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無礼討ちにした場合、そのままにしておくと

1 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 02:37:05
無礼討ちにした場合、そのままにしておくと100%罪になった。
当然のことだが、届出をしなくてはならない。
(普通は自分の上司。例えば、旗本であれば大目付。『近世編1』の監察機構参照)
 斬られた側を管轄する役所(町人なら町奉行所、
農民なら勘定奉行所になる。)も取り調べに参加する。
で、被害者側・加害者側双方の言い分を聞き、「これは誰が見ても切られた方が悪い。」
というような事態であったかどうかを吟味する。
 武士たるもの、「軽々しく怒ってはならなかった」し、
「弱いものをいたわり憐れまねばならかった」から、
相手が子どもや老人であった場合はさらに基準は厳しくなった。
この点に関しては『新日本史B』の、武士は「為政者としての道徳性をきびしく要求された。」
という記述の通りである。
 そして、「何も斬らんでもええじゃないか。」ということになったら、
まず改易、切腹。よくても蟄居は免れなかった。
 まだ、続きがある。「なるほど、これは武士として斬らねばならなかった。」
ということになっても、次がある。
それは斬る際に「武士として恥ずかしい行為(士道不覚悟)」がなかったか否かである。
 我慢に我慢を重ねた上で、「斬らねばならぬ」と決心するや、一刀のもとに素晴らしく斬ったか。
ためらったり、興奮して刀を振り回したり、
剣技が未熟なためにいたずらに苦痛を与えたりすることなく、
見事な刀さばきであったかが問われる。これが出来ていないと、やっぱり切腹となった。
(しかしこんなこと、本当に出来る奴いたのか!?『剣客商売』か?)
 かといって、町人になめられたと言って訴えたりしたら、これまた「士道不覚悟」となった。
こうなるともう「何もなかった」ことにして、じっと我慢するほうが無難だということになる。
意外に日本人の「ことなかれ主義」の原因は、こんなところにもあるのかもしれない。


2 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 02:37:47
ある藩の参勤交代の途中、いわゆる大名行列を子どもが横切った。
当然「無礼者」となるが、切り捨てたりはしない。その子は連れていかれるわけである。
そして、村役人が、その大名が泊まっている旅籠(『近世編5』の交通・通信参照)へ出向き、
丁寧にお詫びをして「よくよく申し聞かせますから」と子どもを引き取るという段取り
・・・のはずであった。
 ところが、村役人の方も「どうせ殺せっこない。」とタカをくくっていて、
極めて横柄な態度であった。その余りの無礼さに、とうとう行列を横切られた大名側は、
その子どもを切ってしまった。
 戻った村役人は、そのことを藩に訴えた。領民を殺されたことを知った藩主は激怒した。
そして、その大名が自分の領国内を通過することを拒否した。
さらに周辺の藩にも協力を求めた。大名にも近所付き合いはある。
加害者側の大名は、迂回路をとることも出来ず、参勤交代が出来ない事態に追い込まれてしまった。
 この事件は、追い詰められた加害者側の大名が、正式に謝罪することで決着した。
 大名が農民の子どもを一人殺してもこの状態である。
江戸時代は、時代劇が描くほど命の軽い、殺伐とした時代ではない。



3 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 02:57:12
なんで見たか忘れたけど武士たる者、無礼な事された時にはキレて刀振り回すぐらいじゃないと
いざ事があった時に役に立たないから駄目、みたいな話もあったな。
難しい時代だったんだね。

4 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 03:14:15
どうでもいいが1からいきなり長文だと誰も読まないよ

5 :万年救護大本尊の朴蓮:2005/03/27(日) 03:24:59
波田陽区に是非読ませてあげたいスレだな。

6 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 03:27:24
勉強になりました。

7 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 03:29:28
>>2って誰?

