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日本の戦史・戦略思想

1 :道家:2005/05/19(木) 06:51:34
世界史には孫子やマキャベリのような有名な人が多いが
日本の書物はどうだったんでしょう

2 :ニニー:2005/05/19(木) 07:09:22
ニニー

3 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 07:15:09
日本將校ノ外閲覧ヲ禁ス

4 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 07:21:52
ノモンハン、ガダルカナルの辻政信には
戦略などあったのか、どうか。

5 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 08:31:58
各部隊長ノ戦闘指揮ノ着眼

a)独断専行
此種遭遇戦カ至近ノ距離ヨリ俄然突発スル関係上
敵ヨリ受ケツツアル衝撃ノ部位、敵ノ衝撃方向敵ノ前進(展開)正面、
敵砲兵ノ所在等ハ當初全然不明ナルヲ常態トシ
各級指揮官ノ独断専行ニ依リ先ス第一段ノ對敵部署ヲ為ササルヘカラス
従ツテ高級指揮官ノ命令等ハ殆ト期待スヘカラス

各級指揮官殊ニ被衝撃部位ニ前進セル部隊ノ指揮官ニ就キ注意スヘキハ
先ツ敵ヨリ衝撃ヲ受ケシ瞬間ニ於ケル受身的地位ヲ積極的ニ転換シ
攻撃以テ敵ノ攻撃ニ對抗スルノ部署ヲ第一要義トセサルヘカラス、

此種遭遇戦ノ危機ハ敵ヨリ衝撃ヲ受ケシ瞬間ニ存シ
一歩誤ラハ軍隊ハ周草狼狽シ指揮官ノ手裡ヲ脱シ
自然的ニ敵ヨリ反對方向ニ退避セントスルノ傾アレハナリ
此トッサノ場合ニハ攻撃ノ一法アルノミ
敵ノ優勢地形ノ不利等ハ毫モ之ヲ顧ミルノ要ナシ
蓋シ之ニ依リ驚愕混乱セル士卒ノ精神ヲ攻撃ナル一定ノ方針ニ統一集中セシメ
以テ對敵観念ヲ堅メ軍隊トシテノ結合的威力ヲ発揮シ得レハナリ

以下述フル所ノ数項ハ各部隊長カ独断専行ヲ為ス為
必要ナル戦術上ノ着眼ナルモ寧ロ第二要義ニ属シ
状況之ヲ許ス場合ニハ此ノ着意ニ出ツヘシトノ欲望ニ過キス、
要ハ如何ナル場合ニ於テモ上記ノ積極的独断ニ遺憾ノ点アルヘカラサルナリ

6 :日本@名無史さん:2005/05/19(木) 09:15:15
四、高級指揮官ノ戦闘指導ノ着眼

高級指揮官ハ各部隊長ノ独断ニ依リ開始セラレタル戦闘ニ
統一ノ部署ヲ加ヘ各部隊ヲ自己ノ手ニ掌握スルニ努メ
其信スル方面ニ重点ヲ作為シ以テ有利ニ決勝ヲ求メサルヘカラス
之カ為速ニ状況ヲ判明セシムルノ処置ヲ講シ
手段ヲ蓋シテ自己ノ豫備掌握ニ努ムル所ナカルヘカラス

高級指揮官ノ戦闘指導上、戒ムヘキハ各部隊個々ノ戦況ニ眩惑セラレ
豫備隊ヲ消極的ニ逐次注入シ遂ニハ全ク重点ナキ一連ノ
長大ナル戦面ヲ以テ敵ト對戦スルニ至ル弊是レナリ
是レ決シテ大勝ヲ博スル所ニアラス

須ク自軍ニシテ最初ノ危機(衝撃ヲ受ケシ瞬時)ニ打克チ得ハ
爾後却テ敵ヲ包囲シ易キ態勢ニ在ルヲ思ヒ積極的ニ豫備隊ヲ運用シ
敵ニ大打撃ヲ興フルコトニ努メタルヘカラス

7 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 13:00:05
こちらも是非いらして下さい。

【海洋国家】日本の戦略【総合安全保障】

http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1095868097/301-400

8 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:11:30
世虞州といふ所へ着かせ給ひしに、安國寺申されしは、此所は朝鮮の武勇の者多くありて、
最前度々日本人を討捕り、通路切をして、日本人を悩ましたる所にて候。
兵を差出され、近方を打破らせ給ふべくもや候らんと申されければ、
さらば近方二三里をば打破らせ給はんとて、兵を出させ給ひし。

