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【娯楽】幻の国家「モナー朝」【ネタ】

1 :世界@名無史さん:02/10/13 11:45
あれは今年(高二)の夏休みです。
僕は世界史の課題を調べに友達と図書館へ行ったのですが、
そこで不思議な本を見つけたのです。
本棚の上にひっそりと眠っていたその本は、黴臭くて、紙が黄色く
変色していました。
題名は「東土見奇聞」。聞かない書名です。
解説を見てみると、なんと八世紀の旅行家の著作とあります。

パラパラとページを捲っていたら、
僕の目はあるところで釘付けになりました。
『「34話…東方の大国、模奈亜(もなあ)国の話」
   サラセン人の地を離れて北東に百日行程、何者も住まぬ
  砂漠の地を超えてさらに北に六十日行程の道を行くと、そこには
  大都市があり、そこに住む人々は自らを「モナー人」と名乗って
  いる…(中略)…そこに住む人々は、猫のように耳があり、
  みな「オマエモナー」という挨拶を交わしている。これは、
  「あなたはモナー人の資格がある人だ」
  という意味である。…(中略)…この国では祭りが盛んであるが、
  住民は神を崇めている訳でも、偶像崇拝者でもない。
  住民は正直ではあるが、単純であり、騙され易い。
  また「厨房」という言葉が相手に対する最大の
  侮辱とされており、これを口にする者は冷静な傍観者であるか、
  または彼自身が「厨房」であるかのどちらかである…(後略)』

  



678 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 17:30:19 0
>>675
多分商業都市オサカだったかと

679 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 22:28:31 0
暴君サクランシジンが切捨て教徒を弾圧しました。

680 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 23:33:57 0
>>678
そうそう。商業都市オサカ。しまいには、ガネルの像は、鎖につながれ、
ドトーンボリ川(運河)の橋は、飛び込みが出来ないようにされたみたいね。

681 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 04:29:48 0
またオサカですか?

682 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 09:20:41 O
またオサカや…

683 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 10:36:03 0
オサカのドトーンボリ川流域はモナー朝建国を陰で支えた
ナンパ・バシの本拠地なのにな。
モナー朝建国後、一万五千人とも二万人ともいわれるナンパ・バシが
粛清されて、その残党は地下にもぐってハンシン教を組織した。
ハンシン教の吉日にガネルの像がドトーンボリ川に投げ込まれるのは、
一般には単に祭りの際に群集が興奮してのことと思われているが、
実はハンシン教徒の間では彼がナンパ・バシの粛清を皇帝に進言したと
語り伝えられているため、それに対する報復の意味があるという。

684 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/06/26(日) 12:56:12 0
大坂は、元々小坂(おさか)という地名でしたが、モナー朝起源なのですか?

685 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 17:23:26 0
>666

>シュゲンショ神とチーチャン神
大黒天と鬼子母神がモナー朝に入って変容したというのが通説。シュゲンショは朱全忠の神格化であるという
説もありますなあ。後に明の洪武帝が後モナー朝を保護したために、洪武帝とも混同してまつられたと
いわれており、信者たちは「クナンスレ(漢名洪武禅院)」といわれる寺院を建立し、苦難に耐える行事を
行ったといわれています。

>カワイソス3世とテラワロスとクォリティ一世

三賢帝は「武宗三賢」ともいいます。カワイソスは本名ブーソ、テラワロスは本名ビィップア、
クォリティの本名はタカス。
モナナの先陣として奮戦したビィップ族の族長たちで、死後功績により帝号を追贈せられたので
こう称します。漢風では武雲帝・爆笑帝・高能帝とそれぞれ称します。
ブーソは集団戦術に長け、その突撃「ブーソラシ」は敵勢におそれられました。
ビィップアは謀略に長け、モナナ最強の敵・ダウソ族を謀略で滅ぼした人物。
タカスは名言「我は神の山にして満ちる月なり!」を残した人物。

