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卑弥呼

1 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 12:17:31


2 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 12:36:55
2げとならダイヤモンド映像復活!

3 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:12:18
3げとなら本人復帰!

4 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:05:20
貧民子

5 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:12:49
村西とおるどこいった?

6 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:14:25
6なら惑星共同体復活!!

7 :太国:2005/08/05(金) 22:11:41
世に卑弥呼は天照大御神だという主張をする御仁が割かし多いのではないだろうか?
それとは別に、天照大御神は男神だという者もけっこう居る。
この両論が同時に成立させようと云うのならば、卑弥呼は男となってしまう。w
ここに、この二論が考え過ぎだったという不様が見えてくる。

8 :太国:2005/08/08(月) 21:43:55
卑弥呼も天照大御神もどちらも女性だよ。

9 :太国:2005/08/08(月) 21:55:33
卑弥呼は特殊神道の『鬼道』、天照大御神は原始神道の『古神道』だな。

10 :太国:2005/08/08(月) 22:00:55
卑弥呼は正面に円形の鏡(日像鏡)のある冠をかぶっています。
天照大御神は正面に八角形の鏡(八咫鏡)のある冠をかぶっています。
既に説明したとおりですが、聴きもらした方のため、再度解説。

11 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:59:28
日の御子
日の皇子
日の皇女
のどれかであって
日の巫女ではない
と思うよ

12 : :2005/08/11(木) 18:52:08
卑弥呼は美人だったとは思うのですが
毛深い美人だったでしょうか
それとも、つり目の美人だったでしょうか
あるいは、鬼道に通じる徐福の末裔でしょうか

スレを汚すような質問で恐縮。重要なポイントだと思うので・・・

13 :太国玉:2005/08/11(木) 19:32:00
すごい質問ですねえ。誰に質問してるのかしら?
ふっふらした顔立ちの女性ですわ。頭に日像鏡の正面についた冠をつけていますの。
冠の頂部に針のような細い角形のアンテナがありますわ。
眼がつり気味かは正確には判然としませんが、それほど釣っている感じはないようですね。
毛深いかどうかヌードまでは知りません。w

14 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/11(木) 20:31:48
九州ですので吉永小百合様並の美人だったはずです。
長寿だったようですが、年をとっても小百合様のように魅力的だったとおもいます。

15 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:12:12
卑弥呼と豊丸って、どっちが先だっけ?

16 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:04:31
>>15ばんさん、スレちがいです。

17 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 10:09:28
卑弥呼は大和朝廷が九州統治のために派遣した巫女です。



18 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:12:58
いえ、卑弥呼は共立されたのですから、大和朝廷も九州も統治したのです。
派遣社員のような立場ではありません

19 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:16:08
邪馬台国が支配したのは畿内だ! 
ヒミココは死ね!

20 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 10:21:37
いえ、大和朝廷側と九州で話し合って
九州の王は卑弥呼ということで共立したのです。


21 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 15:10:58
それならば、魏志倭人伝に大和朝廷に相当する国が記されているのではないでしょうか。

22 ::2005/08/12(金) 16:03:43
>>21
そのとおり。

23 :虎視眈々:2005/08/12(金) 22:22:05
>>21
 魏志倭人伝の内容はあまり信用しないほうがいいです。中華思想にもとづいて、中国はまわりの国々を東夷、
西戎、南蛮、北てきと呼んで卑下し、自分の国を美化して記述しています。

 中国の事実の捏造、隠蔽の体質は昔も今もあまりかわっていないわけです。

24 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:33:15
http://inoues.net/wajindenx.html
ここに畿内大和、あるいは出雲を思わせる記述があります。

女王國より北の地方は、
特別に一大率(いちだいそつ)を置いて、諸国を検察させている。

僕はこれをみると当時の情景が目に浮かぶようで好きです。


25 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:42:33
>>23
虎視眈々と工作するな!

26 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:40:31
狗奴国はどこに?

