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【万物】「荘子」を読む【斉同】

1 :考える名無しさん:05/02/22 08:02:08
自分は特に哲学に詳しいとか、中国古典をたくさん読んだとか、いつも哲学的な事を考えてるとか
そういう人間ではありませんが、この「荘子」という本にはとても興味をひかれる所があるので、
哲学板のみなさんの意見を聞きながら読み進めて思索を深めて行きたいと思います

2 :1:05/02/22 08:14:47
とりあいず手許にあるのは明治書院の新釈漢文体系のものですのでこれを読んでいきます

荘周について
周代にいた蒙の国の漆園の役人をやっていたらしいです
この漆園というのはうるし畑という説とそういう名前の地名であるという説があるそうですね、たしか。
孟子と同時代の人だそうです

3 :考える名無しさん:05/02/22 09:23:39
>>2
いきなり質問。
そのあなたがこれから使おうとしている明治書院の新釈漢文体系ってのには
『荘子』は全文収録されてるの?それとも抜粋?

4 :1:05/02/22 16:46:21
>>3
抜粋では無いですね。全文のようです

5 :1:05/02/22 17:09:09
逍遥遊第一

この篇はまず何千里あるが分からないほど大きい鵬という鳥の比喩が出てきて、その壮大な様子が書かれています
鯤という魚が変化して鵬となるというのはとても面白い
輪廻のようなものでしょうか。自然の移り変わりのような感じです。
というのは、一粒の種が大樹になりますが、実際には地面や大気から養分を吸い取って大きくなるのですね。
地面や空が森に変化した、とも言えるわけです。
意外な事のように思えますが、そのような大きな変化はごく自然に起こっているのでしょう。

6 :1:05/02/22 17:37:23
この鵬という鳥が飛ぶ時はさらに「其翼若垂天之雲」で、
海が荒れると北冥という所から南冥という天池に移ります。天池とは海の事だそうです。冥とは暗くて涯の無い事を意味するそうです
なぜ暗い場所なのでしょうか。あまりにも遠いので日の光が届かないとでもいった理屈なのでしょうか。
「斉諧」という怪異が記されている書物には、鵬が冥界に移るとき、水は三千里に渡って荒れ、旋風に乗って九万里昇って、六ヶ月後に休息すると書いてるそうです
いかにも怪しいですね、昔の中国にはこのような伝説があったのかもしれませんね「海が荒れてる、鵬が通っているのだろう」というような使い方をしていたのかもしれません

7 :1:05/02/22 18:03:10
「野馬也 塵埃也 生物之似息相吹也」
この行は本の解説では
「(空に上がるのは鵬ばかりではない)かげろうが立ち上り塵の舞い上がるのはすべて造物主が息を吹くからである」
とありますが、そうすると「相」というのはどういう意味なのでしょうか。
生物を生きている物という意味で捕らえ、「相」をお互いにというように捕らえると
「かげろうやちりが舞い上がるのは生き物がお互いに息を吹いているからである。」
という風に解釈できます
これは生き物の息が風になるという発想ですね。こういう解釈は漢文的にはどうなのでしょうか
その次に天が蒼いのは正しい色では無いのでは無いか?ただ果てしなく遠いがために蒼く見えるだけではないか?空から見た時も同じように見えるだろう、と書いています
やはり世界が相対的である事を示そうとしているのでしょう

8 :考える名無しさん:05/02/25 22:02:15
支援します

9 :ロウシ ◆SRBroushi6 :05/02/25 23:25:35
ガンバレ

堯、天下を許由に譲りて曰く、
「日月出でて火爵(火へんに爵)息まざれば、其の光における、また難からずや。
時雨降りてなお浸灌せば、其の沢における、また労ならずや。
夫子立たば天下治まらん。
而るにわれなおこれに尸たるは、われみずから視て欠然たり。請う天下を致さん」。
許由曰く、
「子、天下を治めて、天下すでに治まれり。
而るにわれなお子に代らば、われ、はた名の為にせんか。
名は実の賓なり。
われ、はた賓の為にせんか。
鷦鷯森林に巣くうも、一枝に過ぎず。
偃鼠河に飲むも、満腹に過ぎず。
休を君に帰せん。
予は天下をもってなすところなし。
庖人、庖を治めずといえども、尸祝、樽俎を越えてこれに代らず」。

荘子 逍遙遊編より

ぼくはこの中の「名は実の賓なり」という言葉が好き。
老荘の思想とフランツ・カフカの文学は、
常に「真実は全て虚飾という服を着る」事に言及しているような気する今日この頃。


