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五胡十六国〜清までの軍事史

1 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 14:51:27 0
中国の軍事史は古代と三国時代ぐらいしか話題にならないので立ててみた。
兵制、戦術、武器防具の変遷などについて語ろう。

2 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:06:45 0
軍事史は軍事板でお願いします。

軍事
http://hobby7.2ch.net/army/

3 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:22:36 0
楊家軍 岳家軍

4 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:56:25 0
>>2
向こうは近代戦かよくても西洋史でしょ。

5 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 17:40:59 0
>>1
古代から近代までまったく進化なんてしてません。
よって終了。

6 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 19:28:05 0
羊馬城と月城とかあったね

7 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 19:48:14 0
戦術つ〜ても、サルフ戦でのやられようを見てると
脱力するわな
ヌルハチが凄すぎるというのもあるんだが、「最後の東洋的社会」の
狩猟部族より何百年も進歩した火器部隊がああも無残にやられたんじゃ
軍事史いくら語ってもしょうねないと言える

8 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:08:24 0
>>7
銃ったって近代の連発ライフル銃とか出てくる以前は
クロスボウでも代わりが務まるような使い方だからなあ。
もうちょっと先の時代ならジュンガル部ですら火器を装備してたし
負けて恥ずかしいほど技術力の差はないと思うけど。
1世紀前だったらロシアだってタタール人に
モスクワ焼き払われてる時代ですよ?

9 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 23:03:28 0
シナの中世から近世を語るのかな?
西洋史だと封建軍→国王の傭兵軍→国民軍みたいな流れがあるけど
シナは時代ごとにどういうトレンドだったのかよく分からないね。
教えてエロい人。

10 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 23:18:03 0
半分はモンゴルや女真の軍制の話題になりそうなw

11 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 23:24:50 0
>>10
鉄塔兵マンセー

12 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 01:17:36 0
ミンガンとモクンとか八旗制とか。

13 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 12:15:30 0
>>7
>>8
外人が書いた本でサルフの戦いについて
「残念ながらこの時代の火器はたいして効果的な兵器ではなかった。
二百年後のプロイセンでもマスケット兵が50ヤード先の標的を狙って
命中率はたった6割だった」
とかコメントしてた。

14 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 13:12:03 0
支那の軍事史

1 各地に盗賊の親玉が群雄割拠
2 盗賊の中で最強の集団が天下統一 配下の盗賊を正規軍にする
3 太平の世で軍の質が低下 各地で反乱が勃発
4 1に戻る

15 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 13:36:57 0
春秋戦国時代は、国民軍が存在してた様だが、
漢楚の戦いは、完全に傭兵(食い詰めた農民、浮浪者、無法者)が
主体になってる。故に郷土軍を多く持ってた楚の項羽は強かった。
漢の時代は、各軍閥の私兵が主体。つまり封建領地の軍。
三国志は、完全に傭兵同士の争い。
晋以降は、北方の遊牧民族が常に優勢なので、この騎馬兵達は
ある意味、国民軍だ。
唐は初め封建軍だけど、じょじょに各軍閥の私兵による傭兵軍が主体。
明は封建軍。清は少数の満州族の国民軍が中核の軍隊。
中華民国は、実質各軍閥による傭兵軍。
日中戦争時は、国民&共産党ともに傭兵軍。これはまるっきり
ドイツの30年戦争に近かった。略奪は中国側の傭兵の方がひどい。
共産党政権樹立でようやく国民軍が成立した。

結論から言うと、中国は春秋戦国時代が一番先進的だった。
この頃、斉、燕、晋の北方諸国は、コーカソイドの王国だったとの説も
あるので、紀元後の漢民族と比べて大幅に優れてるのは当然かもしれない。


16 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 13:45:09 0
春秋戦国時代に「国民」と呼べるような存在があったのか?

17 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 15:50:26 0
>>15
宋や元は?

