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弥生人は水田稲作なんか持ってきていない

1 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:27:18

◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半
 
国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学
協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化
物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は
紀元前十世紀後半」と発表した。

 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め
のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。

今回の発表によると、佐賀県の菜畑遺跡から出土した「山の寺式」土器
(早期初め)の炭化物は、前930―前800年。福岡市の板付遺跡の「夜臼1式」
(早期前半)は前900―前790年だった。その結果、早期初めは前945―前915年
と推定されるという。

 また水田稲作が各地に広がった弥生前期の始まりは、北部九州が前九世紀末
だが、高知県の居徳遺跡や高松市の東中筋遺跡などの土器の測定から、四国や
近畿は前8―7世紀ごろとみられるという。〔共同〕 (07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040524AT3K2302C23052004.html

2 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:29:49
2

3 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 00:28:17
3

4 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 01:02:20
おもしろいな。

5 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 01:05:20
教科書の最初の方に書いてあったのは、
あれは一体何だったんでしょうね??

6 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:32:44
弥生人がやって来たのは前3C。
水田稲作の開始が前10C。

時間差が700年間も発生してしまう。

100年200年渡来時間が早いのではないかという説は聞いた事があるが、
さすがに700年も渡来時間が早まるというのは無理がある。

7 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:14:28
渡来人は本当の意味では稲作など持ってきてはいない。
渡来人が来た時、既に日本は水田稲作をしていた。

稲作は6500年以上前に日本に入り、朝鮮半島には日本の縄文人から朝鮮の土着民
に約4000年前頃に伝わった。水田稲作も約3000年前頃に日本に入り、
同じ頃に朝鮮半島南部にも伝わっていたと考えられる。
渡来人が来る約6〜700年前には既に日本も朝鮮半島南部も水田稲作をしていた
のである。

既に水田稲作をしていた日本に、渡来人が持ち込んだという稲作文化は
朝鮮半島南部の稲作文化の中に中国の影響が見られるという。

渡来人は北方から朝鮮半島に侵入して朝鮮半島南部で初めて稲作と
出会い、それから日本に渡ったと考えられる。

8 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 02:19:10
わかった!南方の馬と稲作が前10C,
北方系の渡来人が
前3Cで、かなり整合性が保たれる!

9 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 11:43:18
そもそも弥生人など存在しない。

10 :ひひーん:2005/07/01(金) 14:53:16
>>8
馬は違うだろ、馬は・・・。
一緒にするのは不味いよ・・・。

11 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 20:59:00
>>9
縄文系(土着系)弥生人さえも居らんと言うんかwwww



12 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:35:15
渡来人がやって来るずっと前から水田稲作は日本にあった。
つまり水田稲作は渡来人から始まったものではない。

渡来人ははるか北方から移動を開始し、移動通過点の朝鮮南部で
朝鮮南部式の水田稲作をすでに水田稲作のあった九州北部に
ただ単に運んだだけ。

13 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:14:27

国立科学博物館ってハッキリ言ってあほですね


>http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-10.html
>やがて、6000年ほど前、このような北方アジア人が、シベリアから南下し、
>中国の大部分に広がっていきました。2300年前頃には、水田稲作の技術とともに、
>ついに日本列島にやってきました


14 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:01:27
で、水田稲作は誰が持ってきたのか?

15 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:03:29
安曇族(呉越系)だよ、ほほ確定だろ

16 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:03:50
朝鮮経由で入ってきたのが定説です

17 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:06:53
>>16具体的には?
安曇族は具体的に日本各地に伝説、地名、習俗を残しています。


18 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:08:03
>>16戦前戦後の色眼鏡をはずせ

19 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:11:37
稲の遺伝子は8っつあって、朝鮮には7つの遺伝子があり、日本には2つしかない。
中国南部には8っつともある。
日本の遺伝子の二つの内、一つは朝鮮半島には無いもので、中国には両方がある。
だから稲が朝鮮から来たとは考えられない。中国から直接来たと考えるべきだろう。

20 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:09:54
昔は華中から山東半島、山東半島から朝鮮、朝鮮から日本という説の方が
有力だったんだよな。

21 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:10:57
精液を女の顔に塗りたくれ!

