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神話なき神話の時代

1 :フェノ:04/06/16 00:11
私が私であるということは、神を捏造することである。

2 :考える名無しさん:04/06/16 00:11
>>1
胴衣。というかガイシュツ。

3 :考える名無しさん:04/06/16 00:12
また腐れぴかぁ〜か

4 :フェノ:04/06/16 00:12
ガイシュツ?どこに?


5 :考える名無しさん:04/06/16 00:13
旅に出たとかいって、2ちゃん中毒から抜けられないのは
わかったから他スレを荒らすな

6 :フェノ:04/06/16 00:13
だれでも自信をもっている。
では、その自信はどこからくるのか。
神の捏造である。

7 :考える名無しさん:04/06/16 00:15
なぜ捏造と言うんだ?

8 :考える名無しさん:04/06/16 00:16
>>7
本当に神を作れるのか?
そりゃすげえ。

9 :考える名無しさん:04/06/16 00:17
堕ちたぴかぁ〜

10 :考える名無しさん:04/06/16 00:17
私が私であるためには神が要請されるってことか?

11 :考える名無しさん:04/06/16 00:18
>>8
どういう意味だ?関係あるのか?

12 :フェノ:04/06/16 00:23
われわれの様々な行為の論理的な正当性が証明できないことは明らかであるが、
その中で如何にわれわれは日々行為を行っているのかという問題がある。
人の行為は思いの外、論理性にかける。簡単にいえば適当!であり、まあ、やってみましょ!である。
人はまあなんとかなるよ、というような楽観的な考えをもっている。なんとかなるとは、
私はそれなりについているということである。

それはまったくもって正しい。たとえば人工知能のフレーム問題が示すことは、
われわれの行為は無限の可能性がある。その中から何を選択するかを、論理的に検討していては
われわれは一歩も前に進めない。同じように、ウィトゲンシュタインのパラドクスがしめすことは、数式でさえ、
その正当性を完全に証明することは出来ない。

ただこのような適当さは、本当に適当であるが、ある種のコミュニケーションであるということだ。
数式の正しさは、他者が承認した規則である故に正しいという信頼に基づいている。
そして行為も他者の承認を捏造する。私はそれなりについているというのは、なにが付いているのか?
宗教的な神ではない。それは小さな神である。


13 :フェノ:04/06/16 00:24
科学技術と宗教の決定的な違いは、科学技術には意味がないのということである。1+1=2には、
意味がない。ただそのような規則があるだけであり、機能するだけである。たとえばスイッチをつければ、
TVはつく。しかしなぜTVがつくのかは、われわれは理解する必要がない。それはただ機能しかなく、
スイッチをつければ、TVがつくそれだけである。

私が理解できることは、しれている。だから専門家に頼るわけである。しかし専門家のもつ科学的技術が
どれほど正しいか、私は判断できない。だから信頼し、問題を預けるしかない。
呪術師より医者が実績をあげているという事実により、人は医者を信仰するというわけだ。
だから実力があっても、素行が悪ければ問題である。犯罪をすることはもっての他であるが、
道徳的に尊敬できない「先生」などは信用できない。「先生」は小さな神であってほしいのである。

14 :考える名無しさん:04/06/16 00:27
向上心って何なんだろう?


15 :フェノ:04/06/16 00:28
向上心・・・なんだろう・・・

16 :考える名無しさん:04/06/16 00:29
あと、ぴかに言いたいことがひとつ。

『下妻物語』どうよ?

17 :(*゜Д゜)ノ懐古:04/06/16 00:30
面白い!見てみなよ。

18 :フェノ:04/06/16 00:30
>>16
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1087191354/l50

19 :フェノ:04/06/16 00:33
私が私であるということは、他者にとって特別であるということです。
他者にとって特別であるといくことは、
コミュニティで特別であるということです。
よって、向上心とは私が私であるということではないでしょうか。

ただ私が私であるためにどうのような行為を行うかは
難しい問題がある。とりあえず、がんばるが実質的な向上心でしょう。

20 :考える名無しさん:04/06/16 00:41
ただ、向上心は権威主義に向かうこともあると思う。
尊敬するものにひたすら認められようとしたり、
ひたすら模倣したりするようになることが。

21 :フェノ:04/06/16 00:45
>>20
それこそまさに神性の捏造です。
尊敬するものとは、小さな神です。

権威主義は神性の捏造ですが、これは人の根元的な性向です。
それはよい悪いではなく、私が私であるためには、
多かれ少なかれ権威主義的になりますね。

22 :考える名無しさん:04/06/16 00:52
恋愛はどうなんでしょう。
恋人も小さな神なんでしょうか?
失恋したときって、
神から自分を全否定されたような気分になる。

23 :フェノ:04/06/16 00:57
恋愛はまったくもって、強烈なアウラ場=神性が捏造される場ですね。

「運命」の出会いで、ボクの「女神」とであった。ですから。


24 :終了:04/06/16 00:58
明らかな板違い
→文学板
→宗教板
→伝統芸能板
→お花畑板
などへどうぞ

25 :フェノ:04/06/16 00:59
>失恋したときって、
>神から自分を全否定されたような気分になる。

これもよい表現ですね。
神を捏造するとは、私が私となることですから、
捏造した神の消えたとき、私は私でなくなる。
捏造した神が大きいほど。

26 :考える名無しさん:04/06/16 01:00
>>24
オマエが逝け。

27 :THE END.:04/06/16 01:01

             あ

             き

             ら

             か

             な

             板

             違

             い




28 :機械仕掛けの猫:04/06/16 01:10
やれやれ。

29 :考える名無しさん:04/06/16 07:04
板違い

民俗・神話学
http://academy3.2ch.net/min/

30 :フェノ:04/06/16 08:55
私は他者の世界に生きている

31 :フェノ:04/06/16 09:17
他者とは限りなく私である
すなわちこの世界はわたしたちの世界

32 :フェノ:04/06/16 09:20
血液型の余剰はまったくもっておもしろい
歴史上も含めて人類をたった四つのパターンに
押し込めるのだから

33 :フェノ:04/06/16 11:09
哲学はもっとも容易に世界を征服する手段である

34 :考える名無しさん:04/06/16 11:31
そして独白はさらに続く

35 :フェノ:04/06/16 11:47
象徴界とはいかなるものか
無意識は言語でできている
にゃにゃにゃにゃー

36 :考える名無しさん:04/06/16 12:29
>>29
おまえは無職板に行ってください。
厨房ならちゃんと学校行け!

37 :考える名無しさん:04/06/16 15:17
絶え間なく脈絡のない独り言を言い、時々にゃっと笑う。これ統合失調症の
典型的症状。早く病院に行ったほうがよい(マジで)。

38 :フェノ:04/06/17 02:01
ん?

39 :考える名無しさん:04/06/17 02:38
hosyu

40 :考える名無しさん:04/06/17 02:39
俺は気持ちは分かるよ。
言い方は悪いが、いろんな餌をまいてんだよ。
それで食いついてきたところから議論が始まるのよ。
どこで食いつくかは住民の選択。
住民による選択と淘汰なのよ。

41 :フェノ:04/06/17 02:44
ん?

42 :考える名無しさん:04/06/17 02:46
ごめん。うそです。

43 :フェノ:04/06/17 02:47
あそ

44 :フェノ:04/06/17 02:49
君達には高すぎたな。

45 :フェノ:04/06/17 02:51
神話とは、古代の時代の文化である。

46 :考える名無しさん:04/06/17 02:51
何の高さ?

47 :考える名無しさん:04/06/17 02:52
じゃあ、考古学とは?

48 :フェノ:04/06/17 02:52
・・・・・

49 :フェノ:04/06/17 08:13
神話がないという神話の時代

50 : :04/06/17 08:39
>>49
同語反復

51 :フェノ:04/06/17 10:36
科学の実証主義は成功を納めている

なぜなのかという意味の排除は神の、神話の排除である

52 :考える名無しさん:04/06/17 10:38
成功は「収める」ものですよ。
どうでもいいことですが。

53 :フェノ:04/06/17 10:46
さんくす!

54 :フェノ:04/06/17 11:34
しかし科学自体は神話に支えられている

55 :フェノ:04/06/17 11:40
それは科学がコミュニケーションであるということからくる

56 :フェノ:04/06/17 12:06
哲学好きとの会話で注意すべきは
真理がどこかにあり、すべては不完全であるという
狂信的なパラノイア性で迫ってくることである

57 :フェノ:04/06/17 12:20
それは多くにおいて、臨機応変へのコンプレックスである

58 :考える名無しさん:04/06/17 12:20
うんうん。

59 :フェノ:04/06/17 12:24
哲学好きは、志高く哲学を志向するのでなく
向かうしかないのである

60 :考える名無しさん:04/06/17 12:25
それも、運命なのかなって思いますけどね。

61 :フェノ:04/06/17 12:38
運命… 超越的因果律

62 :考える名無しさん:04/06/17 12:42
運命の声を聞き流せ!

63 :フェノ:04/06/17 16:38
結局、ラカンか…

64 :考える名無しさん:04/06/17 17:20
ん〜…っと。 が、頑張ってください。

65 :フェノ:04/06/17 18:32
ラカンと愉快な仲間たち

66 :考える名無しさん:04/06/17 18:46
確認したいのですが、神話が神を作るんですよね。

67 :フェノ:04/06/17 19:10
神というシニフィアンのシニフィエが神話なんですよ

68 :考える名無しさん:04/06/17 19:14
どっちが先なの?

69 :考える名無しさん:04/06/17 19:25
年金について質問するはずだった
西川きよし師匠の気分……

70 :フェノ:04/06/17 19:25
散種の多義性化ですね

71 :考える名無しさん:04/06/17 19:28
答える気無いんだったら、そう言ってもいいよ。
怒らないから。

72 :フェノ:04/06/17 19:35
シニフィアンの反復が無数のシニフィアンを生み
それがコミュニティの一義的な意味として還元されるということです

73 :考える名無しさん:04/06/17 19:37
じゃぁ、神が神話を創ったってことですか?

74 :フェノ:04/06/17 19:38
無数のシニフィエ

75 :考える名無しさん:04/06/17 19:40
つまり、神というシニフィアンの反復が無数のシニフィアンを生み、
それがコミュニティの一義的な意味として、無数のシニフィエに
還元されるということですね。

76 :フェノ:04/06/17 19:42
ん?人は世界を誰か(神)が何かのため(神話)にと認識するということです

77 :考える名無しさん:04/06/17 19:47
ありゃ、そうでしたか。
てっきり、ダイヤブロックか遺伝子組み換え大豆のように、
カチャカチャやるのが認識なのかと、思いました。
「人は……」ずいぶん謙虚な意見ですね。
神話なき神話の時代は、人の認識をして
謙虚の押し売りに励む時代なのでしょうか。
ありがとうございました。

78 :フェノ:04/06/17 19:52
ん?神話なき神話の時代とは
「われわれはかつてのような神話に依存することなく生きているのだ」という神話に依存する時代です

79 :考える名無しさん:04/06/17 19:58
>>78
より簡潔になりましたね。 同感です。
神話なき神話の時代に溺れ過ぎないよう、
一時間に15分の休憩を取ると良いですね。
フェノール-フタレインさん、お体に気を付けて……。

80 :フェノ:04/06/17 20:00
ありがとうございます。

81 :考える名無しさん:04/06/17 23:21
hosyu

82 :ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/18 00:43
ここもぴかぁ〜さんかw。ではがんばってください。

83 :考える名無しさん:04/06/18 08:09
hosyu

84 :考える名無しさん:04/06/18 17:28
正直、今の哲板にぴかぁ〜は必要ない

本人も、飽きられて馬鹿にされていのをわかっているから
コテを変えたんだろうし

確かにぴかぁ〜は哲板の一時代を築いたが、もはや時代は君を求めていない

ロールー導入がその象徴だろう

引き篭って2ちゃんねるばかりやるのもいいが、
ここらが引き時じゃないか?現実に向きあいな







さよなら、ぴかぁ〜


85 :考える名無しさん:04/06/18 23:19
>>84

なんでぴかぁ〜の仕事(役割)を全く理解できない人間が
ここまであつかましいことをいえるのか
いつもながら理解に苦しむ。
玄人気取り厨の戯言といえばそれまでだが。

86 :考える名無しさん:04/06/19 05:14
hosyu

87 :考える名無しさん:04/06/19 11:44








さよなら。ぴかぁ〜



88 :考える名無しさん:04/06/20 00:00
hosyu

89 :考える名無しさん:04/06/20 00:00

さよなら。ぴかぁ〜

90 :フェノ:04/06/20 00:21
ん?

91 :フェノ:04/06/20 20:54
*ギャルウォッチャーは、生理的に欲望するか?無意識的に欲望するか?

夏が近づき、女性が薄着になってきて、うれしい限りです。夏になるとなれてくるが、今ぐらいの薄着への変わり
目が、一番女性の露出に目がいくね。毎日の通勤の人混みで気がめいる中でもギャルウォッチ?は一服の
清涼剤であるが、果たして、女性への欲望とは何だろうか。

ボクは「無意識」なる考え方が好きではない。「無意識」とはなにか、と考えると、「意識的でなき意識」ということ
になるのだろうか。たとえば、「明るくなったので、私は無意識にサングラスをかけていた。」とはいっても、
「明るくなったので、私は無意識に瞳孔が閉じていた。」とはいわない。すなわち無意識とは、意識的に可能な
行為が、意識されずに行われるということであり、瞳孔が閉じるのは意識してもできないから、無意識ではなく、
生理反応である。だから無意識とは、デカルト的なコギトの枠からでていないといわれる。「フロイトの歩みは、
デカルトの歩みと同じである・・・フロイトの歩みが確信という主体の基盤から出発しているという意味において」
(ラカン)。ラカンの「無意識は言語で出来ている」ということも、同じような流れでとらえることができる。しかし
無意識と生理反応はそんなにも明確に区別できるものだろうか。

そのような違和感が顕著に表れるのが、「女性への欲望」である。この「女性への欲望」は、哲学いうところの
他者性や、ラカンが言うところの、「人は他者の欲望を欲望する。」の「欲望」で説明し尽くせないだろう。
他者の欲望を欲望するとは、自己の投影としての他者である。そのようになりたい、そこに私自身を見るのである。
そしてラカンは「女性は存在しない」という。

92 :フェノ:04/06/20 20:55
>>
「女は存在しない」という言葉をもっと判りやすく言い換えるなら、「女性を言葉で明確に定義づけることはできない」
というほどの意味になる。・・・女性は「男性ではない」という否定的なかたちでしか示すことができない。
言い換えるなら、女性を積極的に指し示すような言葉、つまりシニフィアンは存在しないんだね。どんなに
多くの女性の性質を数え挙げても、すべてをつくすことはできない。・・・「女性一般」なるものは存在しないことに
なる。これをラカンは「女は存在しない」と表現するわけだ。

そういう発想からすれば、「愛」だって、完全に調和的な男女関係が存在しないことを埋め合わせるための幻想
に過ぎないことになる。男性にとっての女性は、実はひとりの主体的な人間ではない。男性は女性の一部しか
愛することができない。それは「からだ」だったり「こころ」だったりするけれども、要するに、生きた女性の全体
ではなくて、その一部を、幻想的なものとして愛するのだ。このとき女性は「対象a」として、男性の欲望の原因
となっている。このあたりのことを、ラカンは「女性は男性の『症状』である」なんて言いかたをしている
(生き延びるためのラカン 斉藤環 第14回 女性は存在しない?)
 http://www.shobunsha.co.jp/h-old/rakan/14.html
<<

これは精神分析的な見解ということだろう。実際に生体的に性差はあるが、精神分析が扱う無意識の中に
「女性」というような明確なものを見いだすことは難しい。性差というのは、ジェンダー的な社会的、文化的なもの
でしかないということである。ボクたちが欲望しているのは女性そのものではなく、社会的、文化的に捏造された
「女性」であるということである。


93 :フェノ:04/06/20 20:56
確かにそのような面は多い。以下に「女性への欲望を」5つほど考えてみたが、ここにおいて、なにをもって、
(コギト的)意識、無意識であり、なにをもって本能、生理ということが明確にいうことができるだろうかということ
である。
-生物的な性欲、また生物的に性欲をかき立てる記号としての女性表象
-「人は他者の欲望を欲望する。」ところの欲望。誰かの彼女、あるいは多くの人に好かれている女性を所有
したい。
-エロティシズムと関係が深いだろうが、社会的、文化的な欲望。たとえばはやりのファッションに身を包む女性
への欲望は、このうちにはいるのだろう。たとえば、女性高生、コギャル、おねぇ系などは一つの性的な記号と
なっている。
>>
セクシャリティについて語ることはエロティシズムについて語ることとはまったく異なる・・・バタイユに依拠する
ならエロティシズムの表象は、その定義からして無限にありうる。エロティシズムのありようは、社会的、文化的、
あるいは状況的コンテクストに依存するために、その表象も必然的に多産的なものにならざるを得ない。
(「文脈病」斉藤環)
<<
-処女信仰、ロリータ志向などは、コスプレなどにも通じるが、汚れなきものを、一番最初に汚したいという女性へ
の所有欲であるように思う。フェティシズム(物神化)である。アイドルヲタが、アイドルを神聖化する場合には、
それは神聖化ではなるが、本質的には所有したいという願望である。
-マザーコンプレックス指向。男はみなマザコンというが、ラカンがいうところの、生まれてすぐに母親と一体感
であり、全能感であり、その後、自己を獲得することに失われる。それを取り戻すための願望である。


94 :フェノ:04/06/20 20:57
ここではまず、「意識」とはなにかということを考えてみる。スティーブン・ピンカーは「心の仕組み」の中で、
言語学者のレイ・ジェッケンドフと哲学者のネッド・ブロックによるものとして、意識の意味を3つの分類を紹介
している。@自意識、A情報へのアクセス、B直覚である。

>>
ウディ・アレンは、大学の講義案内をパロディ化するなかで、意識という概念を巧みに料理している。

心理学入門:人間行動の理論・・・精神と肉体は分離しているか。もし、そうであれば、どちらをもつのがいいか
・・・無意識に対立する概念としての意識の研究にも触れる。意識をもち続けるために役立つヒント満載。
(「心の仕組み」スティーブン・ピンカー)
<<

ウディ・アレンのパロディの前者の意識が、A情報へのアクセスであり、後者が「生の感覚」ともいわれる
B直覚である。デカルト的な意識、フロイト的な意識/無意識は、A情報へのアクセスであり、また明るくなって
瞳孔が閉じたなどの生理的な反応も、A情報へのアクセスの一つと考えられている。


このような分類は、フッサール現象学との相性がいいように思う。現象学的還元(エポケー)によって、意識の
自由にならないものとして現れ、それ以上疑えないものとして、原的な直観(知覚直観、本質直観)を考えている。
これはB直覚は近いものといえるだろう。このようなさまざまな原的な直観を「意識」が瞬時に統一して
(志向的統一)、同一の事物の現実経験として与えられる。この志向的な統一がA情報へのアクセスに近いと
いえる。

このような現象学的認識においての志向性統一としての「意識」は、心はどこにあるのか?というような、
心身二元論的なデカルト、フロイトの意識/無意識のように、静的なものではない。「意識」は原的な直観を
統一する働き、動的なものと考えられる。

>>
或具体的な体験の統一の中で、幾重にももろもろのノエシス(志向的統一)が、相互に積み重ねられており、
したがって、ノエマ(意味)的相関者も同じく、基づけられたものになっているのである。(「イデーン」フッサール)
<<

95 :フェノ:04/06/20 20:58
意識的(無意識的)、生理的というような、静的な還元はされず、同じ地平のものとして考えられ、このような様々
な直観であり、意味であり、生理的な反応が、原的与件として、つぎつぎに与えられて、そのたびに志向性統一
され、意味が変化していく。「原的与件→意味統一(ノエマ的与件)→意味統一(ノエマ的与件)・・・・」という一つ
の動的なシステムとしてとらえることが出来るだろう。

さらにこのようなシステムをシステム論へつなぐことは、可能だろう。
>>
神経鞘細胞の活動は、光の物理的特性にも、各スペクトラムのもつエネルギーにも対応しておらず、あいて対応
するものを探すとすれば、人間が色を区別するさいに用いる色の名前である。外的な物理的刺激の特徴は、
神経システムの活動と対応させようとするとまったくまくいかない。こうしたことから神経システムがそれじたいの
関連の内部でのみ作動しているはずだとマトゥラーナは考える。・・・神経システムは、外的刺激を受容して
それに対した反応をするのではなく、むしろそれ自身が能動的な活動によって視覚像を構成する。・・・
外的な刺激に対応することなく神経システムは作動している。(「オートポイエーシス」河本英夫)
<<

この刺激と作動の非相関性を現象学的に考えてみると、ここでいう刺激そのものが、原的与件ではない。
現象学において原的与件とは、人がそれ以上疑い得ないだろうという意味での「原的」であり、原的与件
そのものにも刺激から意味を読みとる働き(本質直観)がある。そして本質直観を含めた志向性統一という
動的な循環システムを、神経システムのようなオートポイエーシスと考えることができるだろう。


96 :フェノ:04/06/20 20:59
「女性への欲望」とはなんだろうにもどると、本能的に射精によって解消される部分もあれば、文化的に終わり
のない欲望である部分もある。しかし女性への欲望が、欲動的で、強くあることには間違いない。それは、
様々な情報与件が志向性な動的循環システムとして、作動し続けるから生まれ続けるものである。

そして言語という静的な意味へと還元されない余剰が、女性へあの吸い寄せられるような感覚として、
溢れ続ける。そしてその余剰を解消するために、男女の場では、女神であるとか、天使であるとか、
運命であるとか、奇跡であるとか、神が捏造され、超越論的なシニフィアンが飛び交う。このような男性にとって
女性は、アウラ場にしか現れないために、理解できない存在となるのかもしれない。

人は環境という総合的な情報の中にあって、人であって、それは心身二元論的に、意識(無意識)内を探索し、
「女性はいない」ということには、意味がないのかもしれない。もしラカン的にいうのならば、「精神分析の場には、
女性はいない」というべきであり、そしてフロイトのいう「女性が何であるかを記述することは精神分析の仕事
ではない」と言うべきかもしれない。

97 :考える名無しさん:04/06/20 21:49
誰も読まないだろなwふつうにw

98 :フェノ:04/06/20 22:14
われわれが世界を言語として認識しているのは、間違いないだろう。
たとえば、目の前の本を、視覚情報をしてみれば、
四角であることは、認識できない。
本として現れるから、四角であることは当然なこととして
認識される。


99 :フェノ:04/06/20 22:18
この言語界は、意識(無意識)において現れる。
言語に回収されない余剰とは、如何なるものか。

100 :考える名無しさん:04/06/20 22:40
我思う ゆえに 我あり
この最初の我がそうじゃない?

101 :フェノ:04/06/21 00:01
そうなんですが、
それはシニフィエなきシニフィアンですが、
そうではなくて、
認識においての言語的志向性と非言語的志向性というか・・・

102 :考える名無しさん:04/06/21 00:22
アフォーダンス とかは言語と無関係らしいけど、
言語にこだわるらしいフェノはどう捉えてるのかな?

103 :フェノ:04/06/21 01:10
アフォーダンスは、動物と環境との切り離せない関係を示していますが、
それは人にも当てはまると思います。
そして人に当てはまるということは、言語化されているといことでは、ないでしょうか。

動物は環境と密接な関係をもって生存している。たとえば、環境破壊により、
そこに住む動物が絶滅するのは、環境からのアフォードダンスが失われるからですね。
人は、そのような環境を自ら自分にあわせて改良している故に、
どこでも生活でいると言われています。

人はアフォーダンスを作っているといえますね。たとえば、自分の部屋は巣穴みたいなもので、
ある意味、自分自身が投影されたものですね。
それは、環境が自分にとってどのようにアフォードするからは、言語として指示されるといえないでしょうか。

104 :考える名無しさん:04/06/21 01:16
>動物は環境と密接な関係をもって生存している。たとえば、環境破壊により、
>そこに住む動物が絶滅するのは、環境からのアフォードダンスが失われるからですね。
>人は、そのような環境を自ら自分にあわせて改良している故に、
>どこでも生活でいると言われています。

アフォーダンスの意味がまったくわかってないw

105 :考える名無しさん:04/06/21 01:23
アフォーダンスいまちょっと調べたけど、
名詞の「クラス」に相当するもののような感じがする。
日本語の「助数詞」も近いかも。
俺も全くわかってないかな・・・。

106 :考える名無しさん:04/06/21 01:24
序数詞

107 :考える名無しさん:04/06/21 01:29
知ったかぴかぁーだから仕方がない

108 :フェノ:04/06/21 01:32
>>105
名詞の「クラス」と、日本語の「助数詞」と
アフォーダンスの関係はわかりませんが、

環境がアフォード(与える)価値のことですから。
与えるといっても、主体にとっての価値ということになりますので、
価値は、言語化されて現れると思います。

109 :考える名無しさん:04/06/21 01:42
そうなんです。環境というか、何らかの名詞で呼ばれるものを、
人間にとっての価値で文法的にカテゴリー分けするのが
名詞のクラスなんです、たしか。

110 :フェノ:04/06/21 01:47
コンスタティブな言語意味に回収できない余剰とは、
たとえば、絵を見て、音楽を聴いて、など、
言語で表せないわき上がる感情というような感じでしょうか。

結局、それはシニフィアンに回収されるわけですが。
たとえば、ペットの「ミミ」へのわき上がる「いとおしさ」と
いう言語だけであらわしきれない感情は、
「ミミ」というシニフィアンに回収されます。
そして「ミミ」は、神性を捏造される。
というのは、偶像化される。

111 :フェノ:04/06/21 01:50
>>106
なるほど、しかしアフォーダンスは、環境というのが
ポイントだと思うんです。

112 :考える名無しさん:04/06/21 01:51
神は誰にでも宿っていますが何か?

113 :フェノ:04/06/21 01:54
このような余剰は、すべての言語に含まれているのでは
ないだろうか。「りんご」という言語に余剰はあるか?

そもそも、言語はそれだけ取り出すのは不可能は、
コンテクストとは切り離せない。
すなわちすべてコミュニケーションとして現れる。
私は「りんご」と言うときには、
そのコミュニケーションにおいて、コンスタティブ以上に
言語意味が含まれている。

114 :考える名無しさん:04/06/21 01:55
ラディカルなスピノザ(汎神論)的な考え方らしい。
そのモデルが有効な心理学の分野があるらしい。
続報を書くから、性急な判断は保留しませう。

115 :フェノ:04/06/21 01:56
たとえば、デリダは言語行為論の反論として、
言語行為論のいう、行為する言語の意味には、コンスタティブとパフォーマティブが
あると言うことに対して、
すべての言語にコンスタティブとパフォーマティブの意味が
含まれると指摘した。

116 :フェノ:04/06/21 01:57
>>114
どのレスへの返答でしょうか?
お待ちしています。

117 :フェノ:04/06/21 01:58
また、バルトは記号には、デノテーション(コンスタティブ)な意味と、
「無意識」的な意味、コノテーションがあるといった。
これの余剰に近い。

118 :フェノ:04/06/21 02:01
コンスタティブな意味(確定記述の束)に還元されない意味という
意味で、パフォーマティブ性、コノテーション性があるが、
私が余剰という場合には、少しニュアンスが異なるように思う。

それは、言語記号には他者志向性があるということである。
「誰かが、何かもために」、人は言語に絶えず、誰かの意味を
読みとろうとする。すなわち言語記号は、「他者」なのである。

119 :フェノ:04/06/21 02:05
「他者」とはなにか。それは限りなく私であり、
私そのものでなく、私に対して差異をもち、
私が何物であるが、規定する特別な存在である。

私と「他者」の埋まることがない差異として、
言語には、余剰が必ず含まれる。
そして、その余剰はコンテクストによって、大きくなったり
小さくなったりするのである。


120 :フェノ:04/06/21 02:07
通常、「りんご」に含まれる余剰は小さく、
ほぼコンスタティブに理解される。
しかしそのコンテクストにおいて「りんご」が
重要な位置にある場合、たとえばある恋人との出会いを
象徴するなどすると、他者性は向上し、りんごに
内在する余剰は大きくなり、りんごにその恋人がボクの天使として
捏造される。

121 :フェノ:04/06/21 02:09
このような他者性を向上するコンテクストとして、
名付けがある。そのりんごに「ミミ」と名付けると、
世界に一つしかないりんごとなり、それは主体にとって
特別な、すなわと高い他者性があらわれ、
余剰がふくらむ。

122 :フェノ:04/06/21 02:14
そのほかに、他者性を高めるものに、誰かとの思い出の品とか、
多くの人にほしがられているものであるとか、
富士山や夕日、音楽や絵がのようにアプリオリに感情を揺さぶられるもの、
などがある。
余剰が大きければ、他者は超越性をおび、神として捏造される。

123 :考える名無しさん:04/06/21 02:14
その話だと、「りんご」の余剰は、
あくまで「りんご」に関連した付加情報として、
言語化して解消されそうな気がする。
もちろん、完全には解消されないけど、
切り離すことは出来そう。

124 :フェノ:04/06/21 02:17
>>123
切り離すことはできるかもしれません。
コンスタティブな意味とは、デリダが言うように、
様々な無数の意味が、あるときに、一義的に還元されたものですから、
コンスタティブな意味も変化します。

たとえば、田代まさしの言語意味が、どんどん変わっていったように、
コンテクストによって、言語意味は書き換えられていく。
しかしそれでも、かならず余剰は残ります。
なぜなら、他者を完全に理解する。すなわち私が他者になることは
出来ないからです。

125 :フェノ:04/06/21 02:22
言語に他者を捏造すると言いましたが、
これはあくまでコミュニケーション上の主観的なものですから、
他者は私に内在しています。
このようにコミュニケーションとは、私の内在した他者を
とおして、私自身が形成されていくことです。
これは私が、コミュニティに帰属していることを
現します。すなわち他者と多くにおいて価値を共有していることを
あらわします。
だから、日本人というコミュニティへの繋がりとして、
捏造された内在的な他者も存在します。
このような常識的な価値は、一般的に当たり前すぎて
意識されません。わらちたちが日常、日本人であると
意識しないようにです。しかしわたしたちは日本人として
強い帰属意識を持ち得ています。


126 :(^^;):04/06/21 02:25
寂しさが消えていってる。孤独も無い。
感動も無い。寂しさが無い。。



127 :考える名無しさん:04/06/21 02:27
なるほどー。面白いです。

128 :フェノ:04/06/21 02:28
このようなコミュニケーションの経験が多くのコミュニティに
多重に帰属し、私は形成されます。
それは、私がコミュニティの中でだれでもいい位置から、
私でなければならない位置を獲得することです。
これが私の根元的な目的です。

だから高い他者性の対象物というのは、より私を
私にしますので、つよく「欲望」されます。

それは私が日本人であるというようなこととか、
「りんご」というコミュニケーションであるよりも、
もっと他者性が高いコミュニケーションを
私が望むことを示しています。

たとえば、車好きは、車好きのコミュニケーションを
することによって、アイドル好きはアイドルに関して
コミュニケーションすることによって、
より私が何ものであるかと、明確にしていうということです。

129 :フェノ:04/06/21 02:32
これはより強くコミュニティに帰属するほど、
私が私である。ということですが、
コミュニティの一部になるという従属性がと、
私が私であるという自律性が両義的にともに満たされています。
これはシステム論の階層構造の関係に現れるもので、
「ヤヌスの双面」と呼ばれます。


130 :フェノ:04/06/21 02:37
アリの集団があり、その一匹が排除しても、アリの集団とし
なにか変化があるように変わりません。
排除された一匹の代わりぐらい、他のアリがします。
本来、私の存在は、これと同じく、偶有的なはずです。

しかしそこから私は、コミュニティにとっての私だけの価値を
見いだそうとするのです。すなわち単独性への転倒です。
このような志向は、人にとってアプリオリな志向性だと思います。

そのために、言語には他者志向性があり、言語意味には余剰があり、
他者が捏造されるです。

131 :考える名無しさん:04/06/21 02:41
神話の時代と、神話なき神話の時代って、
あんまり変わらないんじゃないですか?