18 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 16:28:31 0
明の「武備志」に載ってる甲冑を見ると、唐の時代からほとんど発展してないような気がするのは俺だけだろうか。

19 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 17:05:03 0
主要な城郭の防御力は凄いんだけどな
19世紀のアヘン戦争以後でも、当時の戦列艦が主砲の水平射撃を
1時間以上浴びせても、びくともしなかったそうだ
何せ城壁厚が平気で15mから30mあるらしいから
コンスタンティノポリスの城壁の比では到底ない


20 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 17:40:49 0
封建軍って何?

21 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:37:43 0
>>8 >>13
当時の火器の限界は充分判ってるんだけど、
塹壕も掘り、防御用戦車も使用してたのに、
徒歩立ちの満州兵にその戦車をひっくり返されて、
揚句は鉄騎に踏み込まれたその不手際ぶりが、何気に
旧日軍の高級統帥に似ていて、チュンコォ不憫(藁

22 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:42:20 0
床|・∀・)

23 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:05:46 0
統万城だっけな、「土を蒸して城を築く、錐を刺して一寸入らば、
即ちその工人を殺す」五胡十六国の時?
築城技術も軍事史に入るよね

24 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:48:39 0
>>7
まあ、ヌルハチは騎兵の栄光の最後を象徴する人だろうな。
袁崇かんに火器で怪我させられ死んだのも象徴的ではある。


25 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 04:10:13 0
>>7
その以前に「碧蹄館の戦い」で明の騎馬兵が鉄砲でボコボコにされといて、なお、だもんな。
学習能力がないというか、東洋的停滞というか。
中国は火砲の歴史は古いけど攻城砲止まりで他国みたいに野戦で大量集中投入するという発想がなかったんだろうか?

26 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:14:25 0
>>25
明軍は野戦でけっこう火砲使ってたらしい。
仏朗機を荷車に載せて散弾撃ったり、あと一斉発射銃とか。

27 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:15:37 0
というかこっちもよろしく

銃・火砲の世界史
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1120655663/l50

28 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:56:31 0
漢民族の兵制は基本的に3つあったと思う。

徴兵制 一般の農民から広く徴兵する(>>15で国民軍といってるのはこれのことか?)
傭兵制 志願兵を募集する
軍戸制 一般民衆と別の、世襲の軍事義務をもつ軍戸から兵を取る

北方の騎馬民族の場合は、家畜の世話は女と奴婢にまかせて
壮丁が全員騎馬戦士として戦う。いわば部族皆兵だ。

南方の苗族や壮族の軍団もいたと思うけど詳しくは知らない。

29 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:57:21 0
五胡十六国 軍戸制+匈奴などの部族兵
隋唐    徴兵制 のちに傭兵制+節度使の家兵
宋     傭兵制
元     軍戸制+遊牧部族兵
明     軍戸制 のちに傭兵制
清     世襲の八旗兵+緑営(傭兵制)

こんな感じかな? 突っ込み待つ。

30 :7:2005/08/02(火) 20:17:11 0
>>25 >中国は火砲の歴史は古いけど攻城砲止まりで

こういうことらしいですね

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1120655663/l50
"学校の図書館に去年からあったんで読んだけど。
「火器についての包括的で体系的な研究書」というよりは
「なぜ火薬が発明されたのは中国なのに火器が強力な武器に進化したのは西欧だったのか」
という疑問を答えようとした本だ。
結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。
何じゃそりゃと思うかも知れんが読んでみると非常に説得力がある。
旧大陸(と周囲の島々)のあらゆる地域の火器使用について検討しているので
とても参考になる。"

まだその意味は完全には判らないけどw





31 :7:2005/08/02(火) 20:18:49 0
つうか、個人的には毛唐どものほうが野蛮だっからと思いたいのだがw

32 :7:2005/08/02(火) 20:24:10 0
つうか、もっと個人的には何人かが書いておられたが、防御施設発展の
軍事史を教えてほしい シャンハイクァン防御複合体の形成過程とか
ペイチンの外城、内城、皇城、紫禁城の入れ子構造の心理学とかw


33 :7:2005/08/02(火) 20:42:18 0
蛇足で悪いが、素人なので今まで中国関係で読んだ印象的な本は

「中国の城郭都市」
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=4962
出張中の電車で読んでたら、気味悪がられたw

「蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記」
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1392
有名な最後の本の中に、「満州兵が素手で人を殺すのを見た」という記述を
見出し、「功夫発見!」と叫んで嫁に気味悪がられたw
内容は凄いが、白髪三千条というのは当たってるね

34 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:31:01 0
>>29
そういう軍制の変化の背景に、どういう社会経済的要因があったのか含めて
説明してもらえるとありがたいんですが。
欧州のように封建社会から絶対王政みたいなわかりやすい流れがないので
時代ごとの制度をみても何がどう違うのやら。

35 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 20:20:37 0
>世襲の軍事義務をもつ軍戸

それって、ピョートル以後のロシアで多くの貴族に引退するまで
課せられた軍役義務に似てるんだろうか?
中国では五代以後、世襲貴族が完全に没落したから、世襲軍役を
課せられた軍戸というのは一体どういう性格の集団なんだろ? 

36 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:17:55 0
>>35
これのことじゃ?

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E5%85%B5%E5%88%B6

>府兵制以前に行われていたのが兵戸制である。これは特定の家に対して永代の兵役義務を負わせる者で、
>その元は魏の曹操が黄巾党の残党30万を配下に入れた青州兵である。その後、兵戸制は南朝・北朝に受け継がれ、
>南朝では文治重視をして武を軽視する考え方から兵戸の没落を招き、宋代に崩壊していた。
>しかし北朝では鮮卑の持つ尚武的な気風から兵戸の地位は慨して高く比較して長い間保持されていた。
>北魏での兵戸は鎮と呼ばれ、特に首都平城を北の柔然から守る六鎮の地位は高く、領土の統治権も持っていた。

37 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:06:05 0
後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。

38 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:06:41 0
騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。

39 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:07:39 0
車兵

車兵旅団の戦車(防御用のワゴン)にはそれぞれ10名の分隊2個が配置されている。
分隊長、御者、2名のラバ追い、6名の砲手からなる第1の分隊は、戦車のところで
2門の旋回砲を操作する。
分隊長、4名のマスケット兵、4名の近接武器をもった兵士、伝令からなる第2の分隊は、
戦車に乗るか、またはその周囲で戦う。
2つの戦車が小隊を構成し、2個小隊が中隊、4個中隊が大隊、4個大隊が連隊、2個連隊が
旅団となる。旅団にはさらに別の17台の戦車が付属し、その内8台は"大将軍"と呼ばれる
大型砲が搭載され、残りの9台には太鼓や火箭やその他の物資を積んである。
合計で、3109名の車兵旅団は145台の戦車と、8門の大型砲、256門の旋回砲、
512挺のマスケット銃を装備している。

40 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:16:29 O
兵戸は一般には被差別民で、奴隷兵士とでもいうべき存在だったらしい。
逃げられないよう刺青を入れられるなど、「なんとしても逃れられない」ものだったそうな。
曹操など後漢末の群雄が流民なんかを兵士として駆り立てたのが始まりという。
それまでは徴兵制。


41 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:01:43 0
死以外の解放は望み薄の徴兵制
金の切れ目が縁の切れ目の傭兵制
被差別民が"選ばれちゃう"軍戸制

「仕事といえば駆け足ばかり 飯といえばもやし汁ばかり 
 たまに清郷に出かけると聞くと、皆の相好がくずれたものだ」という
無辜の農民に襲い掛かって拷問しお宝を搾り出す事だけを生業とする
中華民国軍閥兵士の生態は中国4000年の伝統だったんだろなぁ・・

42 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:14:30 O
少なくとも古代の徴兵制度については盛大に誤解しているなきみ

43 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:58:03 0
>>42
ごめんね、馬鹿で
他の誤解について教えて欲しい

44 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:05:09 0
とりあえず傭兵制がおこなわれるのは貨幣経済が発展した時代だろう。
軍戸制は農業人口の減少と関係があるような気がするけどよく分からない。

