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■■徹底史料分析!■上杉謙信女性説3■■

1 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:08:18
前スレ
■■徹底史料分析!■上杉謙信女性説2■■
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1113183967/

【萌えはこちらへ】

@三戦板
【実際は男】上杉謙信は女の子 その3【謙信は男】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50

テンプレは>>2

2 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:11:15
<謙信女性説の主な論拠>
・謙信の死因は大虫(婦人病)である、と歴史書に書いてある。
・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。
・謙信の武勇を称えた当時の唄で、謙信は女性扱いである。
・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
・男性としては小柄なのに、「大柄」と評される。
・一般に流布している髭面の謙信肖像画は明治31年作の版画。
・伝謙信自画自讃像には髭がない。主観的には女に見えなくもない。
<女性説における謙信の死因の一例>
元気な人間が、突然倒れて人事不詳のまま4目に亡くなる婦人科の病名
 =卵巣の実性腫瘍:かたいコブのようなもので、その80%が悪性。嚢腫にも
充実性腫瘍にも良性腫瘍と悪性腫瘍(卵巣ガン)がある。腫瘍が小さいうちは、
全く症状がない。(おりものの変化や月経異常などのサインはかなり大きくなって
から)他の病気で受診した際に、偶然発見されることが多い。嚢腫が大きくなると、
おなかの圧迫感、腰痛、しこりなどが見つけられる。さらに大きくなると周りの臓
器を圧迫して排尿排便がしづらくなったり、足がむくんだりする。ときには茎捻転
といって卵管や靭帯がグルッとねじれて、突然激しい吐き気や腹痛が起こり、ショ
ック状態になる場合がある。
<男性説側の主な反論>
・幼女は寺で修行しない。
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献を複数
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしいものがない。
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。
・生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。
<すでに論破された男性説側の反論の一例>
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
(江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)


3 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:12:14
●おもな史料リファレンス●

『上杉史料集』(井上鋭夫校注、全3巻、新人物往来社、1969)
北越軍談・上杉三代日記・北越耆談・川中島五箇度合戦之次第・松隣夜話・上杉将士書上・久知軍記・古案記録草案
『上杉文書目録』( 米沢図書館編、1969)
『上杉家御書集成』(全2巻、上越市史専門委員会中世史部会編、上越市史叢書6)
『上越市史』(資料編全7冊、通史編全7冊、別冊1、上越市史編纂委員会)
『甲陽軍鑑』(土橋治重、矢立出版、1981)
『サンデー毎日』の「読物専科」に書いた「血戦川中島」と、『問題
小説』7月号・8月号に書いたものと、『歴史読本』に書いた「謙信
論考」の3本を1冊にしたものという。謙信女性説の原典的存在。

スレ必読書
『上杉謙信は女だった』(八切止夫、2002年復刻、作品社八切意外史)\800
『疾風上杉謙信』(2001年、学研歴史群像シリーズ)\1600
『上杉氏年表』(矢田俊文・池亨、2003年、高志書院)\2500

4 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:12:22
【上杉謙信が学説で男性であるとされている根拠】
・謙信の位牌に権大僧都、居士などと明記されている
・生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山
・謙信が出家しようとした比叡山も女人禁制
上記は男性でないと不可能と考えられていて女性説が新説から脱皮出来ない理由

【女性説を否定する根拠】
・高野山の女人禁制を裏付ける史料価値の高い文献が複数存在
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献が複数存在
・女児は寺で修行する事が出来ない
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしい物が存在しない

5 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:12:46
【女性説派の意見とその反論】
・謙信の死因を大虫としている歴史書も在る
反論1:民俗では一般に虎のことを婉曲表現で大虫という
反論2:一般的な死因は脳卒中とされている
・スペイン国王フェリペ2世宛ての日本についての報告書で謙信は伯母と記されている
反論1:そもそも原文の存在が未確認
反論2:伯父Tioと伯母Tiaのaとoを間違えた
・謙信の武勇を称えた当時の唄では女性扱い
反論1:出所不明の唄
反論2:女性とする直接的な表現は無い
・毎月10日前後に腹痛を起こし合戦を中断
反論1:酒好きで肝臓が悪かった
反論2:十日前後の腹痛=生理とは限らない
・男性としては小柄なのに大柄と評される
反論1:肥満や見栄の可能性もある
反論2:小柄とされている説もある


6 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:13:06
肖像画
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg

ttp://www.city.tochio.niigata.jp/bunka/bunkazai/nisinzou.html

直筆書状
http://www6.ocn.ne.jp/~shinbo/sakuhinnrei/tyomeijinkakudai/uesugi.htm

ファッション
http://www.sengoku-expo.net/text/tf/images/L/637-cl01.jpg

http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/2003/photo/030414a.jpg

おまけ
ttp://www.fuji.sakura.ne.jp/~pico/bbsnote/data/IMG_000343.jpg

7 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:13:16
【高野山の女人禁制を裏付ける史料集】
・密教文化115
出版社:高野山出版
内容:高野山の女人禁制に関する史料とその解説(一)
参考ページ:25〜39ページ
・密教文化116
出版社:高野山出版
内容:高野山の女人禁制に関する史料とその解説(二)
参考ページ64〜80ページ
・密教文化117
出版社:高野山出版
内容:高野山の女人禁制に関する史料とその解説(三)
参考ページ:38〜49ページ
・日本大百科全書
出版社:小学館
参考ページ:149ページ

8 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:14:08
【上杉謙信が学説で男性であるとされている根拠】
・謙信の位牌に権大僧都、居士などと明記されている
・生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山
・謙信が出家しようとした比叡山も女人禁制
上記は男性でないと不可能と考えられていて女性説が新説から脱皮出来ない理由

【女性説を否定する根拠】
・高野山の女人禁制を裏付ける史料価値の高い文献が複数存在
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献が複数存在
・女児は寺で修行する事が出来ない
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしい物が存在しない

9 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:16:15
謙信公が帰依した当時の曹洞宗の大師様、瑩山禅師のお話

瑩山禅師はその後京都や由良で修行を重ね、阿波(徳島県)の城満寺(じょうまんじ)
の住持に迎えられました。ときに27歳でした。以来、4年間で70余人の弟子に仏戒を
授けておられます。このことから禅師のめざされた衆生済度(しゅじょうさいど)・
教化伝道の誓願を知ることができます。

 また禅師は男女平等の姿勢を打ち出され、積極的に門下の女性を住職に登用されました。
女性がまだまだ不当に軽んじられていた当時としては、まことに画期的なことです。
曹洞宗が尼僧団を結成し、多くの女性たちの帰依(きえ)を受けるようになったのも、
ここに由来すると思われます。



10 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:17:23
高野山に入山出来た理由にはならない

11 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:17:23
>>1
乙!!

12 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:18:23
【上杉謙信が学説で男性であるとされている根拠】
・謙信の位牌に権大僧都、居士などと明記されている
・生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山
・謙信が出家しようとした比叡山も女人禁制
上記は男性でないと不可能と考えられていて女性説が新説から脱皮出来ない理由

【女性説を否定する根拠】
・高野山の女人禁制を裏付ける史料価値の高い文献が複数存在
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献が複数存在
・女児は寺で修行する事が出来ない
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしい物が存在しない

13 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:25:58
やっと立ったね(感謝age

14 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:35:29
>>12
>謙信が出家しようとした比叡山

前スレからだけど、これは弘治2年の隠居騒動のことでしょ?
春日山から出奔して、どこに向かったのかは不明。よって、根拠なしでは?
そもそも、謙信と天台宗の接点はきわめて少ない。信玄なら天台座主だから
わかるが(信長に比叡山が焼き討ちされたあと、信濃に誘致したくらい)。


15 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:37:50
宇佐美定祐(本名大関佐助)

紀州徳川頼宣の命で 徳川本家の甲州流軍学に対抗する上杉流軍学(謙信男性説)を作った。
それが遠因で、上杉家に就職。軍記もの好きの紀州大納言はご満悦、
宇佐美という「名家」が復活した。

この頃、巷では大名家取り潰しが相次ぎ、
浪人が溢れて世情は不安定になり、
米沢藩も三十万石から十五万石に領地を減らされ財政は逼迫、
家臣達は不安と貧乏な暮らしに汲々としていた。

外様である上杉家は徳川幕府の取り潰しに合わないよう、
上杉流軍学によって謙信の名を高める事により、名家の地位を手にいれた。

16 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:39:13
>12の論拠は、どれも小説か学研歴史群像あたりか・・・。
史料性皆無の結論だけだな(笑)

17 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:39:24
謙信がオンナであった訳がナイわゑ!!!

18 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:41:01
>>17
ageんなボケ!!

19 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:42:49
「女っぽい」とされる謙信の歌の例

なれもまた草のまくらやゆうひばりすそ野の原に落ちてなくなり

つらかりし人こそあらめ祈るとて神にもつくすわがこころかな


20 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:45:21
>高野山に入山出来た理由にはならない

わからない人だなぁ、あなたも。
謙信は禅宗(曹洞宗・永平寺)であって、真言密教(高野山)ではありません。
「入山」というからには、そこで得度(出家)したという意味ですよ。


21 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:48:01
>>16
史料なんか、紐解いてるわけないさ。

22 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:49:29
ここが女性説派のスレ??

23 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:50:57
男性説派スレ↓

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121248125/l50

24 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:00:36
前スレでは、これが一番重要だったと思う

ttp://www.bunya.ne.jp/rensai/rekisinosato/rekisinosato04.htm
>以前、密かに豊臣秀吉の血判状からDNA鑑定が行われたという歴史家の話もあり、
>今回、謙信・信玄のDNA鑑定を実施すれば日本中の話題になることは必定だ。
>しかし、現在は史料破損の危険性があり一般的にはDNA鑑定は行われていないという。
>これも文書所有者の簗田家21代当主・壽昭さん(74)=山梨市在住=の考え次第だ。
>論議を期待し史実発見≠フ楽しみを待とう。


25 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:06:08
>>24
科学鑑定しかないってのも、歴史好きにはちと物足りないねぇ

26 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:06:51
>>25
刹那的な考えですね。

27 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:16:27
>>24
でも、いろいろあったよな、謙信の直筆の書状は少ないとか……。
中風で花押を描けなかったので、判子を押した書状もあるらしいし。

28 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:43:07
和歌って、けっこうわざと女の立場で作ったりするよな?

男性歌手が女の立場からの歌を歌ったりするのと似たようなもんか?

29 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:56:47
>>28

確かにね・・・。でも、信玄の和歌なんか読むと、万葉調というか素朴というか。

うちなびく 水影草の 露のまも 契りはつきぬ 星合の空(武田晴信)

(水面になびく草の露が消えるまで、デート(セックス?)は繰り返しましたね
年に一度の逢瀬(星合=七夕の意味)なのだから)

なんか、男性的に思える。
ところが謙信は、

会う人を 旅には友と こと問わむ ねがう都の つてならずとも

(旅先で会う人は誰もが友なのだと思い返します。わたしの念願である上洛の
つてではなくとも、そう感じます)

詠嘆を残す詠み方は、新古今和歌集の技巧が感じられる。
一般に、万葉集(古代)・金塊和歌集(鎌倉)が男性的で、古今・新古今(平安)
が女性的とされています。近衛太閤から詠歌の手ほどきを受けた謙信は、平安和歌に
親しんでいたのでしょう。

30 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:15:41
>19

 こーんな訳でどう?

なれもまた草のまくらやゆうひばりすそ野の原に落ちてなくなり

(あなたも私とおなじ野宿なのですね、ひばりさん。夕焼けの山の裾野に落ちて
まだ鳴いていますか? それとも、もう死んでしまって鳴くこともできないのでしょうか?)


つらかりし人こそあらめ祈るとて神にもつくすわがこころかな

(つらいと思うほどの人がいますけれども、神仏に祈る私はひたすら
神仏に尽くす心しかありません。思いが届かないのは、ほんとうに悲しいことです)

31 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:23:04
新スレ、おめ! 三戦「上杉謙信は女の子」一同

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50

32 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:28:21
>>30
思いっきり女の歌だな。すこし超訳にも思えるが・・・。

33 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:49:31
前スレにもあったと思うが、謙信は和歌の達人細川藤孝と晩年まで親交があったわけ
だよね? 天正5年に和歌の書を贈られてる。だとしたら、織田信長と敵対関係に入ってる
のに、信長の家臣同様になってる藤孝から贈り物というのは、信長が公認していたのかどうか?
のちの本能寺の変にもつながる重要な要素だと思う。関白前久は本能寺の変のあと
京都を出奔(明智光秀に一味した?)してるし、藤孝も光秀に合力しなかったものの、
剃髪して謹慎してる。本能寺の半月前に、光秀が景勝に織田信長打倒の協力を
申し入れてるし。まぁ、謙信没後4年目のことだが、遠因を感じてしまう。
前スレで、柿崎(景家)が信長に(謙信は女だと)バラしたから誅罰され、念のために
に明智に圧力をかけて信長も殺した。というのがあったが、あながち妄想ではないのかも。
長文、スマソ。

34 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:16:01
>>33
天正2年ごろには、信長との関係は破綻に近かったと思われます。
決定づけたのは、天正3年に信長が武田勝頼を長篠設楽原の合戦で
破ったあとです。それまで信長は、関東の武将にも謙信を媒介に連絡していましたが、
その手続きを取らなくなります。村上氏に対しても、これから武田を滅ぼすので謙信の
意向はともあれ、参陣しなさい。信濃領を回復させてあげます。というような
書状を出しています。例の洛中洛外図屏風は天正2年の贈り物(ビロードマントも?)
ですが、細川幽斎(藤孝)が天正5年に和歌大全を贈ったとしたら、信長は知っていたのでは
ないでしょうか? 天正5年9月には手取川の合戦がありますから、謙信との直接対決を避けるために?
ただ、柿崎景家の誅罰(失脚?)の件は、史実ではないようです。この件は、また暇なときに。


35 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:00:28
>34
細川幽斎は晩年の謙信と密接に連絡をとっていたようです(足利義昭と近衛前久経由)。
ただし、義昭の意向が大きかったのかと思われます。義昭は御内書を何度も出して、信長打倒の
ために後北条・武田と和議をするように謙信に送っていますから。

36 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:12:00
信長「謙信にドレスとか着せて女装させたら萌えそうだな・・・よし仲良くしよう」

信長「え?アイツマジ女なの?騙された!!謝罪と賠償を(ry」

37 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:39:56
>>36
すこしワロタ。悪いが、上げます。
マント(ドレス)を贈った信長公も、さぞかし驚いたことでしょう。

38 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:52:50
なんだか、男性説と女性説にスレが分割されて毒素がなくなったな。
お互いに自説(男女)を大切にしながら、接触を避けるというか、
相手に踏み込めば、怪我をするのを恐れて? なんだかなぁ・・・

39 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 03:08:19
もう上げないでください、お願いですから…。
要らない煽りや粗しで、レスが寸断されると、前スレの二の舞に(泣
謙信女性説などというのは、もとより珍説とされていますから(願

40 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 03:48:19
HP転載しだしたり、男性説の良い論客がいなくなったのは目に見えていたが
まさか別スレ立てるまでとは予想外だったな

41 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 10:31:14
夏休みに現れた男性説側に考証しようという姿勢が全く見えないのだから仕方ない。
真面目に男性説を考えようとしている人にも失礼だ。
高野山入山なんてテンプレの部分でに終わってた所なのに、、
ただコピペを繰り返しているだけだし。

それを指摘されたら急にスレを埋め立てを始めて、
あのふざけたタイトルとテンプレのスレを立てるし。
あれは、○○以外の何者でもない。

まあ、ああいうヒステリックな危機感で
上杉家も謙信が女性である事を隠そうとしたのかもしれないな。

42 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 12:08:01
>>39
分断した責任というのを感じないのかな?
あと誰が珍説としたのか、例を挙げて欲しい

43 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 12:18:55
>>39の文章からは、媚びへつらい
恥じも外聞も無く懇願して保身を図り、
裏では足を掬おうとする性格が透けて見える

44 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 14:26:33
謙信が女だったという前提で、当時の人間たちがどこまで知っていたかをシュミレーションすると。

【家臣・一門衆】
直江実綱・本庄実乃・大熊朝秀(いわゆる景虎三老臣で、幼いころから知っている)
長尾政景・長尾藤景・長尾景信・長尾小四郎(親戚なので、知っていた)
山本寺定長・琵琶島弥七郎(旧上杉一門だが、居城も近いので知っていた)
【旗本】
河田長親・小島弥太郎・吉江景資・山吉豊守(知っていた)
【国人衆】
斎藤朝信・柿崎景家・色部勝長・中条藤資(景虎擁立派なので、知っていた)
宇佐美定満(政景の配下なので、知っていた)
本庄繁長・北条高広(最初は知らなかったが、知った段階で謀反)
加地春綱(許婚者なので、当然知っていた)

【諸大名】
武田信玄(大熊朝秀の出奔で真相を知る・謙信を捕縛して裸にするのが、川中島に執着した理由)
北条氏康(知らなかったはず。名将言行録に「信長や信玄は信義が置けない。
謙信の下着でお守りを作りたいものだ」とか言ってるので、知っていたとしたら変態)
佐竹義重(かなり年下なので、知らないままだったと思われる)
太田資正(関東遠征の参謀なので知っていた)
成田長泰(知っていた。馬上無礼の家格を知らない謙信が、カッとなって殴る。
彼女にとっては、女だと侮られたと思い込んだのだろう)
織田信長(最初は知らなかったが、色違いのマント〔自分は黒で謙信のは赤〕を
贈るなど、気づいたふしがある)



45 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 14:32:20
>>44のつづき

【公卿】
足利義輝(酒を飲んでいるうちに気づいたが、謙信が無茶呑みさせてダウン。
夢だったと思っている)
近衛前久(義輝と同様に夢だと思ったが、謙信が坂本でダウンした時に医師を
派遣して確かめた。のちに、謙信を追っかけて越後に下向する)


46 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 15:16:36
>>44
まさか日本史専攻じゃないよね?
そんなはずないよね?

47 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 17:27:31
近衛前久が女謙信に惚れて越後まで追っかけたをバカの一つ覚えで繰り返している
妄想廚がまだいる。いい加減パターン変えろい。

48 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:11:04
>47
パターンを変えるって。
おまい、関白前久の越後下向は史実(永禄三年)だぞ(笑


49 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:14:43
>女謙信に惚れて越後まで追っかけた
これを証明する史料は?

50 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:19:37
>49
女謙信かどうかは知らんが、「御湯殿日記」および「越佐史料」4巻にあるぞ。

>女謙信に惚れて越後まで追っかけた
これを否定する史料は?


51 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:21:40
本スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121248125/

こちらのスレッドは削除依頼済です

52 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:22:59
>>47(49)は逃亡しますた


53 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:24:37
>>50さん
すいません。よそ者で申し訳ないですが、「御湯殿日記」の関連する個所を抜粋していただけないでしょうか。
いや、図書館に行けなどと冷たいことを言わないでくださいね。
ちょっと興味があるもんで、ぜひ教えてください。
お願いします。

54 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:25:39
肯定できる史料が無い物を否定するのに史料は必要無い

何故なら肯定すらされてないから

55 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:28:19
>>50
前スレ
>近衛前久が謙信に一目惚れして越後まで付いて来るも、のちに破綻(史実)
一目惚れした事を史実とする史料を問うているのだが、論点をかえないように。


56 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:28:59
本スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121248125/

こちらのスレッドは削除依頼済です

57 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:37:10
>>55
血書起請文(上杉家文書・越佐史料記述)を作成していることから、「一目惚れ」は合理的に
推量されるはず。そもそも「近衛前久が謙信に一目惚れして越後まで付いて来るも、
のちに破綻」は通説だぞ、ボケ。ちなみに、越後下向の同行者は西洞院時秀卿ら数名。

58 :53(じつは前980):2005/07/14(木) 18:37:11
>>55さん
まぁ、落ち着いて。
>>50さんががんばって「御湯殿日記」の関連個所を抜粋してくれてるはずですから。
私はまだ目を通してないんで(もともと上杉氏を専門としてないんで)、どんな内容なのか非常に興味があります。
その内容によってその人の史料解釈力も自ずから明らかになるでしょうし。
>>50さん、お手数おかけしますがよろしくお願いいたします。


59 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:39:56
>「御湯殿日記」
正しくは「御湯殿上日記」では?
資料集(コピー)はあっても、刊行されてないんじゃ?
宮内庁文書ですよ。

60 :53(じつは前980):2005/07/14(木) 18:45:33
>>57さん
>>50さんでしょうか。
すいません。ちょっとタイミングが悪かったですね。
ところで、どうして血書起請文を作成していれば「一目惚れ」なのですか?
私には理解しがたいのでもう少しわかりやすく教えていただけないでしょうか?

