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◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART17

1 :マタ〜リいこう!:2005/04/25(月) 17:05:24
邪馬台国や狗奴国はどこ? 大和朝廷との関係は??
西日本に統一政権はあったか? 統一されたのはいつか??
どのような過程を経てそれらが進行していったのか??

倭人伝の信憑性や如何に? 記紀はどこまで真実を伝えているのか??
最新の発掘状況と最新の資料解釈を元に、古代王権の正体を推理する!!

根拠を明記した意見交換・情報提供・問題提起で活発に議論しよう!!

また〜り1000を目指しましょう!

前スレ:
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/

2 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 18:42:07
にGET

3 :圭角:2005/04/25(月) 19:13:39
まずは、本家様に敬意を表して自らの見解を当初より明らかにして、謹んで
パート17の初めに書き込ませていただく栄に浴する感謝に代えさせていた
だきたく御礼申し上げます。
邪馬台国は北部九州。狗奴国は熊本県。邪馬台国と大和朝廷は関係なし。
邪馬台国の時代に西日本に統一政権は無し。西日本の統一というよりも
大和政権への服属は三世紀後半から四世紀初頭。倭人伝の信憑性は外交記事
においてはとくに明らかといってよし。統一の進行過程は、鉄器東漸による
大和国の興隆拡大が主因主点。
かく記す所以は、圭角と名乗る私に対して皆さんの便宜を図るためです。

4 :圭角:2005/04/25(月) 19:27:42
大和の西日本統一服属への進行過程
食料経済論者氏の説のとおり、大和盆地の地勢の特色は、大和川の支流細流が格別
に多いことであります。よって、当地がいわゆる稲作好適地であったことは明らか。
稲作生産力の高さは、人口と兵力数と経済力に当然に比例相関するとして自然。又、
大和の地は、台風直撃の頻度も低いとしてよい。さすれば、備蓄し得た米穀の量も
多として可。まして翌年の種籾に腐心することも無し。台風直激経験者なら容易に
理解していただけるものと期待。



5 :圭角:2005/04/25(月) 19:35:23
大和政権を誕生せしめた別の背景要因が鉄器東漸。
鉄器東漸の契機となったのが、248年とされている卑弥呼の死。
陳寿の記事によると、周知のとおりの争乱が起こり、千人以上が死亡。
さすれば、その数倍する難民の発生並びに流出は必然。
彼らが、北部九州の故地を捨て流入したのが瀬戸内と近畿。

6 :圭角:2005/04/25(月) 19:41:17
その根拠理由は、森浩一氏や寺沢薫氏指摘の考古学上の北部九州の衰退。
難民の行く先は、いわゆる食える国もしくは地域。南には行かなかったのは
相攻撃の状にある狗奴国があり、当然。
食える国もしくは地域とは、いわゆる稲作好適地。

7 :圭角:2005/04/25(月) 19:48:29
瀬戸内に船で浮かんだ難民の携行したモノは。
鏡も玉もあったろうが、農具の刃先に用いるべく鉄器もあったはず。
数千人もの難民が、皆一様に鉄器を携え瀬戸内を東に移動する。
これが、鉄器東漸のひとつの態様。漁労に慣れた彼らが瀬戸内の海で飢える
はずなし。比較的に楽な難民の移住だったと想定。

8 :圭角:2005/04/25(月) 19:59:59
さてもうひとつの鉄器東漸は、壱岐対馬及び宗像の介在による鉄器交易。
むろん、瀬戸内近畿への。ともかく、卑弥呼が死んで壱岐対馬は喜んだ。
卑弥呼の死後の混乱争乱で大倭の監督も無くなり、一大卒の権威も低落。
つまり自由に鉄器の交易商売ができる。それよりなにより、鉄器の価格
交換価値が急騰した。理由は説明するまでもない。諸国は隣国の侵攻に備え
なければならない。自ら船を仕立てて半島に渡海して、弁辰の鉄を求める
余裕がなくなった。鉄の供給を壱岐対馬に乞うしかない。
一方、壱岐対馬と九州は玄海灘が隔てている。まちがっても、争いに巻き込
まれることはない。

9 :圭角:2005/04/25(月) 20:08:08
争乱で疲弊していく九州諸国に対し、壱岐対馬はあえて鉄器は売らぬように
なった。疲弊した九州よりも食料生産力の高い地域、すなわち、近畿や大和
に対して売り、儲けるは交易の鉄則。
経済史観は非常に重要かつ有要。なれど、学会においてすら欠落。
食料経済論者さんの着眼点はまさに正鵠を射ていると感服。

10 :圭角:2005/04/25(月) 20:18:51
鉄器東漸の意義
食料経済力が三世紀後半から、近畿が九州を凌駕。経済の倭の中心土地が
近畿に遷移しただけ。鉄器も自然と遷移した。ちなみに、考古学では
鏡を副葬する九州の風習が近畿に遷移したと、森浩一氏の発言あり。
よって、大和が瀬戸内を西進して、西日本を統一したというより服属させた
のは、四世紀初頭から前半。根拠は、七支刀の銘文と好太王碑文。
しかししかし、やはりやはり、
四世紀は、空白の四世紀と形容するが相応しい。

11 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:56:13
邪馬台国が九州北部なら投馬国は何処になるのでしょう。
倭人は刺青をしていたそうなので、邪馬台国はまだ南方系海洋民の世界で、
卑弥呼は沖縄ノロ的シャーマンだったのではないのでしょうか。
邪馬台国と狗奴国の争いの後、北方騎馬民族(辰王・神武天皇、本名は沸流・布留)
が進撃して大和朝廷を造ったと。
大和朝廷は辰王の物部氏への入り婿王朝とも。

12 :元祖プラム:2005/04/25(月) 21:26:11
>>3-11圭角さん>2のプラムです。

一つ聞きたいことが?
『火の君』族の扱いはどうしますか
筑紫の磐井が登場する以前から北部九州に唾を付けてきているみたいですが?

13 :元祖プラム:2005/04/26(火) 00:32:50
>>8 圭角さん

>諸国が自ら船を仕立てて半島に渡海して鉄を求める
>>今まで邪馬壹國に半島ルートを押さえられていて、それが解除されたとしても
急に船を仕立てて半島までの航海など可能だったのですか?

>難民が畿内の肥沃な土地に移動

>>そんなに簡単に移動出来るの

14 :食料経済論者?:2005/04/26(火) 01:34:30
>10 >13
四世紀初頭には、もう一つ重要なポイントがありますね。
高句麗の南下による楽浪郡の滅亡です。
これにより海峡交易に関与していた大きな統制力も滅亡したものと思われるます。
もっとも、壱岐・対島や玄海灘沿岸地域での楽浪商人の活動がすぐに消滅したわけでは無いのですが、
鉄や希少資源の交易ルートにかなりの影響が生じたことは、間違いないでしょう。
予想される変化は、在地勢力の台頭です。
例えば、この後、瀬戸内最深部である河内まで進出していた三韓系土器が、
瀬戸内海から駆逐される(やや極論)ような事象もあります。
前代から続いていた九州の地盤沈下は、この時点で決定的になったものと思われます。

15 :日本@名無史さん:2005/04/26(火) 03:46:07
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16 :圭角:2005/04/26(火) 08:53:51
投馬国の位置に関しての根拠確証はもちません。
刺青は、文身の意と存じますが、文身の俗は山東半島起源の殷の民俗の影響を受け
もしくは倭人の祖が殷とも考えられます。ちなみに、周は文身の風習はなかったそうです。
これ、碩学の白川静先生の受け売りで恐縮です。
騎馬民族説への展開は、しばし置かせてください。

17 :圭角:2005/04/26(火) 09:05:44
火の君は、狗奴国の末裔と私は解釈しています。いわゆる熊本の肥の君だと
思います。
鉄器の半島ルートを邪馬台国のみが押さえていたとは思えません。
広島大学考古学研究室の鉄器総覧の弥生時代の県別の出土数分布を見ると
海に面した諸国であるなら、それぞれに船を仕立てて、渡海して弁辰の鉄を
求め得たと解して合理的だと思います。現に狗奴国熊本県の出土数は福岡に
迫る勢いです。
それに加えて、当時の邪馬台国に鉄を専売制としたまでの強権が存したとは
とても思えないからです。

18 :圭角:2005/04/26(火) 09:18:27
プラムさんの、そんなに簡単に移動できるのかについて
陳寿の東夷伝の記事が参考になると存じます。
繰り返しての説明で恐縮ですが、秦の始皇帝の労役を逃れて朝鮮半島へ移住
した人々、陳勝呉広の乱での避難民の朝鮮半島への移住した人々のことが記
してありますので、念のため読んで下さい。
北部九州の難民の場合は、彼らのように陸路の悪路を踏破した移住ではなく
漁労に長じた彼らが、瀬戸内の海で飢えることもなく、波風穏やかな日より
を選んで沿岸部を移住したのです。畿内に貨泉を持ち込み交易した中国商人
の例を出すまでもなく、しばしば友人の船に乗る私の実感です。


19 :圭角:2005/04/26(火) 09:32:57
楽浪郡帯方郡の崩壊は、非常に重要なことと同意します。冒頭に書くべき処
失念いたしておりました。私も、高句麗兵からの捕縛斬首を逃れた二郡の 
人々はまずは馬韓へと落ち、さらには倭国へと渡来した多数の人たちが居た
と考えられます。彼らの祖地へ帰ろうにも、高句麗さらには中原に鮮卑らが
乱入していましたから、山東半島へ渡海帰還できなかった人々は多かったと
思います。後日の急速な百済の勃興にもつながった一因でしょう。
さて、倭国に来たその彼らは、いわば高等知識技術保有難民です。いわゆる
経済力食料生産力のある地域に流入したはずです。政治的なことは、はるか
後方のことになるのは当然です。まずは食えなくてはなりません。
彼らの大和政権の勢力拡大への寄与は大きかったはずです。

20 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 12:29:00
動いてる?

21 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 13:45:33
>>19
楽浪郡が313年に滅亡したというのは現代人からみてそうだったという話で、
リアルタイムの感覚ではある時に突然高句麗領になったというものじゃないよ。
まず313年より以前にも高句麗は何度か楽浪郡を陥落させて略奪したりしてるが
一時的な駐留で去っている。313年より後でも、現地の有力な漢人は
晋の年号を使い晋の官位を帯びていた。そういうわけだから実際の記録としても
はっきりと313年に滅亡したとは晋書にも三国史記にもかいてない。

それと楽浪郡の中国人は遼東方面に千戸単位で移住していった人々がいた
ことは記録にある。遼東方面に逃げた組、馬韓方面に逃げた組、現地にとどまった組
がそれぞれいたと考えるべきだろう。現地にとどまった者が最も多かったとは思うが。

22 :圭角:2005/04/27(水) 15:48:40
21さんのいうとおり、むろん313年に突然に高句麗領土になったなどとは、勿論
申し上げてはおりません。
290年八王の乱
304年五胡乱入
313年楽浪郡滅亡
314年帯方郡滅亡
316年晋滅亡
上記程度の年次ならば、山川日本史高校教科書には書いてありますよ。三国史記や
晋書は存じませんが。
くわえて、八王の乱や五胡乱入に反応しないはずもないでしょう。
当時が現代のような情報化時代でなくとも。

23 :圭角:2005/04/27(水) 16:41:08
プラムさん、陳寿のワイ伝に次の記事があります。
勝らが放棄して天下が秦に叛いた時、燕、斉、趙の人々は、混乱を避けて朝鮮に
移住した。その数は一万人に達した。
ちなみに、後漢書では数万人と記しています。
無論どちらが正しいかは知りませんが。

24 :日本@名無史さん:2005/04/27(水) 17:07:02
また朝鮮人か!
いいかげんにしろ!

25 :圭角:2005/04/27(水) 19:10:57
24さん。
意味不明としか受け取り様がありません。

26 :元祖プラム:2005/04/27(水) 19:40:24
(大陸や半島の出来事)=(にほんの出来事)と、解釈するのは少し危険と思うが
陸続きの発想と島国の発想とでは少し違うと思う。

27 :圭角:2005/04/28(木) 08:04:41
イデオロギーをも配慮してまでの学問的討論は忌避します。これで消えます。

28 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 10:09:33
古代史には朝鮮という主体はほとんど登場しておらず、そうしたものをまぜこぜにする
のはおかしい。朝鮮半島という地域はわが国と大陸の橋のようなものであり、無視すると
古代史は語れない。朝鮮半島における民族移動は日本列島に波及する。さて、神武スレ
866 鴨禰宜 2005ではみ出して来るものがあるが、スレタイの制約上と、このスレノ切れ目
にいいタイミングがあるのでワープすることにしました。神武スレに引用したのは:
ご参考まで:
「スサノウノ尊の行いがひどかったので神々が天から追放した。このときスサノウノ尊
はその子の五十猛神を率いて、新羅の国に降りた。そこで「この国には私は居たくな
い」と不服を言って、船を作り東に渡り、出雲の国に到った。初め五十猛神が天降た
時に、たくさんの樹の種を持ってきたが、韓地には植えないで大八洲の国の中に播き
増やした。」続・神話に秘められた古代史
http://www14.plala.or.jp/nnakamur/new_page_2.htm
スサノオをその郷土から追放したのはその昔興安嶺の西側に
あった月支を駆逐した冒頓単于ではなかったかなーと思っている。
というのは楯築に残る巨石が石板墓文化(匈奴を生んでいる)、
三輪山の磐座がモンゴルに残る古トルコの墓とそっくりだからだ。
馬韓、投馬国というようにスサノオの足跡には馬が残る感じがあるが
特に投馬国の字はスサノオが天照の機織工房の屋根に古トルコの
葬礼風習同様に投げかけた馬の故事を陳寿が極めて忠実に書きとめた
と思われる節がある。




29 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 10:16:44
南下して馬韓月支国に到達した五十タケル、百サイ(50も100もの雑多な部族)を
率いる集団はさらにその雪だるまに徐福とか秦の亡民を含有し >>18 >>19にある
連中を雪だるま式に包含して日本列島に渡った。それはちょうど土居が浜の上陸
遺跡のような状態であったのだろう。

30 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 10:20:13
>>28

>朝鮮半島という地域はわが国と大陸の橋のようなものであり、無視すると古代史は語れない。

同意。

31 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 12:11:40
そりゃ中国も一緒。

半島が南成分を持つと電波とばされちゃ困る。釘付けにしとかな。

32 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 18:56:06
ナンカ、ヨウワカラヘン議論バカリヤナ。
カモネギ君ヨ。

33 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 19:04:09
だいたい、このスレの始まりをよう見てみいや。
記紀はどこまで真実を伝えてるかて書いてあるやないか。
ということは、このスレ作った人でさかい、記紀の信憑性は非常に低いて
いうてはるのや。
そんなことにも、気づかんと、よう書けて話せるわ。カモネギのオッサン。

34 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:10:33
それはないよ。インデアン、古代人嘘つかない。これほんと。

35 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 19:11:06
カモネギのオッサン。
誰が読んでもわかることを書きいな。オッサン、まったくわからへんで。
ダイタイ、何が言いたいのや。このドアホ。

36 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 19:14:16
>>32クンヨ
ヨクアルコトダガ
ニホンジンダケシカイナイカイギナノニ
ヤタラトヨコモジガトビカウカイギ、アレトオナジゲンショウダ
モウスコシワカリヤスイコトバデかきこスレバイイモノヲ

37 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:23:33
記紀の信憑性は極度に高い。これが読めない日本人はおかしい。

38 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:26:35
記紀は両論併記どころか、国会の速記録のようなもの。ドアホの発言まで記録している。


39 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 19:33:03
それでは何か?
日本列島は地殻変動で出来あがったのでは無いというのか

40 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 19:34:09
カモネギのオッサンよ。
もうちっと、わかりやすう、説明してくれへんか。
極度に高いトカ、読めない日本人はおかしいトカ、言わへんでナ。
よろしゅう頼むわ。俺も、おかしい日本人か。どや。
あんたの説明しだいやで。

41 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:38:04
先の人、君が子供にあれ以上上手に宇宙の始まりを説明できるか?
次の人、いい本はするめだよ。結局はそこに帰るんだよ。

42 :日本@名無史さん:2005/04/28(木) 19:43:50
カモネギのオッサンよ。
マスマス、あんたのいうこと、ようわからへんな。
もすこし、質問されても、答えかえせるような、カキコしてや。

43 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:57:37
んんん、要は現在の記紀の現代語訳はまだ完全でないんだなー。
君がちゃんとした本を作ってくれんか。まー、ビデオみたいなのでもいいがなー。

44 :本田:2005/04/28(木) 23:27:40
>>37 :鴨禰宜:2005/04/28(木) 19:23:33
> 記紀の信憑性は極度に高い。これが読めない日本人はおかしい。

記紀は神話集だ、歴史書ではない。
記紀についでの講釈は歴史スレッドではなく神話スレッドでどうぞ。


45 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 07:32:08
カもネギ、自分の41を読み返してみろ。
カモネギ自身が、記紀はあくまでも神話ということを自ら認めているぞ。
このスレ参加者はこどもか。
子供に記紀以上に上手に宇宙の始まりを説明できるか、などと言っている。
それに、カモネギ、偉そうに記紀に精通しているような言い草はやめろ。
カモネギこそ、不勉強だからこそ、記紀のビデオを見たいのだ。
子供相手の記紀の漫画本があることを教えてやる。

46 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 08:23:11
漫画はむりだ。DVDにしないとな。君がNHKでやらんか。

47 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 08:39:34
その前に、カモネギの浅識浅学の記紀のことでも書け。
そうすれば、カモネギも己自身を自己嫌悪すること、請合うゼ。
カモネギ自身が答えたことが答えになっていない事実は、みんなが見てるゼ。
恥さらしカモネギ君。

48 :鴨禰宜:2005/04/29(金) 08:50:47
漏れはROM、外野だよ。偉い人が書かない合間を利用してのさばってるだけさ。
だけどね、みな、なんだかのどにつっかえたような言い方をしてるもんだから遠慮
せずにやってるだけよ。君もいっぱいやれば面白そうな人間だな。

49 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 09:28:27
話題変えようよ。
東夷伝、少し読んでみた。
そしたらさ、陳寿さんは高句麗の悪口言ってる。ほんと罵ってる。どうして。
それにさ、高句麗はさ、ずいぶん北にあるみたい。倭からすごく遠いって感じ。
その高句麗がさ、中国と倭の文化のかけ橋になったってさスレあったじゃん。
僕、初心者だからさ、だれか教えてくんないかな。

50 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 11:25:49
応神天皇の祖先は北方騎馬民族である。
それが高句麗から朝鮮半島を南下して日本列島に入り、
日本を征服して騎馬民族の王朝をつくったのだ。



51 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 11:54:12
あのなあ。50の騎馬民族説者さん。
山島の日本、陳寿さんの記述でいうならば、草木繁茂し行くに前人が見えず、という
土地柄、地勢の倭において、北方騎馬民族の馬も兵士も、どうやったら、跳梁跋扈し
戦い活躍でき得るのか、考えたことはあるの。
江上波男さんの騎馬民族説が世に出てから、半世紀以上の時が過ぎてるのよ。
聞きかじり読みかじりをカキコするのは、いいけれど、騎馬民族説がたった三行とは
呆れたね。君自身にしても、自ら得心は実は行っていないんだろ。
君のスレが言外に明白にそれを示しているよ。もっと、勉強しな。

52 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 12:01:29
49の自称初心者殿へどなたかご教示あそばせば。
この人の質問は、核心確信がありそうで、オレ、おっかないよ。
檀君は、答えるべき義務あるんじゃない。ガンバレ、檀君。


53 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 12:54:57
この際だから、騎馬民族説者諸君に我輩の拙説を披露するよ。
中国や満州の平原ならともかく、倭人伝の記述にある通り、海中洲島の上に
絶在しあるいは絶えあるいは連なる日本列島を、騎馬民族が渡海してだな、
騎馬民族の兵士と馬が跳梁する様を、どうやったらば想像できるねん。
無理とチャウか。ウチ、説明して欲しいワ、ホンマ。渡海したかて、兵站は
どうするんや。いうとくけどな、後年のモンゴル帝国とはチャウでー。
スペインのピサロやコルテスみたいに鉄砲はナイでー。
月支国の辰王がていうたところで、なんになるかいな。
軍事の面でリアルな説明きかせてーな。
そこまで考えんと、騎馬民族いうてたらなさけないなー。

54 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 15:03:05
大陸から支配者が来たのではなく逆に日本から支配者が朝鮮に行った可能性が高い。

日本側の資料だけでなく中国や朝鮮側の資料でもそれは裏付けられており、動かしがたい事実だ。

それぞれ異なった人物によって書かれた歴史資料に同じ捏造や誤記があるとは考えられない。

やはり日本が朝鮮を支配していたと考えるのが自然だ。

具体的な歴史資料を見るとまず中国では「宋書倭国伝」で倭国王を「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王」としており、明確に日本が朝鮮を支配していることを認めている。

朝鮮側の資料でも「好太王の碑文」で「倭が百済や新羅を破り支配した」と明記している。

日本側の資料でも「古事記」や「日本書紀」で神功皇后が百済、新羅、高句麗を破ったことが記されている。

この神功皇后の記載についてはこれを捏造とする見方もあるようだが、根拠はない。

もし、これを捏造とするなら「好太王の碑文」に「高句麗が倭を破った」とあるのも捏造と考えるべきではないか。

高句麗としては「自分は負けけてない」といいたいだろうから、本当は負けていても「勝った」と書いた可能性がある。

同じく「宋書倭国伝」でも中国としては朝鮮は自分のものという意識があるから日本が百済や高句麗を支配していても意図的にそれを記載しなかった可能性がある。

55 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 15:05:37
「古事記」や「日本書紀」に繰り返し神武東進の話が出てくる。

これだけ執拗にでてくるのが全部捏造と考えるのは不自然だ。

そういう事実がなかったのなら読んだ人はすぐウソだとわかるからな。

やはり日本の中心勢力は九州から近畿へ移動したと考えた方が自然だな。


56 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 15:54:02
>>55
ふーん。
で、君の言うところの日本の中心勢力って、
九州の日向地方のことなんだね。

57 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:24:08
電波浴は肩こりによく効くな

58 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 18:42:27
54と55は何いっとるんじゃ。日本人が日本語しゃべっとるとは、とても思えへん。
51や52に対しての答えになってへん。要領よう答えてや。だらだらした長文じゃ
ええ大学も通らんがな。ハヨ返事してや。

59 :サガミハラハラ:2005/04/29(金) 20:15:28
54,55の見解にはわたしも賛成です。
中心は私は北部九州であると考えます。
日向は宮崎県ではなく、福岡の日向であると考えます。

60 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 20:50:22
>>58-59
>>51-52>>54-55も、どっちもそんなにひどい
間違いではないし、とくに矛盾もないと思うが?
51は騎馬民族征服説への否定、52と54は朝鮮電波への否定、55は東遷論。
(55の場合は東遷の時期をどう見積もるかでだいぶ話はかわるにせよ)



61 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 21:03:43
『旧唐書』日本国伝

日本國者倭國之別種也以其國在日邊故以日本爲名或曰倭國自惡其名不雅改爲日本
(日本国は倭国の別種なり。その国日辺に有るをもって日本国を名とす。或いは曰う。倭国自ら、その名雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。)

ここからが大事で、

或云日本舊小國併倭国之地
(或いは云う。日本は元小国。倭国の地を併せたり。)


 要するに倭国と日本国は別の国だと、はっきり疑う余地無くそう言っている。
しかも日本国はもともと小さな国だった。(近畿)天皇家が日本国。ところが
倭国のほうが本来の母の国だった。その倭国を併合した。当然白村江の戦いの
後です。
白村江の戦いは六二二・六二三年ですが。それから三十九年経って、
その戦いで負けた倭国を併合した。

ttp://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kouen2/j2kouen5.html

62 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:18:52
倭国自ら、その名雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。

63 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 23:15:00
記紀に、名前に「速」のつく神が多いのは、馬に乗って移動して来たからじゃないの。

64 :日本@名無史さん:2005/04/29(金) 23:45:40
>>59
>中心は私は北部九州であると考えます。
>日向は宮崎県ではなく、福岡の日向であると考えます。

記紀編纂者が生きていた頃は、少なくとも日向=宮崎と認識されていた
わけで。

65 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 04:14:46
伊都について、「世々王有り、皆な女王國に統屬す」の記述がある以上、
九州勢力が女王國=邪馬台国であった筈がない。
ていうか、伊都国王や奴国王以外に、九州の旗頭足りえる勢力があるのか、
と逆に問いたい。

マキムク遺跡の調査による繰り上がりで、考古学的にも九州説は破綻
しているのだが。

66 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 05:34:18
神武天皇の身分は卑しい小土豪の出だよ宮崎の。


67 :檀君:2005/04/30(土) 08:45:17
中古音と上古音の問題は非常に複雑であるが、声母で特に問題になるのは、
介母音の効果によって、上古音と中古音が著しく異なる音韻になった場合であろう。

たとえば、魏志倭人伝にも登場する「支」という文字である。
これは、現代の日本語の漢字音はで「し」となるため、
魏志倭人伝に登場する「一支国」は「いっしこく」と読まれてしまう。
しかし、上古音では、 kieg という発音であったことから、「き」と読める。

このような発音は、5,6世紀ごろにおいて、韓国で残されており、古韓音と呼ばれている。
埼玉県稲荷山古墳(5世紀末の古墳とされる)から、鉄剣が発見された。
ここには、銘文が施されていたが、ここに「獲加多支鹵大王」が登場する。
現在では、「ワカタケル大王」と読まれていて、雄略天皇(オホハツセのワカタケ天皇)を表し、
同時に宋書に現れる倭王武であろうということで大方見解が一致している。
ここで、「支」を「け」と読ませている。
しかし、5世紀ごろの中国語においては、この文字は tSie というような発音であって、
「き」とも「け」とも読まれない。
これを「け」と読むことができるのは、
朝鮮半島から渡来した人のみである。

68 :檀君:2005/04/30(土) 09:32:05
熊本の江田船山古墳と埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣に、
同じ「獲(加多支)鹵」の文字が見られることから、
同時期(辛亥年・471年頃)に、同じ大王が東西に君臨していたことを証明している。

よって、九州王朝説などという妄説はもはや成立しない。
ちなみに、江田船山古墳の蓋杯が朝鮮半島系であることは否定されていない。


69 ::2005/04/30(土) 09:41:08
>>65
大和説が正ならば、記紀に女王国の詳細の解説、記録があるはずだ。
それが無いということは、九州説が正であることを裏づけるのだよ。

70 :檀君:2005/04/30(土) 09:47:38
「いき(壱岐島)」を「一支国」と上古音で記した一派は、
その後、大陸の中古音の影響を受けることなく、
5世紀には東西を支配した。

「ワカタケル」の「ケ」を「支」の古韓音を用いて表記したのがその証拠である。

5世紀に東西を支配した国、つまり大和朝廷を築いたのは、
中国大陸の影響は受けず、朝鮮半島の古韓音を使う民族と同一文化圏の一派であったことは確実である。

朝鮮半島と同一文化圏であった北九州の邪馬台国は、
東征して大和朝廷となったのである。


71 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 09:59:42
>70

  ”「いき(壱岐島)」を「一支国」と上古音で記した一派

倭人伝に出てくるだけで、そう言う用字が倭人にあったかどうかはわからんだろうに・・・

72 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 11:02:03
記紀が真実ならば、かくなる論争は生じないはずだ。
69の太さんのいうとおりです。檀氏が神武東征を主張するために、しきりに
やたらと、古韓音などを持ち出しているが、まったく説得力がないと思う人は
私ばかりではないはず。一度、皆さんに聞いてごらんよ。
檀君、君は認めたくないだろうが、百済と新羅の成立年次は、教科書でさえも
ともに四世紀半ばと書いてある。
むろん、高句麗は前一世紀から成立していたが、大和政権の成立は四世紀と、
書いてある。内陸部北方の高句麗という地理位置と百済新羅の成立前の
馬韓と辰韓の陳寿さんの記事を読み返してごらんな。
それでも、朝鮮族の優位主張をするのかい。檀君さん。

73 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 11:08:37
大和政権誕生は四世紀初頭。
百済新羅の成立は四世紀半ば。
百済新羅は半世紀あと。
それに、四世紀半ばの高句麗は国王までも戦死する逆境。
わけのわからぬ韓音の解説もいいが
冷静に史実年次を見なよ。檀君。

74 :檀君:2005/04/30(土) 11:55:35
>>72
>百済と新羅の成立年次は、教科書でさえも ともに四世紀半ばと書いてある。

百済と新羅は、どこから沸いて出てきたと言うのか?
高句麗から分裂した国が、百済と新羅である。
紀元前、国の概念が希薄な頃から、高句麗の一族は、北九州まで勢力を伸ばし、
数の数え方、「数詞」を倭人に教えた。
当然、貿易のために共通語が必要だったためである。

北九州で栄えた高句麗の末裔が邪馬台国を建国し、
東征して大和朝廷になったのだ。
古韓音が、埼玉まで伝播しているのがその証拠である。


75 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:10:10
313年に高句麗は楽浪郡を滅ぼしたものの
339年に高句麗は鮮卑の慕容氏から痛撃され盟を乞うが
342年に慕容氏は高句麗を討ち丸都に入り高句麗王の父親の墓まで荒らす
高句麗王は遣使して父の屍を乞わねばならなかった。その屈辱後も攻撃され
345年には高句麗は不本意にも慕容氏に朝貢した。
371年には百済から攻撃を受けて、高句麗王故国原王を亡くす。
以上の歴史年次をどう見るかな、檀君。広開土王の即位はそれから二十年後。
つまりさあ、檀君、四世紀初頭から前半に大和政権は成立しているじゃない。
その四世紀に悲惨ともいえる逆境にあった高句麗がさ、どうしてさ、倭にさ
影響を及ぼしたりできるのよ。教えてチョウよ。

76 :檀君:2005/04/30(土) 12:16:58
>>75
>その四世紀に悲惨ともいえる逆境にあった高句麗がさ

高句麗の王族難民が日本に大挙して渡来したのだ。
そんなことは常識の範囲だろう。


77 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:17:53
74の檀君よ。
百済新羅が高句麗から分裂したなんかいうウソッパチ、ヨクいうよ。
呆れたよ。君の信用はこれで地に落ちた。恥ずかしくないのかい。
百済は高句麗との戦いで高句麗王の故国原王を殺害しているんだぜ。
デタラメいうにも程度ってもんがあるよ。恥じを知りなさい、恥じを。

78 :檀君:2005/04/30(土) 12:21:25
>>77

>百済新羅が高句麗から分裂したなんかいうウソッパチ、ヨクいうよ。

だったら、百済新羅は、どこから沸いて出てきたんだ?
日本か?中国か?それとも天から降ってきたのか?
教科書ばっかり信じてるから、常識的な考えが出来ないんだな?


79 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:24:19
檀君。苦しい言い訳は見苦しい限りだよ。
勃興した百済とトイメンの高句麗には、不可能でしょうが。
戦っている百済が倭との間にあるんだよ。
檀君は先天性地理音痴なんですか。

80 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:27:18
檀君。百済は馬韓。新羅は辰韓。
君が言う常識の範囲だよ。

81 :檀君:2005/04/30(土) 12:27:39
>>79

地理オンチは君。

朝鮮半島付け根に高句麗があり、海を隔てて倭国がある。
百済と新羅は、高句麗か倭国の民族が分裂して建国したと考えなければ、
百済と新羅は、いったい誰が建国したのか?

倭国でなければ、高句麗の一族が分裂して百済と新羅を建国したと、
小学生でもわかることだろう。


82 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:30:35
檀君は陳寿の東夷伝すらも、まともに読まずに知らずにいながら、あつかましく
このスレにいたのかい。こりゃこりゃこくりゃ、驚いたね。

83 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:33:39
檀君。小学生と君はいっしょだよ。
高校の歴史教科書くらい買いなおして読み直してごらんなさい。

84 :檀君:2005/04/30(土) 12:35:28
中国文献で高句麗と夫餘は同族とされる。

85 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:36:22
檀君の今までのスレはスレの無駄遣いと電波の浪費ということが、明白に
なってよかったね。も少し、勉強しなおして出直しなさいナ。

86 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:42:53
檀君のいう中国文献が陳寿の東夷伝でしょうが。
フヨと高句麗が同族で風習も似通っていると、フヨ伝や高句麗伝に記してある
くらい、このスレの参加者なら誰でも知ってるさ。
その程度のことが、私への反論根拠にはならんよ。冷静になって私のスレを
読み返してみなさい。

87 :檀君:2005/04/30(土) 12:44:15
>>85

百済と新羅が、高句麗にも日本にも中国にも属さない、
「天から降ってきた民族の国」だと信じてるのは君だけだよ。

88 :檀君:2005/04/30(土) 12:47:04
>>86
なんだ、もう敗北宣言か?
顔が真っ赤だぞ。

89 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:48:01
檀君の84は、いかにも君に余裕が無い感じを与えているよ。
檀君の勉強不足にかかわらぬ大言大説妄説をスレするから
こんなブザマナことになるんだよ。反省しなさい、檀君。

90 ::2005/04/30(土) 12:55:53
>>68
断じて九州王朝は妄説にあらず。その王朝の一時期の姿が邪馬壹国というものである。
江戸時代、京の朝廷と徳川幕府が並立していたように、畿内と九州が並立して存在
していたのが真なのである。日本は2本立てのそれが多い。

91 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:59:32
檀君にあえて、ひとつ、教示しとくよ。このスレ君と私の占有ではないから
88のようなカキコするのは君が君自身を貶めていることになるのだよ。
中国朝鮮は知らんがね、
日本の教科書には
三韓にわかれていた半島南部ではまもなく
辰韓の地には新羅、
馬韓の地には百済がおこった、と書いてある。失礼だけど読んだことあるの。
君のスレ読むとそれすら心配になるよ。

92 :檀君:2005/04/30(土) 13:11:38
「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので島君(せまきし)と言う。」
という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は斯麻王と言う。」とある。
「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。
島で生まれたから、斯麻王という名前が付けられたという。
各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある加唐島(かからじま)のこととされている。

武寧王は、わざわざ日本で生まれたのではない。
倭国と百済が同一文化圏だったことを示してるのだ。

93 :檀君:2005/04/30(土) 13:19:36
雄略天皇の御世、倭国と百済は同一文化圏であった。
そして、古韓音を用いていた勢力は埼玉まで広がっていたことを、
稲荷山古墳の鉄剣は物語っている。

この意味をもっとよく考えるべきだ。


94 :檀君:2005/04/30(土) 13:21:07
>>91のように、教科書を断片的にしか読めないやつは、
古代史の重要な事実をボロボロと見落とすことになるわけだ。

95 :檀君:2005/04/30(土) 13:27:33
百済の蓋鹵王(こうろおう)は人質として、その弟軍君(こにきし)を日本にさしだした。

雄略天皇とされる「獲加多支鹵大王」にも「鹵」の文字が使われている。
これは偶然ではなく、同一文化圏だからこそ使用された、王を表す漢字なのである。

96 :ダンクン:2005/04/30(土) 14:02:15
檀君の拠って立つところは三国史記とはね。檀君のネームからすれば当然だが。
ならば、三国史記の信憑性を大々的に議論検証からあらためて行うことを、
檀君に提案したいが、いかがだね。私は、檀君神話と記紀神話で以って、
おっと、失礼。まず、檀君から檀君神話と三国史記の信憑性が、いかに高いかを
全国の古代史好きの方々へ講義してくれ給え。
それでなくては、檀君、君の信頼性信憑性すらもなくなりますよ。注目してる。

97 :檀君:2005/04/30(土) 14:12:02
日本の天孫降臨神話は、日本オリジナルではなく、
朝鮮族の神話の借用ということをご存知の方は意外に少ないようです。

「檀君神話」といえば、思い当たる人もいるでしょう。

---------------------------------------------
お天道様(ハヌニム)(天帝)たる桓因(ハヌニム)に、桓雄という庶子がおりました。
この若者はいつも下界を眺めながら、そこに行ってみたいと考えておりました。
このことを知った桓因が下界の三危太伯(高い霊山)を見やりますと、
人間たちが「私たちを治めてくれる立派な王を遣わしてください」と天に祈っています。
うむ、下界はわれわれが富を授けるのにふさわしい世界だ。
そう思った桓因は、桓雄に地上への降臨を許しました。桓雄は父から三種の天符印(神器)を授かり、
三千人(とてもたくさん)のお供を引き連れて太伯山の頂にあった神壇樹の下に天下りました。
ここを神市(シンシ)と呼びます。

桓雄天王は、神壇樹のもとで、熊女(ウンニョ)と結婚して、檀君を生みました。
---------------------------------------------

どうです? 日本の天孫降臨神話とそっくりでしょう。
太伯山の頂の神市に天下りした桓雄天王=高千穂に天下りした神武のモデルなのです。



98 :檀君:2005/04/30(土) 14:16:07
日本書記(下) 宇治谷孟 講談社学術文庫

この極めて公平で一般的な資料本の「あとがき」にはこのようにある。

神武天皇の父、ウガヤフキアエズの語源は、
南部朝鮮の高度な文化国、上伽耶(ウカヤ)からきており、
伽耶にちなんだ地名は、日本に数え切れないほどある。
古代日本と朝鮮は、神武天皇以前から、親密な関係があったことを、
しっかり示唆している。

邪馬台国への中継地、狗邪(クヤ)韓国も、加耶(カヤ)が訛った地名でしょう。
下加耶(ウカヤ)には、ウガヤフキアエズのモデルとなった王がいたはずです。
便宜的にウガヤ朝といってもかまいません。

ウガヤ朝が北九州に進出し、筑紫に都を築いた。
これが邪馬台国であったろうと思われます。
ウガヤ朝は、天道神=アマテラスを祀っており、この巫女が卑弥呼です。
いまでも、太陽を「おてんとう様」と言います。
これは、朝鮮の太陽神の呼び名なのです。

その後、加耶は新羅に滅ぼされたため、日本と朝鮮は反目しあうようになります。
祖先が南朝鮮から渡ってきた歴史を忌み嫌い、
高千穂に天孫降臨したという神話を作り出したわけです。



99 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:18:23
三国史記の作者と成立年代を教えてください。

100 :檀君:2005/04/30(土) 14:19:52
韓国の古書「三国遺事」に、新羅の国から渡った人が、日本の王様になったという話がある。

延烏郎と、細烏女だ。

この時、新羅では太陽と月の光がなくなっていた。
天文観測師は「太陽と月の精がわが国に降りて在りましたが、
今は日本に去ってしまいました。
そのためにこのような異変が起きたのです」という。

古事記に「神武天皇のご東征に八咫烏が先導して、今天より八咫烏を遣せむ」と伝えています。
ttp://www.katori.cc/karasu/karasu-3/kodainosakata.htm

延烏郎・細烏女には、「烏」の字がついてるね?
そう、朝鮮では、烏を神様と崇めていたのさ。
これで、日本神話の構造に気がつかないようじゃダメだね。


101 :檀君:2005/04/30(土) 14:21:39
ここでまた面白いことを教えてあげよう。

スサノオは、本当は、「素盞鳴(すさのを)」って書くね?
古語辞典を引いてもらえばいいけど。

「を」の音を表す漢字には「烏」もある。
>>100のように、つまり、スサノヲもまた、渡来人の王の名前だった可能性があるんだ。

そして「を」の音を表す漢字には「呼」もあるんだよ。
「卑弥呼」の「呼」だね。
「ヒミコ」は「hi-mi-wo」に近い発音で、
渡来系の王を表す名前だったと考えられるね。

つまり、この例からも邪馬台国は畿内ではなく、
大陸と関係の深い北九州にあったと論証できるんだよ。


スサノオが、「烏」の名を持っていた証拠

素盞「烏」神社
ttp://kamnavi.fc2web.com/en/settu/katayama.htm

卑弥呼が「ヒミヲ」と読める証拠

ヲコト点=乎古止点(乎=呼)


102 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:23:09
朝鮮族てなにさ。朝鮮半島に居住していた人のことですか。

103 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:25:13
檀君さんは博学みたいだから、朝鮮族についても教えてください。
お願いします。

104 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:27:27
日本神話の構造とは何ですか。教えて欲しく思います。

105 :檀君:2005/04/30(土) 14:30:36
>>103
朝鮮が嫌なら、高句麗でもいいよ?
こちらは、広義で、朝鮮半島に生息していた人種のつもりで使ってるだけ。

ついでに、お味噌の起源も高句麗
ttp://www.koji-miso.com/ms_rekishi.html


106 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:30:38
神武天皇以前と檀君さんの説明ですが、神武天皇以前という時代年代は
西暦でいうと、いつごろのことですか。

107 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:32:43
天帝というのは中国がオリジナルではないかと考えますので、教えてください

108 :檀君:2005/04/30(土) 14:35:17
朝鮮半島からは、日本産の勾玉や縄文土器も出土してます。
また、朝鮮の土器は北九州でよく出土されます。

109 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:48:16
檀君の檀君神話こそが何か特別なものであるかのような印象を受けています。
中国にしろ日本にしろギリシャにしろローマにしろ、世界各地の神話には
人がこさえたものですから、似てる所は当然に多くあって当たり前です。
檀君神話ひとり他の神話と何がどう違うというのか、さっぱり、ですが。

110 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:54:47
三国遺事にかくかくしかじかという話があるとしても、つまり、どこそこに
話があったからといっても、普遍性というものは無く、単なる推量推測想像
の域を出ないような感想しか、もちえませんが。

111 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 15:05:37
広辞苑に拠れば、天帝とは仏教で帝釈天のこととされています。
するとつまり、高句麗の檀君は帝釈天なんですか。天帝は、天にあって宇宙
を主宰する神とも広辞苑に載っていました。
するとなんですか、ギリシャのゼウスとも同じになりますね。
檀君さん、檀君神話はギリシャ神話の影響を受けているんでしうか。

112 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 15:09:49
味噌の起源が高句麗として、邪馬台国が大和朝廷になったか否かの問題解決
において、いかなる影響を投げかけるかが、わかりません。

113 :ダンクン:2005/04/30(土) 15:18:16
檀君、皆さんからも貴重なご意見ご質問が出ているではありませんか。
檀君さんのお応え無くば、君がこれまで言ってきたこと並びに君の信憑性は
失墜してしまうよ。がんばればー、檀君。それともこれらの皆さんの質問に
対して白旗たてて逃亡するかい。そもそも、君の話は同じことの繰り返しが
多くて辟易していたよ。それではさようなら檀君。

114 :檀君:2005/04/30(土) 16:02:51
中国料理と聞いて、味噌を思い浮かべる人はあまりいないだろう。
味噌は和食の定番。その起源が高句麗にあるならば、食文化の起源は高句麗。

食文化というのは、ちょっと外国から入ってきたからって変わるわけではない。
第二次大戦後、洋食化が進んでも、日本人の家庭の味付けは味噌が定番。
それだけ、食文化というのは変化しないものだ。
ところが、日本全国に定着したその味噌は高句麗から伝わったものだ。

つまり、味噌を食していた高句麗からの大量移民があったという証拠なのだ。
先端技術を持った高句麗人は、神と崇められた。
高天原も、高御産霊神も、「高」の字が付いている。
大王・天皇の祖となったとしても不思議ではない。




115 :檀君:2005/04/30(土) 16:18:31
少なくとも、越や日本海側に見られる四隅突出型墳墓のルーツは、
高句麗と見てよさそうである。

ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumi.html

このような基礎知識も知らないで古代史を語っていたのか?

116 :檀君:2005/04/30(土) 16:28:00
初期前方後円墳の沢山ある纏向遺跡で、
三韓式でも楽浪式でもない産地の特定できない瓦質土器が発見された。
三韓式でも楽浪式でもないと言う事は高句麗式の可能性が大。
日本で瓦質土器が作られるようになったのは7世紀くらい。

つまり、古墳時代初期には、高句麗の職人が畿内に入植していたわけである。
このような事実をきちんと認識していましたか?

117 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 17:15:09
高句麗バカは、思いつきで書き込みしているみたいだから、
相手にしない方が良さそう。

118 :良識人:2005/04/30(土) 19:47:18
117さんに大賛成。
そもそも、檀君クンが重きを置く三国遺事や三国史記の成立年代の説明をしない訳は
次のとおり、彼自らに不都合だからなのです。
三国遺事
高麗の僧の一然、1206−1289の撰。
三国史記
高麗の仁宗の命で金富賦らが撰。1145年成る。朝鮮最古の現存史書。
つまり、つまり、檀君クンは日本に保元の乱が起こり武家政権が誕生しようとして
いた時期の朝鮮高麗の史書を基に、こんな話があるこんな話が三国遺事史記にある
として得手勝手な持論をぐだぐだ言っているに過ぎないことが判明する。
源頼朝や義経の頃に作られた朝鮮の史書を以って、我が日本の、邪馬台国は大和朝廷
になったのか、のスレにいわば不法侵入しているのだ。
右翼ならずとも、こんなのは国辱だ。高句麗バカを相手にして無益とはわかるが、
116の高句麗バカ、失せろ。

119 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:55:00
檀君さん。あなた、これだけ嫌われている理由をわかりますか。
高句麗バカとまで連呼されている事実は真摯に受け止めるべきです。
ここは、あなたにも開放されている場ですが、みんなみんな、あなたの
カキコを迷惑しているのです。繰り返し繰り返し何度重ねて、味噌の話を
したらあなたの気が済むのか、不思議です。一度、精神科にて診療を受け
られることを本気でお勧めします。

120 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 20:13:11
檀君古記は戦犯学者、黒板勝美が焼却処分したんじゃないの。

121 :檀君:2005/04/30(土) 20:32:21
>>119
>一度、精神科にて診療を受けられることを本気でお勧めします。

ワロス

朝鮮と聞いて反射的にヒステリー起こしてるおまえこそ精神科で診てもらえば?
>>67-68の事実関係について考察する知能も無いくせに。


朝鮮からの文化流入によって、北九州が栄え、邪馬台国が興り、
畿内の大和朝廷に繋がっていったことは明白な事実だよ。




122 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 20:52:04
>>121
いや、高句麗が古代日本に与えた影響を否定するものではないが、
殊更その部分のみを拡大解釈するのはどうだろうか、
と言っているわけだよ。

まあ、それはいいとして、

>北九州が栄え、邪馬台国が興り、畿内の大和朝廷に繋がっていった
あたりの解釈を、どうぞ書いてみて下さい。

123 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 04:59:01
>>67-68
「支」の字は推古遺文では「ケ」に当てている例があるから
それ以前の時代に「ケ」に当てた可能性はあるだろうな。

5世紀の中国語の発音とちがうというが、万葉仮名には呉音・百済音・倭音・古音(古倭音)
などいろいろな時代の音を混用している。これは朝鮮語の漢字音も特定の時代の中国語でなく
いろいろな時代の中国語が混在しているのと似たような事情。

そもそも5世紀の中国語の発音からは「ケ」でありえないといいながら
なんで半島からの渡来人なら「ケ」でいいって話になるのか理論の筋がわからないのだが?