>オサカ

後モナー朝と江戸幕府の通商関係を司った大阪茂名奉行のモナー朝名です。
のちに日本を意味するようになりました。
大阪茂名奉行職の下には茂名通事職があり、春日家が世襲していました。
春日家の現当主・10代目春日茂名大夫・春日あゆみさんの話によれば、
「マタオサカカ」とはモナー語で「わたしは日本へ行きます」の意味だと
いうことです。

686 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/17(日) 09:39:47 0
>>685
成る程、色々とありがとうございます。実にお詳しい。
>>680では、地名の様ですが、日本の「小坂」からの移住者が14世紀に築
いた倭館が存在し、後に日本人町と呼ばれる地域が形成された様ですね。
そこで現地の文化と結合して、モナー朝内でも強烈な個性の文化が成立。
勿論、「モナー朝建国を陰で支えたナンパ・バシの本拠地」は前からあった。
旧名ナンバには、虎を崇拝する戦士たちの集団が存在したそうで、来日前
に王仁が詠んだという、
ナンバ津に勝つやこの虎冬ごもり 今は春べと勝つやこの虎 
は、教科書でも有名。和歌形式である事から、疑問も出されていますが。


一連の風俗を、フラシュという絵画に仕立てたものもあった様ですね。
仕掛けがあって、絵が動いて音もしたといいますが、ヘロンの自動劇場の
様なものであったのでしょう。
何故か、>>200前後のサイタマと比較される事があったといいますが、由来
というか、因縁でもあったのでしょうか?

687 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 08:32:27 0
>>675

> ちなみに、ガネルが展開した店の一部には、彼の像がたてられ、多くの人に親しまれた。
> ただ、ある都市においては、あまりにも親しまれすぎて、何かしらの騒ぎがおこると、運河に投げ込まれたりしたそうだ。

運河に投げ込まれたこの失われた像を求めてナイトスクプ探検隊が組織され幾度か発掘調査をしたが、遂に発見する事は出来なかったそうだ。

688 :世界@名無史さん :2005/07/21(木) 00:50:05 0
モナー朝の盛衰史、興味深く読ませていただきました。
ところで、モナー朝におけるゲージュツには
どんな物があったんでしょうか?

689 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 19:06:38 0
2005年7月12日、トリノの教会の地下奥深くから「東土見奇聞」の原版が
発見された。これによりモナー朝が実在した可能性は高くなった。
発見者はカリフォルニア州立ポテチヤード大学教授トーマス・アンダーソン博士。
                             煮茶根瑠新聞


690 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 20:39:08 0
三賢帝の出身地であるヴィプって、もともと流刑地だったんでしょ。
モナー朝中期以降、ヌ速市の治安が極度に悪化したから、そこで犯罪を犯した者たちを隔離すべく
新たに町を作った、それが本家ヌ速市をしのぐ勢力になるのは後期からだよね。
それから、テラワロス帝といえば、破顔大笑した肖像画が帝国各地から出土しているよね。

691 :世界@名無史さん:2005/07/30(土) 00:16:29 0
>>689
ゲージュツかぁ。
少し上で山野氏が「フラシュ」というものについて言及してるよ。
あと、このスレでは「AA陶器」あるいは「アスキーアート式陶器」なるものについての
話もこのスレでは何回か出ているよ。

個人的には「フラシュ」というものの形成発展の歴史みたいなものを知りたいな。
>>52に「フラーシュ」というものについての言及があるけど、山野氏が言ってるものと同じなのかな。

692 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 18:06:34 0
100ドキュソ金貨は金の含有量が79%だったよ

