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源氏と平家、どっちが好き?

1 :日本@名無史さん:05/02/19 13:29:13
⊂⊃                       ⊂⊃
                 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ⊂⊃     ( ´∀` ) < 僕は、源静香ちゃん!
               ⊂    つ  \_____________
               ノ ノ ノ
              (_ノ _ノ  ⊂⊃
             彡


2 :長谷部タイ子:05/02/19 18:48:42
導尿カテーテル2げと

3 :日本@名無史さん:05/02/19 20:33:35
源氏

4 :日本@名無史さん:05/02/19 21:26:22
どっちも嫌い

5 :日本@名無史さん:05/02/19 23:42:43
源家と平氏

6 :日本@名無史さん:05/02/20 07:34:08
ばぁちゃんが平家の末裔っていってたんで平家かな。


7 :日本@名無史さん:05/02/20 12:46:09
http://bubble3.2ch.net/test/read.cgi/rsfx/1104998970/24

8 :日本@名無史さん:05/02/20 13:05:47
藤原氏のほうが好き。
派手に合戦やって玉砕より、宮廷の中でなんかごちゃごちゃと陰謀たくら
んでる方が面白い。

9 :日本@名無史さん:05/02/21 22:14:02
源氏

10 :日本@名無史さん:05/02/21 22:19:28
頼家の子孫の俺は源氏

11 :日本@名無史さん:05/02/24 08:34:16
源氏と平氏

源家と平家

だろう。

12 :日本@名無史さん:05/02/24 12:32:16
源氏・・・農耕民族

平氏・・・海洋民族

13 :日本@名無史さん:05/02/28 00:20:33
>>12
海とは無縁な坂東武者は大半が平氏だよ。
海に縁があるのは、伊勢平氏傍流の平清盛の一族だけ。

14 :日本@名無史さん:05/03/04 13:15:32
>>13
関東地方の地名に平氏の名残が・・・
秩父、三浦、千葉、上総、・・・これみんな人の姓なんだよね。

15 :日本@名無史さん:05/03/05 02:15:42
天皇家最高

16 :日本@名無史さん:05/03/05 22:06:06
平家の方がいい。 平家は戦をしても敵に情けをかけて、頼朝・義経を救った。
また屋島の戦いでは敵方・那須与一の弓業を褒め称えた。
壇ノ浦では皆なかよく水中に身を投じた。 美しき滅し方を知っている。
が、源氏は恩しらずの野蛮人。 戦では、ルワンダのツチ族真っ青のジェノサイドを行なう。
平家、奥州藤原氏、清原家、みな虐殺しまくり、落人狩りの追討軍まで編成する。
あげくにゃ身内同士で殺しあう。 こんな腐れ一家はくたばって当然。

17 :日本@名無史さん:05/03/05 22:08:02
木曽義仲

18 :日本@名無史さん:05/03/05 22:14:38
>>10
頼家に子孫なんていたかね?

19 :日本@名無史さん:05/03/06 03:37:01
平氏もみうち同士でやってるよ。
源平合戦は、伊勢平氏(平家)と坂東平氏の殺し合い。

20 :日本@名無史さん:05/03/06 07:09:51
何で源氏は一族を根絶やしにするジェノサイドを何度も実行したんですか?
こんなDQNだから、北条が恐怖して工作活動して見事歴史から抹殺された訳だが。
自業自得だね

21 :日本@名無史さん:05/03/06 07:16:56
平家物語VS源氏物語
では節操無しスケコマシの源氏に感服するので
源氏派。

22 :日本@名無史さん:05/03/06 19:12:10
>>19
確かに源平合戦は伊勢平氏と坂東平氏の争いです。
でも坂東平氏は本性こそ平だが、伊勢平氏
とはもはや身内とはいわないのでは。
清盛ら直系から見れば遠い遠い親戚ですから。
源氏の場合は親子、兄弟、従兄弟、叔父、甥の関係の中で
争って殺しあってるから正に身内争いだけどね。
特に清盛が天下取った後は両者は主従に近いと思われるよ。
源平合戦は現地の武士の利権の反した政治を行う朝廷(清盛政権)
に対する謀反といった言い方がいいでしょう。


23 :日本@名無史さん:05/03/11 09:51:06
源頼朝は安徳天皇を壇ノ浦で入水自決させた朝敵です。
天皇を憤死させるという崇峻天皇以来の暴挙に出た源氏は
京に拠点を置く事かなわず、田舎の鎌倉で引き篭もりをしましたとさ。
おしまい。

24 :日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:41:53
坂上田村麻呂の征夷大将軍の本来の意味を反故にして活用する源氏が嫌いです。

25 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:04:26
平家が洗練しているらから好き

26 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:29:09
垢抜けしててオシャレな平家のほうが好き。
サロンに舶来趣味。とてもKOOL
源氏は弓引いてる山猿でしょ?

