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モンゴル大虐殺史

1 :世界@名無史さん:2005/05/20(金) 12:24:01 0
世界帝国モンゴルの征服史を語れ!

-「6745年(1237年)、神をしらぬバトゥ汗がタタールの大軍を率いてルーシの地に押しよせ、
リャザーンの地に程近いヴォロネジ河畔に陣を張った。
バトゥはリャザン大公ユー-リー・インゴレヴィッチのもとに無頼漢の軍使を派遣して、
諸侯と全ての住民のあらゆる収入から、10分の1税を支払うことを要求した。

 リャザンの大公ユーリー・インゴレヴィッチは不徳なるバトゥ汗の襲撃を知ると、
ウラジーミル大公ユーリー・フセヴォロドヴィチに使者を送り、
不徳なるバトゥ汗に対する戦いに援軍を派遣するか、さもなくば大公自身が出馬するように要請した。
しかし、ウラジーミル大公ユーリー・フセヴォロドヴィチは、自ら出馬せぬばかりか、
援軍も派遣しなかった。彼は一人でバトゥと戦うことを望んだのである。…

 …呪われたバトゥ汗はリャザンの地に攻め入ってリャザンの町に迫った。そして町を取り囲み、
5日間のあいだ絶え間なく攻め立てた。バトゥの軍は次々と新手を繰り出したが、住民たちは休むまもなく戦った。
住民の多くは殺され、残りのあるものは負傷し、あるものは疲労し尽くしてしまった。

 6日目の朝早く、異教徒どもは、あるいはたいまつをもって城壁へ近づき、あるいは破城用の大づちをひき、
あるいは無数のはしごをもって城壁に近づき、ついにリャザンの町を占領した。…

 …タタール勢は町の中で、あまたの住民を女子供に到るまで剣で切り尽し、あるものは河でおぼれさせ、
僧侶と修道士を一人も余さず切り尽くして、町全体を焼き払った。…

 …神を知らぬバトゥ汗はキリスト教徒の血がおびただしく流されるのを見て、ますますたけり狂い、
心すさび、ルーシの地をくまなく攻め取ってキリストの教えを滅ぼし、神の教会を根こそぎ打ち壊さんものと、
スーズダリとウラジーミルの町へ向かった。」-

     〜「バトゥのリャザン襲撃の物語」より〜

ttp://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-1-11.htm

403 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:35:36 0
チンギスハンが攻め込んだ国々はまさに異邦、文化も体制も宗教も
バラバラで、そこに恐怖の噂と現実をばらまくのは、手段として
或る程度理解可能
ティムールはジハード気取りをしていたにもかかわらず、イスラムという
共通項があり、文化的にも或る程度近似した諸国家を攻め滅ぼし、不要な
残虐行為を行っているように見える、よって理解困難

404 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 12:23:08 0
そのティムールだって、チンギスハンの子孫なんでしょ?
いやはや恐ろしい血ですな

モンゴルは圧倒的な強さで残忍な性格な上に強姦好きだから始末に負えない
しかも不細工ばかりと来るから、犯される女性もたまったもんじゃないよな


405 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 15:58:35 0
ティムールが実はチンギス裔じゃないってのは有名な話。
オゴタイ家のソユルガトミシュなどを傀儡のハーンにして
自分はただ「アミール・ティムール・キュレゲン」と名乗ってた。
彼の子孫たちは「スルタン」「シャー」などの称号を用いた。


406 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:01:53 0
チンギスハンの邪悪なる遺伝子は危険だ。
麻原のような異常者ばかりに違いない

407 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:02:50 0
スーフリの和田はチンギスハンの遺伝子を引き継いでいそうだ。
どことなく顔も似ている

408 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:05:38 0
>>407
チンギスハンの顔って残ってるのか

409 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:07:53 0
戦国自衛隊という作品があるが、逆に現代にチンギスハンとその軍隊がタイムスリップするなんていう作品も見てみたいな。、
チンギスハンがどんな悪逆非道な事を現代において行うのか想像するのも楽しい

410 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:08:52 0
おそらくレイプサークルを作ることだけは間違いない

411 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 19:00:01 0
>>408
チンギスン・ハンと同時代を生きたシリアの歴史家イブン・アル=アシールは
チンギス・ハンの風貌を碧眼らしいことを言ってらしいのが唯一の例。
ただし、遠方からのおどろおどろしい伝聞の類いなので、黒船来航時に伝聞のみで
描かれたペリー提督の想像的な肖像同様あまり当てにならない。