8 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 11:56:34
■串カツは串カツや!串揚げとちゃいまっせ
http://www.tourism.city.osaka.jp/ja/taberu/taberu_data/tabe_data08.html HPサーチ HPサーチ HPサーチ
戦後の荒波の中に登場した串カツは、「トンカツよりもっと食べやすいものを」と研究された末に生み出された庶民派メニューだと言われている。
大阪での呼称は"串カツ"が一般的だが、東京では"串揚げ"と呼ばれることが多いのではないだろうか。
傾向としては、やや上品系のお店で、レモン、醤油、タルタルソース、塩、山椒などで、「さぁ召し上がれ」と出されるのが串揚げのイメージ。
バーベキューのような銀串に刺してあることが多くて、牛のみならず、豚肉やシーフードなどを使うことも多い。
もちろん、こうした串揚げのお店は、大阪にも多いが、ながきにわたって庶民から愛されてきたのはフレンドリーでカジュアルな串カツ屋である。
串カツの基本形は、竹串に刺した牛肉を揚げたもの。「兄ちゃん、串カツ!」と客がひと声かけると、サッと揚げたてが出てくるのが大阪における一般的なパターンだ。
今回ご登場いただいたジャンジャン横丁の『八重勝』でも、牛肉の串カツ以外の揚げ物は、すべてアラカルトと言い切ってしまう明快さだ。
いまでは、観光客も多く訪れるほどの大阪名物になったとはいえ、「串カツは串カツや!ややこしいこといわんと、まあウマイもんでも食べてって!」という庶民派の創業精神がいまも脈々と息づいている。
大阪を代表する有名店『八重勝』から、浪花の偉大な名物料理のひとつ、串カツの魅力を徹底レポートしてみた--。





9 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:25:56
近藤富蔵のエピソードを思い出した。
農民を数人斬り殺し、非は農民側にあったのだが、
遠島になり60年間も八丈島で過ごし、明治時代になって
やっと許されたという。

10 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:31:39
そのままにしとくと腐るからな。
ちゃんと届け出て火葬してもらう。

これが基本。

11 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 13:08:38
東京で大災害が起きたら日本経済が大打撃を受けるのに、東京一極集中を是正しないのは愚の骨頂。

12 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 13:41:20
微妙に違うぜ
状況を裏付ける第三者の証人が必須。
二人きりの状況で相手を殺して無礼討ちを主張しても
認められずに只の殺人罪。

13 :日本@名無史さん:2005/03/27(日) 18:58:19
■串カツは串カツや!串揚げとちゃいまっせ
http://www.tourism.city.osaka.jp/ja/taberu/taberu_data/tabe_data08.html HPサーチ
戦後の荒波の中に登場した串カツは、「トンカツよりもっと食べやすいものを」と研究された末に生み出された庶民派メニューだと言われている。
大阪での呼称は"串カツ"が一般的だが、東京では"串揚げ"と呼ばれることが多いのではないだろうか。
傾向としては、やや上品系のお店で、レモン、醤油、タルタルソース、塩、山椒などで、「さぁ召し上がれ」と出されるのが串揚げのイメージ。
バーベキューのような銀串に刺してあることが多くて、牛のみならず、豚肉やシーフードなどを使うことも多い。
もちろん、こうした串揚げのお店は、大阪にも多いが、ながきにわたって庶民から愛されてきたのはフレンドリーでカジュアルな串カツ屋である。
串カツの基本形は、竹串に刺した牛肉を揚げたもの。「兄ちゃん、串カツ!」と客がひと声かけると、サッと揚げたてが出てくるのが大阪における一般的なパターンだ。
今回ご登場いただいたジャンジャン横丁の『八重勝』でも、牛肉の串カツ以外の揚げ物は、すべてアラカルトと言い切ってしまう明快さだ。
いまでは、観光客も多く訪れるほどの大阪名物になったとはいえ、「串カツは串カツや!ややこしいこといわんと、まあウマイもんでも食べてって!」という庶民派の創業精神がいまも脈々と息づいている。
大阪を代表する有名店『八重勝』から、浪花の偉大な名物料理のひとつ、串カツの魅力を徹底レポートしてみた--。



14 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 10:08:13
白骨の章

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身をうけたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、われや先、人や先、今日とも知らず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり。
さればあしたには紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷族あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべきことならねばとて野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。


