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カント『純粋理性批判』を読みませんか?

1 :モコ:03/11/09 11:54
はじめまして17歳の女子校生ですがカントに興味があります。
女が哲学してはいけないような風潮がありますがわたしは負けません。
なのでだれか一緒に読んでくれませんか?
いま先験的感性論を読んでいます。
空間・時間は直感のなかでも純粋直感ということですが、それは「私」の主観
のなかに先験的にもっているということでいいのでしょうか?
なんか難しくてよく頭の中で整理できません。だれか助けてくださいませんか?

2 :考える名無しさん:03/11/09 12:01
>1さん

モコさんはネカマでは無いですよネ!



3 :考える名無しさん:03/11/09 12:08
ずざー

4 :考える名無しさん:03/11/09 12:10
解説本よめよ。

5 :◆m0yPyqc5MQ :03/11/09 12:10
骨自演ウザい

6 :考える名無しさん:03/11/09 12:41
純粋理性批判スレあるよ。探せ。

7 :◆m0yPyqc5MQ :03/11/09 12:44
(どーせ骨だから削除依頼はださねーだろーな。無責任な奴)

8 :考える名無しさん:03/11/09 16:43
この機会に、埴谷雄高の『死靈』を読む事をお勧めします。

9 :考える名無しさん:03/11/09 18:03
誰か、持ってる人いないんですか?
読書会でもしたらいいのでは?

10 :考える名無しさん:03/11/09 18:25
俺たち2ちゃんコロには関係ないっす。

11 :たーちゃん ◆b5.0SF1OyQ :03/11/09 20:28
>>9
邦訳でよければ2種類持ってます。
読書会スレ、やってみたいのですがこの状況では少々気が引けます。
スレが沈むのを待ってから様子を見て考えましょう。

それにしても1さんはぁゃιぃ。

12 :考える名無しさん:03/11/09 20:37
>>11
期待してます。


13 :考える名無しさん:03/11/09 21:07
>>1
ちゃんとレジュメきって真面目にやるなら付き合う


14 :たーちゃん ◆b5.0SF1OyQ :03/11/09 21:46
>>12-13
ありがとう。
当面は板状況をみながら準備してます。
気長におつきあい頂けると有難いです。

15 :考える名無しさん:03/11/10 00:50
いきなり水を差すようだけど、レジュメを作りながら「純理」の読書スレは長続きしないような。
「プロレゴーメナ」の方にしたらどうでしょうか?  >1さん

期待しています。

16 :ザハトホ実存主義者:03/11/10 01:13

 私も参加しようかなと思うのだがね。『プロレゴメナ』は確か『純粋理性批判』の第2版
を出した後に書いたものだから、少し内容が形而上学的な方向へ力点を移していると言うのが
読者の主な論点だと私は思うのだがね。だから、最初に読むのなら、ゆっくりでいいから、
『純粋理性批判』の第1版第2版序文・各緒言をざっと読んでから「感性論」を読んでいくのが
いいと、経験的に思うのだが、どんなものかね?レジュメで続け難いようなら、段落ごとに
表題と要約で進み、質問ー答えで繋いで行くってのはダメかね?

待ってました。読書会スレww



17 :たーちゃん ◆b5.0SF1OyQ :03/11/10 20:12
>1さん
みんなが待ってますよ〜♪

18 :モコ:03/11/16 18:50
皆さんありがとうございます。最初ちょっと煽る方がいたものですから
すみませんでした。

では、みなさんが決められた箇所までを読んでみんなで答えを
だしながら、16さんがおっしゃるように問い・解答という形で
進めましょう。

わたしは『純粋理性批判』を原書でよんでいますが、邦訳でも
原書でもどちらでも可です。

まずは、超越論的感性論についてしばらくやってみませんか?

VorredeでまずRockeに対する批判。

形而上学が経験に由来するならば、形而上学が経験一般に由来する。
それゆえ、形而上学の失墜。

Rocke
『if ,in this historical,plain Method,・・・』
事象記述の平明な方法
人間の経験にだけたよって探究を遂行しようとする態度。

これに対するのがカントの批判なのでしょうが、なぜロックの
考えだといけないのでしょうか?なにが不都合だと皆さんは
思われますか?

PS Kant『kritik der reinen Vernunnft』Felix Meiner版
   Rocke『an essay concerning human understanding』OXFORD
   ロック『世界の名著ロック・ヒューム』(人間知性論)中央公論社
  
   を、私は使っています。そろりそろりとじっくりお付き合いしてください。
   いずれ、どのテクストが使いやすいか皆さんで決めましょう。

19 :考える名無しさん:03/11/16 18:57
>>18
まだ17歳なのに原書で読めるなんて凄いですね。

>ALL
わたしは、岩波文庫の邦訳しか持っていないのですが、
原文が掲載されているサイトってどこかにありませんか?

20 :考える名無しさん:03/11/16 18:59
>>1
>空間・時間は直感のなかでも純粋直感ということですが、それは「私」の主観
>のなかに先験的にもっているということでいいのでしょうか?
僕もそのように理解しました。人間が何かを考えるときに 時間と空間抜きに
考えることができない よって人間にとって 時間と空間は先験的である と
言う風に理解しています


21 :考える名無しさん:03/11/16 19:04
Rocke じゃなくて Locke でしょ

22 :モコ:03/11/16 19:07
>>20さん
早速レスありがとうございます。わたしの考えたニュアンスでよかったのですね。
同じ意見の方と出会えると嬉しいです。ひとつひとつ確認しながらがんばります。

>>19さん
歳は関係なくやりたいことに熱中するのがわたしの癖なので・・・
生意気でしょうか?

23 :モコ:03/11/16 19:08
>>21さん
指摘ありがとうございます。RとL間違えました。訂正します。

24 :考える名無しさん:03/11/16 19:09
>>19
> 原文が掲載されているサイトってどこかにありませんか?

ほれ

第1版(1781年) いわゆる「A版」
http://www.gutenberg2000.de/kant/krva/krva.htm

第2版(1787年) いわゆる「B版」
http://www.gutenberg2000.de/kant/krvb/krvb.htm

25 :20:03/11/16 19:19
>>18
>形而上学が経験に由来するならば、形而上学が経験一般に由来する。
>それゆえ、形而上学の失墜。
個人的な意見で恐縮なんですが・・・
カントにとって形而上学とは プラトンのイデアのようなものであって
人間の経験に左右されるような知であってはならないからなんじゃない
でしょうか?

26 :20:03/11/16 19:25
つづき
一般的にカントの前後のドイツ哲学者たちの時代を ドイツ観念論
といいますが 彼らの考えで方は まず理念(理想的なもの よって
完全なもの)というものがあって それに近づくための人間の能力が
理性です。

27 :モコ:03/11/16 19:37
>>26さん
そのとおりだと私もおもいます。形而上学の失墜はLockeについてのわたし
の意見であり(書きかたが悪かったですね)カントはもちろんそれを批判
している、という構図ならばわたしも理解できています。

28 :KdrV:03/11/16 20:19
>>25

「経験」というものに対して、カントの態度は両義的です。『純粋理性批判』の一番大きな主張の一つは、
人間理性による理論的認識の範囲を経験の領域に限定せよ、というものでした。この意味で、カントは自
分の哲学こそが経験のもつ意味を正しく評価する哲学だと考えていたはずです。

その一方で、カントは認識が認識であるための条件を問題にします。彼にとって、認識は悟性と感性という
二つの認識能力、言い換えると、概念(<悟性)と直観(<感性)という二つの要素が関与してはじめて成
立するものでした。(ちなみに「直感」ではなく「直観」です >>1

概念と直観のうち、「経験」とかかわりが深いのは直観のほうで、認識の範囲を経験の領域に限定する、と
いうことは、言い換えれば、直観ぬきに認識はありえないという意味です。ところが、この原則には二つの但し
書きが必要になります。

29 :20:03/11/16 20:19
僕も読んでみます。がんばって『純粋理性批判』
読破しましょう!

30 :KdrV:03/11/16 20:20
第一に、認識一般が可能となるための条件についての考察、カントのいう「超越論的」な考察それ自身には、
この原則が適用されないということ。

第二に、これは第一の但し書きの理由にもなるのですが、認識一般、つまり、およそあらゆる認識についてあ
てはまるべき命題があるとすると、その命題は無条件かつ一般的にあてはまるわけだから、経験や直観をより
どころにするわけにはいかないということ、です。

というのも、経験とはどういうことか? 一番わかりやすいのは実験です。真空中で鉄の塊と羽毛を落としたら、
どちらが速く落下するか? 実験の結果を知らない場合、つまり、頭で考えているだけだと、鉄の塊のほうが速
く落ちそうな気がしてきます。頭で考えるというのは、カント風に言い換えると、概念だけをよりどころにするという
ことです。

ところが、実際に実験してみれば、頭だけで考えて出した結論が間違っていることを自分の眼で直接見ること
になります。自分の眼で直接見ること、これがカントの言う直観の一番基本的な意味です。つまり、頭で考え
ているだけでは正しい認識が得られず、実際に実験などをして確かめてみないとわからないことが多い、という
ことです。

31 :KdrV:03/11/16 20:20
こういう「百聞は一見にしかず」のような話なら、カント以前の自然哲学者も盛んに唱えていました。カントの独
自性は、逆に、経験だけをよりどころにしたのでは十分な認識に到達できないと考えた点です。太陽が東から
昇ること教えてくれるのは経験ですが、明日太陽が西から昇らないという保証はありません。

たしかに、人間が頭だけで考えていても結論の出せない問題や、間違った結論を出してしまう問題について、
経験はいつでも新しい情報をもたらしてくれるでしょう。しかし、いつでも新しい情報をもたらしてくれるというこの
特性は、裏を返すと、これまでの経験から得られた知識がさらに新しい知識によって塗り替えられる可能性を
含むものでもあるわけです。

だから、形而上学が「学問」として成り立つためには、言い換えると、認識一般(=およそあらゆる認識)が可
能になるための条件を明らかにするという任務を形而上学が果たすためには、「これまでの経験によれば、これ
これこうこうでした」と言って済ませるわけにはいかないことになります。これが、「経験や直観をよりどころにするわ
けにはいかない」と書いたことの意味です。

要するに、「経験」に対するカントの両義的な態度を考えると、idealism とか観念論という言葉でカントの立
場をまとめてしまうことは問題だろうということです。

32 :たーちゃん ◆b5.0SF1OyQ :03/11/16 20:24
モコさんお帰りなさい。期待してます。

>>24 ありがと♪

33 :考える名無しさん:03/11/16 20:27
おい、ゆっくり読んで行こうぜ。
先走るんじゃねーよ。

34 :20:03/11/16 20:50
>>31
すいません。出来るだけ簡潔に書こうと思ったので
誤解されましたね。
>要するに、「経験」に対するカントの両義的な態度を考えると、idealism とか観念論という言葉でカントの立
>場をまとめてしまうことは問題だろうということです。
僕もこの点は 自覚していました。レスを読んでもらえば分かりますが
「イデアのようなもの」「一般的に」と書いたのはそのためです。



35 :ザハトホ実存主義者:03/11/16 21:46
>諸君。もし、煽り等がいやなら、いつしかにはsage進行することとしてはどうかね?
今は参加者を募る意味でもあるのだろうか。

>>20>>22 
 >人間が何かを考えるときに 時間と空間抜きに
 >考えることができない よって人間にとって 時間と空間は先験的である と
 >言う風に理解しています
 時間と空間が、ア・プリオリな形式であるとカントが主張するのは、人間の思惟が
それ抜きに考える事ができないという事を根拠にしてなされるのではない。純粋に直
観形式として解明しようとする時間と空間は、カントが厳密に論究し解明しようとす
る『純粋理性批判』の「超越論的感性論」の重要な任務であると言う事ができるから
だよ。そう私は思うのだがどうだろうね?

 無論「超越論的感性論」を実際読み進めれば理解してもらえると信じているのだがね。

>>25-26
 それは、カントの実際に書いた「緒言」を読めば分かると思うのだが。貴方の言う方
向性の解釈(形而上学的な解釈=実際私も好きなんだけどね・・。)は星の数ほどある
カント解釈の中には(厳密な意味ではなく)在り得るけれど、今はあまりプラトンやア
リストテレス、「ドイツ観念論」の言う「理念」などは参考程度にして読み進める方が、
先入観無く(誤謬なく)読めるだろうし、厳格に規定しようとしたカント自身の意図を
極力正確に理解することが出来るのではないかなあと、わたしなんかは思う方なのだよ。
(楽しいのはとってもよくワカル)

 要は、形而上学に対して「も」、「kritik」 なのだと言う事だと思うよ。


36 :ザハトホ実存主義者:03/11/16 21:48
続き。

>>28 
 >「経験」というものに対して、カントの態度は両義的です。『純粋理性批判』の一番大きな主張の一つは、
 >人間理性による理論的認識の範囲を経験の領域に限定せよ、というものでした。この意味で、カントは自
 >分の哲学こそが経験のもつ意味を正しく評価する哲学だと考えていたはずです。

 >その一方で、カントは認識が認識であるための条件を問題にします。彼にとって、認識は悟性と感性という
 >二つの認識能力、言い換えると、概念(<悟性)と直観(<感性)という二つの要素が関与してはじめて成
 >立するものでした。
 なるほど。仰る通り。貴方の仰る(方向性の)解釈もあり得ますね。
 
いずれにせよ、読書会なのだから、実際に読み進める中で、テキストの中から具体的にカントの記述を根拠とし
て理解する事にしてはどうかと思うのだがいかがなものだろうか?




37 :考える名無しさん:03/11/16 21:55
さんせい!

っていうか、何日からはじまるの?

38 :ザハトホ実存主義者:03/11/16 22:02
>>1 モコさんのスケジュール次第なのかも知れないね。修学旅行の季節ではないの
  だろうか?だとすれば、それが終わってから期末試験前(12月)までの間という
  事になるのだろうか?優秀な高校生なのだろうから、その様な事情は関係ないの
  かも知れないがね?


39 :20:03/11/16 22:07
ザハトホさんに賛成です
>要は、形而上学に対して「も」、「kritik」 なのだと言う事
なるほど 勉強になります!

40 :考える名無しさん:03/11/17 14:24
ザハトホ実存主義者さんのおっしゃる
>『純粋理性批判』の第1版第2版序文・各緒言および「超越論的感性論」
読みました。そこで質問です。
>>35
>純粋に直観形式として解明しようとする時間と空間は、カントが厳密に論究し解明しようとす
>る重要な任務であると言う事ができるから
とありますが,それはカントの意図(動機)の面ではそのように読めますが,
>時間と空間が、ア・プリオリな形式であるとカントが主張する
ことへの論理的な説明ではありません。もし論理的であると考えると『純粋理性批判』の「重要な任務」の
もとで考究されるものすべてに対してアプリオリであるという事になります。
なぜ「時間・空間」とだけがア・プリオリな認識形態なのでしょうか?

41 :考える名無しさん:03/11/17 18:21
あげます

42 :考える名無しさん:03/11/17 18:36
>1

こういうふうに全角だと全部骨に見える

43 :モコ:03/11/17 19:17
わぁ、1日でだいぶレスがつきましたね。わたし抜きでも
どんどん進めていってくださいね。

ところで「骨」とはなんですか?初心者なもので・・・

44 :ザハトホ実存主義者:03/11/17 19:20
>>40
 確かに、私の文章はマズイね。なんとなく、全体的な意味はとれそうではあるが、
詳しく検討しようとすると、ワケが分からなくなる類の悪文なので、労力かけるね。
文章少々苦手なのだよ。正直、ゴメンなさいね。

 今から少し、出かけなきゃならんので、なお・さらに誤解を解く必要があれば、
レスしてみて頂くとありがたい。

 時間と空間の解明は、カントが感性論で端的に述べているので、私なぞが言を
代えて述べるまでもないのは、言わずもがなだろうなあと思ったのでね。
 

45 :考える名無しさん:03/11/17 20:11
>>43
「骨」は哲学板の嫌われ者。
一見まともそうだけど、いろんな名前で下らないスレばっか立ててるから
コイツにはみんな警戒してるもんで、つい疑ってしまうんだけど、
許してやってちょ。

46 :ザハトホ実存主義者:03/11/18 00:38
>>40 ただいま。

  では、>>35を言い換えてみましょう。

 >人間が何かを考えるときに 時間と空間抜きに
 >考えることができない よって人間にとって 時間と空間は先験的である と
 >言う風に理解しています
 時間と空間が、ア・プリオリな形式であるとカントが主張するのは、人間の思惟が
それ抜きに考える事ができないという事を根拠にしてなされるのではない。なぜなら、
確かに、「人間が何かを考えるときに、時間と空間抜きには考えられない」事は、「
超越論的感性論」で、純粋な直観形式として解明される当のその過程においては、必
要な事項としてカントは随所(…引用すると長くなるのと、今手元に無いので省略。)
に認めていると言えるけれども、それだからといって、その事項が、ただちに時間と
空間が、ア・プリオリな形式であるところの根拠とされているわけではない。では、
カントが何を根拠としているのかは、無論「超越論的感性論」の解明の推移をたどっ
て行けば、(私が言を代える以上に)最も端的に理解できる事は言うまでも無いが、
そこで書かれている根拠こそは、カントが厳密に論究し解明しようとする『純粋理性
批判』の最初の部分である「超越論的感性論」に与えられた重要な任務があるからで
あると言う事「も」できるのではないだろうか。そのように、私は思うのだがどんな
ものだろうね?

 無論「超越論的感性論」と、その先を実際読み進めれば、私の言わんとするところが、
大方理解してもらえると信じているのだがね。

 でどうだろう?だめかね?


47 :ザハトホ実存主義者:03/11/18 00:53
>>46 訂正。
  任務があるからであると … ×
  任務を果たす所以のものでもあると … ○


48 :40:03/11/18 02:09
自分で書いたものを見て結構失礼な書き方じゃないかと
思いました。悪意はなかったのですが,ザハトホ実存主義者さんが
私の書いた文でむっとされたとしたら申し訳ありません。これは
ザハトホ実存主義者さんの文からそう感じたのではなくて
自分で自分の文を読んでそう感じたということです。
あと,ザハトホさんの文は論理的に書いてあり,非常に読みやすいです。
初期の漱石のようなユーモアも感じます。
私とザハトホさんの主張について,私はどこかずれを感じました。
それについて気付いたことがあったので書いてみます。

49 :40:03/11/18 02:30
まずザハトホさんのテキストの読みは実証的であり,私の読みは対話的である
ということです。対話は相手の言うことをある程度先読みして肯定的(又は
否定的)に捉える性質を持っています。今はカントを読んでいるのでここでは
肯定的側面が強調されます。そうするとテキストからのある種の飛躍をもたらす結果
にもなります。>>40で言えば 「時間・空間」がア・プリオリであるとすれば,論理的に
考えてどのような形態がありうるか?というものです。






50 :40:03/11/18 03:10
ここは空間についてのカントの記述,空間概念の先験的究明部分の冒頭
「ある概念を,それによって他の先天的綜合的認識の可能性が理解されうる原理
として説明することを,私は先験的究明という。」
から私は 「先天的綜合的認識の可能性」というからにはカントはある理想を前提として
いると考えました。可能性は理想があらかじめ考えられていないと(それは明確な理想で
なくてもよい)考えられないからです。その結果
>時間と空間が、ア・プリオリな形式であるとカントが主張する(一応そう主張していること
については納得してもらえると思います)
という風になったわけです。(他の部分も参照しているのですが長くなるので引用は
一文のみにしました。時間については空間と同じ形式で書かれているので省略します)
結局のところその部分をなぜかと考えてみたということです。これはだいぶ飛躍してますね。

51 :40:03/11/18 03:41
ナホトカさんの読みが実証的というのは,
>ア・プリオリな形式であるとカントが主張する
理由は『純粋理性批判』の何ページ何行の「・・・・・」および「・・・・・」の理由
(これは証拠ともいえますね)によってである。実際に示してみると
>純粋に直観形式として解明しようとする時間と空間は、カントが厳密に論究し解明しようとす
>る『純粋理性批判』の「超越論的感性論」の重要な任務であると言う事ができる
とは 第一版序言部分の
「今やありとあらゆる侮蔑を形而上学に呈することが時代の流行となってきた」
「近時にいたって(ロックの)人間の悟性に関する一種の形而上学によって…」
その他の証拠から明確に示すことができます。ナホトカさんの読みに
について私はこのように理解しましたがどうでしょうか?
そして私の読み方は一人で読むにはいいかもしれないけど,この場には向いてないと
感じました。神学論争みたいになってしまう可能性があります。
それにナホトカさんの読みの方が,明確なので共通理解も得やすいと考えます。
長々とすいませんでした。読むのたいへんですね。

52 :モコ:03/11/18 15:09
ただいま帰りました。読み方で少し混乱しているようですね。わたしは
40さんのおっしゃるような考え方です。何ゆえに空間・時間がアプリオリ
であるのか?徹底的に疑って考えています。わたしは皆さんのように
易々と読み続けることは、不可能です。もっとも、わたしがいなくても
このスレは続いてゆくことを祈ってます。

どうして空間・時間がアプリオリなのかライプニッツの邦訳『人間知性新論』
などをよみながら経緯をたどっているところです。

ですから皆さん、よく考えてみてください。哲学はそんなに薄っぺらいもの
だとは私は思いません。時間がかかって当り前なのではないでしょうか?
最初にゆっくり焦らずやりましょう、と書いたつもりです。
空間についてしりたければニュートン「世界の名著」あたりでも充分なので
よんでみませんか?
仲良く進めましょうよ。せっかく何かの縁なのですから。

53 :考える名無しさん:03/11/18 21:38
>哲学はそんなに薄っぺらいもの
 だとは私は思いません。時間がかかって当り前なのではないでしょうか?

そんなことここに書いてる人だったら承知してんじゃないの?

>仲良く進めましょうよ。せっかく何かの縁なのですから。

 モコちゃんて学級委員長みたいですね。 

54 :考える名無しさん:03/11/18 22:29
>モコちゃんて学級委員長みたいですね。
学校生活でそんな役割が多いんだと思うよ。
きっと優等生なんだろうし。
まあ、マターリ逝きましょうや<ALL

55 :ザハトホ実存主義者:03/11/20 00:00
>>48
いやなに。さりとて問題はないと、私は思っているのだがね?君の問題提起は
  無駄にはなりはしないはずだと、思うんだがどうだろうね。少なくとも分かり易
  い文を書こうと普段から反省しきりなのは、現今の真実なのだよ。実に。
>>52 
   混乱しているのは、「読み方」ではなく「書き方」なのだよ実のところ。君と
  してはいつから、読書会を始めようと思っているのか表明してみてくれると、皆
  が進めやすいのではないかと思ったのだが、どんなものだろうね。ゆっくりの方
  がいいと私なぞは思う方なのだよ。そしてできれば「第一批判=純理」はめでた
  く読了といきたものだね。ホントにね。
   段落ごとに、地道に表題と要約をまとめていく事は、後々非常に役立つ金字塔
  (大袈裟かね?)になるはずなので、私としてはもう一度お勧めしておこう。特
  にカントのような体系的な哲学者は特にね。
   それから、みんな仲良くしているのではないかと、私は思うのだが、どうして
  仲良くしていないと思ったのか、聞いてみたいと思ったのだが、余計なことなの
  だろうか?もし、おいやでなければ教えてくれるかね?

 
 

56 :考える名無しさん:03/11/20 01:48
ザハトホさんは自分ではやらないのか?
サルトルで、「段落ごとに、地道に表題と要約をまとめていく」読書会を。

57 :考える名無しさん:03/11/20 21:58
読書会の話になると「〜かね?」とか言ってる香具師
がいるが,ホントにやる気あんのか?
ベルクソンスレにも出てるな。ザハトホってカント
読んだ事あんの?

58 :考える名無しさん:03/11/20 22:50
骨じゃね〜の?

59 :考える名無しさん:03/11/20 23:15
ザホトカさんはスレ立てするべし

60 :考える名無しさん:03/11/21 21:51
あげ

61 :考える名無しさん:03/11/24 23:08
もう終わり?

62 :考える名無しさん:03/11/24 23:11
はじめまして17歳の女子校生ですがカントに興味があります。


そんな女がいるんだ! 君は合コンしてもナンパされないだろう。。。
(笑)


63 :考える名無しさん:03/11/24 23:17
>>62
カントにはお○○この意味もある。

64 :考える名無しさん:03/11/24 23:21

純粋性理性批判 読む女子高校生って 10万人に一人いるかいないか?
だと思うなぁ。。。(勝手な推測ですが)

65 :考える名無しさん:03/11/24 23:26
興味があることと,読んだということには
大きな差がある。たぶん倫理なんかの授業で
興味を持つ奴はいるだろうな。俺の妹もニーチェに
興味があるって言ってたぞ。

66 :考える名無しさん:03/11/24 23:27

>>63
そうなの???

67 :考える名無しさん:03/11/24 23:30
俺の妹もニーチェに
興味があるって言ってたぞ。

女子高校生でニーチェの凄さがわかる人がいるの?

女子高校生=携帯電話ばかりしてる(メールばかりしてる)
アホギャルと一般化(勝手な推測)してしまうが。。。

いろんな女子高校生がいるなあ。。。



68 :考える名無しさん:03/11/24 23:32
>>64
1がネカマかどうかは問題ではない。
ちゃんと純粋理性批判を読んでスレを進めてくれさえすればいい。

69 :考える名無しさん:03/11/24 23:35
>>67
というより授業ではいかにも凄そうに
教えてるんじゃないかな?
言っとくけど興味だけだよ。読むんじゃなくて。
それに女の場合,カッコイイから興味をもつことも
あるかも。

70 :考える名無しさん:03/11/24 23:36
 
 ネカマって何?
 sage進行って何?
 sageって何?

71 :考える名無しさん:03/11/24 23:38
>女子高校生でニーチェの凄さがわかる人がいるの?

変な事まじめに話して、しかもみとめられちゃった人だとおもったら
興味持つかもな。

凄いと思ったとは思えない。


72 :考える名無しさん:03/11/24 23:38
>>67
高校生のころ純理に挑戦してみたことがあります。
難しくてぜんぜん歯が立たなかったけど。
だから、読んでる子がいてもおかしくないと思う。

73 :考える名無しさん:03/11/24 23:40
>>67
そのメールの相手がニーチェらしいです。

74 :考える名無しさん:03/11/24 23:40
哲学科は女が多い。
高校で関心もたなきゃ来ないよね。

75 :考える名無しさん:03/11/24 23:41
>>73
なるほど、だからニーチェは短文が多いのか。

76 :考える名無しさん:03/11/24 23:43
ニーチェはスレ違いだろ、喪前ら

77 :考える名無しさん:03/11/24 23:49
いつでもどこでも便利なニーチェ!
それに比べたらカントなんて。。。

78 :考える名無しさん:03/11/24 23:55
エキサイト『ニーチェ』で登録→4人食えた。
      『カント』で登録→1人も食えない。

しかしいちばん食えるのは、タルムードw
たるるーとクンと間違えられる確率80%

79 :考える名無しさん:03/11/25 00:00
>>73
うけるw


80 :考える名無しさん:03/11/25 00:55
うちの猫の名前はニーチェです。

81 :考える名無しさん:03/11/25 08:40
うちの猫の名前はパンチョです

82 :考える名無しさん:03/11/25 08:50
うちには猫がいっぴきもいない。


83 :考える名無しさん:03/11/25 09:05
うちの猫の名前はハイデッガーです。黒猫のアレントとは昔、恋仲でした。。


84 :景気わりぃな:03/11/25 09:33
てな話はねぇーか?


85 :考える名無しさん:03/11/25 13:37
>>83
昔、ハイデッガーと一緒に遊んでいたペルシャ猫のフッサールはどうしたの?

86 :考える名無しさん:03/11/25 14:35
>>85
フレーゲに掘られた。

87 :考える名無しさん:03/11/25 19:53
今、哲板にある毒書スレ
・フッサール「デカルト的笑殺」
・ヘーゲル「精神減少学」
・ハイデガー「存在と字間」
・カント「純粋理性批判」
の中では、このスレがダントツでヘタレです。
ブービーのケツも見えません。


88 :考える名無しさん:03/11/25 19:57
>>87
ウザイから帰っていいよ。

89 :考える名無しさん:03/11/25 20:13

『 純粋ハチミツ 』 って、本当に純粋なんですか ?



90 :ザハトホ実存主義者:03/11/26 00:16
>>56 
   サルトルも面白そうだね。やってみてもいいなあと思うのだが、独りで
  読書会もないだろうから、君が最後までつき合ってくれるのならね?簡単な
  『実存主義とは何か?』はどうだろうね?続きそうでしょう?
>>57
   読んだが、もう一度キチンと読んでみたいと思うのだよ。当に吾が意を得
  たりなのだ。

 

91 :考える名無しさん:03/11/26 00:48
ちょっくら聞いてみたいんだけどもよ、経験が記憶無しにはあり得ないし、
記憶は経験無しにあり得ないんなら、一体どちらが卵でどちらが鶏?

92 :考える名無しさん:03/11/26 00:56
>>91
経験の意味は広いので簡単には答えられないでしょう。

93 :考える名無しさん:03/11/26 01:12
何らかの出来事や事態に出っくわすこと全てが経験であるというなら、
記憶はその一部に過ぎず、経験が先立つと言えますが、
出来事が適切な意味を持って把握されることが経験であるとするなら
記憶が先立つとも云えます。

94 :考える名無しさん:03/11/26 01:16
どっちかに汁!>>93

95 :考える名無しさん:03/11/26 01:59
>>93
その出っくわした時に出っくわした物を認識しないと
経験は出来ずただ通り過ぎるだけぞな。そしてその
認識は記憶に基づいた分析であると言えるぞな。しかし、
その記憶はまた何かを経験、認識しないと生まれない
ってのが俺たちの一般的な見解じゃなかったけな。
という事で俺の言う経験の意味は伝わってるでしょか。

96 :考える名無しさん:03/11/26 02:10
胎児期、出生時、乳児期に様々な経験があった事は確かでしょうが
記憶していることはマレです。勿論、記憶以前に快、不快などの経験の
されかたは生き物としてあったわけですが。

97 :考える名無しさん:03/11/26 22:20

サルトルや、実存主義について語りたい香具師はこちら

サルトルのように生きるスレ <2)拡声器 

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1046623583/668-

98 :考える名無しさん:03/12/03 21:19
来週から読み始めます。仕事が金〜日が休みなので、
三日で一巻、12/28に読了予定です。

99 : :03/12/03 21:44
<血液型O型のいかがわしい特徴> ( なんでも気を許していると調子に乗ってつけこんでくるぞ! )
■その道の達人をコケにして安心しようとする。多数派のときだけやたら強気。才能ある人間を歪んだ目でしか見れない。
■場所が変わると手のひらを返すように態度が豹変する ( あの連中の中じゃヘコヘコさせられてきたが、うちに来たら見ていろ! 礼儀を教えてやる。 )
■読みが浅い。粘着に睨まれる事を言っておいて関係ない人に振り向けバックレようとする姑息さ ( どうせ>>1さんはヒッキーでしょ? / 関西人だってジサクジエンしてるぜ )
■早とちりが多く、誤爆と気付いても釈明できない。イイ人を装って忘れる ( そういう土地柄だったのさ )  他人の勘違いは許せない。
■話題と関係ない個人攻撃で場の空気を険悪にする。次第に自分から耐え切れなくなりあきれて話題をコロコロ変える。
■いつの間に恩を貸してるように振舞うが、自分のためであると見抜かれる。恥ずかしさをごまかすために大袈裟にキレるが相手がキレると今度はビビる。
■顔が見えない相手と喋っているのに毒舌かつ強気。面と向かったら人が言ったことにする ( 俺が言ったんじゃないけど、Kさんがあなたをアホかとバカかと… ヒヒ) ネット弁慶。
■無理な人の真似をしケチをつけ、批判される所には現れない。観察される側になると極度に焦る( 直接対決が苦手。言い返されにくい状況を計算する )
■自分が企んでいるのに相手を悪人に仕立て上げて餌食にする。わざと攻撃を誘って自分の憎悪に酔いしれる。人の裏切りを許せないわりに自分の裏切りは覚えていない鈍感さ。
■人に相手されん事ばかりウジウジ繰り返して自分に課した目標から逃げる。あげくのはてに相手にわからない方法でキレる。
■半端な体験から集団的にばかり相手を気にする ( 君のような人はウチでは… / ○さんによく似てるから駄目だろうね / 背が高い奴はどいつも… )


100 :考える名無しさん:03/12/03 21:53
>>99
Kさんとはカントさんのことか?