>>59さん
>正しくは「御湯殿上日記」では?
そうです。
>>50さんはとうぜん「御湯殿日記」を読んでいるうえで論を進めておられると思うので、関係個所を抜粋していただけると思うのですが。
ちなみに「御湯殿上日記」は大日本史料に活字化されている個所もあったと思うので、がんばって関係個所を抜粋してください。


61 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 19:19:39
>>57
「一目惚れ」と言う言葉は、必ずしも男女間の恋愛感情を伴うものでないが、このスレ
では謙信の性別がテーマ。このスレであえて「一目惚れ」という以上男女間の恋愛感情
をさすものと解釈するのが普通。
ましてや「一目惚れ」を史実とするなら、近衛前久が謙信に男女間の恋愛感情をいだいた
事を証明する史料があると思うのが普通。
血判状でどうそれが合理的に推量されるのか、説明してほしいものだ。
それが通説だと言うのなら、簡単にできる筈だね。

62 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 19:37:56
>近衛前久が謙信に男女間の恋愛感情をいだいた事を証明する史料

こいつ、アホか? そんな史料がありゃ、とっくに上杉謙信=女性
で戦国史が変わってるぞ。こうして女性説を検証してることもないわな。


63 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 20:49:07
>>61さん

謙信(当時は景虎)が将軍義輝、関白前嗣(前久)と酒を飲んで意気投合したのは
前嗣の書状にあります。ともに秩序を回復しようと詠った連歌も残っています。
景虎を気に入った義輝は「住国ならびに隣国の敵を治罰」の綸旨を発給し、
景虎の忠義「上様を供奉するためなら、越後一国など惜しくはありません」
に応えています。そして、前嗣の起請文。翌年、越後下向。
同じ時期(2ヶ月前)に織田信長も上洛して義輝に拝謁していますが、綸旨を下賜された形跡はありません。
これが「ひと目ぼれ」したとされる所以です。このスレにもある恋歌も、このときの作とされています。

ただし、義輝と前嗣は景虎より6歳も若い。景虎が女性だったとして、
ただちに恋愛感情になるものか……? 絶姫(前嗣の妹)の逸話があるとおり、
親密な関係になろうとしたのは事実ではないでしょうか。

>>53(じつは前980)さん
>>50さんではありませんが、「御湯殿上日記」を研究室ないしは自宅に
持っている方は稀だと思います。私も楽しみに待ってましたが、50さんは
どうやら「上杉氏年表」か「定本上杉謙信」あたりを参考にされたのでは?

長文、失礼。

64 :53(じつは前980):2005/07/14(木) 22:16:18
>>63さん
詳細かつ丁寧にご説明をいただきありがとうございます。
要するに義輝・近衛前嗣が景虎と親密にしていたこと、関東における景虎の軍事政権の容認、同様の権限が信長に与えられなかったこと、
その状況において「恋歌」が詠まれた、ということで「一目惚れ」と解釈されるのでしょうか?
私の頭が固いせいでしょうか、やはり理解に苦しみます。

>>50さんはもう立ち去られたようですね。
「御湯殿上日記」は一般にはなかなか入手しがたいですし、図書館で見かけることも稀ですね。
でも大日本史料に載っている個所に関してはネットで閲覧できるのですが…。

>>63さんのおかげでようやくスレタイに近づいてきましたね。
スレタイ(徹底史料分析)が羊頭狗肉にならないように皆さんの良心に期待しています。

65 :61:2005/07/14(木) 22:21:48
>>63
丁寧なレスさんくす。
自分も謙信と近衛前久が意気投合する話は好きです。
しかし近衛前久が謙信に惚れ込んだと書けばいいものを、「一目惚れ」とするのは
いかがなのものかと。こう言う表現は通常男女間に用いるものでしょ。
史実だ通説だと断言しているのですから、近衛前久が女としての謙信に恋心をいだ
いたとする史料があるとほのめかしていると、捉えられてもあながち間違っているとは
思いませんけど。それも1度ならず何回も書き込んでます。

女説の人が、個々の事柄に関しては史料に基づく分析を行っているのは認めますが
一つの仮説として、自分達の脳内でどう組み立てているのか非常に不思議です。
君の場合、どのような一貫したストーリーを組み立てたのか、是非知りたいところ
です。


66 :53(じつは前980):2005/07/14(木) 22:36:47
>>65さん
>君の場合、どのような一貫したストーリーを組み立てたのか、

これは私のことでしょうか?
う〜ん、私は前スレでも書いたとおり上杉謙信に関する予備知識は全くなくて、
最近になって上杉関連の史料に目を通す機会があったのでようやく興味が湧いてきた、いわゆる初心者です。
ですので女性説でも男性説でもなくて、ただ単に面白そうなスレがあるから立ち寄ってみたら、
ひどい史料操作が行われていたもんですから、思わず書き込んでしまった次第です。

むしろ女性説支持派の方にお聞きしたいのは
謙信が女性であったとして上杉家中がなぜそれを当主として容認しえたのか、ということについて
なにかお考えがあれば教えていただきたいです。
私の感想を言えば、戦国大名当主の権力をあまりにも過大評価しすぎているのではないでしょうか。

答えになっているか、心許ないですが、いろいろとご教示いただければ幸いです。

67 :61:2005/07/14(木) 22:44:56
>>66
違いますよ。
良識派>>63さんへのレスですよ。

68 :53(じつは前980):2005/07/14(木) 22:49:24
>>67さん
あらら、これは失礼しました。
反省してきます。

69 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:15:22
>>66
当主として容認しなかったから北条だの本庄だの反乱が続発したのでは

70 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:19:59
反乱連発については

・越後周辺の豪族の独立心の強さ
・謙信があんまり利で釣らなかったこと(しかも周りに釣るのが上手いのがいた)
・長尾家のたどってきた経緯(いわゆる下剋上で納得してない奴が多い)

あたりの理由のほうが現実的だと思うが

71 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:32:35
>>69>>70
まぁ、通説の範囲ですね。

72 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:20:58
>>53(じつは前980)さん

>その状況において「恋歌」が詠まれた、ということで「一目惚れ」と解釈されるのでしょうか?

すこし違うと思います。(田舎武者だと思っていた)景虎が恋歌を詠じたので、近衛前嗣らの公卿が驚いた
という説はありますが。年下の義輝と前嗣に恋心を打ち明けたとは、思えません。
私の文脈の不適切でそう読まれたのなら、お詫びします。すみませんでした。

>>65 :61さん

>近衛前久が女としての謙信に恋心をいだいたとする史料があるとほのめかしていると、
>捉えられてもあながち間違っているとは思いませんけど。それも1度ならず何回も書き込んでます。
>女説の人が、個々の事柄に関しては史料に基づく分析を行っているのは認めますが
>一つの仮説として、自分達の脳内でどう組み立てているのか非常に不思議です。
>君の場合、どのような一貫したストーリーを組み立てたのか、是非知りたいところ
です。

 発端になったのは、>>44さんの
>近衛前久(義輝と同様に夢だと思ったが、謙信が坂本でダウンした時に医師を
>派遣して確かめた。のちに、謙信を追っかけて越後に下向する)

だと思いますが、これは女性説の>>44さんの洒落ではないでしょうか。なるほどなぁ…、と。
私も感心しましたが、想像の産物にすぎませんね。永禄2年の景虎の上洛に関して、女性説を
決定づける史料はありません。ちなみに、私は謙信女性論者ではありません。長文になりましたので、
レスを変えて基本的な考え方を言上申し上げます。乱文のほど、ご容赦あれ。


73 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:40:43
あらためまして、>>72です。
 上杉謙信という戦国大名は、つくづく謎の多い人です。作家の安西篤子さんが
「心理分析をしてみたい」(学研の雑誌「戦国群像」)と言われているとおり、
気分しだいで花押も筆致も変わる? 男性的な伝承もあれば、女性的な詠歌や願文も
のこされています。残されている戦記物語(上杉文書)をまっとうに読めば、
たしかに分裂症としか思えません。しかしながら、書状の筆致や花押も、最新の研究
「新潟県博紀要」(第五号)の謙信祐筆の研究(?)によれば、直筆ではなかった
という見方もできます。そこで、喜平次(景勝)宛ての書状や吉江景資夫妻宛ての
加賀攻めのおりの書状に注目したのです。たしかに、おびただしい軍令書とは違う
謙信の素顔が見えてきました。だからといって、謙信が女性だったと断言できるほどの
史料研究は遠い先のことです。しかしながら、謎の武将を女性説という斬新な切り口で
その実像に少しでも迫れるならば、閉塞した感のある戦国史研究にも一縷の光明があるのでは
ないかと思います。乱文で失礼…。
 あと、コテハンは避けたほうがよろしいかと。前〃スレ、前スレでも、必要以上に叩かれた
ケースがあります。私は文意や文体で、誰が書いたのかはわかりますから。



74 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:10:47
外野の者ですが、このスレが削除されるという情報もあるので、
ログは保管しておきますね。で、せめてもの抵抗に、あげ!

75 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:47:09
>>74さん

万一に備えて、当方もログは保管しました。by>>72・73
では、御機嫌よう。


76 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:54:42
久々に実のある情報交換が行われてますね

77 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:07:40
>>76
バカな男性説派というか、無学な者たちが来なくなったからな(w
ってのは、そのバカ者たちにスレを削除される腹いせさね(w



78 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:11:03
向こうの方がスレは進んでるけどなんだかなあ
削除は通らないでしょコレ

79 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:21:24
>78
こーんな顛末か?

殿「何とか和睦は出来ないものであろうか……」
重臣「難しいかと」
殿「何とかせいッ!!」(と、暴れる)
旗本(馬廻り衆)「姫様!」
殿「姫ではないッ!!!」
家臣一同「へへーッ」
殿「むぅ、気に入らん…」

80 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:44:44
>>79
殿=謙信(姫)? なのか??
ワラタよ


81 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:13:56
門察和尚
http://www.city.tochio.niigata.jp/bunka/kensin/oitati.html

天室光育禅師
http://www8.ocn.ne.jp/~yozan/siseki-sisetu/rinsen.html

どっちに師事したの?
あるいは両方?

82 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:27:11
>>81は女性説と関係ない内容を貼っている馬鹿な男説派なのでスルー推奨

83 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:58:50









男性説派の馬鹿たちはこのスレッドの立ち入り禁止












84 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:03:16
いや来てもいいけど?w

85 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:15:17
アフォどもが来てもいいの?w

86 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:26:24
馬鹿が来ても返り討ち(笑

87 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:43:35
良識派と低脳が入り混じってるようだな。
片方を拒絶して女説マンセーとは片腹痛い。

88 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:43:59
>>81
越佐史料では、天文6年(謙信8歳)の時に門察和尚を師として養育される。
だが、栃尾に古志郡司として入ったのは天文12年(謙信14歳)。
いっぽう、弘治2年(謙信27歳)のときに書いた天室光育あての「隠居の書状」
には、光育が林泉寺6代住職だった頃の養育に対する感謝があり、幼少期に林泉寺
にいたことが推察される。したがって、栃尾常安寺は天文12年だというのが通説。
こういうのは、どちらも地元が主張するものなんだなあ。



89 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:50:55
>>88
それは越佐史料の何巻だ?

90 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:49:40
>89
天文年間なら4巻のはず。

91 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:10:55
>>90
天文年間『なら』?4巻の『はず』?
答えになってませんよ。全6巻という事すら知らなそうだ。

92 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:16:43
>91
何だお前! 親切で教えたのにインネンかよ!!
自分で調べろ、ヴォケ!!!

93 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:16:43
>>91
そこでおまえが「4巻にはそのような記述は無い」ときっぱり答えるならまた話は違うが
そのままじゃオウム返しで何の意味も無いレスだぞ?
何か知ってるんならそれを足がかりにしてみせろ

94 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:27:52
無知なおバカさん方は当スレには不要です。君達に言ってるんだよ>>92>>93

95 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:31:45
>>88
林泉寺は謙信の祖父が春日山城の近くに建立したもの。
88の説で女性説であれば、それだけ長尾家と縁が深ければ
入山しなくとも何らかの薫陶があってもおかしくはないとも言えるのかな。

父親が死んだばかりの動乱の地でのんびり寺に入ってるのも不思議な話だし。

96 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:35:28
>>89 >>91 >>94 
結局難癖付けるだけで語る口を持ってないんだな。帰っていいよ。

97 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:36:30
いえねーよ、ばーか
入山と登山の違いも分からん奴が語るな

98 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:41:03
>父親が死んだばかりの動乱の地

天文9年末が為景死去だとすると、虎千代は12歳になる頃。
動乱の地というけど、栃尾は古志長尾(母の実家)なわけだから、
割とのんびりと言えなくもない。もっとも、郡司になってからは攻められるが。

99 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:42:37
>>97
正しくは入山と渇食の違いを理解していない。だな

100 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:17:05
>>98
>天文9年末が為景死去

学説では天文5年の暮れ謙信7歳の時じゃないの?
>>88に寄れば、その頃から春日山の近くの
林泉寺あたりにいた事になりそうだけど。


101 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:30:00
>>100
天正2年(1574)12月24日に為景の33回忌が営まれているところから、
最近は天文9年(1540)末〜天文10年(1541)初めという説がある。
もっとも、天正3年1月は景勝に官途を譲り、2月には有名な軍役帖を
作ったり、区切りの時期でもあったわけだが。




102 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:37:31
たしかに天文5年に病没説だと、それから謙信が大活躍を始めるまでの間、
晴景でよく持ったな長尾家…って気がします。

国人たちの独立心が異様に強くて、父の為景さえさんざん戦ってたのに。
自分が隠居することで不満を抑え、あとの数年間
晴景を支えていたというほうが、個人的には納得できます。

103 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:11:21
>>44
ちょっと、笑えたよ。

>北条氏康(知らなかったはず。名将言行録に「信長や信玄は信義が置けない。
>謙信の下着でお守りを作りたいものだ」とか言ってるので、知っていたとしたら変態)

原文は「信長や信玄は策略が多くて信義がおけない。謙信だけは、義のためには灰になるまで信義をつらぬく。
若い者たちには、謙信の肌着でお守りを作ってやりたいものだ」という感じだったと思うが、
氏康が謙信を女だと知ってたら。
「謙信のブラとショーツが手に入ったら、それで若い者たちのお守りを作りたいものだ」
という現代語訳になる(w
 スマソ、萌えネタになってしまった。

104 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:04:42
>>66 :53(じつは前980)

>むしろ女性説支持派の方にお聞きしたいのは
>謙信が女性であったとして上杉家中がなぜそれを当主として容認しえたのか、ということについて
>なにかお考えがあれば教えていただきたいです。
>私の感想を言えば、戦国大名当主の権力をあまりにも過大評価しすぎているのではないでしょうか。

 戦国大名当主の権力が過大評価されているのではないか、という問題意識は非常に興味深いものです。
荘園領主から守護大名をへて、独自の分国を支配するようになった戦国大名にとって、同門衆や国人領主
をいかに統制するかだったと考えられます。上杉氏や武田氏においては「同門衆」「国人領主」「譜代・旗本」
の構成が中世的(譜代・旗本の構成比が小さい)という評価が通説です。
 これは、もっぱら織田信長の軍団編成(上記の序列を無視した抜擢・実子と旗本を重視)と比較されて
のことです。ところで、上杉氏や武田氏の場合は、軍団の基礎単位が大きかったので野戦に強かった
という説もあります。近代の軍隊のように武器の種別に軍団が編成されることは少なく
(長篠の織田軍鉄砲隊・武田騎馬軍団も最近は否定されています)、総大将(謙信や信玄)にとって、
強みでもある軍団の基礎単位の大きさは、そのまま両刃の刃として内乱(叛乱)の火種だった
と思われます。事実、信玄は勝沼五郎という一門最大の武将に謀反されていますし、
謙信は信玄の調略もあって、北条高広・大熊朝秀・村上本庄繁長らの謀反に苦しみました。
 重臣たちとの意見調整(軍議・評定)を重んじた信玄とはちがい、謙信は独裁的な
戦国大名だったとされていますが、じつは後世の軍記物語によるところが大きく、実像は
かなり違うのではないかと考えられます。(つづく)


105 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:10:34
>>69さん
レスいただきましてありがとうございます。>>66です。
北条や本庄の反乱が当主として容認されていなかったからというのはわかりました。
ところで、彼らは謙信が女性だから当主として容認しなかったのでしょうか?
また、彼らは上杉(長尾)の家中ではないと思うのですが、もっと謙信に近い人々はなぜ女性である謙信を擁立したのでしょうか?
気が向いたときでけっこうですので教えていただけないでしょうか。

>>72さん
丁寧な対応をいただきありがとうございます。
助言のとおり、コテハンはやめました。

「一目惚れ」の件、詳しく解説いただきましてありがとうございます。
その後、大日本史料の稿本で「御湯殿上日記」を閲覧しましたが、近衛前嗣が越後に下校した記述こそ確認できましたが、
私にはそこから謙信に惚れていたことを読み取ることができませんでした。
残念です。
>>73の県博研究紀要もよさそうですが、図録も欲しくなってしまいました。お金がかかりますね。
今度の休日にでも上杉家文書に目を通そうと思います。
少しだけですが、上杉氏にも興味が湧いてきました。また面白い話題になればお邪魔させていただきます。
ほかの皆さんもお邪魔してすみませんでした。

106 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:12:32
>>104さん
すいません。リロードで確認せずに書き込みしてしまいました。
続きを期待しております。


107 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:21:10
>>104のつづき

 江戸時代の軍記物語「北越軍記」では、天文16年に謙信(景虎)の武名が
高まり、長尾氏譜代の家臣や上杉氏家臣が彼(ここでは彼女)を擁立する動きが
活発化したとあります。のちの景虎政権の成立(天文18年正月)から考えて、
史実だろうと思われます。しかし、弱冠19歳の若武者が擁立されたのには、
越後国人衆(譜代家臣・上杉家臣をふくむ)の一揆盟約がなければ、成り立たない。
この時期、直江実綱・本庄実乃・大熊朝秀・中条藤資が景虎擁立派で、上田長尾(政景)
が根強い敵対者でした。上田長尾が服してのち、揚北衆の領地裁判に関連して大熊朝秀が
武田氏に出奔します。この事件は景虎の隠居騒動にまで発展するのですが、
上田長尾の政景が景虎を説得することで、解決されます。どうも、この過程をみていると、
景虎(謙信)は長尾一門と越後国人衆の水面下の政治に動かされているように
感じられます。大熊朝秀の謀反を計画したのは武田信玄ですが、この時期の長尾氏内部に
どんな政争があったのか。そのあたりを探ると、上杉謙信が女性だったという
仮説から思いがけない歴史の真相が見えてきそうで楽しみです。謙信没後の
御館の乱も、同様の魅力があります。

108 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:10:09
>>105さん

>少しだけですが、上杉氏にも興味が湧いてきました。

歴史研究者(と思われる)方に興味を持っていただいて、望外の僥倖です。
従来から、武田氏の物語性(父と信玄の確執・信玄と子の確執・側室たちの暗闘)
にくらべて、上杉謙信は「義の聖将・律儀な軍神」と崇められて、聖別されてきた
きらいがあります。女性説という仮説を媒介に、謙信の実像にせまることができれば
わたしたちの戦国史観も、もっと豊富なものになるのではと思います。
 また立ち寄ってください。

109 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:34:49
>>105
いや、別に俺は女性説の人じゃないし。ネタとして楽しめたら、って程度。
だから反乱の原因が「女性だったからか?」と言われると、そんな根拠は無い。否定する根拠も無いけど。
ただ謙信が必ずしも家中に容認されていた訳ではなく反乱は結構起こってた、ということは言いたかった。

あ、69のことね。

110 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:55:00
>ただ謙信が必ずしも家中に容認されていた訳ではなく反乱は結構起こってた、ということは言いたかった。

なるほど、その通り。女性である・ない、以前に越後国人衆の独立性・在地性は
旺盛なものがある。たとえば、独立性・在地性を信長のように奪えば統制できたのかというと、
家臣に裏切られる事態にもなるわけで、上杉家も武田家も叛乱に悩まされている(武田氏は滅亡)。
>107が言うような、「水面下の政治」の様相がわかれば、もっと戦国時代の実像に近づける
のかもしれんが。

111 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:57:45
>>105さん
きのうの>>61です
近衛前嗣の件で女説の宣伝してた女説者が「一目惚れ」の根拠としてたのは、「御湯殿上日記」
でなくて血書起請文のほうですよ。これには、近衛前嗣がこれからは謙信一筋でいきますみ
たいな事が書かれており、前嗣が謙信という人物に惚れ込んでいだ事がわかる史料となって
います。もちろん「人目惚れ」とする表現し、それを通説だ史実だとするのは、女説としての
あなたの言う史料歪曲である事は、間違いないと思います。

ところで、今別スレを女説の一派が連日アラシしています。良識ある女説の人は
この現状をどうお考えでしょうか?同じ謙信ファンとして怒るよりもむしろ悲しく
なります。
それとも、良識ある女説の人などもともと存在しないのでしょうか?




112 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:06:06
別スレ自体が荒らしの立てたスレなのでこちらからは極力関わらないというのが
女性説派のスタンスです

113 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:11:50
>>109さん
レスいただきましてありがとうございます。
お考えはわかりました。特に問題はないと思います。

>>111さん
連日お手数おかけします。

>女説者が「一目惚れ」の根拠としてたのは、「御湯殿上日記」 でなくて血書起請文のほうですよ。

ご忠告いただきましてありがとうございます。
昨日のお話で起請文からは「一目惚れ」を裏付けられないという話になったと思っていたので
念のために「御湯殿上日記」を見てみました。
わざわざ書き込んだのは>>50さんには少し嫌味だったかもしれませんね。
気分を害されたようなら謝ります。
それでは。


114 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:11:52
>>111さん
>>105さんではありませんし、たぶん女性説の良識派(?)でもありませんが…、
「アラシ」の件は2chという性格上、私たちにはどうにも出来ないことです。
スレが分割(分離)し、このスレも削除対象になっているとのこと、これもどうしようも
ありません。私は女性説という仮説を媒介に、少しでも上杉謙信の実像にせまることが
出来ればと思いますが、スレッドの成り行きは…。解決策がないと思います。
すみません、有効な方策も知恵もなく。


115 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:12:46
>>112
良く分かりませんがこういう事実があるのでお引取り願います
あなたの行為は良識派の方々の足を引っ張ってるに過ぎません

227 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:33:07
>>1
乙! よくまあ、ここまで内容のないスレを
ほぼ自作自演で引っ張ってきたね(謝
229 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:32:45
レスは最低でも3行以上書くように。
あそうなのですか (改行)
内容よりも、物量で勝負の糞スレですから・・・
231 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:58:04
ばかしかあつまらないけどな (改行)
三行以上のノルマ達成!
232 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:20:51
あほ
あほ
あほ
あほ
233 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:42:30
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
3行以上、クリア!w
>>234
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!

