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  *倭人、弥生は東日本を侵略していない*  

1 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:19:50

蝦夷を追いやったのは、東日本の朝鮮系新参渡来人であり
大和と蝦夷との戦争は、大和と新参渡来系との権力闘争であり
東日本の薄い顔は、西日本人がもたらしたものではない
と思っている人は多いはずです。


2 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:23:19
956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/27(土) 01:37:03 ID:wyT5M1PV
東北にはほとんど倭人は入植していない、
これは記紀、遺跡でも明らか、乃ち
東北の薄い顔は倭人とは一切無関係の他の地域から
きた渡来民であるということが自ずとわかってしまう。。


957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/27(土) 01:44:00 ID:wyT5M1PV
東北を倭人が征服し蝦夷を追いやったは絶対に嘘です。
蝦夷と大和朝廷の戦争はおそらく渡来色の強い政権同士の
権力闘争であったと思われます。
蝦夷の信仰は縄文のそれとは明らかに異なりますし他からも
明らかです。
自分たちが、朝鮮人に征服された可哀相な民族だ、のような
被害者意識で西をみるのはお門違いもいいとこです。
あなた達も朝鮮の渡来民政権だったし、中世以降は関東の朝鮮人が
各地に降臨しているではございませんか。

3 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:24:11
955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/27(土) 00:07:19 ID:yqH6VDRI
酒の強さは遺伝子で決まる
http://www2.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html
朝鮮半島と東日本は弥生人(下戸遺伝子)が少ない

国立科学博物館 日本人はるかな旅展 遺伝子によるルーツ研究
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html
B44-DR13は韓国最大集団(日本では秋田〜新潟ラインに多いらしい。他HPより)

ツングース族、北陸、東北に移住
http://www.geocities.jp/intelljp/manju/shukushin/japan.htm

スサノオ系那須王朝
http://www.beads-net.com/n16.htm

4 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:28:39
たしかに西日本人が蝦夷を追い払ったなら
東日本に西日本、近畿などと同じような遺跡が見つかるべきだね
しかし、東日本に多く見られるのは西日本でも日本海側に見られる、
朝鮮人の文化遺跡ばかり
東日本の顔を薄くしたのは西日本の血ではない

5 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:03:12
なかなかいいスレ

6 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:10:07
工作しないでください、東北一帯に広がったのは
関西の人ではありません。むしろ関東人でしょう。
宇都宮、関東の藤原とか関東のナス族(スサノオ)の末裔です。
その前に四隅墓を残した先住民もいたわけでから。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumi1.html
東北一帯には西の血液は殆ど入っていません。
関東・東北は磐や山、隈を信仰していた西の弥生人より
よっぽど渡来系の文化を受け入れていたわけです。
そもそも西の弥生人は縄文時代から弥生式土器を使ってますので
縄文・弥生の区別は殆どありません。

7 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:14:13
やっぱりな

8 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:45:40
第二次大戦の三国同盟でアイヌを白人とみなす必要があり
その直系である
東日本人はアーリア人であるというプロパガンダを流す為に
蝦夷を神秘化し西の朝鮮人に対抗したアーリア人様であるという
デンパを流す必要があった。これは、戦後も情報発信源を掌握した
東日本人により蝦夷=アイヌ=アーリア人という幻想は流され続け
現代に至わけである。
しかしながら、各氏族、遺跡等々みると西の人間が東日本を征服したという
証拠は乏しいのである。
つまり、東日本人の顔の薄いのは自分たちの
せいなのであるw
人のせいにすんな、東朝鮮人w


9 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:00:53
蝦夷というか東日本の原住民は本州の西の原住民と身体的に
大きな差異は無かったそうである。山口敏氏によると
本州の縄文人は概ね中頭、低身長であり、東九州の縄文人は
短頭、低身長、西九州の縄文人は長頭、高身長の傾向があったそうだ。
この分析がどの程度信憑性を持つものかしらないが、こういった縄文人世界に
各々渡来系が重なりそれぞれ倭人、クマソ、ハヤト、エミシと
呼ばれるようにあるのだと思う。

