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♪【精強】♪♪オーストリア海軍♪♪【帝国】♪

1 :フェルディナント・マックス:04/04/04 01:34
え〜でるわぁいす♪ えぇ〜、出るわぁ〜♪

いまは内陸国になってしまった、美しき国の海軍について語る場です。

ちなみに小生は子供のころ、サウンド・オブ・ミュージックのトラップ男爵が
海軍大佐であった背景が理解できませんでした。

2 :世界@名無史さん:04/04/04 01:36
リッサ海戦
http://www31.ocn.ne.jp/~tactic/lisa.html

3 :世界@名無史さん:04/04/04 01:39
ハンガリアのなんとかっちゅう湖にお舟を浮かべて優雅に遊んでたりしてたらしいね。
あとは今のスロベニアとかクロアチア辺りのアドリア海にもかな・・・
でも強くはなさそうだよな。


4 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/04/04 02:04
軍事板に
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053514975/l50
というスレッドがあります。
タイトルは2次大戦ですが、オーストリア・ハンガリー海軍について
も話題になっています。
こちらで聞かれた方が早いのでは??

あと、トラップ大佐に関するスレッドもあります
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1054126496/l50

>3
ドナウ川に部隊はいましたが、ハンガリーの湖というとバラトン湖か
と思いますが、ここにも部隊がいたのですか?

5 :世界@名無史さん:04/04/04 03:48
オーストリアスレはもう何本もあるだろ。
終了



6 :世界@名無史さん:04/04/04 04:08
T大戦後、海がないのに海軍がある萌え。

7 :世界@名無史さん:04/04/04 12:01
明らかな陸軍国の海軍に負けたイタリア海軍の査問会を開催すます。

8 :■ホルティ・ミクローシュ■:04/04/04 13:27
1919年10月ベラ・クソもといベラ・クンの左翼革命政府をルーマニア軍の力で潰した後、
王様のいない王国の摂政にして、海のない海軍提督となったハンガリーのホルティ閣下が一番ね!

9 :世界@名無史さん:04/04/04 15:19
ホルティ提督って晩年はポルトガルに亡命したようだけど、
当時の独裁者であったサラザール博士や、提督同様晩年を
ポルトガルで過ごした石油王グルベンキャンとは親交があ
ったんだろうか?


10 :世界@名無史さん:04/04/05 19:55
ウィーン軍事史博物館はオモロかった。海軍関連の模型も展示していた。
日本では第二次大戦モノが好きな人が多いが、オーストリアじゃ19世紀
から第一次大戦こそが関心をよぶのだろうか。

11 :\(^■^ ラ 【卍】:04/04/05 22:03
実は余も1932年までオーストリア国籍だったんだな。
初めて海を見たのはフランダース戦線に従軍していた1917年だったな多分。

12 :世界@名無史さん:04/04/10 21:25
東欧史研に来なさい!

13 :ハウス:04/04/18 23:29
・・別スレでもレスしましたが・・ 

 【第一次世界大戦勃発前夜のオーストリア・ハンガリー海軍】

第1戦闘艦隊〔マクシミリアン・ンジェゴバン提督〕
 ド級戦艦(艦隊旗艦)フィリブス・ウニーティス〔アントン・ハウス提督(艦隊総司令官)〕、テゲトフ、プリ
 ンツ・オイゲン(第1戦艦隊)準ド級戦艦エルツヘルツォーク・フランツ・フェルディナント、ラデツキー、ズリ
 ーニ(第2戦艦隊)
第2戦闘艦隊〔フランツ・ローフラー提督〕
 前ド級戦艦エルツヘルツォーク・カール、エルツヘルツオーク・フリードリヒ、エルツヘルツォーク・フェルデ
 ィナント・マックス(第3戦艦隊)ハプスブルク、アルパード、バーベンベルク(第4戦艦隊)

巡洋艦隊〔ポール・フィードラー提督〕
 装甲巡洋艦サンクト・ゲオルグ、カイザー・カール6世、マリア・テレジア、軽巡洋艦ツェンタ、アスペルン、
 シゲトヴァール
第1水雷艦隊
 軽巡洋艦サイダ、駆逐艦12隻、水雷艇10隻 
第2水雷艦隊
 軽巡洋艦アドミラル・スパウン、駆逐艦6隻、水雷艇18隻
 
沿岸守備艦隊
 海防戦艦モナーク、ウイーン、ブダペスト(第5戦艦隊)防護巡洋艦カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世、
 水雷巡洋艦パンター


14 :ハウス:04/04/18 23:30
各軍港に配備
 □トリエステ
   水雷艇4隻
 □ポーラ(現クロアチア領プーラ)
   装甲艦マルス(旧テゲトフ)、駆逐艦3隻、水雷艇15隻、潜水艦6隻 
 □セベニコ(現クロアチア領シベニク)
   水雷艇10隻
 □カッタロ(現セルビア・モンテネグロ領コトル)
   砲塔装甲艦クロンプリンツ・エルツヘルツォーク・ルドルフ、水雷艇6隻
その他
 □フューメ(現クロアチア領リエカ)にて、
   ド級戦艦セント・イシュトヴァーン、軽巡洋艦ヘルゴラント、ノヴァラ〔⇔ホルティ・ミクローシュ
   提督)が建造中
 □中華民国・青島にて
   防護巡洋艦カイゼリン・エリザベートが寄港中


15 :ハウス:04/04/19 20:21
※上記補足

各軍港に配備
□ポーラ(現クロアチア領プーラ)
   装甲艦マルス(旧テゲトフ)、駆逐艦3隻、水雷艇15隻、
   潜水艦U1,U2,U3,U4,U5〔艦長ゲオルグ・フォン・トラップ〕,U6
      +U12(まもなく竣工)



16 :世界@名無史さん:04/04/19 20:24
>>13
ネタ元はなんですか?

17 :世界@名無史さん:04/04/19 20:38
まあ、ンジェゴバンじゃなあ・・・

18 :世界@名無史さん:04/04/19 23:03
>>13-15
オーストリア海軍、艦船の名前がすげぇカコイイ!!
「防護巡洋艦カイゼリン・エリザベート」とかさ、「エルツヘルツォーク○○」とか、
王朝の優雅な名前と近代の戦闘艦のとりあわせがいいね。名前を並べただけで壮観に
見えてしまう。


19 :世界@名無史さん:04/04/19 23:26
”ンジェゴバン”は”ニェゴヴァン”では?

20 :世界@名無史さん:04/04/20 02:10
>>18
皇后エリザーベト号に大公・・・号なわけですか。
沈むかも知れない船に人の名前を付けるのって、付けられる側としては
どうなんでしょうね?確か日本やアメリカでも同様の議論が持ち上がってたと
思うんですが。
マクシミリアン大公が望みどおりに海軍を任されていたら、やっぱり大拡張
されてたんでしょうかね?
でも皇帝が頑固一徹の陸軍好きだったみたいですし無いのかな?

21 :世界@名無史さん:04/04/20 02:21
>>20
それ以前に国の名前をつけることだってあるがな。
イタリアとかドイッチュラントとか・・・後に改名されたが。

22 :20:04/04/20 02:40
>>21
国の名前ですか。他国の名前だったりしたら国際問題になりそうですね。(笑)
今、>>13を見てて思ったんですが、ド級戦艦があるのに皇帝・皇后の名を冠しているのが
両方とも防護巡洋艦なのは何ででしょう?旗艦の方が相応しいような気がしますが。
皇帝の陸軍好きと何か関係があるのでしょうか?
ご存知の方、いらっしゃいましたら申し訳ないですがご教授頂けませんか?

23 :世界@名無史さん:04/04/20 05:38
日本もやろうぜ
イージス艦ヒロヒト
とかな。

24 :世界@名無史さん:04/04/20 05:55
神武とか後醍醐とか。

25 :世界@名無史さん:04/04/20 10:30
ヒロヒト大破、撃沈されました!

26 :世界@名無史さん:04/04/20 11:28
原子力ミサイル巡洋艦「ピョートル大帝」

27 :世界@名無史さん:04/04/20 11:41
韓国駆逐艦「広開土大王」「忠武公李舜臣」ってのもある

28 :世界@名無史さん:04/04/20 21:43
日本も「宣仁親王」級とか、「依仁親王」級だったらサマになるね。
でも、「朝融王」級はなんだかいやだ。

29 :世界@名無史さん:04/04/20 22:13
戦艦承子女王しかないでしょ。

30 :世界@名無史さん:04/04/20 22:41
戦艦承子女王、超弩級戦艦清子内親王号の衝角体当たり攻撃で轟沈。

31 :ハウス:04/04/20 23:15
おおっ、スレが何かいい感じになってきてるねぇ。・・というわけで、

>>16
The Naval Policy of Austria-Hungary 1867-1918 の第一次世界大戦に関するところ。この文献はお
すすめでつよ。

>>17
ごもっとも。この部分の読み方は自信がなかったでつ。

>>19
サンクス。以前ギシュクラ・ヤーノシュ氏より、Szigetvarの読み方(→シゲトヴァール=jを教えて
いただいた事から、19氏の読み方がより正しいかと思われます。
名称が Admiral Maximilian Njegovan なので、ネゴヴァンとも読めそうだけど・・。

>>23,24
ワラタ。





32 :世界@名無史さん:04/04/21 11:57
モンゴル海軍について語るスレはここですか?

33 :世界@名無史さん:04/04/21 22:18
みなさん多分このサイトご存じと思いますが、

http://www.asahi-net.or.jp/~BF5K-ISN/krieg6.htm

 ドイツ海軍(ゾンダーアウステルング)
 エステライヒ海軍(クリークスマリーネ)  という記述があります。

独海軍=クリークスマリーネですよね。ってことは「ゾンダー〜」は
墺海軍の通称と考えていいのでしょうか?


34 :世界@名無史さん:04/04/21 22:33
戦間期のオーストリアの政党軍事組織について語るスレはここですか?

35 :世界@名無史さん:04/04/21 22:43
リッサ海戦の旗艦フェルディナント・マックス大公ってプラモにならないかなぁ。

36 :世界@名無史さん:04/04/21 23:05
オーストリア海軍て、士官以上と兵卒の格差が激しくて、士官室は豪華で快適だったのに
対して、一般兵の部屋とかはひどかったとか。
営倉には猫ムチまであったらしいし。

37 :ハウス:04/04/21 23:24
>>22
オーストリア・ハンガリー海軍のド級戦艦(艦隊旗艦)フィリブス・ウニーティスの艦名は、皇帝フランツ・ヨーゼフ
1世が政治のモットーとして掲げた、「帝国内の諸民族が一致協力しあって」に由来するものであり、旗艦にはふさわ
しい名称なのではないかと思われます。

あと、江村洋『フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク家「最後」の皇帝』東京書籍、内にこんな一文があります。
<〜中略〜最も彼(フランツ・ヨーゼフ)は海軍そのものには、実弟マクシミリアン大公や皇太子ルドルフほどには興味
を抱いていない。メキシコで暗殺されたマクシミリアンは海を愛して世界の大洋を航海し、また皇太子が海軍少将の軍
服を愛用し、それを誇りとしていたのとは違って、皇帝はやはり海軍よりは陸軍が好みだった。フランツ・ヨーゼフは
一度も海軍士官の制服を着用しなかったし、それに興味を示さなかった。彼の関心はあくまでも帝国陸軍にあった。>
 
 ・・だとすると、
砲塔装甲艦クロンプリンツ・エルツヘルツォ−ク・ルドルフ(1887年竣工)→以後の近代戦艦の祖
防護巡洋艦カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世(1889年竣工)→以後の近代巡洋艦の祖
 であるのもわからなくはないんですが、実際の理由はどうなんでしょうね?


 









38 :世界@名無史さん:04/04/22 00:47
フェルディナント・マックス艦ってその実弟からとった艦名なんでしょうが、
いちおう外国の君主だった人の名を使うのって変なかんじ。

39 :世界@名無史さん:04/04/22 22:49
戦艦サーヤ、和田司令官率いるスーフリ駆逐艦隊にかこまれ無理撃ち魚雷攻撃を受けますた。

40 :ハウス:04/04/23 00:43
>>35
そうですね。
あとプラモではないですけど、個人的にはウイーンの軍事史博物館に展示されている
(行ったことはないけど)ド級戦艦(艦隊旗艦)フィリブス・ウニーティスの精密な
大型縦断面模型がホシイ(世界の艦船1994・4号の134Pに出ているやつ)

>>36
たしか下のサイトにそんな内容がありましたよね。
合衆国軍艦「ラデツキー」
http://www.d3.dion.ne.jp/~ironclad/USSRadetzky/radetzky.htm


41 :10:04/04/25 11:53
そのウィーン軍事史博物館はぜひおすすめ。
大型模型の展示のほかに、手のひらサイズ(1/1250ぐらい)の
全艦隊(数十隻なのでたぶん)の洋上模型がずらっと並んで「欲しい」と
思いました。観光客も少なくてマターリできます。ちなみに館内のお土産店でも
模型は売っていませんでした。

42 :ハウス:04/04/25 21:57
>>41
ま、マジですか?
以前エキサイトの翻訳検索(キーワードオーストリア海軍=jで引っかかったサイトからは、
同国海軍のミニサイズの模型写真がズラズラと出てきましたが(13〜15にあるような各種艦艇
がいっぱい・・・なんか汽船や水雷母艦まであったような記憶が・・)、ひょっとしたらそれ
が10氏の言う洋上模型なのかしらん?
 ・・・いずれにしても、その洋上模型もホスィ!

43 :世界@名無史さん:04/04/25 22:47
>>42
そのことと思います。
1m×3mぐらいの台の上に並んでいました。

小西製作所の日本海海戦モノのように金属模型かと思いましたが、金属ではなく
1品モノの手作り模型のようでした。なので、商品ではないと思います。

同博物館は、ほかにもサラエボ事件で被弾した車や、オーストリア軍の軍服も
たくさん展示してありました。

44 :世界@名無史さん:04/04/27 17:08
>13
マリアテレジアですが「カイゼリンウントケーニギンマリアテレジア」では
無かったですかね?
>42、43
日本でこそミニスケール軍艦模型のスタンダードは700分の1プラモですが
海外では1250分の1のアンチモンとかの金属製が一般的です。
参考まで下記覗いてみてくだちい(二重帝國艦はあまりなかったと思うけど)。
www.steelnavy.com/1250.htm
www.1250ships.com/models/hai/hai457.htm
日本でも専門店はあった筈。


45 :世界@名無史さん:04/04/28 21:51
ラデツキーって海の人でないのまで艦名につかうのね。

46 :世界@名無史さん:04/04/28 22:39
んなこと言ったらシャルンホルスト、グナイゼナウ、ブリュッヒャー、プリンツ・オイゲンなども

47 :ハウス:04/04/28 23:08
>>44
装甲巡洋艦マリア・テレジアの正式名称は、Kaiserin and Konigin Maria Theresiaといい、Kaiserinは
皇后゜oniginは女帝≠意味します。皇后&女帝の部分は文献によって書かれていたり省かれていた
りといろいろです。・・・で、自分はKoniginをコニギン≠ニ読んでいるのですが、はたしてこれでよい
のかしら?ご存じの方がおられましたら、是非教えてくださいませ。

あとせっかくなので、同艦の経歴について簡単に触れさせていただきます。装甲巡洋艦マリア・テレジアは
、1893年にトリエステのスタビリメント・テクニコ・トリエスティノ造船所にて竣工しました。そして98年
の米西戦争時には、自国民の保護を目的としてスペイン植民地キューバに派遣され、1900年の義和団事件(
北清事変)では、防護巡洋艦カイゼリン・エリザベート 軽巡洋艦ツェンタ、アスペルンなどとともに中国海
域に展開、この時期同軍艦の艦長を務めたのがアントン・ハウス提督でした。

その後の第一次大戦では目立った活躍を見せませんでしたが、1914〜17年まではセベニコの防衛艦、17〜18
年はドイツ潜水艦部隊の停泊施設として利用されて終戦をむかえました。

・・さて、2つのサイトを覗いてみましたが、いろいろとあっておもしろいですね。13〜15にないモノとして
装甲艦クストツァ、砲塔装甲艦クロンプリンツェシィン(kronprinzessin)・ステファニー、未成の超ド級戦
艦エルサツ(Ersatz)・モナークを見つけますた。

48 :\(^■^ ラ 【卍】:04/04/28 23:10
何で、第三帝国の航空母艦がグラーフ・ツェッペリンなのか?って、疑問持ったことあるかね?

49 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/04/28 23:17
>>47
ドイツ語っしょ?
Koniginは正しくは"Königin"で、ケーニギンと読むと思われ。
öは「舌の位置はeだけど唇は丸くする」という、日本語にはない母音ですが。

50 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/04/28 23:17
っと、"Königin"は「女王」って意味です。

51 :世界@名無史さん:04/04/28 23:49
>>50
という事は帝妃並びに女王マリア・テレジア号って事ですね。
この場合はボヘミアではなくて、ハンガリーですかね、やはり。

52 :世界@名無史さん:04/04/29 02:20
ケーニギンというと魔笛の夜の女王が思い浮かんじゃうな。

53 :世界@名無史さん:04/04/29 04:29
>45
日本にも信濃があったじゃん。

54 :44:04/04/29 09:25
>47
ツェンタ級は正確には防護巡洋艦になりますね。狭義の軽巡洋艦は軽度の舷側
甲帯を持つものなのですが、ツェンタ級は舷側甲帯を持たず防御甲板に防御を
頼ってますんで。

北清事変の頃に第一線にいた人がWW1では司令長官級なんですねえ。英国も
確かジェリコ&ビーティコンビが行ってたような記憶があるんですが。

55 :ハウス:04/04/29 21:27
>>49-50
なるほろ!大変勉強になります。
というわけで正式名称は、カラジチ氏と44氏のご指摘どおり
kaiserin und Königin Maria Theresia
カイゼリン ウント ケーニギン マリア・テレジア
(皇后) 並びに (女王)
でよろしいでしょうか?
(※and×→und, Konigin×→Königinですたスマソ)
>>52
それは小説でつか?それとも映画でつか?
>>54
ラジャー。ツェンタ級を防護巡洋艦カイザー・フランツヨーゼフやカイゼリン・エ
リザベートと同じ種別に分けている資料もあります。

>北清事変の頃に第一線にいた人がWW1では司令長官級なんですねえ。
WW1中のホルティ提督なんかもそんな感じでは?
ついこの間まで軽巡洋艦ノヴァラの艦長として最前線で働いていたのに、いきなり
少将の身で司令長官に抜擢されたりなんかして・・・あ、ちと違うかな?

56 :54:04/04/30 00:33
>55
まあ19世紀末頃の艦種類別は華盛頓体制の戦間期以降とかと違って伝統的
分類(砲門数は排水量による等級)や技術的必要上(装甲巡洋艦と防護巡
洋艦等)もあれば各国の必要上ってのもありしかもそれに技術発展の異常
なまでの速度の早さもあって、名前は同じでも内実が違うなんてのもあり
(1880年代頃と20世紀に入ってからの装甲巡洋艦は技術的に全く意味が違
う部分があります)かなりの専門家かこの頃の軍艦好きという物好きでな
いとこのへんの分類は判りにくいもんでして、記述が混乱するのは仕方な
いところですね。

57 :ハウス:04/05/01 14:50
〜思い出したのでちと補足〜
>>54
北清事変の頃に第一線にいた人がWW1では司令長官級なんですねえ。英国も
確かジェリコ&ビーティコンビが行ってたような記憶があるんですが。

オーストリア・ハンガリー海軍はモンテクッコリ&ハウスコンビでつ。
ルドルフ・モンテクッコリ提督は、この時防護巡洋艦カイゼリン・エリザベートの
艦長で、その後ハウスの前(1913年以前)に海軍(艦隊)司令長官を務めますた。

58 :56:04/05/03 11:15
未来の海相?&司令長官歴任コンビだった訳ですな。
そういえば「モンテクッコリ」なんて名字そうそう無いと思うんですが、
伊海軍の軽巡「ライモンドモンテクッコリ」のもとはご親戚か何かなんで
すかねえ。
何気に「エウジェニオ、ディ、サヴォイア」なんて「プリンツオイゲン」
と事実上同じハプスブルク帝國所縁の名前を伊海軍が使ったりしてる例も
ありますし。


59 :世界@名無史さん:04/05/04 04:02
ライモンドモンテクッコリは三十年戦争時の神聖ローマ帝国の将軍にして作家だそうです。


60 :世界@名無史さん:04/05/04 04:05
まぁ明らかにイタリア系の名前ですが、二重帝国のモンテクッコリ提督は
イストリアかダルマツィア出身ですか?
ロンバルディアとベネチアも、普墺戦争までオーストリア領でしたが…。

61 :世界@名無史さん:04/05/04 16:11
>60
葛飾柴又の生まれ

62 :世界@名無史さん:04/05/04 17:12
中川二映る夕陽をめがけて♪

63 :世界@名無史さん:04/05/04 17:18
ホルティ=ミクローシュ提督について語ろうというスレはここですか?

64 :世界@名無史さん:04/05/04 17:49
いいえ違いM巣

65 :AIRSHIP:04/05/05 12:59
>>55
52が言ってるのは、モーツアルトのオペラ「魔笛」の『夜の女王』でしょう。
『夜の女王のアリア』は、『パパゲーニャとパパゲーニョのアリア』と共に
一度聞いても良い一曲です。

66 :ハウス:04/05/05 20:54
>>65
お、オペラっすか?
関心はあるけど全然知識が・・・
それにしても、文化水準の高い知的な方でつね。

オーストリア海軍のモンテクッコリ提督について少々・・
Admiral Rudolph Montecuccoli (1843-1922)
After he graduated of the Nautica, entered the Navy as an officer. Took
part in the wars of 1859 and 1866, and in 1882, suppressing the revolt
in Cattaro. From 1895 deputy, later commander of the naval depot of Pola.
Two years later counter-admiral. During the boxer-rebellion (1900), c
ommander of the Austro-Hungarian peace-keeping fleet squardron. After
he returned, appointed to be the chief of the naval group in the Minis
try of War in the rank of vice-admiral (1903). From 1904, commander of
the fleet, just one year later admiral. During his command were built
the first semi-dreadnoughts, modern torpedo-boats, cruisers and submar
ines. Resigned and retired in 1913, in the age of 70.

あと別のサイトに、Montecuccoli had family roots in both Austria and Ita
ly, とありますた。ライモンド・モンテクッコリとの関連性の有無はよくわからな
いのでもう少し調べてみまつ。・・余談ですが、上記にあるように彼はリッサ海戦
(1866年)にも参加しておりまつ。乗艦したのは汽走フリゲイト「アドリア」でつ。

67 :世界@名無史さん:04/05/05 23:54
この国の海軍は、陸軍同様に将校=貴族ってかんじなのでしょうか。

68 : :04/05/06 04:10
>>22
単に建造順の問題かも
カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦の2番艦で
ポーラ工廠で1888.7起工90.9/25進水92.1/24竣工らしいが

>>35
木造模型ならあるんかもね
ttp://www2.odn.ne.jp/miyukikai/museum-navy2F.htm

>>42
数年前今は無き新宿イエサブミリタリーコーナーで
メタルミニチュアのエルヘルツォーク・フェルディナンド・マックスを見た


>>47
>未成の超ド級戦艦エルサツ(Ersatz)・モナークを見つけますた。

Ersatzは『代艦』の意で
海防戦艦モナークが旧式化したので
その代替の艦の事で正式な艦名では
なかったような



69 :ハウス:04/05/09 14:00
ふーむ、モンテクッコリ氏の出身地がよくわからないでつね。
個人的にはベネチアかロンバルディアの出身だと思うんだけどなぁ・・
なんか北イタリアにはモンテクッコリ伯爵家とかがあったみたいだし・・
(ちなみにハウス氏〔1851−1917〕はスロベニアのTolmein出身)

>>68
その他同海軍には、
Ersatz Zenta(ツェンタ代艦級)軽巡洋艦3隻→大戦勃発により起工中止。
Ersatz Tatra(タトラ代艦級)駆逐艦4隻→1917年竣工。
がありまつ。







70 :ハウス:04/05/09 16:59
〜13補足〜

【第一次世界大戦勃発前夜のオーストリア・ハンガリー海軍】
巡洋艦隊〔ポール・フィードラー提督〕
 装甲巡洋艦サンクト・ゲオルグ、カイザー・カール6世、カイゼリン ウント ケイニギン・マリア・テレジア、
 軽巡洋艦ツェンタ、アスペルン、シゲトヴァール(ツェンタ級3隻)
第1水雷艦隊
 軽巡洋艦サイダ、駆逐艦タトラ、バラトン、セペル、リカ、オルジェン、トリグラヴ(タトラ級6隻)他6隻
 水雷艇10隻 
第2水雷艦隊
 軽巡洋艦アドミラル・スパウン、駆逐艦6隻、水雷艇18隻
 
沿岸守備艦隊
 海防戦艦モナーク、ウイーン、ブダペスト(モナーク級3隻)[第5戦艦隊]防護巡洋艦カイザー・フランツ・
 ヨーゼフ1世、水雷巡洋艦パンター

71 :世界@名無史さん:04/05/09 17:56
Uボートエースのトラップ大佐は日本海軍地中海派遣艦隊と戦ったのかな?

72 :世界@名無史さん:04/05/10 21:48
>70
乗船すると美味しいコーヒーとチョコレートケーキを御馳走してくれそうな
優雅な名前が多いですな。

遠洋海軍でもないのに、巡洋戦艦があるのも妙な気がしますね。

73 :世界@名無史さん:04/05/10 22:38
例によってイタリアがヘタレだったので、あまり大きな戦いが起こらず、実力は分からず
じまいでしたね。

74 :世界@名無史さん:04/05/10 22:41
>>73
そのヘタレのはずのイタリア海軍に、港の中で沈められてるじゃん。

75 :ハウス:04/05/11 00:04
>>71
4のギシュクラ氏が紹介してくれているスレよりコピペ

27 :名無し三等兵 :03/05/26 01:14 ID:+JhWJ0su
トラップ大佐はサブマリンエースです。
オーストリア・ハンガリー海軍では第一次大戦前に潜水艦部隊が編成されると
伝統にとらわれない気風と高給により若い士官の関心を引きました。
開戦時7隻の近海用潜水艦しか持っていませんでしたがフォン・トラップ中尉は
その中の艦長の一人でした。
 海軍上層部の無理解によりオーストリア・ハンガリー海軍の潜水艦作戦範囲は
母港であるプーラ付近にのみ許可が出されていて、アドリア海南部での戦闘も
困難でしたので、1916年終了時点で中小型船を18艘しか沈めることが出来ませんで
した。
 しかし17年になりようやく考えを改めた海軍は、随一の長距離作戦が可能な
U-14と新型のU-10型2隻の潜水艦を南のカッタロに移動させて無差別潜水艦戦
を宣言しました。上のレスにあるオトラント障壁に対する打撃により地中海に
出撃可能となったU-14は2ヶ月で合計3万トンの船舶を撃沈する戦果を挙げました。
 戦勝ニュースに飢えていた新聞はU-14の艦長フォン・トラップを盛んに
エースとして取り上げ、国民的英雄扱いしました。
 映画「サウンド オブ ミュージック」のエピソードにありますように、
ドイツがトラップ大佐を自軍に招こうとしていたのは潜水艦戦のエースで
ある彼の実績と名声を欲していたからです。

76 :ハウス:04/05/11 00:06
※ゲオルグ・フォン・トラップ中尉は、1914〜15までは潜水艦U5の艦長
                  それ以降はU14の艦長

で、71氏の言われる日本海軍の艦隊は1917年4月から地中海に派遣されてい
ますがフォン・トラップ大佐(当時は中尉か大尉かな?)の潜水艦とは直接
には交戦されていないと思われます。
ただ同年の6月11日には、ギリシャ・クレタ島沖で活動を行っていた上記艦
隊の駆逐艦「榊」が、オーストリア潜水艦U27の襲撃・魚雷攻撃を受けて艦
首を吹き飛ばされる事件が起こりました。地中海での日本海軍とオーストリ
ア海軍との直接的なやりとりはこれっきりです。

77 :58:04/05/11 00:14
>59,ハウス様
軽〜い気持ちで振った話でしたがいろいろお調べ頂いてスマソです。
>72
二重帝國海軍は巡洋戦艦は保有した事ないでつ。計画だけはしてたよ
うですが。
>73
戦略的封鎖状況の割に結構頑張ってますよ。オトラント海峡で封鎖
されっぱなしも癪なのか時々出撃したりしてます。
確か防護巡洋艦ツェンタだったと思いますが、駆逐艦1隻をお供に
行動中、封鎖中の仏前弩級戦艦群(1隻や2隻なんてチンケな数で)
なく10隻くらいいた覚えが)と遭遇、ツェンタはその猛烈な砲火
を浴び撃沈されるも、駆逐艦は結局取り逃がし、仏艦隊は勝った事
よりその「拙劣(有能な指揮官のあやつる高速艦に当てるのは結構
難しいのであえて括弧つき)」な射撃技量にたくさん「?」マーク
がついた事の方が大きかったそうで。
まあ何より封鎖突破して暴れたのは潜水艦ですが。大物食いとして
は仏装甲巡洋艦レオンガンベッタ、伊装甲巡洋艦ジュゼッぺガリバ
ルディを食ってます。
>74
イタリア海軍のMAS(魚雷艇)やフロッグメンの部隊は世界中ど
こに出しても正真正銘恥ずかしくない、寧ろ世界でもトップクラス
の戦闘能力持ってますから「へタレ」とはちといえませんね。
現に沈んだ弩級戦艦二隻、フィリブスウニーティスはフロッグメン
シュツェントイシュトヴァーンはMASの戦果であってけしてイタ
リア主力戦艦部隊の戦果とかじゃないですから。

78 :世界@名無史さん:04/05/11 00:29
よく榊を攻撃したのはドイツ潜水艦と間違って書いた本があるよな。
ちなみに、軍事史博物館に第二次大戦関係がないのは、
オーストリアという国がいまだに自らを欺いて、第二次大戦で
オーストリアはドイツに併合された被害国という立場を取って
いるためだと思うよ。

79 :\(^■^ ラ 【卍】:04/05/11 12:24
オーストリア出身の軍人としては、余を筆頭に

オットー・スコルツィニー∬中佐
ワルター・ノボトニーLW中佐
ゴルドン・ゴロップLW大佐
なんかが有名だな。


80 :ハウス:04/05/11 23:15
>>72
なかなかオシャレな事をいいまつねぇ・・
なんかオーストリア軍艦に乗って、チョコケーキとコーヒーをほおばりながら至福
のひとときを過ごしたくなってきますた。
>>77
いえいえとんでもないでつ・・自分も77(58)氏のレスがきっかけでいろいろと興味
を持ちましたので・・。あと77氏がカキコされた大戦初期のオーストリアVSフ
ランス海軍≠ノついて少々書かせていただきまつ。

オーストリア海軍艦艇はサラエボ事件以来厳戒体制下に置かれ、7月下旬〜8月上旬
には駆逐艦と水雷艇の一部がポーラからモンテネグロ方面に移動し、8月8日には軽
巡洋艦(正式には防護巡洋艦でつが、ここではこれまで通り軽巡に統一させていた
だきまふ)ツェンタと姉妹艦のシゲトヴァールが、セルビアに味方したモンテネグ
ロ沿岸部の封鎖活動を開始しました。

だが味方であるはずのイタリアが局外中立を宣言したために海軍当局の方針に混乱
が生じ、その間にも英仏は8月12日にオーストリアに宣戦・即座に同海軍の行動を
妨害するためにアドリア海に艦隊を派遣してきました。そして8月15日には、モン
テネグロのアンチバリ沖で軽巡洋艦ツェンタと駆逐艦ウランが、フランスのド級・
前ド級戦艦部隊11隻と英国の水雷戦隊に遭遇・・これに対し駆逐艦1隻はカッタロ
方面へ回避したが、軽巡ツェンタは退路を遮断され、仏ド級戦艦ジャン・バールな
どの砲撃を受けて撃沈されてしまいます。

この時ツェンタの乗組員は、一部の戦死者や自力で岸まで泳いだ人を除き、大部分
が仏艦艇に拾われて手厚い?もてなしを受けたとのこと・・オーストリアはその時
はまだ英仏に対し宣戦していませんでしたが・・
8月22日にようやく英仏に対し宣戦布告し、同24日にはすでにカッタロへ移されて
いた海防戦艦モナーク、ウイーンがモンテネグロとその境にある英仏側の拠点を砲
撃しました。

81 :77:04/05/13 20:00
>80
あ〜。ツェンタの話ってかなり微妙な時期の話だったんですね。地方在住
だと二重帝國海軍の資料なんて殆ど手に出来る事は無く、ウロ覚えになっ
ていました。長文フォロー多謝です。

、、確かにザッハートルテでも出してくれそうなカフェハウスぽい風情の
名前もちらほらありますな。40レスで上がってたHPの写真みてたら装甲
巡洋艦以上くらいなら職人の一人二人軍属でのってそうなくらい豪勢だし。

翻って兵員区画が居住性悪いという話ですが、マル経系とかの人が喜びそ
うな身分制度云々以前に基本的に事実上アドリア海限定行動海軍であると
いう事で居住区画にまわす分を防御にまわした事が要因として大きいよう
です。具体的には遠出しないから作戦期間も短く居住区画は最低限でいい
普段は陸で生活すればよろしい。またその居住区画も多少使い勝手が悪く
ても横隔壁には交通路の穴をあけずに水密を保つようにした事で尚居住性
は悪化したようです。代わりに防御力はかなり向上したようで、戦艦クラ
スともなれば防御力については定評のある独逸と同格艦なら極めて近似値
にあったようです。部分的には上回る分野さえあったそうで(例えばダメ
ージコントロールについての教本、その訓練教本といったものを完備して
いたそうです。ラデッキ―での話ですのでおそらく平時から)。

82 :世界@名無史さん:04/05/14 15:02
つおい おかんだ ゾフィー ゾフィー!

83 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/05/14 23:19
>45
オーストリアの海軍関連の英雄というとテゲトフ提督以外だと
レパント海戦の司令官だったドン・ファン・デ・オーストリア
ぐらいでしょう。
セント・イシュトヴァーン(聖イシュトヴァーン)なんてハン
ガリーの初代国王で遊牧民族マジャール人の族長ですから、海
で溺れそうな気が・・・。

>70
そうですか・・。
古戦場の名を冠したシゲト・ヴァール(シゲト城)なんて
ハンガリー軍がオスマン帝国軍相手に篭城のあげく玉砕
(妻子を殺して、城門を開いて敵軍めがけて最後の突撃
を敢行)したような場所の名ですし、ズリーニはシゲト
城の城主でクロアチア太守だったズリーニ・ミクラーシ
ュ(クロアチアではニコラ・シュービッチ・ズリンスキ
ー)の名前に由来しています。
こんな縁起でもない名前をよくつけたなぁと・・・。
同じ古戦場でも奇跡の勝利を収めたナードルフェーヘル
ヴァール(ベオグラード)と指揮官だったフニャディ・
ヤーノシュにしなかったのが不思議です。


84 :ハウス:04/05/15 10:58
>>81
エキサイトの翻訳検索(キーワードオーストリア海軍∞オーストリア・ハンガ
リー海軍=jには二重帝国海軍のサイトがけっこう見られます。掘り出し物?なん
かもあったりするので、時間を見つけて「宝探し」をされてみては?

オーストリア軍艦の居住性が悪いとはよく聞く話ですが、士官と一般乗組員との差
がありすぎるような気が・・・。大戦勃発前には、戦艦は地中海全域、巡洋艦は大
西洋や太平洋まで遠洋航海に出ているので、その間に反乱とか起きなかったのだろ
うか?

あと遅いレスですが、77のカキコにある「レオン・ガンベッタ」撃沈はフォン・ト
ラップ中尉の戦果です。1915年の4月27日未明に、ゲオルグ・フォン・トラップ中
尉の指揮する潜水艦U5が、オトラント海峡の北イオニア海域で哨戒活動を行って
いたフランス装甲巡洋艦レオン・ガンベッタに対し魚雷攻撃を行い、10分たらずの
うちにこれを沈めます。これにより展開していた仏巡洋艦隊が退いたので、オトラ
ントの封鎖線が一時開放されました。

>>82
ゾフィー大公妃は、1914年6月にボスニア地方で行われた陸軍大演習視察の際、行
き帰りともにド級戦艦(艦隊旗艦)フィリブス・ウニーティスを利用されています
(トリエステ⇔ダルマチア間往復)。ただし残念な事に、帰りはご遺体としてです
が・・。

85 :ハウス:04/05/15 11:43
>>83
レパントの海戦の人物ですか?これはスペイン・ハプスブルク海軍の英雄
という事なのでしょうか?(名前しか知らないので早速調べてみまつ)

ドン・ファン・デ・オーストリアは、リッサ海戦時のオーストリア装甲艦
にその名を連ねていますが、確かにこの人とテゲトフ提督以外に海軍の英
雄名はみられないなぁ・・
まあこの2人物以外には、「スパウン」(ヘルマン・フォン・スパウン、
元海防戦艦ウイーンの艦長で、1897〜1904年に司令長官を務める←モンテ
クッコリ氏の前でつ)提督がいたりするけれど。

軽巡洋艦シゲトヴァール&準ド級戦艦ズリーニは、1915年の5月24日(イ
タリアの対オーストリア宣戦直後)には、他の多くの艦艇とともにアド
リア海沿岸部のイタリア都市砲撃作戦≠ノ参加しております。しかしそれ
以外にはこれといった活躍はなかったみたいです、まあ両艦とも終戦まで
生き延びておりますが。
(※ちなみに40レスにあるサイト「合衆国戦艦ラデツキー」には、絵葉
書より・砲撃する『ツリニー(ズリーニ)』≠ェあり、これはその時の絵
だと思われ)

ナードルフェーヘルヴァール&フニャディ・ヤーノシュですか?これは最
新鋭の軽巡洋艦や超ド級戦艦名に是非ほしかったでつ。

86 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/05/19 00:44
>85
基本的にハンガリーの英雄=ハプスブルグ家の敵または謀反人という
パターンが多いので命名には苦労するでしょう。
ズリーニ家もシゲトのニコラの孫の代で謀反を計画して露見し当主が
処刑されて絶えています。

問題がなさそうなのは騎士王と呼ばれたラースロー1世(列聖されて
セント・ラースロー)ぐらいですか。

87 :ハウス:04/05/19 23:48
>>86
ギシュクラ様、いらっしゃいませ。
これからもよろしくお願いします。
(すいません、言うのが遅くなってしまいました。)

オーストリア・ハンガリー海軍艦艇は、1クラス(級)3隻のうち1隻がハンガ
リーに由来する名称なので(シゲトヴァール、ズリーニ、アルパード等 ただし
一部例外もありまつ)、これらの地名・人物を切り口にハンガリー史を学んでみ
るのもおもしろいかもしれませんね。

ちなみに、ヘルマン・フォン・スパウン提督(アドミラル・スパウン、海軍の近
代化とその拡張化に尽力)もハンガリー出身でつ。

88 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/05/20 23:49
>87
いえ、二重帝国の海軍はほとんどわからないのでお役に立てないと
思います。
ハンガリーの名前をつけているのは都市の名をつけているブダペス
トと王家の名をつけているアールパード(ハンガリーの民族王朝)
ですね。
あとは皇族の名前なんで関連はなさそうです・・。



89 :☆質問でつ!:04/05/21 21:20
ウィーン少年合唱団の制服がセーラー服なのは、やはりオーストリア=ハンガリー帝国海軍と関係あるのでしょうか?
教えてエロい人…

90 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/05/22 02:39
>89
さて、何故でしょう・・・。
そういえばブダペストの高校で女子の制服がセーラー服のところ
があるそうですが、これも二重帝国海軍起源なのでしょうか・・・??

91 :ハウス:04/05/22 20:37
>>88
そうですか、それは残念。
ただ二重帝国海軍には興味がおありのようですから、
また気が向きましたら、レスをつけて下さいませ。
(すでにつけてくれていまつね)

二重帝国海軍というと、厳密には1867年のオーストリア・ハンガリー帝国成立
時〜1918年の帝国崩壊・第一次大戦敗北・海軍解体までになるでしょうが、
広義のオーストリア海軍は、1382年(ハプスブルク家がトリエステを獲得して
沿岸部に進出した年)〜現在まで(ドナウ川の河川部隊が存在)なので、
レスする方がそれぞれの視点・切り口から楽しめればそれでよいのでは?

話は変わりますが、このスレを立ててくれたフェルディナント・マックスなる
お方はいずこへ・・・?

>>89-90
漏れも知りたいでつ。

92 :ハウス:04/05/24 23:49
85でも少しカキコしましたが、
本日はアントン・ハウス提督の指揮するオーストリア海軍の大艦隊が
イタリア沿岸部を砲撃した日です。

1915年5月23日の20:00PM、戦艦12隻 巡洋艦5隻 駆逐艦17隻 水雷艇30隻
よりなるオーストリア艦隊がポーラからアドリア海に出撃。

ハウスは手持ちの艦隊を7〜8隊に分けてアドリア海北部にこれを展開させ、
翌24日には、コルシニ、リミニ、セニガリア、ポテンザ、アンコナ、クレ
タシオ等を各個に砲撃しました。

93 :世界@名無史さん:04/05/26 11:12
ウイーンの軍事博物館へ行ったら、オーストリア海軍展をやっていました。
同時開催の、ナチスの宣伝ポスター展が、意外に面白かったです。


94 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/05/27 00:28
>93
おお羨ましい・・。以前、私が訪れた時は海軍関係の展示室は
改装中で見られませんでした。
ブダペストの軍事博物館にもセント・イシュトヴァーン関係の
展示が少しありますよ。

95 :世界@名無史さん:04/05/27 04:57
内陸国が海軍もっていてもおかしくないよね?

