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【日露戦争】旅順攻略における白兵戦【203高地】

1 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:04:20

年寄りから聞いた旅順の話

2 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:11:09
何歳だよ。

3 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:12:23
悲惨だったらしい。

4 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:21:14
小学校で教師をいてた私の曽祖父は
出征前に黒板の左端に
   美しい国 日本
   美しい国 ロシア
と書いて・・・
             石川県 古賀てるひこ(52)

5 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:41:17
漏れの曽祖父は国では無く國と書いたし
ロシアでは無く露西亜と書いた気がする・・・

6 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:50:19
すまん。たしかに国はおっしゃるトウリ。
ロシアはカタカナ

7 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:55:54
名古屋の捕虜、ハメをハズし過ぎ問題に〔明治38年5月23日〕時事
名古屋捕虜の跋扈  愛知県名古屋市の各収容所に収容中の露国捕虜は
過般自由散歩を許されて以来、身の分際も打ち忘れて市中を闊歩し、
さらでも人もなげなる日ごろの振る舞いは放埓の度を高めて料理店さては
妓楼に押し登り、なかには芸妓を落籍なさんなどの取り沙汰さえあり。


8 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:04:13
俺の故じいちゃんの話だと、じいちゃんの父ちゃん(生きてりゃぁ約124才)
四国だから旅順行って来た。
昔四国には旅順帰りの片手の方や片足の方いっぱいいたらしい。


9 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:20:52
日本勝った勝った
 ロシア負けた

10 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:12:31
ホントに石投げたらしい

11 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:46:46
NHKでCG使って再現してなかった?

12 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:55:55
NHKアフォな俺にはわかりやすかった。
あそこに旧式軍刀もって白兵突撃したと思うと

13 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:17:03
左手にリボルバー 
 右手にサーベル
小隊長クラスいぱい戦死

14 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:26:20
だれかまとめサイトプリーズ

15 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:53:49
子供ん時(30年位前)いなかの村祭りみたいなので、ロウ人形館があって
そこに203高地攻めのロウ人形があった。
どっちかが軍刀で刺してどっちかが首絞めてた・・・
幼いわたしには非常に恐怖だった・・・

16 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:32:36
東映の「二百三高地」ってかなり「坂の上の雲」?

17 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:33:16
中国と田代について熱く語りましょう

★【お盆】中国バカーVS日本ビパー part111+【仏降臨】
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18 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:40:39
少し

19 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:27:13
一月〜〜〜に〜〜〜〜@
日露戦争が始まったA
早速逃げるがロシアの兵B〜

  ・・・みたいな数え歌をばあちゃんが歌ってたが
  正式な歌詞知らない?〜の部分はあやふやだけど

20 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:01:57
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/XiakangMatou.jpg
後ろ手に縛られている 黄枠注目

http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/hokugachin.jpg

虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人でした。

http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/X_shoshitai1.jpg

http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/X_shoshitai2.jpg

南京大虐殺のうわさが…

十二月十日午後五時、脇坂部隊がようやく光華門の城壁に、日章旗を翻し、
続いて十三日夕刻には、十六師団が中山門を占領し、完全に南京を制圧しました。
私達輸送部隊はなぜか、二週間ばかり、城内に入ることを許されず、城外に
足止めされていました。
どこからともなく城内で大虐殺が行われている、という噂が流れてきました。
捕虜を南京の背後ある、紫金山のふもとへかりたて、機関銃を打ちまくって数千いや、
数万人も殺りくしたというのです。

ようやく足止めが解除されて、ある日、荷物受領に揚子江岸の、下関埠頭へ行きました。
すると、広い河岸が一杯に死体でうまっているのです。
岸辺の泥に埋まって、幅十メートル位はあろうか、と思われる死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われた、というその現場でしょうか、軍服を着た者はほとんどなく、
大部分が平服の、民間人で、婦人や子供も交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため、黒焦げになった死体も、数多くありました。
死臭で息もつけない中を、工兵部隊が、死体を沖に運んで流す作業をやっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月はかかりそうでした。


21 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:44:03
たのむからこういう馬鹿は来るな

22 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:21:18
二百三高地はなぜ陥ちたか。
日本側の事情から語られることが多い。児玉が重砲を配置転換
したとか。
しかしロシヤ側から見るとずいぶん印象が異なる。
「剣と恋・レンガート少尉の手記」というロシヤ側の資料がある。
これを読むと二百三高地が陥ちたのは反撃する兵力がなくなった
からだと思われる。
日本軍が高地を占領する都度、ロシヤ軍は損害をかえりみず
反撃部隊を送って奪還した。その兵士は主に艦隊の水兵だった。
最後はいろいろな雑役の人員まで掻き集めて送った。
そして最後に反撃兵力が尽きたときに二百三高地は落ちたのだ。
永久堡塁が無く、塹壕戦・野戦に近かった二百三高地が主戦場
になったことによってロシヤ軍は消耗戦を強いられた。
そしてそれに敗れたことが全体のターニングポイントになった。
二百三高地はロシヤ軍にとってのガダルカナルだった。

23 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:25:13

もうひとつ、我々は二百三高地戦の段階でもロシヤ軍の砲火は
圧倒的だったと思っている。しかしこれもレンガート手記によると
異なる。彼は二百三高地の西側の急造の野砲陣地を受け持っていた。
二百三高地の裏側へ回り込んで工事をはじめた日本軍工兵を射撃
するのに、彼は次のように思った。
「近隣の砲台が沈黙しているのに我砲台のみが日本軍に対して発射
するのは気持ちが悪かった。なぜなれば直ちに日本砲弾が飛んできて
返報をするからである。」 
また次のように書いている。
「開城近くになった頃は大いに砲弾の経済に努めねばならなかったし、
また日本軍が我が軍を射撃するように無闇に敵を射撃することが
できなかった。」
攻囲戦の終盤では砲力、弾量においてもまた力関係は逆転していた。

24 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:46:20
じゃ、伊地知の第3軍正面攻撃はただしかったわけだ。

力攻めでロシア側に消耗がおきたわけだ

25 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 16:40:20
しかし、海軍の進言通りに初期段階から比較的防備の弱かった203を攻撃目標に置いていれば、あれほどの死傷者は出なかったと思うな。東鶏冠山や二竜山など正面保塁に固執して、三度の総攻撃失敗を犯した、伊地知の作戦は、理解不能だ。

26 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:15:44
人事だったのだよ、兵士の命など。伊時知には。
イギリスのソンム戦、ガリポリ攻略戦、日本のインパール作戦など、似た事例はいっぱい。

伊地知は、牟田口と並ぶカス。
でも、伊地知姓や牟田口姓って結構いるよな。いつも子孫か?とおもってしまう。

27 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:41:06
仕事柄お年寄りとゆっくり話す事が多い。日露戦争好きの私はやんわりと乃木大将の
話とかふってみると、さすが年寄り色んな話聞ける。この前は93歳のおばあさんが
「わたしの父は203高地に3回旗をたてて、乃木将軍に抱きついて感謝された・・
皇太后に感謝の歌を・・」とゆう話をしてくれた。
しかし「このおばあさんのお父さん」って誰なんだろう?
将校なんだろうけど誰なんだろう?
いいとこのおばあさんだけど・・・


28 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 22:43:42
>>24
いや、そうではない。
203高地が永久堡塁でなく、急造の塹壕陣地だったからロシヤ軍の損害も大きかった。
正面攻撃ばかりやっていれば日本軍の方が先に力尽きただろう。

29 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 23:42:48
>>19
わしもきいた事あるど・・・
忘れたけどのう。
誰か全歌詞お願いします。。。。

30 :とったぞ〜〜〜:2005/07/31(日) 01:51:23
私の曽祖父は金沢で豆腐を売っていました。
激戦の旅順では「血染めのご飯」を「五目飯」と思い生き延び
意外と大活躍・・・
           石川県 木下けんじ(36)
              

31 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 05:30:30
■■■旅順大虐殺事件■■■

日清戦争で、日本軍に虐殺された市民や兵士が眠っている。
1894年11月、 旅順を占領した日本軍は、一般市民、婦女子に対する虐殺事件を
ひきおこした。
事件は現場にいた外国人記者によって世界中へ報道され、当時大きな国際問題となった。
犠牲者の数は「ニューヨークワールド誌」によれば、約6万人といわれる。
旅順口の白玉山の東麓にある。


32 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 14:47:07
ワタシノヒイオジイサンハ、リョジュンデ、ヤポンスキ―ノショウコウトハクヘイセンノスエ、イシデナグラレメヲツブサレクビヲオラレセンシシマシ…
ロシア  イワン・ヨンセイ(34)

33 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:54:19
ヒイじいちゃんの日露戦争の勲章があるんだけど、多分一番下っ端の招集兵だったんだけど。
勲章って、戦争行った人全員もらえるんですか?
詳細求む。

34 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 18:53:51
>33
全員ではないみたい。うちの祖父は曽祖父のもらってきた勲章(金鵄勲章とかっての)を
かなり誇らしげに語ってたよ。だから33さんの曽祖父も、それなりの活躍をしてきたと思われ

35 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:06:26
うちの曾祖母の自慢話なんだが、曾祖母の兄はボロ船沈める作戦立てて総指揮官だか隊長をして金鵄勲章を貰ったときいた。
それなりにやったんかな?

36 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:16:14
>>35
大活躍だと思う。
小説「坂の上の雲」で旅順口封鎖は読んだよ。いぱい船沈めたみたいね。
生きて帰れてよかったね。

37 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:24:52
>>35
旅順口閉塞作戦だね。この作戦って多少効果はあったのかな?

38 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:27:36
いや、第3次?までやって極東艦隊閉塞に失敗したからの
第3軍による旅順要塞攻略では?

39 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:32:36
「す・杉野〜〜〜
どこだ〜〜〜」
広瀬中尉?の話も年寄りはヨクするよね。

40 :35:2005/08/01(月) 21:38:34
レスd
その小説読んでみるよ。つか失敗したのか…。
ばあちゃんのお兄さんは中佐だったんだけどさ、生きて帰って海軍大将→明治神宮の宮司になったそーだからたくましいよ。

41 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:58:31
>33
将兵として参加した人間には従軍徽章が与えられます。
正式には「明治三十八年従軍徽章」。
ttp://members10.tsukaeru.net/tokukobi/nitirojyugunsisyo.jpg

>34氏の曽祖父がもらった「金鵄勲章」は、
軍務の功績に対して与えられる勲章。
まー、一度調べてみるとよかんべ。


42 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 22:40:49
旧式軍刀(サ―ベル型)ってカッコイイ!
一見、洋式サ―ベルにみえるけど、良くみると様々な和彫り!
なによりも、中身は日本刀!!
西洋文化?をとりいれながら実は中身は日本刀を仕込んでいるなんて泣けるよ…
陸軍タイプ(鉄鞘)のレプリカ買おうとおもったけど、無いんだよね。海軍タイプはあったけど…海軍のもカッコイイけどね…

43 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:30:22
>>34
>>41
ありがとうございました。
父の話しだと「行けばもらえるんだろ?」
「おもちゃにして遊んでた」等
まあそんないい家柄じゃないし、期待はしてなかったけど、まあ大事にしときます。


44 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 14:19:15
南山坡山を奪った時点で、日本の勝ち。
28センチ榴弾砲を使用しての山越え砲撃が可能になったから。
ただし、旅順艦隊が全滅しているかどうかは観測点を前進させないと
ハッキリ確認できなかったため、
多大な犠牲を覚悟しての203高地総攻撃となった。

ので、「203高地攻撃は無駄だった」という議論は、当時の指揮官の
おかれた状況を考慮しない「結果論」。

45 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 16:39:02
「みっ!見えまつ!見えまつ!丸見えでありまつ!」

46 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 18:11:23
乃木<児玉は、死馬の妄想。
だまされるな。

47 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:32:31
>46
どのへんが?

48 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:19:09
飛行機飛ばせばよかったのにな。
ライト兄弟がとっくの昔に、飛行機発明してるだろ。

おれだったら、熱気球とバスね

49 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:24:38
西南戦争のとき、熊本城救援に使ってなかったっけ?

50 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:36:37
>48
気球、実際微妙につかったんじゃなかたっけ?



51 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:41:28
>>46
お前より司馬さんの方を信用するよ。

52 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:31:00
司馬信者は軍事板に行って詳しく聞いてみたほうがいいと思う。

53 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:06:51
東京、金沢、善通寺、旭川…ここら辺の人すごいな。大変だったみたいだけど。
まじすごいと思う。

54 :士会:2005/08/03(水) 23:09:35
>気球
バルチック艦隊は気球母艦を随伴していた。
これって空母の前身だな。

55 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:34:21
むか〜しむかし、本当に映画203高地みたく、みんな死体の下に隠れたり 穴掘ったりして弾をよけたらしい。
ひいじいさんが、昔こればっかりゆうとったそうじゃ
父親の話じゃったそうな

56 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:47:26
うちのひいじいさんも旅順に行って、ミイラみたいな格好になって帰って来たらしい。
その話を聞いて以来、旅順はちょっとしたトラウマ。


57 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:10:01
まずはひいおじい様に敬礼!
ミイラって事は機関銃で蜂の巣だったんかな。
でも明治の男ってガッツあるよな。

58 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 06:50:50
漏れの曽祖父は日露戦争の203高地で怪我をした将校を、前線から背負って
本隊まで送り、感謝として金一等金鵄勲章と百円札を後々もらったそうな。
35さんの話しを見ると金鵄勲章って、もしかして凄い??

59 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 11:13:11
「気球母艦」って・・
なんかかっちょえー!

60 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:48:01
>>58
凄いと思います。
だけどそうゆう貴重なお話を大事に語り続けてゆくことが、
おまいの「勲章」さ・・・


61 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:22:41
100年前だもんねー
ひ孫の代になってるよね。
でも「かまとお婆ちゃん」っていたじゃん?
1??歳のお婆さん
よくテレビでてた長寿記録の人。
あのお婆さん、「日露戦争で出征する兵隊さん見送った」「かわいそうだった」とかいってたよ。すごくない?

62 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:37:32
アジア歴史資料センターのHPはじめて見たけど、いいね。

63 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:45:28
ぐぐってみまつ

64 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:53:09
>>63
右下の『日露戦争特別展』ってとこが良かったよ。

65 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:05:34
>>64
ありがと。
今携帯で見れんが、家帰っての楽しみに。
わしも今度、凄いのあったら…
また情報お願いします。

66 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:11:44
乃木将軍の動画が泣けるわけで

67 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:18:47
>1
TVドラマ「二百三高地」は見られましたか?

68 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:44:12
>67
見てました。
映画版より好きでした。
その時やってたのを見た限りです。どっかで再放送してるらしいけど。DVDとかないのかなぁ?
うちも曾祖父がいった話を、祖父に聞きながら一緒に見た思いでがあります。

69 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 13:50:07
>>44
>南山坡山を奪った時点で、日本の勝ち。
>28センチ榴弾砲を使用しての山越え砲撃が可能になったから。

28センチ榴弾砲の陣地の一つは南山坡山(なまこ山)より北の高崎山の北麓に
あった。南山坡山は二百三高地/赤坂山攻撃の支援陣地の意味しか持たない。


70 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 14:01:24
>>69
28センチ榴弾砲の陣地は高崎山北麓にあるとして、だから何だというのか。
「陣地」ではなくて、山越え射撃するための「観測点」が必要なのだろうに。

南山坡山を確保したことで、港内のかなりの部分を見渡すことができた。
この結果港内の残存艦艇は、船体自体は死角に隠すことができたがマストなど
は隠すことが出来ず、それらを目標にして死角内に射撃が加えられた。

南山坡山確保以前にも数カ所に観測所は作られていたが、南山坡山の観測所
設置によって山越え射撃の精度は非常に上がったと言える。

全体として44に同意する。

71 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 16:16:30
乃木だって、そりゃあ大変だったと思うよ。
誰か「白襷隊」情報お願いします。

72 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:26:55
>>70
実際に現地に行ってごらん。
私は4年前に南山坡山の頂上に登ったが、203高地、赤坂山などが邪魔になって港の方向は
なにも見えない。

73 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:34:18
>>72
頂上でしょ。南山坡山の観測所の場所から眺めたわけではないのでしょ。

74 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:53:50
>>72
当時の本を読んでごらん。
私は4年前に公刊日露戦史の付図を見たが、港内が完全に見渡せるわけではないものの、大部分は見通せたことを図示している。

9月25日の「南山坡山より観察」図より以前の図とは、情報量は雲泥の差だ。
10月7日の「南山坡山海軍観測所の報告」図では、死角の位置に逃げ込んだ敵艦艇もマストや煙突が望見され、完全に隠れることは出来ていないことを示している。

75 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:37:25
>>73
南山坡山の形を知らないな。海鼠山の名のとおり、細長い尾根なのだ。
その尾根をほとんど縦断して南端まで行った。どこからも見えなかったよ。
尾根以外のところに観測所があったのかな。
それならなお見えないと思うけど。

>>74
大部分が見えたなら203高地はいらないではないか。
実際は当初だけ一部の艦が見えて観測射撃したが、死角に移動したあとは
事実上の散布射撃だった。


76 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:47:21
当時の人は見えたという記録を残し、現代の人が見えなかったと実体験を語る。
見えた見えないって水掛け論みたいになりそうだけど、見えたという根拠は
戦史の付図という確かなものがある。見えないという根拠は、今のところ、
君の体験談しかないわけだな。さてどうしたもんか。

私は当時の人の記録を信じるけど、君は君の目玉を信じたらいい。

77 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:50:28
>>75
>南山坡山の形を知らないな。

あのね75さん、「頂上」という言葉を最初に使ったのは、君だよ。

>>72
>私は4年前に南山坡山の頂上に登ったが

それを受けて「頂上」という言葉を使ったまで。
なのに、南山坡山の形を知らないな、との言い掛かりは噴飯物だ。

78 :クソ陸へ:2005/08/07(日) 00:05:18
おまいら素直に天才のワシの言う事を聞いとけば良かっただろ!
何ならウチの兵隊、貸したのにな。
真之より

79 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:38:24
語りつぐのじゃ!
旅順を!


80 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:07:17
2年くらいまえ、民家の玄関先で爆発事故があったのじゃ。
なんと驚き!
そこの爺Bが日露戦争からもって帰った砲弾が爆発?したのじゃ!
どう思う?
そんな昔じゃないんだぞ!
たかが100年前じゃ!
忘れてはいかん!
つたえるのじゃ!

81 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:36:54
というか、
「白襷隊」の子孫!
いらっしゃいませんか?

82 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 10:35:43
>>76
>見えた見えないって水掛け論みたいになりそうだけど、見えたという根拠は
>戦史の付図という確かなものがある。

いいか、「見えた」というのは山の切れ目の所に狭い視野が開けた、という意味だ。
赤坂山や203高地の山越しに見えた、という意味ではない。
たしかに南山ひ山の尾根の南端から見れば山の切れ目がある。
しかし、赤坂山や203高地は南山ひ山より高くて、しかも南に数百メートル離れている。
隣家の塀じゃあるまいし、どのように線を引っ張ればマストや煙突が見えるというのか。
見えるか見えないかは幾何学の問題に過ぎない。

>>77
「頂上」という言葉の問題ではない。
君は私が南山ひ山の頂上から見えなかった、と言ったのに対して、観測所は
頂上以外にあったのではないか、という意味のことを言ったのだ。
それは君が、南山ひ山がほぼ等高の尾根を持つ「ミニ山脈」であることを知らないから
出た言葉だ。
説明して置けば最も視界が開けるのはミニ山脈の尾根の南端だ。南に行くほど
赤坂山からはずれるからだ。そして記念碑はこの南端にある。恐らくこれが
観測所の位置だろう。そして私が観察したのもこの記念碑からだ。

83 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 10:40:25
「第三軍第三回総攻撃中止後、標高二〇三メートル高地奪取に関し、連合艦隊参謀
海軍中佐秋山真之より第三軍随従の海軍中佐岩村団次郎に送りたる書翰」
第三軍の第三回総攻撃が失敗した明治37年11月26日の翌日である27日に始まり、
乃木軍が二〇三高地に対して本格的な攻撃を反復してついに同高地を奪取した
12月6日までの10日間に一日も欠かさず毎日書き送ったものである。

来月15日頃までに旅順艦隊の内戦艦3隻を形付けることが出来ざれば由々敷大事なり 
この際思切って二〇三高地に向ひ全力をここに専注せらるること至極必要と存候)
(11月27日付)
実に二〇三高地の占領如何は大局より打算して帝国の存亡に関係し候へばぜひ
決行を望む、旅順の攻略に四、五万の勇士を損するも左程大なる犠牲にあらず。
彼我とも国家の存亡の関する所なればなり(11月30日)

先々便にて申上候ごとく二〇三高地は旅順の天王山と云ふよりは日露戦争の
天王山なれば、敵が死力を尽くして回復を計ることは当然にて、旅順も二〇三の
ために陥落し、露国も二〇三のために敗滅せんこと、小生予言することを
憚らざるところに御座候(12月2日付)

84 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 10:40:58
若し今日より延引すれば敵は又々防御工事を増加し、更に数万の勇士を失はざれば
攻略到底見込無之、この数日間に攻略出来ざれば取りも直さず永久に出来ざること
と可相成。旅順陥落せず旅順艦隊残存せば最早大局の勝算相成不申、何卒第三軍の
内情を精密に観察せられ、現下当艦隊にて為し得べきことは断然決行可致に付、
忌憚なく御申越被下度(12月3日付)

海軍の見地より言へば、旅順の敵艦隊だに片付けば要塞は陥落せざるも来年
五、六月迄現状維持のままにて左程苦痛を感ぜず 蓋し旅順の残艦隊滅亡する
ときは独り旅順の価値を無くするのみならず、バ艦隊も旅順艦隊の合同を得るに
あらざれば我に対し十分の優勢位置に立つ能はず、従て攻勢を取るの余力無く
海上を制圧するの望もなし。況や我は十分の自信ありて、バ艦隊だけならば見事に
撃滅せんとの勝算あるに於いておや
(12月4日付)
本日午前中より捷報続々到着、一日欣喜雀躍仕り、長官閣下にも久し振りにて
我々に笑顔を見せられ候(12月6日付)


85 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 11:30:22
>>82
訂正。
82で南山ひ山について「南に行くほど」「南端」という言葉を使ったが、
南山ひ山はほぼ東西に走っているので「東に行くほど」「東端」と訂正する。

86 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:07:17
なんかお前キモいね

87 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:15:08
>>82
>いいか、「見えた」というのは山の切れ目の所に狭い視野が開けた、
>という意味だ。
>赤坂山や203高地の山越しに見えた、という意味ではない。

「山越しに見えた」なんて、そんな「見え方」についてなど誰も言ってない。
南山坡山から港内が見えた、と言っているんだよ。
人の発言を勝手に増やして、勝手に意味を変えて、勝手に興奮してるだけ。

それにしても「いいか、」なんて、まるで朝生で興奮しちゃってしゃべる
田原総一郎みたいな口ぶりだね。ちと笑えた。

88 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:23:20
書簡を披露していただいてご苦労様だが、それらを冷静に読んで欲しい。
爾霊山占領を切望している心情を吐露している内容に過ぎない。
どこにも南山坡山から港内が見えないとは書いていない。

今、論点となっているのは、南山坡山から港内が見えたか否か?ということ。
長々披露しているそれら書簡は、その議論の内容とは関係ない。

君の興奮具合を見ると、どうにも当時南山坡山観測所から見た付図を残した
軍人の記録の方に分があるように思えてならない。

89 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:24:58
こないだの朝生でてた爺さん。
すっげ―カッコイイ爺さんいたよな。
あんな爺さんにならなってもいいな。
おっとっとすまん…

90 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:32:33
>>82
>それは君が、南山ひ山がほぼ等高の尾根を持つ「ミニ山脈」であることを
>知らないから出た言葉だ。

ここでも、勝手に想像して、勝手に批判しているね。
戦史の付図を見ていると言っているのに、南山坡山の形を知らないわけなかろ。
なんというか、疲れるよ、君。

91 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:26:47
南山ひ山 ワロタ

92 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:30:35
南山ひ山って、なんでこんな間違いしてるんだろう。この人。
しかも現地行って自分の目で見たって言ってるんでしょ?
行った場所の名前を知らない(間違って覚えている)なんて、なんて不思議な人だろう。

93 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:37:21
たぶん本場のよみかた?

94 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:42:52
正式名称

95 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:43:00
>>93
なるほど!(んなわけあるかい!)

96 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:46:23
でも、あのひと
「南山ひ山」てかなり自信まんまん。
たぶんそうなんじゃない?
なんかすごい事おこるぜ。

97 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:47:10
南山坡山
なまこやま、又は、なんざんはざん、と記した資料もある。

だいたい、南山ひ山って、どう読むんだよこれ。書いた奴答えろ。
なんざんひざん?なんざんひやま?

98 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:52:36
南山ひ山。

それは彼が、南山坡山が なまこやま 又は なんざんはざん と読む事を
知らないから出た言葉だ。

でも旅行はできたらしいよ。

99 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:58:33
俺だって馬鹿だけどいろいろ読んでるよ。
「なんざんはざん」通称「なまこやま」て思うとったわい。でもあの人頭よさげだし、自信まんまんだし…
こりゃ なんかトリックがあるぞ

100 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:00:52
まっとるど!
すごい結末がな…


101 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:20:48
元々は山の標高からとってナントカ高地と言っていた筈。二○三高地と同じ。
その後、形が海鼠(なまこ)に似ているってんでナマコヤマと呼んでいた。
南山坡山ってのは、その読みに当て字した名前。

の筈だが。

102 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:24:02
とったの東京だっけ?