27 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:45:07
鳥栖(都支国)、三養基郡(已百支国)、杷木(巴利国)あたり
まで女王国統治下だったらしいので
その南は狗奴国連合ですね

28 :石宮:2005/08/13(土) 08:29:21
三養基郡は三井郡と養父郡と基イ郡を合併した郡で新しい地名です。

29 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/13(土) 08:44:39
卑弥呼は九州の巫女さん。
邪馬台国は畿内政権の中央集権化活動が
始まるにつれて吸収されたとさ

30 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/13(土) 09:15:59
>大和と九州の協議により卑弥呼を共立した。

当時の交通や環境を考えると大和と九州の間で幾度も協議の席を設けるなどは、不可能だし、まさにナンセンス
情報伝達手段すら発展していない時代、さらに、国乱れし時に遠地間の交渉など不可能だよ

31 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:38:12
邪馬台国は大和国の属国だったのではなく大和国そのものだった。
しかし狗奴国の王、熊襲の菊池さんが頻繁に攻め込んで暴れるので
おちおち国造りも出来ない。
「とりあえず首都を畿内に移して力をつけてから菊池の奴をぎゅうぎゅう言わせてやろうぜ」

こんな感じ?



32 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:45:05
そんなことありえると思う?
邪馬台国ってのがそもそも侵略色の濃い革命政権なのですよ、
みな渋々卑弥呼に従ってるのですよ。そして畿内や本州では九州とは
比較にならない巨大な政権が既にあったのですよ。


33 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:48:39
巨大な遺跡があるからといってその国が強国であったとは限りませんよね?
どこかで、何かが間違っている。だから解決しないんです。

     ”比較にならない巨大な政権”

この辺かなり怪しい。
可能性が低いのは認めますがね。



34 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:50:12
>>33
中国大陸に求めるか

35 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 20:07:16
http://www.hist.shimane-u.ac.jp/kouko/List.htm
この連中が作ったんでしょ、本州の巨大古墳と
大倭の一大率軍隊。
http://inoues.net/wajindenx.html

36 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 08:42:22
大倭というのは大和朝廷のことですよね?
だとしたら大和朝廷が交易ルート確保のために
九州邪馬台国を支援していたのかもしれませんね。

37 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 10:30:51
>>30
ですから大和朝廷側は
伊都国に一大卒を派遣してるのではありませんか?


38 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 11:21:55
大倭は「やまと」とはよみませんし、大和朝廷のことでもありません。
大は「ダ」、倭は「ヰ」と発音します。
中国人の漢字は当て字であり、大や倭に大きいとか、倭国とかの意味はありません。


39 :圭角:2005/08/14(日) 13:10:09
ご承知のとおり、卑弥呼の初見は魏書東夷伝倭人条ではありませんね。
ご承知のとおり、正史三国志魏書第四巻の三少帝紀に初出するものですよね。
 正始四年冬十二月、倭国の女王卑弥呼が使者を派遣して捧げ物を献上した。

せっかくの、卑弥呼というスレタイトルですから、このあたりから始めませんか。

40 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:39:04
アマテラス=卑弥呼の線は捨てがたいですよね

熊襲にてこずっているのに業を煮やしたスサノヲが卑弥呼を殺して
邪馬台国の王になった。しかし前後に不吉な天文現象が起きたりして
いわゆる岩戸神話が生まれた・・・

でもこれだと年齢が合わない・・・
卑弥呼は年齢を逆さば読んでいたんじゃない?
卑弥呼も女王になったときは13歳くらいだったとすれば合う。
結論 北九州人にはロリヲタが多い。

せっかくの、卑弥呼というスレタイトルですから、このあたりから始めませんか。

41 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:00:33
卑弥呼の即位は種々の資料からかんがえるに、183年とかんがえられます。
没年は247年ですので、64年の在位となります。
このあたりから始めませんか?

42 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:35:14
64年! 昭和天皇みたいな人だったんですね。

43 ::2005/08/15(月) 20:43:09
>>40
アマテラスは男か?女か?いずれか?

44 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:05:27
女神です。神社には女性用の装飾品が残っていますから。


45 ::2005/08/15(月) 21:10:20
>>44
だろうな?そうでないと、卑弥呼は男だという論法に進展する。

46 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/15(月) 22:05:47
>>41
では
何故後漢書に、朝貢の記録が無いのか

47 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 07:45:23
卑弥呼は即位したとき
すでに年食ってるみたいなことが
倭人伝にかかれてたきがしましたが・・

48 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:42:51
朝貢する際には、本ものですよと言う証拠に、国書に封印していきます。
ところが、卑弥呼が朝貢した時に、封印する印を紛失していたために、
正式な朝貢とは認められずに、正式な記録にのこらなかったのです。
紛失した印は、江戸時代に志賀島から発見されました。

49 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 09:34:24
>>48
封印する印といっても、最初に朝貢するときは
誰も印など持ち合わせていないでしょう。
その印を受け取る為に朝貢するのではないのですか?
それに、180年代の卑弥呼即位に関しては、卑弥呼の年齢に対しての矛盾点が残りますし、
中華王朝では珍しい、女王国からの朝貢を、後漢の帝紀に記載しないこと事態が不自然です。
乱れていた倭で、新しい女王を擁立したのに238(9)まで約六十年間も中華王朝にその存在をアピールしなかった事になります。
そのような事から、卑弥呼擁立を180年代にすることは謎を増やしてしまうだけです。

50 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 09:39:15
卑弥呼が女王に就任したときすでに年をとっていると
言っているのですし卑弥呼の女王即位は
220年ごろとみるべきではないでしょうか?