27 :日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:42:37
平氏=スガメ、禿、スケベ、欲深、傲慢
源氏=二枚目、凛々しい、仁義、潔い、清廉


28 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 17:35:11
源氏一代目の経基は京から武蔵に赴き、武蔵介となり、税を徴収し始めた。

過酷な税の取立てをして、私腹を肥やそうとしていた。

しかし、荘園領主と争いが起こり、平将門に仲裁してもらった。

経基の仲間と荘園領主は和解し将門の家で宴会を開いたが、

経基はビビって参加しなかった。将門の使いが参加するように館へ向かうと矢を放ち、

経基は京都へ逃げ帰り将門に謀反の疑いありといったが、当然経基の被害妄想であり、

経基の気の小ささが露呈してしまった。

その子孫が頼朝や義経、足利尊氏などの清和源氏

29 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:36:26
源家がいい。

30 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 21:15:53
源氏にきまってる

31 :日本@名無史さん:2005/04/08(金) 21:31:10
源氏はただの体育会系バカだろ
優雅で絵になる平家に嫉妬するのも無理もない



32 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 08:33:57
>>27
源氏=凛々しい、仁義、潔い、清廉   ギャグか?

33 :日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:47:46
初代の経基王はどうしようもない小心者。

弓が得意だったのは実は源氏より平氏だったというのは有名な話。

34 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 22:05:46
兵士

35 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:37:06
後白河が最強

36 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:53:19
源氏=マクドナルド
平家=ロッテリア

37 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:35:55
>>36
源氏はユダヤ人で平家がチョンといいたいの?

38 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:24:38
源家と平氏

39 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:17:48
平家かなー。
源氏は殺伐としてるし。

40 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 13:40:02
人間としては平氏の方が好感持てるけど、
政治家としては、開拓農民の利益を主張した源氏に軍配を上げるべきか。

日本が中国朝鮮みたいな腐れ古代官僚国家にならずに済んだのは、源氏が勝ったおかげじゃないの?
まあ、誰を担いでも結局は関東武士団が勝ったのかもしれんが。

41 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:31:13
源氏は北条の後ろ盾がなかったら、幕府も開けなかった訳で。
遠回りはしたが、平氏に近い北条が政権を担って国家は安泰した。
源氏は織田に似てる。 かき回しはしたが政(まつりごと)を任せられる家柄ではない。

42 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:57:29
平家は一族内で情もあるし、文化的でありながら天晴な滅し方も知っている。
源氏は一族内で憎しみの連鎖を止めずに殺しあって直系は断絶した。
日本国民はどちらに好感あるかとても正直。

平家落人 平氏落人でググると9702件。
源家落人 源氏落人でググると6件。

落人伝説すら取り上げられない源氏って…

43 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 20:53:01
漏れは断然平家派だな。

話はずれるが、平重盛と毛利隆元ってなんとなくイメージが似ていると思う。

44 :イヌなのです:2005/07/23(土) 15:14:50
絶対平氏!!わけは私の先祖が平氏なので・・・。ってわけ。

45 :イヌなのです:2005/07/23(土) 15:18:17
絶対平氏!!わけは私の先祖が平氏なので・・・。ってわけ。

46 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 15:19:41
源氏。祖先が源氏らしいから
武士じゃないけどね

47 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 15:31:27
 猫も杓子も源氏名乗ってるから 価値が下がってる。

だから平家のほうが格好よいと思う

48 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 15:32:42
名門出身を名乗るなんて先祖が越前でしがない神主してたような
やつでもできるからな

源氏は一族の仲が最悪だから平氏

49 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 15:35:50
源氏で武将なのはたかが知れてる。
近江とか、摂津とかに源氏多いよね。歴史的に古いし
庶民的だからあえて源氏

