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☆☆アウラな時代☆☆

1 :びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/22 03:27
なぜ本を買うとき上から二冊目を買うのか。それは本の中身というソフトは同じでも、
一冊目にくらべて二冊目は、だれかに開かれていないだろうという唯一性を
所有することにより、私の単独性を獲得するのである。
すなわち「小さなアウラ」を消費するのである。
ベンヤミンは、複写技術によって消滅する心的な現象を「アウラ」と呼んだ。
その本質はコミュニティ内で唯一なものであると承認されたものである。
その高い唯一性は「礼拝価値」を持ち、鑑賞するものが鑑賞することによって、
高い単独性を獲得するものである。
街に人は溢れている。しかし孤独である。私の居場所(私が私である場所)はどこであるか?
孤独な群衆は、本来コミュニティ内の偶有的な位置に対して、単独性を見いだすことであり、
それは、「小さなアウラ」を消費することによって行われるのである。

アウラな時代@はてなD http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/

952 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/06 19:29
アウラとは、まったくもって主観的なものです。思い入れということですね。
溢るる余剰とは、簡単に言えば感情です。

>ある毛虫を観察するとして、とりあえず、それを「それa」と名づける。
>「それa」は毎時、毎日変化しつづける。
>そのうち「アゲハチョウ」になったとしても、それは「それa」なんだけど、
>「それa」には持続する対象性はあるが、それ以外大した意味内容はない。
>しかし観察する私はそれに魅せられているかもしれない。
>「それa」に「生命の神秘」を感じ取るのかも知れない。

ここでは、「それa」に対して、主体がどれほど思い入れをもったかということが
重要になります。まず名付けるということは、それだけで
どこにでもいる毛虫が、主体にとって、どこにもいない唯一の毛虫に
なります。すなわち「他者」になります。
たとえば「それa」よりも、「いもいもちゃん」のように
ペット的に、愛着ある名前の方が人格的で思い入れが入るでしょう。
そしてそれが「アゲハチョウ」に育ったときに、
感慨ひとしおではないでしょうか。
そこにおこった「心の変化」は、言語で説明しようと思ってもできません。
それが溢るる余剰です。そして「生命の神秘」というような気持ちになるのは、
言語に回収されない余剰を解消するために、神性で「説明」しようとします。
このとき、主体にとって、「アゲハチョウ」はアウラですね。

953 :考える名無しさん:04/06/06 19:36
                          ぴかぁ〜
                           ∩∧_∧ ∧_∧ ぴかぁ〜
                          ∧ヽ∩旦ヘ_∧´Д`∩il
                         (´Д |lヽ∩´Д`)   ノ
                    ぴかぁ〜⊂二、ミヽ    ⊃ ぴかぁ〜
                             / (⌒)  ノ彡∧_∧ミ
                            (_)~ し' ⌒つ´Д`)つ ぴかぁ〜


954 :考える名無しさん:04/06/06 19:57
>>945
ぴかぁ〜じゃないよ 本読んでて集中が切れたら気分転換にカキコしてるだけ

本気でカリスマ目指すなら、この人位飛んでないとね。

「ミランダ・グノーシス主義サイト」
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/

955 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/06 20:09
そうですね。カリスマ目指すならば、根元的な人の不安感を
つかみ、そこに超越論的シニフィアンを捏造し、神話を語り、
神性を自己に転移させる必要がありますね。

956 :考える名無しさん:04/06/06 20:12
>955
そりゃハイデガーなんかピッタシ。

957 :まーくん ◆5Pb130oT1Y :04/06/06 20:13
みんなーー、(д・。、)まー♪(/。・д)/くん♪(σ・д・)σでぃす♪

958 :まーくん ◆5Pb130oT1Y :04/06/06 20:54
哲板は人いな杉でつ。ショボ━━━━(´・ω・`)━━━━ン
だれもまーくん相手にしてくれないんでつ。。。(⊃д`)

959 :THE グル:04/06/06 21:05
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


960 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/06 22:52
言語に回収できない「溢るる余剰」どうしてる?

