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ロシア古代中世史

1 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 15:23:06 0
スラブ民族の東漸、ヴァイキングの植民、キエフ・ルーシ、タタールのくびき、
モスクワvsトヴェリ、モスクワvsリトアニア、等。

2 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 16:38:34 0
スラブ民族はもともとどの辺りにいたの?

3 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 16:47:30 0
現在のドイツ・ポーランド国境あたりでは?

4 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:08:31 0
一番よく聞くのはカルパチア山麓。
その他にもウクライナだとか中央アジアだとか・・・

5 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:33:13 0
「原初年代記」にギリシャ人から見たバーニャの記述を載せてるのはギャグとしか思えない。

6 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 18:27:17 0
>>3
ゲルマン民族が移動する前はどこにいたの?

7 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 19:09:00 0
>>6
ポーランドからウクライナあたりまで散らばってたんじゃないの?

8 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 19:46:46 0
>>7
その辺りはゴート族がいたんじゃなかったですか?

9 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 00:18:22 0
最近読んだ本ではこれ↓面白かったですよ。

「白樺の手紙を送りました 〜中世ロシアの都市生活と歴史〜」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634646501/250-0366455-3348278
 

10 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 11:16:56 0
前から思ってたんだけどクニャージって王と訳したら駄目なの?
キングとかと同系統の言葉なんでしょ?

11 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 15:17:14 0
>>9
樹皮に鉄筆で書いてるやつですね。
「神のしもべオンツィフォルを守り給え」とか、そんな感じだったかな?

12 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 21:55:19 0
古代ロシアないしスラヴ人の男色は、どの程度
盛んだったのでしょうか?

13 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 00:13:28 0
キエフ大公オレーグがビザンツ帝国を攻めるのに使った「車輪付き舟」
ってどんなの?

14 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 12:14:01 0
>>10
クニャージの中の有力な者が後に「大公」を名乗ったからねえ。
「モスクワ大公国」を「モスクワ王国」と訳す人間はおらんな。
その後は「ツアーリ」(皇帝)を名乗ったので、外国の王以外「王」の
称号を使うことはなくなってしまった。

15 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 20:05:03 0
候国って表記はたまに見かけるな。

クニャージが公と呼ばれるのはビザンツの帝権との関係だろうか?
それともカトリック圏の基準で王としての要件を満たしてないからだろうか?

16 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 21:00:11 0
「大公」は日本でいえば「大王」(おおきみ)みたいなの?

17 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 01:02:41 0
古代中世…って資料あんのか?ロシア

18 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 13:49:39 0
ロシア原初年代記とかw

19 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 15:56:57 0
>>17
ビザンツの資料は?

20 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 16:05:56 0
『原初年代記』に限らず、『キエフ年代記』、『ノヴゴロド年代記』、
『ガーリチ・ヴォルイニ年代記』、『ニコン年代記』など、
ロシアの古代・中世史に関する主要な史料は日本語訳や英語訳が出とる罠。

21 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 17:16:02 0
古代のロシア人についてはアッバース朝からヴォルガ・ブルガール国へ派遣された
アラブ人の使節が記録を残している。

それによると、朝になると「ルーシ」たちの首領には一つの洗面器が渡される。
首領は洗面器で顔を洗い、鼻をかみ、つばを吐く。
それが終わると洗面器は下座のものに渡され、下座のものは同じことをする。
それを繰り返して一族郎党全員がひとつの洗面器で用を足すのである・・・

22 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:37:55 0
イブン・ファドラーンだな

23 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:55:03 0
「ヴォルガ・ブルガール旅行記」 イブン=ファドラーン著

24 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:55:47 0
アントニオ・バンデラスがイブン・ファドラーンを演じた映画
「13ウォーリアーズ」でもそんなような光景が描かれていた罠。

25 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:58:11 0
「ルーシ」ってヴァイキングなのかスラヴ人なのかよく分からんのですが

26 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 22:00:44 0
ビザンツはキエフ・ルーシから獣皮、毛皮、乾燥および塩蔵の魚、琥珀、
蜂蜜、北バルカンからの毛皮・亜麻・蜂蜜・金属等を輸入していた。

27 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 00:30:12 0
エルベスラブとルーシって同根なん?

28 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 12:46:41 0
>>25
イブン・ファドランの記録に出てくるルーシはスカンジナビア人とされることが多い。

ジョージ・ヴェルナツキーの「ロシア史」ではアラン人の氏族にルフス・アスというのがいて
それがルーシの元になったとか書いてたけど、何が根拠なんだろう?

29 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 14:03:05 0
>>26
ルーシの輸出品といえば忘れてはいけないのが奴隷

30 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 16:42:35 0
ルーシが最初にビザンツを攻撃したのは860年のこと。
200隻の舟で河を下り、いったんアナトリアの沿岸地方を荒らしまわり、
皇帝ミカエル3世の不在に乗じてコンスタンティノープルの港を占拠。
このときは暴風雨によってルーシの軍勢は撤退を余儀なくされる。

31 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 03:25:23 0
ドン・コサックも船隊でコンスタンティノープル襲ったりしてたらしい。
その時はもうオスマン帝国の時代だけど。
コサックの「チャイカ」ってヴァイキング船が進化したものだとか。