50 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:39:42
源氏と平氏
源家と平家

51 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:27:59
俺は桓武天皇の末裔

52 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:43:01
建礼門院をレイプした義経のイメージが強すぎて
源氏は好きになれない。

53 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:52:31
源氏はあの義経でさえ、ちょっとなイメージがあるからな
頼朝や足利についてはとてもとても・・
平氏の方が明らかに人間的なイメージ。

54 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:24:29
瀬戸内の平家は外部に対して陰険だから嫌い
坂東の平家に好かれた、源氏の方が好き
主従関係をとったら全力で保護してくれる家系だから源氏の方が好き

55 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 05:54:23
源氏はチームワーク悪すぎ。
平家は一族以外の人材が不足気味。

56 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 13:29:58
義経の建礼門院手篭めってにっかつロマンポルノの創作だろ。
それにしてもなぜ、坂東平氏の北条が源氏と手を組んで
同族の平家を滅ぼすのか不明。

57 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 17:09:12
>>56
北条氏は頼朝に策に嵌められたという見方がされてるよ。
政子もそれに同意し、頼朝と共に父を嵌めたんだって{政子の嫁ぎ先に喧嘩を吹っかけて、睨まれる存在にした}
さらに、北条氏は平家とは言え、所詮地方の一豪族、頼朝には反平氏方に信望があった{監禁中、決起や味方の申し入れも着た}ようだし、野心が出たのもあるみたい。
想像としては、平清盛の外戚になれるかもと考えたら、すごく魅力的だと思うよ

58 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:54:01
義経の正室も坂東平氏の川越家。
関東に入封した平氏一門がことごとく
源氏の手先になり、同門の平家を滅ぼすのが不気味。
権勢並ぶものなき平家だったが、一門で公職を独占したのが
他の氏族や皇室の不満を招いてしまったな。


59 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:56:41
清盛の身びいき、親バカが他の公家・武家の離反を招いた。
後、東国政策甘すぎ。よりによって源氏一門の本拠地に
御曹司を流すとは。


60 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:59:10
都落ちしてからの平家にはむしろ
同情する

61 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 21:09:49
源氏と平家の戦いの第1回が経基VS将門(将門の不戦勝?)なら
最終回は武田信玄VS上杉謙信(長尾景虎)(信玄の優勢勝ち?)
でいい?

経基はその後、将門の謀反に気づいてたとして、「先見の明あり」
として、出世していったんだっけ?

62 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 07:06:53
結局、清盛の中途半端な温情が一族滅亡を招いた。
平治の乱の後、義朝の子どもを斬らなかった致命的判断ミス。
源平は、発祥以来武家を二分する宿敵なのに。
親の仇討ちは武士道の本懐と知っていながら、
宿敵の家系を根絶やしにしなかったのは異常。

63 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 08:54:46
>>62
>源平は、発祥以来武家を二分する宿敵なのに。

現在はそのような考え方はなくなっている。
平治の乱の頃
清盛は1000騎動員に対して義朝は200騎。
官位は義朝は清盛の庶弟たちより下。
経済力では雲泥の差。

さらに平治の乱自体が院政派と天皇親政派の争いが主で
義朝は鉄砲玉に使われたに過ぎない。

また、清盛は祖父の頃から頭角を現し当時の都の部門の中で最大勢力だったが
義朝は源氏の嫡流でも棟梁でもない。
頼政など他の源氏一族はそれぞれ独自に院や摂関家に仕えていて
相互の連携など最初から無かった。

64 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 08:56:30
>>58
当時、彼らに平家との同族意識を求めるほうが無理。
彼らは近隣豪族との勢力争いに必死。
自分達の味方になってくれる旗印がそこにあって
自分達に都合のいい存在ならば
だれでも旗頭に持ち上げる。

65 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:38:57
義経好きなので源氏。
誰か平家物語と源氏物語の話してましたが
源氏物語は紫式部のフィクションなんで
清和源氏とは関係ないです。

66 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 12:35:05
源氏一門は、各地に勢力多い。特に東国は義家以来の地盤。
山城の出羽源氏。摂津の多田源氏。河内の石川家。大和の宇野家。
近江の山本家、柏木家、錦織家。甲斐の武田家、板垣家。信州の木曽家。
相模の大庭家。武蔵の武蔵七党。下総の山木家。常陸の佐竹家。
これだけあれば平家に匹敵する武門だと思うが。


67 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 13:10:31
つか日本人は判官贔屓だからみんな源氏が好きなんっしょ?しかも義経。頼朝は嫌いとキタ━(゚∀゚)━!!!

