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寛容は不寛容に寛容であるべきか

1 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 10:40:59 ?
寛容が不寛容に不寛容であれば、寛容自体が破綻?
かといって不寛容に寛容であると、寛容が脅かされる?
どう思いますか?

2 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 10:48:30
詭弁論理学

3 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 10:55:30
みやでぃーが似たようなこといってたな。
人権主義者は非人権主義者の人権を認めてないとかなんとか

4 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 10:59:14
勿論不寛容にも寛容でなくてはならない。

5 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 11:30:48
寛容な人は自分では規範を守るが、違反者を罰するコストを負担しない一種のフリーライダー。
不寛容な人のおかげで秩序が維持されていることに気づいてない。

6 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 11:38:09
言論の自由は言論統制すべしという言論に対して自由であるべきかとか、いろんなバリアントがあるね。
これらの自由主義は自由の均等配分を原則としてると思うよ。
つまり他者の自由を侵す優越的な自由はない。ゆえにメタ批判は的をはずしている

7 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 11:41:15
というか寛容であるべきかどうかは自分が決めればいいことだし

8 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 11:55:24
「他人に迷惑かけなければ何をしてもいい」
という極めて寛容な原理原則を守るときには
「この原理原則に抗うヤツには原爆落とす」
という非寛容が必要。

寛容を徹底すればするほど非寛容にならざるを得ないというアイロニー。
これ自体は自明で常識でさえあるが、我々日本人がそのプリンシプルに寛容で
あるべきかどうかは平時では自明に「あるべき」と言おうとも魂の領域で
もそうであるかどうかは自明でもない。

ということを北一輝は申しております。

9 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 11:55:29
「無制限の」寛容と
「無制限の」不寛容が主題ならば
確かに矛盾するけれど、
でもどちらも概念的(論理的)仮構であって、
実際に観測されうることではない。

不寛容を説く人間が、全く同じ不寛容原則を
自分自身にも向けるかといえば、そうは言い切れない。
実際には「自分には寛容で他人には不寛容」というほうが多い。
で、そこからホッブズあたりの話に戻って以下無限ループ。

10 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 11:58:38
極限に寛容である(平等等普遍的価値を追求する)ものの
たどる道はソ連見れば分かるだろうが。

11 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:01:33
>>10
自由(寛容)≠平等

12 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:03:45
それって、寛容というより、「不平等への不寛容」じゃないの。

13 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:11:39
>>5
寛容というのは、普通は他者危害をも許容するような態度のことではなく、
「他者に危害を加えない範囲であれば好きなようにさせとくしかない」
という態度の方を表す言葉だろ?

14 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:17:34
>>13は狭義の寛容で、キリスト様の教えは広義の寛容。

15 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:18:49
ひとりひとりの個人が持つ倫理規範としての「寛容」と、
不特定多数の人間が集まった社会集団の構成原理としての「寛容」は、
同じ言葉を使ってはいても、必ずしも同一の意味だとは言えない。

ここで、前者の寛容のテーゼを「他人の自由を尊重すべし」だとする。
後者の寛容のテーゼは、基本的には前者のテーゼから導きだされるが、
必ずしもそれだけでは十分とならない。
他人の自由を尊重しないA氏の自由を、B氏やC氏がとりあえず尊重したとして、
部分的にはそれで上手くいくかもしれないが、それをそのまま
集団全体に対する普遍的な原理・原則とすることは出来ないからだ。

社会集団の「寛容」は、実際にはその集団を構成する個々の成員に対する
社会集団の「不寛容」を、「寛容」の遂行上の要請として
どこかで前提せざるを得なくなる。
「神の前の平等」「法の下の平等」とか、社会契約説とか、
>>6氏の自由の均等配分とか。
その結果として、社会集団はその構成員に対して、
「最大多数に対する最大の寛容」をもたらすことになる。理屈の上では。
実際にはそうそう上手くいかないけれど。

16 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:28:42
>>13
で、フリーライダーなんだろ?
警察に守られて生き延びてるヤツが「警察機構こそ悪。民営化スレ。」
といってる厨房と同じだろ?

17 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:44:02
つうか、「フリーライダー」って何?


18 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:44:44
つうか、「フリーライダー」って何?