浜崎あゆみに対する余剰は「カリスマ」へ、未来に対する余剰は「運命」へ、
社会的事件に対する不安という余剰は加害者の「神秘性」へ、芸術作品に対する余剰は「アウラ」へ

言語意味(確定記述の束)へ回収できない「溢るる余剰」は、超越論的シニフィアンへ解消されます。
そして言語はいつも「誰が、何のために(意味))」(他者志向性)として現れます。
「誰が」は「神性」を、「何のために(意味)」は、「神話」を捏造します。
だから宗教は、「世界の意味」、「生きる意味」、「死の意味」という人に言語意味に
還元されない根元的な3大余剰を語ります。

これは人の一般的な認識の傾向であり、言語は本質的に、言語意味に回収できない余剰を含みます。
そして小さな神性(小さなアウラ)が捏造されています。
イデア的同一性、形而上学二項対立、否定神学・・・
人は神性の捏造から逃れることはできません。
それは暴力でありますが、「生きることそのもの」でもあります。


961 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/06 23:32
言語に回収できない「溢るる余剰」は神を捏造する。

962 :考える名無しさん:04/06/07 00:10
超越論的シニフィア、転移、神
 を通俗的に言い換え(換喩)するなら
タチ女のちんぽ、あこがれ、アイドル

神秘性(アウラ)など、どこにもない罠。

963 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 00:14
アウラが神秘性?だれのことば?
神性ですね。小さなアウラ、小さな神性。
タチ女のちんぽ?、あこがれ、アイドルには
小さな神性がありますね。

964 :考える名無しさん:04/06/07 00:23
なるほろ、その神性と神秘性の差(異)は、
小さな狂気(=隠喩)があるかどうかだろうな。

タチ女のちんぽ=宝塚の男役のちんぽ

965 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 01:05
神性が正義であるか、狂気であるかは、
裏表の関係ですね。
信者には麻原は正義であり、社会からは狂気ですね。

966 :考える名無しさん:04/06/07 16:30
余剰がない状態ってどんなの?

967 :考える名無しさん:04/06/07 20:23
感受性と言語の搾取無き等価交換ですね。

968 :考える名無しさん:04/06/07 20:39
アスペクト的には脱余剰化によるアウラへの反転ですね。

969 :パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 23:06
ぴかぁ〜ちゃん
こんばんわ。
ちょっと気にかかった事があった気がするけど、
又書くね。それでは オヤスミ・・・グーグー むにゃむにゃ

970 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 23:07
>余剰がない状態ってどんなの?

余剰がない状態などないでしょ。

971 :考える名無しさん:04/06/08 08:09
無いの?

972 :考える名無しさん:04/06/08 13:38
えとえと、神性って、どんなの?

973 :考える名無しさん:04/06/08 13:52
神聖感ってあるよね。ふつーの人は背筋が伸びる感じとか言うの

974 :考える名無しさん:04/06/08 13:52
ぴかぁー久しぶり♪♪
元気にしてた?
今度の日曜日遊ぼ?


975 :考える名無しさん:04/06/08 13:53
でも、無宗教儀式でも、看護師さんの戴帽式とか神聖な感じあるしね

976 :考える名無しさん:04/06/08 13:54
リアルで知り合いなの?

977 :考える名無しさん:04/06/08 13:58
そもそも、神聖感とかそういうのが言うところの手段じゃねのか?

978 :考える名無しさん:04/06/08 13:59
そしたら、それが回収してるとか言うところの余剰って奴はなんだよ?

979 :考える名無しさん:04/06/08 14:00
私の余剰はこのスレが使い切る前に次スレ立てたことだけど

980 :考える名無しさん:04/06/08 14:01
うざいから

981 :考える名無しさん:04/06/08 14:02
とりあえず980超えたら早めに落ちる可能性あるからごめんなさいね

982 :考える名無しさん:04/06/08 14:09
ねぇぴかぁーいないの?

983 :考える名無しさん:04/06/08 14:48
>>982
だから誰だよ、おまえ

984 :パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/08 22:29
ぴかぁ〜ちゃん
こんばんわ。
いるかい?
ほんじゃま。

985 :(*゜Д゜)ノ:04/06/08 23:22
パレやん呼んだ?

