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絶対的な「善」という概念があるのかい

1 :考える名無しさん:05/02/28 11:42:01
いつまで考えてもたどり着けない

今のヒトという種族の安全と発展を考えれば他人との調和、
簡単に言えばマナーを守り他人に親切にしましょう〜ってなるんだが、
しかしこの進化というものが間違っていたら?と考えると終わりがない。
ヒトというものが「悪」であると認識することができたなら可能な限りヒトを減らすことを考えるだろうが、
そんな日が来るのかどうか・・

最終的に信ずるものは救われる、信念を貫き通せたものだけが幸せてことなのかねぇ

そしてこの「善」なる基準を求めること自体が「善」と言い切る自信も無いんだ
だからと言って思考の放棄は好ましくない、心のどこかで「悪」と考える自分がいる
そもそも絶対的な善悪なんて、存在するのだろうか?

2 :考える名無しさん:05/02/28 12:25:40

 

3 :考える名無しさん:05/02/28 12:52:16
今さら疑いだしても。

4 :考える名無しさん:05/02/28 15:51:05
とりあえず、プラトンとアリストテレスとアウグスティヌスとカントを読むことから始めようか。

5 :考える名無しさん:05/02/28 19:39:12
まあ、分かりやすく要約すると、
特別な強運や才能を持っているので無い限り、
真面目にコツコツ生きたほうが得だってこと。

6 :考える名無しさん:05/03/02 08:52:28
>1
つまり、それが善臣クオリティ。

7 :Joy:05/03/03 03:35:55
こういう問い、俺は好きだけどな
だけど1が純粋存在命題の形をとってるのが残念
問いの形としては不毛かなと


8 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 19:57:14
ある

9 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 20:01:33
>>1
物事には幾つかの見方があるって事に早く気付こうね

10 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 21:47:00
イスラム教徒にとっての「善」とユダヤ教徒にとっての「善」が、(部分的に)
違うように、「善」の概念には共約不可能性がある。だから、「正」の「善」
に対する優位、という発想が生まれた。

11 :ワサビ茶漬け:2005/03/23(水) 02:10:38
ある言葉が存在するのだから、その言葉が指すモノが実際に存在しているはずだ、
という点をまず疑うべきです。
「善」という言葉があるからと言って、誰がどういう局面で思考しても「善」であるとしか考えられないような
行動が存在する事が保障されている、 という事はないだろうという事です。

12 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 10:30:23
絶対的な善があれば皆惜しみなくそれに向かって努力するんだろうけどな
ただ今の世の名で誰かが発見したとして、それを奇異な目でみられないかどうかだな
たぶん変人扱いされて終わり・・のような気もする
人を納得させることはかくも難しい

13 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 11:02:18
絶対的な善=500億円。
というのが、いまの考え方。


14 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 11:24:02
ないよ。

15 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 13:31:18
絶対は絶対ないというスレがよくあるが、そういうことだろうな。

結局、多数決で決めるしかない。

ただ、漠然と「苦しんでる人を救うのは善」といったことはほぼ全員の賛成が得られると思うが、こういう場合でも具体的なケースについてはまったく意見が分かれることも考えられる。

16 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 13:34:47
たとえば絶対的な「大」という概念はあるのか、という問いは、
無意味ではなかろうか。「大のイデア」でも想定するなら別だが。
「善」だって、それと同じでしょ。


17 :もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/15(金) 14:40:54
強ぇーな。善。まじ最強

18 :考える名無しさん:2005/04/16(土) 04:54:59
物事を認識・理解するためには、まず何らかの定義づけをしなければならない。

例.「善」=…であること、およびそれらに準ずること

定義づけをした瞬間、その定義にあてはまるものは絶対的な善になる。
逆に、定義から外れたものは善にならない。
定義づけをしなければ、善はそもそも存在しない。
ゆえに、絶対的な善は存在しない。

ついでに言っておくと、定義のまったくない世界というのは混沌でしかない。
なぜならそこには秩序が存在しないからだ。

19 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 05:16:07
バカが悪となっているようだが、バカは笑いを生み出し健康によいという面もある。
ある種の産業ではバカがいなければ商売にならないし、バカになることは一種の救いでもある。
よってバカは善でもあり悪でもある。

さらに言うと、善はバカでもあり悪でもある。善はバカを許さない。
しかし人間はバカな面があるのは避けられない。善は人間を
排除し阻害する。よって善は悪である。

20 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 05:20:37
日本人は、絶対的な善などを考えた歴史を持ってないね。
日本人にとって善は、人間関係における、相対的なもの。
歴史的な下地の無いものを考えるのは馬鹿。

21 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 05:26:06
絶対という言葉は、いつごろ日本に入ってきたんだ?
仏教用語なのか中国の古典なのか

22 :21:2005/04/16(土) 05:28:31
ぜったいは明治かららしいな。となると、絶対のような概念は
江戸以前はなんと言ってたのかな。

23 :21:2005/04/16(土) 05:31:52
ぜったいが明治からだとすると、絶対という表現がなかったころは
唯一と言ってたのかな。

24 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 05:32:59
その上、善と悪を背反対立する概念として捉えていたかも疑問だ。

25 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 06:03:00
>>1
全人類にとって得となることがあるなら、それこそが絶対的な善。

自分も含めたヒトの存在は悪と全人類が考えたなら、ヒトの絶滅は善。

26 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 06:06:48
>>25隣人よ。奢り高ぶるなかれ。

27 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 06:10:51
>>25はヒトにとっての・・・ですね。
絶対的な、というのであれば全生物としたほうが良いですね。

28 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 09:01:58
絶対善ならちっぽけな地球だけではなく、全宇宙にとってだろ

29 :考える名無しさん:2005/04/16(土) 09:06:42
絶対的な善というのは無いと思うなぁ〜。
善悪の判断って人間の主観によるし。
それこそ人間の数だけ善悪があると言っても
おかしくないよ。

30 :考える名無しさん:2005/04/16(土) 09:14:19
絶対善は、もともと認識力に限界がある不完全な人間には知り得ない。
人間を超えたところに存在するのが絶対善である。
じっちゃんが言ってた。

31 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 09:20:34
絶対的な善がなければ
「良い」「悪い」という比較すらできない
それが知りえるかどうかは、絶対的善にとってさほど重要ではない

32 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 09:22:38
>>1 も含めて、これだけ、それについて語る人がいる以上、
「絶対的な「善」という」「概念」が存在するのは間違いないな。

ユニコーンは存在しない動物だけど、
「ユニコーンは存在しない」といえるのは、
少なくとも「ユニコーン」という「概念」が存在するということだから。

33 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 09:26:05
つまり絶対的な善は、ドラえもむやゴルゴ14の兄弟か。


34 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 09:28:10
ところがだ
「角のないユニコーンは存在するか」でも同じぐらい語れる
角のないユニコーンは馬とどう違うのか・・・
また眠れなくなっちゃう!


