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八幡大菩薩【明神】様について

1 :天之御名無主:04/12/22 00:02:06
 来年にむけて日本人なら語るべき、

2 :天之御名無主:04/12/22 01:05:55
おーじんじおーじんじおーじん

3 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 14:47:18
応神天皇霊とされる様になったのは平安時代からですが、『枕草子』の中でも、
昔の帝という事で特別扱いされていますね。
平安時代初期には、奈良時代に同大菩薩をお迎えした聖武天皇霊とする考え方が
まず成立していました。
死後神となられたのではなく、菩薩が人として出て来られたという事で、『日本
霊異記』の末尾を飾る説話に発想が近い。
始まりは、北の鹿島・香取同様、辺境を守護する武神であった様です。

4 :???:04/12/22 16:54:07
 ↑来ましたか、もっと聞かせて山野さん。

5 :天之御名無主:04/12/22 16:55:51
 そもそもなんで応神天皇が武神なわけよ?

6 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 18:00:58
香椎廟(元々神社では無く、山陵扱い)に祀られていた、神功皇后繋がりでしょう。
「辺土」という言葉からは、対隼人戦ばかりでなく、対新羅戦も意識されます。
奈良時代以降、新羅との関係が悪化した時には、八幡大菩薩や香椎廟に朝廷から報告
がもたらされました。守護を祈っての事です。
院政期になると、大宰府では天満天神と並んで崇敬の対象となりました。
とりわけ二度も大宰権師となった大江匡房は、かつて仕えていた後三条天皇を応神天
皇同様、八幡神の化身とし、その本地は阿弥陀如来であるとして、理論上は本地を観
音としていた熊野・伊勢の上位に位置づけています。
この他、859年には京都にも八幡大菩薩宮(石清水八幡宮)が出来ています。
鰯という下等な魚が好きであったのを夫にとがめられた紫式部が、「鰯」と「石清水」をか
けた歌を詠み、冗談交じりに正当性を主張したという話は有名。
後に源頼信が氏神として信仰する様になると、武神としての性格が強調される様にな
りますが、織田信長も無神論者などではなく、八幡を厚く信仰していました。

7 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 18:45:59
スレタイトルに「明神」とありますので、ついでに「大明神」のお話でも。
「大明神」とは、元々『悲華経』にある用語で、釈迦が涅槃に入られた後、「大明神」
として衆生を救済されるという概念に基づいたものであって、単に神を明神・
名神と呼んだものとは、区別される様です。名神は名神大社の「ミョウ」。
「権現」も「仮に現れたもの」という意味で、共に背景には仏教がありました。
豊国大明神も、東照大権現も、家康や秀吉の霊を死後祀ったというだけではなく、
建前上は彼らを仏の化身として、その後に神として現れたとしたものです。
鎌倉時代以降、死者や動物の霊を神として祀る例も出て来ますが、これらは本地
を持たない「実社神」であって、本地のある「権社神」とは区別されました。
仏家からすれば、当然崇めるべきは権社神という事になります。
死者の霊を、単に死者の霊として、功績を称える為だけに神社に祀る様になるの
は、近世からじゃありませんかね・・・。
今はひっくるめて「神」扱いですが、日本人の発想が汎神論的なものばかりになっ
たのは、そう古い事では無いと思いますよ。「一文不通」の階層はともかく。

8 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 19:08:29
追加:「明神」と「大明神」の混在した、『古事談』の様な例もあります。
こちらはあまり厳密性に拘らなくても良いかもしれません。

9 :天之御名無主:04/12/23 01:41:01
山野氏のおかげで、わずか8レスで必要十分な内容になってしまったw
はやくもこのスレ終了か?

10 :天之御名無主:04/12/23 01:42:01
ところで、 「はちまん」 「やは[わ]た」 どういうつかいわけなのかねえ?

11 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/23 09:15:43
音読みか訓読みかですが、「広幡の八幡大神」と呼ばれた武神の名称の起
源は、法会に掲げられた幡説もあるものの、唐代の軍制の「八幡四鉾制」
に因んでいるという説が面白いですよ。
それなら、「八幡大神」の歴史は、そう古いものでは無かったという事に
なりますが。少なくとも応神天皇霊は後付けですし。
もっとも、今はやはた=地名だと思いますけどね。『信長公記』にも、織
田信長が長篠の合戦の前に、「やはたの八幡宮」が荒廃しているのを目に
して、わざわざ修築させたという話がありますが、これも地名でしょう。
わらべ歌にもよく、「八つ八幡の八幡様」とある。
中世の起請文には梵天・帝釈以下5〜6柱の仏神が挙げられたもので、
近世には「八幡断じて」などという様に、以下の文の断定や強調を表し
ていました。
私がこれまで見た中では、一番仏神の数が多かったのが島津が前田・徳
川に提出した約100柱ですが、信長の場合、朝倉義景との間に起請文
を交わしていても、「八幡も御照覧あれ」としか書いていません。
近世の史料でも言われていた事ですが、宣教師が伝えた様な無神論者と
いうよりは、方向性の限定された強烈な信者であった様です。