然るに御手勢の内、一萬は吉川廣家に付きて、泗川の普請に遣され、
一萬は宍戸備前守に付きて、蔚山の城普請に、昨日より遣され、
御旗本三萬余之ある勢を、五六千差出されしに、加野山といふ山に、朝鮮人数萬楯籠りてありし所へ攻懸けしに、
朝鮮人に勇者共ありて、手痛く働きしに依つて、攻倦んで、日本人引色に見えし由、申し来たらば、
(毛利)秀元卿駈出でさせ給い、敵多勢と見て、臆したりと見えし、沙汰の限なり。
尋常の如くしては悪しかりなん、端武者共には懸るべからず。
大將と見えし左峯に控へたる所へ、打つて懸るべし。
一足も退くと見ば、則ち打つて捨つべきぞとて、自身?地に懸らせ給ひければ、
晴の軍とは是なるべしとて、我も我もと面も振らず懸りし。

9 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:32:02
駆逐艦夕立がルンガ沖に敵艦隊の縦列を発見したのは、距離6000メートルであった。
この時(ガ島)砲撃隊の本隊は、18ノットの砲撃速力で後方から続航していた。

夕立の吉川潔艦長は敵発見と同時に、第3戦速24ノットに増速すると敵方に向かって突進した。
互いに反航態勢(敵味方が反対方向から航進する状態)なのでたちまち距離が縮まる。
敵艦隊が1000メートルの至近距離に近づいた二三四八に、「取舵!」吉川艦長は号令した。
夕立は急速に艦首を左へめぐらすと、90度転回して敵艦隊の前面を横切る形で航進した。
300メートル後方を続航する春雨は仰天したが、夕立の後に続いた。

戦術常識では、反航態勢から面舵をとって右へ回り、
敵艦隊の左舷を反航しながら砲雷撃しつつ、急速避退するところである。
ところが、吉川艦長はその逆をやった。第一の意表を衝いた決断である。

10 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:59:57
このとき、敵艦隊に大混乱が起こった。
先頭を行く駆逐艦カッシンは、前方1000メートルを
左から右に横切る2隻の日本駆逐艦を発見すると、
大慌てで衝突を避けるため取舵をとった。
急速左回頭をする前続艦を見た2番艦のラフェイも、直ちにこれにならって取舵をとったが、
突然の転舵だったので3、4番艦の駆逐艦はこれに対応できず、
転舵角度もまちまちでバラバラに列を乱してしまった。

続く軽巡アトランタは、前方の4駆逐艦が散を乱してしまったので、
これらとの衝突を避けるために大角度の取舵いっぱいで転舵した。

アトランタの後ろに続く旗艦重巡サンフランシスコの艦橋では、
カラガン提督がなぜ前衛部隊が変針したのか理由がわからず、艦内電話をとると、
「アトランタは何をしているのかッ!」
と怒鳴った。
「味方駆逐艦との衝突を避けつつあり」
との返事が返ってきたが、この応答を聞いていた後続の各艦は動転した。
カラガン提督は、情況がよくのみこめないので敏速な対応策を下せなかった。
このため後続艦の混乱がひろがった。
取舵をとるもの、面舵をとるものなど、編隊は総崩れとなった。

11 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:19:38
一方、敵艦隊の鼻づらをかすめて通り過ぎた夕立は、すかさずぐるりと360度の円を描いて反転すると、
混乱中の敵艦隊列に向かって突入していった。第2の意表を衝く決断である。

この反転は、さすがに春雨にもはかり知ることができなかった。
折から視界が狭くて夕立の姿を見失ったこともあり、
続航しきれずにそのまま直進、分離してしまった。
単艦となった夕立は、前方の大きな敵艦に魚雷発射の狙いをつけていた。

12 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:50:10
そのとき、二三五一、急接近してきた戦艦比叡が
探照灯を照射してアトランタを闇のなかに浮かび上がらせると、
陸上砲撃のためにこめていた三式弾をそのまま発砲した。
この一撃はアトランタの艦橋に命中して爆発、
指揮官ノーマンスコット少将をはじめ幕僚のほとんど全員を即死させたのである。

