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なぜ?記憶が正しいという前提

1 :ローカルルール審議中:2005/04/08(金) 02:17:09
大抵の人間は記憶を正しいという前提で生活し考えてるが、
なぜ記憶を信じる?
記憶が正しいかどうかなんて
分からないだろ?
なぜ記憶なんかを
考えの基盤にして生きるんだ?

664 :フサール ◆nj5mzrdIEM :2005/07/11(月) 18:29:16
>>663
>最初の根源的な問いの理由にテーマを絞りませんか?
 ダメ。逃げまくって話を広げたのは君なんだから、
ちゃんと自分でケリをつけてね。

 「悪さしてるとお巡りさんに捕まるよ」とか、
「食べ物を残すともったいないお化けが出るよ」とか、
「もし世界が100人の村だったら」とか、そんな例えは
事情をよく知らない子供を納得させるための、ただの
説得技術だよ。
 実際にはお巡りさんは民事不介入だし、もったいない
お化けの目撃証言もないし、世界は100人の村じゃない。
それは話し手もわかってるけど、難しいことを理解できない
子供を説得するには理論じゃ無理だから、身近なもので
イメージを掴みやすくしているだけ。

 後半の二行は日本語になってないよ。

665 :考える名無しさん:2005/07/11(月) 23:11:58
>>663
>ちょっと流れが発散してるので、快苦は「理由を問う理由」とでも位置づけておいて、
>最初の根源的な問いの理由にテーマを絞りませんか?
切り口は違っても、切っている方向さえ間違わなければロールケーキは切れます
もっとも、「方向間違っちゃった」と言うのなら修正してもかまいませんが?
でもまずは、きちんと「方向間違っちゃった」理由を説明することが大切ですね
反省の無いものに進歩はありませんから

>生物⇔無生物の境界線は私達生物の主観が入るのであまり意味は無いと思います。
脳内を分子や原子にまで還元して考えるのもあまり意味は無いと思いますが…
意味があるなら、そもそも意識とは何かという問いが発生する

>「そう感じるから」なんて言いましたっけ?
ああ、これは勘違い
「他人に伝えることが出来ない」って事を言っていて、その中の例として「感じることを他者に伝えることは可能ですか?」ってのが有っただけだ
こいつはすまんかった
物は相談だが
「自我」なんて意識全肯定主義を発した後に
こいつに入れ替えて答えることは出来るか?

>たとえ話=理論=理論的じゃないんですか?
>>657読んだ?

>脳科学とか物理的な探索をしなくても可能な気がします。
で、「脳内かよ!」という誹りを受けて、また振り出しに戻るんですか?

666 :考える名無しさん:2005/07/11(月) 23:15:25
>>663
>それに、意識を中心に考えると唯識論や独我論に行き着き、
>脳科学とか物理的な探索をしなくても可能な気がします。
自分をとりまく社会を中心に将来のことを考えると障害者福祉や生活保護に行き着き
国語や算数を勉強しなくても暮らしていくことが可能な気がします

667 :1:2005/07/15(金) 14:16:57
>>664
思考実験の意味の認識が私と貴方では異なるようです。
比喩という意味ではなく、
「仮にAがBという変化をしたらどのようになるか?」
このような実験を行うのに、
物理的な実験ではなく思索により行う方法が例え話です。
例え話=実験であって、比喩を用いた説明の仕方ではありません。

>>665
>きちんと「方向間違っちゃった」理由
おそらく、「根源的な問いを問う理由」を説明するのが長文になるから
だと思います。
>脳内を分子や原子にまで還元して考えるのもあまり意味は無いと思いますが
より最小の何かを考えると、意識の根源を知るには何を問えば良いかが
分かると思います。
体全体が無くても脳があれば意識は発生し、
脳全体が無くても一部の細胞があれば意識は発生し、
細胞全体が無くても一部があれば意識は発生し…を繰り返すと、
「何故最小の物質が動くと意識が発生するのか?」
という問いにたどり着きます。