116 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:16:38
>115

そっちで解決してください!
アラシの尻拭いは迷惑です!!
しょせん、別スレでしょ?

117 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:18:11
>>115
どうして、こっちに振られるのか(鬱
ここまで、荒らしもなかったスレなのに


118 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:18:21
あっちは厨用の隔離スレつーか厨ホイホイと化してるな…。

119 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:19:07
>>116
良識派の方々か忠告してくださいな
荒らしが繰り返されればこちらも荒れる原因にもなりえます

120 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:24:12
119 :日本@名無史さん :2005/07/14(木) 16:01:58
>>118
その質問は前スレで既出どころか当スレッドでも既出ですよ。お馬鹿さん
男性説派って
低脳ばっかだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
130 :日本@名無史さん :2005/07/14(木) 19:51:10
このスレは、大半が前スレと他スレのコピペで作られています。
質問とかしても、絶対に回答はありません。
143 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:09:42
>140
嘘ばっかし(軽蔑
148 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:27:26
>146
レスは多いけど、悲しいほど内容がない・・・
ここにはバカしか来ないのですか?
151 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:39:55
ここ、アホばっかですね。
153 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:43:04
うーん。前スレに比べたら
子供の落書きだな・・・鬱

121 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:27:13
>>116
女性説派一同と自ら名乗る彼女を引き取ってください


167 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 03:42:18
一騎当千のつわものといふ>>157
の出馬は、いつのことかぁ。われらは手ぐすね引いて、待っておるぞぉ!
 恐惶謹言 
                    他スレ女説派(急進派)一同
168 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 03:59:24
もうこれで、157は逃げられんな(笑
どこまで逃げても>>157の放逸な文章を、賽の目に切り刻まれるだけの運命

明日(いや、もう今日だ)女性説のスレに雁首を出せっ! 縛り首じゃ!

122 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:28:19
>119

じつは良識派なのですが、アラシ行為はやめましょう。などと言って、効果があるもの
なのだろうか?アラシは無視して平静を保つことこそ、王道では?
しかたないから、呼びかけますが……。

☆みなさん、アラシ行為は慎みましょう。おたがいに、謙信公を愛する立場なのです。

これで、どうですかね?

123 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:30:41
>>122
あなたが止めれば荒らしは無くなりますよ

124 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:31:14
>>120>>121

これを本当の「荒らし」というのではないのか!!??

もう、やめてください!!!

125 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:34:46
>>124
あ・ら・し・の・尻・拭・い

126 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:35:50
239 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:33:04
120 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:24:12
119 :日本@名無史さん :2005/07/14(木) 16:01:58
>>118
その質問は前スレで既出どころか当スレッドでも既出ですよ。お馬鹿さん
男性説派って
低脳ばっかだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
130 :日本@名無史さん :2005/07/14(木) 19:51:10
このスレは、大半が前スレと他スレのコピペで作られています。
質問とかしても、絶対に回答はありません。
143 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:09:42
>140
嘘ばっかし(軽蔑
148 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:27:26
>146
レスは多いけど、悲しいほど内容がない・・・
ここにはバカしか来ないのですか?
151 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:39:55
ここ、アホばっかですね。
153 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 00:43:04
うーん。前スレに比べたら
子供の落書きだな・・・鬱

127 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:36:21
121 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:27:13
>>116
女性説派一同と自ら名乗る彼女を引き取ってください


167 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 03:42:18
一騎当千のつわものといふ>>157
の出馬は、いつのことかぁ。われらは手ぐすね引いて、待っておるぞぉ!
 恐惶謹言 
                    他スレ女説派(急進派)一同
168 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 03:59:24
もうこれで、157は逃げられんな(笑
どこまで逃げても>>157の放逸な文章を、賽の目に切り刻まれるだけの運命

明日(いや、もう今日だ)女性説のスレに雁首を出せっ! 縛り首じゃ!

128 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:36:57
115 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:12:46
>>112
良く分かりませんがこういう事実があるのでお引取り願います
あなたの行為は良識派の方々の足を引っ張ってるに過ぎません
227 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:33:07
>>1
乙! よくまあ、ここまで内容のないスレを
ほぼ自作自演で引っ張ってきたね(謝
229 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:32:45
レスは最低でも3行以上書くように。
あそうなのですか (改行)
内容よりも、物量で勝負の糞スレですから・・・
231 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:58:04
ばかしかあつまらないけどな (改行)
三行以上のノルマ達成!
232 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:20:51
あほ
あほ
あほ
あほ
233 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:42:30
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
3行以上、クリア!w
>>234
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!


129 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:38:38
127 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:36:21
121 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:27:13
>>116
女性説派一同と自ら名乗る彼女を引き取ってください


167 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 03:42:18
一騎当千のつわものといふ>>157
の出馬は、いつのことかぁ。われらは手ぐすね引いて、待っておるぞぉ!
 恐惶謹言 
                    他スレ女説派(急進派)一同
168 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 03:59:24
もうこれで、157は逃げられんな(笑
どこまで逃げても>>157の放逸な文章を、賽の目に切り刻まれるだけの運命

明日(いや、もう今日だ)女性説のスレに雁首を出せっ! 縛り首じゃ!

130 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:45:25
コピペはやめて下さい

131 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:45:49
とんだ災難だなぁ・・
もともと、向こうのスレの荒らしが、どうしてここに?

132 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:48:13
せっかく良スレだったのに、わけわからないうちにボコボコに荒らされちゃって…

133 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:48:22
>>130
本スレの荒らしをあなたが止めればね

115 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:12:46
>>112
良く分かりませんがこういう事実があるのでお引取り願います
あなたの行為は良識派の方々の足を引っ張ってるに過ぎません
227 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:33:07
>>1
乙! よくまあ、ここまで内容のないスレを
ほぼ自作自演で引っ張ってきたね(謝
229 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:32:45
レスは最低でも3行以上書くように。
あそうなのですか (改行)
内容よりも、物量で勝負の糞スレですから・・・
231 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:58:04
ばかしかあつまらないけどな (改行)
三行以上のノルマ達成!
232 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:20:51
あほ
あほ
あほ
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233 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:42:30
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
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>>234
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!

134 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:52:54
何のお祭り??

135 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:57:21
おい、おまえら他スレをコピペで荒らして、そんなに楽しいか?
見下げた根性だな

136 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:01:24
>>135
またコピペ、もうやめれ!
最初に男性説派スレ(?)から挑発し(仕掛け)てきたんだぞ!
無責任な香具師が参戦するの、想像汁!

137 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:04:57
>>133
自分で止めようという発想はないのかね?
ここにコピペを繰り返し貼っても抑止効果など一つも無い
男性説派というかあのスレ住民の良識を疑うぞ

138 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:07:26
>>136
>最初に男性説派スレ(?)から挑発し(仕掛け)てきたんだぞ!
この仕掛けるとは何時、何処の事?

139 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:09:34
>>137
自分で止めようという発想はないのかね?
ここにコピペを繰り返し貼っても抑止効果など一つも無い
女性説派というかこのスレ住民の良識を疑うぞ

140 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:10:10
双方が被害者ぶって、相手を加害者として非難する
これはネットの中ではもっとも泥沼化するパターン

まぁもちつけ

141 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:14:46
↓こいつが最初にコピペをこのスレに投下した。動かぬ証拠(検察側甲第一号証)


>>115 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:12:46


142 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:15:20
違うスレの話を持ってこられても困る

143 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:20:04
前スレでHPからコピペしてた例の男性説のバカだろ
向こうに引き篭もったんじゃなかっのか?コピペばっかだな・・・

144 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:20:52
227 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:33:07

↑以前にも議論と関係ない(女性説とは関係ない)荒らしは来たがここら辺から粘着して荒らすようになった

145 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:31:24
>144

だからと言って、大量のコピペで他スレを荒らしますか?

146 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:16:28
>>145
それはいけないことなの?

115 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:12:46
>>112
良く分かりませんがこういう事実があるのでお引取り願います
あなたの行為は良識派の方々の足を引っ張ってるに過ぎません
227 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:33:07
>>1
乙! よくまあ、ここまで内容のないスレを
ほぼ自作自演で引っ張ってきたね(謝
229 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:32:45
レスは最低でも3行以上書くように。
あそうなのですか (改行)
内容よりも、物量で勝負の糞スレですから・・・
231 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 23:58:04
ばかしかあつまらないけどな (改行)
三行以上のノルマ達成!
232 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:20:51
あほ
あほ
あほ
あほ
233 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:42:30
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
コピペ以外は、3行以上書けないスレ
まことにご苦労さま
3行以上、クリア!w
>>234
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!
三行以上は書けと、そう言ってるだろうが!!!

147 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:19:19
大量のコピペによるスレの進行の妨害は荒らし行為とされます

148 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:20:30
まだやってるのか。情けない・・・。

149 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:22:52
なんか、向こうのスレで訴訟沙汰になってるみたいだな。


150 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:24:59




















151 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:43:00
>>115
>>120
>>121
>>126
>>127
>>128
>>129
>>133
>>146
とりあえずこれだけ報告しとくわ

152 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:48:29
>>151
はいはい。

153 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:57:47
>>151
削除依頼?よろしく。

154 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 04:12:37
なんだか荒らされまくりましたね、マジメにカキコしてるのが馬鹿みたい。


155 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 04:16:59
>151
町で見つけたら、殺さない程度に殴りますね
二度と来ないでください!

156 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 04:52:47
程度の低い妨害工作でしたな

157 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 04:54:02
>>156
お前のレスも程度が低いな

158 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 05:47:11
>>157=145
てか向こうで荒らしてた犯人の一人はコイツだわ

159 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 08:59:06
そもそも、こいつが言い出してからすべてが始まったようだな。

>>111 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 00:57:45
>>105さん
きのうの>>61です
近衛前嗣の件で女説の宣伝してた女説者が「一目惚れ」の根拠としてたのは、「御湯殿上日記」
でなくて血書起請文のほうですよ。これには、近衛前嗣がこれからは謙信一筋でいきますみ
たいな事が書かれており、前嗣が謙信という人物に惚れ込んでいだ事がわかる史料となって
います。もちろん「人目惚れ」とする表現し、それを通説だ史実だとするのは、女説としての
あなたの言う史料歪曲である事は、間違いないと思います。

ところで、今別スレを女説の一派が連日アラシしています。良識ある女説の人は
この現状をどうお考えでしょうか?同じ謙信ファンとして怒るよりもむしろ悲しく
なります。
それとも、良識ある女説の人などもともと存在しないのでしょうか?


160 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:04:26
そういえば、謙信は高野山に登山も入山もしていないで決着したんですか?

あと、登山と入山に大きな意味の違いってあるんですか?
辞書ではどちらも意味は変わらなかったんですが。

161 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:25:13
>>159
元々、向こうの住人は削除回避のためにスレが伸びるのを喜んで、
スルーすればいい相手を相手にしたのが荒れた原因でしょうね。
本来削除されるべき所を削除回避にほぼ成功したのですから、
あちらの住人にとっても思惑通りでしょう。

そしてこちらには現れないことで、
こちらへの削除以来を成功させようとしましたが、
しかし、こちらも普通にレスが伸びたので、
交じり合う事にしたという所ではないでしょうか。

しかし、あちらのスレは、『学説では謙信は男』であることを確認するためのスレで、
こちらは双方の説を資料で検証するためのスレでいいのではないでしょうか。

162 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:29:42
大量コペピを理由に、先方のスレも削除対象となっています。
単なる重複スレという事由ではなく、規約違反です。

163 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:33:27
ほんと、ただでさえ荒れやすいテーマなのに
スレが分かれたことで、荒れる理由がさらに増えてしまったな。

分かれたのだって、別に話し合いの末分かれたんじゃないのにな

164 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:03:21
>162
これだけのことをしでかしたんだから、当然だよ。

>160
このスレでは議論されてないことですが、謙信は天文22年に上洛し、
本願寺・臨済宗大徳寺(宗心の法号を受ける)・高野山などに参拝しています。

登山(単に山に登ること)入山(僧侶が山に入ること・入門すること)


165 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:41:07
にゅうざん  【入山】(名)スル

(1)登山のために山にはいること。
(2)僧侶が修行のためや住職となるために寺にはいること。




166 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:46:19
>>160
高野山は上杉文書出典じゃなかったんだ。
肖像画は明治31年の作だよね。
宗心は景勝も貰ってるんだよね。

167 :166:2005/07/16(土) 10:50:20
>>160>>164の間違い

168 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:06:03
一言言うと、通常、削除対象は後から出来たスレになるよ
これマジで

スレタイが気に入らないとかは理由にならないようだ

169 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:10:59
無意味な文字列コピペとかじゃないし、削除はないんじゃないかい。
しかも一応、かろうじて両立の状態で機能してるしな…。

まあ削除のことは心配してもはじまらないね

170 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:33:22
>>169
十分に無意味なコピペかと、間違いなく削除でしょ
先に荒らした云々関係なしに、知らせたければコピペせずにURL貼れば済む話だから

171 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:59:10
十分にアク禁対象

172 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:16:19
後先は関係ないね。
不適切なスレの建て方や内容であれば本スレとは認められない。
削除人がIPを見れば、前スレがどのように埋め立てられて、
向こうのスレが建てられたか見れば一目瞭然だし。

173 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:18:09
戒名って言うと、現代人では、
祖父や祖母の姉妹の戒名を
知ってる人なんて殆どいないという感覚なんだけど、
そんなに捏造って難しいのかな。

江戸時代になって、
「どこかの霊験あらたかな禅師が
上杉家の家運を吉に向けるために
戒名を新しく付け直す事を勧めております。」
なんて佐助さんが尤もらしく言ったら変えられた
なんて事はないのだろうか。

174 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 15:04:28
●荒らし・煽りは『完全無視』+削除依頼しましょう。
煽りにはsageでもレスしないこと。無視できない貴方も荒らしです。

住人がこれを守れて初めてアク禁対象 反応した奴も負け組

175 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 16:33:15
>>173
どうかなあ。位牌とかに書くもんだしね。
文書にも残るから、全部書き換えなきゃならない。

ましてこの時代は生前につけることが多かったわけで、
そうなると他家への文書なんかにも書かれる。
ずっとあとで変えても、ばれるんじゃないかね。

176 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:13:07
文章が殆ど紛失されてて、
位牌だけ残ってるってのもおかしな話だ。

177 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:14:06
>>172
削除人はIPが載ってるログ見れません
不適切なスレの建て方とは、貴方にとっての不適切と判断されるのがオチ、内容も同様

そもそも本スレとか、スレタイなどは関係ないよ
逆にこのスレが先に建っていれば、あっちがどう言おうと、あちらが重複スレとして削除される
そんなもん
前スレの埋め荒らしの件は、それはそれとして扱われるしね
削除議論板で聞いてみればいいよ、似たような答え返ってくるから

178 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:27:02
位牌でもなんでも、江戸時代に無理矢理変えたとしたら、
変えたその時代に見た人は「おかしい」って気付くのでは。

ある日いきなり変わってたらむちゃくちゃ印象に残るよ。
謙信の位牌やら何やらは、上杉家だけにあるわけじゃない。
「上杉家は必死で何か隠そうとしてました」
っていう記録が全く残らないっていうのは、ちょっと不自然すぎるよ。

179 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:22:05
男のふりをしていたという仮説なら、位牌は名前(男性名)と同様にあまり女性説の根拠に
ならないと思うよ。生前(天正弐年)に法印大和尚と名乗ってるんだから。


180 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:09:16
全国の大名の間で家計図の捏造が行われたのが江戸時代の初期。
この頃は上杉家だけが必死だったわけじゃないから、
必死さが目立たなくてもおかしくはないよ。

181 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:29:34
江戸期に捏造したとすると、
生前は普通に女大名として活躍してたってことになる…んですよね?

いくら捏造が多く行われていたとしても、
あれだけ名を馳せた大名で、しかも女性だとしてすごく目立っていたであろう人を
いつのまにか男にすりかえるなんてこと、できるのかなあ

182 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:10:46
うーん。生前(公然・女武将)活躍説は、無理がありますねえ。
すこし、謙信女説の脈絡(複数説)を整理してみませんか。今宵は遅いので、
明晩にでも・・。

183 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:40:33
>>182

謙信公、男装説
謙信公、公然と女だった説

楽しみにしてます!

184 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:50:06
思いがけない「荒らし」で、いろいろと大変だったようですね。
姉妹スレ(三戦板)からエールっ! 毎晩、ロムってます。

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50

185 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:59:54
>184

ありがとう。そっちにも遊びに逝かせてもらいます。暇なときに(w


186 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:23:23
>>184
にゃんと…、萌えの。エロいスレだった。

187 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 22:17:28
上杉謙信女性説(男装説)

 上杉謙信は長尾為景の次女。幼名を於虎といい、天文六年に虎千代という男児名で春日山林泉寺に
渇食(修行)する。この事情は、上杉氏年表の「為景」は内乱の収拾のため、姻戚関係の締結という
新たな講和体制を打ち出す。阿賀北の国人衆への備えとして、加地荘(注釈略)を本拠とする加地春綱
に為景の娘(晴景の妹)を嫁がす。また一族の上田長尾氏の長尾房長には、同じく為景の娘(晴景の妹)
で、後に仙洞院(景勝の母)となる女性を嫁がせる約束が成立した可能性が高い」
とあるように、いったん婚約が成立したものの、於虎が激しく抵抗したので、為景は
彼女を男児として林泉寺で勉学させたものと思われる。上記の婚約・姻戚が成立して
いたら、加地氏は長尾一門として有力な地位を得ているはずだが、それを伺わせる史料はない。
 虎千代が林泉寺に修行していた時期、越後は守護職上杉定実の隠居にともなう
嗣子問題で揺れる。すなわち、伊達時宗丸の養子縁組騒動である。時宗丸の母の実父
である中条藤資が勝手に仲介役を引き受け、それに反発した色長氏・村上本庄氏らと
対立。一時は伊達勢が下越に侵入し、本庄氏が庄内に追い落とされるなど、内乱は
深刻な事態に発展する(十一年の伊達騒動までつづく)。
 天文十二年、晴景は虎千代を元服させて平三景虎と名乗らせ、古志郡司として
栃尾城に入城させる。後見役は本庄実乃である。この間、為景の次男景康、三男景房が
相次いで亡くなった可能性が高く、男児を装っているとはいえ、晴景が妹を郡司に任命するのは
苦肉の策だった。(つづく)

188 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 22:18:21
 ところが、栃尾城に入った景虎は、中郡の国人衆をしたがえて叛乱を平定した。
いきおい景虎の武名は高まり、黒田秀忠の謀反を制圧することで頂点に達する。
残されているのは越後長尾諸流
(府内長尾・古志長尾・上田長尾・三条長尾・下田長尾)の統一だった。上田長尾氏以外は景虎擁立に動いていたが、
上田長尾氏においては政景を立ててこれに対抗した。越後中郡で領地を接する古志長尾氏との対抗上、越後守護代の座をめぐって叛旗を翻したのである。
政景は病床にある晴景を名分に、景虎追討の書状を発給し、越後はふたたび
内乱の危機に陥る。しかしながらその頃、直江実綱・本庄実乃ら長尾氏重臣、
大熊朝秀ら上杉氏重臣、中条藤資ら阿賀北国人衆が一味して景虎擁立に動く。
 このように、謙信政権が誕生した裏には、越後国人領主の一揆盟約、内乱回避のうごきがあったのは明白であろう。
 上杉定実の斡旋で府内長尾氏を継承した景虎は、上田長尾の謀反も平定し、
春日山城主(越後守護代)となる。
上杉定実が没すると、越後国主となる。朝廷および将軍家から国主(守護)にだけ許される
毛氈鞍覆い・白傘などとともに、弾正少弼の官途を受ける。これが第一回上洛(返礼)の理由である。
 爾後、景虎は女性の身でありながら越後国主(のちに山内上杉家関東管領)として、戦国大名の道を歩むのである。そのいっさいの言動は男性として執り行われ、のちに徐々に女性であることが露見するも、四十九歳の生涯を戦の天才・
風雅の人・やや短気な独裁的司令官として輝かしい武功を残す。
 その死後も、女性であることは公には秘され、甥の景勝によって女性であった証拠類は焼却されたという。ただし、さまざまな伝承や伝聞で、女性説が今日に伝わっている。

189 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:37:27
>>187>>188
神・・・だが、後半が尻すぼみのような・・・

190 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 00:03:42
※史料参照

謙信が公然とした女大名だったとする説に、矢切止夫の『上杉謙信は女だった』ほかの一連の著書
謙信をGID(性同一性障害)と結びつける杏野丈著『シンデレラさん、お大事に』
などがある。

191 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:56:58
ストーリーはとても興味深く読ませていただいたけど
検証するのならば、

>その死後も、女性であることは公には秘され、
>甥の景勝によって女性であった証拠類は焼却されたという。
>ただし、さまざまな伝承や伝聞で、女性説が今日に伝わっている。

このへんをきちんと説明することが一番大事な気もします…

192 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:58:54
>>191
小説だからその辺はその程度でいいんだよ。

193 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:03:45
上杉謙信女性説(男装説)は、小説レベルだってことか ‥

194 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:56:19
本出せば普通に売れそうだな

195 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:08:18
天室禅師への手紙(弘治2年)がポイントでは?
「…私が春日山城に入ると、不思議に内乱がおさまりました…」
当初、景虎は越後国人衆の傀儡政権(国人領への郡司不介入のため)
だったのだと思う。そのうちに独裁的になるわけだが、国人領主の
権利(相続権や領地)は侵していないどころか、口出しもしてない。

196 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 20:45:33
>>193
宇佐美(大関佐助)の書いた上杉家文書も、大半が小説なのだが…

197 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:00:18
>>196
「上杉家文書」って手紙や命令書なんかをそのまま残したものを
まとめてそう言ってるわけじゃないの?
ずっとそう思ってた。もしかして私はすごいバカなのか?