わずか1600メートルの距離で発砲した比叡の三式弾は、
アトランタの艦橋をめちゃめちゃに破壊したが、
探照灯を照射したので位置を露呈し、敵艦隊の中・小口径砲、
および機銃までが比叡に集中、逆に前しょう楼に火災が生じた。
敵の集中射撃はすさまじく、比叡の上甲板以上は薙払われ、高角砲はすべて破壊され、
主砲関係の電路や副砲指揮所も破壊されて、一時、砲戦能力を失い、
通信も無線、信号ともに不能となったほどである。

この時カラガン提督は、前方の左右に日本艦隊が突撃してくるのを見て、不思議な号令をかけた。
「奇数番艦は右砲戦打ち方はじめ、偶数番艦は左砲戦打ち方はじめ」
と下令したのである。
これは一見、妙手のように思える。ところが隊列の乱れた混戦のなかで、
奇数番艦の右舷に敵がいなかったり、左舷の絶好射程距離にある日本艦に対して
砲撃を禁止するような命令となってしまった。
このために米艦隊は、射撃目標の選定にまごつき、さらに混乱の度を深めていったのである。

13 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:52:34
一方、この間になおも突進した夕立は、敵大型艦に1500メートルまで近づき、
二三五五から魚雷八本をつぎつぎと発射、たちまち二隻の巡洋艦にそれぞれ魚雷2〜3本を命中させた。

海戦の戦術からすれば、ここまでやったなら、この時点で夕立は戦場から遠く避退して、
予備魚雷の次発装填を準備したうえで再突入すべきところだが、吉川艦長はそうはしなかった。
第三の決断が下された。
「このまま突撃せよ」
と下令すると、さらに艦を第五戦速30ノットに上げて
猛然と敵艦隊の隊列のなかに突入していったのである。

吉川艦長は、前方から突撃を開始した本隊の砲撃に対して気をとられている敵艦隊を、
後方から攻撃する絶好のチャンスだと考えたのである。
発射する魚雷はないが、たとえ豆鉄砲の12.7センチ主砲でも、
命中すればかなりの損害を与えることができる。
敵は多数、こちらは一艦、敵陣のなかにまぎれ込んでしまえば敵も気がつくまい、
と不敵にも考えたのである。

14 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 01:13:35
「砲術長、どんどん撃て」
右に左に走り回っている敵艦をさして、吉川艦長は大声で号令した。
海軍には“どんどん撃て”という号令はない。
とっさに出たものであろうが、この場合、これほど適切な号令はなかった。
砲術長は、目の前の敵を無照準で撃ちまくった。距離が近いので砲身を水平にしたまま連続発射する。
夕立の砲撃は全弾が命中し、敵艦はつぎつぎに燃え上がっていく。
敵の隊列を突っ切った頃には、味方部隊も猛砲撃を開始しており乱戦模様となっていた。

比叡、霧島の三式弾の発砲は、敵艦を薙ぎ倒す勢いだった。
旗艦サンフランシスコの艦橋に三式弾が爆発、
ついに総指揮官のカラガン提督をはじめ、艦長、幕僚たちが一瞬のうちに戦死した。

その頃、夕立もようやく敵艦に発見されて砲撃をうけはじめた。
直ちに煤煙幕を展張すると、味方部隊に合流すべく行動した。

15 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:21:55
ところが敵の艦列のなかから飛び出てきたせいか、夕立は敵艦と誤認されて味方艦から砲撃されだした。
直ちに味方識別の青ランプをマストに点灯したが、逆上しているのか射撃は一向に止まらなかった。
再び煙幕を展張して味方の砲撃を回避していたが、煙幕をやめるとまた撃ってきた。
味方砲撃は駆逐艦だった。ねらいは正確で命中弾をつぎつぎに受けだした。
しかし被弾は水線上だったので沈没はまぬがれたが、艦はボロ布のように破壊され、死傷者が続出した。
被害のなかで一番重大なのは前部塗具庫の火災であった。もし一番砲の火薬庫に引火したら万事休すである。
「しようがない、味方だが撃つか」
吉川艦長が吐き捨てるように言って、味方駆逐艦に対して砲撃を下令したとき、
またもや味方の砲弾が射撃指揮所と機械室に命中、ついに夕立は航行不能に陥った。

