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絶対的な「善」という概念があるのかい

1 :考える名無しさん:05/02/28 11:42:01
いつまで考えてもたどり着けない

今のヒトという種族の安全と発展を考えれば他人との調和、
簡単に言えばマナーを守り他人に親切にしましょう〜ってなるんだが、
しかしこの進化というものが間違っていたら?と考えると終わりがない。
ヒトというものが「悪」であると認識することができたなら可能な限りヒトを減らすことを考えるだろうが、
そんな日が来るのかどうか・・

最終的に信ずるものは救われる、信念を貫き通せたものだけが幸せてことなのかねぇ

そしてこの「善」なる基準を求めること自体が「善」と言い切る自信も無いんだ
だからと言って思考の放棄は好ましくない、心のどこかで「悪」と考える自分がいる
そもそも絶対的な善悪なんて、存在するのだろうか?

136 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 02:31:11
>>130>それは当り前では?別に他の人がどう思おうと関係ない。
とりあえず、今この自分がどう生きるかということから倫理を考えるべきであって
>究極的にはDQNが何を言おうと、それこそ少なくとも自分には(恐らくは社会的にも)何の説得力もないわけだし、全然構わないのでは?

確かに当たり前だし、何を言おうと構わないけれど、
「善(=特別な概念を意味しないのならば「善自体」と呼んでも構わないけど)
 とはそもそもどういうことか?」という問いと
「今この自分がどう生きるか」という人生論的な問いの間には、飛躍があるように思う。
別に、飛躍があるのはおかしい、と言いたいんじゃないが、
例えば、飛躍はなんで生じてしまうんだろう?と問わなくちゃならないと思う。
(例えばそこで「人間の理性はそういうふうにできているのだ」とか説明されると、
 問いから逃げられたように感じる。)

137 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 04:56:12
>>134
>善は主観的な感覚ではない、と言えるのはなぜ?

ものごとが善くなったり悪くなったりするのには、
一定の法則があって、それを人間の意思では変更できないから。

>少なくとも感覚を無視したら、善とは何か、なんて考えられないと思う。

善悪の判断対象についてはそうだが、それが決まってしまえば、
そこから先は感覚はあまり関係ないと思う。

長生きしたい、というのは感情だけど、長生きするために何が善いことかは、
人間の感情とは無関係だ。
うまいもの食って好き勝手な生活をしていて、長生きできたら苦労しない。

>共同体から出た普遍的な善、とか言うにしても、それを求めるのはどういうことか?
>と問う感性をスキップするのは、止めてほしいな。

べつにスキップする必要はまったくないね。
安定した生活を求めるのは感情だが、
そのために共同体に参加することが善であることは経験則からあきらか。

安定した生活を求めないのなら、必ずしも共同体は必要ないし、
共同体が必要ないなら、共同体の善はその当人にとっては関係の無い問題となる。






138 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:37:46
絶対的善はある。
先ず、紙をどんなに薄く出来ても裏面無き表面はありえない様に善悪は相対的だ。
しかし、「一切は誤っている」「全ては相対的」と懐疑論的に考えても、
その事自体は是と善とされ、たとえ刹那であれ絶対化されてしまっている。
次の刹那に再び相対化出来る為にも、相対化される当体としてのこの刹那の絶対性が不可欠。
無根拠・相対的なものの根拠化・絶対化である虚無主義は不可避的で生存そのもの故に、
それが絶対的苦でありそれを増長するのが絶対的悪、超克する方向が絶対的善。

139 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:53:35
>ものごとが善くなったり悪くなったりするのには、
一定の法則があって、それを人間の意思では変更できないから。
>善悪の判断対象についてはそうだが、それが決まってしまえば、
そこから先は感覚はあまり関係ないと思う。

いや、それは、善悪の存在するさまを、普通に前提にした、いわば「先」の議論じゃん。
思い浮かべていたのは、それが決まってしまう「前」の話なんだけど・・・

例えば「今この自分がどう生きるか」という問いに対し、
「好きなように生きる」と答える人がいてもいい気がするんだけど。
いきなり、善意志ほど人間にアプリオリなものはほかにない、といった調子で来られて、
「え?そうか?」と感じる人、いないのかなあ?

