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信玄だったら信長を倒せた?

1 :日本@名無史さん:05/02/13 11:48:51
信玄がもうちょっと長生きしてたら信長と戦っても勝てたかな?
それともやっぱり信長のほうが強い?
それとも戦わなかったのかな

家康を破ってその後、すぐに死んじゃったから凄く気になる

2 :日本@名無史さん:05/02/13 11:56:32
2!

3 :日本@名無史さん:05/02/13 13:35:28
勝頼では負けたけど信玄だったらどうなんだろ


4 :日本@名無史さん:05/02/13 13:42:52
信長は信長包囲網で家康の援軍にいけなかったぐらいだし戦力的に余裕では。


5 :日本@名無史さん:05/02/13 18:17:48
上杉の出方しだいだろう。信長が頼る反武田勢力は上杉のみ。
上杉が武田がたにつく、もしくは中立を守るならば
武田の勝率はぐんと高くなるとおもう。
しかし、かなり下手に出ても将軍家の敵である信長に
謙信が容易に助け舟を出すとは思えんが。



6 :日本@名無史さん:05/02/13 22:57:50
信玄VS信長
謙信VS信長

を見たかったな

7 :日本@名無史さん:05/02/13 23:02:50
あ、謙信は信長と1度だけ戦ったんだっけ?


8 :日本@名無史さん:05/02/14 01:00:11
>>1 無理だと思う・・・時代感覚が違いすぎる。


9 :日本@名無史さん:05/02/14 01:05:39
 戦国時代・武将をネタとして楽しむ→戦国英雄・三国志・戦国時代

板違い、とっとと巣に帰れ

10 :日本@名無史さん:05/02/14 02:33:27
謙信は手取川の戦いでは信長に圧勝した


11 :日本@名無史さん:05/02/14 02:43:42
信玄は一向宗とも通じている。  上杉にも一向宗を差し向ける。
信長は三河経由で侵攻の武田軍、長島の一向宗の挟み撃ちにあい
岐阜で篭城後死亡のシナリオしかない。

12 :日本@名無史さん:05/02/14 02:51:49
学研歴史群像シリーヅ武田震源によると、家康が震源に降伏し、武田の先鋒として織田に攻めかかる、とある。

13 :日本@名無史さん:05/02/14 03:10:33
>>12
俺もその本持ってる
確かに書いてありますし、そうなったら面白いですね

14 :日本@名無史さん:05/02/14 05:21:39
信玄が勝つ可能性が高い

15 :日本@名無史さん:05/02/14 16:25:09
手取川の戦いは柴田勝家が指揮しており実際は謙信対信長の直接対決は無いよ

16 :日本@名無史さん:05/02/14 21:43:02
とび加藤に信長を殺ってもらう。

17 :日本@名無史さん:05/02/14 21:46:56
信玄の軍って農作業に戻るから長期には行動できないんじゃ

18 :日本@名無史さん:05/02/14 21:58:07
>>15
謙信上洛時におしのびで京に出ていた信長とタイマンしている。
信長のヤリで股間を貫かれた謙信は以後生涯不犯をつらぬく。

19 :日本@名無史さん:05/02/15 00:39:23
何気に上杉軍の兵の数って多いんですね。

20 :日本@名無史さん:05/02/15 01:55:37
てか、戦国時代の越後の人口は全国トップ5入りする程の大国だから。

21 :日本@名無史さん:05/02/15 03:27:41
もし謙謙信が本気出したら超強そう
小田原城攻めた時に上杉軍に集まった兵力は7万とも10万とも言われてるんでしょ?

22 :日本@名無史さん:05/02/15 08:02:16
で、本気出しても勝てずに撤退したわけだが。

23 :日本@名無史さん:05/02/15 08:42:55
勝ってるジャン

24 :日本@名無史さん:05/02/15 09:08:57
信長は信玄に勝てません。

25 :日本@名無史さん:05/02/15 09:17:09
>>21
その全部が上杉の越後兵じゃない。
関東の諸豪族合わせての連合軍。いつも上杉に付くわけじゃないし・・

26 :日本@名無史さん:05/02/15 09:20:48
どうして謙信は関東管領だっけ? それに拘ったの?

27 :日本@名無史さん:05/02/15 09:27:30
歴史群像シリーズによると
信長は信玄と謙信には相当気を使った内容の手紙の書き方だったが、家臣の前では謙信のアホとか言ってた
信玄は謙信の事を戦は上手だが短気だとか結構、酷評してた
謙信が二人をどう見てたのかは知らない

気遣うのも酷評するのも意識した存在だからとも解釈できる

28 :日本@名無史さん:05/02/15 11:06:12
真田が居る信玄と明智が居る信長。。
ゲリラに戦術に長けている信玄と奇抜発想の信長。。
油断しない信玄と油断しまくりの今川。。


29 :日本@名無史さん:05/02/15 11:42:20
信玄が勝つと思う
信長包囲網があったし

30 :日本@名無史さん:05/02/15 12:03:20
信玄は本当に病死?

31 :日本@名無史さん:05/02/15 12:10:55
>>30
病死説と鉄砲で撃たれた傷が元で死んだという説もある


32 :日本@名無史さん:05/02/15 22:37:16
鉄鋼船で佐渡を占領

33 :日本@名無史さん:05/02/15 22:51:59
信玄では、信長に勝てません。
野田城から引き上げなかった場合、桶狭間あたりで、織田鉄砲隊の餌食です。
勝負がつかなくて長期化したら、武田軍の兵は百姓だから、自分の田んぼが気になり、士気はがた落ちです。


34 :日本@名無史さん:05/02/15 23:22:41
三戦板でやってください

35 :日本@名無史さん:05/02/15 23:30:54
>>32
佐渡が金山として開発されたのは秀吉の頃からだよ



36 :日本@名無史さん:05/02/16 03:46:37
だいたいが、
労咳を発病してから、上洛戦を始めたって、手遅れだっつうの(笑

37 :日本@名無史さん:05/02/16 14:35:25
武田騎馬隊と言っても戦国時代の日本の馬は小さい馬だよね?
今の時代劇みたいな大きい馬ではないよね?

38 :南部大膳大夫:05/02/16 15:12:28
今の時代劇に出てくるのは明治に西洋から移入されたもの。
しかも、騎馬だけの部隊なんてのはない。

39 :日本@名無史さん:05/02/16 15:15:24

米軍(織田)と日本軍(武田)みたいなもんで
どれだけあがいても最終的には織田の勝ち

40 :日本@名無史さん:05/02/16 16:34:06
半農半士の武田じゃ戦闘の専門家集団の織田にゃ勝てんだろ。
米軍の職業軍人と、普段は別に仕事を持ってる州兵が戦うようなもの。

41 :日本@名無史さん:05/02/16 16:45:00
日本種のウマ
http://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324_4.htm

42 :iiyo:05/02/16 16:47:27
http://www17.ocn.ne.jp/~sengoku/index.html

43 :日本@名無史さん:05/02/16 16:49:09
小さい馬ですねー
走る速度も遅いのかなー

44 :日本@名無史さん:05/02/16 18:23:37
あの重い鎧兜を着て小型馬に乗るのだ

45 :日本@名無史さん:05/02/17 00:09:10
武田の騎馬隊ってウソなんでしょ。
武田のキャラ立てのための言い伝えだって聞いたよ。

46 :日本@名無史さん:05/02/17 01:51:23
>>45
甲斐の国が馬の本場といわれたこともあるらすい

47 :日本@名無史さん:05/02/17 10:05:57
たらればの話だが、信玄は三方原の後、家康にとどめをさしておくべきだった。
ただ長期戦になった場合、謙信が信濃に出兵して後方を攪乱すれば、中途帰国
せざるを得なかっただろう。信玄が人質でも差し出して謙信に静観を懇願すれば
信長には勝ったと思われ。

48 :日本@名無史さん:05/02/17 10:58:14
信玄が死ぬ直前ぐらいの時期は謙信は信玄と信長、どちらが目障りな存在だったのですか?

49 :日本@名無史さん:05/02/17 11:03:48
>>48
武田信玄の方でしょう。

上杉輝虎にしてみれば関東の北条氏政と北陸の一向一揆が目障り。

50 :日本@名無史さん:05/02/17 11:06:28
>>49
レスありがとうございます
そういえば北条家に対して謙信はわざわざ小田原城まで攻めたりしてますし関東には拘ってましたね

51 :日本@名無史さん:05/02/17 11:12:15
>>50
謙信は関東管領やし、当然じゃろ。

52 :日本@名無史さん:05/02/17 11:23:33
>>50
元亀三年五月から越中方面で、
椎名康胤(武田・本願寺派)vs神保覚広(上杉派)などなど。

これら一連の戦が長引き上杉輝虎は八月から翌年四月まで在陣しています。
関東出兵の予定を変更してまで越中方面での軍事作戦を展開していますね。

マイナーな話でごめんなさいw

53 :日本@名無史さん:05/02/17 11:58:48
約1名
武田と織田、というか、戦国時代を誤解しまくってる厨が居るな‥

>>52
北陸の方が敵が雑魚いからじゃないか。


54 :日本@名無史さん:05/02/17 12:18:18
北陸の一揆を煽動してたのは誰なのでしょうか?

55 :日本@名無史さん:05/02/17 12:30:16
>>54
黒幕は武田信玄
実行犯は椎名康胤・杉浦玄任

56 :日本@名無史さん:05/02/17 12:30:48
本当に川中島の4回目の戦いで謙信と信玄が直接戦ったのかなぁ

57 :日本@名無史さん:05/02/17 12:40:01
武田家は源氏の子孫

58 :日本@名無史さん:05/02/17 13:46:48
信玄の嫁正室三条氏の妹は本願寺光佐(顕如)上人の裏方(正室) 如春尼!
つまり顕如と信玄は親戚なのさ〜

59 :日本@名無史さん:05/02/17 14:23:26
>>47
信玄は、篭城した家康を落とすのは、時間がかかるから素通りしたわけなのだが。
謙信うんぬんよりも、長期化すれば、武田の百姓兵は田んぼが気がかりで、士気は低下。

その上、見たこともない量の鉄砲で攻撃されて腰を抜かす(w
まあ、織田軍とぶつかって敗走した武田軍は、徳川軍にも挟撃されて、
命かながら泣きながら甲斐へ帰ることになっただろう。
野田城で信玄が撃たれて、あっさり引き上げになったのは武田兵にとっては幸いであった。

>>45
日本の戦国時代の馬は、移動用。
武将も、戦う時は馬から降りて、槍や刀を振るう。
いわゆる騎馬隊の戦いはフィクション。

60 :日本@名無史さん:05/02/17 14:26:40
ところで、上杉謙信の「関東管領」って正式なものなの?
将軍やら古河公方の承認は不要?

61 :日本@名無史さん:05/02/17 15:16:25
権限が無い管理職のハンコなんて、少し賂贈ればなんとでもw

>>59←こんなアホが日本史板に居るとは‥

62 :日本@名無史さん:05/02/17 15:59:35
ガチでやりあったら、信玄。ガチでやりあったらね。
>>59はたんなる織田大好きさん。
それに、織田と武田が直接対決したとして、織田の背後のことには
一切触れてないし。


63 :日本@名無史さん:05/02/17 16:22:20
秩父地方は武田家の領土?北条家? 

64 :日本@名無史さん:05/02/17 16:53:36
意外とちょくちょく信玄って戦負けてるけどな

65 :日本@名無史さん:05/02/17 17:05:25
そもそも負け戦が無い大名なんて元就くらいじゃないか?

66 :日本@名無史さん:05/02/17 18:20:44
>>58
となると義信と教如は従兄弟か

67 :日本@名無史さん:05/02/17 18:57:59
>>65
尼子に負けて敗走しているような気がする。
大友にも負けているような気が・・・。

負け知らずは小早川秀秋だけだろw

68 :日本@名無史さん:05/02/17 19:54:33
>>60
正式だろが!!!何言うてんねん!!!

69 :日本@名無史さん:05/02/17 19:56:30
信長が信玄に勝てるわけないよ。
怖くてゴマすりばかりしてた。
信玄存命中に信長の鉄砲隊は大した活躍してない。
三段撃ちとやらも怪しいらしい。


70 :日本@名無史さん:05/02/17 20:01:06
>>69
武田信玄の遠江・三河侵攻は、
今川義元の尾張侵攻・桶狭間合戦と一緒で、
上洛が目的ではない。

さらに、朝倉義景の助けがないと絶対勝てないw

71 :日本@名無史さん:05/02/17 20:23:29
仮に鉄砲が3000丁あったとしても、その3000丁を活かせる戦いを
信玄はさせてくれないだろうな。長篠の戦いのようにはいかんよ。
ま、あれもガチじゃないけどな。地雷原に飛び込んで行ったような
もんだしw さすが勝頼。

このスレタイが「信玄だったら信長を倒せた?」だから
あの信玄の上洛云々は無しに考えたら、信玄が勝つ、と出ました。
織田の得意技も通用しなそうだし。てか、信長をちょっと過大評価しすぎ
じゃねーかな。信玄が強いのではなく、信長が弱いのですw

>>64
信玄のはっきり負けと分かる負け戦は2戦だな。相手は2戦とも村上義清。

72 :日本@名無史さん:05/02/17 20:25:24
信長、信忠と一緒に明智城赴援のため出陣。
しかし、明智城は敵の手に渡り
父子はやむなく神箆に河尻秀隆、小里に池田恒輿を残して岐阜に帰城。

信長、遠江高天神城救援のため出陣、やはり嫡男と一緒の行動
三河吉田まで行ったが、これまた不成功。

73 :日本@名無史さん:05/02/17 20:44:25
武田信玄が単独で織田信長と戦うのは自殺行為に等しい。
朝倉義景と共闘しないと苦しい。(浅井長政も付いてきますしw)

74 :日本@名無史さん:05/02/17 20:54:34
織田信長が単独で武田信玄と戦うのは自殺行為に等しい。
徳川の援軍つけても苦しい。


75 :日本@名無史さん:05/02/17 20:58:48
>>74
そうか?

76 :日本@名無史さん:05/02/17 21:09:48
この頃は今みたいに、どこの大名も体系立った軍隊組織を持ってる
ってワケじゃないから、秦対六国みたいに
同兵力でも力差があるから、もしかすると苦しいかもね。

77 :日本@名無史さん:05/02/17 21:35:35
村上義清最強説

78 :日本@名無史さん:05/02/17 21:56:42
>>77
村上は落ち武者じゃんw

79 :日本@名無史さん:05/02/17 22:03:35
信長は信玄にひたすら低姿勢。
家康が信長へ接したのと同じ。
強い相手には低姿勢。


80 :日本@名無史さん:05/02/17 23:12:22
そりゃまあ
強い相手に高圧するのは、馬鹿か気違いだからな‥

81 :日本@名無史さん:05/02/18 04:12:25
>>71

 >あの信玄の上洛云々は無しに考えたら、信玄が勝つ、と出ました。

信玄に上洛の意思が無ければ浅井・朝倉も本願寺も単独では織田に当たれないだろ。
ならば残念ながら包囲網としては完全では、無い。
信長は兵を動かし始めた武田に対して同数程度の兵を集める事は可能そうな気がする。


仮想戦場はどこになるだろうか?
徳川の存在は無視出来んから駿河寄りの遠江辺りで激突か。
だとしたら兵站はどうなる?
痩せた甲斐からの距離と肥沃な遠江からの距離。尾張からは平地続き。
兵の組織的にも武田は長期戦を避けたいだろう。
だとしたらやはり、鈍角的小規模軍団の戦でなく、鋭角的大合戦方式か。
ならやはり鉄砲じゃねぇか?少なくとも石ころよりは勝る武器だろ。

信長若年の頃の信玄に対する慇懃は政略だろ。
出し抜かれた信玄、それが妥当な所。
信玄は乱世を本の治世に戻そうとした。
信長は乱世を改革によって新しい治世にしようとした。
その根本的な思想の違いが実力の違いじゃねぇ?
互いの成長率から推し量るべし。

などと叩かれそうな事を言ってみた。
優しくしてね。




82 :日本@名無史さん:05/02/18 04:36:49
しかし、信玄には上洛の意思があった訳だ。
信長は、完璧な包囲網を作った信玄の敵ではないか。
駿河湾から水軍浮かべて堺を併呑、本願寺に物資供給。
これが成ってれば信長も終わってかも。
ただ35000人程度では足りない。
いかんせん、甲斐から京は遠すぎる。
全てを降して進むには兵農分離が進んでない武田には時間的に無理。
押さえの軍隊を置いて進軍となれば、先細り的に本軍は痩せていく。
徳川領を過ぎた辺りで兵数はどうなることやら。
清洲に平手、滝川の3000人籠城されたらそれ以上、進めはしない。
徳川も瀕死であっても死んでないなら退くに退けず。
こりゃ、清洲を囲む事すら無理ですな。
惜しい。近江までもうちょい。残念。
ま、徳川が武田に靡く、靡かないがキーですな。

と、また叩かれそうな事を言ってみた。



83 :日本@名無史さん:05/02/18 09:55:22
1573年の信長にとって一番目障りな存在だったのは誰でしょうか?
信玄? 謙信? 毛利?

84 :日本@名無史さん:05/02/18 10:11:46
>>83
本願寺>>>>>>>>>>>>その他

85 :日本@名無史さん:05/02/18 10:14:08
>>84
本願寺ってそんな嫌な相手だったのか。
なんか鉄砲とかいっぱい持ってたんだっけ?

86 :日本@名無史さん:05/02/18 10:15:15
やっぱり織田大好きっ子じゃなく、頭おかしい釣り師だったんだな‥
虚偽で練り上げた長文は邪魔なだけだから、1行にまとめて下され>>81

87 :日本@名無史さん:05/02/18 10:26:17
>>1
もうちょっとって何年?2〜3年じゃ結果は同じ。
本能寺の変まで生き残れば別だが(直接は倒せない)

88 :日本@名無史さん:05/02/18 10:29:21
>>82
>完璧な包囲網を作った信玄の敵ではないか。
何処が完璧だったんだ?w

>駿河湾から水軍浮かべて堺を併呑、本願寺に物資供給。
遠大なプランだなw



89 :日本@名無史さん:05/02/18 10:42:55
>>1-88の8割へ
バレバレの自作自演は目障りなので‥ 三戦板に帰れよ

90 :日本@名無史さん:05/02/18 11:18:37
信玄は、家康の浜松城は素通りして、野田城を包囲したわけなのだが、
なぜ、野田城を包囲したの?
野田城を攻めることが、信玄の目的だったの?
野田城って、そんなに重要な城だったの?

91 :日本@名無史さん:05/02/18 12:18:10
>>84
ヒトラー信長にとって目障り。
悪辣非道の敵は世間にとって正義の味方。

92 :日本@名無史さん:05/02/18 12:50:07
>>90
それほど重要ではありません。
重要度が高い城は浜松城や吉田城でしょう。
ただ武田の軍勢では短期間で落とすことはできません。
それに織田領に侵攻するほどの軍事力もありません。
武田信玄ができることは小城である野田城を攻める作戦だけかと思います。
遠江・三河方面の軍勢と美濃方面の軍勢に分けた武田軍には最善の策と思いますよ。

朝倉義景が十二月に近江から撤収してしまっている以上、
武田信玄の作戦は既に崩壊していますし、
これ以上の作戦進行は負け戦しかありえないですね。(仕方がないよw)

ここが朝倉義景に頼った武田信玄の限界でしょうね!

93 :日本@名無史さん:05/02/18 13:05:16
>>89
おまえは精神病院に帰れ うざいし(´,_ゝ`)プッ

94 :日本@名無史さん:05/02/18 13:07:12
>>89
童貞乙!

95 :日本@名無史さん:05/02/18 13:14:07
思い込みと妄想で板を荒らし回る、三戦板内の落ち武者は
三戦板から出て来るなよ、引き篭もってろ。

96 :日本@名無史さん:05/02/18 13:31:33
信長包囲網辺りの政略劇は歴史知れば知るほど面白いよな。

97 :日本@名無史さん:05/02/18 13:50:11
明日は瀬田に・・・云々のアレは出鱈目ですから!!!
拙者(等)、甲陽軍鑑厨ですから切腹!!!

98 :日本@名無史さん:05/02/18 14:23:11
荒らしは帰ったみたいだな
代わりに三戦板が荒れてるけど‥。

99 :日本@名無史さん:05/02/18 14:38:55
あの荒らし、他の戦国武将のスレにも出てきてるみたい
戦国時代に怨みでもあるのかw

100 :日本@名無史さん:05/02/18 16:23:21
>>99
前世が百姓だったのでは

101 :日本@名無史さん:05/02/18 16:50:26
>>89
目障りならこのスレに来なきゃいいのに…



102 :日本@名無史さん:05/02/18 21:30:16
>>92
レス、サンクス。
重要度の低い小城である野田城を攻めたのは、勝ち戦の形を作りたかったんでしょうかね?(w
それで引き上げるつもりだったんだな。
そんな野田城で撃たれた傷が命取りになるとは、皮肉なもんです。

103 :日本@名無史さん:05/02/18 21:34:59
・・・補給路を確保するためだろ。

104 :日本@名無史さん:05/02/18 21:55:28
>>102
>>92の人です。
いえいえ^^

武田軍は二俣城や野田城に対する攻城戦に時間をかけすぎています。
野田城攻略には一ヶ月もかけています。
三方ヶ原合戦に注目されやすいのですが、武田軍の遠江・三河侵攻はかなり苦戦しています。
来た道である遠江を通って本国へ帰ると徳川家康としなくていい合戦をする可能性があります。
小田原城包囲の際、三増峠合戦のような思いはしたくはなかったのでしょう。
野田城は信濃への逃げ道の確保と考えた方が合理的かと思います。(私的な考えですがw)

武田信玄の死因は興味無いので他の人に任せますね。

105 :俺以外は:05/02/18 22:07:49
>>102>>104
釣れませんね

106 :日本@名無史さん:05/02/18 22:10:34
>>105


107 :日本@名無史さん:05/02/18 23:09:29
>>104
どうもです。無知なもので、いろいろ教えてもらってありがたいです。

そうゆう状態だとすると、武田軍は徳川方の城をすべて潰すほどの戦力はなかった、ということになりますか?
そうすると、野田城を落としたとしても、尾張にまで侵攻できたのか?
できたとしても、まともに戦えたのか?
という感じがしますね。
朝倉が撤収して、すでに作戦が崩壊しているのに、なぜ信玄は出兵したんですかね?
徳川領を少しでも切り取りたかったのかな?

108 :日本@名無史さん:05/02/18 23:36:43
信玄の軍が信長の軍を破ることはありえただろうが、
信玄が信長に勝てたとは思えないな。

109 :日本@名無史さん:05/02/19 00:06:45
織田信長が置かれた情勢を理解してないね
信長の軍を破る=立ち直れない打撃
分かったら、お帰り下さい。

110 :日本@名無史さん:05/02/19 00:18:12
戦闘と戦役が区別されるのは戦国時代でも同じだよ。
理解してないのは>>109の方

111 :日本@名無史さん:05/02/19 02:02:48
織田勢の主力である信長の部隊が敗れたら
対武田の戦役は負け。言葉遊びはほどほどにね

112 :日本@名無史さん:05/02/19 03:30:44
信玄が信長に勝つなど、逆立ちしたって無理っぽ。
まあ、謙信あたりと、川中島の取り合いっこでもしてるのがお似合いってこった。

113 :日本@名無史さん:05/02/19 04:49:25
>>107
>>104の人です。
いえいえ^^

短期決戦での攻城戦は武田軍に厳しいと思います。(織田軍の後詰がない長期戦なら勝てますがw)
二俣城で二ヶ月、野田城で一ヶ月、浜松城では攻城戦を避けて野戦に持ち込んでいます。
徳川家康をはじめ、石川数正、酒井忠次、本多忠勝らが生き残ったのも正直言って誤算だと思います。

尾張侵攻の鍵はどれだけ織田軍の戦力を割けられるかどうかにあります。
しかし、朝倉義景が十二月に近江戦線を離脱したことで武田軍の勝機は逸しています。
そのため徳川家康に三方ヶ原合戦という置き土産が必要になったのかと思います。
武田信玄も手ぶらで帰るわけにはいかなかったのでしょうね。(徳川軍に侮られますからw)

秋山隊の動向を見ると十一月に岩村城を開城させる(織田軍後詰は無傷で撤収)もの、
結果的には十二月まで遠山勢との戦闘が続いています。(上村合戦)
岐阜城に侵攻することも三河方面の本隊に合流することもできないまま年を越します。


朝倉軍がアテにならないと分かると武田信玄は目的を変更したと思います。
徳川領の切り取りは二俣城を攻略したした点はいいのですが、
高天神城は手付かず、浜松城は素通りなので、
遠江・三河の山岳地帯の領土拡大(二俣城)と再奪還(野田城)が修正目標かと思います。
あと、前記した置き土産(三方ヶ原合戦)をきっちり置いておくサービスも付けて。

やっぱり私的な考えですがw

114 :日本@名無史さん:05/02/19 07:41:20
これが噂の荒らしかw

115 :日本@名無史さん:05/02/19 08:07:21
>>114


116 :日本@名無史さん:05/02/19 09:36:57
信長が信玄に勝つなど逆立ちしたって無理。
哀れな信長は終生、信玄の前に出ることは無かった。

117 :日本@名無史さん:05/02/19 09:44:36
信長は秀吉に侮られていた。

884 :無名武将@お腹せっぷく :05/02/18 15:13:25
秀吉の御伽衆になったのは信長の嫡孫 
秀吉が利用しまくった三法師(後の織田秀信)
信長の娘や姪を側室にしてその他大勢の側室と同じく寝所に侍らせ
息子たちをけしかけて潰し孫はいたぶった末に御伽衆


118 :日本@名無史さん:05/02/19 09:44:49
信玄は謙信にかまい過ぎ、もしくは、謙信と一時的にでも不戦条約でも
しておけば、信玄のほうが、信長よりNO1になれた可能性は
本来高かっただろうということで良い?



119 :日本@名無史さん:05/02/19 09:55:47
>織田信孝の母にいたっては無念の磔。ああ、夫(信長)はどうしてこの恩知らずの猿(秀吉)めを
>  重用したのか。夫の一周忌も終わってないというのに、刑場の露と消えねばならぬ我が身。

情けない。

120 :日本@名無史さん:05/02/19 10:41:05
信長公記 巻五 抜粋

織田・徳川と武田の両勢はたがいに総力をあげての血戦に突入した(←織田側の資料なので)
三方ヶ原の原野は、織田・徳川勢の死骸で埋まった。
家康はからくも浜松にたどり着き、その後は城を堅固に支えた。
大勝を得た信玄は、軍勢を納めた。



121 :日本@名無史さん:05/02/19 11:22:15
謙信に政治力があったら天下を取れていたかもしれないというのは言い過ぎですか?
本を見てると謙信に政治力があったらとか良く書かれていたので…

122 :日本@名無史さん:05/02/19 11:53:18
うーん天下までは難しいような気がする


123 :日本@名無史さん:05/02/19 11:57:07
>>118
それは不公平すぎて論外です!

武田信玄の時と同じ条件で織田信長にも
朝倉家、浅井家、本願寺、六角・三好・松永ら畿内の反信長勢力と
一時不戦条約を結ばせるべきですw

そしたら完全に信長No1に決定です!

124 :日本@名無史さん:05/02/19 12:16:46
>>123
>そしたら完全に信長No1に決定です!

信玄、謙信が生きている間は、信長に天下はありえません!


125 :日本@名無史さん:05/02/19 12:20:20
>>124
信玄と謙信は二人で仲良く喧嘩しているからなw
やっぱり信長が天下を取れると思うよ〜!

126 :日本@名無史さん:05/02/19 12:26:43
本願寺に10年もかかる信長が信玄に勝てる道理がない。

127 :日本@名無史さん:05/02/19 12:33:39
甲信の小城と石山本願寺を一緒にするな。

128 :日本@名無史さん:05/02/19 12:43:20
>>126
攻城戦中心の石山合戦(元亀元年〜天正八年)
その間に朝倉家、浅井家、武田家、上杉家、毛利家、その他大勢とも合戦しているから仕方がないよ。
上杉謙信にかまいすぎた武田信玄には一生かけても無理だと思うよ。

129 :日本@名無史さん:05/02/19 13:16:28
名門六角氏をたった一日で蹴散らすなんてこと信玄には出来ないだろうなw

130 :日本@名無史さん:05/02/19 13:24:17
信長なんか信玄生きてたら、一生かけても勝てない。
信玄が死んでやっと本願寺に対抗できた。
秀吉の織田家への仕打ちは信長が嫌いだったと思わせる。

131 :日本@名無史さん:05/02/19 13:27:39
信玄が病死しないで、そのまま上洛していたら信長は負けていた。

132 :日本@名無史さん:05/02/19 13:49:44
信長最大のピンチだったからな

133 :日本@名無史さん:05/02/19 14:00:14
信玄は家康を破ったけど、家康の領地を奪ったわけじゃない。
兵站が弱いというよりないに等しいし、後方は完全に遮断されている。
緒戦で勝っても最終的には上洛ならず美濃から撤退するしかない。
仮に上洛できたとしても、だから何。

134 :日本@名無史さん:05/02/19 14:26:50
武田家に兵站の概念があるのかな?
それに兵農分離もできていないから時が経てば帰国してしまいそうだw
長陣は不可能でしょう。

二俣城と野田城を落とされたのは痛いが、
居城の浜松城や戦略上重要拠点の高天神城が無傷で残っているのでたいした被害でもない。


織田信長を相手にするのに武田信玄では荷が重過ぎる。

135 :日本@名無史さん:05/02/19 14:29:13
セ・リーグのホームラン王になったこともある大豊泰昭は、引退直後の昨年11月に週刊ポストのインタビューで、中日ドラゴンズ時代に少なくとも2回、星野に顔を殴られたことをはっきり覚えていると語った。
「チャンスでボール球を振って凡退したときにトイレまで追いかけられ、『天下の王貞治でも打てない球をおまえが打てるとでも思っているのか!』と、すごまれて殴られたことがある」
 大豊はさらに、いわゆる「愛情の裏返し」に感謝していると言いながら、星野の実像を明かしている。
「鼻血を出して目の下を黒くしているのがゴロゴロいた。キャッチャーの中村武志(現・横浜ベイスターズ)なんて、普段の顔がどんなだったのかわからなくなってしまったくらい」

そういう状態を見て憤ったパウエルが通訳引き連れて監督室に殴り込んだっていう話を読んだ事ある。
「選手を殴るな!殴りたきゃ俺を殴れ!」って通訳を介して凄んだらしい。
1001はビビってうつむいたまま何も言い返せなかった



136 :日本@名無史さん:05/02/19 14:35:13
信長が猫かぶって平身低頭しているのを見抜けない信玄は
信長の敵ではない。
三河を押さえようとした時期が遅すぎて、昇天してしまったわ
けだから、勝機を逸した田舎侍としか言いようのない。

今川と仲が悪い時期に三河を押さえていれば、尾張を取れる
可能性はあったが、今川の勢力拡大を許し一方で反今川勢力
たる尾張・三河勢の台頭も許し、気がついたら今川は信長に敗
れて衰退したが、尾張・三河の脅威に対抗しなければならなく
なって、上杉との確執も継続して疲弊し続けた。

金山だけが頼りの、大幅な領地拡大無き戦の継続。
局地戦は得意だが、戦略は無いに等しく戦国大名として名を残
す程度の存在。
そんな信玄では、三河制圧が今川義元存命の頃に達せても、器
用に尾張を取れる可能性は低い。
信長の外交攻勢で、背後を上杉・北条・今川に脅かされ、5・6千
程度の兵力でしか尾張侵攻が出来ず、信長の知略で勇将をこと
ごとく討ち取られて撤退する可能性が極めて高い。

137 :日本@名無史さん:05/02/19 14:36:09
シーツは来季(05年)、阪神に移籍しますが岡田彰布監督は「シーツは守備が下手になった。エラーが増えている」と言っていた。
シーツのことをしっかり見ていませんね(笑)。
ということは、シーツはショートで起用されない。
はっきり言って、ショートに鳥谷敬を使ってくれた方がカープにとってありがたい(笑)。
http://www.ninomiyasports.com/xoops/modules/news/article.php?storyid=3262




138 :日本@名無史さん:05/02/19 15:20:19
信長マジで信玄には勝てない。
強い人にはひたすら、ひたすらゴマをすります。

部下の殺される信長哀れ

139 :日本@名無史さん:05/02/19 15:35:18
>>138
武田を推すのはいいが君の文章が哀れすぎる!