22 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:13:11
データからそういう説がでたなら仕方がない。
まず、希望ありきでそれ前提に説構築するの止めてほしい。

23 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:30:32
朝鮮半島の方が日本列島よりも文化的には優れていたと思い込みたがってる朝鮮人の歴史捏造だろ。
朝鮮半島に無いタイプの稲が日本列島にあるのであれば、朝鮮半島から伝わった筈が無い。


24 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:39:06
稲が華中から入ってきたからといって、
弥生人まで華中から来たというデムパはもう止めてもらいたいね。

25 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:47:34

違う、関東人のねつ造癖、黒潮文化とかも希望を前提に創作された。
>>24
デンパというならまず反論をして、華中から入っても
後に物部など出雲、モンゴルの勢力増殖してるのでDNAには顕れない。

26 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:50:47
弥生人はどこから来たのかね。
稲と同様に弥生人も現代朝鮮人とは遺伝的に無関係だという事実を無視して、
朝鮮半島から来たとでも言い張る気か?


27 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:55:00
基本的に朝鮮も日本も弥生時代は南洋系の呉越文化です。
その後、西朝鮮は漢、東朝鮮は北方騎馬民族の血が混じり
日本との差異が生じます。


28 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:59:33
呉越文化というより、呉越と同様にミクロネシア文化だったという方が妥当だろう。


29 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:01:28
元々稲って熱帯地方のものじゃなかったっけ?
だったらそっちから直接日本に来たとも考えられるな。

30 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:02:42
それはわかってる、ただ、それを直接いうとなんか希望交えてそうで
いやらしい。

31 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:03:30
弥生人はバイカル湖周辺にいた一種族が南下して朝鮮半島に定着せず、
日本まで渡ってきたに決まってるだろ。

日本人には南方系の遺伝子なりハプロタイプなりがほとんど
見られんのだよ。

おまけに華中人はほとんど二重まぶたの人種ときたもんだ。

32 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:06:53
>>31それは桓武、清和、物部等々モンゴル系の人種が増殖したからという
可能性は頭をよぎらないの?

33 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:13:19
全然よぎらないね。

日本人には華中や中国に多い遺伝子がほとんど見られないし、
逆に中国人にも日本人に多い遺伝子がほとんど見られない。

朝鮮人には中国に多い遺伝子がたっぷり見られるがなw



34 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:15:28
安曇系弥生人こそ呉越系だったと思う。
出雲系は新羅に近い人達だった。
残念だけど大量増殖したのは出雲系。
馬術に優れていたのが栄えた要因

35 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:17:10
日本人の遺伝子は土着のものか遥か北方に関係したものばかり。

中国や南方の遺伝子なんかほとんど出てきやしない。

YAP+の割合から日本人種の半分近くが弥生人に由来すると言うのに。

36 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:18:01
>>33
チャバネゴキブリを在来種だと主張するタイプだな

37 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:25:43
>>35
アナトリアトルコ人にモンゴロイドの痕跡がないのと同じ。

38 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:31:27
>>31
南洋系と言うと沖縄、九州南部だな。
縄文系の血が強く入っているのだろう。

弥生人は水田稲作を伝えた長江下流の呉越人。
呉越人は半島にも沢山行った。日本より沢山だったろう。
だから半島には稲の遺伝子が沢山ある。

39 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:36:02
半島の稲の遺伝子の多様さは大陸経由と考える方が自然だと思うが・・

>>35
ちょっとまて考えるから

40 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:37:08
日本人には華中や南方に多い遺伝子やハプロタイプが
ほとんど見られない。

北方の遺伝子やハプロタイプばかり。

41 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:38:37
●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

42 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:38:40
日本人の遺伝子の65%以上が弥生時代以降に伝わったもの。
初めは南方系の縄文人が列島の多数派だった。

おそらくは後の古墳時代にやってきた古墳人とか、騎馬民族が日本の多数派になった。



43 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:39:29
日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html