15 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:46:21
白骨の章

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身をうけたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、われや先、人や先、今日とも知らず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり。
さればあしたには紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷族あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべきことならねばとて野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。


16 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 18:11:51
これは、個人レベルだけでなく、公の場でもそれを「よし」とする風潮に移って行きます。
例えば、水戸藩の支藩(守山藩)での通達を見ますと・・・
江戸初期には「共割れ」(大名行列に横合いから割込みがあって列が切れる事)があったら、
割込んできた相手が武士(例えば他の大名行列)であろうと町人であろうと、
また、どちらに原因があろうとかまわず斬り捨てよ、と命じていましたが、
17世紀中頃には、よく話し合って、
こちらが悪い場合や、しかるべき理由がある場合
(どうしても大事な用事があった、など)はそのまま行かせよ、となり、
18世紀初頭には、ついに、何があっても気にするな、
たとえ列が三つ四つに切れてもかまわないから相手を通し、
相手が怒ってきたら、身分にも、どっちが悪いかにも関係なく、あやまってしまえ、
さらには、たとえ殴られても蹴られても我慢するのが立派な奉公である、となります。
つまり、「常に武士道の鑑であらねばならぬ」という建前と、
「実際、そんな立派な生き方(特に実力)が出来るやつがいるか?」
という本音の境目で、現実化してきたのが、
(殴られても蹴られても我慢して、何も無かった事にすれば、
武士道の発露としての鮮やかな行動は必要とされないので)
「本当はちゃんとできるんだけど、別に何事もないからそういう行動をとらないだけだもんね」
という、実にいじましい処世術だったわけです。

もちろん、そうではない武士もいましたが、
記録を見る限りでは、特に江戸中期以降は、
上記のような武士が多数派を占めていたようです。

17 :日本@名無史さん:2005/03/28(月) 18:21:31
ジャズ大名

南北戦争が終り、解放された黒人奴隷のジョーは、バーモント近くの激戦地跡で弟サム、従兄ルイ、叔父ボブの3人に出会った。
彼らはニューオリンズから船に乗り、故郷のアフリカへ帰るため楽隊でもやって船賃を稼ごうと、ジョーが中心になって演奏を始めた。
ボブのクラリネット、ルイのコルネット、サムの太鼓、ジョーのトロンボーンと、繰り返し演奏するうち、曲は軽快にジャズらしくなり、4人は夢中になって来た。
4カ月たち、メキシコ商人にだまされた4人は、香港行の船の中だった。ある日、ボブが鳴らなくなったクラリネットを前に、病気で死んだ。
ある大嵐のなか、三人はボートで船から逃げ出した。彼らのボートは、駿河湾の庵原藩に打ち上げられた。
庵原藩の藩主、海郷亮勝は大の音楽好きで、家老の目を盗んではふところから篳篥を出して吹いている。彼には女らしい文子と、少年のように勇しい松枝という二人の妹がいた。
ジョーたち三人は医師、玄斉のところに運び込まれる。亮勝は彼らたちにひとめ会いたいと願うが、家老の石出九郎左衛門は許してくれない。
江戸幕府からは、黒人の処分は亮勝に任せるとの命令が入った。亮勝は城の地下座敷牢にジョーたちを入れる。江戸から世継ぎ誕生の知らせが来た。
亮勝は喜ぶが、松枝のひと言でそれが不義の子だとわかる。監督不行届を恥じた九郎左衛門は、切腹をすると騒ぎだす。亮勝は切腹と交換にジョーたちと会うことにした。
鈴川門之助を通訳に、亮勝はここに流れつくまでの話を聞いた。そして、サムが桶をひっくり返して、火鉢の火箸で叩き始め、ルイがコルネット、ジョーがトロンボーンとジャズ演奏を始める。
亮勝はボブのクラリネットを直し、吹き始めた。格子戸を外した座敷牢は、一転、ステージに変わった。ジョーたちの演奏に、城中のものが鼓と横笛、算盤、薩摩琵琶、琴、鍋、釜、桶、三味線などで加わり、大ジャム・セッションが始まった。
その上を、江戸に向かう討幕派、彼らと敵対する幕府の兵、百姓一揆たちが駆けぬける。亮勝が彼らのために城を開通させたのだ。やがて夜が明け、新政府軍、殿銃隊が朝もやの中に消えて行った。
時は、明治元年!