35 :考える名無しさん:2005/04/16(土) 09:28:34
絶対善チュパカブラ説

36 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 09:36:03
まあ、>>1
「絶対的な善はあるのかい」ではなく、
「絶対的な「善」という「概念」があるのかい」といってしまってるから。

そりゃあるだろ、君がもう使ってるじゃん。
でおしまい。

37 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 10:36:55
>>36
まあ身もふたもないことをw
「絶対的な善があるのか」ということとして、
「絶対的」の意味なんだが、
それが「全ての人が了承する」という意味ならば、そんなものはあるわけがない。
それは当然。
しかしよく考えてみれば、世の中にはキチガイとか色々いるんで、そんな人とまで
了承を共有する必要はない。
更に言えば、「私」の行為が「他者の認識」に規制されなくてはならない理由は何もない。
だから、「絶対の善」という意味が
「私にとって善はその行為であり、その行為の逆ではあり得ない」という意味であるのなら
それは当然、幾らでもあり得る。
俺がこれから帰省するために、駅まで歩いて電車に乗ろうとする。
で、切符の券売機の前に立つ。そのとき、俺にとって
お金を入れて切符を買うことは、「絶対的な善」である。

38 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 10:50:44
そうか?今から乗ろうとするJRは人身事故があって電車が遅れる場合もかね。
もう200b歩いて地下鉄に乗った方が善かったりして。
他の選択肢もあるんじゃないの。

39 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 10:59:54
>>38
それは抽象的に考えるからそうなるんだよ。
実際に想像してみてほしいのだが、
自分が券売機に並んでやっと最善まで来て、財布からお金を出した。
別に「只今人身事故で・・」という放送も聞こえていない。
そういう場合に、「本当に俺は切符を買うべきなのか?もしかしたら
買わない方が良いのではないか?」という疑問は起きないでしょう。

40 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 11:00:49
ごめん
×最善まで来て
○最前列まで来て

41 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 11:25:25
>>40
でも、それは確率的に善の可能性が果てしなく高いってこ
とじゃないかな。
事故が起こる確率は0.00001%だとしたら、絶対に善て
ことじゃないと思うな。他の選択肢の方が善い可能性だって
残っていると思うよ。事故が起こる可能性が0.00001
でもあれば、絶対に善いとは言えないんじゃないかな。

42 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 11:27:29
>>1
作ればあるよ
作らないとないよ

43 :39:2005/04/16(土) 11:39:47
>>41
だからそれは「抽象的に考えてるから」なんだって。
抽象的にっていう意味は、実際の日常生活を離れて
「哲学的思索」をしても意味がない、ってこと。

実際にあなたも、切符を買ったことがあるでしょ?
その時に、「切符を買うことは良くないことなんじゃないか」なんて
思わないでしょ?0.00001%っていうけど、
実際にそんな数字は我々の日常生活のどこにも出てこないでしょ?
もちろん電車が事故る可能性は常にあるわけだけど、
それを認識した上でも、それを含めて「切符を買うのが善」なわけだよ。

44 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 11:41:01
完全超悪

45 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 11:56:56
>>43
だから、スレッドタイトルに沿って言うと、確率的に見て「相対的」善
であって「絶対的」じゃないでしょという話なだけだってば。
「絶対」を問題にしてるスレッドなので、「相対的善」は「絶対的善」
ではないでしょというだけ。
そんなに気にしないでくれよ。当然、俺だって現実には事故の可能性
なんて何も考えずに切符は買うよ。ここは哲学板だから、絶対という言葉
を議論しなきゃいけないと思ったんでね。

46 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 11:58:23
「身長10メートルの人間」という概念は存在する。
しかし「身長10メートルの人間」は、存在しない。
「タイムマシン」「スーパーサイヤ人」「神」みな同じ。
「絶対的な善」も、恐らく同じ。

47 :39:2005/04/16(土) 12:04:33
>>45
だ か ら 、ここは哲学板なので
「絶対」という言葉の意味を>>37のように定義した上で
このように言ってるんだが。
0.0001%とかいうような「絶対」というのは抽象的な絶対で
そんなものは日常の生の中では何の意味もない、という主張を
俺はしているんですが。
まああなたと俺との、何と言うか哲学的立場の違いなんでしょうけどね。

>>46
あなた過去ログを読んだ上で書いてますか?w

48 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 14:04:21
>>47
定義になってないな。


49 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 14:33:11
誰もが認める絶対的な善はないだろうな。

じゃ、善悪はどうでもいいかというとそれじゃ生きていく指針がなくなってしまう。

そこで、とりあえず各個人が「オレはこれが善だと思う」という指針を設定して生きていく。

そうしたベクトルの総体が社会的な善として機能していくということではないか。


50 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 14:52:29
そもそも絶対=誰もが認める、なんて定義自体がナンセンスなんだが。
世の中の全ての人の意見が一致するなんてことは勿論ありえないので、
「絶対とは誰もがみとめることだ。→絶対というものは存在しない」
なんて言っても、それはごく当り前のナンセンスを言っているだけだ
ヘーゲルの絶対精神だって、それは「誰もが認める」ということではないですよ。

51 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 17:49:48
そもそも、ある時点でその人が善であると認めたとしても、
その人の判断が必ず正しいとは限らないわけで。

52 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:11:34
生きていく指針が善だ、というのもどうかな。



53 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:14:02
人生の「指針となるべきもの」が(人生についての)善なのではないの?

54 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 22:13:38
だから、善が何かもわからんのに指針にできるのか?(藁


55 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 23:40:30
だから、(人生についての)善とは、人生の「指針となるべきもの」じゃないの?

56 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 23:42:30
善に別の定義があって、それを人生の指針にすべき、といっているんじゃなくて、
善とは、なんらかの行動の指針となるべきもの、のことなんじゃないかってこと。

57 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 23:47:30
釣りするときには餌をつけるべし、ってのも善になってしまうよ。


58 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 23:49:26
そうなるとなんかまずいの?

59 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 23:59:34
善という言葉の定義として広すぎないか?

馬鹿にされるかもしれない、という意味ではまずいかも。



60 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:07:38
いや、釣りをするときに餌をつけるべきだ、というのも
それが規範的な意識である以上、善と呼ばれるべきでしょう。
というかむしろ、そういう日常の行為を離れたところに何か「善」を
立ててしまうのは、哲学的にみてナンセンスでしょう。

61 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:19:35
人は、他に迷惑をかけ続けて、
今日も植物を食べ、肉を食べ、生きていくいる。
絶対的な「善」という概念はありえない。
究極的に、死を持ってしても絶対にありえない。
多少でも、自分に存在価値がある限り。


62 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:22:02
>>61
とりあえず、君、協調性0だね。

63 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:33:17
>>62
大学の教授にも、君のようなアホがいるから、
日本の哲学界は、いつまでたっても低レベルなのだ。

64 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:46:02
重い物を持つと疲労するが、そのかわり筋肉もつくみたいな+面−面
が存在する。

長い時間で見れば、われわれ大量の人間が地球上からいなくなってくれた方が、
エネルギー問題食糧問題など、未来の人間にとっては善なんだろうな。

いろんな人間が医学や薬学の研究で生命を犠牲にしてくれたことで医学は
進歩したのだし。

そうやって極端に時間を延ばして考えれば善も悪もなく
目的もないただ生まれて消滅を繰り返す世界と。

65 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:50:12
つうか、それはたんに、「善とは普遍的なものではない」
という、このスレでも繰り返し言われてることを言ってるだけのような。

