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自分の行動や存在に正当性がない件について。

1 ::05/01/13 03:46:28
ないんですよね。どう考えても。ってのは現在自分が不当な
行動をしているとかではなくて、仮にどんな行動を
とったとしてもそれが正当性があるとはいえないという意味で。
どうせ「なくて当然」、とか言われるんだろーけどさ。

だけどお前らあたかも自分が正当であるかのように
振舞ってるだろ。ときたま自己嫌悪とかしてみたりして
でも本質的には正当ってのが何か知ってる。それに自分が
沿いさえすれば正当になれるんだろ、お前ら。いいよなw





2 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/13 03:50:55
モテモテさん、出番ですよ!

3 ::05/01/13 04:24:25
30分も放置されたし。
水かr3げt

4 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/13 05:40:22
今週も天は、スレの上にスレを作らずry
所により、放置(ウェザー)となるでしょう。

5 :記念すべき指し指 ◆6wmx.B3qBE :05/01/13 05:52:10
あるしかないんだから正当じゃない。

6 :考える名無しさん:05/01/13 15:41:21
苦悩しているのはわかるが、もう少し整理してくれ。

7 ::05/01/13 17:04:10
いや、そんなに苦悩もしてないんだけどね。
「正当性」つーか、「善」「肯定性」といったほうがいいのかな
あまり哲学用語の定義に詳しくないからわからんので赦して。

まぁいっちゃえば、自己存在をどうやって肯定するんだっつぅ
よく言われる問題です。ニー津ェ嫁とかなしで。
自己存在の肯定に成功してル化に見えるお前らの意見を聞きたい

8 :考える名無しさん:05/01/13 17:09:52
正当化は自分で取り付けるのみ。
不特定多数に提示・確認して初めて正当性が認知される。
もうアイデンティティみたいなものです。
主張反省主張反省くり返しです。
正当性のために?たぶん辛い作業になると思われます。

9 :考える名無しさん:05/01/13 17:20:54
「わたしは・・いわゆるアーティスト性・・というものを重んじたが為に・・
 若くして人々から忘れられ・・さみしく死んで・・行きました・・」

 アンダーグラウンドサ−チライ『埼玉ゴズニーランド』より抜粋。

10 :考える名無しさん:05/01/13 17:24:01
「わたしは・・いわゆるアーティスト性・・というものを重んじたが為に・・
 若くして人々から忘れられ・・必要とされず・・さみしく死んで・・行きました・・」

『必要とされず・・』が抜けましたのでいちおう補追。ごめん。

11 :考える名無しさん:05/01/13 17:32:07
もうデカダン(退廃美)だね。しかし何故かぬくもりを感じる。
エジソンがおちこぼれだったように・・アインシュタインが文字下手だったように・・
安心感をいだけます。夕日がしずむように・・いつかは終わりが・・弱さがやわらかさ。
みたいな。

12 :kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/13 18:07:34
>>11
お言葉をお借りします。
冬日が、いつかは終わり、やわらかな、何故かぬくもり、沈むみたいな。

13 :考える名無しさん:05/01/13 18:34:11
>>11に宮沢賢治が童貞だったように・・もプラスすれば良かった。 それは影だ。分身だ。

14 :考える名無しさん:05/01/13 20:50:43
俺がどう振舞おうがその報いを受け続けるんだから不当じゃないだろ。


15 ::05/01/13 22:33:19
>>8
>不特定多数に提示・確認して初めて正当性が認知される。
確かに実際正当性をとりつけるのはそういう作業なんだろうね。

>>9-13
意味不明

>>14
そういう考え方は一面的だと思うんですが。君はつきつめりゃ宅間でも
不当じゃないっていうんだろ。そういうのは行き過ぎた相対主義。
それいったら皆が正になってしまう、というか正も不正もなくなってしまう。
でもじゃ、正、不正という概念が湧いてくることを説明できなくない?

16 ::05/01/13 22:43:09
>>8
が言うように、正当性ってのは相対的なものでしかありえない。
ある範囲のコミュニティで、パワーのある者の支持を取り付けてる
状態みたいなのが「正当」なんでしょ。よーは。
コミュニティの外に出ればその正当性は通用しないし、
パワーバランスが崩れれば正当性も崩れると。
(っていうかお前らは自分の正当性がそういう不確かなもの
だというこを弁えず振舞ってるのがけしからんわけなんだが。)

で、そういう不確かさがすごい不安なんですよ。俺。
おまえら不安じゃないの?そういうときどうするの?

17 :考える名無しさん:05/01/13 22:49:37
>>16
出口を求め、見つけます。どんな出口かはその人の自由。

18 ::05/01/13 22:59:13
>>17
理由は?

19 :考える名無しさん:05/01/13 23:01:29
「自然状態においては、各人それぞれが、自分の裁判官である。そこでは、事物を指示する名辞や形容詞が
各人各様で、ここから人々の間に数々の争いが生じ、平和が破壊されてしまう。だからこそ、論争の的になる
ような事柄のすべてにわたって共通の基準が必要になる。例えば、正義、善、美徳と呼ばれるものや、
物が多いとか少ないとかいったこと、何が我のもので何が汝のものか[所有権]、ポンドやクオーターといった
目方などについては、争いが絶えない。これらの事柄に関しては、人によって判断が異なるゆえにすぐさま
論争が始まる訳である。ところで、「正しい理性」こそが、これらの論争を裁定する共通の基準だと言う人々がいる。
もしも自然の事物の中に正しい理性なるものがあることがはっきりしているのであれば、私もこのような主張を
する人々に同意するのに吝かではない。けれども、争いに決着をつけるために正しい理性なるものを持ち出す
人々は、結局のところ、自分の理性を正しい理性と呼んでいるのが普通である。正しい理性と呼ばれるものなど、
実は存在しない。だから、誰かの理性、一定の人々の理性が、正しい理性の代役を果たさなければならない。
そして、主権を有する人ないし人々の理性こそが、その適役であることははっきりしている。
……このように、国の法律は、人々の行動の共通規範である。人々は、この国の法律に照らして、自分の行動が
正しいか間違っているか、得をするのか損をするのか、有徳か悪徳かを判断しなければならない。言葉の意味に
共通の合意がなくて、しばしばそれに関して論争が生じている場合、これに確固とした定義を与え、その用法を
定めるのも国の法律に他ならない。例えば、通常の姿態とはかなり異なった子がたまたま生まれた場合、
これを人とみなすべきかどうかを決するのは、アリストテレスのような哲学者ではなく、法律なのである。」
『法学要綱』 引用は、リチャード・タック『トマス・ホッブズ』

20 ::05/01/13 23:06:39
>>19
ありがとう。でも引用だけされても俺はどうせ俺なりに
読んじゃうわけだし。むしろあなたがこれをどう読むかが
聞きたいんだけど。

21 :考える名無しさん:05/01/13 23:10:12
>>1の言う「正当性」ってのは「他人からそう思われる」事なのか。
だったら、その他人の「正しいこと」のイデアに当てはまるか否か、ってだけな気がシナイデモナイ

22 :考える名無しさん:05/01/13 23:14:41
自己存在の肯定とは、他者に対して弁解が出来ることではありません、
といわれたら、納得できないよね?

23 ::05/01/13 23:18:41
>>21
>だったら、その他人の「正しいこと」のイデアに当てはまるか否か、ってだけ
>>16のように考えてしまえばその通りですよー。でも其のような「正当性」
の理解は俺も疑問。
普通「正当性」というときはもう少し普遍性、一般性をそなえたものを
いうし、俺もそういう意味での「正当性」がないと不安。でもそういう
意味での「正当性」なんて結局ありえないのかなという諦めが半分。



24 :考える名無しさん:05/01/13 23:27:50
>>20
要するにホッブズは人間は自然状態、つまり国家や法に束縛されない状態においては
知性を有するも動物であるにすぎず、理性という役割も正当に機能しないと考えた。
そして、これにより永久的に人間同士の闘争が際限なく続けられることになるが、
これを避けるには人間相互の契約→国家が必要というわけだから、そもそも何が正当で
何が正当でないかは生来的に自己正当性を備えた個人としての人間の正当性を評価する
正当性に対する基準が存在している必要になる、これを理由に法と国家が人々の了解の下に成立しうる。
このように国家対人という枠組みあるいは対立が生じてるのが現在の状態なのではないですかね?