101 :毛派(ウソ) :03/12/04 07:49
NO WAR EMERGENCY DEMONSTRATION Vol.3
■自衛隊イラク派兵反対■
12.22 Mon.@ MILK ¥2,500- with 1D  21:00 to Midnight

DJs: 大貫憲章(LONDON NITE), ぎゅうぞう(電撃ネットワーク)
高木完, KWAZZ"PUMP"YOKOYAMA, 須永辰緒(Sunaga t Experience)
大川毅(SKA FRAMES),, FORCE OF NATURE, UDON(BASS OF BASS)
竹花英二(JAZZ BROTHERS), AZUSA(tg-electronic), フランキー(Tripster)
MC ZINGI(東京仁義一家), SGROOVE SMOOVE(4DJs RECORDS)
M-DIDDY and MARTIN KINOO(MACK DADDY), MANABU(GAUNA)
KABAYANG & E.D.A.(bal), TATSUYA(東風), LAZY SAKU(EAT)
AKEEM(realmad HECTIC), ZENLAROCK, TAKECi(EAT)
hico, KEERA & 彩加, IKKYUU, Takamori K(Auditory Sculpture)
KATCHIN(LONDON NITE), U-ICHI(LONDON NITE)他
LIVE: KANI BASS, ザマギ(イセネエヒヒネエ), MELLOW YELLOW
INDEMORAL(走馬党), 姫(DJ HONDA PRODUCTION)他
VJ: REAL ROCK DESIGN他  協賛: 風magazine, Collider, plus81
賛同: 4DJs RECORDS,梅川良満, クボタタケシ, ビビアン佐藤,TERU(AG)
RED(RECON), MANO(HIDE & SEEK)
Art work: NGAP  Host: YUTA MAN

・出演者、賛同者は以降大幅に増える見込みです。
・宣伝、会場経費を除いた売り上げは全額イラク侵略被害救済支援
 に寄せられます。全出演者はノーギャラです。

102 :ザハトホ実存主義者:03/12/06 18:26

 何時になったら、始まるのかね?ホント楽しみにしているのだがね?哲学書を前に
怖気づくのは、実際に読み始めれば、何のことは無い、単なる錯覚だったと悟るもの
だと、思うのだがね?
 あなた、始めてみませんか?どんなものだろうね?




103 :考える名無しさん:03/12/06 23:35
<スタメン予想>

        トマソン   シェヴァ

            ルイ

       セーj     ガッツ
           ピルロ
  パンカロ              シミッチ
       マルディーニ  ネスタ

           ヂダ

104 :考える名無しさん:03/12/07 00:39
アンティノミーあたりからいっとこか・・・。

105 :飛べないカラス ◆hslonKolMc :03/12/07 07:01
掃除機で空気を吸えばいいんだね。

106 :考える名無しさん:03/12/07 09:43
へ?なにそれ

107 :モコ:03/12/08 12:28
おひさしぶりです。今日は学校も休みなので書き込みしてみます。
感性論のところで気になったのは、B33からB34にかけての部分です。

純粋直観としてのRaum、Zeitは、どの過程で認識されるのか、です。
多様性を含むEmpfindungがEinheitされそのEinheit(統一)の部分で
初めて純粋直観が生じるのでしょうか?いまいち、このRaum、Zeitという
ものが純粋だと言ってもどこかの過程で生じなければなりません。
みなさん、どう思いますか?

108 :考える名無しさん:03/12/08 12:37
純粋直観とはなんでしょうか?

109 :考える名無しさん:03/12/08 12:47
純粋直観と純粋統覚って違うもん?

110 :考える名無しさん:03/12/08 12:49
じゃ純粋総合はどーなる?

111 :考える名無しさん:03/12/08 12:58
そもそもお前らWahrnehmungsurteileとErfahrungsurteileの区別
がちゃんとできてますか?

112 :考える名無しさん:03/12/08 13:00
   /  '´ ~~"'' ‐'- 、,へ、_ / / i; `;i丶
        /           / 〃´`"''、 i; / i|イ       <いっぱいになっちゃた
         '、          i i'〃   \i;、,  !ノ
         ,,>- 、,,__,,,、、--‐‐‐;,,、'!      ヽ i、ィ、ソ
        /     {{,,、、-‐‐''~丶     ヽ.〉) \
      ,、r'i   ,,、-''`´  '!     'i    '、. ', \ ヽ            
      /i' .l,,┬''´      ヽ、   / r'⌒'、 i. iヽ '、  ヽ.          
     / ! '/        ; *ヽ、,i .ノ   } } ./ '、_!`''-,、',
     /,,,,/         ソヽ'´ 'y'   'し‐'     ヽ 〉
     〈 ,';           ,'  !  {              ヾ
      y           { ‖ ヽ.            ヽ
     ,'           , ヘ. lヾ   iヽ、           ヽ
     ,'              ノ`'Ui ii''''"ヽ どろっ       ヽ
    ,'            / i iU    ヽ            ヽ
.    ,'            ./| ∪|.    ヽ           ヽ
.   ,'           /‐'~~i`''‐;,,、、-‐'ヽ           ヽ


113 :考える名無しさん:03/12/08 13:12
B72のintuitus originariusというのは所詮人間中心主義ではないですか?

114 :考える名無しさん:03/12/08 13:14
>>112
飲みたいです。

115 :考える名無しさん:03/12/08 13:16
私も飲みたいですわ。

116 :考える名無しさん:03/12/08 15:11
>モコさん
貴方が出てこない間のレスを読めばわかると思いますが
純理を読みたいと思っている人が多くいますね。2chでは
同じスレッドを立てることが出来ません。これだけ,何度も
どのように進めていくかについてたずねられているのに,それを
一切無視して>>107のような質問をしてくるのはあまりに自分本位で
はありませんか?そういう質問なら駅前留学でもしたほうがはやいと
思います。ここは貴方のためだけのスレッドなのでしょうか?
貴方の都合のいいときにだけ,貴方の質問に答えることに,なにか
貴方以外の人にとって意味があるのでしょうか?
あと学校がどうのとかはどうでもいいことです。いちいちそれを書く
必要はありません。

117 :考える名無しさん:03/12/09 01:56
>>116
いや、ここの1が独自にこのスレを味付けして良い感じに持って行けば
住み分けが起こるだろう。

118 :考える名無しさん:03/12/09 02:05
1は逐条的に読んで議論するのを放棄してるように見えるから、
だれか別の人が読書スレとして乗っ取ってもかまわないでしょう。
そもそも「読みませんか?」と呼びかけてるだけだし。

119 :モコ:03/12/09 03:25
今後、勝手に進めていってください。頭が鈍い人間は嫌いです。
もっとクールに行きましょう。たかが匿名の2チャンネル。
言いたい放題言ってください。純理はそんなに甘くはありませんよ。

120 :考える名無しさん:03/12/09 03:28
Patonとかケンプスミスの原書、読んでいますか?
そんなに甘くないって。鈍い奴は去っていってください。

121 :考える名無しさん:03/12/09 03:34
以下モコも精神分析スレに移行。ローカルルールはsage進行。

122 :考える名無しさん:03/12/09 16:02

モコさん 頑張れ!!!

説教するやつはスルーして もっと書いてください。


123 :考える名無しさん:03/12/09 19:04

ぴかぁ

124 :考える名無しさん:03/12/10 01:21
終わったか・・・

125 :考える名無しさん:03/12/11 01:49

 じゃあ、始めますか?



126 :象力:03/12/11 02:15
>>119
モコさん
116,117は煽りですよ。
オレは、哲学はいまいちなんですが、奴らが煽りだってことぐらいは
わかります。ていねいな一見ていねいな言葉づかいで、内実は「ど厚かましい」
2ちゃん独特の、文体だわ。まあ「陰険な愉しみ」ですわ。
なにのしわ寄せで、こんな愉しみを採用したのかね〜
やつら哲学の内容自体まったく微塵も分かってないよ。
でも、2,3のほんとに親切で、実力のあるひとがいますね。
「KdrV」「ザハトホ実人主義者」「20」の面々はいい人ですね。
オレは、彼らのように、哲学わからないから、力になってやれないけど。
かれらが、戻ってくることを願うのみです。




127 :考える名無しさん:03/12/11 16:20
>>126
俺もそう思うよ  >モコさん

128 :考える名無しさん:03/12/11 18:41
まあ、でもスレタイがもろ「読みませんか?」だしなあ。
自分の解らないところだけを聞くためのスレにしたいのか、
読書会スレにしたいのか、それとも、いろんな人がわからないところを
言い合うのか?(でも、別のカントの本スレ?でできるよな、質問は)
そりゃあ、116、117等のレスもでるよ。


129 :考える名無しさん:03/12/11 18:54
>1
まずは「ソフィーの世界」でも読んだらどうですか?
慣れてきたら、次はカントそのものでは無くカントについて書かれたものを読む。

文章ごとに詰まってたら、効果半減のような・・・
ある程度の量を通して読んだほうが絶対に良いです

名前だけで読む本を決めたらダメですよ
哲学書なんていくらでもあります
別に馬鹿にしている訳ではなく、順番に読んでいった方がいいと思ったので。

130 :考える名無しさん:03/12/12 00:18
お厚いのがお好きage

131 :考える名無しさん:03/12/12 00:37
始まったぞ!

132 :考える名無しさん:03/12/12 01:08
>129
>カントについて書かれたもの
中島の『カントの人間学』とかな ワラ

133 :考える名無しさん:03/12/13 03:05
講談社メチエから出てる黒崎政男氏の「『純粋理性批判』入門」ってどうでしょうか?
哲学を専門に勉強しているわけではないので、本屋で岩波版を立ち読みしてちょっと
辛かったので入門書から入ろうと思うのですが…。

134 :考える名無しさん:03/12/13 04:05
>>133
ひとえに、著者のセンスによります。
論以外のところで共鳴できなかったら、止めたほうがいい。
哲学というのも、「真実探求」の名のもと、とんでもない
命題が飛び出すから、それを世間が喝采する。
カントだからって、了解できないものは、受け入れる必要ないよ。

135 :考える名無しさん:03/12/13 04:47
>>133
日本語で書かれたカント入門のなかでは一番読みやすいと思いますよ。
おすすめ。

136 :考える名無しさん:03/12/13 07:54
>>133
僕もこの本は良書だとおもうし、好きですし、おすすめです。
しかし、これは一風変わった本だともいえますな。

これを一とおり読んだ時、「カント入門書」というより、
「哲学入門書」として最適だと思った。

また、同じことが4度も5度も繰り返しかかれていて、
それでいて、一冊全体はけっこう内容があったりする、
不思議感覚の本。

でも、本来哲学書って、こういう冗長さは必要のはず。
哲学の古典だって大半は冗長でしょ。

137 :考える名無しさん:03/12/13 08:30
ドゥルーズの『カントの批判哲学』がおすすめ。カントの体系を
ちゃあんと理解して、解説・読解している。日本のカント読みには
カントの「精神の諸能力の差異と関係としての体系」という視点から
ここまで体系的に語ることができるやつはあんまりいないような気がする。

138 :目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :03/12/13 08:33
『純粋理性批判』で一番面白いのは、
例のアンチノミーの箇所だと思うんだけど、
>>133の本にはそこがばっさり省略されている。
僕はそれをこの本の最大の欠点だと考えているんだが、
にしても面白かったよ。

同じ『純粋理性批判』を読んでも、
読み手によってこだわる箇所が違うといういい見本ですね。


139 :考える名無しさん:03/12/13 08:33
立正大の湯浅さんの新刊が勁草から出るみたいっすね!
湯浅タソ、日本のカント研究者としては一番脂が乗り切ってると思いマツ。

140 :考える名無しさん:03/12/13 08:35
存在と自我
カント超越論的哲学からのメッセージ

湯浅 正彦(立正大学助教授)著

A5判/312頁/上製 予価(本体5800円+税)
12月中旬刊
[ISBN4-326-10151-2 C3010]

カントは自らの思索を首尾よく一貫して完遂しえたであろうか。
カントが歩んだ「批判の茨の途」を再び歩む解釈者の苦闘の軌跡。
カントの哲学は出来上った完成品のように考えられているが、そ
うではない。本書は『純粋理性批判』の読解を中心に、カントの
主要テーゼである「超越論的観念論」とそれを基礎づける『超越
論的演繹論』が何であり、その議論は成功しているのかどうかを
精査する。「目から鱗」の発見もあって、カントが一層身近かに
なる。

141 :TS:03/12/13 09:45
湯浅さんか。。。面白そうだが、ちと高いなぁ〜。


142 :考える名無しさん:03/12/14 09:11
超越論的演繹論ネタは新刊ラッシュデツ!

Kant on Representation and Objectivity
by A. B. Dickerson
Cambridge Univ. Press, Nov. 2003.

http://titles.cambridge.org/catalogue.asp?isbn=0521831210

著者はオーストラリアの若手研究者で、これは博士論文が元になってるらしいデツ!

143 :考える名無しさん:03/12/14 16:30
>>134-138

レスありがとうございます。
買ってみます。
これを読了したら、純粋理性批判のほうにもチャレンジ
してみようと思います。

144 :考える名無しさん:03/12/14 19:17
>>137
今日、本屋で見たけど、とても入門書とは思えなかった。

145 :考える名無しさん:03/12/14 22:35
カント読むには、やっぱり予備知識が要るんじゃないですか?
超越的〜と先験的の違いはどうですか?
専門用語の理解から、はじめないといけないの?
外国語の習得みたいですね。

146 :考える名無しさん:03/12/14 22:55
カントもそれに先立つ哲学者のことは参照してるわけだから,
専門用語の理解がないと読みにくい事は確かだと思う。

147 :考える名無しさん:03/12/14 23:31
カントは大学で教えてた職業哲学者だからね。

148 :考える名無しさん:03/12/15 00:34
本当に純粋理性批判の読書会行っているのですか?

149 :考える名無しさん:03/12/15 00:47
やってないよ。

150 :考える名無しさん:03/12/15 01:22
わかり易い入門書はけっこうありますよ。上述の書の他に、岩崎武雄の「カント」
(けいそう書房)、石川文康の「カント入門」(ちくま新書)「カントはこう考えた」
(ちくま書房)、坂部恵の「カント」(講談社学術文庫)など。

151 :考える名無しさん:03/12/15 02:50
>>146,147
小説ばっか読んでたものとしては、「生命の哲学」は分かるような気がするけど。
観念哲学とのギャップが激しすぎる、分かりやすさにおいて。
カントやヘーゲルには劣等感持ってます。
カントが分かる人って、優等生が飲み込み早いように分かるんじゃないですか?
大体思想本ってのは、限られた専門用語を軸にそれさえわかっておれば、
簡単に理解できるものが多いのに。カントはまあ漢字という漢字が全部わからん
感じですわ。言うこと言うことが大仰なきがします。
>>150
わざわざありがとうございます。
本屋で見てみます。

152 :考える名無しさん:03/12/15 05:25
石川さんの新書はわかりやすいけど、ときどきおかしなこと(分析性の説明とか)
が書いてあるのでおすすめできません。そういう心配がないのは、古いけど
岩崎先生の『カント』(勁草書房)。最初に読むにはいまだに一番いい本だと
思います。

あと、ヘッフェ(藪木榮夫訳)の『イマヌエル・カント』(法政大学出版局)も
堅実な入門書としておすすめです。ちょっと高いけど。

153 :考える名無しさん:03/12/15 21:15
>>152
今日、本屋で、石川さんの「カントはこうかんがえた」読みました。
なかなか、センスのある人だと思いました。ただ理論の正しさは
分からないのと、ちょっと高い(2000円)なので、ちくま新書「カント入門」
を、探したら、なかった、廃刊じゃないかな。
『純理』より『判断〜』や『プロレゴメナ』がわりと読みやすいように、
感じました。

154 :考える名無しさん:03/12/15 22:08
>>152 ヘッフェの本は、Paul Guyer が入門書として絶賛してたね。あれは
たしかにバランスが取れてて、カントの全体像を知るには格好の本だった。


155 :考える名無しさん:03/12/15 22:19
禿同。ヘッフェのイマヌエル・カントは名著!!

156 :考える名無しさん:03/12/16 09:49
>>155 ヘッフェの本ってまだ売ってる?

157 :考える名無しさん:03/12/16 10:00
>>156 アマゾンにはまだあるよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4588003275/

>通常4〜6週間以内に発送

となってるのがちょっと気にかかるが。

158 :考える名無しさん:03/12/16 10:18
ヘーゲルの「信仰と知、または主観性の反省哲学」で一気にカントの
天才性とその限界に触れることができた。
ヘーゲル凄すぎ。

159 :考える名無しさん:03/12/16 10:27
日本でカントの科学哲学的側面についてやってる人っていないのかな?
ブッフダールとかハットフィールドとかフリードマンみたいな感じで。

京都の出口氏と佛教大の田山氏ぐらいしか知らないけど、若手でいないのかな?

160 :考える名無しさん:03/12/16 20:57
>>152「ときどきおかしなこと(分析性の説明とか)
が書いてあるのでおすすめできません.」

分析性の説明とかについて、もし、ページ数知っていたら教えて下さい。

161 :考える名無しさん:03/12/16 21:39
>>159
カントの自然哲学をテーマにしている人なら、松山寿一氏がいるよ。
一応、中島義道氏なんかもカントの科学哲学的側面の研究者だと思うけど。

162 :双子の西兄弟:03/12/16 22:33
「もしもし、カズコか? 俺だ、浣腸鬼だ」
「いったい何なのよ、こんな時間に。切るわよ」
「待ってくれ、切らないでくれ! ああー、出ちゃった、出ちゃったー」

これって実存主義的? だれか答えて。

163 :考える名無しさん:03/12/16 22:44
>>162
カントは実存主義でないので、分からないな。
サルトル・スレにでもいくといいよ。


164 :考える名無しさん:03/12/16 22:57

 では、読書会始めますか?いかがですか?



165 :考える名無しさん:03/12/16 23:00
おねがいします。

166 :双子の西兄弟:03/12/16 23:15
若い頃のサルトルが覚えていた孤独感、孤絶感って、人間だけが
万物から浮いており、この世界から疎外されているというような
稚拙なものだったので、僕(西昭好)がカウンセリングしてあげて、
それは違うよ、目の前のコップを見てごらん、これはこれは自然
界には存在しない人工的な組成の化合物で、森に返しても半ば永
久にこの姿を保っている。しかしながら人間は有機物だからマロ
ニエの根っこと同じで、自然分解され、この世界に吸収、還元さ
れる、つまり浮いているのは人間ではなくコップの方なんだって
諭してあげたら、サルトルもショックを受けたみたいで、その後
社会主義者に転向しちゃったみたい。悪いことしちゃったかな。

167 ::03/12/18 21:18
確に三角形の二辺の和は残りの一辺よりも絶対に長い。これは今まで見た三角形がそうだったからこれからもそうだろうとする帰納的判断と性質を異にする。ただ、それと我々がアプリオリな直感の形式を持つという事と何の関わりがあるのか分からない。

168 ::03/12/18 21:52
確にアプリオリな直感の形式が無ければ三角形もなかった。それがそれから導来したであろう事は認めよう(でなかったら何処から来た)。三角形は人間が発明したものであるが、その事自体人間の主観の形式にアプリオリに空間が与えられていることを示している。

169 ::03/12/18 22:36
なるほど。
確に三角形は純粋な直感から成立する。
感覚や感性を介在しない。感覚や感性を必要としない。いやしかし感覚や感性を奪い取ったら対象としての三角形はやはり認識出来ないではないか。
にもかかわらず三角形は純粋直感なんだよなあ。ああやはり対象ではないのか三角形は
。経験的には対象だけどやはり感性や感覚を必要としない。なぜならそれは形態であって形態は感性や感覚で受け取ったものではない。
いや形態だって対象だろ。対象だけど空間は感性が無くとも認識できる特殊な対象?
空間は実在しない?主観の形式?ほんとか?三角形は概念だろ。


170 ::03/12/18 22:58
やっぱりそうだ。三角形は、形態自体は感性で受け取れない。無いから。実在しないから。紙に書いたインクの染みとしての三角形は認識できるが。純粋な直感としての三角形は‥て、イメージだろ。イメージは実在の対象ではないよそりゃ。
でも‥例えばゴジラのイメージからは色彩や質感を抜き取り更に形態も抜け取れるよ。当たり前だけどイメージ自体無くなる。なんだこれ

171 ::03/12/18 23:18
何故形態は感覚に属さないとカントが勝手に決めてるんだ?対象と表象能力の合作で無いと何故言える? 空間は経験的直感でないのか…すると三角形が‥
三角形は経験的に与えられたものか?だからイメージだろ。空間はイメージじゃないが‥だから、実在するんだろ。実在しないと何故言える?

172 :考える名無しさん:03/12/18 23:26
やはり1は釣りだったのか・・・
17で原書読める女子高生なんてふつういねえよ


173 :考える名無しさん:03/12/18 23:52
では読書会を始めます。どぞ!

174 :考える名無しさん:03/12/19 07:25
>>172
KrVを原書で読む17歳女子高生を妄想してハァハァ(*´Д`*)しつつ、お勉強にも役立ててしまう(゚д゚)ウマー
のがこのスレの活用法としては正しいと思われ。

175 :考える名無しさん:03/12/19 08:14
まずは「直感」と「直観」の違いをわかってからはじめるのが吉とでた。

176 :考える名無しさん:03/12/19 09:41
ここは哲学板史上最悪の読解スレじゃない?
昔のことはわからないけど。

177 :考える名無しさん:03/12/19 13:00
>>176
糞の哲板でよく言うよ。

178 :考える名無しさん:03/12/19 18:53
>>176
最悪の読解スレは他にもいくつかあった。
やっぱり1がここの1同様能力なしのただの煽り屋。

能力があれば煽ってないで勝手に読解を進行させるってw


179 :モコ:03/12/19 19:36
やはり私の能力では読解は不可能と判断しました。

よってこのスレッドの終了を宣言します。

180 :考える名無しさん:03/12/19 20:07
>>1

煽ってんじゃねーよ滓野郎が

181 :考える名無しさん:03/12/19 20:33
女、それも現役女子高生と名乗れば、この板の童貞厨房が絡んでくるのは120%確実。
あんまり気にすんな。
また気が向いたら、読書スレでも立ててよ。  >1



182 :考える名無しさん:03/12/19 21:26


183 :考える名無しさん:03/12/20 00:43
ふつうにネカマだろ

184 :考える名無しさん:03/12/20 01:01
カントは彼の本、文庫で手に入るの全部そろえて。
分かりそうなのから、徐々に近づいたらいい。
そうしてるうちに、見えてくるから。


185 :考える名無しさん:03/12/20 01:12
買っただけでも見えたような気になるよ

186 :考える名無しさん:03/12/21 15:55
岩波の全集、半年も間を空けやがって

187 :考える名無しさん:04/01/05 17:17
偶然性

188 :考える名無しさん:04/01/06 20:31

>1 は、純粋に理性を批判したいんだね         ヤメトキナ


189 :考える名無しさん:04/01/07 23:41
因果的必然性

190 :考える名無しさん:04/01/08 09:20
>>186
貧乏人の俺は、間が開くと助かるんだけど、
肝心の『純粋理性批判』の下がまだなのは困るね。


191 :考える名無しさん:04/01/08 12:57
「純粋理性批判」って人間のいろんな認識能力(悟性とか)
を前提にして書かれてるけど、
あれってそんなに固定的なものとして語れるのかな。
なんかカントが勝手に言ってるだけのような気がしてしょうがないんですけど。
そういった諸々の能力が絶対的に存在することを証明してから、
いろんなことを論じてほしかった。

192 :考える名無しさん:04/01/08 17:18
どうしてそういう能力の存在を証明しなきゃなんないのかよくわからん。
感覚する能力も理解する能力も推論する能力もカントのでっち上げかいな。
>>191にそういった諸々の能力が欠けているとはとても思えないが…

193 :考える名無しさん:04/01/08 17:51
>>192
いやいやそういう能力がないというわけじゃないんだけど、
カントの場合それが永久に不変の装置のように語られてる気がするんです。
実際、時間とか空間とかは、あくまでもカントの時代つまり
ニュートン力学のパラダイムで想定されてるわけですよね。
それは時代によって変化するわけだから、カントの時代のモデルを
普遍的なものとすることはできないんじゃないかと思うんです。

194 :考える名無しさん:04/01/08 17:58
認識能力は普遍じゃないの?

195 :考える名無しさん:04/01/08 18:03
>>194
人間の認識能力は時代と環境に影響されるものじゃないですか?
絶対時間なんて概念のなかった古代のギリシア人が、
カントが想定するように宇宙を認識できたとは思えない。

196 :考える名無しさん:04/01/08 18:10
具体的に微妙にちがうとこはあっても
もともとの考え方は、一緒じゃないの?

197 :考える名無しさん:04/01/08 18:16
>>52はまちがえた
すまん


198 :考える名無しさん:04/01/08 18:17
ごめん
誤爆
>>197

199 :考える名無しさん:04/01/08 18:19
>>196
だけどそうなると微妙にちがっていても、
もとは一緒だという保証が必要になる。
微妙だとおもっていても実は大変な違いがあるかもしれない。
そういう疑いがカントの本からは感じられない。

200 :考える名無しさん:04/01/08 18:26
認識能力が普遍なんじゃなくて、カテゴリーが普遍なんです。

201 :考える名無しさん:04/01/08 18:27
カテゴリって何?

202 :考える名無しさん:04/01/08 18:35
カテゴリーが普遍である根拠は何でしょうか?

203 :目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :04/01/08 19:12
カントを超える試みが可能かどうかは、
我々がカントとの同時代性を保持している限り不可能。
カントのいうことが何となくではあるが「わかってしまう」という事実は、
人間の認識能力はあの時代から、そう変化していないことの証左でしょう。

204 :考える名無しさん:04/01/08 20:33
われはわれは別にカントの言うことだけを理解しているわけではなく、
アリストテレスの言うことも理解できるし、
ヘーゲルの言うこともマルクスの言うことも理解できる。
となるとカントも理解できる世界観の一つにすぎないのでは?

205 :考える名無しさん:04/01/08 21:05
プラトンのイデアとカントのカテゴリーってのは似ていると思うんだけど
どうでしょうか?イデアのここの特徴(要素)がカテゴリーって言えるかな?
と思うんですけど。

206 :考える名無しさん:04/01/08 21:18
>>205
イデアとカテゴリーは似てない。

207 :考える名無しさん:04/01/08 21:19
「物自体」とか
かな??

208 :205:04/01/08 21:22
ここの事象がカテゴリー化されることと、個々の物体(もの)がイデアに
よって統一?されるところが似ていると思いました。どちらも帰納的な
考え方だと思うんですよね。

209 :考える名無しさん:04/01/08 21:23
カテゴリー以前のカテゴリーって事ですか?
イデアは

210 :考える名無しさん:04/01/08 21:24
カントのカテゴリーは先験的に備わったものとして言われている。
イデアというならテレビのイデアもあるわけだ。

211 :205:04/01/08 21:27
先験的ってところもイデアに似てませんか?

212 :考える名無しさん:04/01/08 21:28
カントのカテゴリーは認識の枠組みなんだよ
イデアは机のイデアとか無数にある。

213 :考える名無しさん:04/01/08 21:28
う〜ん。
カントに限らない気はしますが。

214 :205:04/01/08 21:32
認識の枠組みってのはわかるんですが、それが抽象的に在るって感じが
似てると思うんですよね。例えば机のイデアを構成するのものは幾つかの特徴
に還元できますよね?その還元された特徴(形式)がカテゴリーと似てる感じが
するんですよね。カテゴリーも形式って言えると思うんですよね。


215 :考える名無しさん:04/01/08 21:43
ららら科学の子

>>205さんは、たぶん頭が現代的なんだな。

216 :205:04/01/08 21:47
>>215
やっぱり僕の言ってることはどこか変なんでしょうね。

217 :考える名無しさん:04/01/08 21:50
>>216
ああぁ、安心して。
私の文章のほうがど〜考えても変です。
お気になさらず・・・

218 :考える名無しさん:04/01/08 22:06
>>210
どうしてそういうカテゴリーが先験的に備わってると言えるのですか?
それは脳の構造がそうなっているからなのでしょうか?
となると動物には動物の認識カテゴリーがあるのでしょうか?

219 :横レスすまん:04/01/08 22:23
>>218
だってそういう風に認識し照るじゃん。
上のほうで誰かも言っているしょ。
動物とかに話を広げると、ユクスキュルやカッシーラ、ハイデッガー、デリダに
まで話が飛びそうだから、勘弁してくらはい。
動物には動物の範疇があると思うけど

220 :205:04/01/08 22:37
>動物には動物の認識カテゴリーがあるのでしょうか?

たぶんだけど、これを人間が知ることが出来ないってのが「物自体」の
主張だと思うんだけどどうでしょうか?

221 :考える名無しさん:04/01/08 23:00
力への意志

222 :考える名無しさん:04/01/08 23:04
カテゴリーとは焼酎である。
神話である。物語である。
細胞である。生きる証である。
国家である。戦争である。
漫画の「コマ」である。
脳みそのしわである。
生きものである。
人間である。

223 :考える名無しさん:04/01/09 00:03
カテゴリーを科学的に考えるなら、やっぱりニュートンの視点に立つ必要があるね。
脳の構造とどのように関わるのかはわからないけど(たぶん誰か研究はしてるんだろうけど)
たとえば統合失調症の人なんてのは時間を把握することが難しいわけだから、カテゴリーが
普遍的であるとは一概には言えないかも。時間空間の把握は大人・子どもによっても違うし。

224 :考える名無しさん:04/01/09 01:37
認識は感性Sinnlichkeitと悟性Verstand、直観と思惟からなるというのがカントの基本的枠組みであるが、
時間と空間が感性的直観の形式であるのに対し、
カテゴリーは悟性による思惟の形式であり純粋悟性概念とも呼ばれる。
イデア論の主張は、意識現象のほかに何らかの実在、すなわちイデアを認めるということだから、
カテゴリー(主観の側にある)とイデア(主観の外にある)は似ても似つかないんじゃないのかな?