>長生きするために何が善いことかは、人間の感情とは無関係だ。

その場合の「善い」は、「道徳的に善い」の意味ではなく
むしろ「役立つ」と言い換えられるものだと思うんだけど。
ついでに書くと、プラトンの対話編では、
「役立つ」と「道徳的に善い」が(たぶん意図的に)混用されてる気がする。

140 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:54:18
それは主観的な善だな。誰もが認める絶対的善ではない。

「苦」を増大させるのが善だと考える人もいるからな。実際、人類は滅亡させるべきだと主張している人もいるし、ナチの虐殺、アフリカで常に行われている民族浄化などその典型だ。

141 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 12:54:34
補足。
仏教的には、『「善」とは未来に「楽」をもたらす行い』であり、
『「悪」とは未来に「苦」をもたらす行い』。
苦には異なる次元の二種がある。「五蘊」中の「受」の内容中の苦楽の内の苦。
今一つは「受」が成立することそのもの、私見では、相対的善悪・苦楽の内の悪・苦と、
相対的善悪・苦楽が成立すること、そのものが苦という次元。
常識下では「善因善果 悪因悪果」と誤解される。
しかしこれでは宿命論であり如何なる倫理も無い。
真には「善因楽果 悪因苦果」であり、「因是善悪 果是無記」である。
因は倫理的「善悪」だが、果は非善非悪(無記)の「苦楽」である。

142 :138:2005/05/12(木) 12:56:11
138=141

143 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:13:48
絶対悪とは何か言ってみたまえ

144 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:15:16
そして苦しみとは何か

145 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:17:21
中庸の徳とはなにか

146 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:19:54
>>143
宇宙の消滅・・とは断定できんな

147 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:30:42
絶対の中に善悪が共存している、と考える方が自然

148 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 17:35:40
世界には俺しかいないんだから俺が善と思い込めば善
疑えば途端に崩れ落ちるが

149 :sage:2005/05/12(木) 17:35:54
中庸の徳とはそこそこ生きて死ぬことではななかろうか

150 :考える名無しさん:2005/05/12(木) 19:19:58
>>139
>いや、それは、善悪の存在するさまを、普通に前提にした、いわば「先」の議論じゃん。
>思い浮かべていたのは、それが決まってしまう「前」の話なんだけど・・・
抽象的すぎてどういうことをいっているのかわからない。
「先」とか「前」とかって、どういうこと?

>例えば「今この自分がどう生きるか」という問いに対し、
>「好きなように生きる」と答える人がいてもいい気がするんだけど。
べつにいいね。
それがなにか?

>いきなり、善意志ほど人間にアプリオリなものはほかにない、といった調子で来られて、
そんなことを誰が言ったの?

>「え?そうか?」と感じる人、いないのかなあ?
というか、意味がわからんので「いないのかなあ?」といわれても、
同意も反対もしかねる。

>その場合の「善い」は、「道徳的に善い」の意味ではなく
>むしろ「役立つ」と言い換えられるものだと思うんだけど。
「道徳的に善い」とは、「道徳の目的に役立つ」ということじゃないの?