44 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:41:22
>>42
縄文人は北なんだよ

45 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:45:10
>>44
その説は典型的アホ学者の説。


46 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:47:12
×日本人の遺伝子の65%以上が弥生時代以降に伝わったもの。
◎日本人のYAP+遺伝子の所有率は45%。単純に弥生人は55%。

×初めは南方系の縄文人が列島の多数派だった。
◎縄文系が45%も居ると言うのに日本人からは南方系の遺伝子なり
ハプロタイプがほとんど見られない。

×おそらくは後の古墳時代にやってきた古墳人とか、騎馬民族が日本の多数派になった。
◎デムパすぎてお話にならない。

47 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:50:45
>>43
聞くけど、仮にそれが真実だとして
南方系の習俗持った弥生人はどこから来たと思うね?

48 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:54:59
>>46
入った当初の比率ではなく繁栄の程度が重要だぞ。
日本は天皇、祭祀系など出雲系が大繁栄してるのだから

49 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:58:19
>>47
縄文人自体が海洋民的特徴を持っていた事から考察して、
南方系の風俗と思っていたものの多くは実は縄文人自身の風俗で
縄文人の海洋活動を通してそれが南方に伝播した、或いは
南方の風俗が縄文人の海洋活動を通して日本に持ち込まれたかの
いずれか。

50 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:18:24
>>49
骨格の変貌、絹栽培、機織技術、高床式が説明できない。

51 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:26:46
骨格は北方モンゴロイド風に変貌しているよ。

文化の伝播なんて人の定着と全然関係ないからね。

それは毎日スーツを着てハンバーガーを食べているからと言って
我々が英国紳士やヤンキーでないのと同じ事。

52 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:32:41

弥生人は殆ど渡ってきておらず、縄文人自身の骨格の変貌が
起こったというわけか・・
ありえるな

53 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:38:34
はるか北の彼方からやって来とるやんけ・・・

◎本土日本

★B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  


54 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:47:11
>>53
古墳時代以降の影響はまた別じゃん

55 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:54:23
古墳時代に大きな渡来など無いよ。

それに4C初頭には日本人口はすでに280万人にも達していたんだよ。

56 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:59:46
確実に言えるのは、朝鮮人が妄想しているほどには朝鮮半島からの遺伝的な影響を受けてはいないということだ。


57 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:07:21
つーか >>1 は言ってることがおかしいんだよ。
水田稲作が始まったのが弥生時代の始まりなんて
勝手に言葉の定義を変えてんじゃねえよ。
そいつは縄文土器じゃねえか。
いわゆる縄文稲作だろ。
菜畑からはBC10世紀の稲のプラントオパールが出てたし
過分ならBC16世紀まで遡ったはずだ。

58 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:10:52
朝鮮人がまだ縄文人の亜種だった頃、はるか遠い北の彼方から
朝鮮半島を素通りして日本にやって来た朝鮮とも中国とも
全くさらさら関係ないオオキミを長とするエイリアン集団がやって来た。

これが弥生人。別名B52-DR15。

59 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:12:55
縄文稲作は6000年前からだろうがw

60 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:21:48
B52-DR15は日本列島、西日本で最大値、日本からモンゴルに渡ったという仮説

61 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:27:28
>>60
B52-DR15を超高頻度で持つ北方にいた狭い範囲の少数集団が
日本に渡って人口爆発したと見るのが普通。

62 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:30:46
どの氏族だろうか

63 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 06:47:37
B52-DR15
このソースが欲しいね、検索すると、2chの書き込みばかりで
例の始めに結論ありき論組み立て型で信憑性が低い

64 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 07:45:18
B52-DR15 などはHLAハプロタイプと呼ばれ、
http://www.marrow.or.jp/NWJ97/bank-hla.html
「HLAはウイルスなどの外敵とのたたかいで変化してきました。
ウイルスは宿主がないと生きていけない寄生体(パラサイト)です。
寄生するためにホストの免疫をかいくぐるために自分をどんどん変化させます。
新種のウイルスは次から次へと現れます。宿主たる人類もそれに対応してHLAを多様化させてきました。」