668 :1:2005/07/15(金) 14:39:09
というか、そもそも
「文字により何かを認識する事ができる」
という前提がありますね。

その前提を外して、別に文字でなくても良いのではないか?と考えます。
例えば、>>517
「ぼく は きょう ししゃも を たべました」で、
ぼく=1 は=+ きょう=2 ししゃも=− を=3 たべました==
と認識し、0=そうですか と認識しており「そうですか」と答えても
客観的には何の変哲も無い日常会話となりますが
主観的には数学の計算をしています。

このように、文字のやりとりも主観的には意識の根源を議論していても
客観的には全く違う、逆に主観的にデタラメナ記号と認識されるのが
客観的に解である可能性があるので、
ちょっと考え直してみる必要性があると思いました。

669 :考える名無しさん:2005/07/15(金) 21:28:20
国語と算数を勉強しなおしだね

>>667
>「仮にAがBという変化をしたらどのようになるか?」
>このような実験を行うのに、
>物理的な実験ではなく思索により行う方法が例え話です。
それは例え話ではなく、考察による予測というものだよ
例え話ってのはやっぱり>>664に書いてあるように、分かり辛い物を噛み砕いて伝える手法だよ
少なくとも一般的な語句としてのの使用方法はそうなっているよ

>おそらく、「根源的な問いを問う理由」を説明するのが長文になるから
>だと思います。
長文になるからといって放棄するのですか?
>>657をよく読んでな
ま、俺が見るところ、根本原因は上のような一般人との語句の使用方法の差異にあると思うが?

>「何故最小の物質が動くと意識が発生するのか?」
>という問いにたどり着きます。
だからよ〜
その問いの前提には、「何をもって意識とするか」って問いが立ちふさがってんのよ
どうよ?

670 :考える名無しさん:2005/07/15(金) 21:33:40
>>668
>ぼく=1 は=+ きょう=2 ししゃも=− を=3 たべました==
>と認識し、0=そうですか と認識しており「そうですか」と答えても
>客観的には何の変哲も無い日常会話となりますが
>主観的には数学の計算をしています。
え〜
国語を破壊したいのかな?それとも算数を破壊したいのかな?
1+1=2
ぼく は ぼく たべました きょう
ちょっと怖い文になっちゃいました…

671 :1:2005/07/16(土) 12:38:29
>>669
>それは例え話ではなく、考察による予測というものだよ
考察による予測の方法が例え話、と使用すればOKですね?
>長文になるからといって放棄するのですか?
我は快を増やし苦を減らそうとする。
一般的にそうしたとしても永井論のように<私>は一瞬後どうなるか分からない。
よって、永井論の解を求める。
これで意識の根源、つまり<私>が<私>である理由や、<私>が存在する
理由を探すという結論になります。
>「何をもって意識とするか」って問いが立ちふさがってんのよ
これは表現が難しいですね。
私は我とか<私>とか自分とか意識とか魂とか同じ意味で使ってますが・・・
何かを感じている主体やその何かではないでしょうかね。
(何か=五感全てです。)

>>670
わし は わし うった よ さっき
全然こわくない文章ですね。

672 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 13:35:28
>>671
>考察による予測の方法が例え話、と使用すればOKですね?
だから、例え話にはならねえっての
例え話ってのは>>657で言ったように事例でしかない
考察による予測ってのは、事例よりもさらに論理的な説明を必要とするんだよ

>>長文になるからといって放棄するのですか?
>我は快を増やし苦を減らそうとする。
>一般的にそうしたとしても永井論のように<私>は一瞬後どうなるか分からない。
>よって、永井論の解を求める。
>これで意識の根源、つまり<私>が<私>である理由や、<私>が存在する
>理由を探すという結論になります。
これで長文?
さらに、今まで散々否定されたことも混じってるよね?

>(何か=五感全てです。)
で、脳みそだけで視覚や聴覚をどうやって得るの?
君の論では、脳みそどころかさらに小さいものに細分化されてたよね

>全然こわくない文章ですね。
皮肉すら通じねえのかよ!
だいたいその文章はどっからでてきやがた


673 :フサール ◆nj5mzrdIEM :2005/07/17(日) 15:54:55
>>667
「物理的にではなく、思索の中で行われるのが思考実験」
そんなの、得意げに言われなくても分かってるよ。
問題は、「思考実験(たとえ話)だけで終わってること」なの。

「ガリレオはピサの斜塔から大小ふたつの鉄球を落とした。
鉄球は同時に落ちた。」
↑これは矛盾した言説ではないが、これだけで終わる言説を
俺は哲学とも科学とも認めない。応用できる言説にしてはじめて
論理でしょうが。
「実験すること」と「論を立てること」、どっちが大事?

