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【転封】 信長・秀吉・家康の作った大名3 【改易】

1 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:05:35
下克上の、弱肉強食の戦国時代を生き抜いて勢力を拡大していたのに
領土を取り戻されたり復活したり、挙句のはてには改易されたり、
その逆に家臣からとり上げられて大名になったり、と
競争原理の働かない処遇を受けた大名達について語りましょう。

過去スレ
【加増取立】 秀吉の作った大名達 【転封取潰】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083851287/
【転封】 信長・秀吉・家康の作った大名2 【改易】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1092223784/

2 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:51:52
成り上がり者スレはここですか?

3 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 19:39:46
>>1
おつ

4 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 20:45:40
では御三卿は?

5 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 22:38:15
忠吉は活躍したが信吉は実戦で使えたの?

6 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 23:06:02
信吉は体が弱かったらしいから戦闘には出てないんじゃ?

7 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 04:54:41
頼房や光圀も出てないよね?
ひょっとして水戸って虚弱体質の掃溜め?

8 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 07:48:36
大阪の陣でも家康の子供は参加していないの?

9 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 10:35:05
秀忠・忠輝・義直・頼宣が参戦してる

10 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:02:16
>>7
あふぉでつか

と言うか、頼房は大坂の陣の時はまだ元服してなかったかと思われ。
光圀の時にはもう太平の世になってた。

頼房、光圀親子は結構凶暴なヤンキーで
辻切りで江戸の町を騒がせていたという逸話を
どこかで見たことがあるが・・・。

11 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:14:13
>>8
孫では小笠原忠脩が戦死してる

12 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 14:32:25
 氏名  関ヶ原 大坂
松平信康 死去  死去
結城秀康 26歳  死去
徳川秀忠 21歳  35歳
松平忠吉 20歳  死去
武田信吉 17歳  死去
松平忠輝 8歳  22歳
松千代  死去  死去
仙千代  5歳  死去
徳川義直 0歳  14歳
徳川頼宣 不生  12歳
徳川頼房 不生  11歳


13 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 19:23:26
もしかして一番軍暦がある息子は信康か?

14 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 19:43:22
頼宣と頼房の「頼」の字は秀頼からもらったの?

15 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:09:53
ちがう。
徳川は源氏の名門だから、源氏の由緒ある字を選んでつけた。

16 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:09:56
頼朝から貰ったんだわさ

17 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:38:23
「頼」の字を微妙な時期につけたんだな。

18 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 13:11:02
>>13
難しいところだな。
軍歴だけで言えばそうかも知れんが、 義直、頼宣、頼房は、参戦しようにも戦争がないからな。

19 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:18:02
>>18
大坂夏の陣には出陣していたはずだ。
頼宣は先陣を申し出たが、家康の許可が下りなかった。

20 :日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:59:37
能力は未知数か。
秀忠にしたって老臣が固めてしまって、個性を出せなかったのではないかな。

21 :次スレ用テンプレ:2005/05/23(月) 01:39:03
〜 お約束 〜

・鰤叩きやショップ誹謗はあなたの人生を棄てる覚悟でよろしく
・個人中傷は自分のHPで自由によろしく
・体格の大小や顔の長さについては過去ログ参照
・ブームに流されないよう流れないように
・特にブーム本のいい加減な知識を鵜呑みにしないように
・しかし飼い方に正解はありません。がんばれ
・私怨でのURL晒しは責任覚悟でよろしこ

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PART1
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PART9
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22 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 06:52:01
まあ秀吉の息子も未知数に終わったし。

23 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 15:09:53
>>22
そんなヤツの一字を拝領したのか>頼宣と頼房

24 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 19:32:12
>>23

>>15を読んだか?
「頼」の字は源氏の通字である「義」とまではいかないが、
源頼光以来多くの武将が名乗ってる由緒ある字だよ。
家康は徳川幕府の正当性を証明するため、徳川家が源氏であることを(捏造だが)
強烈にアピールしたので、その一環として息子達にも「頼」や「義」の字を
使った名前を名乗らせたのだろう。

25 :日本@名無史さん:2005/05/23(月) 23:05:11
忠吉 信吉 の吉シリーズは?

26 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:16:39
>>25
「〜〜〜なの?」とか「〜〜〜は?」とか、
一行だけの単発の質問が多すぎる。このスレの3分の1がそうじゃねーか。
全部が同一人物だとは思わんが、少しは自分で調べたらどうだ。
図書館に行けばタダでいくらでも調べられるぞ。

ちなみに俺は25の疑問に対するはっきりとした答えは知らん。
彼らが元服した年代を考えると、秀吉からもらったと考えるのが自然かもしれない。

27 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 03:29:22
秀吉から貰って下につけるかバカ
何が自然だ

28 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 03:52:50
忠吉の初名は忠康
信吉の初名は信義
義直の初名は義知、次に義利
頼宣の初名は頼将、次に頼信

29 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 14:28:47
>>25
シリーズってw

30 :日本@名無史さん:2005/05/24(火) 18:49:04
まあ流行みたいなもんだ

31 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 08:53:16
最後は頼朝の頼が流行った

32 :日本@名無史さん:2005/05/26(木) 16:05:03
義貞の義では?

