5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

中世ヨーロッパの暮らし(3)

1 :世界@名無史さん:04/08/04 13:46
中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。

中世ヨーロッパと言っても、時期や地域によって随分違うようです。時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもまぁOK。

地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアとか、ギリシア(ビザンツ)とかもOK。

庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。

時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。

【参照用】中世西欧の時代細分(一例):>>2

【前スレ】中世ヨーロッパ人の暮らし
http://mentai.2ch.net/whis/kako/981/981129811.html

中世ヨーロッパの暮らし(2)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1022771504/

【関連スレ】中世の職業
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1076231719/

欧州の民族史
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045631245/

近世(初期近代)ヨーロッパの暮らし
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091017968/

◎◎◎西洋古代史を語るスレ vol.1◎◎◎
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1088522623/

2 :世界@名無史さん:04/08/04 13:47
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。

中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)

前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)

初期中世:大まかに5〜10世紀

盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。

末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀

3 :世界@名無史さん:04/08/04 14:45
スレ立てお疲れ様です。

4 :世界@名無史さん:04/08/04 17:45
期待アゲ

5 :世界@名無史さん:04/08/04 19:01
前スレの続き

>ブリューゲルの絵なんか観てると、当時の人たちは魚に怪物的な
 イメージを持ってたんじゃないかと思わされるね。

そうかな?キリスト教的には魚のイメージは悪いものではない
と思うんだけど。蛙とかは悪魔の手先的なイメージだけど。


6 :世界@名無史さん:04/08/04 19:19
ビザンチン帝国関連ならば、スラブ人移動も話題から外せない。

7 :世界@名無史さん:04/08/04 20:32
「昔のギリシャ人と中身別か?」
・・・アテネオリンピックの報道に関して、あるおぢさんの感想w

8 :世界@名無史さん:04/08/04 20:37
中世においてはチェコとポーランドのポジションも西欧史の一部として重要。

9 :世界@名無史さん:04/08/04 20:46
このスレもついに三代目か。
初代スレの1は夢壊されてグレたんだろーなw

10 :世界@名無史さん:04/08/05 00:57
むしろ変にどろどろの中世にはまっているかもしれん。
それをグレたというのかもしれないが…

11 :世界@名無史さん:04/08/05 01:03
今頃は「中世の庶民生活における寄生虫の影響」とか研究してたりして。

12 :世界@名無史さん:04/08/05 16:35
まぁ、夢壊して喜んでるほうにも同情するが・・・

13 :世界@名無史さん:04/08/05 20:09
>>1が貼り忘れてるので追加

Paradox公式サイト Crusader Kings
http://www.paradoxplaza.com/crusaderkings.asp

Crusader Kings レヴュー
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040601/ck.htm

Paradox スレ
http://game8.2ch.net/test/read.cgi/game/1087850964/

Crusader Kings Wiki
http://cgi.f41.aaacafe.ne.jp/~ckwiki/pukiwiki.php?FrontPage

以上です。ヨロ〜。

14 :世界@名無史さん:04/08/06 12:17
生活の世界歴史の「中世の森の中で」買って来て読みはじめたんだけど。
古代から中世に続いてたっていう、ヨーロッパの原生林って、
今の温帯気候の地域ってイメージでいいのかな?

地中海性気候のあたりは原生林なかった??
南仏とかは?

15 :世界@名無史さん:04/08/06 23:34
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_06/m06_3.html

フェラチオは、教会が禁止していたのですよね?


16 :世界@名無史さん:04/08/07 11:07
>>15
中世ヨーロッパの話な。

カソリック教会が禁止してた。
ただし、フェラやオナニーくらいだと、ふつうは、断食何日とか、無言の業何日とかだったはずだから。
今の刑法とかのイメージでの禁止とはちょっと違う。
※もっとも地域や時期によっては、禁止がもっときついこともあったそうだ。

フェラもオナニーもアナルセックスも同性愛も禁止はしてた。
いまでも、公式には罪とされてるけどね。避妊もいけないこととしてるわけだから。
※同性愛は、英国教会などに、同性愛者の聖職者を認めるかどうかとか、最近ごたごたがあるみたいだが。

17 :世界@名無史さん:04/08/07 11:10
イギリスで、黒人の同性愛者が、主教に任命された。
ケニアとかは猛反対だった。

18 :世界@名無史さん:04/08/07 11:13
missionaryたちはmissionary positionを奨励しました。

19 :世界@名無史さん:04/08/07 11:35
前スレ埋まらんね・・・・・

20 :世界@名無史さん:04/08/07 12:55
膣外射精も禁止だ<中世ヨーロッパ

21 :世界@名無史さん:04/08/08 00:00
>>13 の人が紹介しているゲームすごい面白そうなんで
買ってみようと思うんすけど、これってカードじゃないと買えないの?

それと、漏れ英語あまり得意じゃないんだけど大丈夫かな?

22 :世界@名無史さん:04/08/08 00:06
>>14
>地中海性気候のあたりは原生林なかった??
>南仏とかは?

うーん、ギリシアやローマのあたりは造船で随分伐採されてたと聞くけど。
南仏辺は、内陸部と植生の違う原生林があったのでは?

23 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/08 00:15
>>20
近世の事になりますが、コンドームも禁止でしたね。

24 :世界@名無史さん:04/08/08 00:31
今もギリシアに続くオーソドックス(正教)のアトス山。
男子禁制なのだが、家畜も雄しか入山できない禁制が伝わってるそうだ。

とゆーことは、野には獣姦するヤシもいたってことだらう(w
獣姦も、当然禁止。

25 :世界@名無史さん:04/08/08 00:34
近親相姦、オーラルセックス、獣姦、肛門性交、同性愛、オナニー、
全部禁止だったな。

26 :世界@名無史さん:04/08/08 00:38
その辺まとめて火あぶりの刑だったからな〜 キツいわ

27 :世界@名無史さん:04/08/08 00:40
なぜだれも24の「男子禁制」というところにつっこまんの打

28 :世界@名無史さん:04/08/08 00:40
いや、オナニーくらいは、火あぶりってこたないよ。

29 :=24:04/08/08 00:42
>>27
しまつた、女子禁制で津

30 :世界@名無史さん:04/08/08 00:45
>>26
>>16ぐらい嫁

31 :世界@名無史さん:04/08/08 01:28
アトスの修道士には、かつては「母親の産道と乳房」以外の女を知らない者もいたそうだね。

32 :世界@名無史さん:04/08/08 20:22
それって、物心つく前にアトス山にあげられて、
一生、外に出たことない修道士がいたって意味だよね。

「女を知らない」っつても、生涯童貞ってことでなくて(w)。

33 :世界@名無史さん:04/08/09 08:09
文字通り女を知らない。というか見たことないと。

34 :世界@名無史さん:04/08/10 00:32
>>23
一つだけ許された避妊法がオギノ式、てのはかなりきついっすよね。

35 :世界@名無史さん:04/08/10 12:38
「法王庁の避妊法」ってね
って、オギノ式は何で許されるんだろ、
これ見つかるまで避妊は許可されていなかったってこと?

36 :世界@名無史さん:04/08/10 13:12
オギノ式なんて知識は中世にはないだろ。

(ケルトの)石塚に盛ると妊娠し易い、とか、
そーゆー俗信が盛んだった時代だぜ。

37 :世界@名無史さん:04/08/10 15:50
>>35 あれは基本的に装具や薬品を使わない方法だからね。

38 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/11 00:54
結果は逆ですが、授乳期間が短いと次の妊娠が早くなるそうです。乳母の役割
の一つをそこに求める見解もある。

39 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :04/08/14 22:03
前スレで、文献の一覧がでていたと思うけど、そこから一冊(二冊だけど)紹介。
オットー・ボルスト『中世ヨーロッパ生活誌』白水社は、1985年が初版で、
1998年に新装復刊Otto Borst;Alltagsleben im Mittelalter 1983の全訳で、
対象は中世ドイツが主、参考文献は訳書では省かれています。
『中世ヨーロッパ生活誌1』『中世ヨーロッパ生活誌2』と二冊に分かれてます。
>>849(前スレ)
>「都市部の民家」と「農村部の民家」は何でできてたんでしょうか。
に対して、本書が関連しているのは1巻第4章「無邪気な農民」と
第7章「市民の家にて」です。
農家については、北のザクセン型と南のフランケン型に大きく分類し、フリース型、
上部ドイツ型、アレマン型などは過渡期的なものであるとして、ザクセン型と
フランケン型の構造を取りあげている。ザクセン型は居室と仕事部屋が一体と
なっていて、フランケン型は居間と仕事小屋が分離して独立している。
「このような丸太小屋や木組み家屋の屋根は、わらやアシ、あるいはこけら板で
葺いている。こけら板には、落雷を防ぐというので好んで家ネギが植えてあった」
という。
戸の固定は蝶番ではなく皮紐で、床は堅く踏み固められた粘土で、板張りの床は
まれだったといった感じで述べている。
また、村の構造にもふれている。ときとして隣家どうしの距離が遠かったり、
全体が柵で、それどころか壁で囲まれていたこともあり、小都市の観を呈すること
もあったとしている。

40 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :04/08/14 22:05
市民の家については、初期の市民の構造物は簡素な一階建ての細長い長方形で、
構造は農家の造りを基本としている。最も普及したのは木組み家屋で、「石の家」は
特別な名前で呼ばれることがあり、教会、領主、少数の貴族用に限られていたとする。
とはいえ市民の石造りの家屋の初期のものも取りあげている。
中世後期のものとして、デューラーハウスやヘルマン・ペックの家について述べ、
家財などについてもふれている。瓦屋根が高価でこけら葺きが多かったことに
ついて述べ、ウィーンでは瓦に見せかける「こけら板に赤い塗料を塗る」ことが
15世紀に多いに流行したとする。

なお、本書では、
「したがって、注意深く見ようとする者は、中世の都市は絶望的なほど不潔だった、
などと一括して判断することに慎重にならざるをえないであろう」として、
あくまでも旅行者などが都市でゴミや汚物などを見かけた時にわざわざ記述している
ことを例にあげて、中世の都市は汚かったと一括して判断せず、人口過密化が
始まるまでは「中世の町といえども農場以上に不快な匂いをしていたわけではなかった」
という見方をしている。

41 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :04/08/14 22:07
また前スレで紹介した モリー・ハリスン『こどもの歴史』法政大学出版局 では、
農村の住居について、湾曲したオーク材を対にして、これを固定するため水平に棟木
を設け「A」の形を組み合わせて、これをならべてといった形で、住居を自分たちで
構築する順番で紹介している。屋根は泥炭の塊(ターフ)か、わら葺き。
また、その周辺の地域で手に入る材料で作ったので、「海岸近くの家では、フリント石か
海岸や依然ぬ身であった以前海であった場所の小石が使われた」「森林地方では家の
骨組みを木材で組み立て」た、このため村や町では似たような造りのものが多く、
場所によって石の色が異なるため、地域によってその地方独特の色の家となった
とする。中世以降は16・17世紀、18世紀、19世紀と章ごとに分かれているので、
時代ごとの変遷がつかめるはず。

42 :世界@名無史さん:04/08/19 08:02
良スレあげ

43 :世界@名無史さん:04/08/23 20:36
アジールについてはすでに語られたのかな?
教会・家・森・山・古木・泉、以外にはどんな場所があったのでしょう?

44 :世界@名無史さん:04/08/24 20:00
橋とか

45 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :04/08/27 01:27
>>43
水車小屋・市場とか

46 :世界@名無史さん:04/08/27 18:17
>>35
それまでは外出しでしょ。もっともオーソドックスだったのは。
建前上は快楽を求める性行が禁止されていたわけだから
外出しも荻野式もだめだと思うんだけど。建前ではね。

47 :世界@名無史さん:04/08/28 17:24
>>46
どうでもいいけどこのタイミングでオーソドックスというと混乱招きかねないんじゃないかねw

48 :世界@名無史さん:04/08/29 08:51
>>43
微妙なところで渡し舟

49 :世界@名無史さん:04/08/30 11:59
渡し舟といえば…ヨーロッパの橋ってどういうのがメインだったのかな?
中国だと結構早い段階から橋梁建築が発達してて
盧溝橋みたいに1000年近く実用に耐えてる橋があるみたいだけど、
同時代のヨーロッパ…
ローマ崩壊以降、ルネサンス以前、中世ヨーロッパの橋梁ってどんなんだったんだろうか。

50 :世界@名無史さん:04/08/31 12:03
ルツェルンの橋なんて、数年前に火災で焼失したけど、500年くらいもってたんだよな

51 :世界@名無史さん:04/08/31 13:14
>>43
「アジール」でぐぐって見ましたがどうにも要領を得ません
よろしければ何の事か教えていただけますでしょうか

52 :世界@名無史さん:04/08/31 18:20
にゅーたいぷようのもびるあーまー

53 :世界@名無史さん:04/08/31 19:21
>>51 子供の鬼ごっこで、地面に円を描き、「ここから中はバーリア!」ってやるでしょ?
これの大人版で、司法が介入できない一時避難場所みたいなもの。
日本で言うところの「駆け込み寺」を思い浮かべてみるとよろし。

54 :世界@名無史さん:04/09/03 00:04
>>53
やりませんがわかりました。教えてくださってありがとうございます。

55 :世界@名無史さん:04/09/20 17:37:12
>>49
アビニオンの橋を架けた親方はたしか聖人になっているはず。
それくらい奇跡的だったようだ。今も廃墟が残っている。
ロンドン橋を架けたときは、あまりにも工事が難航するので人柱を立てたらしい。
どちらも歌が残っている。

56 :世界@名無史さん:04/09/20 17:54:51
アヴィニョンと宇都宮は姉妹都市。



全然似てないのに。

57 :世界@名無史さん:04/09/20 17:55:51
>>53
アジールに逃げ込んで、それからどうしたの?
まさか一生そこに籠ってる訳にもいかないし。

58 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/20 18:53:56
>>49
橋を建てるのに人柱として捕虜・犯罪者が使われたといい、倫敦橋の土台か
らは人骨の代りに多数の硬貨が発見されたそうです。
第二次大戦中に古い石橋が空爆で破壊されて判明したところでは、石橋であ
ってもまず木枠を用意してその中に石を詰めて土台としていた様です。
橋の建設には表向き宗教的な理由が言われ、1220年以降は贖宥符が発行
されて資金作りに貢献しています。
なお渡し守に払うお金はほとんど強制的な交通費の様なもので、漁師などが
客を渡したり、川が凍っていても勝手に渡ると制裁が加えられました。
>>54
ギリシア語の「不可侵」が語源。日欧ともに私的な権威・権力が規制される様
になった16世紀以降は縮小・消滅を余儀なくされています。

59 :世界@名無史さん:04/09/20 20:51:17
>>57
場所にもよるが、だいたい14日ごとに3回開かれる裁判にあわせて
6週間と3日間は保護されたんだそうだ。それを過ぎるとアジールから
出なけりゃならない。中世都市をアジールと考える場合は従者が1年と
1日間都市に留まると主従の関係が清算されるとか。日本の駆け込み寺
などは3年間寺に留まって奉仕すれば主従関係が清算されるらしい。

60 :世界@名無史さん:04/09/20 21:00:16
>>49
バイエルン州のニュルンベルクなどは都市の橋が1480年にすべて石橋に
なったんだそうだ。それ以前は木の橋もあったんだろうね。橋と言えば
刑場にもなっていたそうで、罪人を縛って橋から落として岸にたどり
つけば無罪だったとか。神明裁判で水にほうりなげて沈めば無罪とか言う
のもあるけど、それも橋から行なわれたのかもね。

61 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/20 21:10:53
子殺しをした母親などの重罪人を特に縄で縛り、特定の門の前などに来たところ
で引き上げ、生きていれば無罪とした例もありました。
ところが意外と生存者が多いので斬首刑に変更された土地もあります。
絞首刑の場合、三度も縄が切れて命拾いしたのに、結局四度目の正直で殺され
てしまったという気の毒(?)な例もありました。

62 :世界@名無史さん:04/09/20 21:17:14
>>61 
生きていれば無罪という所が中世らしいですねw

63 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/20 21:22:25
「罪」自体の認識も問題です。
行なわれた事自体が罪(という属性)なのであって、過失でも罪に問
われた代りに、計画倒れは不問とされたという事が『中世の秋』にあ
りました。まあ程度の問題であったでしょうが。
我が国では盗まれたものは盗んだ者の属性がついてしまっており、
返しても「弁償」にならなかったのではないかという説があります。
(もっとも、私はいささか懐疑的ですが)

64 :世界@名無史さん:04/09/20 21:28:55
>>59
なるほど。

65 :世界@名無史さん:04/09/21 03:24:46
豚や牛、鶏なんかも、ご丁寧に裁判にかけていますね。
アレは、どういった意味があるのでしょうか?
神前裁判の一種ですか?


66 :世界@名無史さん:04/09/21 12:41:13
>>63 行為そのものに問題があるとされたわけですね。ただ、そういう状況も
   告解が一般化され、人々の内面まで教会が掌握しようとした12世紀以降は
   変化してきたように思うのですが、どうでしょう?

>>65 鶏や犬や屋根の藁なども証人(?)として裁判に持っていったとか。
   あと家の死刑ってのもありますよね。一種のアニミズムの名残のような
   印象を受けますね。

67 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/21 18:01:59
>>66
上手く言えないのですが、人が犯す「罪」と社会の中での「犯罪」はまた
異なるものとされていたのではないかと。
罰せられようが、罰せられまいが残るのが罪。何らかの社会的制裁が
必要とされるのがここでいう犯罪で・・・やはり上手くない。

68 :世界@名無史さん:04/09/21 18:22:00
カラスやイナゴも破門されてますよね。
いつからキリスト教徒に認定されていたのかは知りませんが・・・・(w

それとも、教徒異教徒関係無く破門の対象になっていたのか・・・。

69 :世界@名無史さん:04/09/21 19:26:45
法の厳密適用の精神かな?
”動物であっても、神の前では罪を免れることは出来ない” とか?