68 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:21:50
>>66
東国は義家以来の地盤
という解釈は最近揺らいでいます。

義朝は「源氏の血統」を頼りに東国武士に君臨していたわけではなさそうです。
背後に摂関家や院との人脈をちらつかせながら
豪族間の紛争解決をして力をつけたらしいですし、
頼朝の挙兵の成功も、平家が東国武士の一部を家人化して
その家人たちに圧迫された豪族が頼朝を担ぎ上げたという部分が強いらしい。

69 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:29:12
それから、相模の大庭、武蔵七党は源氏ではありません。

また、源氏諸派はそれぞれが
院や女院などに独自で仕え、一族としてのつながりや団結は一切ありませんでした。

それから、官位の問題
保元の乱の直前の官位
清盛 正四位下 中務大輔(それ以前に大国の受領を歴任)
教盛 従五位下 淡路守
頼盛 正五位下 常陸介(以前に他の国の受領経験あり)

義朝 従五位下 下野守(初めての受領 しかも下国)

という具合で、朝廷における清盛と義朝の地位は雲泥の開きがあった。

70 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:12:05
>>68
義家は、源氏で初の坂東人との混血児{当時差別される存在だったのであえて}
そして、父の方針もあり、坂東人に対し、仁政を敷き、都からの圧力を軽減するように努めたため、坂東人が懐いたという見方もあるよ。
無論、はじめの基礎は、朝廷の威光だったけど、最終的には義家に忠誠を誓うようになり、本当の地固めになったそうだ。
また、義家は平将門を憎からずとする素振りが多く見られ、その点でも坂東武者には人気があったようだよ。

頼朝はその正統な後継者というので、味方にならずとも、敵対するのは気が引けるという昔からの坂東武者が多かったみたい
そして、一部の野望と保身を考える豪族が、弊害が最も少なく、大義名分にし易く、担がれ易かったから>>68さんのようになったみたいだよ

71 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:16:04
>>70
朝廷からの圧力軽減とは具体的にどのようなことでしょうか?

>味方にならずとも、敵対するのは気が引けるという昔からの坂東武者が多かったみたい
畠山、大庭、波多野、山内など有力武士はことごとく最初は敵対していますが
波多野は異母兄朝長の母方、山内は乳母がいたのに
敵対していますが・・・・・・・

72 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:20:05
>>70
義家は母は平直方の娘。
平直方は当時受領階級で都に近い人だったと思います。
ただし鎌倉に土着しつつはあったようですが。

73 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:30:09
>>71
摂関家への献金や受領の不正収集に対して、自腹や訴訟しての裏工作などがあったようです
特に不正や土地争い対する訴訟は地方豪族は都出身者に完敗していたそうです。
なので、その斡旋や裏工作、調査などにより意見が通るようにしたのが、かなり救いになったようですよ。

>味方・・・・
これについては、有力武士ほど中央の圧力に左右される存在です。中央の機嫌を取らねば、自分が潰されてしまうからです
平家が動揺しだしたくらい、頼朝がやや力を着けて来た位を考えて頂くといいかと思います。
自家大事が基本ですので、戦闘はもちろんしますが、手加減はあったように私は感じました。少数の頼朝軍が全滅させられなかったのがその証拠になると思います。
また、義家以降の騒乱で被害を被った家もありますし、坂東武者全部が全部恩義が残っていたとは限りませんしね。
その辺を誤解させてしまったようですね、すいません

74 :70:2005/08/01(月) 15:37:09
73も私です。書き忘れました。
>>72
勉強不足かもしれませんが、当時受領階級は現地に根付く個人勢力と繋がっているのが普通だそうです。
特に、平直方はお書きのように土着を目指していたため、地元民との率先した混血を行っていたようです。
「親戚の親戚は親戚である」の理論で坂東人は親近感を持っていたのは確か見たいです。
また、平直方自身も妻は坂東人でその娘には坂東の血が入っていたと書いてあったように思いました。


75 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:41:50
>>71
いろいろとありがとうございます。
すいません。そのソースはなんでしょうか?
また、仮に義家の頃そのような事実があったとしても、
義忠ー為義の間は源氏は衰退。
都のお偉いさんに口を利く権限はありませんでした。
もっとも為義は自分の郎党を匿ったりなどはしましたが
東国の武士の権益を守った形跡はありません。

