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ハイデガーとサルトルの哲学の違いを教えれ

1 :考える名無しさん:05/03/05 00:14:26
教ーーれ

2 :考える名無しさん:05/03/05 00:15:41
ぜんぜんちがう。

3 :考える名無しさん:05/03/05 00:18:30
それは本人達にもわからない

4 :考える名無しさん:05/03/05 00:21:39
ハイデガーには構造がある。サルトルには無い。

5 :考える名無しさん:05/03/05 00:22:31
ハイデガーはドイツ人。サルトルはフランス人。

6 :考える名無しさん:05/03/05 00:23:33
ゆえに、
ハイデガーの哲学はドイツ語、サルトルの哲学はフランス語で書かれている。

7 :考える名無しさん:05/03/05 00:29:33
この>>1で疑問なのは、こういうことだ。

通常、「AとBの違いを知りたい」という時には、
AとBとの間に共通点がある反面、相違点が明確でない、という場合だ。
しかしサルトルとハイデガーは、共通点はそれが「哲学」と呼ばれている、
ということの他に何もない。ましてや彼らの思想は当人たちにとっては
「哲学」ではないかも知れないということを考えるとき、彼らの思想の間には
尚更共通するものが見出されないことになる。
では、なぜ>>1>>1のような主張をするのか?
ここで可能となる答えとしては、

・1はハイデガーとサルトル以外の哲学者を読んだことがない
・1には通常の日本語の論理感覚が欠けているために、上記のような
  推論が通用しない
・1は熱烈なハイデガー主義者で、自分の心酔する思想のために
  わざとこのようなスレを立てている

まず可能性が高いのは第三の「宣伝」説だ。しかしよく考えてみると
「熱烈なハイデガー主義者」って何だ?そんなものは未だ嘗て見たことがない。
次に考えられる第一の「>>1はハイデガーとサルトルしか知らない」説もあり難いことが
わかる。サルトルを知っているならば当然ボーヴォワールも知っているだろうからだ。
そこで残る答えは第二の「>>1は日本語感覚がヘン」説になる。
ここで俺はハタと思いついた。
>>1は日本語感覚がヘンなのではない、>>1は俺らの日本語感覚を撹乱させようとしている
のだ。>>1は扇動家なのだ。>>1は革命に燃えた理想主義者なのだ。
このような>>1を俺は決して許すことができない。
よってこのスレの廃止を俺は提議する。

8 :考える名無しさん:05/03/05 00:52:23
何にせよ、実存を追い求める所は同じだろう。
思想も同じかもしれない。
しかし二人の間には明確な温度差がある。
ハイデッカーは人間(不完全性)を排し、実存を見極める。
サルトルは人間を排さず、実存を信仰する。
ハイデッカーが実存の先を見ようとする時、サルトルは実存を歌う。


http://plus.naver.co.jp/browse/db_detail.php?dir_id=110503&docid=26671

9 :考える名無しさん:05/03/05 03:34:18
>>1
その程度の話題でいちいちスレ立てるな。
スレ検索してふさわしいスレを探して、まずそこで訊いてみろ。

■スレッド立てるまでもない質問5@哲学板■
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1105531841/
 《   マルティン・ハイデガー   》 
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099402160/
【存在】誰かサルトルのについて教えてくれ【無】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099924669/

10 :考える名無しさん:05/03/10 09:03:48
>>7
どうすればそれだけがんばって書き込みできるのかが、疑問だ。

11 :考える名無しさん:05/03/10 13:58:20
ハイデガーは同調者、サルトルは抵抗者。
簡単な話だろうが。

12 :考える名無しさん:05/03/10 19:26:07
対ナチズムってことね。

13 :考える名無しさん:05/03/11 21:10:17
ハイデガー=有神論者
サルトル=無神論者

14 :考える名無しさん:05/03/11 21:17:53
ハイデガーは権力に媚び、サルトルは女に媚び。

15 :考える名無しさん:05/03/12 11:58:01
ハイデガーは国家社会主義の同伴者
サルトルはスターリン主義の同伴者

16 :人力飛行機:05/03/12 20:14:20
を読むのが一番手っ取り早い。ジャン・ボーフレというフランス人から、「サルトルの哲学についてどう思いますか?」と書簡できかれて書簡で答えようとしたのを一般向けの作品にしたらしい。創文社版全集9巻『道標』に収録されている。これを読むべし。

17 :人力飛行機:05/03/12 20:25:57
サルトルは実存主義の根本命題を次のように言い表している、すなわち、実存は本質に先行すると、その際、彼は存在と本質とを形而上学の意味に於いて受け取っており、形而上学はプラトン以来、本質は存在に先行すると、言っている。

18 :人力飛行機:05/03/12 20:33:54
形而上学的命題を転倒しても、その転倒は依然として或る一つの形而上学的命題に留まっている。このような命題として、サルトルの立てた命題は形而上学とともに有の真性の忘却の内に依然として留まっている。(同書P.415〜416)

19 :考える名無しさん:05/03/12 20:36:47
サルトルは、実存主義者であることを公言し、ハイデガーのことを仲間だと言ったが
ハイデガーは、それを鼻で嗤って否定した。
そういう関係です。

20 :考える名無しさん:05/03/12 22:58:58
そこだな、メル・ポンとサルトルの分岐点は。

21 :考える名無しさん:05/03/13 02:58:47
ハイデガーは、ソクラテス以前のギリシャに憧憬を抱き、
サルトルは、マルクスの夢が実現した未来に憧憬を抱いていた。

22 :人力飛行機:05/03/13 10:03:50
事柄を意識に上らせることに偏執的なこだわりを持っているように見え、そこが非常に窮屈であり、また〈乗り越え〉の哲学は脅迫観念的だった。ハイデガーの『有と時』からはその種の窮屈さは感ずることはなかった。ハイデガーは私から余計な力を抜いて楽にした。

23 :考える名無しさん:05/03/13 10:17:40
どちらも顔が不細工

24 :考える名無しさん:05/03/13 11:10:42
サルトルは斜視?