32 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 14:48:34 0
>>31
9世紀にルーシがビザンツを攻めたときには、モノクシュラ(丸木のカヌー
という意味のギリシア語)と呼ばれる舟に乗っていたそうでつ。
樺か柳の長い幹を刳りぬいて造られ、細長くて狭い船底からは厚板が両側へ
高く張り出されて船は全体として長さ60フィート、高さ約12フィート
でした。
これらの舟は甲板がないかわりに二本の舵と一本のマストが付いていて帆と
オールで前進し、40〜70人の乗組員と、彼らの武器や真水、塩魚の蓄え
を積み込むようになっていました。


33 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 16:37:48 0
>>27
いや、多分同根じゃない。
エルベスラブはポーランドやチェコと同じ西スラブ人。
ルーシ人はスカンジナビアから来た連中と東スラブ人の混血。

34 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 23:32:53 0
907年にキエフ公オレーグがコンスタンティノープルに来襲する。
このときはビザンツ側がボスフォラス海峡を防衛していたので、
ルーシの軍勢は舟を地峡を越えて運んだ。
(船を陸上に引き揚げて車輪に載せ、城壁の攻撃に使用したということ)
オレーグはリューリクの死後、彼の子供たちの摂政という立場で権力を
にぎり、キエフの公になった。

35 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 00:26:32 0
>>33
その辺て宗教どうなってんだっけ?
ルーシの方は正教に改宗したが元はどっちも土着宗教持ってたんだったか。
エルベの方はカトリック?

36 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 10:54:22 0
>>35
チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、スロベニア、クロアチアが
ローマ・カトリック。
ベラルーシ、ウクライナ、ロシアは東方正教。

37 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 16:22:46 0
>>34
それって実はメフメト2世より500年早いんじゃ・・・

38 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 18:08:06 0
ルーシによる第三回目のコンスタンティノープル来襲は941年のこと。
リューリクの息子イーゴリが、ビザンツ帝国がアラブ軍と戦っていたのに
乗じて攻めこんだ。
しかしビザンツ側は壊れた古い15隻のガレー船に、「ギリシアの火」の
発射管を何本も据え付けて突入した。
この攻撃を食らってルーシの兵は舟から海に飛び込み、トラキア海岸に
逃れた者は農夫や兵士たちの手で惨殺された。
結局ルーシの舟で逃亡できたのは三分の一にすぎなかった。
そして945年に、イーゴリは新たにビザンツ帝国と通商条約を結ぶ。

39 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 20:56:47 0
第二のローマであるコンスタンティノープルは東西教会合同という
裏切りのために異教徒に征服され、第三のローマであるモスクワは
永遠のローマである。

中国が夷族(女真)に支配されている今、真性の中華は我ら李氏朝鮮である。

40 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 21:52:34 0
スヴャトスラフ可汗最強

41 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 22:42:53 0
>>40
スヴャトスラフは熊の毛皮に身を包み、馬の鞍を枕に地面に寝て、馬肉を
炭火で焼いて食べたと伝えられる。
ビザンツ皇帝ニケフォロス2世の誘いを受けてブルガリアを攻撃。
ルーシの軍勢はブルガリアの騎兵隊に勝利し、ブルガリア国王は戦死して
子供たちは捕らえられた。
しかしスヴャトスラフはこれだけでは満足せず、さらに南に進んでビザンツを
征服しようとし、ビザンツの使節カロキュレスはスヴャトスラフと通謀した。
首尾よくコンスタンティノープルを征服した暁には財宝を山分けする約束
だったのである。
しかし、新皇帝ヨアンネス1世ツィミスケスはマルキアノポリス(ペリストラバ)
を占領してブルガリア王の息子たちを解放。スヴャトスラフは相次ぐ敗北で
ドナウ河畔のシリストラまで撤退。ビザンツ軍に包囲されて兵糧のつきた
ルーシはついに降伏。
その後、スヴャトスラフはキエフに帰る途中、ドニエプル河畔の早瀬で
ペチェネグ人の襲撃を受けて討たれる。ペチェネグの公クリャは
スヴャトスラフの頭蓋骨に金を張り、それを杯として酒を飲んだ。

42 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:55:40 0
>スヴャトスラフ可汗
ギリシャで捕虜にした美貌の修道女を息子にプレゼントした人ですね!

43 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:33:13 0
>>42
ウラジーミルはギリシア人修道女の他に、
ポロツク公の娘ログネジを奪って彼女の父と兄を殺しているね。

44 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 11:15:45 0
ビザンツ資料だとスヴャトスラフは「頭を剃り上げて片側に髪の房を残していた。
これは彼の種族では貴族のあかしだった」と描写されているが・・・
ひょっとして後世のザポロージェ・コサックみたいな髪型だろうか?

45 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:22:25 0
ロシア史の画像
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His2.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His3.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His4.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His5.html


46 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:25:06 0
>>44
>頭を剃り上げて片側に髪の房を残していた

ttp://www.koza.kiev.ua/img/svyatoslav.jpg
↑こんな髪型?


47 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:28:32 0
>>46
すごい。清代の中国人みたいな弁髪だ。

48 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:45:20 0
中世ロシアの軍隊の画像
ttp://www.amazon.com/gp/reader/1855328488/ref=sib_dp_pt/103-8198892-9578261#reader-link
ttp://www.amazon.com/gp/reader/1841762342/ref=sib_dp_pt/103-8198892-9578261#reader-link
胸甲や兜やドラムは遊牧民のものによく似ている。

49 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 15:29:43 0
ところでなんで可汗?

