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今こそ、今川氏真公に処世術を学ぶ。

1 :ハイジ:2005/07/18(月) 01:26:43
名君今川義元公の息子、今川氏真公の生き方を称えるスレッド。
現代サラリーマンは、氏真公の生き方を参考にすべきだ。
趣味に生き、女性を愛し、寛容で柔軟な心の氏真公、
その細くて長い人生は、まさに現代の生き方の見本だ。


2 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:36:48
重複
今川氏真は戦国時代のニートだろ? 
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1117180274/l50

3 :ハイジ:2005/07/18(月) 01:46:01
何を言うか!!君は!!慎みたまえ!!
義元公は、氏真公を厳しく育てたのだ。文武両道に。
しかし、氏真公は、蹴鞠の才能を自ら見出し、
趣味に生きたのだ。

そして、なんと・・・

織田の前で蹴鞠を披露し大満足させ、褒美までもらったのだ。
この敵に対しても、和気藹々とやる氏真公は素晴らしい。
現代の癒し系サラリーマンを目指す方は、氏真公をよく知ろう。


4 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:48:45
今川義元=劉焉君郎

今川氏真=劉璋季玉

以上、終了。

5 :ハイジ:2005/07/18(月) 01:56:30
これこれ、勝手に終わりにするでない。
ただいま、今川家の研究が再び盛り上がっているそうな。
桶狭間による敗戦で、うつけ大名のレッテルがはられているが、
近日、そのレッテルも過去のものとなろう。



6 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:28:50
> ハイジ氏

熱く語ってるとこ水を差すようだけど
氏真は歌人として十分名を残している
そっちで語ったほうが良くないかな?

蹴鞠を単なる「遊び」にしか見てないお子様もいるからね

氏真のマイナスイメージを生んでいるのは次の3点と思う
・桶狭間合戦後、謀略による家臣の離反を止められなかった
・大名としての今川家を滅亡させ切腹という形での責任を取らなかった
・家康への臣従と牧野城主解任、そして信長への茶器献上と蹴鞠披露
これらについてハイジ氏の解釈は?

蛇足ながら
> 桶狭間による敗戦で、うつけ大名のレッテルがはられているが、
> 近日、そのレッテルも過去のものとなろう。
現在ではかなり汚名は返上され主に政治面では評価が高まってますよ

7 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:36:12
ハイジ氏へ、亀スレだが、

劉璋の評価;

劉璋は、本当に暗愚な君主だったのであろうか? 
彼が勢力拡大の野心を抱かなかったため、
益州は劉備に奪われるまでは平和を享受していたし、
政治においても劉璋に代わって董和や黄権らと
いった有能な家臣団が善政を敷いていたため、
正史『三国志』における彼の評価も、悪い評判はそれほど見られない。
ただ、劉璋がお人好しで周囲の重臣たちの意見に左右されやすかったことは
事実で、この性格が命取りになったとも言えるであろう。

正史でも、著者の陳寿は「土地や官位を奪い取られたのは不幸とは言えない」
と厳しい評価をしている。しかし、陳寿は蜀漢の遺臣であり、劉備や諸葛亮の
蜀奪りを正当化するために、劉璋への評価が厳しくなったものと思われる。
さらに演義などでは虚構も交え、暗愚さが一層強調されたものと思われる。
劉璋には配下にも多くの忠臣がいたことが示すように、決して暗愚な人物でなければ、
悪政も敷いていなかったのである。

陳寿の評に付された裴松之注で、張璠はいう。「劉璋は愚弱な男であったが、善言を守った。
これもまた(戦国時代の)宋の襄公、徐の偃王と同じ類いの人間で、無道の君主というほどで
はない。張松と法正は正しい君臣関係にあるとは言えなかったけれども、しかし臣下としての
礼をとり名簿に記されているのである。積極的には、韓嵩や劉先が劉表に進言したように、
はっきりと状況を説明しようとせず、消極的には、陳平と韓信が項羽のもとを去ったように、
絶縁を宣言したり逃亡したりせずに、二またをかけ異心を抱き、めぐらした計策も忠義から
出たものではなかった。罪人に類するといえよう」

