      のように。
      

10 :日本@名無史さん:05/02/02 23:57:22
寺澤の王権誕生よんだら、釈超空そのまま引用してて驚いた。
考古学者が電波引用してどうすんだ?

11 :日本@名無史さん:05/02/03 00:02:33

庄内期に出ない△は倭王権成立とは関係ないし、ついでに
特殊台器も関係ないわ。ホケノ山発掘の最大の成果は、これら
布留期の物を王権成立時と錯覚した小林行雄、近藤義郎らの
学説に最後のトドメをさしたってことにあるわな。
だいたい△なんてショボイ方墳からも出ているしさ。

となると共立=倭王権成立って常識も怪しい・・と思うのは俺だけかな。




12 :日本@名無史さん:05/02/03 00:03:08
>899,>>906
銅鐸の場合は、大和(奈良盆地)に明確な中心は無い。雑駁に畿内(+近江)に多いおいうだけ。
唐古で後期に銅鐸を作っていたのは確かだが、厳密には後期前半までの資料が出土。
むしろ、近江では後期後半(下限は庄内式初めまで下るかも)の鋳造関係資料が多く、突線鈕段階の分布をも考えると、むしろ末期の銅鐸祭祀の中心は近江かもしれないありさま。
だから祭祀主体、配布主体も連続してるか疑問。
>>894
ホケノ山は箸墓と時期が変わらない可能性もあるが、石塚や勝山は古い可能性が大。
箸墓の「定型化」をもって古墳時代の始めとし、ここから「古墳」と呼ぼうというのは立場としてはありうるし、むしろわかりやすい。
その前の前方後円形墳墓を「墳丘墓」するのはその立場ならありうる。
ただし、前方後円墳・前方後方墳が一定程度成立・波及し、マキムク型や四国北東部などのように「半定型化」しているのも事実なので、この段階から古墳時代「早期」とし、「古墳」とする説も説得力あるし、漏れもその方がいいかなと思う。
ただ、前者の近藤などの理解はむしろ今も通説だが。
なおホケノ山は、土器の理解と鏃の型式などから、箸墓より古いかというとかなり疑問がある。



13 :日本@名無史さん:05/02/03 00:04:01
937 :日本@名無史さん :05/02/02 00:28:47
>>880 寺沢はもと古墳屋ではないが。土器論、集落論がむしろ専門だが。
また北條は、もともと近藤や都出とは師弟関係にあり、畿内派の論説だったが、四国に逝って違う視点で見始めてから、反主流派となったいきさつがある。
>>879
都出の「農業共同体と首長権」だろ。知ってるよ。ただ、古墳出現前の畿内の実態が明らかになる前に書かれたもので、
当時でさえ九州より劣勢と言わざるを得なかった畿内の弥生からどうやって古墳の成立中心になったかを無理やり説明するために「共同体規制力」云々の論理を持ち出したに過ぎない。
古墳に畿内自生の要素が無いことの説明は一切していない。またなぜそれが九州を抑え込むことができたのか、どのようなプロセスでそうしたのかということについての説明は無い。
むしろ「共同体規制力」云々で畿内の弥生までの劣勢を逆説的に王権の主体成立の要因としたことについて、
まったく実証的ではないとうことがすでに寺沢により痛烈に批判されている。(古代学研究に15年前に載った論文)
また、「古墳時代像を見直す」における北條や村上の立場も、都出のような非実証的な畿内自生説を検証・批判することが一つのテーマだと思うが。
鏡台あたりの院生か知らんが、学史をもう少し勉強して下さい。





14 :日本@名無史さん:05/02/03 00:06:15
877 :日本@名無史さん :05/01/31 22:25:32
>871
>銅鐸文化とはまったく別、断絶している。
>なぜか銅鐸祭祀が終焉を迎えた後に突然畿内に発生する。

断絶してないですよ。配布行為にかぎっていえば、銅鐸の畿内王権
による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡などの配布にスライドしたと
見るのが適当でしょう。
また、機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移行を見いだ
すのは容易なことです。
銅鐸は消えたのではなく他の祭器へ発展したというべきです。






15 :日本@名無史さん:05/02/03 00:14:35
安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
日本において大和朝廷の誕生に権力移動を持ち出す必要は
全くない。

鉄器の普及、農業生産力の向上による階層分化こそが
大和朝廷という「国家」を誕生せしめた。これが妥当な
解釈でしょう。
大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。

16 :日本@名無史さん:05/02/03 10:21:52
何で畿内説論者は文献を全く無視するかなぁ・・・
日本書紀にも古事記にも神武東征がはっきり書かれていて
また、豊前風土記には天孫は宇佐から出発したって書いてあるのにね。

17 :日本@名無史さん:05/02/03 11:03:20
神武東征は、アレキサンダー東征の話が渡来人からもたらされた影響による作り話ですよ。


18 :日本@名無史さん:05/02/03 13:20:44
イザナギとイザナミの物語も、オルフェウス神話の影響と考えてOK?

19 :日本@名無史さん:05/02/03 13:25:41
神武神話を否定したときにわき起こる疑問が一つ。
最初の統一国家の事実に近い建国物語はどうして伝承されなかったのか?
中国や朝鮮では伝承とはいえ建国神話が残されているのに、
日本はアレキサンダー大王から拝借するしか方法がなかったのかね。

20 :日本@名無史さん:05/02/03 13:52:19
縄文時代から畿内に人が集まり、王権の基礎が出来てた。
激動の建国の歴史などもなく、クニの成り立ちは緩やかで誰も覚えていない。

しかし、それでは、ハクが付かないので、王の権威を誇示するために、
外国の建国神話を借用したのである。


21 :しばらく:05/02/03 14:31:08
当時は大阪平野、奈良盆地が他のどの地域よりも耕地面積が拡大し、
水稲を中心とする農業生産力が上昇。これによって警備とか、統括とかの
政治的な機能が要求された。また土器などの消費も増加、新製品が流入
する市場ができていた。このプルの力が近隣の経済圏を引き寄せた。
先代旧事本紀などの物部の殖民というのは明治維新北海道へ九州
から多くの開拓民、屯田兵が出たような状況かなと思う。農業は吉野ヶ里
のような戦闘的状況では難しいものであるから何らかの大きな政治力の元に
平和が保たれたのだろう。

22 :日本@名無史さん:05/02/03 14:41:35
>>21
半島のカラは政治統合は遅れたが、他地域より不安定だった
わけではない。平和イコール大きな政治力とはいえない。
古代ギリシャもそう。必要なのは政治力よりも政治文化。

23 :しばらく:05/02/03 14:51:21
>>19

>最初の統一国家の事実に近い建国物語はどうして伝承されなかったのか?

何らかの偉大な女王の対外活動を描いた建国神話があったが、記紀編集時代の
外交政策上初代は偉大な男王とし、歴史の長さもその女王の実績で足元が
読まれたり、属国であったといった事実を回避するため、中国に対して遜色の
ないものにする必要があったのだと思う。初代女王の功績を対高句麗戦争の
伝説的英雄オキナガタラシヒメとするのが最もパンチの効いたものではなかったの
ではないかと思いますが。


24 :>>20:05/02/03 14:55:16
倭王武は、戦争しまくって統一国家をつくったといっていますが、
あれも自分にハクを付けるためのうそですかね。集落なんかが自然発生するのと
領域国家が拡大していくのと、同じように考えていませんか?

25 :しばらく:05/02/03 15:01:42
私は初代王は卑弥呼ではなく、天照大神のモデルとなったであろう
辛国息長大目であったのではないかと思います。卑弥呼の金印なども
カットされ、ヤマトトトビモモソヒメ、巨大な鳶が羽を広げて天に飛翔するが
ごとき百磯城の宮殿に治す女王という称号が卑弥呼の痕跡をとどめている
ような気がします。金印とか魏志倭人伝は対中外交上の秘密事項として
闇に葬られたと思います。

26 :日本@名無史さん:05/02/03 15:09:37
神話にむりやりこじつける必要はない。
基本的には神武以後は神話でなくて歴史だと思うが、
神武東征は神話と歴史の接続部分だからちょっと微妙。
もしかしたら歴史ではあっても、三世紀よりずっと前の歴史が反映したものかも知れない。

ちなみにここは畿内説派同士が論争して畿内説を深めあうスレだよね?
九州説派同士が論争して九州説を深めあうスレはどれ?

27 :しばらく:05/02/03 15:28:14
神武と登場させて天下って後1,792,470年なんていわせたもんだから
どこかの国の歴史同様国際的信用が落ちるんですが、これだけいっときゃ、
あのうそつき国も手が出るまいと背伸びしている編集方針が見え見え。
マージャン、ポーカーの三味線だね。

28 :しばらく:05/02/03 15:36:31
九州の伊都国、奴国、近畿邪馬台国の流れに切れ目があるはずはない。
国譲り神話でよくわかる。

29 :名無し:05/02/03 16:08:15


30 :日本@名無史さん:05/02/03 16:13:38
しばらくさん、私は日本書紀がそれほどの悪意をもって編集された
とはとても思えません。初代王が偉大な男王でなければならないならば、
最上位の神も男神であるべきでは?また、対等外交を謳ったタラシヒコの
親書を挿入しなかったのはなぜでしょう? また、魏志倭人伝は日本書紀の
注に出てきますから、闇に葬ったわけではありません。

31 :しばらく:05/02/03 17:33:18
悪意ではなく防衛、外交的配慮を最優先しているということです。
相手がかっての交戦国ですからなんらやましいことはないと思いますけど。

最上位の神はタカミムスビであり、天照大神ではないでしょう。

タラシヒコ云々については勉強が足りず記紀で読んだことがありません。

倭人伝を参照するからこそ信憑性が出るのであって無視していれば相手に
疑われるでしょう。




32 :日本@名無史さん:05/02/03 17:40:52
>>26
はっきりしてるのはこれ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257/l50

33 :しばらく:05/02/03 17:52:41
倭人伝をさりげなく参照し、三韓征伐をした神功皇后を入れることによって
半島に対する潜在主権を主張、敵の侵略に歯止めをかけようとする姿勢は
敗戦時の日本政府にはなかったことで、今われわれは先を見越した配慮のない
政府が子々孫々まで国を損なうという教訓をいやというほど味あわせれ続けられ
ようとしているんじゃないでしょうか。

34 :しばらく:05/02/03 17:58:55
当時の日本人なら負けるような戦争はするはずがないけどナー。

35 :日本@名無史さん:05/02/03 18:40:07
>>30のいってることがえらくまともだ。

しばらくさんの話は、どこが畿内説なんですか?

36 :日本@名無史さん:05/02/03 18:45:44
神武東征が記紀に挿入されたのは、天孫を日向に降臨させてしまったから。

応神以降、大王家は日向と縁が深く、その頃に日向三代が大王家の神話に追加された
のだろう。

37 :日本@名無史さん:05/02/03 18:50:15
伝履中と吉備の造山が、ほぼ同時期・同規模・同形と聞いたのですが、
この頃の吉備と畿内王権との関わりはどうだったんでしょうか?



38 :>>36:05/02/03 19:14:07
たしかに

39 :日本@名無史さん:05/02/03 20:07:24
>>36
応神以降に日向と大王家に縁があったといっても、あくまで日向は女系。
それがきっかけで男系のルーツまで日向にしてしまうのはとんでもないこと。
そんな安易な理由から東遷神話ができたとは思えない。

38は私のミス。スマン

40 :日本@名無史さん:05/02/03 20:22:35
>>39
あくまで女系ねえ。
男系が中心という思い込みに毒されとるな。



41 :しばらく:05/02/03 20:31:23
>>36
サホヒコ・サホヒメ古墳のような利益誘導は見返りとしてそれなりのことが
あるんだろう。吉備もしかり、カミツ毛野もしかり・・・するってーと纒向時代乃至
直後には椿井大塚山に関係する豊の石塚山を除いてこれといったのはないようだし、
東海にも大きなものがない。こういったことが纒向は吉備、豊、上毛野などの外野席
もあるもののを主として地元に豪族が集まったか、地元豪族が台頭したかの状況下
で建設されたものと考えるのは一般常識だろう。


42 :前々スレ940 ◆ypu1w98BBk :05/02/03 23:15:12
>>9
なんか悪意がそこはかとなく感じられる紹介だなw
畿内自生説を全面的に支持はできないのだけど気になるのが
纏向で発掘された大社造りを思わせる高床式建造物の柱跡がある。

これは吉備や北九州の影響と言うより、すぐ隣の唐古・鍵の流れを汲むものではないかと思う。
つまり自生でなくとも少なくとも奈良盆地は外来勢力と同等の発言力があったのではないか。
瀬戸内、日本海沿岸、近畿、東海などの流通拠点としてほぼ真ん中にある奈良が建設地に選ばれたと見るのが
一番自然で妥当な(つまり面白くともなんともない平凡なw)説だと思うが
その辺りをもうちょっと詰めてみたいので、物流や食糧事情について考察した資料がないかな?
広瀬和雄氏や寺澤薫氏は、その側面から考察しているみたいだけど。


43 :日本@名無史さん:05/02/04 00:02:07
>5
石野氏は確信もっていってるわけではないふしがあります。
白石氏は、古墳郡が移動(佐紀→古市→百舌)するたびに王統が
変わったというような今時、非常に極端な立場をとる人です。
そういう考えの人だから当然、倭王権は近畿に発生したからその母体も
近畿出身のはず、と考えるわけです。


44 :日本@名無史さん:05/02/04 00:04:24
>瀬戸内、日本海沿岸、近畿、東海などの流通拠点としてほぼ真ん中に
>ある奈良が建設地に選ばれたと見るのが一番自然で妥当な(つまり
>面白くともなんともない平凡なw)説だと思うが

まあ、普通に考えればそうなんだよな。
唐古・鍵とマキムクって、直線距離で10キロもないし。

45 :日本@名無史さん:05/02/04 00:05:47
>42
鉄器の生産・流通なら村上恭道の「鉄と倭人の考古学」がよろしい。
畿内が新首都に選定された理由として、東海地域への窓口機能が上げられている。
土器なら石野博信の本がよろしい。
庄内式土器の出土状況が述べられている。

46 :日本@名無史さん:05/02/04 00:09:42
>42
>つまり自生でなくとも少なくとも奈良盆地は外来勢力と同等の発言力があったのではないか。

それは難しい。
考古学的に言えば、巻向遺跡には畿内文化の影響「だけが」、
ほぼ完全にない。本来、在地性を重視する考古学が畿内自生説
を否定しつつあるのはこのためです。


47 :日本@名無史さん:05/02/04 00:21:48
>畿内文化の影響「だけが」、ほぼ完全にない。

相変わらず、言い切ってるなあ。
あくまで「墓制において」、だろ。
出雲で創始された古墳祭祀を、畿内王権が採用したとすれば、
畿内の影響が無くても不思議ではないと思うが。

垂仁の時、野見宿禰が出雲から呼ばれて埴輪を作ったみたいな話が
記紀に載っているが、そのあたりの記憶が伝承されていたのかもしれない。

48 :日本@名無史さん:05/02/04 00:28:42
>配布行為の連続性って、銅鐸と古墳前期の鏡とでは同じと言えるのか?
>銅鐸は必ずしも大和中心じゃないぞ
>あと、鏡の配布行為はむしろ弥生の北部九州で始まったものだが。

むろん、同じじゃありませんよ。しかしその変化は、鉄器の普及など
による畿内社会の変革に伴うものです。それが結果として王権誕生に
つながったと見るべきでしょう。

>原田大六って、特に晩年電波だったけど、学史上は重要で、
>いいことも結構書いてるが。
>ちゃんと読んでる?

「実在した神話」「オオヒルメムチ?の墓」なんてイッちゃった題名の
本がどうちゃんとよめるんでしょうか。



49 :日本@名無史さん:05/02/04 00:29:21
>あと特殊器台はあくまで吉備で生まれたので、文様や祭祀が
>銅鐸の要素を引き継いでるとしても、大和からみたら外来要素
>であることに変わらない。
>大体、共同体の祭器から首長墓祭祀の道具になった段階で別の
>ものと言ってよい。

単に首長墓祭祀が生まれるような社会的変革が畿内社会に起こった
ということでしょう。特殊器台の導入については、外部からの征服
ということを想定するのではなく、対等の同盟もありうる。
つまり、銅鐸が特殊器台に発展したという事実をふまえれば、吉備を中心
とする東瀬戸内海地域は弥生末期にあっても広義の銅鐸圏つまり畿内圏
とも言えるからです。

>>あの3羽ガラス以外のどんな学者が
>わからんのか。中堅(仮に40代とする)より下の世代の最近書いているものは、寺沢に追随ではないが、畿内自生説に疑問の立場を持つ人が多いが。
>それが分からないのはよほど空気が読めんのかと思う。

周りにはそんな人はいませんが。具体的にどなたでしょうか。

50 :日本@名無史さん:05/02/04 00:33:10
>47
>出雲で創始された古墳祭祀を、

頭悪すぎ。
特殊台器は吉備で、大型鏡の破鏡は九州。




51 :日本@名無史さん:05/02/04 00:34:37
マキムクにしても突然出現したのではなく、
古来より、大和川水運で荷揚げした物資を、山辺の道などで各地へ陸上輸送
した拠点だったのではないか、と思う。

マキムク付近は、海石榴市という名前で、古くより経済活動の重要拠点
だった。だから、ここを押さえていた畿内在地勢力が初期ヤマト政権で
イニシアティブを取れたのだろう。

52 :日本@名無史さん:05/02/04 00:36:37
>垂仁の時、野見宿禰が出雲から呼ばれて埴輪を作ったみたいな話が
>記紀に載っているが、そのあたりの記憶が伝承されていたのかもしれない。

常識的には埴輪は特殊器台が発展したもんなのだが。
確かに山陰にも西谷3号とかにあるけどこれは吉備から
導入されたもの。



53 :日本@名無史さん:05/02/04 00:40:36
最近騎馬民族説が見直されていると聞きました。
今この分野でどういう論客がいるのでしょうか?

54 :日本@名無史さん:05/02/04 00:41:30
古事記は肥前肥後をハヤヒワケ国とするようですが、そうすると伊都国王は
ニギハヤヒ、対置される奴国王はニキを持つものとしてはニニギがある。しかし
古事記では筑前筑後はオシロワケの国。謡曲で八幡の神の自己紹介は
シロハタ、ヤハタの神という。これは豊日別王が筑紫の東西を征したという
意味だろうか。また、ヤハタとは倭面土(山門)のことであろうか。オシホミミ
とは傘下に九州諸国を収める構想であり、英彦山の主がオシホネであることから
それがオオシ穂の国なのか、オオシ火の国なのかを考えると九州が日本を
制覇する意味で両方を引っ掛けて日本統一とし、瑞穂の国の語源となったのだと
なり、東遷の決議が出たとすれば、鉄鏡が出土した日田が高天原ではなかろうか。
前原の思想は内行花文鏡(ヤタの鏡、八紘一宇)とすると、日田に来ては英彦山
、日田と合わせ前方後円墳構想が誕生し、東遷後は天孫を意味する円に方(地祇)
が呑み込まれる方格規矩鏡と一緒になり、卑弥呼の好物として海外調達が
開始されるのであろうか。



55 :日本@名無史さん:05/02/04 00:41:56
>>50
はいはい。
出雲の四隅突出型が列島での古墳祭祀の嚆矢だという意味で書きました。

あなたも、「空気を読め」とか「最近の若い学者は」みたいな内容の無い反論
は以後書かないでね。

56 :日本@名無史さん:05/02/04 00:46:12
>出雲の四隅突出型が列島での古墳祭祀の嚆矢だという意味で書きました。
そんな珍説唱えてる学者はいない。


57 :日本@名無史さん:05/02/04 00:47:05
日本の考古学は徒弟制の職人の世界ですよ。
師匠が白といったら白。
「変だな〜」と思っても口に出したらアウト、っていう世界。




58 :日本@名無史さん:05/02/04 00:49:17
日本の考古学は自然科学の理解が不足しているから遅れているのに
お話にならないね。イギリスのNatureには考古学の論文が多く載るように
自然科学的アプローチがしっかりしていないと良くない。

反日共産主義者の歪みきった頭で解釈しようとするから考古学の発展を阻害した。



59 :日本@名無史さん:05/02/04 00:52:41
>常識的には埴輪は特殊器台が発展したもんなのだが。

出雲からきたノミノスクネが土師氏の祖先とされていて、
その土師氏が大王家の葬送儀礼を管掌したのは確かなんだ。
まあ、否定したいなら否定してもいいよ。

60 :前々スレ940 ◆ypu1w98BBk :05/02/04 00:54:22
>>45
ありがとう、村上氏はオススメでありましたので購入しました。
やはり土器では石野氏が第一人者ですか。
氏は今でも現場で陣頭指揮を取ってるそうですね、さすがだ。。。
>>46
墓制についてはそのとおりだと思いますが
いわゆる建築物についてはどうなのでしょうか?
柱穴跡からでは推測しかしようがないのですが
仮に神殿的な役割を持っていたとすれば、吉備とはまた別の要素になるのではないかと思います。
素人ですので優しく教えてくださいねw

61 :日本@名無史さん:05/02/04 00:59:17
>59
それが仮に事実だとしても文献上は、崇神天皇以降の話になってるだろ。
これを考古学的に照合すると布留以降の話だから、倭王権成立のはるか後の
話にすぎず、かつ、とっくに特殊器台や埴輪ができてるんだよ。



62 :日本@名無史さん:05/02/04 01:01:57
アンカー頑張れ。
君は東遷説の☆だw

63 :前々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/04 01:06:45
>>49
>銅鐸が特殊器台に発展したという事実
これって事実なんですか?特殊器台が埴輪に発展したというのはなんとなくうなずけますが。
ただそれは畿内に顕著な現象で、各地域で独自の発展を遂げた
たとえば石人、石馬とかの場合もあるように思います。
>>51
まだ1%しか掘ってない纏向なのでなんとも言いようがないですが
物流中心地として栄え始めてから、在地化した勢力が台頭したってのはどうですか?
こんなの考古では証明しにくいでしょうが、記紀の書き方がそうなっているもので。。。
少なくとも記紀はそういうことにして置きたかったように思えます。

64 :日本@名無史さん:05/02/04 01:07:20
>>61
いや、円筒埴輪を作ったと思われる土師氏が、出雲出身を名乗っていたこと
の方が重要だと思うのだが。

65 :前々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/04 01:08:33
しかし0時過ぎると一気に活性化しますね、ここw
まさに昼は人が造り夜は神が造るスレw

66 :日本@名無史さん:05/02/04 01:09:23
>60
弥生時代でも畿内では池上曽根遺跡の祭殿が有名です。
ただ、神殿建築物について言うと、棟持柱を持つ建造物は、
縄文時代から各地にありますわな。
吉備は残念ながらあんまり集落は明らかではないです。
平原墓の祭祀的な建築部分(大柱、鳥居、建造物)について
は、柳田氏の「伊都国を掘る」がよろしい。


67 :日本@名無史さん:05/02/04 01:09:38
で、コテハンがほとんどいないわけだが、どうするね。

68 :日本@名無史さん:05/02/04 01:15:51
>>49
>>銅鐸が特殊器台に発展したという事実
>これって事実なんですか?特殊器台が埴輪に発展したというのはなんとなくうなずけますが。

現在、一部の学者が唱えているにすぎませんが、私もかなり蓋然性の
高い仮説だと思います。

東遷説は、皇国史観の亡霊にすぎず、なんら考古学的裏付けをもたない
ことは言うまでもありませんが、吉備を畿内圏と全く別個のものと
する最近の風潮にも疑問を感じざる得ないですね。



69 :日本@名無史さん:05/02/04 01:17:29
前レスで頑張っていた北條の自作自演みたいな奴どこに行ったの?


70 :前スレ941:05/02/04 01:23:53
>>67
コテハン強要は、どこでも失敗してますね。
荒れなければ、そのルールは廃止しましょう。

71 :前々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/04 01:23:59
>>66
>ただ、神殿建築物について言うと、棟持柱を持つ建造物は、
>縄文時代から各地にありますわな。
そうなんでつか。。。勉強します。。。

>「伊都国を掘る」
前に図書館で借りました。名著だと思います。
ただこれも不思議なのですが、平原墓の祭祀的な遺構の影響って纏向ではあまり感じられず
(それどころか3〜5世紀全般についても)むしろ大和朝廷としての体裁が確立したと思われる
6世紀以降に突然似通った形式が現れるような感じがしますが、何故なのでしょうか?
>>67
番号でいいからコテにしてほしいですね。
誰が誰やらわからなくなるので、結局何が言いたいのかもわからなくなっちゃう。
せっかく書き込んでくれてるのにもったいない。


72 :日本@名無史さん:05/02/04 01:24:55
>確かに山陰にも西谷3号とかにあるけどこれは吉備から
>導入されたもの。
これって、確定なの?



73 :日本@名無史さん:05/02/04 01:25:11
今学会で残っている説ってこれでいいの。
誰か教えろ。
@畿内自成説(鏡台の人)
A各勢力(九州、東瀬戸)の共立説(寺澤氏、北條氏)
Bイト倭国拡大説(柳田氏、村上氏)




74 :日本@名無史さん:05/02/04 01:28:05
>72
たいていの考古学者はそう思っている。
そうだとしてもハジ氏の説話はちゃんと文献の方が
研究すべきと思うが。

75 :前スレ941:05/02/04 01:32:46
>>67>>71
これは失礼しました。
住民が増えた場合は「コテハン勧告」が望ましいですね。
でないと、誰が誰やら、ワケがわかりません。

76 :前々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/04 01:40:49
>>75
いえ単に俺がアホなだけです。
本当にわからなくなっちゃうんですよ。
別に発言に責任取れとかソースは?とかの問題じゃなくて
せっかくの内容のある書き込みがもったいないと思うからです。
自治厨みたいなことは言う気はありません。
アホのためにも番号コテ入れてくれたら本当にありがたいのです。

77 :日本@名無史さん:05/02/04 01:42:04
>ただこれも不思議なのですが、平原墓の祭祀的な遺構の影響って纏向ではあまり感じられず
>(それどころか3〜5世紀全般についても)むしろ大和朝廷としての体裁が確立したと思われる
>6世紀以降に突然似通った形式が現れるような感じがしますが、何故なのでしょうか?

鳥居と大柱の組合わせは、伊勢神宮にも見られますな。
大柱の形式等は、諏訪大社の大柱に類似。
ちなみに鳥居と大柱の延長上に日向峠があり、伊勢神宮の
新嘗の日と同日にそこから日の出・・ などで神社祭祀
との共通性は疑いようがありません。
八タ鏡など副葬品についてはいろいろ言われているとおりです。

墓上の棟持柱付きの建物(異説ありますが)は、ホケノ山
の同じく棟持柱付きの構築物との関連を指摘する旨もあり
ますな。これは建物ではなく柱だけかもしれないが。

78 :日本@名無史さん:05/02/04 01:43:28
>73
C騎馬民族説
を忘れている。

79 :日本@名無史さん:05/02/04 01:44:55
邪馬台国宇佐説ってどうよ。

80 :日本@名無史さん:05/02/04 01:52:02
>71 
 「むしろ大和朝廷としての体裁が確立したと思われる
  6世紀以降に突然似通った形式が現れるような感じがしますが」

偶然の一致ってーのも考えられる。

81 :前々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/04 02:12:16
>>77
言われるとおりですが、いったん断絶したように見えるのは何故かな?と。。。
>>80の言うように偶然とももちろん考えられますし。
想像でモノ言いますが、もし関連があるのなら
いわゆる大和朝廷と初期の倭連合には文化的には連綿と続いていないような気がします。
王朝交代とかみたいな極端なものじゃなくて
内部の政権争いの結果でそのつど主流の文化が違うと言うか。。。
九州発祥の神話が採択されたのも、天智・天武系が九州出身の勢力に懇意だったか
あるいは母系がそうだったのか程度の理由ではないのかなと。

82 :前スレ941:05/02/04 02:21:00
私はぼんやりと考えているのは、古代のイスラエルやローマのように
周縁部の民が傭兵や苦役に駆り出されるうちに、実権をもっていく姿。
その政権自体は「はかない」ものでも、中国の「周」のように、コアとなる
血統は一応大事にされていた、そんな姿。

83 :前スレ941:05/02/04 02:25:08
空気読めなくてスマソ

84 :日本史@名無しさん:05/02/04 08:39:50
なんかつまらないスレに落ちたね

85 :日本@名無史さん:05/02/04 13:07:39
>>84おまえのおもしろいスレってなんだ?
老教授が教壇に立って、生徒が質問浴びせて、
行儀の悪い生徒を嗜める役を自分が演じたいってだけだろ。

86 :日本@名無史さん:05/02/04 15:32:48
>>84,85
おまえら2人ともいらね。

87 :日本@名無史さん:05/02/04 15:59:29
このスレなかなか面白いのはいいのだが、日本史板というより考古学板みたい。

88 :日本@名無史さん:05/02/04 16:56:00
>>87
文献完全無視の畿内説が九州説との論争から逃げてるから

89 :日本@名無史さん:05/02/04 18:04:05
>>88
邪馬台国の場所を決めるスレじゃないからね。
あの時代に近畿に大規模な勢力があったのは遺跡が語る事実。
発掘結果から、その勢力の成り立ちと発展を分析しているのがここ。

90 :日本史@名無しさん:05/02/04 18:14:08
とりあえず考古学的事実を元に、畿内王権の履歴を探るスレだからね

でもそれなら考古学板でいいわけだがw

まあ文献については記紀に対するスタンスをはっきりする必要はあるな
未だにいいとこ取りだけの学者先生も多いから

91 :日本@名無史さん:05/02/04 19:35:59
文献を完全無視してるわけじゃなくて、
記紀にこじつけるのはやらないというだけ。
漏れは畿内説派だけど倭人伝まで無視してるわけじゃない。

92 :日本@名無史さん:05/02/04 20:22:47
>>88
以前は、豊前説さんをはじめとして豊富な分権的知識を誇るコテハンさんがいたんだよ。
記紀や風土記や神社関係に基づく鋭い考察を発表してたんだけどね。
一部の畿内派たちに煽られて追い出されたんだよ。
まぁ、仕方ない面はあるにせよ、最後はちょっと筆が鋭くなりすぎたかな。
無理かも知れないけど、参加者の同意があれば戻ってきてくれるかも知れない。

93 :日本@名無史さん:05/02/04 22:46:41
デンパは、来なくてよし。

94 :日本@名無史さん:05/02/04 22:50:35
>>>87
>文献完全無視の畿内説が九州説との論争から逃げてるから
そりゃウソだ。

「「考古学的事象は、日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の
 神代神話をさけて通ることはできない。」という考えには同感である。
 ・・・研究者の方々にそお片鱗さえあれば、邪馬台国問題だけでなく、
 古代国家形成研究でさけて通れない古墳出現期の諸問題がここまで
 時間をかけずにすんだのではかなろうか」

といっているのは他ならぬ畿内説の考古学者である柳田康雄ですよ。


95 :日本@名無史さん:05/02/04 23:04:09
>>77
言われるとおりですが、いったん断絶したように見えるのは何故かな?と。。。

三輪山麓での土抗祭祀の遺物は、延喜式記載の新嘗祭の器財と共通性があり。
箸墓は断絶ではなく、拡大とみるのが定説。


96 :日本@名無史さん:05/02/04 23:07:48
>88
>文献完全無視の畿内説が九州説との論争から逃げてるから

滅亡した九州説を議論しても意味ねえよ。



97 :日本@名無史さん:05/02/04 23:30:25
学会で残っている説

@畿内自成説(鏡台の人)
A各勢力(九州、東瀬戸)の共立説(寺澤氏、北條氏)
Bイト倭国拡大説(柳田氏、村上氏)

学会で滅亡した説
C九州説
Dウリナラ説



98 :日本@名無史さん:05/02/04 23:35:37
>>96
煽りは絶対禁止でよろしく。電波が寄ってくるから。

99 :日本@名無史さん:05/02/04 23:39:26
九州説は電波だからな。

100 :日本@名無史さん:05/02/04 23:40:43
北條@自作自演は消えたか?

101 :日本史@名無しさん:05/02/04 23:43:23
こんな糞スレどうでもいいよ、もう

幼稚な仕切り厨の青臭い珍説でも披露してろや

102 :前スレ941:05/02/04 23:44:50
(単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ)
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

(初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ)
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

(主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ)
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50


103 :前スレ941:05/02/04 23:46:01
九州王朝関連はこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257/

104 :日本@名無史さん:05/02/04 23:46:07
>100
あいつは、畿内自生説との論争に破れてトンズラ。
所詮反主流派、ちょろいもんだ。

105 :前スレ941:05/02/04 23:47:28
神武関連はこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1107078207/l50

106 :前スレ941:05/02/04 23:48:20
古代の朝鮮関連はこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1052430187/l50

107 :日本@名無史さん:05/02/04 23:59:11
石塚の編年で寺澤と石野博信が喧嘩したたようだが、あれどっちが
正しいの?

108 :日本@名無史さん:05/02/05 00:02:11
大和朝廷と邪馬台国は畿内で並立しており、
第8代孝元天皇のときに邪馬台国を滅ぼして併合した。

狗奴国が大和朝廷のこと、卑弥弓呼とは第5代の孝昭天皇のこと。




109 :日本@名無史さん:05/02/05 00:04:18
韓国には高天原公園があるが、日本にはない
   ↓
高天原は韓国

高天原という地名があるところに決まってるだろ




110 :日本@名無史さん:05/02/05 00:09:03
いくら掘っても、邪馬台国は、畿内からは出てこない。
「邪馬台国」の文字は漢籍由来だから、文献無視の
マキムク厨は電波。



111 :日本@名無史さん:05/02/05 00:56:58
畿内の交易立国っぽさが、後の江戸期の大阪(江戸の台所)に
つながる風土として興味深いですね。戦争は日本海側で勝手に
やってもらって、俺たちは商業でやっていくんだという感じがします。

112 :日本@名無史さん:05/02/05 10:25:31
初期ヤマト政権の勢力範囲が、中世の細川・三好政権とダブっているのは
面白いですね。やはり、初期ヤマト政権は細川・三好みたいに海運国家だった
のでしょう。

113 :日本@名無史さん:05/02/05 12:35:53
杉の社=大神神社。ミマキイリヒコ(崇神)。
崇神が初めて船を作ったという伝承。
船材として吉野杉が活用され、水軍創設が初期ヤマト政権の雄飛となったのだろう。

フェニキアがレバノン杉を王家の紋章としたように、初期ヤマト政権では、
真木=杉が大事にされたのだ、と思う。
大和=山処。吉野の木材資源を押さえた古代フェニキアのような海運国家が誕生し、
それが初期ヤマト政権となったのだろう。

114 :似非方丈:05/02/05 15:33:36
寺沢や北條、村上の論に対して、
>>神武天皇の亡霊
とするのは、意味不明のレッテル貼りに過ぎず、
考古学的事実をもった彼等の意義申し立てに対して不誠実であるばかりでなく、
あなたの学問的姿勢に対して疑問を覚えます。
重要なところは何も反論していませんよ。

2chでマジになってもしょうがないですが。

一応、他の人で、畿内自生説に疑問を呈し、外的勢力関与のヤマト政権成立説を言っている人(示唆している人も含む)を挙げておきます。

近藤義郎  吉備東遷説を示唆
松木武彦  「ヤマト政権成立の背景」(『卑弥呼誕生』大阪府立弥生文化博物館)
     従来の自生説と単純な東遷説を批判。都出と寺沢のいいとこどりだが、
どちらかというと寺沢に近い立場を表明。
福島孝行  「弥生終末期の墓制と古墳の出現」(季刊考古学84「古墳出現前夜の西日本」)
     前方後円墳成立の諸要素に畿内の墓制の要素がほとんど無く、
吉備、丹後、但馬、東海、近江、北部九州、山陰
      などに墓制の諸起源があること、「大倭の地は結果的に選定された場所」とする。
あと同じ季刊考古学84で、大阪の森井貞雄氏は(「近畿 弥生終末期の様相」)、
最末期の銅鐸祭祀の中心が、
大和などの「畿内」ではなく、近江にあることを指摘しています。




115 :似非方丈:05/02/05 15:34:30
>>104
疑問、反論には答えていないのによく言えるな。
大和が弥生時代に特に卓越していた証拠はないだろ?
農業生産云々って、特に大和が優れていた証拠がどこにある?
それで大和に独自のクニが生まれるのはいいが、それがなぜ、
汎日本列島的に代表者となったか、覇権をもったかという説明にはならない。
それと、2次的国家における国家形成の問題点は、生産力上昇と階級形成のゆっくりした1次的国家の形成とは違うと思います。
実際、都出氏自体、そのことに気付いて、物流統括機構としての初期国家成立を考えたのです。
そもそも大和の優位性なんて、今は弥生時代研究者では疑問視している人が結構多いが。
寺沢なんかが批判しているのはそこ。
その批判は何も解消されていない。
古墳研究者は、古墳だけをみて、弥生から中心だったはずだと言ってるだけ。

原田大六ですが、
神話の安易な解釈が多く、晩年電波だが、
1950年代の「日本古墳文化」と「日本国家の起源」って読みましたか?
当時の水準からみたら、かなり先験的なこと言ってますが。
弥生時代の大社会的観点は、酒井龍一の考えの先駆的描写をしています。
また銅鏡についての研究史でも無視できない存在です。

どうも、単純な自生説の生き残りがいるようですね。



116 :日本@名無史さん:05/02/05 15:41:05
>最末期の銅鐸祭祀の中心が、
>大和などの「畿内」ではなく、近江にあることを指摘しています。

その頃、大和は銅鐸祭祀から決別して、古墳祭祀に移行していたから。
銅鐸文化の周辺部で、銅鐸祭祀が残っていたに過ぎない。

117 :日本@名無史さん:05/02/05 15:46:36
>「大倭の地は結果的に選定された場所」とする。
なぜ大和が選定されたのか?

やっぱり大和が、初代大王(ハツクニシラス)が即位した「イワレ(謂われ)」
のある土地で、古代の倭人にとって、大和=中原という思考があったためだろう。

まあ、「畿内自生政権が万世一系であった」なんて流石に思わないし、
吉備が一時期、大王であったこともあるだろう、とは思うけど。

118 :日本@名無史さん:05/02/05 15:59:52
伊都國に至る。〜世王有るも皆女王國に統属す。

倭人伝のこの記述からも、少なくとも伊都国東遷⇒邪馬台国(ヤマト朝廷)
はないわなw

119 :日本@名無史さん:05/02/05 16:25:39
銅鐸文化圏が初期ヤマト政権の母胎となった、という推察で正解だと思う。

銅鐸が大和言葉でサナギと呼ばれたとするなら、
イザナギ・イザナミも夫婦銅鐸であって、大王陵をミササギと呼んだのも、
古くはミ・サナギであって、銅鐸文化の継承政権であったため、と。
思えば上牧銅鐸が発見されたのもサネ山であった。
サ=穀物神をねぎらう祭器として銅鐸があって、サネギ→サナギ→サザキと
変化していったと思われる。

120 :日本@名無史さん:05/02/05 17:18:17
>>116
銅鐸文化の中心であることをもとにして畿内優位を主張していたこととは矛盾するのですが、それでもよいのですね?
(銅鐸配布中心である故に弥生から優位であったという前提が崩れます。)
ただ、古墳祭祀に移行したのは何時ですか?
それによっては>>116のような説は成立しない。


121 :日本@名無史さん:05/02/05 17:19:27
>>117
大和が「中原」になったのは、
原因では無く、結果じゃないの?

122 :日本@名無史さん:05/02/05 18:05:00
>>119
記紀神話を持ち出すなら、イザナギは矛をかき回して国を作った。
矛と言えば九州だ。
サナギが銅鐸かどうかは不明だ。
奈良時代に銅鐸(と思われるもの)が出土したときに、何か分らなかったという記録がある。(扶桑略記)

123 :日本@名無史さん:05/02/05 18:25:06
>>118
伊都国東遷説は原田大六、柳田康雄ぐらい。

>>73で村上恭通がこれに入っているが、間違い。
村上は寺沢や北條に近い立場。
また、鉄器の各論では論争しているが、>>114で名前の上がっている松木と同様に、村上も中国世界のフロンティアの移動という観点から中心地の移動を説いている。
これからは、こういった見方が主流になるだろう。

これに対し、いわゆる自生説側は、旧来の主張を繰り返すのみで、個別の批判は無視し、しまいには「神武天皇の亡霊」という悪口を述べるに過ぎない。



124 :日本@名無史さん:05/02/05 18:32:00
吉備が銅鐸圏とするのが上の方にいたが、
突線鈕の後半は出て無いと思うが。
五様式の後半は文化的に切り離されていると思う。
特殊器台の文様や呪術性は銅鐸から受け継いだ部分があるとしても、
共同体祭器と首長個人の墳墓祭祀への供献品とは、実態は全く異なるかと思う。
資料の階層的、性質的区別をしないで銅鐸と特殊器台が同じとするのは、方法論的にいかがなものか。


125 :日本@名無史さん:05/02/05 19:02:54
>>117 なぜ大和が選定されたのか?

大王の出身地は関係なくて、
地理的に九州より、日本列島の中央に近いので、
東国の方に勢力を拡大していく上で選ばれたと思う。

さらに近畿エリアは腰のようにくびれていて、
表日本と裏日本を結びやすい。
近畿よりもっと東に行くと、日本アルプスの山並みで
表日本から裏日本に行き難くなってしまう。

地理的な理由。勢力圏を広げる上での。

126 :日本@名無史さん:05/02/05 20:19:20
>>125に禿同


127 :コピペ:05/02/05 20:35:50
891 名前:890 投稿日:04/12/29 16:36:52
念のため言っておきますが、私は畿内大和説です。(九州説の皆さん、すみません。)
ただ、次の4点を問題としています。
1、邪馬台国が初期ヤマト政権に連なるとしても、この成立は畿内諸勢力の糾合だけで自生的になされたものではなく、外からの何らかのインパクトがあった。
2、一度、成立した「倭王の都」として邪馬台国は、しかし、一方的な覇権を西日本、九州に及ぼしたわけではない。
3、「邪馬台国」を盟主とする倭国体制下であっても、北部九州の勢力が急激に衰退したわけではない。
むしろ、外交、交易において未だ、無視できない勢力を保持していた。
4、「邪馬台国」の前史となるような、畿内地域における中心的勢力母胎は、弥生後期までは存在しない。
唐古鍵は奈良盆地のセンターだったと思われるが、例えば近江や河内、ましてや河内などに覇権が及んでいたか甚だ疑問である。
みなさんはどう考えますか?


128 :コピペ:05/02/05 20:43:42
500 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/01/12 00:07:43
>>最近はやりの寺澤説は、つまるところ九州説の根拠を大幅に採用したわけで
>あ、そうなんですか。是非、そのあたりを詳しく教えて頂ければ。
>寺澤薫って、なんか特殊器台→円筒埴輪から、吉備主導の倭王権成立を
>言っていた人だよね。

かつて考古学会の主流だった(今でもかもしれんが)小林行雄、佐原眞
都出比呂志らの邪馬台国畿内説というのは、かいつまんで言うと、
「倭王権(大和朝廷)は、弥生期からの畿内権力がそのまま成長したもの」
「鉄の流通の掌握のため畿内勢力が北九州を制圧した」
というもので寺澤氏の畿内説とは全く似て非なるものです。
考古学主流のこの畿内説に対してどちらかというと傍流だった森浩一や原田大六らは、
・弥生期の畿内文化といわゆる古墳文化との断絶
・弥生期の北九州文化と古墳文化との共通性
・弥生期においては、王権を象徴する考古学資料(個人墓、副葬品等)
 が北九州以外見られないこと。とりわけ畿内は乏しいこと。
・記紀など文献資料
などから邪馬台国東遷説を唱えました。

寺澤氏は、マキムク遺跡の年代などから邪馬台国は畿内に存在した
としつつも、上記畿内説への反論を大幅に取り入れる形でその在地性
を否定し、北九州、吉備、出雲などの外来の連合が畿内にうち立てた
ものとしています。

こういう次第なので、はっきり言って寺澤氏の畿内説というのは、
倭王権の成立過程という観点からは、同じ畿内説の佐原眞よりも
九州説の森浩一により近いものです。

129 :コピペ:05/02/05 20:46:24
501 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/01/12 00:14:41
ただし、寺澤氏は森氏らと違い、吉備の特殊器台がマキムク遺跡に
流入している事実などから北九州よりも吉備を重視し、これが倭王権=邪馬台国
成立の主導を行ったと推測してます。
近年では、このスレッドにも名前が出た村上恭通氏などにより(従来の)畿内説
の有力な根拠であった「弥生期の鉄器の採一的普及」がほぼ完全に否定されつつあ
ることから、中堅、若手にこの立場をとる人が増えているようです。


130 :日本@名無史さん:05/02/05 21:10:39
>>6
「一次的国家」
四大文明や中南米の古代文明のような、古くから時間をかけて最初にその大地域で成立した国家社会。
「二次的国家」
前者の周辺に、交易や移住、征服、戦争、外交など、その影響を多分に受けながら、新たに成立した国家社会

後者の場合には(日本列島や朝鮮半島があたる)、単純に農業生産の増大とその余剰により、社会が複雑化、階層化したということだけではなく、それ以上に、一次的国家からの諸影響(制度、軍事、交易、技術、思想など)により、より早く、劇的に国家が成立しうる。

131 :日本@名無史さん:05/02/05 21:14:13
>>6
植木武編『国家の形成』三一書房、でも読め。

132 :日本@名無史さん:05/02/05 22:46:27
>奈良時代に銅鐸(と思われるもの)が出土したときに、何か分らなかった
>という記録がある。(扶桑略記)

おいおい。何百年たってると思ってるんだw


133 :日本@名無史さん:05/02/05 22:48:16
>>132
その文脈は、イザナギ=銅鐸(=サナキ?)、ということに対してのツッコミと思うが


134 :日本@名無史さん:05/02/05 22:48:28
なんか、コピペまで使って、畿内自生説を否定しようと必死だな。
まあ、特定の一人だと思うが。

135 :日本@名無史さん:05/02/05 22:49:57
畿内自生説の根拠を誰か解説してくれ。

コピペ厨への反論もキボーン

136 :日本@名無史さん:05/02/05 22:52:39
>大和が「中原」になったのは、
>原因では無く、結果じゃないの?

