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銃・火砲の世界史

1 :世界@名無史さん:2005/07/06(水) 22:14:23 0
従来の武器に代わって主力兵器となるという戦略的革命を起こした
銃・火砲について語りませう。

2 :世界@名無史さん:2005/07/06(水) 22:16:01 0
2ゲットしたらそんだけ先生降臨

3 :世界@名無史さん:2005/07/07(木) 18:55:10 0
3ゲット!!

4 :4げっと:2005/07/07(木) 19:12:10 0
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html


そんだけさんの講義スレ
一応はっときます



5 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 00:11:11 0


6 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 13:13:03 0
時代の最先端は6getなのだよ

7 :ナナたんが7ゲット:2005/07/08(金) 14:41:28 0

           _ _ _ _
        ,.r ' ,´tー-、__ _ー 、
      ./─t' i    ー-, ヽ 、\
   ,,..-/   i  |   i    l   ヽ`ー- _、
  ∠,__/   i l  |  l     |    i- ' ´ /
  ',  /    l |  |  | i    |    l  /
  ∨i   i | ! |   l l    !    l / i
   i i   |  i! i! !   i! i!  i   ヽ l/  |
   | !   l ム ム   ム ム、ヽ   ヽ !/ i
   l |  人jr〒ミヽ ヽ |7T〒ミ、\  ヽ l //
   li ',  { | ヒ'゙;;|` \ .ゝ ト'゙;;;|ヾ 7\_ヽ{/
   丶', |ヽ! ゞ.シ   ヾ ゞ.シ '//  /7'
     ヽ!ー-ゝ""     """ ノ/ノ从/
      \! 、   ` _   ∠ク^ヽ
          > 、 __ . イ/   i`ヽ 、
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8 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 15:06:59 0
>>7
おまえ飛び道具使うけど火薬使ってねーだろ

9 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 15:38:05 0
他板のスレより
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/sf/1104916746/879-895

10 :4げっと:2005/07/08(金) 19:11:32 0
なんかあんまり人こないし、
「細々と銃・火砲を語り合う」というスレにした方がいいと思う


11 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 19:20:55 0
後装式ライフルが出てくるまではそれほど凄い兵器でもなかったのでは。

12 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 19:48:38 0
チャルディラーンの戦い

13 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 20:00:03 0
じゃあ 火薬が発明されたところから始めようか

14 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 15:55:51 0
火薬を発明したのはイギリス人の学者ロジャー・ベーコン
またはドイツのバルトリド・シュワルツ修道士といわれている。

15 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:13:12 0
中国で唐末ないし北宋初期から花火に使われていただろーが!

16 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:23:31 0
>>15
ソース

17 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:36:15 0
>>16
学校で習わなかった?

18 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:46:30 0
いきなり中国で発明されたといわれても納得いかない。
まだイギリスやドイツのほうが信憑性あると思う。

19 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:18:55 0
花火の原型は万里の長城の烽台から打ち上げられた狼煙だそうですが(秦代)


20 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:19:50 0
支那の話はいまいち信用できない。

21 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:22:07 0
>>18
そりゃ君がおかしな先入観を持ってるにすぎん。
イギリスやドイツなんてのは、世界史的にみれば後発国だ。
それならスペインやオランダやポルトガルが、と言われたほうが
まだ説得力がある(w

22 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:22:43 0
>>18 >>18 >>18
なんじゃそりゃwww

23 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:26:31 0
火薬の発明は中国だってのはよく聞く話だけど具体的なソースを見たことがない。
大体それならなんでポルトガル人が来るまで銃がなかったの?

24 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:28:35 0
後発だったはずのヨーロッパでなぜあんなに銃が発達したのか

25 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:32:15 0
>>23>>24
おおい、元寇の時に元軍は「てつほう」という火薬を使った兵器を使用しているじゃないか。
中国で火器が余り発展しなかったのは、統一王朝が成立しやすいという
地理的な条件が関与していると思われ。

26 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:35:18 0
>>23
具体的なソースをあげるとするなら、中国、唐代に書かれた、
「真元妙道要路」があげられる。この書物には硝石、硫黄、炭を
混ぜ合わせると激しく燃焼する物体ができるということが記されているぞ。

つか、君、頭大丈夫?

27 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:41:45 0
>>24
ローマ帝国分裂以後、ついに統一欧州帝国が誕生しなかったから、
四六時中外敵の脅威に晒される時代が長く続き、戦争技術が発展していった。
小銃の発展はそういった戦争技術発展の中の一つ。

また、欧州は気候に恵まれず貧しかったから、技術を発展させて
自然を克服しなければ、生存すらも危ぶまれた。腰巻一つでたらたら
やってても食べるものに不自由しなかった熱帯とは違う。
自然によって強要された技術の発達を、近接しつつ敵対する国家関係が
軍事への応用を強要した。それが欧州発展史。

28 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:52:16 0
中国でも元末明初の戦乱なんかでは銃や大砲が結構使われてたらしい。
漢人勢力同士だと歩兵中心の軍隊で城塞都市を奪い合う、わりとヨーロッパ型の
戦争になりがちだからね。

統一王朝ができると主敵が遊牧民になるので、騎兵中心のユーラシア型軍隊に
なっちゃうんだけど。中国はその二つのパターンの繰り返し。

29 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/09(土) 17:53:39 0
とりあえず、『金史』巻123に、「震天雷」が出て来ますね。

其攻城之具有火砲、名震天雷者、鉄爟(火では無く、石)盛薬、以火点之、
砲起火発、其声如雷、聞百里外、所爇囲半畝之上、火点著甲鉄皆透、大
兵又為牛皮洞、直至城下掘城為龕、間可容人、則城上不可菜何矣、人有
献策者、以鉄縄懸震天雷者、順城而下、至掘処火発、人与牛皮皆砕迸無迹、

・・・とまあ、白髪三千丈混じりとしても、凄まじいのなんの。
これを使用され、鎌倉武士がえらい目に遭ったのは、よく知られている通り。
1232年には、金軍が防戦に震天雷を使用しています。

30 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:21:46 0
1540年代より前から日本にも原始的な火器はあったと聞いたが。

あと宋代以降の中国では小型の原始的なミサイルとかも使ってたらしいね。

31 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:31:36 0
中国では宋以後に使われたそうだけど
欧州では百年戦争時期でも大型の火砲が少し使われた程度だとか。

32 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:36:22 0
たしか太田天洋が描いた文禄の役の海戦図で、日本の武士が
中国風のロケット槍をもってたような気が。
「海と水軍の日本史」って本の表紙なんだけど。

33 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:43:55 0
ミサイルの起源は北朝鮮の(ry

34 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:25:37 0
元軍がジョウハンを包囲したときにペルシアから巨大投石器かなんかをもってこなかったっけ。
イスラム世界に火砲が伝播した時期は?