10 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 16:02:41
何気に凄いスレだな。
何もかも説明がつく。
近畿人と東日本人は違うと思っている東日本人
縄文と弥生の違いではなく、大和と朝鮮の違いだったんだね
縄文と言うわりに、東日本人の顔は薄いし、新モンゴロイドそのものじゃないか
と思っていたんだけど

11 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:14:53
詳しく知りたい

12 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:04:12
近畿から東北は遠い
関東、北陸の朝鮮人だと考えるのが妥当

13 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:20:12
関東・東北は古代茨城のにいた
土蜘蛛(原住民)を倒したような武蔵、宇都宮の人(蝦夷=渡来系部族)が
広がっただけ。


14 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:47:29
宇都宮辺りは美人が多い、あの辺だけ他の関東と違う。まじ。

15 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:51:57
宇都宮は東北だからな

16 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:52:54
みなさん、「縄文 VS 弥生」展行きましたか?

17 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:54:53
自演スレ?

18 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:00:50
防人=蝦夷=渡来系戦陣
宮という地名みても明らかだが・・

19 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:02:34
左:東日本人
右:西日本人
よく特徴がでてる写真だね
ttp://www.kahaku.go.jp/jomonvsyayoi/index.html

20 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:06:36
>>19
そんな顔の東日本人未だに見たことないw
西にはいるが、憎たらしい顔だな

21 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:07:15
容姿を自慢するは、北朝鮮人だけでつよ

22 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:08:07
>>18
何で宮がつくとなの?わかんないので教えてください。

23 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:10:36
典型的な弥生顔:天童よしみ、片桐はいり
典型的な縄文顔:長谷川京子、伊東美咲


24 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:11:41
いや、ハッキリと確信持っているわけではありませんが、
先住民族には「宮」なんてつけないでしょうし、
この「宮」という言葉渡来の影響の強い言葉です、
宇都宮は東の朝廷ですから、自然な説だと思います。

25 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:12:53
もともとは「鬱飲み屋」なのだが・・・

26 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:16:33
>>14,21
ムム?宇都宮ナス族と北朝鮮美女軍団のルーツをたどれば同祖かもしれないね

27 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:21:28
え〜「一の宮」からじゃねーの?

28 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:25:12
宇都宮さんの家紋は勾玉文様らしいです、流石です。
朝廷の人は違います。
うちのような百姓は家紋さえありません。
東国の辺境の地にいて西国を支配した一族ですから
相当なものです。

29 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:29:26
ヘェー、やっぱり蝦夷を追いやったのは宇都宮だよ
大和と蝦夷の対立は、東西の渡来系同士の権力闘争としか考えられない

30 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:30:02
栃木の氏家勝山に住み着いているからおそらく勝氏(渡来系)の
一族と無関係ではないだろう。
勝の姓、地名は関東には特に異常に多いしな。

31 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:33:17
倭人、弥生は東日本を侵略していない。

そうだ、当時、倭人は朝鮮半島への進撃で忙しく、東日本の寒村など
食指が沸かなかった。倭国は黄海、日本海、対馬海峡の3方向から半
島深部まで遠征を行っていた。
これは広開土王の碑文でも明らかである。
また朝鮮半島南部に広大な領土も持っていたのだ。

32 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:41:34
西日本一帯に広がる俘囚地域は、縄文でなく、東日本の渡来系なのか?

33 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:45:27
万葉集みても万葉語が堪能なのは東国人です。
一般の防人でさえ上手に歌をよみます。
他方、肥前風土記をみますと、この地域の人は
言葉が通じないというような事を書いています。
つまり、倭人は朝廷には一切関与していないという事だろうか・・

34 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:49:08
宇都宮市が行く前からいた源氏の人たちは?