33 :日本@名無史さん:2005/05/27(金) 09:03:56
源義家と新田義貞をイメージした家康のぷろばがんだ

34 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 11:10:25
ははは盆栽大名どもめ

35 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 19:01:12
佐々五十万石

36 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:51:06
あいよ

37 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 10:31:30
木村吉清について

38 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 20:37:03
俺も東北の仕置きの変遷について簡単に解説してほしいです。

39 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 21:03:42
北条征伐に参加しなかった領主は改易。
んで大崎、葛西領に木村が入って、
伊達から没収した会津に蒲生が入った。
大まかに言うとこんなカンジ。

40 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 06:42:52
南部とか津軽とか九戸とか蠣崎は?

41 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 09:34:09
秋田とか佐竹とか

会津藩が転封された先はどこの領地だったのかなあ

42 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 11:28:24
加藤さん

43 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 14:38:01
最上伊達以北 つーと?

44 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:23:46
戸沢、津軽(大浦)、秋田(安東)、松前(蠣崎)、南部、九戸、小野寺、田村、六郷、本堂、
岩城、葛西、大崎、大内、由利12党

ぐらいかな?


45 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 22:36:36
南部藩があれで10万石だろ?

46 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 22:54:09
秋田などは実際よりかなり過小申告させられてその後転封させられてるから
大損だな
その後釜で入った佐竹は大幅減封のはずなのだが実際の石高が違うので不幸中
の幸いで喜んだかもな
南部も過小申告させられたんだろう

47 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 23:04:50
>>44
スレタイに関係ある名前がない件について

48 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 23:08:55
大崎、葛西旧領に三十万石格で加封された木村吉清親子は、その後発生した一騎の責めをとって、どうなったんですか?

49 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 23:39:18
親父の方は蒲生に仕えたんじゃなかったか?
息子は豊後だか豊前に所領を得るが関ヶ原で西軍に属して改易
→浪人→豊臣秀頼に仕官→大坂の陣で戦死

50 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 23:50:29
やっぱりよく判らない。
関東征伐の直前直後でどないしたんでっしゃろ?
伊達が押し出されたり、そういえば最上は転封はなしだったかな・・・

51 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 00:10:11
>>40
南部は本領安堵。
一族の九戸も。
ただし九戸はその後反乱起こして改易。
津軽は南部から独立して秀吉に承認されてる。
蠣崎も蝦夷の領主として承認はされてる。

52 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 00:11:33
>>45
米以外で収入があったらしいから
実収はもっとあったらしいよ。

53 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 00:21:09
とりあえず判る範囲で

戸沢→安堵
津軽(大浦)→安堵
秋田(安東)→安堵
松前(蠣崎)→安堵
南部→安堵
九戸→取りつぶし
八戸→南部家臣格へ
小野寺→安堵
田村
六郷→最上氏から独立
本堂 →最上氏から独立
岩城
葛西→木村吉清
大崎→木村吉清
大内
由利12党 

めんどくなったからあと補完して

54 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 00:32:59
田村、岩城は改易。
どちらも伊達の家臣に。
大内は北条征伐以前から伊達に帰参してる。

55 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 06:42:49
その次の転機は木村の取り潰しと関ケ原?

56 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 20:56:10
>>54
岩城の改易は関ヶ原後っしょ

57 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 21:53:47
>>56
関ヶ原で西軍について改易。
その後復活してる。

58 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 07:41:17
由利十二頭(由利衆)

      小田原/〜関ヶ原/関ヶ原以後
赤尾津 本領安堵4650石/最上に属す/改易
仁賀保 本領安堵3700石/最上に属す/5000石後1万石の大名。分地で旗本
由利  本領安堵2960石/最上に属す/最上家臣として1万500石最上氏改易後六郷家臣
岩屋  本領安堵/最上に属す/最上家臣。主家改易後は秋田・佐竹家臣
打越  本領安堵/最上に属す/3000石の旗本へ
下村  本領安堵/?/佐竹家臣梅津憲忠に仕官
石沢  本領安堵/?/?
根井  本領安堵/?/改易。後生駒家家臣
滝沢  以前に滅亡、子は逃れて最上家臣/変化無し/最上家に当主謀殺され子孫は仁賀保家臣
潟保  本領安堵/?/庄内酒井家臣
子吉  本領安堵/慶長期に滅亡/後佐竹家臣
玉米  本領安堵?/文禄期に浪人/?
矢島  小田原に代理派遣、本人は参陣せず、これが原因で他の由利衆に攻められ滅亡

「十二頭」だけど実際は17氏位いたらしい、豊臣期は「由利衆」として一まとめにされていた
ぐぐった結果こんな感じらしい。

59 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 09:55:11
陸奥は太閤検地の時点で百六十万石あったんじゃないの?

60 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 09:56:47
半分伊達領だとして残りは?
福島でほとんどかな。

61 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 11:24:55
陸奥と奥羽で二百万石だろ?
上杉と伊達と最上で殆どでは?

62 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 22:58:08
上杉が130万石?