132 :フェノ:04/06/21 02:41
このような価値観の形成は、ある意味で「正しさ」の捏造であり、
それは他者による承認という形で現れます。
これがクリプキの規則のパラドクスに対して、人が行為を行える
理由です。
そしてこの「正しさ」の捏造は、見方によっては狂気の捏造でもあります。

たとえば、オウム事件などでは、犯罪を犯した信者は、
「正しさ」かあのような事件を起こしたわけです。
そしてその正しさは、オウムというコミュニティの承認であると
ともに、より多くの人々の承認(人類のため)として行われます。

133 :フェノ:04/06/21 02:43
>>131
みんな神話の時代とは、近代以前の大きな物語の時代ですね。
現代は、そのような神話が崩壊し、多くの人が、
「神話に頼らずに、「正しく」生きている」という神話によって
生きています。

134 :フェノ:04/06/21 02:46
ジジェクが、イデオロギーの力は、人々がイデオロギーを信じているのではなく、
信じているようにふるまってしまうことであるということは
これをよく現しています。
このような「正しさ」の捏造は、コミュニティの承認として、
それによって、私が私であるということによっていますので、
イデオロギーのコンスタティブな論理を越えて、
もはや、信じているようにふるまってしまうのですね。

135 :フェノ:04/06/21 02:48
これはたとえば、宗教としてのオウムであるとか、
イデオロギーとしての共産主義というようなことではなく、
浜崎あゆみファンであるとか、
ある女の子を好きになってしまうとかいう、レベルでもあらわれる、
人にアプリオリな、私が私になるために、志向性なのです。

136 :フェノ:04/06/21 02:57
すなわち神話なき神話の時代とは、
人は自分自身にも見つからないように、ひそかに神を信仰している時代ということ
でしょうか。それは宗教のように具現化した神でなく、内在的な神性をです。

たとえば、先ほど上げたクリプキの規則のパラドクス、人工知能のフレーム問題、
ゴフマンの儀礼的な共在の世界、ブルデューのハビトゥスなどなど
間主観的世界は、このように成り立っているいえます。

そしてそのような中で余剰は、間主観的世界が、静的な世界にならないように、
動的な駆動力として働いている。私は私でありたいと志向することによって、
世界はダイナミックに変化し続けているということです。
狂気を孕みながらもですが。

137 :フェノ:04/06/21 02:58
おやすみなさい・・・

138 :考える名無しさん:04/06/21 02:59
おもしろかったです。

139 :考える名無しさん:04/06/21 04:09
コミュニティがゲゼルシャフト化を強めるほど、外面的規格化が進み、
どのように順応しようとも自分自身とのギャップは埋めがたいものとなる。
イエスが「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」と言ったのは
ここに関わるものだ。

140 :フェノ:04/06/21 14:22
時間とは神話である

141 :考える名無しさん:04/06/21 16:20
皇太子殿下は混乱し切った日本を救う救世主であらせられます。
すべての権力が皇太子殿下に集中するようみんなで応援しましょう。

142 :考える名無しさん:04/06/21 16:49
ぴかぁ〜の手にかかると何でも宗教になっちゃうのなw

143 :フェノ:04/06/21 16:53
>>139
ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの二項対立は
コミュニティ/個人に対応するのでしょうが、
コミュニティの本質とはそのようなものではないような気がします。
特に現代社会において。

144 :Tar ◆SQIDAUQYpc :04/06/21 17:09
私はこのスレを読まない。
何故だか分かるかな?

145 :考える名無しさん:04/06/21 17:53
知るかヴォケ
ぴかぁ〜もろとも消えろ

146 :Tar ◆SQIDAUQYpc :04/06/21 18:19
一緒にすんな!!

147 :考える名無しさん:04/06/21 18:20
自演もほどほどに。

148 :考える名無しさん:04/06/21 21:51
>>143
> コミュニティの本質とはそのようなものではないような気がします。
> 特に現代社会において。

じゃあ、どういうもの?
その二項対立が成立しないというのならば、
個人のなかにコミュニティがあり、社会があるということ?
個人=社会?
とすれば、社会化という概念はもはや意味がない?

149 :フェノ:04/06/21 22:56
>>148
ゲマインシャフトは、生活的な自然なコミュニティで、ゲゼルシャフトは、利害などの目的をもった
コミュニティということです。これは非利益/利益、真実/疑似、などの二項対立に想定されています。
そして、村落社会から国家社会への移行で描かれます。
ここにあるのは、かつてには愛のある幸福な社会であったが、事務的な冷たい社会に
なっているということが想定(捏造)されています。

本来、コミュニティはそのような二項対立ではない。村社会にも国家にも、契約があり、
愛があるということです。現代はさらに、コミュニティが流動性が高く、ゲマインシャフト性、
ゲゼルシャフト性が混沌としていますね。


150 :考える名無しさん:04/06/22 01:56
>>149
> >>148
> ゲマインシャフトは、生活的な自然なコミュニティで、ゲゼルシャフトは、利害などの目的をもった
> コミュニティということです。これは非利益/利益、真実/疑似、などの二項対立に想定されています。
> そして、村落社会から国家社会への移行で描かれます。

もちろんそれは存じています。
一般社会でもそうした二項対立図式にもとづく認識はありますよね。
例えば、
男=ゲゼルシャフト(家庭外)の役割
女=ゲマインシャフト(家庭内)の役割
のような。
家族集団から出ることを社会に出ると言ったりもします。
ということは家庭内は社会ではないということですね。

> ここにあるのは、かつてには愛のある幸福な社会であったが、事務的な冷たい社会に
> なっているということが想定(捏造)されています。

そこに価値判断をどう入れるかは個人の読み方次第になるでしょう。

> 本来、コミュニティはそのような二項対立ではない。村社会にも国家にも、契約があり、
> 愛があるということです。現代はさらに、コミュニティが流動性が高く、ゲマインシャフト性、
> ゲゼルシャフト性が混沌としていますね。

現代社会のように機能分化が進んだ社会では、家族のゲゼルシャフト化ということが
言われていますね。家族が会社や学校などの他の社会集団と同じ利益集団の一つに
過ぎないとするならば、それは家族が社会の多様な集団単位のなかに吸収され解体
される必然性を意味しているように思われます。いわば家族の社会への消滅ですね。


151 :フェノ:04/06/22 09:29
〜ならないのように
ゲゼ/ゲマという単純な図式はいかがなものかと

私はコミュニティをもっと多様に考えてます

たとえば、ゴフマンの儀礼的共在のレベルから
エレベータの乗り合わた人々からということですが

152 :フェノ:04/06/22 09:57
たとえばかつての家庭の家長性は封建的社会の連続性として考えられますし
現代の家庭への帰属意識低下は
社会コミュニティへの帰属意識の低下と連続的です

人はコミュニティへの帰属を必要としますが
これは単に利害、契約的なものではない
それはたとえば企業、学校でもです

コミュニティの本質は人に根源的で
帰属は、人がいるとある意味、潜在的に、強制的に発生する
エレベータに乗り合わせただけでも
無関心を装う儀礼というルールが発生します

153 :フェノ:04/06/22 10:06
人はコミュニティの帰属で自己価値を形成しますから
現代のコミュニティは虚像的なコミュニティになっていると思います
アニメ好きはアニメ好きコミュニティに帰属している
アニメ好きコミュニティがあるかどうかでなく
主体があるだろうと思い、
帰属しているだろうと思うことでなりたつ
だからメンバーは現前しなくても
マスメディアの情報からいるように感じられればいいし
そこにコミュニティないの競争が発生する
それはもしかすると主体の錯覚で、競争相手がいなくても
主体はアニメについて掘り下げていく

154 :フェノ:04/06/22 10:09
ネットなどは虚像コミュニティの場ですね
ホームページ、日記、掲示板、金にならないのに
せっせとつくる
あれは虚像コミュニティのメンバーへのメッセージなわけです

155 :考える名無しさん:04/06/22 10:23
>>150
> 現代社会のように機能分化が進んだ社会では、家族のゲゼルシャフト化ということが
> 言われていますね。家族が会社や学校などの他の社会集団と同じ利益集団の一つに
> 過ぎないとするならば、それは家族が社会の多様な集団単位のなかに吸収され解体
> される必然性を意味しているように思われます。いわば家族の社会への消滅ですね。

吉本隆明がヘーゲルなどの思想から導き出した「対幻想」という観念があるよね。
対幻想の社会制度的な疎外=表出が家族であるという考え方。
その場合、社会制度としての家族の水準と対幻想としての家族の水準は識別される。
で、家族のその二重性は、常に家族内の矛盾や葛藤として生じるということになる。

156 :フェノ:04/06/22 10:33
コミュニティを確認したいなら
エレベータ、電車の中で小声でなにかしゃべりつづけてください
「場」が凍ります
「場」とはコミュニティです

偶然の場でなく、学校、会社などで定期的にやってください
コミュニティから排除されます
それは会社をやめさせられるとかでなく
無視、いじめなどです
場の空気を読むことは大切です

157 :フェノ:04/06/22 10:44
顔を使い分けるというのはだれでもやっています
これも場との関係ですね

158 :フェノ:04/06/22 10:51
「場」違いというのがありますが
場違いは、コミュニティへの狂気として移り
排除する力が働くわけです
日本における宗教などは
場違い感としてあらわれ
嫌悪され、排除されます
オウムなどは逆に社会からの排他という力が
逆に内部の帰属性、密室性を高め
あのような方向に向かったともいえるかもしれません

159 :フェノ:04/06/22 11:00
このような場からの排除は人の根源に関わる問題です
生死に関わることもおおいでしょう

160 :フェノ:04/06/22 11:13
このような狂気を利用するのが
「お笑い」でしょうか

161 :フェノ:04/06/22 11:49
吉本氏の対幻論しりませんが
場の力みたいなものですか

162 :フェノ:04/06/22 11:57
お笑いは、場を意図的にくずす(ぼける)ことによって、狂気を作り出します

だから場の力が強いほど効果的です
たとえば学校の人気者が先生のマネをして笑いをとるというのがよくありますが
先生は教育場における場を支配する強い他者ですね
先生を馬鹿にするのは、大きな場違いなのですが
それ故大きな笑いになります

163 :フェノ:04/06/22 12:28
人が転んでおもしろいのは
転ぶことにより現れた狂気を目撃した気まずさ(不安)を笑って解消するためです

お笑いは狂気をつくりだし人々を目撃者としてきまずさ(不安)を演出します

164 :フェノ:04/06/23 19:08
ん?

165 :考える名無しさん:04/06/23 19:39
ぴかぁ〜
今日も板を荒らしてまわるのか

166 :フェノ:04/06/24 01:19
*コミュニティの暗黙の強制力

昔、テレビで見たのだが、朝、スクールゾーンに、多くの車が近道として進入してくる。このために父母が
進入口にたって、進入車に向かって、通行禁止だと呼びかける。はじめ父母たちは、進入してくる車の
運転手に対して、「ここは通行止めだから通れません。」と高圧的に対応していたが、制止を振り切って、
進入する車があとをたたなかった。ところが、丁寧に「おはようございます」という挨拶から入り、
「申し訳ないですが、ここは通れないんですよ」という説明にしたところ、ほとんどの車が素直に迂回した
ということだった。

たとえば「人としてあるまじき行為である。 」とか、親として、社会人として、などと言うことを言います。
この場合に「人」とはなんでしょうか。ここでは、私が、あるいは相手が価値を共有するだろう同じコミュニティに
帰属していることを示します。「人として」の行為が明確にあるか、あるいはそのようなルールを
もったコミュニティが現存するかわからないが、そのようなコミュニティがあり、われわれはそこに帰属し、
そこではルールがあるだろうという漠然とした<b>虚像的なコミュニティ</b>への帰属意識が了承されている
だろうことによって、「人として」という言葉は意味をもっている。

たとえば、エレベータの中で小声でなにかしゃべりつづけてください。「場」が凍ります。「学校、会社などで
小声でなにかしゃべりつづけてください。コミュニティから排除されます。それは会社をやめさせられるとかでなく、
陰口、無視、中傷、いじめなど排他的な行為として現れるでしょう。すなわちこれは、「場違い」なのです。
場違いはその場(コンテクスト)において不適切な発言、状態をさしますが、そこに「場」があることを示しています。
「場」は、明確な実在をともなうものではなく、虚像的なコミュニティへの帰属意識として、現れます。場には
虚像的コミュニティの<b>暗黙の強制力</b>が働いています。


167 :フェノ:04/06/24 01:21
このようなコミュニティの暗黙の強制力を示したものが、<b>ゴフマンの共在な世界(交互行為の秩序論)</b>
でしょう。共在は「社会経験の大部分、挨拶なり談笑なり恐喝なりセックスなり、他の人と居合わせたところ」
であり、共在では「<b>慣習的プラクティスの網</b>」として「<b>相互行為秩序</b>」が構成されます。

共在の世界において、人々は相互行為プラクティスという価値を共有しあっているという暗黙の了解のもとに
構成された暗黙の秩序のなかにいる。それは人に強制的な儀礼を強いるという緊張感とともに、
場が安全であるということを保証する。このような共有観はそれぞれの期待であり、信頼であり、
虚構であるから、いつ不安定化するかしれない。それでも人々は信頼しあい、場の秩序を保とうとすると
いうことでしょう。

人の行為は思う以上に自由ではない、といえます。他者から行為を提示されると、そこにはすでに予期される
行為として、強制的に決定されています。それに従わないことはできますが、人はしたがってしまいます。
たとえばだれかに「おはようございます。」と言われれは、そこにはすでに私が「おはようございます。」という間が
開かれます。はじめのスクールゾーン進入の話にもどると、丁寧に「おはようございます。」と挨拶することに
よって、侵入者を暗黙の強制力下に呼び込み、侵入者は儀礼的行為へ導かれてしまいます。


168 :フェノ:04/06/24 01:22
たとえば、このような暗黙の強制力は、ゴフマンの示す生活のなかの場だけに働くものではないでしょう。
たとえば、ジジェクのイデオロギー論にもつながります。ジジェクによると、イデオロギーの力は、
人々がイデオロギーを信じているのではなく、信じているようにふるまってしまうことであるということです。
あるイデオロギーに基づくコミュニティに所属するということは、そのイデオロギーを理解し、納得し
受け入れているかという論理的なレベルではなく、暗黙の強制力として、イデオロギーに信じているように
ふるまってしまうレベルで働くということです。また<b>フーコーのパノプティコン</b>にもつながるでしょう。
いつも看守に見られているだろう状況とは、看守を含めたコミュニティに帰属しているように捏造される、
暗黙の強制力下におかれることを意味します。

共在には人を暗黙に、強制的に従わせる力があります。これはコミュニティへの帰属意識であり、
帰属しているという理解以前の力として働きます。人は、根元的にコミュニティへの帰属を志向し、
共在の力は潜在的に、強制的に発生します。それは根元的に、私が私であることを規定していることに
つながるからです。

ブルデューは<b>ハビトゥス</b>という概念をしめしています。「本来、個人の好みに関わる問題とされ、
一見全面的に各人の自由な選択にゆだねられているかに見える「趣味」の領域においてさえ、われわれの
判断がじつは自分の所属している階級もしくは集団に固有の知覚・評価・判断・行動図式の体系(ハビトゥス)
によって厳密に方向付けられ規定されている。」これはコミュニティの暗黙の強制力が、「恣意的な差異を
生産する分類=階級化のメカニズムを広義の「文化」なヒエラルキー化」として働くことを示しています。


169 :フェノ:04/06/24 01:23
このように、共在の場において、コミュニティの力がどのように働いているか、「<b>場の空気</b>」を読むことは
大切さなことです。場には儀礼的な秩序としての<b>暗黙の強制力</b>が働いていますので、場違いは、
場を破る狂気です。狂気が発生すると、コミュニティにはその不安を排除する力が働きます。

人はコミュニティへ多重的に帰属して、私が何者であるかを構築します。このために場から排除されることは、
人の根源に関わる問題となります。それが顕著に現れるのが、いじめの問題です。いじめはコミュニティから
の排除として働くために、いじめられるものの死へとつながります。安易に考えると、生活の場を代えれば
よいとも言えますが、幼いものにとっては、学校というコミュニティが彼らにとって、すべてです。
そのためにコミュニティからの排除は、決定的な自己否定となります。

たとえば、日本における宗教への漠然とした嫌悪感は、日本という虚像的なコミュニティの場を破る存在であり、
狂気としてとらえられます。たとえば、オウム真理教があのような言動に走ったことには、社会からの「場違い」と
しての排他的な圧力を受け続けたことにより、オウムというコミュニティ内部の帰属意識が高まり、
そして密室性を高め、あのような方向に追い込まれという面があることも否めないと思います。


170 :フェノ:04/06/24 01:23
このような狂気を利用するのが、「お笑い」でしょうか。お笑いは、場を意図的に、(安心した舞台において)破る
(ぼける)ことによって、狂気を作り出します。観客は、その狂気の目撃者として、きまずさ(不安)を感じ、
それを解消するために、間を笑いで埋めようとします。つっこみは、観客の代替役であり、つっこむことにより
狂気を解消するとともに、観客に狂気の位置をよりわかりやすく提示します。

たとえば、人が転んでおもしろいのは、転ぶことにより現れた場を破る狂気を目撃した気まずさ(不安)を笑って
解消する行為です。たとえば学校の人気者が先生のマネをして笑いをとるというのがよくありますが、先生は
教育場における場を支配する強い他者です。その先生を滑稽に演じるのは、学校という暗黙の強制力が
強く働く場を破ることです。笑いには、暗黙の強制力が強く働く場を演出し、それを如何に破るかが
重要になります。

171 :考える名無しさん:04/06/24 01:30
吉本新喜劇。

172 :考える名無しさん:04/06/24 01:37
芸能界の掟

173 :考える名無しさん:04/06/24 01:51
興味深く読みました。もちっとだけ、、、何か物足りないです。

174 :フェノ:04/06/24 01:57
なにでしょうか。というか、つづきものの一部ですので、
その他に、何かがあれば、幸いです。

175 :フェノ:04/06/24 11:27
ん?

176 :フェノ:04/06/24 13:27
しかし赤ちゃんにおいても笑うということは
彼等はすでに場の中にいるということだろうか
有名ないないいないばーとは
そこに狂気があることを読み取ることをしめす

177 :フェノ:04/06/24 13:31
子供が下ネタ大好きである
「うんち」ということばにすでに日常における非日常性、狂気を読み取る

178 :フェノ:04/06/24 13:44
ダウンタウンのごっちええ感じはまったく名作コントがたくさんあった

その中でも好きなのが、捨てられた犬のコントだ

ある家族が新しい家に引っ越し、置き去りにされた犬がなんとかその家族をみつける
その玄関先でのやりとりをコントにしている

なんとか到着しましたという人のよい犬と
場をわかれよ、おまえは貧乏臭くて捨てていったんだよということを
とうまわしにわからせようという主人

179 :フェノ:04/06/24 13:59
人のよい犬は、捨てられたとはうたがわず、家族をしんじている
コミュニティの沈黙の強制力をもってせまってくる

それがすでに場の空気を読めていないということである
本来、場は犬にある
かれは人がよいだけなのである
しかしそれが逆転して、普通の彼が新しい場では
場違いな狂気なのである

だから主人ははっきり拒絶できない
とおまわしに、おまえは貧乏くさくて、新居ににあわないことを匂わせる

少しずつあらわれになる場違いの狂気が、緊張感を生み
笑いをさそう

180 :考える名無しさん:04/06/24 13:59
フェノさん
よそ(お笑い板)へいって書き込んだら?

181 :考える名無しさん:04/06/24 14:01
フェノさん
あなたは場を読めていないよ。

182 :考える名無しさん:04/06/24 14:02
フェノさん
あなたは場違いだけどまったく笑えないよ。

183 :フェノ:04/06/24 14:05
ダウンタウンはこの手の日常の狂気を描かせると天下一品である

カッパの親子のコントでは
人のよい河童のこどもが悪ガキにいじめられる
そこに河童のとうさんがあらわれ
悪ガキに注意する
そこに悪ガキのやくざな父が現れる

184 :考える名無しさん:04/06/24 14:06
フェノさん
どうしてダウンタウンなの?

185 :考える名無しさん:04/06/24 14:09
>暗黙の強制力が強く働く場を演出し、
フェノさんこれ日本語としておかしいでしょ?

186 :考える名無しさん:04/06/24 14:11
>つっこみは、観客の代替役であり
フェノさん、代替って読み方ちゃんとわかってる?
ところで代替役って何なの?

187 :考える名無しさん:04/06/24 14:15
>たとえば、人が転んでおもしろいのは、転ぶことにより現れた場を破る狂気を目撃した気まずさ(不安)を笑って
>解消する行為です。
フェノさん日本語変ですよ。
「人が転んでおもしろいのは、〜解消する行為です」
どこか変でしょ。フェノさんは何を言いたいのですか?

188 :考える名無しさん:04/06/24 14:18
>たとえば、このような暗黙の強制力は、ゴフマンの示す生活のなかの場だけに働くものではないでしょう。
>たとえば、ジジェクのイデオロギー論にもつながります。
フェノさん『たとえば』の使い方ぐらい覚えてくださいね。
『たとえば』といったなら具体例を提示しなきゃ駄目でしょ?
二行目の語尾が『〜つながります』じゃ『たとえば』より『または』とかの方がいいんじゃないの?

189 :考える名無しさん:04/06/24 14:23
フェノさんはどうして『はてな』と行ったり来たりするの?
どうして『はてな』だけにしないの?


190 :考える名無しさん:04/06/24 14:29
フェノさん『はてな』って面白いの?

191 :考える名無しさん:04/06/24 14:33
フェノさん
自作自演してまで何がしたいの?
つまらないものはつまらないよ。
だって中身がないんだもの。

192 :考える名無しさん:04/06/24 14:35
だってフェノさんの文章は薄っぺらだもの。

193 :考える名無しさん:04/06/24 14:38
フェノさん
あなたはくだらないよ。

194 :考える名無しさん:04/06/24 14:45
ん?

フェノさん、なんか言った?

195 :考える名無しさん:04/06/24 14:51
フェノさん
さよなら。

196 :考える名無しさん:04/06/24 14:59
ん?

197 :フェノ:04/06/24 15:08
現象学的「真理」とは
われわれの認識能力の限界に真理は現れるということである

たとえば私がみている赤とあなたが見ている赤は同じかという懐疑にたいして
われわれは同じとして赤のイデア性を信じている
たとえそれが懐疑主義の哲学者においてもだ

なぜなら生活において疑い続けることなど
認識能力上不可能だからだ
それは意識という力の限界である

198 :フェノ:04/06/24 15:15
たとえば科学者が宇宙のはてを疑いつづける
それは意識力、記憶力を補完する技術力の力をかりて
それでもそのときの限界は現れる
そしてそこに一つの真理が現れる
それ以上は、疑い自体が発生しない地点である

神を信じていた人は神を選択したのではなく
神の疑い方を知らなかったのである
疑い方をしらない地点は真理である

199 :考える名無しさん:04/06/24 16:41
一切はプラシーボである、なんちゃって

200 :フェノ:04/06/24 17:05
科学の疑い方を知らないから、科学は現代の真理である

201 :考える名無しさん:04/06/24 20:04
ん?


202 :考える名無しさん:04/06/24 20:15
フェノさん全然駄目だよ。全然だめ。
>>197
>現象学的「真理」とは
>われわれの認識能力の限界に真理は現れるということである
真理は現れないよ。真理はその限界とされる場所にあるものなの。
現れる(現象する)のは真理ではなくて悟性認識なの。
気をつけて

203 :考える名無しさん:04/06/24 20:21
>>197
>なぜなら生活において疑い続けることなど
>認識能力上不可能だからだ
>それは意識という力の限界である
フェノさん全然駄目だよ。これ以上ないってくらい駄目。
認識能力が基盤として持つものは<疑い続けられるかどうか>じゃないでしょ。
限界は、生活の中にあるものじゃないの。それに意識と生活は違うものでしょう。
だから、二つはつなげられないの。

204 :考える名無しさん:04/06/24 20:25
フェノさん、嘘をついちゃいけない。
>>198
>たとえば科学者が宇宙のはてを疑いつづける
>それは意識力、記憶力を補完する技術力の力をかりて
>それでもそのときの限界は現れる
>そしてそこに一つの真理が現れる
>それ以上は、疑い自体が発生しない地点である
フェノさん見てきたようなことを言っちゃ駄目。
疑い自体が発生しない地点なんてどこにもないでしょ。
そんなものどこにもないの。だから真理なんてどこからも現れない。
フェノさん、嘘をついちゃ駄目でしょ。

205 :考える名無しさん:04/06/24 20:42
>>198
>神を信じていた人は神を選択したのではなく
>神の疑い方を知らなかったのである
>疑い方をしらない地点は真理である
フェノさん、まったく駄目。
疑うってどういうことかわかる?
疑うっていうのは怪しむことじゃないの。
だから『疑い方』なんてない。そんな方法なんてないの。
それに言っておくけど、フェノさんの言っている真理は理念なの。
真理は真だけど、フェノさんの言う真理は必ずしも真であるとは
限らないでしょ。ただの捏造でしょ。だから理念が正しいの。
まったく駄目。

206 :考える名無しさん:04/06/24 20:46
駄目だしの連発。

207 :考える名無しさん:04/06/24 20:52
だって誰が見たって駄目でしょ。
だってフェノさんのは哲学じゃないでしょ。ただの空想。
本当にぜんぜん駄目。
いいところなんて本当に全然ないの。

208 :フェノ:04/06/24 22:26
ん?

209 :考える名無しさん:04/06/24 22:46
結構ワラタw
なかなかいい(・∀・)

210 :考える名無しさん:04/06/24 22:48
一つ単語を覚えたら手当たり次第使いたがる子供のようなもの = ぴかー

211 :フェノ:04/06/25 02:38
フッサールが生活世界と呼ぶものは
経験の根源、人が疑い方をしらない領域である
たとえば表面のザラザラした感じは、ザラザラ感について疑いえない

そしてそれは直観でなくすてに意味としてやってくる
この超越論的主観性が直観でなく、意味であるということは
それは他者の意味であるといえないだろうか

212 :考える名無しさん:04/06/25 02:40


     ま    
        た
             お
              ま
                  え 
                    か

213 :フェノ:04/06/25 17:02
美しさへの悪無き願望

214 :フェノ:04/06/25 19:46
芸術とはなんだろうか
ひとことでいえば、言語にならない叫びであり、うめき声である

215 :フェノ:04/06/25 19:51
言語という共有性のための力
それはわたしがわたしであるために発すればするほど
遇有性へ引き込み力に対して
私はここにいる!という叫びである

言語に回収されることをこばみつづけ、痕跡を遺す
それが芸術作品の本質である

216 :考える名無しさん:04/06/25 19:55
芸術に本質なんてあったら牡丹餅になっちゃうよ

217 :フェノ:04/06/25 20:04
だめ夫のびた、内省
ジャイアン、暴力
スネ夫、猜疑心
しずかちゃん、道徳
という自我の象徴的差異の体系に対して
どらえもんという捏造された神性、他者が、
異次元ポケットからのアイテムという超越論的シニフィアンにより、自我の余剰を回収する

218 :フェノ:04/06/25 20:08
余剰が回収されつくし
限りなく言語の差異の体系になったとき
それは社会、大人となり
どらえもんという神は消去される

219 :考える名無しさん:04/06/25 20:17
「なぜ、ぴかぁ〜はそれ程までに叩かれるのか?試論」(笑

ぴかぁ〜って、あずめん(東氏の複数形=あずまん派)なんだっけ?
東スレをロムしてみたら、「ソルジェニーツィン試論」が話題になってたので、
積ん読になってた「郵便的不安たち」を初めて眺めてみた。
「S試論」は、思考がうねってるみたいで、あまり興味が持てなかったが、
冒頭の「棲み分ける批評(1999)」は、明解で、東氏の知性が光っている。

ぴかぁ〜も読んでみな。それと、消化不良のてつがく用語を組み合わせて、
意味不明な文章書くより、東氏の明解な文章を参考にして、
その「ザラザラ」した大地の具体的な話題について書いてみたらどうよ。

『つまり哲学的言語の使い手たちは、世阿弥が「花」と呼んだ美の現実を
捉えられない。小林は彼らの貧しさと対比しつつ、「無用な諸観念の跳梁しない」
世阿弥の言葉をはっきりと讃えている。』P.17
この箇所は、まるで、ぴかぁ〜に直接向けられたフレーズみたいじゃないか。


220 :考える名無しさん:04/06/25 20:40
>言語に回収されることをこばみつづけ、痕跡を遺す
>それが芸術作品の本質である

実際にものづくりの現場にいる人間は、おまえみたいに実際に作れもしないのに
能書きばかり述べる批評家を一番嫌い、軽蔑している。

221 :フェノ:04/06/25 21:03
「花」を哲学言説でかたれないのはあたりまえ
語れないから「花」というシニフィアンに回収するのです

語れないことをかたっているのに
語れないことを指摘するのは
転倒、すなわち神の捏造であり
フェノを単にシニフィアンとして
あなたの余剰を回収しているだけですよ

222 :フェノ:04/06/25 21:11
ジジェクという新たなる使徒

223 :考える名無しさん:04/06/25 21:30
>「花」を哲学言説でかたれないのはあたりまえ
>語れないから「花」というシニフィアンに回収するのです

>語れないことをかたっているのに
>語れないことを指摘するのは
>転倒、すなわち神の捏造であり
>フェノを単にシニフィアンとして
>あなたの余剰を回収しているだけですよ

フェノさんの頭の中で、論理的破綻がなく一貫しているのならば、
辛抱強く読み解くことは可能でしょう。
が、話題により相応しい言葉があると考える。
引用文については、俺の目には「無用な諸観念の跳梁」にしか映らない。

確か、ヘルダーリンの詩の一節に「花はなぜ咲く、咲く故に咲く」
その「哲学言説」で語る必然も必要もないのではないか。

224 :フェノ:04/06/25 21:37
なぜ花は美しいのか?ではなく
花を美しいと「言う」ことはどういうことですね

225 :フェノ:04/06/25 21:44
私はエポケーした後の世界の住人であり、
あなたかエポケーする前の世界の住人である
それだけのことですね

226 :考える名無しさん:04/06/25 21:48
なるほど。
「言語にとって美とはなにか」
つう、おじさんもいましたね。でわでわ。

227 :226:04/06/25 21:54
>なるほど。
これは、パフォーマティブに受け取って下さい(w

228 :フェノ:04/06/25 21:54
花が美しく思うことを疑うことはできない
美しいものは美しいとしかいえない
ただそこには他者が忍び混んでいる
そして私を名指し、私は私となるということです

229 :考える名無しさん:04/06/25 22:46
旅館に着いた日に見た富士山は美しく雄大かつ荘厳であったが
三日目にはその感動は消えうせていた。

230 :フェノ:04/06/25 23:19
大文字の他者消失、小さな神話の時代ですからー

ラカン切り…残念!