25 :人力飛行機:05/03/13 11:59:12
サルトルが60〜70年代の学生運動華やかなりし頃によく読まれたというのは理解出来ます。彼にイカれたらやらない訳にはゆかなくなる。でも深さでいったらハイデガーの比ではないという気がする。

26 :考える名無しさん:05/03/13 12:23:07
おまえら、存在の深さを知ってますか?

27 :人力飛行機:05/03/13 12:51:09
サルトルは個体の生について、特に出発点に於いて、個体の資質や歴史性などについて、軽く考えていたのではないかと思える。彼の哲学にリアリティが欠けていたとしても当然だろう。彼の唱えていた自由の観念などにも同じような欠陥を感じる。

28 :人力飛行機:05/03/13 13:03:05
人間も出て来たという。別にサルトルなどのアジテーターに責任をとれなぞと言う気はない。しかし、たとえ同じデモ隊や運動に属していても、抱えているものは実は皆違ってたりする。サルトルは人間観に於いて大いなる勘違いをしていたと私は思う。

29 :考える名無しさん:05/03/13 18:33:33
と言うもの大いなる勘違いだったりして。

30 :人力飛行機:05/03/13 19:30:26
この感じの合いの手が入ると「これぞ2チャンネルァ」て実感がひしひしと。ニRでもー勘違いじゃないよ、多分。R

31 :考える名無しさん:05/03/13 20:27:13
存在の深さなんて、ニーチェ的にいえば背面思想だろ。
そんな糞くさい発想はやめた方がいい。

32 :人力飛行機:05/03/14 10:30:28
神秘主義とか言われてるけども、俺はそう思わない。吉本隆明の心的現象論で掴まれたことを念頭に置けば、具体的過ぎるくらい具体的。先に吉本の論を読んだせいか、何の神秘もないと思って読んだ。僕は幻想論は存在論だと見ている。

33 :考える名無しさん:05/03/14 11:36:30
>>27-28
私のサルトルの理解と同じです。
よく分ります。

34 :考える名無しさん:05/03/14 13:34:18
おい、人力飛行機さんよ、オメさん、いい線いってるぞ。
そのまま続行ってことでヨロシク。
オメさんの全部読んでっからな。

35 :考える名無しさん:05/03/14 13:36:54
ここには頭悪いヂヂイが大量にいるんだな

36 :考える名無しさん:05/03/14 16:38:19
ハイデガーはナチスとの関係でイメージダウン。サルトルの方がまし。

37 :人力飛行機:05/03/14 17:33:06
極私的読み方としては、ナチスに加担したことを彼の思索と関連させて読んだことはない。どう関連させるか、しかも関連させたその関係から何が導き出せるのか。僕には判然としない。色んな人達がやろうとしているらしいから、その人達はやればいいと思う。

38 :人力飛行機:05/03/14 17:47:21
でかつて掲載された岸田秀と吉本隆明の対談であって、そこで問題となったのは、岸田と吉本の共同幻想の違いであった。岸田の言う共同幻想は個的幻想の集合体である。だが、吉本の場合は単に個的幻想の集合ではなく、元々の個体が居なくなっても

39 :人力飛行機:05/03/14 18:04:10
論の方が簡潔で分かりやすいと受け取った。だが、吉本は岸田より厳密に考えていた。そこでハイデガーに戻ると、彼は個体と共同性の位相の違いに無自覚だったのではと思える。個体と共同性を単なる〈個体×n〉と考えること。彼の誤る素地はそこにあったのでは。

40 :考える名無しさん:05/03/14 19:26:15
単純な物理現象は、構成要素が支配、コントロールできる関係にある。
完全な予測可能性がそれを可能にする。
一方、複雑現象(人間・社会・地球環境)は、ネゴシエーション、弁証法的葛藤の関係にある。
こちらは完全に予測することは不可能だ。

41 :人力飛行機:05/03/15 20:51:09
見方もありますよね。“弁証法的葛藤”。差異の止揚。概念の発展。ハイデガーにはその辺の思考はないんじゃないかな。彼は終生同じ歌を歌い続けた、ないし変奏した。彼の残した仕事はそうだった、という印象を僕は持ってるんですが。

42 :人力飛行機:05/03/15 20:58:37
酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文なんです。そこに「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」という文言があったことはよく知られています。僕は咄嗟にハイデガーの有名な概念〈存在忘却〉を連想しました。

43 :人力飛行機:05/03/15 21:15:30
そして、ハイデガーによれば存在忘却に対抗し、現有は存在を暴力的に奪取し、想起する…そんなくだりがあった。宮台真司の指摘する同調圧力もやはり忘却を強いると言えるでしょう。まだハイデガーの問いが生きている。そんな気がします。

44 :考える名無しさん:05/03/15 21:16:50
古いベットの上で やさしさを持ち寄り

45 :考える名無しさん:05/03/15 23:39:04
ノーベル賞を辞退しながらも、尻すぼみのサルトルより
ナチに加担しながらも、今なお議論されているハイデガーの方が上だな。

46 :考える名無しさん:05/03/15 23:48:24
どっちが上とか下とか・・・・・・w

47 :考える名無しさん:05/03/15 23:56:37
じゃあ、ハイデガーもサルトルも「ちっともえらくない」でいい?