103 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:29:04
ナントカ高地→なまこ山→南山坡山→南山ひ山。
教科書でてたよ。

104 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:31:28
なんの教科書だよ。

105 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:33:39
うそニダ〜

106 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:34:38
>>19
ttp://plaza.rakuten.co.jp/yuntama/diary/200504210000/
これかな。
ちなみにうちの母は
一列甲板破裂して
日露戦争生憎に
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
クロバタキンの首を取り
東郷大将万々歳 万々歳
って歌っていました。

107 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:37:18
あんたらノリが良いなー 面白すぎる。

南山ひ山か。「坡」が読めなかったんだろうが、もちっと知恵が無かったのか。

108 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:42:18
いや、しつこいけど…
な・に・か・あ・る
事件のにおいプンプン

109 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:45:00
>>87
>「山越しに見えた」なんて、そんな「見え方」についてなど誰も言ってない。

君は>>74で次のように言っている。

>10月7日の「南山坡山海軍観測所の報告」図では、死角の位置に逃げ込んだ敵艦艇も
>マストや煙突が望見され、完全に隠れることは出来ていないことを示している。

死角の位置、つまり山の陰に逃げ込んだ軍艦のマストや煙突が見えたというのは、
山越しにそれらが突き出ている以外に、どんな見え方なのか、とくと説明して
もらいたい。

>>88
>今、論点となっているのは、南山坡山から港内が見えたか否か?ということ。
>長々披露しているそれら書簡は、その議論の内容とは関係ない。

書簡を披露したのは私ではない。目的は知らない。

>君の興奮具合を見ると、どうにも当時南山坡山観測所から見た付図を残した
>軍人の記録の方に分があるように思えてならない。

君は文献批判ということを知らないようだ。記録にあるが本当だろうかと、
現地に行って自分の目で確かめるのが普通の歴史研究者だと思うがね。

なお「坡」の読み方はたしかに私が間違えていた。 間違えていたのになんで
現地に行けたかというと、ガイド以下グループ全員が間違えていたからさ。

110 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:54:43
>>109
失礼な発言すみませんでした。
でも大好きです。
なんかあなたにかなり影響されそうだったのですが…踏みとどまりましたww
でもファンです。
がんばれ!

111 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:57:28
> 間違えていたのになんで現地に行けたかというと、
>ガイド以下グループ全員が間違えていたからさ

ワラタ。君才能あるよ。

112 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:01:36
>どんな見え方なのか、とくと説明してもらいたい。

見え方を示した図が何なのかは、既に述べた。自分自身の目で確認せよ。
文献批判なんて大仰な事を仰っておられるが、まずは見よ。
批判など、その後にするべきこと。

113 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:04:52
>間違えていたのになんで
>現地に行けたかというと、ガイド以下グループ全員が間違えていたからさ。

そうかやっぱり間違っていたか。
ちなみに、どんなふうに間違って呼んでいたのか教えてちょうだい。
その間違った読み方をグループ全員が呼び合いながらの旅行風景──悪夢だな。

114 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:05:52
203高地を落とした人って乃木希典で良いのかな?
最終的に第3軍指揮したのは児玉源太郎だけどさ・・・
東北正面の永久要塞から203高地に攻略目標変更したのは乃木だし
何度か奪い返されたにせよ乃木も何度か203高地奪ってんだよね
実際203高地落としたのは乃木が率いる第3軍だし・・・みんなの意見を聞きたい

115 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:15:06
すごく勉強になります。
しかしすごく読みにくいので、
みなさん
名前書いていただけませんか?
どうかお願いします。

116 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:15:27
>>114
児玉大将の職は参謀であって軍司令官ではない。

117 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:18:47
でも大砲の配置変えたりして第3軍指揮してたんでしょ?
結局203高地って誰が落としたの?

118 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:19:06
>普通の歴史研究者

普通の歴史研究者さんと、そのグループと、研究者さんらを率いたガイドさん
ご一行が揃いも揃ってみんな間違えていたという読み方を教えて下さい。

119 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:19:36
わし

120 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:21:52
>>117
総司令部から派遣された参謀として、助言したのは容易に想像できるが、
指揮ってのはどうだろう。

121 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:22:03
名前
テストで100点とっても名前書いてないと

122 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:23:08
>>117
名も無き兵士達。


123 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:26:54
>>117
普通の歴史研究者。

124 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:31:33
>>120
小玉は乃木の威信が失墜しないように、なんとか乃木からの提案で
第3軍の指揮を任せてもらおうと思ってたはず
直接任せてくれと言ったら乃木は生きていないだろうと思ったから
それに実際乃木が指揮してた時は取ったり取られたりだったのに
小玉が重砲の配置変えた途端普通に203高地落ちたし



125 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:39:42
俺みたいな素直な子が「坂の↑の雲」読むと……

126 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:48:12
>>124
>思ってたはず

はあそうですか、としか。 それとも何か、君はイタコか?

127 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:54:11
死馬イタ子

128 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:56:35
第三軍参謀の誰だったかの証言によれば、爾霊山攻撃の時の児玉の関与だって
巷間言われるようなものだったかどうか、はなはだ疑問だ。

児玉は爾霊山の山頂から港内が覗けるということを知らなかったらしい。
旅順に着いてしばらくしてから、某参謀に、「おい、二○三高地の山頂から
港内が見えるというが本当か」と聞いてきたとか。

また坂の上の雲で伝えられる名シーン、「同士打ちを厭わず」の発言も、
本当にあったのかどうか怪しいものなのだ。
第七師団長から「同士打ちになっているので砲撃を止めて欲しい」と要請
された児玉は、砲撃指揮官にこの要請についての意見を求め、砲撃指揮官
の「同士打ちになるのを承知でやっております」との返答に同意も反対も
しなかったという。

129 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 01:04:51
旭川カッケ―!
さすが。


130 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 01:25:54
おいしいとこだけってイメ〜ジ

131 :憂国:2005/08/08(月) 02:42:04
日露戦争勝利百周年を祝う青年の集い参加者募集
 平成の若人へ明治の志を伝える集会です。
 18歳から39歳までの方なら自由に参加できます。
  日時 9月3日(土)13時から3時30分
  場所 赤坂プリンスホテル クリスタルパレス
  詳細については、http://www.nichiro100.jp/


132 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 05:50:18
>>44
>南山坡山を奪った時点で、日本の勝ち。
>28センチ榴弾砲を使用しての山越え砲撃が可能になったから。

ウソつきだな。史実はそこから第2回、第3回の総攻撃が続いて
更にセバストポリ等は修復されるほどの施設は健在だった。



133 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 06:45:43
南山ひ山って連呼していた、自称「普通の歴史研究家」はどこいった?
はやく、どう呼んでいたのか書いてくれよ。

なんざんひやまか?大笑いだな。

134 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 08:04:38
>>132
修理するそばから壊されてどうしようもないだろう。
修復って、どの程度? 気休めでも、水漏れを直した程度でも修復と言える。

135 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 09:15:15
>>112
>見え方を示した図が何なのかは、既に述べた。自分自身の目で確認せよ。
>文献批判なんて大仰な事を仰っておられるが、まずは見よ。

見なくても大体想像はできる。山の稜線が斜めである以上、
A)船の全部が見える領域
B)船体は見えないがマストのみが見える領域
C)なにも見えない領域
が生じるのは理の当然。問題はA+Bが港全体の何割を占めるかだ。

君は>>74で次のように言っている。
>私は4年前に公刊日露戦史の付図を見たが、港内が完全に見渡せるわけではない
>ものの、大部分は見通せたことを図示している。

また>>70では次のように言っている。
>この結果港内の残存艦艇は、船体自体は死角に隠すことができたがマストなど
>は隠すことが出来ず、それらを目標にして死角内に射撃が加えられた。

これらを見ると港内の艦艇は南山坡山観測所に対して一般にマストなどを隠すこと
ができず、同観測所から見える範囲は港の大部分であった、という印象を受ける。
現に「大部分」という言葉を使っている。

しかしそれは君がその付図を見て勝手に考えたことではないのか?
その報告書は「港内の大部分が見える」とか、「港内の残存艦艇はマストなどは
隠すことが出来ない」とか言っているのか?

136 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:35:06
曾祖父(日露戦争従軍)でも会ったことない。
祖父(ww2招集)WW2の話は良く聞いた。
父(会社員)司馬ファン。「乃木が〜だった」とかよく話す。
ひいじいちゃんに会いたかったな…話し聞きたかった。

137 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 13:50:10
>117
ヨシ!カマトバアチャンニキイテミヨフ

138 :江川達也ファン:2005/08/08(月) 14:29:49
「日露戦争物語」江川達也 にやっとこさ出てきた 大山 巌 が
ナンカすごく不細工な件

139 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 14:32:21
>>135
自称普通の歴史研究者さんですか?
「南山ひ山」って、間違って何て呼んでたんですか?「なんざんひやま」?

140 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 14:48:13
>139様
わしがかわりに切腹するから「なんざんひざん」は忘れていただけないものか?

141 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 15:41:33
>>139
「坡」は常用漢字ではないから混ぜ書きするのはある意味では正しい。
「ひ」か「は」かは別としてね。
混ぜ書きしたら次の漢字は訓読みになるというルールでもあるの?
君は「花こう岩」を「かこういわ」と読むの?

142 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:07:07
>>141
正しいかどうか、またルールがあるのかどうかなんて誰が聞いた又は問題に
しているのだろう?
自称歴史研究者さん参加のツアーでどう呼んでいたのか?と聞いているだけ。

俺は「花こう岩」は「かこうがん」と読むよ。
例のツアーでは、何と呼んでいたのか早く答えて欲しいもんだ。
「なんざんひやま」?「なんざんひざん」?どっちにしろ爆笑もんだ。

143 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:16:45
>>141 >混ぜ書きする

書き方が正しいかどうかなんてどうでもいいんだけど。
なにか? そのツアーでは、いちいち筆記で意志疎通してたとでも?

144 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:22:23
日露戦争の時に観測所が置かれていた南山坡山からは、港内は見えたんだよ。
そして四年前のツアーで登った南山ひ山からは、港内は見えなかったんだよ。

つまり、南山ひ山は、観測所が置かれた南山坡山とは別の山だったんだよ!
これにて一件落着。

145 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:25:20
>144
そっ、そうだったんだ!

146 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:37:25
>これらを見ると港内の艦艇は南山坡山観測所に対して一般にマストなどを隠すこと
>ができず、同観測所から見える範囲は港の大部分であった、という印象を受ける。
>現に「大部分」という言葉を使っている。
>しかしそれは君がその付図を見て勝手に考えたことではないのか?

実際に見ろっての。
実際の眺望を示したイラストが書いてあるから。

冒頭に >見なくても大体想像はできる。 なんて大見得切ってるけどさ、
結局見なければ、その程度なのよ。全然話が噛み合わない。

実物を見なさい。
それと、「南山ひ山」をなんて呼び合っていたのか早く教えて。

147 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:38:55
>>144
ソレダ!

148 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 22:04:43
>>138
たしかに。
子孫おこるぜ

149 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:32:15
自分でも気に入ったからハンドルにした。よろしく。読み方は「なんざんひざん」。

>>146
>実際に見ろっての。
>実際の眺望を示したイラストが書いてあるから。

だから、南山坡山観測所から見たイラストがあるわけだろう?
それは両側をそれぞれ山の稜線で区切られ、中央に水面があり、ぜんぶ見える船があり、
船体は見えないが稜線にマストを突き出した船があるわけだ。
飛行機から見たのではあるまいし、それ以外の見え方はない。
(それとも気球から見たのかな?それなら話は別)

この部分的な視角から、イラストに見えている部分がどのようにして「港内の大部分」だと
わかったのか、それを聞きたいのだ。
説明できないのなら「大部分」説は撤回したとみなす。

150 :南山ひ山:2005/08/08(月) 23:39:58
>>149はハンドルが落ちてしまった。

言い忘れた。その報告書に「南山坡山観測所から港内の大部分が見える」
「港内の残存艦船はマストなどを隠せない」とかいう文句があるのかないのか。
それは答えられるだろう?
答えられないのならそんな文句は報告書になかったのであり、君が独自に判断したのだと
見なす。

151 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:58:27
質問。ツアーでは皆で「なんざんひざん」って呼び合ってたの?

152 :ナマコ山:2005/08/09(火) 00:04:14
では、私はナマコ山と名乗ろう。

>それは両側をそれぞれ山の稜線で区切られ、中央に水面があり、ぜんぶ見える船があり、船体は見えないが稜線にマストを突き出した船があるわけだ。

実物を見てから意見を言ってくれませんかね、頼むよ。
想像で言っているのだろうけど、ちなみに君は「両側をそれぞれ山の稜線で区切られ」
と言っているが、両側それぞれの山というのは、どの山とどの山だろうと想像して
いるのですか?

153 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:11:00
>>106
ありがとう。
勝手にメロディ付けて歌っときます。
でもそうゆう記憶って、いつか世の中から消えていくんかな?
なんかさみしいけどね・・。

154 :ナマコ山:2005/08/09(火) 00:12:55
>>149
>この部分的な視角から、イラストに見えている部分がどのようにして
>「港内の大部分」だとわかったのか、それを聞きたいのだ。

答えてもいいが、そちらも答えてくれ。
君が参加したツアー一行は南山坡山をなんと呼び合っていたのか?
それと南山坡山から見えなかったということを示す客観的な証拠は
あるのか、またそれは提示できるのか。

これらに答えると約束するなら、質問に答えよう。

155 :務本:2005/08/09(火) 00:14:37
ところで、白兵戦の件はどうなった。

156 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:22:42
今まさに白兵戦が展開中じゃないか。

157 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:24:54
>156
うまい!

158 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:40:19
年寄り相手の仕事で、よく日露戦争の話しをふってみるんだけど、
「うちの父は棍棒でロシア人ぶん殴った」
とかそんな話よくきくよ。
また書きます。
でもやっぱりお年寄りには昔話だね!コミュニケーションばっちり!でも昭和の戦争は暗い話しが多い・・・
まあ自分の体験だから大変だったろうね。


159 :髭さん:2005/08/09(火) 01:03:40
昔、歴史の先生が言っていた。
当時日本兵は白兵戦が上手くなかったんだって。
対してロシア兵は白兵戦がむちゃくちゃ得意だったそうな。
ロシアを世界一の陸軍というのは欧州で白兵戦が随一というところから。
士族階級から徴兵で集まった日本兵は農民(平民)が主だったから
剣とか槍の心得もなかったんだろうね。
これには陸軍首脳部もだいぶ焦ったようで開戦してから猛特訓したようだ。
上原の工兵の訓練と同じみたい。
ようやく日露戦争の後半から五分に渡り合えるようになったとか。
思い出した、ベルサイユ条約かなんかの授業で教科書に
各国の兵隊の整列写真があったときの余談じゃったよ。
体格差もあったんだろうけどね。


160 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 01:53:38
旅順じゃないけど、
陸の軍神-橘 周太って「刀で切って、切って、切りまくって戦死」
じゃなかったっけ?
詳細キボン

161 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 10:33:08








162 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 14:33:03
第三軍の司令部に師団長以下ついていけない
もうやけっぱちだったみたい。
でも軍隊組織じゃあ命令は絶対だからね。
みんな第三軍には配属されたくなかった。

163 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 14:43:49
>>162
日露戦後には、第三軍関係者のなんというか同窓会じゃないけど、
そういう集まりは、とても末永く行われて参加者も多かったとさ。

今は、なぜかこういうエピソードはすっかり覆い隠されていて、
162のようなネガティブな話ばかりが幅を利かせているが。

164 :南山ひ山:2005/08/09(火) 15:01:05
>>152
>想像で言っているのだろうけど、ちなみに君は「両側をそれぞれ山の稜線で
>区切られ」 と言っているが、両側それぞれの山というのは、どの山とどの山だろ
>うと想像しているのですか?

右側の山が赤坂山(老虎溝山)であることは間違いない。
左側で障碍になる山は恐らく椅子山だろう。
水面はこの両側の山の稜線の中腹のどこかまでの間で見えているわけだ。
重要なのは「中腹」ということだ。山の山頂に達してまで水面が見えるわけが
ない。ということはこれらの山でかくされる領域が必ずあるということだ。

>それと南山坡山から見えなかったということを示す客観的な証拠は
>あるのか、またそれは提示できるのか。

見えないというのは誇張で、「港内の一部が見え、大部分が見えない」のだ。
客観的というなら地図の上で、南山坡山の東端部から赤坂山の中腹と椅子山の
中腹をそれぞれ通る線を引っ張って見ればよい。「中腹」をどのように選んでも
港内の「大部分」にはならない。
それが見える範囲であり、それ以外が死角であり、その中間にいくらかの
「マストが見える領域」があるということだ。

>君が参加したツアー一行は南山坡山をなんと呼び合っていたのか?

私のハンドルネームと同じだ。もう答えたぞ。
君はイラストとは関係のない問題にまだ答えていないね。繰り返せば、
その報告書に「南山坡山観測所から港内の大部分が見える」
「港内の残存艦艇はマストなどを隠せない」とかいう文句があるのかないのか?

イエスかノーで答えられるだろう。

165 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:44:06
白兵戦は見た目は派手だが、結局、不期遭遇戦だから最低の最低。お互い、偵察不十分ということ。

でも、ありうることだから、パニックにならないように最低限の準備は必要。

日本軍は、散兵戦の小銃狙撃で敵を圧倒する戦法。ロシアは横隊密集突撃で、敵をパニックに陥れる戦法。どちらも、白兵戦になる前に、敵を追っ払うことに変わりはない。

小銃の性能向上と機関銃の出現で日本軍の戦術が勝ることが実証されたが、旅順は不期遭遇戦の連続だったから、両方とも参ったろう。やりたくもない白兵戦に巻き込まれるのだから。

日本兵が白兵戦で逃げ惑ったって全然不思議じゃないし。状況が変われば、ロシア兵も逃げ惑ったろう。

「我々の白兵突撃の前に平然としていられる敵はいない。」これは、どの国も言うらしいが、実際、白兵突撃をかけられて平然としていられる国は無いらしい。

たいがいは、逃げるというより、もっと重大な任務を思い出して、まともには、かかわらないとのことだ。

166 :ナマコ山:2005/08/09(火) 21:00:17
>>164
>右側の山が赤坂山(老虎溝山)であることは間違いない。
>左側で障碍になる山は恐らく椅子山だろう。

いいえ、違います。
しょせん、現物を見なければどうにも分からないことというのは、あるのです。
頼むから、現物を確認してから来てくれませんか。

>見えないというのは誇張で、「港内の一部が見え、大部分が見えない」のだ。

意見が変わってきましたね。
ますます、あなたは付図のイラストを見るべきです。
見たあとは、おそらく「大部分が見え、一部が見えない」と変わるでしょう。

>その報告書に「南山坡山観測所から港内の大部分が見える」
>「港内の残存艦艇はマストなどを隠せない」とかいう文句があるのかないのか?

ありません。
付図のイラストを見れば、私が表現したそのとおりの見え方というのは分かると
思います。

現物見ろ、と何回も言ったでしょう。
現物を見てから意見をどうぞ。

167 :ナマコ山:2005/08/09(火) 21:10:53
以前、見えるか見えないかは幾何学の問題に過ぎない、と言っていたね。
君が164で言っている例えの通り、地図上の吟味で事足りるわけだ。

しかし考えてみると、それで事足りる問題であれば、当初君が言っていた
「実際に行って自分の目で見た」ということを「港内は見えない」という
主張の根拠にしていた妥当性が薄れてくると思うが、どうか。

168 :ナマコ山:2005/08/09(火) 21:23:52
>この部分的な視角から、イラストに見えている部分がどのようにして
>「港内の大部分」だとわかったのか、それを聞きたいのだ。

これへの答えがまだだったね。南山坡山観測所に関する図は、数種類ある。
まず、港内全体を上から見た図がある。
そして、南山坡山観測所から見える範囲を、その図に書き込んだ図もある。
そして、実際の見え方をそのままに書いたようなイラストもある。
これらから、南山坡山観測所から見えている範囲を「港内の大部分」とした。

その後の爾霊山観測所から見た敵艦潜伏図を見ると、南山坡山観測所からの
観測を避けて、実に狭い場所に大艦数隻が密集していたことが分かる。
碁盤の目をひいて行った撒布射撃ではあったろうが、ただでさえ狭い範囲に
いわば標的が密集している状況なのだから、南山坡山に観測所を得たことは
実に大きな成果だったことが分かると思う。

169 :ナマコ山 連投失礼:2005/08/09(火) 21:32:07
蛇足だが、これにはちょっと頭にきたね。
> 見えないというのは誇張で

君は>>109
>君は文献批判ということを知らないようだ。記録にあるが本当だろうかと、
>現地に行って自分の目で確かめるのが普通の歴史研究者だと思うがね。
と実にご立派なことを言っていたが、君自身は、他人が確認できない事柄を
「誇張」して主張していたというのかね。

あきれたよ。

170 :白玉山:2005/08/09(火) 21:42:53
だっ!誰か明日 なまこ山行って来て!

171 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:09:44
公刊日露戦史高いからな〜。

172 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:21:30
松樹山(しょうじゅざん)を「まつきやま」と思い込んでいた昔の俺。
明治の頃の本って、けっこうルビをしつこいほどに打ったのが多いので、
いつだったか間違いに気づくことができたが、この間違えたまんま旅順
に行くことになっていたら恥ずかしい目にあっただろうな。
偶然、ツアー客全員旅行ガイドも間違えていたなんて、一生分のラッキー
使い果たしたんじゃないのこの人。

173 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:38:16
南山坡山(ナンシャンヒ-シャン)…中国語読み
うっそで〜〜〜す!

174 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:49:51
ナマコ山=嶽原 >>168


お前のウソはどうでもいいからさ、
旅順港内艦船の位置 という資料を見る限り、南山からの観測で十分でことはない。
大部分が観測ってことはないな。

南山からの観測での 不明界は1/3以上ある。

はっきり言って、見えない狭い場所と言っても修正ができないんだったら意味がない。
つか、砲撃の何たるかを知ってたら、こんなこと述べないだろ。



175 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:59:08
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000018101

PASS 12345

この資料を見る限り、南山の観測所から港内の大部分が見れたという主張は
ウソといえる。

つか、ナマコ山はこういう資料を読んでいる筈だが・・・。

捏造もいい加減にしろよ。

176 :務本:2005/08/09(火) 23:05:47
ところで、白兵戦の件はどうなった。

177 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:17:53
なんざんひざん=なんざんはざん

爾霊山 と書いて、ジレイサンと呼ばないのと一緒。

ニともジとも呼べるがね。

皮という字はヒとも呼べる。

まぁ皮相な知識で物事を判断する人は貶すばかりだけどな。


178 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:21:18
やべっ!
またナンカ凄いの登場!
助けて下さい師団長!

179 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:30:53
>>169 ナマコ山は

>君自身は、他人が確認できない事柄を「誇張」して主張していたというのかね。

誇張して主張していたというのが自分って事が判明したわけだ。
大体、この位UPする事くらい簡単だろうに。

こういう人物がここにいるんだよな。

180 :南山ひ山:2005/08/09(火) 23:54:58
>>175
資料ありがとう。

>ナマコ山君
資料1がいわゆる南山坡山から見たイラストかな。とすれば、これは肉眼で見たもの
ではなく全くの概念図だな。
なぜなら南山坡山のはるか後方(東北)にあるはずの松樹山や二竜山が見えているから。

他の図も南山坡山からの観察をもとに作成したものではなく、密偵や捕虜の供述をもとに
して作成した艦艇位置推定図だと言うことが、よく見るとわかる。
すると逆に、「不明界」というのも市内の密偵の位置から見えなかった領域かもしれない。

181 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:05:15
もう、いいよ
次いってくれよ。たのむよ。

182 :尚敏:2005/08/10(水) 00:05:50
白兵戦は?

183 :ナマコ山:2005/08/10(水) 00:35:17
>>180
>資料1がいわゆる南山坡山から見たイラストかな。とすれば、

こちらはそのダウンロードが出来ないのでなんとも言えないが、おそらく君の
言う資料1というのは、「南山坡山から見たイラスト」ではない。
「南山坡山から見たイラスト」には、松樹山や二龍山などという名称は書いて
いないので。

それにしても疑問なのだが、
>他の図も南山坡山からの観察をもとに作成したものではなく、密偵や捕虜の
>供述をもとにして作成した艦艇位置推定図だと言うことが、よく見るとわかる。

これは、いったい何を根拠に言っているのか?

もちろん、それらの中の一つに「参謀の観察及び俘虜の口述による図」と明記
しているものはある。
しかし明記がないものは、「観測所からの報告」にすぎないだろう。
「南山坡山海軍観測所の報告」とあるものは、「南山坡山からの観察をもとに
作成したもの」としか判断できないのだが。

君が >よく見るとわかる と判断した根拠は何か。

184 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:56:18
>皮という字はヒとも呼べる。

そうだな。
ところで、坡という字はヒとは呼べるのか?

185 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:13:17
「坡」音読:ハ 訓読:つつみ

しかし南山ひ山さん並びにツアーご一行、コンダクターさえも「ひ」と間違え
たという。
ありえないでしょ。

>皮という字はヒとも呼べる。

だからナンナンダとしか。「坡」はヒとは呼べない。

186 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:21:54
もう、さんざん笑ったから「なんざんひざん」の件は忘れましょうよ。

187 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:24:28
>>186
「南山ひ山」さんが出てくるたびに思い出してしまって忘れられない。
どうしたらいい?