その間義朝までかなりの期間があります。
その間に色々な争いがまったく無かったはずは無く
その空白期間にも源氏の影響力を考えるのは無理があります。

76 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:44:58
また、義朝は為義の後継者ではないとの見方が最近強まっています。
為義の息子のうちいち早く官位を得たのは義賢です。
義朝は自らが上洛して院に接近するまで無位無官でした。

つまり、義朝は為義の嫡子ではなく自らの力と人脈で
地位を得たという見方が出て来ております。

77 :70:2005/08/01(月) 15:45:44
追加として
義家の教育に関わった武士達は皆、坂東武者だったそうです。
なので、早くから親近感や同一の思いを養われたそうです。
また、都に参上した際には、如何に坂東人が差別され、都人と区別されるかを目の辺りにしたことと考えられます。

前九年・後三年の役の記録からですが、凍死しそうな部下を自らが暖め助けたなど、体を張って助けたという記述があります。
話半分に見ても、都からすると使い捨てである坂東武者に対し、多大な慈悲と愛情を持って接していたことが伺えます

78 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:50:02
>>77
前九年の役も最近解釈が変わってきておりまして、
清原氏を取り込んだのが最大の勝因とされております。

また、頼義、義家親子に付き従っていた人は
坂東武者よりも古くから都近辺に使えていた武者であったという
見解もつよまりつつあります。
ただし、頼義が相模守であったことから相模近辺の武士を
私郎党化させていたようですね。

79 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:10:10
>>74
平直方については
平忠常の乱の平定には自分から摂関家に売り込んだらしい。
その目的は官位のさらなる上昇。
こと敗れた後も摂関家に仕え続けた。
土着は結果論ではないのか?

80 :70:2005/08/01(月) 16:10:57
>>75
いろいろなご質問ありがとうございます。考え直したり、新しいことを知ることができ、本当に助かってます{^^}

ソースについてですが、すごく弱いものです。ですので、>>75さんの仰る大半を知らなかったりします。がっかりしないでください。
「源義家歴史紀行」「前九年・後三年の役についての資料」「吾妻鏡」「平家物語」を元にした教授の講義が基本です。
コピーでこれらの一部を渡され、時代背景とともに講義を受けました。
一応、吾妻鏡と平家物語を読み、ソースと言えませんが、小説家の書いた本数冊{日本の歴史シリーズや武神・八幡太郎義家、他数冊}は読みました。

>都のお偉いさんに口を利く権限はありませんでした
これも講義での話ですが、義家の時はまだ、摂関家と密着していたようです。多大な謝礼が必要ですが、 それも援助したのではということでした。
また、前任者の不正を訴え、それを献金したことも大きく利いていたそうです。
また、大江匡房との親密な交流記録もあるようで、そこから影響を与えたのではないかと考えられます。

>義忠ー為義の間は源氏は衰退。
これについては、無責任ながら、原因に付いて全く知りません。
しかし、義家の兄弟不和など朝廷が絡まっているようですし、その辺から起こったのではないでしょうか
情報ありましたら、お願いします


81 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:14:40
>>80
こちらこそいろいろとありがとうございました。
ところで
>都のお偉いさんに口を利く権限はありませんでした
の部分は為義の時代のことを指したので義家にそれなりの権限があったことは私も認めます。


82 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:21:10
>義忠ー為義の間は源氏は衰退。

これについては、為義が家督についた経緯から書かなければなりません。
まず、義家の子供たちは早世や反乱、一族の内紛などで衰退していきます。
この辺に関しては以前は白河院の陰謀説があったのですが
特に白河院が義家を警戒する要因もとくに無かったようですし
(摂関家自体院には必要な存在だったらしい)
単なる内輪争いのようです。

すったもんだの末義家の後継者は4男の義忠になったようですが
この義忠も何者かに暗殺されました。
この暗殺の黒幕が義家の弟義綱ということになり
義綱を追討することになります。
この際追討使は義忠の遺児がふさわしいということになったようですが
義忠は若死にしたため元服を済ました男子がいませんでした。
その為、義忠の「養子」となっていた為義が追討使となったわけです。
そして見事に義綱を討った為義は義忠の後継者
ひいては義家の後継者と認められました。


