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【 【  中国の地方豪族、名家 part1  】 】

1 :世界@名無史さん:2005/05/19(木) 22:41:48 0
曲阜の孔家(衍聖公)、麗江木氏(土司)、清朝の蒙古王族など
4000年の中国史を彩る王侯将相権臣門閥名紳貴顕勢族富家など
について語りましょう。


74 :世界@名無史さん:2005/06/17(金) 04:07:16 0
 毛沢東は毛氏二〇代目にあたる。毛沢東の父毛貽昌の字(ルビ・あざな、本名のほかに別名をつける習慣がある)は
順生である。毛貽昌は妻文氏を娶った。彼女は文氏の七番目の子供なので文七妹とよばれた。
父母は五男二女をもうけたが、長男、次男と二人の娘は夭折し、三男の毛沢東が長男として育てられた。
……毛沢東の字(あざな)はこれまで潤之とされてきたが、『族譜』によれば、正しくは詠芝である。湘潭方言では
同じ発音であるが、毛沢東は潤之を好み、よく用いた。
……毛氏一族は科挙とは縁が薄かった。第三代の毛有倫が歳貢(科挙制度のもとで国子監で学ぶ資格をもつもの)
になったのは珍しい例であり、国子監の学生になる者(監生、現在の大学生)さえほとんどなく、大部分は韶山で
農民として暮らしてきた。しかし、毛恩毅(一八代)が清代提督軍門で重要な職務についたように、軍功を立てて官職を
得た者は少なくなかった。たとえば毛沢東の祖父の世代七四〇人のうち功名を立てた者は一〇人いるが、
九人は軍官である。毛沢東の父の世代八一四人のうち功名を立てた者は二六人で、うち一七人は軍官である。
毛沢東の世代六七〇人のうち功名を立てた者は一七人、うち一四人が軍官である。このなかには、
毛沢東、毛沢銘、毛沢覃の三兄弟も含まれる。

毛沢東て雲南少数民族の血が流れてるのね。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー 

75 :世界@名無史さん:2005/06/17(金) 04:20:55 0
同史料より周恩来の血筋
 周恩来の原籍は浙江省紹興小保佑橋百歳堂にある。魯迅逝去二周年記念のとき、周恩来はこうのべた。
「血統では私は魯迅先生の本家筋かもしれない。二人とも浙江紹興の周家だからである」。
周恩来の祖父周殿魁の時代に「師爺」となって紹興から淮安に転居した。師爺──これが周恩来の人生を解く
一つのキーワードである。封建時代に読書人の活路は科挙をうけることにあったが、紹興人は科挙をうけて
正規の役人になるよりも、官職ではない師爺になり、全国各級の役所で文書を扱う道を選んだ。
 師爺とは県知事など役人の幕僚であり、老夫子と尊称されていた。県政府では司法担当は
刑名(シンミン)師爺(シーイェ)、財政税務担当は銭糧(チェンリャン)師爺(シーイェ)とよばれた。師爺というのは
県知事の意をうけて実務をおこなう官僚であり、県知事側としても彼らに依拠して行政をおこなうのが常であった。
師爺はむろん紹興人に限られないが、紹興(シャオシン)師爺(シーイェ)は有能なことで知られ、一つのギルド的な
人脈をつくっていた。毛沢東につかえる周恩来の姿は、周恩来が師爺の体質を継承しているとみるとわかりやすい。
紹興人に多かったもう一つの職業は商人である。彼らは大都市に雑貨店をひらき、その一角では紹興酒も売り、
あるいは呑ませた。師爺といい、大都市商店といい、いずれも都会的なスマートな職業で、各地の情報につうじている。
周恩来の体質のなかには紹興人気質、師爺の血統あるいは遺伝子が脈うっている。 
祖父周殿魁は晩年に淮安で淮安府山陽県(現淮安県)の知県(県知事)を務めた。周殿魁には四人の息子がいた。
末子の貽能が周恩来の父親である。周殿魁は五〇数歳で死に、父親貽能の時代にかなり貧しくなった。
周恩来の母親万氏(十二番目の娘なので、万十二姑とよばれた)の父・万青選の原籍は江西南昌で、やはり師爺出身
である。淮安府下清河県(のち淮陰県)で三〇年間知県を務めた。万十二姑は周貽能に嫁いで周恩来と二人の
弟恩溥、恩寿を生んだ。周恩来が一歳にもならないときに、最も若い叔父貽淦が病没した。「不孝に三つあり、
後継ぎ亡きを大となす」の考え方から、周恩来は貽淦の養子となり、養母陳氏に育てられた。

魯迅と周恩来は親戚筋。。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー 

76 :世界@名無史さん:2005/06/17(金) 16:04:24 0
郷紳

77 :世界@名無史さん:2005/06/18(土) 05:04:14 0
http://www.anystyle.jp/wsg/public/index.html

http://www.dion.ne.jp/contents/photo/dora/w-sexy/
http://www.world-sexy.tv/dion/public/


78 :世界@名無史さん:2005/06/19(日) 16:07:13 0
sage

79 :世界@名無史さん:2005/06/21(火) 22:05:35 0
age

80 :世界@名無史さん:2005/06/22(水) 22:36:59 0
延恩侯朱氏って本当に明の末裔ですか?