51 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:53:39
倭国乱は卑弥呼の共立をもって収束しております.乱は桓霊の間とされています。
それは霊帝の没年の189年以前であることは動かないとされています。
それと卑弥呼は新王朝の創始者ではなく、それまでの倭国の継承者です。
年をとっているというのは、魏と通交を始めた時にはという意味だと思います.

52 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 09:57:04
「卑弥呼擁立180年代の矛盾」
卑弥呼が当時珍しい長寿であったとしても、AD180年代には未だ十代がいいところでしょう
壹與が13で即位したときは、卑弥呼という女王の前例があったし、何と言っても魏王朝のバックアップがありました。
しかし、卑弥呼が十代で即位するには余りにも難題が多すぎます。
仮に「プリンセス天功」の様にマジックを使ったとしても、結局の所
男王(摂政?)が実際の政治を担当することになり
倭が乱れていた時と状況が変わりません。
壹與の時と違い
朝貢歴がありませんので、中華王朝からのバックアップ考えられない

53 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:03:03
通交を始めたときは年をとってたという意味ですか。
実際の政治は弟がやってたんじゃなかったですっけ?
ちょっと待ってください。卑弥呼の弟って・・
かなり卑弥呼より若いことになりませんか?

54 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:23:35
少し話逸れ申しあけありませんが、
プラムさんは
茨城を中心とした古史古伝秀真伝をどのように
理解されていますでしょうか?

55 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:27:58
古史古伝???
難しいなあ・・
なんのことやらさっぱり

56 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:34:09
>>55紛い物ぽいのあるが幾つか参考になりそうなものはある。
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kodai-bunsyo3.htm
ぐぐって調べると新しい発見があるかも


57 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 11:23:54
>>54さん 茨城の郷土史ですかぁー
茨城の郷土史の原点はやはり「常陸風土記」ではないでしょうか?
あとは、筑波山を中心に語られている歌や 筑波を根城にする神の事が文献上書かれておりますが、
茨城=常陸風土記でしょう。

それに、茨城は文献資料や言い伝えより
考古資料で調べる古代史の方が進んでいる所です。
縄文遺跡の宝庫ですし、舟塚山の巨大古墳 虎塚・花園の装飾墳(大塚氏著書)現在、高速道建設に伴う遺跡発掘が近所で盛んです。
横道に逸れましたが、
茨城は、常陸風土記と筑波の神々神話に集約されます。

58 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:31:42
茨城は日本の黎明期においても極めて重要な地域と思うけど
出雲、狗奴始め各国の影響が見られる

59 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:00:36
倭国の乱れは、王位継承を巡る問題であったとかんがえられます。王が全国の総意で即位したのであるから、なにも問題はないと思います。
卑弥呼の弟については、資料が少なすぎてわかりません。
弟自体が本当に卑弥呼の弟であるのか、兄弟で政務をとるしきたりがあったとすれば、
名目的に弟であった可能性もあります。

60 :圭角:2005/08/16(火) 13:21:20
倭国大乱は、内的には経済欲望の衝突多発期に当たっていたこと、外的には
後漢の衰退混乱が因と考えます。
王位継承を巡る乱というのは失当と存じます。壬申の乱がその代表例かとは
思いますが、王位継承というのならば、その以前に統一政権の存在を前提と
しなくてはならぬ必要が生じるからです。

61 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:19:01
秀真伝、上記は特に研究する価値がありそうだけど・・
天皇族が神武の前に数十世代あるという
記述が共通しているのが興味深い。
上の二つの古文書は一つの突破口になりそうに思えてならない。

62 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:47:26
日向族の北方系侵入阻止逸話なんか四隅墓の分布、
孤立した北方人土井が浜人と被る。


63 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:05:41
倭国乱の前に、男の王が七、八十年統治したとあります。その後の倭王を誰にするかで
乱がおこったのです。