225 :科学的無知を許しておくれ:04/01/09 04:06
時間とはなにか?
我々が言語を持ち得なかったらそもそも時間を感じとれるのか
言語が世界を差異化(分節)するとかいいますね
言語を持ち得なかったらカオス的存在になるらしい 
つまり自分の中に一貫した物語を作れない=過去現在未来を区別できない?
犬はどうか?ただ「ワン」というだけで分節している飯の時がくると分かるのか?
いやただ脳が欲しいといっているだけか?
ゾウリムシはどうか?時間を感じるか?ただ脳みそがないから感じれないか?
おせーて



226 :科学的無知を許しておくれ:04/01/09 04:11
(訂正)
時間とはなにか?
我々が言語を持ち得なかったらそもそも時間を感じとれるのか
言語が世界を差異化(分節)するとかいいますね
言語を持ち得なかったらカオス的存在になるらしい 
つまり自分の中に一貫した物語を作れない=過去現在未来を区別できない?
犬はどうか?ただ「ワン」というだけで分節しているのか?どうして飯の時がくると分かるのか?
いやただ脳が欲しいといっているだけか?
ゾウリムシはどうか?時間を感じるか?ただ脳みそがないから感じれないか?言語がないだけか?
おせーて



227 :考える名無しさん:04/01/09 09:14
木村敏「時間と自己」
本川達雄「ゾウの時間ネズミの時間」

どっちも中公新書

228 :考える名無しさん:04/01/22 05:09
質問ヌレでカキコしたんですが一つも真面目な答えが返ってきません
ここはカントの専門家さん方に尋ねるとします

超越的主観という事について、主観とは観念という意味なんでしょうか?
それともアプリオリな認識とでもいうものなのでしょうか
誰かヒントだけでも、迷えるバカな大学生を救って下さい

229 :考える名無しさん:04/01/28 19:58
>>226
おれも理系じゃないから科学的根拠が云々はわからん。
ただ、哲学としてはフッサール『内的時間意識の現象学』
なんかは、なかなかおもしろいですよね。
時間っていつ始まったのかなぁ。人間として産まれてきた
からには、時間には逆らえないもんな。いつかは死んじゃうんだ
と思うと生きてる心地しないよ。

230 :サイババア ◆zehtm8UG4Q :04/01/28 20:59

 ||||
(-公-)
(ー)
「サイババアを崇拝するスレッド」
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075290507/l50

231 :サイババア ◇zehtm8UG4Q:04/01/28 21:40
          ,,r'ソ''     ''`ヽ
         //'   /~∃~¨ヽ、
         /:/'',,...⊂二 ̄    |`-.,_
        /y' ー=⊂二∩_____ノ   ̄`''-.,
       /;:l    ,      ̄ヽ       `'-.,
      ヘ''r'    /o._..o、    \        \  サイババア♪                  
      (ノレ   /,,______,,ヽ    |\        \                       
      /ヘノ`l  : (''"Y"''');'   /ノ:|\        ヽ
      ソ/彡ノ、   `ー=-'.    /《川/ \,__     |
     彡丿彡/ゝ   --    /巛|          ノ
     彡'彡ノ彡ノ| `ー--- '' /;;巛ミミ        /
     彡ノ彡丿/|      彡ノ彡ミミヽ       /
     ./ /      ~~~  ~        \    /
     l |                    `''- ノ
     l/                      /
サイババアを崇拝するスレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075290507/

232 :考える名無しさん:04/01/28 22:14
>>228
主観とは認識主体でしょう。

233 :考える名無しさん:04/01/28 22:16
われ思うゆえにわれ有りの「われ思う」方が超越論的主観

234 :考える名無しさん:04/01/28 23:26
授業で最初のほうだけちょっと読んだけど、人生最大の知的な革命が起きたよ。もう来ないと思っていた。
ちなみに以前そういうのを経験したのは、面積の概念と、ニュートン力学だな。

235 :考える名無しさん:04/01/31 20:05
>>205

岩波文庫の純粋理性批判読んでるんだけど、プラトンのイデアについて
触れてるところがあるよ。中巻の32ページ以降。

この週末で中巻を読み終えるつもりが…無理っぽい(欝

236 :真・勝利宣言 ◆Vwin08gGMU :04/01/31 20:06
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW(ブゲワラップ

237 :モコ:04/02/06 22:52
感性論終わりました。ライプニッツは感性を混乱した思惟として
解釈し、感性を独立した能力とは見なかった。
他方、ロックは悟性を感性化した。これらをふまえカントは
感性と悟性との独立性を証明した、ということを感じました。

238 :WWWWWWW:04/02/06 23:42
>>236

真性ビガロくん、元気かね?(ゲラフップラップ




239 :考える名無しさん:04/03/08 23:10


           ボクシッチ    フェラー

  デシャン                     エドリ
           ソゼー       ペレ

  ディメコ                     アングロマ
           デサイー      ボリ

                
                バルデス 

240 :考える名無しさん:04/03/08 23:11
           ボクシッチ    フェラー

    デシャン                   エドリ
            ソゼー      ペレ

    ディメコ                   アングロマ
            デサイー     ボリ

                
                バルデス

241 :考える名無しさん:04/03/09 01:04
 

242 :考える名無しさん:04/03/09 01:09
>>236
実在したのか、ビガロって。

243 :考える名無しさん:04/04/04 14:45
age

244 :考える名無しさん:04/04/11 22:32
だれか宇都宮訳を読んだ人いる?

245 :考える名無しさん:04/04/11 22:43
宇都宮訳ってまだ出たばかりじゃないの。
本屋にもう並んでるのかな。

934 名前: 考える名無しさん Mail: 投稿日: 04/04/11 13:34

★ 宇都宮芳明訳『純粋理性批判』が遂に刊行!! ★

このスレでこれまで指摘されてきたように、
従来の岩波文庫訳や全集版の訳は様々な問題が
あったが、この宇都宮訳は『純理』訳の決定版
となるでしょう。
.....................................................................
『純粋理性批判 上』
I.カント著 以文社刊 ¥8,500(税込:¥8,925)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02431045&aid=ex
.....................................................................
『純粋理性批判 下』
I.カント著 以文社刊 ¥8,500(税込:¥8,925)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02431046&aid=ex
.....................................................................



246 :考える名無しさん:04/04/11 22:44
>>244 高すぎ。読む価値はあるの?

247 :考える名無しさん:04/04/11 22:48
どうなんでしょうね。

248 :考える名無しさん:04/04/11 23:33
リッチな人は買って、宇都宮氏の正確な訳と訳注で
『純粋理性批判』を大いに エンジョイ すればいーんじゃないでせうか。

249 :完全なシロウトです:04/04/13 09:40
哲学専攻ではなかった文系出身の中年です。語学も得意ではありません。
でも、『純粋理性批判』を少しでも理解したいと思ってやってきました。
学生時代「あれを読むとアタマの中が広がった感じがする」と哲学の先生
に聞いたのを思いだしたからです。
これから過去スレを読みますが、とりあえず『プロレゴメナ』を熟読しても
理解できないレベルの人間はどうすればよさそうでしょうか??


250 :考える名無しさん:04/04/13 16:18
>>249
折角だから上で話題になってる宇都宮訳の新しい『純粋理性批判』の翻訳を読んでみたらどうでしょうか。

251 :考える名無しさん:04/04/13 21:34
天野訳の復刊希望

252 :考える名無しさん:04/04/13 21:53
天野訳、ぜんぜん良くないよ。まだダーシノのほうがマシ

253 :考える名無しさん:04/04/13 22:52
天野訳はいいよ。篠田訳と天野訳をくらべて篠田訳を選ぶ人は哲学のセンスないと思う。
分析哲学ならセンスは関係ないようだけどね。おいおい、哲学のセンスって何だよw

254 :完全なシロウトです :04/04/14 07:45
お教えありがとうございます。
正確さよりも「日本語としての理解のしやすさ」が一番なの
ですが・・・・。つまり、訳語自体の完成度というか・・・原文を
思い浮かべなくても訳文の中で理解できるようにというか。

かといって「カント入門」みたいなものを読むのも面倒ですし。

一番いいのは翻訳を『原文』として、解説本を『訳文』として
勉強することだと考えているのですが・・・・・・・・・・・・・・・?



255 :考える名無しさん:04/04/14 11:10
宇都宮訳「純理」本屋に並んでいるのみてきました。
その大部さにおそれをなしましたが。注解がついているからです。
今回は宇都宮氏だけではなくて、北大のカント研究者による
共訳で、宇都宮氏は監訳者という立場ですね。つまり訳の仕上げを
宇都宮氏がやっているということです。共訳によって何重にも
チェックが入り、ほぼ完璧な訳文に仕上がっているのではないかと
感じさせられました。

256 :考える名無しさん:04/04/14 11:14
>>254
・三度は通読する覚悟をもつ
・序文は後回し
↑これでなんとかいけるんじゃないでしょうか。
訳文は何種類もあるので書店や図書館で確認して、自分に合ったものを選択したらいいのでは?
シロウトさんの観点だと、訳についてはもう好みの問題だと思うんですよね。

257 :シロウト:04/04/14 11:48
>>256
ありがとうございます。
「序文はあとまわし」というのは知りませんでした。
今年一年かけて読んでみます。


258 :考える名無しさん:04/04/14 14:26
がんばれよ。ま、今年一年もかけるのはどうかと思うが。
あと天野訳はセンスがないからやめとけw

259 :考える名無しさん:04/04/16 12:16
序文はあとまわし、は、まずいと思う。むしろ、序文などを慎重に読めば、
カントのやろうとしていたことのおおよそのイメージがつかめる。

それから、一見遠回りに見えるかもしれないけど『純粋理性批判』にいたる
前のカントの著作をいくつか読んでみるのも、悪くない方法だと思う。

260 :考える名無しさん:04/04/16 12:42
序文で主張される認識論上の大転換をしっかり把握することですね。
しかしただ読んだだけだとカントはDQNな主張をしてるようにも見えます。
こういう印象を乗り越えるにはいろいろ条件がありますが、その条件をある
程度満たせば、カントの客観性に対する見事な論理的態度をあなたも共有す
ることができるでしょう。
なんという至福。

261 :考える名無しさん:04/04/16 18:05
マジレスだけど、『プロレゴメナ』の方を先に読んどくのがいいんじゃないの?

262 :シロウト:04/04/18 00:17
>>客観性に対する見事な論理的態度

ふーん・・・・これがどういう意味なのかわかる
ようになれば、カントを理解した(第一歩)って
ことになるのかな・・・。


263 :考える名無しさん:04/04/18 00:54
『判断力批判』は誰訳がいいですか?

264 :考える名無しさん:04/04/19 17:36
昨日、講談社学術版の純理を買ったんだけど、どうして、あの訳が
良いの?かなり文章が硬いのでは?河出版の訳の方が読みやすいような
気がするのだが・・。

265 :考える名無しさん:04/04/19 17:41

   ∧_∧
  (・ω・` )    ,-⌒⌒)
   ⊃⌒*⌒⊂ノ  ブゥ )
   /_/~~\_l ` -〜 '~



266 :考える名無しさん:04/04/19 18:01
>>264
原文が悪文なら、意味不明瞭な訳が良い訳で、きちんとした日本語になってる訳は悪訳ってことじゃ?

267 :考える名無しさん:04/04/20 00:32
>>264
やたらと天野訳を推してる香具師が一人いますが、無視したほうが無難です。
ていうかもう買っちゃったのね…。俺も騙されたクチです。

268 :考える名無しさん:04/04/20 19:17
天野訳は悪くないと思うけどナ?
好きなの選べばいいんじゃない?

269 :考える名無しさん:04/04/20 20:07
天野訳の気に入らない例文、一部キボン。僕も買うかも知れません。
旧字体じゃないんでしょ?

270 :大学でカント・・・・・:04/04/20 20:21
 ・・・・・後悔しています。

271 :考える名無しさん:04/04/20 20:25
>>270 がんばれ。

272 :考える名無しさん:04/04/21 12:52
客観性ということに関して、ちょっと意見をお聞きしたいのだけれど、
カント哲学においては、客観世界というのはあくまで主観の合成物であり、
物自体は認識できない。
ちょっと(それ以前の議論に)戻ると、我々は五感で感じえる世界を超えることはできないわけです。
これは経験的に、確かであると思われます。
我々は主観世界に閉じ込められた存在であるわけですが、では客観的認識というのは不可能なのかということでありますが、
カントはここで「発想のコペルニクス的転回」を計った訳ですね。
客観に主観が従うのではなく主観(悟性)に現象が従うのであると。
(現象世界を客観世界、つまり物自体の世界から区別した。我々は物自体は認識しえず、主観の合成物である現象世界しか知りうることができない)
悟性法則にしたがって地球は太陽の周りを回っているわけです。
理論が現実に先行する。
理論的には地球は太陽の周りを回っているはずだが、現実的にはその逆に見える。
その後天文学者が望遠鏡で観察してみると、確かにその通りであったと。
ただし、情報が少なければ、つまり悟性だけで論理を弄繰り回していても、不毛なわけで、経験の蓄積が重要であることはいうまでもなく、
考えているだけで考える素材がなければ確かなことはいえないし、限界がある。
感性なき悟性も悟性なき感性も盲目であると。地動説も観察によって確かめられたわけであるし。
天動説も地動説も仮説であり、どちらが正しいかは喧々諤々の議論があったわけだけれども、ケプラーが望遠鏡を覗いてみるまで、どっちが正しいかということはいえなかった。
ただ、天動説より地動説でのほうが矛盾なく現象を説明できる理論であったことは確かだったわけですね。
また経済学の世界でも、多数の学説が跳梁跋扈しているのが現実ですが、これも現実を詳細に観察してみることでどの理論に妥当性があるかということは確かめられるわけですが。


273 :考える名無しさん:04/04/21 12:53
ところで、ヘーゲル論理学だと、客観性とは全体性の事を言うのだそうですが。
これはたとえば、現時点で妥当する真理といえる理論でもより包括的な立場からは特殊な理論に過ぎないわけですね。
天動説でも十分な時代というのはあったわけですが、さらに人間の認識が進歩すると、包括的になると、天動説ではうまくない。(もっともアリストテレスも天動説を主張していたらしいので、十分認識の射程範囲だったと言えそうですが)
アダムスミスの理論が妥当する時代というのもあったわけです、また現在でも、セー法則が妥当するような経済であれば、スミスの理論でもまぁどうにか矛盾なく現実を説明できるわけですが。
経済が発展してくると、どうもそうもいかない、神の見えざる手が働かない、どういうことだと。
そこで、ケインズが現れて有効需要の原理を教えてくれるわけです。
セーの法則が逆転して、供給は需要に従うという時代に移行した。
すると有効需要の原理が妥当する世界になるわけですが、とはいえ、全体の投資と消費が全体の所得を決める。所得が消費を刺激する・・・
という法則は昔から働いていたわけで、それに直感的に気がついていた人もいたわけですが、理論化した人は居なかったし、あまりその必要も・・



274 :シロウト:04/04/21 13:20
>>感性なき悟性も悟性なき感性も盲目であると。地動説も観察によって確かめられたわけであるし。
↑すいません、なんか、はじめて「悟性」とは何かが腑に落ちたのですが、この
表現は妥当でしょうか。


275 :考える名無しさん:04/04/21 13:29
「概念なき直観は盲目で、直観なき概念は空虚」とかゆーんじゃなかった?
(違ってるかもしれん)

276 :考える名無しさん:04/04/21 13:30
カントのコペルニクス的転回ってよく言われてることじゃん。
つうかカント自身で言ってるし。純理嫁

277 :考える名無しさん:04/04/21 18:41
科学哲学の入門書を1冊読みましょう。話はそれからです。

278 :考える名無しさん:04/04/22 20:44
>>275
その言い方だと「概念」を「悟性」が司り、「直感」を「感性」が司る
というのがわかりにくいのです。
・・・・と、いいつつ、正しいのだろうか?「概念を司るのは悟性」
「直感を司るのは感性」・・・・・大丈夫かな。


279 :考える名無しさん:04/04/22 21:33
でも、カントもヘーゲルも所詮、
主観丸出しのマイ哲学なんだろ?

280 :考える名無しさん:04/04/22 21:54
>>278
「悟性概念」と「感性的直観」
人間には神のごとき「知的直観」はありまへん

281 :考える名無しさん:04/04/22 22:07
>>278
あってるよそれで。純理嫁。

282 :考える名無しさん:04/04/22 22:09
>>279
「マイ哲学」って何?

283 :考える名無しさん:04/04/22 22:13
主観丸だしw
超越論的マイ哲学か?

284 :考える名無しさん:04/04/22 22:46
「主観丸出し」だと「マイ哲学」?

285 :考える名無しさん:04/04/22 22:49
「マイ哲学」って言葉が「マイ哲学」の専門用語なんじゃねーのか?

286 :考える名無しさん:04/04/22 22:50
「所詮…」てゆう香具師をマトモに相手にするのは
所詮無理ぽ

287 :考える名無しさん:04/04/22 22:52
所詮は俺たち高等知性生命体

288 :考える名無しさん:04/04/22 22:53
モコがブスかもと想像したら萎えてきた。吊ってきます。

289 :考える名無しさん:04/04/22 23:39
>>279
ヘーゲルダケダヨ!

290 :考える名無しさん:04/04/23 02:01
>>278
経験論と実在論の立場の対立を踏まえないで、カントの「超越論的・・」を
理解しようとしてませんか?片方だけの立場から言及しようとすると、
トンデモになる可能性がありますよ。天動説と地動説の関係とか進化論とか斉一性原理とか、
恐らく勘違いを多くしていると思われますが、その中で最悪なのは、

>>理論が現実に先行する。

哲学・科学の主義主張はたくさんあるから、中にはこれを支持補強する立場も
あるのかも知れませんが、私はよく知りません。でも、経済学などの社会科学を
これで説明しようとするのは・・・ただただ 無 謀 のひと言に尽きます。
少し考えればわかると思うのですが・・・・ひょっとして「M」の方?と言われますよ。

悟性=主観、物自体=客観と決め付けるのは誤りだと思います。
(こういう風に誤りだというと、今度は知らないカント解釈の人からどやされそうで、こわい・・・
決め付けや単純化が良くないって言ってるんですよォ)

ここのサイトを読んどくといいかも知れません。
カントに影響を与えた人々
ttp://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/kondou/HIS3.htm

オッカムの剃刀を忘れないで (これ、ただのおまじないです。間違ってたらスマン)


291 :考える名無しさん:04/04/23 02:06
レス番間違えました。278→>>272

292 :278:04/04/23 10:57
一瞬ドキッ、としました>>290
>>281
おかげさまで読む気になれそうです。

293 :考える名無しさん:04/04/25 16:14
>>290 自己レスです。すみません。
そのレスの最後で紹介したリンク先のサイト、個人サイトなのであまり
けちを付けたくはなかったのですが、ミスリーディングするとまずいので、
紹介した責任上、指摘しておきます。「カントに影響を与えた人々」以外の
部分は読まない方がいいです。

「先験的」という専門用語は、今ではまったく使われません。
大変なことになるので、使わないでください。

かしこ。

>>292 どうもすみませんでした(笑)。

294 :考える名無しさん:04/05/14 17:01
どの訳から接するかで違ってくるな。

295 :考える名無しさん:04/05/14 22:00
世界の名著には何が収録されてるのですか?

296 :考える名無しさん:04/05/15 03:38
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~touzoku/newpage104.htm

カントもニーチェも大好きです。生きる哲学翼だよ・・・・


297 :考える名無しさん:04/05/15 09:49
どう大変なことになるの?>>293

298 :考える名無しさん:04/05/15 09:51
Mのどこが悪いの>>290

299 :考える名無しさん:04/05/26 21:38
大学で純理を読むことになったんですが
意味不明でくじけてました。

17歳で原文ですか・・
まあ本当であれネタであれ、もちょっとがんばって読んで見ます

300 :ファインマソ ◆VfqTJ9RVEY :04/06/01 00:58
300(σ゚∀゚)σゲッシ!

301 :考える名無しさん:04/06/02 10:57
カント読んだのですが、スピノザは難しいですか?

302 :THE グル:04/06/05 03:02
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


303 :考える名無しさん:04/06/05 08:31
>>299
まず、石川文康『カント入門』(ちくま新書)なんかよんでみたら

304 :考える名無しさん:04/06/05 14:09
原文で読む奴はクソ

305 :THE グル:04/06/05 14:43
>>304
いいですか、
そう断定されるということは、
あなたは日本の方が書いた著作を、
わざわざ海外の翻訳書で読むんでしょうかね?
どうかしましたか?

306 :考える名無しさん:04/06/05 15:49
何言ってるの馬鹿じゃないの↑
前提は折込済みなんだようんこ野郎
誤配やろうがププププ

307 :THE グル:04/06/05 15:51
>>306
いいですか、
いわれておられる意味が良く解りませんね。
どうかしましたか?

308 :考える名無しさん:04/06/05 16:00
詭弁だな↑

309 :考える名無しさん:04/06/05 16:01
いわれておられる
いわれるは受身おられるは尊敬だから、そのようなことばを受け取っておられる意味が分からないとなる

310 :THE グル:04/06/05 16:02
>>308
いいですか、
詭弁の意味をわかってお使いになっているんでしょうかね?
どうかしましたか?

311 :THE グル:04/06/05 16:04
>>309
いいですか、
そうですね、
「おっしゃられている」の方がより良いですね。
どうかしましたか?


312 :考える名無しさん:04/06/05 16:06
おっしゃられるは受身。おっしゃっているがよりよく思われる

313 :考える名無しさん:04/06/05 16:06
グルはもうちょっと勉強した方がいいな( ´,_ゝ`)プッ

314 :考える名無しさん:04/06/05 16:09
単純にこの意味が分らん>原文で読む奴はクソ

315 :THE グル:04/06/05 16:09
>>312
いいですか、
日本語の尊敬語における「受身表現」は日本独自のものでして、
間違ってはいないんです。
呉善花の著書でもご参照いただきたいものですね。
どうかしましたか?

316 :考える名無しさん:04/06/05 16:10
人に頼るなよ

317 :考える名無しさん:04/06/05 16:12
能動と受動の違いになるでは?
>>306さんの言ってる事が分からないという意味なら受身使っちゃいかんぜよ。
>>306さんが(他人から)言われた事の意味がわからない、という意味なら
>>305が意味不明ということになる。で、>>305書いたのは誰?

318 :考える名無しさん:04/06/05 16:14
「言う」の尊敬語「おっしゃる」と
尊敬の助動詞「られる」が重ねてるから変なんでしょ。

319 :考える名無しさん:04/06/05 16:15
られるに尊敬と受身とあるから。二重敬語イクナイ

320 :THE グル:04/06/05 16:16
>>316
いいですか、
では簡単にご説明するんです。
「おっしゃる」:「おっしゃられる」、
「お食べになる」:「お食べになられる」、
「お遊びになる」:「お遊びになられる」など、
独自の受身を生むんです。
まあ、
「いわれておられる」というのもぜんぜん間違いではないんでして、
調べてみていただければ直ぐにお解かりになられるはずなんです。
どうかしましたか?

321 :考える名無しさん:04/06/05 16:17
>>320
>>317

322 :THE グル:04/06/05 16:19
>>319
いいですか、
自身に二重敬語を使っているわけではないんです。
どうかしましたか?

323 :考える名無しさん:04/06/05 16:19
まあ分かったからなんでも日本語で読むのがベストってことで

324 :THE グル:04/06/05 16:20
>>317
いいですか、
>>305を書いたのはもちろんグルなんです。
どうかしましたか?


325 :考える名無しさん:04/06/05 16:21
だ・か・ら。今の現代口語文法じゃ、二重敬語はすべからくマチガイなんだよ

326 :考える名無しさん:04/06/05 16:21
原文って言葉、翻訳のこと? ドイツ語のこと?

327 :THE グル:04/06/05 16:23
>>325
いいですか、
どこがどう二重敬語になっていて、
文法的に間違っているというんでしょうかね?
どうかしましたか?

328 :考える名無しさん:04/06/05 16:23
原文で読む奴はクソ


329 :考える名無しさん:04/06/05 16:25
「すべからく」は文法的には「〜すべし」と終わるときに使うんじゃなかった?
「全部」をハクつけていいたいときには「おしなべて」とでも言っといたらいい。

330 :考える名無しさん:04/06/05 16:30
そうだね

331 :考える名無しさん:04/06/05 16:51
すべ辛い

カレールーの状態を指す形容詞が語源だよ

332 :考える名無しさん:04/06/05 16:53
コトバあそび 楽しいみゅぅ〜♪

333 :考える名無しさん:04/06/05 16:57
>>329
あったま悪いなあんた

334 :考える名無しさん:04/06/05 17:19
グルを論破した事で、かなり自身がついた

335 :THE グル:04/06/05 17:24
>>334
いいですか、
何がどう論破なんでしょうかね。
どうかしましたか?

336 :考える名無しさん:04/06/05 17:25
自分自身が、どこにつくなの?

337 :粉山:04/06/05 17:35
心技体・・・心・・理性・・・欲望・・・・・
かなっ?

338 :考える名無しさん:04/06/05 17:41
グル論破して?

339 :考える名無しさん:04/06/05 17:42
頭悪いなあんた達
論破しちゃうぞ

340 :考える名無しさん:04/06/05 17:43
してして〜♪

341 :THE グル:04/06/05 17:46
>>338
いいですか、
論破も何も、
何一つまだ論じられていないではないですか。
どうかしましたか?

342 :考える名無しさん:04/06/05 17:47
純理の話して

343 :考える名無しさん:04/06/05 17:48
だからそもそもこの意味が分らん。>原文で読む奴はクソ
とはいえ既知外の相手しても時間の無駄。

344 :粉山:04/06/05 17:51
理性の全く無い〈というか介在できない〉純粋な直感、
空間、時間、の認識ができる。〈できんのか?〉
純粋な直感とは
理性の無い〈考えの無い〉直感の事
まず時間、空間、に理性は太刀打ちできないと思っているようで
〈カントが〉詰まるとここれは
主観のどこかに存在する直感を使ってイルだけだということになる。
〈直感を濁す物に理性をあげたがそれがそう言う物なのかは
あまり自信が持てない〉

345 :THE グル:04/06/05 18:07
>>342
いいですか、
純粋理性とは、
カント哲学の根幹の一つでありまして、
主に3つに分けられるんです。
まず第一に、
経験を可能にするあらゆる先天的認識能力を指しまして、
実践理性に対して、理論理性一般を指すんです。
また、
第二に、
第一義がから感性を排除しその他の認識能力により、
主体的乃至能動的に思惟する能力を指しまして、
これにおいて、
悟性や判断力や理性が区別されるんです。
そして、
第三に、
あらゆる可能性悟性作用を原理的に統合体系化しまして、
「原理よりの認識」を可能にする能力であります。
また、
ここでの理性とは、
認識に対して規制的原理を有し、
構成的原理を持たないものであります。
これが定説です。
どうかしましたか?


346 :考える名無しさん:04/06/05 18:16
頭悪いなグルは全然違うじゃないか

347 :THE グル:04/06/05 18:26
>>346
いいですか、
純粋理性批判をお読みになれば、
お解かりになるはずなんですけどね。
どうかしましたか?

348 :粉山:04/06/05 18:30
普通の人に分からない言葉を連ねてもわからない
あなたなら本を読めというかもしれないが
教える方が効率がいいのでは?


349 :THE グル:04/06/05 18:36
>>348
いいですか、
あなたの申されている「普通の人」というのが良く解りませんが、
そこで用いられているテクニカルタームを使った方が、
より解りやすいと思うんですがね。
どうかしましたか?

350 :粉山:04/06/05 18:41
俺、テクニカルタームって何?

351 :THE グル:04/06/05 18:46
>>350
いいですか、
テクニカルタームとは専門用語のことなんです。
グルが思うには、
「普通の人」なら本を読まずに教わるだけで理解することの方が、
より困難であり、
時間がかかることを知っているはずなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?

352 :粉山:04/06/05 18:55
むーん・・・・・
ではその定説について語りましょう
その教える側が悪かったのか〈というかそう言う人が多いのか〉
教えられる側も悪かったのか〈そういう人も多いのか?〉
という問題と
専門用語の利点と何故一般に浸透しないのかを、
〈その難しさが安易に使われる事を拒否するためにあるのか〉

353 :考える名無しさん:04/06/05 19:04
>>356
グルさん、困難に立ち向かってよ!

354 :THE グル:04/06/05 19:05
>>352
いいですか、
極めて端的にその後質問に答えるならば、
ここでは、「教える」ことは強制ではないため、
教わる側が自発的なっているから成り立つということでありまして、
もし強制であるならば、自ら学ぶということを放棄していてもおかしくはないんです。
その上で申し上げるなら、
この場合は対等な立場になるわけですから、
質問する側がその自身の質問の意味をわきまえていないというのは、
道理がいかない事なんです。
また、
専門用語は人口に膾炙するためものではなく、
それを専門的に学ぶことが円滑になるようにつくられたものなんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?

355 :THE グル:04/06/05 19:09
>>353
いいですか、
笛を吹いても踊らない方に、
一から音符について語っても徒労に過ぎないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?

356 :考える名無しさん:04/06/05 19:14
あのな
フォアゾクラティカー
↑(゚Д゚)ゴルァ!
ソクラテス プラトン
↑( ´_ゝ`)フーン↑(゚Д゚)ハァ?
アリストテレス

デカルト 理性理性
おいおいじゃあどうすんだよ!理性は自明じゃねえのかよ
イギリス野郎ども全部経験だよばーか
カント (゚Д゚)ハァ?( ´,_ゝ`)プッ 簡単だよ純粋理性な
ヘーゲル弁証法とか

357 :粉山:04/06/05 19:44
専門用語はその専門に入った時に成長をたすけるため
〈やる気がある人はのみ込んでゆくまた、ある程度知っている場合もある〉
世間一般の説明の無駄な語を省き専門と呼ばれるよりも
よい説明がくわえられた一般の凝縮語〈略することとも
ちがうしまた其の中で加えるというものもふくまれるので〉
というもののように解釈しました。〈いいのかな?〉
うーんごりょうがすごいですな

358 :粉山:04/06/05 19:50
そういえばきわめて端的に語ってくれていあんがとね。
それともうひとつ、必要と必要でないこの二つは
動物にも、あるものと思います。で、
これがどこまで過去へさかのぼっていけるものなのか、
そして、人があるものを必要でないと感じたとき
ひとは自分の自覚する自分の位置を越える行動を取れるか。



359 :THE グル:04/06/05 20:01
>>358
いいですか、
ずいぶんと抽象的で曖昧模糊としていますね。
ただ、常にそれを必要とする主体に依るということがそれだと思うんです。
どうかしましたか?

360 :考える名無しさん:04/06/05 20:04
言ってる意味が分からない
もっと簡単に言えよ
サッカーでも言うだろ簡単に捌けと

361 :粉山:04/06/05 20:05
あっという間に突破されてしまったな・・・


362 :粉山:04/06/05 20:10
あなたより上の人はいますか?

363 :THE グル:04/06/05 21:24
>>362
いいですか、
サイババがどうかしましたか?
どうかしましたか?

364 :考える名無しさん:04/06/10 00:46
誰か先天的と先験的の違いを教えてくれ

365 :考える名無しさん:04/06/10 00:53
生得的、根源的獲得的(生得的でも経験的でもない)

366 :考える名無しさん:04/06/10 01:07
先天的、生得的、先験的、超越論的は、apriori,transaendent,transzendental
などの訳語だが、もともと原語でも、それぞれの哲学者により意味合いが異なる。
訳語になって、一層境界不明瞭。
カントでは、先天的(経験を必要としない)認識がいかに可能かを問題とする認識が(transzendental)先験的・超越論的と云われる。
ちなみにtranszendentは超越的と訳される。

367 :考える名無しさん:04/06/10 01:56
・先験的→超越論的
・先天的→アプリオリ
・経験的(後天的)→アポステリオリ
と言いかえないと、語釈の話になってしまう。

「先験的」は誤解とともに変な形で流布してしまったので、誤用が多い。
(音が先見に通じるためか)経験していなくても分かるという意味で、
私は特別な天才だ、という理由付け等に、よく経験に先立つものとして
用いられるが、大抵は間違い。

「先験的」は本来「先天的」で置き換え可能(に見えるよう)な場合に使われる
用語だが、一般的には「経験的」で置き換え可能な場合に使われることが多い。
あまりにまぎらわしいので、現在は「先験的」はまず使わなくなった。
「先験的」など使わず、「先天-経験」が統一的に使われていれば良かったのだが、
現在はそれすら用いられず、アプリオリ-アポステリオリと言うようになった。

(超越的は「分限、度を越えた、不適当、不適切」という意味なのでここでは除外。
なおこの混乱は、解釈の問題も絡むので訳語のせいだけではない、とは思う。)

――では、超越論的とアプリオリの違いは、と聞かれると、実存主義の話題になる
のだろう、と思われる。難しくておれには答えられない。

368 :考える名無しさん:04/06/10 03:34
カントって童貞だったんだろ?
じゃあ何言っても駄目だな。

369 :ぴかー:04/06/10 20:04
ん? 今更カント?

370 :考える名無しさん:04/06/10 22:57
今こそカント

371 :考える名無しさん:04/06/10 23:09
三批判書を買うなら以文社or岩波どちら?

372 :考える名無しさん:04/06/10 23:23
他スレにもあったけど
以文社

373 :考える名無しさん:04/06/10 23:46
評判悪いけど岩波でいいと思う

374 :オレオレ詐欺:04/06/11 09:48
岩波のいいところは安いところ

375 :考える名無しさん:04/06/11 10:43
岩波で『純粋理性批判』読んでると
柄谷行人みたいな致命的な誤解をしてしまうので
注意だ

376 :考える名無しさん:04/06/11 13:00
>>375
具体的に

377 :オレオレ詐欺:04/06/11 13:09
>>376
上、700円
中、760円
下、800円


378 :考える名無しさん:04/06/11 18:27
>>366
>カントでは、先天的(経験を必要としない)認識がいかに可能かを
>問題とする認識が(transzendental)先験的・超越論的と云われる。

これじゃ全然まちがってるじゃんか。
もしこの説明のとおりだったら、カントの超越論的哲学が、普通の経験的な
認識の可能性とどう関係するのかが全く分からないわけだし。

カントが「超越論的」てことをゆう場合のポイントってのは、
大雑把に言えば、認識一般を可能にする条件をアプリオリな仕方で解明する、
てことにあるわけざんしょ?
ただ単に「経験を可能にする条件の解明」ということであれば、
脳科学的な研究(身体的条件の解明)やら、社会的研究(社会的条件の解明)
やらの経験的探究も関わってくるわけだから。

379 :考える名無しさん:04/06/11 22:07
君の言っていることは「経験」を「認識一般」に言い換えただけだ

380 :考える名無しさん:04/06/11 22:52
まじレスした俺がパカだった..._| ̄|○

381 :考える名無しさん:04/06/11 23:18
経験って認識一般とかなり意味が違わん?