45 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:43:18 0
南宋や金の軍隊について語って

46 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 09:10:46 0
>>44
貨幣経済の発展が、傭兵制に不可欠な要素でもないだろう。
食い詰めた浮浪者にとっては、兵糧で食をつなぐだけでもメリットはあるし、
都市を陥落させた際の略奪で一財産作れるし、軍団を撃破した時も
敵の所持品を分捕れる。
世情不安の社会ならどんな時代でも、傭兵制はポピュラーだ。


47 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 12:58:15 0
>>46
それは王朝交代期か欧州の30年戦争あたりのイメージでは。
統一王朝下での傭兵制は、農民や屯田兵からの徴兵がうまく機能しなくなった時期に
余剰人口を金で雇って軍隊を維持するものじゃないかと。

48 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 15:10:21 0
>>37-39
そんなヨーロッパ諸国とガチで戦えそうな軍隊もってて狩猟民族に滅ぼされた中国人ていったい・・・

49 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 15:12:41 0
>>48
明は反乱軍に滅ぼされたのだが?

50 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 00:32:45 0
それは直接要因でしょ



51 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 01:19:10 0
南明政権を倒したのも、清に寝返った連中だったな。
清軍が最後まで突破できなかった、
山海関や其の近辺の防御システムを具体的に知りたいな。


52 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:15:58 0
山海関は、渤海とその西方の山脈に挟まれた、もっとも狭い隘路に
建築されました。
山海城を中心拠点とし、その両脇に北翼城、南翼城がありました。
さらに渤海の岸には、海からの攻撃に備える寧海城がありました。
これら4つの城は長城で結ばれてます。
山海城の前面には、満州側に大きく張り出してる東羅城が作られました。
これが防衛のポイントです。攻城側にとって、この郭が最もやっかいでした。
長城の上には、大型の紅夷砲、小型のフランキ砲、日本伝来の火縄銃が
配備されました。それは長城に取り付く女真軍に容赦なく浴びせられました。
中でも外側に張り出した東羅城からの側面射撃は、攻城側にとって
大きな脅威でした。長城の海側の舳先にも大砲が取り付けられ、海上から
侵入する敵に砲弾を打ち込みました。


53 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:40:42 0
>>52
築城体系が一目で分る鳥瞰図か地図を
リンクしていただけないでしょうか?
検索してもなかなか見つけられなくて・・

54 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:51:00 0
山海関・詳細マップ

△△△                               |
△△△        東羅城             囲城      |
△月城         ■               ■    入海石城
=▲====■===■===■=======■==■   渤海
△△△  北翼城  山海城  南翼城     寧海城 |
△△△                               |


55 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:52:35 0
本でしかないんですよ。しかもスキャナもないですし・・・

56 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:37:47 0
>>52
サンクス。
こんなに手が込んでたのね。
こりゃ陥落しないわけだわ。

57 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 01:12:05 0
ありがとう、少し思い出した
20世紀になるまでは、複合城郭システムとしては、
間違いなく空前絶後の防御施設ですね
「歴史群像」みたいな鳥瞰図が欲しいな

58 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 08:17:59 0
東羅城を見ると、大阪城の真田丸を思い出すな

59 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 12:46:39 0
「して、出丸は?」
「はっ、真田丸にございます。大御所様」
「なに! 真田とな・・」

超巨大馬面として、ここに最優秀最強の戦闘力を終結したんだろね

60 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 11:59:43 0
城壁に出丸を作るのは、非常に優れた防御法だね。
出丸を避けて城壁を攻めると、出丸からの側面攻撃をくらい
出丸を囲もうとすると、城壁からの側面攻撃をくらうので、
正面からしか攻めざるを得ず、やっとの思いで出丸の壁を突破して
占拠しても、そこに城壁からの攻撃が浴びせられる。
攻城側にとって、これほどイヤなものはあるまい


61 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:39:35 0
イタリア式築城術の角の部分みたいなもんか

62 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:24:30 0
宋の軍制をまともに説明した本とかない?
殿前司、侍衛親軍は副都指揮使くらいまでしか出ず、地方では都総管〜都監クラスで終わり。
その下がよくわからん。