198 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:21:40
>>196
 仰せのとおり膨大な書簡も含みますが、謙信に関する記述の大半は江戸中期に書かれたもの。
※『群書解題』によれば、『川中島五箇度合戦之次第』は畠山義真・吉良義央・
宇佐美定祐(紀州藩大関某)・竹脇義秀が協議した書とあります。吉良義央は
赤穂浪士に殺された吉良上野介。図書館でも容易に閲覧できる下記の史料は
『川中島五箇度合戦之次第』をもとにした類書です。もっとも、上杉家文書の
景勝以降の記述は、同書との整合性をとったもの以外は創作とはいえないと思われます。

『上杉史料集』(井上鋭夫校注、全3巻、新人物往来社、1969)
北越軍談・上杉三代日記・北越耆談・川中島五箇度合戦之次第・松隣夜話・上杉将士書上・久知軍記・古案記録草案
『上杉文書目録』( 米沢図書館編、1969)


199 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:25:31
>>197の間違いでした(198のリンク先)

200 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:47:49
>198

それもまぁ、小幡景憲の「甲陽軍鑑」(半分以上が小説)を元本にしたもの
「関東古戦録」(謙信が40人ぐらいで、3万の北条軍を蹴散らす)と同じ
絵空ごと。いまでいえば、謙信が関ヶ原後に上洛する学研のシュミレーション小説
みたいなもの??


201 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:51:33
>>198
どうもありがとう。また勉強になりました

それにしても、信頼のおける謙信時代の史料って、
ホント少ないんですねえ…重要事項の年代すらまちまちですし…。
やっぱり、御館の乱が悪いのか…。

202 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:07:06
>>201
いいえ、おそらく謙信公が女性だったからでしょう。
滅んだ武田家の文書は信頼できるものも多く残されているというのに、
春日山城が御館の乱で主戦場でなかったにもかかわらず、上杉家の「謙信公」に
関する文書は少なすぎるのです。

203 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:50:34
>>187
引用してる「上杉氏年表」もけっこう杜撰な本なのだが・・・
晴景と次男(景康?)を混同したり、関ヶ原の記述も意味不明だったり
謙信の同時代史料が少ないから、必然的に最新の?研究書も杜撰になるのだろうか・・・

204 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:34:06
>>202
武田家の文書が豊富なのは、家康がやたらと
武田家の軍法やら何やらが好きで、
積極的に残そうとしたからでは。

上杉家は冷遇されたけど…。

205 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:52:28
>>204さん

趣旨がちょっと違うと思う。武田氏同時代史料の「妙法寺記」や
後世の編纂だが伝聞史料として無視できない「軍鑑」に相当する
ものが、上杉家には残されていないのです。相当するものに、上記の
「川中島五度合戦次第」や「春日山日記」などがありますが、信長公
が謙信に「かなわないのでゆるしてください。あなたが上洛のおりには腰に
扇子一本でご案内します」みたいな、冗談としか思えないものばかり…。
上記の大関佐助・吉良上野介がデッチ上げたしたのも、幕府(酒井忠清)から
「本朝通鑑」のために、上杉家においても正しい歴史を報告するようにと、
上杉綱憲に要請があったからです。このデッチ上げを後押ししたのが紀州頼宣公で、
皆無にひとしい上杉家の歴史を宇佐美某に創作させたのが実態だと思います。




206 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:01:09
>>205

>皆無にひとしい上杉家の歴史=×
>皆無にひとしい謙信公の記録=○

の間違いでしたッ!(205)


207 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:06:11
直江兼続なんて超のつく本マニアのくせに
なんで謙信公の正確な記録を残そうとしてくれなかったんだよー

208 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:25:49
たしかに、直江兼続が謎を知っていたのかもしれない。御館の乱の真相も、
生前の上杉謙信がどんな人だったのか――。与六殿が何か書き残していれば。
なぜ直江氏が廃絶になったのかも、歴史の深い闇に閉ざされてるなあ――っ。



209 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 08:45:17
御館の乱の時、後継者の正当性等、後々不都合となる証拠隠滅のため故意に文書が
破棄されたと何かの本に書かれてあったけどね。
この為、景勝の謙信暗殺説まで生まれた。

210 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 13:49:57
景勝による謙信暗殺説、学研の「歴史群像・上杉謙信」にも載ってたな。
読んで、ものすごーく暗い気分になったのを覚えている。上杉家に代々つたわる
「ある言い伝え・・・」で、直江が廃絶になったのもそれ(手を下したのは与六?)
が原因と推論してしまう。直江夫人・景勝・与六・仙洞院あたりが暗殺の計画を。

211 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:33:53
兼続が御館の乱で活躍したっていう信用できる
史料はないよ。軍記に影響されまくりの年譜にも
書いてないのに。

212 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:07:33
>>211
御意。

213 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 15:28:08
>>209
誰の説?
その節にソースはあるの?

214 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 16:55:09
>>213
母校の図書館にあった本で、出版元は新聞社だったと思う。謙信研究の困難さに
ついて、残っている史料の少ない原因として書かれていた。その頃はそれが通説
だろうと思ったので、気にも留めなかったから論拠は記憶していない。その頃は
女性説に興味なかったので、筆者も覚えていない(N大の助教授?)。
あまいな話でスマソ。
なお、暗殺説は自分が付け足したもの。

215 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 17:23:24
徹底史料分析!

216 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 17:31:31
>徹底史料分析!
なるほどね ↓
    >>191-193


217 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:00:31
このスレはただ今から、>215さんの意向にのっとり、出典を全て明らかにし
徹底した史料分析に基づくカキコ以外は全面禁止となりました。
記憶にたよる書き込みや伝聞に基づくもの、まして検証するに値しない小説
の類は一切禁止です。よろしくお願いします。

218 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:06:47
>>217のような
自分で史料提示もできん馬鹿レス、完全無視汁!
これまでどおりの質問や独自の推論を含んだカキコよろしこ。

219 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:31:55
>>217

検証に値しない例

220 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:56:40
史料の提示できない厨>>218必死

221 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:58:27
>>217>>220

荒らしにつき、虫してください。

222 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:16:03
そもそも>>191-193>>187の引用(上杉氏年表)を史料批判しないまま
「小説」と決め付けた張本人。史料に基づいた仮説を批判するなら、反証の
史料を提示すればよいだけのこと。それができないから、>>217のように的外れな
レスが沸いてくるんだろうな。なッ、>>191さんよ。


223 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:22:06
>222
いや、悪意があるのは>>192-193であって、>>191は無罪では?

224 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:57:20
流れに掉さしてスマソ。前スレから話題になってる高野山女人禁制説ですが、
「真田三代記」などによれば、定説になってる関ヶ原合戦後の真田昌幸・真田幸村(信繁)父子の
の九殿山(高野山北麓)配流は、女人も伴ってる(真田大助の母ほか、多数の婦女)。
これって、戦国時代に高野山が女人禁制ではなかった傍証にはなりませんか?
ここの「謙信男装説」論者は「男を装っていたから、高野山が女人禁制でも問題ない」
なのかも知れませんが、男性説派の「高野山女人禁制説」は時期的にどの時代の資料なのでしょうか?
漏れには近世史料か平安末期にさかのぼるのではないかと? エロい人、教えて!


225 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:18:05
>224
真田の場合は高野山の麓の九度山村に住んだだけで、高野山に入山した訳じゃないし。

226 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:23:44
>>224
ふーん、なるほど。真田親子が幽閉された九殿山か。たしかに高野山だね。
幸村の息子はここで生まれたらしいから、セークスもしたわけだ。
男性説派が「高野山の女人禁制を裏付ける史料集」などと鬼の首を
取ったように別スレを立てた根拠「『密教文化』出版社:高野山出版」なるものの
の信憑性が問題になってくるわけだな。 もうあっちのスレは廃墟だから反論も出来まいが、
このスレにも貼り付けられてる以上、無視できんねぇ。男性説の論拠は、またしても一角が崩れ落ちるか。



227 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:35:46
>224>225>226
謙信はそもそも高野山に入山していません。参拝した記録が残ってるだけですよ。

228 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:48:21
>>227さん

こんばんは。
恥ずかしながら私は謙信と高野山との関わりは全く知らないのでお尋ねしますが、
謙信が高野山を参拝した記録を具体的に教えていただけないでしょうか。

いまさらながら大日本史料を調べてみたのですが、見つけることができませんでした。
急ぎではありませんので、よろしくお願いいたします。

229 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:53:38
>228
てがるなところでは「上杉氏年表」に、本願寺・大徳寺・高野山を参拝と。
原史料は自分であたってくださいね。謙信公の高野山参拝は通説の範囲なので、悪しからず。

230 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:54:15
>>226
九殿山なんてありませんよ

231 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:56:21
>230
はぁ?? 辞書見れよ(w

232 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:13:27
>>229
「上杉氏年表」には、高野山に参拝したという記述はありませんよ。本願寺証如上人日記に贈答の記述、
越佐史料に大徳寺の徹岬宗九から「宗心」の法号と五戒を授けられたとあります。
高野山参拝の記述が「上杉氏年表」以外の「原史料」にあればここに書き込んでください。
                               草々・・・。

233 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:21:33
うん?>>8の男性説

>・厳しい女人禁制の高野山に2回登山

という前提自体が、フィクションかもしれんのぉ??


234 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:29:24
たまには世論に問おうよ(age)スマソ…

235 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:55:02
>>229さん
>>228です
さっそくレスいただきましてありがとうございます。
『上杉氏年表』はやはり必読のようですね。機会があれば目を通してみます。
原史料を教えていただけないのは非常に残念です。

>>232さん

詳しいご紹介、ありがとうございます。
仰るとおり、天文22年の本願寺・大徳寺とのつながりは私も確認できました。
また、それに関連して景虎の金剛峰寺参拝を示す史料の手掛かりもつかむことができました。
ありがとうございます。

今日はもう遅いので寝ます。


236 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 09:22:31
>真田親子が幽閉された九殿山か。たしかに高野山だね。
結界を知らないのかねぇ。

237 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 11:00:16
結界?w

238 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 11:46:11
>>237
高野山の清浄結界がおかしいとでも?

239 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 15:35:13
宗心の法号といい、高野山の登山といい、
景勝の事跡が謙信のものと摺り返られているものが多い気がする。

240 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 16:50:20
>>224>>226 自演しても同じ間違いしちゃばればれでんがな。

×九殿山
○九度山

241 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 17:58:18
九度山は女人禁制の高野山に住む女の縁者が、住まう場所として有名
慈尊院もありますしねぇ

242 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:23:27
>>241
つまり女性は、徹底して隔離されたと言うわけですね。

243 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:40:47
九度山の名は弘法大師が月に九度は必ず女人禁制の高野山を下って、母を尋ねた
ことに由来するという。

244 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:57:25
今夜も自作自演の猿芝居が見れるのかな、ワクワク

245 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:35:05
男性説派というか、無学ながらも時おり鋭い指摘をする香具師らも
このスレに参加したことをもって、謙信女説スレ御館騒動も一件落着って
ところかね。めでたし、めでたし(微笑

246 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:06:28
てゆーか、謙信が高野山に参拝したとか、比叡山で得度しようとしたとかの
史料てのはあるの・・・?


247 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:26:01
>>246さん

『史料綜覧』の天文22年11月13日2条には
「長尾景虎、和泉堺に到り、本願寺光教(證如)に物を贈る、尋で、景虎、紀伊金剛峯寺に詣す」
という綱文があります。
おそらく出典は「上杉家記所收高野山文書」だと思いますので確認してみてはいかがでしょうか?


248 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:47:59
>247さま
246ではありませんが、情報サンクス!

249 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 09:03:22
>無学ながらも時おり鋭い指摘をする香具師らも
こういうレスが発端で、スレが荒れてまともなカキコが減り、別スレが
たつ要因にもなった事が解らんのかねぇ。
ま、解るような人なら最初から書かないか…

250 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 12:53:30
>>249
そりゃ、誤解だよ。>>245は無学な者から鋭い指摘をされてしまう自分は、無学な
上にオバカだと自己批判してるわけだから、全然問題ないよ。

251 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 18:59:02
前スレのテンプレを作ったものだが、しばらく見ないうちになにかあったのか?

252 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 19:06:09
>>251
君の主張が通って、学界でこの説が認められたよ。すごいね。
       ↓
<すでに論破された男性説側の反論の一例>
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
(江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)



253 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:14:44
>250
頭がいい人だなぁ・・・。

254 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:36:08
比叡山に関する出家か参拝の史料はあるの?

255 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:45:51
>>252
うそ〜まじで?

ソースきぼん

256 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:48:55
男性説派は、なぜ程度の低いレスばかりするのか。

謙信が男性であるという考えがあるのなら、理論で示せばよいではないか。

257 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:11:26
程度の高いレスの一例

  >>224 >>226

258 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 19:49:06
>>255
頭が悪い人だなぁ・・・。

259 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:31:56
>257
「程度の高いレス」というより「悪ネタ」だったのだと思うが?
これまでに、この新スレでまともな男性説派の「レス」も「ネタ」もまったくない。
というよりも、男性説派(女性説否定派)は女性説あっての存在。別スレが死んだのも道理にかなっているよ。

260 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:30:44
内容の無いレスはスルーして、中身のある議論をプリーズ
     ↓


261 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 01:12:02
中身のある理論なんてあらかた終わってて、
DNA鑑定を待つのみって結論が出たんだろうが。

あとは鑑定まで細々と保守すりゃいいのに、なんで荒しまがいのことをするのかと

262 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 01:33:02
保守

263 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 01:36:45
「理論」

264 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 06:19:14
仲良くできんのかおまいらは

265 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 23:41:27
>>264
もう喧嘩なんかしません。仲良くしますので、お願いを聞いてください。
もっと、上杉謙信女性説の真相を教えてください。

266 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 11:18:30
        lヽ ノ l        l l l ヽ   ヽ
  )'ーーノ(  | |  | 、      / l| l ハヽ  |ー‐''"l
 / D  | | |/| ハ  / / ,/ /|ノ /l / l l l| l  D ヽ
 l   ・  i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'"   `'メ、_lノ| /  ・  /
 |  N  l  トー-トヽ| |ノ ''"´`   rー-/// |  N |
 |  ・   |/     | l ||、 ''"""  j ""''/ | |ヽl  ・ |
 |  A   |       | l | ヽ,   ―   / | | l  A  |
 |   !!  |     / | | |   ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | |  !! |
ノー‐---、,|    / │l、l         |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
 /        / ノ⌒ヾ、  ヽ    ノハ,      |
,/      ,イーf'´ /´  \ | ,/´ |ヽl      |
     /-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ    |  l
   ,/   | ヽ  \  _,ノーf' ´  ノノ  ヽ   | |
、_    _ ‐''l  `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_   _,ノ ノ
   ̄ ̄   |           / 

267 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 15:12:40
>>265
ヒント:戦国BASARA

268 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 21:51:59
それマンガ?

269 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 23:12:31
>268
謙信が女で、頼みの九の一(女忍者・かすが)が活躍するゲーム
主役は政宗かな?

270 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 23:34:00
女性説のスレなのに誰も>>265に応えない件


271 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 23:56:05
>>270
もう、語り尽くしたかと・・・。
男性説派の挑発もないことだし。

272 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 01:22:50
閑話休題………若き謙信様の御姿(三戦板から)です。見たくない方はスルーよろしこ。

aploda.org/dat4/upload44026.jpg

aploda.org/dat3/upload44027.jpg

273 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:22:13
>>272

なかなか萌えたよ・・・

274 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 17:57:47
久しぶりにきたけど、もう終わったようだね。
>もう、語り尽くしたかと・・・。
と言う事だから。
結局女説者の仮説とやらは
>>187 >>188
が限界で、これ以上の仮説は逆さに振っても鼻血もでないということだね。
それにしてもこんな稚拙な仮説でDNA鑑定をしようなんて完全にネタだよね。
万が一マジでいってる人がいるとしたら、DNA鑑定以前に精神鑑定が必要なわ
けだし…
ま、女説をサカナにこれだけ楽しめたんだから、満足だろうけどね。

275 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 18:48:46
はいはいわろすわろす

276 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 19:17:46
安い煽りだったな。

277 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:29:22
あとはどうDNA鑑定を実現させるかだな。

278 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:37:03
>>277
そりゃぁ、あんたらが愛してやまない謙信公の自筆血判書にこびりついた血液の部分を削り取って(文書を破壊して)DNA鑑定するんじゃないの?

279 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:39:12
あ、それと>>274は >精神鑑定が必要 は言いすぎだけど言ってることは正論じゃないの?

280 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:39:55
血液鑑定よりも遺骨から復元して欲しいな

281 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:08:29
甲冑着て眠ってるんだっけ。ロマンだねえ
やっぱ掘り起こしてほしくないな。ジレンマ

282 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:52:46
>>274
>精神鑑定が必要

などと言いながら、女性説(仮説)には何の反論も出来なかった?
この手合いには「精神鑑定」よりも、学習意欲の湧く処方箋を勧めるよ。
まっとうに史料を読むことも、史料批判もできないんだから(哀

283 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:03:21
>>279
正論だから、>>275 >>276 で誤魔化そうとしてるのさ、解ってやれよ。

>もう、語り尽くしたかと・・・。
>と言う事だから。
>結局女説者の仮説とやらは
 >>187 >>188
>が限界で、これ以上の仮説は逆さに振っても鼻血もでないということだね。

これ以上の仮説がこのスレの女説者にたてられるわけないからね。
立てられるなら、あわてて語り尽くしたなんて打ち切る必要ないよ。
つまらん煽り止めて、マジで>>187 >>188以上の仮説を語ってみなよ。

284 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:05:50
>280>281

伝承どおり大甕に入れて、蝋や漆で固めたのなら
生前の姿のまま保存されてる可能性もあると思うのだが。

285 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:09:03
>>274>>279>>283
は、無内容な自作自演です。スルー、よろしこ。


286 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:24:45
>>285
はいはい、煽りじゃないなら、マジで>>187 >>188以上の仮説を語ってみてよ。




287 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:27:07
>>261
保守

288 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:32:42
>>286>>187-188の中の人?
>>187 >>188以上の仮説。て、そんなに素晴らしい仮説なの?

289 :53(じつは前980):2005/07/28(木) 22:52:10
>>288
いや、違うでしょ。
>>286は女性説否定派だと思うよ。
表現は荒っぽいけど正論じゃないかな。

個人的には女性説の人には史料を提示していただければありがたいですが、
このスレみてるととてもそんな期待はできそうもありませんね。

290 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:03:35
>>289
前までのスレではそれなりに。

今ではアンチ女性説派に呆れて、まともな奴は来なくなったと思われる。

291 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:05:57
>>289
>>274(おそらく>>286)がいうとおり「稚拙な仮説」であっても、相手は史料提示しているのだから
逐条的に反論するのが礼儀ではないのか? 言うに事欠いて
「DNA鑑定以前に精神鑑定が必要なわけだし…」とは笑止千万ですね。
それを「正論」とするあなたにも、何も期待できそうにありません。


292 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:08:50
あぁっ!コテハンに戻ってた…orz

たしかにまともな人は少ないですよねぇ。
上杉の事なんかぜんぜん知らないのにがんばって史料提示してきたのに、誰も応えてくれないのが空しいっすわ。

せいぜいがんばって女謙信の銅像でも立ててくださいな。
でも税金は使わないでくださいね。

>>291
>>279


293 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:12:59
>292
偉そうに、何者?? 何の史料提示したん?

294 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:22:07
>>293
基本的な文献(上杉文書)も読んでないアホだから、気にすんな。

295 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:45:00
『週刊ビジュアル日本の合戦 武田信玄・上杉謙信と川中島の戦い』(講談社)
を購入しますた。謙信不犯の謎のページに、男色説とともに女性説が「珍説」として扱われてましたが、
まぁ、内容までは詳しく紹介されてなかた。しかしながら、謙信女性説は不犯の要素として
無視できないというか、何となく刺身のつまにはなってるわけだ(笑

296 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:10:58
>>294
マジメなレスをくれた方を、不必要に排撃しないようにお願いします。
>>295
私も買いましたよ。
信玄の茶臼山布陣を踏襲した通説ばかりでしたが、
三条夫人をまっとうに評価しているのが白眉です。
肖像画も初めて見ましたし。
あと、武田の盾無の写真、謙信の飯縄前立兜、
この本の収穫はヴィジュアルだけなのですが、
まあ仕方ないのかなと。

297 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:22:00
>296
飯縄権現の兜より、古形金箔兜(三つ編み縅毛)のほうが、綺麗で可愛くて好きなんだけどな。そうですか…。

298 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:56:31
>三つ編み縅毛

やっぱり、いいですよねぇ。女っぽくて(憧

299 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:20:58
別スレ、停止が入ったな。

300 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 05:38:12
うわあ、本当だ。誘導のあるなしで決まったんだのですね…

301 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 09:04:57
久しぶりに見たよ。停止記念。

348 :停止しました。。。:停止
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ


302 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 09:53:43
あまりにも当然、的確な停止処置だ。あらかじめ女性説を否定した
スレッドで、女性説が議論されるわけがない。めでたし、めでたし。

303 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 11:45:10
あくまでここは議論の場であるから、祝杯は三戦板であげようか

304 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 12:10:57
>今ではアンチ女性説派に呆れて、まともな奴は来なくなったと思われる。
なるほど、まともな女性説派はおらんのか。納得した。

305 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 15:26:56
まあスレが一つになるのは良い事だ

306 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:00:24
なーんだ、向こうが先に死んじゃったの(w

307 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:00:06
 めでたくスレッドが一本化しましたので、男性説派スレ?の残されたテーマをここで検証しましょう。
 概略すると、

@謙信が朝廷に献金した時期と官位を賜った時期の検証
A飯縄権現信仰が女性を近づけなかった有力な理由では?

