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〜戊辰戦争で幕府軍は何故あっさり負けた? 2〜

1 :日本@名無史さん:05/03/20 13:23:47
普通に考えたら幕府が勝ちそうなもんだけど


戊辰戦争で幕府軍は何故あっさり負けた?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083344334/

2 :日本@名無史さん:05/03/20 13:38:40
糞スレたてんなボケ

3 :日本@名無史さん:05/03/20 13:40:35
ハァ?良スレですが。なにか?

4 :日本@名無史さん:05/03/20 14:11:38
>>2-3
なお、こういう荒らしは無視の方向で

5 :日本@名無史さん:05/03/20 14:53:26
初2get

6 :日本@名無史さん:05/03/20 14:57:55
錦の御旗に負けましたね。あれさえ無ければ…

7 :日本@名無史さん:05/03/20 15:09:20
2ゲット

8 :日本@名無史さん:05/03/20 15:14:24
>>6
既に錦旗の無い初日で幕府はボロ負けしている。

9 :日本@名無史さん:05/03/20 15:15:37
錦の御旗
慶喜の逃亡
幕軍は指揮系統がぜんぜんなってなかった
薩長は西郷が最前線に立って指揮していた
士気のちがい

10 :日本@名無史さん:05/03/20 15:22:03
>>8
永倉新八の手記には鳥羽伏見の時最初は「薩摩は大敗して退いていった」
とあるもう少しで倒せたものの松平豊前守が何故か撤退せよと命令を下した
そしてその後錦の御旗 が現れる

11 :日本@名無史さん:05/03/20 15:48:41
負けた側は、負けたとはっきり記録に残さないよ。
白河の戦いでも、会津の史料では常に優勢だったが
日暮れが近くなったので退いたとあるが、結果はあの通りの惨敗。
負けた時にはっきり負けたと書いたのは大鳥ぐらいですな。

12 :日本@名無史さん:05/03/20 15:58:43
それはお前の勝手な想像だろ

13 :日本@名無史さん:05/03/20 16:03:20
永倉がうそを書いていると言うのは

14 :日本@名無史さん:05/03/20 16:59:16
たかだか旗一枚で挫かれるショボイ戦意で戦いに望んだために負けたということでいいじゃない。

15 :日本@名無史さん:05/03/20 17:32:11
>>10
スマンが、松平豊前守って鳥羽伏見でどこの指揮官を努めていたの?
それとその手記のこともっと詳しく書いてくれない?単なるジジイの戯言っぽいな。

新撰組は、伏見奉行所が薩摩の砲撃により炎上したので敗走しているんだが。

16 :日本@名無史さん:05/03/20 18:39:24
長州側に高杉晋作がいなれば
第二次長州征伐で幕府勝利で
戊辰戦争なんてなかったろうに

17 :日本@名無史さん:05/03/20 18:51:58
>>16
第二次長州征伐で、高杉晋作はたいした事してないよ。
大島で幕府海軍を奇襲したが一隻も潰していないし、
小倉でも病気でほとんど指揮できず、
なんとか指揮できた赤坂では熊本に散々やられて負けてますが?。
第二次長州征伐(小倉戦争)は幕府軍の戦意が乏しく、
小笠原が小倉から逃げた事をきっかけに幕府軍が勝手に解兵したんだけど。

18 :日本@名無史さん:05/03/20 19:12:16
それはつまり負けたということではないのか?

19 :日本@名無史さん:05/03/20 20:59:12
幕軍が戦争中解兵したので、長州は幕軍本営小倉城を戦わずに占領した。
長州の山県は幕軍が消えた事にビックリして、
幕軍の罠に違いないとほざく程だった。
情けないぞ幕軍。

20 :日本@名無史さん:05/03/20 22:58:41
>>10
>もう少しで倒せたものの松平豊前守が何故か撤退せよと命令を下した
>そしてその後錦の御旗 が現れる

錦の御旗 が現れる前に何故か撤退せよと命令が下ったんだ?