124 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 05:04:06
>>87
百済人も高句麗人も、自分らの先祖は天から降りてきたと信じていたようだが?三国史記によると。

125 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 05:07:07
>>98
フレームアップはよせ。
「上伽耶=ウカヤ、下伽耶=アラカラ」説は言語的にむり。
宇治谷はそういう説もあると紹介しているだけ。しかも後書きで雑談してるだけだ。
もしその説を評価してるなら本文の中で紹介したろうよ。

126 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 05:07:57
>>105
そのサイトでは「日本の味噌と似ても似つかぬ」とあるがなw

127 :檀君:2005/05/01(日) 08:09:07
味噌が高句麗伝来という話は、「所さんの目がテン!(4/24)」からの引用です。
ttp://homepage1.nifty.com/sagi/megaten.html

ちなみに、番組中に誤りがあった場合、次週に訂正コメントが入りますが、
訂正はありませんでした。
よって、味噌高句麗伝来説は実証されているものと考えるべきでです。

128 :檀君:2005/05/01(日) 08:28:46
味噌の原料である豆についてまず調べてみよう。
豆の原産地は満州南部で、満州の南部は本来貊族の発祥地で、
高句麗の古い地であるので、豆の原産地は韓国になる。
満州だけでなく、朝鮮半島内の全地域で豆の野生種と中間種が多く発見されており、
豆の原産地が韓国であることを改めて確認させてくれる。
またこうした豆の栽培は多くの文献と考古学的資料、
遺伝学的考証などを通じて4000年前に既に豆を栽培していたことが分かる。

ttp://www.sauce.or.kr/jpn/sybnpst/story/story_menu01.php


味噌の由来について見てみると、隣国である中国にも伝来し、
中国人は高句麗人に発酵食品をうまく作るといって
韓国の味噌の匂いを「高麗臭」と呼んだという。

ttp://www.sauce.or.kr/jpn/sybnpst/story/story_menu02.php


日本に「ジャン」の製造法が伝わったのは、高句麗時代です。
朝鮮では昔、「ジャン」のことを「ミルチョ」と呼んでいました。
それが日本に渡り、「ミソ」になったというわけです。

ttp://www.nagorea.com/menu3.html


味噌は高句麗起源じゃないと思ってる人は、
豆と豆の栽培法は日本に伝わったが、味噌の造り方は伝わらず、
日本で独自に豆を発酵させるというアイデアを発見し、
朝鮮語由来の「ミソ」という名前を付けたと言うのか?

嫌韓に染まってると、視野が狭くなるだけで、
議論になった時に無知を晒すだけだという、いい証明だな。

129 :檀君:2005/05/01(日) 09:05:57
日本語の数詞と、高句麗語の数詞は一致する。
数詞は、品物の勘定するために必要であり、経済とは切り離せないので、
古代日本の経済は、高句麗人主導で支配されていたことを意味するのだ。

高句麗語の数詞は神聖視されていた。
その証拠が「ひふみよいむなやここのたりや…」という布瑠の言に現れている。
高句麗語を話す高句麗人が、神聖視されていたということ。

ここまで、高句麗と関係した事実を明らかにすれば、
筑紫(つくし)という日本語では意味不明の地名の語源が、
高句麗の祖地、ツングース(通古斯)だったと言っても納得出来るだろう。

高句麗の祖=南方系ツングース族=扶余系諸族=倭人の祖なのである。

130 :檀君:2005/05/01(日) 09:32:45
筑紫にあった邪馬台国が、奈良に遷都して大和朝廷になった。
甘木と、奈良の地名の一致は、大規模な人の移動があったことを示している。

筑紫は高句麗人によって開拓された土地なのだから、
邪馬台国も高句麗人の末裔であり、大和朝廷も高句麗人の末裔。
経済(数詞)・食文化(味噌)・王墓(キトラ古墳)すべてが、
古代倭国と、高句麗との密接な関係を証明している。

「宋書倭国伝」の書き出しでは、
「倭国は高句麗の東南の大海中にある」と記されている。
倭国と高句麗の繋がりは、宋でも認識されていたことなのである。

邪馬台国=倭国=大和朝廷という図式がここに見られる。



131 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 09:44:19
ツングースのツンは豚(トン)じゃなかったですか。

132 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:09:36
檀君は、やはり板違いだよなあ。
部分的に正しい事例は、それなりに提示してくれてるのに
根本のところで現在の朝鮮民族の元になった種族を一緒にしちまうから
どうしても、検証が荒くなる。

具体的な反論に対しては思想的な反発しか帰ってきそうも無いので相手にするきにならん。
結局、言いたいことも朝鮮民族は倭人より偉かったってことなんだろうし・・・・

133 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:30:42
あのなあ。檀君さんよ。
高句麗バカの檀君さんよ。
朝鮮はなあ、大陸文化の倭への伝来の経由地に過ぎないんだ。
それにさあ、12世紀に書かれた三国史記、三国遺事でもって三世紀の邪馬台国を
語るなんか、無茶苦茶。早く一刻も早く、精神科に行けば。
君のいるべき所は、2ちゃんねるではなくて、精神病院の病室なんだよ。
あ、そうか。解った。わかった。おまえ、病院からスレしてるんだ。

134 :檀君:2005/05/01(日) 10:47:30
>>132
また、勝手に敗北宣言かよ。

>結局、言いたいことも朝鮮民族は倭人より偉かったってことなんだろうし・・・・
しかも、勝手に人の論旨をねじまげようとしている。
「邪馬台国は大和朝廷になったのか」というスレタイに沿って、論証している。

答えはイエスだ。
理由は、東北を除く日本の西日本一帯に、王族にも庶民にも、高句麗の影響が見られるからだ。
朝鮮半島との窓口、北九州にあった邪馬台国が、
西日本を支配していた証拠である。

反論が出来るなら反論してもらって構わないし、議論も深まるというもの。

邪馬台国≠大和朝廷なら、大和朝廷の経営基盤は朝鮮との繋がりを排除しなければならない。
朝鮮との繋がりなしに、畿内で大和朝廷が台頭し、邪馬台国を滅亡させたとでも言うのだろうか?


135 :檀君:2005/05/01(日) 11:03:29
>>133

朝鮮の影響を認めるのは嫌で、大陸の影響ならOKなのか?
すると、高句麗は朝鮮だと思ってるのだな?


中国は、「高句麗は中国の歴史の一部」と主張しているのを知らないのか?
それとも中国の見解に反発する朝鮮人ですかおまえは?ワラ


136 :傍観者ですが:2005/05/01(日) 11:37:39
韓国の歴史認識では高句麗と百済と新羅の起源についてはどうなっているのですか?
高句麗から百済と新羅が分裂したというのは韓国側の歴史では通説なんですか?


137 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 11:40:47
高句麗バカの檀君よ、このスレは所ジョージの味噌の話をするスレではないよ。
やっぱり、誰が見ても、君の精神状態は異常だよ。君のご家族はご心配だろう。

138 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:23:04
>檀君
君が大和朝廷の成立について真摯な議論がしたいのなら
まず、枕詞のように「朝鮮の影響を認めるのは嫌で」とか書くのは無駄だからやめよう。
ただの罵倒だけのレスはスルーしたまえ。

そして、一番重要なことだが、君の使う用語の定義が他のスレ参加者と大きく違うものが多い。
多少文章が冗重にならざるを得ないが、的確な説明をした上で用語を使ってくれ。

ここには、朝鮮半島と日本列島の間に何の関係も無かったと思う人間はいない。
そういったところに気をつけて、先ずは誉田や大山古墳を築いた勢力と邪馬台国の関係などを
説明してほしい。

139 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:27:20
>>127
間違いを放送して訂正しないTV番組なんていくらでもある。
つーか所ジョージの番組が学説ソースになると正気で思っていることが痛い。

>>128
大豆の原産地は中国だが、中国のどこかは諸説ある。韓国が原産地なんてのは
いつもの「ウリナラ起源」だろw これをみれ↓
ttp://www.maff.go.jp/soshiki/nousan/hatashin/daizu/tisiki/seisan.html

>日本に「ジャン」の製造法が伝わったのは、高句麗時代です。

ジャンは漢語の「醤」。高句麗語ではなんというのだ?

>朝鮮では昔、「ジャン」のことを「ミルチョ」と呼んでいました。

昔っていつよ?それ100年前とかの話じゃなるまいなw
12世紀以前の文献からそれがいえるのか?

ttp://www.sauce.or.kr/jpn/sybnpst/story/story_menu01.php
ttp://www.sauce.or.kr/jpn/sybnpst/story/story_menu02.php

このサイト↑は「なんでもウリナラ起源の割りには証拠となるソース無し」の朝鮮サイトじゃん。


140 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:28:53
>>128
>豆と豆の栽培法は日本に伝わったが、味噌の造り方は伝わらず、
>日本で独自に豆を発酵させるというアイデアを発見し、

味噌は醤油を作る過程で容易に発見されるものだぞ。

>朝鮮語由来の「ミソ」という名前を付けたと言うのか?

朝鮮語由来と決めつける前にミルチュルの語源って何?説明できるの?
もちろん7世紀以前の事例で説明してくれ。まさか現代韓国語じゃあるまいなw

>嫌韓に染まってると、視野が狭くなるだけで、
>議論になった時に無知を晒すだけだという、いい証明だな。

まずウリナラマンセーから目覚めろよw

>>134
単に文化的な類似や共通性だけで征服ー被征服の関係は一方的に決められないだろ。


141 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:29:24
>>129
高句麗語と倭語の一致をいうのなら、高句麗語と朝鮮語の不一致
についてもいわないと不公平じゃないかねw

>筑紫(つくし)という日本語では意味不明の地名の語源が、
>高句麗の祖地、ツングース(通古斯)だったと言っても納得出来るだろう。

ツングースなんて言葉はそんな大昔の言葉じゃないだろ。
ツングースが特定の系統の諸民族をひろくさすのはあくまで現代の学術用語。
(中国語では「通古斯」と当て字するがこれも現代の当て字。桓檀古記など
韓国の恥ずかしい偽書ではすんごい古代に「通古斯」が出てくるw)
もとはロシア語でエヴェンキ族をさした。したがってエヴェンキ族以外の民族が
ツングースと自称したことはない。ツングースの語源は彼らの隣族のヤクートが
「豚飼い」という意味のトルコ語 "tongus"という呼び方をしたことから起こった
というのが学界の通説。
「史記」の「匈奴傳」などに見える「東胡」がツングースの対音であろうと
いうのはアベル-レミュウザやクラプロートあたりから唱えられていた説で、
これによって「東胡子」などの俗説も生まれたが、白鳥庫吉は「東胡民族考」で
ツングースという呼称が遥か後世のもので、史記の時代とは無関係であると考証し、
現在では否定されている。
したがって筑紫の語源がツングースなんてのはいかにも朝鮮人がやりそうな電波説ってこった。
筑紫というのは「尽くし」で国土の尽きる西の端というのが通説。東の筑波(尽く端)との対語。
西の薩摩と東の吾妻も、端を意味するツマに接頭語がついたもので対語だった。

142 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:30:36
>>135
ほう。おまえは高句麗は朝鮮ではないというのか。今後援護に回ってやってもいいぞw

>>136
韓国の歴史認識なんてきいたところで役に立つかよw。電波の研究でもするのか?

143 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:41:24
味噌の話は、もうえーがな。
大和朝廷の成立にかかわる味噌の役割は0.01%くらいなもんだろう。
ここは、食物史を扱うスレじゃないんだから、大豆味噌の起源なんて、
2000年くらい前に大豆文化圏の何処かで生まれたくらいの認識でよいのじゃないか?
大陸起源の食材なら、どこで生まれたものでも、ほとんどは半島経由になる。
現代日本語の「ミソ」も中世朝鮮語の「メジュ」が起源だろう。
そのくらいの話で終わりにしとけよ。

144 ::2005/05/01(日) 12:43:30
>>98
天照大御神は卑弥呼にあらず。全く時代が違う。大間違い!
前者は超ミス・ユニバース級の姫神だ。頭に八角形の鏡が正面にある冠をのせている。
後者は特殊神道の鬼道を実践していた女王で、頭に円形の日像鏡の冠をかぶっている。
中国に天津という所があるからといって、天津神の出身地ではない。
よく冷静に、脳味噌を制御して欲しい。

145 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 12:43:57
>>141 のツングース論は正しい解釈。
たたし、筑紫はチクシ、タケシとよめるので新羅にスカウトされて国王となった
脱解、竹島、タケシ(隼人)など勇敢な高地性民族と言った感じがする。

146 :鴨禰宜:2005/05/01(日) 12:55:07
冷やし中華にはトウバンチャンがうまいよ。

147 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:56:21
筑紫はタケシとは読めません。音韻的にむり。

148 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:58:31
まともな討論に戻りつつあるようで嬉しいです。ダレカさんはスルーして 
まいりましょう。ネタ振りを少々させてください。以前に、鉄器のはなしは
ずいぶんとありましたので、前方後円墳に言及論及しないと、考古学からの
本スレにおいては不公平感があると思うのです。
私は九州説者ですが、畿内説の基盤たる前方後円墳にあえて議論するのが、
公平でフエアだと思うからです。
さて、小生がお願いしたいのは、皆さんに討論していただきたい前方後円墳
は三世紀から四世紀初めの、初出現期の前方後円墳です。
古墳といえば、すなわち、畿内近畿というのが一般的とされていますが、
自分は、最近、その通説に疑問を持つようになりました。
あまり長くなってはいけませんので、おあとを宜しくお願いします。

149 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 13:05:41
↑ホントにネタ振りだけの奴だな。

150 :カモネギ:2005/05/01(日) 13:10:04
カモネギ君は自分専用スレがあるだろう。つまらぬアラシは止めて帰りなさい。
君は君のスレの住人から忌み嫌われ罵られたから、このスレに逃げ舞い戻った
ことくらい、みんな知ってるよ。サヨナラ、カモネギ。

151 :檀君:2005/05/01(日) 15:58:30
>>148

ひとくちに、前方後円墳は畿内発祥というが、それは外見的要素にすぎない。
畿内の墳墓の石室の系統は、元は九州の横穴式石室の系統を引き継いでいるのである。

九州の横穴式石室の源流は、朝鮮半島にあるわけだが、
この事実をスルーして、邪馬台国九州説を補強できるのかね?

152 :檀君:2005/05/01(日) 16:08:37
朝鮮半島にみられる横穴式石室の源流は、
漢江流域の石室、大同江・平壌付近の石室、韓国西南部の全羅道・伽耶地域の石室などが挙げられる。

これらの石室の様式が北九州に伝わり、日本全国に拡散したのである。
死者の祀り方というのは、簡単に他民族の様式を真似たりはできない。
死者本人の宗教観、遺族の宗教観、墳墓を造営した人夫の技術、
これらすべてが、朝鮮半島由来であったということである。

単なる事実を述べているにすぎない。


153 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:05:00
石室の様式でなく、前方後円形である前方後円墳についての、君のご高説を
拝聴したいんだよ。前方後円墳の起源についても朝鮮半島起源説をとりたい
君の姿勢はすでに知れているが。
それに、君の系統とか、源流とか、由来とかの文言多用は、非学問的だよ。
そんな言葉を多用するより、もっと内容のマシなものをカキナよ。

154 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:07:54
そうなんだよ。まったくそうなんだよ。
檀君は独善的過ぎるから、散々今までみんなから非難されてきた。
人間、進歩が大事です。

155 :檀君:2005/05/01(日) 17:23:39
誰が独善的だって?
こっちは事実を述べているだけだ。
そっちが勝手に曲解しているだけだ。

こっちは、味噌の起源が高句麗にあるという一般的事実を出しただけであって、
マルコメミソまで朝鮮製だと言ってるわけではない。

同じように、「前方後円墳の様式」は、日本産である。

>>153
>前方後円墳の起源についても朝鮮半島起源説をとりたい君の姿勢はすでに知れているが。

根拠も無く人を非難するのはやめろ。





156 :檀君:2005/05/01(日) 17:31:03
しかし、前方後円墳が、日本で最初に生まれた王墓というわけではない。
王墓の起源は、あくまで北九州である。

この事実を無視するから、箸墓古墳が卑弥呼の墓などという勘違いが生まれる。
箸墓古墳は、あくまでも最古の前方後円墳というだけである。
けして、邪馬台国が畿内にあったわけではない。
王の墓はもっと古くから北九州にあったのだ。
その源流をたどれば、朝鮮半島に行き着くというだけの話である。

157 :モンゴリア:2005/05/01(日) 19:15:42

前方後円墳の起源はモンゴルだな。

モンゴルにヘレクスルという墓があって、中央ユーラシア史によると
ヘレクスルは円形または方形でロシアの考古学者が「尻尾付き」と言う
張り出しが付いているそうだ。
その墓は埋葬施設は地下にあるが、土を盛って数メートル高くし、張り
石をしてあり、日本の古墳の「葺き石」によく似ているそうだ。

http://web.kanazawa-u.ac.jp/~steppe/mongolia.1999.html
「ごく小規模なヘレクスルを除き、方形・円形ヘレクスルの東側に
(方形では北側と南側にも)直径3〜5mくらいの石堆や環状配石が付属し
ている。」
これなど前方後円墳や前方後方墳のルーツだろう。

「方形ヘレクスルでは、四隅にも石堆がある。」
は四隅突出墓のルーツだ。

高句麗もモンゴルから分かれた種族だろう。



158 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 19:28:24
>壇君

君のレスを読むにあたって困難なことが一つある。
時系列の考え方が、不明確なのだ。

三世紀から四世紀の古墳について語ろうというレスに対して、
前方後円墳の話をすると言いいながら、いきなり5世紀の横穴式石室の話が出てくる。

しかも、現在の日本での歴史常識の範疇に収まる、これと言って特徴の無い内容のものだ。
だから、君のレスで強調されているのは、事実関係よりも、日本の歴史関係では朝鮮関連の
情報が軽視されているに違いないと言う君の観念だけだ。

後ね、>>156で君が言う「王墓の起源は、あくまで北九州」ってのには抵抗がある。
それと、「箸墓古墳は、あくまでも最古の前方後円墳」ってのも異論が多いと思うぞ。
何をもって「王墓」とするかは意見の分かれるところだが、前原以外にも
出雲の妻木晩田など弥生初期に遡れる別格墳墓は多い。
それに前原は甕棺墓だよ。
5世紀の横穴式石室と前原の甕棺とが、どういう関係にあるのか未整理のまま、
「その源流をたどれば、朝鮮半島に行き着くというだけの話」に集約されてしまうのは納得がいかない。

159 :檀君:2005/05/01(日) 20:01:01
>>157

高句麗積石塚が前方後円墳のルーツという説ですね?
うっかり失念しておりました。ご指摘、感謝します。
墳墓を設計した集団が渡来したことは十分考えられますね。

>>158は批判ばっかりでツマランな。
そりゃあ箸墓より古い前方後円墳は、探せばあるだろ。
突然デザインが完成されたわけでもあるまい。
四国の萩原一号墳とかも前方後円墳の原型だろう。
楽浪地域で発掘された画文帯神獣鏡の同笵鏡と推定される鏡が発見されているのだがな。


それと、おまえも少しは自分の歴史観をまとめて発言しろよ。
倭国がどのように朝鮮文化と関係を絶って発展したのか?そこのところよろしく。



160 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:14:53
「倭国がどのように朝鮮文化と関係を絶って発展したのか?そこのところよろしく。」
と、他人のレスを捻じ曲げて、都合の悪いことは決まり文句で返す・・・・哀れな奴だな。


161 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:19:50

全て韓国経由だと考えるからおかしいのだ。
韓国&九州はパスして直接近畿に入る事もあっただろう。

滋賀の神郷亀塚古墳を発掘した神郷町教育委員会は木槨のルーツについて
「木槨を用いる墓は従来、朝鮮半島から九州や瀬戸内・山陰地方を経由して畿内に伝わったとさ
れていた。同町教委は「朝鮮半島から直接伝わったのだろう。大陸との交流を考える上で本州の
日本海沿岸から琵琶湖を経由するルートの重要性が浮上してきた」
としている。

しかし、朝鮮半島よりモンゴルにこそ木槨のルーツはある。
先に示したヘレクスルには紀元一世紀には木槨があるのだから。


162 :檀君:2005/05/01(日) 20:20:31
>>160は何を言いたいのだ?

「倭国は朝鮮文化と関係を絶って発展した」
「倭国は朝鮮文化と密接な関係を持ちつつ発展した」

どっちなんだよ?おまえの考えは?
邪馬台国を語るなら、避けては通れないぞ。

163 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:24:24
>>159
お前に歴史観なんてあるのか?
ウェブで拾いあげたような細切れな情報の羅列と結論連呼だけだろ。
そういうものは、歴史観とは言わない。

164 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:27:18
当時は半島南部まで、倭族文化圏だったしな。

165 :檀君:2005/05/01(日) 20:30:19
>>161の説はちょっと慎重に吟味する必要があるね。

高句麗文化が直接畿内に流入したとすると、
邪馬台国畿内説が優位に立つかもしれないからな。
どのみち、「鉄」の優位性は、北九州上位なのは変わらないが。


166 ::2005/05/01(日) 20:35:04
>>165 畿内説優位?
流入してれば、中国の魏志倭人伝くらい詳細に高句麗あたりの朝韓の某国の文献に
女王国の記述が書かれているはずだよ。

167 :160:2005/05/01(日) 20:36:43
>162
アンタは、0か100かみたいな、そういう二極化した考え方しかできないのか?
偏狭な奴だね。
アンタの言ってることは正しいこともあるし、間違ってることもあるだろう。
日本にとって朝鮮半島は、ほとんど唯一の隣国なんだから、常に密接な関係にあっただろうさ。
そんなことを否定する奴がどこにいるんだ?
ただ、その評価の度合いが人によって違うだけだろう。
アンタの考え方だと、それが自分と少しでも違えば「関係を認めない」ってことになっちまうんだよな。
まあ、もう相手にする気はないから「敗北宣言」とでもほざいといてくれたまえ。

168 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:46:25
>>165
安本は箸墓は4世紀後半としている。
前方後円墳の始まりを三世紀前半もしくは中葉とした説は年輪年代で出来上がったのだろうが、
大方の植物学者や農学者は否定的だ。

前方後円墳の始まりが4世紀初めなら
高句麗文化が直接畿内に流入したとしても邪馬台国畿内説が優位に立つ事はあるまい。

169 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:49:46
まあ、変なナショナリズムが入ってしまうと、冷静な判断が出来なく
なる、ってことだね。
最近の中韓の反日運動は、民度の低さが原因なんだろうし。

170 :檀君:2005/05/01(日) 20:56:23
北九州に栄えた邪馬台国は、4世紀になって畿内に遷都し、大和朝廷になった。
遷都の過程で、途中の土地で前方後円墳を発展させていった。

ここまでは異論が無い所だろう。



171 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:59:42
>>170
異論の前に、3世紀の邪馬台国は北九州のどこにあったの?
筑・豊・肥の全域を占めていたとかですかな。

172 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 21:08:36
おっ
やっと、話がまともにになりそうだな。

4世紀に畿内に遷都?
それは応神東征のことを言っているのか?
マキムク遺跡を何世紀のことと考えているのか聞きたいところだな。

173 ::2005/05/01(日) 21:17:22
>>170
記紀のどこに、その遷都したことが載っているのか?その都名は何と名づけたのか?

174 :傍観者ですが:2005/05/01(日) 21:58:53
檀君さん、>>164については何も無いのですか?私が>>136で訊きたかった事にも答えていただいてないですが。
あなたは変なナショナリズムを捨てて高句麗の文化的影響を認めなさい、という。
しかし、あなたは自説を押し通すために都合の良い事例のみを引っ張ってきますが、あなた自身半島の歴史について
あまり詳細に考察を述べておられないようですが、こうした姿勢は半島の歴史に対して非常に失礼ではありませんか?
ナショナリズムによって云々は都合の悪い議論を煙に巻くための常套句であって、それが半島の歴史を尊重しようという
気持ちからではないのは明らかです。

175 :サガミハラハラ:2005/05/01(日) 22:01:00
>>170
異論はある、ある。
邪馬台国は東遷などしていない。邪馬台国と大和朝廷は別物です。
邪馬台国は290年頃自然消滅している。
邪馬台国は佐賀県小城市甘木に都していたことは確定しております。

176 ::2005/05/01(日) 22:03:56
>>170
異論はおおいにある。女王国と大和朝廷は別物。この件同意。

177 :檀君:2005/05/01(日) 22:17:09
>>174
半島の歴史といっても、歴史書の信憑性が少ないことは、皆も認めるところだろ。
だから、ミソや墳墓などの文化的背景で論証しているわけだが。

>>175-176
ちょっとマチナヨベイベー

鉄器で優位にあった北九州文化圏が、どうして勝手に滅ぶのだ?
畿内はどうやって西日本を制覇するほどの力をいきなり得たのだ?
納得のいく説明を聞かせてもらいたいね。


178 ::2005/05/01(日) 22:22:21
>>177 下段3行分
余はその2つの内容について、言ってはいない。175さんだろう。
大和朝廷になったのなら、記紀にその詳細が具体的に記述されるはずだ。
それが無いみたいではないか?だから、大和朝廷になってはいないのだよ。

179 :傍観者ですが:2005/05/01(日) 22:36:10
>>177
歴史は歴史書によってのみ語られるものではないでしょう。
それに、歴史を語らないなら文化的背景は、ではどうやって証明されるのですか?

180 :檀君:2005/05/01(日) 22:38:05
>>178
記紀には、「邪馬台国が畿内に遷都した」という記述は無いが、
「九州に、魏と通じる連合国があった」とも書いてない。
同じことだろ。


181 :サガミハラハラ:2005/05/01(日) 22:39:01
鉄器で優位であっても、各国がばらばらでは対抗できません。
消滅といっても、大和朝廷と連衡したのでしょう。
いきなりえたのではなく、神武以来崇神までのたゆまぬ勢力拡大の賜物です.

182 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 22:44:00
だから邪馬台国は東線した上で百済からの移民と任那からの亡命者が僭称して大和朝廷となったわけで、
もともとの卑弥呼の子孫たちは福岡に残留したわけだから、
鉄器が畿内に全く無くても特に違和感も致命的な矛盾もないと思われるし、
応神・継体・天武・桓武と王朝交代ごとに大陸系の血筋が入ってきたことと万世一系思想は
根本的に相容れないわけではないだろうと思う。


183 :檀君:2005/05/01(日) 22:44:28
>>179
高句麗と日本語の王墓の一致が、
高句麗貴族による古代倭国社会の支配を証明しているのだ。

高句麗と日本語の数詞の一致が、
高句麗商人による古代倭国の経済支配を証明しているのだ。

高句麗と日本語の食生活(味噌)の一致が、
高句麗難民が古代倭国に大量流入したことを証明しているのだ。

何度も同じこと言わすな。過去レス読み返してください。

184 :檀君:2005/05/01(日) 22:46:20
>>183
×日本語
○日本

185 ::2005/05/01(日) 22:51:54
>>180
同じじゃないよ。畿内近隣に女王国があれば、その情報が記紀に容易に書かれる筈だ。
畿内から遠隔の九州ならば、その情報は容易に畿内に届きにくい。
だから、記紀に記述がないことは遠隔の九州に女王国のあった証なのだ。
それを畿内説論者は、記紀の編者が大和朝廷に女王国の存在が具合悪いから
記述を隠したと、隠蔽したのだと探偵小説のようなことを主張しているのだ。
ここは事実を直視すべき論の場であり、推理小説の場ではない。
倭人伝の書かれた中国からは大和のほうが遠い、九州のほうが近いんだよ。

186 :百済国王児:2005/05/01(日) 22:51:59
基本的には、鉄器の供給元である韓半島の勢力変化が、倭国での勢力争いに影響するんだよ。
加羅諸国の衰退が九州の地盤沈下を招き、新羅の支援を受けた出雲や百済に支援された畿内に席巻された。
白村江での致命的な敗北以降は、鉄器国産時代に入ると思う。

187 ::2005/05/01(日) 22:59:50
>>185 訂正
誤 記紀の編者が大和朝廷に女王国の存在が
正 記紀の編者が大和朝廷にとっては女王国の存在が

188 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 23:04:19
檀君、逃げ出さないで、古代史スレ選りすぐりのよい子達のお相手を最後までして上げるんだよ。
つらいだろうけど・・・まあ、自業自得だな。

189 :傍観者ですが:2005/05/01(日) 23:28:58
>>183
味噌に関しては、その「一致している」という事をあなたはテレビ局のHP以外で証明
していませんが、しかし、これに関しては文化的な影響は確かにあるかもしれません。
また、数詞に関しても優れた文化を受けいれた事はあり得るでしょう。

しかし、それが邪馬台国の出自あるいは大和朝廷との繋がりに関係があるのですか?

高句麗から文化的影響を受ける事はあったでしょう。皆さんが何度もいっているように
それを否定する人はいないでしょう。しかし、倭族文化圏が半島南部にまで及んでいた
として、陸続きに影響を受けた、と考える方がよっぽど自然ではありませんか?
高句麗族が邪馬台国の祖であるとするのは無理でしょう。墓の作り方が同じだから同族だ
と仰るのでしょうが、墓に関しては考古学的に証明されていませんし、あなたがそう考えた
根拠となった文献等にまで目を通しても、年代等についてあやふやなままですよね?


190 :日本@名無史さん:2005/05/01(日) 23:32:35
檀君は何故逃げるようなことをするのだ。

191 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 01:16:01
狗奴国が東遷したのでは

192 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 01:43:58
3世紀初頭のマキムク遺跡の巨大さから、九州説は完全に化石化したわけだが。

193 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 02:00:31
マキムクの巨大化

今も昔も都市形成に変化なし。
現在の(関東・大阪)に当たる九州筑紫平野の共通項は、都市が満遍なく分散
一方、田舎の地方都市は一局集中型

194 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 02:21:18
九州勢力が東進してマキムクを作った可能性は残るな


195 :檀君:2005/05/02(月) 07:07:49
>>189
では、邪馬台国が、朝鮮半島の影響無しに発展したと仮定してみましょう。

邪馬台国は、どうして連合国を形成し、魏に朝貢しようとしたのでしょう?
邪馬台国は、3世紀末でどうして消えたのでしょう?
なぜ、大和朝廷なるものが畿内で興ったのでしょう?
朝鮮半島の混乱が影響したことは誰しも認めるところです。

国内だけの問題として見ているだけでは、古代史は理解できません。
朝鮮半島情勢の影響を考慮して、はじめて実態が見えてくるということです。
倭国のクニの成り立ちが、朝鮮半島の影響を受けつつ発展したからです。

さて、江戸時代が終わったのはなぜでしょう?
ペリーが来航し、武力で開港を迫ったからです。
政治状況が大きく変わったということは、外国の影響を受けたということです。
歴史が証明していることです。

外国からの大きな政治的圧力があってこそ、政権転覆が起こるのです。
多くの場合、「侵略」を意味します。

貴方はまだ初心者のようなので、難しい話かもしれませんが、
気を落とさずにがんばって古代史を学んでいきましょう!



196 :檀君:2005/05/02(月) 07:25:23
北九州が衰退したのは、鉄貿易で、朝鮮半島との良好な貿易関係が途絶えたからです。
つまり、倭国と朝鮮半島は、戦争状態となったのです。
後の朝鮮出兵が、関係悪化を証明しています。

畿内が発展したのは、北九州勢力が活路を求めて畿内に移動したからです。
そうして、九州の邪馬台国は、大和朝廷に生まれ変わったわけです。

>>175-176のように、邪馬台国と大和朝廷は別物だとすると、
どうして大和朝廷が突然畿内で発展したのか?

一番納得できる答えは、朝鮮半島からの移民が畿内に押し寄せたからとしか考えられません。
それは、侵略・征服を意味します。平和的融合などという夢想はできません。
当方は、高句麗の直接的侵略によって大和朝廷が生まれたとまで、
自虐的な史観は持っていません。

よって、九州の邪馬台国が、畿内の大和朝廷になったと信じたいのです。



197 :鴨禰宜:2005/05/02(月) 07:39:22
「味噌群が中国華北文化の産物、納豆群は照葉樹林文化の産物」
http://www.micnet.ne.jp/yanagita/bun6.html
http://www.geocities.jp/shipka6150/nat-5.htm

198 :ダンクン:2005/05/02(月) 07:54:38
195の檀君の質問に答えてあげよう。
邪馬台国が消滅した理由は、290の八王の乱で魏は帯法郡の経営どころではなくなり
邪馬台国の支援も困難不可能になったからだ。張政らの軍事顧問団を卑弥呼が郡に使い
させていわば泣きついて招聘した陳寿の記事からもそう解して自然だ。
大和政権が畿内に成立した理由は、食糧生産力その他の経済力において、近畿が九州を
凌駕したことに加え、鉄器東漸による勢力の伸長拡充が考古学事実としても、認められて
いるからだ。
魏に朝貢した理由は、漢の光武帝に師升らが朝貢したときと同じだ。師升のときには
漢のお膳立てがあった。卑弥呼のときも同じ理由による。
それから、邪馬台国はどうして連合国を形成したのか、ではない。そうではなく、
諸国はどうして邪馬台国に統属したのか、が無論正しい質問だ。

199 :ダンクン:2005/05/02(月) 08:11:10
196の檀君のスレは、檀君の浅識浅学をモノの見事に暴露しているぞ。
鉄貿易で朝鮮半島との鉄貿易関係が途絶えたなどと、いうのは大間違いだ。
七支刀銘文を読んでみろ。372年に百済と同盟し高句麗と戦っている。
邪馬台国が三世紀末に消失したところで、大和は弁辰の鉄を宗像や住吉水軍
を掌握服属させて、四世紀以降鉄器は東漸し畿内の鉄器出土数も増加傾向を
示している考古学事実を無視してはいかん。この時期壱岐対馬に代わり、
宗像地方からの鉄器出土数が増加している。久原遺跡の鉄ていだ。

200 ::2005/05/02(月) 09:27:28
>>196
記紀等に明確に記述がないから信じたいの希望的憶測より信じないとするのが正常な脳味噌。
すなわち、両者は別物と断言する。

201 :檀君:2005/05/02(月) 10:08:45
>>198
君の論法はちょっといかがわしいね。

>魏は帯法郡の経営どころではなくなり
が、どうして「邪馬台国の支援も困難不可能になった」に繋がるのか?
魏は、邪馬台国を支援する理由が何かあったわけ?
あるとすれば、植民地として、北九州の経営利権だけだよね?
結局、貴方も邪馬台国は魏の傀儡政権だと考えているわけでしょ。

>食糧生産力その他の経済力において、近畿が九州を凌駕した
それが事実なら、なぜ3世紀末に突然それが可能になったのですか?
高句麗からの大量難民受け入れによる文化の発展しか考えられないですね。
貴方は理由もなしに結論を言うが、当方は理由を述べている。

>鉄器東漸による勢力の伸長拡充
それは、北九州勢力の東征を意味するものでしょう。

>漢の光武帝に師升らが朝貢したときと同じだ
なぜ、同じになるのか説明してください。
倭国が「独立」して発展してきたなら、他国に朝貢する理由は無い。

>>199
邪馬台国と七支刀では、百年も時代が違う。お話にならない。

202 :檀君:2005/05/02(月) 10:29:31
倭面土國王帥升等は、甕棺による墓制が終わる頃(西暦107年)の倭王とされるが、
これは倭面土(やまと)國王「帥升等」と呼ぶべきもので、「師升」ではない。

甕棺は、倭国独自の風習であるが、甕棺の終わりは、
外国文化の流入を意味している。
わざわざ大陸に朝貢したことも、朝鮮半島の朝貢外交に沿ったもので、
帥升等は渡来人の可能性は十分ある。

帥升等の時代は北九州が優勢だったことは否定しようがないので、
後の邪馬台国は、倭面土(やまと)が発展したものと考えて間違いない。

倭面土(やまと)が渡来人の文化を受け入れた国であると同時に、
邪馬台国畿内説は成り立たないというわけである。

人名の語尾に「等」が付くのは、「都怒我阿羅斯等」と同じ、
渡来人の王の特徴である。
学校ではその事実を隠そうとして、「師升」等と教えるが、
王を「師升」等と呼ぶことはありえない。

203 :檀君:2005/05/02(月) 10:43:06
都怒我阿羅斯等は、敦賀の伝承だが、
豊前の香春岳に伝わる伝承(豊前国風土記)にも、
「昔、新羅国の神が渡ってきて、この河原に住む。名づけて鹿春の神と申す」
というものがある。

昔の人のほうが、実直に、外国の王が日本に来たことを認めている。

204 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 11:22:24
直接的侵略なら史書に○○の裔と書くだろうな。
百済は扶余の王族から別れたと主張している。
書かないということは流民として来たんだ。
誇るべき血筋を持たない流民として。

代わりに天から下ったと言う主張は征服者の常套。

神武が畿内に攻め込んだ事は間違いなく大和王朝が征服王朝だった事を示している。


205 :だんくん:2005/05/02(月) 11:38:47
卑弥呼の死亡年次は248年。その直後から争乱と陳寿の記事あり。
戦乱のあるところ難民の発生は必然。その折の東への避難民の携行品に鉄器。
魏の邪馬台国支援は倭人伝の明帝の詔勅記事からも明白。
三世紀末の高句麗からの大量難民受け入れの文献史学根拠史料を提示あれかし。

206 :檀君:2005/05/02(月) 13:22:47
江戸時代、朝鮮人を「唐人」と呼んでいました。
高句麗人も、倭国では「新羅の人」と認識していたとしても不思議はありません。

時代は下がるが、日本書記によれば、570(欽明31)年加賀に高句麗船が来着し、
加賀の豪族道君が大王と詐称し、高句麗の使節を迎えたとある。
その後、668年に滅亡するまで18回の渡来記録があり、
来着地の記録がある分では越が4回、難波津、筑紫各1回と、
加賀が交流基地となっていたと見られる。
高句麗は、新羅を避けるために加賀に来たのではないか。


>>183-184のような事例が、高句麗からの多量の難民受け入れを示唆しています。
北九州を介さず、出雲や越に漂着したことでしょう。
四隅突出墳墓は高句麗の様式がもとになっていることからも事実と言えます。
その地で活躍したスサノオは、高句麗の王だったかもしれません。
「帥升等」は、「スサノオ」だったという説も囁かれます。
すると、高天原は「満州」だったとも考えられますね。
「曽尸茂梨」はどこだったのでしょうか?
皆さんも知恵を出して考えてみてください。 では。

207 :檀君:2005/05/02(月) 13:38:58
加賀(カガ)という名前自体が、高句麗(コグリョ)の音写であると思われます。
白山信仰の菊理媛(ククリヒメ)も、高句麗系のヒメなのでしょう。

白頭山信仰を持った高句麗の一族が渡来して、
加賀の白山を祀ったのが、シラヤマヒメ信仰の始まりで、
その信仰を受け入れた(受け入れざるを得なかった)もともとの住人たちが、
「高句麗媛」と表記したのでしょう。

ククリヒメは、日本書紀のイザナギ・イザナミの段に登場し、
日本神話の核心に位置するヒメですが、どういう神かは詳しく解りません。
恐らく、朝鮮との繋がりを消すために、後世に抹殺されたのでしょう。

208 :檀君:2005/05/02(月) 13:46:11
李基文著 新訂版国語史概説「第三章 國語の形成 第三節 高句麗語」というところで、
「土、壌」という漢字の訓読が、「na, no, 内、那、奴」であるとのことです。
これはツング-ス語の「地」「na」に一致する。
韓国語の「pat」が日本語の「はたけ」に相当するなど、
農業が大陸から入ってきたのだとすれば「土、土地、大地」というような概念と言葉が
そのとき一緒に日本に来たわけです。

「奴国」「那の津」は、高句麗由来のツングース語だった可能性があります。

209 :傍観者ですが:2005/05/02(月) 13:48:44
何度も言いますが、私もあなたもここにいる誰でも
>>では、邪馬台国が、朝鮮半島の影響無しに発展したと仮定してみましょう。
こんな考えを持っていません。それなのにまともに取り合わないのですか。

あなたの言う朝鮮半島は高句麗がメインなのではないのですか?
持ってくる証拠は新羅だったり百済だったりと節操がありませんね。
相変わらず高句麗と百済、新羅は同族だとお考えですか?

私はずっと、壇君さんがまともな議論に参加できるようにと心を砕いてきましたが、
もう何を言っても無駄なようですね。
ようやく「朝鮮族」なる曖昧な表現を使わなくなってくれたようですが。

210 :だんくん:2005/05/02(月) 13:51:51
檀君氏。こっちは、君が主張するところの、邪馬台国は大和朝廷になったのか、の
時期においての、文献もしくは史実の根拠を提示されたし、と言っているのだ。
にもかかわにず、570年や668年の書紀の伝承を掲げている。
自分勝手に、時代はさがるが云々と、書くとは笑止噴飯の次第だ。
この件については、君のソースである所ジョージのテレビ番組はなかったのかい。
183と184は今見返した。何も具体的な根拠は一切全く無かった。
君の悩みが深いのは、東アジア民族史の関係歴史年表においては、高句麗難民の
倭への大挙到来を暗示示唆するものさえ無いからだ。
なにが、時代下りますか、だ。笑わせるのが君のスレの趣旨なのか。



211 :檀君:2005/05/02(月) 13:57:42
「倭国は、古の倭奴国なり」・・『旧唐書倭国伝』
「日本は、古の倭奴なり」・・・『新唐書日本伝』
「日本国は本、倭奴国なり」・・・『宗史日本伝』

『新唐書日本伝』や『宗史日本伝』は、国号を「日本」と、
変えたことについて記しているものだが、中国の認識は、「奴国」で一貫している。
「奴国」を名乗らければ、中国との正式な外交権は、得られなかったのである。

倭国よりも奴国のほうが歴史が古いということである。

212 :ダンクン:2005/05/02(月) 14:02:37
檀君クンクン。君の207を自ら読み直してみたまえ。
ヒメなのでしょう、
表記したのでしょう、
抹殺されたのでしょう、
敗北宣言かい。

213 :檀君:2005/05/02(月) 14:14:04
>>210
>この件については、君のソースである所ジョージのテレビ番組はなかったのかい。
>183と184は今見返した。何も具体的な根拠は一切全く無かった。

まだ、ミソにこだわってるの?
すこしは、檀君の過去レスを検索するとか、自分でググルとかすれば?
テレビは枕詞であって、実際に味噌が高句麗起源という記事は山ほどあるわけですよ。
文句があるなら、当方だけにじゃなくて、日本テレビにも抗議しなよ。

ttp://www.koji-miso.com/ms_rekishi.html
ttp://homepage1.nifty.com/sagi/megaten.html
ttp://www.sauce.or.kr/jpn/sybnpst/story/story_menu01.php
ttp://www.sauce.or.kr/jpn/sybnpst/story/story_menu02.php

214 :檀君:2005/05/02(月) 14:23:08
>>212
加賀の白山信仰と、白頭山信仰を持つ高句麗人の移民と、
切り離して考える方が無理。
地元の人だって、ククリヒメは高句麗の女神だって言ってるよ。

当方への個人攻撃は別に構わないが、
事実は事実として直視して欲しいね。


215 :あほくさ:2005/05/02(月) 14:35:25
あほくさいけど、私は、三世紀四世紀における高句麗の倭への大挙到来という
君の持論の史実や歴史根拠を問い掛けているんだよ。みんなから散々に言わ
れまくっていのに、ああ、アホクサ。
白山通りなんかいう地名も白山神社も全国にたくさんあるさ。
しかし、ここでの問いに対しての答えでないし答えにもなっていないことが
わかりますか。

216 :檀君:2005/05/02(月) 14:43:37
>>215
四隅突出墳墓が、高句麗の様式なのだから、
それが造営される以前には、大量の高句麗人が渡来していたと、
どうして素直に考えられないのか?

ましてや、数詞の一致などといった基礎的言語の一致は、
相当古代から高句麗人が大勢渡来してきた根拠になるわけです。
違いますか?




217 :アホ草:2005/05/02(月) 15:31:55
それでは、歴史史実としての史料根拠は当然だが君には無いということだね。
よし、ひとつはそれでよし。
しかし、墳墓というのはその様式においては、埋葬文化の所産だ。その埋葬文化
様式の古墳のひとつを以って、大量の高句麗人の倭への大挙到来になり得ない
ことは認識できますか。
むろん、陳寿の高句麗伝に、石を積んで墳丘を作り、松や柏を並べて植える
ことも、日本の学術調査チームが韓国の古墳とわが国の前方後円墳の影響関係
を調査した結果、特別格別なつながりはなかったとしていることも、
ここのスレの住人なら周知のことだ。
そこを踏まえて答えなさいよ。
オレはこんなアホクサ相手にするとは、よほど人類愛のある人間か。アホクサ。

218 :檀君:2005/05/02(月) 16:56:25

で?

基礎言語である数詞の一致については、どういう見解をお持ちですか?