19 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:47:32
>>13

>>16のいうとおり、そういう態度がフリーライダーだというわけだ。
寛容な人が多数をしめる社会では規範(≠規則)は崩壊する。

>>17
「ただ乗り」
自分は必要なコストを支払わずに利益を享受する人のこと。

20 :19:2005/07/19(火) 12:50:16
だから問題は「寛容は不寛容に寛容であるべきか」ではなく
「不寛容は寛容に不寛容であるべきか」とした方がより適切で、考えるに足る問題だ。

21 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:50:45
>>16
日本語の読み方から勉強しなおすんだな。
>>16みたいな議論の能力のない馬鹿はさっさとたたき出してくれよ。
>フリーライダーでないことを自認している諸君

22 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:55:35
>>19
なるほど、そうすると、

「ただ乗り」=「寛容」

にはえらい論理の飛躍があるような。

フリーライダーかどうかはケースバイケースとしかいいようがない。


23 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 12:56:52
寛容 VS 不寛容の歴史的に有名なケースというと、
やはり カエサル VS 元老院派だと思うのですがどうですか?

24 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 13:02:04
>>22

「えらい論理の飛躍」かどうかは自分にはちとわからん。
しかし、「寛容」という言葉には、何らかの負の行動や態度に対して
それを非難したり罰したりせずに許す、という意味が暗に含まれるだろう?

その「負の行動」=規範に対する違反
だとすれば納得できない?

もし規範に対する違反が常に許されるならば、誰もその規範を守らなくなるだろう。
規範を守る態度は、結局それを罰する人間が出現する可能性が想定されるからこそ成立すると考えられる。


25 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 13:21:41
>>24
>という意味が暗に含まれるだろう?

ここを読んで、正直あなたと議論する気がうせた。

26 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 13:26:29
そうか・・・それは残念。
哲学プロパーの扱う範囲外だったかもしれませんね。

27 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 17:14:14
ていうか寛容って言葉だから、人みたく扱って論ずる時点で誤り。はい終了。


28 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 18:31:08
自由は不自由も自由にするわけがない。

29 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 23:39:40
仏教ですね
自己完結なので周りをどうしようとか思わない

30 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 23:43:09
リベラリズム=不寛容には不寛容
リバタリアニズム=不寛容にも寛容

31 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 23:49:13
おまえら本当に頭悪いな・・・ニートだから仕方ないか

32 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 23:55:02
ここまでで、>>5にいちばん感心した。

33 :考える名無しさん:2005/07/20(水) 00:12:51
>>1
要するに否定神学だろ

34 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 02:44:46
>>5

ぷっ

自分のおもしろさに気付かないのかな?

35 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 06:06:29
>リバタリアニズム=不寛容にも寛容

ネオコンは寛容なのか。

っていうかオマエラばかだろ?

36 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 06:25:04
>>35
何を言いたいのか分かりません。人名も加えてリバータリアンとネオコンを
図式で示してもらえますか?

37 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 13:04:25
不寛容の性格による。不寛容が寛容を認めないような性格のものなら寛容であるべきではない。

寛容は寛容を求める。寛容でないものは排除していくべきで、それによって寛容を実現することができる。

不寛容に寛容であることは寛容ではない。


38 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 20:57:19
そこに寛容のある人とない人が寛容のない人とある人とを区別する一種の隙が生ずる?

39 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 21:17:54
おまえらそんなに羊羹を食いたいなら今すぐコンビニに逝け

40 :そうねえ:2005/07/21(木) 21:26:32
>>1
寛容は、不寛容に対して寛容になれます。
不寛容を理解し、その問題点を探し、矯正することが最大の寛容
なのですよ。
不寛容を寛容するということは、不寛容の誤りを修正するという
事であり、不寛容の寛容に依るコントロールが可能である事を
意味します。
逆に、寛容を、不寛容がコントロールする事はできません。
なぜなら、最初から不寛容であり、不寛容は寛容を理解する能力に
欠けているからですよ。
終わり。

41 :考える名無しさん:2005/07/21(木) 23:57:40
はたしてそうかな?

