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石田三成は、いじめを受けていたのでは?

1 :名無しさん:05/03/15 14:19:03
秀吉死後、石田三成初めとする文科系の豊臣家家臣と、
加藤清正や福島正則などの体育系家臣とで対立が起こって
いたとよく言われるけど、これって対立というよりは、
体育系側が一方的に三成側を見下していたんじゃないかと
思えるのは自分だけか?

三成の性格は、争い好きと言うよりは、どちらかというと温厚で
平和主義な印象が強い。
物語などでも、清正らが三成を激しく非難する場面は、しょっちゅう
見かけても、逆に三成の方が体育系の彼らを露骨に責めている
場面は、ほとんど目撃したことがない。
こんなことからも、
石田三成は実際は、体育系の家臣たちから一方的ないじめを
受けていたのではなかろうか?


2 :日本@名無史さん:05/03/15 14:36:06
>>1
ソダヨ!

3 :日本@名無史さん:05/03/15 14:45:44
>>2
ホウ

4 :日本@名無史さん:05/03/15 14:50:02
4さま行きます…

5 :日本@名無史さん:05/03/15 15:51:01
いじめられっこの>>1が立てた駄スレはここですか?

6 :日本@名無史さん:05/03/15 16:20:34
大河ドラマ『葵三代』の三成氏は苛められっ子臭かった。

7 :日本史@名無しさん:05/03/15 17:45:14
まあ日本の精神土壌が作られたんだろうな、そのときに

家康イラネ

8 :日本@名無史さん:05/03/15 21:41:20
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e44642227

9 :日本@名無史さん:05/03/15 21:43:50
秀吉に才覚を見出された人物


10 :日本@名無史さん:05/03/15 21:50:51
加藤清正や福島正則は
尾張の農村出身で
秀吉の親戚だったわけで、たしか...

一方、石田三成は、秀吉が近江の長浜の城主になったときに
秀吉の小姓から抜擢された新参者なわけで。

で、昔からの秀吉の縁者だった尾張派・武闘派と、
秀吉が大名になってからの家臣である近江派・文治派との間で
イザコザが発生しやすかったということか?

11 :日本@名無史さん:05/03/16 15:22:26
>>10
三成って近江の大百姓のせがれだっけ?
百姓ってよそものにはキツイからねえ〜

12 :日本@名無史さん:05/03/17 22:58:49
>>10
三成が喧嘩好きな性格だとは思えないからなあ。。。

13 :日本@名無史さん:05/03/18 01:11:07
いいか、よく聞け>>1よ。いじめなんてのは学生時代だけのものだ。

えっ?社会人になってもあるだろうって?
甘えるな、社会人にそんな考え方は通用しない!
いいか自分はいじめられてると感じた時、こう心で思うのだ!

『私は私の為、家族の為にも笑顔を絶やしません(以上を十回心の中で)』
『私は私の為、家族の為にも挨拶を絶やしません(以下同上)』
『私は私の為、家族の為にも奉仕し奉仕される人を目指します(以下同上)』
『私は幸せだ、生きてて嬉しい!(以下疲れるまで念じる…)』
それでもダメなら…
『私はロボットです感情はありません(以上を十回声を出して)』
『私は家畜ですただ生きる為のみに生きるのです(以下同上)』

諦観とそれによって得られる報酬と快楽を糧に生きるのだ、大なり小なりみんな
そうやって生きてる…

14 :日本@名無史さん:05/03/18 20:32:20
13きもい

15 :日本@名無史さん:05/03/19 16:42:06
>>13
それが学生時代にも応用されるようになったら世の中終わりだな

16 :日本@名無史さん:05/03/20 00:57:35
ていうか加藤たちがなんであれほど三成を敵視していたのかが理解できん。
特に福島正則って、かなり性格歪んでるっぽいイメージ

17 :日本@名無史さん:05/03/20 01:17:51
三成ってゴマスリだったんでしょ?
そういう奴ってイジメられやすいからなぁ

18 :日本@名無史さん:05/03/20 13:08:29
秀吉=ジャイアン
三成=スネ夫
加藤=のび太
福島=ドラえもん

19 :日本@名無史さん:05/03/20 14:16:04
>>18
ワロタ

20 :日本@名無史さん:05/03/20 14:52:19
>>10
>で、昔からの秀吉の縁者だった尾張派・武闘派と、
>秀吉が大名になってからの家臣である近江派・文治派との間で
>イザコザが発生しやすかったということか?

おまけに
尾張派・武闘派=北の政所派
近江派・文治派=淀殿派
だな

21 :日本@名無史さん:05/03/20 15:42:14
加藤清正とかと一緒に七本槍の1人だった片桐且元も、近江派のはずだけど、
彼はどっちの味方だったんだろう?

22 :グーフィー:05/03/20 16:00:07
>>21
実際戦いには参加してないけど、どちらかというと東軍でしょ。
藤堂高虎とか田中吉政とかも東軍だし。


23 :ななしのこさん:05/03/20 16:05:58 ID:??? ?#
>>10
親戚関係とは知らなかったな。
マジネタですよね?