35 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:40:30 0
>>34
それは回回砲。カウンターウエイト式投石器だったはず。

モンゴル侵攻以前から「中国の雪」つまり火薬はイスラム圏に伝わってたらしい。
アイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝軍が火砲を使ったという記録まであるそうだ。

36 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:43:18 0
ttp://www.gabarin.com/ayh/Powder.htm

>Four Arabic treatises describe or mention small portable cannon.[24] All these treatises report that
>cannon were used in the battle of `Ayn Jalut in Palestine in 1260 between the Arab Army and the Mongols,
>in which the latter were defeated. It was used once more against the Mongols in 1304. The purpose of the
>early cannon and other gunpowder devices as we shall see was to frighten the enemy’s horses and cavalry
>and cause disorder in their ranks.

37 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 20:17:11 0
いずれにしろ、13世紀には実用化されてるってことは確実だな。
年代が十字軍と微妙にかぶる気がするが、その頃イスラム側が火器
を使ったという認識がない。ギリシャ火なら使ってるはずだが、
あれって、石油の類のようなものか?

38 :朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/07/09(土) 21:46:06 0
>>37
ギリシャ火は粗製石油説も確かにあるけど、水に触れて発火するため、
生石灰が原料ではないかと考えられてるけど、詳細は不明なの。

イスラム帝国の焼夷特殊部隊“バファットム”が使用した焼夷兵器は、
生石灰、樹脂、硫黄などの混合物であり、ギリシャ火と同種と考えられてる。

39 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:30:18 0
「中国の雪」は硝石のことでしょう。
未だ火薬じゃないでしょ。
火薬は、道士たちが外丹術とかで、怪しげな薬をたくさん作っていたら
できたらしいね。唐は道教が盛んだったから。

ギリシャ火は名前からビザンツの発明かと思っていたら、ルーツは中近東と聞いた
んだけど、真相はどうなんでしょう?
あと、火炎放射器は中国でもあったという話を聞いたことがあるけど、これも中近東から
伝わったんでしょうか?

40 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:41:56 0
ギリシャの火は、七世紀ころシリア人のカリニコスが発明したはずだよ。

41 :4げっと:2005/07/10(日) 00:28:44 0
『戦争の科学』っていう本によると紀元900年頃に中国で発明されていると
書かれている
その後、交易を通じて西へ伝わっていった

(※下記は火薬とは少し関係ない)
同本によればギリシャ火の「前身」というものが、古代ギリシャで
発明されている
ギリシャ火薬(古代ギリシャ人たちはそう名付けた、厳密には火薬ではない
ややこしいので注意)というもので、今で言えば「火炎瓶」にあたる
松やに、硫黄、粒状にした乳香、松の木のおがくずを混ぜて、布製の袋に
入れる。袋を紐で縛り、火をつけて、カタパルトで投げて敵の要塞内に
投げ込む地面に激突すると炎が四方に飛び散る
「水をかけると」さらに炎は勢い良く燃える

ギリシャ火は上記に書いたギリシャ火薬を手本に作ったと書かれている
ギリシャ火は港湾都市であるコンスタンティノーブルが
海から攻められるのを防ぐための防衛手段から発明された
相手は当然(木製の)軍船で攻めてくるから火を使った攻撃が有効だと
思い、古代ギリシャ人が使ったギリシャ火薬を使おうと検討した
しかし、「皮袋」をカタパルトを使って百メートルも飛ばしてもまずほとんど
命中しない
船に乗っけて、至近距離から投げるという案もあったが船に乗ってる
自分たちも揺れるので余計に当たらない。
そこで開発に携わった科学者たちは、異臭を放ち、可燃性の高い奇妙な液体
ペトロレウムの存在を思い出した





42 :4げっと:2005/07/10(日) 01:29:30 0
ペトロレウムは当然石油(粗製石油だと思う、本には書いてない)だが
彼らは油とギリシャ火薬を組み合わせ、ギリシャ火薬を「液状化」することを
思いついた。
液状化したギリシャ火薬に石灰、骨粉、尿から作った燐火アンモニウムを
組み合わせ、混合液をつくった
これにより、火炎放射器「ギリシャの火」が完成した。
なお構造は混合液を大きなタンクにいれ、手押しポンプを付け、
火花を発する引き金(火打ち石)がとりつけられたノズルを
引くことで火が出る(※厳密には油が飛ぶ)
またギリシャの火を使うための専用の小型ガレー船も作られた



43 :4げっと:2005/07/10(日) 01:32:14 0
この兵器がつくられてすぐ、サラセン人が海上から攻撃をしかけてきた
ギリシャの火を搭載したガレー船は機動力を生かし、サラセン艦隊に接近、
なおガレー船の甲板の下では男たちが必死にポンプで上下させている
射程範囲内に近づくとノズルを向け混合液が噴出する、その瞬間
火打ち石をから火花が飛び、燃える液体が最大で45メートル(小学生の頃
読んだ本では30メートル)サラセンの艦隊に向かって吹き出す
一隻、また一隻と船が炎上し、恐怖に駆られたほかの船はほうほうの体で
逃げ出した

後に716年にイスラム勢力の艦隊が攻撃をしかけたが、ギリシャの火に
艦隊を丸ごと焼かれた(※本にはオスマン・トルコと書いてあるが時代的にありえない)
(※秘密を手に入れようとコネや金を使って交渉したが、
取引に応じず、コンスタンティヌス帝の下に
天使が舞い降りて新兵器の作り方を教えてもらった、という話しまで広まった
結局最後まで秘密は暴かれなかった)




44 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 01:50:09 0
やっぱり、あらゆる兵器は男根の象徴だというのは本当のようね

45 :4げっと:2005/07/10(日) 02:00:28 0
上記の文の8割が本をそのまんま写したものです
(残り2割は憶測にならない程度に書きました)