382 :イマラチオ ◆reMyth/Z6U :04/06/12 07:08
カントを守る会

383 :考える名無しさん:04/06/14 10:41
>>382
イラマチオだろ?

384 :考える名無しさん:04/06/14 10:43
>>380
いやいや、マジで君の言っていることは「経験」を「認識一般」に言い換えただけだってw

385 :考える名無しさん:04/06/14 11:07
>>384
「経験」と「認識」について言いまわしが不正確だったかもしれないけど、
それは別にして(別に弁明はしないけど)、
ポイントは「超越論的」と「アプリオリ」との関わりをどう理解するか
ってことなんだけど。

386 :考える名無しさん:04/06/14 17:59
岩波って最近新訳の文庫出たのか。
岩波文庫はいい文庫だが、
純粋理性批判に関しては古すぎ。

387 :考える名無しさん:04/06/14 20:51
それはそうと、カントの本スレが両スレとも落ちてしまったんですけど、
再建しませんか?

388 :考える名無しさん:04/06/14 20:53
オレにはクリス先生がいるから
カント先生はもうイラネ

389 :考える名無しさん:04/06/14 21:18
□■ イマヌエル・カント Part3 ■□

カントスレPart2があっという間にdat落ちにされてしまったので、再建です。

【過去ログ】
【Immanuel】 カントだよ全員集合!2 【Kant】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1083335329/
カントだよ全員集合!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1000981664/

【関連スレ】
カント『純粋理性批判』を読みませんか?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1068346442/
玄人志向の新カント派
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1080958757/


スレ立て規制で建てられませんでした。
誰か上のテンプレでスレ立てして下さいませんか?

390 :明らかな板違い:04/06/14 21:58
明らかにいた違い、

→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

よって、終了

391 :考える名無しさん:04/06/14 22:15
↑それは間違い。

392 :明らかな板違い:04/06/14 22:17
カントは哲学じゃない。
→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

393 :考える名無しさん:04/06/14 22:19
↑ぴかぁ〜?

394 :終了:04/06/14 22:20
ぴかはいた違いレスばかりするので→お花畑版へ

395 :考える名無しさん:04/06/14 22:24
>>389 立ててもいいけど。
でも読書会、放棄しちゃったようだから、ここのスレでやれば?
分散させるのはなんだかなー、気がひける。
・・・Part2で何かあったの?

396 :明らかな板違い:04/06/14 22:25
カントは哲学じゃない。
→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

397 :考える名無しさん:04/06/14 22:42
岩波文庫の「純粋理性批判」は訳が読みづらいのですが、
もっと新しくて読みやすいのはないでしょうか?
本質とは違うところで頭を使いたくないので・・・。

398 :考える名無しさん:04/06/14 22:48
>>397
最近以文社から出た宇都宮芳明(他)訳のものが
註解もついてて親切じゃないかな。
ただ、上下2冊あわせて2万円近くするけど・・・

399 :考える名無しさん:04/06/14 22:48
純粋理性批判だけのスレだとちょっとなあ・・・
実践理性批判や判断力批判の話も必要だし
スレタイにはImmanuel Kantの字も入れたほうがいいかも

400 :考える名無しさん:04/06/14 22:53
>>398
ありがとう。
でも2万円かあ。。。
ちょっとさすがにねえ。。

401 :考える名無しさん:04/06/14 22:57
以文社のサイトのトップにちょうど出てるので、とりあえずURL貼っとく。
別に以文社の回し者ではないが(w

http://www.ibunsha.co.jp/

402 :考える名無しさん:04/06/14 22:57
>>398
図書館で借りれんかな。

403 :救世主 ◆ou2gZwaiBw :04/06/14 22:58
わ〜い1000とったよ!

404 :考える名無しさん:04/06/14 23:00
うん、まずは立ち読みしてみよう。

405 :考える名無しさん:04/06/14 23:04
ガム?

406 :考える名無しさん:04/06/15 01:53
>>399
講談社学術文庫のほうがいいよ。

407 :考える名無しさん:04/06/15 11:17
天野訳は使えないと思う。古本でしか売ってないし。

408 :考える名無しさん:04/06/15 21:16
売ってないって、中小の書店で扱ってないだけじゃないの?

409 :考える名無しさん:04/06/15 22:59
中小の書店で扱ってないだけじゃないの?って、当然絶版なんじゃないの?

410 :考える名無しさん:04/06/17 11:40
天野訳なんて戦前の訳だろ。もっと良い訳がある(以文社版とか)。
誰だよ、ススメている奴は。

411 :考える名無しさん:04/06/17 23:21
>>401
以文社版、祖父に大学入学祝いとしてねだって買ってもらった・・・

412 :考える名無しさん:04/06/18 19:51
定言命法はアプリオリなのですか?

413 :kai:04/06/19 02:07
カントは「時間、空間、カテゴリーなどから
 現象を認識する事ができるのであるから、
 人間は決められた範囲でしか物を知る事が
 できない」
と説きました。これが「純粋理性批判」です。
世の中には実在する物としない物の2種類がある。
つまり超越論的主観性を生み出したのもカントです。
ちなみにカントの作品には、「純粋理性批判」の他、
「実践理性批判」という理性批判シリーズの第2冊も
出版しています。

414 :考える名無しさん:04/06/19 12:22
河出書房版と以文社版、あなたならどっち?

415 :考える名無しさん:04/06/19 12:31
>>414
ていうか河出書房版はいまは(古本屋以外では)買えないゾ

416 :考える名無しさん:04/06/19 15:39
解説書では何がおすすめ?上ではドゥルーズが出てるけど。

417 :考える名無しさん:04/06/19 15:43
ドゥルーズはある意味カントよりムツカシイ。
解説書としてはすすめられないな。
とっかかりとしては
石川文康『カント入門』ちくま新書
あたりを読むといいと思う。

418 :考える名無しさん:04/06/19 15:52
>>417
d!原著はまだ遠い・・・

419 :考える名無しさん:04/06/20 09:09
>>412
そうです。

420 :考える名無しさん:04/06/21 11:07
それだったら黒崎政男の『カント『純粋理性理性批判』入門』をよんだほうがよかろう。
コメンタリーだったらペイトンだろう。邦訳は無いが。ケンプスミスは偏っているとよく言われる。邦訳があってありがたいけど。

421 :考える名無しさん:04/06/21 11:41
>>420
石川先生の新書ではダメですか?

422 :考える名無しさん:04/06/22 19:32
決して悪くなく、両方読むといいと思う。
石川先生のはカント全体に関しての入門書、黒崎先生のは第一批判に限定した入門書。
この二つはかなり分かりやすい部類。
あと、中央公論社の世界の名著シリーズの「カント」に入っている野田又男の解説が良いと聞いた。読んだこと無いから分からんけど。

423 :考える名無しさん:04/06/22 20:29
ペイトン『定言命法 カント倫理学研究』杉田聡訳、 行路社

ペイトンってこれ?

424 :考える名無しさん:04/06/22 21:40
それは『純粋理性批判』じゃなくて『実践理性批判』の解説書ですね

425 :考える名無しさん:04/06/23 09:45
そのとおり。ペイトンの第一批判のコメンタリーは、Kant's Metaphysic of Experience
邦訳は無かったと思う。買うとけっこうするので、図書館で借り出すしかないかな。

426 :考える名無しさん:04/06/23 09:46
別に読まないけど何か?

427 :考える名無しさん:04/06/23 12:01
つーかネットで読めないの?
誰かうpしてくれないかな

428 :考える名無しさん:04/06/23 12:27
著作権の問題があるから、それはいカント。

429 :考える名無しさん:04/06/23 13:04
ないだろ>著作権の問題

430 :考える名無しさん:04/06/23 17:26
世界の古典つまみぐいにて
第二版へのまえがき
序論
感性論
概念の分析論
が読める

431 :考える名無しさん:04/06/24 09:50
読めるけど、けっこういい加減な訳。

432 :考える名無しさん:04/06/24 11:27
428 名前:考える名無しさん :04/06/23 12:27
著作権の問題があるから、それはいカント。


433 :考える名無しさん:04/06/24 17:22
引きこもりのは概要しか見れないな
アメリカの引きこもりはうらやましい
ネット社会が発展途上の日本と違ってな

434 :考える名無しさん:04/06/24 17:29
>>433
意味不明

435 :考える名無しさん:04/06/24 17:31
本当に意味不明なのかイロニーなのかどっちですか

436 :考える名無しさん:04/06/25 08:26
結局入門・解説書としてはどれが良いんですか。
プロレゴメナが一番良いの?

437 :考える名無しさん:04/06/25 11:15
>>436
>>417,420 に挙げられている書物がいいのでは?

438 :436:04/06/25 16:13
黒崎のは読んだ。予備知識としてはこれで大丈夫?

439 :考える名無しさん:04/06/25 16:42
あったま来た!バイトクビだと??あぁ??
いまからこれまでの分取りに言って宇都宮訳全部買ってくる!







それにしてもパン屋でリストラされるとはなぁ

440 :考える名無しさん:04/06/25 19:34
パン屋でバイトいいなぁ('-、`)

441 :考える名無しさん:04/06/25 19:38
バイトとクビって相当使えなかったんだな

442 :考える名無しさん:04/06/25 20:51
狭い店内に三人も従業員要らないと言われたのだy。
募集してもねぇのに女子高生が入ってきて3ヶ月目のことです、はい。

443 :考える名無しさん:04/06/25 20:53
パン屋いいねぇ。俺もパン屋でバイトしたい。余ったパン持って帰ってウマー

444 :考える名無しさん:04/06/25 21:15
宇都宮訳よりも、アルバイト情報誌を買ってくるべきだw

445 :考える名無しさん:04/06/25 21:39
この時期なら、夏の短期バイトの募集が一杯あるだろさ

446 :考える名無しさん:04/06/26 00:03
不潔な野郎はパン屋では使えんからな。

447 :考える名無しさん:04/06/26 08:30
よく3ヶ月も我慢したもんだ。立派な店長だな。

448 :考える名無しさん:04/06/26 15:11
理念(超越論的)の、悟性での位置付けは、カテゴリーの、悟性での位置付けと類似しているととってよいのかな?

449 :考える名無しさん:04/06/26 15:13
訂正;理念(超越論的)の、悟性での位置付けは、→理念(超越論的)の、理性での位置付けは

450 :考える名無しさん:04/06/26 16:41
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/pure-critique-preface2.html
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/pure-critique-introduction.html
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/transcendential-element.html
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/transcendential-logic.html

451 :考える名無しさん:04/06/26 17:52
カテゴリーが恣意的だな

452 :考える名無しさん:04/06/26 20:49
>>448
類似してるかなあ。カテゴリーと悟性はほとんど同一というか不可分だけど、、、
「理念(超越論的)の、理性での位置付け」という言い方もちょっとよくわかんない。

>>451
論理学が基本になってるとはいえ、恣意的なところもあるかもね。
でも数学的と力学的の(ry

453 :考える名無しさん:04/06/26 22:02
>>452,
カテゴリーが悟性発現の生得的形式であるように、理念が理性の発現の生得的先験的な形式とみてよいのかな,という意味。
恥ずかしいけど、前書き、序論、をまだ読んでいない人間だ、私は。この答えは>>450に書いてあるのかな、よかったら、この問題に関する要点、書き込んでほしいなー。

454 :考える名無しさん:04/06/26 23:00
>>453
いいんじゃない?

455 :考える名無しさん:04/06/26 23:07
>>454,
なんとなく自信がなかったもので。

456 :考える名無しさん:04/06/28 22:40
カント入門見つからなかったんで、石川文康「カントはこう考えた」読んでるけど、この人あんまり
カント高く評価してない?いや、哲学界自体からの評価が落ちてるのか。

457 :考える名無しさん:04/06/28 22:54
評価してないんなら、『カントはこう考えた』なんて本は書かないんじゃないか?
哲学においては、評価することと賛成することはまったく違うのだが、それは分
かっているか?

458 :考える名無しさん:04/06/28 23:55
>>456
一体どこを読んでそう思ったのか知りたい。

459 :考える名無しさん:04/06/29 22:19
>>456
入門書なら、やはりバウムガルトナーではないでしょうか。
(ただし訳者の意図的ともみられる難しい日本語は理解しにくいですが)

460 :考える名無しさん:04/07/01 21:49
>>458
なんかヴォルフとかのほうが絶賛されてたから、相対的にそう思ったのかも。

>>459
バウムガルデンを連想した(´・ω・`)
西 英久の本はどうでつかね?

90分でわかるカントとかも読んでみたけどこれかなり微妙やな・・・

461 :考える名無しさん:04/07/04 16:09
宇都宮訳を文庫化きぼんぬ
岩波文庫の「永遠平和のために」は宇都宮訳なのに。

462 :考える名無しさん:04/07/04 16:27
>>461
出版社がちがうから無理ぽ

463 :二十三歳ひきこもり:04/07/14 09:49
カント哲学の入門書として丁度良いということなので
『道徳形而上学原論』(岩波文庫・青)を昨日から読み始めた



464 :考える名無しさん:04/07/14 16:44
それは実践理性批判の入門書としてはいいけど・・・
俺はやっぱ純粋理性批判から順に読んでいくのがいいと思うYO

465 :考える名無しさん:04/07/14 16:59
『道徳形而上学原論』は、「カントが最終的に言いたかったこと」
だから、『純粋理性批判』から順に読まないと理解しにくいと思う。

466 :考える名無しさん:04/07/20 00:02
入手しにくい高峯訳が安価でヤフオクに出てるよ。
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h16032601

467 :考える名無しさん:04/08/06 20:28
カントスレがこんなに盛り上がらないなんて、
もう日本の哲学も終わりだな。

468 :考える名無しさん:04/08/06 20:40
宇都宮さんのって高すぎて買えませんので岩波文庫で読んでいいですか?

469 :考える名無しさん:04/08/06 21:20
>>468
本人の心意気の問題。

470 :考える名無しさん:04/08/06 21:32
>>468
岩波だけはやめておきなさい。
あれでわかったら奇跡です。
図書館で河出書房版か宇都宮版を借りましょう。

471 :468:04/08/06 21:42
>>469-470
はーい、ありがとうございます。
日本の古本屋で検索してたらこんなものみつけました。

純粋理性批判(独文)初版
カント(KANT)、JOHANN FRIEDRICH HARTKNOCH(RIGA)、1781、1
-KRITIK DER REINEN VERNUNFT-BY KANT. 初版。原装ボード表紙。少スレ有。(管理コード;490672)

都丸書店  1,575,000円

472 :考える名無しさん:04/08/06 22:23
約160万円かよ

473 :考える名無しさん:04/08/06 22:25
スゲー
そこそこいい車一台買えますね

474 :考える名無しさん:04/08/06 22:30
Copenが買えるな

475 :考える名無しさん:04/08/06 23:26
>>471
心配しなくても買うやついないだろうけど、正書法も活字も今とは違うよ。

三批判書はネットに全部あるし。

『純粋理性批判』第1版(1781)
ttp://gutenberg.spiegel.de/kant/krva/krva.htm

『純粋理性批判』第2版(1787)
ttp://gutenberg.spiegel.de/kant/krvb/krvb.htm

『実践理性批判』
ttp://gutenberg.spiegel.de/kant/kritikpr/kritikpr.htm

『判断力批判』
ttp://gutenberg.spiegel.de/kant/kuk/kuk.htm

476 :考える名無しさん:04/08/07 21:56
岩波全集版はどう?

477 :考える名無しさん:04/08/07 22:14
>>476
まだ『純粋理性批判(下)』が出てないはずだが。
有福孝岳は、翻訳作業が終わったら、『純粋理性批判』の解説を書いてくれる模様。
有福だとカントの倫理学などとの繋がりも書いてくれるかも?
黒崎政男のは、わかりやすいが、倫理学との関係はあまり出てこなかったような気がする。

478 :考える名無しさん:04/08/13 17:45
>477
有難うございました。
訳としては正確であるか、若しくは読み易いものでしょうか。
少なくとも前者の要件を満たしてくれさえすれば、全集版で読もうかと
思うのですが。

479 :考える名無しさん:04/08/14 08:15
中島義道「カントの自我論」での各翻訳の評価

岩波文庫 篠田英雄訳
最も簡単に手に入り、文章も読みやすいが、
残念ながら誤訳や極端な意訳が少なくない

岩波書店「カント全集」 有福孝岳訳
読みやすく正確。最近の学会の動向を反映して
これまでの訳語を新しい訳語に変えている

理想社「カント全集」 原佑・湯本和男訳
熟読したわけではないため責任はもてないが
全体にわたって翻訳が不正確であまり薦められない

河出書房新社「世界の大思想」版 高峰一愚訳
私見では最も正確な翻訳

480 :考える名無しさん:04/08/14 11:23
上でも何度か言われているが
いま最も正確でおすすめできる『純粋理性批判』の邦訳は
以文社版の宇都宮訳。これが決定版。

http://www.ibunsha.co.jp/

481 :考える名無しさん:04/08/14 14:49
「世界の大思想」は他にも読みたい訳があるんで
是非(文庫で)復活して欲しい。

482 :考える名無しさん:04/08/16 00:16
古書で宇都宮訳上下13000円。
買いかな?まだ新しいからねー

483 :考える名無しさん:04/08/16 00:18
>>482
買いだな。どこの古本屋?w

484 :考える名無しさん:04/08/16 00:23
えっと、秘密w

485 :考える名無しさん:04/08/16 00:58
>>481
「世界の大思想」シリーズはいいよな。俺は古書店で見つけたらかたっぱしから買ってる。

486 :考える名無しさん:04/08/20 19:11
おいおい、そんなイイコトはこんなところではご開帳しないでくれ。

487 :考える名無しさん:04/08/21 01:04
天野訳がヤフオクに出てる
マニア向け
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f25853859

488 :考える名無しさん:04/08/26 10:44
>>465
>『道徳形而上学原論』は、「カントが最終的に言いたかったこと」
>だから、『純粋理性批判』から順に読まないと理解しにくいと思う。

そうかな。
カントはまずもって道徳論だと自分は思うけど。
なぜならカント哲学の核にあるのは「善の物自体」だから。

カントはまず倫理学だと自分は思うよ。
カントの倫理学に心底惚れ込んでいれば、純粋理性批判が
難しくても諦めずに学ぼうという気になれるとも思うから。
カント哲学は善の体系だと、自分は思うのだ。

…とはいっても道徳形而上学言論の原書をいきなり読むと、
その一文一文の長さに、へこたれて投げ出してしまいたくなると思うので、
まずはカント倫理学の入門書などがよいかな。。

489 :考える名無しさん:04/08/26 10:46
>>488
道徳形而上学言論
→道徳形而上学原論

490 :考える名無しさん:04/08/26 12:57
>>488
俺は>>465ではないけれど、たぶん>>465が言いたいのは、
君が言うように倫理学のほうがカント哲学の核だったとしても、
そこへの導入・準備として先に第1批判を読んでおく必要がある
ということじゃないのかな。
そういうことなら俺も賛成なんだけど。

491 :考える名無しさん:04/08/29 18:09
カントあげ

492 :考える名無しさん:04/09/02 20:02
おい、マンコじゃなくって、モコは何処いったんじゃい。

493 :考える名無しさん:04/09/02 20:36
アインシュタインは、4次元以上の空間を、普通の人が3次元の空間を
イメージするように、ありありとイメージできたそうだが、(その分
計算とか事務処理能力、IQは低かったとも言うが)
こういう直感って、にんげんの経験可能性のないものを直感する能力
があったってことなのかな。

494 :考える名無しさん:04/09/02 22:19
2次元の世界を生きる生命体があったとする。
この生命体が3次元の空間を直観するためには、
「高さ」というものをどのようにイメージしたら
いいのだろうか?

495 :考える名無しさん:04/09/04 20:13
道徳律は経験不可能だがたしかに直観できる。
しかし道徳律は物自体に属するんだったっけ。
よく分からなくなってきた。

496 :考える名無しさん:04/09/04 20:51
物自体は直観できないものだから・・・

経験可能だから直観できるのか、経験可能なものしか
たまたま直観できないように出来てるのか、・・・

カントは、空間と時間を、現象を直観する条件としてだけでなく、
それ自体を直観できると考えたんだよね。
その場合、空間と時間は別々にしか直観できないと思っていた
んだろうか。
そだとすると、アインシュタインみたいな人はカントを超えた
直観力があるということなのかな。

2次元しか生きない生き物だと、3次元の空間は、「直観する必要が
ないから」直観できない、ということになるのか。
それでも「2次元のアインシュタイン」みたいな生き物がいて、3次元
空間を直観するかも。

497 :考える名無しさん:04/09/04 20:54
>>495
僕はどうしても道徳律が直観できません。
チェチェンの事件でも、少女の裸のほうにばかり気を取られて
どうして皆もっとその方を見ないのか、本当はわからない。

498 :考える名無しさん:04/09/04 20:59
>>493
四次元空間からは、目じゃなくて手(つまり紙に計算しながら)で見る。
それらの論理に慣れきったら…まあそういいたくなるんだろうね。

499 :考える名無しさん:04/09/04 21:06
>>498
いやアインシュタインはそうじゃなかったみたいよ。
計算はいつまでも苦手で上達しなかったらしい。
映像を見るようにイメージできたとか。

500 :考える名無しさん:04/09/04 21:13
>>499
計算が苦手というのは数学オリンピックとか数論とかそういう人たちに比べたらだろう。
実際リーマン空間論を猛勉強して、相対性理論に進んだんでしょ。
アインシュタインの武器は紙と鉛筆だけだったわけだし。
ややこしい計算は死ぬほどやっているよ絶対に


501 :考える名無しさん:04/09/04 21:13
カントにとっての「直観の主体」って、普通人なのか、カント自身
なのか、どんな人間でもなのか、神のようなものなのか、天才なのか
・・・
だれが直観してる話かがわからない。

502 :考える名無しさん:04/09/04 21:17
>>500
それはそうだろうけど、それ以前に、紙と鉛筆以前に、イメージ
出来たんじゃないのかな。
紙と鉛筆自体は、相当な訓練が必要だったわけだから、手で見れた
ということではないのでは?

503 :考える名無しさん:04/09/04 21:23
>>502
そこまで言われるともうアインシュタインに聞くしかないね。
ただ数学者や物理学者のほとんどが手に入れたセンスっていうのは
血のにじむような訓練の賜物というのが、有名な方たちの共通意見。
紙と鉛筆で計算していくうちにそういうセンスを獲得していったんだと思う。
まあべつに固執しないけどね。


504 :考える名無しさん:04/09/04 21:25
だいたい直観てイメージじゃないし

505 :考える名無しさん:04/09/04 21:37
直観はイメージじゃないけど、直観できないものはイメージしようが
ない。

506 :考える名無しさん:04/09/04 21:52
>>505
感性的な直観ならね(たぶん)。けどそれすら怪しい。
おまけに哲学史的には知的直観つうのもある。


507 :考える名無しさん:04/09/05 19:33
>>503
>血のにじむような訓練の賜物というのが、有名な方たちの共通意見。
はちゅみみ

508 :考える名無しさん:04/09/05 19:51
有名な方たちってのもイロイロ居るから、これが困るんだよね。

509 :考える名無しさん:04/09/06 01:14
>>497
他者を目的ではなく手段として酷く粗末に扱ったときに、
そしてそれを深く反省したときに、良心の呵責として、
本来的でない方法で感じることができるでしょう。

凡人は何か悪さをしてはじめて、自分の中の尊厳に気づくもんだ。

(…だからといってわざわざ悪さしちゃいかんよ)

510 :509:04/09/06 01:16
言うまでもないけど、もちろん私も凡人の一人。

511 :考える名無しさん:04/09/06 10:37
そんでも、歎異抄を信じてわざわざ悪さをしてきた凡人の僕。

512 :考える名無しさん:04/09/06 15:14
善人すら救われる。いわんや…ってやつね。
救いは悪人のためにこそあると。。

何気に自分は結構感動したけど。

513 :考える名無しさん:04/09/06 18:50
スッゲー魅力的な逆説っていうか、考えですよね。
これって、親鸞のオリジナルなのでしょうか?
それとも元々はお師匠さんの法然に根っこはあったのでしょうか?

514 :考える名無しさん:04/09/06 19:22
レトリックに感動してるだけじゃん

515 :考える名無しさん:04/09/06 19:47
空間が直観できることはわかるが、時間は直観できるの?
概念としてしかつかめないのでは?
概念を直観する場は空間の形式だと思われるし。
過去というのも、未来というのも概念としてしか捉えられない
と思う。
現在、この一瞬を直観することは出来るだろうが、今この一瞬は
静止したものとしてしか直観できないから、やはり空間なのでは?
知的直観というのも常に空間の形式の上にあると思う。

516 :考える名無しさん:04/09/06 20:14
>>515
「直観」とか「概念」とかゆっても人によって使い方いろいろだし、
カントの議論に則さないで思い付きめいた話をしても、混乱するだけだと
思うけど。
例えば、なぜカントが空間とか時間を、概念としてではなく、
感性の形式として考えたか、といった話は、
たぶんカント解釈の基本だと思うし。
(といっても、基本問題だから易しいということではない。)

517 :考える名無しさん:04/09/06 20:54
>>516
だからそこをカントに即して聞いてるわけ。
なぜカントが空間だけでなく時間も直観形式と
考えたのか。

518 :考える名無しさん:04/09/06 21:06
>>517
例えば>>515
>空間が直観できることはわかるが、時間は直観できるの?
とか
>現在、この一瞬を直観することは出来るだろうが
とか言ってる場合に、どうゆうことが“わかって”るのか、ちょっと心もとない
感じもするんで、答えに困るんだけど。
「空間を直観する」とか、「今現在を直観する」というのが、例えば、
「視覚的な感覚的経験は一般に、空間的な広がりを伴って与えられる」とか、
「感覚はその都度、今という仕方で与えられる」といったような
ことを意味しているんだとすれば、それはカントの言う純粋直観とは
あんまり関係無い(全く無関係ではないにしても)話になっちゃうと思うし。
まあ自分でもきちんと説明できる自信も無いもんで(←ヘタレ)、
とりあえずは手ごろな解説書でも読んでみれば、としか言えないけど。

519 :考える名無しさん:04/09/06 21:27
直観の対象とか、現象とかの以前に(論理的に前に)、そういう
ものの条件である空間そのものを直観できるようなことをカントは
言ってるんじゃないの?純粋直観というのは。
そういう意味の純粋な直観の形式として、時間というのがありうる
のかということなんだけど。

520 :a:04/09/06 21:33
私に哲学を語ってください。

521 :考える名無しさん:04/09/06 21:42
>>519
なんか>>515での話からはズレてきてる感じなんで、
またやっぱり答えに困るんだけど。
おそらく、一番の問題になってるのは(大雑把に言えば)、
どうしてカントが時間と空間とを平行的に捉えたのか
といったようなことなんだろうけど、
これに対しては(やっぱり物凄く大雑把な答え方をすれば)、
カントが時間を空間と平行的に捉えたとすれば、それはやっぱり
主としてニュートン的な時空観から来てると思うけど、
ただカント自身の認識論的な構図の中では、
むしろ(ある重要な意味では)時間の方が空間よりも根本的なものとして
捉えられている、というのがポイントなんじゃないかと思うけど。
カントによれば、例えば、対象の空間的な大きさを認識するような場面でも、
そこには一連の表象を時間的関係に即して総合する作用が働いてるわけだし。

522 :考える名無しさん:04/09/06 21:51

>カントによれば、例えば、対象の空間的な大きさを認識するような場面でも、
>そこには一連の表象を時間的関係に即して総合する作用が働いてるわけだし。

無学な僕に教えてほしいんだけど、それどの辺に書いてあるんですか。

523 :考える名無しさん:04/09/06 21:54
>>522
K.r.Vで言ったら、三段の総合とか図式とかいった話題のトコね。
カントの話はうろ覚えなんで、厨な答えでスマソ。
(一々テキスト引っ張り出すのが面倒なもんで。)

524 :考える名無しさん:04/09/07 18:58
(純粋直観としての)純粋直観・・・・主観が生まれる前

直観形式としての純粋直観・・・・・・主観が生じた後

でいいですか?

525 :考える名無しさん:04/09/07 22:51
やっぱ清風高校なのか

526 :考える名無しさん:04/09/08 21:08
カントは本当に童貞だったの?
カント哲学をやれば性欲を克服できますか?
僕は少年時代はオナニーがやめられなくて悩んでいましたが、
今は風俗がやめられなくて少し悩んでいます。
カントで風俗からきっぱり足を洗いたいと思うんですが、
どんな勉強をしたらいいか教えてください。

527 :考える名無しさん:04/09/10 03:15
存在を変化するものとすると、
時間と空間を分けて考えることのほうがおかしくない?

528 :考える名無しさん:04/09/10 12:35
今でこそ時空という考え方があるけれど、
カントの時代には分けて考える方が自然でしょ。

529 :考える名無しさん:04/09/10 14:23:46
>>528
現在でも自然でしょうw

530 :考える名無しさん:04/09/10 15:21:48
>>528
漏れには分けないほうが自然だが?

531 :考える名無しさん:04/09/10 23:20:26
時間の無い空間って想像できる?
…想像はできるか。
にしてもそれは空間じゃなくて面ではなかろうか。

では、時間の無い存在って想像できる?
それは存在しているといえるだろうか。

存在と時空間っていうのはセットのように思う。
だから自分は
自分の中のなんたら形式が自分の世界を構成していると考えたほうが楽だ。

532 :考える名無しさん:04/09/10 23:44:19
>>531
おいおい、大丈夫か。
なんで、時間のない空間が面なんだよ(w
カント以前に哲学の初歩からやり直しだな

533 :考える名無しさん:04/09/11 02:33:16
哲学以前に根本的に頭が悪いようだ

534 :考える名無しさん:04/09/11 06:37:37
面というのは言い方が悪かったね。

時間が無いってことは変化が無いってことだ。
変化が無いってことはピタッと世界が止まっているということだ。
感官を連続的に刺激するものは何も無いだろう。
一瞬の感覚がただ残っているだけではなかろうか。

この上体でもし、目を開けたとしたら(想定はおかしいが)
ただ絵が見えるだけではなかろうか。ということ。


535 :考える名無しさん:04/09/11 07:03:28
時間がなければ何も見えない
またなにも感ずることはない

536 :考える名無しさん:04/09/11 07:07:48
時間て概念だよな?


537 :考える名無しさん:04/09/11 09:41:10
>>534
意味が分からんね
一瞬の感覚しか残らないことがどうして二次元と認識することになるのか

538 :考える名無しさん:04/09/11 13:58:04
脳の活動も停止してしまうということを忘れないように

539 :考える名無しさん:04/09/11 14:20:23
ハイデッガー化

540 :考える名無しさん:04/09/12 01:45:30
>>534
おい、何とか言えや なんで3次元が時間が止まったら2次元になるんだよ

541 :考える名無しさん:04/09/12 01:46:54
時間は四次元じゃん?

542 :考える名無しさん:04/09/12 02:36:07
氏ね

543 :考える名無しさん:04/09/12 08:35:22
ドテイノウニハリカイフカ。

544 :考える名無しさん:04/09/12 12:22:42
休日の朝からすさまじいですね。

545 :考える名無しさん:04/09/16 10:36:36
とまっているようですが、どなたか・・・
モコさんお元気でしょうか。

546 :考える名無しさん:04/09/22 09:46:24
オンデマンド出版 世界の大思想 05
ISBN 4309961657
カント『純粋理性批判』 
高峯一愚訳
定価 5,460円 (本体 )
http://www.kawade.co.jp/bookdata/bookdata.asp?ISBN=4309961657

547 :考える名無しさん:04/09/24 06:44:40
三次元(空間) + 時間(軸) = 四次元(連続した空間)



548 :考える名無しさん:04/09/24 10:27:05
よく判かんないけど、空間の時間的経過ってこと?
つまり、いい言葉がみつかりませんが、歴史ってこと?

549 :考える名無しさん:04/09/24 12:09:34
漏れは、純粋理性が、あるところでは絶対理念と呼ばれ、
あるところでは仏性と呼ばれ、あるところでは聖霊と呼ばれ、
あるところではダイモーンと呼ばれているものと同じだと思っている。
つまり、人間が究極的に考えつくことは同じなのだが、
表現方法が違う、と。

550 :考える名無しさん:04/09/24 12:20:31
 ( ゚д゚)

 (つд⊂)ゴシゴシ

 (;゚д゚)

 (つд⊂)ゴシゴシゴシゴシ
   _, ._
 (;゚ Д゚) …?!