25 :考える名無しさん:05/01/13 23:29:52
>>23
ふむぅ。
それは、神の存在について考察する事と違わない気がシナイデモナイ。

26 :考える名無しさん:05/01/13 23:42:28
追記。
何故正当・不当の概念があるのかと言うと。
先ず正当不当、もとい善悪には、「ヒトにとって善いこと・悪いこと」という大前提がある。
探せば例外も出てくるのかもしれないが、(そこが人間とパソコンの違いで、絶対でないということ)
例えば、善で言えば環境保護とか、悪で言えば殺人とか、
ヒトという種にとって「善いか悪いか」であり、その概念はヒトにとって便利なものである。
つまりは、「人間が何故言語を扱っているのか」とか、「人間には何故目があるのか」とかと同じこと。
「正当・不当の概念を持っている」ことは生物として優れた一面であり、便利な道具の一つであるということ。
正当性を探してる人にこう言うと、反感買うかもしれないけども。

27 ::05/01/13 23:58:03
>>25
通ずるところはあるかもね。
>>24
そういう考え方はあるんでしょうけど。ある意味フィクション
ですよね、それ。実際問題誰も、国民の誰もそんな契約なんか
してないし、憲法が契約になるのかも知れないけど、憲法が
無い国にも正当性ってあるわけですから。
まぁ、国家権力や法律の正当性が究極的に国民の自己正当性に
由来するっていうのは、建前としてはそうかもしれません。



28 ::05/01/14 00:12:25
>>26
うん。なんか納得しちゃったんだけど。
ミモフタも無いな。

29 :考える名無しさん:05/01/14 01:22:50
正当とか善悪がわからんとか、
存在しないとか言ってる奴って、
過剰な意味を持たせすぎてるような気がするんだな。


30 :考える名無しさん:05/01/14 01:27:16
ぶっちゃけちゃうと、
肉体の管理以外に意味なんてないから、
話は終わっちゃうんだけど、

まあ、ようするに、
昔に比べると、社会の統一化が進んで、
分業化・大規模化しちゃったせいもあるだろね。

自分がやってることは、全体の部分にすぎないわけで、
結果としての手ごたえに欠ける。
環境を把握できない、掌握できない。

社会全体で機能してるから、
部分としての自分の意味が、
分からなくなってる。

31 :考える名無しさん:05/01/14 01:33:39
>>27
国家や法の存在はフィクションじゃないですよ、現実です

たしかに、人間がひとりしかいなかったら何が正しいかということは考える必要がなく、
正当性という概念自体、意味のないことです ただやりたいことをやればいいわけです
動物の世界を考えてみると、例えばボス猿がリーダー格として集団を形成しようとする際、
正邪、善悪という理念においてではなく弱肉強食の原理によって成り立っているわけです
そこには法も裁きもありません ある個体が集団に与える影響はただ強いか弱いかに依存する

しかし、人間の他者との関わりにおいては正当か不当か、もしくは善か悪かということが問題に
されなければならない 
勿論、すべての人間が一定の理念や善悪の基準に同意(=約束)したわけではないが、
少なくともそのようにみなされていなければならない つまり一般的な社会は弱肉強食を前提と考えない 
ゆえに倫理や善悪の存在を肯定し規範を設ける必要があると考える他なく、それ以外に秩序を形成する方法がない

そしてこの正当性が第三者によって公平に評価される必要があると考えるのが社会や国家であり、
国家が成立していない少数の集団内においても約束事や暗黙の取り決めが存在するはず
なぜならどんな少数民族ですら人間は理性的な生き物と知っているから
少なくともその約束事を守らないとその集団の中で生きてはいけないことになる
まあ、人間が猿だった頃についていえば、それは先にあげた動物と変わりないシステムだったかもしれないけど




32 :考える名無しさん:05/01/14 02:05:41
>31のつづき
よく刑事ドラマで殺人犯に対して「おまえは自分で何をやったかわかってるのか!」
と問い詰めるシーンがありますよね
それに対して、んなもん知るかよ!w、とDQNっぷりを発揮してくれる人も沢山いるわけですが、
このことは人が他者との関わりにおいてはどんな人であっても倫理観を兼ね備えていなければならないと
人々が考えてることを意味してます

知らねー、という人についてもそうなのです 例外なく良心というものがあると考えなければならない
法では二十歳を基準に成年・未成年、つまり行為能力者・無能力者として画一的に区分けし罪に対する量刑を斟酌する、
という考え方をもっているけれども、未成年者とはいえ一定の行為能力があると見故されている必要は、
善い悪いくらいは知ってるよね?ってことで合意されることは説明を要しないでしょう

ただしその倫理観や善悪の観念が生来的に人の備わっているものなのかについては
様々な解釈が考えられ、これはこれとしていわゆる哲学上の問題となっているわけです

33 ::05/01/14 02:12:53
>>29
それはそうだね。だからここで、どこまでの
意味をもたせていいのか考えたい
>>30
ぶっちゃけちゃうと、
いってることはもっともそうだが、
どこに対するレスなのかわからないので、
話がかみ合わない。スマソ

34 :考える名無しさん:05/01/14 02:12:53
未成年者は未熟だから、
行為の結果を正確に予測・理解できない。

つーわけで、保護してるんだわさ。

35 :考える名無しさん:05/01/14 02:14:36
法においては必然なんだぞと試しに付け加えてみるテスト

36 :考える名無しさん:05/01/14 02:29:46
法は、常識を基礎に置くけどね。

37 ::05/01/14 02:37:48
>>31-32
うんうん。国家とか法の話はよくそういう風にいわれますね。

でも、法律とか国家を第三者、中立的なものとみるのは
理想としてはそうでしょうが、現実はあまりにも違う。
法律だって一部の圧力団体の利益になるようにできてくるし
刑事の量刑だって、マスコミが被害者感情を煽って
バカな一部の国民の世論に押されて重くなったり軽くなったり。

結局あるのは、弱肉強食が正当、公平の衣を被ってるだけなんじゃ
ないかと。そういうふうに、本来相対的でしかありえない
「正当性」があたかも絶対価値であるかのように語られるのが怖い。


38 ::05/01/14 02:44:50
で、法の正当性とかはまぁ法哲学の守備範囲ですけど、
俺はむしろ、倫理とか、善悪について語って欲しかったんですけどね。
そのいわゆる哲学上の問題になっているという。
「正当性」という言葉が自分が悪かったかもしれません

39 :考える名無しさん:05/01/14 02:51:56
意識が根拠を求める作用には、対象に近い前提に近づく働きと大前提から
始める働きがある。大前提なら、何が大前提であるのかを探す事になる。
だから、法則から始るので必然的に無い。

40 ::05/01/14 02:55:31
>>39
ごめん3行目意味がわかんない。どの点についての
レスかもわかんない。謎掛けですか?

41 :考える名無しさん:05/01/14 03:18:46
弱肉強食なんて、ないよ。

42 ::05/01/14 03:33:02
>>41
そうなの?なんでですか?

43 :考える名無しさん:05/01/14 03:33:19
法の正当性については人間の意志の働きに伴い二つの正当性がある。
現象が適用される法は何であるか、法に適用されるものはこの現象であるかだ。
前者が対象に近い前提を求める意識の働き、後者は大前提から始める働きだ。
物自体はある現象であるという事が話題になり、その現象がある法則であると
話が進む訳であるが、物自体は語ることができない、飽くまで現象の段階、
法則は条件が無い、対立を解消する無条件のものがない。従って、言葉の段階から
始ってる輩には無い。因縁つけるくらいか。原因と結果がの話をしたいのか?

44 :考える名無しさん:05/01/14 03:35:21
>>43
二つの正当性がある、は正確ではないか。二つの正当性を求める方向性がある、だろう。

45 :考える名無しさん:05/01/14 03:37:39
彫刻とかくらいならできるか、正当性。
彫刻家の方ですか?