140 :日本@名無史さん:05/02/19 19:06:45
地図を見ると愛知より山梨の方が強そう。
山の男ってかんじ・

141 :日本@名無史さん:05/02/19 19:39:15
尾張
・熱田宮司の母を持つ源頼朝
・信長・秀吉とそれを支えた連中
三河
・足利尊氏を支えた三河武士(今川・吉良・細川などなど)
・家康とそれを支えた三河武士

甲斐?なにそれ

142 :日本@名無史さん:05/02/19 20:19:44
信長は、箕作城・観音寺城を二日で落としたが、
信玄は、二股城を2ヶ月かかり、野田城は1ヶ月攻めて、結局落とせなかった。
どっちが強いか、言うまでもない(w

143 :日本@名無史さん:05/02/19 20:38:20
>>142
まじ?
信長と武田では格が違いすぎるね。

144 :日本@名無史さん:05/02/20 00:42:45
坂の上の雲だっけかな、
優れた戦略眼をもって、騎兵隊を使いこなせたのは、
世界史ではチンギスハーンやナポレオン他4名のみ。
日本史では義経と信長のみ、とあったな。
信玄なんて貧乏田舎大名だし、ろくな騎馬隊も持ってないだろ。
武田騎馬なんて小説の産物だよ。信玄は格下。


145 :日本@名無史さん:05/02/20 00:58:00
早い話、信玄が明智光秀を家臣にしていれば信長を倒せたと思う。

146 :日本@名無史さん:05/02/20 01:04:26
信長が騎兵隊!?
厨の発想はすごいな。

147 :日本@名無史さん:05/02/20 01:06:35
>>144
あったな。
騎兵隊の用途としては斥候と奇襲に使うのが正しい。みたいな感じを桶狭間を例に出してたんだっけ?

148 :日本@名無史さん:05/02/20 10:59:10
>>144
信玄は金持ちだよ。
信長は大富豪だが

149 :日本@名無史さん:05/02/20 13:21:22
>>144
司馬厨発見!!!

150 :日本@名無史さん:05/02/20 15:28:27
>>148
信玄は、金山を持ってるから金持ちだが、領国は貧乏。
信長の領国は、農業以外にも商・工業が発達して裕福。
石高では、4倍以上の差があったと思う、確か、、、誰か、両者の石高をアップしてくらさい

151 :日本@名無史さん:05/02/20 15:47:52
>>134
ふ〜ん、信玄と石山本願寺の仲を知らないのか。

152 :日本@名無史さん:05/02/20 16:06:37
アホの所業は、三戦にてやるよろし

153 :日本@名無史さん:05/02/20 16:12:00
>>151
君が知らないだけさw

154 :日本@名無史さん:05/02/20 20:11:44
>>153
教えて

155 :日本@名無しさん:05/02/21 01:36:56
光秀が信長を倒してる。

156 :日本@名無史さん:05/02/21 14:58:06
信長は秀吉の踏み台

157 :日本@名無史さん:05/02/21 21:32:48
信玄の上洛軍の兵数って、何万くらいだったんですか?

158 :日本@名無史さん:05/02/21 21:41:35
信玄が上京を試みた頃、まだまだ一向一揆が盛ん
信玄と本願寺は一体
それまで一揆を抑えようとしていた本願寺が動けば、
一揆衆も喜んで加担。
信長はまったく勝ち目はなし!

159 :日本@名無史さん:05/02/21 23:35:28
>>158
ワラタwwwwwwwwww
氏ねよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

160 :日本@名無史さん:05/02/21 23:50:07
分かりきったことを・・・
信長が信玄に勝てるわけ無いじゃん


161 :日本@名無史さん:05/02/22 02:54:53
ここでも、信玄厨が妄想をばら撒いています(w
http://www.geocities.jp/yokopy0208/teema4.htm

162 :日本@名無史さん:05/02/22 05:56:18
信玄 Version1
信長 Version5

戦闘能力は五分としても、戦略能力は格段の差がある。
所詮ローカルがお似合いの田舎侍だよ。ねえ信ちゃん。
結局武田家は悲惨な末路だ。あわれ。


163 :日本@名無史さん:05/02/22 06:07:18
っていうか、さっさと信玄が信長に降伏してれば武田滅亡はなかったかもしれない。
信玄はあのとおりの腹黒者だからそのうち切腹を命じられただろうが、
信勝は津田信澄程度の待遇は受けることができたと思われ。

忠勤次第では国持ちも夢ではない。

164 :日本@名無史さん:05/02/22 07:14:24
>>163
それ以前に武田義信への家督継承を早急に行うべきだった!
上杉家の信濃侵攻は徐々に収まり、舞台は関東に移っている。(先を見通す先見性がないなw)
今川家を援助して織田家・徳川家を滅ぼすべきだった!(三国同盟の意義を分かっていないなw)

北条氏康も今川義元も永禄三年までに後継者へ家督継承を済ませている。
あの織田信長でさえ天正三年に織田家の家督継承を済ませている。

なのに武田信玄は嫡男を死に追い込んでまでも家督を譲ろうとはしなかった。
それどころか武田勝頼に家督を継がせなかった。
もはや狂っているとしか言いようがない。
自身の死後の武田家の行く末を考えない愚か者です。

勝頼よ、無能な自己満足しかできない父親を持って哀れだなw

165 :日本@名無史さん:05/02/22 09:36:55
信長は時として10万を越える兵を動員できる。信玄は2万5千程度。それに同盟国の
朝倉軍を加えてもまだ5万にも届かない。そのうえ信長には勇猛な三河武士を抱えた
徳川氏が味方におり、信玄が織田家を滅ぼすのは至難の業であったであろう。

166 :日本@名無史さん:05/02/22 10:24:43
>>161-165=1
つまらない荒らしなんかしてないで、おとなしく三戦板にお帰り

167 :日本@名無史さん:05/02/22 14:11:06
当初、石山本願寺は信長にも挨拶にいくなど従順だった。
ところが、信長 からいきなり 5000貫 の資金提供を要求される。
仕方なしに要求を呑む。
信長の本願寺への要求はどんどんエスカレート
信者の動きは逐一織田家に報告しろ
本願寺が指令を出す際には織田家の許可を求めろ
勝手に他の大名家と交渉してはならない、等々繰り返すが、これでも我慢。
しか〜し、「石山本願寺城」の開け渡し要求に至ってはもう我慢の限界。
足利将軍からも、「信長を討て」 と要求を受ける。
ここまで来ると仏敵 信長を撃て!となる。
これで10年戦争突入!原因は信長


168 :日本@名無史さん:05/02/22 14:48:27
信長の子や孫が草履取りに踏んづけられるとは哀れ


169 :日本@名無史さん:05/02/22 16:37:28
信玄の子孫は離滅してるけどな

170 :日本@名無史さん:05/02/22 17:02:04
分かりきったことを・・・
信長が信玄に勝てるわけ無いじゃん 。

天正元年に信長のどれだけ兵を動員できるのかな??????
周りは敵ばかり
信長連戦でヘトヘト バテバテ 

本願寺も元気! 
一揆衆も元気!
信玄は三方ヶ原で徳川・織田連合軍に大勝で絶好調!


171 :日本@名無史さん:05/02/22 17:54:19
武田軍は徳川軍相手に大苦戦し攻城戦に時間を費やしている。
春になったら甲斐に戻って田畑を耕さないと自滅です。

本願寺・一向宗は近江で敗退。伊勢長島は篭城策しかないので脅威はない。
上杉軍の越中侵攻も激しくなって加賀も動けない。
そもそも本願寺の戦略は石山本願寺から攻め上がる思想はないよ。

朝倉軍は越前へ撤退しているし。
織田軍は武田軍と違って大軍なので疲れることはありません。


これで武田軍が勝てると妄想を抱く人は哀れ。
歴史通りに織田軍の天下です。(本能寺の変までね!)
今までの行いを悔い改めて、もっと現実を知ろうよw

172 :日本@名無史さん:05/02/22 18:23:02

〜天正元年四月までに、一つの戦闘に動因した信長兵の最大数は?





173 :日本@名無史さん:05/02/22 18:24:51

>武田軍は徳川軍相手に大苦戦し攻城戦に時間を費やしている。

もっと現実を知ろうよwwww

120 :日本@名無史さん :05/02/19 10:41:05
信長公記 巻五 抜粋

織田・徳川と武田の両勢はたがいに総力をあげての血戦に突入した(←織田側の資料なので)
三方ヶ原の原野は、織田・徳川勢の死骸で埋まった。
家康はからくも浜松にたどり着き、その後は城を堅固に支えた。
大勝を得た信玄は、軍勢を納めた。





174 :日本@名無史さん:05/02/22 18:29:34
>>173
三方ヶ原合戦しか知らないとは哀れだなw
しかもコピペ頼りとはw
2chで勉強した人なんですねw

175 :日本@名無史さん:05/02/22 18:51:20
>>172
6万人

176 :日本@名無史さん:05/02/22 22:30:23
>>174
信玄生存中なら三方ヶ原合戦だろ。

>>175
何年の、どの合戦?


177 :日本@名無史さん:05/02/22 22:56:51
それで、
信玄の上洛軍の、兵数はどれくらいいたのだ? ソースも教えれ。

178 :日本@名無史さん:05/02/22 23:16:50
>>176
素人は三方ヶ原合戦しか語らない。
見たいものしか見えていないんだw

179 :日本@名無史さん:05/02/22 23:17:31
『決戦』などと云うものは双方が「勝ち目有り」と判断しなければ、そうそう起きるモノではない。
まして信長が勝てるという確証無しに信玄に対して自ら挑むことは無い。
信玄vs信長はまず起こせ無かっただろう。
徳川家を向背の切所まで追い込めば信長とて放って置けないが、今川制圧に10年懸かった
ことから思えば、何年史実より余計に生きる必要があったのやら。

180 :日本@名無史さん:05/02/22 23:29:53
武田滅亡後、残兵は徳川方が殆どを傘下に置いた。
徳川がより強くなったのは旧武田兵のおかげ。
最も当てはまるのが井伊家。
これだけ考えても武田が唯の騎馬兵だけでないのがわかる。

181 :日本@名無史さん:05/02/22 23:31:43
信長軍団はヘタレが多い。 羽柴は手強いが、
柴田、佐々、滝川、丹羽、池田などは瞬殺されるだろう。

182 :日本@名無史さん:05/02/23 00:03:50
そもそも寿命が延びたらっていってる時点で贔屓しすぎ
信玄は駿河取りの時、今川に娘を嫁にやってた北条を敵に回し、さらに大井川を境に領土分割協定を結んでいた徳川にも駿河を制圧しきらないうちに攻撃かけた
その結果浪費した時間(北条と再度同盟を結び、西進できる体勢を整えた)が三年
時間が無かったのは自業自得

183 :日本@名無史さん:05/02/23 00:10:03
違約の結果、徳川とも衝突を繰り返し、さらに徳川に上杉と組まれて三方を包囲されたのは大ポカだろう
幸いというか、謙信が北条との同盟をお義理程度に済ませてくれたからよかったものの。下手すりゃその時点で相当痛手を蒙っても不思議じゃなかった

184 :日本@名無史さん:05/02/23 00:11:09
信長討伐など、当主様が出陣せんでもよか。
家来の真田一武将のみで、東美濃を簡単に奪える。

185 :日本@名無史さん:05/02/23 00:18:43
信玄討伐など、当主様が出陣せんでもよか。
家来の森乱一小姓のみで、東甲斐を簡単に奪える

186 :日本@名無史さん:05/02/23 00:20:52
武田はどうも味噌クソなようで・・・
ですが武田騎馬隊は実力が伴っていたからこそ、長篠での自信過剰による突進
があったのだと思います。信長の諜報活動でうまくおびき出されたこともある
でしょうが、やはり当時としては武田騎馬隊の存在というものは周辺諸国から
みても恐れられるものだったと考えます。
ただ、武田の領国経営は中世的システムから抜け出せておらず、対する織田家は
システム刷新のオンパレード。信玄は三方ヶ原戦後は上洛を目指していたと言わ
れていますが、自分は三河での徳川抑えの単なる局地戦だったのでは、と思います。
信玄は本願寺、朝倉と組んではいましたが朝倉は時代錯誤の保身大名であてには
なりませんし、本願寺も大名と連携を取らなくてはならないとなるとどうでしょう。
信玄の戦術があるタイミングでは優位に働いたとしても、いまだ兵農未分離である
武田の兵での長期戦はムリですし、傭兵システムを確立させた織田にはけっきょく
のところ一時的な勝利はあったとしても領国化するまでは行かなかったと推測します。

信長はあまり好きではありませんが、天下統一という確固たるビジョンを持った
信長の戦略に優る大名はいなかったことは否めないと思います。

187 :日本@名無史さん:05/02/23 00:28:50
信玄も信長も名将でした(ダメなのは勝頼です)。

188 :日本@名無史さん:05/02/23 00:31:17
>>186
最後の一行でヲマエの力説は全てパアぢゃ!
戦略に優る大名は元就のみぢゃ。 信長は元就に比べると赤子同然。

189 :日本@名無史さん:05/02/23 00:39:26
>>188
「戦略」と「知略」をどうも履き違えられているようですね。
元就の領国拡大はそのほとんどが調略によるもの。戦略的にいうと
やはり信玄と同じ「中世的システム」からの脱却はできていないと
思われます。
元就の急速な領国拡大は歴史上みても奇跡的なことであるのは間違い
ありませんがかなりの綱渡り的要素が大きいです。
どちらかというと中国地方連合の盟主的な立場であった毛利では
合理性をとことんまで追求していた織田には次世代においても
優位に立てるとは思えません。

190 :日本@名無史さん:05/02/23 00:53:36
>>189
禿同!

毛利は暗殺などの謀略が得意なだけで政治的思想は無いw

191 :日本@名無史さん:05/02/23 00:59:08
元就は味方に取り込んだと見せかけて
毒殺するからあんま良い印象無い。

192 :日本@名無史さん:05/02/23 01:04:37
>>187
自分も信長&信玄は名将であったと思います。
ただ、勝頼が無能か?ということになると一概にそうであるとは
言えないと思います。
諏訪家の血を引いた勝頼が、正式に家督を継げなかったことによる
家臣団からの信頼不足は、親である信玄の責任もじゅうぶんに考え
られ、そういった部分では同情すら感じます。
個々の戦闘での能力からすると信玄ですら上回るものも持っていた
かもしれませんが、国力に見合わない戦闘回数の増加による疲弊は
勝頼の責任大、また外交の稚拙さは素人がみても歴然としています。
ただどうしても勝頼のいいしれない孤独と葛藤に同情してしまうのは
自分だけでしょうか。


193 :日本@名無史さん:05/02/23 01:05:23
>>191 信長は病気と見せかけて弟を誅殺するからあんま良い印象無い。

194 :日本@名無史さん:05/02/23 01:16:44
>>187
勝頼だけダメじゃないだろ。 信長の倅達は有能なのかよ。 信雄 プッ

195 :日本@名無史さん:05/02/23 01:21:50
信雄は何にせよ生き残ったからな
最終的には大名だったし

勝頼とは比べ物にならん

196 :日本@名無史さん:05/02/23 01:26:32
>>193
ああいえばジョウユウですかね。
信行には、誅殺されるだけの理由があったことを知らぬわけでもあるまい。

>>192
勝頼は、軍事的には家康よりもやや優勢、だったんじゃないですか?

197 :日本@名無史さん:05/02/23 01:29:16
>>193
信玄は自分のために嫡男義信を自殺に追い込んだからあんま良い印象無い。
信玄は志賀城の捕虜である女子たちを奴隷のように売り払ったからあんま良い印象無い。
信玄は13歳で妻とはいえ幼女を懐胎死させたからあんま良い印象無い。

松永久秀以上の外道ですねw

198 :日本@名無史さん:05/02/23 01:33:04
>>196
禿同!
高天神城を手中に収めた勝頼は信玄以上の名将w

199 :日本@名無史さん:05/02/23 02:01:55
>>196
>勝頼は、軍事的には家康よりもやや優勢、だったんじゃないですか?

勝頼の高天神城落としに代表される徳川攻略に対する執着心も、やはり
偉大な父親に対するコンプレックスからくるような気がしてなりません。
三方ヶ原戦後の三河攻略を目指していたかもしれない信玄の路線をあえ
て踏襲し、それを越える成果をあげることによって「信玄の時代はよか
った・・・」と絶対に言われたくない勝頼の心中にある悲壮感が感じら
れてなりません。
いずれにしても信長の台頭によって戦わなければならない状況にあった
勝頼でしょうが、数々の戦闘に邁進するその姿はラストサムライ的でも
あり、案外自分でも自分の将来を薄々気づいていたのかもしれませんね。

200 :日本@名無史さん:05/02/23 02:02:19
同僚の軍団長や信長を知ってる秀吉が
一番戦が上手かったのは家康といってるから家康は相当凄いんだろうな

201 :日本@名無史さん:05/02/23 09:53:14
>200
小牧、長久手合戦であざやかな遊撃戦を、秀吉は見せつけられたからかね。

勝頼が名将なのか?
ではなぜ、武田と繋がりの濃い、駿河探題穴山梅雪、御親類衆木曾義昌他、重臣達は
裏切ったのだろう?戦略的にはまるっきりだったんじゃないか
信玄死後、すぐ奥平一族が裏切り、長篠城付近は徳川の勢力範囲になり
その後すぐには、長篠城奪還をせず、美濃明智城を攻略したり、高天神城攻略したり
信長が伊勢本願寺攻略にかかりきっりの時も軍事行動起さなかった。
その後長篠合戦において、信長の罠にはまり敗北したのはご承知のとおり

戦術的に優れた名将が戦略的名将かということだ。有名無実な関東管領にこだわり
生涯のうち、17回も関東出陣をした上杉謙信のように


202 :日本@名無史さん:05/02/23 09:57:14
>>199
遠江を制するなら高天神城は戦略上重要拠点になりますからね。
誰でもこだわるような気がします。
その頃の勝頼は飛ぶ鳥を落とす気持ちだったでしょう。
だから翌年の長篠合戦でその驕りが出たかなと思います。

もし、信玄に対するコンプレックスがあるとしたら長篠合戦以降じゃないかな?
自分の将来の方も新府城への移転の頃じゃないかな?
高遠城主の仁科信盛の戦死が止めと思います。


何にせよ、東に北条家、西に徳川家を相手にするのは厳しいので、
勝頼は上野を北条家に譲渡して不戦協定を結ぶとか考えてみればよかったのに。

203 :日本@名無史さん:05/02/23 10:20:26
>>201
>>200じゃないけど、
勝頼が穴山信君、木曾義昌、武田信廉、武田信豊に裏切られたのは、
武田家当主じゃなかったからと思います。
彼らは武田親族でありますから勝頼のことを軽んじていたんだと思います。

天正二年の明智城と高天神城の攻略は悪くは無いと思います。
勝頼は若輩者として家臣の信頼を得ないまま家督代行という不安定の立場で、
信玄の死後すぐに軍事行動を起こすのは危険過ぎます。


別に勝頼が特別に好きという訳ではないですが無能とは思いません。
むしろ、信玄が武田家の行く末を考えてなさすぎで勝頼が対処しまわったという感じがします。

204 :日本@名無史さん:05/02/23 10:39:01
三戦から来たと思われる長文を書く人(+分身)
尤もらしいことを書いてるけど、ちょくちょく事実誤認があるね
ともかく、妄想は三戦板でやって下さい。

205 :日本@名無史さん:05/02/23 11:08:56
>>203
家督代行??(゚Д゚)ハァ?
勝頼は正式に本家20代当主受け継いでますが。
某クーデターで受け継ぐ予定だった義信がああなっちゃった(自害?追放?甲陽軍艦だけじゃ判らん)
のが原因で古株の家臣の勝頼に対して見る目は疎ましかったかもしれんが。
てか信玄死んだ後、徳川攻めずに国内で家臣団まとめてる余裕ねーよ。
上杉、徳川、織田いっぺんに相手しないといけなくなるだろ。
信玄もだろうけど勝頼は織田が浅井朝倉とやり合ってる間に徳川を潰し
浅井・朝倉や他の反信長勢力とともに織田を挟撃するつもりだったんだろし。

てか上杉が1月に西上野攻めるから信長と家康に甲斐信濃へ出兵するよう要請してるし
信玄の死を数年隠せるどころか勝頼には一刻の猶予もねぇっての。
戦で家臣に見せ付ける道しかねーんじゃねーの?


206 :日本@名無史さん:05/02/23 11:35:28
つか、武田騎馬隊なんていう露骨な釣りはいい加減にしてくれ

207 :日本@名無史さん:05/02/23 12:11:06
>>205
武田勝頼は武田家の家督を継いでない軍鑑説が有力でしょうね。

武田家臣団をまとめる余裕はありませんね。
結果、親族のほとんどは長篠合戦で敵前逃亡していますし。

一月の関東遠征は上杉謙信が対北条合戦に専念したくて、
織田家・徳川家に武田勝頼をお願いしただけですよ。
上杉軍の侵攻先は東上野が中心ですよ。


>戦で家臣に見せ付ける道しかねーんじゃねーの?

明智城と高天神城の制圧も武田家家臣に対して有効です。
犬居合戦も勝利を収めていますし


>某クーデター

武田信玄が招いた武田家滅亡への片道切符。

208 :日本@名無史さん:05/02/23 19:27:28
信玄は良い時期に死んだよ
無理して大軍を発した領国の疲弊・内的外交的負債は全て息子に押し付けた形
お陰で江戸時代に家康に勝った武将として神格化されたんだから

209 :日本@名無史さん:05/02/23 20:46:21
武田家臣団も信玄個人に対しての忠誠は高いが、
武田家に対しての忠誠心はかなり低い。

210 :日本@名無しさん:05/02/23 21:09:33
司馬遼太郎は、信長の外交は権略である。
嘘、すかし、騙しが外交の基調であり、信義ではない。
信玄と謙信が仮に長生きしても、信長の勢力が成長するまで、
騙され、すかされ、結局は天下は取れないだろうと書いてるね。

211 :日本@名無史さん:05/02/23 21:21:42
もし本気で織田信長に勝ちたいと武田信玄が言うのなら

東は武田・上杉・北条の三国同盟の成立!
西は本願寺・毛利・長曾我部(?)の三国同盟の成立!
中央では足利将軍・朝倉・浅井・松永・三好の連携!

この三大勢力による大包囲網で織田・徳川の殲滅ができる!

これなら織田。徳川も負けを認めるはず!
しかし、この大包囲網も非現実的であるがw

212 :日本@名無史さん:05/02/23 21:33:19
倒せた
                   以上

213 :日本@名無史さん:05/02/23 21:55:52
>>210
なんか変だな
信長との同盟を破ったのは信玄・謙信の側なんだが…

214 :日本@名無史さん:05/02/23 22:25:08
>>157

信玄の「上洛軍」は、25000くらいだったらしいな。
てことは、義元の「上洛軍」とだいたい同程度の規模と考えていいのかな。
信長のほうは、桶狭間の頃よりも10倍はグレードアップしているから、信玄、勝ち目なし。

215 :日本@名無史さん:05/02/23 23:45:23
>>214
義元と信玄を同列に扱う池沼

216 :日本@名無史さん:05/02/24 00:07:19
>>215
どう考えても同列だろう。

217 :日本@名無史さん:05/02/24 00:19:05
どう考えても義元のほうが格上

218 :日本@名無史さん:05/02/24 00:25:21
>>216-217 ツマラン池沼ども  格が違いすぎるんだよ。
義元が何万人も戦死させたような戦したことあるのかよ。
膨大な軍資金、食料で兵を瞬時に集める事が出来るのかよ。

219 :日本@名無史さん:05/02/24 00:27:14
謙信にボロクソに敗れ去る柴田勝家が、武田に勝つイメージが全然わきません。

220 :日本@名無史さん:05/02/24 00:28:09
北条にボロクソに敗れ去る滝川一益が、武田に勝つイメージが全然わきません。

221 :日本@名無史さん:05/02/24 00:30:40
徳川の罠にまんまとひっかかる池田恒興が、武田に勝つイメージが全然わきません。

222 :日本@名無史さん:05/02/24 01:27:48
でも武田家は織田家に滅ぼされたのが事実!
私は武田家が勝利するイメージが全然わきません。

武田信玄は天下に縁の無い男だなw

223 :日本@名無史さん:05/02/24 01:37:54
信長モナー

224 :日本@名無史さん:05/02/24 01:44:00
謙信と信長が領地が隣だったら、信長は
もっと早期に潰れていた希ガス。

225 :日本@名無史さん:05/02/24 01:49:49
戦術と戦略を有機的に結びつける能があったのは、戦国期後半では
織田、毛利(両川含む)、島津、長曽我部のみ。

226 :日本@名無史さん:05/02/24 02:23:00
>>224
謙信が信長の隣に住んでたら信長の稚児小姓にされていただろう。

227 :日本@名無史さん:05/02/24 09:31:24
なんだこのスレ?史料提示がない低レベルカキコばっか

228 :日本@名無史さん:05/02/24 09:51:30
>>227
>>89>>93-94
>>98-101
三戦から排除された浮浪者の仕業みたいw

229 :日本@名無史さん:05/02/24 16:03:53
学術論争に完敗した>>227=228が荒らしはじめます太(藁


230 :日本@名無史さん:05/02/24 16:11:12
>>229
三戦板から来て、延々口論を続けた挙句
>学術論争に完敗  ~~~~~
ってw

231 :日本@名無史さん:05/02/24 20:13:02
>>230
オマエが一番つまらん!

232 :日本@名無史さん:05/02/24 21:13:02
鉄砲がなけりゃ、信長の軍勢はへなちょこ。
もし鉄砲無しで、長篠の合戦がガチンコで行われていれば
ボロボロに負けてたでべ、信長徳川連合軍。
それぐらいあの時の勝頼率いる武田の軍勢は強かったと思う。

ま、そんなことは信長も家康も武田が強いのは分ってたから
用意周到に準備してたんだけどな。
信長がどうのこうの信玄がどうのこうのなんてどうだっていい。
あの時(長篠の合戦)の武田軍は鬼のように強く、そして男気が
溢れていた… 3000丁の鉄砲だって?卑怯だぜw
(戦に卑怯も糞もないがなーw

233 :日本@名無史さん:05/02/25 00:08:36
信長は謙信と同格の無鉄砲武者。
勢いのみで猪突猛進の戦いしか出来ない。 桶狭間などその代表格。
では何故天下を獲る寸前までいったか?
秀吉がいたからである。 智謀秀でた秀吉がいなかったら、
謙信同様、川中島レベルの戦死者二万超えを平気で信長はする。

234 :日本@名無史さん:05/02/25 01:34:44
>>233
はあ?秀吉は軍師でも参謀でもない。
信長の、ただのパシリですが、何か?(笑

235 :日本@名無史さん:05/02/25 01:49:44
>>232
それなら馬がなければ信玄もへなちょこだろうw
鉄砲を利用できない時点で信玄の負けは確定!


>>233
信玄の一番ダメなところがここぞ一番という戦で勝負を逃げているところ!
上杉にも北条にも織田にも勝てないw
徳川に勝てるつもりで仕掛けた三方ヶ原もあまり意味のない勝利!
今川氏真には勝てる力はありそうだがw

あと秀吉は戦に必要な狡賢さがあるが別にたいしたことはない!
家臣も金も無い秀吉が大損害を出すような戦を避けただけだなw


236 :日本@名無史さん:05/02/25 02:23:17
家臣に恵まれていたと言う事で家康の勝ち− 運は関係ない

237 :日本@名無史さん:05/02/25 02:57:06
信玄ならというか浅い朝倉などの勢力と連携したら
のぶながは危なかったかもだろ。
信玄単独じゃ織田の方が強い。

238 :日本@名無史さん:05/02/25 03:15:37
秀吉がいなかったら、信長は美濃を落とせなかった。
美濃平定は全て秀吉の手柄。
信長は配下の武将を恫喝する だ け の池沼。
信長が先頭に立てば、斉藤から虐殺されるわwwwwww

239 :日本@名無史さん:05/02/25 03:30:18
信長ってホントに運 だ け で乗り切ってる。
信玄の病死もそうだが、斉藤義竜早死にもまたしかり。
義竜に永遠に勝てずじまいの信長って生きる価値あるの?

240 :日本@名無史さん:05/02/25 03:32:58
>>239
あるよ。どんな人にもきっと価値はあるはず。

241 :日本@名無史さん:05/02/25 04:04:58
>>239
桶狭間合戦での恵みの雨がなければ今川義元の天下だぞ!
織田信長や武田信玄の天下は絶対にありえないw

今川義元>織田信長=武田信玄


斎藤義龍は名将だぞ!
織田信長だけではなく武田信玄も美濃には手を出せなかったw

斎藤義龍>織田信長=武田信玄

242 :日本@名無史さん:05/02/25 04:05:13
信玄、謙信、元就は配下の武将に殺されるヘマなどしません。
無様な死に方した安土の殿は、このような凡将になるなという
警鐘をならしたという価値はあるな w

243 :日本@名無史さん:05/02/25 04:08:50
>>242
嫡男に背かれた信玄を崇拝する人の言葉は違いますね!
普通の人には理解できないなw

244 :日本@名無史さん:05/02/25 04:12:21
義龍最強は同意。 あと5年長生きしたら尾張平定はおろか、
三河も手中に治めてる。 織田、羽柴、徳川政権など裏歴史になる。

>>243
ヘタレ光秀に暗殺された現実から目を逸らすなYO プゲラ

245 :日本@名無史さん:05/02/25 04:21:31
上のほうで、朝倉が撤退したからどうのこうのといっている人がいたが、
朝倉は、元亀3年7月〜12月まで出兵している。
半年も待たされたら、誰だって怒って帰るのが普通だろう。
てゆうか、
信玄が、ほんとに反信長同盟の主力でリーダーだったら、
自分の都合のよいときに、朝倉にも出兵するように指令なり、連絡なりできただろう。
てゆうか、
信玄が、ほんとに戦国最強だったら、
浅井や朝倉、本願寺などあてにしないで、単独で出兵して、信長を叩けただろう。
実際にやったことは、
10月に25000で、甲府を出陣して、二股城攻めに2ヶ月、
三方ヶ原で家康に勝利して、野田城攻めに1ヶ月、これを中断して帰途で死ぬ。
野田城を落としたと仮定しようか。
今までの戦いの損害と、落とした城の守備に兵を残すから、
尾張に向かえるのは、せいぜい2万そこそこだ。
これで、信長に勝てると思うのかね?

246 :日本@名無史さん:05/02/25 04:26:17
>>244
今川にかろうじて勝った織田が安堵している時に、
すかさず侵攻するチャンスを生かせなかった斉藤義竜は、ただのボンクラ。

247 :日本@名無史さん:05/02/25 04:27:29
>>245
武田信玄が勝てるわけ無いねw
西に進めば進むほど自滅!