HLAタイプは過去に先祖がどのようなウィルスに遭遇したかを示すもので複雑で、人種推定の決定打にはなりにくい。

65 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 19:29:34


◎HLAで人類の移動を追跡

HLAハプロタイプは少なくとも数千年は維持されます。また他の多型性より
格段に種類が多いものです。そして、同じハプロタイプが別のところで別の
時期に発生することはまずありません。このことは「ハプロタイプの集積を
追うことはそのハプロタイプをもっている人の遠い祖先の移動を追うことに
等しい」ことを意味します。あなたのハプロタイプがわかれば、祖先が移動
してきた後をたどることができます。膨大な他地域のHLAデータが必要
ですがね。これもアジア骨髄バンクを設立すればデータは自然に得られる
でしょう。

http://www.marrow.or.jp/NWJ97/bank-hla.html

66 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 19:30:40

■民族の起源を探る

 日本人はどこからやって来たのか? あるいは、地球上に散らばって
いる多様な民族は、いったいどの地から発祥したのか? 自分自身の
アイデンティティに関わるこうした問題には多くの人が関心を持って
いるが、これに答えを与えることができるのもHLAの功績である。
 たとえばモンゴロイドがベーリング海峡を越えて北米に渡り、約1000年を
かけて南米大陸の南端にまで到達したという大移動説は、従来、さまざまな
傍証によって証明が試みられてきた。ところが、各地の原住民のHLA検査を
行うことによって、この移動の経路を直接的に証明することができたのである。
HLAによる人類学研究は、さらに興味深い事実を発見しており、今後の検証が
大いに期待されている。

http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_2/2_3.html

67 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 19:31:00




HLAのハプロタイプは、いったん形成されると何十万年かそれ以上も
維持されて、そう変化しない。地球上の別の場所で、同時多発的に
形成されることは考えられないから、ハプロタイプをたどっていくと、
人類の移動や拡散の道筋が分かるのである。

http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm




68 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 20:59:53
佐藤 そうなんですよ。確かに見掛けは水田ですが、やっていたことは
焼畑などの雑駁農耕だったんです。これは曲金北遺跡だけでなく、全国の
弥生遺跡に共通する特徴です。そうしたことから私は、ひょっとすると
縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで
目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。
縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、
朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの
曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性
があると思うわけです。

―― なるほど、縄文人も外国の流行を取り入れたというわけですね(笑)。
確かに、朝鮮半島から渡来した人達が水稲を伝えたのではなくて、縄文人が
朝鮮半島から持ち帰ったという推測もあり得ます。それにしてもDNA分析と
いうのは、本当にいろいろなことが分りますね。

http://www2.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html

69 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:28:55
朝鮮からというのが先入観。

70 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 14:08:01
日本人・中国人・モンゴル人・渡来系弥生人は、中頭で、
絶壁頭ではない。

関西朝鮮人・本家朝鮮人は、短頭で、
頭を横から見ると、
頭の前後の長さが上下で、ほぼ同じで、
頭の後ろが、上下で、ほぼ垂直に一直線になる絶壁頭。

頭を横・上から見れば、異人種である事が明白。


※短頭=頭が左右に長く、前後に短い
長頭=頭が左右に短く、前後に長い
中頭=短頭と長頭の中間

71 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:04:08
>日本人・中国人・モンゴル人・渡来系弥生人は、中頭で、絶壁頭ではない。


おまえっていつの時代の人?
大正時代の人か?w

東北地方以北以外、現代日本人種のほとんどが短頭だよ。
ただ100年前まではほとんどが中頭だったがな。

つまり、この100年間で日本人種自体の形質が進化したのだよ。

それと短頭は絶壁まで行かない。絶壁は超短頭以上。

日本人種で超短頭が多いのは意外だろうが沖縄や鹿児島。
朝鮮人もほとんどが短頭だが、超短頭の比率が日本人種より高い。
日本人は中頭に近い短頭で、朝鮮人は超短頭に近い短頭。

形質だけの人類学はもう前世紀で終わった。

これからは数々の遺伝学を総合的に見て人類を透視していく時代。

72 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 23:31:53
BC3〜5Cころ、弥生人がモンゴルあたりから移動して
最初に水田稲作に出会った場所、それは朝鮮南部。

その何百年も前に日本から朝鮮南部に水田稲作が伝わっている。

73 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 23:36:25
>>72
支離滅裂なこといってんじゃねーよw

74 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 18:57:44
>>72
どこが支離滅裂ですかね?