83 :70:2005/08/01(月) 16:24:25
>>78
それについては、私の読んだ本の中にもありました。
清原氏の官位上昇の仲介という、蝦夷に対する朝廷側の人間が出すものでは破格の条件により、協力したと書かれていました。
また、宮仕えしていた武士に付いても、そのまとめ役に源氏が居て、都での援助{差別などからの対応代わりなど}もしていたようです。
それに、坂東に向かった時も、配下としてでなく、教えて欲しいという対等な人間として対応したというのが大きかったのだろうと聞きました。

>>79さんのことについては、知りませんでした。なので、始めからの工作は違ったかもしれませんね。
ちなみにですが、頼義は、義家が生まれたとき、52歳だったそうです。そのとき妻は20歳前だそうです
なので、平忠常の乱の平定から大分たっていますし、平直方も土着を決心した後かと思えます。
これについて、別の意見お願いします。私も知りたいので

84 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:25:02
そうして、為義が家督を継いだのですが
まもなく最大の庇護者義家が死去。
父方の支援を得られなくなり、母方からの支援も受けられなかったらしい。

当時10代の若輩者は親の支援か特別に有能な実務能力
もしくは莫大な財力奉仕をするということがなければ
官界で出世はできなかった。

いずれも欠いていた為義はその後何十年も六位検非違使から出世できなかった。
必死の思いで、摂政忠実に接近するまで日の目を見ることはなかった。

85 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:29:38
それから、義家自体の晩年の地位の低下の原因も次の点が挙げられています。
1)後三年の役は「内容的にも本当に私合戦」だった。
2)しなくても良い戦をして、官物を都に納入するという国司としての
最大の任務を怠って、「国司不適格」の烙印を押された。

それ以降義家は受領に就任していなかった。

受領になれない=財産を作れない

財産を作って朝廷で財力奉仕→その見返りにさらに官位獲得
という
官界の出世コースに孫の為義をのせる財産も作れなかった可能性もある。

86 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:33:30
そうなんですか・・・・・・・ここまで衰退していたとは思いませんでした。
もっとあとかと・・・・
そういえば、源氏重代の髭切り丸や薄金の鎧などは、正統の証として坂東武者に主張することはできないのでしょうか?
頼朝についても、これらを持っていたから、「源氏の棟梁である」と認められていたようですし
朝廷関係では難しいでしょうが、坂東での過去の源氏の栄光を考えるとどうかと思いまして


87 :70:2005/08/01(月) 16:37:37
>>85
ということは、後三年の後は、義家は坂東に行けなかったんですか?
鎌倉近辺に土着したものだとおもっていたのですが・・・

88 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:39:17
>>86
残念ながら「髭切の太刀」の話は軍記物の中の話と考えたほうが良いと思います。
「平治物語」の中に出てきますが(「平家物語」にもありますが)
「平治物語」自体も書かれた年代によって内容が少し違います。

現在の文学の研究の中で現存するなかで最も古い種類の本では
「髭切の太刀」も「源太の産着」は出てきません。
後世、加筆されていくなかで出てきたか
元になるアイテムが「嫡流の証」に変換された可能性があります。

また、「保元物語」でも
「源太の産着」など八領の鎧がてできますが
これが嫡流に相伝されるようになったとの記載は
年代の新しい本に書かれていて(為義が義朝に届けさせる逸話など)
古い本にはただ単に「こんな鎧がある」という記載があるだけです。


89 :70:2005/08/01(月) 16:43:40
>>88
そうだったんですか。
逸話に必ずといって良いほど出てたので・・・・・ショックです
そうすると、私が上のほうで言っていた論もやはり怪しくなりますね。
うーん、軍記物を主体に研究するとそんな落とし穴が・・・・
本当に勉強になり、助かりました!!