551 :考える名無しさん:04/09/24 12:39:01
三次元がどうたらとか、書いてるやつは、
どうでもいいけど、純理はちゃんと読んだのか?
カントは空間と時間をわけて論じてるのは
厳密に述べる必要があると考えたからで、
別に切り離して考えているわけじゃないよ。
第一節の「空間について」でもきちんと「時間および空間は、」もしくは
あるいは「空間および時間は」と記述してるじゃん。



552 :考える名無しさん:04/09/24 12:52:29
純理は、カントは厳密に書きすぎたせいで具体的な例が少なく、
さまざまな解釈が成り立ってしまうので誤解を受けやすい。
カントが「空間について」で述べたかったのは幾何学の例であり、
「時間について」で述べたかったのは、物理学の例。
 カントが言いたかったことは、空間も時間も「物自体」には一切の関係はなく、
人間が認識するために、作った「ものさし」に過ぎないということ。

553 :考える名無しさん:04/09/24 13:07:07
そして、それを超えるところに連れ出してくれるのが
純粋理性であり、純粋理性にたどり着いた者は、
カントの時代の数学的成果や物理学的成果の程度のことなら、
発見することは可能であるし、
それどころか、それ以上の個人的成果をあげられるだろう。
だが、それだけでは社会が歪むので、安定し自律した社会を
最も労力少なく作り上げるために市民一人一人に実践理性が求められる。

554 :考える名無しさん:04/09/24 14:54:04
つまり
時間や空間と関係なく存在する「知識(みたいなモノ)」が「純粋理性」ということ?
先天的とかそういうことかな?

555 :考える名無しさん:04/09/24 15:09:13
その通り。
カントは、あらゆる分野に精通していたし、
その分野の知恵者とよく長いナガーイ昼食をとりがら会話をした。
このようなゆったりした議論を通じて、彼は精神の方法論を見つけた。
純粋理性は誰にでもあるが、多くの凡人がそれを実感できていない。
純粋理性批判では、そこへ到達する「道」をその批判とともに示した。
唯我独尊を避けるために。
人間の感覚を超えたところにあるものが純粋理性というもの。

556 :ぴかぁ〜ERROR:referer情報が変です ◆wMDHqGPerU :04/09/24 15:38:47
>>555
それは信仰だね。

557 :考える名無しさん:04/09/24 17:20:06
>>556
そうやってすぐに結論すんなよ。カントの場合は、>>555
いうとおりでしょ。哲学は答えを先回りして言うことじゃないよ。

558 :考える名無しさん:04/09/24 17:38:11
なんだこのスレ?

559 :考える名無しさん:04/09/24 17:59:22
純粋馬鹿

560 :551:04/09/24 22:57:28
おや? 俺は551と552は書き込んだけど、553以降は別の奴だね。
人間の感覚を超えたところにあるのものが純粋理性?
その部分は、ちょっと違うと思うな。それは「純粋理性の理想」であり、
結局、時間と空間を超越することは、人間には不可能なんじゃないの?

561 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/24 23:17:45
>>557
はぁ?カント萌えが哲学???

562 :考える名無しさん:04/09/25 00:19:41
>>560
なんかあなたのほうがおかしいことを書いてるように取れる


たしか

「純粋理性」は我々の得た知識ではないから気づかないし
気づこうとしてもそのときには知識というものが詰まりすぎてどれが
元からあった「純粋理性」なのか後から手に入れたものなのか判らない

という意見と

「純粋理性」は元からあるものであるからその表現の方法が判らない
(というか、経験していないので表現することが出来ない)

という意見があったと思う
まだ純理読み終わってないからわからないけど
ホントに「純粋理性」があるのか疑わしくなってきた。。。

563 :考える名無しさん:04/09/25 01:51:32
じゅんすいりせいって何?

564 :考える名無しさん:04/09/25 01:52:49
理性自体があやふやな概念だよ。

565 :考える名無しさん:04/09/25 02:01:02
はい、わかりません。
理性は後天的なものだとすれば、
「純粋性」は本能との対比でしかありえない。
つまり、本能以外が理性ということになる。
ちなみに、私はカントなど読んだこともない。
おもしろそうだから書き込んでみた。

566 :考える名無しさん:04/09/25 08:28:32
そう。
ただし、理性よりさらに一段高いところにあり、
神に近いところにあるのが純粋理性。
純粋理性批判では、神の存在を否定したと言う人が多いが、
実は、人間ごときに神の存在を判断することなどできない、
ただし、信仰はありうる、というのが正確なカントの意見です。
みなさん、たいへん優秀ですね。

567 :551:04/09/25 10:08:40
こら、純理を読んだことないのに偉そうな事書くんじゃない!
カントはねえ、人間には限界があるということを
理性では分かってはいても、超越的な自我はなお、高い部分
(分からないんだけど、分かろうとする)を求めるって言ってるんだよ、


568 :551:04/09/25 10:29:32
神に近いところにあるのが純粋理性?
これも違うだろ。なんか、カントをゆがんで解釈してないか。
純粋理性ってのは「アプリオリな綜合的判断」をする力のこと。
たとえば、純粋数学を構築する力とか、
決して「神秘的な」力なんかじゃないよ。

569 :考える名無しさん:04/09/25 11:30:05
>>567
限界を超えていこうとするのは自我と言うより理性じゃないの?
A797

570 :考える名無しさん:04/09/25 13:01:48
ルネサンス期以降のヨーロッパ哲学を理解するには
聖書を読んでおくことは必須ですよ。
ギリシャ哲学の復古にキリスト教の精神が被さったのが
それですから。
あらゆる哲学者にキリスト教の影響が見られる。
ヤスパースも極限状況から引っ張り上げてくれるのは、
神への信仰だと言っている。

571 :考える名無しさん:04/09/25 13:20:19
いやそれを言うならルネサンスじゃなくて中世以降でしょ

572 :考える名無しさん:04/09/25 22:36:01
非ユークリッド

573 :ポール:04/09/25 22:57:26
宇都宮訳の『純理』読んでる。
ちょうど「超越論的感性論」まで読み終わったところだけど、
これ、無茶苦茶わかりやすい・・・。

去年の正月に『プロレゴーメナ』読んだ時は、読みにくくて、
1頁進んでは息抜きして・・という感じだった。
訳が素晴らしいのか、僕にカントを読めるだけの下地が
できたからなのか。おそらく両方だろう。

それにしても、カント凄すぎ!

574 :ポール:04/09/25 22:58:52
ところで、一つ思ったこと。
以前読んだシェリング『人間的自由の本質」と比較して、
これが同じ時代の思想とは思えない。それも、シェリングの
方が後の時代の著作だとは・・。

カントって、細部の異論はあるとしても、全体としてのアプローチは、
宗教的思考でない科学的思考をもつ現代の我々にもすんなり
受け入れられる考え方だと思う。一方、シェリングは、内容が理解できる
できない以前に、根本的に我々の思考形式の外にある。
前提が受け入れられないというか。
少なくとも僕はそう思った。

ヘーゲルはまったく知らないけど、ドイツ観念論というシェリングと
同様の枠組みに彼もあるとするなら、彼らがカントを超えたとは
到底思えないんだけど・・・。そういう意味で、ヘーゲルには興味がある。

575 :考える名無しさん:04/09/25 23:26:34
>>574
カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルという批判と反批判の流れは、その
解り難さや紆余曲折も含めてまさに哲学の豊穣さそのものだよ。
俺もポールと同じように「彼らがカントを超えたとは到底思えない」という感想を
長い間持ってたが、ヘーゲル読んでその感想が崩壊したり、フィヒテ、シェリング、
ヘーゲルを読んでからカントに戻ってまた「純理」の凄さを再発見したりした。
「純理」読み終えたらいったんお話しましょうね。

576 :考える名無しさん:04/09/25 23:30:55
カント+ドイツ観念論マンセー

577 :考える名無しさん:04/09/25 23:45:33
ヘーゲル(弁証法)は難しすぎ
下手すると単なる詭弁になるが、俺には判断できん

578 :ポール:04/09/25 23:51:17
>>575
>ヘーゲルを読んでからカントに戻ってまた「純理」の凄さを再発見したりした。

わかる気がします。

ある哲学者の偉大さを計る一つの基準は、彼に対する
批判の大きさに比例するのではないかと思います。
デカルトなど特にそう思いましたね。

哲学書に限らず古典を読むおもしろさは、その時期の
自分の知識や見識の枠内でしか古典は姿を現さず、
自分が向上すれば、また新たな表情を持ってそれは
現われ出てくることですね。がんばります。

『精神現象学』は、僕の読書計画に当然入っています。
いつになるかわかりませんが。

579 :考える名無しさん:04/09/25 23:58:47
>>570
原典読まなくなっていいだろw
お前馬鹿だなw


580 :考える名無しさん:04/09/26 03:41:37
さて、今日から読み始めますた。
しかし1時間で60ページくらいしか進まない…これって遅いのか?

581 :考える名無しさん:04/09/26 09:57:42
>>580
むしろ早すぎ。一日かけて60ページゆっくり読んだ方がいい。

582 :考える名無しさん:04/09/26 11:11:42
一時間60ページも進むお前が信じられない

583 :考える名無しさん:04/09/26 15:14:31
現代の哲学おけるカント哲学の位置付けはどういう感じなの?

584 :考える名無しさん:04/09/26 16:14:52
プロレゴメナのイイ訳ってない?

585 :考える名無しさん:04/09/27 01:49:34
>>583
読んでない奴は哲学やる資格なし

586 :考える名無しさん:04/09/27 11:45:49
583と同じく、そこを知りたいと思う。認識については精神医学なり心理学とかが発展してきたし、
空間だの時間だのは物理学あたりが相対論だの量子論だのでカント時代には想像
できなかった展開をみせている。こういう状況で、現代的な意義があるのか?
哲学史的な、哲学の展開のなかの、経過項目(変な表現だけど)にすぎないのではないか、
とも思ったりする。でもみんな夢中になってるし、新しい本も出てるし...俺は地理学徒なので、
どうもわからない。どうなってるの?


587 :考える名無しさん:04/09/27 11:51:54
まあ、過去の哲学者のゆったことの中から
「今でも生きてる部分」と「もう死んじゃった部分」を腑分けする
つうのが、凡庸な哲学史研究の常道ではあるわけだが。

588 :考える名無しさん:04/09/27 12:03:26
カントとは半ば異なる立場だけど
哲学書を一冊選ぶとすると純理かも知れない

589 :考える名無しさん:04/09/27 13:04:48
>>586
そういう質問をしてくるということは、そもそも哲学とはどういう学問か、
わかっていないみたいだね。
例えば、近代以降の精神医学や心理学(もちろん物理学も)は、
形而上学的な部分をあえて切り離すことによって発展してきた。
だから、「心とは何か」とか、「物とは何か」という根本の問題は
科学では解明できていない(ってより、解明できない)。
で、そうした形而上学の問題を考えるための、一つの方法論を示したのがカントなのさ。
だから、カントの時代以降に新たな事実が見つかったからといって、
それによってカントが純理で書き表したことの根本が揺らぐわけではない。


590 :考える名無しさん:04/09/27 13:55:58
柄谷行人が言うように、悟性なんてものが脳みそのどこかに当たるわけではないのと同様
フロイトのエスなんてのも脳みそのどこかにあるわけではない。

591 :考える名無しさん:04/09/27 17:21:42
では、カント哲学が残した問題とは何なのでしょう。

592 :考える名無しさん:04/09/27 17:53:04
 まあ、一番の問題点は「物自体」の概念だわな。
いまだに物自体とは何か、学者によって解釈が異なるわけで、
物自体って結局、カントによれば人間には認識できんといってるけど、
それじゃ、そもそも物自体という概念があること自体が矛盾してる
気もするし。よくわからん。


593 :考える名無しさん:04/09/27 18:29:16
読んでない馬鹿バッカ 

594 :考える名無しさん:04/09/27 18:37:48
>>593
そう言う書き込みする事自体、
カント的ではないな

595 :592:04/09/27 18:47:12
>>593
それじゃ、お前、
物自体について説明してみろよ!

596 :考える名無しさん:04/09/27 18:55:25
カント? オンナノ アレ? キライ ジャナイ ケド… ^^;

597 :考える名無しさん:04/09/27 18:57:53
>>1
別に専門家じゃないから、あんまり言いたくないんだけど、
先に「17歳の女子校生」という言葉が出てくるのはある意味とても妥当だと思う。

だって、他に売るもん無さそだしw

598 :考える名無しさん:04/09/27 19:00:41
物自体を想定するとなると、叡智界なる世界も
想定しなきゃならなくなるんだっけか。

この辺を解決するためにドイツ観念論者が頑張ったわけね。
んでもって後に続く哲学者が観念論の形而上の要素を取り除くべく…

599 :考える名無しさん:04/09/27 19:22:00
読んでない馬鹿バッカ 

600 :考える名無しさん:04/09/27 19:24:25
>>599 ジブヲ セメルノ ヤメレw

601 :考える名無しさん:04/09/27 19:25:39
ウィトゲンシュタインなんかカントの焼き直しでしょ、あれ。

602 :考える名無しさん:04/09/27 19:26:44
んっ…おいひい…。ジュル…。

603 :考える名無しさん:04/09/27 19:38:26
カントヲ ヤク? イカン、イカンッ。 ヤケド スルッ !!

604 :考える名無しさん:04/09/27 19:46:14
総合的判断と分析的判断の話が面白かった
って、第二版だけかな?

605 :考える名無しさん:04/09/27 19:54:50
カントヲ ソーゴーテキ カツ ブンセキテキニ ミルト、アレハ ヤクモンジャナイト ワカル。

606 :考える名無しさん:04/09/27 20:10:01
量子力学や相対性理論を勉強する前に、必ずニュートン力学を勉強するでしょ?
カントは、そういった意味での『基礎』でしょう。現代的意義云々より前に読まなきゃ始まらない。
古典物理学を通過せずに量子力学の現代的意義は?なんて言ったら電波でしょ。


607 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 20:14:02
     ∧_∧ ミ にょふぉふぉふぉふぉふぉふぉふぉ!
 o/⌒(. ;´∀`)つ 
  と_)__つノ  ☆ バンバン


608 :考える名無しさん:04/09/27 20:27:02
けっきょく誰も読んでないのか・・・

609 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 20:31:10
純粋理性批判ってそんなすごいのか・・・
単なるさじ加減にしか、思えないよぉ〜たしけてぐでぇ〜

610 :考える名無しさん:04/09/27 20:35:00
純利の壁。

611 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 20:37:32
なにが悟性でなにが感性かなんかさじ加減やン(><)

612 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 20:41:33
ボクたちは21世紀を生きているんだ!
純利より馬鹿の壁を読もう!!!

613 :考える名無しさん:04/09/27 20:45:54
純利?

614 :考える名無しさん:04/09/27 21:00:49
温故知新

過去があって今がある

今の技術は過去の応用

原因あっての結果

615 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 21:06:47
結果に原因なんかいらんよ

616 :考える名無しさん:04/09/27 21:15:34
>>583 >>586 哲板認識論的には、どうもこれが現代的意義のようだ。

114 名前:考える名無しさん 投稿日:04/06/14 00:02
われわれはなにをしることができるのか、それをどのようにしるのか、
そしてなにをしることができないのか。

これがてつがくのにんしきろんのもんだいいしきなのだ。

てつがくのたいしょうはにんげんであって、たんににくたいでない。たんに
ことばでない。むしろにくたいもことばもあたりまえのこととして、にんげんの
たましい、じんかく、にんげんそのものをしろうとするものなのだから、そこで、
なにをどのようにしるのか、なにをしることができないのか、じしんのにんげんかんに
もとづいてたんきゅうし、そのとちゅうにおいては、しるよりも、さらにもっとおおくの
にんげんのそんざいにであい、ことばにせっするものだ。

そうしたいとなみが、まったくてつがくだ。きっと。

617 :考える名無しさん:04/09/27 21:32:38
禿しく読みにくいので翻訳
**********************************
我々は何を知ることが出来るのか、それをどのように知るのか、
そして何を知ることが出来ないのか。

これが哲学の認識論の問題意識なのだ。

哲学の対象は人間であって、単に肉体でない。単に言葉でない。
むしろ肉体も言葉も当たり前のこととして、人間の魂、人格、人間そのものを
知ろうとするものなのだから、そこで、何をどのように知るのか、何を知ることが出来ないのか、
自身の人間観に基づいて探求し、その途中においては、知るよりも、
更にもっと多くの人間の存在に出会い、言葉に接するものだ。

そうした営みが、まったく哲学だ。きっと。
***********************************

618 :考える名無しさん:04/09/27 21:39:43
ハゲシク イミフメイ ^^;

619 :考える名無しさん:04/09/27 21:54:23
>>615
>結果に原因なんかいらんよ

  ↑
アフォ発見♪

620 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 22:10:51
>>619
はずかしいやつ(爆

621 :考える名無しさん:04/09/27 22:48:37
読んでるほうが恥ずかしい(絶 !!

622 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 22:56:40
結果に原因なんかいらんよ


623 :考える名無しさん:04/09/27 23:07:10
ひきこもり中年は放置しる!

624 :考える名無しさん:04/09/27 23:18:11
純理読んでて思ったんだけど、どうもカントって親近感を感じるな。
難しい話を孫に聞かせてるおじいちゃんみたいな。
そんで孫が「何言ってるのかわかんないよおじぃちゃーん」とか言ったら
優しく微笑み返すような、そんな感じ。
人の理論を全面否定しないところや、自分の理論は完璧だと言い張らないあたり
そんな感じを起こさせるのかもしれない。

625 :考える名無しさん:04/09/28 08:16:02
>>624
それ、分かります( ´∀`)
私の場合、特に人間学・教育学あたりを読んでるときですが。

626 :考える名無しさん:04/09/28 08:22:53
・・・なんとなくですけどね。
私の場合は、純理読んでておれってマゾかも?っていう発見があった覚えがあります。
カント読んでて、あんまし納得できなくても、
がんこなゲルマンじじいのお小言を頂いてるようで、けっこう楽しいんです。

627 :考える名無しさん:04/09/30 02:01:48
純理って無駄な部分が多くないか?
同じことを説明するのに何ページも割いてるような気がする。
核心部分は3行くらいで終わってるのに、付随説明が5ページ近くある。
これってつまり、まとめ部分だけ読んでれば大丈夫なのかな?

628 :考える名無しさん:04/09/30 11:34:05
>>627
確かに読み方にコツがいるよね
同じ部分の繰り返しは、自分が理解できているかどうかの
「おさらい」として読めばいいように思う。
だからといってまとめ部分だけで理解できるほど簡単ではないしね。

629 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/30 15:19:45
結局、カントが哲学らしい哲学の最後か
これ以後、ややこしくなりすぎ

630 :考える名無しさん:04/09/30 15:20:28
>>629
お前が馬鹿なだけ

631 :考える名無しさん:04/09/30 15:44:58
>>630



632 :考える名無しさん:04/09/30 16:10:16
>>630
哲板でも稀なほどの真実を今語った

633 :考える名無しさん:04/09/30 16:46:14
>>630
衒学趣味め

634 :ポール:04/09/30 23:03:35
>純理読んでて思ったんだけど、どうもカントって親近感を感じるな。
>難しい話を孫に聞かせてるおじいちゃんみたいな。 >>624

同意。
『純理』は難解な哲学書の代名詞なので、難しい用語を乱発して
読者のことをあまり考えてない著作かと思ってた。ぜんぜん違った。

確かに独自の用語を多用するけど、用語の定義を明確にしてから
論述しているし、語り方も親切丁寧、誠実。初めから順に読んでいけば、
普通に読む分には、全然難解じゃない。訳がいいのかもしれないけど。
この分なら、11月中に読み終わるかな。

それに比べて、シェ(略

635 :チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/09/30 23:10:13
ポール氏、お疲れ様です。

カントは・・・親切なのか・・・あの書き方で親切なのか・・・
いい読者を持ったな、カント。


636 :ポール:04/09/30 23:23:59
>チンポさん
>カントは・・・親切なのか・・・あの書き方で親切なのか・・・

僕が読んでいるのは宇都宮訳なのですが、僕の読前予想に比べて
異常にわかりやすいですね。(まだ、B120ほどなんですが)
もちろん、今の僕のようにただ読むだけと、哲学科の人たちのように、
一行一行緻密に読解するのとはまったく意味が異なりますが。
原著はどうなんでしょう?
とりあえず、最後まで読了することを目標にやっていきます。

ちなみに『ブリタニカ草稿』は異常に読みにくかったです。
現象学事典と解説書片手に必死でやってもチンプンカンプンでした。
(それを超えるのが、シェ(略 )

来年はいよいよ『イデーン』に挑戦しますよ!

637 :チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/09/30 23:39:18
>>636
宇都宮訳というのは拝見したことないですね。岩波文庫の翻訳は本当に
ごみ箱に捨てましたけど、まあ、分かりやすい訳は大歓迎だ。
長谷川訳みたいに行き過ぎてなければいいが。

原著はかなり難しかった記憶があります。あんまり覚えてないです。

『イデーン』の原書は笑えますよ。一頁に一文なんて平気であったりする。w
その長ったらしい原文を渡辺氏が更に冗漫に訳しているから大変です。
池上訳の方があるいはいいのかも。

イデーンは最初の方はかなり速攻で読んだ方がいいです。
そして、ノエシス・ノエマの議論以降をゆっくり読んだ方がいいですよ。
リクールの注釈とかは最初は飛ばした方がいいでしょう。
まあ、フッサールなら先ずは論研を読むのが・・・

638 :考える名無しさん:04/10/01 00:53:07
全く読んでないが、もし、チンポ太郎VSポールという、巨根対決なら、
後で読むので、ファイト!

639 :考える名無しさん:04/10/01 03:17:04
>1
もう読みましたので、なにをいまさら・・・
ちゃんちゃら可笑しいやい

640 :考える名無しさん:04/10/01 12:50:07
>>637
篠田氏、えらく評判悪いね、でも僕はこれしか読んだことないしな
岩波でも、特にわかりにくいということはなかったよ

641 :考える名無しさん:04/10/01 13:39:33
高峯訳だが

http://www.d-pub.co.jp/cgi-bin/bannou/shop/dps_serch_com.cgi?search_key=company&comname=%89%cd%8fo%8f%91%96[%90V%8e%d0

分売不可の悪寒

642 :考える名無しさん:04/10/01 13:46:11
紀伊国屋で「世界の大思想」を検索しても分売しなさそう

643 :考える名無しさん:04/10/01 21:22:14
>>640
歪曲して単純化してるからね。

644 :考える名無しさん:04/10/02 12:01:26
イチロー、やったね。

645 :考える名無しさん:04/10/02 12:02:13
>>644
ボケ!

646 :考える名無しさん:04/10/02 12:20:00
あげ

647 :考える名無しさん:04/10/02 18:19:54
先駆あげ

648 :ぴかぁ〜(U) ◆wMDHqGPerU :04/10/02 18:39:30
世界概念の哲学あげ

649 :考える名無しさん:04/10/02 18:46:53
おまいらあんな難解なものを読むのか?
あれは読むこと自体が修行だぞ。

650 :考える名無しさん:04/10/07 00:31:54
>>649
お前が馬鹿なだけ

651 :マ〜ちゃん19740116:04/10/07 14:57:37
さて、純理の原書講読をはじめましょう。まずはメンバーを集めないと。
えーと、原書はFelix Meiner版『kritik der reinen Vernunft』(緑色の表紙)
を使いましょう。できるだけ邦訳を見ずにマターリとじっくり読んでみませんか?
私は絶対最後まで皆さんと読んでいきたいです。あと手助けとしてペイトン、
ケンプ・スミスのコメンタリーを使いましょう。公立の図書館なり大学の図書館にある
はずです。一緒にやる気の方はエントリーしてください。

652 :マ〜ちゃん:04/10/07 14:59:26
失礼、変な数字がついてしまいました。

653 :考える名無しさん:04/10/07 15:23:08
誕生日ですか?

654 :考える名無しさん:04/10/07 17:11:57
まさか30歳で「マ〜ちゃん」なんて名前付けないですよね〜?

655 :考える名無しさん:04/10/07 18:11:21
アグネスチャンは49歳。博士号ももってるよ。

656 :考える名無しさん:04/10/07 19:32:20
なんか・・・
いろんな人がいるもんだw
何歳でもいいが

657 :考える名無しさん:04/10/07 23:11:41
岩波文庫の篠田訳はほんとにひどいらしいが、とくにわかりにくいというわけではない。

658 :考える名無しさん:04/10/08 17:26:10
>>657
まぢっすか?俺は篠田訳と天野訳両方読んでるけど
篠田訳のほうが読みやすくて好きだけど。天野訳は
ちょっと言葉使いが古くて硬く感じる。

659 :考える名無しさん:04/10/08 17:35:05
>>658
読みやすいかもしれんが、勝手に変えちゃったりしてるだろ。
だから、篠田訳は糞。

660 :考える名無しさん:04/10/08 18:34:14
そうか、篠田はカントの長谷川か。

661 :考える名無しさん:04/10/08 18:59:21
  ∩___∩ 
   | ノ      ヽ
  /  (゚)   (゚) | .
  |    ( _●_)  ミ
 彡、   |∪|  /  ♪気持ちいいぃ〜 ♪超気持ちいいぃ〜
    ヽ ヽノ /"lヽ 
    彡   ( ,人) 
 シコ(  ) 彡 ゚|  |
    \ \__, |  ⊂llll
      \_つ ⊂llll
  シコ  彡 ノ  ノ
      | (__人_) \



662 :考える名無しさん:04/10/08 19:55:40
篠田訳、誤訳がないページはないくらい。
本当にひどいです。

663 :考える名無しさん:04/10/08 21:42:17
ちなみに岩波文庫の「実理」「判断力」はどうなの?

664 :考える名無しさん:04/10/08 22:27:47
>>662
って、言えるって事は、原書が読めるんだね、うらやましい
しかし、そんなひどい本をずーっと出し続けている岩波って、
どうなのよ

665 :考える名無しさん:04/10/08 23:18:08
岩波信者のセンセが多いからね。

666 :考える名無しさん:04/10/09 08:00:07
過去ログは呼んでいないが、


悟 性 と は 何 か ね ?


667 :考える名無しさん:04/10/09 10:54:01
そんじゃ、よめ。

668 :考える名無しさん:04/10/11 14:29:43
純理の内容が理解できる香具師って、本当に頭がいいのか?

669 :考える名無しさん:04/10/11 17:09:17
理性で理性を批判する矛盾哲学

670 :考える名無しさん:04/10/11 20:20:23
>>663
判断力批判も評判悪いよ。
だからといって大西克礼訳(1932年刊)を薦める美学教員もどうかと思うがw

671 :考える名無しさん:04/10/11 20:22:56
>>668
っつーかカントはすごく読みやすいと思うんだけど。
漏れ的にはニーチェやハイデガーの方が苦手。

672 :考える名無しさん:04/10/16 03:25:43
空間が純粋直感なわけがない。
脊髄の後ろ半分を破壊すればすぐにわかること。

カントってアホだろ。

673 :考える名無しさん:04/10/18 00:08:01
>空間が純粋直感なわけがない。
>脊髄の後ろ半分を破壊すればすぐにわかること。

んじゃ、>>672がそれを実践して結果をこの板に書いてくれ。

674 :考える名無しさん:04/10/19 00:30:00
カントってセカイ系

675 :考える名無しさん:04/10/19 22:15:01
最終兵器理性

676 :考える名無しさん:04/10/19 22:16:02
いいえ、カセイ系でしゅ。

677 :考える名無しさん:04/10/20 11:23:26
仮性包茎が何言ってんだ

678 : jun ◆bYRNL78mlE :04/10/22 18:07:25

ちょっと疑問に思ったので、、、
********************************************************************
純理 - 序論(第二版)(B3)

  「いずれの変化もその原因を持つ」という命題は、
  アプリオリではあるが、純粋ではない。なぜなら、「変化」は、経験からのみ
  引き出されることができる概念だからである

*********************************************************************


・この意味が分かる人、教えてください。
 「変化」って、アプリオリではあるが、純粋ではない"概念" ?


679 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/22 18:09:35

(以下は蛇足ですが、いちおう続きです)


・これを、認めてしまうと、すべての“概念”は純粋認識ではなくなるのではと思いました。
 つまり、、、観念的な認識を純粋認識と言っているのでしょうか?

・でははつまり、「純粋認識」って言語化不可能ってこと?
   いやもし純粋認識が言語化可能であるとするならと考えてみると。

      「しかし、・・・は、・・・・・・・で、・・・・・ではあるが、あの・・・・・・のようにはならないのかな?」

 の上記のような文形式になるのかなと推測できたのですが、いかがでしょう?
 なんというか、概念不在の文を作成してみた感じです。
 このような論理体、言い換えるなら論理形式の認識のことを、
 「純粋認識」は指しているのだろうか? 

・あと、「純粋認識」と、「経験的認識」と、「アプリオリ」な認識の違いがいまいちなので。。。
 ここで「変化」という概念を説明の基底に使われると、意味が混乱したので聞いて見ます。



680 :二酉:04/10/22 18:20:17
>>678
「いずれの変化もその原因を持つ」という命題自体は論理的に至極まっとうな
ことを言っていて、経験的根拠などは必要としないのは確か。←アプリオリ
んでも、チョト考えてみるとこの命題を導き出すには「いわゆる変化というもの」を
自分が経験している必要があるため、実際には何らかの経験的要素を含んだものであらざるを得ない。←純粋ではない
という風に自分は理解してますが、どうでそ。

681 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/22 18:33:31
>二酉さん
いやあ、僕もそんな感じで理解しています。(なんか恥ずいですね)
まあ問題を書いているうちに、そんな風に分かってきたことなんだけど。
ただ、やっぱり気になるのは、この「純粋認識」の中身なんですよね。
この辺が謎を呼ぶというか、うん
いちおう、自分これから仕事なんで、あとは二酉さんにお任せしたいですね。
っておまかせされてもこまるでせうが。
よろしく。(と逃げる)

・あとアプリオリ=「普遍性」、
 あるいは「客観」と考えた場合の問題点も教えてください。
 これが可能だった場合には、「アプリオリ」はただ「超越論的」
 ということでもやはり問題無(モウマンタイ)だと思うわけです。
 それについての批判もよろしくです。



682 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/22 18:58:56
>>680   > 二酉さん

>「いずれの変化もその原因を持つ」という命題自体は論理的に至極まっとうな
>ことを言っていて

いちおう、二酉さんの意見で気になったのは、「論理的に至極まっとうなこと」の部分です。
まわりくどくてすみません。
しかし、「論理的に至極まっとうなこと」というのは、いい表現ですね。
すごくわかりやすかったです。
ありがとうございました。
それでは。


683 :二酉:04/10/22 19:06:59
>>681
問題意識を共有できてないので唐突にお任せされても困ります・・・('A`)

普遍も客観もわれわれが今生きてる世界を前提にした後天的・経験的な要素だと思うですよ。
んで、我々が知ってる世界は以外に狭いので、何が普遍で何が客観であるか、非常に恣意的に決定
されることもしばしばです。こうした誤謬の可能性をスルーするのはカントに対して失礼かと。
普通に先験的・超越論的で考えてくのでは不満なの?

684 :ポール:04/10/22 21:44:11
アプリオリに純粋な認識の説明に関して、僕も、>>680の二酉さんと
同様に考えています。(二酉さんは哲学科だったのですね)
『純理』に則して付言してみます。  

まずカントは、「アプリオリな認識」「純粋な認識」について、次のように定義します。

  1. アプリオリ :あれこれの個別的経験にではなく、端的に一切の経験に”依存しない”で生じる認識
  2. 純粋    :アプリオリな認識のなかでも、経験的なものが何も”混入していない”認識

両者の違いは、経験に「依存しない」「混入していない」の違いです。
「アプリオリな認識」とは、経験を必要とするが、その経験に依存することなく
独立して存在する認識で、「純粋な認識」とは、その経験(感官に生じるすべての印象)
すら必要のない認識だと思われます。
よって、上述の命題は、「変化」をいう経験を必要としながらも、それに縛られずに
この命題が常に成り立つので、アプリオリでありながら純粋ではない認識という
わけでしょう。

685 :ポール:04/10/22 21:45:26
カントは認識について、

  「我々のすべての認識は『経験とともに開始する』が、それはすべての認識が
   『経験から発現する』ということではない」

といいます。
junさんが挙げた命題はまさに、この手の認識ですね。


686 :ポール:04/10/22 21:46:39
ただその一方、『純理』を読むと、カント自身、矛盾したことを言っている
ように思われる箇所があります。

たとえば、「いずれの変化もその原因を持つ」という命題は、アプリオリだが純粋でない
といいつつ、そのすぐ後で、「すべての変化はある原因をもたなければならない」
という(前述の命題に似た)命題は、アプリオリな純粋”判断”であると言っています。
なぜこちらだけ純粋であると言えるのか? 「認識」と「判断」は別なのでしょうか?