70 :世界@名無史さん:04/09/22 10:26:21
70

71 :世界@名無史さん:04/09/22 16:19:08
>>49
彼岸と此岸を結ぶモノのイメージもあったが、都市の発展とともに無くなって
ゆく。橋の建設は都市が率先して建設する傾向にあり、法人格をもつ橋もあった。
刑場の名残としての小聖堂をもつ橋は現在でも多数見られる。また、宗教的建前を
かかげるのも中世におけるお約束。

72 :世界@名無史さん:04/09/22 19:09:02
>>67
なんとなく、霊的な罪と俗的な罪のデュアルな関係がイメージできる気がします。
「罪」は「許される」もので「犯罪」は「罰せられるべきもの」、という感じで
しょうか。ただ、この2つの概念を中世の人々は明確に区別したのでしょうか。
現在から中世を振り返った場合には区別できるのですが、当時としては???と
いう感じもします。

73 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/09/22 23:26:49
>>49
資料がないのでこの以前はよく分かってないらしいが、12世紀ごろから
しっかりとした石橋が建てられるようになったという。
アヴィニヨンの橋とか、ロンドン橋もこの世紀に建てられてる。


ちなみに、脚の土台の作り方は大きく分けて二通り。

・川底に石とか砂利とか砂利混ぜ土とか敷き固めて、”小島を”作り、
そこに脚を立てる方法
簡単に作れるのが利点で、ロンドン橋もこの方法で建造されたが、
小島が余計な面積とって川の流れが悪くなり、潮の満ち引き時には
橋の上流下流の水位が大きくなりすぎて船が通れなくなったり、
おまけに水車やら何やら作るせいでもっと悪化して終いには
橋の下が激流と化して土台が掘られて危うく倒壊寸前とか何とか。

・杭で土台を作る場所を囲ってその中を排水し杭の間をふさぎ、
川底より低い高さから土台を立てる方法
こちらの方が段違いに頑丈でトラブルも少ない建て方だが、
なんと20世紀になって鋼鉄杭が使われるまで一般的にはならなかったとか。

74 :世界@名無史さん:04/09/23 13:36:13
age

75 :世界@名無史さん:04/09/23 14:06:19
中世では、現在と違い、刑事事件と民事事件の差が無いためかも。
殺人事件でも、告発者がいないと、事件にならない。


76 :世界@名無史さん:04/09/23 14:14:18
裁判するまえに自力救済権を発して被害者の親族が復讐しちゃうもんね。
もし殺人事件が過失によるものだった場合は加害者が裁判で釈明したり
被害者の関係者と和議が成立する時間的余裕がいるためにアジールが必要
になる。

77 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/23 20:16:41
>>72
とりあえず、参考までに阿部謹也先生の『中世を旅する人々』から。
「ヴィクトール・アハターが述べているように、中世、とくに一三世紀以前
における「刑罰」は近代法のそれと違い、命をとることに目的があったのでは
なく、「犯罪」によってけがされた世界の秩序を回復するための儀式であった
から、一定の処置(儀式)が終れば犯人も助けられたのである。この意味で多
くの「処刑」は偶然に左右される「不十分」なものでよしとされた。」
犯罪を「穢れ」(非日常的なもの)と見做したのは日欧共通の様です。

78 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/23 20:26:34
>>75
横レスですみませんが、それも当時の日本と同じですよ(76も)。
「獄前の死人、訴えなければ検断なし」という法諺があったぐらいですが、
見た目はともかく精神面ではよく似ています。

79 :世界@名無史さん:04/09/24 02:31:04
イギリスの古典物の推理小説読んでて、殺人事件がおきると必ず予審があって
「殺人」「自殺」「殺人のように見えるがただの事故か病死」の3つに分けるのは
どういう訳だと思っていたが、中世からの伝統だった。
自殺だと墓地に埋められないし、葬式出せないし、財産の没収たら何やらでややこしい。
日本なら「殺人」「自殺か事故か病死」で済むが。
もっとも、江戸時代の武家はよほどのことがないと、すべて「病死」で済ませる。

80 :世界@名無史さん:04/09/24 06:44:39
>>79
今は、自殺でも財産没収にはならないよね?

81 :世界@名無史さん:04/09/24 11:52:11
イギリスでは、ホモも昔は死刑。

82 :世界@名無史さん:04/09/24 12:16:28
オスカー・ワイルドの頃はもう違ったね

83 :世界@名無史さん:04/09/25 00:28:41
>>78
喧嘩両成敗は江戸時代からでつか?

84 :世界@名無史さん:04/09/25 03:40:14
>>83
喧嘩両成敗は、非常時のやり方です。
戦場でどちらが正しいのどうのと言っていたら、戦にならない。
領地争いの喧嘩を裁くのが、鎌倉幕府の役目ですから。
「忠臣蔵」のおかげで、江戸時代は喧嘩両成敗という固定観念ができてしまったが、
本来、殿中で刀抜いて大名や旗本に切りつけたら、その場で殺されます。
斬られたほうはお咎めなし。まあ、大体死んでるし。
浅野内匠頭はへタレでなければ基地外(最近こちらの説が強い)

85 :世界@名無史さん:04/09/25 06:58:08
>>84
にもかかわらず浅野内匠頭の処分は乱心扱いでなかったので、
大石はお家の存続、そして武家としての付き合いができるよう処分を求めて、
その見通しが絶たれたので討ち入ったと聞いたような。

86 :世界@名無史さん:04/09/25 08:31:33
前スレ見てませんが、中世ヨーロッパ庶民はほとんど裸だったというのは常識?
インド等に比べ寒冷な地域だったので、食物生産が精一杯で、麻の生産まで手が回らなかった。
(綿花の生産は近代以降。当時庶民は「羊が成る木」として綿花に興奮した)
中世の聖書の挿絵とか見ると、裸の人をたくさん描いている。アダムとイブをモチーフにして、
というより、当時の庶民の実態を描いたと解釈する方が自然。
西欧人が服を着るようになったのは産業革命以降。布地の大量生産で普及した。

87 :世界@名無史さん:04/09/25 08:43:19
>>86
≧∀)(≧∀≦)ブッハハハハ━!!!!!
ランブール兄弟やブリューゲルの絵では着てますよ。
ドイツや北フランスの冬は、いくら脂肪豊かな白人でも、裸で暮らせません。

88 :& ◆oMCOYq7N06 :04/09/25 09:24:25
>>16 >フェラもオナニーもアナルセックスも同性愛も禁止はしてた。

この辺の伝統を皮肉って、英の有名なコメディアングループ Monty Python が
「精子は一個一個が聖なる存在だ」なんて歌を作りましたね。
ttp://www.metrolyrics.com/lyrics/13236/Monty_Python/Every_sperm_is_sacred
曲も聞ける。
ttp://www.mwscomp.com/sound.html

89 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/25 11:17:44
>>86
寝ている時は裸かシャツだけという描写が多いですが、寝巻きもあったそうです。
普段から裸というのは極端ですが、16世紀からリンネルの生産量が増加して、
その結果それまでの皮に比べて洗濯が簡単に出来るようになり、入浴の重要
性が減少したとか。

90 :世界@名無史さん:04/09/25 14:52:27
>>87
前スレ落ちてますが、最初のは過去ログで見られます。
服装史のの本が色々出ていて、昔の絵や彫刻の写真が載っているが、中世ヨーロッパで
裸でいられるはずはない。
ボロッちくても、ちゃんと着てます。
ただし、王侯貴族でもたいしたものは着ていなかったらしい。
「ニーベルンゲンの歌」に衣装の話が出てくるが「今まで誰もそれほど豪華なもの
は見たことがなかった」「色とりどりの絹の衣装を着ていた」とか、抽象表現ばかりで
詩人はあまり立派な絹織物は見たことがなかった、と推定される。
たまに具体的な描写が出てくると「真っ白なアラビア絹」程度で、日本の貴族は下着に
着てましたがね、二重織物は普段着、ヨーロッパは衣装貧乏だったんか、という感じ。

91 :世界@名無史さん:04/09/25 16:09:39
「中世ヨーロッパ」という枠組みからははみ出るだろうけど、アウステルリッツ三帝会戦時にフランス軍軍使がロシア軍の陣営を訪れて、当時のロシア軍兵士の対寒能力(?)に驚いていたはず。
真冬で雪が降りしきる中、ロシア軍兵士は皆半袖の軍服を着ていて、屋外の焚き火の周りでイビキをかいて寝ていた、とかそういう感じのがあったと思ったけど。

92 :世界@名無史さん:04/09/25 18:04:08
白人でも、北欧の人間だと日光というか紫外線に極端に弱いのも多いみたいですね。
夏にマルセイユとかにヴァカンスに来て、日光浴で日焼けじゃなくて皮膚の炎症おこす人も。
(中には重症患者も。)

93 :世界@名無史さん:04/09/25 22:19:52
>>92
中世じゃないけど、大英帝国時代にインドあたりで役人やってた人は皮膚癌が多くて
平均寿命が一般のイギリス人より低かったという話なら読んだ記憶があります。

94 :世界@名無史さん:04/09/26 19:26:14
あげておこう

95 :& ◆Qh0BhBlaBg :04/09/27 14:26:30
>>92
ああた、北欧と地中海の日光をいっしょにしちゃいけませんぜ。
♯日本中を沖縄だと思ってるアメ公が短パンサンダルで11月北海道行くようなもんだ。

96 :世界@名無史さん:04/09/28 13:35:04
ヨーロッパ人は裸だった!の話。
全員、常に裸だったとは主張してない。紀元前後、地中海沿岸のローマ人はトーガを着てたし、
5300年前の冬のアルプスの狩人もこんなの着てた。(左下の写真)
ttp://www.wilderdom.com/evolution/OtziIcemanAlpsPictures.htm

話を15世紀以前に限ろう。王族でもトーガのちょっとましなのしか着てなかった時代。
服飾史は「服を着ていた人は、どんなものを着ていたか」を論ずる。裸が何割いたかの資料にはならない。
絵画も彫刻も芸術なのだから、「絵になる」人を題材にする。服を着た絵画があっても、
その時代に裸の人間がそこらじゅう居た、ということの論駁にはならない。

狩りに出る時、長旅に出る時は何か着た。しかし家に居る時、家の周りに居る時、庶民は
ほとんど裸だったのではないか?北欧で今でも夏に裸で日光浴する習慣があり、恥かしがらないが、
夏だから、日光浴するからわざわざ裸になるのか?もともと年がら年中、裸だったのではないか?
漏れのイメージとしては、『指輪物語』ゴーレムみたいのがたくさん居た感じ。

97 :世界@名無史さん:04/09/28 13:58:18

ファンタジーへの反発心から、中世ヨーロッパの生活を
過剰なまでに貶めるのはやめよう。
何でも悲惨に書けばリアルになる考えは、もう古い。
アジアの方がよっぽどみすぼらしい。



98 :世界@名無史さん:04/09/28 19:34:38
>>95
マチガエテルのは漏れじゃなくて、北欧の中の人。
そういえば、故会田雄次先生の本の中に「日本で『西日の入る部屋』を喜んで借りていく北欧出身者・・・」という話しもあったなぁ。
なんでも、北欧では『西日の入る部屋』というのが最上の部屋だということらしい。
(夏場は陽が長い、または白夜なので、いつまでも日差しが注ぐ西向きの部屋がいいらしい。)

日本の夏、そんな部屋は地獄に等しい。

99 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/09/28 21:55:39
(2)読めないので1だけ読んだんですが、分からないことがあるので。
中世にも12世紀ルネサンスってのがあったと聞きますが、
実際には何が変わったんですか? 商業圏の拡大とかは知ってますが、
具体的な生活レベルで。

あと、中世における農業技術の改良で、結局どこまで生産量が増えたのか。
何か中世は小麦は二粒くらいしか取れなかったと過去スレで読んだんですが、
中世末期〜近世初期にはどれくらい取れたんでしょう?


100 :世界@名無史さん:04/09/28 22:43:29
中世ヨーロッパというと華やかなイメージのある僕は
このスレを読むのがこわいんです。

101 :世界@名無史さん:04/09/28 22:51:46
中世末期〜近世初期のフランスあたりで、種1粒→実4〜6粒程度。(三圃制)
ちなみに、畑の「畝」の採用、除草が行われたのは、1731年、農業技術普及家のジェスロ・タルの指導によるとされています。
(アジアからの技術輸入で「馬耕農業」の一環。)

「畝で作物を育てると、互いに成長を妨げることがないので実りが早い。
 横の畝は上手に、縦の畝はきれいに作らなければならない。
 列がまっすぐになれば風が静かに通り抜けるからである。」(『呂氏春秋』より)

102 :世界@名無史さん:04/09/28 23:42:08
>>99
ローマ時代における小麦100キロの生産に使われる農業労働時間は、
およそ300時間。
現在は、20時間くらいだから、ローマ時代にくらべて10倍以上
よいのだが、じゃあ18世紀とかはどうかというと、実はローマ時代
と同じ300時間程度なのだ。
だったら、ローマ時代からずっと300時間かというと、実は、12
世紀とか13世紀ごろには、60時間程度になる。
これは、現在の水準のせいぜい3倍。
なぜこのような高い水準の生産効率があったかというと、中世は、
農民が実質90%以上だった。全員が、それぞれの土地で、かつかつ
に喰っていける程度の労働しかしなかった。むちゃくちゃさぼりたい!
と思う心が、ここまで効率的な農業を実現したらしい。
当時、週休5日とか6日とかそういう時代。
ちなみに、中世の12世紀とかそのあたりのフランスでは、絶対量
で現在と同じ量のワインが生産されていた。当時のフランス人がいかに
飲んでいたか、ということだ(人口は現在よりもそうとう少ないはず)。
なお、ワインのかなりの部分がアラブの王侯貴族にむけて輸出されて
いたらしい。
ということで、>>101 が書いているように、粒からの実の数などでは
シュメール時代の中近東よりもひどい(あっちは1つぶで70つぶ?)
のだが、実はかなり効率的な農業をやっていたのが中世ヨーロッパ
なのだ。

103 :世界@名無史さん:04/09/29 12:08:22
>>100
華やかなイメージって、具体的には?

104 :世界@名無史さん:04/09/29 13:53:02
>>102
18世紀のばあいも「小麦100キロの生産に使われる農業労働時間」が
300時間という訳ではないですよね? あとドイツなどの場合でも18世紀
の農民は人口の80%以上という記述を読んだことがあるのですが(フランスも
同じくらいの割合だそうです)、そうすると18世紀の場合はなぜ300時間も
農民は働かなければならなかったのでしょうか?

105 :世界@名無史さん:04/09/29 19:55:46
>>104
たぶん、18世紀は農民がもう少し少ないはずだ。
そもそも、なぜ、15世紀以降に、急激に農業生産効率が悪くなるのか、
というと、近代化なのだ。
近代化は、まず、都市の発達から始まり、結果として、農民が都市に
出てくるようになる。結果として、農村が過疎地域になってくる。
そうすると、いきなり農業が重労働になる。
都市の手工業のようなものが発達すると、労働者としての農民が、さらに
都市部に集まる。で、農業従事者が急激に減り、そして、農村が荒廃する。
そこでは、農民一人あたりの労働時間が増える。さらに、一人が担当する
土地も増えるので、中世のきめ細かい農業が不可能になる。
どんどん生産効率が落ちる。そうすると、農民が農業をやめていなくなる、
あるいは、都市に出てきてスラムのようなところに住むようになる。
そこで、これをやめさせるためには、農奴として農民が都市に出てくること
を禁止するしかない。農奴となると、自由意志による農業ではないので、
実質、ローマの奴隷制農業に近くなり、やる気がなくなる。さらに労働
効率がわるくなる、という悪循環なんだね。

106 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/09/29 21:28:16
私の質問から盛り上がってますね。お答えどうもです。

>>105
工場制手工業辺りは、エリザベス朝のイギリスの話ですね。
でも>>101によると、品種改良で種一粒当たりの生産は増えたはずだから、
その分100kg辺りの労働時間は減っていてもおかしくない・・・と
思うんですが、どうでしょう?
フランス辺りはペストの流行と戦争で、実際に総人口が減った
というのも大きいんではないかと。
都市化がどの程度進んだか(15世紀の100年間で都市数がどれくらい
増えたかなど)が具体的に分かればいいんですがね。
パリの城壁を一部壊して市域を拡大したのも、都市化の一環でしょうか?

107 :世界@名無史さん:04/09/30 01:23:32
小麦は連作をすると、土地が荒れるので、何年かごとに農地を放棄したらしい。
記憶モードでは、放置して7年たったら、また小麦が作れるようになるまで
地味が回復するらしいのだが・・・。
中世の生産率の悪さは、この辺も関係あるかと思われます。
後に、土地が荒れたら、豆を植えたらしい。 
豆は空気中の窒素を吸収して、土地を肥やすそうな。

108 :世界@名無史さん:04/09/30 14:15:42
コピペですが ↓ なんだそうです。
マメ科の植物というのは空気中の窒素を固定する。根瘤(こんりゅう)という
根っこにできたコブで空気中の窒素を取り込み、それをアミノ酸やタンパク質に
合成する。大豆を「畑の肉」などと表現するのは、大豆の根瘤と根瘤菌つまり
根瘤に住む細菌で、これが実は空気中の窒素を固体化するのだが、これがが効率
よく窒素を固定し、上質のタンパク質を合成するからである。


109 :世界@名無史さん:04/09/30 15:37:52
>>108
牧草として休耕地にマメ科のクローバーを植えることが多かったそうな。
いつ頃から始まったかは不明だが。
田んぼのレンゲ草も似たようなものか。

110 :世界@名無史さん:04/09/30 19:45:10
>>109
蓮華草もクローバー(シロツメグサ)も同じマメ科だから同じなんだろうね。
こういうのを緑肥作物と言い、レンゲソウ・ウマゴヤシ・アブラナ・クローバー・
青刈り大豆などがあるらしい(アブラナはマメ科じゃないかも)。

111 :世界@名無史さん:04/09/30 19:52:11
しかし、考えてみると日本の農業ってのは凄まじいな。
水田は偉く進んだ技術だし、室町には二毛作もやってたわけだし。
千枚田なんてものまで作ってる。
平安末期辺りから鉄製の農具も民間に普及して、平野部の開拓も進んだようだし。

112 :世界@名無史さん:04/09/30 20:52:07
え?
日本本土では、古墳時代には鉄製農具が普及していたんじゃなかった?
「信州の山間部では、古墳時代でも石の鍬使っていた」なんていう話は聞いたことあるが。

沖縄では、室町頃にようやく鉄製の農具が普及したそうだが。

113 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/30 21:29:16
二毛作の誕生と、鉄製農具の普及は鎌倉時代の事です。
肥しの出現は13世紀と見られていますが、考古学の成果の中では16世紀
までしか遡れませんね。

114 :世界@名無史さん:04/09/30 21:32:23
中国で鉄製農具が普及したのは、漢代だったね。

115 :世界@名無史さん:04/09/30 21:35:49
それから、下肥が肥やしに使われるようになったのは「桶の普及以後」と聞いたことある。
古代に一般的だった曲げ物の桶では強度が無く、重い下肥を入れて運べない。
しかし丈夫な箍で締めた桶の普及で下肥が持ち運べるようになり、
使用が広まった。

116 :世界@名無史さん:04/09/30 21:36:19
昔の人は肥えも無く農業やってたの!?
どうやって畑を肥やすのよ??

117 :世界@名無史さん:04/09/30 21:37:27
焼畑だ

118 :世界@名無史さん:04/09/30 21:39:09
>>112
弥生時代は、鉄器時代だよ。石器時代は、縄文時代で終わり。
もっとも、鉄器利用は九州中心で、製鉄の本格化は6世紀以降だと思うが。
だから、古墳時代末までには、鉄器はそうとう普及していたってことになる。

119 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/30 21:54:59
>>116
ここで「肥し」と言ったのは人糞肥料の事ですが、藁や草木の灰なら確実に
ありましたよ。「笥」なら『日本霊異記』に、「桶」なら『倭名類聚抄』に出
ているのが確認出来ます。

120 :世界@名無史さん:04/09/30 22:09:15
肥やしといえば、「刈敷」を忘れてはいけないね。
山から草を刈ってきて、そのまま田んぼに踏み込む。少しずつ腐って、
ジワジワ効いてくる。
江戸初期の「慶安の御触書」に「百姓は朝は草を刈り・・・」とあるが、
この草とは家畜の飼料のみならず、刈敷用でもある。

121 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/30 22:13:24
>江戸初期の「慶安の御触書」
『徳川実記』に挿入されたものの、実は幕末に美濃の某藩で布告されたもの
で、早い話が捏造されたものであった筈では。草盗人なら平安時代から存
在した様ですが。

話を中世欧州に戻すと。草で思い出しましたが、かつて旅人は馬や驢馬の
首が届く範囲内の畑の草や麦は食べさせても良かったそうですね。

122 :世界@名無史さん:04/09/30 22:15:52
中国には昔マメンチサウルスがいたらしいから、原始時代の農家は大変だろうな。
根こそぎ食われる。

123 :世界@名無史さん:04/10/01 08:05:53
>>112
>>118
鉄器の普及のイメージが違うな。
鉄器が存在していたのと、それが庶民の所有物として普及したのは全く別の時期。

豪族や権力者は鉄器を保有して使わせていたのだろうが、庶民の所有物ではない。

>>113
で山野氏が言ってるが、12世紀後半の機内の名主クラスの財産目録に鉄製農具が出てくる。
小百姓も鉄製農具をもてるようになって、開墾や農業生産が発展した。

中国は製鉄によって森林が減少し、製鉄の開始こそ早かったが農具の発展はその後停滞した。

124 :世界@名無史さん:04/10/01 11:02:52
すると日本では、豪族は庶民に鉄製農具を使わせて、使用料徴収していたの?
しかし土を掘る鍬や鋤は木製でも何とかなるが、鉈や鎌、斧は鉄でなくてはならない。
このような「刃物」は、古代には一般に普及していなかったのかな?