188 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:33:17
177の乗った船は泥船だった・・・

189 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:38:00
>187
まあね・・・
俺は馬鹿だから人の失敗は責められんからのう・・・
でもみんなここの人頭良さそうだからな・・・




190 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:38:23
観測地をゲットするだけの作戦にこれだけ死人が出たらなら失敗だろう
事前に艦隊は壊滅している情報があるにも

191 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:47:07
>>189
人の失敗は責められないが、しかしありえんことを言い訳にしてはいかん。

>>190
御前会議を頂点とする圧力ゆえですな。軍司令部といえども組織の一部。

192 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:59:28
それは理解している、だかこの作戦に意味があるのどうか現場レベルで検討したかどかだな
結局上の顔お立たただけで・・・・指令官は心に大きな傷を残した
あの時自分が強く進言していればこの作戦は回避できた・・・・・。とね
スターリングラードの撤退とかね、戦いを考える人間は過去の歴史に精通しておかなければ
何度も失敗は繰り返される


193 :下駄さん:2005/08/10(水) 03:38:46
そうだよ。
歴史に何を学ぶかだな。
しょうがない とか しょうがなかった では 
児玉や山本権兵衛は存在しないのよね。


194 :南山ひ山:2005/08/10(水) 05:26:36
>>183
「其の一」は8月に気球から見たもの、と書いてあった。
するとそれ以外にイラストがあるわけだ。
方向から言って「東港」が見えた可能性は否定しない。
私は西港もあわせたものを「港内」と考えているので。
しかしこれほど艦艇が東港に集中していたとは思っていなかった。
その意味では私も考えを改めた。

195 :ナマコ山:2005/08/10(水) 08:40:11
>「其の一」は8月に気球から見たもの、と書いてあった。
>するとそれ以外にイラストがあるわけだ。

こちらが言っているイラストとは、「南山坡山海軍観測所の報告」
という題名になっている。「其の五」に相当する。
そちらが見たアップロード画面には乗っていなかったのだろうか。

> 西港もあわせたものを「港内」と考えている
たしかに西港の水域は広いが、これらの大部分は喫水の深い大型艦は
入ることができなかったらしい。
例えば、西港のかなり奥地に魚雷営、また劉家溝という地名があるが、
その辺りの西港水域が見えた見えないというのは全く無意味であると
思う。
あくまで「砲撃の目標である大型艦が行動できる範囲の水域」について
話をしていると思っているが、どうだろうか。

196 :師団長:2005/08/10(水) 10:20:05
>>178
無視せよ。記名者同士のやりとりの中では名無しのなんと儚げなことよ。

197 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 11:09:49
やっぱり有坂銃の威力も凄かったんでしょうねぇ。

198 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 11:13:55
乃木将軍はなぜ要塞のほうに固執してあげく
最後は結局203高地を強引に攻めたのでしょうか・・?
有能な将軍だったとは思えません。

199 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 14:13:49
>なぜ要塞の方に固執してあげく

そりゃ「要塞を陥落させよ」と命令されたら、当然です。
逆に聞くが、こう命令されて、他にどうしろっていうの?

>最後は結局203高地を強引に攻めた

海軍の都合を強制されたから。というか、内地に残っていた大本営がだらしない。
まあ、真の大本営ともいえる面々はそっくりそのまま満軍総司令部になって
いたからね。仕方ないのかな。

こんなドタバタの中で、要塞戦を統率し最後には陥落させたのだから、
有能な将軍ですよ。乃木でなければ落とせなかったというのも頷ける。

200 :二等兵 その1:2005/08/10(水) 21:24:45
>196
(おいおい!いたよ!)
やぱりいたのですね師団長!


201 :二等兵 その2:2005/08/10(水) 21:55:09
>198
おまいがほんとに16歳なら
大人になれば わ・か・る・よ
大人はいろいろとつらいんだ。

202 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:19:37
中華人民共口国の旅頁という軍港には、南山皮山ってのがあった気がする。
たぶん、南山ひ山さんはそこに行っt

203 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:12:35
映画とか、古写真に写ってる「金属製の盾」
あれ全員もてば、突撃しても機関銃の餌食にならなかったんだよ。


204 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:08:01
>>193
下駄さん。その件熱く語っていただけませんか

205 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 02:35:04
>>176182
白兵戦は、勝負付けになるので軽視出来ず、その後の戦闘にも影響する。

日清、北清(義和団事件)、日露に参戦した曽祖父の話を祖父から
聞いた話では、白兵戦においてロシア人等白人より、やはり清国等
東洋人の方が、まだ強かったそうじゃ。
日本軍の中でも実戦慣れしておらん部隊は、ロシア軍の白兵戦に及び腰に
なることもあったろうが。

206 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 04:43:36
>海軍の都合を強制されたから

え?乃木は強制されたら意思を変えるんだ。

へたれだな。



207 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 04:45:57
>そりゃ「要塞を陥落させよ」と命令されたら、当然です。
>こう命令されて、他にどうしろっていうの?

要塞の状況を把握して、当時のセオリー通り包囲をし、
そこから弱点を強襲する。

旅順要塞での弱点は203高地であった。



208 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 08:04:34
>>206
軍司令官が最頂点だとでも思ってるのかな。
組織には上司ってのがあってだね。 まあ大人になればわかること。

>>207
203高地は旅順要塞の弱点ではない。
これは満州軍総司令部の総司令官並びに参謀総長の意見でも一致していた事。

子供っぽい意見がでるたびに修正してあげるのが大人の役目とはいえ疲れる。

209 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:35:13
旅順要塞の弱点はどこかと言うなら、東北面の主防御線の屈折点。
乃木第三軍も、そこを中心に攻めている。

旅順要塞を陥落させるには、主防御線を突破しなければならなかった。
現に、防御線より外側にある二○三高地を落としても要塞は陥落しなかった。
要塞司令官が降伏を決意したのは、松樹山・二龍山・東鶏巻山などが落ち、
望台が攻略される事態に及んでのこと。
第三軍の攻撃方針は正しかった。

210 :下駄さん:2005/08/11(木) 13:36:49
熱く語れとのことで熱くかたります。まず直近の↑208も大人の方に

軍司令部の上には満州軍総司令部や大本営があり、その上に天皇がいらしゃる。
大山・児玉が現地に赴かなければ、こんな混乱もなかったのだけれど
南山の戦いで現場状況が把握できなかったことから、こりゃ此度の戦は
ただ事じゃあないぞと児玉が決意したわけですから御英断です。
乃木三軍は大本営と総司令部の間で独立性をおびたやした。
統帥権の問題ですからね。天皇は本国にあって
実質的な運営責任者が国外に出先機関の位置付けです。
山県は山県で夢を再びと実権を握ろうとするし、
鴨緑軍設立なんかもこの辺りが絡んでします。

203高地は弱点かどうか、弱点でしょう。
少なくとも第三軍の攻撃目標東北部に比べたら、海軍は旅順そのものを
陥落してくれとは御願いしてないんだから
第三軍が舞い上がって三日で旅順陥落をスローガンに掲げたことが
すべての始まりで、べつに総司令部が強要したわけでもないし、
最初にしっかり203高地を攻略していれば最弱点でしたよ。
とりそこなったから弱点ではなくなっただけです。
戦争ですから敵も必死ですからね。

さて、大人の人、煮るなり、焼くなり、役目を行使してくれ
大人だったら疲れるとか能書きをたれるなよ。



211 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:41:48
最初から203高地を狙っていれば取れた

212 :下駄さん:2005/08/11(木) 13:51:55
そりゃあどうか分からんねぇ。
なんたっ要塞造り世界一のロシアだし、名将コンドラチェンコが存命中。
一番いいのは203高地攻略、残存太平洋艦隊殲滅、第一任務完了、
第三軍南山金州城撤退!南山防衛軍設立(1〜2個師団後備でいいよ)
竹矢来設置、それ以外の第三軍は南満州の本隊と合流
でよかったんじゃないの
大迫第七師団もすみやかに本隊に合流、後々の戦いも楽だったと
思うよ。
さあ、煮るなり、焼くなり、好きにしてくれ!


213 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:59:45
見物人、あんまり詳しくないけど飛び入り参加

なんか議論がすれ違い気味だね。旅順要塞の話をするなら、まず「坂の上の雲」
の呪縛を断ち切らなきゃならない。この小説では、功績を児玉に、失敗を乃木
と伊地知に押し付けて、ヒーローと愚者との対比を際立たせてる。だから、史
実とは異なる虚構の部分が多い。さらに「元グリーンベレー」氏なんかが、そ
の俗説を元に、日露戦争本を書いたりするもんだから、虚構を史実と思い込ん
でしまう人があとを断たない。

代表的な思い違いを挙げると

・乃木は旅順要塞攻略に固執していた→史実は、軍中央の命令
・乃木は歩兵突撃を繰り返し、被害を増大させた→史実は、砲兵、工兵、歩兵の
 連携による正攻法。塹壕を掘りつつ進み、突撃前には、準備砲撃が行われてい
 る。
・乃木は無謀だった→史実は、攻撃を督促する中央に対し、大砲の弾がないから
 と攻撃を中止した。無謀だったのは軍中央で、むしろ乃木は慎重派。
・伊地知は、日本から大砲を送るという申し出を拒否した→史実では「間に合わ
 ないかも」とは言ってるが、「要らない」とは言ってない。
・乃木は203高地という弱点を見落としていた。→203高地攻略は、旅順要塞攻略
 という作戦目標からは外れていた。見落としていたというなら、みんなそう。
・203高地へと攻撃目標を転換したのは児玉→史実では、乃木自身。
・乃木の無能によって、旅順攻略に不必要な犠牲を強いられた→第一次大戦次の
 要塞攻略戦の犠牲者は、旅順どころではない。むしろ乃木は少ない兵力・火力
 で、よくがんばった。

                   などなど(不足なら足していってね)

思い違いを基に議論をするから、史実を基に議論している人と話がすれ違って
しまう。
たとえば、ここでの乃木批判の多くに対しても、「命令されてんだから、乃木
は軍人として従うしかないでしょ」というしかないような気がする。

214 :下駄さん:2005/08/11(木) 17:53:53
「坂の上」は置いといて、児島さんの「日露戦争」とか読むといいのかな

●乃木は旅順要塞攻略に固執していた→史実は、軍中央の命令)
旅順攻略は第三軍主体で進められたから軍中央の命令とか強要はないよ。

●乃木は歩兵突撃を繰り返し、被害を増大させた→史実は、砲兵、工兵、歩兵の
 連携による正攻法。塹壕を掘りつつ進み、突撃前には、準備砲撃が行われてい
 る。)正攻法
 これは第一回総攻撃と第二回総攻撃の間の前進堡塁攻撃のときにやった。
 あくまでも中央突破が第三軍参謀部の基本姿勢だったから徹底性を欠いていた。
 日本の工兵技術は遅れていた。その点は上原も痛感していた。
 弾薬が足りないのは日本陸軍全軍の問題。見積もりを誤った。(by陸軍省)
 一日60発でこと足りると、それで三日で旅順は堕ちると考えた。
 突然砲弾が消えたのではない。
 次の弾が届くと正攻法は取り止めて、突撃ー!一戸も怒った。

本文が長すぎるとのことなのでここで一回切るね。


 




215 :下駄さん:2005/08/11(木) 17:55:18
●乃木は無謀だった
 乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
 それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。
 軍中央(総司令部も大本営も遠慮していた)
 総司令部に旅順報告を楽観的に報告していた第三軍軍司令部(参謀部)
 それを総司令部が鵜呑みにしてしまった。
 慎重派が参謀部の反対を押し切って白襷隊を許可するだろうか。

●伊地知は、日本から大砲を送るという申し出を拒否した→史実では「間に合わ
 ないかも」とは言ってるが、「要らない」とは言ってない。
 なぜ、間に合はないと思ったかというと、第二回総攻撃まで(弾がたまるまで)
 に間に合わないと考えた。まだ楽観視していて、第二回総攻撃で陥落できると考えた。
 思考が直線的で二重三重の戦略戦術に乏しい所以。


216 :スリッパさん:2005/08/11(木) 17:57:01
●乃木は203高地という弱点を見落としていた。
 見落としたんじゃない。拒絶した。
 海軍の秋山真之、総司令部井口などのや大本営から203高地および西方方面から
 を提案されたが、伊地知第三軍参謀部が最後まで拒絶した。
 同じ第三軍第一師団参謀長からも提案があったが却下もしくは余力があれば
 と後に消極的に行われた。

・203高地へと攻撃目標を転換したのは児玉→史実では、乃木自身。
 違う、第三軍の参謀部のなかでその作戦変更の気持ちは前々からあった。
 第二回総攻撃も失敗して、白襷隊もダメ、こりゃこの第三回攻撃もダメかな
 というときに白井参謀から総司令部から派遣された軍目付福島副参謀長に
 作戦変更の懇願がなされ、処罰覚悟で福島が同意、参謀たちと乃木を説得。
 児玉が到着する以前の話だが、それでも203高地は容易に堕ちる代物ではなくなって
 いた。乃木が考えでしたのではない。乃木は作戦を考える教育は受けていない。
 それ以前に東北部か203高地かの歴然として燻っていた方法論、
 ここでの乃木の英断は福島の説得を受け入れたこと。


217 :再度下駄さん:2005/08/11(木) 17:58:03
●乃木の無能によって、旅順攻略に不必要な犠牲を強いられた→第一次大戦次の
 要塞攻略戦の犠牲者は、旅順どころではない。むしろ乃木は少ない兵力・火力
 で、よくがんばった。)

そりゃあ乃木はよく頑張りました。ただ、第一次大戦と比べてどうする。
第二次戦争とも比べるのか。陸軍の戦略に旅順は最初から入っていなかった。
そのために南山を攻略して、南満州の戦いに邪魔されないようにした。
旅順は立ち枯れににするつもりだった。
海軍の要望で旅順攻めが開始したが、なにも海軍は旅順そのもを攻めてくれとは
いっていない。兵力不足に悩む日本軍本隊としては早く加勢にきてくれよ。
が本音だった。はあー疲れた。
兵力火力が少ないのは乃木第三軍だけじゃあないよ。
その史実とやらはどこの史実なの?

さあ、煮てくれ。

218 :ポン:2005/08/11(木) 20:21:28
あれじゃねーの。
何が最大の目的なのか。その目標が上から下まで、共通認識を
持っていたか。そこの所じゃないの。203耕地を落とせば
めでたしめでたしは後年の作文じゃなかったか。

219 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:28:26
いちばん重要な命令の話に焦点を絞るよ。
陸軍が、旅順要塞攻略が決定したのが、1904.3。
>「陸上より旅順要塞を攻略して敵艦隊の根拠を奪」い「大連港を我が手中に
>掌握する」ため「三月十四日、一攻城軍を以て旅順の攻圍に任するに決しそ
>の準備に着手せり。」
で、5月に旅順要塞攻略のために第三軍を編成。6月、満州軍総司令部が設置。
同6月、第三軍に旅順要塞攻略の訓令。7月、陸海軍高級幕僚会議で旅順要塞の
早期攻略決定、「旅順艦隊の撃滅」が主目的に。
(元ネタ)
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/ryojyun-2.htm
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/ryojyun-3.htm

つまり、旅順要塞攻略は最初から設定されていた目標。そのためにこそ第三軍
が編成されていた。「旅順艦隊の撃滅」という目的も、艦隊撃滅のために要塞
を攻略せよ、と命令されていたのであって、旅順攻略と艦隊撃滅が対等な目的
として並んでいたのではない。だから、乃木が独断で要塞封鎖でよし、とする
わけにはいかないし、艦隊撃滅を優先させ、旅順要塞攻略とは直接関係のない
203高地で兵力を損耗させるわけにはいかなかった。それらをミスと呼ぶなら、
乃木だけではなく、要塞攻略を命じた大本営や、正面攻撃を支持した満州軍の
責任でもある。

まあ結局、大本営も満州軍も第三軍も、みんな旅順要塞を鎧袖一触で落とせる、
とナメてかかってた。日露戦争や第一次大戦の戦史から、"近代要塞を攻略す
るのに、いかに大きな犠牲を強いられるか"、を知っている私たちから見れば、
あくまで要塞攻略にこだわってた当時の陸軍は、愚かとしか言いようが無いが、
それは現代の私たちからの視点。

後の問題については、正直、議論するだけの十分な知識が無いから、元ネタを
そのまま晒すよ。
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/nogi.htm

220 :下駄さん:2005/08/11(木) 22:22:07
いや、確かにおっしゃるとおりだ。
すべての日本軍、海軍も陸軍も含めて、まさかこんなはずじゃあ 
だったんだろう。 203高地云々も後から秋山真之がはじき出したもので
すでに戦いは始まっていた。その秋山からして何万人死んでも
この戦争の勝敗の行方と日本の行く末を考えれば なんて だったりする。
日清戦争で旅順は一日で陥落してるかならね。その時は最弱点といわれた
案山子山だったっけちょっとうる憶えだけど、まあ一番弱いところから
攻略して成功している。それをあなた一番最短距離じゃからちゅうて
二龍山とか東鶏冠山とかモノ凄い所からいくわけでしょう。
まあ、それはいいやあ、児玉、山本の話からだったけど。要は
最初に方向方法論が決まったとしても途中で軌道修正はできないのか
創意工夫はないのかを言いたいのよね。後知恵云々ではなく。
大本営も海軍も頼んでいるんだし、被害も大きかったのだから
第一回総攻撃の失敗後の第三軍会議でそれが出来た可能性は高かった思うよ。
歴史のイフとかじゃあなくてよ。

221 :二等兵 その1:2005/08/11(木) 22:30:26
*「坂の上の雲」ではわからない 旅順攻防戦
            著 別宮暖朗 
          ↑
      誰かこれの感想文誰書いて!!
               

222 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 22:34:53
>>208 上司から、第3回総攻撃は二百三高地攻撃も含めろと述べたが、
拒否してますが?結局東北正面は白襷隊ですら進展しなかったので、
二百三高地に切り替えました。

さらに、203高地がもっともロシア側に消耗を仕掛けられる場所=弱点
という説は名将乃木希典からのネタなのですが?

二百三高地を攻めるのも、望台を攻めるのも同じと考えたら、そりゃ望台を責めますわ。
そもそも、現地での情報不足(偵察不行き届き)の指摘がある以上、弱点を探すことも
なかったのでしょ。

情報不足の報告を上層部に上申したらそれは間違った意見になるのは当然。


223 :ナマコ山:2005/08/11(木) 22:37:11
> それをあなた一番最短距離じゃからちゅうて

理由は「一番短距離だから」なんですか?違うでしょ。

要塞攻撃には攻城砲の展開が必須。それには広い地域や道路・線路が必要。
それら攻城砲展開に適しているのが東北面の正面。
よって二龍山や東鶏巻山が攻撃対象となった。
ここは一番短距離だった。

結果としてのことでしょう。

224 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 22:42:16
>>223 

攻城に際して、敵の一番防御力の高い所を攻めるのは下作となっています。
基本的に包囲して弱点を突き、其の後、強襲、正攻、奇襲、砲撃その他というのが
当時のセオリーなのです。

急いでるからといって、思い込みで仕事をしてはいけません。

225 :ナマコ山:2005/08/11(木) 22:45:11
>第三軍が舞い上がって三日で旅順陥落をスローガンに掲げたことが
>すべての始まりで、べつに総司令部が強要したわけでもないし、
>最初にしっかり203高地を攻略していれば最弱点でしたよ。

総司令部が早期陥落を強要したのだが。
「第三軍は、既に歩兵三十六大隊火砲二百七十四門を有するをもって〜略
刻下の情況、第三軍に少なしく無理押しを望むは実に止むを得ざるべし」

下駄さんのいう「三日陥落スローガン」って、なんですか?

226 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 22:46:41
以前、NHKの「その時歴史が・・」で日露戦争のことやってたよ。
それみたら分かりやすかったけどなー
見た方います? あれは面白かったと思うんだけど。あれについてはどうですかー?

227 :ナマコ山:2005/08/11(木) 22:46:45
>>224
君は下駄さん?

228 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 22:49:06
>三日陥落スローガン

第1回総攻撃前の第3軍が立てた計画でしょ。
確かに三日で開城だもんな。


229 :ナマコ山:2005/08/11(木) 22:51:36
>>220下駄さん
>最初に方向方法論が決まったとしても途中で軌道修正はできないのか
>創意工夫はないのかを言いたいのよね。

旅順要塞って、結局は、最初に決まっていた方向方法論によってではなく、
途中で軌道修正した「正攻法」によって陥落したんですが。
そして「正攻法」を選択したのは、第三軍司令部なんですが、どうですか。

230 :ナマコ山:2005/08/11(木) 22:53:06
>>228
俺、記名している下駄さんに聞いてんだけど? 君、下駄さん?

231 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 22:58:52
> 基本的に包囲して弱点を突き、其の後、強襲、正攻、奇襲、砲撃その他というのが当時のセオリーなのです。

じゃあ第三軍のやり方でなんの問題もないじゃん。
包囲した。目的に合致した方向で弱点を突いた。
攻撃方法は目的を考慮して強襲法。その後、正攻並びに奇襲も採用。
砲撃に及んでは当時空前の規模を実施。
なにか問題でも?

232 :二等兵 その1:2005/08/11(木) 22:59:52
師〜団〜長殿〜〜〜!!!
助けてくださ〜〜い!!

233 :下駄さん:2005/08/11(木) 22:59:56
いやいや、最短距離っていったのは言葉のあやだよ
気に障ったら許してちょんまげ!とにかく第三軍は正攻法(これもバーボン法とかの要塞攻略法じゃないよ)
に正面から華々しく戦果を挙げたかったじゃろう。三日で入城計画で。
まあ、それはいい。しかし、第一回総攻撃の失敗で「ありゃ?相手が悪いかな」
と思うわけだ普通。だから第三軍の各師団の参謀たちも動揺を隠せない。
まあ、それはいい。で、一戸旅団があれは第一回だったかな、あと一歩で
ごめんどこの堡塁だったか今打ち込めないのだけど、攻め落とせる場面があったよ。
第一回総攻撃中止の場面で、一戸はあと二個連隊の援軍があれば
旅順はあのとき陥落できていたと、戦後よくこぼしたと伝えている。
死んだ子の歳を数えてもしかたはないが、攻撃の集中性を欠き、
だだっ広い旅順を攻囲してりゃあいくら兵隊がいても足りんがな
児玉はそれを「やめろ」「攻撃目標に火力を集中しろ」と命令した。
城攻めは三倍の兵力を必要とするが、弾薬不足を歩兵の突撃で補おうなんて
とんでもない話だと思うよ。それでなくてもロシア軍の方が兵力優っているんだから

234 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:00:35
第1回総攻撃    東北正面 強襲→損害大 目的達成せず。
第2回総攻撃前半 西北正面 正攻(強襲)→損害少 目的一部達成。
第2回総攻撃後半 東北正面 正攻(強襲)→損害少 目的達成せず。
第3回総攻撃前半 東北正面 正攻(強襲、奇襲)→損害大 目的達成せず。
第3回総攻撃後半 西北正面 正攻(強襲)→損害大 目的達成。
12月攻撃      東北正面 正攻→損害少 目的達成。

第3回総攻撃まで東北正面に固執して軌道修正ができてません。

235 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:01:52
>包囲した。

第1回総攻撃時の日本軍の状況では包囲していません。
包囲が完了するのは二百三高地が落ちて以降の12月中旬頃からです。



236 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:03:30
>>233 >弾薬不足を歩兵の突撃で補おうなんて

第1回総攻撃時、準備砲撃に弾薬を使いすぎて、強襲突撃時に支援砲撃する予定が、
2日目には底をついた。

計画では3日かかると予想してたのに無計画にも程がある。

237 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:06:58
>>231 >目的に合致した方向で弱点を突いた。

弱点と思ってたのが一番強固な点だったんだわ。

思い込みって怖いね。

238 :ナマコ山:2005/08/11(木) 23:08:20
>>233
>最短距離っていったのは言葉のあやだよ
>気に障ったら許してちょんまげ!

いやいや、こっちが指摘したのは、その言葉のあやとかそういう話じゃない
んだ。
「最短距離だから選んだ」というように、それが理由であるかのように考え
ているとしたら、それは間違っているのではないか、という事だよ。
「最短距離の攻撃路」となったのは、それは攻城砲展開という必要な作業を
行わざるを得なかったことによる結果であろう、と。
その点は了解してくれたかな。

239 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:11:45
>>235
攻囲網完成は七月の下旬から八月の上旬の頃。公刊日露戦史とか、多くの本
でそう書いてある。

>包囲が完了するのは二百三高地が落ちて以降の12月中旬頃からです。
これは誰の説だ?

240 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:14:18
見直したぞ ナマコ山!!

241 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:17:17
>>239 攻囲と包囲は違います。

遼東半島の端からちょぼちょぼと補給線が繋がってる状態です。
当時の日本軍は攻囲が完了したと思ってたようですが。

大体、遼東半島の大連以西は要塞地帯なのだから、陣地の強度の差はあれど、
本防御線がどれかなんて、判断するのは大変であろうと感じている。
西北部までの距離がある以上、短期間という制限では第一師団方面の攻囲が
完了せずとも、強襲するのは致し方あるまい。

242 :ナマコ山:2005/08/11(木) 23:19:30
>>233
>第一回総攻撃中止の場面で、一戸はあと二個連隊の援軍があれば
>旅順はあのとき陥落できていたと、戦後よくこぼしたと伝えている。

これが意味するものは要するに、あのとき旅順を陥落させることは誰にも
出来なかったということに他ならない。
その時二個連隊の援軍なんて、居なかったんだから。
でも旅団長の立場ではそんなことは分からないので、愚痴をこぼしたのだ。
後に第三軍参謀長という立場になった時に初めて、その時の中止命令を納得
したのではなかったっけ。

>弾薬不足を歩兵の突撃で補おうなんてとんでもない話だと思うよ。

それはそうだが、それは第三軍の責ではないと思うが。
戦後の座談会で、こんな話が出たそうだ。
「(砲弾が少ないので)旅順の方はどうか肉弾でやってくれと、そういう訳です」
誰が言ったか忘れたが、当時の満軍総司令部か大本営の誰かだったかと思う。

243 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:23:24
弾薬不足を将兵の命で補う? あたりまえのことじゃん。
「弾薬量」も「将兵の数」も、同じ「戦力を計る単位」にすぎん。

平時の感覚持ち込むなよ?