75 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:50:22
>>>>>74
ごめん。別に支離滅裂じゃなかった・
吊ってきます止めないで。。。

76 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 20:02:03
弥生人は朝鮮半島でやはり略奪しまくってたんだろうな。

それとも朝鮮の土着民たちは流民たちを快くもてなしてくれたのだろうか?

77 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:57:05
日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
水田稲作は漁労民などの縄文人自身の手によって日本に持ち込まれた。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html

78 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:15:26
少年時代、弥生人とは要は朝鮮人で、その弥生人が稲作を持ってきたと
言っていた先生方。

あの方々は一体何者だったんでしょうか?

79 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:18:20
韓神を祀る天皇陛下の工作員でしょう。

80 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:21:38
朝鮮の歴史家も半島南部と北部は全く違う文化圏といってるからな
今の半島人は北部の後裔だから朝鮮人が稲作持ってきたというのは
あまりに無茶な理屈。

81 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:27:26
欧米系の学者で半島から南九州とミョウチクリンな動きをした
学者がいたな。

82 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:06:30
あげませう

83 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:40:59
>>71
各時代の頭蓋骨を分析して得た頭長と頭幅の比である頭長幅示数をみると、
日本人の頭長は平均196〜182ミリ、頭幅は平均156〜147ミリで、頭長幅指数は77〜86である。
これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。


これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。

これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。

これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。

これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。

これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。


短頭=頭が左右に長く、前後に短い
長頭=頭が左右に短く、前後に長い
中頭=短頭と長頭の中間

84 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:41:20
20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の短頭化が著しいが、
これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、
朝鮮と同じで、短頭地域である関西地区の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。

形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、
人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。
中国人は古代から現代まで一貫して中頭。
朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。
日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、
アイヌ人は古代から 現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、
混血によって形質が変化したと見て良いだろう。

85 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:42:28
北九州地域の異なる2つのタイプの渡来系弥生人 / 中国東北部起源と長江流域起源
--------------------------------------------------------------------------------

最近では、北部九州の渡来系弥生人と、中国大陸の同時代人骨との比較研究も進んでいる。

ミトコンドリアのDNA分析などから、
山東半島や江南地域の出土人骨とは高い親縁性のある事が指摘されて始めている。

渡来系弥生人は同じ北部九州でも長身で顔が細く華奢な「北九州」タイプと、
やや横幅が張った彫りの深い「西北九州」タイプに分かれる。

前者は山東、朝鮮半島から中国東北部起源、
後者は山東、朝鮮半島から長江流域起源
の可能性か高いという。


和佐野喜久生氏(佐賀大学農学部)は、
日中韓の炭化米を調査した結果、同じ短粒米でも、
玄界灘沿岸地域のものが丸く小さいのに対して、
有明海沿岸地域のそれは、やや長めで大きい事を突き止めた。

前者は同時代の半島のモノに近く、
後者は中国の長江や淮河流域のモノに近いという。


この結果は期せずして、人骨の二つのタイプと一致している。

--------------------------------------------------------------------------------

日本の歴史02 王権の誕生 寺沢 薫著 講談社より

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/roots2.html

86 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:04:01
ルーツ捜査において極端に飛びぬけて秀でているのはHLAだけ。