ほかに『元朝秘史』にもいくつか容貌について出てくるが、これは北アジアや
仏教圏でよく見られる君主や聖人の「賢明さ、聡明さ」を表す慣用的表現なので
これも決め手に欠ける。

要するに歴史上の人物の多くがそうであるようにどんな容貌だったかは良く分からない。

412 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 20:52:24 0
>>404 >しかも不細工ばかりと来るから

いや不細工なのはどうでもよくて、いずこの国の兵隊も汚れ放題のところにきて
水にあまり親しまず、入浴の習慣がないのに、あの気候の中で厚手の服を着て
汗と垢まみれで口臭の酷い男にのしかかられたら・・・貞節観念がどれだけ
現代とは相違するとはいえ、命が助かってもトラウマだったろう
あの突き刺すような陽光の中で、陽に焼けたことのない生白い身体が全裸に
引き剥かれたのかもと思うと・・勃たんわw

413 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:10:24 0
どうでもいいが、「厚手の服」があわない気候で「あの突き刺すような陽光の中」で
女が「陽に焼けたことのない生白い身体」っていったい地球上のどこやねんw

414 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:56:59 0
>>411
イブン・バトゥータなんか「呪われたティンギースはもともと貧しい鍛冶屋だった」
とか訳のわからないこと書いてるしな。
おそらくテムジン→鉄→鍛冶屋みたいな連想ゲームがあったのか。

415 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 00:02:52 0
「厚手の服」はモンゴル兵
「陽に焼けたことのない生白い身体」は、「あの突き刺すような陽光の中」
で紫外線から身を守る知恵とイスラムの戒律のミックスを守る地元の女

って、妄想だからどうでもいいなw



416 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 00:25:14 0
>>414
キプチャク草原のテュルク・モンゴル系の諸族の間では早い時期から
「テムヂン」を「テムルヂ」と訛って伝承されていたところがあったらしい。
「temur(鉄)-ji(人)」とは「鉄(に関わる職掌の)人」の意味で、
つまりテュルク・モンゴル語で「鍛冶師」のことを指す。

北アジアの古くからの習俗では、鉄から刀剣や鉄鏃を生み出す鍛冶師は
祭祀、神職、巫覡の徒が担っていたもので神聖な職掌と見られていたと
考えられている。
その種の伝承がイドリースィーなどの北方関係の記事に載せられている
そうだが、イブン・バットゥータの場合は既存のイスラム側の北方関係の
情報とキプチャク草原での伝承を習合してると目されているとか。

417 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 12:14:27 0
>>412
犯されるだけなら(それだけでも地獄だと思うが)ともかく
そんな酷男に連れ去られて、無理矢理嫁にさせられて子供まで孕まされたらマジで地獄だろうな・・・
しかも、普通にこういうことは日常茶飯事だったんだろうね・・・

ロシアや東欧の美しい女性がこういうことされたのかと思うと・・・
自分だったら嫁や娘が目の前でこんなことされたら二度と立ち直れない気がする


418 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 12:33:17 0
だからモンゴル軍にとって女は穴だったんだよ。穴。


419 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 12:36:59 0
まぁ、最近100年くらいになるまでは、キリスト教でも
女には魂が存在しない、つまり、人間として認識されてなかったしな。
そんなもんだってことさ。

420 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 19:18:41 0
イブンファドラーンもモンゴルは恐ろしい野蛮な蛮族と言ってたしね

421 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 21:35:27 0
同時代の人間でモンゴルを評価しているのってマルコポーロくらいじゃないの?

422 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:28:03 0
>>416
モンゴル族の祖先が鉄の山に閉じ込められて、ふいごで鉄を溶かして脱出したという伝説が
「集史」に書いてあるようだけど、それとは何か関係あります?

423 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:43:19 0
ここで蒙古残虐説を布教しているのはスターリン崇拝者?