少なくとも、継体の時には、磐余の地は始祖王の故地として重要視されていた
のだろう。


137 :日本@名無史さん:05/02/05 22:56:08
>大王の出身地は関係なくて、
>地理的に九州より、日本列島の中央に近いので、
>東国の方に勢力を拡大していく上で選ばれたと思う。

東国に伸びていくなら、近江や山背が選ばれたと思うのだが。
桓武がそうしたように。


138 :日本@名無史さん:05/02/05 22:58:09
コピペは独りで必至なやつがいるみたいだが、自生説に疑問がある人は多いんじゃないかな?
両者の生産的な論争を求む。
「空気読め」「神武天皇の亡霊」等の煽りはやめてほしい。
自生説派はコテハンでカキコしてほしい。
似非方丈さんもコテハンで続けてね。
それとここらで、老教授@纒向派にもご搭乗願いたい。
前スレ940氏には、論争の整理とレフェリーをしてほしいですね。


139 :日本@名無史さん:05/02/05 23:02:54
>>133
いや、だから、何百年も経ったことで、イザナギ・イザナミがそもそも夫婦銅鐸神
であったことが、忘れられているんだよ。

140 :日本@名無史さん:05/02/05 23:03:07
>>137
桓武天皇?平安京のこと?
近江は天智では?

山城はともかく、近江を避けたのは、当時の大勢力(銅鐸配布勢力?)を避けたのでは?
山城は中央に大きく巨涼池があって、北と南に分断されていたということはあるが。
といって大和が空白だったわけじゃないので、その点疑問が残るけど。

141 :日本@名無史さん:05/02/05 23:05:29
>>139
イザナギの語源は普通違う解釈だが。
サナギ→ササギとか、これは牽強付会だろよ。
あと、矛の指摘があったが、これはどうする。

もっとも記紀神話の解釈はスレ違いなのだが。

142 :日本@名無史さん:05/02/05 23:11:04
仁徳がオオサザキと呼ばれたのも、本来鳥の名前なんかではなくて、
大きい御陵(オオ・ミサザキ)に葬られた大王という意味だったのだろう。

しかし、ヤマトタケルの末裔たちに鳥の名前が多いのは気になる。
ミソサザイやハヤブサやらイイドヨ=フクロウなど。
この頃の祭祀王たちは鳥の仮面を被って、羽振り(祝)をしていたのだろうか。

143 :日本@名無史さん:05/02/05 23:14:00
>もっとも記紀神話の解釈はスレ違いなのだが。

だから〜。
記紀神話の軽視が、日本古代史の解明の足枷になったんだってば。




144 :日本@名無史さん:05/02/05 23:19:35
>>120
>ただ、古墳祭祀に移行したのは何時ですか?

唐古・鍵からマキムクへと移住したころではないでしょうか。

145 :日本@名無史さん:05/02/05 23:29:06
>>144
唐古・鍵は、纒向成立後も意外に集落が続いていることが分ってきているようです。環濠の一部を庄内から布留0期に掘り直ししています。
また纒向成立時=纒向1式には古墳祭祀はまだ成立してないと思いますが?石塚が古い可能性がありますが、盛土内にわずかに庄内甕を含むようなので(橿考研博物館の展示で見ました)、纒向2式には下るはずです。
ここで不思議なのは、唐古では庄内甕が少ない(庄内式前半ではほとんど無い)ことです。もちろん纒向は庄内甕の大和での中心ですが。
すぐ近くなのに、位置的には大和川水系の結節点なのに、纒向から冷遇されている感じです。
交易ルートからしても、唐古は重要視されていないのではないでしょうか?
つまり、唐古から単純に纒向へ発展したというのは疑問なんです。
もちろん移住者はいたでしょうが、、それは盆地内の他の集落も同様でしょう。

むしろ纒向は、遠くの各国の拠点と初めから直接的に交渉しているのではないでしょうか?逆に言うと、在地だけではない背景を持って各国協賛のもと成立したのではないでしょうか?


146 :日本@名無史さん:05/02/05 23:37:24
>>144>>120を認めるのか?
それは困ったことになるな。
大和が弥生から中心だったということにしないと困る。



147 :ROM厨房:05/02/05 23:53:27
面白くなって来たのでアゲトク
夜は神が作るスレw にヨロシク


148 :ROM厨房:05/02/05 23:54:23
スマソ、sageのママだったw

149 :日本@名無史さん:05/02/06 00:49:41
>>146
>大和が弥生から中心だったということにしないと困る。

そんなイデオロギー的なものじゃないよw
初期ヤマト政権成立後も権力闘争は続いただろうし、畿内王権が外部勢力により
簒奪されることもあったのだろう。神武東征はその時の記憶が反映されたものだろう
と思う。

記紀を素直に読めば、初代大王がヤマトで即位し、欠史八代を経て周囲の
国々と婚姻政策で合従していった、と思うので。
欠史八代を軽視する東遷説には常々疑問を感じています。

あと銅祭器を遺棄したのは、外部勢力の強制によってではなく、自主的なもの
だったとも考えられますよね。
青銅の神々の埋葬は列島各地でパラレルに起きており、まさかその全てを
外部勢力の侵攻によるとは考えないでしょう?

150 :日本@名無史さん:05/02/06 01:00:14
昨今、従来主張されていた後期から終末期九州地域の衰退が
ほぼ否定される方向にありますよね。
一つ問題提起ですが、そうすると倭王権成立って別に画期じゃ
ないような気がしますね。単に北九州・西四国・西瀬戸の既にあ
った王権が東拡大したと考えた方が妥当じゃないかと思うんで
すが。いかがでしょうか。

151 :日本@名無史さん:05/02/06 01:13:17
>>149
その初代大王は何処から来たの??在地の勢力?
というか、大和が優位を持ったのはいつからよ?
欠史八代なんて信用できるんだろうか?
婚姻関係で関係を広げるにしても、結局、なんで大和中心になったかという説明にはならないでしょう。
ふつう否定されているので、どうでしょう。
あと、青銅器祭祀の終焉については、いずれにしても自生か東遷か連合共立かに関わらず、新しい祭祀(首長墓祭祀)ヘの転換ということでよいのではないでしょうか?
(そういう意味では、吉備や出雲がその先駆けだったとも言えるのだが。)

152 :前スレ941:05/02/06 01:15:17
>>150
何か、情報ありますか?

>昨今、従来主張されていた後期から終末期九州地域の衰退が
>ほぼ否定される方向にありますよね。

倭王権と呼ぶべきかどうかは別としても、列島各地に人間が住んで
いましたから、あらゆる可能性を考えるべきだと思います。
縄文早期は東日本の人口が多かったようですしね。

>単に北九州・西四国・西瀬戸の既にあった王権が
>東拡大したと考えた方が妥当じゃないかと思うんですが。
>いかがでしょうか。



153 :日本@名無史さん:05/02/06 01:24:14
倭人の広域交易圏、首長間交渉範囲が関東や東北南部まで延びたため、その中央に王を共立して都を遷したということというのはどうでしょうか?
ただし、倭人伝の書き方だと、伊都国主体ではないよな。
といって、吉備や畿内勢力が大陸までの交易を掌握していたかというと疑問だな。それに鉄製武器のあり方からも、直接的には北部九州に勝てそうもないし。
問題は、それまでの北部九州の中心である伊都国をおさえることができたのは何処かと。
この前の弥生文化博物館の展示だと、奴国がその鍵を握ったような感じだったけど、なるほどとも思いましたが。
いずれにしても、九州の一部を引き込まないと、結局半島や中国王朝との交渉主体になれないわけだし。

154 :日本@名無史さん:05/02/06 01:24:17
>大和が弥生時代に特に卓越していた証拠はないだろ?
>農業生産云々って、特に大和が優れていた証拠がどこにある?
>それで大和に独自のクニが生まれるのはいいが、それがなぜ、
>汎日本列島的に代表者となったか、覇権をもったかという説明にはならない。
>それと、2次的国家における国家形成の問題点は、生産力上昇と階級形成のゆっくりした1次的国家の形成とは違うと思います。
>実際、都出氏自体、そのことに気付いて、物流統括機構としての初期国家成立を考えたのです。
>そもそも大和の優位性なんて、今は弥生時代研究者では疑問視している人が結構多いが。
アプリオリに先進性を持つ地域が後進的な地域を征服すると仮定を置くのは
あまりに安易ではないか。
たとえばスパルタ址は考古学的にはアテネはおろかギリシャの中でも非常
に貧弱な状況にある。しかし文献資料は、スパルタがギリシャ随一の大国で
あり、豊かなアテネを倒したことを記しているし、それを疑う者はいない。
たとえば中国史など公平に見れば辺境部の勢力が先進的な中心部を倒す事例
が多い。これは人的資源、精神的規律、戦術面で辺境部の方が優れているこ
とが多いことによると思われる。このモデルを日本に応用するならまさに
物質的に劣位であるがスパルタと同じく富の集中を規制する強い共同体規律
を持ち、同一の文化圏であり後背地域である東海地域の膨大な人的資源を活
用しえた辺境部である畿内勢力が先進地域であるが故の腐敗や精神的弛緩な
どがあった思われる九州を打倒したと見ることができるのではないか。


155 :似非方丈:05/02/06 01:38:47
>>154
>>先進地域であるが故の腐敗や精神的弛緩などがあった思われる九州

先進地域はいいとして、その腐敗とか精神的弛緩とか根拠無いでしょ?

>>人的資源、精神的規律、戦術面で辺境部の方が優れていることが多い >>ことによると思われる。

多いといつも言えるかどうか?大体、考古資料でどのようにそれを証明しますか?
何も無いのが証拠、とか訳の分らないことは言わないで下さいよ。ちなみにスパルタの覇権はそう長くは続かなかった訳だが。
せめて、戦士層の存在とかを示してもらわないと、、、しかし鉄製武器は非常に少ないのが実情なんですが、、、、

>>アプリオリに先進性を持つ地域が後進的な地域を征服すると仮定を置
>>くのはあまりに安易ではないか

?原田大六のような旧来の東遷説と違って、寺沢や北條への批判でこれを言うのはどうかなと。それに、スパルタの事例を出したが、考古資料で証明し難いところに、安易にそういう説の言うのはいかがでしょうか?
都出氏が「共同体規制力」云々と言ったのは、そんなつもりで言ったとわけじゃなかったとも思いますが、どうでしょう。
ちなみに、畿内の弥生は貧しかったが最後は九州に勝ったなどと言って、スパルタの例とか持ち出すのは、
今まで典型的自生説の論者が言っていた、弥生後期には畿内が優位になっていたという前提を否定することになりますが、それでよろしいですね?
そうすると、自らの説の矛盾が大きくなってしまうと思いますが。



156 :似非方丈:05/02/06 01:41:48
あっとそれと、東海と畿内が同一文化圏って、
それがありなら九州も畿内も一緒だって。
S字甕(台付甕)と庄内甕が同一文化圏かよ??

157 :日本@名無史さん:05/02/06 01:46:49
おいおいw
畿内が「物質的に劣位」で「後進的な地域」と認めてしまうの?
他の自生説の皆さん、これでいいのですか。
これだと小林行雄以来の本流畿内派は認め難いと思うのですが。

158 :日本@名無史さん:05/02/06 01:46:59
>115
原田大六ですが、
神話の安易な解釈が多く、晩年電波だが、
1950年代の「日本古墳文化」と「日本国家の起源」って読みましたか?
当時の水準からみたら、かなり先験的なこと言ってますが。
弥生時代の大社会的観点は、酒井龍一の考えの先駆的描写をしています。
また銅鏡についての研究史でも無視できない存在です。

つーか普通に大六は凄いだろ。
九州だけに既に王権があったとか、そこの権力者間に階級が
あったとか、畿内弥生文化と古墳文化は関係がないとか多少
の修正があってもほとんど今でも通用してんだからさ。
村上が「倭人と鉄の考古学」で今山石斧の流通を出してたけど
これも大六が大昔に言い出した話で今更って気がしたよ。
彼の宿敵?だった小林行雄の「伝世鏡説」なんてのが既に学問史
の世界に消え去ったことを考えれば、平原発掘を度外視しても理
論面でも凄いと思うよ。
あと、彼が電波扱いされたは平原の日向峠云々のとこなんだけど
最近の平原の再調査で柳田が追認して以来否定する人は少ないん
じゃないのかな。


159 :日本@名無史さん:05/02/06 01:50:54
今山遺跡の石斧の話は、もともとは中山平次郎だぞ。
まあ大六は中山に押し掛け弟子入りしたわけだがw

あと、伝世鏡って、鏡台関係では今でも生きていますが何かw

160 :日本@名無史さん:05/02/06 01:53:31
大六は、貴重なキャラだったわけだが、
平原掘ってから電波系になったな。
漏れは大六を評価するけど、『銅鐸への挑戦』ってシリーズとかさすがにトンデモだが。

161 :日本@名無史さん:05/02/06 01:55:14
>おいおいw
>畿内が「物質的に劣位」で「後進的な地域」と認めてしまうの?
>他の自生説の皆さん、これでいいのですか。
>これだと小林行雄以来の本流畿内派は認め難いと思うのですが。

それは、主流派(かつての)も認めてますよ。
じゃあなんで九州に勝ったかというと、

・「物質的に劣位」「だからこそ」勝つ(都出比呂史など)。
・「物質的に劣位」「だけど吉備などをお仲間に入れたから」勝つ(近藤義郎、福永伸也など)。

ということです。

162 :日本@名無史さん:05/02/06 01:59:51
今山遺跡の石斧の話は、もともとは中山平次郎だぞ。
>まあ大六は中山に押し掛け弟子入りしたわけだがw
そりゃそうだが、大声で言い続けて認めさせたのは大六だよ。

>あと、伝世鏡って、鏡台関係では今でも生きていますが何かw
今や「京大だけ」で通用しているローカル学説であることは確かだろうね。



163 :日本@名無史さん:05/02/06 02:00:00
>>161
近藤は吉備東遷説に寝返ったわけだが

吉備を仲間に入れるって、主体的にそうできたか何を根拠にしてるのか?
都出氏の説はちょっと意味不明というか、そんな説明ありかよって気がするけど、おかしいと思わないの?
中国の周囲の蛮族みたいに騎馬戦術でもあったわけじゃないのに、ちょっと無理だろその説明は。

164 :日本@名無史さん:05/02/06 02:05:34
>163
古代中南米地域の王権は、戦術面の大差がないジャングルからの蛮族の攻撃
によって崩壊を繰り返していますが。


165 :日本@名無史さん:05/02/06 02:07:08
>平原掘ってから電波系になったな。

平原掘らなかったら単なるアマチュア扱いで世に出てないと思うが。



166 :日本@名無史さん:05/02/06 02:09:06
>>164
でも、その蛮族側に新しい都ができるの?
いくら例をあげても、一般化できるかどうか、
またここでの問題(ヤマト政権成立過程)がそれと言えるかどうかが問題であって、意味のない指摘ですよ。


167 :前スレ941:05/02/06 02:09:22
>>154
豊かな地域では、人間が文弱化して、軍役や過酷な労働を
回避する傾向が人類一般に見られますね。
中国では周がそうでした。日本列島でもあったと思います。

168 :日本@名無史さん:05/02/06 02:10:32
>>165
平原を掘る前から有名ですが。まさか、知らないの?
学史を知らんやつは困るな。

169 :日本@名無史さん:05/02/06 02:14:09
>>167
しかし、豊かな地域は強盛化して、周囲に領土を広げたりするのもまた世界史の一般法則。
ローマも中国諸王朝もそうだろ。西欧列強もまたしかり。
それとも、九州が末期ローマほどに成熟していたとでも言うの?ちょっとそれは言い過ぎじゃないか。

170 :日本@名無史さん:05/02/06 02:15:42
>152
いやですから、寺澤さんの言うイト倭国って倭王権そのものじゃないかと
思うんですよ。相違点は、領土の拡大(といっても東瀬戸と畿内)と首都
移転、前方後円墳の採用の移転ですよね。これって「拡張」であっても
「断絶」じゃないですよね。



171 :日本@名無史さん:05/02/06 02:18:17
>168
原田なんて電波として有名だっただけ。
高天原を探すために考古学を始めたような人ですから。
報告書の名前も笑えますね。

172 :日本@名無史さん:05/02/06 02:20:24
弥生中期までは銅剣銅矛の副葬の、
後期から終末期は鉄剣鉄刀の副葬の墳墓が多く見られるのは、
北部九州で戦士層がいたことを示している。
大体、最後まで銅矛=武威を崇拝してる社会ですよ。
だからこの場合、>>167はあたらないことが考古資料で言えますよ。
(このことから東征したとか短絡する訳じゃないので、念のため言っておきますが。)
逆にスパルタ云々いうなら、王墓とかなくても、戦士層の証拠を出してほしいが。

173 :日本@名無史さん:05/02/06 02:22:03
多くの学者が語っている畿内自生説の有力な根拠が語られていませんね
マキムク遺跡の出土の外来土器には九州のものはほとんどありません。
一番が東海、次が吉備ですね。
九州がマキムク建設にほとんど関与していないことがこれで分かります。
逆に庄内式土器は、この時期九州に行っています。
つまり九州こそが劣位の立場にあったということです。


174 :日本@名無史さん:05/02/06 02:25:03
>>171
大六が電波入っているし、「ケンカ大六」と言われたように極端なことは認めるが、
全否定するのはおかしいのじゃないか?
特に古い著作をちゃんと読んでみなさいって。
また、電波部分と使える部分(考古学的手続きで論が構成されている部分)を分けながら読み込むことも必要だと思うのだが。
それができないなら、そりゃあんあんたフェアじゃないよ。

175 :前スレ941:05/02/06 02:26:45
>>169
べつに九州に話を限定していないのです。
あえて九州をいえば、鉄の入手に有利で、豊かだったと思います。
末期ローマ以外は豊かなところが存在しないとは言い過ぎでしょう。
また、ローマや中国は、特に軍隊要員が周縁部の人たちに支えられています。
その人たちの支える軍隊が領土拡張に役立ちました。

176 :日本@名無史さん:05/02/06 02:27:34
なんで寺澤さんって吉備主導説なんでしょう。
根拠であるらしい特殊器台は、布留からしか出ないですよね。
王権誕生ではいきなり吉備主導説が出てくるので唐突な気がしました。



177 :前スレ941:05/02/06 02:30:43
>>172
その武器を振るった軍は、周縁部=ローカル出身者に支えられていたわけです。

178 :日本@名無史さん:05/02/06 02:32:55
九州に庄内が来るのは布留0式以降が多い。寺沢によればね。
それ以前は奴国中枢に入ってくると最近言われている。
ただ、土器の問題から言うと、じゃあ纒向で多い東海が王権の主体かというとそれは無い訳で、、、北條のイラストのように貴族?が来たら土器は変わらないかもしれないが。
まあ、吉備や讃岐、播磨の連中あたりが大和に来たんじゃないかと憶測するのだが、九州からは何かソフトウェアが入って来たんじゃないか?

それに庄内式の成立自体、吉備や讃岐、東海の影響が強いのだが。
そしてその庄内式はなぜか畿内でも普遍化しない、という問題もある。


179 :日本@名無史さん:05/02/06 02:33:43
少なくとも大六は、本業の考古学に限れば大きな誤りは犯してないよ。
小林行雄や都出比呂志は、このスレッドでも度々指摘されているとおり
本業の考古学(主に理論面だが)で大きな誤りを犯しているよね。
だから小林らの研究が無駄だったというわけではないけどね。


180 :日本@名無史さん:05/02/06 02:34:50
>>177
九州の武器副葬墳墓は外来出身者と言えないだろ。
ローマの場合は、ローマの場合の話に過ぎないでしょうが。

181 :日本@名無史さん:05/02/06 02:40:33
>178
そりゃそうだ。

巻向の外来土器については労働力移動説か供献説しかないんだから、
巻向に九州の土器がないってことは、逆に九州の主導性を示して
るだけなんだよ。少なくとも上記両説を採用する場合は。
白石太一郎とか馬鹿の一つ覚えのように繰り返してるけどいい加減
止めてほしいよ。逆にあの地域と河内の一部にしかでない庄内土器
が博多湾岸限定ででるのは何故か考えろと言いたいね。


182 :日本@名無史さん:05/02/06 02:42:16
ローマも共和制時代のの領土拡張期は、ローマ市民権を持つ兵士が主体では?
中国諸王朝も、少なくとも各王朝の初期は自前の兵士たちが主体では。
いずれも領土が大きくなってから(帝国化してから)、異民族の兵士や傭兵に主体にとってかわられると思うが。

183 :似非方丈:05/02/06 02:43:50
>>178
私に近い考えですね。ぜひコテハンつけて下さい。
頑張りましょう。

184 :似非方丈:05/02/06 02:45:57
>>180は大六信者?

185 :日本@名無史さん:05/02/06 02:46:53
北條先生質問です。

一次帝国と二次帝国のお話で、一次帝国では階級闘争により
権力の発生があるとのですげど、共同体間の征服、被征服は
ナイル川やこうが地域でもあるのでおかしいのではないですか。
そもそもそのような結論ありきのマルクス主義の仮説が21世紀
のこの時代に実証を重んじる考古学という分野で適用さえること
というのはどんなものかと思いますが、先生はいかがお考えでし
ょう?




186 :184:05/02/06 02:51:18
>>184>>180>>179の間違い。スマソ。

>>178>>181に質問ですが、ではなぜ畿内系土器が広がったのでしょうか。まあ>>173のように、土器が行く方が優位で受け入れるのが劣位と簡単に言うのは確かにどうかと思いますが。

187 :似非方丈:05/02/06 02:57:34
>>185
あのー、本人じゃないのですけど、、、本人みたらそんなこと自分は言ってないよと言うかもしれませんので。

マルクス主義の仮説は、それはそれで今も有効な部分はあると思いますよ。
ただ、それだけで解釈を限定してしまう傾向があるのは甚だ疑問ですね。
国家起源論は、むしろ単一要因仮説は今は否定されています。
どこでも、複合的要因で国家が成立していくことが言われています。
生態学的要因によっても、何が主要因か地域的に違うことも指摘されています。
>>131であげられている文献に網羅されているので読んでみて下さい。

188 :似非方丈:05/02/06 03:07:20
一(ニ)次帝国→一(ニ)次的国家、です。

マルクス主義国家起源論(単純化)
生産力の発展→分業の発展→生産関係の矛盾→階級の発生→階級闘争→国家の発生(起源など)
(反デューリング論の二つの道)
階級支配の道具としての国家の成立=剰余労働搾取の進行を前提(第一の道)と、階級闘争の緩和、回避としての国家の成立=社会的職務機能の独占化(社会統括機構の成立)(第二の道)

うーん、難しいので誰か分かりやすく説明してちょ

189 :日本@名無史さん:05/02/06 03:13:02
自生クン(コテハンつけてね)は逃げたのか?

190 :日本@名無史さん:05/02/06 10:34:41
神武天皇も吉備にしばらくいたわけだから、
吉備勢力のルーツが日向だったとしたら、
記紀ともつじつまが合うぞなもしぞなもし

191 :日本@名無史さん:05/02/06 11:01:33
>>169
九州は末期ローマというより
ローマに滅ぼされたカルタゴみたいな感じがするのだが
亀レスでスマソ

192 :日本史@名無しさん:05/02/06 11:17:16
在地豪族の存在は否定しない。というか当然。

だが、文化の伝播については西→東が常識。

自閉的に畿内自生ってことさらに言うこと自体異常ではある。相互に影響し合っているのに。


193 :日本@名無史さん:05/02/06 11:43:38
カルタゴほどコテンパンてな訳ではないけどね
ちなみに末期ローマって分裂前のこと?
なんか板違いだけど

194 :日本@名無史さん:05/02/06 12:35:18
>だが、文化の伝播については西→東が常識。
そりゃそう。畿内自生の豪族だって、先祖は先進の九州からやって来たのだろう。

>自閉的に畿内自生ってことさらに言うこと自体異常ではある。相互に影響し合って
>いるのに。
畿内自生説は、畿内王権は征服王朝という安易な主張に反対する立場です。
自閉的とかは、まったく的外れな難癖。

195 :日本@名無史さん:05/02/06 12:51:19
「畿内自生」じゃなくて「畿内主体」、特に大和川水系の豪族(物部とか葛城)が主導した感じでしょうか?


196 :日本@名無史さん:05/02/06 13:41:42
>>194
寺沢などの立場は安易な征服王朝説ではないが。
それならあるいは認めてもいい?
(少し譲ればでしょうけど。譲れない?)

>>191,>>193
ローマはカルタゴと争った時、すでにイタリア半島を統一し、十分強国アだったと思うが。
ローマとカルタゴの差は、
明らかに「後進的な」「物質的に劣位な」畿内と、豊かでかつ戦士層もいる北部九州との差よりは小さいと思うけど。
それにカルタゴを負かすのに、計3回、100年かかっていますが。(当初はカルタゴが優勢、二回目は互角、三回目はローマ圧倒的優勢)

>>194
だから、畿内主体なら、なぜにほとんど全部外来要素の首長墓祭祀で、また、どうやって吉備はもちろん九州までおさえることができたのかの説明がつかない。

197 :日本@名無史さん:05/02/06 15:48:17
>また、どうやって吉備はもちろん九州までおさえることができたのか
>の説明がつかない

まあそれは、吉備や北部九州が主体でも説明がつかないと思いますが。

198 :日本@名無史さん:05/02/06 15:59:49
纒向石塚の墳型は、畿内自生でないかな?


199 :日本@名無史さん:05/02/06 16:03:12
初期ヤマト政権でイニシアティブを取ったのが畿内勢力だと思うのは、
王都を自勢力下に置いたからに過ぎません。
シンプルですが、非常に説得力があるのではないでしょうか。

文化的な断絶にしても、あくまで墓制上のことだし、それだけで外部勢力の侵入を
力説されても…。

200 :日本@名無史さん:05/02/06 16:09:18
大和勢力も邪馬台国に参加したのは間違いないだろうし、
女王共立による邪馬台国体制確立を契機として、
各地の葬送儀礼をパッチワークして大和で古墳が建設され始めた、
ていうストーリーはどうでしょうか?

別に「外部勢力の侵入」を想定する必要がありませんし。

201 :日本@名無史さん:05/02/06 16:15:37
外部勢力説の人に聞きたいのだが、外部勢力による畿内王権樹立って、
「吉備が北部九州の支援で畿内制圧」、みたいなストーリーでいいわけ?

では何故、吉備のことが、記紀に殆ど記載されていないのか。まあ、反乱伝承には
事欠きませんが。
王朝交替とかで、吉備の王統は途絶えたのか?

初期古墳に吉備の影響が無いことも指摘されているし、吉備主体っていうのも
どうかなあ、と。
東海主体は駄目なんでしょうか?

202 :日本@名無史さん:05/02/06 16:20:34
石塚は楯築や立坂が原型では?
都(纒向)が突然変異的に出現しているので、外からのインパクトにより再編成されたということはありうると思いますが。
この点は寺沢が1979年以来力説しているところ。
吉備や北部九州が深く関与して「倭国」の都を作ったら、その故地の連中も納得するのじゃないの?
田舎の畿内勢力が勝手に都を作って王を自称しても、誰も納得しないと思うがw

203 :日本@名無史さん:05/02/06 16:24:13
初期古墳に吉備の影響は大ありだろ?
前方後円形(楯築の双方中円を嚆矢とする)、石槨、特殊器台、弧帯文(→弧文円板も)等

204 :日本@名無史さん:05/02/06 16:31:00
後の時代だが、造山みたいに大王陵に張り合うことしたり、また反乱伝承が多いのも、逆に王統に近く出自が近かったゆえの争いかもしれない。(5世紀には「応神天皇」伝承で、少なくとも傍流の王家が大王となったが、吉備もそれなら俺達もということになったのでは?)


205 :日本@名無史さん:05/02/06 16:33:39
>>201
東海は労働力を提供させられただけ
S字甕(炊飯具)が多く出るのはそのせいかと
北條氏のイラストが秀逸だw

206 :日本@名無史さん:05/02/06 16:37:46
いやだから、女王共立→倭国合一の記念に、各地の要素を採り入れた
前方後円墳が築かれたんだよ。

207 :日本@名無史さん:05/02/06 16:40:42
楯築も石塚も築年代は、さほど違わ(ry

208 :日本@名無史さん:05/02/06 16:47:07
取りあえず、北九州=舎弟頭、吉備=若頭、出雲=若等補佐、四国・東海・丹波・越=直杯、関東、東北=傍系

209 :日本@名無史さん:05/02/06 16:47:36
ここの人たちは、卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ媛と考えているの?

実在の卑弥呼は、記紀には書かれていないのでしょうか?

畿内王権=邪馬台国なら、卑弥呼が登場しないのは、甚だおかしいことですよね。

210 :日本@名無史さん:05/02/06 16:50:09
その名が書かれたものは、木簡も金石文も出土していません。

211 :日本@名無史さん:05/02/06 16:56:58
全然関係無い話だが、エジプトの王名表でも
スメンクカラー、ツタンカーメン、アイの王名が載っていないよな
卑弥呼、それ以外の人物も記紀に載っていない可能性も考えてもいいよな

212 :日本@名無史さん:05/02/06 17:25:05
ユナイテッドキングダム(連合王国)だった倭国が最終的に畿内王家(イングランド?)の
統一により大和朝廷もしくは日本国になった。結果的に残したのは自国の歴史だけ。
しかも始原から唯一の統一王権だったと詐称した。

213 :日本@名無史さん:05/02/06 17:27:00
>>211
でも、記紀では初期ヤマト政権の大王たちが三輪山麓に居住したとされて
いるし、それが3世紀初頭の畿内王権のことだとは思うでしょ?

同時期と思われる崇神、垂仁、景行の記録はある訳だから、
本当に畿内王権=邪馬台国なら、卑弥呼の記憶も何らかの形で記憶に
残っていると思いますが。

214 :日本@名無史さん:05/02/06 17:29:35
>最終的に畿内王家(イングランド?)の
>統一により大和朝廷もしくは日本国になった。

それはいつのことですか?

215 :日本@名無史さん:05/02/06 18:26:33
>213  記紀と邪馬台国の解釈論については、該当をスレを参照のこと。

>215 212のイギリスの例は、かなり違うと思うが・・・

216 :日本@名無史さん:05/02/06 20:14:53
>>207
纒向石塚は古くても纒向2式。
(盛土中にわずかに纒向2式初めの土器がありこれより新しい。)
さらに新しくみる説もある(纒向3式説=寺沢説)
漏れは2式と見るが、少なくとも楯築より新しい。
楯築は吉備の鬼川市3式(5様式後葉併行)。
併行関係から2型式は古いはず。
楯築の特殊器台は立坂式、石塚の弧文円板の文様は次の向木見式併行。
これは通説。
残念。
>>206
だから、共立主体が問題なわけ。
>>208も少し納得できないな。



217 :日本@名無史さん:05/02/06 21:25:26
イギリスはノルマン人に占領されてるだろ。

218 :日本@名無史さん:05/02/06 21:33:31
イギリスのノルマン朝=大和朝廷

219 :日本@名無史さん:05/02/06 22:41:31
アーサー王伝説は残ってるな
都合の良し悪しで残ったり残らなかったり

220 :日本@名無史さん:05/02/06 22:56:07
>172
>弥生中期までは銅剣銅矛の副葬の、
>後期から終末期は鉄剣鉄刀の副葬の墳墓が多く見られるのは、
>北部九州で戦士層がいたことを示している。
>大体、最後まで銅矛=武威を崇拝してる社会ですよ。
>だからこの場合、>>167はあたらないことが考古資料で言えますよ。
>(このことから東征したとか短絡する訳じゃないので、念のため言っておきますが。)
>逆にスパルタ云々いうなら、王墓とかなくても、戦士層の証拠を出してほしいが。

一般的に北九州では鉄器は副葬品として出土する事が多い。
これにたいし畿内では個人墓の発見が少ないわけでこれをもって両地域を
比較するのはフェアではないと思う。
実際の出土は少ないものの、畿内の鉄器の増加については、石器の減少という
減少から十分推測しえますし、低湿地である畿内においては鉄器が残りにくい
ということもまた事実です。
また、弥生後期の畿内における高地性集落の急増などから戦士層の存在は自明の
ことでしょう。


221 :日本@名無史さん:05/02/06 22:57:11

小林行雄→畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した。
佐原真 →畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い。
     原田大六のようなド素人が唱える東遷説は、「皇国史観の亡霊」だ。
近藤義郎→銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに違いない。
都出ヒロシ→個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
      となった。威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタ
      のように。


222 :日本@名無史さん:05/02/06 23:12:02
>186
>>178>>181に質問ですが、ではなぜ畿内系土器が広がったのでしょうか。まあ>>173のように、土器が行く方が優位で受け入れるのが劣位と簡単に言うのは確かにどうかと思いますが。

庄内式土器に限って言えば、畿内の土器といっても非常に限定された出土
だよね。畿内といってもオオヤマト地域と河内の一部しか出ない。
そのほかで大量に出土するのは博多湾岸だけです。残りは岡山の総社市と
いうとこからちょっと出るくらい。
この政権の構造をよく表した出土だと思いますね。
個人的な推測ですが、権力に随伴しているのではないかという仮定ができ
るんじゃないでしょうか。


223 :日本@名無史さん:05/02/06 23:19:01
>202
>石塚は楯築や立坂が原型では?
>都(纒向)が突然変異的に出現しているので、外からのインパクトにより再編成されたということはありうると思いますが。
>この点は寺沢が1979年以来力説しているところ。
>吉備や北部九州が深く関与して「倭国」の都を作ったら、その故地の連中も納得するのじゃないの?

このスレッドでさんざん指摘されていますが、近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠
としている特殊器台は、中山大塚以降しか出ていませんよ。都月と宮山が一緒に
なるのも吉備じゃなくて畿内においてです。
そのほか、よく指摘される葺石についても、ホケノ山以降です。
庄内期に吉備の影響が過大視するのは明らかな間違いでしょう。
布留期に吉備の文化が大量に流入したことをもってその前の庄内期に
おける倭王権成立の吉備主導を導くのは本末転倒じゃないでしょうか。


224 :日本@名無史さん:05/02/06 23:20:07
>202
>石塚は楯築や立坂が原型では?
>都(纒向)が突然変異的に出現しているので、外からのインパクトにより再編成されたということはありうると思いますが。
>この点は寺沢が1979年以来力説しているところ。
>吉備や北部九州が深く関与して「倭国」の都を作ったら、その故地の連中も納得するのじゃないの?

このスレッドでさんざん指摘されていますが、近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠
としている特殊器台は、中山大塚以降しか出ていませんよ。都月と宮山が一緒に
なるのも吉備じゃなくて畿内においてです。
そのほか、よく指摘される葺石についても、ホケノ山以降です。
庄内期に吉備の影響が過大視するのは明らかな間違いでしょう。
布留期に吉備の文化が大量に流入したことをもってその前の庄内期に
おける倭王権成立の吉備主導を導くのは本末転倒じゃないでしょうか。


225 :日本@名無史さん:05/02/06 23:20:59
>>220
まだ畿内の鉄は低湿地遺跡だから残らないと言ってるよw
これは解決済み。村上氏の本をちゃんと読め。
まず、九州は墓でも集落でも出ます。
畿内では墓でもでないし、集落でも少ない。
ただし畿内ではない北近畿では集落でも墓でも出ますがw
畿内では数少ない個人墓でも鉄器は少ない。
九州では、低湿地遺跡でも鉄器が出ます。
九州以外でも青谷上寺地ではあの立地で鉄器が多く出ます。
鍛冶遺構も九州では多く、畿内では少ない。
また鍛冶技術も九州が高い。畿内以東は低い技術。
鉄器の質(斧の厚みなど)も九州が上。
石器が減少するので鉄器が普及したのは認める。
が、絶対量と鍛冶技術、鉄器の質は、明らかに西高東低だろ。
畿内の鉄器の質と量は関東あたりと変わらない。
(関東方面は、日本海−北陸−信州ルートで別に入る。東海は日本海ー丹後−近江ルート、畿内は逆に瀬戸内の一番どんづまりというわけ)

高地性集落が戦士層??
攻められる方が、逃げ城で作るものと思うが。
共同体防衛のためであって、特定戦士層の集落と言う根拠はない。
残念!

226 :日本@名無史さん:05/02/06 23:26:31
畿内の後期集落では、低湿地ではない丘陵上でも少ないことも分っていますか?

227 :日本@名無史さん:05/02/06 23:32:36
畿内は鉄も満足に買えない貧乏国家だったってことだろ。
何か?

228 :日本@名無史さん:05/02/06 23:44:06
庄内式土器成立には吉備の土器の影響が大きかったと思われる。
内面ヘラケズリ、小型器種の組成、精製器種の製作技法など。
(河内の中田刑部土坑など。中田刑部では大量の吉備系および讃岐系土器が出土。庄内式初頭。)
河内ですが、東郷遺跡で向木見式がある。
弧文円板は特殊器台文様の影響。
奈良でも柳本遺跡で吉備系の祭祀用壺が出てますね。
纒向でも古い祭祀土坑で吉備系が多いものがあります(辻土坑3だっけ)。(二上山博物館「邪馬台国時代の吉備と大和」参照)
何よりも、石塚はいきなりあの大きさは何だ、という感じ。
吉備そのものではない、かもしれないが、楯築の前例があって出来るものと考えますが。畿内にその原型が無いのはやはり問題。
もともと吉備の関与があって、次代の箸墓の時に大きく表面化したというのではどうでしょうか。
葺石ですが、勝山って無かったですか?古そうですが。
ホケノ山は私もそう古くないと思うのですが、その前の勝山や矢塚が掘られたらもっと分るんでしょうけどね。そこはまだ仮説ということで。

229 :日本@名無史さん:05/02/06 23:45:38
>>221

>小林行雄→畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した。
いったい、どんな農産品が適しているのか?
もし、稲作ならば
一反辺りの畿内と北九州の生産量の比較は
当時の全国平均(反辺り何俵)は?
簡単に他人の考えを引用するな

230 :日本@名無史さん:05/02/06 23:51:12
寺澤が平和的な共立って行ってるけどこれおかしいよね。
ありえねえって言うか。
弥生時代の大量の死傷遺体、武具、高地性集落、こういった物を
どう考えてるんだ。言うとしても「平和的に共立した可能性もある」
って程度だろ。

231 :日本@名無史さん:05/02/06 23:52:39
>>221
そうですね、>>229さんの言うように、安易ですね。
大体、まず鉄器の普及から言って、生産力も九州が上かと。
耕地開発可能エリアが違うでしょ。鉄器の多少で。
また、灌漑技術上も、半乾田は北部九州や吉備で多く検出されているが(大規模な水路と井堰の構築)、畿内は湿田や半湿田が主体。
古墳前期以降に同レベルになると思うが。
もともと、佐原などのこの言説は、具体的資料に基づいていませんので、残念ですが。

232 :前スレ941:05/02/06 23:57:44
×畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した。
○畿内には未利用低湿地が広がっており、これを利用できる農業を
 持ち込んだ勢力が栄えた

・・・ってことでしょうか?

233 :日本@名無史さん:05/02/07 00:00:19
>>230
だからといって、例えば、逆に畿内が九州を、武力で、制圧した証拠も無い。
高地性集落は瀬戸内や近畿にこの時期(5様式末)多いが、九州は少ない。九州の拠点集落で急に衰退したものは無い。
畿内も、この時期には高地性集落以外、大量の死体がある遺跡などない。青谷上寺地の後期の例は例外。九州の諸例は前期後半から中期の長い間に散らばっている。
確かに武器はあるから、戦争はあっただろうけど、その結果として妥協があり、外交活動によって共立というということはあり得ない話ではない。。寺沢も戦争が無かったとは言っていない。
むしろ、イト倭国の東方への不断の圧力があったとまで言っている。


234 :日本@名無史さん:05/02/07 00:00:27
>228
ホケノ山の前の4つは葺石はないです。
まず、吉備の首長霊継承儀式の畿内への連続性については
庄内期には成り立たないわけですが、それ以前にそもそも
楯築の副葬品とホケノ山の副葬品は隔絶がありすぎです。
権力者層の移動など直接的な連続性は否定されるべきでしょう。


235 :日本@名無史さん:05/02/07 00:02:36
>まだ畿内の鉄は低湿地遺跡だから残らないと言ってるよw
>これは解決済み。村上氏の本をちゃんと読め。
村上さんの説って定説なの?
ネギタさんとか全然違うこと言ってない?

236 :日本@名無史さん:05/02/07 00:06:51
>>235
ネギタさんは最近おされ気味。
大阪の藤田憲司さんは、最近の九阪の論集では村上説を認めざるを得ないと書いてたよ。「見えざる鉄器」なんて無いって、、、

>>234
だからですよ、楯築+平原の中味(+讃岐・播磨+丹後の各要素)ということです。
楯築×平原→前方後円墳祭祀かと。

237 :日本@名無史さん:05/02/07 00:10:42
>233
戦闘の痕跡なんてのは後世でも考古学的には出てきにくいもんだよ。
この時代は武具など戦闘状況を示す考古学的な物証が大量に出ている
時代なんだから、安易に倭人伝の文言を根拠な推定をすべきじゃない
だろう。いい加減な文献屋じゃないんだからさ。



238 :日本@名無史さん:05/02/07 00:12:30
>>237
じゃああなたはどう考えているの?
(こちらも寺沢も戦争が無かった、と言ってる訳じゃ無いのですが)
あと大量に出ている「武具」って何ですか?

239 :日本@名無史さん:05/02/07 00:13:34
ニセ北條先生のお話はわかりやすいです。
もっといろいろ大御所達の定説に過激に反撃して下さい。

で、老教授@関裕二はどこに消えたんだろうか?


240 :前スレ941:05/02/07 00:17:21
老教授氏は「終止符」スレで、AV女優に惚れて以来行方不明です。

241 :日本@名無史さん:05/02/07 00:18:52
マルクス主義のイロハも知らない寺澤が反デューリング論とは片腹いたい。
マキムク都市論といい、北九州国家成立論といい、歴史学の国際的常識からはずれ
まくった主張には呆れ返る。
都市とは何か、国家とは何か、中国にでも行って勉強しろや。


242 :日本@名無史さん:05/02/07 00:21:56
10 :日本@名無史さん :05/02/02 23:57:22
寺澤の王権誕生よんだら、釈超空そのまま引用してて驚いた。
考古学者が電波引用してどうすんだ?


243 :日本@名無史さん:05/02/07 00:24:33
>152
いやですから、寺澤さんの言うイト倭国って倭王権そのものじゃないかと
思うんですよ。相違点は、領土の拡大(といっても東瀬戸と畿内)と首都
移転、前方後円墳の採用の移転ですよね。これって「拡張」であっても
「断絶」じゃないですよね

244 :似非方丈:05/02/07 00:24:33
>>241
あなたのいう歴史学の国際常識とは?
そんなのあったら苦労しないよw
纒向都市論はしかし、都出氏も半ば認めかけていたのだが。
都市とは何かって、これも定義は実際にはいろいろありますが。
例えば古代中国でもどの段階から「都市」とするか一致していません。
これはメソポタミアなども同じ。
日本列島でも、中国の直接影響の7世紀以降の都市以前に、「初期都市」(「初期国家」の都市)があってもいいと思いますが。
まあ確かに漏れも寺沢の説にはついていけないところもあるが、、
(北九州の前期末から国家などとするとか)

245 :日本@名無史さん:05/02/07 00:26:23
ウェーバーの自治都市論が有名だな。
日本最初の都市は、藤原京が定説。


246 :日本@名無史さん:05/02/07 00:26:24
>>232
それは違うぞ

湿地帯だからといって稲作に適しているわけではない。
米作りに十分な水は不可欠だが、年中じめじめした土地では土地が痩せ細ったり稲に病気が付きやすくなったりして、年を追う毎に生産量は確実に減ってゆくものだ。
収穫〜田植の間、十分に水を抜き耕し空気を入れ乾燥させ休みを与えることが重用なのだ。
それが出来ない土地の集落は、やがて寂れ行く

247 :似非方丈:05/02/07 00:27:28
どうも>>241,>>242他の「自生クン」は、
突っ込まれて具体的反論できないと誹謗中傷に走る傾向があるみたいですね
情けないと思いませんか?皆さん。

248 :日本@名無史さん:05/02/07 00:29:44
考古学的なショボさと戦闘力は比例しないのでは?
たとえば薩摩藩は、城郭を全く作らなかったですよね。
そのほか商工業も江戸、大坂に比べ遙かに劣る。
もし幕末の文献がなく考古学的証拠だけだったら、
誰も薩摩藩が江戸を制圧したとは誰も思わないのでは?
しかし事実は薩摩藩が維新の中核だったわけで。

249 :日本@名無史さん:05/02/07 00:31:16
で、イト倭国=倭王権でなんか問題あんのか?


250 :似非方丈:05/02/07 00:36:05
>>245
もいおい、
ウェーバーかよ。古典理論だなw
あのね、ウェーバーを厳密に適用すると、近代より前のアジアの(ヨーロッパ以外の)「都市」はいかに人口が100万人以上いても、「都市的ゲマインデ」の欠如で「都市」認められなくなるのだが。
実際、古典理論(マルクスやウェーバー)しか知らない日本史の大御所は、一部に藤原京や平城京でさえ「都市」でないと言ってた人もいるw
19世紀のヨーロッパ中心主義史観をここで持ち出して歴史学的常識とは、ちょっと期待外れだなw
都市、特に国家成立時の都市は多様性があって、世界各地の考古学では、それぞれ実情に合わせた都市成立論を展開していると認識しているが。君は知らないのかい?
角川書店の『古代王権の誕生』シリーズや、同成社の『世界の考古学』シリーズでもとりあえず読んでね。
あと、トリッガーの「初期文明の比較考古学」同成社(川西宏幸訳)もオススメ

251 :日本@名無史さん:05/02/07 00:36:19
畿内が技術的に遅れてても、鎌倉幕府樹立時の東国武士団みたいな例もあるからな。
九州は、小国家並立思考が強すぎて、大型化した畿内連合に凌駕されたんじゃないのかな?

252 :日本@名無史さん:05/02/07 00:37:45
>238
何らかの事情で外部勢力主導で倭王権が誕生したってだけでいいでしょ。
それから倭王権における畿内文化の払底は、たとえ倭王権への参加があった
としても明らかに劣位な同盟者であったと考えるべきじゃないの。


253 :日本@名無史さん:05/02/07 00:39:26
>>248
文献が無い時代について、じゃあどう実証するのよ。
ただ薩摩の場合、幕末に殖産興業で近代化(兵器も含む)を遂げたのは事実で、その遺構や遺物も残ってるよな。長州も同じだろ。

254 :日本@名無史さん:05/02/07 00:40:30
最近の古代史関係ではこんな説が注目されていますよ

 畿内に発生した連合体が九州(主に北部)勢力との合併を果たした
 これにより魏への朝貢が現実のものとなり、邪馬台国を新設、首都とした。
 しかしあくまでも強権を発揮できるだけの大王は成立できず
 権力並立(分権)のまま、いわゆる派閥連合として成長したが
 4世紀に入ると、九州主体グループ、出雲グループ、河内グループなどの
 血族による有力派閥勢力が政権を争うようになり、それらが各地域を治めていた。
 5世紀以降、九州グループが半島経営を指針に挙げたのに対し
 出雲、河内は富国政策を主張。継体天皇の擁立となった。
 この衝突が磐井の乱の原因となり、一時九州は弱体化。蘇我氏、物部氏などが台頭する。
 しかし7世紀中頃、中大兄皇子と中臣氏によるクーデター発生(壬申の乱)
 以降九州出身勢力が連合を統一し、飛鳥時代を迎える。

面白いのは実はこの説、橿考研や奈文研の若手からの邪馬台国畿内説の立場からなのですが
こういう形での九州勢力の台頭は十分考えられるのではないでしょうか




255 :似非方丈:05/02/07 00:40:57
>>238
それなら同意しておく。
それと、「似非大六」コテハンにしませんか?