96 :世界@名無史さん:04/05/27 10:07
>>95
もちろんさ。
現代でもスイス、モンゴル、ボリビアは海に面してないけど、
河川や湖で活動するネイビーがある。
ネイビーを「海」軍と訳してるから日本語ではおかしく感じるだけ。
水上軍、艦艇軍とでもしておけばよかったかも。

97 :世界@名無史さん:04/05/27 18:45
イランには、カスピ海海軍もありますよ。

98 :世界@名無史さん:04/05/27 19:30
いや、内陸国が、外洋に軍艦浮かべていても変ではないという意味で。

99 :世界@名無史さん:04/05/27 20:00
小栗虫太郎の「潜行艇鷲の城」(だったか?)という長編小説は確か、オ
ーストリア海軍の潜行艇の物語で、かなり荒唐無稽だが面白かった。

100 :世界@名無史さん:04/05/28 00:48
十年ぶりだかで田舎に帰ったんだけど、俺はちょっと暇持て余して買い物してたんだよ。
そしたら臨時休業か何かでさー、店閉まってて呆然としてたら、
隣の女も同じく空振り食ってたらしくて「あはは、これじゃしょうがないっすねー」っつって笑いあってた。

その人、ショートカットで飾らない感じで、可愛い系ってより美人系って感じの、
もろに俺の好みでな、かなり気になってたんだが、そしたら向こうから
「あの、良かったら・・・これから一緒に買い物でも行きませんか?」
って言ってきたんだよ。二つ返事でOKしたよ。

その人とは、話も合うし、何より一緒にいてすごく楽しいんだ。なんか今日はじめて会ったって気がしない。
俺は今まで告白なんてしたことないチキン野郎だったんだけど、
勇気を振り絞って「また会えませんか?」って言ったんだがそこで目が覚めました。

おはようお前等。


101 :世界@名無史さん:04/05/28 01:02
パラグアイにも外洋に出られる海軍がある

102 :世界@名無史さん:04/05/28 02:06
ハンガリー「海軍省を設立したいので援助をお願いします」
ソ連    「なぜ海軍省が必要なのだ? おまえの国には海がないだろ?」
ハンガリー「あなたの国にだって文化省があるじゃないですか」

103 :>>102 ワロタ:04/05/28 22:38
>>96 >>101
パラグアイとボリビアは同じ内水海軍だけど、相当質が違うね。
前者はかなり大規模で、今ではほとんど死滅してしまった下駄船と属される
河川砲艦を装備している。アメリカ海軍のLSTを改造した補助艦艇があっ
たり、小型の哨戒艇も多数保有している。ちなみにブラジル、コロンビア、
ペルーも同様の砲艦を保有している。

かたやボリビアは小型の哨戒艇がほぼ全てで、あとはアメリカ製の捕鯨船
(キャッチャーボート)がいくつかあるのみ。チチカカ湖が中心で、
他に東部のいくつかの河川を警戒しているようだね。

ちなみにハンガリーにも掃海艇を中心にした河川部隊がある。

104 :世界@名無史さん:04/05/28 22:47
今、内陸国で海軍があるのは、ボリビア、パラグアイ、マリ、ラオス、マラウィ、
ウガンダ、ブルンジ。あと他にオーストリア、ハンガリー、スイス、中央アフ
リカが陸軍の中に河川湖水部隊を保有している。ルワンダも持っているという説も
あるけど不明(持っている可能性は高い)。

他にもカンボジア、ミャンマー、コンゴ民主共和国といった紛争国では河川部隊を
保有している。
(カンボジア海軍は内戦で海上部隊が壊滅したため、実質メコン川の防衛のみと
なってしまった)

105 :世界@名無史さん:04/05/28 22:52
あと、旧オーストリア周辺だとボスニアとセルビア・モンテネグロかな。
セルビア・モンテネグロはモンテネグロが分離すれば内陸国になる。
ドナウ川の警備防衛の関係上、内水海軍になる可能性は高い。

ボスニアは領海がちょこっとあるんだけど、海軍創設の話は聞かないね。

106 :ハウス:04/05/29 11:23
>>93
いいですねぇ。ちなみにどんな感じでしたか?
>>94
ハンガリーのダイバーが遺品の一部を引き上げて、博物館に展示しているのです
よね。ご存じの方も多いと思いますが、参考までに↓
http://ww1.m78.com/topix-2/szent%20istvan.html

>>96
ボリビアはかつて海に面した領土を持っておりましたが、チリとの戦争に敗れ海
への出口を奪われております(たしか19世紀の半ばくらいだったかな?)。過去
海軍なるものが存在したのかどうかわかりませんが。
>>97
イランのカスピ海海軍ですか?それは興味深いですなぁ。・・ということは、ロ
シアも(以下略)。・・・でもさすがにアラル海に海軍なんかはなさそう。ここ
って水が干上がってどんどん縮んでいるみたいだし。

>>99
読みたいでつ。貸してくれませんか?

>>100
100ゲッツ、おめ。

107 :ハウス:04/05/29 11:41
>>102
ワラタよ。

>>103-104
ハンガリーは、1918年までは海に面した領土を持っていました。フューメ(現ク
ロアチア領リエカ)とその周辺部です。ここのダヌビウス造船所にて、1915年11
月17日に上記のド級戦艦セント・イシュトヴァーンが竣工しました。
>>105
セルビア・モンテネグロの海軍はどんな艦艇を保有しているのだろう?一度別の
スレへ行って質問してみようかなぁ。
あとかつてのモンテネグロ王国の海軍っていったい・・? 第一次大戦勃発直後
あっさりとオーストリア海軍に封鎖されてしまいましたが。

108 :世界@名無史さん:04/05/29 17:21
三連装砲塔、萌えっ!

109 :太平洋戦争:04/05/29 17:43
って、ボリビアとチリの戦争だったんだね。

110 :世界@名無史さん:04/05/29 23:32
南米のどこだったかおぼえていないんだけど
昔テレビで海がない国だけど海軍があって湖に潜水艇とか保有してるってのをみたことがあるな。

111 :世界@名無史さん:04/05/30 07:16
>>110
南米で湖上海軍といえばボリビアですが、潜水艦までは保有していなかったはず。

112 :世界@名無史さん:04/05/30 18:43
>>111 一時期、ボリビア海軍は大型の輸送艦を保有していた時期があった。
ただし、領海が無いんでペルーやアルゼンチンの港を借りて停泊させてい
た模様。

113 :世界@名無史さん:04/05/30 22:33
トラップ大佐はあともう一歩でイタリア海軍を破滅させてた猛者だぜ。
奥さんのアガタが病気になってその看病に帰らなかったらな。
その勇者の血は息子にも流れてて長男ルーペルトも次男ヴェルナーも
ヨーロッパ各地でドイツ軍を破った戦人だと言うぞ。

114 :世界@名無史さん:04/06/01 09:46
>111
どこの国かまでは覚えていないが
潜水艇が浮上してくるシーンはおぼえている

115 :世界@名無史さん:04/06/04 00:24
第一次世界大戦のころの有色人種国家で、近代海軍があった国はどこだろう。
日本、中華民国、オスマントルコは別として。
カージャール朝ペルシャやモロッコはあったのかな。

116 :世界@名無史さん:04/06/04 01:23
>>第一次世界大戦のころの有色人種国家
有色人種が具体的にどこまでを指すのかは兎も角、
日中土以外だと、タイとペルシャ、エチオピア、リベリア、(チベット、ネパール、ブータン)程度しか国が存在しないだろ
(中南米のインディオ比率の高い国は除くとして)

うち沿岸国はタイ、ペルシャ、リベリア…
1900年でもエジプトとモロッコ、大韓帝国しか加わらんぞ

117 :世界@名無史さん:04/06/04 17:20
第一次大戦時の日本帝国海軍は世界三位ニダ
といってもド級艦の開発に失敗したので、実戦力では
ドイツの方が上だったけどね。

118 :81:04/06/04 22:38
>117
WW1の時点では日本海軍は帝政独海軍と比べ3位はおろか、2位独逸とは比べ
るべくも無い劣勢で、当時帝政独海軍に対抗できたのは英大艦隊だけです。実戦
力3位どころか、質量とも圧倒的に帝政独海軍が上です。
日本海軍はハンマーである遊撃戦力としては金剛型がありコレはかなり有力です
が、おともとなるべき駆逐艦は日露戦争当時とたいしてかわり映えしない全くの
骨董品まがいの艦ばかりで総合戦力として多くは期待できません(因みに英独供
かなり有力な水雷襲撃部隊を有していました)。
また金床たるド戦艦群で、使い物になるド級以上は大戦中竣工の扶桑型が最初で
改正型の伊勢型まで含めてもわずか4隻。ド級艦の河内型は究極の準ド級という
べき艦で多くを期待できる艦ではありません。
因みに英独は16年のジュトランドに参加したド級と超ド級戦艦だけでも英28隻
(日本艦を上回る15in砲艦6隻含)、独16隻に達します。
三笠あたりのお仲間の基準戦艦?ド級の建艦競争が始まって一番損をしたのはこ
の2国です。文字どうり腐るほどもってます。
当時の海軍バランスは物凄く大雑把にあらわすと
英>>独>>>>>米仏日露墺伊(皆、脛に傷あり。どんぐりの背比べ)>>>>>その他。
といった感じ。

119 :世界@名無史さん:04/06/05 01:38
日本も鹵獲ロシア艦も含めて前ドは腐るほども持ってたような・・・
薩摩も失敗だけど、扶桑型も失敗作だよね。
まともに戦えるのは金剛型のみ。
こりゃ八八艦隊に走りたくなる気持ちはわかるよ。

120 :世界@名無史さん:04/06/05 01:54
金剛型をイギリスの要請に応じてヨーロッパに派遣したら
どうなっただろうか?

121 :118:04/06/05 19:14
>119
その腐ってた基準戦艦〜準ド級戦艦群が日本海軍の場合また曲者でして、
66艦隊計画の残存4隻、香取、鹿島、薩摩、安芸、筑波、生駒、伊吹
鞍馬は多少の問題含み(2巨砲混載は運用が難しい、最有力の薩摩安芸
は同型艦で運動能力が違う等々)ではありますが自国の要求仕様で造って
るからまだマシですが鹵獲し再整備した石見、肥前、丹後、相模、周防
壱岐は、相模と周防が同型(つってもドレッドノートショックの後では
基準戦艦はおろか装甲巡洋艦の価値しか事実上なくなっている)である
以外型も運動能力も速力も火力も全く別モノで戦隊、艦隊といった戦術
ユニットとしての一体性がまるで作れず、しかもそれらの整備再生にか
けた労力予算は莫大でして、当然他にしわ寄せが行きました。文字どう
り「腐っていた」と言えるでしょう。もちろん英独などはそういう戦争
によるアクシデント的なものがないのでそれなりの斉一性を保ってます。
唯一日本海軍に後につながる利があったとすれば「戦艦の定数」が増えた
のでこれらを廃艦にすると代艦を要求する名分が立つようになった位で
すな。
二重帝國海軍となんも関わりが無い、、スマソ。

122 :ハウス:04/06/05 21:19
>>113
トラップ大佐とイタリア海軍とのやりとりで印象的なのは、アドリア海中部の
オーストリア領・ペラゴサ島をめぐる戦いです。ペラゴサ島はアドリア海の戦
略上重要な拠点であり、イタリアはここを占領してダルマチア攻撃のための足
がかりを築こうとしました。
1915年7月11日にイタリア海軍はペラゴサ島を急襲してこれを占領し(当時島
にはオーストリアの通信兵が6名しかおらずイタリアは難なくこれを占領)、
以後周辺部に潜水艦部隊を配備するようになりました。

これに対しオーストリア海軍は、巡洋艦・駆逐艦部隊を派遣して兵の上陸を試
みましたが、これは伊仏潜水艦部隊と島の守備兵の抵抗によって阻止されたた
めにひとまず艦隊を撤退させました。
その一方で潜水艦を同地に派遣してこれに対抗させ、8月5日にはゲオルグ・フ
ォン・トラップの指揮する潜水艦U5が、沖合部に展開していたイタリア潜水
艦ネリーデと交戦してこれを撃沈してからは戦局はオーストリア側が有利とな
り、8月16・17日には再び派遣されてきた軽巡洋艦ヘルゴラント、サイダ、駆
逐艦4隻、水雷艇4隻よりなるオーストリア艦隊の総攻撃により島の奪回に成功
しました。

123 :ハウス:04/06/05 21:40
本日、つまり1915年の6月5日に、イタリア海軍は装甲巡洋艦ジュゼッペ・ガリバ
ルディ以下巡洋艦4隻、仏駆逐艦4隻よりなる艦隊を派遣してダルマチア南部のラ
グーサ(現クロアチア領ドブロブニーク)・カッタロ間の鉄道を砲撃し、同日軽
巡洋艦ニーノ・ビクシオと仏伊駆逐艦4隻もリッサ島を砲撃しました。

イタリア海軍は対オーストリア宣戦(5月24日)後即座にアドリア海に艦隊を派
遣する予定でしたが、オーストリア大艦隊の奇襲攻撃を受けたために(>>92参照)
派遣を2週間遅らせ、本日ようやく一矢を報いたというわけです。

>>121
お久しぶりでつ。
それにしても毎回すごい書き込み・・おみそれいたします!

124 :ハウス:04/06/05 21:50
>>123
間違えますた。イタリアの対オーストリア宣戦は1915年の5月23日・16:00PM
ですたスマソ。


125 :ハウス:04/06/09 23:45
1915年6月9日 オーストリア潜水艦U4がアルバニア沿岸部で英巡洋艦ダブリン
を雷撃して損傷を負わせる。

126 :世界@名無史さん:04/06/10 15:02

実況スレ

G.I.ジェーン ◆ G.I.JANE
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livetx/1086844913/

127 :世界@名無史さん:04/06/10 20:10

実況スレ

G.I.ジェーン ◆ G.I.JANE
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livetx/1086844913/

128 :世界@名無史さん:04/06/12 06:29
ttp://www.gwpda.org/naval/pg000000.htm

いくらか艦艇の写真あり

129 :ハウス:04/06/13 13:42
>>128
オーストリア・ハンガリー海軍の各種艦艇写真(その他の国もあり)が見られる
サイトですね。このスレでこれまで触れられなかったものとしては、装甲艦カイ
ザー・マックス、プリンツ・オイゲン、水雷艇TB81の写真が見られます。

130 :ハウス:04/06/17 22:39
1915年7月17日、装甲巡洋艦サンクト・ゲオルグ、水雷艇14隻よりなるオーストリア
艦隊が、リミニその他のイタリア沿岸部を砲撃。

同日、ホルティ・ミクローシュ提督率いる軽巡洋艦ノヴァラ、アドミラル・スパウン
駆逐艦4隻、水雷艇4隻よりなるオーストリア艦隊が、アンコナとリミニの中間にある
ファノとペサロの軍事施設を急襲して打撃を与える。ホルティの艦隊はさらに北上し
てリミニを砲撃。

131 :ハウス:04/06/17 22:42
※7月17日→6月17日

132 :世界@名無史さん:04/06/19 21:07
すでに議論があるかもしれませんが。

かつて、東地中海に覇を唱えたベネチア海軍は、
オーストリア海軍の中でどのような地位を占めたでしょうか。

その後、イタリア統一戦争で、彼らの心中はどうだったのでしょうか。

失礼しました。

133 :ハウス:04/06/20 13:30
>>132
オーストリア・ハプスブルク家は1382年以来海に面したトリエステを領有しており
ましたが、海軍は小規模なもので、兵力もそのほとんどが沿岸部に住むイタリア人
でした。

一方当時のベネチアはトリエステを除くベネチアからダルマチアにいたる沿岸部を
領有し、その海軍は1571年のレパントの海戦でオーストリア・ハプスブルク海軍と
連合してオスマン・トルコと戦いました。
で、オーストリアの海への出口は18世紀後半まではトリエステだけだったので、も
しこの時までにベネチアと友好関係を保っていたのであれば、その海軍力はオース
トリアにとってかなり重要な位置づけにあったのでは?(←この頃の知識は疎いの
で、もし間違っていたらスマソ。)

その後1797年のカンポ・フォルミオ条約によりオーストリアは消滅したベネチア共
和国の領土と艦艇・兵員を入手して、その海軍力を強化しております。

1866年のリッサ海戦(これもイタリア統一戦争に含めていいよね?)時のオースト
リア海軍は、ベネチアがまだ自国領であるためにイタリア人水兵が依然として多い
状態でしたが、その指揮は高く訓練もよく行き届いていたようです。ヴィルヘルム
・フォン・テゲトフ提督(海軍少将)の努力の賜物でしょうか?

134 :世界@名無史さん:04/06/21 01:45
プロイセンに寝返った陸軍イタリア人兵士とは大違いだな・・

135 :121:04/06/22 23:06
>128、ハウス様
色々教えてもらってるお返しといってはなんですが、二重帝國海軍がらみ
のものをいろいろ。スレもおちついてきましたし。
模型が多いですが詳細部分のディティール等は判りやすいですよ。

www.steelnavy.com/WSWZenta.htm
防護巡洋艦ツェンタ
www.steelnavy.com/WSWStGeorge.htm
www.steelnavy.com/WSWSanktGeorgQT.htm
ところでコレって「サンクトゲオルグ」でしたっけ?「ザンクトゲオルグ」
でしたっけ?第2外国語独語だったのに忘れた(泣)
www.battleships.spb.ru/avstria.html
キリル文字が多少とも読める(WW2の戦車の「スターリンの為に」くらい
のスローガンが読める程度でいいです。アタリは付きます)と楽です。
ttp://german-navy.tripod.com/sms_model-photos_bb.htm
カール大公と聖イシュトヴァーンがあります。
www.modelshipgallery.com/gallery/cl/sms/novara-400-zc/Novara-index.html
スカウト、ノファラ
www.modelshipgallery.com/gallery/bb/sms/szent-istvan-700-jb/sinking-index.html
聖イシュトヴァーンの有名なシーン(泣)再現。

136 :ハウス:04/06/27 09:09
>>135
うおおっ、これはすばらしい!
どうやら121(135)様からすごいモノをいただいてしまったようで・・
それにしてもよく見つけましたねぇ。
本日は休日なので、じっくりと拝見させていただきまつ。
サンクスでつ。

ところで最近漏れのレス&ミスが多かったのは、転職活動の合間の息抜き・
気晴らしのためでつ。ただこれからはその場の勢いだけではなく、もっと
落ち着いて・日にちの間隔を空けて・じっくりとカキコしていきたいと思
いまつ(今後しばらくは潜水艦ネタかな?)。

>>65
昨日本屋で下の絵本を見つけますた。
ミヒャエル・ゾーヴァ画・那須田淳=文「魔笛〜愛と英知と魔法、そして
逆転の物語〜」講談社
この絵本は、1998年にフランクフルト歌劇場で上演されたオペラ<魔笛>の
ためにゾーヴァが描き下ろした原画を使い物語化したモノ、との事でつ。

137 :135:04/07/01 23:39
>135
実はある意味では簡単に見つけられます。
例えばぐぐるの画像検索とかで、艦名と関連用語例えばSMSとか
海戦名とか同型艦とかを入力して検索結果の画像から軍艦らしい物
を探すとw。まあ画像だとヒット無いので文章で検索かけて逐一開
くなんて事もよくありますが。
日米英あたりの有名艦とかありふれた名前の艦だといやになるほど
ヒットしますが、二重帝國海軍くらい程よくわびさびの世界になる
とあまりいらないものヒットしないんですよ。だからある意味簡単。

138 :ハウス:04/07/07 23:06
1915年7月7日 オーストリア潜水艦U26(独潜水艦UB14がオーストリア艦籍に
編入されたもので乗組員は全員ドイツ人)がベネチア沖の哨戒活動を行っていた
イタリア装甲巡洋艦アマルフィを雷撃し、これを沈める。

またこれより1ヶ月ほど前に、ドイツ本国からは分解した潜水艦(UB1&15)が
鉄道を通してポーラ港まで運び込まれてオーストリア潜水艦U10・U11として
就役しましたが、6月10日にU11はベネチア沖でイタリア潜水艦メドゥーサを
撃沈、また同26日にはU10が同海域でイタリア水雷艇PN5を沈めております。

これらの潜水艦は艦長以下の乗組員は全てドイツ人でしたが、オーストリア国
旗を掲げており、またオーストリア人将校が1人副指揮官として乗り込んでお
りました。

139 :ハウス:04/07/11 15:30
1915年7月11日 イタリア海軍はリッサ島の南80キロに位置するオーストリア領
のペラゴサ島を急襲・これを占領。以後1ヶ月にわたりオーストリア海軍と同島
の争奪戦を演じる。トラップ大佐の潜水艦U5もこれに参加(>>122参照)。

・・余談ですが、1914年の12月16日にフランスの装甲巡洋艦ジュール・ミシュ
レが潜水艦を牽引してペラゴサ島沖に進出し、20日には同潜水艦キュリーをポ
ーラ軍港に侵入させましたが、キュリーは防潜網に引っかかって浮上・同時に
オーストリアの沿岸砲台と駆逐艦・水雷艇の砲撃を受けて沈没しました。

しかしながらこの仏潜水艦は、翌1915年の1月31日に引き上げられて修理を受
けた後オーストリア潜水艦U14として再就役し、同年のペラゴサ島を巡る伊墺
両国海軍の争奪戦を経てトラップ大佐が新たに乗り込む事になりました(>>75
参照)。またホルティ提督の艦 軽巡ノヴァラの竣工は15年の1月10日になりま
す。

140 :世界@名無史さん:04/07/17 18:56
知識だけひけらかすと盛り上がらないヨ!
釣られてる漏れが言うことじゃないが

141 :世界@名無史さん:04/07/17 19:42
まだ突っ込めるところまで話がいってない。。笑

142 :ハウス:04/07/18 07:47
>>140-141
ふーむ、大変参考になるお言葉。
よろしければ、140様もいっしょに盛り上げてくださいな、よろしゅうに。
(漏れだけだと自己満足になりがちなので)
あと141様の言われる突っ込みどころとはどのあたりでつか?

自分的には、この【1915年(伊が参戦した年)のオーストリア海軍の戦闘】に非常
に関心があるんですよ。大戦を通して同国海軍が最も積極的に出撃・活動した年と
して。ただ知識のひけらかしだけじゃ盛り上がらないですし、MASや人間魚雷の話
に比べるとマイナーなのでしょうが・・。

ひとまず本日の分はこれまでと同じようにレスさせていただきまつね。
悪しからず。 ・・・とその前に。

下のハンガリースレでもオーストリア・ハンガリー海軍の話題が出てきております
(とりあえず595〜599まで)。非常に興味深い内容なので、一度のぞいてみては?
→ハンガリーについてV
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1056991758/l50

143 :ハウス:04/07/18 08:06
1915年7月18日 オーストリア潜水艦U4(艦長ルドルフ・ジングレ)が南ダルマチ
アのグラヴォサ沖で、再びラグーサ・カッタロ間の鉄道を砲撃していたイタリア装
甲巡洋艦隊を急襲・旗艦ジュゼッペ・ガリバルディに対し魚雷攻撃を行いこれを撃
沈。これによりガリバルディの乗組員590名のうち50名が戦死しました。またこの
時イタリア軽巡洋艦マルサーラ(Marsala)、クアルト(Quarto)、駆逐艦3隻も別
のダルマチア沿岸部を砲撃していました。

ところで先日手元の資料を見ていて気づいたのですが、この時ジングレは海軍当局
から「なんで他の獲物〔つまり伊装甲巡洋艦ヴァレーゼ(Varese)&フランチェス
コ・フェルッキオ(Francesco Ferruccio)の事ね〕を始末しなかったんだ?」と
叱責を受けたようで・・
また補足ですが、6月9日の英巡ダブリン雷撃(>>125)もジングレの戦果です。そ
して>>33のサイトにありますように、戦後ジングレはトラップ大佐と共にマリア・
テレジア騎士十字勲章を受章しております。

144 :世界@名無史さん:04/07/18 12:51
なんか潜水艦の活躍ばかり出てきますが
そんなに潜水艦戦に対して慧眼があったんんで?
ハプスブルク家の宮廷の皆さんは。

145 :世界@名無史さん:04/07/19 16:00
海軍の作戦の主目的が通商破壊だと、どうしても潜水艦の話になってしまうのでは。

146 :ハウス:04/07/19 23:20
>>144
むしろ無関心だったと思います。
また海軍当局も当初はこの新兵器を重要視せず、1917年に無制限潜水艦戦
を開始するまではその作戦範囲を限定していましたので、トラップ、ジン
グレ、そしてエゴン・レルヒ(U12の艦長)といった各潜水艦艦長の力量
が大きかったのでは?
これまでレスしてきた内容も、その限られた作戦範囲の中での戦果ですし。

147 :世界@名無史さん:04/07/20 23:55
>146
なるほろ

ジングレさんやレルヒさんは日本じゃマイナーですが、
戦後はどうなったんで? ドイツ海軍入り? 亡命?

148 :世界@名無史さん:04/07/21 13:34
昨日はリッサだぞ。誰か一人ぐらい話題にしろ

149 :R田中一郎:04/07/24 14:11
リッサ・スティッグマイヤー

150 :ハウス:04/07/24 23:39
>>147
ジングレ(Rudolf Singule)については?なので、ここでは多少知識のあるレルヒ
(Egon Lerch)について少々。実はレルヒは戦後まで生きておりません。1915年
8月の北アドリア海の戦闘で命を落としております。なぜ彼の名を挙げたのかとい
うと、14年12月末のオトラント海峡でフランスのド級戦艦ジャン・バール(防護巡
洋艦ツェンタの仇)に魚雷2発をぶち当て、これに損害を与えたから(大戦を通し
オーストリアUボートが敵戦艦に損害を与えた唯一の例)です。

また彼はルドルフ皇太子の娘さんの愛人だったようで、塚本哲也著「エリザベート
〜ハプスブルク家最後の皇女」文芸春秋 にもその事が出てきております。

>>148-149
リッサ海戦の日本語のサイトについて2つほど・・
ttp://www.kaho.biz/huousensou.html
ttp://www.d3.dion.ne.jp/~ironclad/Tegetthoff/tegetthoff1.htm
・・ところでリッサ・スティッグマイヤーって誰?

3年前のオーストリア海軍のスレッドについて
→まぼろしのオーストリア海軍
ttp://yasai.2ch.net/army/kako/984/984276921.html

151 :世界@名無史さん:04/07/25 03:09
カリッサの屈辱

152 :ハウス:04/08/01 22:50
>>151
世界史板にふさわしい言葉遊び≠ニいったところでしょうか?

ところでふと思いついたのですが、以下の第一次世界大戦におけるオーストリア海軍
のif〜について興味のある方っていらっしゃいますか?
@もし第一次大戦が勃発していなかったら?
Aもしイタリアがオーストリア・ドイツ側に立って参戦していたら?
Bもしオーストリア・イタリア両主力海軍が艦隊決戦をやっていたら?
Cもし1918年6月のホルティによる攻勢が成功していたら?
 (ド級戦艦セント・イシュトヴァーンがMAS艇に撃沈されていなかったら)

153 :世界@名無史さん:04/08/04 02:03
>>144
ちらーっと本で読んだだけだけど
ツィタ皇后は潜水艦嫌いだったみたい。


154 :ハウス:04/08/04 22:41
>>153
へぇそうなんですか?

好みのほどは知らないけれど、旦那さんのカール1世の方はいろいろと頑張っていた
みたい。1917年10月からのカポレットの戦いの時などは、自らオーストリア水雷艇
に乗り込んで最前線のグラードに出動したりとか・・
あと潜水艦にも何度か乗り込んだ事があるようですが、ツィタ皇后様はどうなのか
しらん?

155 :世界@名無史さん:04/08/05 23:08
レルヒ浣腸の仲間たちは
皇女様に下剤を盛られて
ビチグソブリブリ!
弱いはずだよ、オーストリア海軍


156 :権兵衛さん:04/08/06 03:08

 とりあえず、がんばっているスレッドだけど、サウンド・オブ・ミュージック
 で茶化されているトラップ男爵だが、基本的な間違いを誰も指摘していないよ
 うなので、一筆。

 トラップ男爵(正確には准男爵)だが、開戦時は上級中尉(英米軍でいう
 中尉と大尉の間の階級)だった。開戦後、武勲を挙げるに従って昇進した
 が、少佐で終わった。大佐には程遠いランクであった。

 今は亡き帝政オーストリア=ハンガリー二重帝国海軍の佐官は大佐、上級
 中佐、中佐、少佐の4段階であって、それぞれカピテーン・ツール・ゼー
 フロッテイレン・カピテーン(戦隊指揮官)、フレガッテン・カピテーン
 軽巡洋艦指揮官)、コルベッテン・カピテーン(護衛艦指揮官)となるが、
 これらの呼称は略すとすべて「カピテーン」になってしまう。そこを英語
 に置き換えれば、「海軍大佐殿」に化けてしまうことになる。

 今は絶版となっている三笠書房の「トラップ一家物語」(後妻のマリアが
 書いた自伝)でも、ナチ・ドイツによる「併合」が行われた夜、執事のフ
 ランツが「ヘル・コルベッテンカピテーン(海軍少佐殿)」と呼びかける
 ところがある。20年連れ添った旦那の軍歴と階級を間違える訳はない。
 また、ドイツで発行されている「世界海軍著名軍人略伝」の中でもちゃん
 と「海軍少佐」と明記されているよ。

 アドリア海におけるオーストリア海軍潜水艦隊の記録は機会があったら
 載せるつもりだが、原文が英語とドイツ語なんでいつできるのやら?
 あまり期待せんでくれ。  

157 :世界@名無史さん:04/08/06 03:28
オーストリアが清に進出したきっかけをお聞かせ願いたい

158 :世界@名無史さん:04/08/06 21:43
>>156
期待しない。英独文を訳すなど衒学にすぎん。
ハウス氏も含め猛省を要する。

「今夜も艦長の太い魚雷をあたしに発射して!」
「よしきた!3,2,1、発射〜っ!」
「ああぁ〜ん、轟沈よ〜!でもあなた早いのね・・・」
てな営みが毎夜繰り返された結果、さんざんセーラー服プレイを
強要した子供が7人もいるのに、8人目が誕生。
25歳も若い後妻に毎夜「魚雷」を発射しすぎて精力を使い果たしてか
戦後すぐ死亡。
映画ではアルプスを越えて行ったのはその先にある山荘におられる
総統閣下に表敬訪問行ったので見上げたアーリア人。
実際は、ナチス・ドイツからファシスト・イタリアに行って
のうのうとアメリカに渡っただけ。
何が抵抗のシンボルなんだか・・・
同朋を見捨てるのが「英雄」であるようでは、
弱いはずだよオーストリア海軍!


159 :通りすがり:04/08/06 22:34

>>158

横文字コンプレックスかアレルギー患者は困り者だね。(^^;

160 :ハウス:04/08/06 23:39
>>155
ぶはははワラタ!マジ腹痛ぇ。
こーゆー理屈ぬきで笑えるレス最高!
これは「今後このスレがどんどん良いものになっていく」
ということを予感させる良レスですな!

・・と、158は155様と同一人物のようですが、
これはちと凹みますねぇ。
でも文章のセンスが良くて大変刺激的でありまつ。

>>156
どうやら神様が降臨されたようでつね。

・・そうですか、トラップ男爵にそのような事実があったとは知りませんでした。
これは勉強になります。
権兵衛様、また機会がありましたら是非レスの方をお願いいたします。
アドリア海におけるオーストリア海軍潜水艦隊の記録楽しみにしておりまつ。

>>157
オーストリアは19世紀の後半からアジア地域での利権獲得を望んでいたみたいで、
清国や太平洋諸島にしばしば軍艦を派遣しておりました。
その後同盟国のドイツが中国大陸進出の足がかりをつくった(1898年に山東半島
の膠州湾を租借して青島市を建設)ので、それとのからみも大きそう。

161 :世界@名無史さん:04/08/07 20:23
>>158 どうせあの2冊本なんでしょ?プッ

162 :権兵衛さん:04/08/09 01:20
 
 >>160

あの2冊って?何。


163 :世界@名無史さん:04/08/10 21:12
トーマ艦長は、義和団事件で
最先任だから指揮官に選ばれたのに、
無能だから外されて、おまけに戦死した。
オーストリア海軍弱すぎ!

164 :通りがかり:04/08/11 01:03

  鉛筆なめなめ、辞書を片手に、ノートを取る努力もしないーー出来ない、
 というのが本当だろうーーが、声だけはでかいのがガー、ガー、喚いてい
 るという日本中どこでも見られる光景だね。

  英語やフランス語に限らず、中国語やベトナム語、アラビヤ語はもちろ
 ん、アフリカやニュージーランドのマオリ族まで様々な諸言語の入門書か
 ら辞書、研究書までが大きな本屋にいけばズラーッと並んでいるのに、そ
 んな努力もしたくないのだろう。せっかく、好意でささやかな「成果」と
 「手引き」を送ってくれるという人に噛み付き、罵声を張り上げるだけの
 輩なんか、先の北京での「暴徒」と同類だね。

 あ、「北京の55日」の舞台か?義和団のまねっこ、ていうところか?
 「扶清滅洋」って排外・愛国主義のスローガンでも掲げなおす?「扶共滅
 日」と書き直してね。こんどは石原慎太郎あたりが、ガー、ガー喚きだす
 ことになるから、止めとこっと。

165 :ハウス:04/08/11 23:09
>>163
ネタ元はなんですか?

オーストリア海軍は義和団事件の時に巡洋艦と小艇(艦種不明)をそれぞれ数隻
ずつ中国海域に派遣しておりますが、トーマ氏はどの艦の艦長を務めておられた
んで?
(ちなみに防護巡洋艦カイゼリン・エリザベートと装甲巡洋艦カイゼリン ウント
ケーニギン マリア・テレジアの艦長は、のちのオーストリア海軍のhead モンテ
クッコリ&ハウスのコンビ)

あと過去のこんなスレを見つけますたが・・。
→義和団は成功できたのか?(トラップ男爵も出てくるぜよ!)
ttp://mentai.2ch.net/whis/kako/999/999669014.html

166 :世界@名無史さん:04/08/14 13:22
オーストリアやってんだから
Viribus Unitis精神で
仲良くいこう!

167 :コッシュート・ラヨシュ:04/08/14 15:13
>166
断る!

168 :ハウス:04/08/15 22:29
>>166
賛成! 新しく参加されている方も含めみんなで仲良くやっていきましょう。

ついでに、第1次大戦中に3度艦隊出撃をしたオーストリア海軍のド級戦艦
Viribus Unitisに敬意を表します。(←精神の話と全然関係がねぇ・・)

169 :オーストリア皇太子:04/08/16 17:17
>168
朕も賛成である
じゃ、民族融和を促進するため、ちょっくらセルビアに出かけてくらぁ。

170 :権兵衛さん:04/08/16 21:11

>>165

なかなか面白いサイトを紹介してもらって、ありがとう。

  ただ、このサイトで「トラップ」を隊長の一人としているのは、
  疑問です。当時、彼は遠洋航海中の見習い下士官だったから、
  せいぜい分隊長か、班長程度の役割しかできなかったはず。で
  も、天津市の拠点のひとつ太沽(タークー)要塞の攻略戦で受
  勲したことも事実。マリアは「18歳で最初の勲章を受けた」
  と書いているがこれは誤り。18歳で遠洋航海に出て、20歳
  になったときに受勲」が正しい。2年近い大航海だったから、
  間違えたのだろう。このときの功績を買われて、将校登用試験
  の資格を得て、22歳のときにめでたく少尉殿になった。

  500年の歴史を持つハプスブルグ帝国海軍にあっては、平民
  あがりの将校では先が見えていたので、新しい分野に挑戦しる
  しか道は開けなかった。そこで潜水艦の開発に従事したのが、
  彼の残りの海軍生活を支配することになったのだ。貴族に列せ
  られたのは大戦中に挙げた功績によるもので、それまでは名前
  に「フォン」は付いていなかった。

171 :世界@名無史さん:04/08/18 03:08
>170
優秀な平民が出世するには、どこの国でも坊さんと海軍なのですね。
ネルソンや勝・榎本もそうでしたね。

172 :世界@名無史さん:04/08/18 15:03
>>166
これってフランツ・ヨーゼフ皇帝の標語だよね?
彼は陸軍にしか興味がなくて、海軍の軍服を着たことはなかったと、
江村洋先生の本に書いてあった。
こんなのを総大将としたオーストリア海軍軍人はかわいそうだね。
少しは明治天皇をみならってヨ

173 :ハウス:04/08/18 22:48
>>169
いってらっしゃいませ、お気をつけて。
トリエステ港にはすでに戦艦Viribus Unitisが待機しておりますので、
これをご利用くださいませ。

>>170
いえいえ、どういたしまして。

権兵衛様のレスは非常に興味深いですな。
それにしてもトラップ男爵が2年近い大航海に出ていたとは・・。
サウンド・オブ・ミュージックの本に彼がアフリカやオーストラリアへも
航海したと書かれていたのはこのためでつか。

ホルティも若かりし頃トラップと同じような航海を経験しているようです。
1890年代には軍艦(汽走フリゲイト艦)で太平洋地域にもやってきたとか。

174 :世界@名無史さん:04/08/18 23:35
セルビアに艦(ふね)でいく理由はなんでつか?

175 :世界@名無史さん:04/08/19 00:57
オーストリアの地勢上、海軍より陸軍に重点を置くのは致し方無いむしろ当然。

176 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/19 21:38
>>174
ってかその前にセルビアは海に面してない。
歴史上、海に面したことない。

177 :ハウス:04/08/19 23:44
>>172
同じく江村洋先生の本に、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は軍艦に乗艦してダル
マチア沿岸部の視察等を行った云々(1880〜90年代)≠ニあったけど、内心は
どう思ってたのかなん?やっぱあまり乗り気ではなかったのかな?
あと20世紀に入ってから〜第1次大戦勃発まで皇帝は何回くらい軍艦に乗った
のかしら?まさかゼロという事はないと思うけど、彼が軍艦に乗ったという話
は聞かないでつね。

〜あと関係ないけど少々レス〜
防護巡洋艦カイザー(皇帝)・フランツ・ヨーゼフ1世→オーストリア帝国海軍
の誇り・象徴艦。ポーラ工廠で1888.7起工90.9/25進水92.1/24竣工らしい。で
、第1次大戦中は旧式艦ながらも、モンテネグロとの国境沿いにある連合国側の
拠点砲撃作戦に参加(1916年1月←陸軍のモンテネグロ侵攻と呼応してまつ)。

>>174
危険の多い陸路を避けるためでつよ。
あと皇太子殿下は海軍がお好きな方なので、軍艦でダルマチアへ向かいそこから
ボスニア地方の川経由でセルビアを目指しまつ。

178 :世界@名無史さん:04/08/19 23:51
>>176
へ? セルビアはアドリア海に面してるでしょ。
少なくとも、歴史上面したことが一度もないなんてことはない。
港湾都市の実権はヴェネツィアなどに握られていたにしても、
面していたことには変わりない。

179 :世界@名無史さん:04/08/20 02:54
トルコに滅ぼされる前のセルビアは海に面していた。
一時はエーゲ海にも面していたようだ。

180 :権兵衛さん:04/08/20 03:30

 世界史の人物の身長スレッドに書き込みをしたけれども、トラップ男爵
 も長身だった。マリアが初対面の時の印象を「巨大なオーストリアの国旗
 を背景にした背の高い人物が現れた」書いている。マリア自身も「サウン
 ド・オブ・ミュージック」のロケ現場でジュリー・アンドリュース(17
 0センチ)と一緒に写っている写真がある。ふたりのカメラに対する位置
 関係がはっきりしないが、ジュリーと同じがやや高い感じだ。それだけの
 身長がある女性が「長身」と感じたのだから、少なくとも185センチは
 あったようだ。192センチ位という印象を述べている人もいる。とにか
 く、当時の小さな潜水艦では身動きもまま成らなかったと本人が回想して
 いるくらいだから、大変な思いをしたようだ。(一家の集団写真などでは
 座っているものばかりで、見当がつかない。ふたりが撮った最後の写真で
 はマリアより10センチ程度高い感じだ。ただ、肺がんでなくなる直前の
 最晩年(67歳、いまなら80歳前後に相当する)なので、縮んでいるこ
 とが容易の見て取れるの、参考程度にしかならない。

181 :秋山:04/08/20 21:45
>>158ぐらいからの議論を見て思ったんですが、やはりハウス殿が>>165で述べたように
ネタ元=出典を明らかにしたほうがよいのでは?>>156の権兵衛さん殿wのように
ちゃんと資料をあげている方もおられますが。
その方が、その本を持っている人は事実の確認ができるし、持っていない人も
安心して議論に加われると思うのです。
試みに近海でいくつか・・・
>>153 グリセール=ペカール(関田淳子訳)、『チタ』、新書館、1995年、
161-162頁あたりを読むと、チタが潜水艦を嫌いというよりは、ドイツの
潜水艦作戦によってアメリカが参戦してくるとことを批判していることが分かります。
>>155は、塚本哲也『エリザベート』、文藝春秋、1992年、105頁かな?
>>156 マリア・フォン・トラップ(谷口由美子訳)、『サウンド・オブ・ミュージック』、
文渓堂、1997年、251頁でも執事が「少佐どの」と呼びかけています。
ただ、執事はハンスでは?

182 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/20 22:05
>>178-179
ああそうか、中世セルビアか……スマソ

>>177
ウィーンから河下った方が。

183 :秋山:04/08/20 22:10
続けてのカキコ、スマソ!
>>163 村上兵衛『守城の人』、光人社NF文庫、2002年は北京篭城戦で
勇名をはせた柴五郎大将の伝記なのですが、その中に、
オーストリーのフォン・トーマン中佐なる人物が「最先任」なので「総指揮官」に
選び出された(558頁)とあります。ただしこの本では「艦長」とも「戦死した」
とも書いていません。詳しい方、引き継いでください。
それにしてもトーマン中佐は、「いちはやく自分の持ち場を捨て、他所の国の
公使館に逃げ込んだ弱将」(同頁)とひどい書かれようです。

元ネタを明らかにした時の唯一の心配は「民明書房」の乱立(特に洋書)ですが。
まあ、海軍といえば遠洋航海をたしなむ知見の広い人々の集まりですから
心配ないでしょう。Viribus Unitis!

184 :権兵衛さん:04/08/21 02:50

  >>181

>ただ、執事はハンスでは?

  その通りでした。(~~;;

昔、三笠書房で出した「菩提樹」の改名版「サウンド・オブ・ミュー
 ジック」の文章を本が見当たらないので、記憶で書いたのが「失敗」の
 もとでした。

  翻訳本が見当たらないので、原書のPB版を開くと、第13章の冒頭
 で、(127ページ目)

  The door opend and in come Hans, our butler.