10 :考える名無しさん:05/02/26 00:52:25
万物斉同というのはなかなかいい考え方だな。西洋哲学にはない考え方だし。

物事の差異を綿密に分析して、そこから原理を導き出そうとする西洋哲学。

そうした差異は表面的なもので、本質は同じなんだと見抜く東洋哲学。

この両方の考え方があってはじめてバランスのとれた見方ができるような気がする。


11 :考える名無しさん:05/02/26 01:19:14
>>10
> 万物斉同というのはなかなかいい考え方だな。西洋哲学にはない考え方だし。
「反覆と差異」嫁。

12 :1:05/02/28 19:55:16
続きから

「水積無厚、則負大舟也無力 〜 則其負大翼也無力」

水が厚く積まれなければ、大きな舟を負う力は無い
地面のくぼんだ所に杯の水をこぼせば、ごみは舟となるが、杯を置けば膠着する
水が浅く、そして舟が大きいからである
風が厚く積まれなければ、大きな翼を負う力は無い
と、だいたいこのような意味でしょう
小さくて濃いものは大きくて薄いものによって支えられ成り立っている、というところでしょうか。これには一匹の鯨の為にものすごい数のプランクトンが必要であるという様な事を思い浮かべられさせます


13 :1:05/02/28 20:02:26
みなさん応援して下さってありがとうございます

>>9
なにか老荘思想は言葉(名)への不信が根本にある、というような事を本で読んだ事があります

>>10
荘子における本質とは「道」でしょうか。しかしざっと見た所、荘子の「道」は曖昧な感じがします。本質とは曖昧なものなのでしょうか

14 :ロウシ ◆SRBroushi6 :05/02/28 20:52:15
>>13
>なにか老荘思想は言葉(名)への不信が根本にある、
>というような事を本で読んだ事があります

そう、その通り。
例えばレモンの味。
あの酸っぱい柑橘系の味は、世界中のどんな言語をもってしても完全に表現は不可能。
でも、食べてしまえば一目瞭然。
そのレモンの味さえも表現できない言語で、
それより遥かに踏みしめる事の難しい「道」をどう表現しようか。

15 :考える名無しさん:05/03/05 00:11:59
荘子は論理で非論理を説明しようとしたのだ。
言葉で言葉の非なるを説明しようとしたのだ。
偉大な哲学者なのである。
ただ、荘子といえども古人の糟粕である。
その事には注意しなければならない。
まあ、今の世に糟粕以上のものがいるとはあまり思えないがね。

それはそうと、1は新釈漢文大系があるんですか。すごいな。

16 :1:05/03/05 21:19:59
「故九萬里 〜 今將圖南」
ゆえに九万里ならば、風は翼の下にあるはずだ
その後初めて風に乗り、青天を背に負って
抑え止めるものは無い
そこで始めて南を目指して進もうとする

鵬の描写ですが
どんなものであっても基盤…この場合空気、薄いものの集りですが…があって始めて成り立っている
ということでしょうか

17 :1:05/03/05 21:28:43
>>14
それは「レモンの味」と言えば表現出来ているのでは
レモンを食べた事が無い人には分かりませんが…

>>15
古人の糟粕の話は面白いと思います。まだ先ですけどね…このペースでは何時そこまでいくか分かりませんね
例えばこの2ちゃんねるで話し合える人の意見は古人の糟粕では無いのではないでしょうか
ちなみにこの本は古本屋で買いました
図書館で読んで読みやすかったので

18 :考える名無しさん:05/03/06 19:06:50
>>17
>>14さんの例があまり良くなかったのかもしれませんが
言語(もしくは言語でかかれた書物)への不信として
荘子に古人の糟粕の話があるのですね。
老いた車大工が車の輪を削り方を教えるのに、
そのコツを子供に言葉ではとても教えられず、
未だに自分が車大工をしている、という話。

さて鵬の話ですが、
九万里もなければ鵬を乗せるほどの風がない、という事ですね。
鵬の大きさを想像させる文なのでそれほど考える事はないと思います。
まあ、その後の蜩と学鳩の言葉のための描写でしょう。
逍遙遊篇のこの最初の所の雄大さは好きですね。
その割には大きな魚の名前を「鯤」とするなど
面白いところもありますし。

19 :ロウシ ◆SRBroushi6 :05/03/07 00:16:26
ありゃま。
例がよろしくなかったのね。
わかりにくくてスイマセン。

レモンを食べた事が無い人に、レモンの味を言葉で伝えるのが不可能なように、
道を体現した事の無い人に、道を言葉で説明するのは不可能、
と言いたかったのです。

20 :十二使鳥:05/03/13 15:28:22
荘子は俺様が
「こんなもの!」
と投げた本である。
あまりにも荘子という人物像が俺様に似ていたため
「俺が俺を読んでもしょうがない。どうせ読むなら違うものを・・・」

二十歳をちょっと過ぎた頃、止まってるトラックにバイクでぶつかり
大腿部粉砕骨折で入院している時、叔父が[荘子]というたしか中央公論
の本をもってきたのだった。
その時は投げたのだが印象にそれでも強く残った為、最終的には読むに
は読んだ。7年後のことである。

