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哲学しての仏教を考えてみる

1 :考える名無しさん:05/03/04 15:58:43
哲学としてみた仏教について考えてみようぜ。


2 :考える名無しさん:05/03/04 16:02:26
仏教は因果律を公理にしていると思われます

3 :考える名無しさん:05/03/04 17:20:58
原因の帰結を自分の行為に置き 建設的な思考を進めるという点が非常に興味深い。
さらにそれを他者に適応するという点でドイツ観念哲学に近いものを感じる。


4 :講師:05/03/04 17:28:10
仏教そのものの議論は西洋哲学のそれほど議論されてこなかったと思うんです。
従って、現代の仏教思想は西洋哲学との対比における意味でしかないと思うんです。
そもそも仏教の議論の対象が、人間の社会的な中での「病理」を克服する原理やメカニズムだったと思うんです。

5 :考える名無しさん:05/03/04 17:38:22
仏の教えは本来 しなければならない ではない

6 :考える名無しさん:05/03/04 18:17:32
なら精神病理治療方法としての仏教かな?
哲学的な思考で精神的な矛盾を解き明かしてすっきりするみたいな。


7 :考える名無しさん:05/03/04 18:23:43
信心を評価される日本仏教界では哲学にはならんだろ
議論の余地は無く、疑う事すら出来ない。
哲学の道はギリシャ系列に譲るべきである。


8 :考える名無しさん:05/03/04 18:27:29
仏教には高度な理性が必要
常人では諸方無我を基に価値観を形成できない

9 :考える名無しさん:05/03/04 18:32:01
>>6
精神病治療と偽って宗教の勧誘やってる奴はいっぱいいるぞ。
ブレッシングやエクソシズムレベルなら語る事はそんなに無いだろ

10 :考える名無しさん:05/03/04 18:34:36
>>8
諸方無我って・・・・

11 :考える名無しさん:05/03/04 18:45:34
「まったく持ってプププすぎるにもほどがあるでツヨ」
って言うのに今とらわれています。
どうすればこの執着から抜け出せるのでつか?

12 :考える名無しさん:05/03/04 18:51:53
>>11
プププに成り切ること。


13 :考える名無しさん:05/03/04 18:53:50
この世のすべてを受け入れることだな。
善悪この世の現象全て両方とも否定せずそのまま受け入れることが仏教。


14 :考える名無しさん:05/03/04 18:55:38
囚われているものなどない

15 :考える名無しさん:05/03/04 18:55:45
>>8
諸法無我=仏教否定

16 :考える名無しさん:05/03/04 18:58:31
>>13
一切皆苦はどうした?

17 :考える名無しさん:05/03/04 21:47:19
スピノザと仏教の関係について

18 :考える名無しさん:05/03/05 00:35:18
人の意思とは地球の意思ひいては宇宙の意思である
BY イム

19 :考える名無しさん:05/03/05 00:46:42
日本の仏教だと信心か行為が重視されて、思惟はあまり
重要視されてないんでは
やっぱインド仏教かね

20 :考える名無しさん:05/03/05 01:10:18
仏教思想は論理的かつ実用的。早くから仮想現実論をとなえており、現代的でさえある。

21 :考える名無しさん:05/03/05 01:19:37
あの世のことを考えるよりも まず自分の心の病気を治せ これが仏教です。
そんなこと考えているほど人生は長くないということだ実に実用的な思想である。


22 :考える名無しさん:05/03/05 02:04:04
仏教も宗派によってだいぶ教義が違いよ
中には最新物理学に通じるようなのもある感じ

23 :考える名無しさん:05/03/05 08:55:48
仏教としての西洋哲学を考えてみる

・・・・と、結論としては、「苦労して色々考えてるけど所詮はDQN」

24 :有漏:05/03/05 12:50:39
@已に結果しているならば、新たに因をもって何を為すか。
A未だ結果していないならば、何者への因足るか。
換言、
@因中有果ならば、因果が無別異となる。(破因中有果)
牛乳と酪は同一と化す。
A因中無果ならば、因果が無関係となる。(破因中無果)
牛乳と酪は無縁となり、酪は酪と無縁な砂からでも生成しえよう。
換言、
@已に結果しているなら(現在)結果しない。(三世門破・過去門破)
A未だ結果しているなら(現在)結果しない。(三世門破・未来門破)
(@は宿命論、Aは偶然論)
次に、
B結果しつつある/因中に一部結果しているならば、
@Aに分割可能、故に成立しない。(三世門破・現在門破)
換言、
B因果が同時相依ならば、
A:どちらがどちらに依存して成立するか
B:相依の当体として其々が、たとえ刹那であれ、
相依せずに在ることとなる。(同時門破)

結論
因果は異時でも同時でもない。

認識を因果異時論で考えると、因が主、果が客の二元論的唯心論
逆ならば、二元論的唯物論。何れも因果異時の直線的時間論に依拠する。
それは上述のように成り立たない。
因果同時ならば上述のように相互に無縁と化す。

ナーガールジュナ『中論頌』参照

25 :考える名無しさん:05/03/05 13:04:17
>>22は、最新物理学について知った上で言ってるのか??というのが疑問。
カプラとか読んだだけで言ってるのかも知れんけど、、、

物理学というのは数式によって記述されるもので、
例えば文学というものが「言語」を離れて存在し得ないのと同様に、
現代物理学も数式を離れては存在し得ない。
(仮に文学の本質が言語に存するとして、それと同様の意味で
 物理学の本質は数式に存する。)
そういうことを踏まえた上で仏教と物理学に共通点がある、と
主張できるのならすごいことだけれど、そんな主張をできる人はいないだろう。

26 :有漏:05/03/05 13:04:59
因中有果で果するならば、自から自が成立することとなる。(宿命論)
因中無果で果するならば、他から自が成立することとなる。(偶然論)
因中に一部果するならば、自他両者から自が成立することであり、
前二者に分割可能であり過誤が付随する。