とありますので、執事の名前はハンスでした。訂正させていただきます。

  参考にしたのはデル出版社から1974年に出されたペーパーバック
 版の第11版です。もともと1949年に原書が出版された当時の題名
 は「トラップ家族合唱団物語(自伝)」でした。訳者の方には悪いので
 すが、三笠書房版は明らかな誤訳や誤解が目立ったので、いらついて、
 原文ではどうなってるのか?とばかり買い込んで、辞書を片手に始めの
 方から中ごろまで「比較読書」をしたものです。そのせいか、三笠版で
 訳出されていた元本の3分の2のそのまた半分くらいについては結構、
 詳しくなってしまいましたね。さすがに半年かけて、150ページ程度
 では、先が思いやられて降参しましたけど。

  

185 :ハウス:04/08/21 23:24
>>178-179
あらそうなのん?それは昔この地域にあった大セルビア王国かなんかでつか?
あと第1次大戦前のセルビアは海への出口を求めていましたよね。バルカン戦争の
時にはモンテネグロとともに沿岸部を占拠しましたが、オーストリアが英伊などと
共同して艦隊を派遣してきたためにやむなく撤退したりして・・。

それでこの時のオーストリア海軍の派遣艦隊を率いていたのがマクシミリアン・ニ
ェゴヴァン提督(海軍中将)でして、艦隊の陣容は準ド級戦艦エルツヘルツォ−ク
・フランツ・フェルディナント、ラデツキー、ズリーニ、軽巡洋艦(防護巡洋艦)
アスペルン、水雷艇数隻でした。

>>181
>>183-184
秋山様と権兵衛様に各レスの出典を明らかにしていただいたお礼にこちらも・・。
参考にしている資料は、Lawrence Sondhaus『THE NAVAL POLICY OF AUSTRIA-
HUNGARY1867-1918:Navalism,Industrial Development,and the Politics of
Dualism』Purdue University Press 1994年、です。

それで上記の本を購入するきっかけとなったのが、久保田正志『ハプスブルク家か
く戦えり−ヨーロッパ軍事史の一断面−』錦正社 2001年、でして、この本で久保
田先生がまとめているオーストリア海軍に関する記述(リッサ海戦+第一次大戦)
は上記本を参考にされたとの事です。
この久保田先生の本を最初に見た時(3年前)には、「んーなになに? ハウス海軍
長官率いるオーストリア海軍?、カポレットの戦いの時に戦艦ウイーン&ブダペス
トがイタリア軍陣地を砲撃?・・こんなの全然知らなかったよ!目からウロコモノ
だよ!」と感激していますた。簡潔ではあるものの内容が結構詳しかったので。

186 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/21 23:41
チョンボした私が解説するのもアレですが……。

>>185
中世のセルビア王国はラシュカとゼータという二つの中心があって、
ゼータは現在のモンテネグロからコソヴォにかけてのあたりでした。
セルビアを最初に統一したヴォイスラフは11世紀にゼータから興ってラシュカをあわせ、
12世紀にはラシュカのステファン・ネマニャがゼータをもあわせて王になります。
セルビアはビザンツに対抗して皇帝を名乗ったステファン・ドゥシャンの時に最盛期、
サロニカを除く現在のギリシア領の北半分を征服しました。
その後オスマン朝に攻められて散り散り。一部はモンテネグロとして現在まで命脈を保ちます。

最盛期のドゥシャン帝の領域が、セルビアがアドリア海やエーゲ海に出口を求める上での根拠となりました。

187 :権兵衛さん:04/08/22 03:44

 >>185
ハウスさんの紹介本は初耳。

  ドイツ文化協会の図書館でも覗く暇があれば、結構面白い本が見つかり
 そうです。ただし、ドイツ語の知識がないといけないというのが欠点です
 ね。トラップ男爵にかんする情報は

   ttp://encylopedia.thefreedictionary.com/Georg%20Ritter%20von
%20Trapp
が主です。その原情報は、多分、Pemsel,Biographisches Lexikon zur
Seekriegsgeschichte とういう本でしょう。世界の海軍軍人の略伝を
 集めたもので、古代から現在まで、200人余りの海のヒーローたちを
 網羅しています。日本からは東郷平八郎、山本五十六、山口多門などが
 選ばれているそうです。朝鮮からはかの「李舜臣」ただひとり。中国の
 鄭和もはいっているといいます。


188 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/08/22 15:11
拙宅の書架にある本の中から関連のものを

近代欧州海戦史 外山三郎著 原書房
リッサ海戦に関してと、第一次大戦のアドリア海方面の海戦の経緯の解説あり。

世界戦艦物語 福井静夫著作集 第6巻 光人社
オーストリア・ハンガリー海軍の戦艦に関しての記載が少々あり。

「Ende einer Seemacht」 Mayer&Comp 
写真集+解説
ウイーンにて購入、ドイツ語版
他にもウイーンの書店では何冊かこの類の本がありました。


189 :権兵衛さん:04/08/25 01:01

  どうも2チャンネルあたりのレベルだと、本格的な資料や文献が
 引用、紹介されると途端にギャーギャー騒いでいたのが「撤収」す
 るようですな。

  現物が見当たらないので記憶ですが、「オーストリア帝国海軍史:
 1300年代から1919年まで・世界7つの海に乗り出した船乗り
 たち」なんていう題名の本。勿論ドイツ語です。どうも、洋書の類は
 横積みにしてあるので、後ろに隠れてしまうと捜すのが大変なんで。
 普通に知られているトラップ男爵の肖像写真ではなく、人気タレント
 なみの記念絵葉書のようなものの複写が載っていました。

190 :ハウス:04/08/25 23:03
>>186
カラジチ様、非常にわかりやすいレスサンクスです。
ウェブや市販の世界史地図帳でも確認してみます。
・・ところであなた様は史学科の学生or大学院生さんですか?

>>188
ご無沙汰しております。たまにはこのスレにも遊びに来てくださいませ。

さて、ギシュクラ様に紹介していただいた3冊の本ですが、近代欧州海戦史 外山
三郎著 原書房は、4年前に東京商船大学の図書館で見た覚えがあり、第一次大戦
に関しては、オーストリア戦艦ウイーン&セント・イシュトヴァーンを撃沈したイ
タリア海軍のMAS艇について詳しく書かれていた記憶があります。

世界戦艦物語 福井静夫著作集 第6巻 光人社は、同じく4年前に広尾の都立中央
図書館で初めて対面し、オーストリア海軍の戦艦≠ノ関する部分だけをコピーし
ました(その後イタリア海軍の所もコピー)。本の内容は専門的(衝角〔ラム〕や
ダメージコントロールに関する記述あり)でありながらも簡潔かつわかりやすくま
とめられており、私はこの本がきっかけでオーストリア海軍に目覚めたようなもの
です。

・・で、気になるのが3冊目の「Ende einer Seemacht」Mayer&Compですが、こ
れはオーストリア海軍艦艇の写真集でつか? ウイーンで購入されたとの事ですが、
・・うーん気になる! 

>>189
うほっ!・・なんか恐るべき本をお持ちのようで・・。それにしても珍しい文献で
すね。個人的にはリッサ海戦以前だと、18世紀のスペイン・ハプスブルク家の消滅
=オーストリア・ハプスブルク家皇帝カール6世&ヨーゼフ2世がオーストリア独
自の海軍建設を推し進めた時期、に特に関心があるので、こういった内容について
も触れているのかしら?・・それにしても征服し甲斐のありそうな文献だなぁ・・。

191 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/08/25 23:20
ハウス提督閣下

写真集ですがあまり印刷の質は良くないです。
あと、拙宅には戦艦セント・イシュトヴァーンに関する冊子と
あとヴィリヴス・ウーティニスの亡失に関する記事の冊子があ
りますが、仕舞いこんでしまって何処にあるのやら・・・。

最近出た本だと光人社NF文庫の「死闘の海 第一次大戦海戦史」
三野正洋 古清水政夫著 にも少々記載があります。

リッサ海戦に関しては
「ハプスブルク夜話 古き良きウイーン」ゲオルク・マルクス著
河出書房新社
にも記載があります。


192 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/08/26 00:14
ご存知とは思いますが
ttp://hera.mni.fh-giessen.de/~hg6339/data/ah/info_ah-navy.htm
が非常に詳しいサイトです。

193 :権兵衛さん:04/08/26 11:12

 ハウス提督閣下にご報告!

  ご希望に沿うべく「本雪崩の危険を問わず?」埋もれていた本を発掘
 いたしましたので、ご報告申し上げます。(^o^;;

  問題の本は、
   Renate Basch-Ritter,(著者)
Oesterrich Auf Allen Meeren:[先頭の文字はOのウムラウトです。]
Geschichte der k.(u.)k. Kriegsmarine von 1382 bis 1918
Verlag Styria,1987(出版社と発行年)
Mit 167 Abbildungen davon 14 Farbe(図版、写真などの枚数)

  でした。A4サイズよりやや小さいだけの232ページの図版本です。

  簡単な記述ですが、カール6世、マリア・テレジア、ヨーゼフ2世の
 時代も触れています。内容は2部から成り、第1部は「ハプスブルグ家
 の海軍戦力の興亡:1382年から1918年」第2部は「オーストリ
 ア海軍の内部構成」となっています。なにより巻末の150を超えるド
 イツ語文献資料一覧が、同国海軍史を調べる良き手引きとなるでしょう。

  レパント海戦関係の木版図が3枚載ってます。その他ガレー船、帆船
 蒸気船、鉄甲艦なども多数あるので、見ているだけでも楽しい本です。
 (それで買ったんで、内容の方はトンと読んでいませんけどね。)  

194 :権兵衛さん:04/08/26 19:35

  そういえば、上の本には1900年当時長崎に寄港したオーストリア
 海軍の候補生たちの記念写真ものっていた。トラップも写っているかと
 思ったけど、彼は豪州方面に行った艦に乗っていたので、日本には来て
 いないみたい。旅館とおぼしき家の前で、松の木を囲んで50人ほどが
 団体様で写っている。

195 :ハウス:04/08/28 22:37
>>191
ギシュクラ様、引き続きのレスサンクスです。

そうですか・・。戦艦セント・イシュトヴァーン&ヴィリブス・ウニーティス
の冊子もウイーンで買われたのですか?

三野正洋 古清水政夫著『死闘の海 第一次大戦海戦史』は、3年前に新紀元社
から出たものを購入しました。オーストリア海軍に関するデータや記述面では
「おや?」と思う箇所もありますが、まあよしとしませう。

あとご存知かもしれませんが、『世界の艦船』海人社 のバックナンバーにも
オーストリア海軍の特集があり、1994/4 No479には石渡幸二氏がウイーン軍
事史博物館で撮影した写真
・第一次大戦勃発前夜のアドリア海を航行するオーストリア海軍主力艦隊
・リッサ海戦でイタリア艦隊と交戦中のオーストリア木造戦列艦カイザー
・ド級戦艦ヴィリブス・ウニーティスの大型縦断面模型(>>40でレス)
等が載せられております。また1998/4 No537には<回想のアルバム>でド級戦
艦4隻の全容、【なつかしの艦影】では前ド級戦艦エルツヘルツォ−ク・カ
ール(カール大公)が取り上げられています。

196 :ハウス:04/08/28 22:38
>>193
権兵衛様、お手数をおかけしました。

非常に興味をそそられる内容の本ですね。レスを読みながらワクワクしており
ますよ・・・それにしても、このような文献資料に囲まれながらオーストリア
海軍の研究?に没頭できたらどんなに幸せな事か、とふと考えてしまいますた。

レパント海戦関係の図があるとの事ですが、久保田正志『ハプスブルク家かく
戦えり−ヨーロッパ軍事史の一断面−』錦正社 にもハプスブルク海軍の戦闘
≠ニいう形ではレパント&アルマダの海戦が非常に詳しい内容で記述されてい
ます。

・・ちなみにどうやって入手されたのですか?

197 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/08/28 23:28
>195
ハウス提督閣下
ウイーンの軍事博物館で購入です。
ブダペストの軍事博物館にもセント・イシュトヴァーンの冊子は
売っていたような記憶が・・・。

「世界の艦船」だと各国の近代戦艦を一冊にまとめた本にヴィリ
ブス・ウーティニス級が取り上げられてました。

あと私は未見ですが、イタリア海軍の巡洋艦を特集した回で、戦
後にイタリアに引き渡された軽巡洋艦を扱った記事があったそう
です。




198 :権兵衛さん:04/08/29 02:30

>>196

>・・ちなみにどうやって入手されたのですか?

  東京は銀座、西山洋書のバーゲンセールで入手した一冊です。
  連絡先などは「世界の艦船」や「航空ファン」などに広告が
  あるので、どうぞ。地元なので、いちいち問い合わせるより
  も、じかに店に行ったほうが早いので、実は住所なり電話番
  号なども知りません。


199 :ハウス:04/08/29 11:17
>>197
なるほろ・・今度ウイーンの軍事博物館を訪れた(いつの事だ?)折には
確認してみたいです。あと市内の大きな書店や博物館などにもこういった
資料・文献があるような気も・・・。

『世界の艦船 1987/3増刊 近代戦艦史』の事でしょうか?これも4年前
に初めて対面し、オーストリア海軍のヴィリブス・ウニーティス級&スペ
イン海軍のエスパーニャ級(まあこれも元ハプスブルク海軍という事で・
・・)が印象的でした。

『世界の艦船 2000/1増刊 イタリア巡洋艦史』の126Pには戦利艦という形
でイタリア巡洋艦ベネチア&ブリンディジが載っていますが、これは元オ
ーストリア軽巡洋艦サイダ級2隻(サイダ&ヘルゴラント)でして、1937
年まで使用されたみたいです。ちなみに3隻目のノヴァラ=i元ホルテ
ィ提督の艦)はフランスに引き渡されて第二次大戦前まで使われたみたい。

>>198
いろいろと教えていただいてありがとうございます。
それで西山洋書のHPを見たところ、ウェブ上から在庫状況が確認できる
との事なので、早速確認してみまつ。

あと広告・ホームページ掲載品リスト≠フ中に以下のモノを発見しまし
たのでご参考までに(値段はメチャ高いですけど・・。)
Die Schiffe der K.U.K. Kriegsmarine im Bild Band 1 : 1848-1895
税込価格¥18060
19世紀後半のオーストリア帝国艦艇写真集。 記録写真多数。
21.5x30cm/384頁 ドイツ・英語併記。 (独 Mittler 刊) ハードカバー

200 :世界@名無史さん:04/08/29 12:36
200

201 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/08/29 21:07
>199
今はアマゾンもありますので検索して見られては・・。
私も日本と米国のアマゾンから東欧関係の本を購入
することが多いです。

ウイーン市内ですが、旧海軍省の建物とプラータ
シュテルンのテゲトフ提督の像は必見です。

ハプスブルクスレではテゲトフ提督の生家やらお
墓を訪ねたという方もおられました。

202 :権兵衛さん:04/09/02 18:32

夏休みが終わったので、一息と言うところかな?

 ハウス提督もそのようだし。かく言う、おいどんもそのくちだけだな。

203 :ハウス:04/09/02 23:07
>>202
何かお互いそんな感じですよね。とりあえず一息≠ニいう事で・・。

さて、西山洋書のHPから在庫状況を確認してみたのですが、権兵衛様に
紹介していただいた本は、残念ながら既に絶版になってしまっているとの
事です。うーん残念!くやしいでつ!

一方『19世紀後半のオーストリア帝国艦艇写真集1848-1895』の方は在庫
ありなので、こちらを即行で購入する事にいたしますた。(何か人に紹介
しておきながら自分が買うというのもなんだけど・・ちなみに値段は半額
の9450円でした。バーゲンセールでさらに安くなりそう・・)

オーストリア海軍は、既に漏れの最重要ライフワークの一つなので、この
数少ないチャンスを見逃さないようにいたします。

またこの写真集を見た感想や内容については、少しずつこのスレにカキコ
していきたいと思いますので、興味をお持ちの方はよろしかったらどうぞ。
いっしょに楽しみませんか?

204 :世界@名無史さん:04/09/03 16:12
本が絶版になっているのなら
持っている人から奪い取ればいいじゃない
(某オーストリア女・談)

205 :世界@名無史さん:04/09/03 21:15
横からですが・・・提督閣下に御注進
Oesterrich Auf Allen Meerenの件ですが、ネット古書はいかがでしょうか。

ttp://used.addall.com/

上記の古書サーチエンジンで,著者 Renate Basch-Ritter で検索した所、
ドイツ、オーストリアの古書店、三店に在庫があるようです。
値段は38〜50ユーロ、(この古書サーチエンジンでは値段がドル表示ですが
現地ではユーロであつかっています。)

検索して表示された署名の下の[Buy it!]をクリックすれば注文フォームですが
英語やドイツ語なのでめんどうなら書店名のリンクをクリックして、
書店情報のページのEメールアドレスから直接注文できます。

注意する点はヨーロッパの古書店はアメリカと違って個人経営の店では
クレジットカードをあつかっていない事も多く、郵便局の国際送金を利用
(要、身分証明、手数料は向こうの口座分+郵便局1000円)することもありますので
振込先の確認は必ずしてください。

発送を船便にして到着まで4ヶ月ほど、待てるのでしたら、
全額、7、8000円ぐらいで入手できるはずです。

ご武運を!

206 :137=へんくつ海軍好き:04/09/05 17:37
しばらくご無沙汰してましたが随分落ち着きましたな〜こりゃ。
以後、数字コテやめて軍板でのコテ使います。よろしく。
おみやげというか、おもしろいものをみつけたのでどぞ。
www.bobhenneman.info/AustriaHungary.htm
モナーク代艦級の巡洋戦艦版といった風情のモノがいろいろと。
砲配置、機関配置を含めたデザインは非常に保守的ですな。
またSeries VIはいろいろ不思議なデザインです。

207 :ハウス:04/09/05 21:13
>>205
わざわざありがトン!
お言葉に従い上記古書サーチエンジンを覗いてみまつ。

>>206
前回はすばらしい贈り物をありがとう!
また遊びに来てちょうだいな。

208 :ハウス:04/09/05 21:18
すんません言い忘れましたが、
もう一つの数少ないチャンスのほうは・・なんとか掴み取る事ができますた。
いままでのお礼も兼ねてこのスレでも紹介させていただきまつ。

209 :野次馬:04/09/16 00:10:29
 
  ここも大分、危なくなってきたみたいだ。ネタ切れかね。

210 :ハウス:04/09/16 22:16:09
>>209
ネタはありますよ。ただ独りよがりのレスをするのもあれなので、しばらく様子
を見ておりましたが・・・それにしても、最近訪問者が全然いなくて寂しいです
ねぇ。

さて、そのネタについてですが、@『19世紀後半のオーストリア帝国艦艇写真集
1848-1895』の内容を必要に応じて紹介していく。A7月半ばまで独断でカキコ
していた実況レス【オーストリア海軍の戦闘 1915年】の紹介再度開始。をひと
まず考えております。

Aに関しては、オーストリア海軍が8月上旬に潜水艦U3&12を喪失したり、イタ
リア海軍が9月下旬に前ド級戦艦べネデット・ブリンを爆沈で失ったり(オース
トリア側の破壊工作によるものとの説あり)した以外は10月までこれといった戦
闘がなく、10月に入りオーストリア・ドイツ陸軍と新たに参戦したブルガリア軍
によるセルビア攻略が開始されると、海軍もそれに呼応する形で再び活動を始め
ます。これについては10月以降レスしようかと考えております・・。

>>206
ユニークな形状の艦もあってなかなかおもしろいですな!先日ギシュクラ様に紹
介していただいた『世界戦艦物語 福井静夫著作集 第6巻 光人社』の175ペー
ジに、これらの次期戦艦や巡洋戦艦についての記述があるので、併せて読んでみ
ると理解が深まるかも。・・これらオーストリア戦艦が、オーストリア国旗を掲
げて地中海や黒海を航行する事を想像しながら、ひとまず失礼。

211 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/09/17 00:32:12
ハウス提督閣下

計画艦の名称で「フニャディ」(ベオグラード戦の英雄フニャディ・ヤーノシュ
のこと)が候補に上がっていたと聞いたことがあります。

212 :野次馬:04/09/17 01:08:07

 比較的見かける機会の多い、第一次大戦の海戦の「実写フィルム」なるもので、戦艦が転覆して
 おり乗員が腹の上でウロウロしているものの、突然艦が沈み始めるや「タイタニック」なんぞの作
 りもの映像とは違って、コロコロと零れ落ちていく衝撃的な映像だが、同時に人間とはこうも簡単
 に死んでいくのか、と実感させるものがある。この映像に写っているのはかの「オーストリア=ハ
 ンガリー帝国の戦艦」であると聞いているけど、ほんとの話かな?作り物でないことは確かだけど、
 後は詳細が不明という使い回されたニュース映像なんで調べようがないので何か情報がありますか?

213 :世界@名無史さん:04/09/17 02:53:46
あれはセント・イシュトヴァーンです。

214 :世界@名無史さん:04/09/18 20:49:54
一つ疑問に思ったので、質問させてください。
当時ヴェネツィアもオーストリアでしたが、
ヴェネツィア系の海軍軍人もいたんでしょうか?


215 :ハウス:04/09/18 23:07:33
>>211
オーストリア海軍の計画艦は、次期戦艦や巡洋戦艦・超ド級戦艦などいろいろと
ありますが、合わせるとかなりの数になりますよね。それとは別にド級戦艦16隻
の整備計画もあったようだし・・。で、これら計画艦群の名称っていろいろと候
補が上がっていたのかな?ギシュクラ様に教えていただいた「フニャディ」以外
は何も知らんのですけど・・ご存知の方いらっしゃいますか?

>>212
NHKの「20世紀の映像」の実写フィルムか何かでしたっけ?それだったら以前
地元の図書館でビデオを借りてきて見た事がありまつ。第一次大戦の巻の裏側に
は「沈みゆくオーストリア軍艦」という見出しがあったり、ビデオの中では「オ
ーストリア・ハンガリー艦イシュトヴァン号はまだ寝静まっている(MAS襲撃
の前ね)」などという解説が出てきたりして・・。これは1918年6月10日の3:30
am〜6:00am過ぎにかけて実際にあった出来事です。

↓この2つも参考にしてみて。
ttp://ww1.m78.com/topix-2/szent%20istvan.html
www.modelshipgallery.com/gallery/bb/sms/szent-istvan-700-jb/sinking-index.html

>>214
ヴェネツィアは1797年のカンポ・フォルミオ条約締結時から1866年のリッサ海戦
終了時までオーストリア領でしたが、ヴェネツィア系の海軍軍人はかなりいまし
たよ。リッサ海戦ではオーストリア軍艦に乗り込んでイタリア海軍と戦いました。

216 :野次馬:04/09/19 03:18:34

>>213-215

おー、有難うございます。

  手持ちのビデオでは「セント・ステファン」と聞こえていたので、謎が解けました。
  ものは聞いてみるものだと思いました。



217 :ハウス:04/09/19 09:38:56
>>216
この大惨事がなければ、ホルティ・ミクローシュ提督(オーストリア海軍最後の
艦隊司令長官)率いるド級戦艦ヴィリブス・ウニーティス、テゲトフ、プリンツ
・オイゲン、セント・イシュトヴァーン、前ド級戦艦エルツヘルツォ−ク・カー
ル、エルツヘルツォ−ク・フリードリヒ、エルツヘルツォ−ク・フェルディナン
ト・マックス、軽巡洋艦アドミラル・スパウン、サイダ、ヘルゴラント、ノヴァ
ラ、その他駆逐艦 水雷艇多数よりなる主力艦隊が、オトラント海峡の連合国艦
艇を駆逐して同海域を完全制圧する予定だったんでつ。

このすばらしい戦果を全世界に向けて報道するために取材班まで用意していたの
に・・(で、結局彼らは沈みゆくセント・イシュトヴァーンの姿を映すはめに)。

【第一次大戦中のオーストリア艦隊司令長官リスト】
・アントン・ハウス(Anton Haus) 1914年7月〜1917年2月
・マクシミリアン・ニェゴヴァン(Maximilian Njegovan) 1917年2月〜1918年2月
・ホルティ・ミクローシュ(Miklos Horthy) 1918年2月〜1918年11月

218 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/09/19 23:51:51
ハウス提督
なんで撮影隊がと思ったらそういうことでしたか・・・。

クロアチアの沿岸部をレンタカーで走ったことがあります
が、山脈がそのまま海に沈んだような地形で島が数多くあ
り、魚雷艇による攻撃にはうってつけだっただろうと思い
ましたよ。




219 :ハウス:04/09/21 00:14:53
>>218
いや〜、そういった自然や地形をじかに見られるのはうらやましい。

あとクロアチアの沿岸部には、歴史の重みを感じさせる美しい都市が数多く
ありそうですが・・・オーストリア海軍との関連どころでは、プーラ(ポー
ラ)、ドブロブニーク(ラグーサ)、コトル(カッタロ)等・・・。
個人的にはこういった都市(まち)や地域の風土・歴史・文化なんかにも
関心があるので、少々レスしてみました。

220 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/09/21 23:40:06
ハウス提督
ドブロブニクはいいところですよ。
特に夜に車を走らせて見た夜景は本当に美しかった・・・。
いつかもう一度見てみたい・・そう強く思います。
海軍関係だと魚雷艇部隊がいたシーベニックに立ち寄りました。
プーラ、カッタロにいけなかったのは残念でした。
目的が中世のハンガリー王国関係の史跡巡りだったもので。

221 :ハウス:04/09/25 00:43:36
>>220
以下体験談ではなく脳内妄想がしばらく続きます(・・スマソ!)。

ドブロブニクは、ウェブやガイドブックなんかで見ると本当に美しいまちですねぇ。
いつかまち並み散策や内部のおもしろいモノを見つけに訪れてみたいでつ。

シベニク(セベニコ)の魚雷艇部隊というのは、現クロアチア海軍の部隊、の事で
しょうか?4の東欧スレにはいろいろと詳しそうな人がいそうだけど・・。

プーラ(ポーラ)は、かつてのオーストリア海軍が使用していた軍港&入り江が見
たいです。あの特徴的な入り江にオーストリア・ハンガリーの大艦隊を収容してい
たようですね。他にはまちのどこか?にあるというテゲトフ提督の像にもお目にか
かりたい。

コトル(カッタロ)なんかは、これまた複雑に入り組んだ入り江の奥に港とまちが
あるみたいですが、1918年6月の攻勢の時に、ホルティはこの複雑かつ狭い場所に
主力艦隊を収容しようとしていたのかな?ウェブなんかに出ている「空から撮影し
たまちと入り江と山脈がそのまま海に沈んだような地形」がとても美しい・・。

・・失礼しました。

222 :ハウス:04/09/26 10:18:30
本日はF1中国(上海)グランプリの決勝戦の日ですね。
毎度の事ながらTVは最初のスタートぐらいしか見られないので、明日以降の
新聞+ネット+F1雑誌で結果確認といきますか。琢磨&バトン&フィジケラ
頑張れ!

ところでこの上海には、第一次大戦初期に青島で自沈したオーストリアの防護
巡洋艦カイゼリン・エリザベートが回航される計画があったようですね。オー
ストリア政府が日本軍との交戦をさけるために、上海で武装解除を試みようと
して・・・そのカイゼリン・エリザベート自沈まであと37日か・・。

223 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/09/26 23:14:15
ハウス提督閣下
自沈に関してはこんなエピソードがあったそうで
ttp://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/episode-30.htm

224 :権兵衛さん:04/09/28 01:47:11

 ただ、ひたすら感心しながらレスを読んでる今日、このごろでありますな。
 
 愚生も、しっかり資料をば、しっかりと読み込まねばと、反省の日々であり
 もんす。


225 :世界@名無史さん:04/09/28 03:21:39
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/kok_website/fireworks4/main_pages_sub/OUMUNOSEIRISEITON_PAGE9_7.HTM

226 :ハウス:04/09/29 00:30:46
>>223
おおっ!やはりギシュクラ様もそちらのサイトをご存知でしたか。

以前このサイトの管理人の方に、エピソード「オーストリア史の逸話」の中で
オーストリア海軍を採り上げたいきさつをお聞きした事があり、同海軍につい
ては特に軍艦のカイゼリン・エリザベート号に関心をお持ちのようでした。

あとサイトの掲示板でも、これまでオーストリア海軍についての議論が交わさ
れており、大変興味深い内容でした(←過去の書き込みは読めるようになって
います)。

>>224
自分の場合は、手持ちの資料・文献の中では、特に第一次大戦以前の項目の読
み進めがろくにできていない、といった状況です。内容は非常に興味があるん
ですが・・・。

あと最近のクソレス的なカキコ(←自分のね)が結構目立つので、少々反省を
しているところです。

まあお互い気負わずに、自分達のペースで楽しくやっていきませんか?
権兵衛様のレスも楽しみにしておりますので、これからもまたよろしくお願い
します。

227 :ハウス:04/10/03 10:01:27
日本とオーストリアのたった一度の戦争
(防護巡洋艦カイゼリン・エリザベート号と青島要塞攻防戦)
ttp://homepage2.nifty.com/TAMACHAN/Qingwar.htm

228 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/10/03 17:17:20
ハウス提督閣下
そのサイトのリンク先の習志野市のページもいいですね。
ご覧になっておられなければぜひご覧下さい。

229 :ハウス:04/10/08 23:51:34
「第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!」スレの501≠ノ、オーストリア帝国
最後の皇帝カール1世(カール大公)のお話が出てきておりますが、以前ウェブ上
でカールがハウス、ニェゴヴァン、ホルティなどの海軍提督と敬礼か何かを交わし
ている記録写真を見たことがあります。

写真はおそらく大戦勃発前夜か大戦中のもので、場所はとあるオーストリア戦艦の
艦上だと記憶しております。

↓第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027259599/l50

230 :世界@名無史さん :04/10/10 22:30:25
海軍ではないけれど、二重帝国の商船を日本の大阪商船が購入して使用したことがありました。

1904年竣工のErnyがそれで、1912年に大阪商船が購入し、新高丸と改名の上、1916年開設の
台湾〜ジャワ航路の一番船に投入しました。
その後、1931年に北日本汽船に譲渡され、北海道〜樺太連絡航路に就航します。
第二次大戦中もその航路に就航し、1943年7月12日、北海道岩内西方約50kmの日本海で米潜
水艦Plungerの雷撃を受け、長い生涯を終えました。

総トン数:2,408総トン、全長89.6m×全幅12.3m×深さ8.5m、主機:三連成レシプロ1基、速力12.2kn/h、
一等4名、二等32名、三等167名。

231 :ハウス:04/10/11 10:05:37
>>230
ほぉーっ、なかなか興味深いお話を聞かせていただきました。

個人的には、第一次大戦中にオーストリア・ハンガリー帝国の商船群がどのような
状態にあり、またどのような活動を行なっていたのか?そしてどのような被害を受
けたのか?が気になります。イタリア海軍の魚雷艇(MAS)&人間魚雷との接点
があるものとしては以下の事例があります。

1916年6月7日、オーストリア商船ロクルム(924トン)がアルバニア中部のドウラ
ッツオ沖で、ブリンディジからイタリア水雷艇2隻に牽引されてきたMAS5&7の
魚雷攻撃を受けて沈没。また25/26日にもオーストリア商船サラエボが同地でMA
S艇の襲撃を受けたみたいですが詳細は不明。

1918年11月1日、オーストリア汽船ウイーン(トン数不明だがオーストリア最大の
汽船だったようで)がポーラ軍港内で、イタリア人間魚雷の海軍士官が仕掛けた機
雷により沈没。この機雷は人間魚雷の気室につけたまま海中に沈めたのですが、こ
れが沈まずにゆっくりと航走し、汽船ウイーンと接触した模様。この時ド級戦艦ヴ
ィリブス・ウニーティスも沈められています。
→『日本潜水艦物語 福井静夫著作集 弟9巻』光人社 195〜198頁参照

232 :maro':04/10/17 13:38:44
>>231
サラエボはこの時に撃沈されたと以前洋書資料で読みました。

他にMAS艇の襲撃なら、旧式戦艦ウィーン撃沈とブッカリ湾襲撃輸送船4隻撃沈と>>212の映像にあった弩級戦艦セント・イシュトファーン撃沈が有名でしょうか。

233 :ハウス:04/10/17 18:52:26
>>232
そうですか。

少し補足させていただきますが、1916年11月1〜2日にかけてイタリア海軍の水雷艇
部隊とMAS20号がポーラ沖に進出、MAS艇は防材を乗り越えてポーラ軍港内に
進入し、第一次大戦を通し同港の警備活動を行なっていた旧式装甲艦マルス(旧名
テゲトフ)を襲撃したとの事です。

・・この襲撃は結局失敗に終わり、マルスは撃沈されずに終戦まで生き延びました。

234 :maro':04/10/18 16:35:17
>>233
レスどうもです。このMAS20艇は、隠密性を増すためにMAS21艇と共に騒音が
激しいガソリンエンジンから電気モーター駆動に積み換えていたようです。

>>232補足
ちなみに1916年6/26に撃沈されたオーストリア商船サラエボの補足ですが、
その後船体ごと引き揚げられポーラ軍港に戻り、最後は1918年8月に二重
帝国陸軍に売却されたとのことです。


235 :ハウス:04/10/20 00:06:40
>>234
引き続きのレスサンクスです。

へぇそうなんですか?・・・それにしてもお詳しい。
それほど詳細な内容の洋書を読まれたんですか?

236 :世界@名無史さん:04/10/20 03:46:30
トラップファミリー(本物。ただしひ孫さん達)ライブコンサートチケットがキター

237 :へんくつ海軍好き:04/10/23 01:13:38
最近ネット上を徘徊してて発見したものです。向こうの回線が遅いのか開くのに
時間がかかりますが我慢して下さい。何せキリル文字が出ますからw。
それぞれ開いた画面の一番上が二重帝國の艦になります。
まず装甲艦〜基準戦艦の時代
ttp://photo.starnet.ru/Thematic_Wallpapers/Korabli_i_suda/Bronenoscy_i_monitory.htm#Бразилия
カール大公あたりはまだ多少ともこれまで見てますが(でもこれだけあるのも
珍しいかなと)Eフェルディナントマックスとかの頃のヤツの図面は初めて見
ましたよ。
次ド級戦艦時代
ttp://photo.starnet.ru/Thematic_Wallpapers/Korabli_i_suda/Linkory_i_linkrei.htm#Германия
Vウニーティス他未成艦があります。215レスでお話のあったEモナークの具体的
な艦名としてラウドンがあがってます。
因みにジェネラルサポートの海戦モノゲームで二重帝國海軍も出てくるものがある
んですがこれではEモナークの予定艦名を「ラウドン」「フンヤディ」「Gラシー」
「Aアントンハウス」としてました。マニュアルには参考文献とかも付してあるの
で全く荒唐無稽でもないのかもしれませんが、私の守備範囲ではこの面子がどんな
働きをした人々なのか判らないのでなんとも判じかねるというのが正直なところで
して。
スレの燃料になれば幸いでつ。

238 :maro':04/10/23 22:36:33
>>235
遅レスですが、MAS艇はイタリア本国では多くの資料が出てます。

日本の洋書店なら、二次大戦のMAS部隊本“Decima MAS”Italia Editrice出版とか兵器本“I MEZZI D'ASSALTO Xa FLOTTIGLIA MAS 1940-1945”ALBERTELLI EDITORE出版が手に入りやすいでしょうか。どちらも第一次大戦のMAS艇やジャンプ艇、人間魚雷についても述べれれています。



239 :ハウス:04/10/23 23:51:36
>>237
へんくつ海軍好き様が紹介してくれるサイトはセンスの良いモノばかりでつね!
大変刺激的でためになりまつ。

Eモナーク級の予定艦名の人物について少々。
「A(提督)アントン・ハウス」(←anton hausで検索)
http://www.firstworldwar.com/bio/haus.htm
http://www.geocities.com/veldes1/haus.html
「ラウドン」(←laudonで検索)今始めて知ったのですが、彼は18世紀に活躍
したオーストリアの将軍だそうです。ちなみに1870年代に建造された汽走フリ
ゲイト艦にラウドンの名が付けられております。
http://www.fact-index.com/e/er/ernst_gideon_freiherr_von_laudon.html
「フニャディ」に関しては、このスレにしばしばカキコされているギシュクラ・
ヤーノシュ様にお聞きするのがよいかと思います。

それにしても、ジェネラルサポートの海戦モノゲーム面白そう・・・。

>>238
ありがとうございます。参考にさせていただきます。

240 :ハウス:04/10/24 00:11:34
やばっ、httpのh消すの忘れた・・。

241 :ハウス:04/10/24 10:23:10
久保田正志『ハプスブルク家かく戦えり−ヨーロッパ軍事史の一断面−』錦正社
2001年 に、オーストリアのラウドン将軍に関する記述があったので、その一部
を抜粋してみました。

 □7年戦争(または第3次シュレジェン戦争)1756〜1763年

第3項 1758年 〜(略)〜しかしダウン将軍の副将ラウドンは、マリア・テレジアの
誕生日ということもあって、14日朝5時に濃霧の中プロイセン軍右翼(南側)を奇襲
し〜(略)〜プロイセン軍はカイト元帥を含む死傷者9500人を出し砲101門を失って
退却した。〔266頁〕
第4項 1759年 〜(略)〜これに対しダウンは、直ちに前面のプロイセン軍を攻撃す
ることはなく、自陣からラウドン率いる兵2万を割いて北上させ、クネルスドルフの
高地にいたロシア軍に合流させた。〜(略)〜妨害に出てきたプロイセンの騎兵は沼
地に入って進撃が鈍っていたところをラウドン軍の騎兵部隊が撃破した。プロイセン
軍はロシア軍を撃破したものの、ラウドン軍の騎兵に左翼を襲われて形勢は逆転し、
更に高地から逆落としに(オーストリア・ロシア)同盟軍が襲って遂にプロイセン軍
は総崩れとなり夕刻までに配送した。〔268頁〕
※その他〔270・273頁〕にも将軍の活躍に関する記述あり

7年戦争の転換点は1762年5月のロシア軍の戦線離脱だった。〜(略)〜なお、勇猛な
ラウドンを軍政家のダウンの地位においていれば随分違っただろうとクラウゼヴィッ
ツは評するが〜(略)〜指揮官が違えば勝てたとは一概には言えまい。〔276頁〕

 □対トルコ戦争(1787〜1790年)

〜(略)〜この間、ハプスブルク家はトルコと平和交渉に入ったが、成功しなかった
ため、病気と外交交渉に専念するためヨゼフ(ヨーゼフ)2世は軍から手を引き、軍
司令官ラーシ元帥も不手際から更迭され、早期に講和に入るための戦果を挙げるため
に7年戦争の名将ラウドンが総司令官となった。ラウドンは、トルコ軍のボスニア侵
攻を撃退して1789年10月8日にベオグラード攻略に成功するなど、手際の良さを見せ、
またハプスブルク軍とロシア軍は連合して7月30日にベッサラビアでトルコ軍を撃破
し、11月上旬までにブカレストを攻略した。〔286頁〕

242 :へんくつ海軍好き:04/10/24 23:43:19
>239
真中のリンクは頑張って読んだらおもしろそうですが、外国語が大の苦手でしてw)。
シシィ様(ちょっとエルジッククルーザーぽい雰囲気?)やザンクトゲオルグなど私は
初見の画像もなかなか。
>241
新鋭戦艦につけるのに恥じない活躍のようですねえ。

243 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/10/28 22:50:43
ハウス提督閣下
ラウドン将軍はマリア・テレジア女王陛下時代の優秀な将軍でした。

さて、フニャディ・ヤーノシュですが、中世ハンガリーの英雄です。
父の代以前の経歴は全く不詳でして、おそらくワラキアの土豪がト
ランシルバニアに逃れてきたものと思われ、人種的にも恐らくはル
ーマニア系ではないかと思われます。
歴史上に名前が登場するのは父ヴァイクがヴァイダフニャド(今の
ルーマニアのフネドワラ)の城を拝領してからで、フニャドのを意
味するフニャディなる姓もその時以来と思われます。

さて、ヤノシュは若くして当時のハンガリー王にして神聖ローマ皇
帝ジギスムントに見出されイタリアに伴われ一時傭兵隊長として活
躍、ハンガリーに戻って後は異例の出世を遂げトランシルバニア侯
テメシュ県知事等となる。ジギスムントの死後はウラースロー一世
のもと対トルコ戦の指導者としてバルカンの各地で奮戦したがバルナ
で国王が戦死するという大敗を喫する。
その後ハンガリー王国の摂政となる。
1456年押し寄せるオスマン軍をナーンドールフェーヘルヴァール
(今のベオグラード)にてカピストラノ司教の率いる十字軍とと
もに迎撃、奇跡的な勝利をおさめるが、戦後、戦場に流行った悪疫
に倒れて世を去った。
因みにハンガリー王マーチャシュ・コルヴィヌスは彼の次男。
という人物です。
本当かどうか知りませんが、教会が正午に鐘を鳴らすのはベオグラード
戦の勝利を記念してだと一般に言われています。

因みに私のハンドルネーム彼の最強の敵で北ハンガリーを占拠して
彼と激しく戦ったボヘミア出身の傭兵隊長ヤン・イスクラのハンガ
リー語読みだったりします。


244 :ハウス:04/10/30 23:09:58
>>243
すばらしい! ギシュクラ様、ありがとうございます。
お礼といってはなんですが、239のサイトの内容紹介も兼ねる意味で、同じく超ド級艦にその名を連ねる
というハウス提督について少々書かせていただきます。へんくつ海軍好き様もよろしければご参考にど
うぞ。

提督アントン・ハウスは1851年6月13日にスロベニアのトルメインにて出生、1869年に海軍に入りました。
その後フューメ(現クロアチア領リエカ)の海軍士官学校の指導者として有名な書物「Oceanography and
Maritime Meteorology」を公表したのですが、1900年にはアジアにて軍艦を指揮(自身は装甲巡洋艦マリ
ア・テレジアの艦長だった)、そして義和団の反乱の間他の欧米列強と共に海兵隊を中国(清国)の北京に
侵攻させました。彼は1902年まで北京に留まり、1907年に海軍中将に昇進、そしてその年の5月から10月に
かけてはオーストリア・ハンガリーの代表としてハーグの第2平和会議に参加しております。

1912年より海軍及び艦隊の司令官、その後1913年2月22日にモンテクッコリが辞任した後、皇帝フランツ・
ヨーゼフ1世より海軍長官(大将)及び艦隊司令長官に指名され、同年の独・墺・伊の三国同盟更新時には
、彼が地中海の三国連合艦隊の総指揮にあたり、非常時には仏海軍などに対応する予定だったようです。

245 :ハウス:04/10/30 23:10:51
彼は海軍の戦略家として高く評価されていたようで、「帝国の艦隊は敵を積極的に攻撃するために用いられ
るのではなく、あくまで地中海における連合国海軍の活動を抑止させるための手段として位置づけられるべ
き」という考えを主張、それで第一次大戦時には戦艦を中心とする主力艦隊の温存策を採りましたが、大戦
勃発直後の8月上旬には、ド級・準ド級戦艦6隻、巡洋艦2隻、駆逐艦・水雷艇19隻よりなる艦隊を、当時地
中海にいたドイツ巡洋戦艦ゲーベン、軽巡洋艦ブレスラウ護衛&アドリア海南部の哨戒を目的として(英仏
との正面衝突を避けつつ)一時出動させており、1915年5月23日にイタリアが対墺宣戦した直後には、戦艦
12隻、巡洋艦5隻、駆逐艦17隻、水雷艇30隻よりなる大艦隊をアドリア海北部のイタリア沿岸部に出撃させ、
自身はマクシミリアン・ニェゴヴァン中将と共にド級戦艦ヴィリブス・ウニーティス以下の戦艦10隻、駆逐
艦4隻、水雷艇20隻の本隊を率いアンコナを砲撃しました。興味深いのは、彼が旗艦ヴィリブス・ウニーテ
ィスではなく戦艦ハプスブルクの艦上からこの作戦を指揮したことで、その後は軽艦艇や潜水艦を用いたTip
and run raidsと呼ばれる奇襲攻撃によりイタリアなどの連合国海軍を苦しめますが、彼はドイツの無制限
潜水艦戦を支持した数少ないオーストリアの指導者の1人だったようです。

1916年にはGrand Admiralの称号を得ましたが、肺炎により1917年2月8日にポーラのド級艦ヴィリブス・ウ
ニーティス艦上で死去、享年66歳。彼の遺体は戦後7年を経て1925年にウイーンに移されました。
・・余談ですが、彼は帝国内のいくつもの言語を話すことができ、またピアノに熟練し珍しい植物収集を趣
味とした知性的な紳士だったようです。

246 :へんくつ海軍好き:04/10/31 22:21:21
>243〜245
人物解説ありがとうございます。外国語が大の苦手の私にはありがたいです。
それにしてもこの二重帝國海軍関係についてはネットのありがたさっていう
のをひしひしと感じますね。offでは二重帝國海軍などというマイナーネタ
で会話をする事すら至難ですから。
>245
まあ「中欧同盟側」でなく「中欧帝國側」というタッグマッチになった以上、
伊海軍とカウンターパートに編成されているだけなのに、腰の坐らない伊が遠
からず敵にまわるのは確実な上、それに加えて事実上全仏海軍が直接対戦相手
に加わったのでは(英仏間で北海は独大海艦隊に対抗せねばならないので英が
担当で集中し、仏は地中海を担当して地中海に集中するよう取り決めがなされ
たもの。ガリポリキャンペーンは海軍の協定とかいうのよりもより高レベルか
らの要請での作戦だから英軍が指揮を執ったが)艦隊保全主義しかとりようが
無かったとは思います。それでも18年に入ってから大挙出撃できたというの
は二重帝國海軍首脳部がよく艦隊将兵の士気を保てていたなと評価に値する所
ではありますね。艦隊保全主義は艦を保全できる替わりに将兵を確実に萎えさ
せますから。

247 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :04/11/02 22:56:15
ハウス提督閣下・へんくつ海軍好きさま
いえいえ、こちらこそいつも勉強させていただいております。
二重帝国海軍の艦名だとハンガリー関係は王朝名のアールパード
古戦場名のシゲトヴァール、人名でセント・イシュトヴァーン、
ズリーニぐらいですが、ご要望があるようでしたら簡単に書いて
みましょうか?

