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鳥羽・伏見戦争で幕府軍が勝っていたら

1 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:11:59
徳川慶喜の敵前逃亡で、幕を閉じたが、もし幕府側が勝っていたら、どういう情勢になっていたのか。
大阪湾には幕府がアジア最大の海軍を所持していたし、幕府側にも立見、佐川、新撰組といった歴戦の勇者がいたのに。
勝が幕府の海軍を指揮していたら海軍で劣る西軍を苦しめたはず。


2 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:20:02
大鳥と大村の一騎打ちみたいわ

3 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:43:48
立見は桑名藩の一部隊指揮官に過ぎず、
幕府体制下では桑名の小部隊しか指揮できないだろう。
佐川も会津藩士の身分で幕府軍全体の軍略(譜代大名にようる老中会議)に
参加できない。新撰組など身分で考えればたんなる浮浪浪士で論外。
大鳥は幕府歩兵頭だが、その上に上級指揮官として旗本がいるので、
大鳥もまた一部隊指揮官で終わり、世に出る機械がない。
門閥身分が破壊された戊辰だからこそ能力が求められ、彼らは世に出たのだと思うがなぁ。

4 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:33:41
陸軍の幕府軍の司令官はいないのか。

5 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 00:41:57
>>4
鳥羽伏見で行軍隊形のまま銃に弾丸も装填せず開戦した大目付滝川具知。
鳥羽街道部隊司令官なのに、なぜか伏見にいた陸軍奉行竹中重固。
だから鳥羽伏見の戦い開戦時、鳥羽方面に幕府軍の司令官はいない。

6 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 00:49:10
慶喜の敵前逃亡が悪いという前に、
慶喜に必ず勝てるからと言って出撃し、
負けた幕府軍の司令官の方がかなり悪い。


7 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 02:14:53
慶喜が大坂城に籠城すれば、時間はかせげるし、海軍の援護で東海道も遮断できるはず。

8 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 08:31:40
敵に倍する兵力を持っていながら籠城してどーするよ。
またそんな弱気な策を会津や幕府内の主戦派が承知するとは思えない。
会津戦争白河の戦いで、会津藩はこの理屈で白河城籠城策を蹴って敗北している。
将軍様が大坂にいるのに海軍が東海道遮断してもいみねー。
本気で勝ちに行くなら、京都を押さえて官軍にならないといかん。
小栗の策は鳥羽伏見で負け、江戸で迎え撃つ為の策だよ。
それに、戦いが長期化すれば諸外国が放っておかない。
諸外国軍が介入すれば中国の二の舞だぞ。

9 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 15:28:54
もし鳥羽伏見で幕府軍が勝ったとしても、慶喜にそのあとの事態を収拾できたとは
思えないのだ。明治の元勲は柄が悪く、目的の為には手段を選ばない連中だが、
逆に言えばそれくらいでないと、明治維新の諸改革などできなかった思うのだ。
明治維新の始めの10年で、徳川300年と同じ位の百姓一揆、その他士族の反乱
それらを抑えながら、改革を進めることが、慶喜にできたとは思えないのだ

10 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 18:10:28
>>1>鳥羽・伏見戦争で幕府軍が勝っていたら


1868 薩長軍壊滅し、徳川軍が京都を制圧。
     王政復古が否定され幕府復活、西南諸藩が完全服属する。
     裏切り者の井伊家などが改易され、井伊直弼は歴史から抹殺される。
1869 大坂遷都。江戸は廃都に。
     欧化政策への反発が強まり、大鳥圭介、榎本武揚らが襲撃され死亡。
1870 新撰組ら諸隊が反乱。幕府軍に瞬殺され近藤勇、土方歳三斬首。 
1873 徴兵制が施行され旗本が大量失業。    
1874 小栗忠順、幕府を大統領制へ移行させようとして一蹴され下野。
     帰郷して不平士族に担がれ上州の乱を起こして敗走、捕縛され斬首。
1875 讒謗律 新聞紙条例制定。
1876 旧佐幕派系諸藩の士族反乱相次ぐ。
1877 会津地方が不平士族の巣窟となり、東北戦争が勃発する。
     警視庁の薩摩士族が大活躍、松平容保ら飯盛山で自刃。
1878 徳川慶喜、不平士族(旧旗本)により斬殺。






うまくいってこんな感じだと思う。


11 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 18:49:59
>>10違うだろ 幕府軍が勝ってたらまずフランスの政治を好きだった慶喜は自ら民主政治にするだろう。で最初の首相は自分がなり次からは選挙。そして政治に関わる役割を新選組に与える。これも次からは選挙。そして日本は日仏同盟を結んでいたと思う

12 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 18:58:20
財源確保の為の旗本リストラとそれによる不平旗本の反乱は不可避。



13 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 19:04:19
だから、なんでそう簡単に民主政治に切り替えられるんだよw。
薩長は、徳川幕府を潰す事で誰も明治政府に逆らえない事を示し、
廃藩置県を断行した。徳川幕府が生き残ったら、譜代大名による
老中幕政運営体勢が変わらない。彼ら譜代大名達が、自ら進んで
徳川家に領地を返上すると思うか?。自ら進んで自分の藩を潰し、
家臣を路頭に迷わせると思うか?。
大名や藩が存続すれば、それを支える身分制度も存続するはず。
まず民主化や選挙など絶対無理。

14 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 19:25:35
ちなみに、幕府は将軍の独裁ではなく、譜代大名の合議制だよ。
将軍が何をほざいても、江戸の老中達が首を縦に振らなければ何もできない。

15 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 20:02:18 ?
河井の扱いはどうなるのだろうか?