35 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:50:03
宇都宮市 ×
宇都宮氏 ○

36 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:52:37
西日本一帯に広がる俘囚地域は土着の土蜘蛛

37 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:59:20
関東は5世紀に大王が居ますし、スサノオ族が
茨城の土蜘蛛成敗した後は
関東は渡来人のメッカになっていたものと思われる。
八幡から出雲からいろんな種族がこの地に渡来し繁栄したのだろう。

38 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:11:23
そして、その動きは驚く事に江戸、明治にまで続く、
日本海、出雲地方の人間は関東方面に大挙移住するのである。
関東人の出自を聞くと日本海の各県出身者が極めて多い。
古代からの習わしだろうか?
当の関東人は日本海人=縄文人と信じて疑わないようであるが・・
ぜひとも、真面目に研究してほしいものです。

39 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 06:51:53
茨城はわりと渡来系の顔が多いんだよな

40 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 07:36:52
西の人間は東に悪さしてない!
これは一つ一つ検証していけばいずれ判明する。
むしろ、悪さしているのは東の奴である。
蝦夷征伐も東の連中が悪さばかりするからじゃあないのか?
大和朝廷は俘囚にも交易許可・租税免除などの特権与え
むしろ気使ってるぽいぞ。
西の逆賊にこれだけの特権与えたことあったか?
人骨みても俘囚は普通の日本人と変わりないらしいじゃねーか、
妄想もいい加減にしとけと言いたい。



41 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:19:56
征夷大将軍の「夷」、「東夷」は関東の朝鮮人?

42 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:36:25
渡来人は少数いても、朝鮮人などいないっ!

43 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:36:36
ここもプロパガンダスレッドなわけねw

44 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:41:31
でも、東日本には西の文化が全くない
出雲などの朝鮮渡来系の文化しかない

45 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:50:48
>>1
頭おかしいんじゃないのか?

46 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:01:18
八世紀以降の王化政策だね。異民族に対する懐柔策。

47 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:18:24
>>45
東人の顔はなぜ薄いのか?
この疑問に教育者が立てた仮説は西から来た弥生人が
征服したからだというものだ。
しかし、これは真っ赤な嘘なのである。
我々西国人はこの間違った学説を正すべく、
辛抱強く訴え続ける必要があるのである。

48 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:22:02
でも、普通に考えればわかることだよなー
5世紀には関東には王朝があるのだから

49 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:24:05
東日本の蝦夷が朝鮮系渡来人という時点でまったくのデムパ

50 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:31:58
東に朝鮮人(金氏、コチ)や中国系が王朝、国立てていたのはもはや常識。

51 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:34:26
常識?

52 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:35:17
>>50
常識だというのならそのような学説唱えている歴史学者の名前上げてみろ。

53 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:36:49
常識ではないよなあ。過去の事はまあいい。せめて現代の事実ぐらいは捏造するな。

54 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:39:20
一般人の常識ではないが専門家には常識だよ。
東の朝鮮人、沿海州辺りの渡来人、そしてなぜか中国人、
出雲人に至っては頻繁に彷徨いている。

55 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:40:15
東日本の顔が薄い人は、西の影響ではないというのはわかる
なんか違う

56 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:49:33
いずれにしても東日本人はアテルイの時代から大して顔かわっちゃおらん。

57 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:53:03
>>54
その専門家の名前をあげてみ
もしかして全員朝鮮人かいw

58 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:55:50
>>54
よくもまあ、そんな出鱈目をほざけたものだな。
北九州・瀬戸内海から畿内にかけて入植したのが大和朝廷と同盟にあった百済。
山陰から北陸、関東にかけて入植したのがそれと敵対していた高句麗系・新羅系。

もちろん、朝鮮系や中国系が東日本に王朝をたてていたと証明する事実はない。

59 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:56:48
東日本人の顔が薄い〜?眉毛ハッキリして濃い人は多いぞ。
薄いとかいってるヤツは見たことないんだろ。