27 :考える名無しさん:05/03/05 13:06:50
仏教の言う因果律と物理学でいう因果律は、まったく別の話だろw

28 :有漏:05/03/05 13:22:07
自己が自己を刹那であれ成立せしめうる、
刹那であれ、自己同一的ならば、他に依らず(無因)に、
自を成立せしめうることとなる故、無限に自己同一的(自〔然〕性)たる。
しかし、万象は変異する故に、自性は成立しない。
自性(同一性一般)が不成就のとき、自に対しての他、余所おける自である他は成立しない。
故に、
「何時でも何処でも如何なる者でも、自から他から自他両者から無因から
生じることはない。」(『中論頌』第一章第一頌)
この四句否定(自・他・自他両者・無因からの生起の否定)=空
という在り方で初めて生じることはありうる。だから万象は幻の如くにある。

29 :考える名無しさん:05/03/05 21:23:56
>>27
具体的にどこがどう異なるのか述べよ

30 :哲子:05/03/05 21:31:04
>生じることはない。
 ことを
>生じることはありうる。
と思うことは単なる矛盾した考え方。
縁起は不生不滅である。

31 :考える名無しさん:05/03/05 21:38:43
中論無理あるね

32 :考える名無しさん:05/03/05 21:54:08
仏教は不器用

なんちって


33 :考える名無しさん:05/03/05 21:56:23
仏競

34 :有漏:05/03/06 08:05:35
>>30
確かに少し配慮を欠く文面だったかもしれない。

とりあえず、貴方がどの程度の知識量か分からないが、
詳細な説明が面倒なので『廻諍論』参照されたし。
『龍樹論書』文庫版p157・158

第二十四品では、有自性ならば集諦は成立しない、
空故に集諦はありうる。
また、該当箇所では「幻の如く」とも形容しておいた。

35 :まじれす:05/03/06 08:11:21
因果律

物理学 ⇒ 結果を観測 → 原因があるはずだ! → 原因を見つける(見出した原因を無理やり結果にこじつける)
仏教  ⇒ 行為を行う → 自因自果のはずだ! → 結果の解釈を見つける(見出した結果をむりやり原因にこじつける)

36 :有漏:05/03/06 08:45:54
因果といわれている物柄が物理学とでは異なる。
単なる対象物相互の問題ではない。

37 :考える名無しさん:05/03/06 09:07:50
人に善いも悪いもない、縁があったかなかったかだ

38 :考える名無しさん:05/03/06 09:10:54
円に縁がなかったよー。えーんえーん

39 :考える名無しさん:05/03/06 09:17:28
>>35
仏教のことあまり深く知らないんだろ?

40 :有漏:05/03/06 10:21:10
推敲不足

唯識は「灯火は自他を共に照らす」という比喩をもって、
自覚(三分義の自証、或いは、能縁・所縁の無の平等としての唯識性)
を主張する。これに対して『中論頌』は批判的とも取れる。
@已に照らされた処(已に光がある)は現に照らされない。
A未だ照らされぬ処(未だ闇である)は現に照らされない。
B現に照らされつつある処は、已・未に分割可能であり、
その過誤が付随する。
或いは「灯火が(現に)照らす」というならば、
主語の「灯火」は「現に照らしつつある灯火」であり、
それが「照らす」と述語するならば、
「照らすことから離れてある灯火」を想定することとなる。
例えばこれから何をしようか、と考えるとき、考えつつあることを忘却して、
先ず何もしていない私があって、次にそれが何かを為すと
自明的であれ考えるのに等しい。 このような灯火の想定は、同時に、
「灯火という主体から離れてあるような照らす用(はたらき)」、
そして、目的語として隠れているが、
「照らす主体や照らす用から離れてあるような照らされる処」
が想定される。つまり認識を二元論的主観と二元論的客観と
その間にかかる認識作用という構図で理解することとなる。
しかし、唯識の自覚は、「灯火が照らす」ということではなく、
主語内容の「(対象を)照らしつつある灯火」という、
主語と述語(及び目的語)の相依(三世門破・一異門破・同時門破で矛盾的否定的に示される)
の領野そのものの事であろう。能縁と所縁と時間性とが不一不異の
領野こそ自覚であろう。前述したように相依は異時・同時という形で、
時間が前提されてそこで相互依存する、というのではない、
かといって時間的(無常性)から無縁なのではない。
空たればこそ集諦たりうる。相依が前提か時間が前提かと問いをたてることにより、
返って相依と時間性とは厳密に分けえない、どちらが先とできない。
相依そのものが時間化。それを押さえて唯識は識転変を縁起として、
認識論・時間論・相依性がどのような関係かを述べている。

41 :考える名無しさん:05/03/06 10:44:37
>>35
因があっても果が必ず発生するわけじゃない。果の発生には縁が必要。
タネを撒いても、水や日光が十分でなかったら芽は出ない。
仏教甘く見過ぎ。

42 :考える名無しさん:05/03/06 11:07:04
直接的 因
間接的 縁

43 :考える名無しさん:05/03/06 11:17:30
言葉ではなく釈迦の言葉を日々に実践していくのが仏教。

44 :考える名無しさん:05/03/06 11:18:38
なんで男は女を食わせないといけないの?
1 :名無しさん 〜君の性差〜:04/04/21 02:49 ID:Xr2oWXeU
なんで20歳過ぎた健康な大の大女を食わせないといけないか
全くわかりません。誰か教えてください。

http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gender/1082483397/l50

45 :考える名無しさん:05/03/06 11:25:22
独身のくせに

46 :考える名無しさん:05/03/06 14:38:15
でも任意のAについて、哲学としてのA ってのがそんざいしてしまうんだろ?w

47 :考える名無しさん:05/03/06 16:46:01
>>41 そんな陳腐で子供だましの理屈が仏教の言う因果の法則なのかw

48 :考える名無しさん:05/03/06 17:13:02
>>47氏が、陳腐でも子供騙しでもない因果論を解説してくださるそうです

49 :考える名無しさん:05/03/06 17:38:40
w ←これ使うとアホっぽいよね

50 :有漏:05/03/06 18:32:10
自覚は鏡で例え得る。
鏡は「常に映しつつある」過程以外にはない。
映す鏡、映す用、映された像が、先ず自存的に存在し、それらが関係する、というのではない。
先ず何者も映す前の映す以前的な鏡があり、次に何者かを映す、というのではない。
例え闇を映す場合でも、闇を映しているのであって、何も映していないのではない。
鏡は鏡としてしかないのにも関わらず、あたかも自己以外として顕れる。
何かを映すとは常に他を映す。故に「虚妄」なる分別である。
また映された像は鏡としてしかないのにも関わらず、
鏡から別異であるかの様に顕れる。鏡像が顕れるとは必ず鏡以外であるかの様に顕れること。
鏡に存在性を一方的におっているのに、あたかも鏡から独立であるかのように
顕れるから「虚妄」である。

