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旧陸軍少佐ら、大江健三郎氏を提訴…集団自決巡り

1 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 21:18:01 0
旧陸軍少佐ら、大江健三郎氏を提訴…集団自決巡り

 第2次大戦末期の沖縄戦で住民に集団自決を命じたなどと、虚偽の記述のある書籍を出版され、
名誉を傷つけられたとして、旧陸軍の元少佐・梅沢裕さん(88)と、
元大尉の赤松嘉次さん(死去)の弟(72)が5日、
出版元の岩波書店と作家の大江健三郎さんを相手に、出版、
販売の差し止めと慰謝料計2000万円の損害賠償などを求める訴えを大阪地裁に起こした。
 訴状によると、沖縄・座間味、渡嘉敷両島では1945年3月、
米軍の攻撃を受けて多くの住民が集団自決した。
梅沢さんと赤松さんは両島でそれぞれ守備隊長をしていたが、
同社が70年に出版した大江さんの「沖縄ノート」や、
歴史学者家永三郎さん(死去)の「太平洋戦争」(2002年出版)など3冊の本で、
「守備隊長が集団自決を命令した」などと書かれていた。
 原告らは「命令はしていない。誤った記述で非道な人間と誤解され続けてきた。
戦後60年を機に、真実を知ってほしい」などと訴えている。
 岩波書店は「訴状を検討し、裁判の場で見解を明らかにする」とし、
大江さんは「訴状が届いていないので詳しいことはわからない」とコメントした。
(読売新聞)

2 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 21:22:33 O
これは島民が嘘ツキなんだろう

3 :atomu:2005/08/07(日) 21:25:37 0
俺もそうだと思う

4 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 21:43:32 0
メッセージ復帰30年(下)・告白
 宮城晴美『母の遺したもの』高文研

 「いずれ機会をみて発表してほしい」と、一冊のノート(手記)を私(宮
城)に託し、半年後(一九九〇年)、六十九歳の生涯を終える。字数にして
四百字詰め原稿用紙約百枚。自らの(沖縄戦での)戦争体験の日々を具体的
につづっていた。しかも、手記は過去の記述を、根底から覆す内容を含んで
いた。
 ・・・同著の要旨を追うことにする。当時の(日本軍の)座間味島駐留軍
の最高指揮官、梅澤部隊長からもたらされたという「住民は男女を問わず軍
の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」が、事実と
違う記述であった。以後、「座間味島の“集団自決”は梅澤裕部隊長の命
令」が根拠とされてきた。

 事実は、部隊長の命令は下されず、村役場の伝令が飛び交い、次々と集団
自決へ走った。手記発表後、(著者宮城の)母は、自分の“証言”で梅澤
(旧日本軍部隊長)を社会的に葬ってしまったと悩んでいた。事実を公表す
れば、島の人々に迷惑が及ぶ(偽証で国から軍属年金をだまし盗っている島
民仲間が、罰せられる)。板ばさみの心痛を一人で背負っていた。
 一九八〇年、那覇市内で梅澤と再会。そして母初枝が告白した。「命令を
下したのは梅澤さんではありません」。この一言に、梅澤は涙声で「ありが
とう」を言い続け、嗚咽(おえつ)した。だが、告白をきっかけに事態は急
変。さらに波紋を広げていく・・・。
<沖縄タイムス2002年9月21日朝刊6面より>


5 :atomu:2005/08/07(日) 22:00:37 0
で、結局どちらが正しいの?俺は終戦60年たってから言い出すのはおかしいと
思う。証拠だってほとんど口述だし、原告の裁判理由も・・・・・。

6 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:05:04 0
>>5
ヒント:サンケイのキャンペーンに煽られただけ。

7 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:06:48 0
>5
従軍慰安婦だって、戦後60年経ってから騒ぎ出したじゃん

8 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:07:40 0
中間の奴が勝手に隊長の名前を使ったとかじゃないのか。

9 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:08:41 0
夏だなぁ

10 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:09:07 0
何で世界史?

これは本来美談なんだよ。
島民は米軍を前に率先して自決した。軍は島民の立派な最期に感じ入り軍命令ということにした。
島民を責めるのも軍を責めるのも筋違い。



11 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:11:16 0
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html
第34回司法制度改革審議会議事次第
日時:平成12年10月16日(月)9:29〜12:10
場所:司法制度改革審議会審議室
出席者
(委員)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長

(中略)

【曽野委員】レジュメが短過ぎて申し訳ございません。
過日ちょっと触れましたが、私は過去に書きました数冊のノンフィクションの中から、一つの作品を例に引いて、その作業の困難さをお話ししたいと思います。

ここに持参いたしましたのは『或る神話の背景沖縄・渡嘉敷島の集団自決』という本です。この話は、終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件です。
当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130人が、ベニヤ板の船に120キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていました。

3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、
その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。
自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。
また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

12 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:12:02 0
>>10
当時の島民の心理を理解しないやつら(右左関係なく)は、
「軍の機密を守るために自決を強要した。そうでなければ、非戦闘員が集団自決するわけがない」と
勝手に解釈して、現在に至る。

13 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:12:29 0
当時の資料を列挙しますと、1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』
4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著)6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦)7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著)
8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)などがあります。

これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、
大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。
私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです。もちろんこの事件は裁判ではありません。
しかし裁判以上にこの事件は終戦後25年目ころの日本のジャーナリズムを賑わし、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。
当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。
グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。

大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。

当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。

途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。


14 :atomu:2005/08/07(日) 22:12:47 0
何でもかんでも戦争の被害者として裁判は起こしてほしくない。
その当時は強行的にさせられたとしてもその時代に生きていた以上
ある程度は政府の意向を肯定していたわけだから

15 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:13:34 0
第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。
また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。
つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

第二に、資料です。
先に述べました資料のうち、1〜3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました。今で言うと盗作です。
ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります。
それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。
人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。
つまり「沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物」は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。

当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。
この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、
私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」
と答えたのを覚えています。

しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人(大江健三郎)もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。
(後略)



16 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:17:27 0
>で、結局どちらが正しいの?俺は終戦60年たってから言い出すのはおかしいと
>思う。証拠だってほとんど口述だし、原告の裁判理由も・・・・・。

それを言うなら、南京虐殺の100人斬りも、証拠は口述・・・


17 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 04:39:49 0
>>5
加害者と被害者がどちらも「なかった。」と言い、一次資料があてにならないのなら
「なかった」んだろ。

大江は三島由紀夫と180度逆の意味でアレだということは文学ヲタの間では有名。

18 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 09:41:56 0
小林よしのりに刺激されたのか。

19 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 12:51:09 0
村長や村の助役が自決命令をだしたんだけど、
戦後軍の命令って言わないと村民は国からの補償金が
もら得ない状態になり、ウソをついたのが真相。

20 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 13:03:16 0
百人切りと同様に地裁は判断を逃げると思う。

21 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 22:44:38 0
牟田口廉也のインパール作戦について、従軍兵士の民事訴訟と国家賠償請求
はできんのかね?

22 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 08:38:33 0
インパール作戦は大本営からの命令だが。
現地指令官に押し付けるのかい?

23 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 08:39:17 0
あ、国家賠償請求ってあったね。
でもマジな話そんなの通るワケない。

24 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 22:26:07 0 ?
>>23
国家無答責の原則。現行法のもとで同じ事件がおきたら、どうなるかは知らない。

25 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:42:46 0
二昔前なら考えられん話だ。

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