256 :日本@名無史さん:05/02/07 00:42:11
>253
江戸城と鹿児島城を見て、情報がなきゃ後者が前者を征服したとは普通思わないよ。


257 :似非方丈:05/02/07 00:42:16
あっと、>>255の「>>238」は「>>252 」です。スマソ


258 :似非方丈:05/02/07 00:43:23
>>251
想像だけでしょ、それ。
畿内が大きく一丸となっていた証拠が、大体無い。
戦士層の証拠も無い。
どうするよ?

259 :似非方丈:05/02/07 00:45:01
>>256
あのね、幕末時期の遺構と遺物で決めようや。
城は成立時期が違うから、他の遺構や遺物で技術や戦術が違うことが分ればいいのでは?

260 :日本@名無史さん:05/02/07 00:45:21
>>248
ならば東征についても、同様のことがいえるな。
九州から畿内を制圧しても考古学的証拠は残らない。
あるのは文献だけ。

261 :似非方丈:05/02/07 00:47:38
>>248(自生クン)の以下の外れた議論は、結局、
>>260の言うように、水掛け論。


262 :日本@名無史さん:05/02/07 00:50:00
>>251
おいおい、東国武士はそれこそ武力を背景にしていたわけで
鉄器におとる畿内とは全く違う。

鉄器が溶けたなんていうが、大分の重藤遺跡の鉄器は、旧石器時代と
いうのは怪しかろうが、弥生以前には違いない。
その重藤遺跡は、もっと溶けやすい海岸線にあるのに、ちゃんと残って
いた。
溶けたなんて言い訳がましい。

263 :日本@名無史さん:05/02/07 00:51:15
>258 少なくとも畿内・丹波・東海連合&吉備って関係は見えてこないかな?

264 :日本@名無史さん:05/02/07 00:57:36
>>262
おいおい、
重藤遺跡の鉄滓の特徴は古墳時代以降。
海岸で出ている鉄器も古墳時代のもの。
年代はC14なんだろうが、昔の測定は、試料の吟味も甘く、コンタミが排除できない。
重藤遺跡の年代は却下ね。
それ持ち出すとトンデモ扱いされますよ。
他の確実な鉄生産遺構との比較でやって下さい。

>>263
東海は疑問だな。
前方後方墳主体で非主流だし、むしろ労働力をかり出されている感じで、同盟者としても、劣位じゃないの?

265 :日本@名無史さん:05/02/07 01:00:57
畿内は古墳時代のものも溶けたといっているんだろう?

266 :日本@名無史さん:05/02/07 01:02:12
いや古墳時代はちゃんと出ますよ。
古墳からは大量に出るのは当然として、
集落からも出るようになります。


267 :日本@名無史さん:05/02/07 01:05:42
>>254
誰の説だ、それ?

268 :日本@名無史さん:05/02/07 01:07:49
>266
弥生期だって、九州ほどじゃないけど、畿内全体で見れば他地域並に出てるさ。
ただ、大和だけ極端に出土例が少ないんだよな。
俺は、大王山くらいしか事例を知らん・・・その現物も見たこと無いが。

269 :日本@名無史さん:05/02/07 01:09:58
>>268
他地域並みって?
山陰、丹後より畿内の他も圧倒的に少ないわな。
畿内全体でも鳥取あたりにさえかなわないと思うが。

270 :日本@名無史さん:05/02/07 01:24:43
>269
確かに出雲にも適わないな・・・
俺は「溶けちゃった」説じゃないけど、大和・河内だけ極端に少ない事実は認めてるさ。
だけど、枚方とか京都の田辺あたり、それに「畿内」からは外れるが和歌山でも出土例はあるよ。


271 :日本@名無史さん:05/02/07 01:38:06
倭人伝の邪馬台国=大和って前提に立てば、
吉備主導の東遷説の人は、投馬国はどこだと考えているの?

>>233
>むしろ、イト倭国の東方への不断の圧力があったとまで言っている。

はあ。>>118が言っているように、伊都国は世王有るも皆女王国に統属す、
だから。北部九州は、古くから畿内王権に対して、従属的な立場だったんだよ。
それは庄内の土器が博多湾沿岸から多量に出土することとも符合する。
畿内王権の優位性は銅鐸による宗教的権威と、東海・関東から徴発したニギエビスによる
軍事力だったのだろう。

272 :日本@名無史さん:05/02/07 01:46:29
畿内って一括りにされているけど、
大和川水系、淀川水系、紀ノ川水系に分割できると思うんだよ。

唐古鍵は大和川水系=葛城で、淀川水系の奈良盆地南下で営まれたのがマキムク。
淀川水系は、吉備や出雲、越らと関係が深く、古墳文化を大和に持ち込んだ。
山辺の道は、本拠地とマキムクを結ぶ軍事道路だった。

外部勢力の主体は吉備や北部九州、四国より、淀川水系と考えた方が
よっぽどリアリティがある。

273 :日本@名無史さん:05/02/07 02:07:43
いや、このスレの人たち、レベルが高いっす。
特に、似非方丈さんとか。他の方、自生説の人とかもコテハン化して欲しいですね。

他の邪馬台国関連のスレは、正直…

274 :日本@名無史さん:05/02/07 02:11:28
>>271
「古くから」っていつからよ?
2世紀末までは無理だよな。
それに庄内式の問題については、>>178,>>181,>>222
で適切な解釈がなされていますが。

>>畿内王権の優位性は銅鐸による宗教的権威
まだ銅鐸かよ?
だから大和中心とは今じゃ簡単に言えないって。
仮に大和中心としても、非銅鐸圏にはその権威は意味無いだろよ。
それに3世紀には銅鐸は無いんじゃない?

>>東海・関東から徴発したニギエビスによる軍事力
??その証拠は???
後代(7世紀とか)なら分るが、3世紀はそこまでの証拠はないだろ。
墓作りの労働力は分るけど(東海)。関東はそれも証拠なし。


275 :日本@名無史さん:05/02/07 02:16:39
>>272
そのわりに、淀川水系は庄内甕が少ないな。
奈良盆地北部なんか布留1式でも5様式系が出るし。
水系ではなく、拠点拠点を結ぶネットワークの成立が庄内期の変革と思うが。
唐古が葛城っていうのはどうかな?
多遺跡なら分るが?分かる?

276 :日本@名無史さん:05/02/07 02:17:35
>>274
じゃあ君は、倭人伝の記述を無視するわけね。

277 :275:05/02/07 02:19:17
ゴメン多遺跡じゃなくて鴨都波遺跡だった。訂正シマツ。

278 :日本@名無史さん:05/02/07 02:22:47
>>275
庄内=葛城で、布留=淀川。
葛城王朝⇒三輪王朝の政権交替が起きたのだ、って考えてます。

279 :日本@名無史さん:05/02/07 02:24:21
>>276
はぁ??
ここで都合よく文献かよ。
まあ、卑弥呼の遣使が239年からだから、倭王卑弥呼共立(2世紀末??)から約50年。それぐらいでいいんじゃない。
「女王国に統属す」なので、女王共立以降の話でしょ。
新しい倭国王のなら別に伊都国(=旧倭国王と思いますが)が統属してもいいじゃん。
>>123参照のことね。


280 :日本@名無史さん:05/02/07 02:26:05
>>278
考古学と関係ない話ね。
葛城王朝説なんて今どきまだ生きてたんだねw
葛城には庄内甕は少ないんだが。一応忠告しておくけど。

281 :日本@名無史さん:05/02/07 02:31:48
>>278
というか、庄内段階で三輪山の麓に纒向はあるわけだが。
それ、今思いついたんだろ?

282 :日本@名無史さん:05/02/07 02:35:00
>>279
>倭王卑弥呼共立(2世紀末??)から約50年。それぐらいでいいんじゃない。
>「女王国に統属す」なので、女王共立以降の話でしょ。
50年なら、せいぜい2〜3世代。
伊都国王が倭王権を主導したとするなら、倭人伝の記述は明らかにおかしい。

283 :日本@名無史さん:05/02/07 02:41:16
>>279
伊都国主導説は>>123のようにごく一部。
寺沢は実はちょっと違う。
よく各学説を整理して理解するように。
漏れも必ずしも伊都国主導とは考えていないので。

284 :日本@名無史さん:05/02/07 02:41:39
>>281
あ、バレましたかw

285 :日本@名無史さん:05/02/07 02:44:27
2世紀までの「倭国王」(107年から)は伊都国でいいんじゃないのか?
それぐらい認めてから議論した方が生産的。
これはガチガチの自生説派でも普通認めていると思うが?
考古学的にも、2世紀の倭国王が畿内にいたなんて、それこそ無理。


286 :日本@名無史さん:05/02/07 02:49:07
>>283
北部九州の鉄の優位性を声高に主張して、畿内主体の倭王権成立を否定して
おきながら、いざとなると伊都国主導を切り捨てるのか…

北部九州と比べれば、倭国の全ての国が鉄において劣位であり、吉備においても
例外ではない。
伊都国以外に倭王権の主体があったと言うなら、同じように大和が畿内王権の
主体であったとしても良いのでは?と思うが。

287 :日本@名無史さん:05/02/07 02:54:19
>>286
いや、伊都国じゃなくて奴国あたりが東と連合したとかどうよ。
>>222の状況とか説明しやすいんだが。
結局、九州の一部を引き込まないと、東の勢力に勝ち目がない。

288 :日本@名無史さん:05/02/07 02:59:10
>考古学的にも、2世紀の倭国王が畿内にいたなんて、それこそ無理。

池上曽根や唐古鍵を見れば、古くから畿内が強盛であったとしても不思議
ではないでしょう。
まあ、流石に倭国王は奴→伊都だったと思いますが。
邪馬台国成立により、北部九州から倭国王位を奪取したことが、
卑弥呼の遣魏使の意義なんでしょうし。

289 :日本@名無史さん:05/02/07 03:06:25
>>288
その池上や唐古は、相対的に他の(九州以外の)勢力で、特別抜きん出ているのか?
池上は後期にはポシャるしな。
まあ唐古は凄いと素直に思うが、あくまで奈良盆地内での話。
他の地方より強盛と言えるかどうか、今じゃ分らん。特に後期後半は丹後や吉備、出雲勢力の方が上じゃないの?近江にも負けてるかもよ。

あと、王位算奪というより、「共立」なのだが?

290 :日本@名無史さん:05/02/07 06:01:14
機内に都を定めたプロト大和の指導者は相当傑出した人物だったんだろうな。
ある意味信長以上の傑物だったのかも。
当時の信長に当たる人物は誰だったんだろう、やはり神武か。


291 :日本@名無史さん:05/02/07 06:33:00
いきなり神武かよw

292 :日本@名無史さん:05/02/07 07:43:58
土器や物産品の流れと、政治を一緒にしてしまうと、間違いの元。

293 :日本史@名無しさん:05/02/07 09:04:33
神武記は、とても輝かしい初代とは思えないよたつきw
だまし討ち臭いし、ナガスネビコなんか結局どうなったんだよ。
仮に実在したとしても、どうみても一地方勢力でしかないっぽい。

「イリ」=入り婿説があるが、崇神までの女婿がほとんど磯城県主という
ことを見ても、神武の血統より磯城県主の方が上っぽい。これがニギハ
ヤヒ=物部氏だと思う。ただ、人数的には劣勢でもなんとか戦えたのは
やはり鉄製武器が大きかったんじゃないかな。

もし九州に本貫を置いてきての東征なら、神武やニギハヤヒなどの東西
交流的存在は相当多かったはずだろうね。ただ、いずれにしても大軍の
派遣は本国を空にするとは考えられないし、根こそぎ移住もそれ以上に
考えにくいから、主力部隊やその命令主体は九州に残しての侵略活動だ
ったのでは?王の親政はともかく、そのまま征服地に首都を移動してしま
うと言うのも歴史的には異例だし。それに半島戦争もやりながらだしね。

294 :日本@名無史さん:05/02/07 11:00:20
>>288
すいません、もっとよく理解したいので教えて下さい。
・邪馬台国は北部九州からいつごろ、どうやって倭国王位を奪取したですか?
・奪取した王の名前と出身地、出身部族、墓もわかる範囲で教えて下さい。
・戦争があったとしたら、その時期と場所を教えて下さい。
・奴国や伊都国から離れ、成り立ちも全くちがうのに、国号の倭を
承継したのはどうしてですか?

295 :日本@名無史さん:05/02/07 11:32:29
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/kenkyuhokoku/031221/shiryo5.pdf
36 第88 次SK-2106 布留T式 付着炭化物
Beta182498:1880 ± 40BP
MTC 03513:1820 ± 35BP
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/index.htm#shiryo2
↑わかりにくいんですが、今年は2005年、これから基準年1950年を引くと
55年、上記2000+55=2055年からBeta、MTCの中心年1880年、1820年を引く。
布留式、箸墓、纒向開始はAD175±40年、AD235±35年と考えていいんでしょうか。
素人にわかりやすく端的にお答え願えれば幸甚。

296 :日本@名無史さん:05/02/07 12:03:22
>>293
> 王の親政はともかく、そのまま征服地に首都を移動してしま
> うと言うのも歴史的には異例だし。

征服地に首都(自身の根拠地)を移転するのは、歴史的によくみられます。
信長が清洲→岐阜→安土と移動したのも、その一例と言えます。
明治維新後の東京遷都も。征服地を完全に掌握するための有効な手段
であり、苦戦の末ヤマト盆地を制圧した神武がそこに遷都したとしても
なんの不思議もありません。

297 :日本@名無史さん :05/02/07 12:10:52
http://www2.begin.or.jp/sakura/maho3.htm
↑これでは「測定の結果、サンプルの年代は「西暦120年を中心に、75〜215年」
「120年を中心に、80〜155年」などと判明。調査委は、欧米と日本の自然環境の
違いなどからデータを補正し、木棺を加工した際に木材表面が削られていること
などを考慮、伐採年を2世紀末〜3世紀前半と推定した。中国で2世紀末〜3世紀
初めに作られた画文帯神獣鏡が副葬されていたことなどから、築造年代を3世紀
前半と判断した。」となっています。ここの出土土器は「二重口縁壺」で愛媛県
今治付近からも出土している由。

298 :日本@名無史さん:05/02/07 19:03:43
話逸れてスマソだが、鉄器の量が直接軍事的圧倒的優位に繋がるのだろうか?
それならV2ロケットを保持していたナチスドイツが世界制覇してたと思うが。
前から気になってた事でスマソ

299 :日本史@名無しさん:05/02/07 21:25:22
V2が決戦兵器にならなかったのは、爆発力の限界、コントロールが出来ない、という質では膨大な数が必要だったから。
それと鉄器・青銅器の性能の違いとの比較は無理。例えるならB17、B29だろう。しかしながら鉄器によってそこまでの
軍事的優位が出来たとは考えにくい。

鉄器がその性能を発揮できるのは、やはり基本的には兵数、地の利、戦術、その他気候的条件などがそれなりに揃った
元でだろう。それらが全くなければ、到底勝ち目はない。神武は長兄、次兄、次次兄まで失う惨敗で、しかも3度戦っても
ナガスネビコを武力では倒せなかった。もしかしたらその時にはすでに鉄製武器自体が払底していたかもしれないが。

>>296

信長は尾張、美濃をしっかり確保した上での首都機能移転であって、本貫を放棄したわけではない。神武はその行程をみ
てもあっちふらふら、こっちふらふらであり、しかも領土拡張を面的に行いながらの東行とは考えられない。そんなことは
よほどの軍事力がなければ一代では無理で、ナガスネビコが仮に銅鐸文明の王だったとしても、軽く一蹴できるだけの戦力
が必要だろう。
信長が楽市楽座を開けば富が集まってくるような時代ではなく、生産も土地〃の性格に大きく左右される時代である。仮に九
州の耕作地が大人口を支えきれなくなったとしても、だからそれらの耕地や鉱工業、商業的インフラを捨て去る訳がない。
神武の場合は、光秀同様切り取り次第与える、という感じだろう。時あたかもタカミムスビ(鋳造の神)からアマテラス(農業神)
へ移行しつつあった時代、非常に手間暇が掛かる水稲栽培設備を放棄するには相当の動機がなければならない。小氷期とい
う説もあるが、それは九州の方がマシだっただろうし、阿蘇の噴火も北部九州まで壊滅させるものはなかった。
東遷などという大規模な政治行動には、それを必要とする動機が明確にならなければならない。騎馬民族ではないのだから。

300 :日本@名無史さん:05/02/07 21:39:13
>>297
信長の場合は、あくまで領国内の居城移転だから。
明治新政府の東京遷都にしても、統一国家であったことが前提。
あえて歴史上で似た例を挙げれば、京都に幕府を開いた足利だが、南朝がいつ京都
に攻め入るか分からないクライシスな状況で、京都を空ける訳にはいかなかった、
という特殊事情が大きい。まあ、あの時代、政治の中心は圧倒的に京都だったからね。

301 :日本@名無史さん:05/02/07 21:57:34
学会で残っている説

@畿内自成説(鏡台の人)
A各勢力(九州、東瀬戸)の共立説(寺澤氏、北條氏)
Bイト倭国拡大説(柳田氏)

学会で滅亡した説
C九州説
Dウリナラ説






302 :日本@名無史さん:05/02/07 22:00:54
>>294
倭国大乱をどう考えるか、だと思うよ。

漢委奴国王以来、中国皇帝の権威を後ろ盾に、北部九州を中心とした政治体制が、
後漢の衰退の影響で揺らぎ始め、出雲が銅鐸を大量に埋葬して体制を離脱。
倭国大乱へと至った、と。
その後、政界再編により、大和・吉備・東海・越・丹波が一人の女王を共立する
ことで大同団結し(邪馬台)、乗り遅れた北部九州は発言力を弱め、
倭国王の地位を邪馬台の女王に委譲する。
新倭国王は、中国皇帝から「地位の承継」を正式に認めてもらうため、
魏へ遣いを送った。

303 :日本@名無史さん:05/02/07 22:26:12
>225
>まだ畿内の鉄は低湿地遺跡だから残らないと言ってるよw
>これは解決済み。村上氏の本をちゃんと読め。
>まず、九州は墓でも集落でも出ます。
>畿内では墓でもでないし、集落でも少ない。
>ただし畿内ではない北近畿では集落でも墓でも出ますがw
>畿内では数少ない個人墓でも鉄器は少ない。

河内湖や奈良盆地中央の湖が存在した畿内と九州では単純に比較できない
でしょう。畿内の方が鉄器の残存という点について非常に不利な条件にある
ことは疑いない事実です。
遺跡として出土することと、実際に鉄器が存在したということ、この2つは
全く別のことです。生産技術的に劣っていたことは認めざる得ないとしても
畿内の鉄器が西日本で最低だったというようなデマは考古学会では必ずしも
定説ではない。

304 :日本@名無史さん:05/02/07 22:31:36
「古墳時代を見直す」なんてのは、北條達が自分で思っているほど、
大したインパクトを学会には与えてないよ。こりゃ、マジで。
出版されてから、自分の意見を変えた大物が一人でもいるかというと
そんなことは全くない。皆無だね。どっちかというと完全に無視されてます。
ご愁傷様ってことで。


305 :日本@名無史さん:05/02/07 22:33:00
222 :日本@名無史さん :05/02/06 23:12:02
>186
>>178>>181に質問ですが、ではなぜ畿内系土器が広がったのでしょうか。まあ>>173のように、土器が行く方が優位で受け入れるのが劣位と簡単に言うのは確かにどうかと思いますが。

庄内式土器に限って言えば、畿内の土器といっても非常に限定された出土
だよね。畿内といってもオオヤマト地域と河内の一部しか出ない。
そのほかで大量に出土するのは博多湾岸だけです。残りは岡山の総社市と
いうとこからちょっと出るくらい。
この政権の構造をよく表した出土だと思いますね。
個人的な推測ですが、権力に随伴しているのではないかという仮定ができ
るんじゃないでしょうか。




306 :日本史@名無しさん:05/02/07 22:41:19
>畿内の鉄器が西日本で最低だったというようなデマは考古学会では必ずしも
 定説ではない。

二言目には学会では、とか権威を振りかざす連中にしてはおとなしい言い方だな

まあ自信がないということだろう
もう文献史学など不要とかいいながら、都合の悪いところはこうやってごまかすんだね

307 :日本@名無史さん:05/02/07 22:48:33
>225
銅鐸祭祀の共通性をお忘れなく。
前期はともかく後期の巨大化した銅鐸については権力による
管理が想定されるべきでしょう(寺澤、福永)

銅鐸は威信材でないという反論がきそうだが、伊都国・奴国につい
て祭器である銅矛等の分布を理由にその支配の広域性をみとめるなら
銅鐸祭祀についてそれを否定するのはフェアでないですな。
そもそも権力によって管理された段階で祭器であっても威信財的な
性格を持つとみてもよいのではないかと思います。


308 :日本@名無史さん:05/02/07 22:50:51
>>294
>奴国や伊都国から離れ、成り立ちも全くちがうのに、国号の倭を
承継したのはどうしてですか?

倭から日本に国号が変わった時、奴国や伊都国から離れたと考えるほうが自然いう意味か?
もしそうなら、それは九州王朝説なので専用スレで議論を続けられたい。

309 :日本@名無史さん:05/02/07 22:57:04
あなたのいう歴史学の国際常識とは?
そんなのあったら苦労しないよw
纒向都市論はしかし、都出氏も半ば認めかけていたのだが。
都市とは何かって、これも定義は実際にはいろいろありますが。
例えば古代中国でもどの段階から「都市」とするか一致していません。
これはメソポタミアなども同じ。


310 :日本@名無史さん:05/02/07 23:01:34
季刊考古学の石野博信呼んだが。これはひどい。
記年鏡や△が方墳からでていることを理由に前方後援墳体制を否定
しているるんだが、本末転倒も著しい。記年鏡や△がその程度のもの
だと解釈すべきだろ。

311 :日本@名無史さん:05/02/07 23:02:44
223 :日本@名無史さん :05/02/06 23:19:01
>202
>石塚は楯築や立坂が原型では?
>都(纒向)が突然変異的に出現しているので、外からのインパクトにより再編成されたということはありうると思いますが。
>この点は寺沢が1979年以来力説しているところ。
>吉備や北部九州が深く関与して「倭国」の都を作ったら、その故地の連中も納得するのじゃないの?

このスレッドでさんざん指摘されていますが、近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠
としている特殊器台は、中山大塚以降しか出ていませんよ。都月と宮山が一緒に
なるのも吉備じゃなくて畿内においてです。
そのほか、よく指摘される葺石についても、ホケノ山以降です。
庄内期に吉備の影響が過大視するのは明らかな間違いでしょう。
布留期に吉備の文化が大量に流入したことをもってその前の庄内期に
おける倭王権成立の吉備主導を導くのは本末転倒じゃないでしょうか。





312 :本田:05/02/07 23:12:35
> 重藤遺跡の年代は却下ね。
>それ持ち出すとトンデモ扱いされますよ。
>他の確実な鉄生産遺構との比較でやって下さい。

ヒッタイトは紀元前15世紀から製鉄していたんだから、
日本で紀元前7世紀から 製鉄が始まっても、不思議じゃない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/hittite1.htm

313 :日本@名無史さん:05/02/07 23:14:57
>286
>>283
>北部九州の鉄の優位性を声高に主張して、畿内主体の倭王権成立を否定して
>おきながら、いざとなると伊都国主導を切り捨てるのか…
>北部九州と比べれば、倭国の全ての国が鉄において劣位であり、吉備においても
>例外ではない。
>伊都国以外に倭王権の主体があったと言うなら、同じように大和が畿内王権の
>主体であったとしても良いのでは?と思うが。

おっしゃるとおり。
イト倭国以外に倭王権の主体を想定するのは全く不自然。

実際、終末期でもイト倭国以外の「ブロック」なんてのは、考古学的に全く
証明されていないんだよ。せいぜい共通の墓制を持っている山陰地域等に首
長同盟が想定される程度だし、これとて流通面ではイト倭国との強い関係が
証明されている。吉備なんて共通の墓性すら怪しいし、集落や流通は両地
域に比較すれば全然明らかではないし、鉄器についても畿内よりマシかも
しんないけど山陰より下です。

吉備を含む東瀬戸地域の過大評価は、畿内自生説論者の最後の悪あがきな
んじゃないかな。




314 :日本@名無史さん:05/02/07 23:26:56
>302
>漢委奴国王以来、中国皇帝の権威を後ろ盾に、北部九州を中心とした政治体制が、
>後漢の衰退の影響で揺らぎ始め、出雲が銅鐸を大量に埋葬して体制を離脱。
>倭国大乱へと至った、と。

だから、そんなこのスレッドで何回も出てるとおり北九州が衰退した証拠なんて
考古学的には皆無なのよ。庄内期ですら全く衰えてないよ。
この時期の韓式土器の半分がこの地域出土であることは知る人ぞ知る事実。
まきむク遺跡ですらそんなに多くないですよ。

寺澤氏ですら同様のことを言っているのは嘆かわしいとしかいいようがないがね。


315 :日本@名無史さん:05/02/07 23:30:58
いくら掘っても、邪馬台国は、畿内からは出てこない。
「邪馬台国」の文字は漢籍由来だから、文献無視の
マキムク厨は電波。

考古学は所詮モノしか見ない。
モノを通じて見える心が見えない考古学者に邪馬台国
を語る資格なし。




316 :日本@名無史さん:05/02/07 23:45:05
鉄器などの下部構造に
なぜ鉄器生産など下部構造が劣位であった大和の勢力が北九州勢力を打倒
したのか。これには大和の勢力の持つ優れたイデオロギーつまり上部構造
が権力闘争を規定したと考えるべきだろう。
大和の勢力のなかには、すぐれた一個の天才的イデオローグが存在したに
違いない。西日本各地の諸要素と中国思想をミックスし、大和勢力の覇権
の下、新規の墳墓祭祀を作り上げた天才こそ畿内勢力が倭王権の主導者
たらしめた。その才能は、古事記を編集した大安万呂に匹敵すると言えよう。
こう考えて初めて池上遺跡など畿内の棟持柱付き神殿による祭祀が倭王権に
継続されるのかが分かるだろう。
畿内勢力の最大の武器はイデオロギーであった。上部構造における
畿内の優位性が下部構造における劣位をうち破った例と言えよう。
今、マルクス主義におけるグラシムの再評価が望まれるのでないか。

317 :日本@名無史さん:05/02/07 23:48:11

>まあ唐古は凄いと素直に思うが、あくまで奈良盆地内での話。
>他の地方より強盛と言えるかどうか、今じゃ分らん。特に後期後半は丹後や吉備、出雲勢力の方が上じゃないの?近江にも負けてるかもよ。

ぜんぜん凄くないよ。
スク遺跡とかちゃんと見てみなさいよ。




318 :日本@名無史さん:05/02/07 23:51:51
「古墳時代を見直す」なんてのは、北條達が自分で思っているほど、
大したインパクトを学会には与えてないよ。こりゃ、マジで。
出版されてから、自分の意見を変えた大物が一人でもいるかというと
そんなことは全くない。皆無だね。どっちかというと完全に無視されてます。
ご愁傷様ってことで。




319 :日本@名無史さん:05/02/07 23:52:48
ヤマタイ国が九州にあったということは 七枝剣 の伝承がそれを如実に物語る。 






320 :日本@名無史さん:05/02/07 23:55:10
辛国息長大姫大目命の崩御は「東方神起」で天照大神、一方大目命と辛国迎日湾(多分勝浦であり、後に葛城などの
語源となったのか)方面から帰国したのが、浦島子(延烏郎)、島子は以後安曇王国では官職となり倭人伝にシマコ、
丹後伝承では島子に変化したのであろうが、大和朝廷でも葛城のシマノスクネなどとして残っているようだ。勝浦が迎日湾、
島は対馬、壱岐両島を示し、安曇族の対馬海峡両岸地域の行政長官の役職と読む。ニニギとは錬金術方士のような意味
であり、神武も吉野でそのデモンストレーションを行っているから、やはりその父が大伽耶葺合津の港長であったアル「ケミ
ストリー」と考えると今朝のニュースで「東方神起」と「ケミストリー」が競演していたというのは夢のようである。



321 :日本@名無史さん:05/02/07 23:57:46
唐に対して、畿内新王朝(壬申の乱以降の大和朝廷)は
古き伝統ある邪馬台国と今の畿内国は一体であると主張し、
ころはあとから唐の公認されている。
しかし、その実態は、九州国を滅亡させた反逆政権だから
天孫降臨から続く血統を、無理やり力説した。
畿内の土着勢力に対しては、神武の王統を力説して
王族の優位を主張した。



322 :日本@名無史さん:05/02/08 00:00:29
唐に対して、畿内新王朝(壬申の乱以降の大和朝廷)は
古き伝統ある邪馬台国と今の畿内国は一体であると主張し、
ころはあとから唐の公認されている。
しかし、その実態は、九州国を滅亡させた反逆政権だから
天孫降臨から続く血統を、無理やり力説した。
畿内の土着勢力に対しては、神武の王統を力説して
王族の優位を主張した。



323 :日本@名無史さん:05/02/08 00:02:51
これからの時代は九州王朝説が定説になるだおる。

324 :日本@名無史さん:05/02/08 00:06:53
ココ考古学の話ばっかだな。文献の話もしてほしい。
とりあえず、倭人伝、記紀、旧事本記、海部氏系図、古事拾遺
あたりから。


325 :日本@名無史さん:05/02/08 00:21:16
>>324
畿内説の前提で文献も多少は語らないと寂しいな。歴史板だし、九州電波がうるさいしw

326 :日本@名無史さん:05/02/08 00:28:36
今声高に倭王権の畿内自生説に対して疑問を唱えることが本当に
必要とされているのか。また、先学の積み重ねてきたマルクス主義
による国家形成理論をいとも簡単に捨て去って良いのか。私にはそ
うは思えない。
それは、イラク侵略への日本の荷担がますます深まり、極右暴力集団
「新しい教科書を作る会」による皇国史観教科書の動きが顕在化して
いる昨今、結果的に皇国史観を側面的に支援することになりはしない
のだろうか。
一見科学的に見える考古学が東遷説を唱えることの現代的な意義が本当
にあるのか問い直すことが必要とされているはずだ。


327 :日本@名無史さん:05/02/08 00:30:27
>325
文献だから九州説ってのは偏見。
あくまで年代を決めるのは考古学というのは文献も認めるところです。

328 :325:05/02/08 00:42:19
>>327
そんなことわかってるよ。「文献だから九州説」なんていってないでそ。プンプン

329 :日本@名無史さん:05/02/08 01:25:22
>だから、そんなこのスレッドで何回も出てるとおり北九州が衰退した証拠なんて
>考古学的には皆無なのよ。庄内期ですら全く衰えてないよ。

いやだから〜
北部九州は、畿内邪馬台から派遣された一大卒に監察されてますから。

330 :日本@名無史さん:05/02/08 01:30:01
エセ北條は逃亡したな。自生説の精緻な理論には太刀打ち
できなかったらしい。哀れな奴だ。
所詮傍流だな。


331 :日本@名無史さん:05/02/08 01:30:56
倭人伝の話は止めようぜ。
レベル低いのがよってくるし。

332 :日本@名無史さん:05/02/08 01:40:30
そうそう、ここは邪馬台国の比定はしないスレ
畿内説の方→大和朝廷畿内自生、もしくは外部勢力にて成立

九州説の方→邪馬台国とは別の畿内王権と大和朝廷の関係の考察

それぞれ大いに議論して実のあるものにしましょうよ

333 :日本@名無史さん:05/02/08 01:47:55
当時の戦闘において鉄製の武器が大きな要素になったのだろうか?。特に鉄剣など持っていても、
それは権力の象徴程度で、実際の戦闘では竹槍にもかなわなかったのではないか。鉄剣も突きが
主体だから切れ味なんかはたいしたことが無くて、竹も切れなかったのではないだろうか?。
 
ローマやマケドニアだって実際の攻撃で効力を発揮したのは弓と槍だろう。鏃も鉄鏃と石鏃の差より、
弓自体の性能の差のほうが大きかったのではないだろうか?。勿論鉄板の鎧でも兵士に装備させていれば
話は別だが、源平合戦の時でも雑兵は鉄製の鎧なんか着てなかったのではないか。
 
この頃の日本では戦闘の勝利に貢献するのは兵を養い、遠征できるだけの兵站を蓄える米の生産力と
兵士の数が一番の要素だろう。


334 :日本@名無史さん:05/02/08 03:01:35
>>333

大乱自体が無かったので、関係の無いこと。

335 :日本史@名無しさん:05/02/08 04:25:10
>>332

ところが畿内自生説(藁)以外切り捨てたスレ立てをやった馬鹿が数人いて、余計に議論の方向が
おかしくなってしまったから、それは無理。

ところでなんかアフォっぽいのが混じってるけど、マルクス主義史観ってなんだよ。それにマルクス主
義なら反動畿内説になるのかよw あとグラシムって何?(禿藁)

336 :日本@名無史さん:05/02/08 13:46:59
>>334
「倭国大乱」が、あったけど?
それに「シンガポールから見たら日本は面積が大きな国だが
中国やロシアから見たら日本は面積が小さな国」であるように、
どのくらいの規模の戦乱を「大きい」というのか、
その国や地域の状態や人口から見た定義で測らないと意味が無い。

倭国では、漢と匈奴の戦いみたいに、一度で何十万人死者が出たとか
いうのは無いだろうが、日本の人口からして
大きな戦乱はいろいろあっただろ。



337 :日本@名無史さん:05/02/08 18:33:28
「倭国大乱」も倭人伝。考古学的な裏付けがない限り、
このスレでは触れるべきではないと思われます。

338 :前スレ941:05/02/08 20:19:41
皆さん、スレの運営にご配慮いただいて、ありがとうございます。
>>1-5さんも喜んでいると思います。

339 :296:05/02/08 21:17:05
>>300
吉備まではすでに九州の勢力下にあったと考えている。
だから、あなたのいう「領国内」だ。そして、畿内制圧後は畿内も「領国」
に含まれる。東京遷都は統一国家が前提という意味は不明。領地が畿内まで
ひろがった状態と本質的な違いがあるとは思えない。
臣従を誓った諸国で数年ずつ統治を行い、支配を確実にしながら東進し、
ナガスネヒコとの対決に備えた。

340 :日本史@名無しさん:05/02/08 21:19:36
一言で大乱と言ってもいろいろありそうですね

特定勢力の侵略とそれに対抗する連合なのか、支配系統の乱れによるいくつかのブロック
なのか、それとも完全にばらばら状態なのか

341 :日本@名無史さん:05/02/08 22:30:59
倭人伝に誤りが多いのは確かで、倭人伝のみの解釈では混迷するのは認めるが、
あくまで倭人伝は良質な一級資料であることには違いがない。
考古学の成果から分かった「畿内王権=邪馬台国」であるという前提で、3世紀の倭国を
語る、というのがこのスレの趣旨だと思うが。

少なくとも、吉備=投馬と考えるなら、吉備が畿内王権の主体となったことは
ない。あくまで別国である。
伊都国も邪馬台国に従属的であり、畿内王権の主体となったとは考えられない。

342 :日本@名無史さん:05/02/08 22:34:17
今声高に倭王権の畿内自生説に対して疑問を唱えることが本当に
必要とされているのか。また、先学の積み重ねてきたマルクス主義
による国家形成理論をいとも簡単に捨て去って良いのか。私にはそ
うは思えない。
それは、イラク侵略への日本の荷担がますます深まり、極右暴力集団
「新しい教科書を作る会」による皇国史観教科書の動きが顕在化して
いる昨今、結果的に皇国史観を側面的に支援することになりはしない
のだろうか。
一見科学的に見える考古学が東遷説を唱えることの現代的な意義が本当
にあるのか問い直すことが必要とされているはずだ。





343 :日本@名無史さん:05/02/08 22:35:08
「古墳時代を見直す」なんてのは、北條達が自分で思っているほど、
大したインパクトを学会には与えてないよ。こりゃ、マジで。
出版されてから、自分の意見を変えた大物が一人でもいるかというと
そんなことは全くない。皆無だね。どっちかというと完全に無視されてます。
ご愁傷様ってことで。






344 :日本@名無史さん:05/02/08 22:38:22
>「倭国大乱」も倭人伝。考古学的な裏付けがない限り、
>このスレでは触れるべきではないと思われます。

ほとんどの考古学者が倭国大乱と高地性集落の分布を関連させてますが?




345 :日本@名無史さん:05/02/08 22:40:59
いくら掘っても、邪馬台国は、畿内からは出てこない。
「邪馬台国」の文字は漢籍由来だから、文献無視の
マキムク厨は電波。

考古学は所詮モノしか見ない。
モノを通じて見える心が見えない考古学者に邪馬台国
を語る資格なし。






346 :日本@名無史さん:05/02/08 22:47:39
誰も邪馬台国など語ってませんが何か?



347 :日本@名無史さん:05/02/08 22:49:41
なんかここ時々素人が混じってない?

348 :日本@名無史さん:05/02/08 22:58:32
そもそも、邪馬台国が九州にあったなら、
伊都国主導の畿内王権なんてありえないのだが。

349 :日本@名無史さん:05/02/08 22:59:16
348=素人丸出し

350 :日本@名無史さん:05/02/08 23:01:54
石塚→勝山→東田大塚→矢塚→ホケノ山→中山大塚→箸中山

351 :日本@名無史さん:05/02/08 23:02:47
>>349
もうちょっとまともに、伊都国東遷説を騙ってくれたまえ。

352 :日本@名無史さん:05/02/08 23:07:56
>348
九州説は入スレ禁止です。

353 :日本@名無史さん:05/02/08 23:08:48
このスレッドは、北條先生と関先生が出てこないとつまらないですね。



354 :日本@名無史さん:05/02/08 23:14:37
古代史といえば、電波作家の巣窟。
決して買ってはいけない古代史電波作家をリストアップしました。
みなさんも電波作家を見つけたら教えて下さいね。

【買ってはいけないアマチュア電波一覧】
武光誠(騎馬民族説)
安本美典(邪馬台国九州説、関川編年と柳田編年を組み合わせ驚異の土器編年を編み出す)
井沢元彦(邪馬台国九州説、卑弥呼殺人事件w)
古田武彦(九州王朝を妄想、詐欺師和田に荷担)
小林恵子その他在日工作員(将軍様の夢でオナニー)
藤本由香(万葉集は韓国語で読める)
金達寿(古代日本人は全員在日)
関祐二(旧事本記でオナニー)
藤原明(旧事本記偽書説でオナニー)
黒岩重吾(邪馬台国九州説の妄想作家)
大和岩雄(同上)
大山誠一(聖徳太子はいなかった(驚)
梅原猛(法隆寺五重塔は、飛鳥寺の移築




355 :日本@名無史さん:05/02/08 23:15:48
邪馬台国なんてしょぼい国は九州にあったに決まっている。
しょぼい九州邪馬台国連合を偉大なる機内の巻向プロト大和政権が滅ぼしたのだ。



356 :日本@名無史さん:05/02/08 23:16:18
ところで例の布留0ってどうなの。
よくわからんものを布留0につっこんでんじゃないか
って気がすんだけど。

357 :前スレ941:05/02/08 23:33:50
ここでちょっと一言。九州にも畿内にも相当立派な国があった。
他の地域にも大きな国があった。どれかがきっと邪馬台国なんだろうが
このスレでは、別にどこでもいいわけです。

358 :日本@名無史さん:05/02/09 00:12:47
>>357
おいおい。
畿内に邪馬台国があったなら、3世紀初頭に北部九州まで押さえ込んだ
西日本諸国連合があった、てことなんだよ。
邪馬台国が九州なら、3世紀後半まで北部九州は自立していて、
畿内王権の支配は及んでいなかった、ていうこと。
そもそもの邪馬台国比定地論争には、こういった意味合いがあった訳。
このスレの流れでは、比較的早い段階で北部九州が畿内王権に参加したこと
が語られていて、考古学の成果を重要視する人で、畿内≠邪馬台国と
考える人はいないだろ。

そして、邪馬台国=畿内という前提に立って、倭人伝の記述を参考にすべきだ
と俺は思うな。

359 :日本@名無史さん:05/02/09 00:14:29
騎馬民族説を無視した考古学はダメな学問だね

360 :日本@名無史さん:05/02/09 00:27:08
前提のまま事を運ぶから可笑しくなるんだよ。
前提等と中途半端な表現使わず 邪馬台国見つければ済むこどだ

ごめん。
見つけること出来ないから先に話し進めてるんだよな

361 :前スレ941:05/02/09 00:35:22
>>358
現実はもっと複雑だったと思いますよ。
国は遷都しますし、流入者が政権を握ったりします。
100年決着のつかない比定地論争から脱却して
話を進めようじゃありませんか。

362 :日本@名無史さん:05/02/09 00:57:07
学者で九州説はほとんどいないから九州説なんかほっとけ。

363 :プチ東遷説:05/02/09 01:05:05
1 九州遠賀川流域にいた勢力が、関門海峡を抜けて瀬戸内に進出、分国を建設。(BC2世紀ごろ、遠賀式土器の浸透)
2 分国のうち、八尾市近辺に定着した勢力が強大化して、畿内を制覇。(2世紀ごろ、久宝寺遺跡他)
3 やがて、本国をも凌ぐまでになり新たな宗主となる。
4 さらに、東国進出の拠点として纒向を建設、そこで東海・丹波の勢力と連携して、北九州・吉備・出雲に対抗。
5 人口の多い畿内・東海地方の動員力により、北九州から外交権を奪取、倭王となる。 

364 :日本@名無史さん:05/02/09 01:12:24
>361
学者の間ではとっくに畿内で決着してるじゃん。
アマチュア評論家が金儲けのためにまだ論争があるふりを
してるだけでしょ。


365 :日本@名無史さん:05/02/09 01:27:36
>>352
ここをオナニースレにしたいのでなければ、下記を読んでね

>そうそう、ここは邪馬台国の比定はしないスレ
>畿内説の方→大和朝廷畿内自生、もしくは外部勢力にて成立

>九州説の方→邪馬台国とは別の畿内王権と大和朝廷の関係の考察

>それぞれ大いに議論して実のあるものにしましょうよ

366 :前スレ941:05/02/09 01:35:50
どうも>>342あたりから、コピペ厨のせいで騒然としましたが
みなさん、攪乱されないでくださいね。

367 :日本@名無史さん:05/02/09 01:50:25
>>361

北部九州東遷説なんて、邪馬台国九州説では成り立たないよ。
東遷説を唱える時点で邪馬台国畿内説なんだ、ということが理解できませんか?

368 :日本@名無史さん:05/02/09 02:21:45
>>367
神武東征と国譲りは邪馬台国の位置とは関係ないの?
学者の判断は?