16 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:41:39
乗員たちは、燃えさかる夕立をなんとか助けようと消火作業に懸命だったが、もはや艦は漂流するだけだった。
午前二時、すでに海上の戦闘は終わっていた。そのとき僚艦の五月雨が近づいてきて救助を開始した。
「残念だなあ、まだまだ働き方が足らんよ」
吉川艦長は無念そうに言いながら五月雨の甲板に上がった。
夕立の死者は39名だった。吉川艦長以下207名が救助された。予想外に多い生存者数である。

このとき吉川艦長は戦闘中に頭と肩、腕などに破片をうけ、
流れる血で戦闘服が背中まで真っ赤に染まっていた。
驚いた看護兵が手当てをしようと近寄ると、
「乗員たちの手当てが終わるまで、俺にかまうな」
と言って看護兵を寄せつけなかった。
部下の手当てが終わるのを見届けて、初めて負傷の手当てをうけたのである。

17 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:09:07
この戦闘で、米艦隊の損害は日本軍より大きかった。しかも一つの戦闘で、二人の指揮官を失うということは珍しいことである。
米軍の損害は次のとおり。

一番艦カッシン=日本駆逐艦と交戦、命中弾をうけて全動力が停止、その後さらに照射砲撃をうけ弾火薬庫が爆発して沈没。
二番艦ラフェイ=36センチ砲弾2発、魚雷2本が命中して沈没。
三番艦ステレット=交戦3分後に舵およびレーダーを破壊された。中破。
四番艦オバノン=艦上構造物に被弾、少なからぬ損害をうく。中破。
五番艦アトランタ=中口径砲と魚雷をうけて航行不能。曳船に引かれてルンガ沖に到着したが救助の見込みなく自沈。
六番艦サンフランシスコ=上甲板以上が破壊され、一時は霧島その他の砲撃で舵および機関操縦の自由を失ったが自力回復した。大破。
七番艦ポートランド=砲弾の命中と艦尾に受けた魚雷1本によって操艦の自由を失い、曳船に引かれてツラギに入港。大破。
八番艦ヘレナ=上部構造物に軽微な損害。小破。

18 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:24:58
九番艦ジュノー=命中弾と前部缶室に魚雷が命中して大破。戦場を離脱したが、翌〇九〇一(午前九時一分)に伊二六潜の雷撃をうけて沈没。
一〇番艦アーロンワード=命中弾により航行不能となりツラギに曳航された。大破。
一一番艦バートン=魚雷2本が命中して瞬時に沈没。
十二番艦モンセン=大口径砲3発を含む37発の命中弾をうけて廃艦となったが、翌朝大爆発を起こして沈没。
十三番艦フレッチャー=損害をうけなかった唯一の艦。

これに対して日本軍側の損害は、比叡が自沈、暁が沈没、夕立は僚艦五月雨の雷撃によって処分され、
計3隻を失ったほか、駆逐艦2隻が小破しただけである。

19 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:58:00
結果的にみると、夕立は吉川艦長の判断によって、その戦術は反教科書的、非理論的行動であったが大戦果をあげ、
一方春雨は逆に教科書的、理論的に行動したため何一つとして戦果をあげることができなかった、ということになる。

実戦というものは、決して予測されるものではないし、方程式のあるものではない。
似たような戦訓が過去にあっても、まったく同じものとして発生するものでもない。
あくまでその場に直面してどう戦うかを即座に判断しなければならないものである。

これについて第四水雷戦隊の戦闘詳報での戦訓・所見項に記された記述は、吉川艦長の決断を高く評価している。
「夕立は緒戦において大胆沈着、よく大敵の側背に肉薄強襲し、
夜戦部隊の真面目を発揮して大なる戦果を収むるとともに、
全軍の戦局に至大の影響を与えてまず敵を大混乱に陥れ、
かつ爾後もっとも勇敢に戦機を看破して混乱に陥れる敵中を縦横無尽に奮戦せるは、
当夜の大勝の端緒を作為せるものというべく、
駆逐艦長以下乗員が数次の戦闘に錬磨せる精神力、術力を遺憾なく発揮せり。
その功績は抜群なるものと認む」