朝倉義景あっての武田信玄ですw

248 :日本@名無史さん:05/02/25 04:32:02
武田は織田と違ってお金持ち〜♪
領国掘れば金が出る〜♪
軍資金は一杯なので〜♪
兵は瞬時に雇えるの〜♪ (w

249 :日本@名無史さん:05/02/25 04:35:20
>>246
義竜に連戦連敗の織田風情が何か言ってるのう ホホホ

250 :日本@名無史さん:05/02/25 04:39:59
>>247
6月2日に織田信長が先制して美濃に攻めているからね。
森辺合戦は斎藤義龍が織田軍を撃退しているから悪くはないと思う。
今川家の混乱に乗じて美濃に目標を定めた信長の戦略勝ちかな?
翌年の松平家との和睦(尾張・三河国境設定)も強か。

251 :日本@名無史さん:05/02/25 04:45:50
信玄は上洛に全然興味はなかった。 
が、西進せざるをえない事態が生じた。信長の比叡山焼き討ちである。
仏法に帰依し信心深き信玄にとっては、絶対に赦すべからず大事件だった。
鬼畜生に仏罰を下す聖人を、だれが責める事が出来ようぞ。

252 :日本@名無史さん:05/02/25 05:21:47
>>248
武田信玄はそんなにお金がありながら織田どころか上杉や北条にも勝てない!
そして徳川さえも滅ぼせないとは愚将でありますなw

253 :日本@名無史さん:05/02/25 08:35:39
所詮甲斐の山猿。
たまたま運良く金山が見つかったおかげで成金になったが、
金遣いはもちろん、人使いもてんでダメだった。

254 :日本@名無史さん:05/02/25 09:02:32
>>253
たまたま? ヴぉーけ(w 甲斐の坑道掘り技術は日本一。
金鉱開発は必然なのだよ。 その技術を全国に広めるため、
大久保長安や鎮目市左衛門が石見や但馬の銀山、佐渡金山のより一層の発展に寄与した。
坑道掘り技術は本業に留まらず、徳川傘下の時は、
大阪の陣でベトコン真っ青の隋道を掘った。
織田とは数段違うのだよ www

255 :日本@名無史さん:05/02/25 10:09:58
三戦板のほうが石高から動員可能数を算定してたりと、まともに議論してるじゃん…
おまいら日本史板住人として恥かしくないのか

256 :日本@名無史さん:05/02/25 10:36:48
このスレッドは三戦板を追い出された信玄厨信長厨の提供でお送りします

257 :日本@名無史さん:05/02/25 10:48:22
>>255
学がない奴だな!
そんなに教えて欲しいなら授業料を払って勉強しなw

258 :日本@名無史さん:05/02/25 11:17:03
>>255
三戦板住人乙w >>256の通りだ、日本史板を荒らすなよ。
それに動員可能数とやらは、石高よりも領国の繁栄安定、領主の手腕
国人との力関係やで。

259 :日本@名無史さん:05/02/25 11:51:22
>>175
信長初陣から1573年4月までの間、
一戦の最大動員数 6万人 
この数字はどこから?

明確な資料と内容が示せないのは何故だろう?

信長厨はハッタリ厨




260 :日本@名無史さん:05/02/25 12:55:43
>>259
三戦板を覗いてみろ。詳しく検証しているから。
つうか、この時期、京都や他の地域に振り向ける兵力を除くと、
信長が、信玄軍に対して差し向ける兵力は、35000くらいらすい。
信玄が、野田城のあと吉田城、岡崎城と順次落としていくと仮定すると、
尾張国境に到達するのは数ヵ月後、
信玄軍は攻城の損害と、落とした城に守備兵を残すため、15000くらいになっていると思われる。
それでも、信玄が信長に勝てるというのだろうか?
てゆうか、もう夏だよ!田んぼはどうするんだ?>武田兵

261 :日本@名無史さん:05/02/25 13:04:26
武田より、常に本州より大陸側を睨んでいた島津が、
本気で日本統一に乗り出してたら、徳川時代もなかったろうな。
関ヶ原で豊臣側に兵を出したのも、
いちおう西国代表としてやる気もないけど形だけ兵を出した参戦な
ま、ちょっと遅れて維新で幕府を倒した訳だが
 

262 :日本@名無史さん:05/02/25 13:46:31
信長は、信玄が急死したから九死に一生を得た。
信玄は包囲陣を張って必ず勝つ戦いしかしない。
騎馬軍団の強さもそこにあったわけで、互角に戦えたのは謙信だけ。
当時まだひよっこの信長や家康には手も足も出ないことは、三方が原を見れば判る。

263 :日本@名無史さん:05/02/25 13:54:47
>>260
いまどき、ゲームでももう少しまともだぞw

264 :日本@名無史さん:05/02/25 14:29:46
確かに信長房って、信長は強いと勘違いしすぎだわな。
信玄が西に向かった当時、織田の軍では武田や上杉の軍に
勝てないよ。当時はどうみたって武田や上杉の方が数段強いよ。
なんで認めようとしないんだ?
ま、ガチにやりあった場合は織田は負けるが、遥々遠征してきて
弱ってる武田には勝てる、ってことかな。

まぁ、光秀にあんな形でやられてる時点でその程度の器なん
だよ、信長なんて。

265 :日本@名無史さん:05/02/25 14:30:20
倒せない>スレタイ


で、終了

266 :日本@名無史さん:05/02/25 17:11:40
>>264
財力、石高その他諸々で織田に圧倒されている武田のほうが強いという根拠は?
ま、どうせ釣りなんだろうけどなw

267 :日本@名無史さん:05/02/25 17:36:14
そういうことは、三戦でやれっての

268 :日本@名無史さん:05/02/25 18:18:49
信玄なんて百姓の土豪の大将。
信玄に付き合ってる甲斐や信濃の豪族連中は信玄が信玄堤に代表されるような、
内政を大切にしてくれる大将だからついていくって感じ。
それに比べて、織田家は秀吉にしろ明智にしろ滝川にしろ、
一旗上げたい山師のような連中。
組織として戦争するには織田家の方が強いだろうな

269 :日本@名無史さん:05/02/25 18:45:40
これこそ釣りだと思うが、一応
清和源氏直系 武田氏
斯波氏守護代 織田氏

270 :日本@名無史さん:05/02/25 20:10:22
武田家は、直系とちゃうで。分家の分家やでぇ。(笑
で、やっぱり、百姓の親分の連合のボスというところだぎゃ。

271 :日本@名無史さん:05/02/25 20:51:01
内陸部の地政学的軍事優位性の壁を、技術革命と経済力が上回った日本の中世から
近世への歴史の節目。 信長は日本の近世的合理主義が産み出した近代人であり、
時代遅れの封建大名たちは、確実にそのままでは淘汰されるしかないのだった。

272 :日本@名無史さん:05/02/25 21:31:14
>>271
信長こそ中世を引きずった封建大名ですが何か。
渡来銭が闊歩の御世で、独自通貨を発行した信玄。
独自通貨を造らずに、旗印に永楽通宝なる渡来銭をもってくる時代遅れ。

273 :日本@名無史さん:05/02/25 23:14:31
と思う。

274 :日本@名無史さん:05/02/26 01:50:47
信玄が信長より、封建的中世的でなかったという結論には大方が首傾げるんでは?
信玄は偉大だが、考え方は保守的だよ。いろんな難しい言葉使わないでも、それは
分かるだろ〜が。

275 :日本@名無史さん:05/02/26 06:25:40
だが、中央集権の信長に比べて、地方分権で各豪族達のそれぞれの力を引きだし、その調整役になった信玄の方が近代民主主義に近い気はする。

家康は信玄を畏敬し、内政に関して大いに手本として旧武田の家臣も大いに取り立てたようだね。

276 :日本@名無史さん:05/02/26 06:53:07
>>274
信長も信玄と同じ程度に封建的中世的(意味不明な用語だな)
実施した施策を見る限りは。

277 :日本@名無史さん:05/02/26 07:32:51
>>260
推測の域で明確に答えてない。

>>172 は
>〜天正元年四月までに、一つの戦闘に動因した信長兵の最大数は?

である、しかるに不確かな「仮定すると」ってなんだ?
「動因した信長兵」を問うているのあって、
推測で「〜であるらしい」適当に「仮定すると」では答えになっとらん!
振り分けた数も推測。
しかも35000とはなんぞや?
信玄軍「〜と思われる」もいい加減。

6万人とした先の答えはハッタリ確定!


信長厨はハッタリ厨









278 :日本@名無史さん:05/02/26 08:51:58
家康は桶狭間の序盤戦で信長と、三方が原の戦いで信玄と刃を交えた。
結果、信玄の方が優秀であると悟り、甲州信州攻めを行ない、
信玄なきあとの武田兵の取り込みに成功する。
家康に見限られた信長軍団は使用価値なし。

279 :日本@名無史さん:05/02/26 09:48:09
信玄公は、甲斐源氏の嫡流。
その御旗を京の都に立てよと信虎さまが喚いておられましたがな。

しかし信玄の中では足利に代わって武田幕府を作る気は上杉同様なかったかも。
摂政関白くらいの気はあったろうが。
あの上洛も将軍家に請われてようやく重い腰をあげたんだもんな。
それとも信玄は正室が公家だから、朝廷とのパイプの方に興味あったかな?

280 :日本@名無史さん:05/02/26 12:31:33
単に今戦ってないと確実に織田に圧倒されてしまうからじゃないの

281 :日本@名無史さん:05/02/26 12:51:38
>単に今戦ってないと確実に織田に圧倒されてしまうからじゃないの

aho !



282 :日本@名無史さん:05/02/26 18:58:46
ヨーロッパの歴史とかをみても、
封建主義から近代に移行する時に強力な中央集権的国家となる。
常備軍を持ち、電撃的な素早さで他国を圧倒する。
ドイツのビスマルクとか。
ウェーバーが言うように、伝統的な人と人との個人的信頼に基づく集団が、
法律や契約、といった官僚制的な集団の前に敗れ去っていった。
南北戦争の北軍が近代的ならば、南軍は封建主義的、貴族的。
明治政府が近代的、徳川が封建的。
これは全世界的な歴史の流れであり、必然の物語。

283 :日本@名無史さん:05/02/26 19:08:45
もっと言えば
日清戦争の日本軍が近代的、清軍が封建的。
日露戦争の日本軍が近代的、ロシア軍が封建的。
アレキサンダー大王が近代的、ペルシャ軍が封建的。
 日清戦争は、客観的な軍事力から言えば清は日本軍より優位であった。
 しかし、日本軍の前に敗れ去った。 
武田的軍団も、たとえ兵力に優れていても、最終的には織田信長的な勢力の前に敗北する。
織田信長は奇跡の人で、日本を一人で一気に変えたのではない。
日本の近代的合理主義が、織田信長を生み出したのだ。 
これは歴史の流れであり、エントロピー的な科学法則、不可逆な流れである。
 

284 :日本@名無史さん:05/02/26 19:42:32
>>282-283
日本史板なんだから、もうちょっと説得力ある説唱えろよ。 突っ込み所満載だよ。
三戦板はオタだらけだが、ここまで御馬鹿ではない。

285 :日本@名無史さん:05/02/26 21:43:52
>>277
6万は知らないが、元亀三年の江北出陣で5万を率いたとはあるね。
天正元年には槙嶋攻撃で7万という記録が。

それから、信長は義龍に勝ったことが無いとあるが、義龍が信長に勝ったこともないぞ。
なぜなら、両者は戦ったことがないから。
1556年に道三が死んでから、信長は尾張統一に、義龍は美濃の反対勢力(旧道三派)
との戦いに忙しくて、お互いに他国に出陣なんてしてない(まあ義龍のほうが多少余裕
はあったと見えて、裏工作でちょっかい出したことはあるが、すべて潰されている)。

しかし、本気で三戦よりレベル低いぞここ。

286 :日本@名無史さん:05/02/27 03:39:54
三戦板住人御苦労さん
アレのどこがレベル高いんだよw
重箱の隅を突付く机上の空論ばかりじゃん
しかも空論の出来がかなり悪い、さらに論破されると話題が飛んでるしw

287 :日本@名無史さん:05/02/27 11:04:15
>>277
足利義昭を奉じて上洛したときの兵力を知らないとは
必死な信玄厨乙

288 :日本@名無史さん:05/02/27 11:23:10
信長は信じていた家臣に殺された。
織田家は信長の寵臣に踏みつけられた。
信長の側室は磔に娘は側室に
家臣にしても信長の権威はこんなもの
結果から見れば、信長は秀吉を世に出すための道具で
秀吉は徳川政権を安定させるために国をまとめ下準備をした。
家康は武田の家臣を大事にし、息子に武田家再興をさせようとした。

>幕末、勝海舟が武田家伝来の訓練を見て
>「西洋並み」と、その質の高さに驚いたという。

さて、幕末に勝海舟が武田家の軍事訓練を見ることができたのはなぜ?



289 :日本@名無史さん:05/02/27 11:27:41
>家康は武田の家臣を大事にし、息子に武田家再興をさせようとした。

武田信清は大事にされなかったのね

290 :日本@名無史さん:05/02/27 11:47:58
あ〜あ、連盟組んだ織田家には捨扶持与えて延命処置ですか。
秀吉も織田家は主筋なのに思う存分オモチャにしてるな。

291 :日本@名無史さん:05/02/28 16:25:01
>>288
武田家伝来の訓練と武田家の軍事訓練は違う、で正解?

292 :日本@名無史さん:05/03/06 18:50:30
>>284
三戦でも日本史でもどっちでもいいです。
でもあなた、
つっこみどころ満載なら具体的にどういうところが
つっこみどころか明確に指摘しなさい。
ただほえるだけならだれでもできますよ。

293 :日本@名無史さん:05/03/06 19:13:42
>>292
>>284はただのアホだから許してやってくれ!
知らない奴ほど負け犬根性丸出しなんだよw

294 :日本@名無史さん:05/03/09 03:22:02
でも>>282-283みたいなのはあんま詳しくない俺でも馬鹿だと思う。
信長が近代で信玄が封建だから信長の勝ちって・・w

295 :日本@名無史さん:05/03/09 03:29:05
具体的に信長の近代性と信玄の封建的な部分を明らかにして
言及いないんだから、突っ込まれて当然。
どこをどうって問題以前。話にならない。
それを>>292-293みたいな自作自演で誤魔化しては情けない

296 :日本@名無史さん:05/03/09 07:46:59
>>295
厨房の知ったかは勘弁してくれw
どこをどう見たら自作自演になるんだ?

297 :日本@名無史さん:05/03/09 19:33:03
>>296
反論するならそこじゃないでしょ。
些細な事にこだわってるから厨房なんだよ

298 :日本@名無史さん:05/03/09 19:50:00
さっさと落とせよこんな不毛スレ

299 :日本@名無史さん:05/03/09 20:57:47
三戦板向きだしな。スレあるし

300 :日本@名無史さん:05/03/09 23:17:34
で、結論は信玄なら信長を倒せたで〆で宜しいんですね。

301 :日本@名無史さん:05/03/10 04:01:50
家康は武田の家臣を大事にしたって時点で
武田家が戦国最強だったのは明らか
家康は地位を安定させるために、にらみを利かせなければならなかったから、
なめられるような家臣を大事にはしない
武田の家臣がみなから最も恐れられていたから
大事のしたんだよ

302 :日本@名無史さん:05/03/10 09:42:40
んで、武田が天下とって勝頼の代であぼーん

303 :日本@名無史さん:05/03/10 12:57:51
>>297
お前の目は節穴か?
そこ以外に何があるんだ?

歴史を知らんお馬鹿は黙れよw

304 :日本@名無史さん:05/03/10 13:03:55
>>303
歴史認識が大間違いなのを突っ込まれたのに
自作自演じゃねぇよバーカこの節穴やろうw
とか言ってるオマエが馬鹿だと思うが。

305 :日本@名無史さん:05/03/10 15:18:31
>>303みたいな馬鹿は三戦板にすらいないぞ。天然記念物だ

306 :日本@名無史さん:05/03/10 19:38:55
素人考えなのだがあれだけの敵に包囲されていたのにもかかわらず
なぜ誰も倒すことが出来なかったのかを考えれば信玄でも勝てない
と思う。

さらに信長と主力決戦をした場合、勝った方も死傷率は少なくなく
拠点を落として行く内に兵を集めた信長軍と再度の主力決戦を
行う国力は信玄にはないと思われ。



307 :日本@名無史さん:05/03/10 22:59:11
>>306
信玄はお金持ちー♪ 領内掘ればー金が出る♪ 国力維持は屁のカッパー♪

308 :日本@名無史さん:05/03/10 23:54:59
信長と信玄じゃ動員力
がまるでちがう

309 :日本@名無史さん:05/03/11 08:13:37
信長では川中島レベルの合戦は無理。 戦死者5000人超えれば遁走するだろう。
同盟の徳川がいたから信長は滅ぼされずにいた。
もし信長が単独で姉川合戦したら骸になっていた。

310 :日本@名無史さん:05/03/11 14:30:59
>>306
包囲勢中、最大勢力は何処か?
主力決戦とか仰々しいこと言うが
織田方へ調略が進んでいるから、負けたらそれで終わり。

311 :日本@名無史さん:05/03/11 18:04:51
川中島レベルというのが良く分からないけれど
ほとんど戦わずに撤退したはず、戦死者が多く出た戦いは
遭遇戦の結果だと思ったけど?

同盟の徳川がいたから信長は滅ぼされずにいた。 なぜ?

信長は戦死者5000人超えれば遁走するだろうから骸にはならない?


312 :日本@名無史さん:05/03/11 18:10:57
>>310
もちろん毛利、次は本願寺かな?

戦後の宣伝次第では一回負けたら終わりですね

313 :日本@名無史さん:05/03/11 19:27:24
信玄は謀略には優れていたが戦術面では結構問題がある。
勝ち戦は全て敵より多くの兵を集めたもので(戦略的にはもちろん正しい)、戦術
で負けたり苦戦した戦いでも全て相手より多くの兵を持っている(上杉・村上)。
「正面決戦なら信長なんて鎧袖一触」なんて言う根拠がわからん。

少数で多数に勝つ、なら信長のほうが多くやっている。

314 :日本@名無史さん:05/03/11 20:10:42
三河勢は神懸ってるな

315 :日本@名無史さん:05/03/12 17:18:34
結論、信玄では戦略的にも戦術的にも信長には勝てない

316 :日本@名無史さん:05/03/13 12:43:20
結局、ちんこの強弱で全て決まる

317 :日本@名無史さん:05/03/13 15:51:37
歴史リンク大サイト
http://zanyphenix.gozaru.jp/

318 :日本@名無史さん:05/03/18 19:02:01
どうでもいいけど当時の徳川家康が今の公明党みたいな存在のような気がする


319 :日本@名無史さん:2005/04/14(木) 23:53:47
【社会】止めようと立ちはだかった男性、轢き殺される→車上荒らし、無期懲役確定

★ひき逃げ殺人で無期懲役確定へ 最高裁、被告の上告棄却

・兵庫県姫路市で01年、大阪府柏原市の会社員が車にひかれて死亡した
 事件で、最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は、強盗殺人罪に問われた
 無職武田晴信被告(33)の上告を棄却する決定をした。一、二審判決の
 無期懲役が確定する。決定は11日付。

 一、二審判決によると、武田被告は01年12月14日午前2時40分ごろ、
 姫路市のレストラン駐車場で、駐車していた車から雑誌などが入った
 かばんを盗み、自分の車で逃げようとした。これを見つけた会社員の
 男性(当時26)が武田被告の車の前に立ちはだかったが、武田被告は
 そのまま車を走らせ、男性を引きずって殺害した。

 会社員の両親は事件後、会社員が結婚資金のためにためた200万円を
 懸賞金にして情報を求める活動をした。

http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1113389537/

320 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 13:57:42
日本史に詳しい皆様教えて下さい。
信玄公の野田城攻めのとき、夜になると城内から聞こえる、村松芳休(芳林)
なるものの笛の音に聞き入り、受けた弾が元で死んだというのは学問的には
どの位信憑性があるとされているのですか?
又、この村松芳休という男はどの様な人(どの位えらい人etc・・・)なんで
しょうか?何か他に逸話等ありますでしょうか?
又信玄が聞きほれたというこの笛はどの様なものなんでしょうか?尺八でしょう
か?それとも龍笛の様なものなんでしょうか?そしてどの様な曲だったのでしょうか?
詳しい方教えて下さい。(どの様なところに聞けば解るかでも結構です。)
宜しくお願い申し上げます。

321 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:33:52
伝説では本丸に立て篭もった城主菅沼定蜜←(多分字が違う)が夜ごとに
笛を吹いてその音色は武田方の評判になった。この噂を聞いた信玄も笛を
聞きに野田の城へ出向いたところ、ズドーンだったと思う。
僕は愛知県新城市にある野田城跡にも行きましたし長篠城、設楽ヶ原にも
行きましたよ。設楽ヶ原に記念館があって、そこに信玄を撃ったとされる
錆びた鉄砲が展示してありました。
黒澤明の「影武者」じゃないけど、事実ではないだろうね。

322 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:21:50
野田城で撃った鉄砲が、設楽が原の記念館にあったの?
俺は、その鉄砲か知らんけどテレビで見ましたが、
長距離を狙えるように特大の鉄砲でしたが。
で、俺は狙撃説を信じていたわけですが・・・・・・・
最近、野田城は武田軍に降伏開城、
しかし城主菅沼何某はその後も生きていたということを知りました。
信玄が撃たれて死んだのなら、武田軍はそのまま撤退するか、
だまして開城させたら、城主、城兵は皆殺しにするだろうなぁと思うと、
狙撃説は間違いか、または撃ったけれど当たらなかったんじゃないかと思います。

323 :321:2005/04/16(土) 01:29:43
おっ!もしかして320の人?
そうです。僕が見たのは木の部分が無い特大の鉄砲でした。
普通、降伏した敵城主は殺しません。味方にして使いたいから。
信玄の死が天下に知れたらまずいから平静を装ったんじゃないか?

324 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:42:56
徳川家は小豪族は裏切りを繰り返したが
身内は裏切ってないよな、やっぱ織田家が勝つと考えたんじゃないか
豊臣vs徳川の時は、身内筆頭の石川数正が裏切る程だから

325 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 09:38:48
>>324
家康嫡男・信康の仕置を知ってそう言うか?
徳川家臣団は信長の隙を見計らって亡き者にしようとしてコバンザメのように連れ添ってたの。
本能寺の変がなければ、明智の代わりに徳川家臣団が信長を殺してた。
信康を介して同盟結ぼうとした武田を、どうして信長の下と決め付けられようか。

326 :日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:56:26
信康の件は信長の命令と言うより、
家康の判断という説もありまつよ

327 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/17(日) 01:08:04 ?
信長と信玄はたしか
書面でやりとりしていて
家康が歯向かうなら
こらしめるようなことを言っていたらしいけど
あのころはコロコロと戦略が変わるから
ナガシノの戦いで
応援に駆けつけたメンツは
よく考えると最強だな。


328 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 02:38:33
>>325
おまえ、何かおかしい発言だ・・・

329 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 03:56:13
>>327
後半部分が意味不明

330 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:31:14
>>320ここから>>325ここまで
確実に自演だなw しかも、とても分かりやすいw

331 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 02:28:18
>>1
信玄へのごますりぶりからして、まじに直接対決になったら
和議の申し入れをしたのではないかな?
多分、徹底抗戦だけは避けたと思う

332 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 00:48:02
>>331
同意だな、別にそれで織田のほうが弱いと言う気は全く無いが、武田よりももっと弱い勢力相手に
領土広げたほうが織田にとっては楽だからな、本当にどうしようも無いなら戦うだろうがそれまでは
徹底的に戦いを避けそう、武田に楽に勝てるぐらいの勢力になるまで。

333 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 02:14:00
>>332
漏れも同意。
信玄が動き出した時、信長は、既に講和の申し込みをしているw
それに夕庵宛ての書状をみても、信玄はいい返事をしてないから、
いくら避けても、結局直接対決を免れなかったかもしれない。



334 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 02:27:44
勝てる所でのみ戦え。
負ける戦なら戦せずにかわせ。

何時の時代でも勝者となる鉄則ですな

335 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 02:37:31
勝てると思って戦ってみたら、裏切られて
危うくアボーンしかけたことなかったっけ?>>>信長


336 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:10:48
>>335
あれは、イレギュラー

337 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 19:56:32
>>335
あのまま戦っていたら負けただろうけど、全力で逃げて戦を避けてるから
>負ける戦なら戦せずにかわせ。
に適応してるんじゃないか。

338 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:40:58
してないww
戦になった→負けた→潰走→生命の危機→遁走
完全な負け戦

339 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 23:23:24
>>332
徹底的に避けても、楽に勝てる勢力になる前に、
とっつかまったと思うぞ。
その後、信玄が腹を切らしたか、臣従させたかは微妙。

340 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 00:17:15
>とっつかまったと思うぞ

三方ヶ原以降、ブチのめす相手が
家康が先か、信長が先かによって変わってこないかな?

341 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 01:28:16
尾張統一までの戦いと桶狭間を見る限り信長の戦の上手さは言うまでもない
小戦闘での信長の采配は信玄以上 大局を見る目も信長に軍配
家臣団の強さでは信玄が上だがある意味季節労働者
あのまま信玄が生きていた場合、地の利のある自領へ引き込んだ
後、武田軍は織田徳川連合軍に再起不能にさせられたと予想

因みに天下人3名を比べると
3千人最強  信長
3万人最強  家康(信長でもよいが家康は野戦得意だし)
30万人最強 秀吉

政治力、戦略、戦術を総合し鶯の歌のように適当に分けてみますたw

342 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 03:02:13
贔屓目にみたとこで、再起不能はまずあり得んw

343 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 04:19:35
勝頼からですら、東美濃をなかなか奪還できなかった奴が、
信玄を相手に、再起できないぐらいの打撃をあたえられたとは
とても思えないぞ。

344 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 14:13:00
静まれーぃ!静まれーぃ!
この紋所が目に・・・・静まれーぃ!
皆の者〜、静まれっ!静まれっ!静まれーぃ!
このお方をどなたと・・・・静まれーぃ!
ええぃ!静まれっ!静まれーぃ!
さきの副将軍、水戸の御老・・・・し、静まれーぃ!
静まれーぃ!皆の者、静まれーぃ!
水戸・・・・静まれーぃ!静まれーぃ!静まれーぃ!

345 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 15:20:25
武田軍の長期的侵攻が不可能
信長は負けそうな戦は避ける
から考えてみる
信玄は徳川を放置したのは時間がかかるから
信長出身地である尾張を短期的にでも侵食することにより
織田軍のイメージダウン(自分の田舎すら守れないへたれ。援軍がなければ見捨てた等)
を計り、次回の出陣の為の布石を打とうとしたのではないだろうか
信玄がどこまで寿命を延ばすかによるけど
かなり織田は厳しい局面に立たされたのではないだろうかと愚考する


346 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 18:20:15
イメージダウンを覆えるほどのプラスの実績があればいいのでは。
武田の美濃の片田舎の占領なんぞ、中央にいる信長にとっては些細なことでしかないのかもしれん。

347 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 19:08:55
確かにその時はそうかもしれなかったが、
後年、信長は東濃奪還で辛酸をなめるはめになる。

348 :日本@名無史さん:2005/04/20(水) 20:40:00
対信玄に関してはプラス実績無理じゃね?
謙信が、全面協力してくれれば、変わるだろうけど

349 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 20:22:59
信玄が存命で、かつ信長が低姿勢のままであれば、 
全面的に味方してくれたはず 


350 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 00:50:27
信玄の力を買いかぶりすぎじゃないかな?
当時の信長もそんな態度ではあるが、その心底には中央の覇権を
確立するまでの一時的な要素が多分に含まれているだろうしね
家臣団の強さは勿論認めるが、家康みたいに劣勢でも真っ向から
ぶつかるような真似は間違ってもしないだろうし、逆に信長強しを
印象付ける結果に終わった可能性もかなりあると思う
実際のとこ家康も、信長の指示通りに篭城したかったのだと思うが
領内への配慮から戦闘をしたという既成事実を作りたかっただけ
じゃない?
個人的にはあのまま信長領内まで突き進むのは武田軍にとって
かなり危険だったと考える
義元のようなへまは流石にしないだろうが、家康放置ということは
状況的には義元の上洛戦より厳しい状況でしょう



351 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 01:16:16
>>350
もう少し文章をまとめてくれないか?

352 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 03:15:42
まあ信玄にしろ他の大名にせよ単独で織田家に勝つ事は無理だった
でしょうね・・国力に開きがありすぎますしね。
信長の統一事業の中で最大の敵は本願寺、雑賀衆、一向門徒たちで
間違いなく武田家より厄介で強敵だといえます。
武田家に対しては適当に外交であしらう程度でそれほど恐れてはい
なかった様です。
信玄が南下しても長征できるはずもなく戦線をを維持できないと考
えたのでしょう。
武田最強説はかなりの部分が後世の創作であることはいなめません・・
ましてや騎馬隊などは現実的に厳しいですね。



353 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 03:56:06
その厄介な存在と武田家が結びついているのだが・・・

凄く簡単な図式で申し訳ないが、
適当にあしらう→本願寺と対決・比叡山にも手を出す
→信玄動く→信玄に講和申し入れ

恐れていなければ、はたして講和を申し込むかな?

確かに武田最強伝説は、後世脚色された部分もかなりあると思う。
俺はその部分は否定しないし、騎馬隊についても否定的。


354 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 04:34:34
>>353
>>332の言うように講和は単に余計な敵を作りたくないだけでは。

355 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 10:55:29
>>352
これ、天正元年前後の話じゃないのか?
>国力に開きがありすぎますしね。
>信玄が南下しても長征できるはずもなく戦線をを維持できない
ゲームからの知識ばかりでなく、少しは書籍なりを読むこと。

356 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 11:30:54
>>355
このスレがそもそも天正元年前後の話だろ、せめてゲーム程度の知識を身につけたら。

357 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 12:44:14
>>354
>余計な敵を作りたくないだけでは
余計な敵も何も、この時の織田と武田はすでにほぼ敵対関係。

>>356
ゲーム程度の知識でいばるな。
クリエーター達が入力したデータに過ぎない。


358 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 13:06:18
兵農分離できていない軍が信長にとどめを刺せる訳ないって事か

359 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 14:18:54
えっ、信玄って上洛を考えて遠州、三河に侵攻したの?。
2万5千で京都までいくつもりだったの?。
でも、孫子の教えって1より2が強く、2より3が強い、相手を
圧倒する兵力を戦場に迅速に投入するってんのが本質でなかったかな?。
とすると、信リンの大軍を上回る兵力がなければ、いけないことに
なりゃせんか?。
鉄砲を使用した畿内での派手な射撃戦を経験していない武田軍は、信リン
との遭遇戦でかなりの打撃をうけるんじゃねえか?。

360 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:03:32
実際には、あのときの上洛戦は、浅井朝倉への援護、義昭の要請などもろもろ
あったから出ていったけど、病気をしなくても尾張あたりで、一戦まじえる
のが精一杯だったでしょうよ。仮に短期的に尾張、美濃を席巻できたとしても
長期大軍の駐留は農民兵主体ゆえに難しく、取り返させるのがおち。
信長が自ら先陣に出てきて討ち取られるとか、そういう奇跡がないかぎり
長期的に勝ちは望めなかったと思う。

361 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:23:52
効率よく一揆を煽動したろうから、信玄にかかりきりは無理じゃないかな
農民兵wが主体だとしても、三方ヶ原が12月、次の農作業まで最低3ヶ月
この間に、どこまで進んだか…
長期的大軍なんぞ置かずとも、岩村の信友みたいなのもいるからな


362 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:26:10
またぞろ、三戦板から遠征か‥

>長期大軍の駐留は農民兵主体ゆえに難しく
妄想をぶち撒けるのは大概にしろっての‥
>359
この時期の信長に動かせる軍勢は限られてる。

363 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 17:00:35
>>355
352の主張ってゲームとあんまり関係なくね?