248 :ハウス:04/11/03 23:31:37
>>247
ギシュクラ様、実はお聞きしたい事がありまして、
>>215でも少々触れましたが、第一次大戦の勃発により建造中止となった
ド級戦艦12隻&軽巡洋艦(ツェンタ代艦級)3隻の中で、ハンガリー関連の
ふさわしい名前の候補があればいくつか挙げていただきたいのですが・・。

ギシュクラ様の好みや主観大いに歓迎ですので是非お願いします。

・・そういえば以前このスレで、ベオグラードの古戦場「ナーンドールフェー
ヘルヴァール」がオーストリア・ハンガリー海軍の艦名にふさわしいのでは?
、とおっしゃってましたね。

249 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/11/05 23:29:01
ハウス提督閣下
ハンガリーの英雄はハプスブルク家に「仇なす輩」が多いので
命名は難しいですよ。

それを除くと聖ラースロー(騎士王とよばれたアールパード家の
王、ラースロー1世)は有力候補でしょう。
あとは騎兵を率いてベルリンを襲撃したアンドラーシュ・ハディク
将軍とかコーリンの戦いで騎兵を率いて活躍したフィレンツ・レオ
ポルド・ナーダシュディ将軍あたりでしょうか。
あと、ハプスブルク家に実害をなしていないところではナジ・ラヨ
シュ(ラヨシュ1世・大王、アンジュー家のハンガリー王)とか。

戦場名ならばナーンドール・フェーヘルヴァール(今のベオグラード
のハンガリー名)は第一候補でしょう。
他はハンガリーが大敗したとか、勝ってもハプスブルク家相手とか
いうのが多いです。
よくまぁ玉砕戦をやったシゲトヴァールとかその城主のズリーニな
んて名前をつけるもんだと思います。
ズリーニなんて2代後ではハプスブルク家に謀反を企てて絶家にな
っていますしねぇ・・・。

250 :ハウス:04/11/06 23:23:33
>>249
そうですか、大変参考になりました。
人名ではないですが、首都の「ブダペスト」と湖の「バラトン」は、すでに
同国海軍の海防戦艦&駆逐艦にその名が付けられております。

それと今地図帳を見ながら確認しているのですが、バラトン湖北部の山地
「バコニ」やハンガリー盆地「オレンフェルド」「プスタ」なんか新鋭駆逐艦
や軽巡洋艦の名称にどうでつ?

・・軽巡洋艦オレンフェルド・・なんか響きがカコイイ・・。

251 :ハウス:04/11/07 09:51:37
すんません、遅レスになってしまいますが、
以前このスレでボリビア海軍についての話題があったので一言・・

イタリア・ロンバルディア北部にはガルダ湖という湖がありますが、1859年まで
オーストリアはここに艦艇13隻よりなるガルダ湖艦隊なるものを持っていたよう
です。1859年のイタリア統一戦争でオーストリアが敗れたために、同艦隊はロン
バルディアとともにイタリア(当時サルディニア)に引き渡されたようですが。

・・それにしても、琵琶湖ほどの大きさしかないこの湖にオーストリアが艦隊を
保有していたとは驚きでつ。

252 :世界@名無史さん:04/11/07 11:23:22
フォン・トラップが大佐だったというのは嘘確定でイイ?

253 :maro':04/11/07 12:32:27
>>251
ハウスさん、ガルダ湖艦隊は初耳でしたが、面白いですね!南北に細長い
内陸の湖ですが、やはり国境を接しているとそこにバトルシップを配置
したくなるのは国家として当然なのでしょうか。

254 :世界@名無史さん:04/11/08 02:55:22
>>251
>>253
へぇ、ガルダ湖艦隊ですか。
絵的に想像してみたいのですが、この時代の湖上艦隊って、
幕府の千代田形みたいなのが2〜3隻&モニタ数隻&蒸気ボートって
感じを思い浮かべてみたのですが、そんなもんでしょうかねぇ。

255 :権兵衛さん:04/11/12 03:35:17

 >>252

それは間違いないですよ。彼はオーストリア・ハンガリー二重帝国海軍が
 崩壊したとき、潜水艦隊の司令官でした。しかし、単なる1戦隊のそれでし
 たから、階級は Korevettenkapitaen 少佐でした。長いので略称が Kapitean
で、英語圏の Captain 海軍大佐と混同されたために、「2階級特進」の栄誉?
 を以て称えられることになったのです。当人は「男爵」と呼ばれるよりは、海
 の男として Kapitaen (艦長)と呼ばれることを終生好んだといいます。

256 :世界@名無史さん:04/11/12 17:22:29
ハンガリー海軍について論じろ!!

ハンガリー王国摂政ホルティは提督だぞ提督!!

257 :世界@名無史さん:04/11/13 09:05:25
二重帝国海軍に雅称はあったのでしょうか。

艦隊はハンガリーとオーストリアの色分けってあったんでしょうかねぇ。

258 :世界@名無史さん:04/11/13 11:27:17
>256
すでにさんざん既出です。
ハンガリースレでも何度も話題になってます。

>257
雅称というとドイツの高海(大海)艦隊みたいな?
どうなんでしょう・・。
艦隊は2国の区分はないです。


259 :ハウス:04/11/14 12:03:36
>>253
>>254
世界の艦船・バックナンバーの特集「イタリア海軍のあゆみ」の中でガルダ湖艦隊
に関する記述があったのですが、詳しい事はよくわからないので、また新しいネタ
がありましたらレスさせていただきまつ。・・・あとガルダ湖は琵琶湖よりも小さ
な湖でしたねスマソ。

余談ですが、>>3のようなレスも過去ありましたが、ハンガリーのバラトン湖は湖
上艦隊(部隊)とは無縁っぽいな。

>>257
二重帝国海軍の雅称ですか?・・これは気になりますねぇ。知っている人がいたら
教えてほしいな。(過去>>33のようなレスもありましたが・・。)

それと二重帝国とはいっても艦隊は同一なので、色分けはしていないと思うんです
が。

260 :世界@名無史さん:04/11/18 08:11:44
ゾンダーアウステルンクの「ゾンダー」ってなんなのでしょう。

261 :ハウス:04/11/19 23:11:59
>>256
第一次大戦中のホルティ・ミクローシュ提督(海軍少将)の戦歴について
興味がおありでしたら、それに関してならレスできますが・・。

262 :権兵衛さん:04/11/20 00:50:13

>>257

  K. u. K (「カーウントカー」と読みます。)Kriegsmariene (「クリー
 ククスマリーネ(海軍)」)がイギリスの「ロイヤル・ネイビー」やドイツ
 帝国時代の Kaisersmerine (「皇帝陛下の海軍」イギリスのそれと同じ意
 味)が二重帝国海軍の雅号かな?と思います。

  皇帝の時は「カイザー・ウント・ケーニッヒス・クリークスマリーネ」だ
 し、女帝の時は「カイザリン・ウント・ケーニゲンス・…」となります。イ
 ギリスの HMS を His Majesity Ship, Her Majesity Ship と読むのと同じ
 でしょうね?ロシアも「女帝禁止令」が出るまで同じだったと聞いています
 が、ロシア語はチンプンカンプンなので真偽は判りません。 

263 :257:04/11/20 11:07:43
>>262
ありがとうございます
クリークスマリーネって、オーストリア海軍とドイツ海軍が別の時期に
雅称として用いていたって理解でよいのでしょうか?

264 :世界@名無史さん:04/11/20 13:37:38
>>259

琵琶湖より小さいバラトン湖の平均水位は2〜3メートル、
軍艦はおろかモーターボートの乗り入れも禁止されています。
観光フェリーとヨットのみです。

ホルティ提督の戦歴って??

265 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/11/20 14:26:17
>>263
オーストリア・ハンガリーは「クリークスマリーネ」。
ドイツ帝国は「カイザースマリーネ」ですよ。

266 :maro':04/11/20 22:46:39
>>265
なぜ同じドイツ語圏でこうも呼び方が違うのか、その起源に興味が
惹かれます。

スレ違いですが、山岳兵の呼称をドイツ軍で「ゲビルクスイェーガー」、
オーストリア軍で「アルペンイェーガー」と呼称している習慣の違いを
思い起こしました。



267 :ハウス:04/11/20 23:22:57
>>262 >>265
権兵衛&カラジチ様サンクスです。

>>264
平均水位2〜3メートル??・・・これは恐れ入りますた。
なんかある意味ではどえらい湖のようで・・。
ドナウ川なんかとはつながっているのかな?
スレ違いですが、第二次大戦中にここの沿岸部でドイツ軍とソ連軍の戦車隊が
交戦したというのは本当かな?

 【↓ホルティ提督の初期の戦歴はこんな感じでつ。】

・1914年7月 (第一次大戦の開戦時) オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の
       侍従海軍武官。
・   12月 竣工予定の最新の軽巡洋艦「ノヴァラ」の艦長となる。
・1915年1月10日 ノヴァラ竣工、最前線の第1巡洋艦隊に所属。

・   5月23日 20:00PM アントン・ハウス提督(海軍大将)の指揮の下ポーラ
軍港を出撃。翌24日の3:00AMには軽巡ノヴァラ、駆逐艦1隻、
        水雷艇4隻を率いイタリア沿岸部のコルシニ(nearラベンナ)を
        襲撃・軍需施設と信号場を破壊。この時イタリア側の砲撃が何発
        かノヴァラをヒットし、水兵6名が死亡・同時に水雷艇80TBも被
        害を受ける。4:50AMにホルティは戦闘を中止して主力艦隊に合
        流、ポーラへ帰港する。
 
・ 6月17/18日 軽巡ノヴァラ、アドミラル・スパウン、駆逐艦4隻、水雷艇4隻を
        率いアンコナとリミニの中間にあるファノとペサロの軍需施設を
        急襲して打撃を与える。艦隊はさらに北上してリミニを砲撃。

268 :世界@名無史さん:04/11/22 22:23:28
このスレはエーデルヴァイス海賊団についてのスレでもあるのですか?

269 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/11/23 02:44:44
違うと思いますぞ。


270 :世界@名無史さん:04/11/23 23:37:24
>>267

ありがとうございました。
それと、戦艦セント・イシュトヴァーンについて何かご存知ですか?

271 :権兵衛さん:04/11/24 01:38:10

>>268

「エーデルヴァイス海賊団」って、ナチス政権下で反政府運動を行っていた
 青少年の一団のはずですから、このスレの本題「オーストリア=ハンガリー
 二重帝国」の海軍とは全く無関係ですね。
  「エーデルワイス」が主題曲のひとつであるミュージカル「サウンド・オブ・
 ミュージック」なら少しばかり関係がありますけど。


272 :世界@名無史さん:04/11/24 01:49:25
■ あの実力サイト、「株式日記と経済展望 」が、ニュー議の911スレ削除騒ぎを取り上げて
いた!株式日記も、朝鮮邪教が言論弾圧に動き出したと、看破している。2チャン運営が
創価統一だと、知性のある人物ならわかるということだ。

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu80.htm
(私のコメント)
私は宗教学者でもなくキリスト教信者でもなく聖書も読んだこともない。だから専門家の見解を受け
売りするしかないのですが、アメリカ、韓国、日本と、カルト宗教団体の連携が出来上がって政界を
乗っ取ろうとしている。それに対して報道機関はすでに骨抜きにされて、口は封じられた。インター
ネットに対してもいよいよ言論弾圧の手は伸びてきたようだ。

私のサイトへも脅迫が来たのは先日述べたとおりですが、副島氏のサイトも嫌がらせで創価学会の
BBSを閉鎖する。さらに「2ちゃんねる」のサイトも創価学会や統一教会がらみのスレは停止になる
ものが相次いでいるようだ。運用者の中に彼らの手先がもぐりこんだようなのだ。阿修羅でも次の
ような書き込みがあった。


273 :ハウス:04/11/25 23:04:28
>>268
それってホルティ率いるオーストリア艦隊の事?
なんかユニークな表現で面白い!!
「よっしゃあ!今度からその表現使わせてもらおっと。」
>>271
・・と思っていましたが、そういう事なのですね。

>>270
過去何度か出てきましたが、参考にどうぞ。
ttp://ww1.m78.com/topix-2/szent%20istvan.html
補足ですが、戦艦セント・イシュトヴァーンはオーストリア・ハンガリー海軍の誇る
ヴィリブス・ウニーティス級ド級戦艦の4番艦で、第一次大戦中の1915年11月17日に
フューメ(現クロアチア領リエカ)のダヌビウス造船所で竣工しました(フューメは
当時のハンガリー王国唯一の海への出口でした)。

艦名は、聖人といわれたハンガリー初代の王イシュトヴァーン1世に由来しておりま
すが、文献によって「セント・イシュトヴァーン」「シュツェント・イストファン」
と読み方がまちまちなのは、原語のマジャール(ハンガリー)語風に読めば「セント
・イシュトヴァーン」になり、ドイツ語風に読めば「シュツェント・イストファン」
になるからとの事です。

274 :権兵衛さん:04/11/27 02:50:11

セント・イシュトバンの関係の記事をみつけてアップしようしたら、
 登録ミスで、全文が「消滅」してしまった。元気を取り直してから、
 かのミクロス・ホルティ・デ・ナジバーニャ海軍少将閣下の「雄大
 なる作戦」と悲運の戦艦「セント・イシュトバン(略して「SI」)
 に関する記事を再度アップする努力を試みるつもりであります。
  
                      

275 :世界@名無史さん:04/11/27 22:18:55
権兵衛さん、サンクスです。
元気になられてください(笑)。
さすが山本権兵衛海軍大将閣下!!

ちなみに私は『戦艦セント・イシュトヴァーンと戦艦小史』という
写真集的大型本を持っているのですが(ただしハンガリー語)、
今読んでいる時間が1分もまったくありません(涙)。
読んだら報告したいと思います(いつかは不明…まあ来年春までには)。

276 :ハウス:04/12/07 00:08:20
ハンガリー史上唯一のド級戦艦とも呼べる「セント・イシュトヴァーン」は、
第一次大戦でこれといった活躍をしないまま消えていったのが残念です。

他の3隻のド級戦艦(ヴィリブス・ウニーティス、テゲトフ、プリンツ・オイゲン)
は、1915年5月にイタリアのアンコナに対する砲撃作戦に参加してそれなりに活躍
しているのになぁ。

277 :世界@名無史さん:04/12/07 01:15:17
宮崎アニメの紅の豚(だったかな?)の設定もオーストリア海軍と
当時ライバル関係にあったイタリア海軍らしいですね。
主人公の豚の方がイタリア側でライバルのちょっとキザっぽいパイロットが
オーストリア側だっと思います。
本当に、水上機形式の海軍飛行部隊があったかどうかまでは知りませんが。

278 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/12/07 11:05:43
きざっぽいやつはアメリカ人じゃなかったっけ。
舞台として想定されてるのはイタリアからアドリア海を挟んだダルマチア沿岸。
「カルスト」の語源になったカルスト地方に近いところで、あの風景はもろカルスト台地。

279 :世界@名無史さん:04/12/07 16:52:03
つーか、「精強」って強くねーだろ!!
「オーストリア海軍」なんて研究価値ゼロ!!
別のことにエネルギーを使え禿!!

280 :通りがかり:04/12/07 18:18:59

  そういう「無駄な知識」を探求する余裕のない「石頭」が、世の中を
 暗くするのだ!「紅の豚」「海を失くした海軍の物語」万歳!

281 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/12/07 21:43:03
>277
後に自分の航空会社を興したErnest Heinkelが設計した、Hanza-Brandenburg CCを配備した
戦闘飛行艇部隊が、第一次大戦中期にアドリア海でイタリア軍が装備したNieuport 11と戦闘を
行なっています。
運動性はNiuportに劣っていたものの、速度性能が優れ、機首中央に機関銃を配したため、照準
が、翼上に機関銃を装備したNieuport11よりも付けやすく、可成り有利な戦いを展開してますね。

もう一つが、複座ながら戦闘飛行艇として用いられたLohner L.Iがあります。
Lohner社自体はViennaにあったりしますが、アドリア海で沿岸哨戒、偵察、更に艦船攻撃に用いて
潜水艦を撃沈したり、夜間爆撃機を迎撃し、これを撃墜したり、と多方面で活躍しました。
この機体はポーラの海軍工廠でも製造され、機体を鹵獲したイタリア軍は、この機体をそのままコピー
生産していたりします。

イタリアの方は1917年にMacchiがM.5を開発し、こいつは1年で240機が生産され、海軍の5個飛行中隊に
装備されました。
この中には700回出撃した部隊もあったとか。
イタリアの戦闘飛行艇は戦後も発展を続け、Savoia S.12/13、Macchi M.7が海軍に配備されて戦艦などにも
配備され、また、M.C.72に連なる競争機へと発展していきました。
結局水上飛行機になりますが、最終形がMeridionari R.o.43ですね。

また、これらの影響を受けたのがフランスで、PotezやLoireなどが戦闘飛行艇、水上戦闘機を製作しています。
いずれも、地中海で戦艦から発進して、敵戦闘機を追い払うのが任務でした。

と言うことで、スレ違いスマソ。

282 :世界@名無史さん:04/12/08 12:46:49
にゅ、Nieurpotですと・・・!

283 :権兵衛さん:04/12/08 19:10:35

  「ツェント・イストヴァーン」の沈没

  大戦もはや4年目に入った1918年の夏、アドリア海に閉じ込められた形で
 いたオーストリア=ハンガリー帝国海軍は、膠着した戦争の局面の打開を図った
 乾坤一機の大博打を打つことにした。陸ではイタリア軍に対してソエア戦線での
 大攻勢を行い、海軍もこれに呼応したからだ。
  海軍総司令官に任命されたミクロス・ホルティ・デ・ナギィバーニャ少将が立
 案した作戦は壮大なものではあったが、複雑極まるものでもあった。2つの攻撃
 部隊と7つの支援部隊が相互に連携しながら行動しなければならないからだった。
  プーラから出撃した戦艦部隊は二手に分かれて進撃することになったが、それ
 に付けられる小型艦艇が不足していたので、その警護網は手薄にならざろう得な
 くなった。ホルティ提督自ら座乗する戦艦 Viribus Unitis 、Prinz Eugen
 と五隻の護衛艦艇は1918年6月8日にプーラを出港した。また戦艦 Szent
Istvan、Tegetthoff は翌9日にプーラを出た。護衛に当たるのは駆逐艦1隻と
 魚雷艇5隻の少数であった。後者の出港が遅れたのは港の防潜網の移動、撤去
 に手間取ったためである。その遅れを取り戻すべく艦隊は16ノットの高速で
 航行をすることとなった。しかし、そのため「SI」の機関は過熱してしまい、
 安全のために12ノットに減速して進むしかなくなった。しばらくして、また
 増速できるようになったが、「SI」の煙突からは盛大に煙が吐き出されるこ
 とになり、遠くからでもひときわ目立つことになった。
  翌10日の未明には、プーラから東南へ100キロほど進んだ艦隊だったが、
 思わぬ事態に遭遇することになった。

284 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/12/09 00:58:02
おお、眠い人さまもいらっしゃいましたか!
是非、いろいろご教示ください。

285 :275:04/12/09 02:10:12
>> 283

ホルティは海軍総司令官で少将とありますが、当時の二重帝国海軍には
中将、大将はいなかったのでしょうか?

あと、セント・イシュトヴァーンは25,000トンだったと思いますが、第一次大戦
当時ではどれくらいの大きさなのでしょうか?


286 :世界@名無史さん:04/12/09 02:13:36
>>278
カーチスね。「アラバマのお袋に・・・」と言ってましたしね。

287 :権兵衛さん:04/12/09 20:07:08

>>285

 階級としては中将、大将はありましたけど「空位」なのか?それとも、現役が
  出払っていたのか? 不明です。もっと小国の海軍でも「元帥」がいたりしますか
らどうなんでしょうね。ひょっとしたら、1915年秋ごろから「在港海軍」と
  化していたオーストリア=ハンガリー海軍ですので、上級将校クラスは「責任」
  を取らされて「退役」か「予備役」に回されていたか分かりません。
  ホルティは皇帝自ら「海軍司令官」に任命されたとあるので、その他の上級士官
  たちを「押しのけての抜擢人事」だったのかも知れません。いずれにしても、こ
  の「滅びた海軍の人事」などについては、資料が少ないので結構めんどうです。

   手元の資料では「SI」と同級の「テゲットホフ」の基本的数値は、全長が
  152・83メートル、全幅27・336メートル、喫水長8.741メートル、
  満載排水量21、595トン、最大速力20.3ノット(37.57キロメー
  トル)、航続距離10ノットで4200海里(7774キロメートル)、乗員数
  1097人(士官31〜38人)となっています。

   開戦後、戦訓から多少の改造が施されたとしても、10%もの排水量が増える
  ようなことが行われたかは不明ですね。

288 :ハウス:04/12/09 22:44:36
>>277>>281
とあるサイトにこんな一文があります。

1915・5/24 Austro-Hungarian flying boats shelled Venice
(オーストリア主力艦隊のアンコナその他のイタリア沿岸部砲撃作戦と呼応)
1915・7/13 French submarine Fresnel (398t), which was bombed by Austro
-Hungarian seaplane(当時オーストリア海軍はアドリア海中部のペラゴサ島をめぐり
イタリア(&フランス)海軍と交戦中)
1916・9/15 French submarine Foucault (397t) sunk 10 nm off Cattaro by
Austro-Hungarian flying boats L132 and L135

直訳すると、flying boatは「飛行艇」seaplaneは「水上飛行機」となるので機種
は違うのかもしれませんが・・。

>>281
「真打ち」登場でつね。今後このスレはますます発展していく事でしょう。
・・というわけで眠い人様、これからもよろしくお願いします。
>>283>>287
続きを楽しみにしておりまつ。

289 :世界@名無史さん:04/12/09 23:59:12
>>287

船舶のトン数ですが、たしか商船は排水トンで、軍艦は
船自体の重さで表示した気がするのですが。

290 :世界@名無史さん:04/12/10 00:11:28
>>287
話の腰を折るようで恐縮ですが、「小国の元帥」って興味あります。
陸海問わず、ご存知なところで教えていただきたく。

291 :権兵衛さん:04/12/10 00:41:57
 
 >>290

続編をアップしたら、またもや「悪夢」の再現となったので、英気を養うための
 休養を前に、一言。

  「小国の元帥」の好例といえば、フィンランドのグスタフ・マンネルハイムで
 しょうね。人口わずか400万人足らずの小国の軍隊が「元帥」を戴くというのは
 異例のことでしょう。これは一応の水準にある文明国だから「異例」なんですが、
 彼は「建国の父」でもありましたから、名誉称号でもあったわけです。

  アフリカや中南米の小国なら「元帥」どころか「大元帥」を意味する
 Generalissimo のタイトルを称する連中が結構いました。「軍事独裁国家」
 を連想させるせいか、近頃はそういう「景気付けの元帥閣下」はとんと見
 かけなくなりました。さびしい限りです。中華民国の蒋介石やスペインの
 フランコなども英語では「ジェネラリシッモ(スペイン語風ならヘネラリ
 シーモ、最近の映画「アラモ」ではメキシコの独裁者サンタ・アナがそう
 称していました。)」と肩書きが付けられていました。


292 :権兵衛さん:04/12/10 01:16:00

  >>289

  >船舶のトン数ですが、たしか商船は排水トンで、軍艦は
   船自体の重さで表示した気がするのですが。

逆ですよ。
   軍艦は排水トンで「アルキメデスの原理」による艦体自体の重さになり
  ます。一方の商船の場合は「総トン数」「死重トン」「積載トン」などそ
  の目的によって違います。ただ区別については分かりかねるので、それな
  りのサイトで調べてください。軍艦も「満載排水量」「常備排水量」「公
  試排水量」とかいろいろありますよ。

293 :世界@名無史さん:04/12/10 01:23:59
>>290

そうそう。これをお読みください。

植村英一
『グスタフ・マンネルヘイム フィンランドの“白い将軍”』
荒地出版社、1992年


大国ロシアと接し、ナチスの脅威にさらされた小国フィンランドは、
いかに生き延び、独立を守ったのか。
救国の英雄、グスタフ・マンネルヘイム本邦初の評伝。




トルヒーヨ大元帥って、どこの国家元首 ?


294 :世界@名無史さん:04/12/10 02:22:38
リッサ海戦(1866)で勝利し「鉄の心をもつ提督に率いられた木の艦隊は、木の心をもつ提督の鉄の艦隊に勝利する」
と謳われたオーストリア海軍の英雄テゲトフ提督も少将ですね。

そういえば、リッサ海戦の結果は日清戦争の黄海海戦に微妙に影響を与えているので間接的ながら、墺海軍も日本との接点があるんだな。




295 :権兵衛さん:04/12/10 18:21:47

  >>293

>トルヒーヨ大元帥って、どこの国家元首 ?
  
  カリブ海第2の島、イスパニョーラ島の東半分強をしめる小国ドミニカの
 悪名高き独裁者でしたね。1930年から暗殺される61年までの30年間
 にわたって支配を続けた人物でした。
  オーストリア海軍とどんな関係があったかは、とんと分かりません。

296 :ハウス:04/12/10 23:48:25
>>291
「元帥」や「独裁者」の話でスペインのフランコ将軍が出てきたので少々。
個人的には19〜20世紀のスペイン海軍についても関心があるのですが、19世紀末の
スペイン海軍艦艇は当時のオーストリア海軍艦艇といくつもの共通点があったよう
ですね。例えば浅く膨らんだ天蓋を持つ砲塔を装備していたりと・・。

で、1898年の米西戦争時には、自国民の保護を目的として装甲巡洋艦カイゼリン
ウント ケーニギン・マリア テレジアが一時キューバ海域に派遣されましたが、
このオーストリア艦は同じくキューバに派遣されていたスペイン装甲巡洋艦サンタ
・マリア・テレサと外見がそっくりで(+掲げている国旗もそっくり!)、アメリカ
側にスペイン艦と疑われて結構やばい状態だったようです。手持ちの文献にこの事が
書かれているので精読を試みてみまつ。(話を脱線させてスマソ!)

297 :世界@名無史さん:04/12/11 00:08:53
権兵衛さん、またはハウスさんへ

シャルル・ド=ゴールのレジスタンス時の階級は陸軍少将でしょうか?
あと、解放後、臨時政府の首相になる頃(1944年)には陸軍大将に
昇進していたのかについてもお願いします。


298 :権兵衛さん:04/12/11 03:54:36

>>297

 近所の「悪るガキ(と言っても還暦まであと2〜3年の白髪ジジイ)」
 に悪酔いの酒になりました。記憶のうろ覚えです。

  ド・ゴールは大統領になってからも、レジスタンスの記念式典などには
 准将(星2つ)の制帽をかぶって出席していましたから当人はそのように
 考えていたのでしょう。一応、「フランス解放後」の臨時議会は彼を「フ
 ランス国元帥」に推していたはずですが、本人が固辞したのでそのままに
 なっていたと思います。
  ド・ゴールの元で戦場を実際に駆け回った「20世紀のダ・ルタニアン」
 ことル・クレルク(本名は思い出せない)将軍の方が階級的にはド・ゴール
 より上になっていたはず。戦後の植民地戦争の中でも、駆け回っていたル・
 クレルクが飛行機事故で倒れると、議会は彼に「元帥位」を遺贈しました。

  国家の歴史や規模、また事情によって軍人の最高位は変動するようです。
 確かベルギーなどは国王が形式的な「最高司令官」に就くので、通常の軍人
 では少将(中将?)が最高なんて国もあります。デンマークも同じだったと
 思います。また、スイスは普段は通常、大佐が最高で最先任司令官が准将で
 あり、非常時に少将が最高司令官となると記憶しています。(形式的には大
 統領が「大将」、首相が「中将」ですが、実務的には関与しません。)
  軍隊、特に海軍は「外交官」の役割を担うことも多いので、小艦隊の司令
 官でも「大将」とか「元帥」なんて高位の階級を背負うこともあるようです。
 1920年代30年代の在中国艦隊の司令長官などが、その好例でしょうね。
 駆逐艦よりも小型の河川砲艦が主体の艦隊でも、外交上、司令官は大将位か
 それと同等の階級に任じられていたことも多いです。ドナウ河の河川艦隊も
 似た状況だったと思いますが、肝心の資料が見つかりません。
 
 

299 :世界@名無史さん:04/12/11 04:16:04
<ライブドアに関連する報道>
朝日新聞「IT企業が架空取引の疑い ライブドアなど18社関与か」
http://www.asahi.com/national/update/1113/002.html
日経新聞「メディア・リンクス、架空取引で粉飾決算の疑い」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20041113AT5C1300A13112004.html
ヤフーニュース「メディア・リンクス 架空取引100億円超 ソフトバンクなど手数料」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041113-00000026-san-soci
ブルームバーグ「メディア社と取引:ライブドア、CTC、ソフバンクなど?架空の見方も」
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003017&sid=aYQ69ApP_g4A&refer=jp_news_index

           ┌───────┐
           │メディア・リンクス│
           └───────┘
           ─┐        \\
 03年3月31日//│         \\│03年3月28日
 代金2億円//   03年3月31日   ─┘代金2億2千万円
┌───────┐代金2億1千万円┌─────┐
│ オン・ザ・エッヂ │/──────│ 大阪市の │
│ (現 ライブドア) │\──────│IT関連会社.│
└───────┘.          └─────┘
 手数料1千万円             手数料1千万円

メディア・リンクスの架空取引の一例(朝日新聞記事参照)
実際には取り引きしてないのに、関係社内でぐるぐる回して
売り上げが多いように見せかけてたと疑われている

300 :ハウス:04/12/12 00:52:11
>>294
墺(オーストリア)海軍と日本との接点についてはこんなエピソードがあります。

リッサ海戦(1866年)以前より、オーストリア政府は東洋の諸国・諸地域と通商条約を
結ぶ事を計画し、1869年にはトリエステを出航した2隻のオーストリア軍艦ドナウ、エル
ツヘルツォーク・フリードリヒが日本に渡来し、両国間で友好通商条約が締結されました。
2隻の軍艦は中国・シャムなどにも立ち寄って、1871年初頭にようやく本国へ戻ったようです。

それでこのプロジェクトを担当したのがペッツ提督(海軍少将)で、彼はリッサ海戦では
オーストリア非装甲艦隊を指揮しており、自らの乗る大型戦列艦カイザーをイタリア装甲艦
レディ・ポルトガロに体当たりさせてこれを大破させるなどの奮闘を見せました。

301 :権兵衛さん:04/12/13 17:47:26

>>283 の続きです。

  イタリア半島南端のオトラント海峡の封鎖線を解くべく、1818年6月
 陸上での大攻勢に呼応する形で二重帝国海軍も大作戦を開始した。あたかも
 第2次大戦での日本海軍のミッドウェー海戦のように、手持ちの戦力をすべ
 て投入して、海軍総司令官ホルティ直率の「大艦隊」は6月8日意気ごんで
 出撃した。しかし、出端から躓きを見せた。プーラにある全艦隊が同時に出
 撃する予定だったのが、防潜網の撤去に手間取ったため、艦隊は二分して出
 動することになった。9日の夕方になって、やっと出撃した「SI」と「テ
 ゲットホーフ」と直掩の小艦艇7隻は先に出撃した艦隊を追って、プーラ南
 東約100キロメートルの小島プレムダの沖合いにさしかかったとき、思い
 がけない敵襲を受けることになった。


302 :世界@名無史さん:04/12/13 18:11:44

 >>301

  プレムダ島の沖合いで、たまたまイタリアの魚雷艇2隻、MAS15
 とMAS21が自軍の潜水艦のために、測深、機雷の有無などを調査し
 ていた。イタリアの指揮官ルイジ・リッツォ大尉は前年モナーク級の装
 甲艦「ウィーン」を撃沈した猛者であった。
  僚艇21号は「テゲットホーフ」を狙ったが、魚雷1本の発射に失敗、
 他の1本は命中したが不発に終わった。
  しかし、「SI」には「幸運の女神」は微笑まなかった。
  午前3時31分に2発の魚雷が相次いで、右舷の中央部に命中し炸裂
 したのだった。

303 :世界@名無史さん:04/12/13 20:11:06
>>298
准将は星1つではないのかな?
フランス軍の軍制に詳しくないのでわからないが
准将を二等兵呼ばわりするジョークが米軍にあったので。

304 :世界@名無史さん:04/12/13 22:59:07

権兵衛さん、いつもありがとうございます。


305 :権兵衛さん:04/12/13 23:08:14

  >>303

  >准将は星1つではないのかな?

   アメリカ軍を基準にすると間違えますね。フランスは「元帥」位の創設国です。
  軍隊の歴史が違います。
   ということで、フランスでは准将に相当する「ブリガーダー」は星二つなんです。
  では、星一つは?となりますが、
   それがないのですね。最近までの米海軍のように星一つという階級がないのです。
  米海軍は近年「代将」に相当する星一つの階級を設けました。「Rear Admiral (
Lower Half」となり、少将が「Upper Half」となっているようです。
   
   でフランス軍は准将が「2つ星」です。少将が「3つ」、中将が「4つ」
  大将が「5つ」で、元帥は一個飛び越えて「7つ星」となっていました。
   ド・ゴールは「ドイツ軍の電撃戦」の最中、少将に進級したはずなんです
  が、なぜか「准将」のままでいることを好んだようです。「自由フランス軍」
  当時の制帽が写っている写真を見ても、「2つ星」ですし、映画にもなった 
  「ジャッカルの日」での「革命記念日」のシーンでも「二つ星」の制帽を着
  用していたと記憶しています。(もし、「三つ星」を制帽をした写真があれ
  ば、彼は「少将」だったことになります。彼の「最も有能な戦士」であった
  ル・クレルクは「パリ開放」の時の映像では「3つ星」と見えるので、形式
  的には彼の方が上官になりますが、ド・ゴール自身はすでに「軍人」ではな
  く「政治的指導者」と認識していたのでしょう。そのあたりの事情ははド・
  ゴールの伝記ーー日本語のもの、2〜3冊ですけどーーでは判りません。)
 

306 :世界@名無史さん:04/12/14 14:06:26
参考までにどうぞ。

救済 : 1944〜1946 / 村上光彦訳. -- 1, 2. -- みすず書房, 1960-1961. -- (ドゴール大戦回顧録 ; 第一巻-第二巻)
呼びかけ : 1940〜1942 / 村上光彦, 山崎庸一郎訳. -- 1, 2. -- みすず書房, 1963-1964. -- (ドゴール大戦回顧録 ; 第三巻-第四巻)
統一 : 1942〜1944 / 村上光彦, 山崎庸一郎訳. -- 1, 2. -- みすず書房, 1965.3-1966.9. -- (ドゴール大戦回顧録 ; 第五巻-第六巻)


307 :権兵衛さん:04/12/14 21:42:18

  「ツィエント・イストヴァーン」の沈没

  イタリアの魚雷艇の「奇襲」を受けた「SI」は、右舷の中央部に2本の魚雷
 を命中させられました。艦体外郭部と機関室の隔壁部に大きな損害を受けて、主
 機関室に大量の浸水を生じた。そのため艦は右舷へ大きく傾斜して停止した。
  軽微な損傷に留まった2つの補助機関室の動力を使用して、必死の排水活動が
 行われたが傾斜を止めることはできなかった。次善の策である付近のモーラ(Mo
lata) 島への座礁策も失敗した。すべての主砲を左舷に向けてバランスを少しで
 も回復させようとしたが無駄であった。
  遂に万策尽き、総員退艦が命じられた。その間にも艦の傾斜は増してゆき、遂
 に横転した。数度転覆した腹を揺らしながらも、静かに艦首の方から沈み始めて、
 艦体全てが海に没したのは午前6時12分のことであった。最後まで電力を供給
 する作業に従事していた補助機関室に留まっていた機関員を含めて、89人の犠
 牲に留まったのは、不幸中の幸いであった。


308 :世界@名無史さん:04/12/14 23:43:32
>>権兵衛さん

セント・イシュトヴァーンを建造した
DANUBIUS造船所については何か分かることは
ありませんでしょうか?

309 :権兵衛さん:04/12/15 17:13:01

  別に造船所関係の人間でもないので、判りません。
  でも、クロアチアのガイドによれば現在でも「5月3日記念造船所」と
 名称を変えて存続しており、中型〜大型船舶の建造を受注しているアドリ
 ア海でも屈指の造船所だそうです。HPもあるそうですが、チンプンカン
 プンな外国語なので、お手上げです。クロアチアの大使館か貿易関係にで
 も問い合わせてくださいな。
  歴史的には19世紀末に同地方を併合したハンガリー帝国が、自国海軍
 の増強を目指して1905年に設立した造船所だそうです。もともとは、
 駆逐艦や魚雷艇などの小型艦艇の建造に従事していたのが、「大艦巨砲」
 時代の要請に合わせて、規模を拡大してド級戦艦「ツェント・イシュト 
 ヴァーン」などを1911年に受注し、1915年に完成させたとあり
 ます。造船所自身が拡張しながらの建造なので、1914年7月までに
 完成させる予定が大幅にずれこんだことになります。(1915年11
 月17日完成)

310 :権兵衛さん:04/12/15 22:10:42

 「ツェント・イシュトヴァーン」のその後

  冷戦が終わった後の1990年から足掛け8年をかけて、オーストリア、ハンガリーに
 クロアチアの合同チームが水深66メートルに眠る「SI」の残骸を調査しました。
  それによると、艦体は裏返しになった状態で横たわっていて、着底した際の衝撃で艦首
 から約30メートルほどのところで破断しているそうです。主砲塔は沈没時と変わりなく、
 すべて左舷正面に向いたままだそうです。また艦体には大きな穴が4つ見つかったそうで、
 うち2つは魚雷によるもの、また1つも魚雷による可能性があるそうです。そうなると被
 雷時の報告が誤っていたことになりますが、結論はまだ出ていないようです。残る1つは
 着底時の衝撃によるものか、または内部の原因によるものか不明のようです。前部弾薬庫
 は艦体の亀裂部分から入ることが出来るそうですが、危険はあるみたい。
  かつて艦尾で帝国の誇りを象徴していたネームプレートは、引き上げられて今はプーラ
 の海事博物館に展示されているとのことです。現地を訪れたさいにはどうぞ。
 

311 :ハウス:04/12/15 23:37:32

ド級戦艦「ツェント(セント)・イシュトヴァーン」はイタリア魚雷艇(MAS)の攻撃で
失われましたが、ホルティ閣下はなぜこの作戦を早々と中止してしまわれたのか? 本音が
知りたいところでつ。

計画ではオトラント海峡での主力艦隊の攻勢と共に、準ド級戦艦エルツヘルツォ−ク・
フランツ・フェルディナント、ラデツキー、ズリーニを中心とする艦隊をベネチア沖に
展開させ、また潜水艦部隊にブリンディジとヴァロナを襲撃させるつもりだったようで。

312 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/12/15 23:48:49
権兵衛さま
遺品の一部はブダペストの王宮の軍事博物館にも展示されております。
プーラに展示されているのはイシュトヴァーン1世の像の入ったプレ
ートでしょうか??