63 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:34:41 O
宋の軍制なら石井仁先生に聞きなよ。

64 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:42:33 0
小岩井弘光「宋代兵制史の研究」とか?
読んでないから内容はよく分からんが・・・

65 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 00:46:56 0
中国の騎兵ってランスチャージとかやってたんですか?
偃月刀とかポールアームを両手で振り回してるイメージしかないんですが。

66 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:18:06 0
あまり組織性がなかったんじゃないかなあ・・・

67 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:34:36 0
>>65
>中国の騎兵ってランスチャージとかやってたんですか?
馬具の発達がそれを可能にしたと同時期に出現したよ。

68 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 20:42:31 0
「馬策」って武器があったよ。
肩にかける紐帯付き騎馬槍の事ね。

69 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 11:08:42 0
>>64
その本読んだけど、基本的軍制抜きでいきなり詳細やってるからさっぱりわからん。
基本的軍制を自明のことだと思ってるんだろうか?
唐の府兵制や清の緑営などはかなり一般的に知られてるからいいけど、宋の軍制はそれほど一般的じゃないと思う。

70 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 15:39:33 0
>>65
清とジュンガル部の戦闘の再現図ですが、八旗兵がランスチャージしてる。
ttp://www.zaimka.ru/images/bobrov2/pic2_big.jpg
>>68
>馬策
右側の人が肩にかけてるやつですね。
ttp://www.zaimka.ru/images/bobrov2/pic3a_big.jpg

71 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 15:41:33 0
>>69
ちらっと読んだけど牢城がどうとかやたらとマニアックな内容だったような・・・

72 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:39:30 0
>>71
しかも前提知識となる基本軍制がどこにも書かれてないから全然わからん。

73 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:47:00 0
ttp://www.geocities.jp/fukura1234/rekisi/heiseisi.htm
宋の兵制についても書いてある。

74 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 13:36:22 0
DVDで「水滸伝」見たけど宋代の甲冑ダサかった。
個人的意見なのであしからず

「三国演技」の甲冑はカッコイイ
特に官渡の戦いでの曹操陣営
厳密にはこの甲冑が登場するのは南北朝かららしいが

金代と清代初期は同じ部族だけどまたちょっと違うのかしら

75 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 13:50:43 0
宋っていうと歩人甲か

76 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 16:22:23 0
>>74
南北朝から登場する甲冑ってこんなのですか
ttp://www.globaleffects.com/C_pages/Rental/Wardrobe/Armor/Period/CompleteSuit/Oriental/ArmorSamurai736_hi.jpg

77 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 17:40:32 0
>>76
カンフーハッスルで琴の音攻撃で
飛び出してきた幽霊戦士に似てる

78 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 06:26:39 0
三国志演義の鎧って、
南宋の時代のものではなかった?

79 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 12:05:31 0
>>76
これもダサイっすね。

>>78
南宋でしたか。
こういう映画は、どれくらい時代考察してんでしょうか。
世界史の資料集に載ってた岳飛像はゲームに出てくるような
鎧でした

80 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 12:09:36 0
>>76
これもダサイっすね

>>78
南宋でしたか
ちなみに世界史の資料集に載ってる岳飛像はゲームに出てくるような
鎧でした

81 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 07:34:58 0
紀元後の中国の歴史を一言で述べるなら、北方の遊牧民族と南方の農耕民族の争い
となるけど、やはり万里の長城は、防衛よりも馬の足止めの為に作られたのでしょうか?