48 :人力飛行機:05/03/16 00:18:02
柄谷行人が『存在と無』の頃のサルトルはいいと指摘している。これは僕と反対で、サルトルは『弁証法的理性批判』以降の方が面白いと思っています。理由は、人間を拘束する条件の強固さを描き始めた。そこがまだ救える気がします。

49 :考える名無しさん:05/03/16 00:38:40
柄谷は前期サルトルの妙なカント主義に同類としての親近感を感じただけでしょ。


50 :人力飛行機:05/03/16 02:58:48
柄谷の指摘する「前期サルトルに於ける妙なカント主義」とはどういうことかを、でき得れば教示して頂けたらとても有り難い。

51 :人力飛行機:05/03/16 13:27:57
因果性を追求するのは認識的態度。にも拘わらず自由や責任を追求可能であるのは因果性を括弧入れ出来るからで、その場合は実践的態度である。そんなカント解釈をしている箇所がたしかありますよね。その辺の記述のことかな?どうでしょう。

52 :考える名無しさん:05/03/16 14:04:09
>>49
柄谷が指摘しているなんて、書いていませんよ。
私が「妙なカント主義」と読んだのは、一方で普遍的な道徳の存在を否定
しながら、他方である道徳的立場を選んだならその普遍的な妥当性を主張
せざるを得ない、というサルトルの奇妙な考え方です。

53 :人力飛行機:05/03/16 15:07:05
のを読んだことがあります。大学で平井啓之に「サルトルはいかなる立場を選ぶのも自由だと書いているのに、何故片方では政治的発言をするんでしょう?」と聴いた所「それはサルトルの人間観だろう」と煙に巻かれた、とか。

54 :考える名無しさん:05/03/16 15:17:36
あの時代のフランスで「投企」を考えたら、政治的行動しか無かったんでしょ。

55 :人力飛行機:05/03/16 15:23:58
サルトルの中の分裂が見えたと同時に、彼の中では分裂はしていなかったのだろうな、とも思いました。つまりそこは彼にとって、自由の相剋が底辺に置かれていて、よって彼が倫理を主張することは可能だったんじゃないか。という気がしました。

56 :ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 00:04:10
投企とアンガージュマン(自己拘束)ということですね。前期サルトルの絶対的自由からは
どのような政治的立場も導くことはできませんが、当時の状況においてマルキシズムだけが包括
的な哲学思想であり、その問題提起は乗り越えられていず、実存主義が、これを補完すると考え
たことからの選択、また使命感であったということかと思われます。


57 :考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:35:59
>>52
NAMに行った後は、むしろハイデガーにシンパシーを感じてたみたいだけど。

58 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 03:48:04
hosyu

59 :考える名無しさん:2005/05/30(月) 20:14:51
ハイデガー=有神論の実存哲学
サルトル=無神論の実存哲学

ところで『存在と時間』及び『存在と無』を読了した椰子ここにいるの?

60 :考える名無しさん:2005/05/30(月) 20:20:01
え、サルトルって読まなきゃダメですか!?

61 :考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:57:51
サルトルはサルの哲学。
サル取りがサルトルになるのです

62 :考える名無しさん:2005/06/01(水) 23:54:27
自分は無学の者で今「嘔吐」を読んでいるのですが、理解できない箇所があるので質問していいですか?

63 :考える名無しさん:2005/06/02(木) 00:18:59
いいよ

64 :考える名無しさん:2005/06/02(木) 00:19:41
ハイデガー=ナチ党員

サルトル=ノーベル賞を拒否

65 :考える名無しさん:2005/06/02(木) 03:23:08
有難うございます。
「嘔吐」の中で主人公が、存在とは必然では無く偶然性云々、と言っていますが、
ここでいう偶然性とは確率とか人智が及ばないとかいう意味でしょうか?
また主人公はあらゆるものにひとつの「存在」を感じていたんですよね?
そして僕は馬鹿なのでしょうか?

御教授おねがいします。

66 :考える名無しさん:2005/06/02(木) 03:34:49
@存在はあるところのものである。主体の自由に応じて存在は己を示すが
  それは自由と同じく必然でない。
A確率の意味ではない。人知は必然を求めるが自由はこれを逸脱し従って
  「存在」も知ー必然を逸脱する。
B「存在」は実存的主体にとっては「迫ってくる」ものである。
Cそんなことはわからない。

67 :考える名無しさん:2005/06/02(木) 11:16:18
なるほどよく解りました。どうも有難うございます。
続き読みます。

68 :考える名無しさん:2005/06/03(金) 01:22:17
「嘔吐」読了。
なんか最後がちょっと強引かなと思いました。

69 :考える名無しさん:2005/06/03(金) 20:50:13
実存とは、それが在るところのものであり、在らぬところのものである。

70 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/03(金) 21:04:47
両者とも、カントのアプリオリな感性としての時間、空間という幸せな座標軸から、
時間を経験的な認識に追い出した。

サルトルの「弁証法的理性批判」における、
対自、対他存在等としての認識の規定は、
ハイデガーの「存在と時間」から大きな影響を受けている。
いずれも、現象学が基底にある。

時間をアプリオリな認識から追い出すということは、
x,y,z軸の空間の認識は無条件に与えられるが、
時間は各自固有の認識である、という点で、
人間一般が共有できる認識の軸を両者とも失っている。

それが、実存の基底。

と、理解しております。


71 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/03(金) 21:09:21
即ち、空間の3次元的認識と、+時間の4次元が所与のものとすれば、
人間の認識は、ほぼ∞に、科学的思考一般、人間の認識一般、
即ち、帰納/演繹的思考は可能と措定できる。