693 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:07:11 0
モナー朝の衰退には新人(にいと)と呼ばれる新しき人類が関与していたらしいです。
モナー朝後期ごろから登場した新人たちは働くことを拒否し、モナー朝の経済を荒廃させたそうです。
その存在に恐怖を感じた(呆れた説あり)当時のモナ朝の君主は、
彼らを別の鎖場(さば。区画のようなもの)に強制移住させました。
その後、不思議な団結力を見せた新人たちはその地を開拓し、
美府(びぷ。後にVIPと呼ばれるようになる)と呼ばれる自治領を築いたそうです。
それからの約50年は他のモナー朝管轄下地域を「突撃」の名目で侵略、占領し、
大使館を立てた後に引き返すという独特なことをしてきたそうです。
モナー朝の外へも場合によっては突撃したとか。
しかしそのような状態も長くは続きませんでした。モナー朝の自治領に対する規制も厳しくなり、
他の鎖場からの移民や内部からの厨も増え、自治領設立から100年経った頃には、
他の地域にはない活気を見せつつも、ある程度の落ち着きを見せるようになったそうです。

ここでプツンと文献は途絶え、これより先に何が起こったかは、今のところほとんど謎のままです。
しかし、かの地域に残る民謡覇飛磨手や、両腕を横にを広げる無数のブーソ族の彫像、静かに横たわるスカルチノフ族の石像などが
かの地に文明が存在していたことをしのばせます。






694 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:34:29 O
>>691
文学ではモ地方の若者と仏国の鞄職人の娘との恋を描いた長編詩「デ・ンシャ」などが有名。

695 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:55:31 O
ヌ速市の人たちは大変な祭好きで有名だった。ただしほとんどの祭は公式のものではなく。ツーリと呼ばれる非合法組織によってに催されていた(「ツーリ・ボリ」とよばれる)らしい。でもヌ速市民にとってはどちらでもよかった模様。

696 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:58:46 0
ツーリの際、その犠牲者にテキーラをおごる「バボン」という習慣もあったそうな。
「まぬまぬみてみちぬちぬおき」という謎の呪文も残されているが、意味は不明だ。

697 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 23:28:18 0
マスコミ板6支族について教えてください。
旗印については
アサピ族→11
ヨミリ族→10
サン族→12
マイニ族→1
NHK族→3・5
とうちの学校ではなっていたはずですが。

ちなみにニケイ族については習っていません。

698 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:21:10 0
6氏族それぞれに当てはめられていたという数(おそらく儀式的なものだといわれていますが)は
なぜか地域の伝承によってさまざまに違います。
たとえば上の方で話が上がっていた商業都市オサカではアサピには6が当てはめられていた様です
なぜこれほど地域によって差があるのか?というのはいまもって学会でも大きな
謎の一つです。


699 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 06:51:28 0
>>697
ニケイ族は13に割り当てられたそうですよ。

700 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 08:22:08 0
「カーコ・ローグ」と呼ばれる、モナー朝の全てを記録した書物が
世界のどこかに隠してあるらしいですね。
現在見つかっているカーコ・ローグは、全体のほんの一部らしいです。

701 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 18:12:47 0
ドクオ州にデーン=シャーと呼ばれる教祖に率いられた宗教運動があったそうです。
デーンはニヒリズムに陥りがちな当時のドクオ住民に対し修業による救済の道を示し、
一部住民の熱狂的支持を得たもののドクオ人多数派には疎まれ、やがて迫害され地下に潜りました。
しかしモナー朝国外で多数の信者を獲得し、彼らが大挙巡礼に訪れモナー朝の人口構成をも変えたそうです。

なお、彼らはエルメスと呼ばれる最高神を崇拝し、これはギリシア神話のヘルメスとの関連も指摘されていますが
壁画ではカバの女神の形で描かれています。

702 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:25:34 0
>701
>694で言われている、長編詩「デ・ンシャ」は、デーン=シャーと彼を支えた人々が残した記録を元にしてるといわれてますね。

703 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:43:25 O
>>696
ツーリは不可思議な踊りを信者が踊りあかすなど魔術信仰的な色彩を持っていましたからね。

ツーリの教儀は非合法とされていましたが隠れ信徒はモナー王国全土にいたようですね。モナー民は隣人がツーリ教徒ではないかということに非常に敏感でつねに疑心暗鬼になっていたようです。

またデーンとツーリ教団との関連があったかなかったかは諸説あるようですが。どちらとお考えですか?