50 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:13:40 0
>>49
気分の問題

51 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:50:36 0
>>48
こっちの方が
ttp://web.archive.org/web/20040208153507/http://www.warclub.enjoy.ru/gallery/soldiers.html

52 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 22:26:17 0
スヴャトスラフがハザール・ハン国を滅ぼした結果、
ルーシはペチェネグ人に悩まされることになった。

53 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 14:34:53 0
ハザール可汗国はスヴャトスラフの遠征で滅ぼされたといわれているけど
ウラジーミル大公の治世にハザール人がユダヤ教の布教にきたという話があるし
13世紀のプラノ・カルピニの記録にもユダヤ教徒のハザール人が出てくるらしい。

54 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:18:00 0
そういえば山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」に
初期のキエフ・ルーシの公が可汗の号を名乗っていたのは
ハザールの後継国だから、みたいな話が載ってたけど・・・

55 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 23:13:51 0
ttp://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/rus.gif
キエフ・ルーシ時代の諸勢力の地図
ハザールは南はアッバース朝と、東北はブルガールと、北西はルーシと
接していた。

ttp://kumism.boo.jp/history/archives/000187.html
9-12世紀ごろのキエフ公国の地図

56 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 11:02:58 0
この時代はハザールのほうがキエフ・ルーシより文明度が高かったの?

57 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 11:14:38 0
>>54
逆にペチェネグ人やポロヴェツ人の可汗に対して、公(クニャージ)という語が
使われている例もある。

58 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 19:04:21 0
>>56
キエフもハザールの将軍クイが建てたものだとか・・・
>>57
ロシアに影響力をふるってないとツァーリにはなれないわけだ。

59 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 20:51:17 0
ノヴゴロドは、バルト海とコンスタンティノープルを結ぶ交易路に位置して
おり、ハンザ同盟諸都市やイギリスとも広く交易し、古くから商業都市として
栄えた。
宮廷のあったキエフとは異なり、ここでは外国人商人が聖堂を寄進した例もある。
また、ノヴゴロドはロシア北部へのキリスト教布教の拠点としても重視
されていた。


60 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:58:17 0
ウラジーミルの息子ボリスとグレープはロシア正教会の聖人。

61 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 15:17:40 0
イヴァン雷帝の頃の文書で、ノヴゴロドを「ホルムガルド」と呼んでる例があったような気がするが
そんな古称が後世になっても通用してたのか。

62 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 16:03:49 0
>>58
ツァーリはハーンのロシア語訳だって聞いたが

63 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 19:11:11 0
>>62
ブルガリアのアセンは「ツアール」と名乗っていたけど、
これは何の訳なんだろ?

64 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:24:08 0
>>62
>>63
「カエサル」のスラヴ語形だって教わったが。

でもその割にビザンツ皇帝の称号は「バシレウス」で
カエサルというと副帝のことなんだよな。

65 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 20:44:59 0
ローマ帝国末期から、
正帝=アウグストゥス、副帝=カエサルだったね。
帝国の公用語がギリシャ語になってから、「バシレウス」が
用いられるようになった。


66 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 11:05:50 0
バシレイオス(ヴァシレフス)はペルシアの「シャー」のギリシャ語訳
7世紀にササン朝を破って「キリスト教徒のバシレイオス」(=ローマ皇帝兼ペルシアの王)
を名乗った事から

どこでくい違ったか東欧スラヴは東ローマ皇帝をツァーリ(カエサル)と呼び、
モンゴル支配下のルーシもキプチャク汗を皇帝に準じてツァーリと呼んだ
ピョートル1世がロシア帝国を名乗る際「インペラートル」(「インペラートル・カエサル」=正帝)
を用いたが、結局ツァーリの方が固定された

67 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:09:49 0
近代のブルガリア(まだオスマン朝支配下)で書かれた小説を読んでみたら
農民がコンスタンティノープルのことを「ツァーリグラード」と呼んでいた。
たぶん一般のスラヴ人のあいだではずっと使われてたのか。

68 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:53:30 0
モンゴルが遠征では男性は皆殺しにし、女性を徹底的に強姦しました。本当に凄まじい
輪姦だったそうです。その結果、夥しい数の混血児が産まれました。
「白ロシア」という言葉を聞いたことがあると思います。主にベラルーシを指すのですが、
これはモンゴルに蹂躙されておらず、純血が保たれているという意味で「白」が付いてい
ます。ロシア、ウクライナはモンゴルと混血したため含まれません。
なお、似た言葉に「白系ロシア」がありますが、これは非共産系という意味ですので
混同しないように。

69 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 03:32:54 0
ロシアがモンゴルにあっさり征服されたのは、ロシアの公たちが
内輪もめを繰り返していたせい?