231 :THE グル :04/06/25 23:21
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


232 :フェノ:04/06/26 11:59
ジジェクはなぜ映画を語るのか

233 :フェノ:04/06/26 12:04
フロイト、ラカンは神話、小説を、自説を説明する隠喩として効果的に使った

しかしジジェクの映画はそれとは違うように思う
ジジェクは映画をあたかも「リアル」な体験のように語るのだ

234 :フェノ:04/06/26 12:07
それはわれわれの体験がもはや映画的リアルと
変わらないということを示しているようである

235 :フェノ:04/06/26 12:12
はたして本当にそうだろうか
われわれのリアルと映画的リアルはもはや相違ないところに来ているのだろうか

236 :フェノ:04/06/26 12:26
われわれは映画がフィクションであることを知っているだから
どれだけSFXが発展しようが
終末的映画であろうが、楽しめるのである
そこにはベンヤミンがいうところの展示的価値がある
映画舘でありブラウン管であり、それはコンテクストにおいてフィクションなのである

237 :フェノ:04/06/26 12:32
しかし美術館というコンテクストに「泉」という名付けをもった便器が
展示されたとき、
われわれのリアルは混乱する

238 :フェノ:04/06/26 12:46
日常の象徴が、名付けられフィクション場にあられる
便器でさえ、偶有性から単独性への転倒が可能なこと
すなわち神話となりえることが暴露されたとき
もはやわれわれのリアルが神話の上に辛うじて立っている
すなわちリアルとは、私とは単なる思い込みでしかないということである

239 :フェノ:04/06/26 12:54
現代、便器はブラウン管の中である
そしてそこでは美術館のように、フィクション場というコンテクストさえ
見えなくなっている
「泉」のようにリアルとはなにかという問題提議さえ隠蔽されているのである

240 :フェノ:04/06/26 12:56
さらにいえば、テレビの中こそがリアルなのである

テレビによってリアルを学び、テレビの中に住んでいるのである

241 :フェノ:04/06/26 13:00
それによって私という便器は「泉」になるのである

242 :THE グル :04/06/26 13:02
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


243 :考える名無しさん:04/06/26 13:05
グルさんはぴかぁ〜さんではないですよね





244 :フェノ:04/06/26 13:05
だからジジェクか「手紙は必ず届く」ということと
デリダが「手紙は届くとは限らない」ということに
対した差異はない
便器には届かないかもしれないが
「泉」には届くのである

245 :THE グル :04/06/26 13:06
>>243
いいですか、
グルはぴかぁ〜さんじゃあないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?

246 :フェノ:04/06/26 13:17
すなわちジジュクが「リアル」であり、デリタが「フィクション」ということなのだろう

247 :フェノ:04/06/26 13:24
神話なしには私が私でいることなどできないのだから
ただいつまでリアルはリアルであり続けることはできない
ジシェクがいちまでリアルであるかは神のみぞしるである

248 :フェノ:04/06/26 13:26
ボードリアールがリアルであった時代がもはや過ぎ去ったように…

249 :THE グル :04/06/26 13:32
いいですか、
なんか言っておられることが無茶苦茶ですね。
どうかしましたか?

250 :フェノ:04/06/26 16:20
哲学用語辞典にある言葉(なるべく印象的なものが好まれる)を
思いつくまま適当に並べ替えてるだけで、ぴかぁ〜の文章は作れてしまう。
これは極めてウィトゲンシュタイン的な言語ゲームのように思える。
しかし、ゲームは常に暫定的なルールを必要とする一方、
ぴかぁ〜の言説は一貫性を欠き、ほとんど自分勝手な言葉の羅列に
終始しているという、両者間の「差異」は見逃すことができない。

251 :フェノ:04/06/26 16:21
「他者」とコミュニケーションをとるためには、ルールが必要である。
ぴかぁ〜は「他者」という概念をまったく理解できないにも関わらず
その文章において「他者」という言葉は濫用されている。
これは「他者」「コミュニケーション」「場」等々の言葉を多様することによって、
少しでも自分の文章を立派に見せようとする、一種の知的「装飾」なのである。

252 :フェノ:04/06/26 16:22
*ジジェクはなぜ映画を語るのか


ジジェクはなぜ映画を語るのか。フロイト、ラカンは神話、小説を、自説を説明する隠喩として効果的に使った。
しかしジジェクの映画論はそれとは違うように思う。ジジェクは映画をあたかも「リアル」な体験のように語るのだ。

われわれは映画がフィクションであることを知っている。だからどれだけSFXが、CGが発展しようが、
楽しめるのである。映画館であり、ディスプレイであり、画面と私たちには「確実な距離」がある。
鑑賞しているというコンテクストにおいて、映画はフィクションなのである。

しかしほんとにそうだろうか。美術館という鑑賞の場(コンテクスト)に「泉」と名付けられた便器が、
展示されたとき、われわれのリアルは混乱する。日常の象徴が、フィクション場にあられる。
「確実な距離」の先に日常が現れ、それがフィクションとして見るように強要されたとき、
われわれが嫌悪したのは、便器でさえ、偶有性から単独性への転倒が可能なこと、
すなわち神話となりえるということである。それは逆説的に、フィクションと「確実な距離」があるはずの
われわれのリアルはほんとうにリアルなのかということである。リアルとは、私の単なる思い込みでしか
ないないのではないか。私という存在は、神話の上に辛うじて立っているだけではないのかと言うことの
暴露である。

現代、便器はディスプレイの中である。そして美術館の「泉」のように「リアルとはなにか」という問題提議さえ
隠蔽し、本来、そこにあるはずの「確実な距離」は消失している。なぜなら「泉」とは、「私」であるからである。
そこでは、便器が「泉」であることと私が「私」であることに、差異を見いだすことなどできないのである。
だから私たちはテレビによってリアルを学び、テレビの中に住むことに、疑問を持たないのである。
テレビの中こそがリアルである。それによって私という便器は「泉」になるのである。


253 :フェノ:04/06/26 16:23
ジジェクか「手紙は必ず届く」ということと、デリダが「手紙は届くとは限らない」ということは、便器には届かない
かもしれないが、「泉」には届くということである。現代においては、ジジェクが「リアル」であり、
デリタが「フィクション」ということになるのだろう。神話なしには私は「私」でいることができないのだから。

ただジジェク的リアルだけが、リアルではない。われわれが「夢見る便器」である以上、夢は一つではないし、
ひとところに収まらない。たえず、あらたな夢を見続けるのである。ジジェクが「9月11日にニューヨークで
起きたのは、この町の市民が、目覚めて、現実の砂漠へと導かれたのである。」ということも一つのリアルな
夢であり、そのようにいうことによって、夢はさらに異なったところに移ろうとする。われわれがリアルな神話を
求めるのは、私が「私」であり「続ける」ためだからである。

このような、「夢を見続ける」時代が、ベンヤミンが「アウラの消失」といったものであろう。「アウラの消失」とは
神話時代の終焉ではなく、ひとところにおさまらず、移り変わり、絶えず神話を捏造し続けることを強いる
時代である。「手紙を出し続けなければならない」のは、届かないからかもしれない、のではなく、
受け取り続けることによってしか、「泉」でおれない、便器であることが暴露されるからである。


254 :フェノ:04/06/26 16:23
ぴかぁ〜の言説に「意味」はない。
ただ「装飾」のみが存在しうる。

255 :フェノ:04/06/26 16:25
>>
爆撃がこれほどに破壊的な影響を与えたことのほんとうの意味は、ディジタル化された第一世界と、
「現実の砂漠」の第三世界が、明確に分離しているという背景を考えなければ理解できない。
われわれが生きているのは、ある悪意をもったエージェントが、完全な破壊をめざしていつもわれわれを
脅かしているという考え方を生み出すような隔絶した人為的な世界であることを自覚しなければならないのだ。
(「現実という砂漠にようこそ」 スラヴォイ・ジジェク)
<<

現在において、「ディジタル化された第一世界と、「現実の砂漠」の第三世界が、明確に分離しているという背景」
は、もはやリアルではない。イラク戦争がおこり、日々新たなリアルが画面からながされ続けている。
もはや私が「私」であるためには、テロリストを便器から「泉」にするしかないのである。日本において、
それが人質事件の「報道」であって、それはテロリストであり、ジャーナリズムによる演出であったが、
それを受け入れがたい感情は、人質を「泉」としバッシングすることによって、テロリストを便器のままで
やり過ごしたかったのである。

ジジェクは、「現実という砂漠にようこそ」において、 最後、このように閉めている。まさにこれがリアルという
神話であることを象徴するような文章である。「〈ここで〉このような出来事が起きないようにするための
唯一の可能な方法、それは〈他のどこでも〉このような出来事が起きないようにすることなのである。」
「争い無き世界」という究極の神話である。これはジジェクがこのような夢を見ているということではない。
神話は神話で締めくくるという文章的な儀礼でしかない。

256 :フェノ:04/06/26 16:31
「ぴかぁ〜がレスを続けなければならない」のは、
読まれないからかもしれない、のではなく、
読まれ続けることによってしか、「泉」でおれない、
便器であることが暴露されるからである。

2chが便所の落書きとされる現象にも符号するが、
このスレはいわば、ぴかぁ〜の「便器」に過ぎないのだろう。
ただそこへ「排出」されるだけで、だれも「汲み取る」ことがない。
好んでウンコを汲み取る馬鹿はいないからだ。

257 :フェノ:04/06/26 16:36
>>256
これはおもしろい!
便所の落書きとは、「泉」で居続けるため、便器にならないための
行為である。もらった。

258 :フェノ:04/06/26 16:36
ぴかぁ〜は、「2chという砂漠にようこそ」において、 
最後、このように閉めている。まさにこれがポストモダンという
神話であることを象徴するような文章である。
「〈ここで〉このような駄文の垂れ流しが起きないようにするための
唯一の可能な方法、それは〈他のどこでも〉
このような駄文の垂れ流しが起きないようにすることなのである。」
「ぴかぁ〜無き哲学板@2ch」という究極の神話である。
これは哲学板住人がこのような夢を見ているということではない。
神話は神話で締めくくるという文章的な儀礼でしかない。

259 :フェノ:04/06/26 16:41
>>257
おいおい、ぴかぁ〜さんに褒められちゃったよ。
あなたって本当に謎なキャラクターですね。

260 :フェノ:04/06/26 16:41
「レスを続けるのは」のは、
誰かが読むかもしれないからではなく、
書き込み続けることによってしか、「泉」でおれない、
便器であることが暴露されるからである。
「レスはかならず読まれる」のである。

2chが便所の落書きと言われようが、
「レスはかならず読まれる」故に、
書き込み続けられるのである。

便所の落書きとは、「泉」で居続けるため、便器にならないための
行為である。


261 :考える名無しさん:04/06/26 17:03
部屋に閉じこもって
テレビだけを見て
テレビで言ってる事が真実であると思い込めば
テレビがいくら嘘をいっても
それはその人にとって確実なリアルである

262 :考える名無しさん:04/06/26 17:15
>>260
じゃ、コテハンなしの発言は、ただの便器だってお前は言うのか?

263 :考える名無しさん:04/06/26 20:56
0が不合理となる微積分学としての人生をおしえてください。

264 :フェノ:04/06/27 00:28
ん?

265 :考える名無しさん:04/06/27 00:42
>>264
もうガムスレ荒らすなよ

266 :考える名無しさん:04/06/27 01:36
ぴかぁ〜さん 「ダイヤモンドは傷つかない」と言うぞ。
本物志向なら、批判は批判として受け止めて蘇るのだ。おやすみ。

267 :考える名無しさん:04/06/27 01:46

もう、笑うしかないや。多分、外から見てたら完全馬鹿だぜこいつwwwwwwwwww!!!!!!


268 :考える名無しさん:04/06/27 01:50
ネロ、パトラッシュと一緒に(w

269 :フェノ:04/06/27 11:13
ん?

270 :フェノ:04/06/27 19:21
真実はいつも平凡だ

271 :フェノ:04/06/27 19:22
恋愛は哲学できるだろうか

272 :フェノ:04/06/27 19:25
なぜ相手を好きになったのか
自分になにが起こっているのか

的確に論理的に言語化できるだろうか

273 :フェノ:04/06/27 19:26
恋愛は、自分の主義主張とことなる位相で起こる

274 :考える名無しさん:04/06/27 19:27
氏ね

275 :フェノ:04/06/27 19:34
私がつきあう相手はよく、周りから違和感をもってむかえられることがある

社会的キャラクターとあった相手ではないということであるが
これは意識しているわけではないが
そのような相手を望んでいるということだろうか

だから恋愛場での私の姿は社会的つきあいの人たちには
あまり見られたくない、はずかしいということだ

なにがほんとうの私であるなどは、無意味であるが
そこには位相がある

276 :フェノ:04/06/27 19:41
社会的キャラクターとマッチした相手とは
互いに自己規定しあっていりような
いわば社会的に規定された自分自身をみるように感じる
社会的規定は必ずしもそれが抑圧的であるということではないが
それはそれで「自然な現れ」であるとは思うが
そのような他者と恋愛場という主観的、自己露出的場で向き合うのは
自分と向き合うようであまり居心地がよくないと言う感じだろうか

277 :フェノ:04/06/27 19:47
現代哲学は他者の時代である

他者とはなんであるか
それは限りなく私であるが差異があるものということだ

278 :フェノ:04/06/27 19:58
しかし恋愛の他者は哲学的他者性では語れないだろう
恋愛は一つの社会的コンテクストであるからだ
さらに思想的なコンテクストともことなり
かなり特殊なコンテクストであるといえる
言語意味に回収されない余剰が渦巻く世界、極めてアウラな場だ
それは哲学とはかぎりなく遠い世界といえる

279 :フェノ:04/06/27 20:00
いわばそれは芸術に近い世界なのである

280 :フェノ:04/06/27 20:02
「語り得ぬもの」の世界である

281 :フェノ:04/06/27 23:08
デリタ的形而上学とは、「完全なる」差異、
完全なる偶有性への意思である

282 :フェノ:04/06/28 01:38
神話の時代から、神話なき神話の時代への転換点に
ニーチェがいる。
それは、完全なる真理という神話から、完全なる差異(偶有性)という神話への
変換である。
そこでは、差異の体系という神話否定により、神話を消滅させるような
トリックが仕組まれている。
「私が私であるということは、神を捏造することである。」ということが
隠されているのである。

283 :フェノ:04/06/28 01:40
真理はあると「真理はない」という真理


284 :考える名無しさん:04/06/28 02:52
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1087566598/l50

285 :フェノ:04/06/28 15:04
「神話の捏造」はもはやポストモダン的なひとつのモチーフである。
ニーチェの「力への意志」であり、バルトの「神話作用」であり、
ラカンの大文字の他者」

286 :フェノ:04/06/28 19:00
リアルとはなんだろうか
それは狂気、すなわち死への恐怖ではないだろうか
それは死そのものではない

287 :考える名無しさん:04/06/28 19:03
フェノさんのスレッドって、いまはこれだけなのかな。

288 :フェノ:04/06/28 19:06
狂気とはなにか
それは正義である

289 :考える名無しさん:04/06/28 19:07
正義とはなにか
それはageである

290 :フェノ:04/06/28 19:12
リアルとは正しいだろうものが、コンテクストにおいて正しくありつづけようとする狂気である

291 :考える名無しさん:04/06/28 19:20

 リアリスト狂気は元気の証拠かな

292 :考える名無しさん:04/06/28 21:59
プログ読みました☆
私からは、意味のある発言は控えておきます。
ただ、「ご苦労様です」と言っておきます。

293 :フェノ:04/06/28 22:03
ん?

294 :考える名無しさん:04/06/28 22:12
あれは神話ならぬ千夜一夜物語ですね!

295 :フェノ:04/06/29 00:49
ん?

296 :考える名無しさん:04/06/29 01:32
>>295
リアル、正義が狂気であるとは、個の真実と社会規範の関係でしょうか?
例えばラスコーリニフでしょうかね。

297 :フェノ:04/06/29 01:37
ドストエフスキーにはグルーヴがある。
それこそか真実であって、ラスコーリニフがリアルなのではない。

298 :フェノ:04/06/29 01:42
パノプティコンこそが真実であると言える。
監獄の中は全て幻想に過ぎない。

299 :考える名無しさん:04/06/29 01:42
読んだのか。

300 :THE グル :04/06/29 01:44
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


301 :考える名無しさん:04/06/29 01:47
グルーヴで「ノリ」とか「ハマリ」あるいは「落としどころ」というような
意味合いで言ってるのですか?

302 :フェノ:04/06/29 01:51
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005IHO0/qid=1088441372/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-7537108-0012210

ドストエフスキー・グルーヴは空間である。
認識によって空間と認知された瞬間にそれは
真実となる。

303 :考える名無しさん:04/06/29 01:53
>>298
それは多分ルソーが辿った道でしょう。

304 :フェノ:04/06/29 01:55
ルソーは幻想を生き続けた。
またTVの中のタレント達も幻想を生き続ける。
また私もディスプレイの中の幻想を生きている。

305 :フェノ:04/06/29 01:58
本の栞を外せば思い出はそこに帰るのだろうか。


306 :考える名無しさん:04/06/29 02:00
ん?

307 :フェノ:04/06/29 02:02
世界の中心でアイを叫ぶことは単独性の証明へ帰結するのであろうか。


308 :考える名無しさん:04/06/29 02:05
世界の中心は、原作では愛媛県、
映画じゃ香川県のようですね。
特に映画の海は、格好のデートスポットになっているようです。
ああ、こんな世界に誰がした。

309 :フェノ:04/06/29 02:08
3つの世界の中心

世界の中心でアイを叫ぶ
世界の中心でアイを叫ぶケモノ
世界の中心で愛を叫ぶ
時系列にならべるこうなる

これは単独性→動物化→単独性の放棄という
現代人の意識の推移を如実に表している

310 :考える名無しさん:04/06/29 02:12
それは何らかの剥奪の進行なのではなかろうか?

311 :考える名無しさん:04/06/29 02:16
動物化なんて大層なもんじゃぁないですよ。
なんのことはないアメリカ人の影響です。
向こうの人間が、日本人よりケモノに近いだけなのです。
元ネタの文筆家に、そう伝えときなさい。

312 :フェノ:04/06/29 02:18
それは神性の剥奪である

愛を叫ぶとはプラトンが説いたエロスである

剥奪された神性に向かい回帰する姿、
これを現代人は求めているのである

313 :考える名無しさん:04/06/29 02:19
はじめの単独性と次の動物化はどういう違いがあるの?

314 :フェノ:04/06/29 02:20
>>311
コジェーヴの指す動物化と東浩紀の指すそれの本質は違う
元ネタの文筆家はコジェーヴのことであろうか

315 :考える名無しさん:04/06/29 02:21
どん底でありつつも景気の回復が確実に見られる状況。
さー、これから安心してバカになれるぞー!

316 :フェノ:04/06/29 02:23
単独性とは他者との関係が重要といえる

それに対して動物化は他者との関係より
自身の欲望が重要なのである

317 :考える名無しさん:04/06/29 02:30
デートを申し込んで断られたが、翌日の彼女は普段より生き生きとして充実しているようだった。
昔の話だが。

318 :考える名無しさん:04/06/29 02:31
人間は、より人間になっていますよ。
しっかりと、ね。

319 :フェノ:04/06/29 02:32
>>317
スレ違いです
ガムスレにでも行って下さい

320 :フェノ:04/06/29 02:32
>>318
たとえば?

321 : ◆jSjFOFR7.o :04/06/29 02:33
>>319
似たり寄ったりでは?

322 :考える名無しさん:04/06/29 02:33
>>319
あれは素材ですよ?
あなたの文章と同じように。
スレ違いとなるような内容など、どこにもない。

323 :考える名無しさん:04/06/29 02:35
>>320
そう簡単にたとえられてたまるもんですか。
ただ、動物からはどんどん遠ざかっている。
それだけです。

324 :フェノ:04/06/29 02:35
>>319
内容を見て言っていますか?
ここは哲学について議論を交わすスレッドです。

煽りや荒らしは遠慮して下さい。

325 :考える名無しさん:04/06/29 02:36
朝早くにせっせとレスするものもあれば、
夜中にこそこそレスするものもいる。

326 :フェノ:04/06/29 02:37
下品な書き込みは遠慮して下さい。
ここは私のスレッドです。

327 :考える名無しさん:04/06/29 02:37
>>324
『世界の中心で、愛をさけぶ』そのまんまじゃないですか。
文脈にきちんと即しています。
あなたこそ、原作読まずにイメージだけでお話なさっているのでは。

328 :考える名無しさん:04/06/29 02:38
>>326
はじめに議論を拒むものあり。

329 :フェノ:04/06/29 02:38
ん?

330 :フェノ:04/06/29 02:39
>>328
今日はきちんと対応していますが?

331 : ◆jSjFOFR7.o :04/06/29 02:39
>>324
哲学って難しいな。

332 :考える名無しさん:04/06/29 02:40
>>330
下品な書き込みは遠慮して下さい。
ここは私のスレッドです。

333 :フェノ:04/06/29 02:41
私は某大学で哲学を履修する学生なのです。

そう思えば内容に深みを感じるはずですが。

334 :考える名無しさん:04/06/29 02:42
ぴかぁ〜必死だなwww

335 : ◆jSjFOFR7.o :04/06/29 02:42
>>333
イタイぞ、その発言。

336 :フェノ:04/06/29 02:43
>>332
ではもう寝ますよ。
入れ替わりましょう。

337 :考える名無しさん:04/06/29 02:43
>>333
じゃぁ人の言葉にも深みを感じなさい。
もっとも、「深くない」とは言っていない。
あえて言うなら、深いようで内容が無いのです。

338 :考える名無しさん:04/06/29 02:44
>>336
はい、おやすみなさい。

339 :考える名無しさん:04/06/29 03:01
……あの、ごめんね。 フェノさん。
ちと言い過ぎた。
ぼくは、あなたをいい人だと知っています。
またしばらくお暇します。
頑張ってね。 紫外線とお体には気をつけて。
おやすみ。

340 :考える名無しさん:04/06/29 03:16
謝るこたあないフェノはちょっぴし意気地が足らんだけだ。

341 :フェノ:04/06/29 10:24
なぜ電車内で携帯電話を使うといけないのだろう

342 :フェノ:04/06/29 10:29
むかし、NHKだったと思うが、その筋?の専門家がまじめに討論していた

結局、明確な理由は見当たらないのだか
某大学教授がいうには、電車内は緩いコミュニティになっている
だからそのそととのコミュニケーションは人を不快にするというものであった

343 :フェノ:04/06/29 10:32
ゴフマン的儀礼の世界ということだろうか

なんだかわかったようなわからないような理由だが、
一部の人間にはとても不快であるらしい

344 :フェノ:04/06/29 10:36
斉藤環氏によると
それは独り言をしゃべり続ける人と同じ不快さがあるらしい

345 :フェノ:04/06/29 10:52
これがまだわかりやすい
ひとりごとをいうひとは、われわれにはわからない誰かと交信しているわけで
それが見えないことがひとを不快にするらしい
しかしそれもコンテクストの問題で
明らかに携帯は誰かと話している
なれの問題だと思うのだが
私はむしろこの神経質な社会自体の

346 :フェノ:04/06/29 11:03
私の場合は逆に誰かが電話するのは楽しい

のぞき見感覚というか
電車コミュニティではわからない顔が現れるのをみるのがおもしかったりする

電車で携帯を使えるようにしよう派です
というか、地下鉄内で携帯電波くるようにしてほしい派です

347 :フェノ:04/06/29 11:48
飢えた人々が乗る電車の中で
一人パンを食べる無神経さ
というものがあるのではないだろうか

みんなコミュニケーションに飢えている
他人が食べているのはおいしくみえるものである

348 :考える名無しさん:04/06/29 18:19
フェノは哲学に向いてないね。
ついでながら詩作にも評論にも全然向いてない。
フェノの言葉には訴えるものが無いし。
「なるほど!」と思わせる指摘も無い。
ただ何も無い。それだけ。

349 :フェノ:04/06/29 18:40
でも私は論文を書いてそれなりに評価を得ましたよ?

350 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/06/29 18:44
ごめん。
言っちゃあ何だが『ぴかぁ〜』と同レベル<フェノ

351 :フェノ:04/06/29 20:14
ん?

352 : ◆jSjFOFR7.o :04/06/29 20:23
>>349
それがイタイって。
>>351
垂れ流しってことじゃ?

353 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/06/29 20:25
>>352
正解(拍手)

354 :フェノ:04/06/29 20:26
>>352
あなたは何か勘違いをしていませんか?

355 :考える名無しさん:04/06/29 21:10
>でも私は論文を書いてそれなりに評価を得ましたよ?

論文の作法もあったもんじゃない。指導を受けたこともない明らかな素人w
原典を全く読まず、適当に入門書を読んで、適当にそこから引用して、
それで評価を受ける?
あんたの専攻は何だ。哲学じゃないんだろ?教えろ。

逃げんなよw

356 :フェノ:04/06/29 21:12
カントですが。

357 :フェノ:04/06/29 21:15
恋の魔法とはなんであるか
それはだれもそれからのがれられない力でもって
われわれに迫り来る

358 :考える名無しさん:04/06/29 21:16
偽者ウザイぞ

359 :フェノ:04/06/29 21:17
ん?

360 :考える名無しさん:04/06/29 21:19
遁走開始w

361 :フェノ:04/06/29 21:20
この力の前では哲学であろうが
科学であろうが
秘め事になりさがるのであり
単なる芸術に「成り下がる」のである

362 :考える名無しさん:04/06/29 21:20
ぴかぁ〜さんは”自称”理系じゃないんですか?
で調子に乗って知ったかして、その専攻の奴に突っ込まれたら、
誤魔化して逃げる。いつもこのパターンじゃないんですか?ん?



363 :フェノ:04/06/29 21:21
>>362
あなたは何か勘違いをしていませんか?

364 :考える名無しさん:04/06/29 21:22
今回トリップつけてないのは過去の発言に突っ込まれないようにする為でしょ?

365 :フェノ:04/06/29 21:26
恋の魔法がしめすことは
われわれはきわめて独我論的に世界に、他者たちと共存しているということである

366 :フェノ:04/06/29 21:32
恋とは、他者への根源引力である

367 :フェノ:04/06/29 21:39
この世界に意味などないと吐き捨てるものでさえ
恋するのは滑稽である

彼等は違うんだ、違うんだとあわてふためく姿は愛くるしい

368 :フェノ:04/06/29 21:46
そもそも意味がなければ「意味がない」も存在しえないという
滑稽ななぞなぞもどき
かれらは単に恋にやぶれたそれだけの道化師である

369 :THE グル :04/06/29 21:52
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


370 :フェノ:04/06/29 21:53
恋を成就したものが勝者というのはまったくの幻想である
恋の成就とは単なる観念的契約である
恋には勝ち負けないただ引かれる、それだけである

371 :考える名無しさん:04/06/29 22:49
ぴかぁーがコテハン変えたのは
じゆんとの規制議論に完敗したからですよ




372 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/29 23:21
ぴかぁ〜さん、おいっす。元気ぃ?

373 :フェノ:04/06/29 23:23
ん?

元気だよ


374 :フェノ:04/06/30 08:58
ん?

375 :フェノ:04/06/30 09:31
エロビデオはなぜワンバターンなのか?

376 :考える名無しさん:04/06/30 09:32
それよりもなぜぴかぁ〜はワンパターンなのか。。。
これだけ哲学に時間をかけてるのに成長しないのはなぜか?


377 :考える名無しさん:04/06/30 09:40
>>376
warota

378 :フェノ:04/06/30 09:52
何を語ってもよいというのは、結局、何も語ってないのと同じことなのだ。

379 :フェノ:04/06/30 10:00
私はどこへ向かうのか?
私は何が言いたいのか?
そうした思いをよそに、指先が勝手にキーボードを叩く。
この指先に神が宿っている。

380 :フェノ:04/06/30 10:06
ぴかぁ〜と名乗る特定の人物が存在するのだろうか?
そうとは限らないだろう。
哲学板に棲む不特定多数の人物がぴかぁ〜を名乗り、
勝手気ままにレスをかましているとは考えられないだろうか。
いや、むしろ、そうとしか考えられない。
それほどまでにぴかぁ〜のレスには脈絡がない。

381 :フェノ:04/06/30 10:31
フェラ、クンニ、指まん、挿入、3P…
だいたいやることは決まっている
しかしつぎつぎと作られ、そして消費されていく

382 :フェノ:04/06/30 10:34
この大いなるワンパターンを支えているのが
女性の活発な交代である

383 :フェノ:04/06/30 10:38
AV女優の寿命はどれぐらいだろうか
長がくて二年?
男たちは、女性がかわることによって大いなるワンパターンにも関わらず
あらたな夢をみるのである
簡単にいえば、消費構造そのものである

384 :フェノ:04/06/30 10:42
では女性がかわるとなにがかわるのだろうか

簡単にいえば、小さなアウラである

385 :フェノ:04/06/30 10:48
あらたな女性の情報量の少なさが
神秘性を、すなわち処女性を生むのである

そこには、普通の女性はそんなエロいことをしないという「正さ」がある
それが破られ「狂気」が見えたときにリアリティを生むのであり
本当の彼女がどうということではなく
神秘性というリアリティに興奮するのである

386 :フェノ:04/06/30 10:51
そして何本かでるうちに
情報量が増え、神秘性は薄れ、リアリティが薄れる

エロティシズムのリアリティは「恥じらい」である

387 :フェノ:04/06/30 10:55
このようにして彼女たちの神秘性は消費されていく

これは現代の消費構造一般であり、「上から二冊目の本」であり
アイドルと同じ構図である

388 :フェノ:04/06/30 10:56
最近では特に象徴的なアイドルにイガワハルカがいた

389 :フェノ:04/06/30 12:00
イガワハルカは最近のタレント消費の象徴的存在ではないたろうか

突然登場して、なにが良いのかわからずに
人気者になる

彼女に求められているのはなにかをすることではない
弱になにもしないでほしい
かわいのだが、かわいい子は他にいくらでもいる

だれも理解できないが欲望される
言語意味に還元されず
神性が捏造される

そこにはタレント事務所の戦略もみえない
ただ「時代性」なあったという
超越論的シニフィアンに回収される

アイドルとはもともとそのようなものであるが
とくにイガワハルカノわからなさは
特に象徴的

390 :考える名無しさん:04/06/30 12:12
フェノさん、なんで社会学系の学者や学生には左翼っぽいのが
多いのでしょうか?そのイデオローグぷっりが気になってまともに
彼らの著作や発言などを読んだり聞いたりするのがきついです。

391 :フェノ:04/06/30 12:14
なぜ彼女にアウラがやどったのかだれにもわからないだろう
ただ現代はアウラは浮遊するということである

392 :フェノ:04/06/30 12:17
みなが小さなアウラをみいだすわけだが
そして瞬くまに消費する
どこで成長するかはわからない
自己組織化、創発的としかいいようがない

393 :フェノ:04/06/30 12:31
左の方が神性を捏造するテクニックがまさっているからではないでしょうか
右の方は神性があわらさまです

現代は科学思想の自体ですから
「自由」であるという思想
どのような超越性からも開放されることが価値を持ちます
だれでも恋の魔力の前ではあからさまな信仰者になるんですけどね

394 :フェノ:04/06/30 12:35
テレビゲームに熱狂する人とパソコンゲームをつくることに熱中する人の違いではないでしょうか

395 :フェノ:04/06/30 12:52
アウラには加算的アウラと減算的アウラがある

消費は減算的アウラである
AV女優、イガワハルカ的アウラは減算である
始めに高い神性が捏造され
情報量とともにアウラは小さくなる

それに対して加算するアウラはいわば、創造的なアウラである
情報が経験へと転換されてアウラを増大させる
これは二項対立するものでなく
一つのアウラの運動である

396 :フェノ:04/06/30 13:36
現代においても女性は神話的である
根強い男性社会の中で
処女信仰から、かしこい女性/馬鹿な女=身持ちが堅い/エロい、
女性は自尉はしないなどなど

さすがに風俗で働く女性は借金のかたに売られてきたという伝説はないにしても
AVにでる女性は、自分をさらすことにより
自分であろうとしているなど
現代的なヒロイズムは生きているのではないだろうか

397 :フェノ:04/06/30 13:43
最近テレビでみていて一番笑ったのが
島田伸助がいっていた
男は街を歩きながらすれ違う女性を見て○×をつけているというものだ

街に儀礼的無関心という秩序があるとすると
それとは性的な関心の位相があるといえるだろう

398 :フェノ:04/06/30 13:48
かわいい子、綺麗な人、肌の露出などを
見ることはなんともはや小さな幸せの気分になる

しかし見すぎるのは儀礼に反する
女性がどのように感じているかはわからないが
見られて悪い気はしないのではないだろうか
小さなアイコンタクトという儀礼は存在するだろう

399 :フェノ:04/06/30 13:51
この見られているという視線は社会生活において
大きな役割をしているように思う

400 :フェノ:04/06/30 14:03
性的なことを語ることは困難を伴う
それは主観的、ブライベート的になるからだ
たとえば男優はベットシーンがはずかしいらしい
それは自分のセックスのやり方がでてしまうから
まわりからはこんなやり方なんだと暴露するような気になるかららしい

性的なものはいまだタブーの中にあり、自分なりしかないというわけだ

401 :フェノ:04/06/30 14:07
外国女性によると日本の男のセックスは独創性にかけ
だれも同じらしい
セックスにどれほどのバリエーションがあるのか
興味があるが
日本人のセックスは.AV化しているということではないだろうか
みながAVを教科書にする故にパターン化されているのかもしれない

402 :フェノ:04/06/30 14:25
こまったことに僕等は年中発情している
哲学さえ性的欲求不満をもとにしていると
フロイトがいったかどうかはしらないが
近いものがある
なのに哲学的言説からは性的な言及は排除され
生きていることに意味が内とか言ういはる

ぼくらはセックスのために生きているわけではないが
「性的関係」からのがれられない以上
意味を求めることからのがれられない

403 :フェノ:04/06/30 14:38
性関係の場がむずかしいのは
それがとてもダイナミックな相変化の場であることだ
出会いから成就、あるいは破綻まで短期間で関係性が変化する
恋愛三年破綻説なるものがあったが
さらには短い期間で変化が行われる

404 :考える名無しさん:04/06/30 15:50
ひきこもりスレ

405 :フェノ:04/06/30 15:54
ん?