46 :考える名無しさん:05/01/14 03:51:14
法が正当性を持ち得るのは彫刻的法則なるものがなければならないようだ。
道徳?倫理じゃねえわな。それがあることにより、法則が正当になるようだ。

47 ::05/01/14 03:52:21
>>43
ごめん意味わかんないし、文章おかしいから。
「無い」って何が?オナニーなら他所でしてね。

48 :考える名無しさん:05/01/14 03:58:53
正当性は妥当である訳だ。適用する法則がある、法則が適用する存在がある、
この二つの流れが人間の話の進め方と思われる。だが、一方は適用する法則を保証す
るものがどうして正しいかを聞くと答えられねえだろ、他方は存在なんだが
そんなものは人により解釈が変るだろ。催眠術でもかけて、聞きたい事にうなずかせる
以外に同一になる方法はないんじゃないと一つの案を出してみるテスト、それじゃあ、
そもそも意味ねえよな。

49 ::05/01/14 04:06:10
>>48
あなたの考えには興味あるけど、レスするなら
もう少し読み手に内容が伝わりやすくなるように工夫して。
それできないなら、あれだ、チラシのウラにでもかいてろ。
あ、わかる人もいるかもしれないから別にレスするなとは
いわないけど、とりあえず俺は放置するから。ごめんね。

50 :考える名無しさん:05/01/14 05:36:00
人間というのがそもそも動物であるとともに、理性をもった存在という困惑すべき立場にあることから
様々な問題が生じていると思われます 人間はそもそもどのような存在かということにも関わる
本音(動物的な衝動あるいは力関係)の上に建前(倫理、遵法精神)が成り立っている以上、
法や社会にある種の「歪み」が生じるのは必然なのかもしれない

精神分析学者のフロイトは、人間は快楽を求めるものである、と言い切ってます
これが性と結びついて欲動とかリビドーとかいわれるんだけどこの赤ん坊のような心の原初の姿、
つまり「快感原則」と、社会規範的な「現実原則」とでは最終的に一致しないといっている

例えば、学校におけるいじめの問題も、いじめるのは良くない事、ということは当事者も十分承知しているはずで、
だからこそ大人のいない陰で行われているわけです 
しかし「見つかったらヤバイ」と考えていればそれは規範というものを観念的にしか捉えていないのかも
しれないし、あるいは「可哀相」だとか「いいのかこれ・・」、などという良心の呵責を感じるケースもあるかもしれない
ある行為へのそれぞれの解釈がやはりあって、倫理観が著しく欠如してる人は根本的に問題が
あるのかもしれないし だれもが自分自身に帰着する問題として捉え直さなければならない部分もあるはず

51 :考える名無しさん:05/01/14 05:38:52
遅くなった。
ごめん。

弱肉強食ってのは、
結局、ニッチなわけよ。

強いから有利なわけではなく、
他の生物を捕食するというニッチな立場を得る為に、
強くなる。

52 :考える名無しさん:05/01/14 05:39:34

学校については教師のあり方が問われ、あまりに問題意識が希薄で、偏差的にすぎるとも感じるけど
このことは学校に限らず村社会、職場、ご近所づきあいといった大人の社会においても
集団についてのある種、同じような構造をもっていると思う これが現実の社会
たとえ法や規範をいくら整備しても、また人々が建前をいくら主張しても、本音の部分が変わらないことには
いつまでたっても同じような有りようをし続けるでしょう 様々な角度から再考察されていくべき根深き問題と思う

もちろん議論していくことも大事だろうが、議論において延々と建前が交わされつづけても
そんなものは砂上の楼閣にひとしい でもじゃあどうすればいいかっていうのはなかなか答えがでないし
おれにもわからん、、
おそらく、このようなことは自身に降りかかってくる問題であるので人々は概して沈黙するのかもしれない

>弱肉強食が正当、公平の衣を被ってるだけなんじゃないかと。そういうふうに、本来相対的でしかありえない
>「正当性」があたかも絶対価値であるかのように語られるのが怖い。

社会学、心理学、法学、国家、教育といういろんな視点から考察されていくべきでしょうね、、 もちろん
倫理については数多くの哲人もいろんなことをいってるのでそこら辺は専攻してる学生や
有能なライターの投稿を待ちたい 、、ということで、本日最後の投稿 寝る、、

53 ::05/01/14 05:52:41
>>51
ああ?ニッチだろうがなんだろうが、強い奴が
弱い奴を食うって関係はあるでしょ。それぞれがニッチで
そこに有利不利はないっていいたいのだろうけど、
弱肉強食って関係はやっぱりあるじゃん。
ニッチだからってなんで弱肉強食がないことになるのか不明。
ってか、今生物学?進化論?の話してないし、慣用的な意味で
「弱肉強食」を用いただけですから。そこだけ食いつく意味はなんなの?

54 ::05/01/14 06:08:52
↑ごめんなさい。ちょっと眠いし荒れてました。
>>52
本音と建前ですか。同じことかもしれないけど、
他人と異なる絶対価値としての自己認識と(本音、本能)
他人と同じ価値しか有しない社会内存在としての自己認識の(建前,理性)
二重の自己認識の相克ってことなのかなぁ。
いろいろ勉強になりました。ありがとう。寝ます。

55 :◆RecKD9Ind2 :05/02/22 05:56:19
テスト。

56 :◆RecKD9Ind2 :05/02/22 06:05:29
来週から三月末まで、このスレにいます。
よろしくお願いします。


57 :考える名無しさん:05/02/23 16:00:07
正当性を見出すこと自体邪心。

58 :◆RecKD9Ind2 :05/03/07 15:00:18
テスト

59 :◆RecKD9Ind2 :05/03/07 15:19:43
特徴あるスレッド名ですね。また、名無しさんのレスを面白く読みました。
「2ちゃんには匿名で優れた書き込みがあり、それが良さだ」というような話を
かつて聞いたことがありますが、このスレを読んで確かにそういうこともあるんだなと思いました。

さて、例えば、ある人Aがお腹をおさえて倒れていたとします。
私は駆け寄って「大丈夫か?」ときく。反応がないなら、私はすぐに救急車を呼ぶでしょう。
ここで問いが生じます。私はA氏が激しい腹痛だったと<知っている>のか?
結論から言えば、私はA氏が腹痛だったとは<知らなかった>。

もちろん、私はA氏が<本当に>腹痛だと<思って>行動しています。
しかし、行動している最中、この信念(belief)はいまだ正当化されておらず、
真偽は明確になっていないと私は考えます。A氏が腹痛だったと分かるのは、
例えば、私が同行した病院で緊急手術がA氏に対して実際に行われたときです。

知識とは伝統的に「正当化された真なる信念」と規定されていますが、
プラトンに遡れば、正当化とは「ロゴスを与えること」であり、
ここでロゴスとは理由のことでしょう。
つまり、知識とは「理由付けられ、真だと判明した信念」だと言えます。
倒れたA氏を前にして私があたふたしているとき、
A氏は熱心な劇団員として急病患者の演技を練習しているだけかもしれませんから、
お腹をおさえて倒れていることだけでは、A氏が本当に腹痛であることの理由として十分ではありません。

60 :◆RecKD9Ind2 :05/03/07 15:42:48
では、なぜこうした事態が生じうるのでしょうか。
ここで参照したいのは大森荘蔵氏の言葉です。

「私は他人の悲しみ(もしあるとして)を感じることはできない。
この<できない>は論理的な不可能性である。私が感じたとしたならば、
それは私の悲しみであるから、他人の悲しみではありえない。
では、私は他人の悲しみと<同じ>種類の悲しみを感じることはできようか。」
(「類比による想像」)

悲しみを痛みに置き換えてみましょう。大森氏が論じるように、
私はA氏の痛みを<感じる>ことができない。
例えば、脳科学の発達によって二人の神経を物理的に接続し、
A氏の痛みを私が感じることができるようになったとしても、
その痛みは「われわれ」の痛みであって、
私がA氏の痛みを感じているわけではありません。

