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鳥居強衛門と晋の解揚

1 :R:慶長410年,2005/04/02(土) 20:49:36
長篠城の鳥居強衛門は指物の絵柄になるほど知られていますが、
楚の荘王が宋を攻めた時にも同じような話が残っているようです。
鳥居は逆磔で死にましたが、楚の荘王は一応名君といわれた程の人物だったためか、解揚は死なずに済んだようです。
時代的には解揚の方がはるかに昔ですが、鳥居がまるっきり架空の人物とも思えません。(指物も現存してるし。)
偶然の一致か、どちらかの意図的な捏造か、ご存知の方はいらっしゃいますか?

2 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 22:00:44
河辺臣瓊缶は軍事のことをよく知らず、同じように白旗を揚げて進んだ。
すると新羅の将軍は「将軍河辺臣は今降伏した」と言って、軍を進め鋭く撃破した。
前鋒の被害が大変多かった。
倭国造手彦(てひこ)は、もはや救い難いことを知って軍を捨てて逃げた。
新羅の闘将は、手に矛をとって追いかけ、城の堀に追いつめ矛を放った。
手彦は騎馬に鞭打ち、城の堀を飛び越え、やっとの事で身を脱した。
闘将は城の縁に立って悔しがり、遠ざかる敵の影を臨み嘆いて「ああ無念」と言った。

河辺臣は軍を退却させ、野中に陣を敷いた。
このとき、兵卒達は蔑意を表し、従う気持ちが薄れていた。
闘将は率先して陣中を襲い、河辺臣瓊缶らと、同行の婦女を悉く生け捕りにした。
こうなると親子夫婦でも庇い合うゆとりもなくなった。
闘将は河辺臣に言った。
闘将> 自分の命と婦とどちらを惜しむか。
河辺臣瓊缶> 何故一人の婦を惜しんで禍を取ろうか。何と言っても命に過ぎるものはない。
闘将は妾とすることを許した。闘将は人目をはばからずその女を犯した。婦は後に帰ってきた。河辺臣はそばに行き話しかけようとした。婦人は恥恨んで応じようとせず言った。
婦人> あなたは軽々しくも私を売り渡しました。今、何の面目あってまた逢おうとするのですか。
そして、ついに従わなかった。この婦人は坂本臣の娘で甘美姫(うましひめ)といった。
同じ時に捕虜にされた調吉士伊企儺(つきのきしいきな)は、人となりが猛烈で最後まで降伏しなかった。
新羅の闘将は、刀を抜いて斬ろうとした。無理に袴を脱がせて、尻を丸出しにし、日本の方へ向けさせて大声で
「日本の大将、我が尻を喰らえ」と言わせようとした。すると「新羅の王、我が尻を喰らえ」と叫んだ。
攻めさいなまれても前のごとく叫んだ。そして殺された。

3 :日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 22:14:16
それにしても・・・
日本の正史である日本書紀にまでレイプ事件が記述されてるチョンは凄え

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