16 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 20:42:44
鳥羽伏見でもし幕府が勝っていたら、小栗が交渉を進めていた、莫大な借款が成立し、
国は破産だな。北海道あたりはとられていたかもしれん。
借款をしない場合は、第三次長州征伐をする余裕などないから、
そのまま内戦が継続する。

17 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:16:31
>>15


1874 小栗忠順、幕府を大統領制へ移行させようとして一蹴され下野。
     帰郷して不平士族に担がれ上州の乱を起こして敗走、捕縛され斬首。
1875 讒謗律 新聞紙条例制定。
1876 旧佐幕派系諸藩の士族反乱相次ぐ。
1877 会津地方が不平士族の巣窟となり、東北戦争が勃発する。
河井継之助陸軍大将が幕府軍を指揮。会津市民が巻き添えで大量虐殺。  ←
     警視庁の薩摩士族が大活躍、松平容保ら飯盛山で自刃。
1878 徳川慶喜、不平士族(旧旗本)により斬殺。



18 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:22:53
まてーい!
大名家の解体がないなら不平士族はおかしい。
不平諸藩の反乱だべw。
んで、諸外国もいる。
凍らない港が欲しいロシアの南下侵略(カラフト、対馬、日露戦争の原因となった朝鮮)を忘れるなよ。

19 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:30:04
単に第二第三の薩長が出てくるだけの様な気がするw。
土佐と熊本あたりが明治維新起こすんじゃね?。

20 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:41:39
慶喜が陣頭に指揮して、徳川の意地を見せてほしかったな。
幕府軍の主力を鳥羽方面に慶喜陣頭で猛進。佐川の別選隊と立見の精鋭が奇襲部隊として使う。西軍最強の薩摩の抜刀隊には新撰組の沖田、永倉の精鋭、佐々木の京都見廻組で対抗させる。

21 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:53:14
>>20
軍最強の薩摩の抜刀隊には新撰組の沖田、永倉の精鋭、佐々木の京都見廻組で対抗させる

それじゃあまた鳥羽伏見の繰り返しだよ。結局新撰組も官軍の鉄砲隊の前にはなにもできなかった
んだから。長岡と庄内の精強部隊で戦うのが正しい。


22 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:59:54
>>21
長岡藩の機関砲(ガトリング砲)の威力が発揮するだろうな。
さすがの薩摩藩も逃げるかも。

23 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:02:32 ?
榎本艦隊を関門海峡に派遣させて下関を武力占領させるべきだった

24 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:06:46
四ヶ国艦隊でも占領が無理で、砲台を破壊だけして、占領はあきらめたのに、
幕府ごときにできるわけないでしょ。
下関にはアームストロング砲を含む100門近い砲台があるんだよ。

25 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:08:55
>>23
榎本では駄目。勝海舟に指揮させる。勝を本気で怒らせると怖いでしょう。

26 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:24:23
木村は、初めての航海のため、アメリカの測量船フェニモア・クーパー号の船長ジョン・
ブルック大尉を乗船させようとしましたが、勝海舟は、「あの程度のことなら自分でもできる!」
といい、最後まで日本人だけの航行を主張しました。しかし、木村はブルック大尉らに協力を
要請しました。
 結果としてこれが成功し、38日間の航海の内、34日間は荒天で、艦長の勝は船酔いで
私室にこもったままで、艦長らしき仕事は何一つやらなかったそうです。
 航海中気に入らないことがあると、太平洋の真ん中でも、「俺はこれから日本に帰るから
ボートを降ろせ!」と乗組員を困らせていたそうです。
 サンフランシスコに着くと、急に元気になったのか、あらかじめ用意しておいた勝の家紋を
あしらった軍旗を取り出し、これを咸臨丸の艦旗として上げようとしたそうです。この様子を
見たアメリカ兵がブルック大尉に告げ、さらに木村に告げやめさせることにしました。これを
聞いた日本の乗組員たちは、大喜びで勝の持参した旗を焼いてしまったそうです。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/6663/m_rkouza/html/c_kanrinkobore.html

見てくれだけの勝。敵としては大歓迎だろうな。

27 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 00:56:28
>>22
得意げなところ失礼だが、長岡のガトリング砲はまがい物で使い物にならなかったと
いう・・・。

28 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 01:11:41
>>27
え?じゃあグラバー商会はまがい物のガトリング銃を売りつけたのか?
河井継之助は家屋敷売り払って買ったんだぞ。

29 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 01:49:07
グラバー商会って長州と懇意なとこじゃん。
武器買いに来た高杉と伊藤に、100万両(ポンドかも?)程度なら無担保で貸してやるとか言っていた人。

そういや東北の諸藩は大金払って、旧式の紛い物ばかり購入していたらしいが、
河井もその口かい。負けるわけだ。

30 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 02:08:05
>>29
すいません。私の勘違いでした。グラバー商会ではなくて、武器商人スネルでした。
謹んでお詫びいたします。何とでも言え。