60 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:57:41
万葉語の堪能な東人は朝鮮人に決まってるだろ、
いくつ証拠出されれば気済むんだよ。
高句麗の四隅墓も見つかってるんだよ、弥生時代から・・

61 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:59:03
東北には金氏や幾つかの豪族の墓があるだろ、
もっと公にしろよ。

62 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:00:02
東日本は基本的に在来系縄文人系。


63 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:00:37
地方物のAVがはやってるけど、東北や関東って一重の変なの多いね


64 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:03:17
東日本は西とは全く無関係に勝手に薄くなった人たちw

65 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:04:28
>>60
関東にそういう入植者がいたことは事実だが
大部分は在来系だ。

>>61
それは嘘。
もし見つかったなら歴史的大発見だ。

66 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:06:22
在来系が文字をもってたのかw

67 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:07:21
顔が薄くなったのはなぜ?
現代東日本人はアイヌと全くことなる顔してるけど

68 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:09:39
東日本や北陸の一重の人は目が大きい人が多い。
松井、ダンディ坂野、ミラーマン植草など。

69 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:12:10
現代人と古代人を一緒に考えるなよ

70 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:12:55
東日本には大和文化がなく、朝鮮系文化。
東日本の顔を薄くしたのは、西の血ではない。

71 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:13:40
>>66
蝦夷は文字持っていなかったんですが。
だから、蝦夷側に記録が全く残ってません。

72 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:14:58
>>65
金氏の墓探しているが、ソース見つからない。
金氏の墓ではという説だったかもしれない。
いずれにしても東北の金さんは新羅王家祖の
金閼智末裔と称しているからあってもおかしくないわけで
それを元に仮説が立てられたのかもしれない。


73 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:17:14
金姓=朝鮮系ではない

74 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:17:31
栃木や茨城には前方後方墳が大量にあります

75 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:18:43
脳内でストーリーが組みあがったら、全部事実と思い込む在日のいるスレはここでつか?

76 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:19:14
東北は沿海州、満州の人間が渡来してたのでは

77 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:21:49
>>70
大和文化が当時の朝鮮系文化だったんですが。
そもそも天皇家そのものが百済系の侵略者。

78 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:22:40
蝦夷をアイヌとしなければならない政治的意図があった事は事実だよ。
そしてそれはまた東日本人に心のより所でもあった。
戦後も長くこの妄想は生き続けたわけである。

79 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:23:11
>>77
その根拠となるソースを示せ

80 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:23:46
>>76
三内丸山遺跡等からはそのような満州や北海道方面との交易を
証明するものが次々と出土していますね。

81 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:27:21
>>79
http://www.utopia-net.org/mil-jap/jproot2.html

 先日、奈良県桜井市の吉備池廃寺(7世紀中頃建造)で、
南北幅約15mの寺の正門「南門」の遺構が見つかり、
飛鳥時代の寺院としては最大級だったことが、桜井市教育委員会の調査でわかりました。
この吉備池廃寺は、日本初の国立寺院「百済大寺」で、寺域が東西約230m、
南北290m以上の可能性が高く、南門や大垣も完成した大規模な伽藍を持った国立寺院だった
ことが確定的となりました。日本の文化は、ほとんど、「百済」の文化と同一であったと言えるでしょう。

 このことからも、当時、「百済」から日本へ移住した人たちの影響がかなり強かったことがうかがえます。
やはり、これも「百済」が「日本」を建国したからではないでしょうか?すなわち、355〜360年頃、海洋国家「百済」は、
済州島、対馬、壱岐、九州、中国地方、四国地方、紀伊半島と征服して行き、360年頃、現在の日本の奈良県に、
天皇制度の大和朝廷を開き、中央集権国家である「日本」を建国し、百済王朝の親族支配が始まったからです。
日本と百済は一心同体の関係でした。「古事記」の神武天皇は、百済の始祖である「温祚王」であり、
10世代目の大和朝廷を開いた崇神天皇は、ヤマトタケルの尊(みこと)で、百済王12代目の「契王」の孫と思われます。
そして、この崇神天皇が、355年頃、その当時、「日本」の前の国であった「倭国」の中心であった北九州の「伊都国」を侵略、制圧し、
「伊都国」の女王か、女王の娘と結婚し、「倭国」との血縁関係を結び、それから、近畿地方や関東地方へと進出して行ったのでした。
茨城県でも、4世紀頃作られたと思われる「久??」と書かれた壺が発見されていることから、
百済の使者「久てい」が「ヤマトタケルの尊(みこと)」であった可能性も高いのです。