424 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 01:08:09 0
>>422
多分関係あるのではないかと言われている。
例のウチュケン山から巨大なふいごで山塊を溶かして現世に出たという伝承は、
突厥時代から伝わる北アジアで広く流布していた古い神話で、モンゴルだけで
無くオグズや金朝などでも同様の族祖の起源神話を伝えている。

『集史』や『元朝秘史』の族祖神話は、狼が祖先だったという神獣起源説や
月光感生起源説、さらにはウチュケン山の溶解伝承と族祖神話のパターンを
一通り上げているが、これらの伝承はこの後も『オグズ・ナーメ』などの
文学にも広く影響を与えている。

中央アジアでの冶金技術の歴史は紀元前2000年代にまで遡るが、
鍛冶や火にまつわる禁忌や聖別についても王権や祭祀にかかわるものも
少なからずあるので、その文脈から鍛冶=王の権威と結びつく場合もあるとか。
もとより鍛冶=武器の製造→軍事力なのでそれもあるのだろうと。

425 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 01:33:52 0
>>423
残虐ではなくて、家畜を扱うようにクールなんだと思うが
誰も興味ないみたいw

426 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 01:39:12 0
>>422
今一つ思い出したが、白石典之先生が非常に面白い指摘をしていて、
キヤト・モンゴル族をはじめとして、モンゴル高原一帯の諸族は
支配地域に必ず鉄山を持っていたようだ。

テムヂンがメルキトやケレイト、ナイマンの諸族を圧倒して高原統一を
一気に押し進めた1203-4年は、東方のコンギラト部族や陰山方面の
オングート族との同盟を勝ち得た時期だった。

特にオングートの支配していた陰山山脈は現在でも優秀な鉄資源の産地で、
1207年までの短期間に強大なキルギスやコリ=トマトなどを征服できたのも、
この陰山の鉄を入手できたからだ、というようなことを述べておられる。

ケレイトはハンガイ山地、ナイマンはアルタイ山脈、キルギスはケムケムジュート、
現在のノボクズネツクの鉄鉱山を抱えていた。モンゴルの高原統一とは一面、
高原全体の鉄資源の争奪戦の側面があったという説は、非常に傾聴すべきと思った次第。

427 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 01:39:40 0
モンゴル大虐殺とヨーロッパ大虐殺は両方とも人気だな

428 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 01:43:50 0
共産主義大虐殺も人気だよ

429 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 02:13:08 0
アメリカ原住民やアフリカ人の方々のことも、少しは思い出してあげてください…

430 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 02:39:42 0
>>429
あの時代でモンゴルvsアングロサクソンを見てみたい
アングロの傲慢な態度を見る限り、モンゴルが勝ったらメチャクチャにされそうだが・・・


431 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 16:00:39 0
>>424
>>426
d
「モンゴル帝国史の考古学的研究」図書館にあったんで読んでみました。
メルキトやキルギスが製鉄で有名だったと以前何かで読んだけど地図をみて納得。

キルギスやバルグトって強大だったんですか。ジョチに掃討されたイメージしかないけど。

432 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 21:41:24 0
>>430
普通にモンゴルの圧勝だが。

433 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:54:49 0
強姦伝説

434 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:55:44 0
>>431
コリ・トマトorバルグトは殆ど歴史の登場することはなかったが、
キルギスは、遊牧ウイグルを南方に追いやって一時期高原を支配したが、
ほどなく契丹に逐われてモンゴル高原の西隅に住むようになったのは
良く知られている通り。

南に隣接したカルルクはやがてカラハン朝が出現し、西遼が勃興したが
チンギス・ハンの勃興まで勢力を保っていた。キルギスも高原の西辺境だった
ということもあろうが、遼や金の盛衰やその後のモンゴル高原の群雄割拠にも
関わらずその勢力は保持していた。自分としてはキルギスやカルルクは圧倒的
とまでは言えないものの、高原全体からすればかなりの勢力だったと思う。

「征服」と書いたが、『元朝秘史』ではジュチ率いる遠征軍に対して、キルギスの
ノヤン(首長)たちであるイェディ・イナル、アルディエル、オレベクディギンらが
貢ぎ物をもって帰順してきた、と出てくる。『集史』では「"イル"になるために来たった」
とまで書かれていることからも、征服戦や掃討戦は行われていない。
なので「征服」と書いたのは誤りだった。

「モンゴルの征服」というと圧倒的軍事力で周辺諸族を力ずくで征服していった感があるが、
戦争になる前に、まず帰順や同盟のための使者(これが"イルチ")が送られ、これを当該の
勢力が受け入れたりして帰順や同盟、あるいはそれに反発して戦闘になるのが普通だった。

圧倒的な軍事力で〜というのも勿論あるが、やはりモンゴルも一個の政治組織であるので、
戦争以外で帰順や同盟の例となる、先のオングートやウイグル王国、カルルク、オイラトや
キルギスといった勢力の存在もやはり念頭に置くべきだと思った次第。

435 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 17:42:35 0
>>434
また質問で申し訳ないですが、イルとウルスに意味の違いってありますか?