18 :日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:53:26
東京は、まあ あかん 汚れとる とろくさい病気が流行っとる
これからのパフォーマーは、名・古・屋ーが主役ー♪

さて世間じゃ名古屋を馬鹿にするけどよ 信長も秀吉も名古屋だでよ
隠れてるとか隔離しろとかコケにするけどよ パスポート無くても入れるでよ♪
名古屋人は貯金が好きだけどよ 経済に明るい証拠だでよ ホダヨ♪
つるまい公園に集まってよ いきなりやったろみゃーかオリンピック♪

なーごーやーはー ええよー コアラがおるがねー♪
なーごーやーは ええよー 道が広いがね やっとかめ
味ー噌煮込みー えびフライー あわゆき うーいーろー
ユーニモール サカエチカー 女子大小ー路ー
ゴー!ゴー!なーごやー!未来の首都なーごやー♪
待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るでよー

大阪も まあ あかん。終わっとるたるくさい 食い倒れとる
こーれかーらのイニシアチブは、な・ご・やーにキマリー♪

さて私たち名古屋人が怒ったらよ 新幹線を名古屋で止めてまうでよ
遅れるとか古いとかたわけにするけどよ 人情に厚いしるしだでよ♪
名古屋人は何をやっても才能あるでね 最初にタコを食べたのもン名古屋人だでね たぶん♪
シャチホコの背中にまーたがってーよー まあいっぺんやったろみゃーか関ヶ原♪

なーごーやーはーええてー メルサがあるがねー♪
なーごーやーがーええてー みーんなーが優しいがねー やっとかめー はいー
カキツバタ つゆぐもりー パチンコ駄菓子ー ドーラゴンズ テレビ塔ー ぎーんのはーしーらー♪
ゴー!ゴー!なーごやー 未来の首都なーごやー
待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るがねー♪


19 :日本@名無史さん:2005/04/15(金) 10:58:20
 色々と勉強になるな。時代劇の時代考証に慣れている現代人からしたら受け入れ難い
話かもしれんが、家名を汚す事をなにより恐れる武士からしたら自らの過失でないトラブルでも
未然に謝って保身を図ろうとするのは当然だわな。そう考えるとまだ今のサラリーマンのほうが
家名に縛られる事がないぶんストレスが少ないかも知れん。
 武士はくわねど高楊枝は当時の武士の気分をよく表せているな。

 下級武士はそこに経済的困窮が加わる分一層救われない思いを抱いていたのかも知れん。
勤皇思想に拠り所を求め幕末に爆発し維新の原動力になったのも故なきことではないな。

20 :日本@名無史さん:2005/04/17(日) 11:49:52
明治人の俸給
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J022.htm HPサーチ
野口英世
  明治30年 順天堂病院助手、食事つき月俸2円、後3円。
  明治31年、伝染病研究所見習助手、月俸12円、後13円、さらに15円。
  明治32年、横浜海港検疫所検疫医、月俸35円。
  明治32年、清国の牛荘(ニュウチャン)でのペスト防疫班に加わる。任期6ケ月、月俸200両(テール)。任期後もしばらく、ロシア衛生隊の依頼で滞在、月俸300両。
  明治33年、ペンシルバニア大学フレキスナー教授の私設助手、月俸8ドル(1ドル=2円)。
  明治34年、ペンシルバニア大学研究助手、月俸25ドル。
  明治35年、同大学病理学助手、月俸50ドル。
  明治37年、ロックフェラー研究所アシスタント(一等助手)、年俸1800ドル。
  大正3年、同研究所メンバー(正員)、年俸5000ドル。



21 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 23:32:59
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