63 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 03:24:17
慶長三年(1598)
陸奥(211万石−出羽置賜・庄内地方)
津軽 5、南部 10、伊達 58、上杉 120、相馬 6、岩城 12
出羽(36万石+出羽置賜・庄内地方+?)
秋田 5、戸沢 4、小野寺 3、最上 24その他?
合計 247万石+?
・上杉は出羽置賜・庄内地方含む
奥羽在地大名の中で、奥州仕置きにより国替えされたのは伊達のみ。
伊達から取り上げた旧芦名領に蒲生、改易の葛西大崎領に木村
→一揆で木村改易、伊達領の置賜は没収され蒲生領へ、
伊達は残った旧領+木村(旧葛西大崎)領へ移封
→蒲生氏郷死亡、旧蒲生領+出羽庄内で上杉

関ヶ原
津軽、南部、相馬大きな変化無し、岩城、小野寺改易
秋田、戸沢、その他小領主は常陸へ移封、入れ替わりで佐竹 21入る
最上24→57、伊達58→62に加増、上杉は120から30へ大幅減
会津には蒲生秀行60、棚倉に立花宗茂5など入る

寛文四年(1664)
陸奥(145万石+?)
津軽 5、南部 10、伊達 62、相馬 6、秋田 5、丹羽光重 11、
内藤義概 7、本多忠平 10、保科正之 23、内藤信煕 5、
本田忠晴 1、天領?
出羽(97万石+?)
佐竹 21、岩城 2、六郷 2、戸沢 7、酒井(支藩二家含む) 17、
松平忠寛 15、土岐頼行 3、上杉 30、天領?
合計242万石+?

関ヶ原時点で奥羽合計250万石以上は確実。

64 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 07:15:02
>・上杉は出羽置賜・庄内地方含む

佐渡もな。

65 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 08:48:26
>>63thx

66 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 15:18:35
>>63
>>58
お疲れさんです


67 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:07:25
なるほどね

68 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 10:41:54
目立たない大名ばかりだな

69 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:43:40
めだたないおかげで江戸期通じて潰された大名家も少ない

70 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 13:45:45
その代わりに幕末は酷い目に遭ってるから

71 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 13:31:05
寒いからな

72 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:26:53
>>45>>52
実質20万石と言われてますが、金山や各地での砂金採取、砂鉄採取、馬での収益は相当有ったはず

73 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 08:49:26
江戸中期になってから家格が20万石に見直されたんだっけ?


74 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 15:39:10
四国の勢力は常に軽視されていないか?

75 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 16:57:08
そういや四国って関ヶ原で地元勢は全滅?

76 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:24:25
地元は長曽我部以外はどこが地元?

77 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:55:34
>>75
久留島だけが大名で残りあとはアボーン


78 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:30:55
来島も九州へ飛ばされたんじゃなかった?

79 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:28:19
>>78
海から切り離され大分の山奥だけど大名。
あとの四国勢はアボーンだからそれでも四国出身ではNO1。


80 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 03:04:51
阿波淡路なんていい場所に外様おいといていいのか?
気候とかもよさそうだし。四国は伊予にだけどうしても興味がもてん
地味なんだもん。幕末ちょっと出てきたが。あとあれか秋山兄弟。

81 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 10:54:22
>>80
淡路は海・山みたいなところで地味が悪く作られる農産物も限定的。
どこか他に領地を持っていて淡路も持っているというのなら素敵だが、
淡路が領地の中心なら…。

82 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 14:47:09
海賊が可能なら儲かる土地なんだろうよ

83 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:57:17
>>80
伊予はみかんも出来るし道後温泉もあるし
スダチしか名産のない阿波やつまらん皿鉢料理しかない土佐や
梅雨だというのに給水制限してる讃岐よりマシと思われ

84 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:35:05
淡路島は実際に行ってみればわかるが、
不毛な乾ききった土地。

阿波も今の吉野川は問題がないが、
当時は氾濫はしまくるわ、それじゃあと掘を作ったら、
水量が減って塩害が出て、藍くらいしか作れなくなるわで、
支配が大変なエリアなの。実際阿波藩は借金まみれで
その末に騒動を起こしてしまっている。

85 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 14:48:22
元親全盛期で何万石? 兵士何万動員?

86 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:49:20
さあ、兵隊はたくさんいたんじゃない?

87 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 21:45:13
具体的に

88 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:54:23
元親の勢力圏は土佐と伊予・讃岐・阿波の大半を占めてるので
80〜90万石程度と思われ

動員兵力なんて分かるわけない、一領具足なんで

89 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 07:10:00
旧態勢で志願させて二万ぐらい行くかな?

90 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 10:16:09
中富川?のとき、2万数千動員してなかったっけ課?
勝瑞城のそばで戦ったやつ。

91 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 23:01:17
中富川の時の2万数千は軍記だから微妙
その時はまだ最盛期でもなくて、2万越える数字は無理っぽいと思われ

92 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:58:06
そうか無理か。

93 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:24:05
働いていた奴まで悲しい

94 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:31:12
働いてる連中は負け組みだからね。

95 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 15:43:46
木下吉隆は?