>ついでに書くと、プラトンの対話編では、
>「役立つ」と「道徳的に善い」が(たぶん意図的に)混用されてる気がする。
私の理解では、その二つに違いが無いことをきちんと証明した上で、
(作中の)ソクラテスは議論を進めていると思うけど。
混同と君が感じるのは、そのあたりの議論を読み飛ばすか無視してるからじゃないの。
「国家」などを読むと、くどいぐらいに同席者に同意、確認を求めつつ議論を進めてるよ。
「善いこと」とは「得なこと」であり、「役に立つこと」だと。


151 :考える名無しさん:2005/05/13(金) 12:13:29
善はそもそも存在しない

152 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 21:30:27
絶対的な善という「概念」に支配されている人間なら多数居るが

153 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 21:31:31
>>1 とか >>151 とか >>152 とかのことか。

154 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 22:54:05
善悪はあるんだけど、立場と状況によって異なるから
絶対的なものはないってことでFAか。

カントの定言名法で
自殺すんなとか他人に親切にしろとか自分を磨けとかあったけど
それすら状況によっちゃ悪の色彩を帯びるもんな。

155 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:23:22
定言迷法をまともに信じる奴は馬鹿
いないと思うけど

156 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:28:59
信じるとか信じないとかいうようなもんじゃないと思うけど。
分類だろ、要するに。

157 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:36:29
分類つか、実際には不可能なものを
無理矢理説得力持たせるために作り上げたレトリック
論証の大真面目ぶりの意味で、プラトン以上にご苦労さんなことだ、という感じ

もっと馬鹿なのは、定言迷法を哲学史・倫理学史のひとコマとしてではなく
今なお称揚して扱う現代日本の一部研究者だけど

158 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 02:00:21
いや、何が不可能なの?

159 :Old Creature(°∀°) ◆TLTiVWbvF. :2005/05/18(水) 03:48:42
(゜∀゜)むにょ〜ん
善はアフラ=マズダで、悪はアーリマンってならったよ。

160 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 13:25:18
カントは普遍性を重視してるな。つまり、道徳的命題は自分も含めて全員に適用すべきだとい考え方。

これで「自分は殺されたくないが、人は殺していい」というような一方的な考え方を防ぐことができる。

ただ、例えば臓器移植といった個々の命題については人々の意見は一致しないから、ひとつの道徳を導き出すのは難しいが。

もうひとつの考え方はジェレミーベンサムの最大多数の最大幸福論。実際の効用で道徳を決める。


161 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 15:08:49
いや、問題は
「なぜ普遍性を重視しなければならないか」とか
「なぜ最大多数の最大幸福や実際の効用を重視しなければならないか」
とか聞かれると、答えるすべがないこと。

162 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 15:43:08
>>161
まさにそうだと思う

例えば、カントの定言迷法の不可能性(根拠のなさ)

163 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 15:48:50
それを問題にしはじめると、
定言命法という概念を持ち出した意味がなくなる。

164 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 16:23:19
意味ってなんだ?
あれは所詮、自分の心象風景をスケッチしただけにすぎないだろうが

確かに、実理のほうでは知性界を「神の国」と表現する(これは純理にはない表現)など
「ほんとは自分の論の破綻を知っているけど、わざと論じてみせているのだ」
と読める部分もないではないが、
(しかし単に、かつてプラトンの多用したのと同じ逃げ口上にすぎなくもある)
倫理を主題にするなら、その根拠のなさこそ、明確に論じるべきだと思う

そもそも、そのほうが、
他人を倫理的に啓蒙するという実践的な意味(仮にあるとして)も増すだろうが

根拠のなさに無自覚な馬鹿が善を強行することほど恐ろしいものもないわけだし
(たとえば>>154

165 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 19:51:26
>>164
>意味ってなんだ?

無限遡及ではきりがないから、遡及できない命令、という概念を導入したこと。

>あれは所詮、自分の心象風景をスケッチしただけにすぎないだろうが

だから、定言命法という概念自体は単なる分類でしかないでしょ。

166 :考える名無しさん:2005/05/18(水) 23:39:14
遡及できない命令なる概念の導入は、単に超越項を導入して正当化を図っているだけ。
もともと道徳主義の病気にかかっている患者以外には、まったく迷惑な議論だ。
まさか神の表象を持ち出さなければ許されると思ってるわけでもあるまい。

