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β ”悪”とは

1 : ◆BaaaaaaaaQ :2005/04/23(土) 14:35:41

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   ♪    /,ィ形斗‐''' ´  ̄`''‐- 、
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17 :考える名無しさん:2005/07/06(水) 15:37:06
SWは過大評価されているのではないか?
ハリウッドの戦争物映画の継承として初期SWは製作されたんだけど
帝国側はナチス帝国の隠喩という設定になるし
その点で悪役ベイダーの役回りはヒトラーの置き換えとして
分かりやすく設定されたにすぎなかったと思う
ただ、決定的な矛盾が起きる
続編が創られる過程でのベイダー自体の人気とSWの中心キャラになってしまうことである
悪役を中心存在とした事で単純な善悪では割り切れぬ何かが起きてくるのは当然なのだ
ルーカスはこの点の矛盾を本気で解消できるとでも考えていたのだろうか
この映画の評価が下される分岐点はここにあると考える
SP1.2を通じてのアナキンの甘いキャラのあり方は
なんとなく個人的にはアメリカ人のいやらしさを感じてしまう
アメリカ人の得意な感情にあると思えてならない
アメリカ人が徹底したアナキンとダースベイダーにおいての
善悪のせめぎ合いと
悪魔的要素を表現できないのは
偽善的というか合理的というかアメリカ文化独特のものではないかな
例えば、アナキンが暗黒面に移る過程で
ホロコースト並みの虐殺と戦争犯罪をやらかすとかの表現があれば
SWは最後に映画の枠を越えた作品として評価されることになったのではないかと思う
しかし実際は、ただのSF作品としてその枠を越えなかった
何が邪魔したのだろうか
キリスト教の善悪論に神経質にこだわるアメリカ文化だったり
自らの正義を大事にする国民性では
こういった生ぬるさが残る表現しか創れなかったのだと思う
確かに単純に、勧善懲悪のチャンバラ映画ならばギリギリ娯楽作品として評価されるが
たかがチャンバラ映画にドストエフスキーを求めていないが
それでも、
勝手にこちらがSWの哲学的要素に期待が深い分
残念な感じなんだよな

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