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マルクス主義の唯物史観

1 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 03:10:13 0
こういうスレがあってもいいだろ?

12 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 15:01:10 0
上記に少し専門的な話があるので、ついでに書いておく。

2ちゃんねるレベルだと、「唯物史観」っていってもほとんど理解されていないか、
「ラ・メトリ」レベルの素朴な機械的自然観と誤解してるのがほとんどだろう。

マルクスの「唯物史観(唯物論的経済史)」は、比較するべきは「ロマン主義的経済史」みたいなもので、
当時の小説なんかによくある「空想的科学主義」を否定する意図のものだ。
たとえば、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」だと、主人公はアメリカに渡って理想の共同社会を
築くし、ゾラの「ボヌール・デ・ダーム百貨店」だと主人公の発意で従業員の福利厚生が実現される。
彼らは「個々の人間の善意・意志」が社会を変革する動因と理解しているわけだ。
(ただ、ゾラに関しては「居酒屋」で示された素質・環境による個人の決定論はむしろマルクス的だといえる。
「ボヌール・デ・ダーム百貨店」がゾラの小説(ルーゴン・マッカール叢書)の中で異色というか、過渡的というべき。
ゾラは晩年になるほど空想的社会主義に傾倒していった。)

13 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 15:01:56 0
むしろ19世紀では空想的社会主義こそがメインストリームであり、それに対する批判として生まれた
「科学的社会主義」は「科学」を名乗ってはいるが当然、動物実験なんてしていないし、事実上の検証もされていない。
むしろ、マルクスの意図は実験なんかではなく、上記の「個々の人間の善意・意志」を否定するところにある。

要するに、マルクスに言わせれば、以下のようになる。

 社会の動きってのは、個々の人間が動かせるもんじゃなくて、
 むしろ個々人は社会の動きに飲み込まれ、規定されてゆくんだよ。

図示すれば以下のようになる。
@ マルクス以前の空想的社会主義者(ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスター」など)
 個人の善意・意志 → 社会の変動・よりよき社会になる
 「個人が努力して、そういう個人が集まればきっとよりよい社会が実現する」

A マルクス(科学的社会主義・ゾラの「居酒屋」など)
 現実の社会 → そのなかに放り込まれた個人の(経済的・社会的)状態
 「現実の社会がその中の個人を規定する。そんな非力な個人が集まったところで
 よりよい社会になるわけないじゃん。
 いま(19世紀資本主義)が最悪なんだから、革命したら社会は変動してまだマシな社会になるんじゃないの?」

こんなところだな。

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