ちなみに鉄の製造には大量の森林資源が必要。ローマ時代、ブリテン島のサセックスは
鉄の製造が盛んだったが、そのために大量のオークが伐られた。
一世紀にブリテン島にローマが進出し、五世紀に撤退するまでに9万dの鉄が生産され、
そのために破壊された森林面積は300〜800平方km。
中世の停滞期は多少は回復したらしいが、英国の国力が増すごとに今度は軍艦用に伐られ、
産業革命でまた製鉄などのために伐られた。
こうして英国の森林資源は破壊されていった。

125 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 11:39:10
>124
まず斧について。『宇治拾遺物語』にある、「よきをとられてわれいかにせん」
の説話は教科書でも御馴染みですが、同説話集にある「瘤取り爺さん」の話
によれば、翁は柑子程の瘤が顔にあったので人と交われず、止むを得ず山
に入っては樵をやっていたそうです。
『梁塵秘抄』には、樵を異人と見做した例もあり、どちらかといえば都人に
は遠い存在であったらしい。
『沙石集』には山中に住まう僧侶のもとを訪れた薪売りの話もありますし、
今の様に製品があれば普及しているという訳では無かったとお考え下さい。
『今昔物語集』には、「草刈鎌と云ふ物」を使用した出雲路寺の僧侶の話もあ
ありますが、「と云ふ物」という表現は、『枕草子』の「稲と云ふ物」と同様に、
その存在が、少なくとも想定されていた読者には知られていなかった事を
示唆していると言えるでしょう。
他に多くの田を経営していた男が、「馬歯・辛鋤・鎌・鍬・斧」などを所有
していた話、人に雇われた男が鎌で蘆を刈っていた話、客間のある様な田
舎の大きな家の子が木の枝を刈っていて死んだ話もありますが、財力が無
い人間にとっては、専門的な貴重品であったとしていいのでは。
『日本霊異記』中−16には、山中で薪拾いをしていて枯れた松から転落し
た使用人の話がありますが、鎌の有無は不明。持たされていたかもしれま
せんが。「竹取の翁」は当然鉈を使用したでしょうが、それが飯の種。

126 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/01 11:56:39
手元に小学館の漫画日本史があるが、それによると
いわゆる三つ叉の備中鍬は古墳時代から刃の部分は全部鉄製。
唐鍬とも呼ばれていたらしい。
が、そうでない普通の鍬や鋤は刃の先端部だけ鉄製で
他の部分は木製だった。
で、ずっと見ていくと、それが奈良時代にはある程度普及していたと思われる。

収穫時は石包丁で穂先を刈り取るのがその頃まで主流だったから、
農機具としての鎌は大分後で普及したと思う。
鉈や斧は普通、開墾時なんかに使うものだろうから、
そもそも開墾するような有力農民しか持っていなくて、
それ以外の時に使う場合には貸し出したと考えられる。

127 :世界@名無史さん:04/10/01 12:32:42
しかし鉈や斧は、日常の薪割にも必需品。
いちいち借りて使っていたとすれば大変だな。

128 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 13:03:29
>日常の薪割にも必需品。
割られた状態で売っていたと思いますが。燃料といえば、私の田舎では基本的
に落ち葉と小枝を使用していました。山から切り出して売る人もいたそうです
が、日常はこれで十分。『慕帰絵』では、囲炉裏に小枝・木片を入れている。
『今昔物語集』でも、『日本霊異記』でも基本的に薪は「拾う」ものです。
ただ面白い事に、『霊異記』では「拾う」となっていたのが『今昔物語集』において
「刈る」となっている例があり、両者の時代差を感じさせてくれます。

129 :世界@名無史さん:04/10/01 13:06:37
炊事用の包丁は?
これくらいは各家庭に無かったの?

130 :世界@名無史さん:04/10/01 14:06:03
>>129
ぐぐったら出てきたよ。
包丁の歴史
ttp://www.ichimonji.co.jp/hanasi/rekishi.html

やはり庶民普及は江戸からなのかな?

131 :世界@名無史さん:04/10/01 14:20:14
庶民の暮らしにどれくらい鉄製品があったかというのは実は割と分かりにくい。
特に鎌倉以前。
鉄は錆びるので残りにくいし、古鉄は新しい鉄製品の材料にされてしまう。
いきおい、記録や史料と付き合わせて、と言う話になるが、
これも庶民の暮らしの詳細については記述が少ない。

132 :世界@名無史さん:04/10/01 14:32:16
ちょっくらタイムマシンで見てきてやってもいいぞ。
愛機ファインピックスで写してきてやろうか?

133 :世界@名無史さん:04/10/01 15:24:08
水田の場合は、畑に比べて、水が養分を運んでくるので、土地が荒れないようです。
ヨーロッパの場合、気温が低いので、有機物の分解が遅い。

134 :世界@名無史さん:04/10/01 17:53:14
水田は、水のおかげで連作障害も無いんだよな。

135 :世界@名無史さん:04/10/01 17:57:54
逆に言えば、維持管理が大変なのも水田。
水を御さなければならないし。
日本で農業土木が発達したのも当然と言えば当然。

136 :世界@名無史さん:04/10/01 18:07:07
そういえば古代ローマの港町、エフェソスは周辺の山々を過度に開墾して
畑なり牧草地にしたため、土壌流出で港が埋まって港湾都市としての機能を失い、
滅びた。

日本だったらこんなことも無かったろうに。そして土壌流出で海が埋まったとしても、
埋まった三角州が新たな水田として開墾され、それなりに栄えた気が。

137 :世界@名無史さん:04/10/01 18:30:26
植物が育ちやすい気候に加えて、燃料、肥料の供給源としての里山の管理が
結果的に生態系や水田周りの環境の維持を行っていたということはあると思う。

戦後になって、山が荒廃すると川の洪水や海の環境変化が起こるようになったけれども。

138 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 20:54:15
>>131
『日本霊異記』には美作の鉄山が登場しますが、鎌倉時代になっても火事場
から釘などの鉄製品を拾って再利用していました。

139 :世界@名無史さん:04/10/01 21:25:46
福沢諭吉がアメリカにわたって驚いたのは
「道端に捨てられた空き缶に、誰も気を留めない。日本ならば火事の後は焼け跡の釘広いで大騒ぎなのに」
ということだったな。当時の日本を貧しいと見るか、エコロジイ社会と見るか・・・

しかし江戸期になってようやく包丁が普及したとは驚き。
それではそれ以前の庶民は、どうやって料理の材料を切り刻んでいたのか?

あと、西洋に話を戻せば、中世ヨーロッパの鉄製品の普及具合はどの程度?

140 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 22:07:22
包丁というか、細い小刀と菜箸を利用して俎の上で調理していましたよ。
腰刀は中世の成人男子の標準装備で、大小を問わずなんらかの刃物を身に
つけていた点はヨーロッパでも同じ。
男子たるものの社会的地位を表したという点では、ネクタイに相当。
『今昔物語集』の中山神社の生贄譚では、大猿の化物が俎・刀・酢・塩・酒
で人を調理しようとしていました。
日常的なものですから、鎌や斧よりは普及していた筈ですが。そもそも、
ほんの一昔前までは実際に貴重品でしたね。

141 :世界@名無史さん:04/10/01 22:14:25
台湾原住民の蕃刀のようなものか

142 :世界@名無史さん:04/10/02 14:50:47
>>140
町人でも、黒紋付に袴という正装のときは脇差さすから、ネクタイより格上かも

143 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/02 20:31:47
町中で携帯する訳にも行かなかったのでしょうが、脇差なら農民は特別な事
が無くても腰に挿していましたよ。軟禁状態にあったレザノフですら、『日本滞
在記』の中で、農民の腰に脇差を認めたと記しています。
『北越雪譜』には、遠出をして山中で「異獣」と出くわした男が用心の為に山刀
を挿していた事が記されています。

144 :世界@名無史さん:04/10/03 20:49:12
>>99
「十二世紀ルネッサンス」については、この手のスレで全てを語るのは無理なので、かなり端折って。
(全てを理解しているわけでもありませんがw)
基本的には、十字軍で中東やイベリア半島とのイスラム諸国からの文化流入から始まった、という形でしょうか。
『文芸復興』という意味で捉えると、詩作と音楽の結びつき→南仏のトゥルバドール等の宮廷歌人の恋歌に代表されるものでしょうね。

この前段階で流入したものに『ギリシア哲学』があります。
中世欧州の修道士や神学者たちは、なぜかアリストテレスに傾倒し、これを中世キリスト教神学と融合(?)させ、スコラ哲学(十三世紀)へと変化させていきました。
(逆に蛇蝎の如く嫌われたのがプラトン。ダンテの神曲では地獄の最下層に落とされています。)

この時代に最も重要で、現代にまで影響を与え続けているものを挙げるとすれば、『大学』の設立があります。
これもイスラム圏からの流入という形ですね。
(当時既に、バグダートやダマスカスにはイスラム教神学や医学の大学がありました。
まあ、それよりも前に神学ならぬ仏学の大学がインドにありましたが。)

とりあえず、そういったもの以外でこの時代に欧州で使用開始されたと言われているもの。
風車(十二〜十三世紀 古い文献だと「サラセン式風車」という名称もあり。)
アラビア数字(インド数字)、天文学、弩(中国発)、手押し車(地味だけど意外に重要。諸葛亮発明w)

・・・と、まあこんな感じになるんでしょうか?

145 :世界@名無史さん:04/10/07 18:51:43
類似の新スレ出来ました。
「欧州中世の政治と軍事〜教権か帝権か〜」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1097133983/1-100

146 :世界@名無史さん:04/10/07 21:56:38
age

147 :世界@名無史さん:04/10/07 22:19:50
>>144
スコトゥスやアラヴェルトゥスもアリストテレスの影響を受けてたんですかね。
だいたい中世の普遍論争ってアリストテレスと関係あるんですか?アリストテ
レス自身は唯名論者じゃないし

148 :世界@名無史さん:04/10/07 23:15:14
ドゥンス・スコトゥス(1266-1308)
トマス=アクィナス以後、実在論を主張したイギリス人。パリ大学で教えていた時、教皇ボニファティウス8世と仏王フィリップ4世の争いに際してボニファティウス8世を支持し、パリから追放されている。
彼の学説はそれまで絶対的権威とされていたアリストテレスとトマス=アクィナスを批判するものであり、実証的な学問への道を開いた。
(ヨハネス・スコトゥスの方は多分関係無いと思う。)

普遍論争とアリストテレスは直接的には関係無いのでは?
「弁論術」の愛読者たちが活躍したかもしれませんが。

149 :世界@名無史さん:04/10/07 23:39:10
そうですよね。アリストテレスは当時は今のノーベル賞みたいな権威だっ
たけど、普遍論争とは直接関係ないですよね。だけど千年以上続いた論争
のわりに誰が嚆矢かはっきりしなかったんで。やっぱアウグスティヌスあ
たりから始まったんでしょうか?

150 :世界@名無史さん:04/10/07 23:40:14
普遍論争とアリストテレス、「直接的」関係は難しいとは思いますが。

思想史の方では、唯名論の論陣は、アリストテレスの内から博物学的世界整理と反プラトニズムを受容した的な説も聞くことはありますよね。

151 :世界@名無史さん:04/10/07 23:50:32
ただ、それ専門の教育を受けてそれ専門の教養を積んでいないと、何について論争しているのか何が論点なのか、さっぱりワカラナイと思うんですよ。
>普通の日本人にとって、中世欧州の普遍論争というものは。

152 :≠144:04/10/08 00:48:04
>>147
>だいたい中世の普遍論争ってアリストテレスと関係あるんですか?

普遍論争の中味自体は、オレもチンプンカンプンだが(スマソ)。

ローマで国教になった古代からすでに、プラトンはキリスト教神学にとって、東西問わず、頭痛のタネだったみたいだよね。
イデア論は魅力なんだけど、新プラトニズムやグノーシス系の流出説は異端だってとこで。

153 :世界@名無史さん:04/10/08 10:29:24
だけどさ、その反対の唯名論って、つまるところ無神論じゃん。西ローマ帝国が
崩壊して農奴制が崩壊して、政治的にも経済的にも今のスーダンみたいに混乱し
てたヨーロッパで、唯名論が僧侶のあいだで議論されてたってとこに、ヨーロッ
パって特異だなあと感じるわけで。普通なら苦しいときの神頼みで、いっそう信
仰心が篤くなるもんだが

154 :世界@名無史さん:04/10/08 12:48:37
おそらくは、プラトンvsアリストテレスの対立の図式が、
中世になって実在論vs唯名論の形で再燃したのではないかと。

155 :世界@名無史さん:04/10/08 13:06:17
>>153
>唯名論って、つまるところ無神論

そんな単純ではないと思うよ。
教会が教化をはかった中世西欧中〜下層は、アニミズムと言うか汎神論と言うかが優勢な状況が続いてたわけでさ。
要するに、巨木とか巨石とかにそれぞれに霊威が信じられていたし、川の精霊、森の精霊なんかも信じられていた。
で教会はこれらの土俗信仰を迷信として退ける教線を戦ってた。ここまではOK?

キリスト教的には、世界には神が計画(ロゴス)を持って創造した秩序がある、って信念が対アニミズム教線の武器だったわけで、
こっち関係では、アリストテレス的世界観は(少なくともプラトン的世界観より)有益だった。
古代ギリシア思想を集大成したアリストテレスは、4大の発想も(ソクラテス・プラトン以降に)再興してるので、4大精霊なんて“迷信”がキリスト教世界でも生き延びちゃったけどね。

156 :世界@名無史さん:04/10/08 18:30:41
キリスト教ってヨーロッパにとって外来宗教でしょ。よく中世建築のレリーフに
得体の知れない化け物を見かけるけど、あれってキリスト教に抹殺された神のデ
フォルメされた姿じゃない?そういった神殺しの後ろめたさがあるから、キリス
ト教の言う神の存在をすなおに信じれないし、普遍論争なんてのを延々と続けた
んじゃないの?


  ┃┃┃┃|‖ |  |  |  |  |  | ┃┃┃┃┃┃┃┃
  ┃┃┃┃|‖ |  |  |  |  |  | ┃┃┃┃┃┃┃┃
  ○○○○|‖ :ニニ"◇ ̄◇ ̄◇| ○○○○○○○○
  ○○○/|‖:::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\○○○○○○○○
  ○○/  /|‖        ○○○○○○○○ 
      l:::::::| |‖                | 
      |/ ̄\  (●)     (●)   |
    r┤    ト::   \___/     |  とおもう光武帝であった
    /  \_/ ヽ::.  \/     ノ
   |   _( ̄ l―---oo-――'"
   |   _)_ノ    ハ
   ヽ____)ノ


157 :世界@名無史さん:04/10/09 06:22:31
でも結局は自然崇拝って残っちゃうんだよなぁ。それほど自然にはパワーがある。
科学でもってその全容を明らかにされるまである種の自然崇拝は残るだろうね。

158 :世界@名無史さん:04/10/09 17:04:32
そうね、山とか登ると、雄大な風景に神の存在を信じてしまいそうになるな。
昔の修行僧の山岳信仰とは、その様な物なんだと、妙に納得した。

159 :世界@名無史さん:04/10/09 17:44:36
「輪廻転生」信じてる欧州人キリスト教徒も意外と多いんだよね。
キリスト教じゃ否定しているはずなんだけど。

160 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/09 18:31:13
仏教の概念から言えば、幽霊やお盆に帰還する魂も無い筈なのですが(笑)。
現に庶民に定着して間もない12世紀には、大寺の僧侶で盆の帰還を俗信と
する者もいました。本来は地獄に堕ちた母の霊を救済するものでしたから。
民間の信仰とは、えてしてそういうものなのかも知れません。

161 :世界@名無史さん:04/10/09 23:52:12
赤ん坊とか、洗礼の前に死んでしまうと、キリスト教徒じゃないから、
天国に行けないらしいし、母親としたら精神衛生上、何らかの救いがほしいのかも。
日本にキリスト教が広まらなかった理由の一つに、「キリスト教徒以外は地獄に落ちる」
と言う教えが受け入れられなかったから、だそうな・・。
キリシタンじゃなかった、爺さん婆さんが地獄にいるんじゃ、可哀想だから、オラも
地獄にお供せねば・・・、と言う考えに成ってしまうらしい。

162 :世界@名無史さん:04/10/10 02:01:28
>>156
どんなに飾ってもこのAAは大ちゃんにしか見えない


163 :世界@名無史さん:04/10/10 07:51:58
>>157>>158
マクロコスモスとミクロコスモスという発想も西欧にはあったよね。都市の外に広がる大自然は
人間の力の及ばない外宇宙というもの。阿部謹也さんの”嵐の日に鐘をガンガン打ち
鳴らしてそれに対抗した”という話は妙にリアルに感じられるものだったよ。

164 :世界@名無史さん:04/10/10 10:07:03
>>163
warata

165 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/10/10 22:13:19
>>161
いつもその説聞く度に思うんだが、もともとゲルマン人やスラブ人への布教のために
考え出されたという煉獄はどこいったんだろう。

166 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :04/10/10 23:22:33
煉獄の再発見は、12世紀に文書化されて登場し、美術では13世紀
からみられる。13世紀後半になってから教会が煉獄を認め、押し
つけるようになり、公的に承認されたのは1274年の第2リヨン
公会議において。
ジャック・シフォローは、死骸が解体して白骨化するまでの期間、
つまり喪の期間、死者はまだ本当に死んではいないと考えた古来
の民衆文化を、煉獄によって教会はこの期間を掌握しようと努力
したのだという。

167 :世界@名無史さん:04/10/11 08:06:47
>>166
とすると”ゲルマン人やスラブ人への布教のために考え出された”という説明も
あやしいんじゃねーの?

168 :世界@名無史さん:04/10/11 08:48:14
>>167
あやしいと思う。大体、人間を天国行きと地獄行きのふたつにわけてしまうのは無茶苦茶だ。
「神曲」だと、キリスト教徒でない以外には罪のない人(キリスト以前の偉人や善良な異教徒
洗礼前の幼児)は地獄の最上層でとても地獄とはいえないようないい暮らしをしているし、
地獄に落ちるほどではないが、まっすぐ天国には行けない人は煉獄で修行という感じだし。
こちらのほうが、受け入れやすい。
天国と地獄しかないプロテスタントは考え狭くていやだ。

169 :世界@名無史さん:04/10/11 08:54:07
>>163 その話は”中世の風景”でもなさってたよね。梢を渡る風の音とかにも
   怖れを感じていたとか。個人的には夜になるとマクロコスモスが家の戸口
   までやってくる、という記述が興味深かった。

170 :世界@名無史さん:04/10/11 10:41:31
>>168
その点カトリックは民心をよく汲み取っていたということになるのかな。

171 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/11 11:07:56
その辺は時代の差という気がする。
12〜13世紀はまだエルベ以東は異教徒が多くて、
ドイツ騎士団辺りが布教をするに当たって、煉獄という存在は
必ずしも不利なものではなかったと思う。

ところが宗教改革の頃は「全員キリスト教徒」だから。
煉獄やら何やらの存在価値が薄れて、代わってキリスト教徒内部の
宗教的不安(蓄財とかの問題)が特に都市では出てきつつあった。
それにどう対応するかで、宗教改革が起きたんだと思う。

172 :世界@名無史さん:04/10/11 11:14:19
鎌倉新仏教みたいなもんか。

173 :世界@名無史さん:04/10/11 11:51:34
>>170
カトリックは、乞食だろうと売春婦だろうと召使だろうと泥棒だろうと信仰心さえあれば、聖者に列せられて天国にいけるが、プロテスタントは・・・宗派次第かな?