364 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 17:56:22
これが噂の三戦荒らしかw

365 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 22:10:54
いやはや、信リン、京都にのぼって、「すってんころり」って思ったら、信玄の思惑はずれて
案外、うまく立ち回る。負けはするが、負け慣れていると言うか、負けが設計に入っていると
いうか?、立ち直りが早いと言うか?、とんでもない相手という情報は、信玄にも
入ってきていたはず。さらに、信リン、堺を押さえ、大量の鉄砲を買い込んでいるといううわさは
信玄の耳にも入ってきていたはず。しかし、信リン、気持ちが悪いくらい武田家には
平身低頭、こりゃ、ふつうで有馬温泉。

366 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 22:21:14
信玄、ど〜して、遠州から主力を投入するの?。
遠州→三河→尾張路線??、これでは、朝倉は「信玄、やる気あんの?」
って越前に帰ってしまうわな!。
逝くなら、本隊主力が美濃本国、侵入でしょうが!!。
これこそが、同盟軍に喧伝でき、信リンを唸らせ、徳川の動静を探ることができるでしょうが!!。
これがないから、信リンに余裕かまされるんでは!
「信玄、読みどおりの侵攻、大した能力なし、徳川への手配は万全」
な〜んで、遠回りするの?。
じつは、信玄本人が一番、信リンとの決戦に自信がなかったのでは?。

367 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 23:11:20
弱いほうから、叩くのは当たり前

368 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 01:18:41
>>366
小競合いならともかく、短期決着の難しい信長との大掛かりな上洛戦を
する場合は横っ腹の家康は手を打たざるを得ないでしょ
2方面作戦は数に劣る武田側は取れないだろうから遠州三河から
攻め込むのは正攻法なんじゃない?
労咳で死期を悟った信玄の最後の賭けみたいなもので所詮上洛
なんて無理だったと思う


369 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 01:20:00
三戦から来た落ち武者の特徴:出羽出身で出羽訛りがある。

370 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 01:24:46
>>368
スレタイ嫁。
上洛できたかどうかについては、三戦の巣に逝け
そして、もう出てくるな

371 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 05:11:54
>>366
三戦板風にいうなら北伐で孔明に長安奇襲作戦を採れというようなもの。

372 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 08:30:40
>>232

>北方縄文系の関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分らしい。
>空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬の達人が多かった。
>弓の達人といえば那須の与一が有名だな。
>長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。アイヌも北方縄文系。

>また、東日本の北方縄文人のものをベースにした日本の騎馬軍団は、モンゴル騎馬軍団と同じ軽装騎兵。


関東武士の武田軍が強いのは当然。

濃尾平野周辺・大阪平野周辺は、農耕民族の渡来人の影響が強く、短頭人種の地域。
よって尾張兵・関西兵は弱い。
鉄砲をほとんど持たない尾張兵・関西兵が、関東武士に勝つには、2倍以上の人数が必要だろう。

尾張兵が強くなったのは鉄砲普及後。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。」ってやつだな。

373 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 13:57:18
やっぱ、信玄は美濃に全力で侵入して、信リン単独との決戦を試みるべきでしょう。
そりゃ、信リン・家康も、こちらの方面に「ど〜いう対策をとるか」をよく練っていたと思うが、、、。
しかし、遠州、三河方面への侵入よりも美濃直接侵入の方が、朝倉のアホ撤退を
延期させ、しかも家康横やりを回避できる可能性が高いのでは?。

374 :日本@名無史さん:2005/04/23(土) 14:31:09
信リン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キモ

375 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 03:25:15
>>372
補足


短頭=頭が左右に長く、前後に短い
長頭=頭が左右に短く、前後に長い
中頭=短頭と長頭の中間

376 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 06:05:56
もともと信長と家康は信玄が病気で長く無いと知っていたのでは‥
もし信玄が元気なら信長は素直に通したのではと思う。
今川の場合でも、もし義元にすきがなかったらそのままとしたのでは‥
信長はまだ若いから死ぬの待つのでは‥
信長はダメだと分かればすぐ逃げる、戦上手


377 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 08:06:40
病気だと知っていたら、 
援軍なんて送らなかったんじゃないか? 
 
今川にスキがあるなんて 
信長は知るよしもなかったろう 
 
負け戦はしないと言うのは、課題評価しすぎ

378 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:33:55
信玄はなんで信濃に約20年間もこだわってたのか。。
信玄が信長のように天下を目指す考えがあったならば
早い段階で東海にめをむけるばきではなかったか。
よって信玄には天下を目指す考えはなかった。
目指したのは北条氏康が死んでようやく
上杉、北条、徳川の対武田包囲網が解けた後だと思う。
しかしそのときはすでに遅し!
義元の死から10年かかって駿河一国だし、
戦がうまくても戦略は下手な気がする。
謙信とももっと早めに戦終わらせろって感じだし。
逆に信長は戦べたでも戦略うまい気がする。
あの包囲網を潜り抜けて、包囲網しかけた武田を
うっちゃってるから立派だわ。
以上素人の考えでした。








379 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 20:00:48
>>378
いつ、武田が包囲網を仕掛けた?
潜り抜けたというより、たまたまラッキーだっただけだろ。


380 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 20:59:47
戦えば信玄が勝っていただろう 武田の軍略は勝ちて後戦う
つまり戦争の前に勝つ準備作業を綿密に行なう
必勝の体制をとってから戦争をしかける
戦争はセレモニーみたいなものだ 信長は異常に武田を恐れていた
父信秀の教訓でもあったのだろう だいたい信長の信は武田の信から
取ったものじゃないかと思われる
勝頼の代になって、武田の諜報網が破壊されたから、勝頼では勝てない
信長が莫大な貢物を信玄に送り続けたのは、勝てないと知っていたからだ


381 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:38:34
また信玄チュウが涌いてきた。
どこまで妄想を広げるか、面白いから、しばらく放置だ(w

382 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 12:14:31
>>378-381
妄言は三戦でやってくれ。特に>>378

383 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 20:20:47
しかし言っちゃ何ですが、建設業界とか飲食業に多いのですが
親から継いだ店を拡大しても、子どもの教育はさっぱりの親御さんと
良く似ていると思いますわ。

384 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 02:00:18

  ヽヽノ ノ ノ ノ
  ⌒       ⌒
 ⌒          ⌒
  ノノノ田田田田田ヽヾ
ノノノノ ┗━┓┏┛      
 /////ゞ<●><●>      _____________
 /////     \ヽ    /  
///(( \   (ヽ ノ  <   信長は只のうつけです。
///((\ \(━━    \ _____________
//((( \___ノ       

385 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:37:54
↑ 誰??

386 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 20:36:17
ミック・ジャガー

387 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 09:36:19
藤原家が頼朝を倒していれば 俺の時代が来たのに…

388 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 10:52:25
長文好きの信長厨はほんとに哀れ!教科書読んでるだけの
あほ君だ!
信玄と信長の画チン子なら信玄勝つに決まってるだろ!
家臣団のレベル違いすぎ。

389 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 13:24:20
食うか食われるかの総力戦なら国力に勝る信長の勝ち。
遅滞戦術や焦土作戦で時間稼ぎ、消耗戦のオプションあり。

さらに南蛮の切支丹の伴天連共も味方に付け、
硝石入手や新技術導入しまくり。
欧州での戦術や統治の仕方もヴァリニャーノらから
聞いて参考に出来ただろうし。

390 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 14:38:43
信玄亡き後の信長の「武田狩り」はただの殺戮戦だな。


391 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:40:20
徳川のプロパガンダに騙されてやんの(ププッ

392 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:49:08
ここは三戦板を追われた残党スレか?

393 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:56:14
どうしてもこのスケジュールでSEXしたい

一週目

月曜 上戸彩
火曜 シャラポワ
水曜 原史奈
木曜 伊東美咲
金曜 後藤真希
土曜 hiro
日曜 島谷ひとみ

二週目

月曜 上原多香子
火曜 相武紗季
水曜 深田恭子
木曜 木村カエラ
金曜 中島美嘉
土曜 山田優
日曜 長谷川京子


394 :_:2005/05/09(月) 19:41:14
信玄は、最期の上洛をせずに、勝頼を後継者とするための体制作りに専念して
いれば、長篠の戦いでの有力部将の相次ぐ死亡などは起こらなかったかもしれ
ません。

395 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 20:44:18
>>394
そもそも信玄は勝頼を後継者として指名していない、
自ら切腹させた長男の遺児が成人するまでのワンポイントリリーフとして勝頼を指名したあたりが信玄の頭の悪さの証明
こんな馬鹿の信玄が生きていても自滅したね。絶対

396 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 20:50:50
>>395
君は頭が悪くって見事に自滅したね。合掌

397 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 14:05:30
>>394
あそこで武田の勇猛な武将が踏ん張らなかったら、
滝川左近に勝頼討捕られ、また武田勢は根切りにされていた。

数年のうちに武田方は内部分裂か攻め込まれるかで瓦解していただろう。
信玄でも同様だ。

398 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 14:55:56
また三戦の残党が暴れてるのか・・・
>>389
国力は同程度。どご〜ん、どご〜ん伊勢、近江を占領しました
明日から織田領ですとはならない、戦国無双と現実は違うからw

>欧州での戦術や統治の仕方
どちらも 日本>>>欧州 欧州が優れているのは科学技術だけ。

399 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 16:25:30
>>398
>国力は同程度。どご〜ん、どご〜ん伊勢、近江を占領しました
>明日から織田領ですとはならない、戦国無双と現実は違うからw

国力が同程度!?まじで??信じられない!
ってか、じゃあ武田の信濃や駿河はどうなんだろう??
戦国無双と現実は違うんだよね?

あ、わかった!武田と織田の国力を比較するときはもともとの領地で比較するんだね?
では武田:甲斐一国−織田:尾張半国 とすると、同程度の国力かな?

>>欧州での戦術や統治の仕方
>どちらも 日本>>>欧州 欧州が優れているのは科学技術だけ。

具体的に。武田騎馬隊とか鉄砲の三段撃ちのことかな?

400 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 16:37:55
本当は倒せたと捏造したいと聞こえるな。
 
美濃守 馬場信房の 忠君も
 
 破れた馬券と 同じ列とは

401 :日本@名無史さん:2005/05/11(水) 14:57:12
>>399
>欧州での戦術や統治の仕方
具体的に何かな?

>国力が同程度!?まじで??信じられない!
信濃や駿河と、伊勢、近江を同一視するとは信じられん!
まあ、信長の野望だと同じ様な扱いだけどさ。。。

>>400
信玄が病死せずとも、互角に戦えたんだ!
と、捏造したいのですね?

402 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 13:44:37
大河ドラマ義経で甲斐の国の武田って言葉が出てくるけど、信玄の先祖なのですか?

403 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 16:20:32
>>402
そだよ。
武田信義って名前で、延々と伸ばせば甲斐武田氏に繋がります。
尚、若狭武田氏、安芸武田氏にも繋がるけどねー。

404 :403:2005/05/16(月) 16:38:18
すまん。武田信光かもしれん。 ま、どっちかだよ。

405 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 17:14:38
>>403
ありがとう
おかげで、興味深く義経を見ることができます

406 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 17:49:23
しかし山県昌景という武士は、当時は相当、武名が轟いていたんだな。。

407 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 18:02:11
信玄の拡大路線も本拠地から距離が遠くなりすぎた
本拠地を変えればよかったが勝頼でも甲斐から出れなかったからな
結局,無理だろうね

408 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 12:07:54
>>407
武田家が居城移転(松本か駿府でw)をするには、
上杉家と北条家の抗争の影響が大きすぎるかと。
織田家と徳川家のような一貫した外交政策は難しい。
・・・ていうか、信玄も勝頼も外交で失敗しているからw

織田信長も外交政策では数多く失敗しているが、
強大な軍事力で敵対勢力を殲滅しているからまだマシかな?


まあ、武田家では居城移転が無理であることにはかわりがないねw

409 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 15:36:51
>>402-408
出張してまで、自作自演しないように
>>409


410 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 19:20:14
>>409
意味不明
出直してきなさい!

411 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 23:52:04
武田鉄也なら信長を倒せた?

412 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:23:57
蝦夷、陸奥、出羽、常陸、上総、下総、甲斐、若狭、因幡、安芸 に武田家は分布しておる。
小笠原や宇都宮と並んで分家が多い、鎌倉御家人じゃ。

413 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:27:05
小笠原って武田の支流では?

414 :_:2005/05/23(月) 21:27:12
甲斐の武田家って、結局は土豪の盟主に過ぎなかったのかもしれない。
だから、勝頼は受け入れられなかったのかもな。

415 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:47:48
結果論かも知れないが、日本の近代化を切り開いたのは信長(小室直樹氏説)
。信玄では中世に留まったままだったのではないだろうか。そして、やがては
欧米の餌食になった可能性もある。

416 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:54:42
確かに信長は斬新な発想を持っていたけど(単に新らし物好き?)、
「欧米の・・」ってところはわからないよ。逆に信長だと欧米の進出を
どんどん許した結果やられていたかも・・って話もある。
信憑性は置いといて、光秀はそれを懸念して信長を討った、なんてトンデモ説
まであったっけ。

417 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:56:12
信長でも、欧米の餌食になった可能性はあると思うのだが…
信長が、近代化を切り開いたというのが、どのことを指すかは
不明だが、信長が初めて行ったといわれる政策って、既に他の
大名がしていたりするものが多いんだよね、実は。

418 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 02:18:53
>>417参考書籍:小室直樹著「信長の呪い」。明治維新の成功も兵農分離
が淵源だとか書いてあったな。それと確かに家臣・柴田勝家からのパクリ政策も
あったみたい。
ある一つの見方として、以前何かの本で読んだが、スペインやポルトガル
と同様に衰退しただろう、日本語圏を少しは他国に広げたことと引き換え
にというような内容だったと思う。確かに分散すると、質は低下するかも。
ちょうど全国統一以来、尾張や三河からほぼ全国に人材が散らばってしまった
ために地盤沈下?した今の愛知県のように日本全国レベルで沈んでいった
だろうということらしい。

に地盤沈下?した


419 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 02:40:30
兵農分離=信長と考える時点であれなんだがw

420 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 05:11:49
>>419
兵農分離はないが1年以上の長期出兵は可能だった
あれは職業兵士か?

421 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 06:30:50
大内義興は10年間京都に居座っているが。
ということは、格から言って、信玄ならば1年半くらいは軍事活動を続行できたはず。
それくらいの期間が与えられれば、戦国最強の騎馬軍団を擁する信玄ならば、弱兵主体の織田軍など敵ではない。
おそらく瀬田のあたりまで攻め込むことは十分可能。
そのあたりで織田鉄砲隊の三段撃ちで敗北し、高坂弾正を落ち延びさせて、
自身は泥田の中で落武者狩りの竹槍で討ち死に。

422 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 08:25:14
てゆーか信玄は信長の指示で暗殺されたんだよ>1

423 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 09:53:57
>>421
戦国最強の騎馬軍団って何だよ!
(  ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ

424 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 10:56:43
中世の軍戦の最後の美意識者は信玄公。近代戦略の最初の始祖は信長。甲乙つけがたい。

425 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 14:03:41
信玄と信長が連盟(その片鱗もあり)したら、騎馬鉄砲隊。信長なら鉄砲の新式改造するだろうし、信玄隊なら呼応できる騎手や駿馬もいただろうに。

426 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 14:11:13
武士と鉄砲が早くから密接なら、以降の軍組織の意識はかなりの変化をともない、歴史が違っていた。その連盟がなしくずしになっても。

427 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 14:23:22
騎馬鉄砲隊は、政宗が作ってなかったっけ?

428 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 14:59:32
騎馬鉄砲隊ってのもまゆつばだろ。
馬上から鉄砲撃ちながら突撃でもすんのか?
足場不安定で命中精度も低く連発もできないのに。
騎馬隊ですらありえないのに。
当時は騎乗兵だけの隊なんてないし、戦闘時にはみんな馬から下りてる。
そもそも日本の馬の在来種見ればそんなの無理だってわかると思うが。




429 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 15:03:51
>>428
日本土着種の馬はポニーと大差ないとでもいうのか!

430 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 15:28:14
>>429
当時の名馬と呼ばれる馬は、ポニーぐらいの大きさぐらいだったらしいが・・・
そんな名馬に乗れるのは、限られた大将クラスの武士しか乗れないだろうが。

431 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 15:57:24
>>424-430
日本史板へ来て自作自演しないように
そういうおバカ行為は三戦でやって下さい。

432 :www ◆TLOxROt30I :2005/05/24(火) 16:11:16
>>431
(-_-)   <そんな事言ってる君こそ三戦向きだよ
(∩∩)

433 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 16:35:42
意識の上で、武士が刀依存から鉄砲への武器移行がはやくくる可能性を指摘したつもりー自作自演じゃなく携帯だから分けて連投したんだよ。そう力むことじゃないだろう。

434 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 17:41:05
>>433
ちょっと待った!
お前は、俺か?w


435 :日本@名無史さん:2005/05/25(水) 12:36:55
433は、俺じゃなく私です。メスです。

436 :日本@名無史さん:2005/05/25(水) 23:56:52
信玄の敗走軍を受け入れたのは、徳川家康。そのため家康軍は磐石になったはず。信長や、後の秀吉連合の弱点をついてきたよね。同盟の脆さ、軍略と戦略の違いを信長・秀吉VS信玄・家康に見るよう。信玄軍は惜しいよね。

437 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 00:35:53
徳川のプロパガンダに洗脳されてる椰子ハケーンw

438 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 03:09:44
>>436
三戦板の巣にカエレ

439 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 09:12:59
家康は、火中の栗を拾わず 信長 秀吉が積み上げた物をそのままそっくり美味しい
所だけ持って行く武将だから気にいらんなぁ!!  

440 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 09:40:55
結果的にはそうなったけど、常に自衛で手一杯だったような気もするけどな

領地切り取り次第とか、光秀に酷い仕打ちをした信長
大国中国に戦を仕掛けた秀吉

に比べるとただ、一番マトモ、マシだっただけのような気もする

441 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 10:25:40
信玄が、家康に変わっても政治体制は似たような構想をしたと思う。信玄VS家康なら信玄の方が強かったかも。

442 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 10:31:11
連投。美味しいとこ取りでも、戦略がなかったら厳しいはず。伊達、前田、毛利、真田等の動き如何では関ヶ原は五分だったんだし。

443 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 12:16:13
家康は、信玄にボコられてあやうくアボーンしかけているし、
(信玄が追撃しなかったのが悔やまれる)
徳川の政治体制が似ているのは、政治中枢に武田の遺臣が多くいたからと、
>>441=>>442に釣られてみました。


444 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 14:30:02
>>439
っていうか信長と同盟組んでたときは栗を拾う拾わない以前にずっと火中だっただろ。

加増の見込みがあるわけでもないのに浅井・朝倉連合討つために三河から近江まで遠征したんだぞ。

445 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 15:21:58
>>444
加増の見込みのない戦ではなく 背後の武田に備えて恩を売りに来たと思われる。

>>440
確かにそうだけど、信長 秀吉が反面教師だったとも言えるのではないだろうか?




446 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 02:10:40
長篠の戦、信玄なら織田軍の戦略を、諜報を使って見抜いたかもしれない。休戦するか同盟するか、どちらにしても騎馬軍団の自殺行為はしないはず。相当、美しい騎馬隊だったんだろうね。その後の徳川兵学の神髄になったんだし。武士の精神の礎になった影響は大きい。

447 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/01(水) 09:33:16
当時の観賞用としては良かったんじゃない

448 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 10:58:34
>>414-447
君達は三戦の人ですね?w

449 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/01(水) 11:07:00
何か?

450 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 13:00:06
謙信が信長に味方した場合は、信玄が倒された可能性が高い
謙信が信長に味方しなかった場合(信玄に味方するか中立を保った場合)は、信長が倒された可能性が高い
問題は謙信の対応次第だが、私は謙信が信長に味方した可能性が高いと思う
なぜなら、謙信も信長も信玄が「共通の敵」であり「敵の敵は味方」だからである
だから、私は信玄でも信長を倒すのは難しかったと思う

451 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/01(水) 13:10:38
将軍を擁護する為には信長が邪魔じゃないの?
そう考えると謙信と信玄の共通の敵は信長…

452 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 13:58:32
信玄はそう考えるだろうけど、謙信はそう考えないと思う

453 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 14:06:04
北信濃を謙信に差し出せば、信玄・謙信同盟は出来ると思うけどな。

454 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 14:22:42
>>450
妄言は三戦でよろ、その為の板ですから。
もし日本史板へ書き込むのなら、日本史を齧ってからにして下さい。

455 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 14:40:06
>>453
謙信の対北条外交(越相同盟)を見るに、
今の中華人民共和国のような強行外交をしているから、
北信濃だけでは無理だね。
信濃、上野の完全撤退を要求するであろう。

信玄も甲相同盟を破棄するとも思えんしなw


結論
織田・徳川・上杉 乂 武田・本願寺・北条

456 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/01(水) 14:56:15
勝手に結論を出さないで下さい。
謙信とは自分の事よりも幕府が大事なんです。

457 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 15:01:52
>>455
妄言は三戦でよろ、その為の板ですから。

なんか後世の評価を、そのままあの時代に当てはめただけの考えですね。

458 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 15:19:54
魔玉の中の人も大変だな

459 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 15:21:11
信玄と謙信の関係を無視したらいけないよ

460 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 15:27:09
信玄と謙信って、北信濃を取り合ってただけじゃないのか??

461 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 15:38:02
>>460
上野もなw

462 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 15:43:11
>>457
意味不明w

463 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:01:31
>>460
それだったら、信玄に味方するよりも信長に味方するほうが謙信には得策だと思うが・・・?

464 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:14:15
将軍を擁立している信長には謙信も信玄も逆らえないのでは?

あとは天皇か・・・

465 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/01(水) 16:17:20
>>463
将軍から謙信に宛てられた文面ではそうは判断しないと思う

466 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/01(水) 16:17:50
あれっ

467 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 20:26:50
謙信が信玄についてもメリットがあるとは思えない

それに義が無いw

468 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 15:45:07
いつの間にか、【信玄と謙信は手を組めたか?】スレになってるね(´・ω・`)

469 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 16:04:21
そーらすぃーw

470 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 16:12:14
>>468
スレタイの話の延長線上の事だしスレ違いにはなっていないと思われ

471 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:12:39
>>468
信玄が信長に勝てる条件と可能性を語るスレだから、これでOK

472 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 15:17:21
>>468-471
まあなんだ、とにかく邪魔なので帰って下さい。

473 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 17:14:26
武田信玄と上杉謙信が手を組むことは無い。
仮に手を組んだとしても今度は北条氏政が敵対するだろうから意味が無い。

信玄としては上野と駿河を荒らされるのが痛い。
謙信の方も関東に対する影響力が著しく低下しているので戦略的に厳しい。
越中・能登も平定していないから対織田戦も期待できない。



まあこの辺をどうにかしないとなw

474 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 01:40:15
釣られてみると、信玄、謙信、北条この三国同盟(不可解な独伊日のように)、有り得たかも。秀吉タイプの仲介者がこの三国にいたらね。織田軍の徳川連盟のような客将として。持ち駒の自国軍や、関東武士が強すぎると自負が邪魔して、その発想は難しかったのかな。

475 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 06:13:12
>>474
真田幸隆がその立場に一番近そうだなw

しかし武田信玄の配下に秀吉タイプの武将がいても使いこなせないだろうなw
秀吉タイプの武将は織田信長にしか使いこなせないであろう!

上杉謙信の配下にいても気が合わなさそうだしw





やはり武田信玄は織田信長に勝つことはできまい!




476 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 12:46:45
というよりも、信長がうまく利用されていただけではないのか?

477 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 15:06:07
信玄は存命中、すでに織田に負けてる。
優れた将とは戦う前に勝利する。
勝ってから戦をする。
いかに敵より強大な兵力を動員することができるかどうか。
信長と信玄の築いた勢力差は歴然。

478 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:00:52
信玄の立場から考えると、自信満々での上洛だったろうか?
思わせぶりな行動が大得意の信玄にしてみれば、家康に武田
の恐ろしさを知らしめ、かつ清洲同盟にクサビを打ち込む
のが目的だったのでは?
本願寺や幕府(義昭)の要請もあり、仕方なく重い腰を上げた
ような観もあり、最初から最後(京)まで行くつもりでは無かった?


479 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:09:15
経済力の差は
トヨタ信長 VS いすず信玄
くらいの差があった

480 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:19:02
てか信長包囲網は完璧だったわな
信玄死亡で引き揚げず織田領内で暴れてりゃー
武田が織田を討たなくても
他が織田を潰したでしょう

481 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:33:57
三戦板でどーぞ>ALL
あそこは戦国時代をネタに遊ぶ場所ですので

482 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:37:28
信玄は完璧にやりすぎて、タイミングを逸した
信玄堅実経営より、信長スピード暴走経営のほうがタイムリーに
時代にフィットしたということだろうな

483 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 23:04:45
山の信玄と雷雨の信長。長所と欠点は互いによく理解していたのでは。実戦前の心理的持久戦なら、互角と思われる。ただ実戦なら、飛び道具使用に信玄以外は、頑な拒絶をしていたから負けかも。信玄なら、外交戦略で戦わず勝ったかな。毛利、薩摩、奥州連盟とか。

484 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 01:10:21
俺も釣られて一つ書いてみると、

一つ言えるのは、もし信玄が三方ヶ原の前に病死していたら、「信長派」は、
「結局信玄なんて言っても、織田・徳川連合軍に対しては一勝もできるはずないよ」と
言っていたに違いない、ということ。
信長にとってあれだけ重要な同盟国であったはずの、しかも生涯にわたって無敗だったはずの家康が、
あんなに惨敗するなんて誰が思うだろうか。

485 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 01:38:36
正直、武田家よりも、毛利家のほうが強大だったと思うのだが。
毛利家のほうは何で話題にならない?

486 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:08:44
津本さんか、海音寺さんかがエッセイで書いてたけど、
信玄は別に織田領に攻め入るつもりはなかったんだと。
三河侵攻も随分信長に気を使いながらしたんだって。

487 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:47:47
信玄は、将軍要請もあって、重い腰をやっとこあげた感じだからね。
三河侵攻は、徳川が上杉と同盟を組んだという背景も、絡んでいるのかも。

488 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 06:25:27
>>486
それはかなり強電波ですねえ
それとも史料も読まずに妄想で書いたのか・・・
部下の首を送られて平身低頭するのは相当な恥辱でしょう
それでも、信玄に対して有らん限りの気を使っています。

489 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:32:21
んー三戦板に帰れといってる香具師も、議論のレベルの
低さは隠し切れてない希瓦斯。子供の喧嘩だね。

490 :484:2005/06/05(日) 12:45:50
というか、このスレを「覗く」時点で
心情的には、「厨」決定ですよ。俺ら全員含めw

491 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 14:03:41
2ちゃんねるそのものが、頭の体操ゲームや本音の裏世論や遊びでしょ。時々ちゃちゃ入れるのがいるけど、こんなところに口を狭まず、大学の歴史学科研究会の公開講座でも覗いてたら。高慢な方のようだから、さぞかし才気溢れてるんだね。レポートでも教授に見て貰ったら。

492 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 01:14:56
厨必死

493 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 01:17:22
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1117245286/l50
このスレと一緒
三戦板から引っ張ってきたバカ連中が、同じこと繰り返してるだけ

494 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 11:05:56
そういうこと
奴等は知識が無いから、煽りと貶しあいしか出来ない>>485-490

495 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 20:17:39
NHKで信長と信玄が領土拡張戦争をしていました。

信長が勝利しましたw

496 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 23:05:25
>>489
だって三戦は光栄がソースで日本史は小説がソースですから。

497 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 00:11:22
光栄・小説、両方とも読んだことはないのですが、読んだ方がいいのかな?
私、読むとしたら人文系の本なのですが・・・。

498 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:24:46
信長は家康の助けを借りて領土拡大したが、信玄は自身のみで版図拡大した。
信長包囲網は東は家康が武田に睨みを利かせてるので、斉藤・朝倉・一向宗のみ注視すればいい。
信玄の包囲網、上杉・徳川とは格が違いすぎる。 北条も油断出来ないし。

499 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:23:01
>>498
頭悪過ぎだな
武田信玄は三国同盟があるじゃん

あと浅井の名が無いのは何故?

500 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:49:20
浅井って朝倉の腰巾着ぢゃん。 斉藤と朝倉は大魚、浅井はコバンザメ。

501 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:54:32
500get!

502 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:58:53
>>500
元亀年間の斎藤氏の所領ってどこよ?
斎藤氏は浅井氏よりも大魚というほどの強国なのか?

503 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 00:47:13
>>500
その図式が成り立つのは、
義龍が生きていて、かつ浅井の娘が死んでなければの話。

504 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 00:50:13
>>498
>信長包囲網は東は家康が武田に睨みを利かせてるので、

その家康が、武田に一撃で完全撃破されてるわけですが?実際のところ

505 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 04:39:45
>>498
>北条も油断出来ないし。

これは武田信玄の心の狭さの表れだなw
実父を追放し、嫡男を死に追いやり、同盟者今川家の領国を略奪したため、
周りが全て自分のようなハイエナに見えるのだろう。

506 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 11:10:15
自演乙!

507 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 15:10:35
連中は、何故日本史板まで来て口論するかね?

508 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 15:59:20
武田信玄に決まってるだろ。 穴山梅雪に対抗出来る織田軍団いるの?
柴田と羽柴を足して2で割ったような軍神だよ。

509 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:17:29
山県昌景も馬場信春も穴山信君も内藤昌豊等 良い家臣が揃っているな
武田家は!

510 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:55:36
>>509
内藤昌豊は立派だ!
しかし、兄を売った山県昌景と勝頼を売った穴山信君は良い家臣とは言いがたい。

511 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/08(水) 16:58:42
浅はかな考えだな!

512 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:23:34
信玄が生きていて謙信と手を結んだとしても信長には勝てないよ。信玄と謙信共に戦い方が古すぎる。自分の名前を言ってから攻めてたら信長に撃たれること間違いないし、信長は戦闘に関しては天才

513 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 19:13:50
釣られる魚は俺しか居ないよ
だから、食料不足が起こる前に三戦へ帰った方がいい

514 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:04:40
朝倉・浅井に息の根止められそうになり越前から逃げ帰った信長風情がよく言うよ。
秀吉の退却サポートなかったらアボーンしてたよ。
2度の戦いでいずれも家康を無理矢理引き連れた臆病もんが。

515 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:17:51
信玄は勝てなかった に賛成するわけだが。
しかし信玄ファンに比べ信長ファンのほうが馬鹿に見える。

516 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:32:32
>>512
信玄 謙信共に鉄砲を数多く入手で出来なかった。  が戦の仕方が古いわけでは
ない。 信玄が病没することなく進撃してきたらどちらに軍配が上がるか解らないと思う
それに信玄、謙信がが手を結んで信長討伐なんて事になったら信長に勝ち目がない

その根拠は、信長が両者を最も恐れていた訳だ。  つまり両者の戦略を恐れていた
鉄砲を数多く持っていても其れを戦で生かすも殺すも戦略次第。  

517 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:48:30
信玄と謙信が手を組むわけないじゃん!
信濃・上野問題はどうする?
それに今度裏切ったら氏政も黙っていないのでは?