その論理で、「善も悪も無い」という結論を出すためには、
「善とは普遍的なものであり、普遍的で無いものは善ではない」
ということにしないといけなくなる。

66 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 00:55:24
あなたにとっての善は、
ある目標値を設定して、その値に達すれば善(正解)、目標から
外れれば悪(不正解)ということでしょうか。

67 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 01:05:02
目標値ではなく目標一般(目的)ですが。

ある目的について、目的に達する為に良いこと(促すこと)が、(その目的についての)「善」で、
悪いこと(妨げること)が(その目的についての)「悪」ということ。

善悪は、ある目的についてのある事柄の意味(評価)なので、
目的が達せられること自体の善悪は、より上位の目的を導入しないと、
評価できませんね。

68 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 01:30:40
>>67
そりゃ単に合目的的な手段というだけの話。
コンピュータプログラムの特性を述べてるみたいな意見だな。

善はもろに価値判断だろ。

69 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 07:54:15
全ての人・生命体が認める善が絶対的な善だというのなら、
この世界の全ての生物を死滅させ、自分一人が生き残ったと考えてみればよい。
その時、自分にとって望ましい事が何かあるなら、それは絶対的な善だと言える。

70 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:03:57
>>69
地球上に俺一人か。誰かいないかと思って探してみるだろ。
探し疲れて、なんか食いたい。
食い物がコンビに残ってる。しかも金は要らない。
こ、これが絶対的な善だ!

で、疲れたので眠い。家に帰って寝るのは望ましい。
で、これも絶対的な善だ!



71 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:05:50
>>67
だから目標「数値」を設定することが、目標一般を評価する評価基準を
導入することになるんですよ。

72 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:11:58
>>68
>そりゃ単に合目的的な手段というだけの話。
合目的な手段ではなぜいけないのですか?

>善はもろに価値判断だろ。
目的に対する効果、ですから、そうですね。

73 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:13:34
>>71
「目標一般」をどうやって数値かするんですか?
何を基準(0)に置きますか?

74 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:17:22
>>70
まあ、そうなった時点で自分を生かすことが
自分のなすべき正しい行動だと思うのなら、
まさに絶対的な善ではあるな。

75 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:19:13
>>72
だからそんなのが善か、といっているわけ。


76 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:22:58
>>75
何か問題があるんですか?

77 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:38:03
>>76
釣りの餌付けガイド=善
じゃね。

それに目的がないと善もないわけだ。


78 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:40:28
「善」と「悪」は相関関係にある
「悪」がなければ「善」がない
「善」がなければ「悪」がない

79 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:47:32
>>77
>釣りの餌付けガイド=善
>じゃね。

ですから、そうだとすると、どういった問題があるのですか?

>それに目的がないと善もないわけだ。
そのとおりです。


80 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 09:55:28
>>79
じゃあ聞くけれど、よく生きようというのは善かな?


81 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 10:00:56
>>80
どういう目的についてですか?

82 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 10:09:34
>>81
すべてについて

83 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 10:22:26
本当の善とは何かと考える思考の動きはあるが、
善そのものは決定されてない。善とはみんなで探っていく
協力目標のようなものだ。

84 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 10:29:43
>>82
全ての目的を同時に満足することはできません。
それゆえに、普遍的な善は存在しないのです。

85 :ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 10:32:36
絶対善は存在しない・・・

ポストモダニズムキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!

86 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 21:25:35
>>84
きみのステートした短文の言葉の意味を厳密に定義できたら、
そのディスクールも正しいかもしれないけれどねえ...


87 :ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 15:30:38
 彡ミ  | |  ∧_∧ _ 
  |ヽ  | | (´・∀・`/  / ・・・・
  |ヽ  | | (   ,/_〇   
  ⊥  |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  |__|   ◎ ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

88 :ローカルルール審議中:2005/04/25(月) 23:10:39
この1は何年も考えつづけていることである。
絶対善の定義は「全てのものに対して善である」ということ
つまり自分や家族だけでなく、全ての人類、生き物、果ては砂塵から鳥の糞、見果てぬ宇宙の塵に至るまで
全てのものに対して「善」であるということ

・・そしてこの絶対善。結論から言うとまだ見つからない。
しかし絶対に存在する。根拠は無いが、存在を湯気のように心許無いが、確かに存在を感じ取ることはできる。

一時期得た答えのようなものの一つに
「宇宙の全て(宇宙の外というものがあればそれも全て)の知識を知り尽くし、全ての存在を知り尽くす。
更に全ての物に作用することが出来る存在となれるのであれば、そのもの自身、思考、行動が絶対善になれる・・」
というものがある。
あらゆる物事を認知し、作用させることができればそれ自体が善となる。
つまり宇宙の全てと一体化するということだ。宇宙のどこかで思考を行い、全てのものに作用させる機能を持つ

だがこれはあまりに無茶苦茶で、あまりに途方も無い思考
しかしそんな物事を夢の果てにでも思い描くならば、少しでもこの世の中を平和にしていこうじゃないか
というのが今の私なりの結論である。

89 :ローカルルール審議中:2005/04/25(月) 23:12:09
ついでに上げてみる

90 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 00:09:42
地獄への道は善意の石が敷き詰められているってどっかで読んだな。



91 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 00:26:57
絶対的な善への志向はある。

92 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 04:11:55
ない


93 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 04:13:26
つうか、どんな志向を持つかなんて人それぞれでしょ。
ない人もある人もいる。


94 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 06:06:27
絶対的に善い事とは?なんて深く考えない人がほとんどだしな。
みんなが言ってるのは、限定的な状況の中で限定的な人間にとっての
統計学的な善だし。絶対的というのとは全然違う。

絶対的善ていうのも、言葉の不適切な
組み合わせで生じる矛盾じゃないの。
無の存在とか、最小で最大とか、その手の言葉遊びと同じような。

95 :もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/26(火) 08:50:32
そうか。みんな痛いのイヤなんだな。辛さや苦しみがイヤなんだな。素朴で我儘な人間が好きだ。この命題は「主観的モラル」で片付くな。

96 :もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/26(火) 08:59:28
ていうかみんな「絶対善」って何を言ってるの?人間が悪だという仮説を聞かせて

97 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 09:49:26
>>88
宇宙と一体化すればってなんかな
発想が広すぎるがそうでもしないと絶対的な善んなて得られないもんかね

98 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 09:54:41
正常と異常と一緒だな。絶対的正常も絶対的異常もない。

99 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 09:56:15
絶対的というなら宇宙的な普遍性を持たなきゃいけないだろ

100 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 11:10:17
この宇宙で起きている現象はすべて絶対善・絶対正常。異常や悪はない。
悪という観念は人間の独善が作り出したものだ。

101 :考える名無しさん:2005/04/27(水) 22:28:15
つうことは、「善」には「この宇宙で起きている現象」
という意味しかないということだ。


102 :直感人:2005/04/29(金) 19:27:07
平和 = 善
戦争 = 悪   という定義付けをしたとき、
         軍需産業ではその定義は逆転する。
活人 = 善
殺人 = 悪   という定義づけをしたとき、
         犯罪者に死刑判決を下すことは悪となる。
         拳銃を持った狂人が子供を殺そうと狙っているのを殺すことは悪である。
絶対善、絶対悪はかなり手ごわい、面白い問題のようだ。

103 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 01:07:10
>平和 = 善
>戦争 = 悪   という定義付けをしたとき、
>         軍需産業ではその定義は逆転する。

なんでだ。
そう定義したのなら、どこまでいっても、そうなはず。
定義が違っている、ということはあっても、定義自体が逆転すうるってことは無いはず。
つうか、それじゃ定義の意味ないし。


104 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:23:51
絶対善の存在は明白だよ。

「それしかすべきことがない場合にそれをすることは善である」

行動こそ善、善、善!!!