補足・訂正
石油の世界史によれば、
「ギリシヤの火は石灰岩と石油を混ぜたもので
石灰が海水と化学反応を起こして発火しました」
微妙に違っています

また、ギリシアの火同様に水に触れても消えない、逆に燃え広がる
というのは、確実のようです

またギリシアの火に関する機密は完全に守られていたようで
「放出されると火を吹きながら飛び」も伝承ではないかと疑う向きもあるようです。

http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/mili02.html

なお、>>41から43のソースは
『戦争の科学』という本を参考にしました
筆者 アーネスト・ヴェルクマン
訳者 茂木健(たかし)
発行所 株式会社 主婦の友者
3000円
(なおこの本は記述ミスや科学の発展による兵器の発達に偏重した書き方を
しているので、首をかしげる記述もあります)
ソースが少なく、自分自身の知識不足もあるので
問題があったら片っ端から指摘してください

ひょっとしたら、とんでもない間違いがあるかもしれませんし

46 :4げっと:2005/07/10(日) 02:05:58 0
訂正です
>>45
石油の世界史によれば、
「ギリシヤの火は石灰岩と石油を混ぜたもので
石灰が海水と化学反応を起こして発火しました」
微妙に違っています

上の文は間違いを訂正したわけではなく、
異なった意見を載せただけです
どちらが正しいのか正直わたしにも・・・わかりません


47 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 12:14:24 0
>>39
猛火油櫃のことかな

48 :乙事主さん:2005/07/10(日) 13:58:34 o
映画「もののけ姫」で登場した「石火矢」って中国に本当にあったようですが
我が国にも実際に伝来したのでしょうか?
確かあれは時代設定が室町中期頃(1450頃か?)らしいですけど

49 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 14:06:12 0
タッチホール式の銅銃ですか?
たしか鉄砲伝来以前に武田家が輸入してたとかどっかのスレに書いてたような。

50 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 14:26:43 0
>>47
>>猛火油

そりゃフタバガキの樹脂だって

51 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/10(日) 15:33:32 0
>>48
>室町中期頃(1450頃か?)
この頃なら、琉球に原始的な鋳銅製の銃が伝来しており、その後間も無く
日本にも伝わって、所謂「鉄砲伝来」の頃には、瀬戸内の海賊衆が火器を使
用しています。応仁・文明頃には、火薬が渡来していた筈。
映画の時代は、もう50年ほど後ではないかと思いましたが。
もう少し、正確なソースを探しておきます。

52 :乙事主さん:2005/07/10(日) 17:32:10 o
49様、山野様
レス有難うございます

あの棒の先に付いてたのは銅銃というのですね
もののけ姫ではタタラの鉄で作ってましたね
しかも弾倉部を脱着するタイプも開発してましたね
ところであのような物の資料はどこかに現存しているのでしょうか?
もしあるとすれば種子島銃以前の火器ですね
あと戦闘で使用された記録や絵巻など現存してるのでしょうか?


53 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 18:36:11 0
>>52
すでに応仁の乱に銅銃の使用が記録より確認されています。

54 :世界@名無史さん :2005/07/10(日) 19:49:49 0
そんだけ氏気取りの4げっとは完全に無視されたな(藁)



55 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 21:53:11 0
世界銃砲史
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0000776101/
火器の誕生とヨーロッパの戦争
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001108847/
鉄砲
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0000497558/
上二つは、品切れか。良い本なんだけどな〜。 



56 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 18:27:41 0
>>52
銅銃は支那に実物が残ってる。最古のは1374年製のものらしい。

57 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 20:54:51 0
世界最古の銃器は銅銃なのかな?
ヨーロッパで銃器が出始めた頃とどっちが早いのだろう?

58 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:49:33 0
中国とヨーロッパかあ。
そういや間に位置するイスラム世界では何もなかったの?

59 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:53:58 0
オスマン・トルコがコンスタンティノープル攻略で、大砲の威力を
ヨーロッパに知らしめていますが、なにか?

60 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:55:25 0
例えば中国や欧州とも違う中東独自の火器発明とかじゃない?

61 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:59:00 0
回回砲と書いてフイフイホウと読む。
これも中東かな?

62 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 22:53:08 O
それは単なるカウンター・ウェイト方式の投石機。モンゴルが宋の攘陽攻略戦で使用した。

63 :てる兄:2005/07/12(火) 03:13:52 0
>>52
宮崎駿監督の映画もののけ姫で出てきた明の指火式手銃は日本には伝来していない。
古銃研究の第一人者である所壮吉氏や国立民俗博物館教授の宇田川武久氏の調査によって立証済み。
当然ながらそのような手銃の現物資料など日本のどこにも無い。
応仁の乱で使用されたものをただちに火砲の類と考えるのは早計過ぎるし、他の文献にしても信憑性が低い。
琉球の使節が足利将軍に謁見した際に鉄砲を打ち鳴らしたという記録があるが現在の研究では爆竹のような物だとする見方が妥当らしい。
一部では火薬の使用はあっただろうが実戦で武器として火砲が使われたのはポルトガル人来航以降の事である。

だからあの映画で出てきた火砲・爆雷などはすべては宮崎氏の空想である。


64 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 07:49:03 0
>>63
銅銃は応仁の乱以後に多用されているのは何故?

65 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 15:02:05 0
>>57
欧州でも火器が使われ始めたのは百年戦争の頃なのでだいたい支那と同時期。
>>59
作ったのはセルビア人ですが。

66 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 16:48:39 0
>>65
突っ込みどころ満載

>欧州でも火器が使われ始めたのは百年戦争の頃なのでだいたい支那と同時期。

百年戦争も後期になってからだから、
14世紀末から15世紀初頭、対して
中国で火器が作られるようになったのは13世紀ごろから。
百年くらいの差がある。

>作ったのはセルビア人ですが。

残念!ハンガリー人ですから!ギリ!

67 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:01:10 0
>>65
ウルバンがセルビア人ってをいをい…

68 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:25:44 0
イスラム独自の火器といえば、全身に花火をつけて突撃する騎兵とかいたらしいよ(w

69 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 20:25:05 0
初めて火薬を発明したのって中国の錬丹術師だっけ?
おそらく当初は爆竹レベルの炸裂だったのだろうけど
ビックリしただろうなぁ〜。

オレがもし術師で、研究中に偶然「パンッ!」って爆発したら
「うおッ!」ってビビって以降錬丹術から足を洗うかも知れん。

70 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 22:07:41 0
ウルバン砲の弾丸の装填ってどうやったんだ?
あれって、一発600キロぐらいあるだろ?