51 :考える名無しさん:05/03/06 19:03:02
>>47 まずは古典力学を修めなさい

52 :考える名無しさん:05/03/07 01:12:03
死にたくなるぐらい辛い現実と向き合うために哲学が必要なのであって、
現実から目を逸らすために哲学を用いてはいけない。
仏教も然り。

53 :考える名無しさん:05/03/08 07:29:26
未来に対する謙虚さが欠けているという点で、理想主義も現実主義も
同じ穴のムジナだと言える。
人がどんなに知恵を巡らせたところで、未来のことなど分かるはずもない。
分かるのは神や仏だけ…
宗教はそういう謙虚さを育てる。

54 :考える名無しさん:05/03/08 08:13:53
>>52
>死にたくなるくらい辛い現実
この言葉こそ、死という最も辛い現実からの逃避だな。
貧困、病気、犯罪、戦争・・・形は違えど、これらの苦しみの根源は
要するに「死にたくない」ということだ。
死の恐怖を知らない者ほど、簡単に「死にたい」などと口にする。

死の恐怖の克服も、仏教の目的なのだ。

55 :考える名無しさん:05/03/08 09:49:49
じゃどうやってこくふくするのかいってみろよ

56 :考える名無しさん:05/03/08 10:01:40
>>55
死の苦しみの根源は激しい欲(=煩悩)だから、煩悩を克服しようというのが
仏教の始まりだべ。
もっとも、一切(煩悩も含めて)を空とみなす大乗仏教では話は別だが・・・

57 :考える名無しさん:05/03/08 11:05:46
諸方無我であるのだから
我に執着するのは愚かなことなのだよ

58 :考える名無しさん:05/03/08 11:43:14
我という感覚が如何にして生じていのるか、
脳味噌学者の重要テーマになってるらしい。

59 :考える名無しさん:05/03/08 12:29:22
煩悩具足=人間じゃないのかねw

60 :考える名無しさん:05/03/08 21:46:50
>>46
甘い。人生経験が足りないようだね。

61 :考える名無しさん:05/03/08 21:48:54
じゃあるAで、Aの哲学がそんざいしないものをあげてみろよw

62 :考える名無しさん:05/03/08 21:50:48
Aの哲学がそんざいしないものの集合

63 :考える名無しさん:05/03/08 21:52:09
「Aの哲学がそんざいしないものの集合」の哲学
ってのがあるよ、当然w

64 :考える名無しさん:05/03/09 01:25:03
>>63
それはどんな「哲学」なんですか、具体的に述べてみて

その上であなたの言ってることが正しいのかどうか判断する

65 :考える名無しさん:05/03/09 07:10:26
たとえば、
いかにすれば、任意のAについて「Aの哲学がそんざいしないものの集合」
が存在しうる、公理系が構成できるのかということを考察していく哲学だよw

66 :考える名無しさん:05/03/09 20:12:59
で公理系が構成できるの、どうなの
でその根拠は

67 :考える名無しさん:05/03/12 00:53:28
というか全てが自分の一部であると認識できたら精神的楽に生きられる
それを気付かせるのが本来の仏教。

68 :考える名無しさん:05/03/12 10:39:24
一度認識したけど忘れた。完璧に。

69 :考える名無しさん:05/03/12 12:07:38
>>67
そりゃ片手落ちだろ。
縁起の思想とセットになって、自己も実体としては存在せず、
いわば「空」であるという認識もないとさ、ダメじゃん。

70 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:06:44
仏教は哲学だ!

71 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:55:03
華厳が?唯識が?

72 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 02:33:21
私が考えるに、仏教は哲学的ではあっても哲学ではないと思います。
仏教は覚者釈迦の世界の絶対智に基づく宗教だからです。
哲学の基本は、「問いを問いとして問うこと」自分の拠って立つ原理原則の掘り崩し、
問い直しにあると考えますので。
仏教の哲学と呼ばれるものは、問いを問うのではなくその絶対智を他者に伝達するための手段であったように思います。
仏教の数多ある論書は釈迦の絶対智を如何にして他者に伝えるか-他者に伝えるには分別知によって解釈・分析するしか
ありませんので-そのような格闘の結果の産物に見えるのですが、
いかがなものでしょうか?

73 :有漏:2005/03/25(金) 07:56:41
華厳宗の「一即一切 一切即一」(「合わせ鏡」が無限に映す様の応用で、
三枚以上の鏡が互いを映すように配したとき、無限に映しあう様)という考は、
『根本中頌』(『中論』三枝充悳 レグルス文庫 所収)の「一異門破」――

「およそ或るもの(A)が或るもの(B)に縁って存在しているときには、それ(A)はそれ(B)と
同一なのでもなく、別異なのでもない。それゆえ、断滅でもなく、常住でもない。」第18章 第10頌
「そもそも、原因と結果とが同一であるということも、決して成り立たない。
そもそも、原因と結果とが別異であるということも、決して成り立たない。」第20章 第19頌
「もしも、結果と原因とが同一であるならば、生ずるものと生ぜられる一体〔である〕、
ということになるであろう。もしも結果と原因とが別異であるならば、
原因は原因でないものと等しい、ということになるであろう。」第20章 第20頌