70 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 12:50:39 0
>>68
ベラルーシのナショナリストが言ってる与太話だな。
まあ連中はリトヴァという別の野蛮人に蹂躙されたわけだが。
>>69
それに加えて当時のロシアでは都市の防壁が木造だった。

71 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 14:40:01 0
ロシアの専制政治はモンゴルの影響だ、なんていうヤシがいるが、
ビザンツの影響の方がおおきかったと思われ。

72 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 16:39:05 0
>>71
司馬遼太郎あたりかな。
金帳汗国のハーンは命令書を出す際にも大部族の長たちの印が押されてないと
効力がなかったようだし、イブン・バトゥータがチャガタイ汗国を訪れたときの
記録では、ハーンがヤサにもとる行為をすると首領たちによって玉座から
引きずり下ろされる、みたいなことが書いてある。
ハーンといっても必ずしも専制君主のような権力をもっていた訳ではない。

73 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 22:24:02 0
帝政民主主義国家ロシア プーチンの時代
中村 逸郎著
出版 : 岩波書店
ISBN : 4-00-024013-7

「プーチンの時代」はロシア市民にとってどういう時代か。その支配の
メカニズムと内在する問題を明らかにしつつ、「慈父たるツァーリ」に
すがるほかない市民生活の実像と揺れ動く彼らの意識を聞き取り調査から
浮き彫りにする。




74 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:38:18 0
>>71
ロシアの専制政治には西欧の影響もある。
ピョートル大帝は、英国国教会やドイツのルター派教会を観察して
聖務会院制度を開発した。聖務会院の多くのメンバーはツアーリが
指名した役人であり、
ツアーリの秘書になった聖職者たちはすべて西欧で教育を受けた者だった。
これ以後、痛悔機密が政治的な捜査の手段に使われたり、痛悔を怠る信徒が
報告されて罰せられるようになった。


75 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:24:52 0
>>68
その理屈だとノヴゴロドやプスコフ、ヴャトカも入ってないとおかしいな

76 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 18:16:35 0
>>75
これらの地域は森林によって隔絶されていたためモンゴル支配を免れた。

ノヴゴロドは12世紀にキエフ公国から独立し、大貴族(ボヤール)と
自由市民とで組織する民会(ヴェーチェ)によって統治された。

77 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:01:12 0
ヴャトカってフィン系狩猟民の勢力?

78 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 22:34:56 0
>>30
『原書年代記』では、このときコンスタンティノープルを攻めたのは
アスコルドとディルというキエフの豪族ということになっている。
彼らは総主教フォティオスの持つ聖母マリアの衣が奇蹟を起こしたのに
感じ入ってキリスト教に改宗したと書かれている。

79 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:12:59 0
リューリクの兄弟シネウス、トルーバルというのは、ノルド語のsin hus「彼の家族」
treu waer「忠実な戦士たち」をスラヴ人が聞き違えたものだという説があるらしい。

80 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:52:55 0
ロシア貴族の3分の1はモンゴル系って本当ですか?
モンゴル支配下で混血が進んだんですか?

81 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 12:34:15 0
ttp://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/mikhnik.htm
かつてペレストロイカの最中に、あるエストニアの学者が、今日のロシア人は、
モンゴルに征服されたときにロシア女性がモンゴル男性に強姦されて生まれた
人間の末裔であり、だから野蛮なのだという趣旨の発言をして、物議を醸した
ことがある(3)。これほどあからさまな人種差別的発言はさすがに珍しいが、
ロシアは「モンゴル的」「タタール的」「アジア的」であり、だから
「ヨーロッパ」たるバルト三国やポーランドよりも劣っているし、民主主義に
遠いのだ、といった発言は決して少なくない。そのような論理に従うなら、
モンゴル人やタタール人は一体どうしたらよいのかなどという問題は、
こうした発言をする中欧諸国の人の念頭には全く浮かばないかのようである。

82 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 16:21:11 0
>>80
ルーシ諸公国は政治的にはひんぱんにタタールに介入されてたけど
ロシア人と遊牧タタール人は森林地帯とステップ地帯で住み分けてたので
あまり交流はなかったらしい。

その傍証になる例。14世紀のペストはクリミア半島のジェノヴァ人植民都市カッファから
ヨーロッパに伝染したのは有名な話だけど、ハンザ同盟とノヴゴロドを経由して、
やっとモスクワまでたどり着いてる。

83 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 16:26:42 0
ロシアのタタール系貴族は、モスクワ大公国に征服されて帰順した連中。
カザン汗国出身のカシモフ家とか、マンギト部のエディゲが先祖のユスポフ家とか。

84 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 21:42:31 0
ガーリチ・ヴォルイニ公国のダニエルは、西欧の勢力と手をつないでモンゴル
軍を撃滅しようと考えた。
ローマ教皇はダニエルがカトリックに改宗することを条件に、十字軍を送る
ことを約束した。しかし、国民が反対したためこの計画は失敗し、ガーリチ・
ヴォルイニ公国はモンゴルに鎮圧された。
この後、ポーランドのカジェミシ3世は、十字軍を結成し、ロシアを正教と
モンゴル支配から解放するという名目で、まずガーリチ地方を占拠し、次いで
ノヴゴロドも影響下に置いた。

85 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 16:25:07 0
13C後半のガリチ・ヴォルイニ地方
ttp://www.personal.ceu.hu/students/97/Roman_Zakharii/gal.htm

86 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 17:09:52 0
どっかのスレで、中国が小国分立でなく帝国化したのは、遊牧民の圧力に
対抗するためと書いてあったが、
ロシアの場合はどうなんだろ?

87 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 16:11:30 0
>>86
モスクワ大公家が「全ルーシのツァーリ」になれたのは、タタールの力をうまく利用して
ライバルを潰してきたというのも大きいのでは?
イヴァン銭袋公なんかはヴィホード(ハンへの貢税)の徴収者として力をつけた訳だし。

農耕社会にたいする遊牧民の脅威は、ふつうは騎馬軍団による略奪行という形で現れるけど
金帳汗国が健在だった頃はむしろ、ルーシ諸公の内訌にタタールが武力介入してきて
その結果ロシアが荒廃するパターンが多かったようですね。

88 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 16:40:09 0
府主教ピョートルがロシア正教会の中心をウラジーミルからモスクワに
移したのは、イヴァン銭袋公の時代だったっけ?