704 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/03(水) 22:09:26 0
モナー朝の社会的地位のある人々を失脚に追いやり続けた「キン・ターマ」
とは、どういう組織(?)であったのでしょうか。
これの「原因」の提唱者が、京都(モナー朝の)で捕えられたそうですが。

705 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 02:51:30 0
>>700
全てのカーコ・ローグを読むには、「マル」を呼ばれる宝玉が必要だったといわれています。
「マル」はごく一部の限られた人のみに与えられ、さまざまな特権を与えられたと伝えられています。
(名前に「マル」を冠することが出来る、など)

706 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 21:50:07 0
モナー朝って最盛時には北インドから東にかけて細長く中国北方を迂回するような形で
満州の辺りまで延びていたほどの広大な領土を有していたそうですね

707 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:23:02 O
そうですね。南は東工大のあたりからなぜか細長く北は駒場東大まで続く目黒区みたいな領土でした。

708 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:13:07 0
反乱分子を始末するための秘密警察、サクジョニについて

709 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:56:35 0
VIPPERが都を追われて流れ着いた安住の地と思われる遺跡の発掘をしていると、

     .,/i/i
    ミ 、|
    ./\_!  
   ,.イ., /
 <;と_)_)

狐のような壁画をたびたび見かけるのですが、これは何を意味しているのでしょうか?
どうも、VIPはこの狐を嫌いつつも畏怖しているような印象を受けるのですが…

710 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 04:04:54 O
>>703
疑心暗鬼にとらわれたモナー民は「ツーリ・オーツ」あるいは「トツラレテミル・テスト」などの魔除けの文言を唱えてひとまず相手を牽制するのが常だったそうですね。

711 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 09:52:29 0
>>703
ドクオ地方で信仰されていたマンドクーセ教団は徹底的なデーン=シャー批判を繰り広げましたが
特に初期の批判のなかにデーン派がツーリであるとする文言が多いようです。
マンドクーセ教は
(1)欲望をありのまま認める(2)しかしそれが実現困難であることも認める(3)それにより執着から解放される
という思想が教義の根幹をなしており、それは修行による自己再生を説くデーン派の主張とは
真っ向から反するものでした。またデーン=シャーの教団が巨万の富を得たことも批判されました。

デーン自身はツーリではなくあくまでドクオ人の救済を意図したとされますが
デーンの隠棲後、流民ヴィッパーを中核とするツーリが幾度となくデーンの再来と称していたそうです。

712 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 18:25:10 0
>>709
当時のモナー朝で権力を持っていたとある神官は、狐をシンボルとしていました。
彼らを別の差場に追い込んだのがその神官だったらしいのですが、
VIP地方の開拓を推進したのもその神官だったらしいです。

713 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 20:33:43 0
そういえば、モナー朝で一時大変流行した詩があると聞きましたが
タイトルを忘れてしまいました。教えてください。
たしか「牛肉を簒奪」「マイヤフー」などの意味不明な
言葉が羅列された物だたと思うのですが・・・。

714 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 23:42:25 0
三年に一度、すべての板を巻き込んで行われる「トナメ」という大祭があったというのですが、
いったいどのようなものだったのでしょうか?

715 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:18:07 0
hage

716 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 07:18:28 0
カワイソス賢王の名言:

 ピ ザ で も 食 っ て ろ デ ブ

717 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 09:12:49 0
最も長い期間、第1王位継承者として将来を嘱望されながら
ついに即位を果たせなかったワクテカ太子が己の身体に塗った油が出土。
当時の光沢をまだ失っていなかったという。

718 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 06:51:34 0
恐怖政治が行われたというガクブル時代は、どの王の時代でつか?