31 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 03:59:31
いや、むしろ、函館戦争五稜郭の戦いで、榎本武揚・土方歳三率いる函館政府軍が勝っていたら
その後どうなっていたかを考えるべきだろう。

32 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 07:53:41
軍艦「甲鉄」奪還作戦が成功していたら、函館戦争も違った展開になっただろう。

33 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 20:23:00
>ガトリング砲
 衝鋒隊の今井信郎が残した記録によれば、長岡城下の戦いで河井が操作するガトリング砲に
向かって薩摩兵が突撃、力押しで潰してしまった。
 鳥羽伏見で長岡藩が参加し、ガトリング砲が幕軍にあっても結果は同じだと思われる。

34 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:03:25
>>1
幕府はフランスに大量の借款と援助があり、日本はフランスの植民地になりました。

まあフランスだけじゃないでしょ。
北海道にはロシアが南下、薩摩を起点に九州と長州はイギリスが抑え。
アメリカ、オランダもこういう事態を黙って見ているわけがなく、
結局は日本は欧米列強に分割され植民地になりました。というオチだろ。
特に北海道は未来永劫、ロシア領になると思われ。

35 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:11:49
>>33
NHKの歴史番組で解説してたが、
長岡藩に用いられたガトリング砲は銃手が馬乗りになって座り射撃するもので、
銃手が目立ちまくりなうえ、しかも銃手を守る防壁が全くない構造欠陥品。
わかりやすく例えて言うと高い椅子に腰掛けながら機関銃を打ちまくるような代物だった。
いくらガトリング砲自体が協力でも銃手が簡単に狙い打ちにされて戦闘力を失ってしまう構造だった。活躍は無理。

36 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:17:37
河井自身がガトリング砲を操作したが、
撃たれて転げ落とされてたしね。

37 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:22:19
なら自作の防壁を付けるとか
ちょっとした工夫でなんとかならないかな。

38 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:30:44
やはり、アームストログ砲だな。薩摩軍を一蹴。

39 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:33:36
>33
そりゃ、チミィ〜。
要塞用の防御兵器を野戦で使うごたるがが間違うとるんよ。

40 :名無し三等兵:2005/05/30(月) 23:38:48
じっくりROMらせて貰った。
日本史住人は程度が低すぎる事が分かったよ。

41 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 00:00:57
>>40
いや、いいんだよ。ここ2ちゃんだし。みんな暇つぶしでやってるようなモンだから。
スレタイ見てごらんよ。”たら””れば”の世界だよ(笑)
程度が低すぎるなんてレスするだけの、君の人としての有り様のほうがよほど気の毒だよ。

42 :名無し三等兵:2005/05/31(火) 00:29:39
両方2ch内にあっても板のレベルの違いというものが存在する
同じシュミレートでもウチとレベルが違うなと率直に思っただけさ

43 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 00:57:57
軍イタか、そこは駄目だな。
カタログスペックしかみない、「シュミレート」
歴史において、それで決着が決まるなら、日本軍は満州事変で終わっているし、
イタリア軍が負ける説明がつかない。
長州征伐で長州が圧勝する予測が君等に立てられるかね?

44 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 05:34:06
鳥羽伏見の戦いは、幕府軍は確かに装備で劣っていたが、名司令官がいたら充分、勝てていたのでは。京都に行くのに、どうして軍を二手に分けたのか不明。

45 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 12:15:20
河井に指揮させればよかったじゃないのか?鳥羽伏見の時、大阪にいたし建白書を出したこともあるし、でも小藩の藩士(まだ家老になっていない)だから無理か・・・


46 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 18:56:19
薩摩軍のみを壊滅させたら、勝てたのでは?

47 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 20:07:56
幕府の戦法は、馬鹿のひとつ覚えみたいな真正面から闇雲に突撃をくりかえす
無謀な白兵戦だった。やはり司令官が問題だったのだ。

48 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:24:11
薩摩藩は日本最強と司馬先生がよく言ってますが、そんなに強かったのですか?会津藩のほうが根性があった思われますけど。

49 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:27:53
薩摩藩が連戦連敗した藩がある。庄内藩がそれだ。

50 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:34:36
正確にいえば”官軍”がだけどな。

51 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:36:36
>>49
会津戦争に庄内藩が応援にすぐに来なかったの?

52 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:36:57 ?
会津藩や新撰組を老ノ坂峠に潜ませて
夜になったら一気に御所方面に攻めさせたら
間違いなく幕府軍は勝っていた。
薩長はそこまで戦力を分散できるほど余裕はなかったはずだし

53 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 01:23:53
>>51
庄内藩は官軍相手に、秋田、新庄方面に出張して戦っていたので
会津に援軍送るほどの余裕はなかったのだろう。(つまり手一杯だった)
ちなみに東北の戊辰戦争は庄内藩攻撃に始まり、庄内藩の降伏によって終わっている。

54 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 01:53:05 ?
南部藩の降伏が後だったのでは?