氏真の評価の見直しも同じような理由と思われ。

8 :ハイジ:2005/07/18(月) 05:11:40
早い話が、氏真公に戦国大名は荷が重かったのです(向いてない)。
文化人としては、父譲り(義元公も和歌好き)で、
非常に優れていましたが・・・・。
しかしです、あの時代に氏真公は切腹もせず、
図太く天寿を全うしたことにつき素晴らしさを感じるのです。
普通であれば、家康と顔を合わすのも恥ずかしいでしょう。
氏真公から学ぶもの、それは、生きることへの執着なのです。


9 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:45:08
体育会全盛の時代の文化系。

10 :ハイジ:2005/07/18(月) 13:33:17
いえいえ、義元公も氏真公も文武両道な方です。
確かに、義元公は、馬に乗れず、戦も輿に乗り向かいましたが・・・
しかし、桶狭間の戦いでは、義元公は勇敢に戦ったそうです。
桶狭間がほんとうに悔やまれます・・・・。
私は、義元公に今川幕府をつくってほしかった。


11 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:57:19
意外な事に徳川慶喜は今川氏真を評価していたそうな。

「心、剛にましたる武将なり」と・・・

なにか徳川慶喜自身と通じるものを感じていたのかもしれない。

12 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:58:58
>>10
は?吉本は命惜しさのあまり、足軽の指に噛み付いて天下の笑いものとなったのだが・・・。

13 :大内義隆:2005/07/18(月) 14:07:56
文献により、かなり違いがありますよ・・・悲しいことに。
私も、本を読んでいるので真相は分かりませんが・・。
これから、今川家の評判は随分変わっていくはずです。
なにせ、今川仮名目録は、評判高いですし、
徹底して喧嘩両成敗をしてまいりました。
今の法治国家の礎と言っても過言ではありません。
今川家は、すでに滅亡していますが、悔やまれます・・。

14 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:24:31
>13
今川は旗本高家で明治まで残ったんじゃないか?

15 :ハイジ:2005/07/18(月) 14:34:07
明治まで残りました。





16 :静岡茶:2005/07/18(月) 23:19:37

義元公は、やはり大天才ですよ。

今川幕府は、手が届くところだったんだけどねぇ〜

17 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:23:04
織田信長に真っ先に殺されたせいで、
愚鈍なデブという印象しかなかった。

守護出身ながら相当優秀だったのね、義元は。

18 :小金丸:2005/07/18(月) 23:24:22

1570年ごろには開けたかもしれないよね。

19 :静岡茶:2005/07/18(月) 23:27:16

 確かに義元さんは足が短いと聞いたがことあるが、
 お洒落番長だったらしいよね。

 三国同盟の中では一番垢抜けてただろうね。

20 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:32:32

北条さんもなかなか厳しい人だったみたいです。

21 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:50:48
氏真の奥さんは、北条家からとついできました。

22 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 02:14:16
スレ主かなり熱いな・・・。


23 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 02:24:44
 
氏真公は、和歌や蹴鞠、書道も極めた天才文化人です。
幼少の頃(五郎時代)には、太原雪斎から教育を受けた、
今で言うエリートコースの人間です。
現代に生きていたら、間違いなく官僚になったでしょう。


24 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:52:01
具体的に、どう和歌や蹴鞠、書道を極めたの?
どのような業績を文化史上に残したのかな?

25 :マコーレーカル禁:2005/07/20(水) 23:03:43
ぽーんと蹴ってみれば?


26 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:12:13
いつの日か今川家末裔から日本代表のサッカー選手がでた時に今川の底力を知ることになるだろう。

あと日本代表に誰かの末裔いたんだよな。誰?相馬?