96 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 09:33:25
聞いたことねーな

97 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 13:50:01
大身の大名よりも小禄の奉行のほうが権力大きそうだよな。

98 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 04:27:37
でも結局最後に信頼されるのは大身と言うのは関が原でばれちゃったからなぁ
三成が100万石持ってたらもうそこそこいい戦いができたと思うよ。
信用度という意味で。
もちろん
大身有能投手だと警戒されて潰されるのが定石だが。
大身無能は無害だけど。
徳川を潰せなかったのが豊臣の限界だよなぁ。
しょうがないんだけどさ。

99 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 07:26:57
三成ごときが、あの時に100万石も貰ってたら関ヶ原なんざおきない
誰も三成なんぞに賛同しないから

朝鮮に送られて散々働かせられた諸大名は加増もホボ無しだったのに
奉行として送られて調停した程度しかやってない三成が大幅加増
妬み買い捲りだなw

100 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 12:03:42
個人的には天下御免の嫌われ者の分際なのに
奴は寄せ集めの軍勢(豊臣の威光があるにしろ)でよくやったと思うけどね>関が原
実質的には戦う前に勝負ついてたわけだが。

三成が本気で「豊臣のために家康ヤバイ超ヤバイ。排除しなければ」って思ってたか
「コレを機にあわよくば石田政権を」って思ってたか知らないけど
結果的にあの戦いがあったことで豊臣は救われてるんだよ。
(代議名文に過ぎないにしろ)だれも家康の簒奪を止めずに
こづかいの連中も何もかもみんなすぐに徳川に臣従しました、じゃ
いくらなんでも豊臣政権がかわいそうだ。
そう意味で石田や西軍中枢は幕末の会津藩や奥羽列藩同盟、箱館政権のようなもの。

けっしていい政権だったとは言わないけどさ>豊臣


101 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:57:27
政権?

102 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 17:55:23
無知でスマンが、三成の挙兵の理由って豊臣政権安泰のためか
三成の豊臣政権内での支配力の強化のどっちが主流なんですあ?

103 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 18:10:22
自身の政権への復帰の為には、政権で独裁を進める家康を排除しなければならず
家康排除する目的は、豊臣政権の安定という名目になるのは必然で

本心で豊臣家御為といったのかはわからないが
その後、家康が天下を奪ったのを知ってる後世では、三成の行為は豊臣家御為と見える

104 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:02:45
普通に考えると、家康は豊臣がつぶれても自分だけでやっていける勢力を築いているが、
三成は豊臣政権という背景があって初めて力がふるえる。

三成の本心はそれこそ当人にしかわからないが、三成が豊臣政権を必要としていたのは
事実。

105 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 19:27:08
徳富蘇峰は
「三成には三成の生存の為の正義があり
家康には家康の生存の為の正義があった。
ハッキリしていたのは両者は並び立つことはできないという1点だった」
みたいなことを国民史で書いてた。

106 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:14:39
政治家によって出世の閉ざされたエリート完了が選挙に出て負けるような構図。

107 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 14:06:10
島津と毛利がもっと本気になっていれば
西軍の勝利はありえたんではないかと思うんだが・・・

108 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 17:56:26
>>107
島津は参加した兵が少ないからなぁ……

てか、毛利が働けばなぁ……
家康が毛利をそのまんまにしておくわけねぇじゃん……
広家がいなければ勝てた気がする

まぁ、結果を知ってるから言えるんだけどね

109 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 19:17:37
広家はもはや滑稽としか言い様がないな
長曾我部がもっと本気だったら、広家の尻に噛みついただろうか?

110 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:50:44
>>108
毛利が勝っても、その次には奸臣を除くクーデーターを広家が起こしたと思う。
虫けらの子供 秀元、と養子にいったとはいえ実子の息子 広家だったら
どっちに家臣はついたんだろ。

111 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 07:34:31
その肝心の毛利が
毛利、吉川、小早川でバラバラになったからね

3本の矢のメンツだったらこんなことにはならなかったと思うけど
息子達の世代だからね。

黒田官兵衛も、関ヶ原が長引けは、主役級の活躍をした予感がする。

112 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 16:43:06
黒やんと伊達っちは実力以上に虚像が一人歩きしてるカンがある

113 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:43:10
官兵衛が天下を獲る方法なんてあるのか?
司馬遼太郎の妄想でしかないだろう。

114 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:50:30

前田利長が一番ふぬけ




115 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 13:29:09
第三勢力でもあって均衡していればなあ

116 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:51:46
>>115

>>114

117 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 21:10:30
核になるような家老がいればねえ。前田には有能な家臣はいたっけか?

118 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 21:50:11
前田はあれでベストでしょ?
前田が徳川に対抗出来たのは利家の代までだよ
利家のコネクションがあって初めて徳川に対抗できるんだから

119 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 01:16:59
家康に大阪城に入られ、うまく言いくるめられて国許に帰ってしまった
のがOUTだ。家康は秀頼の代理人として、やりたい放題出来るように
なってしまった。
利家が大阪城にいたときに、上杉、毛利らとはかって家康を謀反を企んでいる
として、仕物にするなりすればよかったのだ。
秀頼は利家が抑えているから、どうとでもなる。

120 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:52:59
今にも死にそうなジジイに何を求めてるんだ?おまえは

121 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:04:52
実際、家康謀反説をぶちあげたとして短期間で勝てないだろ?
自分の年齢考えたらそんな博打は打たんのと違うか。
わざわざ自分から家康を追い込むことはせんだろ。


122 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 02:21:29
>>117

   本多政重



・・・だめじゃんwwww
結局、利長がダメなんだよ。秀吉は「最後の頼み、前田」の跡継ぎが
そんな男だとわかっていたのだろうか・・・?