406 :フェノ:04/06/30 17:27
誰かを好きになることに意味はない
恋愛とは意味がないことが価値を持つ世界なのである
こういう理由でと語り尽くされてしまうと
それは恋愛とは呼ばれない
運命という超越性にこそ、価値があるのである

407 :フェノ:04/06/30 17:32
そして超越性価値は恋愛だけでなく
生活全般に大きな意味を持つ
奇跡とは極上の価値評価である
われわれは超越性への欲望で生きているといってもいいし
生きて意味自体が、自己肯定自体が
超越性価値でなりたっているのである

これはニーチョのいう「力への意思」である

408 :フェノ:04/06/30 17:34
しかしニーチェはここにルサンチマンという人の弱さを見たわけである

409 :考える名無しさん:04/06/30 18:05
hosyu

410 :フェノ:04/06/30 18:36
人はキリスト教、形而上学の力への意思、神の捏造を指摘し
人はそこから逃れられないといい
またそれが弱いという

では、ルサンチマンに対立する強さとはなにか
超人である

411 :フェノ:04/06/30 18:39
このまったくもって超越的存在は、さらに超越的な永却回帰という概念により
色づけされる

412 :フェノ:04/06/30 18:45
永却回帰は、生まれかわりでなく
今世がくりあえされるということによる
現在への脅迫である
しかしここには明らかな偶有性から単独性の転倒
神性の捏造がある

今世が繰り返されるということは
現在を超越的に必然性をもたらすのである

まさに対キリスト教的な否定神学である

413 :フェノ:04/06/30 18:48
ここで示されるのは
宗教であれ形而上学であれ
超越性を否定する言説は必ず神性を捏造するということであり
われわれは神性を捏造せずにはいかなる言説も発し得ないということである

414 :フェノ:04/06/30 18:50
ニーチェのいうように
我々は力の意思から逃れられないが
それは強さとか弱さとかではなく
ただ私が私であるということである

415 :フェノ:04/06/30 18:56
究極的な脱構築とはこの世界のありようそのものであり
デリダの脱構築さえ、世界のありようから
神性を捏造する
すなわち偶有性から単独性の転倒、
私が私であるための手段でしかない

416 :フェノ:04/06/30 19:08
ニーチェ的ニヒリズムとさて
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問がある
かりに、「いけない理由はない」とした場合に
あなたは人は殺すだろうか

では「なぜ私は人を殺さないのか」と問うとどうだろうか

417 :フェノ:04/06/30 19:13
なぜ殺さないのか?
それは「他者」とは限りなく私だから
殺さないのである
この形而上学は論理ではなく
私はアブリオリに他者を捏造するのである
私が私であるために

418 :フェノ:04/06/30 19:16
しかし日々、戦争があり
殺人事件があるじゃないか?というかもしれない

人は人を殺すことはある
しかし殺さないのである

419 :フェノ:04/06/30 21:24
人が人を殺さない理由は、刑罰を恐れるからである。
かりに刑罰が無いとしても、殺す理由が無ければ、
あえて殺そうとも思わないのが普通である。
しかし戦場ではこの理屈がひっくり返る。

420 :フェノ:04/06/30 21:27
人が人を殺すとき「殺意」の存在は認めなければいけない。
実際は、まったくの平和においても、多くの「殺意」がある。
それが実行に移らないのは、単に手段が無いからである。

421 :フェノ:04/06/30 21:28
最も確実な殺人。それが自殺だ。

422 :考える名無しさん:04/06/30 21:29
いいね

423 :フェノ:04/06/30 21:36
キリスト教は自殺を否定した。
しかし殉教は最も尊い行為とされた。
なぜ、この2つが両立しうるのだろうか。

424 :フェノ:04/06/30 21:43
戦争は悪いと言いながら、兵器を作り続けるのである。
生命は尊いと言いながら、ゴキブリホイホイを仕掛けるのである。
なぜか。
我々に危険や不快感をもたらすのも、また生命だから。

425 :フェノ:04/06/30 21:48
論理が矛盾しているのではなく、
単に説明を間違えているのである。
ただ「生命は尊い」というだけでは不十分なのだ。
むしろ状況によって生命を捨てることは
大いに歓迎されてさえいる。

426 :フェノ:04/06/30 21:50
やみくもに哲学者の名前を並べなくたって
哲学は出来るのである。私のレスを読めば分かるだろう。

427 :考える名無しさん:04/06/30 22:00
>>426
あなたのレスを読んで分かることは、いい加減に思いついたことを放言
してるだけじゃとても哲学とは言えない、ってことですね。(w


428 :フェノ:04/06/30 22:03
行動理由、ということを考えてみよう。
あなたが法廷に立って、「何のために、そうしたのだ?」
と突き詰めれば、必ず「誰かのため」に行き着くのである。
そして「神のため」ならば、色々なことが許される。殉教さえも。

429 :考える名無しさん:04/06/30 22:04
何でも生命尊重てのはニーチェのいう賎民道徳だろ。

430 :フェノ:04/06/30 22:07
なるほど生身の人間は論理を欠くことが多い。
しかし100%論理も何もない言葉というのは、
およそ何の意味もなく、読者に影響も及ぼさない。
それは「消費」すらされないのだ。

431 :フェノ:04/06/30 22:32
私が私である、ということは、単なる同語反復である。
トートロジーには、いかなる意味も存在しない。
論理学の初歩である。

432 :考える名無しさん:04/06/30 22:33
>>430
そう卑下することはないよ。あなたの言葉だって、消費してくれる人が
いるかもしれないじゃないか。論理がないのは事実のようだが、それで
も、何となく伝わるものがあればいいじゃないか。ガンガレ、フェノ!

433 :考える名無しさん:04/06/30 22:37
おおロミオ!どうして貴方はロミオなの?


ってのは駄文?

434 :フェノ:04/06/30 22:43
私が私でない、他者が私である、
という事態が起こりうるだろうか。
そうした心理学的な現象は、起こりうるかもしれない。
心神喪失とは「私が私でない」ことを、
法的にも認めることではないだろうか。

435 :考える名無しさん:04/06/30 23:20
原始キリスト教は、歴史上のイエスの言葉に帰することができる。と仮定する。
ならば、その後、現在に至るまで、キリスト教は幾度も変節した。
(新訳聖書が、時の権力者により恣意的に編纂された歴史上の事実をみよ。)
イエスの十字架刑死の後、迫害者であったパウロが事実上の指導者となった時。
ローマ皇帝が十字架の幻を見たと称して、キリスト教をローマ国教とした時。等々。

>>423 の問いに一つの答えがある。(答えは一つとは限らない。優劣はあるにしても。)
前者は絶望した奴隷の自殺を禁じる為、後者は反乱を繰り返す異教徒を弾圧する為。
政治は宗教的であり、宗教は政治的であるってこった。

436 :フェノ:04/06/30 23:53
>>435
なるほど。
つまり倫理というのは、国家なり社会なりの「内」と「外」を隔てる
垣根のようなものだと、言うことも出来る。

「内」と「外」では、一見、倫理が逆さまになってしまう。
しかし、その2つの倫理は、実は同じものなのだ、と。

437 :フェノ:04/07/01 00:14
哲学より先に学ぶべきことがある。
それは日本語である。

438 :考える名無しさん:04/07/01 00:17
永遠回帰 太陽も海も永遠にひとりぼっち

439 :考える名無しさん:04/07/01 00:50
この人の好奇心がうらやましい……

440 :フェノ:04/07/01 01:30
*エロビデオはなぜワンバターンなのか?

エロビデオはなぜワンバターンなのか?フェラ、クンニ、指まん、挿入、3P…だいたいやることは決まっている。
SM系、露出系、獣系?などその他バリエーションはあるのだろうが、一般的に楽しまれているものは、
どれもパターン的には似たようなものだろう。しかしつぎつぎと作られていく。

この「大いなるワンパターン」を支えているのが、性行為のパターンそのものではなく、「女優」の活発な
交代だろう。AV女優の寿命はどれぐらいだろうか。長くて二年?男たちは、女性がかわることによって
大いなるワンパターンに「リアリティ」を見ることができるのである。

女優がかわるということは、どういうことだろうか。そこには、男は、「普通の女性はAVなどにはでるほど、
エロくない」という「正さ」を持っているということだろう。そして男は新しい女優にそのような神性を捏造する
のである。そしてそれが破られ「狂気」が見えたときに、リアリティを生み、興奮するのである。エロティシズムの
リアリティは「恥じらい」である。そして何本か経験することによって、この女は「普通の女性」ではない
「特別なエロい女性」とされ、彼女に対する「リアリティ」は消失していくのである。

現代においても女性は神話的である。根強い男性社会の中で、処女信仰から、かしこい女性/馬鹿な女=
身持ちが堅い/エロい、女性は自尉はしないなどなど。さすがに風俗で働く女性は借金のかたに売られてきた
という伝説はないにしても、現代において、AVにでる女性は、自分をさらけ出すことによってしか、
自分であることができないというトラジェディーはたまに見かける。そしてAV女優は「女神」と呼ばれるのである。


441 :フェノ:04/07/01 01:30
AV女優の消費構造は、まったくもって、現代の消費構造そのものである。「上から二冊目の本」であり、
人はこのような処女性の神話を商品に捏造し、それを消費しているのである。アイドルなども同じ消費構造に
いるが、その中でも最近特に象徴的だったのが、「イガワハルカ」ではないだろうか。突然登場して、
なにが良いのかわからずに、人気者になる。彼女に求められているのはなにかをすることではなく、
なにもしないことであるようだ。何かをするこということは、それだけ彼女の神性が崩れ、ただの女性である
ことが暴露されていくのである。これは当たり前のことなのだが。

しかしなぜかイガワハルカだっだのか?かわいい子は他にいくらでもいる。だれも理解できないが、欲望される。
アイドルとはもともとそのようなものであるが、特にイガワハルカのわからなさは、象徴的であったように思う。
タレント事務所などの誰かの綿密な戦略を越えたところにあったように思う。

みなが日々それぞれに小さなアウラをみいだしている。そしてアウラは浮遊するのである。そしてなぜか彼女に
アウラが集まった。それは自己組織化的、創発的としかいいようがない。その魅力は、言語意味に還元されず、
ただ「癒し系」という超越論的シニフィアンに回収されただけである。そして瞬くまに消費されたのである。


442 :フェノ:04/07/01 01:31
ボクはアウラには二種類あると思っている。「加算的アウラ」と「減算的アウラ」である。消費は一般的に
減算的アウラであり、AV女優、イガワハルカ的アウラは減算である。始めに高い神性が捏造され、
情報の消費とともにアウラは小さくなる。それに対して加算するアウラはいわば、創造的なアウラである。
情報が経験へと転換されてアウラを増大させる。たとえば、女性とつきあい初めて、つきあうほどに彼女への
愛情がましていく。タレントでいえば、時間経過とともに経験を積んで、演技に磨きがかかり人々を魅了する。
これらのアウラは二項対立するものでなく、一つのアウラの運動である。

しかし現代は高いアウラに飛びつき消費して、次のアウラに移るという、消費社会である。それは豊かさ、
多量の情報伝達量が支えているものであり、アウラを育てていくということがとても困難な時代であると思う。
ヒロスエリョウコは持ち上げられ、叩かれ、まさに消費されてしまったが、イガワハルカは今後、
じっくりアウラを加算していってほしいものである。ボクは最近はハセキョウがお気に入りであるわけだが。


443 :フェノ:04/07/01 01:32
こまったことにボクらは年中発情している。哲学さえ性的欲求不満をもとにしていると、フロイトがいったか
どうかはしらないが、近いものがある。なのに哲学的言説からは性的な言及は排除され、生きていることに
意味がないとか言うことになる。ボクらはセックスのために生きているわけではないが、「性的関係」から
のがれられない以上、意味を求めることからのがれられないのである。

しかし性的関係なことを語ることは困難を伴う。それは一つは(主観的を越えた)ブライベート的になるからだ。
たとえば男優はベットシーンがはずかしいらしい。人のプライベートなセックスを見る機会はそうそうない。
だからベットシーンでは自分流でやるしかないというわけだ。まわりへ「おまえっていつもこんなやり方なんだ」と
暴露するようなものらしい。

しかし外国女性によると日本の男のセックスは独創性にかけ、だれも同じようなパターンらしい。セックスに
どれほどのバリエーションがあるのか、興味があるが、日本人のセックスはアダルトビデオ化しているという
ことだろう。みなが知らず知らずにアダルトビデオを教科書にしているのである。


444 :フェノ:04/07/01 01:34
最近テレビでみていて一番笑ったのが、島田伸助がいっていた「男は街を歩きながらすれ違う女性を見て
○×をつけている」というものだ。まったくもって同感である。街に「儀礼的無関心」という秩序があるとすると、
それとは位相的に、「儀礼的性関心」があるといえないだろうか。かわいい子、綺麗な人、肌の露出などを見る
ことはなんともはや小さな幸せの気分になる。しかし見すぎるのは儀礼に反するが、女性も見られて
まったく悪い気はしないのではないだろうか。小さなアイコンタクトという儀礼は存在するだろう。

この「儀礼的性関心」という視線は社会生活において、思った以上に大きな役割を果たしているように思うのだが、
一歩間違えば、セクハラだ。セクシャルハラスメントは新しいモラルであり、ボクがいった電車内の携帯電話禁止
という社会の神経質化の一面かもしれないが、ボクはセクハラというモラルには賛成派ではある。電車内の
携帯電話使用よりも、微妙で、難しい問題だとは思う。


445 :フェノ:04/07/01 01:36
やあ

儀礼的性関心・・・
ギャグかい?
笑わせてもらったよ

今後もこの路線で行ってよ 笑

446 :考える名無しさん:04/07/01 01:46
たぶんぼくとフェノさんをつなぐ懸け橋は、
TVなんだろうなぁ……

447 :考える名無しさん:04/07/01 02:13
心理学でも社会学でも相手にされないから
哲学に流れてきたって感じだな。>ぷかぁ〜

448 :フェノ:04/07/01 02:21
哲学、それはどこまでも「私」の個人的な感想の集成である。

449 :考える名無しさん:04/07/01 02:24
そういえば、社会学板のスレもせっかくあるんだから。

450 :考える名無しさん:04/07/01 02:31
確かに。
ぴかぁ〜の言説は心理学、社会学もしくは宗教学に分類するべきだと思う。
哲学板の厨房よりも、よりプロフェッショナルに近い感じがする。
専門板に行ったほうが良いかもな。

451 :考える名無しさん:04/07/01 02:38
「ポストモダンをポストモダンを越えていく2ちゃんねる@社会学板」でも、
社会学板の人がちゃんと食いついてるよ。
基本的には、フェノさんの言葉は独白だから、哲学板でも問題はないんだろうけど、
あちらでは社会学板らしく、他者どうしの対話がある。
たまには、あっちで語ってみてもいいんじゃない?

452 :考える名無しさん:04/07/01 02:39
およそ「空 気 を 読 む」ことも出来ない、超マイペース型の人間が
社会だの人間関係だのに言及する滑稽さが、ここにはある。

453 :フェノ:04/07/01 02:41
*ニーチェ「力への意志」と「神話なき神話の時代」 その1

誰かを好きになることは「言語意味」に還元されない。恋愛とは「言語意味」に還元されない余剰が
価値を持つ世界なのである。こういう理由で好きになったと、語り尽くされてしまうとそれは
もはや恋愛とは呼べない。「運命の人」、「恋の魔法」という超越論的シニフィアンに余剰は
回収されるのであり、その超越性にこそ、価値があるのである。

このような「超越性価値」は恋愛だけでなく、生活全般に大きな意味を持つ。「奇跡」とは極上の
価値評価である。われわれは超越性への欲望で生きているといっても過言ではないし、自己肯定、
生きて意味自体が、超越性価値でなりたっているのである。これがボクが現代を
「神話なき神話の時代」と呼ぶ理由である。


454 :フェノ:04/07/01 02:42
この「神話なき神話の時代」と、現代思想の源流とされるニーチェの思想、特に「力への意思」と深い
関係がある。ニーチェは19世紀という「世紀転換期」((「マッハとニーチェ 木田元))の人である。
それまでのキリスト教的神話が崩壊しつつ、産業革命とともに、科学技術が成功を収め、
要素還元主義により新たな世界観が形成されるのでは、という高揚感漂う、転換的な時代であった。
そのときにニーチェが説いたのが、キリスト教的、そして形而上学的超越性(神話)の否定である。

>>
仮称の世界とはすなわち、価値に従って見られ、秩序づけられ、選ばれた世界のことである。
価値に従ってということは、この場合、動物のある特定の種の保存と力の向上にとって有益だという
観点に従って、と言うことである。

およそ生あるものは、なにをおいてもまず、なんらかの力を発現しようとするものだ。生そのものが
力の意志なのだ。(ニーチェ)
<<


455 :フェノ:04/07/01 02:42
キリスト教的言説も、形而上学的言説も、その超越的価値は、「力の意志」、すなわち生の力が、
作り出しているものにほかならない。ということであり、ポストモダン思想につながる相対主義思想を
前提として、進化論思想によって、生の力を根元原理とた。しかし生の力故に、人は神を捏造し、
真理を捏造し、あたかも揺るぎない基盤の上に立っているように、無意識に見せかけている。

ボクが「神話なき神話の時代」と言うときにも、同じような考えに基づく。人は「力への意志」故に、
「神性を捏造」することからは逃れられない。ただ相違点は、根元的な「力の意志」を現象学的に
自己内に閉じたものと考えずに、コミュニティにおける偶有性から単独性の転倒に求める。
すなわち人はコミュニティ内で、だれでもない自分になるために、他者に評価されことが、
「力への意志」として考える。このよな「力への意志」は、人にはアプリオリな志向性である。
さらにいえば、ニーチェと同じく、進化論思想にもつながる。すなわちこのような他者志向性は、
人のみではなく、高等な動物においては認められるものであるということである。


456 :フェノ:04/07/01 02:43
ニーチェはこのような「力への意志」はルサンチマンであり、人の弱さであり、それが様々な社会的な
軋轢の源泉となっている。そのためにニヒリズムを徹底するしかないと言うわけである。ここから超人、
永久回帰思想が生まれてくる。永却回帰は、生まれかわりでなく、今世がくりあえされるということに
よる現在への脅迫である。

しかしここには明らかな「偶有性から単独性の転倒」、「神性の捏造」がある。今世が繰り返される
ということは、現在を超越的に必然性をもたらすのである。まさに反キリスト教的な否定神学である。
ボクはここに明らかに、「神性の捏造」をみる。それが弱さであるということは、ニーチェ的な力の
意志であるし、さらに超人、永久回帰は、明らかに超越性である。

ニーチェがいうように人は、力への意志から逃れられないのである。そして力の意志とは、
強さとか弱さとかではなく、ただ私が私であるうとする力があるということだけである。
そのその超人、永久回帰という概念そのものが、超越論的であり、ここで示されているのは、
「宗教であれ形而上学であれ、超越性を否定する言説は必ず神性を捏造するということである。」
ニーチェは従来の神性を否定したことによって、結局、新たな超越性を捏造せずにはおれない
のである。

そういう意味では、何度か言及しているが、デリダでさえ「神性の捏造」から逃れられていない
と思っている。究極的な脱構築とはこの世界のありようそのものであり、デリダの脱構築さえ、
世界のありようから神性を捏造する。われわれは神性を捏造せずにはいかなる言説も発し得ないと
いうことである。なぜならそれが私が私であるということだからである。


457 :フェノ:04/07/01 02:43
ニーチェの言説は強烈に人を引きつける。彼の言説は、一般な正しさへの批判である。ニーチェ的言説
によれば、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問に対して、「いけない理由などない」という
ことになる。道徳的な在処の正しさを、われわれがよりどころにする「正しさ」の危うさを暴露したので
ある。このような「狂気」は、人々に強烈なリアリティを突きつける。

しかしだからといって、ニーチェの言説によって、社会は無法地帯になりはてたか、人々は
殺しあったか。ニーチェの超人思想はナチスに利用されたとも言われる。しかしニーチェの確信で
ある「力への意志」による相対主義的言説、すなわち「人を殺すことが悪い理由はない。」という
思想のもとに戦争は行われわけではない。それはむしろニーチェが否定した道徳、正義という
形而上学的言説、いわばニーチェの相対主義性ではなく、「ニーチェ的形而上学」によって、
行われたのである。人を殺してはいけない理由がないから、人を殺したのではなく、
人を殺してはいけないから、戦争、虐殺は行われたのである。


458 :フェノ:04/07/01 02:44
ニーチェ的な反道徳性は、文化的なスタイルとして、強烈なリアリティを今も持っているが、
われわれは根底において、ニーチェが批判した道徳的であり、そして形而上学的なのである。
殺してはいけない理由がないとして、「なぜ人を殺さないのだろうか」それは「他者」とは限りなく
私であるから、殺さないのである。そしてこの他者の捏造は、また人を殺す理由にもなりうるのである。

私が私であるということ、世界を生き生きとリアルに認識すること、生の力として「力への意志」による
ものであり、そのために私は他者(神性)を捏造し、正義を捏造し、狂気を捏造するのである。


459 :考える名無しさん:04/07/01 02:48
>>451
そのスレの住人のほうが、余程ちゃんと「哲学」してるじゃないかああぁぁぁぁ(ノд`)

460 :考える名無しさん:04/07/01 02:53
ニーチェは「正しさ」よりも「強く」あることを上位に置いた。
コミュニティに認められるよりも己を頼む「矜持」をモットーとした。

461 :フェノ:04/07/01 03:34
ある言説を正当化するために、証拠を提示するのではなく
「同じ言説を繰り返す」「反論に耳を貸さない」
ということによって、相手に信じさせるという方法がある。

アルカイダは、音楽を禁じ、街中でコーランを繰り返し流した。
ルワンダのツチ・フツ抗争においても、「○○族を殺せ!」
という宣伝が、ラジオで繰り返し放送された。

これは宗教における洗脳と同じ方法である。

ぴかぁ〜の言説も、驚くほどこれに酷似している。
「同じ言説を繰り返す」「反論に耳を貸さない」
ことによって、自己を正当化するのである。

462 :フェノ:04/07/01 03:37
だから、神など一度たりとも認識したことがないのに、
神を信じてしまうのは、
「神はいる」という言説で社会が埋め尽くされているからである。
こうして洗脳は完了する。

463 :フェノ:04/07/01 03:38
こうした洗脳主義への反省から、科学主義、実証主義が生まれる。

464 :考える名無しさん:04/07/01 03:43
あるものだけで物事を見る。

465 :フェノ:04/07/01 03:54
科学は「真理」という概念にメスを入れ、それを解体する。
すなわち「真理=仮説+証明」である。

Q ぴかぁ〜も広い意味での科学主義者ではないのか?
A 否。「他者は限りなく私である」という仮説は証明することができない。

証明できないことを「信じさせる」にはどうすればいいか。
洗脳である。
すなわち絶え間なく同じ言説の流布と、反論の遮断によって。
証明抜きに仮説を真理へと変えてゆく。いわば真理の捏造である。

466 :考える名無しさん:04/07/01 03:58
しあわせなひとだなぁ。

467 :フェノ:04/07/01 04:14
ぴかぁ〜なるコテハンがこの板に何年も棲み付き、
ただ知られているだけでも、彼の「説得力」を後押しする。
我々が、無名なジジェクよりも、有名なニーチェのほうに
より強いリアリティを感じるように。

468 :考える名無しさん:04/07/01 04:17
よくあなた達はこんな時間まで起きてますね。アホじゃないですよね

469 :フェノ:04/07/01 04:17
イエス・キリストは神の存在を示さなかった
彼はただ「神はいる」と言い続けただけである。
そして、それはやがて「真実」と呼ばれるようになった。

470 :考える名無しさん:04/07/01 04:22
できれば、市場で真実を叫んでほしい。
たぶん、それには相方が必要なんだろうなぁ。

471 :考える名無しさん:04/07/01 04:22
>>468
わたくしはアホです。

472 :考える名無しさん:04/07/01 04:27
すべてに言及しようとする。
無視などしていない。
時間の壁をおいて、
彼は、すべてに言及しようとする。

あまりに親切で、
あまりに近い。
だから、なにも言えない。
実は、なにも言っていない。

まだ真実を語るには、口を開きすぎる。
彼は自分が思っている以上に、雄弁なのだ。

473 :考える名無しさん:04/07/01 04:29
そこに私は楽天家の才能を見る。

474 :考える名無しさん:04/07/01 04:29
ぴかぁ〜をかまうのを楽しみにしている人がいる

475 :考える名無しさん:04/07/01 04:31
さあ、君は、余剰を捕らえたもうたか。

476 :考える名無しさん:04/07/01 04:32
ぼくは彼に、あなたたちすべての影を見る。
驚くべき時代の寵児よ、相手せよ!

477 :フェノ:04/07/01 04:33
私は恋愛によって他者を捏造する。
「おまえを愛しているよ」と「言い続ける」だけである。
真理の捏造と同じ構造である。

エロビデオはなぜワンパターンなのか?
これもやはり、「同じことの繰り返し」に
何らかの意味、もとい、作用がある。

478 :考える名無しさん:04/07/01 04:39
「他者じゃなくて、恋愛という事実が捏造だろう」
……などと、私は言わない。
「好みのコのしか、見てないだろう」
……とも、言わないだろう。
繰り返されるは、波の音。
だが、あの日聴いた、同じ波音は
二度と聞こえない。

479 :考える名無しさん:04/07/01 04:40
「わかりました」
違うスレの返事を、ここでしてみる。

480 :考える名無しさん:04/07/01 04:42
個人も他者も、私でさえも、
私の眼中にはない。

ゆえに、飾ることもない。
ただ余剰のなかにいるのだ。

481 :考える名無しさん:04/07/01 04:45
移り行く町並みを見て、はじめてそこに築かれる、
気づかされるアイデンティティー。
語らぬ唯一の虚像である。
彼は無抵抗にして、一体化、それだけを拒む。

482 :考える名無しさん:04/07/01 04:46
黙示録をうやむやにするもの、それは濁点である。
ほんとうは「モクシロク」なのに。

483 :考える名無しさん:04/07/01 04:48
演技はウソしか描かないゆえに、真実だ。
もっと現実から目を逸らしてみてはどうか。
類型を現実のなかではなく、類型のなかに見出してみてはどうか。

484 :考える名無しさん:04/07/01 04:51
現代は、親和なき神話の時代である。
だから、神話はリアリティを追求する。
おもしろさなど、二のつぎである。

485 :考える名無しさん:04/07/01 04:52
解けた――
「とけた」のではない。
「ぼどけた」のだ。

いま、らせんはほどけた。

486 :考える名無しさん:04/07/01 04:54
エロビデオはなぜワンパターンなのか?
それは男優の代わり映えがしないからである。
加藤鷹、なめだるま親方、チョコボール向井、
昔から同じようなメンバーが支えている。
入れ替わるのは女優だけである。

487 :考える名無しさん:04/07/01 04:54
神話も、余剰も、他者も、
私がいま、実践している。ここで。
思いつくまま。
その意味で、
私は真の庇護者である。

どうだろう。
繰り返されるものなど――

488 :考える名無しさん:04/07/01 04:57
不景気をいいとは思わない。
が、あの時代のAVだけは見たくない。
げじげじ眉毛の、
ケバケバの、
あれは、
そう、何かの間違いだ。

489 :考える名無しさん:04/07/01 04:59
あらゆる経験科学を拡張する可能性を秘めた「内部観測」を世界に先駆けて
提唱した著者が、日米の経済活動や、温度差によるアミノ酸結合などの
具体例を用いてその定義を明確にする。従来の時間論を根底から書き換える
とともに、生物学と物理学を架橋して生命と心の起源の謎に迫る。


490 :考える名無しさん:04/07/01 05:01
なんか、そんな書評、どっかにあったよな……
「プロレスラー知事」だったか?

491 :考える名無しさん:04/07/01 05:02
人それぞれ論の最強さ。
あれは、なんでも哲学の中にある。
首相官邸は、哲学板の夢を見るか。

492 :考える名無しさん:04/07/01 05:04
実は夜の短い夏のほうが、深い眠りを得やすいのだ。
ああ、もうじき「めざましテレビ」が……

493 :考える名無しさん:04/07/01 05:04
さて、彼はすこしでも新しいヒントを得てくれただろうか。

494 :考える名無しさん:04/07/01 05:06
映画が映画の宣伝を補助するものであってはならない。

495 :考える名無しさん:04/07/01 05:07
あるがままはあるがままでしかない。

496 :考える名無しさん:04/07/01 05:08
すこしばかり事を荒立ててしまったが、津波の心配はありません。

497 :考える名無しさん:04/07/01 05:17
たぶん、彼には私が何も言っていないように感じるだろう。
いや、その前に「読まない」だろう。
だとしたら、これほどの成功は無い。
そのなかに真実があるからだ。
彼は自分自身にウソをつくことなく、
また、誰に報告することもなく、
静かに真実を発見するだろう。
そして、それを放棄することだろう。
しかし、確実に戻ることはできないのだ。

498 :考える名無しさん:04/07/01 05:21
ほんとうの神話とは、そういうものだ。
タダより高いものは無い。
その、ほんとうに意味するところこそ、
『神話』なのだ。

499 :考える名無しさん:04/07/01 05:23
無数の神話を散りばめた。
一貫するものなど、なにも無い。
筆跡だけが、すべてだ。

500 :考える名無しさん:04/07/01 05:25
500      あはは♪

501 :フェノ:04/07/01 08:54
ん?