まあ、それを見越した信長の戦略眼が信玄より上であろうw

518 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:56:16
知的レベル

信玄ファン>>>>>のぶながファン

519 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 21:28:36
>>517
勿論、手を組む訳ないですが、あくまでも組んだと言う仮説でレスしたまでで。。。

520 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:54:29
仮説仮説仮説仮説。
信長ヲタも信玄ファンもそればかりだ。
ちゃんと現実を語れよ。

>>518
おしい。
信玄ファン>>(越えられない壁)>>のぶながファン

521 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:58:24
>>520
スレタイからして仮説を前提としてるだろ

522 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2005/06/09(木) 13:07:13
            / ̄ ̄ ̄ ̄\:::::::::::||
            (  人____)::::::::||
         _|./  ー◎-◎-) :::::||_____
        /.. (6     (_ _) )_||      /
      /   | .∴ ノ  3 ノ___〕    /‖ ____
     /     ゝ       ノ ヽ/    /  ‖/    /|_
   /      /     ̄ ̄    )__/   ‖|三三三|//|
    ̄‖ ̄ ̄ (_       _/  ‖       _|三三三|/
     ‖     (        )    ‖       |___|/
     ‖    /(         )~⌒) ‖  
          (            /   
          \,___λ____,,,ノ     


523 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:16:12
もしも…
夢のある言葉だが実際ありえない後悔の念か…
もしも、を実現できたらさぞ楽しいだろな。

524 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:26:27
>>523
そうでもないですよ。

『もしも・・・』なんて、人の果てしない願望。
『もしも・・・』の世界があっても、
その世界で違う『もしも・・・』を望んでしまい、
果てしない願望を追い続けているでしょうね。



実現しても意味は無いと思います^^


525 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 01:18:16
>>523
もしも・・・
は実現しない夢だから美しい、
実現すればそれは醜い現実になる

もしも、信玄が天下を取ったら、要らなくなった信玄配下の武将は粛清されるだろう
信長、秀吉、家康がやったように、そして信玄は冷酷残忍な武将だという悪評が残っただろう
そしてその世界では、もしも信長が勝ったらと言うもしもが語られるだろう。

526 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:33:29
信長 秀吉 家康と天下を繋いで来た訳だが、果たして天下の流れに秀吉の
天下は必要だったのか?   別に信長 ⇒ 家康でも何の師匠もなかったと思われるが

527 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:39:07
家康では秀吉ほどの早さで天下を統一できたかわからないからね。
それどころか秀吉にきちんとした後継者がいれば、
家康の出る幕が無かったとも考えられる。

528 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:47:16
>>527
後継者だけではないぞ!
豊臣政権の体質改善もだなw

北政所と淀君の確執
武闘派と官僚派の対立
徳川家康の突出大国の存在

これをクリアしないとなw

529 :526:2005/06/10(金) 15:17:59
やはり天下人3人にしか出来ない役割があったということか。
でも考えると一番最初に基盤を築いた信長は大変だったろうな!

530 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 15:51:37
>>528
馬鹿だな。後継者がいれば
>北政所と淀君の確執
なんてないんだよ。

>武闘派と官僚派の対立
司馬小説の読みすぎ。

>徳川家康の突出大国の存在
これは同感。

>>529
信長・秀吉・家康の順番でこの世に現れたのは幸いだったね。

531 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 16:45:22
>>530
それは北政所に子がいればの話だろ?
後継者が秀頼である以上、確執はあるよ!

石田三成と福島・加藤らの対立は、司馬小説の世界だけの話なのか?
君は独学で歴史を学んだのかい?



だいたい今更、司馬小説っていうのもなw

532 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 16:54:40
官僚派と武闘派の対立は実際あったと思う。   関が原の合戦を見れば一目瞭然


533 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 20:09:08
>>530
後継者がいれば淀君と秀頼の出る幕なんかないじゃん。馬鹿だね。
それと石田と加藤などの対立を簡単に割り切りすぎ。
だったら浅野長政はどうするのよ。はじめは反徳川で行動しているがな。

534 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 20:14:45
>>533
いいんじゃないか、簡単に割り切って。
まさか石田三成と福島正則が仲良しだったと思っているのか?

535 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:36:01
騎馬隊って実は鉄砲隊より強いらしいね。
戦国時代は馬が貧弱すぎて騎馬突撃とか出来なかったらしいけど
明治以後の騎馬隊とかなら鉄砲隊に負けることはないとか
どっかに書いてあったな。

536 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:41:04
>>535
そりゃ、明治以降の騎兵部隊で15世紀の火縄銃と戦えば馬が勝つだろうさ。

537 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 07:20:14
>>534
石田三成と大谷吉継は仲良しだけど、もともと大谷は徳川寄り。

538 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:27:39
>>537
大谷吉継は真田昌幸とも姻戚関係を持っているけどな。(真田は徳川とも姻戚関係がある。)
まあ、石田三成と福島正則が敵対していることにはかわりがないが。

>>530>>533
いい加減に無知を悟れ。(アンカーも使えんヤツが。)
電波を出してんじゃねーよ。

539 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:05:43
>>538
大谷吉継の娘が、真田幸村の妻、、だったと思う

540 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:39:30
信玄じゃ倒せないよ。信玄で倒せるなら生きてるうちに倒せば良かったじゃん。どの道、信長を倒したかったら後世に汚名を残すことになったとしても光秀みたいに謀反でも起こさないと勝てないよ

541 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 00:00:05
信玄が死ぬ直前になってあんなに上京を焦ったのは、
「あと数年後になると信長は倒せなくなる」と判断したからだ。
その判断が正しかったことは史実が示している。
逆に言えば、今無理してでも自分が行けば織田を倒せる、と判断したということ。

542 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 00:46:35
経済規模が違いすぎるわな。
日本の中心を支配している信長と甲斐周辺しか支配でていない信玄だものね〜
それに支配体制も絶対王政に近い信長と豪族の頭の信玄だしね〜
包囲網っていっても、各個撃破されたのも史実であるから、信長にとって信玄は、その他大勢の反対勢力の一人にしか過ぎない。
これが、史実だねw

543 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:13:18
もし「経済規模が違いすぎる」のなら、信長は
重要な同盟国である家康を見殺しにするわけはなかったのだが。
実際に信玄が死ぬまで、信長はビビりまくっていたわけだが。

544 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:33:26
>>541
死ぬ直前になって、
>「あと数年後になると信長は倒せなくなる」と判断したからだ。

と判断しても、もう遅いっつうの。
てゆうか、すでに、「信長は倒せなく」なってしまっていたわけだ。
信長が、義昭を報じて上洛した段階で、気がつかないと駄目なんだyo

>>543
信長は、家康を見殺しにしてない。
援軍を送ってるし、戦わずに通過させなさいとアドバイスしている。
信長は、信玄が長期的遠征ができないのを見抜いていたと思う。
ビビッていたてゆうのも、小説的脚色。

545 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 03:07:14
>>542>>545
流石はアノ名高き三戦板の方々w

>経済規模が違う 
この時代は一部の交易、資源都市等の例外を除くと、経済≒農業

>長期的遠征ができない
そのような事実は一切ございませんw

546 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 04:16:15
↑ 馬鹿? 

547 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 04:24:31
>経済≒農業
だったら尚更、平野部の美濃、尾張、三河を抑えてた織田徳川連合と
山がちな甲斐、信濃の武田じゃ(ry

548 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 05:00:43
>>545
兵農分離ができていない武田家に、
これから農作業が忙しくなる季節をどう乗り切るんだろう?

田畑を放棄するのかなw

549 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 05:12:11

男全員を徴発するわけじゃねーだろ。
しかも女子供、老人が残ってるだろ。
愚民は生かさぬよう、死なさぬように徹底的搾り取り
扱使うのが民政の基本じゃボケ

武力で上洛し、10年間京都に居座った大内吉置の件はスルーですか?

550 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 05:40:16
>>547
美濃は山がちですよw
武田領は甲斐、信濃、駿河、飛騨、西上野、越中美濃の一部に及んでいます
対して、織田領は尾張、美濃、近江中央部、長島、南部を除く伊勢で
明らかに武田領の方が広く支配も安定している
単純に石高で比較しても武田130万石、織田170万石と差は無いですね。
>>548
いまどき兵農分離を持ち出す間抜けは、三戦板にしか居ませんw

551 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 06:07:17
美濃の主要部は濃尾平野で石高は尾張と大差ない。
武田の支配していた岩村近辺は山ん中だが。

ってか、
>明らかに武田領の方が広く支配も安定している
>単純に石高で比較しても武田130万石、織田170万石と差は無いですね。

衝撃的・・・

552 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 06:59:50
>武田130万石、織田170万石と差は無いですね。
織田単独で石高が3割も多いのに差が無いと言い張るとはな。
これに徳川の三河、武田に勝ち目なんて無いよなw

553 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 07:34:57
絵にかいたような武田厨だな。
武田の勢力圏全部の比較対象に織田の領地の一部を持ち出すとは。

554 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 08:10:45
>>544
> 死ぬ直前になって、
> と判断しても、もう遅いっつうの。
> てゆうか、すでに、「信長は倒せなく」なってしまっていたわけだ。
だからさあ、あと何年か長生きしていれば、という話でしょ??このスレは。

> 信長は、家康を見殺しにしてない。
> 援軍を送ってるし、戦わずに通過させなさいとアドバイスしている。
> 信長は、信玄が長期的遠征ができないのを見抜いていたと思う。
だから、実際に援軍を送った上で武田と交戦して、大敗してるんだが?

信玄が死に近くさえなければ、確実に徳川軍+織田援軍のいる遠江・三河を潰した上で
織田本領に侵攻したものと思われ。
そうすると既に織田に勝ち目はない。
(もしその後で織田が逆転できるくらいなら、
初めから遠江を潰されない程の援軍を家康に送っているはず。)

555 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:19:35
ところで信玄と謙信ってなんでココまで評価高いの?

556 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:37:16
>>555
別に謙信は関係ない。
武田信玄の場合は、「もしあと3年生きていれば織田を倒せたかも知れない」
と考えることが、少なくともそれほど突飛な考えではないので、
(「倒せたかも知れない」と考えるか「倒せたに違いない」と考えるかは個人の問題にせよ)
長曾我部とか伊達政宗とかよりも重要人物扱いされて不思議ではない。

557 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:28:55
>>549
わかっていないな。
女子供、老人が残っているからといって生活に圧迫がかかるのは事実。
史実においても長期的遠征ではないのにもかかわらず、
天正七年以降の武田領内において欠落が多発している。
そして残ったとしても合戦では逃亡兵になっている。



>愚民は生かさぬよう、死なさぬように徹底的搾り取り
>扱使うのが民政の基本じゃボケ

この考えが基本では馬の耳に念仏かな?
妄想に目を奪われていると現実が見えてこないよw


あと、大内と武田を同等に考えているのかな?

558 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:58:06
>>555
江戸時代に培われた家康マンセー史観の影響。
神君家康公に土をつけたのは信玄のみで、その信玄と互角以上に戦ったのが謙信だから。
「天下の強兵は一に越後兵、ニに甲斐、三に三河」なんてのも、モロにそれが表れた順位。
それと、江戸幕府の徳川譜代に、旧武田家臣が多く取り込まれているのも武田マンセーの
理由の一つ。あまり悪口を言うと、幕府に対する悪口になってしまうからね。だから武田が
滅んだ原因その他、悪い部分は全て勝頼に押し付けた。
よく小説では「武田の威名は全国に鳴り響いていた」とか言うけど、信玄が全国レベルで
有名になったのは江戸以降の講談の類が広まって後の話。

それにしても武田が130万石って…。どうして、信玄が、北条からの援軍も含めて領国の
全力を振り絞って25000の兵(この数字も通説だが)で遠征したのか考えてみないのかね?
単純に万石250人の軍役でも軽く32500がはじき出せるんだが。しかも万石250人という動員
は、戦国時代としては軽い方だ。
なんですか、信玄は、乾坤一擲の大遠征に、通常より一万近く少ない兵で行ったんですか。
(信玄の時代に三万以上の兵を動員したという記録もないが)


559 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 12:06:52
>>541
>信玄が死ぬ直前になってあんなに上京を焦ったのは、
>「あと数年後になると信長は倒せなくなる」と判断したからだ。

四百年後の大日本帝国みたいだw

560 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 12:18:45
甲相駿同盟が有名なのも徳川のせいだね。

果たした役割が類似する他の大名にくらべて知名度高杉、評価高杉>武田信玄

561 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 12:22:35
前述の大谷吉継、真田幸村、謙信を個別に、テーマにしたお勧めの小説を紹介してください。司馬作品以外で。ここに前述の新田次郎の信玄はさっそくこれから読むところです。楽しみです!

562 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 12:33:29
>>561
真田太平記でも読んどけ

563 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 13:11:33
>>551-552
織田領としてしっかり統治されていると仮定しての170万石です
しかも信長の敵は朝倉家、浅井家、長島、近江や大阪等の一向宗徒
将軍、六角家、三好家、北畠家と四面楚歌で
織田、徳川家の手勢では少なすぎて対処のしようがありません。

>>553
>武田の勢力圏全部の比較対象に織田の領地の一部を持ち出すとは。
織田信長の軌跡を少しは勉強しましょうw

564 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 13:49:43
武田信玄が軍神のように崇められるようになったのは
家康が死ぬまでずっと信玄のことを尊敬し続けたから。それは確かにそう。

しかしそれはそれとして、もし本当に織田がそんなに強くて
経済的に余裕があったのなら、
何で家康が半殺しになるのを黙って見ていたのよ。
家康がアボーンされたら自分がピンチに陥るのは目に見えているのだが。

565 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 13:54:13
>>563
織田の味方が徳川しかいないとしている時点で間違っている。
例えば、北畠は当主の具教は引退して後にはいった信雄と織田から派遣された家臣たちに
よって乗っ取り進行中。
浅井は、すでに小谷城に押し込められており、すぐ目前の虎御前山に築かれた砦も落せない。
三好や松永は、筒井や細川畠山その他反三好勢力が信長と手を組んでいる。
まともに機能していたのは朝倉家くらいだが、その朝倉も隣の若狭の豪族のほとんどが信長
についたり、家臣の中から大量の離脱者がでたりで内実ボロボロ。

滅亡寸前のところに武田がでてきたのでようやく一息つけた助かった、というのが
この連中の現状。

566 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:02:29
>>565
追加
反武田連合は、織田家、徳川家、上杉家の三家。

元亀三年に武田軍と上杉軍が利根川で対陣。
越中でも武田家と同盟している本願寺の加賀一向一揆と上杉軍が神通川で衝突。
この越中戦線が長期化して謙信自身は翌年四月まで越中に滞在。


上杉家は反武田の行動を充分に展開中。

567 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:55:17
>>558
よく小説では「武田の威名は全国に鳴り響いていた」とか言うけど、信玄が全国レベルで
有名になったのは江戸以降の講談の類が広まって後の話。

これ本当?戦国時代、信玄それほど有名じゃなかったんだ。

568 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 16:04:05
>>563
四面楚歌と言うが、包囲する側もバラバラで統一した軍事行動が取れないんだが、
朝倉に至っては雪が降ったら帰っちゃうしw

>>564
>家康が半殺しになるのを黙って見ていたのよ。
家康が意地になって突撃しただけ、
信長は静観する様、忠告してる。

569 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 18:01:46
>>568
篭城で一ヶ月は時間稼ぐことが出来たとして、そこから信長サイドにどういう展開があったんだろう?

570 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 18:17:23
どういう展開もありえない。
1572年時点では何だかんだ言って浅井朝倉も健在だし
将軍が京でチョコチョコしてるし、
何より大阪の本願寺が意気盛んだしで、
軍の主力を差し向けられない。(だからこそ家康を見殺しにせざるを得なかった)
尾張・美濃を押さえられたら、もう信長は終り

571 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:26:18
>>570
そのときは、岐阜に集結していたと推測される織田軍本隊と、遠路はるばる通ってきた
武田の遠征軍で決戦だろうね。どちらが有利かな?

上のほうで何人もいっているが、当時の畿内の反織田勢力は信長の邪魔をすることも出来ない
ほど弱体化していた。
浅井と六角は城にこもりっきり、とくに浅井は、織田軍本隊が引上げた後の留守番として木下隊が
残されただけの虎御前山砦を攻撃して撃退される始末。
三好や松永はそれぞれ地元の反勢力との抗争で身動きできない。とくに松永などは、辰市の戦いで
負けていらい筒井におされっぱなし。
大阪の本願寺は傍観(本願寺自身は、76年以降に織田軍と直接対峙するまで、軍事的に動いたことは
ない。各地の一揆を煽動するだけ)。
元気に動いたのは将軍くらいだが、近江の城に兵をいれて篭城させただけ。それも、柴田や明智などの
別働隊が攻撃をかけると数日で落城。

小説では「信長は畿内の反織田包囲網に絡め取られて身動きがとれなかった」なんて描かれるが、実際に
詳細に調べてみれば当時の畿内の反織田勢力には信長本隊を拘束できるほどの戦力をもった勢力はなかった。
どれも、留守役の部隊をおかれただけで動きがとれなくなるほどの弱体っぷり。
唯一まとまった戦力をもっていたのは朝倉だけだが、こちらはよく知られたとおり。若狭に軍を派遣し、
国内では軍役拒否や織田へ寝返る部下が出る始末。

572 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:41:25
>詳細に調べてみれば当時の畿内の反織田勢力には信長本隊を拘束できるほどの戦力をもった勢力はなかった。

もし本当にそうなら、家康を見殺しにしないでもっと大勢力の援軍を出していたはずでしょ?
てことだと思うんだが。長篠の時に実際にそうしたように。
その辺はどうですよ。

573 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:41:47
>>572>>571へのレスね。

574 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:47:54
>>572
>>568が言ってるようにあれは家康の自爆じゃないか?

575 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:59:27
三方ヶ原の戦いをみると、援軍も含めて徳川軍は一万いくら。
野戦で撃破するには困難だが、篭城して対抗するには十分過ぎる数だ。

576 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:22:50
武田信玄の失敗。
二俣城攻略に二ヶ月も要したこと。
三方ヶ原合戦は徳川家康を浜松城に帰してしまったこと。

兵糧不足を起こしている訳でもない浜松城を陥落させるのは至難の業。
せっかく野戦に持ち込んでも家康はじめ有力家臣のほとんどが生き残っていてはなw

そして十二月に朝倉軍の近江からの撤収。
信玄の外交面における失敗といえる。(酷評かな?)


どちらにしてもこの遠江・三河侵攻は、
十月から開始して翌年の二月にはまだ野田城までしか進めていない。
信玄の限界を感じるなw


577 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:37:19
信玄全盛期に三河辺りで、徳川織田のガチンコ連合軍と合戦したら
どうなったかを考えるスレじゃないのか?ココは!
あと2年信玄が生き延びたら、信長は信玄の家臣になっていたのでは?


578 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:46:33
>>576
朝倉に関して信玄の責任にするのは酷でしょうね。朝倉には朝倉の理由があって、
これ以上出陣は不可能と判断したのだから。
包囲網などというがそれは信長を中心に据えた視点で言った場合であって、、実際
には別に連合軍のように組織化されたものではない。それぞれがめいめい勝手に織田
と戦っただけで、義昭やあるいは信玄、顕如に指揮命令権があったわけではない。
武田が出てきて織田軍が引上げたとき、朝倉や浅井やその他の諸将の頭にあったのは、
これでしばらく織田の攻撃がなくなる、という程度のものであり、せいぜい織田軍が
いない間に旧領を取り戻しておこう、というくらい。武田(あるいは包囲網)のために
無理をしてでも戦いつづけ、織田を倒すためなら自分は捨石になってもいいなんて意識
はまるでなかった。

579 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:52:21
>>578
まあ、武田信玄も朝倉義景も織田信長を本気で倒す気はなかったんだろう。
…っていうか自分には無理なことを悟っていたんだろうな。

580 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:52:42
>>577
ありえない。
逆に、信玄の首が、岐阜城下にさらされていた(wwwww

581 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:53:07
>>577
いや、三方が原のあと信玄が死ななければ・・・・じゃない?

582 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:21:56
長篠の戦いの指揮官が信玄なら勝ってただろうな。

583 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:50:30
>>582
よくある根拠のない妄想ですね。
戦術能力では信玄よりも勝頼のほうが優れている。

584 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:16:43
>戦術能力では信玄よりも勝頼のほうが優れている。

これの方が根拠なくね?

585 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:20:13
>>582
それはない。
長篠の時点では、戦力から言って既に、どうやっても武田に勝ち目はない。

しかしだな、
>>574
だ・か・ら 、
そうじゃなくってさ。
実際に三方原の時点で、織田は徳川に援軍を出しているんだけど
全然武田の相手にならない位のショボい兵力しか出してないわけでしょ。
もし>>571の言うように、
「武田以外の信長包囲網には、信長の本隊を拘束する力はなかった」というのが本当なら、
長篠の時のように、それこそ信長自身が乗り出してきて
徹底的に武田に対抗しようとする
(少なくとも、形ばかりの援軍で家康を見殺しにするようなことはしない)はずなんだが。
その辺どうなのよ、と。

586 :574:2005/06/12(日) 22:34:50
>>585
形ばかりの援軍しか送らなかったのは、家康は篭城するという前提だったから。
逆に言えば、篭城さえすれば形ばかりの援軍でも十分持ちこたえられる、
と判断していたんじゃないかってこと。

587 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:42:27
>>586
だって織田軍は戦力的にゆとりがあって、
武田の数倍の兵を差し向けられるんでしょ?
何で籠城なんかする必要があるのよ??

三方ヶ原と長篠の状況を比較してみれば、どう考えたって
「三方ヶ原の時点の織田には、兵を東国に割く余裕はなかった」という
結論にしかならんと思うのだが。

588 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:53:37
>>585
>575で言っているが、篭城を考えれば十分な数になる。

推測すれば、信長としてはそれぞれの各勢力はもうたいしたことはなくなったが、
それでもあまり畿内を離れたくなかったのだと思う。例えば信玄の撤退後になるが、
畿内で義昭が蜂起した時には岐阜から一部を割いて援軍を出して短期間で潰している。
「現状では問題ないが、義昭の存在など何かあったときに即応したいから遠くへは
出られない」だから、自身は岐阜に留まって東国と畿内の双方に睨みを効かせつつ、
徳川に対しては当面武田に潰されない程度の援軍を送っておく。
武田が徳川にひっかっかって足止めされてくれれば最高。
無視して西上してくれば尾張の国境付近で迎撃。この場合は武田は後方に徳川本隊
をフリーハンドで許すことになるので、挟撃も可能。(浜松の徳川本隊一万を抑える
為には、相応の兵力を割いていく必要がある)
尾張からなら何か起こっても大事になる前に対処も可能と踏んだ。

こんなところかと。

589 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:04:38
>>588
「畿内を離れたくなかった」ってことは要するに
「武田以外の勢力も無視はできなかった」ってことだよね。

で、もし本当にあんたが言うように、
他の勢力は全て全くの「でくのぼう」で、何も動けなかった(動かなかった)というのなら
あんたの言うようになるだろうけど、さすがにそこまで断言できるのか?と。

まあこれ以上は全くの推測になるから、もう言わん。
ただ言えるのは、長篠の時のように
「最大動員可能兵力の差が、直接勝敗を決める」みたいな
単純な図式にはなっていなかったことは確実だ、ということ。

590 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:18:05
>>589
実際に、信玄が行動中(72年10月〜73年4月)に動いた勢力って、義昭以外にいないんだが。
三好なんて、「兵二万でかけつけます」とか言っといてなにもしていない。

私が知らない、具体的に反織田で動いた勢力があるのなら教えて下さい。

591 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:20:14
そういえば、長篠のときも信長ってだらだらして援軍ギリギリまで出なかったよな。なんでだろw

592 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:28:50
>>590
十一月に宮部城合戦(織田vs朝倉・浅井)がありますよ。
でも、十二月に入るとすぐに朝倉義景は越前に撤収してしまいますがw

それくらいではないかな?

593 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:31:16
板垣退助(=乾退助)が名を、明治以降改名したのも甲州受けを狙った徳川マンセー教育の賜?その260年前に、乾一族が板垣氏を身請けしたのは信玄軍の力量を買ったためでは。その当時から信玄軍は評価が高かったのでは?

594 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:38:12
>>588で疑問なのは
尾張・三河国境〜京都間の距離と
三河・遠江国境〜京都間の距離とでどれ位違うのか?ということ。
岐阜に本体を残していても、尾張を落とされたらさすがにマズイですよね。
まあ何にせよ今となっては推測でしかないな。

595 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:40:46
>>589
具体的な敵対行動が無くたって、占領したての土地は治安の回復、行政機構の整備
残党、土豪、農民の慰撫または制圧、やることは幾等でも有るんだが。
占領したての土地をがら空きにして戦力移動が出来るのはゲームの中だけw

596 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:51:50
>>591
勝頼が甲斐を出陣したのは四月中旬(十五日以降)し、下旬に三河長篠に着陣。
しかしこの攻城戦はすぐに決着がつかず、最後(五月二十一日)まで持ちこたえてしまう。

最初は信長も長篠城はすぐに陥落すると考えていて、
急いで仕度はしなかったのかもしれません。
またはその逆で合戦の準備に時間をかけていたのかもね。

それに、長篠城攻防戦の長期化は鉄砲戦術を行使するには都合がいい。
馬防柵の準備や武田軍の戦略の予想がやりやすいしw

597 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:54:43
>>596
誤字
×武田軍の戦略→○武田軍の戦術

598 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:57:50
wの多用が妙に気になる…


599 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:06:11
信玄が生きていたら、たぶん信長と家康と謙信の連合軍と戦うことになったと思う

600 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:06:26
小泉政権のでたらめぶりがよくわかる!
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601 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:41:56
信玄を好きなのは分かるよ〜家康の政策だけど
でも、なんども言ってるけど、信長の後を継いだ秀吉、家康と史実は明確なわけです。
信玄は、信長にとって本願寺以下の雑魚でしかなかった、信玄が三河を荒らしたときでも本願寺がいたから家康に援軍を少ししか送れなかったのですよ。
本願寺は、信玄と違い経済力があり侮れなかった、けど、信玄は農村の国でしょ!
何故、信玄が信長のライバルにされてるかって、それはね〜「信玄強敵」は、家康のプロパガンダだよw
家康が明らかに負けたのは、この戦いだけでしょ、だから「俺を破った信玄は強敵だった」って誤魔化したんだよ。
それがなければ、信玄は浅井や朝倉と変わらない地方の豪族に過ぎないのです。
史実が、その後の歴史を証明しているしね、勝頼はどうなった?

602 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:05:00
もう一個、信玄の戦術は凄いね〜家康を手玉に取り三河を席巻したのは!
でもね、政治家は戦略を評価すべきだね。

信玄の戦略:反信長勢力と結託して、信長の勢力を弱めること。
信長の戦略:日本の中原を支配し帝の後ろ盾となりつづけること。

だから、信長は戦略的に少しも負けていないよね、逆に信玄は朝倉の勢の撤退などダメダメだね!
何が言いたいかというと、戦国は信長が中原(京都)を支配した時点で終わったってことだね。
それ以降の戦いは、大名同士の私戦だね、何の意味もない。
信長→秀吉→家康と信長の後を継いだ者が天下を支配しているから、IFなんてありえない、信玄が100まで生きても変わらないよ。
信忠に滅ぼされただけですね。

↑と言っても、また「信長は信玄を過度に恐れていた」って言われるけど、それも「戦略」なのですよ^^
で、その戦略は成功したんだよね〜

603 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:17:54
また香しいのが現れたな

604 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:59:27
でも信長さあ、
自分の養女を勝頼に嫁がせたり
信玄の娘を信忠の嫁にもらったり

贈り物もしまくったみたいだし、とりあえず気はつかってたみたいだよな

605 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 04:37:44
信玄なんて外交であしらう程度で
いいぐらいの相手だったわけで・・
まんまと信長に騙されてるとはしらず、信玄本人は大喜びだった
らしいし、気がついたときには手遅れ・・
家康に援軍を送らなかった理由?
武田なんかは収穫期になればちゃんとお家に帰るんだから
ほっときゃいいわけ。そんな物にいちいち大事な兵力ださんでしょう。
信長が短期間であれだけ版図を広げることができたのは
そうゆう駆け引きがうまかったからでしょ?
信長の戦力投下のポイントは常に本願寺であとはもののついで・・
家康が戦下手だったからよかったものの、信長の支持どうり
篭城してたら城囲んで時期になったら帰宅。 終了
信玄厨ゲームに影響されすぎ。


606 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 07:46:08
>>585
なんで?戦力的に武田が上だから
信長は鉄砲使ったんでしょ。

607 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 10:15:42
>>606
なんで?経済力的に織田が上だから
信長は鉄砲使ったんでしょ。

608 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 11:18:21
信長儲の妄想披露は三戦でやってくれ‥

>反武田連合は、織田家、徳川家、上杉家の三家
上杉謙信は川中島以降一度たりとも直接兵を交えてません

>包囲する側もバラバラで統一した軍事行動が取れない
関が原のような、1つの戦場へ集まる戦でなければ
統一した軍事行動は必要ありません。

>木下隊が残されただけの虎御前山砦を攻撃して撃退される始末
本隊の行った戦か、小競合いかで違いますが
浅井朝倉が攻め立てた時は丹羽、柴田等が援軍として加わっています。
出来事をごちゃ混ぜにして都合のいい解釈をしないこと。

>二俣城攻略に二ヶ月も要した
十日前後で陥落しています。少しは調べましょう‥

>収穫期になればちゃんとお家に帰る
帰りません‥勝手な想像を書き込まない様に。

もうね‥いくらなんでも酷すぎ‥

609 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/13(月) 11:25:45
>>608
乙カレー

610 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:16:38
つか、三戦板の二万五千上洛スレとの違いを教えてください

611 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:23:02
ていうか信玄って鉄砲集めなかったの?

612 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:24:33
>>608
>上杉謙信は川中島以降一度たりとも直接兵を交えてません
戦場を上野に変えて戦っているね。「信濃での戦いが一段落した」というだけで、
武田と上杉の戦い自体は信玄の死後まで続いている。

>関が原のような、1つの戦場へ集まる戦でなければ
>統一した軍事行動は必要ありません。
WW2の連合軍は世界各地で戦い、そのために統一された統率指揮戦略構想を必要とした。
政治レベルと戦術レベルをごっちゃにしているね。

>本隊の行った戦か、小競合いかで違いますが
>浅井朝倉が攻め立てた時は丹羽、柴田等が援軍として加わっています。
丹羽も柴田も加わっていないよ。いると言うのならその記録を出してください。
それから、規模がどうあれ朝倉浅井の軍が木下秀吉の守る砦に攻め寄せて敗北、
以後一度も攻め寄せなかったという点は変わりませんから。小競り合いだから
という言い訳はよく聞きますが、織田軍本隊がいない絶好の機会に小競り合いしか
できなくて結局砦も落せなかった>目的を達成できなかった=敗北ですよ。
ああ、そうですね。織田軍にとっては、朝倉浅井のあいては小競り合いですか。

>十日前後で陥落しています。少しは調べましょう‥
記録によれば、二俣川攻略開始が10月14日、落城したのが12月19日。記録によって
差異はあるが、どう調べても10月中に落としたとする記録はなかった。もちろん
そちらはあるんでしょう?提示してください。

>帰りません‥勝手な想像を書き込まない様に。
収穫期うんぬんには賛成ですが、それでも蓄えが尽きれば帰ります。
永遠に軍事遠征なんて出来ないのだから。

もうね…いくらなんでも酷すぎ…

613 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 22:25:54
上杉謙信が信玄に塩送ったとか。
実は女だったとかは本当?

塩送った話は有名だけど初出はどこなの?

614 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 22:50:02
>>613
塩を送ったとあるが 実際送ったのではなく越後からの塩止めをしなかっただけ!!

615 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:02:43
なんで、信長のライバルに信玄がなるのかなぁ?
信玄は、田舎大名で終わっちゃったんだよね〜甲斐って本当に山ばかりで、今でも人の数より狸の数の方が多いんだよ。
信長のライバルは、公家や寺院だよ。古い保守を信長は、敵視していた。
武家で、しかも、田舎の一大名なんか相手にしていない、その証左に武田潰すときは、電撃戦で「あ!」っと言う間に片付けたし。
信玄のライバルは、やっぱり田舎大名の謙信じゃないの?