71 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 22:10:20 0
イスラム独自の火器にはマドファというものがある。
1300年頃の文献には出てくるから相当古くからある銃器。
あるいはこれが銃器の起源かもしれない。
木製のタッチ・ホール式の銃。

72 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 11:22:46 0
>>71
>マドファ
たぶんこの右側のやつかと
ttp://www.sfusd.k12.ca.us/schwww/sch618/War/wararrows2.gif

手投げ弾
ttp://www.sfusd.k12.ca.us/schwww/sch618/War/explosives.gif
花火部隊
ttp://www.sfusd.k12.ca.us/schwww/sch618/War/firenaphthasuit.gif

73 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 15:04:28 0
ウルバンて最後は大砲が暴発して死んだらしい。

74 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 00:54:22 0
>>73
本望だったでしょうな。

75 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/15(金) 20:10:54 0
>>52
>あと戦闘で使用された記録や絵巻など現存してるのでしょうか?
『蔭涼軒日録』に、文正元年(1466)に、その頃喜界が島を征伐するなど武
力を振るっていた琉球の使節が足利義政に謁見し、「鉄放」を放ったとあり
ますが、形状などの詳細は不明です。文字通り鉄製かも不明。
『碧山日録』には、応仁2年に細川軍が「火槍」を使用していたと書かれていま
すが、これまた詳細不明。文字通り、長柄の先に(ヤリは鑓と表記されるのが
普通でしたが、長柄の使用を強調したものか)手筒花火の様なものを取り付
けたのではないかとも言われています。
53氏が仰られたのも、おそらくこれの事でしょうが、銅銃とも判断し難いの
で、「応仁・文明頃には、火薬が渡来していた筈」で済ませました。

当時の合戦を描いた史料としては、『真如堂縁起』などがありますが、少なくと
も、火器の使用は見られません。ただ、先にも少しばかり言及致しましたが、
所謂「鉄砲伝来」の3年後には、瀬戸内での戦闘に「鉄砲」が使用されたとい
う記録があり、おそらく旧式の銃だったのではないかと推測されます。
名称は「鉄砲」ですが、『太平記』にも出て来る元軍の記憶によるものか。

76 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/15(金) 20:19:36 0
曲亭馬琴の『近世説美少年録』には、永正6年(1509)に九州で鉄砲が
使用されていますが、何に拠ったものか分りません。
なお、『南総里見八犬伝』に、火縄銃が出て来るのは、明らかな考証ミス。
嫌味と博覧強記の人というイメージが強いですが、ご存知無かったか。

77 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 22:22:24 0
応仁の乱より前の応永の乱の時にも、
銅銃が使用されていたらしい。

78 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 22:44:14 0
「晴天の霹靂」の霹靂ってのは炸薬弾のことでしょ? 何もない青空で突然
霹靂が炸裂してビックリするって意味だよね。応仁の乱のころにはもうあったらしい

79 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 23:17:16 O
>>78 「霹靂」とは元々は雷という意味ですよ。
「青天の霹靂」とは晴れているのに雷が鳴るように、前ぶれもなく突然事件が起こることです。
兵器としての「霹靂砲」は「雷のような音を出すもの」というニュアンスであとからつけられた名前でしょう。

80 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 16:07:08 0
青銅や鋳鉄でできた前装式大砲が破裂したら、周りにいる人は具体的にどういう被害を受けますか?
とりあえず悲惨なことになるのは想像つきますけど。

81 :朱由檢:2005/07/18(月) 20:55:49 0
>>80さん
『当代記』(成立年代、著者不明)に大阪冬の陣での記述には、
天王寺門の大和衆が使用していた石火矢(国産大砲)が暴発し、
5〜6人が爆死し、7〜80人が火傷を負ったとあるよ。

82 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 22:17:00 0
後装式の大砲は19世紀の代物だと皆思ってるだろうが、実は16世紀に既に
存在していた。豊臣秀吉がインドのゴアで製造された青銅製の大砲が今も
残っている。ただ、当時は閉鎖機の技術がまだまだ未熟だったので、早々
に廃れてしまったが・・・

83 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :2005/07/18(月) 23:22:27 0
>73
ウルバンに関する資料をご存知でしたら、ご教示いただけると幸いです。
非常に興味があるもので。

84 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 23:26:16 0
>>82
閉鎖機が不十分な後装砲って、世界初のロシアンルーレットだね

85 :朱由檢:2005/07/18(月) 23:32:21 0
>>82さん
“仏朗機”は世界史板ではよく知られてるよ〜。
現物が見たければ、靖国神社へどうぞ。

86 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 02:07:10 0
>>81
情報サンクスです。へたすると数十メートルぐらい被害が及んでるのか・・・
>>83
とりあえず自分のネタ元はこれですが
ttp://andreorban.tripod.com/orbfame.html
この人については資料がそもそも少ないのかも。

87 :神機営:2005/07/20(水) 10:27:02 0
>>85
仏朗機は、もともとはヨーロッパ人を意味するアラビア語の「ファランギース」の
音訳で、明代におけるポルトガル人、スペイン人の呼び名でしたが、
彼らから購入したり、模倣して作った大砲もこう呼ぶようになりました。
この大砲は、16世紀の明代後半では最も多く使用されていました。
明末清初には、アダム・シャールやフェルビーストといったイエズス会の宣教師によって、
新しい火砲の製造法が伝わり、紅夷砲という性能のいい大砲が製造されるようになりました。
それにしても仏朗機が靖国神社にあったとは知りませんでした。


88 :てる兄:2005/07/21(木) 02:56:01 0
>>87
大阪冬の陣の鉄製大砲と大友氏の国崩しは遊就館の一階にあるね。
あと二階には文禄・慶長の役で豊臣軍が戦利品として持ち帰った明や朝鮮の大砲もあるよ。
さらに遊就館前には薩摩藩が幕末の薩英戦争で使用した大砲と
同じく幕末に江戸湾防備の為のお台場に設置された肥前鍋島藩製造の大砲があるね。
いずれも巨大な青銅製前装砲で、薩摩の大砲は後の明治初期に大阪兵器工廠で線条を施されたらしい。


89 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 20:34:07 0
中国では古くから、竹筒に火薬をこめて矢や弾丸をとばしていました。
英語の大砲は「cannon」ですが、これはイタリア語の竹のステッキ「cannone」に由来しています。
この技術が中国起源であることを示しているといえるでしょう。