313 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/12/16 23:43:10
>309
自分で何処かに書いていて資料が出てこないのでうろ覚えスンマソンが、第一次大戦にイタリアが参戦したとき、
真っ先にこの造船所がねらわれ、この造船所周辺で戦闘が行われたそうです。
このために、完成がずれ込んだというのもあったか、と。

>281の続きですが…。
二重帝国海軍が航空機を運用し始めたのは、1910年代初期の話。
この航空機に対し、海軍は、偵察のみならず、貧弱な水雷戦隊の補強として非常な期待を示していました。
けれども、第一世代の飛行艇は非常に脆弱で、アドリア海の好天状態でやっと運用できるものでした。

しかしながら、海軍の機体は、陸軍のそれと並行して技術的な発展を遂げていきました。
海軍の飛行艇が発展した理由の一つは、陸上機が技術的な故障を起こしたり、空戦で損傷したりすると
着陸場所が無ければそのまま放棄せざるを得ないのですが、飛行艇なら、同じ損傷状態や故障発生でも
広大な海に着水可能ですし、可能なら、最寄りの港まで曳航し、修理することが出来たからです。

もう一つは、他国の様に海軍航空が偵察だけに止まらず、敵地奥深くまで侵攻して爆撃したり、迎撃戦闘を
行うなど、戦線維持に可成りの責任を負っていたということが挙げられます。
とはいえ、1917年からイタリア航空隊を始め、英国、フランスの航空隊が戦線に参加すると数で圧倒され、
1:3の比率まで来たとき、破綻が起こりました。

大戦を通じて、二重帝国海軍は570機の飛行艇を投入し、56機が撃墜され、151機が事故で失われ、80機が、
状態悪化で除籍されています。

余談ながら、二重帝国海軍航空隊は世界で最初に、潜水艦を航空機で撃沈したという記録を持っています。
1916年9月15日、飛行艇L132とL135が、フランス海軍の潜水艦Foucaultを撃沈したのです。
撃沈後、両機は海面に着水し、味方の魚雷艇が到着するまで、乗組員を救助していたそうです。

314 :世界@名無史さん:04/12/17 10:42:54
飛行船は使ってたのか。

315 :世界@名無史さん:04/12/17 16:58:54
第一次世界大戦の時点で日本と大体同じくらいの国力だったのがこの国

316 :権兵衛さん:04/12/17 17:48:03

>>312

多分、そうだと思うのですが、プーラの海事博物館のHPを見ても
 判りません。一応、もとの文献には「アドリア海に誇らしげに輝いて
 いた艦尾を飾った艦名板」とあるで、当時の船では一番こった板を飾
 っていた場所に掲げられていたものです。博物館の方も展示物の写真
 くらい挙げて欲しいのですが、近年、同地で行われた「海事博覧会」
 の紹介記事くらいしか載っていないのが、つまりませんね。

317 :ハウス:04/12/17 23:52:09
「ホルティ閣下の回想録」なるサイトを以前からお気に入り登録≠オておりましたが、
全然読んでないな・・。これから頑張って?1918年6月の攻勢&セント・イシュトヴァーン
の喪失の箇所を読んでみようかな。
・・それにしても、権兵衛&眠い人のご両人恐るべし!!

>>313
イタリアの参戦直後狙われた造船所というと、トリエステ西部にある「モンファルコーネ」
(Monfalcone)なんかはどうなんでしょう? 曖昧な知識でスマンのですが、なんでも一度
イタリア軍に占領されたが再びオーストリア軍が奪回して事無きを得たとか、また軽巡洋艦
サイダや中華民国用の大型巡洋艦をここで建造していたとか・・・
眠い人様何かご存知でしょうか?

318 :世界@名無史さん:04/12/21 20:05:10
第一次世界大戦の時点で日本と同じくらいマイノリティーや労働者農民を抑圧していたのがこの国


319 :世界@名無史さん:04/12/23 16:50:43
テゲトフ提督って確かリッサの前にデンマークとかと海戦してませんでしたっけ。
御存知の方がありましたら教えてください。

320 :権兵衛さん:04/12/24 12:50:11

  紛らわしいので、「世界@名無史」名義のHNはさけてくださいね。
 誰が誰やら見当がつかなくなり、混乱のもとですから。

  たまたま、今日付け(2004年12月24日)のドイツの新聞、
 Hamburgaer Abendblatt 紙に「ハンブルグ市(州)が危機に陥った
 時、テゲットホーフ提督が救ってくれた」という記事を載せていま
 す。なにせ、原文がドイツ語なんで10分の1も判らないので、適
 当な文献に当たってください。僅かに判るのは1864年5月、デ
 ンマークとドイツ諸州連合とが紛争になり、「シュレスヴィッヒ=
 ホルシュタイン戦争」と呼ばれる戦争状態になったおりに、テゲッ
 トホーフ提督が登場し、活躍したことは確かなようです。デンマー
 ク海軍がドイツ北東部の海岸線を封鎖して、「ハンザ同盟」の諸都
 市ハンブルグ、ブレーメンなどが経済的窮地に追い込まれたとき、
 はるばる地中海から遠征してきたオーストリア海軍艦隊の司令官が
 このテゲットホーフ提督でした。彼は5月9日、エルベ河口沖のヘ
 リゴランドという小島の沖合いでデンマーク艦隊を撃破して、「ハ
 ンザ同盟都市」および周辺の諸州を危機から救ったのですね。
  これ以上の内容は読み取るのが「大仕事」になるので、ご勘弁を。

321 :教えて君ですいません:04/12/24 20:20:11
権兵衛さんどうもありがとうございます。
リッサの方は日本語でも確か「近代西洋海戦史」だの今はなき「シーパワー」とかで
取り上げられていましたが、こっちはさすがに日本語文献はないですよね。

322 :権兵衛さん:04/12/24 21:13:44

 本当にマイナーな戦闘なので、大学あたりの研究誌か紀要あたりに
 「デンマークとハンザ諸都市との争い」に関する文献でもあれば、大
 当たり!でしょうね。
  手元の Dupuy の The Encyclopedia of Military History でもシュ
 レヴィッヒ=ホルシュタイン戦争の項目で、「1864年2月1日、
 プロシアの皇太子フリードリッヒ・カールの率いるプロシア軍と応援
 のオーストリア軍がデンマーク王国のS=H州に侵入した。オースト
 リアが関与した主な軍事行動は、デンマーク海軍によるエルベ河、
 ウェーゼル河口域への封鎖を打破したテゲットホーフ提督の小規
 模な艦隊行動くらいなものであった。
  と簡略に書かれているくらいですね。ハンブルグの夕刊紙には
 もう少し「ヘリゴランド島沖海戦」の模様が書かれているのです
 が、いかんせんドイツ語ではねぇー。(もっと、金髪のフロイラ
 インたちを真剣に口説いておれば、もう少しはドイツ語もなじん
 でいたのになぁーと、くやんでももう手遅れ・・・(;o;))

  

323 :世界@名無史さん:04/12/24 21:24:00
「ハプスブルグ家かく戦えり」に出てないですかね。持ってないですが。

324 :世界@名無史さん:04/12/24 22:40:58
>>323

まったく主題と無関係。
オーストリア=ハンガリーの対外戦争≠ハプスブルク家の「戦い」



325 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/12/24 23:43:17
1864年5月9日、北海のヘルゴランド島沖で小規模な海戦があった。
Comm.Suenson率いるデンマーク艦隊と、Comm.Tegetthoffの率いるオーストリア・プロイセン連合艦隊との間で
上記とスクリューで動く軍艦同士の最初の対戦であった。

この年、デンマークはユトランド半島の付け根に当たるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方の領有を巡って、プロ
イセンとその同盟国オーストリアと対立し、戦争を始めていた。
強力なプロイセン陸軍はたちまちユトランド半島を席巻したが、海軍力で勝っていたデンマークは、島嶼部への侵攻
を阻止すると共に、逆にプロイセン沿岸を封鎖した。
劣勢なプロイセン艦隊を支援すべく、オーストリアは地中海から艦隊を遙々北海に派遣したのである。

Tegetthoffの率いた艦隊はその先遣支隊で、蒸気フリゲートのSchwarzenberg(砲門数51)とRadetzky(砲門数37)より
成り、クックスハーフェンでプロイセン砲艦三隻(うち一隻は外輪船)を加えた上、封鎖中のデンマーク艦隊と遭遇した。

デンマーク側は蒸気フリゲートのNiels Juel(42門)、Jylland(44門)、蒸気コルベットのHeimdal(16門)の三隻で、約1時間
の後、両軍とも撤退した。

戦闘は一般にデンマーク側が優勢であったとされ、Tegetthoffの期間、Schwarzenbergは炎上しながらヘルゴランド島に
辿り着いたのだが、デンマーク側の損害もひどく、ノルウェーの港に退却したのである。
オーストリア側の戦死傷130名に対し、デンマーク側のそれは68名と約半分と人的損害はデンマークに分があったが、
この戦いの結果、北海沿岸の封鎖が解けてしまったので、戦略的には連合艦隊の勝利と言うべきであろう。

この戦争で、デンマークは国際的に孤立無援、期待した英、仏、スウェーデンの援助を得られず、遂に和を乞うて、
肥沃なシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方はプロイセンとオーストリアの二重支配となった。

てなことが、四半世紀以上前の世界の艦船に掲載されていました。

326 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/12/24 23:48:25
あ、訂正…よく読み返せ、漏れ…orz。

>上記とスクリューで動く軍艦同士の最初の対戦であった。
   → 蒸気とスクリューで動く軍艦同士の最初の対戦であった。

>Tegetthoffの期間
   →Tegetthoffの旗艦

世界の艦船のドイツ海軍特集にもあったと思うけど、こちらは資料なし。

327 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/12/25 00:40:56
邦文サイトで扱っているところがありますよ。
テゲトフ提督とかリッサ海戦とかで検索したらヒットすると思います。


328 :権兵衛さん:04/12/25 19:30:03

>>325 の補逸

  「ヘリゴランド沖海戦」でテゲットホーフの旗艦「シュバルツェンベルグ」
 は153発の命中弾を受けて、乗員の約20%を失ったが、2時間におよぶ
 海戦で戦力的には劣勢だったオーストリア軍が「勝利」したのは、その作戦
 と機動性において優れていたからだったとされる。
  ハンブルグ市国はオーストリアの貢献と犠牲に感謝して、37人の戦死者
 の霊を祭る記念碑を建立した。そして今日にいたるもそこへの慰霊の儀礼は
 続けられている。
  皮肉にもこうした「ハンザ同盟諸国(当時、ドイツは統一されておらず、
 小さな諸国、都市国家などの連合体だった)」へのオーストリア帝国の肩入
 れがプロシアとの対立の原因のひとつとなった。
  以上、前出の新聞より「訳出」できた部分です。 

329 :教えて君ですいません:04/12/25 20:14:01
何時の間にか貴重な情報が次々と……
眠い人様、 ギシュクラ・ヤーノシュ様、 権兵衛さん様
情報提供ありがとうございます。

330 :ハウス:04/12/25 21:52:04
>>319
とある欧文サイトより

シュレスヴィヒとホルシュタイン公国をめぐるデンマークとの紛争で、プロシアとオーストリアは
そこを占拠しました。またオーストリアの海軍はデンマーク海軍に対抗する事のできる有効な海軍
力でしたが、その船はアドリア海から北海へ移動させなければなりませんでした。

オーストリア海軍はテゲトフ提督の率いる汽走フリゲイト艦Schwarzenberg、Radetzkyおよび砲艦
Seehundよりなる艦隊を北海に派遣しましたが、その存在は英国人にひどく嫌がられました。また
報告によると、1864年4月にオーストリア艦隊が燃料補給の為に英国の港に立ち寄った時、そこの
責任者の不可解な手違いにより砲艦Seehundが座礁して大きな損害をうけたので、残りの2隻がプロ
シアの艦隊(砲艦3隻)と合流し、5月9日にデンマーク海軍との間で行なわれたヘルゴランド沖の
海戦で有名になりました。

この戦闘は木造艦隊同士の最後の海戦でした。そしてオーストリアはこの戦争の勝利を記念し、
新たな軍艦(コルベット艦)を「ヘルゴランド」と命名しました。

1864年8月にデンマークはプロシアとオーストリアにシュレスヴィヒとホルシュタインを引き渡し
ました。しかしその2年後にはプロシアとオーストリアとの間で戦争が行なわれ、その結果シュレ
スヴィヒはプロシアの支配の下ホルシュタインと統合しました。

>>323
久保田正志著『ハプスブルク家かく戦えり−ヨーロッパ軍事史の一断面−』錦正社 2001年 の事
でしょうか? 簡単な記述ですが、デンマーク戦争(1864年)の中で触れられております。
「〜略〜更にオーストリア海軍のテゲトフ提督率いるオーストリア・プロイセン連合艦隊3隻(砲
40門)は、5月9日にヘリゴラント島沖でデンマーク艦隊(砲120門)を撃破したことで戦局は連合
軍有利となり、イギリスの斡旋で5月12日より休戦に入った。[396頁]」

・・ところで1848〜49年にオーストリア国内が民族運動でゴタゴタしている最中、デンマーク人
のDahlerupなる人物がオーストリア海軍の司令長官に就任し、以後数年にわたり海軍の再編成に
務めたようですが、彼は1864年のオーストリアとデンマークの戦争の時にどこで何をしていたの
かが気になりますねぇ。

331 :権兵衛さん:04/12/26 00:16:07

  >>330

 >Dahlerupなる人物がオーストリア海軍の司令長官に就任し、以後数年にわたり海軍の再編成に
  務めたようですが、彼は1864年のオーストリアとデンマークの戦争の時にどこで何をしていたの
  かが気になりますねぇ。

   問題の人物 Hans Birch Freiherr von Dalerup (伯爵、提督)は、デンマークの海軍軍人で
  すが、オーストリア帝国が1848年の「3月革命」で混乱に陥り、近年領土としたベネツィア
  の「反乱」により、オーストリア海軍軍人約5千人のうち、帝国に忠誠を誓ったのが、わずか士
  官72人と水兵665人という危機的事態に陥った海軍を再建するために招請されたそうです。
   基本的に当時の帝国海軍を構成していたのがイタリア系の人間が大半であったから、当然の結
  果といえますね。1849年3月にダーラップ提督が着任して、再建に乗り出しベネツィアの反
  乱を8月に鎮圧しています。その後、1852年に皇帝の弟フェルディナント・マクシミリアン
  が海軍総司令官に着任するまで、その任にあったようです。
   彼の伝記はデンマーク語のものしか見つからないので、経歴は不明ですが、生年が1790年
  とあるので、1864年には、とっくに退役、隠居の身であったと思われます。ちなみに彼が没
  したのは、1872年だそうですから、当時としては長寿の人物でした。

332 :権兵衛さん:04/12/26 21:44:20

>>1
   このスレッドが始まったきっかけのいまは無き「オーストリア帝国海軍大佐
  (ホントは少佐)」だったゲオルグ・リッター(騎士または准男爵)・フォン・
   トラップ艦長と後妻となったマリア・アウグスタ・クッチャラ嬢と先妻との
   間にできた7人の子供たちの話を元にしたミュージカル「サウンド・オブ・
   ミュージック」の舞台が新年1月に東京・厚生年金会館で上演されるという
   宣伝番組をテレビ朝日系列でやってましたね。(おしまいの方しか見てませ
   んけど)相変わらず、トラップ「大佐」のままですね。「艦長」と呼ぶ方が
   正解なんですけど。ドイツ語圏では社会的な地位を得た人間は現役を退いた
   後でも、その「称号」で呼ぶのが普通です。

333 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/12/31 20:20:19
とりあえず、ネタフリ。

多様な地域の人々が二重帝国を構成していたが為に、特有の問題だったのが民族問題です。
二重帝国には約20もの民族がドイツ語を話すオーストリア人と、マジャール人の支配下にありました。

陸軍は民族毎に大隊なり連隊を構成していましたが、海軍は別々の言語を話すたくさんの民族の乗組員から
構成されており、ちょっとしたこの国の縮図状態になっていました。
将校以外の海軍の構成員の比率は、クロアチア人とスロヴェニア人が34.1%、マジャール人が20.4%、オースト
リア人が16.3%、イタリア人14.4%、チェコ人とスロヴァキア人は11%で、残り4.6%が、ポーランド人、ルテニア人、
そしてルーマニア人でした。

これら、ドイツ人とマジャール人、スラヴ人、スロヴェニア人、イタリア人との間に緊張が高まっていたため、
海軍の中に相当な問題が生じ、帝国解体に伴う民族自立が盛んになった際、この艦艇配分が政治的な問題
になったのです。

その上、二重帝国の封建主義、保守主義に対抗する社会主義、共産主義者の抵抗が大きな問題になって
いきます。

334 :ハウス:05/01/01 12:38:55
皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
このスレが昨年以上に発展・繁栄する事を願いながら、新年初のカキコをさせていただきます。

>>331
権兵衛様ありがとうございます(返事が遅くなってしまいましたが・・)。まさかDahlerup
(ダーラップ)提督についてのコメントをもらえるとは思いませんでした。
・・実は権兵衛様のレスに刺激を受けまして、Lawrence Sondhaus著『The Habsburg Empire
and the Sea Austrian Naval Policy 1797-1866』Purdue 1989年、の ●The Navy under
Dahlerup(1849-1851)の箇所(全9ページ)の通読を試みたのですが・・(以下略)・・。
まあ今後少しずつ読み進めていって、いつかレスできればと思います。

〜眠い人様に引き続きネタフリその2〜
オーストリア海軍は>>333のレスにあるように多民族かつ多重言語で構成されておりましたが、
将校に関してはドイツ系オーストリア人の中から任命され、彼らは少なくとも帝国内の4言語
に習熟していなければなりませんでした。公用語はドイツ語で、これを使用する事により艦艇
の効率的な操作・運用を可能としましたが、当然の事ながらほとんどの船(艦)は多重言語の
乗組員をかかえておりました。

その中で、イタリア人は海軍人口の約7分の1を占めており(国全体人口の20分の1だけを占め
ていたにもかかわらず)、これはオーストリアの主敵がイタリアである事が明らかになるに
つれて重要な数値として取り扱われるようになりました。

第一次大戦中のオーストリア海軍は、その多民族の構成にもかかわらずなんとか機能し続け
ましたが、1918年2月1日には最南部の軍港「カッタロ」に停泊していた装甲巡洋艦サンクト
・ゲオルグより社会主義思想に影響されたスラヴ人水兵達の暴動が起こり(それは瞬く間に
装甲巡洋艦カイザー・カール6世、砲塔装甲艦クロンプリンツ・ルドルフ、駆逐艦タトラ、
バラトン、セペル、オルジェンなどに伝染した)、これ以降民族主義が海軍を悩まし始めま
した。

335 :世界@名無史さん:05/01/01 13:33:15
>>332
vトラップは終戦時は艦長じゃないよ。海軍基地司令官です。
  ゲオルク・トラップ経歴
1894-1989海軍兵学校
1898海兵隊少尉に任官
1900義和団事件に従軍
1908航海科に転科(階級・Linienschiffsleutnant)
1908潜水艦隊に配属
1911U4艦長に就任(階級・Kommandant)
1915U5艦長に転任(階級・Kommandant)
1915レオン・ガンベッタ撃沈
1916U14艦長に転任(階級・Kommandant)
1917貨物船ミラッツォ撃沈
1918階級Korvettenkapitaen
1918Uボートステーション・ゴルフvカッタロに転任(階級・Kommandant)
1919予備役編入
   授章メダル
マリアテレジア騎士十字勲章
レオポルト騎士十字勲章
三級アイゼルネクローネ勲章
戦功銀章
三級軍事十字章
戦功銅章
ドイツ一級鉄十字章
ドイツ二級鉄十字章
オットー戦功章
カール勇猛章
WW1従軍記念章
義和団従軍記念章
勇猛勲章(義和団事件戦功)

336 :世界@名無史さん:05/01/01 13:41:46
ゲオルクさんはトラップ大佐でもトラップ男爵でもなく、
本当は少佐のリッター(騎士)だったんだね。

337 :世界@名無史さん:05/01/01 14:17:09
>>336
男爵だよ
1919年、予備役編入の前日にマリアテレジア騎士十字勲章
貰ったから。この勲章は男爵の肩書きが貰える。

338 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/01/01 16:21:23
明けましておめでとうございます。

ところでテゲトフ提督についてお聞きしたいのですが、彼の伝記というのは
本として出版されているのでしょうか?

339 :権兵衛さん:05/01/02 20:38:47

  >>337

 トラップが「軍功マリア・テレジア騎士十字章」を正式に授与されたのは
 何時のこと?「大十字章」と「軍司令官十字章」と「騎士十字章」とあるけど
 その3番目。第一次大戦を通して100個余りしか授与されていないけど。

340 :権兵衛さん:05/01/02 21:25:48

>>338

テゲットホーフ提督の伝記となると、世界史的にはマイナーな存在です
 から邦文のものはまずないでしょうね。小伝くらいはあるかもしれないが
 それすら判りません。
  英文でも、たいしたものは見当たりません。 
  ドイツ語の文献としては、「オーストリア大百科事典」の該当項目の
 出典として、次のような文献が挙げられています。入手が可能かどうか
 は判りません。
  H.H.Sokol und P.Handel-Mazzatti,"W. von Tegetthof" (1952)
U.Schoendorfer,"W. von Tegetthof" (1958)
K.Mueller,"Tegetthofs Marsch in die Nordsee" (1991)
 上の2冊は完全に「古書」扱いですね。3番目は先に話題になった
 「ヘリゴランド島沖海戦」だけを対象にしているようです。
 ご当人の銅像はまだいくつか残っているそうですが、さすがに伝記
 で商売になるほどの存在ではないようです。 


341 :世界@名無史さん:05/01/02 23:33:47
>>339
彼が貰ったのは1919年9月10日(サン・ジェルマン条約調印の前日)
この日、同僚のルドルフ・ジングレ(確か彼が撃沈数トップだったと思う)
と共に授与された。翌日、条約批准と共に海軍解体となって予備役編入
(もしかしたら9/9かもしれない)

伊達に英雄と言われる男だけはある。&家族をナチの手から救ったのも海軍
の経歴があったお陰なんだが…イタリア国境では亡命希望者が殺到していて
原則送り返しが実行されていたんだが、彼はフューメに住民票が残ったままだ
ったため家族共々、イタリア在留が認められた…

342 :世界@名無史さん:05/01/03 02:30:24
条約調印の前日に貰ったのは3人いた気がするんだが気のせいか

343 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/01/03 03:19:14
権兵衛さま
情報感謝いたします。
彼は確か、出先で馬車が見当たらず雨の中を歩いて戻って急性肺炎かなにかに
なって急逝されたと聞いているのですが、出先がどこだったのかなぁと思いま
したもので・・。あと、確かクロアチアのサイトだったかでガンで逝去された
と書かれたものも見たことがあります。いずれの情報が正しいのでありましょ
うか??もしご存知でありましたらご教示賜れば幸いです。


344 :権兵衛さん:05/01/03 06:03:29

>>343

  テゲットホーフが働き盛りの44歳で急逝したことは、二重帝国海軍に
 とって大打撃であったことは容易に想像できます。彼の直接の死因につい
 ての記述はまだ見つかりませんが、「非常に短期間に症状が悪化して亡く
 なった」というものと、癌が原因で亡くなったというものがありますね。
 ウィーンの海軍省に海軍総司令官として勤務していたと有りますので、海
 で死にたいと願っていた彼にとっては不本意な最後であったわけです。多
 分すでに癌に侵されていたところで、雨の中を長時間濡れながら歩いたと
 いうことが、急性肺炎を引き起こしてほんの2〜3日で急逝する結果にな
 ったのではないかと想像します。
  メキシコで非業の最期を遂げたフェルディナント・マクシミリアンと、
 クリミア戦争時に親しく接する機会があり、強力な海軍を整備しようと努
 力をしている途上での「急ぎすぎた死」であったようです。
  誕生:1827年12月23日、Marburg(Maribor),Styrie
死亡:1871年 4月 7日、Wien
 ということになりますね。(享年44歳3ヶ月17日)



345 :世界@名無史さん:05/01/03 09:05:10
>>340
>さすがに伝記で商売になるほどの存在ではないようです。
 韓国の提督だったら今頃国内向けでベストセラーかも?
 その国のナショナリズムが高揚する時期かどうかによって
一般人における歴史上の評価ってかなり違ってきますね。

346 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/01/03 16:08:02
>権兵衛さま
ありがとうございます。

ウイーンの軍事博物館でテゲトフ提督の伝記はないですかとお聞き
したところ「今、出版されているのはない」と言われました。
その時にプラータの銅像と海軍省の建物は見て帰りなさいと言われ
ました。
あと、リッサの海戦を描いた絵で、艦橋で両手をポケットに突っ込
んで仁王立ちになっているというのがありまして、そういう癖のあ
る人だったのかなぁと思った記憶があります。


347 :権兵衛さん:05/01/05 00:48:11

 更新が早いサイトなので、穴が開かないための「埋め草」です。

  オーストリア=ハンガリー海軍の最後の海軍総司令官となったミクロス・
 ホルティ提督の回想録から。

  1917年4月2日、アメリカ合衆国が連合国側についてドイツ、オース
 トリア=ハンガリーなどの中央同盟側諸国に対して宣戦布告をした。この新
 たな参入者の登場により、戦争の動向は決定的な状況となりつつあった。
  我が国にとってはアドリア海での状況の急変となってそれは現われること
 になった。わが海軍は未だ海上での戦闘で破れたことはなかったが、陸上で
 の相次ぐ敗戦は、補給難となって将兵の士気に大いに影響を与えた。
  戦艦「プリンツ・オイゲン」の艦長として、プーラに着任した私の目には
 艦隊はまともな状態ではなかった。3年近い「閉塞在港艦隊」として時を過
 ごしていてはそれも仕方なかった。ドイツ海軍もキールで似たような状態に
 置かれていたが、我国の場合はさらに人種的な背景が事態をより一掃困難な
 ものにしていた。[1]

 [1] 1914年当時の二重帝国海軍の人的構成は以下のようであった。
    クロアチア 31.0% ハンガリー 20.4% ドイツ=オース
    トリア 16.3% イタリア 14.1% チェコ=スロバキア
    11.8% ポーランド・ルーマニア 3.0% スロベニア 2.8

  私が「プリンツ・オイゲン」に着任した最初の晩に、水兵たちが夕食を取る
 ことを拒否するという事件が起こった。こうした行動に対して「反乱」めいた
 行動を取ることは許さないと言明し、またハンガリー系水兵たち約3百人が私
 を支持してくれたことで艦内の統制を取り戻すことができた。しかし、海上で
 の行動ができない艦隊の士気を維持することに腐心せざるを得ないまま、徒ら
 に日時は経過して行った。(以下、続く(もし、可能ならば・・・。)    

348 :世界@名無史さん:05/01/05 01:20:56
>>335 @Kommandantとは、少佐なのですか。
    コマンダーに似ているので中佐みたいですが。 
    A海兵隊と海軍とは、どういう関係でしょうか。たとえば、米軍では、
      現在は、それぞれ別々のようですが、過去はいろいろだったようです。


>>336.337 @リッター・フォン・トラップ家の出身で、彼は自らの功績でフライヘル・フォン・トラップになった、
      ということですか。
      AWW1後のオーストリア共和国では、貴族の称号すら禁止だった筈ですから、「フォン」すら禁止ですよね。
        したがって、本当はトラップさん(ヘル・トラップ)、トラップ大佐(コマンダント・トラップ)と呼ぶのが正しいのでは。
         (もちろん、私的な会合で「フォン・トラップ男爵」はありうると思いますが)
     


349 :世界@名無史さん:05/01/05 03:18:18
348の@ですが、
 Kommandantとは、少佐ですか。中佐ですが。
「1918Uボートステーション・ゴルフvカッタロに転任(階級・Kommandant)」
 そのあと、1918階級Korvettenkapitaenですが、この方はなんですか。
 なんか上がったり下がったりしているみたいで。


350 :世界@名無史さん:05/01/05 11:13:48
>>348 >>349
第一次世界大戦より前の海軍の階級制度を日本式の階級制度に当てはめる
のは不可能かと思います。悪く言いましたら階級は三段階しかないからで
す。船の船長・指揮官・操作責任者です。
船長の中に戦列艦(戦艦)の艦長・フリゲートの艦長・コルベットの艦長
があります。その次に指揮官(コマンダー)という職種があります。これ
は航海責任者・砲術長など個別セクションの責任者です。また、スループ
や潜水艦の責任者もこれになります。その下に各砲、機器の操作責任者と
しての尉官(ルテナント)がいます。

351 :権兵衛さん:05/01/05 17:35:25

  ホルティー提督の回想録より −2−

 1917年5月に我々がオトラント海峡の封鎖線を打破したが、1918年になると
 ふたたび封鎖されてしまった。2月のローマでの連合国会議で封鎖の強化がなされると、
 英国の駆逐艦は40隻に、フランスのそれは12隻となり、合計76隻もの艦艇によっ
 て封鎖線が構築され、飛行艇などによる哨戒も行われた。
  こうした状況下で、わたし[ホルティー]は士官学校時代の同期生2人と共にバーデン
 の海軍総司令部に呼び出された。そこで私たちは皇帝カール陛下に拝謁することとなっ
 た。陛下は私をアドリア艦隊司令長官(事実上の帝国海軍司令長官)に任ぜられた。こ
 の任命に驚いた私は辞退申し上げたが、陛下はそのご意志をお曲げにならなかった。弛
 緩しきった海軍の士気を回復させるためには、思い切った人事の若返りが必要だとのご
 決意であったのだ。(1818年3月1日付け)
  かくして少将に昇進した私は、「反乱寸前の艦隊」に艦隊司令長官として赴任したの
 だった。着任早々に、チェコ系とクロアチァ系の水兵2人が反乱を教唆したとして逮捕
 された。軍法会議の結果、2人とも死刑判決を受けた。私はその判決を承認し、処刑に
 際しては各艦より20人ずつを参加させた。その結果、艦隊の不穏な雰囲気は収まった
 が、それは一時的なものでしかないことも判っていた。(続く?)
  

352 :世界@名無史さん:05/01/05 18:07:54
>>権兵衛さん

その、ホルティの回顧録って出版されているのでしょうか?
私は『写真集 ホルティ・ミクローシュの生涯』という本を
持っています(ただしハンガリー語)。
ブダペストの軍事史博物館の売店で見つけました。


353 :権兵衛さん:05/01/05 20:13:05

>>352 (うーん、ハルトマンの撃墜数を取られたか。)

  多分、以前ハウスさんが触れていたサイトと同じものだと思います。
  英文というのが「欠点」ですけど。

  Annotated Memoirs of Admiral Miklos Horthy, Regent of
Hungary, The (注解付き「ハンガリーの摂政、ミクロス・ホ
  ルティの回想録」とでも訳しますか。)

  Historical Text Archive というサイトで「E−Book」
  の中で見つけました。

  ttp://historicalarchive.com/books.php?opviewbook&bookid=9&cid=7

です。お時間があればどうぞ。結構、いろいろな文献に出くわしますよ。


354 :権兵衛さん:05/01/05 20:46:14

 ホルティ提督の回想録より −3−

 謀反人の公開処刑による規律維持は短命なものであることは明白で
 あった。この年の初め[2月1日]にも南部の軍港ボッチェ・ディ・
 カッタロ(Bocche di Cattaro)で何隻かの艦船に赤旗が翻ったのだ。
 こうした反乱の風潮を押さえ込むことは容易なものではない。
  艦隊の指揮と規律を手っ取り早く復活させるには、海上での行動
 とそれに伴う戦果であることは古今の常識である。
  かくて私は艦隊の全力を挙げてオラント海峡の封鎖線を破ること
 にした。前年5月15日に起きたように、敵は任務を果たしたあと
 撤退する我が艦隊を追撃するであろうが、充分にこれらの妨害をし
 りぞける力はあると判断された。
  かくて、私は上層部にこの作戦を上申し、認可を得たのである。

355 :世界@名無史さん:05/01/06 00:11:28
のちのハンガリー摂政のホルティ提督(アドミラル・ホルティ)の提督っていうのは、
何をもって、そういっているのでしょうか。

スレッドをみると、オーストリア海軍には、階級と職位の二つではなく、職位しかなかったみたいに見えます。

356 :世界@名無史さん:05/01/06 00:17:14
イン川のほとりに、フリートブルク城というのがあるそうで、ご覧になった方はおられるでしょうか。
この所有者は、フォン・トラップ伯爵であるとある本に書いていました(グラーフ・フォン・トラップ)。

所有とは、戦後買い求めたのか、
遥かな昔、主君より賜ったか、戦で勝ち取ったか、まさに城主なのか、
そこまでは書いていませんでしたが。

トラップ大佐は、フォン・トラップ男爵ではなく、フォン・トラップ伯爵ではないか。
そんな気がして来ましたが。
 (トラップ大佐は分家筋かもしれませんが、ご先祖がすでに伯爵であれば、
  次男三男も等しく、同じ爵位を名乗る習慣がある?、ドイツのことですので)


357 :権兵衛さん:05/01/06 00:42:02

>>346

>あと、リッサの海戦を描いた絵で、艦橋で両手をポケットに突っ込
 んで仁王立ちになっているというのがありまして、そういう癖のあ
 る人だったのかなぁと思った記憶があります。

 あるオースリア海軍のサイトで見かけた絵でしょうか。艦橋で両手を
 ポケットに入れ、仁王立ちしながら敵を睨みつけいる頬髯の人物。
 その右側(絵では左になります)ではサーベルを抜いた士官が敵艦に
 切り込まんばかりの姿で、左側では双眼鏡を持った士官とそのとなり
 にもうひとりの士官が立っている。
  その下で巨大な舵輪を5人の水兵が取り付いている。真ん中の若い
 兵は右手に軍帽を高々と掲げ、何か叫んでいる。
  この絵でしたら、「リッサ海戦」を扱ったサイトではよく見かける
 ものですね。両手をポケットにつ込んだまま、敵を睨みつけているテ
 ゲットホーフの姿は彼の熱血漢でありながらも、沈着さを失わない人
 物像を表現しているようでもありますね。

358 :通りすがりの名無史:05/01/06 14:29:46
今週発売の学研「歴史群像2月号」でイタリア海軍小型艇特殊部隊の記事が
あり、イタリア魚雷艇(MAS)の攻撃によるド級戦艦ツェント・イシュト
ヴァーン撃沈と人間魚雷攻撃によるポーラ軍港襲撃とヴィリヴス・ウニー
ティス撃沈の経緯が詳しく記載されていました。

ホルティ提督については少ししか語られていませんが、記事中のポーラ軍港
のオーストリア艦艇配置図などは、二重帝国海軍ファンにも参考になりそう
です。

359 :権兵衛さん:05/01/06 17:36:34

>>358

  先に書き込まれてしまいましたね。同じ号の始めの方に「リッサ
 島沖海戦」(1866年)も扱われています。見開き2ページを使
 用してイタリアの装甲艦「レ・ポルトガロ」に体当り攻撃をしかけ
 るオーストリアの木製戦列艦「カイザー」の絵がのっています。
  記事そのものは残りの4ページを費やして書かれていますが、テ 
 ゲットホーフ(テゲトフ)の肖像は出てません。

360 :世界@名無史さん:05/01/06 19:37:04
>>355

351には、こうありますが、、
>かくして少将に昇進した私は、「反乱寸前の艦隊」に艦隊司令長官として赴任した

361 :権兵衛さん:05/01/06 20:08:48

 オーストリア=ハンガリー帝国海軍の階級

  簡単に、ドイツ海軍と同じかと思い込んでいましたが、サイトをあちこち
 と捜しまわってもこれというのがなかなか見つかりません。以前あったもの
 は消滅していたので、がっかりしました。
  それでも第一次大戦当時のものではありませんが、ひとつ見つけたので、
 とりあえずアップしておきます。(下士官、兵は複雑なので略します。だい
 いち、意味も判らないのが多い。(^^;; 日本のそれだって同じだけど。)

  1880年当時の海軍の階級(士官のみ)
  
  将官(提督)級
   Admiral 大将
Vizeadmiral          中将  
Kontradmiral         少将
  佐官(幕僚)級      
   Linienschiffeskapitaen    大佐
Fregattenkapitaen       中佐
Korvettenkapitaen      少佐
  上級(先任)士官級
   Linienschiffsleutenant    大尉
Linienschiffsfaehnrich    少尉

  この当時は中尉がなかったようです。大尉が一級と二級に分かれて
 いたという意味の記述がありますが、特に区別していなかったようです。
  ただ、第一次大戦のころには海軍の組織も拡張されているので、また
 階級が分かれていたことは確かです。(何しろ Grossadmiral がない。)

362 :権兵衛さん:05/01/06 21:52:31

  ホルティ提督の回想録より  −4−

  最高司令部よりの認可を受けて、[封鎖線打破]作戦は1918年6月11日
 に設定された。目的地の到達するには2晩の秘匿を必要とした。まず、グラボ
 ーサ?(Gravosa)港北のスラーノ(Slano)泊地から第1戦艦部隊から出撃を命
 じた。ザイツ大佐指揮下の第2戦艦部隊は目的地までの距離が半分のグロッサ
 (Grossa) は24時間の余裕があるので、それまで待機させることにした。
  原因不明の理由により、港湾の防潜網の移動が遅れ、更に戦艦テゲットホー
 フの機関のトラブル[これは、「ツェント・イシュトバーン」と混同しているよ
 うです。] により、艦隊の進行は遅れた。未明になって、イシュトバーンが闇
 にまぎれて接近してきたイタリアの魚雷艇の攻撃を受け、2本の魚雷を被雷し
 た。3時間と経たずに同艦は沈没し、魚雷艇は逃げ去った。これは我々の意図
 が敵に知られたことを意味した。オトラント海峡の封鎖線が一層強化されるこ
 とは明らかであった。重苦しい状況の中で、私は艦隊に撤収を命じた。
 

363 :世界@名無史さん:05/01/07 11:56:31
>>358>>359
それは!オーストリア海軍好きには、まるでお年玉のような号ですね

364 :権兵衛さん:05/01/07 22:13:36

>>356

 >イン川のほとりに、フリートブルク城というのがあるそうで、ご覧になった方はおられるでしょうか。
この所有者は、フォン・トラップ伯爵であるとある本に書いていました(グラーフ・フォン・トラップ)。

  ドイツ語のサイトで見つけました。インスブルックの東、近郊にある城のようです。
  ttp://www.tibs.at/burger/burger_schlosser.tirol/friedberg.htm

  ゲオルグ・フォン・トラップとは直接の関係はないようです。観光ガイドめいた文章
 が掲げられていますが、彼の名前は出ていません。世界的に有名になった「トラップ一
 家」の係累ならば、当然触れるはずですから。
  トラップという苗字は、ドイツ語圏では意外にありふれたもののようです。
  ナポレオン最後の戦勝となった「ドレスデン会戦」での、連合軍の補給担当の責任者
 の将校の中にも「トラップ男爵」の名前があります。また、北イタリアにもカルドッチョ
 ?(Corte di Caldozzo)という城か、館があり、そこの当主も「トラップ伯爵」を名乗っ
 ています。また、パッサウ(Passau) の市立劇場の関係者として「トラップ伯爵」の名前
 の名前が18世紀ごろにあるそうです。
  ゲオルグの子供たちが、「父の称号は第一次大戦での戦功によって得たもの」と言って
 いるので、由緒ある家名を継いでいた訳ではないようです。



365 :ハウス:05/01/07 23:12:51
>>358 >>359
内容を確認の上、さっそく購入しますた!
(普段この手の雑誌は全然読まないのですが・・・)

>>362 ホルティ提督の回想録より  
これまで疑問に思っていた事が徐々に明らかになってきております。
権兵衛様感謝です。

366 :世界@名無史さん:05/01/08 17:01:12
権兵衛さん へ;

339 :権兵衛さん :05/01/02 20:38:47
    >>337
    トラップが「軍功マリア・テレジア騎士十字章」を正式に授与されたのは
    何時のこと?「大十字章」と「軍司令官十字章」と「騎士十字章」とあるけど
    その3番目。第一次大戦を通して100個余りしか授与されていないけど。

  

これは、ハンガリースレッドVの911番の
>マリアテレジア軍事勲章:
>1757年7月18日のコリーンの戦い(@)の大勝利を記念して
>マリアテレジア女帝(A)により、設けられた
>帝国内(B)の士官への最高軍事勲章である。
>中央にオーストリアの紋章を配し(B)、周りにラテン語で「勇気」と記す。
>世襲の貴族称号も併せ持つ勲章である。1918年11月(B)まで授与された。
に関係ありそう。
第一位から第何位まであるのか知りませんけど、
第三位の位だと、男爵ということなのかなぁ。
勲章の名前からだと、騎士爵のように見えるんだけど。


367 :世界@名無史さん:05/01/08 20:25:40
>>255
ありがとう。やっぱり大佐は嘘だったんですね!
そうだろうと思っていたんだ。少佐だったのか。

368 :ハウス:05/01/08 23:46:27
>>365
これまで疑問に思っていた事が徐々に明らかになってきております。

・・あれ? 何か変な文。「これまでの疑問点が徐々に解消されつつあります。」かな?

>>358
先ほど学研「歴史群像2月号」でその記事を読みましたが、
いや〜大変充実した内容で大満足ですた。
記事内のポーラ軍港におけるオーストリア艦艇配置図についてですが、
以前とある欧文サイトで、図の戦艦群と共に巡洋艦や駆逐艦?なんかも加えた
より詳細な配置図を見た記憶があるのですが・・探せばまだあるかしら?

369 :権兵衛さん:05/01/09 00:00:05

>>367

左様で「権ス」(^o^)

370 :権兵衛さん:05/01/09 09:38:14

>>366

 マリア・テレジア軍功十字章ですが、上の二つは国家元首や最高司令官級や
 軍司令官などに送られる「儀礼的な勲章」と考えたほうがいいので、実際上は
 3番目の騎士十字章が代表的な戦功勲章となるでしょう。110個が送られた
 そうです。上は大将から下は中尉まで受賞者の階級は様々です。
  Uボートの艦長で受賞したのは3人で、トラップのほかはルドルフ・ジング
 ーレ(Rudolf Singule)大尉とヘルマン・リジーレ(Herman Rigele)大尉です。
  リジーレ大尉は受賞者の最後の生存者として、1982年に101歳の生涯を
  閉じたそうです。(養老院で慰問のために上映された「サウンド・オブ・ミュ
 ージック」を見て、かつての畏友トラップ少佐が「コケ」にされていると、カ
 ンカンになったというエピソードが伝えられています。)

371 :世界@名無史さん:05/01/09 21:17:47
うーん、すごく博識なスレですねえ。
Linienschiffeskapitaen    大佐
Fregattenkapitaen       中佐
Korvettenkapitaen      少佐
リニエンシッフェスカピテン ラインシップ(戦列艦)艦長 大佐
フレガッテンカピテン フリーゲート艦艦長 中佐
コルヴェッテンカピテン コルベート艦艦長 少佐(←トラップ氏)
ってことでイイ?
ところでフリーゲート艦とコルベート艦って何?海防艦って何?戦艦と
どうちがうの?戦艦が古くて一線でつかえなくなると海防艦になるの?
砲艦って何?
そういえば、この間読んだマンガに日本海軍も日清戦争までは中尉がな
くて少尉と大尉(一等と二等)だけって書いてあったっけ。
あと、ついでに教えて!ドイツ語にやたら詳しい人がいるみたいだから。
携帯電話のCMで、「choeka」(oeはoウムラウト)と書いて、
「チョッカ」と読ませているけど、あの発音って嘘だよね?