174 :世界@名無史さん:04/10/11 15:26:59
煉獄がキリスト教徒の商人の聖化に役立ったと言う面もある。


175 :Krt:04/10/11 18:05:58
中世におけるプラトンとアリストテレスの影響、及びそれと普遍論争の絡みについてだが、
これはとても複雑である。特に後者に関しては私も十分理解しているとは言い難いけれど、
ここまで出ているレスに関していくつか気がついた点があるのでそれについて書いてみる。
 まず中世におけるプラトン観についてだが、>>144氏の、
>中世欧州の修道士や神学者たちは、なぜかアリストテレスに傾倒し、これを中世キリスト
>教神学と融合(?)させ、スコラ哲学(十三世紀)へと変化させていきました。
(逆に蛇蝎の如く嫌われたのがプラトン。ダンテの神曲では地獄の最下層に落とされています)

というのは誤解だろう。普通「スコラ哲学」の成立はもっと前(十一世紀末から十二世紀)
だとされてるし、それに中世においてプラトン当人のテキストは殆ど知られていなかった。
十二世紀までに確実にラテン訳があったのは「ティマイオス」ぐらい(それも抄訳)で、
天地創造を扱ったこの作品は初期スコラ哲学を代表するシャルトル学派においてはむしろ
極めて尊重されていたし、他にはせいぜい「メノン」「パイドン」とプロクロスによる
「パルメニデス注解」によってテキストの一部が知られていたぐらいである。(もっとも
新プラトン主義哲学はプロクロスや偽ディオニュシウス・アレオパギテスを通じて流入し、
後者の思想は中世の神学・政治思想におけるヒエラルキー論に多大な影響を与えているが)

176 :Krt:04/10/11 18:06:45
ダンテの神曲「地獄編」におけるプラトンの居住地も「徳はあるがキリスト教の洗礼を
受けなかった者」の住まう、地獄の第一圏(リンポ)であり、ここでも彼は他のギリシャ
ラテンの英雄や文化人たちとともに特別に優遇されている。即ち、その居住地は緑豊かな
広野の中の美しい川に守られた威厳ある城であり、ここで彼はホメロス他の詩人(案内役
のウェルギリウスも本来ここの住人)、ヘクトールやアエネアス、のような伝説の英雄、
カエサル、ルクレツィアその他ローマの英傑・貞女らと並んで一連の学者らとともに名を
挙げられているからだ(ここでも主役は「賢者の師匠」アリストテレスではあるが)。
なお興味深いのは、彼らの中にアヴィケンナ、アヴェロエスの名があるだけでなく、
なんとイスラムの英雄サラディンの名まであることで、当時の彼の名声が忍ばれる。

それともう一つ、>>155氏のようにアリストテレスを「古代ギリシア思想を集大成した」
というふうに理解するのも実は少しまずいと思う。実際問題として、アリストテレスの
生前公開されていた著作はその死後(BC322)徐々に散逸してしまい、現在彼の主要著作と
みなされている部分を含む未公開草稿も、これを秘蔵していたアペリコンの蔵書がスラの
アテナイ征服によってローマに持ち込まれ、前一世紀後半にアンドロニコスによって
校訂されて世に出るまでは知られていなかったからだ。このことはD=ラエルティウスの
挙げるアリストテレスの著書目録(恐らくアレキサンドリア図書館の目録に基づく)に
今は伝わっていない物が多いのに、逆に現在主要著作とみなされているものが殆ど入って
いないことからも窺える。(「ギリシャ哲学者列伝」(中)岩波文庫、p.29ff.)

177 :Krt:04/10/11 18:07:29
もちろん弟子のテオフラストスやエウデモスが師の遺稿の一部を校訂して出した可能性
はあり、その痕跡はエピクロスが書簡でアリストテレスの論理学等に触れているという
事実からも推測されるが、このような例が見いだされるのは希で、アンドロニコス以前に
知られていたアリストテレスは、主に彼が初期に書いて生前に出版されていた文学的な
対話編、即ち現在ではむしろその大半が失われている通俗的作品によってなのである。
またヘレニズム初期の哲学の本流はなんといってもストア学派だったから、ある時期まで
古代哲学に対するアリストテレスの影響力は、エウデモスを通じこの学派に受け継がれた
論理学その他の限定的な内容によってでしかない。従って少なくとも古代的文脈から見た
哲学や他の学問の本流にはアリストテレスの思想とは無関係に展開した部分が多いと思う。
(現在ではそれらの内のかなりの部分が失われているので現代人からはそう見えないが)

だが紀元二世紀ごろからアリストテレスの影響力は徐々に高まり、精密な註釈も為される
ようになってきた。実はあとで普遍論争に関して問題となる三世紀のポルフュリオスも
これらの注釈者の一人である。とはいえ、古代世界滅亡後、ラテン訳されて西欧に残った
アリストテレスの著作はボエティウスによる論理学関係のテキスト(の一部)でしかなく
著作の主要部分は主に十二世紀以後、シリア語→アラビア語を経由して西欧に入ってきた
こと、それが十二世紀ルネッサンスの原因の一つだったことは、ご承知の通りである。

178 :Krt:04/10/11 18:08:11
さて、ここで普遍論争の問題に入るが、元々この論争のきっかけになったのは先に挙げた
注釈者ポルピュリオスによる「アリストテレスのカテゴリー論への序論」である。
彼はここで類や種といった普遍は実体として存在するのか、それとも単に人の思考の内に
あるだけなのかという問題を提起した。そしてしばらく忘れられていたこの問題提起が、
十一世紀頃から議論の対象となっていったことが普遍論争の始まりだと言われている。

最初に問題となったのは、この書が何について論じているのかという点を巡って、それが
もの(res)についてであるという立場に対して、この書は音声言語について述べている
のであり、そもそも普遍はものの前には存在せず、普遍は多くのものの名称である音声の
流れにすぎない、とする音声言語論派(初期の唯名論者)の解釈が対立した。
これに対して普遍は根元的なものとして個物に先立つという反論を述べる人々が現れた。
イデア論、新プラトン主義、アウグスティヌス主義、といったプラトン主義的な見解を
根底に持つ彼らの立場は「実在論(実念論)」と呼ばれるが、これでないと三位一体論が
説明しにくく三神論になりかねないとか、人類という普遍概念が実在しないとアダムの
行為に起因する「原罪」を説明しにくいといった理由があったため、カトリック教会に
とっては、こちらの方が都合がよく、しばらくはこの立場が主流となっていた。

179 :Krt:04/10/11 18:08:53
十三世紀におけるトマスらドミニコ会による神学へのアリストテレス哲学の導入は
この流れを変える可能性をもっていたのかもしれないが、トマスらは「普遍はものの中に
ある」としてアリストテレス的見解を加えつつも実在論の内にとどまった。これは一方
では、実体に関する、もとからアリストテレス哲学に内在する両義性(プラトンに反発
しつつもプラトンの影響を受けていた彼の哲学の)からの帰結だが、他方においては
当時の保守的なアウグスティヌス派との闘争において、むやみに相手を刺激したくない
というドミニコ会による政治的判断があったのかも知れない。

 ともあれ唯名論の本格的復活は十四世紀のW.オッカムによってであり、彼は、普遍が
実在するならそれは創造に先立ち神の心の中にあるが、これは無からの創造という教義と
矛盾するがゆえに、普遍は単なる名辞であり実在するのは個物のみだとした。そして彼は
普遍を志向する人間の理性には限界があり、それゆえ神に関する事柄は教権に従って信仰
されるべきものだとしたが、この主張は知覚を人間の認識の根拠とすべきだとする英国
古典経験論の源泉となると同時に、本来は信仰と理性の一致を主張するカトリック本流の
立場に対して打撃を与えることになった。(なぜならこの主張の一部を入れ替えれば
「聖書のみ」「信仰のみ」というプロテスタント的立場になりかねない)

180 :Krt:04/10/11 18:09:44
こうしてみると、プラトンvsアリストテレスの対立図式が実在論vs唯名論の対立
によって再燃したのでは、という>>154氏の指摘は半分(プラトン主義的な傾向の持った
役割に関して)は当たっていると思うが、唯名論を単純にアリストテレス主義に帰す
わけにはいかない、という点で妥当性の限界があると思う。

それとリーゼンフーバーなども強調するように(「中世思想史」平凡社ライブラリー)
中世哲学の主題は極めて多様であり、ある時代の論争を全て「普遍論争」という鋳型に
はめて理解しようとするのは危険だと思う。例えば英語版の一巻物の哲学事典などでは
現在、普遍論争という項目を探しても立項されていない事があるぐらいで、もう中世の
哲学論争に関してはその内容の多様性を尊重し、相異なる時代における形而上学的議論
は、それぞれ個別の問題を扱っているとみなすのが現在のあり方なのかも知れない。

蛇足を加えると現在の哲学的論理学と言われる分野において実在論は決して廃れた分野
ではない。たとえばデイビッド・ルイスのように(現実の世界においては)実在しない
対象を扱う事の出来るフリー・ロジックとよばれる特殊な論理学を用いてアンセルムス
的な実在論から由来する神の性質に関する議論を再評価する試みもあったりするのだ。
(cf. D.Lewis:"Anselm and Actuality": in Philosophical Papers Vo.l.2:OUP:1986)


181 :Krt:04/10/11 18:10:14
あと、話は変わるが、上の方で出ていた動物裁判に関して言うと、ヨーロッパのそれは
確かに他の地域と共通するアニミズム的な感覚に基づく罪概念に基づいている部分もある
けれど、どうもそれだけでは説明のつかない、キリスト教神学固有の思想に基づく部分、
あるいはそこから発達してきた法思想に基づく要素もあるように思う。

即ちそれは、「万能の神がなぜ何も悪い事をしていない者が動物に殺されたり、害虫に
苦しめられたりといった苦しみを受ける不完全な世界を創造したようにみえるのか」
といった弁神論的問題、あるいは「もしかすると動物その他にも霊魂があり、犯罪に対し
何らかの責任を担いうるのか、いや、そもそも行為に対して責任を担いうる者とは、一体
どういう存在なのか」といった類の神学的/法哲学的問題意識である。

またそういう問題意識があるからこそ、中世どころか地域によっては十九世紀になって
からも動物裁判だの、害虫に対する破門の儀式のようなものが引き続き行われていた
ともいえる訳だ。この問題に興味がある人には、エドワード・ペイソン・エヴァンズの
「殺人罪で死刑になった豚」青弓社:4-7872-2008-X、の一読を勧める。私同様、読んで
頭がくらくらしてくる人も多いと思う(笑)。

182 :Krt:04/10/11 18:11:40
なお、上の方ででていた、近世における農業生産性に関する問題だが、ブローデルが
「日常性の構造」(物質文明・経済・資本主義:第一部)において参照している資料
(スリヒャーの研究)によると、十三世紀〜十九世紀の小麦、大麦、ライ麦、燕麦の
収穫率は以下である。(ローマ数字T〜Wは農業先進性の度合いによるグループ分け)

A 1200以前〜1249 種一粒に対する収穫率 3〜3.7

 T イギリス          1200-1249     3.7
 U フランス          1200以前      3

B 1250〜1820          収穫率 4.1〜4.7

 T イギリス          1250-1499     4.7
 U フランス          1300-1499     4.3
 V ドイツ、スカンジナビア   1500-1699     4.2
 W 東ヨーロッパ        1550-1820     4.1

C 1500〜1820          収穫率 6.3〜7

 T イギリス、ネーデルランド  1500-1700     7
 U フランス、スペイン、イタリア1500-1820     6.3
 V ドイツ、スカンジナビア   1700-1820     6.4

D 1750〜1820          収穫率 10以上

 T イギリス、アイルランド、ネーデルランド 1750-1820 10.6

183 :Krt:04/10/11 18:12:26
この数字から農業技術の進歩による大まかな収穫量の増大が見て取れるが、地域差の
大きさには驚かされるし、また史料を細かく見ていくと、おそらくは気候的、社会的
な変動による著しい落ち込みが見られる期間もある。史料の欠落のせいか、完全な
比較が出来ているわけではないようだが、減少原因にはペストと、17-8世紀の小氷期
の影響もあるのではないだろうか?

穀物収穫率の後退(1250-1750)
                収穫率   減少率(%)
イギリス    1250-1299    4.7     −
        1300-1349    4.1     16

1350-1399    5.2     −
        1400-1449    4.6     14

イギリス    1550-1599    7.3     −
ネーデルランド 1600-1649    6.5     13

ドイツ     1550-1599    4.4     −
スカンジナビア 1700-1749    3.8     18

東ヨーロッパ  1550-1599    4.5     −
        1650-1699    3.9     17

(ブローデルibid:みすず書房:第一巻、p.154f.)

184 :Krt:04/10/11 18:13:51
最後に煉獄の問題だけれど、これも難しいね。ル・ゴッフなんかはアウグスティヌスが
思想的な先駆者で、煉獄思想の歴史においては、天国行きの罪のない人間、いかんとも
しがたい地獄行きの重罪人という二項に対して、生者の側からの取りなしの祈りが効く、
小さな罪を犯しただけの人間、という第三分類項が彼によって考えられたのが大きいと
している。もちろんアウグスティヌス自身は、こういった三元論的な傾向をもちつつも、
結局死後の世界の明確な三元化はなしえなかったわけだけども。 

 たぶんキリスト教も布教期には、信じる者は天国行き、信ぜざる者や悪人は地獄行き、
と脅す方が信者獲得のためには効率的だったんだろうけれど、教えが行き渡ってしまうと
二元論では、大半が天国行きなら社会の規律はゆるむし、大半が地獄行きなら、みな
ニヒリズムに陥り、やはり規律がゆるむ、という重大なジレンマに陥る事になるわけだ。
しかも社会が、聖職者−一般信徒、ないし善人−悪人という二項図式的な分類よりも
聖職者−戦士−農民大衆、ないしは、完全な善人−不完全な善人と不完全な悪人−悪人
という三項図式的な人間分類が相応しいものになってしまうと、いつまでも天国−地獄
の二元論ではやっていけなくなるという事なんだと思う。まあ、こういうことはキリスト
教に詳しい人に聞いてみないとわからないけれどね。  

185 :世界@名無史さん:04/10/11 18:21:19
なげーよボケ。

186 :世界@名無史さん:04/10/11 18:22:14
                      /´/'´ _,. l,.....ヽ  ヽ
                        r''ヘ_ _ ,.r' l  lヽ  .i
                      ,r '´l _. リ !    / l.〉 l,r
                  l   、i(._`    `ー-‐'ヽ./   l`
               ,r::'::::l   !ヽ_`ヽ_,..、     '⌒r_'    興味ないね
    r‐ 、       _  i:::::;::;_;l-'´` ‐ ̄._ l   _,、_'ノ- i、._
    l    `-、..-i' ´  ヽ_,.ゞ- 、      r ' ´ ̄       /:::::::::`ヽ
   !     ,..rー、    ヽ.  ヽ     ./     _,...-::'´:::::::::::::_;/
    ヽ、   /     ,ヽ.    i.   ヽ   -r:::::'::::´:::::::::::;::::-‐::':´::::::)
      `‐/ 、__ ./ヽ,入_,ノ     l  ,r'´ ` ー ::::_::::::::::::::_;:::- ' ´
     _,/     /.  ヽ_   _,.. -ヘ-'         ̄
  r' ´      ヽ       ̄
  ヽ、      _ノ
      ` ―― ''´

187 :世界@名無史さん:04/10/11 18:31:53
ありがとう、krt先生。
>>185-186 帰れよ。

188 :世界@名無史さん:04/10/11 18:46:11
要約すると
普遍論争
プラトン主義的な傾向の役割もあるが、唯名論を単純に
アリストテレス主義に帰すわけにはいかないので限界がある

論争を全て「普遍論争」という鋳型にはめて理解しようはできない

動物裁判
キリスト教における神学的・法哲学的問題意識によるもの

農業生産性
大まかな収穫量は増大するが、地域差や気候・社会的要素などが
あり比較は難しい

煉獄の問題
アウグスティヌスが思想的な先駆者
布教には天国と地獄の方が有利、キリスト教が行き渡ったから煉獄
が登場

ってこと?

189 :Krt:04/10/11 19:25:37
>>188そんな感じだね。ただ、農業生産性に関して言えば、「大まかな収穫量は増大」
傾向という方に重点があると思う。

それにしてもヨーロッパ人はなんでこんな生産性の悪い麦類に執着してたのか、
あるいは執着せざるをえなかったのか、と思う。
ジャガイモが入ってきた時も、麦類に比べ面積あたり二倍以上の人口を養えるにも
かかわらず、当初の普及は遅々としていたわけで、ジャガイモ畑が戦争に際して
徴発されにくいとか、荒らされにくいといった理由で耐久力があったこと、また
当初、ジャガイモは十分の一税が免除された地域が多かったこと、といった理由が
無ければ、普及はもっと遅れたらしい。

 ブローデルにしても、なんか米とかトウモロコシを主食にしている文化圏に対し
冷ややかな視線があるんだな。中南米はほとんど放っておいてもできるトウモロコシ
なんかを作ってるから、人口も増えすぎるし、退屈して、ああいう人身御供を伴う
暴政的な神政国家ができるんだ、とか。逆に南シナなんかは収穫率は高いが超労働
集約的な米ばかり作るから、山岳地が開かれず平地に過剰人口が集中してしまったとか。

190 :世界@名無史さん:04/10/11 19:30:46
豚って本当に木に登るんだな。

191 :世界@名無史さん:04/10/11 19:31:47
>>189
日本も米に執着してたから余所のことは言えん。
東北地方で米なんかつくるから飢饉になる。
畑百姓は一段下に見られてたし。

食文化というのは結構根が深いんじゃないかねえ。
アイルランドではジャガイモ飢饉の時に餓死者が出ても海藻を食おうという発想が出なかったらしいし。
アラン島とかでは肥料にしてたのにな。

192 :世界@名無史さん:04/10/11 19:48:25
>>191
チャチャいれるわけじゃないけど、海藻はほとんどカロリーないんじゃない?
米についてはお説のとおりです。棚田作ってもとにかく米。稲作してこそ一人前の百姓。
うちの親戚に一軒だけ専業農家がありますが、都市近郊なので野菜専門だけど
昔は米も作っていた。昔から野菜はいいけど(今はブランド物)米はまずい地方です。

193 :世界@名無史さん:04/10/11 19:51:56
>>192
日本だと、飢饉の時は藁や土、下手すりゃ嬰児まで食べてるぞ。
餓死者が出るような状況なら何でも食べて当たり前。

194 :世界@名無史さん:04/10/11 19:55:55
http://www.shajisitu.or.tv/c4l5x1.htm

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」です。右下の小さな絵をクリックすると12月まで見られます。

195 :世界@名無史さん:04/10/11 21:06:12
食生活は幼少期に決まってしまうので、中々変更はきかないのかも。
我々も明日から、「タロイモ主食」 と言われても、変更する気にはなれません。

196 :世界@名無史さん:04/10/11 22:34:14
それに欧州のパン、ビールはキリスト教にも関係のある食物。そう簡単に
ジャガイモにシフトできるとも思えない面がある。日本の米もそうで、餅や
酒は宗教にかかわるモノだよね。

197 :世界@名無史さん:04/10/11 22:53:06
>>196
ビールとキリスト教はどういう関係でしたっけ?パンと葡萄酒なら肉と血ですが。
それはおいといて、戦前は餅をつくということは大変なことで、神事の他は正月。
明日をも知れない病人が「最期に餅を食べて死にたい」とか言い出したら
村中回って、事情を説明して、やっと餅がつけたとかいう話です。

198 :世界@名無史さん:04/10/12 00:33:53
「ビールは液体のパン」「パンはキリストの肉」だそうです


199 :世界@名無史さん:04/10/12 01:44:17
最近必死でこのスレ上げてる椰子がいるなw

200 :アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/12 02:08:38
200げと。
かつて(ローマ期)は、
ビールも蛮族の飲み物だったわけです。
では、発泡酒ばっかりの私は一体全体...