719 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 12:58:58 0
カチューシャ式土器
ジェーン式土器
ホットゾヌ式土器
ギコナビ式土器

720 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 16:03:19 0
ところでモーナ8世(敬宗和皇帝)の時代、マ・スコーミー州の民衆が
ア・カイホウドゥと名乗ってバイコック朝アカピー帝国の主要都市・コエーラーンに潜入し
一軍の将校となった後、自分がモナー朝の人間であることを宣言して
アカピー帝国を散々に痛めつけたっていうあの事件知っている人いますか?

721 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 19:33:05 0
>>720
それからがガクブル時代じゃなかったっけ?

722 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 08:54:02 0
モナー朝では多神教が信仰され、その神様は「ネ申」と表記された。
ネ申が人々の前に現れた時、信者はそれに対して「キタ━━(゚∀゚)━━!!!!」
と唱えるのが通例だったという

723 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 11:58:18 0
>「トナメ」という大祭

是に関しては、岡義古先生の学位論文『モナー朝史におけるトナメの研究』が必読の書です。
岡論文に寄れば、従来「三年に一度」の大祭とされてきた「茂名記聞」該当箇所は、
「三百年に一度」の大祭の誤写に基づく物であり、実際513年の第一次トナメ、
813年の第二次トナメ以外のトナメ伝承は存在していません。813年の大規模なトナメ
(これは祭りを通り越して合戦だったようです。もっとも、モナー朝においては
「センキョハマツリダ」と、戦争を祭りと同一視する傾向がありました)
以降、トナメ大祭は余りにも犠牲者が多かったために中止され、1113年のトナメは中止、
>655のチビギコの乱を経た1413年には既に祭りの仕方がわからなくなっていたようです。
もっともヌソクの民やトウヒョジョの民が古典芸能としてかなり変質した小規模な祭りを続けてはいたようです。

第2次トナメは、三頭政治の二人が互いに祭り上げられ、ストップマンことモララー二世(?〜814)
と、モナー15世モナナ(武宗、784〜861)が互いに北帝・南帝を称する事態にまで発展し、
バイク族の滅亡やダウソ党の崩壊など大乱となってしまったようですね。
ご存じの通り南帝モナナがビィップ族・セカイシ族・ヌソク族・ニーピソ族・ニダ族・
グンイタ族・デーン=シャーの教団に推戴せられて、激戦の末勝利を収めました。
北帝モララー二世はトウシニ城で自害して果て、遺子スピソドリル(モララー三世)がジサクジエン州
にてダウソ党内の最強集団サトゥ・バツ派に擁立せられ、820年頃まで抵抗を続けたようですが、
821年にブーソ(カワイソス3世)、クワアテ(セカイシ族長、死後追号は武南穆王)
らの率いる軍勢のラシを受け戦死。滅亡しました。
なお、モララー二世〜三世の政権を特に「北モナー朝」と称することがあります。

>711
マンドクーセ教はモナナにより非合法とされ、東遷して禅と混同されましたね。
禅には「無事是貴人」という思想があり、これが「動かないのが貴人」だと誤解されたのです。
酢屋道全はマンドクーセ教徒だったという説があります。


724 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 14:45:29 0
モナー朝が一時期都を置いていたといわれる
さいたまの発掘が望まれるところです。

725 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 01:07:26 0
ジサクジエン王国の末裔?

726 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:06:20 0
+   +
  ∧_∧  + さいたま遺跡から出土した
 (0゜・∀・)   ワクテカ王太子の肖像画
 (0゜∪ ∪ +        
 と__)__) +

727 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 23:07:47 0
さいたま遺跡から出土した壁画
─────────────‐
━━━mm━━━━━━━━━
 ||| lll | |    人  ガラッ
     | |   (__)   ||| ________
  |||  | | (____)   /
     \\( ・∀・ ) < おやじ!冷やしうんこ下痢だくで!
      \     \ \
||| ガラッ  )    ト、ヽ   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |||   /     ( | | |||
━━━━━━━━━mm━━━
─────────────‐

「おやじ」はモナー語で父親ないし年配の男性を示す名詞だが
「冷やしうんこ」「下痢だく」については、いまだ意味が明らかにされていない

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