616 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:13:07
>>608
>統一した軍事行動は必要ありません。
包囲の一角なのに雪が降ったら勝手に帰っちゃっても問題無しってかw

617 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:17:18
謙信よりもその家来の村上や小笠原、長野?とかいう地侍たちだと思われ。

618 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:59:12
>>608
>もうね…いくらなんでも酷すぎ…

よくもまあこんだけの恥知らずなことを並べてきたな
もうね…いくらなんでも君の頭が酷すぎ…

619 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:04:16
>>615
その割には信玄在命時に、油が絞れるのではないかというぐらいの
胡麻すり外交してますな

620 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 01:42:14
>>619
武田派からはこーゆー意見をよく聞きますが、この人たちは「外交」というものの
重用さ知らないのでしょうか?理解できないのでしょうか?
軍事というものは戦場でぶつかり合うだけと認識しているのでしょうか?

621 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 02:52:47
>>619
そのゴマすり外交にだまされて、信長が強大になるのを看過したのは、どこのアフォでしたかな?(www

622 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 03:15:40
>>608
もう充分だろ?
参戦にオカエリ

623 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 03:19:36
魔玉 ◆TLOxROt30I、お前のレスを全て読んだが批判しかできないチキンヤローだな
しかも知識も無いから>>609のレスで>>608に乙カレーだって
無知丸出しだな(プ

口惜しかったら武田でも上杉でも擁護してみろよ
あ、恥ずかしくてここにはもう来れないかな(藁

624 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 07:44:31
信玄なら誰も思いつかない戦略で信長倒しそう。

625 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/14(火) 09:26:13
>>623
君のような香具師を探してたんだよw
その程度の煽りではまだ誰にも通用しないけど磨けば光る資質を見た!
俺と一緒に三戦板に行って修行しないか?www

626 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 10:10:14
負けず嫌いが多いなあ

>>624
この二人だったら、ほんと面白い戦いが繰り広げられたかもね
後の時代の人にとってはだけど

627 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:36:08
>>612
>武田と上杉の戦い自体は信玄の死後まで続いている。
信玄の生前、一度も戦いへ発展していない。

>WW2の連合軍は世界各地で戦い、そのために統一された統率指揮戦略構想を必要とした。
とても初耳‥アメリカ、英国、ソ連、中国が会談したのはかなり後期
統一された統率指揮戦略構想があったと主張するなら証拠が欲しいね。

>丹羽も柴田も加わっていないよ。いると言うのならその記録を出してください。
? 虎御前山の戦いは、主だった家臣が参戦しているが?
秀吉が指揮を執っていたのは、堤での小競合いでしょう。

>記録によれば、二俣川攻略開始が10月14日、落城したのが12月19日。
記録によれば、二俣川攻略開始が10月14日、家康が後詰へ向かう途上で陥落とあり
家康の帰陣が10月下旬。

>永遠に軍事遠征なんて出来ないのだから。
これは同意、2,3年が限界でしょう。

628 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 14:10:27
>>627
>信玄の生前、一度も戦いへ発展していない。
武田信玄と上杉謙信が戦った第四次川中島合戦は捏造とでもいうのかな?
戦いに発展していなければ上杉家は敵ではないというなら、
武田信玄も織田信長と直接戦っていないので敵ではないのかな?

>記録によれば、二俣川攻略開始が10月14日、家康が後詰へ向かう途上で陥落とあり
>家康の帰陣が10月下旬。
実際の陥落は12月19日。
三方ヶ原合戦が12月22日なので10月中に陥落していたら、
2ヶ月もの間無駄な時間を過ごしたことになる。(これでは信玄が無能になってしまうよ?)


ここの説明よろしくね。

629 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 15:21:18
>実際の陥落は12月19日
史料をみれば、遅くとも11月上旬には開城していますよ。
それに、二俣〜三方ヶ原間の距離、諸城攻略の手間からしても
12月19日陥落は家康公を称える為の処理でしょうね。

630 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:48:35
>>629
>それに、二俣〜三方ヶ原間の距離、諸城攻略の手間からしても
>12月19日陥落は家康公を称える為の処理でしょうね。

すごい論理ですね。
信玄は10月4日に小田原を撤退して10月6日に三増峠まで進めている(退却中の3日間)のに、
12月19日に二俣を出発して12月22日に三方ヶ原へ進めない(進軍中の4日間)というのか?

小田原―三増峠より二俣―三方ヶ原の方が短いのは知っているのかな?



まあ、別に二俣城陥落が10月下旬でも11月上旬でも構いませんが、
どちらにしても信玄は徳川を攻めるのに時間をかけすぎ。
信玄は信長と戦う気なんて無いですよ。
負ける戦をしないのが信玄のいいところです。


631 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 17:30:34
二俣城は陥落ではなく開城だが・・・
三戦の住人は、二俣城から見方が原まで1つの城も無いと思っているのか?


632 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 19:50:10
日本ってパッとした軍師がいないよね。
信玄が三国志の孔明ぐらい頭いい奴配下にしてれば
天下取れてたカナ?

633 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 20:43:29
>>631
二俣から三方ヶ原までの間(現 浜北市)に信玄を脅かすお城がたくさんあるの?
浜北市のお城を3以上教えてね。

634 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:52:02
632さん、だから無理だってw
蜀も、天下とれなかったよね!
そういえば、三国志と戦国はやはり似ているねぇ
だって、魏が天下を手中にしたら、家臣に天下を掠め取られるしねw
やはり、中央を抑えた者が覇者になるんだよ歴史が証明している

635 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:48:52
武田マンセーな人は、武田騎馬隊信じてるの??
武田が凄いのは、軍道を整備して如何に早く補給物資を前線に運べるかを、山の中で極めたからだよ。馬は戦闘では役に立たないよ。
特に日本の在来馬はポニー?ってぐらい、重さ60〜80`の騎馬武者を乗せて走れない(日本の馬が300キロとすると、サラ系アラ系の
半分くらい、で60キロ乗せて時速50kmで走るとすると、日本の馬は騎馬武者を乗せて競馬場で時速25kmで走れるかも、だから、馬防柵
やらなんかある戦場では、時速10kmくらいかな)だから、武者も戦闘は徒なんだよね。

でも、信長の3段打ちも無理だよね〜だって、人の声で合わせる打ち方なんか戦闘中にできないよ、鉄砲は特に五月蝿いし!
勝頼が、大負けしたのは、単に兵力差だよ。

信長としては、武田を叩いた理由は、公家に対する威嚇だよ、その証拠に追い討ちをかけなかったよねw
普通、不倶戴天の敵なら追い打ちして滅ぼすでしょう。
でも、信長にとって武田家は、その他大勢だったようです。(公家にとってもは、違うかも源氏だしね)

636 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 01:27:52
>>585
通りすがりの意見ですが、
武田の遠征軍を撃退しても武田が滅ぶ訳ではないですよね。
それならば撃退しても、籠城で凌ぐだけでも大差ないと思います。
籠城戦で三倍差なら普通は余裕で凌ぎきれる戦力差ではないでしょうか。
それに対して他の相手は既に本拠地を攻めていて虫の息。
そっちに戦力を集中して先に滅ぼしてしまう方が戦略的に正しいと思います。

637 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 03:04:26
勝頼が長篠で負けたのは、長篠城を包囲してたら
信長の後詰の援軍が来たので、迎撃しにいったら
後方の長篠城包囲してた部隊が迂回して後背を突いた酒井忠勝に蹴散らされ
そのまま崩れたと思うんだがどーよ?

兵力で圧倒してたから迂回する別働隊を使えたということかね

ていうか、信長公記まんまなんだけどw

638 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 13:32:18
>>632-637
えさが不味いねw


639 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 13:53:29
日本の在来馬って小さくてカワイイ


640 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 15:19:27
信長公記もいちおう史科なんだよね・・・

641 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 21:42:57
たけみつ教授のホントは非常識な通説日本史

って本によると武田騎馬軍団ってのはなかったらしいな
「騎馬軍団があれば武田勝頼が「長篠の戦い」で負けるわけがない
 自由に駆けまわって槍を繰り出す相手には歩兵の鉄砲では
 全く歯が立たないからだ」
だそうだ。

信玄が生きてて対信長を考えてたら騎馬軍団作ったんじゃないかな?
そうしたら信長なんて雑魚ジャン。

642 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 22:23:40
>>641
日本の十六世紀の軍制じゃあ無理。
当時の日本の馬じゃあ無理。

643 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:09:13
>>642
なんで?本によると騎馬隊が出来たのは明治らしいが
そこまで馬の質って変わるか?

644 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:21:46
>>643
猫と虎をいっしょくたにする程、とは言わないがある程度違うだろ、それに去勢されていなかったし。

645 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:50:43
>>643
まずそもそも大きさが違う。
ついでに、日本では明治までは蹄鉄もなかった。

646 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 00:13:08
明治になって、日本馬と世界の馬との差を認識した陸軍が
アラブ馬やサラブレットとの交配を薦め、20年近くかけて、改良したが結局挫折してる

しかし日本馬は、日本には適応してた
平地を駆け抜けるスピードは、海外馬と比べるべくもなかったが
海外馬は傾斜や段差に弱く、山地の移動を極端に苦手としていたが、日本馬は、山の上り下りを苦もなくこなした


647 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 01:09:05
騎馬隊ねぇ〜
サラ系の馬でも、戦闘に使えなかったと思うよ。
だって、馬は神経質な生き物で、隣に他の馬が走ってたくらいで、気を散らすw(例:ブリンカー)
日本のように、馬が生活の必需品として欠かせない生き物なら、兵器としての意味は持たないね(もったいない、どう考えても人より大きい馬のほうが被弾する可能性が高い)
武田騎馬隊でも、人:馬は、10;3〜2でしょ、結局、人のスピードでしか機動できなかった、ってことだね。
だったら、鉄砲のほうが馬よりも戦場では役に立つってことだね、兵力で負けて兵器で負けて、何しにきたの勝頼君?


648 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 07:31:52
それじゃあなんで戦国時代馬なんか使ってたの?
人のスピードでしか移動できないなら馬必要ないじゃん。

649 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 08:08:36
>>648
輸送、というものがあります。
あと騎乗というのは地位の一種のステータスでもある。

650 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 08:13:41
よくいわれる事だけど、戦闘そのものの為というよりも、

金や手間のかかる馬に乗る事→人に威圧感とか威厳とか。
良い馬に乗る事は自慢になったり。

大鎧は重く、徒歩だと戦場に着くまでに疲れる→戦場までのただの移動手段とか。
馬は乗る事も出来るし、人より荷物を多く運べるとか。

651 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 08:15:37
被った上に2段目の矢印が繋がってないなw
スマソ。

652 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 09:41:04
なら牛でもよかったのではないか、なぜ馬なのか?

653 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/17(金) 10:03:09
>>652
牛では思うように動いてくれないよ('A`)

654 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:00:47
モンゴルの騎馬隊も同じぐらい馬が小さかったから、馬の大小は問題じゃない
って誰か言ってなかったっけ?

655 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:25:51
日本の在来馬は小さくて移動スピードが遅いけど凄く丈夫で使い勝手が良いと馬のサイトに書いてあった

656 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:33:02
>>648
それでも甲冑着て自分で走るより楽だろ

657 :654:2005/06/17(金) 17:55:45
馬の大小は問題じゃないっていうのは、
馬が小さかった、だから戦場では乗れなかった。となるわけではない、という意味ね。

658 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 18:09:53
ヨーロッパの騎士達は日本よりもはるかに重い鎧を身にまとってランス構えて突撃してたわけだが

659 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 18:27:16
>>658
だから欧州の騎兵は、戦闘当初は温存され、勝負どころで使用されたじゃん
強力な突破力を保有するが、簡単に疲弊するから



660 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 19:25:59
なら戦国日本でも十分運用可能だね。

661 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 19:32:45
どこをどう解釈したら日本で十分運用可能という発想に至るのだろうか?

662 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 19:39:54
このスレでチョンが暴れています。どうか日本史板の皆さんの知恵をお貸しください。

【天皇制について議論したい人】JJ予言者【専用】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1114095358/



663 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 21:06:54
このスレに書き込む人はやっぱり、山梨県の人たちが多いのですか?または、信玄軍か騎馬隊にゆかりのある人たちですか?

664 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 21:13:12
漏れは神奈川生れ東京育ち

665 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 21:33:29
地の利ー京都に近く港も有り肥沃な土地。信玄、正宗、幸村、謙信、元就、元親、薩摩。尾張生まれなら信長に取って変わったかも。勿論、天下統一前に襲撃されることもなかったと思われ。ただ秀吉の大抜擢人事や政教分断の革新は無いだろうがー山や海の有る無しは大きい。

666 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 21:37:32
そもそもさ鉄砲隊になんで勝頼は正面から向かってたの?
柵つくって鉄砲隊が待ち構えてたんなら
後ろから攻撃すればよかったのに。

667 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:05:33
>>660
地形的に無理。

668 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:16:47

へ〜。
日本は山岳地帯ばっかだったんだw
衝撃の事実w

669 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:42:50
>>668
馬に不利な地形が幾等でもあるのに
相手が騎馬隊の都合に会わせて布陣してくれるんだw
衝撃の事実だな。

670 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:54:52
>>665
信玄、正宗、幸村、謙信、元就、元親、薩摩

せいぜい三好と同じ様な存在ぐらいにしかならないだろうな
こいつらに旧体制を打破しようと思考が全く無い

671 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:57:05
×こいつらに旧体制を打破しようと思考が全く無い→○こいつらに旧体制を打破しようという思考が全く無い

672 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 01:01:32
>>669
軍編成などどの大名も大差ないが・・・。

673 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 01:19:12
今、オナラこいたが、すげぇ臭い・・・・

674 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 01:52:48
塩尻峠の戦い
峠の上で惰眠を貪っていた小笠原軍を武田騎馬隊が強襲、殲滅。
上田原の戦い
緒戦の大勝で馬から下りてのんびり首実験をしていた武田騎馬隊を、
村上足軽隊が卑劣にも襲撃して武田騎馬隊敗績。
戸石崩れ
城攻めダルイし、馬もいいかげん疲れたんで、疲れた馬を背負って帰宅途中の武田元騎馬隊を
村上足軽隊が卑劣にも襲撃、武田騎馬隊全滅。
川中島の戦い
霧の中でのんびり空弁当を使っていた武田騎馬隊を、上杉足軽隊が卑劣にも襲撃。
しかし別働隊の武田騎馬隊が戻ってきて上杉足軽隊壊走。
三増峠の戦い
北条領を存分に略奪して回り、意気揚揚と祖国に帰ろうとする武田騎馬隊の前を、
北条別働隊が邪魔して嫌がらせ。怒った武田騎馬隊によって北条別働隊は当然の如く壊滅。
三方が原の戦い
篭城しようとする松平足軽隊を武田騎馬隊が巧みな知略で誘き寄せ、殲滅。
松平三州味噌をつくる。
長篠の戦
馬防柵と鉄砲の三段打ちを駆使した織田足軽隊の卑劣な作戦により、
武田騎馬隊、全滅。以後騎馬隊は歴史の表舞台から姿を消す。



675 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 03:58:50
>>672
騎馬中心の部隊なんてどこも持ってないんだから
どこも似たような編成になるわなw

676 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 04:19:02
>>669
騎馬隊恐れて山ん中布陣。
ふと気がついたら農民達はみな武田の臣民となっていましたとさw

677 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:19:08
>>670-671
×幸村、薩摩 w

678 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:30:40
>>677
幸村、薩摩

×せいぜい三好と同じ様な存在ぐらいにしかならないだろうな

○せいぜい六角と同じ様な存在ぐらいにしかならないだろうな

679 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 14:47:23
>>676
現実に存在しない、妄想戦記を語られても名w

680 :679:2005/06/18(土) 14:56:15
ここはネタスレだったな、妄想でもOKだったな

>ふと気がついたら農民達はみな武田の臣民となっていましたとさw
で山中に布陣した兵力は放置か?いつ反撃してくるか分からないのに
包囲するなら単なる篭城戦だわなw

681 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 15:08:09
>>676 の説だと
山の上にある長篠城や高天神城を攻めた勝頼は要らん戦争をしたアフォってことになるなw

682 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 17:08:12
?????
諏訪四郎は要らぬ戦争をし、信玄公の遺された戦国最強の騎馬隊を失って家を滅ぼした天下の愚物だが・・・。

683 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 18:41:30
山ん中に布陣するくらいなら、最初からそこに城つくっとけばいいのに。
臆病者は勇気も足らんが、知恵も足らんとみえるw

684 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 18:53:38
馬が不利な地形なら田んぼの前か、河を挟んで布陣すればいいだけ
ま、騎馬軍団にどれだけ馬がいたか見物だなw

685 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 20:53:52
火縄銃ってどれくらいの威力だったの?
鉄の盾とか持って進んだら防げるんじゃあないの?

686 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:23:07
>>682
信玄も高天神城を攻めてるけどな、
その時には攻略に失敗たけどなw

687 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:23:38
>>685
>火縄銃ってどれくらいの威力だったの?


距離が50mくらいなら厚さ1oの鉄板を貫通させることができるよ。
しかし、湿度や風力に影響を受けやすいとか。

まあ近距離で射撃されたら威力は増大します。


688 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:31:21
>>683
つーか、内陸の交通の要衝は普通に山城が築いてあるだろ、
自分が攻撃するまで相手が全く準備してないなんて
ゲームの中だけだワナ。

689 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:33:54
>>686
信玄入道は高天神城を抜けないと悟ると、速やかに敗走した。
四郎は長篠城が落とせないと悟ると、火病をおこして突撃死した。
優劣は明らか。

690 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:44:22
鉄砲は当時のどこの大将も注目してたのよね。信濃松本旅行のとき、あの山脈の景色にはびっくり。馬を駆る技もさることながら、雪深い春の遅い峻険なところでの鉄砲は湿度高く背負っての機動性を削ぐ。鉄砲の有効な地理的条件は大きい。内陸は他国経由の武器輸送が不利だしね。

691 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:56:07
山脈の中で鉄砲打ち合うのはマタギの喧嘩くらいのものだよ。

692 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 22:37:28
マタギは玉を無駄使いしないよ。

693 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:09:24
山脈の中で統一していく戦略は、他の大将のパワー戦略とは違った心理や奇襲戦が要。桶狭間の意表を突く展開も当たり前。周囲の動きも不穏。山に逃げ込まれると敵側に有利な自然の要害。信長が敗走した浅井朝倉との戦いの類ばかり。目鼻が着いた頃は老いていたのも無理はない。

694 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 02:39:57
>>689
>速やかに敗走した。
撤退ならともかく敗走じゃダメジャン。

695 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 02:46:46
>>689

>>676 からの経緯だと、城攻めなんてしてないで周りを制圧すればいいじゃん
城も落とせず、勢力圏にも出来ない、信玄ダメすぎw

696 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 03:00:51
信玄・謙信・政宗は過大評価され杉
郷土に何も無いから、無理やり(ry

697 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 05:20:49
>>695は素人。
城を攻めるのは下の下の策である。
では、信玄公はどうであったか?
戸石城で敗走し、箕輪城で敗走し、小田原城で敗走し、高天神城で敗走し、
野田城では遂に討ち死にした。
当然城をとるどころか寸土も得られず、衆人の物笑いの種となった。

このような経歴を見ると、まさに信玄公は天下の愚将、
救いようのない敗北者であったように思う人もいるかもしれない。
だが、このような見方こそ>>695のような浅学な素人の見方である。
それはなぜか?

昔から、負けるが勝ち、というではないか。
まさに生涯負け続けた信玄公こそ真の勝利者であったのだ。

虎は死して皮を残す。信玄公は討死して不朽の名声を遺した。
嗚呼、将に名将なる哉、信玄公!
ちなみに私は昨日の晩、ほうれん草の胡麻和えを残した。

>>696
難癖をつけるのは止めろ。
山梨には放蕩もあれば、信玄公の隠し湯もある。
新潟や宮城、山形は米が取れる。



698 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 06:11:23
そういや以前NHKで信玄と信長が戦ったらってやってたな。長篠が舞台って設定だったがな
たしか、馬と鉄砲なら同時くらいだったというてたよ、第一射目で騎馬をしとめても次から次えとくる騎馬の方が有利だ!!
 
あと信玄が上洛の軍を起こしたとき徳川がたの奥平って武将は信玄側に寝返ってたし
 まぁ信長と信玄が戦ったらどうだろうね、引き分けくらいかもな。ちゅうか信玄は孫子の兵法をつかってたらしいからな

699 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 06:12:31
ちゅうか、城攻めが愚策ってのはおかしいぞ。戦国時代にたくさんの武将たちが城攻めで敗走したりしてる


700 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 06:15:08
まず、戦をするときは、内部から崩していくのが常套手段のはずだから
信玄は織田家の家臣たちを懐柔していくはずだしんでたぶん何人かは信玄側に
寝返るしそれで戦術とかがあるていどわかるからそこから対策を練っていくはず
 どっちが勝ったかというともしかしたら信玄かもな。鉄砲の射程にはいらなきゃ勝てるから

701 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 06:33:22
というか、信長の勝ちだろうな。
 信玄の家臣団は独立心が強いため信玄は押さえるのに苦労していたみたいだよ
現に長篠の戦いの敗北以後寝返った家臣が多かったからね

702 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 06:46:17
ぽまえらに言うておく、家康は甲州流の軍略をつかってたんだんで天下を取ったんだ
 

703 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:00:30
信玄って家臣に恵まれなかったよな。
信長の野望だと信長の部下は使える奴ばっかだもん。

704 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:29:34
>>703
ほう。では聞こう。
信長の家来で山形正影より戦闘の高い武将はいるか?
信長の家来で馬場信春より政治の高い武将はいるか?
信長の家来で高坂昌信より智謀の高い武将はいるか?
信長の家来で穴山信君より野望の高い武将はいるか?

デカイ口を叩くのは実際に信長の野望をやってからにして欲しいものだ。

705 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:33:37
信長の部下は秀吉、光秀、柴田、利家
そしてなぜか三成や大谷とかもいたな。
あまりに強すぎてやる気なくして
秀頼でやり始めたよ。

706 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:51:32
> デカイ口を叩くのは実際に信長の野望をやってからにして欲しいものだ。
ワロタw

しかし信長が家臣に恵まれたように見えるのは、単に
信長が版図を広げて後に活躍した人が多いから、なんだろうな。
歴史の目なんてそんなもん。

もし仮に、信長本人の死ぬまでの行動は全く史実通りでも
本能寺の後で織田家が分裂して、結局毛利とかに天下を奪われたりしてたら、
織田信長は三好長慶と同程度の「戦国の梟雄」的な評価しかなされていなかっただろう。

707 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:02:14
武田信玄が長生きしていたら大友宗麟程度の評価しかえられなかっただろう。
上杉謙信が長生きしていたら前田慶次程度の評価しかえられなかっただろう。
伊達政宗が長生きしていたら今川氏真程度の評価しかえられなかっただろう。

短命はハッピー。

708 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:06:51
>>707
伊達政宗は長生きしただろ。

709 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:29:54
>>706
しかし実際にはそうはならなかった。
「たら」「れば」の仮定で「○○程度の評価にしかならなかった」というのは
かなり卑怯なんだが。

710 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:53:41
>>706は、
歴史人物(ここでは信長)の世間的評価は、本人の事跡や才能だけでなく
その後の状況(ここでは、跡を継いだ秀吉が天下を統一したということ)によっても
大きく左右されてしまう、という自明の事実を述べただけなんだが
それが卑怯なのか?よくわからんが。

711 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:54:31
勝頼死んでなければ関が原に東軍として参加してたんだろうか?

712 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:02:47
関ヶ原の戦いに東軍の軍師として参戦したという珍説を唱える馬鹿がいるけど

713 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:11:30
信玄も遺言残すなら上杉じゃなくて徳川に頼れと言えば良かったのに。

714 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:16:21
当時の織田のパシリの徳川に頼るなんて予知能力でも無い限り考えつかんよ。

715 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:17:32
>>714
bonbonsinsi21eeeキター!

716 :715の訂正:2005/06/19(日) 16:19:10
>>714→×
>>712→○

717 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:28:12
信玄が遺言で謙信たよれなんて言ったの?

718 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:43:02
>>715
誰それ?

719 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:43:42
言ってない
>>701
長篠の戦いの敗北以後寝返った家臣は、独立心と関係無いな
落ち目になり見限られるのは戦国の常でしょう。
現に信長も、見方が原後に寝返りの約束をした家臣がちらほら居たからね
信玄が死去したので履行されなかったが。

720 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:01:03
ちゅうか、また疑問が、信玄はなんで三河と通るルートで上洛の軍を引きいたんかな?
 直接信濃から美濃へせめればよかったのでは?


721 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:08:40
>>720
武田軍は真正面から織田軍と戦うと負けるから。
徳川軍に駿河を襲われるから。

722 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:34:35
>>920
信濃から美濃への狭いルートを選ぶと、信長と対峙してる間、南信濃や駿河などが家康の侵攻の危険に晒される
例え家康滅ぼせなくとも叩いとけば、美濃尾張に入るとしても後方を荒らされる可能性や影響が減る
短期決戦するならともかく、信長と長期的に戦う算段であったなら、至極常識的な侵攻ルートに思える

723 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:57:52
ていうか信玄死んだ時さ死を3年隠せみたいな事言ったらしいけど
ソレだったら信玄死んだくらいで引き返さないでそのまま京都
行ってたら良かったんだよな。

724 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:05:54
>>723
不可能。

725 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:48:08
>>724
なんで?
諸葛亮孔明も死んだとき木造作って誤魔化したんだから
信玄も木像で誤魔化せばよかったんだよな。

726 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:15:18
所轄量には小宴、ひ伊がいたが、
信玄には勝つより、ば異説しかいなかった。

727 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:00:43
>>723 >>725
信玄自身、そう思ってたんだろうな。恐らく。
自分が生きていることにして、何が何でも上洛しろ、と。
逆に言えば、今それをしないと織田に天下を取られるぞ、と。
しかし残された家臣たちにはそれができなかった。


728 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:06:41
それが事実なら「自己存在の否定」。


729 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:07:42
では、結論としてまとめると、
信長は、戦国を収拾させた英雄であった!
信玄は、「天下布武」に抵抗したその他大勢の一田舎大名であった!

まぁ、信玄が強いのは、妄想の中と田舎の小競り合いであって、実際は‥

730 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:16:37
>>725
家の制度として不可能。
信玄と家臣たちの関係は一代限りの契約関係であり、信玄が死んで代が変われば
(逆に臣、例えば小山田信有がしんで信茂が当主になれば)あらためて君臣の
再契約を結ばなければならない。
この場合、信玄が死んで勝頼が武田家の当主になっても、それは武田家内部の話で
あり、他の部下たちは改めて臣従を誓う必要があり、勝頼は臣従した者を「部下
として保護する」と約束するわけだ。
この契約更新がなされないと、軍として機能できない。
封建制の軍隊は、近代国民国家の軍のように司令官を挿げ替えてもすぐにどうにか
なるというものではない。

731 :727:2005/06/20(月) 01:20:05
で、もし仮に信玄の遺言通り死を隠して上洛していたとしても、
信玄在世時と同じレベルの統率力で織田の本隊を打ち砕く、
ことができたかどうかは、甚だ疑問だ、と。

>>729
まとめになってないぞw

732 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 09:48:55
家康撃ったときに家康の領土全部取っとけば
武田も安泰だったのにな。

733 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 13:19:18
>>730
>封建制の軍隊は、近代国民国家の軍のように司令官を挿げ替えてもすぐにどうにか
>なるというものではない。
戦国期の軍が欧州封建制の軍隊と同質だと思ってる?
戦国期の軍は、それほど低レベルではないよ。

734 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 17:28:08
信長など所詮田舎侍。 大した武将と手合わせせずにここまでこれた。
しかし寿命は50年でかわらん。
秀吉が苦しんだ毛利征伐に援軍してれば、吉川・小早川から虐殺、
援軍しなくても光秀からあぶり殺し。 所詮その程度の武将だったって事だな。

735 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 18:37:41
結局ノブナガの配下で一番優秀なのは光秀なんだよね。

736 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:24:31
>>735
尾張や美濃の武将も優秀ではありますが、
明智光秀は政治・軍事は勿論、幕府や朝廷との交渉力(人脈・作法・文化)もあります。
その点が天下を狙う信長に重宝がられたのでしょうね。


羽柴秀吉も丹羽長秀も交渉力はありますが、人脈・作法に難アリかと思います。


737 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 21:23:54
長秀は織田家臣の中では徳があったな。 美談も多いし。
織田アンチでも長秀は認めてやる。

738 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 21:43:04
信長は光秀使って自殺したんだよね。確か。

739 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 21:57:36
>>733
欧州封建制の軍よりはましだが、それでも同じレベルの軍隊だよ。編成に関しては。

この辺は、桶狭間の今川軍をみればわかる。近代の軍ならば、司令官の義元が死んでも
すぐに次の序列のものが指揮権を引き継いで行動が取れる(戦闘も出来る)が、実際の
今川軍はどうなった?

740 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:09:24
織田軍団自体が信長、信忠親子が死んだら四分五裂
丹羽長秀、織田信孝の部隊に至っては、戦闘もしてないのに空中分解。

741 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:53:58
>>740
織田家の後継者である織田信忠が二条城で死亡したのが厳しいでしょうね。
いっそうのこと、織田信雄も死亡していれば織田家の家中もまとまったのかも。

織田信孝といっても鈴鹿郡・河曲郡の所領では兵1000ぐらいかな?
丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田信澄も石高が多い訳でもないし。
本能寺の変で織田信長・信忠父子が討たれた可能性があるという情報が入ったら動き難いかと。
柴田勝家や羽柴秀吉のような行動(弔い合戦)を期待するのは酷と思います。


742 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:11:22
信長は、自分の死後も問題が無いように生前から信忠を後継者として内外に任じて
きたが、同時に死んだことにより無に帰した。
信玄の場合は、勝頼を一族ではあるが一武将に留め、死に臨んでも陣代扱い、正統の
後継者には指名しなかった。

743 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:27:30
>>739
桶狭間で義元が討死したときはすでに勝敗がついて、逃亡途中に討ち取られたと思ったんだが?
そんな段階でどうせよと?
ネルソンやグスタフアドルフ、李舜臣提督とはケースが全然違うだろう。

ちなみに・・・
三増峠の戦いにおいて浅利某は戦死したが、軍監の曽根某が部隊の指揮をとって事なきを得た。
関ヶ原の戦いにおいて東軍の総大将某は戦死したが、影武者世良田某が指揮をとって東軍は大勝した。
大坂夏の陣において徳川方の総大将徳川某は戦死したが、どこかの誰かが指揮を引き継いで徳川方は圧勝した。

744 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:27:59
>>732
これはどうだろう?
仮に信玄が上京を諦めて、家康に止めを刺して遠江三河を取って死んだとする。
それで長篠の時に、徳川の兵力分が全て武田側に回っていたとすると、
兵力のバランスはどうなる??
それでも織田の方が多そうな気がするが。

745 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:38:23
>>744
その設定だと遠江・三河は武田領になっているんでしょ?
長篠で戦わなくなると思いますので、設定が滅茶苦茶になるとおもいます。


746 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:41:00
>>745
えーっと・・・
つっ込んでほしい?