――の応用と思う。

74 :有漏:2005/03/25(金) 08:03:41
補足
引用の頌では因と果の二者間だが、
これを三者間以上に拡張したものが、「一即一切」と思う。

75 :有漏:2005/03/25(金) 08:35:23
細注、下記はレグルス本からの先の引用頌を参照されたい。
因と果が同一とは、「因中有果」であり、「已に結果しているならば新たに因は不要」(第一章第六頌)
という批判に関係する。因中有果ならば、因と果が無差別となり、例えば牛乳とヨーグルトは
無差別となるだろう。また、因中有果で結果する/已に結果しているものから結果するならば、
「自から自」が生じ、常住・宿命論と化す。
因と果が別異とは、「因中無果」であり、「未だ結果していないならば何者への因足るか」(同)
という批判に関係する。因中有果ならば、因と果が無関係となり、例えばヨーグルトは
牛乳と無縁な砂からでも生じるだろう。また、因中無果で結果する/未だ結果していないものから
結果するならば「他から自」が生じ、断滅・偶然論と化す。縁起とは「断滅でもなく、常住でもない。」
因中有果も因中無果も因果を直線的時間の中の前後異時と見なす考が前提されている。
では因果が同時に相互依存する(「因中一部有無果」「現に結果しつつある」「自他共から自が生ずる」
という考と同類)ならばどうだろうか。その場合「相互依存する当体として其々が、
例え刹那であれ相互依存せずに其々自存することとなる」(第七章第三頌)。
刹那であれ自存するならば永遠に自存する。また因は果の因ではなく、また果は因の果ではなくなる。
また「どちらがどちらに依存して成立するのか」(第十章第十頌)ということとなる。


76 :考える名無しさん:2005/03/30(水) 21:47:52
立川武蔵の『空の思想史』を読んで面白かったから、
さらに中観派について調べてみたいんだけど、
お勧めの文献があったら教えてちょ。

77 :有漏:2005/03/30(水) 23:04:57
『空の論理』角川ソフィア文庫
『中論』(上中下)三枝充悳 レグルス文庫
『龍樹』中村元 講談社学術文庫
『大乗仏典14 龍樹論書』中公文庫

78 :考える名無しさん:2005/03/30(水) 23:09:47
仏教は認識論としての哲学。
そこから禁欲的理想を紡ぎだす。
それがいいか、わるいかは個人的趣向。

79 :考える名無しさん:2005/03/30(水) 23:40:14
仏教っって葬式のさほうだろ?

80 :76:皇紀2665/04/01(金) 16:33:00
>>77

さんきゅ。
角川の『空の論理』は読んだことある。
中村と三枝は今度、図書館で探してみるよ。
ついでに、竜樹とアリストテレスの比較とか読んでみたいから、
比較思想のお勧めも教えてちょ。

81 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 17:21:40
こんなこと聞いて良いのか分からんが・・・
仏教にも色んな「〜経」があるけど、最終的に一番正しいのはどれなんだ??

82 :76:皇紀2665/04/01(金) 18:35:41
皇紀2665だって。
一瞬、ドキッとしたよ。
(⌒▽⌒)アハハ!

83 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 19:28:37
講談社現代新書の哲学事典みたいなのはけっこう仏教の事も書いてアルよ

84 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 21:59:48
最近南方上座部の信者を多く見かけますが、皆さんあれどう思います?

85 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/02(土) 00:48:45
>>88
全部 だけど本当の悟りはお経ではないらしい。

86 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/02(土) 00:58:03

日本人なら神道だろ

今こそ皇紀を復活させるべきなのである。


87 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/02(土) 01:07:41
>>86
基地外ばっかの哲学板で、真性?

88 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 03:37:20
実践的哲学=仏教
これ常識

89 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 05:11:41
>>88
同意するんす。

90 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 06:01:40
>>88
そのとおり。ニーチェが『アンチクリスト』で、仏教に対してかなり突っ込んだ議論をしているね。

91 :Buddha Era:2005/04/03(日) 01:32:25
>>88,89,90
俗まみれの僧侶が闊歩する現状、かなしいですな。

92 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 03:19:39
>>88-91
「仏教=哲学」には疑問だ
仏教研究者のひろさちや氏も、哲学の限界を指摘しているが

ttp://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hirodeath.htm

93 :唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/04/03(日) 03:53:16
仏教の根本
「智慧」と「慈悲」

94 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 04:29:23
ブッダって唯物論者なんでしょ?
なのになんで仏教には地獄とか輪廻転生とか霊とかがあんの?

95 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 06:01:53
>>94
仏教は霊魂を否定しているが・・・
大乗仏教に輪廻転生の考えがあるのは、迫害を逃れるためにバラモン教と
融合したせいだろう
釈迦自身は死後については何も語っていない(肯定も否定もしていない)
「生きている者がそんな事を考える必要などない」というのが彼の主張

96 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 09:05:47
原始仏典にも神や悪魔が出てきますが。

97 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 13:33:00
>釈迦自身は死後については何も語っていない(肯定も否定もしていない)
原始仏典でも輪廻や死後については語られていて、仏典の中の一つに宇宙論的質問にたいして、
そんな抽象的問題より苦しみを除く方が先決だ、と答えたものがあるだけなのが何時の間にか話が拡大してるだけ。

98 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 15:29:51
>>97
あら、そうなんですか
修行しなおしてきます
南無〜

99 :肛門:2005/04/03(日) 21:24:18
>365

>102ではありませんが、>101の書き込み内容から読み取った貴方の
琴線を解り易く語ってもらえませんか。
方便般若智でもって示していただけたら幸です。もしそれができないので
あれば、朦朧言説は控えて下さいね。



100 :ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 21:33:56
哲学と実践が完全に一致している唯一の例だな。
唯識、中観は度脱のため。

101 :唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/04/04(月) 00:37:45
>>99さん
このスレではありませんよね?
それと、方便般若智を示すことができるのは仏陀のみでは?

102 :ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 06:04:20
古代の哲学者ゴータマ!


103 :ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 21:15:35
語って下さい!

104 :ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 22:59:50
で、どうやったら苦しみを取り除けるんだ?