986 :(*゜Д゜)ウッ!:04/06/08 23:22
なぜ本を買うとき上から二冊目を買うのか。それは本の中身というソフトは同じでも、
一冊目にくらべて二冊目は、だれかに開かれていないだろうという唯一性を
所有することにより、私の単独性を獲得するのである。
すなわち「小さなアウラ」を消費するのである。
ベンヤミンは、複写技術によって消滅する心的な現象を「アウラ」と呼んだ。
その本質はコミュニティ内で唯一なものであると承認されたものである。
その高い唯一性は「礼拝価値」を持ち、鑑賞するものが鑑賞することによって、
高い単独性を獲得するものである。
街に人は溢れている。しかし孤独である。私の居場所(私が私である場所)はどこであるか?
孤独な群衆は、本来コミュニティ内の偶有的な位置に対して、単独性を見いだすことであり、
それは、「小さなアウラ」を消費することによって行われるのである。


987 :(*゜Д゜)ハッハッ:04/06/08 23:23
処女の股間にはアウラがすんでいる。ロリータはまだ社会とかかわりが少ないアウラである。
これらは男性という主体に対する所有物である。つかわれれば価値が下がるのである。
性はタブー視され男尊女卑的社会の中で高い商品価値を生む。
女子校生はミニスカ、ルーズなどでアウラを演出する。
それはエンコウとして商品にしなくとも、みずら小さなアウラを演出し、
男性の注目をあつめることにより自己価値を高める。同じ偶有的制服はキーワードだろう。
オタクは作品としてのアウラをみずからつくりだすのである。
たとえばあこがれの子が鼻をほじるのを見たときに、主体の中で失われるものはなんだろう。
主体はあこがれの子に他の子ては違う高い単独性=アウラを見ている。
すなわちそれはあこがれの子にあこがれることにより主体の単独性を勝ち得ている。
そこにはあこがれの子を神格化する。しかしあこがれの子がはなをほじるという俗な行為、
だれでもする偶有的な行為をすることに、アウラはおとしめられ、主体の単独性もおとしめられるのである。


988 :(*゜Д゜):04/06/08 23:24
ただ屈折しているがあこがれの子が鼻をほじるのをみることによって興奮する場合もある。
これは高潔なものを辱めたいという心理であり、たとえばコスプレや女子高生、
幼女への性的倒錯にみられる。
それは「上から二冊目の本」えある。
あこがれの子というアウラがけがれたところを主体だけが
知っているということに主体の単独性は高められるのである。
性はそのタブー性により、さらに人に内在する強い欲求のためにアウラを生みやすい場である。
オタク、コギャル、2ちゃねらーに共通するものは、
それはマスコミにより反「大衆」として、醜悪なものと
刻印されている。
それは、消費として梱包されていない小さなアウラを
放出する存在である。かつてのロッカーのように。

それはいつも性的な、野蛮化かたちで表出するのである。


989 :(*゜Д゜)ノ:04/06/08 23:25
アウラは、いつも狂気をはらんでいる。
それは偶有性から単独性への転倒である。
すなわち過剰な思いこみである。
恋は、相手が運命の人であるという思いこみである。
恋は主体を単独性へ導く、アウラである。
その先には高い所有欲を表す。
そして虚像が暴露されないように、自己の単独性が破綻しないことを望む。
しかし相手は偶有的な存在でしかない。
もし、相手を殺せば、永遠の所有、単独性が保証される
という狂気が潜む。
ビンラディンはアメリカにアウラを見ている。
アメリカを攻撃することによって
彼は単独性を見いだすのである。
そしてNYテロは、彼を神格化し、
最高の単独性を手に入れたのである。
アウラはいつも狂気をはらむ。


990 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 23:25
埋め立てや・・・

991 :考える名無しさん:04/06/08 23:26
うをー!

992 :(*゜Д゜)ノ:04/06/08 23:26
クリプキの固有名議論をベンヤミンの芸術作品のアウラに展開すると。たとえば「モナリザ」という固有名は、
フレーゲ/ラッセルの記述理論によると、確定記述の束であるとなります。これに対してクリプキは、
確定記述に回収できない新事実が判明すると、自己矛盾を起こす可能性があり、確定記述の束に
還元できない「力」=「固定指示子」が宿っているといいます。ジジェクはこの「固定指示子」を
「現実界」(象徴界の穴)に求め、それが「現実界」に対応するシニフィアン(記号記述)(対象a)であると言います。
デリダは「固定指示子」、「対象a」を理論的に確保できない否定神学であり、単数化し、
特権的な「超越論的シニフィアン」としていると批判します。デリダは散種→多義性を指摘します。
固有名は齟齬を含み様々な経路を通って配達される。そして今「モナリザ」を現前化するときに
多義性=確定記述の束が作られる。そして確定記述の束に還元できないのは、伝達経路で行方不明になった
意味たちである。
ベンヤミンの「アウラ」も同様に言うことができます。アウラは確定記述の束に回収できない「力」であり、
ジジェクのいう対象aです。しかしデリダ的解釈をするとそれは「超越論的シニフィアン」であり、
いま「モナリザ」を現前化している鑑賞者が誤配可能性がある伝達経路を抹消して多義性=確定記述の
束として還元するときに、伝達経路で配達されなかった意味ということになります。