20 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 00:26:19
「我々は駐蒙軍(蒙古駐屯軍)の後衛である。昔から殿軍(後衛)は武人最高の名誉とされてきた。
前衛は本隊の支援があるが、後衛にはそれがない。戦国の昔、元亀元年の織田信長越前撤退にあたり、
諸将逡巡の中を木下藤吉郎は進んで殿軍を引き受け、見事にその任を全うした。
世にこれを「金ヶ崎の殿軍」と称揚した。今、我々もその殿軍を見事に勤め上げ、
音に響いた響兵団(独立混成第二旅団の秘匿名)の名を辱めないようにしようではないか…」
この人物は辻田新太郎少佐で、事の次第はこうである。

大東亜戦争敗戦の際、支那派遣軍(中国で作戦していた軍)において、非常に困った問題が三つあり、
その最たるものがソ連軍の内蒙古侵入と、これに伴う内蒙古在留邦人四万の撤退であった。
日本国として全面降伏した後の事であるから、武器をもって戦うことは厳禁されているが、
武器をかざして侵入して来るソ連軍を拒止しなければ、在留邦人は略奪暴行を受けて、その生命をさえ保証できないし、
将兵はシベリアに拉致されることは、他の方面事実が示すとおりである。

当時、内蒙古は、徳王の統治下にあり、首都を張家口(北京西北約200キロ)におき、
日本軍は駐蒙古軍司令部と独立混成第二旅団(歩兵五大隊、野砲一大隊基幹)を配備していたが、
情勢緊迫にともない、第百十八師団を増加して国内警備にあて、
独立混成第二旅団を外蒙古(ソ連支配)との国境近く、
外長城線に推進して陣地につけ、ソ連軍の侵入に備えていた。

21 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:02:39
八月十九日午後、支那派遣軍総司令官は大本営命令にもとづき、次のごとく命令した。
「北支那方面軍司令官はソ連軍が蒙彊(内蒙古)方面に突進するに当たりては、
戦闘行動を停止し、適宜、停戦交渉および武器の引き渡し等を実施すべし」
八月二十日、支那派遣軍総司令官は北支那方面軍と駐蒙軍に対し、重ねて次のごとく命令した。
「十九日の命令のごとく、あらゆる手段を講じ、速やかに我より戦闘行動を停止し、
局地停戦および武器引き渡し等を実施すべきことを厳命す」

八月二十日夜半、駐蒙軍司令官根本博中将は
「本職は傳作義軍(国民政府軍)の申し入れに応じ、
八路軍(中共軍)および外蒙ソ連軍の侵入は敢然これを阻止する決心なるも、
もしこの決心が国家の大方針に反するならば、直ちに本職を免ぜられたし」
と進言したが拒否され、しかもすでに根本中将は北支那方面司令官に、
渡辺独立混成第二旅団長は北支那方面軍参謀副長にそれぞれ転補されていた。
下村北支那方面軍司令官が陸軍大臣に転出し、渡辺旅団長が支那通であったための、
己むをえない処置とはいえ、まずい人事である。
しかし根本博中将は駐蒙軍司令官兼務の形で、現地にとどまり、武力抗戦の決意を変えなかった。

22 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:35:12
独立混成第二旅団のただ一人の参謀辻田新太郎少佐は、
自ら歩兵五ヶ大隊、野砲兵一ヶ大隊を基幹とする部隊を指揮し、
国境陣地を固守する決意を持って構えていた。
久しく現役をはなれていた張家口在郷軍人連合分会長永松大佐が臨時に召集され、
旅団長代理に特命されて、事情に通じないための異例の行動である。

この時のことを辻田参謀は次のように述懐している。
「大本営(東京)ー総軍(南京)ー方面軍(北京)あたりまでは、
国家の大方針をそのまま受けて下に臨むことが当然で、それでよいのであるが、
眼前にひしめく幾万同胞の惨状に当面している駐蒙軍としては、そうはいかなかった。
抗命したわけではないが、現実に即した行動に出ることが、現場指揮官の責務だと信ずる。
もし駐蒙軍司令官が上司の命令どおり、部隊に投降を命じたとすれば、
蒙彊地方は満州と同じ運命に陥ったに違いない。…」