金属製の大砲が最初に使われたのも中国であると考えられています(11世紀末〜12世紀初め頃)。
ヨーロッパでは、14世紀の初頭には、金属製の大砲が全域で使用されていました。
皮肉なことに、教会の鐘の鋳造技術が進歩するとともに大砲も大型化していったのです。

当時の大砲には、組立砲と呼ばれるものとその改良型である糸巻き型と呼ばれるものがあったそうです。
16世紀に鋳造砲が登場して、その飛距離・大型化・寿命など、著しく発達します。

90 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:16:07 0
突火槍(火龍槍?)→マドファ→西洋式大砲→ウルバン砲(オスマン・トルコ)→大砲発達
だろ?多分。根拠はないが

竹筒や木製の銃を金属製に変えようとするのは、世界のどこででも自然にやり始めたんだだろうね。
極普通な発想であるし。技術的にも問題ないだろうし(火器を扱えるほどの所なら)。

しかし、初期の火器は大した武器ではなかった。弓矢の方が圧倒的に強力だった。
これはライフル銃の登場まで多分そう。

91 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:42:24 0
フリントロック式のマスケット銃の頃には、
弓・ボウガンよりも火器が主流になってたイメージがあるが、
どうなんだろ

92 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 04:01:01 0
火器の単純な威力よりも音響が士気にもたらす効果が重要

93 :朱由檢:2005/07/22(金) 19:03:27 0
仏朗機の伝来自体は実はよくわかってないんじゃなかったっけ?
仏朗機は南蛮人が渡来したときには多くの船に搭載されており、
驚いた南蛮人が明国人に伝来の経緯を尋ねると、
これは外国から伝来したものだと答えたって何かで読んだ気がするんだけど。
…資料なんだったんだろう。

94 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 03:00:26 0
>>93
明末の武器百科である「神器譜」によると
中国への西洋式銃火器の伝来ルートはユーラシア大陸中央部を通って来た陸上ルートと
西洋からインド洋を経て日本から伝来した海上ルートの二つあったらしい。
陸上ルートはトルコ〜中東〜新彊〜中国と伝わったのでトルコの中国読みで「ルミ銃」と呼ばれた。
海上ルートは西欧〜インド〜マラッカ〜日本〜中国と伝わったので「倭銃」または「鳥銃」と呼ばれた。

ちなみにポルトガルはゴアやマラッカを占領する際に現地人との激しい銃撃戦に遭遇したが
いずれも大陸ルートでインドに入って改良された銃火器だったらしい。


95 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 10:41:12 0
明で倭銃、ルーミ銃、ポルトガル銃の性能を比べるテストをしたらしいが
倭銃は「点火孔の位置が顔に近すぎる」というので採用されなかったそうだ。

96 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 15:37:14 0
>>94
でも魯迷銃はともかく中央アジアで仏朗機が使われてただろうか?

97 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 17:28:22 0
http://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/weapon/weapon-18C.html

ナポレオン時代の銃。

いいサイトだ。
参考にしろ。

98 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 18:39:35 0
>>85,>>87,>>93
仏朗機は、もともと大砲を後退させる空間のない狭い船内に積むために設計された
艦載用の大砲だったそうです。仏朗機は、母砲と子砲(薬室、カートリッジ)から
なっており、重くて仕組みが複雑であるという欠点がありましたが、速射が可能でした。



99 :朱由檢:2005/07/23(土) 20:08:22 0
>>95
神器譜で趙士禎は、日本式銃が点火孔が顔に近いことのほかに、
現代の明の技術力では製造が不可能であるとも書いてあるよね。

100 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 11:19:59 0
ということで100get!

101 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 15:54:05 o
>>99
ネジのことかな?
日本でも相当苦心したらしいからね。
当時は旋盤など無しでよく作れたよね。


102 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:31:25 0
ルーミ銃は銃身をダマスク鋼の技術で作ってて相当強靭だったらしい。
ヨーロッパでも銃身だけ輸入したりしてたとか。
引き金の機構はヨーロッパの方が上手く作れたらしいけど。

103 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 18:42:58 0
>>101
雄ネジはともかく雌ネジとなるとねー・・・
最初の頃は、尾ネジから型をとって作ってたらしい。
そのうちにタップを使うようになったようだが。

104 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 20:49:54 0
イスラム圏での銃器の使用はいつ頃から始まったのでしょうか? 特にモロッコ
あたりが知りたいのですが。

105 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 22:24:20 0
>>104
マドファとかいう木製銃が1300年頃の文献に出てくる、らしい。
盛大に銃器を使用し始めたのはオスマン・トルコの台頭からかな?
銃器を(当時としては)大量に活用して一気に支配圏を広げた。
でも、ティムールに敗北して、一度滅亡寸前まで追い込まれていたりするんだよね。
ティムール軍も銃は持っていたのかな?

結局、良く知らない・・・
でも、モロッコならオスマン・トルコによるマムルーク朝の征服以後じゃないかな。

106 :朱由檢:2005/07/28(木) 22:37:45 0
>>101さん、>>103さん
>>102さんの指摘にあるとおり、螺子ではなくって砲身ね。
大量の火薬の爆発に耐える砲身が重要だから。
多分、>>95さんと>>102さんの参考文献は、『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)だと思うからそっちを参考にしたらいいよ。
ナポレオン(T世)が配下の将軍にオスマン製の剣や銃を贈ってたはず。

107 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:06:52 0
最近、ケネス・チェイス Kenneth Chase という人が
"Firearms"という題で、欧州、中国、西方・東方イスラム世界、
日本の銃火器について1700年代までの包括的で体系的な歴史研究書を
刊行したと聞いたけど、東洋史関係ですでに読んだ人はいるのかな?