12 :誘導:04/12/23 10:43:50
>>1
単発質問は下記スレで

スレを立てるまでもない質問 5
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1097186173/

>>11
「1が価値有る情報を出さない/面倒を見ない・単発質問・重複・板違い」
などのスレッドを見かけた場合、

・重複/乱立として本スレ、質問スレ、雑談スレなどに誘導
・板違いとして別板に誘導
・GLに沿って削除整理依頼

等の処理をお願い致します。


13 :天之御名無主:04/12/23 10:47:34
>>12
・・・・・・(゚Д゚ )?

14 :天之御名無主:04/12/23 16:33:50
ところで日本最初に八幡様が降りられたとされる九州の宇佐では
八つの神像が本殿には祀られてると聞きますがその八つの神様は
どなたなのでしょうか?

15 :天之御名無主:04/12/25 04:02:53
当方アマチュア(素人)ですが、
内田康夫の「はちまん」という小説(ミステリー)で
「八幡は廃仏毀釈の過程で神道側に利用された」という内容の
かなり学問的な記述がありました。
けっこうきな臭い神様では。
そういうのコミでの議論なら興味あるなー。

16 :天之御名無主:04/12/28 01:24:57
>15
詳細きぼんぬ。
八幡大菩薩っつーくらいだから、神仏混交のマージナルなキャラではあるんだろうが・・・。
とすると、おなじ権現系の蔵王権現なんぞはどうなんだ?とか思ってみたり。

17 :天之御名無主:04/12/28 02:06:43
八幡神(ヤワタノカミ)=ヤハヴェ(エホバ)である、と言ってみるテスト。


18 :15:04/12/28 03:37:43
本棚に本がない!
古本屋探してきます。

「神仏習合の過程で目障りな神か仏か判別できないホトケは
みんな『八幡』に押し込めた」という話でした。
その「押し込める対象」として都合の良かったのが、八幡だった。
(イマイチ実体がはっきりしないから利用しやすい)、
という話だったはずですが。
記憶がやや不確か。

あまり政治的な話はスレ違いだとは思うけど、
八幡大菩薩と廃仏稀釈の話は民俗神話板でもアリですかね?

ええと。ちゃんと調べてまた正確に書きますので。


19 :天之御名無主:04/12/28 05:58:59
民俗と政治は切り離せない、と言ってみるテスト。

八幡大菩薩と廃仏稀釈の話は民俗神話板でもアリ、と言ってみるテスト。

久々、使ったよ、「と言ってみるテスト」。

20 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/28 07:53:43
>八幡大菩薩
「菩薩」号では、一番古いですからね。『続日本紀』にまで遡れる。
大江匡房の『箱崎宮記』の時代には、本地は阿弥陀三尊であるとして、以下
の様な話が伝わっています。

昔。新羅国が、我が国を攻めようとした事があった。しかし我が国を護る神
々が邪魔であったので、「十地の菩薩を本地としているのなら」と、十地の菩
薩を呪縛する誓いのある不動咒を使う事とした。
一人の童子を高楼の上で修行させ、七十になるまで行わせたので、霊験は計
り知れないほどになった。
かくして、童子改め老僧は日本へ渡来し、次々と神々を捕え、瓶の中に封じ
こめていった。熱田の明神は剣の姿となって逃れでようとなさったが、袈裟
で絡め獲られてしまった。
しかし、宇佐宮は不動咒にも動ぜられる事は無く、とうとう備後国において、
老僧を蹴殺してしまわれた。神々は、瓶の中から飛び出して来られた。
これで知る事が出来る宇佐宮の本地が、十地の如来であって、他に卓越した
存在であるという事が。

匡房の八幡信仰は、かなり強烈なもので、後任者の藤原季仲が箱崎宮と問題
を起こした時には、「八幡の伯母である」として、謀反相当の罪であると主張
し、周防(後に常陸)まで流罪にしています。

21 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/28 07:57:57
>その「押し込める対象」として都合の良かったのが、八幡だった。

元々、怨霊を鎮めるために勧請され易かったのが八幡。怨霊を「若宮」とし
て祀り、鎮撫される事が多かった様です。それでやたら数が多い。
八幡・北野は仏教との関りが強かったせいもあるでしょうが。

追記:上の新羅国の僧侶が、「道行」であった事、言うまでもありません。

22 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/28 08:01:44
空海と守敏、染殿后と(生前不動咒を行っていた)紺青鬼の話とも繋がる。
ともに『今昔物語集』にある話で、前者は歌舞伎にもなっていて有名。