私がA氏の痛みを<感じる>ことは論理的に不可能です。
また、お腹をおさえて倒れているA氏を見て私があたふたしても、
私はA氏が腹痛だと<知って>行動しているのではありません。
私はA氏が<本当に>腹痛だと<思って>行動しているだけです。
もちろん、この行動は無鉄砲なものではなく、例えば、針で手を刺され
「これが痛みだよ」と教わっていたように、
何らかの仕方で痛みの意味について学んでいたから、なされたものです。

まとめます。私はA氏の痛みを自分も<感じて>行動したのでもなければ、
A氏の痛みを<知って>行動したのでもない。私は成育環境の影響から、
A氏が痛がっているのを<本当だと思って>行動するのです。
もちろん、こうした信念は外れていることもあるし、
たまたま当たっていることもあるでしょう。

61 :◆RecKD9Ind2 :05/03/07 16:10:06
いま挙げた例から類比的に考えたいことがあります。
(この類比が間違っていることもありますから、間違いが明確になるまで、
さしあたり、この類比を正しいとしましょう。)
ひとことで言えば、「正当化されえず、真偽が判明しない信念」について考えたいのです。

カルロ・ギンズブルグが指摘していたことに重ね合わせてみれば(邦訳『アウシュヴィッツと表象の限界』)、
「ジャスト・ワン・ウィットネス」は知識を成立させうるか、という問題です。
カルロの議論により近づければ、「一人だけの証人は証人にあらず」という格言は正しいのか、という問いです。
私の結論から言えば、ジャスト・ワン・ウィットネスに知識の身分はなく、
この格言は正しいということになります。
だから、もしなんらかの証言を一人でする人に対して私にできることがあるとすれば、
それは私がその人の証言を<本当だと思う>ことだけでしょう。

とはいえ、証言の論理的な整合性は、その証言が真であることを正当化できないのでしょうか?
間違った前提からでも論理的に正しい推論が可能である以上、
証言の整合性によって最終的に真偽を判別することはできないでしょう。

このような証言と2ちゃんの書き込みは、最終的な正当化の不可能性という点で
似たところがあるように思います。

62 :◆RecKD9Ind2 :05/03/07 16:36:38
2ちゃんでは、書き込みの群れが整合性によって結びつけられ、また、
現実世界(=2ちゃんのようなエクリチュールだけの情報空間ではない、多様な情報空間)
との連想的な接続によって結びつけられます。
例えば、いわゆる釣りの場合、撒き餌をして目当ての魚を釣ろうとしても、
釣りたい魚がそこにいない場合があるでしょう。
散らばった撒き餌を見た人は、そこから魚に関心をもつかもしれません。
撒き餌が増えれば増えるほど、魚の影は色濃くなり、奇妙な存在感を帯びていくでしょう。
魚の影がひとりでに泳ぎだし、それを追いかけて撒き餌がいっそう増えるのかもしれません。

ジャスト・ワン・ウィットネスはある意味2ちゃんの書き込みと似ていると書きました。
なぜかと言うと、2ちゃんの書き込みは(一部の管理者を除いて)誰が書いたか分からず、裏を取れない以上、
そうした書き込みは根無し草的な情報として流通するからです。

例えば、BさんとCさんが二人きりで話したことをBさんが2ちゃんに実際書き込んだ場合でも、
Bさんが知らぬ存ぜぬを貫けば、書いたかどうかは判明しません。
2ちゃんは情報の発信源をある特定の人物に帰することが不可能な場所です。
情報はむしろ、勝手に泳ぎ出した魚の影に取り込まれていくだけなのかもしれません。
Cさんにとって真相は「藪の中」。Cさんにできるのは、
Bさんの「知らぬ」という言葉を信じることだけでしょう。



63 :◆RecKD9Ind2 :05/03/07 16:51:51
以上、名無しさんの書き込みを私なりにパラフレーズしてみました。
ポールくんがかつて言っていたことも、同じことなのかもしれません。
書き残したことがまだあるので、今日は次回取り上げる問題の確認をして終わりにします。

ある仕事集団が形成されているとします。この集団が存在しているのは、もちろん、その仕事のためです。
しかし、人が集まれば、こまごまとした雑務が生じます。
もともとは仕事に関心があってその集団に属していたのに、
自らすすんで雑務をこなすことでその集団との関係を維持するようになる人もいるかもしれません。
そうした人に対して、例えば、雑務は肩代わりするから本来の仕事をしていいと言う人がいるとき
(私ならば、この言葉を心遣いのあらわれだと思いますが)、しかし、
当人は(本来の仕事に不安をもってか?)集団への帰属度が薄まると思うかもしれません。
そして、2ちゃんに不満を吐き出すかもしれません。
では、こうした振る舞いはどんな意味をもちうるのでしょうか?
もちろん、この例に限定されるわけではなく、
2ちゃんで毒を吐いたり、泣きごとを言ったりすることの意味は何か、という問いでも構いません。

この問題を心理的な観点から考えれば、ストレス解消ということになるのでしょう。
私みたいに対面状況でずけずけものを言う人間とは違って、
優しい人は匿名状況のなか、かろうじて毒を吐いたり、泣きごとを言ったりして
心の重荷を軽くしているのかもしれません。このことについて私はどうこう言うつもりはありません。
私がこの問題を検討したいと思うのは、2ちゃんにおける情報の所有と自由という観点からです。
網野義彦『無縁・公界・楽』を参照します。関心のある方は手にとってみてください。



64 :指し指 ◆6wmx.B3qBE :05/03/08 04:01:58
↑おもしろい。

65 :考える名無しさん:05/03/08 04:12:05
役割について、モチベーションが無ければいかに能力があろうとも不適である。
モチベーションがあっても能力が無ければ不適であるが将来的に見込みはある。


66 :考える名無しさん:05/03/08 05:22:21
>>18
不安だから(遅レスですが)。

>>43法の正当性について
法に関してよくわかっていない者なのですが。
「>現象が適用される法は何であるか」「>法に適用されるものはこの現象であるか」

具体的事例に部分的な還元をしてみると、例えば殺人という現象に極刑という法が適用
される。という前者。極刑という法の適用が殺人という現象である。という後者。
言い換えるならば、「目には目を、歯には歯を」という同等・平等的な規準(?)。

「>人間の意志の働きに伴い二つの方向性(正当性)がある」
前者が被害者・加害者・傍観者等に、より近い視点により、後者は大前提或いは
矛盾(?)から考察し得る視点。と言っているのでしょうか?
「物自体」の問題は、例えば殺人という現象であり、その殺人がそのまま適用され
る法である。と?
「>物自体は語ることができない」例えば殺人現象へと加害者・被害者等を巻き込
んだところの根源的な「欲望」には正当性が存在する筈もなく、対する法の適用に
もありえない。つまり「>対立を解消する無条件のものがない」と述べているので
しょうか。したがって正当性(私的にはアイデンティティーも含む)は利便的な記
号にすぎない。という感じでしょうか。何とも私的には驚くべきレスです。
今更ですが少々確認でした。自然の所作、渦中の流動。操作性なしの神秘かな。

67 :考える名無しさん:05/03/08 06:25:57




綱渡り吾郎。。。

68 :ケツ学者性行為 ◆OFgB7bzRJI :05/03/08 08:50:42
存在は概念を超越する。正当性は、その人間が所属している集団の美学的戒律なので、相対的である

69 :パンパース:05/03/11 18:47:21
>>60
こんばんわ。来てしまいました。

自分自身と、他者との関係が少し解りました。
他者の悲しみを自分は知ることは出来ない。そして、もしかするとその他者自身は悲しんでないかもしれない。
例えば、物心がついてない幼児の両親に不幸があったとする。しかし、その幼児は私に対して無邪気に微笑む。
私はその幼児を見て悲しむ。何故、私は、こんなに悲しいんだろう。幼児は無邪気に笑っているのに。
それは、世界内存在の一つである幼児が気がかりであり、もしくは私の世界内存在が悲しみという気分で満たされたと、
現時点で思ってます。ただ、世界内存在とは、何であるのかは今の私には解っておりません。