123 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 05:04:47
関ヶ原前夜は宇喜田家。>政重

前田は豊臣と命運を共にする義理も筋合いも無し。
加藤、福島は言い訳の余地無しだと思うのだが、
後世の人間が同情的なのがようわからん。

124 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 09:01:43
>>123
前田はそもそも一城の主だったんだし

125 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 10:37:45
利長は十分並以上だろ
加賀100万石の祖だ

126 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 22:53:17
三成、家康の行動
それに参加する諸大名の行動


「100万石も持ってたのに」な利長の行動

127 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 23:13:43
100石は家康に貰った石高ですが・・・

128 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 09:36:05
前田に100万石は多すぎる。関ヶ原では80万石ぐらいか?
利家もたいしたことないし。利長は戦経験あるのか?
利家と家康は蟻と象

129 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 10:48:37
>>120
>>121
だから仕物(暗殺)なのさ。家康がいない徳川家なら秀長で十分対処可能。
暗殺した後の政治的混乱を治めるのは死にかけのジジイでもできるだろ。

130 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 10:58:56
>>129
間違ってしまった。秀長でなく利長。

131 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 22:09:31
家康は剣術の達人だぞ?
利家も半蔵と忠勝二人がかりでも無理と若いころは言われたほどの豪傑だったが、今にも死にそうなのに出来るかよ
それに家康が万が一死んでも秀忠がいる
秀忠なら上手く家康と同じレールを走ることも不可能じゃないし(利家が家康を暗殺なんて格好の口実だし)
じわじわと徳川家の勢力を伸ばして豊臣を圧迫することも出来る
最悪関東八州は維持できるくらいの器用はあるんだよ
三戦板に帰ったらどうだ?

132 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 20:00:01
>>131
激しく同意だが
おまいも一緒に帰れ

133 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 11:51:47
こうしてみるとこの三人に引き上げて貰って急成長した大名は人材不足だよな

134 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 12:55:13
堀Qとか蒲生はまずまずかと

135 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 14:10:44
>>131
死に掛けのジジイが暗殺するわけないだろ。
足利義教を暗殺したように殺すんだよ。
北条も関東八州(常陸、下野、安房を除く)の太守だったが、徳川家(常陸、下野、安房を除く)
も、北条を同じ滅びの運命をたどるだけさ。
秀忠なんて乱世の英雄ってタイプじゃないし、上杉、前田、伊達、毛利などの連合軍
に勝てるわけがない。(結城秀康でもむづかしい)

でも、前田がそういう道を選ばず、安全策で行ったのは非難しないよ。


136 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:21:27
>>135
>秀忠なんて乱世の英雄ってタイプじゃないし、上杉、前田、伊達、毛利などの連合軍
に勝てるわけがない。(結城秀康でもむづかしい)

連合軍?どういう経緯で連合すんの?
あと結城秀康でも、って実戦経験もない二代目が評価の対象になんのか?

137 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:54:05
>>136
家康が秀吉の遺令に背いていたのは明白で、石田らを初めとする奉行も問責していた。
仕物(暗殺)の正当性はいくらでも後でつけられる。特に秀頼を握っているから強い。
その上で、徳川謀反ということにして残りの四大老が連署した秀頼の命令書が
あれば、従わない大名はいない。
最初は相模、武蔵以外の所領は召し上げみたいな条件にして、しれに応じなければ
征伐ということにしてもよい。伊達などはよろこんで参戦するだろう。

結城秀康は秀吉の養子で、豊臣姓ももらっているし、当主が秀康なら他の四大老も
厳しい処置には出にくいのではないか?

138 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 11:07:55
これ以上の乱世をみんな求めてなかったんだろう
朝鮮征伐でみんな疲弊してたし
誰でも良いから安定政権を作ってくれと言うのが根底にあったのだと思う

139 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 11:41:17
秀吉は天下統一して安定政権ではあったが
朝鮮に出兵した罠


140 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 14:09:33
>>137
誰がおめーの妄想語れってんだよ。



141 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:39:41
>>137
暗殺なんて汚い手を使えば、その汚名はずっと消えないよ
お前が読んでる司馬遼太郎の本に出てくる当時の武士の価値でも思い出してみたらw
秀吉の遺命で政治代行者とされてる家康を暗殺したら、それこそ「律義者」で通ってる利家の名折れで
その瞬間利家のそれまで築いてきた徳望、名声は地に落ちるわ
そして関東八州の兵を率いて徳川軍団が復讐戦で東海道を下ってくるでしょう
そしてほかの五大老の内、毛利、上杉に「前田と徳川の争い」に介入する必然性は無い訳だし
宇喜多は家臣団がゴタゴタでとても動けたもんじゃない