55 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 12:33:53
奥羽列藩同盟の盟主の仙台藩は何をしていたのか。

56 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 13:43:37
額兵隊、使えねぇ
ドン五里、仙台最悪
唯一の功績が世羅暗殺と烏組だもんな。
玉虫をもう少しうまく使えたらよかったのだが

57 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:01:19
会津若松に旅行に行ったとき、会津の人は薩長のことを絶対に官軍と言わない。西軍と呼ぶ。
それと、薩摩に対する憎悪はそれほでなく、長州には憎悪の念が強い。白虎隊の悲劇も忘れがたいが、二本松藩の少年隊の悲劇も心が痛む。


58 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 23:24:43
大村と大鳥の対決を見たかったぜ。

59 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 00:04:43 ?
俺は大村と河井や小栗とのガチの対決が見たかった。

60 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 02:09:44
慶喜が陣頭指揮なら、味方の士気が上がっていたのにね。
慶喜自慢の幕府歩兵。

61 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 04:30:14
>>57
そうかー。恨みは続いているんだね。
でも、薩摩をあまり恨んでいないとは意外。俺だったら薩摩を憎むのに。

62 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 13:43:14
薩摩に対しては西南戦争である程度、雪辱を果たしたからだろ。

63 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:07:04
>>62
旧会津藩の佐川の抜刀隊が「戊辰の復讐!戊辰の復讐!」と西南戦争でよく奮戦したね。

64 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:40:42
>>63
佐川は抜刀隊には参加していないぞ。

65 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 19:17:10
鳥羽伏見の戦い。幕府軍が勝って、その勢いで長州征伐!

66 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 22:06:15
いや、そんときゃ天皇人質だろ。どーするよw

67 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 22:16:54
長州征伐の際は 大村が彦島に要塞的籠城。あそこなら一年は持つ(周囲約八キロ)

68 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 22:19:51
長州全土要塞的籠城。小倉藩・佐賀藩・九州各藩倒幕派の日和見的裏切りを待つ!

69 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 01:08:11
慶喜率いる幕府歩兵と庄内藩主力が長州を制圧。大村退治には立見に任せる。
榎本率いるアジア最大の艦隊が薩摩の錦江湾に入り艦砲射撃。

70 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 02:14:10
>66
足利尊氏や後白河法皇の先例に倣えば良いだけ。

71 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 05:10:54
>>70
南北朝の再来かよ!
後白河法皇の先例いうても、孝明天皇死んじゃってるんだけど?

72 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 05:18:35
>>71
北部皇帝がいるじゃないか!

73 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 15:27:58
幕軍にアームストロング砲が100門あれば勝てたのでは?

74 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 16:14:51
>>73 幕府は軍事力で敗けた訳ではないから。
大将に戦意が無かったから敗けたんだよ

75 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 18:34:53
>>71
他にも承久の乱の北条義時の例がある。

76 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:30:18
「幕府歩兵」って天狗党に夜討ち食らって大量の死傷者出して逃げ捲くってたあの?


77 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 23:28:17
>>76
ん、そのこと自体はたいして問題にはならない。あっけなく鎮圧されたのだから。
それに天狗党自体地味だし、実際何をやったのかもよく知られていない。
日本史的な天狗党の認識度は、その程度のものである。

78 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 23:59:15
>>74
・・・ボソ・・・長州征伐

79 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:11:23
>78
まあ、鳥羽伏見スレだからな。

80 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:03:36
薩摩・長州はバカじゃないから、負けても勝海舟(立場は幕府だが、長州に心情的)岩倉を使ってなんらかの手を打つ。戦争より政治的かけひきで薩長は生き延びる

81 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:17:06
敗色濃厚になれば なったで薩・長は錦の御旗を持ち出しそう。 水戸出身の慶喜はびびって脱走する。岩倉・大久保がいるから、負けたとしてもなんらかの策を持ち出す

82 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:21:52
>>80
この板では薩長=大馬鹿ということになっているのだが・・・

そうか、初心者さんだね。じゃあ、許してやろう。w

83 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:46:44
大馬鹿に負けた幕府、つまり大大馬鹿ですね。

84 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 12:05:02
>>83
♪あーたーらしーいー馬ー鹿が来た 希ー望ーのー馬ー鹿ーだ♪
君みたいにすぐ釣れる奴は久しぶりだよw

85 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 16:03:43
幕府の戦力は海軍等もあるのに鳥羽・伏見を仕掛けたこと自体バカ薩長はバカだった事実を忘れてた 初心者というより薩長贔屓だったから、俺のバカさ加減を曝け出してしまった・・・。

86 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 16:18:05
>>85
なんだか知らんが、きみも晴れてこの板の仲間入りだ。
ひとつひとつ試練を乗り越え、逞しくなっていくことであろう。
吊るし、晒し挙げ、煽り等にもめげず、これからも頑張ってくれ。

87 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 18:21:32
まあ、あの時点で旧幕府軍が鳥羽伏見に攻め寄せた、というのがそもそも無能。

それ以前に薩摩を排除していれば、なんてことはなかったし、
最後まで交渉で圧力をかけていれば、先に屈するのは薩長の側だった。

幕府としての地位を失い、尾張や越前を向こうに追いやったまま戦端を開き、
その上敗北を喫し、完全にかませ犬役を引き受けてしまった。
思えば、会津・桑名は己が行いで徳川家の時代を終わらせてしまったのだなあ。

88 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 16:19:01
そもそも薩摩と組んで長州を排除したこと自体幕府の実力の無さを物語っている。
幕府に十分な力があれば禁門の変は幕府単独で成し遂げられただろうし、
したがって薩摩が中央政界で勢力を拡大する事は無かっただろう。


89 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:33:26
幕軍にアームストロング砲が100門あれば勝てたのでは?