219 :アホ草:2005/05/02(月) 19:17:56
もう、もはや、すでに、君につきあう人も居ないからオレがつきあってあげるよ。
あのなあ、檀君よ。英語の君のレベルはどのくらいのものだろうか。つまりはね、
君は、もう君の残す砦がさ、数詞の基礎言語のみに追い詰められたから、君は
で、基礎言語である数値の一致については、と持ち出し得ざる状況にある。
それでさあ、言語の偶然的一致ということを教示してあげる。タミル語て知ってるか。
日本語の起源はインドの西海岸タミール地方にあるという説さ。
君はむろん信じないだろう。君の主張していることも本質としては同じさ。
孤児のことを英語でkojiと言うじゃないか。そういう一致というのは言語学問の
世界ではたくさんあることなんだ。ま、君は例えが悪いと反発することは目に見える
けどね。
さてここで大事なことがある。君はオレの言うことを理不尽と思うだろ。その感覚が
大切なんだよ。そこの点を親切なこのスレのオレ以外の住人がこんこんと君に諭す
有り難いスレもあったじゃないか。
君は確かにいいもの良い感覚や洞察力も持ってるよ。だども、こういうスレにては
やはり普遍性というかなんというか、そういう類のものを持っての君の発言を今後は
期待したいなー、とオレは思っているよ。あえて、檀君、今の姿勢を継続する必要も
ないじゃないか。このスレの住人、オレは別としてもみんなほんとに暖かいよ。

220 :檀君:2005/05/02(月) 19:56:27
いやはや、数詞の一致までもを「偶然」と切り捨てるとは。
無知を晒してるのは君のほうだよ「アホ草」君。

そうやってカラに閉じこもるのも勝手だが、議論の邪魔だから消えなさい。






221 :アホクサ:2005/05/02(月) 20:12:16
数詞の一致なんか、他の言語の間でもあることは一般的常識だよよ。
なにも、君こそが硬く閉じこもっている高句麗ばかりじゃないんだよ。
だけどさあ、檀君、君のスレの行間には、以前の君と少しだけ違うものを
オレは感じるよ。ごめんごめん。早く機嫌直してさ、また元気にカキコしてよ。
ほんとにサ。オレがさ、カラに閉じこもっているんだったらさ、君に対してさ
こんな長文のスレしたりしないさ。檀君。

222 ::2005/05/02(月) 20:25:21
檀君さん >>173 無回答かい? 疲れたなぁ。

223 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 09:49:09
なんかさあ、このスレヨウ、だれかさんが出てきてから、人気を感じなくなったじゃん。
だれかなんとかしてよ。

224 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 10:12:40
別にいいじゃん。
厨の収容所になってりゃ、それはそれで有効利用。

225 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 11:14:49
このスレ、暇そうだから、檀君宛に書くか。言語数詞の偶然的一致でもよ。
今の世の中、英語だよな。英語使うから同じ民族ではないわな。政治的な支配被支配
があれば、言語が共通化したりということは多いものさ。だから、歴史探求では
共通言語とか言語の影響が民族同祖論とかの根拠としては、弱いのさ。


226 :畿内説者:2005/05/03(火) 11:36:00
以前、白石太一郎氏を白石太一郎先生といって尊敬していた奴がいたね。
氏は、前方後円墳体制論者としてのいわば代表格的人物でさ教科書の執筆者
として名を連ねている。
彼の主張することを要約すると、箸塚古墳の築造年代が仮に239年に定まれば
九州説を主張できる勇気のある人ははたしているだろうか。マキムクに出現した
前方後円墳が北部九州でいちはやくとりいれられているのは、北部九州と大和の
結びつきの強さを物語るから、九州説では説明がつかない。最近の考古学の知見
では、三世紀後半から近畿の庄内式土器の流入も多くなり、マキムク型の
前方後円墳も、九州に出現しているから、九州説では説明できない。
このスレの住人は九州説者ばかり見かけるが、
かくなる畿内説の根拠に対抗でき得るかな。


227 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 14:14:15
寺沢薫さんが勇気ある人のようですね。でも九州説であるとは言っていない。しかし、
伊都国、奴国、早良国というように詳細な駄目押しはしている。あれを読むと邪馬台国は
九州にはありえそうにない。名古屋大学の方は白石さんと同じですね。ああいうのって
お付き合いで意見が変わるのかなー。どっち道断定的なことはいえないのだからブラック
ボックスにしておくのがいいのかもね。

228 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 15:01:11
寺沢薫氏は、氏の王権誕生という本でみると、代表的な畿内説者ではないのですか。
狗奴国は濃尾平野だと書いてましたよ。

229 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 15:05:13
>228
日本語の不自由なヒトのネタを真に受けちゃだめだよ。

230 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 15:09:17
要するにカモネギさんの知識では、理解も答えも所詮不可能にて、ご自分の
ご見解はゼロということなのでしょうか。

231 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 15:11:19
日本語の不自由な人というのは、カモネギさんのことですか。

232 :檀君:2005/05/03(火) 17:49:35
>>226

要約すると、
卑弥呼の時代に、先に前方後円墳が出来たのが畿内で、
後から九州に前方後円墳が出来たのだから、
邪馬台国=大和朝廷なら、邪馬台国は畿内にあったということだね。
実に明快な論法だ。

でも、ここに居る連中は、邪馬台国≠大和朝廷だと思ってるから、
君の理屈は通じないよ。残念だったね。


233 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 17:54:58
>>228
箸墓建設の編年と言うか、年代設定において、卑弥呼時代より、つまり、白石さんより
20-30年遅いというだけで、畿内論者なんですね。でもこれって、箸墓を邪馬台国の
一大イベント、布留式を邪馬台国の始まりとする場合おいては大いに消極的ですね。

234 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 19:04:52
横レスですみませんが日本の古語と朝鮮の古語について質問があるのですが、
朝鮮語も、られ・られ・らる・らるる・らるれ・られよ。の様な
已然・連用・終止・連帯・未然・命令の順序で活用系統も4段活用や下二段活用やラ変活用
のような語法なのでしょうか?

235 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 19:19:34
要するに、檀君くんとカモネギ君は、畿内説支持と解してよいのかね。
返信を待つ。そうしないと、論点その他が、明確にならんから、討論し辛い
からな。しかし、ところで、カモネギ君の日本語はいわゆるネイティブでは
ないね。しかし、君が日本国籍でないにもかかわらず、日本語でカキコしてる
としたら立派だよ。

236 ::2005/05/03(火) 19:23:11
>>226
どこかの古文献に卑弥呼の墓は前方後円墳だったと書かれているのかい??w

237 :反面教師:2005/05/03(火) 19:26:49
だけどさ、白石氏というのは、たしか京都か奈良の国立博物館長だろう。
檀君くんにしろ、カモネギ君にしてみても、半端なスレしないでさ、
白石氏に反論してみれば、いいじゃないか。畿内説支持者の自分としても
支援するからさ。
それとも、檀君くんもカモネギ君も、最初からして敵前逃亡なのかいな。

238 ::2005/05/03(火) 19:34:51
>>226
畿内の前人未到の、外界と隔絶されたどこの奥地に卑弥呼の墓があったと言うのかい?

239 :檀君:2005/05/03(火) 19:37:20
>>235

当方は、北九州の邪馬台国が、畿内の大和朝廷に遷都したと考えている。

もし、新たな事実が判明し、北九州の邪馬台国と、畿内の大和朝廷が別物だとしたら大変だ。
畿内の大和朝廷は、高句麗移民によって建国されたという結論になるだろう。


240 :カモネギ:2005/05/03(火) 19:40:06
君の文章読み返した。よくわからない。
それでさ、自分自身はどう思ってるの。君の家族から似たようなことを言われないかな。
自分でさ、読み返してさ、他の人の文と較べて、不自然さ感じませんか。
ま、それは置くとは言いがたいが、皆が解る日本語を使いカキコしてくれ。
オレは、君の国語の通知表成績まで聞く気はないが、君の日本語に対しての
誹謗非難は各所のスレで見受けることは、やはりそうかと思うから。

241 ::2005/05/03(火) 19:40:27
遷都の都市名は記紀では何と書かれているのか?

242 :檀君:2005/05/03(火) 19:44:05
何度もいうように、前方後円墳というのは、外見的デザインにすぎない。
重要なのは、石室のデザインである。
石室のデザインは北九州起源なのである。

たとえ、畿内で先に前方後円墳が造られたとしても、
単なる外見的デザインが畿内で成熟しただけという話でしかない。

243 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 19:46:38
古語なんてのはとてもじゃないがわかりませんけどこんなのがあります↓

「学校文法で「未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形」という活用の
種類を学んだことを思い起こしていただきたい。もう遠い昔のことで忘れたとい
う人は、国語辞典の巻末の活用表でもめくってみていただきたい。日本語の動
詞は、おおむねこの6種類の形を持っているわけであるが、いわばこれが日本語
の語基である。つまり、語基というのは用言本体部分の1つ1つの形のことをいう
のである。 朝鮮語の語基は3つしかない。単純に考えれば、日本語の半分である。
そのぶん日本語の活用より簡単だということだ。6種類の形を使い分けている私た
ちからしてみれば、実は3種類しかない朝鮮語の語基はあまり難しくないのである。」
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/kouza/yoketu/yoketu03.html

244 :畿内説者:2005/05/03(火) 19:47:15
檀君クンは、つまりは邪馬台国東遷説論者として認識してよいのだね。
そのサイドに大和朝廷は高句麗移民によって建国されたという側論付加の。
だんだん次第に、各々の見地見解が明解になってよいことだよ。

245 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 19:48:23
そもそも古墳や土器云々の話中心な所が、畿内説最大の弱点。
土器が著しい進歩を見せるということは それ以外目新しいものが無いためにやたらと目立つんだよ
鉄器や化銭、それに絹や漢鏡 そして畿内説得意な土器の話(半島式や楽浪土器)中心に盛り上がらないか
いい案だろう
ゴールデンウィーク特集だ

246 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 19:51:14
皆、悪口言うやつは、鳥インフルエンザになるぞ。漏れもやバイが。

247 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 19:54:59
朝鮮の古語がわからないのならどうして対比しているなかと・・・・

248 :畿内説者:2005/05/03(火) 19:55:01
檀君に質問したい。朝鮮語については貴兄の見解を尊重したい。がしかし、
満州語
モンゴル語
プロパーの朝鮮もしくは南鮮語
については、どうなんだろうか。君の意見が畿内説補強につながることを
期待して、このようにカキコしているから宜しく頼む、檀君。

249 :アフォらしい:2005/05/03(火) 19:55:11
北九州最古の横穴石室が5世紀のシロモノなのに・・・・それを根拠に邪馬台国東遷説かあ?

250 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:00:52
だってだな、前方後円墳は畿内を発祥として全国に広まり拡散し流行した。
そのうち規模の大きなものはいずれも畿内にある。
九州説の諸君、反論せえや。邪馬台国は畿内やで。
反論少ないのがその証や。

251 ::2005/05/03(火) 20:02:04
プププ!畿内のどこの奥地だ?

252 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 20:02:09
漏れは畿内説。
九州からの遷都、東遷問題については山陰、山陽、北四国程度のコースがあろう。
途中投馬国(吉備、播磨)を経由しているので、九州からの直接は紀州経由の鏡作り
関係程度かな。ところで金毘羅さんは事代主がなまったのかと思ってたら大物主だとか。

253 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:07:02
東遷いうたかて、何か明白な証拠でもおますのかいな。ないやろ。ないやろ。
エエ加減なこと言わんとき。邪馬台国は畿内や。大和や。古墳見てみいな。
もうもう、決まりやで。九州説のみなはん、意外に議論弱いなーーー。


254 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:12:22
カモネギハン、東遷でもなんでもよいがな。とにかくとにかく、畿内の
邪馬台国が大和朝廷になったのや。どや、九州説のみなはん、納得したかあー。
カモネギハンの言うとおりや。

255 :鴨禰宜:2005/05/03(火) 20:15:13
漢鏡、鉄、金印は九州。鏡による建国システムを作ったのは北部九州。これがなければ
近畿には何もない。

256 ::2005/05/03(火) 20:15:15
>>253
女王国が畿内にあるならば、大和朝廷のもっぱら近隣に邪馬○国があるわけだから、
容易に記紀にその友好交流、朝貢、あるいは戦争の有無などが具体的詳細に掲載
されるはずだ。それが全くと言ってよいほど記載がない。
九州に女王国があれば記載が無いのは当然だ。朝廷と遠隔のために女王国の情報が
得られにくいから記紀に記述がないんだよ。九州にかの女王国はあったんだよ。

257 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:19:58
近畿には、ぎょうさん古墳があるでえー。こんな所他にあったら教えてな。
あと古墳が大きいいうたら、吉備やな。連合したんや、大和とな。
考古学的にも論証できるがな。特殊器台ていうのあるやろ。
もう、これで決まりや。邪馬台国は大和なんや。
マキムクの前方後円墳もあるさかいにな。

258 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:26:37
鏡とか金印とかぐだぐだ言わんと、マキムクの古墳、いっぺん見てみいな。
マキムク型古墳は九州にも伝播してるのや。やっぱ、古墳やがな。
卑弥呼やて、大きな大きな塚つくったて、陳寿さん書いているがな。

259 :檀君:2005/05/03(火) 20:29:54
神社の祝詞は、筑紫の日向の高天原〜という文言からはじまります。
記紀神話の舞台も、ほとんどが九州です。

九州の王族が、畿内に遷都した証拠と言えます。

260 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 20:34:49
>>254畿内説者君
早く>>245のゴールデンウィーク特集やろうよ
畿内に巨大古墳があるのはよく解ったから
早く 早く
三世紀当時、畿内に 鉄器や貨銭や漢鏡や絹や韓式土器が広く分布していたんだよね。プッ プップ…

261 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:35:27
わてら関西人はな、まずは、目に見えるものを信用するねん。
九州説の人かて、実際には仁徳天皇の前方後円墳かて見たことない人は多い
やろ。そのあんたらな、いっぺんは見てみいや。
それでもって、九州説から畿内説に翻っても、誰も責めへんサカイ。

262 ::2005/05/03(火) 20:36:53
それでも畿内に女王国があったというのならば、以下の如くとなる。
畿内の近隣に外界から隔絶した前人未到の奥地に女王国があったと仮定すればだ、
確かに大和朝廷にその秘奥の地の情報が入らぬという特殊なことが起こる。
そしてだ、この密室的秘境は伊賀甲賀の山奥以上に情報が外部に出ないくらい
でなければ朝廷にその所在がばれてしまうだろう。ばれれば、秘境女王国の記載が記紀
にいずれは暴露されてしまうこととなる。さらに、伊賀甲賀よりももっと腕のたつ
下忍に下命して、朝廷にわからぬように中国へこの秘境国の存在を教示するよう
忍者を旅立たせる秘策となってくる。さもなければ、極めて耐久力の強い伝書鳩以上の
鳥(鴨じゃあなく)の、プテラノドンのような少年ケニヤにでも登場するような
飛竜に文書をくくりつけて飛ばし大和朝廷に隠密裏に中国まで秘文を届けさせる
というやり方、このような極めて特殊な手段方法が行われたんだとなればだ、お〜や
畿内説が成立出来うる余地がありうる。果たしてそのようなことがやれるのであろうか?
これでは畿内説は冒険小説だwということとなるのである。www

263 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:39:44
檀君さん。記紀と古墳はどっちが古いんかいな。記紀の成立年代の方が、
前方後円墳より古いんか。どっちか、答えてえな。早く早く早く。

264 ::2005/05/03(火) 20:40:10
仁徳天皇陵は、余も参拝している。それとこれとは直接関係ない。

265 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 20:43:27
邪馬台国は尼崎です。完

266 :畿内説者:2005/05/03(火) 20:44:11
少年ケニヤとはナンゾイ。今は邪馬台国の話と違うんか。
スレまちごうとるか、思て、慌てたがな。
もっと、端的にストレートにわかりやう説明してや。

267 ::2005/05/03(火) 20:53:06
>>266
だからだ、何でだ。日本国内にあったはずの女王国の記述が、
日本の最重要古文献である記紀に記述がなく、
皮肉にも外国である古文献の魏志倭人伝のほうに、詳細にその記述がなされている
のか?むしろ日本国内にあったのだから日本の古文献にこそ、倭人伝以上に
その記紀にさらに細かく具体的に女王国と卑弥呼の記述がなされてよいはずでは
ないのか?しかしながら、現実は皮肉にもその逆ではないか?
これはいかような意味を有するものなのか?
当たり前である、女王国が大和朝廷と交流できにくい九州の所在となれば
矛盾は起こりにくいのである。

268 :アフォらしい:2005/05/03(火) 20:55:57
同じ九州でも記紀の日向じゃ高句麗とは結びつかん・・・何を言い出すやら。

269 :檀君:2005/05/03(火) 21:11:54
>>268

おっと、言葉足らずで失礼した。

北九州では、1世紀頃まで甕棺という埋葬儀礼だった。
これは、倭国独自の様式で、この時代まではれっきとした倭人の国だった。

その後、朝鮮(おそらく百済系)から渡来した王によって、高度なクニ造りが行なわれ、
朝鮮式の外交辞令に準拠した形式で、漢の光武帝に朝貢した。
倭面土(やまと)國王「帥升等」だ。詳しくは>>202を読むように。
そして邪馬台国になった。場所は、当時で言うところの筑紫の日向だ。

一方、山陰、加賀方面には高句麗の難民がおしよせていた。
邪馬台国は、畿内に遷都したとき、高句麗の難民と合流し、
大和朝廷を興したのである。

270 :檀君:2005/05/03(火) 21:40:06
当時の状況をよく考えるといい。
高度な知識や技術力があり、通訳が出来、読み書きが出来るのは渡来人である。

宮廷に重用されたのは、渡来人であったはずで、
遅れた物知らずの倭人は、都の外で土蜘蛛のように暮らしていたはずである。

大和建国に渡来人が深く関わったことは容易に推察できるのである。

271 ::2005/05/03(火) 21:48:48
檀君の言う遷都の都名は無名しというわけか?

272 :アフォらしい:2005/05/03(火) 22:44:04
横穴式石室の話はどうなった?
4世紀、畿内前方後円墳国に凌駕蹂躙されちまった九州邪馬台国は、
5世紀になると新兵器の横穴式石室を使って盛り返し、畿内に侵攻したわけなんだな?

273 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:54:30
たんくんのにほんし〜
日本には洋書が沢山あふれている。英会話スクールがはやっている。
ちょんまげをしていない。
つまり、今の日本人は江戸時代の日本人とは別の民族である。
今の日本人はアメリカ人の子孫といって間違いはない。
それが証拠にステーキをおいしそうにほおばっているし、マクドナルドに
行列を作っている。
江戸時代の日本人が先祖なんてでたらめです。
天皇家はアメリカからやってきました。

274 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:59:07
たんくんのにほんし〜ぱーと!つー!!

九州に新田原というところがあります。
なんと読むかというと、「にゅーたばる」とよみます。
新=ニューなのです。
よって、日本人の先祖はアメリカ人と証明されました。
日本には沢山のアメリカ文化が流入し、発展しました。

275 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:00:06
疲れた・・・。

276 :檀君:2005/05/03(火) 23:20:01
播磨風土記をご存知だろうか?
ググってみたが、良い資料は見あたらなかったので、
各自図書館で確認して欲しい。

参考までに、ここに、「針間山門領御宅」という文言がある。
ttp://www.d3.dion.ne.jp/~stan/c_tenno.htm

「針間山門領」というのは、「大和朝廷の領地の播磨」ということである。
「山門」とは、もちろん、九州の山門のこと。
つまり、「大和朝廷」=「山門」と、播磨風土記は明記しているのである。

俗に言う、「山門」と「大和」は、上代カナ使いで、発音が違う、というのは誤りで、
古代の人は、明確に発音の区別はしていなかった。
むしろ、上代カナ使いは、地方の方言だったと考えるべきものなのである。





277 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 00:15:36
>>276
だからお前は思いつきで書くなよ…

278 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:00:58
九州のマキムク型前方後円墳が玄海灘沿岸地域に広く分布する事実は、畿内瀬戸内
連合のうち、特に大和勢力と政治的連携があったことを証明している。
九州説者にとっては、壱与の邪馬台国も九州になければならないが、最近の考古学の
知見では三世紀以前から北部九州に近畿的要素をもつ異物遺跡があらわれているから
九州説は考古学上、うまく説明できなくなっている。

279 ::2005/05/04(水) 09:04:52
考古学は重要だが、あんまりあてにすると、うまくない。
なぜか?これから10年後、30年後、50年後、100年後に考古の見解はくるくる変わる。
だから、参考程度にしたほうがよい。

280 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:14:33
三世紀後半から、より大規模な前方後円墳が西日本を中心に出現する。
それらの出現期の古墳はいずれも前方後円形ないし前方後方形の墳丘をもち
長い木棺を竪穴式石室に納めた埋葬施設や、銅鏡をはじめとする副葬品など
きわめて画一的内容をもつ。
このことから古墳は各地の首長たちの共通の墓制としてつくりだされたもの
であり、その背景には古墳の出現にさきだって広域の政治連合が形成されて
いたことになる。

281 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:18:54
出現期の古墳の中でもっとも規模の大きなものは、大和に見られる。
このことは、この時期の政治的な連合が大和をはじめとする近畿地方の勢力が
中心となって、形成された証である。

282 ::2005/05/04(水) 09:20:58
九州説が考古学上、うまく説明が出来ないということは、考古学の見解になんらか
の無理な考察、結論があったのだ。このスレのものは言うまでもなく人間だが、考古側も
「考古学」という看板を下げているだけで、やはり人間だから、権威付けの力にて
誤魔化されないようにする必要がある。各自個人的考古学人だからな。

283 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:22:35
出現期の古墳で最大規模のものは箸墓古墳である。
同じ出現期の岡山の茶臼山古墳、福岡の石塚山古墳をはるかにしのぐ規模である。

284 ::2005/05/04(水) 09:27:29
大きいのはわかった。しかし、卑弥呼の墓という記述は記紀にない。
朝廷の近隣にあって生前の卑弥呼の記述もないということは当然別人の墓だな。

285 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:29:35
檀君の初見に明らかな間違いがあるので指摘する。
諸氏もすでにご指摘の通り、
横穴式石室が一般的になるのは
古墳時代も後期のことだと、教科書にすら書いてあるし、かつ
白石太一郎氏もかく言っているし、いわば考古学の常識だ。
檀君氏は、以後、注意して発言されたし。

286 :檀君:2005/05/04(水) 09:34:14
横穴式石室が朝鮮由来という事実が重要なのである。

大和朝廷が、朝鮮の墓制(宗教観)を受け入れたという証拠なのである。

287 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:35:27
太氏、もっと学問的根拠に基づいた発言を望みたい。
貴君におかれても、よもや、かりそめにも、記紀の方が考古学を上回る信憑性
を持つとは、いみじくも、考えてはいまい。貴君の有する考古学事実知識の
不足を摩り替えてはならない。

288 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:41:25
檀君の、由来、由来ということでは普遍性が欠落しているから、学問的討論
のルールを無視したものと断ずるほかない。
太氏に反論する。考古学を凌駕しているというのが、貴君のいう記紀学なのか。

289 ::2005/05/04(水) 09:42:26
貴殿のほうにも知識の不足があるのをこちらもおおむね分かる。
記紀をなめたらいかんぞ。考古学という大駒を振り回さなくても、畿内論者には
6枚落ちで十分だからだ。w

290 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:44:58
檀君氏、このスレタイは
邪馬台国は大和朝廷になったのか、だ。
成立した大和朝廷が横穴式石室を受け入れたという議論はテーマではない。

291 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:47:35
太氏、重ねて言う。
このスレは舐めたりなめられたりすることを本旨としない。
学問版のスレだ。

292 :畿内説者:2005/05/04(水) 09:51:46
前方後円墳を考古学史料とした場合においての、畿内説と九州説を
検証比較して、学問的解明を図りたいというのが小生の趣旨である。

293 ::2005/05/04(水) 09:52:55
>>287
学問的根拠以前の問題で片付けられるだろう。
女王国の記述が中国側に載っているのに対し、女王国のあった日本側のに
書かれていない厳粛な事実をまず考えてみろ。
学問的根拠などという言い方からして、権威付けの大駒の力で片付けようとするから
畿内説という誤りを貴殿は結論付けるんだよ。
学問的根拠というやり方もおおいに結構だが、これさえも悪手になるのだよ。

294 ::2005/05/04(水) 09:55:43
>>291
貴殿は考古学以下に記紀を見下している。つまり記紀をなめているではないか?

295 :畿内説者:2005/05/04(水) 10:12:14
記紀に邪馬台国や卑弥呼の記述がないからという根拠のみにて、畿内説を
否定するのは、学問討論においては、理不尽である。理由を書く。
卑弥呼はアマテラスとして投影されているではないか。
ついでに、君がなにゆえに、厳粛という語彙をあえて用いるかも教示願う。

296 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 10:17:45
アマテラスおっさんだってイッテルだろ

297 :畿内説者:2005/05/04(水) 10:20:13
むしろ、記紀は畿内説のバックボーンというのが一般の通説である。
記紀は畿内説の拠り所と一般には解されている。
太氏がこのスレの住人から何回も繰り返しスルーされている原因を
思い給え。貴君は要するにズレているのだ。檀君未満としかスレ住人は
貴君をみなしていないのだ。
思い当たるフシは多々あるだろう。

298 ::2005/05/04(水) 10:31:17
無記述がバックボーンか?w

299 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 10:32:42
エラク、まともなヒトが登場しちまったなぁ。
太以外の人間は、もうほとんどネタスレ扱いにしてたんだがな・・・・


300 ::2005/05/04(水) 10:42:03
>>295
厳粛という言葉に驚いているのか?
普通ならば、記紀に女王国の記述があり、魏志倭人伝のほうにその記述がない
というふうになるべきではないのか?
何となれば、女王国は魏、中国にあったのではなく、日本にあったのだからだ。
それが皮肉にも逆になっているんだよ。
これに関して、おおいに疑惑をもつのが当然ではないのか?何故だろうと?
その皮肉を厳粛な事実と言ったまでよ。
ならば、女王国の九州所在は認容するのがやむをえぬとなるのだ。

301 :檀君:2005/05/04(水) 10:43:15
>>290
>成立した大和朝廷が横穴式石室を受け入れたという議論はテーマではない。

それは違う。

「なぜ、大和朝廷が横穴式石室を受け入れたのか?」が問題なのだ。
「北九州で朝鮮と繋がっていた民族が、大和朝廷になったから」というのが答えなのである。

当方の主張は常に一貫したものである。


302 :鴨禰宜:2005/05/04(水) 10:49:59
邪馬台国の時代の前から布留式土器/箸墓古墳/纒向都市が存在したか、あるいは、
しなかったかが畿内論成立の決定要素となる。これはC14編年によりかろうじて畿内論
が成立する。かりに、畿内論が成立しない場合、直ちに九州論が成立するような、
邪馬台国時代の遺跡はない。邪馬台国時代よりやや古い遺跡としては、平原遺跡、楯築
遺跡がある。特に楯築遺跡の辰砂集積量は大王クラスである。楯築遺跡の方面から
纒向、箸墓古墳には特殊器台と言う儀式の中核部分の技術が流れている。

303 :鴨禰宜:2005/05/04(水) 11:00:24
楯築遺跡の成立には出雲の文化が大きな影響を与えている。九州から到来したものと
しては秦氏の痕跡が楯築方面に強く残る。こういうことを考えると九州から東進した文化は
出雲と楯築に入り、それが丹後・東海地方の勢力と合流して淀川流域を横断南下して
纒向に向かったという流れを想定するのが自然であり、神武東遷の話は非常に大筋でしか
事実とはあっていない。

304 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 11:35:45
卑弥呼は3世紀、記紀編纂は8世紀のこと。
500年も昔のことなら、きちんと卑弥呼のことが伝わっていないことも
充分考えられると思うが。
だから記紀編纂者たちは、卑弥呼=神功皇后という混乱を起こしているわけだし。

305 :畿内説者:2005/05/04(水) 11:50:23
大塚初重氏という明治大学名誉教授は次の通り言ってる。
北部九州から近畿地方までの弥生時代終末は西暦250年頃という最近の
年代観に立つ限り、箸墓古墳は三世紀中頃か新しく見ても三世紀後半代の
築造と考えざるを得ない。
箸墓古墳の周辺測量調査をおこなった白石太一郎氏に確認したところ、卑弥呼
の墓の可能性があるとの考えを示された。つまり、三世紀中頃の埋葬としている
わけだ。
卑弥呼の死亡した年次は倭人伝に拠ると248年。
陳寿は邪馬台国を女王卑弥呼の都する所と記している。
ならば、大和政権は大和邪馬台国の系譜とするのが自然というものだ。

306 :畿内説者:2005/05/04(水) 12:03:54
布留式土器に関してカモネギ氏を補足する必要を思い、以下記す。
箸墓古墳は宮内庁が管理しているが、周辺は民有地であるため、この十年
数次にわたる発掘調査がおこなわれている。
布留式土器とは、
箸墓古墳の前方墳丘裾付近と周堀の底に堆積した土砂から発見された土器だ。

307 :畿内説者:2005/05/04(水) 12:11:26
箸墓が卑弥呼の墓とばかりと主張しているものではない。
五十歩下がっていってもよい。
壱与の墓としてもよい。邪馬台国が大和朝廷になったことに変わりはない。
森浩一氏も、僕は、箸墓古墳が台与女王の墓所の可能性は五割方あると
考えている、と述べている。

308 :畿内説者:2005/05/04(水) 12:24:18
箸墓古墳の北側一帯がマキムク遺跡だ。マキムク遺跡は弥生時代から古墳時代
初期まで連続する大規模な集落遺跡だ。このマキムク遺跡には吉備地方特有の
葬送儀式用の弥生後期の特殊器台形や特殊壷形の供献土器が出土し、その他の
地方の土器が出土している。
マキムクの地は邪馬台国の都といってよい。

309 ::2005/05/04(水) 12:24:50
大体、邪馬台国そんな国は過去に存在していない。あったのは邪馬壹国だ。その
500年以前の神武〜成務が伝承されている。勢力の大きな国の筈なのに卑弥呼が無伝承
のはずはなかろう。

310 ::2005/05/04(水) 12:30:10
マキムクが大和朝廷に関して、前人未到の情報の外部の漏れない隔絶した奥地だったのなら
女王国畿内説の成立する余地が出てくる。はたして、そのような条件をクリアできうるような
地理的状況があるのや否や?
漏れていなければ、記紀に、なるほど、載ってないのは即合理的ということとなる。

311 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 12:32:16
マキムク=真東向く

byホツマツタヱ

312 :畿内説者:2005/05/04(水) 12:40:25
太氏は、大まじめに、記紀に政治的配慮がなされている一般常識をご存知ないらしい。
記紀に記事がないことを自説の根拠にするとは、太氏はよほどの初心者とお見受けした。
よって、我輩は貴君のスレは今後スルーすることにするー。

313 :畿内説者:2005/05/04(水) 12:43:20
もう少し学識知識のあるスレ論者の登場を待つ。

314 :檀君:2005/05/04(水) 12:49:04
>>313
>太氏は、大まじめに、記紀に政治的配慮がなされている一般常識をご存知ないらしい。

同意だが、では、貴方は倭人伝にはどのようなバイアスがかかっているか、
あるいは事実がどこまで書き記されているか、考えを伺いたい。
答えられなければ、太氏への反論は無効となる。


315 ::2005/05/04(水) 12:52:20
プププ!政治的配慮だと?
記紀の編者が女王国を隠匿のため記述しなかったというのかい?
隠したって、通常の平地にあったというのなら畿内と近隣に位置するはずとなる女王国の
周辺に、いくらでも住民がいるのだから、隠匿してもバレるに決まっている。
多数の住民の口封じは無理なわけだから、必ずや無記述とした女王国の所在が露見する。
記紀の編者にとって、女王国の存在が困るというならば、記紀にその悪口というか、
女王国の好ましくない批判を多数羅列し反対に朝廷を良く言うように記載すれば、
隠匿しなくてもこと足り、朝廷の存立にそんなに不利になることはないはずだ。
従って、記紀の編者が女王国を隠匿する必要はないということとなるのだ。

316 ::2005/05/04(水) 12:58:56
>>314
常識などという言葉でごまかすなって。
バイアスがどこからかかかっているなら、なぜ伝の女王国の存在を信じるのだ?

317 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:00:57
>314
アンタの人格にもどんなバイアスがかかってるのか話してほすぃ。

318 ::2005/05/04(水) 13:03:32
檀君どのか〜。失礼した。畿内説者と間違えました。

319 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:18:48
檀君くん。317さんのいうとおりだよ。檀君の人格のバイアスの方に邪馬台国以上の
謎を感じて興味深いな。
太君。君の文章を見てて思うけど、どうも日本語にご不自由な人みたいだね。

320 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:25:20
>>315
だから〜
何故、記紀の編纂者が、500年前の女王国について、そんなにまで
配慮をしなけりゃならんのだ?
あなた、論点がズレてるよ。

記紀に邪馬台国のことが正しく伝わっていないからと言って、
邪馬台国が北九州にあったという根拠にはならない。
近年の考古学の成果を無視して、九州王朝説や九州説を唱えるのは
学問的態度とは言えないな。

321 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:28:16
檀君も日本語が不自由なお人だな。自分の314を読み返してみなさい。
たった、三行の文ですらも、自ら、意味不明とは思わんのかね。

322 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:32:25
檀君と太君とがお二人でスレするスレを別に作れよ。
ズレスレ草なんてタイトルがお勧め。

323 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:32:45
>320
太とコミュニケーションを取ろうとする貴方の学問的試みは価値があると思うが
ここは、同じ学問板でも史学板だからなあ、板違いですな。

324 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:36:04
そりゃあいい。いいよ。隔離スレ、ズレスレ草でおふたりとも
アヤシュウコソ、モノグルオシケレ、でさ。

325 ::2005/05/04(水) 13:46:04
>320
それじゃ、何?邪馬○国は台湾や他にでもあったということまでも大幅に認めろ
というのか?それに九州とは言ったが北九州とは言っていないぞ。

326 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 14:14:53
だれかさ、太君の話している日本語らしきものをさ、普通の日本語に翻訳
してくれる人は、いませんか。チンプンカンプンという意味を生まれて初めて
実感した貴重な体験を今してる。




327 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 14:17:51
この二人がいるんじゃ、誰もまともなスレは立てないと思うから、さよなら。

328 :檀君:2005/05/04(水) 14:45:55
畿内論者が言うことは、卑弥呼の時代に、
箸墓のような巨大な前方後円墳のデザインを畿内の人間が造ったというだけのこと。
邪馬台国とは何の関係もない。

貴方の理論でいけば、10000年後の人間は、
大山古墳を見て、日本の首都は大阪だったと思うだろう。


329 :檀君:2005/05/04(水) 16:10:21
要するに大和朝廷の人も文化も全てが朝鮮半島からの由来である。
このスレの日本人はイデオロギーが邪魔して客観的な史実を認めようとしない。
実に見苦しい。

330 :檀君:2005/05/04(水) 16:16:16
>>329は偽者

だが、言ってることは正しい。

331 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 16:17:19
なあ、レスをスレって言うのって流行ってんの?

それから、壇君は消えろ。あらゆる意味で迷惑だから。

332 :檀君:2005/05/04(水) 16:37:13
>>331
君が消えれば問題は無い。
最低限、このスレについていけるような知性と教養をつけるまで戻ってこなくてよろしい。

333 :檀君:2005/05/04(水) 16:58:56
>>332は偽者

だが、言ってることは正しい。


334 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 17:28:13
このスレの参加者は、何時まで議論していても平行線もっと冷静に考えよう。
そもそも
畿内⇔九州北部(約500q)三世紀の交通手段又は情報収集にお互いどのような接点があるか
その辺りからお互い意見交換をすればいいんじゃないか

昔、情報伝達に『狼煙』とほざいたヤシがいたが
それは論外だ
解るだろう。
畿内⇔九州間を狼煙で何伝えるの?

335 :檀君:2005/05/04(水) 18:22:46
>>334
まずは大和朝廷の人も文化も全てが朝鮮半島からの由来であることを認めることが前提だ。
所論はそれから拝聴しよう。


336 :檀君:2005/05/04(水) 18:23:47
>>335は偽者

だが、言ってることは正しい。

337 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 18:27:03
檀君が壊れたw

338 :連休:2005/05/04(水) 18:33:16
334だが
檀さん そうじゃないだろう。
人それぞれ考え方が違うんだ、それを急に認識させようと考えても無理な話
だからこそ今までお互いの話題に上がらなかった材料で
議論を進めた方がいいと提案してるんだよ

339 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/04(水) 18:38:51
>>>
要するに大和朝廷の人も文化も全てが朝鮮半島からの由来である。
このスレの日本人はイデオロギーが邪魔して客観的な史実を認めようとしない。
実に見苦しい。
>>>


ま、そういうことだ。
わしも日本人だがな。

日本人は誤魔化すのが得意で
誤魔化せればそれが上策・世の中と思ってる人種だから
哀れんでくれ。
(最近の列車事故でも検証してくれ、あれが現代日本人のレベルだ。)

340 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 18:39:24
私のホームページに遊びに来てね
日本人はクォンサンウにひれ伏すニダ
文句がある人はコメントで正々堂々論戦しましょう

http://blog.goo.ne.jp/aska920power/

341 :檀君:2005/05/04(水) 18:47:23
>>336は偽者

だが、言ってることは正しい。


342 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/04(水) 19:16:04
>>>
要するに大和朝廷の人も文化も全てが朝鮮半島からの由来である。
このスレの日本人はイデオロギーが邪魔して客観的な史実を認めようとしない。
実に見苦しい。
>>>


ま、そういうことだ。
わしも日本人だがな。

日本人は誤魔化すのが得意で
誤魔化せればそれが上策・世の中と思ってる人種だから
哀れんでくれ。
(最近の列車事故でも検証してくれ、あれが現代日本人のレベルだ。)

反論できるのも現れんだろな。
事実だからな。

343 :連休:2005/05/04(水) 19:56:25
畿内にしろ九州にしろ違った文化が各々育まれ 交通手段ならびに情報伝達の進歩により両者の文化が
少しずつ交じりあってきた。
二つの文化が交じり合うとき、両者が共に繁栄するのではなく、どちらかに吸収される形となる
それがマキムクの文化を基礎とした大和朝廷である
半島文化は、押し付けられたのではなく
必要だから前向きに人も物も受け入れたに過ぎない
騎馬民族や神武東征は
想像や本の中での出来事ね

344 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 19:57:02
>檀君

偉大な朝鮮民族の祖が作ったという大和朝廷は、何故その出自を偽るのだろう?
朝鮮神話に繋げる話では何か都合が悪いのだろうか?

古代三国の開祖譚

句麗高氏  天帝と河神の子 
新羅金氏  捨て子 
百済余氏  高句麗王統開祖の子孫

神武天皇  天孫族と海神の子

345 :連休:2005/05/04(水) 20:29:15
大和の民にしてみたら
出雲や吉備の人々も異国の人
増してや半島や九州のヤシは
宇宙人
そんな感覚で考えないと大局を見誤るぞ

346 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 20:46:07
>要するに大和朝廷の人も文化も全てが朝鮮半島からの由来である。
>このスレの日本人はイデオロギーが邪魔して客観的な史実を認めようとしない。
>実に見苦しい。

まあ、かなり偏った考え方。
今の国家の枠組みで必死に古代を語る時点で、かなり、変なナショナリズム
に毒されてるとは思う。

それと、君のその主張が邪馬台国時代の話と、どう関わってくるのか?
どうしてその話が、邪馬台国が北九州にあったことの論拠になるのか?

347 :檀君:2005/05/04(水) 20:50:32
大和朝廷が政治を行なうためには漢字で書かれた文字を操る必要がある。
文字を読み書きできたのは渡来系の氏族のみである。
なぜなら、文字というのは暗号でもあり、
たやすく部外者に教えてよいものではないからである。
また、土器に線刻などで文字が刻まれていないことから、
一般庶民に文字が普及していなかったことがわかる。

極論を言えば、大和朝廷の天皇・官僚すべてが渡来系であっても驚きは無い。
問題は、渡来した時期だが、天皇家は西暦1世紀頃であろう。
北九州で甕棺が消滅し、帥升等が朝貢した頃である。




348 :檀君:2005/05/04(水) 20:53:06
帥升等が、初期の倭面土(やまと)國王である。
倭面土(やまと)國王が、邪馬台国となり、
朝鮮半島の動乱の影響で、東征して大和朝廷となったのである。

349 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 20:57:58
>>348
なんで、そんな極端な征服史観に固執するのか? まともな論拠すら示せて
ないのに。

朝鮮>倭でないと、何か都合が悪いの?


350 :連休:2005/05/04(水) 21:03:27
壇君に質問したい。

何故東征した先が大和なのか

351 :檀君:2005/05/04(水) 21:09:16
>>350

「九州の邪馬台国が東征して大和朝廷になった」が否なら、
「大和朝廷は高句麗人が3世紀に建国した」となる。
理由は過去レスを読まれたし。

当方は、「高句麗人が3世紀に大和を征服した」と考えるよりも、
「天皇家が1世紀頃に北九州に渡来し、東征して大和朝廷になった」と、
朝鮮の影響は、できるだけ緩やかなものだったと考えたい。

「朝鮮の影響は、全く無い」というのはウヨクの妄想なので念のため。



352 :要するに『朝鮮>倭』であれば、後はどうでも良いわけだな。:2005/05/04(水) 21:16:12
やっと、本当のことを言ってくれたね。
と、言うことで『タン君シリーズ』は終了です。

353 :檀君:2005/05/04(水) 21:19:11
どの考古学の本を読んでも、
先進の文物(織物・鉄)を掌握していた氏族は、
「渡来系」という見解で一致している。
それを「縄文時代からの倭人の末裔」という見解をとる考古学者は居ない。

間違ってるなら、実例を出して反論せよ。


354 :檀君:2005/05/04(水) 21:25:47
>>352
>要するに『朝鮮>倭』であれば、後はどうでも良いわけだな

そんなことは、言ってい無い。
縄文土器などは、世界に誇れる日本文化の証であるし、
漆の技術も進んでいただろう。

しかし、それとこれとは話が違うというだけのこと。
より高度な文明をもたらし、大和朝廷を興した弥生人=渡来人なのである。
誰も否定できないことだ。
拒否感を抱いているのは、おまえたち2ちゃんねら〜だけだよ。


355 :連休:2005/05/04(水) 21:31:01
異国のヤシがその実権を握ることは決して不可能とは言わない
しかし、そのような政権も地元民の反発から短命に終わるのも歴史の常だ
日本は大陸ではない。
辺境な比較的閉鎖的な島国だ
異民族を長期間政権の頂点に君臨させる民族ではない
これは決して国粋主義的思想ではなく
現在も根強く持つ日本民族の性だ

356 :檀君:2005/05/04(水) 21:39:48
>>355

同意。
土着の勢力の神が三輪の大国主だっただろう。
大和朝廷も、祟りを恐れて、大国主を祀ったと記紀に明記している。
その巫女の墓が、「箸墓」なのだ。
墓の大きさ=土着勢力の祟りへの恐れなのだ。
箸墓(前方後円墳)は、いわば土着勢力を諫めるための斎場なのだ。
天神(渡来人)が、日本を治めるために必要だったのだ。

それをまあ卑弥呼の墓などとよく解釈できたものだ。



357 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 21:46:01
朝鮮半島よりも前方後円墳が日本の方が先なのはどうしてだろう?

358 :連休:2005/05/04(水) 21:47:48
明治維新を忘れてはいけない
黒船に刺激され多くの下級武士集団が巨大な幕府を倒した訳じゃない
彼等志士達は 名も無き商人や一般民衆に援助され
飢える事なく目的を達成出来たのだ
民衆の支持を得られない異国の権力は
補佐的な役割以外この国で生き延びる道はない

359 :檀君:2005/05/04(水) 21:49:12
高句麗積石塚が前方後円墳のルーツという説を知りませんか?

360 :檀君:2005/05/04(水) 21:51:40
>>358
記紀にも、多くの氏族の反乱の痕跡を見て取れます。
記紀読んだこと無いの?


361 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 21:53:29
>>359
それは北朝鮮の妄想でしょ
韓国の学者でさえ否定している

362 :檀君:2005/05/04(水) 21:55:20
>>361
韓国の誰が否定してるって?
韓国の前方後円墳のことじゃないの?

疑問に思うことがあったら、この機会になんでも聞いてください。
答えられる範囲で、疑問にお答えしましょう。
連休中はつきあえると思うよ。

363 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 21:58:22
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=1218108&work=search&st=subject&sw=古墳&cp=1
北朝鮮の主張する前方後円墳・・・

364 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:05:28
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012f2.jpg

これが前方後円墳の始まりだとは・・・

365 :連休:2005/05/04(水) 22:05:41
>>360
の、壇君の発言は矛盾しているぞ
『記・紀』の記述を重視するなら(太君)のこだわりも理解してあげなければなるまい

366 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:13:50
人類の進化を見ているのではない
崩れた形の前方後円墳が時間経過とともに綺麗な形に整ってくる
『阿保抜かすな!』

367 :檀君:2005/05/04(水) 22:15:01
>>365
それは勘違いでしょう。
当方は、記紀も尊重している。

368 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:16:01
>>362
ちなみにnaverで見つけた韓国側の記事だったが
その例の高句麗積石塚が前方後円墳で始まりだと北朝鮮が主張したが
韓国の学者がサンプル数が少なすぎてそれが日本の前方後円墳の起源と
言うのは乱暴な話。と否定した記事があったが
韓国人がスレッドを消してしまったようだ・・・

369 :檀君:2005/05/04(水) 22:19:17
子曰学而習時

370 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:23:18
檀君さん
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012f2.jpg

これが前方後円墳の始まりなんですか?
あまりに違うと思いますが

371 :檀君:2005/05/04(水) 22:34:54
>>370

その墓が直接のルーツというわけじゃないよ。
塚をつくって積石で覆うという様式のことを言っている。

日本の本来の御神体は、自然の山だったり岩だったりしたもので、
墓に盛り土をしても積石で覆う習慣は無かった。

積石(葺き石)で飾る習慣が、朝鮮由来だということさ。わかったかな?