27 :マコーレーカル禁:2005/07/20(水) 23:51:53
出ればいいね 応援しに行きますよ!!

28 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 02:10:10
サッカー静岡の源流ですね。

29 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 02:26:04
24番さん、今川氏真で検索してみてくださいよ
いっぱい出てますから〜

30 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 02:49:44
>>29
領地捨てて逃亡したとか、
親の仇の前で蹴鞠披露したとか、
ウジザネ=アホだという事はよくわかった。





31 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 05:06:03
氏真公は、歌人として名を残していますよ。
ググってみてください!!
今の時代に生きていたら魅力的な知事ってな感じでしょうね。

32 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 05:31:20
蹴鞠をサッカーにこじつける話は三戦板あたりでやってほしいんだが…

33 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 06:14:18
>>31
歌人としてどのような評価をのこしてるのかね?
愚愚っても出てこぬが。

34 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 08:51:25
>>32
似たようなものでしょう。

35 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 14:30:20
>>3
それで天下の失笑を誘ったんだろ。信長の前で蹴鞠なんかしてさ

36 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 17:44:36
戦国時代は親、主君を討った相手の下になっても家名を存続させるのが賢い選択。


よって中山鹿之介、赤穂浪士(戦国ではないが)はストーカー。
再就職すればいいだけ。


37 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:08:57
祖先の今川了俊には尊敬でき、憧れを持てるけど・・・・
暗愚な公家もどきというイメージしかもてないなぁ
蹴鞠と和歌では功績残してるだろうけど、多くの人々を犠牲にしたし
ずっと見下し虐めて来た家康に誇りもなくただ縋って生きていただけにしか思えないから、武士が好きな自分は好きになれない

38 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 20:28:45
氏真と了俊って血は繋がってるの?

39 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:25:45
もちろん繋がっていますよ。
 
戦国武将205人天下取り採点という本に、
今川は、愚将ではないと書いてある。
人望もあり、家臣から評判も良かったと。

今川氏真は、一見何もしてないように見えるが、
武田信玄への塩の輸出を止めて困らせた。通称、塩止め。
また、治水工事もけっこうしていて、遠江駿河は肥沃であった。


40 :山紹:2005/07/21(木) 23:18:56
どっかの本で、家忠日記の著者が、様を使っているのが
信長と氏真のみって書いてあった。
尊敬する何かがあったのかも。

41 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:25:08
氏真公は人望がすごくあったらしい。

遠江城主の朝比奈氏が一緒に篭城して半年も一緒に戦った。

また、北条氏康・氏政親子にも幾度も助けられている。

これは人望がないとありえないことなんだよな。

42 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 16:22:00
北条の場合は人望というより道義的なものだと思うけどね

氏政が対武田の外交戦略から氏真を追放せざるをえなくなった時の
小田原記より抜粋

「抑今川の家は代々小田原と縁者にて、殊に早雲・氏綱二代重恩の家なり。
別て氏真は御兄弟の契ありしに、今何の恨有て、信玄に語らはれ今川殿を追出し、
斯く情なき御振舞、いわれなし。誠に頼む木の本に雨もたまらぬ風情かな」
と、小田原の諸臣つまはじきしけれども、氏康御他界の砌にて、
たれか此事を申上るに及ばず。只よそよりかく批判せん事を悲ける。

43 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:13:38
↑どういう意味ですか??

44 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 01:25:05
氏真は最高だよ!

45 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 01:27:26
>>42さん
今川・武田・北条で鬩ぎあいしているときの同盟の話ですよね。
今川と北条が人質として、婚儀を重ね、包囲網を築いてきたっていう
違ったら解説お願いします

46 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 02:38:11
>>40
そりゃあ書いている本人にとって単純に主家筋だったからでしょ。
しかも今調べたら、松平家忠の母の父が鵜殿長持らしいから、
氏真とは血縁にもなるはず。

47 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 03:22:19
で、みんなは、氏真公の生き方ってどう思う?