502 :考える名無しさん:04/07/01 08:57
>神を信じていた人は神を選択したのではなく
>神の疑い方を知らなかったのである
>疑い方をしらない地点は真理である

ここまではいい。問題は次だ。

>科学の疑い方を知らないから、科学は現代の真理である

これは完全な飛躍。科学は疑うことを奨励する。
科学を、単純に神話と同一視してはならない。

神話は、その成り立ちを知らされないまま信じられている。
成り立ちを隠すことによる神秘性=信憑性の捏造である。

それに対して、科学はその成り立ちを明らかにし、
いわば神秘性の否定によって信憑性を獲得している。

503 :考える名無しさん:04/07/01 09:00
ぴかぁ〜の言うことも中々面白いけど、
どうしても実証主義に対するアレルギーというか
ルサンチマンが見え隠れするから、どうも信用できない。

504 :フェノ:04/07/01 09:03
本質的には実証主義者なんですけどね

505 :考える名無しさん:04/07/01 09:05
ああ、そうなの。ごめんなさい。

506 :フェノ:04/07/01 09:10
信仰も一枚岩ではないですよ
私がいうのは疑い切れない地点のことをいっているわけです
科学にも疑い切れない地点は存在する
たとえはニュートン時代の疑いきれない限界を
今はみれる
だから百年後、いまの疑いきれないところが見れる

そういうことの繰り返しにおいて
科学も神話です

科学がなにか確実な疑いのもとになりたっているのも神話です
反証可能性は理念ですから

507 :考える名無しさん:04/07/01 09:10
しかし、ぴかぁ〜にまつわる、この不快感は何だろうか。
ぴかぁ〜が一体どういう人間で、何を考えようとしているのか
早く「見極めたい」という焦りを感じないだろうか、

そして多くの人間が、ぴかぁ〜哲学の広さと深さについて行けず、
苛立ちを募らせている。ここに軋轢が生じる。


508 :考える名無しさん:04/07/01 09:16
もちろん、いくら科学が進歩したとしても、
半永久的に、恐らく人類が滅亡するまで、多くの謎は残されたままだろう。
それが分かっていても、なお科学の永遠の進歩を信じるというのは、
やはり神話なのだろうか。

509 :考える名無しさん:04/07/01 09:42
>>507
>そして多くの人間が、ぴかぁ〜哲学の広さと深さについて行けず、
>苛立ちを募らせている。ここに軋轢が生じる。

どうしようもない。。。

510 :考える名無しさん:04/07/01 09:43
我々は、彼(ぴかぁ〜)に対して、いかなる態度で接するべきだろうか。
彼と対等の議論を交わすほどの知性は、このスレには見当たらない。
我々に出来ることは、せいぜい彼の思索を停止させることなく、
じっと清聴すること、あるいは単に無視することである。
しかし>>507で指摘したように、彼に対してはある特殊な「苛立ち」が存在する。
どうしても、何かひとこと言ってやりたいという思いが渦を巻いている。

511 :フェノ:04/07/01 09:44
ニーチェもいう、あたかもそれが真理のようにふるまってしまうニヒリズム

神話であるとみとめきれないニヒリズムという
感じでしょうか

512 :フェノ:04/07/01 09:49
なにかいってやりたくなるのは
私があなたであるから、
転移ですね

嫌いな男ランキングも
デリダ流にいえば相手への一つの署名なんですね

嫌いにもなられないとやばい

私が文章を書くときのモットーは、
より多くの署名されることですから

513 :考える名無しさん:04/07/01 10:05
>科学がなにか確実な疑いのもとになりたっているのも神話です
>反証可能性は理念ですから

「確実な疑い」って何だろう?
さり気なく意味不明な言葉を使いまわす。ぴかどん。

514 :フェノ:04/07/01 10:05
力への意思というニヒリズムを乗り越えるには
それを徹底することであると
ニーチェはいった

しかし如何様にして
ニーチェはその実践を書くとした「力への意思」を書きあけずして、没した

遺された彼の分からそれが芸術に求められるべきであるということが
見えてくる

515 :フェノ:04/07/01 10:09
確実な疑い思想=反証可能性

516 :フェノ:04/07/01 10:23
わたしも人間の創造したもっともすばらしいものは
音楽であると考えているが
ニヒリズムの克服をそこにもとめるべきかは
はなはだ疑問である

いわば芸術はもっとも崇高な神話作用だかである
ニーチェ的神話否定思想にとって
いわば逆方向ではないだろうか

517 :考える名無しさん:04/07/01 10:41
きれいな飾り箱を見ると、中にはもっと素晴らしいものが入ってるだろうな、
と錯覚してうっとりする。でも、開けてみると中身は空っぽ。
神話も芸術も、飾り箱のような虚構だ。

518 :フェノ:04/07/01 10:46
中になにか入っているという神話ですね
だから入っていなくてがっかりする
中身は自分でいれる、ということです

519 :フェノ:04/07/01 10:54
中になにかはいってそうという消費欲が
現代の記号消費社会です
「イガワハルカ」です

520 :フェノ:04/07/01 10:59
ドラマ「僕の魔法使い」?ではイガワハルカが実名役で登場します
コミカルな主要登場人物の彼女が実は「イガワハルカ」であったという設定です
まるで夫婦漫才風の三枚目役で、「イ、イ、イガワです」というギャグを連発しませ

521 :フェノ:04/07/01 11:05
この使われ方はまったく末期ですがおもしろい
名前しかいわないギャグ
それは記号化され象徴的でしかない「からっぽの箱」が
暴露されて行く中で
逆手に取った開き直りです
私にはもともと中身なんかなく人気がでたのよ
「イガワハルカ」という記号しかないのよ!
という演出です
さすがカンクロウ?という感じでした

522 :考える名無しさん:04/07/01 11:08
> 確実な疑い思想=反証可能性

このフェノって言う人、自分では何かを価値のあることを書いているつ
もりのようだけれど、こういういい加減な言葉づかいじゃ、ひとには通
じないよね。書くことで本人が楽しめればそれでいいということなんだ
ろうか? 

523 :考える名無しさん:04/07/01 20:30
心理学、社会学、経済学、政治学、等々は
見せかけは科学のようでもあるが、
厳密な理論にすることは難しく、
ゆえに似非科学的な神話を捏造しやすい。

そこで要請されたのが反証可能性である。
だから反証可能性とは、神話ではなく
「神話の捏造を防止する仕組み」と考えるのが妥当。

524 :考える名無しさん:04/07/01 20:36
フェノに言わせれば、
神話の捏造を防止できる、というのもまた神話である。
彼が何をもって神話と見なしているのか知らないが、
「つまり、なんでも神話だろ?」である。

525 :考える名無しさん:04/07/01 20:38
あたり前田のビガロである。

526 :考える名無しさん:04/07/01 20:50
「他者とは限りなく私である」という命題も、また反証可能ではない。

527 :考える名無しさん:04/07/01 20:58
「限りなく〜である」という述語に、具体的な意味を与えていない。
「机とは、限りなく椅子である」と言ってはなぜいけないのだろうか。
「限りなく〜である」は、言葉の外部から、こっそり密輸入されている。

528 :考える名無しさん:04/07/01 21:05
「他者とは限りなく私である」

これは日本語の文法に違反していない。
つまり、構文(シンタックス)上は正しい文である。
では、意味(セマンティックス)はどうだろうか。

529 :フェノ:04/07/01 21:07
「他者とは限りなく私である」というときには、
(世界の存在の中で)ということですね。
私は唯物論者ですか、
まずもって、遺伝子に言及できると思います。
そして経験、すなわち記憶。
さらに反証可能性という意味では、心理学的な
テストも可能だと思います。

私にとって、他者の特別性ですね。

530 :考える名無しさん:04/07/01 21:11
「Xとは限りなくYである」
XとYに、語を代入することによって、文の真偽が決まる。
これが意味(セマンティックス)を与えるということである。

例をあげてみよう。
X=机、Y=椅子 : これは文が「偽」と判定されるケースである。
X=他者、Y=私 : これは文が「真」と判定されるケースである。

このような判定を与える「原則」があれば、
この文の意味は与えられるわけである。
言い換えれば「反証可能」になるわけである。

531 :考える名無しさん:04/07/01 21:11
>>529
モダンからポストモダンへ、他者志向から自主志向へ、という現代的テーマを
どれだけ字数を費やしても損なうことなくただひたすら文章を膨らませる才は見事としか言い様がない
私のような凡人では一言一言を付け加えるごとに文章に新たな意味を付加させがちである。
しかしここに著されたた文章にはそれがない、具体例さえもが(元来固有な意味の塊である具体例さえもが!)
この非凡な文脈の中ではただただ字数として消費されるのみであり、まさに活字のブラックホールである。

活字中毒、という言葉がいつから使われ出したかは定かではないが、近年のことだ。
この活字中毒という言葉こそ現代の虚無的な言論―彼の著した神話論も当然そうだ―が
「書き手はただひたすらに活字を費やし、読み手はただひたすらに活字を消費する」という
全く新しいパラダイム―それはポストモダンさえも超えている!―に属するということの実例である。

私たち“古い”人間が彼の神話論を理解できただろうか、否。
この作品が発表されてからのここでの反応を見てみればすぐさまにわかるだろう。
彼の神話論という創作は、私たちが近代に慣れしたんだ文学/評論の文体とははるかにかけはなれ、
そしてまたポストモダンの文体として浸っていた2chの文体とも毅然として異なるものだ。

かねてポストモダンの先には何があるのかと議論されてきた。
そしてここに私たちはその一端を垣間見ることになったのである。そう“完全な無意味”を。

532 :フェノ:04/07/01 21:12
>心理学、社会学、経済学、政治学、等々は
>見せかけは科学のようでもあるが、
>厳密な理論にすることは難しく、
>ゆえに似非科学的な神話を捏造しやすい。

物理学においても、もはや反証不可能な分野は
多くありますね。

533 :フェノ:04/07/01 21:15
>モダンからポストモダンへ、他者志向から自主志向へ

自主志向とはなにですか?


534 :考える名無しさん:04/07/01 21:16
「遺伝子に言及できる」とは何だろう?
「他者の特別性」とは何だろう?
哲学者は立ち止まるのである。
立ち止まることを知らないのは、
思想家ではあっても哲学者ではない。

535 :フェノ:04/07/01 21:20
>>534
立ち止まりましょう。
しかし、どこかで進みましょう。
なぜなら真理に底がないからです。
たとえば、もはや独我論は真偽の問題でなく、
好き嫌いの問題です。

536 :考える名無しさん:04/07/01 21:22
フェノが我々と違う文脈に立っていることは明らかである。
彼は批判に構うことなく、批判の意味を理解することもなく、
「My文脈」を次々と捏造してゆく。My文脈、すなわち神話の捏造である。

537 :考える名無しさん:04/07/01 21:24
宙に浮いた神話は、文学と区別がつかない。
もっと言えば、ペテンと区別がつかない。

538 :フェノ:04/07/01 21:27
>>536
「我々」はどの文脈にたっているのですか。
たとえば、どのような哲学者の言説ですか?

539 :考える名無しさん:04/07/01 21:32
>>538
論理実証主義?まあ、どう呼んでも良いんだけど。
ウィトゲンシュタインが言うように、
何か形而上学的なことを語ろうとする人を見たら、
これこれの語に何の意味を与えていないと指摘すること。
これこそが、真に正しい哲学の方法なのだという文脈に立っている。

540 :考える名無しさん:04/07/01 21:40
ひょっとしたら、フェノの言うことにも
意味があるかも知れないと思わせるのは、
単に文法に誤りがないという程度の、
表面上の合法則性でしかない。

文法さえ正しければ、そこに何かしら意味があるだろう、
と考えるのは誤解である。

541 :フェノ:04/07/01 21:48
分析哲学ということですかね
意味論は大変ですね
デイビッドソンとかおもしろいですね

542 :考える名無しさん:04/07/01 21:49
>>531
面白いこと言いますね。
このスレの書き手、読み手の双方を支えているのは、
思想でも哲学でも何でもなく、
ただただ「活字を消費したい」という衝動である。

543 :考える名無しさん:04/07/01 21:53
>>542
健康のために食べるのではなく、
ただただ食べたいものを食べる、
それがジャンク・フードであるなら、

思想を磨くために読み書きするのではなく、
ただただ活字を消費したくて消費する。
「言葉のジャンク・フード」と言えるだろう。

544 :フェノ:04/07/01 21:59
クリプキの規則のパラドクス(ヴィトゲンシュタインのパラドクス)
における
クリプキの共同体、デイヴィッドソンの全知の解釈者
大澤の第三者の審級という流れは、
他者(神性)の捏造のもっとも論理的な裏付けだと思います。

その前に大文字の他者を指摘していたラカンはすごいですね。


545 :考える名無しさん:04/07/01 22:02
「遺伝子に言及できる」とは?
「他者の特別性」とは?
フェノは自ら発した疑問を解決していないし、
解決しようとすると、また新たな疑問を次々に生み出す。

核燃料サイクルのようなものだ。
その燃料で永遠に哲学板を燃やし続けるというのか。
もうたくさんだ!もうたくさんだ!(ニーチェ)

546 :フェノ:04/07/01 22:05
>解決しようとすると、また新たな疑問を次々に生み出す。

学問の本質ですね。


547 :考える名無しさん:04/07/01 22:09
>>546
馬鹿。おまえのやってることは、
必要でもない疑問符をばらまいて煙に巻いてるだけだろ。

548 :フェノ:04/07/01 22:39
他者が限りなく私であるということは、
偶有性から単独性への転換である。

549 :フェノ:04/07/01 22:45
机と椅子の譬えでいえば、
たまたまそこにあった椅子を机に組み込んだのだが、
長年使っているうちに「この机にはこの椅子でなければいけない」
という余剰が生まれ、神話が捏造される。

550 :フェノ:04/07/01 22:52
我々にとって太陽や月は、じつに神話的な存在である。
しかし、太陽も月も地球も、じつは惑星の一種に過ぎず、
同じ物理法則に従っていると分かると、神話は解体され、
「科学」と呼ばれるようになる。

551 :フェノ:04/07/01 22:55
科学さえも神話と同じように人間の心理が生み出すものだ、
とある人が言うとき、科学という神話は解体された。

552 :フェノ:04/07/01 22:55
人がすべてを理解したいという欲求はどこからくるのだろう

自己の中にある「力への意志」でさえ、飼い慣らそうと、恐怖する。
自己の中の「生の力」は闇である。

553 :フェノ:04/07/01 22:59
その答えの一つは、共主観性にあるかもしれない。
他者とコミュニケーションすることは、自己の根元である。
理解されないものは、コミュニケーションが困難である。

共主観性が、世界を、コミュニケーション可能な世界へと
解体する。


554 :フェノ:04/07/01 23:00
すなわち、人は他者をコミュニケーション可能なように
世界を認識しようとする。

555 :Tar ◆SQIDAUQYpc :04/07/01 23:01
月って不自然なんだってね。
太陽⇔地球⇔月

ところでバイト行ったの?

556 :フェノ:04/07/01 23:03
クリプキの規則のパラドクスによると、
他者の承認なく、自己はなにものも確からしさを
もちえない。

すなわち、認識とは根元的に他者志向性を持っている。
人は「痕跡」として世界を認識する。
他者とコミュニケーション可能なように、
他者が見ているように、世界をみる。

557 :考える名無しさん:04/07/01 23:04
>>531
>そしてここに私たちはその一端を垣間見ることになったのである。そう“完全な無意味”を。

何故か苛立っているかのような印象を受ける。
それは、我が身のカリカチュアを見る思いがするからではないのか。

558 :考える名無しさん:04/07/01 23:07
プラトニストはこう反論する。
「我々はなぜこうも非難されなければならないのか。
 我々は自然を解明し、それを役立ててきたではないか。 
 科学も心理現象である。よろしい。だが、それがどうしたのかね?
 それが我々に何か新しい恵みをもたらしたのかね?」

559 :フェノ:04/07/01 23:09
たとえば、ある女性の美しさに惹かれたとする。
それは確定記述の束に還元できない。余剰がうまれる。
で、余剰は超越論的シニフィアン「女神」に回収される。

それは、他者に伝えることができるようにするためである。
他者へ伝えたいがために、言語化するのである。

だから人は言語しないままの余剰を嫌う。
なんとか理解しようとし、名付けることによって、
余剰を回収し、
他者に伝えようとする。


560 :フェノ:04/07/01 23:10
言語化とは、他者志向性であり、
他者へのコミュニケーション志向性である。

561 :フェノ:04/07/01 23:12
たとえば、人以外の高等な動物はどうだろう。
言語は持ち得ないとしても
認識は他者へのコミュニケーション志向性を持ち得ているだろうか。
他者がみるように世界を見ているだろうか。

562 :考える名無しさん:04/07/01 23:12
科学が、実用的である以上に大切なことは、
我々の共同主観が、誤謬の罠に陥ることを防ぐことである。
フェノがこのスレで何を主張しようとも、
科学以上に「他者に承認された事実」ではない。

他者に承認されることの、前提条件として「反証可能性」も提示した。
しかし、彼はその概念を理解していない。
どこまでも反証を拒み続けることによってのみ彼の言論は成り立つ。

563 :フェノ:04/07/01 23:15
そもそもにおいて、動物はどのような
余剰を持ち得ているのだろうか。

感情、感性は人がもっとも発達しているのだろう。
猿には、どのような感情、感性があるのだろうか。

美しい、笑う、感動
楽しい、怒り

564 :考える名無しさん:04/07/01 23:15
自己へ反証を拒むこと。
これは聖書、カトリック教会、そして共産党が
自己正当化のために用いた手段である。

565 :考える名無しさん:04/07/01 23:17
なぜ聖書は承認されたのか、共同主観によって、
なぜ聖書は否定されたのか、科学によって

566 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/01 23:18
ぴかぁ〜さんの書くことは全くナンセンスだけど、ぴかぁ〜さんほどの「書きたがり」を
見たのは生まれて初めてかも知れない。
と、最近の書き込みを見て思った。何がぴかぁ〜さんをそうさせるのですか?

567 :フェノ:04/07/01 23:18
>科学以上に「他者に承認された事実」ではない。

他者が承認するとは、なんだろうか。
どのようなことをいっているのか。
これを考えれば、反証可能性への理解が深まるでしょう。

568 :フェノ:04/07/01 23:19
ん?

一人で書いているわけじゃないし

569 :考える名無しさん:04/07/01 23:19
哲学とは、一個人の感情の発露のためにあるのじゃない。

570 :フェノ:04/07/01 23:20
>>565
これはとてもよい考えだと思います。
承認するとかなにか、功利性との関係ですね。

571 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/01 23:21
ぴかぁ〜さんて複数なの?「はてな」も?

572 :考える名無しさん:04/07/01 23:21
>>567
物理学や電磁気学がなけりゃ、
あなたの今の文明生活は成り立たないでしょ。
つまり、あなたはどんなに口先で科学を否定しても
行動によって無意識のうちに科学を承認している。

573 :フェノ:04/07/01 23:22
聖書への承認と、科学への承認の違いですね。


574 :考える名無しさん:04/07/01 23:23
ちなみに、>>548-551を投稿したのはフェノ本人ではない。

575 :フェノ:04/07/01 23:24
>>572
私は、本質的に実証主義者ですよ。
別に科学を否定しているわけではない。
ただ、それが「真理」であるというは、ないでしょう、ということです。
現在において、科学技術の実績が、他者が承認する理由ではないのか
ということです。

576 :フェノ:04/07/01 23:26
たとえば、反証可能性について言及しましょう。
反証などそもそも不可能なのです。
世界は絶えず変化している。
再現されることはないのですよ。

それはあるルールにのっとった場合において、
再現されているとこととしているのです。

577 :フェノ:04/07/01 23:29
さらにいえば、クリプキの行為のパラドクスについて
いえると思います。
なんどもいっているので、説明は省きますが。

578 :フェノ:04/07/01 23:31
このようなことは、別に私がいうまでもなく、
一般的な見解であるとは、思いますが。

579 :考える名無しさん:04/07/01 23:35
>フェノ
私も無知なくせに、色々言いすぎました。ごめんなさい。
あなたはすぐに甘美な方向へ飛んでしまうので
捕まえるのが大変なんですよ。だからついイライラする。

580 :フェノ:04/07/01 23:36
なぜか、いつも相対主義と合理主義の議論になりますね。
私はここに権威主義という神性の捏造を見ます。

すなわち、自分の言葉で話すことは、
哲学権威の特権であり、弱いものはただ従い、学べばいい。

わたしはニーチェではありませんから、
これがニヒリズムとはいいません。
そういうことも、ありです。
ひとは神性を捏造することによって、私であるのですから。

581 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/01 23:38
>>579
そういうことを書くからぴかぁ〜さんは調子に乗ってしまうのです。間違いは間違いだ、
と指摘し続ければよいのです。

582 :フェノ:04/07/01 23:41
そもそもにおいて、動物はどのような
余剰を持ち得ているのだろうか。

感情、感性は人がもっとも発達しているのだろう。
猿には、どのような感情、感性があるのだろうか。

美しい、笑う、感動、楽しい、怒り

これらは感情は明らかに言語化されることによって、
可能になっている。すなわちコンテクストに依存している。
楽しいと嬉しいの違いは、人の内的な余剰(あるいは物理的な反応)の違いではなく、
コンテクストの差異である。

583 :考える名無しさん:04/07/01 23:42
ぴかぁ〜を理解できない苛立ちが募る。
ぴかぁ〜が教師であるなら、生徒が誰一人いないような状況である。
空の教室に向かって絶叫し続けるぴかぁ〜。

584 :フェノ:04/07/01 23:44
そして感情は言語によるコンテクストの差異化によって
豊かになったのである。

しかし動物にも内的な余剰の発生はあるはずである。

585 :考える名無しさん:04/07/01 23:46
>>580
キリスト教の権威も、科学の権威も
「はじめからあった」ものじゃなくて、
それは、かなり長い時間と努力と、
時には「命」さえもかけて形成されてきたものだ。

だから、どちらの権威に依存するにせよ、
その権威がどう形成されたかということが重要ではないだろうか。

586 :フェノ:04/07/01 23:49
>>583
「電車内携帯電話の法則ですね。」
人は言語が現前化すると、理解しようとしてしまう。
これは聞かされるものに強制力として働き、
理解できないと、疎外感として現れる。

理解しろと、そんなこともわからないのか。
という力が、言語にはある。

人は限りなく他者志向性な動物です。

587 :考える名無しさん:04/07/01 23:49
「余剰」という言葉が気になるんだけど、
あたかも「余計なもの」のような名前で呼ばれているけど、
もちろん「余剰」は何かしら必要とされて、
あるいは副産物として存在するものではないですか?

588 :フェノ:04/07/01 23:52
>>585
系譜学ですか。
ニーチェのキリスト教的道徳観の成立はおもしろいですね。

589 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/01 23:52
ぴかぁ〜さん、攻撃性がなくなったね。精力減退?

590 :フェノ:04/07/01 23:54
>>587
言語論的な考えです。
シニフィエは、
確定記述、コンスタティブがあり、
+回収されない余剰がある。

591 :考える名無しさん:04/07/01 23:57
>>580
キリスト教徒は、イエスとその弟子たちの物語を心の柱にしているし、
科学教徒は、(私だけかも知れないが)科学者が宗教の弾圧と
戦ってきた歴史をボーッと眺めているのである。

そして、その物語の延長線上にそれぞれの自己を置く。

592 :フェノ:04/07/01 23:58
最近読んだ本でおもしろかったのは、
科学と技術は、別々に進んできた。
現場でのエンジニアによる蒸気機関の発明から
産業革命へ導くが、
科学は、そのはじめから、要素還元論(物理学主義)と
非還元論(自然主義)の攻めぎあいで進んできた。

むしろ最近の方が、科学=要素還元論(物理学主義)というような
イメージが強いように思います。
学校教育の影響でしょうか。

593 :フェノ:04/07/02 00:01
産業革命の成功が、要素還元論(物理学主義)を
功利主義的に、メジャーに押し上げたのではないでしょうか。



594 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/02 00:02
要素還元論(物理学主義)? 非還元論(自然主義)?
意味がわからないんですけど。

595 :考える名無しさん:04/07/02 00:02
>>591
ここに宗教と科学の決定的な違いが現れる。

科学は、極端に言えば、科学者の物語を全部削除しても
定理なり法則なりを残すことは出来るだろう。

しかし例えばキリスト教は、
イエスと弟子の物語を抜きに語れないのである。

596 :考える名無しさん:04/07/02 00:06
.>>590
う〜ん。言語論は全く知りません。。。

597 :フェノ:04/07/02 00:07
蒸気機関を開発したワットって、中卒だったんですね。

598 :BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/02 00:09
要素還元論(物理学主義)、非還元論(自然主義)ってどういう意味ですか?

599 :考える名無しさん:04/07/02 00:46
エジソンだって中卒かなんかじゃないか?
発明家に学歴は関係ないよ。

600 :考える名無しさん:04/07/02 01:04
要素還元論
自然や社会は究極的には単純な要素と法則で成り立っており、それを解明するのが科学だという信念。


601 :考える名無しさん:04/07/02 01:12
非還元論
現実には不連続や非線形、飛躍、断絶、矛盾、要素の総和以上のモノ、複雑性などがあり、
還元論だけでは捉えきれないと考える。

602 :フェノ:04/07/02 01:29
人はなぜすべてを理解したいのだろう。


人はなぜすべてを理解したいのでしょう。それは一つは進化論的説明されるでしょう。
生命がもつ自己増殖する特性は、世界を征服し、繁栄することを指向しているという考えです。
たとえば、ニーチェの<b>「力への意志」</b>は、進化論から多大な影響を受けているように
おもわれます。ニーチェによると、人の根元性は<b>「力への意志」</b>にある。「力への意志」とは、
生命が本来的にもつ生きようとする内的な力です。そしてニーチェは、人は<b>「力への意志」</b>
によって、世界は安定した真理に基づいているように捏造すると言います。それが、キリスト教、
形而上学批判につながります。

これはボクがいうところの<b>「神性の捏造」</b>です。人が理解するということは、言語化することを
表します。あたらな謎が現れると、それを言語化することによって、理解したように振る舞います。
たとえば、ある女性の美しさに惹かれたとする。なぜその女性に惹かれるのかは謎です。
それは言語で説明できません。そのために確定記述に還元できない余剰がうまれるます。
そして彼女を超越論的シニフィアンである<b>「女神」</b>と名付けることによって、
余剰シニフィアンに回収されます。そして理解されたように振る舞います。

謎を名付けることによって、回収し、世界はすべて理解されたことになります。そのもっとも特徴的な
ものが<b>「神」</b>です。人は窮地に陥ると、その言語で説明できない不安を<b>「神」</b>という
超越論的シニフィアンによって解消します。宇宙への畏敬の念、富士山の荘厳さ、夕日の美しさ
などなど、言語で説明できない多くのものは、<b>「神」</b>というシニフィアンに回収されます。


603 :フェノ:04/07/02 01:30
しかしこの<b>「力への意志」</b>は、生の力とはなんでしょうか。それはニーチェ的には進化論的な
生理的に生命がもつ力でしょうが、私は、そこに<b>「共主観性」</b>をみます。すなわち、言語化する
ということは、他者とコミュニケーション可能なように認識するということではないでしょうか。
言語化されない余剰は、他者へ伝えることが困難です。あるとことで見た夕日への感動は、
言語化さることが難しいために、他者に伝えることが難しいです。しかしそれを<b>「神」</b>という
ようなシニフィアンへでも解消することによって、少しでも他者に使えることができるようになる、
というようなことです。

しかしこれは、人が意図をもと行う行為というわけではなく、ニーチェのいう<b>「力への意志」</b>と
いう生の力の一部です。すなわち人はアポリオリにそのような指向性をもって、世界を認識している。
人はそもそもにおいて、コミュニティを前提とした存在であるということです。

人はなぜすべてを理解したいのだろう。それは他者に伝えたいがために、すべてを理解したのである。
ということです。これはボクがいうところの、<b>「認識とは根元的に他者志向性を持っている。
人は<b>「痕跡」</b>として世界を認識する。他者とコミュニケーション可能なように、他者が
見ているように、世界をみる。」</b>ということにです。


604 :フェノ:04/07/02 01:30
たとえば、人以外の動物はどうでしょうか。言語は持ち得ないとしても、認識は他者への
コミュニケーション志向性を持ち得ているでしょうか。他者がみるように世界を見ているでしょうか。

感情、感性は人がもっとも発達しているでしょう。嬉しい、楽しい、苦しい、悲しい、美しい、可笑しい、
感動的、腹立たしい、憎たらしい・・・動物にはこのような多様な感情はもっていないでしょう。
しかしこれらは感情は明らかに言語によって成り立っています。たとえば、楽しいと嬉しいの違いは、
人の内的な余剰(あるいは生理的な反応)の違いではなく、コンテクスト(状況)の差異であり、
文脈上の言語表現です。よって、感情といわれるもは、言語化によって豊かになったのです。

このような意味では、コミュニケーションの複雑さが、感情を複雑にしているということが言える
かもしれません。猿が怒っているのは、それはそれで他者へのディスプレイだといえることができます。
そのような意味では、動物はその生理能力なりに、<b>「他者志向性を持ち、<b>「痕跡」</b>として
世界を認識し、他者とコミュニケーション可能なように、他者が見ているように、世界をみている。」</b>
と言えるかもしれません。動物もすべてを理解しようとしていると考えられるかもしれません。

<b>「力への意志」</b>とは、生存したいという力とともに、他者、コミュニティと分かり合いたいという
力ともいえるのではないでしょうか。


605 :フェノ:04/07/02 09:16
ニーチェの言説はいまも魅力的です
道徳という利他的思想は偽善でありルサンチマンである
人は根源的に利己的であり
みんなの幸せでなく、自己の幸せをめざすべてである
これはある意味でわれわれにリアリティをもって迫ってきます

606 :フェノ:04/07/02 09:19
たしかにわれわれの中にこのような利己性は存在します
特に大きな物語が消失した現代、利己性により自己を確立しなければ
私とはなにかに答えることはできません

607 :フェノ:04/07/02 11:53
いっさいは意味がない、すべては許される
利己的に生きる
強い人間(超人)のために弱い人間の犠牲が必要である
ある種「本音」と言われることである

608 :考える名無しさん:04/07/02 11:55
フェノサンどんだけ暇なんですか?働かないんですか?