90 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 19:22:27
結論は幕府が勝ったとしても慶喜も所詮は徳川の子。幕府を続けるに決まってる。多少は制度を変えるぐらい。だからこのスレは終了

91 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 20:12:28
大政奉還して幕府はなくなっていたような気がするが。

92 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 21:04:26
慶喜は王政復古を承認しているから
鳥羽伏見で勝っても幕府の復活などないわな。

93 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 21:55:50
結論は旧幕府が勝ったとしても慶喜も所詮は水戸の子。朝廷に御返上に決まってる。
多少は制度を変えるぐらい。だからこのスレは終了


94 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:26:30
いっそのこと天皇制を排除してみたらよかったのでは?
もちろん幕府が勝ったという前提で。

95 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:35:34
薩長にイギリスが、幕府にアメリカがついて代理戦争。
日本は列強により植民地化され、北海道をロシア、九州をイギリス、
東日本をアメリカ、四国はフランスに割譲される。
当然、京都のある西日本は共同委任統治領。天皇は傀儡政権となる。

96 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:53:56
日本の狭い土地に興味はあるまいよ。
土地が欲しければ中国を奪い取ればいい。
諸外国が真に欲したものは、物を売りつける国。
きっと日本は、金という金を諸外国に流出させられ、
まるでペットの餌の如く外国の大量生産品を買わされ続け、
最後には国内産業も潰されて、金が尽きた所で放置される。
もしくは、まさに諸外国に飼われている国家になる。

97 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 00:18:37
>>96の言う通りだな

98 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:33:37
鳥羽伏見戦争=徳川vs新政府、という構図自体が勝者側の捏造。
慶喜は王政復古大号令による新政府(明治政府)の成立を承認し
慶喜自身の新政府参加についても、ほとんど確定していた。

ただテロリストの犯罪行為について、新政府に訴えようとしただけなのに
罠にはめられて反乱軍にされてしまったに過ぎない。
慶喜が勝ったらテロリストは処罰されただろうが
新政府の廃止とか、まして天皇制廃絶の可能性など
勝者側の捏造を正当化するもので、全くありえない。

99 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 04:48:42
新撰組はどうなっていたか?

100 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 07:01:05
>>96
ロシアに関しては北海道取るだろうね。

101 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 08:05:16
>>98
慶喜の新政府入りには「武力を用いない」という条件が付いている。
ところが、主戦派の幕臣や会津・桑名は武力を用いて、強引に入京をしようとし、
入京を拒絶されて戦いが起こった。
禁門の変と状況は同じ。あの時、長州藩は冤罪であると嘆願書を
出そうとしただけだったが、幕府や会津に妨害されて戦いを起こしている。
結局、どっちもどっちって事だね。

>>100
そうだね。ロシアは凍らない港が欲しいんだろうから。

102 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 08:33:07
>>95
当時の蒸気船では、太平洋横断後の薪水や食料の補給中継地が是非
とも必要だったので、どの列強も日本には拠点が欲しかっただろう。

日本は香港のような大租界となっていたかもしれないね。

103 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:21:16
慶喜=自己中
大久保=卑怯
西郷=卑怯
木戸=切れ者
高杉=戦争愛好者
新選組=忠義心馬鹿
坂本=まとも

104 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:27:17
龍馬ヲタ乱入w

105 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 16:49:20
西郷が陣頭で指揮して西軍と勝負してほしかったな。

106 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:29:06
このスレは終わりかな?

107 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:24:14
96 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:19:55
徳川慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝」(エンペラー Emperor)として承認されていました。
その彼が、12月9日の「王政復古」の政変による幕府廃止に伴い、
将軍職を辞任(と言うよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、
慶喜は引き続き「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達もそれを支持していたと言う事実です。
更に重要な事は、「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=新政府(薩長主体の)には、発足当初、日本を統治する何らの実力も無かったと言う事です。
「大政奉還」を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理については「衆議を尽くす」事、
その他の案件については「召しの諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷から上京命令が発せられたのですが、
譜代大名(徳川家の直接の家臣)の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようとした事実です。
つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達の主権者であり、
外様(とざま)である薩長が主体の新政権=朝廷に指図を受ける筋合いは無い、と考えた訳です。だからこそ、
上京命令無視・官位返上と言う挙に出ようとした訳です。これが意味するものは、
例え将軍職(列強諸国が言う所の「エンペラー」)を辞したとしても、慶喜が「日本の主権者」である事に何ら変わりがなかったと言う事です。
そして、その慶喜が最終的に目指したもの、それは将軍に代わる新たな地位 ── すわなち「日本国大統領」の座だったのです。

「日本国大統領」。慶喜は、自らの政治顧問である西周(にし-あまね)に『議題腹稿』を起草させています。
これは言うなれば「憲法草案」と言えるものでした。(以下、概要)

108 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:24:32
97 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:20:39
この中に謳(うた)われている「大君」こそ、慶喜が将軍職に代わって新たに狙っていた地位なのです。
確かにその名称は「将軍」の対外的呼称であった「大君」(タイクーン:Tycoon)と同じです。
しかし、『議題腹稿』に定義されている新たな「大君」職は、行政府の長であり、立法府の長であり、尚かつ、軍最高司令官をも兼任する強大な権限を有しており、
それはさながら、古代ローマ皇帝(元首:Princeps プリンケプス)か、アメリカ合衆国大統領(President プレジデント)と言った所でしょうか。
そして、それを可能にする素地が実際にあったからこそ、慶喜は「大政奉還」の挙に打って出、将軍職を辞任しても何ら臆する事が無かったのではないでしょうか?