 というものですが、このうち官位を受けたのは上洛に先立つ天文21年。大覚寺義俊らの斡旋により
弾正少弼を拝領。使者の神余親綱が公家衆、幕閣に貢物を届けています。さらに、天文22年の上洛で
朝廷・公家衆および寺社に金品を贈り、官途拝領の返礼をしています。
 飯縄信仰ですが、男性説スレでは、女性を近づけないことで信仰が成就する。これによって、謙信不犯の
理由という傍証がなされていますが、出典や史料分析は不明でした。謙信と飯縄信仰のかかわりは
上杉神社所蔵の兜の前立てに明らかなのですが、飯縄信仰はもとはインドの神で、仏教に取り入れられた
のち、山岳信仰(妖術)となった経緯があります。
 すなわち、元の信仰である荼吉尼天は、梵語ではdakini(ダーキニー)で、女性の神(当初は鬼女)
なのです。飯縄信仰のどの時期に「女性を近づけない」(?)が発生したのか不明ですが、
高尾の飯縄信仰には「夫婦和合」もありますので、まことに不可解といわざるを得ません。
 少なくとも、謙信が信仰していた室町期には多数の戦国大名(信玄もそのひとり)が飯縄権現を信仰
しています(一説には飯縄権現=不動明王も)。女性説的には当然、女性神を信仰したのであろうと?
※「上杉謙信と飯綱信仰」(長野郷土研究会)

死亡(男性説)スレ↓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121248125/l50

 またおもしろい史料があれば、続編をUPします。

308 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:29:12
>>307さん

私は小林計一郎も読んでないアホでして、Aの件はついていけそうもないので遠慮させてもらいますが、

@について
謙信の朝廷への献金と従五位下・彈正少弼任官が女性説とどのように関わっているのでしょうか?
わかりやすく説明いただけると幸いです。

309 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:54:27
>308

307ではないが、男性説派スレのこのあたり(下にコピペ)の設問に応えた
ものと思われ。女性説派が「官位はカネで買える」?をめぐっての
議論ではないかと。
小林計一郎は真田氏が専門の研究者なので、飯綱信仰とは関係ない
と思われ。説明不十分で、スマソ。

186 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 12:09:03
>>185
女説のバカ連中の嘘というのは
例えば
「男性用の官位でも金さえ有れば女性でも買える」とかですか?
192 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 14:08:36
>>186
高野山は金と権力で解決との意見も見たな。
頓珍漢な嘘は女性説派にも迷惑と考える人は多そうだな。
193 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 14:22:46
そもそも、献金した時期と官位を与えられた年の検証もしてないよ、バカ連中は。


310 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:05:53
>>309
乙! しかし、こうして見ると、男性説派のレスは品性がないねぇ
何かといえば「バカ連中」の頻発(ワラ

311 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:20:00
>>309さん

どうもありがとう。
「上杉謙信と飯綱信仰」で検索したら小林計一郎氏の論文がヒットしたもので、てっきりその件だと思ったのですが…。
CiNiiではヒットしませんでしたので少し早まりましたかね?

「官位はカネで買える」?の議論は女性説とは史料的には直接関係ないようですね。
官位が買収できるかどうかの議論はさしあたっては二木謙一氏の『中世武家儀礼の研究』と田中修實氏の『日本中世の法と権威』あたりを
読んで勉強してみます。
ほかに参考になるものがあれば教えてください。

任官時期は一般的には天文22年になっているようですが、異論が出ているのでしょうか?
こちらも少し興味があります。

それでは。


312 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:42:07
こんなのが最後っ屁とは、男性説スレもみじめだな(合掌・・・)

347 :日本@名無史さん :2005/07/29(金) 01:13:42
>>(引用者削除)
引っかかったな、バーカ! 女説論者め!!
348 :停止しました。。。:停止
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ


313 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:12:40
恥ずかしいからやめておくれよ

314 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:15:11
>>312さん

 あまり死者をイジらないように。

>>311さん

>任官時期は一般的には天文22年になっているようですが、異論が出ているのでしょうか?

 とのことですが、上杉氏文書と越佐史料、平子氏文書などに天文21年の記述があるようです。一般的に
天文22年とされているのは、謙信(長尾景虎)が後奈良帝に拝謁したこと(剣と盃を下賜される)を
もって、官位と官職が成立した。という脈絡(史実の簡略化?)ではないでしょうか?
この件について、とくに議論があるわけではないと思います。仰せのとおり、女性説との関連では、あまり
内容のあるテーマではないかも。


315 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:27:50
>313
もしかして、男性説スレの>>1さんですか?
違ったらゆるしてね。男性説スレの>>1さんのご奮闘には敬意を表します。
行きがかりの不幸な記憶は水に流して、単一スレで議論できれば幸甚です。(謝

316 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:38:30
>>315

激しく同意する

317 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:00:35
>>315>>316
漏れは簡単には、和議は受け容れんよ。あれだけの破壊工作(大量ゴピペ)をしておきながら、
いまさら一緒に、まともな議論ができるものかね???戦国時代なら、首実験してから
敵将の墓標を造るんではないの??恭順するんなら、謙信公の慮りに従うけど・・・。

318 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:10:21
>317
勝手に汁!

319 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:32:43
なんかあれだねぇ、
>>307-314あたりの流れと>>317との激しい落差が2ちゃんらしくていいねw


320 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:50:22
>>313は、本当に男性説派のスレ主なのか?
当該の一騎当千一両具足、武勇の者ならいさぎよく、開城降伏(和議・切腹)をもって、
謙信公(女だが)の御前にまかり越すべし!! 女説派スレ奉行 花押£


321 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 02:04:28
>320
無理を言うなyo。落ち込んでる最中なのに・・・。

322 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 02:25:28
>320>321
向こうの>1というか、スレ主というか。けっこうフランクで、感じ良かったんだが
こーんなレスの端々に、自分は好感度を持ってました。なんか必死で、けなげというか・・・

>××年前(引用者削除)じゃねえか!
>っていうか>>××(引用者削除)はそういう意地悪な書き方しないでください。


323 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 02:45:50
内容はともかくスレタイをいじったのは少々懐疑的だったあのスレ

324 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 02:55:12
>>322
気に入ったらしいから、TXT形式で保存しといたよ。先々、思い出して楽しもうな。
>>323
どの内容を受け入れ可能だったのか、是非とも訊きたいもんだねえ。
ここ2週間「あのスレ」と「このスレ」は命を削りあう勝負だったのに、
物見遊山の論評は聞き捨てならんぞな。「あのスレ」の住人のためにも(怒!!!

325 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 03:05:23
>324
すこし餅つけよ
せっかく統一したんだからさ
いいたいことはわかるし・・・・

326 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 03:31:37
もちつけ、ペッタン…。そのうちに、きっといいことあるさ。

327 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 04:34:57
大体あのスレ自体が男性論者のスレ以前に本スレのつもりで勝手に立てられた眉唾スレ
ようやくこっち立っても荒らしやら削除依頼やらひどかった

328 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 08:38:38
自分はどっちかというと女性説否定派ですけど
あの煽るようなスレタイは、わざわざ揉め事を起こそうとしてるみたいで
ちょっと嫌でしたよ

男性か女性か、いろんな史料ひっぱりだして考えるなかで
謙信のいろんな面が見えてくるのが面白いわけで…

329 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 11:39:48
三戦に貼られてるから夏厨が来たらごめんね

330 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 12:06:48
必死だな

331 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 15:59:41
>>311
>「官位はカネで買える」?の議論は女性説とは史料的には直接関係ないようですね。
前スレでは、女である謙信がなぜ男性用の官位をもらえたか、という課題で「当時は金を
払えば女でも男性用の官位を買うことができた、謙信は朝廷に毎月、金を献上していた」
とありました。つまり、謙信は男性用官位を金で買ったという説明でした。
そこで、毎月献金していた時期と叙任の時期を検証すべきだという話になったのですが、
謙信が毎月献金するようになったのは、叙任したずっと後のことです。
当時官位については、何でも有りという風潮がみられますが、徳川家康が「征夷大将軍」
となる為に、先祖を源氏と捏造せざるを得なかったように、官位に対しての慣習は原則
として守られていました。時の権力者でさえこうなのですから、地方大名が女性であり
ながら男性用の官位を叙任する事は、並大抵の事ではありません。
 各自、官位を勝手に名乗ったりしていた時代でも、武将たちは正式に官位を得るため、
事前に献金したり公家たちに金を遣わせて裏工作を行なったりしています。男武将でさえこうでしたから、これが女謙信なら相当困難。せめて、叙任時期以前に莫大な献金や公家
たちへかなりの事前工作を行なった史料がないと、説得力はありません。
 しかしそのような記録はみつかりませんでした。 >>307さんが書いているとおり、謙信
は叙任に対する礼金を支払った記録はあります。この叙任に対する礼金は、この頃の朝廷
の貴重な財源でありごく普通に行なわれていたもので、決して官位を買う為のものではあ
りません。その後礼を尽くす為異例の上京をし多額の献金などまでしておりますが、これ
も言うまでも無く叙任後の話で、献金を条件に事前に官位を叙任する約定書の存在でも示さない限り、女謙信が男性用官位を得られた理由としての証明はなされない筈です。家康
でさえ出来なかった慣例破りを謙信がどうして成しえたのか、朝廷がなぜそれを認めたか
真に不思議です。
 どうやら、官位問題を女説で説明するには、謙信は朝廷に対して自分は男であったと思
わせていた(男装説)説しかないように思います。しかし、それも上洛後一同で稚児遊び
をしていた史料がある訳ですから、女説の人は、この矛盾点をどう説明されるのでしょう
か?


332 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:09:00
公的には男性という事でまかり通っていたならその疑問は氷解する訳だが
というかそうでないとあらゆる矛盾が出る

333 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:43:29
>どうやら、官位問題を女説で説明するには、謙信は朝廷に対して自分は男であったと思
>わせていた(男装説)説しかないように思います。しかし、それも上洛後一同で稚児遊び
>をしていた史料がある訳ですから、女説の人は、この矛盾点をどう説明されるのでしょう
>か?

そもそも謙信が上京すること事態、私は女ですよと報告しに逝くようなもんですよね。

334 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 18:36:32
稚児遊びも自分は着衣を脱がなければセーフじゃね?晩年のジャニーさんみたいに

335 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 23:34:59
>>333
だから関白がひと目惚れ。って立証が上のほうにあったな。

>>334
公方や公家衆が列席する酒宴の席で「着衣を脱」いだ?
それって、乱交パーティっスか?


336 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 23:47:38
>しかし、それも上洛後一同で稚児遊びをしていた史料がある訳ですから、
>女説の人は、この矛盾点をどう説明されるのでしょうか?

トランスセクシャルにおいては、自分の性同一性障害の克服過程で
異性(謙信が女性なら男性)になることで異性(男性)愛を満たす
とされています。つまり、単純な性同一性障害ではなく、ふたつの性の
間を漂うのです。いわゆる「やおい」においては、男性になりたい願望と
男性になって同性愛に憧れる傾向があることは、周知のとおり。
ユング派における「アニマ」と「ア二ムス」が複雑な現象をたどるように単純ではないのです。
※榊原史保美『やおい幻論』、杏野 丈『シンデレラさんお大事に』などが
わかりやすいと思います。


337 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 00:26:24
>>331さん

>叙任時期以前に莫大な献金や公家 たちへかなりの事前工作を行なった史料がないと、
>説得力はありません。しかしそのような記録はみつかりませんでした。

上杉氏は享禄年間から京都雑掌の神余昌綱が三条西実隆と連絡を保っています。【実隆公記】
天文年間の越後騒乱では、長尾為景が複数の綸旨を朝廷から受けています。【上杉文書・いわゆる錦の御旗再下賜など】
長尾晴景が室町将軍義晴の編緯を受けたこと【新潟県史】、義晴の大納言任官のときに着用した
桐紋の御服を下賜され、返礼の贈答をしたこと。上条定憲との騒乱や伊達嗣子問題での内乱の時期も、
為景は綸旨や御内書を受けて平定に成功しています。このような流れから、神余昌綱・神余親綱ら京都代官が
朝廷および幕閣に働きかけていたのは容易に推察されるはずです。天文22年に突如として
官位が下賜された(史料がない?)ということになれば、上杉氏および長尾氏の京都政界工作を
過小評価することにはならないでしょうか。一般に愚昧な当主だとされている晴景も、
家督相続後は活発な京都外交を行なっています【新潟県史・竹俣清綱との和議など】
景虎時代の京都外交をしめす当該史料は、わかり次第アップします。

338 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:05:43
ふ・・・素晴らしい水準の議論だな・・・age

339 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:17:33
>337
史料あるよ。「上杉氏年表」の81ページ。
天文19年2月26日以後の記述。莫大な費用を費やしたらしい。

340 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:36:48
官位もらったのは天文21年だよねぇたしか?

たしかに官位をもらう前にも貢いではいたってことか

341 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:56:46
>>339さん >>337です。

サンクス、【年表】確認しました。義輝が将軍になった天文15年にも、晴景が
「太刀一要(備前長光)・駿馬一匹・青銅三千匹」を献上してますね。
天文19年の上杉定実死去にさいして、義輝のほうから「白傘袋・毛氈
鞍覆」の使用を許可したのは、大覚寺義俊らの斡旋。なるほどですね。
天文20年に六角定頼が相互に贈答して伝奏役を果たしたらしいのは
意外でした。翌年の上洛の布石だったのでしょうか。


342 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 02:04:35
>>341(訂正)
>翌年の上洛
スマソ、翌々年(天文22年)でした。

343 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 02:41:21
>340

謙信以前から、朝廷にも公家にも毎年欠かさず貢いでるよ。上杉(長尾)は青芋(越後上布)座の
生産・流通管理を全面的にまかされてんだから、当然のはなしだ。当時の越後は商業国だったし。

344 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 03:32:47
>331

>当時官位については、何でも有りという風潮がみられますが、徳川家康が「征夷大将軍」
>となる為に、先祖を源氏と捏造せざるを得なかったように、官位に対しての慣習は原則
>として守られていました。時の権力者でさえこうなのですから、地方大名が女性であり
>ながら男性用の官位を叙任する事は、並大抵の事ではありません。

「当時」と言っても、50年以上も時代が違うのだが?
謙信が「地方大名」(守護職)だった頃、家康(松平元康)は今川氏の人質ですな。

345 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 03:58:22
>>344

北条武田同盟に圧迫された徳川家康は、時の権力者(関東管領山内上杉謙信)に
織田信長を含めた三国攻守同盟を求めている(元亀元年)しねぇ(微笑
ま、時の権力者(家康)の相手は、景勝と兼続だったということで(微笑

346 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 04:30:32
>>331

地方大名(今川義元)の人質の松平元康が「時の権力者」??
久しぶりにワロタよ。関東11万の大軍で小田原城を包囲した政虎様は、
桶狭間後の人質元康の処遇をどのように感じたのか、なにげに知りたいなあ・・・。

347 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 04:59:13
>346
母性本能の強い政虎(まんとら)様(永禄三年当時は景虎)は、少年(松平元康)の処遇に頭と胸を痛めたことでしょう。
その後、厩橋城で成田家の人質をあやしたりという記述が、松平記に残ってますから。

348 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 06:42:13
>>344-347
>「当時」と言っても、50年以上も時代が違うのだが?
>謙信が「地方大名」(守護職)だった頃、家康(松平元康)は今川氏の人質ですな。
そっかぁ?
家康が征夷大将軍になったのは、関ヶ原が終わって実質実力1になってからじゃん。
331のいう『当時』とは、その時(征夷大将軍になろうとした頃)のことだろ?
どう考えても激しく勘違いしてると思われ。。。

349 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 08:23:07
あーそういえば、まんとら様の歌って、
なんでよりによって「政虎」の名が選ばれるんだ?

「政虎」でいた期間なんて、1年もないっすよ…
期間としては一番短いんじゃない? マイナーな「宗心」より短いよ…

350 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 14:00:39
>331
人質が時の権力者! 小学校から勉強やり直せ、ヴォケがーw

351 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 14:18:19
>>349
>「政虎」でいた期間なんて、1年もないっすよ…

戦国史上最大の激戦とされる第4次川中島合戦のときに
上杉政虎だったから。「♪しろやま(善光寺城山)さまのおんために…」
明らかに川中島合戦の意味だ。

352 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 15:00:23
>>350
>>348


353 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 16:46:16
>>331 こいつ、無学な男性説派の見本だね。
バカに教えてやるよ。

謙信は官位もらう前から朝廷に貢いでたし、謙信が官位もらった時は、家康は元服
もしてなかった。
よって10年間の修行を申し付ける。

ついでに、
男性説派のこのような馬鹿たちはこのスレッドの立ち入り禁止じゃ

354 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 17:54:23
家康どうこうよりも、女性説にとって重要なのは

>謙信は官位もらう前から朝廷に貢いでたし

の部分だろ?

355 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 18:45:52
長文なだけで中身が伴ってないなー

356 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 18:56:55
何も史料に当たらずに頭の中のウロ知識だけで慣れない長文を書くと、
ボコボコにされるという好例>>331隙だらけで、叩いてくれと(w

357 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 19:54:04
改行がちゃんとできてないのはコピペだからかな?

358 :日本史@名無しさん:2005/07/31(日) 19:55:53
初めて覗きましたが・・・。

勝手にまとめると、
@ 当時の男尊女卑の風潮の中で、その事実を秘し、なおかつ自らは戦場を真っ先駆けて
   暴れ回ることが果たして出来たのか。漢を見せるということも、当時の武将の重要なポイ
   ントであったし、このことが敵に知れたら当然宣伝材料にもされるのは間違いないが、そ
   のような挑発があったという資料は皆無(?)。
A 任官問題 ある意味もっとも女性蔑視的な朝廷の任官で、そのような噂が皆無だったの
   かどうか。
B 高野山参詣問題 

まあパワーバランスの上に成り立ったリアリズムの極致である戦国時代に、鬼のように強かっ
た謙信が女という噂ぐらいあったとしても、その政治・軍事力に鑑みて口にしなかったということ
かもしれないが、@に書いたように直接的利害がない勢力にとっては誰にはばかって口を包む
理由もない。ならばこんな恰好の大スキャンダルを嘘でも流布しない手はないと思うんだけど。
まして猛将の誉れ高く軍神とまで謳われた謙信が女だったという仰天!の話だし。

359 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:07:45
>358
全然「まとめ」になってない(笑
読む力も、まとめる力もなさそう(哀


360 :日本史@名無しさん:2005/07/31(日) 20:10:34
それはどうもw

別にどっち派でもないし、むしろとても面白い話だと思うんだけど、あんたのような
スレ汚しが人を散らしてるってことはよくわかるよ。

361 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:18:28
>>331さん

詳細にご説明いただきましてありがとうございます。

どうやら災難なようですね。
まぁ、2ちゃんならではといったとこでしょうか。

ところで、受官に際して献金すること自体は謙信に限らず多くの事例が知られているので、
この議論自体は女性説を前提として行われているわけですね。
ということはあくまでも議論の末葉であって根幹に据えるべきではない話のように思います。

多くの方が述べておられる「天文年間の家康」の話については>>348さんが的確に指摘されていると思うので
お気の毒に、とだけ言っておきます。

それでは。

362 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 21:12:07
前スレの「貴重な情報交換」→「無内容な詰り合い」の繰り返しに比べると、いいレスもあるんだが。
不用意に隙を見せると、否定派バスターズみたいのが殺到して・・・。

363 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 21:20:22
>>358,360
もせっかくの書き込みなのに、災難だったな…。まったく同感だよ

なんかこのスレを監視して、
書き込んだ人の感情を害することを生きがいにしてるような奴が
住みついてんだよ。

否定派意見を述べるときは、
むしろそいつを釣ってやるくらいの気分で書き込まないと、やってられんかも…

364 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 21:47:10
>>363>>358

いや、それは君が史料に基づいた指摘をできなかったからだよ。
単なる理屈や論評なら誰にでもできるし、ぎゃくに叩かれるだけ。
とくに男性説スレッドと分立・相互絶滅戦みたいな感じでスレが進んできたから、
過剰反応する香具師も多いのだと思うが・・・。

365 :日本史@名無しさん:2005/07/31(日) 21:58:43
全員が全レス資料ないとしゃべれない訳か

といって資料も全部既出だよね


もうこねーよ ( ゚д゚)、ペッ

366 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 22:19:15
誰も無内容な香具師に「来てくれ」とは言ってない(笑
そもそも>当時の男尊女卑の風潮
って、そりゃ江戸時代か? 北条政子いらい、足利義政の職務を代行した
今の局・日野富子、立花ギン千代と、中世は古代とともに女性が政治で活躍した時代だぜ。
一般に男尊女卑とされる江戸時代にも、女大名(清心尼公)がいたわけだしね。

367 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:51:57
学問板として当然の対応なり

368 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:32:48
348なんだけど、家康の官位の件をよく理解してない御仁がまだいるので、補足しとくよ。
天下を狙う家康が富と権力を手中に収めて、幕府を開こうとした時、征夷大将軍になるため
それまでの慣例から源氏の系列である必要があったので、系図を粉飾したといわれている。
そうしないと、朝廷が首をたてに振らなかったからだ。
しかし、実際には1567年三河守として従五位下をうける為に、源氏の系図をでっちあげた
ともいわれている。つまり従五位下以上は、源平藤橘である必要があったから。

どっちにしても、官位をもらうためには、ちゃんとしたルールがあったってことですな。
家康が官位を得るために裏技をつかったように、景虎もなんらかの裏技を使わないと
男でないともらえない官位を得るのことできなかったはず。。。

漏れは、上杉家の事は良く知らんのだが、官位は戦国時代後半は本人の自己申請で
行われたから、
331は、今回のことに懲りず(バカ騒ぎで書き込む気力が萎えたろうが)このあたりの
史料(公家の日記など)を検証して、また書き込んで欲しいもんだな。
楽しみにログってまつ。

369 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:40:46
>つまり従五位下以上は、源平藤橘である必要があったから。
嘘はいかんよ
大江氏の毛利輝元は?氏素性がない秀吉は?