167 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 07:01:14
>>166
>遡及できない命令なる概念の導入は、単に超越項を導入して正当化を図っているだけ。
いや、「何を」正当化してるの。
概念の使い方は使い方しだいでしょう。
「普遍的な定言命令は無い」という使い方もできるわけだから。
この概念の存在だけで、何かが正当化されるとは思えない。

168 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 12:08:36
>「普遍的な定言命令は無い」という使い方もできるわけだから

というか、それ以外に使いようがない

169 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 12:25:09
「普遍的な定言命令はない」って、どういう意味?
「すべての人間は無条件でウンコを食え」だって、
「普遍的な定言命令」だろ。
従わなければならない理由が別にない、というだけで。


170 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 19:13:36
>>169
>「すべての人間は無条件でウンコを食え」だって、
>「普遍的な定言命令」だろ。

それは違うだろう。
「すべての人間は無条件でウンコを食え」というのは、
その命令を発した個人にとってしか定言命令ではない。
「ウンコ食え」という命令は一部のスカトロ趣味の人間以外にとっては、
ほかの理由なしに実行すべき命令ではないから。

仮にそれをいった人間が絶対権力者なり総統なりであって、
すべての人を従わせることができるのだとしても、
命令を受ける立場としては
「反逆者として処刑されたくなければ」といった条件により従うのであって、
無条件で従うわけではない。

171 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 21:12:44
>>170
よくわからん。そうすると「普遍的」か「定言命令」か、そのどちらかに
「実行すべきである」
「無条件で従う」
という意味が内包されているわけ?
それなら、「普遍的な定言命令にどうして従わなければならないのか?」
という問いは無意味になる。単に結論の先取りだからだが。
俺は仮言命令だろうと定言命令だろうと、命令は単に命令であって、
従うかどうかは別問題だと思っていたんだが。
「普遍的に妥当する定言命令はあるか?」という問いなら
「妥当する」の意味をまず確定しないと答えようがない。で、その意味を確定する
には功利主義(ウンコを食べたいかどうかとか、殺されたくないかどうとか)
を導入する以外にやりようがないと思えるんだが。


172 :考える名無しさん:2005/05/20(金) 09:23:13
>「普遍的」か「定言命令」か、そのどちらかに「実行すべきである」「無条件で従う」という意味が内包されているわけ?

そうだよ。

>単に結論の先取りだからだが。

定言迷法の論議自体が結論の先取りというか、論点先取で作られたイカサマ議論なんで。

173 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 06:45:01
>>171
>それなら、「普遍的な定言命令にどうして従わなければならないのか?」
>という問いは無意味になる。
まったくそのとおり。

>という意味が内包されているわけ?

>従うかどうかは別問題だと思っていたんだが。
というか、「命令」について「従う理由を求めるかどうか」について分類を行ったのが、
仮言、定言、だから、そこを無視したら分類の意味がなくなる。
では、なぜ、そういう分類が必要になるかというと、次の部分と関連するんだけど、

>「普遍的に妥当する定言命令はあるか?」という問いなら
>「妥当する」の意味をまず確定しないと答えようがない。で、その意味を確定する
>には功利主義(ウンコを食べたいかどうかとか、殺されたくないかどうとか)
>を導入する以外にやりようがないと思えるんだが。

「ウンコを食べたい」というのは、そういう嗜好のある人にとっては
「ウンコを食べろ」という定言命令(自分に対する無条件の命令)だと思うんだけど。
(いわゆる)功利主義というのは、その定言命令を条件とした仮言命令なんでないの。
「殺されたくない」なら「○○してはいけない」も
「ウンコを食べたい」なら「○○しなければならない」も。