142 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:16:54
>>141
暗殺は非難されるような手段なのか?
当時の有力大名での例証を知ってる?
江戸時代だって、殺される方が武道不覚悟と笑われたりしたぞ。


143 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:59:17
>>541
・長良川で大敗以降、結果や内情はどうあれ信長は義龍に勝ってない。
・三河に対する不安がある程度安定したのは1562年の同盟にて。
・義龍は負けないまま病死してしまった。
・国内が不統一と言う割に1560年に西美濃に侵攻しているが、結局成果無く引く事に。

少なくともこの史実が揃ってる時点で、
信長が義龍にある程度恐れを抱いていたと言う事を評価できないと断言は出来ないでしょう、
評価できる人がいてもおかしくはないでしょ?それで十分、あなたは評価できず、俺は出来ると判断した。
数値を見る限り、光栄も評価したんだろう。

ただ1561年の和睦を強調するけど、
信長は森部の戦いの一ヶ月前(義龍存命)に梅ヶ坪に攻め込んでるから、(前年に逆に攻められた所)
和睦が頭にあったかどうかはともかくまず安心できる状況なわけは無いと思うぞ、
やはり史実どおり安定したのは1562年の清洲同盟からだろう。

144 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:23:39
酷い誤爆だな

145 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 07:55:25
>>142
暗殺で国をたてた人をあげてくれ。


146 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:30:46
あぐ

147 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:45:15
斉藤道三
松永久秀
毛利元就
今川義元
竜造寺隆信
伊達政宗

148 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 11:08:25
六人中四人が非業の死をとげてる訳だが
だいたい江戸時代の葉武者と地位責任のある立場の人間の暗殺じゃ重みが違う
小泉が郵政民営化に反対する議員を暗殺して「国の為です!」と言ったって、国民も議員も納得しない罠

149 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 12:08:21
安重根が伊藤博文を暗殺した結果
韓国が何か利益を受けたか?ってこったな
逆にそれを口実に日本に併合されたってことは中学校の教科書にすら書いてある事実

150 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 12:36:08
仕物にできるという前提で話しているが
家康側の対策も忘れちゃいけませんよ

151 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:11:14
中世と現代の区別がつかない奴が紛れ込んでないか?

152 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 15:12:57
>>149
>逆にそれを口実に日本に併合されたってことは中学校の教科書にすら書いてある事実

初耳だな。どこの会社の教科書にどう書いてあるの?

153 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:11:19
安土桃山は近世だろ馬鹿
ほんで大正昭和は近代
現代って…

154 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 21:13:32
口実ってほどでもないが
伊藤暗殺で併合が促進された部分はあるんじゃね?
伊藤自身は併合は時期尚早と思っていたと聞いたことがある。

155 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:05:03
>>154
ほぼ正解、というか、伊藤は併合反対派(反対理由はさまざまにあるが)。
その伊藤が暗殺されたことにより、日本でも朝鮮でも併合派が力をつけ
かつ併合賛成の理論が受け入れられることになる。

結果論でいえば、安重根は朝鮮併合を決定付けた人物といえます。

156 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:30:42
>>154
さらに追加。
伊藤暗殺後に日本に警察権を奪われるなど併合が進む中で
土地調査事業に着手し朝鮮小農民の没落が進んだ。
この一部が日本に仕事を求めて移住するようになったらしい。

安重根が日本に在日を生むきっかけを作った人物と言えます。

157 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 13:45:22
北条早雲なんかも?

158 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:44:53
>>142
暗殺じゃなく上意討ちって名目だろ。

159 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:29:25
宇喜多
長尾

160 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:34:19
残ったのは伊達と毛利と長尾(上杉)だけじゃねーか
長曾我部はどうなんだ?一条は主君だったのか?

あと斉藤道三は主君追放したけど殺してない

161 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:47:25
というか暗殺しても一国半国しか領有できんわな。
>>145が言いたいのは全国統一できるんか、ってことだろ。

162 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:59:07
>>161
岩倉具視

163 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 08:42:22
>>161
天武天皇

164 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:28:36
暗殺って不利な奴が最後のあがきで仕掛けると決して碌な事にならないよな
暗殺自体が成功しようと失敗しようと、その後逆転できた例ってあるのか?

165 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 22:58:14
岩倉具視や天武天皇が暗殺したという
明確な史料をあげよ。

166 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:11:50
急成長した出世大名を内部で支えた有能な家臣や縁者を紹介してください。

167 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:43:59
福島正頼
飯田覚兵衛

とか言ってみるテスト

168 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 19:31:41
石田の家臣は有名だけど小西の部下には有能なのはいたのかな?

169 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 20:47:19
つ内藤如安

スマン。それ以外知らん。

170 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 21:33:11
内藤は一使者にすぎないのでは?
重臣なの?

171 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 21:46:02
家臣ではないが、小西付きの与力ではあったみたいだが。

172 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:36:41
>>168
コニタン、弟がいたはず。

っていうかやっぱ、滅びた家はきついよね。
特にコニタンとか。

昔、コニタンスレッドも「結局なーんの資料もないんでやんの」で
ループしていた気がするwww

173 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:20:13
信長の嫁さんの名前なんでしたっけ?

174 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:46:45
複数名いますが?↑

175 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:03:15
え?嫁一人、愛人複数じゃねーの?