では、失礼します。




70 :考える名無しさん:05/03/12 10:39:51
>>1

>お前らあたかも自分が正当であるかのように振舞ってるだろ。

そう見えるのであればその人は、自他の存在、行動、に正当性を与えないのだと思います。
自他共に正当でないのであれば負い目は持てません。

71 :◆RecKD9Ind2 :2005/03/21(月) 22:02:29
みなさん、レスありがとうございます。機会があれば、コメントさせて下さい。

さて、『無縁、公界、楽』(平凡社ライブラリー)。
その核心「アジール」について、中沢新一さんが興味深いエピソードを交えつつ、
『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)第二章に書いていますね。
それによれば、アジールの問題は「人間的自由の本質」に関わるようです。
ただ、私が自由概念に疎いこともあって、『無縁…』のなかで目についたは、
積極的自由(〜への自由)と消極的自由(〜からの自由)の対比でした。
例えば、こう書かれています。

「僧侶のなかでも、大名と私的な関係をもつ人は、こうした役割は果たしえなかったので、
無縁の輩、「公界者」にしてはじめて、戦乱の渦中にあって「平和」の使者たりえたのである。」
(『無縁…』78ページ)

つまり、室町・戦国時代の支配体制〈から〉自由である公界者は、
平和〈へと〉向かう自由を有していた。こうした公界者を公界者たらしめる場所が、
公界=アジールです。アジールには無所有の原理が浸透しており、しかも、
この原理が実は私的所有を可能にしているとのこと。
例えば、ある土地を私的に所有するためには、
「まず、そこを神の住む場、だれのものでもない「無所有」の場として囲いこむこと」
(『無縁…』323ページ)が必要です。とすると、平和への自由を有する人々は、
無所有の原理が機能する場所に属しており、すなわち、
そうした積極的自由は無所有の原理から芽吹くことになります。
仮に以上のまとめがあっているとして、こうした話との類比によって考えたいのは、
次の問いです。つまり、哲学板は情報のアジールなのか? 
本来なら、哲学板に流れる情報の種類を区別し、
これらひとつひとつをその問いのもとで検討すべきでしょうが、
投稿制限もありますし、ざっくりいきます。


72 :◆RecKD9Ind2 :2005/03/21(月) 22:03:21
私の結論から言えば、知識概念の規定と『無縁…』の議論を考慮するかぎり、
匿名性が網野式の神機能をはたして情報を脱私有化する哲学板は、
ある程度、アジールたりうると思います。ある程度とはどの程度なのか、
これこそ検討すべき問題でしょうが、情報の区別をしないと
アジールの諸段階(『無縁…』第23章)も区別できない気がするので、とばします。
では、哲学板はどんな平和を求めているのでしょう。
しかも、それは哲学板の外部に成就しうる平和なのか、もしくは哲学板内部の平和なのか。
ちなみに『無縁…』の場合、アジールに属する人々はその外部に平和をもたらしうるのでした。
また、アジールではその外部の法が適用されず、アジール内部での争いは禁じられ、
たとえ揉め事が生じてもその場でのみ処理されていたそうです。

哲学板がもつ積極的自由とは何でしょう。新たなコミュニケーションや表現への自由? 
これらが現実世界で達成できないものを含んでいるとしたら、それは何でしょうか? 
誰のものでもない情報と自由の関係が問題ですね。
もちろん、情報の種類に即して考えるべき問題でしょうが…。

短い書き込みなかに練られた思索が込められているのを見ると、
表現やら何やら色々と参考になるし、それは本当に面白いと感じます。
テキストに戻って検討したくなるアイデアがつめこまた・スレもありますしね。
とはいえ、このこと以外で何か哲学板の長所を聞いてみたくて、問いを並べてみました。
問いとして成立していれば良いですが、そうでない場合は
問いが成り立たない理由を示してもらえるとありがたいです。

『無縁…』は、私が哲学本を読んだこともない頃からかまってもらっている人に
すすめられた本です。この本を通じてその人への理解が少しは深まるかなと思い、
読み返してみました。名無しで構わないですし、意見を伺いたいです。
ちなみに『無縁…』はとても面白い本でした。今は『中世再考』を読んでいて、
『無縁…』の自由概念に対する私の理解を修正しないといけないなと感じてます。
今回は、しかし、とりあえず終わります。


73 :1復活:2005/03/22(火) 06:00:37
>>68
そうですね。2ヶ月たって読み返すと俺はなにを考えて
こんなスレをたてたのかよくわかりません。
たぶんたったそれだけの答えを誰かに確認して欲しかったんです。
それが、もう俺はその答えを自然に受容できてしまったので、
俺にとってのこのスレの必要性を感じなくなったのでしょう。

>>72
やや舌足らずなレスなので曲解してるかもしれませんが。
>自他の存在、行動、に正当性を与えないのだと思います。
>自他共に正当でないのであれば負い目は持てません。
そういう人ももちろんいるでしょうが、自他の存在、行動、に正当性を与えていて、
かつその正当性を疑わないがゆえに負い目を持たない人が多数派だと思いますが。
まぁいまとなっては、そんなことどうでもいいんですが。

古のレスの方が面白いので、以後消えます

74 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:53:19
1の問題は解決した様だけど俺はまだ良く判らん。
自分の行動や態度を非難された際は公の美醜、善悪を考慮すべきだろうか?たぶんそうだろう。
しかし、どんなに詰らないDQNでも「自分(が在ること)は正しい」という判断は自明ではないか?
社会の掣肘に因って感受性が変わっても、盲目的自己肯定を取り下げる訳ではない。
俺にとっての正しさは生き続ける事であり、自己の生存と公認の価値は比べるべくもない。
死なない為の努力はめんどいし、正しい事を為すべきだとも思わないのだが…。

>>古
2ちゃんおよび哲学板の特異性……2ちゃんに集まる情報や哲学板の機能がユニークだと考えたことが無いので…どうなんだろう。
無責任な言動の結果に積極的な価値を見出すことなら有るとおもうけど、哲学板の特異性と言う訳じゃないし…。
娯楽の場としか捉えてないです。

>>66
読解スゲー

75 :◆RecKD9Ind2 :2005/03/31(木) 12:33:14
みなさん、スレ内外でレスありがとうございました。時間があるときはこことか。スレとか読みます。それでは。

76 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 05:40:56
悪いと非難されるのは納得できない。

我々は聖人君子をめざすべきか?
我々は聖人君子をめざしているか?
人を非難できる立場か?
人の非難を無視してよい理由はなにか?


77 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 08:46:49
聖人君子はめざさなくとも自己の美学には従う。
美学と道徳、政治の折り合いがつくことで人を非難する。

美学に従う理由はなにか?

78 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 10:44:42
嫌いな人に尽くすことも、好きな人を傷つけることもできる。
自分を裏切ってはならない理由があるか?

79 :考える名無しさん:2005/05/14(土) 07:49:17
最近、哲板つまらないね。
空疎な観念論ばかりで。
流れを変えてみたいね。

80 :考える名無しさん:2005/05/14(土) 08:37:11
要するに
「生まれてすいません。存在していてすいません。」
と思いながら好きなことやってりゃいいのよw

81 :seb ◆Ec8svtWCj2 :2005/05/14(土) 10:42:17
生きる事は誰かに切望されたり受容されて存続するのではなく
責任の根拠も動因も全部自分にあるってだけの事ではないでしょうかね。

正当性も正統性も本来、行為の主体者には宿るものではないわけで
概念のみに存在する便宜上の言葉。

つまり言葉として存在するからといって、現実的に存在する概念ではない。

現象を観測し概念に精製する時に、目安として立てたブイに対して
何故お前は存在するのかと問い掛けるようなもの。

答えは明瞭。世界を理解する為に人間が立てた目安。
それ以上出もそれ以下でもない。

82 :考える名無しさん:2005/05/14(土) 16:49:32
うわっ…俺のメモ帳が…。
おまいらは自発的行動の理由に満足してますか?
靴を履く際左右の順番をどうやって決めますか?
哲学を学べば、「正当化は状況に依存する」と割り切れる?
自らの判断を信じることが出来るようになる?
役に立つと言われても勉強する気はないんだけどw

俺は傲慢なのか天邪鬼なのか毀誉褒貶を受け入れられない。
行う理由も行わない理由も分らないので無責任な行動しかとれない。


83 :考える名無しさん:2005/05/14(土) 23:14:42
世界そのものに正当性がない。
何も悪い事をしてない俺らが、どうして人生という苦を背負されわなきゃならんのか。