〜続く〜

174 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 06:45:39
>>171
〜続き〜
「殺されたくないならウンコを食べなければならない」
は(いわゆる)功利主義で仮言命令だけど、「なぜ殺されたくないのか」には一般的には答えがない。
「殺されたくないから殺されたくない」としかいえない。
もちろん、「子供が一人前になるまで死ねない」とか「この仕事を終わらせるまで死ねない」とかいった
理由がある場合もあるだろうけど、その場合でも、「なぜ子供が一人前になるまで生きている必要があるのか?」「なぜその仕事を終わらせる必要があるのか?」といったように、遡及していけば、
いつか、それ以上理由を遡及できなるなる。
このことは何を意味するかというと、
仮に、「妥当な理由の無い命令には従えない」という行動原則をとった場合、
行動不能、判断不能に陥ることを意味する。
なぜなら、すべての命令は遡及していけば理由を求めれなくなるわけだから。

したがって、なんらかの判断、行動を行うのであれば、理由を求めない命令
(「死ぬな」「子供をちゃんと育てろ」とか)を設定して、
その命令との妥当性で判断していくしかない。
この観点で考えると、命令には、
それ以上遡及できない命令(定言命令)と、その命令から派生した、
遡及できない命令との適合性で評価される命令(仮言命令)
が存在することになる。

何の行動も決断も必要なく、永遠に無為な思索を続けたい、というのであれば、
あるいは、この分類は意味が無いのかもしれない。
そういう意味では功利主義かもしれないし、こういう分類を行うということ自体が
仮言的といえるかもしれない。

175 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 12:26:07
>>173-174
うーん、どうもわからん。

>「ウンコを食べたい」というのは、そういう嗜好のある人にとっては
>「ウンコを食べろ」という定言命令(自分に対する無条件の命令)だと思うんだけど。
まず、これが全く違う。「ウンコを食べたい」というのは自分がそういう欲求を
抱いているという単なる「事実」であって、いかなる意味でも「命令」ではない。
もちろん、ウンコを食べたいからといって、食べる食べないは自由だし、
食べるとは限らない。
「ウンコを食べたいが、下痢すると嫌だから食べない。」
「  ー       栄養が偏ると困るから食べない。」
「  ー       変態だと思われると嫌だから食べない。」
いくらでも有り得る。

>>174の遡及の話も、なぜ「命令」の話になるのか理解できない。
「欲求」の話なら、それ以上遡及しようのない欲求とは「幸福」だろう。
「幸福」はまた「普遍的な欲求」でもある。「ウンコを食べたい」とか
「殺されたい」という人間は、数は少ないだろうがいないとは限らない。
しかし「幸福になりたくない」という人間は、(言葉の定義上)存在しない。

176 :考える名無しさん:2005/05/21(土) 12:31:38
だから、
>「妥当な理由の無い命令には従えない」という行動原則をとった場合、
>行動不能、判断不能に陥ることを意味する。
これも当たらない。普通は「妥当な理由」=「自分の幸福に役に立つ」
であって、「自分の幸福にとって意味のない行動は行わない」という
のが通常の人間の行動原則であり、それで何ら不都合はないし、
行動不能にも判断不能にも、陥るはずがない。
ただ、「社会」が問題になると(通常の人間は社会の中で共同生活を
しない限り幸福にはなれないので、自分の幸福のために問題にならざるを得ない)、
「自分の幸福」と「他人の幸福」の調整が必然的に問題になる。
その場合は「社会契約」の話になる。そのときに初めて
「無条件に〜しろ」という「定言命令」の話になるかもしれない。
ただし、これも実態は「従うことが他人の幸福に役に立つ。やがては
めぐりめぐって自分の幸福の役に立つ。」という判断があるから
従うのであって、「誰の幸福にも役に立たない」と判断したら、
従う理由はないだろう。だから、「妥当な理由の無い命令には従えない」
ことには、変わらない。

以上のように、功利主義(幸福との適合性で評価される仮言命令の体系)
ですべて説明はつくし、行動も決断もできる。
なぜ「定言命令」という意味不明の概念が持ち出されるのか、どうも
理解できない。

177 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 01:13:13
1万円を3人で分けるとする。2人が組んで5千円づつ山分けにする。1人には何もやらない。多数決2対1で民主的にこうした不合理がまかり通る。