家康のは、三河守の叙任の前例がなかったから
得川系図捏造しての叙任だったかと

370 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:47:50
>368
>男でないともらえない官位を得るのことできなかったはず。。。

官職は知らんが、位階なら女性でも得ることはできる。


371 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 01:47:25
>>369
>嘘はいかんよ
漏れのカキコ良く読んでよ(苦笑
しかし、実際には1567年三河守として従五位下をうける為に、源氏の系図をでっち
あげたともいわれている。ちゃんと「いわれている」と書いてるよ。
つまり、そういう説もあると紹介しているだけなのだが。。それとも、そういう説も有る
と書いた事が、嘘をついたことになるの?

>>370
おっしゃる通り、北政所なんかが位階をもらってる。朝廷が女景虎を取り込もうとしたの
なら位階を与えるだけで十分だったと思われ。。。



372 :371:2005/08/01(月) 02:23:55
連続カキコ スマソ
368の従五位下うんぬんのカキコは確かに蛇足だが、征夷大将軍のことを書いたら
どうせ突っ込みがいるだろうと予測して、あらかじめ書いたまで。

>>369
>家康のは、三河守の叙任の前例がなかったから
>得川系図捏造しての叙任だったかと
系図の粉飾した理由については諸説あるんだけど、取りあえず家康が官位を得る為
に系図をでっちあげたことは、認めてくれたんだよね(謝

373 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 08:31:13
「山形には『上杉家では家督相続の際、継承者のみに伝えられ続けたという御家の禁忌が存在した』
という逸話が残されている。その禁忌を知った継承者は、どんなに剛毅な者といえども顔青く冷や汗が滴るといわれるほどの衝撃を受けていたらしい」
と本で読みました。謙信女性説と何か関係あるのかな...

374 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 10:44:11
>取りあえず家康が官位を得る為に系図をでっちあげたことは、認めてくれた
>んだよね(謝

違うぞ、>>371氏の主張は、徳川の姓を名乗る許可を朝廷からえるために、源氏を詐称
した、だな。
権力者の官位としては、家康より秀吉のほうが苦労してるぞ。

375 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:30:17
なるほど。そうすると、出自の身分の低さは公然の秘密ながら、
公的な形式を整えさえすれば、前例の殆ど無い官位が貰えたわけだ。

そうすると、女性謙信が公然と女性と知られてるとはいえ、
官位を得るために男性的な名前を付けたという説が
重みを益して来るかもしれないな。

376 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 13:30:55
>374
>権力者の官位としては、家康より秀吉のほうが苦労してるぞ。
通説ではそうなっているけれども、秀吉が征夷大将軍になろうと画策しなかったのは、
すでに天下人になっていた彼があえて征夷大将軍として幕府を開く必要性を感じな
かったからでは、という説もあるよ。

スレ違いな話スマソ

377 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:03:04
謙信をてっきり女だと思ってた朝廷は、官位を与えたあと、上洛してきた女謙信を
見てびっくり。官位を取り消そうとしたが、それでは朝廷の権威がすたるので、仕
方なくそのままにしてしまった。

というのはどうよ?

378 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 18:22:49
>>377
謙信をてっきり女だと思ってた朝廷は、
        ↓
謙信をてっきり男だと思ってた朝廷は、

と、読み替えればいい?

379 :377:2005/08/01(月) 18:28:16
>378
スマソ、そうでつ

380 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:23:25
征夷大将軍は源氏の家系じゃないとなれね
信長が平家の流れだから征夷大将軍になれなかったという話もある
しまいには朝廷が折れたところで信長死んだけど

381 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:37:43
>>368
>天下を狙う家康が富と権力を手中に収めて、幕府を開こうとした時、征夷大将軍になるため
>それまでの慣例から源氏の系列である必要があったので、系図を粉飾したといわれている。
>そうしないと、朝廷が首をたてに振らなかったからだ。
 違います。家康が単に「源氏の系列」ではなく「源氏の長者」としての系譜
を捏造したのは、関東武士団(東源氏)の棟梁としての権威を高めたかったからです。
じっさい、平氏(その前は藤原氏を名乗った)の織田信長に対して、朝廷は太政大臣か
征夷大将軍を勧めています。
>>369 秀吉は藤原性です。
>>370 位階は女性でも下賜されています。官職については、女官のみ。
>>380
>征夷大将軍は源氏の家系じゃないとなれね
 藤原氏でもなれます(鎌倉幕府の4代将軍以降は、摂家と皇族)
 ところで、謙信(長尾景虎・平氏のちに藤原氏)の場合は、
越後上杉家を定実の死後に継いで越後守護
となっているわけですから、朝廷は当然にも官途に配慮しなければならなかった
はずです。上杉氏京都代官の工作がなくても、官途を贈るのが普通ではないかと
思います。むしろ、一般に「権威に弱かった」とされる謙信が、なぜ上位の官位を
求めなかったのか。義輝亡き後、同盟関係にある信長と連携して義秋(義昭)
を供奉する機会はあったのに、なぜ上洛しなかったのか? ここに女性説のカギを
があるとも考えられます。盟約関係にあった朝倉氏や六角氏を説き伏せて、
室町将軍家を再興することもできたのに? です。
一般に「謙信には天下への野心がなかったから」と説明されていますが、
女性であることを隠したかったから、敢えて再三の上洛要請に応えなかった。
のでは? 将軍義輝が存命中には、2度も上洛しているにもかかわらず。ですよ?
>>337 賛成です(笑

382 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:40:01
>「>>337 賛成です(笑」(>>381)のリンク先は>>377でした(汗・・・

383 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:33:13
さすがに内容のあるスレだわい…
打てば響く…

384 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:45:41
でも、
>>178-182
あたりを読むと、生前から女性として活躍説は、やっぱ無理がある気がするんだ…

もし、女性であることを知ってたのが
上杉家の者だけだとしても(まずそれが無理な気もするけど)
謙信は何人もの重臣に、他家に寝返られてるでしょう?
そういう人は、行った先で言いふらすと思うしなあ。

385 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:54:27
>>384
だとすると、やっぱり>>44>>187-188あたりの男装説が妥当になってくるわけか・・・
座りがいいと・・・(はぁー・・・

386 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:20:09
>381
第一回(帝拝謁)・第二回(公方謁見)の上洛で女だというのがバレて、
懲りた?? 武田と北条のために身動きが取れなかった説もあるが、
義輝に「上様に忠義を果たせるなら、越後一国は惜しくありません」
て言った謙信だから、越後の政治情勢は無関係だわね

387 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:04:41
>>381
>秀吉は藤原性です。
筑前守叙任は藤原姓ではありませんが何か?

>家康が単に「源氏の系列」ではなく「源氏の長者」としての系譜
「源氏の長者」なんて系譜ありません
当初藤原だった松平が、三河支配の正当性を得る為、世良田を引っ張り出してきたのが清康
家康はそれを継続したのですが?それとも三河時代から「源氏の長者」としての系譜を作ったとでも?

信長の三職推任は、関白・太政大臣・征夷大将軍のどれかと言われてるが
朝廷が勧めたのかどうかは議論が分かれてる

上杉謙信が越後守護を正式に受けたのは、上洛してからでは?
そのときに、色々受領してるが、その時はどうしたの?女装してたという具体的な物あんの?

388 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:21:25
>387
●秀吉の関白職叙任(藤原氏=近衛氏の嗣子・関白は藤原氏しかなれないよ)
●源氏の長者=以下のとおり。
清和天皇の皇子、貞純(さだずみ)親王を祖とする清和源氏。
それは永代に渡り源氏の長者とされ、歴代の征夷大将軍を生みだし、
この官位は清和源氏の占有特許とさえ言われた。(森家文書から概略)
●信長の三職推任=仰せのとおり、諸説あります。
●上杉謙信が越後守護を正式に受けたのは、上洛してからでは?=
義輝からの守護待遇は、天文19年2月28日(上杉文書・越佐史料4−24)
●女装してたという具体的な物あんの?=
あんた、そんなのがあったら、謙信女性説なんて議論するまでもなく
「上杉謙信は女性でした」(文部科学省)では??

389 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:28:23
>>388
関白は藤長者しかなれないのはその通り
で、筑前守は?

源氏の長者の系譜なんて存在しません
征夷大将軍就任と同時に、源氏長者も受けるだけ

文部科学省がどーしたの?

390 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:37:49
>>389

注目していたが、なんか負け惜しみにしか思えんぞ
いちおう相手は史料を持ち出してるわけで
いや、君のマジメな態度は敬服にあたいするが

391 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:40:00
388には「源氏と日本国王」という本をお勧めする
村上源氏の話とかあって、氏長者の話満載ですよ

392 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:43:17
>>390
史料持ち出してもねぇ
森家文書で書いてあるから?ふーんとしか言いようがない

文部科学省云々と言われても、だから?としか答えようがない

>>391で挙げた本で源長者の話あるから、それを読んでくださいな
清和源氏が源氏長者と言うのが、如何におかしいか理解できるから

393 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:51:52
>>391

その著者が出演したNHK「その時…」のフレだが、こんなのか?

名門貴族の養子となって「関白」の座を射止めた秀吉によって、
家康は窮地に立たされた。国替え、出兵命令など秀吉の無理難題に
忍従の日々を送る家康。彼が見つけた秀吉への対抗策は、
「源氏」への改姓、そして官位を上げるという作戦だった。
やがて家康は、「関白」に対抗する権威「源氏長者」へと近づいていく。
「源氏長者」こそ、「征夷大将軍」と併せ持つことによって
日本の国王としての地位を保証する伝統の権威だったのだ。
家康はやがて、関白職を失った豊臣氏を滅ぼし、
名実ともに武家としての天下を手中にする。
一方で家康は「源氏長者」の権威によって、天皇家、朝廷を押さえ、
江戸幕府の基盤を盤石なものにしてゆく。
番組は、「源氏長者」という新しい視点から家康の天下取りを捉え直し、
武力支配に代わる支配の正当性を「姓」に求めた家康の知られざる挑戦を描く。

どうでもいいが、謙信女性説と大幅にスレ違いになってること、気づけよ!!


394 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:58:48
>>393
うーん、またも近衛前久タンが大活躍の気配だな。

とさらにずらしてみるテスト。

395 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:00:08
>>393
あのさ、この本を鵜呑みにしろと言ってるんじゃなくて
氏長者の詳細な解説があるから、清和源氏が源氏長者なんて勘違いが直ると言ってるんだよ

それと、「その時・・・」なんて素人に判り易くやってんだから
おかしいところ満載なのはしょーがない
論文調に説明しても45分足らずじゃ説明できないだろ!!!

396 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:03:48
>>395>>387
もういいよ、おまえ。謙信女性説との関連で論証してくれ。
テーマが明確でない論争と史料分析、およそ不毛だぞ。
おまえの「謙信女性説」もしくは「女性説否定論」は、何なんだ?

397 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:06:02
>>396
否定論だけど何か?
男子を肯定する明確な根拠もないが
女性論を肯定する明確な根拠もないし

女性の当主などいたのは確かだが、男装なんてバカげてるしね
そういう前例ないし

398 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:08:34
なんだ、君も一般常識の範囲なのか・・・
つまらん・・・つまり「どっちでもないが、世の慣例や常識に従う」と(悲

399 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:10:34
>>398
は?つまらんって?
当時の慣例や常識で、「男装」が有り得たのか?
んで男装して朝廷に参内して叙任まで受けたの?

400 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:11:42
>>398
あー、謙信はどっちかというと、そういうのを
人一倍大事にした人かと思われますが…

401 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:14:43
>400
うー、女で男装していたら、そう装うかも。ですね。

402 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:50:36
清和源氏・桓武平氏という日本史の常識に、なんか問題でもあんの?
源氏新羅三郎(武田・佐竹)の系譜なら、いろいろあるだろうに?
でもって、長尾は関東平氏で、山内上杉は藤氏。話を戻して☆

403 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:52:20
消防乙

404 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 14:45:54
>>366
>一般に男尊女卑とされる江戸時代にも、女大名(清心尼公)がいたわけだしね。
清心尼は当主にはなってますけど、正式に大名として認知されてましたっけ?

405 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 15:58:06
>404
いちおう、南部藩の支藩だから大名といえなくもない。1万石だし。
それにしてもテーマが謙信女性説から離れていくなあ・・・

406 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 16:34:03
>>405
矢切説の謙信が女だった為、幕府の取り潰しを恐れた上杉家が証拠隠滅をはかった、と
いうのが以前争点になってましたから、スレ違いな話じゃないと思いますけど?
女大名が実在したのなら、それを理由に上杉家が取り潰される心配はなかったわけだし…

407 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 16:46:52
また八切説か…。このスレで八切説を史料以外の部分で支持してる人は
ほとんどいないと思うぞ。肖像画を描かせなかったのも間違いだとわかったし。
上杉家が証拠隠滅を謀ったのは、謙信を軍神として崇めたからだろう?
戦国の英雄で戦の天才、幕府公認の軍学甲州流と互角に戦った越後の龍が
女だったじゃ、カッコ悪すぎ。404のコピーにあるとおり、江戸時代は男尊女卑
が強くなっていく時代なのだから。

408 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 17:02:49
>>407
これがテンプレにあるのはなぜでしょうか?

<すでに論破された男性説側の反論の一例>
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
(江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)

409 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 17:16:58
>408
前スレのテンプレを機械的に付けただけじゃ?
そもそも男性名だった謙信の戒名が男で、何の都合が悪いのかワカラソ

410 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 17:22:51
男として生きた方がトクじゃん

411 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:07:30
小説なんかでは幕末〜近代の米沢の人間が、
いかに軍神謙信公を奉ろうとしたか、大きく取り上げられるね。

その頃の武士や兵士を奮い立たせるには
清廉潔白な戦国最強武将は男性でしたというのは都合が良かったんだろうね。
それが男性説が通説になった理由なんだろう。

412 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:10:34
>>408
文句があるなら、次では削除すればいいだろ。

学問ってのは日々進歩していくんだよ

413 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:21:45
>411
そういう面はあるだろうけれど、
さすがに「それが理由」としてしまうのはどうかなあ

川中島をあつかった軍記ものや講談なんかは、江戸初期から
たくさん書かれているわけだけど、
そこでも男性扱いでしょう? わざわざ男と明記はしなくても。

男性説が通説というのは、ずっとじゃないですかね。

414 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:28:24
>>411
うんにゃ、慶長5年の謙信23回忌法要あたりから軍神化していった
ものと思われ。この23回忌は、じつは家康に上洛を要請されて断り、
因縁をつけられた翌年のことで、家康との対決のための軍議だった。
それまで、たとえば秀吉に川中島合戦のことを「はかのいかぬ戦を
したものよ」(史実)と笑われても「そうなんスよ、殿下。(あのバカ叔母は)
何を考えていたのやら」(想像)と、謙信のことを軽視していた景勝も
求心力が欲しくなったのだろう。それが謙信の神格化のはじまりで、
江戸時代になると、幕府の甲州流軍学に対抗する紀州家の上杉流軍学
として、軍事の天才・戦争芸術家・義の漢という神話がつくられた。
江戸中期に、新井白石・頼山陽らによって謙信の男性像が完成される。

415 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:38:09
なんでそんなに見事に男性化できちゃったのかねえ。

女のままじゃそんなにダメだったのかよ…。一般庶民にいたるまで…
同時代・近い時代の女の人たちにとっては、勇気付けられる存在でもあったろうに。

416 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:53:29
>>415
そこはそれ、清心尼公の遠野南部藩(1万石)とはちがって、120万石の大藩
家康の尊敬していた武田信玄の宿敵なわけだから、まかり間違っても女性だった
なんて言えないのさ。
>>414
>「そうなんスよ、殿下。(あのバカ叔母は)何を考えていたのやら」(想像)
こういう喋り方をするのは兼続だね。景勝なら「ムスッ…」だと思う。

417 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:55:18
矢切信者は全部退散したのかな?

418 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:01:23
>>415
庶民の間では女性として通っていたらしい。
アマテラスが男だったり女だったりするのと同じだな。

419 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:07:14
>>417
1スレの初めから八切信者なんていなかったよ。女性論者たちは
八切史料の都合のよいところだけ抽出して、早い段階から男装説になってる。
熱狂的という意味では女性論信者に近いが、八切説の杜撰さについていける人がいるとは思えん。
あの論理が散漫で、言葉の飛び移りの激しい八切文体では、じっくり読むという
ものでもないし、頭が混乱するだけだ。


420 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:56:00
>419

まぁ、八切のは独り漫才みたいな文章だからなぁ

421 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 22:17:37
別に男装説でもないな。
女性的な衣装を着ていたのは確実だし。
八切の説に多くの穴がある事を認めつつも、
謙信が女性である事は公然の秘密だったという感じかな。

422 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:12:29
>>421
女として振舞いながら、女であることを隠す(公然の秘密)
あるいは、皆が見て見ぬふり
めちゃスリリングですね

423 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:18:53
男という事にしとかないと、官位は叙任できなかったし、高野山にも参拝
できない。この辺が検討課題じゃないのか?

424 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:20:39
女性当主である事を意識させないくらいに切れ者だったのだろう
官位を貰う際にも、当時の朝廷にそこまで格式権威があったとも思えないところだし、
そのまま貰ってしまったかな

425 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:49:07
結論ありきw

426 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:31:46
>421
八切説では謙信醜女説ですが、この点は?

427 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:04:21
>>426
>>421ではありませんが、
『松平記』の葬儀の記述「居並ぶ諸侯、麗しいと感嘆…」を信じたいねぇ。
死んだ男性説スレでは、某サイトの「麗しい=健康。一時的に謙信の容態が持ち直した」
が引用されてたが、これは違う。戦国時代に「麗しい」は「愛してます」にひとしいと
いう説もあって、そもそも「愛」という言葉がなかったらしい。家臣一同、声を揃えて
「お慕いしていました(涙」だったのではないだろうか? 美女の証明にはならんけど。

428 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 08:27:52
家臣一同ホモだったとかは?

429 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 09:02:49
>学問ってのは日々進歩していくんだよ
>八切史料の都合のよいところだけ抽出して、早い段階から男装説になってる。
それならなおの事、矢切説を乗り越えた内容のテンプレに、スレ立てる度に随時
更新していくべきだと思いますよ。
機械的に貼られたテンプレは、議論の蒸し返しのもとです。

430 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 11:06:25
女性説側には、隠蔽説、非隠蔽説、公然の秘密説。
この3つを押さえたテンプレが必要だろうな。

431 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 14:11:52
>>429
そこまで言うならおまえがテンプレ案出せよ
できんなら黙っとれ

432 :429:2005/08/03(水) 14:32:40
はい、わかりました。いっそ、消えますから後はご随意に。

433 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:11:04
>>432
まあ、もちつけ。
黙っとれと言う事だから、こっちから提案なんかせずに >431が次スレでどんな
テンプレにするのか楽しみにしてようぜ。
出来上がったのをみて、あれこれ文句つけたほうが楽だろ?


434 :日本史@名無しさん:2005/08/03(水) 18:11:49
敵が女であることで虚仮にしたプロバガンダが伝わってないのはなぜ?

435 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:17:02
>>433
またサマーか

436 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 20:22:18
433 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/08/03(水) 15:11:04
>>432
まあ、もちつけ。
黙っとれと言う事だから、こっちから提案なんかせずに >431が次スレでどんな
テンプレにするのか楽しみにしてようぜ。
出来上がったのをみて、あれこれ文句つけたほうが楽だろ?



ROMに徹しといてください

437 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:24:31
そろそろ机上主義(文献史学)の限界だな。前スレにあった最後の越後ゴゼ(御逝去)
のフィールドワークを何故しなかったのかと、議論が閉塞した今は悔やまれるよ。
八切氏に心酔してるわけでも賛同してるわけでもないが、書物を打ち捨てて生きた
伝承と史跡を考古学分析する研究者・歴史愛好家はいないものか? べつに謙信公の墓を
暴けとか言うつもりはないが・・・。

438 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:31:35
大体収束してくるとDNAで終わる
そしてまたイキのいい論者たちの登場までスレは眠りにつくのさ

439 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:35:22
>>437
具体的にどのような調査を行えば謙信が女性であること裏付けることができる可能性があるんでしょうか?

440 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 03:29:33
>>439
まずは、

@膨大な書状(軍令状)の筆跡鑑定(明らかな直筆との比較)による行動様式の検証。
A万葉集の叙辞の使い方で詠歌の傾向をコンピュータで調べたような、言語学的なアプローチ。
B遺品(具足や生活用品)の使われ方による性別の判断(困難かな?)
C前スレに「30年前に訪ねた老人の証言で、わが家はみじょうを追い出され…。謙信公は女だった」
(概略)とあったが(直リンクできん)、春日山付近の伝承の聞き取りをする。
D前スレ(現スレにもリンクがある)梁田文書(血書起請文)の化学鑑定。
E禁断の「謙信公甕棺」の開封。
F地道な啓蒙活動による、Eの実現。

こんなとこか? 思いついたら、また書き込むよ。


441 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 03:35:56
>>439>>440より)

忘れてた(汗
Gタイムトラベルして、謙信公に会ってくる。
※ただし、問答無用で討ち首にされるおそれあり(汗

442 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 13:53:27
>>441
フェイズドアレイレーダーとかを手土産に持ってけばいいんじゃね?