八月十四日に姿を現したソ連軍は機械化一ヶ師団で、
十九日、我が陣地に攻撃を加えるとともに、投降を迫ってきた。
敵将の言い分はこうである。
「日本はすでに無条件降伏したではないか。お前たちは天皇の命令に従わないのか。
いま時抵抗を続けているのはお前たちばかりだ。
十五分以内に武装を解除せよ。もし従わねば即時攻撃を再開する。
降伏すれば生命を保証し、いずれは本国へ帰してやる…」

23 :♪真鋭♪:2005/07/16(土) 09:18:58
闘戦経に
「漢文、詭譎あり、倭教、真鋭を説く」とあるやうに
孫子の兵法(合理的な戦略的思考法)を否定し,それにかへて真鋭(「兵の道は能く戦ふのみ」)を説くのが
日本における兵法思想の根本的な原理といってもよいでせう.
海軍兵学校には闘戦経それ自体を講読する教科があったのはよくしられてゐますが,
闘戦経の真鋭を根本原理とする思想は,兵法にとどまらず,明治以来の立身出世主義や
戦後の高度成長期の企業戦士に,また,田中角栄の「故郷を出て以来,ひた走りに走って
きたのであります」といふパフォーマンスなど,日本人の精神構造の基調の中に
形をかへて生き残ってゐるといへませう.

「闘戦経」
http://maneuver.s16.xrea.com/jp/tosenkyo2.html


24 ::2005/07/17(日) 06:08:08
>>1
有名人といへるかどうかわかりませんが,
「闘戦経」の作者に擬せられてゐたのは,大江匡房です.ま,かなりあやしげですけれどね.



25 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 11:39:44
情況の不明・不確実ハ指揮官ヲシテ遅疑セシメ
情況ヲ一層確メタル後処置セントスル心情ヲ起シ易シ
又本戦闘ノ特色トシテ幾多ノ過失・弱点ヲ暴露シアルハ既ニ述ヘタルガ如シ

是ニ於テカ果敢ニシテ且積極的ニ行動スルモノ
克ク一歩一歩敵ヲ制シ遂ニハ敵ヲシテ全ク受動ノ態勢ニ陥ラシムルヲ得ヘシ
是レ即チ遭遇戦ニ於テ先制ノ利カ高唱セラルル所以ナリ

然レトモ先制ノ利益ハ我展開状態並ニ火力組織ノ有利優越ナルコトト
相待ツテ爾後ノ戦勢ヲ支配スルモノニシテ然ラサレハ
其ノ後ノ経過ニ於テ決勝ヲ?シ得サルカ
或ハ折角獲得セル主動ノ地位ヲ敵ニ譲ルニ至ルコトアリ

遭遇戦ニ於テ各級指揮官ノ独断ヲ大ニ称揚スヘキコト周知ノコトナリ
唯?ニ再三述ヘタル如ク各級指揮官カ独断ヲ為スト共ニ
機ヲ失セス上級指揮官ノ統制下ニ入リ掌握セラレントスル
観念ニ関シテハ深ク銘肝セラレンコトヲ望ム

本件カ充分ニ行ハレサル軍隊ハ遺憾ナカラ
偉大ナル戦捷ヲ博シ得サルモノト知ルヘシ

26 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 12:28:46
兵本杜禍

27 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 13:58:31
大東亜戦争時の日本兵は知恵より精神で戦っていた。

28 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 14:29:39
大東亜戦争中盤以降の日本軍は、
野戦と奇襲しかできず、あるいみ山賊みたいな連中だった。

29 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:22:59
>>4
ガダルカナルの敗北の原因を辻に求める考えなんて、浅薄だよ。
中間基地設けず、ガ島に食いついたのと、その後の制空、制海権保持できなかった
連中の責任。輸送船が無事に到着し、予定道りの戦力が上陸してたなら、展開は違った
、という奥宮海軍中佐の見解もある。陸軍はツケを払わされた。
島礁攻略の戦訓は周辺の制海権、制空権の確保だ。

30 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 10:19:25
荒木貞夫とバーナード・ショーの竹槍対談

31 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:39:34
>>27バターン半島の米軍体格は良いのに精神が無くて、散歩で死んだ。


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