24 :日本@名無史さん:05/03/20 16:23:47
七本槍の脇坂安治は西軍だったな。
彼は近江じゃなかったっけ?

25 :日本@名無史さん:05/03/20 17:32:58
加藤清正の母は秀吉の母大政所のいとこ。
福島正則の父は秀吉の父弥右衛門の兄弟らしい。

26 :日本@名無史さん:05/03/20 17:35:15
正則には豊臣姓が与えられたのに、清正には与えられなかったのもそのせい。

27 :日本@名無史さん:05/03/20 18:27:39
秀吉と福島加藤の関係は農村の村意識に近い。
そこに他所の村の大地主のせがれ(三成)が入ってきても荒れるだけだったろうね。

28 :日本@名無史さん:05/03/20 18:38:19
前から疑問だったんだけど七本槍で一緒で、その後も清正たちと同じ扱いを受けていた
加藤嘉明って、何者?
清正と血縁者か全く関係ないのか。

29 :日本@名無史さん:05/03/20 18:56:34
三河国幡豆郡永良郷の出身。
13歳の時に羽柴秀吉の養子である秀勝に出仕。
もとは三河国の住人であった父・岸三丞教明が、
一向一揆として松平元康(のちの徳川家康)に叛乱を起こし、
一揆が鎮圧されると三河国を出奔し近江国に移り住んだもので、
嘉明は後に北近江を任された羽柴氏に仕えた、と伝えられる。

30 :日本史@名無しさん:05/03/20 23:13:35
福島の血縁は怪しいが

31 :金吾秀秋:2005/03/21(月) 17:10:05
ここにいていい?(´・ω・`)

32 :高台院:2005/03/21(月) 19:48:32
いいわよ

33 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:21:45
 

34 :日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 09:53:03
ここは慶長だ

35 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:14:28
円楽いずくんぞ、好楽の志を知らず

36 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 04:45:31
三成は知的合理主義のエリート官僚。
体育会系営業マンに好かれる訳ないって。

37 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:30:02
管理する側と管理される側だから仲がよくないのはしょうがないね。

>>20
の分け方だと
>>22
や京極の動き・増田の内通等が説明出来なくなるので単純に分けるのは
賛成しないです。

38 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 07:27:32
1手指されて2,3手先を考えるのが精一杯の奴等に数十手先の
攻防の話をしても理解は出来ない
三成の清正や正則へのそういう心底の感情が当初から自然伝わってしまい、
朝鮮出兵時の不満も重なり不和は決定的となったのではなかろうか

清正や正則が先の未来を次の行動から予測出来るなら、政権へ与える
影響も想像が出来るため東軍につくこともなかっただろう
三成憎しで追い掛け回したこととは次元が違うことに気づかない時点で
正則らの知能の低さが知れる
また三成のエリート意識の高さと持ち前の気骨がそれを加速させる

39 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 09:38:26
>>38
逆じゃないか。
三成が中心になって政権を振り回すと分裂して収拾できない混乱を
引き起こすから、安定を考えて正則や清正は家康を支持していたのでは
ないか。

40 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 10:16:47
三成の豊臣に対する忠義も異様なような気がするけどな。
秀吉が織田家から権力を簒奪するのを見てたんだし、
当時としては、幼児の秀頼を抱えて政権を維持しようと思うほうがおかしいのでは。


41 :40:2005/05/02(月) 10:21:18
仮に、関が原で西軍が勝っていたとしても、
毛利等の所領が増加するし、
豊臣政権を内部から簒奪しようとする徳川以外の勢力が出てきただろうしね。


42 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:39:17
>>39
逆じゃないか。

家康&正則等は秀吉の遺訓を守っていない。利家や三成等は
五大老・五奉行制で秀頼が成長するまで、現状維持を目指していたと思われる。

家康&正則等はその現状に不満という事で、わざわざバランスを崩す行動をした
んでしょ。


43 :38:2005/05/02(月) 16:40:31
>>39
豊臣政権の安定を考えるか、実力者が統治することを安定と捉える
かによって全く異なる見解になってしまう
関ヶ原戦後の2人を見る限り豊臣への忠義は失っていないにも関わらず
東軍につくという愚行を犯している
時勢の流れに逆らわずに東軍へ参加した諸将とその点が異なることも
考えられず、家康に利用されただけではないかということ
特に正則は上杉討伐にも意気揚々と参加し、小山会議では東軍参加を
諸将へ促すような発言までしている
それだけ家康が狸だったということでもあるが

>>40>>41
元来の性格に加え、古事などを含む教養と武士道精神が確立されつつ
ある時代背景が後押ししたのかも知れない
直江や大谷などとの交友からも触発されるものがあっただろう
大谷自身も三成の求心力と家康の求心力では結果が死を意味している
ことを覚悟の上で西軍へ参加しているような人物だし
もし西軍が勝っていた場合に内部から簒奪を試みる勢力って誰をさして
いるのかな? 
野望と実力が伴う人物が見当たらない気がする

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