609 :フェノ:04/07/02 12:26
人は何のために生きているのか?と言う問いに
意味などないと答える神話は現代的である

しかし「何のために生きているのか」という発話自体に
すでに神性が捏造され、余剰が回収されている
純粋な「なんのために生きているのか」はないということである

そして純粋な「意味などないもない」ということである

610 :フェノ:04/07/02 12:29
すなわちその発話に先立ちすでに
なにかのために生きているということである

611 :フェノ:04/07/02 12:49
それでもあえて純粋な生きる意味を問うとすれば
人は意味なく生きることはできない
生きるとはなにかの意味を捏造することである

612 :フェノ:04/07/02 12:53
利己的に、生きることを目的とする
利他的に、誰かのためにいきる
そのバランスの上に意味を捏造する

613 :考える名無しさん:04/07/02 13:11
フェノサンどんだけ暇なんですか?働かないんですか?


614 :フェノ:04/07/02 13:54
超人の選民的思想はナチスに利用されたと言われている

ここには明らかに神性が捏造されている

615 :考える名無しさん:04/07/02 14:02
ナチスに利用されたのはそもそもナチスがゲルマン民族の優越性を主張してたから
利用したのであって、超人の「選民的思想」(ってか『ツァラトゥストラ』くらい
読んで言ってるの?)ありきでは無いよ。

616 :フェノ:04/07/02 14:39
あのナチスはニラチェの「殺していけない理由はない」という相対主義を
利用したのではなく
超人という超越性価値を利用したというところに
意味があるのです
すなわちニーチェは道徳をルサンチマンと否定し
超人というルサンチマンを
捏造したということです

617 :フェノ:04/07/02 14:42
これは相対主義者が陥る罠です
既存の価値を解体するところまではよいが
いざ自分が構築側に回ると神性を捏造する、せざるおえない

618 :フェノ:04/07/02 14:52
しかしニーチェの反道徳思想、力への思想、あるいは超人に
われわれを引き付けるものがある

現にわれわれはこのような二重拘束的世界に生きています
利他的な倫理/利己的な欲望
善であれば救われるわけではなく、欲望的で、強者、弱者のいる世界

619 :フェノ:04/07/02 14:54
われわれはそれをよく、上辺/本音として表現します
まさにニーチェは「本音」を暴露したということになります

620 :フェノ:04/07/02 14:59
しかしこのような二項対立にすでに神性が捏造されている
利他的も本音ではあるということです
われわれの力の意思には
利己性も利他性もあるということです

そして仮に社会的なうわべがあるとすると
社会的な儀礼としてある
それがそのまま利他性ではない

621 :フェノ:04/07/02 15:08
かつての道徳性が慣用化し保守化したという面はあるかもしれません
さらにニーチェの生きた時代もあるでしょう
ニーチェは現存する超越性的価値に退治したところに
新たな超越性価値をおかざるおえなかった
力への意思、超人、永遠回帰

そしてキリスト教的超越価値が利用されたように
ナチスはニーチェ的超越性価値を利用した

迫害は「人を殺してはいけない理由はない」ことにより起こらない
「人を殺してはいけない」という利他的正義によって迫害はおこる
すなわち利他的は、排他的の裏面である

622 :フェノ:04/07/02 15:12
これはニーチェの利己的肯定思想への回帰のようであるが
人は利他的からは逃れられない
それは利己的な力への意思に含まれるものだからです
そして現にニーチェもそうであった

623 :考える名無しさん:04/07/02 15:26
あなたの言いたい事がわからない、と言っておきますね。

624 :考える名無しさん:04/07/02 15:39
「神は死んでいない」というのは実はニーチェの結論でしょう?
近代はまさに神が死んだかのような神話をばらまいた時代だった。

625 :フェノ:04/07/02 15:43
神は死んでいなという
結論とはどのようなことでしょうか?

626 :フェノ:04/07/02 15:52
ニーチェの言説はまったくおもしろいが
その一つが力への意思の実践に芸術をおいたところですね
善を否定し、美を肯定する

627 :フェノ:04/07/02 15:58
美しいと思うことには多分に後天的な文化性がある
しかしすべて文化性には還元できないでしょう
この先天性故にニーチェは芸術を力への意思として
見たのだと思います
芸術という沸き上がる生の力

628 :フェノ:04/07/02 16:06
このためにアニミズムにおうて芸術が呪術的価値を持ち得た
ベンヤミンはこれを礼拝的価値といいます

まつりごとにおける生の称賛と芸術が結びついていた
ということです

芸術作品は溢るる余剰を回収するシニフィアン(記号)です
それは言語よりも高い吸収力、あるいは自由度を持ちます

629 :フェノ:04/07/02 16:11
さらに余剰をコミニケーションする能力にも優れている

言語意味で伝達困難な余剰は芸術により
コミュニケートされる

現代においても恋愛場という余剰が多量に発生し
なおかつそれをコミュニケートしたいというアウラ場では
芸術が多用されます

630 :フェノ:04/07/02 16:21
芸術は様々な余剰をまったくよく吸収し、伝達します
喜び、悲しみ、怒り、性欲

631 :フェノ:04/07/02 16:32
現代もっとも成功している芸術は
音楽だろう
これは芸術がコミュニケーションメディアと考えればよくわかる

632 :フェノ:04/07/02 16:55
芸術は様々な余剰をまったくよく吸収し、伝達します
喜び、悲しみ、怒り、性欲・・・
このようには言語化できないもっと複雑な心情を
吸収し、伝達します。



633 :考える名無しさん:04/07/02 19:46
ぼくはこのひとを、特別な存在だとは思わない。
現代人はみんな「ぴかぁ〜」だ。
(キライだけど)

634 :考える名無しさん:04/07/02 20:05
才能はあるんじゃないですかね。
エヴァのようなムーブメントを
このひとは作れる。
PHP新書あたりで、本出してくれないかな〜。
筆者「ぴかぁ〜」で! 買いますよ。
タダで垂れ流しておくには、もったいない。
市場で勝負してほしいなぁ……

635 :考える名無しさん:04/07/02 22:16
エヴァのようなムーブメントを

断言、無理。

636 :考える名無しさん:04/07/02 22:42
ぴかぁ〜?

637 :フェノ:04/07/02 23:10
>>634
激藁

ジエンもほどほどに

638 :考える名無しさん:04/07/02 23:13
自演の意味、知ってんのかいな。

639 :考える名無しさん:04/07/02 23:15
じぇんじぇん知らない。

640 :考える名無しさん:04/07/02 23:19
神話がないという神話の時代?

641 :考える名無しさん:04/07/02 23:20
神話なんていっぱいあるじゃん。人権とか愛国心とか・・・。

642 :考える名無しさん:04/07/02 23:23
神話というのは、個人の固定された信念によって
作られるものではないですよ!

643 :考える名無しさん:04/07/02 23:28
人権思想っていうのは、個人の信念じゃないですよ。

644 :考える名無しさん:04/07/02 23:29
神話時代に神話なんて無いやろ。


645 :考える名無しさん:04/07/02 23:31
つまり、このスレが一番神話性に乏しいのであーる。

646 :考える名無しさん:04/07/02 23:32
天賦人権論とか社会契約論とかって、神話だろ? 違うか?

647 :考える名無しさん:04/07/02 23:32
>>643
>>646  うん。

648 :考える名無しさん:04/07/02 23:33
ニーチェなんかも神話の登場人物だよな。
「神は死んだ」と言った古代の英雄・

649 :考える名無しさん:04/07/02 23:56
神話というのは、終末論的思想や唯物史観のことなどだと思っていたけど?(大きな神話か)
あと、ニーチェによると、神々が死んだのは唯一神の宣言を聞いて抱腹絶倒の末死んだんだとか、
その唯一神が死んだのは、人間への同情故ということらしい。ツラトゥストラを読みましょう。
もうひとつ、超人思想は、大江健三郎の小説のタイトルだけ借りると「厳粛なる綱渡り」であり、
墜落すると、凡庸なエリート主義や鬼子としてのナチズムになる。

650 :考える名無しさん:04/07/02 23:59
ニーチェみたいに好き勝手言って、それが哲学だと認められる時代はよかった。
教養はすごいんでしょうけど。

651 :フェノ:04/07/03 00:21
ニーチェは哲学者なのか?という問いはありだと思います。
ただ、おもしろいのが、ニーチェやラカンが、
ある種のリアリティをもって、われわれに迫ってくるということですね。
そこには、芸術性は無視できないとは思います。

確定記述による限界は、ヴィトゲンシュタイによってもわかると思います。
語り得ぬものを語るということの意味。
これは考えられるべきですね。

652 :考える名無しさん:04/07/03 00:22
「確定記述」の意味、調べといた方がよくねえ?

653 :考える名無しさん:04/07/03 00:27
なんか、「これだ!!」っていうものは、無いの?
人生をかけてもいいテーマみたいなのは。

654 :フェノ:04/07/03 00:29
>>653
うまく捏造してください。
それが、リアリティですから。

655 :考える名無しさん:04/07/03 00:32
>>654
フェノさんのテーマだよ。いつも言うことが違うんだもの。

656 :考える名無しさん:04/07/03 00:34
「自分のつくるものは捏造だ」なんて思いながら、
リアリティを感じれるものでしょうか。

657 :考える名無しさん:04/07/03 00:39
ウィトゲンシュタイン的、寧ろ2ちゃん的な
「言語ゲーム」で構わないだろフェノ君。

658 :フェノ:04/07/03 00:40
>>656
自分のばれないように捏造すること。
すなわちそれが正しいのだ、と思うこと。
そこにリアリティが現れます。

659 :考える名無しさん:04/07/03 00:41
ゲーム → 楽しみ → 当人が楽しけりゃO.K.

これかな…… 一貫するテーマは。

660 :考える名無しさん:04/07/03 00:42
2ちゃんねるに人生をかける、って香具師はさすがにいないだろうなあ。
セックスに人生をかける、はどうかな? そういう香具師は結構たくさ
んいて、皆それなりに自分の人生に満足しているようだ、って誰かが書
いていたな。

661 :考える名無しさん:04/07/03 00:43
>>658
でも、その言葉を聞いて、それを納得しながら
リアリティを感じ取れますかね。
私はもう聞いてしまったんですよ、
あなたの言葉を。

662 :考える名無しさん:04/07/03 00:44
アドヴァイスとして破綻していませんか。

663 :考える名無しさん:04/07/03 00:49
あえてそれが成り立つなら、リアリティを他者に感じなければならない。
すなわち、「私」だけにはリアリティを感じ得ないことになる。
それは、「私は私である」という誰かの信念と、相反するものですよね。

664 :考える名無しさん:04/07/03 00:50
>>660
誰かの不満足さえ、豚の満足となる。
哲学は慈善事業なのか。

665 :考える名無しさん:04/07/03 00:52
ほんとうの不満足など、存在しないのかも知れない。

666 :考える名無しさん:04/07/03 00:56
主語が違うんだな……なかなか通じない。
こちらから努力はしているつもりなんだけど、
しばしば忘れてしまう。

667 :考える名無しさん:04/07/03 00:57
しかし、議論は歓迎してくれるはずだ。
と、自分の意識を捏造して待ってみる。

668 :考える名無しさん:04/07/03 01:01
仮に歓迎されていなくても、何かしらのヒントにはなるだろう。
と、自己愛を対象への愛に改変・拡大解釈・捏造してみる。

669 :考える名無しさん:04/07/03 01:03
リアリティとか本能とか、そういう言語処理はいかがなものか。
それは案外、論理的とされる欧米人に多いやり方だ。

670 :考える名無しさん:04/07/03 01:03
此の世に真実など無い

在るのは物語だけだ



・・・と、ワインに酔った俺が言っている。

671 :考える名無しさん:04/07/03 01:06
日本人は元来、もっと実際的なものの考え方を
身に付けていたはずだ。
たとえ、それが「あいまい」と言われようと、
「あいまい」は厳然と「ある」ものだ。
人間が思考を巡らす限り。

672 :考える名無しさん:04/07/03 01:08
ワインか〜、梅雨どきは保存がむずかしい気がするので
買わなくなってしまう。
きょうは酒を飲んでいない。
飲むときは、ウィスキーだ。

673 :考える名無しさん:04/07/03 01:12
物語もいろいろさーね。
大河もあれば小品もある。
一つのスレの中にさえ、無数の「完結」があるね。

674 :670:04/07/03 01:14
俺は土に埋めているんだよ。
時々ワインが死んでいるが・・・
しかし、イエスの血の味には出会っていないな。


675 :考える名無しさん:04/07/03 01:15
神話を客観的に語ろうとするなら、
それは必然的に短編の散文でなされるものなのだろうか。
それ自身が神話とならないために。

676 :考える名無しさん:04/07/03 01:17
ワインも本場で飲むのがいいのかもね。
イエスの血は、船酔いに耐え切れないのだろう。

677 :考える名無しさん:04/07/03 01:21
ワインがイエスの血なら、
清酒や濁酒はいったいなんだろう。
八百万の神の、鼻水だとでもいうのだろうか。

678 :考える名無しさん:04/07/03 01:24
んと、一応待っているのであるが……
もう寝ちゃったかな。

679 :考える名無しさん:04/07/03 01:25
いや、其れこそ神の小便位が関の山だろうな。

680 :フェノ:04/07/03 01:29
>でも、その言葉を聞いて、それを納得しながら
>リアリティを感じ取れますかね。

意味がよくわかりませんが、
自分のばれないように捏造すること。
すなわちそれが正しいのだ、と思うこと。
そこにリアリティが現れます。


681 :考える名無しさん:04/07/03 01:32
>>680
繰り返し、か。
神話にも、それこそ神の小便にもならない。
あなたの言う「リアリティ」は、「私のリアリティ」にはなれないのですよ。
残念ながら正しいとは思えません。

682 :フェノ:04/07/03 01:33
自分のばれないように捏造するとは、
疑うことができないということです。
ただ受け入れる。正しいと認識するのではく、
疑いえないのですから、そこに正しいも隠蔽されている。
そこにリアリティが現れます。

683 :考える名無しさん:04/07/03 01:34
彼はけっして、私に努力を強いることをしない。
彼も努力をしない。
これほど暴力的なことがあろうか。

684 :フェノ:04/07/03 01:35
あるいは隠蔽されていた正しさの存在を
露出させられるときに、強烈なリアリティは現れます。

685 :考える名無しさん:04/07/03 01:36
>>682
ただ受け入れたとしましょう。
疑わないとしましょう。
すると、「捏造」という言葉は
何の意味も持たなくなる。

686 :フェノ:04/07/03 01:36
自分のばれないように

自分にばれないように


687 :考える名無しさん:04/07/03 01:38
これは、あなたの繰り返される言説に
なんの意味や価値も無いか、
言葉に破綻や嘘があるか、ということになる。
つまり、文章として機能していない。

688 :考える名無しさん:04/07/03 01:43
だいたい「リアリティ」という言葉ほどウソ臭いものはない。

689 :考える名無しさん:04/07/03 01:46
独裁者は他者しか語らない。
一見、それが自分のことのようであっても。

690 :考える名無しさん:04/07/03 01:49
孤独の高みという神棚の上に、ぼた餅と共に並んでいる。
それが、その種の人間にとっての「自分」なのだ。
語りえぬもの――それが、「自分」でしかない傲慢さ。

691 :考える名無しさん:04/07/03 01:52
『ゴーマニズム宣言』は、最低条件、おもしろくなくてはならない。
それによって、かろうじて「ゴーマンかましてよかです」となるのである。
つまり、最低限、市場での競争の場にいなくてはならないのである。

692 :考える名無しさん:04/07/03 01:54
簡潔に言おう。
フェノさん、「もっとおもしろいものを!」

693 :考える名無しさん:04/07/03 01:56
そうすれば、あなたの文章にリアリティを認めよう。
自己申告ではあるが、タダの掲示板で嘘をついても仕方がない。
私は、自分の気持ちには正直である。

694 :考える名無しさん:04/07/03 01:57
一読者より。

695 :考える名無しさん:04/07/03 01:59
神話は崩壊し、私達は足元を見つめ、枯れ、
やがて天から注ぐ雨を「小便キターーー!」と、はしゃごうではないかと
千鳥足の俺が言っているぞ。

696 :考える名無しさん:04/07/03 02:01
>>695
いやいや、なかなか味のある言葉ですな。
普段のあなたの書くものは知らないけど。
うん、おもしろい。

697 :考える名無しさん:04/07/03 02:05
寝よっかな……まぁ、「フェノさんに悪意は無い」。
そのくらいは、騙されてもいい。
ただ、彼の閉じられた思考は、
なかなか苦手だ。
価値はあると思っているのであるが、
やはり単なる繰り返しによるサブリミナルでしかないのか……
(あれ、立派に捏造されてちゃってる?)

698 :考える名無しさん:04/07/03 02:05
>>696
誉め言葉なのか?
余り嬉しくないのは何故だ・・・

699 :考える名無しさん:04/07/03 02:08
ニュアンスが伝わるのはむずかしいかな……
いや、皮肉じゃないですよ。
皮肉があるとすれば、その矛先はあなたじゃない。
ん、だからちと毒が漏れているのだろうか……
いかんいかん、ごめんね。

& おやすみ〜★

700 :700:04/07/03 02:11
「お酒はほどほどに」と、>>700欲しさにそれだけレスして寝る。

701 :考える名無しさん:04/07/03 02:17
いや、俺なりの洒落に付き合ってくれて有難うって意味だ同士よ。
フェノ君も音楽を評価している様だから、体位法的に絡んでも良いんじゃないか?

702 :考える名無しさん:04/07/03 04:35
神話でしかないという神話

703 :フェノ:04/07/03 10:26
ん?

704 :考える名無しさん:04/07/03 13:29
神話を乗り越えた生き方は可能ですか?
また、そのようなものが必要になることはありますか?

いろんな行きかたの選択肢うちのひとつが
神話を捏造してその神話をリアルだと信じきって生きることで、
神話なしで生きてゆくことも人間には可能なのか。
そしてそれが可能なら、それは人間にとってどんなものなのか。
ということです。


705 :考える名無しさん:04/07/03 16:09
hosyu

706 :フェノ:04/07/03 16:32
賛否両論の構造

707 :フェノ:04/07/03 16:46
われわれの言語コミュニケーションはまったくもって不完全である

708 :フェノ:04/07/03 16:50
それは正さという共主観の海中を伝わる揺らぎのようである

709 :考える名無しさん:04/07/03 16:56
フェノはもしかして、ぴかぁ〜?

710 :考える名無しさん:04/07/03 16:58
sodayo

711 :フェノ:04/07/03 17:08
「正さの海」は複雑な階層構造をしている
根底には時間、空間などの正さがあるだろう
たとえばスワキリ族であったり
古代エジプト人であったり
コミュニケーションを可能にしているのはそのためである

712 :フェノ:04/07/03 17:14
疑い方を知らないもの
自分でもわからない「正さ」であり
根底はアプリオリにつながる

ヒエログラフを解読するときでさえ
それが「他者」の創造物であるということで
いわば正さの多くは共有されている、すなわち解読されているといえる

713 :考える名無しさん:04/07/03 17:19
>複雑な階層構造
言語矛盾している。

「深遠へと続く階層構造」の方がいいと思われ
「海底には時間、空間などの正しさがあるだろう」
ぐらいの方がいい。

でも3行目からは意味不明w
文章を整理してくれ。

714 :フェノ:04/07/03 17:23
たとえばスワヒリ族でさえコミュニケーション可能であるということ
正さの共有と、理解できないこと正さの相違がある

それは親の考えとの相違であり
友達との考えの相違
昨日までの私との相違

正さの海の海面はたえず波だっている

715 :考える名無しさん:04/07/03 17:27
どうでもいいけど、正しさと書いて欲しいです。

階層構造には、底と頂点があるんですか?
それとも無限に続いているんですか?

716 :考える名無しさん:04/07/03 17:30
>>715
階層構造には表面と底があるのではないでしょうか?
根底と言っているので、底を捏造しているのだと思います。

717 :考える名無しさん:04/07/03 17:32
今の自分の意識が表面であり頂点で、
アプリオリな正しさ、論理のようなものが底なんですかね?

718 :フェノ:04/07/03 18:22
私は意識とは、運動だと考えています。
だから正しさの海はどちらかといえば、記憶に近い
のではないでしょうか。

719 :フェノ:04/07/03 18:33
簡単にいえば、これは現象学的思考ですね。
人はなにをもってリアリティを感じるのか。

720 :考える名無しさん:04/07/04 00:03


721 :考える名無しさん:04/07/04 00:47


722 :フェノ:04/07/04 10:58
ん?

723 :考える名無しさん:04/07/04 13:42


724 :考える名無しさん:04/07/04 23:46
保守

725 :フェノ:04/07/05 04:08
 

726 :フェノ:04/07/05 09:46
なぜ人を殺してはいけないのか?
というときに、すでに様々な意味が含まれている

人を殺してはいけないことが共有されていること
次に、それはこの禁止の起源を問うものであり
さらに先天的であるのか、後天的であるのか、後天的なら転倒可能だろう
ということである

727 :フェノ:04/07/05 09:53
先天的については、それは進化論に基づいている
そういう意味では、生物は
同種をころさないように思う
それは殺すことが自分にとってリスキーな行為であるということ
さらに生命の目的が繁栄なら遺伝子に、殺しあいをさけるプログラムがなされているのかも
しれない

このような意味で人も人を殺さないのかもしれない

728 :フェノ:04/07/05 09:53
先天的については、それは進化論に基づいている
そういう意味では、生物は
同種をころさないように思う
それは殺すことが自分にとってリスキーな行為であるということ
さらに生命の目的が繁栄なら遺伝子に、殺しあいをさけるプログラムがなされているのかも
しれない

このような意味で人も人を殺さないのかもしれない

729 :フェノ:04/07/05 09:56
しかしこの問いにはまた別の意味が含まれているようにおもう
殺さないことが先天的とするにはあまりに人はよく人を殺すという事実は
どのように説明されるのかということである

730 :考える名無しさん:04/07/05 10:01
「なぜ人を殺してはいけないのか?」と、「なぜ多くの人は、人を殺す
(殺さない)のか?」は、区別しましょうね。それから、「なぜ多くの
人は、『人を殺してはいけない』と考えるのか?」という問いも、区別
しときましょうね。

731 :フェノ:04/07/05 10:05
ニーチェは、人の根源性は生きるという利己的なものであり
道徳的な利他性はルサンチマンであるといった
ニーチェ的に考えれば人を殺してはいけないはルサンチマンであり
生きるためには殺しても良いことになる
しかしこれは明らかに進化論的誤謬だろう
生きるというのは利己的ではない

生きることに利他性も内在している
だから道徳は単なるルサンチマンでなく
生きることに根差しているといえるかもしれない

732 :フェノ:04/07/05 10:11
しかしなぜ人は人を殺すのかと問うときに
むしろニーチェの意味がいきてくるのかもしれない
たとえば戦争などで人が人を殺すときには、殺してはいけないという禁止を無効にしているというよりも
あるコミュニティ内の殺してはいけないという禁止を守る故に
排他的に他のコミュニティの人を殺すのである
利己的にてなく、利他的に人を殺すのである

733 :フェノ:04/07/05 10:22
人間/動物のおなじ利他性がなぜ人間において「暴走」するのか

それがニーチェの中に見れるのかもしれない
すなわち利他性の信仰化である

「人を殺してはいけない」ということが仮に先天的な利他性であったとしても
人はそれを信仰化することができるのである
宗教、道徳、形而上学によって、まさにニーチェの批判はこのような利他性そのものでなく
信仰化への反論ととることができる
そしてこれがニーチェが現代思想の源流と言われる所以である

734 :フェノ:04/07/05 10:29
では人が持つ信仰性とはなにか
ニーチェはこれを的確に指摘している
人は生きるのが苦しい。苦しい故になぜだろうと
意味を問うてしまうということである

意味はそもそも無い故に
神、真理という超越的価値が捏造され、信仰されるということである

735 :考える名無しさん:04/07/05 10:35
哲学の本を読むときは、批判的な視点を忘れずにね。

736 :フェノ:04/07/05 10:37
ニーチェはこのために徹底的ニヒリズムにむかうべきであるという
それは信仰を徹底的に疑い、この世界には意味などがない
許されないことはないということである

しかしこれも理念的で、ある意味超越論的である

われわれは徹底的に疑いことなどできない
われわれはすでになにかの意味として存在しているからである

さらに信仰性でさえ、人が人であること、すでに根源的なものと言えるだろう

人は意味を求めることからのがれられない存在といえるだろう

737 :フェノ:04/07/05 10:42
われわれは神話から逃れることができないのである
だから人を殺してはいけないという神話からも逃れられないし
それ故に人は人を殺すのである

738 :考える名無しさん:04/07/05 10:57
あほくさ

739 :フェノ:04/07/05 15:41
ニーチェは芸術は特別であるといいます
真はルサンチマンであるが美は内面から沸き上がる力だかです

740 :フェノ:04/07/05 16:06
言語と芸術をコミュニケーション手段として比較すると
言語はより正確に意図を伝える方法といえます
コンスタティブな意味はそのように共有された意味としてあらわれます
それに比べて芸術はコンスタティブな意味がありません
いわばコンスタティブな言語意味を伝える手段といえます

たとえば夕日を見て美しいと感じた
しかしそれはコンスタティブな言語で表現することがむずかしい故に芸術表現方法であらわす

741 :フェノ:04/07/05 16:13
たとえば神、真実はニーチェによると生きることの不安、恐怖からきていると
言えます
それはコンスタティブな言語意味であらわせない余剰です
神、真実という超越論的シニフィアンはこのような余剰を回収していると
いえるでしょう

その意味では芸術と同じ機能をしているといえます
現に芸術はいわばこのような超越性価値を補完するように機能してきました
生きることの苦しさという余剰を表現してきました
それは神性を補完する形で作動してきたのです

742 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 16:15
>フェノ

この人は新手の適当知ったかぶり意味歪曲的、誇大妄想狂、自己誇張欲中毒、
現実乖離症、の痛い人ですよね。

こんなしけた所で何も厳かぶって語りをいれなくてもいいのにね。
しかも、口八丁で何とでもいえるようでしかも、別にそれが見事に何の役にも
たたない内容なのにね。。。

あ、、あの、、これは独り言です。

743 :フェノ:04/07/05 16:16
邪魔だ
どっかいけ、メス豚!


744 :フェノ:04/07/05 16:19
わたしの才能に嫉妬するのはみぐるしい

745 :フェノ:04/07/05 16:20
わたしのように哲学の余剰をくみとれる才能のないやつは去れ

746 :フェノ:04/07/05 16:21
このスレメス豚立ち入り禁止(w

747 :フェノ:04/07/05 16:22
(w

748 :フェノ:04/07/05 16:22
たとえば夕日が美しいという余剰は、神と言葉に回収され、また芸術的手段が神への回収することを
補完してきたのです

現代においても同じではないでしょうか
余剰は運命、奇跡、つき、神秘、カリスマなどの超越論的シニフィアンに回収され、
また芸術に回収されるます
そこにはかつての具現化した「神」が失われているだけです

749 :フェノ:04/07/05 16:24
わかったか(w

750 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 16:26
うわぁー!!
器量超ちっちゃーい!!!

器がほとんど無いのと一緒!!
こういう余裕が無い人ってこのスレの内容みたいな事いかにもいいそう
な気がする。  

お猪口の裏並だね。

あ、また独り言出ちゃった。

751 :フェノ:04/07/05 16:27
メス豚(w

752 :フェノ:04/07/05 16:28
マンコ舐めさせろ(w

753 :フェノ:04/07/05 16:29
メス豚は以下放置(w

754 :フェノ:04/07/05 16:33
もしニーチェが宗教、形而上学をルサンチマンと読んだ理由があれば
言語表現が芸術表現よりも人への影響力があるということかもしれません
言語は芸術よりも、コンスタティブな意味により
具体的な規範と指し示すことができます

たとえば「真理」も余剰を回収する神話だとしても
それにより人へ指示することができる

755 :フェノ:04/07/05 16:37
ワグナーの音楽とヘーゲルの言説と聖書が
同じ余剰を回収しコミュニケーションする神話だとしても

言語表現人へ作用する力に差があるということです

756 :フェノ:04/07/05 16:42
たとえばなぜみな歌詞のある音楽を聞くのでしょうか
言葉にひとは強く引き付けられるためではないでしょうか

言葉は動物と人間の違いを作ったといわれます

757 :フェノ:04/07/05 16:48
しかしそもそもにおいて言語には余剰が回収されているとすれば
人間は神話な生き物ということができます

758 :フェノ:04/07/05 16:49
眠い…

759 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 16:56
 フ○ノの手記

 この僕ちゃんが真の芸術的センスを内在した英知を超えた神である事
は2ちゃんねるでこんなに何だか良くわからないけど賢そうなレスを並べられる
事により絶対的に証明された事は間違いないのだ。
 まさしく[ゆうひがうつくしいという余剰]なのだ。余剰が神様に回収されて
補完されて芸術に回収されるのだ。 まさにリサイクルの難しいごみが
お金を払ってまでして業者の人に引き取ってもらう以外ないのだ。ましてこのご時世
にお金をもらってもこの余剰を引き取ってもらう事はできないかもしれない、
それが僕の恐怖する所なのだ。 だから、定義の上であいまいで、口八丁で
何とでも結び付けられるような、安易な運命感、ありきたりな奇跡、幸が薄いのに
しがみつきたいつき、3秒で飽きちゃって二度目からは恥ずかしいような神秘ぽいもの、
売れない芸人の一発芸で半笑いでも恵んでもらえるくらいのカリスマ、等等 の
ものとして扱われる事でもいいから、とにかく何でも賢そうな事をいってる人に
みられたいねん。 もう僕には何も残ってないし。 まぁ、最後には
論の中に超越論的って言っとけば論として説明ができてるはずなんやねん。
せやから僕は完璧なのである。 いや、完璧なんやねん。 とにかく、よくわからんけど
芸術でシニフィアンなんやねん。 そいでもって、よくわからんけど、コンプライメントが果たせてて
しかもマニフェストを掲げてんねん。 あとから、情報開示しててもその前に
法案が可決されてたらいいねん。任期のあとに起こる問題は知らん知らん。でも
とりあえず何か揚げ足とって真剣に批判しとったら真剣に神である僕は世の民
にとってすごーく有難い事を言ってる事になんねん。これは正に人道支援なんやねん。
もうこれは才能なんや。 この僕の才能にみんなは嫉妬してるねんや。
こんなにまで、嫉妬されるなんてもう僕の人間離れした才能が憎いなー。
こんなに嫉妬されるカリスマの僕って結構つらいねん。みんなは羨ましがってる
んやろうなー。 ぐふっぐふふふふふ、ぐぇっぐぇっ。

760 :考える名無しさん:04/07/05 17:03
ハッピーエンドを想定できますか。
能力として、可能性として。

761 :考える名無しさん:04/07/05 17:09
フェノってこんなにもお茶目な奴だったのかw
気に入ったぞ。

762 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 17:09
 お話はお話だからどんなエンディングも想定できるでしょう。
でもお話はお話だから。。。

763 :考える名無しさん:04/07/05 17:16
まー、やってみれちゅうことです。

764 :考える名無しさん:04/07/05 17:18
759を見る限りソフィアの方が才能がある

765 :考える名無しさん:04/07/05 17:25
フェノの夢は夜ひらく

766 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 17:27
>764
こんなん書くのに才能なんていらないよ。

767 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 17:29
遊び心と悪気

768 :考える名無しさん:04/07/05 17:31
神話なき神話 の時代
神話なき 神話の時代

769 :考える名無しさん:04/07/05 17:35
めぼしいものはなーんもない。

770 :考える名無しさん:04/07/05 17:36
でも、それって素敵ジャン。

771 :フェノ:04/07/05 17:41
歌声は楽器の音とその余剰の回収、あるいは内包方法に特長をみいだせる

歌声は人の注意を引く働きがある
歌声はコンスタテイブな意味をつたええる
歌声は感情そのままを表現をしえる

772 :考える名無しさん:04/07/05 17:52
『新しい哲学』なるものが披露されたそうです。

文学板
綿矢りさファンクラブ part11
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1083152129/l50

773 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/05 17:55
 フェ○の思った事

 、、、つまりディダクティブでありニューメリックな趣とともに
エピデミックなイニシアチブをリスペクトしつつスポンテニアスを
コンスティテュートしていきインクレディブルなエゴグラムが
サバイバルでインターネットでメールでグリコでポテトチップスが
カルビーでコイケヤもフィロソフィーでありニッショーがサンスターで
ファンタなコカコーラなのである。ま、僕に言わせるとこんなとこかな、ふっ。
ぐふふ、ぐげぇぐぎゅgyぐ。

774 :考える名無しさん:04/07/05 17:57
フェ○って……(どきどき)

775 :考える名無しさん:04/07/05 17:59
このスレはどんな風に楽しめばいいのでしょうか。

776 :考える名無しさん:04/07/05 18:02
どんな気構えで?