 その上、君のたとえ話は「実験」じゃあない。ただの「自分に
都合のいい仮定」でしかないのだよ。このスレで誰よりも多く
仮定やら前提を使用してるのは他でもない、君だよ。

674 :フサール ◆nj5mzrdIEM :2005/07/17(日) 16:06:39
 問題点をあらためて整理してみる。(ほとんどは既出の指摘)

>我は快を増やし苦を減らそうとする。
 これは否定できないし、肯定もできない。
「我が求めるもの」が快の定義であり、
「我が避けようとするもの」が苦の定義だから。
「我は求めるものを求めて、避けようとするものを避ける」
要するに意味のないトートロジー。

>一般的にそうしたとしても永井論のように<私>は一瞬後どうなるか分からない。
>よって、永井論の解を求める。
 俺が会った人で、そんな解を求めてた人はいなかったけどね。
どう考えても一行目と二行目の繋がりがない。援用された永井均が
かわいそうだ。

>これで意識の根源、つまり<私>が<私>である理由や、<私>が存在する
>理由を探すという結論になります。
 ならない。

 てゆーか、自分が気になってることを他人に「気になれ!気になって
当然だ!」と言うさもしい心性はどうにかならんのかな。

675 :1:2005/07/17(日) 18:48:53
>>674
>「我は求めるものを求めて、避けようとするものを避ける」
では、「100%の確率でそうできるようにする」という結論から
>>1の問いを挙げた、ではどうでしょうか。

なぜその結論が出てくるかと言うと
一瞬後何が起きるか分からない、もっと言えば<私>が私(ややこしいので
1と表記します)ではなくなる可能性もあります。よって、
その可能性を0にする為に意識の根源を問います。
>どう考えても一行目と二行目の繋がりがない。援用された永井均
これを説明し易くする為に例として永井論を用いています。
別に
万物は流転するかもしれないでも、
輪廻があるかもしれないでも、
物理法則が変わるかもしれないでも、
明日事故に遭うかもしれないでも、
何でも良いのですが一番普遍的なのが
「我が今の自分(この場合は1やフサール)から変わるかもしれない」
という理由なので、
これを説明するために永井論を挙げています。

676 :フサール ◆nj5mzrdIEM :2005/07/18(月) 13:56:44
「100%の確率でそうできるようにしたい」という願望から
>>1の問いを挙げた、ならOKだよ。勝手に願ってなさい。

 願望でもたとえ話でもない論理はまだー?
 「最終的な解」なんてものは弁証法の否定だという事も
忘れちゃいけないよ?

677 :1:2005/07/26(火) 15:10:00
ちょっと永井論関係のスレばかり見てました。

ワサビさんも見当たらなくなって、話が収集しなくなった場合は困りますが
問題点がまた見つかったので挙げます

・この瞬間しか確実なのは無いという論でいくと、仮に解が見つかったとしても
 次の瞬間には見つかってないという可能性も当然考えられる
・そもそも自分自身が「日本語」の意味を「Aはaだ」のように決めてるので、
 それが前提になってるので、言葉で解が見つかるというのは
 自分が「ただそう思ってるだけ」

この二つが問題です。
まあ、逆にこの2つを見つかるという方向に使うこともできます。
一瞬前は知ってたとか、一瞬後に分かるとか、
日本語ではなくそこら辺の埃の動きで分かるとか。

678 :考える名無しさん:2005/07/27(水) 12:16:07
同じ事しか言わない分からず屋だから、そろそろ飽きてきた…
>一瞬前は知ってたとか、一瞬後に分かるとか、
こんな話は前にもやったけど忘れちまったらしいし…

679 :唐辛子:2005/07/28(木) 23:46:24
('・ω・`)セボーン
返事が無い…

680 :1:2005/08/01(月) 21:59:50
この我・クオリア・意識・物事の根源といった問いは
どうすればいいでしょうか?
そうなってるからなってるとか、
在るから在るとか、
不思議でたまりません。