89 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 16:52:11 0
>>88
たしかそうだったと思う・・・
中心を移したというより緊急避難みたいな感じだったらしいですが。

90 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:55:19 0
ロシアの場合西と東からまったく別のタイプの軍隊が攻めてくるのがキツい。

91 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 14:48:18 0
>>90
中世では、ロシア=弱小国、ポーランド=強大国。
スウェーデンやドイツ騎士修道会も攻めてくるし。

92 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:38:00 0
スウェーデンのノヴゴロド侵略って地味に「十字軍」なんだよな(w

93 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:44:55 0
>>92
アレクサンドル・ネフスキーが最初に直面した敵はモンゴルではなく、
この十字軍だった。
スウェーデン十字軍はリガをロシアでの根拠地とし、ノヴゴロドと
プスコフをおさえようとしていた。
結局アレクサンドル・ネフスキーが1240年と1242年の2回にわたって勝利。


94 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 11:55:19 0
チュード湖の戦いの十字軍は100人程度だったっていう人いるけどどうなん?
それは騎士だけの数じゃないのかって以前から疑問に思ってたが。

95 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 13:13:40 0
>>94
正確な数はわからんが、ロシア側に比べて劣勢だったのは確からしい。
もともと騎士修道会はローマ教皇の呼びかけに義理で応じて、本気で
ノヴゴロドの征服を目指していたわけではないから。

96 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:23:32 0
>>92
第四回十字軍以降、「分離主義者」たる東方正教徒にも
十字軍を送るようになった。

97 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 00:06:22 0
エイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」に出てきた十字軍は
思いっきり邪教徒扱いされててかなり笑えたな。

98 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:00:12 0
>>97
ttp://freemasonry.bcy.ca/anti-masonry/swastika/nevsky.html
ttp://www.carleton.edu/curricular/MEDA/classes/media110/Severson/pics/alexnevskystill.gif

こんな感じ?

99 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:03:26 0
>>98
それ。というかスワスチカ付いてたのかよ!

100 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:16:12 0
>>90-91
ロシアの覇権主義は、東西から攻められていた頃の反動と考えると腑に落ちるものがある。

101 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:22:00 0
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa18.html
エイゼンシュテイン式ネフスキー

容易に想像できることでしょうが、登場するドイツ人たちは完全な悪玉
です。特に前半のプスコフ征服のシーンにおいてしかりで、騎士団長
自ら意味もなく赤ん坊を火の中に投げ込むという残虐超人ぶりを
見せつけ、ドイツ憎しの感情を否が応でもかき立ててくれます。
もう一つ、注目すべきは騎士団に属する歩兵の兜。これがドイツ軍の
ヘルメットにそっくりなのです。もちろん完全に同じというわけでは
なく、視界を確保するスリットを残して顔の上半部を完全に覆っている
ため印象はかなり違っています。どちらかと言うとトルメキア軍
(「風の谷のナウシカ」)のヘルメットに似ていますし、「北斗の拳」
では拳王軍にも同じような輩がいたような。ただし耳の横から後頭部に
かけての広がりはドイツ式ヘルメットの特徴を残しており、映画の
作り手がナチスの軍隊を意識していることは明らかです。
容赦ない殺戮を行うドイツ騎士たち、歩兵の頭にはナチ式ヘルメット…
露骨ですね。同時代のドイツ人にとっては嫌がらせ以外の何物でもない
でしょう(そのつもりで作っているとは思いますが)。

102 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:23:05 0
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa18.html
一方でドイツ騎士団にはこれ見よがしにカトリックの坊主がつき従って
いるのですが、これが黒いローブを全身にまとった魔道師のごとき
奇怪な人物で、野営地にわざわざオルガンを持ち込んで陰気な曲を
奏でるという役どころ。とても聖職者とは思えないような胡散臭さを
漂わせています。

103 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 03:59:37 0
>>82
そのペストが流行したとき、モスクワ府主教の聖アレクセイが人々を助けて
国の危機を救ったとか。

104 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 01:09:21 0
このスレの住人は、
カルパナ・サーヘニー『ロシアのオリエンタリズム』(柏書房)
を読んだことある?
あまりに感情的すぎだとか、事実誤認があるとか批判されているけど。

105 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 15:45:56 0
>>104
たしかインド人女性が書いた本だったか。
「エルズルム紀行」のプーシキンの行動にいちいち細かいツッコミ入れてたような。
よく覚えてないけど。

106 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 21:07:44 0
クリコヴォの戦いでは、モンゴル軍にリトアニアやジェノヴァが加勢していた。


107 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:53:55 0
>>106
モルドヴィンやチェルケス人、アラン人も加わった寄せ集めの軍隊だったらしい。
ちなみにヴォルガ流域にいた謎の種族「ブルタス」もママイ側に参戦してるが
彼らについての記録はこれを最後に途絶える・・・

108 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:56:13 0
「ブルタス」はブロドニキと関係あったとかアラン人の系統だったとか
色々言われてますが。

109 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 18:00:10 0
>>106-107
彼らがモンゴル側に味方したのは、「敵の敵は味方」という発想から?