ハプロタイプの数が実に1000万種類と圧倒的。

ハプロタイプの数がわずか数十種類しかないmtDNAや他の遺伝学の
実に数十万倍の精度と特定力。

しかもmtDNAの遺伝的系統の割合は、古い系統が新しい系統の割合を
剋する関係であるため、ウソ割合であって実際の割合ではない。

過去にこんな系統がいましたよ、残存している本当のところの割合は
分かりませんが、という程度にしか使えない。

分かる事と言えば過去にやって来た大雑把な系統だけ。
現在の実際の系統には全く使えないのだ。

87 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:28:12
日本に来た渡来系には、大きく2種類あったと思われる

縄文人が日本を占拠していた時期に、モンゴルから朝鮮半島を経て
渡来したもの。B52−DR2、弥生人である。
特徴として、頬骨が発達している

すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに
朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人
B44−DR13である。
顔の特徴は頬骨が前者の弥生人程発達してなく、蚕型の輪郭をしている
関西周辺から入り、秋田方面、東海方面へと広がっていった
やはり西日本は弥生人がすでに占拠していたため、
西日本にはあまり入りこめず西に行くほど頻度は低くなる


現代朝鮮人・関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイド系だが、
関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、
現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。

手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離
朝鮮 0
近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。
中部 0.012←関西のとなりの濃尾平野はここ。
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
東京 0.048←関東はここ。
東北 0.068←東北はここ。
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118
山口敏「日本人の顔と身体」より
ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。

88 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:42:31
>すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに
>朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、
>新しく関西周辺に入ってきた渡来人B44−DR13である。


B52-DR15が日本とモンゴルで高頻度の場所が二極化しているのに対し、
B44-DR13は高頻度の場所が日本と韓国しかなく、
一番頻度が高い地域が東海地方と来れば、東海地方から広がって
いったと見るのが正解。

89 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:21:00
亜種を含めたら数倍になる、韓国人最多ハプロタイプ・B44−DR13が、縄文人のハプロタイプの1つなわけねーだろ。

韓国人には、
琉球系縄文人の遺伝子が約17%しかなく、
アイヌ系縄文人の遺伝子が約1%しかない。


縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)にはアイヌのmtDNAが入ってくる。
アイヌは東日本までは確実に南下したようだ。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm


ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。

90 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:57:04
>>89
mtDNAの琉球に多い縄文人タイプは韓国人が17.4%、本土日本人が16.1%
と韓国人が僅かに多く、日韓ほぼ同じくらいなんですねえ。

アイヌのタイプは韓国人が1.6%、本土日本人が8.1%と大差が出る。

その中で韓国人最多HLAハプロタイプB44-DR13の頻度が
韓国人5.1%≒本土日本人4.8%、または韓国人4.5%≒本土日本人5.2%
と韓国人と本土日本人で割合がほぼ同じ。


ありゃま、どーしましょうwwww

韓国の琉球に多い縄文人タイプとB44-DR13はどこからやって来たんでしょうねwwww

91 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:02:51
全部スレしんどるやねーか!!

92 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:06:36
チョンの荒らしが出まくってるからな

93 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:19:38
荒らしたら逆に切り返されて余計な墓穴を掘る馬鹿チョン。

94 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:35:19
少年時代、弥生人とは要は朝鮮人で、その弥生人が稲作を持ってきたと
言っていた先生方。

あの方々は一体何者だったんでしょうか?

95 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:42:45
>>94
ある意味、その説は最近再評価されてる
半島からだけではないがな

96 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:48:22
>>95
おまえの中だけで最近再評価されてるんだろ(プ

97 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:45:01
佐藤 そうなんですよ。確かに見掛けは水田ですが、やっていたことは
焼畑などの雑駁農耕だったんです。これは曲金北遺跡だけでなく、全国の
弥生遺跡に共通する特徴です。そうしたことから私は、ひょっとすると
縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで
目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。
縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、
朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの
曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性
があると思うわけです。

―― なるほど、縄文人も外国の流行を取り入れたというわけですね(笑)。
確かに、朝鮮半島から渡来した人達が水稲を伝えたのではなくて、縄文人が
朝鮮半島から持ち帰ったという推測もあり得ます。それにしてもDNA分析と
いうのは、本当にいろいろなことが分りますね。

http://www2.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html

98 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:45:06
ますます遠くなる弥生人中国説w

99 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 09:29:43
弥生人は中国でいいと思う。
だだ少ししか来なかった。
縄文人が少数の弥生人から水田稲作を学んで弥生化した。