176 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:08:42
側室も嫁です


177 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 06:57:27
嫁は正室だな。

178 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 07:11:19
小西自身が宇喜多の家臣だったんだし。

179 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 08:37:19
道三の娘の名前です

180 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 08:49:41
>>179
通称:お濃(本名帰蝶(奇蝶))
異説:内藤家(織田→酒井家重臣)では、
お濃の本名はおなべという伝承が根強く残っている。
この内藤家は内藤勝介の末裔

181 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:00:27
>>180
おとな内藤の家だけに、その異説は大変興味深い。

182 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:07:08
お濃でしたっけ?まむしの娘。

183 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 10:01:36
美濃から来たからお濃
正妻は生駒の方という説もある

184 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 11:39:12
ありがとうございます。これからテストで信長について知ってる事書けというから、道三が正徳院に信長を呼んで恥をかかせようとしたが信長が正装に着替えて道三を驚かせた話を書こうかと

185 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 17:59:12
>>184
正徳寺会見でまずググってから書くがよろし

186 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:03:28
細川、池田、蜂須賀、浅野、
なんかも優秀な家臣の名が聞こえてこない、
石田と黒田は例外かな?

187 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:34:09
細川には松井康之がいるね
後はよくしらね

188 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:29:04
松井康之は有名だね

189 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:41:50
でも、考えてみれば下克上の流れがまだ色濃く残ってた時代なわけだから、秀吉の時代に有能な武将のほとんどは直参になってしまってるし、
子飼いの有能な武将を持てた大名家ってのは秀吉の天下統一が確定されたあとに臣従してきた外様か、あるいは石田三成のように何か特別なエピソード(それが本当であってもうそであっても)
があるくらいな関係性がないと持てないだろうし、仮に持てたとしても、大名とその有能な武将との密談もしくは有能な武将のみに権限を与えるパターンであって、その状況であれば細かく情勢分析もできるわけでなし、
適材適所な人選もむずかしくなるのではないだろうか?

190 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 03:03:41
取り潰された元大名自身を取り込む場合が多そう>江戸初期

191 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 20:58:43
兄弟親族に有能なのがいればいいんだがな。
主人は外征で試練の真っ只中、家臣は国元で内政を収めねばならないのだよな。

192 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 21:57:26
兄弟が有能すぎるとお家騒動の元となる

193 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:24:32
>>169-171
内藤如安って松永久秀の甥だよね。
たしか小西名字貰って小西飛騨守だった頃もある。

194 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:25:20
キルヒアイスさえいてくれれば・・・・。

195 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 09:26:50
出来星大名で有能な兄弟がいた奴なんかいたっけ?

196 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:00:00
>>195
秀吉

197 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 11:32:16
もっとミドルクラスは?

198 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 13:39:07
森とか池田とかかな

199 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 10:17:19
信長の時代は兄弟でも個別に働いていないか?
秀吉以降は大名単位で動いているかと。

200 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 11:44:42
前田は弟の利家が継いだことになってるよね
あと板倉重勝も兄が死ななければ一生坊主で終わり
弟が独立で取り立てられるのは、特殊な場合(親や兄が主筋のお気に入りとか弟が格別優秀とか)
だけと考えた方が良いんじゃないかな?
まぁ江戸時代なんかに比べたら兄が戦死する場合も多いから、チャンスは沢山あると思うけどね

201 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:01:24
徳川吉宗も兄さんが次々と死んで紀伊藩主になり、7代将軍家継が早死にして
将軍様になったんだとな・・・・運のいい将軍様だ!
まあ、足利将軍六代目足利義教もくじで将軍になったんだ!
でも、家臣の赤松義佑に殺られたんだと・・・

202 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:03:41
>>200
201は200の話
スマソ

203 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:25:32
>>201
吉宗は運ではなく努力したんだよ。

204 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 06:56:56
腐らなかったしね

205 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 08:41:53
一柳さんは兄さんが小田原攻めで死んだから藩祖になったよね、たしか。
時代に乗ってるほうにいる大名クラスの戦死ってそうそうある事じゃなさそうだけど・・・

206 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 13:38:15
本多忠朝

207 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 18:26:57
中川清秀
中川秀政

208 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 19:38:27
小笠原秀政

209 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:47:44
板倉の次男

210 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 07:05:19
井伊直政や松平忠吉も戦勝側の戦死大名になるのか?

211 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:59:59
なる

212 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:07:00
即死じゃないから違うのでは?

213 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 04:01:00
時期的にアレなんですけど

原爆犠牲者って、即死以外も
・数日後に死亡
・後遺症で後々死亡
も含むんですよね。

じゃ>>210もありでは?

214 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 05:31:59
討ち死にっつーからにはその場で首チョンパになって欲しい

215 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 06:57:04
>>213
「原爆被害者」と「戦死者」は違うとマジレスしてみる。

216 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:18:16
違うよな

217 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:56:05
一緒だと思うよ
「原爆被害者」と「原爆死傷(犠牲)者」は違うと思うけど。

後者が「事件戦死者」に該当する。

218 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:57:43
勝手に思ってりゃ良いじゃん。

219 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 01:30:27
オマエモナー

220 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:28:20
黒田家はわりと優秀で名を残した家臣が多い気がする。

221 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:56:03
>>204
203の言ってるのはそういう意味じゃないと思われ
薬系の話

222 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:52:13
>>220
一気飲みの名手とか?