110 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 00:43:07 0
ただ動員されて、戦利品につられて

111 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 22:15:57 0
第二次露土戦争や、クリミア戦争のとき、西欧諸国は同じキリスト教国である
ロシアではなく、オスマン帝国に味方した。

112 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:08:24 0
ヒトラードイツやドゥーチェイタリアは多神教徒の国である日本と同盟しているから
さほど不思議ではなかろう。

113 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 21:41:25 0
「イヴァン雷帝の書庫」は単なる伝説?

114 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 23:01:34 0
>>113
アンリ・トロワイヤの本にちらっと出てた気がするが
たしかテーマ別に4つの部屋があったってやつ?

115 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:58:09 0
>>67
今でも使われている。ブルガリアのソフィアで、イスタンブールまでの切符を買ったとき
窓口のおばさんが、「ツァーリグラッド」と言ったので驚いた。
因みにブルガリアではベリコ・タルノボのことを第2次ブルガリア王国時代、
「ツァーリグラッド」と言った。

116 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 10:44:26 0
スルタングラードのほうが相応しいと思うが・・・?
トルコ支配時代にはスルタンカリフもブルガリア語セルビア語で「ツァーリ」と言っていたのか?

117 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 18:43:09 0
>>114
ビザンツ皇女が、古代ギリシアの貴重な文献を持参金として持ってきた
そうな。


118 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 02:17:36 0
115ですが、トルコでイスタンブールをなんていってたか、知りませんでした。
ビザンツ時代は単に「ポリス」といっていたそうで、日本語で言えば、「みやこ」という
ことになると思います。最近では東京のことをみやこ、ということは
なくなりましたが、「都(と)は」という言い方や、「上京」という言葉に
ちょっと残ってますね。

スラブ人がスルタンのことをなんていってたか興味がありますね。

119 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 21:40:57 0
>>118
「バルカン総合スレ」なら知っている人がいるかも。

イヴァン雷帝の時代、所有派に属していたモスクワ府主教フィリップは
ツァーリに逆らって最後には絞殺される。

120 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 14:02:47 0
ttp://www.ohtan.net/column/200308/20030826.html
ニコライ一世治世下のロシアを1839年に旅行したフランス貴族のアストルフ・
ド・キュスティーヌ(Astlphe de Custine)は、旅行記をパリで1843年に出版しま
す。

 「ロシアは野蛮人から解放されてまだ四世紀しかたっていない。西側世界が同様
の危機に直面したのは14世紀も前だ。」(PP31)、「「ロシア人はまだ文明化してい
ない。彼らは組織化された(regimented)タタール人以上の何者でもない。」
(PP74)、「モンゴル人の侵略以来、スラブ人は奴隷になってしまった・・最初は征
服者の、そしてその後は自分達の貴族達によって。そして農奴制がロシアに確立し
た。単に事実としてではなく、社会の根本法として。」(PP31)、「ビザンツ帝国の
ミニチュア版とモンゴル(horde)の凶暴さの不自然な合成物<こそロシアだ>」
(PP37)、「四世紀もの間、欧州とアジアの間で揺れ動いてきたロシアは、いまだ自
らの努力で人間精神の歴史に何物かを貢献するに至っていない。何となれば、ロシ
アの国民的性格(national character)は借り物によって影が薄くなってしまって
いるからだ。」(PP229)、



121 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 21:00:24 0
ピョートル大帝がスウェーデンと戦ったとき、アジア系の民族もロシア軍に
加わっていた。

122 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:37:23 0
聖キュリロスとメトディウスを援助したモラヴィアの豪族ロストスラブって、
どんな人物だったの?

123 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:43:29 0
>>121
カルムイク人とかか。弓矢で戦ってたんだろうか?

124 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 16:02:17 0
>>123
バシキール人も。

125 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 22:03:54 0
17世紀頃には遊牧民も普通にマスケット銃とか使ってたらしいけど。

126 :世界@名無史さん:2005/08/23(火) 17:14:38 0
イヴァン雷帝は玉座をカザン皇子シメオン・ベクブラートヴィチに一時
譲ったことがある。
いったい何がやりたかったんだろうか?

127 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 11:20:26 0
>>126
1.狂人のきまぐれ
2.チンギス裔から帝位を禅譲されることによってハクつけ

この二つ以外の説もあるかも知れないけど見たことないなー

128 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 15:59:29 0
スクルィンニコフの「イヴァン雷帝」にシメオンへの禅譲について触れてる箇所があったか思い出せない

129 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 16:24:13 0
>>127
3.佯狂者に「一年以内に大公の命が失われる」と預言され、身代わりを
たてた
4.オプリチニナ廃止後、「非常大権」が使えなくなったので、嘆願書を
傀儡大公に提出することによって、実質的な勅令を貴族・聖職者会議の
意向を気にすることなく出せるようにした。

という説もある。

130 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 16:32:25 0
>>129
4だったらせこいですね。
治世の初期にも退位すると脅して貴族の力を弱めたらしいけど。

131 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 19:15:50 0
モンゴール!モンゴール!ボレボレ!ゴーラ!