372 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/04(水) 22:39:45
日本人は大多数は論理的に思考できないから基本的に駄目なのだ。

朝鮮渡来しかないのに
朝鮮の歴史も考古学遺物も平行で扱わず
つまらん土器や鏡などで畿内だ前方後円墳だと騒ぐ。

基本的に学問はできない民族なのだ。
学問風の付和雷同が得意だな。

373 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:39:51
狗奴国は邪馬台国の南って事になってるけど
もし九州だったら同じ島のなかで同じぐらいの勢力を持つもの同士が
いたってことですか?

374 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:40:29
だからさあ、消えろよ檀君。
お前は誰がどう見ても電波なのに何で偉そうにしてるの?

375 :連休:2005/05/04(水) 22:41:42
前方後円墳の始まりは前方後円墳だよ
もし、参考とした墳墓があれば、それは円墳
事の始まり何て難しく考えないで

どっかの負けず嫌いの権力者が人と違った墓場を作りたかったから
それを見たバカ殿連中がこぞって真似して全国に広まった。
だから時代が下がるに連れ色々な形の古墳が造られる
権力誇示の古墳なら、円墳を巨大化させるだけで事足りるだろう

376 :日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:48:23
>今の国家の枠組みで必死に古代を語る時点で、かなり、変なナショナリズム
>に毒されてるとは思う。

檀君はこの文章を百万回唱えるようにw

377 :檀君:2005/05/04(水) 22:53:17
>>373

北九州の邪馬台国に対する、葦北地方で栄えたクニが狗奴国だろうね。
まさしく渡来系の王に逆らった土着の王だったのだろう。
後の熊襲になったと思われる。



378 :連休:2005/05/04(水) 22:59:19
壇君
藻れは君の意見を全否定するつもりはない
君の史観にも正しい内容が多く含まれていると思う。しかし100%ではない
自分のレスは50%の未完と思いカキコしたらどうだい
藻れの基本は>>343>>355
だよ

379 :檀君:2005/05/04(水) 23:12:51
>>378

連休氏の考え方も悪くないと思う。
ただ、当方から見ると、どうしても楽観的に見える。

よく、0か100しかないのか?と問われているが、
支配者は、「50-50で支配しましょう」などと、そんな曖昧な支配はしない。
100で支配しなければ、いつか自分が殺される。
そうして支配者が殺し合い、政権交代した歴史も記紀から読み取れる。
天神を祀り、渡来系氏族が生き残り、物部氏が滅びていることからも、
勝利した支配者は渡来系とみるのが正しい認識である。



380 :連休:2005/05/04(水) 23:33:11
壇君
確かに当事者達は命がけでしょう。
だからといって現代の私達まで付き合うことはないと思いますよ
古代史何てどんな証拠や根拠を示したとしても100%などは望めない、何処かで必ず推測が入り込む
その推測を異考者が指摘し、最終的に堂々巡りの不毛な議論と化す
特にこのチャネラーの住人諸氏は隙間狙いの天才
ムキになればなるほどド壷にはまること必死
リラックス・リラックスですよ

381 :檀君:2005/05/04(水) 23:47:48
>>380

100パーセント確かなことはわからないでしょう。
しかし、99パーセントまでは推測できるはずです。

天皇家は、渡来系か、縄文時代からの土着の豪族か、
貴方はどちらだと思っているのでしょうね?

即答できなければ、ただ現実から逃げているだけです。
結論をはっきりさせますが、常識で考えても「渡来系」ですよ。

382 :連休:2005/05/05(木) 00:22:12
壇君
貴方の言っている『渡来系』の意味をどうとらえればよいか判断がつきません。自分の考えとしては
半島から大和に来て即天皇とは考えておりません
土着の権力者あるいは他国の権力者との混血と考えてます。
それに、天皇が土着の権力者の流れで、渡来系の神輿に乗せられ 時が経ち徐々に混血のパターンも有りでしょう。
真実なんか解りませんよ

現実逃避と捉らえてもらっても結構。

383 :連休:2005/05/05(木) 00:33:46
でも、貴方の考え方は少し変ですよ
鎖国していた江戸時代でも他国文化が数多く流入しているのです
当然国の制度が定まらない当時としたら
異民族や異文化が入り込み土着民や文化と混じり合いするのが自然でしょう。
それを天皇というピンポイントで枠組みをしてしまうことはナンセンスですよ

384 :連休:2005/05/05(木) 00:47:14
少な過ぎる資料の中からの判断で100に限りなく近い数字を弾き出そうとする姿勢は
別な意味で『バリバリの国粋主義者』(それも、影でハングルの文字が見え隠れする)の様に映りますよ

もう少し柔らかな考えが持てない限り貴方との意見交換もスルーと致します。

385 :日本@名無史さん :2005/05/05(木) 02:35:51
壇君って結局>>273>>274の朝鮮バージョンなんだろう?
よく本を読んでいることだけはわかるけど、どういう本?

386 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 04:17:54
いい加減、檀君も「渡来渡来」と言わずにw

邪馬台国東遷説が妥当かどうか、に議題を移しましょう。

387 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 06:31:31
日本人は大多数は論理的に思考できないから基本的に駄目なのだ。

朝鮮渡来しかないのに
朝鮮の歴史も考古学遺物も平行で扱わず
つまらん土器や鏡などで畿内だ前方後円墳だと騒ぐ。

基本的に学問はできない民族なのだ。
学問風の付和雷同が得意だな。

ここでも情緒的な文句だけで論理的な反論が出てこないw

388 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 07:23:19
>>387
>ここでも情緒的な文句だけで論理的な反論が出てこないw

その言葉、そのままあなたにお返ししますw


389 :檀君:2005/05/05(木) 07:27:57
>>382-384
問題を曖昧にしようとしてるのは貴方でしょう。
自分のレスをよく読みなさい。

「渡来系」をどう解釈するかなんて、そんな常識的な定義から始めないとだめですか。
「混血」それすなわち「渡来系」を意味します。「純血」ではないのですから。

>異民族や異文化が入り込み土着民や文化と混じり合いするのが自然でしょう。
いかにもその通り。

それを朝鮮文化の影響・流入と言うわけですが、他にどういう表現があるのか?

付け加えれば、渡来人集団が日本に来たとき、
土着民とお見合いパーティして一斉に混血したわけでもないことは理解できますね?
すべての渡来人の子孫が倭人と混血するには、少なくとも百年はかかったはずです。

また、渡来人の王族が、意味無く土着の倭人を娶ることはありえません。
倭人の豪族が、王に嫁を差し出す、あるいは権力を求めて婿入りするものです。
そこには渡来人>倭人という構図が確実にあります。
逆の構図はありえません。

なぜなら、現在の天皇家は天神系(渡来系)だからです。






390 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 07:41:48
日本人は大多数は論理的に思考できないから基本的に駄目なのだ。

朝鮮渡来しかないのに
朝鮮の歴史も考古学遺物も平行で扱わず
つまらん土器や鏡などで畿内だ前方後円墳だと騒ぐ。

基本的に学問はできない民族なのだ。
学問風の付和雷同が得意だな。

ここでも情緒的な文句だけで論理的な反論が出てこないw
いや鸚鵡返しもあったかw

391 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 07:47:39
奈良県橿原市の曲川遺跡で見つかった大型方形周溝墓は、すべて後世に削平
されていたんだよね。
大和でもやはり、すでに弥生時代中期に、王に近い人間が存在していたわけだ。

北部九州東遷説が主張していた、「畿内に大型の個人墓が見つからないことから、
王権の発生は無かった」という仮説は、徐々に崩れつつある。
やはり、畿内在地勢力が中心となって、西日本大連合が成立しマキムクを建設、
それが初期ヤマト政権となったのだろう。

392 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 07:48:28
大体、唐古鍵やら池上曽根とか、大規模な弥生遺跡が畿内にあるにも
関わらず、ことさら畿内在地勢力を過小評価。
マキムク以前と以後に断絶があるとしていた、東遷説の連中の論理展開に
無理があったんだよ。

3世紀初頭の倭国はいまだ群雄割拠の時代。
北部九州が畿内を征服して、西日本一帯を支配する統一王権を築いたなんて、
夢想に過ぎない。文献や考古学の証拠を出して欲しいものだ(神武東征[伝承]は
勘弁して下さいねw)
ヤマト政権の大王が、軍事的統一者として立ち現れてくるのは、4世紀末。
応神以降のことだろう。

393 :連休(こどもの日):2005/05/05(木) 08:35:57
壇君
そんなこと言ったら日本に住む人は皆、渡来系ですよ人の起源から始めなくてはいけないでしょうか?
縄文の民も又、渡来系ですよ
何故貴方はそれほどまでに渡来系にこだわるのですか私には理解出来ません。
船が発明されてから人は古代の方が自由に行き来しているのです。
現在みたいにパスポートやビザはなかったからね
『渡来系』などとこだわりを持たず丸く丸くなりましょう

日本の民は全てが渡来ビト南方北方大陸系が入り乱れ、現在の日本民族になったのだよ
今更、改めて『渡来系』等と
ナンセンスだよ

394 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 08:42:43
ヤマト政権大君の軍事的統一が四世紀末という見方はマチガイです。
370年前後です。根拠は七支刀銘文。

395 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 08:46:08
檀君の日本語は変なんだよ。
系、というのがそもそも曖昧抽象。

396 :檀君:2005/05/05(木) 08:48:50
>>263に関連して、記紀の信憑性について。

ちょっと前までは、史実を反映してるのは、欽明天皇以後だろうと言われていたものだが、
1978年、埼玉県稲荷山古墳(5世紀末の古墳とされる)から発見された鉄剣によって状況が変わった。
鉄剣に刻まれた「獲加多支鹵大王」がワカタケルと解読され、雄略天皇であると判明した。

これによって、雄略天皇の実在性が確実となり、
雄略天皇の頃には「史書」がすでに存在し、記紀も、過去の史書を参考に書かれたものとすれば、
倭の五王の時代・五世紀の倭国の様子についても記紀の信憑性が増してきたのである。

また鉄剣を作らせた乎獲居臣の祖は、オオヒコされ、
孝元天皇の皇子で四道将軍の大彦命だと考えられる。

しかし、ここでよく考えてみて欲しい。
乎獲居臣の祖は、大彦命であって孝元天皇ではないということだ。

つまり、「孝元天皇は実在していなかった」という証明なのだ。





397 :檀君:2005/05/05(木) 09:02:12
稲荷山古墳鉄剣の銘文の読み方の一例

辛亥年七月中記乎獲居臣・・・・・辛亥年七月中コワコの臣記す
上祖名意冨比[土危]・・・・・・・・・上祖名はオオヒコ
其児多加利足尼・・・・・・・・・・・・・其の児多かりたるに
其児名弖巳加利獲居・・・・・・・・・其の児名はテミカリのわこ
其児名多加披次獲居・・・・・・・・・其の児名はタカヒジのわこ
其児名多沙鬼獲居・・・・・・・・・・・其の児名はタサキのわこ
其児名半弖比・・・・・・・・・・・・・・・其の児名はハテヒ
其児名加差披余・・・・・・・・・・・・・其の児名はカサヒヨ
其児名乎獲居臣・・・・・・・・・・・・・其の児名はコワコの臣
世々為杖刀人首奉事・・・・・・・・・世々杖刀人の首(おびと)として奉事を為す
来至今獲加多支鹵大王寺・・・・・今に至りてワカタキロ大王の寺に来る
在斯鬼宮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・磯城(斯鬼)の宮にあり
時吾左治天下令・・・・・・・・・・・・・吾天下に(号)令し治むるを左(たす)く時
作此百練利刀・・・・・・・・・・・・・・・此の百練の利刀を作る
記吾奉根原也・・・・・・・・・・・・・・・吾(系譜と事跡の)根原を奉りて記す也

辛亥年を471年として、オオヒコはいつの時代の人だろうか?
乎獲居臣の7代前のようである。
子孫を残すまでの一代を20〜25年とすると、オオヒコの時代は296年〜350年。

あらまあ、丁度、邪馬台国が歴史から消滅した頃ですよ?
畿内に王権があったとしても、歴史が断絶し、
オオヒコの代(296年〜350年)から歴史が再スタートしたというわけ。

畿内に邪馬台国があり、大和朝廷に連続して繋がったとすると、ちょっと不自然ですね。




398 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 09:11:14
弥生時代の畿内に王権?
日本人はみな渡来人?

馬鹿を言うな。
弥生時代の畿内は銅鐸族の地だ。
唐子が沈むから巻向に移っただけで両方から銅鐸が出ているではないか。
銅鐸の共同祭祀を隠蔽する大和朝廷とは関係ない。
まして王権の遺物などどこにもない。

縄文以前のDNAグループT、Uで日本人の70%だ。
渡来人とはその後の弥生時代の朝鮮からの渡来人=DNAグループV、Wだ。
日本人は皆渡来人などと嘘を書くでない。

つまり原住民を征服した第二次渡来朝鮮人=大和朝廷を
渡来人というのだもともと記紀の言葉だからな。
第一次渡来人は縄文人と共生していた銅鐸族だな。


399 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 09:11:20
壇君
乎獲居臣の戸籍謄本でも役所からもらって来たのか?もう
君の相手をするヤシはこのスレには存在しないということだよ。
(連休)にも逃げられたようだし

400 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 09:11:52
記紀の信憑性については、本家スレ様のおっしゃる通りだ。
檀君のことさらの説を聞かずとも、
記紀はどこまで真実を伝えているか、が大方の日本人や学者のコンセンサス。
そして、自説主張において、イイトコドリ、するのがダレカさんだよ。
檀君氏、ついでに四世紀三世紀二世紀一世紀の記紀の信憑性については、如何。
それとも、五世紀からの記紀のみが信憑性ありとの珍説奇説を展開するかい。

401 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 09:20:01
>>398のお爺ちゃん
そろそろお家に帰ろう。
薬の時間だよ
スレの皆さん御免ネ お爺ちゃんが長居しちゃって

お爺ちゃん
ちゃんと皆さんに御礼言って
『さあ 帰ろう』

402 :檀君:2005/05/05(木) 09:26:36
日本書記では、大彦命は,
阿倍臣、膳臣、阿閉臣、狭々城山君、筑紫国造、越国造、伊賀臣、
凡て七族の始祖なりとしている。

西日本の有力氏族を網羅してますね。あまりにも出来すぎです。
でも大彦命は、天皇ではなく、孝元天皇の皇子とされています。
先に論証したように、大彦命は大王の皇子ではありえません。
大彦命は、4世紀の初期大和朝廷建国に携わった将軍だったと考えれば自然でしょう。
大王を補佐し、大彦命の軍政下で、西日本が統一されたことで、七族の始祖とされたのです。

大彦命は、北の四道将軍です。つまり、越の国の将軍=高句麗の末裔なのです。


403 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 09:29:45
>>402
高句麗高句麗って、ネタですか?

404 :ダンクン:2005/05/05(木) 09:37:52
高句麗の南下は三世紀においても無かった、ことは晋書から立証できる。
277年、馬韓来
278年、馬韓諸内附
280年、馬韓遣使入貢万物
281年、馬韓主遣使入貢万物
286年、馬韓至
287年、馬韓至
289年、馬韓至
290年、馬韓詣東夷上献
以上からして、高句麗の南下は無かったこと、認めるか。檀くん。

405 :檀君:2005/05/05(木) 09:40:15
>>404

高句麗の南下は関係ない。
高句麗の難民が断続的に日本に逃れてきたのだ。

406 :檀君:2005/05/05(木) 09:54:43
古代日本における朝鮮文化の影響・流入は先に述べた様々な状況から明らかな訳だが
なぜ認めようとしないのか。
古来からの倭の土着民族が大和朝廷の政治体型と文化を気づけるわけが無いことは
自明の事である。

朝鮮からの渡来人が土着の蛮族を征服した事以外に説明が付かない。
ここの反論はそれを覆す反証が認められない。全く見苦しいことである。

407 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 10:02:25
高句麗の南下は四世紀においても無かった。
330年、後趙に朝貢して慕容氏の勢力拡大を抑制外交
336年、東晋に朝貢して慕容氏の勢力拡大を抑制外交
337年、慕容氏が自立して燕国を建てる
342年、燕、大挙して高句麗に侵入。高句麗王の墓を暴く
349年、高句麗は燕に恭順の意を示す
355年、高句麗は燕に謝恩使を派遣
369年、高句麗は勃興した百済に敗北
この経緯のほかにも、百済と新羅の勃興隆盛の史実から、三世紀も四世紀も
高句麗の大挙しての南下は無い。
檀くんの妄想に過ぎない。少しはわかったかな。



408 :檀君:2005/05/05(木) 10:08:11
>>406は偽者以下略

>>404

高句麗の南下は関係ない。
高句麗の難民が断続的に日本に逃れてきたのだ。

高句麗が直接日本まで南下したら、日本は高句麗の領土になるだろ。

409 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 10:11:58
はいはい
>>406号室のお爺ちゃん
解ったからあんたもお家に帰ろう。
そろそろあんたも薬の時間だよ
帰るときは皆さんに御礼言って帰るんだよ

410 :広開土王:2005/05/05(木) 10:13:03
檀くんくん、広開土王の在位は391−412年。
長寿王の在位は413−491年だ。
四世紀末から五世紀は高句麗の最盛期だぞ。
その高句麗の最盛期に、高句麗難民が大量発生する道理は無いはずだ。
檀君君、敗北宣言をしろよ。アキラメノ悪い奴だな。檀くんくんくん。

411 :広開土王:2005/05/05(木) 10:15:44
高句麗の最盛期に難民が発生しただと。ハアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーア。

412 :檀君:2005/05/05(木) 10:18:39
>>410
高句麗難民は、もっと前から渡来し、越の国に帰化していたのです。

5世紀以後に渡来してたら、記紀にもそう明記されたでしょう。
事実、570(欽明31)年加賀に高句麗船が来着したとある。

413 :広開土王:2005/05/05(木) 10:19:54
檀君くん、敵前逃亡は卑怯なり。敗北を認め謝罪し感謝してから去るべし。

414 :檀君:2005/05/05(木) 10:23:59
>>413

なんだ?
議論するつもりがないなら消えろ。
越に高句麗難民が漂着したことは誰でも認める事実だよ。

415 :広開土王:2005/05/05(木) 10:25:07
檀君くん、君は六世紀の話では、スレ違いだ。
もっと前とは、笑わせる。このスレは学問版だろ。もっと前、ハアホホホホ。

416 :要するに『朝鮮>倭』であれば、後はどうでも良いわけだな。:2005/05/05(木) 10:28:21
そうなんだよなあ。
檀君の主張する「根拠」って相互に結びつくものが少ない。
相反するものさえ有るし、それで矛盾を感じていないらしい。
まあ、都合が悪くなれば「火病」れでば良いわけだし・・・・
自分では、まともなことだけ言ってるつもりなんだろな。

417 :広開土王:2005/05/05(木) 10:28:45
高句麗難民は、もっと前から渡来して気化していだと。
ハア−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ア。

418 :広開土王:2005/05/05(木) 10:35:56
ダンクンダンクン、檀君。早く答えろよ。

419 :檀君:2005/05/05(木) 10:41:23
>>418

また、味噌の話を聞きたいのか?

面倒だから過去レス嫁。


420 :広開土王:2005/05/05(木) 10:43:54
他人には議論する気持ちがないなら去れ消えろといっておきながら、
都合が悪くなり不利となれば、だんまり逃亡か。卑怯者。

421 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 10:48:44
弥生時代の畿内に王権?
日本人はみな渡来人?

馬鹿を言うな。
弥生時代の畿内は銅鐸族の地だ。
唐子が沈むから巻向に移っただけで両方から銅鐸が出ているではないか。
銅鐸の共同祭祀を隠蔽する大和朝廷とは関係ない。
まして王権の遺物などどこにもない。

縄文以前のDNAグループT、Uで日本人の70%だ。
渡来人とはその後の弥生時代の朝鮮からの渡来人=DNAグループV、Wだ。
日本人は皆渡来人などと嘘を書くでない。

つまり原住民を征服した第二次渡来朝鮮人=大和朝廷を
渡来人というのだ、渡来人とはもともと記紀の言葉だからな。
第一次渡来人は縄文人と共生していた銅鐸族だな。

いずれにせよ
大和朝廷にはつながらないな。
あいだに北部九州の王墓があるから駄目だ。


422 :要するに『朝鮮>倭』であれば、後はどうでも良いわけだな。:2005/05/05(木) 10:49:15
例えば>396のこの文章を例に取ると

>また鉄剣を作らせた乎獲居臣の祖は、オオヒコされ、
>孝元天皇の皇子で四道将軍の大彦命だと考えられる。
>しかし、ここでよく考えてみて欲しい。
>乎獲居臣の祖は、大彦命であって孝元天皇ではないということだ。
>つまり、「孝元天皇は実在していなかった」という証明なのだ。

国牽の実在否定の論拠が、自分で実在を否定した人物の子の「存在」なのだ。
何と言う完璧な循環理論!

「オオヒコ」のような抽象的な名称の人物こそ、先ずはその実在を検証しなくてはならない。
それは、スルーした上で、乎獲居臣の祖と四道将軍も同一人物とした通説も利用し
自説の補強に使う・・・・今のところ幼武以前の王統譜は自説に都合が悪いと思っているんだろう。

423 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 10:49:49
つまり原住民を征服した第二次渡来朝鮮人=大和朝廷を
渡来人というのだ、渡来人とはもともと記紀の言葉だからな。
第一次渡来人は縄文人と共生していた銅鐸族だな。

いずれにせよ
大和朝廷にはつながらないな。
あいだに北部九州の王墓があるから駄目だ。




424 :檀君:2005/05/05(木) 10:52:12
>>420
過去レスも読めないのか?
まあ、連休サービスといこう。

古代。高句麗では、豆を発酵させる技術に長けていた。
中国人も認めているほどだ。
そして味噌を生み出した。
日本の味噌は、高句麗の味噌が伝来したものだ。

いま、味噌は、日本食に欠かせないほど普及している。なぜか?
大量の高句麗難民が渡来し、味噌を全国に普及させたというわけさ。


425 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 10:52:55
>>419
ミソの話の方が今の話より面白かったが。

426 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 10:54:31
大豆味噌の全国普及って何時のことだ?

427 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 10:55:24
馬鹿どもは自重しろ。

稲荷山の鉄剣など6世紀に決まっているだろうが。
渡来人の先遣部隊がやっと到着した程度の時代だ。
毛国が東西に分裂するのはその後だ。

先遣隊が持ってた鉄剣など雄略実在のなんの証拠にもならんのだ。
大和朝廷の先遣隊ではない九州王朝の先遣隊だからな。
江田船山古墳の鉄剣と同様の日置氏のものだからだ。

428 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 10:56:33
弥生時代の畿内に王権? 日本人はみな渡来人?

馬鹿を言うな。

弥生時代の畿内は銅鐸族の地だ。
唐子が沈むから巻向に移っただけで両方から銅鐸が出ているではないか。
銅鐸の共同祭祀を隠蔽する大和朝廷とは関係ない。
まして王権の遺物などどこにもない。
縄文以前のDNAグループT、Uで日本人の70%だ。
渡来人とはその後の弥生時代の朝鮮からの渡来人=DNAグループV、Wだ。
日本人は皆渡来人などと嘘を書くでない。



429 :連休(こどもの日):2005/05/05(木) 11:07:40
渡来朝鮮人が原住民を征服し大和朝廷の基礎となった話は
私も信じがたい話と受け止める
壇君よ。
古代史は50%解れば十分なんだよ

いいかい。
日本の敗戦はすなわち朝鮮の敗戦なだよ
自国の怨みを2ちゃんねるでぶつけるな そんなに金が欲しいか?
でもお前達にはもうやらんさっさと半島に帰れ

430 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 11:10:04
縄文遺跡の広範な分布を見ろ。
弥生時代になったら全員死んだのか?
飛行機でいっせいに北海道に逃げたのか?

まったく馬鹿どもだな。

431 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 11:11:43
>>>
渡来朝鮮人が原住民を征服し大和朝廷の基礎となった話は
私も信じがたい話と受け止める
>>>

更に馬鹿がいたか。
天皇や大和朝廷とは渡来朝鮮人でなければなんなんだ?

縄文人か?

432 :檀君:2005/05/05(木) 11:13:59
>>427

日置氏ときましたか。

日置宿彌など、日置氏の祖が誰だか知ってますか?
高句麗氏族ですよ。
ウソだと思うなら調べてごらん。


433 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 11:15:27
渡来朝鮮人が縄文人や先住の渡来人を征服して
大和朝廷を作った。
言うことを聞かないのは技術があるのは品部・雑戸、
ないのは陵戸や被差別部落に押し込めた。

簡単だろうが。

434 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 11:17:49
日置氏が高句麗系でなんか不都合か?
熊本も岡山も埼玉の比企郡も高麗郡も高句麗系ではないか。

少数派の高句麗系は
先遣隊にふさわしいではないか。

435 :檀君:2005/05/05(木) 11:25:01
>>433-434

おお! やっとまともな論客が現れたか!待ってました!

こっちは、いままで「渡来系」と言っただけで拒絶されてばかりだったのでね。

もっと渡来系氏族の整理・考証を進めないと、古代史の全貌はわからない。
お互いに知識を共有しましょう!
鉄剣については、憶測を交えたことを認めるから。


436 :アホ草:2005/05/05(木) 11:44:36
檀君の鉄拳については憶測を交えたことを認めるから
というカキコ、みんな見たア−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−。
結局、檀君の本質は憶測憶測憶測憶測憶測憶測憶測憶測憶測憶測−−−−−−−−

437 :檀君:2005/05/05(木) 12:03:01
>>436

鉄剣の出土した埼玉県稲荷山古墳・熊本の江田船山古墳は、
大和朝廷以後、渡来系氏族が支配した領域。

渡来人が地方に出向してクニを治めたという事実は揺るがないよ。

438 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 12:06:41
渡来人は
最近の弥生繰上げでは第一陣はBC1000年ごろだろう。
その後、BC500年には朝鮮式銅鐸から銅鐸祭祀の渡来人が列島に渡り
北部九州、出雲に広がって水田稲作をはじめたわけだ。

しかし渡来は何回もあったろうから種族もいろいろいたわけだ。
最初に優位にたったのはか海民・海神系だろう。

これが対馬や博多湾岸に残る博多海神社・磯羅を祭る安曇氏だな。
位置的には主力は韓国南岸東部からの渡来しか考えられないから
後の新羅系だな。

439 ::2005/05/05(木) 12:45:26
>>396
国牽が実在でないという結論となった理由とはなにか?さらに詳細をしゃべられたい。
記紀の信憑性が増してきたと言っていながら、なぜ記紀と逆のこと(逆の実在でない)
を主張するのか?おかしいではないか?記紀には実在の意味でこの天皇の御名がある。

440 :檀君:2005/05/05(木) 13:05:50
奈良という地名はハングルでクニの意味だ。
これは大和政権が渡来人によって成立した有力な傍証のひとつだ。

441 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 13:08:38
壇君 一言申し上げる
君がやっとまともなヤシと思ってる(名無し@お腹いっぱい)氏は
自分の考え以外全て陀説と唱える御仁だよ
相手が自分と同じ考えになろうものなら、すかさず考えを覆し否定的意見を述べ相手を罵倒しながらスレを楽しんでいるのさ
だからどのスレに行っても古参のスレ主達から総スカンされている
君もそのうち彼の玩具にされてしまう
彼は特異なS人間だよ

442 ::2005/05/05(木) 13:08:43
わけのわからんことを言うね〜ぇ。
こっちから、向こうへ渡来した者が山ほどいろだろうに。ww

443 ::2005/05/05(木) 13:10:07
何だろう?S人間って?

444 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 13:17:21
S人間とは
各スレの住人達がじぶんの頭脳に平伏す姿を想像しつつ
それをおかずに自慰行為に励む人間の事さ

445 ::2005/05/05(木) 13:20:08
Sは何かの語の略かな?

446 :檀君:2005/05/05(木) 13:20:58
なんで日本人は古代大和政権の渡来人の影響を否定するのか?
感情論で議論を推し進めようとする輩に学問を語る資格は無い

http://www.spacelan.ne.jp/~poki/log/kudara-1.jpg

447 ::2005/05/05(木) 13:25:44
>>446 あまり見かけないが、西暦何年ころの地図かね?

448 :檀君:2005/05/05(木) 13:26:20
>>439
孝元天皇以前は、もともと一般的にも失史とか言われてたものでしょう?
古事記にも詳細は記されて無い。

3世紀の邪馬台国と卑弥呼の記憶を元に、
高天原と天照大神のくだりが創作されたのであろう。
神武は、3世紀末に、九州の渡来系王家が東征したという記憶による創作であろう。

昔は雄略天皇も存在を疑われていたのが、鉄剣の発掘により、
記紀の信憑性が増してきたということである。
しかし、孝元天皇以前が実在したかどうかまでは、
はなはだ疑問というのが現在においても定説。


449 ::2005/05/05(木) 13:29:47
貴殿もライフスペース級になって来たのか?
どこからの天皇が実在でどこまでの天皇が実在でないということが定説とやらなのか?

450 :檀君:2005/05/05(木) 13:29:48
>>446は偽者。

言ってることにも同意できない。

大和朝廷は、当時の他国の征服王朝ではなく、
あくまでも、「渡来系氏族」による独立した日本の王朝なのである。
そこのところを間違わないでほしい。

451 ::2005/05/05(木) 13:33:13
ならば、あちらもこっちからの渡来人とシナ、インド以西の渡来系氏族による
独立した王朝だったということもやすやす成立するんじゃあないの?

452 :檀君:2005/05/05(木) 13:34:27
>>451

意味がワカラン

453 ::2005/05/05(木) 13:36:06
>>452
ようするに、あっちの国に置き換えても成り立つじゃあないの、ということだ。

454 :檀君:2005/05/05(木) 13:42:49
>>453
置き換えは詭弁の有力な手法の一つだ。
きみに学問を語る資格は無い。

455 :檀君:2005/05/05(木) 13:43:17
>>453
あっちってどこだよ?

456 :檀君:2005/05/05(木) 13:44:04
>>454は偽者以下略

457 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 13:46:05
檀君は都合が悪くなるとニセモノが登場するんだな。
間違った主張をしたら訂正することも大事だと思うがな。

458 :檀君:2005/05/05(木) 13:50:48
まあ、いい。
憶測で書くと怒られるから太氏の真意を聞いておきたかったのだが、
恐らく朝鮮のことだろう。

朝鮮南部で言えば、倭人が支配していた記述が見られるから、
朝鮮南部は、「倭人系の国」といって差し障りは無い。
朝鮮人は怒るだろうが、
当方は資料に基づいて発言することを以後心がけるものとする。


459 :太国:2005/05/05(木) 13:51:55
ツーフェイスか〜?

460 :太国:2005/05/05(木) 13:55:05
>>454
いつから資格を付与する免状交付の試験管になったのか?
おれは受験者じゃあないぞ。

461 :太国:2005/05/05(木) 13:56:32
訂正
×試験管  ○試験官

462 :太国:2005/05/05(木) 14:00:45
置換というのは数学の技術の有力な手法だ。学問でもやっている。
貴殿の逆をついておかしな理屈を牽制するのも必要なことだ。

463 :檀君:2005/05/05(木) 14:08:27
もうひとつ有益な情報を教えてあげよう。
>>397の人名にも使われている「弖」(て)の文字。
これは中国では別字である。
使われていたのは、高句麗。
好太王の碑文の中でも使われている。

ようするに、鉄剣の文字を刻んだ人は高句麗系ということだよ。
熊本の江田船山古墳周辺も日置氏のものであり、
日置氏が高句麗系氏族であることはすでに書いた。


464 :太国:2005/05/05(木) 14:13:54
そういうことはありうるだろうが、別にこれといって騒ぐほどのことでもないかな。
何となれば、日本からは南米やアフリカのようにその国は遠くないからだとみる。
アフリカ系だったら、初めて注目されよう。


465 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:14:52
「弖」(て)の文字が日本の鉄剣でも高句麗でも使われていたということは日本の文字が高句麗に伝えられた証拠だな。

現に好太王の碑文には日本が朝鮮を支配したことが明記されているからな。

466 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 14:21:46
>>>
大和朝廷は、当時の他国の征服王朝ではなく、
あくまでも、「渡来系氏族」による独立した日本の王朝なのである。
そこのところを間違わないでほしい。
>>>


これは間違いだな。
急激に大型化する前方後円墳は征服王朝でないとつくれない。
使い捨ての作業員でナイト無理だからな。



467 :檀君:2005/05/05(木) 14:24:25
>>466
論証が弱い。推論だけで結論を出すな。却下だ。

468 :檀君:2005/05/05(木) 14:26:03
とりあえず、日本に伝わった文化はすべて中国からのもので朝鮮は経由しただけ、
などと利己的観測はやめるように。

日本に入ってきた文化の大勢は、朝鮮の文化。これは間違いない。


469 :檀君:2005/05/05(木) 14:26:45
>>467は偽者以下略


470 :檀君:2005/05/05(木) 14:27:52
>>467も偽者以下略

471 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:28:57
日本に伝わった文化はすべて中国からのもので朝鮮は経由しただけと思いますが?

472 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:29:37
檀君、とりあえず落ち着け

473 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:32:32
漢の植民地(楽浪郡)が朝鮮半島にあったぐらいだからね
そこからの流出した文化が朝鮮経由で日本に伝わった

474 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 14:33:37
日本に伝わった文化はすべて中国からのもの?

ばーか、
銅鐸祭祀はどの中国人が伝えたんだ?


475 :檀君:2005/05/05(木) 14:35:42
>>471
>>446でも示した通り、当時の中国の華北〜西海一帯は朝鮮の支配下である。
古代日本の人的文化的由来は全てここから見出すことができる。

476 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:35:56
落ち着いたマッタリ壇君なんてつまらないぞ。

477 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:38:45
>>475
大朝鮮帝国史なんぞ信じているのかw

478 :檀君:2005/05/05(木) 14:43:00
>>475は偽者

何を目的に当方の名を騙ろうとするのか知りませんが、
正常な議論の妨げになるとは言えそうです。
しばらく静観しますので、その間は偽者の檀君と遊んでください。

479 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:45:14
>>474
福原愛ちゃん

480 :太国:2005/05/05(木) 14:50:12
ププッww
日の本、ここの日なるヒは数読みで(ひふみよ・・・)NO,1を意味する。
すなわち、日本とは天地の創生の第一の元となる国で、大本の始発なる国を意味する意。
万物の始め、万象の始発の国であって、重要なる基点はほぼわが日本から始まったと
解釈される。確かにあちらから流入があったことはいなめないが、かつ各国
特性を有し、そうは言ってもその国独自のものも多々あることも確かである。が、
まあとにかく、あちらから大量流入したというのはまったくの間違い。

481 :壇君:2005/05/05(木) 14:51:42
今でこそ朝鮮民族は狭い半島に押し込められているが古代の朝鮮民族(いや、高句麗族)は、その影響力を西は欧州東はカムチャッカまで及ばせた。

482 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:54:40
檀君はツッコミが多くなった途端に逃走ですか

483 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 15:09:22
>>482
朝から張り付いてたみたいだから、腹が減ったか、糞がしたいかどっちかじゃないの?


484 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 18:09:48
日本に伝わった文化はすべて中国からのもの?

ばーか、
銅鐸祭祀はどの中国人が伝えたんだ?




485 :元祖プラム:2005/05/05(木) 18:13:01
(止まったスレを利用し)畿内では比較的集落ごとの争いが少なく、経済・社会的安定を維持しやすく
母体集落が周りの弱小集落を取り込み集落の巨大化がスムーズに行われた。
それにより 九州北部等に見られる奴隷(生口)ではない階級制度ができあがり弱小集落の平和的取り込みにより労働力(奴隷ではない)が増加し
巨大古墳の造成に多大な力となりえた
畿内の特長はそんなところじゃないの

486 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 18:56:00
>>485
> 畿内では比較的集落ごとの争いが少なく、経済・社会的安定を維持しやすく
> 母体集落が周りの弱小集落を取り込み集落の巨大化がスムーズに行われた。

紛争が少ないと集落の巨大化が進むという定義が存在するのでしょうか・・・

> 九州北部等に見られる奴隷(生口)

 北九州等に特徴的なことなんでしょうか?


487 :元祖プラム:2005/05/05(木) 19:49:12
>>496
争い多発になれば安定的な社会・経済活動が順調に遂行できなくなる為に人口増加など望めず 良質な労働力(奴隷でない)が確保されず衰退する。

488 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 20:06:22
>>>
労働力(奴隷ではない)が増加し
巨大古墳の造成に多大な力となりえた
畿内の特長はそんなところじゃないの
>>>

妄想だ。
畿内の古墳全部作るのに
何人を何年動員すると思っているんだ?
奴隷に決まっているだろうが。



489 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:11:08
>>424>>273>>274風にアレンジ♪
ドイツでは肉を調理する技術に長けていた。
フランス人も認めているほどだ。
そしてソーセージを生み出した。
日本のソーセージは、ドイツのソーセージが伝来したものだ。

いま、ソーセージは、日本の食卓に欠かせないほど普及している。なぜか?
大量のドイツ難民が渡来し、ソーセージを全国に普及させたというわけさ。

490 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:13:51
>>481
アッティラ率いるフン族も朝鮮民族なのですか。
では朝鮮語でアッティラとは何をさすのか、フンてどういう意味なのか?

491 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:18:11
>>481
ローマにも高句麗の足跡があるとおっしゃいますが、何処と何処なんですか?
具体的に教えてください。どういう痕跡が残っているのかも詳しく。

492 :元祖プラム:2005/05/05(木) 20:32:32
>>496さん
仮にA・B・C・D・Eというお互い争いの無い集落があったとする
年月が経つにつれ集落間に経済格差が生まれA集落が富 Bが貧困してきた
このような現象が始まるとAは益々富が集まり Bは益々貧困する Bは自活困難になりAに吸収されA(A+B) CDEとなる
すると、小規模 A 集落が中規模A(ABCDE)となり大規模共同体Aへと発展する。
富と人は強者に集まり、弱者はより困窮する

493 :元祖プラム:2005/05/05(木) 20:36:35
あ!しくじった
496訂正 >>486
スマソ

494 :元祖プラム:2005/05/05(木) 20:50:15
>>488(名無し@お腹いっぱい)さん
貴方らしくないカキコどうされましたか?
>>466>>488の内容が全く矛盾してますよ

ダメじゃないですか
私に指摘されるような事しちゃ

495 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:58:55
>>491
檀君が修学旅行かなんかで行ったときの落書きでも残ってるんじゃねーの?


496 :496:2005/05/05(木) 20:59:58
>>492
それは別に紛争の有無に関係のない話だと思うが・・・

497 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 21:08:40
>>>
労働力(奴隷ではない)が増加し
巨大古墳の造成に多大な力となりえた
畿内の特長はそんなところじゃないの
>>>

妄想だ。
畿内の古墳全部作るのに
何人を何年動員すると思っているんだ?
奴隷に決まっているだろうが。



498 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 21:31:24
>>497
奴隷ねえ。あなたは身分としての奴隷(奴婢)を言ってるの?
後世の律令制の雑徭みたいに、農民を徴発したりとかは考えられないかな。

499 :元祖プラム:2005/05/05(木) 21:38:15
>>496さん まあ聞いてください。
経済の発展には良質な労働力の増加が必要不可欠なことは理解していただけるでしょうか?
それには戦争行為による奴隷獲得ではなく
経済現象による合併が一番望ましい労働力増加
それが比較的紛争の少ない畿内で著しく遂行したと、言いたいのです。
九州北部は外交交易により発展したが、労働力=奴隷が最終的にアダとなり最終的に衰退の道を辿る

500 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 22:05:14
>戦争行為による奴隷獲得ではなく
>経済現象による合併が一番望ましい労働力増加

何で? ギリシア・ローマは前者じゃないの?

501 :496:2005/05/05(木) 22:05:54
>499
だから、九州が戦乱に明け暮れていて奴隷が多かったとか
畿内が平和で、奴隷が少ないってのは、何か根拠でも?
もともと、人口増加=戦力増加なんだから、戦時でも集約化は進むでしょう。

人口分散型社会ってのは、狩猟・採集型社会とほぼ同義。
生活資源の維持を図るために、一定以上の密度を超えないことは平和維持の原則だろうが、
農業社会では、治水・灌漑・安全保障などの面で共業化・集約化が進むの当然のこと。
そういった社会で、水利権や労働力をめぐって紛争が生じれば、大きなところが有利なのは明白。

生産力の範囲内で人口集中が起きるのは、別に戦時でも平時でもありえること。
畿内の方が九州より人口密度が低いというなら平和だったかも知れんがな。
でも、人口比は、そうではないと思うよ。

502 :元祖プラム:2005/05/05(木) 22:28:57
>>500さん
せめて同じ土壌にある国内の例でお願いします。
>>501さん
私はあくまで経済中心でのカキコですので

503 :496:2005/05/05(木) 22:33:03
>502
いまさら「経済中心での・・・」って言われても、
もともと「紛争がなんたらかんたら」と言う前提での話かと。

504 :元祖プラム:2005/05/05(木) 22:41:10
>>501さん
大和朝廷として王権が確立されたのは原因がなんであれ事実でしょう。
軍事力も大事でしょうが、その軍事力を支えるものは経済力ですよ

権力=王権じゃなく
財力=王権ですよ

505 :日本@名無史さん:2005/05/05(木) 22:48:22
結局壇君は以前のスレのユダヤ君と同じ電波だな。

まともな話をする人達はスレが新しくなるまで現れないようだ。

506 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 22:49:51
馬鹿だのう。

>>>
経済の発展には良質な労働力の増加が必要不可欠なことは理解していただけるでしょうか?
それには戦争行為による奴隷獲得ではなく
経済現象による合併が一番望ましい労働力増加
>>>


増加分で巨大古墳作るなら
江戸時代まで待て。


507 :元祖プラム:2005/05/05(木) 23:01:06
>>506

>馬鹿だのう
>>今更改めて言わなくてもいいだろう。

>江戸時代まで待て
>>何時までも待ちますよ

508 :496:2005/05/05(木) 23:19:22
>504
古代社会では、人口=財力=軍事力=権力だと思うよ。
殊更、軍事力だけを切り離す意味(貴方の目的?)が何かあるのかねえ・・・


509 :元祖プラム:2005/05/05(木) 23:21:41
とにかく
大和王権の基礎を(社会的・経済的)に考えると
母体集落が弱者の集落を取り込んで階層化を徹底させ労働力を増大し、大規模な集団を作り都市の機能を確立した
そうすることにより中心的な位置を確立させ、経済のながれをスムーズ化し、他の都市より有利な立場をつくり
より大きな共同体の中心として君臨できるようになる

510 :496:2005/05/05(木) 23:25:58
いまさらながら、当然のことですが・・・で、軍事力を度外視する理由は?
貴方のレスポンスは、何か釈然としない部分が多いのですね。

511 :元祖プラム:2005/05/05(木) 23:27:49
>>508
目的がないと言ったら嘘になるけど
どこかで集約しないとヤヤコシイだけだから
まずは一番大事な経済を先行させました。

512 :496:2005/05/05(木) 23:29:40
なんで、貴方の価値観では「経済」と「軍事」に序列が生じるのですか?
私には等質のものに思われますが・・・

513 :元祖プラム:2005/05/05(木) 23:34:28
>>510
いいじゃありませんか
私は大学の教授じゃ無いから
理路整然と解説することが出来ないんです。

先ほど(名無し@お腹いっぱい)さんが言ったじゃないですか

馬鹿だのう

514 :496:2005/05/05(木) 23:38:21
もしかしたら、「軍事力」に何か特殊な定義でも持たせようと思われてますか?
私も無定義で使用してしまいましたが、A集団とB集団が争った場合の力の優劣ですから、
古代では、戦闘員の動員力などが重視されるかと思います。
当然、海戦などの特殊戦力も考慮しなくてはならないかとは思いますが、
基本的には、戦闘員を維持する力=生産力=経済力が問題だと思うのですが。

515 :元祖プラム:2005/05/05(木) 23:51:37
>>514
そこまでは考えていませんが
どんな最強戦闘軍団を所持していても
兵糧が尽きれば後は時間の問題

大和王権は最強軍事集団というよりも 最強経済力集団ではないでしょうか?

516 :496:2005/05/05(木) 23:55:34
・・・・貴方の言わんとするところは、何となく解った。
貴方の考えてる「軍事力」ってのが・・・・

517 :元祖プラム:2005/05/05(木) 23:56:13
その大和王権の成立に関しては>>343(連休さん)のカキコに近い考えです。

518 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/05(木) 23:58:38
こっちも馬鹿がいるな。

軍事力だよ。

労力?食料?
だから奴隷を作るのではないか。
1日3升の米を支給して収穫は祖で全部とりあげ
兵役も課される良民というのがいたではないか?
祖の米を支給して使い捨ての公奴婢というのがいたではないか?
律令前はエダチヨボロと呼ばれていたがな。

銅鐸の祭祀の頃の畿内にはいなかった奴隷たちだ。
だから急激に巨大古墳が作れたわけだ。

わかったかな無知無知君たち。


519 :元祖プラム:2005/05/06(金) 00:06:15
>>518さん
いつもながら博識ですなぁ大変勉強になりますよ
マジで

520 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 02:21:58
>>518
「征服者が地元の奴隷を使って」っていう主張は単純過ぎるなあ。
吉備とか出雲の古墳も、外来の征服者が地元民を徴発して造らせたもの
なんですか?