747 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:42:28
>>746
いいえ…
座興ですから。

748 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:42:36
そもそも、そんなバカ設定をもとに話せと言うのが間違い

749 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:49:27
甲斐、信濃、遠州、三河の連合体であっても、尾張、美濃、近畿を押させた信長の敵ではないね。
国力が違いすぎるよ。
現代でも、甲斐や信濃は、観光地ジャンw
近畿は、この時代まさに日本の中心だしね、尾張、美濃も肥沃な平野が広がっていて、その上に良港もある。
どうやって、信玄が信長に勝てるのか?
現代で言うと、ちょうど北朝鮮vs米国だねw

750 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:52:10
せいぜい北朝鮮と韓国だろう。

751 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:09:23
というか、信長が強かったのは堺をもってたからだろ?鉄砲などが入ったから。
そういや、そのとき歴史が動いたで小和田教授がたしか、信長は弱かったから鉄砲を採用したっていうてたな。
国力ってのもそうだが、以前もいうたように、騎馬と鉄砲だと初撃で同時くらいになるから
初めのやつらくらいなら倒せただろうが、二撃目くらいだとう相打ちかもな
騎馬って一気にくるから

752 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:10:49
ん?小山田って信玄の娘婿のはずでは?穴山もそうだし、木曽もそうだったはずですが・・

753 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:11:02
>>743
徳川の某総大将は何回戦死してるんだよw

754 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:11:17
>>733
反論するのなら、具体的に「こうこうだから、可能」とやってくれんか。
それではカケラも説得力がない。

755 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:15:02
そういや、大河ドラマの信玄は上洛するときに、信長を尾張に釘付けにしろ!!っていうてたな
そのためには、徳川をたたく必要があるって。
 ん?そういや信長と戦うために上洛軍を起こしたときって信長包囲網ができてたころでは?
浅井朝倉連合軍や紀伊の雑賀孫一などがいたはず

756 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 01:02:41
>>749
信玄と元就が東西から信長を挟み撃ちにするよ。
その後の信玄vs元就の方がいい勝負になるな。

757 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 01:11:51
>>759
元就は生前、ひたすら織田と友好関係を結んでいるよ。何故なら、周囲に尼子残党やら
大友やらと敵対者だらけだったから。
同じく、信玄は元亀の最初は上杉・北条・徳川と周囲全てを敵に回したためやっぱり織田と
友好関係を維持しつづけた。
つまり、信長がもっとも苦戦していた時期は武田も毛利もやはり苦戦していて織田と戦う
余裕なんてなかった。その中で一番最初に苦境を脱した(といっても、北条氏康の死という
当人の努力才能とはまったく無関係なことでもたらされたのだが)信玄が、織田と敵対を
選んだが、その頃には信長もすでにほとんど危機を脱しつつあった。つくづく間が悪いね
信玄は。(もっとも、信玄の苦境も本人の外交ミスから陥ったものだから自業自得だが)

758 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 01:37:55
>>756
毛利家の事情
備前で浦上宗景と三好家の武将である篠原長房、能島村上武吉の連合軍と対峙中。
毛利家としては織田信長と結んで現状打破を考えています。(元亀三年十月に和睦。)

この時期の毛利家と織田家の関係は敵対していませんので武田家と毛利家の挟み撃ちは無いですよ。


759 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 01:52:23
織田信長が一番厳しい時期は元亀元年と思います。
姉川合戦で勝利したとはいえ、野田・福島合戦と宇佐山合戦には勝利していません。
朝廷に調停を依頼しなければならないほど追い詰められています。

この時期に武田信玄が動けば…、駿河欲しさに大局を見誤っています。


徳川家康が姉川まで援軍を率いることができたのも武田家と北条家が争っていたからなのよねw


760 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 06:23:06
そりゃまぁ、どこの大名でも周囲の大国が
勢力を伸ばすことは歓迎せんでしょうな。
何かにつけて足を引っ張るさね。

つーか、
>朝廷に調停
・・・おやじギャグっすか?

761 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 11:34:46
信長の野望では漏れはいつも北条を先に滅ぼしますがなにか?

762 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:19:33
真田信繁は兄嫁と密通していたという同人誌きぼん。

763 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:40:44
こういう戦国時代のもしも話を聞きながら素人の俺がいつも感じることを教えて欲しい。
この時代、小学校とか中学校の教科書じゃ下克上が流り、みんながしのぎを削ったと言われるけれど
実際、本格的な考え(現実的な戦略、戦術、将来構想)を持って
天 下 統 一 を考え、実行にうつしていた人ってどれくらいいるの?
俺的にはそうした構想をもっていた人って織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、足利義昭、石田三成ぐらいなんだと思う。
あと、誰かを利用しながらって感じで積極的な行動はしないけれど、そうした感覚を持っていたのは天皇家とか淀君かな。
他の、毛利家とか上杉家とか武田家とか今川家とか北条家とか島津家とか伊達家とか本願寺とか
柴田家とか前田家とか大友家とか大内家とか明智家とか松前家とか最上家なんかは、地方統一、お家の基盤を安定させる
ということや、天下統一を夢見ていても、現実的な戦略や戦術や将来構想のどれかをもっていなくて
とりあえず地方統一をしながら後のことは子孫に任せようみたいな感覚だったのではないのかなあと思っているのです。

764 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:02:39
信玄には真田がついてたわけだから
うまく真田を使えば信長なんか簡単に
倒せただろう。

765 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:12:14
>>764
お前、信長の野望やり過ぎだよ。
さっさと中和剤打っときな。後悔するよ!

766 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:25:55
>>763
むしろあなたに聞きたいのは、あなたはどういう経緯を辿って
その5人<だけ>が天下統一を考えていた、と思ったのか、ということ。

確かに上杉謙信には領土欲はなかった。
それから、後北条と毛利は天下をとろうという動きはしなかった。これは認めてもいい。
しかしその他の、島津とか長曾我部とかとりわけ伊達とか、
そういう人たちが「天下統一を志していたが、状況がそれを許さなかった」のではなく
「もともと天下統一なんか考えていなかった」のだ、と判断した根拠は何?
俺には、あなたは単に結果的に天下を取った(或いはそれに近かった)人のみが
「天下統一を考えていた人」なのであって、
他の人はよくわからんから、とりあえず天下統一なんて考えていなかったんじゃね?と
根拠もなく言ってるだけにしか見えないのだが。

767 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:30:20
>>764
真田幸隆が活躍できたのは信濃・上野という幸隆自身の所縁のある地(人脈・地勢)で働けたから。
美濃・三河・遠江で上手く使うことは厳しいと思います。

それに、真田幸隆が信濃・上野にいないと上野北部は上杉謙信の属領となってしまいます。
元亀二年の上野方面は武田軍と上杉軍が戦闘状態ですし。

768 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:32:17
>>763
三好長慶は?

769 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:09:35
>>766
根本的な俺の疑問は、誰も彼もが天下統一志向だったかのように学校で習ったことが疑問だったんだ。
先に書いた人間についても“いきなり”天下統一を考えていたのだろうか?ということも不思議だった。
たとえば、俺の親はちょっとした雑貨販売会社の経営者だけど、全国の経営者みんなが
世界シェアNo.1までの明確なロードマップを構想して経営しているわけではない、
当面の現実的で身の程をわきまえた安定した経営基盤の確立までの目標を持ちながら、それを前提とした活動をするのだ
と教えられてきた。実際、それが現実的な経営なのだと思う。
織田信長だって、当初から(夢は別にして)天下統一を目指した政治、戦略、構想をもっていたのだろうか?
当初は、尾張での基盤を確立を目指していた程度だったのではなかろうか?
桶狭間の合戦だって、今川義元を食い止めて“尾張での織田の地位”は守ったけれど、別に今川の駿府の国をとったわけじゃない。
つまり、天下統一という絶対的な目標を誰もが持っていて、中途の戦略を練れるほどの人間はそうはいないんじゃまいか?
大抵の大名は、自身の領地確保→地方統一→自身の領地の発展→||野心の壁||→領土拡大→領地の発展→
||天下を目指した人とそうでない人を分ける壁||→天下統一を目指す
といった時代だったのではないのかと思うのですよ。
もちろん、「天下統一を志していたが、状況がそれを許さなかった」と本気で考えていた人もいるだろうけど
状況が許さないのに、“まだ夢であること”を、真剣に時間を割いて考えていたり、ロードマップを作る人というのは
経営者として現実的ではないと思う。

770 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:13:59
少し分類してみる。

1、世間的には「信玄が勝っていただろう」と思われてるが、漏れは信長が勝ったと思う。
2、世間的には「信長が勝っていただろう」と思われてるが、漏れは信玄が勝ったと思う。
3、世間一般に思われているように、信長が勝っていただろう。
4、世間一般に思われているように、信玄が勝っていただろう。

↑おまいらこのうちのどれよ?
俺の推測では信長厨は概ね1、信玄ヲタは概ね2で
3とか4は殆どいないんじゃないか、と思うんだが。
(漏れは2ですが)

771 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:18:51
>>769
何が言いたいんだ?
「島津や最上は天下を取るような位置にいなかったから、
当然ながら天下統一を考え得る立場ではなかった、もし考えていたとしてもそれは現実味のない話だった」
といいたいのか?
そんなの言うまでもなく、当り前じゃないか。

772 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:23:42
信長が上洛したら、なんで三好家はあんなに呆気なく
腰砕けになつたのだらう。三好といい六角といい、
それまで将軍廃立とかで好き勝手やってた連中がダメ過ぎ。

773 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:30:32
そして、なぜこんなことを長々とこのスレに書いたのかというと
違った目的をもった人の勝敗を戦役の勝敗だけで考えて結論をだしても意味がないんじゃまいか?ということなのです。
たとえば、武田勝頼は信玄が手こずった城を落とした、だから勝頼は信玄よりも城攻めが得意なのだ、という主張は
果たして意味のある議論なのだろうかということです。
勝頼の行動は時として信玄の戦功を上回っていたのかもしれない。
しかし、同時に多くの功臣が帰らぬ人となり領土を解体させ、武田家の衰退を招く行動だったとも考えられる。
こうしたことから、大名としては、甲信地方での覇を確立し、多くの有能な家臣団を築き維持することが目的であるとしたとき
勝頼は信玄に遠く及ばないと思うのです。
そして、話を元に戻すと、信玄が信長を倒すということ自体が合ったのか?ということなのです。
信長が近畿に覇を築いた時点で、仮に信長が武田信玄を戦役で破り、従属させたとします。
しかし、信長は天下統一を目的としているので信長は勝ったと言えるけれど
同時に、信玄が自家の維持と領土保持を目的としているのならば
最終的な条約で甲信の領土が許されるなら、信玄も目的を達成したと言える。
そこに、勝敗は存在しないのです。

774 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:48:26
>>773
>最終的な条約で甲信の領土が許されるなら

信長が信玄を許すとは思えない。
この定義で考えますと信玄は完全敗北になる。

775 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:17:18
>>763
一連のレスにお答えすると、おっしゃるとおり、天下を統一しようと考えた戦国大名
なんてロクにいやしません。誰もが、自家の安定と発展を願っていただけに過ぎないのです。
そしてたまに出てくるものも、別に己の実力で天下をすべて征服するなんて考えていません。
三好がいい例ですが、彼らはあくまでそれまでに存在した足利幕府という機構を支配する
ことで天下への執政権を得ようとしました。
これに対して「足利幕府を立て直すだけでは駄目なんだ」ということを意識したにしろ無意識
にしろ認識して実行したのが信長であり、以後天下を狙ったものは秀吉も家康も三成も全て
信長の真似をしたようなものです。
そしてこの時点で信玄などの当時の大名は信長の天下布武に対して「認めて下につくか、自分が
かわって天下をとるか」の選択を迫られたのです(撃退するだけではだめ)。
信玄は小説では若い頃から天下を狙っていたかのように描写されますが、実際には信長に触発
されて「あんな若造の下につけるか」と自分の天下を狙う気になったのです。

もう一つの「領土を認められれば〜」はこれもそのとおり。というか、武田が滅ぼされた時点で
天下は信長の支配を(一部を除いて)ほぼ受け入れており、彼らの政治課題は「いかに多くの既得
権益を認めてもらった上で、信長政権に降服するか」だったのですから。

776 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:28:36
島津とか伊達って領地が京都から離れてて不利だった
とかほざいてるけど後ろに敵いないんだから楽だよな。
信長の野望やってもダンダンと京都に勢力広げてけば
言いだけだし。

777 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:36:44
油断して前線に兵力集中してたら、
後方で謀反が起きるのはゲームも現実も同じだし。

778 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:21:34
 たしかに、秀吉や家康は信長の真似をしたところがあったな
 しかし、家康は三方ヶ原の戦いの後 信玄を尊崇していたと言われているし、戦の仕方も
甲州流にしてるからな、それは武田の遺臣がたくさん徳川に吸収されてたからってのもあるんだがな
 小牧長久手を見てみろ!結果は引き分けだったが野戦では徳川が勝ってたんだ!
 短絡的な結果になるが、それだけでも武田の軍略が優れてたってことを示してるし信長には
負けなかったとは思うよ。
 
まぁ信玄が天下を取ったら、足利幕府を再考みたいに考えたのかもしれないけどね。
 結果的には封建的な大大名だったからな

779 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:25:11
というか、信長があのまま生きててもどうなったかはわからないしね。
もしかしたら、九州で大敗してたかもしれないし、四国でも負けてたかもしれないし。
  秀吉か家康に殺されてたかもしれんしね。

そういや、一説には信長を本能寺で倒したのは家康ではないかという説もあるな・・
 

780 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:29:16
家康が甲州流にしたとか勘弁してくれ
甲斐を追われた旧武田系の国人を配下にしたが
誰か一人でも将の立場になったか?

結局、軍を率いたのは全て徳川譜代

781 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:31:19
>>778
小牧の役は徳川の敗北ですよ明確な。
ただ、その一部で、長久手で戦術的な勝利を収めただけで。
戦闘で勝って戦争に負けるのが甲州流ですか?

それではますます信長に勝てるとは思えないなあ。

782 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:36:07
>>778
小牧・長久手合戦の際の徳川軍は武田の軍法を導入していないよ。
実際に武田の軍法の導入が本格化されたのは石川数正の出奔以降のことです。

もう少し考えてくださいね。


783 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:41:37
戦術で勝てても戦略で負けたらダメポ
徳川も小牧長久手で野戦で勝っても、分断工作で負けちゃうし。

784 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:42:24
だから、石川数正出奔後も武田の軍法(小幡のいうような甲州軍学みたいもんあったのかと思うがw)なんて導入してない

785 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:47:51
妙なスレが立つ予感

http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/qa/1119082252/607

786 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:44:46
信長は、美濃を平定し「天下布武」の印を使用し始めたのだから、尾張統一の前後あたりから天下を意識していたね。
信玄は、何していたの?領国の支配に躍起になっていたみたいだけど‥
でも、信長と違い領国に強力な支配体制も作れずに、跡継ぎも「武田」を名乗らすことができなかったよねw
信長は、筆頭家臣の柴田にも、強烈な「覚書」を渡し、代官として領地を預けるって、柴田の周りに利家などを与力として囲み
謀反を起こせないようにしていた。光秀も大きくなったので、中央から離なそうとしていたし‥その途中で;;

この戦略は、家康がそっくりいただいて「譜代」「外様」の配置だよ。

信長の戦略が、家康や秀吉を通して推測できる。
東国は、家康(外様)を筆頭に丹羽(譜代)などで固め、北陸は、柴田(外様):利家(譜代)、中四国は、光秀(外様)信孝?(譜代)、
九州は、秀吉(外様)信雄?(譜代)
中央に信長、信忠だろうね。そして、信長は、皇帝を名乗ったのではないかなぁ〜
秀吉の明への出兵は、その表れのような‥(異民族を征服してこそ皇帝)




787 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 01:45:28
戦国ヲタ同士の醜い罵り合いけなし合い揚げ足取り合い

788 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 07:45:15
真田幸村がもう少し早く生まれてたら
信長倒せてたよな

789 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 08:39:33
幸村は次男だから、どこか由緒正しい家の名跡を与えられて別家することになったんだろうけど、
幸村の才幹からして勝頼亡き後の「諏訪」が有力と思われ。
諏訪といえば勝頼も家督相続前に名乗っていた武田の本家とも言える家だから、
信勝から幸村へ武田家の家督禅譲→昌幸、信之両職就任→織田征伐→信長切腹、織田滅亡
という流れも十分あったのではないか。

790 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 10:09:15
>>789
・・・・・・・・・・・・・・・・・。

791 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/22(水) 10:14:39
>>789
面白い奴だな( ^∀^)ゲラゲラ

792 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 11:39:15
 ところで、山県有朋って山県昌影の一族なの?

793 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 11:42:50
 戦の仕方は、信玄に負けて学んだらしいよ、家康は・・
まぁ分かり易くいえば、上杉と武田の戦の仕方のいいとこをとって
んで自己流につくりかえたみたいなんでは?

武田の旧臣を徳川譜代が抱えてたのは知ってますが
 井伊の赤備えはどう説明する?

794 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 17:37:17
大名VS.大名というのは勢力結集や富国強兵、外交といった戦略戦が主だと考える。
したがって、個々の戦について信玄が生きていたらとか大名が変わっていたらと考えてもしょうがない。
なぜならば、信玄なら長篠の戦い自体をしなかったかもしれないし、外交で手打ちをしていたかもしれない。
むしろ、関ヶ原の合戦で、戦術指揮を執ったのが、竹中半兵衛 vs. 山本勘助だったらとか
太原雪斎が存命中で今川義元が尾張方面へ行軍していたらとかそんな仮定の方が
戦術面のみを中心にして議論できるのではなかろうか?

795 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 19:11:08
>>793
井伊の赤備は軍法か?軍制か?
単に山県昌景が配下の装飾色を統一してたのを真似たら、軍法真似たとなるのか?

つか、その武田の軍法とやらをどう真似たのか説明してくれ
「らしいよ」とかじゃなくてな

796 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 19:35:32
武田が生き残ってたら幕末とかも変わって来ただろうな。

797 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 19:48:40
信玄が生き残っていたら大東亜戦争にも負けなかっただろうな

798 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:29:53
信玄が生き残っていたら今のように中韓のスパイに跋扈されていなかっただろうな

799 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 02:56:38
山本堪助って実在の人物なんか?

800 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 03:04:56
>>798
っていうか、信玄自身在日なんだが。

801 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 03:11:35
甲州流を採用してから、秀忠の上田攻め、大坂の陣での苦戦、
関ヶ原では徳川はほとんど何もしてないし、むしろ少数の島津を追撃して狙撃されるありさま。
北条攻めも陸奥でもほとんど何もして無い。
弱くなっただけでは。

802 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 07:36:02
そりゃ甲州流だもん。元祖の武田からして雑魚だ罠。
小笠原には蹴散らされ、村上に凹られ、長尾に弄ばれ、長野に嘲笑され、
織田には掌の上で踊らされ、北条には相手にされず、
遠山の後家には重臣を寝取られ、足利にはパシリ扱いされ、
徳川には舐められ、遂に三河の地侍に討ち取られた。

甲州流ってお笑いの流儀だったんじゃないの?

803 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 08:41:58
>>800
清和源氏が朝鮮系であるというソースきぼん
(とかいって、本当に韓国系のトンデモHPなんかを出されたらかなり
鬱になりそうだが)

804 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 16:15:20
>>802
>遠山の後家には重臣を寝取られ
ワロタ

ここまでくるとすがすがしいな

805 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 17:08:00
山梨に行くと信玄の隠し湯とかたくさんあるけど
本当に信玄が入った温泉なんだろうか

806 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 17:52:07
>>805

言うまでもないことながら
山梨ではすべてポジティブな事柄は信玄の功績・御蔭であり
ネガティブな事柄はすべて勝頼の失政・責任になっております



807 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 20:20:53
>>800
っていうか、信長も在日なんだが。

808 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 21:35:07
なんか勝頼って無能扱いされてるけど
長篠で負けるまでは結構領土広げてたみたいだな。

809 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:18:02
>>808
少なくとも、信長の息子の信雄より有能なことは間違いがない。

信雄なんて親の恨みも果たさず野望を遂げようともせず、
家臣の秀吉に、その次は家康に、恥かしいとも思わずに平身低頭して
僅かな所領を与えられて、のうのうと1630年まで生き残ってやがる。

810 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:37:06
>>809
伊勢の小名だった信雄は父親の死後領土を大きく広げ、大大名に出世したはずだが。

勝頼は家を滅ぼし、自らも晒し首になって天下に恥を晒した。
信雄は家をはるか後世にまで存続させ、自らは天寿を全うした。
優劣は明らか。

811 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:47:21
>>810
えっと・・・
大大名に「出世」(信長の子が尾張・伊勢だけ与えられて、出世ねえ・・・)
したのはいいが、秀吉様の意に叛いたため領地没収。
その後、秀吉のお伽衆として捨て扶持を得る。
その後家康に臣従して得た領土は、わずかに5万石。
これも家康の血統フェチのおかけで何とかお恵みを受けた、というのが正しいところ。

812 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:18:06
勝頼の能力以前に、黒川金山が種切れで、
実はそれが武田家衰退の最大の理由って説もあるから。
(黒川自体は大久保長安がもう1回掘ってるけど)

まあまあ甲斐には信玄以外に自慢するものないんだから仕方ねえベ。
農業生産力も低いエリアだし。

813 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:42:37
織田信雄も今川氏真も武田勝頼も、ある方面の能力に優れて他が駄目というタイプ
なのだから、比べてどちらが優れているかなんて無意味なんだが。

比較するのなら、同じジャンルで。

814 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:50:55
よくわからんが
織田信雄が、何のジャンルなら優れていた、と言いたいんだ??

815 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:59:57
>>814
邦楽

816 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 00:31:00
織田信雄は最も有名な信長の息子という点で歴史に名を残した。
どうだ!その点では信忠より圧倒的に優れている。

817 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 00:52:16
>>816
歴史に(否定的に)名を残した、という点では勝頼の方が遥かに上。
残念!

818 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 02:38:19
信男=内大臣
勝頼=無位無官

信男=御話し上手
勝頼=蛮勇自慢(指揮は全然ダメ)

信男=韓国人(韓国系の桓武天皇の後裔)
勝頼=韓国人(韓国系の新羅三郎の後裔)

信男=尾張出身(準先進地域)
勝頼=甲斐出身(人より山猿の方が多い陸の孤島)

二勝二分けで信男の勝ち

819 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 07:05:51
結局織田家ってどうなったの?
あと安土城ってなんでなくなったの?

820 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 13:02:07
息子が燃やしたんじゃなかったっけ?

821 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 16:33:47
おいおい、おまいらって戦国時代=すべての戦に勝つってのが最強なのか?
 100戦して全勝したやつなんて以内だろう!!信玄だって負けるときだってあるっての。
 戦の仕方だけではなく有像無像のことを家康は信玄から学んだんだよ。
真田は甲州流と謙信流を合わせたようなものだからな。真田の場合は甲州流ではないかと思うのだが・・

822 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 16:35:57
ちなみに、秀忠が関が原に遅れたのは真田の上田城を攻めてたから
 秀忠軍は実践経験がなかったからな。


823 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 16:41:55
たしか安土城って秀吉が燃やしたのでは?光秀だったかな?

824 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 17:31:04
安土城炎上には主に3つの説があるようです。
1つ目は天王山の戦いで明智側が敗れたことを聞いた明智秀満が坂本城へ退却する際燃やした。
2つ目は秀満退去後に入城した織田信雄が次期天下人として(織田家嫡男は本能寺で暗殺されている)
前の天下人(信長)の面影を残すのはふさわしくないと放火した。
3つ目は秀満の守る安土城が攻められ、劣勢になった時に、落ち武者狩り、略奪、強姦を城下で
庶民どもが暴れ狂った際に放火した火が飛び火して炎上した。

825 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:35:07
>>819
清洲会議で織田家当主と認められた秀信は
成人しないうちに、いつのまにか秀吉に権力を乗っ取られ美濃の一大名に。
その後関が原で西軍につき、戦後改易。ちなみに関が原時点で20歳くらい。

上に出ている馬鹿息子・信雄は小牧長久手で戦を有利に進めながら
勝手に秀吉と講和してしまい、秀吉に臣従、後所領を奪われる。
関が原で西軍につくが許され、小大名として江戸時代に続く。
いちおうこれが、織田家の嫡流か。

その他信長の息子・信高と信貞の裔は江戸時代には高家となっている。
↑こいつらは本能寺の時点で10歳以下だったんで、秀吉に政権を奪われたからといって
責めることはできない。

それと茶人で有名な信長の弟・長益の子孫が大名として残っている。

826 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 21:21:28
幕末には織田家って活躍してないよね。
幕末に信長がいたら凄い事になったろうな。

827 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 22:06:45
織田信包の家も一応江戸の途中までは大名だった。

信雄の血筋は、将棋の駒で有名な天童藩。
武士が将棋の駒を作らなければ飯食えなかったくらいなので、
(家老自ら藩士に内職を推奨していた)
2万石の名目ほどの生産力が無かったのだろう。
徳川も織田には冷たい。まあ、鎌倉室町からの名家でもないしね。

828 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:23:29
しかし>>825を見ると、つくづく秀吉って悪人だな。
秀吉の死んだ時点では信長時代からの人が多く生き残っていたわけで、
豊臣が徳川に取って代わられるのも「自業自得」だと思う人が多かったことだろう。
(家康自身も、それほど罪悪感なしに簒奪できたことだろう。)

もし秀吉が頭角を現さなかったとしても、
やはり信雄や信孝以外には幼児しか残っていない織田家に統率力があったとは思えず
どのみち既に武田旧領の多くを併合した家康に、天下を取られたには違いないが。

829 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:57:26
信玄も遺言残すなら勝頼に
「鉄砲に気をつけろ」ぐらい言ってやればよかったんだよな。

830 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 00:20:57
実際に出た遺言は「オマエ代理な」だからなあ

831 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 00:44:30
>>829
いくら鉄砲に気をつけても、既に兵力で圧倒的に負けているから無理。

「明日は瀬田の唐橋に旗を立てよ」
↑甲陽軍鑑で信玄が言ったとされるこの遺言の方がずっとカコイイし、実際的。
(今じゃないと勝てなくなるぞ、と。)

832 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 02:54:37
>>831
武田騎馬隊25000は織田鉄砲隊300000に匹敵する。

833 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:03:57
武田が負けたのはしょうがないと思うよ。

834 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:11:51
>>832
横から松平の援軍が突撃してきて、結局武田アボーン。

835 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:12:03
しかし長篠の合戦ってかなりの戦死者
出たんだよね。武田軍は川中島でもかなりの死者
出してるらしいし良くやってこれたな。

836 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:01:04
信玄なら引き際を知る武将。織田軍が、雨が上がるまで行動を起こさず、戦が始まる前に土木工事を始める〜調略ありと見抜く。戦略が地形や条件の厳しい戦の連続、京から遠いところで全国に情報を得ているから、敗北前に和睦してる。名将の子で優秀なのは秀頼か幸村ぐらい。

837 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:54:36

立花宗茂を抜いたのはわざとか?
さすが三戦厨。やることが姑息だな。

838 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:09:33
はっきりいうと
こと戦国史においては
日本史なんぞより三戦の方がはるかに高い議論している。

839 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:43:54
>>836
秀頼優秀か?

840 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:49:56
秀頼&淀は無能じゃん。

841 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:17:58
信玄が三方が原の後、長く生きていたとしても、かなり難しいだろう。

842 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:37:58
家安が大阪城攻めを焦ったのは、あるいは小大名として残さなかったのは、最後まで真田がみきらなかったのはー優秀だったからと思われる。当時の三筆として公家も一目。一芸が多芸に通ずる力量も。家安の偽書を見抜いて裏工作に騙されなかったし。淀君の存在が不味かった。

843 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:56:32
連投。信長より地味かもしれないが、その攻略は緻密でさすが惜しまれ語られるだけはある。新田作品で驚いた。長崎外人からの金の新抽出法、水軍の利用、土木工事、宗教界の利用、人身の押さえ、戦略、調略。騎馬隊だけじゃない。上洛への物理的な距離だけが信玄の大変さ。

844 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 11:00:47
どっちも有名なモホー大名だがテクで言えば信玄の勝ち
武田騎馬軍団の結束はそこにある。
よって信玄の勝ち

845 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 11:26:06
>>842
当時秀頼って政治できる立場じゃなかったでしょ
傀儡政権だったんじゃないの?

846 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:19:45
秀吉は明の初代皇帝によくにてるな・・
 ちゅうか、秀吉って人の妻とかを無理やり奪って子供の前で犯したんだろ?
蒲生氏郷の妻とかだったな・・
 秀長が亡くなってから秀吉はおかしくなったんでは?
秀吉って自分のした所業に罪悪感ってなかったのかなぁ?

家康は信長を恨んでたんだろうね。長男の信康を殺されたようなもんだからね。
 一説には、本能寺の変の真の首謀者は家康ってうわさも有る。

847 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 15:58:37
本能寺の変は信長が光秀使って自殺したんだよ。
徳川には明智動かせる立場じゃないし。

848 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 16:01:58
>>846
そんなに大事な息子なら、同盟を破棄して、武田に付けばよかっただろう。
信康は武田に内通していた。
家康は熟慮の結果、信長との同盟を継続するほうが有利と判断したんだから、
信長には、家康に恨まれる理由はない。

849 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 16:15:27
>秀吉って人の妻とかを無理やり奪って子供の前で犯したんだろ?
マジ?

850 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 16:26:06
うそ

851 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 16:29:17
>>848
熟慮?フッ ちゃんちゃら可笑しいわい。
織田・今川で人質時代があったから、織田を選んだだけ。
武田が元康を囲ってたら、武田についてた。

852 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:07:47
武田家は清和源氏の流れをくみ、征夷大将軍の資格を有する。
家系図を模造した徳川や、弱小織田など屁にもならん。 家柄が違いすぎる。

853 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:22:43
屁にもならん連中に滅ぼされた、名家の武田
徳川に捨扶持貰ってかろうじて存続した武田
家柄が良くて良かったねw

854 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 00:35:58
征夷大将軍なぞ家系図を模造した徳川ですら就任できる。
弱小織田に蹴散らされた武田は蚊トンボ。

855 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 00:47:33
昔は通い婚だったから、誰の子かなんて母親にしか判らない訳だが
それを何代も繰り返せば本当に源氏の血をひいてるかどうかなんて
誰にもわからんワナ。

856 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:36:53
まぁ、長野業正ぐらいに6回に負けてるようじゃ名。
上泉信綱もいたが・・・

857 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:57:57
武田軍の天下なら、全国の小大名も納得したかも。領地安堵、治安治世の統一のビジョンが有る。信長は急成長だけに無理が祟る。部下の心も読めず、比叡山襲撃で宗教界を敵に回し堺を独占、商人に嫌われ、戦略とはいえ農民に恨まれ、統一後、是も非もない独裁政治を予感。

858 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 10:04:35
秀頼は周囲が、不味い。ねね側に教育されれば、かなり形勢も人物も変わったろう。もともとの出来が良いのだから。当時の帝王教育の元凶かも。

859 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 10:07:33
信玄よりも謙信に天下人になって欲しかったナァ。
どうも男女両色を好む人物より、男色専一の謙信の方が清潔感があるから。

860 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 10:22:39
連投許せ。信玄壊滅後、信玄の敗残武将を諸大名が雇い、重用したり養子縁組したのは、圧倒的な信玄軍の見事な戦を認めたからなのでは。最後のキバ戦の美しい中世の正統な軍美学を残したいと思ったのでは。信長軍には無いー美学。

861 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 10:35:56
>>857
武田も急成長で息子の心も読めなかったようだが。勝頼の代には農民にも恨まれたようだし。
商人には好かれる嫌われるほどの経済活動をしていなかっただけ。

862 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 16:27:29
戦の最中、陣没
ぷらぷらしてたら、謀反されて焼死。

863 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:56:37
>>857
信玄は天下を取る気はなかったようにしか思えない。
本気で天下を狙うなら執拗に越後を狙う必要はなかった。
引き篭もり男の謙信には信濃を緩衝地域にしてやり過ごせばよかった。
信長の謀略に踊らされてる時点で天下人は無理!
軍団では信玄のが優秀だが、将たる器では信長が遥かに上だな

864 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:10:23
863
信濃を攻める大義名文は謙信にあるのだから緩衝地なんかにしたら地侍や寺院や豪族がこぞって謙信になびくぞ、信玄と謙信の戦は避けられない、それに信玄は出来るだけ謙信と直接戦わないようにしてやり過ごしてた、上杉領にはこちらからは攻めない、一揆を扇動する等。

865 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:15:51
上杉領に何度か侵攻してますが>信玄

ただし、直接対決は避けてるね
直接やって、損害はいつも武田の方が多かったし

866 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:59:23
しかし戦国時代ってあれだけ大名いて
新皇とかかってに名乗る奴でてもいいと思うんだが
三国志の袁術みたいなやつ。
みんあ意外と真面目だったんだな。

867 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 23:17:58
>>866
信長だったら槍かねん。光秀がさっさと殺しておいてくれて良かったよ。
秀吉は皇室にとって代るかわりにシナの皇帝になろうとしてるわけだし。

あと戦国でなければ、道鏡とか将門とか色々いるよね。

868 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 00:42:47
信玄の墓を掘り返したら、ちゃんと本物の信玄の遺骨が残ってるのかな?