21 :日本@名無史さん:05/03/20 23:16:14
>>10
また新撰組ヲタの妄想か

22 :日本@名無史さん:05/03/20 23:52:31
会津はいまだに恨みを持っているみたいだが
鳥羽伏見敗退の一因となった藤堂藩は恨んでねえの?

23 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 01:00:39
鳥羽伏見の戦いや江戸の無血開城の直後の会津って、
何だか色々なやつが城下町にゾロゾロ入ってきたりして、
やけに賑やかだったっていう話を聞くけど、なんで?

24 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 01:30:12
>>22
平助〜!

25 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 01:42:28
>>16
第二次長州征伐が尻すぼみで終わったのは、
家茂の死と慶喜の惰弱が原因。

26 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 01:52:47
会津には当時の全国の情報がどの程度入ってきてたの?
西郷隆盛や坂本竜馬や高杉晋作が何をやったとか、現代人が
知ってるような事を当時の会津の人とかも知ってたわけ?



27 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 02:11:57
坂本さぁが何をやっていたかまではさすがに知らんかっただろう。

28 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 02:38:05
>>26
会津藩は権力の中枢にいて治安を預かる立場にあったわけで、
当然国内外の情報も多く把握してた。

たとえば会津藩公用方・山本覚馬の建白(管見)。
ttp://duels.doshisha.ac.jp:88/denshika/yamamoto/128/imgidx128.html
これは坂本竜馬の船中八策を凌ぐ先見的で具体的な近代国家構想で、
三権分立、男女平等、税負担の平均化などの、現代では常識となっている
考え方をいち早く取り入れていることがわかる。

西郷や坂本や高杉といった犯罪者情報をどこまで知ってたかについてのは、
たぶん記録として残されていないと思うけど、
坂本の抹殺指令を出したのは会津藩公用方だというのが通説。

29 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 02:44:43
スレタイと関係のない自演が続いてるのはなんで?

30 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 03:02:53
>>28
ありがとう。
参考になりますた。


31 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 03:07:06
分からん。

いずれにせよ幕府軍が敗北したのは先鋒の滝川播磨守が逃亡したこと、
藤堂和泉守、井伊掃部頭が揃って寝返ったこと。稲葉美濃守が会津藩
に対して淀城入城を拒否したこと、これである。

32 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 03:14:55
>藤堂和泉守、井伊掃部頭が揃って寝返ったこと。稲葉美濃守が会津藩
>に対して淀城入城を拒否したこと

薩摩の政治工作は巧みだな

33 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 12:18:50
>>29
春だから

34 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 12:41:15
いくら薩摩の政治工作が巧でも、そんなに簡単に徳川幕府を裏切るもんかなあ
なんといっても天下を治めている徳川幕府だぞ
藤堂、井伊、稲葉は、何と天秤をかけたんだろう?


35 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 12:44:40
とっても勉強になります。
ついでに付け加えると、やはり兵器の差でしょうか。

36 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 12:47:29
そうだよな。リアルに考えるとそういう疑問だな。
薩摩の軍勢を目の前にした瞬間に、
ただならぬ恐怖と正当性を感じたんじゃないか。
世の中を引っくり返したぐらいだから、
薩摩に後光がさしてたかもな

37 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 15:26:51
>>17
大島・・圧倒的戦力差のある幕府海軍を夜襲で逃走させ、大島奪回に貢献。
小倉・・富士山丸駆逐で制海権奪取。情報戦で総攻撃前日に渡航奇襲。

あれほど圧倒的戦力差のある相手に甚大な被害を与えられる人物は稀有

38 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 16:36:27
戊辰戦争の時は幕府とはいわない。幕府は滅亡していて徳川家は諸侯の盟主じゃなくなっている

39 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 17:37:35
藤堂にしろ井伊にしろ幕府が頼みとしていた連中があっさり寝返ったってことは鳥羽伏見の時点で既に幕府の求心力が殆どなくなってた証拠だね。
幕府は260年くらい保ってるわけだが、いつ崩壊してもおかしくないほどに矛盾が蓄積していたんだろうな。