自分は書名しか聞いたことはないが・・・

108 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:42:47 0
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521822742/
Firearms: A Global History to 1700  Kenneth W. Chase (著)

109 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:35:22 0
>>107
学校の図書館に去年からあったんで読んだけど。
「火器についての包括的で体系的な研究書」というよりは
「なぜ火薬が発明されたのは中国なのに火器が強力な武器に進化したのは西欧だったのか」
という疑問を答えようとした本だ。
結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。
何じゃそりゃと思うかも知れんが読んでみると非常に説得力がある。
旧大陸(と周囲の島々)のあらゆる地域の火器使用について検討しているので
とても参考になる。

110 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/29(金) 19:36:12 0
>>77
とりあえず、『応永記』をざっと見た限りでは、「赤壁の戦い」にヒントを
得たという火攻めは出て来るものの、銅銃は出ていなかった様な。
どちらに出ていたお話でしょうか。

111 :世界@名無史さん:2005/07/30(土) 03:57:39 0
>>66
>百年戦争も後期になってからだから、14世紀末から15世紀初頭、

13世紀末から14世紀初めの物がスウェーデンに現存してるとか。
ドイツでも13世紀末の物が発見されたけど第二次大戦中に行方不明。
文献ではDeutsches Museum所蔵のCodex Germanicsが同時期の物。
流石に中身を読んだ事はないけど。 火薬・弾丸製造法、銃・砲術の解説が載ってるそうで。

>>82
>後装式の〜実は16世紀に既に存在していた。

前装式と後装式はほぼ同時期に登場してるよん。15世紀には実用されてる。
falconetto砲とかspingarda砲とか。

112 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 13:41:37 0
>>93
>>107の本によると、仏朗機のもともとの語源はイタリアの後装砲「ブラガ」で
オスマントルコ語「プランギ」→ペルシャ語「ファランギ」→タミル語「パランキ」
→中国語「仏朗機」というルートで伝播してるので、実物もそうじゃないかと。
西洋人を表す「ファランギ」系統の語はそれとは別に伝播したとか。

113 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 15:24:46 0
>>109
>結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。

くやしく。

114 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 17:13:03 0
1259年の中国の記録に現われる突火槍は、太い竹筒に火薬と多くの小石を仕込んだもので、
点火すると轟音とともに敵に向かって小石をまきちらしました。
これが火薬のエネルギーを利用して物体を発射する兵器の最初のものです。竹筒が青銅の鋳
物でできた筒になり、木の柄を取り付けて使用されるようになると「銃筒」「銅銃」「手銃」と呼ばれ
るようになりました。青銅製の筒で石を飛ばす兵器は、反動を地面で受けるため斜めに立てて発
射したり、肩にかついで射撃したりします。騎兵用の銃筒は小型で柄も短く、装甲した胸でしっか
りと反動を受け止めて発射しました。
現存する1332年のモンゴル軍の銅銃(至順銅銃)は、口径が約11ミリ、銃身の長さ35センチ、
重量約4キロの青銅製です。

115 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:36:32 0
銅銃って騎兵も使ってたの?
ヨーロッパのピストル騎兵みたいに突撃しながら撃ったのか?

116 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:37:00 0
趙士驍フ「神器譜」には軽騎兵が3連銃身の「翼虎銃」を馬上で使っている図がある。
弾を撃ちつくすと抜刀して戦い、その際、銃を左手にもって盾の代わりにしたようだ。

117 :朱由檢:2005/08/05(金) 23:50:34 0
ヨーロッパの火砲の起源として引用されるのは、14世紀の壺型の火砲(dart throwing vase)なの。
これはエドワード3世(1327-1377年)に献上された『ミルメートの手写本』(Waiter de Millemete著)で紹介され、
ドイツのフランチェスコ派黒人修道士ベルトルド=シュワルツが1313年に開発したとされている。


118 :朱由檢:2005/08/05(金) 23:54:27 0
ベルトルド=シュワルツは存在自体が疑問視されているにもかかわらず、
ヨーロッパの研究者が必ず引用するから参考までに紹介ね。

119 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 06:58:46 0
西洋への火薬の伝来は地中海方面?東欧方面?

120 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 13:28:30 0
>>119
大砲を使い始めたのはイタリアが早かったようだから地中海では。
ロシア方面でもクマン族やヴォルガ・ブルガールが正体不明の焼夷兵器を使ってた
記録があるけど、火薬と関係あるのかよく分からない。

121 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 13:34:30 0
>>117
昔から疑問に思ってたけど何で初期の火砲は「矢」を飛ばすんだろう?

122 :朱由檢:2005/08/06(土) 23:54:41 0
インドの火器製造技術が高かったことについては、
前述の『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)にも載ってたはず。

123 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 06:56:04 0
>>121
弱い火力で石飛ばしても致命的なダメージになりにくいし

124 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 08:10:40 0
>>117
ほとんどが石弾や鉛弾だと思うけど?「矢を飛ばす初期の火砲」ってどんなのがある?
火箭は「火砲」とはちょっと違うし。

125 :124:2005/08/07(日) 08:11:36 0
>>121だった。

126 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 15:24:14 0
>>124
ttp://riv.co.nz/rnza/hist/gun/firstgun.htm
117で言及されてるdart throwing vase(一番上の絵)
鉄製の矢だったらしい。

127 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 17:42:10 0
>>126
良くまとまったサイトだ。有難う。
これは初めて見た。かなり特殊な例なんじゃないかと。

>>121
「矢を飛ばす」理由は>>123の他、単純に既存の兵器の延長線上で
「重い矢を遠くまで飛ばしたい」という発想じゃないかと。


128 :朱由檢:2005/08/07(日) 23:33:22 0
>>122は誤爆です。ごめんなさい。

129 :朱由檢:2005/08/08(月) 00:16:55 0
ヨーロッパにおける火器の歴史は、
13世紀イギリスのロジャー=ベーコンが発見して暗号で残し、
14世紀ドイツの黒人ベルトルド=シュワルツが解読し、
火器を発明したと紹介されてきた。
しかし、このベーコンの暗号文は偽書であることがわかり、
シュワルツも架空の人物である可能性も高まり、
欧州三大発明の一つ火薬が捏造であったことがあきらかになってる。
だいたい自分の発明を普通暗号で残すかな?