372 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/01/09 23:08:18
>371
中世以来、19世紀末になるまで、戦闘艦の区分としては、一番大きいのを戦列艦、中くらいの艦をフリゲート、
小さい艦をコルベットと称していました。

英国の場合は、最初、乗員数で区分され、300名以上を一等艦、50人未満を六等艦としていました。
18世紀以降は砲門数で区分するようになりました。
アンソン海軍卿が定めたのが、100門以上を一等艦、84〜100門が二等艦、64〜84門を三等艦、50〜64門が四等艦、32〜50門が五等艦、
32門未満を六等艦、20門未満を等外艦としていました。

この一等〜四等艦を戦列艦、五等、六等がフリゲイト、等外艦をスループとしています。

フランスの場合も砲門数で等級を分け、76門以上3層砲甲板を有するモノを一等艦とし、以下30門以上1層
砲甲板を有する五等艦と呼び、五等艦以下をフリゲイト、ブリッグなどと言っています。

フリゲイトは、上記区分で、24〜40門程度の1層砲甲板の艦を指します。
更にシップ型、つまり、3本のマストの前の2本に横帆を、最後尾マストに横帆と縦帆を掛けるもので、排水量は
1000t未満。
打撃自体は戦列艦が行いますので、主任務は偵察、監視、情報や命令の伝達、沿岸警備、商船護送、要人急送、
海賊、私掠船討伐、つまり、単独行動が可能で、快速力と小回りの効く艦であることが重要です。

コルベットは、フランスが最初に開発した艦で、フリゲイトよりも小型で、平甲板のシップ型で、植民地警備や土着民
討伐、砲艦外交用に使用されています。

以下、等級艦に入らない艦船としてスループ、ボムケッチなんてのもあります。

後に蒸気機関、旋回砲が実用化されると、舷側固定砲門は意味が無くなり、艦の性格も変化していきます。
戦列艦は、外洋で敵艦と戦闘し、敵地の沿岸邦題を破壊する任務を持ち、激浪に耐える航洋性と、長大な
航続力、大型の大砲と強固な装甲防御力を持つ戦艦に変貌します。
この戦艦のうち、任務、装備は戦艦と同じですが、戦闘場面を自国沿岸に限定したのが、海防艦、あるいは
海防戦艦と言う艦になり、耐波性に劣りますが、陸地に接近出来、小型の船体に大口径砲を装備することで
安価に数が揃えられると言うことで、中小国が挙って整備しました。

373 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/01/09 23:09:40
う〜ん、中途半端に切ってまった。

フリゲイトは敵商船と護衛艦を攻撃する通商破壊任務と、その逆で敵の攻撃を防ぐ任務を持ち、航洋性、航続力、
高速力を持つ代わりに、攻撃力と防御力の制約を受ける、巡洋艦に進化しました。
巡洋艦と言っても、一等から三等まであり、一等、二等がこれに当たりますね。

コルベットは偵察、命令伝達を主任務とする三等巡洋艦、または、通報艦に進化します。

砲艦はボムケッチの進化型でもあり、小型の海防艦と言っても差し支えないでしょう。
小さな艦に大口径砲を1門程度持ち、浅喫水であるため、河川、浅瀬で行動出来ます。

374 :権兵衛さん:05/01/10 12:41:23

  眠い人さん、こんにちわ。

  前近代の海軍艦船の区分、有難うございます。こうした簡潔な説明があると
 先ごろ深夜に再々?放送していた「ホーンブロワもの」や「マスター&コマン
 ダー」などが理解しやすくなります。

375 :ハウス:05/01/10 12:57:38
>>370
トラップ少佐やジングレ大尉と共にマリア・テレジア騎士十字章を受賞した
ヘルマン・リジーレ(Herman Rigele)大尉の第一次大戦中の戦歴についてちと調べてみました。

1918年9月に入るとオトラント海峡には駆逐艦31隻・水雷艇10隻・潜水艦8隻・駆潜艇36隻(米艦艇)
ドリフター153隻といった大小合わせて250隻を超える連合国艦艇が集結し、10月2日には伊戦艦3隻
伊英巡洋艦8隻・同駆逐艦16隻・水雷艇8隻・米駆潜艇と伊MASよりなる艦隊が北上、アルバニア
沿岸部のオーストリア勢力下の都市ドウラッツオを砲撃しました。

対するオーストリア側は駆逐艦・水雷艇・潜水艦の小部隊が敵艦隊への襲撃を試みたようで、この
時ヘルマン・リジーレ(Herman Rigele)大尉の指揮する潜水艦U31が英巡洋艦Weymouthに対し魚雷
攻撃を行ないましたが、最終的にこれを沈没させるまでには至りませんでした。

そしてその2週間後の10月17日にオーストリア潜水艦部隊に対し戦闘中止命令が下されました。

376 :maro':05/01/10 13:35:49
>>368
ハウスさん、それではオーストリア艦艇配置図のトレース元になった、
1918年6月30日の空撮写真を載せておきます。解説上の画像をダブル
クリックしてください、大画像で見れます。ご参考までに。
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?key=473.431143&src=15987321&un=
97071&m=2&pos0=49&type=0


377 :maro':05/01/10 13:38:46
上のURLが上手く表示されていなかったので、もう一度
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?key=473.431143&src=15987321&un=97071&m=2&pos0=49&type=0

378 :世界@名無史さん:05/01/10 17:27:39
>>372
艦種の分け方ですが軍事史学上ではこうなってます。
3層以上…戦列艦
2層…フリゲート
1層…コルベット
甲板のみ…スループ

379 :世界@名無史さん:05/01/10 18:13:41
>364
>ゲオルグの子供たちが、「父の称号は第一次大戦での戦功によって得たもの」と言って
>いるので、由緒ある家名を継いでいた訳ではないようです。

お調べいただきありがとうございました。
 もっとも、子供たちが言っている「父の称号」は、勲章に付随する男爵位のことで、
 そのほかの称号ではないのかな、としつこく思ったりします(ごめんなさい)。
 大佐(否、少佐)は、亡命後、いつまで生きたかしりませんが、彼が誇りとするのは、
 祖先からの称号でなく、自らの勲功だけで、それしか語らない軍人でしょうし、
 マリアも、社交界や、上流階級の閨閥について疎いはずですし。

以上は独り言ですので忘れてください。

 私は、最初、少佐は、伯爵の称号と男爵の称号の両方を持っていて、ただし、後者の
誇りに思っていて、後者しか使わなかったんではないかと予想しました。
 T.男爵は、彼の手柄で獲得したわけで、その裏にはマリアテレジア軍事勲章がある、
 U.また、ひょっとすると、伯爵位は、形式上、オーストリー公国の君主から授与されたものに過ぎないが、
   男爵の方は、皇帝から授与されたのであれば、こっちのが、高そうですし
  (帝国爵位だから、高いとすれば、こちらを儀礼上用いるのが、社交ルールに合うような気もする)。

 トラップ一家は別として、一般論としては、このあたりどうなんでしょうか。

380 :ハウス:05/01/10 18:54:02
>>376>>377
maro'さん、どうもありがとう!
お礼といっては何ですが、よろしければご参考にどうぞ↓

【終戦時のポーラ軍港に配備されていたオーストリア海軍艦艇】

準ド級戦艦 Radetzky、Zrinyi、Erzherzog Franz Ferdinand ド級戦艦Prinz Eugen、Tegetthoff、(×Viribus Unitis)
(以上軍港内の北西から南東にかけて並んでいた主力艦艇)

前ド級戦艦 Habsburg、Arpád、Babenberg 海防戦艦Budapest、装甲艦Mars
装甲巡洋艦Kaiserin und Königin Maria Theresa 防護巡洋艦 Aspern、Szigetvar 水雷巡洋艦Leopard
駆逐艦Tatra[Balaton]Csepel
   Blitz、Csikós、Dinara、Huszar、Orjen、Planet、Trabant、Turul、Ulan、[Uskoke、Velebit、Warasdiner]
水雷艇Tb8,10,74,77,78,81,86,94,98
[Tb51,59,64,67,68,70,75,80,90,92,95,99]

※[]は修理のためドック入りの艦艇

381 :371:05/01/10 19:00:33
>>372-373
ふむふむ。
どうもありがとうございます。(^^)

382 :世界@名無史さん:05/01/10 19:02:21
上のほうのレスにトラップは1919年にマリアテレジア騎士十字勲章を授与され
男爵になったとあったのですが、1919年はすでに共和制になっているので、
男爵の称号はつかないのではないでしょうか?


383 :世界@名無史さん:05/01/10 19:25:06
>>364
>子供たちが、「父の称号は第一次大戦での戦功によって得たもの」と言って
>いるので、由緒ある家名を継いでいた訳ではないようです。

もともとは、 「von トラップ」家でもなく、
 たんなる「トラップ」家だったのかなと疑問が残ります。
 
 映画を信用するわけではないですが、映画では、
 大きなお屋敷、自宅で舞踏会、男爵夫人とお友達というわけで、
 とても普通の人ではないですから。

>>382、確かにそうですね。ハンガリーは依然、王国で貴族制度はあったみたい?ですが、
 オーストリーは、共和制となり、貴族の制度も呼称も禁止した筈ですね。
 ドイツの方は、貴族の呼称は残したようですが。
 
 社交の場での慣例で、貴族呼称が残ることはあると思いますが、男爵夫人がいるのに、
 トラップ男爵とは呼ばないのですから、やはりその辺を気にしているのかもしれません。
 (あるいは、少佐の方が、男爵より、地位が高いのかもしれませんが)

384 :権兵衛さん:05/01/10 22:44:25

>>383

  映画のセットは信用しないでくださいね。(^^;;

  現実のトラップ家が暮らしていた館は現在もザルツブルグの郊外に残っています。
 一家が亡命した後に、かの悪名高いナチスの秘密警察長官ヒムラーが「オストマルク」 
 と改名された中部オーストリア地方の巡回時に、私邸として使用していたとか。その
 ため戦後、一家に返却された「没収財産」のひとつであった館は同地方で活動してい
 たアメリカの宗教団体に売却され、現在もその団体の所有になっていると聞きます。

  話が脱線しましたが、ゲオルグの最初の妻となった女性がアガサ・ホワイトヘッド
 というイギリス系の人物でした。同姓のロバートの孫娘と聞けば、潜水艦や水雷艇の
 歴史をご存知の方ならピンとくるはずです。
答えはこの次に・・・。(^o^) ご存知の方は黙っててね。m(-.-)m
24時間かそこいらしたら書きますので。


385 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/01/10 23:24:14
権兵衛さま
まさしくその絵です。ウイーンで実物を見たのですが、海軍の軍人に
してはいささか行儀の悪い人なのかなぁと思った次第です。
雑誌の挿絵かなにかだと手すりを握って前を指差して大声で叫んで
いて、右横で被弾した士官が倒れる瞬間というものもありますが、
ポケットに手を突っ込んで立つ彼の姿が何か人間らしくて好きです。


386 :権兵衛さん:05/01/10 23:35:05

  >>384  訂正がひとつ。
       アガサはロバートの孫ではなく、曾孫になるそうです。
      

387 :世界@名無史さん:05/01/11 10:09:24
ドイツで戦後間も無く作られた映画『菩提樹』が見てみたい

388 :maro':05/01/11 13:35:42
>>380
ハウスさん、ポーラ軍港に配備されていたオーストリア海軍艦艇リストを
有難うございます。また今後の参考にさせてもらいます。

それでは、私も。人のサイトなのでお礼と言ってはなんですが、第一次大戦
における二重帝国海軍および陸軍よる徴発/雇い汽船のリスト&船暦サイト
のご紹介です。病院船なども追跡可能です。
http://www.stile.coventry.ac.uk/cbs/staff/beech/ahnavy/dampfer.htm#ARMY

ロイズ船舶保険会社などからのソースなので信頼性もありそうで、今回は
私も重宝させてもらいました。


389 :権兵衛さん:05/01/11 21:19:15

 ホルティ提督の回想録より  −5−

  1918年秋、アルバニアが脱落したので、オーストリア海軍はアドリア海
 奥への友軍の撤収を援護し、連合軍の攻撃を撃退した。
  事態は激しく動いていた。9月29日にブルガリアが「講和」を求めた。こ
 のためバルカン半島は混乱の坩堝に放り込まれたようになった。帝国の内地へ
 の物資の補給は激減した。皇帝は前首相のチィツァ伯爵をボスニアに送り現地
 の情勢を調査させた。伯爵の報告は南部スラブ諸国の脱落を阻止する見込みは
 ほとんどないというものだった。
  10月17日、皇帝カール陛下は帝國のポーランド領域を独立国家とし、ト
 リエステを特別自治区とし、その他の王国を自治国とする布告を出した。
 帝国を連邦国家に改編しようとする試みが、解体しようとしている帝国の体裁
 を保とうとするものであったと思われる。しかし、事態はその程度の「お茶に
 濁し」ではどうともなるものではなかった。
  ブタペストの議事堂では、ミヒャエル・カロリー伯爵が「ハンガリー本国の
 防衛」のために、前線からハンガリー軍を戻すよう要求した。
 

390 :権兵衛さん:05/01/11 23:09:03

>>384

  さて、ロバート・ホワイトヘッドとその曾孫娘アガサとフォン・トラップの
 関係についての「お答え」です。
  イギリスはボルトンで1823年に生まれたロバートは、若くして工科大学
 を卒業した後、フランスで働き、マルセイユで結婚して暮らしたのち、イタリ
 アのミラノで紡績機械の工場を経営していました。19世紀半ばの大陸は各地
 とも不穏な状況だったーードイツもイタリアも統一していなかった!また、二
 重帝国も成立していなかったーーので、トリエステに移住したが、すぐにフィ
 ウメで蒸気機関の工場に就職しました。そこで彼は近代海軍兵器のひとつ、魚
 形水雷の開発に携わり、その有力な開発者のひとりとなったのです。
  蒸気機関の各種の開発でその名をはせていた彼はオーストリア政府に働きか
 けて、近代の「魚形水雷(魚雷)の父」となったのです。彼のもとには莫大な
 特許料が各国海軍から流れ込み、欧州で最も裕福な産業王のひとりとなったわ
 けです。1892年には彼の孫娘のひとりはドイツの宰相の息子と結婚しまし
 た。お相手の名前はヘルベルト・フォン・ビスマルク(!)そして、1912
 年には前年に「新鋭潜水艦」の進水式で知り合った艦長と曾孫娘フランシスが
 結婚しました。お相手はご存知ゲオルグ・トラップ大尉。しかもなぜか、一族
 の寵愛を一身に集めていた「お嬢様」は、持参金だけでも大変なものなのに、
 さらに莫大な財産を相続してくれたおかげで、一家は預金の「利子だけ!」で
 も優雅な生活を保証されていたそうです。そんなわけで、トラップは下手な貴
 族様なんぞ問題にならない、王族並みの暮らしができたというわけです。
  一説では預金だけで邦貨に換算して3000億円!あったそうですから、超
 低金利の「某島国」にでも暮らしていない限り、年に50億円から100億円
 が転がり込んでいたことになります。(物価や貨幣価値の問題もあり、簡単に
 は云えませんが、ともかく、私のような「貧民」からは想像もできないお金持
 ちであったのです。もっとも、1932年の「欧州版金融恐慌」で、一夜にし
 てその全預金を失ったそうですが・・・、同情したものか、どうか・・・?)

391 :ハウス:05/01/11 23:16:23
>>388
maro'さん、わざわざどうもです。
なかなかボリュームのあるサイトですねぇ。

さて、昨日レスした内容を見やすくまとめてみましたのでどうぞ↓
ついでに【カッタロ軍港】も追加しておきました。

◇終戦時のオーストリア海軍艦艇配備状況◇
【ポーラ軍港】
準ド級戦艦Radetzky、Zrinyi、Erzherzog Franz Ferdinand ド級戦艦Prinz Eugen、Tegetthoff、(×Viribus Unitis)
(以上軍港内の北西から南東にかけて並んでいた主力艦艇)

前ド級戦艦Habsburg、Arpád、Babenberg 海防戦艦Budapest、装甲艦Mars
装甲巡洋艦Kaiserin und Königin Maria Theresa 防護巡洋艦Aspern、Szigetvar 水雷巡洋艦Leopard

駆逐艦Tatra[Balaton]Csepel、Blitz、Csikós、Dinara、Huszar、Orjen、Planet、Trabant、Turul、Ulan[Uskoke、Velebit、Warasdiner]
水雷艇Tb8、10、74、77、78、81、86、94、98 [Tb51、59、64、67、68、70、75、80、90、92、95、99]

【カッタロ軍港】
前ド級戦艦Erzherzog Karl、Erzherzog Friedrich、Erzherzog Ferdinand Max 海防戦艦Monarch
装甲巡洋艦Sankt Georg 防護巡洋艦Kaiser Franz Josef I 水雷巡洋艦Panther

駆逐艦Pandur、Reka、Satellit、Scharfschütze
水雷艇Tb6、9、15、54、62、73、76、79、82、83、85、87、88、89、93、97、100

392 :教えて君ですいません:05/01/12 08:44:27
残存艦艇のその後ってわかりますでしょうか?
駆逐艦がイタリアに言ったとか水雷艇がユゴー等にばら撒かれたとかは知ってますけど、
あとがよくわかりません。まあ古い分は廃棄されたんでしょうね。
あと、ユーゴに分配されるはずの戦艦がイタリアの特殊部隊に破壊されたって話を
読んだことがありますが、本当でしょうか?


393 :権兵衛さん:05/01/12 17:34:14

>>392

 358-9 で言及されている学研社の「歴史群像・2005年2月号」の
 「特攻イタリア海軍MAS部隊」の記事をお読みあれ。現在、店頭に並ん
  でいる雑誌なので内容には触れません。このスレッドすぐ上でも、ハウ
  スさん、眠い人さんらが戦艦「フィリブス・ウニティス」について書か
  れています。


394 :世界@名無史さん:05/01/12 17:38:51

ホルティ提督の子孫はポルトガルで遊んでるのでしょうか?


395 :権兵衛さん:05/01/12 19:35:29

 >>394

  又聞きの伝聞になるのですが、1993年9月5日付けのニューヨーク・タイムズ紙
 が「ホルティ提督の遺体、祖国へ帰る」と題するニュースを載せたところ、その記事の
 内容に間違いあるという指摘がされました。東欧の共産圏が崩壊して、各国の王族の子
 孫たちも「帰国」できるようになった例のひとつになったわけです。
  ホルティを「大佐」であり、「提督」を僭称し、「摂政」として戦間期のハンガリー
 を統治した云々、という内容だったようで、カナダの戦略研究所の上級研究員の方が、
 1918年に当時の皇帝から直々に海軍少将に任じられたのだから、「提督」を僭称し
 たわけではない、という訂正を求める投書があったと9月20日付けの投書欄に掲載さ
 れました。そんなわけで彼の子孫も「地元」となっていたポルトガルはもちろん、母国
 ハンガリーにも住むようになったと思います。(ロシア、ポーランド、ルーマニアなど
 の諸国の王族の子孫たちも、それぞれの「母国」へ戻っているものが少なくないはず。)
 確かハプスブルグ家の当主は、ヨーロッパ議会の中心的な存在であるはず。



396 :世界@名無史さん:05/01/12 20:20:05
>>395

ホルティ提督の長男イシュトヴァーンは、政権末期に
摂政代理に任ぜられた技術者ですが、大戦末期に航空事故で
亡くなります。この人の奥さんは某伯爵家の令嬢ですが
超美人です。シシーさん(皇妃エリザベート)に匹敵します。

このホルティ未亡人の回顧録が最近ブダペストで出ました。
ハンガリー語が読める人はどうぞ。


397 :権兵衛さん:05/01/12 22:11:40

 >>396

 >超美人です。シシーさん(皇妃エリザベート)に匹敵します。

  そんな環境で育ったハプスブルグ家の御曹司に、某TV局が
 かの「某整形美人姉妹」をけしかけた「バカ番組」がありまし
 たね。もちろん、相手にされませんでした。
  考えれば当然も当然の話なんですが、そんなことも思いつか
 ないのが、「バカ」たる所以なんですけどね。

 >ハンガリー語が読める人はどうぞ。

  ハンガリー語はおろか、ドイツ語もつたないのですから、どなたか
 訳してください。(^0^;;


398 :396:05/01/12 22:30:12
>>397

ちなみに、この本です。

gróf Edelsheim Gyulai Ilona(Horthy István kormányzóhelyettes özvegye), Becsület és kötelesség, Budapest 2003.


399 :世界@名無史さん:05/01/15 13:03:48
そういえば、アルバニアのゾク国王の王妃ゲラルディンさんも
ハンガリー伯爵令嬢ですね。
こちらも美人ですよ。

400 :権兵衛さん:05/01/15 21:39:00

 なんか「オーストリア=ハンガリー帝国海軍」の話から「ハンガリアン美人」の
 話になってきたみたいですね。船(軍艦も含めて)は女性にたたとえられるか
 ら、あながち違うわないと強弁することもできますけどね。(^o^)


401 :ハウス:05/01/15 22:29:23
何気なく見つけたサイトですが、これ結構おすすめかも。
このスレのネタとしても是非ご活用ください。↓

ttp://www.kuk-kriegsmarine.at/

402 :世界@名無史さん:05/01/15 23:54:51
>>392
戦勝国内での取り決めで、軍艦は全て各国共解体業者に引き渡して鉄くず料金を受け取る
という事になってました。補助艦艇は潜水艦のみ処分(但しU14のみフランスに返却)
し、あとは各国が引き取りました。

日本は前ド級戦艦か何かが割り当てだったはずです。日本政府は解体に難色を示したため
英米から批判されたはずです。

403 :権兵衛さん:05/01/16 02:26:52

>>401

  ありゃ!、私の「ネタ箱」を暴かれてしまった!どうしよう!

404 :世界@名無史さん:05/01/16 06:23:01
時代が違うのですが
30年戦争の頃オーストリアがバルト海艦隊の建造を計画したそうです
これについてご存知の方いらっしゃいますか?

405 :515:05/01/16 15:58:19
>>403

おやおや、お坊さんも廊下ですってんてん、って感じですか?

406 :ハウス:05/01/16 21:04:36
>>404
それは興味深い話ですねぇ。
たしか当時のスウェーデンが強大で、
かの国はハプスブルク家とは敵同士だったと思いますが、
その国に対抗するためにバルト海に艦隊を必要としたのでしょうか?

407 :正毅さん:05/01/16 21:24:53

良スレなのでageますね。

408 :世界@名無史さん:05/01/17 01:06:56
>>406
某書によるとデンマーク軍を叩き出したハプスブルク皇帝が
中央集権政策の一環として計画
この件がスウェーデン参戦の引き金になったとのことです。

どなたか詳細をご存知の方、教えてください。

409 :世界@名無史さん:05/01/17 20:06:47 ,
『オーストリア残存艦艇のその後』家にある本で分かる限り。
弩級戦艦Tegetthoff(テゲトフ)
 休戦と同時に独立を認めたユーゴに移管するも、伊の主張で賠償艦として同国に引渡。
 艦籍に編入せず24年解体。
 [世界の艦船増刊近代戦艦史]
弩級戦艦Prinz Eugen(プリンツ・オイゲン)Tegetthoffと同型
 ユーゴから賠償艦としてフランスに引渡、22年にツーロン沖で標的として撃沈。
 [世界の艦船増刊近代戦艦史]
準弩級戦艦Erzherzog Flanz Ferdinand(エルツヘルゾック・フランツ・フェルジナンド)
 上記Tegetthoffとともに伊への戦利艦として19年3月22日ヴェネチアに到着。
  [世界の艦船No108(1966年8月号)掲載の「写真オーストリア戦艦史下」]
沿岸防御用小型戦艦Erzherzog Kronprinz Rudolf(エルツヘルゾック・クローンプリンツ・ルドルフ)
 20年ユーゴに引渡(以後不明)
 福井静夫氏の「世界戦艦物語」によると1887年進水の老兵、すると早々に除籍か?
 どこで見たのか記憶が確かでないですが、ユーゴに譲渡された旧オーストリア戦艦、それ
をフランコパンナ?とか命名したと言う話、この艦のことでしょうか?
[第二次大戦駆逐艦総覧:大日本絵画]

軽巡洋艦Novara(ノヴァラ)
 仏戦利艦、巡洋艦Thionville(ティオンヴィル)として短期間使用。
 [世界の艦船増刊フランス巡洋艦史]
軽巡洋艦Saida(サイダ)
 20年9月19日イタリアに引渡、21年より巡洋艦Venezia(ヴェネチア)として使用。
 37年3月11日除籍
軽巡洋艦Helgoland(ヘルゴランド)Saidaの同型艦
 20年9月19日イタリアに引渡、23年より巡洋艦Brindisi(ブリンディジ)として使用。
 37年3月11日除籍
 [世界の艦船増刊イタリア巡洋艦史]

410 :世界@名無史さん:05/01/17 20:08:21 ,
駆逐艦、主力駆逐艦7隻が20年9月伊に戦利艦として移籍。
 Tatra(タトラ)、Fasana(ファサナ)と命名、23年除籍。
 Balaton(バラトン)、Zenzon(ゼンゾン)と命名、23年除籍。
 Csepel(チェペル)、Muggia(ムッジア)と命名29年3月15日廈門沖で台風で喪失。
 Orzen(オルゼン)、Pola(ポーラ)と命名。31年Zenzonを襲名。37年除籍。
 Triglav(トリグラフ)、Grado(グラード)と命名。37年除籍。
 Lika(リカ)、Cortellazzo(コルテラッツォ)と命名。39年頃除籍。
 Uzsok(ウツォーク)、Monfalcone(モンファルコーネ)と命名。39年頃除籍。
  [第二次大戦駆逐艦総覧:大日本絵画]
  [世界の艦船No147(1969年8月号)掲載の写真イタリア駆逐艦史第7回]

【水雷艇群】[第二次大戦駆逐艦総覧:大日本絵画]
 ギリシア、21年水雷艇6隻を獲得。20年に分配を受けたとの記述もあり詳細不明。
92F、獲得後Proussa(プロウッサ)と命名。41年4月4日コーフー沖で独軍機の空襲により戦没。
95F、獲得後Pergamos(ペルガモス)と命名。41年4月25日サラミス沖で空襲により戦没。
95F、獲得後Panormos(パノロモス)と命名。38年3月トウルロス岬沖で座礁沈没。
 誤植なのかどちらも前艦名が95F、どちらが本当の95Fか不明。
98M、獲得後Kyzikos(キジコス)と命名。41年4月24日サラミス沖で空襲により戦没。
99M、獲得後Kios(キオス)と命名。41年4月22日アテネ沖で空襲により戦没。
100M、獲得後Kidoniai(キドニアイ)と命名。41年4月26日モーレア南方で空襲により戦没。

 ポルトガル、水雷艇6隻を獲得。内2隻は19世紀、他4隻は一次大戦海戦前後の竣工。
 全て40年に除籍。
 ルーマニアの項では74Tの同型6隻との記述有り、こちらの方が正しいと思う。

411 :世界@名無史さん:05/01/17 20:10:03 ,
 ルーマニア、水雷艇7隻を獲得。
74T、Viforul(ヴィフォルール)と命名。32年予備艦。
75T、Vartejul(ヴァルテジュール)と命名。32年予備艦。
80T、Vijelia(ヴィジェリア)と命名。32年予備艦。
81T、Sborul(スボルール)と命名。44年ソ連が接収、Musson(ムッソン)と命名。
 45年9月22日返還、原名に戻る。修理後46年再役。59または60年除籍。60年解体。
82F、Naluca(ナルカ)と命名。44年8月20日ソ連軍のコンスタンツァ空襲で沈没。
83F、Smeul(スミュール)と命名。44年ソ連が接収、Toros(トロス)と命名。
 45年9月22日返還、原名に戻る。修理後48年再役。59または60年除籍。60年解体。
84F、Fulgerul(フルゲルール)と命名。回航途中にボスポラスで浸水沈没。

 ユーゴスラビア、沿岸用小型水雷艇4隻、近海用水雷艇12隻を保有。
 なお他に上述の戦艦、特務艦各種、モニター、小艇等を保有。
76T、T1と命名。41年4月伊が捕獲。原名のまま伊が使用。43年9月脱出同年12月返還。
 Golesnica(ゴレスニカ)と改名し59年除籍。
77T、T2と命名。39年頃登録抹消。
78T、T3と命名。41年4月伊が捕獲。原名のまま伊が使用。
 43年9月16日フューメで独が捕獲TA48として44年8月15日再役クロアチア所属。
 44年12月14日独が再取得し、45年2月20日トリエステで被爆沈没。
79T、T4と命名。39年頃登録抹消。
87F、T5と命名。41年4月伊が捕獲。原名のまま伊が使用。43年9月脱出同年12月返還。
 Cer(セール)と改名し、63年予備艦。
93F、T6と命名。41年4月伊が捕獲。原名のまま伊が使用。
 43年9月11日ケセナティコ北方10マイルに自沈。
96F、T7と命名。41年4月伊が捕獲。原名のまま伊が使用。43年9月独が捕獲。
 クロアチアに引渡、以降不明。
97F、T8と命名。41年4月伊が捕獲。原名のまま伊が使用。
 43年9月11日ダルマチア諸島からの伊兵撤退時ブンタ・オリヴァで独軍機が撃沈。
 独捕獲時にT3は改名、T'7は改名なしの理由不明。あるいは独軍への編入の有無か。
12隻とあるが残り4隻の動向が不明、旧式で早々に除籍か、あるいは8隻が正解?

412 :世界@名無史さん:05/01/17 20:10:59 ,
番外:弩級戦艦Viribus Unitis(フィリブス・ウニーティス)Tegetthoffと同型で本艦がネームシップ
 休戦直前の18年10月末ユゴー新政府が捕獲、Yugosiavia(ユーゴスラビア)と改名。
 同年11月1日ポーラで伊軍ロセッティ少佐とパオルッチ少尉の仕掛けた機雷で沈没。
[小学館万有ガイドシリーズ32戦艦]
 世界の艦船No108(1966年8月号)掲載の「写真オーストリア戦艦史下」では、18年10月
10日夜魚雷を曳航して潜水進入した伊海軍士官2名により撃沈。
 どちらが正しいのでしょう?
 ちなみに同号には「リッサ海戦の艨艟」も掲載。107を保有してないのが悔しい。

413 :世界@名無史さん:05/01/18 01:02:29 0
>>412
どちらも微妙に正しくもあり、間違っている。上の文章の誤りは、伊軍
ロセッティ少佐とパオルッチ少尉の仕掛けたのは、人間魚雷から切り離された
弾頭部だったこと。休戦直前にユーゴスラヴィアに改名していたは正しい。

下の文章も実は、上の話と同じ事を言っているが、日付けが間違っている。
上の文章の通り、フィリブス・ウニーティスが撃沈されたのは11月1日早朝。

この撃沈の詳しい経緯は、歴史群像の今月号にのっています。



414 :世界@名無史さん:05/01/18 04:43:31 0
>>409
エルツヘルゾック…。
世艦の表記がそうなってるのか…?


415 :カラジチ ◆mWYugocC.c :05/01/18 08:38:25 0
>>408
某書って菊池良生の『戦うハプスブルク家』?

416 :権兵衛さん:05/01/18 13:26:51 0

>>414

  >エルツヘルゾック…。(Erz・herzog)

  大公爵(大公)の読み方ですね。ドイツ語では普通「Z」は英語と違い、
 「濁らず」「清音」で「ツ」に近似した音になりますから、「エルツヘル
 ツォーク」がより正しい発音に近い表記になると思います。
  1960年代あたりの本ではドイツ語に限らず、ロシア語などの表音の
 表記は英語に準拠した読み方、表記の仕方が変なものはかなりありますね。
  現在なら、アラビア語なんてカタカナでは「表記不能」になる音がある
 言語が登場するようになったので、もっと「しんどい」ことになりますね。

417 :世界@名無史さん:05/01/19 18:35:55 0
>>415
「神聖ローマ帝国」
同著者ですw

418 : :05/01/19 18:56:05 0
江村洋や菊池良生は歴史小説家。歴史研究者と混同しないように。


419 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/01/19 21:31:22 0
>409 補足で、巡洋艦以上の古い艦(1912年以前のもの)の戦後の状況。

Habsburg級前弩級艦 Habsburg/Arpad/Babenberg(1900〜02)
 全艦英国に引き渡されたが、1921年にイタリアで売却、解体。
Erzherzog Karl級前弩級艦 Erzherzog Karl/Erzherzog Friedrich/Erzherzog Ferdinand Max(1903〜05)
 3隻ともYugoslavia海軍に引き渡されたが、フランスと英国に賠償として引き渡され、売却、解体。

海防戦艦 Kronprinzessin Erzherzogin Stephanie(1887)
 1910年には除籍され、機雷学校の練習船になっていたが、1920年イタリアに賠償として引き渡し、
 1926年、繋留地で解体。
海防戦艦 Kronprinz Erzherzog Rudolf(1887)
 1919年にYugoslavia海軍に賠償として引き渡され、Kumborと改名。
 しかし、老朽化のため1922年に解体。
Monarch級海防戦艦 Monarch/Budapest(1895〜96)
 両艦とも英国に引き渡され、1920〜21年に掛けてイタリアで売却、解体。

420 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/01/19 21:32:10 0
続き。

装甲巡洋艦 Kaiserin und Koenigin Maria Theresia(1893)
 老朽化のため除籍状態で、1917年に武装撤去(武装はイタリア戦線へ)され、
 ドイツ潜水艦乗員の宿泊船となり、1920年に英国に引き渡し、イタリアで売却解体。
装甲巡洋艦 Kaiser KarlVI(1898)
 1920年英国に引き渡し、イタリアで解体。
装甲巡洋艦 Sankt Grorg(1903)
 1920年英国に引き渡し、イタリアで解体。

防護巡洋艦 Kaiser Franz Joseph I(1898)
 僚艦Kaiserin Elisabethは青島で自沈。
 1917年に武装を撤去し、水上司令部として機能していたが、1919年にフランスに引き渡し。
 引き渡しの途次、大嵐によって1919.10.にCattaro湾のKumborで沈む。

軽巡洋艦 Panther級 Panther/Leopard(1885)
 英国に賠償として引き渡し、1920年、イタリアで売却解体。
 ちなみに、この艦は英国が提唱していた、雷装衝角艦を具現化したもの。
軽巡洋艦 Tiger(1887)
 1919年にYugoslavia海軍に引き渡されたが、1920年にイタリアが賠償として没収し、売却解体。
軽巡洋艦 Zenta級 Aspern/Szigetvar(1897〜1900)
 英国に賠償として引き渡し、1920年、イタリアで売却解体。

421 :409:05/01/19 22:41:27 0
さうがは眠い人様、すごすぎです。
これだけの知識が得られるならつたない書き込みをしたかいがありました。

422 :417:05/01/20 11:55:45 0
>>418
混同してはいませんよ
しかしウエッジウッドが底本になってますんでね

423 :権兵衛さん:05/01/20 18:35:16 0

  舞台版の「サウンド・オブ・ミュージック」を観て来ました。(^o^)
 
  会場で捜していたトラップ一家の長女アガーテ・フォン・トラップが書いた
 「わたしのサウンド・オブ・ミュージック(原題「サウンド・オブ・ミュー
 ジックの前後時代の回想録」)」を見つけて、早速購入しました。(お陰で、
 昼飯代が消えて、立ち食いソバになってしまった。「抜き」よりましか?)
  ゲオルグ・フォン・トラップの長女(当年91歳!)だけに、義母マリアの
 著書「トラップ一家物語」と違って、父親やその前の先祖についての記述が詳
 しく書き込まれているので、楽しみです。
  とりあえず、ゲオルグの称号「フォン」ですが、父親のアウグストが1876
 年に危険な状況での勇敢な行為と的確な判断により、乗艦・乗員を救ったとし
 て、鉄十字三等勲章を授与され、皇帝から「騎士」に叙せられて、「フォン」を
 名乗るようになったそうです。ゲオルグ自身も第一次大戦での殊勲で「騎士」に
 叙せられたので、父親からの「お下がりの勲位」ではなく、自らの力で勝ち取っ
 た勲位として生涯誇りにしていたそうです。そこから先はまだ読んでいないので、
 お待ち下さい。(書中に礼装をした1935年のゲオルグの写真があります。そ
 の袖章ははっきりと旧オーストリア海軍の少佐のものです。一見、海軍少将のそ
 れと見間違えそうなものです。今回の舞台ではちゃんと、4本線の英米流の「海
 軍大佐」の軍服で登場してました。)


424 :世界@名無史さん :05/01/21 00:17:48 0
第一次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争(1848−50)の最中に
プロイセン陸軍砲兵がデンマーク木造戦列艦「クリスチャン8世」を一撃で
爆沈させたという話を聞いたのですが。話ですか?

425 :世界@名無史さん:05/01/21 00:23:02 0
それと同時にデンマークフリゲート「ゲフィオン」が座礁してしまい
プロイセンに鹵獲されて、同名のプロイセン海軍3等巡洋艦になったとも
聞きました。

426 :世界@名無史さん:05/01/21 00:30:50 0
>>423
長女ってことは映画版だとナチ党員と恋におち、温室で踊った場面の娘ですな。
91歳でご存命ですか。アメリカに渡ってから心の傷を癒す相手に恵まれたのでしょうかねぇ?

427 :権兵衛さん:05/01/21 22:20:26 0

>>426

  えー、映画(と舞台)と実在のトラップ家の話は、まったく関係がない、と
 言えるほど違うものーー子供たちの名前は勿論、マリアの名字も違いますーー
 なので、知りませんとしかいえませんね。


428 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/01/21 23:20:41 0
>424
世界の艦船の約20年前のドイツ海軍特集ならあるかもしれないのですが、
生憎、震災で手放してしまいましたので…。
ただ、>425に関しては本当ですね。

デンマーク海軍の帆走フリゲートであるGefionが1848年に座礁して、プロ
シアが捕獲し、自国海軍に組み込んで、Eckernfoerdeと改名、後にGefionに
再改名して1891年まで使用しています。

429 :権兵衛さん:05/01/21 23:53:13 0

  >>425

  確かこの話は、海軍関係の「トリビア」のひとつとして有名なものです。
 詳しい資料は手元にありませんが、「陸の砲兵隊に撃沈された唯一の戦艦」
 として知られていると思います。(陸上の砲台と撃ちあった戦艦が沈んだと
 いうのはいくつかあります。)(戦艦というか、戦列艦ですけどね。)
 
 

430 :世界@名無史さん:05/01/23 03:39:24 0

 う〜ん、エーデルワイスは沈没するのか?