って信玄の墓ってどこにあるの?

869 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 00:55:22
義高(義仲嫡男)と大姫(頼朝の娘)

    こうして、義仲軍は破れ、義仲も戦死しましたが、鎌倉の頼朝には一つの問題が残されました。
    それは、義仲の嫡男・義高の扱いでした。

    寿永二年(1183)三月、義仲は信濃に進出してきた頼朝との争いを避けるため、嫡男・義高を鎌倉に差
   し出していました。

    頼朝の長女・大姫と結婚させるという条件でしたが、実際は人質として、鎌倉に送られたのでした。

    人質として鎌倉に送られた義高でしたが、大姫は義高を慕い、そんな大姫に対して、義高も大切に接して
   いたのです。

    しかし、栗津ケ原で義仲が敗死すると、頼朝は義高の敵討ちを恐れ、義高を殺すことを計画したのです。

    父・頼朝の義高殺害の計画を知った大姫は、木曾から共にやってきた義高の親友の海野幸氏と協力し、
   義高を女装させ鎌倉から秘かに逃がそうとしたのです。
    その日、幸氏は義高の替え玉として、義高の着物を着て、屋敷の中で義高として振舞ったのです。

    しかし、義高が替え玉であることはすぐに発覚し、義高は武蔵国入間河原で、頼朝の命令によって後を
   追ってきた堀親家の郎党に討たれたのです。

    大姫は、義高が死んだこと、しかも殺害を命じたのが自分の父であることを知り、失意のどん底へ落ちて
   しまいました。
    大姫はこの後、義高を偲び病床につくことが多く、二十歳ほどで亡くなったのでした。


870 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 08:48:21
上杉とは一向宗と結託して、間接的に戦をしていた。西上中の追撃の足止めをさせるため。山の如く、上杉や北条と連合の関東越後の関を作ればーと。三国連盟の維持と東日本ブロックの構想。三国志的な「鼎」の発想が生まれても、と思う。天皇の宣は近畿にしか通用させない。

871 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 09:05:00
連投。日本に革命思想が意図的に、削除されたのか入っていない。漢はこの思想が基になった。信長すらこの思想には届かない。革命=天明思想が入っていれば、京都もただの一古い地方都市。西上に執拗にならずに済んだのに。義仲はそういう視点では、革新的な態度だと思う。

872 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 17:28:39
領土の広さ、経済力、動員兵数、武器の豊富さ、文化、革新性、
全て信長が遥かに上!!!
信玄????( ゚д゚)、ペッ
只のホモジジイじゃネーカ!

873 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 17:40:53
朝廷の権威と官位の組織体系は戦国大名としてはそれに代わるものがなかったのだろう。
信長は朝廷の調停により浅井・朝倉と和睦
(このときは、叡山にこもった浅井・朝倉軍に大軍を張り付けざるをえずニッチもサッチもいかなくなった。) 
また、本願寺とも最終的には朝廷により和睦
秀吉は北条家が勅命を無視したとして北条攻め
家康は今川から独立するや、三河守の官位を朝廷からもらい、最終的には誠意大将軍に任命されている

874 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 17:55:52
>>872
領土の広さ、経済力、動員兵数、武器の豊富さ、全て今川義元が上
でも、信長は義元をやぶっていますよ。
領土の広さ、経済力、動員兵数、武器の豊富さ、全て陶が上
でも、毛利は陶を破っていますよ。


875 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 17:58:48
戦国大名と言われる存在の多くは、国人一揆の盟主的立場だったわけで
その立場を強化する為には権威付けをしなければならなかった

一番いい例が上杉謙信じゃないかな?
関東管領職就任や二度の上洛、あれは越後支配とその周辺への軍事行動の正当化だしね
その代わり、関東進出という責務を負った訳だけど

876 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 18:32:27
信長は信玄、謙信を恐れることはなはだしかったようで、
例えば、謙信に対しては洛中洛外図などを送り、謙信殿の上洛の地固めを
しているなどと書状を送ったりしている。
とるに足りない相手なら、これほどへりくだる必要はないので、もし戦があれば、
大敗する可能性もあると思っていたのだろう。(戦術ではたぶん謙信>>信玄>>信長)
手取り川の合戦の後、都では上杉軍がすぐにでも上洛するとの噂が立ち、松永弾正
もこれに呼応して兵を挙げたわけだが、謙信が軽い脳卒中の症状を発症して引き返さなければ
面白いことになっていただろう。
信玄も、あのまま上洛戦を続行できていたらと思うと残念だ。

877 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 19:02:46
>>876
そのまま上洛できる訳が無いじゃん。
信玄も謙信も信長と戦うには全てにおいて力不足。

IFの妄想が甚だしい。


878 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:58:56
>>876
謙信>>信玄はないだろ。
川中島では信玄勝ってるんだし。

879 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:31:29
川中島の勝利は戦術ではないなあ。

880 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:38:42
877
上洛せずとも尾張で長陣するだけで信長に大打撃を与える事になる、信長は岐阜から離れられず、その間に本願寺、三好、浅井、朝倉、松永等が京を目指して進軍。

881 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:01:23
>>880
>尾張で長陣するだけで信長に大打撃を与える事になる

大打撃を与える事になるのは武田の方じゃん


>本願寺、三好、浅井、朝倉、松永等が京を目指して進軍

足利義昭が挙兵しても動かなかった奴らが動くわけないじゃん




882 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:03:21
あとさ、本願寺が京を目指すって何?
意味不明だから具体的に説明してくれよ


883 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:09:50
そうだよな、義昭が挙兵しても
浅井は小谷城に閉じ込められ、朝倉は出陣要請も蹴って領国にひきこもり(71年以降、
朝倉は浅井が攻められての援軍以外に出陣していない。)、松永は筒井に攻撃され、
三好は一族で内訌&各地の反三好勢力とドンパチ中。
本願寺も76年以降に織田と直接対決するまでは自分から戦ったことないし。

884 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:18:03
XboXの信長の野望やってるんだがなんか途中で行き詰るんだが
なんかコツない?今はとりあえず金で海賊とか寺とかその地域の勢力
見方にして2.3箇所から攻めるってやり方でやってるんだけど
なんかそれだといきづまるんだよな。見方も増えないし
相手の将軍寝返らせる事なんか一度も成功しないんだが。

885 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:20:27
>>883
ってことは、ひょっとして信玄の時代から
武田は信長に土下座して命乞いをするか、
みじめな滅亡を遂げるかの二つの選択肢しかなかったって事かな?

886 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:26:27
>>880
浅井・朝倉は家臣が織田に寝返っていて疑心暗鬼の大混乱中
四国三好は毛利と戦ったばかりで経済的にすぐには動けない
若江三好は三家老と対立中
高屋畠山は遊佐と対立中
松永は大和の国人たちとの戦いで篭城中
摂津の伊丹は荒木と交戦中
本願寺は篭城は得意だが京へ進軍できるとは思えない

状況を把握しよう!

887 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:35:12
>>885
武田信玄は嫡男義信を犠牲にしてまで織田信長と同盟し、
今川氏真・北条氏康と戦いを始めたのだからそうしてればよかった。

氏康の死は絶好のチャンスだったはず。

888 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:46:23
はいはい、三戦板と同じ内容をここでやってどーすんのかね?
巣に帰ってね


889 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:51:39
武田厨は劣勢になると場を荒らすのは何故?

890 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:55:26
所詮贔屓の大名が劣勢になると言葉に詰まって荒らすのさ。

891 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:57:37
>>889
滅亡寸前の信玄が、血迷って徳川領に特攻して無意味な嫌がらせにをしたのに倣ってるんだろう。

892 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:58:52
いや、武田厨でも織田厨でもなく、なんで全く同じレスを繰り返すのか聞きたい
テクノか?

893 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:02:25
俺も知りたい。

894 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:05:48
>>892
2chだからだろ

895 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:06:57
>>892
どれのこと?

896 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:09:37
同じレスを繰り返す理由が

「2chだからだろ」????????


漏れの知る限り、2ちゃんで違う板で同じ事繰り返してのは
マルチ荒らしとバカしかいない訳だが

どっちなんでつか?

897 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:16:18
>>896
>漏れの知る限り

所詮、君の知る世界は狭いわけで

898 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:16:28
さっさと答えろ。

899 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:17:41


900 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:17:53
同意、俺達の知る世界は狭すぎる

901 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:19:48
>>897
マルチ荒らしとバカの両方なんでつか?

世界史板から持ってくるバカ
軍事板からもってくるバカ
三戦板から持ってくるバカ
ハングル板から持ってくるバカetc・・・

色んなバカいれど、全てもとの板でも相手にされないのが共通事項なんでつがね〜

あ、知る世界が狭いから、2ちゃんで同じ事ばっかやってんのか、ゴメンゴメン・・・外に出ろよ

902 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:21:00
やはり武田厨は必死だな(プ

903 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:22:59
ゴメンゴメン、煽らなきゃ君の狭い世界でさえ居場所なくなるからね・・・

あ、でも漏れはどちらかと言えば織田厨だよw

904 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:24:27
>>903
織田厨には見えない


905 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:26:45
マジレスするが、「2chだから」ってのは正当な答えだと思うぞ。
傍から見ていると同じような議論を繰り返しているようでも
議論をしている人はたぶん入れ替わったりしているわけで、
本人たちも過去ログを真面目に読んだりはしてないから
自ずから反復のような議論になる。
ていうか2chの中でも、よりによってこんなしょーもないIFスレで
建設的な議論を求める方が、どうかしている。

906 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:27:37
>>905
禿同

907 :905:2005/06/28(火) 23:29:04
ちなみに漏れは武田厨

織田厨って、何となく
結果論として勝った側の理屈からしか見られない人が多い希ガス
(と意味もなく煽ってみる w)

908 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:31:17
>>903
オマエの出番だぞ!

909 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:39:31
>>877
「信玄も謙信も信長と戦うには全てにおいて力不足。」
成る程、とすれば、まだ尾張半国も平定できなかった信長は、海道位置一の弓取り今川義元
に対しては、全てにおいて力不足なので、義元には勝てず、その後の上洛もないわけだ。


910 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:41:53
>>905
アホか、全く同じレスで同じ流れで、同じ文体
IFスレなら尚更、三戦板だよ、戦国ネタスレ

911 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:45:22
>>910
オマエは三戦板の厨読者かよ

912 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:47:45
>>911
日本史板にしかいないなら、尚更、板違いを繰り返す厨か?
確信犯の荒らしでつか?

913 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:50:14
>>912
織田の弁護はまだ?

914 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:53:29
織田の弁護って何?
妄想スレの何を弁護しろと?

確信犯の荒らし君

915 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:54:59
>>914
必死だな!

916 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:55:58
煽りしかできなくなったの?

確信犯の荒らし君

917 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:59:03
>>914
理論的なレスなら相手もするが君みたいな歴史を知らない無能を相手にするのが飽きただけ

後は一人で荒らしでもしてな

918 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:59:54
>>916
かわいそうな人だ

919 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 00:00:31
歴史以前に、板のルールも知らない文盲が何いってんの?

920 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 00:02:41
ま、論理的と理論的の使い方さえしらないバカだしなぁ

921 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 02:18:34
>>920
荒らし君はお前だよ。
くだらない生ゴミが、三戦厨は消えろ。

さあ残り少ないが仕切りなおしだ。

922 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 03:43:01
九州スレで自演してた粘着君と同一人物かよw>>921

923 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 06:31:46
何かで読んだ本に、信玄と謙信がもし手を組む事が出来ていたら戦国時代なんてとっくに終わってるとか
書いてあった。

何度もこのスレで書かれてることだが信玄はやはり謙信に対しての時間を使いすぎたな。
外交戦略は信玄の得意技だったと思うんだが上手く謙信を抑えきれなかったみたいだ。

大体、信長の兵はいくら兵農分離された戦闘集団といっても相当弱かったんじゃなかったか?
それでも勝利を重ねてこれたのは長槍や鉄砲等の極力近接戦闘を避けるための兵器を駆使した事と
強いと評判の三河衆を率いる家康のおかげだろう。

姉川の合戦も三河衆の働きがなければ敗北は必至だったとも言われているな。
だからどうだというわけではないけどね。













924 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 07:38:38
ていうか信玄は信長と戦うなら謙信と組むだろ。
信玄&謙信対信長になるから信長は負ける。

925 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/29(水) 09:18:38
>>924
m9(^Д^)プギャー

926 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 12:12:09
史実の信玄は氏政と組んで信長と家康と謙信と敵対している。
信玄は謙信と組むことは生涯一度もなかった。


927 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 12:35:41
>信玄と謙信がもし手を組む事が出来ていたら

どっちが上に立つかで、すぐに争い始めるだろう。

928 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/29(水) 12:48:23
従属じゃなくて同盟ならそんな問題は起こらないのでは?

929 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 13:35:55
何故日本史板まで来てるのかね?
向こうで何ぞ嫌な目にでも遭わされたのかな?

930 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/29(水) 13:44:50
>>929
何故来たら駄目なの?

931 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 15:07:28
上杉と北条の同盟では関東の北条領を放棄しろと言っていた。
上杉と武田の同盟が実現したとしても信濃と上野の武田領を放棄しろと言ってくる。
あと武田と北条の同盟を破棄して関東に攻めることを提案してくるだろう。

どう考えても問題は起こるだろうし織田との戦いに有効とは言い難い。


932 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 15:47:27
>>922
詳しく教えろ

933 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:01:00
魔玉 ◆TLOxROt30Iってさ馬鹿?

934 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/29(水) 16:09:40
>>933
黙れ!意味も無く煽るなwww

935 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/29(水) 16:14:54
>>931
1行目の史実と同じになるとは限らない
違った想像してみろ!

936 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:30:46
>>935
君の妄想は?

937 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 17:14:03
ん?武田は上洛する前上杉と和睦してるし、北条だって武田や上杉や佐竹などの大名たちとあらそってたわけだし
相模や武蔵をあけるわけにはいけないかっただろ?
 武田は織田の援軍も打ち破ってるからな。
誰かが織田は弱かったっていうてたのは賛成だな、強かったら騎馬や騎馬鉄砲などを駆使して戦うだろうしね
鉄砲は遠距離で近距離ではつかえないし弾を込めるのにはかなり時間がかかったからそのあいだに
やられたろうね。

信玄が上洛するときに将軍に謙信と和睦したいので仲介してくれみたいなことをしてるから上杉は武田を責めることはできない


938 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 17:41:46
織田が弱い弱い言うが、その弱い織田に大敗して追い詰められて集団自殺した家ってどこでしたっけ???
鉄砲で強けりゃ強いんだよ。騎馬?負ければ意味ないだろ。
じゃ、刀で強かった旧日本軍は機関銃でガンガン戦う米軍よりも遥かに強かったわけかw

939 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 17:55:53
浅井と武田

940 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 18:45:33
>>937
してないよ。
信玄遠征時、謙信は越中から加賀まで攻め込んで、顕如から信玄に援軍要請と越後への
出兵要請まで行われている。

そもそも謙信は将軍義昭がはっきりと反信長に挙兵したあとでも、対北条武田から織田
との同盟を継続している。謙信を「権威に弱い古い人間」なんて講談や小説で語っても
カケラも説得力ないよ。
ちなみに謙信が反織田にまわったのは、謙信の勢力が加賀能登へ、信長の勢力が越前から
加賀へと進出してお互いの利害がぶつかるようになったから。

941 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:04:00
>>937
武田と北条は同盟中なのに争っているのか?

君の妄想にはうんざり

942 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:32:54
なんで信玄ってもっと領土増やさなかったんだろう。
まず北目指すべきだったな。そいで東日本征服して
信長と関が原で決戦すれば盛り上がったと思う。


943 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:18:06
>>942
上杉謙信と北条氏康がいたから無理。

武田信玄は永禄八年に織田信長と同盟しないで美濃に攻め込めばよかった。
その時代なら武田信玄にも勝機はあった。


944 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:42:17
>>943
後知恵で言えばそれが一番だろうね。
ただし、永禄八年の時点では信玄はまだ謙信と北信を巡って抗争中で、さらに戦域が越中や
上野に移ったことを考えればむしろ抗争が拡大したとも言える。
この頃に信長は東美濃を占領しており、この時の織田との同盟は対今川よりも対上杉で側面の
安全の確保を狙った要素が強い。万一謙信と信長が同盟を結んだら危険だからね。(織田と
今川は敵同士で、武田は今川と結んでいるのだから)

945 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:21:46
>>944
そうなんですよね。
上杉謙信は武田信玄と組むことなんてない。

しかたないから上野は北条氏康に譲渡して関東に執着する上杉謙信をまかせる。
あと越中はいつも通りの神保・椎名・一向一揆の抗争で上杉謙信の援軍を派遣させる。
上杉謙信には上野と越中を往復してもらうことで武田領から手を引いてもらうしかない。

東美濃の恵那は武田の勢力圏だからそこから侵攻する。

今川氏真には徳川家康を攻めさせる。(期待できないが。)
まだ斎藤竜興も稲葉山城で持ちこたえているからこれも使う。(期待できないが。)


これならまだ勝機はありそうだが、かなり無理があるよな〜。


946 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:22:15
追加
武田と織田の同盟に不信を抱いた嫡男義信はクーデターを計画するも未遂に終わり武田家内の親今川派は壊滅。
義信の妻は実家の今川家に送り返されて今川氏真が不信を抱き上杉謙信と同盟。そして塩止め。

織田と手を結べば今川が上杉と手を結ぶ。そして北条も離れて三国同盟の崩壊。

どちらの道もリスクが大きい。


947 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:30:02
でも今川と上杉の同盟ってよくわからんな。
何かいい文献あるかい?

948 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:47:09
>>947
信憑性には目をつぶると、毎度おなじみ『甲陽軍鑑』にある。
ただし軍鑑の記述によると、信玄が氏真に共同して三河(家康)を攻めようと持ちかけたら
なぜか猜疑して謙信と交渉を始めたので、信玄は同盟を切って敵対する心積もりだと見なして
駿河攻撃を決心した、とある。
つまり「今川が先に裏切ったんだ!だから信玄は今川を攻撃したんだ!悪いのは氏真だ、信玄は
何も悪くない!」と息子を排除して同盟国を攻撃したことを弁護しているわけだ。

しかしこの「親族を切って縁組もある同盟国を攻撃する」というのは親父と諏訪氏に対しても
やってるんだよな信玄は。

949 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:00:10
>>948
サンクス♪
『甲陽軍鑑』か〜。
それって信長と結んだ信玄も縁者とはいえ仇半分とかっていうアレでしょ?

他は無いかな〜?


諏訪のこと、アレもえげつないよな。

950 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:08:05
ところで何で信玄は謙信と同盟結ばなかったの?
普通に考えたら上杉と同盟結んだ方が有利だと思うんだが
今川と同盟結んだけどあのまま行ってたら今川が京都
に入って天下取っちゃう所だったじゃん。

951 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:12:52
もし今川が天下とってたらその下についても仕方ないというつもりだったかと。
今川は武田以上の名門だし。
織田みたいなわけのわからんDQNとは、扱いが違う。
名門の生れの人って、良くも悪しくもそんなもんだよ。

952 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:38:19
今川が上洛するつもりだったと考えている時点でもう。

マジメに答えると、川中島一帯は農業生産的にも経済的にも信濃の中心地の一つ。
よって信玄は領有化を狙った。一方謙信からすると川中島を抑えられると越後の、さらに
本拠である春日山城が危険になる。謙信からすれば絶対に譲れない地点。
また、信玄の最初の戦略案は信濃を抑えたあとそのまま越後に出て海を得るという構想が
あったと思われる。普通に考えれば、東海の三国を抑えた今川には甲斐と信濃では対抗
できないほど国力に差がある。海を得るのに南に行けないのなら北に向かうしかない。
信玄による今川攻撃は、武田の膨張と今川の衰退で逆転が起きてようやく成せたこと。

953 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:48:46
952
適切な意見だね〜今川さえ織田に敗れなければ信玄は海を求めて謙信と決着つくまで争ったね。

954 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:17:53
>>953
その結果、武田の勢力拡大は頭打ちになって終わっただろうな。関東に出るにも北条が
うるさいし。
三国同盟って、なんとなく武田がイニシアチブ握っていたようなイメージがあるが、実際
の国力からすれば武田は今川北条の下。

955 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:31:19
国力てきには今川や北条に負けるだろうな・・
 山国だししかたないかと、結果てきには信玄が川中島と取ったな。
美濃に攻めればよかったて漏れも思うが、そうなると謙信や北信濃の大名などがせめてくるから
美濃を取ったとしても維持できなかったんじゃないかなぁ?
 本国は甲斐だったわけだしね。駿河を取ったのは海がほしかったからでしょうね。
上杉って越中と能登以外に国はもってなかったの?加賀など・・
 

956 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:32:59
信玄も信長も家康もみんな長男が死んでるな・・・
 家康だけが天下を取ったがどの大名も名将というわれてる・・


957 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:37:56
てかいまだになぜ駿河をせめたのかがわからんし(゚ー゚;Aアセアセ
 徳川と北条が同盟したら挟み撃ちにあうなら北条と同盟して徳川をけん制してもらって
美濃を攻めればよかったかと、まぁ三国同盟が切れてて今川と敵対してたのもあるが
その当時なら今川は敵ではなかっただろう。

958 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:43:10
>>952
>信玄による今川攻撃は、武田の膨張と今川の衰退で逆転が起きてようやく成せたこと.
確かにそうだなのだが、この侵攻はあまりにリスクが大きすぎて、本来やるべきではなかったね。
結果論的にはOKだが。
実際に北条は、同盟の一方的な破棄に怒り、4万を超える軍を派遣して約2万の甲州軍と薩垂峠で
睨み合いになり両軍とも、このまま動けなくなった。
この間に氏康は、謙信との同盟を求め(越相同盟)、信濃、甲斐への侵攻を依頼し、武田領の山分け
を提案している。この提案に謙信が「領土的野心」を燃やして乗っていたら武田はあの時点で潰れていた。


959 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 02:01:05
>>955
永禄八年なら・・・。
上杉軍が信濃に侵入したら越中での煽動と上野での北条の軍事活動。それで撤退する。
美濃は稲葉山城の斎藤竜興を武田側にし、恵那・土岐・可児・加茂を武田の直轄にするだけでいい。
伊勢北部の神戸・関・長野も陣営に取り込めれば嬉しい。
斎藤は六角と同盟しているからそれも引き込めたら嬉しい。

今川氏真と徳川家康の戦いも期待はしたいが・・・。


あー書いててバカらしくなってきたな。


960 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 02:04:38
>>957
甲斐から美濃までの行程も理解してないのかいな。
ゲームと違うんだから隣国には即日攻め込めるわけではない。

岐阜の中津川市と長野の山口村が何で越境合併したか考えろっての。

961 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 02:08:10
>>958
武田信玄は北条氏康が今川氏真に援軍を派遣するとは考えもしなかった。

父を追放し嫡男を自害に追い込んだ信玄には、
家庭円満を愛し一族の結束を重視する北条氏康の義の精神が理解できなかった。

962 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 07:53:24
ていうか北条って同盟組むまでの相手か?
武田なら簡単に倒せそう。

963 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 09:58:36
>>962
北条に包囲網をしかれてるから、信玄だろうがそう簡単にいくわけがない。

964 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:03:02
織田軍が強いのは、秀吉の存在が大きい。才能があれば上位につける。過去も身分もこだわらずーその魅力が他武将の強固な連帯を作る。信長自体は領土拡張より思想革命の目的に重きがある。もはや一国で統一制覇することが困難な時代と読んだ。信玄も他国と強固連帯していれば。

965 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/30(木) 11:09:09
> 織田軍が強いのは、秀吉の存在が大きい。
これが何故か気になる( ^∀^)ゲラゲラ

966 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:20:02
半村良の戦国自衛隊を読んだ。半村氏も武田軍に一目置いてるね。アホ話でも史実から見る信玄の名将ぶりは逆らえず。内容はキワ物だけど信玄との戦内容には納得したゎ。映画の方はD級見るな!黒沢の影武者は信玄上洛中の野田城の鉄砲襲撃死亡説を採っていた。寄り道すまん。

967 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 19:25:10
なんで信玄には優秀な部下がいなかったんだろうな。

968 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 20:51:02
967 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/06/30(木) 19:25:10
   なんで信玄には優秀な部下がいなかったんだろうな。

969 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:24:27
秀吉が、他の武将の下で出世しても足軽大将が積の山。百姓出が羽柴筑前守の城主になれたーこれは現代の視点で言うと広告塔。門地も経歴もこだわらない完全実力主義の信長軍。人集めの宣伝としてかなりの効果がある。浪人や落武者も結束強化する。魔王はゆとり教育の世代ね。

970 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:40:18
>>967
優秀な部下を置いとくと、家を乗っ取られたり、独立されたり、反乱を起こされたりする、
使う方も優秀じゃないと無理、
つまり、優秀な部下がいなかったということは、使う方の信玄も(ry

971 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:29:03
普通にいって信玄のほうが、優秀な部下が多かったというのが
一般的な印象だと思うが。
例の24将(だっけ?)
山県とか、馬場とか高坂とか、真田とか

972 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:38:37
どこにだって優秀な奴はいたんでないかい。
ただ信長がすごかったのは、優秀そうな奴にはガンガン大きい仕事を与えて
その実力を100%発揮させたことなんだろう。

973 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:44:05
>>971
地方では有能かもしれないが中央では使えない武将が多い。
内藤と秋山と真田はまあいいが、馬場と山県と高坂は無能。
穴山、木曾にいたっては論外だな。

974 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:45:16
信玄に秀吉は扱えまい。

975 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:58:27
確かに人材登用という面でみると信玄は見劣りするな。
ただ、その登用した人材の一人には寝首をかかれ、最高の出世をさせた男(いや猿か)には
子孫が小大名にさせられた元上総介さんもいらっしゃいます。

976 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:03:07
>>975
同意。
どう考えても「信長が人材登用が上手だった」なんて結論が出てくるはずがない。
そういうことを言う香具師は、単に信長がやったことは全て天才的だったに違いない、と
初めから思い込んでしまってる香具師

977 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:19:03
976
使い方は上手いと思うよ、ただ当時の常識からは離れすぎた事を断行した為に、当時の常識ある武将にはついて行けなかった面がある、部下の武将を領地から切り離し城下に定住させるとか、方面軍と機動部隊の形成とか、楽市とか。

978 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:24:16
>>976
>「信長が人材登用が上手だった」なんて結論が出てくるはずがない。

普通に考えて上手でしょう。
じゃなければ武田は滅亡しなかったよ。


あとさ、君の稚拙な文は学の無さを晒しているよ。


979 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 02:30:25
当時は江戸時代とは違い、下克上の時代(将軍すら殺される)時代なのだから、
人材登用もほどほどにしないとマズイ。
他に替われる人材がなかった(行政官としての能力、対朝廷との調整力、
戦場での指揮能力など)のかもしれないが、近畿管領的な立場には、
やはり譜代か身内を当てたかった。

まあ、能力のない主君は能力のある部下にとって替わられる。
(前者は信長、後者は光秀)のが下克上だからしょうがない。


980 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 04:01:13
武田には優秀な部下が多かったぞ・・
 山県や香坂って優秀だよ。
信長の部下で優秀なのって誰?秀吉は優秀だったのかなぁ?容量がよかっただけでは?
 秀吉より光秀の方が才能的には上だよぜったいにね。

981 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 04:05:20
そういや、北条って代がかわっても今川みたいな徹は踏まなかったね。
 僕的には、氏康が1571年で死んだら武蔵や相模を信玄が攻めれば良かったのにって思う。


982 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 06:54:40
>>977-978には
> そういうことを言う香具師は、単に信長がやったことは全て天才的だったに違いない、と
> 初めから思い込んでしまってる香具師
というのがまさに当てはまるわけだが。

自らが登用した人物に裏切られて殺され、
自らが抜擢した人物に家を乗っ取られたような人が
「でも、もし殺されなければ・乗っ取られなければ他は上手だったんだよ!!!」なんて
言い張っても、負け惜しみ以外の何でもないよ。

983 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:17:38
普通の武将は「極端な能力主義は家内の統一を損ねる」ということを
知っていたから、それをしなかった。
信長はそれを断行して、案の定部下に裏切られまくった。
というだけの話なんで、信長厨がどう言い訳しようと
信長が人の使い方を誤ったという事実は隠せない。

984 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:18:37
>>980
香坂って誰だよ!
知らないのに口を出すな!

985 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:20:53
>>981
信玄では氏政に勝てないよ。
信玄が関東に出張れば謙信が背後を襲う。

986 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:23:56
>>982
>負け惜しみ以外の何でもないよ。

まさにオマエ自身の言葉だな!
もう少し頭を使わないと脳ミソが腐るぞ。
あ、もう手遅れみたいだね。
可哀想だから同情してやるよ。

987 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:29:46
ところで武田厨はスレタイの「信玄だったら信長を倒せた?」を忘れていないか?
頭の悪さに流されて忘れてしまっているのかな?
それとも、もう勝ち目が無いから諦めているのかな?

信玄信仰者ってやっぱりダメな人間が多いな。


988 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:32:41
信玄は無能。嫡男義信を自害に追い込んでいる。

989 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:40:48
信長と同盟した時点で信玄の敗北は決定。

990 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:48:41
>>983
>普通の武将は「極端な能力主義は家内の統一を損ねる」ということを知っていたから、それをしなかった。

その結果、普通の武将は天下取りレースで脱落し、織田信長だけが独走する事ができた。

991 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:51:33
>>983
君が言いたいことは武田信玄も朝倉義景も浅井長政もみんな普通の武将で天下取りには向いていないということだね。

992 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:57:38
信玄は徳川へ攻め込んだ時に時間をかけすぎている。
あれでは寿命が伸びたとしても信長には勝てない。

993 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:02:54
武田信玄は織田信長には勝てないが徳川家康といい勝負はできる。

994 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:15:32
最初から天下を狙っていたわけではないんだから信玄は信長と敵対せずに氏康と共に謙信と戦っていればよかった。

995 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:19:29
あと残り5レスか。
このスレも今日中に終わるな。

996 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:20:27
武田厨はもう諦めたのかな?

997 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:21:19
このままでは史実と同じ織田派の大勝利だな。

998 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:23:47
結論出していいのかな?

999 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:23:59
出すか。

1000 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:24:46
1000get!
信玄だったら信長を倒せた?
結論…無理だね。

武田信玄の無能ぶりは枚挙にいとまがない。史実が結論だろう。
(今川義元>>>>>>>>>>武田信玄)

そして何故、武田厨(魔玉 ◆TLOxROt30Iを含む)は自己中心の妄想に浸るのか?
根拠があるならまだしも嘘ばかり書きつづる。
言葉に行き詰まると荒らし行為(>>896)に走る。
早く人として社会復帰をして欲しいものだな。

もし、恐れ多くも神である私に挑戦する愚か者がいるのならかかってきなさい!
私は誰の挑戦でも受けてあげよう。

まあ無知で臆病で卑怯で生きる価値の無いクズどもには無理なことだったかな。



1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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