84 :考える名無しさん:2005/05/15(日) 00:35:35
生きている事自体は苦しく無い。
訳も分らず働いたり勉強したりが苦しい。
結果として残飯を漁ることになる。

85 :考える名無しさん:2005/05/15(日) 06:10:07
人間は自分が存在する限りにおいて、誰でもが正当化され得る。
すなわちその誇りの堅守において・・・

86 :考える名無しさん:2005/05/15(日) 08:46:31
1さん!がんばれ!
がんばれってのもおかしいけど 吹っ切れるかどうか だと思う
1さん正当性がないってわかってんじゃん!
人間は自己中心 相対関係でしか物事を捕らえられない
自分の思いに反するものがあればそれが悪になり 悪と相反するから自分が善だと思い込む
結局 善も悪も 正も誤も 正当性すら ありはしないのに
それは自己という存在があって初めて生まれるものだから
んで!ここでこのスレの意味を問いたいわけだが!
1さんどうもこの先に行き詰ってるってわけでもなさそうだ
どちらかと言えば、善悪とか言ってる奴を馬鹿にしたい・・とか
俺はこんな考えまで持ってるって自慢したい・・・とか
そんな風に見えますよ(って俺だけか!?)
結局このスレで何がしたいのさ?

87 :70:2005/05/15(日) 14:30:26
1が書き込んでるの?

>結局このスレで何がしたいのさ?

76以降俺のメモ帳として使うつもりだったけど上げられてしまったからな。
1も問題にしてたけど実在への憧憬を切り捨てられんのよ。
>>68のように割り切ることも出来ず、さりとて実在論の正当化が出来るとも思えない。
現状はあらゆる当為を拒否する上で思いついたことを書き込んでるだけだな。

俺のカキコは>>70,>>74,>>76-78,>>82,>>84

88 :70:2005/05/15(日) 14:59:11
どうして俺は当為を拒否することにこだわっってんだろう?

89 :70:2005/05/15(日) 15:26:25
>>86
>どちらかと言えば、善悪とか言ってる奴を馬鹿にしたい・・とか
>俺はこんな考えまで持ってるって自慢したい・・・とか

文の印象は性格の問題だろうな。
俺は「わからない」と言ってるだけ…。

90 :70:2005/05/16(月) 17:57:17
死ぬのは怖いけど「良く豊かに生きる」理由が納得できない。
自分を喜ばすのがそんなにエライのか?とか思ったり…。
すくなくとも人を喜ばすのと同じくらいエライよな…。



91 :70:2005/05/22(日) 21:02:19
腹が減れば飯食うし、眠くなれば横になる。
自分に尽くすのもそれの延長だと思う。
しかし、空腹や眠気は絶大な強制力を持つのに対し、
社会的要請は人との係わりにおいてしか顕現しない。
人との係わりを尊重しないから功名を成すことに邁進しないのか?
ほんと、傲慢だわw

>>88
当為を受け入れられないのは当為に従う理由が分らないからだ。
>>78自分を裏切ってはならない理由も然り。


92 :70:2005/05/23(月) 23:56:55
>>76
人の非難を無視する理由

無神論は論駁されないと高をくくってる?



93 :70:2005/05/24(火) 00:38:27
>>78
大儀の為に自分を裏切ることはあると思うが、
大儀を持たない人はたわむれに自分を裏切る。コトモアルカモシレナイ

94 :70:2005/05/24(火) 01:06:32
>>84
訳も分らず食ったり寝たりは強制力が強いから苦しく無いのか?

残飯を漁ることで食わなかったり寝なかったりの苦しさと、
訳も分らず働いたり勉強したりの苦しさから免れる?

95 :70:2005/05/24(火) 23:02:15
>>80
好きなことやる理由がわかりません。

96 :70:2005/05/25(水) 00:01:43
訳もわからずやるのであれば、やりたいこともやりたくないことも区別しない。

97 :70:2005/05/25(水) 01:55:50
>>83
正当性を見出さない俺らが、人生を苦として背負うのはあたりまえでは?

98 :70:2005/05/26(木) 03:12:16
>>74
生きたいとは思うけど生きるべきとは思わない。

自分を裏切る理由はない。尊重すべきとも思わない。

生かしても生かさなくても納得できない。

当為が無いと尊重できないか?

自分に尽くすと心を決めて試してみるか?




怠け者の言い訳っぽいw

99 :70:2005/05/27(金) 04:03:01
>>82
左右の順番は決めない。ただ靴を履く。
美学に従う理由は必要ない。
旨いものを求める事に理由は必要ではないし、旨いものを求めるべきだという当為もない。

自分を含めた人間を幸せにするべきだとは思わない。
どうして人間を幸せにしようとするのか?
幸福を求めるのは自由だが当為は認めない。

人間の幸福は免罪符ではない。

100 :70:2005/05/27(金) 04:07:53
> 人間の幸福は免罪符ではない。

ニーチェばりの義憤ですかw


101 :70:2005/05/27(金) 06:41:31
>>99
無条件に肯定される行動は無いと言いたいのか?
どんな行為もけちをつけることが出来る?
普遍的な価値は存在しない?
DQNの世界観だなw

しかしそうとしか考えられない。
自分に尽くすのは当為があるからではない。

102 :70:2005/05/28(土) 04:12:56
>>91
空腹や眠気を尊重するのであれば美学も尊重してよいのでは?
強制力の有無で差別するのは妥当か?
身体的欲求も美的欲求も所与のものである点では変わらない。
身体的欲求には屈しても美的欲求に盲従したくはない?
いや、人と衝突しても譲れないとは思わないのか…。
単なる弱気?卑下してる?

ちがう、尽くす理由が解らないのだ。
身体的欲求に屈しているからといって、美的欲求を尊重すべきだとは思わない。
不自然な態度ではあるが…。


103 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 19:09:24
私は何者であるのか。また、何者であろうとするのか。

例えば職場で盗難があった時、自分が潔白であることをどう証明できるのだろう。
渦巻く疑念、降りかかる嫌疑。ただし、自分と犯人は私が潔白であることを知って
いる。でも私は、自分がやったのかもしれないという自らへの疑念がある(無意識と
か、アルツハイマーとか・・)。従って身の潔白を表現し、行為することができな
い。いやでも俺じゃねぇもんなぁ。などとぼんやりと口に出さず呟くのみである。
こんな時私は何者であろうとするのか。わからない。

104 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 19:18:42
いや、むしろ何者かにされてしまうこともあろう。不特定多数の人々が、私を盗人
であると主張し、ある正当性が取り付けられることもあるわけか。
そんな時私は盗人であろうとするのだろうか。わからない。

105 :かげろう:2005/05/28(土) 19:25:56
自らの行為に正当性は勿論、自らによる確証というか実感というかなんか記憶がない。
つまり、可能性として考えるならば、やっていないはずの盗難やら施しやらもやってい
たことになってしまいかねず、どちらにせよ実感が無い。こんな時私は何者であり、何
者であろうとするのか。

106 :かげろう:2005/05/28(土) 19:37:01
しかし、私はやってねぇことはやってねぇしやったことはやったのであるが・・・。
ほんとどうなんだろう?メリット、デメリットの問題ではない。物証の有無でもない。
認知や信仰の問題か。私が人間であることすらも、私以外の周囲が決める。自らがどう
決めようとも主張しようとも、私が何者であるかは決着しない。ただ何者であろうとす
るのかは選択できる。自由でいいね。

107 :かげろう:2005/05/28(土) 19:40:11
さて、私は何者であろうとするのか。

108 :かげろう:2005/05/28(土) 19:51:59
その前に。
他の私への認識や信仰とはなんであろうか。私が人間であることを私ではない他がどう
認識し、信ずるのだろうか。無条件で他は私を認め、信ずるだろうか。いや、それはな
いであろう。では、その条件とは何か。うーん。

まず、接触だろう。そこで私は行動を観察される。そんで理解あるいは盲信か。うーん。

109 :かげろう:2005/05/28(土) 19:55:20
とりあえず私は人間であろうとしよう。

110 :70:2005/05/28(土) 23:25:31
>>103
覚えていない事は「覚えがない」としか言えないですよね。

>>104-105
盗人にされたのであれば、冤罪を主張する盗人でしかないのでは?
弁護する上で冤罪の確信が持てないのは辛いですね。

>>106
事実と歴史(公の判断)の問題で歴史に働きかけることは出来る。と言うことでつね?