201 :世界@名無史さん:04/10/12 02:31:17
ローマ時代は、ワインは割って飲むものだった。
割らずに飲むのは蛮族のすることだった。

202 :世界@名無史さん:04/10/12 07:10:43
>>197
修道士が断食するときビールがないと困るんじゃないかと・・・

203 :世界@名無史さん:04/10/12 10:31:43
>>178
ポルピュリオスからロスケリヌスの間の唯名論者って誰でしょうね?私はオーク
セレのレミーとエリックしか知らないんですけど


204 :Krt:04/10/12 22:33:16
>>203
178では少々はしょってああいう書き方をしてしまったけれど、ポルピュリオスによる
「アリストテレスのカテゴリー論への序論」は、実際の所、ボエティウスの翻訳と
註釈によって西欧社会に伝えられたわけだ。だからポルピュリオスとボエティウスの
間において、誰が唯名論者だったか、と考えるのは少し変な気がする。強いて言えば
三位一体論との関係で、反アタナシウス派の内のだれかにそういう思想傾向を持った
人物がいただろう事は容易に想像できるけれども、私はキリスト教の教義にはあまり
詳しくなくてね。残念ながら、誰、という明確な指摘はできない。まあこの問題は
キリスト教関係の専門スレに行けば詳しい人がいて教えてくれると思う。

となると、ボエティウスからロスケリヌスの間で、という事になるだろうけれど、
この期間においては、「もし白もしくは黒がそれだけで実在し、これらの基体である
実体なしで実在すると主張しようとするなら、これらに相応するいかなる実在も指摘
する事ができず、白い人とか黒い馬とかを指し示さねばならない事になろう」と述べた
オークセレのエリック(ヘイリクス)の方は、たしかに唯名論者と言って良いと思う。

205 :Krt:04/10/12 22:34:30
でも他方、「種が類の<実体的部分>であり、また種たとえば人間という種は多数の
個人の実体的統一体である」と主張したオークセレのレミー(レミギウス)の方は
果たして唯名論者と呼べるのだろうか?
 ことにこの表現が「多数の個別的な人間は数的に一である共通実体を持つ」という
意味において理解されるならば、である。

私が参照しているF.コプルストンの「中世哲学史」(創文社)においてもこのような
理由から、彼はむしろ実在論者の方に分類されているし、上記の彼の言(コプルストン
の本からの孫引きだが)からしても、やはり彼は実在論的主張の持ち主だと見なすのが
自然じゃないだろうか。

まあ、この時代における、それ以外の唯名論者は? 
と問われても残念ながら私の知識の範囲には無いけどね。

206 :世界@名無史さん:04/10/13 12:03:18
失礼しました。オークセレのレミー(レミギウス)は唯名論者というよりは、実
在論者ですね。ちなみに初期スコラ学の唯名論はネストリオス派の影響を受けて
いるんでしょうか?ボエティウスを議論の対象とするうちに自然に生じたんでし
ょうか?

207 :Krt:04/10/14 00:08:11
>>206
多分後者だろうけど正確な事は知らないな。なにしろロスケリヌスにしても現在では、
彼が書いた物は手紙以外残っておらず、彼の音声言語派としての唯名論的な主張にせよ
実はアンセルムス等の彼に対する言及からわかるだけで、本当はどういう文脈において
為されているのかは完全には判らないわけだ。
 それとポルピュリオスは勿論、ボエティウスの注解(「ポルヒュリオス・イサゴーゲー
注解」平凡社:中世思想原典集成5に収録)にせよ、それ自体は完全に非キリスト教的な
テキストなわけで、普遍論争がこれの解釈に端を発する、というのがウソ偽りのない事実
なら、唯名論に対するネストリオス派の影響云々を言うのは少し大胆すぎると思う。

 ただ「注解」から穏健な実在論者だったと見なしうるボエティウス自身は、他方では
いわゆる「神学論文集」において非ネストリオス的な立場を明確にしてもいるわけだから
唯名論側、即ち反ボエティウス的立場に立つ側が逆にネストリオス派的な主張に近づくと
いうことは、そりゃ論理的にはあり得るだろうけれども。
 まあ、こういうことは「キリスト教総合スレ」あたりで聞いた方が正確な答えが
返ってくると思うよ。

208 :世界@名無史さん:04/10/14 00:25:50
普遍論争絡みの質問です。

質問:「実在論」の「実在」ですけど、これは「サブスタンス」と関係してますか?

私が、一般教養で中世文化史を教わったのは、もう二十年も前なので、古いでしょうし、一般教養並みのアウトラインしか知りません。

で、「実念論」はイデア論との絡みで、「普遍的実体は具体的個物とは異なる概念」と中世思想ではみなされていた、という理解を持っていました。
二十数年前の一般教養での用語では、具体的個物の方は「実存(サブスタンス)」という概念で括る整理で説明を受けましたが。

>「多数の個別的な人間は数的に一である共通実体を持つ」(>>205)、という当時の思想要約(なのですよね?)をみると、「実在」もサブスタンスの一種として、中世期に見られていたのかな?
二十年間の研究の推移で、そうした見解の推移があって、それでかつて「実念論」と呼ばれてた用語が最近は「実在論」と移行してきたのかな??

とか、気になってきました。
見当違いかもしれませんが、どんなもんでしょうか?

>中世の哲学論争に関してはその内容の多様性を尊重し、相異なる時代における形而上学的議論は、
>それぞれ個別の問題を扱っているとみなすのが現在のあり方なのかも知れない(>>180

ってお話は、説得力があり、なるほどそうなのかと思いましたが。
その上で、強いて言うなら、どちらかと言うと現在の研究フレームの問題として、
かつて「実念論」と呼ばれたものが「実在論」って用語に切り替わって来てる(と思うんですけど)背景に何か理解の推移があるのでしょうか?

209 :世界@名無史さん:04/10/14 08:50:06
>>207
博識な方ですね。ありがとうございます。
>>208
英語ではどちらもリアリズムで区別はないとおもうんですが、素朴実在論と混同
を避けて実念論と呼ぶんでしょうか。

210 :Krt:04/10/14 23:30:49
>>208 209氏が指摘しているように、実在論も実念論も英語では同じrealismである。
(1)実在論の「実在」はサブスタンスと関係しているのか、(2)なぜrealismの訳語が
「実念論」から「実在論」へと変わりつつあるのか、は順を追って説明する。

もともと「イサーゴーゲー注解」の立場はアリストテレスに寄り添う形で、個物こそが
(例えばプラトン、ソクラテスといった)まず第一次的な実体(ウーシア=サブスタンス)
であるが、アリストテレスの二次的実体たる個物を統括する類、種の概念(例えば人間)
もまた、人と馬から勝手につくられたケンタウロスのような虚偽とは異なり、物体から
抽象化された線分のように個物の中に有りつつも、そこから離れても考え得る普遍
である、というものだと思う。以後こういう考えを「穏健な実在論」と呼ぶ事にしよう。
 それに対し、二つの異なった立場が存在しうる。一つは、むしろ「人間」といった
普遍概念は、もしそれが正しい概念なら一次的な実体として精神の外部に実在するし、
個物はむしろ既に存在する実体の、偶有性においてのみ異なる所の新しい性質でしかない
という「極端な実在論」の考えである。(こう考えると原罪により悪に染まった「人間」
という実体から、性質においてのみ新しいが、やはり原罪に染まった個人が生まれてくる
という風に原罪の伝承が理解しやすいし、逆に個物しか存在しないなら、神は原罪という
悪に染まった人間を日々産みだし、世界を汚染し続けているという主張もなし得る

211 :Krt:04/10/14 23:31:34
これに対し、全く正反対の考えが、現在「唯名論」と呼ばれているものである。この
立場の基本的立場は、個物のみが実在するのであり、類、種のような普遍概念は実体
ではなく、単なる言葉でしかない、というものである。

さて、「イサーゴーゲー注解」の解釈を巡って「普遍論争」が活発化した十一世紀頃の
状況を言えば、議論のテーマは、そもそもイサゴーゲーが論じたことがらは音声言語
(vox)についてなのか、それとも「もの」(res)についてなのかということだった。
前者を主張した音声派(vocales<vox)からは、普遍はものの側には存在せず、多くの
ものの名称として設定された音声言語に過ぎないという唯名論的主張が生じたのに対し、
後者の陣営からは(テーマは「注解」の解釈に関しての話なのだから、アリストテレス
に寄り添う形で)実在するものは個物のみであることを認めるが、普遍も何らかの意味で
ものの側に属する、という主張が出された。彼らはもの派(reales<res)と呼ばれたが
要するにこれが現在の文脈におけるrealist「実在論者」の語源である。彼らの主張は
先の分類で言えば「穏健な実在論」者にあたるが、とにかく当初の対立点は音声vsもの、
だったのだから観念的な「極端派」だけでなくこちらをも含めて「実念論」と訳すのは
無理があるので「実在論」と訳す専門家が増えてきた、というのが(2)への回答である。

212 :Krt:04/10/14 23:32:23
さて、で(1)への回答だが、アリストテレス的立場ないし「穏健な実在論」の立場に
立てば、「もの」は当然、実体であるか、少なくとも実体の側に属することになる。
「極端な実在論」(この言葉が適正かどうか疑問があるが、「プラトン的立場」)に
たつならば、個物としての「もの」を実体(ウーシア=サブスタンス)とする訳には
いかない、という事になるだろう(この立場の場合、実体は普遍の方になる)。あと、

>で、「実念論」はイデア論との絡みで、「普遍的実体は具体的個物とは異なる概念」
>と中世思想ではみなされていた、という理解を持っていました。
>二十数年前の一般教養での用語では、具体的個物の方は「実存(サブスタンス)」
>という概念で括る整理で説明を受けましたが。

については、普通サブスタンスを実存と訳す事はないと思う。元来existentiaは
substantiaの対立概念なんだし。まあ「極端な実在論」の立場から、普遍を実体、
それに対して個物をexistentiaと見なすというのは筋が通っているとは思うが、
existentiaが明確に定式化されたのは13世紀以後のトマス派によってで、彼らは
決して「極端な実在論」者ではないしね。それとも「実体」の書き間違いかな?

213 :世界@名無史さん:04/10/15 23:18:21
>>211
これに対し、全く正反対の考えが、現在「唯名論」と呼ばれているものである。この
立場の基本的立場は、個物のみが実在するのであり、類、種のような普遍概念は実体
ではなく、単なる言葉でしかない、というものである。

うーん、たしかにうまいビールは?と聞かれても答えは人それぞれだから、うまい
ビールという普遍概念は存在しないかも。でもどんなものにも万有引力は普遍的に
働くから俺は万有引力実在論を信じる

214 :世界@名無史さん:04/10/16 01:59:13
中世ヨーロッパの服装は、案外地味だよね。
日本では、平安後期には庶民までもが模様入りの布地の服を着こなしているのに。

215 :世界@名無史さん:04/10/16 02:12:17
>>214
地味というよりみすぼらしい感じ。
ウールは科学染料でないと染まりにくいというような事情はあるでしょうが。
それに、平安時代だとちょっと金のある庶民は絹を着ていた。
ヨーロッパ中世なら、王侯貴族かよほどの大商人でないと絹は着られない。
地方領主や大商人でも普段着はウールで、絹は晴れ着。財産目録にのるくらい。

216 :世界@名無史さん:04/10/16 02:37:02
西洋には亜麻もあった筈だが、これも染まりにくいのかな?

217 :世界@名無史さん:04/10/16 11:39:54
絹といえば、ビザンチン帝国では絹織物の生産が盛んだったと聞いたことがある。
この絹織物は、中欧までは伝わらなかったんだろうか?

218 :世界@名無史さん:04/10/16 13:15:45
衣服規制令について一言おねがいします

219 :世界@名無史さん:04/10/16 18:01:37
>>217
中国から竹の杖の中にお蚕さん隠して持ち出したって伝説があるよね。
持ち出すのが見つかったら即死刑!とかそんな感じのお話しがあったと思う。
やはり高級交易品だったから、東ローマも国家機密のような感じで製法は秘密にしたんだと思う。

220 :=208:04/10/16 22:46:07
>>210-211=Krtさん。レス、サンキューです。

「実在論」から「実念論」への用語変化趨勢の背景、理解しました。

実在論の「実在」はサブスタンスと関係しているのか、については、
普通は、中世期に関係してるとはみなさなかった
という線で理解することにしました。
第一質量の関係は、折りがあれば自分で調べてみようと思います。

>普通サブスタンスを実存と訳す事はないと思う
については、さすがに二十年前の講義でも、質問が多出した記憶が残っておりまして、
「実体」の書き間違えではありませんです。
どうも教諭の史観だったようです。
今となっては、教諭の真意も確かめ難いのですが。2,3思い当たるふしはありますです。

ともあれ、いろいろありがとうございました。


221 :世界@名無史さん:04/10/17 17:05:58
>>219>中国から竹の杖の中にお蚕さん隠して持ち出したって伝説がある

景教の僧がビザンツ皇帝ユスティアヌスに、献上したって伝説ですね。
杖の頭に、蚕の卵を隠して持ち帰ったという伝説。
中国王朝は絹製品は輸出してても、蚕種の国外持ち出しは死刑に処していたとか(これも伝説なのかな?)

ちなみに、養蚕術の伝播については、桑園の痕跡を手がかりにすることが多いらしいです。

222 :世界@名無史さん:04/10/18 03:15:56
ちょっと興味があるので2,3の本をあたってみました。

ビザンツ帝国では、紫の絹織物の生産が国家独占だったそうです。
これは例のフェニキア紫ですね。

その他の絹織物業は、コンスタンティノープルに、生糸、糸仕上、織工程、
絹織物など、工程ごとに細分された同業組合があり、各組合間が互いの
職分を侵さぬよう、市総督が厳しく監督していた、とのこと。

製法が国家機密ということがあったかどうかまで確証はとれませんでしたが、
どちらかと言うと、一種の護送船団方式で、高度な家内制手工業の分業体制
で洗練された商品を生産していたと言う感じでしょうか。

紫織物に関しては、原料の貝から国家独占で管理してたのだろうと思われますが。

【参考】井上浩一,『生き残った帝国ビザンティン』(講談社現代新書),講談社,1990.
ミシェル・カプラン,『黄金のビザンティン帝国』,創元社,1993.

223 :アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/18 03:27:52
正確な時期は忘れましたけど、
ビザンツ期に入ってから、
乱獲がもとでpurpuraが絶滅したのだから、
国家管理の下とは言え、
厳しい規制はできなかったのではないでしょうか。

ちなみにpurpuraは新大陸(メキシコの辺りでしたか)で、
再発見されたそうな。

224 :世界@名無史さん:04/10/19 19:16:10
いわゆる皇帝紫か・・・・
新たな供給源はメキシコであってるはず。

225 :世界@名無史さん:04/10/20 03:07:55
日本の染色家が、その貝を使って皇帝紫を再現したら、とんでもない数の貝が
必要だったとか。
日本で古代紫と言うような赤みの強い紫です。
バチカンの映像を見ると、赤い衣の坊さんがいっぱいいるが、朱色みたいなのが
枢機卿で紫っぽいのが司教でその司教の制服?の色。

226 :世界@名無史さん:04/10/20 03:30:58
>>193

>「ビールは液体のパン」
出所はどこ?
聖書にはビールは出てこないが?
材料が同じだからなんて無しだぜw


227 :世界@名無史さん:04/10/20 15:55:53
恐らく、中世の修道院で言われていたことでは?

228 :世界@名無史さん:04/10/20 18:59:41
>>227 
そうだとおもう。聖書由来という訳ではないんだろうな。

229 :世界@名無史さん:04/10/20 19:23:34
日本の坊さんは般若湯を飲むが、
西洋の坊さんはワインやビールを仕込む。

230 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/20 21:13:23
ttp://www.asahibeer.co.jp/library/beer_century/europe/german3.html
↑にそれに関する記述がある。
断食中でも液体は飲んでいい、ということに始まるらしい。

231 :世界@名無史さん:04/10/21 11:42:18
>229

イエスはワインを飲めといったしパウロは飲んだほうがいいですよといってるから飲むのは信仰を持っている証拠になる

232 :世界@名無史さん:04/10/21 13:57:34
>>230
そのHPのなかで5〜6cの欧州地域の紹介に「またこの頃、キリストの誕生日を
12月25日に定めたという記録も残っています。ゲルマン民族が冬至を祝う日を
キリストの誕生日としたのです。この日にはすべての町や村で人々にただで
ビールをふるまい、人々をキリスト教に改宗させました。キリスト教の布教に
おいては、以降もヨーロッパのみならず世界各地で「神からの恵み」としての
ビールが大きな役割を果たしたようです。」という記述がありますね。


233 :世界@名無史さん:04/10/23 13:07:36
ところでちょっと教えてくれ。
中世後期にゴムチューブはあったのか?

234 :世界@名無史さん:04/10/23 14:19:28

・・・( ゚д゚)ポカーン

235 :世界@名無史さん:04/10/23 14:51:13
ところでちょっと教えてくれ。
中世後期にインターネットはあったのか?

236 :世界@名無史さん:04/10/23 17:49:38
ところでちょっと教えてくれ。
中世後期にタンクローリーはあったのか?

237 :アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/27 06:41:39
purpuraネタの追加。
彫像の服に塗られていた唯一の事例として、
ソンマの事例がTVで挙がっていた。

ただし、古代ネタ>サゲ
滅びたのは5世紀らしいけど。

238 :世界@名無史さん:04/11/07 05:18:00
すごい止まりっぷりだなおい

239 :世界@名無史さん:04/11/11 13:37:12
233が悪いんだよ

240 :世界@名無史さん:04/11/13 04:27:05
RPGによく出てくる
吟遊詩人ってどんな生活をしていたのでしょうか?

241 :世界@名無史さん:04/11/13 16:12:56
吟遊詩人は騎士だよね

242 :世界@名無史さん:04/11/13 17:26:48
え? そうなの?? マジ???<吟遊詩人は騎士

243 :世界@名無史さん:04/11/13 19:05:44
「吟遊詩人」と邦訳されているものには、イングランドのバード、ドイツのマイスタージンガー、北フランスのトゥルベール、南フランスのトロバドールがあるね。
ただ、訳と内容が合致しているのはイングランドのバードくらいなもので、他も同じ訳を使用するのは誤訳と言い切ってかまわないと思う。
(極論を言えば、紫式部や清少納言の職業を「ゲイシャガール」と英訳して説明するくらい無茶苦茶。)

しかし、他についても使用人くらいの身分の者もいれば、爵位持ちの者もいるといった感じで一概にどうこう言うのは難しいかもしれない。
この辺は、真実と伝説が入り混じって伝えられていたり、低い身分の者が高い身分の呼称を偽って名乗っていた場合もあったり・・・。
こういった事例が後世にそのまま伝えられたりしているので、色々とややこしい。

244 :世界@名無史さん:04/11/13 20:31:55
>>243
ドイツのマイスタージンガーを吟遊詩人と訳すのは見たことがないぞ。
職匠歌人とか工匠歌人とかが一般的。マイスターは親方・名人などと
いう意味だし、身分的には手工業の親方だからね。ジンガーは歌手の意。
ミンネジンガー(又はミンネゼンガー)が吟遊詩人ではないか?