521 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 02:32:06
>>518
例えば、
畿内在地勢力が、東海や吉備などから労働力を駆り集め、マキムク周辺に
大規模な古墳を造った、という仮説もあり得るわけで。
マキムクから見つかる搬入土器は、もしかすると、それら徴発された各地の
民衆たちが持って来たものかもしれない。とか

まあ君はガチガチの東遷論者みたいだから、そういった可能性も完全否定する
のだろうけどw

522 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/06(金) 04:38:45

そんな珍説はない。

巻向は銅鐸がでてるんだが、無知だな。
挑発?
わかっているではないか、
箸墓作ったのは奴隷だよ。

巻向程度の奴隷では箸墓だけで
10年はかかるからな。


523 :元祖プラム:2005/05/06(金) 07:50:03
大規模古墳造成は農閑期における雇用対策プロジェクトとして行われた初期型公共事業
初め地元民と近隣民対象に行われて来た事業も
次第にエスカレートし遠方地を巻き込んでの大規模古墳造成と
(統制地の拡大に伴っての大規模化も考えられる)

524 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 10:09:27
少々、お話を整理してみられたらいかがでしょうか。邪馬台国の時代は三世紀半ば
ですから、銅鐸銅矛は弥生時代のもの、前方後円墳の始期が卑弥呼の時代。
それから、司馬遷の史記にも衛氏朝鮮は燕国からの逃亡者満が興したもの。その満の
孫の右渠の時代になると漢からの亡命者がさらに多くなり、勢いを増し漢に服属しなくなる。
そこで、武帝が討つ。衛氏滅ぶ。前108年、漢四郡を置き半島を郡県支配下とする。
その後、後漢は植民地政策を変更。44年に韓、57年に倭の朝貢。
二世紀に入ると、高句麗扶余と遼東郡の対立。三世紀に入ると、遼東太守公孫氏の登場で
高句麗との確執。

525 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 10:23:58
話がコンガラガッテイルのは、次の理由かと。
朝鮮南部は北部に較べ、関心の薄かったところであるが、それでも中国の
植民地政策によっては血を流さなければならなかった。北部の高句麗では
遼東平原の領有をめぐって、中国のみならず他の民族とも死闘しなくては
ならなかった。
これに対して、倭では邪馬台国が成立する過程では種々大陸諸地域の影響を
受けたようであるが、間接的影響で受容した文化や、影響を受けた事件にも
かなり国内事情が優先し、受容するかどうかを選択できた。

526 ::2005/05/06(金) 10:59:37
>>334
畿内に、ある外界から隔絶した前人未到の秘境があったとして、そこから『狼煙』で情報を
当時の魏まで伝達するのでは、怪しまれて、結局そこの秘境の存在が近隣の大和朝廷と
周辺の住民にバレてしまうに違いない。(記紀編者が女王国を隠匿したとしたらの話をも考えてだ。)
その秘境が箸墓あたりと仮定しよう。どうだなこれじゃあ箸墓に今まで(当時の)知られて
いない国があるらしい。ど〜れ、斥候をだして調べてみようということになる。
ならば、その調査記録はかなりの量となり、当然後世の(当時から)記紀にその国の
所在と習慣、祭政、交易、風俗等が掲載されることになる。
その記述が全く無に等しい。何ゆえなんだろう。ここまで考察すれば、知れたことよ。
女王国は朝廷近隣に位置する箸墓あたりには存在しなかったということが認知できうる。
すなわち、卑弥呼の女王国は情報の届きにくい九州に存在したという結論を得ることになる。
バレることがわかっていて、記紀編者が無記述を強行することは有効ではない。
編者は、むしろ(あるのがいやと仮定する)女王国の悪評を書き、朝廷を良く書いてその面子
を保持しておけばいいわけで、記述はおおいに出来るわけである。


527 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 11:24:42
記紀編者と成立背景について、ダレカ教えてあげればー。太さんにさー。

528 :檀君:2005/05/06(金) 12:07:17
一般的に言われていることは、
継体天皇の大和征服を正当化する歴史を捏造したということ。
理由は、いまさら説明するまでもないだろう。

継体天皇は越の国の出身であり、
高句麗系渡来氏族の支援をうけていたことは疑いようがない。
邪馬台国は百済系の国と言えるので、
邪馬台国の存在を記紀で高らかに謳うことはできなかったのである。


529 ::2005/05/06(金) 12:30:58
プププププ!!
一応、説明してくれ。なお邪馬台国などという国はない。
女王国は日本系の国である。九州は肇国以来日本であ〜る。
だから、このように記紀で書けばいいではないか。このひとつ上の段のようなことをだ。
すなわち、書こうと思えばこのように書くことができるわけだよ。

530 :アホ草:2005/05/06(金) 13:16:20
檀君氏の太氏への説明においてマチガイがあるので指摘する。
檀君は、邪馬台国は百済系の国と言える、という点だ。
百済の成立は四世紀半ばだ。
邪馬台国は三世紀前半だ。錯誤も甚だしい。
それは、大英帝国はアメリカ合衆国系だと謂うのに等しい。
または、大英帝国はオーストラリア系だというのに等しい。
つまり、神武天皇は昭和天皇系だというのに等しい。


531 :檀君:2005/05/06(金) 13:30:03
日本書紀は、武烈天皇を悪逆無道な天皇だとこきおろしている。
しかも後継者がいなく、そのため、越から継体天皇が呼ばれたのだという。

大和は、武烈天皇のために無茶苦茶になったので、
継体天皇が世直しのために迎えられたという構図である。

これは、中国にもある話で、
殷の紂王が暴虐だったために王朝が滅び、
周の文王、武王という名君が地方から都に攻め上がってくるという故事にならって
武烈天皇を貶めて、継体天皇をヒーローとして記述したものなのです。

実際は、近江、尾張の軍勢も味方にして大和を包囲し、
武烈天皇一派と抗争を続けていました。
そのために、継体天皇は大和入りまでに20年かかったというわけです。

継体天皇の父の墓といわれる鴨稲荷山古墳からは、
金銅冠(こんどうかん)・沓(くつ)・魚佩(ぎょはい)・
金製耳飾・鏡・玉類・環頭大刀(かんとうたち)・鹿装大刀(ろくそうたち)・
刀子(とうす)・鉄斧(てっぷ)などの象豪華絢爛な副葬品が発見されました。
これらの副葬品は、朝鮮半島の新羅王陵の出土品とよく似ています。

「鏡・勾玉・剣」が、大和朝廷系の王墓である証ならば、
鴨稲荷山古墳は、朝鮮半島系の王族の証になるというわけです。

>>530
「後の百済系朝鮮半島人」と言えば納得したのかね?

532 :檀君:2005/05/06(金) 13:38:26
継体天皇の父の墓といわれる鴨稲荷山古墳の副葬品について、
もう少し事実を教えてあげよう。

冠・沓・耳飾がセットになった副葬品の例は、
日本では江田船山古墳しかありません。 例の鉄剣が出た古墳ですね。
高句麗系氏族の日置氏とも関係の深い土地です。

冠・沓・耳飾がセットになった副葬品の例は、日本では2例しかありませんが、
朝鮮半島では新羅を中心に十数例知られております。
継体天皇を支援した豪族が、朝鮮人と密な関係にあったことがわかります。

533 :古代朝鮮:2005/05/06(金) 13:39:19
古代朝鮮 井上秀雄氏著 講談社学術文庫 27頁29頁
檀君神話は古い朝鮮の史実を伝えるものではない。
檀君朝鮮は史実を示す史料ではない。
記紀の神話をとりあげて、日本の原始社会を解明できるとする者がいるが
神話はあくまで記紀編纂当時の思想信仰を示すものとしなければにらない。
仮にその記述の中に前代の政治状態や社会組織に関するものがあったとしても
それはその時代の理想や現実によって改変され、付け加えられ
原形をとどめないまでに変えなければ、長い間伝えられることはなかったろう。


534 :檀君:2005/05/06(金) 14:02:40
神武東征神話が、継体天皇の大和入りをモデルに創作されたとする説もあります。

神武も継体も、大和に入る前に、各地の都を迂回しています。
おおよそ、20年かけているという時間も同じです。

継体は、大和の磐余玉穂宮に都を置きました。
神武の名前は「磐余彦」です。

継体の即位に尽力したのは、大伴金村ですが、
神武の大和入りに、奮戦したのが道臣命で、大伴氏の祖です。

後に継体の側近になった物部氏もまた、
神武に大和を明け渡したニギハヤヒを祖としています。

以上のことから、神武東征の逸話は、実は継体天皇がモデルだったというわけです。
それでも、カムヤマトイワレヒコという人物は、古代の大和の豪族として、
実在していたのでしょうが。


535 :古代朝鮮:2005/05/06(金) 14:09:05
神話の歴史的意味をとらえないで、国家形成の古さや民族形成の早さを誇るのは
東アジアの尚古史観に過ぎない。

536 :古代朝鮮:2005/05/06(金) 14:15:52
檀君神話も12世紀の高麗前期までは、平壌地方の民間信仰の一つに過ぎない。
檀君とやらの史観も単なる一つの信仰に過ぎない。
信仰は歴史観に非ず。信仰と学問は違う。むろん、信仰自体は貴殿の自由だが。
君の話は自分の歴史観を信仰しているに過ぎない。

537 :檀君:2005/05/06(金) 14:19:31
>>536

>君の話は自分の歴史観を信仰しているに過ぎない。

ソース出せよ。

538 :古代朝鮮:2005/05/06(金) 14:19:48
檀君とやらに言う。檀君というネームを使用するからには知っておくといい。
高麗の民の愛国心の象徴が檀君神話なのだよ。

539 :古代朝鮮:2005/05/06(金) 14:25:05
ソースは、朝鮮古代史専攻の東北大学名誉教授の井上秀雄氏の著作だ。
貴殿が購読して読了してから後、意見交換を望む。
碩学の2ちゃんねるエラー氏の檀君とやらへ。

540 :檀君:2005/05/06(金) 14:35:14
>>539
神話の話は、前フリにすぎない。否定するなら否定してもらって結構。

次は、蘇我氏が渡来系豪族として、
朝廷内でどう活躍したかについて論じていきたいのでね。

541 :古代朝鮮:2005/05/06(金) 14:49:16
檀君とやらへ。前フリとはなにかね。
檀君神話の登場人物か。それとも、神話をとりあげて日本の古代原始社会を
解明できると愚考している研究者の蔑称なのか。それとも前向きな信仰と、
解すとよいのかな。それとも前から来ていた渡来人が前フリと解すのかな。
檀君と名乗る貴殿の愛国心に敬意を払った上でお聞きするという礼儀作法は
心得ておるゆえに。

542 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 14:54:38
さらっと、このスレをナナメ読みしてみたけど、
論点が多すぎて何から述べたら良いのか・・・

私が重視している事実は、北九州の古墳から
ヤタの鏡と同じ鋳型で作られた大型鏡が出土することかな。
あと、魏志倭人伝の記述。
あと、記紀の伝承や地名、銅鐸の扱い。鉄器分布・・・
つまりは九州からの東遷説支持。

九州だけ見ても、日向だとか高千穂だとか三輪だとかの地名が複数ある。
これは宮をちょくちょく動かしていたことの名残。今でも伊勢神宮が
遷宮祭とかいって宮をチョコチョコ動かしているのも、この名残。
なんで宮を動かすのが好きなのかは良く判らんけど。

伊勢神宮のヤタの鏡と遷宮は九州から来たものだと思われる。
畿内の重要地名は全部、北九州夜須川付近の地名のパクリだし。
「あまのやすかわ」って神話に思いっきり出てくるし。

543 :檀君:2005/05/06(金) 15:06:43
蘇我氏については、歴代の人物の名前が百済風である事などから、
百済系の渡来人だったのではないかというのが現在では定説になっています。

587年に物部氏が滅び、蘇我氏(百済系豪族)の時代が到来しました。
飛鳥寺は、588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことにより蘇我馬子によって建てられ、推古朝に完成。
豊浦寺は蘇我蝦夷によって建てられた尼寺。
蘇我氏は百済系の東漢氏を用い、聖徳太子は新羅系の秦氏を用いた。
ちなみに、豊浦寺・中宮寺の瓦は高句麗系である。(百済系ではない)

6世紀は、渡来系豪族が大和で利権を奪い合っていた。
いわば日本を植民地としてみた場合の覇権をめぐる代理戦争である。

622年に聖徳太子がなくなると、
蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子の勢いは強くなり、
皇室をしのぐほどになってきた。
もとより、皇室は渡来系豪族が立てたものなので、実質的支配権は無かったに等しい。

実は、この構図は、邪馬台国で卑弥呼が共立された頃から変わっていないということです。

544 :檀君:2005/05/06(金) 15:10:49
>>541
>前フリとはなにかね。

2ちゃん風に言えば「釣り」。

545 :檀君:2005/05/06(金) 15:27:44
6世紀の状況を、現在の状況に置き換えれば、
中国大陸で、日本企業が中国人相手に商売をしているようなものである。
中国内の日本企業が、いわば「日本からの渡来系」なのである。
現地の企業と合併しながら、拠点を固めているところもソックリそのままである。

で、中国内の日本企業が、中国に帰化したか?
否! 日本企業はあくまでも日本企業であって、軸足は日本においてある。
蘇我氏に代表される「渡来人」とは、そういうものなのだ。



546 :檀君:2005/05/06(金) 15:30:06
当然、蘇我氏のやりかたには、皇族からも倭人からも反発がある。

そして、中国で反日暴動が起きたように、「大化改新」へと繋がるのである。

547 :檀君:2005/05/06(金) 15:55:34
ここまで大雑把に整理してみましょう。

高句麗系・・・・継体後の天皇
百済系・・・・・邪馬台国・卑弥呼・河内王朝・磐井・蘇我氏
新羅系・・・・・聖徳太子

邪馬台国は、百済系渡来人集団のクニとして生まれました。
3世紀末に東征して、大和・河内王朝を築きました。

一方、越には高句麗系の豪族が大和侵攻を狙っていました。
そして、継体天皇が大和に送り込まれたのです。

聖徳太子や蘇我氏が天皇になれなかったのは、
天皇の資格が高句麗系であったからです。
磐井が乱を起こしたのは、邪馬台国の残りの百済系だったからで、
高句麗系王朝に反発してのことです。

このように渡来人に目を向ければ、
日本の歴史は非常によく噛み砕いて見ることが出来るのです。

548 :檀君:2005/05/06(金) 15:59:11
そもそもこの時代は中国の東部および西海沿岸一帯は朝鮮系民族が支配していた。
大和朝廷の礎となった渡来人が中国であろうが朝鮮系であろうがこれらは同義であり
議論することはあまり意味が無いのである。

549 :檀君:2005/05/06(金) 16:01:23
これまでの流れでわかるように、現在の皇室は高句麗系渡来人の末裔です。
百済とも繋がってますが、新羅とは直接繋がっていません。

高句麗は、中国に言わせれば中国の歴史の一部ということです。
現在の朝鮮は、すべて新羅系であります。

このような事実は、都合の良いことで、
嫌韓厨にもけして受け入れ難いものではないはずですが。

550 :檀君:2005/05/06(金) 16:01:52
つまり、初期の大和政権の勢力争いは朝鮮系渡来人の出自に起因する
代理闘争の意味合いが強いのである。

551 :檀君:2005/05/06(金) 16:02:57
>>548は、偽者以下略

偽者が出てきたので、今日の講義はここまでにしましょう。

552 ::2005/05/06(金) 16:06:16
>>531
記紀編者がだ、大和朝廷にとって都合のわるいはずの小泊瀬尊の非道ぶりを記述していると
いう内容だ。だから記紀に、倭人伝にてあれほど大々的に勢力を見せつける女王国の記述をだ、
隠匿することなどをやっていないのがはっきり納得できる。貴殿は余の女王国九州説の傍証を
自らさらけ出してくれたことになろうが・・・。それに小泊瀬尊には後継者がいないと
言っているが、またこれもおかしい。その男大迹尊が後継者なのである。
むしろ、皇后が懐胎していなかったと云うのが正なる言い方なのである。

553 :檀君:2005/05/06(金) 16:06:57
嫌韓厨は自らの祖先が高句麗系渡来人の末裔に支配され続けたことを
認めたくないばかりに妙なこじつけで議論を台無しにしているのです。

韓国や中国の学科から嘲笑されていることに気づいていても認めようと
しないのは客観的判断よりイデオロギーが勝っているからで、早くこの
ような姿勢は改めるべきです。

554 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 16:10:51
>>551
講義?頭大丈夫か?

555 ::2005/05/06(金) 16:15:22
>>553
これも大笑いだ。
日の本とは人の元、すなわち、卜字(卜占)が入ってヒトモノトとなるのだ。
すべての人類の根源がわが日本にあるという意義が国名の字句からも明確である。
他国から大量流入のみの結論は大間違いなのであ〜る。
むしろ逆が正なのであり、人類根源のヒノモトから大量半島へ流出したというのが
真なのであ〜る。

556 ::2005/05/06(金) 16:16:43
訂正
×ヒトモノト
○ヒトノモト

557 :鉄器出土畿内僅少:2005/05/06(金) 16:20:07
檀君が、3世紀末の東征もしくは東遷を主張するのは勝手だが、3世紀末の畿内の
鉄器出土僅少との不整合は、どのように説明するのかね。
まとまった人の移動においては、モノである鉄器もまとまって大量に移動するものだ。
しかし、3世紀末までの畿内の鉄の出土はゼロに近い。自分に不都合な考古学事実は
無視して、ひたすら、愛国心神話伝承を史料とするのかね。
高句麗信仰、檀君神話信仰、記紀神話信仰は、
信仰と宗教で歴史を歪曲するのは、オノレの勝手だよ。だってさ、
碩学の井上秀雄氏が言ってる。檀君神話は高麗の信仰の一つだと明言しておられる。
貴殿の信仰の自由を妨げるものではない。貴殿の信仰の自由は憲法も保障している。


558 ::2005/05/06(金) 16:30:14
>>534
安本美典先生によれば、九州の甘木周辺の各地名と大和の某所周辺の各地名とが
かなりの類似性を有するとして、女王国の論を解説している。
貴殿の採用するモデル論が正ならば、上の件もいずれかがモデルにしたとなるが
これもそうだというのか?
さらにだ、磐余の名の類似性を強調しているようだが、ならば履中天皇もそうなのか?
磐余の稚桜宮にてかのすめろぎは天下を統治したという。
貴殿の主張を認めるとなると 大江尊も繼體天皇のモデルなのか?
記紀とはそんなにモデルが多いものとして載せるものなのか?

559 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 16:51:20
>>547
もし、聖徳太子が新羅系なら蘇我氏は新羅系でしょ。
蘇我氏は聖徳太子の外戚みたいな位置づけの豪族でしょ。

むしろ、藤原氏こそが百済系。
蘇我氏が天下の時は、百済が苦戦しても援軍を送らなかったけど、
藤原氏が天下をとったら、百済に援軍を送るし、
天皇の妻に百済の王家の女性をあてがったりしている。

天皇家は女系で朝鮮人とつながりが深いのは確かだけど、
男系では1つに繋がっている1つの王朝でしょう。
渡来人の豪族達が主導権争いのために、
天皇の妻に出身国の女性をあてがってきただけ。

560 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 16:55:59
>>490>>491についてはどうも思わないの?2人とも。これだから・・・。

561 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 17:10:39
>>547
継体も高句麗系でいいの?
継体天皇の外戚的豪族は、息長氏。
息長氏は新羅の製鉄と関係あるとか言われているけど。

562 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 17:18:42
付け加えるなら、息長氏も蘇我氏も
先祖の氏長者みたいな人を「スクネ」と呼んでる。

共通の文化を持った人っぽいよ。

563 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 17:33:32
>>559のいうような本人が百済系だったかどうかは別にしても、
物部氏や中臣氏は百済利権を持っていたと考えられる。
神話の類似性は、本来、そこから論じられるものではないのか。
つまり、高句麗→倭じゃなくて、高句麗→百済→倭、と神話が
伝播した。
朝鮮半島に仏教が伝来したとて、朝鮮民族がインド人に支配され
たわけではないのだから。

564 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 21:46:40
>>563続き
それに継体天皇はね、越前ではなく、近江出身なの。越の一部が支配下ではあった
ろうが、近江出身。越前生まれというのは、母の里が越前だったからで、初歩段階
を踏んだ後はやはり、近江で育ったというのが自然な解釈。
父王が近江に拠点を構えていたのでね。
継体天皇に近い血筋の王族の名前に近江の地名と関連のある名前が多いでしょ。
よって、高句麗王族とは考えにくいなあ。それに、高句麗王族が支配するなら、姓
も持ち込むはずだがなあ。「氏」と「姓」は違うよ。

565 :日本@名無史さん:2005/05/06(金) 21:53:28
スレ違いをあえて書くと、当時、「垂仁・景行・仲哀・応神」それぞれの
末裔を自負する王族は、皆、実り豊かな盆地を本拠地としていた。
武烈天皇も倭彦王も継体天皇も、皆。

話を元に戻すよ。



566 :521:2005/05/06(金) 22:13:26
>>522
征服者が畿内住民を大量に奴隷したのが本当なら、大きな戦乱が想定される
と思うけど、そのような痕跡が畿内の遺跡から出ていますか?
それと、倭人伝で各国の王たちが女王を共立したという記載は無視ですか?

>巻向は銅鐸がでてるんだが、無知だな。
はあ。だから何が言いたいの?

>吉備とか出雲の古墳も、外来の征服者が地元民を徴発して造らせたもの
>なんですか?
の質問に答えてみてよ。

567 :521:2005/05/06(金) 22:20:42
巨大古墳=征服王朝という図式は単純過ぎる考え方。

登呂遺跡の灌漑施設などのように、集落の農業生産のために動員されていた
労働力が、首長の権威の高まりによって、その墳墓の建設に向けられた
と考えるのが一般的。
つまり、首長霊崇拝の創始=古墳時代の始まりなわけよ。

568 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 00:21:03
>>567
では何故、古墳の時代は終演するのか?

569 :496:2005/05/07(土) 00:29:47
中国王朝との関係でしょうね。
律令国家樹立を目指す段階にあって、古墳なんかは、どうでも良くなったわけでしょう。

570 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 01:44:25
壇君もうざいが、太もうざい。
彼の存在が壇君をここに呼び寄せている可能性すらある。
彼ら2人の背後には“天皇陛下万歳”と“ウリナラマンセー”があって、
どちらもこのスレには必要ないものだ。

571 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 03:02:34
古墳がカバーしていた領域を仏教がカバーするようになった

572 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 03:51:09
誘導スレ

   3000年の都   橿原   西安 

 2665年前の皇紀元年に橿原宮と日本国が誕生以来
初代神武天皇と日本神話により引き継がれてきた
文化・伝統を後世に誇り高く伝えようではありませんか。

橿原・京都・東京などの首都圏、
洛陽・西安・北京などの中国中心部、  
米国・英国・伊国などの先進地区同士の友好を深めるスレになれば。
  
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1115403433/

573 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 03:55:22
>>571
宗教はそれだ。

国家プロジェクトとしては
藤原京、平城京、恭仁京、長岡京、難波京、平安京の造営と200年にわたる
蝦夷遠征で、人手と資金の新しい使い道が古墳以外にできた。


本スレに戻るけど、邪馬台国=大和王朝か否かしか論点はないのかな?
「東夷伝」での有力勢力は邪馬台国と狗奴国の2つだろ?
「記紀」ではスサノオを皇祖とする出雲と、アマテラスの大和の2つだろ?
色々な組み合わせが可能じゃないかい。
確定的なことはまだわからないわけだから、いろいろな可能性を探っていこうよ。

574 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:10:51
古墳の代わりに寺院をつくようになった

575 :檀君:2005/05/07(土) 16:16:00
平安の文人、源為憲の書物「口遊(くちずさみ)」は、当時の高層建築の順を、
「雲太(出雲大社)和二(東大寺大仏殿)京三(平安京大極殿)」と表現し、
出雲大社を国内最大の高層建築と記述した。

本殿が、32丈(96メートルに達したとの言い伝えが残っており、
古代の神社建築様式は、古墳時代の埴輪にも伺え、国造の官庁でもある。

地方豪族に対して巨大古墳の造営を取り締まり、
仏教を受け入れたはずの大和朝廷が、
出雲に、東大寺をしのぐ神殿建設を許したのは何故だろうか?

大和に対抗する経済力を出雲勢力が持っていたというだけでは説明できない。
出雲大社宮司である「千家」に伝わる伝承に、その秘密が隠されている。




576 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 17:03:45
井沢儲消えろ

577 :鴨禰宜:2005/05/07(土) 18:45:28
天孫が国譲りを受けた↓これはいつのことか?
http://inoues.net/mystery/izumo_nazo.html
出雲、天孫が成立したのはいつのことか?
天孫の成立は考古学的には北部九州に後漢の金印が渡されたころであり、前原/
平原遺跡出土の国産大型内行花文鏡ができた頃だろう。
出雲が天下を統一した形跡はないが、四隅突出型古墳の裏日本沿岸地方への拡散は
あった。庄内式土器を持って近畿の弥生時代が終わる直前に吉備の楯築では大きな
墳墓が建設される。もちろん出雲にも西谷古墳程度のものはあるし、また、荒神谷、賀茂
に大量の青銅器が集中している。広型銅剣は中国地方での流通が考えられるのでこうした
ことの背景には投馬国ということで倭国の統一を謀る魂胆も見える。
これに対し、北部九州で鏡を配布した国づくりの実績を上げた集団があり、移動性の強い
技術集団となっていた。これに東海、河内、摂津方面からのプルが働き東方に移動するが
吉備辺りで出雲勢力とのバッティングが生じる。これはちょうど2世紀の終わり頃だろう。
で、天孫の中味も九州系ではなく、次第に近畿、尾張の豪族に変わって行くのであろう。
第一次の国譲りはこの頃。第二次は河内政権発足の頃にあったのかもしれない。

578 :鴨禰宜:2005/05/07(土) 19:02:39
漏れはいつも連投するので嫌われるが、静寂が嫌いなため、ご容赦願う。
出雲の天孫に対する言い分は「われわれは日本国の本来の支配者だ」と言う
意識、つまり、倭国乱時代にどこかの、多分、楯築辺りの、高天原会議で
天下を取ったという自負があったのだろう。荒神谷、賀茂のあれほどの青銅器
原料備蓄、楯築の大量の辰砂の備蓄は如実にその実力を語っている。だから、
漏れはこの謎の「投馬国プロジェクト」の解明は今後の課題だと思っている。


579 :アホクサ:2005/05/07(土) 19:30:05
檀君は信仰しろ。カモネギは思え。思想宗教信仰は憲法で保障されている。

580 :鴨禰宜:2005/05/07(土) 19:57:09
漏れは現時点の漏れとしての思いつきの限界を述べている。これ以上については
ROMに回るよりか手はないんだ。記紀では上記の辺は神武の直前の神代のこと
なんだが。

581 ::2005/05/07(土) 20:23:59
>>570
ここで余は半島の悪口は言っていないが?

582 ::2005/05/07(土) 20:39:43
檀君どの。余が貴殿を呼びよせたのか?どうなんだ?乾雲坤竜。相互呼応か?

583 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 22:19:54
>>579
アホクサ君
そういう君は何を信仰するのかね。
君も憲法の枠組みの中で守られているぞ

584 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 23:04:02
訳わかんねぇスレだ
結局何が言いたいんだ
中途半端も甚だしい
マトモナやつはいねえのか

585 :鴨禰宜:2005/05/07(土) 23:27:04
スサノオがウンコをしたりして、アマテラスの出入り禁止になった。その後
ド田舎に飛ばされ、プータロをやっていたと言われている。この辺が少々
荒っぽすぎて100年程度のユラギがある。1-2世紀頃松江のやや東、鳥取
県妻木晩田では大きな集落が営まれている。スサノオはプータロになったか
どうかは不明であるが、二世紀の末ごろには楯築で大きな古墳のような遺跡が
出現し、畿内は弥生時代が終わる。

586 :鴨禰宜:2005/05/07(土) 23:46:33
結局それがなんなのさ・・・というと、日本の古墳時代は大和朝廷時代も含まれるが
それが何故、どのようにして始まったか、邪馬台国とはどんな関係があるのか、その
秘密をとく鍵がこの辺にあるからなんだ。

587 :日本@名無史さん:2005/05/07(土) 23:49:17
鴨禰宜さんにチョット質問!
スレ読んでみると
天皇 王 ミコト ヒコ…等の限られた人達でやりたい放題に歴史作りしてるけど
当時の人口は、ほんの数人しかいなかったの?

588 :元祖プラム:2005/05/08(日) 00:01:45
>>586鴨禰宜氏
大和朝廷と邪馬壹國の関係は、全くないと言ったら語弊が生じるが
直接的には余り関係ないと思うけど。
それに、無理に繋げる必要もないと思うけど

軍事東征なんか不可能だと思う

589 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 00:17:11
おっしゃるような天皇、 王、 ミコト、 ヒコは数人で残りは一般大衆。
邪馬台国7万戸とか。↓
http://inoues.net/nyumon/wa5.html
ただ当時の寸見で人口把握はできないだろうからなんともいえないが、
昔の口伝え、口碑、による話は社会的現象、例えば、渡来人の来朝
もスサノオ一本にまとめていることも考えられますね。


590 :筋肉説:2005/05/08(日) 00:17:13
お前ら、ちょっとエエか。
マキムクを馬鹿にしちゃいけないよ。
あそこは、大和川水系っーても、内陸部だ。
陸上交通によって成り立っているクニなんだね。
多少は、河川交通だって有ったかもしれないけど、
琵琶湖周辺の事情とは違うだろう。
九州だったら日田あたりに相当する土地にだ、仰山人が集まるちゅーことは、
今までの沿岸・河川部での水上交通中心のクニとは、文化も異なるな。
土木技術だって、渡来系の最新技術を使って道路を整備したんだと思う。
これは、人も金もかなりの余裕がないと出来へん話だろう。
ここが、三世紀では、突出した国力持ってたことの証明だよ。


591 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 00:23:42
元祖プラムさんのご意見はかなり多くの人のコンセンサスでしょうね。
将来、天皇稜が一斉に発掘でもされれば明白になるのでしょう。
漏れ個人としては箸墓以降の古墳が崇神以降の記紀が伝える
天皇とかなりの確率、6−7割程度で一致するんじゃないかと予想します。
実質天皇なんてのが相当いるはず。

592 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 01:00:31
最近の地質学的調査によると、奈良盆地一帯は紀元前3世紀頃まで琵琶湖のような巨大な湖の底で、
それが急に消えたのは紀元2世紀頃とのこと。(原因不明)
奈良盆地は明治時代初期まで巨大な湿地帯状の深田が広がり、小船を漕いで田植えをしていたのだ。
マキムク遺跡周辺には運河の跡が3本見つかっており、亀形石のような流水施設が発達していたのもそのため。


593 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 01:03:24
>>590
同意。
マキムクが巨大都市で、各地からの搬入土器が全体の約13%もある。
このような遺跡は他にはない。
3世紀の畿内に、全国に影響を及ぼすような王権が生まれていたこと。
そしてその王権が初期ヤマト政権になった、というまではコンセンサス
が得られている。

594 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 01:18:13
で、なんでマキムクの地が都に選ばれたのか、というと、
やっぱり、590さんが言うように陸上交通の要衝であった、
ということなんだろう。海石榴市も八十の岐と云われてるし。

瀬戸内海航路→大和川水系で運ばれてきた物資を、山辺の道などで、
奈良県北部や山城地域に陸上輸送した。
そうした商取引の管理者として、三輪山の祭祀者が権力を握り、
王権が誕生したのだろう。

595 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 01:25:51
つまり、マキムクの地勢、立地から考えると、
初期ヤマト政権の中枢地域というものが想定される。
つまり、奈良県南西部の三輪山周辺から京都府南部にかけての地域。
両地域を南北に結ぶ山辺の道が重要視されたわけだ。

北部九州などが畿内に進出してマキムクを建設したという主張
(いわゆる東遷説)を良く見かけるが、
もしそうだとすれば、内陸部のマキムクなんかに王都は造らない。
造るとすれば、大阪湾周辺だろう。

596 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 01:52:52
3世紀の倭国を語るにあたってのキーワードとして、
「倭国大乱(2世紀末頃?)」がある。
倭国大乱が収束し、畿内王権、邪馬台国体制が成立しているわけだし。

597 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 02:00:46
では、「倭国大乱」とは一体何か?
それは、筑紫王(奴や伊都などの玄界灘グループ)に対する反乱で
あったのだろう。具体的に言えば、出雲地域の体制からの離脱。
後漢の衰退を契機として、大陸や半島との通商による利益独占に
対して、異議申立がなされた、と。
九州vs出雲の対立による混乱で被害を蒙った吉備・東海・丹波・大和の
諸王たちは、連合。新たな秩序・体制作りに努めた。
諸王たちは、当時宗教的権威者として高名であった三輪山の巫女を
女王として共立することで、倭国大連合を果たした。
それが初期ヤマト政権の母胎になった、と見る。

598 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 02:15:42
>>593-597
いたって、まともな書き込みだな。
通説をなぞっているだけ、というか。
面白味に欠けるよw

599 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 06:18:50
>>592
>最近の地質学的調査によると、奈良盆地一帯は紀元前3世紀頃まで
>琵琶湖のような巨大な湖の底で、 それが急に消えたのは紀元2世紀
>頃とのこと。(原因不明)
この地質学的調査だと唐子・鍵遺跡が水没することになり↓
http://www2.begin.or.jp/~sakura/tkara1.jpg
http://www2.begin.or.jp/~sakura/karako.htm
全く合点が行かない。

600 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 08:59:48
考えられることは大々的な大和川開削工事が紀元前3世紀頃に行われ、唐古・鍵
集落の入植があり、更に、2世紀頃に大工事が行われ、湿地帯が農地に変わった
と言うようなことだろうな。

601 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 09:14:28
八十の岐だが、ヤマト川を八岐川とよび、その上流域を八岐(ヤマタ)と呼んだ
とすれば邪馬台国と言う当て字もなかなかなもんだ。スサノオの攻略を受けた
ことになる恐れもあるが。しかし、神武の話にも三輪山、山之辺近辺征討の
話があるから、農地ができると各地からつわものが集まったのかも。

602 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 09:34:13
東京近辺だと八王子、八街辺りに邪馬台国があってもよさそうだが、そんなこと
いうと山田なんてのは日本中にあるもんなー。

603 :ナントカ系:2005/05/08(日) 10:04:54
高句麗系、新羅系、百済系という論調は、このスレタイからしては失当であろう。
理由は簡単明瞭。新羅百済の成立は四世紀の後半です。
一方、大和政権成立は四世紀初頭とするのが通説定説。すなわち錯誤している。
後世の檀君神話の信仰発展はモンゴル侵攻に対する高麗の民の愛国心の発露。
ちなみに、高句麗や高句麗難民の南下説の根拠はひとかけらも史実として無し。
江上波男氏の騎馬民族説は敗戦終戦時の自由な歴史討論のアンチテーゼ。
記紀と騎馬民族説を核融合させる大矛盾に自覚症状すらをも失っている今の基調。
史料を無視した記紀と渡来人説の結合を説く化学変化に気づくべし。

604 :檀君:2005/05/08(日) 11:41:45
>>603

夫餘系といえば納得するのか?

そんなの、ただの詭弁だね。

605 :檀君:2005/05/08(日) 11:48:12
弥生時代になって、渡来人が断続的に流入してきたことは事実である。

渡来人は、先進の技術を持っており、縄文人から天神と崇められた。
一族を連れて海を渡ってくるほどの指導力を持った渡来人の代表者は、
倭国の中でもクニの王として認められたはずである。
半島との海洋航海術、通訳、貿易術などはすべて渡来人が掌握していた。
倭人は、渡来人に頼ることでしか、先進の文物に触れることは出来ない。

よって、渡来人の質・量を探ることで、邪馬台国の場所も明確になる。
地理的にも文化的にも北九州でしかありえない。

606 :檀君:2005/05/08(日) 12:17:13
北九州を訪れた渡来人が通商を求めてきたことに対して、
山陰・越には、朝鮮半島から難民が漂着していた。
難民渡来人は、一般市民として倭人と暮らすうちに、
土地を開墾し稲田を造る知恵や、味噌など、生活に即した文化を伝えた。
土地を開墾する技術は、大和に伝えられ、ただの湿地だった大和盆地を農地と変えて、
食料を供給し、畿内の人口を増やした。
豊かで争いのない社会が形成され、銅鐸を祭り、平和的に暮らしていた。



607 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 12:20:16
>>605
>よって、渡来人の質・量を探ることで、邪馬台国の場所も明確になる。
>地理的にも文化的にも北九州でしかありえない。

こんな飛躍した論理では納得できないなw
まーとりあえず、邪馬台国が北部九州の何処にあったと思ってるか、
書いてみて。






608 :檀君:2005/05/08(日) 12:27:44
北九州で栄えた邪馬台国は、食料の自給に行き詰っていただろう。
資金は鉄の購入などに費やされていたからである。

そこで、畿内の豊かな農地に目をつけ、邪馬台国の傘下にしようとしたのである。
日本書紀にも、神武東征の理由としてはっきりと記されえている。

「東方に、ニギハヤヒが治める良い土地がある。そこに都をつくるに限る。」

九州からの畿内への侵攻が始まったのは、2世紀頃であろう。
高地性集落が作られ、畿内は、侵攻に備えて、銅鐸祭祀を中止した。
しかし、戦闘力は鉄器を用いていた北九州が勝っており、
3世紀末に、ついに畿内は邪馬台国に陥落し、
邪馬台国は、畿内に大和朝廷を興したのである。

大和朝廷が征服王朝であることは、
大国主の祟りを恐れていたことから明らかである。

609 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 12:54:08
>>608
成程。狗奴国=畿内銅鐸勢力と考えてるわけね。
で、3世紀末に邪馬台国がマキムクに都をつくった、と。
典型的な、邪馬台国東遷説だな。和辻哲郎が言っていた事と大差が
ない。進歩がないというか、勉強が足りないというか…

近年の考古学の成果を全て無視すれば、まあ、そういう仮説も
成り立つと思うよ。

610 :檀君:2005/05/08(日) 13:01:11
>>609
全然違う。

狗奴国は、九州葦北勢力であって、畿内銅鐸勢力とは無関係。
マキムクは、山陰・丹波・越から大和に入植した勢力(大国主・ニギハヤヒ)の土地。

マキムクが姿を消した時期に、邪馬台国が畿内を征服したのである。
考古学的にも矛盾は無いよ。


611 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 13:06:18
>>608
 鉄の購入などに資金が費やされて、
 食料の自給に行き詰った邪馬台国が
 畿内の豊かな農地に目をつけ、
 侵攻し、ついには大和朝廷を興した
というのは、おかしくないですか?
食料の自給に行き詰って豊かな農地を求めたのなら、
それは食料供給地として求めたのであり、
そこに首都機能を遷すのは本末転倒というか
強引な思考のように思われるのですがいかがでしょう?

 鉄の購入などに資金が費やされただけではなく、
 鉄によってもたらされた豊かさのおかげで
 人口増加が増加し、食料の自給に行き詰った、
ということなら、そうかもなぁ、と思えるのですが?

また、北九州(九州北部ってこと?)の農地よりも
生産量的にとか地質的にとか面積的にとか気候的にとか
畿内のほうが食料の自給に適していると考えられる根拠はあるのでしょうか?
現在または(ハッキリしている)過去から
そのようなことは推測されるのでしょうか?

612 :筋肉説:2005/05/08(日) 13:13:22
>605 半島との海洋航海術、通訳、貿易術などはすべて渡来人が掌握していた。
アンタ、極端なんだよなー。
縄文人だって、何千年も前から半島や琉球との通好や交易はしてたさ。
もともと海洋系のエスニックじゃないのかな彼らは。
各地に土器や翡翠・貝製品の出土遺物が残ってるだろう。
弥生期の渡来人が掌握していたと確実に言えるのは、通訳くらいだろう。

>606 北九州を訪れた渡来人が通商を求めてきた
こちらも難民じゃないのか?「通商」とは大きく出たね(w



613 :檀君:2005/05/08(日) 13:21:00
>>611

理由や事情は見解が分かれるでしょうが、
畿内の大和朝廷が征服王朝なのは間違いありません。

天孫の大和朝廷が、地祇の大国主の祟りを恐れているのが証拠です。
地祇を鎮めた(征服した)モモソヒメを祀るために、初期の大型古墳「箸墓」が造営されたのです。
もちろん、モモソヒメは卑弥呼とも台与とも別人です。


614 :檀君:2005/05/08(日) 13:24:10
>>612

渡来系は、朝鮮と良好な貿易をしていましたが、
朝鮮半島と貿易の交渉術を持たなかった縄文系の倭人は、
海賊(倭寇など)として朝鮮半島に進出し略奪していたのです。


615 :檀君:2005/05/08(日) 13:29:59
そもそも3世紀の日本では、丸木舟が主流で、外洋航海は困難でした。(不可能ではない)

貿易で、物資を運ぶために優位な構造船は、渡来人が持ち込んだものです。
それを見た倭人は「天鳥船」などと称して驚嘆したのです。

616 :筋肉説:2005/05/08(日) 13:32:00
>>614
海賊と交易は、もともと表裏一体だよ。
双方の需要と供給が見合えば「交易」成立だが、
合わなければ「海賊」になっちまうのは後世でも言えること。

617 :筋肉説:2005/05/08(日) 13:35:50
>>615
高句麗人は竜骨を持つ大型構造船を持っていたと言い切れるのかい?

618 :檀君:2005/05/08(日) 13:43:54

こうして4世紀には、九州系渡来人が大和を征服したわけですが、

その後、畿内(越)系渡来人の末裔である継体天皇が大和を再征服しました。

渡来人同士の抗争が日本の歴史そのものだと言えます。
最後に、蘇我氏との抗争によって大化改新が起こり、
高句麗系天皇が勝利したというわけです。


619 :筋肉説:2005/05/08(日) 13:44:46
竜骨構造船の存在を示すような考古資料はあるのか?
文献では、応神記に出てくる「枯野」でさえも準構造船(丸木舟)と解釈できるが。

620 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 13:46:07
>>610
>マキムクが姿を消した時期に、邪馬台国が畿内を征服したのである。

はあ。マキムク→初期ヤマト政権を否定するわけね
(記紀を読む限り、三輪山山麓に大王が住んでいたことは蓋然性が高い
と、私は思うけど)。
では、東遷した邪馬台国はどこに都をつくったの?
記紀の記述では、どのあたりに該当するのですか?

621 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:11:16
三輪という地名は九州に沢山あるんだよ。

なんで沢山あるかというと、遷宮してたからなんだけど。
(伊勢の遷宮祭はこの名残。)

地名から考えても、
九州勢力が畿内に入ったのは間違いないと思われ。

檀君の食料うんぬんが理由という説は、なかなか面白い説だと思う。
(継体が高句麗系だとかは、メチャクチャだと思うけど。)

622 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:39:30
>>621
はあ?
三輪の地名があるから、崇神・垂仁・景行とかは九州時代の大王だ、
とでも言うんですか?
無茶苦茶やなあ。

623 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:46:08
>地名から考えても、
>九州勢力が畿内に入ったのは間違いないと思われ。

畿内勢力が九州に入った可能性は無視ですか?


624 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 15:56:37
斎明朝には、朝倉の宮もあったよな。

625 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 16:07:51
結局、東遷説論者の思考の根底にあるのは、神武の亡霊なわけよ。

北部九州東遷→初期ヤマト政権、と思い込んでいる。
記紀では、神武が日向出身であると書いてあるのに、都合良く日向→筑紫
に読み替えるし。

626 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 16:16:58
檀君が、邪馬台国の時代に
資金なる言葉を用いるとは、モハヤ、イヤハヤ、イヤハヤ、モハヤ、ヤレやれだ。
邪馬台国、倭国は通貨経済なのか。
無茶苦茶だ。

627 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 16:19:59
そもそも、3世紀に北部九州が畿内に攻め込み、北部九州〜畿内までの
広域の軍事的統一、大王権力を想定することには無理があるよ。
当時は各地の王たちも独自性を有しており、まだまだ群雄割拠の状況。
各地の高地性集落も、実際に戦乱に巻き込まれた痕跡は出ておらず、
倭国大乱の後、ある程度の膠着状態になったと考えて良い。
軍事的解決が図れないから、政治的解決=「女王を共立して連合」したんだよ。

この意味で、「畿内在地勢力→ヤマト朝廷」説と九州王朝説は、近いスタンス
にある。
3世紀の倭国に、九州〜畿内に至る軍事的統一を想定するのは無理なこと。

628 :筋肉説:2005/05/08(日) 16:39:58
>>627
弥生の高地性集落ってのは、ある程度の騒乱状態の痕跡だろう。
騒乱っていっても「倭の大乱」なんてのは、クニとクニの争いじゃなくて、
「治安が乱れる」程度のものじゃないかな。

簡略に言うと、公孫氏の滅亡が、北東アジア全体の秩序維持に影響したんだな。
で、錦の御旗(燕を頂点とする権威の体制)が無くなった途端、
玄海諸国を中心にした交易ネットワークも崩壊し、
クニグニの関係が内向きになってしまった。

そう言う状況で、海賊行為なども活発化して、労働力や収穫物の防衛が
集落維持の重要問題になった。
そう言った環境で、集落の集中化・巨大化による方法で、
図抜けて自衛力を向上させた勢力が、やがて邪馬台国を中心に
交易ネットワークを再建し、魏との修好に漕ぎ着けたんだろう。

629 :檀君:2005/05/08(日) 19:00:38
>>620
>はあ。マキムク→初期ヤマト政権を否定するわけね
マキムクと4世紀の大和朝廷とは連続していません。

>三輪山山麓に大王が住んでいたことは蓋然性が高い
その大王が大国主もしくはニギハヤヒと呼ばれた畿内出身の王です。
出雲・丹波・越から近江を南下して大和入りしてマキムクを造りました。

3世紀末に、九州勢力が侵攻してきたのです。
摂津からの上陸を阻まれ、熊野から大和入りし、葛城王朝を築きました。


630 :檀君:2005/05/08(日) 19:13:08
>>621
>(継体が高句麗系だとかは、メチャクチャだと思うけど。)
それは、貴方の知識が貧困だからです。

前にも書きましたが、継体の父の古墳は朝鮮系の副葬品で占められています。
丹波〜近江〜越あたりの有力豪族は皆、天日槍などの渡来人の末裔を自称しています。

631 :渡来人:2005/05/08(日) 19:24:21
あのなあー。みんなーに言いたい。渡来人の定義を知っているんかなあー。
名指しはあえてしないが、諸君らも、かくなる討論をするかぎりは、広辞苑
くらいは座右にして、日本語による議論討論をしてみたら、いかがかねえ。
渡来人とは、四世紀から七世紀に日本に来住した人々の意でしょうが。
それをだな、とりとめもなく敷衍拡大解釈するから、この論議が際限なく
支離滅裂なものになってしまうのだよ。
ここは、日本語での学問版でしょう。
それならば、日本語の領域範疇で正確な日本語の語彙を以って討論すべきは
当然のルールでしょう。
そもそも、特にこの場で最低守るべくルールは、広辞苑やその他の国語辞典
による最低限の国語の語彙を尊重遵守しなくては、議論も討論もへったくれも
有り得んよ。
渡来人を論ずるなら、渡来人をまずは辞典なり歴史用語辞典なりで、確認して
言及しないから、三世紀邪馬台国前後を語るときさえも、渡来人なる言葉を
使用するというマチガイを犯してしまうのが好例なのだよ。
みんな、バカだのう。もう少し、語彙言葉の使用用法に意を払うべし、諸君。

632 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:34:17
私も渡来人さんのご意見に大賛成です。
やはり、渡来人という言葉の定義においても、それは正確に用いるべきです。
特にこのようなチャットにおいては大切なことだと同意します。
そうでなくては、質問反論あるいは賛意するにも不便だと考えます。

633 :檀君:2005/05/08(日) 19:41:47
>>631
じゃ、貴方に定義してもらいましょう。

3世紀以前に日本に上陸した人を何て呼べばいいのかね?
こっちは、くだらん言葉遊びでスレを汚したくはないのだが。

634 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:41:57
同意。同意。賛成。賛成。
特に、そのことは、自説を展開しているダレカさんに、強く求めて、自戒して
欲しいな。このスレの品格が極端に落ちたのはダレカさんつまりは、
もうカキコしなくとも解るよな。彼らのせいだぜ。
ひところは居た彼らを諭す住人らも去ってしまったしなあー。残念だなあ。


635 :檀君:2005/05/08(日) 19:50:11
>>631

はやく定義しろよ!