40 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:37:22
>>37
大島で夜襲は出来たが、幕府海軍に損害は与えていません。
また、高杉は奇襲の後その足で下関に帰ったので、
大島の長州軍の支援など行っていません。
小倉でも富士山丸は最初から最後まで無傷です。
老中小笠原が小倉から逃げ出すときに乗って帰ってしまったので、
小倉方面から姿を消しただけですが。

41 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:42:08
単に慶喜に戦う意志が無かっただけ
それ以上でもなければそれ以下でもない

42 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:56:35
参加した藩の藩主達や藩士も戦意はなかった。みんながいやいやながらの出兵。長州や方々で参加した脱藩浪士は基地外並にやる気があった。

43 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 21:21:25
>>33
確かにw

44 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 21:57:05
でも何で2次長征のときの幕府は、圧倒的な海軍力にモノを言わせて、艦砲射撃主体で行かなかったんだろう?
4カ国連合艦隊に軍艦をほとんど沈められた長州には、けっこう有効な攻撃手段だと思うんだけど。

下関は日本全体の経済をダメにしちゃう恐れがあるから除外するとしても、
萩城とか、海から攻められたらホントどうしようもないと思うんだが。

45 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:06:34
>>44
長州軍が最も恐れたのがそれでした。軍議でも激論しており、
小倉戦勝の最初の時も高杉晋作が警戒して渡海の決断を渋っていた時期もあった。
結局の所、下関に上陸されると困るので渡海作戦を行ってます。
爆軍の渡海用舟艇を焼き討ちしたら、さっさと下関に帰ったのは幕府海軍を警戒してのこと。
幕府型の小倉藩も幕府海軍が動いていないと苦情を出しています。
でも、なぜ積極的に動かなかったのかは私も知らないです。
芸州口では、ボッコボコに艦砲射撃やってます。

46 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:08:55
スミマセン。誤字だらけでした。
小倉戦勝× 小倉戦争○
爆軍× 幕軍○
幕府型× 幕府方○


47 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:14:27
幕府海軍の操船技術がダメダメだったんすよ。
江戸から函館までの戦争で失った艦船のうち、実際の海戦で失ったのはたったの二隻。
残りはだいたいが座礁だとか漂流だとか、戦争以外のことで失ってる。

48 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:17:08
司馬遼太郎の小説では九条総督を奉戴して松島まで押し出してきた長州の下郎あがりの
世羅修蔵という参謀があまりにも無礼だったため、伊達陸奥守配下が殺害し、
薩長の暴慢ぶりに隣藩上杉弾正大弼斉憲も不安を覚えて会津擁護に走ったと言うが、
薩長はどうして碌な人材を東北鎮撫のために派遣できなかったのか。

49 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:20:09
上級武士がトンズラこいたから負けた 戦意まるでなし
忠誠心がウリで徳川300年の碌を食んでいたのが忠誠心まるでなし
今の時代の高級官僚とまったく同じ
下級武士は新撰組をはじめ、戦意はあったが指揮官がトンズラしては
戦にならなかった 鉄砲、大砲主体の戦いだから新撰組などの活躍の場も
なかった

50 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:32:14
東北人が世良修蔵を悪し様に罵るのはわからんでもないが
会津に対して強硬姿勢を崩さなかった総督府中枢にも責めはあるはず。
世良は言わば生贄やね

51 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:37:26
>>48
無礼でも何でも正規の使節殺したらアカンがな。

52 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:55:33
何でも世羅が遊女と同衾中に突如夜襲をかけられ、仙台藩の陣屋に連行され、
殺害され、挙句罪人同然に渠首されたというからもはや完璧な宣戦布告だわな。


53 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:59:41
>>48
列藩が会津に同情的姿勢だったうえに仙台あたりは根拠も無く薩長より格上ぶってたわけで
敢えて傍若無人で相手の神経を逆撫でしそうな人間を選んだのかも。