436 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:18:26 0
>>435
これもよく知られてることとは思うが、
イル "il" はテュルク語で「くに、人民」の意味で、
これに対応するモンゴル語がウルス "ulus" になる。
『元朝秘史』の直訳体漢文訳註では、原文の「兀魯思(ulus-)」を
「百姓、百姓毎、国」と書いているので「人々」やその人々の集団
としての「国」と解することができる。

『集史』ではペルシア語文で頻繁に使われる同義語反復の一例として、
"il va ulus"、"ulus va lashkar"、"lashkar va il" などの表現がよく出てくる。

「ラシュキャル」"lashkar" とはペルシア語で「軍、兵団」の意味だが、つまり
「ウルス」や「イル」はペルシア語での「軍団、兵団」と意味的に近いと当時の
中央アジア・イランでは認識されていたことがわかる。
("va"はアラビア語のペルシア語形で英語の"and"(〜と…)と同じ意味と解してかまわない)


437 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:31:25 0
北アジア、中央アジアの遊牧政権では遊牧部族の人民の集団は武装することによって
即軍事単位となった。『元朝秘史』では「ウルス・イルゲン(ulus irge[n])」で「百姓毎」、
つまり「国民(くにたみ)」などという表現があるが、護雅夫先生によれば
「《ウルス》は自然成長的な基礎的社会集団ではなくて一エジェン ejen (君長)の下に
人為的にまとめ合わされたところの《百姓》――イルゲン――の集団、つまり《国民》《国》
なのである」と解釈しておられる。
これは>436に書いた『集史』で"ulus"が"lashkar"の同義語とされた背景を端的に説明している。

「エル」ないし「イル」/el/〜/il/ は突厥時代から確認できる最も
基本的なテュルク語の語彙だが、この「イル」という単語が人々の集団や
その延長としての「くに」とする意味は通時代的な概念だったと言える。

結論からすると、「ウルス」は「イル」の近似の言語間での同義語の類いで
意味の違いは無いと考えて差し支えない。今のところ両者に決定的な意味的差異が
存在していたという傍証は見つかっていない。現代中国語と日本語で普通名詞の
「国家or國家」という単語に意味上の差異はまず無いのと同じレベルことと考えて
良いかと思う。

"ulus" という単語自体は純粋なテュルク・モンゴル語ではなく突厥時代にソグド語か何かに
由来するらしいという問題はとりあえず置くとする。

438 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:33:00 0
>>436-437
ulus va lashkarというのは現代英語のHordeのニュアンスに通じて面白いですね。
モンゴル支配下の漢地で軍戸制がしかれた理由に、漢人への徴兵の負担が大きかったというのがあるようですが
それまでは壮丁がすべて戦闘員になる遊牧民型のシステムで徴兵してたんでしょうか。
ロシアやイランの農耕民からの徴兵など詳しく知らないのでよく分からんですが・・・

439 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:58:15 0
>>438
中世史での他の地域でほとんどがそうであるように、イスラム世界での
歩兵軍の実体も、実はあまり良く分かっていない。元朝史についてはよく
知らないので何ともだが、イランについては部分ながらある程度の情報が残っている。

『集史』「ガザン・ハン紀」第25章によれば、ガザン・ハンはジュチ家、チャガタイ家、
オゴタイ家との度重なる戦争に対して、モンゴル軍とタジク軍によりホラーサーン、ファールス、
ケルマーン、バグダード、ディヤールバクル、ルーム、そしてダルバンドといった王国全土の
境域全体の防衛の増強する計画を実施したという。

そこで山岳のような峡谷や狭隘な地域に対しては、被服を施したタジク軍を歩兵軍(ピヤーデ)として
任命配備し、これらの辺境守備軍全てを千戸、百戸ごとに編成して被服とイクターを賜与したことが
述べられている。