  単なる冷やかし、御免。m(-o-)m

431 :ハウス:05/01/23 09:17:56 0
デンマークの海軍はナポレオン戦争時に英国海軍によって壊滅させられていたはずですが、
その後海軍を再建してそれなりの艦隊を保有するようになったのでしょうか?個人的には
1848年&1864年当時のデンマーク海軍が、戦列艦から小型艦艇にいたるまでそれぞれ何隻
保有していたか興味津々でつ。

一応80年代の世界の艦船の特集では、1859年当時のフリゲイト艦総隻数がオーストリア
7隻(内汽走艦3隻・帆走艦4隻)に対しデンマーク9隻(内汽走艦3隻・帆走艦6隻)とな
っておりますが・・。

ちなみにプロシアが4隻(内汽走艦1隻・帆走艦2隻・パドル1隻)で、当時のシチリア&
サルジニア両国は29隻(内汽走艦8隻・帆走艦9隻・パドル12隻)との事です。

・・それにしても>>424>>425の話はおもしろいでつ。

432 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/01/23 13:36:57 0
>431
1864年当時、デンマークが保有していたのは以下の艦艇。

Screw Battleshipとして、1833年建造、1858〜60年改装のSkjold(2,550t、30ポンド砲64門)。
Screw FrigateとCorvetteとして、1855年建造のNiels Juel(2,320t、30ポンド砲42門)、1858年建造のSjaelland
(前者と同型艦?)、1851年建造のThor(1,000t、30ポンド砲12門)、1856年建造のHeimdal(1,170t、30ポンド砲
16門)があり、いずれも、一軸艦で片舷2〜12門の砲を備えていました。

このほか、帆走艦としてWaldemarとFrederikVIがあり、それぞれ30ポンド砲30門と18ポンド砲54門を備え、
Danneborgは、30ポンド砲72門、Thetisは18ポンド砲48門、Rota、Havfruen、Bellonaは18ポンド砲46門、
Tordenskjoldが30ポンド砲44門、Galatheaが18ポンド砲26門、Valkyrienは18ポンド砲20門、Najadenが30ポンド砲
14門、Sagaは18ポンド砲12門がありました。

DanneborgとTordenskjoldは後にスクリューを装備した艦になっています。
前者は1850年建造で、3,057t、改装により1863年にスクリューを装備し、主砲を30ポンド砲72門から60ポンド砲
16門に変更して装甲帯を張って甲鉄艦に種別を変更、後者は1861〜62年に改装を受け、同じくスクリューを
取り付け、1,718t、代償として30ポンド砲を34門に減じています。

更に1860年以降に建造されたのが、1864年に建造された甲鉄艦、Peder Skramで、3,330t、8in砲6門、26ポンド
旋条砲12門を備え、装甲として4.5inの鉄を木造船体に貼り付けたもの、そして、南部連合の発注で英国が建
造中に注文流れとなった甲鉄艦を引き継いだ、4,670t、8in砲12門、26ポンド旋条砲12門の鉄船で、4.5inの装甲
帯を持つDanmarkを1864年に取得しています。

モニターとしては、68ポンド砲4門を旋回砲塔に持つ1,320tのRolf Krakeが1863年に英国で建造されており、
木造Screw Frigateとして、先に書いたJylland(2,420t、30ポンド砲44門)、帆走Sloopとして、1861年建造のDagmar
(1,175t、6in砲14門)、1862年に英国で建造されたAbsalon、Esbern、Snare(516t、6in砲3門で2〜2.4inの装甲帯持つ)、
1862〜63年に建造されたFylla、Diana(550t、6in砲3門)などがありました。

433 :ハウス:05/01/24 23:43:37 0
>>432
眠い人さん、ありがとうございます。
こうして眺めてみると当時のオーストリア海軍をやや上回る勢力≠ニいった感じになるでしょうか?
ただ甲鉄艦(装甲艦)の隻数はオーストリアがデンマークを上回っているみたいですが・・。

434 :権兵衛さん:05/01/28 18:11:38 0

  トラップ「男爵」の父親と息子

  アウグスト・フォン・トラップはドイツから19世紀半ばにオーストリアに移住して
 来て、海軍に入り、ツーラで勤務し、のち軍艦「サイダ」の艦長となった。同艦が地中
 海の航海中に嵐に遭遇して危機に陥ったとき、適切な処置をして艦と乗員を救ったこと
 から「騎士」に叙せられ、フォンを名乗ることになったことは以前に紹介しました。
  その後、1880年4月4日にゲオルグが生まれ、弟ウェルナーが1890年頃に生
 まれたそうです。(この弟の経歴などはまだ詳しく判っていないようです。1915年
 に戦死したこと、その前年に結婚していて娘がいたことくらいですね。次男はこの伯父
 の名前を継いでことになります。また、彼の曾孫たちが「新トラップ一家合唱団」の中
 核となっています。)
  1894年、ゲオルグは海軍兵学校に入り、4年後父が指揮した「サイダ」の名前を
 ついだ「サイダ2世号」という練習帆船に乗り、世界周航航海に出たそうです。地中海
 からインド洋を経て豪州にまで足を延ばしたそうです。中国沿岸を北上して上海へ向か
 う?途中で「義和団」による不穏な動きに警戒した本国からの指令で帰国。軽巡洋艦「
 ツェンタ」に航海士として乗艦。再び中国へ戻り、「北京の55日(篭城)事件」の救
 援活動の一環として上陸作戦に参加、軍歴で初めての勲章を受ける。この戦闘について
 は家族たちに話すことはなかったそうです。

  ところで、脱線しますが「ツェンタ」という名前は、昔は「ゼンタ」と表記されてい
 た所ではないか?と思います。「ゼンタ城の虜」という冒険活劇小説があり、トランシ
 ルバニア地方(よく冒険小説の舞台に使われる地名)にある無名の王国となっていたと
 いましたね。地図を見てもどこにあるのか、判らない。ドラキュラやフランケンシュタ
 インなどもトランシルバニアだったかな?また、マイ・フェア・レディでも、主人公の
 イライザが「貴婦人」と認められるのが、トランシルバニア王国の女王だかのパーティ
 でした。地図にもトランシルバニアという地名はあるのですが、ツェンタは見つからな
 いので、比較的小さな場所だと思いますけど。

  


435 :世界@名無史さん:05/01/28 18:17:35 0
なにかの本で巡洋艦ゼンタだか、軍艦ゼンタだかと言う表記をみて。ツェンタと同じ艦だろうかと疑問に思ったことがあります。
「ゼンタ城の虜」、この本は結構はやったようで亜流がたくさん書かれたそうです。
ターザンや火星シリーズで有名なエドガー・ライス・バローズも「ルータ城の危機」(題名うろ覚え)を書いています。
こっちはもとネタと異なりバローズお得意のハッピーエンドですが。

436 :世界@名無史さん:05/01/29 11:05:34 0
イシュトヴァーンとサイダの
レジンキットを安く手に入れたが
資料が少なくすすまねー

437 :ハウス:05/01/30 00:14:52 0
>>434
軍艦「サイダ」の名前の由来について少々

1840年にエジプトがオスマン・トルコ領のシリアを侵略したのをきっかけとして、
オーストリアはロンドン条約の下英国・プロシア・ロシアと共にエジプトに対抗
する同盟を結んで合同艦隊を結成、このフリゲイト・コルベット艦よりなる合同
艦隊はエジプト軍が占領していたベイルートを砲撃して軍隊を上陸させ、オース
トリア軍は南部の都市「サイダ」を解放することに成功したとありました。
当時はエジプト・トルコ戦争が行なわれている最中で、オーストリアは他の欧州
列強としばしばこれに干渉していたようです。

手持ちの文献をパラパラとめくってみると、このオーストリア艦隊を指揮していた
人物にフレデリック大公やBandiera提督、派遣されたフリゲイト艦にGuerriera、
Medea、同コルベット艦にClemenza、Lipsiaなんかが出てきました。

あとゲオルグが航海士として乗艦した軽巡洋艦「ツェンタ」は20世紀初頭メキシコ
にも派遣され、1867年(マクシミリアン大公がメキシコで銃殺された年)以来途絶
えていた同国との国交回復にも貢献したもようです。

「ツェンタ」の場所に関してですが、ベオグラード北北西約124kmにあるツェンタ
(ゼンタZenta)、という内容をあるサイトで見かけたので、場所はセルビアという
事になりましょうか? この件はギシュクラ・ヤーノシュさんが詳しそうですが。

438 :権兵衛さん:05/01/30 02:23:40 0

  ツェンタ(Zenta)は、現在ユーゴ共和国のセンタ(Senta)だそうです。
 1697年9月11日(!)ハブスブルグ王国で最も優れた軍司令官サ
 ヴォイ公ユーチェンヌがこの場所でオスマン・トルコのサルタン、ムス
 タファ2世の大軍を完膚なきまでに打ち破った戦場とのことです。のち
 の1699年1月26日のカルロヴィッツ条約でハンガリーをオースト
 リアに割譲し、中欧南東部に対するトルコの脅威を取り除いた戦いだそ
 うです。
  
  軽巡洋艦「ツェンタ」は第一次大戦開始早々の1914年8月16日、
 モンテネグロの沖合いで、フランスの装甲艦「クールベ」に遭遇、僅か
 10分で2発の命中弾を喫して沈没したそうです。但し、乗員約300
 人の大多数は救命艇に逃れ、モンテネグロの海岸に生還したようです。

  アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」はツェンタをもじったゼンダ
 だそうです。やはり、小説なので実在の地名を避けたようです。ウィー
 ンやパリなどの押しも押されもしない大都会なら問題はないでしょうが、
 聞きなれない地名では「ほんと」の話と誤解されることを怖れたのでしょ
 うか?

439 :権兵衛さん:05/01/30 02:50:09 0

 ユーゴ方面の地図を見たら、在りました!
  人口は2万人くらいの小さな都市みたいです。
  位置的にはベオグラードの北北西130キロ、ブタペストからは
  195キロ、近くの都市はセグドでその南南西36キロとありま
  す。この近くで日本史でいえば、元禄時代の最中にオーストリア
  とオスマン・トルコの大軍が対決したわけです。数的にはトルコ
  軍の方が優勢だったようですが、近代的な兵器と訓練された兵を
  前に、旧態然としたトルコ軍はなす術がなかったといいます。



440 :通りすがり:05/02/04 23:57:43 0

  そろそろ、「グッバイ、ソーロング、アウフビーダーゼン、グッバイ」に
 なりそうだ。頑張ってや。


441 :世界@名無史さん:05/02/05 00:27:23 0
>>439
峠の群像風にいえば時代は峠を越えたということだな

442 :ウニテス:05/02/06 00:19:19 0
ガンショップをぐぐってたらここに案内されちゃいました…なぜでしょう??
自分もオーストリア海軍ファンなのでこんなスレが有ったのかと
びっくりしちゃいました。

それはともかく、軽巡洋艦ツェンタの艦長は かつてオーストリア
サッカーチームを率いた人物で、かなりアグレッシブナ性格だったと
どこぞの資料で読んだ記憶があります。

沈められたときも、味方の低速巡洋艦を逃がすため単艦でフランス戦艦隊
に突撃していったらしいです。

なにかのシミュレーションゲーム雑誌で読んだと思うのですが、今度探しだし
ときますね。

443 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/02/06 00:51:59 0
権兵衛さま
軍司令官サヴォイ公ユーチェンヌは一般にはサボイ公子プリンツ・オイゲンと
して知られます。元はフランスの貴族で一説にはルイ14世の隠し子とも言わ
れますが、貧弱な体格と醜い容貌(とも思わないのですが)から僧籍に入れら
れることになっていたのに反発し、フランスを捨ててオーストリアに仕えオス
マン帝国戦で目覚しい活躍をして国家の柱石を担う存在にまで栄達しました。
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿は彼の屋敷です。
ツェンタの戦いは彼の対オスマン帝国でも最大の戦果を挙げた戦いで、ハンガ
リー地域から決定的にオスマン帝国を駆逐する結果となりました。

444 :ハウス:05/02/06 18:36:32 0
>>440
まあ日本国内という世間で見ればオーストリア海軍≠ネんて非常にマイナーな、
また世界史的に見てもこのテーマはかなりマイナーな存在でしょうからねぇ・・。
このスレがここまでやってこられたのは、皆々様の努力の賜物だと思います。

私事で恐縮ですが、オーストリア海軍に関するテーマの中では「汽帆走フリゲイト
艦ノヴァラ号の親善・調査航海(1857〜59年)」と「第一次大戦中に司令長官を務
めたアントン・ハウス提督の生涯」の2つに特に関心があります。いずれはこれら
の文献を探し出して精読したいのですが、ノヴァラはともかくとしてハウス提督に
関するモノは見つけるのに苦労しそうでつ。

>>442
ウニテスさんマジですか? それは初耳なんですが・・。
ネタ元がおわかりなら是非教えていただきたいのですが・・。

445 :権兵衛さん:05/02/07 22:19:57 0

 >>443

プリンツ・オイゲン公の本名でしたか、気づきませんでした。

 >>444

 めぼしい伝記といえば、Anton Haus, Grossadmiral, Oseterreich=Ungarishe
Reich, a biography, PG Halpem, 1998 あたりでしょうか?360ページ
  の本ですから、それなりの読み応えはあると思います。

446 :世界@名無史さん:05/02/08 16:28:39 0
オーストリアに破られたオスマントルコが頑張って18世紀初頭から洋式海軍を
作ったのは偉いと思う。何回も壊滅させられているけど、確か1870年頃には
世界第3位の海軍力だったような気がする。

447 :世界@名無史さん:05/02/08 16:29:42 0
↑補足すると装甲艦の隻数でね。

448 :ハウス:05/02/08 23:39:29 0
>>445
さすがは権兵衛さん! 探せば意外と見つかるものなのですねぇ。
どうもありがとうございます。

>>446>>447
それはすごいですね。
第一次大戦勃発時のオスマン・トルコ海軍は、他の欧州列強と比較してかなり貧弱
な勢力だったと思うのですが、装甲艦以降は新しい艦艇を造らなかったり、1911年
の伊土(イタリア・トルコ)戦争で海軍が打撃を受けた事なんかが原因ですかね?

449 :ウニテス:05/02/09 01:58:26 0
>>444
> ウニテスさんマジですか? それは初耳なんですが・・。
> ネタ元がおわかりなら是非教えていただきたいのですが・・。

小一時間部屋の中を探してみたんだけどネタ本がみつかりません…
どこぞの米国版ゲーム本に1Pほど載ってた気がするんだけどなぁ。

とりあえず、身近な資料だけでツェンタ級のお話。
米国アヴァランチプレス社から 「The Great War at Sea」シリーズと言う作戦級海戦ボードゲーム
が出ていまして、そのシナリオの1つとしてこの戦いをシミュレート出来ます。
それによると…
投入された仏軍艦隊は、
弩級艦コルベールとジャンパール
前弩級艦 ダントン級6隻・レピュブリック級2隻・リベルテ級3隻
装甲巡洋艦7隻
駆逐艦11隻
あと英国装甲巡洋艦ウォーリア級3隻にDofエジンバラ
ほぼ仏蘭西の地中海艦隊の全力ですね。
ちなみに不参加の弩級艦コルベール級の残りフランスは14年10月就役で間に合わず
パリも14年8月1日就役ですから現在調整中の真っ最中かと思われます。

指揮官はフランス提督Boue de Lapeyrere(階級不詳)。
彼は先の独逸巡洋戦艦 ゲーベン追撃に失敗した雪辱戦としてオーストリア領
バルカン半島への艦砲射撃および地方軍港に停泊中の小型艦制圧が目的だった
みたいです。

長文すみません。もうすこしつづきますネ。





450 :446:05/02/10 00:47:29 0
>>448さん 
オーストリア海軍の板で脱線してすみませんが

オスマン海軍はレパント海戦以降は技術的に立ち遅れて衰退したと考えられていますが
実際17世紀末まで旧態依然としたガレー船隊ばかりでダーダネルス海峡をベネチアに
封鎖されて敗北したりしています。
カルロビッツ条約でモレア半島(ギリシャ)やイオニア諸島を一時喪失した後に
海軍力再建に本腰を入れ、主に北方戦争で緊密な関係となったスウェーデンから
造船技術者を招いて西洋式帆船の建造を開始します。
後にはフランスなどから艦船を購入し、1768年露土戦争前には80門艦など
戦列艦15隻とフリゲート20隻を保有するまでになりましたが、1770年
チェシメ海戦でロシア地中海戦隊に全滅させられます。
その後はナバリノ海戦(1827)まで壊滅と再建を繰り返しますが、常時十数隻の
戦列艦とフリゲート艦を保持します。
1830年代になると国家近代化を進めるマフムト2世は蒸気船にも興味を示し
小型蒸気砲艦を購入しますが、まだ主力は木造戦列艦でした。
クリミア戦争シノープ海戦で木造フリゲート艦は殆ど沈没しましたが、主力の
戦列艦はコンスタンチノープル在泊で無事だったので、後にスクリュー推進に
改造されたものもあります。 (続く)

451 :446:05/02/10 00:49:21 0
メフメト2世の後継スルタンであるアブデュルメシドとアジズは英仏伊訪問を行い
開発されたばかりの装甲艦に強い感銘を受けて自国艦隊への採用を決めたようです。
1865年から70年にかけて英仏から集中的に購入しています。またエジムト藩王国向けに
フランスが建造していた艦もモハメドアリー家の世襲支配を認める代償に召し上げています。
しかし露土戦争前夜のスルタン廃位事件に海軍将校が加わっていた為、後継のアブデュルハミト2世が
海軍を信用せず、以後は増強更新が全く行なわれず不振に陥ります。
1897年ギリシャとの戦争では、艦隊は出撃しましたが整備不良による機関故障と備砲暴発に
悩まされています。幸いギリシャもたいした艦船を持っていなかったので大事には至らなかったようです。
9000トンクラスの大型艦もいよいよ老朽化が進み、新規建造より安いと騙されて
イタリア・アンサルド社やドイツ・フルカン社で改装されますが結局1914年までに
廃棄されるか宿泊船として使われるだけの惨状に落ち込みました。
1885年以降ゲーベン遁入まで新規建造された大型艦は防護巡洋艦2隻だけでした。



452 :権兵衛さん:05/02/10 01:38:53 0

  19世紀から20世紀のオーストリア=ドイツ諸連邦に関するサイトを
 見つけたので、お知らせをば。内容的には簡潔なものですが、参考にはな
 ります。

   第一次世界大戦の主戦場<海軍編>
  ttp://asahi-net.or.jp/~BF5K-ISN/krieg6.htm

   バイエルン王国
  ttp://asahi-net.or.jp/~BF5K-ISN/index.htm

ドイツ諸連邦の国家・州歌・自由都市歌などいろいろです。


453 :世界@名無史さん:05/02/10 15:29:51 0
スレ違いですが、最近話題のオスマン海軍について。
海文堂「ソビエト海軍」D.W.ミッチェル著(S56)によると、
WW1開戦前のオスマン海軍の主力艦は、
トルゴウト・レイス(1894)&ハイレディン・バルバロッサ(1891)
ともにドイツの旧式戦艦、1万トン・17ノット、11インチ砲6門
メッソウディ(またはメシュディエ)艦齢40年以上
1万トン・14ノット・9.2インチ砲2門
ハミディ&メジディ軽巡洋艦(防護巡洋艦?)
3800トン・22ノット・6インチ砲2門・4.7インチ砲8門
他駆逐艦8、水雷艇9他
開戦後の追加(購入)、巡洋戦艦ヤブス・スルタン・セリム(独巡洋戦艦ゲーベン)
22400トン・27ノット・11インチ砲10門・6インチ砲12門
軽巡洋艦ミディリ(独軽巡洋艦ブレスラウ)
4550トン・28ノット・4インチ砲12門

「世界の艦船増刊第30集イギリス戦艦史」所収の「イギリス製戦艦輸出ノート」中名生正己著によると、1876年テームズ社で完成の中央砲郭艦メシュディエ(幸福をもたらすもの)は、
9120トン・13.7ノット・254ミリ砲12門・178ミリ砲3門(要目の違いは改装?)
なお二番艦メムドゥヒュド(賞賛に値するもの)は、1876年即位の新スルタン、アブドル・
ハミド二世にちなみハミディエと改名したが露土戦争の開戦のためイギリスが買収、
シュパーブとして1906年まで在籍。
周知のとおりイギリスはこの手を何度も使っており、やはり国産しないと駄目ですね。
メシュディエは老兵に鞭打ちギリシア海軍とダーダネルス海峡で交戦、1914年12月に
チャンク沖で英潜B11の雷撃で撃沈されています。

申し訳にオーストリアネタ、「世界の艦船第334集1984.4」収録の各国海軍の現勢その49
オーストリアによると、ドナウ川警備に陸軍大尉指揮の水上部隊が存在。
士官1名、准士官以下13名で国軍施設学校校長の管理化にある。
主力は75トンのニーダーエースタライヒ、75トン・22ノット・20ミリエリコン機関砲1門他
他にオーベルスト・ブレヒト、10トン・10ノット・12.7ミリ機銃1丁
アメリカ製M3巡視艇2.9トンが10隻

454 :世界@名無史さん:05/02/10 15:34:54 0
オーベルスト・ブレヒトって人名ですよね。どんな人物ですか?

455 :世界@名無史さん:05/02/10 16:20:38 0
大日本絵画「第二次大戦駆逐艦総覧」によると、WW1前のトルコ水雷戦力は
1911年時点で仏製デュランダル級駆逐艦280トンを4隻(1909年購入)、
98〜165トン級水雷艇15隻(伊との戦争で5隻喪失)
同年独より購入の新鋭ムヴァネティ・ミレート級が4隻。
607トン・34.5〜36.2ノット・10.5p砲2門・45.7cm魚雷発射管3
1914年英4・仏4・伊6の駆逐艦計14隻を発注するも、WW1開戦により、
仏伊艦はキャンセル、英艦は徴発されています。

456 :権兵衛さん:05/02/10 16:58:50 0

>>454

   ”Oberst Brecht " で検索してください。

    河川哨戒艇で全長12.3メートル、幅2.51メートル、喫水0.75メートル
    145馬力ディーゼル・エンジン2基、速力27キロ/時(最大)排水量10トン
    武装12.7ミリ機銃1丁。ロケット砲弾6発。

    隅田川にでも浮かんでそうな「ミニ軍艦」ですね。「ブレヒト陸軍大佐」なんて
   経歴程度では現地の関係者以外には不明な名前です。「下部オーストリア」を意味
   する Niederoesterreich と共に「ドナウ河の護り」に就いているそうです。

457 :世界@名無史さん:05/02/10 19:13:02 0
ひょっとして20年前と同じ艦?
ニーダーエースタライヒは1970年製、オーベルスト・ブレヒトは建造年の記載なしだったけど。
まあパラグアイなんか1987年時点で1908年製の通報艦、1901年製の交通船(元大統領ヨット)
なぞを使用していたわけですが。
それとニーダーエースタライヒ、当初は12隻建造予定が1隻に、寂しいですね。

458 :権兵衛さん:05/02/10 21:26:42 0

>>457

 その辺の事情は不明ですが、
   ttp://fhs-austria.com/docs/presse/presse_download.html

ttp://www.bml.gv.at/waffen/waf_pion-patrouilenboot.shtml
   を覗いて見てください。
   前者は「懐かしの船艇大集合・2002」というもので、かなり
   下の方に迷彩姿の「オーバルスト・ブレヒト」が写っています。
   ということで、退役したのではないか?と思います。
   後者の方は、軍のHPらしく、ドナウ河を航行する2隻の姿が見
   られます。「ニーダー・エステルライヒ」も「オーベルスト・」
   も「新造」にその名を譲ったのかも知れませんね。456に書い
   たのは、後の方のサイトの情報です。

459 :権兵衛さん:05/02/10 21:40:46 0

  >>445
    アントン・ハウス提督の伝記ですが、
 
Paul G. Halpern 著 " A.Haus, Oesterreich-Ungarns Grossadmiral",
1998 とアマゾンのサイトではなっています。(原題はドイツ語表記)
   ISBN 322212567 (区切りがない)価格は古本で5ドルのようです。

   そういえば、フォン・トラップ家の長女アガーテの本に、ハウス提督の
  娘リサさんの「武勇伝」が書いてあります。(p.312-313)
また、提督の孫のひとり「へルマン・A・ハウス」はアメリカに移住し
  てMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授になったそうです。光学通
  信の分野で優れた業績を残し、「最も影響力のある物理学者100人」に
  も選ばれたそうです。2003年5月22日に77歳で亡くなったとあり
  ます。

460 :ハウス:05/02/11 15:21:30 0
最近話題のオスマン・トルコ海軍ですが、「世界の艦船第262集 イタリア海軍のあゆみ
(1978/12)」の中で伊土(イタリア・トルコ)戦争での両国海軍の戦闘についての記載
がありました。

戦争は1911年9月29日〜12年10月15日まで続きましたが、トルコ海軍は海防戦艦1隻、
水雷艇3隻、砲艦8隻、その他武装ヨット1隻を失ったようです。この内海防艦アヴニ
・イラー(Avni Illah)と水雷艇アンゴラ(Angora)はベイルート港に停泊中の1912年
2月、イタリア艦隊の装甲巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディ&フランチェスコ・フェル
ッキオの攻撃により沈められました。

オーストリア海軍は伊土戦争とは直接関わりがありませんが、この戦争が行なわれてい
る間装甲巡洋艦マリア・テレジアをギリシャ領のサロニカに派遣(同地の利権確保&自
国民の保護が目的)し、また準ド級戦艦エルツヘルツォ−ク・フランツ・フェルディナ
ント、ラデツキー、ズリーニ、軽巡洋艦アドミラル・スパウン、駆逐艦2隻を東地中海
のエーゲ海域に派遣して数ヶ月そこに留まらせていたようです。

ところで伊土戦争時にベイルートのトルコ艦隊を攻撃したイタリア装甲巡洋艦2隻は、
続く第一次大戦中の1915年7月18日にオーストリア領のダルマチア沿岸部を砲撃してい
た所、ルドルフ・ジングレ大尉の指揮するオーストリア潜水艦U4の魚雷攻撃を受けて
ジュゼッペ・ガリバルディは沈没・計50名の兵員が失われております。

461 :世界@名無史さん:05/02/11 19:32:17 0
こういろいろトルコ海軍の話が出ると、やっぱりギリシア海軍についても知りたくなりますね。
スレ違いですけど。

462 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/02/11 21:42:50 0
Ottoman-Turkeyの19世紀海軍に関しては、最近、「オスマン帝国の海運と海軍」という
好著が山川から出ています。
これの縮小版が山川ブックレットになってたか、と。

で、ギリシャ海軍ですが、トルコに対抗して可成りの戦力を保持しています。

装甲艦では、1889〜90年竣工のHydra級(フランス製/4,885t)があります。
これは、砲塔艦として、10.8in34口径砲を2門、10.8in28口径砲を1門装備していましたが、
流石に口径の違う砲では取り回しが難しく、1908〜10年に5.9in速射砲5門に換装されました。
他に装甲艦は1860年代竣工の旧式艦がありましたが、これらは大戦前に退役しています。

その後、Balkan戦争後の軍備拡張の際、ドイツに超弩級艦Salamis、フランスにProvence級の略同型艦を1隻発注していますが、
これらは第一次大戦勃発のため、前者は工事中止(1915年3月竣工予定でしたが、主砲始め武装は米国製だったので、ドイツ
製の砲熕兵器が装備できず(砲塔の口径があわなかった)、接収は免れました。)となり、後者もキャンセルされています。
代わって入手したのが、米国では旧式化した前弩級艦のMississippiとIdahoで、前者がKilkis、後者がLimnosと命名され、軍籍に
入りました。

巡洋艦としては、Balkan戦争直前にイタリアよりPisa級装甲巡洋艦(1911年竣工、9,958t)を買収し、Georgios Averofと命名します。
ちなみに、この艦名は、この装甲巡洋艦を購入する資金、300,000ポンドを拠出した大富豪の名前だったりします。

463 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/02/11 21:43:34 0
この艦は、我が国の日進、春日と同様に、Balkan戦争直前に海軍に編入され、旗艦として活躍しました。
また、余談ですが、第二次大戦でも艦ごとAlexandriaに脱出し、インド洋で船団護衛に活躍した後凱旋し、現在では
記念艦として展示されています。
我が国の三笠並の扱いを受けているわけですね。

巡洋艦はもう1隻、米国製のHelle(1913年竣工、2,600t)があります。
元々は、日清戦争で海軍か壊滅した清朝が発注したものですが、革命で清朝が瓦解し、売りに出されたのをギリシャが
1914年に購入したものです。
この艦は、英国で武装を施す関係上、結構英国に止め置かれ、1916〜17年にかけてはフランス海軍の所属艦として
任に就いていました。

このほかに近代的な軽巡洋艦として、英国にAntinavarhos Kontouriotis、Lambros Katsonisの2隻が発注されましたが、
これらは第一次大戦勃発によって、英国海軍に接収され、Birkenhead級として竣工しました。

駆逐艦としては、ドイツ製のNiki級(1906〜07年竣工/350t)が4隻、英国製Thyella級(1906〜07年竣工/352t)が4隻、
アルゼンチンから買収した、英国製Aetos級(1911年竣工/980t)4隻があります。
これらは、第一次大戦参戦時にフランスの指揮下に置かれ、その旗の下で活動しています。
うち、1隻のDoxaは、Sicily沖でUB47に撃沈されました。
駆逐艦には、更に、英国に発注したKriti級が4隻有りましたが、これらは巡洋艦と同じく、英国に接収されてしまいました。

464 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/02/11 21:44:12 0
水雷艇としては、ドイツ製のAigli級6隻(1913年竣工/120t)がありました。

また、潜水艇として、フランス製のDelfin級2隻(1911〜12年竣工/310t)を保有しています。
DelfinはBalkan戦争において、潜水艇による世界最初の雷撃をトルコの巡洋艦、Medjidiehに対して行っています。
但し、外しましたが。
フランスには、このほか2隻の潜水艦を発注しますが、これらは接収され、Amazone級としてフランス海軍に就役
しました。
更に、ドイツからはU31級潜水艇を4隻購入する話が進んでいましたが、大戦で没になりました。

他に、機雷敷設艇を2隻、砲艦10数隻を保有していました。
このほか、Balkan戦争時には、9隻の仮装巡洋艦を使用しており、うち1隻は、トルコの巡洋艦、Hamidiyeによって
撃沈されています。

ちなみに、戦艦Salamisですが、未完成のまま放置されましたが、1923年にギリシャ政府はこの艦の引き渡しを
拒否します。
これの支払いを巡って、裁判やら話し合いやらが行われ、結局、ギリシャはA.G.Vulcanに対して、建造前に提示
された450,000ポンドのうち、30,000ポンドを支払い、1932年に漸く艦は解体されました。
この艦、先述のように、艦体はドイツのA.G.Vulcan、タービンはドイツのAEG、ボイラーは英国のYarrow、主砲と
副砲は米国のBethlehem Steel、主砲塔は英国で製造されるという国際分業の見本みたいな艦でした。
ちなみに、主砲塔のうち2基は、英国海軍のAbercrombie級Monitorに流用されていました。

465 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :05/02/11 21:45:37 0
最後に、これらだけではスレ趣旨から外れるので…。

ギリシャは1916年に連合軍側に参戦します。

その参戦は可成り特殊で、軍艦は全てフランス海軍旗を掲げ、フランス海軍の指揮下で
任務に就いていました。

で、戦後の軍艦分配に際しては、ドイツ艦と共に、二重帝国海軍の艦も分配されました。
駆逐艦Huszar級である、Ulanがそれで、先に撃沈されたDoxaの代替として、1931年まで
使用されました。
また、水雷艇Tb82F級のうち、Tb92F/94F/95Fが引き渡され、Prousa、Panormos、Pergamos
として使用され、1938年に座礁して失われたPanormosを除き、いずれも枢軸国のギリシャ
侵攻で撃沈されています。

466 :ウニテス:05/02/12 03:47:41 0
>>449 なんかスレの進みがはやいので亀レスになりつつありますが…

つづいてオーストリア軍。
モンテネグロのAntivariに軽巡洋艦ツエンタとSzigetvar←なんて詠むのでしょう?
駆逐艦1隻…ウランですね。
近くのカッタロには 海防艦 モナーク級3隻と軽巡洋艦アスペルン、ウランと同級の駆逐艦3隻
数隻の水雷艇が停泊していました。
カッタロはさすがに造船設備も擁するオーストリアの最前線軍港なだけあって、そこそこな
戦力が置かれていたようです。
ここまでが同ゲームのset up から判断できる情報。

ツエンタ級はコンウェイ「FIGHTING SHIPS」によると、2,300t級三等防護巡洋艦として1900年前後に相次いで就役した艦で姉妹艦はなんて詠むか解らないSzigetvarとカッタロに停泊中のアスペルンの計3隻。2軸推進、石炭専焼缶8,160ihpで速力20.8knt
駆逐艦ウーランは04年度計画艦Huszar級の1隻で389t、2軸推進6,000ihpで28knt…眠い人の
おっしゃってたギリシャ分配艦は彼女の事かと思います。

続く



467 :ウニテス:05/02/12 03:55:50 0
>>466 続き

フランス艦隊の作戦行動ですが、Lapeyere提督の最初の目的地はツエンタが停泊しているAntivarilで、
同港には弩級艦を含む戦艦群に対抗できる防御施設が十分でないのが理由だったようです。
ツエンタを含むオーストリア艦隊と仏蘭西艦隊がどういった経過で戦闘におよんだのかは謎です。
わざわざ迎え撃とうとしたのか?はたまた脱出中に捕捉されたのか??結構調べたのですが資料が無くて…

想像できるのは 13年11月に就役した2隻の弩級艦の最大船速21kntに捕捉された場合オーストリアの2隻の巡洋艦では
振り切る事が出来ないってことで、結果ツエンタが被害担任艦となり僚艦を脱出させたと言う事。
ゲームの特別ルールによると、ツエンタは友軍艦艇のため敵の攻撃を引き留め Lapeyere提督はツエンタ1隻に砲撃を
集中したために他のオーストリア艦隊とのコミットに失敗した と有ります。

海人社の フランス戦艦史にも、約4千mまで近づき500発の弾を消耗してツエンタに数発の命中しか出来なかったと記載されて
ますし、当初の目的である港湾施設への砲撃は中止して帰投しているので、フランス艦隊のこの作戦はけっこうお粗末な結果
であった様に思います。
もっともフランス海軍は弩級艦より速い速力を出せる巡洋艦を1隻も持たないあたり、その創りに問題を抱えているようですが…

一方の勇戦むなしく沈没したツエンタの艦長Paul Pachnerは、初代ウィーンサッカーチームの創設者であり、
生き残ったクルーは英雄として扱われた と捕捉説明にあります。
このへんはオーストリアのプロパガンダですね。

訂正:Lapeyere提督の階級は中将だそうです…と海人社のフランス戦艦史にのってました。
    ちなみに1909年には海相に就任しているので、このお話の時点では直接艦隊指揮はとってないはずです…たぶん。

おわり
    



468 :カラジチ ◆mWYugocC.c :05/02/12 09:07:38 0
>Szigetvar←なんて詠むのでしょう?
多分ハンガリー語で「スィゲトヴァール」。
ハンガリー語szはsにあたるなり。

469 :世界@名無史さん:05/02/14 01:02:00 0
オーストリアって共産圏になる一歩手前まで行ったんだな、知らんかった。

470 :世界@名無史さん:05/02/14 02:14:29 0
オーストリアもフィンランドも事実上東側の勢力圏

471 :ハウス:05/02/15 23:17:39 0
>>466 Szigetvar←なんて詠むのでしょう?

【↓別スレのギシュクラさんのレスをお借りします。】
72 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/04 23:17 ID:mzkwtY68
>69
それはシゲトヴァールですね。このクラスは古戦場の名前のようです。
シゲトヴァールはハンガリー南部にある城(ヴァールは城の意味)で
ズリーニ・ミクラーシュがスレイマン大帝率いるオスマン帝国の大軍
を迎え撃ち、壮絶な玉砕(最期は家族を我が手にかけ、城門を開いて
敵陣めがけ突撃を敢行)をとげた古戦場です。

472 :ハウス:05/02/16 23:22:48 0
>>466>>467
ウニテスさん、レスどうもです。大変興味深く読ませていただきました。
以下は軽巡洋艦ツェンタ撃沈(1914年8月15日)以降のオーストリアVSフランス海軍の戦況ですので、
よろしければご参考にどうぞ。とあるサイトより拾ってみました。

1914年8月15日/沈没した軽巡ツェンタの乗員約300人の大多数は救命艇に逃れ、モンテネグロの
海岸に生還(>>438の権兵衛さんのレス参照)。その後生き残った乗員は1916年1月23日(同月モン
テネグロ降伏)に水雷艇Tb81に乗せられてポーラへ帰還。

8月22日/オーストリアが英仏に対し宣戦布告。
8月24日/カッタロに配備されていた海防戦艦モナーク&ウイーンがMount Lovcenを砲撃。軽巡洋艦
シゲトヴァール(Szigetvar)&駆逐艦UskokeがZupaを砲撃。
8月28日/駆逐艦Ulan、Streiter、Scharfschutze、Uskokeがモンテネグロの陣地を砲撃。 

9月1日/フランス戦艦隊12隻&装甲巡洋艦4隻(含む装甲巡洋艦エルネスト・ルナン)がカッタロ近郊の
オーストリア要塞を砲撃。
9月9日/海防戦艦モナークがBuduaのフランスradio stationを砲撃。水雷巡洋艦パンターがMount
Lovcenを砲撃。
9月17日/海防戦艦モナーク&駆逐艦Ulan、Streiter、Scharfschutze が Antivari南部のモンテネ
グロradio stationを砲撃。
9月18日/ 駆逐艦Ulan&Streiterが約140名の仏軍兵士が上陸していたAntivariを襲撃。
9月19日/海防戦艦モナークがVolovica Pointのradio stationを砲撃。同ウイーンがカッタロ南部の
Sveti Varaを砲撃。

続く

473 :世界@名無史さん:05/02/19 14:48:21 0
18日の朝日夕刊より「トラップ一家、里帰り」。
http://www.asahi.com/culture/update/0218/006.html

でも本国オーストリアではミュージカルもあまり人気が無いようです。
記事中には
>「歴史問題」もある。ミュージカルでトラップ一家は、オーストリア
>を併合したナチス・ドイツに追われてアルプスを越え、イタリアに
>逃げる。ところが現実のトラップ氏は、イタリアのファシストに
>近い当時のオーストリア・ファシズムに共鳴していたと言われる。

>その後、米国に渡り、ナチスの犠牲者として注目されドラマがつくられた。
>オーストリア人にとって、触れられたくない歴史の暗部をつつかれた
>というわだかまりがあるようだ。
とありましたが、これは事実なのでしょうか?

それともアカピのいつものアレなのか?

474 :権兵衛さん:05/02/19 16:51:50 0
わたしを忘れていませんか皆さん?

475 :世界@名無史さん:05/02/19 21:35:39 0
オーストリアの独裁者ドルフスは権威主義者だが、反ナチで暗殺されているので、
トラップがドルフス支持者だったとすれば全然矛盾しないし、むしろ当然のことだが。

476 :世界@名無史さん:05/02/19 21:38:30 0
オーストリアはヒトラー以前も権威主義的独裁国家だった。
キリスト教社会党というカトリック政党のドルフスとかシューシュニクがその代表。
ドイツとの合邦以前が民主的だったわけではない。

477 :ハウス:05/02/19 23:05:53 0
>>472 続き

1914年10月16日/連合国艦隊(詳細不明)がカッタロを砲撃。
10月17日/駆逐艦ScharfschutzeがAntivariの倉庫及び鉄道施設を砲撃。同日フランス艦隊(詳細不明)が
カッタロを襲撃。同日駆逐艦Uskoke&水雷艇Tb13がPunta d’Ostro沖でフランス装甲巡洋艦ワルデック・
ルソーの砲撃を受ける。潜水艦U3&U4が作戦行動に出る。
10月19日/カッタロがMount Lovcen上の仏砲台より砲撃を受ける。
10月21日/駆逐艦Satellitが潜水艦U5(艦長ゲオルグ・フォン・トラップ中尉)と共にカッタロに到着。
同日準ド級戦艦ラデツキー&水雷艇E34がカッタロに到着。目的はMount Lovcen上の仏砲台破壊のため。
10月22日/英仏連合国艦隊40隻(詳細不明)がカッタロ近郊の沿岸部を砲撃。
10月24日/準ド級戦艦ラデツキー、海防戦艦ウイーン、装甲巡洋艦カイザー・カール6世がMount Lovcenを砲撃。

>>474
めっそうもない! 権兵衛さんは今やこのスレの神様的な存在であり、また私の師匠とも呼べるお方です。
最近のレスではやはり>>459が印象的ですねぇ。ハウス提督の娘さんの武勇伝に関しては、もう一度本の内容を
確認してみたいと思います(以前ザッと目を通したくらいなので)。お孫さんの事も大変勉強になります。

・・ちなみに紹介していただいた(大変感謝しております)ハウス提督の伝記本、さっそくアマゾンを通して
購入しちゃいますた。自宅へは3月中旬までには届くとの事なので今から楽しみです。いずれこのスレでも紹介
していこうと思うのでお楽しみに。

478 :世界@名無史さん:05/02/20 03:42:28 0
>473
どちらかといや、トラップ少佐の忠誠心はオーストリア共和国でもオーストリアファシズムで
もなく、二重帝国ただ一つに向けられていたのではないかと、私的に憶測。
そんな彼が新参の権威主義が蔓延る同国に留まったのは、それでも二重帝国の残り香を
感じられるオーストリアだからこそ。
そこへ、旧体制の残り香も感傷も掻き消す外国からの暑苦しいチンドン屋が大挙して押し入
ってきたら…
「臣」ゲオルグ・フォン・トラップがどのような反応を見せるか、外野の私にも大体の想像は
付いてしまう。

479 :権兵衛さん:05/02/20 11:01:48 0

>>474 は「偽者」ですよ。(^o^)

  当日は出かけていたので、「ザ掲示板」には来ていません。
  それにPCの具合が悪くて今朝、やっと接続できました。「偽者」が
  出れば「一人前」とか言いますが、複雑な気持ちですね。

  >>477-478

  情報がお役に立てば嬉しいですね。(さすがにドイツ語の原書を読む気
  力はなくなっているので、紹介を期待しています。)

  ハウスさんも触れているトラップの長女アガーテの本にもありますが、
  トラップ少佐の忠誠心は「消滅した帝国」へ捧げられていて、揺るぐこ
  とはなかったようです。
  
   実在している「トラップ一家」とミュージカルや映画の「トラップ一
  家」とは全く違う話であることは、DVD版のおまけなどに収録されて
  いる「本当のトラップ一家物語」を見ていただけば判ると思います。

     



480 :権兵衛さん:05/02/20 11:04:34 0

  「2チャンネル」と「ザ掲示板」と間違えた!(^0^;;
   昨晩は半徹夜だったので、まだ頭が呆けているみたいです。

481 :権兵衛さん:05/02/20 19:06:08 0

  >>473
 
   伝説と現実との違いでしょうかね? もとを正せば、マリアが軽率に
  自分の一家の伝記に関する権利をドイツの業者に全部委ねてしまったこ
  とから生じた「混乱」ですから。

   1949年に彼女が英語で書いた「一家の自伝記ーー現在では、「サ
  ウンド・オブ・ミュージック」として知られているーートラップ一家合
  唱団物語」(日本では最初に「国境を越えて歌う一家」として、キリス
  ト教カソリック派関係の団体から紹介されています。)の劇化に関する
  権利を2千ドルかそこいらで売却してしまったのです。その権利をアメ
  リカの演劇関係者が譲り受け、ブロードウェーの舞台にされたんですね。
   当初は現実の一家の活動に沿った話にする予定が、途中で一家の名前
  と設定だけーー妻を亡くした退役海軍将校とその7人の子供、そこに家
  庭教師としてやってきたマリアが慕われ、再婚し、ナチドイツとの「併
  合」を受けて、亡命するーーを残して、あとは自由に書き直してしまっ
  た訳です。第2次大戦後、アメリカ民主主義の偉大さと課題を問う作風
  が鮮明に出ていたロジャース=ハマースタインのコンビが最後の作品と
  して1959年に発表した「サウンド・オブ・ミュージック」は優れた
  「アメリカ民主主義、万歳」を見えない背景として、「民主主義に共感
  する人々が、その信条ゆえに迫害され難を逃れ来て集う国が、アメリカ
  である」というメッセージがあるのですね。
   なにせ、「ドイツ語はハプスブルグ家の一方言に過ぎない」なんて、
  言うくらい気位の高いウィーン子にとって、アメリカなんて元植民地の
  ほんの腕力のつよい「ガキ大将」(ドラえもんの「ジャイアン」みたい
  なものか?)の唱えるお題目なんぞ知ったことか、ぐらいなものでしょ
  うね。


482 :473:05/02/23 19:57:44 0
>権兵衛さん
鋭い解説有難うございました。確かに「アメリカ民主主義、万歳」
というお題目が鼻をつくのは致し方ないですね。純真な(?)
子供の頃はそんなものかと映画を見ていましたが、今見るとフーンと
なるんでしょうか。

483 :ハウス:05/02/23 23:53:36 0
>>477 続き

1914年11月2日/ 駆逐艦Csikos、Reka、Velebit、Balaton、Lika (I)、Triglav (I)、Orjen&
水雷艇Tb69Fがリッサ島近海でフランス艦隊に対する監視活動を行なう。 軽巡洋艦ヘルゴラント&
装甲巡洋艦マリア・テレジアも外洋で活動。同日オーストリア飛行艇L5が仏巡洋艦隊を爆撃(詳細不明)。
11月3日/フランス主力艦隊が駆逐艦によるモンテネグロへの物資輸送護衛を残しオトラント海峡へ退く。
11月5日/フランス装甲巡洋艦ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo、レオン・ガンベッタ級の3番艦)が
オーストリア潜水艦U5(艦長ゲオルグ・フォン・トラップ)の襲撃を受ける(場所等不明)。
11月15日/駆逐艦UskokeがAntivari沖で機雷施設を開始。水雷艇Tb16がVolovica南西のモンテネグロ
砲台より砲撃を受ける。
11月18日/駆逐艦UskokeがVolovicaのモンテネグロ砲台を襲撃。
11月19日/フランス潜水艦Cugnotが偵察目的の為にカッタロ湾に侵入するものの追い払われた模様。
11月25日/フランス海軍使節が砲台等を残しモンテネグロより撤退。
11月28日/潜水艦U5(艦長ゲオルグ・フォン・トラップ)がモンテネグロ帆船Fiore Del Mareを
捕獲(場所等不明)。