105 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 11:33:28
>>104
仏法の通り生きる
簡単タン

106 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 12:48:45
>>104
正しく生きる

107 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 21:37:11
>>104
何事にも囚われない心を持つ
+も−ない
幸も不幸もない
この世は地獄だ
苦しみたくないなら死んだように生きろ
いわば無
無我の境地

108 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 21:59:58
ブッダは真理を求めた哲学者だが 仏教は単なる宗教のひとつ。

109 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 22:03:05
>>107 意味不明。
苦しみを除ける方法を説いてるのなら
具体的におしえてよ。仏教からね。


110 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 22:57:15
>>109
喜びを求めない事

111 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 23:20:59
>>107
何事にも捕われない自己を持つ。
+も-もない

幸も不幸もない
この世は地獄でも天国でもない
苦しみたくないなら苦しまないように生きろ
いわば無
無我の境地


112 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 02:18:48
>>110
例えば
クーラーをつけるから、外の暑さに耐えれなくなる
暖房をつけるから、外の寒さに耐えれなくなる
なら、クーラーつけるな
暖房つけるなって事ですね
天候(暑さや寒さ=自分の身に降りかかってくる不幸)は人間の力では
どうする事も出来ないけれど
心の持ちようで、その苦は和らげるって事ですね
なるほど、深い


113 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 05:21:38
>>109
>>107が仏教そのものだべさ。
しかも短的に表している。

114 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 07:24:00
4つの儀式がある。
今は快適でも未来に不快な結果をもたらすという儀式。
今も不快で未来にも不快な結果をもたらすという儀式。
今は不快でも未来に快適な結果をもたらすという儀式。
今も快適で未来にも快適な結果をもたらすという儀式。

1)今は快適でも未来に不快な結果をもたらすという儀式がある。
肉欲は何も悪いことではないという見解を持ち、官能性に堕落するという僧がいる。
マールワーという名の蔓(つる)があり、これは寄生植物である。
ある夏、この植物の果実が熟し裂けて、極微小な種がとある神木のもとへと運ばれた。
この木に住んでいた女神は恐怖に震えおののいていたという。
彼女の友達や親戚の草木はなだめた。「善き者よ、怖がらないで。種のいくつかは
クジャクや動物達が飲み込んでくれますよ。種のいくつかは森の火事が焼いたり、
森の住人が取り除いてくれますよ。種のいくつかはシロアリが食べ、いくつかは
繁殖力を失うことでしょう」しかし、大雨が降り、それらはすくすくと育っていった。
若く、柔らかく、産毛の生えたマールワーの蔓は沙羅の木にぶら下がり、彼女の上で
成長していった。やがて沙羅の木を抱いた蔓は頭上をふさで飾り、神木の大部分の樹幹を
破壊してしまった。今や鋭くざらざらした不快感を経験するというわけである。
これと同じように、肉欲は何も悪いことではないという、官能性に堕落する僧がいる。
若い未婚の女の産毛の生えた柔らかい手は快いが、官能の快楽に堕ちると後に苦しむ
ということになる。鋭くざらざらした不快感を経験するということになるわけである。
マールワーの種子のように大変小さな種でも、母体となる樹木を破壊してしまう。
聖職者の心に悪意が生じたなら、些細なことでもそれは戒めなければならない。

115 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 07:24:38
2)今も不快で未来にも不快な結果をもたらすという儀式がある。
ある者は服を着ることもなく外出し、行儀作法も知らずに手を舐める。人から
招待されてもそれを受け入れず、人を招待することもない。人から贈られたものを
受け入れない、特別に用意されたものも認めない。招待を楽しまない。鉢のふちからも
器のふちからも受け入れない。ヤギのいる場所でも、棒の向こうでも、ほうきの
向こうでも、二人で食べる食事でも、子供を身籠っている女からも、授乳している女
からも、男といる女からも、汚れている女からも、その女を介護している所からも。
ハエがたくさんいる場所からも何も受け入れない。魚も、肉も、酒も。一つの家で、
一口だけしかご馳走を食べず、二つの家で二口だけしかご馳走を食べず、七つの家で
七口だけしかご馳走を食べない。一人、二人、あるいは七人の女から与えられたもので
生きている。一人、二人、あるいは七人の男から与えられたもので生きている。
半月の間の食べ物を分ける方法に専念している。野菜とキビ、生米、水草、米の粉、
米のあぶく、油量種子から作った粉、雑草、牛の肥やし、森の根と果物を食べている。
あるいは行く先の道ばたに落ちているもので養われている。麻で編んだ粗末な服、
荒い服、惨めな衣服、ぼろ布の服、木の皮で作った服、皮の服、皮の紐、草の服、
板でできた服、フクロウの毛と尻尾と翼でできた服を着ている。頭とヒゲの毛を
引っ張ることに専念している。立ったままで席を拒むことに専念し、いつまでも
座ったままでいることに専念し、いばらのベッドに横たわることに専念し、
日が暮れるまでに三度水の中に沈んでいる。このような肉体の拷問や苦行が実行され、
ゆくゆくは悲劇にいたるというわけである。

116 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 07:25:16
3)今は不快でも未来に快適な結果をもたらすという儀式がある。
ここに本質的に欲深く、自らの極端な貪欲さのため常に不機嫌、不愉快を感じている
という者がいる。本質的に怒っていて、自らの怒りのため常に不機嫌、不愉快を感じて
いるという者がいる。本質的に思い違いをしていて、その妄想のために常に不機嫌、
不愉快を感じているという者がいる。涙とともに聖なる命を導くだろう。彼は成長して
天国に生まれ変わるだろう。今は不快でも未来に快適な結果をもたらすという儀式である。

4)今も快適で未来にも快適な結果をもたらすという儀式がある。
ここに本質的に貪りがなく、貪りからくる不機嫌や不愉快を感じていないという者がいる。
本質的に怒りがなく、怒りからくる不機嫌や不愉快を感じていないという者がいる。
本質的に思い違いがなく、妄想からくる不機嫌や不愉快を感じていないという者がいる。
想念と思考過程によって官能的な欲望や自他の落ち度から精神を引き離し、最初の静慮に
留まるための隔絶からくる喜びと楽しさとともにある。さらに想念と思考過程をも克服し、
内的に心を満たしつつ一点に集中し、二つ目の静慮に留まるための集中力からくる喜びと
楽しさとともにある。そしてさらに喜びをもたらす平静心と公平心によって思慮深く、
肉体の快適さを経験していると理解し、三つ目の静慮に留まるということを会得している。
誉れある者はこういうだろう。
思慮深く喜びに留まっていると。苦楽の呪縛から解き放たれていると。
不快感と快感を克服することによって平静心と思慮深さを清め、
四つ目の静慮に留まるということを会得していると。
彼はやがて天国に生まれ変わる。