ダヴィンチの暗号論文も怪しいと個人的には思う。

130 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 05:59:53 0
パトロンに渡す資料ならともかく。、ただの研究記録は
盗まれてもいいような体裁をとる人はいただろうね。

131 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:09:57 0
初期の火砲が矢を発射してる例はアジアにもあって
「明実録」の永楽帝のモンゴル遠征の記述では
火砲から放たれた矢が二人の敵兵を貫き、馬まで殺したとあるので
>126にあるような大型の矢だったと思われる。
高麗王朝で火砲に言及している最古の記録(14世紀半ば)でも、
放たれた矢がどこそこまで届いたなどと記されている。

132 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 17:50:55 0
李氏朝鮮の初期、1474年に編纂された「兵器図説」でも銃筒は矢を発射するものとされているね。

それはそうと一時期のイタリアでは砲身ばかりか砲弾まで装飾していたそうだから、
日本でも竹箍の上から化粧板を着せて漆掛と蒔絵を施した木砲とかが出現していれば面白かったのに。



133 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:48:59 0
>>113
遅レスで申し訳ない。著者の主張をまとめるとこうなる。
歴史上、定住民と遊牧民の戦争は、遊牧民の農耕地帯への略奪行、または定住民側が
それに対抗して行うステップや砂漠への遠征という形でなされた。
遊牧民の戦争スタイルは軽騎兵の機動性を生かしたもので、優勢な敵に対しては
戦わずに退却し、劣勢と見れば即座に襲いかかる。追撃してきた敵をふりまわして
疲労と混乱で弱体化したところへ奇襲をしかけるなど、変幻自在だった。
そのため、重装騎兵や歩兵による軍隊が正面からぶつかれば撃破するのは可能だったが、
自軍に有利な状態で捕捉することができない。遊牧民の本拠地に侵攻しても、遊牧民は
広大な空間の中で移動して生活しているので条件は変わらず、かえってロジスティクスの
問題から危地におちいることが多かった。
華北、東欧、中近東、インドの定住農耕文明は地理的な理由から、つねに遊牧民の脅威
または支配を受けており、それゆえ上述した理由から騎兵中心の戦闘スタイルの影響が
強かった。
それに対して西欧で行われていたのは定住民と定住民による戦争で、歩兵中心の軍隊で
城壁で囲まれた都市や城を奪い合うものであり、騎兵は比較的少数のエリート部隊として
用いられる傾向にあった。

134 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:51:10 0
実用化された初期の銃は装填や点火の困難から馬上での使用に適しておらず、もっぱら
歩兵によって用いられた。大砲は攻城戦に役立ったが、軍隊の機動性を大きく損なった。
こうした条件から、歩兵戦や攻城戦、海戦の機会が多かった西欧では、火器が文字通り
死命を制する武器となったが、華北、東欧、中近東、インドにおいて遊牧民の侵攻を
防ぐにはあまり役に立たず、限定的にしか用いられなかった。
もちろんこれにも偏差があって、中国でも元末の群雄割拠の時代には、歩兵中心の軍隊で
城塞都市を奪い合うような戦争をやっていて、銃や大砲が盛んに用いられた。
オスマン帝国もほとんど定住民相手に戦っていたので、火器が重用された。遊牧トルクメンが
主力のサファヴィー朝に対し、連戦連勝しながらついに征服できなかったのは、遊牧民に対する
限界を示している。
15、16世紀にタタール諸国と戦っていたモスクワ大公国の軍隊は、タタール風の装備をした
勤務士族の弓騎兵が主力だったが、西からポーランドやスウェーデンの脅威が高まるにつれて
農民から歩兵を徴集し火器を配備するようになった。

135 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 18:34:15 0
>遊牧トルクメンが
>主力のサファヴィー朝に対し、連戦連勝しながらついに征服できなかったのは、遊牧民に対する
>限界を示している。
サファヴィー朝は旧態依然としたトルクメン騎兵からオスマン式軍制に移行したから強大化したのではないのか?


136 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 19:45:33 0
>>110
火攻めの時に火砲が使われているのでは?

137 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 14:59:18 0
【^▽^】応仁の乱について語る【^▽^】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1027207516/

銅銃は、石火矢で、音が大きいので威嚇に使えて、焼き討ちにも使えて
でも命中が低くて、焼いたら焼いたで損害賠償とかしないといけなかったらしい。

138 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 02:49:58 0
さて、バッキンガム宮殿につっ立っている近衛兵を見てふと思ったんだが、
マスケット銃を使用していた時代、弾丸が銃身に込めっぱなしだっただろうか?
前装式だから、事が起こってから弾込めるのはありえないし、だからといって弾を込めっぱなし
にするのは危ない気がする。一体どうしていたんだろう?

139 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 03:24:28 0
>>138
前装銃も基本的には戦闘準備が発令されてから装填するものですが、
衛兵の様に立哨歩哨を行う場合は、装填してから上番するんでしょうね。
フリントロック式・パーカッション式とも、装薬と弾丸とを(フリントロックは口薬、パーカッションは雷管も)
装填しただけでは、引き金を引こうが発射はされませんから、極めて安全です。
これで更に口薬/雷管を使用時まで抜いておけばもっと安全です。蹴飛ばしてもぶん投げても大丈夫です。
この状態でも発射するまでに5〜6秒もあれば充分でしょう。
その上衛兵なら剣も帯び、銃剣も着けるのが普通ですから、これを咄嗟の対応に使えます。

140 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 10:48:25 0
>>138
レス感謝です。
後、一度込めた弾はどうするのでしょうか?そのままにしておくのでしょうか?

141 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 14:50:25 0
>>140
自分の質問になぜ感謝しているかわからんが・・・。
>>139の回答はまったくの虚言だぞ。

142 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 16:02:31 0
>>141
間違えた・・・・・・orz
てか、そうなんですか?

143 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 17:29:12 0
30年戦争頃普及した紙薬莢の一種(日本の早合に近い物)を
常備していた。
イギリス軍でパーカッション式(エンフィールド銃)と同時に
採用となった獣脂で固めた紙薬莢がセポイの乱の発端となった
逸話は有名だな。
>>139のように火薬と弾丸を予め詰める方法では、当時の黒色
火薬では湿って使い物にならなくなってしまう。

144 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 19:31:23 0
>>142
>143は紙薬莢(正しくは紙薬包。薬莢とは別の物。)の話を持ち出したのはいいけど、
実際に黒色火薬の扱いに関する知識は無いと見える。半可通のガンマニアかもね。
日本にも火縄銃射撃を実際にやっている人がいるから、検索してみるといいよ。

黒色火薬が外気に触れるとたちまち湿気て使えなくなってしまうような物なら、導火線なんて物は使えないよね。
紙薬包を使わない前装銃では火薬をパウダーフラスクに入れて持ち歩くけど、あれは別に気密容器じゃない。
紙薬包はあくまで予備弾薬の再装填を素早く行う為の工夫。携行中に水気を防ぐ役目もあるけどね。
前装銃でも一度装填してしまえば薬室は殆ど外気に触れなくなるよ。そうでなければまともに発射できない。