54 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:10:39
内容の無い長文を書き散らすとか女並みの脳しか持ってないな

頑張れ頑張れもっと書きこめw

55 :日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:42:37
>>44
萩城は海にも城壁がある。それに当時の艦砲射撃はそれほど効果はない。
とくに幕府の艦船ではね。
四ヶ国艦隊、総勢17隻、260門に耐えた長州には威圧の効果すらない。

56 :日本@名無史さん:2005/03/23(水) 15:31:50
東北人の意識はあまりにも時代遅れだったからなぁ
彼らは、真性のド田舎者の集まり
だから、中央で何が起こっているのか理解出来る
頭がまるで無かった


57 :日本@名無史さん:2005/03/24(木) 16:55:31
>>48
東北には碌な大名家があると思っていなかったから、世良クラスでもちょっと上回れるレベル
だと思っていたから。
そして蓋を開けてみれば、まさにその通りだった。(w

58 :日本@名無史さん:2005/03/31(木) 01:33:41
戦意とかも当然あるだろうがやはり指揮官の差でしょ。
高杉晋作と大村益次郎相手では荷が重すぎた・・・。

あとは軽装備と銃装備が主戦でそれを使いこなしたってのが大きい。


59 :日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:48:57 ?
河井の策を取り入れていたら勝っていた。

60 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 14:18:21
無理

61 :日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:50:20
>>59
彼は奥羽越の家老級では図抜けた存在だが、それでも世良以下のレベル。だから勝てる
わけがない。

62 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 22:56:18
何といっても”玉”を取られたのが大きいかな。
んで、当時の近代戦争を経験していたのが薩長だけで、戦意も装備も戦略も違いすぎていた。
数の上では徳川連合軍が上だったけど、烏合の衆だったみたいだし。
それを理解していた徳川慶喜が大政奉還をし、天皇に恭順の意を示した時点で
戦いは終わり。あとは長岡・函館を除けば維新のセレモニーみたいなもの。
会津は、ホント割に合わない役割を薩長に押し付けられたと思うよ。

63 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 00:24:47
元は越前の松平君が必死になって京都守護職を押しつけたんじゃ
なかったっけか

64 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 10:48:30
ウン。最初は家臣の反対もあって逃げてたようだったけど。
それにしても、所司代は家格的にダメだってんで、守護職という新しい役職をつくったんでしょ。
いくら将軍直属っても、この幕府側の感覚じゃ最初から勝ち目なし。

65 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 21:39:51
>>22
会津が恨んでいたのは薩摩だそうです。
理由は、途中で裏切ったから。
長州は最初から敵対していたので恨みなし。
開戦後のことも、武運ということで恨みなし。
でも数年前、会津若松と鹿児島の間で手打ち式が
行われているので、めでたしめでたし。

66 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 23:27:09
あのさ、四国連合艦隊にやられたとき、
英軍に、村人が何人も虐殺された村が、山口辺りにあるという
話を知っている人は、教えて下さい。


67 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:17:31
数カ所の村を諸外国連合軍に占領されているけど虐殺はなかった。
村人達は全員避難済み。

68 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 09:27:41
というか、いくら英軍でも山口市の辺りまで攻め込むのはちょっと無理っぽい。

69 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 12:36:27
虐殺暴行をしたのは、四境戦争時の幕府海軍で、場所は周防大島。

>>65
裏切ったのは会津。禁門の変以降協調政策を続けていた薩摩に対し、
会津は秋月などの折衝担当者を召還し、敵視政策を行った。
これが薩摩と長州の接近の始まり。裏切ったのは会津。
中村彰彦あたりの嘘を信じるのがダメ。

70 :黒衣の僧正:2005/05/02(月) 23:24:31
根本的には水戸学が問題ありでしょ。
士気が物をいうから、例え人数多くても勝てない戦なんか多いでしょ。関ヶ原の秀忠なんかいい例でそ?三万で二千に勝てないんだから。