132 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 20:28:12 0
『ラドネジの聖セルギイ伝』に、聖者がパンを二つに裂いて一つを熊に
渡してやった、というエピソードが紹介されている。
三浦清美氏いわく、異教的な霊威を敵意をもって撲滅するのではなく、
祝福によってキリスト教の信仰の中へと取り込むのだそうで。

ロシア人の「二重信仰」について、宗教改革を経験しなかったからだという
人がいるが、東方正教会の、「キリスト教化しても既存の文化を全面的に
継承する」という考え方も影響しているかもしれない。
だからビザンティン帝国では古典ギリシャの文化が否定されなかった。

133 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 06:21:47 0
>>131
グイン厨きもいっー☆

134 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:10:42 0
>>132
宗教改革というか魔女狩りがなかったせいでは。
「ウシの乳が出なくなったのは隣のババアが呪いをかけたからだ」
みたいなレベルの「魔女狩り」はあったらしいが・・・

135 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:29:38 0
フィンランドの叙事詩『カレワラ』が今日まで伝わったのは、あの地域が
ロシアに支配されていたからだという説をどっかで読んだことがある。

136 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 11:46:28 0
阿部勤也『西欧中世の罪と罰』(弘文堂)に、ローマ・カトリック圏で使われて
いた「贖罪規定書」の内容が紹介されている。
そこでは異教の迷信・呪術・魔術のたぐいが、司祭に告解し、贖罪をしなければ
ならない罪として事細かに記されている。
ロシア正教会の場合、司祭が信者にこういう指導を行っていたんだろうか?

137 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 20:19:26 0
ゲルマン人の王たちは、ゲルマンの神々の末裔ということになっていたけど、
東スラヴの公たちはどうだったの?

138 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 21:03:08 0
いつのまにか強国になって居るんだよね。


139 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 01:27:12 0
>>137
フセスラフ人狼公は、「母親が魔術によって生んだ」ということに
されていたはず。

140 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 09:46:27 0
帝王切開でもしたのかな?

141 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 11:46:24 0
>>136
ロシアの場合、広大な地域に人口が拡散してたので聖職者の数が足りなくて
農民は地面に掘った穴に口をつけて告解してたとか・・・
大地崇拝とキリスト教の習合だという話。

142 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:03:48 0
>>141
『カラマーゾフの兄弟』で、アリョーシャが大地に接吻する場面が
出てくるけど、あれもそうなの?


143 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:36:19 0
>>142
そういうニュアンスだったと思う。
「悪霊」でテロリストの名前がピョートルなのも伝統文化を破壊した
ピョートル大帝を意識してつけたんだとか。

144 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 19:54:55 0
>>141
「罪と罰」でも、ラスコーリニコフが大地に接吻する場面があるよね。

145 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 20:41:09 0
露助はロシアの大地(ロジーナちゃん)が大好きだからな。

146 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 21:12:00 0
東方正教会の聖職者にいわせると、
アリョーシャの大地への接吻は、異教的な意味を持つものではなく、
神の創造した天地であるこの世を受け入れ、アリョーシャの生活の中に
神との親しい交わりがはじまったことを表しているのだとか。

147 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 22:59:10 0
川の水にあたまつっこんだらギリシア正教者

148 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 00:42:16 0
ロシアの農民は、近代になっても、『土地は人の手により造られたものでは
なく、売り買いされてはならない』、『神の賜物』などと述べ、森や水域
なども含めた土地の私的所有を否定し、土地の帰属をそこへ投下された労働に
よって主張したといわれる。

中世初期のスカンジナビアでも、オーダルと呼ばれる農民世襲地があって、
この土地を他人に譲渡した場合、たとえそれが数世代前のことであっても、
オーダルの所有権は移らず、金を払えば事実上いつでも取り戻し可能。
つまりオーダルの権利は土地にではなく、人と家についていたのであった。

149 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 02:23:26 0
アメリカがユネスコを脱退したとき
世界遺産は東側諸国集中しまくっていて不公平だと妄言を言ったことは有名ですが
まあ、中国はわかるとしてロシア(ソ連)って世界遺産がゴロゴロあるような歴史のある国なんですか

150 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 02:31:39 0
単に、グランドキャニオンくらいしか誇れる世界遺産のないアメリカが逆切れしただけ
中国ほどではないにしろ、西欧や日本にも世界遺産はゴロゴロあるよ

ロシアは文化系の遺産は並程度だが、自然系の世界遺産はかなりあったはず。

151 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 11:11:01 0
ttp://4travel.jp/overseas/area/europe/russia/sekaiisan/
ロシアの世界遺産

152 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 16:14:31 0
てゆうか遺産登録しておかないと
東側だとすぐに壊されるからじゃないの?

共産主義の下どれほどの歴史的遺物が壊されたことか…


153 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:38:23 0
>>152
共産主義時代に破壊されたものといえば、「モスクワ救世主キリスト教会」。
(1997年に再建されたが)

ところで、モスクワの「赤の広場」にある、イヴァン雷帝が建てた聖ヴァシリー
聖堂は、ドームの高さも大きさも色彩もまちまちというのが変わってるね。
ハギア・ソフィアのようなビザンツ時代の建築ともまた違っている。
のちに西欧人から「病的な夢想の産物」などといわれたりしたが…

154 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:52:16 0
>>152
あまりに偏狭な見方だと思う
反中の漏れからみたって、歴史の古さという点では
アメリカは中露に遠く及ばないと思うぞ
遺産の絶対数も当然ぜんぜん違う