245 :世界@名無史さん:04/11/13 20:47:31
>>242
「トル バドゥールの多くは、騎士で身分の高い人も多く、ポワティエ伯
ギョーム9世(1071-1127) は、「最初のトルバドゥール」と言われます。」
という記述が、あるホームページにあったよ。スカールドなども戦時は近衛兵の
役割を果たしたんだそうだ。ワーグナーのオペラのタンホイザーなどに出て
くるミンネジンガーの身分も騎士だしね。

246 :世界@名無史さん:04/11/13 22:19:54
うん、「ギョーム9世(1071-1127) は、『最初のトルバドゥール」と言われます。』」は、文学史だと通説的に言われるよね。

ただ、それは、詩人の銘が伝わる最古のトルパドゥールがギョーム9世です、ってだけで。
文学史でも、「トゥルバドールが吟じた中世武勲詩のように、技巧上の約束事が多い形式は、当然長い前史が推定される」って意見もあるらしい。

>>243氏じゃないが「色々とややこしい」。

247 :世界@名無史さん:04/11/13 22:31:41
奥が深いなぁ

248 :世界@名無史さん:04/11/13 23:56:32
>>244
ごめん、そっちと勘違いしてたみたい。

249 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

250 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

251 :世界@名無史さん:04/11/14 22:24:26
煽りに負けずにあげ

252 :世界@名無史さん:04/11/14 22:25:40
>>251
カラアゲイクナイ

253 :世界@名無史さん:04/11/23 14:13:32
トートツですがキプチャク汗国は中世ヨーロッパに入れていいですか・

254 :世界@名無史さん:04/11/24 02:22:55
ダメだろう・・
そのころのロシアが欧州かどうかも危ういのに。

255 :世界@名無史さん:04/11/24 02:24:00
そのころのロシアって言い方は変か。まぁルーシってことでいいか。

256 :世界@名無史さん:04/11/25 10:39:52
ロシアは欧州にきまってんだろう

257 :世界@名無史さん:04/11/26 00:55:38
ドイツ人曰くウィーンより東はアジア、スラブ人はアジア人
英国人曰くカレーより南はニガー

258 :世界@名無史さん:04/11/26 23:09:37
フランス人曰くイベリア半島はアフリカ
千葉の人曰く茨城は東北

259 :世界@名無史さん:04/11/29 13:02:59
ロシアが欧州に組み込まれるタイミングを何時と見るかじゃない?
キエフ公国のウラジミル1世がギリシャ正教を取り入れた時とすれば
キプチャク汗国は中世ヨーロッパに入れてもいいだろうし
モスクワ大公国イワン3世のキプチャク離脱〜イワン4世のツァーリ即位の時とするなら
駄目って事になる訳で。

宮廷の文化はそりゃモンゴル式だったろうけど、
民俗の部分では東欧に近かったんじゃない?
詳しい事は全く知らないんだけどさ…

260 :世界@名無史さん:04/12/07 02:40:01
>>253-259
>>1には、
>地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアとか、ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
てあるよ。
「モスクワ大公国イワン3世のキプチャク離脱〜イワン4世のツァーリ即位」(>>259)と関連付けた話題なら、いいんじゃないかな?


261 :世界@名無史さん:04/12/07 02:45:53
ドイツ人いわく日本はアジア

262 :世界@名無史さん:04/12/07 02:46:26
イギリス人いわく日本はアジア

ロシア人いわく日本はアジア

263 :世界@名無史さん:04/12/07 02:51:08
グルジア人いわく日本はアジア

264 :世界@名無史さん:04/12/07 03:19:56
>>257
下層ドイツ人と下層英国人と付き合ってますね

265 :世界@名無史さん:04/12/07 17:04:22
>>261-262 日本はアジアとは認識されてないかも。
アジアといえばトルコからインドにかけての一帯のことで、
インドよりも東はアジアじゃなくて「中国」w

266 :世界@名無史さん:04/12/07 18:38:43
中世に騒がれ大航海時代まで引きずった“プレステ・ジョアンの国”って結局なんだったの?
仮にあったとして何処の国だったのかな?

267 :世界@名無史さん:04/12/07 22:34:12
>>266
プレステ・ジョアンの国は、使徒トマスがインドに布教した、などの
古代末期の教会外キリスト教伝承が元になり、イスラム勃興後の西欧で、
東方にキリスト教王国があるってファンタジーが膨らんだものと考えら
れています。

ですから、仮にも実在してなかったわけですが。
モンゴル西征の頃に、教皇庁などが東方に使節を派遣したりしたきっかけ
としては、内陸アジアのネストリウス派信仰の情報に尾鰭がついて西欧に
伝わったことがあった、との説が割りとよく言われてると思います。

268 :世界@名無史さん:04/12/07 22:37:27
プレスター・ジョンの国はエチオピアにあった。

269 :世界@名無史さん:04/12/07 23:15:59
エチオピアはローマより早くキリスト教化したからね。
モンゴルについてはケレイトやナイマンはチンギス・ハーンが
生まれる前からキリスト教化していたからそれがモデルかもね。

270 :世界@名無史さん:04/12/08 05:28:34
モンケ・ハーン、フビライ・ハーンの母ソルコクタニはケレイト族出身のネストリウス派キリスト教徒で、
マルコ・ポーロは、父親と共に聖遺物を調達するためにエルサレムに寄ってから大都に向かったと言われてますね。


271 :世界@名無史さん:04/12/08 16:20:41
まあ、当時のイスラムの勢い考えれば「無茶苦茶強い友軍」が居ると信じたくなる
気持ちは判らないではないしな・・・

272 :世界@名無史さん:04/12/11 20:19:50
age

273 :世界@名無史さん:04/12/29 10:10:58
スラヴ民族自ら奴隷と名乗る意味不明な民族

274 :世界@名無史さん:05/01/02 10:10:42
嘗糞はなかったのか

275 :世界@名無史さん:05/01/06 18:32:51
ありました

276 :世界@名無史さん:05/01/20 15:48:38 0
あげ

277 :世界@名無史さん:05/01/20 17:32:37 0
>>273
元々、スラヴってのは彼らの言葉で栄光とか、そういった意味。
で、彼らが一時期大量に捕らえられては奴隷になったから
民族の名称がそのまま奴隷の代名詞になっただけ。

278 :世界@名無史さん:05/01/20 20:10:15 0
>>266-271
耶律大石西遷の時に、現地のイスラム王朝(失念スマソ)の敗北端緒とも
流れとしては
遼西遷、イスラム王朝敗北→「東方でムスリムが異教徒に敗れた」という話がビザンツまで伝わり、イタリア商人を介して欧州へ
>>267>>271のような事情で話が大きくなる。
→モンゴルの勃興、プレステ=ジョアンは実在した。キリスト教マンセー!!って感じでは
(なお東方見聞録によると、当時プレステ=ジョアンとされていたのはケレイト族の首長トオリル=ハーンであるとのこと)




279 :世界@名無史さん:05/02/05 13:31:10 0
前から思っていたんですが
南欧、地中海沿岸はけっこう地震とか津波とかあるけど、
西欧、北欧はあまりそういう話を聞いたことがありませんよね?
古代において後進地域だったこれらの地域が持続的に成長していったのは
こういった地学的な安定性というのも原因の一つなんじゃないでしょうか?


280 :世界@名無史さん:05/02/05 21:38:55 0
>ハンガリーの悪名高いエリザベート・バートリー嬢も中世だったかな?
 東欧の中世もドロドロしてそうだな。

281 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/05 21:47:17 0
>>279
年中地震が起きている訳でも無し。日本も地震大国ですよ。
>エリザベート・バートリー
桶狭間の合戦の年に生れて、大坂冬の陣の年に死んでいますね。
中世と言って良いのでしょうか。

282 :世界@名無史さん:05/02/05 23:43:52 0
どこまで本当なのか知らんが
血の風呂に入ってたというのは確かだというな。


283 :世界@名無史さん:05/02/06 04:01:53 0
軍板のFAQに詳しい解説がのってる>エルジェベト・バートリ

284 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :05/02/06 09:56:06 0
>>279
地震との影響があるとすれば、建築の方かな。
石造りで大宮殿とか、ゴシック式の高い塔のある教会とか、
地中海地方では余り聞かないからね。
ピサの斜塔も地震が原因という話だし。


285 :世界@名無史さん:05/02/06 12:57:42 0
>283、サンクス!でもなんで軍板なんだ?

286 :世界@名無史さん:05/02/06 13:04:57 0
有名な「世界七不思議」の大半は地震であぼーんしたというからね。
トルコのエフェソス市の文明を滅ぼしたのは、最終的には地震だし。

ポルトガルのリスボン市も地震であぼーんした

287 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :05/02/06 22:07:50 0
>>279
>古代において後進地域だったこれらの地域が持続的に成長
北欧の場合、近代後期に入ってからの急成長の様な気がします。

>こういった地学的な安定性
とりあえずアイスランドは、1783年に火山が噴火し、さらにその年の厳寒も
重なって飢饉が発生し壊滅的な状況になっていたりしますが。

288 :世界@名無史さん:05/02/07 03:16:37 0
>>285
ハプスブルク対ハンガリーの戦史に関わるからだと思われ

289 :世界@名無史さん:05/02/07 21:36:59 0
>287
私の研究分野である15世紀のドイツ地域においては、地震の記載が年代記に散見されます。
ただし、どのぐらいの震度であったかは不明。
先輩は「震度1だったんじゃないの」と思わずつっこんでくれました。

290 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :05/02/12 00:00:06 0
大きな地震が頻発すれば、教会で神の罰なり、悪魔の仕業として
説教が行なわれるはずです。中世の災害の記述史料のひとつが、
説教判例集ですから。

もっとも大きな影響を与えた災害は、飢饉ではないでしょうか、
気候変動・異常気象・洪水などがその原因で、それに疫病などが
がセットとなってやってくる。

291 :世界@名無史さん:05/02/15 01:54:26 0
中世ヨーロッパ人が風呂に入らない臭い臭い生活していたのはむしろ中世後期以降で、
中世初期はまだ入浴習慣が残っていて、それなりに清潔だったそうだね。

292 :アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/15 02:01:27 0
>>291
ローマ水道などの施設が使えた時期は、風呂に浸かってたけど、
メンテナンス不備で、使用できなくなったら、
不潔になったということなんでしょうか?

293 :世界@名無史さん:05/02/15 02:06:34 0
入浴が廃れたのは、キリスト教の影響も大きかった。
極端に禁欲を強いた教義ゆえ、裸体を晒す入浴は「堕落」とみなされて
攻撃されたのだ。

294 :世界@名無史さん:05/02/15 02:14:33 0
風呂で病気が媒介されたんじゃなかったか?

295 :世界@名無史さん:05/02/15 02:16:29 0
そういえば、ペストの伝染は浴場が原因、というデマも流れたね。

296 :世界@名無史さん:05/02/15 08:48:54 0
あああ、この話題は何回目か。
確か本当に風呂に入らなかったのはむしろ近世だったという
結論が出てたと思う。
って、過去ログとかは専用ブラウザとか壺とかナイト
みれないのか。
詳しい話はエロい人、ドーゾ。

297 :世界@名無史さん:05/02/16 01:57:21 0
過去ログ2ぐらいで出てたな。

298 :世界@名無史さん:05/02/16 19:46:18 0
風呂がどーたらこーたらは阿部謹也先生の本に詳しく載っていたはず。
そっちを読む事をお勧めする。

299 :世界@名無史さん:05/02/16 19:48:01 0
>>298
その内容を要約してここに書き込むことにこのスレの意義がある。
ヨロ。

300 :世界@名無史さん:05/02/16 21:06:21 0
謹也センセはドイツの外側に出ると
嗅覚が働かなくなるお人だからなぁ、
と、煽ってみせる俺が加齢に300げt

301 :世界@名無史さん:05/02/17 10:12:43 0
> 大きな地震が頻発すれば、教会で神の罰なり、悪魔の仕業として説教が行なわれるはずです。

当時の人々にとっては「大きな地震」であったために、地震の記載がされているわけですので、
彼らにとっては十分「大きな地震」であったということができます。
(そのために、ミサがおこなわれたとか、行列が行われたとか)
えーと、私がいいたかったのは、彼らにとって大きな地震は、
必ずしも地震大国日本の我々が考えるレベルのものとは違うのじゃないかなー、ってことです。
もちろん震度1は冗談ですけど。

302 :世界@名無史さん:05/02/17 13:09:02 0
地震は被害は局地的だから、あんまり影響を気にする必要はないでそ。
大津波になると広い範囲を根こそぎ持ってかれるから問題になるけど、
それほどの大津波は地震が起きない場所にもやってくるからねぇ。


303 :世界@名無史さん:05/02/17 16:35:32 0
まえ、厨日新聞の夕刊で毎週(?)やってる海外駐在の人の話の中に、
オーストリアにいる日本人が、震度2の地震に遭遇して、その翌日
職場のオーストリア人たちが「昨日は大きい地震があった! 怖かった!
めちゃくちゃ揺れた!」 とその話題で持ちきりだったようです。
冗談ぬきで、「震度2」くらいだったかも知れんぞ。

ドイツの建設現場では、日本では考えられないほど
細い鉄筋で鉄筋コンクリート造のビルを建てているらしいし、
古い建物は改修はしてるんだろうけど、隣の建物にもたれかかってたり
傾いていたり、あの辺りの人は地震がくることをほとんど
想定していないようにおもいます。

304 :世界@名無史さん:05/02/17 20:32:52 0
911の時、例の二つの貿易センタービル倒壊の衝撃で、その周りのビルも倒壊したけど、推定震度4くらいの衝撃だったらしいね。
周りのビルも30階建てとかの結構な高層ビルだったはずだが・・・。

305 :世界@名無史さん:05/02/17 20:57:37 0
震度4って昨日の地震のうちの近所での震度だぞ。
衝撃とは違うかもしれんが流石に脆すぎないか?

306 :世界@名無史さん:05/02/17 21:05:20 0
マンハッタンは地震なんてほとんどない所ですから。
一生に一回有感地震があるかないか、それくらい。
地盤も岩の上にがっつり乗っかってるから極めて安定してるし。

307 :世界@名無史さん:05/02/18 01:34:52 0
日本の建築技術は世界一だと思う。
アメリカの家の建て方とか酷い。
柱とか梁とか言う概念が存在しない、壁4つ立てて屋根つけてお終いみたいな感じで、
基礎もしっかりしていなくて、地面平らにしてその上に直接立てるみたいな感じだし。
石材で家を建ててきたからそういう概念が発達しなかったかも。

308 :世界@名無史さん:05/02/18 03:02:58 0
酷いっていうかそれで十分だからな。
カリフォルニアは別だが。

309 :世界@名無史さん:05/02/18 03:12:13 0
>>308
>酷いっていうかそれで十分だからな。

ハリケーンやトルネードで毎年のように薙ぎ倒されていますが。
てか、お前ら飴玉やるからいい加減ビーチや崖っぷちに家建てるのを止めろと。

>カリフォルニアは別だが。

何で別?家とかかなりチャチイぞ。

310 :世界@名無史さん:05/02/19 03:25:47 0
>>309
米国並のトルネードが来たら日本の家でも吹っ飛ぶだろ
簡単に作り直せるほうがいい

>カリフォルニアは別
十分だから、にかかってる

311 :SKG ◆CStyleo4Z. :05/02/19 16:35:00 0
加州は地震があるからねn

312 :世界@名無史さん:05/02/20 22:05:08 0
LAはそれなりに裕福な地域だと丈夫な家が多いっていう印象が。
基礎工事は弱く見えたけど、阪神淡路大震災前の関西も基礎工事が手抜きだったんで
似たようなもんだし…

313 :世界@名無史さん:05/03/08 16:38:02 0
なんかスレッド整理が有りそうな時期に
あげ荒らしみたいなのが来てる予感がするので
密かに保守っておく。

314 :世界@名無史さん:05/03/10 19:56:22 0
ちょっと、中世ヨーロッパ時代にどんな雨着使ってたか調べてるんだけど、
参考になりそうな情報無いかね?

315 :世界@名無史さん:05/03/11 08:49:53 0
ウールのコート

316 :世界@名無史さん:05/03/11 22:06:30 0
d

317 :アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/15 01:16:24 0
アニメを語るスレの流れより
「ペスト塗り」について
うろ覚えなので申し訳ないですが、
疫病が流行した時に、ペストを発生させる物質を、
建物や食物に塗ったり撒いたりして、故意に感染を拡大させた、とされる人々
と記憶しております。

「魔女」同様、実在したというよりも、イメージの問題かもしれませんね。
イタリア北部で「ペスト塗り」狩りが行われたのは、
17世紀前半の流行時だったと記憶しております。
ソース...ギンズブルクの『闇の歴史』にも、
記述があった気がしますが出せません。スマソ

318 :世界@名無史さん:05/03/15 19:11:38 0
>>314
アイルランド人は風が強いから傘をさす風習がないとラジオでいってた。

319 :..:05/03/15 23:25:33 0
>>アクィラさん
誘導有難うございます。

下記のスレでブルボン朝下フランスでの衛生意識についてKrtさんが詳細な説明をしてくださっています。
Krtさんの降臨をお待ちします。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1110120263/63-88

320 :Krt:05/03/16 17:27:46 0
>>317
手元にある文献しか見ていないのだが、それで判ったことだけお知らせする。
最初の手がかりとして見た、最近の魔女狩り関係の研究や内外の文献紹介が豊富に
載っている、上田安敬/牟田和男「魔女狩りと悪魔学」人文書院、に示唆されて
ジャン=ミシェル・サルマンの新しい入門書「魔女狩り」創元社、を調べてみると
ユダヤ人などある種のグループが社会に害悪をもたらす、という信仰の例として
「それらの人々は井戸に毒を投げ入れたり扉の把手や壁に油を塗って病気を広め
たりすると攻撃された」とあったので、さらに当のサルマンが「魔女」の項目を
担当している、G.デュビィ、M.ペロー編「女の歴史」V(16-18世紀2)藤原書店、
の当該の箇所を読んでみたところ、次のような記述を見つけた。

「繰り返し起こる天災と魔術とを結びつける考えは、伝染病が起こるたびに
「植えつけ人」狩りや「ペストまき人」狩りが組織的に行われたことで裏付け
られよう。とりわけ、ジュネーヴがそうであったし、また、一六三〇年のミラノの
ペストの例は、十九世紀イタリアの代表的作家アレッサンドロ・マンゾーニの
歴史小説「いいなづけ」によって、有名になっている」p.679f.