71 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 02:24:48
幕府海軍が活躍してないのは・・・下関が要塞化してあって
射程距離内に入りたくなかっただけ。諸藩の軍艦も同じ。
軍艦は、ものすっごく高価だったので被害を受けそうな場所に
置きたくなかったわけ。大島で高杉に奇襲された幕府艦隊が
さっさと逃げたのもそういうこと。あと長州海軍の実数を把握して
なかったってのもあったらしい。5隻+坂本なんだけどもっと
いると思われていた。連合国戦でやられた軍艦も引き上げて
復帰してるし。幕府側は、基本的に操鑑技術の問題もあって
それほど活躍していない。船員の育成や砲撃訓練すら・・・。

というかもってる軍艦をフルに実戦に使ったのは長州ぐらい
だよ。出し惜しみしないだけでこうも違う。

72 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 02:10:15
戊辰以前に長州征伐ひとつできないのがもうダメだな
本気でやれば大坂の陣状態になるわけだろ

73 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 16:31:10
実際は、資金不足でどこも兵を送りたくなかったらしい。
行ってるけど戦闘してないってのは、戦闘で被害が出たら
さらに金がかかるから・・・

74 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 01:19:44
人員の輸送コスト、輜重兵站のコストなど負担、ロジスティックの不備などが
幕府の弱点となった。なまじ人数をかけたために出費が増加。新撰組で有名な浪士隊は
ただ警備名目なのに博徒などまでが参入してたという。京に残留した新撰組が、活躍したのは
たまたまであって幕府は、諸事大仰になって人的資源も集中できなかった。

75 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 03:00:34
>>65
それは慶喜ではないかと。
慶喜曰く、長州は最初かあら最後まで敵だったが、
終始一貫しているし、怨みはない。
だが、薩摩は、、、という言葉を残しているとか。

76 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 20:22:15
会津は誇れるものが何も無いから幕府を持ち出す
そのうち会津を幕府と同一視するようになる

77 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 19:25:50
戦犯になりたくないから誰も戦わなかった

78 :大野道犬:2005/06/05(日) 20:07:19
先般というか朝敵ね

79 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 11:12:15
下関彦島は大阪城の四倍の広さで 井戸あり山あり田畑あるから、容易に落ちない!小倉藩は長州藩士と顔見知りいたし 最初から建前的に幕府側と戦ったフシもある

80 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 11:15:25
最初から建前的に幕府側と戦ったフシがある→× 最初から建前的に幕府側として戦ったフシがある→○

81 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 11:25:36
大村益次郎は今で言う心理学に精通してたから、要塞籠城しても勝てた。屁垂れは会津。あんな山や峠だらけの立地条件を生かしたら、楠木流兵法でも使えば会津は勝てた筈。会津は大村並みの軍師がいなかったんだな

82 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 11:30:33
大村なら心理学はおろか楠木流兵法・イギリス兵理論・栄養学(豆腐を大量に貯蔵)を学んでそうだから 長州が要塞籠城しても勝てる。会津は下関以上の天然要塞なのにあっさり負けたのは軍師不足

83 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 13:20:00
会津側の戦略は、そう間違ってはいない。自領ではなく他領へ
進出し、戦禍を拡大することで他を巻き込んで遅延戦闘を行い
自陣営へ荷担させる。北陸などでは、それがうまくいったようだ。
だがそれは戦線の拡大であり、補給線の長大化を招き防衛線が
異常に薄くなってはいた。だが戦線を縮小することは、敗北主義に
取られ事実、(補給的に無謀な)宇都宮後詰めを断念した
指揮官は更迭されたという。この戦略は、戦線を維持できず突破
された時点で破綻するのだが・・・官軍の一翼を担っていた土佐軍の
急進撃で一気に本拠地の防衛ラインが崩壊。補給線を分断された
会津軍は、組織的な戦闘が出来ず自領の民家を敵に使われないよう
に焼き討ちしたり、各地で接収行為を行って評判を落とした。