105 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:30:38
>>104

スローガンを連呼するあなたは鈴木善行です。


106 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:34:20
>>105
誰?

107 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:45:19
旧世紀の人物ですな

108 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 14:17:47
絶対的な「悪」という概念があるのかい?

109 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 18:30:53
「絶対的な「悪」」という「概念」はあるだろう。

110 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 20:44:57
なら、絶対的な「善」という概念もあるだろう。

111 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 20:49:26
>>110
>>36
>>37


112 :考える名無しさん:2005/04/30(土) 21:40:21
>>100
>この宇宙で起きている現象はすべて絶対善・絶対正常。異常や悪はない。
>悪という観念は人間の独善が作り出したものだ。

異常や悪はないという見方は間違っている。
そこには異常があり、そこには悪がある。
生死には必ず苦しみがともなう。
この苦しみに対して異常も悪も存在しない、
正義も善も存在しない、というのは根本的におかしい。

113 :ワサビ茶漬け:2005/05/01(日) 04:09:50
>>112
善という概念も、悪という概念も、間違いなくあります。
しかし同時に、万人が・どんな観点から見ても・常に変わらず「善だ」「悪だ」と言えるような何かはないんです。

これは、水面という概念はあるけれども、実際には水"面"なんてない、
というのと似ているでしょう。
つまり、もし水面をドンドン拡大していって、原子レベルのスケールまで拡大して観察してみれば
水分子はぶんぶん飛び回ってて、あちらこちら全くデコボコで、何処も彼処も隙間だらけで
ここに"面"なんてモノは全くないんです。

概念はある、言葉もある、でもそれに対応する普遍的な実体はない。
一切皆空。

114 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 11:21:39
「永久機関」という概念も、「フリーエネルギー」という概念も、
「概念」は確かに存在するね。

115 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 12:44:23
絶対善、絶対悪という概念は成り立つのかい?

116 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 12:56:33
「概念が成り立たない」というのは具体的にはどういうとき?

117 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 13:34:02
>>116
どういう意味で概念という言葉を使っているの?

118 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 14:32:11
>>117
そりゃ、
>>115 ないしは >>1 の「使いたい」意味。
だから、厳密には、
>>116
は、
「(君がいうところの)概念(というもの)が成り立たない」というのは具体的にはどういうとき?

119 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 16:32:01
>>116
考える事ができない事だな
人間が思考不可能なベクトルが存在するとして、それ自体を認識することは不可能。
認識した時点で「概念が成り立たない」という状況は崩壊するから

つまり存在することを絶対に認識出来ない為に存在するかしないかは誰にも分からない
可能性としてはあるだろうけどな。

120 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 16:41:10
>>119
「思考不可能なベクトル」って何ですか?
「ベクトル」というのは私の理解では、
「大きさと向きを有する力」だと思うのですが、
この解釈はあなたの定義とあっていますか?

「何の」ベクトルが、どのような方向と大きさになると、
思考不可能となるのですか?
また、思考不可能となる理由は何ですか?

121 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 17:51:13
「悪」があるから「善」があるのか?
「善」があるから「悪」があるのか?
だれか答えてくれ!

122 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 18:09:32
善だから悪、悪だから善、というその因果律自体、成立するの?
単に善・悪という観念が「ある」ことだけが問題では?

123 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 19:09:55
>人間が思考不可能なベクトルが存在するとして

認識論の常套手段だが、そもそも善悪論を認識論から考えるのは、どうも違うと思う。
善悪概念の存在は形式的だと言うカント、志向性に限定したフッサールにしても、彼等は悪しきプラトニズムから逃れたつもりかもしれないが、本質は同じではないか。
むしろ、善悪が存在するとはどういうことか、例えば、人生のどこかで経験した問う人自身の情念が、そもそもどのように関係するのかなど、不十分にしか考えてないように思う。

124 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 19:10:58
あるあるw

125 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 19:26:29
情念ってなんか関係あるの?

126 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 21:43:44
情念って哲学用語的な意味じゃないんだけど、例えば、何かに対して、善い!と言った時と、好き!と言った時で、自分が込めている感性は違うものだと思うんだけど、
善は無条件に善いだのアプリオリだの言う人には、そういう違いを感じる力が抜け落ちている気がする。
なんで私は善に関心を抱いてしまったんだ?他の関心と何が違うんだ?と問うことを忘れているのではないか、と。

127 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 21:53:35
「善い!」といった場合とか、その時に込めた感性って、
善自体とはどういった関係があるの?


128 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 23:33:00
なんで「善自体」なるもの(善のイデア・善そのものとか呼び方はいろいろあるだろうけど)を分析要素に持ち出すんだ?そりゃ哲学史でそう考える人が多いから、と言うのは簡単だけどさ。
そういうものを理念の問題として捉えて実体化不可能なものとして指し示すのが、認識論の十八番だね。
けど、つくづく学者さんの考えだなあ、と思うんだ。
プラトンにしろカントにしろフッサールにしろ、学問としての哲学が普遍性を持たねばならない、と強く信じた人だから、いかにして善を学問的に上手く理論づけるか考えたんだろうと思う。
ただし、善を理論づけたところで
「その理論は聞いてるよ。でも私は、悪いとされているこの行為がしたい。だって好きだから」と言われたらどうするのか。
軽蔑すべきやつだ、として笑うことはできるが、それだけじゃないか。理論だけでは説得力はない。じゃあ相手を笑うための道具にすぎないのか。
説得できないのは仕方ないことだと思うけど、だとしたら、別に認識論的理論武装などしないで、なぜ互いの言おうとすることが違うのか、なぜ私は善を言おうとしたのか?そもそも私の言う善って何?というところから考えはじめたほうがいいのではないかと思うんだけど。

129 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 23:42:01
>>128
>なんで「善自体」なるもの(善のイデア・善そのものとか呼び方はいろいろあるだろうけど)を分析要素に持ち出すんだ?

分析要素ではなくて、
この場合は対象そのものだと思うんだけど、違うの?

善について考える場合に「善自体」についてを考察の対象から
はずさなければならないとしたら、ほかに何をすればいいの?