82 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:28:29
まあ、交易したからといって人種が変わるわけではないが、
少なくとも今の東日本人は勝手に薄くなってるだけで
西のせいにしてもらったら困るし、あの半島から伸びる矢印も
誤解を招き極めて不快である。

83 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:31:32
>>81
お花畑のとんでもサイトのソースは却下

84 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:32:34
まず、大和の東北進出は合理的ではない
遠い、不毛の地、
隣ならまだしも、東海、関東を挟んでいるし、近畿を襲う恐れもない
東北を襲ったのは関東の渡来系だよ

85 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:32:40
>>81
なんつーサイトをソースにしているんだかw
ただ、この時代の大和朝廷と百済は同盟関係で
文化もほとんど同一の存在だったのは事実ですね。

86 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:34:19
八幡は新羅系の遺物と思われているから一概に百済ともいえんだろ

87 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:36:31
今現在ハッキリとわかっていないことを断定していることに無理がある。


88 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:41:06
>>81
百済王朝は、「旧約聖書」でエジプトへ売られた「ヨセフ」の子孫・・・
ワロタw


百済が倭人も含めた多民族国家なのは確かだと思うけど

89 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:42:01
そもそも、平安時代にも関東に蝦夷は存在していたんだけど?
朝鮮系入植者によって蝦夷が東北に追いやられていたというのは間違い。




90 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:46:00
>>81のをソースに出したのが>>1なら、相当キテるね
ヤバイくらいの電波

91 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:46:06
ほぼハッキリと分かってるよ。
古代史関連スレみなよ。
言葉、墓、宗教、地名、氏族、神話、正史
ここらで幾つか一致すればほぼクロ。
別に嫌がらせで言ってるんじゃないよ。


92 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:51:48
ヒステリックに反応されるので言いにくいが
武蔵、常盤、下野の渡来人が土民殺した記録は
風土記にも書いてある。彼らは防人となる。
つまり関東全域は渡来系の支配圏。
それが後に蝦夷と呼ばれる。
東北一帯も既に別系の渡来人の楽園となっていた。

93 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:55:11
へんてこサイトのソースで成り立ってるスレは(゚听)イラネ

94 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:56:02
>宇都宮さんの家紋は勾玉文様らしいです、流石です。
>朝廷の人は違います。
>うちのような百姓は家紋さえありません。
>東国の辺境の地にいて西国を支配した一族ですから
>相当なものです。

いつの話か知らんが、大昔、関東にも結構な国があったのか?

95 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:57:30
足利のこと?

96 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:57:44
>>91
寺社の分布もはっきりしてるな
高麗系神社も山陰から琵琶湖をかすめて東日本全土に広がっている

97 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:58:55
>>92
部族レベルでの戦闘はあっただろうが
渡来系が全面支配していたというのは明らかな誤り。

もし渡来系が全面的に支配して蝦夷と呼ばれるようになっていたのなら
蝦夷が文字を使っていないことの理由の説明が付かない。

98 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:00:38
渡来系は何人で在来系は何人いたのさ

99 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:04:40
一般人が知る歴史は、関東の古代歴史が空白域になってる
だいたい、空白域になっているものは、何かしら(東日本に)都合が悪いもの
部落のルーツも東日本の俘囚の可能性が強い。

100 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:06:31
ほとんど全編空白みたいなかの国よりはマシだな。