42 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:04:48
そこの君、ふざけてちゃいかんよう。

43 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:28:33
>>1
観念的にはその通りだと思う。
だから「寛容は不寛容に寛容であるべきか」ではなく
既に「寛容は不寛容に寛容である」ではないかな。
しかし、寛容な"人間"と不寛容な"人間"となるとそうではない。
現実問題として、人の要素を%表示で書くのは適切か分からないけど、
90%が寛容で10%が不寛容な人間がいれば
基本的にその人は寛容な人間と言っていい。
100%"寛容"でなければ"寛容な人間"ではないと言う者は、
オールorナッシングの考え方を自分に都合よく扱う詭弁家。

そんなわけで寛容な人間は不寛容(な人間)に対して
不寛容な場合があっていい、と結論づけさせてもらう。
「俺寛容だけど、不寛容な部分もあるからそれは受け入れん」とな。理屈っぽいが。
ただ、>>1のような理屈を振り回されて(もしくは自分でそう考えて)
寛容な人間が苦しんでしまうってことは多々ありうるとも思う。
>>1もそんな問いを立てたってことは、その理屈に苦しめられたことがあったのかな?

44 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:43:29
不寛容な人間を絶滅させるのが寛容な人間の仕事である

45 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:49:05
 .__
ヽ|・∀・|ノ 呼ンダ?
 |__|
  | |

46 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:51:47
正直者は嘘つきに正直であるべきか

47 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 01:00:55
価値相対主義という立場は存在せず、絶対主義の立場を人は取らざるを得ない。
寛容と不寛容も比較の問題であり、両者とも絶対主義であることにかわりはない。
ようするにAさんとBさんを比較したら、どちらかというとAさんが神経質な性格
であって、という程度の比較問題にすぎない。

48 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 04:35:47
ゲーム理論の世界では「しっぺ返し戦略」と呼ばれる
相手の不寛容に一度だけ不寛容をとる戦略がとても有効だそうですが…

49 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 04:46:19
ブッシュの不寛容はだらだらと長いな〜。

50 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 04:49:05
>>48

1対1のゲームだとしっぺ返し戦略が強いらしいが、社会集団のような多人数の
ゲームだと>>5のいうようなフリーライダー問題が出てきてややこしくなる。
その場合、自分も規範を守りつつ他人にも規範を守ることを求める人間が
かなり幅広い条件の下でESSになるらしい。
いずれにせよ寛容な人間ばかりになると社会が成り立たない。

51 :考える名無しさん:2005/07/22(金) 15:31:06
>>5はこの問題の一方の面しか見ていないと思う。

社会秩序の維持には公共的な価値があるが、自由主義の立場に立つ限り、各人
がそのために負う義務は無制限ではない。各人には自分の目的を追求する権利
があり、それを遂行できなくなるまで公共的な価値のために献身することを義
務づけられてはならない。>>5に対して言いたいことは、ボランティアで駅前を
掃除するのはその人の自由だが、「おれと一緒に掃除しない香具師はフリーラ
イダーだ」などと言われてはたまったものではない。

>>5の偏りは、彼が言う「フリーライダー」でない人が集まっている社会がどん
なものになるか考えれば、ただちに分るだろう。それは、ルールに違反してい
る者がだれかいないかと絶えず監視しあっているような全体主義の社会だろう。

52 :考える名無しさん:2005/07/24(日) 15:33:47
>>51

>>5は何がいいとかいけないとか言ってるんじゃないでしょ。
規範が維持される社会の性質について述べているだけだと。


>それは、ルールに違反してい
>る者がだれかいないかと絶えず監視しあっているような全体主義の社会だろう。

日本はまさにそういう社会では?
で、その上で一部の人が自由の価値を過剰に賛辞していると。
そういうふうに成り立っている現実を考えたくはないというのはわかるけどね。

「コモンズの悲劇」というのがあるが、共有資源が自主的に守られていた
希有な例として、江戸の社会がある。これもある意味窮屈な監視社会だったかもしれないね。

53 :考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:39:40
5人組

54 :考える名無しさん:2005/07/25(月) 01:07:26
age

55 :考える名無しさん:2005/08/02(火) 13:50:31
中学の部活で先輩から後輩へのいじめの習慣があったとする
俺ならこう考える
よし、このいじめの連鎖を俺らの年代で終わらせよう、と


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