130 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 23:43:19
>>128
言いたいことはわかるが、
>軽蔑すべきやつだ、として笑うことはできるが、それだけじゃないか。
それは当り前では?
別に他の人がどう思おうと関係ない。
とりあえず、今この自分がどう生きるかということから倫理を考えるべきであって。
カントの立場からすれば、究極的には
DQNが何を言おうと、それこそ少なくとも自分には(恐らくは社会的にも)何の説得力もないわけだし、
全然構わないのでは?

131 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 23:47:22
>>28
なんか勘違いしてるように思うのだけれど、
>>127
における「善自体」というのは、「善い!と言った時」とか「情念」とか「込めている感性」
といったものと区別する意味でそういう言い方をしただけで、
何か特別な概念を導入しようとしてるわけではないよ。


132 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 23:55:16
「絶対的な美」とか「美自体」とかいう人は少ないのに、
「善」の話になると「絶対的」とか「それ自体」の話になるのはなんでだ。
「美」と同じく「善」だって、いろんな感覚の共通要素を
ひとくくりにして名前をつけた「抽象概念」だろ。

133 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 00:01:37
美が主観的な感覚であるのに対して、
(そう断言してしまうのは実際は問題があるけれど、便宜上そういうことにしておきましょう)
善はそうではないからでしょう。

だから、美においては、「美しいと思うこと」と「美自体」を区別する必要が無いけれど、
善においては、「善いと思うこと」と「善自体」は区別しなければならない。

134 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 01:18:12
>>132
そうそう、そんな気がする。
>>133
善は主観的な感覚ではない、と言えるのはなぜ?主観的かどうかは別にして、少なくとも感覚を無視したら、善とは何か、なんて考えられないと思う。
共同体から出た普遍的な善、とか言うにしても、それを求めるのはどういうことか?と問う感性をスキップするのは、止めてほしいな。

135 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 01:50:06
善は全てのものに含まれているのか、そうでないのか、という事が一般的でしょうね。
全てが善であると考えるのか。或る事が善であると考えるのか。
全ての事は何かであると善である、と考えるのか。
又は、或るものが全てそれであると善である、と考えるのか。
換言すれば、汎善家、理念派、その他であるのか。

136 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 02:31:11
>>130>それは当り前では?別に他の人がどう思おうと関係ない。
とりあえず、今この自分がどう生きるかということから倫理を考えるべきであって
>究極的にはDQNが何を言おうと、それこそ少なくとも自分には(恐らくは社会的にも)何の説得力もないわけだし、全然構わないのでは?

確かに当たり前だし、何を言おうと構わないけれど、
「善(=特別な概念を意味しないのならば「善自体」と呼んでも構わないけど)
 とはそもそもどういうことか?」という問いと
「今この自分がどう生きるか」という人生論的な問いの間には、飛躍があるように思う。
別に、飛躍があるのはおかしい、と言いたいんじゃないが、
例えば、飛躍はなんで生じてしまうんだろう?と問わなくちゃならないと思う。
(例えばそこで「人間の理性はそういうふうにできているのだ」とか説明されると、
 問いから逃げられたように感じる。)

137 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 04:56:12
>>134
>善は主観的な感覚ではない、と言えるのはなぜ?

ものごとが善くなったり悪くなったりするのには、
一定の法則があって、それを人間の意思では変更できないから。

>少なくとも感覚を無視したら、善とは何か、なんて考えられないと思う。

善悪の判断対象についてはそうだが、それが決まってしまえば、
そこから先は感覚はあまり関係ないと思う。

長生きしたい、というのは感情だけど、長生きするために何が善いことかは、
人間の感情とは無関係だ。
うまいもの食って好き勝手な生活をしていて、長生きできたら苦労しない。

>共同体から出た普遍的な善、とか言うにしても、それを求めるのはどういうことか?
>と問う感性をスキップするのは、止めてほしいな。

べつにスキップする必要はまったくないね。
安定した生活を求めるのは感情だが、
そのために共同体に参加することが善であることは経験則からあきらか。

安定した生活を求めないのなら、必ずしも共同体は必要ないし、
共同体が必要ないなら、共同体の善はその当人にとっては関係の無い問題となる。






138 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:37:46
絶対的善はある。
先ず、紙をどんなに薄く出来ても裏面無き表面はありえない様に善悪は相対的だ。
しかし、「一切は誤っている」「全ては相対的」と懐疑論的に考えても、
その事自体は是と善とされ、たとえ刹那であれ絶対化されてしまっている。
次の刹那に再び相対化出来る為にも、相対化される当体としてのこの刹那の絶対性が不可欠。
無根拠・相対的なものの根拠化・絶対化である虚無主義は不可避的で生存そのもの故に、
それが絶対的苦でありそれを増長するのが絶対的悪、超克する方向が絶対的善。

139 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:53:35
>ものごとが善くなったり悪くなったりするのには、
一定の法則があって、それを人間の意思では変更できないから。
>善悪の判断対象についてはそうだが、それが決まってしまえば、
そこから先は感覚はあまり関係ないと思う。

いや、それは、善悪の存在するさまを、普通に前提にした、いわば「先」の議論じゃん。
思い浮かべていたのは、それが決まってしまう「前」の話なんだけど・・・

例えば「今この自分がどう生きるか」という問いに対し、
「好きなように生きる」と答える人がいてもいい気がするんだけど。
いきなり、善意志ほど人間にアプリオリなものはほかにない、といった調子で来られて、
「え?そうか?」と感じる人、いないのかなあ?

>長生きするために何が善いことかは、人間の感情とは無関係だ。

その場合の「善い」は、「道徳的に善い」の意味ではなく
むしろ「役立つ」と言い換えられるものだと思うんだけど。
ついでに書くと、プラトンの対話編では、
「役立つ」と「道徳的に善い」が(たぶん意図的に)混用されてる気がする。

140 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:54:18
それは主観的な善だな。誰もが認める絶対的善ではない。

「苦」を増大させるのが善だと考える人もいるからな。実際、人類は滅亡させるべきだと主張している人もいるし、ナチの虐殺、アフリカで常に行われている民族浄化などその典型だ。

141 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:54:34
補足。
仏教的には、『「善」とは未来に「楽」をもたらす行い』であり、
『「悪」とは未来に「苦」をもたらす行い』。
苦には異なる次元の二種がある。「五蘊」中の「受」の内容中の苦楽の内の苦。
今一つは「受」が成立することそのもの、私見では、相対的善悪・苦楽の内の悪・苦と、
相対的善悪・苦楽が成立すること、そのものが苦という次元。
常識下では「善因善果 悪因悪果」と誤解される。
しかしこれでは宿命論であり如何なる倫理も無い。
真には「善因楽果 悪因苦果」であり、「因是善悪 果是無記」である。
因は倫理的「善悪」だが、果は非善非悪(無記)の「苦楽」である。

142 :138:2005/05/12(木) 12:56:11
138=141

143 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:13:48
絶対悪とは何か言ってみたまえ

144 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:15:16
そして苦しみとは何か

145 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:17:21
中庸の徳とはなにか

146 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:19:54
>>143
宇宙の消滅・・とは断定できんな

147 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:30:42
絶対の中に善悪が共存している、と考える方が自然

148 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:35:40
世界には俺しかいないんだから俺が善と思い込めば善
疑えば途端に崩れ落ちるが

149 :sage:2005/05/12(木) 17:35:54
中庸の徳とはそこそこ生きて死ぬことではななかろうか

150 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 19:19:58
>>139
>いや、それは、善悪の存在するさまを、普通に前提にした、いわば「先」の議論じゃん。
>思い浮かべていたのは、それが決まってしまう「前」の話なんだけど・・・
抽象的すぎてどういうことをいっているのかわからない。
「先」とか「前」とかって、どういうこと?