「列藩会議」。慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、
「前将軍」と言う知名度、そして、列強諸国から依然として「日本の主権者」として認知されている事実を最大の武器に、
朝廷が諸大名を招集して開催するであろうこの会議において政治の主導権を掌握し、
『議題腹稿』に則って「大君」 ── 事実上の「日本国大統領」に推戴される事を狙っていたのでしょう。
しかし、歴史の歯車が狂い、戊辰戦争において「朝敵」の汚名を受け、遂に日本国初代大統領の座を掌中にする夢は潰(つい)え去ったのです。
その後、日本は薩長土肥主体の明治新政府が成立、時をおいて内閣、そして議会が開設されていくのですが、
私は、慶喜の思惑通り事が進み、例え『議題腹稿』に沿った新国家が成立していたとしても、
我々の知る「歴史」とそれ程違った体制になったとは到底思えないのです。発足当初こそ大名主体だったとしても、
時が経てば当然の事ながら民主化されたでしょうし、天皇も現在の地位である「日本国民統合の象徴」として定着した事でしょう。
要は、「明治維新」と言うある種の「革命」があったかなかったか、改革が急進的だったか漸進的だったかの違いでしか無かったのでは無いでしょうか? 
もし、歴史に「if」が許されるのであるならば・・・そう考える時、
慶喜が目指した新国家の「その後」の歴史が、実際どの様に推移していっただろうか?と、知りたくもあります。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/keiki.html

109 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:28:00
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の近代日本史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜1868) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
     政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩置県が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の
     平和国家にして民主主義国家・経済大国に。

110 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 17:11:43
>>108
簡単に薩長に負けたので、
>「列藩会議」。慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、
と言われても、あまり説得力を感じない。四境戦争でもボロ負けだし。

111 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 17:52:06
>>108-109
黒船が来航した際に幕府に寄せられた
マヌケな意見書の数々を見ても分かるように、
当時の低い民度で民主制なんか敷いてもまるで意味がない。
むしろ政治が混乱して国家的意思決定が何もできなくなるだけ損。

それに、日本は外圧がなければ改革できない、自浄能力のない国だよ。
改革でモロにダメージを受ける層が圧倒的権力を誇っていた
徳川体制の下でならなおさらのこと。
各藩バラバラな幕府主導の下での脆弱な軍事力では、
欧米の植民地主義が一気に加速する19世紀後半、
その外圧は侵略という形でやって来ていたであろうけどね。

112 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 19:26:42
幕府厨房の妄想は所詮机上の空論。和田春樹の夢見る社会主義共和国のようなもの。

113 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:57:51
五稜郭にいた榎本軍が、奥州、宮古湾に集結していた新政府軍の艦隊に、回天艦一隻で奇襲攻撃をかけ、甲鉄艦を奪取しようとした明治2年3月25日払暁。
このガットリング砲の勢力により奇襲攻撃は失敗に終わる。
「甲鉄艦の新兵器・ガットリング砲は火を吹いた。一分間に150から200発と猛烈な勢いで回天艦を撃った。回天艦の艦長・甲賀源吾は、アット言う間にコメカミを撃ち抜けかれて即死し、新撰組や彰義隊の斬込隊も17名が即死し、負傷者20余名という。」
命中率は、88パーセントと恐るべき勢力の兵器であった。発明者リチャードが考えた「戦死者を少なくするため・・・」が、皮肉にも「大量殺傷兵器」となったのである。
 このガットリング砲が、いつ開陽丸に積み込まれたものか謎であった。
 日本ではオランダの商人スネルから、慶応3年にガトリング砲を薩摩藩が1艇、長岡藩の河井継之助が2艇、1艇5千両の大金で購入したと伝えられていた。
 もしかして、この長岡藩のガトリング砲が、そのころ仙台湾に停泊中の開陽丸に積み込まれたのではないかと思われていた。
 これについて、作家の早乙女貢先生は「当時の道路事情(峠越え)や、搬送期間などを判断すると、その可能性は薄いとおもわれる。」とのことであった。

114 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:59:16
後日、開陽丸乗組仕官で英語翻訳方の山内六三郎(のち堤雲)の自叙伝『山内堤雲翁自伝』を発見した。
その中に「・・・予が品海にありし時、しばしば横浜に来往し、暗夜、東艦(当時米国公使の預かり中にて米人のみ乗組めり・のち甲鉄艦)に乗り、
その積載の速射砲始め銃器弾丸等を荷船に移し、わが艦に運搬せしことあり・・・」との記述があった。
 山内六三郎は横浜に停泊して、日本に引き渡しを待っていた甲鉄艦から得意の英語を使ってガトリング砲1艇を持ち出し、
品川沖に停泊中の開陽丸に積み替えたものとはんだんされるのである?。
 開陽丸に積み込まれたといわれる最新式のガトリング砲は、一度も使用することなく、江差の海で深い眠りについてしまった。
 引き揚げられた20数発の弾丸の大きさは、径15ミリ、長さ5・3センチメ−トルである。

115 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 20:42:35
鳥羽伏見で幕府が勝ちでもしたら、それこそ泥沼の最悪パターン。

どうしても倒幕を避けたいなら、疫病神会津を切った上で
天保時代の改革あたりからやり直す必要がある。

116 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:37:25
幕軍にアームストロング砲が100門あれば勝てたのでは?