主従をわきまえない逃走者とか?

223 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:21:32
187 :日本@名無史さん :2005/08/04(木) 22:34:09
細川には松井康之がいるね
後はよくしらね


松井家は細川藩熊本転封後は代々八代城主

224 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:50:51
>>223
護煕の代でも、家臣やってたと思う。

225 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 15:15:53
家臣なのに城を持てるの?

226 :ポン:2005/08/18(木) 20:32:11
家老だから。よくあるでしょ、支店長用の社宅として一戸建てが
宛がわれるのと基本は一緒。


227 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:36:12
一国一城令の例外?

228 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:55:23
伊達の白石とか尾張の犬山とか、紀伊の新宮とか。
いくつかあるよ。

229 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:24:46
>>226
元々、城(砦)持ちの土豪上がりや分家の香具師にとっては社宅ではない。
>>228
伊達のは家老ではない。尾張の成瀬と紀伊の安藤、水野も家老だけど付け家老。
陪臣のようで陪臣でないような微妙な人。

230 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:19:28
>>229
家老か、さらに格上かはともかく、家臣には違いないでしょう?

231 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:51:53
>>223幕府の島津対策

232 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:53:03
>>229明治になって大名になった気が…

233 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 06:53:26
>>230
たいがいの藩で一族衆と家臣は違うぞ。
付け家老も徳川本家の家臣であって分家の家臣ではない。

234 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 13:33:12
片倉は一族ではないし、一族と言えども家臣だろう。
付家老も付けられて家臣になった家だろう。

235 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 13:53:20
八代には最初隠居した細川三斎が在城していたが
その死後、老中から許可を得た松井氏が在城し幕末に至った。

236 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 14:53:25
>>234
片倉は着座→一家。奉行(他家で言う家老)として藩政に加わることができる。
他所で一族に分類されるのは一門と呼ばれ藩主の儀礼的名代が主たる仕事で実際の藩政には建前
上関与しない(実際には間接的に関与する場合があるが)。

237 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:44:13
>>234
付家老本人達は家臣になったと認めていないんだが

238 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:57:24
認めざるを得なかったからこそ独立運動やってたんだろ。


239 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:49:27
つーか、下僕の分際で自分の身分をとやかく言うなど、僭越の極みだな。
とっとと切腹させりゃよかったのに。

240 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 15:31:39
細川家の松井家は別格?

241 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 15:59:19
>240
松井家は山城国内に所領をもつ幕府旗本という一面も持つ珍しい家。
だから自家および将軍家の代替わり時には将軍にお目見えしていた。

242 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:02:31
御目見得か。

243 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 19:19:57
>>239
付け家老の香具師らは将軍家から切腹と言われれば切腹しただろうが
御三家の当主ごときのことは聞かなかったと思われ。

244 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:40:43
そうだろうな
伊集院や数正を見ていると取り次ぎから独立という流れ

245 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 20:00:50
ほかにもそういう家臣いるの?

246 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 20:54:09
鍋島・有馬

247 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 06:56:41
鍋島は当主のこと?

248 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:28:17
>>247
筆頭家老の鍋島

249 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 06:54:18
あぁ逆か

250 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 11:19:28
鍋島は具体的にいつ頃のっとりした?
竜造寺はしばらく生きてたから
その間の肥前は竜造寺のもの?
それとも既に鍋島のなんですか?

あとは大大名潰されて大名になった奴はラッキーだよな
越後溝口とか。
逆に元大名で改易されてどっかの家臣(藤堂とかに多いよね?なぜか)に
なった人はどう思ってたんだろう。再起を狙ってたのかな。
それとも人生には流転というものがあるとかいいながら諦めて人生過ごしたんだろうか。

251 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 12:12:52
>>250
正式には慶長十二年
政家と高房が死去して勝茂が龍造寺の家督を相続した

それ以前は名義上は龍造寺が当主だが、鍋島が家宰として国政を担ってる
秀吉が政家を隠居させて、幼少の高房に後を継がせてね
豊臣政権からの軍役などの諸役は、龍造寺ではなく鍋島に出てる
龍造寺は諸役免除、軍役も免除

これは秀吉が九州征伐の際に、直茂が交渉を担当し
国政も直茂が行ってるのを見て
龍造寺家に統治能力なしと見て、直茂に全て委譲させたかったが
早急には出来ないので、このような形をとったと考えられる

252 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:06:29
直茂の親父が、竜造寺隆信の後家と再婚しているので、
実質「一門扱い」だったとか聞きましたが。

なので「少し縁遠い一門に家督が移った」という形式で筋が通るのではないかと。


253 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:07:24
>>250
藤堂高吉とかせつないね。

254 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:03:04
>>252
家督相続というのは、そんなに単純な話ではないよ。

255 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:24:47
秀吉って織田一門?

256 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:25:47


257 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:57:39
寺沢なんかどんな大名?

258 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 11:57:50
広高か?

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