それに対するアンチテーゼから、ふたりとも出発している。

と、理解しております。

72 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/03(金) 21:12:07
因みに、吉本隆明の「心的現象論序説」も、記憶の範囲では、
空間の認識が、個々の人間の時間の認識により、
微妙に歪められる、という前提に立っていたと、記憶しております。

73 :考える名無しさん:2005/06/03(金) 21:27:35
>>70-72
おまえあたまいいな

74 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/03(金) 21:31:13
>73
誉め殺しはやめてくれ。

75 :考える名無しさん:2005/06/03(金) 21:41:04
いやいや、けっこうすげぇよ

76 :考える名無しさん:2005/06/10(金) 06:41:29
サルトルは実存を解明したのか、
実存主義にとどまったのか、
そこを超えだして展開したのか、しなかったのか。

77 :人力飛行機:2005/06/10(金) 10:29:48
ハイデガーは自分の思考を実存主義ではないと明言している。つまり自分のは存在への思索だと。また、サルトルの哲学は実存と本質を転倒しているが、相変わらず形而上学に留まっており、それへの批判を欠いている、とも言っている。

78 :人力飛行機:2005/06/10(金) 10:45:27
マルクス主義への距離も差がある。サルトルは自らの実存主義とマルクス主義の融合を試みる。ハイデガーにとってマルクス主義は近代的技術主義の一形態と最終的には評価される。具体的には平凡社版『形而上学入門』付録の「シュピーゲル対談」に詳しい。

79 :人力飛行機:2005/06/10(金) 10:51:17
以下のような箇所である
シュピーゲル:きっとあなたは共産主義的運動をもその中(「価値」と「全体性」との濁流の中で当てずっぽうに網打漁をしている哲学)に数え入れるのでしょうね。
ハイデガー:ええ、全くそのとおりです。

80 :人力飛行機:2005/06/10(金) 10:59:22
惑星的な技術によって規定されたものとして。
シュピーゲル:アメリカニズムもですか?
ハイデガー:これまたしかり、と言いたいところですね。ここ30年の間にだんだんはっきりしてきたと言って良いと思うのですが、

81 :人力飛行機:2005/06/10(金) 11:04:30
近代的技術の惑星的運動は一つの威力であり、歴史を規定するそれの偉大さ(人力による註:人間が自力で制御出来ない或るもの、との意味)はどんなに大きく評価されてもされすぎることがないほどです。(平凡社版『形而上学入門』P.383-384)

82 :人力飛行機:2005/06/10(金) 11:26:53
失礼。79における“共産主義運動をもその中に”の“その中”とは先の意味でなく、《地球全体の惑星的本質から規定されている技術と近代的人間との出会い》の意味に訂正します。よろしく。

83 :考える名無しさん :2005/06/12(日) 15:10:11
実存ブーム!!!!!!!キター!!!!

84 :考える名無しさん:2005/06/12(日) 15:12:00
サルトル批判ブーム

85 :考える名無しさん:2005/06/13(月) 18:53:40
姉妹スレ
今、あえてサルトルを語ろう(文学板)
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1118504892/l50

86 :考える名無しさん:2005/06/14(火) 21:54:36
サルトルは偽者。
ハイデガーは本物。サルにも実存はある。
構造主義は意味なし。

87 :考える名無しさん:2005/06/14(火) 21:55:40
4×1=4

88 :考える名無しさん:2005/06/15(水) 02:10:52
>>77
その通りやね。ハイデガーがやりたかったのは存在の解明。まぁそこに至ってるかどうかは疑問だが。
とりあえず、言葉の用法が魔術的に難しくて他人に理解されることを求めてないのがハイデガー。小説とか書いちゃったりしてるのがサルトル。
ハイデガーの原著はドイツ人でもわからないドイツ語やし。

89 :考える名無しさん:2005/06/15(水) 17:13:03
サルトルは偽者だけど
楽天的でいいよ。

90 :考える名無しさん:2005/06/16(木) 02:32:05
神はサルの創造に失敗しサルトルを創った

91 :考える名無しさん:2005/06/16(木) 23:40:04
サルトルが偽物呼ばわりされているが……
バタイユはサルトルを評価していたし、ドゥルーズは「サルトルは私にとって全てであった」と言っている。
だからといって俺もサルトルは偽物のような気がするが。

92 :考える名無しさん:2005/06/17(金) 12:43:00
完璧な哲学者って誰?
誰か知ってたら教えてください。

93 :考える名無しさん:2005/06/17(金) 13:33:17
哲学に完璧なんてない。
先人の築いたモノはツールに過ぎない。ツールを使って新たに作業を行うのが哲学。


94 :考える名無しさん:2005/06/17(金) 13:41:40
>93
同意

95 :考える名無しさん:2005/06/20(月) 16:32:20
読売新聞6月20日夕刊4面に「サルトル生誕100年 上」っていう記事が
載ってますね。

96 :考える名無しさん:2005/06/23(木) 12:38:42
>>91
ドゥルーズが評価したのは哲学ではない部分。
主に知識人としての振るまい。
「サルトルに夢中になってた頃は、彼とハイデガー(当時うんざりするぐらいに
詰め込んでた)との関わりさえ、全く知らなかった」
みたいなことを言ってたぐらいだから。

97 :91:2005/06/25(土) 17:10:20
>>96
ほう! バタイユはともかくドゥルーズがサルトルに入れ込む理由がわからんかった。
(バタイユも十分謎だが)
詰め込んでたっていうのがよくわからんが、情報サンクス。

98 :考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:27:00
現代思想の特集号に出てた、最後のインタビューに出てたよ。
イポリットのところでヘーゲルやハイデガーを詰め込まされて息が詰まりそうなところに
サルトルが出てきた、みたいな感じ。
そっちよりも、否定的ではあるけどハイデガーに言及していたのが、
やっぱりね、と感じた。