369 :日本@名無史さん:05/02/09 02:48:08
関連スレ
(単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ)
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

(初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ)
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

(主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ)
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50


370 :日本史@名無しさん:05/02/09 08:34:15
>>941よ、おまいの仕切り見てると可哀想になるよ。
おまいでは力不足だね。2chでは。
それに、大和朝廷になったのか?スレでいいのに、九州荒らしだけをあげつらって
勝手にスレを分裂させた罪を自覚もしてない。老教授とか勉強になるレベルのコテ
さんも飛んでしまったし。

せめて自説を捨てて完全中立に徹することができるかい?でなければ、考古学板逝
けよ。板違い。



371 :日本@名無史さん:05/02/09 09:24:34
>>358
自分の言っていることがめっちゃくちゃで、スレの趣旨も
理解していないことに気付け。

北部九州がどの時期に畿内王権に参加したかを明確にした
ヤツはこのスレにいない。吉備の参加時期も、特殊器台だけで
は弱いぞ。ただの贈り物かも知れない。七支刀のようなね。

だから、畿内政権が邪馬台国かどうか棚上げしたうえで、
その成り立ち等を論じようというのがこのスレの趣旨だろう。
だから当然、倭人伝も棚上げだ。

そもそも考古学者の論法は非常におかしい。考古学的知見を
もとに、文献を無視して邪馬台国を比定し、その上で、考古学的
知見から断定出来ない論証的に弱い部分を文献で補おう
とする。非常に不誠実なやり方だ。

372 :日本@名無史さん:05/02/09 14:04:35
>>371
>そもそも考古学者の論法は非常におかしい。考古学的知見を
>もとに、文献を無視して邪馬台国を比定し、その上で、考古学的
>知見から断定出来ない論証的に弱い部分を文献で補おう
>とする。非常に不誠実なやり方だ。

逆だろ。
考古学においては文献が残ってるほうが珍しい。
遺跡の物証をもとに、古代世界を論理的にあぶりだして、文献があれば傍証として補足する。
これが正しい方法論。



373 :日本@名無史さん:05/02/09 14:14:35
こと畿内に関しては、委奴国の金印やイ妥国の阿蘇山など
漢籍にはそっぽを向かれているので、心ある考古学者は
比定地論争にのめり込みようが無いと思う。

したり顔で畿内の邪馬台国を語る考古学者は、学者として
問題があるだろう。

374 :日本@名無史さん:05/02/09 14:54:21
>>372
中国では文献や伝説を手がかりに遺跡が発見されているのに、
日本は文献を信用せず、やみくもに(しかも畿内ばかり)掘り
起こすだけだから、進展がないんだろう。

375 :日本@名無史さん:05/02/09 20:23:57
考古学的成果から、畿内王権=邪馬台国の蓋然性は高いと思うが。

>だから当然、倭人伝も棚上げだ。

お前が倭人伝を棚上げしようとも、邪馬台国があって卑弥呼がいたことは
確かなんだよ。そして3世紀の倭国を語る時に、倭人伝は欠かせない一級資料。
倭人伝の解釈の仕方は様々だろうが、自説を語る時に、倭人伝を無視していい
訳はない。

少なくとも、北部九州の伊都国と奴国は、邪馬台国の風下に立っていたんだよ。

376 :本田:05/02/09 21:10:22
>>333
> この頃の日本では戦闘の勝利に貢献するのは兵を養い、
> 遠征できるだけの兵站を蓄える米の生産力と兵士の数が一番の要素だろう。

鉄製の農機具と鉄の代わりに青銅や石を使った農機具とを比べると、
鉄製の方が強度や重量のめんで有利だから、
紀元前7世紀以前に製鉄が始まった九州が、
食料生産のめんでも有利。

377 :日本@名無史さん:05/02/09 22:39:56
邪馬台国=畿内王権の根拠って、結局は倭人伝の伊都国の一大卒と
前原でみつかった畿内の影響だけでしょ。
そもそも、これは交易があった証拠であってそれ以上でもそれ以下
でもない。

そして、当時纏向に東海・吉備の影響を受けた王権があったのは
確かであるが、かといって東海・吉備を傘下にしていたともいえない。

考古学と振りかざしていながら、肝心の部分は文献と推定でしかない。

378 :日本@名無史さん:05/02/09 22:42:54
なんかレベルが低下してるなこのスレッド

379 :日本@名無史さん:05/02/10 00:02:16
aged


380 :日本@名無史さん:05/02/10 00:07:44
似非方丈氏の書き込みが無いが、勉強になるので待ってマツ

しかし、若干1名?どうしようもない自生説厨がいるなw
別に自生でもいいけど、古い理論の繰り返しだけじゃん
>>330とか、何処が精緻な理論なのw古臭い理論でしょ。

>>326,>>342なんか何度もコピペしてるけど、考古学的事実じゃなくてイデオロギー目的から学説を固持してるのを自ら暴露してる感じで何か厭だな。
>>343みたいなカキコを必死にコピペしてるけど、影響力あるから盛り上がってるんだろ?
批判的紹介ではあるが、松木氏や河野氏が書評したのは、取り上げざるを得なかったからだろ?
大体こいつ北條や寺沢(一般向けじゃなく昔の論文)をまともに読んでるか怪しいよ。
枝葉末節をあげつらって、誹謗中傷してるのはいくら2chとはいえ、何か胡散臭いきがするな。
>>316は笑ったなw東遷説を英雄史観などとあげつらっておいて、何じゃそりゃって感じだよ。それこそ観念論、英雄史観じゃないか。
マルクス主義持ち出す割に、畿内自生の根拠が、スパルタだとか、イデオローグだとか、根拠のない観念主義に陥ってるのにいい加減気付けよ。
考古資料で勝負しろって、まったくw


381 :日本@名無史さん:05/02/10 00:21:05
>>358
いや、そうはならないだろ。

九州説といってもいろいろある。
1、「邪馬台国の勢力が九州も近畿も含んだ西日本を包括していた
としながらも、でもその中心であった邪馬台国は北九州にあった」
2、「邪馬台国は北九州にあったが、それをもしのぐ大勢力が畿内にあり
両者は別の勢力だった」
など。両者はいわゆる九州説とはかなりイメージがちがうし東遷説でもない。

382 :日本@名無史さん:05/02/10 00:21:50
>380
おい、北條君よ。
いくら四国で寂しいからって自作自演はやめろや。


383 :日本@名無史さん:05/02/10 00:26:06
どこの世界でも、交易の中心地が栄えるものである。

貿易の出来高を考えれば、北九州と、畿内では、
西日本全体のハブであった畿内の方が上位なのは自明のこと。

384 :日本@名無史さん:05/02/10 00:27:04
「天才的イデオローグ」による畿内勢力の主導は、広瀬氏(元弥生研所長)
も主張している。広瀬氏が北條などよりはるかにまともで経験ある考古学者
であることは疑いない事実だろうが。



385 :本田:05/02/10 00:40:25
> 貿易の出来高を考えれば、北九州と、畿内では、
>西日本全体のハブであった畿内の方が上位なのは自明のこと。

鎖国時代じゃないんだから、
琉球、朝鮮、シナなどの関係も考えてね。

386 :日本@名無史さん:05/02/10 00:47:53
少なくとも大六は、本業の考古学に限れば大きな誤りは犯してないよ。
小林行雄や都出比呂志は、このスレッドでも度々指摘されているとおり
本業の考古学(主に理論面だが)で大きな誤りを犯しているよね。
だから小林らの研究が無駄だったというわけではないけどね。




387 :日本史@名無しさん:05/02/10 08:12:41
とりあえず文献無視するなら考古学板逝けよ

388 :日本@名無史さん:05/02/10 14:52:05
>>382
まさか、本人が書いていると思ってるのかYo?
というか、北條氏は今は当会大なんだが、、、

>>383
畿内に遷った理由はなるほど日本列島内交易網の中心ということ。
でもそれって、北條、村上、寺沢の言ってることじゃん。同じだよ。
ただ北九州の場合、東アジア経済圏では中心的位置なので、どっちが劣っているとか優れているとか簡単には言えないんじゃないかな?

>>384
本気で言ってる?『前方後円墳国家』の方こそ論理構成に問題があることが批判されいるが(考古学研究51-1の新納氏の書評)
ttp://www.komakino.jp/sasaki-tuusetuutagau.html
なんかではもっと辛らつに書かれているyo。
それとも384氏こそ火露世のジエンだったら藁えるな。
ちなみに、弥生研所長ってなんのことだよ?弥生文化博物館にはいたが、館長でもなかったが、何か。

389 :日本@名無史さん:05/02/10 15:01:50
>>388
>ただ北九州の場合、東アジア経済圏では中心的位置

なんでそうなるの?
東アジア経済圏中心的位置は、ベトナムだろ。
日本は辺境で、北九州は辺境の入り口でしかない。




390 :日本@名無史さん:05/02/10 15:13:15
中心か辺境かなんて、どれぐらいの広さをとるかでなんとでも言えるだろ。

391 :日本@名無史さん:05/02/10 19:16:11
中国が中心だったことは間違いない。

392 :日本@名無史さん:05/02/10 21:16:33
王統の系譜
国民の出身
文化の系譜
産業の由来

これらは別々でしょう
一緒にしてはいけません>all

393 :日本@名無史さん:05/02/10 22:06:04


>>384
>388
>本気で言ってる?『前方後円墳国家』の方こそ論理構成に問題があることが批判されいるが(考古学研究51-1の新納氏の書評)
>ttp://www.komakino.jp/sasaki-tuusetuutagau.html
>なんかではもっと辛らつに書かれているyo。

変なキティガイサイト出すなよ。
広瀬氏に言うことにもいろいろ疑問はあるが、そんなキティガイ
とは格が違うだろ。

394 :日本@名無史さん:05/02/10 22:11:40
一応、他の人で、畿内自生説に疑問を呈し、外的勢力関与のヤマト政権成立説を言っている人(示唆している人も含む)を挙げておきます。

近藤義郎  吉備東遷説を示唆
松木武彦  「ヤマト政権成立の背景」(『卑弥呼誕生』大阪府立弥生文化博物館)
     従来の自生説と単純な東遷説を批判。都出と寺沢のいいとこどりだが、
どちらかというと寺沢に近い立場を表明。
福島孝行  「弥生終末期の墓制と古墳の出現」(季刊考古学84「古墳出現前夜の西日本」)
     前方後円墳成立の諸要素に畿内の墓制の要素がほとんど無く、
吉備、丹後、但馬、東海、近江、北部九州、山陰
      などに墓制の諸起源があること、「大倭の地は結果的に選定された場所」とする。
あと同じ季刊考古学84で、大阪の森井貞雄氏は(「近畿 弥生終末期の様相」)、
最末期の銅鐸祭祀の中心が、
大和などの「畿内」ではなく、近江にあることを指摘しています。






395 :日本@名無史さん:05/02/10 22:15:28
小林行雄→畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した。
佐原真 →畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い。
     原田大六のようなド素人が唱える東遷説は、「皇国史観の亡霊」だ。
近藤義郎→銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに違いない。
都出ヒロシ→個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
      となった。威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタ
      のように
広瀬和雄 →畿内の「天才的イデオローグ」が北九州を倒した。

396 :日本@名無史さん:05/02/10 22:18:24
どうみても畿内自生説の方が説得力があるな。比べモノにならない。
自生説論者の方がはるかに有名で地位の高い人が多いことは疑いが
ない。東遷説は、3流私大や自治体埋文の吹き溜まりですね。

397 :本田:05/02/10 22:20:06
>>392
> 王統の系譜
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1021204387/918
> 新羅の黄金文化の金冠。
>その冠には日本古代王権のシンボルの一つでもあるマガ玉が鈴なりに!

398 :本田:05/02/10 22:32:33
>>392
> 国民の出身
> 文化の系譜
http://japanese.joins.com/html/2003/0507/20030507151159400.html
>米言語学者「日本語の起源は高句麗語」

399 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/02/10 22:39:55
暫くの間、様子見でROMらせて戴いておりましたが何か違和感を禁じ得ませんので書きます。
このスレにて主張されている「畿内自生説」についてですが
失礼ながらわざと古い考え方を持ち出されているような気がしてなりません。
確かに小林先生の提示された畿内説は現在そのまま通用するものではありません。
都出氏や石野氏、近藤氏が現在提唱されている考え方とは明らかに違いますが
その流れから主張される自生説とはおよそかけ離れた内容に終始されておられますね。

ありていに言いますと、議論のミスリードを誘うかのように感じられるのです。
前にもそういう事がありました。その時は「現在では唱えられていないタイプの畿内説」を槍玉に挙げ
明らかに考古資料や文献解釈を捻じ曲げた解釈で攻撃されていました。
その時と非常に状況が似ているのです。
私が最初に書き込みを始めた動機は、そのような意図的なミスリードを牽制する為でもありました。

私個人はいわゆる自生説の立場に立つ者ではありませんが、正常な議論を望む者でもあります。
第一、名前の挙がっている北条氏、村上氏と広瀬氏などは対立する説を出されてはいない筈なのですが。
それと関裕二氏ですが、これも私の説とはまったく正反対の筈です。

出来ましたら前スレ940氏、941氏のスレ正常化の努力をあざ笑うかのような所業はお控え戴きたいと心より願います。

400 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/02/10 23:19:42
これだけではナンですので、ネタを振っておきます。
ホケノ山や外山茶臼山の前方部に並べられていた加飾壺
(二重口縁、長胴型、底部穿孔の特徴を持つ形式)は
愛知県尾西市の西上免遺跡内の前方後方墳跡から出土したものと同形式であることが確認されています。
箸墓では前方部に底部穿孔壺、後円部に吉備型特殊器台とかなり明確な色分けがなされております。

当スレでこれについてはまだ議論の対象になってはいなかったと思いますが
これにより東海(少なくとも濃尾平野西部)が単なる労働力の供出源であったとは言い難い状況となりました。
あとは唐古・鍵などの奈良盆地南西部や摂津、山城などがどの程度、新都市(纏向)建設に関与していたかを探っているのが
現在の自生説の流れではないでしょうか。

401 :日本@名無史さん:05/02/10 23:24:07
九州地方の土器がマキムクにほとんど出ない事実を無視する東遷説ウヨは
哀れとしかいいようがない。

402 :日本@名無史さん:05/02/10 23:29:33
>399
>第一、名前の挙がっている北条氏、村上氏と広瀬氏などは対立する説を出されて
>はいない筈なのですが。

そりゃ違うでしょう。
広瀬氏は旧来のマルクス主義的な国家論を強く批判していますが、
倭王権成立については畿内主導説を採用しています。
北條さんについては、名前を挙げて否定していますよ。
著作をちゃんと読まれてはいかがですか?


403 :日本@名無史さん:05/02/10 23:35:42
>400
>ホケノ山や外山茶臼山の前方部に並べられていた加飾壺
>(二重口縁、長胴型、底部穿孔の特徴を持つ形式)は
>愛知県尾西市の西上免遺跡内の前方後方墳跡から出土したものと同形式であることが確認されています

遺跡の祭祀遺跡の供献土器にて東海系土器が用いられているなんてことは前
から分かっていることです。また、そういうものがあるから東海地域からの
土器が全部恭献土器であるわけがないでしょう。多くは労働力の移動に伴う
ものであることを何ら否定するものではないですよ。

404 :日本@名無史さん:05/02/10 23:38:17
 弥生時代と古墳時代の境(墳丘墓か古墳か)。弥生土器と土師器の
境。非常にあいまいでよくわかりませんね。
 「箸墓の登場をもって古墳時代。それ以降の高塚式墳墓(原則として)を古墳といふ。
箸墓古墳は布留0式なので、庄内式は弥生土器。布留式は土師器。」
 この考えは非常にわかりやすくていいんだが、この定義を採用すると、
前方後円墳の中には古墳と墳丘墓があることになる。これはわかりづらい。定着・固定するとは
思えないが。



405 :日本@名無史さん:05/02/10 23:44:30
鶴尾神社4号墳

406 :日本@名無史さん:05/02/10 23:45:08
箸墓に思い入れがあるようだが、ちょっと中国に目をやって見ろよ。
始皇帝陵(の埋葬時期)を指標にして時代を区切るといったら、お前バカかと言われるのは目にみえてるだろ。
画期はその被葬者の生存中にあるから、古墳(の埋葬時)では明らかに遅れる。
時間軸の確度が50年も100年も幅があるという時代ならいざ知らず、
今のように、10年、20年の分解能で話をするようになったら、明らかにやばい。

箸墓を指標とする昔の時代区分が捨てられつつある背景には、こんな事もあるのではないかな?




407 :日本@名無史さん:05/02/10 23:52:22
だから邪馬台国というのは、クマソのことだろう。
なんで、こんな当たり前の事が延々と議論されるんだ。
曇りなき眼で見ろと蝦夷の末裔のアシタカヒコも言ってるよ。
イデオロギーに狂った人たちはどうしようもないな。


408 :日本@名無史さん:05/02/10 23:54:15
畿内主導というなら弥生時代の畿内にいかなる権力が存在したのか、
仮にそういうものがあったとして、政治的・経済的に広域のブロック
が形成されていたのか、それはどのような考古学的な物で証明できる
のかをちゃんと検討すべきですね。
威信財のほとんど出ない畿内でそんなことが可能なのかはよく分かり
ませんがね。


409 :日本@名無史さん:05/02/10 23:56:51
都出比呂志の「日本古代の国家形成論序説」『日本史研究』343号、1991年3月 なんか読んでみ。考古学研究者が文献史学の成果を軽んじてなんかいないことが判るよ。
 ただ、私の場合、都出先生の考えは採らんがね。



410 :日本@名無史さん:05/02/10 23:59:30
>>400

あんた誰?
持論があるならROMってないで議論に参加しなよ。

411 :日本@名無史さん:05/02/11 00:11:44
建国記念日記念

412 :日本@名無史さん:05/02/11 00:13:35
しかし、布留期以降にしか出ず、位置づけとしても明らかに
内行花文鏡や画文帯神獣鏡より劣る△鏡にえんえん費やされ
た論争って今となっては何だろ感じですな。




413 :日本@名無史さん:05/02/11 00:21:28
>225
銅鐸祭祀の共通性をお忘れなく。
前期はともかく後期の巨大化した銅鐸については権力による
管理が想定されるべきでしょう(寺澤、福永)

銅鐸は威信材でないという反論がきそうだが、伊都国・奴国につい
て祭器である銅矛等の分布を理由にその支配の広域性をみとめるなら
銅鐸祭祀についてそれを否定するのはフェアでないですな。
そもそも権力によって管理された段階で祭器であっても威信財的な
性格を持つとみてもよいのではないかと思います。




414 :日本@名無史さん:05/02/11 00:24:15

未だにアノ「特鋳説」を唱える阪大の福永伸哉先生の質問箱です。
みんなも質問しようね。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/sfuku239/class/Question0445.htm#705

415 :日本@名無史さん:05/02/11 01:24:57
安本美典ってどうよ。

416 :日本@名無史さん:05/02/11 01:54:15
>>415
全部疑ってかかる、っていうふうに
ブレインストーミングとわりきって接するなら
いい教材じゃないでしょうか

417 :日本@名無史さん:05/02/11 02:29:16
安本説と無関係なところは、とてもいい啓蒙書だよ。

418 :日本@名無史さん:05/02/11 03:32:53
「王権誕生」は、皆読んでるよな?
初心者は座右の書としとけ。

419 :日本@名無史さん:05/02/11 09:31:20
イザナギ・イザナミは、天浮橋の上に立って相談され、
…その矛先から滴った潮水が凝り固まって、一つの島となった。

柱の影で
『我が身の元のところをもってお前の身の元のところに合わせようと思う』

『イザナギ殿。こんな昼間からご無体な』
『よいではないか!誰もおりゃしない』

やがて、イザナミもイザナギに身を委ね体の力をぬいた。なんだ
日本書紀は『官能小説』だったんだ

時が過ぎ、学者達が『官能小説』を元に議論の華を咲かせるのであった。

『イザナギ殿、そこではありません。』
『痛い』
『すまぬ』

420 :日本@名無史さん:05/02/11 09:52:12
おまいら、ヤフーでほめられてるぞ

421 :日本@名無史さん:05/02/11 09:55:16
>都出氏や石野氏、近藤氏が現在提唱されている考え方とは明らかに違いますが
>その流れから主張される自生説とはおよそかけ離れた内容に終始されておられますね。
そうだっけ。都出は意見変えてないし、相も変わらず石野は唐古・鍵→纒向で
近藤ほぽろっと言っただけじゃん。だいたい近藤はずっt小林行雄理論との格
闘をしてきた人じゃないの。




422 :日本@名無史さん:05/02/11 10:00:20
>>420
どこ?
まさか常時大荒れの掲示板?

423 :日本@名無史さん:05/02/11 10:04:46
>>422
そこ。リンク貼られてたから、お歴々がくるかもね。

424 :日本@名無史さん:05/02/11 10:04:46
>416
アマチュアのなかではいい部類だろ。
素人相手に畿内主導説や特鋳説を否定しつづけてきた功績は大
きい。関川編年と柳田編年を合成するとか、未だにもう終わっ
ている九州説を墨守しているのは論外だが。

425 :日本@名無史さん:05/02/11 10:16:57
とりあえず話を整理しようや

1.学会で残っている説
@畿内自成説(鏡台の人)
A各勢力(九州、東瀬戸)の共立説(寺澤氏、北條氏)
Bイト倭国拡大説(柳田氏、村上氏?)
2.学会で滅亡した説
C邪馬台国九州説
Dウリナラ説、騎馬民族説・・その他の妄想
E九州王朝説

ココで議論するのは、1,だけな。
以下まとめるぞ。



426 :日本@名無史さん:05/02/11 11:18:08
1.畿内自生説
 弥生時代の畿内勢力が倭王権の主体であり、鉄資源ルートを掌握して後漢の
 衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。
【畿内自生説の根拠】
@畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した(小林行雄)。
A畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い(佐原真)
 原田大六のようなド素人が唱える東遷説は、「皇国史観の亡霊」だ。
B銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに違いない(近藤義郎)。
C個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力となった。
 威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタのように(都出ヒロシ)。
D大安万呂に匹敵する「天才的イデオローグ」が中国思想と日本各地の墓制を統合し、
 倭王権を誕生せしめた。
E倭王権が畿内に生じたという考古学的事実を無視すべきでない(白石太一郎?)
 安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。島国であり関東以西については
  ほぼ文化的に均一であった日本において大和朝廷の誕生に権力移動を持ち出す必要は
  全くない。 

(畿内自生説への反論)
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何のつながりなし(大六、森浩、方丈その他)
 引き継がれるのは北枕の思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけなので
 鉄器ルートの奪取はありえない(川上哲治、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。銅鐸祭祀の
 中心は近江。
C弥生時代の日本は不均衡である
(北九州>・・ 越えられない壁・・>西日本日本海側> 東瀬戸>畿内(ドンヅマリ」))



427 :日本@名無史さん:05/02/11 11:20:35
(畿内自生説に対する反論への再反論)
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A(「断絶説」に対しては)大型化した後期銅鐸は、権力による管理が行
 われていたはず。銅鐸の畿内王権による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡
 などの配布にスライド機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移
 行を見いだせる(福永、寺澤)。
 権力が管理したら威信財だ。池上曽根遺跡のような祭殿は古墳時代に受
 け継がれる。 
B低湿地が多い畿内では鉄器は溶ける。出土しないからといってなかった
 わけではない。石器の減少から鉄器の増加が証明できるはず
 (「見えざる鉄器」は実在した)。
C下部構造の劣位が政治的劣位を招くというのは歴史の法則に
 反している。野蛮だが精神力に勝る民族が先進的であるが故
 に堕落した地域を征服することはよくあることだ
 (スパルタ、中国、南米などの征服王朝、明治維新など)


428 :日本@名無史さん:05/02/11 12:14:24
【九州倭国拡大説】
→弥生時代に既に倭国王であった伊都国と奴国による
 九州倭国が東瀬戸勢力の協力を得て、東方に拡大し
 首都を移転。倭王権成立は画期ではない。

【九州倭国拡大説の根拠】
@鏡の大量埋葬、素環頭太刀、朱の塗布、割竹式木棺など
 弥生時代北九州文化と古墳文化の共通性(第六、森浩その他)
 ホケノ山における内行花紋鏡の破鏡、棟持柱付建造物は平原類似。
A伊都国、奴国を中心とする副葬品のピラミッド型の格差に
 より示される権力層の階層構造や奴国地域からの鏡など青
 銅器の配 布行為が倭王権のそれと同じ(大六、森浩その他)。
B平原の鳥居・大柱が、伊勢神宮、諏訪大社のそれに極似。
 鳥居と大柱の延長上に日向峠(伊勢神宮の新嘗と同日に日の出)
 などで王権祭祀との共通性(柳田康男)
C記紀などの国内文献と祖語がない。平原周辺の地名が天孫
 降臨の条に見られる地名と一致(大六)。
D九州倭国は、弥生期に西部四国、西瀬戸地域などに領域を
 拡大している。山陰など日本海地域や伊勢湾岸とも強い経
 済関係があったことが証明されており、終末期には帝国化
 していた(柳田康男)。





429 :日本@名無史さん:05/02/11 12:15:10
【九州倭国拡大説に対する反論】
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A畿内だけでは劣位でも吉備、山陰、丹波を味方にしたので勝った(鏡大の人)。
B大型墓の衰退、副葬の減少など北九州の遺跡は終末期に衰退(鏡大の人)。
C首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備から受け
 継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石などからも
 楯突→石塚の流れがより重要。
Dマキムク遺跡の出土の外来土器に九州土器はなし。一番が東海、
 次が吉備。逆に庄内式土器はこの時期九州に行っており九州こ
 そが劣位の立場(白石太一郎、石野博信等)。



430 :日本@名無史さん:05/02/11 12:45:08
【九州倭国拡大説に対する反論に対する再反論】
@(皇国史観との声に対して)考古学には考古学で反論すべきで、
 政治的議論を持ち込むべきではない。「「考古学的事象は、日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の
 神代神話をさけて通ることはできない。」という考えには同感である。
 ・・・研究者の方々にそお片鱗さえあれば、邪馬台国問題だけでなく、
 古代国家形成研究でさけて通れない古墳出現期の諸問題がここまで
 時間をかけずにすんだのではかなろうか」

A日本海地域は玉器に交易などにより北九州地域との強い経済関係
 が考古学的に証明されているが、畿内のそれは全く証明できない。
 ましてや畿内とそれ他ブロックとの政治的関係の証明は考古学的
 には不可能であるはず。
B三雲、博多湾岸において九州の遺跡の衰退は庄内期ですら全くない
 (九州の考古学者ほぼ全員)。同時期畿内でも墳墓は減少。
C近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠としている特殊器台は、中山大塚以降
 に出土。都月と宮山が一緒になるのは吉備でなく畿内。
 葺石は、ホケノ山以降。布留期に吉備の文化が大量に流入したことを
 もってその前の庄内期における倭王権成立の吉備主導を導くのは本末
 転倒。特殊器台は、△鏡と同様に倭王権成立とは無関係。
D高級品である庄内式土器と労働者の使う土器、恭献土器の3つの土器を同一
 に議論するのはミソもクソも一緒に議論するようなもので成り立たない。
 纒向の外来土器の性格は労働力移動説か供献説が主流であり、両説を採用
 する場合、九州の土器がないことは逆に九州の主導性を示してる。
 高級品である庄内式土器はオオヤマト地域と河内の一部、博多湾岸等だけ
 にしか出土せず、これは倭政権の構造を表している。
 東海系土器が多いから東海が主導したということは考古学的にあり得ない。
F北九州以外の政治的ブロックは、考古学的に証明されていない。
 墳墓の共通性から山陰地域で権力者の同盟が証明され、吉備地域は墳墓の
 共通性が乏しく、楯突などにより推定されるのみで集落など不明。
 経済的ブロックについては、九州以外証明不能。

431 :430の修正:05/02/11 12:49:15
【九州倭国拡大説に対する反論に対する再反論】
@(皇国史観との声に対して)考古学には考古学で反論すべきで、
 政治的議論を持ち込むべきではない。
考古学的事象は、日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本
 書紀の  神代神話をさけて通ることはできない。研究者にその片鱗
 があれば 邪馬台国問題だけでなく古代国家形成研究でさけて通れ
 ない古墳出現期 の諸問題がここまで時間をかけずにすんだはず
 (柳田康男)。
A日本海地域は玉器に交易などにより北九州地域との強い経済関係
 が考古学的に証明されているが、畿内のそれは全く証明できない。
 ましてや畿内とそれ他ブロックとの政治的関係の証明は考古学的
 には不可能であるはず。
B三雲、博多湾岸において九州の遺跡の衰退は庄内期ですら全くない
 (九州の考古学者ほぼ全員)。同時期畿内でも墳墓は減少。
C近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠としている特殊器台は、中山大塚以降
 に出土。都月と宮山が一緒になるのは吉備でなく畿内。
 葺石は、ホケノ山以降。布留期に吉備の文化が大量に流入したことを
 もってその前の庄内期における倭王権成立の吉備主導を導くのは本末
 転倒。特殊器台は、△鏡と同様に倭王権成立とは無関係。
D高級品である庄内式土器と労働者の使う土器、恭献土器の3つの土器を同一
 に議論するのはミソもクソも一緒に議論するようなもので成り立たない。
 纒向の外来土器の性格は労働力移動説か供献説が主流であり、両説を採用
 する場合、九州の土器がないことは逆に九州の主導性を示してる。
 高級品である庄内式土器はオオヤマト地域と河内の一部、博多湾岸等だけ
 にしか出土せず、これは倭政権の構造を表している。
 東海系土器が多いから東海が主導したということは考古学的にあり得ない。
F北九州以外の政治的ブロックは、考古学的に証明されていない。
 墳墓の共通性から山陰地域で権力者の同盟が証明され、吉備地域は墳墓の
 共通性が乏しく、楯突などにより推定されるのみで集落など不明。
 経済的ブロックについては、九州以外証明不能。



432 :日本@名無史さん:05/02/11 13:15:20
3.諸勢力による連合説
→倭王権は、北九州、吉備、讃岐、出雲、讃岐など複数の
 政治ブロックによる連合であり、諸勢力が協力して
 平和的に巻向を建設した。ただし畿内勢力の地位は低い。
 明治維新で新政府が東京に首都を置いたことに類似。

【諸勢力による連合説の根拠】
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何の
 つながりなし(大六、森浩、方丈その他)引き継がれるのは北枕の
 思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけな
 ので鉄器ルートの奪取はありえない(川上哲治、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C古墳時代の首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備
 から受け継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石など
 からも楯突→石塚の流れがより重要。
 だから吉備を中心とする東瀬戸地域が主導したはず。
D古墳からは、どの勢力が優越したのかは導き出せない(北條)
E戦闘の遺跡が証明できないことから、平和的共立を裏付けている(寺澤薫)。


433 :日本@名無史さん:05/02/11 13:17:01
疲れた。後、誰か書いてくれ。

434 :前スレ941:05/02/11 13:27:02
>>425-433

整理ご苦労様です。とてもわかりやすいです。
ありがとうございます。

ところでこのスレの住民規制についてですが、
>>425のA〜Eも排除する必要は無いと思いますよ。
私自身E+@ですし。

いまの英国は、国民はヴァイキング系(北欧)を中心とし
王室は、途中断絶のためフランス系です。
三権分立はフランスのモンテスキューから
キリスト教はもとはローマから
磁器はもともと中国から来ています。
ジャガイモ・トマトは中南米に由来します。

事実は結構複雑だと思いますよ。
いろいろな論があっていいのだと思います。

435 :日本@名無史さん:05/02/11 13:33:19
学会で死んだ説は荒れちゃうからダメ。
変なの多いし。

436 :追加:05/02/11 13:43:26
(畿内自生説に対する反論への再反論)
今、倭王権の畿内自生説やマルクス主義に対して疑問を唱える
べき時ではない。
それは、イラク侵略への日本の荷担がますます深まり、
極右暴力集団「新しい教科書を作る会」による皇国史観教科書
の動きが顕在化している昨今、結果的に皇国史観を側面的に支
援するだけだ。








437 :前スレ941:05/02/11 13:44:43
たとえば「騎馬民族説」などは私自身はトンデモ説だと確信していますが、
猛烈な批判の中で補強され、お互いの考察はドンドン深まった。
これはこれでよいスレのあり方だと思います。

438 :追加:05/02/11 13:46:08
(畿内自生説に対する反論への再反論)
マルクス主義のイロハを知らない寺澤のマキムク都市論や北九州
国家成立論は、国際的な考古学の常識に反するもので論外である。


439 :追加:05/02/11 13:48:26
(畿内自生説に対する反論)
畿内に戦士層の存在が証明できない。畿内の高地性集落は、防御的なもの
であり、攻撃的な性格を持たない。


440 :追加:05/02/11 14:05:36
(畿内自生説に対する反論)
寺澤薫、北條の影響で以下のように畿内自生説に疑問を呈し、外的勢力
関与のヤマト政権成立説を示唆している学者が増加。

近藤義郎  吉備東遷説を示唆
松木武彦  従来の自生説と単純な東遷説を批判。
      どちらかというと寺沢に近い立場を表明。
福島孝行  「弥生終末期の墓制と古墳の出現畿内自生説に疑問を呈し、外的勢力関与のヤマト政権成立説を言っている人(示唆している人も含む)を挙げておきます。




441 :追加:05/02/11 14:10:03
(畿内自生説に対する反論に対する反論)
「古墳時代像を見直す」は本人達が思っているほど考古学会に対した影響を
及ぼしておらず、大御所で意見を変えた者は皆無。
寺澤は師匠の森浩一とともに私大出身、大六はアマチュア電波、柳田は
自治体埋文といずれも学界傍流である。北條は四国に行って寂しかった
ので反主流派に転向したのだろう。


442 :日本@名無史さん:05/02/11 14:28:17
チョットいいですか!

>>426に書かれてる
>後漢の衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。
今、私達は後漢の衰退を時空を越えて知ることが出来るが、当時情報の乏しかった辺境の地で衰退を確認し、都合よく北九州を攻め倒すことが出来たのか?

現代感覚で物事を判断し過ぎると折角のロングレスもただのヨモヤマ話しとなってしまう
当時の人達の情報は、過去の出来事がリアルタイムのように時間をかなり置いて入ってくるのが現状と思うがいかがだろう。
それに、耳に入った時にはかなり歪められた情報が伝わるはず
後漢がヤバイ状態が→益々隆盛

443 :日本@名無史さん:05/02/11 19:06:34
ここまで議論が深まってるのに、どうして誰も渡来人が日本で王権を樹立したことに触れないんだろう?
未開人に文化を伝えた場合、伝えた民族が王位につくのは世界中で見られる普遍的事実だろう。
飛鳥時代の畿内の遺跡は明らかに中国の影響が多大。

つまらん民族意識に囚われてるうちは、日本の学界もここまでだな。
永久に真実は見えてこない。



444 :日本@名無史さん:05/02/11 19:40:57
>>443

しぃ〜っ ふれちゃダメ

445 :前スレ941:05/02/11 19:58:45
当時の民族は混交して、いま残っていないと思いますよ。
当時なかった民族の例:華北人・朝鮮民族・日本民族

446 :日本@名無史さん:05/02/11 20:51:44
電波説は書き込み禁止です

447 :日本@名無史さん:05/02/11 21:10:56
ここレベル低すぎ。
yahooの邪馬台国スレッドの知性的な議論にははるかに及ばないな。


448 :日本@名無史さん:05/02/11 21:15:18
>442
>今、私達は後漢の衰退を時空を越えて知ることが出来るが、当時情報の乏しかった辺境の地で衰退を確認し、都合よく北九州を攻め倒すことが出来たのか?

だから九州は衰退してないって。それは畿内勢力が主導権をとったという
結論にしたいがためのいい加減な推測なんだよ。
だいたい考古学者が物証なしにそんなこと言うっておかしいと思わないの。
九州の考古学者で終末期に九州が衰退したという人は皆無に近いよ。

449 :日本@名無史さん:05/02/11 21:21:40
所詮負け犬畿内説だからな

450 :日本@名無史さん:05/02/11 21:26:08
安本美典の数理統計方を用いた古墳編年や土器編年は素晴らしいね。
専門家必ずしも正しいとは限らないことが分かる。
古墳の年代をどうしても上げたい連中に対する見事なアンチテーゼだね。

451 :日本@名無史さん:05/02/11 21:27:23
おまえら、九州説もちゃんと議論しろや。
異説を排除するって学問の世界でアリかよ?


452 :日本@名無史さん:05/02/11 21:30:08
>443
じゃあ、北朝鮮にでも行きなさい。

453 :日本@名無史さん:05/02/11 21:31:01
あのさ、九州派を標榜するなら、九州の土器編年ぐらい勉強しなよ。
年代の指標は畿内じゃなくて九州なんだから。年輪年代が有効なら状況は変わってくるけど。

九州の考古学者はもう20年も前から畿内でいう庄内式にあたる時期は200年頃にはじまるって言ってるんだ。
これに畿内の研究者が反対して、いや、庄内のはじめは250年頃だって言ってたのが20年前の状況。

なぜ畿内が反対していたかっていうと、土器の神様・佐原真大明神による佐原編年があったから。
これは、畿内後期前半の土器と九州後期後半(後二世紀)の土器が形が似てるってところが根拠だった。
その結果、九州の年代をもとに考えると畿内後期の始めが後100年頃になり、
土器の量や形式変化から畿内後期が100年間におさまることはないから庄内の開始も3世紀半ばってことだった。

ところが、事例が増えるにつれて、佐原編年の根拠が誤りであったことがはっきりしてきた上に、
九州中期末(紀元前後)の土器と畿内後期初頭の土器が供伴するということや、
王莽の貨泉(後一世紀前半)が畿内後期初頭の土器と供伴するということも分かってきた。
結局、畿内後期のはじめを後二世紀初頭とする理由はもはや何もなくなり、
畿内後期が後一世紀の前半にはじまることは動かせなくなった。
それでついに畿内側も庄内の始めを200年頃とすることを受け入れた。

こういう状況のときに池上曽根の結果が出てきて大々的に報道されたから、
報道しか見てないヤツにはいきなり年代が上がったように見えるわけだ。
まあ、そういう報道だったからやむを得ない面もあるが。
だが、年代があがったのは池上曽根だけによるわけじゃない。地道な編年研究があってこそだ。


454 :日本@名無史さん:05/02/11 21:37:43
>>453
九州の後期初頭〜前半と、畿内〜瀬戸内の後期初頭が共伴、が正しい。
去年行なわれた、九阪研究会でも、後期初頭のズレは従来ほど大きくズレていないが、
やはり細分1型式はズレていることが再確認されたが。

455 :454:05/02/11 21:40:28
>>453
あとは同意しますので、一応。


456 :日本@名無史さん:05/02/11 21:41:39
畿内自生説って論文の形だからまともに見えるけど、
電波安本のアジ本風にするとやっぱすげえおかしい
こと言ってることが分かるよな。

「「見えざる鉄器」は実在した!」
「卑弥呼の宗教革命 −銅鐸から特殊台器へ−」
「虚妄のイト倭国−畿内王国は輝いていた−」
「畿内大王とその時代」
「倭王権を作った天才的イデオローグの奇跡」
「唐古・鍵の女王 卑弥呼」

考古学って科学だと思うんだけどな・・・
こんなのが今の今まで存続してるってのはどういう
ことなのかね。


457 :日本@名無史さん:05/02/11 21:45:07
>454
そうだったね。アリガトよ。
なんか最近面白い情報があれば披露して下さい。

458 :日本@名無史さん:05/02/11 21:45:46
>>456
確かに、藁えるわw

「欲しがりません、勝つまでは。鉄も鏡も我慢しよう!』ってか?

459 :日本@名無史さん:05/02/11 21:51:16
ところで広瀬氏の「天才的イデオローグ」ってどの本の何処に書いてるの?
しかし、ホントにもしそんなこと書いているんじゃ英雄史観的な神武天皇の亡霊と五十歩百歩だな。
広瀬氏は期待していたが、最近、論が安直になっているのは残念だ。氏も元々サヨクなはずなので、>>388の佐々木藤雄の批判(基本的に的を射ている)はホントは内心ショックだと思うな。

460 :日本@名無史さん:05/02/11 22:08:59
>>413に反論
一見、同じ青銅祭器だが、
強力な首長の存在や階層化の進展は、墓制や集落構成でまず検証されるべきですね。
その点で行くと(庄内式以前)、九州はそれが証明できるのですが、畿内はなかなか証明できません。
階層化はある程度進展しているが、強力な首長の存在は証明できません.
>>413の主張が成立するためにはそれがまず証明されないといけません。>> 「権力によって管理された段階」そのものが証明できていません。
ですから、同じ青銅祭器でもその社会の中での位置付けが微妙に違う可能性があります。
生産からみても、九州では須玖で圧倒的に集中的に製作しており(他遺跡の工房もあるが量の多寡が違い過ぎる)、畿内のように分散的ではありません。
消費(使用)の仕方でも、広形銅矛も基本的には埋納祭祀ですが、対馬では海人の首長(対半島交易の長か)の墓には副葬されており、
威信財にもなりえていますが(さらに伽耶の首長への贈答品にもなり、伽耶の首長墓にも副葬)、銅鐸ではこのような例はありません。
生産と消費のあり方から、九州の銅矛は「権力の管理」が証明できますが、銅鐸も想像の論理ではなく証明してほしいものです。
なお、池上曾根の大型建物などを出す輩がいるかもしれませんが、
後期には続かず、首長そのものの居館と言うよりは共同体の祭殿ということが一義的と思われます。

461 :日本@名無史さん:05/02/11 22:22:26
>>456
「なかったのだが、だからこそ強くなった」(共同体の規制力?おそるべき超逆説理論)
「出ないが、あったのだ」(鉄は全部溶けた、あるいは全部廃品利用した)
「全て伝世したのだ」(「伝世鏡」をはじめ貴重品は全て古墳時代まで伝世して古墳にはじめて入ったのだ)

こういう論理って今でも通用してるの?

462 :日本@名無史さん:05/02/11 22:28:01
池上曾根遺跡の中には、巨大な掘立柱建物を中心とする「祭祀の空間」、
「生産工房区域」、「住居密集地域」などが区画整理され、「都市」を形成していた。
年輪年代法によって、池上曽根遺跡は、
それ以前の土器編年による年数より約100年も遡ることになった。
このことは、九州の「奴国」が、
金印をもらったとされる紀元後57年より100年も前のことになる。


463 :日本@名無史さん:05/02/11 22:33:24
>>400
茶臼山は加飾壺じゃないはずだが
ホケノの壺を東海系と断ずるのは赤塚氏だけ。
確かに東海の影響はあるが、西上免も含めて相互影響の結果。
庄内式の二重口縁壺にはいくつかの系統があるし、加飾壺も畿内在地の変化の中でもありうるもの(東海の影響を否定するわけでは無い)。
無文の茶臼山式壺(箸墓古墳前方部を含む)の底部穿孔壺まで東海系というのは明らかに誤り。これは畿内系で、むしろ東海に影響している。無文の茶臼山系二重口縁壺は広く九州までの西日本まで広がるが、これが東海系というのはおかしいよ。
茶臼山の大型倭鏡とか破砕鏡の風習(ふつうは九州系とするが)まで東海系みたいなことも書いていたが、これはどうみても悪乗りじゃないの?
だれかちゃんと反論して欲しい。

464 :日本@名無史さん:05/02/11 22:36:48
>茶臼山の大型倭鏡とか破砕鏡の風習(ふつうは九州系とするが)まで東海系みたいなことも書いていたが、これはどうみても悪乗りじゃないの?
マジかよ。それアホじゃん。
だいたい弥生時代の東海に鏡なんてほとんどないじゃん。


465 :日本@名無史さん:05/02/11 22:40:58
>>462
そうですね、池上曾根は素晴らしいですね。
だけど、中期後半(須玖2)では、須玖岡本遺跡群とか三雲遺跡群とか、那珂比恵遺跡群とか100ha近いんだけど。
計画的に中心部を調査しているわけじゃないのでよく分らないことが多いようですが、池上を越えていることは確実と思うよ。
「金印」の前に、前漢から「王」と認められていた存在が三雲南小路や須玖岡本D地点から証明できるわけだが、それらの基盤集落が都市的だったことは証明されつつあるわけです。
つまり、池上が「都市」なら伊都国や奴国は「大都市」だということで。

466 :日本@名無史さん:05/02/11 22:55:52
>>464
「オオヤマトの東海」(『古代「オオヤマト」を探る』学生社)
198頁「さらに桜井茶臼山古墳には壺型土器や特異な石製品の副葬や大型の倭鏡の存在を加味すると、むしろ東海地方との関係を想定したくなる。」
また破砕鏡がまるで東海中心のような記述は考古学研究に前に載った「前方後方墳の定着」にある。
なんでも東海起源なんだけど、こんなのに依拠する最近定説?化しつつある「狗奴国=東海説」って大丈夫?

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 23:01:23
いいわけないじゃん。

銅鐸沢山でてるし。

468 :日本@名無史さん:05/02/11 23:02:47
須玖岡本遺跡群と池上じゃあ、まさに桁が違うでしょ。
全然、比べられるもんじゃないです。
あそこほとんど住宅地で「立替・改造の際は連絡して下さい」
って呼びかけてほとんど点レベルで発掘してんだけどそれでもあれだけ
出てるわけですから。まあ、後期の銅器の半分くらいは奴国地域で
生産されてるからすごくて当たり前だけど。

池上みたいにたいしたことのない遺跡でも全面発掘されるってのは
九州でも吉野ヶ里とか平塚川添とかあるんだけどね。

469 :日本@名無史さん:05/02/11 23:05:52
>466
>また破砕鏡がまるで東海中心のような記述は考古学研究に前に載った「前方後方墳の定着」にある。

具体的に東海のどの遺跡を根拠に彼はそういうことを言ってるのですか?


470 :日本@名無史さん:05/02/11 23:05:54
>>468
池上曾根を「たいしたことのない」とか言うのはちょっとやめよ。
素晴らしい遺跡であり、資料であることは確かなんだから、、、
ただ、上には上がある、ってことでいいじゃん。


471 :日本@名無史さん:05/02/11 23:09:03
>>469
九州ほか西日本の破砕鏡例は一切無視して、美濃観音寺山、東之宮その他の伊勢湾周辺の資料だけでいっているw

472 :日本@名無史さん:05/02/11 23:11:26
>470
考古学的には素晴らしいが、こういうものがあるから畿内勢力が・・・
という妄想は福岡行って那珂遺跡見てこいということです。


473 :日本@名無史さん:05/02/11 23:14:53
>471
そりゃひどいや。つーか普通あのタイプの鏡の破鏡って言えば平原
だろが。ホケノ山報告書ですら、「平原類似」ってちゃんと書いて
あるわな。


474 :日本@名無史さん:05/02/11 23:17:08
>>400
桜井茶臼山の近くは城島遺跡というとこがあって、東海系土器(大型の甕が多い)が多数出て、木製土木具がたくさん出てるよ。
茶臼山と同時期で、古墳造営のためのキャンプ、飯場とされているよ。
箸墓の周りの纒向で東海系が甕を中心に出るのも同じじゃないか?
やはり東海は連合に参加するとしても労働力提供しか材料が無かったんじゃないの?

475 :日本@名無史さん:05/02/11 23:20:42
>474
一応、マキムクに東海系の土器使った祭祀土坑がありますが。
なぜかあん中に庄内の前方後方墳もあるよね。
前方後方墳=クナ国も疑問はありますがね。

476 :日本@名無史さん:05/02/11 23:21:04
>>472
まあ、それなら同意。
春日市の奴国の丘資料館に行って須玖の出土品(鋳型の数々)見た時は、何じゃこりゃって思ったよ。んで、展示は出土品のごく一部って聞いて二度びっくり。
平原の出土品も、大六記念館みたいなとこには正直引いたが、鏡の展示には圧倒されたね。
その頃、いったい畿内は何をしていたのか<<<

477 :日本@名無史さん:05/02/11 23:24:54
>476
あそこ大六の銅像もあるよな。

しかし、マキムクにせよ、奴国、伊都国にせよと超弩級の遺跡ほど、
ちまちまとしか発掘できないよな。一般人も吉野ヶ里しかしらんか
ったりするし。なんとかならんのかね。


478 :日本@名無史さん:05/02/11 23:27:15
>>475
古墳祭祀に参加している(というかさせられてる)範囲の土器が祭祀土坑から出るのだろうか。
なぜか、九州は少ないのは、逆に特別(別格)だからじゃないのか?
石野の言うようにこれら祭祀土坑が「ニイナメオスクネ」儀礼なら、それに供献してないのは服属してないってことかもよ。
あと意外と山陰からの搬入土器が祭祀土坑からは出ないような気がする。

479 :日本@名無史さん:05/02/11 23:28:42
>>477
ちまちまとしか掘れなくても、しっかり掘っていって欲しいです。
埋文担当者ガンガレ

480 :日本@名無史さん:05/02/11 23:31:48
>>461
いまでも鏡台系の一部(一部と新字体が)には通用しているのがイタイ、、

481 :日本@名無史さん:05/02/11 23:37:54
銅鐸文化と畿内王権を結びつけるのもいいが、
銅鐸文化が一番発達し、高度な鋳造技術で銅鐸を作ってたのは出雲だということを忘れるなよ。

銅鐸文化の中心地は出雲。これは間違いない。



482 :日本@名無史さん:05/02/11 23:39:42
それが間違いであることは、間違いないな。

483 :日本@名無史さん:05/02/11 23:41:30
>>459
ホンマか?と思って探したんだが、確かにあったわ。
『前方後円墳国家』角川書店の122-123頁
結局、寺沢の「王権誕生」と変わらんな、こりゃ。
いや、自生説の論理にスリカエてるところに無茶なところを感じるのだが。実証も反証もできない「天才的イデオローグ」の存在の夢想なんて、「神武東征」説と大して変わらんよ。

484 :日本@名無史さん:05/02/11 23:43:11
>>481
銅鐸の技術が銅鏡に引き継がれたかは留保するとして、
出雲には新式の銅鐸は無いんだけど。基本的な情報をおさえてね。

485 :日本@名無史さん:05/02/11 23:53:46
>>467
いや、三遠式銅鐸の分布から狗奴国だと言ってたりするわけで、、、

486 :日本@名無史さん:05/02/12 00:03:07
このスレ、時々すごい知識をもつ専門家?がいたりと思えば、しょうもない素人がまじっていたりするなW
多分、多くは、過疎板考古学板住人のネットオタク学生(院生クラスも混じってるな)や一部しがない地方担当者だろうけどな.
漏れもデツがw

487 :481:05/02/12 00:03:13
>>484

そうですか、情報不足のまま意見してすみませんでした。
では、銅鐸文化の中心地は、どこと考えられているのでしょう?