84 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 19:11:18
東北人は大東亜戦争でも同じ過ちを犯し、日本は多大な損害を蒙った

85 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:37:15
金がないと戦争は、できないんだよ。
幕府は、金がなかった。実際にはあったんだが、幕臣の
給与を払う方に使ってしまった。だから金を最初から貰えない連中
ばかりが脱走してずるずると負け続けることになる。補給がないから。
(宇都宮城を幕府側の脱走兵が陥とした時は、真っ先に銭倉を
襲撃し、その分捕り金で乱痴気騒ぎを起こして顰蹙を買ってる。)

もっとも幕臣への支払いに使わなかった小栗は、結局讒言で
殺される羽目になったので幕臣にとっては、巨大な兵器や造船所
よりも目先の支払いが重要だった。なにも幕府に限らず巨大化、
官僚化した組織では、組織の肥大化でかえってなにもできなくなる
弊害が発生する。

86 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:43:25
まてーい!。幕臣の給料を払ったから金がないというのは納得いかん。
幕府歩兵隊を作るとき、幕臣の給料を絞りまくっているし、
扶持や禄を減らすといった事を行って幕府の財政建て直しをやっていたはずだぞ。

87 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:54:24
自分の名前を言ってから敵に向かっていくような古い戦いしたからだろうな。相手は近代兵器を持っていて幕府軍も持っていたけどちゃんとした指揮官がいなかったし、兵器をちゃんと使えなかった それが敗因だよ 幕府は要するに雑魚

88 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 21:28:10
それやったから小栗は、殺されることになる。無謀なことに6割カット(すでに実質5割カットしてる状態で)
やって幕臣の怒りを買いまくった。財政健全化目的(人件費がやはり異様に高いから)だが、一方で
巨大プロジェクトや艦隊(高価で技術者しか役職に就けない)で財政出費を行いバランスシートは結局の
ところ回復していない。小栗の後任者は、そんな路線について行けず、人件費を戻している。予備費は
枯渇し、歩兵隊増員で人件費はさらに増大。禄ではなく給金方式で現金払いだったためにさらに現金保有
率が低下。最後は、幕臣優先で給与の前払い(実際は遅滞分)を行って不平を抑えてるが焼け石に水。
非効率な官僚組織は、リストラもできず(したら小栗の二の舞)、財政健全化どころか出費増大で財政破綻。

89 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 05:41:22
>>65
会津の人は長州藩に恨み持っているらしいよ。
>>69
旧薩摩藩主島津家が、会津の松平家まで出向いて謝罪しに来るのが、筋というものだ。

90 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 07:04:49
秋月を使っていれば・・・

91 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:47:06
あんな財政状況でも大奥の経費削減できなかったんだって・・・
慶喜でも無理だった

92 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 20:00:03
ほんとに、何で秋月を飛ばしたんだろうね。
秋月左遷後に、会津は薩摩と敵対し、結果として薩摩は長州との同盟に舵を切る。
全ては会津の責任。

93 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:06:36
>>91
つーか、慶喜は大奥へ2回ぐらいしか行ってないんじゃねーっけ。
将軍就任した時と鳥羽伏見で負けて恭順工作を和宮に依頼するとき。
父の烈公さんが「大奥潰せ〜」宣言してたから、ペリー来る以前から大奥では嫌われ者だし。

94 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:23:06
>>91
慶喜は大奥の予算を5〜6万両ぐらい圧縮しているが。


95 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:50:25
>>94

いつの話?ご教示きぼん

96 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:29:33
万両単位なのか・・・あの時勢に

97 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:37:13
洋銃購入に軍艦購入。
お雇い外国人教師の法外な給料と新規雇いの歩兵達への給料。
その上、小栗の無駄遣いが重なる。

98 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:43:49
金のないやつ〜は俺んとこへこ〜い♪。
俺もないけど心配すんな〜♪。