ガタリに惹かれるような所をサルトルに感じていたんでは(ガタリはサルトルに否定的だと思ったけど)。

99 :考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:33:25
あれ、批評空間だったかな。
最後にマルクスを書くとか言うやつ。
今調べたらインタビューはなかった。

100 :考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:35:53
批評空間に出てたインタビューにはそれについての記述はなかった。
間違いかな。

101 :考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:42:12
「ドゥルーズの思想」にあった。

102 :91:2005/06/25(土) 18:53:52
確か意味の論理学ではハイデガーに関する記述があった。
ハイデゲリアンではないだろうがサルトルよりもハイデガーなんだろうな。本人の興味は。
サルトルの知識人としての振るまいというのから
狂人の二つの体制収録のヤーセル・アラファトの偉大なんかが出てくるのか。
……話戻そうか。俺が振っておいてなんだが。

103 :考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:55:39
 私は、私の愛し尊敬していた二人の師、アルキエとイッポリットによる教育を受けた。
状況は悪化していた。一人は長い白い手をし、そして生まれつきか、あるいは反対に生来のアクセントを
隠すためにそうなったのかは知らないが、どもりで、デカルト哲学の二元論に献身していた。
もう一人は、力強い、四角張った顔立ちをし、ヘーゲルの三段論法をこぶしで拍子をとりつつ、
一語一語を強調していた。終戦の時も、われわれは奇妙にも哲学史に釘づけになったままだった。
ただひたすらヘーゲル、フッサール、ハイデッガーに入り浸っていた。中世よりももっとひどいスコラ派の中に、
小犬みたいに盲滅法突入したのだった。
 幸いなことにサルトルがいた。サルトルはわれわれの<戸外>、まさに裏庭の涼風
だった(来るべき歴史の観点から、サルトルがハイデガーとまさにどのような関係にあるかを
知ることは、大して重要ではなかった)。ソルボンヌのすべての確率の中で、彼こそが
われわれに再び零からやり直す力を与えてくれる唯一の組み合わせだった。そして、
まさにサルトルは絶えずそうあり続けたのだ。模範でも、方法でも、手本でもない、
ほんの少しの澄んだ空気、、<植物相>をわたってくる涼風、知性の状況を
不思議なほどに変えた一知性だった。サルトルが何かの始まりか終わりかを問うのはばかげている。
すべてのもの、そして創造者らがそうであるように、サルトルは中間に位置し、中間を突破する。それでも、
まったく理由はわからないが、私は当時は実存主義にも現象学にも魅力を感じていなかった。
しかし、人々がそれらに到達したときには、すでに歴史の一部になっていて、
サルトルによるもの以外は、あまりにも多くの方法、模倣、注釈、解釈がありすぎた。

104 :考える名無しさん:2005/06/30(木) 20:51:01
現代人は植物化しているということなんですか?

105 :考える名無しさん:2005/06/30(木) 22:41:25
ハイデカーの肺デカー

106 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 15:22:39
今日の日経新聞朝刊の文化面、サルトル特集ですね。

107 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 15:54:06
>>77
『ハイデガーが存在の解明に取り組んだということ』と、
『彼に対する実存主義者との評価』は矛盾しないと思うけど、
そこんとこ、どう?
うろおぼえだけど、確か今でも、
ハイデガーへの実存主義者の評価については
「本人は否定しているが・・・」みたいに
語られることなかったっけ?

108 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 20:30:31
それ言ったらフーコーは構造主義者だし。
高校の倫理教科書持ち出してきたらニーチェまで実存主義者にされそうな肝ス
別にハイデガーが実存主義者でもかまわないが、重要なのは分類じゃないよな。

109 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 21:06:39
>>108
まぁね。
ただ、まさに分類の話になってたから言ってみただけのこと。

110 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 21:50:06
>109
敢えて旧式の分類論でいくなら、ハイデガーもサルトルも「存在論」者だよ。

111 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/16(土) 22:16:10
ハイデガーは、イデア、超越的ななにものかを、まだ追掛けた。
サルトルは、そういうものは無い、という前提から、「存在と無」において、
存在論を展開した。
「そういうものは無い」、ということを前提にすること、それが、いわゆる「実存」。

112 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 23:11:48
>>111
実存主義とは何か?存在論とは何か?
って問いに対してそう決めてしまえば確かにそれははっきりするけど
本当にそうか?って気もする。
っていうのは、まずハイデガーは『立てる』っていう独特な言葉でもって
近代理性を批判してるし、
一方サルトルにしたって、レヴィストロースとの論争においてサルトルは自身の持っている
「理性へのナイーブな志向」を問われたのではないかと思う。
それにあなたの言うとおりだとすると、>>77が挙げたハイデガーの指摘
>サルトルの哲学は実存と本質を転倒しているが、相変わらず形而上学に留まっており、
>それへの批判を欠いている
は当たらないということになるが・・。
うーん、わからない。
そこんとこ、どーでしょう。


113 :106:2005/07/17(日) 04:38:04
誰も日経読んでないんだな・・・。

114 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 09:02:02
ハイデガーはフッサールに同意して最も根源的であると思われる存在について問うのだが、
サルトルは存在を置いといて人間存在(実存)を問うている。
ハイデガーのは存在哲学、サルトルのは実存哲学。
っでいいと思うが、果たしてどうなのかな?

115 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 18:39:02
>>114
しかし、ハイデガーは形而上学を批判してなかったっけ?
そして、フッサールは「現前の形而上学」として後々批判されるわけだが。

存在と実存の違いは?