100 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:04:38
HLA遺伝子から日本人最大の血統は渡来種。

モンゴル方面にいた単一部族。

弥生人はモンゴル方面。

水田稲作は縄文漁民が持ち込んだ。

ただそれだけ。

101 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 20:10:28
ますます遠くなる弥生人中国説ww

102 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:05:42
>弥生人はモンゴル方面

じゃない。
モンゴル方面は5世紀に来た騎馬民族だ。

103 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:23:46
騎馬民族説ってかw

恥ずかしくて見てられん。
消防は消防の巣に帰った帰ったw



104 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 22:07:37
ドンドン遠くなる弥生人中国説www


105 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 05:58:23
亜種を含めたら数倍になる、朝鮮人の最多ハプロタイプ・B44−DR13は、縄文人のHLAの1つではなく、
渡来人のHLAの1つ。

もし、亜種を含めたら数倍になる、朝鮮人の最多ハプロタイプ・B44−DR13が、縄文人のHLAの1つなら、
朝鮮人は、沖縄人やアイヌ人と同じ縄文系という事になるが、
朝鮮人に縄文顔の人は、10人に、1人か2人しかいなく、非常にマイナーな存在。


朝鮮人が縄文系に見えるなら、あんた、精神病院に行ったほうがいいよ。


韓国人には、
琉球系縄文人=沖縄系縄文人の遺伝子が約17%しかなく、
アイヌ系縄文人の遺伝子が約1%しかなく、
非常に、マイナーな遺伝子。


縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)にはアイヌのmtDNAが入ってくる。
アイヌは東日本までは確実に南下したようだ。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm

106 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:13:24
>>105
ビビンバよりめがはみ出してるぜwwww

107 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 12:24:45
>朝鮮人に縄文顔の人は、10人に、1人か2人しかいなく、非常にマイナーな存在。
>朝鮮人が縄文系に見えるなら、あんた、精神病院に行ったほうがいいよ。


もうちょっと多いな。朝鮮人10人に2〜3人くらいが縄文系が強い顔。
要はあまり朝鮮人らしくない顔。
こちらの方が本当の土着系の朝鮮人の顔なのに朝鮮人らしくない顔
と表現するのもおかしな話なんだが。
それともう一つ付け加えておくと、朝鮮人の顔を総じて観察すると
地域差もあるが北方新モンゴロイド感がまだまだ全然足りない。
日本人より多少北方新モンゴロイド感が強いといった具合で
北方新モンゴロイドの感じが全然もの足りない。
かといって、日本人のように古モンゴロイド感が強い訳でもないのは、
朝鮮人が華北人から中央モンゴロイドの遺伝形質を引いているからであろう。
この遺伝形質が日本人には無いから、顔の差異もより一層大きく感じる。

108 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 12:27:22
ああ^^^^^^^^^^^
ひまだからセンズリこくか

109 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:25:12
日本人の遺伝子の65%は弥生時代以降に渡来したと言うのは遺伝子学会の常識。
35%が縄文系の遺伝子を持っている事になるのかな。




110 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 22:06:40
何を持って遺伝学の常識と言っているのか知らんが、

日本人のYAP+遺伝子の平均所有率が45%と、日本人男性の45%までが縄文系
と単純に分かるが、渡来系が女性を男性と同じ比率で連れてきた場合と
全く連れてこなかった場合まで計算して、日本人の45〜72.5%までが
縄文系だと簡単に分かる。

111 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:47:01

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

112 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 12:18:24
弥生人は朝鮮人で、弥生時代に朝鮮半島から稲作は伝わりました。

113 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 17:44:12
弥生人は朝鮮人で、稲作は弥生時代に朝鮮人が持ってきました。

114 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 15:53:05


115 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:41:25
ドンドン遠くなる弥生人中国説wwww

116 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:23:57
中国人その者が大混血種。
そんなもんをボルト付けして基準にしてどうするよw
将来、半島以上に電波飛ばしまくるぞ。