99 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:01:32
バラバラだったのね

100 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 13:49:30
100get

101 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:58:01
長州力

102 :尊王:2005/07/03(日) 13:59:17
幕府が敗北した最大の理由は錦の御旗!! 徳川慶喜は水戸家の出身。水戸家は尊王攘夷。幕府と朝廷に争いが起きた時は朝廷の味方をすると教えられてきた。
徳川慶喜も朝廷には逆らえなかった。

103 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 14:26:23
みーんな小栗が悪いのさ

104 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 04:12:04
>>103
勝伯爵乙。

105 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 12:06:33
歴史の流れから見て幕府が勝っていたとは到底思えないんだが。

106 :薩長は朝敵:2005/07/04(月) 17:32:41
西郷の野望が孝明天皇を毒殺し幼い明治天皇を手中に収め岩倉が錦の御旗を偽造して幕府を崩壊させた。
明らかに薩長は賊軍!!

107 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 18:18:24
>>106 それが事実なら、帝を守れないで幼帝まで奪われた幕府は糞以下だなw

108 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:03:28
だから昔から言うじゃん、勝てば官軍ってね。

109 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:06:51
その言葉は・・・

110 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:03:20
>108
まーぁ便利な負け惜しみだね。「勝てば官軍」って。
本当他藩の介入を許した幕府は不甲斐無ねぇや。

111 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:22:48
>>106
討幕の密勅は大政奉還でご破算になってます。
その後の錦の御旗は、朝廷会議を経て正式に出たものですが?。

112 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:33:44
>>111
そうですが何か?

113 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:46:36
挑発行為に乗ってしまった小栗が、庄内藩に命じて薩邸の焼き討ち。
それを聞き、妙に意気があがり、討薩を主張する家臣を抑えきれず暴発状態。
まさか戦闘になるとは思わず(戦力差で相手が逃げると思った)行軍隊形のままで、
戦闘隊形をとっていなかった幕軍?は薩長の攻撃にうろたえるばかり。
この時(一月三日)の両軍の装備でいえば、幕府歩兵隊、伝習隊などは
薩長を上回る装備・火力だったのので、3倍の兵力差で負けた
(初日は錦旗は出ていない)のは、やはり、指揮官の差でしょう。
蛇足ですが、一月六日の戦いでは、世良修三の率いていた長州第六中隊が、
幕軍陣地突破(男山)の大手柄をあげ、幕軍撤退の主因となっています。

114 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 14:18:00
そういえば幕府歩兵隊の吉原襲撃なんて事件もあった。

115 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:49:39
幕府歩兵は、上官とか撃ち殺してるだろ。

116 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 06:58:35
街角では暴れ者だった幕府歩兵隊だが戦場においては天狗党相手に夜襲を食らって
死傷者を大量に出し小便ちびって逃げ出すレベルだった。

117 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:57:54
夜襲って敵の数が分からないから怖いんすよ。

とりあえず逃げるのが正解。

多いんなら不利な所にいるのは危険。

少ないんなら追ってこないでしょ。

118 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:15:30
>>117
夜襲されるような警戒がなってない部隊ってこと。

119 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:20:45
戊辰戦争時には幕府は無かっただろ。

120 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:05:44
旅券の菊の紋章は廃して葵の御紋にしろ!

121 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:21:17
そういえば、在日の人が
「俺の祖先は明治政府に一族皆殺しにされて完全に消滅した徳川家だ!!」
って言ってた。

そんな皆殺しって、半島じゃないんだからありません。

122 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:26:34
いや、突っ込むべきところはそこじゃないと思う

123 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 10:52:21
葵は違うよな。

124 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 11:32:51
>>116 名将・大鳥圭介が「旗本なんかよりDQNを集めろ」と
言ったんだからしょうがないよね。

>>116の言ってる事がまんまDQNの生態なわけだし(w

125 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 12:52:29
江戸時代の旗本が役立たずでDQNの方が役に立つという事実が発覚しまつた。

126 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:11:15
>>125
ならば、現代の公務員が役立たずでニート・ヒキの方が役に立つと言う仮説も成立し得る。

127 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:04:13
ニトヒキを有効に率いる才能があればノ話だろう。
役立たずと言いながら使えるノは事実だ。

つまりトップの差なのだろう。

128 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:24:37
葵の御紋を旅券に使って良いのは越後のちりめん問屋の隠居・光衛門さんだけだ。


129 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:02:30
幕府軍がアパッチ攻撃ヘリを5機くらい導入し、
正式採用銃がM16かAK47だったら…

130 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:09:29
>>129
黒船撃沈できるわ

131 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:25:27
燃料も弾薬も無いのに?