90 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:46:05
>>87
そうですね。
どうやら陸奥守の任を解かれた後はずっと都にいたようです。

91 :70:2005/08/01(月) 16:47:48
所要ができ、今日は落ちますね。
御話や御考えを聞かせてください。それでは、また

92 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:59:58
源氏は新羅系で、平氏が百済系だっけ?
もともとの天皇も朝鮮からやってきて、藤原氏も百済だっけ?
日本って国ってなんなんだろうね・・・

93 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:28:26
>>92
日本は混血の国だから。大陸からの亡命者や技術者を大量に受け入れたからね。
でも、今の韓国とかみたいに漢民族系ってあんまり入ってないよね。
モンゴル系はいっぱい来てるけど
なんか不思議

94 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:09:22
渡来系の技術者・亡命者以前に
邪馬台国の前後頃から渡来系臭がぷんぷんだけどね、
もう弥生人とか言ってるばあいじゃねーべ

95 :93:2005/08/03(水) 14:54:24
>>94、その通りだね。
だから、純粋な日本人なんて種族は存在しないわけだし。
でも、勘違いしないで欲しいのは、現朝鮮人が天神族という勘違いはしないで欲しい。
読んでで、そういう勘違いが多いので、書いておきます。{結構書いている人もいるけど、無視されること多いのなぜかな?}

96 :93:2005/08/03(水) 15:00:44
主旨とずれてきたから、一応
道理とか、外と内に共通の姿勢で臨むから、源氏のほうがすき

97 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:08:27
>>95
純粋な日本人は存在します。
日本人が朝鮮やシナからやってきた混血民族だという。
まず混血になる理由がわからない。
古代というのは血を守る事に今より遙かに執着していたのではないか。
はるか昔に国を無くして、二千数百年も血を守ってきたユダヤ人とか。
スペイン、イタリア、メキシコと古代から世界に散らばる漢民族とか。
日本は純粋な大和民族と僅かな大陸からの漂流民が一緒に暮らしている。
大和民族のルーツは九州、出雲。
エミシは東日本。クマ、ソオ、ハヤトは南九州。
これで決まり。

98 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:17:19
http://www.takada-dojo.com/sakuraba/profile.html
えみしってどんなの?
是非知りたい

99 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:25:33
いわゆるアイヌ民族。

100 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:27:15
東北で堀の深い顔した人いる?
みたことない、現在の東北人って
どこから来たのかしら・・

101 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:28:45
>>100
関西人は一切東北には関与してない、顔が違いすぎる。

102 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:16:10
自演がひどいな

103 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:32:08
>>97
弁韓の伽耶諸国は当時の日本人(日本列島人)にとってみれば日本だろ当然。
そこに住んでるのも日本人という認識。古代出雲人の認識がそれだ。
朝鮮半島が日本とは別なんて意識は任那滅亡(あるいは百済滅亡)以後だろ。
また、楽浪郡にどれだけ一般の漢民族が侵入したかは疑問。
それより高句麗の南下や新羅の膨張のファクターのほうが大きい。
遊牧民は家族や家畜を引き連れて退去して移住してくるからだ。
高句麗はあきらかにツングース系だから、現代の朝鮮民族の血の主体はツングース人。
渤海や金、満州の類。
満州語と朝鮮語の訛りや基本語彙がそっくりなのもそのため。

104 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:45:37
源氏の内訌は、名簿を差し出した家人の権利保護の為には、
例え兄弟や叔父・甥の間柄でも、一歩も引き下がらないってのが主な原因だよね。
あと、平家といっても、伊勢平氏の正盛流は、義親追討以降の流れに上手く乗りすぎというか、
重用されすぎというか、すさまじく拡大路線だから、
ゼロサムゲーム的な内訌の原因が発生する前にオワタだけで、
実際は、平将門もそうだけど、平氏も内訌の連続。

105 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 19:22:09
名簿って言えば後三年の役は清原に奪われた頼義の名簿奪還が目的らしい。
後三年合戦絵巻?に名簿をちらつかせて義家をバカにするシーンがあるそうだ。
皆殺しに近かった戦後処理を考えると説得力はあると思う。
あとアイヌ=エミシは違うと思うぞ。性格がぜんぜん違う。

106 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:32:07
保全sage」

107 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 15:19:20
やっぱり平家に一票。
京で政権を握っただけあって、当時の公式記録からも
私的な歌集からも平家公達の姿が浮かび上がってくる。
軍記ものでしか人物を想像できない源氏よりリアルに
感じられて魅力がある。

108 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:57:22
俺は源氏だぜ。

109 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 14:43:42
当時、野蛮な源氏より優雅な平氏のほうがいい。

110 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 02:29:32
小さい頃、濁音に汚いイメージを持っていたので、平氏の方が綺麗なイメージで
好きだった。今は、どっちでもええ。

111 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 11:38:47
うちの家系(ひいお爺さんまでだけど)が源氏に仕えてたから源氏。


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