117 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:25:18
中国人はもともと南方系が土着系。
南方系の遺伝子やらハプロタイプが中国人からはたっぷり出るが
日本人からは中国人に多いハプロタイプほとんど出てこない。

日本人から特に一番出てくるのはモンゴルとかブリアートとか、
北方アジアの遺伝子ばかり。

118 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:52:03

437 名前:出土地不明 :2005/08/14(日) 21:09:26 ID:v8RxupLI
弥生文化をもたらした渡来人は、江南からやってきた

弥生時代初期の遺跡から出土した人骨の中に
周りと異なる体格の人骨が少数混じっていた

この人骨は中国江南で出土したものと遺伝的に一致した
奇しくも弥生初期の稲のDNAもこの地方のものと一致した

列島が大陸から切り離された後、海流が生まれた
半島から対馬経由で海を渡るよりも
江南から海流に乗って来る方が楽らしい

半島から漕ぎ出すと、海流に流されて、着いても出雲あたりだそうな
江南からだと損失率5%くらい、5日で九州にたどりつくと聞いた

119 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:30:37
ほとんど科学ソースの無い江南ヴァカw

120 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 19:56:06
>この人骨は中国江南で出土したものと遺伝的に一致した


で、そのソースは?

121 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 12:20:10
弥生時代の人種相がどうだったかは案外不明なんだよ。
弥生人骨というのは時代的にも地域的にも局所的な出土してるから。
古墳時代以後と縄文以前には、人種的な落差が大きいことは事実だが。

122 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 12:24:29
少年時代、弥生人とは要は朝鮮人で、その弥生人が稲作を持ってきたと
言っていた先生方。

あの方々は一体何者だったんでしょうか?

123 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:13:12
しかし人口の数パーセント以下だが
古代ユダヤもいる。

124 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:14:23
おそらく稲作もたらしたのは
古代ユダヤだろう

125 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:08:35
>>122
考古学は、ちょっと何かが出てきただけで、言うことが皆さん
ころころ変わる学問です。

例:ゴッドハンド

「考古学の成果」にのっかって、何かをいうと、たいがい痛い目にあいます。

126 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:58:41
>>124
ユダヤ人は羊飼いの牧畜民か、農業ならせいぜい小麦だろ。
なんで稲作なんだよw

127 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 19:37:40
弥生人は北方から流れてきた流民なんだから、定着した西日本に
やって来るまでに移動してきた方々で色んな文化を吸収しただろう。

稲作は朝鮮南部で初めて出会ったんだろう。

おそらく弥生人は弥生人で、もともと稲作以外の農業技術を持っていただろう。
朝鮮南部を通過しながら朝鮮式の稲作技術も吸収して九州北部に上陸した。
しかし、そのとき日本はすでに水田稲作大国であった。

彼らが持ち込んだのは水田稲作ではなく新しい農業技術だったのである。





128 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:00:52
魏志倭人伝、東夷伝読んで下さい。
事細かに、三韓地域のことも書いています。
それらと、遺跡と整合性のないレスは没です。

129 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:20:02
>>127
いいかげん、北部九州人が本州に広がった的妄想は止めて下さい。
本州人は全く違う出自を持っています。
九州人は大和朝廷とは少なくとも3,4世紀以降繋がっていませんし、
本州には殆ど広がっていません。


130 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 20:11:08
九州北部人なんか広がる訳がないだろ。
九州北部に上陸した渡来人が海路で広がったんだからw








131 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:43:11
当時は九州から海を渡ったところにも領土があったんだから人手の行き交いくらいあるんじゃないのか?

132 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 12:35:44
弥生人は九州北部から山口あたりを本拠地に、
北は北海道南部、南は琉球まで渡っている。

弥生人骨が見つかるのと同時に、彼ら独特の貝の腕輪などが見つかる。

ゴボウラなどの琉球産の貴重な貝の行商を船で日本全国にしていたようだ。

133 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:15:24
朝鮮の水田稲作は結局日本から伝わったんでしょ?

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