244 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:24:36
>>241
旅順要塞本体を囲み、陸路は完全封鎖している。
海路はまだ開いているが、こっちの封鎖は連合艦隊の持ち場だろう?
それともなにか、海路の封鎖まで陸軍が担当しなきゃならんのか?

245 :下駄さん:2005/08/11(木) 23:24:39
飯食ったり風呂入ったりして途中をすっ飛ばししまったかも
229さんすまんね。224さんは俺じゃなよ。下駄かスリッパで記名しとる。
さて、「三日陥落スローガン」って、なんですか? でいいのかな
旅順第一回総攻撃の朝に第三軍の国内外の記者団に旅順攻略スケジュールを
発表している。これじゃあダメなのか?
それと旅順は正攻法で堕ちたというけれど、203高地陥落後の話でしょう。
そりゃああんたステッセルとかフォークとかの盆暗司令官じゃもん
名将コンドラチェンコが戦死してしまえばベトンの厚さ俺の給料袋と同じだ。
それに、陥落できないから困っていたんだろう。 
そこに児玉きて集中的にやれ!一度とったものは二度と手放すなって
指導してようやく203高地取ったんじゃないか。それをあんた
旅順は正攻法で取ったんですよって言われても確かにそうですよ。
でも論点がおかしいんじゃないか。おれはただ第三軍はまずい攻め方をした
と言っているだけだよ。さあ焼け、煮ろ、でも今日は俺はもう寝る〜ん。


246 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:34:44
「下駄さん」。__ふっ・ふっ・ふっ!!!
さすが俺が目をつけた男じゃ。
なかなかやってくれるわい。

247 :ナマコ山:2005/08/11(木) 23:51:51
>>245
>さて、「三日陥落スローガン」って、なんですか? でいいのかな
>旅順第一回総攻撃の朝に第三軍の国内外の記者団に旅順攻略スケジュールを
>発表している。これじゃあダメなのか?

始まりと結果が、いつの間にか逆になってますが。

>第三軍が舞い上がって三日で旅順陥落をスローガンに掲げたことが
>すべての始まりで、べつに総司令部が強要したわけでもないし、
>最初にしっかり203高地を攻略していれば最弱点でしたよ。

第三軍がスローガンを掲げたことがすべての始まり、ではないという事だね。
大本営が「第三軍に無理押しを望んだ」のがすべての始まりで、その要求に応
えるべく第三軍が三日陥落スケジュールを練り上げた、というべきなのです。

ここから考えを修正して下さい。
そうすれば、その後に続く意見もきっと変わると思いますよ。

248 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 01:22:58
>>226
NHK見ましたよ。
俺には小説とかじゃあイマイチ理解できなかった要塞とか
すごく分かりやすかった(ここの頭いいひとには笑われるけど・・・)
ちゃっかり映画利用してましたね。
でも日露戦争の本当のことはやはりいまだ馬鹿な俺には分からん。

249 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 01:48:11
>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
>それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。

乃木はいろいろと口出しをするので、若手参謀に「そういちいち言われると
業務に支障を来します」とか言われたそうだ。
これは、それを聞きとがめた参謀長にこってり絞られた若手参謀本人が書き
残しているので、まず間違いない。
また、「正攻法転換」は乃木軍司令官の鶴の一声によって決定されている。

>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。

あんた、釣り師じゃなかろうな?

250 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 01:53:17
>一番いいのは203高地攻略、残存太平洋艦隊殲滅、第一任務完了、
>第三軍南山金州城撤退!南山防衛軍設立(1〜2個師団後備でいいよ)
>竹矢来設置、それ以外の第三軍は南満州の本隊と合流
>でよかったんじゃないの

ゲームの日露戦争でもやってろと。

251 :江川達也ファン:2005/08/12(金) 01:58:35
今週の日露戦争物語
いしわらかんず(5歳)の時の逸話の件

252 :二等兵 その1:2005/08/12(金) 02:01:22
師団長殿〜〜
  

253 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 02:03:57
稗飯を下さい おかわりを下さい もう一杯下さい

254 :二等兵 その1:2005/08/12(金) 02:05:10
連隊長殿〜〜!!


255 :補助輸卒:2005/08/12(金) 02:09:54
にっ、二等兵どの、あっしはどうしたら!

256 :二等兵 その1:2005/08/12(金) 02:19:44
>>255
馬鹿モン!きさまは馬のうんこ拾ったあと、飯あげにでもいっておれ!
そしてその名前でここの無記名者および頭のいい連中にオモロイつっこみをいれろ!
わしももう寝る!!

257 :補助輸卒:2005/08/12(金) 02:36:14
う、馬って、あっしはトロッコで達磨みたいな榴弾砲のオバケを運んでた
んですが、皆とはぐれてしまったんです。
ここは南山ひ山だぁナマコ山だぁ下駄サンだぁ、嶮しい山ばっかだもんで。

あっ、あっ、寝ねえでくだせえ、あっしはいったいどうしたら?

258 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 02:49:06
>>257
山は死にません

259 :二等兵その一:2005/08/12(金) 02:54:50
>>257
またキサマか!
マジでキサマのせいで寝るの寸止めじゃ!
さっき言った事を忠実にまもるのじゃ!


260 :213:2005/08/12(金) 06:33:45
213と219は、私ね。本格的な論戦に参加するほど詳しくないから、コテには
しないけど。

203高地って基本的に旅順要塞攻略には、"直接"関係無いのよ。203高地奪取
の意義は、そこに観測点を作り、旅順港を砲撃することによって、敵艦隊を
撃滅できるかも、ってところにあった。ちょっと前の、旅順港が「見える/
見えない」の議論も、そこから来てるわけで。だから、第三軍に旅順攻略と
同等の目標として、「敵艦隊の撃滅」という命令が与えられていれば、犠牲
を払っても203高地を奪取して、砲撃を行うっていう発想もできたはず。
でも、命令はあくまで"旅順要塞攻略"だったから、それに関して言えば、203
高地奪取の意義は、あまりなかった。ひどい俗説だと、203高地の上に巨砲を
引き上げて、旅順要塞にドッカンドッカンと砲弾を打ち込んだ、なんて話も
あるけど、そんなことはない。
203高地を攻撃したことにより、そこを守ろうとしたロシア軍を消耗戦に引き
ずり込むことができ、ロシア軍に損耗を強いた。このことが"結果的に"、旅順
要塞陥落に大きな役割を果たした。

261 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 07:59:57
>>260 203高地というのはね、旅順要塞を俯瞰できる数少ない地点なのですよ。

それによって敵の対応が手にとるように分かる地点なの。
航空機云云がなかったから〜とか、言う奴に限って二百三高地という高地から
敵を俯瞰するという視点が欠落している。


262 :下駄さん:2005/08/12(金) 09:10:39
盆休みですっかり寝坊してしまった。
274ナマコ)俺が頭が悪いのかさっぱりわからない。なんだ?っていうから
第一回攻撃前に発表した計画だよ。って書いたんだけど、なにが逆だった。
「大本営は無理押し」何時何分地球が何周したときにした。
早期に解決すべしという文言が命令書にはあったどろうが
そんなことは当たり前で、はなっから急がば回れなんて訓示しないよ。
みんな旅順の全貌と実力を把握してなかったのだから。で、どう修正するの。
そうするとどう意見が変わるのかこのお馬鹿さに教えてくれ。


263 :下駄さん:2005/08/12(金) 09:24:46
243 )
弾薬不足を将兵の命で補う? あたりまえのことじゃん。
「弾薬量」も「将兵の数」も、同じ「戦力を計る単位」にすぎん。

なんで、当たり前なんだよ。戦力を計ってどうする。
そんなのは開戦前の話で、いまさら分析してどうする。
戦力差 は格段にあったのは分かっていたんだから、だから大切にしろと。
ロシア本隊との戦いが満州であるし、やっているのに
なんで、消耗戦に突入するのか。旅順の戦略的意義はなにか。
優先順位をつけて、考えてみよう。

249 )へーっ。乃木はそんなにお喋りだったの。
そこまで、口を出して参謀に相手にされない司令官ってなんだ。
組織にあってそのトップが組織の行動を決定できないことこそ問題だ。
俺が知ってるのは津野田と白井だったっけ論争になって、乃木が間に入った
とき、あんたが入ると話がややこしくなります。」と言って別室に追われたぐらいかなあ。
乃木の指導力を問題にしたのだが、口出しは結構したとこられちゃうと
こっちも困るねぇ。ちょっと論法が変じゃないか。


264 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:40:19
>263
旅順攻略の必要性がなぜあったのかを考えてくださいな。
陸軍の都合だけで言えば、攻勢作戦に出る戦力のない旅順の戦略的価値はほぼゼロ同然。
近くの拠点にそこそこの兵おいて警戒と防衛にあたらせれば済む場所です。

265 :下駄さん:2005/08/12(金) 09:57:02
おう、だから俺もそう言っているじゃない。その通り!
170)ぐらいから読んでみてくれたまえ。
やっぱりね、軍隊だから戦争というのは絶好の業績アピールの場なんだろうね。
その意味でも海軍の意向云々よりも確固たる戦果を欲した。
ところがこれが大変なことになってしまって、引くに引けなくなってしまった。
で、それを言うと「ゲームの日露戦争でもやってろと。」と言う。
この「と。」ってなんだ。それからどうした250)番


266 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:32:21
こいつ植民地スレのチロリアンじゃないのか。
文章の雰囲気がそっくり。


267 :下駄さん:2005/08/12(金) 11:08:20
「こいつ」って私のことかしらん。
「チロリアン」って知らないワよーん。レスとかに書き込むのも初めてに
ちかいかもん。だから「植民地レス」なんて、シ・ラ・ナ・イ・♪
こんな雰囲気ならいいのか。希望があれば出来る範囲で務めるぞ。
「子供っぽい意見を大人が修正」とあったのがカッチンときて
大人げなく参加してしまった。お馬鹿さんが俺だよ。
その前後に(別の人の発言)「坂の上の雲」の呪縛ってあったんだけど。
呪縛ってなんだ。少なくとも俺は面白く読んだし、感動もしたよ。
おかげで、その他の関連書籍を読む切っ掛けともなった。
別に呪縛なんてないんじゃない。昨今の乃木名将論復活路線は俺にとっては
いささか無理があるとは思っている次第で、これが呪縛か?
「坂の上の雲」は小説じゃないか。生出寿だって、豊田穣だって、あるじゃない。
気が向いたらなんでも読むよ。で、この間、乃木神社に参拝にいって買ってきました。
「名将乃木希典」。これ定価500円ぐらいだったかな、結構安くて吃驚したよ。
それでヘソで茶を湧かしわけだ。なんで、PHPあたりの「日露本」でこれを
取り上げて、注文はつけるにせよ、一応の評価をするんだろう。
まあ、いいや、俺は「下駄だ、チロリアンでもチロルチョコレートでもないよ」


268 :下駄さん:2005/08/12(金) 14:03:39
さて、女房の実家にいって墓参りです。
頭のよい大人たちよ。
週末によく煮て焼いておいてねぇ〜。
それではまた来週。

269 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 14:05:19
203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
松樹山など東北面の主要塞を側背から砲撃できる地点であるというのが理由。
他にもあるが、精神的な話になるので省略。
で、近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ、と。

旅順を数年に渡って領有し要塞を築きつつあったロシア軍が、203高地の
重要性に気づかなかったわけがなく、相応の守備がなされていた。
獲れば多大の利点はあるが、多大の損害が必須。
早期の要塞攻略を命令されていれば、スルーは当然と思うが。

270 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 14:09:41
下駄さん大暴れ。駄々っ子のお守りは誰のお仕事?

271 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 14:16:47
> レスとかに書き込むのも初めてにちかいかもん

その今までの姿勢の方が正解だったんじゃない?もう半年くらいromってろ。
グダグダじゃんかあんたの書き込み。見難い、読みにくい、誤字脱字多すぎ。
推敲って言葉知ってるか?

272 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:37:41
>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
>それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。

これが否定されると

>へーっ。乃木はそんなにお喋りだったの。
>そこまで、口を出して参謀に相手にされない司令官ってなんだ。

意思表示を一切しなかった、という自らの口から出任せについては一切顧みず、
反駁の一例を示されれば今度はそんなにおしゃべりだったのか、と来る。
なんなんですかその両極端な思考回路。しかもどっちも悪印象というのが
面白い。どっちに転んでも乃木はダメという結論ありき。やれやれです。

273 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:38:17
津野田参謀の「斜陽と鉄血」から。
「(将軍は)多くは幕僚の所在特に情報の輻輳する我々の居室に臨まれ、
大机を前にして相対する白井少佐と余の一側に陣取り、なにくれとなく
指導せられた。
然るに命令、報告等の起草に従事する白井少佐と余とは何事にも議論を
闘わしたのであるが、時として将軍も論争の渦中に投じ、平等の立場に
於いて其の意見を吐露せられたこと少なくなかった。
然るに之がため時として却って事務の進捗に故障を感得したから、此の
日失礼にも率直に意見を述べ、爾後は細務に干与せられざらん事を懇願
したのである」

>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
>それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。

これは全く否定される。
「一切しなかった」というネタを仕入れた元は何だ?変な小説でも読んだのか?

>へーっ。乃木はそんなにお喋りだったの。
>そこまで、口を出して参謀に相手にされない司令官ってなんだ。

上のように参謀の詰め所で議論をするのが「お喋り」ですか、はあそうですか。
「参謀に相手にされない」ってのもなんだかな。読めば分かるように、そう
いう時も「時として」あった、という程度の事をあげつらって何を言って
いるのやら。

あんた釣り師だろやっぱり。

274 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:16:54
>>268
下駄さんは初めてにしてはよく頑張ったと思う。
熱いものを感じます。
なかなかいいキャラだし。
しかし、読みにくい。
その情熱とキャラはそのままに 読みやすくしてほしいな・・・。来週お待ちしてます。

275 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 10:13:49
>>269
>松樹山など東北面の主要塞を側背から砲撃できる地点であるというのが理由。

その理由であれば、海軍からの要請なんて関係ないわな。
だったら、最初から二百三高地も含めた攻撃計画を立てられなかった乃木はへたれ。

つか269はウソばっかりだからな。

276 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 10:49:18
>>244 8月中旬の時点で旅順要塞本体を囲んでもないし、
陸路の完全封鎖は第3軍が上陸した時点で封鎖している。

よって 君が言ってるのはおかしい。

277 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 10:52:19
>>247

>三日陥落スケジュールを練り上げた

無理押しとかいう意見があるけど、それ以前に計画不行き届きだろ。
実際、準備砲撃で弾薬を使いすぎて2日目には不足しているのだから。

いい加減な計画だったって事がこの例でもわかるが、白襷隊といい、
アバウトすぎる計画を誤魔化そうとするのはよくない。


278 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 12:17:20
下駄がんがれ!

279 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 12:37:49
>>275
>その理由であれば、海軍からの要請なんて関係ないわな。

そう、関係ないんだよ。
八月以前の大本営長岡参謀次長や満州総軍井口参謀などが提唱していた
鳩湾・双島湾方面からの西方攻撃案とごっちゃになっている気がする。

>だったら、最初から二百三高地も含めた攻撃計画を立てられなかった乃木はへたれ。

この二○三高地攻撃理由は、第一回総攻撃が失敗した後に出てきたものなんで
すが。最初からって?意味不明。

>つか269はウソばっかりだからな。

どこがウソ?具体的にどうぞ?

280 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 12:45:58
> 8月中旬の時点で旅順要塞本体を囲んでもない

囲んでるじゃん。
西方面を囲んでいない、とでも言いたいんだろうけど、それを言い出したら際限がない。
どこまで囲んだらヨシとする気なの? 鳩湾?双島湾?それとも老鉄山?

言い方次第では、陥落寸前まで完全包囲は出来ていないとも言える。
でも、それは馬鹿馬鹿しい言葉の遊びだ。


>包囲が完了するのは二百三高地が落ちて以降の12月中旬頃からです。
そもそも、これは誰の説なのか?

281 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:05:56
海軍が、二○三高地を攻略してくれと言い出したのはいつから?

282 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 15:02:27
映画「二百三高地」。
日露両軍の死体には、アルバイト女子高生が混じっている。

283 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 15:56:26
>>269 >>279-280

>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。

8月末の第3軍の会議で旅順港内のロシヤ艦隊を瞰制する用地を攻略すべき
という事で二百三高地の攻撃が決定した。

>近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ

南山坡山から港内の観測ができることは8月末の会議でも指摘されています。
〜みたら、という風に無計画ではありません。

>相応の守備がなされていた。

されてません。陣地は臨時築城であり、ベトンなどの永久堡塁は建設されていません。
攻略当初はいわゆる前進陣地として日露共に認識していました。
また限られた労力の為、築城のほとんどは敵の攻撃方向たる東北正面に集中しており、
西方、西北は東北正面に比べ防御線は軽くせざるを得なかった。

もし 相応の守備と言い切るならば、7月の前進陣地攻略戦も相応の守備があったと
言い切れるでしょうし、言葉を巧みに誤魔化して誘導しようとしているのがバレバレです。


284 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:01:41
>>280 
>囲んでるじゃん。

老鉄山方面は日本軍の砲部隊の影響力はない。よってこの方面からの本国からの連絡線は
完全に遮断されていません。

>陥落寸前まで完全包囲は出来ていないとも言える。

その通り。ロシア軍の降伏は日本軍が西方地域を支配された為でもある。
更に東北主要陣地も陥落し、降伏した。

つか、269でウソ吐きまくりだから説得力はないがな。





285 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:19:53
>>284
>老鉄山方面は日本軍の砲部隊の影響力はない。

影響力とは、何を意味しているのか。

>ロシア軍の降伏は日本軍が西方地域を支配された為でもある。

こんな珍説、初めて聞いた。ぜひ出典を。

286 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:20:53
>>285 は269さんですか?

283の意見はどう思いますか?

287 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:27:11
>>283
>陣地は臨時築城であり、ベトンなどの永久堡塁は建設されていません。
>攻略当初はいわゆる前進陣地として日露共に認識していました。

旅順要塞陥落後のフォーク少将が語った内容から、南山陥落後、時期と
しては五月頃から、二○三高地には半永久的防備工事がなされている。
十月に第三軍が攻撃を加えたころには、既に15センチ砲でなければ破壊
出来ない程度であった。

永久堡塁でなければどうだというのか。ベトンの有無に、どれほどの意味が
あるのか。
15センチ砲と言えば、当時第三軍が用意していた攻城砲の最大クラスだ。
これでなければ破壊しえない程の陣地となっていたのである。

288 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:32:41
>>287 あのな。東北正面と比較してどうかという事。

防備陣地といえば、7月初旬の前進陣地戦における陣地も防備陣地である。
相対的に論じているのに、絶対的に切り替わる貴方の論はいい加減なものですね。



289 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:43:48
>>287 フォークがなんと言おうと、前進陣地たる璽霊山の設備未だ十分ならず〜というのが
日露戦争後の日本の見解。

290 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:24:37
>>288
比較の問題ではない。15センチ砲でなければ通じない程度の防御力を備えた
陣地を、どうとらえるかという問題。
永久堡塁ではなかった、ベトンを使用していなかった、というそちらの言い分
に何の意味があるのか。

>>289
日露戦争後の日本の見解がどうであろうと、二○三高地の防備は強力だったと
いうのが事実。
以下、根拠。
建築を指揮したフォークが戦後に語っている。
事実、10月の攻撃の時、既に15センチ砲でなければ効果は与えられなかった。

291 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:26:03
>>289
半永久と書いているだろう。十分ならずでも簡単には落とせないと言う事だ。

292 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:28:22
>>289
第三軍に与えられた主任務は203高地に観測所を作る事ではなかった。
旅順そのものを落とす事が主任務だ。

293 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:42:46
>>283
>8月末の第3軍の会議で旅順港内のロシヤ艦隊を瞰制する用地を攻略すべき
>という事で二百三高地の攻撃が決定した

このソースの提示を求める。


>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
>松樹山など東北面の主要塞を側背から砲撃できる地点であるというのが理由。
>他にもあるが、精神的な話になるので省略。
>で、近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ、と。

このソースは「旅順攻囲秘話」292頁および317頁。
「この方面から見ると、松樹山二龍山の背後を側面から縦射し得る
というので(略)その方面の偵察を行った。(略)爾霊山を攻略して
局面打開を図るというのは、一には今後長時間に亘り、活気のない
歩工兵の攻撃作業にのみ没頭して、しかも絶えず日々少なからざる
死傷を出すに於いては、士気の阻喪が極点に達するであろうから、
士気を鼓舞するためにも、この際も我が右翼方面に活躍するのが得策
だと言うのであった。
斯くは爾霊山攻略策は、いよいよ実現を見る様に運んだ。」
「南山坡山が我有に帰してから、同高地から偵察してみると、西港の
一部を展望し得た。」

294 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:50:18
ソースを読んで確認したうえで記憶違いを訂正させてもらえるならば、
269の「港内もよく見える」は「港内の一部が見えた」と訂正したい。

>>283は、「二○三高地攻撃の目的」について疑義を挟んできたわけだから、
この点についてはひきつづき283のソース提示を求める。

295 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:14:52
>>290

>二百三高地の防備は強力であった

それでいけば、大頂子山の防備は二百三高地のそれより遥かに強力な武装と防備だな。
東北部と西北部を比較して強弱の話をしているのに、絶対的な評価を都合よくするのね。

フォークって5月から6月は南山から前進陣地にいたはずだが?
そのフォークが5月から二百三高地の防備工事の建築を指揮したのですか?



296 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:16:59
>>294 記憶違い?

>南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ。

つまり「南山坡山が我有に帰してから、同高地から偵察してみると、西港の
一部を展望し得た。」
が↑の記述に変化するわけでしょ?あなたの読解能力はそういう能力なんでしょうね。
都合よく変化するんだなぁ。おもしろいなー

297 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:19:23
>ソース
児島本の文庫版 4巻P103 に掲載している。


君の言う 「旅順攻囲秘話」をソースにしてもほんとにそう書いているかどうかな。
略のところが是非知りたいものだ。





298 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:42:47
>>72-77 それ以降の議論の中心は

>>70 の「南山坡山を確保したことで、港内のかなりの部分を見渡すことができた。」
だったはずだ。

>>290-294の人はこの議論の中にもいた筈だし、269までその意見だった。
南山から港内がよく見えるという意見が大多数だとしたら 旅順攻囲秘話以外に
どんなソースがあるのだろうか?

少なくとも294=269が訂正したけど、彼は南山から港内がよく見えるという事で
南山ひ山を叩いてたはずだな。

記憶違いとはいえ、最低な奴だと思う。



299 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:22:56
>>297
あなたは小説をソースにしているんですね。分かりました。

300 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:38:15
>>295 >東北部と西北部を比較して強弱の話をしているのに

君が比較の話をしたがっているのはよく分かったけども、
それをただ相手に押しつけているだけじゃないか。

相手の主張をよく読みなさい。
>南山陥落後、時期としては五月頃から、二○三高地には半永久的防備工事が
>なされている。
>十月に第三軍が攻撃を加えたころには、既に15センチ砲でなければ破壊
>出来ない程度であった。

君はこれにレスをしながら、この内容には全然触れずに、ただただ自分の
言いたい「東北部と西北部を比較して強弱の話」をしたがっているだけです。

301 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:42:23
南山ひ山さん、消えちゃったね。

皮はヒとも読める、というのが最後の言い訳だったのかな?
それとも、あれは誰か別人のフォロー?
でも坡はヒとは読まない、という事実にあえなく撃沈。
面白かったね。真夏の夜にはほどよい娯楽でした。

302 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:43:37
>>300

>>287 >旅順要塞陥落後のフォーク少将が語った内容から、南山陥落後、時期と
     >しては五月頃から、二○三高地には半永久的防備工事がなされている。

>>295 >建築を指揮したフォークが戦後に語っている。


フォークって5月から6月は南山から前進陣地にいたはずだが?
そのフォークが5月から二百三高地の防備工事の建築を指揮したのですか?


303 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:47:30
>>301 

撃沈といえば >>269=279-280の人もかな?
それとも必死に弁護している本人かな?

8/30の会議の内容を確かめもせず、小説と一言しかいえないのは悲しいね。
というか>>299-301も必死に弁護している時点で痛いなー・・。他人の振りしなくても
いいのにね。


304 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:53:06
>>297
>児島本の文庫版 4巻P103 に掲載している。

書いてないけど?

305 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:56:43
>>304 P105で確認したよ。多分P103は間違い。

それよりも>>300さんですか?フォークって5月から6月に防備工事の建築の指揮を
してたというのが287の持論らしいですが、疑問に思いませんか?

306 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:01:17
>>305
しょせんは小説をネタにしてどこに書いてある、ないというのも変な話だが、
P103には書いてなかったのか。P105にはなんとある?

多分って、君はP103にあるぞクンとは別人なのか。
多分、本人から修正があるんだよな?そうだよな?