777 :考える名無しさん:04/07/05 18:02
仕事帰りの一杯のような?

778 :考える名無しさん:04/07/05 18:15
僕にはこの間見せた『新しい哲学』や、その他にも思索し発見していることがあって
できれば将来的にそれらを体系化しまとめ、しっかりした「新しい思想」へと確立し、
東大・ハーバードなどの哲学科で講義してみたいとも思っています。
志です。

779 :フェノ:04/07/05 18:48
ん?

780 :考える名無しさん:04/07/05 18:48
ん!

781 :考える名無しさん:04/07/05 19:33
ん?

782 :考える名無しさん:04/07/05 21:09
ん。

783 :考える名無しさん:04/07/05 21:38
租豚帰ってきたのか・・

相変わらずぴかぁーを罵倒する時だけおもしろい
しかしよく考えれば、ぴかぁーも惨めだな。
30過ぎのおっさんが20過ぎの小娘にいいように言われているわけだし、
将来的希望も比較にならないほど差がついているわけだし・・

まあ、がんがれ


784 :考える名無しさん:04/07/05 21:41
ぴかぁ〜さんは哀れな人だ

785 :考える名無しさん:04/07/05 21:42
hosyu

786 :考える名無しさん:04/07/05 21:43
ん?

787 :考える名無しさん:04/07/05 21:44
昔からぴかぁーを知ってる人間から見たら
こいつの変貌振りは笑うしかないだろ
コンプレックス丸出しで

788 :考える名無しさん:04/07/05 21:47
キャラやコテを変えれば過去を清算できると考えているところが痛いのでは?

789 :考える名無しさん:04/07/05 21:48
ツマンネ
ぴかぁ〜早く出て来いよ

790 :考える名無しさん:04/07/05 21:50
どんな人生にも過去はあるんだなぁ。

791 :フェノ:04/07/05 21:52
なぜ人を殺してはいけないのか


なぜ人を殺してはいけないのか?というときに、すでに様々な意味が含まれている。
「人を殺してはいけない」ということが前提とされていること。さらにこの禁止の倫理観の起源を問う
ものであり、先天的であるのか、後天的であるのか、先天的ならばいわば<b>「真理」</b>であり、
後天的なら変更可能な規範である、ということである。

先天的については、それは進化論に基づいているのかもしれない。生物は同種を殺すことを避け
ている。それは殺すことが、殺し合いを意味し、自分にとってリスキーな行為であるということ。
さらに生命の目的が繁栄なら、遺伝子に殺しあいをさけるプログラムがなされているのかもしれない。
しかし先天的な起源を確かめることは難しいだろう。将来、<b>「人を殺さない遺伝子」</b>が
発見されるだろうか。


792 :フェノ:04/07/05 21:52
しかしこの問いにはまた別の意味が含まれているようにおもう。<b>殺さないことが先天的な「真理」と
するにはあまりに人はよく人を殺す</b>、という事実はどのように説明されるのかということである。
ニーチェは、人の根源性は<b>「力への意志」</b>、利己的な生の力であり、道徳的な利他性は
ルサンチマンであるといった。

ニーチェによれば、<b>「他者のためにする行為が善である」</b>という利他的な道徳観は、
弱い人々のルサンチマン(反感、嫉妬)からきている。人の根元性は生きようとする
「利己的」な生の力、<b>「力への意志」</b>にある。道徳的な利他性は本来の価値からの転倒である。
ということである。

ニーチェ的に考えれば人を殺してはいけないはルサンチマンであり、生きるためには人を殺しても
良いことになる。しかしこれは明らかに進化論的誤謬だろう。生きるという生の力は利己的ではない。
生命界をみればわかるように、彼らは闘争的である以上に共生的に生きている。動物界は利己性と
ともに利他性も内在している。</b>だから道徳は単なるルサンチマンでなく、生きることに根差している
といえるかもしれない。

しかし<b>「なぜ人は人を殺すのか」</b>と問うときに、むしろニーチェの思想に意味がでてくるかも
しれない。たとえば戦争などで人が人を殺すときには、<b>「殺してはいけない」</b>という倫理観を
利己的に無効にするというよりも、あるコミュニティ内の利他的な<b>「殺してはいけない」</b>という
倫理観を守るために、他のコミュニティを排他することから、<b>「人を殺す」</b>のである。
そこには利他的な正義があるだ。<b>利己的にではなく、利他的に人は人を殺すのである。</b>


793 :フェノ:04/07/05 21:54
人間と動物で同様に利他性を持ち得ているとして、なぜ人間において「暴走」するのか。
それはニーチェの思想の中に見られるのかもしれない。<b>「人を殺してはいけない」</b>ということが、
仮に先天的な利他性であったとしても、人はそれを宗教、道徳、形而上学のように<b>「信仰化」</b>
するのである。

人が持つ信仰性とはなにか。ニーチェはこれを的確に指摘している。人は生きるのが苦しい。
苦しい故になぜだろうと、意味を問うてしまうということである。意味はそもそも無い故に、
神、真理という超越的価値が捏造され、信仰されるということである。

ニーチェの批判は利他性そのものでなく、<b>「利他性の信仰化」</b>への反論において意味がある
ということができる。そしてこれがニーチェが現代思想の源流と言われる所以である。ニーチェは
このために<b>「徹底的ニヒリズム」</b>にむかうべきであるという。それは信仰を徹底的に疑い、
この世界には意味などがない。許されないことはないということである。しかしこれも理念的で、
ある意味超越論的ではないだろうか。なぜならわれわれは徹底的に疑うことなどできないからである。

われわれはすでになにかの意味として存在している。さらに信仰性でさえ、人が人であるという
根源的なものと言えるだろう。人は意味を求めることからのがれられない存在といえるだろう。
われわれは神話から逃れることができないのである。だから<b>人を殺してはいけないという
神話からも逃れられないし、それ故に人は人を殺すといえるのである。</b>

794 :考える名無しさん:04/07/05 22:00
惨めなぴかぁ

795 :考える名無しさん:04/07/05 22:00
「知ちゃんねる」ってあったなぁ。
最近は、投稿を受け付けてるのかなぁ、あれ。

796 :考える名無しさん:04/07/05 22:01
795=ぴかぁ〜

こういう自演がうざい

797 :考える名無しさん:04/07/05 22:56
違うってw

798 :考える名無しさん:04/07/06 00:18
なんだかんだで正直にageちゃうからなぁ。
ちょっとカワイイかも。

799 :考える名無しさん:04/07/06 01:22
きょうは出てくるのが遅いね。

800 :考える名無しさん:04/07/06 01:25
おら、いい加減でてこい!

801 :考える名無しさん:04/07/06 01:27
この

802 :考える名無しさん:04/07/06 04:43
 

803 :考える名無しさん:04/07/06 05:44
神話なき時代に神話はない。以上。

804 :フェノ:04/07/06 09:03
人の信仰性は一つのパラドクスの上になりたっているかもしれない

われわれは言語という「的確に」意味を伝達する手段を手に入れた
しかし言語の「的確さ」故に、わかりあうことが困難になる
ということである

805 :フェノ:04/07/06 09:13
信仰性とは
ニーチェのルサンチマンとは、われわれは不安故に神を求めるのでなく
不安故に、不安を共有したいことにある

言語というテクノロジーは的確にわかる故に不安を顕在化し、増幅させる、
故に我々はより言語へ、すなわちコミュニケーション場に向かうのである
そこには不安の増幅装置としてのテクノロジーがある

806 :フェノ:04/07/06 09:43
人が人を殺すこと理由の一つが
動物に比べ、われわれは容易に人を殺しえることにある
これも知能とテクノロジー、すなわち言語の問題である

807 :フェノ:04/07/06 11:41
なぜ失恋すると悲しい歌を聞くのだろう

808 :フェノ:04/07/06 11:48
失恋すると悲しみが溢れてくる
悲しい歌はすでにかつて同じような悲しみの記録である
そして悲しい歌を聞くことによって悲しみを共有するのである

809 :フェノ:04/07/06 11:56
ひとの価値観は相対化によって現れる
他者よりも恵まれているから幸福なのである
悲しみの共有とは、同じ悲しみの中に身を置くことによって
自己の悲しみの相対的価値を下げることにある

人は相対化なよってしか価値をもちえない
すべての価値は相対化の上になりたつ、私が何ものであるということも同様である

810 :フェノ:04/07/06 12:21
現代においてはもう少し複雑かもしれない
「悲しい歌」と私の関係だけでなく
「悲しい歌を聞く私という行為」と私のパフォーマテイブな意味を考えなければならない
悲しい歌を聞く自分を自分がみているという再帰性である

811 :フェノ:04/07/06 12:25
そのような場面は失恋した人を演じているということである

テレビドラマ見た悲しいヒロインになる
これはこれでそのようなコミュニティへの帰属であり
悲しい歌はコミュニティへ入るパスである

812 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/06 15:58

、、、おじちゃん仕事しなよ。。。
学生じゃないんでしょ? 
みんな炎天下の中しっかり身を粉にしてがんばってるじゃん。
そういう人の方が尊敬されるでしょ?
頭使わなくてもちゃんと働ける仕事とかもちゃんとあるんじゃないの?

多分この板でおじちゃんを温かく見守ってる人はほとんど
そういうカキコみて落ち込んでるんじゃないの?

813 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/06 16:10
キャ母!!
○ェノの人生、初めっからロスタイムー

やーい
やーーい!!

814 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/06 16:14
>現代においてはもう少し複雑かもしれない
>「悲しい歌」と私の関係だけでなく

「悲しい歌」いつも頭の中で流れてるのかな?

815 :考える名無しさん:04/07/06 18:47
783 :考える名無しさん :04/07/05 21:38
租豚帰ってきたのか・・

相変わらずぴかぁーを罵倒する時だけおもしろい
しかしよく考えれば、ぴかぁーも惨めだな。
30過ぎのおっさんが20過ぎの小娘にいいように言われているわけだし、
将来的希望も比較にならないほど差がついているわけだし・・

まあ、がんがれ



784 :考える名無しさん :04/07/05 21:41
ぴかぁ〜さんは哀れな人だ


816 :考える名無しさん:04/07/06 18:48
30過ぎのおっさんだったのか orz

817 :フェノ:04/07/06 18:49
ニーチェは芸術は崇高なものであるといった
真とは人の弱さからくるルサンチマンであり捏造されたものであるが
美は人間の内面から沸き上がる根源的な生の力である
しかしベンヤミンのアウラを考えるときに
芸術作品の崇高さは礼拝的価値にあり
いわば宗教的コミュニティに共有された価値である

ここには、美という価値観の違いが見られる

818 :考える名無しさん:04/07/06 19:39
しかしよく考えれば、ぴかぁーも惨めだな。
30過ぎのおっさんが20過ぎの小娘にいいように言われているわけだし、
将来的希望も比較にならないほど差がついているわけだし・・
しかしよく考えれば、ぴかぁーも惨めだな。
30過ぎのおっさんが20過ぎの小娘にいいように言われているわけだし、
将来的希望も比較にならないほど差がついているわけだし・・
しかしよく考えれば、ぴかぁーも惨めだな。
30過ぎのおっさんが20過ぎの小娘にいいように言われているわけだし、
将来的希望も比較にならないほど差がついているわけだし・・


819 :考える名無しさん:04/07/06 20:14
Sophia ◆8ADoZCl6.k は相当余裕らしいけど、
10年後に、ぴかぁー2号、または美香2号に
なってないことを祈るな。美香は早稲田の大学院まで出て
文学板の主になっただけだよ。すなわち(ry

820 :フェノ:04/07/06 23:18
*モーヲタはなぜ人を殺さないのか

<b>「なぜ人を殺してはいけないのか?」</b>というときに、すでに様々な意味が含まれている。「人を殺しては
いけない」ということが前提とされていること。さらにこの禁止の倫理観の起源を問うものであり、先天的である
のか、後天的であるのか、先天的ならば変更不可能でありいわば<b>「真理」</b>であるが、後天的なら
変更可能な規範でしかない、ということである。

先天的については、それは進化論に基づいているのかもしれない。生物は同種を殺すことを避けている。
それは殺すことが、殺し合いを意味し、自分にとってリスキーな行為であるということ。さらに生命の目的が
繁栄なら、遺伝子に殺しあいをさけるプログラムがなされているのかもしれない。しかし先天的な起源を確かめる
ことは難しいだろう。将来、<b>「人を殺さない遺伝子」</b>が発見されるだろうか。


821 :フェノ:04/07/06 23:19
しかしこの問いにはまた別の意味が含まれているようにおもう。<b>殺さないことが先天的な「真理」とするには
あまりに人はよく人を殺す</b>、という事実はどのように説明されるのかということである。ニーチェは、
人の根源性は利己的な生の力であり、道徳的な利他性はルサンチマンであるといった。

ニーチェによれば、<b>「他者のためにする行為が善である」</b>という利他的な道徳観は、弱い人々の
ルサンチマン(反感、嫉妬)からきている。人の根元性は生きようとする<b>「利己的」</b>な生の力、
<b>「力への意志」</b>にある。道徳的な利他性は本来の価値からの転倒である、ということである。

ニーチェ的に考えれば「人を殺してはいけない」はルサンチマンであり、「生きるためには人を殺しても良い」ことに
なる。しかしこれは明らかに進化論的誤謬だろう。生きるという生の力は利己的ではない。生命界をみれば
わかるように、彼らは闘争的である以上に共生的に生きている。動物界は利己性とともに利他性も内在している。
だから道徳は単なるルサンチマンでなく、生きることに根差しているといえるかもしれない。


822 :フェノ:04/07/06 23:20
しかし人間と動物で同様に利他性を持ち得ているとして、なぜ人間において<b>「暴走」</b>するのか。
一つには、テクノロジーの問題があるだろう。人は、知能を向上させ、科学技術を向上させた。動物に比べ、
容易に人を殺しえるようになったしまった。動物が同種を殺すことは、自己の命もかけるリスキーな選択であるが、
われわれにとって同種を殺すことは、とても容易な行為となってしまったのである。

二つ目には、ニーチェの思想の中に見られるのかもしれない。<b>「人を殺してはいけない」</b>ということが、
仮に先天的な利他性であったとしても、人はそれを宗教、道徳、形而上学のように<b>「信仰化」</b>するので
ある。<b>「なぜ人は人を殺すのか」</b>と問うときに、たとえば戦争などで人が人を殺すときには、
<b>「殺してはいけない」</b>という倫理観を利己的に無効にするというよりも、あるコミュニティ内の利他的な
<b>「殺してはいけない」</b>という倫理観をもつ「信仰」を守るために、他のコミュニティを排他することから、
<b>「人を殺す」</b>のである。そこには利他的な正義がある。利己的にではなく、利他的に人は人を殺す
のである。

ニーチェによると、人は生きるのが苦しい。苦しい故になぜだろうと、意味を問うてしまうということである。
意味はそもそも無い故に、神、真理という超越的価値が捏造され、信仰されるということである。ニーチェの
批判は利他性そのものでなく、<b>「利他性の信仰化」</b>への反論において意味があるということができる。
そしてこれがニーチェが現代思想の源流と言われる所以である。


823 :フェノ:04/07/06 23:21
しかし<b>「信仰性」</b>の構造はもう少し複雑化かもしれない。ジジェクは、コミュニティについて、
イデオロギーを信じていないにも関わらず、イデオロギーを信じているように振る舞ってしまうということを、
指摘している。これは、ニーチェのいう「不安を解消する」という目的のために行われるはずの「信仰」が、
<b>「信仰すること」</b>そのものが<b>「目的化」</b>していることを意味する。「信仰すること」そのものが
目的化するとは、<b>「信仰すること」</b>がそのコミュニティへの帰属のためのパスポートとなるのである。
<b>「そして、なぜそれを信仰するのか」</b>という信仰の内容そのものは無効化されていく。

このような<b>「信仰の目的化」</b>は、宗教に限らずかなり一般的なことではないだろうか。たとえば
モーニング娘の熱狂的なファンは、そのはじめに何らかの理由でモーニング娘に惹かれたのかもしれない。
しかしモーニング娘を追いかけ続けるとき、すでにはじめの目的は無効化され、<b>「モーニング娘を追いかける
こと」</b>が目的化されている。

しかしそのはじめに本当にモーニング娘そのものに惹かれたのだろうか。そのはじめから、みなが熱狂する
<b>「モーニング娘」</b>というコミュニティに惹かれ、帰属することを望んだのではないだろうか。2ちゃんねるの
モーニング娘板を見ていると特にそのように感じる。彼らがモーニング娘のファンであるのは、モーニング娘を
象徴とするコミュニティに帰属し、コミュニケーションを楽しむためであるように見える。ジジェク風にいえば、
<b>モーニング娘を好きでないにも関わらず、モーニング娘を好きなように振る舞ってしまうのである。</b>
ここでは<b>「モーニング娘」</b>という象徴は、神性化されていくのである。私はこのようなコミュニティを、
<b>「記号コミュニティ」</b>と呼んでいる。


824 :フェノ:04/07/06 23:22
ここにおいては、捏造されているのは、神や、真理そのものではない。神や、真理、あるいはモーニング娘を
象徴とする他者であり、コミュニティである。そして捏造しているのは、聖職者や、哲学者や、芸能仕掛け人では
ない。記号コミュニティは、帰属している人がそのようなコミュニティがあり、そのようなコミュニティに帰属している
という意識によって、捏造されるのである。

このようなコミュニティへの帰属は、主体にとっての一つの運動である。モーニング娘ファンは、モーニング娘の
情報を入手したり、CDを購入したりすることによって、コミュニティ内のコミュニケーションを活発化させる。
コミュニティ内に自分の位置を確保し、その位置が自分そのものの意味となるのである。コミュニティへの帰属が
自分の一部を形成運動なのである。

モーニング娘への「信仰」と、宗教的な「信仰」では、その強度は異なるだろう。それはどれだけ自己形成に
根ざしているか違いである。一般的に原理主義者のように、モーヲタは信仰のために、人を殺さないだろう。
しかし人はこのような信仰の束によって、自分自身でありえるのである。人は自分のためよりも、強く帰属する
コミュニティの(仲間の)ために情動的になる。それはニーチェのいうルサマンチンではなく、<b>「力への意志」</b>
といえるだろう。


825 :フェノ:04/07/06 23:24
人は純粋に利己的に人を殺すことができるだろうか。多くの殺人者はその犯罪についての言説をもっている。
それが社会的に理不尽で、いいわけで、意味不明な主張であっても、人を殺す行為にはなんらかの正当性、
すなわち記号コミュニティの承認が捏造されているのではないだろうか。だから人を殺すという行為は、
「殺してはいけない」という倫理観を利己的に無効にするというよりも、むしろ利他的な「殺してはいけない」と
いう「信仰」からくる排他性を持っているのではないだろうか。

人類のトラウマとなったナチスにしても、また北朝鮮にして、同じ構造で考えることができるのではないだろうか。
ヒトラーや金正日は、イデオロギーコミュニティの象徴でしかない。人々は、イデオロギーを信仰しているという
よりも、そのようなコミュニティに帰属し、自分自身を形成している故に、「コミュニティに承認された正当性」を
捏造し、虐待はそのコミュニティの正当性の維持において行われるのである。

ニーチェは「信仰」に対して、まず<b>「徹底的ニヒリズム」</b>にむかうべきであるといった。それは信仰を
徹底的に疑い、この世界には意味などがない。許されないことはないということである。しかし信仰が
記号コミュニティへの帰属であり、自分の一部である場合に、そこに疑うべき言説が存在するだろうか。

あるいは、コミュニティの捏造が、私が私であるということの上に成り立っているなら、人は自己否定することが
できるだろうか。われわれはこのような<b>「神話」</b>から逃れることができないのである。だから
「人を殺してはいけない」という神話からも逃れられないし、それ故に人が人を殺すことからも逃れられない
のではないだろうか。

826 :考える名無しさん:04/07/06 23:25
あれ、おかしいな。この「フェノ」という人の書いていることがまとも
に見えてきたぞ。あれ?

827 :考える名無しさん:04/07/07 00:06
保守

828 :フェノ:04/07/07 00:59
「儀礼的性関心」とは、街の中で異性がすれ違う瞬間に、
互いに相手に意識する小さな合図である。

829 :考える名無しさん:04/07/07 01:01
たとえば?

830 :フェノ:04/07/07 01:03
それはナンパの次元との違う。
ナンパは、リスクな高い行為である。
それが多くにおいて、拒絶される。
ナンパの技法としては、うまく女性を誘う能力ではなく、
まず「ナンパされる求めている」女性を捜す能力である。
「ナンパされることを求める」とは、積極的な行動である場合もあるが、
ナンパに対して心を開いている(俗にいう隙がある)ということである。


831 :フェノ:04/07/07 01:04
だから、たとえば、朝夕の通勤上の女性をナンパすることは
まったくもって、危険な行為である。

832 :フェノ:04/07/07 01:06
それに比べて、「儀礼的性関心」は、コンテクストには
あまり依存しない。朝夕の通勤上だろうが、関係ない。
それは、いわば自己の性的な魅力を確認しあうような儀礼行為である。


833 :考える名無しさん:04/07/07 01:06
すれちがう瞬間だけじゃなくて、
服を選んだりするときなんかはどうなの?

834 :フェノ:04/07/07 01:11
たとえば、電車の乗り込むと、人は場を確認する
その場の確認の中に、女性のチェックを行っている。
興味がある女性を意識すると、それは見つからないように眺めるのではなく、
その女性に意識されることを望むのである。
ただそれだけのことである。

そこには、積極性はない。その女性をそれ以上のコンタクトを持ちたいとか、
その女性に無理に近づくとか、いうことではなく
ただ意識されるということである。
それ以上の積極な行動は、異なる次元になりそれはリスクな高い
領域になる。
それはいわば、恋愛の場への移行することを意味するが、
そのような労力を費やすものではなく、
ただ意識されることを望むのである。


835 :フェノ:04/07/07 01:12
>>833
服を選ぶとき?だれに対して?

836 :フェノ:04/07/07 01:16
これはゴフマンのいう「儀礼的無関心」と同じ次元で行われる。
「儀礼的無関心」とは、電車の中などで、人がその場を秩序を
崩さないように、お互いに関心を持たないような振りをすることである。
そこには、人は他者に関心があることの、裏面である。

これと同じ次元で、儀礼的無関心的秩序を保ちながら、
異性への関心を確認しあう行為である。

837 :フェノ:04/07/07 01:19
このような関心は、自己の性的な魅力を確認しあうことを意味する。
異性に関心を持たれていることを意識することは、
自分に外見上に魅力があることの確認である。

さらには、記号コミュニティへ帰属していることの確認でもある。
たとえば、子供は子供に高い関心を示す。
子供が場をともにするとき、子供は場をともにする子供の動作に
高い関心をしめす。たとえば一緒にいる親とどのように接しているかなど。

838 :フェノ:04/07/07 01:22
「儀礼的性関心」は、ある意味でまだ自分の性的な魅力が大切な独身者の行為と
いえるのだろうか。独身者としてもコミュニティへの帰属を
確認する行為であるかもしれない。


839 :フェノ:04/07/07 01:25
傾向としては、女性は見られる側である。
男性がやや地味なことにくらべ、女性は見られることを意識した
身なりをいているのはそのためだろうか。

たとえば女性が成長する中で、ある時期からこのような
「儀礼的性関心」の場に入っていく。
男性から性的な関心をもって見られていることを意識するようになる。
このような中で自己の性的な魅力を確認していくのではないだろうか。

840 :フェノ:04/07/07 01:28
それは中高生頃ということになるのだろうが、
私感ではあるが、女性中高生の制服の性的魅力を強調する身なり、
ミニスカートなどは、そのような「儀礼的性関心」の場へと
入っていくことのサインであるともいえるのではないだろうか。


841 :フェノ:04/07/07 01:32
ある時、「儀礼的性関心」の場へ自分が入ったことを
意識する時にある種の驚きがあるのではないだろうか。

いわば、価値のないはずの自分の容姿に、多くの男性が
関心を関心を寄せるという事実に。
それは、情報としては知っていたかもしれない。
男性は女性好きについて過剰に語るが、
自分がその対象になったことの、驚き、喜びがあるのでは
ないだろうか。
そしてそこにある可能性、自分はどれだけ男性に欲望される
対象であるのかということへの興味はあるとだろう。

842 :フェノ:04/07/07 01:34
女子高生のスタイルは、必ずしも男性に見られるためというわけではない。
現代において、女子高生は高校に入るから、「女子高生」になるのではなく、
制服のスカートを短くすることによって「女子高生」になる。
高校に入るとは社会的なコミュニティへの帰属であるが、
制服のスカートを短くするとは、「女子高生」という記号コミュニティへの
帰属を意味する。

843 :フェノ:04/07/07 01:40
その時期は、性的な場へただ興味をもって、入っていく
いわば無謀な行為行われる。
ただただ興味から、性的な体験をしたり、
ある意味、過激にスカート丈を短くしたりというようなことであるが、
それも高校卒業によって、緩和されてくる。

それは一つには、そのような行為が、「女子高生」という記号コミュニティないの
差異化運動として行われているからである。
いわば、コミュニティ内の性的な競争原理が働いているのである。

844 :フェノ:04/07/07 01:49
恋愛場はアウラな場であり、余剰に溢れた場である。
このために、恋愛は芸術表現として表されることが多いし、
現代のポピュラーミュージックは、恋愛の場で溢れている。
これは、たとえば言語表現に比べて、芸術表現が
余剰を回収することに優れている、
いわば超越論的シニフィアン性に溢れているためである。

845 :フェノ:04/07/07 01:52
しかし特に、現代のポピュラーミュージックの恋愛の歌の反乱は、
それだけでは説明できない。
恋愛は、自分が誰かを好きなことを伝えることだけではない。
ポピュラーミュージックは、そのような誰かを好きだという余剰を
回収するだけではない。

それは、「恋愛」という記号コミュニティへの帰属を、
確認するために賛歌なのである。
すなわち、恋愛している自分を喜ぶということである。


846 :フェノ:04/07/07 01:58
よく言われることだが、現代のような恋愛形態、恋の駆け引き、カップル像は
比較的最近のものである。それはトレンディドラマなるものが
登場して、一般化してきたといえる。

現代において、恋愛とはそのようなドラマの登場人物を演じることにある。
相手を好きになるという目的が、恋愛をすることが目的化される。
とりあえず、恋愛場、恋愛コミュニティへ帰属したいがために、
恋愛相手を必要とする。
そして、ちまたに溢れる恋愛の歌は、そのようなドラマの挿入歌である。
それは、たとえば失恋した場合にも同じことが言える。

847 :フェノ:04/07/07 02:00
現代におけるSEXも同様な意味をもつ。
恋人と抱き合いたいのでなく、SEXをすることが目的化する。
それは男性なら、AVのようなSEXを自分がしているという
喜びであったりする。SEXコミュニティへ帰属しているのである。

848 :フェノ:04/07/07 02:04
そもそもにおいて、「若者」が、戦後の発明品である。
その前は、子供が、働くことによって大人にあった。
「若者」とは、現代的な余剰であるといえる。
そしてそのような余剰を回収する超越論的シニフィアンとして、
若者、恋愛、SEXが発明、あるいは商品化されてきたのである。
それはまさにアメリカ的な消費文化であり、
ハリウッド的なドラマトゥルギである。

849 :フェノ:04/07/07 02:06
ポピュラーミージックも、そのような商品のBGMと
発展したきた。ロックミュージックは戦後アメリカで商品化された
「若者」そのもののスタイルである。
反社会的で、過激で、躍動的である。

850 :女帝グェス ◆1dMlI2wLRM :04/07/07 05:59

まだやってたの? フェノのおじいちゃん、例を挙げすぎ!!
数学のNumber Theoryで、与えられた定理を式に合てはめていくのは
2、3回で十分のと同じように、フェノも「合てはめ」回数は2、3回で十分よ。
そうしたら、定理 (あんたの場合は「曖昧な定理」) を積んでいかなきゃいけ
ないね (あんたはこの作業が少なすぎる)。そっちの方が面白いよ。

まー、あんたは最近自分に正直だから、読んでいてそんなに苛つかないんだけど・・・
またね。


851 :フェノ:04/07/07 10:38
ん?

852 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/07 11:10
>850
 いやいやいやいや

 あのね、本や学校で定理って学んだんだけどうる覚えだったから
毎回計算間違いしてて学校でいつまでも解けなくて半泣きになって
さらに訳わかんない計算とか始めちゃってる出来のわるい小学生と
同じようなモノでしょ。


853 :フェノ:04/07/07 13:19
人は攻撃されると対抗する
それは意識しない反射レベルでもおこる
アドレナリンがいっきに湧き出て体が硬直する

それは生存本能と呼ばれる

854 :フェノ:04/07/07 13:23
それは思考速度より速い
あとからくる思考が状況を把握する
このような生の力を人は内在しており
それが生存を維持している

855 :フェノ:04/07/07 13:25
ニーチェの言った力への意思とはこのような力なのかもしれない

ラカンのいう無意識よりも早く、それは言語でできていない

856 :フェノ:04/07/07 13:27
無意識はコミュニティを思考する
それは生きるというよりも意味を求める力であり
意味はコミュニティの中にしかない

857 :フェノ:04/07/07 13:28
あえて分類すれば
生理/無意識/思考ということになる

858 :フェノ:04/07/07 13:38
生き続けようとする力と
私であり続けようとする力はつながっている

生き続けようとすることは
物理レベル(身体レベル)で自己同一性を保ちつづけることである
自己同一性を保ち続けることが意味レベルになると私が私でありつづけることであり
意味はコミュニティ内にもとめられる
それはコミュニティの物理状態の維持である

859 :フェノ:04/07/07 13:42
コミュニティ状態の維持は生理レベル(遺伝子レベル)にもみられるだろう

仮にこれを自己志向と、コミュニティ志向と呼べば
ともに生理レベルにあり
この二つの両義的な位置に私であろうとする「意識」が現れるといえないだろうか

860 :フェノ:04/07/07 13:48
このような両義性は
階層に現れる
細胞―臓器―人―コミュニティ

すなわち意識とは個体的自己同一性と集団的自己同一性という両義性を解消するためにあらわれた

意識は利己性と利他性を解消するためのものである

意識によってわれわれは利己性と利他性のバランスをとっている
意味とはコミュニティとの繋がりであると同時に
自己同一性を保つものである

861 :フェノ:04/07/07 13:51
なぜ人は意味を問うのか

そして意味はないのか

862 :フェノ:04/07/07 13:55
現代は意味がいきにくい時代である
なにかというと攻撃に曝される
しかし意味は論理的なものでなく
信仰の形態である
なぜという言説に解体されない、すでにそれ以上分割不可能な同一性である

そして生のバランスを支えるものである

863 :考える名無しさん:04/07/07 15:51
人は、というと、それは「他人は」と読む。
人間は、というと、それは「私は」と読む。

864 :考える名無しさん:04/07/07 16:26


865 :考える名無しさん:04/07/07 17:12
hosyu

866 :フェノ:04/07/07 17:15
身体同一性、コミュニティ同一性、自己同一性

これらのバランスになりたっている

身体同一性とコミュニティ同一性の乖離に対して
自己同一性があらわれる

867 :フェノ:04/07/07 17:19
身体同一性が向上し
コミュニケーションが必要となるときに
言語はあらわれ
自己同一性が現れる

868 :考える名無しさん:04/07/07 17:32
お、NOW LOADING....ですね。ありがとうです。

869 :フェノ:04/07/07 18:17
身体同一性が向上し
コミュニケーションが必要となるときに
言語はあらわれ
自己同一性が現れる

870 :フェノ:04/07/07 18:29
同じ物質は相当性を持つように、私の身体もそれと同じように、
相互の浸透性を持つ。そのうえで、通信が含む、伝達の相当性もこれに同じとなる。

871 :考える名無しさん:04/07/07 18:29
徳を涵養するには
品のないレスをするのはやめよう。

872 :フェノ:04/07/07 18:29
現代はわれわれは個人主義化としてとらえる

身体的同一性は保障され、コミュニティ的同一性から乖離する
そこでは自己同一性のより重要となる
私とはなんだろうとは、コミュニティ秩序への思考である
すなわちコミュニティにとって私の意味を見つけようという力である

873 :考える名無しさん:04/07/07 18:32
詳細に論ずるだけの内容を欠いた空疎な言葉(としか見えないもの)

874 :フェノ:04/07/07 18:36
たとえば、私の身体は女性の身体としての役割を担うべきとして生産された。
しかし、その為の役割を別へと企投することもできる。

875 :フェノ:04/07/07 18:42
私とは何か-?