>例えば「今この自分がどう生きるか」という問いに対し、
>「好きなように生きる」と答える人がいてもいい気がするんだけど。
べつにいいね。
それがなにか?

>いきなり、善意志ほど人間にアプリオリなものはほかにない、といった調子で来られて、
そんなことを誰が言ったの?

>「え?そうか?」と感じる人、いないのかなあ?
というか、意味がわからんので「いないのかなあ?」といわれても、
同意も反対もしかねる。

>その場合の「善い」は、「道徳的に善い」の意味ではなく
>むしろ「役立つ」と言い換えられるものだと思うんだけど。
「道徳的に善い」とは、「道徳の目的に役立つ」ということじゃないの?

>ついでに書くと、プラトンの対話編では、
>「役立つ」と「道徳的に善い」が(たぶん意図的に)混用されてる気がする。
私の理解では、その二つに違いが無いことをきちんと証明した上で、
(作中の)ソクラテスは議論を進めていると思うけど。
混同と君が感じるのは、そのあたりの議論を読み飛ばすか無視してるからじゃないの。
「国家」などを読むと、くどいぐらいに同席者に同意、確認を求めつつ議論を進めてるよ。
「善いこと」とは「得なこと」であり、「役に立つこと」だと。


151 :考える名無しさん:2005/05/13(金) 12:13:29
善はそもそも存在しない

152 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 21:30:27
絶対的な善という「概念」に支配されている人間なら多数居るが

153 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 21:31:31
>>1 とか >>151 とか >>152 とかのことか。

154 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 22:54:05
善悪はあるんだけど、立場と状況によって異なるから
絶対的なものはないってことでFAか。

カントの定言名法で
自殺すんなとか他人に親切にしろとか自分を磨けとかあったけど
それすら状況によっちゃ悪の色彩を帯びるもんな。

155 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:23:22
定言迷法をまともに信じる奴は馬鹿
いないと思うけど

156 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:28:59
信じるとか信じないとかいうようなもんじゃないと思うけど。
分類だろ、要するに。

157 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:36:29
分類つか、実際には不可能なものを
無理矢理説得力持たせるために作り上げたレトリック
論証の大真面目ぶりの意味で、プラトン以上にご苦労さんなことだ、という感じ

もっと馬鹿なのは、定言迷法を哲学史・倫理学史のひとコマとしてではなく
今なお称揚して扱う現代日本の一部研究者だけど

158 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 02:00:21
いや、何が不可能なの?

159 :Old Creature(°∀°) ◆TLTiVWbvF. :2005/05/18(水) 03:48:42
(゜∀゜)むにょ〜ん
善はアフラ=マズダで、悪はアーリマンってならったよ。

160 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 13:25:18
カントは普遍性を重視してるな。つまり、道徳的命題は自分も含めて全員に適用すべきだとい考え方。

これで「自分は殺されたくないが、人は殺していい」というような一方的な考え方を防ぐことができる。

ただ、例えば臓器移植といった個々の命題については人々の意見は一致しないから、ひとつの道徳を導き出すのは難しいが。

もうひとつの考え方はジェレミーベンサムの最大多数の最大幸福論。実際の効用で道徳を決める。


161 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 15:08:49
いや、問題は
「なぜ普遍性を重視しなければならないか」とか
「なぜ最大多数の最大幸福や実際の効用を重視しなければならないか」
とか聞かれると、答えるすべがないこと。

162 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 15:43:08
>>161
まさにそうだと思う

例えば、カントの定言迷法の不可能性(根拠のなさ)

163 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 15:48:50
それを問題にしはじめると、
定言命法という概念を持ち出した意味がなくなる。

164 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 16:23:19
意味ってなんだ?
あれは所詮、自分の心象風景をスケッチしただけにすぎないだろうが

確かに、実理のほうでは知性界を「神の国」と表現する(これは純理にはない表現)など
「ほんとは自分の論の破綻を知っているけど、わざと論じてみせているのだ」
と読める部分もないではないが、
(しかし単に、かつてプラトンの多用したのと同じ逃げ口上にすぎなくもある)
倫理を主題にするなら、その根拠のなさこそ、明確に論じるべきだと思う

そもそも、そのほうが、
他人を倫理的に啓蒙するという実践的な意味(仮にあるとして)も増すだろうが

根拠のなさに無自覚な馬鹿が善を強行することほど恐ろしいものもないわけだし
(たとえば>>154

165 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 19:51:26
>>164
>意味ってなんだ?

無限遡及ではきりがないから、遡及できない命令、という概念を導入したこと。

>あれは所詮、自分の心象風景をスケッチしただけにすぎないだろうが

だから、定言命法という概念自体は単なる分類でしかないでしょ。

166 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 23:39:14
遡及できない命令なる概念の導入は、単に超越項を導入して正当化を図っているだけ。
もともと道徳主義の病気にかかっている患者以外には、まったく迷惑な議論だ。
まさか神の表象を持ち出さなければ許されると思ってるわけでもあるまい。

167 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 07:01:14
>>166
>遡及できない命令なる概念の導入は、単に超越項を導入して正当化を図っているだけ。
いや、「何を」正当化してるの。
概念の使い方は使い方しだいでしょう。
「普遍的な定言命令は無い」という使い方もできるわけだから。
この概念の存在だけで、何かが正当化されるとは思えない。

168 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 12:08:36
>「普遍的な定言命令は無い」という使い方もできるわけだから

というか、それ以外に使いようがない

169 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 12:25:09
「普遍的な定言命令はない」って、どういう意味?
「すべての人間は無条件でウンコを食え」だって、
「普遍的な定言命令」だろ。
従わなければならない理由が別にない、というだけで。


170 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 19:13:36
>>169
>「すべての人間は無条件でウンコを食え」だって、
>「普遍的な定言命令」だろ。

それは違うだろう。
「すべての人間は無条件でウンコを食え」というのは、
その命令を発した個人にとってしか定言命令ではない。
「ウンコ食え」という命令は一部のスカトロ趣味の人間以外にとっては、
ほかの理由なしに実行すべき命令ではないから。

仮にそれをいった人間が絶対権力者なり総統なりであって、
すべての人を従わせることができるのだとしても、
命令を受ける立場としては
「反逆者として処刑されたくなければ」といった条件により従うのであって、
無条件で従うわけではない。

171 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 21:12:44
>>170
よくわからん。そうすると「普遍的」か「定言命令」か、そのどちらかに
「実行すべきである」
「無条件で従う」
という意味が内包されているわけ?
それなら、「普遍的な定言命令にどうして従わなければならないのか?」
という問いは無意味になる。単に結論の先取りだからだが。
俺は仮言命令だろうと定言命令だろうと、命令は単に命令であって、
従うかどうかは別問題だと思っていたんだが。
「普遍的に妥当する定言命令はあるか?」という問いなら
「妥当する」の意味をまず確定しないと答えようがない。で、その意味を確定する
には功利主義(ウンコを食べたいかどうかとか、殺されたくないかどうとか)
を導入する以外にやりようがないと思えるんだが。


172 :考える名無しさん:2005/05/20(金) 09:23:13
>「普遍的」か「定言命令」か、そのどちらかに「実行すべきである」「無条件で従う」という意味が内包されているわけ?