488 :日本@名無史さん:05/02/12 00:06:53
>>487
確かに、ある時期までの銅鐸は出雲にも多いが、最初から最後まで多く、また鋳型の出土も多いのは畿内とその周囲(近江とか)。
問題は、明確な中心があるかということと、大和にこの段階でも中心がすでにあって古墳文化の中心にそのままなるか、ということ。
前の方であったように、後期の中心は近江と言う説が強くなっているのも事実。


489 :日本@名無史さん:05/02/12 00:20:51
>>420
どこの掲示板?URL貼ってね。


490 :日本@名無史さん:05/02/12 00:30:30
>483
>ホンマか?と思って探したんだが、確かにあったわ。
>『前方後円墳国家』角川書店の122-123頁

しかも「その(天才的イデオローグの)才能は、古事記を作った
大安万呂に匹敵する」ってかいてあるんだよな。

491 :日本@名無史さん:05/02/12 00:30:40
老教授さんよ、
ROMってないで、出て来いや〜

492 :日本@名無史さん:05/02/12 00:31:37
>>490
そうそう、確かにかいてあるW

493 :日本@名無史さん:05/02/12 00:34:35
>468
素人の考古学オタクばっかりじゃん。
Yahoo邪馬台国スレッドの精緻な議論とは比べモノにならない。

494 :日本@名無史さん:05/02/12 00:38:35
Yahoo邪馬台国スレッドって、これのこと?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=552019921&tid=doutakunooomikamia1a1a4octjrao2aa1a9&sid=552019921&mid=697

495 :日本@名無史さん:05/02/12 00:42:49
>>493
おい、ヤフ−のどこが精緻な議論だ?
ハクチな議論の間違いだろ?

496 :日本@名無史さん:05/02/12 00:43:48
追加の意見を入れて修正しました。みんなもどんどん追加してください。

1.畿内自生説
 弥生時代の畿内勢力が倭王権の主体であり、鉄資源ルートを掌握して後漢の
 衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。
【畿内自生説の根拠】
@畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した
(小林行雄)。
A畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い(佐原真)
B銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに
 違いない(近藤義郎)。
C個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
 となった。威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタ
 のように(都出ヒロシ)。
D大安万呂に匹敵する「天才的イデオローグ」が中国思想と日本各地の
 墓制を統合し、倭王権を誕生せしめた。
E倭王権が畿内に生じたという考古学的事実を無視すべきでない
 (白石太一郎?)
 安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎない。島国であり関東以
 西についてはほぼ文化的に均一であった日本において大和朝廷の
 誕生に権力移動を持ち出す必要は全くない。 






497 :日本@名無史さん:05/02/12 00:45:48
>>497
おい、どこがヤフーの精緻な議論だよ?
ハクチな議論の間違いだろ?

というか、荒らされちゃったよ、おいw

498 :日本@名無史さん:05/02/12 00:46:05
(畿内自生説への反論)
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何
 のつながりなし(大六、森浩、方丈その他)
 引き継がれるのは北枕の思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけ
 なので鉄器ルートの奪取はありえない(川上哲治、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C弥生時代の日本は不均衡である
(北九州>・・ 越えられない壁・・>西日本日本海側> 東瀬戸>
 畿内(ドンヅマリ」))
D畿内に戦士層の存在が証明できない。畿内の高地性集落は、防御的
 なものであり、攻撃的な性格を持たない。





499 :日本@名無史さん:05/02/12 00:49:53
(畿内自生説に対する反論への再反論)
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A(「断絶説」に対しては)大型化した後期銅鐸は、権力による管理が行
 われていたはず。銅鐸の畿内王権による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡
 などの配布にスライド機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移
 行を見いだせる(福永、寺澤)。
 権力が管理したら威信財だ。池上曽根遺跡のような祭殿は古墳時代に受
 け継がれる。 
B低湿地が多い畿内では鉄器は溶ける。出土しないからといってなかった
 わけではない。石器の減少から鉄器の増加が証明できるはず
 (「見えざる鉄器」は実在した)。
C下部構造の劣位が政治的劣位を招くというのは歴史の法則に
 反している。野蛮だが精神力に勝る民族が先進的であるが故
 に堕落した地域を征服することはよくあることだ
 (スパルタ、中国、南米などの征服王朝、明治維新など)
Dマルクス主義のイロハを知らない寺澤のマキムク都市論や北九州
 国家成立論は、国際的な考古学の常識に反するもので論外である。
E「古墳時代像を見直す」は本人達が思っているほど考古学会に対した
 影響を及ぼしておらず、大御所で意見を変えた者は皆無。
 寺澤は師匠の森浩一とともに私大出身、大六はアマチュア電波、柳田は
 自治体埋文といずれも学界傍流である。北條は四国に行って寂しかった
 ので反主流派に転向したのだろう。










500 :日本@名無史さん:05/02/12 00:51:57
>>498
川上哲治って誰だよ?
>>499
これってよく見ると反論になっていないのが多いな。
話のスリカエ(政治的議論)や人格攻撃とか反則が多いのだが。

501 :日本@名無史さん:05/02/12 00:54:07
>>499
低湿地だから鉄器が溶けたというのはもう通用しないのはいいですよね。
畿内では丘陵の遺跡でも鉄器は少なく、
九州や山陰では低湿地遺跡でも鉄器が出る。
この2点で完全に否定されます。

502 :日本@名無史さん:05/02/12 00:55:00
文献から考えても、畿内王権は否定できない。

神武が、どうして畿内を目指したのか?
畿内に王権の中心があったから。神武以前から。

503 :日本@名無史さん:05/02/12 00:56:30
>>499の反論へのさらに反論がすでに前の方で出ていると思うが。
整理してね。

504 :日本@名無史さん:05/02/12 00:57:30
>>502
意味不明。
考古学資料を優先してね。
大体、神武以前っていつだよ?

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 00:59:19
銅鐸属の王権がな。

つまり、
桜井の大福銅鐸がある限り
倭国大乱以降連続する邪馬台国が畿内とあったとする
畿内説は無理だ。

506 :日本@名無史さん:05/02/12 01:00:31
>>23
>記紀編集時代の外交政策上初代は偉大な男王とし、歴史の長さも...中国に
>対して遜色のないものにする必要があった...
にしては、>>293の言うように神武東征紀は偉大な建国者とは懸隔したよたつき
ぶりだがね。これは、東征紀が伝承されていた史実の反映ととるのが自然だね。
記紀編纂期には、大王家の系譜上の男系祖先は九州からの移住者との共通認識が
あった。>>20の外国の建国神話を借用云々は、東征に関しては空論だね。東征時の
久米歌混じりの各挿話を、一体どこから借用や誰が創作したというのかね。古代歌
謡の趣旨に無知すぎるのではないか。

507 :日本@名無史さん:05/02/12 01:01:00
>483
王権誕生の電波部分は嫁の影響ではないの。
首長霊継承儀式自体、想像の産物で物証があるわけじゃないけどね。


508 :日本@名無史さん:05/02/12 01:01:56
>>505
桜井の大福銅鐸って突線鈕1式。つまり5様式初めぐらい。
ここでの話し(庄内式直前以降)には直接関係ない。
大体、銅鐸の王権があったかどうかが問題だ。

509 :日本@名無史さん:05/02/12 01:03:16
>>506
スレ違いだと思うが、、

510 :日本@名無史さん:05/02/12 01:03:52
考古学者は、折口信夫の「大嘗祭の本義」に影響
受けてるような気がするな。王権誕生の葬礼儀式
のとことかさ。「大嘗祭の本義」って文学としてはと
もかく全く実証的なもんじゃないんだよね(らしい)。
新嘗みたいに考古学的に証明できるわけでもないしね。
だから、広瀬の言ってる近藤的な首長霊継承儀式への疑問と
いうのは分からないでもないな。


511 :日本@名無史さん:05/02/12 01:04:51
>>510
小林行雄もすでに影響受けているのが真実

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 01:06:34
>>>
東征時の久米歌混じりの各挿話を、
一体どこから借用や誰が創作したというのかね。古代歌
謡の趣旨に無知すぎるのではないか。
>>>

これは常陸風土記にもあるから駄目だ。
肥前の民謡が関東まで届くのが遅すぎる。
神武が4世紀に東征し関東侵攻が6世紀なら良いが。



513 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 01:11:42
>>>
桜井の大福銅鐸って突線鈕1式。つまり5様式初めぐらい。
ここでの話し(庄内式直前以降)には直接関係ない。
大体、銅鐸の王権があったかどうかが問題だ。
>>>


別に飾り耳も出てるから時期がどうのは無駄だな。
紀元前〜AD250年近くまで銅鐸を祭るのがいる地域の真中が
邪馬台国と言う神経が分からん。




514 :日本@名無史さん:05/02/12 01:12:00
(畿内自生説への反論)
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何
 のつながりなし(大六、森浩、方丈その他)
 引き継がれるのは北枕の思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけ
 なので鉄器ルートの奪取はありえない(川越哲志、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C弥生時代の日本は不均衡である
(北九州>・・ 越えられない壁・・>西日本日本海側> 東瀬戸>
 畿内(ドンヅマリ」))
D畿内に戦士層の存在が証明できない。畿内の高地性集落は、防御的
 なものであり、攻撃的な性格を持たない。







515 :日本@名無史さん:05/02/12 01:15:57
>>513
飾耳は纒向だろ?
基本的な情報を整理してくれ。
時期がどうのって、ちゃんと整理しないと無意味だろが。
ただ、庄内式まで銅鐸があったか自体微妙。
纒向での出方は、ちゃんとした遺構で出た訳ではなく、また破片であるので、むしろ正常な銅鐸埋納とは別物。
纒向の王権の出自がどこであれ、銅鐸祭祀否定後のもので、>>513
の言ってることは意味不明。

516 :日本@名無史さん:05/02/12 01:20:23
追加しました。
(畿内自生説に対する反論への再反論)
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A(「断絶説」に対しては)大型化した後期銅鐸は、権力による管理が行われていた はず。銅鐸の畿内王権による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡
 などの配布にスライド機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移 行を見いだせる
 (福永、寺澤)。権力が管理したら威信財だ。池上曽根遺跡のような祭殿は古墳時代に受け継がれる。 
B低湿地が多い畿内では鉄器は溶ける。出土しないからといってなかった
 わけではない。石器の減少から鉄器の増加が証明できるはず(「見えざる鉄器」は実在した)。
C下部構造の劣位が政治的劣位を招くというのは歴史の法則に反している。野蛮だが精神力
 に勝る民族が先進的であるが故に堕落した地域を征服することはよくあることだ
 (スパルタ、中国、南米などの征服王朝、明治維新など)
Dマルクス主義のイロハを知らない寺澤のマキムク都市論や北九州国家成立論は、
 国際的な考古学の常識に反するもので論外である。
E「古墳時代像を見直す」は本人達が思っているほど考古学会に対した影響を及ぼして
 おらず、大御所で意見を変えた者は皆無。寺澤は師匠の森浩一とともに私大出身、大六
 はアマチュア電波、柳田は自治体埋文といずれも学界傍流である。北條は四国に行って
 寂しかったので反主流派に転向したのだろう。
F今、倭王権の畿内自生説やマルクス主義に対して疑問を唱えるべき時ではない。それは、
 イラク侵略への日本の荷担がますます深まり、極右暴力集団「新しい教科書を作る会」に
 よる皇国史観教科書の動きが顕在化している昨今、結果的に皇国史観を側面的に支援するだけだ。










517 :日本@名無史さん:05/02/12 01:24:19
みなさんもどんどん意見を追加して下さい。
以下は、反論と再版論を作っていないので、誰か作って下さい。

3.諸勢力による連合説
→倭王権は、北九州、吉備、讃岐、出雲、讃岐など複数の
 政治ブロックによる連合であり、諸勢力が協力して
 平和的に巻向を建設した。ただし畿内勢力の地位は低い。
 明治維新で新政府が東京に首都を置いたことに類似。

【諸勢力による連合説の根拠】
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何の
 つながりなし(大六、森浩、方丈その他)引き継がれるのは北枕の
 思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけな
 ので鉄器ルートの奪取はありえない(川上哲治、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C古墳時代の首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備
 から受け継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石など
 からも楯突→石塚の流れがより重要。
 だから吉備を中心とする東瀬戸地域が主導したはず。
D古墳からは、どの勢力が優越したのかは導き出せない(北條)
E戦闘の遺跡が証明できないことから、平和的共立を裏付けている(寺澤薫)。






518 :日本@名無史さん:05/02/12 01:26:29
>>517
北枕って、畿内王権誕生の時に中国思想の影響で新たに出来たものであって、それ以前から畿内にあった訳じゃじゃいと思うのだが。

519 :日本@名無史さん:05/02/12 01:27:13
この掲示板レベル低すぎ。倭人伝無視して議論してどうすんだ。
Yahooにこいや。レベルの高さに唖然とするぜ。


520 :日本@名無史さん:05/02/12 01:29:28
>518
そう思いますが、方丈先生の古墳要素表?ではそういうことになって
いるとのことです。




521 :日本@名無史さん:05/02/12 01:32:11
>>519
レベルの低さに唖然としたが、何か?

522 :日本@名無史さん:05/02/12 01:34:30
畿内自生説の悪口ばかりでなく、「皇国史観の権化」原田大六と
「朝鮮半島南端は日本」だと主張するファシスト柳田康男へも
ちゃんと反論せんかい。

【九州倭国拡大説】
→弥生時代に既に倭国王であった伊都国と奴国による
 九州倭国が東瀬戸勢力の協力を得て、東方に拡大し
 首都を移転。倭王権成立は画期ではない。

【九州倭国拡大説の根拠】
@鏡の大量埋葬、素環頭太刀、朱の塗布、割竹式木棺など
 弥生時代北九州文化と古墳文化の共通性(第六、森浩その他)
 ホケノ山における内行花紋鏡の破鏡、棟持柱付建造物は平原類似。
A伊都国、奴国を中心とする副葬品のピラミッド型の格差に
 より示される権力層の階層構造や奴国地域からの鏡など青
 銅器の配 布行為が倭王権のそれと同じ(大六、森浩その他)。
B平原の鳥居・大柱が、伊勢神宮、諏訪大社のそれに極似。
 鳥居と大柱の延長上に日向峠(伊勢神宮の新嘗と同日に日の出)
 などで王権祭祀との共通性(柳田康男)
C記紀などの国内文献と祖語がない。平原周辺の地名が天孫
 降臨の条に見られる地名と一致(大六)。
D九州倭国は、弥生期に西部四国、西瀬戸地域などに領域を
 拡大している。山陰など日本海地域や伊勢湾岸とも強い経
 済関係があったことが証明されており、終末期には帝国化
 していた(柳田康男)。







523 :似非・似非方丈:05/02/12 01:38:53
>>520
(本人じゃないですが)
あれは慌てて作ったので、少々間違いがあります。
赤色顔料とか、鏡とか、列島内では九州が主要な起源ですしね。
木棺も、平原を考えると、これも九州も起源地の一つかと。
壺形埴輪が東海ってのいうのは、ちょっと鵜呑みにしてしまいました。
上の方で批判がありましたが、その通りと思います。

524 :日本@名無史さん:05/02/12 01:39:14
おいこら、お前らなんで古代史にはつきものの鏡の話をせんのか。
だいたい、卑弥呼の鏡である特鋳△鏡についてはどう思っとるんじゃ?



525 :日本@名無史さん:05/02/12 01:43:47


>523
先生わざわざありがとうございます。修正しておきます。

(畿内自生説への反論)
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何
 のつながりなし(大六、森浩、方丈その他)
 古墳文化に引き継がれているのはほとんど何もなし。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけ
 なので鉄器ルートの奪取はありえない(川越哲志、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C弥生時代の日本は不均衡である
(北九州>・・ 越えられない壁・・>西日本日本海側> 東瀬戸>
 畿内(ドンヅマリ」))
D畿内に戦士層の存在が証明できない。畿内の高地性集落は、防御的
 なものであり、攻撃的な性格を持たない。









526 :日本@名無史さん:05/02/12 01:45:04
>>525
まさか本人じゃないだro!

527 :日本@名無史さん:05/02/12 01:52:44
>>524とかその他のyahooから流れてきた連中へ

(単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ)
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

(初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ)
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

(主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ)
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50

ここはな邪馬台国がどうとか卑弥呼がなんだとか議論するスレじゃないのyo
君らにふさわしいスレを紹介してやるから、ありがたく頂戴せよ。


528 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 15:23:31

馬鹿はだまっとれ。

1.大和朝廷畿内自生はありえない。
2.邪馬台国畿内説もありえない。
3.邪馬台国東征もありえない。

という話だ。

古墳時代の開始と起源の基本だ。

529 :日本@名無史さん:05/02/12 15:33:31
>>528
本当の莫迦ハッケーン

530 :日本@名無史さん:05/02/12 16:45:30
倭の五王スレもよろしく
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1018963503/l50

531 :日本@名無史さん:05/02/12 17:08:55
もともとは、これ↓が本スレ。こっちは、重複スレでは・・・・
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1021204387/

532 :日本史@名無しさん:05/02/12 18:46:22
( ´,_ゝ`)プッ

低脳の似非学生のスレかw

おまいそこのレベル読んで言ってるのか?

つうかyahooがハイレベルとかいってるのもおまいじゃねえだろうな?

533 :日本@名無史さん:05/02/12 19:39:04
呉の太伯と天皇家の関係はどうなの?

534 :日本@名無史さん:05/02/12 20:24:16
>>532
じゃあハイレベルな議論をキボーン

535 :前スレ941:05/02/12 21:21:53
じゃ、まず低レベルから始めますよ。

後漢が衰弱して、半島における帯方・楽浪郡が消滅していく時代、
中国に干渉されずに、韓、ワイ、倭が鉄を取りに来るようになった。
そこで領土争いが起きて、極東は徐々に戦乱の時代となっていく。

これが畿内王権が芽生えた時代。すでに存在した九州王権も
この時代から鼻息が荒い。

九州王権はドンドン軍事国家の様相になるのだが、畿内王権は
特に軍国主義の様子が無い。

こんな情景が見えてくるのですが、みなさんはいかが?

536 :プラム:05/02/12 21:35:08
低レベルなら参加します。
まだ、大和の影はみえません。
辰韓の鉄を九州に安全かつ安定供給する為に、玄関口の港に九州お声掛かりの機関を置いた。
それが(一大率)では?

537 :日本@名無史さん:05/02/12 22:04:59
>>535

責任取れよおまえ。



538 :日本@名無史さん:05/02/12 22:28:49
辰韓の鉄・・・・・

539 :プラム:05/02/12 22:50:19
(私見)ですが
鉄の重要性は単に軍事用品や農耕器具に使われただけでなく、当時まだ使用されない銭としての代用品として使われたのではないだろうか!
しばらく氏は、銭の代用品として『鏡』を主張しているが、私の場合『鉄』を主張したい。
『鏡』の場合一部の権力者にしか用がないが『鉄』の場合、その用途によっては幅広い人々が使用でき、それだけ長きにわたり貴重品としての価値を見出だせる。
銭の代用品としては、当時うってつけではないだろうか
『鉄』は、大陸との貿易の時外貨としても使えたのではないか

540 :日本@名無史さん:05/02/12 22:55:43
>>539

>当時まだ使用されない銭

たのむから、思いつきで語るまえに資料を調べるなどしろよ。
大陸ではすでに通貨が流通しており、日本でも外貨として使われている。
鉄・鏡は商品であって通貨ではない。


541 :日本@名無史さん:05/02/12 23:01:09
>>540
>大陸ではすでに通貨が流通しており、日本でも外貨として使われている。

これはどうかな。
出土はしているけど、果たして“貨”として使われたといえるだろうか?
使われたにしては出土数が少なすぎる気もするのだが。

542 :プラム:05/02/12 23:01:14
>>539の続き
当時国内において『鉄』は九州中心であり、畿内王権にとって『鉄』は喉から手が出るほど欲しいはず。
それが、九州そして半島へ進出する理由では無いだろうか?
『銭』『外貨代用』として、それが当時の『鉄』の最大の価値ではないか

543 :日本@名無史さん:05/02/12 23:01:58
>>541
あ、いかん。後半のほうね。

>日本でも外貨として使われている。

こっちだけ。

544 :プラム:05/02/12 23:16:40
>>540
思いつきでは無い!

調べたが余りにも資料少な過ぎ
出土品も少な過ぎ

でも、少ない資料から想像を発展させるのも『学問』の初歩ではないか?
それさえも否定されるならしょうがない

後は君達専門家にまかせる。
スレ汚し 失礼しました。(
(^-^)/

545 :日本@名無史さん:05/02/12 23:22:57
金印を貰ったということは、貿易国として信用されたわけだから、
当然、大陸の貨幣は日本でも流通できただろ。
ただし、庶民レベルではなく、大陸の商人と豪族の間でだけだろうがな。

鉄が貨幣? それは物々交換という意味だろうが、
そんな重いものを持ち運びするよりは大陸の貨幣を使って決算したほうが合理的。
すでに金印が効力を持つ時代なら、貨幣で決算が出来たはずだ。


546 :前スレ941:05/02/12 23:23:41
プラムさん、こんばんは。
専門家がズッコケて、ちっとも結論出してくれないから
素人ががんばる必要があります。
私としては、専門家の学際的な考察が弱いように感じてます。
プラムさんもご遠慮なくどうぞ。

547 :日本@名無史さん:05/02/12 23:28:14
>>546

豊前説ならともかく、プラムはよせ!


548 :前スレ941:05/02/12 23:31:15
対話の出来る、建設的な人なら、私は歓迎しますよ。

549 :日本@名無史さん:05/02/12 23:50:46
>>548

君は、いままでの議論のレベルが高すぎてついてこれなかっただけだろう。

550 :日本@名無史さん:05/02/12 23:50:49
>>545
>金印を貰ったということは、貿易国として信用されたわけだから、

そんなことはないでしょう。金印は貿易国としての証しではありませんよ。
日明貿易の勘合符じゃないんですから。

>当然、大陸の貨幣は日本でも流通できただろ。

ドルは今の日本国内では流通してませんね。
上野公園あたりではどうか知りませんが。

551 :日本@名無史さん:05/02/13 00:07:49
一応言っておくが、「弁辰の鉄」は貨幣としても使われていたと思うよ。
(魏志韓伝の記述、板状鉄斧や鉄テイの存在)
また南北市テキ(米偏)から、米も貨幣的使用がなされた可能性があるね。
最後に貨泉や五殊銭などは九州の沿岸部で総量は少ないとは言え、よく出るよ。
沖の山(山口県)や高塚(吉備)みたいにまとまって出る例もある。
だから貨幣として使われた可能性は十分あるね。
もっとも、青銅器の原料の一部という説もあるけど。ただそれは鉄テイと同じで、実用価値も同時にある原始貨幣ということでいいのでは?

552 :551:05/02/13 00:12:45
原始貨幣といったのは、倭国内での話ね。
上の方にあったように、漢人商人との間では貨幣が使われた可能性は十分あると思いますよ。原ノ辻、カラカミ(以上、壱岐)、糸島の主要集落や西新町では中国銭貨がたいがい出てたと思います。

553 :プラム:05/02/13 00:13:33
忘れ物

(三国志魏書東夷伝辰韓)
『國出鐵韓[シ歳]倭皆從取之諸市買皆用鐵如中國用鐵又以供給二郡』

554 :551:05/02/13 00:15:14
いかん、プラムに引用されてしまった。
これも知らなかったやつらはプラム以下だぞ。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/13 00:22:35
4郡設置と金印がポイントだな。

戦争と朝貢になれた奴が
AD57年には九州に王権を築いたと言うことだ。

同時期の畿内や出雲は話にならない。
倭国大乱も九州が瀬戸内・畿内を責める展開だし。

まあ、
古墳時代に突然畿内に強力な政権が自生したと言う人は
馬鹿だな。

556 :日本@名無史さん:05/02/13 00:24:13
当然知ってる。

日本で、大陸の貨幣が出ていることも知っておけ。
商人が落としていったのか?
バカ言うな。


557 :日本@名無史さん:05/02/13 00:29:56
>日本でも外貨として使われている。

という断定から可能性があるまで後退しましたか。
はじめからプラム君にそう言っていたなら特に何も言わなかったんですが。

だいたい、>>539のプラムはそうおかしなことを書いてるわけではない。
内容的には>>551とそうは変わらない。

瑣末なところでプラムイジメってのは感心しないな。

558 :前スレ941:05/02/13 00:30:14
半島と九州がこぞって、軍国主義化した時代に、畿内はむしろ
厭戦的な国家を建設していると思いませんか?
その畿内王権は、東海勢力などの背景をもって、極東の戦乱から
超然としている。一体これはどういう風景なのかと不思議でならないのです。

559 :日本@名無史さん:05/02/13 00:31:33
あのでもね、たとえば中世の博多遺跡でも、ちょっと落としたような感じで遺構や包含層から散漫に少しづついろんな中国銭貨が出るみたいよ。
時代が違うといえばそれまでだけど、九州の玄界灘沿岸での貨泉や五殊銭の出方はこれに似てないか?
むしろ吉備の高塚とか山口の沖の山の方が本来の使い方分ってないような出方のような気がするが。

560 :日本@名無史さん:05/02/13 00:34:54
>>558
軍国主義化した時代?ってここでは1〜2世紀ですかね。
とすると、
あの〜高地性集落はどうするのでしょうか??
近畿やそれ以東が超然としていたなんてちょっと考え難いですね。
また仮にそうだとしたら、ますます、畿内自生王権が九州を撃ち破ることなど不可能になっちゃいますが、いいの?

561 :日本@名無史さん:05/02/13 00:36:51
>>557
あんたはプラムの何たるかを分ってて書いてる?
調子に乗らせたら大変なことになるよ。

562 :日本@名無史さん:05/02/13 00:37:33
>>557

おまえ、プラムと遊びたいなら他スレ誘導してそこでやれば?
なにゆえ、このスレにプラムを呼び込もうとするんだよ?



563 :前スレ941:05/02/13 00:46:08
>>560
ええ、一向に構いません。
学者先生の理論など私はあまり信用していません。

極東諸国が露骨な軍国主義になったのは4世紀でしょうが
後漢末にはその傾向があると思います。最終的に
白村江の敗戦・新羅の統一あたりまで軍国主義が続きます。

564 :日本@名無史さん:05/02/13 00:47:26
プラムに問いたいが、おまえ、何しに来たんだ?
おまえが常駐してるスレは他にいくつもあるのに、
「鉄が貨幣として使われた」という私見だけ表明しにきたのかよ?
それだけだったら、そういう可能性もあると言えるだろうが、だから、それで何なんだよ?
このスレの本旨と何の関係もないだろ?
畿内王権とどう関係するんだ?
畿内王権が鉄や鏡を貨幣として利用していたということだけ言いたかったのか?
それでは、畿内王権がどうやって鉄や鏡を入手できたのだ?
そこが不明だから議論がなされているのに、さもわかったようなことを言うんじゃないよ。




565 :前スレ941:05/02/13 00:49:13
付け足しですが、高地性集落は、確かに防衛的設備ですが
積極的に敵対国を攻撃する施設ではないでしょう。
もちろん、まったく防衛機能の無い国など、考えられません。


566 :日本@名無史さん:05/02/13 00:50:13
>>563
畿内王権も4世紀以降、半島との関係で軍国主義化するということでいい?

567 :前スレ941:05/02/13 00:51:57
>>566
私にはそう見えないのです。畿内王権はあまり軍国化しなかったと思いませんか?

568 :日本@名無史さん:05/02/13 00:53:02
>>565
超然としていた、のでは無かったことでよいな?
ただ、前スレ941氏は自生説寄りだった気がするが(?)大六説に変わったのか?

>>564
そんなことプラムに聞くのは逆効果だから、ほっとけって

569 :日本@名無史さん:05/02/13 00:56:39
神門古墳群 ttp://www.geocities.jp/jw_mura/kofunn/kofun09.htm
こんなところで、アララな事例が・・・
前方後円墳の発生って、意外と多重的に起こってたりしない?

570 :前スレ941:05/02/13 00:57:53
>>568
私はあえて言えば、
畿内王権周縁人波状政権獲得説+畿内・九州並立説+九州王朝説、でしょうか。

571 :日本@名無史さん:05/02/13 00:58:56
>>567
あのな、ここまで何を勉強したんか?
4世紀前半のメスリ山古墳なんかから、すでに大量の武器が蓄積されていることが分る。
4世紀末から5世紀の古墳に、畿内を中心に、特に大王墓周辺の陪塚に、大量の甲冑が存在する。
もちろん大量の刀剣や鏃も伴ってな。
文献では、解釈はいろいろあるが、少なくとも倭軍は半島で軍事行動していることは確かだ。
まさか白村江までは九州王朝だとか言うなよ。
思いつきで言っただけだろ、>>前スレ941君よ

572 :日本@名無史さん:05/02/13 01:00:51
>>570
おいおい、電波九州王朝説かよ。今までの議論はなんだったんだ!

573 :プラム:05/02/13 01:02:26
物々交換には限界があり、銭とゆう仲介品がなければ国の根底である経済は拡大しない。
畿内にその痕跡が認められなければ、自生的畿内王権は、単なる地方豪族に過ぎないと見なければならないだろう。

江戸時代何故上方は繁栄したか?
世界に先駆けて貨幣の変わりに『先物米相場』を確立したからだ
現代でも、貨幣に代わる有価証券(株 債券)、電子商取引、有価証券先物取引(スプレット。オプション)それら貨幣に代わるものを発展させた国が、経済を基盤に発展する。
時代がかわっても、基本的な国の発展は変わらない。

574 :前スレ941:05/02/13 01:04:26
う〜ん、半島戦に備えたものではないですね。>>571


575 :日本@名無史さん:05/02/13 01:05:24
>>569
纒向石塚の影響だろ?確かにかなり古いがな。
ただし4号、3号は箸墓以降でもよい。
「多重的」→「多元的」??
一部認めるが、系譜関係ははっきりさせる必要があるな。

576 :日本@名無史さん:05/02/13 01:07:35
>575 
しかし、何百キロも離れた三世紀の上総でですよ。

577 :日本@名無史さん:05/02/13 01:07:39
>>561 >>562
知りません。

何があったかも知りませんが、人を排除するためには平気でウソをつく?
変な人が集まってるスレですね。

議論をする上で二枚舌を使うって、
どんな理由があろうとも絶対やってはいけない規範じゃないですかね?

578 :日本@名無史さん:05/02/13 01:09:09
>>573
市場経済のある近世と古代を一緒にすんなって。

あらら、やっぱりプラム呼び込んじゃったじゃないか。誰か責任とれよ。

>>574
半島でも畿内中心の倭の甲冑型式も多く出土していますよ。
大量の武具(甲冑)・武器の古墳への副葬は、軍隊の存在を象徴的に誇示したものという説が有力です。
残念!

579 :日本@名無史さん:05/02/13 01:11:29
>>576

最古のものは、ただの円墳だろ?
それなら、大陸からの影響ということもある。


580 :日本@名無史さん:05/02/13 01:12:38
>>576
九州も畿内から何百Hも離れているが、何か。
あと、副葬品や出土土器では神門古墳群は東海西部や畿内、あるいは瀬戸内?(鉄鏃)と密接な関連も持つものがありますが。
少なくとも、独りで独創で作ったものでないことは確かだな。

581 :本田:05/02/13 01:12:39
>>567
> 私にはそう見えないのです。
>畿内王権はあまり軍国化しなかったと思いませんか?

畿内は、九州と比べて後進地帯だから、
戦争するより水田や畑を開墾するほうが忙しかったんじゃないの。

焼畑式農業では定住が難しいので、
領地争いはナンセンスに近いのかも。

582 :日本@名無史さん:05/02/13 01:14:44
>>581
畿内は焼畑農耕って、何時の時代だよ??????
弥生時代の水田跡がいくつも発掘されていますが?

鹿島オタはいい加減なこと言うな。

583 :日本@名無史さん:05/02/13 01:16:16
畿内の都市は、奈良盆地の南から北へ遷都してきた歴史があるね。
奈良盆地は沼で使えない土地だったのが、
水田に整地したおかげで作物の大量生産が可能になった。


584 :前スレ941:05/02/13 01:18:48
畿内は交易立国の部分がありますね。畿内の軍国性についても
半島戦に、畿内から大量に兵が渡ったとは思えないのです。

585 :日本@名無史さん:05/02/13 01:20:04
>>579
ただの円墳って何処見てるの?いわゆる突出部がついてるが?
何百Hがだめなのにいきなり大陸かよ?
大体そんなんでどうして大陸の影響って言えるんだよ。

586 :本田:05/02/13 01:21:34
>>582
> 弥生時代の水田跡がいくつも発掘されていますが?

弥生時代は、焼畑が水田に切り替わる時期、
後進地帯は、焼畑のほうがまだ多かったんじゃないの?

587 :日本@名無史さん:05/02/13 01:27:28
>>584

思えない、思わないのは勝手だが、甲冑の型式とその分布、
5世紀前半以降の馬具の導入と展開などの半島との同一歩調

数々の文献(記紀、三国史記、広開土王碑)の記述、
それらをどう説明するのかね、君は。
「大量」かはともかく、畿内王権が主導して、倭国の軍が伽耶や百済に利用されたかもしらんが、
半島で軍事行動しているのは考古資料、日韓の文献双方からほぼ確実だろう。
最近は韓国の学界もそれぐらいは普通に認めてるが。


588 :日本@名無史さん:05/02/13 01:27:44
>585
同じ時期の播磨にも似たような事例があるじゃん。
播磨の方は、出土物に吉備の影響が見られるが・・・


589 :日本@名無史さん:05/02/13 01:32:30
>>586
鉄器の普及度などでは確かに後進だが、弥生後期にはかなり水田化してるが。
焼畑農耕自体が先行して普遍的にあったか自体が疑問だが、仮に焼畑→水田としても、
弥生前期の話だろう。
畿内でも池島福万寺遺跡(大阪)や、大中湖南遺跡(近江)など、発達した水田遺跡が明らかになっている。
東国でも登呂遺跡は有名な訳で。
何度も言うが、鹿島オタ本田は、いい加減なことを調べもせずに言うんじゃ無いって。
別スレに逝ってくれ。

590 :前スレ941:05/02/13 01:32:36
>>587
畿内は航海術が絶望的だと思います。

591 :日本@名無史さん:05/02/13 01:37:22
>>590
話をすりかえたなw
古墳時代になれば、大王の石棺の輸送など、日本列島単位で動いてるから、畿内単独で航海術がだめとか言うのはナシ。
まあ、久宝寺遺跡の準構造船とか知らないんだろうが。
船形埴輪もいろいろあるだろ。実物もいろいろあって航海術も古墳時代では発達してたと思うぞ。
>>588
播磨ってどれのこと言ってるのか?
まあ播磨の場合は吉備・讃岐と並んで前方後円墳の原郷でもよいのだが。

592 :前スレ941:05/02/13 01:38:27
>>587
はて?初めて聞きましたが?

>畿内王権が主導して(略)半島で軍事行動しているのは考古資料、
>日韓の文献双方からほぼ確実

どうみてもこれは九州勢であって、畿内勢に対しては、あまり敵対していませんね。

593 :前スレ941:05/02/13 01:40:26
>>591
畿内の出した平和時の遣唐使ですら、死者続出で、
こんな調子で戦争できるかどうか?

594 :日本@名無史さん:05/02/13 01:41:34
>>前スレ941さん、
素直にいろいろ勉強した方がいいみたいですよ。
思いつきでいい加減なこと言わないで、ちょっと調べてから言った方がいいですよ。
別にここで聞いてもいいと思うけど、その時は謙虚にね。
そうじゃないと非難されますよ。

595 :日本@名無史さん:05/02/13 01:46:51
>591
有年原・田中遺跡1号墳とかね。
ところで、ここでは「殉葬」が行われてた可能性があると思う。

596 :前スレ941:05/02/13 01:47:06
>>594
では、証拠を挙げて反論してください。

597 :日本@名無史さん:05/02/13 01:47:35
>>592
はぁ??葛城氏の記事とか知ってる?
九州勢と言う根拠を逆に聞きたいが。
はじめて聞いた?単なる認識不足だな。
邪馬台国の話はよく聞くが、5世紀の考古資料(武器、武具、馬具)の話しなんてホント知らないんだろうな。

>>593
成功例の方が多いが。
っていうか、実際、白村江では戦っている訳だし。
あっこれも九州王朝とか言う訳かWW

しかしこんな九州王朝説派がスレをまとめようとしても、そりゃまとまらんわ。
だめだな、こりゃ。

598 :前スレ941:05/02/13 01:49:34
>>597
結局、証拠は無いんですね?

>>畿内王権が主導して(略)半島で軍事行動している

599 :プラム:05/02/13 01:51:00
畿内が交易立国なら尚更基盤である経済が大事じゃないか>>564君。
逆ギレする前に、冷静に考えてくれ!
経済基盤の無い国は必ず衰退良くて現状維持
>>564
私は無学で頭弱いから教えてください。
>四世紀頃大和の水田で米は、一反辺り何俵採れたんでしょうか?
耕作面積はどの位でしょうか?

600 :前スレ941:05/02/13 01:52:46
畿内勢は半島で、新羅側から融和話が出ているぐらい
親新羅よりですが、九州側は敵対的でした。
>>597さんはずいぶん無知だと思いますよ。

601 :日本@名無史さん:05/02/13 01:53:40
>>596
甲冑とか馬具とか、証拠挙げているが、何か。
三角板革綴短甲の日韓での分布とか知ってる?
鉄鏃の変遷が同一歩調なのも知ってる?
5世紀前半以降の馬具の変化もほぼパラレルなことも知ってますか?
日本列島側の変化の主体は、質的にも量的にも畿内大王墓周辺なんですが。
証拠がないのはそちらなのだが、、、証拠出せとはこちらの台詞だよ、まったく。

>>595
その例は同意。突出部を持つ古い円形墳丘墓の一つですね。
殉葬の話は何とも言えませんが。

602 :前スレ941:05/02/13 01:57:31
>>601
はあ?九州勢に付随していただけでしょう。当然パラレルです。

603 :前スレ941:05/02/13 01:58:45
結局、航海術は黙して語らずですね>>601

604 :日本@名無史さん:05/02/13 01:58:45
>>599
その質問は、九州の水田も同じ。そう簡単には分らんよ。じゃあ、九州の水田はそれが分るの?
水田がすでにかなり広く存在し、灌漑も進展していたのというのがとりあえず事実。
>>600
何のことやら。何時の話よ。
ここでは5世紀の話ですが、そんなのあったか?
むしろ磐井が新羅と通じていたというのもあるぞ。
一時的に親和的になったりすることはあるだろ。
大体、畿内が融和的で、同時に九州が敵対的ってだから何時のことだ。


605 :前スレ941:05/02/13 01:59:40
>>604
いつだと思います?

606 :日本@名無史さん:05/02/13 02:00:25
>>603
航海術については上に書いたが、、、
そもそも、九州の航海術が上って、何を根拠に言ってるのさ?

607 :前スレ941:05/02/13 02:00:42
>>604
結局、証拠は無いんですね?

>>畿内王権が主導して(略)半島で軍事行動している


608 :日本@名無史さん:05/02/13 02:03:04
>>607
>>601他に証拠を挙げてる訳だが、、、、
前スレ941の方こそ九州の証拠を出しなさいよ。
卑怯だぜ。

609 :日本@名無史さん:05/02/13 02:03:40
941さんって、こんなんだったの?

610 :日本@名無史さん:05/02/13 02:03:42
>604
そんなことよりプラムの「四世紀」に突っ込んでやれよ。

611 :日本@名無史さん:05/02/13 02:07:24
>>610
だから耕地面積とか一反あたりとか、簡単には分らんって言ったが。
それは何処の地方でもそう。
分らないものは分らない。
まあ、一反あたりの生産高とか、水田の質で試算している人もいますけどね(寺沢薫など)

612 :プラム:05/02/13 02:07:48
>>604さん
解りません。
だから知りたかった。
知ることが出来れば現在と比較出来るので、後々役にたちます。
現在、一反当たり(非農地整理地)約6〜7 俵ですので

613 :日本@名無史さん:05/02/13 02:08:34
941さんの九州説の証拠が出て来ないね。
畿内派ヘの攻撃はなんだったのか?

614 :日本@名無史さん:05/02/13 02:11:31
>>613に同意。
さんざん人を無知だとか言ったり、人には証拠出せやと言ったりしてたが、
自分は何もできない(知らない)とみた。

615 :日本@名無史さん:05/02/13 02:14:25
941よ、>>605について答えてやれ。
本当に根拠があるなら、な。

616 :日本@名無史さん:05/02/13 02:15:58
逃げたのか、941は?
やっぱそりゃアンフェアだろ。

617 :本田:05/02/13 02:21:01
>>612
一反といっても、統一されたのは、
太閤検地ときだから、異なる地域では比べられないんじゃないの。

618 :日本@名無史さん:05/02/13 02:22:07
941の>>602の言い方も最強だな。
九州王朝派によく見られる強弁。
九州勢に附随って逆だろ?
そのために古墳での出方の根拠が出ている訳じゃん。
大王墓周辺中心というね。漏れも同意しますよ。っていうか常識だろ。
じゃあ九州の考古資料で、九州中心って言える根拠があるの?
それを出せないんじゃどうしようもないよ。論評に値しないね。
5世紀にもなれば、いくら地方勢力の独自性などがあっても、やはり畿内王権が突出してるよ。これはしょうがないわな。


619 :日本@名無史さん:05/02/13 02:24:17
>>617
ここでの一反は、仮に同一基準でした場合、ということでしょ。
同一面積での生産性を問題にしてるだけ。
「反」が何処の基準かとかは関係ない。
プラムの質問の趣旨も分って無い本田はプラム以下。

620 :プラム:05/02/13 02:26:59
>>610
突っ込まれる前に!

よく解らないが箸墓築造が三世紀ならば、
当時からある程度経済力を伴っていたと判断できます。それから一世紀後の水田の様子を見れば
より発展しているか、そうでないか判断材料の一部にしようと思ったからです。
当時、渡来人の指導無く米を作れば、いいとこ今の半分出来れば合格でしょう。気温が高く、水があっても毎年平均的な収穫は期待出来ませんよ。
湿地帯なら尚更!

621 :日本@名無史さん:05/02/13 02:27:17
何だか荒れて来ましたね
老教授か前スレ940にいさめて欲しいですね

622 :日本@名無史さん:05/02/13 02:27:19
>>612

人口から推察しろよ。ググれば資料はいくらでも見つかる。

623 :日本@名無史さん:05/02/13 02:31:45
>>621
連休で、話し相手のいないニートが沸いてるんだろ。来週まで我慢だ。

624 :前スレ941:05/02/13 02:36:57
にぎやかになってまいりました。どうか上手に盛り上げてください。

後漢末に畿内王権は、半島の緊迫しつつある情勢に対して
超然としていたわけです。しかし、後漢末は5世紀だとする人が現れて
大いに困りました。

航海術に関しては、九州は一貫して遠洋航海していますね。
畿内王権は後世になっても、大変航海が下手です。
戦争どころではありません。それにもかかわらず
畿内王権が主導して半島で戦ったと断定される人も出ました。
事実無根な説には、うん、といえませんよ。

ちゃんと根拠をもって、コテハンにして語ってはどうでしょうか?

それからこのスレは、邪馬台国論争をしないことになっていますが
いま、話題がそちらに引っ張られています。これはいけません。
事実上の邪馬台国論争スレに堕してしまいました。
反省しながら、ちょっと引っ込みます。

625 :日本@名無史さん:05/02/13 02:40:32
>620
文章の前半と後半が恐ろしく矛盾するんだがな。
『判断材料』とかいいながら、後半では既に『判断』しちまってるじゃん。
それに、何で、このスレで箸墓築造の百年後なんかのことをネタにするんだい?

渡来人?(何処から来た奴らじゃ・・・まさか米作不能地帯の楽浪人じゃないだろうな)
まさか、そいつらの御指導があれば現代並みの収穫量が期待できるのれすか?
当時の倭だって、既に数百年の米作歴があるんだな。

626 :日本@名無史さん:05/02/13 02:44:12
>>624
デタラメな話をするな、
後漢末が5世紀なんて誰も言ってないだろ!
これこそ、はぁ???って感じだな。
話し
>>566以降、4世紀以降の話しをしてるが。
4世紀とか、5世紀とか断って話しをしているだろ?
だれも後漢末って言ってない。
大体、7世紀の白村江の話しまで出してるジャン。
お前の言ってること支離滅裂だぞ、分かる??

627 :日本@名無史さん:05/02/13 02:47:35
スレタイからすると、このスレは古墳時代への入りから
律令時代への入りぐらいという広い年代が対象ですよね?