440 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:59:58 0
>439の続き。

本田實信博士の研究によれば、14世紀半ばに編纂されたイルハン朝後期の財政史料のひとつ、
"Risala-yi Falakiya"にモンゴル軍とタジク軍に支払われたイクターの金額を記載されている
ことを述べておられる。

それによればイルハン朝の首都タブリーズ地区の支出3,288,000ディーナール中、軍人への
イクターは750,000ディーナール、つまり支出全体の約23%に相当した。
この内タジク軍への支出は200,000ディーナール(以下DN)。
スルターニーヤ城の1,000人には100,000DN、アリンジャク城の700人には35,000DN、
カフカハ城の600人には60,000DN、アラタグ城の500人には20,000DN。

主に城塞守備についた人員について書かれているが、別の項目ではホラーサーン方面軍の
タジク軍部隊についても人数はわからないが50,000DNが支出されたことが出てくる。
1人あたり100DNだったり50DNだったりするが、これは同地タブリーズに配備された
モンゴル軍の1万戸に支給された一人当りの支給額と同等かそれ以上の金額に相当する。


441 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 22:19:38 0
タジク軍の配備についての説明でチンギス・ハンの西征の時期に投入された部隊のことを
述べた部分が出てくるが、これは降伏した中央アジアの都市住民の男子を歩兵軍として再編し、
各地の攻城戦などに投入したジュワイニーや『集史』の他の記事に依っている。

タジク軍による騎兵部隊があったかどうかは定かでは無い。状況から考えると、タジク軍は
境域での定住・駐屯を目的とした定地守備の歩兵軍だけだったように思える。
チンギス・ハンの時代は征服地域の定住民が強制的に挑発され歩兵軍に転用されたが、これら
イルハン朝時代のタジク軍がどのような基準なりで歩兵軍として編成されたかは分からなかった。

このあたりのことはドーソンの『モンゴル帝国史』第6巻で少し触れられているので一読される
ことをお勧めしたい。
ちなみに英語の"horde"はモンゴル語のオルド"ordo"(斡(舌)児朶:「宮室、宮」)に由来して
いたりするが、「オルド・ゲル」などといい「ゲル」が普通のテントの家屋の意味に対して
「オルド」は君主の「宮廷」、后妃が統括する「後宮」の類いで、まさに「幕府」に相当する
という話しは有名なところか。

442 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 16:21:21 0
>>441
6巻で触れられてるのは第9章の「辺境防衛」でしょうか。
前半の「ガーザーンは各軍戸に命じ」というのはたぶん千戸や万戸に属する
トルコ・モンゴル遊牧民のことですね。
辺境防衛のタジク兵については「それらの地は歩兵によって防衛される」
などと書いていながら「これらのペルシア人を歩兵・騎兵の百戸軍、
千戸軍に編成し」とも書いてあるんでよく分からんですね。
元朝の漢人なんかは弓矢や馬の使用を制限されてたとか聞きますが・・・

イルハン朝のイクターはアゼルバイジャンとホラーサーンの遊牧地に
多かったようですが、やはりトルコ・モンゴル系遊牧民の人口も
それらに集中してたんでしょうか。
ムザッファル朝の戦争についての記述を読むと「ファールスの2千騎と
ルリスタンの1万騎を率いてアゼルバイジャンに攻め込んだ」とか
書いてありますが、そういう地方の軍隊はどういう民族構成だったのか
非常に気になるところですね。
クルト朝なんかも兵隊が全員グール族って訳でもないだろうし・・・

443 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 22:36:31 0
モンゴル文字はどこから来たのですか・アラビア文字に近いですか?

444 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 00:19:38 0
ここはモンゴルの大虐殺について語るスレです。
関係ないスレは控えてください

445 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 11:31:49 0
てかロシアのスターリンや支那の赤化、そしてモンゴル自体の赤化と
かつての大帝国元帝の誹謗中傷ってぜってぇ繋がってるよ。
一応自由主義陣営の日本ですら、過去の帝国主義で自虐だぜ?
共産圏の帝国の非難ってもっとすごいんじゃないか?

446 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 14:49:02 0
チンギスはモンゴルの英雄ですが?

447 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 15:56:53 0
社会主義だった時代も英雄なのか?