443 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 21:16:18
じゃ、誰か会ってきてよ。酒さえ持ってけば、即殺されることはないよ。

444 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 21:32:15
帰れなくなるかもしれないから、確かめたら文書をいっぱい書いて
お寺とかにおさめておいてくださいね。

445 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 21:49:36
>>440で止めときゃいいものを…


446 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:17:28
>445

ま、たまに暇ネタもいいんじゃねえの。そろそろネタも尽きかけてるんだし。
明日にでも俺が女謙信に会ってくるよ。弘治元年(1555年)なら、第二次川中島合戦で
長野市内(善光寺あたりが本陣)で長期対陣してるんだろ? タイムトラベルを450年前にセットすりゃ簡単なんだし。


447 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:02:51
タイムトラベルしたら後世男性(あるいは女性)だと思わせる為にあらゆる工作をするだろここの住人はw

448 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:10:44
>>446
気をつけて行ってこいよ、長陣でイライラしてるはずだから
>>447
遊びだ、勘弁してやれ(笑

それより、削除議論スレのカキコで重複削除の基準がすこしわかった
編集して下(↓)にUPしとくよ。元文を書いた人、コペピ編集でスマソ。

449 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:14:38
※ホスト名とか転送アドレスとかは、引用者(わたし)が削除編集してる

女性説 :2005/07/16(土) 20:53:03
質問です。日本史板の『■■徹底史料分析!■上杉謙信女性説2■■ 』というスレッドに、
にコピペや1〜2行の内容の無い反論を繰り返してスレを埋め、レス900を超えた時点でいきなり
『【学説は男】上杉謙信女性説3【謙信は男】』
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121248125/
という、一方的な立場をとるスレッドを立てた人物がいるのですが、それは不公平だと後から立てられた
『■■徹底史料分析!■上杉謙信女性説3■■ 』
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121256498/ というスレッドは、ルール違反で削除対象になるのでしょうか?
削除人は、コピペや1〜2行レスを繰り返した人物が 【学説は男】上杉謙信女性説3【謙信は男】
というスレを立てた事などは、IPなどからでわからないのでしょうか? どなたか、教えてください。

(返信名は引用者削除):2005/07/16(土) 21:12:34
>>508
私は削除人ではありませんがと前置き。 議論であればスレタイより内容で。 感情が優先するなら、後発スレを立てた人も荒らしかもです。
でも、後発スレで淡々と議論を続けられるのであれば、削除されないかもしれませんよ。
荒らしさんがスレの中で浮いちゃうように、中身のある議論を続けると同時に、浮いてる荒らしさんのレスを
淡々と削除依頼することをお勧めします。

(返信名は引用者削除) :2005/07/16(土) 21:43:10
>>508
前スレがdat落ちしていて、その辺の経緯は分からないんだけど。
重複スレとして任意削除の対象となります。どちらのスレを残すかは、
1,立てられた時刻(先発スレを優先して残す)
2,議論の内容(内容のあるレスが付いているスレを優先して残す)
3,両方残す(もう一方を次スレとしてリサイクル)
が原則です。 しかし、現実には、削除依頼を出した者勝ちというケースも・・・。

女性説 :2005/07/16(土) 21:57:33
ありがとうございます。淡々と議論をしておりますので、よろしくお願いします。

450 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:42:29
>449

なるほどね・・・内容で勝ったわけか。

451 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:17:33
謙信が女とか訳ワカメ




な迷える小羊登場

452 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:28:46
>>449
こっちからも削除要請は出てたらしいよ。
例の大量コピペ嵐の後だと思うが。

453 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:53:01
>>452

荒らしが始まったのは
>115 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:12:46
からだから、>449のデータの前だ。やはり、コピペ荒らし合戦が契機で
削除人が動いたんだと思うが、荒らし後のスレの内容の違いだろうね。何にしても
削除人の公平かつ適切な判断だとは思うが。


454 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:12:55
>>449>>452>>453

ということは、こちらからアクションがあったのが07/16だとしたら
向こうのスレ停止(07/29?)↓まで、2週間ほどのタイムラグか?
やっぱ、すぐってわけじゃないんだね。

>347 :日本@名無史さん :2005/07/29(金) 01:13:42
>>>(引用者削除)
>引っかかったな、バーカ! 女説論者め!!
>348 :停止しました。。。:停止
>真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ


455 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:19:00
最終的に削除人さんは、誘導のあり・なしで決めたというかたちをとってますね。

456 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:41:51
>>455さん

少しワカラソ、おしえてください(願

>>300
>うわあ、本当だ。誘導のあるなしで決まったんだのですね…

というのもありますが、削除人さんがそう明言したの?
2chルール的に不適当な質問レスなら、仕方ないので無視よろしこ。

457 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:07:52
ごめん、勘違いかもしんない。
削除整理板で、こんなやり取りがあるのね。

550(依頼をまとめている方)
依頼まとめです。(1/1)
dat落ち等は省きました。
6. 連続投稿・重複
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121256498/ >>547(誘導51)(誘導先>>548で削除依頼)
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121248125/ >>548(誘導なし)

551(削除屋さん)
>>(削除)
誘導がないようですが。

551の削除屋さんの書き方からして、誘導のあるなしが削除の判断基準になるのかなと思った。
で、550では、向こうの(消された)スレが「誘導なし」となってる。

だからこっちが残されたのかな? と。

でも、よく考えると、誘導が必要なのは消されるスレなわけで…あれ?

458 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:13:00
もうそんなのいいから話戻して

459 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:26:31
>456・457

 もう細かいことはいいよ。俺が明日、信玄と対陣中の謙信に会ってくるから。
帰って来れなかったら、善光寺平(長野市から松代界隈)の寺や祠を探してくれ。
かならず「謙信が男か女か」、446の記号で書き残しておくよ。
さてと、日も改まったしタイムマシンを450年前にセットだな(キリキリ…)

>>446

460 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 12:23:11
そーいうことは三戦で世ロ

461 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:22:50
>>373

>「山形には『上杉家では家督相続の際、継承者のみに伝えられ続けたという御家の禁忌が存在した』
>という逸話が残されている。その禁忌を知った継承者は、どんなに剛毅な者といえども顔青く冷や汗が滴るといわれるほどの衝撃を受けていたらしい」
>と本で読みました。謙信女性説と何か関係あるのかな...

これは景勝が謙信を暗殺した、という説だね(「学研歴史群像・上杉謙信」にもある)
前提として、謙信が景勝の父政景を謀殺した、三郎景虎に山内上杉の家督を譲ろうとした
ことへの先制攻撃という見かたも可能。学界では少数派意見だが、御館乱が景勝の国主簒奪
だったという説もある。たしかに景勝の暗殺説では、長尾氏の家系は長寿が多い
(為景60代後半・晴景は40代前半だが、景虎=謙信派の謀殺説=病弱は後世の創作もある・
御虎御前80代・仙洞院80代)ので、謙信の死は早すぎる。景勝後継の遺言をデッチあげたのは
直江実綱の未亡人(後妻)とされているから、黒幕は仙洞院じゃないかな。
夫の仇であり、古志(栖吉)派を排撃する上田派の後押しで? そうなると、
このスレ的には姉妹の確執ということになるわけだが。

462 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:24:58
大虫で死んだという説とまたカチ合うな

463 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:47:16
>>462

異常な早レス(笑、サンクス。
八切氏の「大虫」説には無理がある。松平忠明が記した「越後景虎歿、大虫といふ」
が婦人病なら、氏の「武家諸法度で女性当主の存在が御家取り潰しの論拠となるのを避けた」
と「カチ合う」。松平忠明は徳川一門なんだから、幕府が知っていたということになる。
仏教関連の医学書で「虫」(病気の原因という意味)を調べてみたが、「大虫」は皆無だった。
他にいろんな「虫」が病因として記載されてるにもかかわらず、だ。
落ちた「男性説派スレ」に、八切説をそのまま踏襲して「大虫」を「虎」として
いたが、これも間違い。地方方言で、出雲方面の伝承に「蛇の意味」とあるだけ。
もう少し調べてみるが、松平記の「大虫」は史料的には不明かと・・・。

464 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:22:34
>461
上杉謙信という人物はそもそも居なかった、というのはどうよ?
じつは仙洞院(綾)が謙信の実体で、対外的に影武者を立てていたのだよ、と。
御館の乱は、北条三郎をかつぐ勢力(古志勢・下越の反上田派?)が台頭して
しかたなく与板勢と上田勢が結んで、内乱になってしまった。その内乱の原因を
謙信(実は影武者)の死という形で押し出し、景勝を正統として内乱に勝ったとか。
自分で書いてて、もうわけワカンネ・・・なのだが。


465 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:05:10
>>464さん

上杉謙信は仙洞院(綾)だった?? 
ちょっとムリが多いっスよ。政景・綾と景虎が争った時期を考えると…。

466 :日本史@名無しさん:2005/08/06(土) 07:49:02
景勝もチビだったしね。まあ風貌とかは別として。

467 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 09:22:36
その学研の本とやらは読んでないが景勝による謙信の暗殺説って誰の説なんだ?
でもって上杉家継承者が冷や汗を流す禁忌話というのは本当に代々受け継がれて来たものなのか?
また「お跡目は景勝様ですか?景勝様ですか?」という例の直江後室による遺言デッチ上げは、
どの史料をソースにしたものなんだ?信憑性のあるものなのか?

御館の乱が景勝による簒奪だったとする説は『上杉氏年表』あたりで読んだが、
とてもまともな論として成立しておらず、失笑ものだった訳だが。

468 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:19:54
謙信を暗殺するとすれば、三郎の方が可能性が高いと思う。
三郎が謙信を殺害し、山内と越後の両上杉の後継を宣言し、後北条家を引き込む。
氏政が計画に絡んでいた可能性も十分に有りそう。

469 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:21:23
>>463
>氏の「武家諸法度で女性当主の存在が御家取り潰しの論拠となるのを避けた」
と「カチ合う」。松平忠明は徳川一門なんだから、幕府が知っていたということになる。
>>404-407を嫁

>松平忠明が記した「越後景虎歿、大虫といふ」
>松平記の「大虫」
当代記と松平記を混同?

470 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 15:50:49
>>468
歴史群像シリーズ『疾風 上杉謙信』によると
@三郎景虎は養子に迎えられ早速上杉姓を与えられた。景勝はその5年後に上杉姓を与えられている。
A三郎景虎の春日山城の居住地はニの郭、景勝は本丸から更に離れた三の郭。当然本丸に近い二の郭の居住者の方が高位。
B御館の乱の際、三郎景虎方には永年謙信政権の中枢を担ってきた部将達がついた。
C上杉憲政も三郎景虎方を支持する姿勢を見せた。
...等々、三郎景虎は謙信の生前から後継者に指名されていたようなことを匂わす話が載ってました。
ということは三郎景虎がわざわざ謙信を殺害して上杉家を纂奪する理由はなくなってしまいますね。
まぁあくまでも謙信が三郎景虎を後継者に指名していたのが事実ならの話ですが...

471 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 16:05:57
>>470
山内上杉家を三郎が継ぎ、喜平次が越後を継ぐのであれば、
三郎には越後において地位はあっても実権は無いのでは?
しかも、この取り決めを認めると、
領土拡大を狙う後北条家にとってもデメリットになる。

乱世を願う三郎と後北条にとっては、
秩序を重んじる謙信、喜平次は邪魔者であるはず。

472 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 16:14:14
で、大虫が婦人病であるとする資料は?

473 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 16:28:36
>>472
では、大虫が婦人病でないなら何の病気かわかる資料は?

474 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 16:41:25
>>473
そういう資料も、まだ提示されてないよ。
しかし、婦人病である事を証明する資料がないと「当代記」に婦人病で無くなったと
書かれてあるかどうか判定できない訳だから、女性だった根拠とはならないという事
だな、今のところ。

475 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:15:09
>>470-471

天正3年の軍役帖によれば、中城様(景勝)は最大の兵力になってるが、
三郎は名前もない。名前がないので、軍役を課する立場(謙信と同じ立場)
だったという説がある。
ぎゃくに、山内上杉家は名目の管領家にすぎず、飾り物だったという説も。
相越同盟のとき、謙信が北条氏に関東の上杉領の返還をもとめているが、
これは履行されなかった。そのことが同盟の機能を削いで、氏康死後は
武田と北条の同盟が復活。
ただ、御館の乱のときに河田長親がしばらく中立の立場をとってる。
謙信に最も忠実だったとされる長親の態度保留(のちに景勝側)が
真実を語っているのではないかと思う。
つまり、三郎(関東管領)を名目に立て、越後上杉氏は景勝に。
「3人とも(上条政繁をふくめ)仲良くやっていきなさいネ」という
いかにも女性らしい短慮だと考えられるわけだ。


476 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:00:11
>>475
つまり

山内上杉氏
→上杉景虎

越後上杉氏
→上杉景勝

上条上杉氏
上条政繁

てこと?


477 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:21:58
>>475
さりげなく萌えるなw

478 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:29:02
>>465
おっ、戦国最強の秘密に触れたな。
そうそれは一人二役にあったんだよ!!
川中島で信玄の隣にいた女。
七尾城の台所で大根を切ってた女。
手取川で勝家の隣にいた女。
全てが謙信タソだったんだよ!!
そして小田原城では試しに味方と戦ってみた謙信タソ。

479 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:56:10
>>470
468ではないけど、歴史群像シリーズではそういう主旨なのか。ありがとう。

>三郎景虎は養子に迎えられ早速上杉姓を与えられた。景勝はその5年後に上杉姓を与えられている。

三郎が謙信の養子になるのは、越相同盟交渉の同盟条件だからね。
上杉姓どころか、山内上杉氏の後継者として三郎を迎えて、はじめて氏康は、
謙信を、関東管領上杉氏と認めたと考えられている。
鶴岡八幡宮復興など実質上の関東管領職は後北条氏だという思いがずっとあっただろうしね。

謙信が景勝に上杉姓を与えたのは確かにその5年後。
しかし、逆にいえば、三郎を自分の後継者として指名するつもりでいたならば、
わざわざ北条氏討滅を宣言・祈願した天正3年に、景勝に上杉姓を名乗らせ、
自身の官途、弾正少弼を譲り与える必要はなかった、という話になる。
ずっと長尾姓のままでいいし、通常、他家でも親が世嗣に譲る官途を景勝に与える必要もないからね。


480 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:06:21
>>470続き
>三郎景虎の春日山城の居住地はニの郭、景勝は本丸から更に離れた三の郭。
>当然本丸に近い二の郭の居住者の方が高位。

三郎の居住地には、二の郭説と三の郭説がある。
景勝の居住地も不確か。「御中城様」の呼び名と同じく、中城だったという説もあり、
さらに中城は、謙信の居住地であった実城と並ぶ二大巨郭だったとも云われてるよ。
謙信が「御実城様」と呼ばれていたこととも符合する。

>御館の乱の際、三郎景虎方には永年謙信政権の中枢を担ってきた部将達がついた。

これは他の上杉スレでもよく語られていたのだが、御館の乱で三郎方になったのは、
むしろ謙信の初期の頃の政権の重鎮。旧主流派、反上田長尾。
逆に後期、晩年の謙信を支えた重臣、主流派には景勝方が多い。
かつて謙信が家督相続した時に活躍した本庄の息子や古志景信が三郎方になったことから、
一門や重臣が、皆あたかも三郎に組みしたように書かれる本も多いが、
実態は上記の通り。

>上杉憲政も三郎景虎方を支持する姿勢を見せた。

兵を連れて押しかけられてイヤイヤ巻き込まれた説もありますよ。いかにも憲政らしく(^^;
ただ、山内上杉氏の継承は越相同盟当時の和睦条件だったと考えれば、
憲政は景虎を支持せざる得ない立場だったとも言えますね。


481 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:15:32
>479-480長々とすんません。
>475の「名目は三郎に、実権は景勝に、政繁も一緒に3人で仲良くやっていきなさいね」
説が今のところ、学界の通説に一番近いように感じますが、
だとしたら萌えはともかく確かに短慮だ。

482 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:19:39
>むしろ謙信の初期の頃の政権の重鎮。旧主流派、反上田長尾。
>逆に後期、晩年の謙信を支えた重臣、主流派には景勝方が多い。

単純に旧主流派と新主流派の分裂とは言えんよ
むしろ、上田長尾と古志長尾の対立と考えたほうが、一門の分裂は鮮明になる
譜代家臣も直江(与板衆)や斎藤は旧主流派なわけで、揚北の国人領主も新旧
関係なく分裂してる

>ただ、御館の乱のときに河田長親がしばらく中立の立場をとってる。
>謙信に最も忠実だったとされる長親の態度保留(のちに景勝側)が
>真実を語っているのではないかと思う。

このあたりのほうが傾聴に値する
生前に謙信の意思があったという意味で

483 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:34:33
わかった、謙信は双子の兄妹だったんだよ!

484 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:35:31
>>482
>むしろ、上田長尾と古志長尾の対立と考えたほうが、一門の分裂は鮮明になる
確かに。

つまりアレだ、生前の謙信の意思は、長親が中立の立場だったことからも、
国主権力の実権は景勝に、上杉宗家としての山内氏の跡目は景虎に、名流上条氏の跡目は政繁に、
>>475にもあるように、3人仲違いせずにやっていくようにと願っていたと。


485 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:39:13
>>483

わかったよ。想像はもういいから、>>187の加地春綱との婚約説を
史料をもとに考察してくれ。謙信の兄弟姉妹は、そもそも何人だ?

486 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:52:41
>484

謙信は河田長親のこと、そうとうに気に入ってたらしいね。古志長尾の家督を継承させた
ときに、上杉を名乗るように言ったらしい。律儀な長親は景信(長尾十郎)に遠慮して
固辞してるんだけどね。上洛のときに近江で逆ナンされてきたわけだから、上杉家中では
居心地が悪かったのかもしれんと想像しがちだが、信長のナンパは拒絶してるし。
根っから謙信の信奉者だったのだと思う。彼にとって、御館の乱は人生を縮めるほどの
痛恨事だったと思われる。乱の最中にも柴田勝家の侵攻を支えて、戦線を膠着させてる
が、心労のためにアボン・・・。もう少し野心のある男なら、謙信の養子になって
上杉長親政権(関東と京都を制圧)が誕生していたのかも。と、妄想してみる。

487 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:18:25
>>486
そりゃ、あなた。稚児数寄の戦国マダムがひと目惚れして、
強引に越後に連れ帰ったんだもの。ひそかに、セクースとかもしてたはず。

488 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:15:11
みんな、学があるなぁ・・・

489 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:31:53
俺みてえに学の無い中卒はROMるしかねえよ

490 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:18:53
学のあるなしは無関係、歴史の発見は直感(ひらめきと感性)が拓く
ひたすら、謙信公が女だった。のではないかと、ひらめく深夜の思索に・・・

491 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:24:48
前に松平謙が出てたバラエティで番組ではじめてこの説を見て、
女は高野山で修行できないから該当しないって否定されて納得したけど、
海外の資料に女性として載ってるのは知らなかった。

あと血の穢れに対しては昔は異常に縁起悪いと嫌うから、
生理周期になると戦場を離れたと考えたのはおかしくないなと感じた。
実際どうだったかは分からんけど面白い説でこういうのは嫌いじゃない。

492 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:32:41
>>470です。ホント皆さん学がありますね。俺なんか本に書いてあることそのまんましか出せない..てゆうかここは「謙信女性説」の話をするところでしたね。話を逸らしてごめんなさい。

493 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:37:48
>>492さん
いいえ、>>470の簡潔なレジュメが、このスレを活気づけたと私は思いますけど・・。
>>491さん、ようこそ(嬉)。

494 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:49:40
>>493さん
>>492です。ありがとうございます。
しかし謙信にまつわる疑問はたくさんあるんですね。
そういえば謙信画像といわれるものには、戦国武将にありがちな髭が描かれてないものも多いですね(上杉神社にあるものは無精髭みたいになってますが)。
なんか女性説というものにも興味がわいてきた...

495 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 02:12:03
>>493
>>440の言う↓が、着々と進んでいるということか?