307 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:04:17
>>305
フォークって5月から6月は南山から前進陣地にいたはずだが?

ソースなしに、はず、と書くだけでは根拠にならない。
君はフォーク将軍の動静に詳しいようだが、何かに書いてあることなのか?

308 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:10:15
>>306-307 きみは300とは別人か?

フォーク少将は南山の戦いに参加して6月は双台溝近辺 前進陣地にいる。
7/29頃は鳳凰山附近で日本軍の攻撃に備えている。 (公刊戦史より抜粋)

それで 南山に参加し、その後も前進陣地で戦っていたフォークが203高地の
防備工事を指揮してたというのは極めて疑問です。

309 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:12:23
指示はしたがおざなりだったというのが真相だろうな。

310 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:13:48
児島本読んだけど、「送ルニ及バズ」電報を紹介しているのは地雷を踏んでるな。
こういう俗説追随が黙認されていた時代の遺物だ。

あと、130ページのこの問答。
児玉「二○三高地に重砲をあげれば、どこまで撃てるか」
伊地知「二○三高地から東港の端まで七千メートルもありません。多少の
死角以外に逃れるすべもありますまい」

あ〜あ、って感じ。

311 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:14:09
>>307 >ソースなしに、はず、と書くだけでは根拠にならない。

>>287 >>290どちらもソースは書いていないが・・・・。

片一方の意見に極めて甘いギャラリーがいるね。つか本人だろうけど

312 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:15:53
>>308

P103と書いた人の修正を待とうよ。
この程度のことが出来ない人なら、無視されても仕方ない。

313 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:16:00
>>310 反論できなくなったら 批判した本や著者を貶めるコピペをするのは
過去に嶽原という人物がいたが、また現れたのか?

やれやれだね。



314 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:17:32
>>311
ソースなしに、はず、と書いてるのは、一方だけ。
そんなことも分からないのは、本人だろうね。

315 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:17:54
>>309 あぁそうかもね。それなら納得。

>>312 それ以前にフォークの語りを出してきた人は?

269=294も反論できなくなって逃げたんだろ。

298に書かれた通りの奴だったな。

>>290-294の人はこの議論の中にもいた筈だし、269までその意見だった。
南山から港内がよく見えるという意見が大多数だとしたら 旅順攻囲秘話以外に
どんなソースがあるのだろうか?

少なくとも294=269が訂正したけど、彼は南山から港内がよく見えるという事で
南山ひ山を叩いてたはずだな。

記憶違いとはいえ、最低な奴だと思う。


316 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:19:41
>>315の中に、思い込みのキーワード「はず」がいくつあるか数えてみよう。

317 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:19:43
>>314 おいおい、そんなに自分を主張するなw

フォークの語りを出した人間はソースを出してないぞ?
フォーク本人とインタビューでもしたのか?

まったく そんな所弁護する問題じゃないぞ。



318 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:20:45
訂正まだ〜?

319 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:21:40
>>310 なにがあ〜あ?

まさか9/28の総司令官への電報とか読んでないかな・・。

320 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:22:37
>>318 あはは 反論できなくなって小説の都合の悪い所を出したつもりが、
さらに墓穴を掘ったのに気付いてないらしい。

321 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:25:03
満州軍総司令部の総参謀長ともあろう人が、なんて質問を・・・ヨヨヨ。
第三軍が苦戦したのもうなずける。そういう話なのだろう。

322 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:30:41
いままでの流れ

>>269 

>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。

>>283 8月末の会議で敵艦砲撃の為に攻撃をしたという指摘を受けて、小説だからと一蹴した
つもりが、一蹴できてない。旅順攻囲秘話をソースにして反論したが、一部分だけの
都合のいいソースを出してきているのみ。

南山坡山から港内もよく見えるぞという意見は>>294で訂正したつもりだが、>>298
での指摘とおり、過去によく見えるという意見を貫いてきた粘着質の人はどこにいったのか。

323 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:31:39
>>321 そうだなそういう質問をして、砲撃できると答えた伊地知は無視か。

つか二百三高地に重砲を上げるのがそんなに不思議か?

324 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:31:44
児島著「日露戦争」、傑作ではあるが、しょせんは小説としか言いようがない。

つか、引用元も書いていない小説をソースとして出せる神経がうらやましいよ。
これに書いてあることが事実かどうか、調べようがないじゃんか。

325 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:33:08
>>323
>そうだなそういう質問をして、砲撃できると答えた伊地知は無視か。

ちがうだろ、こういう問答の存在自体が疑わしいって話だろ。
児島もあんたも、児玉大将を馬鹿にしすぎてないか?

326 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:34:09
>>325 なぜ疑わしいの? 9/28の電報の内容は見てから話しをしてね。

327 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:36:12
>>322
そうか?

>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
これはソース提示あり。「旅順攻囲秘話」。

これの反論が来た。
ソース提示が児島襄の小説「日露戦争」。しかもソース提示者はページを
間違えていて、いまだに訂正なし。

こういうところでしょ。

328 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:38:34
>>327 大体、9月の総攻撃の計画を調べるに当たって、8/30の会議を調べるのが
普通だが?旅順攻囲秘話は会議の内容を伝えているわけではないから、
児島の本の指摘(8/30の会議)とは矛盾してない。



329 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:40:36
いかにも、この中に答えがある、これを読めば分かる、
とでも思わせる事を書くが、その内容にはまったく触れない。

>>326が何を言いたいのかは、結局誰にもわからない。
しかし本人はご満悦。お幸せに。

330 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:41:37
つか 必死に言い訳しているっぽいけど、前々的を得てないよね。

203高地攻撃の方針については8月末の会議の内容を調べるのが一番。
公刊戦史には書いてないな・・・。児島本では書いてあった。

二百三高地が東北正面の後背を観測できるのは分かるけどね。
大体 9/28の電報は無視かな・・。

>>269で ちょっと いい加減な意見を述べると他の意見を改竄しなくちゃならないから
大変だね。もっと楽しませてくれ。



331 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:43:16
>>328
>普通

ここでそのキーワードはまずかろう。
南山ひ山さんの「普通」の歴史研究者ってのを思い出してしまってワロス。

332 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:45:01
>>330
>公刊戦史には書いてないな・・・。児島本では書いてあった。

それで鵜呑みにできるハッピーな人なら無問題。

333 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:46:53
>>329 おいおい 9/28は総参謀長は総司令官に旅順方面の戦況の報告をしているのだが?

こんなのは旅順攻囲秘話 や レガート〜の話しを出してくる位の奴にとっちゃ普通だろ。

「敵の形勢を察するに璽霊山は我が攻囲線の接近したる今日において、急に重きを置くに
至れるものの如し。これ比較的近距離にて旅順の内部を砲撃し且つ観測し得るは、この
地に優るものなく・・」

こういう基本的な事を読まず、批判本しか読んでないから間違った結論に達するのかな?

334 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:48:19
>>332 そういう君はフォークの語りを鵜呑みにしているのかな?

一方に極めて甘いギャラリーだなw

335 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:51:01
>>334
だって児島小説をソースに出してくる側には近づきたくないもん。

336 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:55:55
>>335 学研の日露戦争に同じような事が書いてあるのにね。

当面する目的は旅順要塞の奪取ではなく、港内にあるロシア艦隊の撃滅こそ
優先される課題であるとし、それには旅順市外の背面にある二百三高地は
市外と港が望める唯一の高地で砲撃の観測地点としては最適地であるというのが
その主張の骨子であった。

とある。   小説でごまかしたいんだろうけど、旅順攻囲秘話を出してきてる人は
>>294のようにうがった見方をする人だから信用できないよ。


337 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:57:03
司馬の「坂の上の雲」に書いてある、といってこれをソースに出す奴はもう居ないだろ?

児島の「日露戦争」に書いてある、というのは、上の司馬かぶれの戯言とどう違うんだ?

よく考えてみろ。

338 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:58:42
>>337 

其の前に色々な本を当たってから批判しような。

お前にはそれが前々ない。

339 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:59:21
どんどん二百三高地無用論は崩壊していってるね。



340 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:01:07
310はどこにいったの?

なにがあ〜あなの?自分がそんなに恥ずかしい?

341 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:02:02
>>338
色々な本をあたって、それで出したのが結局は児島の「日露戦争」か。
そりゃ君の努力にごくろうさん、としか言いようがないな。

342 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:04:01
>>269の 

>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。 →ウソ
>近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ    →ウソ
>203高地の重要性に気づかなかったわけがなく、
>相応の守備がなされていた。           フォークの語り →史実と矛盾している

矛盾してウソばっかりだったわけだ。逃げればいいんだが、言い訳ばかり
しているギャラリー?がいるけどね。



343 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:08:25
ソースのページ訂正も出来ないヘタレに用はない。退場!

344 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:10:43
>>343 書き込んで以降、着てない奴に何を言ってるのか・・。









345 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:21:28
どうもわからないが、フォーク少将が前線に居たとしてそれが旅順要塞の
防備工事を指揮したとすることの否定になるのだろうか。
フォーク隷下の部隊が二○三高地の防御工事を施していたとは考えないのか。

346 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:23:06
>>345 考えたら?フォーク支隊が旅順に残っていれば其の通りだろ。

ちゃんとソースを示してからそういう考えを述べてくれ。
ちなみにフォーク支隊は5月以降、最前線で日本軍と対峙している。


347 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:23:11
>>344 >着てない奴

そいつが来てないと分かっているのは、本人だけという罠。 はいお疲れ。

348 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:24:50
>>347 269が必死なのはわかるんだがな。

しかしなんであんなウソばかり着くんだろう・・。フォークの語りのソースも示してないしさ・・。
一方的な上げるギャラリーも必死にかばっているし・・。

349 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:26:17
その最前線に出ていたフォーク支隊が、フォーク少将が命令できる部隊の全てというのなら、君の言い分もわかるのだが。

そのあたりどうか。

350 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:29:09
>>344が必死な件は無視する348。 はい面白いですね。

ヒッシヒッシとしがみつくなよきもい。

351 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:40:11
もしかしたら、フォーク少将の当時の肩書きも関係することのようにも思える。

フォーク支隊は最前線にあったということと、フォークの指揮により二○三高地
の防御工事がなされたということは、矛盾するものではないと思う。

352 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:05:26
>>333
> 旅順攻囲秘話 や レガート〜の話しを出してくる位の奴

旅順攻囲秘話はわかるが、レガートってなんだ?幻視か?

>>342
>>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。 →ウソ

ソース付きの主張をウソという君の方がおかしい。

353 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 09:12:50
フォークはその後に旅順の防備の指揮に加わっている。
6月は既に南山は落ちていなかったか?

354 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 09:18:13
>>308
フォークが何もかも指揮したと書いてはいないのではないのか?
防備工事の前任者からの引継ぎと言うのもあるだろう。

355 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:14:23
 「・・・日露戦争に従軍した将校に聞いたことがある。戦で最もうれしいのは、
はげしい接戦の後、敵が戦意を喪失して敗走するのを追撃する時であるという。
こういう敵にたいする追撃には、こちらに危険がない。狩猟のようなものだ。
相手が鳥獣でなく人間であるだけに、残酷非道の感がないわけに行かないが、
つい今し方まで自分が殺されるかわからないはげしい戦いをつづけて来た身には、
そう反省する余裕はなく、ひたすらにうれしく、ひたすらに愉快なのであろう。・・・」
(海音寺 潮五郎著−「天と地と」より)

 


356 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:51:39
>282
>映画「二百三高地」。
日露両軍の死体には、アルバイト女子高生が混じっている。

       映画関係者の方でつか?

357 :下駄さん:2005/08/15(月) 00:05:21
今晩はーっ!道路はよくコンドルが飛んでいく。
で、途中抜けておいて遺憾ではありますが、話もだいぶ
煮詰まっているようなので、順番に
271番。「稚拙」は知ってるが「推敲」って知らん。
読めん。キノコの一種かな?
しかし、文章はもっと丁寧に書かないとダメだね。
反省するよ。ただし、グダグダはトコトン言うぞ。

272番。乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。
お前さんの言っているのは参謀の議論や論争に
参加したということじゃないか。
司令官の意思表示とは命令である。最終決断をするのがその職分ではないか。
支障をきたすと懇願される司令官、高級軍人とはなんだ。
273番。ところで「釣り師」って、何?

分かりづらいから匿名でいいので名称いれろよ。
ナマコを見習え。あれ?ナマコは何処?
271番「推敲」 273番「時として」
274番「職業斡旋鑑定士8級」
九月は検定試験だ。今度は頑張れよ。

358 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:46:42
新手の釣り師?
天然?

359 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:26:00
日露戦争に限らず、戦争行った人ってなんで行ったんだろう?
しょうがないから?強制だから?義務だったの?恩給いっぱいもらえんの?非国民ってよばれるから?何で男だけ?
「お国のため」ってよく聞くけど、
お国って天皇陛下のこと?
それとも戦争負けて他の国に占領されて、自分の姉妹や恋人が凌辱されたりするの?
他国人に奴隷みたいな扱い受けるようになるのからなの?
何で行ったのかな?

360 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:42:26
正露丸(征露丸)
効能
下痢、食あたり、歯痛…
えっ歯痛?
そういえば
日露戦争をモデルにした映画だったか、小説だったかで 、歯が痛い日本軍の大将がいたような気がする。
いままで「なんで正露丸が歯痛に…」って思ってたが。
そうかそれつながりか…。陰であいつがからんでたか…。

361 :下駄さん:2005/08/15(月) 07:49:52
 尊皇、勤皇から倒幕に成功した新生国家日本。
 その行動の中心だった薩長などの政府関係者を別とせれば、
 明治37年の段階で政府が日本国民に対してどこまで
 天皇崇拝を浸透させていたのかはかわからない。
 司馬遼太郎も不思議がっていたよね。
 その頃と昭和の狂信的な国家体制とは異質なものだろう。
>しょうがないから?強制だから?義務だったの?
 まあ、しょうがないっていうのが大方の本音ではないですかね。
>恩給いっぱいもらえんの?
 そんな発想なんてあったのかな。一般的に貧しかったのは事実。
 日本は借金で戦争していたのだから
 恩給はいっぱいは貰えなかったんじゃないだろうか。
 当時のアジア情勢(列強の植民地政策)と
 日清戦争後の三国干渉とロシアの南下政策から危機感があったのも確かだろう。
 世論的に盛り上がっていたようだが、
 その実情を一般の国民がどこまで把握していのかは分からない。
 日本人が素直で従順な民族であることと、国家というものが
 その本質とは別に身近な環境にあったのだろうか。
>何で行ったのかな?
 どんな気持ちでいったのかね。
 今より個人の生命の価値観ていうものが軽かったのかもしれない。

362 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 09:18:07
白兵戦の原因は弾不足や旅順港の艦隊を早く壊滅させて欲しいと言う海軍からの
要請だろう。
だから東郷は乃木に御礼を言わなければなかった。
海軍が陸軍に何をしていると焦った気持ちは存在したが、小馬鹿にする思いまではなかったように思える。
海軍がせかさなければ28サンチ砲が届くまで陸軍は正攻法で進めばよかったので
被害者はそこまで出る事はなかったと思う。


363 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 09:34:30
政治家が売国をするのは仕方が無い!

民主党なら中国に日本を売る。  自民党ならアメリカに日本を売る。

共産党ならロシアに日本を売る。 社民党なら北朝鮮に日本を売る。

公明党なら韓国に日本を売る。


同じ日本を高く売るなら、これから世界の覇者に成る中国に日本を売る方が
高値で売れるだろう。 だがら私は民主党を支持するのだ。
今回の選挙の論点は、何処の国に日本を売るかの選択選挙なのである。


364 :下駄さん:2005/08/15(月) 10:05:08
同じ高くなるならって、中国には買う金なんてないよ。
商談なんて成立しない。
仕舞いには沖縄は昔から我が中国に朝貢していた国
よって日本固有の領土ではないと言ってくるんじゃあないか。
そういう論点なら
今回に限っては民主党には絶対、投票はしないな。
たぶん違うと思うけれども。


365 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 13:21:09
>363
やっぱり明治の政治家でもそれは同じなんですか?
売国したんですか?
レベルの低い質問ですみません。」

366 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:15:56
あの頃はあの頃だよw
どうせこんな国になるのは運命だったのよw


367 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:00:10
>乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。

正攻法転換の決定は誰がしたと思ってるのかと。
どうせこれについてもゴチャゴチャ言ってくるんだろうが。

まったく意思表示しなかったとか、へーそんなにおしゃべりなのかとか、
両極端すぎだよあんた。

368 :下駄さん:2005/08/15(月) 22:17:08
376よ、それは違うぞ。
正攻法転換を乃木が決定したということはいうが
しただろう。乃木の人間であれば飯も食ったし、屁もこいた。
ましてや第三軍の司令官であればその行動について
許可することは当然ではないか。どこの世界になにも行動を
起こさない人間が存在しえるのか。そんなことを論点にしてるのでは
ないじゃないか。予想通りごちゃごちゃやってやる。
正攻法転換も白襷隊も乃木がやった。他にも沢山やっただろう。
で、どうした。何を確認したい。

369 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:24:06
>>368
未来へレスする不思議な人へ。レスは過去へとするものだ。覚えておきなさい。

>乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。

結局これは一体なんのことなのかと。正攻法転換は乃木の決断で行われたし、
白襷隊もそうだ。こういうことを知っていて、なおも「意思表示をしなかった」
と宣うなら、勝手にしなさい。君は倫理的思考ができないということだ。

370 :下駄さん:2005/08/15(月) 22:40:03
369)
はははそうだね。367だったね。ごめんごめん。
誤字もあったな。まあ許せよ。
どうも会話が噛み合わないし、この論法で続くなら
ちょっと慎重に書き込むようにするよ。ちょっと待っておれ。
時間つぶしに「おしゃべり」発言もきに要らないようだが、
前、書いただろう。屁にもならない発言は「司令官」としての
意思表示などではないと。
それで「鶴の一声」で決定したなんて、無理があるだろう。
紛らわしいからなんか名前つけろよ。

371 :下駄さん:2005/08/15(月) 22:59:18
376よ、まだ名はないのか。
いや、あれから色々考えるのだが、旨い表現ができないよ。
乃木の人間であれば飯も食ったし、屁もこいた。
では納得できないのか。
乃木が第三軍の司令官として、司令官としてだよ。
意思表示する「場」とは参謀の詰め所では
たんなるお喋り、雑談であって、もし、それが
根回しというのならば、なぜに行動に反映されないのか。
それを業務にさしさわるといって相手にされない司令官とは
なにか。
それでも意思表示を「一切しなかった」にこだわるのか。
元々の論争の発端は乃木第三軍が大本営と総司令部に
強要されて旅順強行攻略を強いられたというものではなかったか。
別に話を変えているわけではないからな。

372 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:59:40
君達ロシア軍人に忠告しておこう!
満州、朝鮮はアジアだ!!
君達白人が支配するのは間違っている!!!
われわれ日本人はどんなに血を流しても
必ず君達ロシア軍人をこの満州から駆逐する!!!!
命を惜しむなら早々にロシアに帰りたまえーっ!!!!!!!

373 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:37:41
美 美
し し
い い
國 國

ロ 日
シ 本


374 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:38:34
ず。ずれた・・・・・・

375 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:08:52
203高地の白兵戦、マッカーサーがビールとポップコーン片手に観戦してた

ってマジですか?

376 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:23:59
>375
本当だ
その前にハンバーガー2個も食っとる

377 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:09:53
マッカーサーってマザコンだってね。

378 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:39:27
ず。ずれていく・・・・・・

379 :雪駄:2005/08/16(火) 08:44:17
>>370
>屁にもならない発言は「司令官」としての意思表示などではないと。
>それで「鶴の一声」で決定したなんて、無理があるだろう。

だんだん分かってきたが、下駄さん、その鶴の一声が出た場所とか情況とか
わかってないだろう。
第一回総攻撃が失敗に終わったあと、軍司令部参謀が起草した正攻法案を
採用するかどうかを議題として、軍参謀、各師団参謀長、砲兵部隊長、各
工兵大隊長などなどが総出の会議で、各師団の参謀長が軒並み正攻法案に
反対、ただ工兵大隊の長が一人賛同、議論六時間に及ぶも軍参謀長が決を
採りかねている情況での結論の言葉だ。

380 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:51:53
11月に二百三高地攻撃転換する直前、東北正面を軍司令官自ら第9師団の一部を
率いて落とそうと意思表示もしている。

その司令官の意思表示に軍上層部は反対したけどね。
つか、旅団程度を軍司令官自らが率いるなんてとんでもない話し。


381 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:40:04
>>380
ただのハッパかけ。
前線指揮官に躊躇あれば軍司令官自らいく、というのが意味するのは、
命令を実行せよという厳命。
むしろそういうのを額面どおり受け取るのがとんでもない話なんで。

奉天の時、総司令部から児玉大将が電話で督戦してきた時の話。
児玉「お前は誰か。軍司令官を呼べ」
これでハイハイと軍司令官を呼ぶ参謀は失格。
当然、代理として参謀長が電話に出た。
380ならハイハイと軍司令官を呼ぶのだろうか。

382 :380:2005/08/16(火) 12:04:57
>>381 あぁごめんごめん 11月の第9師団の一部を率いる話しは
二百三高地攻撃開始後だ。間違ってごめんね!

第一師団方面の前線指揮官は全然関係ないよ。どこにハッパかけるの?
戦線に参加していない第9師団の方?

額面通りって、増援部隊を軍司令官自らが率いようとしたんだがね。
こんな司令官だから意思表示がなかったなんて事はない。
誤った指摘がある場合は突っ込んでくれないとw



383 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:12:19
正攻法でいかねば死者はもっと出ただろう。
問題なのは無駄な白兵戦をしたということ。
28サンチ砲の到着を待って総攻撃をしていたならば死傷者は激変しただろう。


384 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:35:26
>>382
なんかよくわかんないんだけど、だいぶ混乱しているんだね君。

上の者がハッパかけのために非常識とも思えることを言うというのは、よくあること。
これも奉天の時だけど、満軍司令部は第三軍に限らずあちこちの軍司令部に、「よその
軍はもうどこそこまで進んだぞ、お前のところは何をしている」とハッパをかけまくっ
たそうだ。実際にはまったくそんなことはなかったというのに。

385 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:40:04
軍司令官って、別にあれこれ指示する必要はないと思うんだよ。
命令は厳命する。軍司令官の役割は、そういうものではないだろうか。

「敵は大勢、援軍はない。軍司令官は寝るしかないではないか」とか
言ったのは誰だったかな。

386 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:09:32
>>383>問題なのは無駄な白兵戦をしたということ。

第三軍に渡された初期装備ではどうしようもない。
第一回総攻撃は、二十八糎榴弾砲が必要であると決断されるために必要だったとも言える。

387 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:47:15
>>386
それは正しい。いずれにせよ、どうしようもなかったって事かな?


388 :380:2005/08/16(火) 18:52:04
>>384

>、「よその軍はもうどこそこまで進んだぞ、お前のところは何をしている」とハッパ

そういうハッパなら納得するけどさ、他の師団から抽出してそれを「軍司令官」自ら
率いて攻撃するなんてハッパなんて異常な事はないよ。

389 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:55:22
>>385 
>軍司令官って、別にあれこれ指示する必要はないと思うんだよ。
>命令は厳命する。軍司令官の役割は、そういうものではないだろうか。

へー命令が厳命でなかったら、当時の日本軍は命令は守らなくていい体質だったのか?
想像で話しをするにしても一回調べてから来た方がいいんでないか?


390 :下駄さん:2005/08/16(火) 19:01:32
おっ!来てるな。雪駄としたか。
朝、出がけにチェックしたときにかなかったんで失礼した。
よし、>乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。
は、間違いだったと認めよう。これでいいかな。
下駄は「乃木司令官は意思表示をした」と認めた。
他に俺が宣った点で訂正することがあれば言ってくれ、
第三軍は総司令部、大本営に強要されて旅順攻略をやった点
とか
雪駄のスタンスも、よければ聞かせてくれ。
「マンガさん」で来るかと思ったが、履き物できたか。
恐るべし!雪駄。

391 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:09:59
>>389
>へー命令が厳命でなかったら、当時の日本軍は命令は守らなくていい体質だったのか?
>想像で話しをするにしても一回調べてから来た方がいいんでないか?

どこで誰が、「命令が厳命でなかったら、当時の日本軍は命令は守らなくていい体質だった」と主張しているのか?
他人の主張をあんたの勝手な想像で膨らませる前に、頭冷やしてから来た方がいいんでないか?