687 :ポール:04/10/22 21:50:45
また素朴に考えた時、経験に依存しないだけでなく、一切の経験が含まれない
アプリオリな純粋認識などあるでしょうか?

結局カントのいうアプリオリとは、人間のうちに元々備わっている認識原理
(色メガネ)のことだと思うのですが、しかしその色メガネ自体も、それを通して
なにかを認識して初めて、つまり、経験を含んで初めてわかるものです。
色メガネそれ自体を、それ単独で認識することはできません。
(それは、世界の存在から分離された、世界を認識する「私」それ自体など
考えられないのと同様です)

その意味では、経験に依存しないにしても、経験を必要とするので純粋ではない
と言えます。
感性の純粋形式「時間」「空間」、「純粋悟性概念」もその意味で、純粋ではないと
思われます。

アプリオリな認識があるのは認めますが、アプリオリで純粋な認識などあるのでしょうか?

688 :ポール:04/10/22 21:53:28
『純理』を読んで思ったこと。

哲学科における専門訓練において、この哲学書は、最も基礎的な文献
だと思われますが、その理由がなんとなくわかります。それは、この著書の
内容がいまだ普遍的に正しいからではなく、次から次へと現われる
「用語」をきっちり押さえてないと、次には進めない種の書物だからです。
つまり、一語一語、一行一行、厳密に読解する訓練としては、これほど
最適な文献はないのではと思われます。しかもカントは、新しい用語を
使用する時は必ず明確な定義を与えてから、それを用いていますので、
その意味でも、哲学論文を書くお手本になるでしょう。

あくまで僕の感想ですが、カントというと、難解な用語を、読む人のことを
考慮せず独りよがりに乱発する偏屈ジジイというイメージでしたが、
実際は、親切丁寧指導の先生だったような気がします。
(といっても、本人は丁寧に丁寧に教えてるつもりでも、周りのものは
「もっと噛み砕いて説明せいや」という感じかもしれませんが)

689 :考える名無しさん:04/10/22 22:18:23
>>687
A=A くらいじゃねーの

690 :考える名無しさん:04/10/22 22:20:15
>>689
それも経験によってるよな。


691 :ポール:04/10/22 22:41:21
>689さん

690さんのいうように、それも経験を通して学ばれたものあって、
一度学んでしまえば、確かに経験に依存せず必然的に真であると
いえるのでアプリオリでしょうが、元々は「経験とともに」開始したわけ
ですから、純粋ではないと思われます。

692 :ポール:04/10/22 22:45:51
僕は、アプリオリな認識はあるが純粋な認識など存在しないと考えますが、
それと、常日頃持っている僕の問題意識との接点を述べてみます。

>>687で少し述べましたが、僕は、
「世界から独立した、世界を認識する純粋な『私』──デカルト的自我──など存在しない」
と考えます。

デカルト的な純粋自我が存在するならば、純粋認識も存在するのでしょうが、
そのような純粋自我など存在せず、常に自我とは、世界(経験)と共に存在する
といえるので、経験を含まない純粋認識も存在しないと言えます。

「私あっての世界」なのか、「世界あっての私」なのかいまだよく分かりません。
ただ、前者だと独我論ですね。
僕は後者の道を辿りたいと漠然と考えています。もちろんこれは、世界に存在する
物質(僕の身体)が私を産み出すという意味ではありません。

ちなみにいうと、この「世界から独立した私など存在しない」という命題は、
現代の常識と(おそらく)なっている、「脳が『私』を創りだす」という脳生理学
的な世界観へのアンチテーゼとなっています。

693 :ポール:04/10/22 22:53:26
最近チンポさんの影響で、またハイデガーへの関心が再燃してきました。
彼の『存在と時間』での問題意識は、今の僕のそれとかなり重なり、それゆえ、
彼の言いたいことがよくわかります。彼の二元論克服は凄いなと。
常識批判の面が大きい哲学という学問において、問題意識を共有できていなければ、
結局はいくら熟読しても「わけわからん」で終わるのがよく分かった次第です。
カントも同様ですね。


694 :考える名無しさん:04/10/22 22:54:14
認識することそのものは経験ではないの?

695 :689:04/10/22 22:56:27
>>691
砂糖が甘く感じられるのは経験によって知られる。
しかし砂糖をなめた事の無い人でも、なめれば甘く感じるに決まっている。
つまり経験の仕方はアプリオリに決まっている。

696 :ポール:04/10/22 23:10:05
>認識することそのものは経験ではないの? >>694

経験だと思います。
ただ僕の解釈では、カントのいう認識には「広義」と「狭義」のそれがあり、前者は、
「認識=外界から与えられる印象+我々に本来備わっている認識原理=経験」
といえますが、狭義には「我々に本来備わっている認識原理」というアプリオリな
認識を指すようです。そして、『純理』の主題はこちらの認識ですね。

僕もアプリオリな認識──我々の認識原理のみに依存する認識、例えば「因果関係」──
が存在することは認めます。

697 :ポール:04/10/22 23:11:56
>つまり経験の仕方はアプリオリに決まっている。 >>695

そうですね。その意味でこの命題はアプリオリ(な判断)ですが、
しかし、純粋(判断)ではないと思われます。砂糖を舐める経験が必要だからです。

それと、これはカントに対する反論でもあるのですが、「砂糖は甘い」
または「数学」というアプリオリと思われる命題も、脳生理学が発達した
現在においてなんらアプリオリではないと思われます。
脳の該当箇所に障害を持てば、これらのアプリオリと思われた命題が
必然ではなくなるからです。


698 :考える名無しさん:04/10/22 23:13:07
カントとハイデカーのいったことはともに彼ら自身のなかでの妥当性でしかない。つまり非常に詳細な所産でしかない。ああいう言い方をしなくてもいくらでも別に原理ができる。

699 :ポール:04/10/22 23:13:24
ブックオフに行ってきますので落ちます。

700 :考える名無しさん:04/10/22 23:15:38
> 感性の純粋形式「時間」「空間」
この条件が経験に先立つにしても、経験を必要とすることはないんじゃないでしょうか?

701 :考える名無しさん:04/10/22 23:19:49
ドイツ観念論とか基礎存在論なる言い方をされているわけだがしかしこの所産はその後の原理としてパラダイムの石礎を築いた。アプリオリという言説はいわば予測的な言説。ともすれば数学も予測的観測

702 :689:04/10/22 23:21:24
生物学的に決まってるものは(個人の)経験以前でしょうね。
経験可能性を規定しているというか。

703 :考える名無しさん:04/10/22 23:36:15
ロマン主義、アバンギャルド(前衛芸術)などには状態としての結合部分、永遠的なる、人倫的なる要素が含まれている。理性にも悟性にもこの部分が分離されずにあったカントの時代から今は社会分化が進み、

704 :考える名無しさん:04/10/22 23:37:35
へーゲルの市民社会を経過し完全な理性の石化が起こり目に見えない部分を超越しているかのような腐った人倫性がロマンチックとして個人的観念の世界に押し込められてコミュニケーションが不成立にある。情報化社会は堕落した理性の時代ではないだろうか

705 :考える名無しさん:04/10/22 23:46:07
省略をしてまでいったいなにを手にいれようというのか。何故はじめに決起せず理解のための時間を超越して即席の意思を欲しがるのか

706 :考える名無しさん:04/10/22 23:57:06
結局コワイからですよね?

707 :考える名無しさん:04/10/23 00:00:28
超越論とは恐怖心の克服というあなた自身の問題ではないですよね

708 :考える名無しさん:04/10/23 00:06:42
でワタクシは行き場がないわけですが意思を示す場が永久に失われているわけではないですよね

709 :考える名無しさん:04/10/23 07:57:57
なあ、『純粋理性批判』を『純理』と略すのって、気持悪いよな。
止めないか?

710 :考える名無しさん:04/10/23 10:29:31
おまえの方がキモイ

711 :考える名無しさん:04/10/23 10:40:43
そうは思わんが。

俺の好みも「純理」よりは「第1批判」。

712 :考える名無しさん:04/10/23 22:49:35
KrV

713 :考える名無しさん:04/10/23 23:46:11
純ちゃん、実ちゃん、判ちゃん

「わたしたち、普通の哲学書に戻ります!」

714 :考える名無しさん:04/10/24 02:06:56
>>713
キャンディーずとか古すぎ

715 :考える名無しさん:04/10/24 02:07:43
さっさと氏ねオヤヂ

716 :二酉:04/10/24 15:37:05
>>713
一瞬、じゅんちゃん、Hannちゃんかとオモタよ・・・(ノ∀`)アリャー
亀レスですがとりあえずいっこだけ訂正させてくだちぃ。

>>684 ポールさま。
えと、自分は哲学科じゃないれすよ。しがない教育学部卒れす。
なので系統だった知識もないし用語の解釈とかもめためただったりするれすよ。

んで>>686のなんですけど、自分は認識と判断は別物であると考えます。
どちらの命題も>>680に述べたようにアプリオリなものだと思うんですが、
「いずれの〜」の方は変化というものの経験を通じて
帰納的にも導かれうる(←ここで経験が混入する)命題(認識)であるのに対して、
「すべての〜」の方は超越論的に、変化という事象そのものの根本原理を
直観した際に得られる命題(判断)であると思うので。

717 :二酉:04/10/24 15:38:02
「いずれの」という言葉には(少なくとも、私の知っている限り)
という風に言外に例外の可能性が含まれていると思うのです。
自分は「どの」とか「あまねく」、「あらゆる」なんかにもそういうのを感じます。
カントが「経験から引き出された判断(帰納法)は、例外のない普遍性を備えていない。
それは比較的多くの場合に当てはまるだけである。」っていったのは
こういう事ではないかと思うのです。
everyとallの違いというか、それらと「すべて」の間には、
見過ごせないニュアンスの違いがあるように思えます。
あ、でも原語の方の確認ができてないので間違ってたらスマソ。

なので>>684の分類で言いますと、
前者は「いずれの」の部分に個々の経験が混入していますが
後者は「すべての」変化(という経験)を成り立たしめる(例外の無い、
必然的な)ものについて言っているので(一応)純粋と言えるんではないかしら。

↑で一応とつけたのは>>687の辺りに関してはカントは詰めが甘いというか、
ショ氏の方がもっと突っ込んでると思うため。今のところ自分はこちらを支持してます。

718 :二酉:04/10/24 15:39:10
ただ、古今東西例外なく当てはまるという事は、
もともとそうしたアプリオリな原理があると考えるのが妥当だ
っていう判断にはなんとなく不安があるのですが
なんでそう感じるのかは自分でもよくわからんです(´・ω・`)

とここまで書いて思った。↑の論法だと「今日も太陽は東から昇った。
昨日もそうだった。一昨日もそうだった(ry 明日もきっとそうだろう」っていう
帰納的なアレとそっくり同じ理屈だからですね。
さすがにもうカントの時代から200年以上経ってるだけあって、
>>697で挙げられているように現在は通用しないものも出てきてて
自分はソレを知ってるわけです。そりゃ変な感じするわ('A`)
やぱし詰めが甘いれすね・・・。

719 :二酉:04/10/24 15:42:02
ただ、そうすると今度は脳に障害を負った方々を、こういう言い方するのは
アレなんですが、一般的な人間に入れていいのかどうだかってのがあるかと。
声帯の無い人間が音声言語を話せないのと同様に、脳に障害を負った人間が
何かを認識できなかったり、誤認してしまうのはある意味当然です。
機能的な問題で(今現在)例外的に不可能であるからといって、
それを普遍的な人間一般に当てはめてもいいのかしら。
自分は機能の問題と認識形式の問題は別物って感じがします。
この辺は自分が勉強不足なためにイロイロとツッコミどころがあって、
まだそういう風に感じるってだけなんですけどね(´・ω・`)

720 :考える名無しさん:04/10/24 22:13:35
>>719
正常な機能を有していても、理解できない人間には、
どんな問題だって理解できない。
だからと言って、それ(問題自体)が否定されるわけではない。
脳の障害うんぬんと言い出すのは、それこそ、誤謬。


721 :考える名無しさん:04/10/25 13:37:39
 最近のスレ読んでると、経験と認識の意味がごっちゃになってるね。
 ポール氏は、あらゆる認識は「経験を必要とする」と言ってるが、これは、変。
>>696
 カントは、「一切の経験的なものを含まない認識を純粋認識」と定義しているんだから、「認識すること=経験」とするのは、完全に矛盾しているし、そんなことは言ってない。
 たとえば「すべての物体は重さをもつ」というのは、認識できるが、経験できるものではない。
 まあ、認識=経験だと思っている時点で何を言ってもムダか。


722 :考える名無しさん:04/10/25 13:47:00
>>721
だから、そのカントが言ってる事に対していろいろ議論してるんだろ?
お前はカントの言い分を全て受け入れて書いてるだけじゃないか。
前提を疑う事から始めてんの、このスレでは。

> たとえば「すべての物体は重さをもつ」というのは、認識できるが、経験できるものではない。

これも、「すべて〜」を経験なしに認識することが本当に可能かどうかを話し合ってんだろ?
そりゃカントは純粋認識という概念を自分で作ってるからこれは可能なのかもしれないけどさ。

とにかく的はずれな批判するくらいだったらこのスレ来ないでいいよ。ただ邪魔なだけ。

723 :考える名無しさん:04/10/25 13:53:56
デキルやつはみんなブログの方に行っちゃったようだな…




       /\___/ヽ
      /''''''   '''''':::::::\
     | -=・=-∴-=・=- .::| 

724 :考える名無しさん:04/10/25 14:24:31
>>722
また、バカが現れた(w

725 :考える名無しさん:04/10/25 14:33:12
>>722
キミは、カントを理解するってことが、どういうことか、わかってないね。
言い分を受け入れるんじゃなくて、カントの言ってることを、
理解してはじめて議論が成り立つんだよ。
ここで議論されていることは理解以前の問題。


726 :考える名無しさん:04/10/25 20:21:55
>>725
このスレはカントを読むスレですが。
カントの言ってる事を理解しているなら、そもそもこんなスレは要らないわけで。

727 :考える名無しさん:04/10/25 22:22:42
>>726
キミの言ってることはおかしい。
理解していないもの同士で意見を述べ合っても誤解が重なるだけ。
きちんと読んだ上で疑問点を考察しあうのが正しいあり方と違うか?

728 :考える名無しさん:04/10/25 22:39:42
そう、ある程度コンセンサスのとれた解釈が豊富にある文献で
あるから、分からないことはわからない、と言えばそれでいい。
せいぜいカントが何を言っているかが分かるだけで、感想を言う
くらいでも全然構わない。それ以上は、誰も期待していない。

カントの言う事をいちいち否定したり、前提を疑ったり、とか
勝手にネタ扱いして自分の独特な主張をするのが目的ではない。
読めないから余計な事を言ってごまかしてるだけだろう。
余計な主張は電波発信の元。自己主張はよそでやれ。

読むスレで、読む事以上のなれ合いの議論はいらない。
情報交換が目的と割り切ってカキコする。

729 :考える名無しさん:04/10/25 22:56:22
カントの純粋理性批判を論考したければ
P・Fストローソンの「意味の限界」を読め。

730 :考える名無しさん:04/10/25 22:57:56
>>727
そう?
理解し合ってる者同士で意見を述べ合っても意味がない。

731 :考える名無しさん:04/10/25 23:07:36
理解してるつもりの人たちが知ったふうな顔してカキコしてますな。
     ・・・

732 :ポール:04/10/25 23:19:28
>二酉さん

教育学部でカントを読む人がいるのですね。
(自分を棚にあげますが)変わってますね。それとも文系はそんなものでしょうか。

>「いずれの〜」の方は変化というものの経験を通じて
>帰納的にも導かれうる(←ここで経験が混入する)命題(認識)であるのに対して、
>「すべての〜」の方は超越論的に、変化という事象そのものの根本原理を
>直観した際に得られる命題(判断)であると思うので。 >>716

>前者は「いずれの」の部分に個々の経験が混入していますが
>後者は「すべての」変化(という経験)を成り立たしめる(例外の無い、
>必然的な)ものについて言っているので(一応)純粋と言えるんではないかしら。 >>717

ああ、なるほど。よくわかりました。
カントは序論で、「経験的普遍性」「厳密な普遍性」という二つの普遍性を
挙げています。この箇所を読んで、「経験的普遍性」とは異なる「厳密な普遍性」が
何を意味するのかよくわかりませんでした。ですが、

  1. 経験的普遍性 :帰納によって導かれる普遍性
  2. 厳密な普遍性 :直観によって取り出された根本原理

と考えれば納得がいきます。
たしかに、「いずれの〜」の方は「経験的普遍性」、「すべての〜」は「厳密な普遍性」
(『純理(B4)』)というニュアンスの違いが感じ取れます。

733 :ポール:04/10/25 23:20:07
二酉さんの説明で納得できましたし、カントもそのような意図で書き分けたのだと思います。
ですが、(そのカントに対して)一つの疑念を提示すれば、帰納、つまり経験に頼らない
「直観」とは何だろうか?ということです。経験抜きの直観などあるのでしょうか?
これが僕が、「純粋な認識は存在するのだろうか」という問いに繋がります。


734 :ポール:04/10/25 23:21:15
>>721
ご指摘どうも。

>カントは、「一切の経験的なものを含まない認識を純粋認識」と定義しているんだから、
>「認識すること=経験」とするのは、完全に矛盾しているし、そんなことは言ってない。 >>721

>>684-685でカントの見解を、>>687とそれ以降にそのカントの見解に対する
僕の疑念を、というように、カントの見解と僕の見解は区別して述べています。
721さんが述べるように、カントが「純粋な認識」についてそう定義していることは
了承していますが(>>684)、それに対する疑念こそがここでの主題です。
その疑念とは、「カントのいう『純粋な認識』などあるのだろうか」ということです。
そして僕は、「あらゆる認識は経験を必要とする」と考えます。

735 :ポール:04/10/25 23:22:35
認識という時、「アプリオリな認識」──経験に”依存しない”認識──に関しては
「ある」と僕も答えます。しかし、「純粋な認識」──経験の”混入しない”認識──に
関しては「ない」と考えます。つまり、経験に依存しない認識はあるにしても、
経験が混入しない純粋無垢な認識は存在しないと。

たとえば、「すべての物体は重さをもつ」という命題があります。
これはカントが『純理』の序論(B2)で述べているように、「物体が重さをもつ」ことは
予め経験によって知られていなければなりません。確かに、この命題は、遠い過去から
遥か未来まで地球が存在する限り永遠に変わらない法則、つまり個別的経験に依存しない
アプリオリな命題ですが、そのためには「物体から支えを取り除くと落下する」という
経験が前もって必要とされます。それゆえ僕は、この命題はアプリオリであるが
純粋ではないと考えます。

(カントは「いずれの変化もその原因を持つ」という命題は、アプリオリだが純粋ではない
といいます。その理由は、「変化」は経験からのみ引き出される概念だからと説明します。
それと同じように、「物体は重さをもつ」ことも、経験からのみ引き出される概念です)

736 :ポール:04/10/25 23:23:08
カントは、「我々のすべての認識は『経験とともに開始する』が・・・」(>>685)と述べますが、
この「すべての認識は経験と共に開始する」ことこそ、すべての認識には経験
──過去の経験含む──が混入していると僕が考える根拠でもあります。


737 :考える名無しさん:04/10/25 23:23:53
>まあ、認識=経験だと思っている時点で何を言ってもムダか。 >>721

「認識=経験」とは思ってませんが、以上のように、すべての認識には
経験が含まれているはずだとは考えています。

それは、(しつこいですが)認識(=私)と経験(=世界)が切り離せないという
僕の基本的構図がベースにあるからです。

ここで、僕がよく「私」と対峙する「世界」という語について定義しておけば、
「世界=感官に現われるすべての印象」です。つまり、目の前に見えているパンだけでなく、
想像したパン、夢の中に現れるパンといった私の意識に現れるすべての現象の
総体です。私の外部にある(客観)世界だけではありません。


738 :ポール:04/10/25 23:24:45
僕自身、まだよくわかっていませんので、またのご指摘お願いします。
『純理』はおもしろいです。


737=ポールです。


739 :考える名無しさん:04/10/25 23:25:28
>>734
>「あらゆる認識は経験を必要とする」
ってのには俺も同意。そもそも経験がないと認識という概念すら
成立する余地がないし。今のような議論のことならカントも同意
するんじゃないだろうか。カントは経験から普遍性を見出すことで
純粋認識のような観念を考え出したと思うし。

740 :考える名無しさん:04/10/25 23:39:43
第一に、いかなる人も、もし彼が時間的に繰り広げられる経験系列を統一的な客観的世界
[当の経験系列はこの世界のひとつの主観的なあるいは経験的な通路を形成する]の認識を
もたらすものとして認識することができないならば、その経験を「自分のもの」と意識することは
できないであろう。
第二に、以上の自己意識が可能であるために必要な観念が、経験において実際に使用されまた直接
適用される概念の特質のうちに潜在的に含まれているのでなければならない。
概念を集めればもうそれだけでこの観念を生み出すのに、すなわち要求するに十分であるということには
ならない。(例えば、経験主義者の言う単純な感覚性質の概念をずらりと並べてみても、それは貧弱で
この観念を要求するにはたりないから)

741 :考える名無しさん:04/10/25 23:51:46
経験主義者云々はよくわからんけど、経験ですら
概念の束から成立するのであって、現象の抽象である
わけでしょう?第一、第二って何のこと?

742 :考える名無しさん:04/10/26 00:01:37
カントの直接の関心事である必要不可欠な時間関係の区別が経験内部で行わなければならず、
それ故私たちは空間のうちなる対象を直接に、言い換えると非推論的に意識するのでなければならない
ということを指摘している。
つまりB276の「私の存在の意識は同時に私の外部の他の事物の存在の直接的意識である」
の考察でつ。第一第二の解釈はB276についてカントもこうおもっているに違いないという論証。



743 :考える名無しさん:04/10/26 00:10:42
なるほど。
>言い換えると非推論的に意識するのでなければならない
ということは俺の考えていたこととはちょっと違う解釈に
なるな。参考になった。カントは個別的な事象や概念から
アプリオリにそれを拡張しようとする(内容が伝わるだろうか
・・・)から、その線で考えていたけど、ちょっと違った
解釈が可能になりそうだ。ん、まてよ。でもその役割をするのは
悟性じゃなかったっけ?

744 :考える名無しさん:04/10/26 00:14:50
言い換えるとその悟性と理性の切断にこそ、今話題になっているような
経験から純粋認識への飛躍があると考えられないかな?

745 :考える名無しさん:04/10/26 00:21:42
>アプリオリにそれを拡張しようとする・・・は、取り敢えずそれはそれでよいとするが。
経験の形而上学上、適用される概念は、少なくとも持続的で繰り返し同定可能な空間的対象
の概念を含んでいなければならない。そしてこうした概念のもとに包摂可能な対象はいずれも
ある程度の「それらの作用における規則性」を示すのでなければならない。byヒューム
すなわちこれらの対象が被る変化それ自体が、少なくとも一般的に見て、「因果法則」←ココ重要
に服していなければならないから。


746 :考える名無しさん:04/10/26 00:29:40
>>745
なるほど。この説明はとてもわかりやすい。
まだまだカントを読み足りないと悟らされた気分。
もう少し考えてみないとこれ以上は対話も成立しそうに
ないな笑

また会おう〜。


747 :考える名無しさん:04/10/26 00:31:47
わたくしは仏教の考え方に賛成ですな。理性などという分断されきって抜けきらないものを認識とするのではなく離れて在りながらも心情と不可未分にある認識に。つまり理性と五感は結合しうるということ

748 :考える名無しさん:04/10/26 00:34:35
つまり「因果法則」が「何故ただ一つの客観的世界」なのか?に繋がっていく。
経験的自己意識が可能であること。
経験的判断が客観へ関係すること。
経験的判断が統一的な空間的‐時間的世界に属する諸事項へ関係すること。
これら3つの観念が相互依存の関係にあることは承認されているとしなければならないが
、そこで問題として提出されたのが「何故ただ一つの統一的な客観的世界」なのか
ということなのだが・・・

749 :考える名無しさん:04/10/26 00:37:09
やっと下巻まで来たんだが、挫折しそう…

750 :考える名無しさん:04/10/26 00:37:19
わかりにくいからもっとかみ砕いてくれ。

751 :考える名無しさん:04/10/26 00:37:47
>>750
ロバに頭噛み砕かれて死ね。

752 :考える名無しさん:04/10/26 00:50:30
誰か漏れの話についてきてくれ・・・。

>748の続き、
この疑問に対抗する可能性が二つ考えられると思われ。
一つめ、我々が同時に我々に既知の空間世界と、この世界とは関係をもたずまた異なる
知覚様式を含む準空間世界の双方の成員であるという可能性である。
もう一つは、我々が継起的にないし交互に、相互に異なりかつ空間的に無関係の空間諸世界の成員であるという可能性
である。このことから哲学的想像が頭の回線がオーバーヒートする位広がるw
カントは読むんじゃなく、理解するんでもなく、論考しかないのだ。


753 :考える名無しさん:04/10/26 00:59:41
>>752
いや、実際その部分もよくわかる。理性と純粋理性の区分ですら
そのような2つの可能性について考えることを強いるもん。
単なる理性と純粋理性の世界は切断されているように読めるし
「知覚様式を含む準空間世界」に純粋理性、「既知の空間世界」に理性を
対応させることが出来るし。

754 :考える名無しさん:04/10/26 01:04:52
やった。そう。
でも何故か客観的世界はただ一つなんでつよ。なぜ?何故?

755 :考える名無しさん:04/10/26 01:15:44
>>754
今のとこ考えられるのは西洋哲学(キリスト教こみ)の世界観が
そのようなものであったからとしか考えようがw
難しいすぎる。。
しかしよく読みこんでるなぁ。


756 :考える名無しさん:04/10/26 01:32:14
>>755
漏れの答え
もし我々がそうした想像世界は我々に既知のものと関係のある「どんな場所にも存在してない」と
認めるならば、このことはそうした想像世界は非現実的で単に架空のものに過ぎないと認めることを
意味する。しかしそれは単に事実の限界に過ぎないのかも・・・。
我々は更に、経験的自己意識の連続性は失われることなしに経験のうちにある根本的な不連続が生じ、
この断絶に続く期間に経験される如何なる事項も断絶以前の期間に経験された如何なる事項とも空間的に
関係することはないが、断絶後に経験される事項のすべては断絶以前に経験されたすべての事項と同じく、
それら自身の統一的体系において相互に空間的に関係し合うといった事態を想像できないだろうか・・・。
言い換えれば、一つの統一的な客観的世界から他の統一的な客観的世界へ「移行」し、そしておそらくは
そこから「立ち帰ってくる意識統一」を考えることはできないだろうか・・・。
ということで頭がオーバーヒート気味なので落ちまつ。またどこかで会いましょう。


757 :756:04/10/26 01:37:39
スマソ漏れの答えじゃなく、漏れが賛同する論証でした。
ちと翻訳と解釈に手間取った。おやすみ。


758 :考える名無しさん:04/10/26 01:43:22
>言い換えれば、一つの統一的な客観的世界から他の統一的な客観的世界へ「移行」し、そしておそらくは
>そこから「立ち帰ってくる意識統一」を考えることはできないだろうか・・・。
>ということで頭がオーバーヒート気味なので落ちまつ。またどこかで会いましょう。

いや、よくわかる。もしかしたら理性や純粋理性の背後にはそれを内包するような
実体なり観念なりを設定することができるのかもしれないな。もしくは
純粋理性や理性は経験や知覚や悟性に内包されているから理性を頂点とする
ようなヒエラルキーの一番下、経験なんかが実は自己(自我)の根源的な根拠
であるのかもしれない。「立ち帰ってくる意識統一」は自我で感じるもので
あるだろうし、理性で認識するものでなく経験や知覚のレベルで成立する
事象かもしれない。ということは一回循環して理性を知覚が根拠付けることになるな。



759 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:32:40

えーと、>>678-679の説明が足りなかったような気がするので申し上げますね。
まあ、そのまえに私の主張の根拠となる文を以下に掲げます。


760 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:33:02

*****************************************************************************


    ところで判断においてだけではなく、概念においてすらも、若干の概念のアプリオリな

    源泉が明らかになる。"物体"という諸君の経験概念から、そこにある一切の経験的な

    ものを次第に除去し、色を、硬さや柔らかさを、重さを、さらには不加入性すらも除去せよ。

    しかしそれでも、この物体(いやまったく消え去ったが)が占めていた"空間"だけは

    残存していて、諸君はこれを除去することはできない。同様に諸君がそれぞれの物体的

    もしくは非物体的な客体の経験概念から、経験が諸君に教える一切の性質を除去する

    場合に、どうしてもその客体から除くことのできない性質があるが、それは諸君が

    それによってその客体を"実体"として、もしくは実体に属する"もの"として考える性質である

    (もっともこの[実体という]概念は、客体一般の規定よりも多くの規定を含んでいるが)。

    それゆえ諸君は、この概念が諸君に迫ってくる必然性によって説き伏せられ、

    この概念が諸君のア・プリオリな認識能力のうちにその座を持つことを認めざるを

    えないのである。

                                     カントの「純理」序論(第二版)B5
******************************************************************************



761 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:35:41

おそらく、これを読んだだけでは、意味が混乱すると思うのですが、
それはカントの意図が不明確、また多重的であるなためです。

カントはこういっているのです。概念は、経験的なものによって、
構成されているけれども、概念そのものは、つまり概念の客体は、アプリオリであると。
むろんカントは「若干」という言葉を使って断定はしていませんが、
そのような印象操作をしているのは一目で分かるでしょう。

概念とはなにかについて説明するために、「物体」というモノの概念を使用して
経験概念というものから説明していますが、むしろ説明になっていないと
いうのが私の印象です。むしろ概念が経験的なものであるということを
説明する意図が発揮されたということです。

つまりここでカントは概念というものが、
アプリオリなものと経験的なものに分けられるという前提を懐疑せずに、
二つを無条件に分けて、そのモデルを作成しただけだということです。
それが、本来のカントの意図であるということであり、

>  ところで判断においてだけではなく、概念においてすらも、若干の概念のアプリオリな
>  源泉が明らかになる。

なんて言うのは嘘っぱちなのではないかと言う事なのです。
私ならこう唱えます。ちっとも明らかにしていないじゃないかぁぁぁ??? 
と、そのように考えたときに、


762 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:36:36


>   678 : jun ◆bYRNL78mlE :04/10/22 18:07:25

>   ちょっと疑問に思ったので、、、
>   *******************************************************************
>   純理 - 序論(第二版)(B3)

>     「いずれの変化もその原因を持つ」という命題は、
>     アプリオリではあるが、純粋ではない。なぜなら、「変化」は、経験からのみ
>     引き出されることができる概念だからである

>   *********************************************************************


>   ・この意味が分かる人、教えてください。
>    「変化」って、アプリオリではあるが、純粋ではない"概念" ?


の“「変化」は経験からのみ引き出されることができるという概念”と言うのは
「変化そのもの」に言っているのではなく、「変化」という概念に対して言っているので
はないかと思ったわけです。

そういったわけで、>>679のような推論をしたわけです。



763 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:39:22

>679 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/22 18:09:35

>(以下は蛇足ですが、いちおう続きです)


>・これを、認めてしまうと、すべての“概念”は純粋認識ではなくなるのではと思いました。
> つまり、、、観念的な認識を純粋認識と言っているのでしょうか?