E禁断の「謙信公甕棺」の開封。
F地道な啓蒙活動による、Eの実現。

ま、漏れも生暖かく見守りつつ、裏では支援するわけだが…。

496 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:21:03
>>358

>当時の男尊女卑の風潮…

この件ではいろいろ議論あるが、新しいというか古い史料をハケーンしたよ
平安時代は別にして、古代と中世の日本はもともと、女が統治してたんだと??
明日にでも詳しくUPしまつネ

497 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 20:06:02
謙信男装説ならあまり関係ないかもしれないが・・・。

「大かた此日本国は和国とて女のおさめ侍るべき国なり。天照大神も女体にてわたらせ給ふうへ、
神功皇后と申侍りしは八幡大菩薩の御母にてわたらせ給しぞかし」
「むかしは女体のみかどのかしこくわたらせ給ふのみぞおほし侍しか。
今もまことにかしこからん人のあらんは、世をもまつりごち給ふべき事也」
(一条兼良『小夜のねさめ』群書類従巻第四百六十七)
簡単に訳すと「天照大神は女だったし、神功皇后は応神天皇の母親だ」
「むかしは女帝が威厳をもって統治した。今でも真に威厳を備えた女性なら
政治をするべきである」

一条兼良は室町中期を代表する学者で、幕府や朝廷にも影響力のあった人物。
何かと批判の多かった日野重子と日野富子の執政を擁護したこの発言は、室町期における
女性の地位をあらわしている。謙信が生まれるわずか50年ほど前の中央政界の議論である。

498 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 22:39:04
>497
つまり、越後武士団が女国主を立てても不思議ではなかったと。

499 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:12:16
そもそも男尊女卑なる概念が江戸時代の発想で、明治以降に磐石になった思想
江戸時代と明治時代の歴史観を通して戦国乱世を観ても、なにも見えんはずだ。
たとえば神仏と言った場合にも、>>497の八幡大菩薩(神仏思想)は近代の宗教観
では理解が難しい。神仏習合は教義だけでなく、神社神道を僧侶が運営していたわけで、
女謙信も形を変えながら容易に信仰の対象になったのだろう。


500 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:28:10
>>499

儒教は鎌倉末期に入ってきてるよ。
>>497の一条兼良が富子を弁護したというのは、
室町期に男尊女卑が始まってたからではないのかな?
漏れは男装説なので、当時のジェンダー論の詳細はスマソ。

501 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 02:18:35
>482

>譜代家臣も直江(与板衆)や斎藤は旧主流派なわけで

直江も斉藤も古志や本庄と違って謙信の晩年政権まで
活躍してるから単純に旧主流派というより生き残った旧主流派と
いった方がしっくりくるなぁ。
でも多分御館の乱は簡単に1つや2つの理由で説明できるようなものではないのだろうね。
このまま続けるとスレ違い気味になってしまうので止めますが
皆さんのレスを読んでたら興味が出てきたので色々上杉スレで語ってくれたら嬉しいです。
(今覗いたら少し前まで御館の乱の話題で盛り上がってたようだけど乗り遅れた…)

>486
長親の優遇っぷりはすごいね。兼続にもいえるけど主人から気に入られ過ぎだと
周りから色々言われるだろうし辛いだろうな…

502 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:28:56
山吉豊守あたりが謙信に気に入られたのはともかく、重要な存在だったのかワカラソ
謙信の春日山稚児衆だったとしても、30代死亡で上杉氏の宿老とか呼ばれるかね?
上杉氏史料には、直江景綱(没年70代?)の死亡と同じように触れられている…。


503 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:47:41
このスレ↓が女性説派というか萌え派の攻勢に遭ってるようですが?
先方も受け入れている様子で、べつに問題ではないのですが・・・

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120174130/l50

504 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:50:48
>>503
お互いの荒れの原因を作るだけだ、やめようぜそういうことは…

505 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:57:27
兄の晴景が来ましたよ。じゃんじゃん質問してください。

506 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:26:52
では、>>505@晴景さま
謙信(阿虎・虎千代・景虎・・・)は、あなた様の妹なのですか?
それとも、弟なのですか? 表向きのことではなく、真実を知りたいのです。

507 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 15:05:49
>>506
随分つまらない質問をするものじゃ。わしには妹しかおらんぞ。

508 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:02:57
>>502
さすがに景綱ほどじゃないけど、
元亀・天正期に奉行人として文書の発給や受け取りバンバンしてるらしい
しかも天正3年の軍役帳では、家中第一の動員力
やっぱ30代の若さとはいえ確実に重臣の1人なんじゃないの>豊守
天正年間に目立ってる宿老っていえば景綱と長親の他には、あと吉江とか鯵坂とか専柳斎?
このあたりの人たちが後期政権の中枢と言えるのでは


509 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:06:11
>春日山稚児衆
逆ハーレムですな

510 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:39:29
稚児リスト、作ってみたいね
久しぶりage

511 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:07:25
なんだかなぁ・・・、みなさん本気なのですか?
上杉謙信はホモ説が定説かと。

512 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:10:49
何の吟味もされていない「定説」が何の役に立つっていう以前に、
定説というなら毘沙門天云々っていうほうがまだ定説に近いだろ

513 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:33:15
>>512

>>511ではないが、謙信公不妻帯の説明としてはホモ説のほうが踏み込んだものと思われ
毘沙門天云々や飯縄権現信仰、真言密教云々も史料考察論証なしの憶説にすぎん
かりにそれが歴史評論家や作家の多数派説でも、真っ向きって学界に論陣を張った者はいない
史料も論証の材料もないので、あえて触れないのが実態ではないのか??
まともに論じてる研究者がいたら、紹介よろしこ!

514 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:33:29
>>511
炎の蜃気楼でも読んでなさい

515 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:49:02
>>513>>514の落差にワロタ


516 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:49:49
>513
女性説は史料も論証の材料も少ないので、あえて触れないのが実態ではないのか??
まともに女性説に反論してる研究者がいたら、紹介よろしこ!

517 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:55:58
>508
豊守といえば謙信が何かの書状で
心配してるのに一度も連絡よこさんとか
書いてたような。多分留守居中か何かだと思うけど。


518 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:59:31
>>516

まともに女性説を論じてるのも、八切止夫だけなわけで…。
あとは最近売り出し中の若手ジェンダー論者、直木賞作家の安西篤子がホモ説と女性説
の間をウロウロ…。あと、漫画家の石川賢、作家の小松左京(八切説)あたりか。


519 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:19:12
>>518
けっこういるんじゃん、女性説派の有名論者って

520 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 05:01:18
まあ謙信は女にしといたほうが萌えるし夢があるから
俺は女だと信じるよ。

521 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:32:55
あの時代ホモは普通で面白みがないので女性説の方が追求したくなる

522 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 00:18:14
>518
安西は潜在的な女性説論者。公式には「ホモ説」だが、女性の視点から
謙信を精神鑑定してみたいとか云ってる。けど、一次史料をもとにした
最新の研究(たとえば祐筆三人説)とかは無関心なんじゃないかね。

523 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:44:17
アゲ

524 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:46:37
謙信には奥さんがいなかったし、息子の景勝も養子だったもんな。
十分、女性説としての根拠はあると思う・・・

525 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 01:52:09
織田信長女性説(毎日新聞連載小説)スレを発見っ!

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1122556807/l50

何だかなぁ・・・なんだけど。

526 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 02:01:12
>>524
妻とか実子がいないだけでは、十分とは言えなくないか?

527 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 02:32:40
>>526さん江
当方は>>524さんではありませんが、戦国時代に妻帯しなかった(実子がなかった)
国主級の武将はいません。応仁の乱後の細川政元が宗教に凝って妻帯せず、のちに養子が争闘
している史実はあります。で、戦国当時に第一級の文化人だった謙信が、なぜ
細川政元の「失敗」を教訓化し、自分の死後におきた御館の乱を想定できなかったのか、
という疑問が生じます。謙信は細川家と将軍家を通じて知っている間柄、細川藤孝(幽斎)
とも親交(和歌集を贈呈など)がありました。謙信女性説は「妻と実子がいない」ことが
モチーフであり、その謎を解決できる史料的かつ合理的な研究が、いまだなされていない
からなのです。「謙信が女だなんて、そーんなバカな」と、一般に思われる「常識」の枠組みは、
おおむね江戸時代の軍記物語(北越軍記などのフィクション)によるものであって、
じつは謙信研究者たちも最初から否定している偽史料なのです。とはいっても、学界を驚愕させる
新史料(たとえば、謙信の遺骨=蝋で固められた生前同様の遺体を化学分析するとか)
がないかぎり、世論を動かすことも困難なのですが。






528 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 02:49:56
>>527
スマソ。
後半がよく分からんので、もうちょっと分かりやすくしていただけるとありがたい。

529 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 03:10:35
>528
たぶん謙信の実像を伝える資料は、きわめて乏しいということ。
大半の伝承は江戸元禄期の創作だ。ゆえに、このスレでは資料を
厳密に精査するのが主旨。てな感じか?
不明の点は、もう少し具体的によろしこ。

530 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 13:24:00
謙信女性説支持者の皆様に質問。
伊勢姫の件はどんな見解をお持ちですか?やっぱりデタラメ?

531 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:28:10
>>530

千葉(九里)采女正(北条氏平井城代)の娘(伊勢姫)のことなら、
永禄4〜5年のはずだが一次史料なし。
そもそも柿崎景家がこの結婚に反対したとか、ありえないでしょうね。
謙信ですら、越後国人領主の婚姻や養子に口を挟めなかったのに、この時期は
まだ奉行でもなかった景家が意見できるはずがないのです。
同じく、近衛絶姫も直江の娘も史料は皆無です。

532 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:46:27
>>531
御回答有難うございます。
なるほど、確かに伊勢姫の件は絶姫、直江実綱の娘などと共に伝説の域を出ていないみたいですね。
でも柿崎景家が諫める訳がないとは言い切れないのではないですかね?
景家は永禄の初年から既に内政に関わるようになり、春日山城の留守居にも任じられてます。
奉行でもなかったということですが、永禄3年に謙信が領内の諸役・地子他を5年間免除するという政令を発したとき宿老の斎藤朝信とともに奉行としてその施行に携わったとありますが…。


533 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:00:00
>531>532
柿崎景家の謙信(景虎)政権内の地位は532さんが述べられたとおりで、けっこう内政にも
活躍しているようです。ただ、謙信が諫言を聞く人だったかというと、無理でしょうね。
男性説をとった場合も、一国の国主が実子を持たない(結婚しない・側室を持たない)
ことを重臣たちが諫言したでしょうが、頑なに拒否(?)。
その代わり少なくとも3人の男子を養子にして、織田信長にも養子縁組を求めて
います。ここが「ホモ説」と「女性説」および「戦勝祈願の信仰説」となるわけですが・・。



534 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:29:33
謙信は男性でもGIDの類ではなかろか。
服装も女性的だし。

535 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:15:46
服装はわりかし普通じゃまいか
陣羽織とか結構可愛いのが多い。水玉模様とか。

536 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:43:41
パッチワークみたいのもあるよね

537 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:37:44
>536

金襴銀襴緞子胴服(上杉神社所蔵)ね。女謙信が手ずから縫い上げた(と思われる)逸品。
ただし、一般に派手な衣装は室町期の武将に流行したものであって、女っぽい
とは断定できない。この時期、東山文化(侘び寂び)と北山文化(豪華絢爛)の相克があったらしい。
謙信の甲冑と兜が古風なのは平安文化への憧れとも考えられるし、派手な金箔漆はのちの
桃山文化ともクロスオーバー(死語)する。


538 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:11:48
>>532=>>536です。ざっと皆様の御意見拝見させていただきました。
ここまで来ると何としてでも解明して欲しくなってきたな。
…と、なるとやはりDNA鑑定てことになると思うのですが、やっぱり難しいんですかね?伊達政宗公は遺骨から体格なども調べられて157cmのB型ってところまでわかってるんでしょ。
てことはいずれ謙信公も…
でも歴史好き的にはつまんなくなっちゃうか…


539 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:55:13
>>538さん

>>24はご覧ですよね? 梁田家文書は謙信が足利藤氏を古河公方を奉じる(関東管領)に
なるための準備手続きですから、他の「感状」や「軍令書」とは違って、
直筆血書だと想定されます。謙信AB型説もあったのですが、出所は不明。

>でも歴史好き的にはつまんなくなっちゃうか…

じつは、自分もそうなんです・・・。

540 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:10:25
>>539さん
>>24見落としてました…
そうか血書というのもありますね。でも出所不明ではなぁ…
本人の棺(謙信公の場合、瓶でしたっけ)の中から出てきた遺骨ならばほぼ間違いないんだろうけど。でも剃髪してるんならどこかに毛髪とかないんですかね…
それとも歴史のロマンとして知らない方がいいんでしょうかね…



541 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:25:40
>540殿

もう寝ようと思ってたら、ここに何とも面白い情報交換が!

剃髪とかは関係ないです。
上杉謙信の遺体は、大甕(上杉廟所蔵?いや、廟に埋めてる)に入れて漆と蝋で固めたと上杉文書にある。
そのままそっくり、生きていた(いや、死んだ生身の)状態で保存されてる可能性がある。

>539殿がいう、血液型AB説「出所不明」はデマというか、ワカラソ。梁田文書という意味ではないと思われる。


542 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 04:01:41
>>541さん
その話は本で読みましたが、私は遺体を収めて蓋の周りを蝋と漆で固めたと判断しました。
>>541さんがおっしゃるのは遺体を蝋と漆で固めたってこと!?
じゃ謙信公はなくなったその姿のまま朽ちることなく現代に…!?
こりゃあ冷凍マンモスどころじゃない!

543 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 05:27:37
『死蝋』化してることは…ないだろうな

544 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:10:34
甲冑姿の蝋詰め謙信が完全保存?
たしかに漆が外側(蓋)なら、蝋は甕棺の中に。
同じ箇所に使える性質のものでもないだろうし…。

545 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:18:56
じゃあ謙信の死体は蝋でかためられてんの?

546 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:40:19
>543

それはない、フタの漆で水分は封じられてるし。
甕棺の中を蝋固めした場合は、植物の球根を保存するのと同じで
長期保存が可能。何百年前の球根が花を咲かせたり、古い胡桃が食べられるのと同じ。
一回死んでるので、さすがに蘇生は出来んだろうが。

547 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:31:38
殺菌してから納めてるわけでもないし
さすがに球根みたいにはいかんだろー

ただ鎧とかは意外といい状態で残ってるかもしれんね

548 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:20:16
>>546

なにげに釣りか? 謙信が427年目に生き返ったら怖いぞ(w
思わず男なら精子、女なら卵子を採取できないものかと、
そんなバカな想像をしてしまったオレ。植物じゃないんだからさ・・・。


549 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:18:32
>547
>さすがに球根みたいにはいかんだろー


軽いノリで、ワロタ…


550 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:01:42
この地震…謙信公の瓶を暴く話で盛り上がって怒りに触れたのかな…

551 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:13:44
地震age

552 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 15:41:56
早く真実を明らかにしろと怒っているのかもしれん

553 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:19:52
山形大地震(震源地米沢市上杉廟の地下2メートル)とかきたら
間違いなく女神(不識院)のお怒りだな。

甕棺が割れて真夏の暑さで蝋が溶ける→謙信公の性別が判明
→日本戦国史を引っくり返す大事件に→このスレが本になる

なわけないか・・・。


554 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:19:00
じゃ記念マキコ

555 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:36:19
多分乾燥してカラカラになっているので、お湯をかけて3分位
で、謙信が出来上がると思われる。

556 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:29:03
>>555 3分謙信(笑

天変地異で謙信公の甕が割れたとしても、それを公表するかどうかは
前スレにあった米沢上杉文化振興財団(旧上杉家)が許すかどうかだな。
米沢方面の人で、ツテのある人いないか?


557 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:48:50
>>555
甕の中から封印されし軍神が蘇る!
昔の漫画みたいだな。


558 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:41:47
アラジンの魔法のランプの様だ!
上杉の魔法の甕ってかw

559 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:16:13
こすると出るのねっ!!

560 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:29:41
墓(甕棺)とかの話になってるんで、聞きたいんですが、
この本↓持ってる人いますか?

「戦国武将の墓相」(杉浦岱典、秋田書店、初版1980年)

謙信の林泉寺の墓石が母親が子を抱くような女性の墓の形式だと云ってるようです。
林泉寺の見解では「大きい墓石が先に作られ、小さいのは後に作られた」とされていますが、
その理由は明らかではありません。


561 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:49:48
ちなみに、林泉寺の謙信墓石はこれです↓<<560

ttp://www.m-network.com/sengoku/haka/kenshin450h.html

ちゃんと、お酒が供えられてますねぇ(笑

562 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 01:05:29
>>560-561

自分もさんざん探しましたが、見つかりません(泣
コカーイ図書館に行くしかないと覚悟してまつ。

563 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 02:54:55
俺、来年のGWあたりに米沢逝こうかと思います。

564 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:04:30
>>563

来年の話ですか・・・。でも、わたしも久しぶりに!
どこかで会えれば、楽しいですね(期待!

565 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:33:46
>>564
今からじゃ金も暇もなく、冬は寒そう…
春〜初夏ならいい時期かと思いました。
見つけたら指さして罵って下さい
(´∀`)



566 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:59:59
しばらく覗かないうちに、楽しそうな雰囲気になってますね(嬉

で、感謝上げ・・・。

567 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 18:39:31
上杉景虎(うえすぎ けーこ)はもともと女でしょ?
まあ後世の歴史なんて、当時の権力者によってどうにでも書き換えられるさ。
ありもしない原爆を捏造したのはまさにこのような連中だ。

568 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:56:26
どさくさにまぎれてわけわかんねーこと書くな

569 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:24:29
確かに意味分からんな

570 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 02:13:22
スルーを覚えような。

夏厨はコレだからこまる。

571 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:39:33
おーーい

572 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:45:22
なんだー?

573 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:49:41
夏厨認定厨が一匹いるなwww

574 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:54:19
>>573
お前もナァー・・・♪





で、何かいい史料見つけたのか??
こっちは夏枯れだぞぉ・・・!

575 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:58:22
>570=>574
>スルーを覚えような。


オマエがスルー出来てないじゃんwwwwwwwww

576 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:18:58
このスレももう終わりだな…

577 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 04:33:31
多少スレ違ってもいいなら…
謙信の死について詳しい方の御意見を伺いたいんですが、
直江兼続が謙信を殺したって本当かな…
謙信が危篤になった際に周りにいたのが兼続含む景勝一派らしいし、兼続死後程なく直江家は断絶したって聞きました。まるで知られてはならない秘密を抹殺するかのように…


578 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 05:13:20
>>577

 信頼できない文書では、謙信の死には直江夫人が立ち会ったそうですが、確実な史料はありません。
与六(兼続)はまだ、春日山に登城も許されない身分のはずで、景勝も陰謀を
はたらく歳ではないでしょう。学研の歴史群像「上杉謙信」が元ネタですね??

579 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 12:57:41
>>578
うぉうっ…するでぇな…確かに歴史群像シリーズから抜きました。
なぁんだ、暗殺じゃないのか…話終わっちゃうね…
この本に出てる「上杉家に代々継承者のみに伝えられた御家の禁忌」ってのが知りたい…

580 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 19:26:56
さすがに都市伝説じゃないの…

>継承者のみに伝えられた
綱勝(景勝の孫)が急死した時点で既に伝わらなくなる。
あの時、継承者がいなくてぎりぎりで吉良から養子もらってきたくらいですから。
それに継承者のみ伝えられた後家の禁忌があったとしても
普通は禁忌が伝わってること自体隠すでしょう。
そんな周りに不穏な疑惑持たれることわざわざしないわけで。

あと>578にもあるように兼続が謙信死去後に活(暗)躍したという確かな
史料はないです。景勝時代の筆頭家老だからこの年でばりばり活躍してたって
いう先入観があるのか入門書の類なんかではよく書かれてますけど、
少しつっこんだ歴史書で御館の乱で兼続が活躍したなんて書いてるのまず無いと思います。
小説の様に兼続が上田衆率いて敵攻めてるなんてさすがに無理です。
この時兼続が何してたなんて確実な史料では何も分からないのが現実なので…。

581 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 19:42:02
確認のため歴史群像見返して見たけど凄いな。
謙信の法要が十三回忌と二十三回忌しかしてないという史実が
あるってあるけど、五回忌、七回忌とかちゃんとしてるよね?
半年ぐらい前から寺に手紙送ったりして準備してなかったっけ?
他にもつっこみ所が多いしまるでゴシップ記事みたいだ…。
こういうのでも知らない人はそのまま信じちゃうんだろうか。怖い。

582 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:01:21
謙信の歴史群像はとりあえず書いてみましたって感じが強いんじゃないか?
とても実像が取り上げられてるとは思えない。

誰か、Wikipediaの謙信のページに女性説をまとめたものを載せて欲しいな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E8%AC%99%E4%BF%A1

583 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:11:10
>>581
いや、5回忌や7回忌どころか、13回忌もやってない。
13回忌としたら天正18年か19年のはずだが、18年は小田原出陣
19年は正月早々から上洛(北越軍記・観修寺晴豊日記の閏正月6日)して
半年滞在したあと出羽の叛乱鎮圧(史料は歴代古案)で、年末に春日山帰城。
23回忌ってのも、じつは徳川家康の上杉征伐に対して家臣団を集めた
わけで、謙信の法要は名目だけ。そういうところから、景勝が故謙信を
ないがしろにしていたという伝承があるんだろうな。で、景勝晩年に
いきなり謙信軍神伝説、てな感じ? やっぱ、謙信が女だったからだろーな。

584 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:51:58
高野山に謙信の菩提弔うための金子贈ったりしてるんじゃなかったか?>景勝

暗殺説も禁忌伝説もしょせんは江戸時代あたりの太平楽面白創作ネタに過ぎんのだろうが、
逆に、なんか今だに兼続は謙信の寵童だったとよく書かれるよね。
とくに兼続ヲタの作家なんかは何かしら謙信との繋がりを求めるように感じる。
が、>580の言うように、これもやっぱ何の根拠もないんだよな?
新井白石あたりが何か書き残してるんだったっけ?(ソースきぼん、と言ってやりたいが)
例の政宗との小判エピで出てくる「謙信公の采配をうんたら〜」も後世フィクションだろうし。
謙信の生前は、上田五十騎組とかいう、
上田士籍の兵で組織されたとかいう景勝の親衛隊みたいなのに入ってた可能性が高いんだっけ?

585 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:55:32
謙信は女を抱かなかったからなぁ・・
どうしてもホモだとか、実は女だとかいう説が出るなw
普通にあり得んでよw

586 :【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:2005/08/30(火) 23:02:55
EDだったのでしょう。

587 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:48:21
ちょっとageられると、ウザいのが来るなぁ・・・。

588 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 01:05:14
三戦板の萌えスレ、新規立ち上がりますた。

【萌える】上杉謙信は女の子4【春日山】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1125417670/l50


589 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 01:41:46
>>588
おめでと♪

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