117 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 08:31:24
メッタグーさんがたずねた。
「先生!あなたにおたずねします。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だと私は考えます。
世の中にある様々なこれらの苦しみは、そもそもどこから現れたのですか?」

ブッダは答えた。
「メッタグーよ、そなたは私に苦しみの生起するもとを問うた。
私は知り得た通りにそれをそなたに説き示そう。
世の中にある様々な苦しみは、執着を縁にして生起する(...略)

118 :117:2005/04/22(金) 08:45:02
メッタグーさんがたずねた。
「どのようにしたならば諸々の賢者は、煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみを乗り越えられるのですか?」

ブッダは答えた。
「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、
それらに対する喜びと偏執と識別とを取り去って(...略)」

119 :117:2005/04/22(金) 08:50:08
...このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、
我がものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、
この世で知者となって、苦しみを捨てるだろう」(後略)

以上
『スッタニパータ』
彼岸に至る道の章
学生メッタグーの質問
より
>>104

120 :ディアフィーダーの話(1):2005/04/22(金) 10:52:10
>>104
鹿を家畜として飼養する者は「どうか野生の鹿がこの食べ物を食べ、美しくなり、
長生きして、長い間この食べ物で養われますように」と考えながら餌を与えることはない。
しかし、鹿を家畜として飼養する者は「どうか餌に釣られて侵入した野生の動物が酔いしれ、
この食べ物を食べて恍惚となり、不注意で無頓着で何も気にしなくなり、おとなしく飼養者の
悪意ある行動に服従しますように」と考えながら餌を与えるのである。

最初の野生動物の群れはこのディアフィーダーの侵略地に侵入し、飼料を食べ、恍惚で
不注意となり、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従するようになった。こうして
最初の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。

第二の野生動物の群れは一緒にこう考えた。「最初の野生動物の一群はディアフィーダーの
侵略地に侵入し、飼料を食べ恍惚となり、酔いしれて不注意となり、同じ侵略地の中で
支配者の意思のままに服従するようになった。こうして最初の野生動物の群れは
ディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。もし我々が全ての飼料から遠ざかり、
森のすみかに入ればどうだろう」そうして彼らは全ての恐ろしい飼料から遠ざかり、森のすみかに
入って留まった。そして去る月に草と水が減り、体が異常なほどやつれてやせ衰え、力と努力が
減っていった。やがてディアフィーダーの侵略地に舞い戻り、飼料を食べ恍惚となり、
酔いしれて不注意となり、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従するようになった。
こうして第二の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。

121 :ディアフィーダーの話(2):2005/04/22(金) 10:53:07
第三の野生動物の群れは一緒にこう考えた。「最初の野生動物の一群はディアフィーダーの
侵略地に侵入し、飼料を食べ恍惚となり、酔いしれて不注意となり、同じ侵略地の中で
支配者の意思のままに服従するようになった。こうして最初の野生動物の群れは
ディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。第二の野生動物の一群は一緒に
こう考えた。『最初の野生動物の一群はディアフィーダーの侵略地に侵入し、飼料を食べ
恍惚となり、酔いしれて不注意となり、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従するように
なった。こうして最初の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されることは
なかった。もし我々が全ての飼料から遠ざかり、森のすみかに入ればどうだろう』そうして
彼らは全ての恐ろしい飼料から遠ざかり、森のすみかに入って留まった。そして去る月に
草と水が減り、体が異常なほどやつれてやせ衰え、力と努力が減っていった。やがて
ディアフィーダーの侵略地に舞い戻り、飼料を食べ恍惚となり、酔いしれて不注意となり、
同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従するようになった。こうして第二の野生動物の一群は
ディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。我々はディアフィーダーの侵略地に
移住し、飼料を食べて恍惚とならず、酔いしれず、不注意とならず、同じ侵略地の中で支配者の
意思のままに服従しないようにしよう」するとやがてディアフィーダーと彼の追従者に
このような考えが浮かんだ。「この第三の野生動物の一群はずる賢く、訓練された詐欺師は
熟練した鬼で、我々は彼らの出入りを知ることができない。もし我々が囲いの全ての縁を
さくで取り囲めばどうだろう。そうすれば我々は第三の野生動物の群れの移住を見つけて彼らを
捕まえることができる」やがて彼らは囲いの全ての縁をさくで取り囲み、ディアフィーダー
と彼の追従者は野生動物の移住を見て取り、彼らを捕獲したのである。こうして第三の野生動物の
群れはディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。

122 :ディアフィーダーの話(3):2005/04/22(金) 10:53:51
第四の野生動物の群れは一緒にこう考えた。「最初の野生動物の一群はディアフィーダーの
侵略地に侵入し、飼料を食べ恍惚となり、酔いしれて不注意となり、同じ侵略地の中で
支配者の意思のままに服従するようになった。こうして最初の野生動物の群れは
ディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。第二の野生動物の一群は一緒に
こう考えた。『最初の野生動物の一群はディアフィーダーの侵略地に侵入し、飼料を食べ
恍惚となり、酔いしれて不注意となり、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従するように
なった。こうして最初の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されることは
なかった。もし我々が全ての飼料から遠ざかり、森のすみかに入ればどうだろう』そうして
彼らは全ての恐ろしい飼料から遠ざかり、森のすみかに入って留まった。そして去る月に
草と水が減り、体が異常なほどやつれてやせ衰え、力と努力が減っていった。やがて
ディアフィーダーの侵略地に舞い戻り、飼料を食べ恍惚となり、酔いしれて不注意となり、
同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従するようになった。こうして第二の野生動物の一群は
ディアフィーダーの権力から解放されることはなかった。第三の野生動物の一群は
『ディアフィーダーの侵略地に移住し、飼料を食べて恍惚とならず、酔いしれず、不注意と
ならず、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従しないようにしよう』と考えた。すると
やがてディアフィーダーと彼の追従者にこのような考えが浮かんだ。『この第三の野生動物の
一群はずる賢く、訓練された詐欺師は熟練した鬼で、我々は彼らの出入りを知ることができない。
もし我々が囲いの全ての縁をさくで取り囲めばどうだろう。そうすれば我々は第三の野生動物の
群れの移住を見つけて彼らを捕まえることができる』やがて彼らは囲いの全ての縁をさくで
取り囲み、ディアフィーダーと彼の追従者は野生動物の移住を見て取り、彼らを捕獲したので
ある。こうして第三の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されることはなかった」