何で意識があるんですか?全ての最初はどうなってたんですか?
まさに人知を超えてる希ガス・・・
誰か教えてください

681 :考える名無しさん:2005/08/01(月) 22:06:41
記憶は確かに不確かだが
記憶に頼るしかないのが人間。

682 :マトン:2005/08/02(火) 22:50:07
>>680
不思議がってるだけで自分で考えようとしない
ただの教えて君にしか見えないな
何も定義しようとせず
他者の意見も取り入れようとせず
質問にも答えようとせず
でも、それで居て教えて君

ただの自我肥大者ですか?

683 :考える名無しさん:2005/08/03(水) 00:49:52
1は会話してもその記憶がないのでしょう?残念な人だ・・・

684 :1:2005/08/04(木) 20:09:16
>>682
考えてるつもりですが、例え話しか思いつきません。
だから、毎回おなじパターンになってしまいます。

定義は、永井論や独我論や唯識論しか疑いようが無い事はない、
といった事でしょうか?

他者の意見ですが、「最終的な解」が適切な表現でないなら、
なぜ意識が存在するのか知りたい。
なぜ脳内物質によって何かを感じるのか知りたい。
と表現を変えれば、
前々からの問いを問う意味も生じるのではないでしょうか?

685 :1:2005/08/04(木) 20:15:19
あと1つ。
>ぼく=1 は=+ きょう=2 ししゃも=− を=3 たべました==
という認識の例え話についてです。

そもそも言葉で問いの解を認識することができるのなら、
なぜ「ぼく」で「僕」を認識するのかとか、
なぜ「ぼく」で「1」や「青」といった認識ではないのか?
といった問いもヒントになるのではないかと思って
挙げました。

686 :マトン:2005/08/04(木) 22:16:41
私にしてみりゃ、例えそれがあったとして
なぜ「最終的な解」なんてご大層なものが、人間に理解できると思っているかが知りたいね
意識の神聖化てのもナンセンスだね
まさか『産まれてきた意味』なんてものが本当にあると考えているタイプかい?
その辺はもう少しシニカルに行こうぜ

それから、最も論理的な話が『例え話』でしかないというのでは、どうにもならないよ
たとえ話しか出来ないということは、あなた自身本質は掴んでいないってこと
例える時点で、既に本質から劣化しているわけだからね
確立でしか分からない電子の位置を元に、瞬間的な原子の正確な描写を求めているようなものだね

>そもそも言葉で問いの解を認識することができるのなら、
言葉ってのは、ルールに則ったパズルだからね
んで、産まれてすぐにそのルールの中に放り込まれるわけだ
ルールに則る以上、暗号化も復号化も可能なわけ
当然だが
>なぜ「ぼく」で「1」や「青」といった認識ではないのか?
ルールが変わればこんなことも起こるよ
簡単に知りたきゃ海外に行ってみな
いいか、「僕」で自分を想像するんじゃない、自分は僕であり、僕は自分なんだよ
ま、ルールを自分で平然と壊しておきながら、それを指して「変だ!」と叫ぶような人にはわかんねえかな

687 :1:2005/08/04(木) 23:49:56
>なぜ「最終的な解」なんてご大層なものが、人間に理解できると思っているか
私=人間とも言えますが、私=我=意識=クオリアと認識していて、
そもそも全て存在しなければ何ら問いは生まれませんが
存在してるので何か理由があると思ってます。
意味ではなく、発生したシステムとか原因とかです。
例えば時間の始まりとか宇宙が出来る前の前の前の・・・とかが
問いです。理由・原因がある筈ですよね?