漫画家の江川達也に言わせたら、

やりたい事をやって生きるのが一番とか言いそうだけど。

実際に、何の不便もなく京都で過ごしたわけでしょ。

蹴鞠したり、和歌作ったり、書道したりね。

人生を謳歌したんだなぁって思うんだが。間違い???

48 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 03:34:52
>>47さん
本人は一個人としていい生き方をしたんじゃないかな
ただ、そのために数百の家臣と数千の人々を苦しめた
それを考えると憧れはもてない、でもプライドを考えなければうらやましいと思う

49 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 03:40:11
>ただ、そのために数百の家臣と数千の人々を苦しめた

 織田、羽柴、徳川にもこれは当てはまると思うが…

50 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 03:50:09
>>49
少なくとも羽柴{秀吉ですよね?}や徳川はその後の栄光や繁栄を目指してやったけど
氏真は個人の欲のためにやったと思うけど・・・・・違いわかりづらい?


51 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:02:22
>>50
領国経営ができなくなったと判断した時に
悪あがきをせず白旗を掲げることで
無駄な被害者を生み出すことを回避することはできるでしょ?



52 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:05:58
>>50
あと、自らの栄光や繁栄を目指して生きることは
私利私欲(個人の欲)ではないという
>50さんの考え方が理解できないのですが…



53 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:06:48
わかったーーー!!

結局、氏真公は、貯金を食いつぶしただけってことですね??

でも、今川家が明治まで続いたっていうのには興味湧きますね。

幕末は、どんな立ち回りをしたのかと・・・


54 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:08:20
ちなみに、私は、今川氏真公には共感持てますw

55 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:10:22
>>53
単なる江戸の旗本でしょ?
殿様と呼ばれ、太平を貪ってるうちに御一新が来た、と。

56 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:14:35
あれ〜公家って書いてあったけど・・・
戦国武将205人 天下取り採点って本です。

なにはともあれ、今川好きな日本人って多いと思う・・・

間違いでしょうか??

57 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:17:17
今川焼は好きです♪

58 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:27:12
クリームは好きです・・・

59 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:34:15
チーズ入りも捨てがたいです。

60 :50:2005/07/23(土) 04:36:40
>>52さん、言葉足らずでした。
部下や家臣、自国民の栄光などです。己だけではないです。
自分だけのために犠牲にするか、みんなのために犠牲にするかの差です。
私は後者が好きなので違いを感じるんです
>>51さん
そのときに配下を斡旋したりと配慮するまでするのがその時の国持ち大名の心得と思います。
特に大身ですし。



61 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 11:59:36
>>45
氏康逝去から相甲同盟締結までの間のことと推測されるので
元亀2年(1571)の末頃と思われます

意訳すると

「今川家は我々小田原北条氏とは非常に縁の深い間柄であり、
特に早雲・氏綱の二代には大きな恩のある家である。
また氏真は氏政と兄弟なのに、何の恨みがあって信玄の言い分を聞き、
追放するなどと非情なことをしなければならないのか。
すがる思いで当家を頼ってこられたのになんと冷たいではないか。」
と北条家臣は不服に思ったが、氏康が他界したばかりということもあり
誰も意見することができなかった。
こういった北条氏の外交姿勢が批判されるのではないかと心配した。

解説すると

重恩:早雲はもともと今川麾下の部将だった
兄弟:氏真の妻は氏政の姉(異母説もあるがともかく義理の兄弟)
信玄に語らはれ〜氏康御他界:
「氏真不行跡故追出して候。」など信玄の駿河侵攻の言い分。
氏康は信玄が語る侵攻の正当化に憤慨し氏真に援軍を送った。
しかし氏康が没すると後を継いだ氏政は親武田へ方針を転換する。