993 :考える名無しさん:04/06/08 23:26
10000000!!!

994 :考える名無しさん:04/06/08 23:27
ume

995 :(*゜Д゜)?:04/06/08 23:27
主体レベルの単独性は本質的に、下位層の器官さらには細胞による秩序によっても行われるはず
である。すなわち生理システムの秩序ある活動が、主体の単独性を高める。しかし生理システムの
秩序を高めた結果、この高度な秩序を運用する方法が遺伝情報を越えてしまった。新たな
「マニュアル」が他者であり、コミュニティとの鏡像関係である。鏡像関係は必ずしも人に限ったことでは
ないかもしれない。ある程度高度な動物は、他者をみて「自己」の運営の仕方を学ぶ。すなわちそれは
世代を越えて受け継がれる。そして生理システムの秩序の向上は、人によって「自意識」の獲得に
至る。私とは何であるかという問いが発せられたときに、主体の単独性は、鏡像的なコミュニティによる
承認によってしか満たされなくなっていた。「名指しするとは、言語による世界を認識することであり、
私たちは日々名指しし続けることによって、単独性を獲得している。」
生物学的な定義(ドーキンス):ミームは文化の伝達や複製の基本単位である。心理学的な定義
(プロトキン):ミームは文化の遺伝単位であり、遺伝子のようなものである。そして知識の内部表現で
ある。認知学的な定義(デネット):ミームは一つの考え方である。しかも、それ自身が形を作り上げ、
記憶に残る個別の単位となるような、複雑なある種の考えを指す。そしてミームの物理的現れで
ある媒介物によって広まってゆく。ミーム学の定義(リチャード・ブロディ):ミームとは心の中の情報の
単位であり、その複製が他の心の中にも作られるように様々な出来事に影響を及ぼしてゆく。


996 :考える名無しさん:04/06/08 23:27
あとわずか。

997 :考える名無しさん:04/06/08 23:28
うめー

998 :(*゜Д゜):04/06/08 23:28
他者志向性とは、対象が「誰かの、何かのため(意味)」にあるということです。ここでは、
人は偶有的な世界に因果律を捏造しています。すべての事象は、ある「他者の」原因によって
起こっているということであり、すべての事象には他者が存在するということです。すべての意味は、
他者の、コミュニティの意味です。

このように<b>主体にとって「他者」はその根元において特別な存在なのです。</b>
その特別性とは、主体にとって他者とは「理解し合える」以前に、「同期」しあえる存在であり、
「限りなく私」であるということです。このような志向性は、生理に求めることができるのでは
ないでしょうか。たとえば犬は犬に同期する。ミツバチはミツバチに同期する。
それは種のコミュニティの形成作用にもつながっていると思われます。

たとえば友達がすねを打って痛がっている場合に、主体は痛みを同期します。
他者とのコミュニケーションはこのような同期をともなって行われています。「コミュニケーションとは、
主体が主体の内部に起こった心象を客体の内面(心象構造)に再現させよう(複写)しようとし、
客体が主体の内部に起こった心象を、客体の内面(心象構造)に(複写)再現しようとする。」

しかしこのような同期においては、完全に同期することはなく、主体と他者の間にはたえず差異が
存在します。コミュニケーションはそのような差異を解消するように行われます。
そしてコミュニケーションが言語によって行われている場合には、言語によって解消されない
「心象的な」差異を生みつづけます。


999 :考える名無しさん:04/06/08 23:28
ぴかぁ〜=馬鹿。

1000 :考える名無しさん:04/06/08 23:28
立てたの誰だよ

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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