123 :ディアフィーダーの話(4):2005/04/22(金) 10:54:28
そこで第四の野生動物にこのような考えが浮かんだ。「もし我々がディアフィーダーと彼の
追従者に出入りがわからないように侵略地へ移住し、飼料を食べて恍惚とならず、酔いしれず、
不注意とならず、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従しないようにしよう」やがて
ディアフィーダーと彼の追従者にこのような考えが浮かんだ。「この第四の野生動物の一群は
ずる賢く、訓練された詐欺師は熟練した鬼で、我々は彼らの出入りを知ることができない。
もし我々が囲いの全ての縁をさくで取り囲めばどうだろう。そうすれば我々は第四の野生動物の
群れの移住を見つけて彼らを捕まえることができる」やがて彼らは囲いの全ての縁をさくで
取り囲んだが、ディアフィーダーと彼の追従者は野生動物の移住を見つけることはなく、
彼らを捕獲することもなかった。やがてディアフィーダーと彼の追従者にこのような考えが
浮かんだ。「もし我々が第四の野生動物の群れを害すれば他の者も害され、それがまた他の者を
害するようになる。もし我々が第四の野生動物の群れを保護してあげればどうだろう」
そうしてディアフィーダーと彼の追従者は第四の野生動物の群れを保護した。こうして
第四の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されるようになった。

124 :ディアフィーダーの話(4):2005/04/22(金) 11:41:48
そこで第四の野生動物にこのような考えが浮かんだ。「もし我々がディアフィーダーと彼の
追従者に出入りがわからないように侵略地へ移住し、飼料を食べて恍惚とならず、酔いしれず、
不注意とならず、同じ侵略地の中で支配者の意思のままに服従しないようにすればどうだろう」
やがてディアフィーダーと彼の追従者にこのような考えが浮かんだ。「この第四の野生動物の
一群はずる賢く、訓練された詐欺師は熟練した鬼で、我々は彼らの出入りを知ることができない。
もし我々が囲いの全ての縁をさくで取り囲めばどうだろう。そうすれば我々は第四の野生動物の
群れの移住を見つけて彼らを捕まえることができる」やがて彼らは囲いの全ての縁をさくで
取り囲んだが、ディアフィーダーと彼の追従者は野生動物の移住を見つけることはなく、
彼らを捕獲することもなかった。やがてディアフィーダーと彼の追従者にこのような考えが
浮かんだ。「もし我々が第四の野生動物の群れを害すれば他の者も害され、それがまた他の者を
害するようになる。もし我々が第四の野生動物の群れを保護してあげればどうだろう」
そうしてディアフィーダーと彼の追従者は第四の野生動物の群れを保護した。こうして
第四の野生動物の群れはディアフィーダーの権力から解放されるようになった。

つまり、これが苦しみを取り除くための智慧である。

125 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 11:44:40
ちなみにディアフィーダーの話はmajjhima nikayaという仏典からの引用でした。

126 :ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 12:00:10
majjhima nikaayaは日本語でいうところの阿含経の中部、あるいは中阿含経という。
阿含経で調べればわかるのでは。連続して書き込んですいません。(^ ^;)

127 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 04:31:00
魂は無い


128 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 11:53:30
>>127
物質ではない存在の有無を断定する見解は取らない。
いってみれば、もしあったとしても不思議ではない。

129 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 13:57:44
八正道
・立場、生活、思想、精神、言論、努力、行為、三昧
について正しさを追求する。しかしその正しさとは一体
何であるのか?

130 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 15:54:42
>>129
誤りがない、間違ってない、より堅実で、より確からしさがあるってことだろうね。

131 :129:2005/04/26(火) 22:53:17
>>130
そうですね。そのものに拠って、動じる所がないという意味でしょうね。
ただ正義というニュアンスは含まれていないのでしょうか?
善悪の概念でいうと、善よりの正しい根拠であるという意味も含まれて
いるのでしょうか。



132 :130:2005/04/27(水) 15:29:45
>>131
正義という日本語は何か。以下は辞書からの引用。

大辞林 第二版 (三省堂)

せいぎ 【正義】<

(1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。
「―を貫く」

(2)他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てる
こと。アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、
相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。また、
国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、前者が自然法、後者が
実定法につながる。国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、
これは形式化・固定化されやすい。そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、基本的人権を
中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、社会主義思想などによって掲げ
られることになる。公正。公平。

(3)正しい意味。正しい解釈。経書の注釈書の名に多用された。
「五経―」

133 :130:2005/04/27(水) 15:33:23
justice という英語は何か。以下は辞書からの引用。

Main Entry: jus・tice
Pronunciation: 'j&s-t&s
Function: noun
Etymology: Middle English, from Old English & Old French; Old English justice,
from Old French justice, from Latin justitia, from justus
1 a : the maintenance or administration of what is just especially by the impartial adjustment
of conflicting claims or the assignment of merited rewards or punishments b : JUDGE c : the
administration of law; especially : the establishment or determination of rights according to
the rules of law or equity
2 a : the quality of being just, impartial, or fair b (1) : the principle or ideal of just dealing or
right action (2) : conformity to this principle or ideal : RIGHTEOUSNESS c : the quality of
conforming to law
3 : conformity to truth, fact, or reason : CORRECTNESS