81 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/22(水) 23:57:59 0
延恩侯のことは最近になってジョンストンの「紫禁城の黄昏」の新訳で俄かに
著名になったようです。一応は明裔として宜しいかと思います。もう深夜なので
就寝させていただいて、詳しくは明日になったら書きますが、御用とお急ぎの
方は下記にアクセスしてください。
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-41435018&path=/26.3.9.2

82 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/24(金) 17:51:59 0
延恩侯については「清史稿」の「宣宗本紀」の「道光十七年春三月戊寅朔丙申」の條に繋けて
「上は明の長陵・獻陵・泰陵・景陵・永陵に詣り酒を奠(そな)へ、明裔の延恩侯書桂を以て
散秩大臣と爲す」の記事が見え、「諸臣封爵世表」中に「一等延恩侯」の格を設けて世系を
列記しています。これによると初代の朱之lは正白旗漢軍の出身で、雍正二年十二月に
明裔ということで正定知府の官から一等侯を特賜されています。彼が卒すると雍正八年
十一月に子の朱震が襲爵しています。乾隆十一年二月に朱震の子の朱紹美が一等侯を
襲爵しますが、十四年八月には一等延恩侯世襲に改封され、これに伴い朱之lに対しても
一等延恩侯が追贈されます。朱紹美は何かの事端によって革爵され、彼の従子つまり甥の
朱儀鳳が乾隆四十年十二月に襲爵しました。次に朱儀鳳の子の朱毓瑞が嘉慶二年に襲爵し、
彼の子の朱秀吉については「襲」の記載がなく、その弟の朱秀祥が道光八年に襲爵しており、
次は朱秀祥の族祖の朱貽坦が翌年に襲爵したことになっています。恐らく秀祥は幼年で
嗣爵し直後に夭折したため近親に成人の適格者がおらず、祖父の儀鳳の等輩に当る貽坦が
襲爵することになったのかと想われます。

83 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/24(金) 18:04:55 0
次には書桂が道光十六年に襲爵していますが、彼は貽坦の族叔ということですから、更に
一代を遡って朱紹美の等輩に当ることになり、継襲の順がが些か不自然な感じを受けます。
書桂の次が鶴齡ですが彼は書桂の繼子ということで、果たして血縁の継続があるのかさえ
疑わしくも想われます。また「襲」の記載もなく書桂・鶴齡の二代は名諱のみで何故か朱姓が
加えられていないのが異例です。書桂は前記の「宣宗本紀」の記述でも朱姓が省かれています。
鶴齡の次の誠端も朱姓が加えられていませんが、鶴齡の族孫ということで同治八年に襲爵し、
次の朱U勳は誠端の子で光緒十七年に襲爵しています。彼は「紫禁城の黄昏」に出てる人です。
ところで初代の朱之lは明の宗室のどういう系統に連なる人物か、それは次回に書きます。

84 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:05:49 0
>>83
期待してます。

85 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 22:35:50 0
期待age

86 :世界@名無史さん:2005/06/28(火) 00:47:38 0
age

87 :世界@名無史さん:2005/06/30(木) 23:31:23 0
age

88 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 23:14:13 0
姐さんまだ〜?

89 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 23:19:50 0
魯智深の「提轄」というのは巡査のような職?

90 :世界@名無史さん:2005/07/02(土) 02:14:43 0
age

91 :世界@名無史さん:2005/07/03(日) 12:22:14 0
あげ

92 :世界@名無史さん:2005/07/05(火) 02:44:48 0
あげ

93 :世界@名無史さん:2005/07/05(火) 21:14:25 0
客家ネタの本に出てくる、日本に洪秀全末裔が居るという伝説はウソだったの?