>ただ何者であろうとするのかは選択できる。自由でいいね。

選択の理由に問題を感じなければそうでしょうね…。

>>108
問題が起きるまで隣人として付き合うのでは?
人を人と出来ない人は大変だろうな…。

>>109
隣人として求められているからでしょうか?

111 :かげろう :2005/05/29(日) 00:41:43
>盗人にされたのであれば、冤罪を主張する盗人でしかないのでは?

ジャッジがある。寄付をした覚えが曖昧なのに寄付したことを認知された場合も同様か。
無実を主張する寄付人でしかない。うん、なるほど。どちらにせよ当人の確信が無いの
は辛いですね。

112 :かげろう:2005/05/29(日) 00:44:34
隣人として既に認知されているのだな、そういえば。私は人間であり、岩ではないと。
なんかわからなくなってきたぞ。

113 :かげろう:2005/05/29(日) 00:49:48
そうか、私は「〜を主張する人間でしかない」ということか。何を主張するのかということか。

114 :70:2005/05/29(日) 02:17:03
読解不足の上に表現の問題があったようですが…。

>>111
ジャッジが為された後の事を問題にしているのだと思っていました。

>>112
一見して人間であれば隣人として付き合うのでは?
その態度が続くかは、仰るとおり反応次第だと思います。
他我認識に問題を感じたとこがないので良く判りません。

>>113
どこを読んでそう思ったのでしょうか?
予想外の反応で戸惑っております。


115 :70:2005/05/29(日) 02:36:40
>>113
>盗人にされたのであれば、冤罪を主張する盗人でしかないのでは?
に対してですね?
ジャッジが為されれば社会的にはそうなると思います。
ジャッジが納得できないのであれば、それを覆す行動に問題はないと思います。


116 :70:2005/05/29(日) 02:59:01
>>106
>私が人間であることすらも、私以外の周囲が決める。
>自らがどう決めようとも主張しようとも、私が何者であるかは決着しない。

他者が何者であるか、私から見たあなたが何者であるか、覆されるまでは決着していると思います。
決着しないと言うのは自己認識との齟齬がある、と言うことでしょうか?

117 :70:2005/05/29(日) 04:24:00
>>99
左右の順番を決めないでどうやって靴を履くのか?
順番は場当たりで決めるのではないか?

>どうして人間を幸せにしようとするのか?

場当たりで決まった好悪を擁護したくない?
すべての行動に根拠を与えたい?











ムリw

118 :かげろう:2005/05/29(日) 19:15:20
>>116
>他者が何者であるか、私から見たあなたが何者であるか、覆されるまでは決着している・・

確かに。私から見て、不特定多数の出会った人々は、人間であり、男であり女であり子供であり
大人であり、軍人であり、音楽家であり、医者であり・・・・・。本人が何者を主張しようとも
(推測として)決着してきた。そして本人の主張と私の推測が一致しようとしまいとそれぞれは
人間であると言えようし、植物や昆虫や物質であると言えるのだろう。しかし、私の推測からく
る他への認知が曖昧な以上、他が何者(物)であるかは、やはり決着しないのでは?

119 :かげろう:2005/05/29(日) 19:21:06
士農工商えた非人という制度下でその制度が覆されるまで私は人であるものを非人と
決着したかもしれないが、現実に人間であることをやはり知っていただろう。

120 :かげろう:2005/05/29(日) 19:35:27
ああ、またか。差異と類似性の問題なのか?わからない。アイデンティティ問題か。

私から見た空間が何であるか、空間から見た私が何者であるか。とすると私から見た
空間は居住可能領域であり、空間からのジャッジは居住可であるのか。範囲指定で。

121 :かげろう:2005/05/29(日) 19:46:55
>>82「正当化は状況に依存する」
そういうことか。私がある人を医者と推測判断したのは病院であり、診察であり本人の
主張であり彼が医者であることを認知した不特定多数のジャッジの反映であるのか。

122 :70:2005/05/29(日) 20:19:15
>>118
認知が曖昧な間は「よく解らないもの」として付き合うのでは?
私は己の判断と人の判断が一致すればそれで良しとするので…。

>私の推測からくる他への認知が曖昧

対象のカテゴリー確定と実在との対応に問題があると?
対象が何者であるかはその時々での判断の一致が全てだと思います。

>>119
>現実に人間であることをやはり知っていた

のであれば人として付き合い、主張すればよいと思います。政治を鑑みながら…。

123 :70:2005/05/29(日) 21:07:46
ある本で「人は美学に従うものと言うのが人間理解の基本の公理」だと書かれていた。
公理であれば幸福を追求する為に理由は必要ないと言うことか…。

この公理は幸福を追求する上で都合がいい公理だな…。
幸福を追求する理由を検討出来る代わりの公理は無いだろうか…。
神の御心に適うか否かといったものしかないか…。



124 :かげろう :2005/05/30(月) 00:30:57
いったい何が(誰が)どのようなジャッジを我々にしているというのか。
ジャッジが納得できないのであれば、それを覆す行動に問題はない。しかしジャッジ
がどんなものなのか明確ではない。よく解らないものとして関わりあう。
ジャッジが為されれば環境的にはどうなるのか。それぞれが役割を演じるようにして
行動し始めるだろう。なるほど。

125 :70:2005/05/30(月) 08:09:12
>>124
> いったい何が(誰が)どのようなジャッジを我々にしているというのか。
> ジャッジが納得できないのであれば、それを覆す行動に問題はない。しかしジャッジ
> がどんなものなのか明確ではない。よく解らないものとして関わりあう。
> ジャッジが為されれば環境的にはどうなるのか。それぞれが役割を演じるようにして
> 行動し始めるだろう。なるほど。

カフカの審判みたいですねw

126 :かげろう :2005/05/30(月) 19:08:39
>>125
そうか。読んだからなぁ。
つまり私の問題は自身にどのようなジャッジを下すのかということである。
どうするかなぁ。70さん世話になりました。ありがとう。

127 :70:2005/05/30(月) 19:49:57
>>126
また気軽に立ち寄ってください。

128 :70:2005/05/31(火) 07:28:02
>>123
「人は美学に従う」を人間理解の公理とするのであれば、美学を持たない人や美学に無頓着な人は理解出来ないと言うことか…。
この公理で理解出来ない人は人外と言うことか…。

精神疾患と認められる人はどうなのだろう?
好き嫌いが判らないとか、判るけど行動の理由にしないと言う人は居ないのだろうか…。
居たとして臨床家はその人を理解できるのか…。
ほかの公理を持たないのであれば本人も理解出来ないだろう。

美学を行動の理由にしない人は普通に居そうだけどなw
異邦人の主人公は美学には従うが擁護はしないという設定だったか…。
俺がこだわるのはここらへんの影響かw

美学に従うことを公理とするのではなく美学に従う理由を検討できる問題機制がないと、確信をもって自分に尽くせない。
ぼちぼち探すか…。



129 :70:2005/05/31(火) 08:17:57
>>128
>美学に従うことを公理とするのではなく美学に従う理由を検討できる問題機制がないと、確信をもって自分に尽くせない

問題機制があると確信をもって自分に尽くせる?
なにを口走ってんだ……(;´Д`)

美学に従う理由を検討する問題機制が在れば、確信をもって自分に尽くせるかもしれない。

だろ…orz

130 :70:2005/05/31(火) 18:05:10
>>128
「人は美学に従う」を人間理解の公理とすると言うのは、人の行動は価値の実現を目指すものと解釈すると言うことだろう。
美学を持たない人や美学に無頓着な人は理解することが出来ないのでは無く、脈絡の無い行動を取る人とか論理を重視しない人と理解されるだけでは?
どちらにしても行動原理が分らないと言うことか…。




131 :70:2005/05/31(火) 18:20:53
「人は美学に従う」を人間理解の公理とするのは、単に生き残ってきた人間のライフスタイルというだけでは?
他の公理では生き残れない?