117 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:40:29
砲兵を養成しないと運用できないだろ

118 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:30:36
原爆の実用化に成功してれば完璧

119 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:28:35
>>115
切り離すと言うか、そもそも会津を引っ張り出してきたのは春嶽だからヤシの頭をどうにかする必要がある。

120 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:05:18
もし、たまた鳥羽伏見で勝ったとしても、
四境戦争を見ると長州5千、幕府軍10万でも長州に負けた程度の幕府の実力では
いずれは敗北するのは必至だ。
まあ、前レスでもあるように一旦は都落ちするかもしれないが、尊氏のように
東上して、最後は薩長が勝つのさ。

121 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:33:18
都落ちした時点で賊軍になるぞ。

122 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:55:16
いや、弱いほうが最終的に賊軍になる。

123 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:06:11
>>121
天皇には萩に、一時的に動座してもらうのさ。

124 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:11:34
徳川宗家の持つ強大な軍事力って現代でいう将軍様の率いる北朝鮮の強大な軍事力と同レベルだろ。
名目上の動員力や装備をみれば無敵なんだけど実際は指揮系統どころかまともな装備を持った部隊は極一部。
最新鋭装備を揃えた洋式部隊についても補給を含めた運用能力が皆無で近代戦においてほぼ無力だった。
伝習隊は弾の補給ができなくて最新式の装備を捨てて逃亡してるし
徳川海軍に至っては海戦をすることなく8割の艦艇を失い壊滅するというまさに張子の虎。
当時は敵味方含めてそこまで幕府軍が近代戦において無力とは分析できなかっただろうが
戦争継続能力も含めて考えればいずれは幕府軍は補給と財政の問題で自滅は確実だ。

125 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:51:25
つーか、四境戦争の時点で、金がなかったから幕府歩兵のごく一部しか出さなかったんだけどねw。

126 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:10:00
六角獄舎の惨殺の張本人の滝川播磨守が、先方の大将とはね。
もし、この戦にたまたま勝ったとしても、幕府の人材不足はひどいものだ。

127 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:17:25
それは違うぞ。
幕府に優秀な人材は多くいたのだ。
ただ優秀な人材を用いる優秀なリーダーがいなかっただけw。

128 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:32:54
つまり幕府は飼い殺し組織ってことだな。

129 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:43:45
下級クズ藩士、夜盗・盗賊の集まりの薩長よりはマシ

130 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:24:06
>下級クズ藩士、夜盗・盗賊の集まり
これは東北戦争における会津藩ですね。

131 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:24:42
下級クズでも日本の独立を守った。
経済的植民地状態を許した幕府よりマシ。

132 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:28:22
>129
そんな集団すら抑えきれずに淘汰された幕府ってどうなんですか?

133 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:28:23
>>129
薩長の藩士はしないぞ。
それをしたのは、金のない脱藩した藩士。

134 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:29:51
なお長州藩にいたっては、脱藩した藩士にも藩の手厚い援助があったので、
京都で豪遊していたほど。夜盗まがいのことをする必要はない。

135 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:38:04
庄内藩の江戸薩摩屋敷襲撃の原因は薩摩出身の火付盗賊ども
が原因〜幕末期のアルカイダでつね薩摩のイモはw

136 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:57:09
勘違いしている池沼が一匹いるようだが、
「芋」と幕末に呼ばれていたのは、日野・府中出身者の多かった新撰組隊士だった。
江戸の千葉道場などの出身者が、片田舎の百姓出身だった新撰組を、こう罵っていたのだ。

後になって、小説家が新撰組関連の文を書く時に、元来新撰組に与えられていた悪口を
意図的に取り違えて書いた。

だから、薩長と新撰組を並べてイモと罵ったら、怒り出すのは新撰組隊士なのだ。

137 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:58:27
明治期の日本に来たドイツの軍事顧問いわく、日本の地形はそれ自体が100個師団の守りに匹敵するそうです。
そんなところに、海越えて侵攻するのに十数万程度の軍勢で兵站線の確保用の船舶もなく、
現地調達前提では上陸に成功しても、日本本土の制圧は不可能。

138 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:59:31
明治期の日本に来たドイツの軍事顧問いわく、日本の地形はそれ自体が100個師団の守りに匹敵するそうです。
そんなところに、海越えて侵攻するのに兵站線の確保用の船舶もなく、
現地調達前提では上陸に成功しても、日本本土の制圧は不可能。

139 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:09:23
メッケルか?

140 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:40:29
調布・日野・府中が、片田舎なら、
薩摩は、超ド田舎だが。www

ADSL・光通信は、開通してますか?
調布・日野・府中は、両方とも開通してますよ。www


薩摩人は、サツマイモばっか作って、サツマイモばっか食ってる、下品な超ド田舎人だから、イモと呼ぶ奴がいるんだろ。

そんなにイモと呼ばれるのが嫌なら、サツマイモなんか、つくらなきゃいいじゃんか。

141 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:48:28
>>140
ポイントは、客観的に田舎なのはどちらかじゃなくて、
芋よばわりされてたのはどちらなのかということ。

突っ込み方がズレてるよ。
さすが武士道レベルで思考が停止してる知障会津人。

142 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:07:31
新撰組が、イモと呼ばれていて、
薩摩人が、全く、イモと呼ばれていなかったというソースは?