82 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 16:31:30 0
>>81
ちゃんと城壁になってた部分は防御の役割を果たしてたみたいですが。
場所によっては柵だけとか烽台が連なってるだけだったり。

83 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 17:02:36 0
万里の長城の東端の山海関は>>52のように天下の堅城なわけだしね。

84 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 19:54:38 0
>>75
歩人甲は鋼鉄の板を鉄の釘でとめて作った鎧で、重さが50キロもあり、
平地では重騎兵ともまともに戦えたそうです。

中国の鎧は他にこんなのがあった気がします。
・紙甲・・・紙と布で作った鎧
・皮甲・・・皮の鎧
・鎖子甲・・・小さな鉄環を繋げて作った鎧、つまり、鎖かたびら
・綿甲・・・厚手の綿の布地に鋼鉄の板を植え込み、それを銅の鋲で
      とめて作った鎧

85 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 19:57:17 0
>>84
「世界の武器防具・中国編」もってるので知ってるよ
でも、わざわざ書いてくれてありがとう
このスレの住人ならこの本はお勧めかもね

86 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 22:33:11 0
東アジアって西洋やイスラム圏に比べるとなぜかチェインメイルがあまり普及してない。
元の色目人部隊は使ってたらしいが。

87 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 13:25:04 0
むしろ西方の軍隊はなんであんなに鎖帷子ばっかり着てるのか、そっちの方が不思議

88 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:35:01 0
>>86,>>87
もともと鎖子甲は西方由来のもので、中央アジアのソグド人の唐への朝貢品
の中にあったそうです。

89 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:36:32 0
>>88
ソースをお願い。
ソースあれば説得力アリで信じます

90 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 00:34:36 0
>>89
>>88じゃないが、唐の時代に存在したってことは、文献に記されているらしい
ただ、クルド人の朝貢品ってことは、はじめて知った

91 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 11:44:45 0
>>90
うんうん、そうなんだよね、ソグト人の朝貢っていうの初耳なんだよね。
だから、出典史料なりそういう解釈をした書籍なりを
示してくれると嬉しいよね。
ボクも読みたいし。

92 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 12:26:22 0
>>91
「文明の道2巻〜陸と海のシルクロード〜」でそんなことが書かれていたと
思うのですが。

93 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 12:46:41 0
>>92サンクスコ!!
読んでみます。

94 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:48:21 0
"Oriental Armour"って本でも「唐の鎖子甲はサマルカンドからの朝貢品」とか書いてた。

宋代の「連鎖甲」ってのもチェインメイルだったらしい。

95 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 21:04:40 0
鎖子甲って、防御性能はどうだったんだろう?軽量で動きやすそうなのは
想像できるけど、刀や槍、弓矢に対してはどのくらい強かったのかなあ?

96 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 21:49:10 0
チェインメイルは斬撃には強いけど、槍や矢などの突き刺す攻撃には弱い。
中国ではクロスボウや彎弓のような強力な飛び道具が早くから使われていたので
あまり普及しなかったのでは?

97 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 17:22:29 0
>>96
鎖かたびらは剣による攻撃に対しては強いが、穴ボコだらけだから当然
弓矢には弱い。だから、その弱点を補うために紙と布で作った鎧である
紙甲や皮でできた皮甲と一緒に使っていたそうです。

98 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:47:28 0
>>97
それはロシアやビザンツの軍隊でもそうだな。
向こうはラメラーの胴衣とかを着けてることが多いが。

ところで中国にはキルト縫いの防衣ってなかったのか?
中央アジアあたりではポピュラーだったらしいが。

99 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:38:37 0
>>98
>中国にはキルト縫いの防衣ってなかったのか?
あるよ

100 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:39:29 0
綿襖甲がそうだっけか。

101 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 12:44:45 0
清の八旗兵なんかは19世紀頃まで綿甲を装備してたようだが
そうすると綿甲が最強ということになるのか?

102 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 13:08:37 0
test

103 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:35:38 0
>>101
後期の清軍が着ていた綿甲は一種の制服で、内側に装甲が施されておらずペラペラだったらしい。

清朝末期の、太平天国の乱で湘軍や淮軍が出てくる頃にはもう鎧は着てなかったのでは。

104 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 16:38:00 0
湘軍や淮軍も最初の頃は刀や槍で戦ってたらしいけど。

105 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 18:25:53 0
>>101
綿甲は金属の硬さと布のクッション力で刀や槍による攻撃に対してはもちろん、
弓矢や銃火器に対しても強かったようだ。故宮博物院には黄色い布地に刺繍を
施した豪奢な乾隆帝の綿甲があります。


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