155 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:46:11 0
>>136
第一八〇章 お前は、ある女たちがするように悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。
洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、どこか秘密の場所に置き、子どもの体を
杭で刺して、もしこうしなければこの子は生き返り、多くの者に害をなすという。お前がそのようなことをし、
あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない。
 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』p202

↑この辺はロシアのメルトヴャーキ、不浄の死者に関する信仰に似てるね。

156 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:38:01 0
ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/tyburn.htm
命は神によって与えられ、それを奪うのもまた神の専権事項であるため、
自殺は悪魔に魅入られた者による神への冒涜行為であり、コモンロー上の
重罪とされていた(felo-de-se)。自殺者は財産を国王に没収されたうえ、
その死体も墓地に埋葬してもらえず、自殺現場から最も近い十字路に運ばれ、
そこに心臓に杭を刺して埋められた。十字路の象徴する十字架の力と、
死体の上を常に人馬が踏み固めることで、自殺者の悪霊がさまよい出て
生者に害をなすのを阻止できると考えられていたのである。

157 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:05:02 0
不浄の死者って吸血鬼と違うの?

158 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 01:07:13 0
ttp://src-home.slav.hokudai.ac.jp/publictn/51/fujiwara_note.pdf
現代ロシアにおける呪術の語り

159 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 13:52:41 0
>>157
不浄の死者の一種が西欧に伝わってポピュラーになったのがいわゆるヴァンパイアでは。

平賀英一郎の「吸血鬼伝承」によると、中世初期には西欧にも、悪人や異常な死を遂げた者の死体が
死後も生命を保ち災いをなす(吸血など)という信仰があったようです。
カソリック圏で煉獄の概念が生まれてから消えていったらしい。

160 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 14:33:27 0
ヴァムピールと同系統のロシア語「ウプィリ」が中世において
どういう実体を指していたのかはよく分からないようです。

ウプィリという語の初出は1047年の記録で、ノヴゴロドの聖職者か
公のひとりの名前としてあらわれるらしい。
英語圏のサイトで検索すると「"Upir Lichy"すなわち邪悪な吸血鬼の意」
と解説されてるのがほとんどだけれども、おそらくそれらが典拠にして
いると思われるJan L. Perkowskiの"The Darkling"を読んでみても
何を根拠にそういってるのかは分からない。
ちなみにロシア語で検索するとなぜかУпырь Лихой(ウプィリ・リホーイ)
として出てくる。

詳しい方解説キボン

161 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 15:58:57 0
ttp://www.schemer.org/ars/temp/vampire.php
語源をスラヴ諸語に求める説は現在もっとも広く受け入れられている。
例えば、ポーランド語の「翼をそなえた」 upierzyc または「翼ある
亡霊」 upior であるとするものがある。『ポーランド帝国自然史』
(1721)の著者ルツァチンスキーによると「屍衣を食べ、己が肉を
食らい、墓場から蘇り、人に襲いかかり首を絞める怪物を、男なら
ウピール upir、女ならウピールチカ Upierzyca と呼んでいる」
のであり、更に「ウピールとは、翼の生えた、容易に動き回ることの
できる人体という意味である」。また、ロシアの言語学者ソボレフスキー
やフランスのスラヴ語学者ヴァイヤンは -pir をロシア語の「飛翔する」
parit’、「羽」pero に結び付けた.
一方、セルビア語の vampir の綴りから、「飛ぶ」 pir と否定を表す
vam が組み合わさったとする説もある。スラヴ祖語の形からのアプローチ
として、ポーランドの言語学者ブリュックナーは、『ポーランド語語源辞典』
(1957)において -pyr’ に注目し、それを 「飛ぶ」per という動詞の
語根と関係付けた。彼は、「大蝙蝠」を意味するロシア語の netophy’
(ne-to-phy’)、ポーランド語の nietoperz(nie-to-perz)が、
否定詞的接頭辞と「飛ぶもの」との結合から「鳥ではないもの」という
意味になっている語構成法の類推から、 吸血鬼の原語を「鳥に似て
非なるもの」の意に解釈し、「原初的なヴァムピールは長い鋭い嘴を
もって、犠牲者の血を吸う夜鳥の姿をしていたからである」と説明
している。

162 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 16:33:15 0
>>161
平賀英一郎さんの「吸血鬼伝承」からの抜粋ですね。
ちなみにその本ではUpyr系統の語のテュルク語源説も紹介してました。
タタール人などの間にはテュルク語のop「飲み込む」を語源とするウベル、オブル等の言葉があり
「魔女、悪霊、食らうもの」といった意味があるそうです。
あまり主流の説ではないようですが。

ちなみにロシアでウプィリが吸血鬼を表すようになったのは、西欧の吸血鬼小説の流行でヴァンピール
という言葉が逆輸入されてからの現象らしいです。

163 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 18:55:50 0
東方正教会では、聖堂は神の小宇宙が地上に降り立ったものと考えられ、
柱は建物を支えるものではなく、天上から下がる蔦のようなものとみなされた。
宇宙を象徴する形がドームである。

ちなみに、ロシアの農家も宇宙の構造をモデルとしている。
居間の四隅のうちの一角は「美しの隅」と呼ばれ、三角形の神棚の上に
イコンが置かれる。
その対角線上に「ペーチ(竈)のある隅」があり、そこには祖先の霊が宿ると
信じられた。
また、地下室と屋根裏は家の中の「異界」であって、ドモヴォイ(家の精)
が好む居場所である。


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