321 :Krt:05/03/16 17:28:19 0
幸いマンゾーニの本(河出書房新社)は書庫にあったので(もちろん積ん読だが)
開いてみると、なるほど下巻の637p以後の第31及び32章が、物語の背景となっている
前年からのドイツ軍侵入に引き続いてその進入路を追って入ってきた1630年の
ミラノでのペスト流行に関する、当時の諸史料に基づく考察に割かれている。
 そしてその諸史料からの結論として作家は、当初において事態を直視せず、
十分な対処を怠った結果被害を広げてしまった市当局が、責任逃れのため無意識に
(庶民にも受け入れられやすい、ヨーロッパの民間伝承に広く存在するところの)、
ペストの原因は毒物や魔法でペストを拡めようとする連中の陰謀だ、という俗説に
逃げ込んでしまったと論じている。即ち、魔女狩りの変種と言うべき「ペスト塗り」
の話はこういった社会心理的構造から出てきたわけだ。
 なにしろそのころは、スペイン本国からミラノ総督に届いたフェリペ四世の
署名のある通知状が、前年マドリッドから逃亡した四人のフランス人に関して
「その四名は有毒のペスト性の油膏を方々に塗って廻った」容疑があること、
それゆえ彼らのミラノへの立ち寄りには注意するよう呼びかけていたぐらいで、
こういう成り行きはむしろ当時の普通の常識(学識者以外の人間が持つような)
に則った反応だったと言えるかもしれない。

322 :Krt:05/03/16 17:28:53 0
さてこのような背景のもと、同年5月7日の夕方、ミラノの大聖堂で何者かが板仕切
や壁に油膏を塗っているのを見た、という、さしたる根拠もない噂がもちあがり、
当局が一応用心のためこれを洗浄しようと仕切の板壁を戸外に高く積み上げたところ
それを見た群衆がショックを受けたらしい。その場はなんとか平穏に収まったものの
なんとその翌朝、市内の至る所に黄色や白っぽい色をした不潔なものがスポンジで
なすりつけるかのように塗りまくられる、という事件が発生したのである。

もっともこれは何者かのいたずらだった可能性が高く、当時まだ冷静だった役人が
犬にこの汚れを食べさせてみたところ何ともなかった、という記録もあるのだが、
実際には、役人を含む多くの人がこのことでヒステリー状態に陥ったらしい。
人々は火を使って家を清めたり、当局者によって多くの不審者、よそ者が拘束、
尋問されるという事態が発生した。
 幸いこの時の騒ぎは短期間で収束したのだが重大な後遺症が残った。即ち疫病が
猖獗を極めるようになると誰かがどこぞにペスト塗りをした、という流言飛語が
頻繁に飛び交うようになり、ついにはあちこちで市民たちによるヒステリックな
「塗り屋」狩り(リンチ)が行われるようになっていったのである。

323 :Krt:05/03/16 17:29:30 0
折悪しくもこの時、半世紀前の疫病流行期に患者の世話をして自らも病に倒れた
カルロ師の遺体を担ぎ市内を練り歩きたい、その御利益によって疫病を鎮めたい
という市民の要望がやっと認められ(ミラノ司教は多くの人出を誘発するだろう
この行事が疫病蔓延のきっかけになることを見越して反対していたのだが市民に
押し切られた)、これを実行したところ、当初の懸念通り、患者は爆発的に増加
した。しかも患者の増大は無力な患者宅を狙う窃盗、強盗事件をも増大させたし、
さらに当局に任命された死体処理などを行う下級吏員の多くはならず者で、賄賂を
要求したり、仕事が絶えぬよう汚染品をまき散らしたりして社会的混乱を増大させた。
 そういった状況の中、市民達はもうよそ者だけではなく、周囲の人間のだれが
「塗り屋」かわからないという疑心暗鬼の状態に陥り、当初は懐疑的だった市の
上層部や聖職者の上層部、医者といった人間達までもが次第にこういった庶民の
見解に引きずられ、当局者自身が幻の「塗り屋」狩りに没頭し、多くの逮捕者を
出していく、という典型的な魔女狩りのコースを歩むことになったらしい。
マンゾーニはここで考証を打ち切って小説の本筋に戻っているのだが、彼自身
この問題については書き足りなかったらしく、あとでこの事件をテーマにした本
La Storia della Colonna Infame を書いているという。

324 :Krt:05/03/16 17:31:04 0
さて残った問題の一つは、この「塗り屋」が塗ったとされたものの正体である。
もちろんこれは「塗り屋」自身の存在と同様、想像の産物である可能性が大だが、
それでも当時のミラノの市民はそれを「ヒキガエルと蛇とペスト患者の涎と膿等」
(マンゾーニ p.661)と想像したわけで、これは「ペスト患者の云々」の部分を除けば
おなじみの魔女の大釜の中身を連想させる。従って魔女と「塗り屋」との違いが人々
にどの程度意識されていたのか不明であるし、上記サルマンのように魔女狩りの原型
をワルド派のような異端に対する弾圧に求める論者なら区別はしないだろうと思う。

 ただ、一応は分けて考えるべきだという説も有力である。というのは、キース・
トマスが「宗教と魔術の衰退」法政大学出版局、で述べているようにイングランド
ではどうも、個人対個人、個人対その個人が属する小さな共同体、といった場面で
表れてくるウィッチクラフトによる小さな災害ないしは異変と、疫病、飢饉といった
国家的災害の原因とは別な次元に属するのであり、後者は神の怒りないしは「第五列
のフランス人、カトリック教徒もしくは似たような国家的敵対者」による破壊行為が
原因だ、とする考えが主流だったらしく、後者の場合必ずしもウイッチクラフト訴訟
の対象にはならなかったらしいのだ(トマス p.822f.)。

325 :Krt:05/03/16 17:32:02 0
もちろん、国家的敵対者の犯したとされた行為は「塗り屋」のものと類似であるし
時としては個人が自然的手段によって伝染病をばらまいたとして訴追されることは
あった(ただ必ずしも全てがウイッチとして訴追されたのではない)。例えば、
「一六三九年ニューカッスルの井戸を汚染したのは、スコットランド人だといわれた。
汚染した空気を詰めたビンが、一六六五年フランスから持ち込まれたという噂が
起きた。あるカトリック教徒のソーサリーが、一五七七年に起きたオックスフォード
の発疹チフスの原因だと考えられていたが、このカトリック教徒は一六四一年に、
ジョン・ピム宛に、封筒でペストでただれた皮膚を送りつけたと報じられた。(略)
一六四六年バーンステイプルをペストが襲ったとき、住民の中にその土地の独立派
の会衆のせいだという者がいて、彼らはそのメンバーを街から追放したいと願っ」た
(ibid)というように。だがウイッチを恐れる気持ちと、いわば目に見える敵である
カトリックやユダヤ教徒を恐れる気持ちはイングランドでは別だったらしい。即ち
「しかし疫病が、国家的な敵によって刺激されたと考えられることは時々あったが、
疫病はウイッチクラフト訴訟を促進させるのに、実質的には何も役割を果たさな
かった」(ibid)からである。もしかするとこれは大陸ともスコットランドとも異なる、
当時のイングランド社会の先進性を示す指標として理解すべきなのかもしれない。

326 :アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/17 00:30:19 0
>>320-325Krt氏
詳細にわたる御教示、有り難うございます。

「ペスト塗り」=「魔女」とするかどうかは兎も角として、
当時の世情を、それらに対する社会の対応から推察するのは、
手法としての厳密さの点では、問題がないとは言えませんが、
興味深い観点ではありますね。
(地域差も垣間見られますし)
私、中近世史に疎いモノで、この手の史料から心性史を扱うのが、
適切なのかどうかは分かりませんが、
同時代の諸地域の比較を通じて、
ヨーロッパ規模での考察が可能なテーマなのかもしれませんね。

327 :世界@名無史さん:05/03/17 00:47:03 0
「TPぼん」にペストの被害とユダヤ人迫害の話があったなあ、とアニメを語るスレを引きずってみる。

Krtさん、ご苦労様です。
私なぞはじっくり考えないと質問すら出来ないような亜話ですが、下記の一文にびっくりいたしましてお尋ねします。
>>汚染した空気を詰めたビン

この事態に空気感染という認識があったのですか?
いや、もちろん細菌なぞは存在すら知らなかったのでしょうが。



328 :世界@名無史さん:05/03/17 05:45:51 0
「触られるとうつる」「近寄られるとうつる」「吐いた息からうつる」はあったかも

329 :Krt:05/03/17 22:53:30 0
>>326
西洋における魔術とか、広義の魔女狩り(異端少数派への迫害まで含めた)というのは
通常理解されている以上に難しい問題を含むと思う。サルマンのような新しい研究では、
魔女狩りの実態は、歴史的には従来理解されていた以上に新しい現象なんだそうだけど、
そうなると(最近やたら本が出ている)古代以来の魔術(者)、妖術(者)との関係は
どうなのかといったことがますます判らなくなる。なんかキリスト教以前の土着宗教の
残滓が魔女教だ、みたいな旧来のステレオタイプな理解でいいのか、とかね。
>>327>>328
>「触られるとうつる」「近寄られるとうつる」「吐いた息からうつる」
これらの観念は全部あったし、また一部には「空気感染」だ、という認識もあった。
例えばデフォーの「ペスト(年代記)」(1722)は1665年のロンドンにおける疫病流行を
聞き書きや当時の史料を駆使しつつ活写した歴史小説(ノンフィクション・ノヴェル
と言ってもいいと思う。なお主人公のモデルは彼の叔父、なおこの事件当時デフォーは
五歳だった)の傑作だが、ここでは上記の全ての経路によって感染しうるという当時
の考えが述べられている。またこの時ロンドン当局が取った家屋閉鎖と患者隔離を
中心とする感染予防措置もこれらの可能性を前提としていた。

330 :Krt:05/03/17 22:54:01 0
具体的に述べると、「ペスト」の主人公の意見は「(この病気が)伝染によって蔓延
していったことが、私にとっては文句なしに明瞭になった。即ち、医者のいわゆる悪気
(エフルーヴィア=発散物、悪臭)と称するある種の臭気や、気息や、腫瘍の悪臭や、
その他医者でも判らない経路を経てこの悪疫が伝染していったことがはっきりしたので
ある。この悪気は病人の近くにある程度以上接近した健康人を冒すのであるが...」(1)
というものだったし、さらに(これは主人公は疫病の原因が神罰だというのと同様に
間違った考えだと否定しているものなのだが)当時における一部の者の考えとして、
ずばり、次のような「空気感染」による病因論も存在したのである。即ち、
「これと同じようなこと(誤り)が、病気をただ空気によってのみ起こるとする人々
についてもいえる。つまり彼らによれば、空気の中に無数の虫や目に見えない微生物
がいて、それらの生物が人間の呼吸と一緒に体内にはいるか、あるいは空気と一緒に
毛穴から体内に入る、いったん体内にはいると、その生物は猛毒もしくは毒のある卵
を生じ、これが血液と混じって遂に全身を倒すにいたるというのである」(2)という。
これは病原菌の空気感染の理論とほぼ同じだろう(実際には、線ペストはノミの媒介
によるものだが肺ペストは空気感染の一形態である飛沫感染)。ちなみに北里柴三郎
とイェルサンによる(独立した)ペスト菌の発見は1894年のことである。

331 :Krt:05/03/17 22:56:56 0
なお「悪気」だが、これを発するとされた存在の中には思いがけないものもあった。
それは彗星である。これが凶事の前兆を示す超自然的な徴であるとか、あるいはこの
不吉な星の接近によって悪しき発散物がもたらされ、それが疫病を含む様々な凶事の
物質的原因となる、という考えは当時の支配的迷信であり、実は「ペスト」の中にも
疫病流行以前に彗星が現れ、主人公を含む人々の恐怖心を煽るという場面がある。(3)

このような考えはヨーロッパでは極めて根強く、その後の1680年に出現した彗星に
よって生じた社会不安に対しても(彗星の出現を凶事の前兆と見るのは異教由来の
占星術に関わる迷信であり、また物理的に言っても彗星の発散物が地上に影響を
及ぼすことは考えにくく、たとえあったとしてもそれが悪いものだけをもたらすと
考えるのは根拠がない。また現に慶事凶事は彗星の出現と無関係に起こっている)
従って1665年のペストと彗星の出現の場合も両者間に因果関係はない、という主張
を述べたのがあのピエール・ベールの「彗星雑考」だったが(4)、この主張が脱線
していった結果、当初カルヴィニストとしての立場から書いていたベールが半ば
意に反して、無神論を疑われるところまで行ってしまい、当時、及び次世代の
自由思想家達に大きな影響を与えることになったのは歴史の皮肉である。

(1)ダニエル・デフォー「ペスト」中公文庫p.123
(2)ibid
(3)ibid p.35f.
ちなみに主人公によれば、彗星はロンドン大火の前にも表れ、疫病の時のは淡い色を
して飛び方も鈍重なかつ荘重なものだったのに対して、大火の前のは炎をあげ燃える
ように輝くもので速さも凄まじかったという。(恐らく通常の三倍はあったのだろう)
(4)ピエール・ベール著作集1「彗星雑考」:法政大学出版局:p.73

332 :世界@名無史さん:05/03/19 14:01:07 0
中世の鐘について質問があるんですけど・・・
E・リッパートさんというかたの「法慣習としての鐘つき」という本に、
「夕の鐘」は第一の鐘は18時頃に鳴り、第二の鐘は夏なら21時頃、冬は
20時頃に鳴ると書いてあるそうです。では朝の鐘は何時頃に鳴ったので
しょうか?もちろん町や国によって違いがあると思うのですが、主にドイツ
の町では何時頃に鳴らされることが多かったのでしょうか?



333 :世界@名無史さん:05/03/20 23:27:57 0
age

334 :世界@名無史さん:2005/03/22(火) 19:40:53 0
>>332
何かのホームページで朝の鐘が4時半に鳴るという記述があったけど
さすがにそれは???と思った。欧州って夜明けの時間が夏と冬で
ぜんぜん違うだろうから同じ時間に鳴らすとは限らないよね

335 :世界@名無史さん:2005/03/22(火) 22:11:17 0
鐘の時刻って、聖務日課の8つの時課からきてるんじゃないの?そもそも。
で、聖務日課のうち、朝課なんて2時とかだよ。4時半なんて全然不思議じゃない。
個人的な経験だけど、去年の夏フライブルクで夜更けにふらふら友達と街中を歩いていたら
教会の鐘が鳴っていた。電動式・・・てことはないんだろうなー。と感心しましたよ。

336 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 13:09:43 0
332のいうリッパート氏の著書は阿部謹也さんの本でも一部紹介されてるけど、
それによると朝の鐘は「朝の祈りを告げる、市門の開閉、公的生活・商業活動の
開始、個々の職業における労働時間の始まり、火災予防の警鐘」などの役割を
持つそうだから、朝の2時とか4時半というのはどうかと思う。特に労働時間や
商業活動が夜明け前に設定される事はないだろうし。


337 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 13:28:49 0
2時とか4時半とかは、修道院の鐘では?
聖務日課は聖職者限定で俗人には義務はありません。睡眠不足で仕事にならない。

338 :世界@名無史さん:2005/03/24(木) 02:44:46 0
昔は教会の鐘が時を告げる役割を果たしていたんじゃないのか。
(つか、それ以外にない)

ちなみに現代だと、
パン屋は5時に開き朝食用のパンを売る。
会社も5時〜14時の勤務のところがある。(アフター2…)

339 :世界@名無史さん:2005/03/24(木) 13:40:36 0
一連のレスを読んでみると、どうも世俗の鐘っぽい感じがする。
非常招集云々という記述は無かったの?

340 :世界@名無史さん:2005/03/24(木) 15:06:58 0
朝の鐘 → 午前0時      朝課の鐘                    
    → 午前3時      賛課の鐘                    
    → 午前6時      1時課の鐘                   

 教会の鐘のうちのどれかっぽいと思うけどね。市門を開けたり、商業を
始めたりというなら午前6時頃かな。


341 :世界@名無史さん:2005/03/26(土) 01:52:08 0
流れぶったぎってすまんが、教えてくだされ。
ルネサンス近い頃の人々における一般的な美意識では、
胸は小さいほうがよかったんだろうか?
それとも大きいほうが美しかったんだろうか?

342 :世界@名無史さん:2005/03/27(日) 00:36:08 0
そりゃ食糧事情から考えても豊満な女のほうが良かったんじゃねーの?

343 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:46:37 0
そうか。どうもですた。

344 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 22:10:47 0
芸術的な価値観と宗教的な価値観、あるいは世俗の価値観では違いがあるかもよ。


345 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 13:30:56 0
>>341
4月10日まで京都市美術館で「フィレンツェ・芸術都市の誕生」展が
開催されてるからその目で確かめてみると言う手もある。14〜16世紀の
絵画や彫刻などが展示されていて、婦人・女性像の絵も多数ある。もしか
すると巡回するかもしれないのでHPでご確認を。

346 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 15:40:04 0
>>341
小さい方が美しいとされた。
といっても貧乳ではなく、お椀を伏せたような形です。巨乳は下品でした。

347 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 22:07:10 0
スレの流れを読まずに書きこしてみる

魔女狩りは民間療法や代替医療を担う女性を弾圧、抹消したものであり
医療の独占体制と処方薬に関連している。

正規の医者ではないが、それに代わるような仕事を元々していて
今で言う薬(漢方など)を処方できる看護士、助産師、アンチエイジングのような分野の人材だったと推察される。

348 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 11:06:45 0
>>347
空気嫁

349 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 18:20:06 0
>>345
情報ありがとう。行ってみたいが京都市じゃ無理だわ、貧乏暇なしだし。
ネット上でいい絵画載せてるサイト探してみます。

>>346
どうもです。巨乳は下品とまで認識されていたのか……
そうした風潮が広まった理由というか、
何らかの影響があったのかどうかといった点はわかりますかね。
たとえば一般市民から拡大したのか、貴族からか、聖者からか、
階級によって認識度合が上下したのかなど、ご存知でしたら教えてください。

350 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 18:45:38 0
たぶん、揺れと垂れがまずいんじゃないかと。

351 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 19:57:49 0
念のため(勝手に)補足させてもらう。

白人女黒人女の「巨乳」は、黄色人種のそれとは


 レ ベ ル が 違 う 。

352 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 22:28:05 0
モンゴロイドの巨乳なんて、やつらにしたら普通サイズだもんねぇ。

353 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 03:10:12 0
F以上の巨乳はマジで下品だと思う
キモい。

354 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 23:45:44 0
元々貧乳こそが美なのが日本だから。。

355 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:19:20 0
http://www.european-quartet.com/index.php?lang=01

356 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:16:47 0
巨乳を語るスレはここですか?

357 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:42:26 0
>>356
そうですがなにか?

358 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:50:46 0
>>353
ディアーヌ・ド・ポワチエやガブリエル・デストレ(中世ではなく16世紀ですが)
のヌード肖像画がありますが、Cカップというところです。
アニェス・ソレルもCカップのようです。
子どもに授乳してたとき(5ヶ月間母乳のみでミルクなし。離乳食はちびちびと)
ミルクタンク状態になりました。なにカップだか見当もつかないくらい。

359 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:57:25 0
日本人だとだいたい1〜2カップ増えるって言うよね。
外人はどうなんだろ。

360 :朱由檢:2005/04/09(土) 22:23:40 0
女性は胸ではないよ、本当に。

361 :358 :2005/04/09(土) 23:20:51 0
>>359
1〜2カップなんてもんじゃありませんでしたよ。乳牛状態。

362 :世界@名無史さん:2005/04/10(日) 01:06:31 0
>>360
そうそう乳だよ、乳w

363 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 20:51:40 0
ところで>>332さんの質問が気になる。教会の鐘以外に世俗の鐘が時を知らせた
という史実はないって事かな?それとも3時間おきの教会の鐘のうちのどれかが
市門の開閉や労働時間の始まりを意味する鐘だったということ?

364 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 00:18:14 0
世俗の鐘ってあったのかな?

無かったよね?(時計台とかができた時代ならともかく。)

365 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 20:35:26 0
裁判の判決とか非常呼集のときに鳴らされた鐘も教会の鐘なのかな?
市場が開かれるときの鐘とかも?

366 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 23:03:29 0
英国だとハンドベルふりながら諸々の告知をおこなって町を回って歩く人がいたね

367 :世界@名無史さん:2005/04/18(月) 13:58:44 0
市庁舎には鐘はなかったっけ?

368 :世界@名無史さん:2005/04/25(月) 23:25:40 0
時計ならあるけど鐘はどうかな。

369 :世界@名無史さん:2005/04/29(金) 00:45:47 0
確か昔ドイツ語の論文で、大聖堂の鐘を鳴らす権利、司教座聖堂参事会、
都市参事会、あともうひとつ(どこだったっけ?)の3団体が、
分有していたっていうのを読んだ気が。
ちょっと論文探してみます。

370 :世界@名無史さん:2005/04/29(金) 22:23:31 0
「手術の鐘」というのが有ったらしい。
麻酔がなかった時代、その鐘の音で手の空いた人を集め、
切り裂かれる痛みに暴れる患者をみんなで押さえつけたんだと。

371 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :2005/04/29(金) 23:24:06 0
>>365
1332年シュトラースブルクでは「市門の鐘」があって、2回ならして市門を開く。
1回目の鐘でひとつの市門を開き、2回目ですべての市門を開く。この市門を開く
ということは同時に商工業の営業の開始を意味するので「市門の鐘」が「市場の鐘」
の役割をしていますね。

372 :世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:16:30 0
>371
へえー。知りませんでした。
ご迷惑でなかったら、どの文献を参照なさったのか教えていただけますか?