132 :70:2005/05/31(火) 22:07:58
>>99
>どうして人間を幸せにしようとするのか?

「自分に尽くすべし」と言う神様の命令が欲しいのか?

宗教を持たない人は自分に尽くす理由も持たないのでは?
自分に尽くしている人はなんらかの宗教を持っている?

133 :かげろう:2005/06/01(水) 21:59:54
私は限られた環境内で居住者として暮らすのみなのであろうか。居住者であると主張
する人間に過ぎない。さすらい、住み心地に耐えるか造るかなどして待つだけで本当
はそれで良いのかもしれない。空間に立ち退きを迫られるまでは・・。

まだ遠いようだ。私は行動の範疇ではないな。

134 :70:2005/06/02(木) 06:25:37
>>133
人として振舞うことに違和感を感じると言う表現ですね。

>私は行動の範疇ではないな。

ここが良く判らないのですが、違和感は感じるが動けないと言うことですか?
過去レスから判断して動く足場が持てないと?
無粋な質問かもしれませんが…。

135 :70:2005/06/02(木) 08:34:57
>>99>自分を含めた人間を幸せにするべきだとは思わない
    が
>>76>悪いと非難されるのは納得できない
    理由か…。

悪は無いと言うのだな?
理不尽な状況も受け入れると…。

ほんと不自然だわw
マゾか?w






136 :かげろう:2005/06/02(木) 19:36:09
>>134
人としての自認をし始めたところなのでしょう。動く足場をこれから築いていく必要
があるようです。瞬発力を養うということか。どの空間に赴くのか、そこで自らが突
き動かされ思考ではない行為をする時私は居住者であると言う以外の主張をできるの
かもしれない。

137 :かげろう :2005/06/02(木) 20:02:19
抵抗か。拒絶をされてなお、その場に留まるような?私は力なぞを求めているというのか。
そうかもしれない。その時は、安住を求めるのだろう。今は安住しているということか。
帰るところが私にはあったのだから。少し考えよう。

138 :70:2005/06/04(土) 08:42:29
>>78
苦痛でなければ美的欲求を蔑ろにしてかまわない、か…。
そういう場合、自分をどう理解するかが問題か…。

苦痛が無いもしくは少ないのであれば、その事柄について美的欲求を持っていないのでは?
そうであれば人間理解の変更は必要ない。

公理と行動から自分を判断するしかない。

外在的理由も無く好きな人を傷つけたのであれば、その人を好きではなかったのだ。

結論として自分を裏切ってはいない。

139 :70:2005/06/04(土) 09:04:23
>>138
詭弁に聞こえる…。
しかし、外在的理由もなく自分を裏切る行動は理解できない。

140 :70:2005/06/04(土) 13:28:45
>>138
>>139
価値の階層は
大切だと感じるからなのか、
大切にしているからなのか。

う〜〜ん よくわからん

141 :70:2005/06/06(月) 13:14:04
大切だと感じるから大切にするのでは?

自分を裏切る行動は、価値体系の揺らぎや混乱と解釈する。
自分を裏切る行動を取ったからといって、「人は価値の実現を目指す」と言う人間理解の公理は揺るがない。
>>77
理由があって美学に従うのではなく、「人は美学に従う」と考えないと理解できないのだ。
>>78
自分を裏切ってはならない理由は無い。
しかし、人が自分を裏切る場合はより高い価値の為であるか、混乱している為であるとしか理解できない。

以上、>>81の翻案。


結局、己に尽くす理由はない。
自らを不幸にする人は自分を大切だと感じていないと言うだけ。

142 :70:2005/06/06(月) 13:23:33
>>135
人間に幸せになる義務はない。
悪は断じて存在しない。

143 :70:2005/06/06(月) 13:37:48
>>142
> 人間に幸せになる義務はない。
> 悪は断じて存在しない。

世界肯定だねw

144 :70:2005/06/08(水) 15:28:21
>>143
うんにゃ、愚痴を聞きたくないだけ。

>>138
無関心と言うことだね。
身体的苦痛には無関心では居られないけどね…。

>>141
>自らを不幸にする人は自分を大切だと感じていないと言うだけ。

己の幸不幸に無関心な人と言うことだね。

>>142
自他の不幸に興味が無い、とっ…。


こうして見ると悪霊の主人公みたいだな…。
シューシュポスの神話読み直してみよう…。

145 :かげろう :2005/06/15(水) 21:40:38
70さんぇ。
(宜しければ)あなたの行為に関するメモをまとめてみることは可能でしょうか。
参考に致したく少し思うのであるけれどまあ、わかりませんが。
行為、うーん。真っ白だ。

146 :70:2005/06/16(木) 19:36:01
>>145
思い付くままに書き込んでいたので、纏めるのは無理だと思う。と言うかめんどいw
行為論に関心があるのではなく、人は自らに尽くすと言う人間理解に問題を感じていたのですが、勉強しないとこの先に進めないようなので投げ出しましたw

質問スレで他の人間理解がないか聞いてから人生相談板にでも逝きます。


147 :かげろう :2005/06/17(金) 20:46:49
どうもどうも。了解しました。

148 :かげろう :2005/06/18(土) 18:22:39
私の行為は受動であり反応である。居住する空間内で受けた対象に反応を示す。或いは
他の対象に反応を示す。自信に何がしか加わって初めて何らかの反応を起こすのだろう。
私の行為には常にバックグラウンドがあるということだ。その行為が何かに作用して
バックグラウンドの一部になる。響き合いの関係が常にあるということだ。
それで私としては、どう反応するのかが問題なのだ。

149 :かげろう:2005/06/18(土) 18:26:54
やはり、美しい響き合いを求めている。ハーモニーが奏でられるような関係である。
その為の、反応という行為を模索している。そうか。

150 :かげろう:2005/06/18(土) 18:37:27
美とは何かの問題があるのでこのスレを出ることになりそうだ。しかし、関係なしに
は生じない状態であり、行為なしには迫れない。ならば正当不当に関わらず行為しよ
うじゃないか。よし模索を始める。結果美とは何かの問題への材料となる。
行為の正当、不当は問題にならなくなった。これで一旦解決だ。

151 :70:2005/06/20(月) 04:49:46
>>141
> 大切だと感じるから大切にするのでは?

> 自分を裏切ってはならない理由は無い。

> 結局、己に尽くす理由はない。
>自らを不幸にする人は自分を大切だと感じていないと言うだけ。

大切だと感じるものを大切にしない場合は、自分を信じていないと言うことかも、、、
自分に尽くすだけの価値がない?
やっぱ卑下してるのか、、、
幸せを求めることに冷淡なのもそのせいか、、、
自分に価値を認めないからと言って他人の幸せを軽んずる権利はないよな、、、

152 :70:2005/06/29(水) 01:58:03
「人は幸せを求めるもの」と考えるのは理性的だが、幸せを求めること自体は理性的ではない。

153 :考える名無しさん:2005/07/02(土) 21:52:47
http://www.seaview.gn.to/cars/crash/crash96a.htm

154 :考える名無しさん:2005/07/02(土) 22:12:43
ttp://voices.e-poets.net/BattsonJ/graphics/laundry.jpg

155 :70:2005/07/07(木) 12:10:51
>>141
己に尽くす理由も自分を裏切ってはならない理由も無いのであれば、理解することに価値を認める理由もないのでは?

理解することに無頓着であっても構わない?それはさすがに受け入れられないだろな、、、

個々人や人類の為になると言う以外に希哲の正当化があるのかな、、、

ディオニュソスもアポロンもいない神話、、、





                            いやな神話だなw

156 :70:2005/08/02(火) 11:00:42
自分に尽くす価値があるか?
苦しめても構わないのではないか?

もちろん構わない。


人の行動は苦痛がない状況を目指していると解釈している。

解釈する理由は?

苦痛がない状況を実現する為と快楽。

苦痛がない状況を実現すべきか?
快楽を求めるべきか?

ご随意に。

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