>最も論理的な話が『例え話』でしかないというのでは、どうにもならないよ
これしか思いつかず、物質とかの例を出さないと
ゼロ・無限・有・無・意識・その他の感覚といった
数種類しか挙げられなくなりました。

永遠に分からず何かを知覚するか、
永遠に我や意識が消滅して何も知覚しないか、
どちらかなのでしょうか?
しかしどちらも『無限』が存在するということになるような・・・

688 :1:2005/08/05(金) 00:12:33
しかし私のさぐってるのは原理的に不可能ですね

何故意識が存在するか?Aという理由による。
      ↓
何故Aが存在するか?Bという理由による。
      ↓
何故Bが存在するか?Cという理由による。

と、無限に続く訳で、意識の謎を解くには
脳科学といった物理的な手法よりも
もっと根源的な手法を探さないといけないと思いました。

あと瞬間や無限もヒントですかね。

689 :マトン:2005/08/05(金) 01:12:25
人が知覚できるものが、この宇宙のホンの一握りかもしれないのに
なぜ宇宙の組成そのものが語れるのかってことだ

だいいちだな
概念ではない無限が語れるのか?
時間が文字通り時系列であるかどうかも人の身には分からないのに、永遠か?
意識と学習という時間を経た形態反射との区別はどこだ?
有ってのはどのような事を指すんだ?
無ってのはいったい何を持って無とするんだ?

答えてみろ
曖昧でないと言うのなら答えてみろ
そのうえで大層なお題目を唱えろや

690 :1:2005/08/08(月) 14:58:54
>>689
>人が知覚できるものが、この宇宙のホンの一握りかもしれないのに
まず、これについては今この瞬間のこの自分がそう思ってるだけという内容の
「前提」を何度も述べた通りです。
今の常識・前提のように人が知覚してるのは宇宙の一部なら、
意識の根源といった問いも分からないと思います。
しかし、「人が知覚できるものが、この宇宙のホンの一握り」という前提が
間違ってたら?という可能性に賭けて思考しています。

>概念ではない無限が語れるのか?
概念ではない無限がよく分かりません。無限の過去・未来といった数学的な意味で使用しましたが…
>時間が文字通り時系列であるかどうかも人の身には分からないのに、永遠か?
時系列というのは、人間の意味する時系列(例えば8/8の次は8/9)ですね?
例えば一秒後には地球形成期を知覚し、その一秒後には宇宙の始まりを知覚し、と
知覚が人間の常識からすると時系列とは違う様に思えても、
その「時系列とは違う」という前提は正しいのか?と問えば
問題ないのではないでしょうか。
>意識と学習という時間を経た形態反射との区別はどこだ?
永井論だと一瞬しか確実なのは存在しないので、
人間(我)が「学習」と感じるか否かではないでしょうか。

691 :1:2005/08/08(月) 15:09:19
続きです

>有ってのはどのような事を指すんだ?
>無ってのはいったい何を持って無とするんだ?
これが根源的な問いに近いかもしれませんね。
寝てるときと起きてるときが近いかもしれません。
寝てるときは明らかに意識は無い、と考える。
で、別に起きてるときでも、体が動きさえすれば意識なんか無くてもいいのではないか?
他人から見て自分は何ら違和感なく動き、また自分が無生物に与える影響も全く同じ。
さらに、他人も意識が無くて動きさえすれば良いのではないか?
もっと勧めて、物質も法則も無くて良いのではないか?

そもそも意識だとか物質だとかが無ければ問いも謎も無く、
「無いから、無いんだよ」という一言で終わります。
理論も「何も存在しない」と矛盾無く成り立ちます。

692 :マトン:2005/08/08(月) 22:21:43
祈り続ければ、そのうち神が光臨してきて死者を蘇らせるかもしれない

それに賭けて祈っているのと同等だね

これさえ認めてくれるのなら、他人があんたと話すことは無くなるんだがね

693 :1:2005/08/09(火) 02:20:14
どうやったら解が見つかるでしょうかね。
永井論を追及するのもダメ、仏教でも解らないだろうし、
禅も私が意味するのとは違うし・・・

694 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 02:23:58
このスレッドは難しいな。
最初はただのヒネクレ者じゃないかと1の知性をナメてたが、根源的な
思想を語っているようだ。
既存の哲学理論には収まりきらない、困難な疑問に突き当たっている。
正直、分からないな。

695 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 03:07:40
仮に私が、2秒前に構成されたとしても、
特に問題があるとは思えないけど。

696 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 03:17:06
ああそうとも。刹那で様相を変える。見方を誤るな!