392 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:31:34
まとめると、もともと陸軍には旅順を落とす予定はなかった。
だが、海軍の要請で急遽旅順攻略が決まった。
これは、海軍が黄海会戦において旅順艦隊の無力化に失敗したからだ。
はじまりは、海軍の作戦ミスの尻拭いをさせられたためであった。
旅順要塞についてはもともと落とす予定になかったため過去のデータしかない。
しかも、必要な弾丸も足りない。この情報不足、弾丸不足というなか、
三度に渡る総攻撃が行われ、半年の月日をかけて旅順要塞を陥落させた。
まあ、日清戦争時代の要塞ですら半年かかるといわれたくらいだから、
まして、ロシアのそれを半年で落としたのだから御の字だと思うよ。
ただ、犠牲者の数は多すぎると思う。それに、旅順陥落でどんな
効果があったのか疑問。

393 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:44:28
>>392 黄海海戦が行われた時はすでに8/末までに陥落させる計画を第3軍は
立ててたのでその意見はあまり意味がない。

394 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:18:10
>>392
たしかに、海軍のミスが痛かった。
開戦当初の奇襲が失敗。次いでの閉塞作戦も失敗。
直接封鎖に切り替えたら虎の子の戦艦二隻を一気に喪失。
このあたりで陸軍にお願いしてきたんだっけか。
しかしなんと言っても一番のチョンボは、黄海海戦での取り逃がしだ。
せっかく陸軍が追い出しに成功したのに、正に千載一遇の好機を逸した。
まして旅順港内に再び入らせるなど、一体何をやっていたのだろうか。
しかし、もしも旅順艦隊が海軍の働きで壊滅または遁走していたとしても、
大連を窺える位置に旅順要塞守備隊が健在というのも気持ち悪いものだろう
し、結局攻略戦は開始された可能性は高いのではないだろうか?と思うが、
これは別の話になるのか。

戦死者数は、この程度は必要だったのでは。元々死者一万程度と見積もって
いたというし。実際には約一万五千ほど戦死している。五割り増しをどう評
価するかだが、あれだけ不利な状況でよくこの程度に収まったと思う。

旅順陥落の効果は、いろいろな方面にあったと思う。要塞陥落というのは、
やはりショッキングなことなのだろう。

395 :下駄さん:2005/08/16(火) 21:19:28
393 >
海軍が旅順港に潜むロシア艦隊に夜襲をかけて、要塞砲の洗礼を受けたのが
2月8日。
そこから苦肉の第一回旅順口閉塞作戦を決行するのが5月1日。
第三軍編成が5月31日。黄海海戦は8月10日。
海軍は早い段階で陸軍に要請しているんじゃないかな。
392)の意見は無意味じゃないよ。
329>旅順陥落でどんな効果があったのか疑問。
その被害の甚大さに世界が注目してて、是清の外債応募にも影響した。
米国の講和にも影響した。ってところだろうか。

396 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:10:09
夏目雅子きれいだなww


397 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 13:30:48
>395
>その被害の甚大さに世界が注目してて、是清の外債応募にも影響した。
米国の講和にも影響した。

それが最初っからのねらいだったのかな?
そうだったらすごいな。計算ずくだったんだな
それともたまたま結果的にそうなったのかな?


398 :下駄さん:2005/08/17(水) 13:41:05
残念ながら結果的でした。
ついでに、旅順が堕ちても講和の期待だけが先行していて
結果には結びつきませんでした。
ロシアは猿に負けるなんて夢にも思ってなかったんだね。

399 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 13:55:03
>398 ありがとうございます!
おれは明治マンセーなので
「さすが明治の人間だ・・・戦争上手いんだな」
と期待してしまったが・・



400 :下駄さん:2005/08/17(水) 14:07:23
いや、礼にはおよびません。
「明治マンセー」か、うん、いい目をしている。
今の日本人に一番欠けているのが明治の心意気だよね。
確かにとんでもない奴もいたのだが、
みんな愚直で純粋で一生懸命な清さがある。
ロシアはこれに負けたのかもしれんよな。

401 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:17:54
敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレ共浪高シ。


402 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:20:25
かっこよすぎ!!

403 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:57:45
つまらんのう。
御盆休みはまだ終わらんのか
雪駄よ。

404 :日本人:2005/08/17(水) 21:10:33
>>360 
 正露丸。正しくは征露丸。日露戦争時軍医部長だった森鴎外がドイツのクレオソート
と日本のオウバク、ゲンノショウコ末を混ぜ合わせ軍用の携帯薬品とした。
 第二次大戦に敗戦した時、大幸薬品の社長が「征露丸ではまずい、正露丸にしよう」
ということになり現在に至る。この社長自分を高く買っていて、征露丸を名乗って
いたので俺も戦犯か?と戦後悩んでいたそうな。バカ。

405 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:55:43
>>404
社長おもろいので、A級戦犯にしてあげるべきで


406 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 10:48:50
>>405
まあ、「比島決戦の歌」の作詞者西條八十もしばらくは逃げ回っていたと言う噂だしな。
地獄に逆落としにするはずの相手が占領軍総司令官で来てしまったんだから。(w

407 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 15:23:57
うちのじいさんなんて、ただの一般市民のくせに
「男は金玉ぬかれる」とゆう噂にかなりびびってたらしい。

408 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:44:01
備蓄弾薬が空になるまで撃ちまくったのに白兵戦に拘泥して大損害とは片腹痛い。

409 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:48:18
>旅順陥落でどんな効果があったのか疑問。

旅順を陥落させないと第三軍が奉天会戦に参加できない。
打ち捨てていけば側背を突かれるし旅順港の海軍も健在。


410 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:31:02
>旅順を陥落させないと第三軍が奉天会戦に参加できない。
>打ち捨てていけば側背を突かれるし旅順港の海軍も健在。

あれだけ、海軍の要請を突っぱねておいて
これを旅順攻略の効果の疑問にするとちょっと苦しくなってこないかい。



411 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:18:08
>>407
負け戦のあとはかなしいばかりだね。

412 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:06:21
>>410
大東亜戦争に比べれば陸軍と海軍はよく協力しているように見える。
だから苦戦しながらも勝利したと思う。

413 :下駄さん:2005/08/19(金) 06:06:54
>「男は金玉ぬかれる」

なるほど
JHQは確実に金玉をぬいたんだろうな。

414 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 10:19:40
>>413
JHQって(ジェフ)ウイリアムス・橋本・藤川(球児)の中継ぎ陣のこと?

415 :下駄さん:2005/08/19(金) 15:23:49
Japanese Hurt Quality
(日本人の品質を肉体的精神的に傷つける)計画じゃ。

もっと早くツッコミいれんかい。
焦って辞典調べたと思われるじゃろうが!

416 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 16:19:01
初心者の俺の質問 1
明治時代 一番強い(といわれた師団)は
やっぱり東京師団?


417 :下駄さん:2005/08/19(金) 16:54:29
井上光が指揮した九州の第十二師団が一般的強いとされた。
ここには木越という旅団長がいて、困ったときにはどこからでも
駆けつけてくれるシブイ親爺さんがいた。その後、(第五)師団長に昇進してしまった。
ワシ的には、同じ第一軍の西第二師団が強いと思う。
岡崎旅団と松永旅団で構成されている夜襲のプロ集団。そそるのー。

418 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 19:30:35
第三軍に属する東京第一師団は早くから203高地を攻めている。




419 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:14:55
第三軍にまわされた師団って
なんか気の毒な気がする。

420 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:31:04
9月5日から東京第一師団は203高地を攻撃し始めている。
しかしそんなに簡単には落とせない。
あとは死傷者数がその現状を表している。

421 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:00:44
>>417
仙台二師団が「鈍い」という定評があったことは、多門二郎氏の
「日露戦争日記」41ページにもあったが、それが夜襲のプロとは如何
なるものか?その夜襲における訓練内容とはどがいなもんか?周辺視や
暗調応の訓練は充分やったんか、どうか?しかも、その後の日華事変でも、
冬季作戦で、李宗仁軍に敗れた仙台十三師団、中でも周辺警備隊が、敵の
夜襲に首を切られ、兵隊が拉致された例もある。長沙作戦でも、敵の
夜襲に苦戦し、救援したんは、広島第三十九師団。
黒溝台の夜襲や奉天の激闘で武勲を立てた頃の広島第五師団は、
木越師団長じゃったのう。そもそも第一軍は、正面での激闘をしたんか?
東北地方の鈍重師団にそそるのーとは、おめでたいのう。
遼陽で激闘した名古屋第三師団や奉天一番乗りの大阪第四師団に比べても
どうかのう。

422 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:44:18
>>421
貴殿は
地理・お国自慢板
「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」
の「205」さんではないですか?
いつもROMらせていただいてます。
たしかに広島第五師団はすごいとおもいますよ・・・
けど他を「鈍重師団」って・・・
広島賛美のために他をぼろくそに言うのはどうかと思いますが・・・


423 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 04:20:39
東映「二百三高地」のテーマ曲「防人の詩」を作詞作曲して歌まで歌ったあの人
貞馬刺は、同じミュージシャン仲間から総スカンをくらった。戦争映画の歌を歌ったからだ。
しかし貞馬刺はこの映画で味をしめ、その後自分で映画を作るが大失敗そして多額の

424 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 08:32:47
>421 奉天一番乗りは熊本六師じゃないの?まあ、無人の街に乗り込んだだけだから
あまり意味はないが。

425 :下駄さん:2005/08/20(土) 08:47:42
421>よ、俺にからんどるのか。
言っておくが、今日は昼から大江戸博物館に行くから時間制限があるぞ。
で、なんで日露戦争の話に日華事変が出てくるんだ。

ワシはよ、どこの師団が強いかと聞きなさる人がおったから
一般的に久留米(九州)の第十二師団が「強い」言われた。
ワシ的には弓張嶺の「夜襲」や「饅頭山」の攻防戦での岡崎旅団そして
西師団がしびれるいうたんじゃが。

なんで、>第一軍が正面で激闘せにゃらならんの?
よう。わからん事をいうのう。
「鈍重師団」ってなんじゃ?


426 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 10:15:54
>>421
鈍重だと!? ふざけるな。弱小の間違いだろ?

427 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 10:51:20
>>422
そうです。205です。東北地方兵団を「鈍重師団」とゆうたんは、
わしが子供の頃、戦争体験者、親類や地元の方々からよく聞いた話です。
日露戦争に行った曽祖父の時代から東北兵はニブイ・ノロイと定評が
あったそうで、それが多門二郎氏の「日露戦争日記」のP41に
書かれてあったので、広島だけでいわれた事でないと確認出来たのです。
まあ広島は、宇品港から全国の多くの兵が出兵した土地柄ですから、
当時、さまざまな地域の兵の質を評価しておったそうです。
しかし、他スレでもそうですが、近畿地方の兵団について、多くの人達が
ぼろくそにけなしても、許されるようですが、東北地方兵団は許さんと
言うことになるんですかねえ。
>>424
熊本第六師団が一番乗りとは、司馬氏が「坂の上の雲」に書いたことで、
ありゃあ小説ですよ。
>>425
からんどる、いよんなら、そう解釈すりゃあええわいのう。

428 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 11:16:40
>>427
まあ、善意に解釈すると「鈍い」「のろい」だけに倦まず弛まず取り組むと言うことで容易に敗走しない
という評価ができないこともない。
戦国時代の尾張兵に対する三河・甲斐・越後の兵隊の強みと一緒だな。
故に「一撃必殺、攻めに回ると強力だが受けると脆い九州兵」「攻めは鈍いが守りに回ると粘り強く飽
きずに戦う東北兵」という評価がされていたわけだ。
もっとも、かつて存在した某ゲーム雑誌は第25軍を「(広島・筑豊の)最強893者タッグと虚弱ボンボン
で編成された3個師団」と表現しておったなあ。半ば冗句なんだろうけど。
時に、同じ中国地方でも第五師団と第十師団では評価が違うんだろか?
第五師管が広島・山口・島根で第十師管が岡山・鳥取だっけか。

429 :427:2005/08/20(土) 12:39:42
>>428
戦地で補充兵の戦闘訓練の教育をした方が曰く、北陸、東北、北海道の
兵は部下として従順であったそうです。しかし臨機応変さには欠ける。
帝国陸軍が求めた「忠誠心」という意味では、最高の兵士じゃったが、
世評と違い実際には、東北兵が守備、防御に強かった訳では無く、
仙台13Dの長沙作戦における防御戦でも、陥落寸前になったが、
夜間攻撃を受けた兵士が不安にかられ発射し、それが口火となり、敵影を
確認せず夜通し乱射となったように集団主義的です。
防御戦では、個人の戦闘能力、数名に孤立することもあり、命令を待たず
行動出来る自己判断能力が必要となる。最も防御戦闘に「実績」を残した
のは、広島の部隊です。今村均将軍がいわれた「広島の兵は気がきいて
いてズルくさい」という要素が重要でしょう。
近衛も実戦なれしてないが、弱くは無く、広島師団兵の勝気な性格は
姫路師団(兵庫、鳥取、岡山、島根東部・日露戦では岡山東部、島根全域)
では薄くなるでしょうが、世評は別としてなななか健闘しておる師団です。

430 :下駄さん:2005/08/20(土) 12:41:50
ほう、250と言ううんか。
味気ない名前じゃのう。もっと、いい名前を付けてやろう。
250よ。お前は今日から「ミイ」じゃ。樋上君。
「紙屋町」でもいいぞ。好きな方を選べ。
それで、なんで第一軍が正面激突しなかきゃならんのよ。
木越ももともとは第軍の旅団長だろう。
その採点評価スタンスを是非披露してくれよ。

431 :下駄さん:2005/08/20(土) 12:47:48
木越ももともとは第(一)軍の旅団長だろう。
抜けた。いちいち突っ込まんといてね。

432 :427:2005/08/20(土) 15:17:37
>>430
わしゃあ250じゃのうて、205じゃ。
下駄さんよ、あんた、なんじゃあ、樋上氏をミイじゃ、打越氏を
紙屋町じゃ、まあ場所は紙屋町ゆうより中の棚じゃろう。
あんたあ、なんよう、美能氏の手記を元にした「仁義なき戦い」を
読んでゆうとろう。任侠の世界の評価は別じゃろう。ほいで、樋上、打越
両氏が一般庶民の堅気の人に悪うした、ゆう悪評は、聞いとらんど。
嬉しげに、故人となられた両氏の名を使いんさんなや。失礼じゃろう。

正面で激闘しとらんのなら、しとらんゆやー、ええことじゃし、
何がおもしろうて、わしに突っ込むんかいの。わしゃあ、広島5Dが
2Aや4Aで困難な激闘したんに比べ、1Aはそれほどじゃあない、
ゆうとる。木越氏は、広島5D長のなかでも、名将として評価は高い。

433 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 15:39:03
しばらく見ない間に、なんかまたすごい人登場

434 :427:2005/08/20(土) 15:41:56
>429島根全域は間違えて書いた。
日露戦争時の姫路師団は(兵庫、鳥取、岡山東部)で、日華事変の時は
(兵庫、鳥取、岡山、島根東部)
広島師団は日露戦(広島、山口、島根、岡山西部)で、日華事変の時は
広島、山口、島根斐伊川以西)です。

435 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:05:48
要するに、全部の師団が広島人だったら日露戦争はハルビンまで行けたし太平洋戦争はワシントンま
で行けたのだ。広島人最強! 広島師団最強!
それを東北人や九州人が足を引っ張ったばかりに日露戦争では奉天まで行くのがやっとだったし太平
洋戦争なぞは無様にも負けてしまった。
連合軍がどれだけ広島師団を恐れていたか、という証拠の一つが当時二発しかなかった原爆の第1号
を広島に落としたことだ。
日本人たるもの、最強の兵の集う街広島を讃えることを一日一時たりとも忘れてはいかん。

436 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:28:46
>>427(205)さん はじめまして。
郷土の〜も読ませていただきました。ご親戚、地元の話なども含めて205さん
の知識に驚きました。
そこで質問させていただきたいのですが。
私の親戚が「父が日露戦争で旅順に行った」と言うのです。
しかし親戚はみな広島県福山市なのです。普通に考えれば旅順には行ってないはず。
別に将校とかでもありません。戦争当時は18,9歳です
私はその人の勘違いだと思ってるんですが。しかしその爺さんは自身満々です。
勲章?記念品?も見せてもらいました。
それとも福山→善通寺とかの越境入隊があったのでしょうか?
お暇でしたらレスください。



437 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:54:08
>>435
すごい皮肉だな。


438 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 18:49:55
越境はないと思われ。
しかし兵隊ではなく雑役とかではあったかも。
日露戦争に行った=旅順に行った  と表現したくなるくらい
旅順は激戦地だった。

439 :下駄さん:2005/08/20(土) 19:31:17
馬鹿がひょっとこ面しょって
何を言うとるんなら、そりゃ木越はええよ、木越もワシ好きじゃあ。
もう変な広島弁に合わしていると顔の電気がつくな。
こういう場合は標準語で言ったほうがいいなだろう。
>何がおもしろうて、わしに突っ込むんかいの。

こんな面白いことがあるかい。ヘソが午後の紅茶を沸かしたぞ。
自前で絡んできて、なんだこれ?ミイ世間が見えないか。
それともなにか「県民別」とかの雑学ネタ本で読んだ勢いか?
そういう「お国自慢友の会」編集本はもとネタの積み重ねだから
・・・どうしたもんかね。面倒臭くなってきた。
まあ。何しろ登場の仕方が品がなっかっただけだ。ツッコンだのが
不服なら以後気をつけろよ。もうからまないから。
せっかくの師団の話がお前のせいで広島がストップ安じゃ。
だあれも第五師団の悪口はまだ言ってなかっただろうに、のう。
それでも突っ張るなら、いつまでも、トコトンいくよ。
暇だし。

440 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:27:50
>>429

大阪の師団はどうだったの?

一般的には弱いと言われているけど、第二次大戦時のような
上層部が無能揃いの状況では、その本領を発揮したと何かの本で
読んだけど。
(上層部からの命令にあえて従わず、状況に応じて臨機応変に
対応したらしい。)

441 :427:2005/08/20(土) 22:10:44
>>436
当方こそ、はじめまして。広島5Dは旅順、大連港から帰還したので、
旅順をなつかしく思われたのでしょう。他の方の言う旅順が、
激戦地云々はこの事とは関係がないでしょう。しかも、広島5Dは
奉天で最も前面で激闘し、感状を貰っておりますし、個人プレイが
健闘に結びついたので、個人感状も多く勲章を貰われたのでしょう。
>>440
大阪師団は、日露戦争でも、南山の激闘もあり、
満洲軍作戦参謀松川大佐の兵団評価でも大阪師団は「能く働く」と
あります。もちろん比島や中国戦線でも武勲があります。ただ日本軍が
負けると予測出来た戦闘には古参兵の入院と言う合理的出動拒否もあった
ので、評価を落とした部分がありました。そのような事で、大阪師団を
「おとぼけ師団」と愚弄したのは、元仙台13D、関幸輔氏の現代史研究
「日本一弱かった師団」です。じゃあ、仙台はさほど強かったかどうか?
と突っ込みたくなりますね。

442 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:28:29
> 広島5Dは旅順、大連港から帰還した

旅順大連は、それぞれ遼東半島の東端と南端に位置する港だ。
なぜわざわざ旅順港なんて辺鄙な場所から帰還する必要がある?
素直に大連港から帰ったとしか考えられないが。

443 :427:2005/08/20(土) 23:35:13
>>439
ほいじゃあ、わしもぞんざいな古きよき広島弁を使わせていただく。
あれほど、故人を馬鹿にする、くそ外道みたいなマネはやめい、ゆう
とるんで。両氏じゃのうても、わし自身の知人や親類の幼馴染、友人や
色々とあるが、そりゃあ書けんし、板違いじゃ。こんな、タコの糞が頭に
張り付いとるんか。おどれは、わしの広島弁が変じゃ?わりゃ、広島弁を
知っとるんか。われの広島弁は、なっとらんのう。広島弁でも品性ゆう
もんがあるんど。牛の糞にも段々ありじゃ。(物の値打ちの違いの事)
ほいでわしの事をお前じゃ?何が悲しゅうて、わしゃ、われにお前
あつかいされにゃあいけんのんか。おどりゃ、人をおちょくっとるんか
思うど。「県民別」やら、「お国自慢友の会」たあ、なんなら。よう
解るようゆうてつかい。
わしら、広島の先輩らは、日清から先の大戦迄えっと(多く)血を
流しとるけんのう。じゃけえ、わしも、かばち(文句、言い分)たれ
させてもらうわい。文章は、ささらもさらに(支離滅裂)なって
しもうたが、下駄さんに対するサービスじゃ。日清〜戦前の広島、呉の
話ならよいが、じゃが前半の文に書いたクソ外道みたいなマネはすな。
忠告しとく。

444 :427:2005/08/20(土) 23:48:34
>>442
旅順港じゃないが同地域の遼東半島で、距離を考えよ。
それと明治44年に広島5Dは、旅順〜天津の警備にもついております。

445 :442:2005/08/20(土) 23:54:40
>>444
距離を考えたから、「旅順、大連港から帰還」なんて言うのはおかしいと
言ったんだがね。

明治44年に旅順〜天津を警備?
>「父が日露戦争で旅順に行った」
という事について話をしているのに、明治44年の事案がどう関係するのか。

ちなみに私は方言にはさっぱりついて行けませんので、どうぞご容赦。

446 :元 福山人:2005/08/21(日) 00:24:27
>>427(205)
後で言うのも恥ずかしいのですが、私の考えの中に「旅順港から上陸、もしくは
旅順港から帰還した」→そのことを旅順に行ったと言ってた。
というのも考えていたので、まさに427(205)さんの意見にすごく納得
しました。
「広島5Dは旅順、大連港から帰還した」という事実は初めて知ったし、まさに
それだと納得しました。実際叔父は「父親は旅順港(口)?行った」と言ってたし。
このことはまたその叔父(80歳)と話してみようとおもいます。叔父も喜ぶと思います。

ところで私(15歳まで福山、以後東京)も福山時代は色々戦争の話を聞いたり
しましたが、福山もすごく戦争でいろいろあった所みたいですね。空襲あったし。
広島で被爆されたかたもたくさんいたし(親類、学校の先生・・・)
戦地での悲惨な話(いろんなもの食べたとか)
子供の時いろんな話を聞きました。
そんな話を思い出すと、「広島の師団ってよほど困難な戦地に行ったんだな」
とつくずく思います。軍のお膝元?だったから仕方なかったのかもしれませんが。
まあ広島と福山では違いがあるんでしょうけど・・
長年の疑問がとけました。本当にありがとうございました。



447 :442:2005/08/21(日) 00:46:05
>>446>「広島5Dは旅順、大連港から帰還した」という事実

あら事実認定ですか。自分としては、どうだかな〜?と思ってる。
旅順−大連の間って結構距離があるので。直線で50キロくらい?
曲がりくねった線路や道路などでは70キロくらいはあるのだろうか。
「大連港から凱旋」というのなら事実だろうが、これで「旅順から凱旋」
とはちょっと言い方が違いませんか、ってとこだろう。

ところで、その旅順に行ったという人は、どの程度の年齢だろうか。
旅順攻略戦が終了したあとと思うが、後方兵站を担った遼東兵站部
の歩兵部隊の一つとして、後備歩兵第四十一連隊がある。
後備兵として行ったというのならば、この部隊の可能性はあるかと。

448 :元 福山人:2005/08/21(日) 00:59:28
>>447
事実認定っていうか。205さんよく知ってるし。
でも442さんも色々考えてくれてありがたいです。

叔父(私の母の姉の旦那です)は80歳で
その人は40歳のときの子供です。だから当時たぶん18,9歳では


449 :442:2005/08/21(日) 01:38:13
>>448
では後備ってことはないですね。

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」の弟が、実は旅順に居なかったとか
なんとかという話に似通ったものを感じたのでちょっと拘ってみました。

ざっと見ただけだけど、旅順港は凱旋には使われていなかったようです。
攻城砲兵部隊関連かなあ、などと思い半ばに、さすがにもう寝ますわ。

450 :元 福山人:2005/08/21(日) 02:03:05
>>449
後備だともっと歳とってるてことなんでしょうね。
まあ でも、まじでありがたいですよ。
そんな他人のことで色々考えていただいて。
427さんも442さんもほんとありがとうございました。
俺、実は少し涙ぐんでしまったよ。
叔父とは福山帰ったらいつも話すから、なんとなく伝えとくよ。

ちなみにその叔父さんの父親なんだけど
最後は80歳だかで「もう十分生きたから」って絶食して死んだそうです。
すごい最後ですよね。
これからも、ここ読んでますね!では!