628 :日本@名無史さん:05/02/13 02:50:24
>>624

>航海術に関しては、九州は一貫して遠洋航海していますね。
>畿内王権は後世になっても、大変航海が下手です。
>戦争どころではありません。それにもかかわらず
>畿内王権が主導して半島で戦ったと断定される人も出ました。
>事実無根な説には、うん、といえませんよ。

だから、5世紀においての話しね。
5世紀に、九州主体で半島で戦った、という証拠を出して下さい。
九州だけが航海が上手で、畿内が下手だと言う証拠を出して下さい。
戦争どころではって、戦争も無いのに武器や武具がたくさんあるのはなぜでしょうか?
勝手に引っ込む前に、話をねじ曲げて人を非難する前に、まともな根拠を出せよ、おい。
事実無根はどちらでしょうか?
いい加減にしろって。

なお、遣唐使の例は、むしろ東シナ海を直接渡ろうとした無茶さにあるとう話もあります。


629 :日本@名無史さん:05/02/13 02:51:58
>627
そう言や、そうだな。
とても幅広いのね。
まあ、九州王朝論者が推敲したスレタイだからなあ(w

630 :日本@名無史さん:05/02/13 02:52:42
こりゃ、941がちょっと酷いな。
事実無根な説には、うん、と言えないねw


631 :日本@名無史さん:05/02/13 02:58:11
941は基本的に文章が理解できないらしいな
勝手なヤシだ、ホントに。

632 :プラム:05/02/13 03:00:49
>前レス 941 さん
絡んで済みませんが。

事実無根とはどんなことでしょう。

633 :日本@名無史さん:05/02/13 03:02:13
あらら、せっかく良スレだったのに、
プラムと実は電波九州王朝説だった941のトンデモ対話が始まるのか、、、絶句

634 :日本@名無史さん:05/02/13 03:06:19
>>632
941さんじゃないですが、
根拠を示して5世紀における倭軍の半島での軍事行動が畿内王権によるものだとする書き込みに対して
(これは通説ですが)
何を言っても馬耳東風で根拠が無い(自分の根拠は示さない)と言ってるだけですよ。


635 :日本@名無史さん:05/02/13 03:25:13
>>629
>まあ、九州王朝論者が推敲したスレタイだからなあ(w

そうだったのか。
いまいち、スレの話の流れが胡散臭かったのだが。そういうことか。

636 :プラム:05/02/13 11:42:43
何故そこまで『根拠』なき発言に対し否定的になるのか?
想像とゆう資料は役に立たないのか?
私は『想像』とゆう資料こそ、最新の一級資料だと考えてる。
諸氏が言われる『資料的根拠』等はもはや一般公開されていて、その資料内容を各個人がどれだけ把握しているかどうかの差にすぎない。
『根拠』と言われて資料提供しても、それは受け止め側にして見ても個人の知識差で有効無効どちらにも転ぶ
考古学資料、文献資料を『根拠』としめしても、素人には限界がある
素人の最大最新の『根拠』は『豊かな想像力』だ

637 :日本@名無史さん:05/02/13 12:22:09
>636

「根拠」は「想像」って言われてもなあ・・・ようするに思いつきだろうが、
それを掲示板に書き込み、他人に読まそうとするんだから、その思考過程は、筋道をつけて説明しなきゃならない。
君の文章からは、そう言うところが、全く感じられない。
他人の脳内を覗く能力は、我々には備わっていないのだから、君のほうで努力する問題だと思う。
わかりやすく表現すると、「1+1は2とは言い切れないから、3である」とか
「AはBである、CはDである。だから、AはDである。」みたいな文章なんだよな。
そして、不明な点を質しても、それに応えない、たまにレスがあっても、はぐらかすか、見当違いの応答がつづくだけ。
こんなところが、君に対する評価だよ。


638 :プラム:05/02/13 13:23:40
>>636
『想像で示す根拠』
確かに説明不足はかなりあると思うし、反省材料の一つのであることは確かだね
私の評価等どうでも良いが史学において1+1=2の式をもちだすのは相応しくないと思うが。
1+1とゆう式だけが(答え)2を導き出す式ではないはず
史学とは、そうゆう性質を持つ学問ではないかな?
ましてや、古代史などは(答え)2も、妖しい世界。
A−B A×B A÷B …多数
=2を導き出す式は無限大なはず

史学とは正確な答えを導き出す学問なのか、それともその過程を重視するものか

639 :日本@名無史さん:05/02/13 16:02:15
考古学資料、文献資料を『根拠』としめしても、素人には限界がある
素人の最大最新の『根拠』は『トンデモな妄想』だ


素人の各人がバラバラの妄想を言い合っても混乱するだけ。
どう収拾がつくというのか?
学者の間でも統一した古代像が描けていないのに。
それでもやっと、最新の研究成果によって畿内説でまとまってきたという過程があるわけだが。
そうした事情を知ろうともしないで、学者に文句を言うのは失礼極まりない。


640 :司会:05/02/13 18:42:35
荒れているので、整理します。

これ以降、九州王朝説などを唱える方々は、以下で議論願います。
また、皆様方におかれましては、前レス971やプラム氏には、反論せず
完全スルーでお願い致します。

○九州王朝説を唱える方はこちらでお願いします。
※九州王朝はなかったのか?※ 9
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257/l50

○単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

○初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

○主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50



641 :司会:05/02/13 19:03:55
老教授などの意見を追加しました。

1.畿内自生説
 弥生時代の畿内勢力が倭王権の主体であり、鉄資源ルートを掌握して後漢の
 衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。
【畿内自生説の根拠】
@畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した
(小林行雄)。
A畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い(佐原真)
B銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに
 違いない(近藤義郎)。
C個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
 となった。威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタ
 のように(都出ヒロシ)。
D大安万呂に匹敵する「天才的イデオローグ」が中国思想と日本各地の
 墓制を統合し、倭王権を誕生せしめた。
E倭王権が畿内に生じたという考古学的事実を無視すべきでない
 (白石太一郎?)
 安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎない。島国であり関東以
 西についてはほぼ文化的に均一であった日本において大和朝廷の
 誕生に権力移動を持ち出す必要は全くない。 
F(東海地域の役割を重視する立場から)ホケノ山や外山茶臼山の
 前方部に並べられていた加飾壺(二重口縁、長胴型、底部穿孔の
 特徴を持つ形式)は愛知県尾西市の西上免遺跡内の前方後方墳跡
 から出土したものと同形式であることが確認されています。
 初期古墳の破鏡は、伊勢湾岸等などに見られ、東海の影響である。

642 :プラム:05/02/13 19:06:26
>>639
なるほど。
素人の『想像』は『トンデモ妄想』で
君達の一言一句は正論であるから謹んでROMれか!

そんなに厳格なる議論したければ 2ch でカキコせずTOKYOドームに観客集め講演でもしたら。
>先生達に失礼
君が代弁する義理無いだろう。
先生本人からタイマン申し込まれれば何時でも筋通すが
君に言われるのは筋違い。それこそ『言語道断』
直ぐに『妄想、思いつき』と決め付けるなら、君達のカキコの中には『想像』がまったく含まれないのだな

643 :司会:05/02/13 19:06:34
(畿内自生説への反論)
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何
 のつながりなし(大六、森浩、方丈その他)
 古墳文化に引き継がれているのはほとんど何もなし。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけ
 なので鉄器ルートの奪取はありえない(川越哲志、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C弥生時代の日本は不均衡である
(北九州>・・ 越えられない壁・・>西日本日本海側> 東瀬戸>
 畿内(ドンヅマリ」))
D畿内に戦士層の存在が証明できない。畿内の高地性集落は、防御的
 なものであり、攻撃的な性格を持たない。
Eホケノ山の壺を東海系といっているのは赤塚氏のみ。破鏡は、九州
 などの影響。


644 :司会:05/02/13 19:07:48
(畿内自生説に対する反論への再反論)
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A(「断絶説」に対しては)大型化した後期銅鐸は、権力による管理が行われていた はず。銅鐸の畿内王権による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡
 などの配布にスライド機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移 行を見いだせる
 (福永、寺澤)。権力が管理したら威信財だ。池上曽根遺跡のような祭殿は古墳時代に受け継がれる。 
B低湿地が多い畿内では鉄器は溶ける。出土しないからといってなかった
 わけではない。石器の減少から鉄器の増加が証明できるはず(「見えざる鉄器」は実在した)。
C下部構造の劣位が政治的劣位を招くというのは歴史の法則に反している。野蛮だが精神力
 に勝る民族が先進的であるが故に堕落した地域を征服することはよくあることだ
 (スパルタ、中国、南米などの征服王朝、明治維新など)
Dマルクス主義のイロハを知らない寺澤のマキムク都市論や北九州国家成立論は、
 国際的な考古学の常識に反するもので論外である。
E「古墳時代像を見直す」は本人達が思っているほど考古学会に対した影響を及ぼして
 おらず、大御所で意見を変えた者は皆無。寺澤は師匠の森浩一とともに私大出身、大六
 はアマチュア電波、柳田は自治体埋文といずれも学界傍流である。北條は四国に行って
 寂しかったので反主流派に転向したのだろう。
F今、倭王権の畿内自生説やマルクス主義に対して疑問を唱えるべき時ではない。それは、
 イラク侵略への日本の荷担がますます深まり、極右暴力集団「新しい教科書を作る会」に
 よる皇国史観教科書の動きが顕在化している昨今、結果的に皇国史観を側面的に支援するだけだ。


645 :司会:05/02/13 19:08:55
【九州倭国拡大説の根拠】
@鏡の大量埋葬、素環頭太刀、朱の塗布、割竹式木棺など
 弥生時代北九州文化と古墳文化の共通性(第六、森浩その他)
 ホケノ山における内行花紋鏡の破鏡、棟持柱付建造物は平原類似。
A伊都国、奴国を中心とする副葬品のピラミッド型の格差に
 より示される権力層の階層構造や奴国地域からの鏡など青
 銅器の配 布行為が倭王権のそれと同じ(大六、森浩その他)。
B平原の鳥居・大柱が、伊勢神宮、諏訪大社のそれに極似。
 鳥居と大柱の延長上に日向峠(伊勢神宮の新嘗と同日に日の出)
 などで王権祭祀との共通性(柳田康男)
C記紀などの国内文献と祖語がない。平原周辺の地名が天孫
 降臨の条に見られる地名と一致(大六)。
D九州倭国は、弥生期に西部四国、西瀬戸地域などに領域を
 拡大している。山陰など日本海地域や伊勢湾岸とも強い経
 済関係があったことが証明されており、終末期には帝国化
 していた(柳田康男)。


646 :司会:05/02/13 19:10:36
【九州倭国拡大説に対する反論】
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A畿内だけでは劣位でも吉備、山陰、丹波を味方にしたので勝った(鏡大の人)。
B大型墓の衰退、副葬の減少など北九州の遺跡は終末期に衰退(鏡大の人)。
C首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備から受け
 継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石などからも
 楯突→石塚の流れがより重要。
Dマキムク遺跡の出土の外来土器に九州土器はなし。一番が東海、
 次が吉備。逆に庄内式土器はこの時期九州に行っており九州こ
 そが劣位の立場(白石太一郎、石野博信等)。


647 :司会:05/02/13 19:12:14
【九州倭国拡大説に対する反論に対する再反論】
@(皇国史観との声に対して)考古学には考古学で反論すべきで、
 政治的議論を持ち込むべきではない。
考古学的事象は、日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本
 書紀の  神代神話をさけて通ることはできない。研究者にその片鱗
 があれば 邪馬台国問題だけでなく古代国家形成研究でさけて通れ
 ない古墳出現期 の諸問題がここまで時間をかけずにすんだはず
 (柳田康男)。
A日本海地域は玉器に交易などにより北九州地域との強い経済関係
 が考古学的に証明されているが、畿内のそれは全く証明できない。
 ましてや畿内とそれ他ブロックとの政治的関係の証明は考古学的
 には不可能であるはず。
B三雲、博多湾岸において九州の遺跡の衰退は庄内期ですら全くない
 (九州の考古学者ほぼ全員)。同時期畿内でも墳墓は減少。
C近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠としている特殊器台は、中山大塚以降
 に出土。都月と宮山が一緒になるのは吉備でなく畿内。
 葺石は、ホケノ山以降。布留期に吉備の文化が大量に流入したことを
 もってその前の庄内期における倭王権成立の吉備主導を導くのは本末
 転倒。特殊器台は、△鏡と同様に倭王権成立とは無関係。





648 :日本@名無史さん:05/02/13 19:14:54
D高級品である庄内式土器と労働者の使う土器、恭献土器の3つの土器を同一
 に議論するのはミソもクソも一緒に議論するようなもので成り立たない。
 纒向の外来土器の性格は労働力移動説か供献説が主流であり、両説を採用
 する場合、九州の土器がないことは逆に九州の主導性を示してる。
 高級品である庄内式土器はオオヤマト地域と河内の一部、博多湾岸等だけ
 にしか出土せず、これは倭政権の構造を表している。
 東海系土器が多いから東海が主導したということは考古学的にあり得ない。
F北九州以外の政治的ブロックは、考古学的に証明されていない。
 墳墓の共通性から山陰地域で権力者の同盟が証明され、吉備地域は墳墓の
 共通性が乏しく、楯突などにより推定されるのみで集落など不明。
 経済的ブロックについては、九州以外証明不能。



649 :司会:05/02/13 19:15:40
3.諸勢力による連合説
→倭王権は、北九州、吉備、讃岐、出雲、讃岐など複数の
 政治ブロックによる連合であり、諸勢力が協力して
 平和的に巻向を建設した。ただし畿内勢力の地位は低い。
 明治維新で新政府が東京に首都を置いたことに類似。

【諸勢力による連合説の根拠】
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何の
 つながりなし(大六、森浩、方丈その他)引き継がれるのは北枕の
 思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけな
 ので鉄器ルートの奪取はありえない(川上哲治、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
 銅鐸祭祀の中心は近江。
C古墳時代の首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備
 から受け継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石など
 からも楯突→石塚の流れがより重要。
 だから吉備を中心とする東瀬戸地域が主導したはず。
D古墳からは、どの勢力が優越したのかは導き出せない(北條)
E戦闘の遺跡が証明できないことから、平和的共立を裏付けている(寺澤薫)。



650 :司会:05/02/13 19:16:50
みなさま、642には反論しないようにお願いします。
完全スルーして下さい。



651 :プラム:05/02/13 20:50:56
司会さん
『コテハン付けてちゃんと筋通したら』……×

『名無しでコテハン非難』……〇

このスレのルールかな
ルールなら守らなければならないな。

652 :橿原一派:05/02/13 20:55:54
異論を排除するなどという手法は、およそ学問的態度とは思えない。
司会氏はスレ主か。ならば私もこのスレから立ち去ろう。

653 :日本@名無史さん:05/02/13 21:00:36
>>641

>1.畿内自生説
> 弥生時代の畿内勢力が倭王権の主体であり、鉄資源ルートを掌握して後漢の
> 衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。

俺は畿内説だが、畿内が鉄資源を奪ったという考古学上の証拠は無い。
空想や憶測、希望的観測を前提に論を組み立てるのは、
九州説の電波を正当化するだけなので慎むべきだろ。

畿内には、鉄が乏しかった弥生中期から、
高度な文化(王権)が誕生していたのだからな。
鉄の量と王権の成立は無関係と見るべきだ。



654 :日本@名無史さん:05/02/13 21:03:34
>>652

異論=九州説は、当然立ち去るべきだろ。
九州説専用のスレが乱立してるのだから、そっちでやれ。

655 :プラム:05/02/13 21:31:03
>>654

九州説も機内説も、このスレには存在しないだろう。
そもそも、邪馬臺國を持ち出さないのがルール
違ったか?

それに、意義あるなら『コテハン』ぐらい付けろよ
風呂敷被って非難するような行為はルール違反だと、このスレで教わったよ!

656 :プラム:05/02/13 21:34:44
>>655訂正

機内説…×
機内説…〇

変換間違えた。失礼

657 :司会:05/02/13 21:39:16
>654
九州王朝云々には、反論せず、無視していただくようお願いします。


658 :日本@名無史さん:05/02/13 21:45:29
古田って東日流絡みだけじゃなくて、邪馬台国論含めすべてが今は否定されてるんだよね。
つまり何の貢献もしてない、害悪を撒き散らしただけだったという評価でいいんですか?



659 :日本@名無史さん:05/02/13 21:53:39
>>658
良くない。
当時の論争を活発化させた点で貢献がある。
(少なくとも博士論文書いたあと何もしてない博士よりは評価されるべき。)

660 :日本@名無史さん:05/02/13 22:14:02
>460
>その点で行くと(庄内式以前)、九州はそれが証明できるのですが、畿内はなかなか証明できません。
>階層化はある程度進展しているが、強力な首長の存在は証明できません.
唐古・鍵遺跡一つとっても強力な首長の存在は十分推測できるはずです。
石野博信をはじめとして、普通の考古学的常識では倭王権の源流をここにおくの
が定説でしょう。面積では弥生時代一の巨大遺跡であり、明らかに権力を表象する
中国式楼閣の存在すら確実視されているわけであり、なぜ「証明できない」といわ
れているのか全くよく分からないですね。
>>413の主張が成立するためにはそれがまず証明されないといけません。>> 「権力によって管理された段階」そのものが証明できていません。
>ですから、同じ青銅祭器でもその社会の中での位置付けが微妙に違う可能性があります。
>生産からみても、九州では須玖で圧倒的に集中的に製作しており(他遺跡の工房もあるが量の多寡が違い過ぎる)、畿内のように分散的ではありません。
>消費(使用)の仕方でも、広形銅矛も基本的には埋納祭祀ですが、対馬では海人の首長(対半島交易の長か)の墓には副葬されており、
>威信財にもなりえていますが(さらに伽耶の首長への贈答品にもなり、伽耶の首長墓にも副葬)、銅鐸ではこのような例はありません。
>生産と消費のあり方から、九州の銅矛は「権力の管理」が証明できますが、銅鐸も想像の論理ではなく証明してほしいものです。
>なお、池上曾根の大型建物などを出す輩がいるかもしれませんが、
後期には続かず、首長そのものの居館と言うよりは共同体の祭殿ということが一義的と思われます。
ほんの少数例でしかない銅矛の副葬例を一般化するのは針小棒大というしかないですね。
副葬品=権力の表象という手垢の付いた概念もそれほど死守すべきなのか。新しいパラダイム
も考えるべきではないかとおもいますが。また、集中管理という点ですが、そもそも倭王権が
連合政権であるという常識を忘れてわけではありますまいな。
棟持柱に代表される池上遺跡祭殿の建築様式は古墳時代の祭殿に明らかに共通しているのは
万人認めるところです。これを無視するのはいかがなものでしょうかね。


661 :司会:05/02/13 22:15:58
荒れているので、整理します。

これ以降、九州王朝説などを唱える方々は、以下で議論願います。
また、皆様方におかれましては、前レス971やプラム氏には、反論せず
完全スルーでお願い致します。

○九州王朝説を唱える方はこちらでお願いします。
※九州王朝はなかったのか?※ 9
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257/l50

○単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

○初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

○主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50



662 :日本@名無史さん:05/02/13 22:26:31
司会?

コヤツ何者じゃ
新手の荒しか。

663 :日本@名無史さん:05/02/13 22:45:05
662=プラムの自作自演

664 :日本@名無史さん:05/02/13 22:50:17
今城塚で今年度調査の情報(未確認含む)
●排水溝が複数ある
●深いトレンチでも石室には直接至らず
●石室は特殊な構造で研究者間でも意見分かれる
●玄室らしき空洞は30平米
●貴重な副葬品の一部を発掘
他に情報あるかたよろしく。

なお、内堤で過去に未発掘の部分も含めて博物館建設準備が進行中。
下にまだ遺物(円筒埴輪列等)があるのに建設用の土砂を入れているのは
どうかとも思う。
またその内堤部分は、埴輪祭祀趾の全面で、水野説の内堤幅で新たに
土盛りされている。ここに実際に埴輪を立て祭祀の復元をする予定と聞いた。



665 :>>660:05/02/13 22:57:27
>>棟持柱に代表される池上遺跡祭殿の建築様式は古墳時代の祭殿に明らかに共通しているのは
>>万人認めるところです。これを無視するのはいかがなものでしょうかね。
万人が認める??
古墳時代にはこの型式って実は少ないと思いますよ。
大型総柱建物とか、梁間が広い大型建物とか、
むしろ古墳時代の首長居館に連続するのは九州の弥生時代に多い型式の延長ですよ。
なお唐古鍵の2様式の大型建物は、柱筋の不揃いから厳密に総柱建物か疑問がありますので。

>>面積では弥生時代一の巨大遺跡であり、

三雲遺跡とか須玖岡本遺跡、那珂比恵遺跡を知ってますか?
唐古鍵は面積では吉野ケ里や原ノ辻クラスですよ
それでも九州では第2位クラスです。

>>明らかに権力を表象する
>>中国式楼閣の存在すら確実視されているわけであり、なぜ「証明できない」といわ
>>れているのか全くよく分からないですね。
中国式楼閣は厳密には絵画だけ。遺構で証明できてるのは吉野ケ里の北内郭。
そもそも大型建物の存在<だけ>では、首長そのものの強大さを証明するかどうか疑問です。
共同体の中心建物としか言えず、型式は違いますが、縄文時代にも大型建築は存在しますよ。
別のもので<証明>して下さい。



666 :日本@名無史さん:05/02/13 23:00:47
広瀬和雄のいう「天才的イデオローグ」を安易に否定する者がいるようだけど、
例えば階段ピラミッドがイムホテプという天才の手によって創設されたような
事例も海外にはあるわけで特段おかしいとは思わないな。
ましてや倭王権最初の大王級前方後円墳である箸中山古墳のような特異な形態の
巨大墳墓が各地の小規模で原始的な弥生式墳墓からいきなり飛躍的に建設される
背景として天才的イデオローグ:和製イムホテプを想定しない方がおかしいとし
かいいようがないと思います。

とはいっても広瀬の考古学の常識をはずれたおかしな国家論まで肯定する
気はありませんが。


667 :日本@名無史さん:05/02/13 23:01:37
高槻市今城塚古墳現地説明会2/20(日)に決定。
それに先立って、報道への公開と新聞発表が行われる。
このスレにも情報が流れていたが、今年はどんな発掘成果が
発表されるのか興味が尽きないところだ。



668 :>>660:05/02/13 23:05:54

>>唐古・鍵遺跡一つとっても強力な首長の存在は十分推測できるはずです。
大きい遺跡、というだけではペンディングですね。
大型建物も前後に書いたように問題があります。
もちろん、青銅器生産とか、畿内地域では上位の拠点集落であることは認めます。
問題は、弥生中期から後期に、唐古鍵の首長がどの範囲まで勢力下におさめた首長なのか、
また、その首長は単純に纒向に継承されるのかという点です。
これが疑問なのです。
後者の疑問について言えば、庄内期に唐古鍵は集落自体は継続しますが、拠点的な球心性を失い、
また集落が衰退します。ついでに庄内甕が非常に少なく、纒向からすれば見放された集落といった感じです。
唐古鍵から纒向へ単純発展したとすれば、ちょっとおかしいですね。

>>ほんの少数例でしかない銅矛の副葬例を一般化するのは針小棒大というしかないですね。
少数例でも、銅鐸と性格が微妙に(実は大きく)異なることを示すには十分と思いますが。
強調したいのは、階層の進展と、強力な首長の存在が確実な社会における青銅器祭器と、
階層の進展度や首長の強大化が確実でない(あってもやや劣っているとみなさざるを得ない)社会における青銅器祭器のありかたが、本当に同じなのか?と言うことです。
青銅器祭祀だから同じものという「手垢の付いた概念もそれほど死守すべき」なのでしょうか?
そうした場合に、銅矛はもともとは有力者あるいは戦士の副葬品であったのが、祭祀具になったという歴史性の相違があり、
さらにその象徴性がわずかでも残っている、有力者(首長層)の属人性のあるものにもなりうることが残っているという点で、
銅鐸の祭器としての性質と完全には同じではないのではないかと申した訳です。

まあ見解の違いで、平行線になるかもしれませんが。
ただし、なぜ銅鐸にはこういう例が無いのでしょうか?

>>石野博信をはじめとして、普通の考古学的常識では倭王権の源流をここにおくの
>>が定説でしょう。
その定説が疑われている訳ですよね?



669 :>>660:05/02/13 23:06:36
>>副葬品=権力の表象という手垢の付いた概念もそれほど死守すべきなのか。
それを言い出したら、古墳成立以後の副葬品には同じ概念を使わない、というならいいですが。
ところが古墳成立以後は、畿内に中央王権が存在することの証拠でそれが使われる訳です。
もしそうならそれは二重基準であり、アンフェアなやりかたですね。


670 :司会:05/02/13 23:08:16
引き続き、プラム氏ら九州王朝説はスルーでお願いします。

○三角縁神獣鏡などの鏡と倭王権の関係について議論の要望がありました。
○また、畿内自生説とその反論についての議論だけではなく、柳田康男氏の
 倭国拡大についての批判の要望がありました。

エセ方丈先生、北條先生、老教授先生、その他埋文・院生の方々は、以上の点
についてもご議論をお願いします。

671 :日本@名無史さん:05/02/13 23:14:41
>>666
>広瀬和雄のいう「天才的イデオローグ」を安易に否定する者がいる
>背景として天才的イデオローグ:和製イムホテプを想定しない方がお>かしいとしかいいようがないと思います。
実証しがたいことを言い出すこと自体が問題なのです。
安易に否定しているのではなく、安易に肯定することを問題視したいのです。
これを支持する論者が、例えばですが、英雄史観だといって東遷説を否定するなら、それはどっちもどっちですよね(他の方に聞きます。)

>巨大墳墓が各地の小規模で原始的な弥生式墳墓からいきなり飛躍的に

平原(副葬品)+楯築・赤坂今井など(墳丘・内部施設)→石塚ほか→
箸墓とすれば、それほど無茶苦茶に急な飛躍と思えないのですがどうでしょうか?


>とはいっても広瀬の考古学の常識をはずれたおかしな国家論まで肯定>する気はありませんが。
それなら、「天才的イデオローグ」とかも下手に肯定しない方がいいと思いますよ。



672 :日本@名無史さん:05/02/13 23:17:50
>>666の「考古学の常識」って何か教えて頂けますか?

673 :日本@名無史さん:05/02/13 23:20:32
三角縁神獣鏡は国産。
権力・財力を持つものが鏡を大量に所有することが出来たことは事実。

しかし、解っているのはここまで。

中央王権が三角縁神獣鏡を同盟国に配布したという考えは根拠の無い空想。
王権の証は、画文帯神獣鏡である。三角縁神獣鏡の保有は、財力の証でしかない。
力のある豪族が、資金力・政治力を使い、独力で高価な鏡を手に入れただけ。
三角縁神獣鏡を専門に製造したクニはあっただろう。
しかし、そのクニが権力の中心とは言えない。



674 :日本@名無史さん:05/02/13 23:20:37
祭器だから同じたって銅矛は地方の神社なんかの祭器として未だに
残存してるわけだ。
銅鐸は平安時代ですら何か分からなかったわけで、一部の学者がいう
「宗教革命」などというものがあったとしたら、同じ祭器のうち銅矛
だけが残っているというのは説明がつかないんだよね。



675 :日本@名無史さん:05/02/13 23:24:19
>中央王権が三角縁神獣鏡を同盟国に配布したという
>考えは根拠の無い空想。
>王権の証は、画文帯神獣鏡である。
>三角縁神獣鏡の保有は、財力の証でしかない。

根拠をお聞かせ下さい。

676 :日本@名無史さん:05/02/13 23:27:46
>671
石塚や楯突は一般的な「古墳」の構成要件を満たさず、「弥生式墳丘墓」に
すぎないというのが考古学界の常識じゃないですか。規模的にも100メー
トル以下であり、形態的にも不整形なものです。

倭王権最初の「古墳」である箸中山古墳とは隔絶していると言えるわけで、
だからこそ箸中山の建設と倭王権の成立をクロスさせるのが定説となって
いるわけです。

677 :日本@名無史さん:05/02/13 23:27:55
>>675

当時の価値は、

三角縁神獣鏡<画文帯神獣鏡

よって、当然の帰結。

678 :プラム:05/02/13 23:28:57
>>670
そこまでするかー

これって(2ちゃんねる)のルール違反ダヨナ
(コテハン叩き)
そっちがそこまでするなら

679 :日本@名無史さん:05/02/13 23:36:18
>671
>実証しがたいことを言い出すこと自体が問題なのです。
>安易に否定しているのではなく、安易に肯定することを問題視したいのです

前方後円墳は巨大なだけでなく、その外部形態や埋葬形態がきわめてイデオロギーな
ものを背景としていることは、疑う余地がないでしょう。また、箸中山古墳以降それ
は画一化し継続している。イデオローグの存在なしにこのようなものができたと考え
る方が不思議です。

680 :日本@名無史さん:05/02/13 23:39:37
>>676
では、箸墓以前の纒向諸古墳の段階はまだ畿内王権=倭王権ではないということ?

それと、石塚と楯築を一緒くたにされましたが、楯築→石塚→箸墓と書いています。
なお、石塚と箸墓の間に勝山や矢塚が入る可能性が高いですね(土器から)。
※ホケノは微妙
そうすると、正円形にはなって来てるわけです。
また20〜30mがせいぜいの周溝墓や台状墓と90m級の間の飛躍と、
90m級と280mの飛躍のどちらが大きいかというと、結局甲乙つけ難いのではないでしょうか?
あの、それと、「考古学界の常識」とか「常識」を乱発するのはずるいですよ。
その常識自体がそもそも問題視されてきてる訳ですし。

>>677
他の鏡はどうするのでしょうか?
また、だから画文帯が価値が高いとする、まさにその理由を教えて下さい。


681 :日本@名無史さん:05/02/13 23:42:01
>>679
それは、
「一人の」
「天才的な」
イデオローグでなければならない理由にはなりません。

682 :日本@名無史さん:05/02/13 23:42:44
>677
>当時の価値は、
>三角縁神獣鏡<画文帯神獣鏡
>よって、当然の帰結。

それは間違いダヨ。一般的には、

@超大型ホウセイ内行花紋鏡>A画紋帯神神獣など舶載鏡(塗金□鏡などの場合もあり)

    ・・・・・・・(越えられない壁)・・・・・・>B△鏡

@ABは、役割が違う可能性もあるが。

683 :日本@名無史さん:05/02/13 23:44:24
>674
そうだね、不思議だな。
銅鐸・銅戈・勾玉の鋳型が、同一地区から出土したこともあるのに
なぜ、銅鐸だけが途絶えてしまったのかな・・・
勾玉と銅鐸では、その価値が、根本的に違うものだったのでしょうかね。


684 :日本@名無史さん:05/02/13 23:44:28
あのー各地の弥生墳丘墓もそれぞれに「イデオロギー」があったと思うので、箸墓古墳だけにそれを言い出すのはどんなもんでしょうか?

685 :日本@名無史さん:05/02/13 23:46:55
>681
「複数の天才的イデオローグ集団」でもかまわないですよ。
それがおそらく銅鐸から鏡などへの宗教革命の主人公でもあった。

686 :日本@名無史さん:05/02/13 23:49:28
>>682
超大型鏡や僅かしか無い鍍金鏡なんかは別格として、
画文帯や方格規矩鏡、内行花文鏡などの舶載中大型鏡と、
三角縁神獣鏡の違いは、価値の違いと言うより、役割の違いじゃないの?
三角が異常に同種品が多いのは、それがヒミコの銅鏡100枚かどうかは別にして(別に違ってもいいよ)、
むしろそれを共有するのが同盟の証じゃないのかな?
九州とかで小規模古墳にも副葬されるのは逆にそういう理由(ランクよりも同盟明示)ではないだろうか?


687 :日本@名無史さん:05/02/13 23:50:14
>では、箸墓以前の纒向諸古墳の段階はまだ畿内王権=倭王権ではないということ?
それは違うでしょう。
まだ、畿内のローカル政権の段階と見ても良いんじゃないでしょうか。


688 :日本@名無史さん:05/02/13 23:52:31
>>685
ずいぶん後退したな。
じゃあ、その中に瀬戸内や九州出身のイデオローグがいてもいいですか?
そうじゃないと、勝手に新しいイデオロギー作っても、他が認めないでしょ?
それを認めたら突っ込まないであげるわ。

689 :日本@名無史さん:05/02/13 23:55:37
>>687
そうすると(「ローカル」を強調すると)、3世紀前半は畿内は倭王権でなくなるのでは?
箸墓の段階で「さらに」飛躍したのは認めるが、
その前の石塚・勝山(残念ながら中味不明)段階ですでに「ローカル」ではないのでは?


690 :日本@名無史さん:05/02/13 23:55:58
>686
それは考えすぎでは。
つまらない古墳から出る=つまらないモノである。
と考えた方が合理的かもしれませんな。

△は奈良の小さな方墳からでも出てますよ。
こんなとこに「同盟関係の誇示」ってのはどん
なもんでしょうかね。大騒ぎしてる紀年鏡だって
多くは実際はたいした古墳から出てませんからね。

691 :日本@名無史さん:05/02/13 23:57:06
イデオロギーというよりデザインだろう。
奇態な墳形、埴輪、朱、長大棺・・・それ以前と隔絶しているように思えても、
吉備から暫時東進したのかもしれない。
石塚の前のプロトタイプが見つかれば、すべてつじつまが合うと思う。

692 :日本@名無史さん:05/02/13 23:57:09
>箸墓の段階で「さらに」飛躍したのは認めるが、
>その前の石塚・勝山(残念ながら中味不明)段階ですでに「ローカル」ではないのでは?

その証拠は何でしょうか?


693 :日本@名無史さん:05/02/13 23:58:38
九州王朝説はどうなったの?


694 :日本@名無史さん:05/02/14 00:02:37
偽史偽書の研究に強い原田さんには、
自身がニセ学位論文という偽書を書いて、ニセ学位を取得した経緯、心境等を
ぜひ文書に起こしてホームページに載せることを期待したいですね。



695 :日本@名無史さん:05/02/14 00:04:05
シュリーマン=神話を元にトロイを発見する
原田大六  =神話を元に平原墓を発見する

詐欺師和田 =クジラの骨を埋めて阿倍頼時の墓を捏造する


遺骨はクジラの骨だった…(平成10年8月13日の産経新聞)
「岩手県衣川村に埋葬された阿倍頼時のものとされる遺骨がこのほど、
岩手医大と岩手県立博物館で鑑定され、クジラの骨だったことが分か
った。」
という記事だが、それにいたる経過や和田氏の名前が書かれていない
ため次のような二次記事ができてしまった。これはこれでおもしろい
が、もっと面白い裏があったのに。
遺骨はクジラの骨だった…(雑誌「GON」10月号)
「阿倍頼時がクジラだったなんて、まったく知らなかった。きっと
子供の貞任もクジラだったのだろう。クジラが反乱を起こすとは、
岩手県も鋭角的だ。グリーンピースも真っ青だろう。古事記などを
読んでも、日本人の祖先は海産物であると思われるふしがある。………」
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/tukuru/tugaru/tugaru.html





696 :日本@名無史さん:05/02/14 00:06:34
やれやれ、ここはYahoo掲示板とは比較にならん糞スレだ。
まじでくだらねえや。

697 :日本@名無史さん:05/02/14 00:08:04
>>690
できて間もない畿内倭王権にとって、贈与専用、同盟誇示用の広く交換贈与するアイテムが必要だったのでは?
他の器物が微妙に地域性があったり非普遍的だったりするが、三角縁神獣鏡だけは普遍的に出る。そのあたりに鍵があると思うのだが。
倭王権成立の鍵を握ると言うより、その成長拡大の鍵を握るとした方がいいですがね。

>>692
少し新しいかもしれないが、ホケノ山はその内容を示しているかも知れません。
「纒向型」が広がっていますね(まあ寺沢のあげたのは怪しいのも少なくないですが)。
何より纏向遺跡が纒向2式段階ですでにローカルな存在ではないですね。
石塚の弧文円板なんか吉備との関係が強いでしょう。
石塚や勝山で、箸墓ほど圧倒的ではないですが、布留0以前の墳墓規模としては他地域より安定して上回っています。
ですから箸墓の「飛躍」が十分、準備されていたと見るべきでしょう。


698 :日本@名無史さん:05/02/14 00:12:06
△鏡の場合、祭器としての普及度、使用法が他の鏡と違うのは、
画文帯のような伝世鏡ではなく、新造品で容易な入手が可能だったのではないでしょうか。
つまり、国内に複数の製作集団が存在し、新たな安定的な供給源が確保されていた。
三角への嗜好は、ただのトレンドで、その供給源を王権が握っていてもよいが、
他者が持っていても特に権力関係には影響がない、
そんな感じの物に思えます。だから、地方の小古墳から大量に出土することがあるのは、
不思議ではないと。

699 :日本@名無史さん:05/02/14 00:15:21
>>697

>三角縁神獣鏡だけは普遍的に出る。そのあたりに鍵があると思うのだが。
>倭王権成立の鍵を握ると言うより、その成長拡大の鍵を握るとした方がいいですがね。

違うね。
三角縁神獣鏡を作る工房が生まれ、専門に量産し、流通にのせて売買した。
結果、同じデザインの鏡が広く広まった。
他のデザインの鏡を得ようと思っても、手に入らなければ得られない。ということ。

三角縁神獣鏡の広まりは、流通の広がりを意味するもので、同盟関係とは無関係。
重要なのは、もっと貴重で入手困難な舶来鏡の方だ。


700 :本田:05/02/14 01:35:12
>>697
>他の器物が微妙に地域性があったり非普遍的だったりするが、
>三角縁神獣鏡だけは普遍的に出る。
>そのあたりに鍵があると思うのだが。

シナの神仙思想が流行したからじゃないの?

>道教は5世紀中頃,民間信仰が基になって成立した。
>2〜3世紀の五斗米道(ごとべいどう)という呪術的な活動を起源とする。
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/saimei/doukyo.htm
>●五斗米道 ごとべいどう
http://www.tabiken.com/history/doc/G/G269L200.HTM
>●太平道 たいへいどう
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L124L100.HTM


701 :日本@名無史さん:05/02/14 03:34:38
>ttp://www.asukanet.gr.jp/tobira/hakusonkou/hakusonkou.htm

この、「日本各地の朝鮮式山城」の分布図を見ると、
瀬戸内海がメイン航路だったことがわかるね。
出雲、日本海側はまったく要所ではなかった。

やはり、日本海ルートは存在しなかったようだ。
投馬国も、瀬戸内海側にあったことが伺われるな。




702 :日本史@名無しさん:05/02/14 16:49:49
とりあえず司会どっかいけよ

お前が一番うざい

703 :日本@名無史さん:05/02/14 18:27:58
[332]日本@名無史さん<sage>
05/02/08 01:40:30
そうそう、ここは邪馬台国の比定はしないスレ
畿内説の方→大和朝廷畿内自生、もしくは外部勢力にて成立

九州説の方→邪馬台国とは別の畿内王権と大和朝廷の関係の考察

それぞれ大いに議論して実のあるものにしましょうよ

704 :日本@名無史さん:05/02/14 22:03:01
やれやれ、ここはYahoo掲示板とは比較にならん糞スレだ。
まじでくだらねえや。



705 :日本@名無史さん:05/02/14 22:05:22

>九州説の方→邪馬台国とは別の畿内王権と大和朝廷の関係の考察

>それぞれ大いに議論して実のあるものにしましょうよ

九州王朝は、入スレ禁止。



706 :日本@名無史さん:05/02/14 22:08:46
>689
>>>687
>そうすると(「ローカル」を強調すると)、3世紀前半は畿内は倭王権でなくなるのでは?
>箸墓の段階で「さらに」飛躍したのは認めるが、
>その前の石塚・勝山(残念ながら中味不明)段階ですでに「ローカル」ではないのでは?

そうだよな。庄内の那珂八幡とかあるもんな。
ローカルなわけねえよ。
庄内式土器の古いのも奴国、伊都国領域で大量に出ているしな。



707 :日本@名無史さん:05/02/14 22:15:18
>683
>銅鐸・銅戈・勾玉の鋳型が、同一地区から出土したこともあるのに
>なぜ、銅鐸だけが途絶えてしまったのかな・・・
>勾玉と銅鐸では、その価値が、根本的に違うものだったのでしょうかね。

別に不思議じゃないでしょ。
政治的劣位にあった勢力の祭器が消滅しというだけで。
同じ祭器であっても北九州系の祭器は今でも一部が祭器
として残存してますわな。





708 :日本@名無史さん:05/02/14 22:24:25
>699
>三角縁神獣鏡の広まりは、流通の広がりを意味するもので、同盟関係とは無関係。
>重要なのは、もっと貴重で入手困難な舶来鏡の方だ。

そりゃ間違いだ。
△が低いランクの鏡であることは確かだろうが、大王墓クラスでは舶載鏡の上にさらに
最上位の大型・超大型内行花紋鏡がある(平原、ホケノ山、下池山、桜井茶臼山、日葉酢姫陵、
崇神陵などなど)。


709 :日本@名無史さん:05/02/14 22:26:00
九州王朝馬鹿がいなくなったら急にレベルが上がったな。

710 :日本@名無史さん:05/02/14 22:26:06
>707
北九州でも銅戈、勾玉と銅鐸いっしょに作られていたこともあったでしょう。

711 :日本@名無史さん:05/02/14 22:28:07
>710
九州にも少しあるけど、大型銅鐸の生産の中心は畿内だね。
中心は奈良盆地じゃないが。

712 :日本@名無史さん:05/02/14 22:34:56
>697
>石塚や勝山で、箸墓ほど圧倒的ではないですが、布留0以前の墳墓規模としては他地域より安定して上回っています。
>ですから箸墓の「飛躍」が十分、準備されていたと見るべきでしょう。

それらはローカル色の強い弥生式墳丘墓にすぎないですね。
楯突も同じ。

前方後円墳が「地方性を継承しつつもそれを切断する統一性」を持つこと
それら弥生式墳丘墓から「飛躍」していることは近藤義郎などの研究で
とうの昔に明らかになっています。



713 :日本@名無史さん:05/02/14 22:44:42
これでよいのか?

石塚→ 勝山 →矢塚→東田大塚→ホケノ山→中山大塚→箸中山
      津古生掛→那珂八幡→    原口→原口・石塚山・赤塚

714 :日本@名無史さん:05/02/14 22:47:14
始皇帝の焚書坑儒は有名だけど、日本にも焚書があった。

13世紀から14世紀に生きた北畠親房という人物が書いた「神皇正統記」に、
「昔日本は三韓と同種也と云事のありし。
かの書をば桓武の御代にやきすてられしなり」とあります。

北条時宗焚書もあったそうです。

正史は、焚書の影響を強く受けるので、卑史とは別の意味でいかがわしい。

だから、正史と卑史は、一短一長です。



715 :日本@名無史さん:05/02/14 22:48:28

遺骨はクジラの骨だった…(平成10年8月13日の産経新聞)
「岩手県衣川村に埋葬された阿倍頼時のものとされる遺骨がこのほど、
岩手医大と岩手県立博物館で鑑定され、クジラの骨だったことが分か
った。」
という記事だが、それにいたる経過や和田氏の名前が書かれていない
ため次のような二次記事ができてしまった。これはこれでおもしろい
が、もっと面白い裏があったのに。
遺骨はクジラの骨だった…(雑誌「GON」10月号)
「阿倍頼時がクジラだったなんて、まったく知らなかった。きっと
子供の貞任もクジラだったのだろう。クジラが反乱を起こすとは、
岩手県も鋭角的だ。グリーンピースも真っ青だろう。古事記などを
読んでも、日本人の祖先は海産物であると思われるふしがある。………」
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/tukuru/tugaru/tugaru.html







716 :日本@名無史さん:05/02/14 22:55:29
>>701
そのHPイイ!あんがと

717 :日本@名無史さん:05/02/14 22:58:30
>>715
そのGONの記事もおもろい。
全文読みたい。

718 :日本@名無史さん:05/02/14 23:09:04
>三雲遺跡とか須玖岡本遺跡、那珂比恵遺跡を知ってますか?
>唐古鍵は面積では吉野ケ里や原ノ辻クラスですよ
>それでも九州では第2位クラスです。

三雲とか那珂遺跡はたいして発掘されてないだろう。
全体の規模や概要も全く不明。過大評価も著しい。
「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」類の与太話と同じじゃ
ないか。
唐古に比べたら屑。

719 :日本@名無史さん:05/02/14 23:10:25
学歴詐称男が暴れているようだな。

720 :日本@名無史さん:05/02/15 00:58:40
>>705
テンプレ読め。わからなければお前が出入り禁止。

721 :日本史@名無しさん:05/02/15 03:12:32
>唐古に比べたら屑。

全部掘れないほどでかいとクズですかそうですか

三種の神器でたらくずですかそうですか

中国製絹や鉄器や(ry

722 :しばらく:05/02/15 08:30:24
>>714
>13世紀から14世紀に生きた北畠親房という人物が書いた「神皇正統記」に、
>「昔日本は三韓と同種也と云事のありし。
>かの書をば桓武の御代にやきすてられしなり」とあります。

昔三韓の一部は日本と同種也、但し、三韓の北、日本の一部も異種也。
こんなこといっても焚書かw



723 :日本@名無史さん:05/02/15 08:36:31
国記、天皇記だって焚書かもしれない。

724 :日本史@名無しさん:05/02/15 18:48:35
風土記もな。古事記もそうだったかも。一部だけ残ったけど。
各国(地方)の文章記録も可能性大。筑紫や出雲ぐらいはなんか残ってそうなもんだが。

725 :日本@名無史さん:05/02/15 20:10:33
そこで津軽ですよ。

726 :日本@名無史さん:05/02/15 20:14:32
>>718
それを言ったら唐古鍵も大して発掘されていないが?
須玖なんかは丘陵裾部の須玖永田付近の20ha(これだけで唐古の大きさに近い)
ではどんな小さな調査区でも鋳型など青銅器生産関係遺物が出る。
唐古はそんなに出ないだろ?
三雲はまだ少ない調査ながら、楽浪土器の集中等、かなりの成果がある。
比恵那珂遺跡は調査次数は合わせて150次を超えている。
弥生終末には延長1kmの道路もあることが判明している。
(これは福永伸哉氏や佐々木憲一氏も引用・指摘している。)
唐古にこんなのあるのか?
三雲(60ha前後)も須玖(100ha)も那珂比恵(100ha)も規模は判明しているが?
「倭人伝の国々」小田富士雄編 学生社
「論争 吉備」シンポジウム記録1 考古学研究会
あたりを読んでから逝ってくれ。
過小評価も著しいなW

無知をさらす前に、
ちゃんと調べてからものを言って欲しいものだ

727 :日本@名無史さん:05/02/15 20:25:22
>>701
それは7世紀の話し。
弥生後期〜古墳初頭は日本海側の方が重要なルート。
鉄器の流通からそれは言えよう(村上氏)

>>706
伊都国では庄内式は本当は意外と出てないらしい。
奴国域、博多湾岸に多いと思う。

>>711
何度も指摘があるように、奈良盆地に突線鈕式後半の大型化銅鐸の中心がある証拠は無い。
この段階の製品の出土も意外と少ない。
銅鐸鋳型そのものは不明だが、5様式後半〜庄内式初め頃の青銅器生産遺物は、
守山市や野洲市周辺の近江に多く出ている。
これと突線鈕銅鐸の分布数や密度は一致している。
唐古でも青銅器鋳造は、今のところ5様式前半までが確実。
少なくとも現状では、5様式後半以降は近江に中心があることが指摘できる。
奈良盆地という主張は、古墳成立の中心だから銅鐸の中心もあって欲しいと言う希望的憶測に過ぎない。

728 :日本@名無史さん:05/02/15 20:28:46
>>713
那珂八幡→津古生掛かと
津古生掛は布留0式
那珂八幡は△があるが、第2主体なので、土器からは本来の築造はかなり古いとの説がある。
原口や石塚山は三角縁神獣鏡セットからいけば少し新しい。


729 :日本@名無史さん:05/02/15 20:37:54
>>712
近藤義郎の説なんかももう古いだろ。
纒向型などが判明する前の論理だから、一部修正せざるを得ないのが実情。
箸墓が確かに「飛躍」性を持つことは認める。
しかし、その前に、緩やかながらある程度共通性を持つ、前方後円墳(纒向型、讃岐型など)、
前方後方墳(近江・東海)の広がりがあることが分って来たのも事実。
(北條の「第1群」)
だから、以前考えられたほど、極端な画期は無いとも考えられる。
また、箸墓のような「定型化」した古墳(=北條の「第2群」)が成立、波及しても、各地に「第1群」が残っているという問題もある。

思うのだが、若干一名、意図的なのか、やや古い畿内説の論理をふりかざすヤシがいるな。
唐古が一番とか言ったり、
銅鐸の中心は奈良盆地といったり、
鉄はホントはあったとか言ったり、
近藤や都出、佐原あたりのみを引用したり。
それらは寺沢や北條、村上がそれぞれの論理を実証的に批判しているのに、それは全く無視している。
少なくとも古い畿内自生説の論理は破たんしてることにいい加減気付けよ。

730 :日本@名無史さん:05/02/15 21:45:10
弥生後期の畿内は、瓜生堂や久宝寺の方が中心。

唐古は、何やら異質の存在。

731 :日本@名無史さん:05/02/15 21:49:09
>>730
亀井は?
平等坊岩室なんかもあるが?