448 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 21:32:29 0
表向きは駄目だけど、民間伝承で語り継がれたんでしょ。

449 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:02:40 0
>>442
個人的に色々と思うところのある内容だったのであれこれ調べていたらつい
間が空いてしまった。申し訳ない。

さて、その「辺境防衛」の項目で
ドーソンは確かに「これらのペルシア人を歩兵・騎兵の百戸軍、千戸軍に編成し」云々
と書いているが、『集史』本文では「タジク人を歩兵と騎兵に〜」という直接的は表現は
しておらず、文脈的に百戸と千戸に編成された「騎兵(サヴァール)」と「歩兵(ピヤーデ)」
とはモンゴル軍とタジク軍両方をあわせたもののようにも受け取れそうに、個人的には思えた。

当時の中央アジア方面は『元朝秘史』や「イェスンゲ功碑文」にもあるように、「サルタグル」
とよばれその住民はイラン系・テュルク系をとわず「サルタグタイ」と呼ばれていた。
もしも『集史』などの「タジク」がイラン系・テュルク系を含めた「サルタグタイ」の同義語と
して使われていたのであれば、また「騎兵と歩兵」の問題もまた違った意味を持つことになる
だろう。が、『集史』ではテュルク系の部族は「トゥルカーン」とかアラビア語風に「アトラーク」
などと呼んでいるので、恐らく単純に「イラン系の定住民」などの意味で「タジク」と呼んでいた
と見て間違い無いだろう。


450 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:09:28 0
>449の続き。

アッラーンやアゼルバイジャン地方、バグダードの方面には歴代のイルハン朝下の
有力部将たちのイクターや私領(ミルク)が多数設定され、多くの万戸が投下された
ことが周知の通り判明している。ただ、ホラーサーンのイルハン朝軍の実体については、
イルハン朝史では最重要な問題であるにも関わらず、その動向も志茂先生の研究以上の
ことについては今一つよく分かっていない。これは『集史』の各帝王紀の記述内容が首都
のあるタブリーズ・アゼルバイジャン地方に絞られていることに起因している。

『集史』の部族誌や各部将や動向などに軽く眼を通すだけでも、アッラーンやアゼルバイジャン
などの北西イランと、東北のホラーサーン地方の境域地域に冬営地や夏営地が設定され、イクター
なども与えられていたことが出てくるため、イルハン朝のモンゴル軍の主力はこれら双方の北部
境域地域に集中していたことが伺える。

多分指摘の通り、これの地域にテュルク・モンゴルの諸勢力の人口が集中していたと見て良い
ようにと思う。個人的には後のジャラーイル朝、カラコユンル朝のこと考えれば、イラクや
ディヤールバクル・シリア方面のイルハン朝時代の投下部族の構成なども気になる。なにより
バグダードがイルハン朝宮廷の主要な冬営地だったことを考えれば、イラクの動向も十二分に
注意を払う必要があるだろうから。


451 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:20:10 0
ホラーサーン、アゼルバイジャン、イラク、シリアの諸地域は、チンギス・ハンの
侵攻やホラズムシャー・ジャラールッディーンとの戦争、フレグの西征で大規模な
戦闘が続いたが、モンゴルにいち早く帰順したため、クルト朝のシャムスッディーン・
クルトのアフガニスタン方面やファールス地方などイラン南部はほとんど無傷だった。

これについては後のムザッファル朝のアゼルバイジャン遠征とも関係があると思うが、
それの話題はまた今度にしようかと思う。

452 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 16:48:06 0
>>449-451
「集史」本文なんて参照する術がないので非常に有難いです。
タジクはやはり歩兵として拠点の守備や補助兵に使われることが多かったんでしょうかね。
ペルシア人も昔は騎射の民だったみたいだけど、この頃ならもうすっかりトルコ・モンゴル系
軍事貴族に取って代わられてるんでしょうね。
イルハン朝時代に活躍してるタジクといったらクルト朝の君主ぐらいですし、しかも大抵の場合
ヘラートを死守してるような感じ・・・

その割にティムールが征服戦争を始める頃になると、イランの東半分はムザッファル朝、
サルバダール、クルト朝に分割されて遊牧民はどうしてるのかよく分からなくなる。
カラウナスなんかも諸勢力の中に解消しちゃったんでしょうかね。
イラクといえばベドゥインも砂漠ではそれなりの戦力があったようですね。
アブー・サイード没後にメッカの王族の者がヒッラを一時期占領したとか。

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