>・でははつまり、「純粋認識」って言語化不可能ってこと?
>   いやもし純粋認識が言語化可能であるとするならと考えてみると。

>      「しかし、・・・は、・・・・・・・で、・・・・・ではあるが、あの・・・・・・のようにはならないのかな?」

> の上記のような文形式になるのかなと推測できたのですが、いかがでしょう?
> なんというか、概念不在の文を作成してみた感じです。
> このような論理体、言い換えるなら論理形式の認識のことを、
> 「純粋認識」は指しているのだろうか? 

>・あと、「純粋認識」と、「経験的認識」と、「アプリオリ」な認識の違いがいまいちなので。。。
> ここで「変化」という概念を説明の基底に使われると、意味が混乱したので聞いて見ます。


764 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:40:03

では、残る懐疑は「変化」という概念を考えるのではなくて、
「変化そのもの」に「経験自体」が含まれているのではないかという懐疑があると思います。
しかしここで気をつけておきたいのは、変化という概念を論じるためには、
「変化自体」と「変化(ヘンカ)」という概念の客体を説明するために、
その区分けをするべきであったと言う事を忘れてはいけないと思います。カントはここで
アプリオリである客体としての「概念」の意味に預かっているのではというのが私の主張なのです。
そもそもここでカントはこの著書の中では、数学的な、幾何学的な、科学的なものに対しての
懐疑は一切実行せず、その啓蒙で終わらせているのです。
そしてその不満が、科学の持つ実証性を疑うカント派と呼ばれる人たちによって
科学の客観性が逆に形成されたのではないかというのが、哲学の潮流の一つ
として考えているのです。
そういった意味で、カントの問題を論理的な見方で、つまりハイデッガーの
ようなやり方で言葉、言語存在を分析すると言うのは、
やはりスマートで面白い発想だと思ったわけなのです。(まあ蛇足ですが)



765 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:41:23
>>764
はちょっと見苦しいですね。
見なかったことにしてください。

もう少し推敲します。


766 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:54:09


       (^_^) { >>766は脳内アボーンしてください。)




767 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:55:52

では、残る懐疑は「変化」という概念を考えるのではなくて、
「変化そのもの」に「経験自体」が含まれているのではないかという懐疑があると思います。

しかし、ここで気をつけておきたいのは、変化という概念を論じるためには、
「変化自体」と「変化(ヘンカ)」という概念の客体を説明するために、
その区分けを明確にするべきであったと言う事を忘れてはいけないと思います。
カントはここでアプリオリである客体としての「概念」の意味にのみ預かっているのではないだろうか?

そもそもカントは、この著書の中では、数学的な、幾何学的な、科学的なものに
対しての懐疑は一切実行していません、その啓蒙で終わらせています。
そしてその不満が、科学の持つ実証性を疑うカント派と呼ばれる人たちによって
科学の客観性が逆に形成されたのではないかというのが、哲学の潮流の一つ
として考えているのです。

また、序論の、第二版つまり書き直しの論ですから、
自身の著書の全体性を俯瞰しているわけです。
ここでカントは、その自身の論の複雑さに迷妄したのではないか、
そのため「変化」の意味が多重になったのではないか、
と言うのが私の主張なわけですね。


768 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 04:57:20

そもそも、私の少ない読書の中でもそうなのですが、
カントが、精神(理性、判断力、実践)の批判をしたりはするが、
客観という存在に対しては、一切の批判を講じていないと思われるのです。
そういった意味では、ポールさんの不満は確かなものだと思います。

プロイセン王国国務大臣に対する献辞などもそうですが、
なんというか、事なかれ主義ではないかと思います。
まあ、科学を啓蒙することはそれほど悪いことではないとは思いますのでね。
誰も否定するものが居なかった、「形而上学」という仮想敵を設定して、
その無意味性を説いたのがカントの哲学ではなかったかと思えるほどです。

むろん彼の哲学の本質は精神の批判ですから、審美眼、
個人としての世の関わり方として、つまり孤独の関わり方としては、
カントの哲学には、独特で秀逸なものを感じることでしょう。
まあ最後は個人の印象であり主観でありますから余計でしょうね。
以上です。


769 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 05:03:16

それとあと、

そういった意味で、カントの問題を論理的な見方で、
つまりハイデッガーのようなやり方でカントの哲学を、言葉、言語存在として
分析すると言うのは、やはりスマートで面白い発想だと思ったわけなのですけどね。
(まあ蛇足でしたが)

そして、ハイデッガーに残されている懐疑は「一般性」と「普遍性」という
客観に対してだと私は思っています。まだこの混迷は現実の真っ只中いいるし
これらへの解決は私、他者を関係の規定とした、言語存在者としての倫理観に
預かるのではないだろうか、という志向性(問題意識)を、
いちおう私は持っているわけです。


770 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/10/26 05:33:26
>>766 >>769 >>764

は脳内アボーンしてください。orz...



771 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/26 07:28:22



いちおうなぜハイデッガーを持ち出したのか説明します。
以下のハイデッガーの文が、もっとも説明に適していると思いました。


772 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/26 07:31:52

*******************************************************************************


     カントが 二千年の後に 『 純粋理性批判 』 第二版の序文で、論理学は

     「 "アリストテレス" 以来一歩も後退する必要がなかったし 」、「また、これまで

     一歩も前進することもできなかった。だから、論理学はどう見てもすでに終了し

     完結しているように見える 」 と言っているのはもっともである。 そう見えるだけ

     ではない。事実、それはそうである。というのは、論理学は "カント" と "ヘーゲル"

     との貢献にもかかわらず、本質的なもの、元初的なものにおいては一歩も進ま

     なかったのだからである。ただ一つの可能な一歩は、かろうじてただ論理学

     (すなわち存在を解釈する場合の決定的な視線としてのこの論理学)を

     その"根底"から覆すことだけである。


                    マルティン ・ ハイデッガー 形而上学入門[W 存在の限定]
*******************************************************************************
                                    参考 平凡社ライブラリー



773 :jun ◆bYRNL78mlE :04/10/26 08:20:14

ハイデッガーが、最初から哲学的論考において、前提にしているものが、
この、形而上学の本質であり中身である、言語論であり、その論理学を覆すことが
哲学的考察だというふうに、わたしは捉えています。
そして、そのようにカントの哲学を注視し論考することが、
わたしが、>>679で、やってみたかったことなのでした。
けど、まったく難しいですね。
(両者の中間に立つものとしてのフッサールへの理解が
おそらく私には欠けているのかもしれませんけど)

とりあえず、んな感じです。


774 :考える名無しさん:04/10/26 12:28:10
なんでハイデッガーなのか?junさんが持ち出した>>772はカント哲学に対する
ハイデガーの感想であって、それは研究でも論考でもなんでもない。
ハイデガーは有名な哲学者ではあるが、カントの研究者ではないのだ。
 カントの鋭い諸洞察に感嘆しながら、しかも不可解さの極みに戸惑いを覚えながらも
思想体系の整理が行き届き「統一性」の保たれた明快な解釈を、少なくともテクストが
語るところによって強く支持され、打ち出そうと努める研究者の本を読むことを
お奨めする。

775 :考える名無しさん:04/10/26 13:11:29
えーつづき。
junさん>>679で概念不在の文を作成して、とか論理形式の認識のことを、「純粋認識」
は指してるのだろうか、とかありますが、先ずん〜そうだね、経験の形而上学における
カントの解釈に欠けていると思う。
 四つの大きな二元性が人間的経験の本性に関するカントの理論を支配しているわけさ。
現象とそれ自体においてある事物、直感と概念、ア・プリオリなものと経験的なもの、
内的なものと外的なもの、という二元性がそれなわけだが、これらは「批判」の主要部門
「超越論的感性論」に登場している。これらがココでどのように関係しあっているかを理解
することが重要であり、これがカントの論考を進めるうちに『空間と時間』の概念を紐解く
最初のヒントになる。

776 :考える名無しさん:04/10/26 13:43:59
カントが空間について議論しながら「ア・プリオリ」という表現と「直感」という表現を
組にして用いる場合、すくなくとも相互に関連する三つのやり方が区別可能である。
そのうち少なくとも二つは時間についても同様にいえる。
第一に彼は、『時間と空間は経験的直観のア・プリオリな「形式」である』と言明する。
第二に彼は、『我々はア・プリオリな「もしくは非経験的な空間直観の能力ないしは力を持っており」これを
       働かすことによって幾何学的心理を認識する』と明言する
第三に彼は、『「空間と時間はそれ自身」ア・プリオリな「直観」である』と明言する。
ここで問題になるのが第三の理説である。すなわちただ一つの時間と空間しか存在せず、かつ両者とも無限であるっとハッキリ言い切ってます。
この思想の意味は何なのか理解するためには研究という分野で絶対不可欠なものが必要になります。
そう「反論」です。カントを知るにはカントの思想に対する「反論」を考察するのが最も近道で良い方法とおもわれる。



777 :考える名無しさん:04/10/26 14:07:29
 当該の問題に対して、まだ誰も書いていないようなので。
>>686
「およそ変化はすべてその原因を持つ」という命題はアプリオリであるが、
純粋認識ではない。という記述のあとに「変化はすべて原因をもたなければ
いけない」という命題がアプリオリな純粋判断である。と書かれていることが
矛盾であるという指摘は、第一批判の出版当初からあったそうだ。
 それに対してカントもこの記述が矛盾であったことを認めている。
(今資料が手元にないけど、中公版の純理の注に書いてある)

 ところで、アプリオリな純粋認識に関していうと、
俺の場合、トルゥーズが解釈してるように、「アプリオリ=必然性」として
捉えると、結構「目から鱗」だったな。
例えば、あらゆる現象は、経験的なデータの蓄積によって、
蓋然性を獲得できるけれど、結局「すべて」に当てはまるという
必然には至らないわけだ。
 しかし、例えば、数学で「三角形の内角の和は180度である」という
命題は経験(たまたまそうした例を発見した)から出発しても、
「アプリオリな純粋認識」に至ると。
それは「経験によらない必然的な認識」と解釈すれば納得できる。
 経験から出発しても、そこには経験は一切含まれていない。
こうした認識が、経験によって成り立って見えるのは、
経験から出発しているから、そう見えるだけで、実は経験にはよらない。
ということじゃないのかな。
 カントがあまりいい例を出していないので、とてもわかりにくいけど、
カントがいうように数学のどの問題をとっても、これは当てはまると、
俺は思う。

そうだな、例えば、豆腐を作るのに、「型」(経験)は必要だけど、
できあがった豆腐自体に「型」は含まれない、みたいな。


778 :考える名無しさん:04/10/26 14:16:32
たとえばある人(X君)の視覚イメージの諸要素は相互に空間的関係を有しており
他の人(Y君)の視覚イメージも同様であろう。しかしX君の視覚イメージとY君の視覚
イメージの間の空間的関係を調べてみることは無意味である。それらは如何なる共通の
空間も持っていないのである。つまり私の視覚イメージの諸要素と私の身体諸部分あるいは
私の部屋の諸対象との間の空間的関係を調べることが無意味だからだ。
つまりテーブルの隅に置いている携帯電話を含む空間は私の心の目のうちにある携帯電話を
含んでいない。実際には電池切れで使えない携帯なのだが、わたしは電池切れなど夢にも思ってなく
いつでも使える携帯としての2つの状態の携帯電話が同時に存在するわけ。
私の心の目の中の携帯電話は物理的な携帯電話が属している空間のどんな部分も占拠したり
占有したりすることはないのである。
 この反論で言われていることが例え正しいとしても、明らかにカントはそれは当面の問題とは関係ない
と考えるであろう。なぜならカントが単一の包括的な体系においてそのいずれの成員も他の一切の成員と
空間的に関係ずけられていると主張するときの、この空間的に関係づけられた諸事項のクラスとは、公共的で
物理的な物体のクラスのことであり、かかるものは対象についての我々の知覚および知覚状態一般から区別
される我々の知覚の対象と考えられるからである。
 つまり彼が単一無二であると言明するのは、そうした物体によって占められる空間のことである。


779 :考える名無しさん:04/10/26 14:24:05
おっと、>>778>>776の続き。>>777とは偶然微妙にカブったw


780 :777:04/10/26 16:12:42
 念のため、トゥルーズ=× ドゥルーズ=○

 776氏が空間についてヒントを出してくれてるので、ちょっと応用させてもらうと、
 数学的な問題に関して、超越論的感性論の「空間について」で、
 「空間が一般的な概念ではなく、純粋直感である」ということから、幾何学の命題でさえ、「直線」や「三角形」という一般概念を使って導くのではなく、アプリオリな直感から導かれるとカントはいってるね。
 普通、直線は紙の上に鉛筆などで描かれるから量を持つように見えるけれど、実際には量がない。
 これは、いわゆる「線分」とは大きさや太さは持たず、長さだけがあるという数学上の定義と一致している。
 でも、実際は鉛筆で書いたような太さを伴っていないと、頭の中でも直線をイメージすることはできない。
 つまり、カントのいう空間が経験概念ではないということは、理屈ではわかるんだけど、実感としては理解しがたいといったところだろうか。


781 :778:04/10/26 18:18:25
>>777氏のカントの矛盾であるが、これは意外と知られて(理解)いることだと思ってた。
 え〜と、例えば無限数の時計音をそれが生じる度に「数える」という過程は「数える」という行為を完結させるのは不可能であろう。
そしてこうした思想は我々にとって真であると思われるかもしれない。というのも我々は、数えるといった過程はある時点で開始されなければ
ならないと考えるからである。しかしながら、そうしたある時点で「開始された」数える過程が続く如何なる時点においても決して完結
され得ないであろうという事実は、当該の問いに全く関係ないか、もしくは問いの論点を巧みにかわし、時計音の系列それ自身もある時点で
開始したという仮定を支持するために利用されているように思われる。しかし我々は、「時計音の系列が開始した時点は一切存在しない」という
仮定が「成立しない」ことを論証しなければならなくなる。
以上がカントが後に矛盾(提示されてる矛盾は見かけ上のもの)の解決として提出されている諸理説に、おそらく無意識的に依拠しようとしている
諸点の一つであろう。


782 :778:04/10/26 18:28:50
簡単にいうと無限の時計音を数えても意味ないでしょ。ってことでつね。
当然時計音に終わりはない。無限だからね。何時数え始めても時計音の最初から
数えられたものじゃない。つまりそんなことは誰にも判らない。
でもそれらを考えないのは「逃げている」と思われるわけw 時計の音が何時から始まったのか?
んなもん判るわけねーだろ。という仮定が「成立」しないことを論証しなければならない。
「成立」しない論証はそれぞれやってくれればいいと思いますw

783 :考える名無しさん:04/10/26 18:34:28
人間の認識ー世界の雑多な羅列をそのものを取り纏めて成り立たせている
      法則を意識しながら雑多なものをひとまとまりに考える事。
      そんな世界のまとまりの法則を見つける人間の能力を理性という。
理性--理論理性・実践理性
    理論理性--感性・悟性
    実践理性(意志能力)
     感性--先験的(空間・時間を認識する能力)、後天的(感覚)
     悟性--悟性(概念能力)、判断力、理性(推論の能力)
     

784 :考える名無しさん:04/10/26 23:13:50
カントが言うには純粋理性は経験を統合するでしょう、アプリオリな先見性自体も
それにカテゴリできると、だからバイアス、誤謬が生じる。その対象を絶対性に置き換えたら
そもそも人間性悪説になりカント自身はクリスチャンだから。。というところからはじめたらわかり
やすい、散発てきに議論が進んでしまうのは自称哲学者の072のせい。

785 :777:04/10/26 23:30:59
申し訳ない、777で揚げた書籍の版元は、中公じゃなくて、河出でした。
ミスばかりで恥ずかしい。
お詫びに注の全文を掲載しておくので、参考にしてください。

変化はすべて原因を有すという命題は前節では、先天的ではあるが
「純粋ではない」命題の例としてあげられていた。しかるにここでは
その同じ命題が、先天的純粋命題の例としてあげられている。
これに対してはすでに、一七八九年のライプツィッヒ学事新聞
第九四号に一批評家がその「端的な矛盾」を指摘した。
カントは「哲学における目的論的原理の使用に関して」(一七八八)と
題する論文の中でこれに答えて、「純粋」という語の二つの意味を
区別することによってこれを解決している。
すなわちこの命題は内容に関しては「純粋ではない」が、
起源に関しては「純粋」なのである。

さて、これが解決といえるんだろうか、かえって混乱しそうな気もするな。

778氏、Thanksです。
なるほど・・、ちょっと考えてみます。

786 :ポール:04/10/26 23:34:52
>「およそ変化はすべてその原因を持つ」という命題はアプリオリであるが、
>純粋認識ではない。という記述のあとに「変化はすべて原因をもたなければ
>いけない」という命題がアプリオリな純粋判断である。と書かれていることが
>矛盾であるという指摘は、第一批判の出版当初からあったそうだ。
>それに対してカントもこの記述が矛盾であったことを認めている。 >>777

そうなんですか・・。
始めは僕も矛盾だと考えていましたが、二酉さんの>>716-717の説明を聞いて、
矛盾ではないと思い直したのですが・・。
というのが、原語ではどのような語が当てられているのか分かりませんが、
宇都宮訳では確かに、「いずれの・・」「すべての・・」と訳し分けられ、
前者は「認識」、後者は「判断」となっているからです。

  1. いずれの変化もその原因を持つ(B3)            →アプリオリだが純粋でない”認識”
  2. すべての変化はある原因を持たなければならない(B5) →アプリオリで純粋な”判断”

787 :ポール:04/10/26 23:35:22
1の方は、膨大ではあるが有限な個別変化の認識から帰納的に
導かれる命題で、それゆえ経験が含まれるから「純粋でない」、かつ
経験的普遍性持つ。一方、2の方は、その経験的普遍性から「直観」
によって、それらの変化を変化として成り立たせている根本原理
について言及した命題であり、その根本原理自体は経験とは
無関係であるゆえ、純粋、かつ厳密な普遍性を持つ。

このように考えました。

788 :ポール:04/10/26 23:36:33
この考えが正しいとすると、「すべての物体は重さを持つ」という命題も、
アプリオリで純粋な命題だと考えられます。(ただし、またもや僕の考えに
反してカントは、「すべての物体は重い」という命題は経験的命題であると
述べています)。
つまり、「物体の支えを取り除けば落下する」という経験をどれだけ
積み重ねようが、「物体は重さをもつ(物体は引力をもつ)」という命題は
出てきません。ですがそこに、「直観」という超越的な認識を加えることにより、
「物体には重さ(引力)をもつ」という命題が生まれます。
そしてこの命題こそが物体の根本原理です。

  1. 物体は落下する  → アプリオリだが純粋でない(経験的普遍性)
       ↓ 【直観】
  2. 物体は重さを持つ → アプリオリで純粋 (厳密な普遍性)

789 :777:04/10/26 23:39:07
自称哲学者の072って人がどこら辺にいたのか知らないけれど、
散発的でもいいんじゃない。所詮2ちゃんのスレだと思うし、
カントは扱う問題が広いし、自分の問題意識に引っかかった部分が
あれば、その時点で議論に加わればいいんじゃないかな。
自分としては、カントの倫理観には今ひとつ興味が湧かないしね。


790 :ポール:04/10/26 23:39:19
直観によって得られた認識(根本原理)こそ「純粋な認識」と言えるのかな
と今では思い直しています。

もしそうだとすると、前述の「いずれの、すべての」の命題も矛盾ではないと
考えられます。
「いずれの〜」の方は、「事実」の普遍性(経験的普遍性)について述べた命題で、
「すべての〜」の方は、「根本原理」の普遍性(厳密な普遍性)について述べた
命題であるからです。
(強引な解釈ですかね?)


791 :ポール:04/10/26 23:51:04
それと思い出したのですが、シェリング(そしておそらくはドイツ観念論)において
「知的直観」は重要なキーワードでしょうが、認識を経験の範囲内に収めようとした
カントに不満を抱き、経験を超えた認識を求めた彼らにとって、知的直観がいかに
重要な役割を果たしたかは想像できます。

はじめは「知的直観? インチキ臭ぁ」と思ったのですが、たしかに、
「物体は重さをもつ」という命題は経験だけからは出てこないように、
ほとんどの科学法則等も、経験を積み重ねれば出てくる類のものではなく、
ある種の認識の超越(直観)がなければ導かれませんね。

792 :ポール:04/10/26 23:52:06
>経験から出発しても、そこには経験は一切含まれていない。
>こうした認識が、経験によって成り立って見えるのは、
>経験から出発しているから、そう見えるだけで、実は経験にはよらない。
>ということじゃないのかな。 >>777

そうですね。
僕も、「すべての認識は経験から出発する」というカントの言は、そのように
解釈すべきだと思い直しています。

ただそれにしても、カント自身、「アプリオリ」と「純粋」をごっちゃにしている箇所が
多いような気がします。というよりむしろ、その両者の区別はあまり意味がない
ような・・。

793 :考える名無しさん:04/10/28 11:40:23
age

794 :考える名無しさん:04/10/28 15:05:31
>788
「経験的普遍性とは、「大多数」の場合にあてはまる普遍性を、「あらゆる」場合に妥当する普遍性に勝手に高めたものである」と述べてる通り、カントは「重さを持たない物体」が存在する可能性もあると考えていたのだろう。
カントだって、万有引力の法則は当然知っていただろうが、「重さ」=「万有引力」とは考えていなかったということも十分に考えられる。
カントはまさに「直観的」にこう書いてしまっただけで本人は知る由もないが、後年、量子力学によって、光子や重力子のように、「質量を持たないもの」も発見されているわけで、ある意味でこれは正しいことになる。


795 :考える名無しさん:04/10/28 15:22:49
重さ=Gewicht、 質量=Masse

796 :考える名無しさん:04/10/28 16:10:42
>795
重力に起因する「重さ」は、相対的なもので、例えば、無重力状態ではその名が示すとおり、重力による「重さ」はゼロになる。
物体の「重さ」は、質量と重力加速度の積で表されるが、光子や重力子は、質量を持たないため、0×g=0。つまり、どんな場所であっても「重さ」を持たないことになる。

797 :考える名無しさん:04/11/01 00:03:32
ほう

798 :考える名無しさん:04/11/03 22:21:24
 教えていただきたいんですが、カントが認識論について書いているのは主にどんな著作でしょうか?
 物自体の客観的な認識の不可能性みたいな話のところなんですが。

799 :考える名無しさん:04/11/03 22:53:34
純粋理性批判

800 :798:04/11/03 23:00:31
 教えてくださってありがとうございます。

801 :物理天才:04/11/03 23:02:05
重力質量と慣性質量の違いくらいは分かってるんだろうな?

802 :考える名無しさん:04/11/23 12:39:44
読みませんか?

803 :考える名無しさん:04/11/23 13:43:11
ますか?

804 :考える名無しさん:04/11/23 17:10:39
マスではない。自家発電と呼びたまえ。

805 :考える名無しさん:04/11/23 21:20:36
読みません。

806 :考える名無しさん:04/11/24 03:46:02
以文社版を上下巻まとめて買ってきたYO
第一版の序文を読んで、
第二版の序文を飛ばして今序論を読んでいます。
なんだか想像していたよりもえらく読みやすくてびっくりしたのですが
これから難しくなるのかな?

807 :Ar=As-Ab/As:04/11/24 07:42:23
成らんよ。

808 :考える名無しさん:04/11/27 09:10:39
膣ごときで、成るも成らんもないだろが。

809 :考える名無しさん:04/11/27 13:19:35
なんと、カントが膣とは。女性性器全般を指すのかと思っとった。

810 :考える名無しさん:04/11/27 13:40:26
ご承知でせうがカント違いです。
他スレにて楽しんでくださいね。

811 :考える名無しさん:04/11/27 17:29:09

委細承知。

812 :考える名無しさん:04/11/28 14:07:47
お、やっぱり石川先生の名前が。

813 :考える名無しさん:04/12/05 23:18:30
>>812
どこに?

814 :考える名無しさん:04/12/07 23:40:50
宇都宮訳は図書館で取り寄せがいい

815 :考える名無しさん:04/12/14 23:10:14
>>756前後のレスはなにげに秀逸だと思うんだが・・・誰?
どんな人たちが会話してんの?2chのレベルではない気ガス。
あと、>>778前後もレベル高っ。ワカったようなワカらんような・・・?。


816 :考える名無しさん:04/12/15 00:41:27
>>815
その人は言葉の使い方といいカントをよく読んでる人だと思う。
言葉が難しいわりに表現が適切だよね。

817 :考える名無しさん:04/12/15 01:07:01
世界は二つある
それは外の世界と内の世界
外の世界は現実で
内の世界は脳内で
我々が現実だと思っているのは脳内の世界
身体は外の世界と内の世界へと状況(情報)を通せるもの

これは間違いないかな?

818 :考える名無しさん:04/12/15 11:56:40
>>815
俺は地理学徒だから、とてもついていけない。
メチエの黒崎政男の『純粋理性批判入門』は読み返してる。
一緒に棚にあった『戦艦大和』はもっと読んだ。
圧倒的にわかりやすいです、はい。

819 :考える名無しさん:04/12/17 15:47:51
良スレ保守(=゚ω゚)

ROM専だけどなー

820 :考える名無しさん:04/12/18 18:45:48
いいのよ、ROM専上等。
みーんなやってんもんね。

821 :考える名無しさん:04/12/18 23:32:53
↓馬鹿多いっす
http://c-docomo.2ch.net/test/-/psy/1101134205/213-

822 :考える名無しさん:04/12/18 23:38:30
はっきり言ってカントがいうことなんて今の小学生ならはなから
当たり前に理解していること、
時代の流れというのは残酷だねw

823 :考える名無しさん:04/12/19 00:46:24
それはない

824 :考える名無しさん:04/12/19 00:57:00
小学生が理解しているのは
カントのどのあたりだろう。

825 :考える名無しさん:04/12/19 01:16:48
多分コントと間違えたんだろう

826 :考える名無しさん:04/12/19 19:27:43
若しくは弁当か。

827 :考える名無しさん:04/12/21 12:25:35
コントから弁当ってかなり強引じゃん、と糞スレは続く。

828 :考える名無しさん:04/12/21 12:31:00
カントに帰れ

829 :考える名無しさん:04/12/21 12:39:36
なぬ? 勝手に帰れってか。

830 :考える名無しさん:04/12/22 19:57:00
帰れソレントに、じゃなくって、カントへ、と糞スレは進む。

831 :考える名無しさん:04/12/26 15:31:32
おいおい、糞スレが停滞してんじゃんかよ。
遠慮しねーでガンガン攻めろや。

832 :考える名無しさん:04/12/26 15:47:53
総合判断は如何にして可能かを論述できるナイスな野郎はいないのか

833 :考える名無しさん:04/12/26 16:06:16
可能的経験の意味が今一理解できない

834 :考える名無しさん:04/12/26 18:50:27
>>815
わたしが756と778前後でレスってた者です。なんかお恥ずかしい・・・。
>>816
あなたはもしかして777さんかな・・・。
>>832
うむ総合判断・・・ナイスな材料でつね。では論考しましょう。

カントは意識の必然的統一のテーゼを時々次のように表現する。すなわち、「私は考える」
ということがあらゆる私の表象に、もしそれらがわたしにとって何ものかであるべきなら、伴う
ことができなければならない、と。この思想は複合的であり二つの思想から成っていると思われる。
一つは、直観は経験を生み出すためには概念のもとにもたらされなければならないという馴染の思想である。
従って、カントの言葉を用いれば、悟性(思想、概念、規則)の能力が発動されなければならないということである。
しかしこれだけではない。
第二の思想は、もし多様な経験が一つの意識に属すべきならば、それらの経験の主体にとって自己意識の
可能性が存在していなければならない。一つの意識に属するすべての直観の概念化に携わっているのは一個同一の悟性
でなければならず、この同一性はこれらの経験の主体に「知られている」ことが可能でなければならない。
 さてこの後者の条件の充足に関する説明を通例経験的自己意識と呼ばれているものに求めても無駄である。
「内的知覚における我々の状態の諸規定に基づく自己の意識は、単に経験的であって常に変化するものである。内的現象の
この流れの中には如何なる常住不変の自我も存在し得ない」(A107)この論点は人格の同一性に関するすべての議論において
馴染のものである。

つづく。



835 :考える名無しさん:04/12/26 18:51:51
つづき。

しかしそれは、ここでのカントによってもまた他の場所でのヒュームによっても、十分説得的には展開されていない。
(人格の同一性の)問題は、たとえ我々の内的状態の「規定」が「常に変化する」とは限らないとしても、例えば若干の規定が恒常的ないしは
相対的に恒常的であったとしても、解決されないであろう。というのもそうした規定は我々自身の「状態」であることに変わりはないからである。
 肝心なのは、単に経験的自己意識(内的状態そのものの意識)の事実に言及するだけでは問題を解決することにはならず、問題を叙述するだけだと
いう点である。我々が探究しなければならないのはまさに、その変化する(あるいは恒常的な)諸規定を通じてそれ自身の同一性を認めることのできる
意識が、そうした多様な意識状態を経験的に自己に帰属させることができるというその可能性の基本的根拠なのである。

つづく。


836 :考える名無しさん:04/12/26 18:57:13

http://riririnri.value-net.net/29/dsi/ 最近、この子に萌え。


     まじヤバイ・・

                リリカぁ、俺とも頼む・・・



837 :考える名無しさん:04/12/26 19:07:55
つづき。

時折カントは、悟性能力の「働き」と結びついた「超越論的自己意識」という
特別な種類の自己意識に解決の手掛かりを求めているように見える。意識統一解明の鍵は
我々の知覚結合は心の「働き」によって「産出される」という事実のうちに求められなければ
ならないかに見えるからだ。
 そうした統合ないし統一を産出するかていは綜合と呼ばれ、我々自身の同一性の意識は、根本的
には、この綜合ないし結合の能力およびその行使の意識に他ならないとされる。
私がある与えられた表象を「私のもの」と見ることができるのはただ、「私が」この表象を他の表象
と結合ないし統合したからである。ところで与えられた直観を綜合する場合、我々がもつような悟性に
とって可能である綜合様式はひとり、カテゴリーによって表される綜合である。
 カテゴリーに従う表象結合とは、客観的事態に関する判断における表象結合である。
したがって、私の経験が統一的な客観的世界の経験であるという事実は、この条件のもとでのみ私は私の
多様な経験をすべて私自身のものとして意識することができるという事実の必然的帰結である。
それ故にまた、客観性と統一というこの条件を満たすに必要な「自然」の一般的秩序および結合はいずれも
その源泉を我々自身のうちにもっている、と、こうカントは結論する。

838 :考える名無しさん:04/12/26 20:01:01
つづき

総合的統一の最高原則は、「与えられた直観における「私の」表象はすべて、そのもとでのみ
私がそれらの表象を「私の」表象として同一的自我に帰属させることができる条件に従わなければ
ならないということしか意味していない」(B138)。この思想はそれ自体十分明晰である。多様な
表象が一つの意識において結合されると言える条件は、どのようなものであるにせよ、まさに、経験主体が
さまざまな経験を自己自身に帰属させることが出来る条件にほかならず、この主体はこれらの経験が異なる
時間にありながら等しく属しているものの同一性を意識しているのである。
 こうした綜合の活動は、結局のところ通常の経験的自己意識が与える以外の如何なる自己意識ないし自己意識も
生み出さないであるから、我々は経験の自己帰属の可能性の説明を、綜合の活動そのものに関する、あるいは
その活動の遂行のために使用される能力に関する特別な意識のうちにではなく、むしろ綜合の活動の「結果」のうちに
求めなければならないと思われる。


839 :考える名無しさん:04/12/26 20:05:22
つづき

これらがおそらく、綜合によって「産出される」と考えられる、かの客観的なものの概念の
もとでの諸経験の結合それ自身が、そのもとでのみ経験の自己帰属が可能となる条件、ないしは
その基本的条件である。
                          以上。

840 :考える名無しさん:04/12/26 20:15:02
もっと木田元先生や内田樹先生みたいに分かり易い言葉で解説しろよ。↑
このオナニー野郎。

841 :考える名無しさん:04/12/26 20:32:04
くっ、オ、オナニー野郎とは・・・。ほかに言い方がないのかよ。

分り易い分り難いは自己の裁量の問題なんだ。100のものを100で伝える場合
こういう表現になってしまう・・・。70になればそれはもう100ではないんだよ。
私はほかに表現の方法を知らない・・・。先生や教授と呼ばれる、人にモノを教える人ではないからね。
うまく言えないが、熟考してくれ。


842 :考える名無しさん:04/12/26 20:37:09
要はDQNてことだな

843 :考える名無しさん:04/12/26 20:41:50
オナニー野郎の次はDQNか・・・。普通の一般人だよ。


844 :考える名無しさん:04/12/26 20:43:38
DQNと呼ぶ以外に表現の方法を氏らない・・・

845 :考える名無しさん:04/12/26 20:43:54
オナニーは自分の哲学語る時だけで十分だな。

846 :考える名無しさん:04/12/26 20:46:56
それだけではイケない。

847 :考える名無しさん:04/12/26 20:47:46
つかス■■ー■ンの丸写しじゃね?