732 :日本@名無史さん:05/02/15 21:55:42
何をもって中心とか中心じゃないとか判断してるのだろうか?

733 :北条芳隆:05/02/15 22:20:07
今2ちゃんねるの日本史板が熱いよ、とのメールを友人よりいただきまして
遅ればせながら拝読させていただきました。
拙著をご紹介いただきまして感謝の念に耐えません。
予想をはるかに上回るほどの高水準の議論に、ただただ驚くばかりです。
今後も楽しみに拝見させていただく所存ですので
皆様の卓越した知識と眼力をもってして、古代史の闇に光を照らしてください。
まずはご挨拶まで。

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/15 22:30:59
中心は無いな、
ありっこない。

大和朝廷がやっと東国を傘下に入れたのが7世紀だ。

当然その前は群雄割拠だ。
戦国時代と同じだ。

畿内よりむしろ3世紀の九州の方が卓絶した遺物が出てる
のはどうしようもないな。

735 :日本@名無史さん:05/02/15 23:57:58
なんで北條を騙る奴が多いんだ?
どれが本物なの?

736 :日本@名無史さん:05/02/16 00:01:31
>>706
>伊都国では庄内式は本当は意外と出てないらしい。
>奴国域、博多湾岸に多いと思う。

そうでもないですよ。そこは博多湾岸の次に出る地域です。
そもそも他ではマキムクと河内以外には庄内式土器は出ませんからね。
伊都国、奴国地域の特殊な地位を表すものでしょう。


737 :日本@名無史さん:05/02/16 00:04:27
那珂八幡の主体部は、庄内です(柳田康男等)。


738 :日本@名無史さん:05/02/16 00:10:24
>729
>近藤や都出、佐原あたりのみを引用したり。
>それらは寺沢や北條、村上がそれぞれの論理を実証的に批判しているのに、それは全く無視している。
>少なくとも古い畿内自生説の論理は破たんしてることにいい加減気付けよ。

それは単なる思いこみですね。
今現在、どちらが主流派かは、あなた自身がよ〜くご存じでしょうが。
東遷説は中山平次郎の昔からありましたよ。あくまで非主流派でしたが。
おそらくこれからもそうでしょうね。

739 :司会:05/02/16 00:15:36
北條先生わざわざのお越しありがとうございます。
お時間あれば、ぜひ議論にご参加下さい。







740 :司会:05/02/16 00:18:18
・畿内自生説を巡る議論だけでなく、以下の倭国拡大説についてもご義論下さい。
・△縁神獣鏡その他の鏡と倭王権についてもさらにつっこんだ議論をお願いします。

【九州倭国拡大説の根拠】
@鏡の大量埋葬、素環頭太刀、朱の塗布、割竹式木棺など
 弥生時代北九州文化と古墳文化の共通性(第六、森浩その他)
 ホケノ山における内行花紋鏡の破鏡、棟持柱付建造物は平原類似。
A伊都国、奴国を中心とする副葬品のピラミッド型の格差に
 より示される権力層の階層構造や奴国地域からの鏡など青
 銅器の配 布行為が倭王権のそれと同じ(大六、森浩その他)。
B平原の鳥居・大柱が、伊勢神宮、諏訪大社のそれに極似。
 鳥居と大柱の延長上に日向峠(伊勢神宮の新嘗と同日に日の出)
 などで王権祭祀との共通性(柳田康男)
C記紀などの国内文献と祖語がない。平原周辺の地名が天孫
 降臨の条に見られる地名と一致(大六)。
D九州倭国は、弥生期に西部四国、西瀬戸地域などに領域を
 拡大している。山陰など日本海地域や伊勢湾岸とも強い経
 済関係があったことが証明されており、終末期には帝国化
 していた(柳田康男)。

741 :司会:05/02/16 00:19:29
引き続き九州王朝説はスルーでお願いします。

742 :日本@名無史さん:05/02/16 00:23:33
三角は和製鏡で王権とは関係ないとなんど言えば。

743 :日本@名無史さん:05/02/16 00:25:14
>627
>弥生後期〜古墳初頭は日本海側の方が重要なルート。
>鉄器の流通からそれは言えよう(村上氏)

鉄器と「玉」が正確だわな。
確かに丹後なんかのの墳丘墓の副葬品はほとんど北九州ですな。

744 :日本@名無史さん:05/02/16 00:30:45
>742
それは、紀年鏡の年代が卑弥呼献使の年代にほぼ重なるという考古学的
事実を無視する暴論でしかない。
三角縁神獣鏡が倣製というのは様式上でありえない。
この鏡の様式の変遷が、中国での様式の変遷とある程度オーバーラップ
しているという事実を直視すべきです。
鏡をよく知らない若手の学者達がこの鏡を軽視する最近の風潮には呆れざ
るえません。



745 :日本@名無史さん:05/02/16 00:37:19
>726
>須玖なんかは丘陵裾部の須玖永田付近の20ha(これだけで唐古の大きさに近い)
>ではどんな小さな調査区でも鋳型など青銅器生産関係遺物が出る。
>唐古はそんなに出ないだろ?
>三雲はまだ少ない調査ながら、楽浪土器の集中等、かなりの成果がある。
>比恵那珂遺跡は調査次数は合わせて150次を超えている。
>弥生終末には延長1kmの道路もあることが判明している。
>(これは福永伸哉氏や佐々木憲一氏も引用・指摘している。)
>唐古にこんなのあるのか?
>三雲(60ha前後)も須玖(100ha)も那珂比恵(100ha)も規模は判明しているが?
>「倭人伝の国々」小田富士雄編 学生社

先生、質問です。

@そんなに三雲やスクが凄いならそれらの支配者が倭王権の主力になったと
 考えるべきなんじゃないでしょうか?
Aそれともそれらの遺跡は終末期に衰退してしまう(→だから倭王県の主力
 じゃないんだ)のでしょうか?
Bそれとも他の地域に三雲やスク以上の凄い遺跡がある(→だから倭王権の主力
 じゃないんだ)のですか?

このあたりを詳しく教えて下さい。 

746 :日本@名無史さん:05/02/16 00:38:04
中国の鏡の権威は三角縁神獣鏡を列島製だと断言してるね。

747 :日本@名無史さん:05/02/16 00:45:45
>746
他民族向けに特別なデザインの物を作るのは不思議でもなんでもない。
遊牧民の墓からのそういう出土品もかなり出ている。日本もその例外では
ない。「中国の学者」なぞ持ち出すのは権威主義でしかない。

748 :本田:05/02/16 00:45:46
>>744

>三角縁神獣鏡の銘文
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/innritu.htm

>道教は5世紀中頃,民間信仰が基になって成立した。
>2〜3世紀の五斗米道(ごとべいどう)という呪術的な活動を起源とする。
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/saimei/doukyo.htm

749 :日本@名無史さん:05/02/16 00:46:38
それだと、まきむく石塚古墳・まきむく矢塚古墳・東田大塚古墳は
前方後円墳の形をした弥生墳丘墓ですか?前方後円墳の成立が古墳時代
と学校では習いますたが。




750 :日本@名無史さん:05/02/16 00:49:04
箸墓に思い入れがあるようだが、ちょっと中国に目をやって見ろよ。
始皇帝陵(の埋葬時期)を指標にして時代を区切るといったら、お前バカかと言われるのは目にみえてるだろ。
画期はその被葬者の生存中にあるから、古墳(の埋葬時)では明らかに遅れる。
時間軸の確度が50年も100年も幅があるという時代ならいざ知らず、
今のように、10年、20年の分解能で話をするようになったら、明らかにやばい。

箸墓を指標とする昔の時代区分が捨てられつつある背景には、こんな事もあるのではないかな?





751 :日本@名無史さん:05/02/16 00:52:59
この前、文献の人の本をよんだが、「崇神天皇が最初の天皇」とあって
ぶっタマげた。文献の人って考古学勉強しないのか?

あるいは未だに小林行雄が最先端だと思っているとか。



752 :日本@名無史さん:05/02/16 00:53:26
>>747
逆だよ。「質のいいのは中国製」って言いたがるのが中国人。

753 :日本@名無史さん:05/02/16 00:53:47
ひじょーに素直によめば、卑弥呼共立の時期は、2世紀中葉から後半。
まあ、170年とかそんくらいだろう。で、卑弥呼が死んだのは、
魏志倭人伝では、247年か248年とみられるから、おおむね、
その間には80年ぐらいの開きがあるかもしれない。卑弥呼はおばあさん
だったのだ、ということになる。
在位80年!すごいかも。しかし、素直な解釈ではこれがもっとも
あり得ることだ。土器編年なぞやろうもんなら、この間に形式が
三つか四つは変わっていておかしくない。
で、まあ、庄内式の時代が卑弥呼時代ってことになるんだろうが、
かなり長いよね。



754 :日本@名無史さん:05/02/16 00:54:59
>>751
津田左右吉の亡霊だよ。そっと放置してやれ

755 :真の司会 ◆68EfyRlv.Q :05/02/16 01:36:37
つか、司会はルール違反。スレの正常化のためにスルー願います。

756 :日本@名無史さん:05/02/16 01:39:05
賛成>755

757 :日本@名無史さん:05/02/16 04:13:26
>>755-756
別にルール違反でもなんでもないと思う。
元々邪馬台国の位置論争に終始するのを
回避するために独立したスレなのだから。
邪馬台国やら倭人伝から離れてくれるのならば
誰が参加しても別にかまわんが
実情として果たせていないのだから仕方あんめえ。

出来れば倭王権成立の話題が出揃ったところで
古墳時代における発展過程も論じて欲しいところだが
はたして九州説論者はそのあたりの考古学知識を持ってるのか。
そうでないのなら別スレで語ったほうがお互いのためではないかな。

758 :日本@名無史さん:05/02/16 04:32:43
賛成>757

759 :日本@名無史さん:05/02/16 07:25:06
>757に一票

760 :日本@名無史さん:05/02/16 09:20:40
九州説論者だから締め出すのには反対。考古知識がなく、かつ考古の成果を敢えて無視する人は来なくていい。
願わくば、文献を無視する人や文献との矛盾の考察から逃げる人も来ないでいただきたい。

邪馬台国の位置比定にとらわれず、確実に存在した畿内王権と大和朝廷の関係について議論すればよい。

761 :日本@名無史さん:05/02/16 09:41:26
>>760に賛成
論点の縛りは、スレとして当然アリだが
タブーを設けることは、学問的敗北宣言だ

762 :日本@名無史さん:05/02/16 09:55:42
>>760-761

スレ違い。
九州説論者は、別スレで大いに議論してくれ。


763 :日本@名無史さん:05/02/16 10:21:49
私は主に文献の畿内説だが、>>760を支持します
多くの立場の意見を交換した結果としての真実への到達が、学問のあるべき姿だと考えます。

九州説の立場(このスレでは特に表明する必要もないが)による「畿内王権生成史の謎に関するレス」を排除したければ、
【畿内説専用】スレを立てて、存分にどうぞ

764 :日本@名無史さん:05/02/16 10:46:17
いろいろ出てますが760に一票。これに反対する香具師は学問には不向き。前スレは畿内説専用だったけど、住民の話し合いの結果それをはずしたのを忘れたのかと(
以下参考まで



高級魚のヒラメをトラックの水槽で山口から東京まで
生きたまま運ぶと、かなりのヒラメが途中で死ぬ。

ところが、獰猛なナマズを一匹入れておくと、ヒラメは
殆ど死ない。

765 :日本@名無史さん:05/02/16 11:12:46
>>763
>【畿内説専用】スレを立てて、存分にどうぞ

ここが、本来の「畿内説専用スレ」です。
九州説を含めた議論のスレは他にいくつもあるではないですか?


766 :日本@名無史さん:05/02/16 12:22:17
「あるかないか」でなくて

 「荒れるか荒れないか」が重要→比定地論争禁止だけでOK

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/16 14:11:54
古墳の分布からは畿内が中心になるのは7世紀というだけだ。

当然その前は群雄割拠だ。

出現期の古墳などいくら探っても無駄だ。
各地に弥生時代から連続で存在し
古墳時代に大型化するだけの話だからな。

768 :日本@名無史さん:05/02/16 14:26:11
どうやら、厨房を相手してしまったようだ


>>765
>ここが、本来の「畿内説専用スレ」です。


心情的にわからんでもないが
前スレがなぜ荒れたか、なぜ畿内専用をはずしたか、は貴君には理解が難しいかもしれないな。
もう一度だけ言う
テンプレ読め
貴君以外の意見はほぼ一致している
学問の邪魔をするな

769 :日本@名無史さん:05/02/16 14:39:57
>>765はさすがにおかしいだろ?考古学も学問なんだろ?雑談板じゃねえんだからタダこねんじゃないよ!

770 :日本@名無史さん:05/02/16 15:37:38
>>767
だよな。3から4世紀前半は群雄割拠時代。
4世紀後半に北九州から畿内までの西日本が
はじめて統一され、お祝いに百済から七支刀が
贈られる。統一後の余剰武力をクマソではなく
朝鮮半島に向けたのが4世紀後半から5世紀前半。

771 :日本@名無史さん:05/02/16 16:07:40
>>714「昔日本は三韓と同種也と云事のありし。
かの書をば桓武の御代にやきすてられしなり」とあります。   
     ↑
なぜ焚書したか?新羅への怒りですよ。
桓武天皇のお母さんは、百済出身の高野新笠です。
その「母の祖国」である百済を、新羅が唐と組んで侵略し、
消滅させてしまった。
しかも新羅は、そのまま三韓の故地を全部、のっとってしまった。
それに対する憤りと侮蔑感で、長男の桓武は、
「もうあんなのは外戚じゃない!」
と縁切りで焼き捨てたのですよ。

772 :日本@名無史さん:05/02/16 16:22:31
>>771続き
おまけに高句麗の遺臣も日本の天皇家に亡命してきていました。
高句麗も百済と同じく、唐と組んだ新羅に祖国を滅ぼされました。
それでもなお、高句麗の遺臣は、新羅に声をかけられ
半島統一を手伝いました。
それなのに、半島を統一した途端に、新羅は裏切って、
国内にいた高句麗王を滅ぼした。
だから高句麗の遺臣は、新羅に深い憤りと侮蔑感を持つようになった。

773 :日本@名無史さん:05/02/16 16:24:03
>>772続き
この百済と高句麗の遺臣たちを、日本(和国)は丁重に受け容れました。
現代において「日本人の朝鮮人への差別心」といわれているものは、
この、百済と高句麗の遺臣が持ち込んだ、統一新羅への憤りと
侮蔑感のことです。和国の先住民は、はっきり言って、
全然関係ありません。親切に亡命貴族を受け容れて、
神として奉ってあげただけです。(半島における和人の故地を
取られた憤りは共有していたかもしれませんが)。

もともとは半島人同士の争いなのに、時間が経って、なぜか
日本人だけに恨みを転嫁され、非難されている。この古代と
非常によく似たことが、現在もおきています。怖いくらいです。
歴史を学ぶことの必要性は、本当はこういう事を認識する事に
あるのではなかろうか。

774 :日本@名無史さん:05/02/16 16:36:03
ここは、考古学板ではない
そんなに考古学重視で議論したいなら、専用の板で思う存分議論の華を咲かせてくれ。

775 :日本@名無史さん:05/02/16 18:26:46
奈良の小林、宅間、酒鬼薔薇、寝屋川と関西人は弱い者には酷いことばかりするんじゃのう。弱者が弱者をたたく。最低最悪の土地柄で、優れてるなんてよくいえたものだ。

776 :似非方丈:05/02/16 18:48:44
>>733
あら、まさか本物の登場ですか?本物っぽいので宜しくお願いします。(でも「条」だったっけ?)
>>738
>>729
>>近藤や都出、佐原あたりのみを引用したり。
>>それらは寺沢や北條、村上がそれぞれの論理を実証的に批判しているのに、それは全く無視している。
>>少なくとも古い畿内自生説の論理は破たんしてることにいい加減気付けよ。
>それは単なる思いこみですね。
>今現在、どちらが主流派かは、あなた自身がよ〜くご存じでしょうが。
あのね>>729さんが言ってるのは、「古い畿内自生説」そのままの話が今は通用しないということ。
それをまだ通用すると思っているのは思い込み。
反論している各氏の主張にまともな反反論しないで、非主流だからと一刀両断するのはどんなもんでしょうか?
例えば寺沢の業績で、弥生時代の大和の「先進性」と古墳社会への連続性を批判し否定した、
「大和弥生社会の展開とその特質」「まきむく遺跡と初期ヤマト政権」や、
都出氏の「農業共同体と首長権」に実証的に反論した「青銅器の副葬と王墓の形成」に対し、
まともな反論してますか?
あるいは村上氏の弥生時代の鉄器論に対してまともな反論できますか?
また近藤氏の諸論理については北條氏が一部継承しつつも批判してますが、
それについてはどうですか?四国行ったからトチ狂ったとか言ってましたが、
今は関東にいますが替えるつもりはないようですので、残念!
「定説」に合わない、からとか、「主流」でないから、とか、
具体的に反論しないでレッテル貼って議論を終わらせようというのは、それこそファッショですよ。

>東遷説は中山平次郎の昔からありましたよ。あくまで非主流派でしたが。
>おそらくこれからもそうでしょうね。
中山→大六→柳田康雄の流れは、古くからの北部九州東遷論ですが、
寺沢、北條、村上の説は一緒に括るのはどうかと。(諸勢力共立論あるいは中国文明フロンティア東漸論)
例えば松木氏の論説では(寺沢氏を指してですが)少し異なる評価をされていますが。
まともな反論できずに、気に入らないからといってレッテル貼りして議論から逃げるようでは、
いつまで「主流派」の位置を保てるのか見ものですな。



777 :似非方丈:05/02/16 19:09:27
>>745
代わってお答えします。
>@ですが、主力かどうかは疑問がありますが、交易ルートの確保については無視できない存在ですね。
ですから「共立」の諸勢力には連なっていたのではと思います。
それにより、北部九州の王墓の要素も前方後円墳祭祀に継承されたのでしょう。
交易ルートについては、
ttp://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2001a.html が参考になります。

>A  
三雲については古墳時代前期いっぱい繁栄してるみたいですね。
須玖岡本は弥生終末いっぱいは青銅器をかなり作ってますし、大きな集落のようです。
ただ古墳初頭頃衰退するようです。
比恵那珂は古墳前期の途中までかなり大きな集落があるようですね。
確実にいえるのは弥生終末に衰退するというのはデマですね。
>Bですが、
九州の終末期=庄内期になれば、マキムクもありますし、中河内の中田などの遺跡群もかなり大きいですね。
吉備でも、津寺などの足守川遺跡群(楯築の周り)にはかなり大きい遺跡群があります。
ですから、弥生後期ほどには伊都国や奴国は突出してません。
マキムクなんかは、日本列島中との交流の証拠がありますし。
倭王権は一応、3世紀からは畿内でいいのでしょう。


778 :似非方丈:05/02/16 19:19:33
前の方のカキコを見ましたが、>>718はあまりにひどい無知ですね。
三雲なんかは、一般的にも、
ttp://www.itokoku.com/kankou/itokoku-00/itokoku-index.html
のように紹介されています。
>>718を書いた方は、今すぐ、伊都国歴史博物館(前原市)、奴国の丘歴史資料館(春日市)、
福岡市埋蔵文化財センターに逝ってください。
井の中の蛙ということが分かるでしょう。
(ついでに九州のコワイ技師たちにヤラレルでしょう)

なお、これらの遺跡の最新情報は、第4回 嶺南考古学会・九州考古学会 合同考古学大会資料集『考古学から見た弁・辰韓と倭』という資料集を見られるとよいでしょう。



779 :日本@名無史さん:05/02/16 19:34:51
>>778
先生、丁寧な解説ありがとうございます。
っていうか、今時畿内の学者でも三雲や須玖等が凄いってことはちゃんと認識してると思いますが。


780 :日本@名無史さん:05/02/16 19:39:55
>>773
>歴史を学ぶことの必要性は、本当はこういう事を認識する事に
>あるのではなかろうか。

まったくそうだ。同意する以外に無い。
現代で言えば、百済を滅ぼした新羅の土地は韓国。
高句麗の土地は北朝鮮だ。
高句麗の血を受け継いだ人、受け入れた我々は、
今また韓国(新羅)によって北朝鮮(高句麗)が滅ぼされることの無いよう、
下世話な感情に流されず、国際的な外交関係を発展させていかないといけない。


781 :日本@名無史さん:05/02/16 19:48:28
>>773
アノナ、近代の差別感はそんなの関係ないだろ。
というかスレ違いや。

782 :似非司会:05/02/16 19:50:05
え〜韓国ネタは新手の荒らしと思われるので、スルーでお願いします。

783 :日本@名無史さん:05/02/16 22:42:55
>ただ古墳初頭頃衰退するようです。
>比恵那珂は古墳前期の途中までかなり大きな集落があるようですね。
>確実にいえるのは弥生終末に衰退するというのはデマですね。

それは本当ですか?詳しく教えて下さい。

>Bですが、
>>九州の終末期=庄内期になれば、マキムクもありますし、中河内の中田などの遺跡群もかなり大きいですね。
>吉備でも、津寺などの足守川遺跡群(楯築の周り)にはかなり大きい遺跡群があります。
>ですから、弥生後期ほどには伊都国や奴国は突出してません。
>マキムクなんかは、日本列島中との交流の証拠がありますし。
>倭王権は一応、3世紀からは畿内でいいのでしょう。

いやそうでなくて、マキムクを作った主役として誰がふさわしいか
ということなのですが。なぜ弥生後期に傑出しているのに伊都国や
奴国が主体じゃないのでしょうか?




784 :日本@名無史さん:05/02/16 22:52:05
少なくとも騎馬民族説を排除するのは間違い。
正しいかどうかは別としてきちんと議論すべきだ。


785 :日本@名無史さん:05/02/16 22:57:09
大学に所属する考古学者は大学に所属していない考古学者を素人とか言うけど、例の史跡捏造事件でわかるとおりどっちが素人ですか。
捏造を見破ったのはあなた方が言うところの素人でしょ。
明確な根拠もなしに勝手に方向を南から東に変えたり、勝手に聞き間違いにしたりとか、自分の説に都合が良いような捻じ曲げた解釈は止めてください。
邪馬台国が畿内にあったというなら

786 :日本@名無史さん:05/02/16 22:59:06
>742
それは、紀年鏡の年代が卑弥呼献使の年代にほぼ重なるという考古学的
事実を無視する暴論でしかない。
三角縁神獣鏡が倣製というのは様式上でありえない。
この鏡の様式の変遷が、中国での様式の変遷とある程度オーバーラップ
しているという事実を直視すべきです。
鏡をよく知らない若手の学者達がこの鏡を軽視する最近の風潮には呆れざ
るえません。





787 :日本@名無史さん:05/02/16 23:01:26
69 :大阪は朝鮮臭い :04/11/07 18:48:28
大阪市中央区 難波:
駅周辺はかつて摂津国西成郡難波村とよんだ。浪速、浪花とも書く。
朝鮮語で太陽を意味「ナル」に門・口・窓などを意味する「ニワ」のついた
「ナルニワ」がなまったものだという説あり。
「日の出」る聖なる場所という意味。

大阪市中央区 久太郎町 :
百済町と書いたのを後世伝え間違えた。

大阪市中央区 心斎橋 :
心斎橋は昔、新羅橋だった。1576年の天正4年に製作された「織田信長軍、石山本願寺軍攻撃配置図
(奥田所蔵)」に記されている。

大阪府東大阪市 川内町 :
大阪のことを古くは河内(かわち)といったが、河内氏は百済系渡来人を外する氏族で、
河内郡を領していた。つまりここが河内国河内郡の中心地。

大阪府寝屋川市 太秦 :
寝屋川上流域に位置。古代、新羅系渡来人、秦氏の居住地。

大阪府寝屋川市 秦 :
寝屋川上流域。新羅系渡来人、秦氏の居住地。

788 :日本@名無史さん:05/02/16 23:03:12
大阪市平野区 喜連瓜破 :
古代、この周辺を伎人郷(くれのごう)と呼ばれ、伎人とは呉人の意味。
呉とは古代朝鮮の句麗からきたもの。呉人は高句麗系渡来人。

大阪府池田市 呉服町 :
古来このあたりを呉服の里とよんだ。呉服神社があるが、呉織姫(呉服大明神)を祭る。
機織の技能をもった高麗系渡来人の居住地。呉とは古代朝鮮で句麗(くれ=高句麗のこと)をあらわす。

大阪府茨木市 沢良宜 :
ソウルを同じ意味の「京」、すなわち首都をあらわす。
古代朝鮮には歃良(そうら)という地名もあった。
高槻の三島江あたりは、古代、朝鮮や北九州からの人々が住みついたところ。
茨城にも東奈良遺跡という大きな村国のあったことを示すところあり。

大阪府八尾市 恩智 :
阿智の転訛である奄知から変化したもの。阿智=阿智使主(日本書記)のことであり、
朝鮮から織工をつれてきたといわれている。

大阪府高石市 伽羅橋 :
韓橋であり古代朝鮮の加羅から渡来した人たちが住み着いて作った。

大阪府和泉市 唐国町 :
古代氏族韓国連(からくにのむらじ)の本貫地だった。唐は韓の借字であり、ともに古代朝鮮の総称。

789 :日本@名無史さん:05/02/16 23:23:28
>>785
>邪馬台国が畿内にあったというなら
はこのスレでは余分。スレ違い。他は全く同意。

790 :日本@名無史さん:05/02/16 23:28:12
>777
>代わってお答えします。
>>@ですが、主力かどうかは疑問がありますが、交易ルートの確保については無視できない存在ですね。
>ですから「共立」の諸勢力には連なっていたのではと思います。
>それにより、北部九州の王墓の要素も前方後円墳祭祀に継承されたのでしょう

どう見ても主流でしょ。
畿内に王権の痕跡がないというけど、北九州以外同じようなもの
ですよ。今のところせいぜい山陰に権力者の同盟が証明できるく
らいです。
イト国、奴国が衰退したという考古学的な実証がなされていない
以上これらが倭王権の主体とする以外ないでしょう。


791 :日本@名無史さん:05/02/16 23:35:36
村上恭通の中国フロンティア移動論というのもよく分からない。
根拠薄弱なアクロバチックな理屈をこねくり回すのはやめるべき。
文献にも証拠がないし。小林行雄の2の舞じゃないか。

792 :日本@名無史さん:05/02/16 23:38:16
>>790
>イト国、奴国が衰退したという考古学的な実証がなされていない

2世紀初頭から衰退が始まってますが。

793 :日本@名無史さん:05/02/16 23:40:27
あくまで私見だが、極端な考えを避けると以下のようになるのだが。

一世紀:委奴国(九州)
 ↓
二世紀:桓霊の頃、倭国(九州)大乱。その際、一部が東(吉備,畿内)へ遷移。
これが大和朝廷の祖となり銅鐸の文化から古墳の文化へ発達していく刺激となる。
記紀では神武朝か。
 ↓
三世紀:邪馬台国に代表される倭国(九州)。畿内勢力は発達をつづける。
記紀では崇神朝か。
 ↓
四世紀:倭国(九州)朝鮮半島で戦(好太王碑)。畿内勢力は極大期(巨大古墳)。
 ↓
五世紀:倭の五王(九州と畿内の勢力が拮抗のためどちらの王か不明)。
 ↓
六世紀:イワイ(九州)対オオド(畿内)で畿内の勝ち。
 ↓
七世紀:日処出天子(これもどちらの王か微妙?)。白村江(これは畿内勢力の戦だよな)。
 ↓
八世紀以降、日本(畿内)は倭(九州)の別種。太宰府に遠の御門としての記憶が残る。
銅鐸文化の記憶は残らず、銅矛の記憶は記紀に残る。


794 :日本@名無史さん:05/02/16 23:42:20
>792
>>790
>イト国、奴国が衰退したという考古学的な実証がなされていない
>2世紀初頭から衰退が始まってますが。

そりゃウソだ。庄内に入っても全く衰えてないよ。




795 :日本@名無史さん:05/02/16 23:50:10
考古学的に伊都国地域が衰退したことが確認できるのははるか後の
4、5世紀。昔の学者がよく言ってた
「後漢王朝が衰退して後ろ盾を失った北九州が衰退」
ってのもデマだわな。
実際は半島からの鉄器流通なんか逆に増加してるもんな(村上)。

796 :日本@名無史さん:05/02/16 23:53:25
北條、村上の話ばかりせず、もう一人の話もすべきじゃないか。
斬新かつ論理的な学説は近年の若い学者では白眉だと思うよ。

いやマジでそう思う。

797 :日本@名無史さん:05/02/16 23:56:08
三角鏡の話がでないな。考古学ヲタスレッドの割にはたいしたことがない。
それはそうと昔は三角縁神獣鏡をみせて貰うには、紐の解きかたや見かたの作法が
あったらしい。小林先生が亡くなって、椿井の鏡がある程度オープンになってから
鏡の研究が進んだとのこと。

798 :日本@名無史さん:05/02/16 23:56:22
みんな落ち着け。

このスレの論客で「邪馬台国が畿内にあった」と主張してるやつは一人もいないぞ。

単純に畿内王権の成立を語ってるところに、
勝手に邪馬台国九州派が喧嘩を売りに来て荒らしてるだけだ。




799 :日本@名無史さん:05/02/16 23:59:41
>798
「邪馬台国が畿内にあった」は、考古の連中にとって当然の
前提だから誰も言わないだけ。



800 :日本@名無史さん:05/02/17 00:00:42
とにかく、「邪馬台国は畿内にあった」「邪馬台国は九州にあった」のどちらも禁止ということでおけ。


801 :日本@名無史さん:05/02/17 00:01:15
「大朝鮮帝国史」 1994年 東亜出版社
韓国陸軍授業、「民族史教育」にて同内容が採択。
http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm

第1巻
* 我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

* 我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て不咸山に移動、定着した。
  不咸山に到着した我々の先祖はそこを中心に集団定着、文化を発達させ、
  紀元前6000年頃には紅山文明を、続いて黄河文明を起こした。

* 我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、
  大帝国を建設していた。


802 :日本@名無史さん:05/02/17 00:02:54
韓国105代天皇尊影集
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/emperor.htm

「韓国105代天皇尊影集」は「大朝鮮帝国史」の作家、卍夢 金珊湖(キム・サノ)先生が
5年余りにわたる刻苦の努力と、我々の歴史を正しく知らせて民族の精気を正しく立て直そうという熱望で、
渾身の力を尽くして100点余りの絵で描き出したご先祖様たちの姿を盛り込んだ「画集」である。

失われて歪曲された歴史を復元し、画家としての霊感を足して描き出した、
韓民族の国々を起こしたご先祖たちの姿は、どきっとするほどの衝撃的な感動を与える。
我々が見てきた率去の1000年余り前の檀君像は、
国を起こした方としてはどこか不足した部分が多かったのが事実だ。
神話的な要素がより多く見える神仙のような姿ではなかったか?
しかし、金珊湖画伯の霊感で描き出した始祖 檀君の姿は、国を建て起こし、
性通光明,理化世界,弘益人間を理念とする桓因の国である桓国と
倍達帝国を継承した大朝鮮帝国の始祖として、
「やはりそのようなお姿だっただろう」という感嘆を自然に醸し出させる。




803 :日本@名無史さん:05/02/17 00:06:24
畿内の王権を構成する有力大首長(豪族と言っても言い)、あるいは複数の王系の存在があり、各地との複雑なネットワークがあったと考えます。
これに近いことが松木武彦氏によって述べられています(植木武編『国家の形成』所収の論文)。また新納泉氏の「王と王との交渉」(『古代史復元』古墳時代の王と民衆、講談社)に、威信財の贈与関係について述べられています。
国家形成期に、特定の威信財が、特殊な贈与交換をされると言う研究は、世界の考古学でも一般的です。そういう意味での「配布」です。
弥生時代中期後半以降の北部九州では、伊都国と奴国を頂点に、前漢鏡、後漢鏡、鏡片が「配布」された可能性があります。


804 :日本@名無史さん:05/02/17 00:07:56
当時の考古学的発見では、この説は有力な仮説であった。尊敬に値する。
しかしその後、鉄の考古学的発掘が多くなされ、今では小林説は考古学的には成立しない。
しかしにもかかわらず今でも小林説の傘下で説を立てる人が多い。
箸墓の時代でも鉄の技術は北九州が高い。(袋状にできるか、羽口など)
当時鉄の技術では関東と畿内はほぼ同じレベルであった。
むしろ日本海ルートで高い鉄の技術が伝播した。畿内が鉄でも有力になるのは
前期古墳の後半である。但し鉄の議論は権力者の古墳の副葬品の鉄と、その他の鉄とは
区別して議論する必要がある。

805 :日本@名無史さん:05/02/17 00:11:45
河上氏は三角縁神獣鏡国産鏡説です。
年輪年代が主テーマでしたので、他のことはあまり触れられませんでした。
土器の年代観、編年への強い疑問を終始話されていました。勝山の土器が
土器分類では布留も出ていることに、土器編年こそ訂正すべしとのことでした。
あとは古墳で葺き石や石室の有無を話され、石塚などはそれらが無いので古い
とのことであったと思います。
画紋帯神獣鏡も話されましたが、確かホケノの画紋帯も国産(列島産)の可能性
を話されたと思います。


806 :日本@名無史さん:05/02/17 00:13:10

従来大和の庄内式土器が北九州にあるのは、従来畿内が北九州を制覇したからと言う説
もあった。しかし最近の庄内式土器研究会の研究報告ではそうではないと言う論調
が多い。これらは全国的な庄内式土器、布留式土器の移動が分かってきたためと思う。
研究者によってまだまだ異論があるが、全体としては以下の論調と考える。
1.庄内式の早い時期、纒向石塚の前から、庄内式の土器は九州にわずかながら入る。
ただし、何か差別されている感じで、現地の土器とは融和していない。
2.纒向石塚からホケノ山のころ、庄内式土器が奴国の中心の限定された遺跡に入る。
限定した拠点にのみである。この土器が何処産かは論議あり、九州産かもしれない。
河内式庄内甕は限定された遺跡に入っている。
3.ホケノ山から箸墓の頃、北九州独自の布留式甕ができる。山陰の土器もかなり
入ってくる。河内型甕、播磨式甕、大和式甕も入ってくる。吉備型甕も入ってくる。
奴国と畿内には何か特別なルート(交易か?あるいは政治関係か?)があったらしい。

807 :日本@名無史さん:05/02/17 00:19:46
>776
>今は関東にいますが替えるつもりはないようですので、残念!
>「定説」に合わない、からとか、「主流」でないから、とか、
>具体的に反論しないでレッテル貼って議論を終わらせようというのは、それこそファッショですよ。

皇国史観の権化「東遷説」にファッショと呼ばれる筋合いはない。



808 :日本@名無史さん:05/02/17 00:23:28
>792
>>790
>イト国、奴国が衰退したという考古学的な実証がなされていない
>2世紀初頭から衰退が始まってますが。

弥生終末から古墳前期)や、比恵・那珂遺跡群における弥生終末から
古墳前期の直線道路の造営など、衰退した要素は全くありませんので。
また須玖岡本遺跡群も、古墳初頭には衰退しますが、その直前の弥生
終末まで、大量の青銅器を生産した痕跡(遺構、遺物)が明らかにな
っています。後期初頭までで繁栄が終わったと言うようなことはあり
えませんので。全く事実に反します。



809 :日本@名無史さん:05/02/17 00:24:37
平原遺跡は弥生後期後半ないし終末ですし、三雲遺跡に楽浪系土器が多く
出るのは弥生終末いっぱいまで続き、また韓式系土器も弥生時代から古
墳時代前期いっぱいまで多く出ます。三雲遺跡を中心とした糸島の拠点
集落群は、古墳前期まで対外交渉の中心であることは考古学的にも明白
です。奴国=福岡平野も、西新町遺跡における大量の韓式系土器の存在
(きな船があったと思われるし、実際鉄素材としての板状鉄斧や棒状な
いし小板状の鉄製品が玄界灘沿岸の拠点集落で多く出土しています。古
墳初頭の博多遺跡ではそれらを鍛冶、加工した遺構や遺物が出ています。
また韓式系土器も玄界灘沿岸でもっとも出ます
(最多は砂丘上の西新町遺跡)。

810 :日本@名無史さん:05/02/17 00:31:08
ウリナラ説ってどうよ?

811 ::05/02/17 01:36:43
宇宙人飛来説でも、地底人説でも、
学問的にしっかりしていれば、何でも可。
でも、無理なんでしょ?

812 :日本@名無史さん:05/02/17 02:26:31
前方後円墳は巨大UFO

813 :日本@名無史さん:05/02/17 04:10:27
>>339
>畿内制圧後は畿内も「領国」
>に含まれる。東京遷都は統一国家が前提という意味は不明。領地が畿内まで
>ひろがった状態と本質的な違いがあるとは思えない。

兵站、という言葉を知りませんか?
信長が岐阜から安土に居城を移したのも、あくまで浅井を滅ぼしてから
の話だから。

814 :日本@名無史さん:05/02/17 04:29:42
3世紀の倭国では常備軍というものが存在せず、有事には農民に武器を
配って戦わせるという形がとられていたのだろう。
このように在地性が強い軍制で、北部九州から畿内への首都移転を
想定することは難しい。
倭国はまだ群雄割拠で、統一国家には程遠い状況。
このような状況下で、本拠地を遠方に移したなんて、
戦争を知らない人間(考古学者=専門馬鹿)が言う戯言。

また、当時は半島利権を維持することが倭王権維持における最重要課題
であった筈で、
もし北部九州が倭王権を主導したとするなら、
わざわざ遠隔で文化的後進の畿内に本拠地を移した理由が見つからない。
倭人伝や記紀の記述からも、畿内王権が北部九州を圧していたことは
分かるし。

畿内王権は、やはり畿内在地勢力が主体となったのだと思う。

815 :日本@名無史さん:05/02/17 05:27:56
>>814
>このような状況下で、本拠地を遠方に移したなんて、
>戦争を知らない人間(考古学者=専門馬鹿)が言う戯言。

どの考古学者が本拠地を遠方に移したなどと言った?
東遷を言ってたのは九州派素人バカだろ。


816 :本田:05/02/17 06:49:27
>>771

>>>714「昔日本は三韓と同種也と云事のありし。
>かの書をば桓武の御代にやきすてられしなり」とあります。   
     ↑
>なぜ焚書したか?新羅への怒りですよ。

それだけなら、高句麗と百済関係の焚書の説明になってない。

817 :日本@名無史さん:05/02/17 06:54:59
>>814
>倭人伝や記紀の記述からも、畿内王権が北部九州を圧していたことは
分かるし。

記紀はその通り。倭人伝の具体例を挙げて。

818 :日本@名無史さん:05/02/17 07:25:53
一大率のことだろ、いちいちこまいことに噛み付くなよ。

819 :日本@名無史さん:05/02/17 08:18:11
>>818
細かいこと?あんた日本史は素人か?


820 :日本@名無史さん:05/02/17 09:55:26
>>813
古い書き込みにレスしてくれてありがとう。ただ、何が言いたいのか
わかりません。「兵站」を語るなら、倭国の朝鮮経営は巧みですよ。
畿内に政権があったとしたら出来すぎではないですか。秀吉でさえ失敗したのに。

在地性云々は問題とするに足りません。制圧後は当然民衆も移動します。
余剰人口を「植民」するのがそもそもの目的ではないかと。

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 11:56:26
>>>
倭国はまだ群雄割拠で、統一国家には程遠い状況。
このような状況下で、本拠地を遠方に移したなんて、
戦争を知らない人間(考古学者=専門馬鹿)が言う戯言。
>>>


考古学者でそんなことを言っているのは
本を売りたい素人だよ。

当時が群雄割拠だったことも
前方後円墳が畿内に突然発生したのでないこともすでに考古学で既知の事実だ
畿内は突然大型化しただけだ。

ということは
巨大化させたのは畿内の在地勢力というのも間違いだ。
侵略勢力でないと奴隷は使えないんだ。

在地勢力は漸次大型化しか方法はない。
古墳造営につかえる人口は急には増えないからだ。


822 :日本@名無史さん:05/02/17 15:11:41
>>821

奴隷なら、東国から順次調達できますが何か?

823 :日本@名無史さん:05/02/17 16:09:00
墳墓造営が奴隷労働に大きく依存していたとは必ずしも言えない。

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 16:33:04

駄レスするな。

世の中のことは全て
必ずしも・・・・とは言えないんだ。


東国から奴隷を調達?
じゃ東国が巨大古墳の発祥の地か?
間抜け。

825 :日本@名無史さん:05/02/17 17:49:51
なー、素人の素朴な疑問なんだが奴隷を養えるほどの過剰な農業生産力って
この時代にあったの?

826 :823:05/02/17 18:13:08
>>824
えらそうにわめくときはコテハンにしろ。
いったいどういう立場・見識からわめいているのかさっぱりわからん。
もしオマエが821なら、頭悪そうだからもう来るな。

827 :日本@名無史さん:05/02/17 18:38:26
>>826
藻前もコテハンにしろ。
間抜けめ

828 :こてはん:05/02/17 19:06:55
>>827

オマエモナー

829 :日本@名無史さん:05/02/17 19:36:49
素人だが、邪馬台国みたいな中国に朝貢していた、しょぼい国を何で機内にしたがるのか、ようわか
らんのだが。
すくなくとも、証拠が無い以上、邪馬台国がどこにあったか、わからんというのが学問的に誠実な態
度じゃないの。
仮に機内に王権があってもそれが邪馬台国であるかはまったく証明できないんでしょ?
それなのに、なんで、学会ではそんなに邪馬台国畿内説が支配的なの?


830 :日本@名無史さん:05/02/17 20:10:56
>余剰人口を「植民」するのがそもそもの目的ではないかと。

何時代の話をしてるんだ、まったく…

まあ、弥生時代を通じて西から東への民族移動はあったとは思うけど、
漸次的なものだったと思うよ。

831 :日本@名無史さん:05/02/17 20:18:32
>巨大化させたのは畿内の在地勢力というのも間違いだ。
>侵略勢力でないと奴隷は使えないんだ。

>在地勢力は漸次大型化しか方法はない。
>古墳造営につかえる人口は急には増えないからだ。

無知を責めるのもアレだけど、
普通は、灌漑施設などの集落の農業生産に動員されていた労働力を、
権力者の墳墓築造に振り向けた、とされているけどね。
銅鐸=精霊崇拝から決別し、首長霊崇拝に転換した、と。

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 21:31:05


無知だな。

そんな灌漑施設建設と古墳造営はなんの繋がりも無いわ。
後期の平野部で周濠のある古墳ならともかく。

そもそもそんな余分な人工をどこから持ってくる?
弥生時代では食料生産で手一杯だろうが。

古墳造営の人夫の食料は誰が作る?
箸墓で2000人で造営11年分だったか?

833 :似非方丈:05/02/17 21:43:42
>>807
戦前からの東遷説と最近の諸勢力共立説をごっちゃにしてる時点でアウトだな。
しかし、仮に東遷説としても、単純に皇国史観のウヨかよ?
大六の「日本国家の起源」とか読んだことあるのか?
寺沢とか北條とかウヨか?違うと思うぞ。
大体、「主流」なのかもしれんが、自分の反対説を十把ひとからげに「ウヨ(皇国史観)」とするやり方が、全体主義的だと言ってるのだが、
それを認めた受け答えだと認識しますが。
それに、結局、具体的に反論がないじゃないの、おい。
その時点でアンタの負けよ。ダイジョウブ?

834 :日本@名無史さん:05/02/17 21:56:15
>後期の平野部で周濠のある古墳ならともかく。

この部分の意味が全く分からないのですが。

835 :日本@名無史さん:05/02/17 22:17:32
寺澤の師匠の森浩一は「記紀の神話学」なる反動的な駄文を出版した。
記紀神話=皇国史観が考古学という科学の装いをもって復活するという
恐るべき実体にアカデミズムは敏感でなければならない。

836 :日本@名無史さん:05/02/17 22:21:02
>しかしその後、鉄の考古学的発掘が多くなされ、今では小林説は考古学的には成立しない。
>しかしにもかかわらず今でも小林説の傘下で説を立てる人が多い。
>箸墓の時代でも鉄の技術は北九州が高い。(袋状にできるか、羽口など)
>当時鉄の技術では関東と畿内はほぼ同じレベルであった。

こういうのをデマというだろうな。


837 :日本@名無史さん:05/02/17 22:28:00
伊都国奴国の話ばっかだけど、吉備東遷説ってどうなのよ?
だれか教えて。



838 :日本@名無史さん:05/02/17 22:29:14
>>836
箸墓の時代というのはなんだが、弥生後期はそうだろ?
じゃあ、鍛冶技術、鉄器の質で実証的に反論して下さい。
できるかな?

>>835
また政治的プロバガンダかよ?
記紀神話を考古学的に検証して歴史性が無いか検討する、ということが全部「皇国史観」であり、だから無効というなら、
小林行雄の研究もかなりの部分が無効になると思うが、それでもいいのか?