451 :元 福山人:2005/08/21(日) 02:11:17
あと私は日露戦争は興味あるけど、そんなに詳しくないので
まあ色々な本読んだりしてますが。
もっと私がーーーと思うのですが。
ご迷惑おかけしてすみませんでした・・・・・・

452 :427:2005/08/21(日) 02:18:15
>>442
揚げ足とりですか。遼東の「東端」は丹東で朝鮮との境であろう。
滞在日数と距離から、旅順、大連と言う表現が、さほどおかしいですか。
>>446
福山第41連隊の日露戦争時の資料が無いので、絶対に旅順に
行かれたとは断言出来ませんが、広島第11連隊のものにも、
10月21日、汽車輸送で大連に向かい、同地にしばらく滞在。
師走(12月)の28日に大連港〜明治39年元旦宇品港とあります。
広島師団ほど、よく使われた師団(戦歴)は他に比類をみないと
今村均将軍や伊藤正徳氏はいわれましたが、更に福山連隊は、広島師団
から離され悲惨な戦闘を経験しました。わしの親類も、広島連隊入隊と
福山連隊入隊の方もおりました。福山に住まれておった親類の方は
某大学卒業後将校となり、部下への責任感から(一兵卒なら違ったと、
うかがいましたが)某戦地にて散華(戦死)です。そして苦闘も軍都の
お膝元故でしょう。
>>447
後備41iが、旅順へ行ったと言う資料は持っておりませんので、
可能性については解りません。

453 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 03:48:58
>>441

440です。レスありがとうございます。
色々と勉強になりました。

454 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 03:55:24
わしもromってて少しウルウル気味になったアゲ


455 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 04:10:43
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456 :下駄さん:2005/08/21(日) 07:11:57
427よ。
>明治時代 一番強い(といわれた師団)は ?
という質問が発端だったんだろう。
そこになんで日華事変の話や大東亜戦争の話が出てくるのか
と問うておる。それを含めて「鈍い」という定評を持ち出して
いるのは「全国県人別雑学なんとか本」の類ではないか。と
指摘しただけだぞ。それでいくと広島県民は根気がなくてダメとか。
岡山県民は小狡くてダメとか。山口県民は大言を吐くばかりでダメとか。
鳥取県民は出不精でダメかと。島根県民は米よりパンを好むからダメかと
なるではないか。お前がいくら郷土愛に燃えようが、そのために他地域の
ことを性質で批判すれば贔屓のひき倒しになることがわからんのか。
↑上の書き込みを見てみろ。洒落なのかどうかはわからんが大分の選挙権
がある人間には悪影響だと思わないか。
さらに問う。なぜ、「ミイ」とか「紙屋町」と揶揄されて、わざわざ
出典もとをベラベラ書き込む。この掲示板で知らない人はまったく
知らないネタで、お前が広島だというから特別に贈ってやったんだぞ。
お前が己の知識をひけらかした欲望は理解できたとしても
すべてが逆効果だということが解らないのか。

>故人となられた両氏の名を使いんさんなや。失礼じゃろう。

なんだ、これは? 日露戦争に従軍した兵士はみんな故人だぞ。
お前が言うとおりように堅気の衆に悪さしなかった人だったら
別に怒らなくても胸を張って「ワシはミイじゃ。紙屋町じゃ」
といえばいいだろう。都合のいいときだけ故人を持ち出すな。
お前の話は尻滅裂で俺にはちっとも忠告にならないな。
サービスしてくれて有難う。誤字を指摘してはいけないぞ。
昨夜は遅くまで張り付いていたのか?早く起きろ。

457 :442:2005/08/21(日) 10:06:35
>>452(427)
>揚げ足とりですか。遼東の「東端」は丹東で朝鮮との境であろう。

遼東半島の東端、というのは思い違いだった。
大連湾と金州湾に挟まれて狭くくびれた地峡から先の突端部の東端と西端、
という意味で書いたが、たしかに遼東半島、という呼び方は相応しくなかった。

>滞在日数と距離から、旅順、大連と言う表現が、さほどおかしいですか。

おかしいですよ。「旅順、大連港から帰還」ってのは。
こちらが大連湾金州湾の地峡以西の地域を遼東半島と呼んだ程におかしい。
大連港のある辺りを指して旅順など、絶対言わないでしょ?
直線距離にして50、道程としてなら70キロは離れているんだから。

公刊日露戦史によれば、凱旋帰国のために使用されたのは大連と柳樹屯とあるので、「旅順、大連港から帰国」というのが、「旅順港」という意味なら、
それは間違っている。そして凱旋帰国の最中に大連・柳樹屯辺りに滞在した
ことを「旅順に行った・居た」というのならば、それは言い方が違ってませ
んか、ってものだ。

元福知山さんを置いての話になってしまっているのは申し訳ない。

458 :427:2005/08/21(日) 13:44:56
>>456
「鈍い」日露戦争日記のP41じゃゆうて書いとろう。
わしゃは、県人別の類の本は読まんし、巷でゆう県民性は信用せん。
広島県民は根気がない?根気がのうて持久防御戦に実績を残せるんか。
今村均将軍も「今更ながら広島人の粘り強さと闘志に感じ入った。」
と述べておられる。戦場でこそ真の郷土性が出る。
わしゃは知識が足りん。故に調べようとするんじゃ。
日露戦争で散華された方々と都合云々?何の関係があるんか。
>胸をはって。そがいな事出来る訳なかろう。故人の名を騙り、
しかもあだ名を使うんは非礼なことじゃ。
>サービス有難う。始めて下駄さんから礼儀正しい言葉をいただいた。
どういたしまして。
>>457
近い地域という意味で使いましたが、確かに誤解を招くし、正確では
なかった。「大連港から帰還」と訂正します。
442さんを誤解し、わし自身が揚げ足取りをしてしまった。442さん
自らの文に誤りを認めておられるのに、わし自身はつまらんことをした。
これも我が未熟な人間性ゆえ、反省しております。

459 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:08:09
迫撃砲って日本軍が考えたの?

460 :459:2005/08/21(日) 17:14:14
おっとスレ違いのようでしつれいしやした

461 :下駄さん:2005/08/21(日) 17:24:00
分かった分かった。427よ。
お前さんが広島に誇りを持っていることは十分わかった。
で、ちょっと質問があるんだが、いいかな。

迫撃砲って日本軍が考えたか?
南山坡山 (      )読み方がわかるか? 
そこから旅順港は見渡せたか?
お好み焼き、焼きそば、たこ焼きのソースは使い分けているのか?
それは特定のブランドなのか? 野球は断然!広島カープなのか?
牛の糞にも段々があるというが、自分としては何段目か?
未熟な人間性を反省することが日に何回ぐらいあるのか?
今度の選挙では広島6区の亀井静香を応援するのか?
「祭」と聞くと「血」が騒ぎ特攻服で出かけてしまうのか?
地場産業として広島に本社のある会社の株を持っているか?
帰省したときに友人・親類以外の大人に言葉使いを注意されたことはあるか?
妹に「サラのカラーテレビ買うちゃるけん」といったことがあるか?
推敲(      )読み方がわかるか?

以上、制限時間130分。

462 :459:2005/08/21(日) 17:42:37
1・知らんから聞いた。2.なんざんはざん?3.いったことないので
4.もちろんだ。99ショップのソースだ。野球は巨人だ。
5.最上階だ6.いつもだ。しかしここで未熟な人間の質問にも答え
てくれる下駄はすごいと思う。最近は漫画で日露戦争に興味を持つ
奴多いからな。ここが一番親切。他でこんな質問しても馬鹿にされるか
怒られるだけだ。
7.ほりえもんだ。が、おりはまだ権利なしだ。
8.チャリでな!9.無い10.ある11.テレビは普通カラーだ。
12.(とかげ)だ


以上だ

463 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:45:28
>459
イイ子してなさい。

464 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:54:41
つうか迫撃砲
距離短い大砲だよね

465 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:57:53
軍事スレみたいなとこのほうが

466 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:01:26
>>458
要するに、

435 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/08/20(土) 16:05:48
要するに、全部の師団が広島人だったら日露戦争はハルビンまで行けたし太平洋戦争はワシントンま
で行けたのだ。広島人最強! 広島師団最強!
それを東北人や九州人が足を引っ張ったばかりに日露戦争では奉天まで行くのがやっとだったし太平
洋戦争なぞは無様にも負けてしまった。
連合軍がどれだけ広島師団を恐れていたか、という証拠の一つが当時二発しかなかった原爆の第1号
を広島に落としたことだ。
日本人たるもの、最強の兵の集う街広島を讃えることを一日一時たりとも忘れてはいかん。

ってことだろ?
広島人だけ出征させてれば良かったな。本当に日本陸軍はバカだよな。(w

467 :下駄さん:2005/08/21(日) 22:29:25
だめだよ459。せっかく427に質問したのに横取りしちゃあ。
俺も期待してたもんだから途中まで427が答えてくれたものだと勘違いした。
427負けるな!美味しいところを459に持っていかれてしまってるぞ。
栄光の広島師団はもう少しだ。制限時間なんて気にしなくていい。
問題がむずかしかったら新しく作りな直すぞ。
ちょっとウルルンが途中なんで、また、あとで、な。

468 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:55:14
>>417
>井上光が指揮した九州の第十二師団が一般的強いとされた。
あと仙台の第二師団が強いとかはよく聞くけど、
それは、小説とかの中だけの話なんだろうか?
それとも伝説だけが一人歩き?
なんで金沢の第九師団や広島の五師団が強かったとかはあまり聞かないの?
旭川何勝、仙台何勝、東京何勝、広島何勝、久留米何勝 みたいに
はっきり結果でてるから仙台の第二師団や久留米の第十二師団が強いとされてるの?



469 :427:2005/08/22(月) 01:26:33
>>461467
わしも、イルカを見よった。南山坡山から旅順が見渡せたんじゃろうが、
気象条件はわからん。追撃砲、Mortが英語で何の略かも知らん。
榴弾砲やカノン砲、臼砲も車輪接地点より架尾までの距離や、
そこからどの程度の道幅が必要かも解らん。逆に質問するが追撃砲は
砲弾の装薬を外し、雷管だけで撃つとどうなるんか?

使い分けん。ブランドも店で食うんと自宅じゃ違う。白肉を食いよった
んで、今日はソースに縁がない。鯉兵団とは、どの師団か。
糞の話は、まんくそ(縁起)悪うなったら困る。「まんくそ」は関東地方
じゃあ誤解を招く。わしも失態した。反省する回数迄数えん。
わしゃ、経済人を嫌うとる。義理は別とし、株の趣味も無い。
戦争体験者の古老もいわれたが、戦後日本人が経済人化し、精神が
堕落したと思うとる。偉そうなこたあいえんがのう。祭りじゃ、特攻服で
出るんは最近のことで、わしゃは、関心が無い。言葉使いは無いが、いや、
わし自身無神経なんじゃろう。じゃが、テレビで見るタレントらを見て
つかいや。帽子とらんと視聴者の前に出て、他国の食文化を気持ち悪いと
ぬかしあがる。おどれらは、何様かいの。まあ保守、革新の文化人を含め
外道のペテン師らものう。今日は午後5時に知人を敲門した。かばちたれて
しもうた。じゃが質問が多すぎる。

470 :427:2005/08/22(月) 02:47:52
>>468
一般の世評と441で書いた松川大佐のち少将の兵団評価のように
実際とは違います。世評では同じ九州でも久留米師団より、熊本師団の
方が勇猛振りで有名でしょう。
広島師団は黒溝台、奉天と感状を貰い特に奉天では最前線で激闘した。
後の昭和期も師団としては無敗です。マレー作戦でも広島師団は25軍の
最エース師団で中核、近衛師団と久留米師団は準エース級師団です。
名古屋師団も三河、遠江の豊橋連隊も武勲の部隊ですが、それ以上の
武勲は、駿河、伊豆の静岡連隊でしょう。荒々しさには欠けるかも
しれませんが、素質は良い。日露戦争では遼陽の激闘、日華事変でも
富士山のマークは中国人も敬意を持ち強い部隊との認識もありました。

「大東亜戦争 研究室」で検索すれば、各師団が明治以来どのような
戦歴を持っていたか参考となります。さほど、詳しくは無いのですが。

471 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 03:44:04
まあ何勝何敗とか言ったら
五師団なんて日清も義和団の乱でも中心で行ってるわけでしょ?
それで427さんの言うように昭和期も師団としては無敗ならば
勝率10割?(こんなこと書いたらまた広島師団が皮肉られるけど)
それならなんで第二師団や第六師団ばかり有名なの?
海軍の小笠原長生みたいな宣伝屋がいたの?
それとも県民性?仙台の方は派手好きな伊達男なの?
九州男児は防人の血をひいてるからそのイメージ?
まったく分かりません。
まあ俺なんて戦争の表ッ面しか(も)知らないから
偉そうにいえないけどww ただやっぱり地元東京師団ファンかなww
「大東亜戦争 研究室」検索しますね。
レス当分出来ないかもしれないけどまたお話しましょう。




472 :468:2005/08/22(月) 03:55:34
ごめん471=468です

473 :下駄さん:2005/08/22(月) 04:58:42
ウルルン観た後、眠気がおそって寝てしまった。
427よ。少し見直した。また、洒落に絡めて底意地悪い質問をして悪かった。
イヤな思いをさせたなら許してくれ。俺も反省はよくする。
広島の軍団が弱いとかは俺は思っていない。
また、俺が好きな木越安綱が途中で師団長になったんで、注目もしている。
日露の将官クラスとか高級参謀で気にくわない者はいるが、旅団、師団、軍団に
そんな感覚をもてない。深い考察があればまた違うのだろうが、その意義を解せないでいる。

一般論として第十二師団が強いと謂われたのは「九州」というこのなんじゃないだろうか。
俺は特別の思い入れはないな。大阪師団云々ではないが貧しいさが強兵を生むのかな。
都会的でもないしね。すべての選択肢が少ないんじゃないか。悲しいな。
私事だが、司馬が何かの余談に「熊本鎮台」の弱さを書いたものがあったが、
この「熊本鎮台」出身の祖父が幼い頃よく歌ってくれたのが
「熊本鎮台♪糞鎮台♪鉄砲持って♪何処行っとが♪」だった。
踊りが下手で音痴なブラザーがいるように、下戸の九州男児もいる。
出身師団の特徴はあるだろうが、強弱はちょっとわからんねぇ。

474 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:35:35
>>470
> 後の昭和期も師団としては無敗です。

そりゃ、戦争中期以降の装備優秀、戦意満々の英米軍とは戦ってないからのう。無敵じゃな。(w

第一師団はレイテで米軍に負けた。
第二師団は蘭印で勝ったがガ島で米海兵隊、ビルマで英軍に負けた。
第六師団はブーゲンビルで米軍に負けた。
第七師団は一木支隊がガ島で壊滅した。
第八師団はルソン島で米軍に負けた。
第十師団もルソン島で米軍に負けた。
第十四師団もパラオで苦戦した。
第十五師団はビルマで英軍に負けた。
第十六師団は比島で辛勝したがレイテで全滅した。
・・・・・ってやっておったら無敗の師団なんぞ探す方が難しい。
ずっと中国軍相手に勝ち続けた三や十三、緒戦の勝ち戦の時しか戦ってない近衛二や四・五、結局
実戦に参加しなかった九みたいなのしか残らない。

475 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:32:13
「九みたいなの」ってトホホな言われ方だなw第九師団は旅順で頑張っただろ。


476 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:30:46
トピずれだけど、まず真珠湾攻撃の時に陸軍をハワイに揚陸させるべきだった。
それからハワイを占領して、アメリカとの本土決戦を狙えば
少しはいい戦いができたと思う。
なぜ?陸軍は戦線を広げてしまったのか?と思う。
ハワイを軍事基地にすれば海軍もアメリカ本土への攻撃のための燃料を節約できる。
陸軍と海軍が別々に戦争をしていけば、ボロ負けは必至。






477 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:54:21
クマクマ

478 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:54:49
>なぜ?陸軍は戦線を広げてしまったのか?と思う。

例えばそうだな、今、君がやっていることを考えてみよう。
トピズレだけど、と殊勝に断ってはいるが、なんのかんの言っても
やってることは論点の無駄な拡散に過ぎない。
なぜ?476は論点を広げてしまったのか?と思って考えてみてくれ。

479 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:59:42
まあまあー  ^v^

480 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:14:05
>>478
馬鹿か、お前は。

481 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:23:18
軍国主義はやめましょう。

482 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:09:03
>>475
ああ、一応勝ちも負けも昭和16年以降に絞ってみた。
最終的に勝った戦争では、どの師団もそれなりに働いたと言われればそれまでだから。

483 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:16:48
476は、自身が批判しようとしている昔の陸軍そのまんまってこった。

戦線拡大に批判的な事を言った同じ口でハワイ上陸って、お前の頭はオカラで出来てんのか。

484 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:19:17
>>482
裏返せば、最終的に負けた戦争ではどの師団もボロクソに言えるんだが、
その点はどう考えたのか。

485 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:19:59
http://syusuke3821.web.infoseek.co.jp/

486 :427:2005/08/22(月) 22:55:03
>>471
日清や北清事変(義和団の乱)にも主力として参戦しました。昭和期も
無敗ですが、紙一重の激戦でした。まあ広島師団は、スッポンみたいに、
しぶとい部分があります。世評とは、人気投票みたいなもんです。

九州兵団の特徴は、特に熊本師団の様に、幕末以来の伝統か、それ以前か
知れませんが、立ち射ちをして、「戦死者のほとんどが眉間を射抜かれて
いた」とあるように、「潔く闘い、潔く死ぬ」という美意識があったので
しょう。逆にそれが欠点となった部分もあり、兵站の不安はよくいわれる
事ですが、シンガポール戦でも、広島5Dとの対抗意識で久留米18Dは、
ろくに付近を掃蕩せず急進し、軍司令部が危うい場面もありました。

東北兵は、命令に忠実なので、餓死してもその場を離れず、東北兵団の
指揮官が守る事は、「命令を出したら解除を忘れぬこと」日露戦における
仙台師団の弓張嶺、師団単位の夜襲は、その集団主義的長所が出たが、
昭和期には、戦闘形態も、小隊単位から分隊単位、横隊から縦隊と戦闘も
複雑に変化し、東北兵団の長所も生かし難い形態となった面もあります。

487 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:22:13
>>483
お前のような馬鹿亜科には第二次世界大戦中に日本がどこと戦っていたのかは
理解できんだろうな。
戦線拡大の本当の意味合いが理解できていない。

488 :427:2005/08/22(月) 23:22:33
>>473
いや、さほど不快には、思うとらん。木越氏は、名将であると思うとる。
黒溝台で、広島5Dに感状を授与した立見氏よりも。
わしゃ、高級指揮官、参謀は、少数の立派な方は別として、異なげな
(変な)人も多かったと思うが、明治期は、昭和期よりは良かったと
思うとる。大阪師団については、日露戦でも、よう奮闘したのうと思う。

489 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:52:35
> それからハワイを占領して、アメリカとの本土決戦を狙えば

まさか伝説のガッチリハワイにこんなところでお目にかかるとは。腹イテエ

490 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:54:47
>>487
お前もか! 軍事板逝ってその話してみ。人気者になれるぞ。

491 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:14:55
>>489
いや、広島人だけでやれば案外取れるのではないか?何しろ日本最強の精兵だから。
で、海軍も呉鎮守府所属艦だけ使えば制海権取れるし。

492 :427:2005/08/23(火) 00:54:12
>>474
マレー戦で英国が戦意満々でなかったのであれば、シンガポールで、
久留米18D大村55iが壊滅状態になったのは、弱かったんか?
仙台2師団は、蘭印戦で静岡230連隊のバンドン要塞占領に、むくれ
正式入城は我師団にと軍司令部を動かし、ガ島でも、救援の静岡230
連隊の対応に冷たかった。伊藤正徳氏は「このような師団(仙台2師団)
に、ガ島の堅陣が抜けるか。」と書いておられる。
今村均将軍も、静岡230iの東海支隊に感状を授与されたが、その蘭印戦
も今村氏は、広島5Dが激闘した「南寧のような激戦とならずにけりが
ついた。」と語られた。仙台2Dは、勝敗以前の問題であろう。
最後の中国軍相手に勝ち続けた名古屋3D、仙台13と書かれておるが、
名古屋3D、仙台13Dが冬季作戦で李宗仁軍に撃破され、広島39Dが
救援した事は、他板のスレでも書いた。
広島5Dが特設師団も創設出来ん(他に名古屋3D、善通寺11Dも
上海戦の激闘で死傷者が多く特設師団も出来ず)ほど前線で死傷者を
出した激戦続きであった事も書いたはずじゃ。
わしに対しストーカーをしとるが、もう少し書物を読んで調べておいで。

493 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:02:43
>>480
お前にお前呼ばわりされる筋合いはねぇ。反論があるなら具体的な物を
書けよ、お前が馬鹿でなければな。

494 :493:2005/08/23(火) 01:09:03
>>490
の間違いな。
つうかよ。馬鹿の490よ、軍事板にハワイ占領の意見は既にあるじゃねーか。
お前はそこでレスでもつけて遊んでいろ。どうせ、馬鹿なんだから。

495 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:12:48
>>489
お前のような馬鹿がいたから日本は負けた。
つうかお前のような馬鹿が勝手にアメリカと戦争して負けたんだがな。





496 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:22:35
>>493-495
おちつけ。そして軍板に行って遊ばれろ。それが身のため世のためだ。

497 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:36:31
>まず真珠湾攻撃の時に陸軍をハワイに揚陸させるべきだった。
>それからハワイを占領して、アメリカとの本土決戦を狙えば

こっそりハワイに忍び足で近づいて一撃離脱が関の山だったのに、
陸軍を揚陸させるだと?
寝言は寝て言え。
当時にお前のような馬鹿がいなくて良かったよ。

498 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:41:19
>>497
だから、お前は馬鹿なんだよ。
そんな逃げ腰根性のお前のような馬鹿が指揮を取ったから
日本は負けたのがまだわかんねーのか?
無理ねーよな。腰抜けなんだから。


499 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:43:03
>>497
で、お前の意見はそれで終わりか?
もういいぞ、書かなくて意味ねーからな。馬鹿に意見を聞くのが無意味だった。

500 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:46:28
>>497
それに馬鹿のお前は日本は宣戦布告してアメリカとは戦争したのも知らんのだろう。
外務省が宣戦布告を通達するのが遅れただけだ。
それに忍び足だってよ。
お前がいつもしているこそ泥行為と日本海軍の宣戦布告の上の行為が
同一化されてはたまらんわな。


501 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:51:35
>>499
>お前の意見はそれで終わりか?
>もういいぞ、書かなくて意味ねーからな。

それって、涙目で「今日はこの辺にしといたるわ」って言ってるのと同じ。
反論しなくちゃダメダメよ。

当時の戦力で、どうやってハワイに陸軍占領部隊を持っていくんだ?
さあ反論を書け。さあさあ。

502 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:53:16
>>501
お前まじで素人で実は単なる馬鹿だろう。

503 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:55:36
>>497
日本の宣戦布告も知らないなんて実は在日なんじゃないのか?


504 :江川達也ファン:2005/08/23(火) 01:59:07
今週の日露戦争物語
大山巌の絵はあれでいいのか?
山県有朋の絵はすでに人じゃなくなった。

505 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:00:31
ハワイ揚陸は確かに危険だが、戦争の全体状況を見通した場合
その程度の危険冒すことは覚悟する必要があった。

506 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:01:49
夏休みだから501のような厨房が出てくる。

507 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:05:08
>馬鹿のお前は日本は宣戦布告してアメリカとは戦争したのも知らんのだろう。

> 日本の宣戦布告も知らないなんて実は在日なんじゃないのか?

宣戦布告を知らないんだろう?という勝手な想像が、いつしか思い込みに。
多分次には、在日なんじゃ?という勝手な想像が、いつの間にか思い込みに
なるんだろう。
なんて便利なあたまをしているんだろうか。

508 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:07:14
>>505 >その程度の危険冒すことは覚悟する必要があった。

覚悟しても出来ないものは出来ないの。残念でした。
それとも、出来るとホンキで思ってるのかお前は。

509 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:11:40
皇軍に不可能はない。

510 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:12:48
>>508
馬鹿か、お前は。
できないのではなくやらなかっただけだ。
お前のような馬鹿のおかげで負けたんだと言う事をいい加減に自覚しろ。


511 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:14:21
>できないのではなくやらなかっただけだ。

おいおい。 暴れるのもいいかげんにしろ。ご近所迷惑だ。

512 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:15:58
師団論争に嫌気がさしてる側がスレ流しをしている可能性について

513 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:16:15
もし508のような馬鹿が存在せずに強行に揚陸していれば
その後の戦力はがらりと変化する可能性が大きかったのは
508のような馬鹿以外なら誰にでもわかる事だ。

514 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:17:36
>>511
確かに話を元に戻す。すまない。話が馬鹿のためにそれて。

515 :下駄さん:2005/08/23(火) 02:20:07
もう、その辺にしよう。「日露(旅順)の白兵戦」だろう。
因みに陸軍は太平洋へ戦線は拡大したくなかったのが本音。
これも海軍の意向が強く働いていたとも聞く。
最近「日露戦争物語」はどの辺まですすんでいるんじゃろう?
山県が人ではない? そりゃいいやあ。でも巌はこまったなあ。
明日立ち読みでもしてみょう。

516 :511:2005/08/23(火) 02:22:06
いっとくが、俺はハワイ占領なんてオバカな事をいう側がウザイと思ってる。
そこんとこよろしく。
では話を元に戻せ。

517 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:23:32
下駄さん・・・アンタ・・・

518 :やってみるか:2005/08/23(火) 02:25:49
秒読み、戻せ。

519 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:26:27
>>515
下駄さんさえよろしければ
スレ違いだけど、この流れにのっていただいてもいいのでは
そしてまたじっくりと明治を語りましょう。


520 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:32:05
連載、話が飛びすぎ。 先週号で石原が出たのはなんだったんだ?