94 :世界@名無史さん:2005/07/05(火) 22:30:04 0
三国志の好漢の一人。
小旋風柴進の出自である柴氏について教えてください。

95 :世界@名無史さん:2005/07/07(木) 23:19:57 0
age

96 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:00:56 0
age

97 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 02:38:24 0
sage

98 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/11(月) 00:38:09 0
>>83
ここんとこちょっとした病臥とか負傷とか重なって高い棚に収まってる本が取れなかったりして、
レスが遅くなって御免なさい。
さて朱之lの明室との連枝関係ですが、なかなか書籍では発見できなかったんですがネット検索で
「搜狐網」の関連サイトに沙梨熊という人の執筆した「清十三朝漢軍王公們的最終結局」という記事が
見つかりました。沙梨熊という筆者については後にふれます。この記事は清一代の間に漢人にして
王・公・侯爵を蒙った者の本末を略記したものです。基本情報は「清史稿」の「諸臣封爵世表」に載って
いますが、これを補う事実も述べられているので貴重です。
延恩侯についても初代の朱之lの身上がいくらか明白にされています。即ち彼は安徽鳳陽の人で、
明の太祖の庶十三子である朱桂の後裔となります。朱桂は代王に封ぜられ、子孫の朱彝は明末に
洪承疇のために軍を松山に監していたところ、敗軍して甥の朱文元と共に清軍の俘虜となったので、
清朝に帰降して鑲白旗の隷下に属することとなり、雍正時に一等侯を賜ったことに伴い上三旗たる
正白旗に昇格したというわけです。
次回には明の代王の家世について書くこととします。

99 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/11(月) 00:47:16 0
>>93
大鹽中齋の子の格之助が大陸に渡って洪秀全になったという怪しげな伝説は
ありますけどね。陽明学が耶蘇教に化けるかしら?

100 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/11(月) 00:49:20 0
>>94
後周の柴氏についてもそのうち書きますよ。

101 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 15:04:49 0
>>94
三国志ではなく、水滸伝ね。

102 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 20:24:00 0
>98-100
嗟乎、あやめ姐さん、病臥とか負傷とか重なって高い棚に収まってる本が取れなかったりしていても、
的確かつ奥深いレスをする貴台は素晴らしい。
お体お大事に。

103 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 23:19:36 0
あやめさん、感謝

104 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 23:29:59 0
あやめはネカマだろw

105 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 23:44:28 0
age

106 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 23:00:29 0
age

107 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 03:00:43 0
http://www.kireigw.com/


108 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 19:10:26 0
age

109 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 23:58:43 0
みんなガンガレ

110 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 03:28:49 0
毛沢東や周恩来の子孫はなにしてるの?
表舞台には一切出てこないけど。

111 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 04:42:52 0
age

112 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 22:31:53 0
毛沢山、、、毛沢東の孫。中国最大の鬘メーカーの創始者。(民明書房)


113 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 00:26:55 0
おやじギャグだなー、わらったけど。

114 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 22:11:13 0
みんな使ってくれ

115 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 15:55:13 O
.

116 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 21:59:19 0
age

117 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 00:13:28 0
目指せ1000レス

118 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 18:37:47 0
age

119 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:28:16 0
中華民族始祖 軒轅黄帝
  黄帝姓公孫(亦姓姫)名軒轅,有熊國君。其先出自少典,母曰附寶,
  至祁野,見大電繞 北斗樞星,感而懷孕。二十四個月生帝於壽丘,
  日角龍顏, 有景雲之瑞,故史稱[生而神靈]。 其初都於涿鹿,
  (今察哈爾省涿鹿縣)。當時帝楡罔不能治天下,人民塗炭。
  黄帝乃脩コ振兵, 戰楡罔於阪泉, 誅蚩尤於涿鹿, 而後安天下。
  諸候擁立為天子。都有熊(今河南新鄭縣)。 披山通道,未嘗寧居。
  東王至海,登丸山及岱宗(泰山)。西至空同(甘肅省平涼縣西)登雞頭。
  南至江弓登熊湘(湖南益陽縣)。北逐葷粥(匈奴)。合符釜山。
  遂建立中華萬世之基業。


120 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:33:15 0
  黄帝以前,氏族混雜,源流未辨。我始祖制十二姓,
  (姫ˋ酉ˋ祈ˋ己ˋ滕ˋ箴ˋ任ˋ荀ˋ 僖ˋ佶ˋ儇ˋ依 )。
  帝二十五子, 立二十五宗,今之諸姓氏倶由此十二母姓演變而來,
  乃鑄成今日之中華民族。故稱黄帝子孫。

  我始祖又創造各種文化。其重大者,倉頡造字,容成造暦,隸首作數,
  伶倫制十二律, 製衣裳作冕旒充\,服牛乘馬,作舟車以通道,
  作宮室以安居,造弧矢以振威, 造指南車,為鎮營之法,女累祖教民養蝉以製絲,
  著内經以明醫藥,制法度正名百物, 建立合宮以祀上帝,中國文化從此大備。


121 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:34:42 0
 史記漢武帝本紀,載我始祖且戰且學仙,餘年然後得與神通,
 采首山銅,鑄鼎荊山下, 鼎既成,有龍垂胡髯下迎,黄帝上騎,
 是我始祖昇天,亦神人也。中國歴經變亂,而不動搖者,
 均ョ我始祖在天之靈。今我輩子孫當全心全力,發揚黄帝精神,
 振起五千年之民族魂, 邁往新生之大道。


122 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 23:07:11 0
age

123 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 04:18:20 0
age

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