そうだよ。

>単に結論の先取りだからだが。

定言迷法の論議自体が結論の先取りというか、論点先取で作られたイカサマ議論なんで。

173 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 06:45:01
>>171
>それなら、「普遍的な定言命令にどうして従わなければならないのか?」
>という問いは無意味になる。
まったくそのとおり。

>という意味が内包されているわけ?

>従うかどうかは別問題だと思っていたんだが。
というか、「命令」について「従う理由を求めるかどうか」について分類を行ったのが、
仮言、定言、だから、そこを無視したら分類の意味がなくなる。
では、なぜ、そういう分類が必要になるかというと、次の部分と関連するんだけど、

>「普遍的に妥当する定言命令はあるか?」という問いなら
>「妥当する」の意味をまず確定しないと答えようがない。で、その意味を確定する
>には功利主義(ウンコを食べたいかどうかとか、殺されたくないかどうとか)
>を導入する以外にやりようがないと思えるんだが。

「ウンコを食べたい」というのは、そういう嗜好のある人にとっては
「ウンコを食べろ」という定言命令(自分に対する無条件の命令)だと思うんだけど。
(いわゆる)功利主義というのは、その定言命令を条件とした仮言命令なんでないの。
「殺されたくない」なら「○○してはいけない」も
「ウンコを食べたい」なら「○○しなければならない」も。

〜続く〜

174 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 06:45:39
>>171
〜続き〜
「殺されたくないならウンコを食べなければならない」
は(いわゆる)功利主義で仮言命令だけど、「なぜ殺されたくないのか」には一般的には答えがない。
「殺されたくないから殺されたくない」としかいえない。
もちろん、「子供が一人前になるまで死ねない」とか「この仕事を終わらせるまで死ねない」とかいった
理由がある場合もあるだろうけど、その場合でも、「なぜ子供が一人前になるまで生きている必要があるのか?」「なぜその仕事を終わらせる必要があるのか?」といったように、遡及していけば、
いつか、それ以上理由を遡及できなるなる。
このことは何を意味するかというと、
仮に、「妥当な理由の無い命令には従えない」という行動原則をとった場合、
行動不能、判断不能に陥ることを意味する。
なぜなら、すべての命令は遡及していけば理由を求めれなくなるわけだから。

したがって、なんらかの判断、行動を行うのであれば、理由を求めない命令
(「死ぬな」「子供をちゃんと育てろ」とか)を設定して、
その命令との妥当性で判断していくしかない。
この観点で考えると、命令には、
それ以上遡及できない命令(定言命令)と、その命令から派生した、
遡及できない命令との適合性で評価される命令(仮言命令)
が存在することになる。

何の行動も決断も必要なく、永遠に無為な思索を続けたい、というのであれば、
あるいは、この分類は意味が無いのかもしれない。
そういう意味では功利主義かもしれないし、こういう分類を行うということ自体が
仮言的といえるかもしれない。

175 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 12:26:07
>>173-174
うーん、どうもわからん。

>「ウンコを食べたい」というのは、そういう嗜好のある人にとっては
>「ウンコを食べろ」という定言命令(自分に対する無条件の命令)だと思うんだけど。
まず、これが全く違う。「ウンコを食べたい」というのは自分がそういう欲求を
抱いているという単なる「事実」であって、いかなる意味でも「命令」ではない。
もちろん、ウンコを食べたいからといって、食べる食べないは自由だし、
食べるとは限らない。
「ウンコを食べたいが、下痢すると嫌だから食べない。」
「  ー       栄養が偏ると困るから食べない。」
「  ー       変態だと思われると嫌だから食べない。」
いくらでも有り得る。

>>174の遡及の話も、なぜ「命令」の話になるのか理解できない。
「欲求」の話なら、それ以上遡及しようのない欲求とは「幸福」だろう。
「幸福」はまた「普遍的な欲求」でもある。「ウンコを食べたい」とか
「殺されたい」という人間は、数は少ないだろうがいないとは限らない。
しかし「幸福になりたくない」という人間は、(言葉の定義上)存在しない。

176 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 12:31:38
だから、
>「妥当な理由の無い命令には従えない」という行動原則をとった場合、
>行動不能、判断不能に陥ることを意味する。
これも当たらない。普通は「妥当な理由」=「自分の幸福に役に立つ」
であって、「自分の幸福にとって意味のない行動は行わない」という
のが通常の人間の行動原則であり、それで何ら不都合はないし、
行動不能にも判断不能にも、陥るはずがない。
ただ、「社会」が問題になると(通常の人間は社会の中で共同生活を
しない限り幸福にはなれないので、自分の幸福のために問題にならざるを得ない)、
「自分の幸福」と「他人の幸福」の調整が必然的に問題になる。
その場合は「社会契約」の話になる。そのときに初めて
「無条件に〜しろ」という「定言命令」の話になるかもしれない。
ただし、これも実態は「従うことが他人の幸福に役に立つ。やがては
めぐりめぐって自分の幸福の役に立つ。」という判断があるから
従うのであって、「誰の幸福にも役に立たない」と判断したら、
従う理由はないだろう。だから、「妥当な理由の無い命令には従えない」
ことには、変わらない。

以上のように、功利主義(幸福との適合性で評価される仮言命令の体系)
ですべて説明はつくし、行動も決断もできる。
なぜ「定言命令」という意味不明の概念が持ち出されるのか、どうも
理解できない。

177 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 01:13:13
1万円を3人で分けるとする。2人が組んで5千円づつ山分けにする。1人には何もやらない。多数決2対1で民主的にこうした不合理がまかり通る。

功利主義はこうした欠陥がある。これを補うのが「定言命令」だ。

このようなことは絶対的な平等の原則に反する、人間としての基本的モラルに反するとして3人で平等に分けること求める。

現代の法律はこの「功利主義」と「定言命令」をバランスさせることで成り立っている。

178 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:10:12
>>175
>まず、これが全く違う。「ウンコを食べたい」というのは自分がそういう欲求を
>抱いているという単なる「事実」であって、いかなる意味でも「命令」ではない。

なるほど、確かに、「命令」と「欲求」は日常会話の感覚では、
必ずしも同じものではないから、あなたのように考える人もいるだろう。

でも、行為の妥当性に関する議論では、「他者からの命令」も「欲求(自己への命令)」も、
「行為の要求(または禁止)」という意味では同じものだから同様に
「命令」と扱う場合が多いと思うけれど。