636 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:50:21
そうですなあー。檀君渡来人というのは、いかがですかな。
より、檀君氏の論旨要旨が明確明瞭となり、よいことと思うがなあー。
それに檀君氏の渡来人の特有特殊な学術学問的な高説を、あまねく天下に
知らしむことにもなるぜよ。

637 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:51:52
返事ないなあー。

638 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:53:33
檀君渡来人で決まりだな。

639 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:55:44
勉強不足の檀君渡来人でも可。
日本語未熟の檀君渡来人でも可。

640 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 19:56:58
賛成。大賛成。支持多数。可決されました。

641 :筋肉説:2005/05/08(日) 20:47:04
「檀君渡来人」ってのは、縄文最末期以降に日本に来た非中国系ってことで善いのかな・・・

642 :鴨禰宜:2005/05/08(日) 20:50:53
日本も朝鮮もない時代、国もない時代に移動する雑多な構成の集団だから列島に
来る集団、半島に渡る列島集団としか実体がない。これらに仮に渡来人の言葉を
使用したとしてさしさわりのある向きもない。ましてや2chは天下の公器、詰まらんことに
囚われず自由闊達に意見を述べるべし。

643 :檀君:2005/05/08(日) 20:55:47
「檀君渡来人」でいいのか?
じゃあ、今までのレスはそう読み替えてくれ。
同じことだがな。
言葉遊びでしか、当方と議論が出来ない低脳ぞろいということは良くわかった。


644 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 20:57:14
>>642
書きっぱなしのままでよいなら「自由闊達」でかまわないけど
意見交換を期待するなら、言葉の正確な定義は必要だよ。

645 :元祖プラム:2005/05/08(日) 21:37:32
『渡来人』

以前は『帰化人』と称していたが『帰化』には中華思想的な思想があるとして(文化 社会的に劣っていた日本に、先進的な半島や中国の人達が『帰化』することはおかしい)ということから『渡来人』の呼び名が付けられた。

646 :元祖プラム:2005/05/08(日) 21:50:56
>>643で 壇君に『壇君渡来人』でいいんだな

と、言われながら何も反論しない住人達は
もう、壇君に対し先進的なヤシとしなければならないよ
面白おかしく『壇君渡来人』とカキコしたんだろうけど とんでもないことだよ

647 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 22:43:54
>>629
>3世紀末に、九州勢力が侵攻してきたのです。
>摂津からの上陸を阻まれ、熊野から大和入りし、葛城王朝を築きました。

君の言う葛城王朝って、馬見古墳群の被葬者たちのことを言ってるの?
一般的には、馬見古墳群の築造年代は4世紀末頃と言われているけど。

648 :日本@名無史さん:2005/05/08(日) 23:07:12
>>647
ダメダメ、そう言うマジレスには「スルー」が決まりだから。

649 :檀君:2005/05/08(日) 23:40:08
>>648

はぁ?
九州勢力は、3世紀末〜4世紀初頭に大和に入植を始めたわけだから、
馬見古墳群が4世紀末ならば、まさしく葛城王朝最盛期に豪族達の古墳が造られたということで、
時期的におかしくないでしょ?




650 :檀君:2005/05/09(月) 00:28:10
まあそれだけ土着の倭人より朝鮮系渡来人が優れていた査証であることは
確かです。渡来人と土着倭人では人間と猿くらいの差があった。

651 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 00:36:45
>>650の人によれば、列島の人間は学問に不向きな民族らしい。
以前、そういうレスを書いていた。
列島の人間は奴隷になるのがふさわしいらしい。

652 :10時間経つと『征服した』が『入植を始めた』になってる・・・:2005/05/09(月) 00:49:19
610 名前:檀君[] 投稿日:2005/05/08(日) 13:01:11
マキムクは、山陰・丹波・越から大和に入植した勢力(大国主・ニギハヤヒ)の土地。
『マキムクが姿を消した時期』に、邪馬台国が『畿内を征服した』のである。

618 名前:檀君[] 投稿日:2005/05/08(日) 13:43:54
こうして『4世紀』には、九州系渡来人が『大和を征服した』わけですが、
その後、畿内(越)系渡来人の末裔である継体天皇が大和を再征服しました。

629 名前:檀君[] 投稿日:2005/05/08(日) 19:00:38
『マキムク』と『4世紀の大和朝廷』とは連続していません。
>三輪山山麓に大王が住んでいたことは蓋然性が高い
その大王が大国主もしくはニギハヤヒと呼ばれた畿内出身の王です。
出雲・丹波・越から近江を南下して大和入りしてマキムクを造りました。
『3世紀末』に、『九州勢力が侵攻してきた』のです。
摂津からの上陸を阻まれ、熊野から大和入りし、葛城王朝を築きました。

649 名前:檀君[] 投稿日:2005/05/08(日) 23:40:08
九州勢力は、『3世紀末〜4世紀初頭』に『大和に入植を始めた』わけだから、
馬見古墳群が4世紀末ならば、まさしく葛城王朝最盛期に豪族達の古墳が造られたということで、
時期的におかしくないでしょ?

653 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 00:51:56
『マキムクが姿を消した時期』って何時だろう?

654 :檀君:2005/05/09(月) 00:58:26
>>650は偽者
人間と猿は言いすぎ。
中学生と小学生程度でしょう。

>>652

他に書くことはないのかね?

655 :檀君:2005/05/09(月) 01:00:07
当方は就寝しますので。
後は偽者と遊んでください。

656 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 01:06:17
檀君って反論できないツッコミが出るとすぐ偽者を仕立てて逃亡するのなw
間違いを認める勇気も必要だと思うけどな

657 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 02:45:56
邪馬台幻想記

658 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 04:05:44
× 大和朝廷
○ 大和王朝

659 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 05:44:08
>>630
おい、タングン。天日槍は新羅人であって高句麗人じゃないぞ。

660 :味噌高句麗檀君神話渡来人:2005/05/09(月) 09:18:34
味噌高句麗檀君神話渡来人と檀君の渡来人を定義して、かつ呼称すると最適でしょう。
彼の論旨がより明確かついかに不正確また不適切で、間違っていることが解る。
もしくしは
記紀騎馬民族融合化学変化済糞味噌一緒高句麗檀君神話渡来人の方が本来はよいがな。

661 :渡来人:2005/05/09(月) 09:39:40
渡来人と呼称して、渡来人の文言を用いて、日本史の学問的論議を行う場合
やはり渡来人というものの一般的な使用範疇を前提にしないと議論が混乱して
しまうでしょう。
このスレの住人の方々もご認識なさる方が、やはり、よいのではありませんか。
むろん、議論を深めてお互いの研鑚を趣旨として
かように申し上げている次第です。

662 :渡来人:2005/05/09(月) 09:49:56
ついでに、渡来人について一般の通説を詳説日本史山川出版から引き
みなさまの今後のご議論の用に供したく存じ上げます。

朝鮮半島や中国とのさかんな交渉の中で、新しい文化や鉄器須恵器の生産
機織金属工芸土木の諸技術が、主として朝鮮半島からやって来た渡来人たちに
よって伝えられた。
大和政権は彼らを部とよばれる技術者集団に組織し各地に居住させた。

663 :渡来人:2005/05/09(月) 09:59:43
したがって、渡来人とは、一般には四世紀以降の大和政権成立以降の
朝鮮半島からの移住者を呼称するのが、一般の歴史認識として用います。

それを、稲作渡来も渡来人、史実痕跡の希薄な半島難民も渡来人として
論議することは、やはり失当なのであります。
そのように言ってしまえば、日本人すべてはアフリカ発祥起源の渡来人に
なってしまう暴論となりましょう。縄文人も勿論渡来人になります。

やはり、用言のルールというものは議論においては、不可欠でしょう。

664 :檀君:2005/05/09(月) 11:22:13
>>663
おはよう。
いつまでも何をグチャグチャ文句いってるの?しつこいね?他に議論することないわけ?

当方は「檀君渡来人」で承諾したし、
なんなら「記紀騎馬民族融合化学変化済糞味噌一緒高句麗檀君神話渡来人」でも構わんよ。

稲作も鉄器も、外国から伝えられた文化だし、白山信仰も、起源は白頭山信仰。
地祇に対して天神は外国から来た神様。大和朝廷や多くの氏族は、天神を祖としている。
これらに対して異説があるならお聞きしようじゃないか。

事実を認めたくないからと、言葉遊びの長文でスレを埋めないで欲しいものだ。

665 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 11:32:14
多くの氏族が天神を祖としているとは、記紀を読んでの客観的な意見とは
思えんね。またまた、繰り返しての重ねての、不正確な発言かな。

666 :檀君:2005/05/09(月) 13:09:29
>>665

すると、多くの氏族は地祇を祖にしてたのか。
こりゃ大発見だ。事実なら考えを修正する。詳しく聞かせてくれ。

667 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 13:13:48
大和朝廷や多くの氏族は、天神を祖にしている。
という意味はオレにもわからんよ。相も変わらずだなー、まったく。
氏族と天神の意味と用法を、も一度、整理してごらんな。
氏族とは何か、天神とは何か、君のいう氏族と天神は一般的解釈つまり
辞書辞典の通常の日本語か否かを明らかにしろよ。混乱混迷せぬようにね。

668 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 13:25:49
三浦祐之氏の口語訳古事記,文芸春秋社によると、アのつく氏族名が
阿芸那の臣から粟田の臣まで17の氏族名が掲示してある。
そのうち天神を祖とする氏族が、どの氏族であり、それ以外の氏族がどの
氏族がどれかを、答えてごらんよ。不勉強不見識が身にしみるはずだから。

669 ::2005/05/09(月) 13:58:34
>>608
>3世紀末に、ついに畿内は邪馬台国に陥落し、
>邪馬台国は、畿内に大和朝廷を興したのである。
こういう上の件の事実はいっさい無かったというのが正解である。
前にも述べたように、そんなことは記紀に一切書かれていない。
武烈天皇の不利な行い等を記述している記紀の編者が、邪馬台国が大和朝廷として
畿内に政権を樹立したことがあるということを、即女王国の後身となった朝廷の
正体の様子を確実に、記紀に忠実に記述するを忘れっこない。

670 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 14:55:54
連休明けだというのに、みんなヒマだのう。
失業者、学生さん、ニート、定年退職年金生活かなー。
日米経済成長率格差がこの10年間、米国を下回っている原因理由だねー。

671 :檀君:2005/05/09(月) 16:12:07
>>668
>三浦祐之氏の口語訳古事記,文芸春秋社

う〜ん。その本は持ってないなあ。
その17の氏族名列挙してみてよ。
後で調べてあげるから。

672 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 16:14:22
竹に接ぎ木

673 :檀君:2005/05/09(月) 16:18:04
倭人の末裔どもは往生際が悪いな

674 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 16:23:10
阿芸那の臣 詳細不明
葦井の稲置 詳細不明
飛鳥の君  詳細不明
東の君   詳細不明
安曇の連  志賀島本拠の海人系一族
阿蘇の君  阿蘇を本拠の地方豪族
阿陀の鵜飼 吉野川の漁に携わった鵜飼集団
阿多の君  薩摩阿多郡を本拠とした豪族、隼人
阿太の別  大和国を本拠とした一族といわれるが詳細不明
阿直の吏  百済からの渡来系氏族
阿那の臣  備後国の地方豪族
阿倍の臣  大和国本拠の豪族
海部    朝廷に海産物を奉る職業集団
漢の直   明日香村本拠の渡来系豪族
粟田の臣  山城国本拠の豪族

これで多くの氏族が天神天孫系であるという檀君の説の合否が判明するだろ。

675 :ダンクン:2005/05/09(月) 16:24:57
檀君の往生際はいかがかねーーーーえ。

676 :檀君:2005/05/09(月) 16:43:10
>>674
とりあえず、阿芸那と、粟田を調べてみたわけだが、

>阿芸那の臣 詳細不明
古事記では、孝元天皇が祖ですが?どうして不明なの?

孝元天皇→建内宿禰→曾都毘古→阿芸那の臣

>粟田の臣  山城国本拠の豪族
古事記では、孝昭天皇が祖ですが?山城の豪族とした根拠はなに?

孝昭天皇→天押帯日子→粟田朝臣(粟田真人)


というかさあ、その三浦祐之氏って、
古事記の記述も、新撰姓氏録の類も無視して、
詳細不明とか、どこそこの豪族とか解説してるみたいだけど、
そのソースに、どんな資料的価値があるわけ?



677 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 16:44:55
檀君は自分のHPでも作ってさ、
そこの“チラシの裏”コーナーで一度自説の推敲してから書き込みなよ。

連続カキコされると迷惑だから。

678 :檀君:2005/05/09(月) 17:03:44
>>674
氏族の系統が知りたい人が大勢いるだろうから、調べてやった。

阿芸那の臣 孝元天皇
葦井の稲置 懿徳天皇
飛鳥の君  垂仁天皇
東の君   詳細不明 ←東の君(ひがしのきみ)は、天穂日が祖、または秦とも名乗っていた
安曇の連  綿津見豊玉彦(海神)
阿蘇の君  神武天皇
阿陀の鵜飼 贄持之子(地祇)
阿多の君  火照命(隼人)
阿太の別  垂仁天皇
阿直の吏  百済からの渡来系氏族
阿那の臣  孝昭天皇
阿倍の臣  孝元天皇
海部    開化天皇
漢の直   仁番(にほ)・須々許理(すすこり)(渡来系豪族)
粟田の臣  孝昭天皇


679 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 18:01:10
壇君並びにそこに絡んでいる住人君。
もう一度よく
このスレタイ読み直してくれ
完全に外れてないか?

680 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 18:17:22
檀君をかたるとはのう

681 :檀君:2005/05/09(月) 22:51:13
倭人どもは反論ができないのなら大和朝廷が渡来系政権であることをいいかげんに
認めたらどうですか?
みっともないですよ。

682 :檀君:2005/05/09(月) 22:56:26
>>681は偽者

当方の名をかりて、むやみに煽るのはやめなさい。かわいそうだろ。


683 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 23:02:23
ゴシップは必ず三人の人間を殺す。言い触らす人。反対せずに聞く人。話題になっている人。
                        

本当の檀君という存在もふくめてな。      タルムードより

684 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 23:04:21
まあ、檀君が「渡来渡来」と言い過ぎているのは確か。
弥生の数百年から古墳時代以降までも、「渡来人が倭の原住民を征服した」
ばかり、声高に主張する。
具体的には、一体、何世紀頃のことを言っているのやら。
「檀君渡来人」や渡来人全員が、征服者であるように考えているのも単純。
彼の頭の中には、「朝鮮>日本」しかないのだろう。

このスレはあくまで邪馬台国やヤマト政権を語るスレ。
君のように民族優劣論(アホ)に凝り固まった人間はこのスレには
相応しくない。
以下のスレに誘導するので、そちらで思いっきり議論してみて下さい。

「弥生人・古墳時代人=朝鮮」を論破する!!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1112370869/l50

685 :檀君:2005/05/09(月) 23:19:45
>>684
>彼の頭の中には、「朝鮮>日本」しかないのだろう。

その「>」の意味についても定義してもらおうか?
民族的優劣を意味するものだとしたら、君の認識が間違っている。

たとえば、中学生と小学生の知識を比べれば、「中学生>小学生」だが、
中学生と小学生を比べて、民族的優劣を決められるのかね?

渡来人と倭人は、知識の差こそあれ、民族的優劣は無関係。

民族的「朝鮮>日本」と吹聴して議論を妨げているのは、偽者の檀君であるので、
そこのところヨロシク。

686 :日本@名無史さん:2005/05/09(月) 23:31:20
>>685

>具体的には、一体、何世紀頃のことを言っているのやら。

これにも答えてみてよ。

687 :檀君:2005/05/09(月) 23:39:34
>>686

北九州で、甕棺墓が消えた頃だろうね。
過去レスくらいちゃんと読んでね。

反論するなら、甕棺墓が消えた理由を述べてくださいね。

688 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:13:33
>>北九州で、甕棺墓が消えた頃だろうね。

まあ、その甕棺墓にしても、君の大好きな「檀君渡来人」がもたらした文化
なんだけどね。渡来渡来と題目のように唱える無意味さが少しは分かったかな?w

それはさておき、甕棺墓の終焉時期=古墳時代の始まり、というのは同意。
ただ、墓制の変化について、その全てを征服者に原因を求める、というのは
単純過ぎると思うよ。まあ、君だけに限らず、そういう輩は多いのだけど。

青銅器(精霊)崇拝からの決別→古墳(首長霊)崇拝への転換は、古墳時代
初期、全国レベルでパラレルに起きている事象なんだ。
それら全てが征服者によるもの。征服者が短期間に列島を縦断したなんて、
荒唐無稽だとは思わないかい?
各地の国々は高地性集落を造って、膠着状態に陥ったというのが、現在の通説。
君が言うような大きな戦乱の痕跡は、その頃の遺跡からは発見されていないから。
騎馬民族征服説を今時真面目に語っているなんて、恥ずかしいことだよw

689 :檀君:2005/05/10(火) 00:24:03
>>688
>騎馬民族征服説を今時真面目に語っているなんて、恥ずかしいことだよw

当方がいつどのレスで「騎馬民族が征服した」なんて書きましたか?

脳内妄想のクセがあるなら病院で検査してもらったほうがいいね。迷惑だから。

>初期、全国レベルでパラレルに起きている事象なんだ。
パラレルといっても、一斉に放棄するわけだから、
誰か(何処か)が音頭を取ったことは事実だね。

690 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:34:34
>>664
>稲作も鉄器も、外国から伝えられた文化だし、

まぁ外国と半島と高句麗はすべて意味にズレがあるがな。
中国や韓国のいうアジアには中韓2国以外含まれてなかったりw

>白山信仰も、起源は白頭山信仰。

それは電波説だと思うぞ。こじつけ以外に根拠ある?

>地祇に対して天神は外国から来た神様。

天神は天から降りてきた神様だね。それを「外国からきた」というのは
近代人の合理化であり、解釈にすぎない。
そういうと「じゃ天からきたのかよ」とアホなツッコミする馬鹿がいる
かも知れないが、古代人にそういう信仰があったということだな。

691 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:37:20
進歩するごとに核心に近づいているということだな

692 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:42:31
>>689
なんで、「征服者」という固定観念から離れられないのだろう。
音頭を取ったのが半島人でないと、何故気が済まないのか
これが馬鹿の壁というやつか…

>当方がいつどのレスで「騎馬民族が征服した」なんて書きましたか?
君の主張は騎馬民族征服説そのものだよ。短期間で檀君渡来人(高句麗)が
列島を席捲したんだろ?
古代史に詳しくないみたいだから、一度、江上氏の著作を購読することを
勧める。きっと、君の主張に近い事が書かれているだろう。
江上氏の方は、まだ学問的だけど。

693 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:44:02
ここはウリナラマンセーと皇室信仰の掃きだめ。

694 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:45:45
学問板なのに

695 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 00:45:59
以後このスレは、古代史・考古学に詳しくない檀君を、
教育していくスレになりました。

696 :檀君:2005/05/10(火) 00:57:42
>>692

当方は、騎馬民族説を指示しない。
理由は、馬の去勢を行なわないからである。
馬は征服目的として入ったものではなく、個人の物(財産・道具)として入ったものだろう。
征服に利用するほど多くの馬を連れてで海を渡るのは不可能だろう。

「外国からの侵略」と「文化の流入」はまったく違う性格のものである。
何度説明しても、君らには理解できないようだな。
理解しようとしないのか、しらばっくれてるだけなのか。

697 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 01:11:17
檀君は捏造神話で実在しないだろ。

698 :檀君:2005/05/10(火) 13:27:39
渡来人は文化を運ぶだけで倭の土着民はひれ伏したのである。
わざわざ侵略を行う必然性が無いのは自明の理。
倭の土着民は進んで渡来人への従属を望んだ。

古代大和政権の誕生はこのようなバックグラウンドがあって成立したのである。

699 ::2005/05/10(火) 15:11:14
>>698
ひれ伏したなんて、どこの古文献に明示されているんだ?

700 :檀君:2005/05/10(火) 16:07:40
古代日本の神々や皇族が渡来人なのだから、紀記を読めばいくらでも出てくるはずだが。

701 ::2005/05/10(火) 16:42:37
学問を強調する貴殿が、そんな抽象的な解説をしてたのでは納得されにくい。
それに、この前も言ったが、半島へ渡った渡来人もいることなんだから、
それならば、あちらがひれ伏したこともあったことになる。

702 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 18:26:01
ブリテン島のように
何派かの
移住があって
成立した
東人のおいらには関係ないことだ
まあ、最後には、越→越→大和と進入した一派が
掌握したとしておこう

703 :檀君:2005/05/10(火) 19:50:21
>>698
>>700

それ、偽者。
あのねえ。数行の意味の無い煽りだけのレスは偽者だから釣られるなよ。



704 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 20:03:04
本物だろうが偽者だろうが、論旨は殆ど同じなんだよな>檀君
所詮その程度のものなんだということに気づいていないのは本人だけ

705 :檀君:2005/05/10(火) 20:05:23
>>704
>本物だろうが偽者だろうが、論旨は殆ど同じなんだよな>檀君

当方は、「裏付け」を元にしています。きちんと根拠を提示しています。
ただの煽りと一緒にしないでください。


706 :日本@名無史さん:2005/05/10(火) 20:14:24
檀君は結論ありきの議論で後付で史料を持ち出すから、根拠が根拠となりえない
ことがわかっていない。
つか、「所さんの目がテン」まで根拠に持ち出すくらいだしw

707 :日本@名無史さん:2005/05/11(水) 02:39:34
ところで素朴な疑問なんですが、お聞きしたいと思います。
なんで九州って、「阿」がつく家が多いんでしょうかね。阿蘇とか阿南とか阿万とか阿間とか。後の2つは全く別の苗字に変わってらっしゃるようですが。
因みに中国大陸南部には「阿」さんがいます。この人たちは紀元前?00年には、中国南部に流れついてボウ人(過酷な地を開拓する者)と呼ばれたそうです。
 後に弾圧を受け「何」さんと改名し(後に復姓しました)、その時大量に河を下って移動したそうです。なんか九州と関係あるんでしょうか?
因みに、高所(現地では崖の中腹)に死者を埋葬するという風習があったそうです(2000年前の遺体がまだ残ってるそうです)。
これって、日本の古墳の埋葬形式と同じですよね。

708 :圭角 :2005/05/11(水) 19:12:25
渡来人云々説が盛んなようですが、素朴な疑問と疑義があります。
オリエントやギリシャやローマの古代史が、旧約聖書やギリシャ神話やローマ神話
を以っては、語られ探求されてはいません。
なにゆえに、日本古代史のみ、あるいは、朝鮮古代史のみが、記紀や檀君神話にて
語られ討論議論論争されるのか、大変に不可解な現象です。
民族問題や政治イデオロギーはこのへんでオシマイにされたらいかがでしょうか。


709 :圭角:2005/05/11(水) 19:17:30
さもなくば、
それは、たとえば、記紀と旧約聖書、ギリシャとローマの神話、さらには
各国諸国のそれぞれの建国神話の記述の信憑性の高低論議をするにも等しい
のではありませんか。
世界史においては、このように偏った議論は無いです。

710 :日本@名無史さん:2005/05/11(水) 19:41:19


トロイは?

711 :むらさぎ:2005/05/11(水) 20:20:14
圭角さん、見直したよ。まったく賛成。

712 :日本@名無史さん:2005/05/11(水) 22:52:22
記紀はあくまで歴史書という前提で編纂されている。
神代と人代は明確に分けて評価されるべきで、記紀と一括りにして切り捨てる
のはどうか。

史記に黄帝の記述があるからと言って、その価値が落ちないのと同じで。

713 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 00:25:43
中国の史書で日本国の名称が初めて現れるのは、五代後晋の『旧唐書(くとうじょ)』においてである。
945年に完成したこの本の「東夷伝」には「倭国日本伝」となっており、「日本国は倭国の別種なり。
其の国日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。
或いは曰ふ、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為すと。
或いは云ふ、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと」と書かれている。
すなわち、倭国と日本国の二種類の国があり、日本国は「日辺」、つまり日の出る東方にあったというのである。
この『旧唐書』の冒頭に「倭国は古の倭奴国なり」と記されている所から、倭国は九州を中心として発展した国で、
その東方、つまり畿内に日本国があったと考えられる。
また、この書では日本が倭国を合併したと書かれているが、
この約百年後に完成した『新唐書』の「日本伝」では、「倭の名を悪(にく)み、更(あらた)めて日本と号す。
使者自ら言ふ、国日の出づる所に近し、以に名を為すと。
或いは云ふ。日本は乃ち小国、倭のあはす所と為る、故に其の号を冒せりと」
つまり、倭国が日本を併せたと記され、全く逆になっている。
日本は小国であると明記されていること、また後に書かれた方が誤りを訂正したとも考えられることなどから、
倭国が日本を併合したと考えるほうが信憑性が強いと考えられる。



714 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 00:26:56
谷川健一氏は『白鳥伝説』において、この小国であった日本国を、
河内の草香を中心としたヒノモトことであると述べる。
ヒノモトは、太陽信仰の原点とみなされ、天磐船に乗って生駒山脈の一峰に降下したという伝承を持つ
ニギハヤヒを信仰の対象としていた。(ニギハヤヒは物部氏の遠祖)。
そして、四世紀の初頭邪馬台国の東遷に伴って、長髄彦に代表される蝦夷とともに、
物部氏が東を目指したと考えている。


715 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 00:32:43
倭国は北九州の邪馬台国のことであり、
日本は、河内の草香、生駒山の南東、つまり奈良を支配していた物部王国。
それが、四世紀初頭の邪馬台国の東遷によって、日本国大和朝廷が誕生した。

716 :元祖プラム:2005/05/12(木) 07:48:36
>>715
>四世紀初頭九州北部にあった邪馬台国の東遷により大和朝廷がおこった。

>>ん〜ん
違うと思うけどなぁ〜
何時の時代においても、自国が乱れた時には他地域への流出はおこるだろうけど、東遷となると国をあげての大移動
行き着く先で成功すれば、必ず九州北部の生活文化その他の特色が、かなり色濃く反映するはず
そのような特長が(大和、河内)周辺で目立って見られないのは、畿内への大規模移動はなかったと言えるのではないか!

717 :圭角:2005/05/12(木) 08:10:05
邪馬台国東遷説を主張するために必要な前提は
 脆弱な邪馬台国連合が四世紀初頭まで存続し得たこと
 南の狗奴国の追撃を封じ込めたこと
 鉄器出土が四世紀初頭の畿内での相当多量大量の出土が認められること等の
論証が必要となるでしょう。
それを、記紀の東征に絡める論議では、スレ違いになるものです。

718 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 09:04:41
>>716
世界的に見ても侵略者というのは男ばかりの少数集団のことが多いしね

719 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 12:25:51

アマゾネスは?

720 :太国:2005/05/12(木) 13:11:38
>>719
僕もそれを考えていた。>>708 >>709 のことでか?類似スレの件だったっけ?
とにかく、卑弥呼姫が鬼道をやっていたからにゃぁ、神道関係がからむことがあるから
誰かさんがそれをやるなと言っても、いささか言いすぎではないか?

721 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 14:22:32
そりゃ、もっともだ。
反省しよう。

722 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 17:32:12
>>720

>鬼道をやってりゃ神道もからむ
>>それは何処から来る発想だ
それなら、国道も県道も柔道も絡むのか。
ようするに>>720
『天皇陛下万歳』と
言いたいんだろ

(あ〜ぁヤダやだ)

723 :圭角:2005/05/12(木) 18:05:08
東遷説 、渡来人征服説、狗奴国北進東遷説、大和国西進統一説、それに加えて
畿内邪馬台国大和朝廷説。
考古学のツールが、鉄器に前方後円墳に鏡に土器。
文献が倭人伝東夷伝三国志、晋書、その他に記紀はては檀君神話。
史料考察の見地が、政治,経済、文化、軍事等。
これらの組み合わせは百とおりにもなるかと思います。
私は、東遷説を採る者ではありませんが、森浩一氏の次の見識を重視しています。
 連続的に発展してきた北部九州の弥生文化が、三世紀末頃を境に急速に力を失ったのは
 考古学事実である。之に対して大和では殆ど突然に前方後円墳が造られ始め,鏡を副葬する
 北部九州の風習が遷移している。
 邪馬台国そのものが東遷したというまでの考古学的証拠はまだ無いが、北部九州の生活の
 スタイルが大和に移ったことは明らかだろう。

724 :圭角:2005/05/12(木) 18:28:08
だからこそ、東遷説が支持される所以かと思いますが、私は、氏の見解の
 邪馬台国そのものが当遷したというまでの考古学的証拠は未だ無い
に注意注目しています。邪馬台国そのものが国を挙げての移動であるならば
人々の大量の移動とともに、モノも大量に東遷していなくてはなりません。
しかし、こと鉄器に関しては、その立証ができません。三世紀末四世紀初の
畿内大和の鉄器出土は僅少、つまり当時の大和は相変わらず鉄に飢えています。
よって、私は、史料考察見地を経済におき、経済力の中心地が大和に移って
経済力の拡充伸長が軍事力拡張となり、政治の中心も畿内に遷移したと考えます。
経済の中心地が移れば、自然と文化も遷移します。古代史においても、
経済−軍事−文化−政治という順位順序で考究すべきかと私は思います。
政治は一番最後尾にして、もっとも先行するものは経済と考えます。
経済力が東遷した経緯過程はあらためて書きます。長くなりかつ連投になったので。

725 :日本@名無史さん:2005/05/12(木) 19:52:12
[けいざい](経済)

経済とは 経世済民(けいせいざいみん)から出来た言葉である。
経世とは 世を営む意味で今の経済の意味だろうが、済民とは民を救う意味である。
経済活動とは 経済を通して民を潤す意味がもともとある。

726 :太国:2005/05/13(金) 13:50:28
>>722 俺は鬼道を特殊神道と観ている。どうして、国道等が出てくるのか?

727 :日本@名無史さん:2005/05/13(金) 15:01:16
↑以後スルーで

728 :太国:2005/05/13(金) 17:34:14
>>722
彼は国道と国家神道をごちゃ混ぜにして物事を考えているのかなぁ??

729 :日本@名無史さん:2005/05/13(金) 21:51:39
>>722は、単に貴方をからかっているだけじゃないの。
『天皇陛下万歳』にあきれかえっているだけさ

皆どう思う。

730 :太国:2005/05/13(金) 22:13:34
とにかく、卑弥呼姫が鬼道をしていたんだから、その共通性のものを無しでやってくれ
と言ったって、それは無理だということだ。
「卑弥呼」の映画を見たが、どう転んでもやっているのは一種の古神道の類ではないか?
味噌汁の塩を無としてやれといったって、それじゃあ味噌汁にならんよ。
なあ、檀君殿。だからそう飲めない方は、これは一種の病気と考察するなあ。
「やだ」と言っても、八咫鏡等は出て来るのはしょうがないぞな。

731 :日本@名無史さん:2005/05/13(金) 22:35:37
>>724
非常に興味深く読んでいます。
早く続きを書いて下さい、圭角さん。

732 :日本@名無史さん:2005/05/13(金) 22:49:56
国家神道つったら、また、やけに時代の降った話になっちまうじゃないか。


733 :太国:2005/05/13(金) 22:53:10
それを >>722 に言ってくれ。

734 :日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:37:02
市ね。>>733

735 :日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:58:37
漢でも張魯の「鬼道」ってのが有ったな。

736 :圭角:2005/05/14(土) 08:55:30
731さんに乗せられまして書かせていただきます。経済を持ち出すというのは、
さほど堅苦しく難しい意味ではありません。ジャパンアズナンバーワンと言われた
時代は、日本に世界中の大物アーチストらが来日していました。昨今は韓流のみですが。
モノも人も、経済力のある所へと流れるのは自然であることは古今東西同じです。
歴史の視点というとき、特に古代国家の形成の視座においては、経済力、当時は無論
農業生産力だと思いますが、渡来人はもとより、食うこと、食える地域を志向するのは
常識的な行動原則でしょう。古代史では、政治的な権力の移動や発生等など、何でも
政治的なものと絡ませたがる傾向が強すぎると私は考えております。
たとえば、前方後円墳をして、大和朝廷とのつながりの緊密希薄を論じる教科書さえも
その点は一緒です。古墳の大小は経済力を反映したものと捉えるのは適切な見方と
いえますが、吉備や下野の古墳が大和の次に規模の大きいことをして、大和と緊密な
政治関係にあったという見解は、失当です。理由は、古墳の大小により政治権力が
決定され大和との結びつきが云々、などというならば、古墳築造において当時すでに
規模の調整格差を比較統制する連絡調整担当官までも居たという理屈になってしまいます。
江戸時代でも城郭の規模で、親藩、譜代、外様の相関関係は認められません。
古代史はいずれの説も仮説の組み合わせではありますが、征服説や東征説や東遷説にも
経済史眼をその視座とする姿勢を、現状より強くあるべきと思う次第です。
古代史嫌いな人の共通した理由は、ミコトやヒメの羅列や難解な文献史学に偏重するあまり
リアリティーに欠落しているから、というのが大勢です。それには、経済思考。
というのが、私の考えのあらましです。


737 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 12:28:57
>>736
長文、ありがとうございます。

結局、米は人口支持力が大きく、弥生時代以降、稲作に適した風土であった
畿内の人口の増大→初期ヤマト政権になった、ということですね。
西国と東国の交易の中継地としての利潤も大きかったのでしょう。
そもそも初期ヤマト政権とは、西⇔東の交易路の安全を保障するために要請された、
宗教的権威であったのではないかと思います。

当時の交通事情から考えても、北部九州が吉備の頭を通り越して畿内にまで
軍事的進出をしたとは、到底思えませんし。
神武の呪縛からの開放が、古代史研究には重要なことなんでしょう。

738 :圭角:2005/05/15(日) 14:22:53
737のおっしゃる通り、記紀神話の神武東征の呪縛からの開放脱却ができぬ限り、
日本古代史研究は障害を抱え続けることになろうと、存じます。
碩学の学者先生にしても、私の感想では、少なくとも四割くらいは、記紀重視ですね。
江上波男氏の騎馬民族説にしても、辰王でしたか、それをミマキイリヒコでしたっけ
崇神天皇に比定している訳ですから、本質としては、記紀の東征説と同質なものだと
解釈も可能です。
東遷説が一部の学会でも一般にも根強く支持される理由は、やはり前方後円墳や土器
さらには鉄器東漸の考古学事実との整合性が、いまだ不十分というレベルでしか、
考究論証されていないからと、思えます。
だからこそ、それも、かくなる古代史人気のひとつかと存じますが。

739 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 20:26:17
>三世紀末四世紀初の畿内大和の鉄器出土は僅少、つまり当時の大和は
>相変わらず鉄に飢えています。

で、ヤマト政権の大王が軍事的王者として立ち現れてくるのは、
4世紀末、高句麗との激戦を半島で繰り広げていた頃でしょう。
その中で、河内、葛城、吉備に大古墳が築造されていったことは興味深いと
思います。
この時期に、何らかの政治体制の変化があったのでしょう。

740 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:00:00
神武東征の呪縛を呪縛と考えながら、
倭国が高句麗と激戦したと考えるのはこれいかに?

どちらも、考古学的物証の裏づけはないのだが。


741 :サガミハラハラ:2005/05/15(日) 21:08:55
倭国が高句麗と激戦したことの考古学的物証の裏づけは、好太王碑がありますよ。

742 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:26:19
>>741

そんなもの、まともな考古学者は取り合わない。

743 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:27:26
あの、「つくる会」の教科書でさえ、倭国の高句麗侵攻は記述してないよ。

744 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:44:54
広開土王の碑文は、考古って言うより文献ネタなんだが・・・・

745 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:45:03
>>743
好太王の碑文の改竄説ですか。
まあ、有力説ではないですね。

746 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:58:32
神武東征を否定して、碑文を肯定するとはね。

747 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:00:48
>>740
4世紀末から5世紀にかけての著しい変化を知らないようですね。
数百本の刀剣の副葬、尖根細身の鉄鏃。環頭太刀、眉庇付冑、挂甲など。
おそらく、この時期に遂行された半島での高句麗との激戦を通じて、
豪族たちは大陸の武器や戦法を学び取り、その武力を用いて列島の統一に
利用したんだと思われます。

748 :サガミハラハラ:2005/05/15(日) 22:00:48
好太王碑を(碑文ではないですよ)考古学的物証として取り扱わない考古学者とは一体なんだ。

749 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:13:59
痰君が居たら面映そうなネタだな。

750 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:16:54
>>746
神武東征とは、神代と人代を結びつけるために挿入された物語ですよ。
天孫を日向に降臨させたため、話を大和に戻すために、神武は東征する
必要があった訳です。初代大王は大和で即位する必要があった、
つまり、ヤマト政権の中心は畿内でないと駄目だった訳です。

では何故日向三代神話が語られる必要があったのでしょうか。
それは、応神以降の大王は西都原の日向氏と姻戚関係があって、
その意向を無視できなかったということではないでしょうか。
4世紀末の倭は、河内、葛城、吉備、西都原らが勢力を伸ばし、
中原に鹿を逐ったのだと思います。
この場合の中原=畿内ですが。

751 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:24:36
檀君には自分の不勉強を恥じてもらって、謙虚な態度で戻って来て欲しい。
以前と同じなら「二度と来るな」と言いたいな。

752 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 23:35:54
>>750

なんで、日向氏がそんなに偉いわけ?

753 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:40:02
>>752
さあ。4世紀末以降の西都原古墳群の隆盛を考えると、勢力が増したことは
確かだと思うけど。

記紀を読む限り、応神以降、日向氏と大王家との結びつきが強まったのは
確か。
対熊襲の前線基地として戦いながら兵馬を練り、応神以降の大王家では、
九州地方の親ヤマト豪族として、その軍事力を期待されたのか、と。
大王家は日向氏の立地と軍事力を評価し、その縁戚関係を深める政策を
行なった。
その結果、大王家と日向氏の始祖伝承の混交、同族化が進んだのではないか。

754 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:41:47
日本書紀を書いた人は魏志倭人伝を読んでいた。彼は邪馬台国は九州か畿内かなどと悩むことはなかった。畿内にはないことがわかっていたからな。

しかし、なんとか大和政権の権威を示さなければらない。そこで古代日本の正統政権である邪馬台国の権威を借りることにした。

天孫降臨が九州となったのにはこういう事情があったのである。そうすれば魏志倭人伝との整合性もとれ、中国側と話をあわせることができる。

しかも、この次に神武東進を挿入すれば大和に話をつなぐことができる。中国も「なるほど。大和政権というのは昔、中国と関係があった邪馬台国の後継政権なんだな」と納得させることができる。


755 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:50:18
>>754
いやだから、それなら筑紫に天孫降臨させるでしょ。
日向神話はあっても、筑紫神話は一切語られていないから。
「筑紫の日向」という表現から、無理矢理日向を筑紫に読み替えるのは
止めてくれ。この場合の筑紫=九州のこと。
少なくとも、記紀編纂者は日向=宮崎地方と思っていたんだよ。

756 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:55:39
>>753
はっきり言えば?
応神が日向出身で、畿内に攻め上った簒奪者で、その東征の記憶が
【神武】になった、と考えてるんでしょ。
まあ確かに、高句麗南下に伴う国際関係の緊張、外圧によって、
何らかの政変、権力の移動のようなものはあったとは思うよ。

757 :むらさぎ:2005/05/16(月) 01:39:47
>>756
「その東征の記憶が」って、あんた
そんな記憶があるなら応神が東征したと普通に書くだろうがw

758 :圭角:2005/05/16(月) 20:35:59
卑弥呼への 魏帝の詔勅記事を読むべしかと思います。
晋帝室の史官の陳寿が、卑弥呼や壱与邪馬台国当時に、大和国が隆盛勃興していたと
しても、せいぜい、
 女王国の東、海を渡る千余里、また国有り、
としか、記せぬ事情は、陳寿ならずとも、当然でありましょう。
それから、四世紀末と四世紀初頭を錯誤しては、議論になりませんね。
さらに、もういいかげんに、神武東征神話の呪縛から脱却されたらいかがですか。
神武東征なら、別の専用スレがあるではないですか。
邪馬台国も、大和朝廷も史実です。
神武天皇東征は、史実ですか。2600年以上前の神話であることに再度の認識を。

759 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 21:46:41
畿内論者は、神武の次から仲哀まで、記紀に九州の記述がまったくないのを
どう考えているのですか?

九州王朝と畿内大和は断絶していたという証拠でしょう。
邪馬台国は九州王朝のことですよ。



760 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:10:12
>>759
景行紀を読め



761 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:24:02
>「その東征の記憶が」って、あんた
>そんな記憶があるなら応神が東征したと普通に書くだろうがw

いやだから、神武が実在していなくて、その説話物語を創作するにあたり、
応神をモデルにした、ってことで。
ヤマトタケル説話にしても、大彦命や武渟川別、雄略、天智の子の建王、
竹市皇子などがモデルという説がありますよ。

762 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:26:03
>>760

クマソ征伐はしてるけど、
大和朝廷が朝鮮半島と鉄交易してたというような記述はないだろ。

九州王朝(邪馬台国)が鉄を輸入して、畿内に鉄を売ってた。
畿内の大和は、鉄利権を奪うために、クマソ征伐した。




763 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:35:04
>>760
日本語の読み書きが難儀な人に書紀を読めとは御無体な。

764 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:38:07
>>762
>神武の次から仲哀まで、記紀に九州の記述がまったくない

>クマソ征伐はしてるけど、大和朝廷が朝鮮半島と鉄交易してたというような
>記述はないだろ。

本当に同一人物ですか?

765 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 00:02:16
九州王朝と大和朝廷が別もンだったから、
記紀には九州で鉄貿易してた活躍が描かれていない。

766 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 00:37:20
畿内の農業生産が高かったことを証明出来るのでしょうか


767 :むらさぎ:2005/05/17(火) 06:34:17
>>761
じゃなんで実在してない人の話を創作する必要あったわけ?
「応神が東征しました」じゃいけない理由があるのか?

768 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 10:09:49
当時の編者や担当役人達が、上の指示どうりに
現実権者の過去をお化粧した結果が
『記紀』じゃなかんべ

寝起きの顔見たら、夕べ見た顔と別な顔があった。

769 ::2005/05/17(火) 12:45:59
>>768
そうだったら、武列天皇の非道を書くわけがない。
お化粧するならこの汚点を隠す。貴殿の考察は夢物語。


770 ::2005/05/17(火) 12:51:26
>>759
景行天皇 九州行幸あり、記紀に記述あるよ。
九州の記述があまりないというのが正だな。下段は正。

771 :みなさんを代表して:2005/05/17(火) 14:23:48
みなさん、スルーされますなあ。
お気持ち、ようく解りますなあ。
スルーされたみなさんのみ、御判りではないとみえますなあ。

772 :遅レスすまん:2005/05/17(火) 15:39:23
>>105,114
”味噌は和食の定番。その起源が高句麗にあるならば、食文化の起源は高句麗。”
って、は?

http://www.koji-miso.com/ms_rekishi.html
を見てみたがどこにも高句麗から味噌がもたらされたとは書いてないぞ。
あのニャーゴヤで有名な豆味噌だけをもたらしたんじゃないの。
檀君。君の主張はこうまで針小棒大・事実糊塗なのかい。
それに、わしのような西日本人は、味噌を使う料理は味噌汁とモロキュー
ぐらいしか食べんよ。味噌の変わりに酢を使うよ。
君は東国、いや東北の出身だろ。

773 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 16:15:08
そのサイト

>高句麗人は、大豆を発酵させて味噌にする、つまり、米や麦を使わない
>「豆味噌」の造り方を伝えました。 豆味噌は、粒が大きく、ペースト状
>ではなかったのですが、この匠の技によって、味噌造りは大きく進歩す
>ることになります。 豆味噌は、寒くないと発酵管理が難しい米糀に比べ
>て、暖かくても造りやすかったのです。

↑出典が不明なのだが。おれはそんな記事みたことないぞ?
もっとも、どんな古代文献にもそんなことが書いてあるとは到底おもえないがな。
高句麗関係の文献・史料なんてたかが知れてるから、
そんな面白い記事があるなら目につかないはずがない。

無根拠なウリナラ起源を真に受けて作ったいい加減なサイトなんじゃないか?