848 :考える名無しさん:04/12/26 20:49:03
P・F・S

849 :考える名無しさん:04/12/26 20:49:51
やっぱDQNじゃんかYO!

850 :考える名無しさん:04/12/26 20:52:48
あ〜あ、祝!大漁ってとこだな。


851 :考える名無しさん:04/12/26 20:57:46
あーあ
オレの瞳に乾杯!

852 :考える名無しさん:04/12/26 21:19:55
丸写しかよ・・・・・・・・・・・・・

853 :考える名無しさん:04/12/27 04:09:21
>>841
荒らしに反応したら負け。やじうまに媚びる必要はない。
カントに関して何か言えば必ずどっかからケチが付くというのは、定番。
気にするな。オレは面白かったから、また頑張ってくれ。

854 :考える名無しさん:04/12/27 10:45:16
>>834 俺の現在の総合判断の理解
 統覚において直観・悟性・構想力の協同により、直感の多様を統一的に理解する
までの過程を総合判断というのだと考える。そして、その総合判断も自分が考える
事なので統覚の一部分に含まれるものである。直観の多様はこれに似ているのでは
ないかという連想を介することにより、普遍一般に含まれるものだと理解される。

855 :考える名無しさん:04/12/27 10:56:47
直観された後に感性がくるにしても、そう大して感じ入るものなど無いだろうから
感性は怪しいね。でも、感性を介さないと悟性に行けないとされているみたいだか
らどうなんだろうね。

856 :考える名無しさん:04/12/27 11:23:55
地理学徒にもわかるように書いてくれるとありがたい。

857 :考える名無しさん:04/12/27 12:06:40
表象において継起は何だ?直観だろ?

858 :考える名無しさん:04/12/27 16:18:04
カントをどう読むかで、その人の進む道が分かる。

859 :考える名無しさん:04/12/27 18:32:22
>>858
スイッチでも付いてるの?

860 :考える名無しさん:04/12/27 18:35:46
カントを読むやつは哲学に関係のある職業に就くでしょう!

861 :考える名無しさん:04/12/27 18:42:55
つまり、お前の理性がそのまま理解になるんだという本なんだ。
それ以外ではあの本の書き方はひどい。膨大するぎるから、ひっとして
嫌がらせなんじゃないかと疑うほどだ。

862 :考える名無しさん:04/12/27 18:55:14
カントの著作を読むことを、カントする、と言います。

863 :考える名無しさん:04/12/27 19:01:44
読んだ感じだが、カーボン紙みたいだ。
あの本一面が理性を使うと思われるものっぽいな。
あれを覚えても、ちょっと使えないみたいだ。
読めるには読めるだろうよ、理性があれば。
でも、分った。だからなんだ、となる。
あれはそれまでを範囲にしてるみたいだ、それともそれが俺の考えなのか分らないけどね。

864 :考える名無しさん:04/12/27 19:45:33
カントの著作を読まないことを、シカントする、と言います。

865 :考える名無しさん:04/12/27 19:55:35
イカントもし難い

866 :考える名無しさん:04/12/27 19:59:40
そこまで言われたら何か言っとカント

867 :考える名無しさん:04/12/27 20:10:54
あれこれ憶測を飛ばすのをカントーを付けるともいいますからね

868 :考える名無しさん:04/12/27 20:19:22
そういえば、中国東北部に派遣されていた日本陸軍もカントー軍といい
ましたね。

869 :考える名無しさん:04/12/27 20:41:03
キミ達、空気を読まなきゃあかんとは思わんかね?

870 :考える名無しさん:04/12/27 21:46:02
量が多いことが空カント雰囲気にどのような関係があるというのかね?

871 :考える名無しさん:04/12/27 22:36:12
>>834
俺の現在の総合判断の曲解。

総合判断とは、受け取ったさまざまな表象を結合することで、
意識の自己同一性=統覚をもたらすような働きのことである。
(イコールなのかどうかは知らんけど、とりあえずそーゆーことにしとく)
意識の同一性は、この総合判断の働きが継続することによって
もたらされるものであり、決して固定した実体として意識があるわけではない。

言ってみれば、意識は動的平衡によって保たれるシステム的統一体である。
システム(意識)を構成する材料(個々の表象)は
入れかわり立ちかわり流れては去っていき、
あ〜あ〜川の流れのよう〜に〜久しくとどまりたるためしなしだが
その流れそのものが意識というシステム的統一体を作り上げている。

意識の同一性はガッチリした「実体」ではなく、
「流れ」の中で不断に生成し続ける。
このような表象の流れから、システム的統一性としての意識を
作り出すのが、総合判断の働きである。

ちなみに悟性のカテゴリーとは、この統一性を保証するために、
材料である表象にあてがわれる共通文法とか公用語とか
共通プロトコルみたいなもんだと思うけど、よくわかんね。

872 :考える名無しさん:04/12/27 23:21:20
>>871
ふむ、かなりイイ線いってると言うか、マトを得ているというか・・・。

>意識の同一性はガッチリした「実体」ではなく、
「流れ」の中で不断に生成し続ける。

カントの経験は人生そのものを指すような気がするね。経験の形而上学から
時間と空間の概念を無理やり?引き出そうとするカントの試みがそれをもの語っているように
思えるのだが・・・。総合判断は人生の時間に比例してその働きがスムースになるね。
一つの意識における多様な経験の統一は相手の経験をも必要とすると思う。
これを加えてこその総合判断であるならば、あなたの言うシステム的にはヨイのかもしれない。




873 :考える名無しさん:04/12/27 23:47:51
君等は空気でも読んでなさい。

874 :考える名無しさん:04/12/28 12:21:05
>>872
マトは得るものではなく、射るものです。

875 :簡単カント講座:04/12/28 15:14:18
一時間後から

876 :考える名無しさん:04/12/28 16:27:07
直観を拡大すれば、人間の認識の範囲は拡大すると思うか?
例えば、より神に近いものを考える事ができると思うのだ。

877 :考える名無しさん:04/12/28 16:42:48
馬鹿かおまえは↑

878 :考える名無しさん:04/12/28 16:45:34
まあ端的に言うなら、人間理性は自然界の立法者ってことだよ。

879 :考える名無しさん:04/12/28 17:19:30
>>877
悟性は感性を介さないと可能的であるだけだ。感性は範囲が狭く、粗末だと
される。従って、人間の認識には限りがある。感性の受容すれば、それに
基づいた思惟が可能だろう。何かおかしな事を書いているのか?
お前は天才か?

880 :考える名無しさん:04/12/28 17:59:04
ホント馬鹿だな。カントが聞いたら呆れるぞ。


881 :考える名無しさん:04/12/28 18:09:46
何に呆れるのだ。物自体は何だ。お前が呆れてるのは結構だけど、俺まで
巻き込まないでくれ。

882 :考える名無しさん:04/12/28 18:50:36
>>876
言ってることは解るが、あなたのいう神とは?
神の定義をくわしく。


883 :考える名無しさん:04/12/28 18:58:37
>>882
その神について人間はどこまで知る事が出来るのか、という事が
「純粋理性批判」だと僕は思うね!

884 :考える名無しさん:04/12/28 19:01:19
世界を意識すれば、神がみえます

885 :考える名無しさん:04/12/28 19:15:36
>>883
ちげえよばーか
純粋理性批判を2000回読め

886 :考える名無しさん:04/12/28 19:18:49
神を理論的認識の対象として扱うことの不都合さを主張してんだよ。
神は信仰の対象でしかない。

887 :考える名無しさん:04/12/28 19:19:44
何故、2000回が妥当であるのか。その回数と時間を費やすものが、
純粋理性批判の中に含まれているという意味ですね?
何が入っているのでしょう、当然答えられますね?

888 :考える名無しさん:04/12/28 19:21:06
つまり、その人間の認識の範囲を論じている訳であって、それが以外の
事は扱えないという事ですよね。二律背反ではありませんよね?

889 :考える名無しさん:04/12/28 19:23:37
>>887
ばーかおまえホントに頭がわるいな。
2000回に妥当性なんかあるわけねえだろ?
そんなもん直観でわかれやボケ!!

890 :考える名無しさん:04/12/28 19:25:46
実践理性批判、判断力批判でも読めやボケ!
てかカントなんて中途半端な奴はさっさと終わらせてフロイトでも読めや!!

891 :考える名無しさん:04/12/28 19:29:15
>>885
いや、>883のいうことは当たってるよ。
「純粋理性批判」は宇宙、魂、神までもを羅網する古典哲学だよ。
漏れが思うに神とは簡単に言うと「理想」と「概念」と「観念」のかたまりだな。


892 :考える名無しさん:04/12/28 19:29:28
ここは「純粋理性批判」を範囲にしてる事は分ってますよね?
スレッド全体についてどう考えているのですか?

893 :考える名無しさん:04/12/28 19:32:59
>>889
では、どうして2000回と主張されたのかですね。2000回である事により
どのような事であるのかだ。

894 :891:04/12/28 19:36:06
>>893
あのさ、荒らしにイチイチかまってたら疲れますよ。
熱くなるのも分るが、冷静に軽ーく流しましょう。


895 :考える名無しさん:04/12/28 19:37:03
あのさ、君はなんでも原因と結果の網の目でしか捉えられないの?
まあ、カントなんて読んでいるわけだからそうかもしれないがw
でもさ、分からないか?君の理解は全然足りないって意味で言ってることくらい。

896 :考える名無しさん:04/12/28 19:38:49
おいおい2000回読めって煽られたら、
2000回の妥当性なんて聞く馬鹿いるんだな。

897 :考える名無しさん:04/12/28 19:41:48
カントは純粋理性批判で必死こいて「信仰に席をあけるために、知を否定」し
両者を峻別したっていうのに・・・フーフー馬鹿馬鹿

898 :考える名無しさん:04/12/28 19:54:44
原因を問題にしているつもりはなかったね。
原因と結果とは何だと思うのだ?
質で言えば肯定であるし、関係であれば定言だ。
量を聞いてないな、2000回の全てを問題にしているのか?

899 :考える名無しさん:04/12/29 16:49:24
根に持つタイプだね。友達いる?


900 :考える名無しさん:04/12/29 16:50:28
おまいらバカだね

901 :考える名無しさん:04/12/30 14:16:43
2000回の妥当性の演繹…

902 :考える名無しさん:04/12/30 14:59:28
糞とウンコのけなし合いと。


903 :考える名無しさん:05/01/01 18:27:45
品性のない発言は無視するのがよろしいかと。

904 :考える名無しさん:05/01/02 08:32:45
まったく異議なし。
ただ、902のカキコはその通りだと感じる。

905 :考える名無しさん:05/01/02 11:46:46
そんでも、品性のない発言も楽しい時もあるぜよ。

906 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/02 12:04:31
品性の 無い発言も 時として 楽しい時も あるぜよと 墨を擦りつつ 冬籠り知る

907 :考える名無しさん:05/01/02 12:10:40
おいおい、正月らしくっていいじゃんかよ。
でも、墨より、アスコを擦りたいでしゅ。

908 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/02 12:48:35
それは、書初めじゃなくて、掻き初め!初謡じゃなくて、恥ズ舞台!

909 :考える名無しさん:05/01/05 00:22:31
カントの言う自我とは何なんでしょうか?


910 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/05 00:44:55
>>909
カントの名前にヒントが、エマニュエルと云いますが。
此は、「神は我らの内に在られる」という意味であり。
カントとは歌の事ですから、「我らの内在の神謡」と成り。
まあ、要するに美しい名前なんですね。どうかしましたか?

911 :考える名無しさん:05/01/05 00:50:24
つまり、歌を歌うとき、
そこに神が存在するわけです。

生きているとき、そこに自我が存在することも、
まあ、あるかもしれない。

912 :考える名無しさん:05/01/05 08:20:10
哲板には碌なコテハンがいないのは仕様ですか?

913 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/05 08:29:56
コテハンと名無しは(君に執って)等価値なんだ?
多忙 ←御注進→←御意見 → 暇人
名無し→数字ハン→捨てハン→コテハン。

914 :考える名無しさん:05/01/08 05:38:07
>>911
調和の世界だね。
歌を歌っているときは相対的自我を忘れる(離れる)ことが出来るのだ。

915 :考える名無しさん:05/01/08 15:26:07
マツケンサンバは?

916 :考える名無しさん:05/01/08 15:33:53
うんちっちマンボだってあるぞーい。

917 :考える名無しさん:05/01/08 15:54:10
そう来るなら、強姦ロックを出しちゃうよ。

918 :考える名無しさん:05/01/09 11:29:33
古いが、監獄ロックってのもあったような....。

919 :考える名無しさん:05/01/11 14:52:05
>>871
かかって来い!!!!
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/movie/1104171313/378-

920 :考える名無しさん:05/01/11 16:14:38
なんてくだらねえ事に金と暇をかけてんのカッシーラー?

921 :考える名無しさん:05/01/12 15:57:29
おい、早くこの廃れスレおしまいにしようぜ。

922 :考える名無しさん:05/01/13 00:00:01
ウンコ

923 :感想:05/01/13 15:31:13
失敗例の例示がないと
挫折症候群の私にはちと。
ひとごとになってしまって。

論理接続の鎖はもろさに
価値があるというか、
接続ごとでなくても適宜
切断条件を例示して欲しいです。

え?原文がそうなの?
ジャアヤメトキマス・・・

924 :学者の声:05/01/13 18:04:09
始めまして。以後お見知りおきください。

実はこの「2000回」の議論、
哲学的にはカントの問題意識から
そんなに遠いわけではないと思う。

とまあ、それは置いといて、
神概念が信仰の対象、という話だが、
『批判』の中では、「神」は「超越論的理念(Idee)」だと。
これはつまり、
経験的認識対象にはなりはしないから、
実在ではない、あるいは少なくとも実在かどうかは分からない、けれども、
絶対者(完全な認識)を求める、という理性が持つ本性が故に、
我々が必然的に想定せざるをえないものだ、ということ。

カントの言う「自我」・・・
カントの自我論が一番難しいっす。
自我論の展開の場は『批判』では「純粋悟性概念の演繹」。
ここに関する議論だけで、1年に100本は論文出てます。
簡単に言うと、
「対象が我々に従う」(序文)というのを受けて、
対象を作る(モノを認識可能なものにする)、
認識の出発点、
といっていいでしょう。

925 :哲学は単なる頭の体操。:05/01/13 21:17:49
>>1〜924誰某はこういった、何某はこうあったと、
借りて来られた知識は、何の役にも立たない。
窮地に陥ると、簡単に手放し、容易に逃げられる。

たとえ拙くとも、自らの実感を突き詰め、
一から積み重ねたものが、窮地に役に立つ。
思索に遊ぶ分には、実感だけが問題となるが、
実感の由来は、全て自分の体験に求める。

“この言語体系に従い、考えるならば、
より大きな世界観が、矛盾なく理解できる”
これを中心思想に、少なくとも私は哲学をする。
それゆえ、文献引用を排除し、一から言葉を定義する。

そんな私に、文献的な根拠を提示されても困る。
あなたはそれを信じるのですか、としか答えらない。
あるいは、より狭い世界観に閉じ込まれられても困る。
確かにそう見えるはずです、としか私には答えられない。



926 :考える名無しさん:05/01/14 00:45:36
すごく簡単に言うと、量において言えば、最終的に必要な量はどれくらいだ、という事だ。
その端に2000回ついても、それ以上でも最終的な量を考えないと悟性の演繹をする事ができ
ない。これを考慮せずに量や関係を膨張させるとバラバラがその量の規則となるのだ。
演繹があり何の存在が前にあり後にありこの感じをどうやって調整するか、なんてのは馬鹿
げてる。考えて楽しいのでしょうが、それ以上は望まぬことよの。

927 :考える名無しさん:05/01/14 02:12:11
最終的な量が2000回であるのか、という事だ。4000回になる事や1000回になる事はあっても
2000回が考えたいことなのか、という事だ。そうでないと、4000回の事や1000回の事を考え
ても、考え終えたときに考えた事が何であるのか分らなくなる。考えたことは2000回なのだ、
という事を忘れるな。1000回の事を考えても、それは2000回に含まれるけど、足りねえんだ
ぞ、という事だ。

928 :学者の声:05/01/14 15:51:56
925さん、確かにそれは言えますね。
でも、「文献的根拠」っていいますけれど、
自分で紡ぎだしたその「思索」が、
みんなの考えている「思索」とどう同じで、どう違うのか。
おじいちゃんの人生訓と同じなのか、カントと同じ問題の立て方だったのか、
ひょっとして、おじいちゃんの方がカントよりすごいコト言ってるのか。
「文献的根拠」を手段にしちゃあ、できないかなあ。

例えば「○○千回」の話、
まさに皆さんの仰る通り、「演繹」の必要性の問題だと思う。
全体が分かれば、演繹なんていらない。
全体がわかんないから、演繹の問題が出てくるわけで。
カントに言わせれば、「全体」というものが存在する可能性は、
やっぱり理性(主観)が創るんだと。
だからカントは、そういう文脈で折り返し
「全体性」「総体性」っていう表現を
使ってくる。

文献理解って、こういうことを言うんじゃないかしら。
このページは、カント『純粋理性批判』を読みませんか? っていうページだしさ。

929 :考える名無しさん:05/01/14 16:02:25
そういえば、モコはどうしたろうか。

930 :考える名無しさん:05/01/14 21:21:15
モッコリさせてんじゃんね−の。

931 :考える名無しさん:05/01/15 21:28:48
そんで、クワエてるね、とっくに。

932 :考える名無しさん:05/01/16 14:29:38
はらんでたりして

933 :考える名無しさん:05/01/23 11:09:43
age

934 :考える名無しさん:05/01/23 13:14:12
928さんは何の学者なのですか?

935 :学者の声:05/01/24 03:16:06
ワタクシはただのカント読みです。
仕事としてと同時に趣味として、ひもすがらカントを読んでます。
『純粋理性批判』だけがカントじゃないわけで、
その周辺を当たってみるのも面白いと思いますね。
カントの読み方って、他の人のそれ以上に哲学史に拘束されます。

936 :考える名無しさん:05/01/24 10:05:39
三批判書のどれを最重要視するかでかなり違う

937 :考える名無しさん:05/01/24 22:44:41
純理を読むと手品のタネをばらされた様な気分になる

938 :考える名無しさん:05/01/24 23:54:50
ほんとに宇都宮訳が一番おすすめ??

939 :学者の声:05/01/26 02:08:30
どんな訳でも、突っ込みどころはございます。
まず、そもそも自分がとりたい解釈によって、選ぶ訳書が違ってくるかもしれません。

宇都宮芳明訳:
訳はさすがです。今のところは一番お世話になっている訳書ですね。
難点その1.高いですね。8000円ってオイオイ・・・。
難点その2.各節終わりについてるあの「単純明快」というか、「淡白」というか、
あの「注釈」。
学生のレジュメじゃないんだからさ・・・。
アレがおそらく、値段を吊り上げているのでは?
以文社様、ご覧いただけましたら、改訂版からは
「注釈」はなくして安くしていただければ幸いこの限り。

天野貞祐訳:
まあ、名訳なんでしょうね。読んでてそんな実感は湧かないけれど。
中島義道が、どっかで「脱天野訳」を叫んでたのを記憶しております。
近年まで、あの訳が支配的であったのが、
相次ぐ訳書によって、ようやく学者レベルでは天野訳の相対化が進みつつあるといえましょう。
最大の欠点は、ほとんど手に入らないことですね。

940 :学者の声:05/01/26 02:11:11
篠田秀雄訳:
一番近づきやすい値段と入手し易さ、されど、一番カントから遠のく迷訳。
大体が、この人ドイツ文学者なんであって、カント学者ではないんであって。
言葉のプロだから、さすがに頭にスイスイ入ってくる「カント」。
されど、その肝心の「カント」自身が、真のカントから遥か彼方・・・。

有福孝岳訳:
最低ですね。
先ず、早く下巻を出しなさい。出しても買いませんが。
篠田秀雄訳は、まだ迷訳であって、ドイツ語と日本語が合っているのですが、
この方の訳は、「誤」訳ではないかと。
今、紐解いて誤訳の代表箇所をイチイチ突っ込んでみようと試みたが、
どっかに埋もれて所在も不明なので、いずれ期を改めて。

その他としては、
原祐訳はイマイチだけれど、
高峰一愚訳はなかなかいいようです。

というわけで、宇都宮訳は総合的に見て最も減点の少ないものなのではないでしょうか。

941 :考える名無しさん:05/01/26 02:16:15
>>939-940
なるほどーー ためになりました。どうもです。
宇都宮訳の注釈カットは私も希望!
それから一冊に纏めて出して欲しい。

942 :考える名無しさん:05/01/27 09:23:46
純粋理性批判 上 (平凡社ライブラリー)
イマヌエル・カント=著
原佑=訳
未刊  HL判  584頁  2005.02
ISBN4-582-76527-0 C0310 NDC分類番号 134
人間理性の限界と可能性を解明し、形而上学の認識論的基礎の確立を図った
西洋近代哲学最大の古典。定評のある訳文にさらに補訂を行い、最も信頼で
きるハンディー版のテキスト。




943 :考える名無しさん:05/01/27 10:26:34
なんで原佑訳のほうを復刊するかな〜… >平凡社ライブラリー
高峯一愚訳のほうを選んでくれれば…

944 :考える名無しさん:05/01/27 10:54:39
>>943
そうだよな〜あちゃー

945 :考える名無しさん:05/01/27 13:48:58
高峯訳はセット販売限定で河出が復刊したばかりだからな

946 :考える名無しさん:05/01/27 13:51:15
>>940で「学者の声」氏が「原祐訳はイマイチ」
と述べているけれども、どのへんがイマイチなのか
もう少し具体的に説明して欲しいね。

947 :考える名無しさん:05/01/27 13:55:17
「定評のある訳文」かどうかは疑問だが補訂で良くなってるかも知れん

948 :考える名無しさん:05/01/27 13:58:09
同じ平凡社ライブラリーの
樫山訳ヘーゲル「精神現象学」のときのように
補訂で訳文のクオリティが上ることが
期待されますなあ。

949 :学者の声:05/01/27 15:16:58
≫946
これは失礼。仰るとおり。
天下の理想社が組んだ『カント全集』を、
根拠提示もなく「イマイチ」の一言で終わらしちゃあいけませんね。

「翻訳とは何ぞやぁ?!」という問題が絡んできますが、
思うにですね、原祐訳は
哲学研究のテクストというよりは、
ドイツ語学習のテキストなんだなあ〜。
ドイツ語一語一語に対応するキメ細やかな日本語、
受動態―能動態変換、無生物主語変換もそのまま、
原祐の訳を見れば、逆にカントへと独訳できてしまうかもしれない。
哲学なドイツ語を勉強したい人にとっては最良の教科書かもしれんな、と。

ただ、そうしていわば機械的な工程でできたところが、
逆に「理解」ということをすっぽかしたところでもあったりして。
ある語には一対一対応で意味が存在するわけではないんだよな〜。
「aufstellen」はいつだって「立てる」なわけじゃないんだよな〜。
・・・とか、そういうことで、
「悪い」とは申しませんが「イマイチ」かもなぁ、と。

950 :考える名無しさん:05/01/27 16:49:33
チベット語訳仏教経典もサンスクリット語の機械的翻訳で、
サンスクリット聖典が復元できるほどだそうだ。
これに対し漢訳経典は意訳超訳で、読みやすくわかりやすいが
原典を復元できるものではない。
 うむ、スレ違いだったか

951 :学者の声:05/01/28 01:28:18
翻訳と意訳の循環論、というものがございます。
 翻訳は、原典を理解するためにするもの。
 それなのに、翻訳とは本質上必ず理解が含まれてしまうもの。
 翻訳が先か、理解が先か、
 思案すべきはここぞかし。

 経典識者の950様、
 「機械的翻訳」とは成り立ちうるのか、アナタはどう思われる?

 ところで、
「レス数が950を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。」
 ということは、1000レスでこのコーナーはおしまい?

952 :考える名無しさん:05/01/28 01:47:45
>>951
おしまいだよ。次も続けたかったら同じ題名でパートUを作れ
ばいいし。やり方わからなかったらここにパートU作ってって
書き込めば誰か作ってくれるよ。俺も気付いたら作ってもいいし。

953 :考える名無しさん:05/01/28 09:42:24
モコはどうする?

954 :考える名無しさん:05/01/28 11:11:17
>>949
なるほどねぇ。
原訳はいわば横のものを縦にしただけというような
直訳調なわけですね。
日本語として十分に練られていないとも言えます。

読みにくいのは何とか改善しないと訳本としては
使い物になりませんが、他方で訳者個人の「独り
よがりな」理解を訳文に恣意的に反映させられても
困るわけですから、その辺のバランスはとても難しい部分です。

新版が出る際に欠点ができるだけ抑えられることになれば
いいですねぇ。

955 :考える名無しさん:05/01/29 19:21:44
宇都宮訳買ってきました。
高いのと重いのでくらくら。

956 :考える名無しさん:05/01/29 22:56:57
いいなーおれも欲しい

957 :考える名無しさん:05/01/29 23:12:00
三回飲みに行けば無くなる金だけどやっぱ買うには気合いがいるな。

958 :学者の声:05/01/30 04:25:28
要りますね、気合。
宇都宮訳は、出ているだけで3批判書と『道徳形而上学原論』。
全て揃えたら、一体幾らになることやら。
しかし、3批判書を全て翻訳公刊した人は、
数いらっしゃるカント翻訳者の中にもいないですから、
宇都宮氏の「全体」としてのカント理解が問われる事態ですね、よく考えたら。

959 :考える名無しさん:05/01/30 21:19:05
とりあえず、高校生の頃からあこがれていながら、
何度も岩波版で挫折した「純粋理性批判」だけでも、
もういちど挑めるよすがになればいいのでつ。

960 :考える名無しさん:05/01/30 21:30:02
むしろ、岩波版以外に知らないほうがいいのかもしれない。

961 :考える名無しさん:05/01/30 22:25:40
なんで?

962 :考える名無しさん:05/01/31 00:56:15
機械的翻訳は言語の構造が似ていればある程度可能ですよ。
単語を単に置き換えるような作業ですね。まあ、漢文の書き下し文なんかが
いい例では? 書き下し文からもとの白文に還元する練習なんかは昔の漢学の
塾ではあったそうですから。でもこれもあくまである程度ですね。
読み下しも解釈が入るから。でもかなり機械的にやれる。
条件は、言語構造が似ているかどうかですよ。
英語とドイツ語なんかじゃ駄目ですね。
ドイツ語と日本語なんてなおさら無理。
韓国語は結構いけるかな。

963 :考える名無しさん:05/01/31 01:03:43
漢文(中国語)と日本語の言語の構造はまったく似ていないんだが。

964 :考える名無しさん:05/02/01 02:31:15
>>963
仰る通りです。言い方が悪くてすみません。書き下し文は、まあ、独自の翻訳術で、
文法の異なる漢文を、無理矢理日本語化するものですから、あれこそ、機械化された
翻訳だと思います。つまり、言語構造というか、文法が異なるとしても、そこに
一つの厳格な約束事を決めて、それに則って機械的に逐語訳ができるということです。
例えば、英語の文章、He bought this book. を漢文風に訳すと、
「He は this book を bought す。」になりますが、この調子で西洋文を
訳していけるでしょうか。
試しに、Die Substanz ist ein Seiendes, das der Handlung faehig ist.を
訳すと、「Die Substanz は、ein Seiendes にして、der Handlung をなしあたうもの、
これなり。となります。うんこがしたくなったのでやめます。

965 :考える名無しさん:05/02/01 04:16:47
つねづね英語も漢字交じりになってほしいと思っていました。

966 :考える名無しさん:05/02/01 13:40:38
英語が日本語になってくれれば、もっといいと思います。

967 :考える名無しさん:05/02/01 13:47:02
漢文の書き下しっていうのは、翻訳というよりは日本語の拡張だよね。
中国語の概念を日本語の概念に対応させることはせずに、文法構造だけ
変換させようとするんだから。

968 :考える名無しさん:05/02/01 23:46:26
それで昔は筆談が成り立っていたのだからすごいなあ。

大昔、仏教の勉強のため中国へ渡ったお坊さんは、
中国語しゃべれたんかいな。しゃべれたとしたらどんな勉強法があったんだろう。
CDエクスプレスはなかったわけだし。

969 :考える名無しさん:05/02/02 00:02:02
すれちがいすみません。

970 :にっしー:05/02/02 12:48:03
世の中分からないことだらけ

なぜゆえ世の中分からないことだけというと

だな

みんな問題が起こって

哲学してるからかな

971 :にっしー:05/02/02 12:54:56
僕が一人が好きなのは

何でかなと思ってる

でも深い心理なんて

読み取れない

972 :にっしー:05/02/02 12:59:30
人間とはといわれても

人間は宇宙だとか

人間はどこからきたものかというと

生まれて死んだ

973 :にっしー:05/02/02 13:02:27
赤信号が変わるなんて

現実におこりうることであって

空に町ができるのも

現実におこりえないとはいえない

人のいないところで

声がするのは

現実に起こりえない

でもテープが

人のいないベッドに

かくしてあると¥

974 :考える名無しさん:05/02/02 13:06:32
変なレスで無駄にスレを埋めるんじゃないよまったく

975 :考える名無しさん:05/02/02 13:13:20


     インリン・オブ・ジョイトイ




君らより、こっちの方が協力だ

976 :考える名無しさん:05/02/02 15:02:31
> 大昔、仏教の勉強のため中国へ渡ったお坊さんは、
> 中国語しゃべれたんかいな。しゃべれたとしたらどんな勉強法があったんだろう。

そりゃもちろん、先に渡って帰ってきたお坊さんから習ったのさ。


977 :考える名無しさん:05/02/02 15:34:39
おそらく、渡来人から基本的な単語を聞き出しているだろう。
その存在を知らないなら、外国にいく事を思い描く事ができない。
単に文化が進んでるだけでは、観光か。

978 :考える名無しさん:05/02/04 12:08:24
カントの「目的の王国」ってドイツ語でどう書くんですか?どなたか、教えてください。

979 :考える名無しさん:05/02/04 22:33:29
Das Dritte Reich

980 :考える名無しさん:05/02/04 23:17:16
ありがとうございます

981 :考える名無しさん:05/02/04 23:46:25
eines Reichs der Zweck

982 :考える名無しさん:05/02/04 23:49:47
ごめんなさい、格変化無視してPhB版の基礎付け59頁からそのまま写してしまいました。

983 :考える名無しさん:05/02/04 23:50:22
981=982です

984 :学者の声:05/02/05 02:47:26
Das Dritte Reichって・・・あらあら、ナチではないか。
Das tausendjährige Reichのことではないか。
質問者の方が思いっきり真に受けていらっしゃるではないですか、いかんよ。
Das Reich der Zweckですね。

985 :考える名無しさん:05/02/05 02:55:35
割り込み失礼。Zweckeでは。

986 :学者の声:05/02/05 02:57:43
ありゃ失礼。お恥ずかしい。
ワタクシもウソ教えちゃった。
「Zwecke」ですね。仰る通り。

987 :考える名無しさん:05/02/05 04:51:43
>>968
> それで昔は筆談が成り立っていたのだからすごいなあ。
> 大昔、仏教の勉強のため中国へ渡ったお坊さんは、
> 中国語しゃべれたんかいな。しゃべれたとしたらどんな勉強法があったんだろう。

今の留学生と同じで、言葉も大してできないまま帰ってきた人たちも
いたみたいよ。お土産の本だけ抱えて。

日本に来ていた中国僧たちもいたし、日本である程度は学んでいったのが
普通だと思うがね。

988 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/02/05 05:28:08
>>987
鎌足と海豚は渡来人の私塾の同窓生だったのですよ。

989 :考える名無しさん:05/02/05 11:45:34
次スレたてたほうがいいかな?

990 :考える名無しさん:05/02/05 11:54:49
>>989
おねがいしますです。

991 :考える名無しさん:05/02/05 11:56:36
次スレは、これの再利用で良い気がしてきた

京大法学部ですが純粋理性批判を理解できない
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1090473461/

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