697 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 09:02:33
記憶を正しいと考え行動する。ある時まったく違う記憶が入ってしまってそれが客観的に見てあの人は変わってしまったのね…かわいそうにと思われているかもしれない。でもそれは世間的に見たらただのかわいそうな人だし、そういう人もいるもんだからしかたない。

698 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 09:05:43
うちのジーちゃんは自分のこと百日紅だって思っているんだよ。

699 :通りすがり:2005/08/09(火) 15:40:16
>>2
オーウェルの「1984年」と思ったのだが気のせいかな。誰も突っ込まないんで。

700 :マトン:2005/08/09(火) 22:06:19
>>694
根源的な思想を語るのはかまわないが、いざ語ってみると突っ込みどころ満載なんだよ
確率論ですらない、希望的観測のみで語るのを思想とするのはちょっとね

701 :考える名無しさん:2005/08/11(木) 01:46:54
パラレルワールド、じゃないが、記憶と現実が一致しないってのが一番怖い。


702 :考える名無しさん:2005/08/13(土) 11:33:31
>>700
粗探しの何が面白い?

703 :1:2005/08/14(日) 05:02:06
>>700
もしかしてフサールさんですか?

まあ既存の常識・科学に対して「こうかもしれない」とか「何で?」
と言いまくるのは宗教に対して言うのと同じで、
「そう思うから、科学が正しいと選択してる(信じてる)」
と言われればそれまでで、敢えて作った前提を
崩す様でナンセンスと言えばナンセンスですね。

しかしですね、
希望的観測か前にあった心の病気かの流れになるのは、
必然とも言えるのではないでしょうか。
今の日常より良い事が増える論だと希望で、
今の日常より悪い事が増える論だと病気、
ではないでしょうか。

704 :1:2005/08/14(日) 05:13:48
>>701
同様に、
次の瞬間も自分(A君)が今の自分(A君)で
あるとは限らない事が問題ですね。
そもそも今の常識や前提となっている
「次の瞬間も自分は自分である」という論は正しいのか?
正しいか間違っているか、確率は1/2か?
X%ではないか?

仮に根源や永井論の解が分かったとしても、次の瞬間に
分かってない状態になったら、意味がないと思うのです。

705 :おませ大臣 :2005/08/14(日) 18:20:26
ならさ、そう思いながらさ、痴漢でもしてろよ。
お巡りさんも信じてくれるよ。

706 :マトン:2005/08/15(月) 14:44:32
フサールさんではない
同時期にいた名無しだ

簡単に考えるだけで、3つの突っ込みどころがある

一つは、あなたの言う「解」があったとして、現状ではその前提となる説明がゴッソリ抜けている
ニュートン以前の時代でE=mc~2をいきなり持ってくるようなものだ
前提条件の説明が無ければ、それは「天国は有る」という希望となんら変わらない

次に、次の瞬間自分が自分でなくなった場合の観察が何も無い
そもそも自分の定義すらないわけだ
それで何をもって自分としている?

最後に、「解」などに意味があるのかということ
ま、人間じゃぁ、解が分かったとしてもどうにもできんだろうね
次の瞬間自分が自分で無くなるのが分かり、それを止められない
人によってはそれを絶望とするのではないか?

707 :高校生:2005/08/15(月) 15:16:13
誘導されてきました。

僕が存在し、今まで生きてきたという記憶を、目覚める瞬間に与えられたんじゃないか。
そう思いながら、今日も僕は眠りの向こうの僕のために、何かを記すためノートを開く。
でも溜まっていくノートを見るたび、記憶と僕の見ている世界との関係は、ますますわからないものになっていく。

今見えているものは、すべてが記憶なんですか?
記憶と知覚と存在は排他的、もしくは同義であるように思えてきます。

708 :考える名無しさん:2005/08/15(月) 17:43:53
実は記憶というものが確固としたものではなく、揺らいでいて危ういものだ
という1の言い分は正しいんじゃないかな。
その揺らぎの上に自分が乗っかって起ち上がっている。
心理学を勉強すれば、記憶というのはいい加減な事も多く、自分勝手な勘違いで
覚えている事がよくあることを知る。
記憶という、このいい加減な基盤の上に理性や思考や判断も行われている。
そして思考や解釈によって記憶を書き換えたりもしている。
いい加減な記憶に一本の軸を通そうとする力が自我の機能の一つ。
記憶を解釈し続ける意志と、記憶を解釈する記憶の関係を1が哲学している
と思う。