64 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:07:35
なぜそこまでもめる必要があったかが重要だな

65 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 19:16:50
おそらく鉄かなんかの利権のためだと思われます。
それまで王になってたものは朝鮮半島との
鉄の交易で他の国の王と決定的な差別化ができてましたが
中国大陸のほうで後漢の権威が揺らぎ始め朝鮮半島にも
その余波が及び、交易がままならなくなったので
各国の力が均衡してしまい、誰を王位にするのかということで
けんかになったのでは?詳しいことは若輩者の僕には
わかりませんけど。

66 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:22:26
人間の面子と欲望、そして1度こじれると、特に人が死んだりすると復讐の念も生じ、あとはいつ果てるとも知れぬ泥沼です。

67 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:29:05
>>65それもあろうが、
俺はもっと根深い民族対立だと思うよ。
倭(西九州)の習俗と宇佐豊国の地域の新羅臭い文化の差異はとても
見過ごすことはできない。

68 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:29:47
くわしくは自分の立てたスレでご確認を
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1123811439/l50

69 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 19:34:29
やはり僕はまだ未熟者でしたw
スレ読んでもレベル高すぎて
なんのことやらよくわからないことが
山ほどあります。もう少し勉強してから
きたほうがいいかな・・

70 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:36:32
>>69
ぐぐれば少しは理解出来るはず。
どうせ、ここの連中は古代史の専門家なんていやしないw

71 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:40:13
http://inoues.net/wajindenx.html
ここで確認しな、倭王との謁見

72 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:48:37
http://inoues.net/ruins/welcome2.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumi1.html
遺跡資料
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/2_4.htm
第二章、日本周辺の国々の伝承

記紀以前の古文書もご確認を、これらを鵜呑みにするではなく
参考資料として総合的にご判断下さい。
上記(うえつふみ)
秀真伝(ほつまつたえ)
東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)
神武以前の古代長期政権ウガヤ朝の存在の可能性


73 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:00:26
スサノオが殺したのは八秦のオロチ(地元民)であっても
山人、あるいは大和のオロチであっても
スサノオを中心とした
出雲・武蔵族(高句麗系、蝦夷系)と
新羅系と土着隼人、山人系の連合政権との対立か・・
ここまで半島臭くなると京都チョン安が必死になるのも分かる・・

74 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:24:31
>>55
>倭国の乱れは、王位継承を巡る問題であったとかんがえられます。王が全国の総意で即位したのであるから、なにも問題はないと思います。

倭人伝読みこれが全国朝だと断じ、書いてある弟を否定するとは
作為的としかいいようありませんね・・

75 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:55:58
>>59の全国は、倭国乱に関したすべての国といういみです。
弟については、兄弟で統治となるならば、兄弟のいない人は王になれないのか?とかんがえると、
名目的な兄弟(義兄弟)をつくるしかないのではとかんがえました。

76 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:06:22
今頃何してるんだろ。
もう1回復帰しないかなあ

77 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:55:19
266年以降邪馬台国が朝貢しなくなったのは、
その必要がなくなったからではないでしょうか?

目と鼻の先にある半島南部から鉄鉱石を輸入し製鉄したんですよ。
もちろん八幡で。

78 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/18(木) 20:56:28
>>77
266年以降朝貢しなかったのではなく 記録されていないだけでは
266年からは、新に晋王朝に冊封され、313年に楽浪郡が高句麗に、帯方郡が韓族により滅ぼされ
晋王朝とのパイプが遮断され 歳時の礼が途絶えたと、見るべきでは?

これはあくまで、倭の体制が変わらないでここまで経過したとしての 私見ですが

79 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:10:40
素人考えではありますが、楽浪、帯方を失ったのは
倭のせいだと魏は考えていたのでは?
倭の頼りなさが、その後の中華外交にも影響し白村江では
完全に敵国扱いとなってしまった。

80 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:22:11
九州の縄文土器は薄手で炭素分、有機分が少ないという事です。
これは乃ち高温の炉をもっていたという事に他なりません。
その意味で九州の縄文土器は弥生期の土器と大して変わりありません。
この高温炉をもってすれば酸化鉄の還元も容易に行えたでしょう。
事実、大分の国東半島の遺跡では紀元前7世紀の製鉄所跡と鉄器が
見つかったそうです。驚きました。


81 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:08:57
明治時代、近くに炭田があるから、というのが八幡に製鉄所を作るときの
理由のひとつだったそうです。
たたら製鉄の燃料が手軽かつ安価に入手できたわけです。

82 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:33:32
本人降臨きぼん

83 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:30:35
ヒメミコ

84 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:39:15
2005年の現代に俺は生きている
ということは、1800年も前の卑弥呼の時代にも
俺の祖先が生きていて、冗談言って笑ったり、怒ったり泣いたり
雨に打たれたり雪に凍えたり、山を駆けたり海に潜ったりしていたんだ。

そいつがどんな奴だったか知りたくなって、ふと鏡をのぞいて見たら
ひとつだけ分かった。
 
「・・・・・・・お前、頭が大きかっただろ!」

85 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:40:24
??