当時の規則がどうなっていたかは知らないけど、衛兵の銃は儀礼的な飾りの意味が大きいからなあ。
装填はしてない可能性もあるかも。ただ、>139の言うようにあらかじめ装填しておいても数日間は
(水をかぶったり一日中銃口をむきだしで上に向けて大雨に降られたりしなければ。)そのまま使えるよ。

あと、装填した弾を撃たずに抜きたい時は銃を分解して尾栓を抜けば可能だけど、
普通は撃っちゃった方が手っ取り早い。

145 :朱由檢:2005/08/16(火) 22:12:55 0
簡単にまとめると…。
>>139さん説は火薬と弾をあらかじめ装填してすぐ撃てるようにしていたが、
暴発の危険性を避けるため、火打石や雷管をはずしていた。
衛兵は訓練度が高いので5秒足らずで火打石や雷管の装填ができた。
>>143さん説は紙薬包をあらかじめ用意してすぐ撃てるようにしていた。
事前に装填していては湿度が心配であると>>139さん説を否定。
逆に、>>144さんは黒色火薬は吸湿性が低く、
装填したまま数日間は大丈夫と>>139さん説支持しているみたいだけど、
>>139さんと>>143さんのどっちが正しいわけ?
双方の参考資料を教えていただけませんか?

146 :朱由檢:2005/08/16(火) 22:46:50 0
最初に>>139さんが指摘するように、
火打石も雷管も取り外しや交換は現実的に可能なことなの。
フリント式銃は火打石が平均20回で交換する必要だったし、
雷管も取り扱いは難しいものの、
パーカッション式銃用に交換用雷管革カバンが現存するよ。

また、>>144さん説のとおり、
19世紀まで硝酸カリウムの代用品だった硝酸ナトリウムは、
吸湿性の高い不純物(硝酸カルシウム)比率が高いのも事実。

147 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 02:08:05 0
なに腐れコテハン筆頭の朱由檢はド派手な自作自演やっとんのじゃ?
ナポ以上にバカ。

148 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 20:13:32 0
>>146
日本の早合も紙の薬莢でしたっけ。
鉄砲が伝来してすぐに早合が使われだしたんだよな。

149 :朱由檢:2005/08/19(金) 21:01:35 0
>>148さん
早盒は、紙、革、金属で作られ銃口と同口径の長さ8cmほどの筒で、
中に火薬と弾を込め、底に紙を貼ったものだよ。

150 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:08:08 0
オスマン帝国軍がイタリア式築城術の要塞を陥落させた例はあるんですか?

151 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:21:30 0
世界初の火器専門の砲兵隊って、永楽帝の神機営でいいのかな?

152 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:24:59 0
神機営ってなぜかヴェトナム人のインストラクターを雇ってたらしい。

153 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 00:00:35 0
>>151
明代、火器の管理は宦官が独占的に行っていた。

154 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 13:11:58 0
火者とかいうぐらいだからな

155 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 14:58:06 0
宦官と「火者」は厳密には異なるもののようですな。
宦官とは宮廷に仕える去勢者であり、
王府で使役されるものや、功臣に下賜された宦官は、
宦官ではなく「火者」と言うようです。

156 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:43:53 0
>>155
「火者」は宦官を意味するペルシア語、インドのヒンドスターニー語の
「ファージャ」の音訳です。元、明の頃にはインドからも宦官が
輸入されていました。


157 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:53:56 0
>>155
そうですね。語源はその通りです。
ご苦労様でした。


158 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 20:34:19 0
>>149
西洋のものと同じようなものですか?

159 :朱由檢:2005/08/20(土) 23:25:49 0
>>150さん
ヴェネツィア領キプロスのニコシア(レフコシャ)はイタリア式築城(星状稜堡)だけど、
1571年にオスマン帝国によって陥落しているよ。

160 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:56:21 0
>>159
おお、ありがとうございます。やはり16世紀のオスマン軍は強い。

ハンガリーのハプスブルク側にもイタリア式築城術の要塞があったようですな。
詳しいことは知りませんが・・・

161 :過疎だな〜:2005/08/26(金) 09:53:59 0
イタリア式築城というのは、ヴォーバンが作った五稜堡の要塞でつね

関係のない話ですが、フランス人のヴォーバがは、リール都市の総督に任命されていた時、
ヴォーバンだけが仕える主だと思っている部下の技師団とダルダニアン(3銃士のモデル、リール都市のもう一人の総督)は
ことあるごとに対立してダルダニアンも短気起こしては争いになり、最終的にヴォーバン本人と話して
争いに決着をつけたとか

ちなみにリール要塞は高い防御力を誇っていたが、補給を断つ兵糧攻めにあって1678年12月10日に陥落している
なおこのリール要塞はガイドツアーに参加すれば自由に内部が見学できるらしい

すれ違いスマソ

スルーしてくれ

162 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 10:43:19 0
>>161
イタリア式築城というのは、大型大砲の実験場と化したイタリア戦争時に登場した稜堡式城郭。
堀を利用したオランダ式などのバリエーションがある。
ヴォーバン式はこれを改良したもので、イタリア式=ヴォーバン式ではない。
フランス人ヴォーバンが考案したと書き込んだ時点でイタリア式でないと気付けよな。
↓世界の代表的な稜堡築城が写真でわかるHP
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/kikaku/kokusai/summit/02-cities.htm

163 :161:2005/08/26(金) 11:19:55 0
ありがとうございます

感謝 m(__)m

164 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 11:51:38 0
イタリア式築城により要塞の建設費用は跳ね上がったとのことだけど、
具体的にはどれくらいなんだろう?

165 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 13:17:45 0
90式野砲の性能を教えてください

166 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 19:17:41 0
>>164
ひとつの稜堡で1万ポンド

167 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:12:37 0
>>152
永楽帝がヴェトナムに遠征したときに現地で使われていた「神槍」という銃を
北京に持ち帰ったのが神機営のはじまりでなかった?

168 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 15:26:47 0
http://yasai.2ch.net/army/kako/995/995475623.html
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html
http://choco.2ch.net/army/kako/1010/10102/1010245612.html

169 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:16:51 0
>>150
スレイマン大帝がホスピタル騎士団と戦ったマルタ島の要塞もイタリア式だったな。
陥落はしなかったけど。

170 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 01:40:38 0
ロードス島戦記と間違えてロードス島攻防記を買ってきた父親をバカだと思った
そんな時期が私にもありました、今では感謝している。

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