功利主義はこうした欠陥がある。これを補うのが「定言命令」だ。

このようなことは絶対的な平等の原則に反する、人間としての基本的モラルに反するとして3人で平等に分けること求める。

現代の法律はこの「功利主義」と「定言命令」をバランスさせることで成り立っている。

178 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:10:12
>>175
>まず、これが全く違う。「ウンコを食べたい」というのは自分がそういう欲求を
>抱いているという単なる「事実」であって、いかなる意味でも「命令」ではない。

なるほど、確かに、「命令」と「欲求」は日常会話の感覚では、
必ずしも同じものではないから、あなたのように考える人もいるだろう。

でも、行為の妥当性に関する議論では、「他者からの命令」も「欲求(自己への命令)」も、
「行為の要求(または禁止)」という意味では同じものだから同様に
「命令」と扱う場合が多いと思うけれど。

まあ、あなたがそれを認めないのであれば、あなたにとっては、
「仮言命令」「定言命令」という分類は意味が無いもしれない。

179 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:13:48
>>175
>もちろん、ウンコを食べたいからといって、食べる食べないは自由だし、
>食べるとは限らない。

もちろん、そのとおり。

>「欲求」の話なら、それ以上遡及しようのない欲求とは「幸福」だろう。

それはつまり、欲求を命令とみなすことを許す考え方においては、
「幸福になれ」というのが定言命令である、ということなんだと思うけど。
あなたがそういった言い方を認めないのなら、そのような表現でもかまわないだろう。


180 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:21:59
>>176
>これも当たらない。普通は「妥当な理由」=「自分の幸福に役に立つ」
>であって、「自分の幸福にとって意味のない行動は行わない」という
>のが通常の人間の行動原則であり、
まあ、それは、おおざっぱに言って、
私の言っていること(いわんとしていること)について、「定言命令」を「自分の幸福」
に置き換えただけだよ。

現に通常の日常生活において、判断不能、行動不能に陥っていないのは、
どこかで、「それ以上遡及して理由を求めない」ポイントがあるからということには変わりは無い。
それを「欲求」とよんでも「幸福」とよんでも構わない。
意味を知ってる人と、この話題(行為の妥当性の判断)について
話す場合は「定言命令」という言葉がとおりがいいというだけのこと。

181 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:45:51
>>176
>ただ、「社会」が問題になると(通常の人間は社会の中で共同生活を

>ことには、変わらない。

最終的な結論には同意。
私はそのような事について「の話になるかもしれない」とさえ思わない。

>以上のように、功利主義(幸福との適合性で評価される仮言命令の体系)
>ですべて説明はつくし、行動も決断もできる。
>なぜ「定言命令」という意味不明の概念が持ち出されるのか、どうも
>理解できない。

なぜ、理解できないかというと、あなたの定義では、
「定言命令」の果たすべき役割を「幸福」が果たしてるから。

「○○することの妥当性」について、遡及していった場合に、自己の欲求、幸福に到達した時点で、
それを、それ以上妥当性を追求しなくていいもの、として無限遡及の問題を処理している。
だから、「定言命令」という考えをあなたの定義体系では持ち出す必要が無い。
単純にいうと、「命令じゃないから遡及しない」と処理するか、
「遡及しない命令だ」と処理するかだけの違い。