101 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:08:01
特定の時期に何人てのもナンセンスだぞ
何百年にも渡って断続的に渡来したんだろうし
戦争時にまとめて来た人達は別にして

102 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:08:15
>>98
不明。
今もどのくらいの入植者がいたのか論争になっている。

>>99
文字がないから記録がない。空白になっているのは仕方がない。
同じように文字のなかったアイヌに至っては18世紀のことですら今も謎なことが多い。

103 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:13:12
>>102
西日本人が文字で残してるものもあるし、>>96などでも傾向はわかる


104 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:13:34
>>97
大和は関東の人も東北の人も兎に角一括して蝦夷としか
呼んではない、その中には明らかに関東の種族と違う一族
(秋田方面の渡来部族等(名前失念)も含まれている)
彼らは文字を持っているとは限らないでしょう。

105 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:14:31
>>99
空白なのか?調布の古墳とか代表的な高麗遺跡なんだろ?
神奈川東京埼玉は新羅神社の集中度が凄いしな

106 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:16:04
このスレにピタリ

92 :通りすがりの医者ですが :03/02/21 14:02
平たく言うと血液型をABOとかRHだけでなく、もっとこう徹底的に分類しまくった
というその世界では有名な調査があります。それによれば糸魚川あたりで関西人と
関東人がくっきり二分できたんですが、その際、関西圏中で出雲だけが完璧な関東
人型を示したんですね。

93 :通りすがりの医者ですが :03/02/21 14:07
中途半端に京都あたりでなく、神の国出雲が関東の飛び地であった
事実に、当時医学生だった私は太古のロマンに夢を馳せ、しばしうっとり
したものでした。

「東日本と西日本 」というスレが立ってますが、二度書くほどの中身でもないので
一応、こちらでご披露させていただきます。
失礼致しました。

94 :通りすがりの医者ですが :03/02/21 14:10
あ、自分の文章ながら、ひとつだけ
つっこませていただければ「関東が出雲の飛び地」なのかもね。

99 :通りすがりの医者ですが :03/02/24 09:41
でも今日はいいことありそうだから気を取り直して教えてあげよう。

オリジナルは北海道大学現第三内科(血液)の業績だけど、
ヒューマンヒストコンパーティビリティを語る上で学生の食いつきの
良い話なので、どこの医学部の授業でも必ず取り上げられてる話なんですね。
まわりで医者でも医学生でも捕まえてヒューマンヒストコンパーティビリティ
ってなに?って訊ねてみ。まともなやつなら先ず出雲の話、し始めるから。

107 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:19:23
>>106が事実なら、朝鮮系神社の広がりと恐ろしいほど一致するわけだが
北海道大学現第三内科(血液)の業績というものやらの確実なソースが欲しい

108 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:20:27
>>103
それは大和朝廷側から見たものでしかない。
それを全面的に信用するのはマルコポーロの書いた書物を見て
日本はなにもかもが黄金でできた国だということを信じるのと同じ。

>>104
だったらなおさら渡来人が東日本を支配していた証拠にはなりません。

109 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:27:34
倭人は、中国側が書いたもので研究しているんだが

110 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:32:13
>栃木や茨城には前方後方墳が大量にあります

らしいが、本当に古代関東には文字はないの?

111 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:32:49
スレタイそのものには俺は反対の意見だが、
言いたいことは分からないでも無いよ。
九州を南下すると、縄文系の濃い顔が増えていくのは誰も目にも明らか。
ところが、東日本・北日本を北上して逝っても
縄文系とされる顔の比率は全然増えないんだよな。
むしろ、特に東北南部の太平洋側(宮城がピーク)がはっきりするんだが、
なぜか西日本よりはるかに薄い顔が多い。
もう一つの薄い顔の牙城が長野県なんだが。
実は、縄文後期の寒冷化とともに、東日本縄文人は移動・激減したらしいんだな。
縄文後期から晩期になると、縄文中期の人口稠密地帯である
東日本、特に関東平野と中部山岳の縄文人口は事実上壊滅する。
代わりに温暖な本州南岸沿いと九州の人口が増加している。
弥生時代になり、東海地方南岸の縄文勢力を打ち破ったあと、
無人地帯に近かった東日本を出雲系弥生人が一気に席捲して行ったらしい。
席捲した弥生人が出雲系だったことは神社の縁起で明らかだ。
彼らがおそらく東北蝦夷となって中央政府と紛争を起こしたらしい。