132 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:26:25
そういう前提なのか?ただの鉄くずじゃねーか

133 :129ですが:2005/07/28(木) 18:59:44
>>131
そうゆう不粋なツッコミは無しにしましょうや。
そもそもアパッチやM16も無い時代なんですから。

んじゃ、もし幕府軍にGPS携帯が2台あったら勝てましたかねぇ?
(使用できる前提で)

134 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:00:09
無線機10台の方が。それなら戊辰戦争になる前に片つけられたんじゃね?

135 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 11:13:08
モノがあっても使わなかった旧幕軍ですから
何を取り揃えても意味なしおちゃん

136 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 00:37:58
戦国自衛隊が幕末だと微妙だな・・・

137 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:20:12
>>136
でも、ドンゴリがいる限り薩長軍の勝利は動かない。
会津・庄内・米沢は、白河や越後で薩長と戦う前に仙台を襲うべきだったんだ。

138 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:17:54
お金があるかどうかだよ。

139 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:31:16
葵のパスポート作って7時のニュースに顔晒すやつまだぁ?

140 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:17:48
通常の藩なら戦費調達も無理。

141 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:54:25
榎本艦隊で鹿児島と山口を火の海に

142 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:35:11
操艦能力が低いから無理だろう。北海道でも戦う前に座礁で数隻沈んだ。

143 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:24:36
旗艦でさえ座礁で沈めているしな
いずれにせよ、あの時期の艦船は
近代戦艦への過渡期な代物ばかりか

144 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:33:29
五稜郭見てきたが、ありゃ脆杉。
当時の西洋式最新築城技術らしいが、新しいものが全て良いという訳ではない好例。
熊本城のほうがよっぽど堅いな。

145 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:55:14
>>144
最新技術とは名ばかりで、体裁だけで作ったお役所仕事の最たるものだって司馬遼太郎氏が言ってたよ。

146 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:56:58
防衛陣の方が分散するよな。

147 :dhcp-ubr2-0836.csf.ne.jp:2005/08/21(日) 17:30:43
.

148 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:18:21
松前藩って・・・

149 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:25:35
>>144
近代戦においては大砲の標的にならないよう要塞の建物全体を低くする必要がある。

天守閣なんてもっての他では。

150 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:29:20
幕府は薩長にイタリア人を大量に送り込めばよかったのだ。
ヘタリアパワーを持ってすれば、薩長などイチコロ。

151 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:05:43
もし、幕府海軍に
イージス艦こんごうが紛れ込んでいたら

152 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:37:59
コンゴウしかなくて燃料無いからただの浮き砲台。
食いもんもないから1週間も近寄らないでおけばいつのまにか無力化。
てか人もいないのでただの置物。

153 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 06:13:32
>>149
天守閣除いた土台、縄張りでも熊本城のほうが上。
五稜郭は予算不足で工事未了のため防御に致命的な
欠陥があった。それに対して熊本城は薩摩軍の総攻撃
の直前に原因不明の出火で消失しているがその後の包
囲攻撃に良く耐え、遂に陥落しなかった。

154 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 01:24:42
五稜郭は当初築城されたときの想定されていた砲の威力が小さすぎた。
いざ戦闘になるとすでに飛躍的に射程が発達していたから海上から砲艦で直接砲撃されてなすすべが無かった。
技術があっても要塞としては失敗作だろう。
せめて配置がもう少し内陸にあれば立て篭もれたと思う。

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