まあ、つまり、最初の「命令」の定義の問題に起因する。

182 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 11:21:55
>>178-181
うーん、あなたの言うことはそれなりにわかるんだが(ただ欲求を「自分に対する
命令」と捉えるのは、相当無理があると思うが)、
ただ、カント(原典は難しくて読んでないので解説書)は功利主義的な考えを
徹底的に否定して「道徳的善悪は欲求とか幸福とか損得とかとは、一切関係がない」
と主張した、と俺は聞いていて、定言命令とかいうのはそういう話だ、と
思っていたので、そこが全く理解できないわけ。
一番いい例が、「嘘をついてはいけない」は定言命令だから、殺人鬼に追われている
友達が「かくまってくれ」と家に飛び込んで来て、殺人鬼に「ここに来ただろ?」
と聞かれても、正直に答えなければいけない、という、あれ。
幸福を規準に考えれば、どうみても「カント爺さん頭おかしいんじゃないの?」
としか、思えないのだが。
>>177も同じ。「絶対的な平等」が定言命令だ、というが、形式的には定言命令でも、
実質的には「幸福」に条件づけられた仮言命令なんだから、例えば三人のうちの
一人が「金はいらない」と言ったら、二人で分けて悪い理由なんかない。
「幸福の内容は人それぞれ」なんだから。
市場経済による資源の配分というのは、基本的にはそういうことでしょ。
食料の場合でも、例えば三人が無人島に漂着して食料が少なくて、
一人が末期癌で苦痛に苦しんでいて麻酔もない、という状況だったら、
「平等は定言命令だ」というので三人平等に食料を分けたら、
それはむしろ不合理というものだ、とも言える。(心情的には難しいが)
その種の「定言命令」(一番いい例が基本的人権)は全部
「社会契約を介した(幸福を条件にした)仮言命令」だと思えば、それで済むし、
その方が明らかに実用的で、現実にも合っていると思うのだが。

183 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 17:19:35
>>182
>うーん、あなたの言うことはそれなりにわかるんだが(ただ欲求を「自分に対する
>命令」と捉えるのは、相当無理があると思うが)、

とういうか、「行為の妥当性」の議論において、「行為の要求」を総合する言葉として
(便宜的に)「命令」をつかっているというだけのこと。
特定の問題を扱うために、日常感覚とは多少違った意味で言葉を使う場合は哲学ではよくあること。
プラグマティズムにおける「信念」とかも、そういった独自の定義を拒否して、
日常会話の感覚における「信念」であると解釈するなら、
「プラグマティズムってのはえらい感覚的で非合理な考え方だ」ということになってしまうかもしれない。
そういう人にプラグマティズムを説明するためには、おそらく別の言葉を使って説明しなければならないだろう。
でもそれは、単に説明が冗長になるだけで、同じことの言い換えでしかない。
(ので、学者のあいだではわざわざそういうことはしてない)
つまり、そういう「独自の使いかた」を受け入れられないなら、「定言命令」が理解できないように、
他の哲学の概念についても、そのたびに理解に苦しむことになるだろう。

184 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 17:28:58
>>182
>ただ、カント(原典は難しくて読んでないので解説書)は功利主義的な考えを

>思っていたので、そこが全く理解できないわけ。

それは短絡過ぎるような。
私もカントをちゃんと読んでないが、定言命令の概念
それ自体が(いわゆる)功利主義を否定する内容を含んでいるとは思えない。
カントは「道徳的命法は定言命令(定言的命法)だ」という言い方をしてるはず。
「道徳的命法は定言命令ではない」「道徳的命法は仮言命令だ」という言い方もできるわけで。

だから、「単なる分類」だといっているわけ。
その分類にしか過ぎないものから「(いわゆる)功利主義」の否定を探そうとしても、
「全く理解できない」とういうことになるのは当然だと思う。
だって存在しないんだから。

185 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 17:37:18
>>182
>一番いい例が、「嘘をついてはいけない」は定言命令だから、殺人鬼に追われている

>としか、思えないのだが。

自分はそれは(幸福という言葉を使って言うなら)、
「何が自分の幸福にとって一番重要か」ということだと思うけど。
幸福は人それぞれだから、一概にはなんともいえない。

>>>177も同じ。「絶対的な平等」が定言命令だ、というが、形式的には定言命令でも、

>その方が明らかに実用的で、現実にも合っていると思うのだが。

細かい点では相違があるが、大枠では私も同じ考え。
私の言い方では
「欲求(ないしは幸福)だけが定言命令で、道徳や社会ルールは仮言命令だ」
ということになる。

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