ソースがないと信用できないね。


幕末に、超ド田舎人の薩摩人が江戸に行っても、やっぱ、バカにされるでしょ。w

薩摩藩邸は犬肉くさいって、陰口をたたかれてたらしいし。ww

新撰組隊士は、にわとりの肉を食べてたんだよな。

143 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:21:26
>>142
>薩摩藩邸は犬肉くさいって、陰口をたたかれてたらしいし
おんしもそのソースを提示出来るかい?

その芋侍が白兵戦最強というのがまた凄い。やがては幕府をも淘汰する

144 :徳川幕府:2005/07/17(日) 00:37:53
孝明天皇を毒殺し幼い明治天皇を手中に収め徳川幕府を潰した薩長は賊軍!まさに陰謀の明治維新!

145 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:40:30
多摩人も薩摩人も江戸の旗本からは芋侍と呼ばれていたよ。
薩摩にかぎらず、地方から江戸詰めとなり吉原などで垢抜けない
遊びをするやつは、江戸在住の旗本から見れば芋侍さ。

>>136
>だから、薩長と新撰組を並べてイモと罵ったら、怒り出すのは新撰組隊士なのだ。
多摩出身の隊士なら怒るし、江戸詰でかつて馬鹿にされた経験のある薩長の藩士
なら怒るだろう。

薩摩(芋の産地)に関係なく、越後の芋侍とか、十津川の芋侍など
いなかっぺという意味で使用されている。

146 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:46:24
徳川幕府が勝っていたら今年慶応141年??

147 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:50:36
大河「獅子の時代」では大久保利通が平然と自嘲しながら
「薩摩の芋侍のおいが、今はこんげん殿様の如く威張りかえっちょる。滑稽なこっちゃ」
と、言っていたシーンがあったな。

148 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:52:05
明治維新の前は天皇の生死に関係なく、気が向いたら元号は変わっていた。
だから慶応という元号も長続きしなかっただろう。

149 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:38:36
白兵戦では、薩摩兵よりも新撰組や京都見廻り組のほうが勝っていたと聞いたが。


150 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 14:54:01
白兵戦で勝っていたのではなく、暗殺襲撃で新撰組や京都見廻り組のほうが勝っていた。
鳥羽伏見では、見回り組も新撰組もボロクソになってます。

151 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 14:59:11
29 :日本@名無史さん :2005/07/17(日) 10:29:30
日本を滅ぼしたのは東北人。

長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東条英樹。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。

WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。

戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。

東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。

東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。


152 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:03:44
>>149
それは何かの小説か漫画ですか?
鳥羽伏見では錦旗のあがる前日に早々に見廻組は壊滅していますよ。
新撰組に至っては手も足も出なかった様だし。

唯一薩摩兵と拮抗しえたのは上野の彰義隊だな。
最後は押し切られたけど、過程では迫り来る薩摩兵を何度か後退させるわ互角の戦いを展開している。

153 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:22:21
151の人…あちこち同じ投稿してるけど…苦しい弁解してるの?

154 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:29:00
>>136>>140-142>>145
「イモ」と言うのは、
粋を大事にする江戸の庶民が上京してきたダサい薩摩の連中に付けた蔑称ですよ。

155 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:38:28
「イモ」と言うのは、
粋を大事にする江戸の庶民が上京してきたダサい会津の連中に付けた蔑称ですよ。

156 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:42:29
>>155
薩摩の芋侍が吠えても無駄。
サツマイモに因んで、粋を解さない上京してきた薩摩のイモどもに江戸の庶民が名付けたと言う事実は消せない。

157 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:47:07
その田舎の芋侍が幕府を倒し、新政府の一役を担ったんじゃないか。たいしたもんさ

158 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:56:27
西南戦争。
又の名を「芋征伐」云ふ。

159 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:59:02
云ってるのお前だけだしw

160 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 16:02:32
いや、当時陸軍に在籍した人が書き残した記録の中にはっきりと「芋征伐」と言う言葉が出てるよ。

161 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 16:07:48
イモと言う言葉に敏感な薩摩の人。

162 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 16:55:47
つまり幕府方は芋の肥やしになったんだな

163 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:48:59
旧幕府勢力は腐ってたからしょうがないよ。

164 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 04:28:59
260年暇だった間に、やるべきコトをやらなかったから、
幕府は滅んだんだよな。

局地戦の勝敗以前の問題だ。情けない奴らだ。

165 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:15:12
>>163
だから腐葉土なんでしょ?

166 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 09:07:54
            _ ヽ r-_ <  ̄|
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      │| i  !  | !/_ V_ヽ  入 / ンへ/  l ヽ   l    lllll,.il ,,,,,,iillllll,,_    !
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      │iリ /!   | ヽl ` ヽノ      ヽ.ノ /レ// ノノ/   |       _,,,,,,        !
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     / /  ト/_ヽ ヽ  ヽ  ! lヽl /| li ! |           \          /
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167 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 10:03:33
鳥羽伏見の戦いの時は幕府は無かったんだよ。敗れたのは徳川宗家。
これを踏まえなければ戊辰戦争の意味はわからん。


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