86 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 09:18:39
卑弥呼は在位64年、鬼道に通じたシャーマンであり強烈なカリスマ性を
持っていた。死後に伝説となり天照大神として祭られた。

卑弥呼の死が後の天の岩戸神話になったのなら、少し変ですよね
そのころ暴れていたのはスサノオではなく狗奴国だったはず・・・

天照大神

87 ::2005/08/24(水) 13:02:08
おおいに変だ。w 
時代が逆だよ。

88 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:29:39
意図的かどうかはともかくとして
ごっちゃになって神話化されたということでしょうか?

89 :ニワカ:2005/08/27(土) 08:18:57
日向がヒミコと読めないこともない件について
議論はあるのでしょうか?

90 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 08:37:09
卑弥呼は葛城氏

91 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:47:33
葛城氏って勝氏と関係ありそうではあるがな、
っていうかそういう突発的な発言はやっぱ幼いな、おまえ。

92 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:50:13
やっぱさ、この卑弥呼の時代が基本だよな。
全く違う時代だけれど、天草四郎の乱もガッコで習ったのと全然違う
裏があるそうで、これもどうも現天皇族と関係ありそうだぜ。。。


93 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 08:53:08
秦氏が1枚絡んでる気がする

94 :ニワカ:2005/08/27(土) 09:14:09
トヨが豊国になったのなら、卑弥呼ほどのカリスマが
地名として名を残していないのは不思議かと・・・

95 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 09:15:13
日向=ヒムカ=ヒミコ

96 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:28:17
東日本ではアテルイとかアラハバキとか伝説を語り継ぐものが
いるが九州の神とか王については
誰一人語る人がいない状態に等しいから2chでも
情報ほとんどあつまらない。
天皇家による古代からの虐殺・虐待の歴史があるから、
もう誰も口に出さないのだろうか

97 :圭角:2005/08/27(土) 19:22:40
アテルイ。
 懐かしいなあと思っております。昔、盛岡のとある料理屋で食事した折に、そこの
ご主人が、自分はその子孫であると語っておられました。その真偽はともかくも、
96さんの書込みは正しいのではと存じます。
 記紀がそれまでの歴史の真実を消してしまったからと考えるからであります。

98 :圭角:2005/08/27(土) 19:58:09
92さん。
 天草四郎との比較論をもっともっと聞かせてくださいませ。
わたしがこのスレで以前に言及したことですので、いかにお考えかは
大変に関心興味がある次第です。
 島原城の展示資料によると、乱に加担した地域というのは意外に狭い。
ということから、畿内説による広域政治連合のもとに拠る卑弥呼共立は
非現実的であると思料しております。

99 :ニワカ:2005/08/29(月) 18:34:52
卑弥呼が記紀に残っていないのは、やっぱり朝貢して
シナに媚びへつらったと見なされたからでしょうか?
五王の朝貢にしても明白なのに一貫して無視しているのは・・
白村江でボロ負けしたのがよっぽど悔しかったのでしょうか?

100 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 19:02:20
白村江の敗北は記されているし、五王とは時代が違うから一括にはできる問題ではないかと。

101 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/29(月) 19:04:14
白村江敗北は天智の策略

102 :きつねちゃん:2005/08/30(火) 06:30:42
卑弥呼は紀元前に中国から渡来し、富士山の近くに住んだ徐福の末裔だった
木花咲耶姫だった説もあるよ
木花咲耶姫だったとすると、邪馬台国は九州鹿児島県になり、
桜島の火山灰で埋もれてしまっている可能性があるね
さくら島の呼び方も、さくや島だった可能性もあるしね
ttp://www.youdocan.ne.jp/mukasi/konohanasaku.html

103 :niwaka:2005/08/30(火) 08:25:54
>>102
父の大山津見神(おおやまつみのかみ)の名前はそそられますね
山人はヤマトと読めるし・・・・・。

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