373 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :2005/04/30(土) 18:39:33 0
>>372
阿部謹也氏の『中世の星の下で』の「鐘の音に結ばれた世界」に登場するほか、
、『甦る中世ヨーロッパ』にも同様の内容があります。
なお、「門の鐘」なら、ヨハン・ベックマン『西洋事物起原』岩波文庫 にも、
1395年、スピラに設置された公共用の鐘付きの大時計がアルトブルク門の上に
設置されたという内容が引用されています。

374 :371:2005/04/30(土) 23:32:49 0
>373
ありがとうございます。

375 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 22:20:17 O
古代から中世にかけて森林伐採のしすぎで
エネルギー危機があったと読んだ記憶があるんですが、それについて詳しい本ないですか?

376 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 20:30:40 0
というか、そういう事実があったの?大開墾時代の11C〜13Cのことかと
思ったりもしたが・・・エネルギー危機というのが・・

377 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 20:47:55 0
>>357
中世ならヨーロッパは森ばかりのはずですが。森が海で都市や荘園が島というかんじ。


378 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 21:57:41 0
前々スレで生理は垂れ流し状態ということでしたが
垂れ流せるものでしょうか?女性として大変疑問です。
匂いは香水でごまかせたかも知れませんが
2日目とかって量も多いし本当に大変ですよ?(生々しくてすみません)
布ナプキンとか使ってなかったのかしら…。

379 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 22:26:08 0
>>378
この問題は真面目に研究する人が少ないのか、納得いく答えないですね。
戦後の混乱期は、脱脂綿の変わりに古綿とかいう話多いけど、垂れ流しは無理です。
私は、オムツ状態だったんじゃ、と思っていますが。
井上ひさしの初期短編に「ます女」何とか言うのがあるから、詠んでください。


380 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 23:17:41 0
>>378 さん

学術書ではないけど、20年以上前のベストセラー「スカートの下の劇場」(上野千鶴子著)に、
T字帯とタンポンのことが書いてありますね。(P34〜P37)
T字帯の方の起源の古さはわからないがタンポンについてはギリシア(時代?)にも、
タンポンの記録があるようだ、という意味のことが書いてあります。

現在でも裸に近い状態で暮らしている民族(アマゾンやアフリカの奥地とか)などの
生活がわかれば参考になると思うのですが、さすがに「生理の時はどうするか」
みたいなことまでは記録されていないでしょうね。

381 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 23:22:52 0
>>378
小野清美『アンネナプキンの社会史』宝島社

382 :378 :2005/05/04(水) 01:00:41 0
下世話な問いにも関わらず親切なレスありがとうございます。

今、「マリーアントワネット マリアテレジア秘密の往復書簡」を
読んでいるのですが、その中に生理の話題が出てきたので、
当時の人はどうしていたのか気になって検索をかけたら
前々スレがヒット。経血垂れ流し説に呆然。
月1とは言え、絹のドレスの下では垂れ流し、そう思うと何だかあまりにも悲しくて…。

>>379さん、381さん
「烈婦!ます女自叙伝」ですね。
「アンネナプキンの社会史」と共に図書館で探して読んでみます。

>>380
タンポンがあったのですね。ちょっと安心しました。
いつの時代かは知りませんが
昔の人は海綿を詰めていたという話を聞いたことがあるので
中世の時代にも何かしら対処する方法はあったのでは?と
不思議に思っていました。
「自叙伝スカートの下の劇場」早速amazonにて注文しました。

読みたい本が3冊も増えて嬉しいです。
皆さん、本当にありがとうございました。

383 :世界@名無史さん:2005/05/04(水) 02:24:55 0
>380
>現在でも裸に近い状態で暮らしている民族(アマゾンやアフリカの奥地とか)などの
>生活がわかれば参考になると思うのですが、さすがに「生理の時はどうするか」
>みたいなことまでは記録されていないでしょうね。

生理ではないが、西丸震哉『動物紳士録』中公文庫
にニューギニアの奥地の人間の排便とセックスが書かれていた。

排便のほうは大小とも、歩きながら垂れ流し→適当なところで
川に入ってすすぐ、だそうだ。(大も「慢性栄養失調状態で
ドロドロの緑便しかしない」ので垂れ流せる)

なので生理も垂れ流しかもしれん。

384 :世界@名無史さん:2005/05/04(水) 08:48:08 0
色黒だから目立たないだろうしなあ

385 :世界@名無史さん:2005/05/04(水) 12:26:47 0
生理の間は部屋から一歩も出ない、とかそういうことは無かったのでしょうか?

386 :375:2005/05/04(水) 15:52:28 O
岡田斗司夫の「ボクたちの洗脳社会」にそういう記述があったものですから。
勝手に「だから中世は暗黒時代と呼ばれてたのか。
燃料と建築資材が不足して停滞したに違いない。
なんか古代のローマの方が
重厚で立派な文明に見えるもんなぁ。」と合点してました。

387 :世界@名無史さん:2005/05/04(水) 19:12:48 0
高校の歴史の先生もよくローマの森林破壊の話をするな。
繁栄は奴隷も資源も使い捨てにしてもたらされたものだって。
たしかに風呂焚くにも、橋架けるのも木材が必要だけど、依然とヨーロッパには森林があったんだよな。
ギリシアが荒野に変わったのははるか昔だし。
アフリカはローマ時代にずっと都市が栄え、大農業地帯だったし。


388 :世界@名無史さん:2005/05/04(水) 19:17:10 0
>>385
月小屋(名称は地方により異なる)というのがある。

389 :380:2005/05/04(水) 22:45:59 0
>>383 さん

西丸震哉って、私は???な人というイメージがあるのですが・・・
それは置いておいて、生理はともかく、排便を歩きながらする、というのは
常識的に考えて必然性がないような気がするんですが。

排便については、男女ともに行うものなので、割と記録に残りやすいのでしょうが、
生理についてとなると、調査者(民俗学者や文化人類学者?)が男性の場合には、
調査がしにくいでしょうね。そもそも調査者が男性の場合、生理の時はどうするか
などという疑問自体が起きにくいのかもしれないですが。

390 :383:2005/05/04(水) 23:52:45 0
>389
>それは置いておいて、生理はともかく、排便を歩きながらする、というのは
>常識的に考えて必然性がないような気がするんですが。

たしかに常にそうとは書いてなかった。というかその辺に隠れて
する場合の観察例もあった。
ただまあ立ち止まるとすかさずヒルに吸い付かれるので、
なるべく避けたいらしい。

中世でもヨーロッパでもなくてスマソ

391 :380:2005/05/05(木) 00:27:53 0
>>390 さん

なるほど、立ち止まる事に対する危険性があるってことですね。
立ち止まるのをなるべく避けたってことは納得です。

392 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:34:11 0
ヨーロッパ人はジャガイモ食わないらしいね。

393 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:37:35 0
いわゆる「中世ヨーロッパ」にはジャガイモなる農作物は存在しなかったからね。

394 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:11:15 0
>>392
ジャガイモはドイツとアイルランドでは食文化の中心ですが何か?
まあ、ジャガイモが持ち込まれたのは南米が征服されて以降だが。
ただし、持ち込まれた当初は毒だと思われていたらしい。(実際に芽は有毒)
研究の結果、芽をえぐって食べれば問題ないことが分かって、
フランス王は国民にジャガイモ食を奨励したが、国民は従わなかった。
ドイツ(プロイセンだったかどこか忘れた)もジャガイモ食を広めようとして、
ジャガイモ畑を作らせて「この畑のものを盗む者は厳罰に処す」と立て札を立てた。
すると民衆は「王様が独り占めしようとするくらいだからすごく美味いものに違いない」
と思って、夜中にこっそり盗み出した。
それが広まった結果、ドイツ人はジャガイモを好んで食うようになったという。

395 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 03:32:08 0
痩せた土地でも育てられるし、ライ麦より単位面積のカロリー多いし
中世の食糧事情改善の重要な一因になってたんじゃなかったっけ。

396 :395:2005/05/06(金) 03:34:08 0
あ、あくまで大航海時代以後の話な。前出の通り。

397 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 03:41:03 0
イモに頼りすぎたせいでアイルランドでイモ飢饉が起こったときは大変だったけどな
中世じゃないけど

398 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 08:25:08 0
イモに頼りすぎたというか当時欧州では一種類のイモしか栽培されてなかったせいで
イモ飢饉のときに直撃を喰らったと聞いたが。
アンデスでは常時、20〜40種類のイモを混ぜて栽培してるので一種類や二種類の
イモが飢饉になっても全然大丈夫らしい。なかには日本や欧州で見られるものよりも
赤かったり真っ黄色だったり念入りに灰汁抜きしないと毒が抜けなくて食えない種類も
あるとか。

399 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 17:29:27 0
突然ですが、中世ヨーロッパの性風俗について知ることができる本で、おすすめの詳しい本、ありませんか?
華やかな世界の、裏の生々しい現実ってのにちょっと興味があるのです。
おねがいします。

400 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 19:28:56 0
>>386
今時「中世=暗黒時代」はめずらしい。

401 :世界@名無史さん:2005/05/07(土) 11:02:21 0
>>375
安田喜憲 『森と文明の物語 −環境考古学は語る−』(ちくま新書)
新書レベルなのでごく簡潔にですが、これに古代のレバノン杉の話やら
ローマ人風呂焚き杉の話やらが科学的分析をふまえて載ってます。

402 :世界@名無史さん:2005/05/07(土) 11:29:21 0
>>397
そんでアイリッシュが新大陸に着たんだよな。
アメリカは芋と金なしにかたれない。

403 :世界@名無史さん:2005/05/07(土) 13:52:26 0
>>399
中世ヨーロッパが華やかな時代というのはあまり聞きませんが、常連さんじゃないようですね。
一般的なものなら「中世の秋」(ホイジンガ・著中公文庫全2巻)
古典ものなら「デカメロン―十日物語」(ボッカチオ・岩波文庫 全6巻)
>華やかな世界の、裏の生々しい現実
ルネサンス以降なら「風俗の歴史」(フックス・角川文庫全9巻)が裏面史だけど絶版。


404 :世界@名無史さん:2005/05/07(土) 21:55:25 0
男性はみんなタイツはいて変態だったのですか?

405 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 18:00:23 0
>>404
タイツは11世紀には普及していたようですが、タイツはく男性は変態という意味ですか?
タイツは習慣なので、普通にはいていました。

406 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 22:29:51 0
ノーパンスカートヒゲ面男よりはマシ


どっかにそんな民族がいたような気もするが・・・

407 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 22:39:22 0
スコットランド人に挑戦するヤシがいるスレはここですか?

408 :世界@名無史さん:2005/05/09(月) 18:36:33 0
スコットランド出身の教授がキルトを着用してキャンパスを闊歩。
それを見た女子大生達が口笛を吹き鳴らしてました。。アメリカでの話です。

409 :375:2005/05/16(月) 15:20:29 0
>>401
ありがとうございます。
参考にします。

410 :世界@名無史さん:2005/05/22(日) 22:04:48 0
あげ


411 :世界@名無史さん:2005/06/06(月) 18:08:39 0
タイツ着用はともかく、明らかにタマキンとしか見えない股間の飾りはマズイでしょ

412 :世界@名無史さん:2005/06/12(日) 15:48:47 0
捕鯨

413 :世界@名無史さん:2005/07/04(月) 09:18:35 0
http://4travel.jp/traveler/giraud/album/10027280/

414 :世界@名無史さん:2005/07/05(火) 01:15:35 0
アレがなきゃ風でスカートがめくれるとか。

415 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:52:23 0
a

416 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 14:39:20 0
>>411
あれはタイツの上にズボンをはくようになってからの流行です。
16世紀から流行りだしたので、中世とは違うかと。
モンテーニュはさすがに、嘆かわしい流行だ、下品だと攻撃してますが、王侯貴族が
率先してどんどん流行らせたのでどうしようもない。

417 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 21:16:15 0
>>346
信じられん…  中世人の香具師どもはパイ揉みとかパイズリとかの楽しみをまったく見出さなかったのか。
ローマ人が聞いたら泣きそうな嗜好だ。これだと中世の裏面史も大したことはないのかな。
ただただ残酷なだけ…

418 :サイキックGちゃん ◆uIkI.wSAfQ :2005/07/14(木) 13:50:48 0
 いやいや、時代問わずマジョリティの文化の裏にはマイノリティの文化ってのがあるもんじゃ。
 そうじゃろう兄弟?(ニカッ

419 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 01:01:36 0
とはいえ、年取った貧乳に何の価値があるぅぅーー。
人間としての価値は別でも当時は人間の尊厳なクソの時代だったじゃねえか。


貧乏な時代だからこそ、豊満な女性に価値ありでないのか…  orz

420 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 12:00:16 0
大人貧乳のよさが分からないとは・・・

421 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 12:04:29 0
なんだ・・・この学問板とも思えぬ議論は・・・

422 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 12:12:01 0
禁欲的な中世ヨーロッパでは、女性の豊満な肉体を描くことは罪とされていた。

しかし、「淫乱ゆえに地獄に堕ちた女」を描く際は豊満に描いても良かった。
そこで坊さんたちは、嬉々として地獄絵図を描いたと言う。

423 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 13:30:14 0
いつの時代も男ってやつぁ…

424 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 15:11:22 0
中世では修道院が売春宿をひらいていたそうだけど、そこを訪れる客という
のは身分的にはどういう層だったのかな?(身分による入場規制はあった?)

425 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 15:18:46 0
>>424
破門されてない限りは千客万来なのが修道院じゃないの?

426 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 07:51:11 0
>>425
いや、修道院じゃなくて売春宿のほう。賤民とかでも行けたのかな?

427 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 14:28:55 0
>>394これは18世紀、フランス革命直前、ルイ16世の話です。パルマンティエ氏の発案で。
しかし、当時のフランスは小麦の改良が進み、上質なパンがつくられており、
えぐ味の強かったジャガイモは広がらなかったそうだ。

428 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:18:56 0
>422
その坊主達の光景の方が地獄絵図だな。

429 :世界@名無史さん:2005/07/30(土) 07:20:50 0
>>427
ドイツのバーデン料理などもジャガイモを奨励した領主に抵抗して麦とジャガイモを
混ぜたヌードルなどが普及したと聞いたことがある。

430 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 09:01:56 0
ageついでに。阿部謹也さんの「自伝」が発売されてたんだね。歴史と個人を
切り離せないひとつのものとして見る阿部さんならいつか自伝は出されるものと
思っていました。読まれた方いらっしゃいますか?

431 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 08:34:39 0
あげ


432 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:30:02 0
>>430
読みました。
学問の話はあまり出てこなかったかな。なぜ歴史を志すようになったのかってな話くらい。
で、印象に残った点。
・「学長」なんてのは名誉職だと思ってたけれど、実務も大変っぽい
・学者の嫉妬は恐ろしい

ところで、アベキン先生の本は読みやすいしおもしろいんだけれど、ネタの使い回しが
多いような気がする。論文はしらないけれど、一般向けの新書レベルだと。


433 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 10:29:35 0
>>432
「学者の嫉妬は恐ろしい 」←ワロタw。たしかに阿部先生の本は重複する内容が
多いね。まぁ、しかし歴史研究の成果というのは一生を費やしてもそれほど
たくさん得られるものではないのかもしれないけどね。

434 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:19:57 0
阿部さんの結婚のいきさつがアッサリしか書かれていないのが残念。
でも、なかなか面白かった。

435 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 15:22:32 0
前にペスト狩りの話がでできていましたが、当時その病気がペストだとゆう認識はあったんでしょうか?

それともそのころは病名不明で、ペストだったとゆうのは後々わかったんでしょうか。

436 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:34:44 0
ペスティレンティアという言葉がもともとあったんでは?

437 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 00:03:06 O
>>436ペスティレンティア…??

438 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 00:15:30 0
>>435
中世のペストと申しますのは、ラテン語の pestilentia あるいは pestis、すなわち流行り病のことでありまして、
今日の詞でいう一個の病名としてのペストとは違うのであります。今日の英語には pestilence として残っております。

それがペストであったのか、ほかの病であったのかは、今となっては知るすべもございません。
はっきりと言えるのは、それが流行り病であったということくらいですかね。

439 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 01:14:11 O
>それがペストであったのか、ほかの病であったのかは、今となっては知るすべもございません。

え?つまり、中世あたりで流行ったペストはいま言われているペストとは別物かもしれないと言うことですか??

440 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 05:53:59 0
>>439
中世に流行りましたペストと申すものも、患者の皮膚には黒い斑点が現れる、流行るときには鼠が増える、
といったわけで、今日の腺ペストと同じ病であることを示す記録も、確かに残っているのでございます。

しかし、なにしろ中世のことで、病理学的の検証を行ったわけではもちろんないのですね。
また、中世の人々というのは他愛のないもので、今日の人々と違って科学的の観点で観察をするという習慣が
ございませんから、いったんペストだと思い込むと、自分の目で見たのと違うことを記録に残してしまったりする。

そんなわけで、中世のペストは今日のペストとは別の病である、と主張している方もいらっしゃるのでございます。

441 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:41:07 O
>>440くわしくありがとうございます。そこまで科学の発達がなかったとは‥

442 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:48:53 0
海外のSFで、遺跡から「中世のペスト菌」が出てきて世界中が大混乱になる話があったような。
「ドゥームズデイ・ブック」だったかな?

443 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 16:35:32 O
>>442そんなことってありえるの?

444 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 18:13:51 0
SFなら何でもあり、だと思いますが、中世のペストは現在のペストと同じらしいから
ストレプトマイシンで9割くらいは治るのでは?

445 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 18:18:47 0
下げ忘れました。ごめんなさい。
現代でペストの治療薬はストレプトマイシン、というのは国立研究所のサイトに
あった話で、でたらめ書いたわけではないので、念のためおことわりしておきます。

ttp://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k01_g3/k01_51/k01_51.html


446 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:24:49 O
>>444 >>440と矛盾するんだけど‥

447 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:28:53 0
まあ要するに「ただの中世のペスト菌」でパニくるほど現代医学はヤワじゃ無いってことで。

448 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:36:29 0
え?
ストレプトマイシン、略してストマイは肺病の特効薬じゃなかった?

449 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 22:10:34 0
ペストの治療薬でございますか……

ペスト菌には特定の薬物に対する耐性は今のところありませんので、抗菌薬全般がよく効きます。
中でも特効薬と呼べるものはストレプトマイシンでございますが、仮にストレプトマイシンがなくとも
ありあわせの抗生物質で治療ができますので、今日ではまったく恐ろしい病気ではないのでございます。

ただし、日本でペストの治療薬として保険が効くのは、なぜかストレプトマイシンのみなのでございます。
日本では大正15年以来ペスト患者が出ておりませんので、法律がほったらかしになっているものだと
私などは理解しております。

いやいや、中世から離れすぎましたね。

450 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:29:26 O
でけっきょく中世といまのぺストの違いは

451 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:43:34 0
>>450
中世のペストは神の怒り。今のペストは鼠の怒り。

452 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 05:46:31 0
>>450
現代のペスト:病理学的に同定済み
中世のペスト:現代で言うところのペストもそれ以外の病気もごっちゃ

453 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 13:47:33 0
現代日本のコレラ:コレラ菌の感染による
江戸末期のコレラ:ただの食中毒や感冒性嘔吐下痢症も混じっていたかもしれないが、
         おそらく、殆どはコレラ菌の感染による発病だろう

ペストの認定もこんなものかと。ペスト以外の病気にしては、死亡率が高すぎ、
発病から死までの経過が早すぎるので、ほぼペスト。

454 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 14:57:40 0
>>453
江戸末期は例としてはあまり妥当じゃないと思われ。

455 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 18:02:43 0
>>454
どうも
たしかに、江戸末期では中世からはなれますね。
「もがさ」が適当ですか。しかし、天然痘は症状がわかっていてそれ以外の病気とは間違えないし。
「あかもがさ」は風疹のようですが、区別が付いていました。
「ことし例のもがさにはあらず、いとあかきかさのこまかなできて、老いたる若き、上下わずか
これを病み・・・(栄華物語)」
中世のペストも殆どペストだろうと思いますが。

456 :455:2005/08/10(水) 18:17:21 0
×上下わずか
○上下わかず
です。ごめんなさい。

154 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)