道家という枠なき枠は、たまたま同じような思想となった者を道家と称して
いたらしい。となると俺様も道家ということか。荘子にしても老子にしても
俺様にしても生きる基盤が同じところにあるのだろう。

21 :考える名無しさん:05/03/15 19:28:48
>>20みたいな感覚を持つ人が多いが、
本当は荘子の基盤はそんな人たちとは違う所にある。
そんな人たちの考えは
『列子』の一部にある考えや楊朱のような思想があてはまると思う。
荘子の思想は人が思う以上に難しい思想である。
禅仏教でいうなら野狐禅になりやすい、ということ。

22 :考える名無しさん:05/03/15 22:00:01
スレタイが「茄子」に見えたわけだ

23 :考える名無しさん:05/03/16 17:03:28
アンダルシアの夏

24 :ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 01:16:22
>>22
それは吉夢だ!

25 :考える名無しさん:2005/05/06(金) 05:10:33
なんで?

26 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 05:44:10
Zhuangzi
↑頼むからこれの発音教えて。

マルチスマソ。

27 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 22:44:09
鯤っていうのは、「巨大な魚」という意味と「魚の卵」っていう意味があるんよ。
つまり、世界の始まりに存在していた強くて巨大な魚は、小さくて弱いつぶつぶの卵からできているわけ。
「最大の単位=最小の単位の集合体」
これは、
世界=粒子の集合体、もしくは社会=人間の集合体
ともいえる。

28 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 22:46:59
漫画もあるよね。

マンガ老荘の思想 講談社プラスアルファ文庫
蔡 志忠 (著), 和田 武司 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062560585/249-5309681-3841961

29 :考える名無しさん:2005/06/03(金) 16:23:42
ここまで読んだお。だめぽ

30 :考える名無しさん:2005/07/17(日) 11:29:00
荘子は面白い


荘子に列子という人物がたまに出てくるが
列氏の奥さんが「哲学じゃ食えないだろ!」と列氏に文句をいう下りがあった。
まあ後世の人間が付け足したのだろうけどいきなり現実的な話が出てくるのは面白い。


31 :考える名無しさん:2005/07/17(日) 11:29:38
荘子は面白い


荘子に列子という人物がたまに出てくるが
列子の奥さんが「哲学じゃ食えないだろ!」と列子に文句をいう下りがあった。
まあ後世の人間が付け足したのだろうけどいきなり現実的な話が出てくるのは面白い。




32 :考える名無しさん:2005/07/17(日) 11:48:19
荘子は基地外です。荘子は消極的だからです。

33 :考える名無しさん :2005/07/17(日) 12:29:01
老荘に触れて素通りできるひとがいるの?

34 :考える名無しさん:2005/07/17(日) 15:16:17
いるでしょ。

35 :考える名無しさん:2005/07/17(日) 15:16:55
老荘に触れて、何ができるの?

36 :考える名無しさん:2005/07/17(日) 17:46:15
荘子は儒家が書いたもの、パパラギはヨーロッパ人が書いたもの。ファンだけどね。

37 :無為:2005/07/18(月) 10:23:48
>>36 「荘子は儒家が書いたもの」という根拠は?
   生半可な知識を振り回すのはやめなさい。

38 :二酉:2005/07/18(月) 17:15:26
横レス失礼。
>>37
無為さまって、もしかしてあの無為さま?(・∀・)ドキドキ

39 :無為:2005/07/19(火) 01:27:27
>>38さん
「あの無為様}」とはどなたですか? 私は投稿3回目ですから、別人ですよ。
ところで、>>36さん、荘子は儒家が書いたという根拠は何ですか? まだ、お
答えいただいておりませんが。


40 :二酉:2005/07/23(土) 22:55:36
>>39
人違いスマソ(´・ω・`)
むかーし、フランクなのに中国関係に滅法お強いコテさんがいらっしゃいまして、
その方かと思ったのです。色々と良くして頂いたのでいつかご恩を返したい所存。

>荘子と儒
自分は「荘子は決して儒家が書いたものではない」までは言い切れないと思うです。
荘子の儒家理解はびっくりするほど正しいと思うので。
激しく自説を入れてない分、孟子より分かってるのでは、とか思う。
儒教精神を継いではいないから儒家とはいえないと思うけど、
理解としてだけみれば結構いい線いってると思うのです。

パパラギは、未開部族の酋長の演説ってことになってますけど、実際にゃ
ヨーロッパ人が書いてます。荘子も、老子風味な儒家が書いたと言えなくもない。
ちなみに諸橋先生も、「修養は儒教的で、気分だけは老子風の人かも」って仰ってますです。
自分は36さまじゃないですけど、そゆとこを採って仰ったんじゃないかと思うですが、どうでそ。

41 :考える名無しさん:2005/08/21(日) 22:46:14
age

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