それは私を私と定義するものであり、その定式化する基準の規定とするものである・・・
でも、それは私-私を規定するものとしての?
私なのだろうか、もしかしてそれは唯の、en-sofuのレゾンテートルの意味付与?

笑うしかないだろう。

876 :フェノ:04/07/07 18:52
かつては身体同一性はコミュニティに支えられていた
コミュニティの一部であることにより支えられていたが
このために自己同一性は安定する

877 :考える名無しさん:04/07/07 19:04
俺を論破できるやつなんていない!
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1085654985/285-287

878 :フェノ:04/07/07 19:18
たとえば極度の空腹を考えてみよう
そこにあるのは生理的な飢餓感である
ただ利己的に食べたいという欲求である
ここで身体同一性は高まるか
これはむしろコミュニティ同一性が高まるのである
自分だけでは乗り越えられない故にコミュニティの帰属を高める

たとえばナチス、北朝鮮、あるいは封建社会、宗教はこのような構造の上に
成り立っていたといえる

879 :フェノ:04/07/07 19:22
現代のような飽食の時代は、身体的同一性は高められる
コミュニティからの要請として自己同一性は求められる

身体がコミュニティから遊離するとき
その反動として意味が現れる

880 :フェノ:04/07/08 08:58
ん?

881 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/08 11:55
>>873

>詳細に論ずるだけの内容を欠いた空疎な言葉(としか見えないもの)

感心しました。 
ここまで深く簡潔にこのフ○ノを形容したのは素晴しいと思います。
是非あなたのフ○ノの人格についてのコメントが聞きたいものです。

882 :フェノ:04/07/08 13:12
数年前に中国にいったときに電車のキップきりが若い女性であったか
彼女の素に驚いた
そこには「儀礼的性関心」がなかったのである

883 :考える名無しさん:04/07/08 15:22
>>881

以前のようにSophiaのぴかぁ〜コメントきぼん
あれは哲板史上最高だった

884 :考える名無しさん:04/07/08 15:26
ぴかぁ〜を虫に例えたやつ

885 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/08 17:28
えー忘れちゃいました。
私、三歩歩くとそれまでの事みんな忘れちゃうんです。
>>759 じゃだめ?


886 :フェノ:04/07/08 19:44
ん?

887 :考える名無しさん:04/07/08 20:57
756 :考える名無しさん :04/06/10 06:40
俺は単なる名無しで、頻繁に書きこみしてたのは、2年前くらいだけど、
そのときもすでに哲学板のレベルは下がりまくったといわれてたな。
いちご姫とかちんぽ太郎とかはまだいた気がするが。
稲という人は論理学スレによく出没してたな。
阿修羅とかびたみんとかは、ゴミ扱いで、
最下層がぴかぁ〜とかだった気がする。
今見たら、ぴかぁ〜の地位がましになってるそうで、
マジ笑ったよ。
こいつらも部分的な原因を担っているかもしれんが、
2年前くらいから、他板のひきこもりが進出してきて、
おかしなことになってきた。糞スレが頻繁に立って、
今みたいになっちゃって。
あれでかなり昔からいた人減ったんじゃないかねえ?


888 :考える名無しさん:04/07/08 21:58
hosyu

889 :考える名無しさん:04/07/08 23:08
>>887
ぴかぁ〜の地位は大してあがってないよ。
2年前の時点で、らげの地位はかなり上がってたな。
「今はらげがまともに見えるほど酷い」って感じだけどw

890 :考える名無しさん:04/07/08 23:32
>>890
惨めなポール

891 :考える名無しさん:04/07/08 23:41
hosyu

892 :考える名無しさん:04/07/08 23:50
お前、永田だろ?

893 :考える名無しさん:04/07/09 02:30
>>890
ワラタ

894 :フェノ:04/07/09 10:13
なぜ愛の歌ばかり歌うのか?

895 :考える名無しさん:04/07/09 11:40
現代ポップスの思想

普遍系 恋愛
六十年代ラブ&ピース系 利他的、人類愛
サノモトハル系 自分探し

896 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/09 11:45
>>889
この人もちょっとおかしいよー。
だってこんな2ちゃんねるで地位とかいってるし。。。

なんか怖い人が大勢いるようです。

897 :フェノ:04/07/09 12:47
われわれは会話の達人である
だから将棋の達人の如く、会話の流れをかなり先まで予期している
このような予期の中で発話は行われるし
相手を誘導しあう

898 :フェノ:04/07/09 12:54
それは多くにおいて儀礼的なものであり
発話はまったくの自由な行為ではない

笑いはこのような予期をやぶるところにある
予期の破れへの緊張から再び緩和された予期の流れへの落差に笑いは生まれる

親父ギャグがつまらないのはそのやぶれがすでに
予期のうちに入っているからだろう

899 :フェノ:04/07/09 12:58
音楽の心地良さはこのような予期と裏切りのバランスにあると言われている
人がやすらぐのは1/fゆらぎと言われ
リズムの反復と裏切りの割合が半々だと言われている

900 :フェノ:04/07/09 13:01
音楽も予期をおこなっているが
言語よりもその自由度が高い
たとえは言語も詩的になれば自由度がます

901 :フェノ:04/07/09 13:08
音楽は言語のようにコンスタティブな意味をもちえない
故に音楽から受け取る意味は主観的で曖昧である
しかしおもしろいのは音楽は言語よりもコミュニティへの帰属力をうむ
コンサート、祭などなどコミュニティには音楽は不可欠である

音楽のこの間主観性はなんだろうか
何故人は音楽に集まるのか

902 :フェノ:04/07/09 13:11
一つは生理に訴え賭けるというものである
生理的な間主観性に根差して、人々が同じ意味を共有しえる

それは言語による理解としての間主観性より根源的ということである

903 :フェノ:04/07/09 13:19
余剰を確認しあう行為
それが音楽なのだろうか

みなで踊り、歌い、さわぐ。
大人になってこのような情動的行為はをする場は
なかなかない
われわれは予期された儀礼的世界に生きている
そこでは余剰は内的にたまり続ける
音楽場は「儀礼的」に余剰を開放することが
許された場なのかもしれない

904 :フェノ:04/07/09 13:26
ボクはコンサートでまったく同じテンポで手をふる様式化された行為が嫌いだ
みんなそれぞれ思い思いでいいじゃないか
ったくジャップは、あそこまで儀礼化かするか
という感じだ

905 :考える名無しさん:04/07/09 16:04
hosyu

906 :フェノ:04/07/09 19:58
消費は世界を食い尽くすか?

907 :フェノ:04/07/09 20:04
デイアフタートゥモローを見た
世界が凍り付くCGは圧巻だ。だかそれがすべてだった
後半のハリウッドアドベンチャーはB級だし
最後のお説教はうんざりだった

908 :フェノ:04/07/09 20:10
最近のハリウッドジェットコースターはすごい
人の想像できるものはなんでも映像化できる

昔は確信はみせずに想像させたが
いまは徹底的にみせる
創造の限界でなく、想像の限界を問う
どこまでいくのか

909 :フェノ:04/07/09 20:28
遺伝子、あるいは脳の大きさという物理的な変化以上に
人は他の動物と違いと特別であると言われる
その違いをもたらしたものは言語であると言われる
しかし人口増加、エネルギー消費量など
地球規模で人間が突出したのは産業革命以降
大衆が出現し、消費社会に突入してからだろう

910 :フェノ:04/07/09 20:45
消費とはシニフィアンの暴走と呼べるかもしれない。
かつては、溢れる余剰が「神」というシニフィアンに回収されていた。
そのたががはずれたとき、余剰を回収するシニフィアンが、反乱しだした。

911 :考える名無しさん:04/07/09 20:47
フェノとは痴性の暴走である

912 :フェノ:04/07/09 20:54
シニフィアンとは、記号コミュニティへのパスポートである。
記号コミュニティとは、捏造された他者である。
他者から、「あなたはあなたである」という承認を
もらうために、シニフィアンを欲望するのである。

神という究極的な他者=シニフィアンによる承認を
もらうことができなくなった主体は、
承認を求めて、つぎつぎとシニフィアンを代えながら
徘徊することになった。

913 :フェノ:04/07/09 20:56
すなわち、シニフィアンを消費しては、次のシニフィアンへ
向かうという終わりなき徘徊である。

914 :考える名無しさん:04/07/09 20:59
つまり、フェノを消費しては次のテコへ向かうという終わりなき徘徊である。




915 :フェノ:04/07/09 20:59
これは、自然界の生産と消費の均等バランスとどのように
違うのだろうか。

916 :フェノ:04/07/09 21:01
生命は、個体の身体的秩序を保とうとする身体的同一性と
個体の属する集団的秩序を保とうとするコミュニティ同一性を持っている。

この両義的な傾向のバランスの上に、生命は成り立ている。

917 :フェノ:04/07/09 21:05
すなわち、個体として維持しながら、コミュニティも維持しようと
いうこと機能をもった存在である。

しかし人は、身体的な危機がなくなり、身体的同一性が安定するに従い、
コミュニティ同一性が低下する傾向がある存在である。
そのために、身体同一性とコミュニティ同一性をつなぐ
自己同一性が発達したのである。
すなわち「私は私である」ということである。

918 :フェノ:04/07/09 21:10
自己同一性とは、言語の世界である。
私が私であるということは、私というシニフィアン対するシニフィエである。

そして意味とは、必ずコミュニティの意味である。
私が私であるとは、コミュニティにとっての私が私であるということであり、
コミュニティ同一性を回遊したところの身体的同一性という意味をもつ。

すなわち、自己同一性は乖離する身体的同一性とコミュニティ同一性をつなぐリンクである。


919 :フェノ:04/07/09 21:13
言語とは、身体的同一性が安定化し、独立し、
コミュニティ同一性から離れていく間を埋めるものであり、
主体とコミュニティをつなぐコミュニケーションである。

しかし本質的なコミュニティ同一性というコミュニケーション
それはたとえば、遺伝子で規定された身体がもつコミュニティを保とうとする機能
に比べて、言語コミュニケーションはずれを生むのである。

920 :フェノ:04/07/09 21:14
人はそのズレを、余剰を、回収するための
シニフィアンを必要とするのである。


921 :フェノ:04/07/09 21:21
かつては余剰は「神」というシニフィアンへ回収した。
そして、余剰は悪であり、シニフィアンは善とされた。
しかし数字というシニフィアンによって、神の意味は解体される。


922 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/09 21:34
発言の時間みてたけど、アンタ、、かなりヤバイよ。

923 :フェノ:04/07/09 21:36
そして、余剰は悪であり、言語意味は善とされた。


924 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/09 21:37
あーあー。。。

ボケもなければオチもないよ!!
意味が無いのはしょうがないとしても。。。

面白くないんだよ、おまえ。


925 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/07/09 21:47
894 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 10:13
― 10時台 ―
897 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 12:47
898 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 12:54
899 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 12:58
― 12時台 ―
900 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 13:01
901 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 13:08
902 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 13:11
903 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 13:19
904 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 13:26
― 13時台 ―
906 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 19:58
― 19時台 ―
907 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:04
908 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:10
909 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:28
910 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:45
912 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:54
913 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:56
915 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 20:59
― 20時台 ―
916 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 21:01
917 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 21:05
918 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 21:10
919 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 21:13
920 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 21:14
921 名前:フェノ[] 投稿日:04/07/09(金) 21:21
― 21時台 ―

…引き篭もり?

926 :考える名無しさん:04/07/09 21:49
>>919 キミがネ ♪
>>920 キミがネ ♪
>>921 キミがネ ♪
>>922 キミがネ ♪
>>923 キミがネ ♪
>>924 キミがネ ♪



927 :考える名無しさん:04/07/09 21:50
ぴかぁ〜が引き篭りなのはとっくの昔に証明されてるでしょ

928 :考える名無しさん:04/07/09 21:50
>>925 ノイローゼっぽいキミがネ ♪

929 :考える名無しさん:04/07/09 21:51
>>927 キミがね ♪

930 :ハルカ ◆xj.rC2FmTM :04/07/09 21:52
   m n _∩                   ∩_ n m
  ⊂二⌒ __)    /\___/ヽ       ( _⌒二⊃
     \ \   /''''''   '''''':::::::\     / /
       \ \  |(●),   、(●)、.:|  / /
        \ \|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|/  /
          \ .|   ´トェェェイ` .:::::::|  /
           \\  |,r-r-| .::::://さあ、どうかな?
             \`ー`ニニ´‐―´/
             / ・ 人 ・ /
             / 三  三 /


931 :考える名無しさん:04/07/09 21:56
>>930 キミがね ♪

932 :考える名無しさん:04/07/09 22:00
般  羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩
若  諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶
心  羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般
経  諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若
      呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩  波
   波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅
   羅   真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜
   羯   実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般  多
   提   不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心
        虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経
   波   故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅
   羅   説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜
   僧   般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
   羯   若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
   諦   波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
        羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
   菩   蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
   提
   薩
   婆
   訶





933 :考える名無しさん:04/07/09 22:02
俺にはフェノもハルカも同類に見えるんだが・・

934 :考える名無しさん:04/07/09 22:02
般  羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩
若  諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶
心  羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般
経  諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若
      呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩  波
   波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅
   羅   真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜
   羯   実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般  多
   提   不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心
        虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経
   波   故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅
   羅   説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜
   僧   般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
   羯   若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
   諦   波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
        羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
   菩   蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
   提
   薩
   婆
   訶





935 :考える名無しさん:04/07/09 22:03
>>933 キミがね ♪

936 :考える名無しさん:04/07/09 22:26
>>936
キミもね。

937 :考える名無しさん:04/07/09 22:28
>>936 キミがね♪

938 :考える名無しさん:04/07/09 22:29
般  羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩
若  諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶
心  羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般
経  諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若
      呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩  波
   波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅
   羅   真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜
   羯   実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般  多
   提   不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心
        虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経
   波   故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅
   羅   説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜
   僧   般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
   羯   若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
   諦   波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
        羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
   菩   蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
   提
   薩
   婆
   訶







939 :考える名無しさん:04/07/09 23:03
「プレゼント」 ジッタリン・ジン

あなたが2chに書いたもの 論理が逆立ちした理論
あなたが2chに書いたもの 流行りのキータームの羅列
あなたが2chに書いたもの 会話してたコテのパクリ
あなたが2chに書いたもの ネット依存の理論武装
あなたが2chに書いたもの よくありがちなメディア批評
あなたが2chに書いたもの しゃべり場レベルの人生観
大好きだったけど 哲学板なんて 大好きだったけど 最後のプレゼント
Bye bye my sweet darlin’ 放置してあげるわ

あなたが2chに書いたもの 誤字、脱字に無駄な改行
あなたが2chに書いたもの 読んでない書物の要約
あなたが2chに書いたもの ヒネリも何もないコテ名
あなたが2chに書いたもの 世間知らずの世界観
あなたが2chに書いたもの 数学知らずのシステム論
あなたが2chに書いたもの 女知らずの恋愛論
大好きだったけど 哲学板なんて 大好きだったけど 最後のプレゼント
Bye bye my sweet darlin’ 軽蔑してあげるわ

あなたが2chに書いたもの 2chに超えれるポストモダン
あなたが2chに書いたもの 寂しがりやのハニカムハーツ
あなたが2chに書いたもの 溢るる余剰と神話作用
あなたが2chに書いたもの なんでもかんでも対象a
あなたが2chに書いたもの 自分次第の固有名
あなたが2chに書いたもの あの日生まれたルサンチマン
大好きだったけど 哲学板なんて 大好きだったけど 最後のプレゼント
Bye bye my sweet darlin’ 粘着してあげるわ


940 :考える名無しさん:04/07/09 23:05
「Boys &Girls」 浜崎あゆみ

(※)書き込みだした ぴかぁ〜を誰が止めることなど出来るだろう
自演しだした ぴかぁ〜を誰に止める権利があったのだろう

よく立てている よくレスしている よくコテ変えたりしている
「名コテになりたい」って もう何スレ目になるんだろう
一体何が言いたくて 一体何が論点で 一体どこが問題とかって
聞かれても理解なんて 端からしてないけどね

「書き込む」押す瞬間に 忘れないでいて
このスレの他に 何スレも立っているのを

(※)繰り返し

本当はシッタカしてる 本当は読んでない 何だって誰だってそうでしょ
学哲って言われたって よく見りゃみなマイ哲で

朝やけが眩しくて もう寝る時間
昼夜逆転なんて 言葉も忘れてた

(※)繰り返し


941 :考える名無しさん:04/07/09 23:06
「そうだ! ぴかぁ〜’re ALIVE」 モーニング娘。

(※)自演!無知!2 channel star!自演!a-ha!2 channel star!
自演!煽り!2 channel star!自演!荒らし!2 channel star!

カキコミしてみたいなロンリーevery night シッタカしてみたいなインチキ logic  
ぴかぁ〜’re alive SO 生きている The人間 そう そう The人間

(◎)ん?ん?ん?ん?ん?ん?ん?ん?ん?ん?たとえば?
そうそうそうそうそうそそううそうそうそう なんですね

ぴかぁ〜’re alive だって 考える The人間 Yes  Yes The人間
ドゥルーズ ルーマン クリプキ デリダ ラカンもフッサールもみんなみんな
いったん日本に輸入されれば 全部ネタさ GO!GO!GO!GO!
(※)二回繰り返し
(★)博識になりたい みんなに尊敬されたい 本当の欲望はきっと伝わるはず
GO!GO!GO!GO! ぴかぁ〜’re alive

禿同されたいなハッタリphilosophy  引用されたいな切り貼りecriture
ぴかぁ〜’re alive So 恋をする The人間 Hey hey The人間
(◎)繰り返し
ぴかぁ〜’re alive だって 悩んでる The人間 Yeah Yeah The人間
大事にしていた駄文のファイル ボタン間違って消しちまった
パクったネタでごまかしておこう 新スレ立てて GO!GO!GO!GO!
(※) (★)繰り返し
天才になりたい みんなに教えを垂れたい いくつになっても Wow ヒッキーだよ
GO!GO!GO!GO! ぴかぁ〜’re alive

(※)永遠に繰り返し

942 :フェノ:04/07/09 23:16
     


       戯 言 は た っ た そ れ だ け で す か ?

943 :考える名無しさん:04/07/09 23:17
チョチョピチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
ピピッチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
プヒューゥッチョラワラゲララ
ピピピップヒューゥッチョチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
ラワラゲララ


944 :考える名無しさん:04/07/09 23:22
>>939 キミがね ♪
>>940 キミがね ♪
>>941 キミがね ♪
>>942 キミがね ♪
>>943 キミがね♪


945 :考える名無しさん:04/07/09 23:28
hosyu

946 :フェノ:04/07/09 23:28
私の理論は「現代思想」「イマーゴ」「批評空間」あたりをかじっただけの人には
たぶん理解不能でしょう。
想像力と読解力、そして生活力が必要です。


947 :考える名無しさん:04/07/09 23:31
馬鹿なこといってんじゃねえよ。正気にモドレ

948 :この板の主役:04/07/09 23:35
>>946 キミがね ♪
>>947 キミがね ♪

949 :考える名無しさん:04/07/09 23:43
ソヒアはピカァー粘着で
相変わらず成長の痕跡なし。

950 :この板の主役:04/07/09 23:54
バカばっか

951 :考える名無しさん:04/07/09 23:57
>>950 特にキミがね ♪


952 :フェノ:04/07/10 00:02
荒らしは去れ!うざいんだよ。
そろそろ奥の手を出しますよw

953 :考える名無しさん:04/07/10 02:49
保守

954 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/07/10 11:16
あれ? 成長ってアンタ。。。

こんな掲示板で何成長とかいってんの?
ここは、阿波踊りと同じで、普通の人もあえて馬鹿になりきって
本当の馬鹿の人と混じって遊ぶ所でしょ?

マジになってると本物の馬鹿になっちゃうから気を付けて下さい。

>>952
このスレを荒らすな!!!

955 :考える名無しさん:04/07/10 17:42
吸い過ぎ注意

                                BY キスマーク

956 :考える名無しさん:04/07/10 17:59
 

957 :考える名無しさん:04/07/10 18:00
最近おれのエロ本がいつの間にか数冊無くなっている。
そういえば妹も中学生になったし、まぁいろいろあるのだろう。
まだまだ若い兄としてはイタズラ心も湧くと言うものだ。
そこでおれの部屋の床に無造作に置いたエロ本の中に
「オナニーは結構だがもうちょっと声を抑えろ。聞こえてるぞ。」
とメモを挟んでおいた。
そして風呂から出ると、そのエロ本は見事になくなっていた。

翌日の朝食時、なぜか親父がチラチラとこちらを見てきた。
何で顔が赤いんだ、クソ親父。つーかてめぇか。クソ。

958 :考える名無しさん:04/07/10 23:09
♪ ソフィアが2chにくれたもの〜 イカレ女のヒステリー ♪

959 :考える名無しさん:04/07/10 23:51
hosyu

960 :考える名無しさん:04/07/11 00:54
これネタでなく聞いてるんだけど
隣が毎晩、エッチでベッドが激しく軋む音やその他が
今もするし、明け方にも多いんだけど、どうすればいい?

961 :考える名無しさん:04/07/11 00:59
♪ フマが2chにくれたもの〜 イカ臭狂気の害虫カキコ ♪

962 :考える名無しさん:04/07/11 01:00
もう、ななしフマとソフィアは隔離スレに仲良く往けば?

963 :考える名無しさん:04/07/11 01:03
みんな言うこと(だけ)が大きすぎんの。
地に足がついてない。

964 :考える名無しさん:04/07/11 01:06
観念のとりこ。渦に巻き込まれて

グルグルグル

965 :考える名無しさん:04/07/11 01:09
>>960
気にしない。

966 :考える名無しさん:04/07/11 01:11
なんで?
声もするし。


967 :考える名無しさん:04/07/11 01:13
ベッドの配置を工夫すればいいだけなのにsa−あ。
鈍感な人間って、だからキライ

968 :考える名無しさん:04/07/11 01:22
本当の神話を聞かせてほしいよ。

969 :考える名無しさん:04/07/11 01:58
 

970 :フェノ:04/07/11 10:52
ん?

971 :フェノ:04/07/11 17:22
現代、余剰の回収は神というシニフィアンから、消費というシニフィアンの氾濫にむかう
世界は消費しつくされるだろう
しかしそれがそのまま人類の破滅に意味するわけではない
環境問題さえひとつのシニフィアンである

972 :フェノ:04/07/11 17:26
現代の人類の危機は物質的な限界である

しかし消費というシニフィアンの次元と物質的次元には
ズレが存在する

物質的限界を回避し
消費しつづけることは
原理的には可能だろう

973 :フェノ:04/07/11 17:28
現にわれわれは物質的世界から象徴的世界を指向している
ハードからソフトへ
しかしまたわれわれの物質的世界への執着も根深いものがある

974 :フェノ:04/07/11 17:37
環境問題のポイントはいかに資源を節約するかにあるのでなく
人々に「環境問題」というシニフィアンを欲望させるかにある

資源を大切にするようにしむけるのでなく
「環境問題」そのものを目的化させるようにすることである

975 :フェノ:04/07/11 17:40
その意味で環境問題はまだまだかもしれない
国主導である以上、環境問題という消費欲を扇動するセンスにかける

976 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 17:41
させる主体は誰?

977 :フェノ:04/07/11 17:47
環境問題の問題は、主体がだれであるかということです

だれかでなければならないのは、
物質的問題からでていないから

消費は創発的である
すなわち主体がない故に
増殖しえる

978 :フェノ:04/07/11 17:56
環境問題はもっとうまく神性を捏造しなければならないし
カリスマが登場しなければならない

979 :フェノ:04/07/11 18:00
デイアフタートゥモロー程度の神話ではだめだし
地球温暖化で南の辺鄙な島が沈むでは足りない

もっとリアリティをもって迫ってくる神話が必要である

いままだだれもそれを語れていないのである

980 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 18:04
エネルギー問題で、「石油が枯渇する」ってさんざん言ってたのに、
今はそんな気配まったくないから、
環境問題も、みんな本気にとらなくなってるんじゃないか?

981 :フェノ:04/07/11 18:06
それはもしかすると核心をさけているからかもしれない
もっとも本質的な問題は、オゾン破壊、地球温暖化でなく、
人口の増加にあるのではないだろうか

982 :フェノ:04/07/11 18:10
環境問題と人口問題の違いは
人口が国に閉じていることにある
アフリカで大量難民がでようがそれは
その国の問題なのである
他の国が介入することの難しさがある

983 :フェノ:04/07/11 18:13
それぞれの国にはそれぞれの神話があり
環境問題のような統一された神話を語ることが
難しい

984 :フェノ:04/07/11 18:15
それ故に環境問題という神話に集約しなければならないのだが
そのためにリアリティのある神話が語れないのだろう

985 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 18:21
フェノさんは、なんかいいアイデアないの?

986 :この板の主役 :04/07/11 21:51

民主主義選擧は不平等だな。
わたしのような者には、選擧權を強めに與えるべきだと思う。
何故なら、世の中には莫迦の方が多いからである。
莫迦のほうが多いならば、結果、莫迦な方向へ世が傾く。
人間は皆平等ではあるが、だからといって、
凡ての人間が政治に參加するのはおかしい。
莫迦は莫迦だからである。
わたしは莫迦を莫迦にしているわけではないが、
莫迦は黙ってろと言いたいのだ。
jokeでイエス又吉に投票した莫迦と、
わたしの一票と、何故同じ重さなのだ。
君らもそれは同感だろう?




987 :考える名無しさん:04/07/11 21:54
>>986
最初の一文と最後がかみ合ってない。

988 :この板の主役:04/07/11 22:02

岡山のメル友(24歳 菅野美穂似・メール交換歴2年)が、
最近わたしに交際を申込んできた。
わたしにはカノジョがいるのだが、なんとなく言えずにいる。
どうしたら良いだろうか。本当に困った。
わたしの写真を送ってしまったのが不味かったかな…。
わたしは岡山のメル友(24歳 菅野美穂似・メール交換歴2年)を、
あくまでも友人として考えていたのに、迫られると、
急にオンナとして見えてしまうから不思議だ。
処女を抱き終えた後、オンナになりたての少女が魅せる虚ろな変化に戸惑うのと、
どこかしら似ている。わたしは戸惑っている。どうしたら良いのだろうか。
キミたちの浅知恵をお借りしたい。一円玉をくるくるまわして、
その裏か表かでなにか重大な決定をしたいような、そんな気分なんだ。



989 :この板の主役:04/07/11 22:07
朝帰りならぬ昼帰りだ。
昨日は少し飲みすぎたよ。そして食べすぎた。お腹が凭れるよ。
わたしは体脂肪率10%をきる肉体を誇るのだが、
油断していると、10%を越えてしまう。食べ過ぎはよくない。
自宅でのトレーニングでここまで鍛え上げたのだが、
ジムでも行ってみようかな、と最近思うようになった。
そうすれば、5%をきれるかもしれない。
近所にあるジムで、マシントレーニングや水泳でもしようか。
肉体は美しくするに越したことは無い。わたしの筋肉美を見せて魅せたいよ。
ところで、豚のようなキミたちは身体を鍛えているかい?
豚にも、美しい豚と醜い豚がいるのだと心得たまえよ。
しかし、わたしが行くかもしれないジムへは来ないようにな。
マシンにキミたちの汗がつき、運動するたび、豚汁を食べたくなったら困るし、
プールの水面がキミたちの脂身で七色にテカるのも耐えられない。
ガソリンスタンドの地面じゃあないんだからな!



990 :987:04/07/11 22:11
>この板の主役
つまらない指摘をしてわるかった。
機嫌なおしてくれ。

991 :この板の主役:04/07/11 22:11

では、これからシャワーを浴びてくるよ。
すみきりすみわたる朝陽の下ミケランジェロのダビデ像に
天つ水が降り注ぐ姿を想像したまえ。

それがわたしのシャワーシーンだ。




992 :考える名無しさん:04/07/11 22:12
コピペしかできないノータリンはこの板来んな

993 :この板の主役:04/07/11 22:19
違うって。
だって、煽りのレベルが滅茶苦茶低いだもん。
哲学板ってさー、見て欄内ぐらいに。
だから、見本を展示してあげてんのになー。
こういうのだったら、まだ笑いながら読めるじゃん。

994 :考える名無しさん:04/07/11 22:29
はー、ポールにそんな趣味があったとは。

995 :この板の主役:04/07/11 22:32
フェノ、こっち消化しなよ。
次スレは豪華メンバーが
かなり期待できるよ。よかったね。

996 :考える名無しさん:04/07/11 22:37
ポールがやれば?

997 :この板の主役:04/07/11 22:58
この板の特徴を大雑把に云うと。

一行煽りレス多し。(ex.ポールがやれば?♪)
「はー?」とかいう無気力で自堕落なレスが多い。
あと、中の人に対する妄想のみで、バカみたいに膨大な数のレスがつくこと。
そのほとんどが見当違いにもかかわらず。にね。だぉっ♪
コミニュケーション能力が極端に低い人が多い。
だから、議論、論争という形式を取らないと他人と会話できないんだね。
(特に異性とは無理そうな人ばっかり。だおっ♪)
あとは自説をモノローグ式に塗り重ねるだけか。だね。だぉっ♪

これ、疲れるね、結構。


998 :考える名無しさん:04/07/11 23:18
エールを送るよ。
えっと、自分にだけじゃなく
そこでupしてるキミにね。

999 :考える名無しさん:04/07/11 23:20
次スレきぼん

1000 :考える名無しさん:04/07/11 23:21
この板の主役=ポール

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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