774 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 17:40:12
味噌の語源は「未だ醤(ひしほ)ならず」という意味の「未醤」という語だとか、
すりつぶした醤という意味の「末醤」という語が「未醤」と間違えられてできたとか、
「蒸し」から来たとか聞いたことがあります。
韓国語の mecu は「(味噌の原料の)豆麹を玉状に丸めたもの」を表す語ですが、
中期朝鮮語の形は mjecu で、さらにそれよりも古い11世紀の『鶏林類事』では「醤曰密祖」とあり、
mjecu は古くは味噌の意味だったのではと考えられています。
おもしろいことに mjecu を「末醤」の訓に用いた例が朝鮮資料にあるようで、
それと半島から製法が伝わったとされる醤を「高麗醤(こまびしお)」と呼んだこと、
「こまびしお」を「末醤」とも呼んだらしいことから考えると、
「まっしゃう→みしゃう→みそ」ではなく、「末醤」という字と「ミソ」という音がセットになって
半島経由で入ってきたような感じがします。



775 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 17:43:58
中国で現在の味噌の原形ができたのは弥生時代後期と言われてます。

高句麗で進化発展した味噌の原形は飛鳥時代の末期、668年に高句麗
が新羅に滅ばされた際に、難を逃れて日本にやってきた高句麗人によって
もたらされました。
これは日本の文献にも残ってますし、多くの日本の学者も認めていますよ。


776 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 18:13:10
味噌も関東人も朝鮮起源か。糞味噌一緒。
納豆も半島起源?

777 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 18:24:25
pupu
納豆なんて関東人(高麗人)しか食わねえよ。


778 :みなさんを代表して:2005/05/17(火) 19:00:06
スルースルースルー。

779 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 21:12:21
>>775

↑出典が不明なのだが。おれはそんな話きいたことないぞ?
もっとも、どんな古代文献にもそんなことが書いてあるとは到底おもえないがな。
高句麗関係の文献・史料なんてたかが知れてるから、
そんな面白い記事があるなら目につかないはずがない。

無根拠なウリナラ電波をいい加減にばらまいてるだけなんじゃないか?

780 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 21:35:41
>>779

そうやって煽るフリして資料を出さそうとしても教えないよ。
自分で調べな。

781 :元祖プラム:2005/05/17(火) 22:41:50
納豆がぁ〜

やっぱり茨城だっぺ
んまいどな
そんなもの、半島だろうが日本だろうが
どごでもいがっぺな
みんな、茨城の納豆いっぱい食ってくろや
今、原油高の影響と業界デフレでピンチなんだ

782 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 23:50:49
プラム=高麗人

783 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 23:54:10
納豆は中国から入ってきた。
朝鮮人は納豆を食べない。チョングクチャンという似た食い物はあるがマイナーだ。


784 :日本@名無史さん:2005/05/17(火) 23:56:04
>>767
>>750とか>>753を読んで。質問がループしてるよw

まあ、ヤマトタケルにしたって、何故そのような説話が記紀に記載されているかは
分からない訳だし。

785 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 00:19:06
「出雲の国譲り」にしたところで、記紀の神代に語られ、その後、
崇神や景行の出雲征伐として、再度語られている。
同じように東征説話にしても、神武、応神と繰り返し語られている。
なぜ、二回語られる必要があるのか


786 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 03:33:33
国ゆずりは神話であって歴史ではない。出雲征伐は崇神朝の事実。二回語られてないだろ。

787 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 17:56:52
 九州最大の古墳群で、特別史跡の
「西都原(さいとばる)古墳群」(宮崎県西都市)から、
国内最古級とみられる前方後円墳が確認された

ttp://www.asahi.com/culture/update/0518/001.html

この記事あんまり話題になってないのはどうしてでしょう?

788 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 19:57:12
[国内最古級]なら、日本中にあるから。


789 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 20:08:08
>787
大ニュースだね。
宮崎大の年代比定が妥当なら、三世紀前葉の国家モデルが書き直される。
邪馬台国時代の政治的ブロックが南九州まで拡大されるわけだ。
多少、疑いの念を感じないわけではないが・・・

790 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 20:53:46
これで、邪馬台国が西都原にあったことが証明されたな。

791 ::2005/05/18(水) 21:04:58
やはり、考古はしょっちゅう置換、書き換えられるんだよ。

792 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:10:14
>>790
じゃあ何でそれが奈良盆地に移って大和朝廷になったのさ?

邪馬台国が大和とまったく別の国にあったとしたら、、
大和朝廷は一体何者なんだよ

793 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:15:18
>>792

記紀に、神武東征ってあるだろ?バカ?

794 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:53:23
アマテラスは卑弥呼のことだろ?

795 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 22:13:54
↑正解。

796 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 22:17:57
>>786
じゃあ、「神武東征」も神話ということで。
実際の東征があったのは、応神の時のこと。


797 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 22:38:30
ということは、応神は西都原出身?

798 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 23:16:17
なんか、投馬国が都万神社のある宮崎県都万で
(なぜか大国主が祭神)
邪馬台国が西都原なんて、小椋一葉だったかな、書いてて
プッと笑ってたけど、

なんか急に台頭してきそうなヨカーン


799 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 03:44:19
卑弥呼=アマテレスという事は、
邪馬台国が大和朝廷になったという
何よりの証拠だと思う。


800 :ななみちゃん:2005/05/19(木) 04:06:03
神様の名前に「天」と付く名前が多いので、天皇家の苗字は
「天氏」だったのではないかと、井沢元彦は言っていた。

しかし、「奄美(あまみ)」は「海部(あまべ)」の事ですし、
フロイスが書いた本には、「長宗我部(ちょうそかべ)」が
「ちょうそかみ」と書いてあるし。
このことから「部」は、「べ」では無く古くは「み」と読まれていた事が分かります。
つまり「安倍(あみ)」が「天(あめ)」となったのではないかと私は思うのです。
実際に何天皇だか忘れたけど、「安倍」という名前の人がいたし。
それに東北の安倍氏の先祖は、戦いに敗れて中央から逃げてきた皇族だとか。

801 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 10:36:27
「安部」という名前の人がいた、安部氏の先祖は皇族だとか。

これって東日流三郡誌がソースですか?

802 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 11:01:41
 九州最大の古墳群で、特別史跡の「西都原(さいとばる)古墳群」(宮崎県西都市)から、
国内最古級とみられる前方後円墳が確認された。宮崎大学などの発掘調査でわかった。
出土した土器から、築造は3世紀中ごろと考えられ、南九州では最古。大和政権があった
畿内でも、このころ古墳が造られ始めており、本土の南端でも同じ動きがあったことになる。
これまで、大和政権が主導したとされてきた古墳文化成立に、再考を迫ることになりそうだ。

 確認されたのは西都原81号墳。長さ52メートルで、卵形の後円部と短いバチ状の前方部
を持つ「纒向(まきむく)型前方後円墳」と呼ばれるタイプだ。本格的な巨大古墳の登場に先
立つもので、3世紀中ごろまでに造られたとされる奈良県桜井市の纒向石塚などと同じ形。
後円部からは、弥生時代と古墳時代の過渡期にあたる土器が出土した。このため、4世紀
とされてきた西都原古墳群の築造開始も、半世紀前後さかのぼることになる。

 纒向型は全国で30例を超えるともいわれるが、南九州での発掘は初めて。南九州は
「地下式横穴」など独自の埋葬文化を持ち、のちに「隼人(はやと)」と呼ばれる人々が中央
政府に反乱を起こすなど、長く中央とは一線を画してきた土地柄だ。

 近年、大和政権は全国の有力豪族の連合体だったとの見方もあり、発掘責任者の柳沢
一男・宮崎大教授(考古学)は「南九州の勢力も、古墳文化の成立に参画していた可能性を
考えなくてはならなくなったのではないか」と話している。

 宮崎大では夏にも発掘を再開する予定。

引用元:朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/update/0518/001.html


803 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 13:12:02
 宮崎県の西都原古墳群で3世紀中ごろから後半にかけての
「纒向型」の前方後円墳が確認されたことで、
専門家からは、早い時期からの南九州に対する大和政権の
影響を指摘する声が出ている。

 奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫調査研究部長は
「この時期には既に大和政権が全国各所にくさびを打つように
関係をつくっていたことを示すもの」と指摘。
同古墳群内にある帆立て貝形としては国内最大の男狭穂塚古墳や、
九州最大の前方後円墳の女狭穂塚古墳などが5世紀に造られたのも
「突然できたのではなく、こうした端緒があったから」とする。

 伊都国歴史博物館(福岡県)の西谷正館長も
「関東などとともに南九州が、いち早く大和政権の連合に
編入されていたことが裏付けられた」。

 一方、奈良大の白石太一郎教授(考古学)は
纒向型を弥生時代の墓とみており
「今回の調査では、年代の測定は土器を物差しにしているが、
畿内と宮崎の土器の年代の並行関係に問題がある。
詳細な分析を待ちたい」と話している。(共同)

ttp://www.sankei.co.jp/news/050518/bun074.htm

804 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 14:04:30
「邪馬台(やまたい)」と「大和(やまと)」って似てるよね。
「邪馬台国」ってのは当時の魏の当て字だから、
結局「邪馬台国」からの使者が自分たちの国のことを「やまと」って言ったのを
魏の人間が「やまたい」と聞き取って、「邪馬台」の字に当てたんでしょ

やっぱり邪馬台国が諸国を制覇してそのまま大和朝廷になったんじゃないの。
大和の国は畿内なのはもちろんだが、福岡に「山門郡」ってのもあるから
九州にあったのか畿内にあったのかは知らんが、これは確かではないかと思う

805 :鴨禰宜:2005/05/19(木) 14:42:19
安本さんの作られた甘木朝倉との大和の類似地名分布図は南米ナスカの遺跡のように
東に向って飛ぶ鳥の絵を示しています。古代には日置部というのがあったらしいが、これ
は戸置部であり、集落配置を司っていたようです。九州に端を発し、太陽光線にそったレイ
ライン遺跡は中部地方にまで東進しているようですが、鏡、天体観測を組み合わせた技術
が西から東へと進んだんじゃないかなーと思うのですが。どうだかな。(三角縁以前)
近畿には鳥見山というのが2箇所あるんですが大阪に近いほうのは、鳥形の国土を見る
のにはちとおかしい。奈良のほうのは見通しはいいようではあるものの平野を見るには
不適であり、太陽観測などの行事と言うのならわからないでもない。

806 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 15:47:24
>>804は前のスレよく読んで、勉強するように。
また同じ事カキカキするようなら
スルーします。

807 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 16:34:04
つーか結局、箸墓古墳が発掘調査できればこの問題は
全て解決するんだろ?

808 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 16:47:40
朝鮮式の副葬品がたくさん出土したらこまりますので出来ません。

809 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 17:53:37
>>808
そんなもん出てきやしないよ。
せいぜい鏡が出るくらい
マキムクなんか土器と木材の大量出土

810 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 18:38:44
仮に出てきても全然困らんと思うがね
何故かって?
ソレはね朝鮮であっても倭式になる可能性だってあるからだよ
わかるか?わからんか?
それはね朝鮮に倭系がいたことを示す証拠にもなるからだよ
わかったか?ん?
古代朝鮮式が出土した=朝鮮系とならないことくらい
知ればいいさ



811 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 19:10:49
大和朝廷と邪馬台国を結びつける考古学的決め手は一切無くなるということか。

812 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 19:10:56
邪馬台国が西都原(宮崎県西都市)である証拠。

1、地名の語末に『都』という文字を使うのは、実際に首都であった場合に限られる。
 類例、京『都』、東京『都』、神武建国の伊『都』国。宇『都』宮のような音借とは違う。
 西都の「西」、方位の事ではなく、西洲(九州)という固有名の地の都という意味。
 (日向地方は九州島の東海岸沿いにあり矛盾するから。)
2、日向地方は冬も温暖。真東に海がある。原文(倭人伝)に沿わせるとこうなる。
3、三角縁神獣鏡も出土。(半島や中国から1枚も出土しないので鏡は純国産。)
4、西都のオサホ塚はもともと九州で一番大きな円墳で卑弥呼の墓だから黒板勝美が
  尻尾をつけて墓を捏造。さらに柵で囲って現在宮内庁が管理。そのため発掘させてくれない。
  9割以上が手付かずらしい。発掘調査の実施を強く宮内庁に要求したい。
5、九州で一番規模のでかい古墳群遺跡は西都原である。規模のてんからいってもここが
  邪馬台国の跡としてふさわしい。さらにシャーマニズムの卑弥呼とも思わせる斎殿原跡が存在。
 これだけ大規模な遺跡であるから長岡京や藤原京の場所は特定できるのに、同じく古都であった邪馬台国(大国)の
 所在が特定できないのは不可思議な話。政治的意図(半島からやってきた天皇および天皇制)による政府の
 組織的隠蔽工作が行われたと思量する。これに加担する畿内説信者は不快である。
6、神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地は「西都原」。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は九州で一番人口密度が高かった。
  人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠である。

朝鮮総督府修史委員会の「黒板を中心とする焚書」は畿内説による歴史改竄でオサホ塚に
後方部をつける改修であり好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。
記紀による天皇家の出自も改竄で、現実は神武も卑弥呼も朝鮮半島からきた。
これらの隠蔽行為によって邪馬台国の所在は不明とされている。
西都原の発掘調査が行われれば一気に論争も解決するだろう。


813 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 19:15:40
西都原に古墳群があっても全然困らんと思うがね
何故かって?
ソレはね西都原であっても畿内式になる可能性だってあるからだよ
わかるか?わからんか?
それはね西都原に畿内系がいたことを示す証拠にもなるからだよ
わかったか?ん?
西都原=邪馬台国とならないことくらい
知ればいいさ


814 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 20:36:37
最近西都原厨?がうざいな

815 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 21:58:04
>>814
いいんじゃないの
滅多に無いことだし、ほっとけばまた、地下に潜ってしまうんだから

816 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 22:07:53
箸墓=卑弥呼の墓でいいじゃん。

817 :元祖プラム:2005/05/19(木) 22:48:02
>>816
良くないよ。

818 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 23:01:01
>近年、大和政権は全国の有力豪族の連合体だったとの見方もあり、

大王位は古来、有力豪族による持ち回りであった。
大王位が一つの氏族に独占されるのは、応神以降のこと。
西都原の大王が畿内に東征し、大王位を簒奪してから。
高句麗南下によるナショナリズムの高揚が直接のトリガーとなった。
畿内には「九州から来た偉大な大王が畿内を征服して大王になった」という
口碑が残っていて、それが数百年後の記紀編纂時に初代大王の王権の正統性に
利用されたのだろう。

819 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 00:02:38
邪馬台国=「ヤマト」国
卑弥呼(姫巫女 日巫女 日御子?)=天照大神 だとすると、
天の岩戸伝説=日食 と置き換えることができる。

となると、3世紀半ばに皆既日食があった場所が邪馬台国である。

820 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 00:26:18
奈良だな。

821 :342:2005/05/20(金) 01:06:05
九州北部だな。

822 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 01:12:01
>>821
まだいたのか。
早く市ねば?

823 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 01:13:54
変な奴が居なくなったら今度は厨説がループしてる・・・・。

824 :元祖プラム :2005/05/20(金) 01:45:31
邪馬台国は九州で間違いないだろ?

825 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 01:52:18
>>824
おまえも、消えろ。

826 :元祖プラム:2005/05/20(金) 02:04:47
プラムって厨かもね市ねよ(',_ゝ`)ブゲラ

827 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 02:14:59
>>819
>>卑弥呼(姫巫女 日巫女 日御子)=天照大神 

卑弥呼=天照大神は良いとして、
「呼」はh音ですのでこれはありえません。
「卑弥」は「日女」、「呼(ほ)」は、王を意味すると思われる。

>>天の岩戸伝説=日食

日本では、王が死ぬ事を「お隠れ」という。
卑弥呼がお隠れになり、代わって台与が即位した事が
天の岩戸伝説になったと思われる。

828 :日本@名無史さん :2005/05/20(金) 02:33:05
>>827
是即厨説也

829 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 03:35:02
卑弥呼=天照大神であるなら、天の岩戸伝説は卑弥呼から台与への代変わりを表している。
天照の何代か後の神武天皇が日向から東征したという神話は、
邪馬台国が東征したという事実を表している。

つまり、卑弥呼の時代、邪馬台国は日向にあり、それが何代か後になり東征し、
やがて大和に落ち着きできたものが大和政権である。

830 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 04:06:24
ぜんぜん表わしてねーよ

831 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 05:16:11
>>826
自演乙

832 :元祖プラム:2005/05/20(金) 07:16:50
>>824>>826
夜中に 俺のコテハン使って遊ぶなよ
遊ぶなら
畿内における生産経済優位性とマーケットの確立について 色付けしてくれ

833 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 10:27:53
天の岩戸に類似した伝説ってアジア太平洋地域に
ないの?

834 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 10:45:48
生産、経済とかはどこへ行っても同じようなものじゃないんじゃないかな。但し、これま
での漢鏡、鉄等の入荷、蓄積では肥前、肥後辺りの密度が高かったと思われるが、
不可思議なのは出雲荒神谷、賀茂の銅剣、銅鐸、吉備の辰砂の異常な集積であり、
これらは本来的に肥前肥後辺りにあっていいはずのもの。そこにきて、纒向での
全国の土器と全国の労働力集約による首都、空前絶後の巨大古墳、鏡のオオヤマト
への一極集中。畿内の弥生土器、銅鐸が終わり、庄内、布留式土器、国産鏡生産開始
が始まる仕組みが全く不明。漏れとしては豊前、筑豊方面から出雲、吉備へと金属
原料、輸入ルート、渡来民などの流れがあったと想定し、投馬国というミッシングリンク
があったのではないかと思う。これはニギハヤヒ、ウマシマジ、ナガスネヒコが記紀から
没落し、神武の系譜が入ることで消えているが、この系譜の変更が行われたのは大和
朝廷による熊襲征伐、九州海人族を動員しての半島出兵といった歴史的背景の下に
よるののだはないかな。

835 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 10:56:53
>>829
西都厨は、うざいから逝ってくれ。

836 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 10:59:08
漏れは西都原と言うものは大和の熊襲征討軍の官軍側の豪族の遺跡ではないかと
思う。あの辺から狗奴国だのが兵を起こして邪馬台国に侵入するのは無理だろう。

837 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 11:10:30
>>836
官軍っていったいどこのこと?

838 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 11:27:01
豊前に大塚山古墳という大きな古墳があるが、あの辺の部族が南下したのでは
と思ってるんだけど。もちろん纒向邪馬台国のシステムとして。

839 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 11:30:28
>>838
いや官軍という限りはそれなりにオーソライズされた
存在だったわけ?その部族は。
例えば中国皇帝から統治者として認証されていたとか?

840 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 12:28:55
当時の前後関係に照らして考えると「官軍」、つまり、強力な政治権力の
においのありそうなのは一大卒、「卒」あたりで、これは兵力を持っていただろう。
やや、時代が下り、邪馬台国による各地の反乱鎮圧等には大彦、大和タケル
四道将軍等が中央から派遣される。更に時代が下ると総督府(一大卒は大宰府
の前身のようなものだろうが、これのコピペが越、出羽、陸奥などに置かれる)
・・・こうしたものであり、任那にも当然ながら設置されていたと思われる。

841 :元祖プラム:2005/05/20(金) 12:34:07
>>836鴨禰宜氏

>大和が熊蘇征討?
>>文章にすると簡単に物事がすんでしまうが、かなり遠方にある熊蘇なんて当時征討出来たの?
いや、実際の出来事?

秀吉の時代ですら九州統制や関東統制には苦慮したみたいだし

後方の兵糧補給にしろ、戦闘部隊の抜けた畿内の治安何かも全然書いてないし
なんか変だよね。

842 :元祖プラム:2005/05/20(金) 12:37:12
>>841訂正

熊蘇 …×
熊襲 …〇

843 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 12:46:39
任那については満州・朝鮮半島の朝鮮族が漢の植民地化、すなわち、楽浪、帯方郡
にくみこまれ、朝鮮半島はこの植民地の周辺に亡命した韓人、秦人、満蒙アルタイ
沿海州、倭人が夫々に租界地的なものをおいていたがその中で最強のものは秦人
であり、鉄の利権を握っていたのだと思う。倭国の租界地はその中でも次第に主要
な地位を占めるに至ったのではあるまいか。漏れはこの倭国集団が豊前香春での
新資源開発のために、外国系鉱山関係者を率いて帰国したのではないかと見ている。

844 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 12:53:19
>>841 大体久米なんてのはかのクメール族とかグルカ兵のような山岳戦闘特殊部隊
であり、「まろでおじゃる」見たいな邪馬台国が勝てる相手ではない。アメリカでもベトナム
には勝てなかった。戦闘と言っても大和タケルがおかまに扮したりした異常なもの、つまり、
ローマ軍のやったような買収などではなかったのかな。

845 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 17:32:11
>>833
いっぱいあるよ。中国西南部から東南アジアにかけて。

卑弥呼の君臨した倭国ってものすごく広大な大帝国だったってことだね。

846 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 18:23:09
天の岩戸伝説は皆既日食の話なんだから
そりゃどこにでもあって当然だろ。

847 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 18:29:32
「邪馬台国」は「ヤマト国」であって、
その「ヤマト国」にたくさんのクニ(正式な名前は無い)があったってことは認められない?
ヤマトというのはヨーロッパみたく地域の名称であって、

日向にも筑後にも筑前にも大和にも河内にも「クニ」存在していて、
そのうちのいずれかの「クニ」が魏に使いを送った。

で、ヤマトの諸国にそれぞれ「ヒミコ」という(社長とか、殿様とか役職の名前)位の人間が居たと。

848 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 18:44:20
>>847
それって鋭いね。確かに大和に恭仁郷なんて感じのがあったりする。クヌ国のヒミキコ
なんてのは怪しい。でも、山梨県で呉の赤烏とかの鏡が出てるのが怪しい。すると
沖縄・熊本なども怪しい。なったって最も怪しいのは莫大な青銅器を秘匿していた
出雲だね。狗奴国というのはティピカルなものであり、潜在的野党勢力は普遍的に
散らばっていたのかな。また、魏に対して偽の方角情報とか、呉とのつながりを
駆け引きで使用していたことも考えられる。鏡を呉れないと呉から貰うんだよ、すぐ隣が
呉だからね・・・てなもんだ。

849 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 19:06:31
崇神が出雲の宝を見たいというと垂仁が、あれは出雲族の宝だから手をつけるなと
忠告するが、邪馬台国と言うのは出雲という時限爆弾を抱えたまま成立した感がある。
こうした国内を統一するために謎の4世紀においては高句麗戦争と言うことで国論の
統一を図るのが一番手っ取り早く、これが実際奏功して出雲を地祇の地位に落とし、
熊襲を天孫とする記紀のフレームワークができたのであろうか。

850 :カもネギ:2005/05/20(金) 19:55:46
カモネギに一度聞いてみたかったことがある。
記紀の信憑性でござりまする。
人物天皇もしくは神代天皇くらいの差異は、わかるよなー。
一度、そのへんを整理要約して書いてみろや。
そうでないと、カモネギ自身、
ではないか、とか、とみている、とかの連言で自己嫌悪になるだろうが。
古代史を記紀の人物羅列で理解しようとして、カモネギは行き詰まりを
正直、感じていると思うがなー。
記紀の人名をカキコするだけで、むなしいとは、思わないの。カモネギ君よ。

851 :元祖プラム:2005/05/20(金) 21:27:40
>>846

>天岩戸伝説は皆既日食現象

>>なんか不思議に思いませんか?
天岩戸伝説は八世紀のカキコだよね ?

852 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 21:56:32
>>850 ご忠告ありがとうございます。こういう仮説もありえるなー・・・ってなもんです。
漏れの珍説に対して、なら、こんな仮説もありえるぜ・・・ってな感じをどしどし出して
ください。漏れにとっても、書き込んでいる箇所が最大の謎なんだよなー。

853 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 22:25:28
>>850
>記紀の信憑性
記紀は天孫、出雲、人代に大別されるが、聖典であり、多数の神官によって口伝される
もので改竄は極めて膨大なエネルギーを必要としただろう。すなわち、ほぼ不可能では
なかったんじゃないか。天孫、出雲、人代は地理的社会的断絶があり、そのインターフェ
ースで誤りとか、細かいニュアンスの喪失があったと思われる。人代は邪馬台国、出雲
は投馬国、天孫は筑紫と見て間違いなかろう。

854 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 22:31:50
神功 皇后、応神天皇などのいわゆる河内王朝の始祖部分の加筆訂正は多分
極度に権力の集中した大王、雄略、辺りのパワーがないとできるものではないと
思うんだけど。まー、日本版の秦の始皇帝だね。絶対君主と言うのか。

855 :鴨禰宜:2005/05/20(金) 22:52:18
しかし語り部をいじめると死んだ後で何を言われるか解からない。逆に仁徳
なんてのはぼんくらだったけど語り部に優しかったのかもね。

856 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 23:28:55
>>847 ほいならマキムクはブリュッセルってか?

857 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 12:27:19
素朴な疑問なんだけど
卑弥呼の時代には中国に使節を
送ったり、素朴ながらも官僚制度らしき
ものもあったのでしょ?
ということは読み書きできる人間がいたんだろうし
歴史書というほどのものでなくても
その時代の出来事みたいなものを記録した
文書みたいなものが残されていて
それが記紀の原型になったというような
可能性はないの?

858 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 12:51:15
古墳時代前期の前方後円墳は、初期ヤマト政権の大王墓である。
つまり、全国各地に大王を輩出できる家柄の豪族がいた。
彼らは前方後円墳を築造することで、倭国大連合の参画表明をした。

マキムクは倭国大連合の王都として選ばれたに過ぎない。

859 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:04:31
>>858
>彼らは前方後円墳を築造することで、倭国大連合の参画表明をした。

すると、日本は明治になってレンガ造りの庁舎をつくったから、
アメリカ・ヨーロッパ連合へ参画表明したというのだな?


860 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:25:53
>>859
脱亜入欧の意思表示ではあっただろう。

て、アメリカ・ヨーロッパ連合って何?


861 :圭角:2005/05/21(土) 13:28:13
前方後円墳を築造することで、政治連合を結成参画したと考えている人へ。
 中国の戦国時代には、華北と江南の広域圏で、共通する一定の墓制が成立して
行くと同時に、その広域圏に大小いくつかの国家が分立する状況でありました。
この事実は、出現期の前方後円墳を政治的なものである史料として、扱うべきに
非ずということです。
 さらにまた、中国朝鮮の考古学者は古墳の大小を以って、政治支配の関係を図る
尺度にもしてはいません。
 そもそも、古墳や土器の流行や使用をして、つまり、文化から政治へ演繹する
論法は極めて不自然不合理であります。経済から政治と演繹かつ帰納すべきです。
考古学主体の古代史史観は、経済史観が欠落している所以です。


862 :圭角:2005/05/21(土) 13:42:26
土器も鏡も銅矛も銅鐸も、全部が、文化文物の範疇です。
経済と直接に結びつき、政治権力や政治連合と直接に結びつくものではない。
無論、巨大な仁徳天皇陵や秀吉の大阪城のような政治権威の象徴として造る
ものとは異なります。これらは、政治が文化を利用した形です。
よって、文化が政治を造るものではありません。
経済が、政治を産み文化を育てているということは客観的歴史事実です。
日本古代史のみが、違う理由が最近このスレにて理解できました。
記紀に基づく皇国史観ですなー。日本は歴史観においては国際化していませんね。

863 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:55:39
>出現期の前方後円墳を政治的なものである史料として、扱うべきに
>非ずということです。

成程。
ただ、マキムク遺跡や箸墓などの巨大さから考えるに、
その時期に、畿内を中心とした全国レベルの政治連合体の結成を見るのは
妥当な判断かと思いますが。
3世紀初頭に、畿内政権の広域的な軍事的統一、専制君主制の誕生を見るのは
早過ぎます。
畿内を中心とした古墳祭祀自体が、筑紫や吉備、出雲など多くの文化圏の葬礼技術
を採取、パッチワークしたもので、畿内伝統の方形周溝墓とは
一線を画しています。
つまり、倭国大連合の成立の記念碑として築造されたのが、前方後円墳
なのでしょう。

864 :圭角:2005/05/21(土) 14:22:18
863氏のご返信感謝します。
まず、枝葉末節からで恐縮ですが畿内伝統の方形周溝墓というものがあれば
教えてください。私は、森浩一氏の古代日本と古墳文化という著に書かれて
いることを前提にしておりました。それにしても、氏の著で見ると周溝墓の
遺跡分布は九州から関東まで実に広く、特に関東が史跡数としては多いですね。
それから、三世紀の畿内中心の広域政治連合を想定されているようですが、
私は同意できません。その理由は、三世紀の畿内大和は鉄に飢えているような
皆無に近い僅少な鉄器出土数だからです。北部九州の独占体制にあります。
纏向遺跡や箸墓の巨大さは、当時の近畿の食糧生産力の証ではあると思います。
そもそも、私は、政治連合なるものが、うさんくさいと思っております。
政治連合なる文言は教科書にありますのでサブミナルかと。

865 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 15:02:12
>周溝墓の遺跡分布は九州から関東まで実に広く、特に関東が史跡数
>としては多いですね。

はあ、そうですか。ただ少なくとも、畿内が方形周溝墓の中心地の一つで
あったのは間違いないと思いますが。

>三世紀の畿内中心の広域政治連合を想定されているようですが、
>私は同意できません。その理由は、三世紀の畿内大和は鉄に飢えているような
>皆無に近い僅少な鉄器出土数だからです。北部九州の独占体制にあります。

当方は、鉄の多寡が軍事力の決定的な差になったとは思っていません。
むしろ、石器が当時の主力な武器であったと思います。
16世紀の戦国時代ですら、投石が有効な戦法として採用されていた
のですから、鉄鏃なんてもったいなくて、パカパカ撃てませんよw
それ程に鉄は貴重で広汎に使用されておらず、権力者の墓に副葬される
ような威信財として機能していたのではないでしょうか。
北部九州は鉄の技術を、畿内王権との政治的取引の材料として利用した
ことはあるかと思いますが。

866 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 15:05:12
マキムクから九州系土器の出土が殆どないことから、筑紫と大和は
ある程度距離があったと思います。つまり、筑紫の豪族がマキムクに
兵を率いて出仕するほどには、連合に組み込まれてなかった、という
ことでしょう。
北部九州を除いた大和・吉備・東海・越・丹波などの連合が、初期
大和政権の中枢になったと思います。
記紀に記載されている通り、四道将軍の派遣、出雲征伐の後、
漸く景行の筑紫巡幸がある訳ですから。

867 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 19:23:09
マキムクに畿内系土器が集中していた頃、
北九州には畿内系土器が持ち込まれていたんだよ。

それはつまりだね、畿内勢力が北九州に貢いでいたということだよ。
北九州が邪馬台国だとすれば、
マキムクが一大率じゃないのかな?

868 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 19:33:56
>>865

基本的に墳墓の築造にあたって「円」を基盤とする西日本と、
「方」を基盤とする東日本という地域性があって、
古墳時代に入った段階では、それぞれが伝統に根ざす主体性をもって
墳墓の築造にあたった時期があったが、
のちに西日本の方式が卓越するようになったのかもしれない。

869 :元祖プラム:2005/05/21(土) 20:17:54
『大和連合』
いいねぇ〜
本宮ひろし氏の漫画にでも出てきそうな題材だね

大和が中心地となると陸路交通が主体になるよね
『当時の風景を想像しよう』
夏になるり集落から離れ少し歩くと草ボウボウ
『誰か草刈よ、歩けやしない』
『しょうが無いだろう、鎌ないんだもん』

870 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:26:54
>>869
いやいや。
瀬戸内海交通の掌握が、邪馬台国=初期ヤマト政権の政権基盤だったと
思いますよ。


871 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:44:03
なんにせよ、今回の発掘は大激震みたいですなぁ。


872 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:44:18
>868
東=方、西=円なんて法則も無いと思うけどな。
いずれにしても方形墓の出現は弥生文化の伝播と一致するでしょう。

873 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:07:56
>>872
墳形については、方形の高句麗、円形の朝鮮半島南部(新羅、伽耶)
あるいは中国南部起源を示唆する説もある。


874 :元祖プラム:2005/05/21(土) 21:10:06
瀬戸内海航路を政治的思惑が行き来するには
初期大和政権段階では、まず無理でしょう。
せいぜい 交易商人が北部九州で弾かれた半端な舶来品を持って商売していたのがいいところじゃないかな
政治的、野望的な思惑描いて瀬戸内海航路を渡ったのは
畿内において大規模古墳がブームになった頃
日本人が『円』持ってアメリカのビルやヒマワリ買いに行ったと同じ感覚
余程自国に自信が無いと、未知の土地に踏み込んだりしない

875 :元祖プラム:2005/05/21(土) 21:15:39
『大和連合』
そんな同盟結んで
お互いどんなメリットあるのか解らない。
何の為に連合するわけ?

876 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:29:11
>>875
要は、初期ヤマト政権=マキムク王権をどう見るか、かと。私は軍事的統一政権
ではなかったと思います。

後漢の衰退に端を発す倭国大乱で、伊都国王を中心とした倭国の政治体制が
がグラつき、それに替わる新秩序が要請された、ということでしょう。
三輪山の巫女を共立して連合するという離れ技で倭国大連合は誕生した、と。

877 :元祖プラム:2005/05/21(土) 21:46:57
>>876
それって
邪馬壹國(女王の都)はマキムクに
と、いうことだろう。

そうかなー?

878 ::2005/05/21(土) 22:17:00
>>855
仁徳天皇は、若かりし頃にては、貴下のいうとおり「ぼんくら」だったということは
およそ間違いないことと思います。

879 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 22:18:41
三輪山の神はオオクニヌシやろ。
なんで巫女やねん。

880 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 22:27:16
>>879
神話スレにご案な〜い

881 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 22:48:32
>>876
> 三輪山の巫女を共立して連合するという離れ技で倭国大連合は誕生した、と。
これは違うでしょ。剣・勾玉・鏡といった王権を象徴するの副葬品は九州北部がオリジナル。
共立された巫女は九州北部出身の公算が大きいと思う。

882 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 23:04:13
>剣・勾玉・鏡といった王権を象徴するの副葬品は九州北部がオリジナル。
>共立された巫女は九州北部出身の公算が大きいと思う。

初期ヤマト政権が三輪山山麓に発生したということをどう考えるのか。
少なくとも三輪山は、畿内王権にとって特別な山だったことは確か
敏達紀に出てくる蝦夷の首領も、三輪山に忠節を誓っている訳だし。

別に、卑弥呼が九州出身でもいいけどね。そんなことはどうでも
いいと思うのですが。
筑紫勢力が東征した、って主張するなら別だけどw

883 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 23:38:58
>>879
三輪大神がオオクニヌシって、記紀神話に毒されとるな。
オオクニヌシは、国譲りのために創作された総合神だろ。



884 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 01:18:08
>>882
> 少なくとも三輪山は、畿内王権にとって特別な山だったことは確か
同意します。

> 筑紫勢力が東征した、って主張するなら別だけどw
そんな主張はしていません。

> 初期ヤマト政権が三輪山山麓に発生したということをどう考えるのか。
全くの妄想なんで、申し訳ないんですが

縄文時代から続く山岳信仰があったのではないか?
九州北部には大陸からの様々な思想が流入したが
山岳信仰は生き残ったのではないか?
纏向を中心とした連合再編の際にも、三輪山は信仰の中心として
大きな役割を果たしたのではないか?

こんな風に思っています。

>>剣・勾玉・鏡といった王権を象徴するの副葬品は九州北部がオリジナル。
>>共立された巫女は九州北部出身の公算が大きいと思う。
これについてのご意見はどうでしょうか?

885 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 01:48:51
私は三輪山は山岳信仰というより、太陽信仰の中心地だったと思っていますが。

三輪山西麓の桧(日)原神社は笠縫邑の伝承地。
垂仁の頃、倭姫命はここから天照大神を奉じて伊勢に移ったと謂います。
いわゆる「太陽の道」っていうやつですね。
三輪山の真西にあたる二上山は死者の山とされ、後世、大王家の葬送儀礼で
重要視されました。
そして箸墓も、大坂山(二上山の北側の山)の石を運んで作ったとされていて、
事実、多数の亜サヌカイトが発見されています。
日巫女の埋葬方法に相応しいと言えるでしょう。

886 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 02:20:50
>>剣・勾玉・鏡といった王権を象徴するの副葬品は九州北部がオリジナル。
>>共立された巫女は九州北部出身の公算が大きいと思う。
>これについてのご意見はどうでしょうか?

三種の神器ってやつですね。
私は、初期ヤマト政権では鏡が最重要視されていて、勾玉や剣は
それほどの扱いを受けていなかったと思っています。
後世、天皇家のレガリアに追加されたのでしょう。
乱反射する銅鏡こそが、太陽神の依代として相応しいですし。
ですから、北部九州の甕棺墓から三種の神器がセットで出てきても、
それ程大騒ぎする必要はないんじゃないか、と思うのですが。

鏡については、確かに北部九州の影響です。しかし、前方後円墳は他地域の
影響もありますし、卑弥呼が筑紫出身とまでは言えないでしょう。
まあ、筑紫出身だったかもしれませんが。

887 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 03:17:32
266年以降邪馬台国の名は史書からこつ然と姿を消す。
南九州連合である狗奴に滅ぼされたのか?まさかな。。。
ん?宮崎といえば天孫だわな?小が大を飲み込むってか?
狗奴と天孫と呉は多分繋がってたな
確か「我祖呉なり」とか言ったとか言わないとか、あったよな?
そこで狗奴国東遷どうよ。


888 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 04:32:56
>>887
>「我祖呉なり」

これは、太伯の建てた「呉」(紀元前〜473年)だろ。
孫権の建てた「呉」(紀元後222〜280年)と名前は同じでも
はまったくの別物です。

>そこで狗奴国東遷どうよ。
これは絶対にありませんね。
圧倒的に物量に差がありすぎます。
て、ゆうか狗奴国は、東海地方でしょ。



889 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 06:07:54
>>888
>て、ゆうか狗奴国は、東海地方でしょ。

そうだよな。
もう、考古学会の大勢は、狗奴国=東海地方を支持してるしね。


890 :元祖プラム:2005/05/22(日) 07:32:48
>考古学会の大勢は
狗奴国=東海

>>群雄割拠の戦国時代ですら
東海(駿河)の今川氏の敵国は隣の北条、武田、織田だよ、離れた佐竹、上杉、斉藤などは敵国以前の話だ
道路整備もろくすっぽされてないような時代に
広域ブロックが形成されること事態おかしな話し、ましてや敵国などとは
書物やペーパー、脳内学問も結構だが
もう少し現実的な学問したらいいと思う。

891 :圭角:2005/05/22(日) 08:11:57
考古学学会が狗奴国を濃尾平野以東としているのが大勢ではありませんよ。
鉄器や絹の考古学者は九州説が大勢。
畿内説者や前方後円墳体制論者が、南を東と珊潤している後漢書を文献史料にして
狗奴国を濃尾平野に持っていっているに過ぎないのです。ま、寺沢薫氏とかが。
しかし、物事は、プラムさんも言われる通り、現実的に考えるべきですよ。
倭人伝の、相攻撃する状、という記事からして、邪馬台国が畿内、狗奴国が東海なら
どうやって戦うのでしょうね。兵站という基本軍事からしても超超非現実的ですよ。
古代史最大の内乱の壬申の乱の戦域より、はるかに広い領域において、始終しょっちゅう
兵站の無い戦いというものを、誰しも素直に想起できませんよ。
古代史学者論者、スレ者においても、もう少し現実的思考が必要不可欠です。


892 :圭角:2005/05/22(日) 08:33:26
重ねて、もう少し現実的討論を期待切望したいですね。
秩序や政治的連合という視点発想は、歴史とくに古代史の視座には不適切ですね。
ブッシュがフセインを攻撃した理由も、そもそもは、フセインが石油をユーロ建てで
売ると言ったことが発端ですね。つまり経済的理由が発端ですよ。
政治連合、大和連合、畿内瀬戸内連合なとど論ずる方々に申し上げたい。
欧州のEUの成立経緯要因主因さえ、経済であることを再認識すべきです。
いつの時代も、経済は政治に先行します。
早稲田の政治経済学部という政治経済という順序呼称に幻惑されては
いけませんねー。

893 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 09:30:16
東海には前方後円墳が少なく、前方後方墳が多い・・・これは狗奴国に対する倭国の制裁である、つまり、
前方後円墳の建造許可、鏡の分与を行わなかったからなんだとするのはおかしい。東海にも十分な前方
後円墳はあるし、オオヤマトに前方後方墳が残っている。漏れが怪しいと見るのはクガチヒコというのは
久我ということで京都から琵琶湖東南岸ではないかということだ。つまり、鏡による国土建設と言う国策は
銅鐸の大型化による方向を歩んできた宗教グループに宗教的、経済的な大きな脅威となったと思われる。
崇神の時代のタケハニヤスと言うのがそうした団体の典型的な例だ。現代風に言えば京セラ・村田の反乱
であり、日本碍子までの規模でもなかったのではないかなってな感じだ。ただ、出雲などが絶大な応援を
下であろう事は想像に難くないが。

894 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 09:46:46
>>892
貴方は、もう少し、過去スレを読んでみたらどうだろうか。
誰に何を言いたいのかも判らないが、度々「批判」の対象とされている「説」の論者がこのスレにいるのかな?

それから、「経済、経済」と念仏のように唱えているが、そんな当たり前のことを今更熱弁されても・・・

最後に、他人のレスで使われる言葉の定義をもう少し読解してみたらどうだろうか。
貴方とその人では違う場合が多いように思う。



895 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 10:42:35
>>892
まず最初に、3世紀初頭に初期ヤマト政権の誕生を見るのは同意されるでしょうか?
そして、マキムク遺跡や大和古墳群の巨大さから、その王権が奈良盆地に収まり切る
ような地方豪族ではなく、倭国広域に影響を及ぼせるような政権であった、
と考えるのは、妥当ではないでしょうか?

つまり、畿内王権の誕生は結論として出ていて、その上で、その政治形態について
論議しているのです。別に政治>経済、経済的視点を疎かにしている
訳ではないですよ。

896 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 11:04:06
で、圭角さんが言うように、倭国大連合の成立の意味を経済的視点で
考えてみましょう。
王権の大事な機能のひとつに、街道の治安を守り、商取引を保護する、
というものがあります。
倭国大乱で、玄界灘グループを盟主とした政治体制が機能しなくなり、
瀬戸内海の大陸からの先進文物や技術の入手ルートが寸断されました。
瀬戸内海沿岸部の高地性集落の数の多さからも、その政治的混乱は推測
出来ます。
吉備や大和、東海などは当然困ります。
そのためこれら諸国は、新たな秩序創設のために小異を棄てて大同団結した、と。
その連合のシンボルこそが、卑弥呼であり、前方後円墳だったのでしょう。

897 :圭角:2005/05/22(日) 12:53:44
私は、三世紀初頭の初期ヤマト政権の誕生、を否定する考え方でおります。
理由を述べます。倭人伝の記事に、三世紀前半の大和の皆無に等しい僅少な鉄器の
出土数という考古学事実を重ねて考証すれば、九州北部がヤマトの広域政治連合に
含まれていなかったことが明白となります。纏向型古墳は九州にも同時期に存します。
ヤマトの古墳の規模が、広域政治連合政権の誕生を示す、というのは考古学上も
未だ立証されてはおらず、未だ仮説の段階に過ぎない、という奥野正雄氏の説を支持
するものです。
畿内王権の成立は、早くとも三世紀末から四世紀初頭としなくては、鉄器を考古学史料
とした場合に、説明ができないことになります。
私は、無論、九州説です。当時、南には狗奴国、瀬戸内に吉備国、山陰に出雲国、
近畿には原大和国が分立しており、鉄器東漸を以って、四世紀初頭に大和政権は誕生
した、と考えておるものです。


898 :圭角:2005/05/22(日) 13:01:47
896さんの、王権の大事な機能のひとつが街道の治安を守る、との書き込みは
失礼ですが、失当だと指摘させていただきます。
官道の整備は八世紀以降のこととされています。
さらに、陳寿の記事です。
草木繁茂して行くに前人を見ず。

899 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 14:17:44
AD250年以前に先ず河内・大和で庄内式土器が始まり、全国から人が集まりが締め、
最終的には布留式土器で邪馬台国が誕生する。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1053913667/
この間の流れを
シリーズ ここまでわかった考古学
最古の土師器
―庄内式土器の誕生―
http://www.occh.or.jp/kako_news/images/040319/hajiki-leaflet.pdf
と言うので解かりやすくまとめてあります。ご参考まで。

900 :元祖プラム:2005/05/22(日) 14:41:43
九州、吉備、出雲、大和などと簡単にカキコしてしまうが
川一本隣は他国であり
九州⇔吉備などといったら九州⇔帯方郡より遠く感じる感覚じゃないかな

あえて『連合』という単語を使わせてもらえば
結構大きな河川を、いくつかの小規模共同体が、お互いの利益を得る為に共鳴しあう
そういうことじゃないの

901 :& ◆ZRRBQIPmiQ :2005/05/22(日) 14:56:22
この人が卑弥呼
 日本三景の一つとして知られる宮津市天の橋立の近くに、籠(この)神社と呼ばれる古い神社がある。この神社に古い系図が伝わる。国宝に指定される『勘注系図』である。

『勘注系図』は初代彦火明から数えて七代目に、六世孫として、次の名を持つ女性を記す。
宇那比姫命、天造日女命、大倭姫、竹野姫、大海靈姫命、日女命である。何れも一人の女性の別名である。
先ず注目されるのは大倭姫である。
地方豪族の姫の名としては不思議な名である。

宇那比姫というのは、幼名または本名であろう。
天造日女命は天下を造った姫という意味であろうか。
竹野姫はこの一族が『竹』あるいは『建』とよばれることによる。
大海靈姫命の『大海』はこの一族の名字である。
興味深いのは靈(ひるめ)である。巫女(みこ)の意味を持つ。
ご存知のように『魏志倭人伝』は卑弥呼が『鬼道を事とし』とする。巫女の要素を連想させる。この名もまた靈姫すなわち巫女姫なのである。
最後は日女命である。読みは『ひめみこと』であろうが異国の人がこの音を『卑弥呼』と書き表しても不思議はない。
天造日女命、大倭姫、大海靈姫命、日女命とくれば、まさに『魏志倭人伝』が伝える卑弥呼である。
あなたはこの『勘注系図』を信じますか、それとも真っ赤な偽系図?。

ここを読んで
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/6-7himiko.htm

ここに反論を書いてくれ。
http://www.progoo.com/rental/tree_bbs/bbs.php?pid=21922


902 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 14:59:21
>>899

>最終的には布留式土器で邪馬台国が誕生する。

これは一体誰の意見だ?カモネギか?