839 :日本@名無史さん:05/02/17 22:30:14
>833
「皇国史観」の何たるかも知らなそうな奴をいちいち相手にせんでもよいかと。
多分、そいつは、いろんな古代史関係スレで最近ウロチョロしてるワンパ莫迦。

840 :日本@名無史さん:05/02/17 22:32:46
>>736
いや、伊都国はいわれてるほど庄内式は出ていないみたいですよ。
糸島での出方なら、北部九州の他と大して変わらないと思います。
福岡平野が圧倒的にあるようです。


841 :日本@名無史さん:05/02/17 22:35:59
津田左右吉と小林行雄ってセットなんだよね。
このスレッドにもあった「崇神天皇=最初の大王」説で考古学の
根拠与えたのも小林ですから。
で、今考えるとそりゃ明らかに間違いなんですが、文献の人たちは
考古学がお嫌いらしく相も変わらずですね。



842 :日本@名無史さん:05/02/17 22:43:31
「奴隷」制の当否は、まず「奴隷制」とは何か、日本にあったとすればその特徴は何か、大型古墳築造労働者は「奴隷」と言えるか、について、「奴隷」説派がちゃんと定義づけ、根拠だてて話ししてくれないと、話が平行線と思います。

843 :日本@名無史さん:05/02/17 22:44:24
>>820
朝鮮を「経営」してたとするのが間違いならどうする?
金官伽耶や百済と同盟して、対高句麗、対新羅の軍を送っていただけだろ?
直接「経営」してたとするのは日本書紀の勝手な言い方。


844 :日本@名無史さん:05/02/17 22:45:10
>>805
河上氏の土器論は、土器の出土状況、遺構の性格、堆積条件等を無視した暴論で、土器研究者は相手にしてません。
鏡についても単純な思いつきです。1960年代に森浩が言い出したのは学史的に意味がありますが、それのレベルと変わらないこと今言ってもという気がします


845 :日本@名無史さん:05/02/17 22:46:02
>>792
>>2世紀初頭から衰退が始まってますが。
これはさすがにすでに指摘(>>808,>>809)がありますが、どうじようもない間違いですね。
とりあえずこれ貼ります。
tp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050217-00000018-nnp-kyu
>>796
>>北條、村上の話ばかりせず、もう一人の話もすべきじゃないか。
誰?寺沢じゃないよな?


846 :日本@名無史さん:05/02/17 22:47:59
>>814
>>3世紀の倭国では常備軍というものが存在せず、
後世の常備軍とは異なるが、年齢階梯制的、秘密結社的な戦士層なんかはありえないだろうか?少なくとも、ヒミコの居館の周囲には常に兵はいたので、「有事に農民に武器」とは少し違うのではないだろうか?
>>倭国はまだ群雄割拠で、統一国家には程遠い状況。
と言ってる一方で
>>畿内王権が北部九州を圧していたことは分かるし。
と言うのは矛盾じゃないの?
>>畿内王権は、やはり畿内在地勢力が主体となったのだと思う。
いや、何処が主体であれ、一度成立した中央王権は、他を抑圧するのが国家=リヴァイアサンだろう。共立王権でも、そこにポジティブフィードバック(tp://www.momoso.net/trade_model.html)が集中し、強大化してしまっただけだろ。
例えば、薩摩長州主体で成立した明治新政府は、西南戦争で薩摩を抑えることになったしな。西南戦争があったから、薩摩が明治維新の主体でない、とする人はいないだろ?
>>戦争を知らない人間(考古学者=専門馬鹿)が言う戯言。
全く同じ言葉で、大六は畿内自生論者をバカにしてたことを知ってますか?
つまりこんなのはどっちにも転ばない、どうしようもない言い種にすぎない。




847 :日本@名無史さん:05/02/17 22:53:11
>844
暴論かもしらんが、思わずうなずいてしまうな。
布留0の実態なんざひどいもんだし、
地方の編年なんかもっとろくでもないじゃん。



848 :日本@名無史さん:05/02/17 22:55:18
河上といえば、大和天神山が古いって話はどうよ?

849 :日本@名無史さん:05/02/17 22:56:05
>>846のカキコでオカヤースが参戦するかもなw

850 :日本@名無史さん:05/02/17 22:57:40
>>847
まとまな編年のある地方とそうでない地方の差が大きいな。
それと平行関係が問題だな

851 :日本@名無史さん:05/02/17 23:00:42
>844
土器だけで年代を決めるのも問題であることは確かですよ。
勝山が布留0とは誰も思ってないですから。
他の要素も見ないといかんというのは正しいです。



852 :日本@名無史さん:05/02/17 23:05:38
>>848
土器(二重口縁壺)だと、特別古くはないのでは?布留1式の範疇だが。黒塚の報告書が出ないと分らないが。
>>847
布留0の何がひどいか教えて下さい。

853 :日本@名無史さん:05/02/17 23:06:15
それに10年、20年単位で(絶対)年代を正確に示すものではないです。
例えば、誰とは言いませんが、
「箸中山古墳は土器から260年頃?で卑弥呼の死から10年以上たっている」
なんて発言は、考古学者として軽率な発言だと思いますね。
リップサービスのつもりかもしれませんが。


854 :日本@名無史さん:05/02/17 23:07:12
>>851
勝山は下層のいい状況の土器は布留0より前だったと思うけど。
例の年輪年代の土器群が実は混在資料で「布留0」も含むからややこしくなってる。

855 :日本@名無史さん:05/02/17 23:08:03
>>853
誰の発言?
ヒント教えて

856 :日本@名無史さん:05/02/17 23:10:38
>>847
「暴論」なんだから、うなずくなよw

857 :日本@名無史さん:05/02/17 23:11:47
>854
周壕の土器じゃ正確には分からないよ。
石塚も壕の土器を巡って寺澤氏と石野氏が喧嘩になってた。


858 :日本@名無史さん:05/02/17 23:14:13
>>857
まあ、出土状況と祭祀土器か否かにもよるわけで、、、
単に出るだけだったら、上限か下限かさえ分らないことが多いね。
といって、墳丘表採よりは周濠の発掘調査での遺物の方がなんぼかマシということですよね。

859 :日本@名無史さん:05/02/17 23:14:27
3基目の伊都国王墓 倭人伝「世々王有り」実証へ 中国製銅鏡が出土

 福岡県前原市教委が同市井原で発掘中の弥生時代後期(一―二世紀)の遺跡
から、当時の権力者が所有したとみられる中国製銅鏡「方格規矩(きく)四神
鏡」が出土した。現場は、中国の歴史書、魏志倭人伝に登場する古代のクニ
「伊都国」の中心部。江戸時代に同種の鏡が大量出土し場所が不明になった幻
の王墓「井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡」(一世紀)の可能性が高まった。
伊都国の王墓は他に二つ特定されており、三つ目が確認されれば、魏志倭人伝の
「(伊都国には)世々王有り」という記述を実証することになる。

 発掘調査は県道拡幅工事に伴い順次行われており、現場は本年度分。水田を
幅五メートル前後で南北に約三百メートル、深さ二、三メートル掘り下げたと
ころ、多数の装飾用ガラス玉、土器などとともに中国製の銅鏡数枚が出土。う
ち一枚が「方格規矩四神鏡」。江戸時代の天明年間(一七八一―八八年)に発
見された井原鑓溝遺跡を記録する古文書「柳園古器略考」(一八二二年、青柳
種信著)にある銅鏡の拓本と同じ種類だった。

 この古文書には、農民が溝から見つけたつぼの中から、高貴な人物の墓に用
いる顔料の朱や古鏡数十枚が出てきたと記されている。発掘現場は朱が流れ出
た跡や近世の水路跡など、古文書と符合する点が多いという。ただ、当時の銅
鏡は散逸し、発見場所も明確に書かれておらず、長くなぞになっていた。

 伊都国は、女王卑弥呼がいた「邪馬台国」や金印で有名な「奴国」と並び、
魏志倭人伝に記載された弥生時代有数のクニ。この時代の王墓で確認されたのは、
伊都国の三雲南小路(紀元前一世紀、前原市)と平原(二世紀末、同)、奴国の
須玖岡本(紀元前一世紀、福岡県春日市)の三つだけ。


860 :日本@名無史さん:05/02/17 23:16:10
>>859
これ、西日本新聞だけだったみたいだけど、ヤリミゾ王墓確定なの?
他の墓の可能性はないの?

861 :日本@名無史さん:05/02/17 23:18:58
庄内のはずの石塚や勝山でやたら布留0が出るというのは、
布留期に一斉に祭祀を行ったという石野氏や橋本氏の解釈
の方が妥当なんじゃないの。


862 :日本@名無史さん:05/02/17 23:21:00
>850
何でも庄内併行ってのはどうなんだろ?
それに地方編年ってちゃんと検証作業してる人いるのかなあ。

863 :日本@名無史さん:05/02/17 23:22:19
>848
>河上といえば、大和天神山が古いって話はどうよ?
何ですかそれ?




864 :日本@名無史さん:05/02/17 23:28:21
>>863
石室構造から中山大塚→大和天神山→黒塚とする。
ただし、他の要素での検証は無く、一系的な理解のような気がする。

865 :日本@名無史さん:05/02/17 23:29:42
布留0って単に年代不明のものを寄せ集めただけじゃないの。

866 :日本@名無史さん:05/02/17 23:30:14
>>862
何でも庄内ってこともないと思うが、、、
ただ、赤塚氏のは何でも(特に東日本)を古くしすぎてる気はするな。
批判は無いのか?

867 :日本@名無史さん:05/02/17 23:31:01
>>865
それはいくら何でも無理解すぎる。
寺沢批判になってない。

868 :日本@名無史さん:05/02/17 23:31:20
伊都国王なんて報道おかしいよな。
文献上は、「倭国王」なんだからさ。

869 :日本@名無史さん:05/02/17 23:33:06
寺澤がとばされたって本当?

870 :日本@名無史さん:05/02/17 23:34:50
王というより首長とか豪族だろ。
郡ていどの支配領域しかないのに「国王」はオーバーすぎる。

871 :日本@名無史さん:05/02/17 23:35:57
赤塚はひどい。
なんでも破鏡の起源東海説をなる珍説を唱えているそうだ。
誰も相手にしてないと思う。


872 :日本@名無史さん:05/02/17 23:36:21
>>870
仮にそうだとしても後漢王朝側の認識は「王」

まあ支配領域の大小は王か否かの基準になるか疑問ではあるが。
都市国家とかあるしな。

873 :日本@名無史さん:05/02/17 23:36:48
>870
素人は別スレッドでお願いします。

874 :マキムク年代:05/02/17 23:40:30
庄内1 石塚
庄内2 勝山?↑
庄内3 矢塚
    メクリ山1号
布留0 ホケノ山?↑ 
    東田大塚
布留1 黒塚
    桜井茶臼山
布留2 メスリ山

【以上、橋本輝彦氏】
     


875 :日本@名無史さん:05/02/17 23:42:29
>>872
後漢側の認識がそうだってことは承知してるが、
実態としては国家とか王と呼ぶのはやっぱりオーバーだよ。

客観的には首長でいいんじゃない。ま、言葉遊びだけどね。

>>873
氏ね。

876 :日本@名無史さん:05/02/17 23:42:56
>872
そもそも広いじゃん。
北・中・東九州、四国の3分の2、西瀬戸が領域なんですから。



877 :日本@名無史さん:05/02/17 23:43:07
>>871
いや、案外、白石氏など大御所が鵜呑みにしてるから問題だ。
破砕鏡東海風習説はともかく、壺形埴輪東日本祭祀説はまことしやかに言われているから恐い。
それに氏の東海西部=クナ国説は通説化してしまったし。

878 :日本@名無史さん:05/02/17 23:43:56
875の素人は、九州王朝スレッドに行って下さい。

879 :日本@名無史さん:05/02/17 23:45:59
>>875
三雲遺跡が都市=邑と認識されていたとすれば(楽浪土器がたくさんあるしね)、文字通り国家でもいいと思うが?
ここで、古臭いウェーバーのヨーロッパ中心史観的都市定義は持ち出さないでね。

880 :日本@名無史さん:05/02/17 23:47:55
>877
>それに氏の東海西部=クナ国説は通説化してしまったし。

そりゃ定説じゃないでしょ。
だいたいなんで敵国の久那国から労働者がいっぱいくるのさ。
白石なんてここでボロクソにたたかれてる小林行雄、近藤義郎以上
の化石ですよ。未だに佐紀王朝なんて言ってるオッサンだぞ。

881 :日本@名無史さん:05/02/17 23:49:17
>>880
まあ、餅付けw
「定説」じゃなくて「通説」と書いたところに行間を読み取ってほしかったが

882 :日本@名無史さん:05/02/17 23:53:59
>>872
>そもそも広いじゃん。
>北・中・東九州、四国の3分の2、西瀬戸が領域なんですから。

それはデマ。そんな証拠は何もない。
後期から北部九州は分裂状態にあり、衰退が見られるのは
考古学者の間では常識です。
考古学的には伊都国の領域は糸島半島に限定されるべきです。

そんなに強大であれば畿内勢力を中心とする倭王権に打倒
されるはずがない。



883 :似非方丈:05/02/17 23:55:34
>>783,>>790
>>なぜ弥生後期に傑出しているのに伊都国や奴国が主体じゃないのでしょうか?
難しい問題ですが、特に伊都国は女王国がけん制していますから、伊都国が主体と言うのはどうでしょう?伊都国の王がそのまま倭王なら、「乱れて歴年主なし」「共立す」というのがおかしいでしょ。確かに伊都国の祭祀要素は継承してますが。
むしろ最近は奴国が東の勢力と結んだと言う説があり、面白いと思います。
tp://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=e-asia&no=4376 の投稿12
これなら奴国を媒介にして伊都国中心だった北部九州の祭儀が伝わったということも考えられますし、那珂八幡古墳や庄内式の分布も解決できます。
ただし、纒向の初期古墳には吉備や播磨、讃岐の影響の方が強いと思うので、北部九州が直接主体ではなかったと思うのですが、有力な反証があれば考え直します。
>>791
>>村上恭通の中国フロンティア移動論というのもよく分からない。
これはむしろこれから発展する可能性のある理論でしょう。
村上氏の好敵手の松木氏も実はかなり近い意見のようです。


884 :日本@名無史さん:05/02/18 00:00:32
>>846
わりとまともな反論、ありがとう。

>>倭国はまだ群雄割拠で、統一国家には程遠い状況。
>と言ってる一方で
>>畿内王権が北部九州を圧していたことは分かるし。
>と言うのは矛盾じゃないの?

大規模な戦争はなく、諸国の離合集散、政争、主導権争いがあった訳。
北部九州を威圧するという共通の目的があったからこそ、
卑弥呼の共立→倭国連合の意味があった。

885 :似非方丈:05/02/18 00:00:56
>>882
>>後期から北部九州は分裂状態にあり、衰退が見られるのは
>>考古学者の間では常識です。
それは非常識ですね。それこそデマ。
具体的証拠がこのスレッドでも何人もの方が指摘してますよ?

>>そんなに強大であれば、畿内勢力を中心とする倭王権に打倒されるは>>>ずはない

それもおかしいですね。栄枯盛衰ですしね。しかも、共立で畿内に倭王権が誕生したなら、いやいやでも、それまでの倭王の国として、一応「共立」に参加したのでは?
それがそのうち、思った以上に強大化して押さえられたとしてもいいでしょ?>>846の意見に禿同ですね。

886 :日本@名無史さん:05/02/18 00:05:36
>>852
>>863
『黒塚古墳調査概報』 あとがき

天神山古墳の時期には、まだ三角縁神獣鏡がなかった時期かもしれない。
ちなみに、使用石材、石室構造、床構造、副葬品等総合的判断からみた調査古墳の相対編年は、
中山大塚古墳(天神山古墳を含む)→黒塚古墳→下池山古墳となると私は考えている。


もっとちゃんとしたのが、中山大塚の調査報告書にあるらしいけど、見てない。
この評価ってどうなの?

887 :日本@名無史さん:05/02/18 00:06:10
>>北部九州を威圧するという共通の目的があったからこそ、
>>卑弥呼の共立→倭国連合の意味があった。
この部分は結局、想像ですね。
共立範囲は?しかしそれで九州を威圧、打倒できたかも疑問ですが。
吉備にしても、出雲も、丹後も、結局は鉄その他について九州に負っていたと思うので。
畿内と九州に別々の王権が並立したというのなら分りますが、そうではないんでしょ?(こちらは九州王朝説じゃないですので、念のため)
それに、なぜに九州の祭儀も取り込む必要があったのでしょうか。

888 :似非方丈:05/02/18 00:09:07
>>804
>>畿内が鉄でも有力になるのは前期古墳の後半である。
似非方丈の私が言うのは意外かも知れませんが、古墳出土の鉄製品をみる限りは布留1式(前期前葉)には畿内に(九州以外での)中心が遷っているでしょう。
鍛冶関係資料も、博多の資料の方が充実しているし、技術も微妙に高いと言う話もありますが、纒向周辺ではそれに準じて出ていますね。
その後は畿内が九州を凌駕していくのでしょうね(甲冑の生産など)


889 :日本@名無史さん:05/02/18 00:09:32
>例えば、薩摩長州主体で成立した明治新政府は、西南戦争で薩摩を
>抑えることになったしな。西南戦争があったから、薩摩が明治維新の
>主体でない、とする人はいないだろ?

あなたの主張が分かる、いい喩えだと思いました。
ただ、明治新政府は中央集権国家であったことが前提であり、
群雄割拠の3C倭国の政治状況と比べるのは無理があるか、と。

倭王権が中央集権を志向するのは、半島で高句麗と消耗戦を遂行した
4世紀末以降のことだと思います。

890 :日本@名無史さん:05/02/18 00:12:41
>>>888
布留1式というと、年代的に3C初頭だから
十分畿内王権の証明になるね。


891 :日本@名無史さん:05/02/18 00:13:26
>>890
100年違う。

892 :日本@名無史さん:05/02/18 00:14:31
>883
>と言うのはどうでしょう?伊都国の王がそのまま倭王なら、
>「乱れて歴年主なし」「共立す」というのがおかしいでしょ。
>確かに伊都国の祭祀要素は継承してますが。

明らかに倭国王であった伊都国王が107年に献使してから
庄内期までの間の北部九州で「乱れて歴年主なし」などとい
う状況が皆無であることは、このスレッドでみなさまが何度
もご指摘されているとおりです。ますますさかんになる鉄器
流通などを挙げるまでもなく平原の存在一つで否定されるべ
きではないでしょうか?

文献の方が言われるならともなく寺澤氏などの考古学者が正確
さ疑われるが倭人伝の文言を根拠にそのようなことを言われる
のには疑問を感じざるえません。


893 :日本@名無史さん:05/02/18 00:16:10
>>891
え?
どういうこと?

894 :日本@名無史さん:05/02/18 00:19:13
>>889
はぁ?
だから、群雄割拠だったら、畿内が九州を圧したのとかおかしいんじゃないの、って言っているのと思うけど?
あなたの考えだと、4世紀末にそれを推定するならいいですが、矛盾しまくりですよ。
あと、明治新政府も、中央集権をいきなり最初からした訳では無く、それを少しづつして行く過程で西南戦争があったのだと認識してますが。
1868年にいきなり中央集権ではないですよね?その時は、雄藩が幕府を打倒したように、その時点では、結局「藩」が力を持ってたのですが。
それが一度政権を奪取すると、「リヴァイアサン」化して、政府有力者出身「藩」の利害より「政府」を優先したということですが。
一応、言いますが、私も倭王権が「中央集権」とは思っていませんので。しかし、政治権力の性格とはどんなものかという喩えをしたまでですよ。

895 :日本@名無史さん:05/02/18 00:22:10
>>893
4世紀初頭ならともかく、布留1が3C初頭のはずないでしょ。

896 :日本@名無史さん:05/02/18 00:24:36
>>893
布留1式には239年以降の△鏡のかなりの型式がある。
△以外の確実な魏晋鏡もある。
3世紀末なのか4世紀前半なのかは論者により違うが、3世紀初頭はありえないだろ。

>>892
文献では、ヒミコ共立前の後漢末期のある一時期(何十年か数年かも分らない)だけ王が不在だったと言ってるだけ。
その批判は空回りしてるよ。>>883は伊都国の王墓のこと分ってるからちゃんと「倭王」だったとも書いてると思うが。

897 :日本@名無史さん:05/02/18 00:24:47
>>895

それは、安本とかが言ってることでしょ?

898 :日本@名無史さん:05/02/18 00:27:09
>>895
安本はもっと下げてるんじゃw
布留1式が3世紀後半とする説はあるが(箸墓=布留0=3世紀中頃として)、3世紀初頭と言うのはさすがにいないだろw

899 :日本@名無史さん:05/02/18 00:28:00
>この部分は結局、想像ですね。
>共立範囲は?しかしそれで九州を威圧、打倒できたかも疑問ですが。

共立の範囲としては、吉備・越・東海・丹波でいいと思います。
いずれも大王家の血縁とされる四道将軍が派遣された場所ですし、
古くから畿内と関わりの深い土地です。
これらの国々はマキムクの搬入土器とも符合します。
考えれば、古くは各地の王たちは私兵を率いてマキムクへ行き、
女王に直接仕えたのだろうと思います。搬入土器は、それらの人々が
持参・製作したもので。
桜井市にある出雲や吉備の地名は、その時の記憶の残滓でしょう。

900 :日本@名無史さん:05/02/18 00:28:58
畿内、吉備らは交易を通じて婚姻政策などで血縁関係を深め、
崇神の時に倭国連合が結成、共通の始祖王伝承を共有した。
その後、倭国大乱を引き起こした出雲を征伐。
景行の時に北部九州が倭国連合に参加表明した、と。
参加表明が遅かったことで、北部九州は政権内での発言力を徐々に失って
いったのだと思います。

901 :日本@名無史さん:05/02/18 00:33:33
>>899
おいおい「四道将軍」かよw
畿内自生説だからって記紀神話そのままのこともやっぱあるんだな。
一応マジレスしますが、
東海は四道将軍の通り道であっても、派遣先でしたっけ?
それに、北陸系と丹波系土器って、それほど纒向では出てましたっけ?
まだ山陰系の方が多いですけど。
単純に記紀の伝承と搬入土器の故地が結び付けられるほど甘くないですよ。

902 :日本@名無史さん:05/02/18 00:35:00
>だから、群雄割拠だったら、畿内が九州を圧したのとかおかしいんじゃない
>の、って言っているのと思うけど?
>あなたの考えだと、4世紀末にそれを推定するならいいですが、矛盾
>しまくりですよ。

まあまあ、そう感情的にならずにw
群雄割拠だけれども、連合することで政権奪取することは有り得ると
思いますよ。
承久の乱の鎌倉武士団とかが良い例だと思いますが。

903 :日本@名無史さん:05/02/18 00:36:45
>>900
思うのは自由だが、考古学的根拠を述べてからにしてくれ。
東遷説が皇国史観だと言ったヤシがいたが、これはどうするよ。

それにそんな田舎の王権には北部九州は参加しないだろ、そりゃ。

一応聞くけど、景行の時って、いつだよ?

904 :日本@名無史さん:05/02/18 00:41:04
>むしろ最近は奴国が東の勢力と結んだと言う説があり、面白いと思います。
>tp://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=e-asia&no=4376 の投稿12

考古学的な裏付けがある説とは思えません。海外との交易という点では
三雲遺跡から引き続き大量の韓式土器が出土しているという点からも全
く成り立たないでしょう。

>これなら奴国を媒介にして伊都国中心だった北部九州の祭儀が伝わったということも考えられますし、那珂八幡古墳や庄内式の分布も解決できます。
>ただし、纒向の初期古墳には吉備や播磨、讃岐の影響の方が強いと思うので、北部九州が直接主体ではなかったと思うのですが、有力な反証があれば考え直します。

那珂八幡古墳の存在などから奴国地域に注目される方も多いのですが、
実際は、伊都国地域だけで早期・前期前方後円墳が25程度存在するとい
う驚くべき集中を見せています。当然奴国地域を上回り、オオヤマト地域
に匹敵しています。
よく近藤義郎が「吉備はナンバー2です」といっていますが、これはウソです。
早期前期については、間違いなく伊都国地域がナンバー2となります。
ついでに言うと、このスレッドで出た塗金□鏡もこの地域出土のもの
(一貴山銚子古墳)。

奴国が優遇され、伊都国が没落したというようなお話は、考古学的にいかに
おかしいな話かが分かると思います。

905 :日本@名無史さん:05/02/18 00:42:36
庄内1 石塚
庄内2 勝山?↑
庄内3 矢塚
    メクリ山1号
布留0 ホケノ山?↑ 
    東田大塚
布留1 黒塚
    桜井茶臼山
布留2 メスリ山

【以上、橋本輝彦氏】
     




906 :日本@名無史さん:05/02/18 00:43:02
>思うのは自由だが、考古学的根拠を述べてからにしてくれ。
マキムクに九州の搬入土器が少ないこと。

>それにそんな田舎の王権には北部九州は参加しないだろ、そりゃ。
倭人伝を読む限り、北部九州は邪馬台国に仕えてますが。
九州説か九州王朝説の方ですか?

>一応聞くけど、景行の時って、いつだよ?
3世紀初頭でいいと思います。

907 :日本@名無史さん:05/02/18 00:46:20
>892
>景行の時に北部九州が倭国連合に参加表明した、と。
>参加表明が遅かったことで、北部九州は政権内での発言力を徐々に失って
>いったのだと思います。

石塚と併行する庄内の古いのが九州に入っているのでそれはありえません。



908 :日本@名無史さん:05/02/18 00:48:33
>>904
いや、古墳前期の三雲遺跡ほか糸島の遺跡の韓式系土器の出方は、西新町に完全に負けてるよ。
そもそも、古墳前期では、それほど「大量に」出てたっけ?
他の地方よりは、そりゃ、勝ってるけど。
その奴国重視の論者も、伊都国が没落した、とは言ってないと思うけど。交易の主要ルートが変わった、と言ってるだけ。
>>905
単純に前期前方後円墳が多いのなら、播磨あたりも凄く多い。
しかし糸島もそうだが、規模が小さいもの系列がやたらある。
むしろ、糸島内での階層的統制がなされていないのでは?
それに、糸島の前期前方後円墳で、初頭の時期って意外と少ない。
多数あるのは、前期中頃以降ががほとんど。
古いと思われていた井原1号墳なんかも時期が下ったみたいだし。

909 :日本@名無史さん:05/02/18 00:49:30
>畿内自生説だからって記紀神話そのままのこともやっぱあるんだな。

まあ、畿内自生説にも色々ありますからw
私は欠史八代を無視する態度はどうかと思いますし、
葛城地方にプレ畿内王権のようなものが存在していたと思ってます。
おそらく銅鐸を祀る祭祀王を中心とした王権だったのでしょう。

910 :日本@名無史さん:05/02/18 00:49:31
>903
素人は、スルーしろや。
そんなの相手にしてもしょうがねえよ。


911 :日本@名無史さん:05/02/18 00:51:44
>>904
庄内式も、福岡平野が圧倒的。
三雲の報告書を見ても、僅かにあるけど、在地系がかなり後(布留式古相平行ぐらい)まで残ってるよ。畿内との交易仲間としてはおかしくないか?

912 :日本@名無史さん:05/02/18 00:52:07
>>910
専門馬鹿が議論を硬直化させていることに気付いた方がいいですよ。

913 :日本@名無史さん:05/02/18 00:52:54
荒れそうなので、今夜はそろそろ寝ましょうか。

914 :日本@名無史さん:05/02/18 00:55:13
というか、モノ凄い勢いで1000に達しそうなので、そろそろ次ぎスレッドを用意した方がいいかもね。

915 :日本@名無史さん:05/02/18 00:58:04
>>911
>>904は、その原論文を読んでないみたいなので、ムキにならんでもいいと思いますよ。

916 :日本@名無史さん:05/02/18 00:58:56
>石塚と併行する庄内の古いのが九州に入っているので
>それはありえません。

いやだから、「交易があった」ことと「畿内王権に参画した」こととは、
全く別物ですから。
畿内王権に参加せず、交易だけ行っていたことは十分有り得ると
思いますが。

917 :日本@名無史さん:05/02/18 01:04:50
>908
>それに、糸島の前期前方後円墳で、初頭の時期って意外と少ない。
>多数あるのは、前期中頃以降ががほとんど。
>古いと思われていた井原1号墳なんかも時期が下ったみたいだし。

なことはないだろ。
柳田康男が三世紀内と言っているものだけでも稲葉一号、権現、御道具山
端山、鼻一号とあるわな。
文献にすら証拠がない伊都国奴国分裂なんてのはヨタ話だわな。


918 :日本@名無史さん:05/02/18 01:06:49
>916
過去スレ読め。
庄内式土器がどんな性格を持っていて、どんなとこから出てるのか
書いてあるだろが。素人論議したけりゃ、別スレッド行けよ。

919 :日本@名無史さん:05/02/18 01:08:59
これ以降、九州王朝説などを唱える方々は、以下で議論願います。
また、皆様方におかれましては、前レス971やプラム氏には、反論せず
完全スルーでお願い致します。

○九州王朝説を唱える方はこちらでお願いします。
※九州王朝はなかったのか?※ 9
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257/l50

○単なる邪馬台国の場所問題や倭人伝の解釈についてはこちらでどうぞ
【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105193264/l50

○初心者または両説の論争、雑談等はこちらでどうぞ
「邪馬台国論争に終止符をうつスレ 」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/l50

○主に邪馬台国九州説を唱える方はこちらへどうぞ
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/l50


920 :日本@名無史さん:05/02/18 01:15:02
>912
素人=詐欺師古田

921 :日本@名無史さん:05/02/18 01:17:42
>916
なこと言ってたら考古学はなりたたんわ。
前方後円墳の分布は交易の拡大ですとも言えるわな。

922 :日本@名無史さん:05/02/18 01:17:56
>>918
もう少し分かり易く反論してくれないと…
ヒスを起こしているようにしか思えません。

923 :日本@名無史さん:05/02/18 01:19:02
畿内自生説の精緻な理論に対して、東遷説のずさんな議論は目を覆う
ばかりだ。勝負あったな。

924 :日本@名無史さん:05/02/18 01:20:06
素人はスルーでお願いします。

925 :日本@名無史さん:05/02/18 01:20:45
結局、畿内自生説が主流な訳ね…
悲しいことだが。

926 :日本@名無史さん:05/02/18 01:26:00
>908
>いや、古墳前期の三雲遺跡ほか糸島の遺跡の韓式系土器の出方は、西新町に完全に負けてるよ。
>そもそも、古墳前期では、それほど「大量に」出てたっけ?
>他の地方よりは、そりゃ、勝ってるけど。
>その奴国重視の論者も、伊都国が没落した、とは言ってないと思うけど。交易の主要ルートが変わった、と言ってるだけ。

そんだけの話で、奴国だけが畿内と結んだなんて到底言えないのでは
ないの。奴国地域が凄いってのは弥生時代でも同じじゃん。
統一されていたか疑問なのは畿内の方だってのはこのスレッドで
さんざん言われてるよね。



927 :日本@名無史さん:05/02/18 01:26:20
>>917
柳田氏は、相対編年上も古くし過ぎている古墳がいくつかある。
>>883で紹介されている久住氏は、柳田氏の編年より細かく、無茶に古くしたりしていない。
稲葉1号、権現は土器が無く、本当にそんなに古いか不明。
御道具山は未報告だが、最近は柳田氏も無茶苦茶古いとは言わない。
(昔は庄内式と言ってたが。)
端山は三雲の報告書にあるように、桜井茶臼山に類似墳形で、それと同時期か、それ以後。
鼻1号??(山の鼻1号?は鼓形器台からそんな古くない)
以上、不明の2古墳を除き、布留1式前後とされている。

伊都国奴国分裂というか、もともと、違う国(連合していただろうが)で、それぞれ都の遺跡があるのでは?
少なくとも、土器の様相は古墳初頭でかなり違いますよ。
ネタ本が柳田氏だけではどうですか?他の方も読んでみて下さい。
柳田氏は確かに凄いと思うけど。

928 :日本@名無史さん:05/02/18 01:27:19
>>前方後円墳の分布は交易の拡大ですとも言えるわな。

はあ。その主張の、何処に問題があるか分からないのですが。

3世紀の畿内王権は、半島や西日本の交易が円滑に行われるための、
調停者、宗教的権威として重要視されたのだと思うし。
前方後円墳を造ったというのは、取りも直さず、畿内王権に参画した
ことを表明する意味があったのだろう。

大王家の権威が飛躍的に増すのは、4世紀末からですよ。

929 :日本@名無史さん:05/02/18 01:27:26
皇国史観の擬装形態でしかない東遷説が主流になることは決してないね。
自生説は主流の座を確保しているし、これからも同じ。


930 :日本@名無史さん:05/02/18 01:27:59
>>923
また意味のない煽りかよ。
自生説も東遷説も共立説も、それぞれに精緻なのと杜撰なのがいると思うが?

931 :930:05/02/18 01:29:30
>>929
次スレッドでは、政治的プロバガンダは禁止にしましょう。
生産的な議論を阻害しますので。

932 :日本@名無史さん:05/02/18 01:31:15
>>926
その論旨をよく読んでから言った方がいいと思いますが。



933 :日本@名無史さん:05/02/18 01:33:28
>927
それ言ったら、確実に庄内の前方後円墳かもしれないと言えるのは
北九州で那珂八幡だけでしょ。疑問もあるけどさ。
畿内でも石塚、勝山くらいでホケノ山は怪しいってとこですよ。
全国的に見れば初期古墳が多いのは間違いないでしょうが。



934 :日本@名無史さん:05/02/18 01:39:14
九州の庄内式土器=交易だけという珍説が飛び出すと鼻

935 :日本@名無史さん:05/02/18 01:39:50
結局、畿内自生説が主流な訳ね…
悲しいことだが。



936 :日本@名無史さん:05/02/18 01:41:57

>伊都国奴国分裂というか、もともと、違う国(連合していただろうが)で、
>それぞれ都の遺跡があるのでは?

弥生時代にほぼセットで動いていたことをしらんのか?
こいつは。


937 :日本@名無史さん:05/02/18 01:42:21
>>935
同じようなこと何度も書くなよ?それともそこまで落ちぶれたのか自生説は?

938 :日本@名無史さん:05/02/18 01:43:58
>>936
セットですよ。確かに。
ただ、土器の地域色とか弥生からありますよね。
そして、古墳初頭には一時かなり違ってしまった実態がありますが、知ってますか?

939 :日本@名無史さん:05/02/18 01:45:08
>>933
「初期」古墳でなく、ふつうに「前期」古墳なら、異論ありません。


940 :日本@名無史さん:05/02/18 01:45:55
>>935
王統の話は別だけどね。

941 :日本@名無史さん:05/02/18 01:54:43
伊都国派の方に聞きますが、糸島で庄内甕はどこからどれくらい出てますか?
石野先生の本(『邪馬台国の考古学』)では、奴国の比恵遺跡や博多遺跡周辺だけで100個体近くは出ているとされていますが、こんなに出てますか?


942 :日本@名無史さん:05/02/18 05:43:52
もっと出てると思う。


943 :日本@名無史さん:05/02/18 13:40:51
このスレはだめだな。しょせん考古学専門、古代史素人の集まりにしか見えない。
失笑を買っているぞ。

944 :日本@名無史さん:05/02/18 14:05:14
>>943
だな。ただ考古学の成果を発表するだけにしてほしい。
ここの連中の文献解釈はイタすぎる。


945 :日本@名無史さん:05/02/18 14:05:16
↑九州説の断末魔

946 :日本@名無史さん:05/02/18 15:43:11
日本史板で考古学議論するから荒れるのだ

947 :日本@名無史さん:05/02/18 15:45:23
そうだ次スレは考古学板へドゾー

948 :日本@名無史さん:05/02/18 15:51:13
魏志を普通に読めば、畿内自生説はなりたたない
考古学の成果を普通に読み取れば、魏志倭人伝が書かれたころ畿内に大国があった



949 :日本@名無史さん:05/02/18 16:46:26
>>948
いや、普通に成り立つよ。

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 20:50:36
いや畿内説は成り立たない。
肝心の古墳が何世紀かすら調査してないのだから。

成り立つも何も話にならない。

951 :日本@名無史さん:05/02/18 21:06:16
いつも畿内説側から九州説を野次る荒らしが出るな。
いいかげん比定地論争はやめてほしいね。

952 :日本@名無史さん:05/02/18 21:58:49
九州説=古田電波

953 :日本@名無史さん:05/02/18 22:00:03
安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
日本において大和朝廷の誕生に権力移動を持ち出す必要は
全くない。

鉄器の普及、農業生産力の向上による階層分化こそが
大和朝廷という「国家」を誕生せしめた。これが妥当な
解釈でしょう。
大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。



954 :日本@名無史さん:05/02/18 22:01:49
なぜ魏志と発掘成果の齟齬を考察する香具師がいないのだ。
そこから目を背けるのなら、マジで次スレは考古学板に立てるべきだ罠。

955 :日本@名無史さん:05/02/18 22:07:59
>>954
はぁ?「魏志と発掘結果の齟齬」?なにを逝ってるんだ?

956 :日本@名無史さん:05/02/18 22:08:10
魏志には畿内が記載されていないだけですが何か?

957 :日本@名無史さん:05/02/18 22:08:25
>難しい問題ですが、特に伊都国は女王国がけん制していますから、
>伊都国が主体と言うのはどうでしょう?伊都国の王がそのまま倭王なら、
>「乱れて歴年主なし」「共立す」というのがおかしいでしょ。
>確かに伊都国の祭祀要素は継承してますが。
>むしろ最近は奴国が東の勢力と結んだと言う説があり、面白いと思います。

そのとおり。北九州は、先進性ゆえの分裂や仲間割れにさらされていた。
アプリオリに先進性を持つ地域が後進的な地域を征服すると仮定を置くのは
あまりに安易ではないか。
たとえばスパルタ址は考古学的にはアテネはおろかギリシャの中でも非常
に貧弱な状況にある。しかし文献資料は、スパルタがギリシャ随一の大国で
あり、豊かなアテネを倒したことを記しているし、それを疑う者はいない。
たとえば中国史など公平に見れば辺境部の勢力が先進的な中心部を倒す事例
が多い。これは人的資源、精神的規律、戦術面で辺境部の方が優れているこ
とが多いことによると思われる。このモデルを日本に応用するならまさに
物質的に劣位であるがスパルタと同じく富の集中を規制する強い共同体規律
を持ち、同一の文化圏であり後背地域である東海地域の膨大な人的資源を活
用しえた辺境部である畿内勢力が先進地域であるが故の腐敗や精神的弛緩な
どがあった思われる九州を打倒したと見ることができるのではないか。




958 :日本@名無史さん:05/02/18 22:10:07
>>953
>島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
ソースをお願いします。現在でも関東と関西は文化的な違いが残ります。

>安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
記紀の伝承は史実の反映がないとお考えか。ならば、その根拠は?

>大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
同意

>であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。
ソースは?記紀及び倭人伝を無視する訳は?


959 :日本@名無史さん:05/02/18 22:12:40
>ただ、土器の地域色とか弥生からありますよね。
>そして、古墳初頭には一時かなり違ってしまった実態がありますが、知ってますか?

倭王権が成立してからの話したって意味ないでしょ。
弥生後期の畿内勢力による北九州分裂とやらの考古学的証拠が必要なん
じゃないの。そんなのないと思うけどさ。




960 :日本@名無史さん:05/02/18 22:15:49
>>957
非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
その時期をいつとみますか
また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
お考えをお聞かせください

961 :日本@名無史さん:05/02/18 22:19:05
>>956
それは大いにありえる。てかそれが一番自然と思う。

962 :日本@名無史さん:05/02/18 22:23:25
958
>島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
>ソースをお願いします。現在でも関東と関西は文化的な違いが残ります。

生産力の要である鉄器については、弥生後期に関東以西では斉一的に普及し
たことは一部の跳ね返りを除く多くの考古学者が認めるところです。

>安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
>記紀の伝承は史実の反映がないとお考えか。ならば、その根拠は?
全くないです。九州南部のような全く考古学遺跡がない地域が倭王権を
形成できると見るのは単なる電波でしょう。南を北としても平原などは
墳丘規模橿考研の河上前副所長の言うように単なる単なる富裕層の墓に
すぎず、先進性故に堕落と分裂にさらされた北九州も候補足り得ない。

>>大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
>同意
当然の帰結を述べたまでです。

>>であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。
>ソースは?記紀及び倭人伝を無視する訳は?
記紀は7,8世紀に権力の側で都合良く捏造されたものにすぎず、
古墳時代の実相は何も含まれていないと考えるべきです。



963 :日本@名無史さん:05/02/18 22:30:56
>963
>非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
>その時期をいつとみますか
>また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
>お考えをお聞かせください

ありがとうございます。
最初の前方後円墳=箸中山古墳の築造前後が倭王権成立の時期で
しょう。まともな大学の研究者の間では、3世紀後半とみるのが
普通です。これを普通でないと宣う田舎の埋文の連中もいますが、
完全に無視してもかまいません。

記紀については津田左右吉など多くの文献学者の研究により特に
応神天皇以前の記述についてはほとんどが後世に捏造されている
ことが判明しています。捏造なのですから、逆である意味を詮索
するまでもありません。

964 :日本@名無史さん:05/02/18 22:31:24
>>962
>生産力の要である鉄器については、弥生後期に関東以西では斉一的に普及し
たことは一部の跳ね返りを除く多くの考古学者が認めるところです。

経済圏と文化圏はしばしば異なります。この質問は民俗学的な意味でなされたのだと思いますよ。
確かにこれじゃ、失笑を買いますね

>古学遺跡がない地域が倭王権を
形成できると見るのは単なる電波でしょう。

記紀を読んだことはありますか

965 :日本@名無史さん:05/02/18 22:35:33
>959
そもそもイト倭国って後期には帝国化してるぞ。
柳田さんの伊勢湾までってのは行き過ぎにしてもさ。
北九州内の分裂ってぶっ飛びすぎた解釈だよ。
限りなく終末に近い平原っていったいどう考えるんだろ。

966 :ゴジンム:05/02/18 22:43:06
>>963 捏造の論の理由は?

967 :日本@名無史さん:05/02/18 22:46:09
皇国史観主義者が一匹いるな。


968 :960:05/02/18 22:47:08
>>964
応神以前に捏造が多く含まれるのは、その通りです
どうせ捏造するなら、権力者に都合の良いようにするものです
ここは伝統ある九州の出身を詐称して権威づけをしたと見るべきでしょうか
しかし、神社伝承などとの整合性も押さえる必要がありそうです
改めて、なかなか貴説はおもしろいですね

969 :日本@名無史さん:05/02/18 22:47:54
>966
単に自らの権力の正当化でしょう。


970 :日本@名無史さん:05/02/18 22:51:41
やっと日本史板らしくなってきたな。考古からの出張組も>>953>>957みたいな感じで頼むわ。

971 :日本@名無史さん:05/02/18 22:53:36
>968
面白くもなんともないですよ。考古学及び文献では
普通の定説ですから。諸先輩が地道な検討を重ねて
作り上げたものです。
このスレッドの素人が崇拝している北條や寺澤は傍流
ゆえの安易な思いこみや乱暴な短絡さがあり、それゆ
え素人に人気があるんでしょう。
たとえて言うなら学界版安本美典ですね。

972 :司会2:05/02/18 22:55:52
そろそろ次スレッド立てます。

973 :日本@名無史さん:05/02/18 22:56:59
騎馬民族説がなぜ出ない。

974 :ゴジンム:05/02/18 22:57:25
>>968
記紀の記述のことか?そうならば、應神以前のどこの記述がどういうわけで捏造なのか?

975 :日本@名無史さん:05/02/18 23:00:34
>>968
畿内王権が欲しかったのは名門落ちぶれ九州の血統だけだったのだろうな。
政略的入り婿をさせた後征服したとなると、考古学による「東遷の証拠なし」と記紀が矛盾しない。
九州王朝は電波だが、九州の残党を中国、台湾の関係における台湾と仮定するとよいかも知れない。
後の磐井だ。


976 :日本@名無史さん:05/02/18 23:01:56
イト倭国は、所詮虚妄だろ。
影も形もない。

977 :日本@名無史さん:05/02/18 23:06:28
>974
一部の跳ね返りや田舎の自称考古学者(実はしがない地方公務員や
高校教師)以外のほとんどのまともな考古学者が神武東征などとい
う後世の捏造を否定し、倭王権が畿内の地から発生しているという
考古学的な事実を冷静に受け止めているということだけで十分でしょう。


978 :968:05/02/18 23:06:30
>>974
例えば
景行 本来は九州統一王



979 :日本@名無史さん:05/02/18 23:10:01
>>977
倭王権=大和朝廷≠邪馬台国
とするなら九州説の諸兄にも異論はないでしょう

980 :ゴジンム:05/02/18 23:11:17
淤斯呂別尊の九州行幸の件はわかった。
それが何故、捏造なんだ?

981 :日本@名無史さん:05/02/18 23:13:20
大和朝廷の王とされているから

982 :日本@名無史さん:05/02/18 23:13:46
誰か新スレッドたてろや。

983 :ゴジンム:05/02/18 23:14:48
具体的捏造の理屈が出て来てない。

984 :日本@名無史さん:05/02/18 23:15:25
最後は畿内自生説の完全勝利で終わったな。
北條信者は完膚なきまで論破され、消え去った。

985 ::05/02/18 23:18:17
誤解だな

986 :日本@名無史さん:05/02/18 23:19:58
>>984
確信犯的アラシでないのなら、そういうレスは不要。
このスレの結論は例えば975が成り立つだけで、敢えて言うなら「九州王朝すら否定できていない」


987 :日本@名無史さん:05/02/18 23:21:29
>>984
だから王統と構成民の系統は区別したほうがいい

988 :日本@名無史さん:05/02/18 23:21:39
次スレッドこれでいいか??
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】

弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみ
 改めること。

989 :日本@名無史さん:05/02/18 23:22:12
どうも他説への否定に粘着する変なのが一人いるな。司会のコテハンは辞めたのか。

990 :日本@名無史さん:05/02/18 23:24:17
畿内自生説の完全勝利万歳。

991 :日本@名無史さん:05/02/18 23:25:39
988で次スレッドたてていいか?

992 :日本@名無史さん:05/02/18 23:26:43
誰か早く立て炉や。

993 :日本@名無史さん:05/02/18 23:27:05
排他的粘着は退場されたし

994 :日本@名無史さん:05/02/18 23:27:15
もうすぐおわるそ

995 :日本@名無史さん:05/02/18 23:27:53
>>988
独善すぎる

996 :日本@名無史さん:05/02/18 23:28:25
>>988
マジメにやれ(笑)

【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】

畿内勢力が先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)考古学板ではありません。記紀や倭人伝への考察を忘れずに。
6)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう

997 :日本@名無史さん:05/02/18 23:28:32
ちおp

998 :日本@名無史さん:05/02/18 23:29:33
>>996
賛成。スレ立てヨロ!

999 :日本@名無史さん:05/02/18 23:29:57
次スレッドこれでいいか??
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】

弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。

*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べる
 こと。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思
 いこみ改めること。




1000 :日本@名無史さん:05/02/18 23:30:26
だめ

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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