>>479
そうでしたか・・・。
まんまと474さんに乗せられてしまったわけですな。
ただ>>477のレスはお世辞ではなく本音ですよ。
それに紹介を期待してくれる人がいると、こちらとしてもやりがいがありますしね。

484 :権兵衛さん:05/02/24 00:36:11 0

>>483

  >それに紹介を期待してくれる人がいると、こちらとしてもやりがいがありますしね。

   大いに期待しております。過去の書き込みでもお判りのように、愚生はもともと第
  一次大戦に関してはほとんど知識がありません。たんに若き日に映画「サウンド・オ
  ブ・ミュージック」に熱中して、現実のトラップ一家について関心を抱いてそれなり
  に調べていただけのことです。その延長線上に「帝政オーストリア=ハンガリー海軍」
  への知識も若干得たに過ぎませんから、今後も手持ちの資料で目ぼしいものがあれば
  アップはします。でも、さすがに乏しくなってきたので「ROM暮らし」にならない
  ように努力はしますね。(さてさて、WW1のサイトの捜索に出かけねば・・・。
  。。。。。サァサァサァ〜サァッと、小走りの音、ドカァ! と「躓いた」音!
  やはり年は取りたくないなァ〜と嘆く声。でも、誰もがたどる道だし、開き直って歩
  むしかないなァ、と居直ったのか悟ったのか判らない声・・・。)

   映画がらみの話としては、家永知史(いえなが・さとし)という人物が書いた岩波
  ジュニア新書の「映画で見る世界史」という中で、この映画の主人公のひとりゲオル
  グ・フォン・トラップ少佐に関する「爆笑」ものの記述があるのですが、稿を改めて
  アップさせていただきます。(今日のところは時間がないのと、元の原稿を確かめて
  おく必要があるので。)

485 :ハウス:05/02/27 22:58:29 0
>>483 続き

1914年12月3日/(イタリア軍がオトラント海峡右岸のヴァロナを占領。)
12月6日/駆逐艦Satellitが潜水艦U12(艦長エゴン・レルヒ)を伴いカッタロ湾に到着。駆逐艦Wildfang、
Turul、Huszarがリッサ島南西部で作戦行動に出る。
12月13日/(英潜水艦B11がダーダネルス海峡でトルコ戦艦(中央砲郭艦)メシュディエを雷撃。>>453
レス参照・地中海域で潜水艦の雷撃を受けた最初の艦との事。)
12月16日/フランス潜水艦キュリー(ブルメール級16隻のうちの1隻)が同装甲巡洋艦ジュール・ミシュレ
に牽引されてオーストリア領のペラゴサ島沖に到着。
12月19日/キュリーがオーストリア水雷艇に続きポーラ湾に強行突入。
12月20日/駆逐艦Satellitが防潜網に引っかかったキュリーを発見。駆逐艦Turulも彼女の捕獲に参加。
潜水艦U12がカッタロ湾を離れて哨戒活動を開始。
12月22日/駆逐艦Balatonがペラゴサ島沖で哨戒活動を行なう。
12月25日/オーストリア潜水艦U12(艦長エゴン・レルヒ)がオトラント海峡のサザン島沖で船団護衛を
していたフランスド級戦艦(旗艦)ジャン・バールに対し魚雷攻撃を行なう。2本の魚雷は艦首に命中し、
戦艦は沈没は免れたものの傷を受けて地中海の英海軍基地マルタへ退却。これと同時に海峡を封鎖してい
た仏戦艦隊もイオニア海のキファリニア島へ引き下がる。[ジャン・バールは先の8月15日の海戦でオー
ストリアの軽巡洋艦ツェンタを沈めている]
12月25日/(イタリア軍がEssad Pashaの反乱のためアルバニア沿岸部のドウラッツオを占領。)
12月31日/(イタリア軍がヴァロナを再占領。)水雷艇Tb54Tがセベニコ沖で敵潜水艦を捜索。

おわり

>>484
ありがとうございます。権兵衛さんのレスも楽しみにしておりますので、
これからもよろしくお願いします。

486 :権兵衛さん:05/03/01 21:53:45 0

  どうも、2チャンネルでは少し長い文章は入らないので、「爆笑」ものの場面だけを
 取上げておきます。「一方、映画の中でナチスに逆らって家族を引き連れて国外へ亡命
 したトラップ大佐とはどんな人でしょうか。現実のトラップは貴族出身のオーストリア
 海軍の武勲ある退役将校(少佐)で、彼の政治的立場は「オーストリアの支配権をめぐ
 ってナチスと争い」敗れた、オーストリア・ファシズムともいうべきシュシュニック体
 制の支持者(増谷英樹「歴史の中のウィーン」)でした。
 その証拠に、映画の中でもトラップ大佐は、パーティのシーンでオーストリア・ファ
 シズムの記章を首から下げています。」(p.134-135)

  典型的なイデオロギーの眼鏡を通したまるっきりの「政治的思い込み」による記述で
 すね。(^o^) 多分、著者はマリアの自伝での「アンシュロス(併合)」を知ったゲオ
 ルグがシュシュニック首相あてに「貴殿に神のご加護のあらんことを。オーストリア万
 歳!」という電文を送ろうとしたことと、娯楽映画の「小道具」でしかない勲章がたま
 たま「オーストリア・ファシスト党」のシンボルマークと同じだったことをもって、上
 のような記述を「大真面目に書いた」ようです。


487 :世界@名無史さん:05/03/01 21:55:04 0
糞スレなのでsageますね

488 :権兵衛さん:05/03/01 22:09:40 0

  「映画に描かれたことと現実は違っていることに気をつけること」と注意して
 いる著者が見事に「思い込んで」いる例でしょうね。現実のトラップは1930
 年代早々に「大恐慌」のあおりをうけて、莫大な預金を全て失ったこともあり、
 政治的な活動などに係る余裕はありませんでした。せいぜい、ザルツブルグ地域
 での在郷軍人会の会長を務める程度でした。家族が1936年の音楽祭の「アマ
 チュア合唱部門」で優勝したのを機に「プロ活動」を開始したこと、その追い風
 となったのがシュシュニックの要請による「オーストリアの心を取り戻す運動」
 の一環としてラジオ全国放送で歌ったことぐらいで、政治的な動きはしていませ
 ん。戦間期のオーストリアを扱った本でもトラップの「ト」の字も出てきません。
  史実に忠実でないことは結婚式でのゲオルグの礼装を見れば判ります。アガー
 テの本にでてくる1935年ごろのゲオルグの軍服姿の写真とは似ても似つかな
 い代物です。
  プロパガンダの意図を持って書かれた文章の典型ですね。
  本スレッドの趣旨から離れるので、こんなところで止めにしておきます。

489 :傍観者:05/03/05 19:17:39 0

  単に age るだけ。

490 :ハウス:05/03/09 22:36:32 0
いきなり質問なんですが、第一次大戦中のドナウ川部隊(河川艦隊)の戦歴について
ご存知の方っていらっしゃいますか? いつ(何年に)・どこで・誰が(どの艦艇が)
・どうした(どのような戦闘を行なった)。というような形で・・

たとえば1914年7月28日から29日にかけて(オーストリアがセルビアに宣戦布告した
ちょうど1時間後)、ドナウ川河川砲艦Temes、Bodrog、Szamosが隣接するセルビア
の首都ベオグラードへ砲撃開始。などというように・・

・・とりあえず自分でも調べてみようと思います。

491 :ハウス:05/03/11 21:14:43 0
ちなみにドナウ川の河川部隊は1440年に創設されたようで、17世紀から18世紀に
かけては小艦隊を編成・当時同河川を境に国境を接していたオスマン・トルコか
らの攻撃に備えていたようです。

・・ということは、当時のオスマン・トルコもドナウ川に河川部隊を持っていた
のかしら?

492 :権兵衛さん:05/03/12 21:30:51 0

  ハウスさん、お久しぶりです。

  ドナウ河川艦隊についてのサイトは
  略歴については、
   「オーストリア=ハンガリーの戦闘艦艇写真集第2巻」バウムガルトナー&
   ジーヒェ共著からの抜粋を原文の独文から英文に翻訳したものが、
   ttp://www.gwpda.org/naval/daunbe.htm

  河川艦隊の個々の艦船については、
   tt://stile.covnetry.ac.uk/cbs/staff/beach/ahnavy/DonFlot.htm

に簡単な戦歴めいたものがズラーッと出ています。 


493 :ハウス:05/03/13 21:32:08 0
>>492
権兵衛さんこんにちは、そして貴重な情報をありがとうございます。

実は以前見つけたThe Austro-Hungarian fleet:River craft≠ネるサイトにも、
492で紹介して頂いた艦船・Monitorクラスの艦艇図&その戦歴が載っていたのですが
、今はどういうわけか見つからない(見られない)みたいで・・・。

・・ところでバウムガルトナーといえば、昨年のF1・ミナルディチームにも同名の
ハンガリー人ドライバーがいましたね。スレ違いですが・・。

494 :世界@名無史さん:05/03/20 04:58:27 0

持続のために age

495 :味噌:2005/03/22(火) 23:50:56 0
板違いすいません、
「レパントの戦い」って英語でなんて書くんですか?

496 :味噌:2005/03/22(火) 23:53:47 0
またまたすいません、1588年にイングランドとスペイン間で起こった海
戦の名前を英語で書くとどうなるんですか?



497 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 00:10:08 0
板違い云々の前に、なぜそれをオーストリア海軍スレで聞くのかがわからない。

498 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 16:55:40 0

  >> 495-497

  オーストリア=ハンガリー帝国海軍の栄光の時
  「リッサ沖海戦」であるとしておきましょうよ。
 「インヴィンシブル何某」については勝手に調べてよってなところで。

499 :権兵衛さん:2005/03/24(木) 02:56:32 0

  いま、しばらく資料の収集の時間的猶予が要るな。

500 :世界@名無史さん:2005/03/24(木) 02:57:26 0

  ハウス提督と権兵衛さんに

501 :権兵衛さん:2005/03/24(木) 02:59:26 0

  なにやら、同調の挨拶があったみたい。オーストリア海軍史、
 いましばらく時間が欲しいのは事実だな。

502 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 01:29:16 0

  単なる応援のための
age

503 :ハウス:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 23:53:13 0
このスレができてから今日でちょうど1年ですねぇ。
大変喜ばしいことで・・。

さて、以前アマゾンを通して注文したアントン・ハウス提督の伝記 "Anton Haus:
osterreich-Ungarns Gro Admiral 1913-1917" ですが、商品がまだ確保できて
いないとのことから自宅に届くのが4月中旬以降になりそうです。

・・ところでこんなスレを偶然見つけてしまいました。なかなかおもしろい内容な
のでよろしければどうぞ。↓
〔第二特務艦隊について マルタの礎 〕
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1086253240/

504 :世界@名無史さん:2005/04/10(日) 02:48:10 0

単に age のため。ハウスさん、権兵衛さん、ネタ切れ?それとも、休養中?
 その他の人もがんばってね。

505 :ハウス:2005/04/14(木) 00:24:01 0
>>504
ネタはあるんですが、常連以外の方のレスを期待しておりまして・・・。
興味のあること、気づいたこと、何でもいいからカキコしてほしいなぁ。

あとオーストリア海軍に興味・関心のある方ならどなたでもよいので、この
スレを運営・コーディネートしてくれる人の降臨もひそかに期待しておりまつ。

506 :朱由檢:2005/04/14(木) 00:29:41 0
前近代は海戦が少ないのに海軍力を増強するのは植民地獲得のため?
それとも防衛のため?

あと、完全に内陸国化した現在のオーストリアに海軍はいるのかな?

教えて、エロい人!!

507 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 02:03:30 0
いまは陸軍にドナウ河部隊があるだけやね

508 :朱由檢:2005/04/14(木) 21:25:50 0
>>507
やっぱり海軍はないんだね、残念だな。
艦隊もドナウ河向けのスケールなのかな?

509 :ハウス:2005/04/15(金) 23:53:57 0
>>506
これは第一次大戦前の時期の事ですかな?
それでしたら「防衛」が主目的です。

当時のオーストリア帝国の仮想敵国はアドリア海を挟んで対峙する
イタリア王国でしたので、それに対抗するために戦艦から巡洋艦
駆逐艦 水雷艇 潜水艦にいたるまで各種取りそろえていました。

あとオーストリアは海外植民地は保有しておりませんでした。

【保有する軍艦 1880〜1914年(排水量 トン)】
       
1880年  1890年  1900年   1910年  1914年

オーストリア  60,000  66,000  87,000  210,000  372,000
イタリア   100,000  242,000  245,000  327,000  498,000

510 :朱由檢:2005/04/16(土) 00:20:57 0
>>509
サンクス、ハウスさん。
このスレを最初から読み返してたんで、
すごい詳しい人だなって思ってました。
回答貰えてうれしいな。
参考にします。

511 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :2005/04/22(金) 23:23:56 0
トラップ少佐のフィギアだそうです。
ttp://www.panzermodellbau.com/index_at.html?gal_trapp.html&1
二重帝国海軍愛好家には必須?アイテムかも??

512 :世界@名無史さん:2005/04/23(土) 02:52:12 0

トラップの名前を関した軍事大学校があったんだが、その資料を探さねば。

513 :ハウス:2005/04/23(土) 17:45:00 0
>>510
いえいえどういたしまして。
特に詳しいというわけではないのですが、自分の回答がお役に立てれば
こちらとしても素直にうれしいです。(遅レススマソ。)

>>511
お久しぶりです。
フォン・トラップ少佐のフィギアとはシャレていますね。あと同じサイト
にある軽巡洋艦ツェンタの水兵らしきフィギアもなかなか・・・。

・・とりあえず貼り付けておきます。
ttp://www.steelnavy.com/Radetzky.htm
オーストリア帝国海軍の準ド級戦艦「ラデツキー」の1:700模型
ttp://www.infoseek.co.jp/Honyaku?pg=honyaku_top.html
(こちらのweb翻訳を使うと上記サイトの日本語訳がでてきます。)

514 :権兵衛さん:2005/04/26(火) 00:38:18 0

  >> 512

 前に書き込んだと思うが、「オーストリア連邦共和国マリア・テレジア
 軍事大学院」の「1997年度記念士官」にトラップが選ばれたことだろ
 うね。
  いろいろと忙しくて、書き込むネタ探しもままならいのが残念だな。

515 :権兵衛さん:2005/05/03(火) 23:21:08 0

  そろそろ、挙げておかないと、消えそうなので、

age


516 :ハウス:2005/05/08(日) 19:28:15 0

権兵衛さんに引き続きage
さすがにデータ落ちはもったいないよねぇ。

個人的には2ちゃんねるだけに頼らずに、どなたかが作成・管理する同海軍
専用サイト?の掲示板かなんかに、皆がいろいろと書き込めるようになれば
と思うのですが・・やっぱ難しいかな?

さて、スレの燃料にはなりにくいですが、マイナーネタを一つ。

1895年にオーストリア海軍の砲艦「アルバトロス(Albatros)」が地質学者のHeinrich
Foullon von Norbeeckらを乗せて太平洋のソロモン諸島へ向かいました。しかし1896年
5月にFoullonは同諸島のガダルカナル島で原住民の待ち伏せ・襲撃にあって死亡。その
後アルバトロスから派遣されたオーストリア軍は原住民との小競り合いを展開し、オー
ストリア側は兵学校の士官候補生1人と水兵2人が殺され、数名が傷を追ったようです。

その後オーストリア砲艦はオーストラリアのシドニーを訪問して数ヶ月滞在したのちに
シンガポールとインド洋経由で帰国の途につきました。これは当時のオーストリア産業
界と海軍が南太平洋諸島に関心を抱き、調査隊が派遣された折に起きた出来事です。

517 :ハウス:2005/05/08(日) 20:01:41 0

権兵衛さんに引き続きage
さすがにデータ落ちはもったいないよねぇ。

個人的には2ちゃんだけでなく、どなたかが作成・運営する同海軍に関する
サイトの掲示板あたりに、皆が書き込めるようになればと思うのですが・・
難しいかな?

さて、スレの燃料にはなりにくいですが、マイナーネタをひとつ。

1895年にオーストリア砲艦「アルバトロス(Albatros)」が地質学者のBaron
Heinrich Foullon von Norbeeckらを乗せて南太平洋のソロモン諸島へ向かい
ました。しかし1896年5月に、Foullonは同諸島のガダルカナル島にて敵意を
持つ原住民の待ち伏せ・襲撃にあって死亡。その後アルバトロスから派遣さ
れたオーストリア軍は原住民と小競り合いを展開し、オーストリア側は兵学
校の士官候補生1人と水兵2人が殺され、数名が傷を負ったようです。

その後オーストリア砲艦はオーストラリアのシドニーへ立ち寄って数ヶ月間
滞在の後にシンガポールとインド洋経由で帰国の途につきました。これは当
時のオーストリア産業界と海軍が南太平洋諸島に関心を抱き、調査隊が派遣
された折に起きた出来事です。

518 :ハウス:2005/05/22(日) 11:02:57 0

このスレもその使命を終えつつあるようなので一言
(ではなくなってしまいましたが)。

忙しくてなかなかレスできない人もいらっしゃるようなので、
また新たにレスしてくれる人もめっきり減ったようなので、
なんとかデータ落ちを避けようと時折レスしてきましたが、
やっぱ寂しいなぁ。

だからといって、スレ維持を目的としたレスをこれ以上続けるのは空しいだけなので、
無駄なあがきはやめてこのスレの行方を見守ろうと思います。

私事で恐縮ですが、今後は手持ちのオーストリア海軍のしかるべき文献の精読を推し進めつつ、
同海軍の中で最も関心のある「フリゲイト艦ノヴァラ号」&「アントン・ハウス提督」を究め
ていきます(まあ趣味の範囲を超えるものではありませんが・・)。

そして近い将来、このスレでお世話になった人やオーストリア海軍に関心のある人達に、何ら
かの形でフィードバックできればと思います。それは2ちゃんという掲示板を通してではない
かもしれませんが・・。

というわけで権兵衛さん・ギシュクラさん・眠い人さん・maro,さん・へんくつ海軍好きさん、
ウニテスさん・カラジチさん・その他の皆さんお世話になりました。

またこのスレを私物化してしまっていたことは反省いたします。


・・なーんて言っておきながら、近いうちにまた皆さんとお会いするかも・・。

519 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2005/05/22(日) 16:16:47 0
>518
いあ、単純に今暇がないのでレスできず状態な訳で…。
某板の手前のスレ保守で手一杯で、なかなかこっちまで、進出出来んとです。

来月くらい、時間が欲しいなぁ。

520 :世界@名無史さん:2005/05/22(日) 21:24:43 0
楽しく読ませていただいてはいるものの、
資料がゲームしかないでございます。

>>519
東欧の軍隊スレでしょか?

521 :権兵衛さん:2005/05/23(月) 01:54:03 0

 そういえば、CWニコル氏の新作では第一次大戦時、地中海に派遣された
 日本艦隊、マルタを母港として二重帝国、ドイツ帝国の潜水艦U−ボート
 と戦う話が主になっていますね。時間があれば、内容と史実を対比させた
 一文が書けるのだけど。夏休みあたりが希望の刻[とき]なのかな?何か
 野暮用が入るのもこの時期なんで、心配もしています。

522 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 14:02:25 0
テゲトフの時代にバルト海くんだりまで行って
デンマークと海戦やってるのに驚いた

523 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :2005/05/28(土) 23:04:00 0
ハウス提督閣下
なかなかネタもないですが、奥も深いので短慮は禁物です。
二重帝国の駆逐艦の鮮明な写真を発見いたしましたぞ。
ttp://people.freenet.de/kriegsmarine/huszar%20klasse.htm


524 :ハウス:2005/05/29(日) 22:05:19 0
>>519
眠い人さん、どうも。
自分は他の方と比べて比較的時間がある方だと思うんですが、
皆さんの事情がわからなかったので、ちと焦りがあったようです。
東欧スレの方は時折見させてもらっておりまつ。

>>520
そうですか。それでもこのスレに興味があって読んでくれている
というのはやっぱうれしいですね。

>>521
権兵衛さん、それは楽しみです。
メンタル面でイッパイイッパイ?の自分は、手持ち文献を翻訳する
だけでやっとですが、いずれはあなた様のようになりたいです。
このスレも夏まで生きながらえてほしいですね。

>>522
このスレでも眠い人さんや権兵衛さんが同海戦についての詳細なレス
をしてくれていますが、お読みになりましたか?

>>523
ギシュクラさん、サンクス。
確かにちと焦りすぎたようです。スレ維持も大切ですが、奥が深い
このテーマ、焦らずにいっしょにじっくりと楽しみましょう。

・・そういえば以前注文したアントン・ハウス提督の伝記本ですが、
なんかどの仕入先からも入手できないとの事なので、ひとまずおあ
ずけみたい。

525 :権兵衛さん:2005/05/31(火) 01:01:42 0

  ハウス閣下、こんにちわ。

  ま、気楽に行きましょう。いま、ここの軍事板で「ミッドウェー海戦」
 についての議論が白熱しております。しかし、この海戦について、それ
 なりに「首を突っ込んでン十年」の経歴をもつものの感想としては、そ
 の「熱意」には感心するものの、レベル的にはこちらのそれより数段落
 ちるものといわざるを得ませんね。「新参者」が参入しやすい問題でも
 あるので、当然かも知れませんが、それにしても英文の文献にあたって
 発言している人が皆無なのには驚きというより、落胆させられますね。
  ここの板なら、英文はもちろん、独文や仏文、露文、さらにはハンガ
 リーやポーランドなどの言語にも通じている方が発言しているせいかも
 しれませんね。もっともそうした言語に関してある程度の知識がないと、
 歯が立たない分野であることも確かですけどね。
  せっかくの分野ですから、肩の力を抜いてのんびりと「スレ落ち」し
 ないようにいきましょう。
  二コル氏の新著は図書館にリクエストを出しているので、入荷すれば
 早めに読んでみたいです。
  「ハウス提督伝」の入荷が遅れているとの事、残念ですね。たぶん、
 初版で1000部かその辺りの出版だと、古書市場でもあまり流通しな
 いのかも知れませんね。ドイツで見かけた本では500部なんてのも、
 よくありました。そのせいかやたらと価格が高い本が多い印象がありま
 したね。

526 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 00:58:39 0
このお店↓
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~mbfw/cd_aust.html
に、クリークス・マリーネ軍楽集「Historische Ma"rsche der k.u.k. Marine」
(ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~mbfw/y_OST-168.htm)が入るのを、心待ちにしている
のですが…中々入りませんなー
(注文しての取り寄せは個人的に抵抗がありまして。注文した後に目当ての品を別口店
頭で見掛け、注文品の到着はその一ヶ月以上後だったという、屈辱的な仕打ちを受けた
過去があるのです)

527 :権兵衛さん:2005/06/01(水) 20:03:59 0

  たまたま、本棚を整理していたら「北京燃ゆ――義和団事変とモリ
 ソン」(ウッドハウス・暎子著・東洋経済新報社・1989年)とい
 う本が出てきました。このスレでずっと以前に話題になった「謎」の
 オーストリア海軍士官フォン・トーマ(中佐)が登場していたので、
 そこの部分を、少しばかり――しか書かれていない――紹介します。

  「(1900年)6月20日午後4時、最期通牒の時間切れに始ま  
 った義和団・清軍の砲撃は翌朝まで休みなく続いた。(中略)オース
 トリア館は1日ももたなかった。一両日の激しい砲撃に参ったオース
 トリア兵は海軍中佐フォン・トーマンの指揮の下、さっさとフランス
 館に退却した。(この)オーストリア館の早期放棄を正当化する充分
 な説明はなかった。トーマンの弱腰は続き、彼はイタリアにも勧めて
 一緒にフランス館に入った。(中略)先に、トーマンは、自分の中佐
 という兵位の高いことを理由に、自ら篭城軍総指揮官を任じていたが、
 この失策のため総指揮権は各国公使の総意のもとに(イギリス公使)
 マクドナルドに譲られることになった。」(p.105-106)

  このトーマン中佐は7月7日に砲撃のために戦死したと、あります。
 (p.128)

「義和団事件」、「北清事変」などと呼ばれているこの事件につい
 ては直後にかなりの日記や体験談、回顧録などが出版されたようです
 が、なにしろ百年も前の話になっているので、捜すのは苦労するのは
 間違いないです。


528 :ハウス:2005/06/04(土) 13:32:47 0

だいぶ前のネタですが>>296でレスした内容の補足です。

米西戦争が勃発したちょうど1ヵ月後の1898年5月、当時オーストリア海軍長官&艦隊総司令官
を務めていたヘルマン・フォン・スパウン提督は、装甲巡洋艦「カイゼリン ウント ケイニギン
・マリア テレジア」(艦長ジュリウス・フォン・リッパー)をカリブ海の西インド諸島に派遣
しました。その目的は同地にあった自国の権益の保護で、また必要に応じこの地域(米西戦争の
戦域)より自国の領事やその他の国民を非難させるという使命も持っていました。

ところで不運にもこのオーストリア艦は、当時同諸島のキューバに派遣されていたスペイン海軍
の装甲巡洋艦「インファンタ・マリア テレサ」と外観がそっくりで、掲げている国旗も類似、
おまけに一時スペイン艦隊と行動を共にしていたらしいのです。そこで悲劇が起こりかけました。
7月3日の早朝、オーストリア海軍の装甲巡洋艦「マリア テレジア」はキューバのサンチャゴ港
を出港しましたが、当時港内にはスペイン艦隊が存在し、アメリカ艦隊はその封鎖活動をしてい
る最中でした。

この少し後スペイン艦隊も出港してアメリカ艦隊と交戦(実際には一方的に追跡された)しまし
たが、アメリカ側はまだ同海域にあったオーストリア巡洋艦「マリア テレジア」をスペイン艦と
思い込み、その後数時間に渡りひそかに追跡し、アメリカ側の10300トン級戦艦「インディアナ」
はまさに発砲寸前の状態でした。その直前にインディアナの艦長が間違いに気付いたようですが。

この難を何とか切り抜けたリッパーの「マリア テレジア」は、多数のヨーロッパ人やラテンアメ
リカ人が避難している同諸島のジャマイカに向かい、8月の停戦・戦争終了ののち帰途に着いたと
の事です。

その後この艦艇は1900年の義和団事件の時には中国海域にも派遣され、同地で軽巡洋艦「ツェンタ」
などと合流していますが、この時期同軍艦を指揮していたのがアントン・ハウスでした。義和団事件
については権兵衛さんがトーマン中佐がらみの詳細なレスをしてくれていますが、自分もハウスがら
みでちと調べてみることにします。

529 :権兵衛さん:2005/06/10(金) 01:44:53 0

「侵攻」が早いので、とりあえず、age.

530 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :2005/06/12(日) 20:21:54 0
PDFでホルティ提督の回想録が読めます。
ご参考までに。
ttp://www.hungarian-history.hu/lib/horthy/horthy.pdf

531 :世界@名無史さん:2005/06/15(水) 12:04:39 0
神聖なる二重帝国sage

532 :権兵衛さん:2005/06/16(木) 17:15:20 0

Heil! Der heilige Vaterland und der Kaiser und Keonig!

533 :ハウス:2005/06/19(日) 21:42:06 0
>>530
ホルティ提督に関しては、個人的には第一次大戦前の海軍での経歴に関心がありまして、
士官候補生や航海士としての体験談?や、スパウン、ハウス提督などとの関係・やりとり
なんかを意識して読んでみるのもおもしろいかも。

534 :世界@名無史さん:2005/06/19(日) 22:31:03 0
質問です。
ロシアの北、北極海にオーストリア皇帝の名前が冠せられた
島がありますが、何故オーストリア皇帝の名前が遠く離れた北極海と
関係があるのでしょう?
勝手な推測ですが、カナダにもプリンスオブウェールズという
島があることから、ひょっとすると島を発見した艦船の
名前が島の名前になる。という慣例でもあるのでしょうか?


535 :ハウス:2005/06/19(日) 23:33:24 0
>>534
慣例のことはよくわからないのですが、参考の一つとして次のサイトがあります。

氷と闇の恐怖
ttp://members.aon.at/hwien/bgk/2003/cr1.html

536 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 00:28:38 0
>534
>ひょっとすると島を発見した艦船の
>名前が島の名前になる。という慣例でもあるのでしょうか?
1873年にフランツ・ヨーゼフ群島を発見したのはパイヤー大尉率いるオーストリア探検隊だったけど
彼らの乗艦の名前は「アドミラル・テゲトフ」だった。
カナダのビクトリア島のように国威掲揚の一環として主君の名前を名付けたわけ。

537 :権兵衛さん:2005/06/24(金) 21:46:49 0

地理学(天文学でも同様)、「新発見」をした者が「命名権」を
 持つのが普通ですから、ちょうど「第2次大発見時代」だったの
 でそうした名前が付いたのでしょう。
  そういえば、南極探検で知られたシャクルトン卿の伝記映画で
 は、新発見した場所にスポンサーの名前を冠すると言って、探検
 資金を募集していました。第1次大戦の頃の話です。出航直前に
 大戦が始まり、従軍すべきかどうか悩んだりしてました。結局、
 「老いぼれ水兵が戦場に来るより、未知の大陸での発見の方が国
 民の士気を高める」と判断した時の海軍大臣ウィンストン・チャー
 チルからの電報「Proceed! (進め!)」を受けて、南極を目指す
 ことになります。氷に閉じ込められて大変な目に遭うのですが、
 それはここの話題とは違うので、そちらの方を当たってください。

538 :ハウス:2005/06/25(土) 14:01:08 0
ニュージーランドの奥地にも「フランツ・ヨーゼフ氷河」なるものがあるみたいだけど、
これも上記のような経緯でついた名前なのかな?

539 :ハウス:2005/07/10(日) 16:49:07 0

ひとまず、age

540 :権兵衛さん:2005/07/12(火) 01:11:55 0

  おお、水没を免れていたか!
  昨日は見つからなかったので、ついに「ツェント・イシュトバーン」の
 運命をたどったのではないかと危惧しておりました。まずはage


541 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2005/07/26(火) 20:21:43 0 ?#
久々に水没逃れのカキコ。

福井静夫の二重帝国海軍戦艦評なぞ。

それは、英国系の技術を基とし、またその戦艦の性格は極めて英国のものと類似している。
アドリア海と言う制限された作戦海面のために、その装甲艦(戦艦)は、(1)伊海軍の対応艦を目標とした。
(2)作戦海面の特徴である多島嶼、狭水路の運動に適するよう、比較的小型、高速を目的とし、主砲、副砲の配置に苦心の跡が見られる。

英国式装甲艦は、多年二重帝国海軍の中核であって、ポプラーのサミューダ造船所で外国向きに多数建造された、所謂、エドワード・リード
式装甲艦の系統であり、我が扶桑(初代)や、当時のトルコ戦艦の多数と同系統のものである。

二重帝国の戦艦の特徴として、
 (1) リッサ海戦以後、特にラムを重視し、頑丈、かつ著しい艦首の突出ラムを有し、また重砲(主砲及び準主砲)の前方射撃を良好とした。
    その門数の50%以上は前方に発射可能である。この傾向は、第一次大戦時の弩級艦、即ち最後の主力艦まで一貫している。
 (2) 第一次大戦時の弩級艦は三連装30cm砲塔4基を背負式として搭載し、近代戦艦の主砲配置として、断然進歩した方法を率先して採用、
    当時の列強海軍の注目の的となった。
    しかし、主砲の爆風が強く、また、その機構の作動など、色々の欠点があったようで、次いで第一次大戦末までに計画された(設計のみ)
    新大型戦艦及び巡洋戦艦は、この方式を廃止し、大戦前のドイツ戦艦の要領に近い方法にと転換を意図しつつあったようである。
    (一方ではドイツ海軍は二重帝国海軍式の「Michigan」配置へと転換しつつあった。

以後、色々興味深いことが書いてあるので、ちょこちょこ保守的に書いていく予定。

542 :権兵衛さん:2005/07/27(水) 18:06:57 0

 眠い人さん、こんにちわ。

  久々の救援、ありがとうございます。

  夏休みに入ったので、各スレッドの進行が早くなっているので、
  監視の回数を増やさないといけないと思っております。

543 :ハウス:2005/07/29(金) 22:13:09 0

眠い人さん&権兵衛さん、ご無沙汰しております。

福井静夫評といえば『日本潜水艦物語』の中にも(3)リッツオ艇長の偉勲(4)人間魚雷の
ポーラ軍港進入、という見出しでオーストリア海軍とのやりとりがまとめられています。
今年の『歴史群像2月号』と内容は重なりますが(>>358のレス参照 )。

さて再度購入を試みているアントン・ハウス提督の伝記本ですが、8月中下旬には自宅に
届くはずなので、このスレでもその内容を紹介していければと考えております。

544 :権兵衛さん:2005/08/01(月) 02:12:17 0

>それは、英国系の技術を基とし、またその戦艦の性格は極めて
英国のものと類似している。

 欧州というのが別々の国々と見えて、実は2千年前は単一の「帝国」
 の領域でもあったわけで、違いもあれば共通点もたくさんあるわけ
 です。
  おなじみの「トラップ少佐」にしても、その始めの妻はイギリス系
 のアガーテ・ホワイトヘッドでした。その祖父は近代的魚形水雷の発
 明者としても知られているわけですから、技術的にも関係が深かった
 のでしょうね。その叔母のひとりがビスマルクの息子の嫁になったり
 もしているので、「華麗なる一族」のひとつでもあったわけです。
  第1次大戦のイギリス、ドイツ、ロシアの皇帝もすべてイギリスの
 ヴィクトリア女王の孫筋に当たるのですから、トラップ家の例など、
 それこそ掃いて捨てるほどあったことは間違いありませんね。

  などといいながら、何回目なるのかわからないほど見た「サウンド・
 オブ・ミュージック」を見てきました。(さすがに、併映された「山
 猫」(ヴィスコンティ監督の傑作のひとつ)とは違う分野の作品である
 ことを実感させらましたね。)

545 :権兵衛さん:2005/08/10(水) 22:20:29 0

 ヴィスコンティ監督の「山猫」は1860年の「イタリア統一戦争」
 時代を背景にしたシチリア島の大貴族の物語です。ローマ帝国が崩壊
 てから、1500年近くも四裂五分の状態であったイタリア半島が形
 の上にせよ「統一」された王国になるということが、アドリア海と
 アルプス山脈という自然の要害によって隔てられていた大陸諸国へ大
 きな衝撃をもって迎えられたことは容易に想像できます。
  アドリア海とそれに連なる地中海の制海権を巡って、壮絶な海軍拡
 張競争の産物のひとつが「オーストリア=ハンガリー二重帝国海軍」
 ですね。ギリシャ、オスマン=トルコ、エジプト、フランス、スペイ
 ンに加えて、イギリスとロシアも絡んだ半世紀に及ぶ歴史も見もので
 す。この競争に北欧の諸国だけでなく、新興のドイツが加わったこと
 でついに「(第一次)世界大戦」となるわけです。

  この辺りの詳細は「ハウス」さん、「眠い人」さんなどにおまかせ
 しますが、愚生もそれなりに資料を漁ってみますね。

546 :ハウス:2005/08/13(土) 11:51:41 0
学習研究社の『図説世界の歴史6 現代世界の試練』斎藤孝監修、の中でオーストリア海軍
に関する記事・資料をいくつか。

・ヴィリブス・ユニタス号1911年トリエステで進水したオーストリア・ハンガリー帝国
の戦艦で、排水量2万トン、305ミリ砲を12門装備していた。ウイーン軍事史博物館蔵〔62頁〕

・「ふたつの実験」 40センチ装甲板が砲撃を受けた場合の抵抗を検証するため、20世紀初め、
オーストリア海軍によって行われた実験。上:貫通された装甲板 下:貫通しない砲弾。とも
にイタリア・トリエステ戦争博物館蔵〔62頁〕

547 :ハウス:2005/08/13(土) 11:52:26 0
・「プーラ港風景」 ユーゴスラヴィア西北にあったオーストリア・ハンガリー艦隊の最重要
基地。1917年8月、イタリア軍の空爆を受けた。〔104頁〕

・「アドリア海の激戦」 上:イタリア海軍大尉ルイジ・リッツオの指揮下、1918年6月10日、
アドリア海のプレムダ島付近でオーストリア戦艦聖イストヴァン号≠撃沈した魚雷艇マー
ス15号。右:沈没する聖イストヴァン号≠ニもにフラッカローリ・コレクション蔵〔128頁〕

548 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2005/08/16(火) 12:20:42 0 ?#
>541の続き

 (3) 軍港としてはアドリア海北部のポーラと同南部のカッタロを主に使用した。
    前者は立派な大軍港で工廠もあり、後者は第一次大戦中に作戦基地として使用され、整備された。
    ポーラ軍港は二重帝国海軍の全艦隊を収容できる大軍港であった。
 (4) 戦艦の建造は、ポーラ工廠とトリエステの造船所で行った。
    トリエステのスタビリメント・テクニコ社は世界一流の大造船所で、付近にも大艦を建造できる分工場を有し
    (第一次大戦後はイタリアの大造船所となり、現在に至る)、弩級艦などはここで建造された。
    他にも相当の施設があり、ポーラ工廠も巨艦を建造する様に拡張中であった。
 (5) 砲は主にクルップ系とシュコダ系を使用した。
    しかし、弩級艦の3連装30cm砲は、英国Vickersの技術を導入したという。
 (6) 魚雷は英国のホワイトヘッドが発明して実用化した直後に、その工場をフューメに設立し、此処で生産する
    ホワイトヘッド魚雷は世界の各海軍が使用し、我が国でも明治10年代より、ここから購入した。

549 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2005/08/16(火) 12:21:13 0 ?#
 (7) 二重帝国の戦艦は、第一次大戦では優勢な伊および連合国海軍(主に英)にアドリア海入口のオトラント海峡
    を厳重に封鎖され、アドリア海内でも制海権を伊に抑えられて、ポーラ軍港に留まり、時折出撃するくらいであった。
    しかし、その性能より見るに、決してアドリア海のみの行動に我慢したようではない。
    殊にラデツキー型およびフィリブス・ウニーティス型弩級艦は、当時の一流戦艦であり、その7隻の存在は伊
    海軍にとって一大脅威であり、特攻的襲撃で弩級艦4隻中2隻を沈めることに成功した。
    しかし、一般的に見て、航続力は他国の大戦艦と同じであっても、二重帝国海軍戦艦の居住性はかなり苦しく、
    長期の連続外洋行動は不必要のためもあるが、性能的に困難だったと思われる。
    その主因の一つは、立派なダメージ・コントロール装置と、防御区画法であったようだ。
    二重帝国海軍のダメージ・コントロールは第一次大戦中、独戦艦のそれに比肩しうる程であって、戦後押収した
    二重帝国海軍戦艦の艦内を調査した連合国技術調査団に大なる感銘を与えている。
    例えば、前弩級艦ラデツキーの応急訓練及びそのダメージ・コントロール取扱書の完備などは、独戦艦以上の
    ものであったという。

550 :世界@名無史さん:2005/08/23(火) 23:46:16 0
オーストリア海軍萌え

551 :ハウス:2005/08/24(水) 22:30:39 0

ageも兼ねて、オーストリア海軍概略史その1

オーストリアと海との接触は、当時のハプスブルク家君主レオポルト3世が1382年に
アドリア海に面したトリエステを保護領として獲得し、初めて沿岸部に進出した時
でした。この沿岸部の住民の主導の下で15世紀からは海運業が発展し、彼らはオス
マン・トルコやアラブ人海賊から商船の保護に努めましたが、海軍そのものは長い
間建設されませんでした。

18世紀に入りカール6世の治世下にはトリエステの整備が進められ、同時に東地中海
を航行する商船保護を目的とした海軍建設が試みられましたが、これは財政難のため
不成功に終わりました。その一方で、国内のドナウ川にはすでに小艦隊が編成されて
おり、17〜18世紀にかけては陸軍と共同し、当時国境を接していたオスマン・トルコ
からの侵略に備えておりました。

1797年のカンポ・フォルミオ条約によりオーストリアはベネチアからダルマチア沿岸
部に至る長い海岸線を獲得し、この時に消滅したベネチア共和国の艦隊を入手して本
格的な海軍建設が進められました。以後ベネチアの艦隊及びこれに所属するイタリア
人水兵はオーストリア海軍の基礎を成します。その後対ナポレオン戦争の相次ぐ敗北
により一時沿岸部を失う事となりますが、1815年のウイーン条約により同地は再びオ
ーストリアの支配下に戻されました。

続く

552 :ハウス:2005/08/27(土) 20:52:23 0

オーストリア海軍概略史その2

これによりベネチアの艦船及び造船所は
すべてオーストリアに帰属して海軍が再建されました。
オーストリアの産業革命は1830年から始まりましたが、
同時に海軍の拡張も行なわれ、
戦列艦、フリゲイト、コルベット、ブリッグ、スクーナーといった
多数の帆走軍艦を保有するまでになります。
こうした中ベネチアはオーストリア海軍の最重要軍港として発展し、
軍艦はこことトリエステで建造されました。

1848年のフランス2月革命はオーストリアにも波及して
各地で民族運動が起こりましたが、
これは大部分のイタリア人水兵が蜂起する事を意味し、
ベネチアに停泊していた軍艦の多くが彼らに占拠されてしまいます。
このため海軍は急遽再編成を迫られると同時に
陸軍と共同してベネチア湾を封鎖し、
翌49年8月には反乱を鎮圧して艦艇を回収しましたが、
海軍の根拠地(本部)はベネチアからポーラ(現クロアチア領プーラ)に移され、
1853年にはイタリア語に代わりドイツ語が海軍の主要言語とされました。
ただしベネチアそのものは1866年までオーストリア領に留まりました。

続く

553 :ハウス:2005/08/27(土) 22:13:12 0

スレの趣旨から外れますが、
本日の世界・ふしぎ発見!では
「アドリア海の楽園・クロアチア紀行」の特集でした。

ポーラ(現クロアチア領プーラ)の円形劇場に敷かれた超巨大なネクタイ
(クロアチアはネクタイの発祥の地らしい)
リッサ島(現クロアチア領ヴィス島)の港や郷土料理
同島近くの小島にあるこの世の楽園とも呼べる神秘的な洞窟
アドリア海の真珠・ドブロブニークのまち
なんかが取り上げられていて、とても興味深い内容でした。

554 :カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/08/28(日) 11:01:50 0
>>553
見逃したー!
そゆことは放送前に言って欲しかったです

>クロアチアはネクタイの発祥の地らしい
ルイ14世がクロアチア人の使節が首に布巻いているのを見て流行らせたとか何とか。
フランス語ではネクタイのことをcravateというのだけど、これはHrvat(クロアチア人)に由来。

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