まあ、あなたがそれを認めないのであれば、あなたにとっては、
「仮言命令」「定言命令」という分類は意味が無いもしれない。

179 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:13:48
>>175
>もちろん、ウンコを食べたいからといって、食べる食べないは自由だし、
>食べるとは限らない。

もちろん、そのとおり。

>「欲求」の話なら、それ以上遡及しようのない欲求とは「幸福」だろう。

それはつまり、欲求を命令とみなすことを許す考え方においては、
「幸福になれ」というのが定言命令である、ということなんだと思うけど。
あなたがそういった言い方を認めないのなら、そのような表現でもかまわないだろう。


180 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:21:59
>>176
>これも当たらない。普通は「妥当な理由」=「自分の幸福に役に立つ」
>であって、「自分の幸福にとって意味のない行動は行わない」という
>のが通常の人間の行動原則であり、
まあ、それは、おおざっぱに言って、
私の言っていること(いわんとしていること)について、「定言命令」を「自分の幸福」
に置き換えただけだよ。

現に通常の日常生活において、判断不能、行動不能に陥っていないのは、
どこかで、「それ以上遡及して理由を求めない」ポイントがあるからということには変わりは無い。
それを「欲求」とよんでも「幸福」とよんでも構わない。
意味を知ってる人と、この話題(行為の妥当性の判断)について
話す場合は「定言命令」という言葉がとおりがいいというだけのこと。

181 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:45:51
>>176
>ただ、「社会」が問題になると(通常の人間は社会の中で共同生活を

>ことには、変わらない。

最終的な結論には同意。
私はそのような事について「の話になるかもしれない」とさえ思わない。

>以上のように、功利主義(幸福との適合性で評価される仮言命令の体系)
>ですべて説明はつくし、行動も決断もできる。
>なぜ「定言命令」という意味不明の概念が持ち出されるのか、どうも
>理解できない。

なぜ、理解できないかというと、あなたの定義では、
「定言命令」の果たすべき役割を「幸福」が果たしてるから。

「○○することの妥当性」について、遡及していった場合に、自己の欲求、幸福に到達した時点で、
それを、それ以上妥当性を追求しなくていいもの、として無限遡及の問題を処理している。
だから、「定言命令」という考えをあなたの定義体系では持ち出す必要が無い。
単純にいうと、「命令じゃないから遡及しない」と処理するか、
「遡及しない命令だ」と処理するかだけの違い。

まあ、つまり、最初の「命令」の定義の問題に起因する。

182 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 11:21:55
>>178-181
うーん、あなたの言うことはそれなりにわかるんだが(ただ欲求を「自分に対する
命令」と捉えるのは、相当無理があると思うが)、
ただ、カント(原典は難しくて読んでないので解説書)は功利主義的な考えを
徹底的に否定して「道徳的善悪は欲求とか幸福とか損得とかとは、一切関係がない」
と主張した、と俺は聞いていて、定言命令とかいうのはそういう話だ、と
思っていたので、そこが全く理解できないわけ。
一番いい例が、「嘘をついてはいけない」は定言命令だから、殺人鬼に追われている
友達が「かくまってくれ」と家に飛び込んで来て、殺人鬼に「ここに来ただろ?」
と聞かれても、正直に答えなければいけない、という、あれ。
幸福を規準に考えれば、どうみても「カント爺さん頭おかしいんじゃないの?」
としか、思えないのだが。
>>177も同じ。「絶対的な平等」が定言命令だ、というが、形式的には定言命令でも、
実質的には「幸福」に条件づけられた仮言命令なんだから、例えば三人のうちの
一人が「金はいらない」と言ったら、二人で分けて悪い理由なんかない。
「幸福の内容は人それぞれ」なんだから。
市場経済による資源の配分というのは、基本的にはそういうことでしょ。
食料の場合でも、例えば三人が無人島に漂着して食料が少なくて、
一人が末期癌で苦痛に苦しんでいて麻酔もない、という状況だったら、
「平等は定言命令だ」というので三人平等に食料を分けたら、
それはむしろ不合理というものだ、とも言える。(心情的には難しいが)
その種の「定言命令」(一番いい例が基本的人権)は全部
「社会契約を介した(幸福を条件にした)仮言命令」だと思えば、それで済むし、
その方が明らかに実用的で、現実にも合っていると思うのだが。

183 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 17:19:35
>>182
>うーん、あなたの言うことはそれなりにわかるんだが(ただ欲求を「自分に対する
>命令」と捉えるのは、相当無理があると思うが)、

とういうか、「行為の妥当性」の議論において、「行為の要求」を総合する言葉として
(便宜的に)「命令」をつかっているというだけのこと。
特定の問題を扱うために、日常感覚とは多少違った意味で言葉を使う場合は哲学ではよくあること。
プラグマティズムにおける「信念」とかも、そういった独自の定義を拒否して、
日常会話の感覚における「信念」であると解釈するなら、
「プラグマティズムってのはえらい感覚的で非合理な考え方だ」ということになってしまうかもしれない。
そういう人にプラグマティズムを説明するためには、おそらく別の言葉を使って説明しなければならないだろう。
でもそれは、単に説明が冗長になるだけで、同じことの言い換えでしかない。
(ので、学者のあいだではわざわざそういうことはしてない)
つまり、そういう「独自の使いかた」を受け入れられないなら、「定言命令」が理解できないように、
他の哲学の概念についても、そのたびに理解に苦しむことになるだろう。

184 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 17:28:58
>>182
>ただ、カント(原典は難しくて読んでないので解説書)は功利主義的な考えを

>思っていたので、そこが全く理解できないわけ。

それは短絡過ぎるような。
私もカントをちゃんと読んでないが、定言命令の概念
それ自体が(いわゆる)功利主義を否定する内容を含んでいるとは思えない。
カントは「道徳的命法は定言命令(定言的命法)だ」という言い方をしてるはず。
「道徳的命法は定言命令ではない」「道徳的命法は仮言命令だ」という言い方もできるわけで。

だから、「単なる分類」だといっているわけ。
その分類にしか過ぎないものから「(いわゆる)功利主義」の否定を探そうとしても、
「全く理解できない」とういうことになるのは当然だと思う。
だって存在しないんだから。

185 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 17:37:18
>>182
>一番いい例が、「嘘をついてはいけない」は定言命令だから、殺人鬼に追われている

>としか、思えないのだが。

自分はそれは(幸福という言葉を使って言うなら)、
「何が自分の幸福にとって一番重要か」ということだと思うけど。
幸福は人それぞれだから、一概にはなんともいえない。

>>>177も同じ。「絶対的な平等」が定言命令だ、というが、形式的には定言命令でも、

>その方が明らかに実用的で、現実にも合っていると思うのだが。

細かい点では相違があるが、大枠では私も同じ考え。
私の言い方では
「欲求(ないしは幸福)だけが定言命令で、道徳や社会ルールは仮言命令だ」
ということになる。

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