1の哲学がもつ射程距離はかなり奥深いものがあると思うよ。
人間の思惟や理性を成り立たせる根源を1は思索しているのだから。

709 :マトン:2005/08/16(火) 13:41:02
>>708
事が記憶で終わってればそれでもいいんだけどね
そこでと終わってれば反論はこれほどひどくは無かったよ
でも1が言ってるのはそこから明後日の方向に重力ジャンプしちゃってるんだよなこれが
>>264あたりから既に、論理からの離脱の方向で動いてるんだよね
読んでみれば分かるが、「次の瞬間世の物理法則が変わったらどうしよう」まで考えているわけだ
それでいて「絶対の解はあるはずだ」としか言わない
アインシュタインの求めていた統一場理論の方がまだ望みがあるよ
何しろ物理法則を内包しながら考えているからな

710 :おませ大臣  :2005/08/17(水) 20:23:18
1さんお久しぶりです。
折角の長文を本日も行かせて頂く、ちょっとその前に、
1さんは以前に「時間ハピハピ」なんたらってスレッドを立てませんでしたか?
いえ、ですね、そこで少しばかり時間性について触れたことを思い出しまして。
いやいや、
ぼくの勘違いならどうでも良いんです。ごめんなさい。1さんは色々と現象学をカジッてきたのかな?
きっとそうなんでしょうね。実存・現象学を踏まえつつ本題に
「偶然的事実」の考察とは、偶然的なものは存在・非存在どちらも可能
要するに、偶然である事実とはどちらでもありうるということ
「人間 〜 世界」のreflexionのコアとなるのが「時間性」「有限=死」
これが、ハイデガー。じゃあ、と、君の可能性に便乗したい処ですけどね、
認識する行為とは推論・演算でない限り、以前に述べた通り
「事実的所与」に留まる。我々人間が自分で自分自身を知る為には限度がある。
自らを意識する生まれてくるのであって、人間は実存を1つの事実として見出すしかない
あるのは事実にのみ、要するに実在の事実性。つまりだよ、君、
君が格好良く掲げた、自由で「絶対」に関わり、幻想的で不確実性に留まる「何か」
現前の偶発性のような諸要素の形而上学的分析。これはね
「行き着く人」が辿り着く「壁」であって、他人の言葉をノタリクタリとかわし続けながら
お調子良く食い摘んだ言葉を並び立てる君自信がぶち当たった壁
永い道のりを得て自力で辿り着いた言葉ではないんですよ。
永井先生の本を読んで共感を得たことは、大変素晴らしいですけどね
何故、こんな話に成るかと申しますとですね、当スレッドで
ここまで辿り着くまでに、どれだけの御意見を頂いてきたか
大勢の方々が我々の気持ちを代弁してくれているんです。読み返せば自明な訳ですよ。
無責任な書き方になりますけどね、個別的諸状況、判り易く書けば君自身の記憶
そんなものは君の考え方次第でどうにでもなるものなんです。
認識形而上学は科学的な基礎的方法論で証明するしかない。

711 :おませ大臣  :2005/08/17(水) 20:24:08
苦しみ・苦悩・罪責これら実在論的感情については
多様な状況に応じて現れる、あらゆる人間的実存の普遍的性格を分析するもので
心理学的あるいは道徳的記述、何か書くことがあるとすれば
道徳的価値のある生き方、悔いのない有徳な人生を送って下さい。
それくらいのもんだ、おい君。大層なお題目で大変ご立派ですけど
認識する行為の主体は、行為を生み出した張本人のみの責任。
自らの経験すら否定して、記憶・認識・意識も糞もないだろ?ぉ?坊主
なんちゃって。じゃあね、ここからは認識とくればコレ「窮鼠超越」
いただいた逃げ道を掻い潜りつつも、再び多重人格で参りたいと「憶い」ます。
題して「ワラゼミ」ワラゼミと来れば「飛躍」
loi.do.fechner 感覚の度合いを刺激の対数として変化するとして、
とある哲学者に叩きのめされた法則。
刺激が、ある等差数列(1・2・3・・・・・)に従い変化する時
感覚は、ある等差数列(1・2・4・8・16・32・・)に変化する。
フェヒナーはこの法則で内観を物理に還元しようと試みる
ここでベリクソン登場。刺激と感覚、その外的法則との間に
共通の尺度など存在しない。解り易く例えると
「バッティングセンターに行く」時速100kmのコーナーに入る
その球が101kmだったとしても、我々素人の集まり誰一人として気付くことはない。
110kmコーナーの111kmだった場合でも同じ。人間感覚では察知できない。
しかし、100kmと120kmとの間には明らかな違いを感じる。と言うことは
感覚には「飛躍」があることになり、むしろ感覚とは
どのような量的な対応物も持たない「質」となる。ベリクソン曰く
「あなたの観ている色彩と測定可能な波動には何等、因果関係はない」
「物理学者は色彩を、この波動に還元しようと試みるが
 測定可能な数字はあくまでも脳の作用であり、感覚とは言えません」
「お疲れ様です」と言うです。要するにってことなんです。