>最古の土師器―庄内式土器の誕生―

これにはこう書いてある。

>庄内式甕の【発生】と展開は、各地の土器の交流、ひいては人的交流の活発化と期を一にするものであり、
>【古墳を生み出した大きな社会変革】との深い関わりの中で捉えられるべき事象である。こうした観点から、
>庄内式甕を代表とした庄内式土器群はまさしく【最古の土師器】というべき存在である。
(【】は引用者による)

これをわかりやすく翻訳するとだ、

『古墳時代の担い手である大和の王権は庄内期のはじめに成立した。』

あるいは、

『古墳時代の担い手である大和の王権の発生によって、庄内式土器群が作り出された。』


903 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 15:34:13
>>902
>最終的には布留式土器で邪馬台国が誕生する。 これは一体誰の意見だ?カモネギか?

はい、そうです。意見ツーか、論理的帰結ツーか。

>>『古墳時代の担い手である大和の王権は庄内期のはじめに成立した。』 あるいは、
『古墳時代の担い手である大和の王権の発生によって、庄内式土器群が作り出された。』

漏れよりは鋭いな。ただ、当時は限りなく王権に近い倭国乱乱世の終末期、伏見鳥羽の戦いってとこじゃない?



904 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 15:45:39
神武が天の香具山の埴を盗みヒラカを焼いたとある。つまり、先住民族の
技術プロセスを打破し、新しいプロセスを持ち込んだと言うことだろう。これは
弥生(弥生のほうが平ららしいけど)から庄内乃至は布留に移行するプロセス
を物語るのではないか。

905 :圭角:2005/05/22(日) 15:54:23
土器で邪馬台国が誕生する理論的帰結とは、面白い冗談ですね。
以前、プラムさんが言っていたとおり、土器はフリーマーケット商品製品ですよ。
女性が主に用いたのでしょうから、政治的な影響があるとは考え難いですな。
利便性や流行や使い勝手の善し悪しで、女性中心に選択流行したものだと、
考えるのがもっとも普通ではないですか。
イラクのテロ集団でさえ、彼らの敵国の米国が発明したインターネットを
犯行その他に使用しているのと、理屈は同じです。
其の点では、布留式並びに庄内式土器と、コンピュタも同じです。
つまり、土器文化をして、王権や政権や政治連合などに絡める論法論説は
ナンセンスの極みです。

906 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 16:00:00
卑弥呼が公孫に遣使したら、公孫が魏に殺され、卑弥呼の使者と魏の帯方郡が
意気投合し鏡を貰って帰る。出会い系ではあるまいし、できすぎている。裏がある
んじゃないか。

907 :圭角:2005/05/22(日) 16:03:15
まして、カモネギ氏のように、土器を、神武天皇にまで結びつけようとされる
失礼恐縮ながら、まさに涙ぐましいご努力の展開には、記紀信奉者の方々は、
同じく涙されるのでありましょうが、
わたしには、まさに噴飯笑止でございます。

908 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 16:11:38
圭角さん、始めまして。
論理的に最重要事は布留式土器の編年をAD250年以前とすること。
布留式土器とは弥生土器の地方色が消え全国一律のJISになったということ。
(ちなみに、庄内式土器は西日本消費者を対象としていた)
邪馬台国の歴史的イベントはAD239-249年であること。
これらの事象からの帰結と言う意味。
圭角さんの言われる鉄ですが、山陰方面の発掘はまだ十分ではないが著しい量の
発掘があること。鉄は日本の酸性土壌においては土器より統計学上の信頼性は
低い、揺らぎが大きいこと。・・・これが私の反論です。

909 :圭角:2005/05/22(日) 16:16:09
しかし、カモネギさんの906の書込みは、なかなか鋭いと評価します。
私は、司馬イが周到な準備と用意の基に行われたのが、卑弥呼朝貢だと
確信しています。カモネギさんも、たまにだけ、良い事をおっしゃる。
カモネギさんへカモネギさんの推量推測根拠となる文献史料を掲げます。
 宣帝、公孫淵を平らぐるや、卑弥呼、朝貢す。   晋書の一節です。
この話題であれば、とことんおつきあいさせていただきます。

910 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 16:25:06
私は記紀の個々の事実を重要視します。神武の熊野侵攻の際の敵は女性
シャーマンではなかったはず。それは伊勢湾方面からの勢力、伊勢津彦が
後に諏訪に退却します。伊勢に近い雲出川の砂を宗教上胎土に混ぜるS字
甕文化は東方に移動します。邪馬台国直後倭媛の巡幸地と伊勢、聖武天皇
の恭仁京、後世の熊野詣、クガミミのつかさが日子坐に討伐された丹後を結ぶ
ラインでもって倭国を分断し、出雲王国、投馬国の再建を図ろうとする出雲の
陰謀が見えてきます。神武が討伐に向かわされたのはそうした陰謀であり、
それはその後も永年潜在的に邪馬台国を悩まし、謎の4世紀に国論統一
のための高句麗戦争へと向かわせたものではないでしょうか。

911 :圭角:2005/05/22(日) 16:31:50
カモネギさん、はじめまして。小さい反論をひとつだけ。
弥生時代を通して近畿の鉄器出土数の僅少の理由を、近畿の土地の酸性度に
求めるというのは、昔からありましたので、知っております。しかしですね、
恐縮ですが、それはマチガイです。理由を書きます。
四世紀五世紀になると、鉄器出土数は反対に、近畿の方が北部九州を逆転して
いる考古学事実があります。
したがって、土地の酸性度を問題にされるのであれば
三世紀までの近畿は酸性度が高かったが、四世紀五世紀の近畿の土質は急激に
酸性度が低くなった、という不合理なことになります。
つまり、酸性度云々ならば、この不合理を解決しなくてはならなくなりますが。
いかがでしょうか、カモネギさん。

912 :圭角:2005/05/22(日) 16:42:25
カモネギさんへ。高句麗戦争の前に倭の百済との同盟がありますね。さらに
其の前に、高句麗は百済との戦いで国王が戦死しましたね。
其の前に、百済の急速な勃興隆盛がありますね。
百済の勃興は313と4年に二つの郡が滅亡し、弁辰の鉄の取得量が一気に
増大したことが、其の背景に存すると思料するものです。
わたしが、鉄を重視する所以です。

913 :鴨禰宜:2005/05/22(日) 16:48:51
ましてや、火山島九州は酸性度が強いってな事でしょうね。それはよくわかります。
更に、鉄でなくても、前漢、後漢鏡、銅剣、銅矛・・・近畿には何一つ九州に勝てるも
のはありません。私は近畿には出雲神話は当然ながら、天孫の神話はなかったと
思います。九州は安本さんが詳しく説明されている通りであろうと思います。問題は
安本さんも必死になって防衛されている箸墓、布留式土器の編年にあります。私は
それをAD250年以前のこととし、また、後漢の衰亡に伴う伊都国の斜陽化と同時に
出雲・丹後の投馬国の興隆があり、倭国乱があったものと考えています。何かの
本で読みましたが出雲軍の九州侵攻などもあったのかもと思うのですが。

914 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 16:52:23
>>891
寺沢薫氏が、現実的でないとは。
では、貴方はどれほど現実的なのかな?

>邪馬台国が畿内、狗奴国が東海ならどうやって戦うのでしょうね。
>兵站という基本軍事からしても超超非現実的ですよ。

「戦う」って、それは貴方の思い込みでしょう。
魏志倭人伝にも、明確にクナ国と戦ったという記述はありません。
仲が悪いとあるだけですし、卑弥呼がクナ国に殺されたわけでもない。

「仲が悪い」とは、戦争を指すものではなく、貴方お得意の経済による「貿易摩擦」でしょう。
濃尾平野が、奈良盆地よりも食料生産性が高いことは自明です。
畿内は鉄に飢えていましたが、奈良はそれ以上に食料にも飢えていて、
濃尾平野から食料援助を乞うしかなかったはずですよ。いかが?




915 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 16:57:11
>896さんの、王権の大事な機能のひとつが街道の治安を守る、との書き込みは
>失礼ですが、失当だと指摘させていただきます。
>官道の整備は八世紀以降のこととされています。

街道を瀬戸内海交通と読み替えて頂ければ。
>>870でも書きましたが、瀬戸内海航路の安全こそが、畿内や吉備、東海にとって
大事だったわけで。
流石に、当時の交通事情が陸路>水路とは思っていません。
>>896をよく読んで頂ければ分かると思うのですが。

916 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 17:15:16
>>897
4世紀初頭にヤマト政権成立ですか。
鉄器史観ではそうなるのかもしれませんね。
私は以前にも書きましたが、そこまで鉄器を重要視しておりません。
「鉄器が潤沢でない畿内王権が、広域に影響力を行使し得る筈がない」
と言うのは乱暴ではないでしょうか。

また、記紀の記載に懐疑的なあなたの主張は尤もですが、
どのあたりの天皇から史料的価値が出てくるとお思いでしょうか?

917 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 17:29:43
>>915
古代の交通路は、「海道(水上交通)」がデフォ。
それを陸路と考える方がバカ。

「街道」の語源は、「東海道」の「海道」だよ。
歴史やってるなら、大学あたりで勉強しなかったのか?

ソース
ttp://www.aichima.net/rekishi/event/kanayama-atsuta.shtml

もともと「東海道」「西海道」など行政の単位として使われていた「海道」という言葉が
次第に道路を表す言葉となっていたことが伺えます。
江戸の周辺でも甲州海道・日光海道と呼ばれていたのが、
18世紀初めに山の中を通る道に「海道」というのはおかしいということで、
甲州道中・日光道中に変更されました。



918 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 17:36:39
圭角は、ただの知ったかだから、スルーしたほうがいいのだが、
さらに鴨禰宜が話に乗ってきてるのがウザイな。

知能レベルが同じってことだろうけど。

919 :916:2005/05/22(日) 17:45:14
ただ、圭角さんの考えと私の考えは、基本的には同じです。
「後発の畿内王権が、先進地域である北部九州を圧倒した」と。

私はその逆転の時期を3世紀初め(卑弥呼の時期)と見ていて、
邪馬台国畿内説。
圭角さんは4世紀初頭と考え、邪馬台国九州説。遣使が途絶えたのは、
畿内政権に滅ぼされたからだとする。

920 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 17:51:30
>>901

>読みは『ひめみこと』であろうが異国の人がこの音を
>『卑弥呼』と書き表しても不思議はない。

「ひめ」=「卑弥」は、良いとして、
「みこと」=「呼」は、まず有り得ません。

921 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 18:05:04
邪馬台国の一族は、呉の太伯の子孫だと魏志には書いてあります。
太伯の苗字は「姫」ですから、これを訓読みし「姫(ひめ)」と
呼んだのでしょう。
狗奴国王の卑弥弓呼にも「卑弥」とありますから、彼も苗字は
「姫(ひめ)」だったのでしょう。
つまり卑弥呼と卑弥弓呼は同じ太伯の末裔であったと考えられるのです。

922 :暴論ですね:2005/05/22(日) 18:47:29
>>905
『土器で邪馬台国が誕生する理論的帰結とは、面白い冗談ですね。』
『土器はフリーマーケット商品製品ですよ。
 女性が主に用いたのでしょうから、政治的な影響があるとは考え難いですな。』
『土器文化をして、王権や政権や政治連合などに絡める論法論説は
 ナンセンスの極みです。』

 土器と一言で片付けいますが、いろいろな用途のものがあります。
 食器や貯蔵等に使う生活用具としての土器もありますが、高杯のように祭礼に使うもの。
 大型の甕のように物資の運搬容器に使われるものも有ります。
 土器をフリマの商品扱いしかできないような思考で『ナンセンス』呼ばわりするのはいかがでしょうか。
 交易拠点などで出土する他地域産の土器は、それ自体が商品なのではなく、
 単に人と物の移動を示す痕跡なんですよね。


923 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 20:40:11
>>921
んなわけないだろカス

924 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:01:19
>923
>んなわけないだろカス

んなわけないと思う理由をきちんと述べてから否定して下さい。

925 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:03:16
ヒメは日女という意味です。

926 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:22:43
姫=日女(貴女)
彦=日子(貴男)

927 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 23:30:38
卑弥呼は5人いた

928 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 23:50:13
>905
“土器はフリーマーケット商品製品”
呆れ果てた「経済史観」の御登場だな。
三世紀のフリマじゃ近所の奥様方が作った土器がごろごろしてたわけだ。
その根拠の一つはチラシの裏だし、もう一つは素人っぽいインターネットネタ。
まあ、どうせ何をいっても「面白い冗談」にされちまうので、マジレスはやめとこう。

929 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 00:08:43
土師部の伴造で企画制作(プロデュース)してたんじゃないの?
実際の製造作業は土師部の部民に技術者がいてさ。

930 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 02:23:42
>>888
だれも孫権の建てた「呉」とは一言も言ってないだろw
呉楚七国の乱(BC150前後)反乱王まで時代を上って繋げてみただけ
別に深い意味はないよ。
>>絶対にありませんね
これも同じ、逆に記紀に出てくる神武東征の意見を聞きたいくらい

>>圧倒的に物量に差がありすぎます。
・・・へ〜w

ココって人の意見を否定するだけの奴って大杉やしないか?
空想でも妄想でもいいからもっと大きく語ろうや!その方が楽しいだろ?w


931 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 03:07:31
空想や妄想を語りたいなら、別スレ逝けやボケ

932 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 03:36:28
まったくだ(゚Д゚)/

933 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 07:29:48
>>913
漏れは布留1式をAD250年以前とし、邪馬台国は纒向で建国されたとする
ものだ。しかし、九州論者の弥生時代における鉄器出土は九州が優位とする説にも
極めて説得性がある。
http://inoues.net/yamahonpen2.html
問題は弥生時代の九州ではなく布留1式に始まる古墳時代の鉄器分布と
九州時代のそれを比較するデータが示されていないことにある。漏れの仮説は
九州北西部つまりハヤヒワケ(ニギハヤヒの支配する地域)から丹後に安曇
海人族を媒体とする東遷があったと言うことを改めて繰り返したい。

934 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 07:44:25
安本さんはナイスガイである。苅谷俊介は一家で考古学ファンのプロに近い
お方だが、歴史学者とはは格好いいものなのか。さて、安本さんのこれ↓
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku221.htm
庄内式土器は九州からと言うのはこれまた面白い。が、漏れに言わせれば、
生、何故変なところで言い切っちゃうの? もう一ひねりして、それは北西九州
甕棺文化圏(ハヤヒワケ)のブーメラン現象だったのだ・・・ってやらないの
かなー。いずれにせよ先生の努力には敬意を表する。

935 :元祖プラム:2005/05/23(月) 07:54:45
>畿内よりも東海の方が食料生産に適した

>>それは、ずっと時代が下り濃尾平野の開拓が進んでからの話だろう。
稲作の進み方を見ても、近畿まではスムーズだが東海に来るとガクンとペースダウンする(考古学的証明)稲作を拒むかのように!

古代、草刈もままならない時代には低湿地の広い平野部はかえってマイナス
鉄器文化が広まってから急速に生産の上がった土地じゃないか

936 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 07:56:34
弥生集落、ムラ、銅鐸時代は終末にボーダーレスの時代を迎える。
それは先ず新しい耕作地の増加した近畿で庄内式、そして最終的には
布留式という弥生とは別の土師器、古墳期に入った。ボーダーレスの動きは
銅鐸地域より先進地域である北部九州のほうがすばやく行われた。これが
北部九州に庄内式土器が早く伝播し、また近畿以東ではかなりの抵抗があり、
狗奴国の乱もそうした社会現象の現れであろう。

937 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 08:52:29
布留1式がAD250年より50年後なら、漏れも安本さんと同様九州論者だったであろう。
しかし、白石さんの偉いのはそんなことをお見通しで畿内論者であったと言うことだ。
この点、寺沢さんは俗っぽい。切れ味が悪い。

938 :プラム:2005/05/23(月) 11:46:46
>>928
そろそろ『チラシの裏』から昇級願えないかねぇ

939 :サガミハラハラ:2005/05/23(月) 13:17:43
>935草刈もままならない時代では

春先に枯草に火を放って焼き払うのです。

940 :圭角:2005/05/23(月) 15:59:57
白石氏や寺沢氏や石野氏より、私は、奥野先生、水野先生、森先生を支持しています。
なことは、スレ浪費とおっしゃる方へ、森浩一氏の纏向遺跡の土器についての見解を
書きます。
他の地域又は複数の多地域の土器が集まっていることに対して次の仮説もある。
 ヤマト政権の所在地に関わっており、支配下の人民の広がりを示す
 大王の古墳の造営に使役された人民の本来の居住地を示している
しかし、弥生時代や古墳前期の新潟、石川、福井などでも、福島の天王山式土器が
目だって入っている土地があったり、九州北部のいくつかの遺跡でも、朝鮮半島製
と見られている無文土器が一集落出土の土器の半数を占める所もある。したがって
 ヤマト纏向にだけ通用する解釈をするのは慎重でなければならない。
という森氏の見解もあるからこそ、
土器は、いわばフリーマーケット製品であり、王権成立や政治連合と結びつけて、
考えるものではない、と書込みをした所以です。
にもかかわらず、私を暴論と断じた人も昨日みかけました。ご反論お待ちしております。
他の住人の皆様のご意見をも賜れば幸甚です。

941 :元祖プラム:2005/05/23(月) 17:35:48
>>939サガミハラハ氏

広い範囲の稲を育てるには『草刈』が絶対不可欠『草つみ(むしり)』ではいけないのです。
『稲刈り』にも鉄製鎌は必要です。

小規模水田ならこの限りではありませんが

942 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 18:57:32
木を見て森を見ず。井蛙管見。歴史的トレンドと言うことも見なくてはその転換期を
読み誤る。(株の高値掴みもこれか)。
纒向に始まる」巨大古墳の列はその後途切れることなく河内王朝へと続きます。
纒向以前に巨大古墳はありません。
ところで、圭角さん、ヒミキコですが↓この言葉が関係しているとは思われませんか。
く‐ご【供御】(グゴとも)
〓主として天皇の飲食物をいった語。また上皇・皇后・皇子についてもいう。
武家時代、将軍の飲食物をもいう。くぎょ。宇津保蔵開上「こがねの瓶に―
を入れかへて…うちに奉れ給ふとて」〓(女房詞) 飯。


943 :圭角:2005/05/23(月) 19:33:56
こんばんわ、プラムさん。
イネの田んぼの草取りですが、筑紫哲也氏も実体験上、大変苦労したし、日本人の
我慢強さの遺伝子の一翼となっているのではないか、と発言していたのを記憶します。
ある方から、私が経済経済と念仏を唱えているとのご批判を賜りましたが、その本質は
たとえばプラムさんの鉄製鎌です。石包丁より効率能率的ですよね。だから鉄器と、
主張している次第ですが、戦争は石鏃でも投石でもできると強調なされる人がいます。
しかし、信長の鉄砲の如く時代時代の先端技術使用なしに、覇権は無理として自然です。
ヒッタイトという鉄器武器を最初に用いたアナトリア半島の国があったことは、
教科書レベルなのですが、こと日本古代史にては、鉄器は軽視してもしかるべきだとの
ご意見を多々拝見することは残念です。陳寿の倭人伝の記事においても、
倭人の矢は、鉄の鏃、あるいは骨の鏃、と記してある訳ですから、石を投げ合って
戦っていたという方がいらっしゃることは、非常に不可解です。
現代現在もそうですが、一国の歴史が一人の人物をして変わるものではありません。
ところが不思議ですねえ。日本古代史のみは、舌のもつれそうなミコトとヒメです。
檀君神話が高麗時代に蒙古から攻められて愛国心の発露として喧伝されたものとも
記紀は異なる影響をアマチュア史家に落としているという深淵真相に興味関心さえ
持つ次第です。土器をフリマ製品と特記大書すると案の定、大反発でした。
むろん、土器研究一筋に携わっている人のお気持ちは理解できますが、史学全般の
視座において、土器一本槍はマチガイです。古墳一本槍も同じです。勿論勿論勿論
鉄器一本槍もいけません。が、文献史学つまり倭人伝記事にも鉄族は明記してあるし
世界史の上でも鉄は古代国家形成に深く関るモノとされている一般認識を超えてまで
何故に、記紀の人物や前方後円墳や土器が語られる傾向にあるのか、不可解です。
奥野先生ではありませんが、このような傾向偏重は日本古代史のみではないですか。
余人のご批判ご叱責は甘んじてお受けしたいと、存じては居る次第です。

944 :元祖プラム:2005/05/23(月) 19:39:48
>>942鴨禰宜氏
そこまで引っ張りますか〜
(供御)
内膳司で調理、典膳されたため、天皇の食膳そのものを供御と言った。

平安初期に御厨子所が内膳司に新設される、…後に、公事銭を納めて供御人の身分を得ることができた。
そのようなことが、後々『楽市楽座』の引き金になっていくんだが

945 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 19:46:29
なるほど、本件これ以上深追いはやめておきます。

946 :圭角:2005/05/23(月) 19:51:20
カモネギさんの942へご返信
 私は、倭人伝、東夷伝、さらには正史三国志全般において、人名は非常に
正確に記してあるとの感想を持っております。たとえば、卑弥呼を日御子、
あるいは姫御子とする説が昔から依然としてありますが、マチガイです。
帝紀の記事でそれは立証できます。
 倭国の女王卑弥呼が使者派遣して捧げ物を献上した
 大月氏国の王の波調が貢献したので親魏大月氏王とした
高句麗伝記事
 高句麗の王の位宮が遼東郡に侵攻した
以上の用例から明白な通り、固有名詞の用法と判ります。
卑弥呼は固有名詞であり、ヒメミコトの転訛であるという説は失当となります。

947 :元祖プラム:2005/05/23(月) 19:56:44
圭角さんこんばんわ

私は難しい言葉も、知識もありません。
ですから身近な『たんぼ』を取り上げたしだいで
でも、こんな所にも古代史のヒントが

948 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:14:13
>>943
>こと日本古代史にては、鉄器は軽視してもしかるべきだとの
>ご意見を多々拝見することは残念です。

いやいや。鉄は当時、もの凄く貴重だったと思ってますよ。
鉄テイのように貨幣としても使用されていたわけですから。

つまり私が言いたいのは、希少だからこそ飛び道具として使用するのは
勿体なかったのではないでしょうか、ということ。
お金を投げる事には、昔の人々にも抵抗があったのではないでしょうか?
銭形平次は投げていましたが。

騎射のような個人の武技を競う場合には別ですが、戦術として採用する場合、
ある程度の数を揃えないと効力がないのも事実です。それはあなたが
例に挙げた鉄砲も同じですよね。

鉄器を重要視し過ぎることに、私はかねてから疑問を持っています。
鉄の多寡がそのまま、古代倭国での力関係になったというのは、
余りにも単純過ぎる史観かと。いや、鉄器の量が、国の豊かさのバロメーター
の一つだった事は否定するものではありませんが、それだけではないだろうと。
つまり、巨大古墳を築造出来る程のマンパワーを集めることの方が、
当時僅かだった鉄器の所有量の多寡よりも、よっぽど重要だったのではないかと
私は思うわけです。

949 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:20:30
>>943
ヒッタイトの鉄もよく例として挙げられますが、
実は、当時の主力兵器だった戦車の車輪軸を鉄製に出来たことで、
急旋回が可能となったため、と言われています。
戦車戦術が有効であった平野の多い国なら別ですが、少なくとも倭国では
無理な話ですよね。

950 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:23:32
>鉄の多寡がそのまま、古代倭国での力関係になったというのは、
>余りにも単純過ぎる史観かと。

本当にそうだ。
4世紀末、鉄の量では圧倒的に、半島>倭国であったのだが、
倭国は半島に攻め入り、高句麗と激戦を繰り広げている。

951 :鴨禰宜:2005/05/23(月) 20:24:00
>>946 圭角さん
漢委奴国は伊都国か、奴国か、委&/or奴国か、とか、倭人伝で多用される
当て字を見ると倭国に対して厳格な固有名詞/普通名詞の区別はされてい
なかったか、あいまいであったのとちがいますか。他方、波調の方は既に
ギリシャ文字とか、梵字のようなもので中国語以上に明確な名前が儀礼上
より適宜なものとして与えられていたのではないかと思います。
杓子定規にあるルールを外交儀礼として全ての国に適用するなんて今でも
至難なことだと思うんですが。
ヒミコ [普] 女王
ナシベ [普] 生部(銅精錬部長)等とちがいますか。



952 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:34:06
>>935
プラムは日本古来の焼畑とか、
「畑」は、焼畑を意味する日本生まれの漢字(国字)ということとか、
朝日遺跡の存在も知らないのか。




953 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:40:01
>>952
石庖丁での穂首刈とか、乾田・湿田の違いすらも分かっているかどうか
怪しいですが、
彼は、無知の知。自分が無知であることを知っているようなので、
スルーすれば良いのではないでしょうか。

954 :元祖プラム:2005/05/23(月) 20:46:00
>>948さん
確かに巨大古墳造成は『マンパワー』そのものです。でも、それら『マンパワー』は土木の為に集まった労働力であり
自国を守る戦闘集団ではないはず

巨大古墳造成は権力主張だけでなく
農閑期の為に行われた『公共事業』的役割も兼ね備えているのでは?
後に寺院建設が増えるに連れ古墳の規模も縮小し
やがて終演します。

955 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:03:20
>>954
いえ。
マンパワーは、当時の軍事力そのものだったと思いますよ。
古墳造りに駆り出された労働力も、石上神宮の武器を渡してしまえば、
一師団の出来上がりです。
大海人皇子が身の危険を感じ東海に逃れたのも、天智陵造営のために
大友皇子が農民を徴集したからですし。

956 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:07:47
>>954

記紀くらい読んでくれ。

957 :元祖プラム:2005/05/23(月) 21:13:21
>>952-953
相変わらず脳内知識は抱負ですなぁ〜
(朝日遺跡)ですか?
少ない知識ですが
たしか、東海地方を代表し方形周構墓を主体とする弥生集落
弥生の都市として注目されている。

それより、あなたたちは自分の水田や畑をお持ちですか?
自分で耕作すれば私の言ってる意味も多少理解していただけるはず

958 :元祖プラム:2005/05/23(月) 21:28:32
>>955
確かにそうですよ。
でも、その戦闘集団となり得る『マンパワー』はあくまで自国の民が中心だと理解してます。
巨大古墳造成には到底自国の民だけではかなり足りないはず
外人労働隊までも戦闘集団になったとは思えないのですが

959 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:34:32
>>958
あなたの言う「自国の民でないと戦闘集団足り得ない」という発想は、
近代以降の国民皆兵の呪縛です。

たとえば、白村江後、東国から筑紫に派遣された防人たちについては
どのようにお考えですか?

960 :元祖プラム:2005/05/23(月) 21:41:13
連スレ失礼。
>>955
一つ忘れました。
大海人皇子の件ですが
あれって一種のクーデターでしょう
内乱と外部敵国との戦闘を一緒に扱っても構わないのですか?
>>956
『記紀』を出されたら降参です。 …ごめんなさい…否定も肯定も出来ませんので

961 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:41:38
>>957
朝日遺跡と言えば三重の環濠、二重の逆茂木等の防御施設だよ。

962 :元祖プラム:2005/05/23(月) 21:59:42
>>959
呪縛ですか〜
何とも言えません
>白村江の戦
確か663年8月28日ですよね>>私の場合四世紀頃の時代を想定し考えていたので、七世紀の白村江を対象にされても即答いたしかねます。
>>防人についても同様です。

一つだけ言えることは
もうその頃は大和政権の権勢も各地に及んでいる頃
各地の民もかなり思い通りになったのでは?

963 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 22:21:26
誰か知りませんか

以前(畿内説専用スレ)とか言って、我が物顔で意気込んでいたあのスレ
何故、死んでるんですか
それにひきかえ、このスレの賑やかさ
一体どうしたの

964 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 22:26:01
畿内派同士で改めて議論することは少ないからな。

965 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:28:18
>>963
あのスレも、元々はこのスレの分派ですし。
完全に死んでますねw
他説を切り捨てるような1の書き方も悪かったよ。

このスレは、圭角さんとか論客がおられて、盛り上がっていて何よりかと。

966 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:45:46
このスレは活発なんじゃなくて、電波を呼んでるだけだよ。

967 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:52:35
>もうその頃は大和政権の権勢も各地に及んでいる頃
>各地の民もかなり思い通りになったのでは?

というよりも「巨大古墳を造れるクニは、豊かで兵士も多い」と素直に考えれば
いいと思いますよ。

968 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:58:50
>>966
いやいや。>>940とか、もっともな意見だと思うぞ。

969 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 03:05:27
>>968

>>940がまとも?

>土器は、いわばフリーマーケット製品

これがまとも?
土器=茶碗くらいの認識しかないだろ。


970 :圭角:2005/05/24(火) 07:26:33
奥野正雄氏の鉄の古代史から、弥生時代の鉄族の出土数を掲げておきます。参考まで。
九州606      福岡171、熊本156、大分181、その他の県 98
瀬戸内近畿170   奈良  2、            その他の県168
四国17
山陰北陸信越118
東海関東0
さらに特筆すべきことは、銅鏃の出土数は、逆に、瀬戸内近畿がもっとも多いのです。
鏃とは弓矢の矢の矢尻です。その貫通力において、鉄は銅の比ではないこと、さらに
近畿瀬戸内においても、戦いにおいて、弓矢の銅製の鏃は、盛んに用いられていて
単なるマンパワーのみでなかったことを、ご確認いただければ幸甚の次第です。



971 :圭角:2005/05/24(火) 07:37:16
ついでに、文化は政治が従属させるものではないということについて、
魏は徹底した薄葬でした。その魏に従属していた倭は前方後円墳の厚葬だと
いうことを、傍証に掲げたく存じます。
また、壱岐対馬には朝鮮半島さらには楽浪郡系の土器が多数出土しています。
しかし、だからといって、卑弥呼邪馬台国当時、壱岐対馬は倭の領域ではなく
楽浪郡と朝鮮半島の支配下にあったと解す人はいないことでしょう。
だから、纏向遺跡の出土土器のみをして、ヤマトと結び付ける姿勢というのは
大和中心主義に毒されていると、申し上げたいのです。
つまり、土器を政治連合に関らせる姿勢は失当だと申し上げたいのです。

972 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 07:43:33
>968-969
そうだね。
最初の表現は、フリマ「商品」だったし、
土器の出土により判ることは、
それを使っていた人と物の交流、集積の状況なのだ、と言う指摘には、
森か誰かの本に書いてあるマキムク他の出土状況を引用し、
わけの判らぬフリマ商品説の根拠としている。
森は、土器の出土は重要でない等と言ってるわけではないのに。
こう言う論理のすり替えや、他説に対する決め付け的中傷の多さは、
かっての檀君と同じで、まっとうな意見交換は、困難なタイプだ。


973 :元祖プラム:2005/05/24(火) 07:56:54
>>969
ではなんなんでしょうか?私の認識としては
当時、
土器の使途は 器、祭祀用、土木用…etc…
主に生活用品として作られ、その一部は商品とし流通しのではないでしょうか?
現在で言えば、ホームセンターに置いてある品物ではないでしょうか、
それとも、当時の土器は国家機密の元に製造され、その指導の元に販売、一般使用された物ですか?
もし、特別な物でしたらどうかこの無知な私に御教授賜りたく思う次第です。

974 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 08:03:22
壱岐や対馬じゃ楽浪や韓式土器しか出土しないみたいなこと言ってるヤツがいるなあ。
圧倒的に倭式が多いに決まってるじゃないか。


975 :傍聴人:2005/05/24(火) 10:03:02
『土器』を巡りだいぶスレが賑やかなようだが

圭角やプラムの『フリマ』発言に対し 名無しの一行スレにて彼等の意見をボウトクすることは大変遺憾を感じる。
学問である以上、その正否かかわらず違った見方、考え方がある方が正常であり、考えの違う意見に自分の意見をぶつけていくやり方が、正常な学問の議論だと思うが ……いかに?…

その意見の正否を判断するのは、本人達ではなく
周りの多くの住人達だと考えます。

名無しの一行悪態スレだけは止めてほしいと願う者です。

976 :檀君:2005/05/24(火) 13:45:45
>>971
>楽浪郡と朝鮮半島の支配下にあったと解す人はいないことでしょう。

当時、北九州と楽浪郡は、ゆるやかな同盟関係ではありましたが、
どちらが優位かといえば、楽浪郡が優位だったことは否めません。
楽浪郡が倭国に朝貢した記録はありませんからね。

とはいえ、北九州が楽浪郡の支配下にあった、というよりは、
先進の文化を受けいれていたということでしょう。
A国とB国に同じ文化があるならば、友好関係で結ばれていたと見るべきです。
A国とB国に同じ土器があれば、やはり、友好関係で結ばれていたと見るべきです。


977 :檀君:2005/05/24(火) 13:54:25
前のほうにありましたが、
東海地方の前方後方墳は、明らかに高句麗の影響が見られますね?

東日本(ニギハヤヒ王国)では、高句麗の影響、
西日本(邪馬台国)では、魏の影響、と、いったところでしょうか。



978 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 16:21:23
>>963
馬鹿同士が意地張り合ってスレ乱立させて、
そのバカさ加減に嫌気がさしてみんな退いてしまったんだろ。

今も残骸が残ってるよ。

糞スレや、馬鹿者共の夢の跡。

979 :972:2005/05/24(火) 18:41:42
>>973
私は969じゃないけど、代りに説明しましょう。

生活用品、あなたが言うようにホームセンターに置いて在るような土器であるなら、
それは商品、交易の為にわざわざ遠隔の地から運ばれてきたものではありません。
多くは、交易の為に訪れた人たちに伴って搬入された、或いは、そこで作られた自家用雑器でしょう。
土器自体は、各地で普遍的に生産されていたわけですから、
当時としても、特殊な工芸品でも無い限り、
何百キロも離れた地へ輸出されるようなコストパフォーマンスは見いだせません。

で、本題ですが、
私たちか生活土器の出土から見出ださなければいけない事象とは、
その土器を使った人々の存在でしょう。
茶わんや煮炊き用の物だけの出土であれば、一時的キャンプのかもしれませんが、
祭礼用具も含まれれば定住も予想されます。
運送用の容器であれば、交易品の種類まで推量します・・・

いずれにしろ、土器自体の価値にしか着目しないあなたの考え方と
その使用者を推定できる資料として重要なのだと言う私たちとでは、
重要と言うコトバの意味が違うようです。

980 :圭角:2005/05/24(火) 18:48:04
誤解賜らぬように重ねて申しますと 、
土器に限らず、鉄器にしても、鏡にしても、人、生口にしても、基本原則的には
いわゆるフリーマーケット商品製品です。つまりは、モノであるかぎりにおいて
自由に流通し取引あるいは交易されたとして、何の不思議もありませんし、当然です。
縄文時代においてすら、ヒスイの交易は有名かつ一般常識です。弥生時代の土器のみ
例外という訳にはいかんでしょう。
むろん、古墳までもが流通取引対象などとは申しません。
が、吉備の特殊器台にせよ、庄内式土器にせよ、鉄器にせよ、鉄族にせよ、勿論無論
交易流通取引商売の対象物であったことは明らかです。かくなる流通経済をあえて、
政治連合とか王権成立とかに絡める発想もしくは視点が、不可解の極みです。
したがって、土器をフリマ商品製品と言うことのどこが不適切なのか、一行スレや
半端なスレではなく、お応え願いたい。
茶碗も所詮は土器。ナントカ器台も所詮フリマ商品。暴論と指摘する向きはご反論を
粛々と述べられたし。かつまた、古代日本の流通経済が古今東西と異質であると、
主張される向きは、その根拠説明理由をも開示あるべし。

981 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:04:54
>>980
半端なスレはいかんなぁ、一行スレなどもっての外。
それよりもっと大事なのはスレとレスを間違えないことだよな。

982 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:45:43
>977
西日本に魏の影響なんか見受けられるかあ?
第一、宣王の遺言はともかく、魏の祭葬儀礼自体が、さほど解明されているとも思えない。
高塚化は、弁辰系の影響とみる方が素直な考え。
方形区画墓の出現は、アンタの十八番の高句麗伝来かもしれんがね。

983 :檀君:2005/05/24(火) 20:36:31
>>982
>西日本に魏の影響なんか見受けられるかあ?

鏡。

ただし、卑弥呼の鏡は三角縁神獣鏡ではなく、画紋帯神獣鏡でしょう。

984 :檀君:2005/05/24(火) 21:05:51
>>980

すでに、他の方からさんざん指摘されてますが、
土器が自由市場で売買されていたから、
政治と無関係と考えるのは間違いです。

土器が流通するということは、介在する商人、または土器を持った人が移動したということ。
古代で、戦闘員以外の一般人が自由に行動できる範囲は、
敵国に襲われる危険の無い、安全な地域のみです。
したがって、大量に類似した土器が見られる地域は、
政治的に安定していた=ゆるやかな同盟関係にあり、安全が保障されていたと考えるべきです。

戦乱によりクニが疲弊するよりも、同盟関係を築いて安全を保障しあう、
そういう政治体制を確立したのが邪馬台国であり、後の大和朝廷なのです。

北九州の連合国から、東方へ、諸国に同盟国となることを促しながら拡大した経緯が、
神武東征であり、オオクニヌシや、ニギハヤヒの国譲りというわけです。

もっと論理的に考えれば、誰にでもすぐにわかることです。




985 :元祖プラム:2005/05/24(火) 21:15:09
>>979さん
御説明ありがとうございます。
『土器』についての考え方の相違ですので、あえて反論はありません。
それどころか勉強になりましたので感謝します。

986 :元祖プラム:2005/05/24(火) 21:44:55
『私見で失礼します』
巨大古墳造成には多くの人手が必要です
その労働力も大和だけでは足りず、各地方からもかなりの人が古墳造成に携わった事が想像されます。
一時的でもその地域の人口は増加し、地方労働者を含めた生活がその地で始まります。
当然食料その他生活雑貨が不足しますので
自然とそこにはそれらを売る市が出来⇒労働者以外の人も集まり
後はお決まりコース
そこにはちょっとしたマーケット市場が出来上がり
物流拠点に発展し、経済力がつきます。
そのマーケットに商品としての『土器』があったとしても不思議ではないはず

987 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:14:24
遥か彼方から輸送コストも省みずに持ち寄られる品なんだから、真っ先に茶碗ようなものを想像しちまうのはどうかと思う。
それ相当の換価価値のあるものしか遠距離間の交易の対象にはならない。
交易に伴う利益も移動のリスクをまかなうに十分なものだろう。塩、油脂類、皮革製品、金属・貴石・貝製品等が推定される。

ただ、後世に遺物として残されたものが、それらを持ち寄った人々の生活痕跡、食器や貯蔵用、搬送用土器だっただけだ。
その土器自体は、製造者の出身地による製法の違いなどあれこそすれ、製造・供給が困難なものではない。
だから、土器の考古的価値とは、その使用者の素性を反映することにある。
他地域で生まれた土器が別の地域から出土するということは、そこに人の移動があったことの例証であり、
交易のために人が移動するならば、それ相応の交易品の移動もあったことになる。
そういった大きな利権を生み出す市場を管理するには、当然の如く権威・権力を伴う組織が必要だろう。
そういった組織の成立を政治的組織の成立と不可分のものだと考えるのは自然のことだ。

それに現代の「フリマ」と言ってもそこにもルールがあり、秩序維持のための運営主体者が存在するわけで
全くの「自由市場」ではないし、参加者の負担するリスク・コスト(交通費や参加費)も生じるわけだ。
そこに権威や権力が発生していないわけではないが、通常は、それなりの商品、地域からの参加で成立つミニ「市場」、
それに見合う「権力」もそれ相応のものだ。

プラム氏他一名の主張は、古代の広域市場の「商品」を生活用品の類と決め付けて
それを現代の「フリマ」と同一視することで過小評価していると言わざるを得ない。
当然、古代における「商取引」には「市場取引」以外にも「行商」や隣村同士の「相対取引」と言う形態もあり、
それが主流であったかもしれないが、権力の管理下にある「市場制度」も存在したことは倭人伝に記述されている。

最後に >>986  
 マキムクの成立は、そう言った事情によるだろうとの説もある。
 俺自身も、三世紀代の畿内の中心はマキムクでは無く、唐子・鑓や河内側の久宝寺の方がそれらしく思う。

988 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:22:01
>>983
魏にも鏡のような実用品(魏では祭具として扱われていないと思うぞ)を副葬した例があるのかもしれんが、
それは被葬者の生前の愛用品を納めたような場合であって、倭の場合のような呪術用具的なケースとは
あきらかに違わないか?

989 :元祖プラム:2005/05/24(火) 22:51:20
>>987さん
確かにマーケットが大きく成長するにしたがって
それに見合うルール(秩序)が存在し、その背後に権力が見え隠れするのは当然かと理解します。
そこには当然『税』という国政収入が発生するでしょうし
それに私の『フリマ』発言も、それだけに限定するものでなく
あくまで初期段階におけるマーケットの成り立ちを説明したことをご理解いただければと思います。

990 :元祖プラム:2005/05/24(火) 23:01:24
それに、
私や圭角さんが『言いたいのは』

人の流れや物の交易があったからといって
それが即『政治又は軍事的』連合に結び付けることは出来ないと言っているんです。

991 :元祖プラム:2005/05/24(火) 23:32:59
『連投失礼します』
このように、独自の経済発展を遂げる大和の地(勝ち組)に
あえてその基礎を邪馬壹國(負け組)に結び付ける事はかなり不自然に受け止めます。
すくなくとも海外交易を行って発展して来た邪馬壹國が再び内需主導の経済発展を遂げる大和政権になったとは解せません。

992 :987:2005/05/24(火) 23:45:59
>>990
では、あなたは『政治又は軍事的』システムと言うのは、どのような経緯で成立すると考えるのかな?
>>991は前提条件に疑問があるのでスルーするよ。

993 :元祖プラム:2005/05/25(水) 00:10:03
政治、軍事とも全て経済のうえに成り立つものかと

当時人や生活物品の流れは、敵国以外余り規制されないものと考えてます。
しかしながら
私の知識以外で関所やその他の規制制度を維持する遺跡の発掘があったのなら
その考えを訂正します。

敵国じゃないから友好国とか、友好国じゃないから敵国という発想も致しておりません。

994 :987:2005/05/25(水) 00:33:08
>>993
 ”政治、軍事とも全て経済のうえに成り立つものかと”
 よくわかりませんが・・・・
 『人の流れや物の交易があったから』以外に何かあるのでしょうか?
 具体的なイメージ、実際のモデルのようなものがありますか?
 今日は、もう遅いですから、後日お暇なときにでもご提示くださいな。 

995 :圭角:2005/05/25(水) 07:11:01
994さんへご返信。古代ギリシャをたとえば想起してみてください。
当時地中海はギリシャとフェニキアが各地に殖民市をつくり覇権を競っていました。
ギリシャが凌駕して経済力に勝ったからこそ、ギリシャ文化も隆盛し、古代民主主義
なる政治体制も完成していった経緯があります。
さてところで、ご存知でしょうか。古代ギリシャには、既に両替商も居たのです。
地中海各地の通貨の両替が貿易交易つまり商売取引に必要だったからです。
この一例が、政治軍事とも全て経済の上に成り立つとの例示的列挙です。中国にしても
同じです。戦国時代、商人の中には王侯貴族とも比肩する者が出現しました。
経済の発展が原因主因です。古代ギリシャとこの同時期、中国にもやはり同じ両替商は
存在しています。経済が発展し国が生まれて政治が誕生していく一つの理由は、
経済が政治のいわば統制を欲するからです。戦後日本の産業界がサプライサイド有利の
政策を欲し、日本政府がそれに則したことも、いわば同じです。
政治軍事が、経済の上に成り立つことの普遍性は、世界史の領域では多数無数です。

996 :元祖プラム:2005/05/25(水) 07:57:04
>>994さん圭角さんおはようございます。

畿内において小規模共同体どうしの協力、抗争は行われていたでしょうが
越、東海、山陰、山陽は比較的平和な土地柄であったことは 考古学上すでに証明されていることです。
平和な土地に、あえて『連合』等という文字を当て嵌めなくてもよいのではないでしょうか!
いつの時代も、
財(賃金)を得る場所があれば人はその場所に出向き集まります。
巨大古墳造成は(越)などにとって雪の季節出稼ぎするのにもってこいと思います。

997 :日本@名無史さん:2005/05/25(水) 08:13:21
圭角さんよう、返事返すのはいいんだができれば数字の前に > をつけてくれ。
例えば

>>994

の様に。
そうするとグッと見やすくなるんだよ。


998 :日本@名無史さん:2005/05/25(水) 10:31:36
いよいよ1000取り合戦ですな
とりあえず 998げっと

999 :1000:2005/05/25(水) 10:34:19
1000

1000 :日本@名無史さん:2005/05/25(水) 11:23:59
1000いただきま〜す

このスレどうするの?
つづく?

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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