116 :考える名無しさん:2005/07/20(水) 04:33:16
ハイデガーはフッサールの事象そのものへという方法には同意したんじゃ?

存在は女みたいなもので現象的なものの源であり本質のないもの。物自体。
(存在は現象に先立つ)

実存は男みたいなもので本質の源であり現象的なもののないもの。客観的認識者。
(実存は本質に先立つ)

存在は実存たりえず、実存は存在たり得ない。

横たわる深淵にも関わらず存在と実存は世界の両輪として共に働く。

世界は存在と実存の包括者ではなかろうか?
つ ヤスパース


117 :考える名無しさん:2005/07/20(水) 05:23:58
ハイデガーの「存在と時間」が未完に終わったのは彼が実存だから。
時間には始まりも終わりもない。
存在には始まりも終わりもない。

サルトルの「存在と無」は彼が実存であるために、存在は本質的に無と思われるというわけだ。

ハイデガーがナチスに加担したのは、存在にひどく恐怖を感じたからだろう。存在は実存の無存在性を悟らせるから。でも実存は存在していなくても、空虚ではあってもそれは意味と本質、価値の源として存在に溶けこむ。そこで水を得て生きる。
存在は実存を内に溶かし込むことで生き甲斐を得る。

まぁどっちもちょっぴりしか読んでないけどね。
今読む意味と動機を得たから読むかなw。

118 :考える名無しさん:2005/07/20(水) 16:49:02
>>116
>ハイデガーはフッサールの事象そのものへという方法には同意したんじゃ?
>存在は女みたいなもので現象的なものの源であり本質のないもの。物自体。
>(存在は現象に先立つ)
なるほど、これは同意。
(女、男っていうのはよくわからないが。)

>実存は男みたいなもので本質の源であり現象的なもののないもの。客観的認識者。
>(実存は本質に先立つ)
これはよくわからない。
客観的認識者?
ってことは超越論的主体ってこと?
それが実存?
違うだろ?



119 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/20(水) 22:33:52
>>117
サルトルの「存在と無」は彼が実存であるために、存在は本質的に無と思われるというわけだ。>

サルトルは、存在が「無」であるなどとは書いていない。
なにかにコミットする、参加する、という、そのときどきの選択を自分で行っていく、
そのプロセス自体が実存である、と書いていた、と記憶している。
存在に予め与えられている所与のもの(自分を自分以外のものが規定するところのなにものか)などは無い、
と書いているだけ。

120 :日経新聞16日文化:2005/07/20(水) 22:51:03
適当に脳内で要約
---------------
今年はサルトル生誕100周年であるらしい。
フランスでいろいろ催し物があるらしい。

日本におけるサルトル
66年のサルトル来日に日本の学生は熱狂したらしい。
68年にサルトルの「嘔吐」が三万部売れた。
大江健三郎や江藤淳や大島渚や唐十郎に多大な影響
を与えたらしい。

しかし80年代には完全に忘れ去られた。
今「嘔吐」は二千部しか売れない。

講談社「現代思想の冒険者たち」には
デリダ・フーコー・ハイデガーはあるが
サルトルは抜け落ちている。


121 :日経新聞16日文化:2005/07/20(水) 22:58:02
「サルトルの世紀」 ベルナール=アンリ・レヴィ
という本が出て
浅田彰は絶賛したらしい。

海老坂という人は「褒め殺しだ!!
実存主義はヒューマニズムなのだ
後期サルトルを消去するのは許さん!!」
とか言って怒ったらしい。


122 :日経新聞16日文化:2005/07/20(水) 23:01:49
以下の本が紹介されていた。
------------
実存と暴力
後期サルトル思想の復権・清 眞人 著
-----------------------
水野浩二『サルトルの倫理思想』

123 :117:2005/07/21(木) 12:33:00
>>118
知識はないが、実存は自己関係だと思われるよ。
自己内部での関係。超越的視点を獲得した自己(主)と見られる自己(客)の関係。
その超越的な自己は見られる自己の存在に到達できない。これが実存の存在忘却ではないかな。実存になることによって人は存在を忘れてしまう。
でもそれによって他者の存在に近付けるようになる。自分との決別によって他者と出会うことになる。(自分にも他者にもなれはしないだろうが…)存在と会話するようになる。存在の言葉を理解するようになっていく。


124 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 14:47:52
>123
<知識はないが、実存は自己関係だと思われるよ。 >

対自存在であり、対他存在であるのだから、自己関係ではないよ。
また、<超越的視点を獲得した自己(主)と見られる自己(客)の関係。>
なんて、サルトルは書いていない。


125 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 17:11:08
オマイは女か。>>124

126 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 17:16:50
>125
女は、女に生まれるのではなく女になるのだ。

127 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 17:21:40
即ち、人間存在は、tabula rasaとして生まれ、自分のそのつどの選択により、
engageすることにより、自分の存在を自分で規定していくプロセスを実存という。

128 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 17:23:13
誤)engageすることにより
正)世界にengageすることにより

129 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 18:37:15
女には男はわからんな。

130 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 18:48:49
自分と世界に対峙する超越的視点、客観的視点の関係が実存だろ。
見る方は存在なんだろうが、見られる方の存在には到達できないから、見る方も自分の存在を疑ってしまう。

131 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 18:58:47
実存を語るのに、どうして、超越的視点、客観的視点等をもってくるのかがわからない。
そういうものは、もう無いよ、っていうところから出発したのが「実存主義」だと思う。

132 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 19:19:34
いや哲学史的にはキルケゴールから始まったんだよ。彼は自己をどう定義した?
てか対自存在というのは、自に対する存在ということだろ。
対他存在は他に対する存在。
無いというのはその存在に対峙するもののことだろう。ならば自分は自由ということで、いかに自分を規定していくかが問われる。