23 :天之御名無主:05/01/21 21:13:39
宇佐神宮と応神天皇と神功皇后との結びつきが今一よくわからん。
一ではなくて百くらい。

24 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/21 21:59:39
奈良時代に藤原仲麻呂が新羅征伐の兵を動かそうとした事がありましたが、
その時、かつて新羅に出兵した神功皇后の霊を祀った香椎廟や宇佐の八幡
神に加護が祈られています。
そうした辺境防備の神・霊という経緯から、八幡神・比売神と応神天皇・
神功皇后を同一視する様になったのでしょう。

25 :天之御名無主:05/02/08 19:41:25
>>1
道鏡法師、称徳天皇の心よせと成て国王と成らんとせし時、
清丸、八幡大菩薩に祈請せし時、
八幡の御託宣に云く「夫れ神に大小好悪有り、
乃至彼は衆く我は寡し。邪は強く正は弱し。
乃ち当に仏力の加護を仰て為めに皇緒を紹隆すべし」等云云。
当に知るべし、
八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給ひけるなり。

26 :天之御名無主:05/02/08 19:43:42
>>1
本地は不妄語の経の釈迦仏、
迹には不妄語の八幡大菩薩なり。
八葉は八幡、中台は教主釈尊なり。
四月八日寅の日に生まれ、
八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。
豈に教主の日本国に生まれ給ふに有らずや。
大隅の正八幡宮の石の文に云く
「昔し霊鷲山に在て妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」等云云。
法華経に云く「今此三界」等云云。
又「常に霊鷲山に在り」等云云。

27 :天之御名無主:05/02/08 19:48:09
>>1
今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給ひぬるか。
例せば秦の始皇の先祖嚢王と申せし王、
神となりて始皇等を守護し給ひし程に、
秦の始皇大慢をなして三皇五帝の墳典をやき、
三聖の孝経等を失ひしかば、
沛公と申す人剣をもつて大蛇を切り死ぬ。秦皇の氏神是なり。
其の後秦の代ほどなくほろび候ひぬ。


28 :天之御名無主:05/02/08 19:49:41
安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり。
平家ををごらせし失に、
伊勢太神宮・八幡等に神うちに打ち失はれて、
其の後平家ほどなくほろび候ひぬ。
此れも又かくのごとし。


29 :天之御名無主:2005/05/17(火) 12:06:43
age

30 :天之御名無主:2005/07/06(水) 22:02:13
>>23
最初、宇佐には比売大神がいた。(比売大神は卑弥呼だと言う説もあり)

応神天皇とその母、神功皇后については神話が元に成っている。

宇佐八幡宮の伝説では、仏教が伝来した欽明天皇の時代(5世紀後半)、宇佐の地に不思議
な事件が起こったといわれている。今は宇佐八幡の境内にある菱形池のほとりに、鍛冶師の
翁(おきな)や八つの頭の龍が現れ、その姿を見た者は病気になったり、死んでしまったりした。

この翁やオロチの祟りを鎮めようと、修行者が断食して祈ると、鍛冶師の翁が子どもの姿で現れ、
「我は誉田天皇(こんだのすめらみこと)広幡八幡麻呂(ひろはたやはたまろ)、名は護国霊験(ごこ
くれいげん)威力神通(いりょくじんつう)大自在菩薩(だいじざいぼさつ)なり」と告げたという。

誉田天皇とは、倭の五王の時代を開いた応神(おうじん)天皇のこと。

http://blog.goo.ne.jp/takahashikun_goo/e/d8c7b5697592aab809c91893fcad3e23

31 :天之御名無主:2005/07/07(木) 19:10:13
宇佐神宮の奥の宮、大元神社に祀られた神が元祖八幡神。
http://www.genbu.net/data/buzen/omoto_title.htm
(入らずの森には何があるのか?)

32 :天之御名無主:2005/07/11(月) 11:29:49

八幡(ヤハタ)神・・・・・ヤハヴェ(エホバ)、唯一神

神功皇后・・・マリア(処女受胎神話あり)、聖母

応神天皇・・・キリスト(マリアの子)、神の御子 (天皇はキリストの子孫)


この三位を一体にして祀っている場所が宇佐八幡宮だろ?

33 :天之御名無主:2005/07/11(月) 12:25:10
八幡さんは神功皇后が朝鮮から持って帰った三韓征伐の戦利品だろ。

34 :天之御名無主:2005/07/11(月) 18:48:23
>>33
神功皇后が現れる以前から祀られてた社がある。
それが大元神社。

35 :天之御名無主:2005/07/11(月) 20:34:14
大元神社の裏の藪は怪しげな石ころが転がってるだけだよ。

36 :天之御名無主:2005/07/12(火) 00:39:15
>>35
つまり・・・・・ 古代人の遺構か?

37 :天之御名無主:2005/08/16(火) 23:56:59
秦氏辺り由来だったりして>怪しげな石ころ

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