521 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:37:47
このスレ自体がなんなんだ?だよ

522 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:39:22
>520
江川も盆休みと思われ
奴はこんな手をよく使う
まあ、だいぶ前に「日露戦争を書くために漫画家に・・・・」
みたいなこと書いてたから
奴には期待してる。


523 :下駄さん:2005/08/23(火) 02:40:49
ああ、そうなんだ。
ちょっと空気が読めなかったんかな。また、反省じゃ。
しばらく旅ば打ってきますけん。
明治になったら会いましょう。
さあ、決着つけろ。

524 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:45:12
>>522
先々週?乃木がちょびっと出たんだよね。桂の絡みだったかな。
これもそれっきりだし、これがこの作者の手法なのか。
連載ならいいけど、単行本になるとき困るんじゃないのかな。いいけど。

525 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:54:20
>524
乃木の絵は
映画「二百三高地」の仲代達矢の乃木に負けてない?
まあ奴もなんかアシスタントいなくて一人で
描いてるみたいだからな。
でもやっぱ主人公はかっこよく・・・・・・・・

526 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:10:05
いっとくが、俺はハワイ占領なんてオバカな事をいう側がウザイと思ってる。
そこんとこよろしく。
では話を元に戻せ。


527 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:15:50
>526
いいよわかったよ ^v^


528 :日本人:2005/08/23(火) 08:33:44
>>526
 越中褌つけた日本の兵隊がビーチをウロウロするなんて考えられないよな。
ジャングルがピッタリ。

529 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:20:22
>>526
くどいぞ、お前。

530 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:36:51
ちなみに海軍はハワイ占領を考えて陸軍に打診をしていたが断られていた。


531 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 18:32:04
28サンチ榴弾砲あるじゃん
もしあれがまともに要塞に当たったとしても
要塞は破壊できたの?
できたとしても中のロシア兵追い出すには
白兵突撃するしかなかったんだろ。
だからしかたなかったんだよ。


532 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:01:34
だから、広島師団と呉鎮守府所属艦だけで日露戦争やってればよかったんだよ。
多分、史実では気息奄奄で奉天戦やってたころにはペテルブルグでニコライが降伏文書にサインして
いたんじゃないかな。
それを、鈍重な東北人や単純ヴァカの九州人や逃げ足の速い関西人や理屈倒れの関東人が足を引っ
張ったからあんな中途半端な勝ち方しかできなかったんだ。
むしろ、こいつらをロシアの援軍に送った方がよかったんじゃないか?(w

533 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:15:46
>>532
もうそれ飽きたよ。次の面白いこと考えてくれ。

534 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 11:56:25
>>533
いやだ。
日本人が全て広島師団が最強であると認め、リスペクトするようになるまでは止めないぞ。

535 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 12:46:59
リスと言えば、児玉源太郎

536 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 14:00:23
>535
うまい!!!!
顔がリスみたいだから?ついたあだな?
でもあのひとかわいい顔してるよね。

537 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 15:10:10
>>536
 機敏さからの新聞評。
 いろいろ兼務することから「児玉の要(かなめ)」とも評された。



538 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:28:51
>>537
コダマネズミ=どっかの地方でのヤマネ(リスみたいな動物)の呼び名。
だからと思ってた。


539 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 03:09:43

旅順要塞はお化け屋敷じゃ・・・
 
 誰も生きては帰れんぞぃ・・・

540 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:42:41
軍司令部の参謀・津野田は謂う
「お互い今度も馬鹿死にしなくてすんだな」
おい、口に出していいことと悪いことの
分別はないのか。津野田大尉。
旅順要塞攻めの第三軍はお化け長屋の住人だ。

541 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:50:57
そんなことだから少将止まり

542 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 18:06:28
津野田は軍人向いてなかったんじゃない?

543 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:57:13
キャラクターとしては面白くてもね。
たとえば寅さんがスクリーンでやってるぶんには笑えるが
身内とか身近に存在するとそれはそれで頭が痛いあれだ。
軍人に向いていないというよりも
よくいえば天才肌で、天然が入った明治の人だったのかな。
乃木は非常に可愛がったようだが。

544 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:06:55
2回全滅した41連隊は無視ですか(レイテの方は捕虜を含めて帰還0)

545 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:24:58
>>543
て・天然が、め・明治日本を・・・((( ;゜Д゜)))ガクガクプルプル

546 :427:2005/08/27(土) 01:37:03
>>544
>452でも書いておるが、その2回全滅とは、ニューギニアの
2千余名の死没も含んでのこと?
福山第41連隊のニューギニアでの戦闘は、6ヶ月の長期にわたる食糧の
不足と悪疫により、退却した将兵であったが、生存者の誰一人「敵は強い」
とも「戦闘で負けた」とも言ったものはなかった。
レイテ島は、広島5Dから離され、平壌30Dの編成下で、補充員も多く、
郷土部隊とはいいがたいが。レイテの方は、7月15日玉砕とある。
(しかし昭和21年3月までの投降人員は15名、一方ミンダナオ島の
第3大隊は、9月7日に武装解除をした。899名中生存者491名。
またガヤンに残置していた、132名は、任務を継続していたが、
昭和20年1月9日ダバラにおいて投降した。生存者89名。旧連隊員の
調製記録)。

547 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 01:41:36
もし乃木ではなく、他の指揮官だったらもっと早く、被害も少なく旅順を落とせたのですか?
誰がやっても同じだったのでは。



548 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 01:52:10
「い、生きちょるゾ〜。こ、このスレ生きとるもんがおるぞ〜!」 将校A(双眼鏡見ながら・・・)

「うむ。このスレ続行!」 乃木(双眼鏡見ながら・・・)


*書いてて虚しくなったwwwすまん・・・

549 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:45:01
>もし乃木ではなく、他の指揮官だったらもっと早く、被害も少なく旅順を落とせたのですか?誰がやっても同じだったのでは。

誰がやっても同じだった
なんてことは有り得ないんじゃあないですか。
どんなに旅順要塞が難攻不落であったとしても

550 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:55:33
>>549
それはやっぱり乃木は駄目ってことですか?
素人考えで、ああいう組織のなかでは指揮官一人が別人だとしても
たいしてかわらなかったのかなと思ってしまいまして。
失礼しました。

551 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:34:11
乃木は駄目です。
要塞築城世界一のロシアが作った旅順要塞の威力は想像を絶するものでした。
そのことを危惧していた者は皆無に近かったでしょうね。
(田中義一、秋山好古など少数はいたにはいたようですが)
確かにこの旅順要塞を陥落させたのは乃木第三軍です。
その死傷者数と期間を計っての論議であると予測の範疇を越えません。
ある人はこれだけですんだから優秀であるといってきます。
また、永久要塞を、ロシア側は三年もたせる腹づもりだったのを
6カ月で落とすなんて超スピーディーではないかと訴えるでしょう。
攻城は消耗戦であり被害は当然だともいう。
しかし、その結論として、だから乃木は名将なんだ。のオチが付きます。
乃木は名将などではありません。
実際は現実不可能な架空の設定ですが
黒木=藤井の第一軍 奧=落合の第二軍
野津=上原の第四軍のいづれが攻略にあたっても
経過と過程と結果は異なったはずです。
ああ、指揮官ひとりがという前提でしたね。
私の考えは乃木=伊地知の組み合わせに比重がかかっていますが
うーん。やっぱり違っていたでしょうね。

552 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 10:36:43
>ロシア側は三年もたせる

これはウソ。

ウソを積み重ねないと 名将という結論はでない。

553 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:02:51
とまあ、そんなところで、色々な関連書籍を引っぱり出してきては
乃木は名将だ名将だと連呼する。
戦死者1万人と見積もったが1.5倍ですんだから名将だという。
戦死者じゃなくて死傷者1万人にいつのまにかすり替わってしまう。
なんで、乃木をそこまでして名将に仕立て上げなければならないのか
さっぱり理解できない。洒落でやっているのかな。
今井均が言ったとか誰それが言ったとかいうけれど
「名将乃木希典」論には無理があると思うよ。

554 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:50:58
なんだかんだで、やり遂げて成功を納めたのだから、評価されるべき。
愚将論者の言うことを聞いてると、まるで旅順を陥落させられなかった
みたいじゃないか。
名将論の方に分があり、愚将論の方に無理があると思う。

555 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:59:09
>>551
ああすれば、誰がやっていれば、なんて、いつまでも結論の出ない繰り言を
言ってるだけですよ。
「結論のでない問題に悩みつづける私って、ああ・・・」という自己陶酔に
かかっていませんか?(H×Hのシャウナントカのセリフにこんなのあったよ)

556 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:23:44
標高が203メートルだから、203高地と呼ばれた。
アラビアのロレンスがペルシャ湾に面した要塞を攻略した時の戦法と、旅順攻撃の戦法はウリふたつ。
日本海海戦の高速小型船を用いた戦法と、スペイン無敵艦隊を破った時の英国海軍の戦法もウリふたつ。

557 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:22:51
愚将だったとしたら、後の軍神?扱いはどうしてだろう。
そういう軍神?を意図的につくったのかもしれないけど。
それだったら愚将の乃木があんな扱いにならないのでは。
アホな国民はだまされてたのかな。
ちなみにウチの田舎の本家にはいまだに
天皇陛下の写真と乃木将軍の写真がある。


558 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:43:52
意図的に陸軍が作り上げました。
当時の乃木の評判はさほどのものではありませんでした。
殉死の際も批判的な意見が多かったようです。
悲しいかな国民はアホです。
それはそれで乃木は不器用な愛すべき人間だったと思います。
問題はかれが長州出身で
軍の最高指揮官という職務を執ったこと。
その存在をその後の軍部が利用活用したことにありますが、
もっと問題なのは今頃になって再び乃木を名将に復活させようという動きです。
これは靖国問題同様にその賛否の中に様々の意志があるようです。
司馬を批判して乃木を擁護することが知的なトレンドのようになっていますが
司馬と「坂の上の雲」は横に置いて、客観的に乃木が名将かどうか考えてみましょう。
愚将とはいわないでも、凡将という位置づけでよいのではないですか。
名将とはそう沢山存在するものではないと思います。
旅順が陥落したから乃木は名将というわけにはいかないのです。

559 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:57:45
>>558
>もっと問題なのは今頃になって再び乃木を名将に復活させようという動きです。
これは靖国問題同様にその賛否の中に様々の意志があるようです。

これはひょっとして小泉政権とかの陰謀なのですか?
我々国民はもしかして操作されているのですか?

560 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:05:24
そうですデムパが飛んでるのです

561 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:08:47
対象が歪んだ歴史オタクだから
残念ながら陰謀にならない。
小泉は選挙で忙しくてそれどころではない。
今年は靖国にもいけなかった。
だから心配しなくていいよ。

562 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:14:59
(´・ω・`)   <ほっ!!

563 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:44:08
乃木大将を名将にしようという動きがあるのは初耳だ。

564 :427:2005/08/28(日) 00:47:14
今村均将軍の『乃木将軍は無能ではない』から、
『(中略)当時の陸軍首脳部の多くは旅順をもって堅固な要塞とはみず、
野戦同様に戦えるものとみており、現に「強襲をもって一挙に旅順を
ほふれ」と肉弾攻撃を要求しており、伊地知参謀長がこれを諒として
作戦を立てている以上、たとえ将軍が途中でその非に気付いたとしても
容易に訂正はしにくかったであろう、とのことは軍司令官として戦って
きた私の経験からいっても、そう了解される。かつての陸軍のよくない
伝統であったが(中略)終りに当って、前述の上原元帥が私に対して
語られた言葉を引用して小文を結びたい。
「旅順攻略のことで、乃木大将と児玉大将とを比較するのは間違いだ。
児玉大将と伊地知少将との比較はされるが、あんなに多くの死傷者を
生ぜしめながら衆心一致最後まで戦いを通させたのは、やはり乃木将軍の
武徳のいたしたところだよ」
戦略、戦術に長ずることは勿論軍司令官に必須の条件ではある。が、
この部下の衆心一致を得る点も、軍司令官の能力を評価する場合欠か
してはならぬことと私は理解しているのである。』
       (昭和四十二年七月十四日 読売新聞掲載)

565 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 00:59:30
ぜんぶ司馬が悪いんだよ

566 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:51:20
悪いのは「谷寿夫」です。

567 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 04:35:16
日露戦争に勝利した日本と
ソビエト・ポーランド戦争に勝利したポーランド
どっちが凄い?

前者は有色人種が列強の一角に乾坤一擲の初勝利。
後者は20世紀を震撼させた超大国ソ連の初黒星。

568 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 05:27:35
ソ-波戦争で大活躍したビウスツキ将軍の兄は
20世紀初頭にサハリンに流刑されて現地のアイヌ女性と結婚した。
少数民族の研究に熱心で数々の足跡を残したそうな。
祖国より遠く離れた地で怨敵が敗れるニュースを聞いた時は嬉しかったろうなー

569 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 05:48:32
日露戦争の方が世界に与えた影響は大きい
・・・・と信じたいな。

570 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 07:30:49
乃木は名将以外のなにものでもない!
児玉なんかがシャシャリ出てくるからいけないんだ。
ほおっておいてくれれば旅順は陥落寸前だった。
乃木の統率力があってこそ旅順は攻略できた。

571 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:16:45
>570
天下のNH○で203高地やった時も、児玉なんてふれなかった。
この世の中になんと児玉狂が多いことか。



572 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:22:52
>>558
どこを縦読みするんだ?

573 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:25:11
>>571
再放送で、字幕を改変してわずかに触れた。
抗議かなんか来たんかな?

574 :つづき:2005/08/28(日) 08:28:26
たすかに児玉いなくても大丈夫でした


575 :571(574):2005/08/28(日) 08:37:01
>573
そうなんですか?
世の中の柴漬けの抗議でしょ?
ひょっとしてご子息に「源太郎」って名付けた柴漬けの某政治家さまじゃない
んですか?
まあ児玉は物語を書く上では必要なキャラなんでしょ。
ファンのひとごめんなさい。

576 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:45:02
>天下のNH○で203高地やった時も、児玉なんてふれなかった。
>この世の中になんと児玉狂が多いことか。

公営放送として、世の乃木狂の方々に配慮してのことです。
色々と抗議が殺到して業務に支障がでるんですよ。

577 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:19:56
歴史が動いたでは最初は、児玉の関与は放送する程の事ではないと判断して
いたんだろうな。
それが再放送では字幕スーパーの改変がなされ、児玉の名を差し込んだ。

業務に支障が出るような、色々な抗議が殺到したんだろうか?困ったものだな。

>>576へ。こんな児玉狂のために字幕改変が行われた可能性があるんだが、
こんな困ったチャンはどうしたらいいと思う?

578 :困ったチャン:2005/08/28(日) 14:34:57
ほんと児玉馬鹿には困っちゃう。
名将乃木希典。乃木は人徳の名将です。
郵便局は絶対民営化しません。

579 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:44:36
NH○に抗議の電話した(笑)
「源太郎」とつけた政治家って誰?
知らなかった。教えて!

580 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 15:10:49
「源太郎」(みなもとたろう)
漫画家です。by秋田書店


581 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:15:16
機密日本史のおかげで第二次世界大戦では乃木のように塹壕を掘らすに
アメリカと対戦したために陸戦で敗北を帰したとあるが本当か?


582 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 06:04:21
>>550
指揮官は正直誰でもいい。
ただ、攻める側に第五師団がいなかったのが攻略を遅らせる原因になった。

583 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 10:11:44
582>>
またかよ。それにしても<550>なんて、、、引っ張りだしてきたね。
第五師団万歳! だ。
師団長は名将木越ということで、一応、賛成しておく。

584 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 12:45:37
>>581
日露戦争の旅順戦を精神主義のみで勝ったから、その後は
装備・技術を軽視するようになったのぢゃーーーーーー!
日露戦争・旅順攻防戦がその原罪ぢゃーーーーーーーー!
その犯人が乃木希典名乃ぢゃーーーーーーーーーーーー!
ですよねぇーーーーーーーーー谷せんせぇーーーーーー!

          大阪府  芝 漁汰朗

585 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 13:20:23
児玉源太郎は天才なのぢゃーーーーー!
           芝 両多労

586 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 16:16:45
芝さん、日露戦争の英雄達が昭和軍部を育てたんですよ!

587 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 16:31:19
>>583
第三軍は、第五師団と軍直轄部隊だけで落とせた。
東京人や金沢人や道産子や四国人等に任せたから何個も師団を投入しなければならなくなった。
こんなヘタレ師団を何個もらってもはかがいかず、乃木さんがかわいそうだ。
第五師団を第三軍に編入しなかったのは、満洲軍総司令部が意地悪だったからだ。

588 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 18:42:43
>>586
そんなん嘘や「昭和にはいって急に魔法にかかったんや!」
谷先生もそうゆうてはったわ。
                志波量田牢

589 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 19:36:23
日露戦争の真の名将は黒木為驕B

鴨緑河渡河作戦を皮切りに様々な進撃を展開したが、
なかでも弓張嶺大夜襲作戦と太子河秘密渡河作戦は、
世界に誇れる名作戦で、各国の観戦武官を驚嘆させ、
黒木軍の動向はクロパトキン大将に最後まで脅威を与え、
戦局に多大なる影響を及ぼした…

    …みたいな事が私読んだ本には書いてありました。

ちなみに乃木さんは愚将扱いです。

590 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:22:54
乃木と黒木と、どっちのが怖かったのだろう。クロパトキンは。

591 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:48:17
黒木って、小説とか読むと猛将みたいなイメージです。実物は知らんのだが。
あと、参謀との相性が良かったのかな。
猛将黒木を藤井がなだめる」みたいな・・・俺のかってな妄想だけど
でも黒木だけ元帥になれなかったんじゃあなかったけ?


592 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:29:49
>591
黒木大将が元帥府に漏れ枢密顧問官止まりだったのは、
不公平人事の最たるもの、だそうです。

「軍閥興亡史(1)日露戦争に勝つまで」ってのが私の読んだ本です。
「坂の上の雲」は、まだ読んでません。

593 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:29:45
>>590
村西とおる氏曰く、

 「 黒 木 香 で ご ざ い ま す 」

594 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:50:32
>>592
なんか黒木って頑固そうだからな。
だれか敵がいたんじゃない?だから元帥なれなかったのでは。
でも最近の流行からすると
司馬とか読む気なくなるよね・・・
面白いけどね。
某国民放送で「坂の上の雲」やるとかいってるけど楽しみにしてるし。


595 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:56:29
>>588
お前に偉大な司馬先生の何がわかるっていうねん。

596 :江川達也ファン:2005/08/30(火) 02:47:33
今週の日露戦争物語
今週の大山巌は少しかっこいい。
先週までのは故 坂本九だ。
たぶん今日清戦争だから日露戦争の
場面では俺の知ってる
巌になるのだろう。

597 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 03:06:55
おっ黒木がまともに扱われている。
第五師団の呪縛がようやくとけたか。

598 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 08:26:43
日露戦争の時ってもう確かカーキ色の軍服になってたんですよね、写真とか見ると半々くらい
なのかな、黒とカーキ。
俺は最初、「カーキは夏服」「黒は冬服」って思ってた。行き渡ってなかったのかな?
(誰か教えて!)でもなんか日露戦争って「黒の軍服」って感じしませんか。(俺だけ?)
詳しくないから偉そうにいえないんだけど。映画とか錦絵の影響かなw
でもこれからの江川の漫画や国営テレビの「坂の上の雲」ではきちんと史実どうりに作って
ほしいと思うにわか日露戦争マニアでした。  失礼しました


599 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:12:51
>>598
日露戦役のときのカーキ色の軍服は、
三十八式といって、日露戦役の真っ只中に採用されました。
採用理由には、「大陸の野戦では黒がとても良く目立ち、敵の的になりやすかった」ということが挙げられます。

昭和五式などと違って、上衣の袖と袴の側面にラインが入っています。

また、それまでの黒い肋骨も使われてます。
これは、三十八式の生産が追い付かなかったことと、肋骨が勿体なかったという事情がありました。

なので、奉天にて撮影された二元帥と六将軍の写真は、人によって軍服がまちまちです。
中には、上衣→カーキ、袴→黒という方もいます。

600 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:21:18
>>594
坂の上の雲はストックしてあるんですよ。
ただ、今は千葉周作を読んでるもんでw

もともと幕末・戊辰戦争関連の小説を読み漁ってるから、
司馬作品は結構読みましたが、個人的には読み易くて嫌いじゃないっす。

日露戦争に興味を持ったのは、闘将伝・立見鑑三郎を読んだからなんだけど、
いきなり全8巻の「坂の上…」は読む気になれませんでした。
長編小説は「会津士魂」で懲りたw

>>597
「軍閥…」から入ると黒木ファンになると思いまする。

601 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:22:26
>>599
レスありがとう m(_ _)m
マニアの方のご意見で勉強になりました。当方まだ勉強不足で申し訳ありません。
昭和のとも違うんですね。でも写真では乃木は黒が好きみたいですね。
最近日露戦争関係の書籍をよく読むのでまた今までと違う見方で楽しめそうです。
でもやっぱり日露戦争でカ―キの軍服はピンとこない俺ですが。

602 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:37:54
>>600
立見は美化されすぎだと思う。
桑名藩時代はいざしらず、奉天会戦のミスは一生ものだと思う。
なんでこの人が軍神なんだろ?

603 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:39:15
美化されるのは、書き手の思い入れによるでしょう。
戊辰戦争で勇名を馳せたけど、やはり黒溝台が決めてですかね。
ただ日清戦争での立見の指揮能力も評価高いんですよね。

まぁ旧幕軍唯一、明治陸軍大将まで昇りつめた人ですから。

604 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 00:20:44
黒は夜襲のときに便利だと思う。
暗闇に乗じて奇襲がかけやすい。
だけど日本陸軍って夜襲が基本のような気がする。

605 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 00:32:56
白襷決死隊の集合写真にやけに白襷が太い方が…。(左下)
このかた大丈夫だったのだろうか?


606 :427:2005/08/31(水) 01:30:46
「そもそも指揮官の能力とは、智謀よりも人格的識見にある。
戦闘は下級指揮官と兵士の手仕事であり、末端の上等兵でも、
軍の参謀よりは数段優れた作戦指導が出来よう。それを部下の意見も
聞かず、無謀である余計な作戦を立て、下級指揮官の邪魔をし、
犠牲者を増やす。上級指揮官に人徳さえあれば、部下のゆう通りにして
くれれば、いくらでも神輿に担げるんじゃが。自惚れしたんか、頭に血が
上がったんか、敵を識っている者には出来ん芸当である。いったい上の
人達は何を考えとるんか。と前線の兵士は思う。」
このようなことは、昭和期程ではないとしても、明治期でもあったのでは
ないか。一部の立派な方を除いて、上級指揮官は概ね愚者であろう。

607 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 01:39:28
>>606
誰でもいいんだが、一応聞いておきたい。 誰の言葉だそれは?

>末端の上等兵でも、軍の参謀よりは数段優れた作戦指導が出来よう

ここまで読んだ。あとは読む気が失せた。

608 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 02:01:13
>>606
まあ普通の会社とかとかわらないんですかね。
>一部の立派な方
そうゆうのがカリスマってやつなんですかね。よく分からないけど。


609 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 02:29:44
辻〜んや牟田口の出現を予言してたのか…

610 :427:2005/08/31(水) 02:29:52
立見尚文氏は、広島第5師団へ感状を授与されたが、文面に柳條口占領と
村山支隊の活躍は書いてあるが、摺沢支隊の活躍について記してない。
『摺沢支隊は二十八日蘇麻堡西北端を占領これを固守していたが、
弘前第八師団苦戦の報を受けて午後五時第五師団長(木越安綱広島5D長)
から救援の命を受けた広島第十一連隊は第一大隊(第四中隊欠)と
第五中隊をして第八師団の左翼に延伸し、攻撃して敵前五百米に進んだが、
隣接隊との関係で、一時蘇麻堡まで還り、翌二十九日連隊は、第四連隊と
ともに黒溝台を占領したうえ渾河を渡って烟台子をも占領した。』

立見氏は、黒溝台の占領だけは苦闘した自分の師団の手柄にしたかった
のか?また日露戦争を体験した郷土兵士は、第八師団は、こんな敵を
よう撃退出来んのかと広島の部隊は、歯がゆい思いをしたそうな。
こう書くと、また広島厨といわれるが、余計な事じゃが書いておいた。

611 :427:2005/08/31(水) 02:47:18
>>607
戦闘体験者の戦記に、記してあったもんじゃ。
>>608
特別に個人崇拝をしておりません。
しかし、日本史板には、歴史上の人物を個人崇拝する人達が多いと思う。
歴史に名を残す人物も、一部を除き概ね愚者であろう。
階級が上層へいくほど。

612 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 02:51:26
age下駄さんどこいったage

613 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 08:18:03
>>末端の上等兵でも、軍の参謀よりは数段優れた作戦指導が出来よう


思い込み 思い込み 思い込み 思い込み 思い込み

残念、記念品は受け取れません。

614 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 09:21:51
>>596
たしかに今週はだいぶ人物は真面目に描いてる気がする。
まあ日清戦争時の顔だからな。しかし背景ほとんど“真っ白”だぞ。あれはああゆう手法なのか?それともまじで人手不足なのか。

615 :下駄さん:2005/08/31(水) 10:30:35
>>612 心配しなくても下駄はちゃんとお前を見守っているぞ。

>>427 誰かと思ってさかのぼってみたら、あの427か
なかなかいい書き込みだった。読み返しぞ。
読む気のない者に記念品など貰ってもしょうがない。気にするな。
まあ、気にもしないだろうがな。俺も木越ファンの一人として
黒溝台に駆けつける木越第五師団には興奮した。いい師団だ。
ただ、あんまりやると贔屓のひき倒しになるからそのへんが課題だな。

616 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 13:31:04
下駄さん、末端の上等兵がどうやって作戦指導するんだっての。
ダメだろこれ。
まあ前線で命がけの兵隊の繰り言としては納得できるよ。
俺らがこんな悲惨な戦場にいるのは上の奴のせいだ、って事で。
でもそれ止まりだ。
部下のゆう通りにしてくれれば、のくだりに至ってはお前ホントに軍人かと。

617 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 14:10:04
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/nichiro.html

618 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 16:11:19
個人崇拝はしていないが師団崇拝はしているということで。(w

619 :下駄さん:2005/08/31(水) 17:21:58
なに?ダメか?
>>427
は戦闘体験者の戦記だけだろう。そう一々反応しなさんな。
組織は軍隊でも普通の会社でも同じだ。師団長は師団長の旅団長は旅団長の
連隊長、大隊長、中隊長・・・上等兵の役割がある。(なぜか軍司令官をいれてない)
それはみんな知っているし、カリスマなんぞというものはそうそうおらんし、
カリスマだと言われた者も暫く経つとインチキ詐欺師だったというオチが
多いではないか。ましてや職業軍人でもない徴兵されてきた者に
>お前ホントに軍人かと。といっても。
ワシは岡山の百姓じゃ と言われるだけだよ。
個人崇拝も師団崇拝も関係ない。一番上等なのは勝って生きて帰れる上官に
乗れることなんだろう。みんな勝ち組に乗りたいんだ。
そこらあたりは昔も今も変わっていないんだと、先の文面で感じたよ。

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