133 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 19:30:24
どうもサルトルは我思う故に我ありというのを信じたようだ。
だから自分は存在であり、到達できない対象は無としたんだろう。それで自分は自由だと。

134 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 19:31:15
どうもサルトルは我思う故に我ありというのを信じたようだ。
だから自分は存在であり、到達できない対象は無としたんだろう。それで自分は自由だと。

135 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 20:04:30
>132
別スレでさんざん書いたよ。
キルケゴール絶望に絶望する絶望。

無っていうのは、存在の対極概念だけど、
対自、対他等の存在規定をしない、
即ち、何もengage/規定しない、無としての自分。

>133
我思う故に我あり、っていうデカルト的存在論なんか、
サルトルは一言も書いていない。


136 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 20:20:46
>>123
>実存は自己関係だと思われるよ。
>自己内部での関係。超越的視点を獲得した自己(主)と見られる自己(客)の関係。
主体と客体ってわけか。
>その超越的な自己は見られる自己の存在に到達できない。これが実存の存在忘却ではないかな。
これはちょっとわからない。
「その主体的な自己は主観的自己の存在に到達できない。
(というか、その存在を不問にふす。)これが実存の存在忘却ー。」
ならば理解できるんだが。
実存主義にしても存在論にしても、神に裏打ちされるような超越論的主体へのアンチテーゼとしては
同時代的な背景を共有していると思う。
ただ、実存主義では存在そのものを問わなかったために、
まさに主体と客体との間の関係性しか問題にせず、
「俺たちは自由な選択、参加、行動によって、なりたい自分になれるんだ!」
みたいな感じでナイーブな理性信仰が出てくるんじゃない?
その点を構造主義や精神分析の視点から批判されることになる・・・と。

137 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/07/21(木) 23:23:12
>136
<「俺たちは自由な選択、参加、行動によって、なりたい自分になれるんだ!」>

本当の自由、即ち、何にも規定されない自分というものは、
想像することもできないほどに、恐ろしいものだと思いますよ。
日常生活レベルで考えても、本当になにものにも規定されない自分って、
想像できます?




138 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:21:42
想像はできないが、
体験してみないとわからない



ってな体験主義は哲学では禁止かw

139 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 06:04:49
キルケゴールの死に至る病の冒頭に自己の定義があったと思うが。
いきなりわからなかったっしょ? >>135


140 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 07:19:08
>>136

存在を不問にふすんではなくて進行形の存在感がなくなり、次第に存在感の記憶も失われることじゃないかな? 存在忘却は。
逆に存在が未知になったから存在を問うことになる。
俺自身存在感ってどんなものだったか忘れてきてるが、今も稀に存在感が蘇ることがある。後で反省してみれば、それは不安に他ならなかった。ならば存在は不安の概念ということだろう。
存在というのは不安という存在感を意味する概念である。
世界の根源が存在つまり不安にあるというのはあながち不当でもあるまいて。


141 :名無し:2005/07/22(金) 07:44:50
>>135

>133
我思う故に我あり、っていうデカルト的存在論なんか、
サルトルは一言も書いていない。

うんにゃ、「デカルトの我思う、故に我あり」は絶対的真理
だと言っている。『実存主義とは何か』だったか『存在と無』
のどちらの中でだったかは忘れたが。



142 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 07:46:06
自分の存在、つまり不安から抜け出しても、そこには自分より根本的な存在、不安が待ち構えている。
でもその不安に身を委ねるという犠牲と引き替えに、真相に近付ける。
今まで存在感のなかった対象がその存在を訴えだす。
対象を自分に帰属させ、我ものとする。
世界は我なりというのは、神か然らずんばチャイルド。

143 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 07:58:17
女やフランス人は自分に甘いよ。
男やドイツ人の方が自分に厳しい。

144 :名無し:2005/07/22(金) 08:33:08
存在忘却というのはハイデガーが持ち出してきたわけなんだが、
存在一般を問うといってもなかなか難しい。で、最も身近なとこ
ろから始めましょということで人間の主観とか自我の存在を問う
ことになる。もっとも、ハイデガーは主観(主体)という語は、
例えば『存在と時間』のなかでは全くといってよいほど使用せず、
「現存在」という語を使用しているが・・・
ま、語弊はあるかもしれないが、いわば存在のモデルケースとし
てそれらが存在論的に問われたと言ってもいい。

だから、例えば主客の関係にしても、それは存在の問いと無関係
というわけではない。むしろ超越論的なものの存在意味を問うという
大きな存在論的な課題を背負っている。

ちなみにハイデガーは師匠のフッサールに対し、超越論的主観とか
超越論的自我とか意識とか、そういったものの存在を問うていない、
つまり「存在忘却」をしていると批判する。デカルトに対しても同
様で、「我思う、故に我あり」の「思う我」の存在をデカルトは問
いに付していない、つまり「存在忘却」していると批判している。

ついでに言っておくと、自己が自己に到達できないということは、
メルロ=ポンティなら「私は遅れている」という表現になり、
レヴィナスならはっきりと「隔時性」というタームを使う。

145 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 08:55:52
>>144
ちゃんと読め、存在忘却というのは存在の不問ではなく経験だ。それは故郷喪失とも言い換えられている。そしてニーチェがそれを経験した最後の人とされている。

146 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 09:08:25
しまった確かめたら>>144の読みの方が正しかった。
実存の存在忘却ではなくて故郷喪失だったな。sage

147 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 16:07:11
>>140
>次第に存在感の記憶も失われることじゃないかな? 存在忘却は。
逆に存在が未知になったから存在を問うことになる。
まぁ、そなんだろうけど。
でもなんで、存在感の記憶が失われてしまうかといえば、
近代哲学が存在を問わずに存在者ばかりを問題にしたからだろ?
それがよくハイデガーが言う『形而上学』批判だと・・。
>存在は不安の概念ということだろう。
存在というのは不安という存在感を意味する概念である。
世界の根源が存在つまり不安にあるというのはあながち不当でもあるまいて。
『概念』ってところがひっかかるけど、言わんとすることには同感。

>>144
>ハイデガーは主観(主体)という語は、
『主観』と『主体』は同じ意味なの?