北条側の文書はおおむね氏真に同情的。
あれこれ理由をこじつけ己の欲望のために駿河へ攻め込んだ
信玄と、寝返った今川家臣を厳しく批判している。

なお小田原記は歴史書として信憑性が疑われる部分もありますが
抜粋した節は当時の北条家臣の心情とそれほど離れていないと
思われるので引用しました。

62 :50:2005/07/23(土) 14:10:36
>>61さん
詳しくありがとうございます。
利害だけかと思ってましたが、情義的な交流もあったんですね。
ここまで氏康公が思いを掛けていたとは・・・・

63 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 14:19:21
ここは、今川氏真公から何を参考にして生きていくかのスレです。

それだけ今川氏真公の生き方は、かなり現代的なのです。

プライドも何もないお方ですが、だからこそ、乱世をかわせたのだ。

氏真公は、弱虫だったかもしれないが、それは昭和以降世代の者たちと

よく似ている。明治時代の人間とはかなり違う生き方ではあるが・・・。

64 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 14:24:07
>>63さん、>昭和以降世代の者たちと
物凄く納得。生き延びるには優れてますね

65 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:06:19
つか、早川との関係が良い感じ。
最後まで嫁とは仲良くして、墓も隣にあるってのは憧れる。
幼なじみシュチに(*゚∀゚)=3ハァハァ

66 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:57:04
今川という家が絶えた後も、今川の名を残そうという活動は

あったように思われる。静岡か愛知か忘れたか、今川町というのが

残っているし、東京杉並にも今川町というのがある。

これは、今川家にちなんでいるみたいです。

氏真公の祀られている杉並の観泉寺は、とても立派な寺で風情が

ありますね・・・。ちょっとここで考えてみよう。

なぜ、あんなに評価が悪かった氏真公が、あんな立派な寺に

祀られているんだろうか・・・。教えて欲しい。


67 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:21:19
それは評価は低かったけど、家格は高かったからぢゃ。

68 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 21:34:05
付加えて、人徳もあったんだよ。


69 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:07:13
武家としてのこだわりを捨て
公家としてのステータスを得るように勤めたんだろ。

決してプライドの無い男ではないよ。

70 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:13:02
>>56
図書館にあったのでちょっと見てきましたが…
正直言って目新しい内容ではなかったです
(従来の今川義元観と同じ)
また複数の人が解説してるせいか評価にバラつきがあり、
採点も基準がいまいちよくわかりませんでした
採点すること自体意味があるのか?という疑問は置くとしても…
鳥居強右衛門がやけに高評価で
「うはwwwアリエナスwwwwwwww」て感じでした

>>63
そろそろつっこませてもらいます
どういった根拠をもとに氏真の生き方をとらえ、参考にするのか、
そのへんを説明していただきたいのですが?
私見ですが、彼は後半生に何を思っていたのか全くわかりません。
あえて行動を起こさず、文字としても遺さず、心情を隠しているようにも見えます。
だからこそ興味があるのですが…

71 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:44:27
まあ、生きてれば何か良い事あるよって感じじゃないの?
決して自害はするなと・・・・

72 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:18:33
>>46
そうなのか。あと主君である家康を差し置いてというのがあって。
>>60
北条の元にいて、今まで付き従ってきた家臣の転職が有利になるよう
彼らの功績を入れてた、主従の関係を解消する書状を多く書いているしね。

73 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:25:08
結果オーライの人生だった感もあります。

74 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 00:01:11
ニートに優しい氏真

75 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 12:42:23
ぶっちゃけ、桶狭間は信長が運良かっただけ、
信長の凄いところは、晩年までアレは僥倖に過ぎぬってずっと言い続けたこと

76 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 12:47:55
ぶっちゃけ、義元があんな形で死んで
若くして家督を継ぐことになったら
誰だろうと持ち直すのは難しいと思われ。

77 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 12:57:40
ぶっちゃけ、太源セッサイがもっと長生きしなければ
どっちにしろ上洛は不可能かと思われ

78 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 13:03:08
家臣団の質を向上汁


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