712 :おませ大臣  :2005/08/17(水) 20:24:39
時間の感覚とは非常に捕らえ難い性格でありますし、誠に困難極めた問題です。
感性のアプリオリ云々、純理は何方か詳しい方にお願いしまして、
ベリクソン「直接的過去は、それが知覚される限りにおいて感覚である」
再び、何故、このような話になるかと申しますとですね
感覚論=経験論でもあるんです。いえいえ、当然それが全てだなんて語る積もりはございません。
確かに「思惟」なくして時間は語れませんし、今ここで
経験論・合理論の古典を展開することには余り意味があるとは思えませんし
省略しますが、1さん自身の経験・過去を語る上で感覚を差し置き、語ることは出来ません。
ということで、え?感覚と知覚とでは違うじゃん?そもそも、そんな話してないじゃん?
哲学って面倒臭いですよね。自分也に結論があるとすれば「働け」ここで終わり。
冗談と詭弁は紙一重。次ぎは「ゲシュタルト」かなりナウです。
知覚とは要素的感覚から成る複合体とは別に「それ自体」が1つの全体的感覚である
とした大発表。「木をみる前に森があるじゃん」
葉〜枝〜幹のように細部から知覚するのではなく、始めに知覚されるものは「木の全体」「森」
葉・枝のような精細な識別は、ここからがスタート
従い、知覚とは実在における構造の直接的把握を指し・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・もうね、面倒臭い。
教えて、教えて、と書きつつも否定を受けた途端に
いえね、詰まらない口答えが返って来ると思うとね、もういいや
誰かの意見を待ち構えて遊んでるだけじゃない。典型的な2ちゃんねるなんですよ。
ご自身でスレッドを立てた割りには随分と卑怯な展開だなぁあ
と言うのが個人的な感想です。他人の意見を観察し、批評にまわらず
ご自身で論を建設・展開して下さい。ご自分で柱を打ち建てて下さい。
表面的には非常に興味深い「タイトル」ですので、1さんの展開次第です。
批評家に徹し、謙遜なさらず、是非々がんばって下さい。
「敬い」忘れずに。

713 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 23:02:34
ドイツのフォンゼークトいわく、人間は大きく4種類に大別できる。

勤勉で頭の良い奴、
怠け者で頭の良い奴、
怠け者で頭の悪い奴、
勤勉で頭の悪い奴。

2ちゃんねるで一番必要な人間は勤勉で頭の良い奴である。
常駐コテハンに適任であり、的確なツッコミでスレを盛り上げ、
板の活性化の原動力になるだろう。

次に怠け者で頭の良い奴。スレの>>1にすべきだ。
的確なツッコミでスレを盛り上げるほどの能力は無いが、2ちゃんねらー
が食いついてくるような話題を提供するだろう。

その次に怠け者で頭の悪い奴。1行レスや煽りしか出来ないが、
2ちゃんねるの雰囲気づくりには十分である。

最後に勤勉で頭の悪い奴。そういうのはとっとと2ちゃんねるから
追い出すかアク禁にすべきだ。なぜなら、空気を読まないレスによる
スレストや、的外れなツッコミによる粘着を延々と続け、気がついたとき
にはつかなくなって しまうからである。



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