112 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:33:54
>>109
参考程度にな。
本当にそう思っているなら遺跡発掘の必要なんかない。

113 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:36:42
青森県人も顔が鹿児島並に濃いけど、そこはどーなってんの?

114 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:38:06
>>111
>実は、縄文後期の寒冷化とともに、東日本縄文人は移動・激減したらしいんだな。
>縄文後期から晩期になると、縄文中期の人口稠密地帯である
>東日本、特に関東平野と中部山岳の縄文人口は事実上壊滅する。
>代わりに温暖な本州南岸沿いと九州の人口が増加している。
>弥生時代になり、東海地方南岸の縄文勢力を打ち破ったあと、
>無人地帯に近かった東日本を出雲系弥生人が一気に席捲して行ったらしい。
>席捲した弥生人が出雲系だったことは神社の縁起で明らかだ。
>彼らがおそらく東北蝦夷となって中央政府と紛争を起こしたらしい。

このあたりはまったくのデタラメ。
なんの根拠もないし憶測だとしても穴だらけ。

115 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:44:14
少なくとも坂上将軍以降、関西人が東日本を征服したというのは
まずあり得ない。

116 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:45:21
蝦夷との戦いについてあまり知らないけど
何十年、百年続いた戦国時代並の規模だった可能性が出てきたとか
ニュー速の記事でちらっと見たことがある
武器、文化程度が違うし、土蜘蛛相手ならそれ程時間はかからないと思う。
やはり、渡来系同士の権力争いなんだろうか

117 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:45:36
>>114
縄文晩期に東日本、
特に関東と中部山岳の縄文人口が激減しているのは
もはや通説だと思うけど。
一般に言われる「東日本に偏る縄文人口」というのは中期の話だよ。
後期・晩期になると状況は一変する。
関東平野や八ヶ岳山麓の遺跡群はほぼ壊滅状態になる。
弥生時代が始まる随分前にすでにこの変化は起きていたわけだ。

遺跡出土品の分布などから住民移動を推測すると、
少数は青森へ北上して亀ヶ岡式土器文化の担い手になり、
大多数は本州南岸を南下して九州中部を中心に移住したらしいんだが。

118 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:50:25
>>117
通説ではない。
まったく証拠がなく論争になっているのが現状。

119 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 23:51:02
有明海周辺に東の縄文遺跡が出土しますね、
これは交易の為か移住の為かわかりませんが
開明的な縄文人はこの地域に移住したということはあるでしょう。
縄文晩期の九州は高度な技術を持っていた。

120 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 00:19:36
>>118
遺跡数の激減と規模の劣化は明らかな考古学的証拠だろ。
中期に見られた稠密で大規模な縄文集落や、
生産分業や広範囲の大規模交易を前提としたような作業場の遺跡は消滅する。
干潟のまわりや海食洞などにみすぼらしい小規模の遺跡がまばらに出るばかり。
そこからは前時代と比較した人口の激減が
当然確実なものとして推測されるわけだ。

ただ減少しただけなのか、どこかへ移動しただけなのかはわからない。
だが、熊本あたりに明らかな縄文中期東日本文化の流れを汲む
かなり大規模な遺跡が発見されていること、
そればかりか中間にあたる近畿などでも同系統の遺跡出土品があること
などから、中期東日本縄文人が西南日本に向かったらしいことが推測される。
これはまだ論争点だと思うけどね。

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