148 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 22:04:27
この前、サルトル学会に参加したよ。

レヴィの著作(今読んでる)も話題になっていたけど、俺はレヴィのサルトル論は大まかなところは賛同する。
レヴィによるとサルトル(特に初期)はバルト、フーコー、ラカン、デリダ、ドゥルーズの哲学に連なるものである(特に反ヒューマニズム)と言ってるけど、その点に関してはどうかと思う。
確かに全体的人間に対する反ヒューマニズムは『嘔吐』の中で語られているけど、一方でデカルトのコギトは『存在と無』の中では大きな主題であるわけだし。
特に『自我の超越』からの意識(直線的でものそのものへと向かう意識)から『存在と無』で展開される意識(直接的な意識を非反省的な意識で捉えようとする意識)に関する問題をレヴィは見逃していると思うよ。

なんか今サルトルを研究しようとする人たちって、構造・ポスト構造からのみ見ようとしているから、サルトルが意外とマルブランシュとかから影響を受けていることを見逃していると思う。
特に『存在と無』の中ではアルノー=ライプニッツ論争における「充足理由率」の問題が出てくるけど、この文章まんまライプニッツからパクっているww

103で書かれているドゥルーズの言葉の<中間>って、まさにサルトルだよね。
共同体(レヴィは善の共同体とも言ってるけど)の拒否、融即への拒否はレヴィナスにももろ適応する。

ハイデガーとサルトルの関係に関しては澤田先生がいう「誤読による積極的な流用」がもっとも適切なのではないかと思う。

149 :名無し:2005/07/22(金) 22:28:45
>>145
存在忘却というのは存在の不問ではなく経験だ。

それは分かるけど、存在忘却には三つの説明がある。
君の言っているのはその一つだが、僕が書いたのは『時間概念の歴史』
とテーマ的に連なる枠内であり、ラントグレーべが『現象学の道』のなか
で、ハイデガーの問いが「主観性の深遠へと向かっている」と述べたのを
念頭に入れてのことです。

>>147
ハイデガーは主観(主体)という語は、
『主観』と『主体』は同じ意味なの?

誤解させて申し訳ない。Subjektという語を使えば良かった。



150 :ハル:2005/07/22(金) 22:43:51
臣民か。

151 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 22:53:16
このスレの皆様は大変お勉強家ですね。

かんしんです。

152 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 23:23:50
>>148
ふむ、なるほどな。面白い見解だと思う。

153 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 23:27:35
>>152
誤読

154 :考える名無しさん:2005/07/23(土) 02:22:35
存在と存在者の区別はあまり本質的ではないと思う。
存在は存在感のある存在者ではないかな。どんな存在者も存在になりうるかもしれない。
存在忘却、存在の存在者化と共に存在者の存在化が起きる。


155 :考える名無しさん:2005/07/23(土) 02:38:03
存在というのは世界における自分の位置でしかない。根本的な存在を問うのは、根本に自分を移行させようという動機だろう。

156 :考える名無しさん:2005/07/23(土) 02:41:24
(♯ ̄З ̄)ブツブツ・・覚ちゃん・・ブツブツ・・・

157 :考える名無しさん:2005/07/23(土) 23:53:05
存在は世界における自分の場所である。
存在は本質的には自由で無規定であるが、それは住所の変更可能性としてである。
つまり引越しする自由を属性として持つ。
その意味で自由ではあるが、存在はいかなる時にも常にある場所にいる。

存在は存在者を通してのみ知られる。
知ることによって存在は変わる。

158 :考える名無しさん:2005/07/24(日) 00:04:49
スレの流れとは関係ないのですが、ハイデガースレよりも
こちらの方が活発なようなので、質問させていただきます。

ハイデガーの 「Was ist das ― die Philosophie ?」は、
全集版では第何巻に収録されているのでしょうか?

ご存知の方、お答えいただけるとありがたいです。

159 :考える名無しさん:2005/07/24(日) 00:27:16
私とは何か? それはその存在感とイコールではない。存在感は変化するから。
でも意識は相変わらずな気がするから、
とりあえず私とは意識と言っておこう。
ならば存在とは意識の世界における場であると再定義される。

160 :考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:36:48
サルトルの有名な人間主義宣言である「実存は本質に先立つ」ですが、
この命題をハイデガーは「実存と本質をひっくり返しただけでは形而上
の克服にはならない」と批判しましたが、その意味がよく分かりません。。。

どなたか教えていただけませんでしょうか? お願いします。

161 :考える名無しさん:2005/07/25(月) 00:22:33
ハイデガー − ドイツ観念論
サルトル − フランス啓蒙哲学

162 :考える名無しさん:2005/07/25(月) 08:53:24
昨日の赤い紅いアサヒの読書ページ
にもサルトル本の紹介文があったな。

163 :考える名無しさん:2005/07/25(月) 08:58:57
サルトル=ヤムチャ
ハイデガー=天津飯

164 :考える名無しさん:2005/07/25(月) 20:29:39
レヴィのサルトル本は柄谷がやるのかと思った。

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