134 :129:2005/04/29(金) 14:00:57
130さん、ありがとうございます。
正義を念頭において八正道を実践するということがわかってきた。
例えば正しい立場とは何であるべきか。
>>他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁など
を正当に割り当てること
の個所における他者の権利を尊重する事が正しい実践道における教訓かもしれない。
とすると正しい立場というのは他者と自分の権利を尊重する上での
融合、調和を念頭におく。そして自分の正しい立場を見出すのだ。
そして動揺する事がなく、迷いや逡巡は一切ない。堅固である。
正しい生活とは自堕落に流されない、放縦に流されず、首尾一貫した
内的軌範に従う様。それが自己を裏切らない自分の権利を尊重する上での
正義なのだ。


135 :129:2005/04/29(金) 14:08:57
同じく正しい思想は常に相手の立場を慮る、かたくなに否定しないで、
相手の思想を認める事のできる寛容性がある。そして正義は体現化される。
正しい精神は欲望に負けないで、理性でもって制御する様をさす。
そうすることによって自己を保持し、権利を主張する事になる。
正しい言論は粗暴ではない暴力的ではない表現一般。そういう表現を使わない
意図は正しさの定義に大いに背くからであり、相手を尊重できない姿勢へとつながる。


136 :129:2005/04/29(金) 14:17:36
正しい努力はひたむきに精進し、他に惑わされない様子を指す。
そうする事により、自己の権利はまっとうに主張され、正しさの証明になる。
正しい行為は目的にきちんと的確に合致しているかいないか。
当然他者権利尊重の基本姿勢も含まれるが、行いには迷いや戸惑いが
あってはいけない。自己権利の純然な体現のために、そういう迷妄は不要である。
正しい三昧は集中力。集中力は自己を貫徹する際にはとても重要。
正しさとは例のごとく、一心不乱であり、他に惑わされない、自己の有益な
権利主張、体現化を指す。


137 :129:2005/04/29(金) 15:40:32
まとめ。
八正道の実践にこそ、悟りを開き、涅槃へと至る道がある。
苦の消滅は、絶え間なき実践の過程にこそ、実現する。
苦の原因、即ち煩悩、この煩悩の克服にこそ、八正道の実践の意図す
るところである。

138 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 03:11:51
age

139 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 03:19:48
ニーチェは仏教を哲学ととらえてますね。

140 :新決定論主義者:2005/05/01(日) 03:26:44
ふーん。仏教ってすごいな。
ただそこまで悟っておいて葬式をやるのは
どういう意図があるのだろう?



141 :Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/05/01(日) 03:57:25
>>140
葬式の半分は優しさでできてるんだ。

142 :新決定論主義者:2005/05/01(日) 05:57:27
>>141
「バファリンの半分は優しさで出来ている」系統のギャグはもうつまらないよ。


143 ::2005/05/01(日) 18:37:32
「空」は相関関係の教えだ。
善悪、愛憎、過去・現在・未来、上中下・・・。
相互依存、相関関係だ。

144 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 18:47:34
>>140
葬式とか、霊とか、地獄とか、天国とかはブッダの教えの中にはないよ
仏教と言うより儒教とかいろいろ混ざり合ってる

145 :考える名無しさん:2005/05/09(月) 03:30:51
八正道について
正見・・・
正しい見解。自己における率直、誠実的な見解を提示すること。
また相手の見解を容認する、相手の立場に立つという意味も含意する。
正思・・・
正しい思想。いわゆる極端を排する中道の思想のこと。ただ実際は排するのは
良くなく、極端を併せ持つと言った方が正解。哲学用語では二律背反のことで、
全く異なる反対概念を両立させること。一つの態度や見解に固定すると、固着的
となり、寛容的姿勢ではなくなるため。仏教の主要概念「慈悲」に反する。
正念・・・
正しい精神。欲望に打ち勝ち、理性でもって自己を統御する様をさす。
正語・・・
正しい言論。暴力的、粗暴な表現の禁止。
正命・・・
正しい生活。放縦や自堕落に流されない規律正しい生活。
正業・・・
正しい行為。行為において、迷いや戸惑いやてらいは必要ないということ。
行為する際には断定的な強い意志判断が必要となる。迷妄は不要。
正精進・・・
正しい努力。一心不乱、他に惑わされないひたむきな努力。
正定・・・
正しい三昧。他に惑わされない、影響されない集中力。強い自己を保つということ。





146 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 06:35:33
またありのままを感取し、認めるという事も重要。
仏教では良くありのままを大切にしなさいという。
自分の気持ちを偽らず、誤魔化さず、正直に認めるということ。
そうする事により、自己を堅持し、強く保ちうる。

147 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 19:09:44
宗教ではない仏教、つまりブッダそのものや偶像を崇拝せず、ブッダの教えだけを信仰する仏教はありますか?

148 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 19:33:09
仏教って哲学と言うよりも道徳に近いんじゃない?
バカに哲学は通じないからブッダは悩んだ末
自分の道徳観をおバカな人々の深層心理に刷り込むことにしましたとさ
めでたし めでたし

149 :考える名無しさん:2005/05/24(火) 21:47:59
この↓サイトで般若心経がよくわかる

ttp://tokyo.cool.ne.jp/hannnya/index.html

150 :考える名無しさん:2005/05/25(水) 10:12:25
竜樹の「空」の概念の方が哲学臭い。
色即是空。空即是色。


151 :考える名無しさん:2005/06/27(月) 05:58:34
age

152 :考える名無しさん:2005/06/30(木) 02:10:05
『正法眼蔵』

153 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 00:37:52
【門徒】どうして真宗ってダメなの?【物知らず】U
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121403126/

「六曜もダメ。(西暦や曜日は使ってる!) 」
について、熱く議論を交わしたいと思います。

六曜がダメで、西暦や曜日は認める理由を探しているのですが、なかなか見つかりません。
博学の方、ご教示願います。

154 :考える名無しさん:2005/08/13(土) 01:23:40
どなたか仏教の哲人が用いる「思い出す」という言葉についての
サイトや本を知っている方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんか?


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